749-2《【字解集】》・古風五十九首之十四・勞勞亭・聞王昌齡左遷・寄東魯二稚子・蕭三十一之魯中

 

 

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749-2《【字解集】》・古風五十九首之十四・勞勞亭・聞王昌齡左遷・寄東魯二稚子・蕭三十一之魯中  紀 頌之10359

 

 

 

 

 

李白 訳注解説 749年 《金陵方面》 2

 

 

6. 古風,五十九首之十四  1

胡關饒風沙,蕭索竟終古。  木落秋草黃,登高望戎虜。 

荒城空大漠,邊邑無遺堵。  白骨橫千霜,嵯峨蔽榛莽。

#2

借問誰凌虐,天驕毒威武。赫怒我聖皇,勞師事鼙鼓。

陽和變殺氣,發卒騷中土。

#3

三十六萬人,哀哀淚如雨。且悲就行役,安得營農圃。

不見征戍兒,豈知關山苦。李牧今不在,邊人飼豺虎。

 

7 勞勞亭  卷二五

勞勞亭      全唐詩 巻184-6

天下傷心處,勞勞送客亭。春風知別苦,不遣柳條青。

 

8 勞勞亭歌  卷七

勞勞亭歌   全唐詩 巻166-15

註〈在江寧縣南十五里,古送別之所,一名臨滄觀〉   

金陵勞勞送客堂,蔓草離離生道傍。

古情不盡東流水,此地悲風愁白楊。

我乘素舸同康樂,朗詠清川飛夜霜。

昔聞牛渚吟五章,今來何謝袁家郎。

苦竹寒聲動秋月,獨宿空簾歸夢長。

 

9 聞王昌齡左遷龍標遙有此寄  卷十三

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄              172-13

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

 

10 寄東魯二稚子  卷十三

寄東魯二稚子       全唐詩 巻172-23

〈在金陵作〉            

地桑葉綠,蠶已三眠。              我家寄東魯,誰種龜陰田。             

春事已不及,江行復茫然。              南風吹歸心,飛墮酒樓前。             

樓東一株桃,枝葉拂青煙。              此樹我所種,別來向三年。             

桃今與樓齊,我行尚未旋。              嬌女字平陽,折花倚桃邊。             

折花不見我,淚下如流泉。              小兒名伯禽,與姊亦齊肩。             

雙行桃樹下,撫背復誰憐。              念此失次第,肝腸日憂煎。             

裂素寫遠意,因之汶陽川。             

〈嬌女字平陽下,一作「嬌女字平陽,有弟與齊肩。雙行桃樹下,折花倚桃邊。折花不見我,淚下如流泉。」〉

 

11 蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽  卷十七(二)一○四○

送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽       全唐詩 巻176-33

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。             

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。             

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。             

 

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。             

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。             

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。             

 

 

 牡丹 01

 

 

《金陵方面》2.【字解集】     

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

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【字解集】・古風五十九首之十四

古風,五十九首之十四  1

1. (西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたこと、749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事を詠う。

2. この詩は、玄宗皇帝の749年天宝8載、哥舒翰の石堡城を打ち破った時の事、その年まで、天宝6載(747年)、王忠嗣が軍を進めなかった罪で弾劾された。天宝7載(748年)、青海地方に城を築いて吐蕃を破り、青海に近づかせなかった。西域と南蛮異民族に対して敗北が続いていたこと、士卒が征戎に苦しんでいたことを詠っている。

天宝8載(749年)、隴右節度使として、王忠嗣が左遷される原因となった吐蕃の石堡城の攻略を命じられる。隴右・河西・朔方・河東及び突厥の兵合わせて10万を率いて攻め込んだ。石堡城は難攻不落であったが、数万の兵を失いつつも落城させた。

