漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

閨情詩

雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#2>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1893

雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#2>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1893


雑詩 其四 (閨情詩)#1 
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
空室自生風。百鳥翩南征。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
春思安可忘。憂戚與我幷。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
佳人在遠遁。妾身單且煢。

季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
#2
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
貴方というものがある以上心ときめく出合は許されるものではなくいけないことなのです。このかぐわしい蘭や香草芝は、もう一度花やぐことはかないことでこのまま次第に衰えていくのです。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
わたしは『衿帯の教え』を遵奉し、操を堅くまもっています。朝な夕なに女としての務めをおこたりなくいたしております。
倘終顧盻恩。永副我中情。
私の願いは、万が一にも私を忘れず、かつての愛情を最後までかけて下さいということで、いついつまでも、わたしの心をささえていただきたいということなのです。

衣を携りて中閨を出で、逍遙して 兩楹【りょうえい】に歩む。
閒房【かんぼう】何んぞ寂寞【せきばく】たる、綠草【りょくそう】階庭【かいてい】を被う。
空室【くうしつ】自から風を生じ、百鳥翔りて南に征く。
春思安んぞ忘る可けんや、憂戚【ゆうせき】我と幷【あ】わせり。
佳人【かじん】遠道【えんどう】に在り、妾身【しょうしん】独り単発たり。
歓会【かんかい】再びは遇い難く、蘭芝【らんし】重ねては栄えず。
人皆旧愛【きゅうあい】を棄つ、君豈に平生の若くならんや。
松に寄りて女蘿【じょら】と為り、水に依りて浮萍【ふひょう】の如し。
身を齎【つつ】しみて衿帯【きんたい】を奉じ、朝夕 【ちょうせき】堕傾【だけい】せず。
倘【も】しくは顧眄【こめん】の恩を終えたまわば、永く我が中情【ちゅうじょう】に副【そ】え。


Chrysanthemum


『雑詩其四(閨情詩)』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
倘終顧盻恩。永副我中情。


(下し文)
歓会【かんかい】再びは遇い難く、蘭芝【らんし】重ねては栄えず。
人皆旧愛【きゅうあい】を棄つ、君豈に平生の若くならんや。
松に寄りて女蘿【じょら】と為り、水に依りて浮萍【ふひょう】の如し。
身を齎【つつ】しみて衿帯【きんたい】を奉じ、朝夕 【ちょうせき】堕傾【だけい】せず。
倘【も】しくは顧眄【こめん】の恩を終えたまわば、永く我が中情【ちゅうじょう】に副【そ】え。


(現代語訳)
貴方というものがある以上心ときめく出合は許されるものではなくいけないことなのです。このかぐわしい蘭や香草芝は、もう一度花やぐことはかないことでこのまま次第に衰えていくのです。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
わたしは『衿帯の教え』を遵奉し、操を堅くまもっています。朝な夕なに女としての務めをおこたりなくいたしております。
私の願いは、万が一にも私を忘れず、かつての愛情を最後までかけて下さいということで、いついつまでも、わたしの心をささえていただきたいということなのです。


(訳注) #2
其四 閨情詩 雑詩

○雜詩 「玉台新詠」に従って、「雑詩」其四とする。この節の詩題を、各本は「閏情」とする。なおこの詩の制作時期は明瞭でないが、229年太和三年、東阿王に国がえになった後、明帝を懐しんで作るとされる。
参考(1)では、220年頃~223年にかけての情勢の概略をのべる。参考(2)で224~230年の情勢をのべるのでこの詩の背景として参考にされたい。


歡會難再遇。芝蘭不重榮。
貴方というものがある以上心ときめく出合は許されるものではなくいけないことなのです。このかぐわしい蘭や香草芝は、もう一度花やぐことはかないことでこのまま次第に衰えていくのです。
○蘭芝香草で、才徳の象徴。「曹集」では芝蘭に作るが「玉台新詠」に従う。


人皆棄舊愛。君豈若平生。
人はみな、昔の愛人をすてぜるもの。あなたも、若かりし頃のようではありますまい。
○旧愛 昔の愛人。
○豈  反語で、どうして……であろうやの意。反語にとらないで推量的な疑問副詞ととる見方もある。
○平生かつての時間。若い頃。「論語」憲間に「久要(昔の約束)平生の言を忘れずんは」と見え、孔安国の注によると平生とは少時と同義。


