李白集校注 訳注解説ブログ 750-1 《古風,五十九首之一 【巻二(一)九一・大雅】》 #2 漢文委員会 紀 頌之 Blog11008

 

 

750

天寶九年

 

 

1. 古風,五十九首之一   #2

 

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ11000

 

 

 

 

李白の思想哲學を考察する上で、最も基礎的な文献として指摘・言及される作品は古風五十九首である。

修僻技法の側面とりわけ、隠喩やその延長線上にある諷喩においても、大きな成果をあげているものと考えられ、その表現手法そのものが、李白の発想上の特色なのである。

を明らかにする手掛りになるように思われるのである。

 

 

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一

大雅久不作,吾衰竟誰陳。

詩経の大雅のような堂々として荘重な詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活して陳べてくれるだろうか。

王風委蔓草,戰國多荊榛。

諸侯の国の民話である「王風」の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の世の詩、文学は、イバラとハシバミが代表するような雑草・雑木林ばかりになってしまった。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

それは竜と虎とが食いあうように戦国諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、天下は統一されたものの、狂暴な秦国の「焚書坑儒」の思想弾圧事件に及んでしまった。

正聲何微茫,哀怨起騷人。

「詩経、大雅」の系統で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより「楚辞」を著し、騒人を生み出した。

揚馬激波,開流蕩無垠。」

揚雄と司馬相如は、屈原の流を汲む者として崩れゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。」
廢興雖萬變,憲章亦已淪。

その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化したのだけれど、正しい詩法はすっかり文学の世界から沈んでしまったのだ。

自從建安來,綺麗不足珍。』

それ以降、建安文学の時代に至ったのであるが、ただ綺麗な文、清談といわれる詩を作るだけで、新しく珍しく良いものは見ることはできない。

大雅久しく作【おこ】らず、吾れ衰えなば竟【つい】に誰か陳【の】べん。

王風 蔓草【まんそう】に委【い】し、戦国 荊榛【けいしん】多し。

龍虎 相い啖食【たんしょく】し、兵戈 狂秦【きょうしん】に逮【およ】ぶ。」

正声 何ぞ微茫たる、哀怨 騒人より起こる。

揚馬【ようば】頽波【たいは】を激し、流れを開き 蕩として垠【ぎん】無し。」

廃興 万変すと雖も、憲章 亦た已に淪【ほろ】ぶ。

建安より来【こ】のかたは、綺麗にして珍とするに足らず。』

 

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

群才屬休明,乘運共躍鱗。

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

我志在刪述,垂輝映千春。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

希聖如有立,筆於獲麟。」

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

 

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

 

『古風五十九首其一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風五十九首之一  #1

大雅久不作,吾衰竟誰陳。王風委蔓草,戰國多荊榛。

龍虎相啖食,兵戈逮狂秦。」

正聲何微茫,哀怨起騷人。揚馬激波,開流蕩無垠。」

廢興雖萬變,憲章亦已淪。自從建安來,綺麗不足珍。』

#2

聖代復元古,垂衣貴清真。群才屬休明,乘運共躍鱗。

文質相炳煥,眾星羅秋旻。」

我志在刪述,垂輝映千春。希聖如有立,筆於獲麟。」

 

 

(下し文)

(古風五十九首 其の一)#2

聖代 元古に復し、衣を垂れて清真を貴ぶ。

群才 休明に属し、運に乗じて共に鱗を躍【おど】らす。

文質 相い炳煥【へいかん】し、衆星 秋旻【しゅうびん】に羅【つら】なる。」

我が志は刪述【さんじゅつ】に在り、輝を垂れて千春を映【てら】さん。

聖を希【こいねが】いて如【も】し立つ有らば、筆を獲麟【かくりん】に絶たん。』

 

(現代語訳)

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一 #2

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

 

 

(訳注)

古風五十九首之一  #1

(詩、文学への思いを古の『詩経』の歌のように詠う)の一 #2

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。宋本は通計五十九篇であり、おおむねこの本をテキストとして進める。

この「古風」篇は李白が自ら其の志をいうのである。結論は冒頭の二句にあり、最後の四句にある。

前段の「給麗不足珍」以上は首の第一句の意、即ち大雅の衰微久しきを述べ、後段の「筆于獲麟」までは首の第二句の意、即ち「我末だ老衰せざる間に大雅復興の業を完成したい」との志望を述べたのである。

 

聖代復元古。 垂衣貴清真。 

唐歴代の皇帝は聖天子であり、太古の三皇五帝の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すがすがしい宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道を貴ぶようになった。

聖代 聖は唐歴代の皇帝は聖天子であり、唐王朝、唐の時代をさす。

元古 太古。

垂衣 周易」の繋辭傳に「黄帝・堯・舜は衣裳を垂れて而して天下治まる」と有り、無為にして世の治まったこと。唐の治世を之に比す。三皇五帝の時代は仁徳という衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったことをいう。

清真 すっきりとして、ありのままなことで、清は清浄であり、真は天真である。「清真を貴ぶ」とは、宇宙と人生の根源的な不滅の真理を道(タオ)とする道教を貴んだことではある。いずれも道家の貴ぶ所。唐の王室の姓は李であり、老子は李耳と同姓であるとして、それを以て之を尊び、道教を盛んにした。

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』

これまで多くの才能ある人びとは、やすらかであかるい御代にいることで活かされたのだ、そして、その時代の運気に乗って、才能ある者たちが相乗して魚がうろこをおどらせるように活躍し出したのである。』

休明 休は善であり、慶である。芽出たく明らかなる御代に逢うたと云ふこと。

鱗 龍鱗。優れたる才能を喩へる。

 

文質相炳煥、眾星羅秋旻。 

その素材にはあや模様と良い生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやくようになったのである。

文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。

炳煥 てりはえる。

秋旻 秋の空。

 

我志在刪述、垂輝映千春。 

わたしの志は、孔子が三千以上から選りすぐり、再編して三百余りの『詩経』とされた古代のおおらかな詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。

刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成し直したということに倣うこと。 

千春 千年

 

希聖如有立、筆于獲麟。』

聖人孔子の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにしようと思うのだ。』

希聖 聖は孔子。希は之に倣ふことを希【こいねが】う。

有立 成立すること。成就すること。

筆於獲麟 孔子が魯の歴史「春を編して、魯の哀公十四年に至り、魯人が麒麟を捕獲した事箕に遭遇し、此の霊験が乱世に出現して野人に獲られたことを嘆じ、比の一條を最後として「春秋」の筆を絶ったと云ふ。孔子を慕ふ意味で此の故事を用いたのである。

獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。