3. 古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

胡關饒風沙、蕭索竟終古。
辺境にある関所塞は砂漠で風と砂塵が常に多く蕭索として寂しげな景色が広がって未開の地で殺風景である。それは大昔から今も同じ状態なのだ。
4 胡関 胡地への関所。胡は、中国西域、北方の異民族。農耕民族に対して、遊牧・騎馬民族。とは、胡地之く、若し雁門、玉門、陽關の類。

5. 粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。


木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
6. 木落 そのものでなく木の葉が落ちること、詩の慣用語。

7. 終古 いつまでも、永久に。

8. 戎虜 えびす。胡地。異民族との国境地点。


荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
9. 大漠 大砂漠。大漠とは、李周翰註に大漠は沙漠也。

10. 辺邑 国境の村。

11. 遺堵 のこった垣根。


白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
12. 千霜 千年のこと。千「□」と千につく語は詩の印象を強めす。例えば、春だと咲き誇る春が千年であり、秋だと、草花が枯れていくさびしい秋が千年となる。ここでは、句の初めに、白骨があり、千霜と冷たくあたり一面広々と霜の白と白骨の白が続く。

13. 嵯峨 山が高くけわしい。古樂府、延年千霜廣雅嵯峨髙也。

14. 榛莽 やぶや雑草。榛木叢生也莽草深茂也。

 

#2

 

借問誰凌虐、天驕毒威武。
どうして、毎年のように戦争が絶えないというのはなぜなのか、この辺境に侵略して陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、「天驕子」とうぬぼれる匈奴は武力を悪用し、毒毒しくするからである。
15. 天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。

杜甫『留花門』

北門天驕子,飽肉氣勇決。

高秋馬肥健,挾矢射漢月。

自古以爲患,詩人厭薄伐。

修德使其來,羈縻固不

胡爲傾國至,出入暗金闕。』

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299


赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
こうした事実を踏まえてわれわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
16. 聖皇 神聖なる皇帝。唐の玄宗をさす。

17. 労師 玄宗の738年開元26年にチベットに大挙攻めいって以来、唐と吐蕃(チベット)の間に戦争はたえなかった。北方・北西は、契丹、奚、突蕨と、西、南西に吐蕃、ペルシャと戦った。

18. 鼙鼓 進軍太鼓。戦車が基本の戦いのため。

 

陽和變殺氣、發卒騷中土。』
こうして西域は麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
19. 陽和 うららかな、のどかな生活。

20. 中土 中国全土。基本的には漢民族の領土。特に吐蕃が南から、突厥が北から、西域(:隴右道)を完全に侵略されうばわれることになるのである。

 

#3

三十六萬人、哀哀淚如雨。
両軍合わせて三十六万人もの兵士が死に、百万を超える人びとが流すかなしみのなみだは雨のようだ。

20. 三十六萬人 吐蕃と唐との戦で死んだ人を象徴的に詩的表現と考える。于仲通(693年-755年),名向,字仲通,是中国唐朝河北道阳(今天津市蓟县)人,寄籍南道新政。他和国忠勾,得任度使,天宝十751年),率兵攻打南,在南(今云南省姚安)大兵六万。国忠掩盖他的败绩,推荐于仲通京兆尹,后来被官。有《于向集》。


且悲就行役、安得營農圃。
家族のかなしみをすべて背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑を営んでいけるというのだろうか。
21. 安得 安は何と同じ。前の聯句は対句を無視して強調され、この聯に受けて、且悲:安得と強調している。
22.
 行役 国境守備などの兵役。

23. 農圃 田畑、果樹園。


不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
24.
 不見 君不見・・・と同じ。 

25. 関山 関は関所、塞。国境の山山。


李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
26. 李牧 (り ぼく、生年不明―紀元前229年)は中国春秋戦国時代の趙国の武将。『史記』「廉頗蘭相如列伝」において司馬遷は李牧を、「守戦の名将」としている。は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許されていた。警戒を密にし、烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどとともに兵士を厚遇していた。 匈奴の執拗な攻撃に対しては、徹底的な防衛・篭城の戦法を取ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備した。