寄松為女蘿。依水如浮萍。
わたしは決まった一本の松にまつわる姫かずらなのです。またあなたは、水のまにまにうかぶ浮草のようにどこかへ行くのです。
○女蘿 ヒメカズラ。松は男性の象徴。


齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
わたしは『衿帯の教え』を遵奉し、操を堅くまもっています。朝な夕なに女としての務めをおこたりなくいたしております。
○齎身 身をつつしむこと。貞操を守ること。
○奉衿帯 身をつつしみ婦道にはげめとの《衿帯の教え》を遵奉する。衿帶とは1 着物の襟と帯。2 《山が襟のように、川が帯のように取り巻く意から》山や川に囲まれて、敵の攻撃を受けにくい要害の地。これらを踏まえて嫁いだ女性の操を守る道徳的な教えを云う。
不墮傾 上述の嫁入り時の母の教を固く守り、道をあやまらないこと。嫁ぎ先の義理の母は絶対であった。32回の連載であった『為焦仲卿妻作』を参考

為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩583 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1566

倘終顧盻恩。永副我中情。
私の願いは、万が一にも私を忘れず、かつての愛情を最後までかけて下さいということで、いついつまでも、わたしの心をささえていただきたいということなのです。
○倘終顧盻恩 万が一にも私を忘れず、かつての愛情をかけて下さるならばの意。倘は仮定の言葉で、もし、万一にもの意。銘はまっとうする、最後までつづける。顧盻はかえり見る、思いやる。恩は夫婦の愛情をいう。
○副 つまびらかにするという意味を含んでささえること。
○中情 心中。この場合の中はあたるという意味。



参考(2) 
蜀の復興と諸葛亮の手腕

223年、劉備に代わって劉禅が皇帝に即位した蜀は、滅亡の危機に瀕していた。夷陵の敗北は蜀の軍事と経済に深刻な打撃を与え、劉備の死は蜀の国威を低下させたのである。223年、成都にはど近い漢嘉の太守黄元が苛に叛旗を翻したのを皮切りに、また同年、益州軍の確聞、脾脚部太守の朱襲、越亮の異民族の王高定と、立て続けに反乱が勃発する。

ここで獅子奮迅の働きをするのが蜀の丞相諸葛亮である。彼は屯田政策、塩・鉄の専売制、蜀錦などの殖産興業の奨励といった数々の経済政策を行ない、蜀の経済を立て直す。一方、呉に部芝を派遣し外交関係の修復にも努める。呉は款の曹丕が南下していたこともあり、蜀からの講和と同盟の再締結の申し出を受け入れるのであった。

この時期の諸葛亮の大いなる働きによって、一時は滅亡寸前であった蜀は内政外交の両面で立ち直っていく。

225年
、蜀を再建した諸葛亮は、ようやく南方の反乱の鎮定に乗り出し、これらをすべて治めていく。諸葛亮はここでも優れた手腕を発揮し、この南方の異民族たちを後方の重要な生産力として確保することに成功したのであった。


諸葛亮の北伐227年三月、やっと国内を安定させた諸葛亮は、念願の北伐に乗り出す。「出師の表」で漢の復興を高らかに宣言した彼は、漢中を足がかりとして北への進撃を開始する。諸葛亮にとってこの北伐は、充分に勝算のある作戦であった。というのも、予め上庸の孟達と内応の約束を取り付けてあり、また前年には魂帝の曹杢が崩御しており、その混乱も期待できたからである。しかし、内応した孟達は魏の司馬懿の速攻に漬されてしまう。蜀本軍も、迎撃に出た曹真を相手に善戦するが、228年初頭の街事の戦いで蜀の守将馬謀が魏の名将張部に大敗を喫し、戦線全体が崩壊して撤退を余儀なくされる。

同年十一月、諸葛亮は再び北伐の兵を起こすが、魏の司令官曹真はこれを予期していた。要衝である陳倉には城が築かれ、守将である那昭がこれをよく守り、諸葛亮は手も足も出ず撤退する。


