漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

漢詩

高適の詩 除夜作  塞上聞吹笛  田家春望 (1)

高適の詩 除夜作  塞上聞吹笛  田家春望 (1)
219 高適 こうせき 702頃~765
渤海(ぼっかい)(山東省)の人。字(あざな)は達夫(たっぷ)。辺境の風物を歌った詩にすぐれた作が多い。こうてき。
辺塞の離情を多くよむ。50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多い。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、悲歌慷慨したことがある。しかし、その李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。
 高適 除夜作  塞上聞吹笛  田家春望 



 旅の空、一人迎える大みそかの夜。
 詩人を孤独が襲います。


除夜作 

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。

故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。

今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。


寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。



 作者 高適は河南省開封市に祀られています。三賢祠と呼ばれるその杜は李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をした場所である。記念して建立されている。
 詩人高適は50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多く残されている。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、詩の味わいが高まった。
李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。

 
霜鬢明朝又一年
 ああ、大晦日の夜が過ぎると、また一つ年を取ってしまう。年々頭の白髪も増えていく、白髪の数と同じだけ愁いが増えてゆくのか
 当時、「数え」で歳をけいさんしますから、新年を迎えると年を取ります。

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。


 旅先で一人過ごす大晦日、故郷にいれば家族そろって団欒し、みんなで酒を酌み交わしていたことでしょう。

:故鄕 今夜  千里を 思う
自分が千里離れた故郷を偲ぶのではなく、故郷の家族が自分を思ってくれるだろうという中国人の発想の仕方です。中華思想と同じ発想法で、多くの詩人の詩に表れています。
 しかしそれが作者の孤独感を一層引き立て、望郷の念を掻き立てるのです。


春日獨酌二首 其二  李白 105

五言古詩
春日獨酌 二首 其二 105


春日獨酌 二首 其二
我有紫霞想、緬懷滄洲間。
私は老荘思想、神仙の思想を志している、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。
且對一壺酒、澹然萬事閑。
その上に一壷の酒に対してするなら、何もこだわらず、物事に自然にふるまうほどの心静かなものである。
橫琴倚高松、把酒望遠山。
琴をたずさえて、高松の木に寄りかかり、 酒を把って遠山を眺めている。
長空去鳥沒、落日孤雲還。
大空に鳥は去り姿も見えなくなった、夕日は沈み、雲が流れて行った。
但恐光景晚、宿昔成秋顏。

ただ恐れるのは、景色は暮れていくものだし、 紅顔は、老顔に変ずることである。



私は老荘思想、神仙の思想を志している、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。
その上に一壷の酒に対してするなら、何もこだわらず、物事に自然にふるまうほどの心静かなものである。
琴をたずさえて、高松の木に寄りかかり、 酒を把って遠山を眺めている。
大空に鳥は去り姿も見えなくなった、夕日は沈み、雲が流れて行った。
ただ恐れるのは、景色は暮れていくものだし、 紅顔は、老顔に変ずることである。


其の二
我 紫霞想 有り、
緬(はるか)に 滄洲の間を懐(なつか)しむ。
且つ 一壷の酒に対し、澹然(たんぜん)として万事閑なり。 
琴を横たずさえて高松に倚り、酒を把って遠山を望む。
長空 鳥去って没し、 日落ち 雲孤り還る。
但だ恐る 光景 晩(くれ)、宿昔 秋顔を成すを。



我有紫霞想、緬懷滄洲間。
私は老荘思想、神仙の思想を志している、常々はるかさきの隠者の棲む滄洲を思っている。
紫霞想 老子をも示す。紫霞は仙人の宮殿を言う。この場合紫が老荘思想で、霞は神仙思想とする。 また紫は天子を示す。また。・ 遙かな。 ・滄州 河が湾曲して洲になっているところ。隠者の棲む場所。


且對一壺酒、澹然萬事閑。
その上に一壷の酒に対してするなら、何もこだわらず、物事に自然にふるまうほどの心静かなものである。
澹然 物事にこだわらない自然にふるまう道教の教え。


橫琴倚高松、把酒望遠山。
琴をたずさえて、高松の木に寄りかかり、 酒を把って遠山を眺めている。


長空去鳥沒、落日孤雲還。
大空に鳥は去り姿も見えなくなった、夕日は沈み、雲が流れて行った。


但恐光景晚、宿昔成秋顏。
ただ恐れるのは、景色は暮れていくものだし、 紅顔は、老顔に変ずることである。
光景 景色。ひかり。ありさま。  ・宿昔 以前。むかし。昔は紅顔であった。  ・秋顔 老顔。

春日獨酌二首 其一  李白 104

春日獨酌 二首  李白104
五言古詩  春日に独り酌む 二首
 

春日獨酌 二首 其一
東風扇淑氣、水木榮春暉。
東の風は おごそかな新たな気持ちを引き起こしてくれる、水や木は 春の暖かい陽光につつまれている。
白日照綠草、落花散且飛。
日中の輝く太陽は 緑の草を照らしている、落ちる花びらは 散り、そして、ひるがえる。
孤雲還空山、眾鳥各已歸。
ポツンとした雲は 人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。
彼物皆有托、吾生獨無依。
それらすべてのものは皆身を寄せるところがある、吾が生きるところ、独り身を寄せるところはない。
對此石上月、長醉歌芳菲。

このようなことに対し、石の上にのぼる月があり、ひたすら酔うことは草花のかんばしい香りを歌うことである。



東の風は おごそかな新たな気持ちを引き起こしてくれる、水や木は 春の暖かい陽光につつまれている。
日中の輝く太陽は 緑の草を照らしている、落ちる花びらは 散り、そして、ひるがえる。
ポツンとした雲は 人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。
それらすべてのものは皆身を寄せるところがある、吾が生きるところ、独り身を寄せるところはない。
このようなことに対し、石の上にのぼる月があり、ひたすら酔うことは草花のかんばしい香りを歌うことである。



 其の一
東風 淑気(しゅくき)を扇(あふ)ぎ、
水木 春暉に栄ゆ。
白日 緑草を照らし、
 落花 散じ且つ飛ぶ。
孤雲 空山に還り、
衆鳥 各(おのおの)已に帰る。
彼の物 皆 托する有るも、
 吾が生 独り依る無し。
此の石上の月に対し、
 長酔して芳菲に歌ふ。



東風扇淑氣、水木榮春暉。
東の風は おごそかな新たな気持ちを引き起こしてくれる、水や木は 春の暖かい陽光につつまれている。
東風 春風。○淑気 おごそかな気。○春暉 春の暖かい陽光。


白日照綠草、落花散且飛。
日中の輝く太陽は 緑の草を照らしている、落ちる花びらは 散り、そして、ひるがえる。


孤雲還空山、眾鳥各已歸。
ポツンとした雲は 人気ない山にかえっていく、あつまって鳴き騒いでいた鳥達も それぞれねぐらに帰った。
 雲は山奥の岩間、洞窟から生まれ帰っていく。○空山 隠者の住む山。人気のない山。 ○ 衆。


彼物皆有托、吾生獨無依。
それらすべてのものは皆身を寄せるところがある、吾が生きるところ、独り身を寄せるところはない。
 身を寄せる。


對此石上月、長醉歌芳菲。
このようなことに対し、石の上にのぼる月があり、ひたすら酔うことは草花のかんばしい香りを歌うことである。

芳菲 草花のかんばしい香り。春のことをいう。
 
○韻 氣、暉、飛、歸、依、菲。

友人會宿  李白 102 獨坐敬亭山

友人會宿  李白 102
五言古詩

友人會宿
友人と共に宿る。
滌蕩千古愁。 留連百壺飲。
千古の昔からの愁いを、洗い流すかのように、一緒に居すわって、百壷もの酒を飲みつづける。
良宵宜清談。 皓月未能寢。
こんなにすばらしい夜は、濁り酒飲んで昔からの清談するのがふさわしい。白く輝く月光のもと、まだとても寝る気にはなれないのだ。
醉來臥空山。 天地即衾枕。

すっかり酔っ払って、人気のない山中に寝そべれば、天と地がそのまま、布団と枕だ。


友人と共に宿る。
千古の昔からの愁いを、洗い流すかのように、一緒に居すわって、百壷もの酒を飲みつづける。
こんなにすばらしい夜は、濁り酒飲んで昔からの清談するのがふさわしい。白く輝く月光のもと、まだとても寝る気にはなれないのだ。
すっかり酔っ払って、人気のない山中に寝そべれば、天と地がそのまま、布団と枕だ。
miyajima 709330



友人會宿;友人と共に宿る。
○会宿 一緒に宿泊する。

滌蕩千古愁、留連百壺飲。
千古の昔からの愁いを、洗い流すかのように、一緒に居すわって、百壷もの酒を飲みつづける。
○滌蕩 洗い流す、洗いつくす。「滌」も「蕩」も、「洗う」の意。○千古 遠い昔からの。「万古」の類語。○留連 立ち去りかねるさま、捨て去りがたいさま。〇百壷飲 飲みほした酒壷の多いこと。

良宵宜清談、皓月未能寢。
こんなにすばらしい夜は、濁り酒飲んで昔からの清談するのがふさわしい。白く輝く月光のもと、まだとても寝る気にはなれないのだ
 夜。 ○清談 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。  〇時月  白く輝く月。

醉來臥空山、天地即衾枕。
すっかり酔っ払って、人気のない山中に寝そべれば、天と地がそのまま、布団と枕だ。
衾枕  掛け布団と枕。寝具。


賢聖既已飲、何必求神仙。
賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。
賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 ○神仙 道教の教え



○韻字 - 飲、寝、枕。


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獨坐敬亭山 李白 
獨坐敬亭山
獨り 敬亭山に坐して
眾鳥高飛盡。 孤云獨去閑。
数多く集まっていた鳥が 空高く飛んで消えていく、ポツンと浮かんでいた雲も いつのまにか流れ去って閑けさが戻ってきた。
相看兩不厭。 只有敬亭山。

互いに看合っていて双方が厭きることがないものは、只そこにあるのは 敬亭山。

獨り 敬亭山に坐して
数多く集まっていた鳥が 空高く飛んで消えていく、ポツンと浮かんでいた雲も いつのまにか流れ去って閑けさが戻ってきた。
互いに看合っていて双方が厭きることがないものは、只そこにあるのは 敬亭山。
miyajima 697

(下し文) 獨り 敬亭山に坐す
眾鳥 高く飛んで盡き、孤云 獨り去って閑なり。
相 看て兩に厭ざるは、只 敬亭山 有るのみ。


○敬亭山 李白の敬愛した六朝詩人謝朓が宜城の太守だったときしばしばここで遊んでいる。それを意識してこの詩を詠っている。李白の足跡5
地図のc4にある安徽省宜城市の北北西5kmにある敬亭山。
 

○韻 閑、山。

李白 月下獨酌四首其三100 月下獨酌四首其四101

  月下獨酌四首其一、其の二は李白の自分自身の考え方生き方と酒を詠っている。今回の其三、其四は自分の考え生き方と酒それに対する、儒教の思想に対する批判を述べている。
 其一から其四まで通して読まないと李白の思想生き方と酒が一体化していること、儒教的な生き方を自分はしないということを酒を称賛することで述べているので深い理解ができないのである。多くの李白の詩を紹介していてもこのように手を抜かないで紹介しているものは少ないと思う。
 現在、この李白ブログ、李商隠、杜甫を連載していますがどれも手を抜かないで行く予定である。
 
「トイレの神様」を自作した歌手が紅白出場に際して、「自分の詩はカットして短くすることはできない」と言って他の歌手たちの倍くらいの時間をとった。その結果、多くの人にそれぞれ違う涙を誘うことできた。詩に、省略ということはろう。 月下獨酌四首は其一だけ、二だけとか一と四とか通常、である。このブログでは可能な限り、割愛をしないでいきたい。
 
月下獨酌四首 其三 
三月咸陽城,千花晝如錦。
春三月 長安の城下、 昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
誰能春獨愁,對此徑須飲。
誰れもがこのすばらしい春に一人愁いに沈むだろうか、こんな  春に対してはすぐに杯をとって酒を飲もう。
窮通與修短,造化夙所稟。
人の世の貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたもの 万物創造の神から与えられた性質の定めるところではある。
一樽齊死生,萬事固難審。
一樽の酒は死ぬことも生きることも同じようにしてくれ、世のすべて事柄、難しい判断もそなえてくれる。
醉後失天地,兀然就孤枕。
酔ってしまったら、あとは天も地もあるはしない、なにも考えない無知な状態で一人枕について寝てしまう。
不知有吾身,此樂最為甚。

酔ってしまうと自分の存在も忘れてしまう。この楽土の境地こそが最もやろうとしていることなどだ。


春三月 長安の城下、 昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
誰れもがこのすばらしい春に一人愁いに沈むだろうか、こんな  春に対してはすぐに杯をとって酒を飲もう。
人の世の貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたもの 万物創造の神から与えられた性質の定めるところではある。
一樽の酒は死ぬことも生きることも同じようにしてくれ、世のすべて事柄、難しい判断もそなえてくれる。
酔ってしまったら、あとは天も地もあるはしない、なにも考えない無知な状態で一人枕について寝てしまう。
酔ってしまうと自分の存在も忘れてしまう。この楽土の境地こそが最もやろうとしていることなどだ。 
  
其の三
三月 咸陽城、千花 昼 錦の如し
誰か能よく春 独り愁ふ、此に対して径ただちに須すべからく飲むべし
窮通きゅうつうと修短と、造化の夙つとに稟ひんする所
一樽 死生を斉ひとしく、万事 固もとより審つまびらかにし難し
酔ひし後 天地を失い、兀然ごつぜんとして孤り枕に就く
吾が身の有るを知らず、此の楽しみ 最も甚はなはだだしと為す



三月咸陽城,千花晝如錦。
春三月 長安の城下、 昼は千の花が色あざやかに咲き乱れる。
咸陽城 長安 ・春の長安は牡丹が咲き乱れる。韋荘「長安の春」中唐・・中唐・孟郊「登科後」
昔日齷齪不足誇、今朝放蕩思無涯。
春風得意馬蹄疾、一日看尽
長安花

の花は牡丹である。貴族の邸宅は、牡丹を植えていた。
春の花は梨花早春の花といえば梅、赤いといえば牡丹、白い花は、雪と対にして梨の花が詠われている。ここでは千花晝如錦(千花昼錦の如し)綿のようにとあるのは蘇東坡の「和孔密州五言絶句 東欄梨花」にある柳絮が加わる。
梨花淡白柳深靑,柳絮飛時花滿城。
惆悵東欄一株雪,人生看得幾淸明。

・柳絮〔りうじょ〕柳の花が咲いた後の風に舞う綿毛のある種子。風に従って動くものの譬喩。流離(さすら)うもの。政治的な節操もなく情況に流されて揺れ動く者 李白は遊子の自分のことを示しているということになる。
千花は梅、牡丹、梨の花、柳絮ということになる。

誰能春獨愁,對此徑須飲。
誰れもがこのすばらしい春に一人愁いに沈むだろうか、こんな  春に対してはすぐに杯をとって酒を飲もう。


窮通與修短,造化夙所稟。
人の世の貧窮と栄達、人の寿命の長短はあたえられたもの 万物創造の神から与えられた性質の定めるところではある。
窮通 窮達とおなじ。困窮と栄達。  ○修短 長短と同じ。長いことと短いこと。○ つとに。朝早くから仕事をする。○ 天から受けた性質。俸給のこと。

一樽齊死生,萬事固難審。
一樽の酒は死ぬことも生きることも同じようにしてくれ、世のすべて事柄、難しい判断もそなえてくれる。
 整える。並べる。ただしい。○ 強く固める。固くなる。そなえる。


醉後失天地,兀然就孤枕。
酔ってしまったら、あとは天も地もありはしない、なにも考えない無知な状態で一人枕について寝てしまう。
兀然 こつぜん 高くそびえたつ。ゆったりしないさま。無知なさま。


不知有吾身,此樂最為甚。
酔ってしまうと自分の存在も忘れてしまう。この楽土の境地こそが最もやろうとしていることなどだ。



○韻 綿、飲、稟、審、甚




月下獨酌四首 其四
窮愁千萬端,美酒三百杯。
思うにまかせぬ愁いは、幾千万、美酒はわずかに、三百杯。
愁多酒雖少,酒傾愁不來。
愁いは多く、酒は少ないけれど、酒さえ傾ければ、愁いはやって来ない。
所以知酒聖,酒酣心自開。
だからこそ、酒の聖なる仙人への道の効用を知ることになり、、酒がまわれば、心はおのずと開けるのだ。
辭粟臥首陽,屡空飢顏回。
節義に殉じた伯夷・叔斉は、〝周の粟を辞退して″首陽山に隠棲した。学問に励んだ顔回は、〝屡と空しい″貧困のなかで常に飢えていた。(達成の前に挫折が先に来る)
當代不樂飲,虚名安用哉。
 生きている今の世で飲酒を楽しみ大道につくことしらないでのまないとすれば、節義や学問など、そんな無理をしての絵空事は、何かの役に立つのか。
蟹螯即金液,糟丘是蓬莱。
 カニのハサミの肉こそは、不老不死の金液、酒糟の丘こそは、不老不死の蓬莱山。
且須飲美酒,乘月醉高臺。

ひとまずは存分に美酒を飲み、美しい月の光のなか、立派な高楼で酔うことにしよう。
 


思うにまかせぬ愁いは、幾千万、美酒はわずかに、三百杯。
愁いは多く、酒は少ないけれど、酒さえ傾ければ、愁いはやって来ない。
だからこそ、酒の聖なる仙人への道の効用を知ることになり、、酒がまわれば、心はおのずと開けるのだ。
節義に殉じた伯夷・叔斉は、〝周の粟を辞退して″首陽山に隠棲した。学問に励んだ顔回は、〝屡と空しい″貧困のなかで常に飢えていた。(達成の前に挫折が先に来る)
 生きている今の世で飲酒を楽しみ大道につくことしらないでのまないとすれば、節義や学問など、そんな無理をしての絵空事は、何かの役に立つのか。
 カニのハサミの肉こそは、不老不死の金液、酒糟の丘こそは、不老不死の蓬莱山。
ひとまずは存分に美酒を飲み、美しい月の光のなか、立派な高楼で酔うことにしよう。


其の四
窮愁きゅうしゅう千萬端美酒 三百杯
愁い多くして酒少なしと雖いえども、酒傾くれば愁ひは来たらず
所以ゆえに酒の聖なるを知り、酒酣たけなわにして心自ら開く
粟ぞくを辞して 首陽に臥し、屡しばしば空しくて顔回飢う
当代飲むを楽しまずんば、虚名安いずくんぞ用ひんや
蟹螯かいごうは即ち金液きんえき、糟丘そうきゅうは是れ蓬莱ほうらい
且しばらく須すべからく美酒を飲み、月に乗じて高台に酔ふべし


窮愁千萬端,美酒三百杯。
思うにまかせぬ愁いは、幾千万、美酒はわずかに、三百杯。
窮愁 思うにまかせぬ愁いや哀しみ。「窮」は、物ごとが思いどおりにならず、行きづまること。政治的・社会的・経済的など、種々の面で用いられる。 ○ 心の緒。各種の心情のありかたを数える単位。量詞。


愁多酒雖少,酒傾愁不來。
愁いは多く、酒は少ないけれど、酒さえ傾ければ、愁いはやって来ない


所以知酒聖,酒酣心自開。
だからこそ、酒の聖なる仙人への道の効用を知ることになり、、酒がまわれば、心はおのずと開けるのだ。
○賢 濁り酒と清酒 賢人と仙人


辭粟臥首陽,屡空飢顏回。
節義に殉じた伯夷・叔斉は、〝周の粟を辞退して″首陽山に隠棲した。学問に励んだ顔回は、〝屡と空しい″貧困のなかで常に飢えていた。(達成の前に挫折が先に来る)
辞粟臥首陽 殿周革命の際、伯夷・叔斉の兄弟は、周の武王が殷の紂王を伐つのを諌めて聞かれず、暴力によって天下を奪った周の栗(穀物=俸禄)を受けることを辞退して、首陽山(一説に、河南省偃師県の西北)に隠れ、薇(野生の豆類)を採って食とし、ついに餓死した。(『史記』巻六十一「伯夷伝」)。○屡空 孔子の弟子の顔回は、「屡と空し(常に米櫃が空で経済的に困窮していた)」(『論語』先進)と孔子に評される貧困の中で、学を好み人格を磨いたが天折した。


當代不樂飲,虚名安用哉。
 生きている今の世で飲酒を楽しみ大道につくことしらないでのまないとすれば、節義や学問など、そんな無理をしての絵空事は、何かの役に立つのか。


蟹螯即金液,糟丘是蓬莱。
 カニのハサミの肉こそは、不老不死の金液、酒糟の丘こそは、不老不死の蓬莱山。
蟹堅 カニのハサミ(の肉)。ここでは、晋の畢茂世の言葉が意識されていよう。「一手に蟹の贅を持ち、一手に酒の盃を持ち、酒池の中に拍浮げは、便ち一生を了うるに足らん」(『世説新語』「任誕、第二十三」 の二一)。○金液1道教で黄金から精製するという不老不死の仙薬。○糟丘 酒糟で作った丘。○蓬莱 東海の中にあると伝えられる不老不死の仙山。

且須飲美酒,乘月醉高臺。
ひとまずは存分に美酒を飲み、美しい月の光のなか、立派な高楼で酔うことにしよう。


*韻字 杯・来・開・回・哉・莱・台。




竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。

賢聖既已飲、何必求神仙。
賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。
○賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 ○神仙 道教の教え



  道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。

李白 98 月下獨酌四首 其一  99 月下獨酌四首其二

744-006182_22.1-#1 月下獨酌四首其一(卷二三(二)頁一三三一)(從郁賢皓《謫仙詩豪李白》)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之

 

月下獨酌四首其一(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7619

全唐詩巻182_-22.-1

李白集校注巻 23-006

767年大暦256  (11)

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

卷二三(二)頁一三三一

  卷182_22  1

巻二二-6 

詩題

月下獨酌四首 其一

文體

五言古詩

 

 

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

744-006

月下獨酌四首 其一(卷二三(二)頁一三三一)

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 

(月下獨酌 四首 其の一)

花間、一壺の酒,獨酌、相い親しむ無し。

杯を舉げて 明月を邀へ,影に對して 三人を成す。

月、既に飲を解せず,影、徒らに我が身に隨う。

#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。

 

月下獨酌四首其一

花間一壺酒,獨酌無相親。

舉杯邀明月,對影成三人。

月既不解飲,影徒隨我身。

 

暫伴月將影,行樂須及春。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。

永結無情遊,相期邈雲漢。

 

月下獨酌四首其二

天若不愛酒,酒星不在天。

地若不愛酒,地應無酒泉。

天地既愛酒,愛酒不愧天。

已聞清比聖,復道濁如賢。

賢聖既已飲,何必求神仙。

三杯通大道,一斗合自然。

但得酒中趣,勿為醒者傳。

 

 

月下獨酌四首其三

三月咸陽城,千花晝如錦。

〈上二句一作「好鳥吟清風,落花散如錦」;一作「園鳥語成歌,庭花笑如錦」〉

誰能春獨愁,對此徑須飲。

窮通與修短,造化夙所稟。

一樽齊死生,萬事固難審。

醉後失天地,兀然就孤枕。

不知有吾身,此樂最爲甚。

 

月下獨酌四首其四

窮愁千萬端,美酒三百杯。

愁多酒雖少,酒傾愁不來。

所以知酒聖,酒酣心自開。

辭粟臥首陽,屢空飢顏回。

當代不樂飲,虛名安用哉。

蟹螯即金液,糟丘是蓬萊。

且須飲美酒,乘月醉高臺。

 

李太白集校注(王琦)

  月下獨酌四首

花間一作下文/苑作前一壺酒、獨酌無相親。舉杯邀明月、對影成三人。

月既不解飲、影徒随我身。暫伴月将影、行樂須及春。

我歌月徘徊、我舞影零亂。醒時同交歡、醉後各分

永結無情遊、相期邈雲漢。文苑作/碧巖畔

  其二

天若不愛酒酒星不在天地若不愛酒地應無酒文苑/作醴

泉天地既愛酒愛酒不媿天巳聞清比聖復道濁如賢

賢聖既已飲何必求神仙三杯通大道一斗合自然但

得酒繆本/作醉中趣勿為醒者傳孔融與曹操論酒禁書天/垂酒星之耀地列酒泉之

郡晋書軒轅右角南三星曰酒旗酒官之旗也主宴享/酒食漢書酒泉郡武帝太初元年開應劭註其水若酒

故曰酒泉也顔師古註相傳俗云城下有金泉泉味如/酒藝文類聚魏畧曰太祖禁酒而人竊飲之故難言酒

以濁酒為賢人清酒為聖人晋書孟嘉好酣飲愈多不/亂桓温問嘉酒有何好而卿嗜之嘉曰公未得酒中趣

耳跡胡震亨曰此首乃馬子才詩也胡元瑞云近舉李/墨 為證詩可偽筆不可偽耶琦按馬子才乃宋元祐

中人而文苑英華已載/太白此詩胡説恐誤

  其三

三月咸陽城一作/千花晝如錦一作好鳥吟清風落花/如錦一作園鳥語

歌庭花/笑如錦誰能春獨愁對此徑須飲窮通與修短造化夙

所禀一樽齊死生萬事固難審醉後失天地兀然就孤

枕不知有吾身此樂最為甚梁元帝詩黄龍戍北花如/錦洛陽伽藍記春風扇

花樹如錦淮南子輕天下/細萬物齊死生同變化

  其四

窮愁千萬一作/有千端美酒三百一作/惟数杯愁多酒雖少酒傾

愁不來所以知酒聖一作/聖賢酒酣心自開辭粟卧首陽/

餓伯/屢空飢一作/顔回當代不樂飲虚名安用哉蟹螯

即金液糟丘是蓬萊且須飲美酒乘月醉髙臺晋書畢/卓嘗謂

人曰得酒滿数百斛船四時甘味置兩頭右手持酒杯註/左手持蟹螯拍浮酒船中便足了一生矣金液見五巻

糟丘見/七巻註

 

 

 

《月下獨酌四首 其一》現代語訳と訳註解説
(
本文)

月下獨酌四首 其一#2

暫伴月將影,行樂須及春。

我歌月徘徊,我舞影零亂。

醒時同交歡,醉後各分散。

永結無情遊,相期邈雲漢。


(下し文)
(月下獨酌 四首 其の一)#2

暫く月と影とを伴うて,行樂、須らく春に及ぶべし。

我歌えば、月、徘徊し,我舞えば、影、零亂す。

醒時、同じく交歡し,醉後、各の分散す。

永く無情の遊を結び,相期して雲漢たり。


(現代語訳)
(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一#2

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

 


(訳注と解説) 

月下獨酌四首 其一

(ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。)その一

1.【題義】 この詩は、ひとり月を見て酒を飲むときに、その感興を述べたものである。

 

花間一壺酒,獨酌無相親。

咲き誇る花々の間で一壺の酒を傍らに置いて、ひとりだけで飲み、誰も相手をしてくれる者がいないのだ。

2.無相親 この場において伴侶となるべき人がいないことを言う。

 

舉杯邀明月,對影成三人。

そうであっても今宵は、盃を挙げて、明月を迎える、すると、自分と月に加えて、三人目の影ができた。

3. 明月 旧暦八月十五日の月を明月という。曇りなく澄みわたった満月。また、名月。《季 秋》「―や無筆なれども酒は呑む/漱石」明月地に堕ちず白日度を失わず天体の運行は不変の法則によって営まれる。天運にさからうことはできないことをいう。

4. 三人 自分がいて、そこに月が出てくる、月を擬人化して二人目とし、やがて、月がのぼり、自分の影が人の形を成してきて三人目。

 

月既不解飲,影徒隨我身。

そうかといって月は、酒を飲むことを解してはいないし、影は、ただ私に従っているだけであり、せっかく三人になったけれど物足りない。

 

 

暫伴月將影,行樂須及春。

しばらく、月と影を伴い、このようなのどかな春の日に乗じて、行楽をほしいままにしようと思うところである。

5. 行樂 山野などに行って遊び楽しむこと。遊山(ゆさん)。寒食、清明節の時期に行う。

李白に《宮中行樂詞八首》がある。○宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

 玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。

宮中行樂詞八首其一  李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白142

 

我歌月徘徊,我舞影零亂。

やがて、私は歌う、すると、月も併せて、徘徊する、私が舞えば、影も乱れ動き、どうやら興ありげに、わが興を助けるのである。

6. 零亂 乱れ動く。

 

醒時同交歡,醉後各分散。

そうしていると、酔いも覚めてくるころには、各々が打ち澄まして、互いに喜びあっているが、また酔いが回ってきた後に、おのおの分散して、取り留めなくなるようで、これが実にきわめて面白く、かつ趣があるという事なのである。

7. 交歡・分散 酔いがさめると互いに喜びあい、酔いが回ると、それぞれが分散して取り留めなくなる。

 

永結無情遊,相期邈雲漢。

この三人は、世の中のつまらぬ情などとは無縁の面白い遊びの中から、氷の結びつきのように固く一体となるのであり、かつ、このはるかに広い星空の天上までも一緒にいたいと思うのである。

8. 無情遊 ここにある「無情」は精神や感情などの心の働きのないことという悪い意味ではなく、俗世界とは無縁、世俗の情思にとらわれることのないことを言う。

9. 雲漢 天の川と仙界。河漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。

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99 月下獨酌四首 其二

月下獨酌四首其二
天若不愛酒、酒星不在天。
天がもし酒を愛さないなら、「酒星」が天空にあるわけがない。
地若不愛酒、地應無酒泉。
地がもし酒を愛さないなら、地上に「酒泉」があるはずがない。
天地既愛酒、愛酒不愧天。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

已聞清比聖、復道濁如賢。

酒の清らかさは聖なるものと言われ、また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。

賢聖既已飲、何必求神仙。

賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。

三杯通大道、一斗合自然。

三盃飲めば天師道の正しい道に入り、一斗飲めば神仙の自然に溶け込む。

但得酒中趣、勿為醒者傳。

ただ酒を飲むことはこれだけの趣がある、 もちろん酔わないで醒めた人に教えてやる必要などはない。
 
其の二

天がもし酒を愛さないなら、「酒星」が天空にあるわけがない。
地がもし酒を愛さないなら、地上に「酒泉」があるはずがない。

天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。

酒の清らかさは聖なるものと言われ、また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。

賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。

三盃飲めば天師道の正しい道に入り、一斗飲めば神仙の自然に溶け込む。

ただ酒を飲むことはこれだけの趣がある、 もちろん酔わないで醒めた人に教えてやる必要などはない。



其の二
天 若し酒を愛さざれば、酒星しゅせい 天に在らず
地 若し酒を愛さざれば、地 応まさに酒泉しゅせん無かるべし
天地 既に酒を愛す、 酒を愛するも 天に愧はじず。
已に聞く清は聖に比すと、 復た道いふ濁は賢の如しと。
賢聖 既すでに已すでに飲む、何ぞ必ず神仙を求めん
三杯 大道たいどうに通じ、 一斗 自然に合す。
但ただ酔中すいちゅうの趣を得んのみ、醒者せいしゃの為に伝ふること勿なかれ
 

