漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

歴史

Ⅰ李白詩集025 『李太白詩集 全二十五巻』《総合案内》973詩 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4123

Ⅰ李白詩集025 『李太白詩集 全二十五巻』《総合案内》973詩

        
 2014年4月30日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ360 唐宋八大家文読本 巻五 394 《柳州羅池廟碑》 韓愈kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 4126 (04/30) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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漢文委員会紀頌之タイトル002李白1000Ⅰ李白詩集025 『李太白詩集 全二十五巻』《総合案内》973詩 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4123
李白詩INDEX05

        
 

李太白詩集

 
 

全巻 総合案内

 
 

全二十五巻

979 首  
 IDNo.詩 體作品数 
        
 Ⅰ-1 李白詩全集 卷一(古詩五十九首)
 古風五十九首
 59 首  
 Ⅰ-2  (樂府三十首) 30 首  
 Ⅰ-3  (樂府三十七首) 37 首  
 Ⅰ-4 (樂府四十四首) 44 首  
 Ⅰ-5 李白詩全集 卷六 (古近體詩二十八首) 28 首  
 Ⅰ-6 李白詩全集 卷七 (古近體詩五十三首) 53 首  
 Ⅰ-7 李白詩全集 卷八 (古近體詩四十三首) 43 首  
 Ⅰ-8 李白詩全集 卷九(古近體詩二十四首) 24 首  
 Ⅰ-9 李白詩全集 卷十(古近體詩三十二首) 32 首  
 Ⅰ-10 李白詩全集 卷十一(古近體詩二十五首) 25 首  
 Ⅰ-11 李白詩全集 卷十二(古近體詩二十五首) 25 首  
 Ⅰ-12 李白詩全集 卷十三(古近體詩二十六首) 26 首  
 Ⅰ-13 李白詩全集 卷十四(古近體詩三十四首) 34 首  
 Ⅰ-14 李白詩全集 卷十五(古近體詩二十一首) 21 首  
 Ⅰ-15 李白詩全集 卷十六(古近體詩四十四首) 44 首  
 Ⅰ-16 李白詩全集 卷十七(古近體詩三十三首) 33 首  
 Ⅰ-17 李白詩全集 卷十八(古近體詩三十二首) 32 首  
 Ⅰ-18 李白詩全集 卷十九(古近體詩六十首)  60 首  
 Ⅰ-19 李白詩全集 卷二十(古近體詩三十六首) 36 首  
 Ⅰ-20 李白詩全集 卷二十一(古近體詩五十八首) 58 首  
 Ⅰ-21 李白詩全集 卷二十二(古近體詩四十七首) 47 首  
 Ⅰ-22 李白詩全集 卷二十三(古近體詩六十三首) 63 首  
 Ⅰ-23 李白詩全集 卷二十四(古近體詩八十八首) 88 首  
 Ⅰ-24 李白詩全集 卷二十五 (補遺)  37 首  
        
      979 首  
        
        
        
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出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

「出師の表」)とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことである。「出師」とは文字通り「師(=軍隊)を出す」ことであり、「表」とは公開される上奏文を指す。「出師表」自体は一般的な文書名であるが、歴史上、三国時代蜀の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅に奏上したものが著名であり、特に述べられない場合、「出師表」とはこれを指す。
 

2013年7月30日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
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出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#11>Ⅱ中唐詩754 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2754
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩
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謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-(まとめ)-諸葛亮 三国 詩<99-#14>Ⅱ李白に影響を与えた詩841 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2753

前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003















1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


1-1-1#1
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。

1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。

 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。

1-1-4#4
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。

1-1-5#5
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。

1-1-6#6
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。

1-1-7#7
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。


後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。

#2 

於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。


#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。
DCF00017












99-#5

謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。

曙00199-#6 
繇﹑王朗各拠州郡、

御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。

今歳不戦、明年不征、

孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。2-2-3#7

曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。

險於烏巢,危於祁連,

烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

曙0012-2-4#8

曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

#9 
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
百舌鳥02若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

#1

亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。

#2
是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。

亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。
#3

十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?

是の故に臣に託して疑わざるなり。 
#4
臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。

#-5

 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、

而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6

劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、

此れ臣の未だ解せざるの二なり。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。

此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。

 #9
臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10 

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、

此れ臣の未だ解せざるの六なり。 

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出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮 後出師表は呉にいた諸葛亮の親族、諸葛喬や諸葛恪が伝承したもので、蜀に残っていなくとも不自然ではない。陳寿が三国志に収録しなかったのは、魏王朝を「賊」呼ばわりするなど表現が過激だからであろう。いずれにしても、内容的に優れたものではない。何らかのものを諸葛亮が劉禅に書いたのではあろうが、こんな内容の薄さではなかったであろう。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表(まとめ)-諸葛亮  詩<99-#13>Ⅱ李白に影響を与えた詩840 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2748

後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2 
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです
 
十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?

是の故に臣に託して疑わざるなり。 


#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。

臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。

DCF00017












99-#5

謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。

#-5

 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、

而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。

曙00199-#6 
繇﹑王朗各拠州郡、

御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。

今歳不戦、明年不征、

孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、

此れ臣の未だ解せざるの二なり。

2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。

險於烏巢,危於祁連,

烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。

此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
曙0012-2-4#8

曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。


 

#9 
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
百舌鳥02若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。


 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#12>Ⅱ李白に影響を与えた詩839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2743

諸葛亮《出師表-後出師表》 その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。

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孟郊詩
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李商隠詩
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#12>Ⅱ李白に影響を与えた詩839 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2743


#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、
その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。
秭帰蹉跌、曹丕称帝。
それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。
凡事如是、難可逆見。
事態はおおよそここまで述べたようなものですが、これをあらかじめ予見して動くことは難しいことなのです。
臣鞠躬尽力、死而後已、
臣下である私は、身を挺して国家にお仕えし、死ぬまで全力を尽す所存です。
至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
この先成功するか失敗するか、幸運に遭うか不運に遭うかは、私の知恵ではあらかじめうまく予測することはできません。(全力で取り組んで勝利を手にしないといけないのです)。」と。
是有散関之役。
この後、北伐・散関(隴西・関中西)での戦いとなっていくのです。
此表、亮集所無、出張儼黙記。
この劉禅に対する諸葛亮の意思を表明する文章は、諸葛亮が編集したものではなく、呉の張儼【ちょうげん】の『黙記【もくき】』という孔明を評論した文集の中に記されたものである。
#12
然る後に呉は更【かわ】りて盟を違え、関羽は毀敗【きはい】し、
秭帰【しき】は蹉跌【さてつ】し、曹丕は帝を称す。
凡【およ】そ事は是の如くにして、逆【あらかじ】め見るべくは難し。
臣は鞠躬【きくきゅう】尽力し、死して後に已(や)む、
成敗【せいばい】利鈍【りどん】に至りては、臣の明の能く逆【あらかじ】め睹【み】るに非ざるなり」と。
 是に散関【さんかん】の役【えき】有り。
 此の表、亮の集むる無き所にして、張儼【ちょうげん】の黙記【もくき】より出す。
幻日環01













『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。


(下し文) #12
然る後に呉は更【かわ】りて盟を違え、関羽は毀敗【きはい】し、
秭帰【しき】は蹉跌【さてつ】し、曹丕は帝を称す。
凡【およ】そ事は是の如くにして、逆【あらかじ】め見るべくは難し。
臣は鞠躬【きくきゅう】尽力し、死して後に已(や)む、
成敗【せいばい】利鈍【りどん】に至りては、臣の明の能く逆【あらかじ】め睹【み】るに非ざるなり」と。
 是に散関【さんかん】の役【えき】有り。
 此の表、亮の集むる無き所にして、張儼【ちょうげん】の黙記【もくき】より出す。



(現代語訳)
その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。
それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。
事態はおおよそここまで述べたようなものですが、これをあらかじめ予見して動くことは難しいことなのです。
臣下である私は、身を挺して国家にお仕えし、死ぬまで全力を尽す所存です。
この先成功するか失敗するか、幸運に遭うか不運に遭うかは、私の知恵ではあらかじめうまく予測することはできません。(全力で取り組んで勝利を手にしないといけないのです)。」と。
この後、北伐・散関(隴西・関中西)での戦いとなっていくのです。
この劉禅に対する諸葛亮の意思を表明する文章は、諸葛亮が編集したものではなく、呉の張儼【ちょうげん】の『黙記【もくき】』という孔明を評論した文集の中に記されたものである。


(訳注) 99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、
その後に呉の孫権は考え方を変えて我々との同盟にそむいた。そして、関羽は策略にはまり、惨敗したのです。
・関羽毀敗 関羽は当初、完璧な守りを見せていたが、219年、当陽まで引き返したのち、孫権が江陵に自ら軍を率いてきていることを知り、それを恐れて西の麦城に拠った。援軍を上庸の劉封・孟達に求めたが拒絶された。孫権から降伏を勧告する使者が派遣されてくると、関羽は降伏を受けるふりをして逃走した。しかし219年12月、臨沮において関羽は関平らと共に退路を断たれ、捕虜となり斬首された。完璧な人間というのはいないということだろうか、関羽が敗れたことは、蜀のその後はじり貧になり、劉備の敗北につながる。この敗北は関羽の評価に大きな汚点である。結果からするとなぜ関羽が、劉備が、諸葛亮が、その後において、神格化されるのかわからない点である。


秭帰蹉跌、曹丕称帝。
それはホトトギスが足を滑らせた時ように、ちぐはぐになものだったのです。その後、曹操が死すと息子の曹丕が皇帝を名乗るのです。
・秭帰蹉跌 関羽は偽りごとの策略によって敗れてしまい、それはホトトギスが足を滑らせるように、ちぐはぐになって失敗したということをいう。
・曹丕称帝 建安25年(220年)に父が逝去すると、魏王に即位し丞相職を受け継ぐ。王位についたばかりの頃、私兵四千家あまりを統率して孟達が魏に帰伏し、大いに喜び孟達を厚遇した。当時、大勢の臣下のうちで、孟達への待遇があまりに度はずれであり、また地方の鎮めの任を任すべきでないと考えるものがあった。これを耳にすると、「私が彼の異心なきことを保証する。これも例えてみれば、蓬の茎で作った矢で蓬の原を射るようなものだ(毒を以て毒を制すの意)」といった。その後、献帝に禅譲を迫って皇帝の座に即いた。


凡事如是、難可逆見。
事態はおおよそここまで述べたようなものですが、これをあらかじめ予見して動くことは難しいことなのです。


臣鞠躬尽力、死而後已、
臣下である私は、身を挺して国家にお仕えし、死ぬまで全力を尽す所存です。

曙001
至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
この先成功するか失敗するか、幸運に遭うか不運に遭うかは、私の知恵ではあらかじめうまく予測することはできません。(全力で取り組んで勝利を手にしないといけないのです)。」と。


是有散関之役。
この後、北伐・散関(隴西・関中西)での戦いとなっていくのです。
・散関 開中四塞の一つ、隴西にある塞を云う。秦は東に函谷関、南に武関、西に散関、北に語関があって、自然の要塞の地である。函谷関より西をかんちゅう関中という。
北伐は227年から234年まで、5度行われている。ここでいう「建興6年(228年)春、諸葛亮は漢中より魏へ侵攻した。魏延は、自らが別働隊の兵1万を率い、諸葛亮の本隊と潼関で合流する作戦を提案したが、諸葛亮はこれを許可しなかった。魏延はその後も北伐の度にこの作戦を提案するが、いずれも諸葛亮により退けられている。
諸葛亮は宿将の趙雲をおとりに使って、郿を攻撃すると宣伝し、曹真がそちらに向かった隙を突いて、魏の西方の領地に進軍した。この動きに南安・天水・安定の3郡(いずれも現在の甘粛省に属する)は蜀に寝返った。魏はこの動きに対して張郃を派遣した。諸葛亮は戦略上の要地である街亭の守備に、かねてから才能を評価していた馬謖を任命したが、馬謖は配下の王平の諫言を無視して山上に布陣し、張郃により山の下を包囲され、水の供給源を断たれて敗北した。街亭を失ったことで蜀軍は進軍の拠点を失い、全軍撤退を余儀なくされた(街亭の戦い)。撤退時に諸葛亮は西県を制圧して1000余家を蜀に移住させた。
撤退後、諸葛亮は馬謖らを処刑したほか(「泣いて馬謖を斬る」の語源)、自らも位を3階級下げて右将軍になったが、引き続き丞相の職務を執行した。」というものをいう。


此表、亮集所無、出張儼黙記。
この劉禅に対する諸葛亮の意思を表明する文章は、諸葛亮が編集したものではなく、呉の張儼【ちょうげん】の『黙記【もくき】』という孔明を評論した文集の中に記されたものである。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#11>Ⅱ李白に影響を与えた詩838 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2738

諸葛亮《出師表-後出師表》#11  そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。


2013年7月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#11>Ⅱ李白に影響を与えた詩838 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2738
 

#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。

DCF00017













99-3-1#11
夫難平者,事也。
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。
昔先帝敗軍於楚,當此時,
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
曹操拊手,謂天下已定。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。
舉兵北征,夏侯授首:
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
此操之失計,而漢事將成也。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。

夫れ平らかなり難きは、事なり。
昔、先帝は軍を楚に敗れ、此の時に当たり、
曹操は拊手【ふしゅ】し、天下は以て定まれりと謂えり。
然る後、先帝は東に呉・越を連ねて、西に巴・蜀を取り、
兵を挙げて北征し、夏侯の首を授かる、
此れ操の失計にして漢の事の将に成らんとするなり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
99-3-1#11
夫難平者,事也。
昔先帝敗軍於楚,當此時,
曹操拊手,謂天下已定。
然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
舉兵北征,夏侯授首:
此操之失計,而漢事將成也。