 

 

 

 

【字解集】・勞勞亭

勞勞亭

1. (要衝の地、建康の近郊に風流な地に歴史上、天下第一の心をいたましめる処、勞勞亭がある

2. 勞勞亭 建康(現・南京)郊外南南西6キロメートルの油坊橋畔あたりにあった労労亭のこと。
景定建康志に「勞勞亭は、城南十五里に在り、古しへの送/之所。呉、亭を置く。勞勞山上に在り、今顧家寨大路の東は即ち其の所」といい、江南通志に「勞/勞亭は、江府治の西南に在り。」といい、輿地志に、「秣陵縣の新亭、隴に望遠樓あり、また、勞勞亭となづく、宋には改めて臨滄觀となす、」とある。

 新亭。嘗て、亡国の歎を吐出していたところ。 (西)晋が胡に滅ぼされた後、江南半壁に追いやられ、皇帝を拉致(永嘉の乱)されながらも、江南の地に拠って漢民族の国家を保持し続け、長江を南渡して(遁れてきた)人士たちは、)いつも休みの日になると、長江南岸の建康(=南京附近)の新亭(労労亭)に集まって、酒を酌み交わし、郷土中原を偲び、歎いていた処。周顗は、『風景(=風と陽光)は(故国)とは異なってはいないが、目にする川の姿、全てが新たで異なったものである』と言ったので、みんなは、見つめ合って、涙を流した。ひとり、王導だけは、形を改め正して、憤りを見せ『(我々は、)一緒になって王室のために力を尽くして(建設すべきであり)、祖国の故地・神州を恢復させるべきであり、何をめそめそと亡国の民のようになっているのか、この江南に新天地があるではないか!』と言ったので、みんなは彼に謝った。この部分は、南宋の豪放詞には、常に出てくる部分である。民族の怨念がこもっている部分である。

『晉書・列傳・王導』「晉國既建,以(王)導爲丞相軍諮祭酒。桓彝(桓階の弟、桓温の父)初過江,見朝廷微弱,謂周顗曰:「我以中州多故,來此欲求全活,而寡弱如此,將何以濟!」憂懼不樂。往見(王)導,極談世事,還,謂(周)顗曰:『向見管夷吾,無復憂矣。』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。周顗中坐而歎曰:『風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)導愀然變色曰:「當共力王室,克復神州,何至作楚囚相對泣邪!』衆收涙而謝之。

 

天下傷心處、勞勞送客亭。
労労として客を送るこの亭は、歴史上、天下第一の心をいたましめる処である。建康の街から、別れがたくこの地まで、旅をする人を見送り、あるいは、迎えてきた亭宿である。

3. 天下 天の下。この国全部。国家。国中。 

4. 傷心處 心をいたましめるところ。亡国の恨みのあるところ。 

5. 勞勞 いたわる。ねぎらう。疲れを慰める。 

6. 送客:旅人を見送り(旅人を迎える)。 

7. 亭 宿場。宿屋。街道の駅伝として長亭、短亭が置かれた。ここでは前出、労労亭のこと。

 

春風知別苦、不遣柳條靑。

春風は、数多くの別離の苦しみ、それは、晉が胡に滅ぼされた後、故地中原を後にして江南に渡り流れてきた苦難などを記憶しているし、春風は、別れの哀しみがあまりにも深いので、送別の儀礼・折楊柳に必要な柳を青くさせないでいるのか、あるいは、折楊柳をさせないで、この地に留まるようにさせているということなのであろうか。

8. 春風 はるかぜ。 

9. 知 分かっている。記憶している。 

10. 別苦 (西)晉が胡に滅ぼされた後、故地中

原を後にして江南に渡り流れてきた苦難をいう。
11.
 遣 (人をつかわして)…に…させる。…をして…しむ。使役表現。 

12. 柳條 ヤナギの枝。シダレヤナギの枝。=柳枝。折楊柳は、漢代より人を送別する際の儀礼でもある。 

13. 靑 青くなる。動詞としての用法。

 

