漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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青年期の詩

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李白  秋思  

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。坐愁群芳歇,白露凋華滋。

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

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春思

(春になって折楊柳に安全を祈る、そして、秦の羅敷のように貞操感高く桑を積んでいる。それでも、その思いを知ってか知らずか、羅幃の中へ春風は入ってくると詠う。)

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

燕の地は、北方の寒い處で、春のくることも遅いから、今しも漸く碧の絲のような細い芽が草に出た位、しかるに長安附近では、最早、桑の葉が茂って、緑の枝を垂れている。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

君は燕にあり、我は秦に在り、君がかえることを懐う日は、即ち妾が心腸を断つおもいがつのる時である。

春風不相識,何事入羅幃。

これほどの思いをしている我が思いを知らずして、羅幃に吹きこんでいる春風は、まことに気の知れないつれないものである。

(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

秋思

(悲愁の秋、西域にいる夫がいつ帰るかわからず、次第に顔色が変わっていく思婦を詠う。)

燕支黃葉落,妾望自登臺。

燕支山の木の葉は、黄ばんで落ちる、今年も、はや秋に成って、まさに暮れようとしている。夫は、天涯の西域に在って、音信もまったくなく、妾はひとり高台に上って、帰ってほしいと願い思って、その方を眺めている。

海上碧雲斷,單于秋色來。

青海のほとり、碧雲断え、雲だけでも連続して夫のところに至ってくれたらと思うが、それさえもかなえてくれないのである。秋色は、遠く西域の方よりきたって、秋は、しだいに心なくしてくるけれども、その人は、見えない。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

はるかに、塵沙まで凝るほど、おもうに、胡兵が沙中の城塞に合圍をしてしまうから何もできず、遠く旗幟の翻るは、おもふに、和議すでに破れて、漢家の使者が玉門關から帰ってきたのであろう。

征客無歸日,空悲蕙草摧。

この時かえれば、先ず善いのだが、もし帰らなければ、この先、歸えることもあるまい。蘭恵は香草で、人の佩びるものであるが、それさへ、秋風に遇えば、いつしか零落してしまう。それと同じく、妾の顔色も、いつまで、此のままであるべきぞ。かわり易き顔色を以て、何時歸るとも知れぬ夫を待って居る思婦の身の上は、如何にも、哀れなものである。

(秋思)

燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。

海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。

胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。

征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

 

年:       728年開元十六年28

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    秋思

 

 

191        巻五  24 

秋思 

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

192        巻五                    李白43743年天寶二年作

春思 

燕草如碧絲。 秦桑低綠枝。

 當君懷歸日。 是妾斷腸時。 

春風不相識。 何事入羅幃。 

                                          

193        巻五                    李白43743年天寶二年作

秋思 

燕支黃葉落。 ( 燕支一作閼氏 ) 妾望白登台。 ( 白一作自 ) 

海上碧云斷。 ( 海上一作月出 ) 單于秋色來。 ( 單于一作蟬聲 ) 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。 空悲蕙草摧。

 

 

 

『秋思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋思 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

 

(下し文)

(秋思) 

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

(現代語訳)

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

 

(訳注)

秋思 

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

琴操商調 秋思 樂府

春陽如昨日  碧樹鳴黃
蕪然蕙草暮  颯爾涼風
天秋木葉下  月冷莎雞
坐愁群芳歇  白露凋華

○○△●●  ●●○○○

○○●●●  ●●△△△

○○●●●  ●△○○○

●○○○●  ●●○△○

 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

25 黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘。」

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 1652

 

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

26 蕪然 草木が有れ茂れるさま。

 

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

27 木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》「嫋嫋兮秋風,洞庭波兮木葉下。

28 莎雞 キリギリス。

 

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

29. 群芳歇 群芳はすでに散り果てること。

30. 白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1「春思」は、古楽府の題にはないが、李白には、「秋思」という詩が二首ある。作時期の違いはあるが、思婦につぃて詠ったものである。この「春思」詩に関連した詩は次に述べる。

 

秋思・春思

 

《巻五 24秋思》

春陽如昨日、碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮、颯爾涼風吹。

天秋木葉下、月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇、白露凋華滋。

(秋思)

春陽は昨日の如く、碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草の暮、颯爾として涼風吹く。

天は秋にして 木葉下り、月は冷やかにして莎雞悲む。

坐に愁う 群芳歇み、白露 華は凋まして滋きを。

《巻五 25-春思》

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

春風不相識,何事入羅幃。

(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

《巻五 26秋思》

燕支黃葉落,妾望自登臺。

海上碧雲斷,單于秋色來。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

征客無歸日,空悲蕙草摧。

(秋思)

燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。

海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。

胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。

征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

*季節も変わり、月日も流れた…、という時間経過を表している。

2 燕草:北国である燕国の草。夫のいるところをさす。 ・燕:〔えん〕北国の意で使われている。現・河北省北部。 ・如:…のようである。 

3 碧絲:緑色の糸。 ・碧:みどり。あお。後出「綠」との異同は、どちらも、みどり。「碧」〔へき〕は、碧玉のような青緑色。青い石の色。「綠」〔りょく〕は、みどり色の絹。

4 秦桑:(ここ)長安地方のクワ。陌上桑の羅敷 ・秦:〔しん〕、女性のいる場所の長安を指している。 ・低:低くたれる。 秦桑 秦地、即ち長安附近の桑、自己の居るところをさす。《巻五02 -陌上桑》「綠條映素手,採桑向城隅。」(綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。)陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜歌に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。