(下し文)
夫れ平らかなり難きは、事なり。
昔、先帝は軍を楚に敗れ、此の時に当たり、
曹操は拊手【ふしゅ】し、天下は以て定まれりと謂えり。
然る後、先帝は東に呉・越を連ねて、西に巴・蜀を取り、
兵を挙げて北征し、夏侯の首を授かる、
此れ操の失計にして漢の事の将に成らんとするなり。


(現代語訳)
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。


(訳注)99-3-1#11
夫難平者,事也。
そもそも平穏というのは保つのが難しいもので、有事をかんがえていなければいけないのです。


昔先帝敗軍於楚,當此時,
昔、先帝は楚の土地で戦に敗れた、まさにそのときであります。
・敗軍 劉表が没し、劉表の後を継いだ劉琮が曹操に降伏した。諸葛亮は劉琮を討って荊州を奪ってしまえと進言したが、劉備は「忍びない」と言って断り、逃亡した。劉備が逃亡すると、劉琮配下や周辺の住民十数万が付いてきた。そのためその歩みは非常に遅く、すぐにでも曹操軍に追いつかれそうであった。ある人が住民を捨てて早く行軍し江陵を確保するべきだと劉備に進言したが、「大事を成すには人をもって大本としなければならない。私についてきた人たちを捨てるのは忍びない」と言って住民と共に行軍を続けた。
その後曹操の軽騎兵隊に追いつかれて大打撃を受け、劉備の軍勢すら散り散りで妻子と離ればなれになり、娘は曹操に捕らえられるという悲惨な状況だった。


曹操拊手,謂天下已定。
曹操は自分の思う通りになったということをポンと手を打って喜んで、これで天下は落ち着いたと言ったのです。
・拊手 ぽんとてをうつ、我が意を得たりと喜ぶさま。


然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,
その後に、先帝は東の呉や越を支配していた孫権と同盟をして、西の巴州や蜀州を攻め取った。


舉兵北征,夏侯授首:
その後さらに兵を挙げて北に遠征し、魏の将軍の夏侯淵の首を取りました。
・夏侯 夏侯淵(かこうえん)


此操之失計,而漢事將成也。
これは曹操の失策であり、漢の再興という事業が今まさに実現しようとしていたときでした。
DCF00018

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#10>Ⅱ李白に影響を与えた詩837 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2733

《出師表-後出師表》#10 今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。


2013年7月26日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
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孟浩然の詩 
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孟郊詩 
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李商隠詩 
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#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
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そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
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然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
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此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。

#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。

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『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#10
今民窮兵疲,而事不可息;
事不可息,則住與行,勞費正等;
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
此臣之未解六也。


(下し文)
今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、
此れ臣の未だ解せざるの六なり。


(現代語訳)
百舌鳥02今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。


(訳注) #10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。


事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。


而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。


此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#9>Ⅱ李白に影響を与えた詩836 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2728

諸葛亮 《出師表-後出師表》それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。


2013年7月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#9>Ⅱ李白に影響を与えた詩836 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2728


#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。


臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)

自臣到漢中、中間期年耳、
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
若復数年、則損参分之二也、
当何以図敵?
此臣之未解五也。


(下し文)
臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。


(現代語訳)
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。


(訳注)
自臣到漢中、中間期年耳、

私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。


然喪趙雲、陽羣、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
・趙雲 (未詳- 229年)は、中国後漢末期から三国時代の蜀の将軍。字は子龍(しりゅう)。冀州常山郡真定県(現在の河北省石家荘市正定県)の人。封号は永昌亭侯。諡は順平侯。子は趙統・趙広。
・陽羣
・馬玉
・閻芝 蜀の巴西太守。劉備が夷陵で敗れた時に、諸県で兵五千を集め加勢した。
・丁立
・白壽
・劉郃
・鄧銅


賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。


此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。


若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。


当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。


此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩835 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2723

諸葛亮 《出師表-後出師表》 先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。


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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩835 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2723


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です
2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

2-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

曙001#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。
#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
2-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
先帝每稱操為能,猶有此失;
況臣弩下,何能必勝:
此臣之未解四也。


(下し文) 2-2-4#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。

(現代語訳)
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。


(訳注) 2-2-4#8
満月003曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
・昌霸(しょうは)昌豨(シヤウキ)(?~206)ともいう《先主伝》。はじめ臧霸・孫観・呉敦・尹礼らとともに軍勢を集めて呂布に味方していたが、建安三年(一九八)に呂布が敗北すると曹操に降服した。同五年に劉備が下邳で曹操に叛いたとき、昌豨は東海郡において劉備に呼応したが、まもなく鎮圧された《武帝紀・先主伝》。その後四度叛し計五度降伏している。


任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
・李服 王子服(おう しふく、未詳- 200年)のこと。後漢末期の人物。字は子由。名を王服、または李服とも。 曹操暗殺計画に加わった罪で、200年(建安5年)に処刑されている。 『正史』では、献帝の密命により董承や劉備が中心となり計画した。曹操暗殺計画に加担した
・夏侯 夏侯 淵(かこう えん、未詳- 建安24年(219年)1月)は、中国、後漢末の武将。字は妙才。夏侯惇の族弟。正妻は曹操の妻の妹。従子に夏侯尚。子に夏侯覇ら。 軍の拠点間の迅速な移動やそれに基づいた奇襲攻撃、前線型武将の指揮、兵糧監督などの後方支援を得意とし、その迅速な行軍は「三日で五百里、六日で千里」と称えられた(『魏略』)。


先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。


況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。


此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩834 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2718

諸葛亮 《出師表-後出師表》#7曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。まるで兵法の書物でも有名な孫子や呉子を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。


2013年7月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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孟浩然の詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩834 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2718


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。
2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

華山0002-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
先帝每稱操為能,猶有此失;
況臣弩下,何能必勝:
此臣之未解四也。

#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。


『出師表-後出師表』-諸葛亮 現代語訳と訳註
(本文)
2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
仿怫孫、吳,然困於南陽,
險於烏巢,危於祁連,
逼於黎陽,幾敗北山,
殆死潼關,然後偽定一時耳;
況臣才弱,而欲以不危而定之:
此臣之未解三也。


(下し文)
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。


(現代語訳)
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。


(訳注)2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
・智計 知力と計略。


仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
・孫 春秋時代の思想家孫武の作とされる兵法書。後に武経七書の一つに数えられている。古今東西の兵法書のうち最も著名なものの一つである。 『孫子』の成立以前は、戦争の勝敗は天運に左右されるという考え方が強かった。孫武は戦史研究の結果から、戦争には勝った理由、負けた理由があり得ることを分析した。『孫子』の意義はここにある。 著者と目される孫武は、紀元前500年ごろに生きた人物で、当時新興国であった呉に仕え、その勢力拡大に大いに貢献した。
・吳 春秋戦国時代に著されたとされる兵法書。武経七書の一つ。古くから『孫子』と並び評されていた。しかし著者ははっきりとしない。中身の主人公でもある呉起またはその門人が著者であると言われるが、定かではない。 内容は呉起を主人公とした物語形式となっている。現存している『呉子』は六篇だが、『漢書』「芸文志」には「呉子四十八篇」と記されている。 部隊編制の方法、状況・地形毎の戦い方、兵の士気の上げ方、騎兵・戦車・弩・弓の運用方法などを説いている。
・南陽 春秋時代には楚に属する宛と呼ばれる都市であり、金属工業が盛んだった。秦の時代に強制的に移民が送り込まれて南陽郡が設置され、前漢の時代に発展が進んだ。後漢を興した光武帝は、この都市周辺の南陽盆地を勢力基盤としていた。後漢後期の140年(永和5)では、南陽郡の人口は52万戸で全土で最高を記録している。その後も、中国における経済、文化の中心地の一つとして発展を続けた。古代中国の科学者、文学者で地震計を発明したとされる張衡が南陽の出身である。


險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
・烏巢 215年に起こった戦いが有名で、孫権が劉備に荊州の一部返還を求めた際、劉備側から条件として曹操を攻めるように依頼されたことから始まった。孫権率いる大軍勢が張遼・楽進・李典を大将とする少数の曹操軍に大敗を喫したことで知られている。208年、赤壁の戦いで孫権、劉備の連合軍は烏林で曹操の軍を打ち破り曹操はまず江陵にそして荊州守備を部将たちに任せると許昌へと撤退した。周瑜らの曹操迎撃軍と劉備軍はそのまま江陵方面に進軍し荊州の制圧を開始したが、この時柴桑に駐屯していた孫権は余勢を駆ってか自ら軍を率いて江水を下り合肥城へと侵攻を開始した。
・祁連 祁連山草原和世界第三大峽谷的黑河大峽谷。


逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
・黎陽 官渡の戦いで敗れた袁紹は病没した後、袁譚と袁尚が袁家の後継をめぐり争った。曹操は内紛につけこんで袁譚・袁尚と黎陽で戦い、これを破った。
・北山 夏侯淵が敗北すると、曹公は漢中の地を争い、北山の麓に運んだ軍糧米は数千万囊もあった。


殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
・潼関 南流した黄河が華山につき当たって東に向かう屈曲点に位置し,また西からは渭水が注いで天下の険をなし,古来中原地方から関中に入る最大の要地として有名である。


況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。


此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。

nat0002

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩833 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2713

諸葛亮 《出師表-後出師表》#6 御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。


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孟郊詩
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李商隠詩
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99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
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99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。

#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 99
-#6
竹林0021劉繇﹑王朗各拠州郡、
論安言計、動引聖人、
群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、
使孫策坐大、遂并江東、
此臣之未解二也。


(下し文) #-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


(現代語訳)
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。


(訳注) #6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
・劉繇(りゅう よう、156年 - 197年)は、中国後漢末期の政治家。字は正礼。青州東莱郡牟平県(山東省煙台市牟平区)の人。漢の皇族の一人で、前漢の高祖の孫である斉の孝王劉将閭(劉肥の子)の少子の牟平共侯劉渫の直系末孫にあたる。祖父は劉本(劉丕とも、平原郡般県令)。父は劉輿(劉方とも、山陽太守)。伯父は劉寵(字は祖栄、会稽太守。陳王劉寵とは別人。)・劉韙。兄は劉岱ら。子は劉基・劉鑠・劉尚。『三国志』呉志に伝がある。
・王朗 王 朗(おう ろう、未詳 - 太和2年(228年))は、中国後漢末期から三国時代の政治家。徐州東海郡郯県(現:江蘇省連雲港市東海県)の人。字は景興。子は王粛。甥(兄の子)は王詳。孫は王元姫。『三国志』魏書に伝がある。『魏略』によれば、元の諱は厳であったという。なお、于禁を曹操に推挙した同姓同名の別人がいる。


論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。


群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。


今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。


使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。


此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。
yuugure02

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708

諸葛亮 《出師表-後出師表》 高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。


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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708


後出師表 99-#1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
則此病不在兵少也、在一人耳。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
若不能然者、雖兵多何益!
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」

99-#2
 於是考微労、甄烈壮、引咎責躬、布所失於天下、厲兵講武、以為後図、戎士簡練、民忘其敗矣。亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
 
99-#3
 十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、王業不偏安、故託臣以討賊也。以先帝之明、量臣之才、故知臣伐賊才弱敵強也;然不伐賊、王業亦亡、惟坐待亡、孰与伐之?是故託臣而弗疑也。
99-#4
臣受命之日、寝不安席、食不甘味、思惟北征、宜先入南、故五月渡瀘、深入不毛、并日而食。臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。今賊適疲於西、又務於東、兵法乘労、此進趨之時也。
 
99-#5
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、
然渉険被創、危然後安。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑
平、而欲以長計取勝、
坐定天下、此臣之未解一也。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、論安言計、
動引聖人、群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、使孫策坐大、
遂并江東、此臣之未解二也。

99-#7
曹操智計殊絶於人、其用兵也、
髣彿孫﹑呉、然困於南陽、険於烏巣、危於祁連、偪於黎陽、幾敗北山、殆死潼関、然後偽定一時耳、況臣才弱、而欲以不危而定之、此臣之未解参也。

99-#8
 曹操五攻昌霸不下、四越巣湖不成、任用李服而李服図之、委夏侯而夏侯敗亡、先帝毎称操為能、猶有此失、況臣駑下、何能必勝?此臣之未解四也。

99-#9
 自臣到漢中、中間期年耳、然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、若復数年、則損参分之二也、当何以図敵?此臣之未解五也。
99-#10
 今民窮兵疲、而事不可息、事不可息、則住与行労費正等、而不及今図之、欲以一州之地与賊持久、此臣之未解六也。
99-#11
 夫難平者、事也。昔先帝敗軍於楚、当此時、曹操拊手、謂天下以定。
然後先帝東連呉﹑越、西取巴﹑蜀、挙兵北征、夏侯授首、此操之失計而漢事将成也。
99-#12
然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。


DCF00017













出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩832 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2708


99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
論安言計、動引聖人、
群疑満腹、衆難塞胸、
今歳不戦、明年不征、
使孫策坐大、遂并江東、
此臣之未解二也。

#-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
 劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。


『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
99-#5
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、
然渉険被創、危然後安。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
而欲以長計取勝、坐定天下、此臣之未解一也。


(下し文) #-5
 謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
 高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。


(現代語訳)
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。 
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。


(訳注) 99-#5
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。


高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。
・高帝: 漢の高祖のこと。
・高祖: (紀元前 247 ~紀元前 195 )前漢の初代皇帝で、
   在位は紀元前 206 ~紀元前 195 です。姓名は劉邦で字は季です。江蘇省の沛の人。項羽らとともに秦を滅ぼした。のちに項羽と争って帝位につき漢王朝をたて、都を長安に定めた。沛公のこと。
・謀臣: はかりごとの巧みな部下。
・淵深: 奥深いこと。


然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。


今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
・張良: (未詳~前 189 )前漢の高祖の謀臣で、字は子房。先祖は秦に滅ぼされた韓の国の宰相であったので、秦に報復するため始皇帝を博浪沙で討とうとしたが失敗した。
のち、蕭何や・韓信らとともに高祖を輔佐して天下を統一させた。漢の三傑の一人に挙げられている。
・陳平:(未詳- 紀元前178年)は、中国秦末から前漢初期にかけての政治家・軍師。 当初は魏咎・項羽などに仕官するものの長続きせず、最終的には劉邦に仕え、項羽との戦い(楚漢戦争)の中で危機に陥る劉邦を、さまざまな献策で救った。その後、劉邦の遺言により丞相となり、呂雉亡き後の呂氏一族を滅ぼして劉氏の政権を守るという功績を立てた。

而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
・長計: すぐれた計画。


此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
白砂渡船場イメージ

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩831 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2703

諸葛亮 《出師表-後出師表》  家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。

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李商隠詩
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#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
然不伐賊、王業亦亡、
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
惟坐待亡、孰与伐之?
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?

