漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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文学

李白研究05 清平調詞について  <李白研究05> Ⅰ李白詩1702 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7058

李白研究05 清平調詞について  <李白研究05> Ⅰ李白詩1702 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7058


 
  2015年12月13日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白研究05 清平調詞について  <李白研究05> Ⅰ李白詩1702 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7058  
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李白 清平調について

楽府の一つ。唐の玄宗が楊貴妃と沈香亭で牡丹をながめて楽しんだとき、李白が勅を受けて作ったもの。楽府には、清調・平調・瑟調があったが、李白が、清調と平調を合わせて清平調三章を作った。

 

清平調とは、欒律の名で、

通典に「『清商三調』,而其初,則是僅有『清商』曲之稱.我們如今就來談漢朝起初的『清商』曲的古琴的訂弦法.而唐朝杜佑《通典》:『平調、清調、瑟調,皆周房中曲之遺聲,漢世謂之三調。』則似漢代己有清商三調的稱呼了.」

(『清商三調』,而其初,則是僅有『清商』曲之稱.我們如今就來談漢朝起初的『清商』曲的古琴的訂弦法.而唐朝杜佑《通典》:平調、清調、瑟調は皆周の房中曲の遺聲、漢世、これを三調といい、すべて相和調という。則似漢代己有清商三調的稱呼了.」とある。

李白の巻四303132-《清平調詞,三首之一・二・三》詩は、沈香亭の牡丹の宴に際し、勅命に因って作ったので、清調平調の二つを合して曲に譜したから、清平調といったので、もとより詩題ではない。それから、李白が勅命に因って作ったのは、この詩と宮中行楽詞十首とであるが、これに就いては、後人の記述が錯雑して、傳聞異辭、頗る多く、紛粉として、歸著するところを知らぬようである。そこで、今正史たる新舊唐書の文を挙げ、それから他の雑書の説をも引抄して、一わたり、研究して見ようと思う。但し、是等は、大抵、王埼註文の序誌碑傳年譜などに集めてあるので、何もここで新たに詮議したわけではないこと一言ここに断って置く。

劉句の《舊唐書》

「白既嗜酒,日與飲徒醉於酒肆。玄宗度曲,欲造樂府新詞,亟召白,白已臥於酒肆矣。召入,以水灑面,即令秉筆,頃之成十餘章,帝頗嘉之。嘗沉醉殿上,引足令高力士靴,由是斥去。乃浪?江湖,終日沉飲。時侍御史崔宗之謫官金陵,與白詩酒唱和。」

白、すでに酒をたしなみ、日に飲徒とともに酒肆に酔う。玄宗、曲を度して、楽府新調を造らんと欲し、すみやかに白を召す。年すでに酒肆に臥す。召し入るとき、水を以て面に灌ぎ、即ち筆を秉らしむ。これに頃くして、十餘草を成す。帝、頗る之を嘉す。かつて、殿上に沈醉し、高力士をして、靴を脱せしむ。これに由って、斥け去られ、乃ち江湖に浪跡し、終日沈飲す。時に侍御史崔宗之は金陵に謫官し,白詩と酒と唱和す。」とある。

次に宋祁の《新唐書・李白傳》

「玄宗,召見金鑾殿,論當世事,奏頌一篇。帝賜食,親為調羹,有詔供奉翰林。白猶與飲徒醉於市。帝坐沈香亭子,意有所感,欲得白為樂章;召入,而白已醉,左右以水靧面,稍解,援筆成文,婉麗精切無留思。帝愛其才,數宴見。白嘗侍帝,醉,使高力士靴。力士素貴,恥之,擿其詩以激楊貴妃,帝欲官白,妃輒沮止。白自知不為親近所容,益驁放不自脩,與知章、李適之、汝陽王璡、崔宗之、蘇晉、張旭、焦遂為「酒八仙人」。懇求還山,帝賜金放還。白浮游四方,嘗乘舟與崔宗之自采石至金陵,著宮錦袍坐舟中,旁若無人。」

玄宗、金鑾殿に召し見て、当世の事を論じ、頌一篇を奏す。帝、食を賜ひ、親ら爲に羹を調す、詔あり、翰林に供奉せしむ。白、なお飲徒と市に醉ふ。帝、沈香亭中に坐し、意咸ずるところあり、白を得て樂章を爲らしめむと欲し、召し入るれば、白、すでに醉へり。左右、水を以て面に注ぎ、稍々や解くるや、筆をとって之を成す、艶麗精切にして、恩を留むるなし。帝、その才を愛し、数ば宴飲す。

白、常に帝に侍し、酔うて、高力士をして靴を脱せしむ。力士顕貴、これを恥とし、その詩を摘まんで、以て楊貴妃を激す。帝、白を官せむと欲す、妃、輒ち沮んで止む。白、自ら近親に容れられざるを知り、益す驁放にして、自ら修せず、賀知章、李適之、汝陽王、崔宗之、蘇晉、張旭、焦遂とともに、酒中の八仙人となり、懇ろに山に還るを求む。帝、金を賜うて放還す。白 四方に浮游し,嘗て與崔宗之と乘舟し 采石より金陵に至る,宮錦袍を著し舟中に坐す,旁若無人。」とある。

《新唐書》卷二百二〈文藝列傳中·李白〉~5762

天寶初,南入會稽,與筠善,筠被召,故白亦至長安。往見賀知章,知章見其文,歎曰:「子,謫仙人也!」言於玄宗,召見金鑾殿,論當世事,奏頌一篇。帝賜食,親為調羹,有詔供奉翰林。白猶與飲徒醉于市。帝坐沈香子亭,意有所感,欲得白為樂章,召入,而白已醉,左右以水面,稍解,授筆成文,婉麗精切,無留思。帝愛其才,數宴見。白嘗侍帝,醉,使高力士靴。力士素貴,恥之,擿其詩以激楊貴妃,帝欲官白,妃輒沮止。白自知不為親近所容,益驁放不自脩,與知章、李適之、汝陽王璡、崔宗之、蘇晉、張旭、焦遂為「酒八仙人」。懇求還山,帝賜金放還。白浮游四方,嘗乘月與崔宗之自采石至金陵,著宮錦袍坐舟中,旁若無人。