229年
、諸葛亮は三度目の北伐を行ない武都、陰平を併竜北伐初の戦果を挙げる。同年九月、孫権が呉において帝位を宣言。名目上、これ以降「三国時代」となる。


231年、請書亮は四度目の北伐を行なう。このとき初めて総司令官として諸葛亮に対したのが、病没した曹真の後を受けた司馬鼓であった。諸葛亮と司馬敦は、郡山において開戦する。これは萄軍有利に終わるが、補給が続かず撤退を余儀なくされる。だが諸葛亮は、この撤退戦において第一次北伐で煮え湯を飲まされた、張部を討ち取ることに成功する。
このように、諸葛亮の北伐は戦果は挙げるものの、その目的である魏の打倒を果たすにははど遠いというのが実情であった。だが、劉備の死後、崩壊するかと思われた蜀を、諸葛亮は見事に立て直したのは事実である。なおかつ彼は、再三にわたる北伐で、覇に歴史の主導権を握らせる。呉も何度か蜀の北伐に呼応して魏に攻め入っていたが、やはりこの時代の主役は蜀であり、諸葛亮であった。


雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#1>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1889


2013/02/07  同じ日の紀頌之5つのブログ
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#1>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1889
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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雑詩其四(閨情詩) 曹植 魏詩<34-#1>玉台新詠 巻二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1889


玉台新詠集 巻二 曹植
雑詩
其一 (七哀詩)
明月照高樓,流光正徘徊。
上有愁思婦,悲歎有餘哀。
借問歎者誰?言是宕子妻。
君行踰十年,孤妾常獨棲。
君若清路塵,妾若濁水泥;
浮沈各異勢,會合何時諧?
願為西南風,長逝入君懷。
君懷良不開,賤妾當何依!
七哀詩 魏詩<33-1>文選 哀傷 666 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1881

其二
西北有織婦。綺縞何繽紛。
明晨秉機杼。日昃不成文。
太息終長夜。悲嘯入青雲。
妾身守空閨。良人行從軍。
自期三年歸。今已歷九春。
飛鳥遶樹翔。噭噭鳴索 。
願為南流景。馳光見我君。
雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801


其三 情詩
微陰翳陽景,清風飄我衣。
遊魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
眇眇客行士,徭役不得歸。
始出嚴霜結,今來白露泺。
遊者歎黍離,處者歌式微。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 女性詩643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789


其四 閨情詩 雑詩
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
空室自生風。百鳥翩南征。
春思安可忘。憂戚與我幷。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
倘終顧盻恩。永副我中情。



南國有佳人。容華若桃李。
朝游江北岸。夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏。誰為發皓齒。
俛仰歲將暮。榮曜難久恃。
雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805





雑詩 其四 (閨情詩)#1 
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
空室自生風。百鳥翩南征。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
春思安可忘。憂戚與我幷。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
佳人在遠遁。妾身單且煢。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
#2
歡會難再遇。芝蘭不重榮。
人皆棄舊愛。君豈若平生。
寄松為女蘿。依水如浮萍。
齎身奉衿帶。朝夕不墮傾。
倘終顧盻恩。永副我中情。

衣を携りて中閨を出で、逍遙して 兩楹【りょうえい】に歩む。
閒房【かんぼう】何んぞ寂寞【せきばく】たる、綠草【りょくそう】階庭【かいてい】を被う。
空室【くうしつ】自から風を生じ、百鳥翔りて南に征く。
春思安んぞ忘る可けんや、憂戚【ゆうせき】我と幷【あ】わせり。
佳人【かじん】遠道【えんどう】に在り、妾身【しょうしん】独り単発たり。
歓会【かんかい】再びは遇い難く、蘭芝【らんし】重ねては栄えず。
人皆旧愛【きゅうあい】を棄つ、君豈に平生の若くならんや。
松に寄りて女蘿【じょら】と為り、水に依りて浮萍【ふひょう】の如し。
身を齎【つつ】しみて衿帯【きんたい】を奉じ、朝夕 【ちょうせき】堕傾【だけい】せず。
倘【も】しくは顧眄【こめん】の恩を終えたまわば、永く我が中情【ちゅうじょう】に副【そ】え。


『雑詩其三(情詩)』 現代語訳と訳註
(本文)
其四 閨情詩 雑詩
攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
閒房何寂寞。綠草被階庭。
空室自生風。百鳥翩南征。
春思安可忘。憂戚與我幷。
佳人在遠遁。妾身單且煢。


(下し文)
衣を携りて中閨を出で、逍遙して 兩楹【りょうえい】に歩む。
閒房【かんぼう】何んぞ寂寞【せきばく】たる、綠草【りょくそう】階庭【かいてい】を被う。
空室【くうしつ】自から風を生じ、百鳥翔りて南に征く。
春思安んぞ忘る可けんや、憂戚【ゆうせき】我と幷【あ】わせり。
佳人【かじん】遠道【えんどう】に在り、妾身【しょうしん】独り単発たり。