5 綠枝:緑色の枝。

6 君:(いとしい)あなた。男性側のこと。 

7 當:…あたる。 

8 懷歸日:戻ってこようと思う日。(彼女に告げていた)帰郷の予定日。

9 是:(それは)…である。 

10 妾:〔しょう〕わたし。女性の謙遜を表す自称。 

11 斷腸:腸(はらわた)が断ち切られるほどのつらさや悲しさ。

 *この聯は、いつになっても帰ってこない男性を、ひたすら待つ身のやるせなさを謂う。 

12 不相識 顔見知りの人ではない。知り合いの人ではない。

13 何事 どうしたことか。 

14 羅幃〔らゐ〕薄絹のとばり。
 *わたし(=女性)の切なく淋しい胸の内を理解して、春風は慰めてくれているのであろうか。 

15 燕支 燕支山のこと。焉支山,又稱胭脂山、刪丹山といい、河西走廊的南部,今日中國甘肅山丹縣城東南50kmの處にある。

16 黃葉落 木の葉が落ちる、気持ちが落ちる。

17 妾 女の自称。

18 望自登臺 秋、99日重陽には高いところに登って夫のことを思う。望夫台は各地にある。

19 海上 臨武、隴右を越えれば、青海があり、その向こうの西域は天竺と思っていた時代である。

20 碧雲斷 高いところに登って冬雲の変わりつつある雲に思いを告げれば伝えてくれそうに思う。

21 單于 本来匈奴の最高地位を言うが、此処ではその者たちの支配する場所。李白が朝廷の関係者の前でこの詩を作ったので、匈奴を卑下して言ったもの。

22 沙塞合 砂を固めてレンガにする、いわゆる日干し煉瓦で造った塞を、匈奴の兵士が取り囲むことを言う。

23 漢使玉關回 漢の使者が玉門関に集められた手紙や言伝を冬になる前に行き、冬になるまでに長安に持ち帰ること。

24 蕙草 この詩の女性自身、女性の心持を言う。

25 黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘。」

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 1652

26 蕪然 草木が有れ茂れるさま。

27 木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》「嫋嫋兮秋風,洞庭波兮木葉下。

28 莎雞 キリギリス。

29. 群芳歇 群芳はすでに散り果てること。

30. 白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

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《子虚賦 》(7の土地からは、丹砂・空靑・赤玉・白土・雌黄・白坿・錫・碧玉・金・鎚が掘り出される。さまざまな色彩が輝いて、龍の鱗がきらめくようだ。さらに、石としては、赤玉・攻塊・琳・琨珸・瑊玏・玄厲・石・武夫などが採れる。

 

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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html    
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html    
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。    
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。    
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html    
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html    
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html    
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。    
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。    
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。    

 

 

司馬相如 《子虚賦 》(7)#32 文選 賦<109-#3-29分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩886 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2978

 

 

(6)#3-1

「僕對曰:「唯唯。臣聞楚有七澤,

私は、「かしこまりました」と言いました。聞くところ、楚には七つの大湿地帯があるという

嘗見其一,未睹其餘也。

その一つを見たことがあるだけで、残りはまだ知らない。

臣之所見,蓋特其小小者耳,名曰雲夢。

私が見た場所などは、なかでもとりわけ小さなちいさなものであろう。その名を「雲夢沢」という。

雲夢者,方九百里,其中有山焉。

雲夢沢は、九百里四方で、その内には山々を含んでいるのである。

其山則盤紆岪鬱,隆崇律崒,

その山はうねうねと重なり、高くそびえて立っている。

岑崟參差,日月蔽虧

ギザギザの隆々は、日月の光すらさえぎる。

 

(7)#3-2

交錯糾紛,上干青雲

もつれあった山々は、青空に触れんばかりである。

罷池陂陁,下屬江河。

その斜面は、池に向かってなだらかに下っていって、大河のほとりへ続いていく。

其土則丹青赭堊,雌黃白坿,錫碧金銀

この土地からは、丹砂・空靑・赤玉・白土・雌黄・白坿・錫・碧玉・金・鎚が掘り出される。

眾色炫燿,照爛龍鱗。

さまざまな色彩が輝いて、龍の鱗がきらめくようだ。

其石則赤玉玫瑰,琳琨珸,

瑊玏玄厲,石武夫。

さらに、石としては、赤玉・攻塊・琳・琨珸・瑊玏・玄厲・石・武夫などが採れる。

 

#3-1

「僕 對えて曰く:「唯唯。臣聞く 楚 七澤有り。」と。

「嘗て其の一を見しも,未だ其の餘を睹ず。

臣の見たる所は,蓋し特【ひと】り其の小小なる者ならんのみ,名を雲夢と曰う。

雲夢は,方 九百里,其の中に山有り。

其の山は則ち盤紆【ばんり】岪鬱【ふつうつ】,隆崇【りゅうしゅう】律崒【りつしゅつ】たり。

岑崟【しんきん】參差【しんし】として,日月 蔽われ虧【か】く。

32

交錯【こうさく】糾紛して,上 青雲を干【おか】す。

罷池【ひち】陂陁【はだ】として,下 江河に屬す。

其の土は則ち丹青【たんせい】赭堊【しゃあく】,雌黃【しこう】白坿【はくふ】,錫碧【せきへき】金銀あり。

眾色【しゅうしょく】炫燿【げんよう】として,照爛【しょうらん】として龍の鱗のごとし。

其の石は則ち赤玉【せきぎょく】玫瑰【ばいかい】,琳【りんびん】琨珸【こんご】

瑊玏【かんろく】玄厲【げんれい】【ぜんせき】武夫【ぶふ】あり

 

 

 

『子虛賦』 現代語訳と訳註

(本文)(7)#3-2

交錯糾紛,上干青雲

罷池陂陁,下屬江河。

其土則丹青赭堊,雌黃白坿,錫碧金銀

眾色炫燿,照爛龍鱗。

其石則赤玉玫瑰,琳琨珸,

瑊玏玄厲,石武夫。

 

 

(下し文) 32

交錯【こうさく】糾紛して,上 青雲を干【おか】す。

罷池【ひち】陂陁【はだ】として,下 江河に屬す。

其の土は則ち丹青【たんせい】赭堊【しゃあく】,雌黃【しこう】白坿【はくふ】,錫碧【せきへき】金銀あり。

眾色【しゅうしょく】炫燿【げんよう】として,照爛【しょうらん】として龍の鱗のごとし。

其の石は則ち赤玉【せきぎょく】玫瑰【ばいかい】,琳【りんびん】琨珸【こんご】,

瑊玏【かんろく】玄厲【げんれい】,石【ぜんせき】武夫【ぶふ】あり。

 

 

(現代語訳)

もつれあった山々は、青空に触れんばかりである。

その斜面は、池に向かってなだらかに下っていって、大河のほとりへ続いていく。

この土地からは、丹砂・空靑・赤玉・白土・雌黄・白坿・錫・碧玉・金・鎚が掘り出される。

さまざまな色彩が輝いて、龍の鱗がきらめくようだ。

さらに、石としては、赤玉・攻塊・琳・琨珸・瑊玏・玄厲・石・武夫などが採れる。

 