(天寶の初め,南の方會稽入る,與筠と善くす,筠被召し,故に白 亦た長安に至る。往いて賀知章に見う,知章 其の文を見て,歎して曰く:「子,謫仙人也!」於れを玄宗に言う,金鑾殿に召して見う,論 世事に當る,頌一篇を奏す。食を賜ひ、親ら爲に羹を調す、詔あり、翰林に供奉せしむ。白、なお飲徒と市に醉ふ。帝 沈香子亭に坐し,意 感ずる所有r,白を得て樂章を為らしめんと欲し,召し入るれば,白 已に醉えり,左右、水を以て面に注ぎ、稍々や解くるや、筆をとって之を成す、艶麗精切にして、恩を留むるなし。帝、その才を愛し、数ば宴飲す。

白、常に帝に侍し、酔うて、高力士をして靴を脱せしむ。力士顕貴、これを恥とし、その詩を摘まんで、以て楊貴妃を激す。帝、白を官せむと欲す、妃、輒ち沮んで止む。白、自ら近親に容れられざるを知り、益す驁放にして、自ら修せず、賀知章、李適之、汝陽王、崔宗之、蘇晉、張旭、焦遂とともに、酒中の八仙人となり、懇ろに山に還るを求む。帝、金を賜うて放還す。白 四方に浮游し,嘗て與崔宗之と乘舟し 采石より金陵に至る,宮錦袍を著し舟中に坐す,旁若無人。

 

舊唐書、新唐書、二書の記するところ、各も詳略はあるも、李白の作ったのは、欒府新調、もしくは楽章というだけで、詩を特定しているわけではない。しかし、舊唐書には十餘章とあるから、宮中行楽詞を指したものらしく、新書には、「帝 沈香亭中に坐す」とあるから、どうやら、興慶宮の龍池のほとり沈香亭の前の牡丹を詠じた清平調詩らしいが、これだけでは、どうも確定まではできない。それから孟棨の本事詩は、前に宮中行楽詞の候下に引いたが、明かに、同詞である。

 

 

次に太平廣記に引ける韋叡の松窓録は、一番詳しく、

「開元中,禁中初重木芍藥,即今牡丹也。《開元天寶》花呼木芍藥,本記云禁中為牡丹花。得四本紅、紫、淺紅、通白者,上因移植於興慶池東沉香亭前。會花方繁開,上乘月夜召太真妃以步輦從。詔特選梨園子弟中尤者,得樂十六色。」(開元中、禁中、はじめて木芍薬を重んず、即ち今の牡丹なり。四本、紅、紫、浅紅、通白なるものを得たり。上、輿慶地東の沈香亭前に移植す。たまたま、花、まさに繁開す。上、照夜白の馬に乗じ、太眞妃、歩輦を以て従う。詔して、特に梨園弟子中の尤なるものを選び、樂十六部を得たり。)

李龜年手捧檀板,押眾樂前,將欲歌。上曰:"賞名花對妃子焉用舊樂辭?"為遽命,龜年持金花箋,宣賜翰林學士李白進清平調辭三章,白欣承詔旨,猶苦宿醒未解,援筆賦: 雲想衣裳花想容, 春風拂檻露華濃。 若非群玉山頭見, 會向瑤台月下逢。   一枝紅豔露凝香, 雲雨巫山枉斷腸。 借問漢宮誰得似, 可憐飛燕倚新妝。   名花傾國兩相歡, 常得君王帶笑看。 解釋春風無限恨, 沉香亭北倚欄幹。   龜年捧詞進,上命黎園弟子約略詞調撫絲竹,遂捉龜年以歌。妃持頗黎七寶杯,酌西涼州葡萄酒,笑領歌意甚厚。

(李亀年、歌を以て一時の名をほしいままにす、手に檀板を捧げ、衆樂を押して前み、将に之を歌はむとす。上曰く、名花を賞し、妃子に対す、焉んぞ、舊樂詩を用ふるを爲さむ、と。遂に亀年に命じ、金花箋を持し、翰林供奉李白に宣賜し、立どころに、清平調辭三首を進めしむ。白、欣然として旨を承け、なお宿酲未だ解けざるに苦みつつ、因って、筆を援って之を賦す。その辭に曰く、云云と。龜年、遽に辭を以て進む。上、梨園の弟子に命じ、約略、絲竹を調撫し、遂に龜年を促し、以て歌はしむ。太眞妃、披璃七賓を持して、西涼州の蒲桃酒を酌み、笑って歌意を領する、甚だ惇し。)

上因調玉笛以倚曲,每曲遍將換,則遲其聲以媚之。太真飲罷,斂繡巾重拜上。龜年常語於五王,獨憶以歌得自勝者,無出於此,抑亦一時之極致耳。上自是顧李翰林尤異於他學士。

(上、因って、玉笛を調し、以て曲に倚り、曲遍、將に換らむとする毎に、すなはち、其聲を遅くして、以て之に媚ぶ。太眞妃、飲罷んで、繍巾を斂め、重ねて、上を拝す。龜年、常に五王に語る、ひとり憶ふに、歌を以て自ら勝るを得るもの、これより出づるはなしと。抑も、亦一時の極致のみ。上、これより一、李翰林を顧みること、尤も他の學士に異なり)とあって、ここには、明かに清平調としてある。それから、李陽氷の草堂集序には「天寳中,皇祖下詔,徵就金馬,降輦歩迎,如見綺皓,以七寳牀賜食,御手調羮以飯之,謂曰:卿是布衣,名為朕知,非素蓄道義,何以及此。?'置於金鑾殿, 出入翰林中, 問以國政, 潛草詔誥, 人無知者。」(天寶中、皇祖〔玄宗を指す〕詔を下し、徴して、金馬に就かしめ、輦を降って歩迎し、綺晧を見るが如く、七寶牀を以て食を賜ひ、御手子、羹を調し、以て之に飲ましむ。謂って日く、卿は是れ布衣なるも、名、朕に知らる、素より道義を蓄ふるに非ざれば、何を以て、此に及ばむと。金鑾殿に置き、翰林中に出入し、問ふに国政を以てし、潜に詔誥を草せしむ、人、知るものなし)とあって、酔中に詩を賦した事などは、少しも書いてない。勿諭、陽氷は、太白の族叔であるから、この序中には、唯だ大なるものを挙げて、その他を略したのであらう。