天若不愛酒、酒星不在天
天がもし酒を愛さないなら、「酒星」が天空にあるわけがない。
酒星 酒が醗酵するのは壽星にある。天が酒を造ったという考え。


地若不愛酒、地應無酒泉。
地がもし酒を愛さないなら、地上に「酒泉」があるはずがない。
酒泉 酒にはいい湧き出る泉の水がないといけない。


天地既愛酒、愛酒不愧天。
天も地も確かに酒を愛している。酒を愛することは天に恥ずべきことではないのだ。
天地 万物を作りたもうた神仙。○愛酒 酒を愛することであるが、現実界の悦楽を得ることを含む。道教の教え。


已聞清比聖、復道濁如賢。
酒の清らかさは聖なるものと言われ、また、濁った酒は、賢(知性)のようだと言う。
○清、聖:濁、賢 竹林の七賢は濁り酒を飲んで清談をした、聖は清酒、仙人は清酒を飲んだ。


賢聖既已飲、何必求神仙。
賢人と仙人、濁り酒と清酒、 すでに私はそれを飲んでいる、どうしても神仙の教えをもとめよう酒を飲むために。
賢聖 濁り酒と清酒 賢人と仙人 ○神仙 道教の教え

三杯通大道、一斗合自然。
三盃飲めば天師道の正しい道に入り、一斗飲めば神仙の自然に溶け込む。
大道 道教の教え天師道 ○自然 道教の神仙説


但得酒中趣、勿為醒者傳。
ただ酒を飲むことはこれだけの趣がある、 もちろん酔わないで醒めた人に教えてやる必要などはない。
 酒を飲むにはこれだけの趣がある。 ○醒者 儒教者のことを指す。



道教は老荘思想に天師道、神仙説の融合したものであること、多くの要素から成立しているのであるから、その影響の仕方も様々であって、ある場合には老荘の説に基く純思想とする場合と、天師道の儀式のようなある意味愚民のたぶらかしとなる場合もある。
李白の場合にはこれらすべてが、彼の詩と生活とに根強い影響を与えているのである。この詩の中に道教を否定する、あるいは愚弄するかのような部分は儒教的な見方からのもので、李白は道教を否定はしていない。
李白は、詞と、酒と、自然が彼の生活の中で一体化しているのである。



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李白 97 把酒問月

李白 97 把酒問月


把酒問月、故人賈淳令余問之。
酒の入った盃を持って月に問いかける。 友人の賈淳の要請に応えて、質問の詩を作った。
靑天有月來幾時,我今停杯一問之。
青く澄みきった大空に月が現れてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。わたしは杯を月に向かってとどめて、月にきいてみようとおもう。
人攀明月不可得,月行卻與人相隨。
人が明るくかがやく月をつかむことは不可能なことである、だけど月は、人が歩くと、どこまでも人についてきてくれる。
皎如飛鏡臨丹闕,綠煙滅盡淸輝發。
白く輝くその姿は、空を鏡が飛んで天上の赤い宮殿にさしかかったかのよう。緑色の靄がすっかり無くなってしまって、清らかな光が射している。
但見宵從海上來,寧知曉向雲閒沒。
ただ、夜になって海面から昇ってくるところは見ているが、夜明けなって、残月が雲間にしずんでいくところは興味ないものだ。
白兔搗藥秋復春,嫦娥孤棲與誰鄰。
白ウサギが秋からまた春になっても、ずうっと仙薬を臼でついて練っている。美しかった嫦娥は不死の仙薬を盗んで飲み、月に奔って、月で独りぼっち住んでいて、いったい誰と暮らすのか。
今人不見古時月,今月曾經照古人。
今生きている人は、昔の月をながめられないが。今見えている月は、かつて昔の人を照らしていたのだ。
古人今人若流水,共看明月皆如此。
昔の人今の人も、流れ去る川の流れのように移ろっていったが、皆が皆、同じ思いで明月を見ているのだ。
唯願當歌對酒時,月光長照金樽裏。

ただ、願わくは、歌をうたい、酒を飲んでいる時には、月光はいつも黄金の素晴らしい酒器を照らしてくれることを。




酒の入った盃を持って月に問いかける。 友人の賈淳の要請に応えて、質問の詩を作った。

青く澄みきった大空に月が現れてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。わたしは杯を月に向かってとどめて、月にきいてみようとおもう。 
人が明るくかがやく月をつかむことは不可能なことである、だけど月は、人が歩くと、どこまでも人についてきてくれる。
白く輝くその姿は、空を鏡が飛んで天上の赤い宮殿にさしかかったかのよう。緑色の靄がすっかり無くなってしまって、清らかな光が射している。
ただ、夜になって海面から昇ってくるところは見ているが、夜明けなって、残月が雲間にしずんでいくところは興味ないものだ。
白ウサギが秋からまた春になっても、ずうっと仙薬を臼でついて練っている。美しかった嫦娥は不死の仙薬を盗んで飲み、月に奔って、月で独りぼっち住んでいて、いったい誰と暮らすのか。
今生きている人は、昔の月をながめられないが。今見えている月は、かつて昔の人を照らしていたのだ。
昔の人今の人も、流れ去る川の流れのように移ろっていったが、皆が皆、同じ思いで明月を見ているのだ。
ただ、願わくは、歌をうたい、酒を飲んでいる時には、月光はいつも黄金の素晴らしい酒器を照らしてくれることを。


(下し文)酒を把(と)りて 月に問う

                       
靑天 月 有り  來(こ)のかた 幾時 ぞ,我 今 杯を停(とど)めて ひとたび之に 問わん。
人 明月に 攀(よ)じんとするも 得(う)べからず,月行 卻って  人と 相 隨う。
皎(きょう)として 飛鏡の  丹闕(たんけつ)に臨むが如く,綠煙 滅び尽くして  清輝 發す。
但 見る 宵に海上より 來り,寧ぞ 知らん 曉に  雲閒に向ひて 沒するを。
白兔 藥を搗いて  秋 復(ま)た 春,嫦娥 ひとり棲み  誰と鄰りせん。
今人は 見ず 古時の月,今月は 曾經(かつ)て  古人を照らせり。
古人 今人  流水の若く,共に 明月を看る  皆 此(か)くの 如し。
唯 願う 歌に當たり  酒に對するの時,月光 長(とこし)えに  金樽の裏(うち)を照らさんことを。


把酒問月;故人賈淳令余問之
酒の入った盃を持って月に問いかける。 友人の賈淳の要請に応えて、質問の詩を作った。
 ・把酒 酒の入った盃を持つ。
李白87~すべて酒に関して詩である。李白 67 宣州謝朓樓餞別校書叔雲 
棄我去者、昨日之日不可留,亂我心者、今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬莱文章建安骨,中間小謝又清發。
倶懷逸興壯思飛,欲上青天覽明月。
抽刀斷水水更流,舉杯銷愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散髮弄扁舟。
でも酒杯をもって詠う。

青天有月来幾時、我今停杯一問之。
青く澄みきった大空に月が現れてから、どれくらいの時間が経ったのだろうか。わたしは杯を月に向かってどめて、月にきいてみようとおもう。  
靑天 青空。大空。天。蒼天。人の運命をみつめる青空。大空。青天。 ・有月 月が現れて。・來:…から。…より。…このかた。時間的に続いていることを表す。 ・幾時 どれくらいの時間。 ・一問 すこし尋ねるが。一回、尋ねるがではない。漠然としているもの。

人攀明月不可得、月行卻與人相隨。
人が明るくかがやく月をつかむことは不可能なことである、だけど月は、人が歩くと、どこまでも人についてきてくれる。
 よじる。手の力でつかむこと。 ・明月 澄んだ月。 ・不可得 あり得ることではない、不可能だが。 ・行 月の運行。月の動き。 ・卻 反対に、(思い)とは逆に。かえって。 ・與 …と ・人 ひと、人間。月に対して使っている。 ・ …に。動作が対象に向かっていることをいう。・ ついていく。くっついていく。
李白 88 下終南山過斛斯山人宿置酒
暮從碧山下。 山月隨人歸。
日暮れに碧山から下ってくると、山の端からのぼってきた月も我々についてくる。

皎如飛鏡臨丹闕、綠煙滅盡淸輝發。
白く輝くその姿は、空を鏡が飛んで天上の赤い宮殿にさしかかったかのよう。緑色の靄がすっかり無くなってしまって、清らかな光が射している。
 ・皎 けう 白い。月光が白い。 ・飛鏡 大空を飛ぶ鏡で、月の形容として使われている。 ・丹闕 赤く色を塗った仙人の住む宮殿の門。宮居。 ・丹 あかい。仙人、天子を暗示するものである。 ・闕 宮城の門。・綠煙 緑色の靄。 ・滅盡 すっかり無くなってしまうこと。 ・淸輝 清らかな光。月光のこと。

但見宵從海上來、寧知曉向雲間沒。
ただ、夜になって海面から昇ってくるところは見ているが、夜明けなって、残月が雲間にしずんでいくところは興味ないものだ。 
但見 ただ…だけを見ているが(しかしながら)。「但見」は、逆接の意味が含まれる。 ・ よい。夜。 ・從 …より。 ・ ここでは昇ってくること。・寧 どうして…か。なんぞ。いずくんぞ。 ・ 夜明け。あかつき。 ・ …に。 ・雲閒 くもま。雲間。 ・ しずむ。

白兔搗藥秋復春、嫦娥孤棲與誰鄰。
白ウサギが秋からまた春になっても、ずうっと仙薬を臼でついて練っている。美しかった嫦娥は不死の仙薬を盗んで飲み、月に奔って、月で独りぼっちで住んでいて、いったい誰と暮らすのか。
白兔 白ウサギ。月に住むという。 ・搗藥 不老不死の薬をつく。晉の傅玄『擬天問』「月中何有?白兔搗藥」。等による。『搜神記』等で、羿の妻、嫦娥は、西王母からに与えた不死の仙薬を盗んで飲み、月に奔った、という伝説に因り、白ウサギ(玉兎)が不死の薬を搗いている。 ・秋復春 秋になって、(冬が過ぎて)、また、春になっても。長い間。ずうっと。・嫦娥の妻。1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥 参照  ・孤棲 ひとりだけで住んでいた。・與誰鄰 誰と隣り合って暮らすのか。交わりがないだろうと同情している。

今人不見古時月、今月曾經照古人。
今生きている人は、昔の月をながめられないが。今見えている月は、かつて昔の人を照らしていたのだ。  
曽経 かつて。

古人今人若流水、共看明月皆如此。
昔の人今の人も、流れ去る川の流れのように移ろっていったが、皆が皆、同じ思いで明月を見ているのだ。
流水 年月の経過を云う・如此 このように月を見ている。

唯願當歌對酒時、月光長照金樽裏。
ただ、願わくは、歌を唱い、酒を飲んでいる時には、月光はいつも黄金の素晴らしい酒器を照らしてくれることを。
金樽 黄金の口の広いおおきな酒器。素晴らしい杯。 ・ なか。うち。



 大空に明るく輝く月とむかいあって、この月明かりに自分を全く同化していく、趣興などをとりどりに面白く、詩を愛することを深くしている。こうした趣向は、六朝の詩人陶淵明から発して、初唐の詩人王維、王勃などにも見られるものであるが、その作品の数の多さと、実際の生活が融和している点では、李白に比すべき詩人は全くいない。

 老荘思想、神仙思想、仙人たる隠遁生活にあこがれをもち、詩と酒をこよなく愛した。

 酒の詩はまだ続く。





李白 90 夏日山中、 91 山中與幽人對酌、 92 山中答俗人

李白 90 夏日山中
五言絶句 李白が陶淵明の隠遁のイメージを借りてうたっている。

夏日山中
懶搖白羽扇。 裸體青林中。
白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうで。青々と木の茂った森林の中で、肩肌脱ぎになる。
脫巾挂石壁。 露頂灑松風。

頭巾を脱いで、岩の壁面にひっかけて。かんむりをつけないで頭を丸出しにして、松の木を吹き抜ける風にさらした


夏の日に山の中(で過ごす)。
白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうで。青々と木の茂った森林の中で、肩肌脱ぎになる。
頭巾を脱いで、岩の壁面にひっかけて。かんむりをつけないで頭を丸出しにして、松の木を吹き抜ける風にさらした



夏日山中
白羽扇を 搖(うご)かすに  懶(ものう)し,
裸袒(らたん)し  靑林の中(うち)。
巾を脱して  石壁に挂(か)け,
頂(いただき)を露(あら)わして  松風に灑(そそ)ぐ。


懶搖白羽扇、裸袒青林中。
白い羽の団扇で扇ぐのもおっくうで。青々と木の茂った森林の中で、肩肌脱ぎになる。 
 らん ものうい。面倒くさい。たいぎである。面倒である。怠る。 ・ 揺り動かす。ゆらす。 ・白羽扇 白い羽の団扇。竹林の七賢が清談するときに用いたとされる。三国時代の諸葛孔明も日常的に使った。李白の仲間、竹渓の六逸もこれをまねて使った。 ・裸袒 らたん 左の方の肩を脱ぐ。また、もろ肌をさらす。左右両方の肩を着物から脱いで、上半身を現す。右の方の肩を晒すのは謝罪を表すもの。 ・ かたぬぐ。はだをさらす。 ・青林 青々と木の茂った森林。

脱巾挂石壁、露頂灑松風。
頭巾を脱いで、岩の壁面にひっかけて。かんむりをつけないで頭を丸出しにして、松の木を吹き抜ける風にさらした。 
脱巾 頭巾を脱ぐ。 ・巾 きん ずきん。 ・ かい つるす。ひっかける。掛ける。からまる。 ・石壁 岩の壁面。 ・露頂 かんむりをつけないで頭を丸出しにする。頂はまげを結った頭のてっぺん。 ・ そそぐ。 ・松風:松の木を吹き抜ける風。


韻 中、風。

 世俗を離れ、自由な仙人の世界へ入った李白の詩。酒を讃える詩は続く。




李白 91 山中與幽人對酌
七言絶句

山中與幽人對酌
兩人對酌山花開。 一杯一杯復一杯。
山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
我醉欲眠卿且去。 明朝有意抱琴來。

わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。


山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。


山中にて 幽人と對酌
兩人 對酌すれば  山花 開く,一杯一杯  復(ま)た 一杯。
我 醉って眠らんと欲す  卿(きみ)且(しば)らく 去れ,
明朝 意有れば  琴を 抱いて來たれ。

山中與幽人對酌
山中で隠者と差し向かいで酒をくみかわす

兩人對酌山花開。一杯一杯復一杯。
山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
 ・山中 山奥に。 ・幽人 世を遁れた人。隠者。隠棲している人。 ・對酌 差し向かいで酒を飲む。『山中對酌』ともする。 ・ 咲く。擬人的に微笑むという感じ。 ・兩人 二人。 ・山花 山中に咲く花。 

一杯一杯、また一杯と(繰り返した)。 ・一杯一杯 酒を飲む動作が繰り返される表現。 ・ くりかえす。ふたたびする。また。ふたたび。

我醉欲眠卿且去、明朝有意抱琴來。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。
我醉 わたしは酔った。 ・ …たい。…としようとする。 ・ ねむる。 ・ きみ。人の尊称。 ・ しばし。しばらく。短時間をいう。てきとうなところで、かってなときに、 ・去:さる。 私をほったらかしにしといていいよ。 ・明朝 明日の朝。 ・有意 意志がある。 ・抱琴 琴をかかえる。琴は古代より隠者を象徴するものでもある。隠者は弦のない琴を肴に酒を飲んだ。酒を抱えてきてくれと解釈する。 ・ 来る。

・韻 開、杯、來。


李白 92 山中答俗人
七言絶句 (山中問答)

山中答俗人
問余何意棲碧山,笑而不答心自閑。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
桃花流水杳然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。


わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。

 
山中答俗人
余に問ふ 何の意ありてか  碧山に棲むと,
笑って 答へず  心 自(おのづか)ら 閑なり。
桃花 流水  杳然と 去る,
別に 天地の  人間(じんかん)に 非ざる 有り。


山中答俗人
山に入って脱俗的な生活をするということに対する当時の文化人の姿勢が窺われる。陶淵明の生活などに対する憧れのようなものがあることを古来よりの問答形式をとっていること、具体的に転句結句の「桃花流水杳然去」である。

問余何意棲碧山、笑而不答心自閑。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
  ・何意  どういう訳で。なぜ。 ・棲  すむ。本来は、鳥のすみか。 ・碧山 :緑の色濃い山奥。白兆山、湖北省安陸県にあり、李白は嘗てここで過ごしたことがある実在の山をあげる解説も多いが、ここでは具体的な場所と見ない方がよい。 ・棲碧山 隠遁生活をすること。この語もって、湖北の安陸にある白兆山に住むとするとされるが、「隠遁生活をする」ことにあこがれを持ち

李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰
の詩で見るように結婚をして住んだ形跡があるものの、間もなくこの地から旅立って、他の地で隠遁している。李白の神仙思想から言ってもここは一般的な場所と考えるべきである ・笑而 笑って…(する)。 ・不答 返事をしない。返事の答えはしないものの、詩の後半が答の思いとなっている。 ・自閑 自ずと落ち着いている。自閑は隠遁者の基本中の基本である。おのずと静かでのんびりすること、尋ねられても答えない、会いに行ってもあえないというのが基本である。

桃花流水杳然去、別有天地非人間。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
桃花 モモの花。ここでは、モモの花びら。「桃花」は陶淵明の『桃花源記』や『桃花源詩』を聯想させるための語句である。 ・流水 流れゆく川の流れ。 ・杳然 ようぜん はるかなさま。 ・ さる。 ・別有天地 別な所に世界がある。 ・非人間 俗世間とは違う。この浮き世とは違う世の中。 ・人間 じんかん 俗世間。


○韻 山、閑、間。   この詩は、陶淵明の詩のイメージを借りつつも陶淵明を李白自身が乗り越えたことを示す作品と解釈する。


道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。



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李白 89 將進酒(李白と道教)

李白 89 將進酒(李白と道教)


 盛唐期  恐らくこの時代に最も不幸だったのは、玄宗皇帝だともいえる。この帝のデビューはすさまじいものであった。710年に中宗を毒殺し、父親の睿宗を即位させた、しかし翌年暮、クーデターを起こし712年即位したのである。唐朝は玄宗がクーデターを起こすまでの足かけ10年、政争を繰り返し政治的に不安定な状態であった。しかし、初唐期における律令体制は間違いなくこの国を他の周辺諸国に比較して圧倒的に豊かにしていった。国土もかってない広大なものとなったのは農耕民族の勝利でもあった。この蓄積を使い果たしたのが、玄宗なのである。

 唐は、道教の僧の予言(隋の煬帝期)の通り、李世民大宗皇帝により、盤石な地盤を整え、諸々の問題はあったとしても則武天(則天武后)が発展させた。しかし、則武天は道教から仏教を重視しようとしたため、政争は、仏教か、道教かの争いでもあった。玄宗は道教と宦官を背景にクーデターを成功させた。

 玄宗の時代の前半は「開元の治」と天下、泰平を謳歌した。しかしこの繁栄の陰に、律令体制の一翼である府兵制度が崩壊したのであるが、不幸なことはここに何の手も加えなかったこと、皇帝の力の及ぶ軍隊が消滅していくのを修正しなかった。李林甫と宦官に政治をゆだね、楊貴妃と奢侈な生活に逃避した。道教を国教とし、宦官と結託して行う陰湿な体制ができあがることを阻止できなくなっていった。そのことは何よりも皇帝、朝廷の権威も失墜させたのだ。血筋、地籍を重んじる朝廷に、無籍の官僚の台頭を許した。李林甫は、敵対派、皇帝側近を貶謫,投獄し、大量殺戮により、玄宗時代を継続させたが、李林甫(65歳位)が病死、楊国忠がこれに変わったが、いつ、クーデターが起こってもおかしくない時代に入っていく。そして、玄宗が逃避・享楽するために求めたのが、楊貴妃と道教とであったが、哀れにもこの双方に裏切られた。玄宗の最後は哀れというよりない。

 道教は、したたかに儒虚精神に飽き飽きしていた国民の支持を得、国の全土に寺観を建てることができた。皇帝、朝廷に対して、宦官を使うことと、神仙思想、回春の媚薬は最大の力を発揮した。

李白・杜甫、多くの詩人は、こうした時代に生まれ、育ち、生きたのである。

 李白の幸福は、他人より勝っている点は何より明朗であることと酒である。酒は前述の如く、彼にとっては道教的生活への入門であったけれど、同時にこの道教生活に徹底しなかったことは救いであるともいえるのではないだろうか。

雑言古詩

將進酒
君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。
君よ見たまえ、黄河の水は天上からすさまじい勢いで流れ下る、いったん海に流れ込めば、もはやは帰ってきたりはしない。
君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。
君よ見たまえ、立派なお屋敷の高貴な人々でも、澄みわたった鏡を覗き込んで白髪になったことを悲しんでいる。朝方は黒い絹糸のような黒髪であったが、夕暮には、雪のように真っ白になる老いてしまうことを。
人生得意須盡歡,莫使金尊空對月。
人として生れ、自分のこころにかなうことに出逢えば、歓びを尽くせばよいのだ。 黄金製の酒器を月光のもとにむなしくさらしたりしてはいけない。 
天生我材必有用,千金散盡還復來。
天が、わたしという人材を生んだのは、必ず用いるところがあるからなのだ。大金を使い果たしたとしても、それはまた返ってくるものだ。 
烹羊宰牛且爲樂,會須一飮三百杯。
羊や牛を料理して(ごちそうを作り)しばらくの楽しみごととしよう。そういう機会があったら一回の宴席で、必ず三百杯は飲むのが当たり前だ。
岑夫子,丹丘生。
岑先生、丹丘先輩。酒をお勧めしよう。杯を途中で停めないように。
將進酒,杯莫停。
まさに今、酒をお進めする、杯を途中でやめてはいけない。
與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。
あなた(がた)のために、一曲歌おう。あなたがたにお願いするが、わたしに耳を傾けてほしい。
鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。
カネや太鼓の立派な音楽も、貴ぶものとするほどではない。 ひたすらに長い酔いから醒めないことを願うだけである。
古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。
昔から今に至るまでの聖人や賢人は、皆、静寂なものだ。ただ大酒のみのものだけが、その名を記録に留めているのである。
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
昔から今に至るまでの聖人や賢人は、皆、静寂なものだ。ただ大酒のみのものだけが、その名を記録に留めているのである。
主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。
酒屋の主人がどうして、お金が足りなくなったといおうか。直ちに酒を持ってこさせあなたに酒をつごう。 
五花馬,千金裘。
美しい毛並みの馬と高価な白狐の脇毛のかわごろも。 
呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。

給仕の子を呼んで、五花馬と千金裘を持って行かせて美酒と交換させて、あなたと一緒になって、昔から胸につのる萬古の愁いのすべてを消すことにしよう。 


將進酒
楽府旧題。鼓吹曲辭になる。まさに酒をお勧めしようの意になる。楽府題の音楽と題名を使って自分の気持ちを表している。

李白と道教48襄陽歌ⅰ  李白と道教48襄陽歌 ⅱ


この詩は、古楽府題をとりながら、詩中に、李白・元丹邱・岑夫子と具体的な固有名詞を登場させている。通常は故人、逸話が基本である。


君不見黄河之水天上來、奔流到海不復回。
君よ見たまえ、黄河の水は天上からすさまじい勢いで流れ下る、いったん海に流れ込めば、もはやは帰ってきたりはしない。
 ○君不見 あなた、ご覧なさい。詩をみている人(聞いている人)に対する呼びかけ。樂府体に使われる。 ○黄河之水 黄河の流れ。 ・天上來:天上より流れ来る。黄河の源は(伝説の)崑崙とされた。 ・奔流 激しい勢いの流れ。 ○到海 海に到る。 ○不復 二度とは…ない。永遠に…ない。一度も…ない、ということ。 ○回 かえる。もどる。


君不見高堂明鏡悲白髮、朝如青絲暮成雪。

君よ見たまえ、立派なお屋敷の高貴な人々でも、澄みわたった鏡を覗き込んで白髪になったことを悲しんでいる。朝方は黒い絹糸のような黒髪であったが、夕暮には、雪のように真っ白になる老いてしまうことを。
 ○高堂 立派なお屋敷の高貴な人々の意味。 ○明鏡 澄みわたった鏡。 ○悲白髮 (鏡を覗き込んで)白髪の老齢になったことを悲しむ。
○「朝」「暮」は、一日のうちの日の出、日の入りを指すが、ここでは人生の「朝」「暮」の時期のことをいう。 ○朝 あさ。あした。 ○青絲 黒い絹糸。黒髪のこと。緑の黒髪。「青」は黒いことをも指す。“青布”“青鞋”。 ○暮 夕方。 ○成雪 雪のように真っ白になる。


人生得意須盡歡、莫使金尊空對月。

人として生れ、自分のこころにかなうことに出逢えば、歓びを尽くせばよいのだ。 黄金製の酒器を月光のもとにむなしくさらしたりしてはいけない。 
○人生 人が生きる。人生。 ○得意 自分の気持にかなうこと。目的を達して満足していること。意を得る。また、自分の気持を理解する人。 ○須 する、必要がある。せねばならぬ。すべからく…べし。 ○盡歡 充分に楽しむ。よろこびをしつくす。歓楽を尽くす。
○莫使 …させてはいけない。…に…させてはいけない。○金尊 黄金製の酒器。また、黄金の酒樽。 ○空 むなしく。無意味に。 ○對月 月に向かう。

天生我材必有用、千金散盡還復來。
天が、わたしという人材を生んだのは、必ず用いるところがあるからなのだ。大金を使い果たしたとしても、それはまた返ってくるものだ。 
○天生 天は…を生む。また、生まれつき。 ○我材 わたしという人材。 ○必有用 きっと、用いるところがあるはずだ。○千金 大金。 ○散盡 使い果たす。 ○還復來 また再び帰ってくる。

烹羊宰牛且爲樂、會須一飮三百杯。
羊や牛を料理して(ごちそうを作り)しばらくの楽しみごととしよう。そういう機会があったら一回の宴席で、必ず三百杯は飲むのが当たり前だ。
○烹羊宰牛 羊や牛を料理する。 ○烹宰 食物の料理をすること。 ○烹 煮る。 ○宰 さい 料理する。切る。屠る。 ○且:しばし。しばらく。短時間の間をいう。 ○爲樂 楽しみとする。 ○會須 きっと必ず…べきだ。まさに…(す)べし。 ○一飮三百杯 一回の飲酒の席では、三百杯飲む。後漢・経学家の鄭玄は、三百杯を飲んで酔わなかったという。『襄陽歌』では「杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯」 と使う。

李白と道教48襄陽歌ⅰ  李白と道教48襄陽歌 ⅱ



岑夫子,丹丘生。 岑先生、丹丘先輩。酒をお勧めしよう。杯を途中で停めないように。
 一般的解釈で、「宴席でこの二人が賓客となって李白が主宰して接待をしていることになる」が、そうではなくて、道教で尊敬する両人に宴で酒を進めているのである。李白の性格と、資産状況で主催できるはずがない。 ○岑夫子 岑先生。岑勳のこと。同時代の詩人、岑参といわれてもいたが李白より10歳も年したで状況に当てはまらない。 ○丹丘生 道教の先輩。丹丘君。不老不死の神仙の道を求める道士・元丹邱のこと。李白45 元丹丘歌(李白と道教(1))  (2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子   参照 

將進酒,杯莫停。
まさに今、酒をお進めする、杯を途中でやめてはいけない。
 ○將進酒 酒をお勧めする。 ○杯 さかづき。 ○莫 禁止、否定の語。ここでは、(~する)なかれ。 ○停 (手を途中で)とめる。途中でとどめる。「杯莫停」を「君莫停」ともする。君停(とどむ)るなかれ
 
與君歌一曲、請君爲我傾耳聽。
あなた(がた)のために、一曲歌おう。あなたがたにお願いするが、わたしに耳を傾けてほしい。 
○與 …ために。為に。 ○君 あなた。岑夫子、丹丘生を指す。 ○歌 唱う。動詞。
○請君:あなたにお願いする。どうか…(て)ほしい。 ○爲我 わたしのために。 ○傾耳 耳を傾ける。傾聴する。 ○聽 (聴こうと意識をして)聴く。注意して聞く。聞き耳を立てて聴く。

鐘鼓饌玉不足貴、但願長醉不用醒。
カネや太鼓の立派な音楽も、貴ぶものとするほどではない。 ひたすらに長い酔いから醒めないことを願うだけである。
○鐘鼓 カネや太鼓。音楽のこと。 ○饌玉 せんぎょく ごちそう。飲食物。 ○不足 …とするにたらない。 ○貴 とうとい。 ○但願 ひたすら…であることを願う。 ○長醉 長はいつも。とこしえに。 ○不用 用いるまでもない。いらない。  ○醒 (酔いから)さめる。
 

古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。
昔から今に至るまでの聖人や賢人は、皆、静寂なものだ。ただ大酒のみのものだけが、その名を記録に留めているのである。
 ○古來 昔から今に至るまで。今まで。 ○聖賢 聖人と賢人。 ○皆 みな。ことごとく。全部。 ○寂寞 ひっそりとしてもの寂しいさま。○惟有 ただ…だけがある。=唯有。 ○飮者 飲み助。呑兵衛。 ○留其名 その勇名を記録に留め(てい)る。

陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。
○陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ○昔時 むかし。 ○宴 うたげをする。 ○平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。○斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ○斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ○斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ○十千 一万。 ○恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ○歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。

主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。
酒屋の主人がどうして、お金が足りなくなったといおうか。直ちに酒を持ってこさせあなたに酒をつごう。 
○主人 酒屋のあるじ。 ○何爲 何ゆえ。どうして。 ○言 声に出して言う。 ○少錢 お金が足らない。お金が少ない。 ○徑 直ちに。速く。ついに。 ○須 ぜひとも…する必要がある。すべからく…べし。 ○沽取 こしゅ 酒を買い取る。手に入れる。酒を持ってこさせるという意味。 ○酌 酒を注(つ)ぐ。

