最近 一週間の訳注解説 BLOG

/ 

李白集校注

韓昌黎集

杜詩詳注

花間集

玉臺新詠

女性関連

 

2/17

贈丹陽橫山周處士惟 #2

張中丞傳後敘 -#15

冬至

 

邱巨源_其二聽隣妓 -#1

 

 

 

2/18

雪讒詩贈友人#-0

張中丞傳後敘 -#16

柳司馬至 -#1

 

邱巨源_其二聽隣妓

 

 

 

2/19

雪讒詩贈友人 #1

張中丞傳後敘 -#17

柳司馬至-#2

 

王融_ 雜詩五首其一古意

 

 

 

2/20

雪讒詩贈友人 #2

張中丞傳後敘 -#18

 別李義 - #1

 

王融_雜詩五首〔2

 

 

 

2/21

雪讒詩贈友人 #3

張中丞傳後敘 -#19

 別李義 - #2

 

王融_雜詩五首〔3

 

 

 

2/22

雪讒詩贈友人 #4

中丞傳後敘 -#20

 別李義 - #3

 

王融_雜詩五首〔4

 

 

 

2/23

 

 

杜甫研究、詩と生涯(1)

 

 

 

 

 

2/24

 

 

杜甫研究、詩と生涯(2)

 

 

 

 

 

2/25

雪讒詩贈友人 #5

張中丞傳後敘 -#21

 別李義 - #4

 

王融_雜詩五首〔5

 

 

 

2/26

雪讒詩贈友人 #6

張中丞傳後敘 -#22

 別李義 - #5

 

謝朓_雜詩十二〔1

 

 

 

2/27

雪讒詩贈友人 #7

張中丞傳後敘 -#23

 別李義 - #6

 

謝朓雜詩十二〔2

 

 

 

2/28

雪讒詩贈友人 #8

張中丞傳後敘 -#24

 別李義 - #7

 

謝朓雜詩十二〔3

 

 

 

2/29

雪讒詩贈友人 #9

張中丞傳後敘 -#25

 送高司直尋封閬州 #1

 

謝朓雜詩十二〔4

 

 

 

3/1

 

 

杜甫研究、詩と生涯(3)

 

 

 

 

 

3/2

留別金陵諸公#1

張中丞傳後敘 -#26

 送高司直尋封閬州 #2

 

謝朓雜詩十二〔5

 

 

 

3/3

留別金陵諸公#2

張中丞傳後敘 -#27

 送高司直尋封閬州#3

 

6詠邯鄲故才人嫁為厮養

 

 

 

3/4

留別金陵諸公#3

張中丞傳後敘 -#28

 可歎 #1

 

7秋夜

 

 

 

李白集校注 訳注解説ブログ 750-5 《雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】》 #8 漢文委員会 紀 頌之 Blog11120

 

750

天寶九年 750

 

3. 雪讒詩贈友人 【巻九(一)六三二】   #8

 

李白集校注 訳注解説

 

 

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 11120

 

 

 

 

168-24

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

嗟予沈迷,猖獗已久。

ああ、予は世の中のくだらない事々に迷って、それに打ち込み、思うが儘に無茶なことをしたり、今考えれば、無意味なことや、ふしだらなことをして、こんな年齢になってしまった。

五十知非,古人嘗有。

しかし、五十にして四十九年の非を知るということは、諺にもなることで、古人も常にあるところである。予もまたその通りで、、ここに昨日の非をさとったというところである。

立言補過,庶存不朽。

こうして、言を立てて筋を通し、また、過ちを補いもってわが名を不朽に伝えようと希う次第である。

#2

包荒匿瑕,蓄此頑醜。

こうして、すべて荒穢を包含し、瑕疵を蔵匿するということは、ありがちであって、いかなるものでもこの見苦しい欠点を蓄えているのである。

月出致譏,貽愧皓首。

予は、徳を好まず好色のためにそしりを受けることを免れなかったのであり、白髪頭になっても恥を残したのは致し方ないのである。

感悟遂晚,事往日遷。

その欠点を認識するに至るのが遅きに失したのであり、そのことはすでに過ぎ去って歳月はしきりに移り行くことは誠に残念なことである。

白璧何辜,青蠅屢前。

しかし、白璧は何の罪もないのであって。青蠅は、しばしば飛んできて、その上にふんをうわ掛けして、汚らわしいものにしてしまう、小役人や糞ばえの宦官どもの讒言をなされたことは、白璧が変じて黒としたようなものである。