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李白詩の整理(7/18ぶんまで)

李白詩の整理  整理番号 と Index

5月23日 1.訪載天山道士不遇
       2.峨眉山月歌
       3.江行寄遠
5月24日 4.秋下荊門
       5.渡荊門送別
       6.望天門山
       7.金陵酒肆留別
6月1日  8.蘇台覧古
6月2日  9.越中覧古
6月3日  10採蓮曲
6月4日 11緑水曲
 李白 12 越女詞 其一 
 李白 13 越女詞 其二
 李白 14 越女詞 其三
 李白 15 越女詞 其五
 李白 16 越女詞 其四
6月5日 西施ものがたり
6月6日 李白 17 淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君
 李白 18李白 贈孟浩然
 李白 19 李白 黄鶴楼送孟浩然之広陵
6月7日 李白 20 登太白峯
6月8日 孟郊
6月9日 李白 21 少年行
6月10日 杜甫 少年行
6月11日 王維 少年行
6月12日 李白 22 相逢行
 李白 23 玉階怨
6月13日 李白 24 春思
 李白 25 秋思
6月14日 李白 26 子夜呉歌其一 春  
 李白 27 子夜呉歌其二 夏
6月15日 李白 28 子夜呉歌其三 秋  
 李白 29 子夜呉歌其四 冬
6月16日 李白 30 塞下曲六首 其一(五月) 
 李白 31 塞下曲六首 其二(天兵) 
 李白 32 塞下曲六首 其三(駿馬) 
 李白 33 塞下曲六首 其四(白馬) 
6月17日 李白 34 塞下曲六首 其五(塞虜) 
 李白 35 塞下曲六首 其六(烽火) 
 李白 36  塞上曲(大漢)
6月18日 李白 37 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首(録一) 雑言古詩
6月19日 李白 38 関山月 五言古詩
6月20日 李白 39 王昭君二首 五言絶句
 李白 40 王昭君二首 雑言古詩
 李白 41 王昭君詠う(3)于巓採花
6月21日 李白 42 楊叛児 雑言古詩
6月22日 李白 43 静夜思 五言絶句
6月23日 李白 44 酬坊州王司馬与閻正字対雪見贈 五言古詩
6月24日 李白 45 玉階怨 五言絶句
6月25日 李白 46 春帰終南山松龍旧隠 五言古詩
6月26日 李白 47 烏夜啼 七言古詩
6月27日李白 48 梁園吟
6月28日李白 49 杜陵絶句
6月29日李白 50 春夜洛城聞笛
6月30日李白 51 元丹丘歌(李白と道教(1))
7月1日李白 52 西岳云台歌送丹邱子 李白と道教(2)
7月2日李白 53 寄東魯二稚子 李白と道教(3) 
陶淵明 責子
7月4日李白 54 襄陽歌ⅰ 李白と道教(5)
李白 54 襄陽歌ⅱ 
7月5日李白 55 襄陽曲 其一 李白と道教(6)
李白 56 襄陽曲 其二
李白 57 襄陽曲 其三
李白 58 襄陽曲 其四
7月6日李白 59 大堤曲 李白と道教(7)
李白 60 怨情 李白と道教(8)
李白 61 贈内 李白と道教(9)
李白 62 客中行 李白と道教(10)
7月7日李白 63 夜下征虜亭 李白と道教(11)
李白 64 春怨 李白と道教(12)
李白 65 陌上贈美人
7月8日李白 66 宣州謝朓樓餞別校書叔雲
7月9日李白 67 秋登宣城謝眺北楼
李白 68 久別離
7月9日李白 69 估客行
7月11日李白 70 清溪半夜聞笛
李白 71 秋浦歌十七首 其二
李白 72 清溪行
李白 73 宿清溪主人
7月12日李白 74 遠別離
李白 75 長門怨二首 其一
李白 76 長門怨二首 其二
7月13日李白 77 丁都護歌
李白 78 勞勞亭 五言絶句 
李白 79 勞勞亭歌 七言古詩
7月14日李白 80 白紵辭 其一
李白 81 白紵辭 其二
李白 82 巴女詞
7月15日李白 83 長干行
7月16日李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰
7月17日李白 85 太原早秋
李白 86 遊南陽清泠泉
7月18日李白 87 下終南山過斛斯山人宿置酒
 
 
 
 
  阮籍 詠懐詩 、 白眼視
 
  嵆康 幽憤詩
      幽憤詩 嵆康 訳注篇
 
 李白と道教(4)陶淵明 .責子
 
 謝朓 ① 玉階怨
 謝朓 ② 王孫遊
 謝朓 ③ 金谷聚
 謝朓 ④ 同王主薄有所思
 謝朓 ⑤ 遊東田
 謝靈運 東陽谿中贈答
 班婕妤
 蘇小小 

杜甫 2 遊龍門奉先寺

杜甫 2 遊龍門奉先寺
736年25歳 杜甫が竜門の奉先寺に遊んで、そこに宿したことをのべた詩である。
五言律詩(開元24年) もっとも初期の作品とされる
 

遊龍門奉先寺
己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
欲覚間島鐘、令人畿深省。

あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。

龍門の奉先寺に遊ぶ

いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。


遊龍門奉先寺
竜門 地名、伊闕ともいう。河南省洛陽の西南三十支部里(十七キロ)にあり、伊水によって断たれた峡谷。○奉先寺 竜門の北岸にあって、南に香山寺と対する。今も遺址が存する。

己従招提遊、更宿招提境。
いま、私はこの尊きお寺にて勉強させていただいたが、さらに此の寺の境内に泊まることにした。
招提 寺院をいう。梵語の拓鬭提奢を略して拓提といい、拓の字を更に写し訛って、招となったものという。○境:境域の内をいう。

