漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

宮女 芸妓 官妓 民妓 

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
攜妓東山去。 春光半道催。
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。

きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。


姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。


pla044
 

現代語訳と訳註
(本文)

送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。

(下し文) 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

 
(現代語訳)
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。


(訳注)
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈
(姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り)
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
姪良 李白の甥の李良。くわしい事蹄はわからない。○会稽 いまの浙江省紹興市附近。このあたりは水郷で、たいへん景色がよい。
李白憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270 
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

攜妓東山去。 春光半道催。
(妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。)
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
東山 紹興市の東の上虞県の西南にあり、菅の謝安(字は安石)がここに隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亨の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携妓 謝安の故事をふまえる。


遙看若桃李。 雙入鏡中開。
(遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。)
きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。
○若桃李 魏の曹植の詩に「南国に佳人有り、容華は桃李の若し」とある。○鏡中開 会稽は山陰ともいわれるが、このあたりは山水がぅるわしく、白くかがやく水と翠の巌とが互に映発して、鏡のごとく、絵のようである。だから王孝之が言った。「山陰の路をあるいて行くのは、鏡の中に入って遊ぶようなものだ」と。なお、山陰には、鏡湖という湖がある。鏡、月、湖、妓女を示す語で、「鏡中開」ということは、性行為を意味するものである。
李白對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135
狂客歸四明。 山陰道士迎。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。

李白『送賀賓客帰越  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137
『送賀賓客帰越』       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○ 

李白 93 春日酔起言志

李白 97 把酒問月




李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)





裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

題江夏修静寺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白197

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203

經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216





秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

Flower-003

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

三五七言 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4)

三五七言 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171


玄宗(4)
735年(開元23年)、玄宗と武恵妃の間の息子(寿王李瑁、第十八子)の妃となる。李瑁は武恵妃と宰相・李林甫の後押しにより皇太子に推されるが、737年(開元25年)、武恵妃が死去し、翌年、宦官・高力士の薦めで李璵が皇太子に冊立された。

 楊玉環は容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。
 女性は美しいということ、性的要求を満足させる道具か、そうでなければ、はたを織りとして価値を求められた。後に楊貴妃専用の機織りは5、600人であったという。娘が宮中に上がると恩賞を得られたのである。うまくいけば、一族全員恩賞にあずかることもあった。

 楊玉環はどういう経緯で宮中に入ったのか、寿王とのめぐり会いはどうだったのか。
*****(取り上げる李白の詩と「玄宗ものがたり」の時期はかならずしも一致しない。)*****
遡ること3年。寿王の李清は李瑁となる。寿王の母・武恵妃は、改名に重要な意味があると判断し、寿王が皇位に就くための計画を練り、寿王が大人になった印象を玄宗皇帝に与えるために結婚を画策する。姉の咸宜姫の婚儀を行うが、そこに現れた楊玉環を見て、寿王は一目惚れをしてしまう。この時、楊玉環は意中の男性がほかにいた。同じ洛陽に棲む彭勃という人物であった。
楊玉環(後の楊貴妃)は、楊玄璬(きょう)の娘として、洛陽に暮らしていた。ある日、玉環が親友の謝阿蛮と外出中に、偶然、彭勃と出会ったのである。この頃洛陽に絶世の美人がいるということは有名になりつつあったので、果毅副将軍という人物が楊玉環を調査するため彭勃を使いに出していたのである。当時は美人を探し出し、情報提供するだけでも褒美がもらえるから、官の禄では食べていけないので美人探しが本業であったかもしれない。

三五七言

秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。

 


三五七言
秋風 清く、  秋月 明らかなり。
落莫 衆まって還た散じ、寒鴉 棲んで復た驚く。
相思い相見る 知る何れの日ぞ、此の時此の夜 情を為し難し。





三五七言   三言、五言、七言、それぞれ二旬ずつ対になっている。この詩体は李白の創作といわれる。カラスは、芸妓の中でも相手が決まっている、いわゆるかこわれ者を指す。芸妓は宮妓、官妓、貴族などの家妓、娼屋などの街妓などあったが、ここでいう鴉は芸ごとがよくできるものを指す。春から夏にかけては宴、納涼などで歌われるので、鴉、烏の登場はない。秋の夜長に待ちわびている状況になって登場するのである。この詩でも、そういうシチュエーションである。




秋風清、    秋月明。
秋の風はすがすがしく、秋の月はあかるい。
秋風清 ここでいう風は女性自身の香りを運ぶかぜである。 ○秋月明 ここでいう月は女性自身である。

落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
落葉は風に吹きよせられては、また散る。からすはねぐらに帰ったかと思うと、ふいに驚いて飛び立つ。
 葉は肢体をしめす。ここでは性行為を示している。○衆還散 くっついたり離れたり、これも性行為の描写の言葉。○寒鴉 秋の夜長に、寒空に待つ身のからす。夜が長いのでいろんなことを思いめぐらす。
棲復驚 自分はずっと待っているが、隣の芸妓は出たり入ったりしている。そんなボーとしていて予期していない自分に声がかかったのでびっくりしたのであろう。



相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
思うひとにあえるのは、いつの日のことか知れない。こんな時、こんな夜、もえさかる気持を、どうしてよいかわからない。
○相思相見 この場合の相はお互いにという意味ではなく相手のことを思う、見るであり、一人なのである。ここを相思相愛、決まった相手と互いに重い互いを見つめると訳すと、狭い範囲の理解しかできなく、わけのわからないものになる。片思いの場合でも使うのである。