是故託臣而弗疑也。

#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。

兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
曙001臣受命之日、寝不安席、
食不甘味、思惟北征、
宜先入南、故五月渡瀘、
深入不毛、并日而食。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
今賊適疲於西、又務於東、
兵法乘労、此進趨之時也。


(下し文) #4
臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。


(現代語訳)
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。


(訳注) #4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。


食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。


宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
・瀘: 川の名。瀘水。今の金沙江。雲南省を流れて、四川省で岷江と合流して長江に合流。


深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
・不毛: 土地の性質が悪くて、農作物が十分に育たない土地。ここでは魏のことをいう。諸葛亮の問題点であるが攻め込む際に蜀量を豊富に持っていかないで現地での調達を考えているので、肥沃でない処責めていくという意味になる


臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。


故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。


今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。


兵法乘労、此進趨之時也。
兵法の基本は相手が疲れ苦労しているときそれに乗じること、この趨勢に時機を逸しないで進攻することなのです。
華山000

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩830 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2698

諸葛亮 《出師表-後出師表》 そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。


2013年7月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩830 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2698


後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。

そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです
 
十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?
是の故に臣に託して疑わざるなり。
#4
臣受命之日、寝不安席、
食不甘味、思惟北征、
宜先入南、故五月渡瀘、
深入不毛、并日而食。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
今賊適疲於西、又務於東、
兵法乘労、此進趨之時也。
DCF00017











 


『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、
王業不偏安、故託臣以討賊也。
以先帝之明、量臣之才、
故知臣伐賊才弱敵強也;
然不伐賊、王業亦亡、
惟坐待亡、孰与伐之?
是故託臣而弗疑也。


(下し文) #3
 十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?
是の故に臣に託して疑わざるなり。


(現代語訳)
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。

だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。


(訳注) #3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。


「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。


王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
王業:帝王として天下をおさめる事業。


以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。


故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。


然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。


惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?


是故託臣而弗疑也。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩829 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2693

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孟郊詩
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李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩829 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2693


後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


#2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。

私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。

是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。

渓谷003







『出師表-後出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
曙001於是考微労、甄烈壮、
引咎責躬、布所失於天下、
厲兵講武、以為後図、
戎士簡練、民忘其敗矣。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。


(下し文)
是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。


(現代語訳)
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。


(訳注) #2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
・烈壮: 勇ましく、激しいこと。


引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
・引咎: 責任を負う。


厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
・講武: 武術を習って鍛錬する。
・後図: 将来への計画。


戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
・簡練: 選び出して鍛える。


亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。
・関中:函谷関から長安地方。
DCF00008

出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2688

諸葛亮《後出師表》、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。#1 亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが

2013年7月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#0>Ⅱ李白に影響を与えた詩828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2688
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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送李尚書【李遜。】赴襄陽八韻得長字 韓愈(韓退之) <162-#2>Ⅱ中唐詩742 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2694
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Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor野人送朱櫻 蜀中転々 杜甫 <500>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2690 杜甫詩1000-500-732/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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出師表-後出師表-諸葛亮 漢詩<99-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩828 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2688



後出師表 #1
 亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、則此病不在兵少也、在一人耳。今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;若不能然者、雖兵多何益!自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
#2
 於是考微労、甄烈壮、引咎責躬、布所失於天下、厲兵講武、以為後図、戎士簡練、民忘其敗矣。亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
 
#2
 十一月、上言曰:
「先帝慮漢﹑賊不両立、王業不偏安、故託臣以討賊也。以先帝之明、量臣之才、故知臣伐賊才弱敵強也;然不伐賊、王業亦亡、惟坐待亡、孰与伐之?是故託臣而弗疑也。
#3
臣受命之日、寝不安席、食不甘味、思惟北征、宜先入南、故五月渡瀘、深入不毛、并日而食。臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。今賊適疲於西、又務於東、兵法乘労、此進趨之時也。
 
#4
謹陳其事如左:
高帝明並日月、謀臣淵深、然渉険被創、危然後安。今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、而欲以長計取勝、坐定天下、此臣之未解一也。
#5
劉繇﹑王朗各拠州郡、論安言計、動引聖人、群疑満腹、衆難塞胸、今歳不戦、明年不征、使孫策坐大、遂并江東、此臣之未解二也。

#6
曹操智計殊絶於人、其用兵也、髣彿孫﹑呉、然困於南陽、険於烏巣、危於祁連、偪於黎陽、幾敗北山、殆死潼関、然後偽定一時耳、況臣才弱、而欲以不危而定之、此臣之未解参也。

#7
 曹操五攻昌霸不下、四越巣湖不成、任用李服而李服図之、委夏侯而夏侯敗亡、先帝毎称操為能、猶有此失、況臣駑下、何能必勝?此臣之未解四也。

#8
 自臣到漢中、中間期年耳、然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、若復数年、則損参分之二也、当何以図敵?此臣之未解五也。
#9
 今民窮兵疲、而事不可息、事不可息、則住与行労費正等、而不及今図之、欲以一州之地与賊持久、此臣之未解六也。
#10
 夫難平者、事也。昔先帝敗軍於楚、当此時、曹操拊手、謂天下以定。然後先帝東連呉﹑越、西取巴﹑蜀、挙兵北征、夏侯授首、此操之失計而漢事将成也。然後呉更違盟、関羽毀敗、秭帰蹉跌、曹丕称帝。凡事如是、難可逆見。臣鞠躬尽力、死而後已、至於成敗利鈍、非臣之明所能逆睹也」
 
 是有散関之役。此表、亮集所無、出張儼黙記。
 

後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。

 nat0002












『後出師表』 現代語訳と訳註
(本文) 
#1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
則此病不在兵少也、在一人耳。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
若不能然者、雖兵多何益!
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」


(下し文)
亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。


(現代語訳)
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。


(訳注)
後出師表 
#1
建興6年(228年)、諸葛亮は劉禅に再び「出師表」を上奏したとされている。この時の文章は、先の「出師表」と区別して「後出師表」と呼ばれている。しかし、この文章は『三国志』の本文では言及されず、裴松之の注釈の中で、習鑿歯『漢晋春秋』から引用され、さらに陳寿の編纂した『諸葛亮集』にも見えず、呉の張儼『黙記』に見えると書かれている上、歴史事実との相違点が多い。こうしたことから後世の偽作とする見方が有力である。


鷹将亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷に魏の曹真が在集している。
・祁山﹑箕谷 諸葛亮はまず斜谷道から郿を奪うと宣伝し、趙雲・鄧芝を囮とし、箕谷に布陣させた。魏の曹真が全軍を率いてこの方面に向かった隙に、自らは軍を率いて西に回り込み、祁山を攻めた。諸葛亮のこの動きに呼応して、天水・南安・安定の3郡が蜀に寝返った。この時、魏の天水郡の武将であった姜維が蜀に降伏している。


皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。


則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。


今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
・校: いろんな事を引きあわせて調べる。
・変通: あらゆる物事に臨機応変に対処する。


若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。


自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。


則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。
・已後: それから後。
・闕: 欠点や過失のことです。

出師表-前出師表(まとめ)-諸葛亮 漢詩<97-#8>Ⅱ李白に影響を与えた詩827 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2683


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前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003















1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


1-1-1#1
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。

1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。

 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。

1-1-4#4
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。

1-1-5#5
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。

1-1-6#6
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。

1-1-7#7
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。



後出師表
2-1-1#1
先帝慮漢、賊不兩立,王業不偏安,故托臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊,才弱敵強也。然不伐賊,王業亦亡。惟坐而待亡,孰與伐之?是故托臣而弗疑也。
2-1-2#2
臣受命之日,寢不安席,食不甘味;思惟北征,宜先入南:故五月渡瀘,深入不毛,並日而食。──臣非不自惜也:顧王業不可偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意。而議者謂為非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法“乘勞”:此進趨之時也。謹陳其事如左:


2-2-1#3
高帝明並日月,謀臣淵深,然涉險被創,危然後安;今陛下未及高帝,謀臣不如良、平,而欲以長策取勝,坐定天下:此臣之未解一也。劉繇、王朗,各據州郡,論安言計,動引聖人,群疑滿腹,眾難塞胸;今歲不戰,明年不征,使孫策坐大,遂並江東:此臣之未解二也。
2-2-2#4
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,仿怫孫、吳,然困於南陽,險於烏巢,危於祁連,逼於黎陽,幾敗北山,殆死潼關,然後偽定一時耳;況臣才弱,而欲以不危而定之:此臣之未解三也。
2-2-3#5
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,先帝每稱操為能,猶有此失;況臣弩下,何能必勝:此臣之未解四也。自臣到漢中,中間期年耳,然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉合、鄧銅等,及驅長屯將七十余人,突將無前,叢叟、青羌,散騎武騎一千余人,
2-2-4#6
此皆數十年之內,所糾合四方之精銳,非一州之所有;若複數年,則損三分之二也。──當何以圖敵:此臣之未解五也。今民窮兵疲,而事不可息;事不可息,則住與行,勞費正等;而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:此臣之未解六也。

2-3-1#7
夫難平者,事也。昔先帝敗軍於楚,當此時,曹操拊手,謂天下已定。──然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,舉兵北征,夏侯授首:此操之失計,而漢事將成也。──然後吳更違盟,關羽毀敗,秭歸蹉跌,曹丕稱帝:凡事如是,難可逆見。臣鞠躬盡瘁,死而後已;至於成敗利鈍,非臣之明所能逆睹也。

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩826 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2678

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2013年7月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#7>Ⅱ李白に影響を与えた詩826 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2678


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。

DCF00018








『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#7
願陛下托臣以討賊興復之效,
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,以彰其慢。陛下亦宜自謀,以諮諏善道,
察納雅言,深追先帝遺詔。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
臨表涕泣,不知所云。


(下し文)
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。


(現代語訳)
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


(訳注)#7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
・興復: 元通りに復興させる


不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。


若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。


以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。


以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
・諮諏: 臣下に公の問題について相談をする。
・察納: よく調べて意見を聞き入れる。
・雅言: 角の取れたきれいな言葉。


臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。


臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。


・攸之 郭攸之(かく ゆうし、生没年不詳)のこと。中国の後漢時代末期から三国時代にかけての政治家。蜀(蜀漢)の官僚、政治家。字は演長。荊州南陽郡の人。才能と学問で当時の人に名を知られる。劉備に仕えた時代の事績は残らないが、出師表によれば、費禕・董允らと共に劉備によって抜擢されたという。劉備の死後は引き続き劉禅に仕えた。
・依 費禕(ひ い、? - 253年)は、中国後漢末期から三国時代の人で、蜀漢の政治家・武将。字は文偉。費伯仁・費観の同族。費承・費恭の父。娘は皇太子劉璿の妃。『三国志』蜀書に伝が立っている。荊州江夏郡鄳(現在の湖北省武漢市江夏区)の人。
・允 董允(とう いん、? - 246年)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。字は休昭。父は董和。孫は董宏(晋の巴西太守)[1]。『三国志』蜀書に独立の伝がある[2]。
章武元年(221年)、劉備が即位し、劉禅を皇太子に立てると、その側近(太子舎人、次いで太子洗馬)として抜擢された。建興元年(223年)、劉禅が即位すると、黄門侍郎に任じられた。
終南山03

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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#6>Ⅱ李白に影響を与えた詩825 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2673


1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
臨表涕泣,不知所云。


『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
受命以來,夙夜憂慮,
恐付託不效,以傷先帝之明;
故五月渡瀘,深入不毛。
今南方已定,甲兵已足,
當獎帥三軍,北定中原,
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
興復漢室,還於舊都:
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
至於斟酌損益,進盡忠言,
則攸之、依、允等之任也。


(下し文)
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。


(現代語訳)
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。


(訳注)1-2-2#6
百舌鳥02受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
・夙夜: 朝早くから夜遅くまで。


恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
・託付: 人に頼む。


故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
・瀘: 瀘水という川。雲南省から四川省の岷江(びんこう)と合流して長江となる。
・不毛:作物が十分に育たない土地。


今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。


當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。


庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
・駑鈍: 才能が鈍いこと。
・姦凶: 悪者。魏国。


興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。


此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。


至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。


則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
・攸之 郭攸之(かく ゆうし、生没年不詳)のこと。中国の後漢時代末期から三国時代にかけての政治家。蜀(蜀漢)の官僚、政治家。字は演長。荊州南陽郡の人。才能と学問で当時の人に名を知られる。劉備に仕えた時代の事績は残らないが、出師表によれば、費禕・董允らと共に劉備によって抜擢されたという。劉備の死後は引き続き劉禅に仕えた。
・依 費禕(ひ い、? - 253年)は、中国後漢末期から三国時代の人で、蜀漢の政治家・武将。字は文偉。費伯仁・費観の同族。費承・費恭の父。娘は皇太子劉璿の妃。『三国志』蜀書に伝が立っている。荊州江夏郡鄳(現在の湖北省武漢市江夏区)の人。
・允 董允(とう いん、? - 246年)は、中国三国時代の蜀漢の政治家。字は休昭。父は董和。孫は董宏(晋の巴西太守)[1]。『三国志』蜀書に独立の伝がある[2]。
章武元年(221年)、劉備が即位し、劉禅を皇太子に立てると、その側近(太子舎人、次いで太子洗馬)として抜擢された。建興元年(223年)、劉禅が即位すると、黄門侍郎に任じられた。