(現代語訳)
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。


(訳注)
其四 閨情詩 雑詩

○雜詩 「玉台新詠」に従って、「雑詩」其四とする。この節の詩題を、各本は「閏情」とする。なおこの詩の制作時期は明瞭でないが、229年太和三年、東阿王に国がえになった後、明帝を懐しんで作るとされる。
参考(1)では、220年頃~223年にかけての情勢の概略をのべる。参考(2)で224~230年の情勢をのべるのでこの詩の背景として参考にされたい。


攬衣出中閨。逍遙步兩楹。
今宵はもう我慢が出来ません。寝られないので、ころものすそをたくし上げ、手にとって、閨から外へ出たのです。堂前の二本柱のあいだをいったりきたりさまよい歩くのです。
○撹衣 衣の裾を手にとって。「古詩十九首」之十九首
明月何皎皎,照我羅床緯。
憂愁不能寐,攬衣起徘徊。
客行雖雲樂,不如早旋歸。
出戶獨彷徨,愁思當告誰!
引領還入房,淚下沾裳衣。に基づいて作る。。
○中閨 閨中におなじ。ねやの中。
○逍遙 さまよいあるく。
曹丕『芙蓉池作』 
乗輦夜行游、逍遥歩西園。双渠相漑灌、嘉木繞通川。
卑枝払羽蓋、脩条摩蒼天。驚風扶輪轂、飛鳥翔我前。
丹霞挟名月、華星出雲間。上天垂光彩、五色一何鮮。
寿命非松喬、誰能得神仙。遨游快心意、保己終百年。
〇兩楹 堂の入り口の二本の柱。この句で女性の自慰行為とも読める。不遇のものは性描写することで反骨を表すことが多い。


閒房何寂寞。綠草被階庭。
しずかなガランとしたこの部屋には、なんとものさびしいさがただよっています。緑の草が、もう随分伸びてきて、きざはしや中庭におおいかぶさるほどなのです。
○閒房 しずかな部屋。正室の傍にある部屋を房という。
○被 おおう。
○階庭 庭へおりる階段と中庭のこと。


空室自生風。百鳥翩南征
誰もいない部屋のあいた戸口には、どこからか自然な風が吹いて来るのです、そうすると思うのは多くの鳥が南へ飛んでゆくのに添い、ついて行きたいと思うのです。
○空室/空穴 開いた門戸をさす。うつろな部屋。


春思安可忘。憂戚與我幷。
どんなに我慢をしていても春が来ればあなたと過ごしたいこの思いは、どうしてわたしの心を去りましょう。この苦しい思いとやるせなさが、わたしの心と体のどちらにも感じてしまうのです。
○春思 万物が冬の間は我慢をしている「春女陽気に感じて男を思う。」という。曹植の春思はこれにもとづくのであろう。。「天地陰陽、不革而成。」『易経、革』「上六、君子豹変、小人革面」(上六、君子は豹変し、小人は面を革む。)四季の移り変わりのように自然と直ってゆくことを言う。年が改まり、去年の秋冬の風が初春の景色へと変わってゆくように、何かが新しく、正しく改革されてゆく。それは下から登ってきた陽気が去年の陰気に取って代わられてゆくからである。易では下の陽気が上昇し、陰気と入れ替わってゆくことで春が来る。初春は泰(上が坤で下が乾の卦)で表し、地面の上は去年から残る秋冬の風の陰気が「緒風」として残っているが、地面には既に陽気が登ってきて、春が来たのが感じられる。ということで万物が性に目覚める季節の思い。
○憂戚 憂も戚も、ともにうれいの意。
○与我幷 私と一つになる。私とともに存在してはなれない。この語は男女の合体を意味する。


佳人在遠遁。妾身單且煢。
季節は変わろうとしているのに愛しい方は遠い旅路の空の下、私のこの身はなにもかもがひとりぼっちなのです。
○佳人 表面的には夫をさす
○単煢 孤独のさま。