*この詩などの艶歌、閨情詩、行為詩、など当時の文化として理解すべきで、それによって李白の詩が低俗なものとしてとらえられたりする方がおかしい。こういった詩にはわけのわからない解釈が多い。特に、李白と李商隠の詩に多い。むしろ、李白の詩に味わい深みが増してくるというものである。
Kanbuniinkaiで李商隠と李白を同時にブログしているのは理解できない解釈にたいして、歯に衣を着せないで、記述していくことにあるからである。もっとも誰かにそのことを訴えようとか、知ってもらいたいとか思っているわけでもないことは付け加えておきたい。

紫藤樹 李白 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168 玄宗(1)

紫藤樹 李白 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168  玄宗(1)



玄宗(1)
 玄宗は、「開元の治」といわれるほどの治世をもたらした部分はたしかにあるが、とくに音楽を好み、宮中に左教坊・右教坊なる教習所を設け、また梨園では、梨園の弟子とし、玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。

 玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。ここの楽人をいう。また、西域から外来音楽を好んで移入したために、その曲調は広まり、のちの詞のメロディーにも影響する。

 また、興慶官の離宮を設けて遊び、あるいは曲江池の離宮にも遊んだりする。また、東の驪山の温泉宮にも、冬は避寒に出かけることを習わしにした。こうした遊びを詩に歌わせ、その遊びの中に音楽を演奏させることが、ことのほか好きであった。こうした中に登場したのが、ほかならぬ李白である。しかし、李白が腕を見せることのできる場はこうした遊びの場だけであった。記録に残るものには醜態も多い。

 玄宗が音楽に傾倒したのは、即位する以前の太平公主時代の豪奢な宮廷生活をまのあたりに見て、それへのあこがれが大きいのではないだろうか。政務を宦官任せにし、歌舞音楽の世界に鬱結した。また玄宗は、神仙道教に傾倒した。これは心のゆとりを神仙に求めたものであったが、不老長寿、悦楽、媚薬を求めたものでしかなかった。
こうした皇帝の我儘に付け込めるのが宦官の高力士であり、宰相の李林甫であったのだ。この時、唐の国の礎であった、二大制度、律令制度と府兵制度は崩壊していた。



紫藤樹

紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。
きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。
密葉隠歌島、香風留美人。

肢体は葉のように密着し合い、宮妓たちの歌声、はしゃぐ声は帳に隠れている。かぐわしい宮女たちの香りは風に乗ってくる、その中で特に美しい人を引きとどめる。



かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。

肢体は葉のように密着し合い、宮妓たちの歌声、はしゃぐ声は帳に隠れている。かぐわしい宮女たちの香りは風に乗ってくる、その中で特に美しい人を引きとどめる。



紫藤樹
紫藤(しとう) 雲木に掛り、花蔓(かまん) 陽春に宜し。
密葉(みつよう) 歌鳥を隠し、香風 美人を留む。





紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。
○紫藤 紫の藤の花。○雲木 雲に秘めるのは女性の柔らかさ、包み込むこと。木は、男性を表す。雲のまつわる大木の意。天使を示す。
花蔓 花をつけたつる。○陽春 万物が性に目覚める春。




密葉隠歌島、香風留美人。
すきまのない葉は、さえずる小鳥の姿をかくし、かぐわしい風は、美しい人を引きとどめる。
 肢体をしめす。○歌鳥 さえずる小鳥。ここでは宮妓を示す。○香風 香しき風。ここでは女性の持つ香りを示す。 ○美人 宮妓の中の美人、ここでは楊貴妃(当時は楊環)

李白 93 春日酔起言志

李白 93 春日酔起言志

春日醉起言志
處世若大夢,胡爲勞其生。
この世に生をうけることは、荘子のいう「大夢」のようである。 どうして、生きていくことにあくせく気苦労するのか。
所以終日醉,頽然臥前楹。
だから、朝から晩まで、酔っているのだ。酔いつぶれて、入り口の丸い柱のところで横になってしまった。 
覺來盼庭前,一鳥花間鳴。
ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。 一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
借問此何時,春風語流鶯。
今は一体どのような時節なのか、お尋ねします 春風に、乗せて鶯は囀(さえず)りながらこたえてくれた。
感之欲歎息,對酒還自傾。
この情景に感動してため息が出そうになっている。 酒器に向かって、また、杯を重ねてしまった。
浩歌待明月,曲盡已忘情。

大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまっていた。夢の中のように…。


春日 醉より起きて 志を言う 

この世に生をうけることは、荘子のいう「大夢」のようである。 どうして、生きていくことにあくせく気苦労するのか。
だから、朝から晩まで、酔っているのだ。酔いつぶれて、入り口の丸い柱のところで横になってしまった。 
ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。 一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
今は一体どのような時節なのか、お尋ねします 春風に、乗せて鶯は囀(さえず)りながらこたえてくれた。
この情景に感動してため息が出そうになっている。 酒器に向かって、また、杯を重ねてしまった。
大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまっていた。夢の中のように…。



春日 醉より起きて 志を言う (下し文)      
世に 處るは  大夢の若(ごと)く,胡爲(なんすれ)ぞ  其の生を勞するを。
所以(ゆえ)に  終日 醉ひ,頽然として  前楹に 臥す。
覺め來りて  庭前を 盼(なが)むれば,一鳥  花間に 鳴く。
借問す  此れ 何(いづ)れの時ぞ,春風に  流鶯 語る。
之(これ)に感じて  歎息せんと 欲し,酒に對して  還(ま)た 自ら傾く。
浩歌して  明月を 待つに,曲 盡きて  已(すで)に 情を忘る。