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1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
恐付託不效,以傷先帝之明;
故五月渡瀘,深入不毛。
今南方已定,甲兵已足,
當獎帥三軍,北定中原,
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
興復漢室,還於舊都:
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
至於斟酌損益,進盡忠言,
則攸之、依、允等之任也。


『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
由是感激,遂許先帝以驅馳。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。


(下し文)
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。


(現代語訳)
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。

yuugure02















(訳注) 1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
・布衣: 庶民。
・南陽:今の河南省南陽市にあたる場所です。諸葛孔明の故郷であり、後漢の光武帝の育った所。
・躬耕(きゅうこう): 自分で田畑を耕す。


苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
・聞達: 有名になって出世をすること。
・諸侯: 君主のこと。


先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
・卑鄙: 下品で田舎びていることです。
・枉屈(おうくつ): 身分の高い人がへりくだって来訪する。


三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
・草廬: 襄陽の草葺きの庵(いおり)のこと。(地図参照)
・当世: 今の世の中。


由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
・駆馳: 駆け回って人のために尽くす。


後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
・傾覆: 国が滅びること。


奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。


先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。
謹慎: 行いが慎み深いこと。
大事: 国家の重大な仕事。
sas0024

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩823 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2663

諸葛亮《出師表-前出師表》#4 先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩823 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2663


諸葛亮
前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

4岳陽樓詩人003











『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
先帝在時,每與臣論此事,
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。


(下し文)
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。


(現代語訳)
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。


(訳注) #4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。


未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。


侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
尚書 中央官庁の役人。尚書省(しょうしょしょう)とは、中国で後漢代から元代まで存在した省。唐の三省六部体制の元で中書省・門下省の取り決めた事を六部に伝える役割を果たした。前漢代には尚書は少府(皇帝の私的財産を扱う部署)に属し、上奏を取り扱う役職であった。皇帝に対し何らかの上奏を行いたいと思う者は正副二つの上表書を尚書に提出し、尚書は副の方を閲覧し、それが良くないと思えばこれを皇帝には上奏しないということが出来た。つまり上奏を皇帝に見せるか否かは尚書が決定するということであり、そのため絶大な権限を誇った。宣帝の時代、これを憂慮した魏相はこうした故事は皇帝の耳目を塞ぐものであるとして廃止するように求め、宣帝は魏相を給事中に任じた上で、この故事を廃止させた(『漢書』魏相伝)。
長史 宰相の輔佐をする次官。長史という職権、職責の重さがあまりよく知られてないので、楊儀がその職にあって諸葛孔明に全幅の信頼を寄せられた。
参軍 軍事の相談に当たる役人。参軍と言う職は軍事アドバイザーであるが、軍を統率する司令官が参軍の言うことを無視すればそれだけの職であり、司令官の罪に連座させる諸葛亮の意図を図りかねる。三国志の著者・陳寿の父も馬謖の参軍と言うことでコン刑(屈辱刑であり、五体を損ねる肉刑に次ぐ重刑、降格とは比べものにならない)を受けたのだ。総司令官である諸葛亮も丞相から右将軍に降格し、諸将に詫びている。
貞良 志がまっすぐですぐれていること。
死節 大義のために死ぬ。


願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩822 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2658

諸葛亮《出師表-前出師表》#3 将軍の向寵【こうちょう】は、性質と行いは穏やかで公平である。軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。


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諸葛亮
前出師表
1-1-1#1
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忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
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誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。

1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、
志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。

渓谷003







『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
1-1-3#3
曙001將軍向寵,性行淑均,
曉暢軍事,試用之於昔日,
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
愚以為營中之事,事無大小,
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。


(下し文) 1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。


(現代語訳)
将軍の向寵【こうちょう】は、性質と行いは穏やかで公平である。
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。


(訳注) 1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵【こうちょう】は、性質と行いは穏やかで公平である。
・淑均 穏やかで公平で正しいことをおこなう。


曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
・暁暢 物事の道理によく通じている。


先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
行陳 軍隊の部隊のことで、陳は列ねることを云う「陣(じん)」のこと。


愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。


悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
・咨 ① 諮(はか)る,相談する.② 公文書


親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
・賢臣(けんしん): 才能や仁徳にすぐれた家臣のことです。
・興隆(こうりゅう): さかんになって栄えることです。


親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。
傾頽(けいたい): 勢力が衰えることです。

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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩821 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2653


諸葛亮
『前出師表』#1 
(前出師の表)#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中や役所の次官である侍郞の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。

1-1-3#3
必得裨補闕漏,有所廣益。將軍向寵,性行淑均,曉暢軍事,試用之於昔日,先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:愚以為營中之事,事無大小,悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。

1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。

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『出師表-前出師表』 現代語訳と訳註
(本文)
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
陟罰臧否,不宜異同:
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
不宜偏私,使內外異法也。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
愚以為宮中之事,事無大小,
悉以咨之,然後施行,
必得裨補闕漏,有所廣益。


(下し文) 1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。


(現代語訳)
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
陛下に政務のことを申し上げる侍中や役所の次官である侍郞の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。


(訳注)1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
・府中 政府の役所の中のこと。


陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
・陟罰  家臣をほめて官位を上げることと、罰して官位をさげること。
・臧否  人物の善し悪しの判断のこと。


若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
・犯科  罪によって法律を犯す。
・忠善  真心によって善を行う。
・有司  役人、あるいは官吏。


論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
・平明  公平で誰の目にも明らかなことを指す。


不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
・偏私 特定の人をえこひいきすること。


侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中や役所の次官である侍郞の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
・侍中 天子に政務のことを申し上げる役人のこと。
・侍郞 役所の次官に当たる役人のこと。
・良実 善良で実直な人格のこと。
・忠純 真心があって素直なこと。
・簡抜 多くの者たちの中から抜擢すること。


愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。


悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
・咨 相談することです。


必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。
・闕漏 手抜かりのこと。
・裨補 物事の悪いところを助けて補うこと。
華山000

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩820 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2648

諸葛亮 《前出師表》 陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

出師表-前出師表-諸葛亮 漢詩<97-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩820 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2648


出師表--諸葛亮
前出師表
鷹将1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。然侍衛之臣,不懈於內;忠志之士,忘身於外者:蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;陟罰臧否,不宜異同:若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,論其刑賞,以昭陛下平明之治;不宜偏私,使內外異法也。侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:愚以為宮中之事,事無大小,悉以咨之,然後施行,
1-1-3#3
必得裨補闕漏,有所廣益。將軍向寵,性行淑均,曉暢軍事,試用之於昔日,先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:愚以為營中之事,事無大小,悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。

1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,由是感激,遂許先帝以驅馳。後值傾覆,受任於敗軍之際,奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,恐付託不效,以傷先帝之明;故五月渡瀘,深入不毛。今南方已定,甲兵已足,當獎帥三軍,北定中原,庶竭駑鈍,攘除奸兇,興復漢室,還於舊都:此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。至於斟酌損益,進盡忠言,則攸之、依、允等之任也。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,不效則治臣之罪,以告先帝之靈;若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,以彰其慢。陛下亦宜自謀,以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。臣不勝受恩感激!今當遠離,臨表涕泣,不知所云。


後出師表
2-1-1#1
先帝慮漢、賊不兩立,王業不偏安,故托臣以討賊也。以先帝之明,量臣之才,故知臣伐賊,才弱敵強也。然不伐賊,王業亦亡。惟坐而待亡,孰與伐之?是故托臣而弗疑也。
2-1-2#2
臣受命之日,寢不安席,食不甘味;思惟北征,宜先入南:故五月渡瀘,深入不毛,並日而食。──臣非不自惜也:顧王業不可偏安於蜀都,故冒危難以奉先帝之遺意。而議者謂為非計。今賊適疲於西,又務於東,兵法“乘勞”:此進趨之時也。謹陳其事如左:


2-2-1#3
高帝明並日月,謀臣淵深,然涉險被創,危然後安;今陛下未及高帝,謀臣不如良、平,而欲以長策取勝,坐定天下:此臣之未解一也。劉繇、王朗,各據州郡,論安言計,動引聖人,群疑滿腹,眾難塞胸;今歲不戰,明年不征,使孫策坐大,遂並江東:此臣之未解二也。
2-2-2#4
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,仿怫孫、吳,然困於南陽,險於烏巢,危於祁連,逼於黎陽,幾敗北山,殆死潼關,然後偽定一時耳;況臣才弱,而欲以不危而定之:此臣之未解三也。
2-2-3#5
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,先帝每稱操為能,猶有此失;況臣弩下,何能必勝:此臣之未解四也。自臣到漢中,中間期年耳,然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉合、鄧銅等,及驅長屯將七十余人,突將無前,叢叟、青羌,散騎武騎一千余人,
2-2-4#6
此皆數十年之內,所糾合四方之精銳,非一州之所有;若複數年,則損三分之二也。──當何以圖敵:此臣之未解五也。今民窮兵疲,而事不可息;事不可息,則住與行,勞費正等;而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:此臣之未解六也。

2-3-1#7
夫難平者,事也。昔先帝敗軍於楚,當此時,曹操拊手,謂天下已定。──然後先帝東連吳、越,西取巴、蜀,舉兵北征,夏侯授首:此操之失計,而漢事將成也。──然後吳更違盟,關羽毀敗,秭歸蹉跌,曹丕稱帝:凡事如是,難可逆見。臣鞠躬盡瘁,死而後已;至於成敗利鈍,非臣之明所能逆睹也。




『前出師表』#1 
(前出師の表)#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。


  
『前出師表』#1 現代語訳と訳註
(本文)
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
然侍衛之臣,不懈於內;
忠志之士,忘身於外者:
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。


(下し文)
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。


(現代語訳)
(前出師の表)#1
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。


(訳注)
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;

陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
・創業  国の基礎を作り始めること。
・中道 物事を完成させる途中のこと。
・崩殂(ほうそ): 「崩御(ほうぎょ)」、天子(てんし)、つまり皇帝が亡くなること。
・殂とは、(帝が)死ぬという意味


今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。


然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。


忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
・忠志 忠義のこころざし。心のこもったこころざしのこと。


蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
・殊遇 特別の礼を尽くしてもてなす待遇のこと。


誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
・聖徳 天子(皇帝)の人格と知恵。仁義、慈愛、道徳。
・開張 開いて広げる。
・遺徳 亡くなった人ののこした徳。
・志士 国家や社会のために尽くそうという志を持つ人。
・恢弘 広める。


不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。
・菲薄 通常は自分の人格や能力を謙遜していう言葉であるが、ここでは諸葛亮が諫言する語として用いているもので、陛下はまだ修業のみ、まだまだ勉強中のみですよというほどの意味。
・忠諫 真心によって相手をいさめること。

安史の乱と李白(2) 「古風 其十九」 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214

漢詩李白 214 安史の乱と李白(2) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214

白ブログ210安史の乱と李白(2)で書いたように、始まりは安禄山の乱、その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地に一生を送る気持ちでいた。都追放は大きな痛手であった。心の平静をとり戻したとき、突如、安禄山の謀反の報が入って、詩人を驚愕させた。時に755年天宝十四年11月、李白55歳のことである。安禄山については、李白も長安時代、宮中で会っている。それが叛乱を起こしたと聞き、李白は驚をとおりこしたにちがいない。

 安禄山は、異民族出身でありながら、天宝の初め、平底節度使兼花陽節度使となり、東北地方の実権を握り、長安にしばしば参朝、玄宗に媚辞の男でうまくとり入り信任を得ているのである。楊貴妃に至っては、自分の利益と安禄山の野望が合致にして、このヒグマのような男を楊貴妃の養子にしているのである。馬に乗ること、歩くことも困難なくらい肥満の男であったのだ。750年天宝10年には河東節度使も兼ねるほどの勢力を得、玄宗の絶大の信任を得るに至った。初めは宰相李林甫には頭が上がらなかった。752年李林甫が病死以後、楊氏一族の楊国忠が宰相となるに及んで、楊国忠と対立して、勢力を争うようになってきた。玄宗は安禄山に宰相の地位を与えようとしたが、楊国忠に反対されて実現されなかった。安禄山は、長安から詣陽(北京)に引き揚げてしまった。この時、両者の力を均等にできていたなら、歴史はちがっていたかもしれない。しかし、着々と反乱の準備をととのえた。叛乱前の不穏な動きは、李白、杜甫の詩にもある。

幽州胡馬客歌 李白 紀頌之の漢詩 李白193

行行游且獵篇 李白 紀頌之の漢詩 李白194

聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai李白特集350- 207


 ついに755年天宝14年11月9日、配下の軍隊十五万人を率いて洛陽に向かって進軍を開始した。そして、一か月後には洛陽を陥落させて、年を越して洛陽でみずから大燕皇帝と名のった。玄宗は哥舒翰に命じて潼関で防備させ、さらに洛陽の回復を命じたが、やがて安禄山軍のため潼関の守りも破られてしまった。この敗戦の前に、玄宗は、朝臣、賢臣の郭子儀を讒言によって詩を命じている。朝臣、賢臣の団結、体制の回復をすべき時、奸臣、宦官らの讒言を取り入れる王朝のたいせいでしかなかったのである。


756年
 天宝十五年六月、玄宗は、楊貴妃姉妹・楊国忠・高力士を従えて蜀に豪塵することになった。蜀に行く途中、長安の西に馬鬼駅があるが、ここが悲劇の場所である。玄宗の率いる軍隊によって楊国忠・楊貴妃の姉妹が殺され、ついで楊貴妃も絞死するという事態になった。この玄宗と楊貴妃の悲恋物語は、のちに白楽天の「長恨歌」によって有名となったことは周知のとおりである、玄宗は蜀に行ったが、皇太子は北方の霊武に行き、即位して、至徳と改元する。これが粛宗である。それは七月のことである。安禄山は長安に入り、略奪をほしいままにして、長安は大混乱となった。