参考(1)
■曹操の死と漢王朝の滅亡
220年1月23日。洛陽において魏王曹操が逝去する。享年六十六歳であった。
偉大なる覇王の跡を継いだ曹丕は、そつなく国内をまとめあげ、曹操の死による動揺は蜀と呉の陣営が期待したほどにはなかった。
220年10月、曹杢は漢王朝より禅譲を受け、皇帝となる。かくして前漢も合わせれば四百年にわたって続いた漢王朝は滅亡し、代わって魏王朝が成立するのであった。
221年4月、曹丕の魏皇帝即位に対抗して、劉備もまた漢王朝の皇帝として即位する。後に蜀と呼ばれる国家の成立であるが、彼としては劉備が漢王朝の血を引くと自称しており、あくまで漢王朝の正当なる後継者としての皇帝即位であったが、一般的に表現の混乱を避けるため以後「蜀」と表記する。
皇帝に即位した劉備は、荊州奪回を決意する。これは、彼の配下や兵士たちには荊州出身者が多く含まれており、彼らのためにも荊州を奪還せねば人心をまとめあげることが難しかったのである。ただ、義弟である関羽の復仇に意固地になったため過去の劉備とまったく異なるほどの冷静さを欠いてたたかっている。ただこれは劉備の個人的な感情に走るほど無理な戦争であったということなのだ。つまり、蜀から呉を攻め落とせるだけの力量がなかったということであろう。


■夷陵の戦いと劉備の死
221年7月。劉備は蜀の軍勢の大半を動員して、孫権陣営に宣戦布告する。
開戦当初、劉備の勢いは凄まじく、いっきに長江を下っていった。呉の総司令官である陸遜は、蜀軍の勢いを受け流すかのように防衛線を五百里も後退していく。
222年2月、陸遜は夷陵に最終防衛線を張り、ここを堅守して持久戦の態勢に入るのであった。
夷陵における劉備と陸遜の対陣は三カ月にも及び、蜀軍も疲労と倦怠の色が濃くなっていく。
222年5月、陸遜は蜀軍の士気が緩み切ったのを見計らい総攻撃をかける。火攻と夜襲による陸遜の奇襲は見事に成功し、蜀軍は潰滅する。劉備は身一つで白帝城に逃げ込んだものの、蜀軍は多くの将が討たれ、兵員の損害は甚大なるものとなった。ほぼ全滅といえる敗戦である。
このまま陸遜が劉備を追撃し、続けて益州まで攻め入っていれば蜀はこの時点で滅亡していたかもしれない。呉も一時的には蜀を攻め落とせても長期的には伸びすぎた戦力として魏の進行に敗れるとした。蜀は呉の冷静さに救われたということだ。


■曹丕の参戦
曹丕が蜀と呉の戦いの隙を突いて、大軍を南下させようとしていたのである。この報を受けるまでもなく、陸遜は追撃をしなかったのである。
223年、曹丕は濡須口において呉軍と開戦する。しかし呉と蜀の戦いは曹丕の予想よりも早く決着し、防備を整備見直していた呉軍の前に撃退されることになる。結果としては、蜀を救うだけの徒労な遠征となった。ここで三権の力関係がバランスを取れた段階に入ったということだ。
223年4月、劉備は成都に戻ることなく白帝城にて失意のまま没する。そして跡を継いだ劉禅が蜀の皇帝に即位することになった。これを丞相である諸葛亮が補佐するという体制がとられるが、主力軍の大半を失ったうえに、夷陵の敗戦と劉備の死の動揺は大きく、早くも国内では反乱が頻発する。建国間もない蜀は、滅亡の道を啜家と思われるほどの同様であったのだ。
ともあれ漢王朝もまた滅び、後漢末の動乱を飾った最後の群雄である曹操と劉備が没したのである。時代は後漢末から三国時代へと、名実ともに移り変わっていく。

獨不見 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集242/350

獨不見 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集242/350
征夫を思う詩で「獨不見」(独り見えず)といふ楽府(がふ)は少し趣を異にしていて面白い。