 

(訳注)(7)#3-2

交錯糾紛,上干青雲

もつれあった山々は、青空に触れんばかりである。

・交錯 もつれあう。

・糾紛 ここでは山々のことをいう。

 

罷池陂陁,下屬江河。

その斜面は、池に向かってなだらかに下っていって、大河のほとりへ続いていく。

・罷池陂陁 斜面は、池に向かってなだらかに下っていくことをいう。

 

其土則丹青赭堊,雌黃白坿,錫碧金銀

この土地からは、丹砂・空靑・赤玉・白土・雌黄・白坿・錫・碧玉・金・鎚が掘り出される。

・丹青赭堊 丹:丹砂、青:空靑、赭:赤玉、堊:白土。

 

眾色炫燿,照爛龍鱗。

さまざまな色彩が輝いて、龍の鱗がきらめくようだ。

 

其石則赤玉玫瑰,琳琨珸,瑊玏玄厲,石武夫。

さらに、石としては、赤玉・攻塊・琳・琨珸・瑊玏・玄厲・石・武夫などが採れる。

 

杜甫 3 題張氏隠居 

杜甫 3 題張氏隠居 

張氏とよぶ人の隠れ家にかきつけた詩で、736年 25歳 開元24年、斉州に遊んだ時の作。
七言律詩

題張氏隠居
春山無伴獨相求,伐木丁丁山更幽。
澗道餘寒歷冰雪,石門斜日到林丘。
不貪夜識金銀氣,遠害朝看麋鹿遊。
乘興杳然迷出處,對君疑是泛虛舟。


題張氏隠居
張氏がどんな人物なのかは未詳。竹渓の六逸の一人張叔明だといわれている。又、杜甫の「秋述」に登場する叔卿と同一人かそれとも兄弟かなどというが、いずれも臆説にすぎない。詩中の「石門斜日」の句によれば、其の人は石門山に隠れて居た者であることがわかる。

張氏が隠居に題す
春の山をだれもつれがなく自分一人で尋ね入ると。木びきの音がざあざあときこえて山は音あるためにいっそう静かな感じになる。 
君の品位はすこしも貪欲の念は無いが夜となれば霊地に埋蔵してある金銀の気はおのずからそれとわかり、害に近づくことなくして朝にはつねに麋鹿たちと遊んでいるのを見つけた。  
かかる場所へ来てみるとおもしろくてどんなに山深く仙境にわけ入ったかと思われ、ここの野で去るべきか、立ちどまって居るがよいか迷ってしまう。 君と相対しているときの感じをたとえたとすると、君は「荘子」のいわゆる虚舟を泛(うかべ)る者でその無心さがなんともいえないのである。 


張氏が隠居に題す
春山伴無く独り相求む
伐木丁丁として山更に幽なり
澗道の余寒に冰雪を歴
石門の斜日に林丘に到る
余らずして夜金銀の気を識り
害より遠ざかりて朝に廉鹿の遊ぶを看る
興に乗じて杏然として出処に迷う
君に対すれば疑うらくは足れ虚舟を淀ぶるかと

題張氏隠居:張氏が隠居に題す。 
張氏がどんな人物なのかは未詳。竹渓の六逸の一人張叔明だといわれている。又、杜甫の「秋述」に登場する叔卿と同一人かそれとも兄弟かなどというが、いずれも臆説にすぎない。詩中の「石門斜日」の句によれば、其の人は石門山に隠れて居た者であることがわかる。

春山無伴獨相求、伐木丁丁山更幽。
春の山をだれもつれがなく自分一人で尋ね入ると。木びきの音がざあざあときこえて山は音あるためにいっそう静かな感じになる。 
 ・伴:つれ。 ・相求:求とはその人を尋ねにゆくこと。相とは必ずしも相互的とはかぎらず、相手がありさえすれば使用し得る。ここはこちらから先方を求めるのである。・丁丁:木を伐る音、字面は「詩経」の伐木篇にある。 ・潤道: 谷沿いの道。


澗道餘寒歷冰雪、石門斜日到林丘。
余寒のおりに谷沿いの道を辿って冰や雪のある処をすぎてゆくと、石門に夕日がかかるその時君の住んでいる林丘にたどり着いた。
・余寒:春の残寒。 ・石門:山の名であろう。石門山は曲阜県の東北五十里にある。李白の集に「魯郡の東の石門にて重ねて杜甫に別る」という詩がある。李杜の集に石門というのは同一地をさすものであろう。 ・斜日:よこにさす日光、夕日。 ・林丘:はやしのある丘、張氏の住む処である。


不貪夜識金銀氣、遠害朝看麋鹿遊。

君の品位はすこしも貪欲の念は無いが夜となれば霊地に埋蔵してある金銀の気はおのずからそれとわかり、害に近づくことなくして朝にはつねに麋鹿たちと遊んでいるのを見つけた。  
・金銀気:地下に金銀があると、その気は自のずから上騰する。 ・麋:くじか。

乘興杳然迷出處、對君疑是泛虛舟。
かかる場所へ来てみるとおもしろくてどんなに山深く仙境にわけ入ったかと思われ、ここの野で去るべきか、立ちどまって居るがよいか迷ってしまう。 君と相対しているときの感じをたとえたとすると、君は「荘子」のいわゆる虚舟を泛(うかべ)る者でその無心さがなんともいえないのである。 
・乗興 おもしろさにのりきになる。 ・杳然:おくふかいかたち。 ・出処:いくべきか、処(居)るべきかの二つ。 ・君: 張氏をさす。  ・淀虚舟:「荘子」山木篇に舟で河をわたるとき虚船(人の乗っていない空の舟)が来てぶっつかったなら、いくら意固地の人でも怒らないという話がある。ここは張氏の自己というものの無い人がらをたとえていう。

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15

黄鶴樓送孟浩然之廣陵 李白15 

安陸・南陽・嚢陽 李白00

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。


魏太尉承班二首


『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』 現代語訳と訳註
(本文)
黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。