陰壑生虚籟、月林散清影。
とまってみると北の谷では、うつろな風の音がしている、月光をあびた林はきよらかな活き影を地上に散乱している。
陰壑 北向きの日をうけない谷のこと。○虚籟 すがたが見えずしてきこえるひびき。草木などの風にふれている月林月光をうけたはやし。○清影 きよいかげ。○天闕 天の門。断峡のそびえているのをたとえていう。

天闕象緯逼、雲臥衣裳冷。
天への門かと怪しまれるこの高処には、上から星象が垂れ、近づくようであり、雲の降りているところに身を横えていると着物も冷やかに感じてくる。
象緯 象はすがた、緯は機のよこいと。天において二十八の経(たていと)とし、五星を緯(よこいと)とする。象緯とは星象の経緯の義であるが、ここでは単に星辰のことに用いている。此の句は又「天闕は象緯に逼せまる」と解す。○雲臥 作者が臥すのであり、雲とは高処なのでかくいう。雲に臥するとは悟りの心を連想する。

欲覚間島鐘、令人畿深省。
あけがた目が覚めようとする頃、あさの鐘の音を聞いていたら、それが聞く者に深い悟りの念を起さずにはいられない。
 めざめる。 ○晨鐘 あさのかねの音。 〇 聞く人一般を言って、自己は其の中に含める。 ○ おこすことをいう。 ○深省 省は大悟することをいう。

竜門の奉先寺に遊ぶ 
己に招技の遊びに従い 更に招技の境に宿す
陰峯に虚鞄生じ 月林清影を散ず
天閲に象緯逼(せま)る 雲に臥すれば衣裳冷やかなり
覚めんと欲して農鐘を聞く 人をして深省を発せしむ



 はじめの二句で寺を散策し泊まったことを述べている。中四句は僧坊にいて室外の風の音に耳を澄まし、樹林が月の光を反射して輝くのを見ている。そしてさらに龍門のふしぎな夜の様子に思いをめぐらし、最後の二句は、翌朝、目覚めたときを想像して結びとするもので、朝に聞く鐘の音は朝の目覚めと悟りの目覚めを掛けている。杜甫にとって、この場所は印象的だったのだ。「深省を発せしめん」とそれは聞くすべての者に、深い悟りの念を起こさせずにおかないと厳かな気持ちを詠っている。

已従 招提遊、更宿 招提境。
陰壑 生虚籟、月林 散清影。
天闕 象緯逼、雲臥 衣裳冷。
欲覚 聞晨鐘、令人 発深省。

詩の特徴 
 杜甫のもっとも得意とするのは五言、七言の古詩である。通常、律詩は、八句のうち前半四句を叙景もしくは叙事にあて、後半四句を感懐にあてる形式とるものなのだが、杜甫ははじめの二句を導入部、中四句を事柄の描写、最後の二句を結びの感懐に充てる形式をとることが多い。「龍門の奉先寺に遊ぶ」もそのようになっている。
 杜甫の特徴は題材の大きさにあり、場面の移り代わりが心の中に及んでいくことの見事さにある。

杜甫 1 端午日賜衣

杜甫 1 端午日賜衣

758乾元元年の五月五日 杜甫47歳
左拾遺であったとき、宮中より衣をたまわったことをのべている。杜甫が子供のように喜んでいる。杜甫人生、全詩の中から唯一無二の作品である。杜甫をスタートするにふさわしい本当に象徴的な作品。杜甫が分かればわかるほどこの作品時の杜甫がいとおしくなる。杜甫は誠実な詩人、苦悩することから、逃避していない。道教的な部分はなく、中国の良心ともいえる杜甫詩少しづつ見ていきます。杜甫の詩は作時期がはっきりしているが、必ずしも順序については、違っている。(長い詩が多いためで、私は長編詩を区切って紹介するのは、間違っていると思うので、それが理由で少し変わる可能性があるということである。)きっちり通してみていていくと杜甫のことがよく理解できると思う。

杜甫 1 端午日賜衣

五言律詩
端午日賜衣
宮衣亦有名,端午被恩榮。
細葛含風軟,香羅疊雪輕。
自天題處濕,當暑著來清。
意內稱長短,終身荷聖情。



こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。


 この詩は、杜甫の数ある四の中で、トップに取り上げるとすればおそらく初めてのことではないだろうか、杜詩を、何度も読み返している。一千首以上もあるのでそのたびに違った印象を受けたり、新たな発見ができたりしている。何度読み返して飽きることのない作者である。
 実は、この詩を頂点に詩の内容がガラッと変わっていくのである。正確にいえばこの詩の前後20首で変わっているのだ。
 ただ、このブログの趣旨は杜甫のエポックメーキングの考察にはないので一般論で紹介していくこととする。







意內稱長短,終身荷聖情。
腹の中で積もってみるにこの着物は真に自分のからだの寸法によく合っている。これを下さった我が君のお情けのかたじけなさは自分が一生涯のいただきものである。
○意内 自己のこころのなかではかってみる。一説に天子の意内とするが、恐らくは天子は一々臣下の身の寸法をはからせることはあるまい。 ○称 つりあいのよろしいこと、去声によむ。○長短 きもののせたけ、そでたけ等の長いこと、短いこと。○荷 いただいている。○聖情 聖君のお情け心。



自天題處濕,當暑著來清。
御筆で題されたところは墨のあともまだ乾かず、暑さにあたって之を身に着ければいと清々しい。
〇自天 「題署自天子」( 天子 自ら題署す)を省略して、題の字を下におく。役職名と名前を書いてある、天子みずから名を題したまえることをいう。○題処 かき記されたもの、此の句は首句の「有名」を承けるもの。○湿 墨の痕がうるおう、かきたてであることをいう。○当暑 あつさのおりに。 ○清 さっぱりしてすがすがしいこと。