獨不見
白馬誰家子。 黃龍邊塞兒。
白馬に乗って勇ましく駆け出したのはどこの家系のものだ、ここは契丹と対陣している北方の辺境地域の塞で戦に挑んでいる若者である。
天山三丈雪。 豈是遠行時。
匈奴の天山には三丈の雪があるという、でもこの積雪を見るのは、よほど敵地に攻め入った時だけである。
春蕙忽秋草。 莎雞鳴曲池。
春の若草が生え、草の香りの恵まれたと思ったら、それはわずかのあいだで、たちまちに秋草は枯れていき 、キリギリスが西池に鳴くのである。
風摧寒梭響。 月入霜閨悲。
冬の突風はしゅろの木の寒棕を吹き飛ばしてしまうほどくだくような音を響かせているし、それでも月のひかりはこんな霜の夜でも閨に入ってくるのでよけいに悲しさがますのである。
憶與君別年。 種桃齊蛾眉。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。
桃今百余尺。 花落成枯枝。
その桃の木はいまや百余尺もあるほどに育ちました、しかし三年以上も帰らないのでせっかくの花は落ちてしまい枯枝だけになってしまっているのです。
終然獨不見。 流淚空自知。

とうとういくら待っても私ひとりでいてあなたは見えないのです、じっと門の先を見ていて涙がとめどなく流れているのに誰もそのことを言ってくれるわけではなく自分で知るのです。


白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。
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現代語訳と訳註
(本文)

白馬誰家子。 黃龍邊塞兒。
天山三丈雪。 豈是遠行時。
春蕙忽秋草。 莎雞鳴曲池。
風摧寒梭響。 月入霜閨悲。
憶與君別年。 種桃齊蛾眉。
桃今百余尺。 花落成枯枝。
終然獨不見。 流淚空自知。

(下し文)
白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。


(現代語訳)
白馬に乗って勇ましく駆け出したのはどこの家系のものだ、ここは契丹と対陣している北方の辺境地域の塞で戦に挑んでいる若者である。
匈奴の天山には三丈の雪があるという、でもこの積雪を見るのは、よほど敵地に攻め入った時だけである。
春の若草が生え、草の香りの恵まれたと思ったら、それはわずかのあいだで、たちまちに秋草は枯れていき 、キリギリスが西池に鳴くのである。
冬の突風はしゅろの木の寒棕を吹き飛ばしてしまうほどくだくような音を響かせているし、それでも月のひかりはこんな霜の夜でも閨に入ってくるのでよけいに悲しさがますのである。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。
その桃の木はいまや百余尺もあるほどに育ちました、しかし三年以上も帰らないのでせっかくの花は落ちてしまい枯枝だけになってしまっているのです。
とうとういくら待っても私ひとりでいてあなたは見えないのです、じっと門の先を見ていて涙がとめどなく流れているのに誰もそのことを言ってくれるわけではなく自分で知るのです。


(訳注)
白馬誰家子、黄龍邊塞兒。
白馬に乗って勇ましく駆け出したのはどこの家系のものだ、ここは契丹と対陣している北方の辺境地域の塞で戦に挑んでいる若者である。 
黄龍 契丹との対陣の地。750年以降、安禄山の軍内に契丹軍が入り込んでいた。753年安禄山は契丹を破り契丹内の奚という国の軍を完全支配かにおく。755年の叛乱時はじゅうような一翼を担った。○邊塞 国境の塞


天山三丈雪、豈是遠行時。
匈奴の天山には三丈の雪があるという、でもこの積雪を見るのは、よほど敵地に攻め入った時だけである。
天山 匈奴中の山。遠行敵地の奥に攻め入ること


春蕙忽秋草、莎雞鳴西池。
春の若草が生え、草の香りの恵まれたと思ったら、それはわずかのあいだで、たちまちに秋草は枯れていき 、キリギリスが西池に鳴くのである。
莎雞 きりぎりす。


風摧寒椶響、月入霜閨悲。
冬の突風はしゅろの木の寒棕を吹き飛ばしてしまうほどくだくような音を響かせているし、それでも月のひかりはこんな霜の夜でも閨に入ってくるのでよけいに悲しさがますのである。
寒椶しゅろの一種。霜閨霜夜の夫のゐない寝室。


憶與君別年、種桃齊蛾眉。
あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。
 この霜の句は別の意味にもとれる。女性を示す語として使用され、「桃栗三年で実を成す。」ここでは桃が妻で、「齊蛾眉」蛾眉を慎んでいた。つまり化粧など全くしないということである。つつましく生活をしているという意味にもとれる。

また、徴兵されて出征する義務が3年であったところから、桃木でそれを表現するのであるが、この詩は、その頃戦況が話題となっていた契丹のことを、景色として借りたもので、4番目の妻宋氏にあてた詩であろうと思う。

桃今百餘尺、花落成枯枝。
その桃の木はいまや百余尺もあるほどに育ちました、しかし三年以上も帰らないのでせっかくの花は落ちてしまい枯枝だけになってしまっているのです。
○この下の句も、若くてはちきれそうだった桃の様な素肌が衰えてしまったという意味。
 