(下し文)
(黄鶴樓にて孟浩然が廣陵に之くを送る)
故人 西のかた黄鶴楼を辞し、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆 遠く影し 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

(現代語訳)

(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。

黄鶴伝説 『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689-740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。この詩は、李白二十八歳の作とする。通説であるが、異説もある。


故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空-碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。

○韻字  楼・州・流

宮島(3)

黄鶴伝説
『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。


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贈孟浩然 李白14

贈孟浩然  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -14 
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 病気が治った李白は、安陸にいる孟浩然に会いにいき、師と仰ぐようになる。李白は、古い城郭都市の安陸で孟浩然に詩を贈っている。


贈孟浩然         

吾愛孟夫子、風流天下聞。
紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
酔月頻中聖、迷花不事君。
高山安可仰、従此揖清芬。

孟浩然に贈る
私の愛する孟先生,先生の風流は 天下に聞こえている。
若くして高官になる志を棄て、白髪になるまで松雲に臥しておられる。
月に酔って聖にあたったといわれる、花を迷うのは君主に仕えないことだ。
高山はどうして仰ぐことができようか。ここから清らかな香りを拝します

吾は愛す孟夫子(もうふうし)、風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ。
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て、首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す。
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)り、に迷いて君に事(つか)えず。
高山(こうざん)  安(いずく)んぞ仰ぐ可けんや、此(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)す
嚢陽一帯00


現代語訳と訳註
(本文)
 贈孟浩然         
吾愛孟夫子、風流天下聞。
紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
酔月頻中聖、迷花不事君。
高山安可仰、従此揖清芬。

(下し文)
吾は愛す孟夫子(もうふうし)、風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ。
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て、首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す。
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)り、に迷いて君に事(つか)えず。
高山(こうざん)  安(いずく)んぞ仰ぐ可けんや、此(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)す

(現代語訳)
私の敬愛する孟先生、先生の風流は隠遁されていても 天下に聞こえています。
若くして高官になる志を棄て、白髪になるまで 松雲の間に臥しておられる。
月下に酒を飲んで 聖にあたったと答え、君主に仕えずに  花を眺めておられる。
高山は近寄りがたいので、私はここから  清らかな香りを拝しています。

(訳注)
吾愛孟夫子、風流天下聞。

吾は愛す孟夫子(もうふうし)、風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ。
私の敬愛する孟先生、先生の風流は隠遁されていても 天下に聞こえています。

紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て、首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す。
若くして高官になる志を棄て、白髪になるまで 松雲の間に臥しておられる。
軒冕 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。 高位高官。また、その人。

酔月頻中聖、迷花不事君。
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)り、に迷いて君に事(つか)えず。
月下に酒を飲んで 聖にあたったと答え、君主に仕えずに  花を眺めておられる。
 天使に使えること。朝廷での仕事。

高山安可仰、従此揖清芬。
高山(こうざん)  安(いずく)んぞ仰ぐ可けんや、此(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)す
高山は近寄りがたいので、私はここから  清らかな香りを拝しています。
清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りが―と漂う」「酒気を―とさせる」 
DCF00117



 孟浩然は三十八歳であり、李白は二十六歳であった。隠遁している憧れの孟浩然を「白首」と言った。孟浩然は、襄陽の近郊の鹿門山に別業(別荘)を営んでいた。

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淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤 李白 13

淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤 李白 13 修正中

726年秋、二十六歳の李白は揚州(江蘇省揚州市)にいた。呉越の地から長江を北へ渡って淮南(わいなん)の地に来た。揚州は海外交易も盛んで賑わっていた。李白は揚州で楽しんだが、病気になった。所持金も乏しくなったようだ。

 豪放磊落な李白も気弱になって、故郷に書を送っている。相手は三年ほど岷山に籠もったことのある人物で、趙蕤といった。彼は李白に治乱興亡の史書や兵法を教え、論じた仲である。

 「淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤」

 病の床で、李白は故郷への想いをつづったのだ。二十二句の五言古詩である。

淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤

呉会一浮雲、飄如遠行客。
功業莫従就、歳光屡奔迫。
良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
国門遥天外、郷路遠山隔。
朝憶相如台、夜夢子雲宅。』
旅情初結緝、秋気方寂歴。
風入松下清、露出草間白。
故人不在此、而我誰与適。
寄書西飛鴻、贈爾慰離析。』

呉会は一浮雲、
飄としているのは遠行えんこうの客
功業は従就じゅうしゅうし莫ない
歳光は屢々しばしば奔迫ほんはくしてる
良図は俄にわかに棄損きえんしており
衰疾については綿劇めんげきなのだ』

古琴は虚匣(きょこう)に蔵おさめたまま
長剣は空壁(くうへき)に挂(か)けている
楚懐(そかい)という曲はは 鐘儀(しょうぎ)奏でる
越吟(えつぎんというものは荘舃(そうせきが吟じたこととに比較される
国への門は遥天(ようてん)の外そとである
郷へほ路は 遠い山よりずっと隔(へだっている
朝(あした)には司馬相如(そうじょ)の台のことを憶(おも)い
夜には子雲(しうん)の宅(たく)を夢みている』

旅の情おもむきは初めて結緝(けつしゅうしてきた
秋の気けはいは方(まさ)に寂歴(せきれき)である
風が入ってくることは松下(しょうか)を清さびしくする
露がではじめるのは草間(そうかん)を白くしている
故ゆえある人は 此(ここ)に在いない
而しがって我れは誰と与(とも)に適するのか
書を寄せることは西に飛ぶ鴻(こう)に
汝に贈るのは離れている析しさを慰さめるものだ』


呉会一浮雲、飄如遠行客。
呉越のあたりひとひらの浮雲(うきぐも)よ、飄然と遠くへ旅する旅人のようだ

功業莫従就、歳光屡奔迫。
功業を成し遂げることもなく、歳月はあわただしく過ぎてゆく

良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
折角の壮図もにわかに棄て去り、疾のために身は衰え果てている

古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
愛する琴は箱に納め、長剣も壁に虚しくかけてある

楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
鐘儀が楚国の曲を奏で、荘舃が越の詩を吟じたように故郷への想いはつのる