李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ヒグマのようである、ジャンボ蝦蟇にしか見えない容貌であった。この男は数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男であった。  
李白とは正反対の男であり、腰が低く権力者に媚を売ってとり入る性格の持ち主であって親しくつきことなどまったくなかった。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。
憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(新江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。

--------------古風其十九
この「古風」五十九首中、「その十九」には、はじめに、仙人となって天上に上り、大空を飛んで下界を見る表現をとり、空想的に描いた神仙の世界を歌っているが、その大空から現実の「下界を見れば」として洛陽辺のことを歌う。


古風五十九首 其十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。



古風 其の十九

西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。

霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ

俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。

流血 野草にまみれ。 豺狼盡々冠纓。





風五十九首 其十九 現代語訳と訳註
(本文)

西岳蓮花山。 迢迢見明星。 素手把芙蓉。 虛步躡太清。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。 邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。 俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

(下し文)
古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。


(現代語訳)
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


(訳註)
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。


素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。


霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。


邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。


恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
恍恍 うっとり、夢見心地。○ 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。


俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の755天宝14載11月9日、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年12月13日には、も東都洛陽を陥落した。


流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。



 洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たるぞく叛乱軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき叛乱軍軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、かってな振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。
安禄山によって長安が陥れられた悲惨な情況は、洛陽の陥落よりまして李白の胸をえぐるものがあった。



--------------------扶風の豪士の歌へ



安史の乱 と李白 (1)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 213

安史の乱

概要
1. 755年11月初から763年にかけて、范陽・北方の辺境地域(現北京周辺)の三つの節度使を兼任する安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱である。

安禄山の乱

2. 反乱した安禄山の軍に対する唐の国軍の大部分はほとんどが経験の少ない傭兵で、全く刃が立たず、安禄山率いる反乱軍は挙兵からわずか1ヶ月で、唐の東都(中国の中心と考えられていた)洛陽を陥落させた。


3. 安禄山は皇帝(聖武)を名乗り、さらに長安へと侵攻を開始し6月長安の手前最後の砦である潼関が破られる。玄宗は蜀(現在の四川省)へと逃れる。その途上の馬嵬で、楊国忠、息子の楊暄・楊出・楊曉・楊晞兄弟、楊貴妃も絞殺された。


4. 玄宗は退位し、皇太子の李亨が霊武で粛宗として即位した。
安反乱軍は常に内紛を起こし、安禄山は息子慶緒に殺され、さらに史思明に殺害され権力は変わっていく。この反乱勢力の分裂は各地の叛乱を呼び起こす。しかし、一つの力にまとまらないものはやがて他国に援軍を求めた唐の国軍に制圧されることになる


5.王朝内部では、宦官勢力が強くなり、国全体では、潘鎮が地方の王気取りになっていき、王朝は実質支配を限定されたものとなっていく。しかしこれから150年唐王朝は続くのである。
 


叛乱軍の侵攻

●杜甫が奉先県の家族のもとで幼子の死を嘆いているころ、幽州の指陽(今の北京)では安禄山が兵を挙げていた。杜甫44歳の時である。

●その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地、宜城に一生を送りたいと思いつつあったとき、突如、安禄山の報が入って、驚愕させた。時に李白55歳の時である。


■ 安禄山の叛乱  755年 11月~

755 天宝十四年11月 9日、「逆賊・楊国忠を討て」と勅命を受けたと偽り、息子の安慶緒、高尚、厳荘、孫孝哲、阿史那承慶らと范陽で反乱を起こす。15万人の大軍を率いて夜半に洛陽への進軍する。太原、河北の諸郡は全て降伏させた。


12月13日には東都洛陽を陥してしまった。そうして翌年の6月18日には長安に入城する。その間の様子を少し詳しく述べると、


755 11月16日-朝廷では安西節度使封常清を召して対策を下問。封常清を先鋒部隊の大将として洛陽に進発させた。


755 12月 2日-高仙芝が総司令官として東に向かった。


755 12月 6日-陳留(河南省開封の陳留)陥落。


755 12月10日-鄭州(河南省許昌の鄭県)陥落。


755 12月13日-洛陽陥落。敗れた封常清は、高仙芝とともに洛陽と長安の間にある潼関で安禄山軍をくい止めようとしたが、監軍(目付)として従っていた嘗者の辺令誠の蔑言により、両名は玄宗より死を賜わった。そのあとは河西・院右の節度使哥舒翰に引き継がれた。


756 天宝15年元旦-安禄山は洛陽で帝位に即き、大燕聖武皇帝と称した。
 史思明と蔡希徳が常山を陥落させ、河北の奪還に成功した。しかし、唐側の郭子儀と李光弼によって、史思明が敗北し、さらに顔真卿が激しい抵抗を重ね、再び河北の情勢は危うくなる。再度、史思明が郭子儀と李光弼に敗北したことにより、河北の十数郡が唐に奪回される。南方も唐側の張巡らの活躍によって、配下の尹士奇や令狐潮の進軍を止められてしまう。


河北において、常山太守の顔杲卿と平原太守顔真卿が唐のために決起したため、叛乱軍は潼関攻撃を止め、河北へと引き返すところへ追いつめられた。

潼関に陣を布いた哥舒翰は、叛乱軍と対峙して動かなかったが、その間に平原太守の顔真卿ら河北の軍が賊の後方を撹乱したため、安禄山は花陽への一時撤退を考えはじめていた。ところが朝廷では、楊国忠らが哥舒翰の待期作戦に業をにやし、潼関を出て戦うよう督促。
 
叛乱軍の侵攻
756 6月 4日 潼関を出た哥舒翰は、函谷関の西、霊宝県で安禄山軍と戦って大敗。潼関へ逃げ帰ったのち、部下に強要されて賊に降った。
孫孝哲、張通儒、安守忠、田乾真に長安、関中を治めさせた。陳希烈、張均、張洎らは叛乱軍に降伏し、王維は捕らえられ、洛陽に連行された。長安、洛陽は、大虐殺を行ったので長安洛陽での反抗反撃がなくなり略奪の限りを尽くし、悲惨な状況になる。潼関の勝利に甘んじて唐国軍をそれ以上追わなかった。

杜甫乱前後の図003鳳翔

756 6月 10日 宮中で御前会議が開かれ、楊国忠は蜀(四川省) への行幸を請い、玄宗はそれを了承。


756 6月13日早朝-玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かった。


756 6月14日 馬嵬の駅で護衛の兵たちは、このような事態を招いた責任を問い、楊国忠および韓国夫人・秦国夫人を殺害。さらに楊貴妃に死を賜うことを要求。玄宗はやむをえずそれに従った。玄宗は皇太子(李亨)に討賊の任を与えてあとに残し、皇太子は西北の辺境にある霊武(寧夏回族自治区霊武)に逃れ、群臣に推されて帝位に即く(粛宗)。


756 6月18日-賊軍は長安へ入城。


756 6月19日-玄宗の一行は散開(隣酉省宝鶏市西南)に至る。


756 7月  唐側は態勢を立て直すのに成功した。関中の豪族たちが唐側についた。また、河北では顔真卿が抵抗を続け、南では張巡の守る雍丘を陥落できない状況が続いていた。


756 7月 唐の皇太子李亨が粛宗として、霊武で即位、郭子儀が軍を率いて加わった。唐軍が勢力回復するかと思われたが、房琯(杜甫のおさな馴染み)が敗れ、郭子儀と李光弼が山西に退き、史思明が河北で勝利し、顔真卿も平原を放棄し河南に逃げる。


756 7月28日 ようやく成都へ到着。


757 至徳2年(757年)正月、安慶緒は安禄山を殺害しこの乱は安慶緒によって続けられる。さらに、安慶緒は史思明に殺され、引き継がれたために安史の乱と呼ばれるようになり、史思明の子・史朝義が殺される763年まで続いていくことになった。この後も、安禄山の旧領はその配下であった3人が節度使として任命され、「河北三鎮」として唐に反抗的な態度を続けることになる。

 阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

 李白60宣州謝朓樓餞別校書叔雲で「蓬萊の文章 建安の骨、中間の小謝 又 清發。」と李白の時代と建安の武骨者の時代その中間に小謝、謝朓の存在影響を述べている。中間にあたる小謝、大謝については7月7日のブログで謝朓6首、謝霊運1首を挙げた。

 建安の武骨者は、竹林の七賢であるが、この7人は一緒に清談をしたのではないことは周知のことと思う。建安の思想的背景は道教にあると考えている。道教と老荘思想と関係ないという学説もあるが、儒教国学から嫌気を老荘思想に映っていく時代背景に戦国時代があり、道教に老荘思想が取り込まれ、また変化している。一般に老荘思想はものの生滅について「生死は表層的変化の一つに過ぎない」と言う立場を取るとされが、不老長寿の仙人が道教において理想とされることは、老荘思想と矛盾しているように見える。しかし、道教の思想において両者は矛盾するものではない。
 老荘思想の「道」は道教にも、仏教にも取り込まれて行ったのである。思想は時代によって進化し、衰退するものである。


 李白が影響受けたのは自由奔放だった阮籍と反骨の嵆康である。
戦国の世、交代が進む世にあっては、いつ何時政争に巻き込まれ、諫言、策略、陥れあらゆることが身を危険にする時代である。阮籍は「仙人」「佯狂」を装うことによって危険から距離を置いた。李白は影響受けたであろう。

詠懐詩  阮籍

夜中不能寐、起坐弾鳴琴。
薄帷鑒明月、清風吹我襟。
孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。
徘徊将何見、憂思独傷心。

深夜を迎えたというのに眠ることができない、床より出て座して琴を弾く、帳には名月が影を落とし、涼しい風が我が襟を吹く
孤鴻は外野に叫び、朔鳥は北林に鳴く、その声に誘われてあたりをうろうろと歩き回っては、悲しい思いにふけるのだ

夜中 寐(い)ぬる能はず、起坐して鳴琴を弾ず
薄帷に明月鑒(て)り、清風 我が襟を吹く
孤鴻 外野に號(さけ)び、朔鳥 北林に鳴く
徘徊して 将に何をか見る、憂思して独り心を傷ましむ

 
酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。
この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく。

また仙人思想につながっていくのは、
【晋書・巻四十九・阮籍伝】
「籍又能為青白眼、見禮俗之士、以白眼對之。」
〈籍、又 能(よ)く青白眼を為(な)し、禮俗(れいぞく)の士に見(まみ)ゆるに、白眼を以て之(これ)に對(たい)す。〉

阮籍は、青(黒)目と白目を使い分ける事ができ、礼儀作法にとらわれている俗人と会う時には、白目をむいて向かい合った。(儒教は国に盲従する思想である。老荘思想を正面切っては語れない時代であった)白眼とは人を正面からまともに見ない、視線をそらす、ということが実際にはしたらしい。
まともに目をあわせると、黒目がしっかりと見える。これが青眼で、顔はむけけてても視線をそらせると、相手に自分の白目を多くみせることになる。これが白眼である。視線をそらすとか相手の目をちゃんとみないというのは、不誠実のあらわれであることは今でもいわれることだ。
つまり、阮籍は世俗人には実に自由奔放に、気の無い冷たい態度で接するということで自分の意思を示したのである。

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、国教にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

 李白は直接的には反骨精神を示してはいないが、心情的には、容認していた。建安文学の中での嵆康についてみていこう。


幽憤詩 嵆康

 嵆康(けいこう、224~262)は、三国時代の魏の文人。竹林の七賢の一人で、曹操(155~220年)の曽孫の長楽亭を妻とし、魏の宗室の姻戚として中散大夫に任じられたので、嵆中散とも呼ばれる。子に嵆紹(253~304年)がいる。非凡な才能と風采をもち、日頃からみだりに人と交際しようとせず、山中を渉猟して仙薬を求めたり鍛鉄をしたりするなどの行動を通して老荘思想に没頭した。友人の山濤(205~283年)が自分の後任に嵆康を吏部郎に推薦した時には「与山巨源絶交書」(『文選』所収)を書いて、それまで通りの生活を送った。この絶交書は自らの生き方を表明するために書かれたものである

当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、嵆康は讒言により死刑に処せられている。彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対す憤りと、その意図の目くらましであり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明とされる。

呂安の異母兄呂巽(りょせん)が呂安の妻と密通し、発覚を恐れてかえって呂安を不孝の罪で告発した。嵆康は友人のために弁護したが、当時の権臣鍾会(しょうかい、225~264年)の怨みを買われていたで、彼自身も有罪となり死刑に処されることになった。「幽憤詩」は呂安の事件で入獄中に作ったという。四言の長編に悶々の情と共に彼の精神史を書き綴っている。

「幽憤詩」
嗟余薄祜,少遭不造  哀焭靡識,越在繦緥

母兄鞠育,有慈無威  侍愛肆姐,不胴不師

爰及冠帯,馮寵自放  抗心希古,任其所尚

託好老荘,賤物貴身  志在守撲,養素全眞
曰余不敏,好善闇人  子玉之敗,屢増惟塵

大人含弘,蔵垢懐恥  民之多僻,政不由己
惟此褊心,顕明臧否  感悟思愆,怛若創痏

欲寡其過,謗議沸騰  性不傷物,頻致怨憎
昔慙柳恵,今愧孫登  内負宿心,外恧良朋

仰慕厳鄭,楽道閑居  与世無営,神気晏如
咨予不淑,嬰累多虞  匪降自天,寔由頑疎
 
理弊患結,卒結囹圄  對答鄙訊,縶此幽阻
實恥訟冤,時不我與  雖曰義直,神辱志沮
澡身滄浪,豈云能補  

邕邕鳴鳫,奮翼北遊  順時而動,得意忘憂
嗟我憤歎,曾莫能儔  事與願違,遘茲淹留
窮達有命,亦又何求  古人有言,善莫近名  
奉時恭默,咎悔不生  萬石周愼,安親保榮
世務紛紜,祗攪予情  安衆必誡,乃終判貞