終然獨不見、流涙空自知。
とうとういくら待っても私ひとりでいてあなたは見えないのです、じっと門の先を見ていて涙がとめどなく流れているのに誰もそのことを言ってくれるわけではなく自分で知るのです。
○流れる涙は、あなたに拭いてもらいたい。ということで思いが強調されている。男性の青雲の志を女は歯を食いしばって我慢し、支えていくという時代である。
耐え忍んでいる姿をどう表現するか、というのが李白のテーマだったのかもしない。


 別れる時、自分の蛾眉の大きさであった桃が百余尺となり、更に枯れたといって別れの時間の経過の長さをあらわしている。同様に、春の若草がたちまち黄草に変わる。そして自分は轉蓬であるというのが、李白の得意の手法で、人として、好意的に見れるか見れないか分れる所である。李白という詩人が妻と同じところで過ごしていてこれだけの詩が作れるのかというと、それは絶対にできないのである。


これまでの女性を詠ったものの内、このブログでは以下のように40首近くの多きにわたる。

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白18 相逢行 19  玉階怨

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白37 静夜思 五言絶句 李白は浮気者?

李白38 酬坊州王司馬与閻正字対雪見贈

李白39玉階怨 満たされぬ思いの詩。

李白41 烏夜啼

李白42 梁園吟

李白と道教(3 李白47 寄東魯二稚子

李白53大堤曲 李白54怨情 李白55贈内

李白56客中行 李白57夜下征虜亭 李白58春怨 李白59陌上贈美人

李白66 遠別離 67長門怨二首其一 68其二

李白69丁都護歌 李白 五言古詩 70 勞勞亭 五言絶句 李白 71 勞勞亭歌 七言古詩

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞

李白 84長干行

春夜桃李園宴序 李白116

南陵別兒童入京 李白121就活大作戦」大成功

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

烏棲曲 李白125花の都長安(翰林院供奉)

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

黄葛篇 李白 李白特集350 -237

妾薄命 李白 李白特集350 -238

自代内贈 #1 李白 239 李白特集350 -239-#1

自代内贈 #2 李白 240 李白特集350 -239#2


毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
05rihakushi350

李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

700Toho shi
kanbuniinkai11の頌之漢詩 杜甫詩700首

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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首

自代内贈 #3 李白 241 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#3

自代内贈 #-3 李白 241 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#3

李白が妻に代って詠じた詩である。



自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
自代内贈 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#2
自代内贈 #3 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#3



自代內贈
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」―#1
游云落何山。一往不見歸。估客發大樓。知君在秋浦。梁苑空錦衾。陽台夢行雨。妾家三作相。失勢去西秦。猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#2
曲度入紫云。啼無眼中人。
曲のリズムは心地よいもので朝もやから立ち上って雲まで上がるのです、だけど、一人に気が付いて涙を浮かべ、眼に留まる人などいないのです。
妾似井底桃。開花向誰笑。
わたしは井戸の底で冷やすために下した桃のようなものなのです 花を開いたとして、誰に向って笑んだらよいのですか。
君如天上月。不肯一回照。
あなたは大空にのぼった月のようなものです、こうして一度照らしていても二度と照らしはしないのです。
窺鏡不自識。別多憔悴深。
鏡をのぞき見ても自分でも見わけがつかない、別れてからこんなに長くなったので憔悴が深くなってしまったものですから。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

いまさらどうして九官鳥がいるっていうの、でも人につたえるためにわたしの心の中を言ってもらおう。


時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る
#-1
宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

#-2
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

#-3
曲度(きょくど)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(しょうすい)深し。
いづくんぞ秦吉了(はっかちょう) 人のために寸心を道(い)はしめん。

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自代内贈 #-3 現代語訳と訳註
(本文)

曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

(下し文) #-3
曲度(きょくど)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(しょうすい)深し。
いづくんぞ秦吉了(はっかちょう) 人のために寸心を道(い)はしめん。