国門遥天外、郷路遠山隔。
故国の城門は遥かな空のかなたにあり、郷里への道は遠くの山に隔てられている

朝憶相如台、夜夢子雲宅。』
朝には司馬相如の琴台(きんだい)を憶い夜には揚雄の邸を夢にみる

旅情初結緝、秋気方寂歴。
旅情は胸にこみあげ、秋のけはいはもの寂しく満ちわたる

風入松下清、露出草間白。
清らかな風が松の林を吹き抜け、くさむらは露に濡れて白くかがやく

故人不在此、而我誰与適。
ここには語り合うべき友もなく、私は誰と過ごしたらいいのだろうか

寄書西飛鴻、贈爾慰離析。』
書を寄せることは西に飛ぶ鴻(こう)に
汝に贈るのは離れている析しさを慰さめるものだ


 詩中の相如は司馬相如をさす。
 司馬相如は梁の孝王の客人たなっていた。梁の孝王が亡くなったため、帰ったが、家は貧しく生活が出来なかった。彼は臨邛の県令の王吉と知り合いであったため、県令は司馬相如のために、一計を案じた。それは司馬相如を立派な者に見せるという演出をし、彼を県令の賓客として待遇することだった。やがて、県令に賓客がいるとの噂を聞いた臨邛の大富豪である卓王孫らが催した招宴に、勿体を付けて出席をした。その席で、琴を奏でることとなった。卓王孫には、寡婦となって戻っていた娘・卓文君がおり、彼女は音楽が好きなので、王吉と司馬相如は計略を案じて、琴の演奏で卓文君の心を捕まえようとした。そのため、司馬相如は、威儀を正した乗り物に典雅な容儀で現れ、やがて琴を演奏した。彼女をトリコのする作戦は成功した。その夜、司馬相如は、恋文を人づてに渡し、二人は駆け落ちをした。司馬相如が連れて行った先の成都の家は、四方にただ壁があるだけの何一つ無い貧しい住まいだった。ことの次第を知った卓王孫は、大いに怒り狂い、親子の縁を絶ってしまった。二人は成都での生活苦に耐えかねて、卓文君の兄弟の縁を頼って、臨邛に戻ってきた。臨邛での二人は、卑しいとされる仕事に精を出した。この二人の行為を恥じた父親の卓王孫は、家に閉じこもって出てこなくなった。やがて、周りの者の取りなしで、卓王孫は財産を分けてやったので、二人は成都へと戻っていって、お金持ちの生活を始めた。

司馬相如の姿は前半の策謀家から恬澹としたものに変わっている。李白は、こうした、司馬相如を引き合いに出すのは旅行中の病気がよほど堪えたのであろう。恵まれた昔の生活を直接に表現しないで、司馬をひきあにだしたのだ

淥水曲  李白 11

 李白の江南地方での若いときの旅は2年程度であった。この地方を題材にした詩は多く残されているが、詩の目線は中年のものが多いようである。推測ではあるが、若いときに作った作品を、後年再び訪れた時修正したのではないかと感じられる。淥水曲りょくすいきょく 清らかな澄んだ水、純真な心もった娘たちの歌である。
李白11 五言古詩

淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
清らかな水に 秋の日が明るく映える
            ここ南湖で 白蘋
はくひんの花を摘む

荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。

蓮の花は あでやかに嬌なまめかしく物言いたげ
        耐え難い想いは 船を蕩うごかすひとにも



   
清らかな水に 秋の日が明るく映える
ここ南湖で 白蘋はくひんの花を摘む
蓮の花は あでやかに嬌なまめかしく物言いたげ
耐え難い想いは 船を蕩うごかすひとにも


 淥水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。この詩の主張はここにある。これを理解するためには西施の物語を知っておかないといけない。

 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ)
 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。


五言絶句
 韻は蘋、人。

淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。

(下し文) 
淥水曲(りょくすいきょく)
淥水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖  白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか)  嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人


金陵酒肆留別  李白 7

 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地があ。そして酒旗高楼が林立している。


李白 7

金陵酒肆留別          
風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちる
          呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせる
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
金陵の若者たちは  集まって別れの宴を開いてくれ
       行こうとするが立ち去りがたく  心ゆくまで杯を重ね合う
請君試問東流水、別意与之誰長短。

どうか諸君  東に流れる水に尋ねてくれ
           別れのつらさとこの水は  どちらが深く長いかと


風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちる
呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせる
金陵の若者たちは  集まって別れの宴を開いてくれ
行こうとするが立ち去りがたく  心ゆくまで杯を重ね合う
どうか諸君  東に流れる水に尋ねてくれ
別れのつらさとこの水は  どちらが深く長いかと


 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。


韻は、香、送、觴。/嘗、短。

金陵酒肆留別          
風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君試問東流水、別意与之誰長短


(下し文)
金陵の酒肆にて留別す
風は柳花(りゅうか)を吹きて  満店香(かん)ばし
呉姫(ごき)は酒を圧して  客を喚びて嘗(な)めしむ
金陵の子弟(してい)  来りて相い送り
行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす
請う君  試みに問え  東流(とうりゅう)の水に
別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと


李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
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望天門山  李白 6

望天門山 李白 6

 江陵を発った李白と呉指南は、長江を下って岳州(湖南省岳陽市)に着く。岳州の州治は岳陽にあり、南に洞庭湖が広がっている。唐代の洞庭湖は現在の六倍もの広さがあったので、まるで海だ。二人は夏のあいだ湖岸の各地を舟でめぐり歩く。洞庭湖に南から流れこむ湘水を遡って、上流の瀟湘(しょうしょう)の地へも行った。

望天門山          

天門中断楚江開、碧水東流至北回。
天門山を割って楚江はひらけ、紺碧の水は東へ流れ  北へ向かって曲がる
両岸青山相対出、孤帆一片日返来。

両岸の山が   相対してそば立つなか、帆舟がぽつり  かなたの天から進んできた


天門山を割って楚江はひらけ
紺碧の水は東へ流れ  北へ向かって曲がる
両岸の山が   相対してそば立つなか
帆舟がぽつり  かなたの天から進んできた


 夏の終わりに、呉指南が湖上で急死。李白は旅の友を失い悲しみに打ちひしがれる。友の遺体を湖畔に埋葬して旅を続ける。岳陽を出て長江を下ると、やがて鄂州(湖北省武漢市武昌区)に着く。鄂州の江夏県城は大きな街だ。ここで暫く体を休めたあと、江州(江西省九江市)へ向かった。江州の州治は尋陽(じんよう)で、南に名勝廬山(ろざん)がある。
 長江は江州から東北へ流れを転じて、やがて江淮(こうわい)の大平原へと流れ出てゆく。天門山を過ぎるところから長江は真北へ流れ、やがてゆるやかに東へ移ってゆく。北へ向きを変えた長江の東岸に博望山、西側に梁山が向かい合い、山の緑が印象的であった。それを割るようにして長江は楚地から呉地へと流れてゆく。
 この詩を詠った時の李白は、帆舟が一艘、天の彼方から進むように、水平線のあたりからこちらに向かって近づいてくる。李白はそれを自分の舟の上で見ながら詠っている。