 

 

 

 

【字解集】・勞勞亭歌

勞勞亭歌

1. (要衝の地、建康の近郊に風流な地に歴史上、天下第一の心を傷ましめる処にとまり、自らを謝靈運の比し、また、詩文の才を袁彦伯に引けを取らぬといい、それでいて自分の名声は、謝尚にも劣っていると、その情を夢の中でのこととして、詠い、勞勞亭においてこの歌を作った

2. 勞勞亭 建康(現・南京)郊外南南西6キロメートルの油坊橋畔あたりにあった労労亭のこと。
景定建康志に「勞勞亭は、城南十五里に在り、古しへの送/之所。呉、亭を置く。勞勞山上に在り、今顧家寨大路の東は即ち其の所」といい、江南通志に「勞/勞亭は、江府治の西南に在り。」といい、輿地志に、「秣陵縣の新亭、隴に望遠樓あり、また、勞勞亭となづく、宋には改めて臨滄觀となす、」とある。

 新亭。嘗て、亡国の歎を吐出していたところ。 (西)晋が胡に滅ぼされた後、江南半壁に追いやられ、皇帝を拉致(永嘉の乱)されながらも、江南の地に拠って漢民族の国家を保持し続け、長江を南渡して(遁れてきた)人士たちは、)いつも休みの日になると、長江南岸の建康(=南京附近)の新亭(労労亭)に集まって、酒を酌み交わし、郷土中原を偲び、歎いていた処。周顗は、『風景(=風と陽光)は(故国)とは異なってはいないが、目にする川の姿、全てが新たで異なったものである』と言ったので、みんなは、見つめ合って、涙を流した。ひとり、王導だけは、形を改め正して、憤りを見せ『(我々は、)一緒になって王室のために力を尽くして(建設すべきであり)、祖国の故地・神州を恢復させるべきであり、何をめそめそと亡国の民のようになっているのか、この江南に新天地があるではないか!』と言ったので、みんなは彼に謝った。この部分は、南宋の豪放詞には、常に出てくる部分である。民族の怨念がこもっている部分である。

『晉書・列傳・王導』「晉國既建,以(王)導爲丞相軍諮祭酒。桓彝(桓階の弟、桓温の父)初過江,見朝廷微弱,謂周顗曰:「我以中州多故,來此欲求全活,而寡弱如此,將何以濟!」憂懼不樂。往見(王)導,極談世事,還,謂(周)顗曰:『向見管夷吾,無復憂矣。』過江人士,毎至暇日,相要出新亭飮宴。周顗中坐而歎曰:『風景不殊,舉目有江河之異。」皆相視流涕。惟(王)導愀然變色曰:「當共力王室,克復神州,何至作楚囚相對泣邪!』衆收涙而謝之。

 

原註在江寧縣南十五里古送之所一名臨滄觀
〔建康から出て初めての駅、寧縣南十五里に置かれた勞勞亭であるが、古来ここは送別の場所であったし、別の名を臨滄觀といった。〕

3. 原註に「勞勞亭は、城南十五里に在り、古しへの送/之所。呉、亭を置く。勞勞山上に在り、今、顧家寨大路の東は即ち其の所」といい、江南通志に「勞/勞亭は、江府治の西南に在り。」在江寧縣の南十五里、古しえ送之所、一名を臨滄觀。」とある。

太平御覽に輿地志に曰う丹陽郡秣陵縣新亭隴上に望有り、又、勞勞亭と名づく。宋、改めて臨滄觀と爲す。行人分の所なり。」とある。

一統志に「勞勞亭は、應天府治の西南に在り時に置く。」とある。

中央集権的な専制国家では,中央と地方との連絡機関として駅伝制が古くから発達していた。中国では,駅伝の駅は騎馬で,伝は馬車で往来するのに使われ,秦,漢から隋,唐にかけては地方州県ごとに伝が,都を中心に四方の幹線路には 30 ( 1213km) おきに駅がおかれ,南北運河には水駅もあり,唐では全国で駅数 1639にも達した。これら駅伝は官文書の輸送,公用の官僚の往来などに供され,駅には駅長,駅夫,水夫があって地域住民が交代で出役し,官給の馬船のほか宿舎や飲食物も用意された。 