五花馬,千金裘。
美しい毛並みの馬と高価な白狐の脇毛のかわごろも。 
 ○五花馬 美しい毛並みの馬。青白雑色の馬。 ○千金裘 高価な皮衣。白狐のかわごろも。狐裘のこと。狐の脇の下の毛を数千匹分集めて作られる貴重な衣服。戦国時代の孟嘗君が持っていたという白狐の皮衣。天下に二つとないもの。

呼兒將出換美酒、與爾同銷萬古愁。
給仕の子を呼んで、五花馬と千金裘を持って行かせて美酒と交換させて、あなたと一緒になって、昔から胸につのる萬古の愁いのすべてを消すことにしよう。 
○兒 年若い使用人。ボーイ。給仕。 ○將出 持ち出す。 ○換 交換する。○爾 あなた。なんぢ。 ○ 同じくする。動詞としての用法。 ○銷 消す。とかす。≒消。 ○萬古愁 昔から永遠に解かれることのない愁い。死の恐怖。



將進酒
君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。
君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。
人生得意須盡歡,莫使金尊空對月。
天生我材必有用,千金散盡還復來。
烹羊宰牛且爲樂,會須一飮三百杯。
岑夫子,丹丘生。
將進酒,杯莫停。
與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。
鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。
古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。
五花馬,千金裘。
呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。

將進酒
君見ずや 黄河の水 天上より来り、奔流し海に到ってまた廻(かへ)らざるを。
君見ずや 高堂の明鏡 白髪を悲しむを、朝(あした)には青糸のごときも暮には雪をなす。
人生意を得ればすべからく歓を尽くすべし、金樽をしてむなしく月に対(むか)はしむるなかれ。
天のわが材を生ずる必ず用あればなり、千金も散じ尽せばまたまた来る。
羊を烹(に)、牛を宰(に)て しばらく楽みをなせ、かならずすべからく一飲三百杯なるべし。
岑夫子(シンプウシ) 丹邱生、酒を進む君停(とどむ)るなかれ。
君のため一曲を歌わん、請う君わがために 耳を側(そばだ)てて 聴け。
鐘鼓 饌玉(センギョク) は貴ぶに足らず、玉餞に同じくりっぱな料理、ただ長酔を願うて醒むるを願はず。
古来 聖賢みな寂寞、ただ飲者のその名を留むるあるのみ。
陳王 昔時 平楽に宴する 魏の陳思王曹植、曹操の子で詩人としても名高い。道観の名、斗酒十千 歓謔を悉(ほしいまま)にす。 
主人 なんすれ 銭少しという、ただちにすべからく沽(かい)取り 君に対して酌むべし。
五花の馬 千金の裘。 
児を呼びもち出でて美酒に換(か)へ、なんじとともに銷(け)さん 万古の愁。 

 この「将進酒」と題する長篇は、元丹邱と岑夫子とに対して憂鬱を打ち明けたという詩である。ここで李白は「万古の愁い」を消してくれる酒を飲もう。竹林の時代より酒こそが一番だ。道教の先輩たちに李白の明朗さは酒を愛したことによるものだろうか。「天生我材必有用、千金散盡還復來。」(天が、わたしという人材を生んだのは、必ず用いるところがあるからなのだ。大金を使い果たしたとしても、それはまた返ってくるものだ。)この思想が李白の基本であり、道教の思想である。

杜甫 3 題張氏隠居 

杜甫 3 題張氏隠居 

張氏とよぶ人の隠れ家にかきつけた詩で、736年 25歳 開元24年、斉州に遊んだ時の作。
七言律詩

題張氏隠居
春山無伴獨相求,伐木丁丁山更幽。
澗道餘寒歷冰雪,石門斜日到林丘。
不貪夜識金銀氣,遠害朝看麋鹿遊。
乘興杳然迷出處,對君疑是泛虛舟。


題張氏隠居
張氏がどんな人物なのかは未詳。竹渓の六逸の一人張叔明だといわれている。又、杜甫の「秋述」に登場する叔卿と同一人かそれとも兄弟かなどというが、いずれも臆説にすぎない。詩中の「石門斜日」の句によれば、其の人は石門山に隠れて居た者であることがわかる。

張氏が隠居に題す
春の山をだれもつれがなく自分一人で尋ね入ると。木びきの音がざあざあときこえて山は音あるためにいっそう静かな感じになる。 
君の品位はすこしも貪欲の念は無いが夜となれば霊地に埋蔵してある金銀の気はおのずからそれとわかり、害に近づくことなくして朝にはつねに麋鹿たちと遊んでいるのを見つけた。  
かかる場所へ来てみるとおもしろくてどんなに山深く仙境にわけ入ったかと思われ、ここの野で去るべきか、立ちどまって居るがよいか迷ってしまう。 君と相対しているときの感じをたとえたとすると、君は「荘子」のいわゆる虚舟を泛(うかべ)る者でその無心さがなんともいえないのである。 


張氏が隠居に題す
春山伴無く独り相求む
伐木丁丁として山更に幽なり
澗道の余寒に冰雪を歴
石門の斜日に林丘に到る
余らずして夜金銀の気を識り
害より遠ざかりて朝に廉鹿の遊ぶを看る
興に乗じて杏然として出処に迷う
君に対すれば疑うらくは足れ虚舟を淀ぶるかと

題張氏隠居:張氏が隠居に題す。 
張氏がどんな人物なのかは未詳。竹渓の六逸の一人張叔明だといわれている。又、杜甫の「秋述」に登場する叔卿と同一人かそれとも兄弟かなどというが、いずれも臆説にすぎない。詩中の「石門斜日」の句によれば、其の人は石門山に隠れて居た者であることがわかる。

春山無伴獨相求、伐木丁丁山更幽。
春の山をだれもつれがなく自分一人で尋ね入ると。木びきの音がざあざあときこえて山は音あるためにいっそう静かな感じになる。 
 ・伴:つれ。 ・相求:求とはその人を尋ねにゆくこと。相とは必ずしも相互的とはかぎらず、相手がありさえすれば使用し得る。ここはこちらから先方を求めるのである。・丁丁:木を伐る音、字面は「詩経」の伐木篇にある。 ・潤道: 谷沿いの道。


澗道餘寒歷冰雪、石門斜日到林丘。
余寒のおりに谷沿いの道を辿って冰や雪のある処をすぎてゆくと、石門に夕日がかかるその時君の住んでいる林丘にたどり着いた。
・余寒:春の残寒。 ・石門:山の名であろう。石門山は曲阜県の東北五十里にある。李白の集に「魯郡の東の石門にて重ねて杜甫に別る」という詩がある。李杜の集に石門というのは同一地をさすものであろう。 ・斜日:よこにさす日光、夕日。 ・林丘:はやしのある丘、張氏の住む処である。


不貪夜識金銀氣、遠害朝看麋鹿遊。

君の品位はすこしも貪欲の念は無いが夜となれば霊地に埋蔵してある金銀の気はおのずからそれとわかり、害に近づくことなくして朝にはつねに麋鹿たちと遊んでいるのを見つけた。  
・金銀気:地下に金銀があると、その気は自のずから上騰する。 ・麋:くじか。

乘興杳然迷出處、對君疑是泛虛舟。
かかる場所へ来てみるとおもしろくてどんなに山深く仙境にわけ入ったかと思われ、ここの野で去るべきか、立ちどまって居るがよいか迷ってしまう。 君と相対しているときの感じをたとえたとすると、君は「荘子」のいわゆる虚舟を泛(うかべ)る者でその無心さがなんともいえないのである。 
・乗興 おもしろさにのりきになる。 ・杳然:おくふかいかたち。 ・出処:いくべきか、処(居)るべきかの二つ。 ・君: 張氏をさす。  ・淀虚舟:「荘子」山木篇に舟で河をわたるとき虚船(人の乗っていない空の舟)が来てぶっつかったなら、いくら意固地の人でも怒らないという話がある。ここは張氏の自己というものの無い人がらをたとえていう。

李白詩の整理(7/18ぶんまで)

李白詩の整理  整理番号 と Index

5月23日 1.訪載天山道士不遇
       2.峨眉山月歌
       3.江行寄遠
5月24日 4.秋下荊門
       5.渡荊門送別
       6.望天門山
       7.金陵酒肆留別
6月1日  8.蘇台覧古
6月2日  9.越中覧古
6月3日  10採蓮曲
6月4日 11緑水曲
 李白 12 越女詞 其一 
 李白 13 越女詞 其二
 李白 14 越女詞 其三
 李白 15 越女詞 其五
 李白 16 越女詞 其四
6月5日 西施ものがたり
6月6日 李白 17 淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君
 李白 18李白 贈孟浩然
 李白 19 李白 黄鶴楼送孟浩然之広陵
6月7日 李白 20 登太白峯
6月8日 孟郊
6月9日 李白 21 少年行
6月10日 杜甫 少年行
6月11日 王維 少年行
6月12日 李白 22 相逢行
 李白 23 玉階怨
6月13日 李白 24 春思
 李白 25 秋思
6月14日 李白 26 子夜呉歌其一 春  
 李白 27 子夜呉歌其二 夏
6月15日 李白 28 子夜呉歌其三 秋  
 李白 29 子夜呉歌其四 冬
6月16日 李白 30 塞下曲六首 其一(五月) 
 李白 31 塞下曲六首 其二(天兵) 
 李白 32 塞下曲六首 其三(駿馬) 
 李白 33 塞下曲六首 其四(白馬) 
6月17日 李白 34 塞下曲六首 其五(塞虜) 
 李白 35 塞下曲六首 其六(烽火) 
 李白 36  塞上曲(大漢)
6月18日 李白 37 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首(録一) 雑言古詩
6月19日 李白 38 関山月 五言古詩
6月20日 李白 39 王昭君二首 五言絶句
 李白 40 王昭君二首 雑言古詩
 李白 41 王昭君詠う(3)于巓採花
6月21日 李白 42 楊叛児 雑言古詩
6月22日 李白 43 静夜思 五言絶句
6月23日 李白 44 酬坊州王司馬与閻正字対雪見贈 五言古詩
6月24日 李白 45 玉階怨 五言絶句
6月25日 李白 46 春帰終南山松龍旧隠 五言古詩
6月26日 李白 47 烏夜啼 七言古詩
6月27日李白 48 梁園吟
6月28日李白 49 杜陵絶句
6月29日李白 50 春夜洛城聞笛
6月30日李白 51 元丹丘歌(李白と道教(1))
7月1日李白 52 西岳云台歌送丹邱子 李白と道教(2)
7月2日李白 53 寄東魯二稚子 李白と道教(3) 
陶淵明 責子
7月4日李白 54 襄陽歌ⅰ 李白と道教(5)
李白 54 襄陽歌ⅱ 
7月5日李白 55 襄陽曲 其一 李白と道教(6)
李白 56 襄陽曲 其二
李白 57 襄陽曲 其三
李白 58 襄陽曲 其四
7月6日李白 59 大堤曲 李白と道教(7)
李白 60 怨情 李白と道教(8)
李白 61 贈内 李白と道教(9)
李白 62 客中行 李白と道教(10)
7月7日李白 63 夜下征虜亭 李白と道教(11)
李白 64 春怨 李白と道教(12)
李白 65 陌上贈美人
7月8日李白 66 宣州謝朓樓餞別校書叔雲
7月9日李白 67 秋登宣城謝眺北楼
李白 68 久別離
7月9日李白 69 估客行
7月11日李白 70 清溪半夜聞笛
李白 71 秋浦歌十七首 其二
李白 72 清溪行
李白 73 宿清溪主人
7月12日李白 74 遠別離
李白 75 長門怨二首 其一
李白 76 長門怨二首 其二
7月13日李白 77 丁都護歌
李白 78 勞勞亭 五言絶句 
李白 79 勞勞亭歌 七言古詩
7月14日李白 80 白紵辭 其一
李白 81 白紵辭 其二
李白 82 巴女詞
7月15日李白 83 長干行
7月16日李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰
7月17日李白 85 太原早秋
李白 86 遊南陽清泠泉
7月18日李白 87 下終南山過斛斯山人宿置酒
 
 
 
 
  阮籍 詠懐詩 、 白眼視
 
  嵆康 幽憤詩
      幽憤詩 嵆康 訳注篇
 
 李白と道教(4)陶淵明 .責子
 
 謝朓 ① 玉階怨
 謝朓 ② 王孫遊
 謝朓 ③ 金谷聚
 謝朓 ④ 同王主薄有所思
 謝朓 ⑤ 遊東田
 謝靈運 東陽谿中贈答
 班婕妤
 蘇小小 

李白 87 下終南山過斛斯山人宿置酒

李白 87 下終南山過斛斯山人宿置酒
五言古詩


下終南山過斛斯山人宿置酒
暮從碧山下。 山月隨人歸。
日暮れに碧山から下ってくると、山の端からのぼってきた月も我々についてくる。
卻顧所來徑。 蒼蒼橫翠微。
振り返って下りてきた小道を見れば山の緑の中に、こんもりとした青い色の道がぼんやりと中腹に続いて見える
相攜及田家。 童稚開荊扉。
友と連れ立って百姓家に来ていた、子どもらが柴の戸を開けて迎えてくれた。
綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつく
歡言得所憩。 美酒聊共揮。
楽しみながら話をし、今夜の休むところもできた。うまい酒をちょっとともに酌み交わすことになった。
長歌吟松風。 曲盡河星稀。
長々と歌を唄い、松風を聞いて口ずさむ、歌いきってしまうと天の河の星もまばらになっていた。
我醉君復樂。 陶然共忘機。
私は酔ってしまった、君もまた楽しんだ。心持よく酒に酔ったので、ともに淡泊自然の心境になったということだ。




終南山下り斛斯山人を過り宿し置酒す

日暮れに碧山から下ってくると、山の端からのぼってきた月も我々についてくる。
振り返って下りてきた小道を見れば山の緑の中に、こんもりとした青い色の道がぼんやりと中腹に続いて見える
友と連れ立って百姓家に来ていた、子どもらが柴の戸を開けて迎えてくれた。
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつく
楽しみながら話をし、今夜の休むところもできた。うまい酒をちょっとともに酌み交わすことになった。
長々と歌を唄い、松風を聞いて口ずさむ、歌いきってしまうと天の河の星もまばらになっていた。
私は酔ってしまった、君もまた楽しんだ。心持よく酒に酔ったので、ともに淡泊自然の心境になったということだ。



終南山過斛斯山人宿置酒
終南山下り斛斯山人を過り宿し置酒す
終南山 陝西省長安の南にある山。唐時代道教の本山があった。 ○斛斯山人 斛斯は姓。山人は山中に隠遁している人。 ○置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。


暮從碧山下。 山月隨人歸。
日暮れに碧山から下ってくると、山の端からのぼってきた月も我々についてくる。
山月 山の月。登ってきた月。登ってきた月はまだ山に近い。


卻顧所來徑。 蒼蒼橫翠微。
振り返って下りてきた小道を見れば山の緑の中に、こんもりとした青い色の道がぼんやりと中腹に続いて見える
蒼蒼 こんもりとした青い色。 ○翠微 山の中腹。


相攜及田家。 童稚開荊扉。
友と連れ立って百姓家に来ていた、子どもらが柴の戸を開けて迎えてくれた。
相攜 友と連れだって。 ○田家 百姓家。  ○童稚 こども。 ○荊扉 柴で作った粗末な開き戸。


綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつく
幽徑 暗い寂しい小道。  ○青蘿 青いツタ。○行衣 旅衣。


歡言得所憩。 美酒聊共揮。
楽しみながら話をし、今夜の休むところもできた。うまい酒をちょっとともに酌み交わすことになった。
歡言 よろこんで話をする。○ 休息。 ○ ちょっと。 ○ ふるう、振り回す。さしずする。


長歌吟松風。 曲盡河星稀。
長々と歌を唄い、松風を聞いて口ずさむ、歌いきってしまうと天の河の星もまばらになっていた。
河星 星屑の天の河。


我醉君復樂。 陶然共忘機。
私は酔ってしまった、君もまた楽しんだ。心持よく酒に酔ったので、ともに淡泊自然の心境になったということだ。
陶然 心持よく酒に酔う。 ○忘機 世のからくりや人間のたくらみを忘れる。道教の主張する淡泊自然の心境を言う。


○韻 下、歸、微、扉、衣、稀、機。


 斛斯(こくし)山人とは李白の道士仲間である。その人と共に山中で道教を学び、その帰りに田家に立ち寄って、酒を飲み、泊まらせてもらった。山中問答の詩、游南陽清泠泉と同じような趣を詠った李白の道教的な考え、あるいは理想を表したものだ。「遊南陽清泠泉」の3聯と下終南山過斛斯山人宿置酒の6聯類似している。

李白 「遊南陽清泠泉」
1.惜彼落日暮、愛此寒泉清。    
2.西耀逐流水、蕩漾遊子情。
3.空歌望雲月、曲尽長松声。
(空しく歌い雲間の月を眺めている、曲が終われば、高い松を抜ける風の音がするばかりだ。)
下終南山過斛斯山人宿置酒
1.暮從碧山下。 山月隨人歸。
2.卻顧所來徑。 蒼蒼橫翠微。
3.相攜及田家。 童稚開荊扉。
4.綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。
5.歡言得所憩。 美酒聊共揮。
6.長歌吟松風。 曲盡河星稀。
(長々と歌を唄い、松風を聞いて口ずさむ、歌いきってしまうと天の河の星もまばらになっていた。)
7.我醉君復樂。 陶然共忘機。




終南山下り斛斯山人を過り宿し置酒す
暮に碧山從(より)下れば、 山月 人隨って歸える。
卻(かえ)って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微(すいび)に橫たう。
相攜(あいたずさ)えて田家に及べば、童稚(どうち) 荊扉(けいひ)を開く。
綠竹 幽徑(ゆうけい)に入り。 青蘿(せいち) 行衣を拂う。
歡言 憩う所を得。 美酒 聊(いささ)か共に揮(ふる)う。
長歌 松風に吟じ。 曲盡きて河星 稀なり。
我 醉うて 君も復た 樂しむ。 陶然して 共に機を忘る。

杜甫 2 遊龍門奉先寺

杜甫 2 遊龍門奉先寺
736年25歳 杜甫が竜門の奉先寺に遊んで、そこに宿したことをのべた詩である。
五言律詩(開元24年) もっとも初期の作品とされる
 

遊龍門奉先寺
己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
欲覚間島鐘、令人畿深省。

あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。

龍門の奉先寺に遊ぶ

いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。


遊龍門奉先寺
竜門 地名、伊闕ともいう。河南省洛陽の西南三十支部里(十七キロ)にあり、伊水によって断たれた峡谷。○奉先寺 竜門の北岸にあって、南に香山寺と対する。今も遺址が存する。

己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
招提 寺院をいう。梵語の拓鬭提奢を略して拓提といい、拓の字を更に写し訛って、招となったものという。○境:境域の内をいう。

陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
陰壑 北向きの日をうけない谷のこと。○虚籟 すがたが見えずしてきこえるひびき。草木などの風にふれている月林月光をうけたはやし。○清影 きよいかげ。○天闕 天の門。断峡のそびえているのをたとえていう。

天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
象緯 象はすがた、緯は機のよこいと。天において二十八の経(たていと)とし、五星を緯(よこいと)とする。象緯とは星象の経緯の義であるが、ここでは単に星辰のことに用いている。此の句は又「天闕は象緯に逼せまる」と解す。○雲臥 作者が臥すのであり、雲とは高処なのでかくいう。雲に臥するとは悟りの心を連想する。

欲覚間島鐘、令人畿深省。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。
 めざめる。 ○晨鐘 あさのかねの音。 〇 聞く人一般を言って、自己は其の中に含める。 ○ おこすことをいう。 ○深省 省は大悟することをいう。

竜門の奉先寺に遊ぶ 
己に招技の遊びに従い 更に招技の境に宿す
陰峯に虚鞄生じ 月林清影を散ず
天閲に象緯逼(せま)る 雲に臥すれば衣裳冷やかなり
覚めんと欲して農鐘を聞く 人をして深省を発せしむ



 はじめの二句で寺を散策し泊まったことを述べている。中四句は僧坊にいて室外の風の音に耳を澄まし、樹林が月の光を反射して輝くのを見ている。そしてさらに龍門のふしぎな夜の様子に思いをめぐらし、最後の二句は、翌朝、目覚めたときを想像して結びとするもので、朝に聞く鐘の音は朝の目覚めと悟りの目覚めを掛けている。杜甫にとって、この場所は印象的だったのだ。「深省を発せしめん」とそれは聞くすべての者に、深い悟りの念を起こさせずにおかないと厳かな気持ちを詠っている。

已従 招提遊、更宿 招提境。
陰壑 生虚籟、月林 散清影。
天闕 象緯逼、雲臥 衣裳冷。
欲覚 聞晨鐘、令人 発深省。

詩の特徴 
 杜甫のもっとも得意とするのは五言、七言の古詩である。通常、律詩は、八句のうち前半四句を叙景もしくは叙事にあて、後半四句を感懐にあてる形式とるものなのだが、杜甫ははじめの二句を導入部、中四句を事柄の描写、最後の二句を結びの感懐に充てる形式をとることが多い。「龍門の奉先寺に遊ぶ」もそのようになっている。
 杜甫の特徴は題材の大きさにあり、場面の移り代わりが心の中に及んでいくことの見事さにある。

杜甫 1 端午日賜衣

杜甫 1 端午日賜衣

758乾元元年の五月五日 杜甫47歳
左拾遺であったとき、宮中より衣をたまわったことをのべている。杜甫が子供のように喜んでいる。杜甫人生、全詩の中から唯一無二の作品である。杜甫をスタートするにふさわしい本当に象徴的な作品。杜甫が分かればわかるほどこの作品時の杜甫がいとおしくなる。杜甫は誠実な詩人、苦悩することから、逃避していない。道教的な部分はなく、中国の良心ともいえる杜甫詩少しづつ見ていきます。杜甫の詩は作時期がはっきりしているが、必ずしも順序については、違っている。(長い詩が多いためで、私は長編詩を区切って紹介するのは、間違っていると思うので、それが理由で少し変わる可能性があるということである。)きっちり通してみていていくと杜甫のことがよく理解できると思う。

杜甫 1 端午日賜衣

五言律詩
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。



こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。


 この詩は、杜甫の数ある四の中で、トップに取り上げるとすればおそらく初めてのことではないだろうか、杜詩を、何度も読み返している。一千首以上もあるのでそのたびに違った印象を受けたり、新たな発見ができたりしている。何度読み返して飽きることのない作者である。
 実は、この詩を頂点に詩の内容がガラッと変わっていくのである。正確にいえばこの詩の前後20首で変わっているのだ。
 ただ、このブログの趣旨は杜甫のエポックメーキングの考察にはないので一般論で紹介していくこととする。







意內稱長短,終身荷聖情。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。
○意内 自己のこころのなかではかってみる。一説に天子の意内とするが、恐らくは天子は一々臣下の身の寸法をはからせることはあるまい。 ○称 つりあいのよろしいこと、去声によむ。○長短 きもののせたけ、そでたけ等の長いこと、短いこと。○荷 いただいている。○聖情 聖君のお情け心。



自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
〇自天 「題署自天子」( 天子 自ら題署す)を省略して、題の字を下におく。役職名と名前を書いてある、天子みずから名を題したまえることをいう。○題処 かき記されたもの、此の句は首句の「有名」を承けるもの。○湿 墨の痕がうるおう、かきたてであることをいう。○当暑 あつさのおりに。 ○清 さっぱりしてすがすがしいこと。



細葛含風軟,香羅疊雪輕
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
○細葛 ほそいくずのいとでつくった衣をいう。 ○含風気孔が多くて風をいれやすいこと。 ○軟 しなやかなこと。 ○香羅 かんばしいうすぎぬの衣、香とは香をたきこめたのであろう。○畳雪 雪とは純白色をたとえていう、白衣を畳んであるのをみて雪をたたむと表現したもの。○転 ふわりとしている。



宮衣亦有名,端午被恩榮

こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
○宮衣 宮女のつくった衣、即ち下の葛、羅を以て製したもの。 ○亦有名 「我亦た名有り」の義、宮中に名札版があり、賜衣者の列内に自分の姓名を確認できたのだ。最高に喜んでいる雰囲気を感じ取れる。○端午 夏暦では正月を寅とし、五月は午にあたる。五月が午であるために五の日をまた午とする、端は初の義、端午とは五月の初旬の午の日の義であるという。○恩栄 天子の御恩による栄誉。



 この詩は、杜甫の数ある四の中で、トップに取り上げるとすればおそらく初めてのことではないだろうか、杜詩を、何度も読み返している。一千首以上もあるのでそのたびに違った印象を受けたり、新たな発見ができたりしている。何度読み返して飽きることのない作者である。
 実は、この詩を頂点に詩の内容がガラッと変わっていくのである。正確にいえばこの詩の前後20首で変わっているのだ。
 ただ、このブログの趣旨は杜甫のエポックメーキングの考察にはないので一般論で紹介していくこととする。


○韻 名,榮、軽、清、情。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

86 太原早秋 87 遊南陽清泠泉

李白 86 太原早秋

五言律詩 
 太原早秋
歲落眾芳歇、時當大火流。
霜威出塞早、云色渡河秋。
夢繞邊城月、心飛故國樓。
思歸若汾水、無日不悠悠。

この年の盛りも過ぎて多くの花が散り去った、時はまさに火星が西に流れる秋だ。城壁の外では霜が猛威を振るい、雲の色が黄河に反映するさまは秋の気配を感じさせる
我が夢はこの辺地の城を巡っている月のようにさまよい、心は故郷の高殿のほうへと飛んでいく。、帰ろうと思えばその思いは汾水の流れのように、一日としてはるかな憂いにとらわれぬ日はない


歲落眾芳歇、時當大火流。
年の盛りも過ぎてたくさんの花が散り去った、時はまさに火星が西に流れていく秋がきた。
眾芳 眾は衆。たくさんの花。○大火 火星。さそり座の首星アンタレスの中国名。真夏の星の代名詞。


霜威出塞早、云色渡河秋。
城壁の外では霜が猛威を振るい、雲の色も黄河の秋が反映している。
出塞 異民族から守る塞を示すが、ここでは太原のまちの城壁を示す。南から来た李白にとって、北の果ての街の早霜に驚いたのだろう。○云色 雲の色 ○河秋 秋模様の黄河。このあたりの黄河は文字通り、黄色に濁った大河であり、秋の枯葉の黄色とあわせたもので河まで秋になった。


夢繞邊城月、心飛故國樓。

我が夢はこの辺地の城を巡っている月のようにさまよい、心は故郷の高殿のほうへと飛んでいく。
故國樓 故国とあるが故郷とする。故郷の高殿。この時、李白は故郷とはどこか、どこの高殿を指すのか。生活様式の違いに驚いたのだろう。蜀と江南の違いとは全く違ったものだったのだろう。


思歸若汾水、無日不悠悠。
帰ろうと思えばその思いは汾水の流れのように、一日としてはるかな憂いにとらわれぬ日はない
汾水 汾水は黄河から太原に別れた支流であり、見るものすべて故郷につながったのか。


李白 太原の早秋
歳落ちて衆芳歇(や)み、時は大火の流るるに當る
霜威塞を出でて早く、雲色河を渡って秋なり
夢は繞る邊城の月、心は飛ぶ故國の樓
歸らんと思へば汾水の若く、日として悠悠たらざるは無し
 

735年李白は35歳のとき、安陸を離れて洛陽に旅し、続けて太原を訪れた。洛陽で知り合った帰省する元演に誘われて太原までの長途の旅をしたのだ。この詩はその太源に滞在中かかれた詩で、唯一残っているものである。




李白 87 遊南陽清泠泉
五言古詩 

遊南陽清泠泉
惜彼落日暮、愛此寒泉清。    
西耀逐流水、蕩漾遊子情。
空歌望雲月、曲尽長松声。



儒教的現代訳
故郷と同じ沈みかけた夕日を惜しんでいる、ここの南陽の寒々とした澄み切った泉を愛でている。
西の空だけが耀いており、水流れをおいかけて輝かせる、定まらない気持ちというのは、旅人の心というもの。
空しく歌い雲間の月を眺めている、曲が終われば、高い松を抜ける風の音がするばかりだ。


本来の意味
夕暮れになると無性に心が切ない。この寒泉の清々しさを愛している。
旅に出て、浮気心は旅人の心情、月を抱くように女性を抱いた。その行為が終わったら後に残るのは、貞操感である。

南陽 河南省南陽市  ○ 地中から湧き出る水。源。女性をあらわす。
○蕩漾 とうよう ・蕩 ふわふわと揺れる。水が流れる。心惑わす。・漾 水が漂う。水が揺れる。性行為を連想させる。 ○遊子 よその国にいる旅人。○長松 高くそびえる松。
雲間の月は男女の営みをあらわし、長松は、厳然とした貞操を示す。


李白が、行楽地に来て、夕日を見て、故郷が寂しくつきをみあげてそっと涙する・・・・・、ということがあるわけはない。遊びに来ているのだから、酒も女も・・・・・、というのが当然のこと。
 これが李白の芸術性である。見たもの感じたものをストレートに表現しない、しかし、詠み人を右から左まで想像力たくましく誘ってくれる。人間のあり方を自然に考えている。

 礼節に飽き飽きした当時の様子を代表しているのではないだろうか。道教が、政治的な癒着から広がったのは否定できないが、儒教に飽き飽きした庶民から多くの支持が出たのも理解できる。

南陽の清泠泉に遊ぶ
彼(か)の落日、暮れたるを惜しむ、 此の寒泉(かんせん)の清けさを愛す
西耀(せいよう)は流水を逐(お)い、蕩漾(とうよう)は  遊子(ゆうし)の情。
空しく歌って雲月(うんげつ)の望、曲尽きて長松(ちょうしょう)の声

李白85 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

 

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李白85 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰


安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰
安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す 

云臥三十年。 好閑復愛仙。
浮雲暮らしで30年、その間、隠遁の閑暇を好み、また神仙の道を愛してきました。
蓬壺雖冥絕。 鸞鶴心悠然。
蓬萊山の宮女の部屋ははてしなく遠いけれど、鸞鳳のような心はゆったりとしています。
歸來桃花岩。 得憩云窗眠。
桃花巌に帰ってきた、雲に抱かれ夢心地の窓辺で眠れました。
對嶺人共語。 飲潭猿相連。
山を相手に人は語り合いができるが、淵の水を飲む猿であっても手をつなぎ合っている。(私たちは手を取り合っています)
時升翠微上。 邈若羅浮巔。
時として青い山々に靄が立ち込めている山に登れば、はるかかなたの羅浮山のいただきにいる気がしてくるのです。
兩岑抱東壑。 一嶂橫西天。
二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような山が西の空を横切っています。
樹雜日易隱。 崖傾月難圓。
樹々は茂り合って日陰になりやすく、崖は急で  満月の形も見えにくいものです。
芳草換野色。 飛蘿搖春煙。
草は、ほのかにかおり、野色を変え、飛蘿(ひかげかずら)は春霞のようはゆらめいています。
入遠構石室。 選幽開上田。
遠く山中に岩屋をかまえ、分け入って、奥深い場所を選んで高いところに田をひらきました。
獨此林下意。 杳無區中緣。
ひとり山中の情を維持します、世間との縁はすっかり切れてしまったとしても。
永辭霜台客。 千載方來旋。
侍御史の客となって永の暇を告げましたが、いつの日にかまた参上いたしましょう。