韻は、開、回、来。

望天門山
天門中断楚江開、碧水東流至北回。
両岸青山相対出、孤帆一片日返来。


(下し文)天門山を望む
天門(てんもん)  中断して楚江(そこう)開き
碧水(へきすい)  東流して北に至りて回(めぐ)る
両岸の青山(せいざん)  相対して出で
孤帆(こはん)  一片  日返(にっぺん)より来(きた)る

渡荊門送別 李白 5

渡荊門送別 李白 5

 湖北地方に出た李白らが、足をとどめたのは江陵(湖北省沙市市)だ。江陵は荊州(けいしゅう)の州治のある県で、唐代には中隔城壁が設けられ、南北両城に区分された大城である。大都督府の使府も置かれ、軍事的にも重要な都市であった。李白と呉指南は江陵で冬を越し、地元の知識人と交流して翌年の春までを過ごす。


李白 5 
渡荊門送別       

荊門を渡って送別す
渡遠荊門外、来従楚国遊。
遠く荊門に外までやってきた、はるばると楚の国へ旅をする
山随平野尽、江入大荒流。
平野が広がるにつれ  山は消え去り、広大な天地の間へと  江は流れてゆく
月下飛天鏡、雲生結海楼。
月が傾けば  天空の鏡が飛ぶかとみえ、雲が湧くと   蜃気楼が出現したようだ
仍憐故郷水、万里送行舟。

だがしかし   しみじみと心に沁みる舟の旅、故郷の水が  万里のかなたへ送るのだ



荊門を渡って送別す
遠く荊門に外までやってきた、はるばると楚の国へ旅をする
平野が広がるにつれ  山は消え去り、広大な天地の間へと  江は流れてゆく
月が傾けば  天空の鏡が飛ぶかとみえ、雲が湧くと   蜃気楼が出現したようだ
だがしかし   しみじみと心に沁みる舟の旅、故郷の水が  万里のかなたへ送るのだ


 李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めた。
725年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立ちます。詩は江陵を去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。
 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍(な)お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。


韻は、遊、流、楼、舟。

渡荊門送別       
渡遠荊門外、来従楚国遊。
山随平野尽、江入大荒流。
月下飛天鏡、雲生結海楼。
仍憐故郷水、万里送行舟。


(下し文)渡荊門送別 李白 5
渡ること遠し荊門(けいもん)の外
来りて従う  楚国(そこく)の遊(ゆう)
山は平野に随いて尽き
江(かわ)は大荒(たいこう)に入りて流る
月は下りて  天鏡(てんきょう)飛び
雲は生じて  海楼(かいろう)を結ぶ
仍お憐れむ  故郷の水
万里  行舟(こうしゅう)を送るを


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李白の詩 連載中 7/25現在 100首

2011・6・30 3000首掲載
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秋下荊門 李白 4

秋下荊門 李白 4
七言絶句
 李白たちの舟は、長江三峡の急流を無事に下って荊門に着くことができた。あたりははや晩秋の気配。「荊門」は山の名で、長江の南岸、宜都(湖北省枝城市)の西北にある。対岸の虎牙山と対しており、昔は楚の西の関門といった趣き。蜀の東方、湖北・湖南地方への出口ということになる。

秋下荊門
霜落荊門江樹空、布帆無恙挂秋風。
霜は荊門に降り岸辺の樹々も葉が落ちた、帆に事はなく 秋風をはらんで立っている
此行不為鱸魚鱠、自愛名山入剡中。


こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない、名山を愛し  剡渓の奥へ分け入るのだ

霜は荊門に降り岸辺の樹々も葉が落ちた
帆に事はなく 秋風をはらんで立っている
こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない
名山を愛し  剡渓の奥へ分け入るのだ


 李白はここで、ひとつの決意を口にしている。これからの旅は名高い寺を訪ねて勉強をし、東の果て「剡中」(浙江省嵊県)まで分け入るのだと意気込んだ。剡中は剡渓の流れる地で、六朝の時代から文人墨客の閑居・風雅の地として有名であった。そうしたところを訪ねて有名人と交わりたいのが李白のおもいであった。

韻は、空、風、中。

秋下荊門
霜落荊門江樹空、布帆無恙挂秋風。
此行不為鱸魚鱠、自愛名山入剡中。


(下し文)秋 荊門を下る
霜は荊門(けいもん)に落ちて江樹(こうじゅ)空(むな)し
布帆(ふはん) 恙(つつが)無く  秋風に挂(か)く
此の行(こう)  鱸魚(ろぎょ)の鱠(なます)の為ならず
自ら名山を愛して剡中(せんちゅう)に入る


江行寄遠 李白 3

江行寄遠 李白 3

江行寄遠        

江行して遠くに寄す
刳木出呉楚、危槎百余尺。
小舟を準備し呉楚の地へ旅立つ、危ないと思うほど大きくてぼろ舟。。
疾風吹片帆、日暮千里隔。
疾風は帆をはらんでくれる、一日で千里、進ませる
別時酒猶在、已為異郷客。
別れの時の酒がまだ残っているほどなのに、こころはすでに異郷の旅人となる
思君不可得、愁見江水碧。

君を思うが会うことはできない、愁い心でみるのは江水の碧(みどり)だ


江行して遠くに寄す、
小舟を準備し呉楚の地へ旅立つ、危ないと思うほど大きくてぼろ舟。
疾風は帆をはらんでくれる、一日で千里、進ませる
別れの時の酒がま残っているほどなのに、ころはすでに異郷の旅人となる
君を思うが会うことはできない、愁い心でみるのは江水の碧(みどり)だ