3

羣輕折軸,下沈黃泉。

それからいかに軽いものでも、たくさん集まれば、その重量も増してゆき、やがて車軸をくじいてしまい、その車を黄泉の奥深い底に沈めるほどになる。

衆毛飛骨,上凌青天。

そして、科類は寝であっても多く集まって主翼の羽となれば、骨を備えた鳥の体をして、晴天を凌いで、飛翔せしめるというものである。

萋斐暗成,貝錦粲然。

糞蠅の宦官小役人の讒言であっても、繰り返され、広がり、波及した讒言が束になって押し寄せれば、ひどい結果をもたらすのである。

泥沙聚埃,珠玉不鮮。

そして、また、泥沙と雖も集まって塵埃となると、珠玉がその中に混じっていてもはっきりとわかることができなくなってしまうのである。

#4

洪燄爍山,發自纖煙。

かくして盛んな火炎が山を焦がして焼き付くけれど、それももとはといえば、か細い火種のようなもの、細い煙から起こるのである。

蒼波蕩日,起于微涓。

渺びょうたる大海の波が日を揺蕩するのも、小さな流れの集まったものに他ならないのである。

交亂四國,播于八埏。

讒言の結果として最後には、交ごも国境を接する四方の国々に大騒乱を起こさしめ、果てはさらに八方に広がるというくらい、人の話に扉は立てられない小さな讒言から起こったものがあるのだ。

拾塵掇蜂,疑聖猜賢。

顔回が飯を炊くとき、ゴミを拾って口に入れたというので、孔子の聖なるもこれを疑い自分にかくして「つまみ食いする」ということからの“教え”となったのである。

#5

哀哉悲夫!誰察予之貞堅。

尹伯奇は、継母の計略に乗せられ、その襟にとまった毒バチをうったためにその父に疑われたことがある。哀しいかな、悲しいかな、だれも予の心正しいこと、その心を固く守り通す正確であることを察してくれるものがいない。

彼婦人之猖狂,不如鵲之彊彊。

かの小人の猖狂でわがままにふるまい、烏鵲の彊彊というのを知らないでいるということだし、

彼婦人之淫昏,不如鶉之奔奔。

かの婦人の淫昏なほどに物事に熱中するのは、鶉の奔奔というのを知らないというのであろう。常に、其の匹耦を伴って飛べばそれに従ってゆくというわけにいかないのである、だから物事わかる人なら、小人や婦人のいうことを聞くことはないでしょう。

坦蕩君子,無悅簧言。

心寛厚な君子は、簧のような小人どもの巧言令色を喜ぶことなどあってはならないのである。

#6

擢髮續罪,罪乃孔多。

このように讒言するような輩の罪というのは実に非常なもので、大切な髪の毛を抜いて贖うとしてもその罪の多いことは贖いきれるものではない。

傾海流惡,惡無以過。

海水を傾けてその悪を洗い流すとしても、その悪が悪として広がり大きくしているのでこれも贖いきれるものではないのである。

人生實難,逢此織羅。

かかる小人の織羅するところとなり、ありもしない罪を構成されてはどうにもならないのであるから、人生ここに至ればどのように対処したらよいのか実にむつかしいのである。

積毀銷金,沈憂作歌。

そんな悪口でも積もり積もれば、やがて金をも熔かすというとおりに、ここに讒に遭ったことで身も心も深く沈んでしまったのである。

#7

天未喪文,其如余何。

しかし、天の未だこの文を滅ぼさざるや、区区の小人よ、それで予をどうしようというのか。予はすでに天の使命を担ってこの世に生まれてきたのであるから、どうしようもないはずである。

妲己滅紂,褒女惑周。

むかし、妲己は紂を迷わし、そのために、紂は淫虐を事としたから、対に周の武王に滅ぼされてしまったし、褒姒は幽王を惑わし、幽王は烽火を持って戯れとし、

天維蕩覆,職此之由。

後に申侯が犬戎を率いて攻め入った時、烽火をあげたが、諸侯の救援部隊が来ず、やがて殺されてしまったので、帝室の綱紀の破れ覆るのは、主としてこのような女子の仕業である。

漢祖呂氏,食其在傍。

それから漢の先祖の呂后が政治に携わった時は、審食其というものが、その傍にいて、嬖幸せられ、秦の始皇帝の母皇には、嫪莓というものがついていて淫交したのである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

#9

如或妄談,昊天是殛。

子野善聽,離婁至明。

神靡遁響,鬼無逃形。

不我遐棄,庶昭忠誠。

 