浮雲暮らしで30年、その間、隠遁の閑暇を好み、また神仙の道を愛してきました。
蓬萊山の宮女の部屋ははてしなく遠いけれど、鸞鳳のような心はゆったりとしています。
桃花巌に帰ってきた、雲に抱かれ夢心地の窓辺で眠れました。
山を相手に人は語り合いができるが、淵の水を飲む猿であっても手をつなぎ合っている。(私たちは手を取り合っています)
時として青い山々に靄が立ち込めている山に登れば、はるかかなたの羅浮山のいただきにいる気がしてくるのです。
二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような山が西の空を横切っています。
樹々は茂り合って日陰になりやすく、崖は急で  満月の形も見えにくいものです。
草は、ほのかにかおり、野色を変え、飛蘿(ひかげかずら)は春霞のようはゆらめいています。
遠く山中に岩屋をかまえ、分け入って、奥深い場所を選んで高いところに田をひらきました。
ひとり山中の情を維持します、世間との縁はすっかり切れてしまったとしても。
侍御史の客となって永の暇を告げましたが、いつの日にかまた参上いたしましょう。

云臥三十年。 好閑復愛仙。
浮雲暮らしで30年、その間、隠遁の閑暇を好み、また神仙の道を愛した
○愛仙 道教の神仙の道

蓬壺雖冥絕。 鸞鶴心悠然。
蓬萊山の宮女の部屋ははてしなく遠いけれど、鸞鳳のような心はゆったりとしている
○蓬壺 蓬は蓬莱山。中国東方の海中にあって、不老不死の仙人が住むところ。壺は竜宮城の女官の住む部屋。 ○冥絕 果てしなく遠いさま。手の届かない存在。 ○鸞鶴 想像上の鳥。天子の乗る御車。 ○悠然 ゆったりとしたさま。。

歸來桃花岩。 得憩云窗眠。
桃花巌に帰ってきた、雲に抱かれ夢心地の窓辺で眠れた
○得憩 ゆっくりと休めた。 ○云窗 雲中の窓というのは男女の営み行為を連想させる言葉。この前後の句は儒教的な解釈では理解できない。道教的な考え方と、詩人李白の想像力は読む人にも想像を与えてくれる。


對嶺人共語。 飲潭猿相連。
山を相手に人は語り合いができる、淵の水を飲む猿であっても手をつなぎ合っている。(私たちは手を取り合っています)

時升翠微上。 邈若羅浮巔。
時として青い山々に靄が立ち込めている山に登れば、はるかかなたの羅浮山のいただきにいる気がしてくる。
○升 のぼる。成熟する。○翠微 青い山々に靄が立ち込めているさま。山の八合目あたり。萌黄いろ。男女のことを示唆。○邈 ばく はるか、はなれる。もだえる。 ○巔 てん 山頂。ものの上側。おちる。


兩岑抱東壑。 一嶂橫西天。
二つの岑峰が東の谷を抱いてそそり立ち、屏風のような山が西の空を横切っている
○兩岑 二つの先のとがった山。 壑 がく 谷間。あな。いわや。女性の体を示唆している聯である。抱く東と横わる西が対句になるのでこの東西は直接的な意味はなく胸の乳頭とその谷間横たわる軆体と解釈する。


樹雜日易隱。 崖傾月難圓。
樹々は茂り合って日陰になりやすく、崖は急で  満月の形も見えにくい。


芳草換野色。 飛蘿搖春煙。
草はほのかにかおり野色を変える、飛蘿(ひかげかずら)は春霞のようはゆらめいている。
(体からほのかにいい匂いがしきて、体に紅色がさしてきた、二人は春カスミのなかで揺らめいている。)


入遠構石室。 選幽開上田。
遠く山中に岩屋をかまえ、分け入って、奥深い場所を選んで高いところに田をひらく。


獨此林下意。 杳無區中緣。
ひとり山中の情があるのみで、世間との縁はすっかり切れてしまった。
○杳 よう くらい。はるかな。はっきりしない。 ここは悦楽を示唆する。


永辭霜台客。 千載方來旋。
侍御史の客となって永の暇を告げ、また参上できるのは  いつの日だろうか


○韻 年、仙、然、連、巔、天、圓、煙、田、緣、旋。
李白は多くの長編の古詩に変韻を使うが、ここでは一気に最後まで韻を踏襲している。お礼状としてのありがたさを増していることと感じられる。
   
安陸白兆山桃花巌寄劉侍御綰
    
安陸の白兆山桃花巌にて劉侍御綰に寄す     
雲臥(うんが)すること三十年、閑(かん)を好み復(ま)た仙(せん)を愛す
蓬壷(ほうこ)  冥絶(めいぜつ)すと雖も、鸞鳳(らんほう)  心(こころ)悠然たり
帰り来る桃花巌(とうかがん) 、雲窻(うんそう)に憩(いこ)うて眠るを得たり
嶺(みね)に対(むか)って人は共に語り、潭(ふち)に飲んで猿は相い連なる
時に翠微(すいび)の上に昇(のぼ)れば、邈(ばく)として羅浮(ふら)の巓(いただき)の若(ごと)し
両岑(りょうしん) 東壑(とうがく)を抱(いだ)き、一嶂(いつしょう) 西天(せいてん)を横(よこ)ぎる
樹(き) 雑(まじ)って 日 隠れ易(やす)く、崖(がけ) 傾いて 月 円(まどか)なり難し
芳草(ほうそう) 野色(やしょく)を換(か)え、飛蘿(ひら) 春煙(しゅんえん)を揺るがす
遠きに入りて石室(せきしつ)を構え、 幽(ふか)きを選んで山田(さんでん)を開く
独り此の林下(りんか)の意(い)のみ、杳(よう)として区中(くちゅう)の縁(えん)無し
永く辞す霜台(そうだい)の客、千載(せんざい) 方(まさ)に来(きた)り旋(めぐ)らん

 李白は官を辞して隠遁している劉綰(りゅうわん)という人に随州でお世話になったことを風雅に表現してお礼を述べているもの。六朝からの男女の営みを、想像力豊に表現する伝統の艶辞表現を李白が集大成した見事な詩になっている。儒教的な解釈だとわけのわからない詩となってしまう。李商隠などに影響を与えたものであろう。

別に詩題が「春歸桃花岩貽許侍御 」春帰る桃花岩にて許侍御に貽(おくる)としている。
この場合、舅の許氏へ夫婦仲睦まじく暮らしておりますご安心くださいという詩になる。いずれも男女のことを詠っていることには違いはない。

李白 84 長干行

李白 84 長干行


五言古詩長干行

妾發初覆額、折花門前劇。』
私の髪がやっと額を覆うようになてきた頃、花を摘んで門前のあたりで遊んでいました。』
郎騎竹馬來、繞床弄青梅。
あなたは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそびました。
同居長干里、兩小無嫌猜。
二人とも長干の里に住むもの同士、まだ幼くて男女の葛藤を知らないでいました
十四為君婦、羞顏未嘗開。
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさではにかんで笑顔も作れないまま。
低頭向暗壁、千喚不一回。
うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても一度も振り向かないでいました。
十五始展眉、愿同塵與灰。
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができ、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになりました。
常存抱柱信、豈上望夫台。
あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしませんでした
十六君遠行、瞿塘灩澦堆。
16歳のとき、あなたは遠くへ旅立ちました、長江の難所瞿塘、艶澦堆の方にいったのです。
五月不可觸、猿聲天上哀。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないといいます、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるのです。
門前遲行跡、一一生綠苔。』
私たちの家の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上に、一つ一つ青いコケが生えてきました』
苔深不能掃、落葉秋風早。
その苔はふかくびっしりとし、とても払いきれません、枯れ葉が落ちはじめて早くも秋風が吹いています
八月胡蝶來、雙飛西園草。
仲秋の八月にはつがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回ります
感此傷妾心、坐愁紅顏老。』
それを見るとおもわず心にあなたを思い私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのです。』
早晚下三巴、預將書報家。
いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えられるのでしょうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてくださいね
相迎不道遠、直至長風沙。』

お迎えにあがるのに遠いなんて思いません、このまままっすぐに、長風沙まででも参ります。』




 
私の髪がやっと額を覆うようになてきた頃、花を摘んで門前のあたりで遊んでいました。』

あなたは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそびました。
二人とも長干の里に住むもの同士、まだ幼くて男女の葛藤を知らないでいました
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさではにかんで笑顔も作れないまま。
うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても一度も振り向かないでいました。
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができ、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになりました。
あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしませんでした

16歳のとき、あなたは遠くへ旅立ちました、長江の難所瞿塘、艶澦堆の方にいったのです。
5月の増水期にはとても近づくことも出来ないといいます、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるのです。
私たちの家の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上に、一つ一つ青いコケが生えてきました』

その苔はふかくびっしりとし、とても払いきれません、枯れ葉が落ちはじめて早くも秋風が吹いています

仲秋の八月にはつがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回ります
それを見るとおもわず心にあなたを思い私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのです。』

いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えられるのでしょうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてくださいね
お迎えにあがるのに遠いなんて思いません、このまままっすぐに、長風沙まででも参ります。』


長干行
 行は、うた。長干は今の南京の南にある小さな町。出稼ぎの商人たちの居住した町。
楽府「雑曲歌辞」長江下流の船頭の妻の生活を詠う。男女の愛を歌ったもので、六朝時代の楽府を下敷きにしている。李白三十歳代の作品だとされる。二首あるが、其の二は後人の偽作とも言われている。李白の連作、連歌とは思えない雰囲気のものである。

toujidaimap216南京、三峡、三巴を示した



妾發初覆額。 折花門前劇。』
私の髪がやっと額を覆うようになてきた頃、花を摘んで門前のあたりで遊んでいました。
 女の一人称。○ あそびたわむれる。

郎騎竹馬來。 繞床弄青梅。
あなたは竹馬に乗ってやってきて、寝床のまわりを回っては青い梅の実をもてあそびました。
 男の二人称。○竹馬 中国の竹馬は、一本の竹にまたがって走る。馬のたてがみをあらわす房が端についており、片端は地にひきずって走る。○青梅・繞床 男女の性行為を示唆する。からまる。性行為という意識を持たないで遊びでしていた。(おいしゃさんごっこ)


同居長干里。 兩小無嫌猜。
二人とも長干の里に住むもの同士、まだ幼くて男女の葛藤を知らないでいました
嫌猜 こだわり。嫌も、猜も、うたがうこと。性に対する表現で葛藤とした。


十四為君婦。 羞顏未嘗開。
14歳であなたの妻になり、恥ずかしさではにかんで笑顔も作れないまま。


低頭向暗壁。 千喚不一回。

うなだれて壁に向かっては、千度呼ばれても一度も振り向かないでいました。


十五始展眉。 愿同塵與灰。
15歳でやっと眉をほころばせて笑うことができ、ともに寄り添い灰になるまで一緒にいたいと願うようになりました。

常存抱柱信。 豈上望夫台。
あなたの愛は尾生の抱柱の信のように堅固でしたから、わたしが望夫臺に上って夫の帰りを待ちわびるようになろうとは思いもしませんでした
抱柱信 むかし尾生という男が、橋の下で女とあう約束をした。女はいくら待っても来ない。突然、洪水がおしよせてきた。尾生は約束の場所を離れて信を失うことを願わず、橋の柱を抱いて溺死した。「荘子」(死んでも約束を守る固い信義)○望夫台 山の名。ある人が家を離れて久しく、かれの妻は山の上で夫を待ち望んで、ついに石のかたまりになったという。中国各地に今でも望夫山という山が残っている。


十六君遠行、瞿塘灩澦堆。
16歳のとき、あなたは遠くへ旅立ちました、長江の難所瞿塘、艶澦堆の方にいったのです。
瞿塘 長江の三峡の一つ。絶壁が両岸にせまり流れのはげしく危険なところ。○灩澦堆 瞿塘峡に横たわる大きな暗礁。亀のような形をしている。


五月不可觸。 猿聲天上哀。

5月の増水期にはとても近づくことも出来ないといいます、そこには野猿がいて、その泣き声だけが大空に悲しそうに響きわたるのです。
五月不可觸 五月の増水期には水嵩が上がり大岩が隠れてしまい危険で近づけない。


門前遲行跡、一一生綠苔。』
私たちの家の門前には、あなたが旅立ちの時、行ったり、戻ったりしていたその足跡の上に、一つ一つ青いコケが生えてきました


苔深不能掃、落葉秋風早。

その苔はふかくびっしりとし、とても払いきれません、枯れ葉が落ちはじめて早くも秋風が吹いています


八月胡蝶來。 雙飛西園草。
仲秋の八月にはつがいの蝶が飛んできて、二羽ならんで西の庭園の草花の上を仲良く並んで飛び回ります


感此傷妾心、坐愁紅顏老。 』
それを見るとおもわず心にあなたを思い私の心は痛み、若妻の紅顏が老いゆくのをむなしく悲しむばかりなのです。


早晚下三巴、預將書報家。
いったいいつになったら三巴の長江を下って帰えられるのでしょうか、そのときはあらかじめ我が家に手紙で知らせてくださいね
三巴 巴郡・巴東・巴西の絃称で、今の四川省の東部にあたる。


相迎不道遠、直至長風沙。 』
お迎えにあがるのに遠いなんて思いません、このまままっすぐに、長風沙まででも参ります。
長風沙 安徽省安慶氏の長江沿いの地南京からは350kmくらい上流地点。


○韻 額、劇/來、梅、猜、開、回、灰、台、堆、哀、苔/掃、早、草、老/巴、家、沙。


李白 五言古詩

長干行
妾が髮初めて額を覆ふとき、花を折って門前に劇(たはむ)る』

郎は竹馬に騎って來り、床を遶りて青梅を弄す
同じく長干の里に居り、兩つながら小(おさな)くして嫌猜無し
十四 君が婦(つま)と為り、羞顏 未だ嘗て開かず
頭を低れて暗壁に向ひ、千喚に一も回(めぐ)らさず
十五 始めて眉を展べ、願はくは塵と灰とを同(とも)にせん
常に抱柱の信を存し、豈に望夫臺に上らんや
 十六 君遠く行く、瞿塘 艶澦堆
五月 觸るべからず、猿鳴 天上に哀し
門前 遲行の跡、一一 綠苔を生ず』

苔深くして掃ふ能はず、落葉 秋風早し
八月 蝴蝶來り、雙び飛ぶ西園の草
此に感じて妾が心を傷ましめ、坐(そぞろ)に愁ふ紅顏の老ゆるを。』

早晩三巴を下らん、預(あらかじ)め書を將(も)って家に報ぜよ
相ひ迎ふるに遠きを道(い)はず、直ちに至らん長風沙』




李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
kanbuniinkai2ch175natsu07ZERO
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李商隠の女詞特集ブログ連載中
burogutitl185李商隠 毎日書いています。

 李白の漢詩特集 連載中
kanshiblog460李白 毎日書いています。

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞

李白81白紵辭其一


白紵辭其一
揚清歌、發皓齒。
すみきった声をあげて歌をうたい、まっしろな歯をみせている。
北方佳人東鄰子、且吟白紵停綠水。
北にすむ漢人の俳優だろうか、山東あたりの処女だろうか、ともかく一級の美人ぞろい。だから、「緑水」などの古臭い舞はやめて「白紵」の舞を踊っている。
長袖拂面為君起、寒云夜卷霜海空。
うす絹の長い袖で顔を隠し、誘いの合図にあなたは応じてくれた。寒々とした夜であっても、あなたに抱かれて悦楽な気持ちになる。
胡風吹天飄塞鴻、玉顏滿堂樂未終。

白絹の似合う、西域の異国の色白な肌、国境近くから来た女が雁の踊りで白紵をひるがえす、玉のような美女の顔を座敷いっぱい集めて、楽しみはなかなか終りそうにない。

白紵辞(はくちょじ) 其の一
清歌を揚げ、皓歯を発く。
北方の佳人 東隣の子、且つ白紵を吟じて 緑水を停め
長袖 面を払って 君が為に起つ、寒雲 夜巻いて 霜海空ごこち。
胡風天を吹いて 塞鴻諷える
玉顔満堂 楽しみ未だ終らず

現代語訳と訳註
(本文)
揚清歌、發皓齒。
北方佳人東鄰子、且吟白紵停綠水。
長袖拂面為君起、寒云夜卷霜海空。
胡風吹天飄塞鴻、玉顏滿堂樂未終。

(下し文)
白紵辞(はくちょじ) 其の一
清歌を揚げ、皓歯を発く。
北方の佳人 東隣の子、且つ白紵を吟じて 緑水を停め
長袖 面を払って 君が為に起つ、寒雲 夜巻いて 霜海空ごこち。
胡風天を吹いて 塞鴻諷える
玉顔満堂 楽しみ未だ終らず

(現代語訳)
すみきった声をあげて歌をうたい、まっしろな歯をみせている。
北にすむ漢人の俳優だろうか、山東あたりの処女だろうか、ともかく一級の美人ぞろい。だから、「緑水」などの古臭い舞はやめて白紵の舞を踊っている。
うす絹の長い袖で顔を隠し、誘いの合図にあなたはおおじてくれた。寒々とした夜であっても、あなたに抱かれて悦楽な気持ちになる。
白絹の似合う、西域の異国の色白な肌、国境近くから来た女が雁の踊りで白紵をひるがえす、玉のような美女の顔を座敷いっぱい集めて、楽しみはなかなか終りそうにない。



(訳注)
白紵辞

白紵辭 晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。


揚清歌、發皓齒。
すみきった声をあげて歌をうたい、まっしろな歯をみせている。
清歌 澄みきった声で唄う 〇皓齒 まっしろな歯。


北方佳人東鄰子、且吟白紵停綠水。
北にすむ漢人の俳優だろうか、山東あたりの処女だろうか、ともかく一級の美人ぞろい。だから、「緑水」などの古臭い舞はやめて白紵の舞を踊っている。
北方佳人 漢の俳優、 その妖艶な色香の一瞥で城をも滅ぼすほどの美貌。漢の協律郎<李延年>が妹を武帝劉徹(紀元前157~87年)に薦めて歌った詩の一節、「一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾けん。」からこの語にしている。唐代では皇帝好みの美人を差し向け、麗しい色気と回春の媚薬とでとりこにし、やがて中毒死させていくのである。この役割の一端を宦官が担っていた。これを「傾国」という。
 紀頌之の漢詩ブログの別のブログ 特集李商隠 4 曲江で「傾城色」(7月14日)とあらわしている。その後妹が武帝に寵愛され、彼女は李夫人と呼ばれるようになった。李夫人は男子を産んだが早死にした。また、李延年は協律都尉に任命されて二千石の印綬を帯び、武帝と寝起きを共にするほど寵愛された。李夫人の死後、李延年の弟が宮女と姦通し、武帝は李延年や兄弟、宗族を誅殺した。○東鄰子 宋玉の賦の中に出てくる美人。〇綠水 古代の舞曲の名。白紵よりも古い舞。

長袖拂面為君起、寒雲夜卷霜海空。
うす絹の長い袖で顔を隠し、誘いの合図にあなたは応じてくれた。寒々とした夜であっても、あなたに抱かれて悦楽な気持ちになる。
○踊る時に流し目をし、顔を覆い隠す所作をしめす。誘うためのしぐさ。○霜海空 悦楽、エクスタシーをしめす。

(この句は今まで意味不明として訳されていない句であった。雲に抱かれる、水の流れ、海の波、霜の白さ、それぞれがセックスを連想させる語で、霜の白き肌、海の竜宮、雲に乗る心地を連想する。愛の詩、恋の詩、芸術表現である。)

胡風吹天飄塞鴻、玉顏滿堂樂未終。
白絹の似合う、西域の異国の色白な肌、国境近くから来た女が雁の踊りで白紵をひるがえす、玉のような美女の顔を座敷いっぱい集めて、楽しみはなかなか終りそうにない。
胡風 えびすの風。白絹の似合う、西域の異国の色白な肌。○塞鴻 国境の大雁。国境近くから来た女。○玉顔 玉のように美しい顔。


すみきった声をあげて歌をうたい、まっしろな歯をみせている。
北にすむ漢人の俳優だろうか、山東あたりの処女だろうか、ともかく一級の美人ぞろい。だから、「緑水」などの古臭い舞はやめて白紵の舞を踊っている。
うす絹の長い袖で顔を隠し、誘いの合図にあなたはおおじてくれた。寒々とした夜であっても、あなたに抱かれて悦楽な気持ちになる。
白絹の似合う、西域の異国の色白な肌、国境近くから来た女が雁の踊りで白紵をひるがえす、玉のような美女の顔を座敷いっぱい集めて、楽しみはなかなか終りそうにない。



白紵辞82其二
館娃日落歌吹深、月寒江清夜沉沉。
館娃宮では日が落ちて歌と笛とがいっそうたけなわ。月はつめたく長江の水清く、夜はしんしんとふけてゆく。
美人一笑千黃金、垂羅舞縠揚哀音。
美人のほほえみには千の黄金も惜しくない。うすぎぬを垂らし、ちぢみの絹でかざって舞いおどり、かなしそうに、せつなそうに、声をあげる。
郢中白雪且莫吟、子夜吳歌動君心。
郢の白雪というような他国の高尚な歌は、今は場違いだから唄ってはいけない。この国の民謡である子夜の呉歌で君の心を動かそう。(この歌で君の心つかめるか)
動君心、冀君賞。
君の心を動かして、君から誉めてもらって承諾をもらおう。
愿作天池雙鴛鴦、一朝飛去青雲上。
願わくは御苑の池のつがいのおしどりのように、やがては青雲の上に飛んで行く心地になろう。
 

館娃宮では日が落ちて歌と笛とがいっそうたけなわ。月はつめたく長江の水清く、夜はしんしんとふけてゆく。
美人のほほえみには千の黄金も惜しくない。うすぎぬを垂らし、ちぢみの絹でかざって舞いおどり、かなしそうに、せつなそうに、声をあげる。
郢の白雪というような他国の高尚な歌は、今は場違いだから唄ってはいけない。この国の民謡である子夜の呉歌で君の心を動かそう。(この歌で君の心つかめるか)
君の心を動かして、君から誉めてもらって承諾をもらおう。
願わくは御苑の池のつがいのおしどりのように、やがては青雲の上に飛んで行く心地になろう。


館娃日落歌吹深、月寒江清夜沉沉。
館娃宮では日が落ちて歌と笛とがいっそうたけなわ。月はつめたく長江の水清く、夜はしんしんとふけてゆく。
○館娃 かんあ 戦国時代の呉の国の宮殿の名。遺跡は江原省蘇州にある。○沈沈 夜がふけてしずかな様子。


美人一笑千黃金、垂羅舞縠揚哀音。
美人のほほえみには千の黄金も惜しくない。うすぎぬを垂らし、ちぢみの絹でかざって舞いおどり、かなしそうに、せつなそうに、声をあげる。
○穀 ちぢみおりで飾る。


郢中白雪且莫吟、子夜吳歌動君心。
郢の白雪というような他国の高尚な歌は、今は場違いだから唄ってはいけない。この国の民謡である子夜の呉歌で君の心を動かそう。
○郢中白雪 郢は春秋時代の楚の国の都。いまの湖北省江陵県。「白雪」は楚の国の歌曲の名。宋玉の「楚王の問いに対う」という賦の中にこんな話がある。ある旅人が郢に来て歌をうたった。はじめ「下里巴人」(かりはじん)という歌をうたったところ、国中でいっしょについて歌った者が、数千人もいた。つぎに「陽阿薤露」という歌をうたったら、いっしょに歌った者が、数百人いた。さいごに「陽春白雪」の歌をうたったら、国中でいっしょに歌った者が、わずか数十人であったという。低俗な歌の流行していた郢の中では「白雪」のような高尚な歌曲は向かないという故事である。○子夜呉歌 古い歌曲の名。晋の時代、呉の地方(江蘇竺帯)の子夜という少女の作った民謡と伝えられる。李白にも有名な作がある。


動君心、冀君賞。
君の心を動かして、君から誉めてもらって承諾をもらおう。
○冀 こいねがう。承諾をとる。


愿作天池雙鴛鴦、一朝飛去青雲上。
願わくは御苑の池のつがいのおしどりのように、やがては青雲の上に飛んで行く心地になろう。
○天池 天子の御苑の中の池。「荘子」がいう天上の池。○鴛鴦 鴛 おしどり。鴦 おしどりの雌。



館娃宮では日が落ちて歌と笛とがいっそうたけなわ。月はつめたく長江の水清く、夜はしんしんとふけてゆく。
美人のほほえみには千の黄金も惜しくない。うすぎぬを垂らし、ちぢみの絹でかざって舞いおどり、かなしそうに、せつなそうに、声をあげる。
郢の白雪というような他国の高尚な歌は、今は場違いだから唄ってはいけない。この国の民謡である子夜の呉歌で君の心を動かそう。(この歌で君の心つかめるか)
君の心を動かして、君から誉めてもらって承諾をもらおう。
願わくは御苑の池のつがいのおしどりのように、やがては青雲の上に飛んで行く心地になろう。



館娃(かんあ)日落ちて 歌吹(かすい)深く、月寒く江清く 夜沈沈。
美人一笑 千の黄金、羅(うすもの)を垂れ 穀を舞わして 哀音を揚ぐ。
郢中(えいちゅう)白雪 且つ吟ずる莫れ、子夜呉歌 君の心を動かす。
君の心を動かして、君の賞を冀う。
願わくは天池の双鴛鴦(そうえんおう)と作り、一朝飛び去らん 青雲の上





83 巴女詞


巴女詞
巴水急如箭、巴船去若飛。
巴水は矢のようにはやくながれる、巴の船は鳥のように飛んで行ってしまう。
十月三千里、郎行幾歳歸。
十月には三千里にも遠くなる。男は、行ったきり、いくつになったら帰るのやら。

巴水は矢のようにはやくながれる、巴の船は鳥のように飛んで行ってしまう。
十月には三千里にも遠くなる。男は、行ったきり、いくつになったら帰るのやら。



○巴 四川省重慶地方のこと。○巴水 重慶地方を流れる長江の流れ。○巴船 重慶地方の船は、急流にのれる船。○郎 芸妓などの女性が男を示す。


 この詩は故郷、四川に残した女性について詠ったものではないと思う。当時の社会は男に、妾を含め、女性がいることは男の甲斐性なのである。したがって、李白はこの種の詩をたくさん作っているが、どの詩も、女性が誰なのか、特定しにくい表現がほとんどである。詩を読んでくれているのは、李白を支えてくれている人たちである。パトロン、スポンサーは多種多様であったであろうと思う。

巴水 急なること箭(や)の如し、巴船 去こと飛が若し。
十月 三千里、郎 行きて幾歳か歸える。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白77丁都護歌 李白 五言古詩 78 勞勞亭 五言絶句 李白 79 勞勞亭歌 七言古詩

李白69丁都護歌



丁都護歌
雲陽上征去、兩岸饒商賈。
吳牛喘月時、拖船一何苦。
水濁不可飲、壺漿半成土。
一唱都護歌、心摧淚如雨。
萬人鑿磐石、無由達江滸。
君看石芒碭、掩淚悲千古。


丁都護の歌。
雲陽のまちから、江南の運河をさかのぼってゆくと、
両岸には、商人の店が賑わっている。
呉の地の水牛が月を見てさえ喘ぐという、暑い暑い夏の日盛りに、生身の人間が船を引くとは、何と苦しいこ

とか。
川の水は濁って、飲むことができない、壷に汲んでおいた水も、半ばは泥となって沈んでいる。
ひとたび「丁都護」の歌をうたえば、心臓も張り裂け、雨のように涙がこぼれる。
大勢の人々が駆り出され、大きな石に綱をかけて引いてゆくのに、石は重く、人は疲れ、長江のほとりに達す

るすべもない。
君よ見たまえ、あの大きな重い石を。あまりの痛ましさに顔を掩って泣き、永遠の深い悲しみに沈むのだ。



丁都護歌
『楽府詩集』巻四十五「清商曲辞、呉声歌曲」に、「丁督護歌」として収められる。『宋書』巻十九「楽志=

の「督葦」には、以下のような本事が記される。彰坂内史の徐逵之が殺され、その葬儀を命ぜられた督護(都

護=地方の軍事官)の丁旿に対して、徐逵之の妻(宋の高祖の長女)が呼びかける「丁督護よ」という嘆息の

声が哀切だった。後人は、その声に因ってその曲を整えた。(要旨)。李白のこの詩では、船引き人夫の労働

の苦しみを詠っている。


雲陽上征去、兩岸饒商賈。
雲陽のまちから、江南の運河をさかのぼってゆくと、両岸には、商人の店が賑わっている。
○雲陽-現在の江蘇省丹陽県。鎮江市の南で運河ぞいの町。○上征-上流に向かってゆく。○商賈-商人。本

来は、「商」は行商人、「賈」は店をもつ商人。


吳牛喘月時、拖船一何苦。
呉の地の水牛が月を見てさえ喘ぐという、暑い暑い夏の日盛りに、生身の人間が船を引くとは、何と苦しいこ

とか。
○呉牛喘月-呉の地方の水牛は、きびしい暑さを恐れるあまり、月を見ても太陽と思いこんで喘ぎだす、とい

う伝承。『世説新語』(「言語、第二」の二〇)の「満奮(姓名)風を畏る」の条と、その劉孝標注。


水濁不可飲、壺漿半成土。
川の水は濁って、飲むことができない、壷に汲んでおいた水も、半ばは泥となって沈んでいる。
○壷奬-壺の中の水。奬は酒や水のような液体。

一唱都護歌、心摧淚如雨。
ひとたび「丁都護」の歌をうたえば、心臓も張り裂け、雨のように涙がこぼれる。


萬人鑿磐石、無由達江滸。
大勢の人々が駆り出され、大きな石に綱をかけて引いてゆくのに、石は重く、人は疲れ、長江のほとりに達す

るすべもない。
○盤石-大きな岩石。○江滸-長江のほと。・水辺。


君看石芒碭、掩淚悲千古。
君よ見たまえ、あの大きな重い石を。あまりの痛ましさに顔を掩って泣き、永遠の深い悲しみに沈むのだ。
○芒碭 大きく重いさま。韻母と声調(平声)を共有する畳韻のオノマトベ。○掩涙-涙をおおいかくす、お