 この詩は嘉州を過ぎて戎州(四川省宜賓市)へ向かうあたりでの作。題に「寄遠」(遠くに寄す)とある。故郷の家族に送ったのだ。
 自信をもっとぃる詩を武器とはいえ当てもない旅なのだ。普通、官吏の場合は一日に一駅亭が設けられている。

以上を http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/  >   李白詩 01と李白02 で見ることができる。
   又 http://3rd.geocities.jp/miz910yh/  > 李白詩 01で見れる
 両サイト趣が違うので時々見てください。

 李白は遊学が目的。一般人には駅亭の利用は認められていないので、中国では「抱被」(ほうひ:旅をするのに、寝具、着替えや炊飯用具まで持っていくのが当たり前とはいえ、荷物は相当な量になる。
 李白は更に愛用の琴と剣を持参している。長江を利用しての船旅になる。

 初句に「刳木」(こぼく)とあるのは、「刳り舟を造ること」から、唐代では船旅の準備をする意味である。李白は父親から長さ30mの小舟を用意してもらったのだ。「危槎 百余尺」と言っていますので30m余の舟ということになる。長江の流れと、風を受けて一日千里も進んだ。故郷に美人の彼女を残している。「君を思うけど逢えない」と書いて送ったのだ。
 男は立身出世をして、故郷に錦を飾るのが仕事、女は、それをじっと耐えて待つのが美徳とされていた。千三百年前の話だ。人間扱いされる1割か2割階級の話だが、残りの人は律令体制だから、均田制で農地を与えられ、農作物の半分以上と別に府兵制で一家に一人の兵役をさせられる。したがって、一般の家庭でも働き頭は女性だったのだ。


韻は、尺、隔、客、碧。

刳木出呉楚、危槎百余尺。
疾風吹片帆、日暮千里隔。
別時酒猶在、已為異郷客。
思君不可得、愁見江水碧。


(下し文)
刳木(こぼく)して呉楚(ごそ)に出(い)づ
危槎(きさ)  百余尺
疾風  片帆(へんぱん)を吹き
日暮(にちぼ)  千里を隔(へだ)つ
別時(べつじ)の酒  猶お在り
已に異郷の客と為(な)る
君を思えども得(う)可からず
愁(うれ)えて見る  江水の碧(へき)


 李白たちの舟は、長江三峡の急流を無事に下って荊門に着くことができた。あたりははや晩秋の気配。「荊門」は山の名で、長江の南岸、宜都(湖北省枝城市)の西北にある。対岸の虎牙山と対しており、昔は楚の西の関門といった趣き。蜀の東方、湖北・湖南地方への出口ということになる。

李白4

4.秋下荊門
     216 李白 
霜落荊門江樹空、布帆無恙挂秋風。
此行不為鱸魚鱠、自愛名山入剡中。

霜は荊門に降り岸辺の樹々も葉が落ちた
帆に事はなく 秋風をはらんで立っている
こんどの旅は 鱸魚のなますのためではない
名山を愛し  剡渓の奥へ分け入るのだ

 李白はここで、ひとつの決意を口にしている。これからの旅は名高い寺を訪ねて勉強をし、東の果て「剡中」(浙江省嵊県)まで分け入るのだと意気込んだ。剡中は剡渓の流れる地で、六朝の時代から文人墨客の閑居・風雅の地として有名であった。そうしたところを訪ねて有名人と交わりたいのが李白のおもいであった。

韻は、空、風、中。

秋下荊門
霜落荊門江樹空、布帆無恙挂秋風。
此行不為鱸魚鱠、自愛名山入剡中。

秋 荊門を下る
霜は荊門(けいもん)に落ちて江樹(こうじゅ)空(むな)し
布帆(ふはん) 恙(つつが)無く  秋風に挂(か)く
此の行(こう)  鱸魚(ろぎょ)の鱠(なます)の為ならず
自ら名山を愛して剡中(せんちゅう)に入る


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 湖北地方に出た李白らが、足をとどめたのは江陵(湖北省沙市市)だ。江陵は荊州(けいしゅう)の州治のある県で、唐代には中隔城壁が設けられ、南北両城に区分された大城である。大都督府の使府も置かれ、軍事的にも重要な都市であった。李白と呉指南は江陵で冬を越し、地元の知識人と交流して翌年の春までを過ごす。

李白 5 
渡荊門送別       

渡遠荊門外、来従楚国遊。
山随平野尽、江入大荒流。
月下飛天鏡、雲生結海楼。
仍憐故郷水、万里送行舟。

荊門を渡って送別す
遠く荊門に外までやってきた
はるばると楚の国へ旅をする
平野が広がるにつれ  山は消え去り
広大な天地の間へと  江は流れてゆく
月が傾けば  天空の鏡が飛ぶかとみえ
雲が湧くと   蜃気楼が出現したようだ
だがしかし   しみじみと心に沁みる舟の旅
故郷の水が  万里のかなたへ送るのだ

 李白は江陵で当時の道教教団、最高指導者の司馬承禎(しばしょうてい)と会っている。司馬承禎は玄宗皇帝から幾度も宮中に召され、法籙(ほうろく・道教の免許)を授けるほどに信頼された人物だ。司馬承禎は南岳衡山(こうざん)での祭儀に参加するため湖南に行く途中で、江陵にさしかかったのだった。すでに高齢に達していた司馬承禎に李白は詩を呈し、道教について教えを乞うた。司馬承禎が李白を「仙風道骨あり、神とともに八極の表に遊ぶべし」と褒めた。
725年 開元十三年の春三月、二十五歳の李白と呉指南は江陵に別れを告げ、「楚国の遊」に旅立ちます。詩は江陵を去るに当たって知友に残した作品で、留別の詩。
 李白は眼前に広がる楚地の広大な天地に意欲をみなぎらせ、同時に「仍(な)お憐れむ 故郷の水 万里 行舟を送るを」と感傷もにじませる。