春日醉起言志
春の日に、酔いより起きて思いのたけを言う。 
春日 春。春の日。春の昼。 ・醉起 酔いより起きる。酔っぱらって。 ・言志 思いを言う。

 
處世若大夢,胡爲勞其生。
この世に生をうけることは、荘子のいう「大夢」のようである。 どうして、生きていくことにあくせく気苦労するのか。
處世 しょせい 世の中を生きてゆくこと。世間で暮らしを立てること。世の中で生活をしてゆくこと。「處」は動詞。上声。 ・ …のようである。ごとし。如。 ・大夢 大いなる夢。夢のまた夢。紀元前三世紀の思想家の荘子は、あるとき夢のなかで胡蝶になり、ひらひらと飛んでたのしかった。目がさめると掌にかえったが、かれは考えた。胡蝶が夢をみて掌になっているのではなかろうかと。 ・胡爲 こい どうして…なのか。なんすれぞ…(や)。 ・ 気苦労をする。骨を折る。苦労する。労する。 ・其生 その人生。

所以終日醉,頽然臥前楹。
だから、朝から晩まで、酔っているのだ。酔いつぶれて、入り口の丸い柱のところで横になってしまった。 
 ・所以 しょい そうだから。それゆえ。だから。 ・終日 朝から晩まで。昼間ずっと。一日中。・頽然 たいぜん 酔いつぶれるさま。くずれるさま。 ・前楹 ぜんえい 入り口の丸い柱。 ・ えい 棟の正面の東西にある丸柱。

覺來盼庭前,一鳥花間鳴。
ふと目が覚めて庭先を眺めてみた。 一羽の鳥が花の咲く中で鳴いている。
覺來 目覚めてきて。 ・ 目覚める。 ・-來 …てくる。 ・ はん 望む。眺める。希望する。美人が目を動かす。めづかいする。目許が美しい。 ・庭前 庭先。 ・一鳥 一羽の鳥。とある鳥。 ・花間 花の咲いている中に。

借問此何時,春風語流鶯。
今は一体どのような時節なのか、お尋ねします 春風に、乗せて鶯は囀(さえず)りながらこたえてくれた。
・借問 お訊ねする。 ・此 これ。 ・語 かたる。さえずる。ここでは、(小鳥が)さえずる意で、使われている。 ・流鶯 ウグイスの鳴き声が流麗である。

感之欲歎息,對酒還自傾。
この情景に感動してため息が出そうになっている。 酒器に向かって、また、杯を重ねてしまった。
 春の日の情景。軽くリズムをとる言葉。 ・欲:…しようとする。 ・歎息 たんそくたいへん感心する。讃える。褒める。次の酒を誘導するための語句。 ・ 歌声に合わせて唱える。讃える。褒める。たいへん感心する。歎く。・對酒 酒に向かって。酒を前にして。酒に対して。 ・ なお。なおもまた。 ・自傾 酒壷を自分で傾ける。

浩歌待明月,曲盡已忘情。
大きな声で歌って、明るく澄みわたった月を待っていたが。音曲が終われば、とっくに気持ちを忘れてしまっていた。夢の中のように…。 
・浩歌 こうか 大きな声でのびやかに歌う。 
明月 澄みわたった月。 ・曲盡 音曲が終わる。 ・已 とっくに。すでに。 ・忘情 気持ちを忘れてしまう。  ・ おもむき。あじわい。心。感情。なさけ。


 李白は酔いから覚めると芸妓と一緒に過ごしたことに気が付いた。芸妓は唄ってくれていた。美しい声で唄ってくれ、また夢心地にしてくれる。ああ、素晴らしいと感嘆してしまう。歌を聴きながら思わず知らず酒樽を独りで傾けていた。歌を唄いきってしまうと・・・・・。

このブログで取り上げた李白の同形式の「婉情詩」は多い
李白93 春日酔起言志   -------------- 曲盡已忘情。
李白87 游南陽清泠泉   -------------- 曲盡長松聲。 
李白88下終南山過斛斯山人宿置酒---  曲盡河星稀。

 これは李白の神仙思想の表れで、現実世界にいかにたのしく生きてゆくか、海のかなたにある仙人の住む山に行かなくても、仙人の不老長寿の薬よりも回春薬の金丹よりも酒があれば最高なのだ。と解釈するが、このことが、道教の神仙思想を李白が否定したということではなく、ただ、手近な酒に求めることが賢人であると述べているのである。
 「曲尽きて」というのは、情けを交わし合ったことの終わりを示すもの。

李商隠 3 聞歌

恋歌詩人・李商隠 3 聞歌


李商隠の詩は小説である。漢詩ととらえて、言葉だけを並べたのでは何の意味か分からないものになってしまう。これまでの李商隠1,2ではまだ通常の現代訳(kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ)という形でよかったが、それでは、李商隠の詩の良さは分からない。詩商隠の詩は、その語句の背景にある物語を考え併せて読んでいかないと李商隠の素晴らしさが伝わらないのである。
 李商隠は詩を書くのにほとんど自分の部屋で、机のまわりにいろんな書物、故事に関連したものなど並べて書いたそうである。「獺祭魚的方法」で書かれている。したがって、その背景こそ重要なものなのである。
また、密偵、内通などにより、親しい人、官僚の死、流刑、左遷と衰退していく唐朝の中で暗黒の時代でもあった。男女の愛についてもこうした背景で見ていかないと、単に死んだ妻を偲んで詠ったもの的な解釈になるのである。李商隠における「エロ」的表現には社会批判、当時の権力者への批判が込められている。そういう意味で味わい深い詩なのである。


ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった。

かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。

このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひちたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしない、歌っている薄幸の宮女よ。