煌煌靈芝,一年三秀  予獨何為,有志不就
懲難思復,心焉内疚  庶勗将来,無馨無臭
采薇山阿,散髪厳岫  永嘯長吟,頤性養壽



*区切りは韻によって便宜上わけた。

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白67宣州謝朓樓餞別校書叔雲 李白68秋登宣城謝眺北楼 李白69久別離 李白70估客行

李白は5つのとらえ方で詩をとらえていかないといけない。その中でかなり多いのが、故事を新しくしてよみがえらせることに大きな役割を示している。
李白は第一に、叙事性を発展させた。李白の楽府を前代のものにくらべると「おはなし」的要素がふえている。第二に、シーン造型が巧みであり、豊富である。六朝の類型的な表現をやぶって、情景を印象ぶかく描き出し、その上に、可能なかぎりの連想をはたらかせている。第三に空想力がたくましい。無限の可能性をもつ世界へのあこがれは、ひろい民衆の層の共感をかちえた。第四に快楽を謳歌した。従来の詩人がおおむね感情の沈潜に向うのに反して、李白は活動的であり、びとびとのよろこびやすい詩をつくった
 第五に、これらの四つの事項は李白天才性を表している。そして思想的背景に道教にあり、すべてに関連しているのだ。。


李白67宣州謝朓樓餞別校書叔雲


宣州謝朓樓餞別校書叔雲
棄我去者昨日之日不可留、亂我心者今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁。對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨。中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛。欲上青天覽明月。
抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。
人生在世不稱意。明朝散髪弄扁舟。


わたしを棄てて去っていく者、昨日という日に戻すことはできない。わたしの心をかき乱だす今日という日、いやな憂多い日にしてしまった。
ひゅうと長い風が萬里はるばる秋の雁を送ってきた、此の風を前にして高樓で酒盛りをしようではないか。
漢の時代の「蓬萊の文章」 建安の時代の気骨の者たち、その時から今のちょうど中間の時代の「小謝」(謝眺)は清々しく溌剌している。

彼らは皆、ずば抜けた高まった気持ちを抱きながら、元気盛んな思いを飛ばした。青空に上って明月を手に取ってみたいと思う。
刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。
人生というものは、この世間では思うようにならない。 明朝、髪をみだして勤めをやめ、小舟で湖上をさまよいたい

宣州の謝朓樓にて校書叔雲に餞別す
我を棄てて去る者は昨日の日にして留まる可からず、我が心を乱れる者は今日の日にして煩憂多し。
長風萬里 秋雁を送る、此に対して以って高樓に酣なるべし。
蓬萊の文章 建安の骨、中間の小謝 又 清發。
俱に逸興を懷いて 壯思 飛ぶ、青天に上りして 明月を覽と欲す。
刀を抽いて水を斷てば、水更に流れ、杯を挙げて愁を消せば、愁 更に愁。
人生 世に在りて 意に稱(かな)わざれば、明朝 髪を散じて、扁舟を弄せん。


宣州謝朓樓餞別校書叔雲
○宣州 安徽省宣城県。長江の南にある。 ○謝朓樓 六朝の南斉の詩人、謝朓が宣城の長官であった時、建てられた。北楼、謝公楼と呼ばれた。後世、畳嶂楼に改名された。 ○餞別 別れ、見送ること。 ○校書叔雲 校書は役職名。叔雲という人物。


棄我去者昨日之日不可留、亂我心者今日之日多煩憂。
わたしを棄てて去っていく者、昨日という日に戻すことはできない。わたしの心をかき乱だす今日という日、いやな憂多い日にしてしまった。
○煩憂 いろいろある心配事。

長風萬里送秋雁。對此可以酣高樓。
ひゅうと長い風が萬里はるばる秋の雁を送ってきた、此の風を前にして高樓で酒盛りをしようではないか。
○酣 たけなわ。


蓬萊文章建安骨。中間小謝又清發。
漢の時代の「蓬萊の文章」 建安の時代の気骨の者たち、その時から今のちょうど中間の時代の「小謝」(謝眺)は清々しく溌剌している。
○蓬萊 漢の時代の宮中のたくさんの書を収める書庫を東観という。仙人の書籍についてはすべて蓬莱山にあるという伝説になぞらえて東観を蓬莱と呼んだ。このことから『蓬莱の文章』というのは漢時代の文学のことを言う。  ○建安 2世紀末から3世紀にかけて三曹七賢とたくさんの詩人が出た。竹林の七賢といわれたが李白は竹渓の六逸と称して文人と交友した。  ○小謝 謝朓のこと。謝霊運を「大謝」という。  ○清發 すっきりして気が利いていること。


俱懷逸興壯思飛。欲上青天覽日月。
彼らは皆、ずば抜けた高まった気持ちを抱きながら、元気盛んな思いを飛ばした。青空に上って明月を手に取ってみたいと思う。
○逸興 ずば抜けた気分のたかまり。 ○壯思 元気盛んなおもい。 ○覽 手にとって見る。

抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。
刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。


人生在世不稱意。明朝散發弄扁舟。
人生というものは、この世間では思うようにならない。 明朝、髪をみだして勤めをやめ、小舟で湖上をさまよいたい。
○散發 役人の象徴の頭にかぶる冠を捨てて、自由なザンバラ髪になること。   ○扁舟 小舟。




李白68秋登宣城謝眺北楼


秋登宣城謝眺北楼
江城如畫裏、山曉望晴空。
兩水夾明鏡、雙橋落彩虹。
雙橋落彩虹、人烟寒橘柚。
人烟寒橘柚、秋色老梧桐。
誰念北樓上、臨風懷謝公。


長江に臨む宣城の街は、さながら絵の中の風景。山に日が傾くころ晴れわたった空を眺める。
街を流れる両の川は 夕日に映えてあかるい鏡のようで双つの橋を彩やかな虹の輝きを落おとす
人いえの煙は立ち上る ミカンの実は寒そうだ。秋の気配に青色の桐は枯れている。
いま、誰たれが北楼の上で佇んでいる、秋風に吹かれているここでありし日の謝公を懐う気持ちはたれが分かってくれるのか

秋登宣城謝朓北樓
(秋あき、宣城せんじょうの謝朓しゃちょう北楼ほくろうに登のぼる) 
◦五言律詩。空・虹・桐・公(平声東韻)。
『宋蜀刻本唐人集叢刊 李太白文集』(上海古籍出版社)には、題下に「宣城」との注あり。
 
江城如畫裏、山曉望晴空
長江に臨む宣城の街は、さながら絵の中の風景。山に日が傾くころ晴れわたった空を眺める。
◦曉 … 『瀛奎律髓刊誤』(掃葉山房)では「色」に作り、「曉」との傍注あり。『靜嘉堂文庫蔵宋刊本 李太白文集』(平岡武夫編『李白の作品』、京都大学人文科学研究所)、『宋蜀刻本唐人集叢刊 李太白文集』(上海古籍出版社)、『分類補註李太白詩』(『四部叢刊 初篇集部』所収)、『(分類補註)李太白詩』(『和刻本漢詩集成 唐詩2』所収)、『李翰林集』(江蘇廣陵古籍刻印社)、王琦編注『李太白全集』(中国書店)では「晩」に作る。
 
兩水夾明鏡、雙橋落彩虹。
街を流れる両の川は 夕日に映えてあかるい鏡のようで双つの橋を彩やかな虹の輝きを落おとす

人烟寒橘柚、秋色老梧桐。
人いえの煙は立ち上る ミカンの実は寒そうだ。秋の気配に青色の桐は枯れている。
◦寒  『宋蜀刻本唐人集叢刊 李太白文集』(上海古籍出版社)、王琦編注『李太白全集』(中国書店)には「一作空」との注あり。
 
誰念北樓上、臨風懷謝公。
いま、誰たれが北楼の上で佇んでいる、秋風に吹かれているここでありし日の謝公を懐う気持ちはたれが分かってくれるのか
◦懷 … 『瀛奎律髓刊誤』(掃葉山房)では「憶」に作る。

江城こうじょう 画裏がりのごとく、山やま暁あけて 晴空(せいくう)を望のぞむ。
両水りょうすい 明鏡めいきょうを夾はさみ、双橋そうきょう 彩虹さいこうを落おとす
人烟じんえん 橘柚きつゆう寒さむく、秋色しゅうしょく 梧桐ごとう老おゆ。
誰たれか念おもわん北楼ほくろうの上うえ 、
風かぜに臨のぞんで謝公しゃこうを懐おもわんとは


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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李白と道教(4)陶淵明 .責子

李白と道教(4)
 李白の子供たちへの思いの詩を取り上げたのは、子に対する本人の考え方を見ることと、道徳性、宗教とのかかわり等と関連して考えるとよく理解できるからだ。次に、中国を代表する詩人李白も尊敬していた詩人の詩を見てみることにする。李白は陶淵明に影響を受けているし、山東で自らも竹渓の六逸と称していた。
 41歳で官を辞して隠遁生活に入った陶淵明も彼から約200年前の竹林の七賢の影響を受けている。
次に、陶淵明の家族、わが子に対する詩を取り上げる。李白と陶淵明の違いをみよう。その違いはどこから来るのか、考えてみたい。儒教、老荘思想、道教とかかわった人たちがわが子に対してどういう感情でいたのか、詩によってみていこう。
  陶淵明(365~427年)は長男の命名の由来を詠んだ詩「命子」(子に命)にすでに見られる。そこでは、前半で旧士族である陶氏一族を誇り、子供の健やかな成長を願い、立派な人間になってもらいたいと期待する親の情愛を綴る後半に、陶淵明にとって家族がいかに大きな存在であるかを吐露している。
陶淵明は六十三年の生涯において官職についたのはわずか数年、しかもいずれの職もみな短期間で止めている。郷里に近い彭沢の令となったのは四十一歳、就任わずか八十余日でその地位をなげうち、「われ五斗の米を得る為に 腰を折るに能わず、拳々として郷里の小人に事えんや」(『晋書』隠逸・陶潜伝)と官僚生活と決別し、田園生活を営んだ。あこがれの田園生活を始めて二・三年、陶淵明は「責子」(子を責めん)を詠んだ。

陶淵明 .責子
________________________________________


白髮被兩鬢,肌膚不復實。
雖有五男兒,總不好紙筆。
阿舒已二八,懶惰故無匹。
阿宣行志學,而不好文術。
雍端年十三,不識六與七。
通子垂九齡,但覓梨與栗。
天運苟如此,且進杯中物。

 わたしはもう白髪が左右の耳にかぶさってきて、肌に色つやがなくなってきた。
五人の男の子がいるけれど、そろいもそろって勉強嫌い。
長男の舒は16歳にもなるというのに怠け者だ。
二男の宣はまもなく15歳で学問を志す年というのに、文章学問が好きでない。
雍と端はともに13歳、6と7を足せばじぶんのとしになることもわからない。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
ああ、これも天が与えた運命だというのか、試練ならば仕方あるまい。


責子
息子をせめる。息子たちのだらしないさまや修養を怠っていることをせめる。 ・子:息子。男子。

白髮被兩鬢、肌膚不復實。
わたしはもう白髪が左右の耳にかぶさってきて、肌に色つやがなくなってきた。
・白髮:しらがが左右両横の髪を覆い被さるような(年齢になり)。皮膚も、もうしっかりしたようではない。 
・白髮:しらが。 ・被:覆い被さる。こうむる。 ・兩鬢:左右両横の耳際の髪の毛。 ・肌膚:はだ。はだえ。皮膚。きふ。 ・不復:もう…でない。二度とは…ない。 ・實:みのり。充実。内容。

雖有五男兒、總不好紙筆
五人の男の子がいるけれど、そろいもそろって勉強嫌い。 
・雖有:いるとはいっても。あるものの。 ・五男兒:五人の男の子。五人の息子。 ・總:総じて。すべて。 ・不好:好まない。嫌う。ここの「好」は動詞で去声。 ・紙筆:紙と筆。筆紙。ここでは、勉強、学習の意になる。

阿舒已二八、懶惰故無匹
長男の舒は16歳にもなるというのに怠け者だ。
 ・阿舒:舒ちゃん。「阿-」は名や呼称の頭に附ける接頭辞。長男になる。 ・已:すでに。 ・二八:十六歳。2×8=16。掛け算の積で表す。例えば、「二八女郎」といえば「十六歳の乙女」の意。 ・懶惰:だらしがない。なまける。怠惰である。 ・故:もとより。もとから。≒「固」。もと。むかし。 ・無匹:類(たぐい)がない。

阿宣行志學、而不好文術
二男の宣はまもなく15歳で学問を志す年というのに、文章学問が好きでない。 
・阿宣:宣ちゃん。 ・行:ゆくゆく。まもなく。 ・志學:十五歳を謂う。『論語・爲政』「子曰:『吾十有五而志於學。三十而立。四十而不惑;。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲,不踰矩。』」に基づく。  ・而:…が。ここでは逆接になる。 ・文術:文章表記。国語技術。

雍端年十三、不識六與七
雍と端はともに13歳、6と7を足せばじぶんのとしになることもわからない。
 ・雍端:雍と端の二人の名。どちらも十三歳ということは、双子になる。 ・年十三:十三歳。 ・不識:知らない。分からない。知識が無くて分からない。 ・六與七:6と7との数量の差異。 ・與 数字の戯れ。

通子垂九齡、但覓梨與栗。
五男の通はもうすぐ9歳になるが梨や栗をねだるばかり。
 ・通子:通くん。 ・-子:名の後に附ける接尾辞。 ・垂:なんなんとしている。もうすぐに…になろうとしている。 ・九齡:九歳。:ただナシとクリを求めるだけである。幼くて食べ物にしか関心がないということ。 ・但:ただ…だけ。 ・覓:もとめる。 ・梨與栗:ナシとクリ。