細葛含風軟,香羅疊雪輕
その着物は、細い葛の糸を用いたのは風を含んでしなやかであり、香を燻らした薄絹のものは雪色を畳んでふわりとしている。
○細葛 ほそいくずのいとでつくった衣をいう。 ○含風気孔が多くて風をいれやすいこと。 ○軟 しなやかなこと。 ○香羅 かんばしいうすぎぬの衣、香とは香をたきこめたのであろう。○畳雪 雪とは純白色をたとえていう、白衣を畳んであるのをみて雪をたたむと表現したもの。○転 ふわりとしている。



宮衣亦有名,端午被恩榮

こんど賜わった宮中でつくられた衣については、自分ほどのものの姓名まで御下賜者のなかにあって、端午のお祝い日にありがたき栄誉を被った。
○宮衣 宮女のつくった衣、即ち下の葛、羅を以て製したもの。 ○亦有名 「我亦た名有り」の義、宮中に名札版があり、賜衣者の列内に自分の姓名を確認できたのだ。最高に喜んでいる雰囲気を感じ取れる。○端午 夏暦では正月を寅とし、五月は午にあたる。五月が午であるために五の日をまた午とする、端は初の義、端午とは五月の初旬の午の日の義であるという。○恩栄 天子の御恩による栄誉。



 この詩は、杜甫の数ある四の中で、トップに取り上げるとすればおそらく初めてのことではないだろうか、杜詩を、何度も読み返している。一千首以上もあるのでそのたびに違った印象を受けたり、新たな発見ができたりしている。何度読み返して飽きることのない作者である。
 実は、この詩を頂点に詩の内容がガラッと変わっていくのである。正確にいえばこの詩の前後20首で変わっているのだ。
 ただ、このブログの趣旨は杜甫のエポックメーキングの考察にはないので一般論で紹介していくこととする。


○韻 名,榮、軽、清、情。

(端午の日衣を賜う)
宮衣亦名有り 端午恩栄を被る
細葛風を含んで軟やかに 香羅雪を畳んで軽(かるし)
天よりして題する処 湿い 署に当って 著け 来れば 清(きよし)。
意内 長短に 称う、 終身 聖情を 荷なう

幽憤詩 嵆康 訳注篇



 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩 から

「幽憤詩」
嗟余薄祜,少遭不造  哀焭靡識,越在繦緥

母兄鞠育,有慈無威  侍愛肆姐,不胴不師

爰及冠帯,馮寵自放  抗心希古,任其所尚

託好老荘,賤物貴身  志在守撲,養素全眞
曰余不敏,好善闇人  子玉之敗,屢増惟塵

大人含弘,蔵垢懐恥  民之多僻,政不由己
惟此褊心,顕明臧否  感悟思愆,怛若創痏

欲寡其過,謗議沸騰  性不傷物,頻致怨憎
昔慙柳恵,今愧孫登  内負宿心,外恧良朋

仰慕厳鄭,楽道閑居  与世無営,神気晏如
咨予不淑,嬰累多虞  匪降自天,寔由頑疎
 
理弊患結,卒結囹圄  對答鄙訊,縶此幽阻
實恥訟冤,時不我與  雖曰義直,神辱志沮
澡身滄浪,豈云能補  

邕邕鳴鳫,奮翼北遊  順時而動,得意忘憂
嗟我憤歎,曾莫能儔  事與願違,遘茲淹留
窮達有命,亦又何求  古人有言,善莫近名  
奉時恭默,咎悔不生  萬石周愼,安親保榮
世務紛紜,祗攪予情  安衆必誡,乃終判貞

煌煌靈芝,一年三秀  予獨何為,有志不就
懲難思復,心焉内疚  庶勗将来,無馨無臭
采薇山阿,散髪厳岫  永嘯長吟,頤性養壽


*区切りは韻によって便宜上わけた。

嗟余薄祜,少遭不造  哀焭靡識,越在繦緥
ああ、私は倖(しあわ)せうすく 幼い時に父を失い 憂い悲しむことを知らず 褓繦(むつき)の中にくるまっていた 

母兄鞠育,有慈無威  侍愛肆姐,不胴不師
母と兄とに養い育てられ 慈(いつく)しまれるも厳しさを知らず 愛に甘えて傲(おご)り高ぶり 訓(さと)されず師にもつかなかった

爰及冠帯,馮寵自放  抗心希古,任其所尚
成人して出仕するに及んでも 恩寵を頼んで恣(ほしいまま)に振舞い 心を高ぶらせて元古の世を慕い よしと思う道をひたすらに追い求めた 

託好老荘,賤物貴身  志在守撲,養素全眞
老荘の教えをこよなく愛し 外物をいやしんでおのれ一身を尊び 自然のまま飾(かざ)らぬ を志し 本質をつちかい真実を貫こうとした

曰余不敏,好善闇人  子玉之敗,屢増惟塵
だが私は愚かであったため 善意ばかりで世事に疎く 子文(しぶん)が子玉(しぎょく)の失敗を責められたように 窮地に陥ったこともしばしばであった 
○子玉 子文は楚の宰相で、子玉を信頼して大任を委譲したが、子玉がその器でなかったため失敗した.楚の蔿賈(いこ)は子玉の人間を見抜き失敗を予言して、子文を責めた。

大人含弘,蔵垢懐恥  民之多僻,政不由己
大人物は度量が広く 清濁をあわせのむものだが 悪事を働く人民が多い時に 責任のない地位にありながら 


惟此褊心,顕明臧否  感悟思愆,怛若創痏
狭い心を持ったばかりに さしでがましくも事の善悪を弁別した それを過失(あやまち)と悟った時には 打身のように胸は疼(うず)き 

欲寡其過,謗議沸騰  性不傷物,頻致怨憎
過失(あやまち)を犯すまいと努めても 非難の声はすでに沸きあがる 人を傷つけようとは思わなかったのに しきりに怨みと憎しみを招いてしまった 