 

金陵勞勞送客堂。 蔓草離離生道旁。 
勞勞亭は金陵の郊外にあって、昔より、旅人を送別する場所として有名であるが、今茲には雑草が生えて、道端に蔓草が離離として生い茂り、その亭も荒廃している。

5. 蔓草 はびこる雑草。

6. 離離 多義語であるが、ここでは、草の生い茂るさま。


古情不盡東流水。 此地悲風愁白楊。 
懐古の情は次々と思われ、大江を東流する水に似て枯れることなく、尽きることなく、しかも、悲風颯々として、河岸に並ぶ、白楊の枝葉を吹き靡かせている。

7. 悲風愁白楊 -悲しみを誘う風が白楊(ポプラの一種)の樹を愁しませる。「古詩十九首、その十四」に「白楊多悲風,蕭蕭愁殺人!」(白楊に悲風多く、粛々として人を愁殺す)今は、あたりの白楊に悲しい秋風がおおくおとずれ、しゅうしゅうと鳴って人をひたすら愁えしめるのみである。とある。

 

 

 

 

 

【字解集】・聞王昌齡左遷

聞王昌齡左遷龍標遙有此寄

1. (豪放磊落であった王昌齡は、その素行の悪さによって748,749年に左遷されている。そのことを李白は伝聞し、この詩を作った)

2. 王 昌齢(698−755年)中国・唐代中期の詩人。字は少伯。就任した官職の地名から、王江寧、王竜標とも称せられる。山西省太原に本籍を持ち、京兆・長安に生まれたらしいというが、江の人。開元15年(727年)に進士となり、祕書省の校書郎から開元22年(734年)に博学宏詞科に及第して汜水(河南省)の県尉となったが、奔放な生活ぶりで748,749年に江寧の丞・竜標(湖南省)の県尉に落とされた。その後、天宝14年(755年)、安禄山の乱の時に官を辞して故郷に帰るが、刺史の閭丘暁に憎まれて殺された。後に閭丘暁は、安禄山軍の侵攻に対し、唐側の張巡を救援しなかった罪で、唐の張鎬に杖殺された。この時、閭丘暁は「親がいるので、命を助けて欲しい」と言ったが、張鎬は、「王昌齢の親は誰に養ってもらえばいいのか?」と反論し、閭丘暁は押し黙ったと伝えられる。

唐書に王昌齡は字は少伯、江人、進士に第し、校書郎に補せられ、又、宏辭に中り、汜水尉に遷る。細行を貶せずして、龍標尉に貶せられる。世亂を以て里にり、刺史閭丘曉に殺さるる所と為る、昌齡、詩に工みに、緒密にして思清、時に王江寧と謂う。ここにいう「左遷」とは、漢書周昌傳に云う、「吾、極めて其の左遷を知る。」とあり、顔師古の註に「是の時、右を尊んで左を卑む。故に貶秩位を貶するを謂うて左遷と為す。」とあり、唐書地理志に、「黔中道叙州潭陽郡に龍標縣有り。」と記してある。

 