聞歌
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。


歌を聞く
笑を斂 眸
(ひとみ)を凝らして意歌わんと欲し,高雲 動かず  碧 嵯峨(さが)たり。
銅臺 望むを罷めて   何處にか歸り,玉輦
(ぎょくれん) (かへ)るを忘るる事 幾多(いくばく)ぞ。
靑冢
(せいちょう)の路邊  南雁 盡き,細腰宮 裏  北人 過(よぎ)る。
此の聲の腸(はらわた)斷つは  今日のみに 非ず,香 灺(き)え 燈 光り  爾(なんぢ)を 奈何(いかん)せん。

靑冢は王昭君のこと 紀頌之のブログ参照 34 王昭君二首 五言絶句 王昭君二首 雑言古詩 35李白王昭君詠う(3)于巓採花

聞歌
1 斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
2 銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
3 靑冢路邊南雁盡,細腰宮裏北人過。
4 此聲腸斷非今日,香灺燈光奈爾何。

歌を聞く
1 笑(わらひ)を斂(をさ)め 眸(ひとみ)を凝(こ)らして  意 歌はんと欲し,高雲 動かず  碧 嵯峨(さが)たり。
2 銅臺 望むを罷めて   何處にか歸り,玉輦(ぎょくれん) 還(かへ)るを忘るる事 幾多(いくばく)ぞ。
3 靑冢(せいちょう)の路邊  南雁 盡き,細腰宮 裏  北人 過(よぎ)る。
4 此の聲の腸(はらわた)斷つは  今日のみに 非ず,香 灺(き)え 燈 光り  爾(なんぢ)を 奈何(いかん)せん。


1 ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった。


2 かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。


3 そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。

4 このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひちたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしない、歌っている薄幸の宮女よ。


聞歌
○聞歌 落塊した官女が歌うのを聞いて作った詩。晩唐の詩人杜牧(803-852年)の杜秋娘の詩にも見られるように、落塊してさすらい、流転せぬまでも、仏教寺院、道教の観に寵を得ないまま、移された宮女は、当時はなはだ多かった。作者李商隠は、全国から選りすぐって集められた宮女、後宮女、芸妓(実質同じ意味を持つ)に目を向け、日ごとのやるせない思い、満たされない思い、そしてこの詩のように、別の皇帝が即位する際、これまでの宮女はすべて、寺院、寺観(唐時代国教になった時「観」というようになった)に預けられた。李商隠は唐時代、宦官らによる皇帝の毒殺が多く、被害者ともいえる宮女を詩に取り上げているのも社会批判の一つと考える。


1 
斂笑凝眸意欲歌,高雲不動碧嵯峨。
 ここに薄幸の宮女一人。何を悲しむのか頻をこわばらせ、眼差しを中空の一点にそそいで、いまの思いを歌おうとしている。むかし韓蛾が歌をうたえば、町中が哀哭した。秦青が歌えば、その響きによって行雲を止めたという。見よ、いま不遇の宮女の歌声に高雲も感じとって流れをやめたではないか、あたかも色うす青く、嵯峨たる峻嶽のごとく動かなくなった。

○斂 れん おさめる。ひきしめる。かくす。 ○笑:えみ。わらい。笑い顔。名詞。 ○凝 ぎょう こらす。定める。固まる。 ○眸 ぼう ひとみ。目の黒い部分。 ○意 表現されんとする人間の意志。恨みの思いという訳のあたることが多い。 ○欲 ~をしたい。 ○高雲不動 高い空の雲の動きを(歎きで)止(とど)める。 ○碧 へき みどり。李白と李商隠の愛用語。 ○嵯峨 さが 山の嶮しく石のごつごつしているさま。

2 

銅臺罷望歸何處,玉輦忘還事幾多。
 かつて、魏の武帝は銅雀台を築いて芸妓をはべらせ、そしてその臨終の際に、「我れ死せるのちも、月の初めと十五日、我れ在るごとく帷(とばり)に向って妓楽せしめ、また台上から我が墓陵を望ましめよ。」と子に遺言した。だが、武帝の崩御ののちは、後宮を追い出だされたであろう宮女達は、そののち一体どこに身を寄せたのだったろう。いや、皇帝の死後でなくても、隋の煬帝がそうであった。都をうちすてて遠く巡遊に明け暮れる天子の車を、女御達は幾度び空しく待たねばらなかったことか。