さえる。顔を掩って泣く。


○韻 賈、苦、土、雨、滸、古。


丁都護の歌
雲陽より上征し去けは、両岸に商貢餞し
呉牛 月に喘ぐの時、鵬を軒く↓に郁ぞ割しき
水濁りて飲む可からず、壷菜も半ば土と成る
一たび都護の歌を唱えば、心推けて 涙 雨の如し
万人にて盤石を繋ぐも、江瀞に達するに由無し
君看よ 石の空揚たるを、涙を掩いて千古に悲しむ




李白 70 勞勞亭 五言絶句

勞勞亭
天下傷心處,勞勞送客亭。
春風知別苦,不遣柳條靑。



勞勞亭
天下 心を傷ましむるの處,勞勞 客を送るの亭。
春風 別れの苦なるを知り, 柳條をして青からしめず。

勞勞亭 建康(現・南京)郊外南南西6キロメートルの油坊橋畔あたりにあった労労亭のこと。
 

天下傷心處、勞勞送客亭。
(労労亭は、歴史上)国中の心をいたましめる処だ。旅をする人を見送り(迎えてきた)宿である。 
○天下 天の下。この国全部。国家。国中。 ○傷心處 心をいたましめるところ。亡国の恨みのあるところ

。 ○勞勞 いたわる。ねぎらう。疲れを慰める。 ○送客:旅人を見送り(旅人を迎える)。 ○亭 宿場

。宿屋。街道に長亭、短亭が置かれた。ここでは前出、労労亭のこと。


春風知別苦、不遣柳條靑。
春風は、(数多くの)別離の苦しみ(晉が胡に滅ぼされた後、故地中原を後にして江南に渡り流れてきた苦難

など)を記憶している。 (春風は、別れの哀しみがあまりにも深いので、送別の儀礼・折楊柳に必要な)柳

を青くさせないでいる。(折楊柳をさせないで、この地に留まるようにさせている)。
○春風 はるかぜ。 ○知 分かっている。記憶している。 ○別苦 (西)晉が胡に滅ぼされた後、故地中

原を後にして江南に渡り流れてきた苦難をいう。
○遣 (人をつかわして)…に…させる。…をして…しむ。使役表現。 ○柳條 ヤナギの枝。シダレヤナギ

の枝。=柳枝。折楊柳は、漢代より人を送別する際の儀礼でもある。 ○靑 青くなる。動詞としての用法。




李白 71 勞勞亭歌 七言古詩

勞勞亭歌
金陵勞勞送客堂。 蔓草離離生道旁。
古情不盡東流水。 此地悲風愁白楊。
我乘素舸同康樂。 朗詠清川飛夜霜。
昔聞牛渚吟五章。 今來何謝袁家郎。
苦竹寒聲動秋月。 獨宿空簾歸夢長。



労労亭の歌。
金陵の労労亭は、旅人を送る離堂。
蔓草が離離として生い茂り、道はたを埋めつくす。
懐古の情は、東流する長江の水に似て尽きることなく、
ここに吹く悲しい風は、自楊の葉を愁わしげに翻す。
わたしは、康楽公の謝霊運を気どって、素木のままの大船に乗り、「清らかな川面に夜霜が飛ぶ」と、高らか

に朗詠する。
昔はこの牛渚で、「詠史の詩」五章を吟ずるのが聞かれたものだ。
いまここで詠う我が歌が、衰家の息子、衰宏に及ばぬはずはない。
しかし、それを賞でる謝尚のような人はなく、苦竹がわびしい音を立てて、秋の月光の中に揺れるだけ。ただ

独り、相手のいない簾の中に宿って、帰郷の夢を見つづけるのだ。




労労亭歌
○労労亭-宋本・王本などの題下注に、「江寧県(南京市)の南十五里(約八キロ)に在り。古の送別の所。

一に臨漁観と名づく」とある。○無雑-多義語であるが、ここでは、草の生い茂るさま。


金陵勞勞送客堂。 蔓草離離生道旁。
金陵の労労亭は、旅人を送る離堂。蔓草が離離として生い茂り、道はたを埋めつくす。


古情不盡東流水。 此地悲風愁白楊。
懐古の情は、東流する長江の水に似て尽きることなく、
ここに吹く悲しい風は、自楊の葉を愁わしげに翻す。
○悲風愁白楊-悲しみを誘う風が自楊(ポプラの一種)の樹を愁しませる。「古詩十九首、その十四」に二白

楊に悲風多く、粛々として人を愁殺す」とある。○素痢-飾り立ててない素朴な大船。「画肪」の反意語。


我乘素舸同康樂。 朗詠清川飛夜霜。
わたしは、康楽公の謝霊運を気どって、素木のままの大船に乗り、「清らかな川面に夜霜が飛ぶ」と、高らか

に朗詠する。
○康楽-六朝宋代の詩人、康楽公に封ぜられた謝霊運。その「東陽(新江省金華)の渓中、贈答、その二」の

詩に、「縁流乗素肘」(流れに縁って素肘に乗る)とある。○清川飛夜霜-清らかな川面の上を夜の霜が流れ

飛ぶ。「霜」は空から降ると考えられていた。これは謝霊運の詩句と考えられているが、現存の作品中には見

られない。


昔聞牛渚吟五章。 今來何謝袁家郎。
昔はこの牛渚で、「詠史の詩」五章を吟ずるのが聞かれたものだ。いまここで詠う我が歌が、衰家の息子、衰

宏に及ばぬはずはない。
○牛渚-牛渚磯。現在の安徽省馬鞍山市にある采石磯のこと。「労々亭」の上流約三〇キロであるが、ここで

は同じ地域と意識されている。○吟五章1五章の(詠史の)詩を吟ずる。東晋の衰宏が、若いころ牛渚磯で船人

足をしながら自作の「詠史」の詩を諷詠していたとき、鎮西将軍の謝尚がそのすぐれた興趣を聞きつけて賞賛

し、秋の風月のもとで夜明けまで歓談した、という故事(『世説新語』「文学、第四」の八八、等)を踏まえ

る。蓑宏の「詠史詩」は、現在、二首が残る。○何謝 どうして見劣りがしようか。この「謝」は、「及ばな

い・劣る」の意。○袁家郎 衰家の若者、息子。上記の衰宏(若い時の名は「虎」)をさす。


苦竹寒聲動秋月。 獨宿空簾歸夢長。
しかし、それを賞でる謝尚のような人はなく、苦竹がわびしい音を立てて、秋の月光の中に揺れるだけ。ただ

独り、相手のいない簾の中に宿って、帰郷の夢を見つづけるのだ。
○苦竹-竹の一種。タケノコの味が若いので名づけられた。○空簾十-人のいない部屋の簾。ここでは、歓談

の相手のいない部屋、の意。

○韻 堂・傍・楊・霜・章・郎・長


労労亭の歌
金陵の労労 客を送る堂
蔓草 離離として 道の傍に生ず
古情 尽きず 東流の水
此の地 悲凰 白楊を愁えしむ
我れ素肘に乗じて 康楽と同じくし
朗詠す 清川に夜霜を飛ばすと
昔聞く 牛渚に五章を吟ぜしを
今来って何ぞ謝せん 衰家の即に
苦竹 寒声 秋月に動く
独り空簾に宿して 帰夢長し




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李白74 遠別離 75長門怨二首其一 76長門怨二首其二

李白66 遠別離

李白に「久別離」がある。(7月9日ブログ)
この詩は、舜のふたりの皇后、皇・英を主人公にして、権力の簒奪を憤ったものである。李白の政治性を示すためのもので故事にならってのものを示したものと考える。老荘思想の政治舞台から引き込んでの隠遁ということと道教はこの時代積極的に朝廷への働きかけを行っていた。

遠別離
古有皇英之二女、乃在洞庭之南、瀟湘之浦。
海水直下萬里深、誰人不言此離苦。
日慘慘兮雲冥冥、猩猩啼煙兮鬼嘯雨。
我縱言之將何補。』

皇穹竊恐不照余之忠誠、雷憑憑兮欲吼怒。      
堯舜當之亦禪禹      
君失臣兮龍為魚、權歸臣兮鼠變虎
或云堯幽囚、舜野死。
九疑聯綿皆相似、重瞳孤墳竟何是 』


帝子泣兮綠雲間、隨風波兮去無還。
慟哭兮遠望、見蒼梧之深山。      
蒼梧山崩湘水絶、竹上之涙乃可緘。』

段落は便宜的に韻で区切った。

昔ふたりの皇后がいた、名を皇と英といった。ふたりは洞庭の南の瀟・湘の岸辺に立った。
ふたりが悲しみのために流した涙は、海水の万里の深さまで流れ落ちた、この別れの悲しみはだれが言うことができようか、できはしない。
日は見る間に黒い雲にかき消され、ひいひいと猿は霧の中で啼き叫び、幽鬼が雨の中で雄叫びをあげる。
わたしがたとえ何を言っても何ができようか。』

天の大空をかすみとってもわたしたちの忠誠を照らすことはないのです、雷が轟々となって怒りくるう声を上げるのは、堯・舜にかわって禹が帝位につくからです
君が臣下を失えば竜も小さな魚となり、臣下が権力を握ればネズミもトラに変わります、あるいは堯が幽囚せられたら、舜は野たれ死したという。
九つの偽りの山がそこに並んでいまる、どれも同じようにみえるが、いったいそれらの山のどこに、わたしたちの夫の墓があるというのか』

こうして皇后たちは綠雲の間に泣かれ、涙は風波に隨って飛び散っていった、ふたりが慟哭しながら遠くを眺めると、蒼梧の深山がみえる。
この山が崩れ湖水が絶えるときでないと、ふたりの涙がやむことはないでしょう



雑言古詩 遠別離
古有皇英之二女、乃在洞庭之南、瀟湘之浦。
海水直下萬里深、誰人不言此離苦。
日慘慘兮雲冥冥、猩猩啼煙兮鬼嘯雨。  
我縱言之將何補  』
    

古(いにしへ) 皇と英 二女有り、乃ち洞庭の南に在り、瀟と湘の浦。
海水直(ただち)に下る 萬里の深さ、誰人か此の離れの苦しみを言わせず。
日は慘慘として 雲は冥冥たり、猩猩煙に啼いて 鬼は雨に嘯(うそぶ)く
我に縱(たとい) 之を言う 將って何をか補わん

昔ふたりの皇后がいて、名を皇と英といわれた。ふたりは洞庭の南の瀟・湘の岸辺に立たれた、
ふたりは悲しみのために涙を流され、それが海水のように万里の深さまで流れ落ちていく、それほどふたりの別離の悲しみは深かったのだ、日は黒い雲に覆われ、猿は霧の中で叫び、幽鬼が雨の中で雄叫びをあげる
わたしがたとえ何を言っても何ができようか。』

皇穹竊恐不照余之忠誠、雷憑憑兮欲吼怒。      
堯舜當之亦禪禹      
君失臣兮龍為魚、權歸臣兮鼠變虎
或云堯幽囚、舜野死。
九疑聯綿皆相似、重瞳孤墳竟何是  
    

皇穹 窃に恐る 余への忠誠を 照らさざるを 
雷は憑憑として 吼へ怒らんと欲す 
堯・舜之に當って 亦 禹に禪(ゆずる)
君 臣を失えば 龍 魚に為り、權 臣に帰れば 鼠 虎に變ずる
或は云う 「堯は幽囚せられ、舜は野死す」と
九疑 聯綿として皆 相 似たり
重瞳の孤墳 竟に何れか是なる


天もわたしたちの忠誠を照らすことはないのです、雷が轟々となって怒りの声を上げるのは、堯・舜にかわって禹が帝位につくからです
君が臣下を失えば竜も小さな魚となり、臣下が権力を握ればネズミもトラに変わります、あるものは堯は幽囚せられ、舜は野死したといいます、九つの偽りの山がそこに並んでいますが、どれも同じようにみえます、いったいその山のどこに、わたしたちの夫の墓があるのでしょう


帝子泣兮綠雲間、隨風波兮去無還。
慟哭兮遠望、見蒼梧之深山。      
蒼梧山崩湘水絶、竹上之涙乃可緘。

帝子は泣く 綠雲の間、風波に隨って 去って還ること無し
慟哭して遠く望めば、蒼梧の深山を見る
蒼梧山崩れて 湘水絶えなば、竹上の涙 乃ち緘す可けん

こうして皇后たちは綠雲の間に泣かれ、涙は風波に隨って飛び散っていった、ふたりが慟哭しながら遠くを眺めると、蒼梧の深山がみえます、この山が崩れ湖水が絶えるときでないと、ふたりの涙がやむことはないでしょう


伝説によれば、堯は自分のふたりの娘、皇・英を舜に嫁がせた上で舜に帝位を譲ったが、宰相たちが陰謀をたくらんで舜を失脚させ、禹を帝位につかせた。

 唐朝は玄宗以前、政争続きであったが、玄宗により、唐朝は最盛期を迎えていた。その裏で、李林甫と、宦官らによって、朝廷はゆだねられ始めていた。
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68長門怨二首

其一
天囘北斗挂西樓。 金屋無人螢火流。
月光欲到長門殿。 別作深宮一段愁。

天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかった。黄金造りの家には人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛ぶ。
月の光が長門殿に差し込んで来ようとした時、 更に宮殿にひとしお憂いが増してゆく。


長門怨
○長門怨 古くからある歌謡の題。漢の武帝の陳皇后のために作られたものである。陳皇后は、幼い頃は阿嬌とよぱれ、いとこに当る武帝のお気にいりであ。たが、帝の寵愛が衛子夫(のちに皇后)に移ると、ひどいヤキモ
チをやいたので、ついに長門宮に幽閉された。長門宮は、長安の東南の郊外にある離宮である。悶悶と苦しんだ彼女は、当時の文豪、司馬相如にたのみ、黄金百斤を与えて、帝の気持をこちらへ向けなおすような長い韻文を作ってもらった。これが「長門の賦」である。後世の人は、その話にもとづき「長門怨」という歌をつくった。


天囘北斗挂西樓。 金屋無人螢火流。
天は北斗七星を廻転させ、宮中の西楼の屋根に星がかかった。黄金造りの家には人影はなく、ホタルの光だけが不気味に流れ飛ぶ。
○北斗 北斗七屋。○西楼 長安の宮中の西楼。
○金屋 金づくりの家。武帝は少年の日、いとこの阿嬌が気に入って言った。「もし阿嬌をお嫁さんにもらえたら、黄金づくりの家(金屋)に入れてあげる

月光欲到長門殿。 別作深宮一段愁。
月の光が長門殿に差し込んで来ようとした時、 更に宮殿にひとしお憂いが増してゆく。

長門殿にはやきもちの憂いが漂っている、後宮において皇帝の寵愛を受けている時分、怨が最高潮に達する。


天は北斗を囘らして西樓に挂かる。 金屋 人 無く 螢火 流れる。
月光 到らんと欲す 長門殿。 別に作す 深宮一段の愁。

69
其二
桂殿長愁不記春。 黃金四屋起秋塵。
夜懸明鏡青天上。 獨照長門宮里人。
 
柱の香木の御殿にすみながら、あまり長く愁にとじこめられて、幸福だった春の日の記憶もなくなった。
黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、塵を立てるだけだ。
 夜が明るい鏡を青天の上にかけてくれても、長門宮の中にすむ人を、ただひとり、さびしく照らすだけ である。



桂殿長愁不記春。 黃金四屋起秋塵。
柱の香木の御殿にすみながら、あまり長く愁にとじこめられて、幸福だった春の日の記憶もなくなった。
黄金を張りつけた四方の壁も、衰えゆく季節とともに、塵を立てるだけだ。
○桂殿 香のよい桂の木でつくった宮殿。○記 心にとめる。記憶する。○起秋塵 六朝の鮑照の詩に「高墉宿寒霧、平野起秋塵」とある。(高い城壁につめたい霧が立ちこめ、平野に秋の塵がおこる) 


夜懸明鏡青天上。 獨照長門宮里人。
 夜が明るい鏡を青天の上にかけてくれても、長門宮の中にすむ人を、ただひとり、さびしく照らすだけ である。
○夜懸明鏡 司馬相如の「長門の賦」に「懸明月以自照兮、徂清夜於洞房」とある。(明月を空にかけて自分を照らし、清らかな夜を奥深い部屋でくらす)○長門宮裏人 陳皇后。

桂殿 長く愁て 春を記せず。 黃金四屋 秋塵起る。
夜 明鏡を懸け青天の上。 獨照らす長門宮里の人。





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李白70清溪半夜聞笛 71秋浦歌十七首 其二 72清溪行 73 宿清溪主人

 
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李白の清渓、現在の安徽省池州、下の地図(c4)のあたりの景勝の地を詠ったものを取り上げた。黄山を挟んで北のほうが貴池(池州)であり、南が秋浦である。

李白70清溪半夜聞笛 五言絶句

清溪半夜聞笛
清溪せいけいの夜ふけに笛を聞く
羌笛梅花引、吳溪隴水情。
きょうの笛で聞く「梅花の引うた」、江南の吳溪ごけいが隴西ろうせいの清らかな隴水ろうすいのようで情に通う。
寒山秋浦月、腸斷玉關聲。

寒々とした山には秋浦の月が輝き、玉關に出征した夫の聲のようで腸もちぎれんばかり。

清溪の夜ふけに笛を聞く
羌の笛で聞く「梅花の引(うた)」、江南の吳溪が隴西の清らかな隴水のようで情に通う。
寒々とした山には秋浦の月が輝き、玉關に出征した夫の聲のようで腸もちぎれんばかり。


○清溪 安徽省貴池地方を北西に流れて長江にそそぐ川。その西側を流れる、秋浦河とともにその美しさにより景勝地となっている。別名、白洋河。

○羌笛 羌(チベット族)の吹く笛の音。 ○梅花引 引は楽曲の意。梅花のうた。 ○吳溪 呉の地方の渓谷。秋浦と清渓、全体を示す。  ○隴水 甘粛省隴山から長安方面に流れる渭水に合流する川の名。チベット;吐蕃との国境をながれる。○腸斷 腹の底からの感情を示す。悲哀の具象的表現。「楽府特集」二十五巻≪横笛曲辞≫「隴頭の流水、鳴声幽咽す。はるかに秦川(長安)を望み、心肝断絶す。」李白「秋浦歌其二」 ○玉關聲 玉門関に出征している夫の悲痛なる気持ち。唐代の玉門関は漢代のそれより、約100km西方へ移動している。

○韻 情、聲(しょう)

清溪 半夜に笛を聞く
羌笛 梅花の引、吳溪 隴水の情。
寒山 秋浦の月、腸斷つ玉關の聲。


李白の足跡5李白の詩は-4 あたりのもの

五言古詩
李白71秋浦歌十七首 其二
 
秋浦歌十七首 其二
秋浦猿夜愁、黄山堪白頭。
秋浦では夜ごとに猿が悲しげに鳴き、黄山は  白髪の老人にふさわしい。
青渓非朧水、翻作断腸流。
青渓は  朧水でもないのに、却って  断腸の響きを立てて流れてゆく。
欲去不得去、薄遊成久遊。
立ち去ろうと思うが  去ることもできず、短い旅のつもりが  長旅となったのだ。
何年是帰日、雨泪下孤舟。

いつになったら  帰る日がやってくるのか、涙を流しつつ   寄る辺ない小舟にもどる

秋浦では夜ごとに猿が悲しげに鳴き、黄山は  白髪の老人にふさわしい。
青渓は  朧水でもないのに、却って  断腸の響きを立てて流れてゆく。
立ち去ろうと思うが  去ることもできず、短い旅のつもりが  長旅となったのだ。
いつになったら  帰る日がやってくるのか、涙を流しつつ   寄る辺ない小舟にもどる


秋浦の歌 十七首其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る。
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。
 


五言古詩
李白72清溪行

清溪行 
清溪清我心。 水色異諸水。
清溪の流れは我が心を清くし、水の色は他の川の比ではない
借問新安江。 見底何如此。
尋ねたい、かの新安江の水も底が見えるほど清いというが、こことどちらが上だろうか
人行明鏡中。 鳥度屏風里。
人が岸辺を歩むとその影が鏡のような水面に映り、鳥が屏風のように切り立った
向晚猩猩啼。 空悲遠游子。
崖を飛びわたる、黄昏時には猩猩が哀れな声で鳴いて、道行く旅人を悲しい思いにさせる

李白の五言古詩「清溪の行(うた)」
清溪の流れは我が心を清くし、水の色は他の川の比ではない、
尋ねたい、かの新安江の水も底が見えるほど清いというが、こことどちらが上だろうか
人が岸辺を歩むとその影が鏡のような水面に映り、鳥が屏風のように切り立った
崖を飛びわたる、黄昏時には猩猩が哀れな声で鳴いて、道行く旅人を悲しい思いにさせる

清溪は安徽省秋浦の近くを水源とする川の名、水が澄んでいることで有名だったらしい

○清溪 安徽省貴池地方を北西に流れて長江にそそぐ川。その西側を流れる、秋浦河とともにその美しさにより景勝地となっている。別名、白洋河。○「行」は詩歌の一体。○借問 少し尋ねたい。  ○新安江 浙江省の大河浙江の上流部分あたりの呼称。中流は富春江、下流は銭塘江で、六朝以来の自然叙景の詩跡(歌枕)となっている。 ○明鏡 明るい鏡。水面の清澄をいう。 ○猩猩啼 大型の猿の鳴き声。旅人の悲哀を増すものとして詩歌につかわれた。 ○遠游子 故郷から遠く離れた旅人。

○韻 水、此、裏、子。

清溪 我が心を清くす、水色 諸水に異なる。 
借問す 新安江、底を見ること 此と何如。
人は行く明鏡の中、鳥は度る屏風の里(うち)。
晩に向(なんなん)として猩猩啼き、空しく遠游子を悲しましむ





五言古詩
李白73 宿清溪主人


宿清溪主人
清溪の主人の家に宿泊した
夜至清渓宿、主人碧厳裏。
夜に入って 清渓のほとりにきて宿泊した。主人の家は、碧(みどり)の木々苔むす厳の奥にある。
簷楹挂星斗、枕席響風水。
軒天の端には北斗七星がきらめき、寝室の枕席にはさわやかな風が吹いてきて、静かさの中せせらぎが響く。
月落西山時、啾啾夜猿起。

しばらくすると月が西の山の端に落ちはじめた時、啾啾と悲しげに夜猿が鳴き始めた。

清溪の主人の家に宿泊した
夜に入って 清渓のほとりにきて宿泊した。主人の家は、碧(みどり)の木々苔むす厳の奥にある。
軒天の端には北斗七星がきらめき、寝室の枕席にはさわやかな風が吹いてきて、静かさの中せせらぎが響く。
しばらくすると月が西の山の端に落ちはじめた時、啾啾と悲しげに夜猿が鳴き始めた。

○清渓  安徽省貴池地方を北西に流れて長江にそそぐ川。その西側を流れる、秋浦河とともにその美しさにより景勝地となっている。別名、白洋河。  ○碧厳 木々が生い茂っている岩山。そこにある岩に緑の苔がいっぱいに生えている。碧は李白の愛用字。

○簷楹 えんえい、軒天の端。軒梁。 ○挂 掛かる。 ○星斗 北斗七星。星のきらめき。 ○枕席 ちんせき、枕と敷物。ねどこ。○時 ・・するとき~が起きる につながる。  ○啾啾 野猿の鳴き声。 ○夜猿 旅人の悲哀を呼び起こす夜の猿。

○韻 裏、水、起。

清溪の主人に宿す
夜 清渓に至って宿す、主人碧厳の裏。
簷楹には星斗が挂かり、枕席には風水が響く。
月 西山に落つる時、啾啾として夜猿 起る。





李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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幽憤詩 嵆康 訳注篇



 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩 から

「幽憤詩」
嗟余薄祜,少遭不造  哀焭靡識,越在繦緥

母兄鞠育,有慈無威  侍愛肆姐,不胴不師

爰及冠帯,馮寵自放  抗心希古,任其所尚

託好老荘,賤物貴身  志在守撲,養素全眞
曰余不敏,好善闇人  子玉之敗,屢増惟塵

大人含弘,蔵垢懐恥  民之多僻,政不由己
惟此褊心,顕明臧否  感悟思愆,怛若創痏

欲寡其過,謗議沸騰  性不傷物,頻致怨憎
昔慙柳恵,今愧孫登  内負宿心,外恧良朋

仰慕厳鄭,楽道閑居  与世無営,神気晏如
咨予不淑,嬰累多虞  匪降自天,寔由頑疎
 
理弊患結,卒結囹圄  對答鄙訊,縶此幽阻
實恥訟冤,時不我與  雖曰義直,神辱志沮
澡身滄浪,豈云能補  

邕邕鳴鳫,奮翼北遊  順時而動,得意忘憂
嗟我憤歎,曾莫能儔  事與願違,遘茲淹留
窮達有命,亦又何求  古人有言,善莫近名  
奉時恭默,咎悔不生  萬石周愼,安親保榮
世務紛紜,祗攪予情  安衆必誡,乃終判貞

煌煌靈芝,一年三秀  予獨何為,有志不就
懲難思復,心焉内疚  庶勗将来,無馨無臭
采薇山阿,散髪厳岫  永嘯長吟,頤性養壽


*区切りは韻によって便宜上わけた。

嗟余薄祜,少遭不造  哀焭靡識,越在繦緥
ああ、私は倖(しあわ)せうすく 幼い時に父を失い 憂い悲しむことを知らず 褓繦(むつき)の中にくるまっていた 

母兄鞠育,有慈無威  侍愛肆姐,不胴不師
母と兄とに養い育てられ 慈(いつく)しまれるも厳しさを知らず 愛に甘えて傲(おご)り高ぶり 訓(さと)されず師にもつかなかった

爰及冠帯,馮寵自放  抗心希古,任其所尚
成人して出仕するに及んでも 恩寵を頼んで恣(ほしいまま)に振舞い 心を高ぶらせて元古の世を慕い よしと思う道をひたすらに追い求めた 

託好老荘,賤物貴身  志在守撲,養素全眞
老荘の教えをこよなく愛し 外物をいやしんでおのれ一身を尊び 自然のまま飾(かざ)らぬ を志し 本質をつちかい真実を貫こうとした

曰余不敏,好善闇人  子玉之敗,屢増惟塵
だが私は愚かであったため 善意ばかりで世事に疎く 子文(しぶん)が子玉(しぎょく)の失敗を責められたように 窮地に陥ったこともしばしばであった 
○子玉 子文は楚の宰相で、子玉を信頼して大任を委譲したが、子玉がその器でなかったため失敗した.楚の蔿賈(いこ)は子玉の人間を見抜き失敗を予言して、子文を責めた。

大人含弘,蔵垢懐恥  民之多僻,政不由己
大人物は度量が広く 清濁をあわせのむものだが 悪事を働く人民が多い時に 責任のない地位にありながら 


惟此褊心,顕明臧否  感悟思愆,怛若創痏
狭い心を持ったばかりに さしでがましくも事の善悪を弁別した それを過失(あやまち)と悟った時には 打身のように胸は疼(うず)き 

欲寡其過,謗議沸騰  性不傷物,頻致怨憎
過失(あやまち)を犯すまいと努めても 非難の声はすでに沸きあがる 人を傷つけようとは思わなかったのに しきりに怨みと憎しみを招いてしまった 

昔慙柳恵,今愧孫登  内負宿心,外恧良朋
昔の人では柳下恵(りゅうかけい)に面目なく 今の人では孫登(そんとう)に会わす顔なく 内にかえりみてはかねての志に背(そむ)き 外に対しては良友に恥ずかしく思う
○柳恵 柳下恵は春秋魯の賢人、3度仕えて3度退けられても怨みに思うことなく、直道を貫いた。○孫登 孫登は嵆康と同時代の隠者。中山の北に居り、嵆康も修業を志して共にいたが、嵆康にはものも言わず、嵆康が去るに際して「子(きみ)は才多く、識寡(すくな)し、今の世に免れること難たし」と言った。

仰慕厳鄭,楽道閑居  与世無営,神気晏如
 かくして厳君平(げんくんぺい)や鄭子真(ていししん)のように 道を楽しみひっそりと暮らし 世間との交際(まじわり)を絶ち 精神を安らかに保とうと考えた
○厳鄭 厳君平も鄭子真もともに漢代の隠者。出仕せず、身を修め性(さが)を保った。厳君平が成都で売卜し、必要な収入をあげると店をたたんで、『老子』を説いたという。


咨予不淑,嬰累多虞  匪降自天,寔由頑疎
ああ私がいたらぬばかりに 煩(わずら)わしい ことに巻きこまれ心配が絶えぬ それは天のなせる業ではなく 実にかたくなで疎漏(そろう)な性格(さが)による 

理弊患結,卒結囹圄  對答鄙訊,縶此幽阻
道理は崩れ災禍(わざわい)は動かぬものとなって ついに囚獄(ひとや)につながれる身となり いやしい獄吏の訊問に答えつつ 奥深く隔てられ捕らわれている 

實恥訟冤,時不我與  雖曰義直,神辱志沮  澡身滄浪,豈云能補
訴えが理由(わけ)なくとも恥ずかしいことだが 時勢は私にみかたせぬようだ 真実はこちらにあるとはいえ 魂は屈辱にまみれ 志は挫(くじ)け 蹌踉(そうろう)の水に身を清めても もはや汚濁(おじょく)はぬぐいきれぬ


邕邕鳴鳫,奮翼北遊  順時而動,得意忘憂
雁はなごやかに鳴きかわし 大きく羽ばたいて北に飛び 季節に従って移り行き 満ち足りて思いわずらうこともない

嗟我憤歎,曾莫能儔  事與願違,遘茲淹留
 ああ私は嘆きまた憤(いきどお)る まったく雁とはくらべられぬ 事態は願望とくい違い 囚人としてここに留めおかれている 

窮達有命,亦又何求  古人有言,善莫近名
人生が天命に左右されるものであれば 何を求めようと詮無いことだ 古人も言ったではないか 「善行はつむとも名声をえてはならぬ」と 

奉時恭默,咎悔不生  萬石周愼,安親保榮
時の流れに従いつつましく生きれば 後悔などしなくともすむ 万石君(ばんせきくん)父子は慎み深かったゆえ 親は安らかで繁栄を保ったのだ 
○萬石 万石君は漢の石奮(せきふん:生年未詳~BC124年)のこと。石奮及びその子四人はともに二千石の大官となったので、景帝は「万石君父子」と呼んだという。ともに極めて謹直であって一門は栄えた。儒教の教え。