天運苟如此、且進杯中物。
天の下した運命が、いやしくも、このような状態ならば。しばらくは、酒でも飲んでいよう。 
・天運:天の下した運命。天命。 ・苟:いやしくも。かりそめにも。 ・如此:このような。 ・且:しばし。しばらくは。 ・進:飲んでいる。飲んでいく。自分で飲み進める。 ・杯中物:酒をいう。


陶淵明の子については、五人で
この詩 44歳の時    舒、宣、雍、端、通、
10年後『與子儼等』では 儼、俟、份、佚、佟、
5人の子の成長に伴い名は変わった。


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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

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李白と道教(3) 李白47 寄東魯二稚子

李白と道教(3)李白47寄東魯二稚子

 紫陽の弟子では、元丹邱の血縁だろうと思われる元演がいる。李白が元演とも交ったことは「冬夜隋州の紫陽先生の飡霞楼に於いて烟子元演の仙城山に隠れるに送る 序」に見られる。
この詩の中で元丹邱は霞子と呼ばれている。これによっても丹邱は金丹にからんでいると考えられる。
道教は老荘思想に基づいている。李白は「竹林の七賢」を模して、これらの道士以外、あるいは道士を目指していたかもしれないが、山東での交友を「竹渓の六逸」と称して遊んでいる。ちなみに李白・孔巣父・韓準・裴政(ひせい)・張叔明・白陶沔(はくとうべん)の六名である。しかし、この交友関係は後に、呉筠、玉真公主等を通じて宮廷への推薦となっていくのである。

 山東は、四川の彰明とともに、李白の故郷となっている処である。四川は生まれ育った故郷であるが、山東、趙郡には李氏の一族が多く、李白にとって居心地のいいところで、永く住むことになったのだ。

後に孔巣父らに杜甫も加わって遊んでいる。杜甫も李白を山東の人と思っていただろう。李白は、ここで一婦人を娶って、一男を授かっている。彼は許圉師の孫女を娶って離縁し、劉氏を娶り、ここに於いて三度娶っている。
ここで李白の珍しい家族のことを詠った詩を見てみよう。後に金陵での作とされる「東魯の二稚子に寄せる」である。

寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉の地では桑の葉が緑あざやか、呉の蚕はもう三眠の時期に入った。
わが家、東魯におもいを寄せる、誰か亀陰の田に植え付けをするのか。
春の農事はもう手おくれだろう、江の旅もはるかな道のりで途方にくれる。』

ああ、南から風が吹く、風が故郷に帰りたい心を吹き流し、心が飛んで行ったところは居酒屋の前だ。
楼の東には 一株の桃の木がある、枝葉は茂って、その上に、青い靄がかかっている。
この桃樹は私が種えたものだ、この木に別れて、三年になろうとしている。
桃はいま楼の高さと同じようになっている。私の旅は今なお、かえらないでいる。』

やんちゃな娘の名前は平陽という。花の枝を折りとったものの桃の木によりそっている。
花を折りとったとしても私を見られないし、涙を流れる泉のようにながす。』
男の子名は伯禽、姐(あね)ともう肩を並べる高さになっている。
ならんで歩いて行く桃樹の下、二人の背中をいったい誰が撫でてやれるのだろう。』

こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮えたぎる。
白絹を裂いて遠く離れている父の気持ちを書きしるし故郷の汶陽川の流れに手紙を託そう。』


寄東魯二稚子
東魯の二稚子に寄せる
○東魯 現山東省。李白が玄宗に召されて長安に上る前、都合十年以上拠点として住んでいたうち、任城(現済寧)残した家族に旅先から子供に寄せてこの詩を作った。○稚子 幼い子供。


吳地桑葉綠、吳蠶已三眠。
呉の地では桑の葉が緑あざやか、呉の蚕はもう三眠の時期に入った。
○呉 江蘇省。李白は今ここにいる。○三眠 カイコは前後4回の休眠を経て、脱皮して成長し、繭を作る。その3回目の休眠を示す。


我家寄東魯、誰種龜陰田。 
わが家、東魯におもいを寄せる、誰か亀陰の田に植え付けをするのか。
○龜陰 亀山の北。亀山は山東省新泰県の南西にあり、済寧とは近い。ここでは広い意味に魯の全体を示す。


春事已不及。 江行復茫然。 
春の農事はもう手おくれだろう、江の旅もはるかな道のりで途方にくれる。
○春事 春の農事。○江行 水の旅 ○茫然 はるかぼんやりして途方にくれるさま。


南風吹歸心、飛墮酒樓前。 
ああ、南から風が吹く、風が故郷に帰りたい心を吹き流し、心が飛んで行ったところは居酒屋の前だ。
○酒楼 居酒屋。


樓東一株桃、枝葉拂青煙。 
楼の東には 一株の桃の木がある、枝葉は茂って、その上に、青い靄がかかっている。 
○青煙 青い霞


此樹我所種。 別來向三年。 
この桃樹は私が種えたものだ、この木に別れて、三年になろうとしている。


桃今與樓齊。 我行尚未旋。 
桃はいま楼の高さと同じようになっている。私の旅は今なお 帰らないでいる。


嬌女字平陽、折花倚桃邊。
やんちゃな娘の名前は平陽という。花の枝を折りとったものの桃の木によりそっている。
○嬌女 やんちゃなむすめ。

折花不見我。 淚下如流泉。
花を折りとったとしても私を見られないし、涙を流れる泉のようにながす。


小兒名伯禽。 與姐亦齊肩
男の子名は伯禽、姐(あね)ともう肩を並べる高さになっている。


雙行桃樹下。 撫背復誰憐。
ならんで歩いて行く桃樹の下、二人の背中をいったい誰が撫でてやれるのだろう。


念此失次第。 肝腸日憂煎。
こんなことを思いやると気持ちが萎えてきて、物事の順序がわからなくなり、肝臓も腸も毎日毎日、憂いに煮えたぎる。


裂素寫遠意。 因之汶陽川。
白絹を裂いて遠く離れている父の気持ちを書きしるし故郷の汶陽川の流れに手紙を託そう。
○素 白絹。 ○遠意 遠くにいる者の気持。○汶陽川 山東省を流れる川の名。汶水の北側の地方。



 李白のこのように自分の気持ちを吐露する詩は珍しい、しかも、子供たち対してのもの。だけど、前置きが長く、回りくどい言い回しである。李白であるからこういう言い方しかできまい。この詩をどこかで取り上げたかったのであるが、ここでしかないと考え、無理をして取り上げた。

 科挙試験にチャレンジできない李白は、求職活動に一生懸命であった。家族を残して、コネクションを築いていったのだ。


○韻 眠、田、然』 心、前、煙、年、旋』 邊、泉』 禽、肩、憐』 煎、川』

吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 


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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

 

登科後 孟郊

登科後  孟郊

 

昔日齷齪不足誇、今朝放蕩思無涯。
春風得意馬蹄疾、一日看尽長安花。


むかし、あくせくしていたことは自慢にはならない
今朝は合格発表心伸び伸び嬉しさ極まりない。
春風は徳満面ひずめの音も軽やかにする
今日一日は見尽くせる長安の花を


 この詩は、何度も何度も落第し、50歳前になってやっと合格した作者の嬉しさを表している。昨日まで、きっと
肩身の狭い思いをしていたはずである。得意満面、同じ春風も、ひずめの音も、違っている。とくに、長安の王侯貴族の庭は合格者には無礼講。長安の都はにはボタンの花でいっぱい。作者孟郊は手ばなしに喜んだ。


昔日(せきじつ)の齷齪(あくそく)誇りに足ら不(ず)
今朝(こんちょう)放蕩として思い涯(は)て無し
春風意(しゅんぷうい)を得て馬蹄疾(ばていはや)し
一日看(み)尽くす長安の花


 同じ作者の詩です。今年も落第しましたと、郷里の母親に手紙を出しています。この種の手紙の場合、通常母の口を借りた詩が多いのですが、作者はゆとりもなくなっているのでしょう。でも次こそ頑張るぞと決意をしめしています。

游子吟  孟郊

慈母手中線、游子身上衣。
臨行密密縫、意恐遅遅帰。
誰言寸草心、報得三春輝。

母の手の中で糸がおどる。旅立つ私の衣装を作っている。出かける直前まで1針1針ていねいに縫う。帰りが遅くなることの不安を隠せない。子が親を思う心は雑草のごとく小さなもの。三月の陽光みたいな母の愛情にどう応えられようか。

慈母(じぼ)手中の線(いと)
游子(ゆうし)身上の衣(ころも)
行くに臨(のぞ)んで 密密に縫う
意に 恐る 遅遅として帰えらんことを
寸草(すんそう)の 心を持って
三春(さんしゅん)の暉(き)に報じ得がたし



帰信吟

涙墨灑為書、将寄萬里親。
書去魂亦去、兀然空一身。

涙墨は書を為してそそいでいる
まさに心寄せるは萬里の親。
書を去らせるのは魂も亦、去ること
そうなるとこの身は空しいいものだ

今年もまた落第した。そのことを故郷の書をしたためる作者。涙があふれて留めない。
私が手紙を書かなくなったら、心は届かない、きっとむなしいものになってしまう。手紙は心を奮い立たせ、今度こそという気持ちにならせるのだ。

私は、「詩は心に感じるまま」、正しい読み方を考えないで読む。何回も読むことが大切なのだ。書き下し分は昔の言葉、間違ってもいいから、漢字だけを見て意味を考える。受け取る人によって異なる意味にあっても構わないのでないか。


(昔からの下し文)
涙墨をそそいで書と為す
まさに萬里の親に寄せんとす
書去って魂亦去り
兀然として一身空し


渭上思帰

獨訪千里信、囘臨千里河。
家在呉楚郷、涙寄東南波。


ひとり千里の信を訪う
また千里の河に臨む
家は在り呉楚の郷
涙は寄す東南の波

 隋時代から始まった科挙試験、20歳前後から30年近く受験し続けた孟郊がすごいのか、息子を元気づける母親がすごいのか。現代人に理解できるのか。当時は貴族時代。当時としては科挙試験を宿命づけられた人にとって、頑張り続けるより道はなかったのだ。通常40歳を超え、45歳までにあきらめる場合が多かったようだが。

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李白が若い時期に長安に出てきたことは現代になって修正されたことである。それまでは20代半ばで蜀を発し、長江の中、下流域から洛陽、太原、山東など各地をわたっているとはされているものの長安にはいかなかった。40代前半までの15年間中、安陸(湖北省安陸市)で10年足らず過ごし、その安陸での結婚生活、それを主要拠点として、歴遊生活をしたこととされていた。妻は名門の末裔許夫人であった。


 いまでは、長安においての求職活動をしている事跡が加わった。このブログでも長安における若い時の作であろうと思えるもの、関連性がある物と考えられるものを取り上げている。


 若いもの、長安といえば、科挙試験である。名前の通った詩人で、科挙試験を受けていないのは李白だけである。当時は詩人であるためには、あるいは詩人として不可欠要件であったのが科挙に及第することであった。

李白が都長安に出てきた時期に詠われた科挙に関する詩を取り上げてみた。




 李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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 李白の漢詩特集 連載中
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李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。

 李白16 登太白峯
728年開元十六年28歳春、李白は安陸の娘と結婚した。安陸の名家で、高宗のときに宰相をしている許家の娘であった。 無名無職の詩人、李白は名家の婿として、地元の安州長史(州次官)に就職の斡旋を頼んだりしするも、うまく運ばない。
730年30歳、結婚後二年あまりで、安陸を発って長安に向かうことにする。孟浩然も長安で王維ら多くの詩人と交わっていた。李白は都に強いあこがれを持ったのだ。

これまでの李白の足跡を整理
李白の足跡300
24歳李白は美人の彼女を残し①蜀を旅立つ。山峡を下り、江陵をへて②湖南岳陽、湖北省武漢、金陵地方へ。③南京、蘇州、この間2年余り、そして結婚し、④30歳都長安に向かい矢印のちょっと上に位置している太白山に登る。以後詩で使用するあざなを太白としている。よほど、心に期すものがあったのであろう。時計回りと反対周りの旅。

 登太白峯          
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。

西方登は太白峰、
夕陽は山擧に窮めた
太白星は我に語りかけ
私のために天空の門を開いた
爽やかな風に乗り
すぐにも出たい雲のあいだを
手を挙げれば月に近づき
前にすすめば遮るものも無いかのように
ひとたび去る武功の地
いつまた帰ってこれるのか


 李白は都に出てほどなく太白山に登った。李白は字(あざな)を太白というは、この山に自分の運命を感じ、感情移入をした。夢と希望に満ち溢れた若い李白を感じる詩となっている。


太白峰に登る
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。

西のかた太白峰(たいはくほう)に上り
夕陽(せきよう)  登攀(とうはん)を窮(きわ)む
太白  我(われ)と語り
我が為に天関(てんかん)を開く
願って乗るのは泠風(れいふう)で去る
直(ただち)に浮雲(ふうん)の間を出(い)でん
手を挙(あ)げれば月に近づく可く
前に行けば山無きが若(ごと)からん
一たび武功(ぶこう)と別れて去らば
何(いずれ)の時か  復(ま)た更に還(かえ)らん

余談
ブログは縦のつながりはよくわかります。だから、ここでも李白の詩を物語風に順を追って、掲載していきます。横のつながりにつてはなかなか表現できません。歴史上のことは。確かに物語でわかるが、その背景とか、そこまでのいきさつについては場面を変えていかないといけない。
李白が長安に来たとき、王維はどこにいたのか、杜甫は、皇帝はだれで、朝廷はどういう状態であったか?同世代の詩人はどんな詩を書いていたのか? ブログでは大変な作業になる。通常はウィキペディアで調べることになるが、全体的な把握をしようと思えば、これも相当な労力がいる。それは、木がたくさん生えている森なのか、林なのか、葉っぱだけを見ているのか、自分が調べていることが、どこを示すものかわからないからです。
偏った編集に原因があるかもしれません。