韻は、遊、流、楼、舟。

渡荊門送別       
渡遠荊門外、来従楚国遊。
山随平野尽、江入大荒流。
月下飛天鏡、雲生結海楼。
仍憐故郷水、万里送行舟。

渡ること遠し荊門(けいもん)の外
来りて従う  楚国(そこく)の遊(ゆう)
山は平野に随いて尽き
江(かわ)は大荒(たいこう)に入りて流る
月は下りて  天鏡(てんきょう)飛び
雲は生じて  海楼(かいろう)を結ぶ
仍お憐れむ  故郷の水
万里  行舟(こうしゅう)を送るを


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 江陵を発った李白と呉指南は、長江を下って岳州(湖南省岳陽市)に着く。岳州の州治は岳陽にあり、南に洞庭湖が広がっている。唐代の洞庭湖は現在の六倍もの広さがあったので、まるで海だ。二人は夏のあいだ湖岸の各地を舟でめぐり歩く。洞庭湖に南から流れこむ湘水を遡って、上流の瀟湘(しょうしょう)の地へも行った。

李白 6

望天門山          

天門中断楚江開、碧水東流至北回。
両岸青山相対出、孤帆一片日返来。

天門山を割って楚江はひらけ
紺碧の水は東へ流れ  北へ向かって曲がる
両岸の山が   相対してそば立つなか
帆舟がぽつり  かなたの天から進んできた

 夏の終わりに、呉指南が湖上で急死。李白は旅の友を失い悲しみに打ちひしがれる。友の遺体を湖畔に埋葬して旅を続ける。岳陽を出て長江を下ると、やがて鄂州(湖北省武漢市武昌区)に着く。鄂州の江夏県城は大きな街だ。ここで暫く体を休めたあと、江州(江西省九江市)へ向かった。江州の州治は尋陽(じんよう)で、南に名勝廬山(ろざん)がある。
 長江は江州から東北へ流れを転じて、やがて江淮(こうわい)の大平原へと流れ出てゆく。天門山を過ぎるところから長江は真北へ流れ、やがてゆるやかに東へ移ってゆく。北へ向きを変えた長江の東岸に博望山、西側に梁山が向かい合い、山の緑が印象的であった。それを割るようにして長江は楚地から呉地へと流れてゆく。
 この詩を詠った時の李白は、帆舟が一艘、天の彼方から進むように、水平線のあたりからこちらに向かって近づいてくる。李白はそれを自分の舟の上で見ながら詠っている。

韻は、開、回、来。

天門中断楚江開、碧水東流至北回。
両岸青山相対出、孤帆一片日返来。

天門山を望む
天門(てんもん)  中断して楚江(そこう)開き
碧水(へきすい)  東流して北に至りて回(めぐ)る
両岸の青山(せいざん)  相対して出で
孤帆(こはん)  一片  日返(にっぺん)より来(きた)る

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 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地があ。そして酒旗高楼が林立している。


李白 7金陵酒肆留別          
風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君試問東流水、別意与之誰長短。

風は柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちる
呉の美女が酒をしぼって客を呼び 味見をさせる
金陵の若者たちは  集まって別れの宴を開いてくれ
行こうとするが立ち去りがたく  心ゆくまで杯を重ね合う
どうか諸君  東に流れる水に尋ねてくれ
別れのつらさとこの水は  どちらが深く長いかと

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、726年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

韻は、香、送、觴。/嘗、短。

金陵酒肆留別          
風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君試問東流水、別意与之誰長短

金陵の酒肆にて留別す
風は柳花(りゅうか)を吹きて  満店香(かん)ばし
呉姫(ごき)は酒を圧して  客を喚びて嘗(な)めしむ
金陵の子弟(してい)  来りて相い送り
行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす
請う君  試みに問え  東流(とうりゅう)の水に
別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと

 
李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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峨眉山月歌 李白 2

komichi03 

李白は一定の学問を終えると、山を降りて地元の知識人や道士と交わり、蜀地を遊歴して見聞を広める。
 721年 李白が二十歳になったとき、礼部尚書(正三品)をしていた蘇頲(そてい)が左遷され、成都にあった益州大都督府の長史(次官)になって綿州のあたりを通りかかる。李白は自作の詩を蘇頲に披露して文才を認めてもらおうと試みますが、蘇頲は李白の才能を認めた。
 723年 二十三歳のころには、広漢(四川省梓橦県)の太守(刺史)が李白を貢挙の有道科に推薦しようとしましたが、李白は断っています。李白には貢挙を受けられない事情があった。したがって詩文の才能で官に就くことを目指していた。
 724年 開元十二年秋、二十四歳の李白が蜀を離れて江南に向かったのも、官途につく早道と考えたものである。


 成都の壁下を錦江が流れ、錦江が成都の西を流れる岷江(みんこう)に合流してすぐ、清渓(地名)という渡津(としん)がある。詩はその渡し場を船出した時の作品で、峨眉山(がびさん)に半月がかかっているのを見ながら、故郷との別れの感慨を詠うものだ。
 「三峡」は有名な長江の大三峡ではなく、嘉州(四川省楽山市)にあった小三峡のようだ。「平羌江」と岷江の一部で別の川ではない。最後の句の「君」については、恋人と、月とに掛けている。
 なお、船出の地ははっきりしていない。成都の錦江にある渡津だ。船出してすこし落ち着いたころ清渓を通過し、詩を作る。船出して最初の旅の目的地は、渝州(重慶市)だ。

李白 2
  
峨眉山月歌         

峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流。
峨眉山にかかる秋の半輪の月、  月のひかりは平羌江に映ってきらきらと流れゆく
夜発清渓向三峡、思君不見下渝州。
 

夜中に清渓を船出して三峡にむかう
この美しい月をもっと見続けていたいと思うが(船が下ると山の端に隠れ)船は渝州にくだる


峨眉山にかかる秋の半輪の月
  月のひかりは平羌江に映ってきらきらと流れゆく
夜中に清渓を船出して三峡にむかう
この美しい月をもっと見続けていたいと思うが(船が下ると山の端に隠れ)船は渝州にくだる


韻は、秋、流、州。

峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流。
夜発清渓向三峡、思君不見下渝州。 

峨眉山月の歌
峨眉 山月  半輪(はんりん)の秋
影は平羌(へいきょう)の江水(こうすい)に入って流る
夜  清渓(せいけい)を発して三峡に向かう
君を思えども見えず  渝州(ゆしゅう)に下る

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紀 頌之

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