世務紛紜,祗攪予情  安衆必誡,乃終判貞
世の中はごたごたと用務が多く わが心をひたすらに乱すが 安楽であっても警戒を怠らなければ 順調にまた正しく生き抜けよう


煌煌靈芝,一年三秀  予獨何為,有志不就
光り輝く霊芝(れいし)は 一年に三度花開く この私だけが何ゆえに 志を抱くも遂げられぬか 

懲難思復,心焉内疚  庶勗将来,無馨無臭
災禍(わざわい)に懲り本来に戻ろうと思うが 戻れないもどかしさに恐れ心ひそかに憂慮する 願わくは望みを将来に託し 名誉もなく非難もなく 
○内疚 心の病。やろうとおもうができない○庶勗 勗:勖 務める。努力する

采薇山阿,散髪厳岫  永嘯長吟,頤性養壽
薇(のえんどう)を山かげに摘み ざんばら髪のまま岩山に隠れ 口笛を長く吹き詩を長閑(のどか)に吟じ 天性を養い寿命を永く保ちたいものだ

 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

 李白60宣州謝朓樓餞別校書叔雲で「蓬萊の文章 建安の骨、中間の小謝 又 清發。」と李白の時代と建安の武骨者の時代その中間に小謝、謝朓の存在影響を述べている。中間にあたる小謝、大謝については7月7日のブログで謝朓6首、謝霊運1首を挙げた。

 建安の武骨者は、竹林の七賢であるが、この7人は一緒に清談をしたのではないことは周知のことと思う。建安の思想的背景は道教にあると考えている。道教と老荘思想と関係ないという学説もあるが、儒教国学から嫌気を老荘思想に映っていく時代背景に戦国時代があり、道教に老荘思想が取り込まれ、また変化している。一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされが、不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。しかし、道教の思想において両者は矛盾するものではない。
 老荘思想の「道」は道教にも、仏教にも取り込まれて行ったのである。思想は時代によって進化し、衰退するものである。


 李白が影響受けたのは自由奔放だった阮籍と反骨の嵆康である。
戦国の世、交代が進む世にあっては、いつ何時政争に巻き込まれ、諫言、策略、陥れあらゆることが身を危険にする時代である。阮籍は「仙人」「佯狂」を装うことによって危険から距離を置いた。李白は影響受けたであろう。

詠懐詩  阮籍

夜中不能寐、起坐弾鳴琴。
薄帷鑒明月、清風吹我襟。
孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。
徘徊将何見、憂思独傷心。

深夜を迎えたというのに眠ることができない、床より出て座して琴を弾く、帳には名月が影を落とし、涼しい風が我が襟を吹く
孤鴻は外野に叫び、朔鳥は北林に鳴く、その声に誘われてあたりをうろうろと歩き回っては、悲しい思いにふけるのだ

夜中 寐(い)ぬる能はず、起坐して鳴琴を弾ず
薄帷に明月鑒(て)り、清風 我が襟を吹く
孤鴻 外野に號(さけ)び、朔鳥 北林に鳴く
徘徊して 将に何をか見る、憂思して独り心を傷ましむ

 
酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。
この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく。

また仙人思想につながっていくのは、
【晋書・巻四十九・阮籍伝】
「籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。」
〈籍、又 能(よ)く青白眼を為(な)し、禮俗(れいぞく)の士に見(まみ)ゆるに、白眼を以て之(これ)に對(たい)す。〉

阮籍は、青(黒)目と白目を使い分ける事ができ、礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、白目をむいて向かい合った。(儒教は国に盲従する思想である。老荘思想を正面切っては語れない時代であった)白眼とは人を正面からまともに見ない、視線をそらす、ということが実際にはしたらしい。
まともに目をあわせると、黒目がしっかりと見える。これが青眼で、顔はむけけてても視線をそらせると、相手に自分の白目を多くみせることになる。これが白眼である。視線をそらすとか相手の目をちゃんとみないというのは、不誠実のあらわれであることは今でもいわれることだ。
つまり、阮籍は世俗人には実に自由奔放に、気の無い冷たい態度で接するということで自分の意思を示したのである。

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、国教にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

 李白は直接的には反骨精神を示してはいないが、心情的には、容認していた。建安文学の中での嵆康についてみていこう。


幽憤詩 嵆康

 嵆康(けいこう、224~262)は、三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、曹操(155~220年)の曽孫の長楽亭を妻とし、魏の宗室の姻戚として中散大夫に任じられたので、嵆中散とも呼ばれる。子に嵆紹(253~304年)がいる。非凡な才能と風采をもち、日頃からみだりに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり鍛鉄をしたりするなどの行動を通して老荘思想に没頭した。友人の山濤(205~283年)が自分の後任に嵆康を吏部郎に推薦した時には「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて、それまで通りの生活を送った。この絶交書は自らの生き方を表明するために書かれたものである

当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、嵆康は讒言により死刑に処せられている。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対す憤りと、その意図の目くらましであり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明とされる。

呂安の異母兄呂巽(りょせん)が呂安の妻と密通し、発覚を恐れてかえって呂安を不孝の罪で告発した。嵆康は友人のために弁護したが、当時の権臣鍾会(しょうかい、225~264年)の怨みを買われていたで、彼自身も有罪となり死刑に処されることになった。「幽憤詩」は呂安の事件で入獄中に作ったという。四言の長編に悶々の情と共に彼の精神史を書き綴っている。

「幽憤詩」
嗟余薄祜,少遭不造  哀焭靡識,越在繦緥

母兄鞠育,有慈無威  侍愛肆姐,不胴不師

爰及冠帯,馮寵自放  抗心希古,任其所尚

託好老荘,賤物貴身  志在守撲,養素全眞
曰余不敏,好善闇人  子玉之敗,屢増惟塵

大人含弘,蔵垢懐恥  民之多僻,政不由己
惟此褊心,顕明臧否  感悟思愆,怛若創痏

欲寡其過,謗議沸騰  性不傷物,頻致怨憎
昔慙柳恵,今愧孫登  内負宿心,外恧良朋

仰慕厳鄭,楽道閑居  与世無営,神気晏如
咨予不淑,嬰累多虞  匪降自天,寔由頑疎
 
理弊患結,卒結囹圄  對答鄙訊,縶此幽阻
實恥訟冤,時不我與  雖曰義直,神辱志沮
澡身滄浪,豈云能補  

邕邕鳴鳫,奮翼北遊  順時而動,得意忘憂
嗟我憤歎,曾莫能儔  事與願違,遘茲淹留
窮達有命,亦又何求  古人有言,善莫近名  
奉時恭默,咎悔不生  萬石周愼,安親保榮
世務紛紜,祗攪予情  安衆必誡,乃終判貞

煌煌靈芝,一年三秀  予獨何為,有志不就
懲難思復,心焉内疚  庶勗将来,無馨無臭
采薇山阿,散髪厳岫  永嘯長吟,頤性養壽



*区切りは韻によって便宜上わけた。

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白67宣州謝朓樓餞別校書叔雲 李白68秋登宣城謝眺北楼 李白69久別離 李白70估客行

李白は5つのとらえ方で詩をとらえていかないといけない。その中でかなり多いのが、故事を新しくしてよみがえらせることに大きな役割を示している。
李白は第一に、叙事性を発展させた。李白の楽府を前代のものにくらべると「おはなし」的要素がふえている。第二に、シーン造型が巧みであり、豊富である。六朝の類型的な表現をやぶって、情景を印象ぶかく描き出し、その上に、可能なかぎりの連想をはたらかせている。第三に空想力がたくましい。無限の可能性をもつ世界へのあこがれは、ひろい民衆の層の共感をかちえた。第四に快楽を謳歌した。従来の詩人がおおむね感情の沈潜に向うのに反して、李白は活動的であり、びとびとのよろこびやすい詩をつくった
 第五に、これらの四つの事項は李白天才性を表している。そして思想的背景に道教にあり、すべてに関連しているのだ。。


李白67宣州謝朓樓餞別校書叔雲


宣州謝朓樓餞別校書叔雲
棄我去者昨日之日不可留、亂我心者今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁。對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨。中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛。欲上青天覽明月。
抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。
人生在世不稱意。明朝散髪弄扁舟。


わたしを棄てて去っていく者、昨日という日に戻すことはできない。わたしの心をかき乱だす今日という日、いやな憂多い日にしてしまった。
ひゅうと長い風が萬里はるばる秋の雁を送ってきた、此の風を前にして高樓で酒盛りをしようではないか。
漢の時代の「蓬萊の文章」 建安の時代の気骨の者たち、その時から今のちょうど中間の時代の「小謝」(謝眺)は清々しく溌剌している。

彼らは皆、ずば抜けた高まった気持ちを抱きながら、元気盛んな思いを飛ばした。青空に上って明月を手に取ってみたいと思う。
刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。
人生というものは、この世間では思うようにならない。 明朝、髪をみだして勤めをやめ、小舟で湖上をさまよいたい

宣州の謝朓樓にて校書叔雲に餞別す
我を棄てて去る者は昨日の日にして留まる可からず、我が心を乱れる者は今日の日にして煩憂多し。
長風萬里 秋雁を送る、此に対して以って高樓に酣なるべし。
蓬萊の文章 建安の骨、中間の小謝 又 清發。
俱に逸興を懷いて 壯思 飛ぶ、青天に上りして 明月を覽と欲す。
刀を抽いて水を斷てば、水更に流れ、杯を挙げて愁を消せば、愁 更に愁。
人生 世に在りて 意に稱(かな)わざれば、明朝 髪を散じて、扁舟を弄せん。


宣州謝朓樓餞別校書叔雲
○宣州 安徽省宣城県。長江の南にある。 ○謝朓樓 六朝の南斉の詩人、謝朓が宣城の長官であった時、建てられた。北楼、謝公楼と呼ばれた。後世、畳嶂楼に改名された。 ○餞別 別れ、見送ること。 ○校書叔雲 校書は役職名。叔雲という人物。


棄我去者昨日之日不可留、亂我心者今日之日多煩憂。
わたしを棄てて去っていく者、昨日という日に戻すことはできない。わたしの心をかき乱だす今日という日、いやな憂多い日にしてしまった。
○煩憂 いろいろある心配事。

長風萬里送秋雁。對此可以酣高樓。
ひゅうと長い風が萬里はるばる秋の雁を送ってきた、此の風を前にして高樓で酒盛りをしようではないか。
○酣 たけなわ。


蓬萊文章建安骨。中間小謝又清發。
漢の時代の「蓬萊の文章」 建安の時代の気骨の者たち、その時から今のちょうど中間の時代の「小謝」(謝眺)は清々しく溌剌している。
○蓬萊 漢の時代の宮中のたくさんの書を収める書庫を東観という。仙人の書籍についてはすべて蓬莱山にあるという伝説になぞらえて東観を蓬莱と呼んだ。このことから『蓬莱の文章』というのは漢時代の文学のことを言う。  ○建安 2世紀末から3世紀にかけて三曹七賢とたくさんの詩人が出た。竹林の七賢といわれたが李白は竹渓の六逸と称して文人と交友した。  ○小謝 謝朓のこと。謝霊運を「大謝」という。  ○清發 すっきりして気が利いていること。


俱懷逸興壯思飛。欲上青天覽日月。
彼らは皆、ずば抜けた高まった気持ちを抱きながら、元気盛んな思いを飛ばした。青空に上って明月を手に取ってみたいと思う。
○逸興 ずば抜けた気分のたかまり。 ○壯思 元気盛んなおもい。 ○覽 手にとって見る。

抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。
刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。


人生在世不稱意。明朝散發弄扁舟。
人生というものは、この世間では思うようにならない。 明朝、髪をみだして勤めをやめ、小舟で湖上をさまよいたい。
○散發 役人の象徴の頭にかぶる冠を捨てて、自由なザンバラ髪になること。   ○扁舟 小舟。




李白68秋登宣城謝眺北楼


秋登宣城謝眺北楼
江城如畫裏、山曉望晴空。
兩水夾明鏡、雙橋落彩虹。
雙橋落彩虹、人烟寒橘柚。
人烟寒橘柚、秋色老梧桐。
誰念北樓上、臨風懷謝公。


長江に臨む宣城の街は、さながら絵の中の風景。山に日が傾くころ晴れわたった空を眺める。
街を流れる両の川は 夕日に映えてあかるい鏡のようで双つの橋を彩やかな虹の輝きを落おとす
人いえの煙は立ち上る ミカンの実は寒そうだ。秋の気配に青色の桐は枯れている。
いま、誰たれが北楼の上で佇んでいる、秋風に吹かれているここでありし日の謝公を懐う気持ちはたれが分かってくれるのか

秋登宣城謝朓北樓
(秋あき、宣城せんじょうの謝朓しゃちょう北楼ほくろうに登のぼる) 
◦五言律詩。空・虹・桐・公(平声東韻)。
『宋蜀刻本唐人集叢刊 李太白文集』(上海古籍出版社)には、題下に「宣城」との注あり。
 
江城如畫裏、山曉望晴空
長江に臨む宣城の街は、さながら絵の中の風景。山に日が傾くころ晴れわたった空を眺める。
◦曉 … 『瀛奎律髓刊誤』(掃葉山房)では「色」に作り、「曉」との傍注あり。『靜嘉堂文庫蔵宋刊本 李太白文集』(平岡武夫編『李白の作品』、京都大学人文科学研究所)、『宋蜀刻本唐人集叢刊 李太白文集』(上海古籍出版社)、『分類補註李太白詩』(『四部叢刊 初篇集部』所収)、『(分類補註)李太白詩』(『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収)、『李翰林集』(江蘇廣陵古籍刻印社)、王琦編注『李太白全集』(中国書店)では「晩」に作る。
 
兩水夾明鏡、雙橋落彩虹。
街を流れる両の川は 夕日に映えてあかるい鏡のようで双つの橋を彩やかな虹の輝きを落おとす

人烟寒橘柚、秋色老梧桐。
人いえの煙は立ち上る ミカンの実は寒そうだ。秋の気配に青色の桐は枯れている。
◦寒  『宋蜀刻本唐人集叢刊 李太白文集』(上海古籍出版社)、王琦編注『李太白全集』(中国書店)には「一作空」との注あり。
 
誰念北樓上、臨風懷謝公。
いま、誰たれが北楼の上で佇んでいる、秋風に吹かれているここでありし日の謝公を懐う気持ちはたれが分かってくれるのか
◦懷 … 『瀛奎律髓刊誤』(掃葉山房)では「憶」に作る。

江城こうじょう 画裏がりのごとく、山やま暁あけて 晴空(せいくう)を望のぞむ。
両水りょうすい 明鏡めいきょうを夾はさみ、双橋そうきょう 彩虹さいこうを落おとす
人烟じんえん 橘柚きつゆう寒さむく、秋色しゅうしょく 梧桐ごとう老おゆ。
誰たれか念おもわん北楼ほくろうの上うえ 、
風かぜに臨のぞんで謝公しゃこうを懐おもわんとは


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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謝朓①玉階怨 ②王孫遊 金谷聚 ④同王主薄有所思 ⑤遊東田 謝靈運:東陽谿中贈答 班婕妤と蘇小小 

 李白が女性について詠ったのは、一時期にかぎられたものではない。女性にたいすることに関してはある意味一貫しているのではないか。
 李白に大きな変化を及ぼしたのは言うまでもなく長安を放遂されたこと、この時期をおいてほかにない。足かけ3年の宮廷時期の詩を挟むように前後の作品には違いがある。そしてその前半を前後に二分するという李白のエポックメーキングは周知のことではある。
 漢文委員会の目的は、李白の詩を時系列にし、李白を描析することにない。漢詩を数多く紹介することが第一義なのである。杜甫の詩は、すべての詩を時系列に並べ、それぞれが関連しあっているので、一詩をピックアップして紹介していくことはできない。李白も前提のように、同じことが言える部分があるのかもしれないが、李白自身はそれを望んでいない。李白の思想である。李白は後年わざわざ整理して、時期をわからなくしたとしか思えないのである。

 李白は、朝廷に上がり、絶頂を体感する。それまでの「就職大作戦」が見事に成功したのである。道教も、交友も、隠遁も、女性についても、「大作戦」の一貫と考えたら謎も解けるのではないか。絶頂期から過去を振り返るとすべての偶然が、必然であったように感じられたはずである。有頂天になるのも仕方あるまい。しかし、詩文については、この期のものははっきりとした時期が判明する。もしということはないが、仮に李白が朝廷から放免がなかったら、李白の生涯のなぞの部分はほとんどなくなっていたはずである。


 李白は、詩人でいつづけたいというのは一貫していた。それは、政治とおなじ、最も有能な人材がすべきものである。李白は自覚していた。思いもしなかった放免、絶頂から、奈落のそこへ落とされた。「行路難」でもがき、悩み、苦しみを吐露したが、詩人としての矜持は忘れていない。
 「詩」が大切な仕事であるという考えは、中国の詩人が一般にもっている傾向ではあるが、李白はとくに自覚がつよかった。その後も詩を作り続けたのである。


 李白の初期の作品に柔らかさを加えたのは謝朓らの影響が強い。これまで見てきた詩のうち柔らかい詩は普通に見れば模倣とみられるほどの影響を受けている。少し李白と道教から遠ざかるように感じられるかもしれないが触れないわけにいかない。


 謝朓①玉階怨、李白にも同名の詩がある(このブログ李白39)ことは、示しているが次にあげるは250年前後昔の南斉の詩人謝朓(464~499)である。謝公亭を建設した人物。
          
謝朓①玉階怨
夕殿下珠簾,流螢飛復息。
長夜縫羅衣,思君此何極。


大理石のきざはしで区切られた中にいての満たされぬ思い。
夕方になると後宮では、玉で作ったスダレが下される。飛び交えるのはホタルで、飛んだり、とまったり繰り返している。
長い夜を一人で過ごすために、あなたに着てもらうためのうすぎぬのころもを縫っている。あなたを思い焦がれる気持ちは、いつ終わる時があるのだろうか。


玉階怨
楽府相和歌辞・楚調曲。『古詩源』巻十二にも録されている。


夕殿下珠簾、流螢飛復息。
夕方になると後宮では、玉で作ったスダレが下される。飛び交えるのはホタルで、飛んだり、とまったり繰り返している。
・夕殿:夕方の宮殿で。 ・下:おろす。 ・珠簾:玉で作ったスダレ。 ・流螢:飛び交うホタル。 ・飛復息:飛んでは、また、とまる。飛んだりとまったりすることの繰り返しをいう。・息 とまる。文の終わりについて、語調を整える助詞。


長夜縫羅衣、思君此何極。
長い夜を一人で過ごすために、あなたに着てもらうためのうすぎぬのころもを縫っている。あなたを思い焦がれる気持ちは、いつ終わる時があるのだろうか。 
・長夜:夜もすがら。普通、秋の夜長や冬の長い夜をいうが、一人待つ夜は長い。ホタルのように私もあなたのもとに飛べればいいのにそれはできない。せめてあなたにまとってもらいたい肌着を作っている。 ・縫:ぬう。 ・羅衣:うすぎぬのころも。肌着。・思君:貴男を思い焦がれる。 ・此:ここ。これ。 ・何極:終わる時があろうか。


玉階怨(玉のきざはしにさえぎられた思い)
夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) 息(とま)る。
長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。


李白の『玉階怨』
「玉階生白露、 夜久侵羅襪。却下水晶簾、 玲瓏望秋月。」
(白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅(うすぎぬ)の襪(くつした)につめたさが侵みてくる。露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。)


 詩名は同じだし、雰囲気も同じにしている、しかし、圧倒的に違うのは、場面の情報量と語の使い方の面白さにある。「似て非なるもの」と言わざるを得ない。影響は受けているが格段の違いがある。しかし、謝朓の詩の雰囲気についてかなりの影響を受けたものである。


謝朓②王孫遊 
綠草蔓如絲,雜樹紅英發。
無論君不歸,君歸芳已歇。


緑の草のツルが糸のように伸びて、見も心もが絡みつく。色々な木々に赤く美しい花が開く春になった。
いうまでもなく、あなたが帰ってこなくとも。あなたが帰ってきたときは、若きかおりはすでにおとろえていることでしょう。


王孫遊
綠草  蔓(つる) 絲の如く,雜樹  紅英 發く。
無論  君 歸えらず とも,君 歸えるとも  芳(かを)り 已(すで)に歇(や)む。


王孫遊
雑曲歌辞。公子が女性のもとを離れて旅路に就いている。通い婚で、より寄り付かなくなったのか。当時は身分が低くても妾を持った。身分が高ければ妻がたくさん居てもおかしくない。


綠草蔓如絲、雜樹紅英發。
緑の草のツルが糸のように伸びて、見も心もが絡みつく。色々な木々に赤く美しい花が開く春になった。 
・綠草:緑の草。 ・蔓:ツル。つる草。 ・如絲:糸のようである。また、「絲」「思」「男女」の掛詞で、糸のように伸びて絡みつくこと。 ・絲:「思」「姿」に掛けている。 ・雜樹:雑木(林)。 ・紅英:赤い花びら。美しい花。 ・發:開く。


無論君不歸、君歸芳已歇。

いうまでもなく、あなたが帰ってこなくとも。あなたが帰ってきたときは、若きかおりはすでにおとろえていることでしょう。(あなたも加齢しているのよ)
・無論:いうまでもない、勿論。…にかかわらず、どうあろうとも、とにかく。 ・君:あなた。。 ・不歸:帰ってこない。 ・君歸:あなたが帰ってくる。 ・芳:女の若さのよさ。


金谷聚           

渠碗送佳人,玉杯邀上客。
車馬一東西,別後思今夕。


大きいお椀の料理でのもてなしは、愛する人を送りだす。玉の盃は、立派な客を迎える。 
乗り物に乗って、ひとたび東と西に別れ去れば。別れた後、今日のこの夕べのおもてなしを懐かしく思い出してください。 


金谷聚
渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。
車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。


金谷聚
楽府相和歌辞・楚調曲。『古詩源』巻十二にも録されている。


渠碗送佳人、玉杯邀上客。
大きいお椀の料理でのもてなしは、愛する人を送りだす。玉の盃は、立派な客を迎える。 
・渠:大きい ・送:送別する。 ・佳人:美人。愛する人、情人。友人。・玉杯:玉(ぎょく)の盃。飲み物、お酒をいう。 ・邀:〔よう〕むかえる。 ・上客:立派な客人。すぐれた人。


車馬一東西、別後思今夕。
乗り物に乗って、ひとたび東と西に別れ去れば。別れた後、今日のこの夕べのおもてなしを懐かしく思い出してください。 
・車馬:乗り物。乗り物に乗って行くこと。 ・一:ひとたび。 ・東西:東と西に別れ去る。・別後:別れたあと。 ・思:懐かしく思い出す。 ・今夕:今日のこの夕べ。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白: 客中行 李白;夜下征虜亭 李白:春怨 李白:陌上贈美人 李白:謝公亭

李白の恋歌: 客中行 夜下征虜亭 春怨 陌上贈美人 謝公亭
李白62客中行


客中行 
蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
但使主人能醉客,不知何處是他鄕。


蘭陵産の美酒に鬱金(ウッコン)香を浸したお酒を玉杯にいっぱいにそそぐとコハク色に輝く。
ただご主人が客人を充分に酔わしてしまうようにさえすればどこが異郷かわかりはしないさ。


客中行
「旅先での歌」の意。「客中作」ともする。 ・客:よその地を旅すること。異客となること。 ・中:…をしている時、中。 ・行:歌行。詩歌。「…行」は楽府に付く「詩・歌」の意。


蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。
蘭陵産の美酒に鬱金(ウッコン)香を浸したお酒を玉杯にいっぱいにそそぐとコハク色に輝く。 
 蘭、金、玉、琥珀、。美、香、来、光。それぞれの語が絡み合って句と聯を計成する。美しい響きを持つ聯に仕上げ、五感でよませる聯にしている。 ・蘭陵:地名。山東省嶧県のお酒の産地。荀子の墓もある。 ・鬱金香 ミョウガ科の多年草(鬱金の香)香草の名。酒に浸して、色や香を附けるために使う。・玉碗:玉(ぎょく)で出来たさかづき。玉杯。「玉杯」としないのは、容器の大小、深浅の差異もある。また、発音上のリズム感にも因る。・盛:(器に)もる、盛り上げたから光り輝きが増すことになる。 ・-來…てきた。 ・琥珀 コハク宝石の一つ。透き通った黄色みを帯びた茶色系の宝石。女性のブローチ・ブレスレットなどの材料にも使われている。 ・琥珀光:コハク色に輝く酒。鬱金香を酒に浸したためついた色。


但使主人能醉客、不知何處是他鄕。
ただご主人が客人を充分に酔わしてしまうようにさえすればどこが異郷かわかりはしないさ。
 ・但使:ただ…しさえすれば。ただ…のようにさせれば。「ただ…しさえすれば」という或る条件を満たすようにさえすれば、次のような結果が出る、という表現の語。 ・主人:もてなす側の人。「客」に対する語。・能:よく。あたう。できる。可能を表す。 ・醉客:客(李白)を酔わせる。 ・不知:分からない。 ・何處:どこ。  ・他鄕:異郷。よその地。「故郷」に対する語。

「但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」主人側が充分に酔っぱらわせてくれたならば、(酔っぱらった結果、)一体どこが異郷であるのか、忘れて分からなくなることだろう。
旅の空、こんなにおいしいお酒、琥珀色をした酒は身も心潤してくれる。旅の恥はかき捨てベロベロになるまで酔わせくれ・・・・・・と。


客中行
蘭陵の 美酒  鬱金香,
玉碗 盛り來る  琥珀の光。
但だ 主人をして  能く客を醉はしめば,
知らず  何(いづ)れの處か  是れ 他鄕なるを。





李白63夜下征虜亭


夜下征虜亭

船下廣陵去、月明征虜亭。
山花如綉頬、江火似流螢。


船は長江を下って広陵にむかってゆく。月が明るく岸の上の征虜亨を照らしている。岸の花は、紅をさした頬のよう。 江上の漁火は、流れる螢を思わせる。


船下廣陵去、月明征虜亭。
船は長江を下って広陵にむかってゆく。月が明るく岸の上の征虜亨を照らしている。
○征虜亭 いまの江蘇省南京市にあった。晋の太元年問に、征虜将軍の謝安がこの亭を建てた。 ○広陵 いまの江蘇省江都県。揚州市に近い。


山花如綉頬、江火似流螢。
岸の花は、紅をさした頬のよう。 江上の漁火は、流れる螢を思わせる。
 ○綉頬 化粧した顔。綉は繍と同じく、色糸のぬいとり。 ○江火 江上に見える。船の火、漁火。


夜 征虜亭を下る
船は広陵に下りて去り、月は明らかなり 征虜亭。
山花 綉頬の如く、江火 流螢に似る。


李白64春怨


春怨
白馬金羈遼海東、羅帷繡被臥春風。
落月低軒窺燭盡、飛花入戶笑床空。


白い馬にまたがり、金の手綱を握りしめた夫は、遼海の東へ出征している。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけているところに、春風が吹いてきた。
しずみかけた月が軒端より低い空から、ともしびの燃えつきた部屋の中をのぞきこむ。飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。


白馬金羈遼海東、羅帷繡被臥春風。
白い馬にまたがり、金の手綱を握りしめた夫は、遼海の東へ出征している。うすぎぬの帳のなかで、刺繍で飾った布団をかけているところに、春風が吹いてきた。
○白馬金羈 金をよりこんだ白い手綱。若い貴族の出征。 ○遼海 現在の遼寧省。南満州。○羅帷 うすぎぬのとばり。○繡被 刺繍で飾ったかけ布団。


落月低軒窺燭盡、飛花入戶笑床空。
しずみかけた月が軒端より低い空から、ともしびの燃えつきた部屋の中をのぞきこむ。飛びちる花びらが家の中へ入ってきて、寝床がからっぽなのをあざわらう。
 ○落月 沈みかけた月。沈みかけた月は性を連想させる。 ○燭 ともしび。 ○飛花 春満開の花びらが舞い散っている。

宴も開かれて世間は賑やかにしている。貴族の妻妾について詠っている。
 出征した夫の妻が夫を心配して悶々としている雰囲気は全く感じられない。唐時代に流行した詩は、「出征した夫は私のことを思い出して、涙しているだろう。」というものだった。ここで取り上げた詩は、李白の芸術的な題材のとらえ方であった。


白馬 金羈(きんき)遼海の東、 羅帷(らい)繡被(しゅうひ)春風に臥す。
落月 軒に低(たれ)て 燭の盡くるを窺(うかがい)。 飛花 戶に入って 床の空しきを笑う。




李白65陌上贈美人


陌上贈美人
駿馬驕行踏落花。 垂鞭直拂五雲車。
美人一笑褰珠箔。 遙指紅樓是妾家。


元気な馬はいきりたって行き、散り落ちる花をふみしだく。馬上の少年はむちを垂らし、すれちがう美しい五雲の馬車をさっと打ち払った。
車の中の美人はにっこり笑い、真珠のすだれをまくりあげ、はるかむこうの紅い楼閣をゆびさして、あれがわたしの家なのよ。


陌上贈美人
大通りで出会った美人に送る詩
○陌 大道。 


駿馬驕行踏落花。 垂鞭直拂五雲車。
元気な馬はいきりたって行き、散り落ちる花をふみしだく。馬上の少年はむちを垂らし、すれちがう美しい五雲の馬車をさっと打ち払った。
○駿馬 元気なりっはな馬。 ○驕 馬がいきりたって、人のいうことをきかない。散った花をしばらくそのままにして楽しむのが風流とされる。王維「田園楽」にみえる。〇五雲車 伝説では、五色の雲で出来た仙人の乗る馬車。 


美人一笑褰珠箔。 遙指紅樓是妾家。
車の中の美人はにっこり笑い、真珠のすだれをまくりあげ、はるかむこうの紅い楼閣をゆびさして、あれがわたしの家なのよ。
○褰 まくりあげる。○珠箔 真珠のすだれ。 ○紅楼 朱塗の高殿。 ○妾 女の一人称。


少年は李白である。少年は若い男性を言う。


駿馬驕(おごり)行いて、落花を踏む。鞭を垂れて直ちに拂う、五雲の車。
美人一笑 珠箔を褰げ、 遙かに紅樓を指す 是れ妾が家と。



李白66謝公亭

謝公亭 
謝公離別處。 風景每生愁。
客散青天月。 山空碧水流。
池花春映日。 窗竹夜鳴秋。
今古一相接。 長歌懷舊游。


謝公亭は 別れの場所で知られたところ、辺りの風景は いつも哀愁を感じさせる。
人々が 散りぢりになった後青い夜空には月だけが輝き、人気の無い山中には 青い水だけが流れる。
池のほとりの花は 日光を受けて明るく映え、窓辺の竹は 秋には夜風を受けてさらさらと鳴る。
ここ謝公亭においてこそ 現在と過去とは一緒に結ばれている、緩やかな調べで歌いつつ 在りし日の交遊のさまを偲ぶのだ