楊花落盡子規啼,聞道龍標過五溪。

河柳の花が落ち盡し、杜鵑 血に啼く晩春のころ、王昌齢が俄に罪を獲て、龍標尉に左遷せられ、五渓を過ぎて、はるばる其地に向うと聞いて、うたた我が懐を傷ましめる。

【一】 楊花 楊は河柳、即ち猫柳をいうので、春に成ると、綿のような花が咲ぐ.それが中国、殊に南方には極めて多くあって、その花の飛ぶ時は、さながら雪の如くである。

【ニ】 子規 杜鵑、躑躅、、カッコウ目・カッコウ科に分類される鳥類の一種。特徴的な鳴き声とウグイスなどに托卵する習性で知られている(「ホトトギス目ホトトギス科」と書かれることもあるが、カッコウ目カッコウ科と同じものである)。全長は28cmほどで、ヒヨドリよりわずかに大きく、ハトより小さい。頭部と背中は灰色で、翼と尾羽は黒褐色をしている。胸と腹は白色で、黒い横しまが入るが、この横しまはカッコウやツツドリよりも細くて薄い。目のまわりには黄色のアイリングがある。

【三】 龍標 尉の字を略したもので、王昌齡を指す。

【四】 五渓 水經註に「武陵に五渓あり、雄渓、滿渓、酉渓、撫渓、辰渓、皆蠻夷の居るところなり。」通典に「五溪、一に辰溪、二に酉溪、三に巫溪、四に武溪、五に沅溪、今黔中道、之れを五溪と謂う。」といい、又、云う、「五溪中の地、漢に歸せ、以て後、列代開拓、今播州、涪川、夜郎、義泉、龍溪、溱溪等の郡の地」とある。そして、そこに住むのは苗族である。

 

我寄愁心與明月,隨風直到夜郎西。

そこで、明月に困って、我が愁心を寄するが、ともに風に随って、夜郎の西なる君の謫処に至る様にしたいものである。

【五】 夜郎西 夜郎のその向こうの西というのではなく、西の方夜郎の地ということ、漢書の西南夷傳に「西南夷の長、什を以て數う、夜郎最も大なり」とある、ここでは、龍標の地を指して言う。

 

 

 

 

 

【字解集】・寄東魯二稚子

寄東魯二稚子 〈在金陵作〉

1. (この詩は、李白が江南に行った時に、書に留めて置いた兒女二人に寄せたもの)

2. 東魯 現山東省。李白が玄宗に召されて長安に上る前、都合十年以上拠点として住んでいたうち、任城(現済寧)残した家族に旅先から子供に寄せてこの詩を作った。

3. 稚子 幼い子供。・やんちゃな娘の名前は平陽といい、男の子名は姐ともう肩を並べる高さになっている伯禽という。

 

地桑葉綠,蠶已三眠。

我がいるこの呉の地では今、桑の葉が緑あざやかであり、呉の蚕も、すでに三眠の時期に入り、蚕も繭を造りそうになっている。

4. 呉 江蘇省。李白はこのとき、この地にいる。

5. 三眠 カイコは前後4回の休眠を経て、脱皮して成長し、繭を作る。その3回目の休眠を示す。蠶の將にせんとするや、輙ち卧して食わず、古人、之れを俯と謂う。 荀卿の蠶賦に三俯三起、事乃大己、是れ也。後人、之を眠と謂うので、本草に、蠶三眠三起、二十七日にして老ゆとし、是れ也。」とある。

 

我家寄東魯,誰種龜陰田。  

わが家族は、東魯に寄寓していて、自分がいないので、誰か亀陰の田に植え付けをするのであろうか、とてもそのようなこともできず、きっと、荒蕪に任せるしかないであろう。

6.  龜陰田 亀山の北。亀山は山東省新泰県の南西にあり、済寧とは近い。ここでは広い意味に魯の全体を示す。

 

春事已不及,江行復茫然。

春の時期にすべき農事の世話をすることもできず、もう手おくれのことであろう、呉の江中を航行していて、この家族のことを考えると、茫然として為すところを知らない。

7. 春事 春の農事。季節の春秋は、風光が変化をきたす時期で、時代の推移変遷を感じさせるものとなるという事も意識させる。

8. 江行 水の旅 。呉の江中を航行しているということ。

9. 茫然 1.意外な出来事に会い驚いて、どう対処していいか分からなくなるさま。あっけに取られてぼんやりするさま。 2.感じや話がはっきりしていなくて、どう評価していいか分からないさま。つかみ所がないさま。 「茫」は「ぼんやりしたさま」をあらわす字。「然」は他の語の後ろに付いて、状態をあらわす字。