昔慙柳恵,今愧孫登  内負宿心,外恧良朋
昔の人では柳下恵(りゅうかけい)に面目なく 今の人では孫登(そんとう)に会わす顔なく 内にかえりみてはかねての志に背(そむ)き 外に対しては良友に恥ずかしく思う
○柳恵 柳下恵は春秋魯の賢人、3度仕えて3度退けられても怨みに思うことなく、直道を貫いた。○孫登 孫登は嵆康と同時代の隠者。中山の北に居り、嵆康も修業を志して共にいたが、嵆康にはものも言わず、嵆康が去るに際して「子(きみ)は才多く、識寡(すくな)し、今の世に免れること難たし」と言った。

仰慕厳鄭,楽道閑居  与世無営,神気晏如
 かくして厳君平(げんくんぺい)や鄭子真(ていししん)のように 道を楽しみひっそりと暮らし 世間との交際(まじわり)を絶ち 精神を安らかに保とうと考えた
○厳鄭 厳君平も鄭子真もともに漢代の隠者。出仕せず、身を修め性(さが)を保った。厳君平が成都で売卜し、必要な収入をあげると店をたたんで、『老子』を説いたという。


咨予不淑,嬰累多虞  匪降自天,寔由頑疎
ああ私がいたらぬばかりに 煩(わずら)わしい ことに巻きこまれ心配が絶えぬ それは天のなせる業ではなく 実にかたくなで疎漏(そろう)な性格(さが)による 

理弊患結,卒結囹圄  對答鄙訊,縶此幽阻
道理は崩れ災禍(わざわい)は動かぬものとなって ついに囚獄(ひとや)につながれる身となり いやしい獄吏の訊問に答えつつ 奥深く隔てられ捕らわれている 

實恥訟冤,時不我與  雖曰義直,神辱志沮  澡身滄浪,豈云能補
訴えが理由(わけ)なくとも恥ずかしいことだが 時勢は私にみかたせぬようだ 真実はこちらにあるとはいえ 魂は屈辱にまみれ 志は挫(くじ)け 蹌踉(そうろう)の水に身を清めても もはや汚濁(おじょく)はぬぐいきれぬ


邕邕鳴鳫,奮翼北遊  順時而動,得意忘憂
雁はなごやかに鳴きかわし 大きく羽ばたいて北に飛び 季節に従って移り行き 満ち足りて思いわずらうこともない

嗟我憤歎,曾莫能儔  事與願違,遘茲淹留
 ああ私は嘆きまた憤(いきどお)る まったく雁とはくらべられぬ 事態は願望とくい違い 囚人としてここに留めおかれている 

窮達有命,亦又何求  古人有言,善莫近名
人生が天命に左右されるものであれば 何を求めようと詮無いことだ 古人も言ったではないか 「善行はつむとも名声をえてはならぬ」と 

奉時恭默,咎悔不生  萬石周愼,安親保榮
時の流れに従いつつましく生きれば 後悔などしなくともすむ 万石君(ばんせきくん)父子は慎み深かったゆえ 親は安らかで繁栄を保ったのだ 
○萬石 万石君は漢の石奮(せきふん:生年未詳~BC124年)のこと。石奮及びその子四人はともに二千石の大官となったので、景帝は「万石君父子」と呼んだという。ともに極めて謹直であって一門は栄えた。儒教の教え。

世務紛紜,祗攪予情  安衆必誡,乃終判貞
世の中はごたごたと用務が多く わが心をひたすらに乱すが 安楽であっても警戒を怠らなければ 順調にまた正しく生き抜けよう


煌煌靈芝,一年三秀  予獨何為,有志不就
光り輝く霊芝(れいし)は 一年に三度花開く この私だけが何ゆえに 志を抱くも遂げられぬか 

懲難思復,心焉内疚  庶勗将来,無馨無臭
災禍(わざわい)に懲り本来に戻ろうと思うが 戻れないもどかしさに恐れ心ひそかに憂慮する 願わくは望みを将来に託し 名誉もなく非難もなく 
○内疚 心の病。やろうとおもうができない○庶勗 勗:勖 務める。努力する

采薇山阿,散髪厳岫  永嘯長吟,頤性養壽
薇(のえんどう)を山かげに摘み ざんばら髪のまま岩山に隠れ 口笛を長く吹き詩を長閑(のどか)に吟じ 天性を養い寿命を永く保ちたいものだ

漢詩ブログについて、と李白36 楊叛兒と蘇東坡-蘇軾 ⑪江城子 密州出猟

 おもしろくない漢詩、とっつきにくい漢詩、漢詩に触れている人口は増加しているのか、減少しているのか、と考える前に、漢詩を紹介しているサイトが少なすぎるし、漢詩数も少ない。ブログをたたき台にしてほしいと考える。

 このブログは、漢詩を紹介してくサイト「漢文委員会kanbun-iinkai」に掲載するものの一部をブログで李白の場合は時系列で紹介できないができるだけ時系列も尊重しつつ進めていこうと考えている。漢文委員会のサイトもこのブログも今、公開開始して間もない、したがってできるだけ漢詩の数を紹介し、一定程度の量になったら、整理し、中身も充実さて行きたいと思っている。

 一定の量と質が蓄積して初めて次の段階に進もうと考えている。それは、このサイトでほとんどの漢詩を掲載すること、そのレベルも初心者から研究者の段階までを網羅したい。掲載した漢詩をさらに充実した内容のものにしたい。杜甫も、李白も王維も、白楽天、杜牧、蘇東坡も一首残らず掲載していくこと、を目指している。


李白36 楊叛兒

楊叛兒

君歌楊叛兒、妾勸新豐酒。
何許最關人、烏啼白門柳。
烏啼隱楊花、君醉留妾家。
博山爐中沈香火、雙煙一氣凌紫霞。

あなたが、『楊叛兒』の歌を歌えば、わたしは、新豊のお酒を勧めましょう。
一番気にかかるのはどこなのですか、カラスが鳴いている金陵の西門の柳になるだろう。
烏はハコヤナギの花に隠れて鳴いており、あなたは、酔っぱらってわたしの家に泊まる。
博山香炉の沈香の香煙は、二筋の煙が一つとなって、夕焼雲をはるかにしのぐ高さになる。