○銅台罷望 銅台は規の武帝曹操(155~220年)が河南省臨漳県に建てた宮殿銅雀台をさす。
----------
西晋の文学者陸機の「弔魏武帝文」によると、298年、陸機は宮中の書庫から曹操が息子たちに与えた遺言を目にする機会を得た。遺言には「生前自分に仕えていた女官たちは、みな銅雀台に置き、8尺の寝台と帳を設け、そこに毎日朝晩供物を捧げよ。月の1日と15日には、かならず帳に向かって歌と舞を捧げよ。息子たちは折にふれて銅雀台に登り、西にある私の陵墓を望め。残っている香は夫人たちに分け与えよ。仕事がない側室たちは履の組み紐の作り方を習い、それを売って生計を立てよ。私が歴任した官の印綬はすべて蔵にしまっておくように。私の残した衣服はまた別の蔵にしまうように。それができない場合は兄弟でそれぞれ分け合えよ」などと細々した指示が書き残されていたという。これを見た陸機は「愾然歎息」し、「徽清絃而獨奏進脯糒而誰嘗(死んだ後に歌や飯を供して誰が喜ぼうか)」「貽塵謗於後王(後の王に醜聞を伝える)」と批評している。李商隠は曹操が没後、宮女たちすべて放遂されていることを述べている。
----------
 ○歸:本来居るべき所(自宅・故郷・墓地)などへ帰っていく。 ○何處 どこ(に)。
○玉輦 ぎょくれん天子の鳳輦(れん)。天子の乗り物。ここでは、隋・煬帝を指している。煬帝〔ようだい〕569~618年(義寧二年)隋の第二代皇帝。楊広。英。宮殿の造営や大運河の建設、また、外征のため、莫大な国費を費やし、やがては、隋末農民叛乱を招き、軍内の叛乱で縊(くび)り殺された。 ○忘還事 宮廷に帰還することを忘れて遊蕩に耽った出来事。煬帝の悪政と自身の頽廃した生活が史書に残されている。
○幾多(いくばく)どれほど。どれほどの多数。
----------
『隋書・帝紀・煬帝下』に「六軍不息,百役繁興,行者不歸,居者失業。人飢相食,邑落爲墟,上不之恤也。東西遊幸,靡有定居,毎以供費不給,逆收數年之賦。所至唯與後宮流連耽湎,惟日不足,招迎姥媼,朝夕共肆醜言,又引少年,令與宮人穢亂,不軌不遜,以爲娯樂。」
皇帝の軍隊は、休む閑が無く、数多くの仕事が次から次に起こり、出て行った者は帰ってくることがなく、留まっている者は失業している。(煬帝は)各地を遊び回り、定まった住所が無く、お金を渡すことはなく、逆に数年分の税金を取り立てる。ただ、後宮の女性の所に居続け、それでもの足らないときは、熟年の老女を呼び込み、朝夕に亘って、醜い言葉をほしいままにしていた。その上、若者に対して宮人に穢らわしいことをさせて、むちゃくちゃなことをさせ、それを楽しみとしていた。)とある。
〔煬帝の概要]
即位した煬帝はそれまでの倹約生活から豹変し奢侈を好む生活を送った。また廃止されていた残酷な刑を復活させ、謀反を企てた楊玄感(煬帝を擁立した楊素の息子)は九族に至るまで処刑されている。
洛陽を東都に定めた他、文帝が着手していた国都大興城(長安)の建設を推進し、また100万人の民衆を動員し大運河を建設、華北と江南を連結させ、これを使い江南からの物資の輸送を行うことが出来るようになった。対外的には煬帝は国外遠征を積極的に実施し、高昌に朝貢を求め、吐谷渾、林邑、流求(現在の台湾)などに出兵し版図を拡大した。
更に612年には煬帝は高句麗遠征(麗隋戦争)を実施する。高句麗遠征は3度実施されたが失敗に終わり、これにより隋の権威は失墜した。また国庫に負担を与える遠征は民衆の反発を買い、第2次遠征途中の楊玄感の反乱など各地で反乱が発生、隋国内は大いに乱れた。各地で李密、李淵ら群雄が割拠する中、煬帝は難を避けて江南に逃れた。
煬帝は現実から逃避して酒色にふける生活を送り、皇帝としての統治能力は失われていた。618年、江都で煬帝は故郷への帰還を望む近衛兵を率いた宇文化及兄弟らによって、末子の趙王楊杲(13歳)と共に50歳にして殺害された。
---------- 


3 
靑冢路邊南雁盡、細腰宮裏北人過。
 そればかりではない。今を去る漢の元帝の御代、宮女王昭君は政略結婚の犠牲となり、匈奴の王父子に凌辱され、故郷をしのびつつ異郷にひとり死んだ。なま臭い食に飽き、雁の翼をかりて故郷に消息を寄せようとした時、雁は彼女をふりかえらず、いま青塚といわれるその墓のあたりには、雁はその影すら見えぬ。また、楚の霊王が細腰の美女を好んだとき、宮女らは、我こそ寵を得んとして、食をへらし食を断ち、ある者はそのために餓死したという。いまはしかしその離宮のあとを、野暮で無作法な北方の人が通りすぎるに過ぎない。

 ○盡 姿がつきる。無くなる。 ○青冢 〔せいちょう青塚〕青い草の生えている塚で、王昭君の陵墓をいう。王昭君の墓所には、冬でも青々と草が生えていた故事に因る。現・呼和浩特(フホホト)沙爾泌間の呼和浩特の南九キロメートルの大黒河の畔にある。杜甫の『詠懷古跡五首』之三とある。常建の『塞下曲』とある。白楽天も王昭君二首を詠う。李白は三首詠(李白33-35 王昭君を詠う 三首)っている。王昭君自身は、『昭君怨  王昭君 』 詳しくは漢文委員会「王昭君ものがたり」に集約して掲載。 ○路邊 道端の。 ○南雁 南の方の郷里である漢の地に飛んで帰るカリ。故郷への雁信。 ○盡 姿がつきる。無くなる。
 ○細腰宮:(春秋)楚の宮殿。『漢書・馬寥伝』の「呉王好劍客,百姓多瘡瘢。楚王好細腰,宮中多餓死。」からきている。
在位BC614~BC591。楚の穆王(商臣)の子。即位して三年の間、無為に過ごし、奢侈をきわめ、諫める者は死罪にすると触れを出した。激やせした状態の女性を好み、宮女たちは痩せるため、食を減らし、絶食する者もいた。そのため多くの宮女、侍女たちに餓死者が出た。皇帝のわがままによる宮女たちの悲惨な出来事をとらえている。
  ○細腰 温庭には『楊柳枝』「蘇小門前柳萬條,金線拂平橋。黄鶯不語東風起,深閉朱門伴細腰。」と詠われる美女の形容でもある。(紀頌之ブログ7月8日蘇小小) ○北人:北方人。春秋・楚は、長江流域にあった中国南部の大国。漢民族の故地である黄河流域の中原とは、『楚辭』に象徴されるように、異なった文明を持つ。その後漢は黄河流域に栄えるが、三国、五胡十六国、南北朝と、原・漢民族は南下し、その間、前秦北魏などが北方を制し、突厥が北方を伺った。(その後も金(女真人)、元(モンゴル人)清(女真→満洲人)という流れ)。「南風不競」という通り、「北人」には「征服者」という感じが籠もる。現・漢民族の外見的な特徴は、(「南人」と比べてのイメージとしてだが)背が高く、大柄(「南人」は小柄)。目が切れ長でつり上がっている(「南人」はぱっちりとした二重まぶたの目)。南朝の繊細華麗優美な文化に比べ北朝の武骨な文化を野暮なものとしている。 ・過:よぎる。通り過ぎる。