謝亭離別處。 風景每生愁。
謝公亭は 別れの場所で知られたところ、
辺りの風景は いつも哀愁を感じさせる
○謝公亭 安徽省宣城県の郊外にあった。李白の敬愛する六朝の詩人、謝朓むかし宜州の長官であったとき建てた。苑雲という人が湖南省零陵県の内史となって行ったとき、謝朓は出来たばかりの亭で送別し、詩を作っている。


客散青天月。 山空碧水流。

人々が 散りぢりになった後青い夜空には月だけが輝き
人気の無い山中には 青い水だけが流れる


池花春映日。 窗竹夜鳴秋。
池のほとりの花は 日光を受けて明るく映え
窓辺の竹は 秋には夜風を受けてさらさらと鳴る


今古一相接。 長歌懷舊游。
ここ謝公亭においてこそ 現在と過去とは一緒に結ばれている
緩やかな調べで歌いつつ 在りし日の交遊のさまを偲ぶのだ
○舊游 謝朓の時代の交友のありさまを言う。苑雲との交流を意識している。


 李白は尊敬しある時はその詩を模倣もした謝朓ゆかりの亭に来た。昼間は多くの人がここで別れた。出征前のひと時を過ごしたのか。同じ景色を愛でても後にはその景色だけが残っている。別れの悲しみを月、清い水、花、窓辺を静かに詠っている。別れを悲しみだけで詠わない李白、自慢の形式である。


謝亭 離別の處、 風景 每(つね)に愁を生ず。
客は散ず 青天の月、 山 空しくして碧水 流れる。
池花 春 日に映じ、 窗竹 夜 秋に鳴る。
今古 ひとえに相接する、長歌して舊游を懷う。




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李白53大堤曲 李白54怨情 李白55贈内

 李白の就職「大作戦」は、始まったばかりで、力になってくれる人をさらに増やさねばならない。
 李白には強い武器がある、詩文を作ることだ。官僚になるには絶対の武器なのだ。現在でいえば、何か国語ができ、知識教養もある人物ということになるか。

 李白の生活ぶりは次の詩も象徴的だ。
 襄陽には遊女のいる歓楽街があった。襄陽を見るときこのことを外すわけにはいかない。

嚢陽一帯00

五言古詩
李白53大堤曲

漢水臨襄陽。花開大堤暖。
佳期大堤下。淚向南云滿。
春風無復情。吹我夢魂散。
不見眼中人。天長音信斷。


漢江の水は、襄陽のまちに沿って流れゆく。町はずれの大堤の色町は、花が満開、なにかと暖かくする。
この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南の空の雲をみると、涙がすぐにもこみあげてくる。
春風も、わたしにはつれなく吹いて、慕情の夢を冷ましてしまう。
恋しいあの人の面影は、もう見えない。遠い空のかなた、あの人の便りも途絶えてしまった。


○大堤曲 『楽府詩集』#48「清商曲辞、西曲歌」。襄陽歌から派生したものとされる。 ・襄陽 湖北省、漢江にのぞむ町。 ○大境 嚢陽の南郊外にあり、行楽の土地。遊女が住んでいた。○漢水 襄陽の街を北西から、南東に廻るように流れている。大堤からすると南は下流の方角になり、江南からの人ということになる。あるいは、李白が色町の女性と別れた時に作ったのかもしれない。 ○佳期 男女の逢う約束。あいびきの時。○南雲 晋の陸機の「親(肉親)を憶う賦」に「南雲を指して、まごころを寄せ、帰風を望みて誠をいたす」とあり、故郷の肉親を思うと解釈されることが多いが、恋人を思う気持ちを詠っている。


 大堤で逢う約束を破られ、故郷の空へ向かって涙する女性というなら、最終句にもっていかないと理解できない。「いとしい人からの便りも途絶えた」を最終句にしているのは李白の心情だからと考えるほうが、自然体の纏まりがいい。

 李白は大堤の女性と別れたのである。
 儒教や仏教を基本に考える人ならば、故郷にいる肉親を思い、涙を浮かべることになるが、そうではない。女性観について良くも悪くも「楽府」故事を借りているのである。この短い詩の中で、多量の情報を提供し、そして見事に集約している。李白の秀作である。
 現代の道徳観や思想に基づいて評価をするとか、唐以降の儒教者のようにその思想によって、悪意の評価しようとするのは違っている。


○韻 暖、滿、散、斷。


漢水は 嚢陽に臨(のぞ)み、花開いて 大堤暖かなり。
佳期 大堤の下(もと)、涙は南雲に向って満つ。
春風 復(また) 情 無く、我が 夢魂(むこん)を吹いて散ず
眼中の人を見えず、天 長(とおく)にして 音信 断。


安陸・南陽・嚢陽 李白00


李白54 怨情   
 

◦五言絶句。眉・誰(平声支韻)。
怨情 

美人捲珠簾、深坐嚬蛾眉。
但見涙痕濕、不知心恨誰。


満たされぬ思い
美しい人 珠簾れを捲きあげている、部屋の奥深く坐って 蛾眉のように細くきれいな眉をひそめている。
じっと見ていると 涙がほほがに濡れたまま、心に誰をか恨んでいるのだろう。


◦珠簾 … 玉を飾ったすだれ。
◦蛾眉 … 蛾の触角のような三日月がたの女性の美しい眉。
◦嚬 … 眉間にしわをよせて愁いの表情をする。
◦涙痕 … 涙の流れた跡。



 ”「玉階怨」とおなじく、宮女の悲しみをテーマにした作品とされ、月の出と、外のにぎわいについ誘われるように御簾を上げる。彼女は耳をふさぎ、月の光を逃れて奥深く座る。いじわるな月は、のぞきこむように彼女の顔を照らす。その顔には、涙のあとがぬれている。起・承・転句、ともに、表に出ない月が重要な役割をしているといえよう。最後に、誰を恨んでいるのかわからない、と結ぶが、「顰む」の字に、いま天子の寵を得て時めいている女への、燃えるような嫉妬の情がこめられている。また、この字には「西施の顰み」への連想もある。”

 とされているが、果たしてそうだろうか、宮女の悲しみなのだろうか、
「玉階怨」でも示したが、芸妓が宮廷、貴族階級、士太夫などでも、民間の街の芸妓も「満たされぬ思い」があったはずである。夫人は何人もいておかしくない時代だ。一方では一族の願いと他方では、悶々として暮らすこの矛盾を詠っているのは、どちらの詩もだ。

 満たされない思いを多くの女性たちが持っていたのだ。美貌により、一家が全員がのし上がっていけるそういう現実を考えながらこの詩をみていくと、いろんなことを考えさせてくれる。ただ、李白の近くにも満たされぬ女性がいる。いわば行く先々で女性がいた李白の妻たちだ。李白は妻の気持ちを芸術的技巧で包んでいる気がする。月夜の連想は故郷の月という方がいい。
満たされない思いに対する気持ちに女性のプライドがないといけない。李白は一方でプライドを詠っている。


○韻 眉、誰。 

  怨情えんじょう
美人 珠簾(しゅれん)を捲き、深く坐して蛾眉を顰(ひそ)む
但(ただ)見る 涙痕の湿(うるおえる)を、知らず 心に誰をか恨む  


              
李白55 贈内

贈内

三百六十日,日日醉如泥。
雖爲李白婦,何異太常妻。


内(つま)に 贈る
一年、三百 六十日,毎日 べろんべろんに酔っている。
〝李白"の妻とは名ばかりで,あの太常の妻と同じだということ。


贈内
贈:(詩を)妻に贈る。


三百六十日
一年の全ての日。陰暦での一年の日数。


日日醉如泥

毎日がひどく酒に酔っぱらっている。 
・日日:毎日。 ・醉如泥:ひどく酒に酔う。泥のように酔う。


雖爲李白婦
李白の嫁とはいっても。 ・雖:…とはいっても。…といえども。 ・爲:…である。 ・婦:嫁。妻。


何異太常妻
一体どこが(漢の周沢)太常の妻と異なろうか。 ・何:なんぞ。反語。疑問。 ・太常:卿の一。礼儀、祭祀を掌る官(『後漢書・百官』)。大常は身を清め命令通りに誠心誠意祭祀を執り行っていた。周沢はしばしば病気になり、斎宮に病臥していたが、妻は周沢の持病を心配し、病状をうかがい尋ねてねて来た。しかし、夫の周沢は、妻が斎戒の禁を犯したと大いに怒り、妻を監獄に送って謝罪した。世間の人は、その行為をきわどいことだと考えて、次のように語りあっていた。



 李白は妻に贈った詩をいくつか残している。これはそのなかでも特に有名なもの。ただ書かれた時期や、どの妻なのかは、正確にはわかっていない。また、酔っぱらって帰ってきて、奥さんに叱られた時の誤魔化しの雰囲気を漂わせた作品という解釈もあるが、実際そんなことをするだろうか。

 李白は、「妻にはこういう態度で臨むもんだ」、と詩を貴族の男性たちに示したものということの方が理解しやすい。
 李白の詩は、尊敬する人、目上の人、仲間内には詩を贈るが、誰かに対して歌うということはないのである。現在の感覚、儒教的な考えでは間違ってしまう。


 李白は、生活のためパトロンに向けて書いているのである。したがって、目上の人であるとか、道教関係、当然、朝廷の関係の詩は比較的作時が明らかなのだ。李白は仙人なのだから。

○韻 泥、妻

内(つま)に 贈る
三百 六十日,日日  醉(よ)ひて 泥の如し。
李白の婦(よめ) 爲(た)りと 雖(いへど)も,何ぞ 太常の妻に 異ならん。



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李白と道教(7)襄陽曲49から52

「あの立派な人格者の晉の羊公でさえ、台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔だらけ。『涙を堕す碑』とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心も羊公のために、悲しむことさえ出来ない。

清々しい風、明月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。」

どんなに笑われても、山公(山簡先生)のように生きたい。という李白であった。

 中国では、昔から、茶屋、居酒屋のようなにぎやかに人を集めた場所で、「三国志」、とか、「王昭君」、「西施」など節をつけ、唄いながら講談をした。襄陽は交通の要衝で、大きな歓楽街もあった。そこで詠われた詩の「襄陽楽」を題材にして李白が詠ったのだが、同じ内容の絶句四首がある。李白の考え方をよく表すので見ていく。


襄陽曲四首

李白49 襄陽曲四首其一

其一

襄陽行樂處。 歌舞白銅蹄。

江城回淥水。 花月使人迷。



嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。

江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。



裏陽曲 六朝の栄の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。嚢陽曲は、すなわち賽陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。別に参考としては、『楽府詩集』に収められる「襄陽楽九首」、張鈷「襄陽楽」、崔国輔「襄陽曲二首」、施肩吾「襄陽曲」、李端「襄陽曲」、梁・武帝「襄陽躇銅蹄三首」、沈約「襄陽固銅蹄三首」〔以上巻四八〕、「襄陽童児歌」〔巻八五〕) 淥水 清らかな水。 花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。

(売春の誘い込みも含むと考えればわかりやすい)



 嚢陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 淥水回(めぐ)り、花月 人をして迷わせる。




李白50 襄陽曲四首

其二

山公醉酒時。 酩酊高陽下。

頭上白接籬。 倒著還騎馬。



山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。

あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。



○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。



山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)



李白51 襄陽曲四首



其三

峴山臨漢江。 水淥沙如雪。

上有墮淚碑。 青苔久磨滅。



峴山は漢江に臨んでそびえたつ、ながれる水は清く澄み、川辺の砂は雪の白さだ。

山上には「墮淚碑」が有り、 青苔におおわれたまま永いので磨滅したように彫刻が見えない。

(こんなに哀れに苔だらけになってしまっている。ここで泣けるのか)



○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 ○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。



峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。

上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。





李白52 襄陽曲四首



其四

且醉習家池。 莫看墮淚碑。

山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。



ともかく、習家池で酔いつぶれよう、墮淚碑になんか見てもしかたがない。

山公先生が馬に乗ろうとして、襄陽の子供たちが笑い転げてくれ。(その方がどんなにいいか)



○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。○笑殺 穀は調子を強める字。





且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。

山公 馬に上らんと欲すれば、笑殺す 嚢陽の児。



 死んで世に名を残したって、苔むすだけだろう。それなら、一生どれだけ飲めるのかといっても、たかが知れている。人に笑われたって今を楽しむほうがいい。ここで、酒好きな李白の「酒」を論じるのではない。(酒については別のところで述べる予定。)


 子供についての考え方、に続いて、わらべ歌について、李白の考えを詠ったものだが、端的に言うと、峴山の
羊祜、「堕涙碑」は儒教の精神を示している。それに対して、山簡を山公と山翁呼んでいるが、李白は自分のことをしばしばそう詠っている。竹林の七賢山濤の子の山簡、つまり、山簡先生と同じように自分もたとえ子供に笑われたって、酒を飲むほうがいいといっている。酒を飲むというのは現実社会、今生きていることを示すのである。(李白は山東で竹渓の六逸と称し遊ぶ)


 李白は、
自分の道徳観を故事になぞらえて正当化する手法をとっている。しかも、わかりやすいわらべ歌を題材にしているのである。

 襄陽は、道教の宗派最大の聖地、武当山のおひざ元、門前町なのだ。ここでも道教の接点があるのだ。

(長安で寓居していた終南山も道教の本家地がある。元丹邱の関連でよく出てくる地名である。)

 しかし、のちに、この道教のつながりで、中央官僚、しかも皇帝が李白のために新しいポストを作って迎えられるのだから、「大作戦」成功を見るのである。


李白の詩 連載中 2012/1/31現在 300首

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李白と道教(4)陶淵明 .責子

李白と道教(4)
 李白の子供たちへの思いの詩を取り上げたのは、子に対する本人の考え方を見ることと、道徳性、宗教とのかかわり等と関連して考えるとよく理解できるからだ。次に、中国を代表する詩人李白も尊敬していた詩人の詩を見てみることにする。李白は陶淵明に影響を受けているし、山東で自らも竹渓の六逸と称していた。
 41歳で官を辞して隠遁生活に入った陶淵明も彼から約200年前の竹林の七賢の影響を受けている。
次に、陶淵明の家族、わが子に対する詩を取り上げる。李白と陶淵明の違いをみよう。その違いはどこから来るのか、考えてみたい。儒教、老荘思想、道教とかかわった人たちがわが子に対してどういう感情でいたのか、詩によってみていこう。
  陶淵明(365~427年)は長男の命名の由来を詠んだ詩「命子」(子に命)にすでに見られる。そこでは、前半で旧士族である陶氏一族を誇り、子供の健やかな成長を願い、立派な人間になってもらいたいと期待する親の情愛を綴る後半に、陶淵明にとって家族がいかに大きな存在であるかを吐露している。
陶淵明は六十三年の生涯において官職についたのはわずか数年、しかもいずれの職もみな短期間で止めている。郷里に近い彭沢の令となったのは四十一歳、就任わずか八十余日でその地位をなげうち、「われ五斗の米を得る為に 腰を折るに能わず、拳々として郷里の小人に事えんや」(『晋書』隠逸・陶潜伝)と官僚生活と決別し、田園生活を営んだ。あこがれの田園生活を始めて二・三年、陶淵明は「責子」(子を責めん)を詠んだ。

陶淵明 .責子
________________________________________


白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

 わたしはもう白髪が左右の耳にかぶさってきて、肌に色つやがなくなってきた。
五人の男の子がいるけれど、そろいもそろって勉強嫌い。
長男の舒は16歳にもなるというのに怠け者だ。
二男の宣はまもなく15歳で学問を志す年というのに、文章学問が好きでない。
雍と端はともに13歳、6と7を足せばじぶんのとしになることもわからない。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
ああ、これも天が与えた運命だというのか、試練ならば仕方あるまい。


責子
息子をせめる。息子たちのだらしないさまや修養を怠っていることをせめる。 ・子:息子。男子。

白髮被兩鬢、肌膚不復實。
わたしはもう白髪が左右の耳にかぶさってきて、肌に色つやがなくなってきた。
・白髮:しらがが左右両横の髪を覆い被さるような(年齢になり)。皮膚も、もうしっかりしたようではない。 
・白髮:しらが。 ・被:覆い被さる。こうむる。 ・兩鬢:左右両横の耳際の髪の毛。 ・肌膚:はだ。はだえ。皮膚。きふ。 ・不復:もう…でない。二度とは…ない。 ・實:みのり。充実。内容。

雖有五男兒、總不好紙筆
五人の男の子がいるけれど、そろいもそろって勉強嫌い。 
・雖有:いるとはいっても。あるものの。 ・五男兒:五人の男の子。五人の息子。 ・總:総じて。すべて。 ・不好:好まない。嫌う。ここの「好」は動詞で去声。 ・紙筆:紙と筆。筆紙。ここでは、勉強、学習の意になる。

阿舒已二八、懶惰故無匹
長男の舒は16歳にもなるというのに怠け者だ。
 ・阿舒:舒ちゃん。「阿-」は名や呼称の頭に附ける接頭辞。長男になる。 ・已:すでに。 ・二八:十六歳。2×8=16。掛け算の積で表す。例えば、「二八女郎」といえば「十六歳の乙女」の意。 ・懶惰:だらしがない。なまける。怠惰である。 ・故:もとより。もとから。≒「固」。もと。むかし。 ・無匹:類(たぐい)がない。

阿宣行志學、而不好文術
二男の宣はまもなく15歳で学問を志す年というのに、文章学問が好きでない。 
・阿宣:宣ちゃん。 ・行:ゆくゆく。まもなく。 ・志學:十五歳を謂う。『論語・爲政』「子曰:『吾十有五而志於學。三十而立。四十而不惑;。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲,不踰矩。』」に基づく。  ・而:…が。ここでは逆接になる。 ・文術:文章表記。国語技術。

雍端年十三、不識六與七
雍と端はともに13歳、6と7を足せばじぶんのとしになることもわからない。
 ・雍端:雍と端の二人の名。どちらも十三歳ということは、双子になる。 ・年十三:十三歳。 ・不識:知らない。分からない。知識が無くて分からない。 ・六與七:6と7との数量の差異。 ・與 数字の戯れ。

通子垂九齡、但覓梨與栗。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
 ・通子:通くん。 ・-子:名の後に附ける接尾辞。 ・垂:なんなんとしている。もうすぐに…になろうとしている。 ・九齡:九歳。:ただナシとクリを求めるだけである。幼くて食べ物にしか関心がないということ。 ・但:ただ…だけ。 ・覓:もとめる。 ・梨與栗:ナシとクリ。

天運苟如此、且進杯中物。
天の下した運命が、いやしくも、このような状態ならば。しばらくは、酒でも飲んでいよう。 
・天運:天の下した運命。天命。 ・苟:いやしくも。かりそめにも。 ・如此:このような。 ・且:しばし。しばらくは。 ・進:飲んでいる。飲んでいく。自分で飲み進める。 ・杯中物:酒をいう。


陶淵明の子については、五人で
この詩 44歳の時    舒、宣、雍、端、通、
10年後『與子儼等』では 儼、俟、份、佚、佟、
5人の子の成長に伴い名は変わった。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白と道教(3) 李白47 寄東魯二稚子

李白と道教(3)李白47寄東魯二稚子

 紫陽の弟子では、元丹邱の血縁だろうと思われる元演がいる。李白が元演とも交ったことは「冬夜隋州の紫陽先生の飡霞楼に於いて烟子元演の仙城山に隠れるに送る 序」に見られる。
この詩の中で元丹邱は霞子と呼ばれている。これによっても丹邱は金丹にからんでいると考えられる。
道教は老荘思想に基づいている。李白は「竹林の七賢」を模して、これらの道士以外、あるいは道士を目指していたかもしれないが、山東での交友を「竹渓の六逸」と称して遊んでいる。ちなみに李白・孔巣父・韓準・裴政(ひせい)・張叔明・白陶沔(はくとうべん)の六名である。しかし、この交友関係は後に、呉筠、玉真公主等を通じて宮廷への推薦となっていくのである。

 山東は、四川の彰明とともに、李白の故郷となっている処である。四川は生まれ育った故郷であるが、山東、趙郡には李氏の一族が多く、李白にとって居心地のいいところで、永く住むことになったのだ。

後に孔巣父らに杜甫も加わって遊んでいる。杜甫も李白を山東の人と思っていただろう。李白は、ここで一婦人を娶って、一男を授かっている。彼は許圉師の孫女を娶って離縁し、劉氏を娶り、ここに於いて三度娶っている。
ここで李白の珍しい家族のことを詠った詩を見てみよう。後に金陵での作とされる「東魯の二稚子に寄せる」である。

寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉の地では桑の葉が緑あざやか、呉の蚕はもう三眠の時期に入った。
わが家、東魯におもいを寄せる、誰か亀陰の田に植え付けをするのか。
春の農事はもう手おくれだろう、江の旅もはるかな道のりで途方にくれる。』

ああ、南から風が吹く、風が故郷に帰りたい心を吹き流し、心が飛んで行ったところは居酒屋の前だ。
楼の東には 一株の桃の木がある、枝葉は茂って、その上に、青い靄がかかっている。
この桃樹は私が種えたものだ、この木に別れて、三年になろうとしている。
桃はいま楼の高さと同じようになっている。私の旅は今なお、かえらないでいる。』

やんちゃな娘の名前は平陽という。花の枝を折りとったものの桃の木によりそっている。
花を折りとったとしても私を見られないし、涙を流れる泉のようにながす。』
男の子名は伯禽、姐(あね)ともう肩を並べる高さになっている。
ならんで歩いて行く桃樹の下、二人の背中をいったい誰が撫でてやれるのだろう。』

こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮えたぎる。
白絹を裂いて遠く離れている父の気持ちを書きしるし故郷の汶陽川の流れに手紙を託そう。』


寄東魯二稚子
東魯の二稚子に寄せる
○東魯 現山東省。李白が玄宗に召されて長安に上る前、都合十年以上拠点として住んでいたうち、任城(現済寧)残した家族に旅先から子供に寄せてこの詩を作った。○稚子 幼い子供。


吳地桑葉綠、吳蠶已三眠。
呉の地では桑の葉が緑あざやか、呉の蚕はもう三眠の時期に入った。
○呉 江蘇省。李白は今ここにいる。○三眠 カイコは前後4回の休眠を経て、脱皮して成長し、繭を作る。その3回目の休眠を示す。


我家寄東魯、誰種龜陰田。 
わが家、東魯におもいを寄せる、誰か亀陰の田に植え付けをするのか。
○龜陰 亀山の北。亀山は山東省新泰県の南西にあり、済寧とは近い。ここでは広い意味に魯の全体を示す。


春事已不及。 江行復茫然。 
春の農事はもう手おくれだろう、江の旅もはるかな道のりで途方にくれる。
○春事 春の農事。○江行 水の旅 ○茫然 はるかぼんやりして途方にくれるさま。


南風吹歸心、飛墮酒樓前。 
ああ、南から風が吹く、風が故郷に帰りたい心を吹き流し、心が飛んで行ったところは居酒屋の前だ。
○酒楼 居酒屋。


樓東一株桃、枝葉拂青煙。 
楼の東には 一株の桃の木がある、枝葉は茂って、その上に、青い靄がかかっている。 
○青煙 青い霞


此樹我所種。 別來向三年。 
この桃樹は私が種えたものだ、この木に別れて、三年になろうとしている。


桃今與樓齊。 我行尚未旋。 
桃はいま楼の高さと同じようになっている。私の旅は今なお 帰らないでいる。


嬌女字平陽、折花倚桃邊。
やんちゃな娘の名前は平陽という。花の枝を折りとったものの桃の木によりそっている。
○嬌女 やんちゃなむすめ。

折花不見我。 淚下如流泉。
花を折りとったとしても私を見られないし、涙を流れる泉のようにながす。


小兒名伯禽。 與姐亦齊肩
男の子名は伯禽、姐(あね)ともう肩を並べる高さになっている。


雙行桃樹下。 撫背復誰憐。
ならんで歩いて行く桃樹の下、二人の背中をいったい誰が撫でてやれるのだろう。


念此失次第。 肝腸日憂煎。
こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮えたぎる。


裂素寫遠意。 因之汶陽川。
白絹を裂いて遠く離れている父の気持ちを書きしるし故郷の汶陽川の流れに手紙を託そう。
○素 白絹。 ○遠意 遠くにいる者の気持。○汶陽川 山東省を流れる川の名。汶水の北側の地方。



 李白のこのように自分の気持ちを吐露する詩は珍しい、しかも、子供たち対してのもの。だけど、前置きが長く、回りくどい言い回しである。李白であるからこういう言い方しかできまい。この詩をどこかで取り上げたかったのであるが、ここでしかないと考え、無理をして取り上げた。

 科挙試験にチャレンジできない李白は、求職活動に一生懸命であった。家族を残して、コネクションを築いていったのだ。


○韻 眠、田、然』 心、前、煙、年、旋』 邊、泉』 禽、肩、憐』 煎、川』

吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

 

(2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

(2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

 李白は少年時代、四川省にいた頃、処士東巌子といい者と岷山(ビンザン)に隠棲していたことがある。東巌子の素姓は不明だが、彼等の生活が十二分に道教的な色彩を帯びたものであったことは否めない。李白は20代後半から30代にかけ、しばしば隋州(湖北省)の胡紫陽の許に赴いた。胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。

 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」

 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の12首もある。

 1.西岳云台歌送丹邱子   「西嶽雲台の丹邱子を送る歌」、(11/7/1)
 2.元丹邱歌           「元丹邱の歌」、                            (11/6/30)
 3.潁陽元丹邱別准陽之   「潁陽にて元丹邱の准陽に之くに別かる」、
 4.詩以代書答元丹邱    「詩を以って書に代え元丹邱に答う」、
 5.酬岑勛見尋就元丹邱對酒相待以詩見招
            「岑勛に尋ねられ元丹邱に就いて酒に対して相待ち詩を以って招かれるに酬いる」、
 6.尋高鳳石門山中元丹邱      「高鳳の石門山中に元丹邱を酬いぬ」、
 7.觀元丹邱坐巫山屏風       「元丹邱が坐の巫山屏風を観る」、
 8.題元丹邱山居           「元丹邱の山居に題す」、
 9.題元丹邱潁陽山居 并序      「元丹邱の潁陽の山居に題す並びに序」、
10.題嵩山逸人元丹邱山居 并序  「嵩山の逸人元丹邱の山居に題す并びに序」
11.聞丹邱子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡、
12.與元丹邱方城寺談玄作 、


 以上の十二首である。その他にも詩中彼の名の表われる詩も五篇あるので、元丹邱を李白の第一の友、尊敬する先輩という存在であろう。これらの詩の中、第一のものは最も力作である。第2の元丹邱歌を最初に紹介したのはここに導入するためにふさわしいと考えたからである。

七言古詩  西嶽雲臺歌送丹邱子 
西嶽崢嶸何壯哉、黄河如絲天際來。 
黄河萬里觸山動、盤渦轂轉秦地雷。』
榮光休氣紛五彩、千年一清聖人在。 
巨靈咆哮擘兩山、洪波噴箭射東海。』 
三峰却立如欲摧、翠崖丹谷高掌開。 
白帝金精運元氣、石作蓮花雲作臺。』 
雲臺閣道連窈冥、中有不死丹邱生。 
明星玉女備灑掃、麻姑搔背指爪輕。』 
我皇手把天地戸、丹邱談天與天語。
九重出入生光輝、東來蓬萊復西歸。 
玉漿儻惠故人飲、騎二茅龍上天飛。』


西嶽はなんと荘厳で険しいことか、黄河は広く長く天まで糸が続くように。
黄河はどこまでも山に沿って動く、濁流が渦巻き水かきたて長安の街に地鳴りのように響く。』
河洛を祭ったら榮光が色とりどりに四方に立ち込めてくるような、千年に一人といわれる聖人なのである。
黄河の神は雄叫びをあげて両山を引き裂く、荒れ狂う波は飛沫を挙げながら東海へ。』
華山の三峰は立ちはだかって押しとどめようとしている、みどり茂る崖、赤き谷は両手を高く広げ仙人を招いている。
白帝の神は金精で元氣を運んでくるし、石作蓮花に雲はその臺となしている。
雲臺、楼閣への道は暗処につながっているが、働き盛りの丹邱生は死なない。
明星の玉女は掃除のために備えておられる、麻姑の神人は背をかく指も爪も鳥のように軽やかに伸びている。』
わが皇帝は天地の戸を自由にしておられるが、丹邱は天に肩を並べる皇帝と話をしている。
九重の御門を出入しても堂々としている、東のほうへ蓬萊の神を訪ね次は西の神を訪ねて歸ってくる
玉漿をもし私しに飲ませてくれたなら、華山にある呼子先のように、龍にのって天に昇り飛んで行くだろう。』

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白45 元丹丘歌(李白と道教(1))

李白45 元丹丘歌(李白と道教(1))

  元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

元丹邱歌
元丹邱  愛神仙。
朝飲頴川之清流、暮還嵩岑之紫煙。
三十六峰長周旋。

長周旋 躡星虹。
身騎飛龍耳生風、横河跨海与天通。
我知爾遊心無窮。


元丹丘は、神仙を愛す。
朝には頴川の清流を飲み、暮には嵩山のもやの中へと帰っていく。
嵩山の三十六峰を常に巡回している。

いつも巡回しては、星や虹を踏んで歩く、またその身は飛龍に乗って耳を風になびかせ、黄河を横断し東海をまたいで天に通ずる、私には君の果てしない心がよく分っている

韻 仙、煙、旋。/ 虹、通、窮。

元丹邱の歌
元丹邱(げんたんきゅう)  神仙(しんせん)を愛す
朝(あした)には頴川(えいせん)の清流を飲み
暮(くれ)には嵩岑(すうしん)の紫煙(しえん)に還る
三十六峰  長く周旋(しゅうせん)す
長く周旋し  星虹(せいこう)を躡(ふ)む
身は飛龍(ひりゅう)に騎(の)って耳は風を生じ
河(か)を横ぎり海を跨(また)げて天と通ず
我れ知る  爾(なんじ)の遊心窮(きわま)り無きを

 李白は秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

 この元丹邱と李白の関係、李白の詩に多大な影響を与えた道教についてみていかないと理解はできない。直接、詩題に挙げたのは十二種、詩の中で名前を挙げているのが五首もある。そして、道教に関連した詩はたくさんある。道教の修行の丹という名がついていることから、一定以上の地位の人物であったのだろう。もう一つは唐の時代で儒教、仏教、道教とあったが最も大切にされたのが道教なのだ。事実、この時代道教はもっとも隆盛な時を迎えている。太宗、武則天と道教を国宗として進め、725年11月、玄宗は、道教が儒教や仏教の上位にあるという詔を下し、泰山に封禅の礼を行うことで、最盛期を迎えたのだ。李白はこの時24歳、これに触発されるように蜀を発したのである。李白はそれ以降、道教の盛んな各地を回っている。