#2

南風吹歸心。 飛墮酒樓前。 
家族がいる東魯へ追い風となる南から風が吹くと、故郷に帰りたい心をかきたたせて吹くのであるが、私の心は、東魯の家の前の居酒屋の前に飛んで行くのである。
10. 南風  南方から来る風。漁師たちはこれが吹いた場合、天候の変化の前兆として警戒する。特に、長江下流域、瀟湘・洞庭湖での南風は危険な風であるという。晋の張翰、秋風が立つのを見て、故郷である呉の菰(まもこ)の料理・蓴(ジュンサイ)の吸い物・鱸魚の膾のことを思い出し、「人生は心に満足を得られるのが大切なのだ。どうして数千里の異郷で官につながれて、名利や爵位を求められようか」と言い、故郷への思いを述べた「首丘の賦」(本文は現存せず)を書くと、官を捨てて故郷に帰った。まもなく司馬冏が敗れたため、人々はみな張翰が時機を見ていたと思った。江南にいる李白は、南風は追い風である東魯の家族のもとに早く帰ることができるであろうという事を意味する。

11. 酒楼前 居酒屋に行ってしまう事を言う。。太平廣記に「李白、より酒を好み、州に於て、業を習うや、平居多く飲む。又、任城縣にて、酒樓を構へ、日に同志と荒宴し、客至るも、醒時有ること少し、邑人皆、白の重名を以て、其の里を望んで敬を加う。」とある。

 

樓東一株桃。 枝葉拂青煙。 
その酒楼の東には 一株の桃の木があり、初夏であるから、枝葉はすでに伸びて鬱蒼と茂って、青煙を拂うばかりである。 
12. 青煙 青い霞

 

此樹我所種。 別來向三年。 
そして、この桃樹は以前、私が種えたもので、この木に別れて、もう、三年になろうとしている。

 

桃今與樓齊。 我行尚未旋。』 
桃樹はいま楼の高さと同じようになっているだろう、しかし、私の旅は今なお 東魯には帰らないでいる。

嬌女字平陽。 折花倚桃邊。 
東魯の家には、二人の子供が留守をしている、やんちゃな娘の名前は平陽といい、物心つき始めた年頃で、花の枝を折りとったものの、父がいないから桃の木によりそっていることだろう。
13. 嬌女 可愛らしいやんちゃなむすめ。

折花不見我。 淚下如流泉。 
花を折りとったとしても、そこに私を見つけることができないから、きっと、涙を流れ落とすのは、流泉のようであろう。

14. 淚下如流泉  劉琨の詩に「據鞍長嘆息、淚下如流泉。」(鞍に據して長く嘆息し、淚下 流泉の如し。)とある。

 

小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。 
そして、男の子名は伯禽といい、背丈は、姐(ともう肩を並べる高さになっている。

 

 

 

 

 

【字解集】・蕭三十一之魯中

 送蕭三十一之魯中兼問稚子伯禽

1. (道教つながりの友人の蕭三十一が魯中に行くというので、これを送り、ついでに、その地に住んでいる李白女子供、長男伯禽の近況を尋ねてほしいというもの)

2. 【題義】 蕭三十一の三十一は例の排行で、その名字は未詳。稚子伯禽は、李白の子で、この時まだ魯中に寄寓して居たのである。そこで、この詩は、蕭某の魯中にゆくを送り、併せて、稚子伯禽の近況を問うたのである。

 