 もともとが恋歌。柳は男女の絡み合いを暗示している。「『楊叛兒』の歌を歌えば」は女性に今日はオッケーかと聞き、女性が飛び切りのお酒を注ぐことは、「お待ちしていました。オッケーよ」と答える。続いて女性が「酔っぱらても浮気心を起さず、私のところへ来るのですよ」高炉の煙はわかれて出てきてもひとつにむすばれる、情熱は最高峰に。
 これ以上は書きづらいがおおよそ以上である。


君は歌う 楊叛兒,妾は勸む 新豐の酒。
何許いずこか 最も 人に 關する,烏は啼く 白門の柳。
烏は啼いて楊花に 隱れ,君は醉ひて 妾の家に 留まる。
博山爐中 沈香じんこうの火,雙煙 一氣に  紫霞を 凌しのがん。


楊叛兒とはもと童謡で宮中の巫女のむすこ、楊旻ようびんにちなんだ歌詞「楊婆児」がなまって楊叛兒となった、と「叛」は「伴」の意。恋歌。

君歌楊叛兒
あなたが、『楊叛兒』の歌を歌えば。 ・君歌:あなた(男性を指す)は、(大きな声に出して)歌う。 ・楊叛兒:男女の愛情を表す歌。

『楽府詩集』現存八首の古辞の第二首に
 暫出白門前,楊柳可藏烏。
 歡作沈水香,儂作博山爐。
暫く白門の前に出るに,楊柳 烏を蔵すべし。。
きみは沈水の香となり,儂われは博山の爐となる

妾勸新豐酒
わたしは、新豊のお酒を勧めましょう。 ・妾:〔しょう〕わたし。わらわ。女性の一人称の謙称。 ・勸:すすめる。 ・新豐:陝西省驪山華清宮近くにある酒の名産地。長安東北郊20kmの地名。

 王維の『少年行』に新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。
 (紀 頌之のブログ6月11日参照

何許最關人
一番気にかかるのはどこなのですか。
 ・何許:どこ。いづこ。どんな。 ・最:もっとも。 ・關人:気にかかる。心配する。(人の)気になる。

烏啼白門柳
カラスが鳴いている金陵の西門の柳になるだろう。
 ・烏啼:カラスが鳴く。「烏」は人称代詞や疑問詞ともみられる。 ・白門:金陵の別称。五陵関係図参照長安西門の東南に花街があった。 ・柳:シダレヤナギ。前出楽府の「暫出白門前,楊柳可藏烏。」を蹈まえている。
五陵関係図
  五陵関係図   西門付近に花街があった。

烏啼隱楊花
烏はハコヤナギの花に隠れて鳴いており。
 ・隱:かくれる。かくす。前出「暫出白門前,楊柳可藏烏。」 ・楊花:ハコヤナギの花。風に吹かれてゆく、浮気っぽい女性を暗示する。

君醉留妾家
あなたは、酔っぱらってわたしの家に泊まる。
 ・醉:酔う。 ・留:とどまる。とどめる。 ・妾家:わたし(女性)の家。

博山爐中沈香火
博山香炉の沈香の香煙は。 
 ・博山:男女の情愛を暗示する。 ・博山爐:香炉の名。彝器(儀式用の鼎等の道具)の上に山の形を刻して装飾とした香炉。
 ・博山:山東省博山県の東南の峡谷名。 ・沈香:〔じんこう〕熱帯や広東省に産する香木の名で、水に沈むからこう呼ばれる。香の名。

雙煙一氣凌紫霞
二筋の煙が一つとなって、夕焼雲をはるかにしのぐ高さになる。
 ・雙煙:二筋の煙。 ・一氣:一つとなる。男女の意気が一つとなったさまをいう。 ・凌:しのぐ。おかす。越える。わたる。 ・紫霞:紫雲 夕焼雲よりはるかに高い。


博山炉について一番わかりやすいページがあったので。

前漢・錯金銅博山炉 :世界の秘宝 大集合_人民中国)参照

 

博山爐は香炉の一種で、古代貴族の贅沢品の1つ。高さは26センチ、錯金という入念な造りはほかにあまり例がない。錯金とは器の表面に溝を造り、同じ幅の金糸や金片を使って装飾を施した後に、磨いてつやを出すという製作方法で、針金象嵌ともいう。博山炉は、金糸や金片の違いを生かし、山にかかる折り重なった雲の形につくられ、空を行く雲や流れる水のように渋りがない芸術効果をおさめた。金糸は細いものもあれば太いものもあるが、細いものは髪の毛ほどの細さ。


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王維 少年行

王維 楽府詩 少年行四首
王維21歳の時 長安での作品


「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っていますが、王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。
四首は四場面の劇構成になっている。

王維の「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっています。時代は漢を借りている。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
 
 
新豊の美酒は 一斗で一万銭、咸陽、都の遊侠気どりは多い若者。
出逢と意気盛んで大いに飲もうと、馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで


新豊美酒斗十千:新豊の美酒は 一斗で一万銭 
 ・「新豊」の街は長安の東にあり、美酒の産地。「咸陽」は秦の都だったところで、漢代には都長安の貴族の住む住宅都市。

咸陽遊侠多少年:都に多い若者は 遊侠気どりで闊歩する

相逢意気為君飲:出逢っては  大いに飲もうと意気が合い

繋馬高楼垂柳辺:馬を繋いだ高楼の しだれ柳の陰のあたりで  
 ・王維は都の若者が意気揚々と馬に乗って酒楼に乗り込むようすを描く。繋いではいけない場所、高楼のほとりの柳の木に馬をつないだという言葉足らずという余韻を残している。

○韻 千、年、辺

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。

少年の行(うた)四首 其の一
新豊(しんぽう)の美酒は斗に十千(じゅっせん)
咸陽(かんよう)の遊侠(ゆうきょう)は少年多し
相逢(あいあ)える意気よ 君が為に飲まん
馬を繋げり 高楼の垂柳(すいりゅう)の辺(ほとり)
-----------------------------------

第2場面 出陣の心意気を詠う。

少年行四首 其二    
出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 


官職に就き 漢に仕えて羽林郎
驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい
たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ


出身仕漢羽林郎:官職に就き 漢に仕えて羽林郎
 ・「出身」というのは世に出ることですが、唐代では官吏になること。「羽林郎」(うりんろう)は漢の武官名で関中(都のある地域)の六郡の良家の子弟から選ばれる名誉の職のこと。

初随驃騎戦漁陽:驃騎将軍に従い 漁陽に出陣する
  ・ 驃騎将軍霍去病(かくきょへい)に従って漁陽(ぎょよう・北京の近所)に出陣してきましたが、最前線に出してもらえない。

孰知不向辺庭苦:辺境の戦に出たいが 行けぬ苦しみは誰にもわかるまい

縦死猶聞侠骨香:たとえ死んでも  勇者の誉れだけは顕わすのだ
・この苦しみは誰にもわかるまい。死んでもいいから勇者の誉れを顕わしたいのだと元気一杯。
○韻 郎、陽、香

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。
孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。

少年行四首 其の二
出身(しゅっしん)して漢に仕える羽林郎
初めて驃騎(ひょうき)に随って漁陽に戦う
孰(たれ)か知らん 辺庭に向かわざるの苦しみを
縦(たと)い死すとも猶お侠骨の香を聞かしめん

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第三場面は、最前線の戦を詠う。「単于」は匈奴(きょうど)の王ですが、漢の宣帝のころ、匈奴は五つの集団に分裂して、五人の単于が立って互いに攻め合っていた。これらの「五単于」をつぎつぎにやっつけたという勇壮な場面。場面は劇的に集約され、音楽に合わせて詠いながら、演舞をした。


年行四首 其三 
少年行四首 其三    
一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した


少年行四首 其三: 
一身能擘両彫弧:二人張りの強弓を   立てつづけに引き絞る
虜騎千重只似無:千万の夷狄の騎馬も いないに等しい
偏坐金鞍調白羽:鞍の上で身をよじり  白羽の矢を繰り出して
紛紛射殺五単于:つぎつぎと  五人の単于を射殺(いころ)した

○韻 弧、無、于

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。
偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其の三
一身能(よ)く擘(ひ)ける両彫弧(りょうちょうこ)
虜騎(りょき)の千重(せんじゅう) 只無きに似る
金鞍(きんあん)に偏坐して白羽(はくう)を調し
紛紛として射殺せり五単于(ごぜんう)

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 最終場面は都に凱旋して戦勝の祝宴があり、戦功が論ぜられる。

少年行四首 其四   
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮


漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え、雲台宮で議して 戦功を論ずる
天子は出御して 諸侯の印を賜わり、将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する


漢家君臣歓宴終:漢の君臣は 戦勝の祝宴を終え


高議雲台論戦功:雲台宮で議して 戦功を論ずる

天子臨軒賜侯印:天子は出御して 諸侯の印を賜わり
 ・最後に天子がお出ましになって封爵の褒美が与えられます。

将軍佩出明光宮:将軍は印綬を帯びて 明光宮を退出する
 ・将軍たちは封侯の印綬を帯びて明光宮を出ていく。最終場面は宴席で詠れるのにふさわしい。

○韻 終、功、宮


少年行四首 其四   
漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。
天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。


少年行四首 其の四
漢家(かんか)の君臣 歓宴(かんえん)を終え
雲台(うんだい)に高議(こうぎ)して 戦功を論ず天子は軒(けん)に臨みて侯印(こういん)を賜い
将軍は佩びて出でゆく明光宮(めいこうきゅう)



李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

杜甫 少年行

盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初一首詠い、しばらくして、二首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。

少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。

○少年行 少年のことをよんだうた。  ○白面郎 かおのしろいわかもの。  ○階 さかやのきざはし。  〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。  ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。  ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。


●韻 郎、牀、嘗

(少年行)
馬上誰が家の白面郎ぞ
階に臨み馬より下りて人の牀に坐す
姓氏を通ぜず麤豪そごう甚し
銀瓶ぎんべいを指点して酒を索もとめて嘗なむ

杜甫の詩では、ほとんど取り上げられることのない詩である。さらにほとんど取り上げられていない下紹介してみる。

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少年行二首
杜甫51歳の成都での作品
(1)
莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。
傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

笑てはいけない農家の古ぼけた食器を、
それに酒、肴を盛って若者に提供する
銀や硝子の飾り物を盃にして、その家の人を困らせる
みんな酔っぱらって、ついに竹林で寝てしまう。

笑ふこと莫れ田家の老瓦盆
酒を盛りてより見孫に長ず
銀を傾け玉に注いで人の眼を驚かす
共に醉うて終に同じく竹根に臥す

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(2)
災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。
黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。


多くのツバメは雛を育てたら全員去ってゆく
長江沿いの花は、女子供らが見ていった
片肌脱いだ貴族の息子どもは来て勝手に座っている
知っているだろう、御堂の前でしきりに頭っているのを


○燕去り子を結ぶ。夏の景を示す。○黄衫。唐の武徳四年廉人に敷して黄衣尨服せしむ  尨 ぼう。むくいぬ。


集燕 雛を養う渾べて去らんと欲す
花 子を結んで也多きこと無し
黄衫め年少 來ること宜しく數すべし
見ずや堂前東遯の波






李白 17少年行

李白 17少年行
「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、当時はやっていた。盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維21歳、李白31歳、二人は長安で杜甫51歳は成都であった。
 
 
 李白は太白山に登り、夢地希望を胸に都生活をする。そこで、遊侠の若者を楽府詩を詠う。

李白31歳の作品

 少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。


五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。
一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか
にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。
金市というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。

五陵の関係図
五陵関係図
 唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。
 ○韻 東、風、中。

少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の年少(ねんしょう)金市(きんし)の東
銀鞍(ぎんあん)白馬春風(しゅんぷう)を度(わた)る
落花(らっか)踏み尽くして  何処(いずこ)にか遊ぶ
笑って入る胡姫(こき)酒肆(しゅし)の中

唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
安史期のアジア5s




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