4 

此聲腸斷非今日、香灺燈光奈爾何。
 このように、聞く人の腸をねじれさせる宮女の悲歌は、今日この日に限ってのものではないのだ。
いわば悲運こそ、囲われる者の運命なのだから。ひとたび、消えうせた香炉のかおり、燃えつきた灯火は、再び香らず、再び輝きはしない。それ故に、怨みの歌声のいかに悲しかろうと、一端、寵愛を失えば、もはやそれをどうする術もありはしないのだ、歌っている薄幸の宮女よ。
 ○此聲:元、しかるべき地位にあった女性の淪落後の歌声。 ○腸斷:非常な悲しみを謂う。 ○非今日:今日だけではない。 ○香灺:香が燃え尽きる。 ○灺 しゃ ともしびの燃え残り。蝋燭の余燼。 ・燈光 ともしびが輝く。ここは、「燈殘」ともする。 ○奈爾何 あなたをどうしようか。 ○奈何 どのようにしようか。 ○爾 なんぢ。女性を指すか。香を指すのか。

恋愛詩人・李商隠 2 房中曲 五言律排

李商隠 2 房中曲 五言律排

房中曲
薔薇泣幽素、翠帯花銭小。
庭の薔薇の花は人恋しさに寂しさに泣き、秋の露に濡れて細い緑の葉に包まれて咲く花は花びらの銭のように小さい
嬌郎癡若雲、抱日西簾暁。
若さを保ってる私は恥ずかしながら雲のように、太陽を抱きつつ 西の簾さえ暁にしらむまで抱いている。
枕是龍宮石、割得秋波色。
この枕は龍宮の石、その輝きは 秋の揺らめく波の色をさそう。
玉箪失柔膚、但見蒙羅碧。
玉の箪(むしろ)のうえに柔肌はないが、いまはただうすぎぬの肌着があるだけだ。

憶得前年春、未語含悲辛。
思い起こせば前年の春だ、旅立つ別れに何にも話さないのに悲しくて辛そうにしていた。
帰来已不見、錦瑟長於人。
帰ってみればもうお前はいない。錦の絵が描かれている大きな琴は人の背丈がそこにある。

今日澗底松、明日山頭檗。
今日は谷川そこまで生い茂っている松の木、明日には 山頂のミカンの木。
愁到天地翻、相看不相識。
愁は天と地のひるがえり、また出逢っても互いにだれかわからなくなるぐらい歳をとるまで続く。


庭の薔薇の花は人恋しさに寂しさに泣き、秋の露に濡れて細い緑の葉に包まれて咲く花は花びらの銭のように小さい
若さを保ってる私は恥ずかしながら雲のように、太陽を抱きつつ 西の簾さえ暁にしらむまで抱いている。

この枕は龍宮の石、その輝きは 秋の揺らめく波の色をさそう。
玉の箪(むしろ)のうえに柔肌はないが、いまはただうすぎぬの肌着があるだけだ。

思い起こせば前年の春だ、旅立つ別れに何にも話さないのに悲しくて辛そうにしていた。
帰ってみればもうお前はいない。錦の絵が描かれている大きな琴は人の背丈がそこにある。

今日は谷川そこまで生い茂っている松の木、明日には 山頂のミカンの木。
愁は天と地のひるがえり、また出逢っても互いにだれかわからなくなるぐらい歳をとるまで続く。

房中曲
房中曲 言葉の意味は私室の中の歌ということ。漢の高祖劉邦(紀元前247~195年)の時、その妃唐山夫人が房中詞を作り、また漢の武帝劉傲(紀元前157~87年)の時に房中歌という歌曲があった。それは周の房中楽に基づくのだという。3年で喪が開ける。表だっての派手な行動ははばかられる時期。851年李商隠四十歳頃の作。

薔薇泣幽素、翠帯花銭小。
庭の薔薇の花は人恋しさに寂しさに泣き、秋の露に濡れて細い緑の葉に包まれて咲く花は花びらの銭のように小さい。
泣幽素 幽素は人知れずひっそりと。素は飾りけのないことであり、色が白いこと。南北朝の劉昼の「春の花は日を見て笑うに似て、秋の露は滋くして泣くが如し。」とみえる。○花銭小 薔薇の花が銅貿のように小さいことをいう。

嬌郎癡若雲、抱日西簾暁。』
若さを保ってる私は恥ずかしながら雲のように、太陽を抱きつつ 西の簾さえ暁にしらむまで抱いている。
嬌耶 まだまだ若さを保った男。自分のことを言う。○抱日 雲が帆を包み抱く。

枕是龍宮石、割得秋波色。
この枕は龍宮の石、その輝きは 秋の揺らめく波の色をさそう。
龍宮石 石枕のことを龍宮石というが、この龍宮が水の中の宮殿。龍宮は次の秋波につながる。そして秋波は蒙羅の碧という言葉を呼び起こす。波は男女の行為を言う。
 
玉箪失柔膚、但見蒙羅碧。』
玉の箪(むしろ)のうえに柔肌はないが、いまはただうすぎぬの肌着があるだけだ。
玉箪 箪はたかむしろ。もと竹で作る。 ○蒙羅 うす絹のかけ布団。あるいは、うすぎぬの机着。