 私が主催する漢文委員会は木を見て森を見、葉を見ていても森の存在が分かるように編集作成している歴史、漢詩のサイトを公開しています。
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
http://kanbuniinkai.web.fc2.com/
 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
http://kanbuniinkai06.sitemix.jp/

とサイト運営しています。今のところ下から2段目のぷららのサイトだけ料金が発生していますが、他はゼロ円ページです。苦労している割には訪問者が少なくさびしい思いもありますが、いいサイトにしていきたいと思っています。




李白10  採蓮曲

      
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
 孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集 
 杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩 
 李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人  
 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
      

  この詩も絶世の美女西施にまつわる地名を題材にしています。若耶渓、浙江省紹興市東南の若耶山から発して、北流して現在は運河にそそぐ川の名で、唐代までは鏡湖が大きく、鏡湖注がれていた。その若耶渓で蓮を取ったとされるのが西施である。西施は越王勾践が呉王夫差に対して献上してその歓心を買ったとされる美女である。(後に取り上げる子夜呉歌では明確にでてくる)。 李白はここ江南地方でたくさんの詩を歌っています。美女についてもそれぞれとらえています。
 四大美女とは、王昭君、貂蝉ちょうぜん、西施、楊貴妃とされるが、貂蝉が架空の人物であることから、詩人の世界ではそこに虞美人を入れる。したがって、このブログでは四美人は虞美人を入れたものでとらえていく。ここ、しばらく、李白を取り上げていき、西施ものがたりを書いていくつもりです。
 ちなみに王昭君については漢文委員会の漢詩総合サイトhttp://kanbuniinkai7.dousetsu.com/において王昭君ものがたり、李白 王昭君を詠う「王昭君二首」、白楽天 王昭君を詠う「王昭君 二首 白楽天」を参照されたい。
    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/

李白10  採蓮曲    
      
若耶渓傍採蓮女、笑隔荷花共人語。
日照新粧水底明、風飄香袖空中挙。
岸上誰家遊冶郎、三三五五映垂楊。
紫騮嘶入落花去、見此踟蹰空断腸。


若耶渓のあたりで蓮の花摘む女たち
笑いさざめきハスの花を隔てて語り合う
陽照は化粧したての顔を明るく水面に映しだし、
吹いている風は香しい袖を軽やかに舞い上げている
岸辺にはどこの浮かれた若者だろうか
三々五々としだれ柳の葉影に見え隠れ。
栗毛の駒は嘶いて柳絮のなかに消え去ろうと
この女たちを見ては行きつ戻りつむなしく心を揺さぶられる。


 本来、「採蓮曲」というのは蓮の根を採る秋の労働歌だが、李白はそれを越の美女西施(せいし)が紗を洗い、蓮の花を採った事に柳絮(りゅうじょ)の舞う晩春の艶情の歌に変化させている、李白の真骨頂というべきもののひとつです。。
 馬とともにおふざけをして垂楊(しだれやなぎ)の葉陰に消えていった若者たちのうしろ姿と、一方、急におしゃべりを止めて「踟蹰」(ためらい)がちに顔を赤らめている乙女たちの姿を、李白は描いている。ハスを採る娘らとその乙女の気を引こうとしている若者=遊冶郎、現在だったらチャラ男のこと?。もう若い者の中に入りきれない客観してみている李白。経験したものでないとわからない中年李白の繊細な作品、名作とされている。七言古詩で韻は 女、語、擧。/ 郎、楊、腸



若耶 渓傍 採蓮、笑隔 荷花 共人
日照 新粧 水底明、風飄 香袖 空中
岸上 誰家 遊冶、三三 五五 映垂
紫騮 嘶入 落花去、見此 踟蹰 空断

採蓮曲の下し分
若耶(じゃくや)渓の傍(ほとり)採蓮の女(むすめ)
笑って荷花(かか)を隔てて人と共に語る
日は新粧(しんしょう)を照らして水底(すいてい)明らかに
風は香袖(こうしゅう)を飄(ひるがえ)して空中に挙がる
岸上(がんじょう) 誰(た)が家の遊冶郎(ゆうやろう)
三三、五五、垂楊(すいよう)に映ず
紫騮(しりゅう)落花に嘶(いなな)きて入りて去るも
此(これ)を見て踟蹰(ちちゅう)して空しく断腸

 漢詩が苦手だった人でも、「漢詩は、五言、七言の単位を句」といいいますが、この句も上記に示す通り、二語、三語で意味を考えていくとわかるようになります。私は正直なことを言うと、昔の読み方下し分が好きになれません。時には漢詩と下し分は別物と感じるものさえあります。下し分はあくまで日本で読む人がそれぞれに読み下しています、気にしないでいきたい。どんな詩でも必ず五言の詩は二言と三言、七言の句は二言、二言、三言で作られています。
 李白の詩は、漢詩の決まりに必ずしも忠実ではありませんが、技巧的にも芸術性でもぬきんでています。
 白楽天(最近では白居易)も平易な詩が多いですし、杜牧、蘇東坡も有名です。陶淵明、孟浩然、杜甫は少し入りにくいかもしれませんが、はまってくるといい詩に当たります。
  漢詩総合サイトでは、漢詩を体系的にとらえていっていますが、このブログでは、雑談気味に一詩ずつとらえていこうと思っています。


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

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李白9  越中覧古

浙江省紹興市。かってこここに都をおいた越の国は呉の国と激しい戦いを繰り広げた。李白は、呉の国姑蘇台を見て、この地を訪れた。
kubochi01筆者近所の公園

李白 9    越中覧古

越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。

越王勾践は呉を破って凱旋し
忠義の士は家に錦の衣で帰ってきた。
宮女は花のように春の宮殿を満開にし
いまはただ、そこには鷓鴣しゃこの飛び交うばかり。

 越王の句践が呉を破って凱旋してきた。忠義の義士たちも錦の衣を着飾って、故郷に帰ってきた。
宮中の女性達は、美しい花のように宮殿に満ち溢れている。
しかし、今はただ、栄華の跡に切ない鳴き声を響かせて鷓鴣飛び回るばかり。

 現在、街の郊外高台に越王の宮殿は復元街に復元されている。李白が詠んだこの詩は、「臥薪嘗胆」の故事で有名な越と呉の戦いの歴史を背景にしている。
 紀元前5世紀、呉の国王が父の仇を討つため毎日薪の上に寝て、越への恨みを忘れまいとした。「恨み」それは呉に越の国王が追い詰めとらえられ、鞭で打たれ、瀕死の中で許しを乞うたことである。この屈辱を忘れまいと越の国王は苦い肝を日々嘗め続けた。そして、雪辱の日を迎える。

越王勾践(こうせん)  呉を破りて帰る
義士家に還るに尽(ことごと)く錦衣(きんい)す
宮女は花の如く春殿(しゅんでん)に満ち  
只今は惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有るのみ

 宿敵を打ち破り、意気揚々と凱旋する越の国王。故郷に錦を飾る家来たち。
 宮中では、麗しき美女たちが舞い踊る。李白は次第に調子を上げて詠う。
 ところが鷓鴣がなき、飛び回ることで現実の世界に引き戻されてしまう。李白お得意の詩調である。

 鷓鴣はキジ科の鳥で、その鳴き声は悲しげである。およそ1300年前の臥薪嘗胆と栄華、鷓鴣は現実の悲しさに引き戻す格好の題材である。こういう対比は李白の鮮やかさということになる。


shako145自然大博物館(小学館)

韻は、帰、衣、飛。

越中覧古
越王勾践破呉帰、義士還家尽錦衣。
宮女如花満春殿、只今惟有鷓鴣飛。

越王勾践(こうせん)  呉を破って帰る
義士  家に還りて尽(ことごと)く錦衣(きんい)す
宮女は花の如く春殿(しゅんでん)に満ち  
只  今は惟(た)だ鷓鴣(しゃこ)の飛ぶ有り

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李白8  蘇台覧古

 金陵の渡津から70km前後いったところに潤州(江蘇省鎮江市)の渡津がある。ここから大運河が南方向、呉越に伸びる。李白は平江(江蘇省蘇州市)に立ち寄った。ここは春秋時代の呉の都城があった地である。
 江南の景勝地で、国の命運を左右した美女に思いをはせる。

 李白8  蘇台覧古           

旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。

古い庭園 荒れた楼台に芽吹く柳は新しく
菱摘む娘らの清らかな歌声こそが 春なのだ
いまはただ西の川面に照る月だけど
かつて呉王の宮殿の  美女を照らした月なのだ


 古い庭園、荒れ果てた高楼台に柳だけが新しい芽をつけている。菱の実を摘む娘たちの清らかな歌声が聞こえてくる。
 そんな歌声を聴くと私は感傷的な思いに耐えられなくなる。今も昔も変わらないものは、西湖の水面に映る月の光、この月は千年以上前、呉王の宮殿の絶世の美女(西施)を照らし出したのだ。

 李白の時代からおよそ1300年前、春秋時代の呉の国王は、自らの宮殿「姑蘇台」を築いた。李白はその宮殿跡にたたずみ、往時の繁栄を偲んでいると、聞こえてきたのはあの娘たちの歌声であった。


 春、そこはかとない思いにふける李白に娘たちの声はもの哀しさを感じさせるものだった。峨眉山に残した彼女を照らす月の光を、絶世の美女西施に照らすと置き換え詠った李白の名作である。(西施は四大美女の一人)

 李白は後年、金陵や呉越の地を幾度も訪れている。この詩はその40代の作とされているが、蜀を旅たち、金陵や呉越に到着し、この景勝地に来ていることで、ここに掲載した。

韻は、新、春、人。

蘇台覧古
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。

旧苑(きゅうえん)  荒台(こうだい) 楊柳新たなり
菱歌(りょうか)の清唱(せいしょう)  春に勝(た)えず
只  今は惟(た)だ西江(せいこう)の月有り
曾(かつ)て照らす  呉王宮裏(ごおうきゅうり)の人

http://kanbuniinkai7.dousetsu.com

上記サイト 漢文委員会  漢詩ZERO倶楽部 >李白詩>李白詩(8~12)に掲載


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ブログ
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 李商隠の詩(恋歌女詩) 特集中         李白の詩 特集中

漢文委員会のブログとHP

1. ここ十日間程度PCの調子が悪くレジスタでの修正と削除などで数日かかって本日夕方からやっとホームページの作成ができるようになりました。現在、サイト全体で500ページ、まだ、ドーム球場のホームベース盤くらいしかできていません。希望を大きく持ってサイトつくりをやっています。目標漢詩ページ100万ページ!。一生かかると思います。(2011.6/30 3000首を超えました)
いま、公開しているサイトは以下の通りです。
(1) 漢詩総合サイト 漢文委員会 漢詩ZERO          http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
(2) 漢詩倶楽部 ショパンやモーツワルト、ヴィバルディを聞きながら、漢詩を読むページ
            ジオシティーズ漢詩倶楽部           http://3rd.geocities.jp/miz910yh/
(3) 漢詩総合サイト 漢文委員会kanbun-iinkai           http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/       
(4) 漢詩サイト 漢文委員会kanbun-iinkai  fc2倶楽部   http://kanbuniinkai.web.fc2.com/
(5) 漢詩総合サイト 漢文委員会kanbun-iinkai        http://www47.atwiki.jp/kanbuniinkai11/

 昔書かかれた漢詩は、たくさん残っています。ただ訳して紹介するだけでなく。その背景とか、傾向、影響・・・・総合的にとらえていきたいと考えています。

2.  今日は漢文委員会のサイトを紹介しましたが、基本的な考え方について整理します。
 中国唐時代宋時代、漢詩は最大の発展をしました。杜甫、李白、王維、孟浩然は同時期の詩人ですが一つの街で同時期に過ごしているのです。お互いの良さをたたえあい、尊敬しあって、偉大な詩が多く作られ、残されたのです。漢詩は、諸々の決まりで作られていますが、漢詩のいいところは決まり事ではありません。中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する・・・・・・・理想を述べているのです。素敵な詩をたくさん載せます。今までの漢詩のページとちょっと違っています。きっと楽しくなると思います。そして、漢詩はたくさん残されていますが、紹介されているのは少しだけです。昔の時代に作られたものをこの漢詩のサイトに一つ一つ積み上げるように紹介していきます。

 新しい感覚で、古い時代の詩歌を解釈していきます。

 その詩歌の作られた背景を考え、解説をしていきます。

 その詩が理解できたら、あるいは好きになったら、誰かに出す、「お手紙」「メール」などの季節の言葉に変えて、書き込まれたら、相手の方のあなたに対しての好感度は高くなるし、手紙を書く楽しさが増します。心豊かになると思います。

 漢詩を学校で、勉強で習った時に、好きになった人は少ないと思います。問題は文法のとらえ方、教え方にあり、読み方にあるのです。英語の学習に文法ほどつまらないものはありませんでした。

 文法が要らないというわけではなく、高度に正しく理解するために必要なのであり、漢詩を読むのに好きになるのに必要ではないのです。

 日本人は漢字を見て、意味が分かります。読むことができるのです。だから、江戸時代の人は、江戸時代の言葉で呼んだのです。江戸や明治ではないので、21世紀の漢詩の読み方、感じ方でページを作っていきます。

3. 詩人は、生きていく力が強い人、困難な状況を経験すればするほど、心に残る詩を残しています。画家も、音楽家も、その世界を革新し、打ち勝っていく力を芸術にぶつけています。人まねをした詩もたくさんありますが、心を打たれることはありまません。また、貧乏こそが、その芸術性を高めてくれる栄養素化もしてません。

4. ホームページ作成ソフトは ソースネクストの HP ZERO を使い始めました。まさに目から鱗がとれた感じで作成できます。HPビルダーも使用しています。このブログで、時々 HPZERO、HPビルダーなどにも触れていきたいと思っています。



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