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

嗟す 予が沈迷,猖獗 已に久し。

五十 非を知る,古人 嘗て有り。

言を立て 過ちを補い,庶わくば 不朽に存せん。

#2

包荒をみ 瑕を匿し,此の頑醜を蓄う。

月 出でて 譏を致し,愧を皓首に貽す。

感悟 遂に晚く,事 往いて 日 遷る。

白璧 何の辜か,青蠅 屢しば前む。

#3

羣輕 軸を折き,下 黃泉に沈む。

衆毛 骨を飛し,上 青天を凌ぐ。

萋斐 暗に成り,貝錦 粲然たり。

泥沙 埃を聚め,珠玉 鮮ならず。

#4

洪燄の山を爍くは,纖煙より發す。

蒼波の日を蕩す,微涓より起る。

交ごも四國を亂して,八埏に播く。

塵を拾い 蜂を掇い,聖を疑い 賢を猜む。

#5

哀しい哉 悲しい夫!誰か予の之貞堅を察せむ。

彼の婦人の猖狂は,不如鵲の彊彊たるにしかず。

彼の婦人の淫昏は,鶉の奔奔たるにしかず。

坦蕩たる君子は,簧言を悅ぶ無かれ。

#6

髮を擢いて罪を續うも,罪は乃ち孔【はなは】だ多し。

海を傾けて惡を流し,惡 以て過ぐるは無し。

人生 實に難し,此の織羅に逢う。

積毀 金を銷し,沈憂 歌を作る。

#7

天 未だ文を喪さず,其れ余は何如。

妲己【だっき】は紂を滅し,褒女は周を惑わしむ。

天維 蕩覆,職として 此れに之れ由る。

漢祖 呂氏,食其【いき】傍に在る。

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

#9

或は妄談如く,昊天 是れ殛【つみ】す。

子野は善く聽き,離婁は 至明。

神に遁響靡く,鬼に 逃形無し。

我を 遐棄せず,庶わくば 忠誠を昭らかにせよ。

 

李白集校注 関係個所 抜粋 #7

秦皇) 苑秦始皇帝太后不謹幸郎嫪封以為長信侯為生兩子専國亊寖益驕與侍中左右貴臣俱博

飲酒醉爭言而瞋目大叱曰吾乃皇帝之假父也。 窶人子何敢乃與我亢所與者走行白皇帝皇

帝大怒懼誅因作亂戰咸陽宫毐敗始皇乃取四肢車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於

萯陽𤣥

螮蝀) 禮/記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹

生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

 

雪讒詩贈友人 李白集校注【巻九(一)六三二】 #1 訳注解説

(本文)

雪讒詩贈友人

#8

秦皇太后,亦淫荒。

螮蝀作昏,遂掩太陽。

萬乘尚爾,匹夫何傷。

辭殫意窮,心切理直。

 

(下し文)

(讒を雪ぐの詩 友人に贈る)

#8

秦皇の太后,【あい】亦た淫荒。

螮蝀【せいとう】昏を作り,遂に太陽を掩う。

萬乘 尚お爾り,匹夫 何ぞ傷まむ。

辭 殫くし 意 窮まり,心 切に理直。

 

(現代語訳)

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

8

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。

 

(訳注解説)

雪讒詩贈友人

(平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送った)

この詩は、李白の平生の行いが累をなして、他人からいろいろ悪評を広げられているので、賦して自分自身について正直に語ったものを、讒言をすすぐため友人に送ったものである。反省の体で、讒言を批判するのを四言、歯切れのよい詩であったり、六言に変調して、強調し、あざけったものである。

#8

秦皇太后,亦淫荒。

秦の始皇帝の母の皇太后にはいわゆる“ツバメ”である嫪毐というものがいて、淫行をしていた。性倫理が儒教的に確立されていない時代であるため、淫行して風紀が乱れ、綱紀も緩んだ。(とされるが、この句、これ以降は、あくまでのちの時代からの見方である。)

秦皇) 苑に「秦始皇帝の太后、謹まず、郎嫪幸し、封じて以て長信侯と為す。 兩子を生を為す。 國亊を専し、寖く益す驕り、侍中左右貴臣と俱にし、博として酒を飲み、醉うて爭言して瞋目して大いに叱って曰く、吾乃ち皇帝の假父なり。 窶人の子、何ぞ敢て乃ち我と亢すると。與所の者、走行して皇帝に白す。皇帝 大いに怒る。 誅を懼れ、因って、亂を作し、咸陽う。敗。始皇、乃ち四肢を取って車裂之取其兩弟囊撲殺之取皇太后遷之於萯陽𤣥

宣太后(せんたいごう、? - 紀元前265年)は、中国戦国時代末期の楚の女公子で秦の王太后。本名と両親は不明。姓は羋、別号を羋八子。恵文王の側室で昭襄王・涇陽君(公子巿)・高陵君(公子悝)の生母で義渠の戎王との間にも二子を成したと言われる。始皇帝嬴政の高祖母に当たる。昭襄王の治世において権勢を奮った相国の魏冄は異父同母弟で、左丞相の華陽君(羋戎)は弟である。昭襄王の治世前期に権勢を振るった宣太后・魏冄・羋戎を指して三貴とも称される。

 

 

螮蝀作昏,遂掩太陽。

こうした、陰陽交會が蔓延することで、虹が出て、対に太陽まで覆い隠すほどであった。

螮蝀) 虹の別名。禮記註螮蝀謂之虹孔穎達正義虹是陰陽交會之氣純陰純陽則虹不見若雲薄漏日日照雨滴則虹生毛萇詩傳元氣廣大則稱昊天

 

萬乘尚爾,匹夫何傷。

こういう婦女子や小人にかかっては盤上の国といえども、争乱や滅亡は免れない、ので、匹夫においてはなおさらのこと言うものである。だから、今更これを憂い傷んても致し方がないのである。

 

 

辭殫意窮,心切理直。

わが胸の思いを述べ、詩を賦してここに至れば、言葉も尽き、思意も極まっているし、心いよいよ切になり、なおさら理を直とし、嘘讒言、作り事、悪だくみ、自己の非を飾り隠すなどなど昊天がこれを承知せず、手酷き仕打ちを施すことであろう。