憶得前年春、未語含悲辛。
思い起こせば前年の春だ、旅立つ別れに何にも話さないのに悲しくて辛そうにしていた。

帰来已不見、錦瑟長於人。』
帰ってみればもうお前はいない。錦の絵が描かれている大きな琴は人の背丈がそこにある。
長於人 大琴の長さが人の背たけほどの長さで、そこにあるということ。


今日澗底松、明日山頭檗。
今日は谷川そこまで生い茂っている松の木、明日には 山頂のミカンの木。
今日澗底松 澗は谷川。松は、万木枯れてのち松の青きを知るというように、不変なものを象微する樹。○明日山頭檗 明日は山頂のミカンの木。檗はミカンの木。

愁到天地翻、相看不相識。』
愁は天と地のひるがえり、また出逢っても互いにだれかわからなくなるぐらい歳をとるまで続く。




 この詩は約一年半前に別れ旅立っている間に死んだ妻を偲んで詠ったものとされているものですが、人の大きさの琴は、宮廷の芸紀、地方政府の宮廷の芸妓、などが使っていたもの。そして、綺麗な石枕⇔竜宮⇔秋波⇔玉箪⇔柔膚⇔蒙羅 と男女の営みの語字を使い、そして、行為を次々連想させ、広げさせてくれる。 作者の寂しさは誰に向けられたものなのか。

李商隠の詩は、こうした独特の世界を広げてくれます。

○韻 小、暁 / 色、碧 / 辛、人 / 檗、識

四句ごとに韻を変えている、絶句(四句)が四つで、聯は対句をなし、律排詩にに構成されている。それそれを絶句としてみるとこの詩が妻の死を悲しむ歌なんかじゃなくて、巧みに字、語、句を配置させ、四句ごとに転韻させ、それぞれ意味が全く違うもので詩が出来上がったいる。初めrの四句「起」庭の素肌の白い花(女)と太陽(女)小銭のような花びら(女)、翠帯(男)雲(男)という暗号のように、男女を示す。つづく「承」は竜宮城から始まる男女の行為を連想させます。「転」で一転して帰ってみたら女の人はいなかった。「結」で人生はいろいろある。橋だけでも楽しもうよ。後にお互い年を取って誰だかわからないっということでもいいじゃないか。

房中曲
薔薇 幽素に泣き、翠帯 花銭 小さく。
嬌郎は癡(おろか)なること雲の若く、日を抱く 西簾(せいれん)の暁。』
枕は是 龍宮の石、割き得たり 秋波の色を。
玉箪(ぎょくてん)柔膚を失し、但 見る蒙羅の碧き。』
憶 得る 前年の春、未だ語らずして 悲辛を含む。
帰り来れば 已に見えず、錦瑟 人よりも長し。』
今日 澗底の松、明日 山頭の檗。
愁は到らん天と地の翻(ひるがえり)、相看る相識らざるまでに。』

李白の詩 連載中 7/12現在 75首

漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。

kanbuniinkai2ch175natsu07ZEROdwt05ch175


pla01geocitynat0017176sas00121205

ブログ
burogutitl185kanshiblog460

恋愛詩人・李商隱 1 錦瑟(きんしつ)

謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏 
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 

 人には口外できないような不幸な恋愛、思いを遂げえない恋愛、漢詩でありながら小説的構成を持つ妖艶、妖気な恋愛、ポルノ写真にモザイクがかかったようなもの、酒宴で詠われたもの・・・・・・というとらえ方でしばらく李商隠を取り上げる。 
李商隱1錦瑟(きんしつ)

錦瑟  
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
(夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。 一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
青い海に月が明るく照らして、人魚は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。

わたしのこの(哀しみの)心情は、(時間が経過して)当時のことを追憶とする今となってのみ、可能なことだったのだろうか(いや、違う。その当時からすでにあったのだ)。

それはあなたが亡くなった当時から、已(すで)に気落ちしてぼんやりとしていたのだ。


錦瑟
(夫婦仲の良いことをいう琴瑟の片方で、かつて妻が奏でた)立派な瑟(おおごと)がわけもなく(悲しげな音色を出す)五十弦の。 
一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)を(見るにつけ)、若く華やいでいた年頃を思い起こさせる。
荘周(さうしう:そうしゅう=荘子)が夢で、蝶(ちょう)になり、自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのか、と迷い。(そのように、あなたの生死について迷い)。
蜀の望帝の春を思う心は、血を吐いて悲しげになく杜鵑(ホトトギス)に魂を托(たく)した。(そのように、血を吐きながらなく思いである)。
青い海に月が明るく照らして、人魚は(月の精ともいうべき)真珠の涙をこぼして。曾て、真珠は海中の蚌(はまぐり)から生まれるものと思われた。また蚌(はまぐり)は月と感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。
(作者の妻が葬られた近辺の)藍田山(らんでんさん)に日(ひ)が暖かに射して、藍田に産する玉(=妻の容貌)が靄(もや)を生(しょう)じているように、朧(おぼろ)に輝いてくる。
わたしのこの(哀しみの)心情は、(時間が経過して)当時のことを追憶とする今となってのみ、可能なことだったのだろうか(いや、違う。その当時からすでにあったのだ)。

それはあなたが亡くなった当時から、已(すで)に気落ちしてぼんやりとしていたのだ。


錦瑟 琴の胴の部分に錦のような絵模様が描かれた大琴で、一般的に亡き妻をしのんで詠ったとされるが(漢文委員会ジオ倶楽部)、ここではおもい焦がれる恋しい人(たとえば不倫相手:逢いたくてもあうことのできなかった時)に対しての詩とした。この解釈のほうが詩の矛盾が、謎がすべて消える。

錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
(あの人と仲の良いことをいう琴瑟の片方で、ことを奏でる)立派な瑟(おおごと)がいつものように五十弦を弾いている。一本の絃(げん)、一つの琴柱(ことじ)をあなたとの逢瀬を思い起こしている。たとえ逢えないないことがあってもこの恋は壊せはしない。
 ○無端 何の原因もなく。ゆえなく。わけもなく。端(はし)無く。これというきざしもなく。思いがけなく。はからずも。いつもどおい何の変りもなく。 ○五十弦 古代の瑟は五十弦のものは宮女(宮廷の芸妓)が使ったもの。後に二十五弦と改められたと、琴瑟の起源とともに伝えられている。 ・華年 あなたと逢瀬を過ごしているこの年月。

莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
 昔、荘子がで、蝶になった夢をみて、その自由さに暁の夢が覚めてのち、自分の夢か、、蝶の夢かとと疑ったという。蝶のように華麗で自由にあなたのもとに飛んでいければいいのに。また、昔の望帝はその身が朽ちて果ててもの春目くその思いを、杜鵑(ホトトギス)に托したという。愛への思い焦がれる執着心はそのように、昼も夜も四六時中、哀鳴するものなのだ。。
 ○莊生 荘周。荘子。 ○迷 自分が夢で蝶になっているのか、蝶が夢で自分になっているのかということで迷う。 ○蝴蝶 荘周が夢の中で蝶になり、夢からさめた後、荘周が夢を見て蝶になっているのか、蝶が夢を見て荘周になっているのか、一体どちらなのか迷った。 ○望帝 蜀の望帝。蜀の開国伝説によると、周の末に蜀王の杜宇が帝位に即き、望帝と称した。望帝は部下のものに治水を命じておきながら、その妻と姦通し、その後その罪を恥じて隠遁した。旧暦二月、望帝が世を去ったとき、杜鵑(ホトトギス)が、哀鳴した。  ○春心 春を思う心。相手と結ばれたいとを思う心。 ○春心托杜鵑 相手と結ばれたいとを思う心は、血を吐きながら悲しげに鳴く杜鵑(ホトトギス)に托す。 ・杜鵑:〔とけん〕ほととぎす。血を吐きながら悲しげに鳴くという。

滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
 あなたの心が青い海に向かうとき、わたしはすぐ月が明るく照らしてくれることを思う、人魚が面影を追って真珠の涙をこぼしてしているように。藍田の玉山のようなところで朦朧としているこの気持ちをはっきりと暖かくしてくれようとするものなのか、いや荘ではなく五色の雲煙が立ち込めて思いはとどかない。
 月と真珠は縁語であり、感応しあって、月が満ちれば真珠が円くなり、月が缺ければ真珠も缺けると思われた。また、中秋の名月の時期になると、蚌は水面に浮かび、口を開いて月光を浴び、月光に感応して真珠が出来るとされた。つまり、滄⇔海⇔月⇔明⇔珠⇔有⇔涙それぞれの語字が関連、連携して男女の思いを強調する効果を出している。 ○滄海 ここでは、思い浮かべる架空の青い海。他界の大海原。 ○ ここでは真珠。「蚌中の月」。 ・有涙:鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。 ○藍田 陝西省藍田県東南にある山の名で、名玉を産する。美玉を産し、玉山ともいうが、ここでは想像上の逢瀬の場所をいう。 ○日暖 陽光が射す。はっきりする。 ○生煙 五色の雲煙が生じて宝気が立ち上るという。瑟の音色の形容でもあり、雲煙が慕情をさらに包み込んでいくことをしめす。

此情可待成追憶、只是當時已惘然。
 わたしのこのせつない心情(失意)は、追憶とするときだからそう思うのか、いや、違う。その当時からいつもせつないおもいをしていたのだ。公をはばかる恋というものは、初めからもどかしいやりきれなさを持っているものなのだ
 ○此情 この(鬱々とした)心情。失意  ○可待 何を待とうか。待つまでもないことだ。反語的な語気を含む。

 ○當時 その頃。その時。その頃。 ○ とっくに。すでに。はじめから  ○惘然 〔ぼうぜん〕気落ちしてぼんやりするさま。もどかしいやりきれなさ。



 なさぬ恋、悲恋の詩と解釈した。道ならぬ恋を「望帝」を持ち出して示唆している。これまでのように死に別れたつ前の気持ちを詠うのに姦通の故事を詠いこむのはおかしい。この歌は、貴族の歌会や、酒宴で披露したことを想定してみると実に奥深い趣のある芸術性に富んだしとなる。恋歌は不倫の詩である。李商隠の力作である。


錦瑟  李商隱
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。


錦瑟きんしつ端無はし なくも  五十弦ご じうげん,一弦いちげん一柱いっちゅう  華年かねんを思う。
莊生さうせいの曉夢ぎょう む は  蝴蝶こ ちょう に迷い,望帝ぼうていの春心しゅんしん は  杜鵑 と けん に托たくす。
滄海そうかい 月 明あきらかにして  珠たまに涙 有り,藍田らんでん 暖かにして  玉は煙を 生ず。
此の情 追憶と成なるを 待つ可べけんや,
只 是れ 當時より  已すでに惘然ぼうぜん

hinode0200


blogram投票ボタン

毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi

kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

800tousouSenshu
kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
各詩人についてはブログ内の検索を利用したほうが良い場合もあります。
burogutitl770

http://kanshi100x100.blog.fc2.com/


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
李白詩INDEX02
李商隠INDEX02
杜甫詩INDEX02

メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
livedoor 天気
プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
メッセージ

名前
メール
本文
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
記事検索
  • ライブドアブログ