  これらから李白と道教との関係は実に深いように感じられ、その関係をのべなければ、李白の詩を深めることができない。(数々の謎は実は道教に傾倒していることから生じたもの!?と思っている。)

 彼の詩が賀知章をして「謫仙」と呼ばせたのも当然であるが、これがまた儒教的な杜甫の詩と好対照であり、隆盛により圧倒していたことから下降いていくにともない、そのため後の儒教、仏教から批評、特に宋代の詩人学者から、李白の詩を杜甫の詩の下に置こうとする傾向が起っている。藝術上問題のみならず、彼の生活に多大の影響を及ぼしているこの道教と李白との関係を、「元丹邱の歌」を契機にブログを進めていこうと思う。
 ただ、日本では、この元丹邱と李白の関係について紹介している事例が少なくマイナーであり、面白くないかもしれない。しかし、マイナーなところを取り上げていくことが漢文委員会の役割と考えている。

 李白と杜甫の交友で、杜甫は李白を尊敬してやまないが、李白は普通の付き合いとしか思えない行動を示している。これは、杜甫が儒教を基本に仏教も勉強し尊重しているからであろう。したがって、あっさり別れているし、一旦別れると、その後の接触を断っている。
 また、長安で、いろんな人との触れ合いがある中、詩人として抜きんでていた王維との接点がないのも、おかしい。李白は、任侠に足を染めた過去が原因というより、道教的な考えで遭遇の機会すら得ようとしなかったのではなかろうか。この時、王維も李白も、同時期、長安洛陽にいた形跡があり接触してもおかしくはなかったが、そうならなかったのは、対比表作成しても何から何まで、正反対の王維と李白であったためであろう。
 科挙の試験を受けなかった李白が、道教の付き合いから念願の朝廷から招致されるのである。李白の長期計画の成功を見るのである。

 こうした意味でも李白と道教を見ていくことになる。ものがたり的ではなく、できるだけ李白の詩で見ていくことにする。

つづく

李白44 春夜洛城聞笛

李白44  春夜洛城聞笛 


七言絶句 春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
どこで笛を吹いているのだろうか、宵闇に笛の音(ね)だけが聞こえてくるが、散らばっ

て春風に乗って洛陽城に満ちている。

此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

この夜、流れてくる曲中に、別れの曲折楊柳の曲が聞こえてきた、誰が故郷を思う気

持ちを起こさずにおれようか、きっと、起こしてしまう。



どこで笛を吹いているのだろうか、宵闇に笛の音(ね)だけが聞こえてくるが、散らばっ

て春風に乗って洛陽城に満ちている。
この夜、流れてくる曲中に、別れの曲折楊柳の曲が聞こえてきた、誰が故郷を思う気

持ちを起こさないだろうか。きっと、起こしてしまう。



春夜洛城聞笛    しゅんやらくじょうのふえをきく
春の夜に洛陽の街で(「折楊柳」の曲を奏でる)笛をきく。
同様のモチーフのものに、王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折

楊柳,敎人意氣憶長安。」や、王昌齢 『出塞』「秦時明月漢時關、萬里長征人未還。但使龍城飛將在、不敎胡馬渡陰山。」がある。漢文委員会総合サイト漢文委員会 漢詩総合サイト 辺塞/塞下/塞上/涼州にある。


誰家玉笛暗飛聲  たがいえにぎょくてきをひそやかにきくのであろう
どこで笛を吹いているのだろうか、宵闇に笛の音(ね)(だけ)が聞こえてくるが。
 ・誰家

:どこ。だれ。 *かならずしも「だれの家」と、住処を尋ねていない。 ・玉笛:宝玉でで

きた笛。立派な笛。 ・暗:暗闇に。宵闇に。或いは、密やかに。 ・飛聲:笛の音を飛ばす

。笛の音を流す。 ・聲:ひびき。おと。ふし。


散入春風滿洛城   さんじて しゅんぷうに いりて  らくじょうに みつ
散らばって(春風に)乗って洛陽城に(笛の音が)満ちている。
 ・散入:散らばって(春風

に)乗って。 ・洛城:洛陽城。東都洛陽の都。洛陽の街。 ・城:都市。城市。都会。街。


此夜曲中聞折柳   このよる きょくちゅう  せつうりゅうを きく

この夜、(流れてくる)曲中に、(別れの曲)折楊柳の曲が聞こえてきた。
 ・曲中:玉笛の

聲裏ということ。 ・折柳:折楊柳のこと。横吹曲の一。別れの情をうたった曲名。別離の折

り、水の畔まで見送り、柳の枝を折って贈った故事に基づくもの。前出、『涼州詞』「夜聽胡

笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」の影響を受けていよう。


何人不起故園情   なんびとか こえんのじょうを おここさざらん
誰が故郷を思う気

持ちを起こさないだろうか。きっと、起こしてしまう。

 ・何人:〔なんびと〕誰。 ・不起:起こさない。 ・何人不起:誰が起こさないだろうか。いや、起こす。(反語反問の気勢の語形。)  ・故園:故郷。 ・情:想い。

 ・故園情:故郷を思う気持ち。郷愁。

春夜洛城聞笛

誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。
此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。

春夜 洛城に 笛を聞く       
誰が家の玉笛ぞ  暗に 聲を飛ばす,散じて 春風に 入りて  洛城に 滿つ。
此の夜 曲中  折柳を 聞く,何人か 故園の情を 起こさざらん

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過去のページも加筆・修正しました。
李白26~30塞下曲六首
李白12越女詞五首其の一から其の五まで読みと訳注を加筆しました

この後、李白女詩をシリーズでとりあげます。
短い詩ほど李白の芸術性が出てきます。他のサイトでできるだけ取り上げられていない詩を主体にしていこうと思っています。
このブログ掲載ののち、漢文委員会 06ch倶楽部に掲載します。ブログとちがって、横のつながり、背景とか理解が深まると思います。
  漢文委員会 漢詩総合サイト 7ch 漢詩ZERO倶楽部 には全体的に掲載しています。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。

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李白43 杜陵絶句

李白43 杜陵絶句

五言絶句 杜陵絶句

  南登杜陵上、 北望五陵間。
  秋水明落日、 流光滅遠山。

 

南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す


長安城の南杜陵の上に登り、そこから北のかた五陵の間を望む、川の流れに落日が反映し、流れ行くその光は遠い山々の間に消えていく

choan9ryo赤枠は長安の城郭
この墓陵群は中国のピラミットといわれている。


杜陵とは前漢の宣帝の陵墓で長安の(城郭の右下)東南にある。小高い丘の上にあり、見晴らしが良いところだ。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。杜陵からの距離は、30km~50km。
○韻 間、山。

五陵原という皇帝の陵墓区で、西から茂陵、平陵、昭陵、延陵、渭陵義陵、安陵、長陵、陽陵の9つが並んでいる。このうち長陵は高祖・劉邦の陵、茂陵は武帝の陵。ほとんどの皇帝陵に皇后陵が併設されており、有名な呂后の様に皇后の地位が高かったことの現れと言われてる。皇帝が西、皇后が東。延陵の場合、右上(東北)にやや規模の小さな皇后陵が見える。また東端にある陽陵は周囲が発掘されて兵馬俑が出土、博物館として公開されている。


  南登杜陵上、 北望五陵間。
  秋水明落日、 流光滅遠山。

南のかた杜陵の上に登り、北のかた五陵の間を望む

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す

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李白42 梁園吟

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。


雑言古詩 梁園吟


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

  天長水闊厭遠涉,訪古始及平台間。』

  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

  卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水颺洪波。』

  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

  玉盤楊梅爲君設,鹽如花皎白雪。

  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

  荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

  舞影歌聲散綠池,空汴水東流海。』

  沉吟此事淚滿衣,黄金買醉未能歸。

  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

  酣馳輝,歌且謠,意方遠。

  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。

高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。

空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、

古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』

平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、

酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。

ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。

洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。

ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。

平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、

夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』

白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、

呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。

塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。

伯夷・叔斉が〝高潔さ〞にこだわった、そんな真似などやめておこう。』


昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、

今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、

世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、

あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汴水だけ。』

栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。

黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、

ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』

馳せゆく時の間に酔いしれて、

歌いかつ謡えば、

心は、今こそ遠くあこがれゆく。

かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。

世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


つづく
この詩はブログ向きではなかったので
漢文委員会 7漢詩ZERO 李白42 粱園吟 雑言古詩 で確認していただけることを希望します。

 

 

 

 

 

 

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李白42 梁園吟 (2)

  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

  荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

  舞影歌聲散綠池,空汴水東流海。』

  沉吟此事淚滿衣,黄金買醉未能歸。

  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

  酣馳輝,歌且謠,意方遠。

  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晚。』



昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、

今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、

世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、

あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汗水だけ。』

栄華の拶さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。

黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、

ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』

馳せゆく時の間に酔いしれて、

歌いかつ謡えば、

心は、今こそ遠くあこがれゆく。

かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。

世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』





昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳

昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。

○信陵君-戦国時代の讐昭王の公子、名は無忌。信陵(河南省寧陵)に封ぜられた。食客三千人を養い、讐助けて秦を破り、さらに十年後・五国の兵を率いて秦を破った。戦国の四公子(四君)の一人。○信陵墳-『太平宴字記』(彗)によれば、その墓は開封府の富県の「南十二里」にあるという。



荒城虛照碧山月,古木盡入蒼梧雲。

荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』

○蒼梧雲-『芸文類衆』彗「雲」に所引の『帰蔵』に、「白雲は蒼梧自り大梁に入る」とあるのを誓えたもの=蒼梧」は、現在の湖南省南部にぁる山の名。一名「九疑山」。



梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待

梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。

枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。

〇枚馬-前漢時代の文学者、配剰青馬相如。ともに梁苑に来訪して、梁王の栄華に彩りを添えた。



舞影歌聲散綠池,空汴水東流海

舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る汗水だけ。』

○綠池-澄きった池。○汴水-汴水べんすい。黄河から汴州(開封)をへて准水に到る。大運河通済渠の唐宋時代の呼称。



つづく
この詩はブログ向きではなかった。詩をいくつかに区分するというのは詩に対して向き合うものとして許されないと考える。漢文委員会 7 漢詩ZERO 李白42 粱園吟 雑言古詩でぜひ読み直していただくお願いいたします。。


 


 


 


 


 


 


 

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李白41 烏夜啼

 李白41 烏夜啼     

李白は北辺の旅からむなしく長安にもどってきたが、その後もしばらく都にとどまっていても仕官のあてがあるわけではない。李白も一人で酒を飲み、一人詠う。まるで、カラスが鳴いているのと同じに映ったのか・・・・・・。



烏夜啼

黄雲城辺烏欲棲、帰飛唖亜枝上啼。

機中織錦秦川女、碧紗如煙隔窓語。

停梭悵然憶遠人、独宿弧房涙如雨。



黄色い夕靄が城壁になびくころ、烏はねぐらにつこうとし、飛んで帰って、枝にとまってかあかあと鳴く

織機(はた)を前に 錦を織っている長安の女、青いうす絹のカーテンは霞のよう窓越しに一人ごと。

織機の杼()をとめて 心痛めて遠くの人を憶う、誰もいない部屋にひとり寝してると  涙は雨のように濡らす。





烏夜啼(うやてい)

黄雲(こううん)  城辺  (からす)棲まんと欲し

帰り飛び  唖唖(ああ)として枝上(しじょう)に啼く

機中(きちゅう)  錦を織る  秦川(しんせん)の女

碧紗(へきさ)  煙の如く  窓を隔(へだ)てて語る

()を停め  悵然(ちょうぜん)として遠人を憶う

独り弧房(こぼう)に宿(しゅく)して  涙  雨の如し





烏夜啼

 「烏夜啼」は楽府にある。
 南北朝、宋の臨川王劉義慶が彭城王劉義康との関係で文帝に怪しまれ、自宅謹慎させられていたとき、カラスが夜啼くのを聞いた女性が「明日はきっとお許しがありましょう。」と予言した。予言は当たったばかりかその年のうちに南袁州の刺史となった。そのことを感謝してこの歌を作った。

 李白のこの詩は夫を兵役に出している妻の夫を想う思婦詩になっている。李白としては、同じようにカラスが鳴いていた、自分も官職に取り上げてくれる予言をしてほしいと思ったことからこの詩を詠ったのか。詩は夫を兵役に出している妻の夫を想う思婦詩になっている。



黄雲城邊烏欲棲

黄色い夕靄が城壁になびくころ、烏はねぐらにつこうとし。 

・黄雲:夕暮れの雲。黄土の砂煙。 ・城邊:城塞一帯。 ・烏:カラス。 ・欲:…よう。…う。…たい。 ・棲:鳥が巣に宿る。すむ。





歸飛啞啞枝上啼

飛んで帰って、枝にとまってかあかあと鳴く。 ・啞啞:〔ああ〕からすなどの啼き声。カーカー。 ・啼:〔てい〕(鳥や虫が)鳴く。



機中織錦秦川女

織機(はた)を前に 錦を織っている長安の女。 ・機中:機(はた)で織り込む。 ・機:はた。はたおる。 ・織錦:錦を織る。夫を思い慕ったことばを回文で織り込む。 ・秦川女:蘇蕙(蘇若蘭)のこと。この句は『晋書・列伝第六十六・列女・竇滔妻蘇氏』砂漠方面に流された夫を思う妻の典型を引用。秦川は長安地方を指す。夫が秦川刺史であったことによるための言い方。回文の錦を織った妻のことで竇滔とうとうの妻の蘇蕙(蘇若蘭)のこと。回文:順序を逆に読めば、別の意味になる文のこと。



碧紗如烟隔牕語

青いうす絹のカーテンは霞のよう窓越しに一人ごと。

 ・碧紗:緑色のうす絹のカーテン。女性の部屋を謂う。 ・如烟:けむっているかのようである。 ・隔牕語:窓を隔てて話す。



停梭悵然憶遠人

織機の杼()をとめて 心痛めて遠くの人を憶う。 ・停梭:ひを(一時的に)とめる。 ・梭:〔さ〕ひ。おさ。機織りの道具。横糸を通す管のついているもの。 ・悵然:恨み嘆くさま。 ・憶:思い出す。 ・遠人:〔えんじん〕遠いところにいる人。遠方へ戦争や守備で行っている人。



獨宿空房涙如雨

誰もいない部屋にひとり寝してると  涙は雨のように濡らす。

 ・獨宿:ひとりで泊まる。 ・空房:誰もいない家屋。「孤房」ともする。 ・如雨:雨のようである。



長安と近郊006
      李白の寓居   終南山松龕舊隱都中心部より20km以上離れていた。王維の輞川荘は30km以上。




李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 

李白40 春歸終南山松龕舊隱

李白40 春歸終南山松龕舊隱
五言古詩

 晩秋から春にかけての北辺の長旅だったが、求職の進展はなかった。事情はなにも変わらず、館にはバラや女羅(ひかげかずら)や草はあるじなしでも成長していた。酒樽をもってこさせて一人酒をたのしむ。久しぶりの家で詠った。

春歸終南山松龕舊隱
我來南山陽、事事不異昔。
卻尋溪中水、還望岩下石。
薔薇緣東窗、女蘿繞北壁。
別來能幾日、草木長數尺。
且復命酒樽、獨酌陶永夕。


自分が南山の南にきてみると、何事も昔と変わらない
却ひとえに谷川の流れを求め、また巌いわおの下の石を眺めても同じ
バラは  東の窓に這いあがり、女羅は  北の壁に巻きついている
一別してから 幾日もたっていないのに、草木は数尺も伸びている
では まずは酒樽でも持ってこさせ、独酌で 永い夕べをたのしもう


○韻 昔、石、壁、尺、夕。

春 終南山の松龕しょうがん旧隠に帰る
我  南山の陽ように来きたる
事事じじ  昔に異ことならず
ひとえに渓中けいちゅうの水を尋ね
た巌下がんかの石を望む
薔薇しょうび  東窓とうそうに縁
女羅じょら  北壁ほくへきに繞めぐ
別来べつらい  能く幾日ぞ
草木そうもく  長ずること数尺
しばらく復また酒樽しゅそんを命じ
独酌どくしゃく  永夕えいせきを陶たのしまん




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李白詩全集 卷二十二(古近體詩四十七首)

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

 この詩は、掛けことばだらけの詩でおもしろい。宮中にいてできる詩ではなく想像の言葉遊びの詩と思う。

玉階怨

玉階生白露、 夜久侵羅襪。
白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。

却下水晶簾、 玲瓏望秋月。

露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた。秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。



白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し、 夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。
露に潤った水晶の簾をさっとおろした、透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのを眺めているだけ。

 面白いのは句は2語+3語だが、3語+2語でもよい。

生↔侵↔水↔望   玉階↔白露↔夜久↔羅襪↔ 却下↔水晶簾↔ 玲瓏↔秋月

それぞれの言葉が、それぞれの言葉で機能しあい意味を深くしていく。

・長く待って玉階に白露、夜久くて羅襪のままで 却下した水晶簾、 玲瓏の秋月、今夜も来ない。
生きている、浸みてくる、潤ってくる、希望したい。

 後宮でこの状態でいるのは、楊貴妃が後宮に入って玄宗に寵愛され始めたころとか、考えがちになるが、時期や人物の特定はこの詩からはしないほうがよい。後宮に入ることは、天使のお声がかかってのこと、一族名誉である。貴族階級、士太夫などでも、夫人は何人もいておかしくない時代だ。貴族夫人の邸の床が大理石であってもおかしくない。一方では喜びと他方では、悶々として暮らすこの矛盾を詠っている。
 満たされない思いを多くの女性たちが持っていたのだ。美貌により、一家が全員がのし上がっていけるそういう現実を考えながらこの詩をみていくと、いろんなことを考えさせてくれる。李白は天才だなと感じる。

gyokukai2


玉階に白露生じ、 夜久しくして羅襪ちべつを侵す。
水晶の簾を却下するも、 玲瓏として秋月を望む 。



玉階怨
 楽府特集『相和歌・楚調曲』。宮怨(失寵の閨怨)を歌う楽曲名。題意は、後宮の宮女が(なかなか来ない)皇帝の訪れを待ち侘びる、という意。

玉階生白露
白玉の階きざはしに白い露が珠のように結露し。 
・玉階:大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。 ・生白露:夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。

夜久侵羅襪
夜は更けて羅うすぎぬの襪くつしたにつめたさが侵みてくる。
 ・夜久:待つ夜は長く。 ・侵:ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。 ・羅襪:うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。


却下水精簾
露に潤った水晶の簾をさっとおろした。
 ・却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。 ・精簾:水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。


玲瓏望秋月
透き通った水精の簾を通り抜けてきた秋の澄んだ月光が玉の光り輝くのをただ眺めているだけ
 ・玲瓏:玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」 ・望秋月:待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。




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李白38 酬坊州王司馬与閻正字対雪見贈

李白38
 李白は、坊州(陝西省黄陵県)へ行って州司馬(従六品)の王嵩(おうすう)と閻正字(えんせいじ)に会って就職運動をしている。
 詩は坊州での雪見の宴席で王嵩(おうすう)と閻正字(えんしょうじ)から遠山の雪についての詩を贈られ、李白がそれに和する詩を作った。まず自分が中国の東南の地方から「宛」(南陽)を経て都へ上ってきたこと。それから西北の邠州を経て坊州にきたこと、晋の嵆康(けいこう)が呂安(りょあん)と親密に行き来したように王司馬と逢うことができて嬉しいと述べ、かねてからお名前を承知していたと述べている。


酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
   坊州の王司馬と閻正字と雪に対して贈らるるに酬ゆ
游子東南來、自宛適京國。
さすらいのわたしは東南から来り、南陽をへて都にやってきた
飄然無心云、倏忽復西北。
流れゆく無心の雲のように、たちまち西北の地にいたる
訪戴昔未偶、尋嵇此相得。
昔王子猷が戴安道を訪ねて遇えず、いまここに 嵆康を尋ねて会うことができた
愁顏發新歡、終宴敘前識。』
愁い顔は新しい歓びにかわり、宴会を終えてお名前は承知していたと申しあげる』

閻公漢庭舊、沉郁富才力。
閻公はかつて宮廷に仕えた方で、充分な才力を備えておられる
價重銅龍樓、聲高重門側。
その声価は龍楼門内に重く、名声は宮廷の門傍(もんぼう)に高い
寧期此相遇、華館陪游息。
いま思いがけなくここに出逢い、結構な屋敷の宴会に相判する
積雪明遠峰、寒城鎖春色。』
おりしも 遠くの山の積雪は明るく輝き、城内の春の気配は 寒さで凍りついている』

主人蒼生望、假我青云翼。
人は民の希望の星であるから、私に青雲の翼を貸してください
風水如見資、投竿佐皇極。』
風水による助けがあるならば、釣り竿を投げ捨てて王道の補佐をいたす所存です』






さすらいのわたしは東南から来り、南陽をへて都にやってきた
流れゆく無心の雲のように、たちまち西北の地にいたる
昔王子猷が戴安道を訪ねて遇えず、いまここに 嵆康を尋ねて会うことができた
愁い顔は新しい歓びにかわり、宴会を終えてお名前は承知していたと申しあげる』

閻公はかつて宮廷に仕えた方で、充分な才力を備えておられる
その声価は龍楼門内に重く、名声は宮廷の門傍(もんぼう)に高い
いま思いがけなくここに出逢い、結構な屋敷の宴会に相判する
おりしも 遠くの山の積雪は明るく輝き、城内の春の気配は 寒さで凍りついている』

主人は民の希望の星であるから、私に青雲の翼を貸してください
風水による助けがあるならば、釣り竿を投げ捨てて王道の補佐をいたす所存です』

 嵆康は竹林七賢のひとり。竹林に入り、清談にふけった。「あるとき訪ねてきた鍾会に挨拶せず、まともに相手をしなかった。」 その嵆康に逢うことができた、李白は会えた喜びを表している。
 閻正字(えんしょうじ)にお世辞を言っている。正字(正九品下)は秘書省の属官で、進士及第者が最初に任官する官職のひとつ。閻正字が坊州にいるのは転勤してきたためで、李白は閻という若い官吏を旧職で呼ぶことで進士及第の秀才であることをほめているのだ。李白はかなり焦っていた。最後の四句は、王司馬に対してチャンスがほしい、風水を持ち出して就職斡旋を述べている。若くして科挙、進士に及第していても所詮、李白の頼みごとをかなえられる力はない。

○韻  國。北。得。識。力。側。息。色。翼。極。


坊州の王司馬と閻正字と雪に対して贈らるるに酬ゆ
遊子ゆうし  東南より来り、宛えんより京国けいこくに適
飄然ひょうぜんたり無心の雲、倏忽しゅくこつとして復た西北
たいを訪うて 昔 未だ偶ぐうせず、嵆けいを尋ねて  此ここに相あい得たり
愁顔しゅうがん  新歓しんかんを発し、宴えんを終えて  前識ぜんしきを敍じょす 』

閻公えんこうは漢庭かんていの旧、沈鬱ちんうつとして才力に富む
は銅龍どうりゅうの楼に重く、声は重門の側に高し
なんぞ期せんや  此ここに相遇い、華館かかん  遊息ゆうそくに陪ばい
積雪  遠峰  明らかに、寒城かんじょう  春色  沍こおる 』

主人は蒼生そうせいの望ぼう、我に青雲の翼つばさを仮
風水ふうすい  如し資たすけらるれば、竿かんを投じて皇極こうきょくを佐たすけん 』


酬坊州王司馬與閻正字對雪見贈
游子東南來。自宛適京國。飄然無心云。倏忽復西北。
訪戴昔未偶。尋嵇此相得。愁顏發新歡。終宴敘前識。 』
閻公漢庭舊。沉郁富才力。價重銅龍樓。聲高重門側。
寧期此相遇。華館陪游息。積雪明遠峰。寒城鎖春色。 』
主人蒼生望。假我青云翼。風水如見資。投竿佐皇極。 』

 李白は就職運動のために坊州のような北辺の街まで行きましたが、ここでも成果は得られず、留別の詩を残して長安にもどってきます。



 李白は自分の才能に自信を持っている。自信を持っている人間の特徴としては、一生懸命頼みごとをしても相手側からすると、どこか胡散臭さを感じることがよくある。まして、抜群の詩を詠み、武道ができ、ちょっと任侠風である30過ぎの男が、理解されるかというと、なかなか難しい。

 また、一生懸命になればなるほどうまくいかない時もある。自分のどこかに問題点があるのかと自己分析を行わないのだろうか。
 もし、李白、杜甫が求職活動や人生の岐路に立たされたからと言って、生き方を変えるようであったら、歴史的な詩人になっていない。



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白37 静夜思 五言絶句 李白は浮気者?

李白37 静夜思 五言絶句
長安付近で求職活動に懸命になっていたがうまくはいかない。李白は31歳になっていた。安陸の女性か、蜀の女性か、静かに照らす月光は故郷を思い出さずにはおれなかった。


  この詩は説明・解説ができないほどレベルの高い傑作である。訳したり、書き下すのも詩の持っているものを生かすことはできない。文字通り、絶句である。

静思夜

牀前明月光,疑是地上霜。
舉頭望明月,低頭思故鄕。


寝台の前をに月光が射している、その光が白く冴えて霜のように見える。
自分は頭を挙げて山上の明月を望み、頭を垂れて遠い故郷のことを思う。

床前 月光 明るし、疑ふらくは是れ地上の霜かと。
頭を舉あげて 明月を望み、頭を低(た)れて 故鄕を思ふ。

床前明月光
ベッド先の明月の光(は)。 ・床前:ベッド先。ベッドの前。ベッドの上。 ・明月光:明月の光が射している。「看月光」ともする。その場合、「月光を看る」になる。直接月を見ると、故郷の月と同じ、月明かりに照らし出された寝台も故郷の風景と同じなのだ。だから、「月」の語で連想することは、離れている人を偲ぶ、ということになっていたのだ。「太いなる陰」である。現在のようにロマンチックな雰囲気ばかりではなかった。 ・明月:(明るく)澄みわたった月。皓々とあかるく照る月。日本語で云うところの「名月」。「明月」と「名月」ともに〔めいげつ〕と言うが、詩詞では、「明月」を使い「名月」は使わない。「名月」は陰暦八月十五夜の月だが、使われた実績がない。日本での詩歌でも後世に多い。 ・明:澄み切った。「明鏡」の「明」に同じ。


疑是地上霜
(ベッド先を照らす明月の光は、)疑(いぶ)かることだが、地上に降りた霜か(と見まがうものだ)。 ・疑是:疑うには。疑うことには。疑はしいことには。本来は、動詞、形容詞。 ・是:名詞(句)の後に附く。それ故、「疑是地上霜」は、「『疑』ふことには『地上霜』である」になり、「疑」の部分の読みは名詞化して、伝統的に「『疑ふ』らく」としている。漢語語法に合致した正確な読みである。 ・地上霜:地上に降りた霜。月光に照らされているところの表現描写である。

舉頭望明月
頭をあげては、明月を望んで。 ・舉頭:かうべをあげる。横になっていた頭をもたげて。あおむく。・舉:高く持ち上げる。ここでは、横になっていた頭をもたげること。ただし、後出の「低頭」の対であるため、「仰向く」になる。 ・望明月:明月を看る。月は家族を連想する重要なよすがである。 ・明月:明るく澄み渡った月。名月。「望山月」ともする。その場合、「山月を望む」になる。

低頭思故鄕
頭を下に向けては、故郷を懐かしく思いおこす。 月光は、古い時代より、離れたところの家族を偲ばせる縁とされた。李白も月光によって、触発されて故郷の親族を思い起こしているわけである。「月明かりが差し込んだ」⇒「明月を見た」⇒「故郷の親族を思い起こした」という、伝統的な発想法に則っている。 ・低頭:かうべをたれる。うつむく。俯く。 ・思故鄕:望郷の念を懐く。


李白は自分の寝台の前に月が照っている、その光が白く冴えて霜のように見える。自分は頭を挙げて山上の
月影を望み、頭を垂れて遠い故郷のことを思う。

 故郷を思う表現に多く見られるのが、故郷の家族が、自分のことを思ってくれているだろう。次に三日月でも満月でも山に似ているとか、○○のようだ、と人の心を懐かしさ、悲しさ、嘆きなどに導こうとします。
 静思夜は、最初から最後まで、月のイメージをさせるだけで、思うのも何を思うのか、思いをどこに導こうとするのか?  ないのである。


 何を思うのか、読者に考えさせる。
 月の光で故郷を思うという手法は伝統的なものだ。しかし、どう思うかについては、李白の独特のものだ。李白は、悲しいとか、嘆いたりは全くしていない。何も言わないのである。冷静に、芸術的に表現しているのである。

 しかしこのことは、誠意を感じられないということにもなるのではないか?私だけだろうか。*(1)


 ただ、「明月」「明月 陶潜」、「明月 漢詩」等々 WEB検索してみたがない。李白以前の詩人としては、王維輞川集17「竹里館」、王昌齢「従軍行」はすぐできたが、韋荘、温庭均、蘇東坡、・・・などドカッと検索出来たのは、李白以降の詩人が圧倒的に多い。李白の静思夜は詩人たちに強烈な影響を与えたということであろう。王維、王昌齢は李白の先輩ではあるが、ほぼ同時期の作品とすると、李白の静思夜は後世の詩に絶大な影響を与えたのは間違いない。
 凄い詩だといことに変わりはない。

なお、日本人の好きな山水のイメージのある「静思夜」。「李太白集」には以下である。
 牀前月光,疑是地上霜。
 舉頭,低頭思故鄕。

 看たものが霜に繋がる思いと月光に明るく照らしだされた情景が霜につながる思いを比較すると「看」は直接表現すぎ、「明」だと明るさの印象が残り霜に繋がって大きな思いになる。

 山月をのぞむ のは焦点がなく漠然としている。前句の月光を受けているのだから、「明月」だと月に焦点が集まり、思いのたけが倍増する。

 牀前明月光,疑是地上霜。
 舉頭望明月,低頭思故鄕。

 どう見てもこの詩が断然いい。



*(1) 先日、島田紳助の番組で、行列のできる・・・」で、芸人の彼女について問題を提議していた。東京、大阪を往復して活躍している芸人には東京、大阪、それぞれ彼女がいる。したがって、「おまえ昨日、六本木で彼女と飯食っていたなあ」といわれると、大変なことになる。
 つまり、どこどこの彼女と特定するとまずいのである。

 李白もあちこちに彼女はいたのであろう。
 この詩で、故郷を特定するような語句を明記できなかったのかもしれない。


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