六月南風吹白沙,牛喘月氣成霞。

夏の李の六月、ただでさえ暑いのに、南風は白抄を吹き上げて、いよいよ堪まらない。そこで、呉地の牛は、夜になっても、月に喘いで、その気は霞を成すを疑うばかり。

3. 南風吹白沙 晋書、惠帝元康中京洛の童謠に曰う「南風起、吹白沙、遥望魯國何嵯峨、千髑髏生齒牙。」とある。

4. 牛喘月 埤雅風俗通に曰う「牛、月を望みて喘ぐ。言うは、使之れをして苦く、日に於て是れとす。故に月を見て、喘ぐ。葢し、傷禽は虗絃に驚き、疲牛は月を望んで喘ぐ。物の憚怯、似たるを見て驚く。此の如き者有り。」とある。つまり、呉牛に.晝、日光の暑いのに苦んで居るから、夜、月を見ても、矢張、日ではないかと思って喘ぐといふ意。

 

水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。

このあたりは、水國で、涼しかるべき筈であるのに、もやもやと蒸し暑く、とても留まって居ることも出来ない位。かくの如く暑さも厳しい上に、路が遠いから、さしもの駅路にも、旅行く車も見えない。

5. 鬱蒸 もやもやして蒸し暑きこと。

6. 無行車 租暁の辞に、平生三伏噂、遺路革存啓一とわあに本つく。程曉詩、「平生三伏時、道路無行車。」とあるに基づく。

 

夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。

然るに、君は、如何なれば、江路を渉り、雲井に迷う帆影嫋嫋として。金陵から立ち去るのであるか。

7. 嫋嫋 ① なよなよとして風情のあるさま。しなやかなさま。たおやかなさま。② 音や声が細く長く続くさま。

#2

高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。

われは、日夕門に倚って、わが長子の居る方を望んで居るが、その趨庭の處は、君が今度行かれる魯中である。

8. 倚門 戦国策に「王孫賞の母白く、汝、朝に出でて晩に来れば、菅、門lこ侍ってまむしとある。戰國王孫賈之母曰汝朝出而晚来則吾倚門而望家語

9. 趨庭 《論語·季氏》:“ 孔子嘗獨立, 鯉趨而過庭。曰:'學詩乎?'對曰:'未也。''不學詩,無以言。' 鯉退而學詩。他日,又獨立, 鯉趨而過庭。曰:'學禮乎?'對曰:'未也。''不學禮,無以立。' 鯉退而學禮。” 鯉, 孔子之子伯魚。后因以“趨庭”謂子承父教。

10. 伯魚 家語に「伯魚の生るるや、魯の昭公、鯉魚を以て孔子に賜ふ。君の貺を栄誉とし、故に因って鯉と名づけ、伯魚と字とす」とある。伯魚之生也魯昭公以鯉魚賜孔子榮君之貺故因名鯉而字伯魚

 

我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。

今でも、我が家は、沙丘城の近傍に寓居して居るが、われは、三年も歸省せず、従って、その近況も分らぬから、これを思えば、もなしく断腸するばかり。

沙邱 瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘別名:魯城、沙丘城、魯東門のこと。

沙邱城下寄杜甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白190

 

君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。

君は、魯中に行くついでに、どうか、わが子の伯禽を見知って下さい。彼は、さながら、古しえの衞玠の如く、小事を白羊に牽かせて、市中を得意に乗りまわして居ることであらう。

騎白羊 世説註に、「白羊車に洛陽市上に乘ず、咸な曰く誰が家の璧人。」と、ある。

衛玠(286年-312年),字を叔寶,小字は虎,河東郡安邑縣(今山西省運城市夏縣)の人。祖父は衛瓘*で,官は太尉に至り,父衛恆は,官、尚書郎に至る。於西晉武帝太康七年(286年)に生れ,容貌俊美,風采極佳,眾人が仰慕する所と為す。年、幼時に羊車に乘坐し、到街市に去り,眾人は圍堵し,被稱は「璧人」と為す。

*衛瓘は、中国三国時代から西晋の軍人・政治家。字は伯玉。司隷河東郡安邑県の出身。父は魏の尚書衛覬。