(現代語訳)
曲のリズムは心地よいもので朝もやから立ち上って雲まで上がるのです、だけど、一人に気が付いて涙を浮かべ、眼に留まる人などいないのです。
わたしは井戸の底で冷やすために下した桃のようなものなのです 花を開いたとして、誰に向って笑んだらよいのですか。
あなたは大空にのぼった月のようなものです、こうして一度照らしていても二度と照らしはしないのです。
鏡をのぞき見ても自分でも見わけがつかない、別れてからこんなに長くなったので憔悴が深くなってしまったものですから。
いまさらどうして九官鳥がいるっていうの、でも人につたえるためにわたしの心の中を言ってもらおう。

(訳注)#-3
曲度入紫云。啼無眼中人。

曲のリズムは心地よいもので朝もやから立ち上って雲まで上がるのです、だけど、一人に気が付いて涙を浮かべ、眼に留まる人などいないのです。
曲度 曲のリズム。#2にでた楽人の奏でる曲 ○紫雲 曙を彩る彩雲。前夜の紫煙が上り詰めてできる問うこと。○眼中 目にあたる、とまる。

妾似井底桃。開花向誰笑。
わたしは井戸の底で冷やすために下した桃のようなものなのです 花を開いたとして、誰に向って笑んだらよいのですか。
 妾は女性がかわいらしく自分のことを言う時に使う。めかけではない。○井底桃 戸の底で冷やすために下した桃。井は井戸。


君如天上月。不肯一回照。
あなたは大空にのぼった月のようなものです、こうして一度照らしていても二度と照らしはしないのです。


窺鏡不自識。別多憔悴深。
鏡をのぞき見ても自分でも見わけがつかない、別れてからこんなに長くなったので憔悴が深くなってしまったものですから。
窺鏡 鏡をのぞきこむ。○自識 自分でも見わけがつかない。○別多 別れてからこんなに長くなったこと。 ○憔悴深 こころがふさぎ込み身も痩せ細ったさま。


安得秦吉了。為人道寸心。」
いまさらどうして九官鳥がいるっていうの、でも人のためにわたしの心の中を言ってもらおう。
秦吉了 はっかちょう九官鳥。○寸心 心。



杜甫は、自分の気持ちをストレートに、誠実に詩に歌っている。詩に見る杜甫の妻について、他の詩人の家族に対する考え方。
月夜の背景  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 143

月夜 杜甫   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 144

月夜 解説   kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 145

儒教的見方からは、李白は、誠実さに欠ける、人の口を借りたり、相手が李白のことを「きっとこのように思っているであろう」と間接的に李白の考えをあらわしている。このような表現法に終始している。だから、数多く、娼婦や、妓女、あるいは線上に送り出した妻、行商人の妻というように景色を借りて妻のことを語っているのである。
 この詩のように、妻が特定できるのは少ない。特定できるものから判断して、4人の妻がいたことになっている。
 
この詩は明清の詩人が多く作った閨怨の詩よりも清新である。ところでここで問題になるのは、その梁苑にゐる妻とは誰かといふことである。李白の結婚に関しては魏顥(魏万)以外に拠るものがない。
それによると李白が妻を四度娶っていたことをいっている。①最初は許氏を娶って一男一女を生み(前述)、②次に劉氏を娶って離婚し、③三たび魯の一婦人を娶って一子頗黎(ハリ)を生んだという。杜甫と斉趙で遊んだ直後である。④四度目の結婚を「終ニ於宋ニ娶ル」といっている。そこで開封にいた妻は、この後の二人の中のどれかでなければならないが、この詩でみると新婚の情を湛へているやうな所もあるから、宋に娶った妻のようである。ところでまたこの宋が地を指すのか、姓を指すのかが問題になるが、李白が後に夜郎に流される時、宗璟といふ者に贈った詩があって、その姉が自分に嫁いだ趣をのべているから、宋は宗の誤りで、宗氏の婦人を娶ったと解すべきだろう。そうするとこの詩の「妾家三作相」というのは、則天武后の治世に三度宰相になった宗楚客の家の出ということになり、この婦人の素性は一層はっきりして来る。
この詩に表はれた孤閨にある自分の妻の心情をこれに代って詠ずるといふ詩作の態度が、李白の多くの閏怨の詩の基盤であったといふことである。即ち彼は自己の生活が常に羈旅にあり、そのため妻とは殆どすべて別居の状態にあったが、この別居に関しては彼もたえず責任を感じていた。従って妻の立場になって考へることしかできなかったということだ。
李白らしい表現ということなのだ。古表現を多くの人が指示したことが歴史の結果として理解する。いずれにしても、儒教的な思考の持ち主には理解が難しいということではある。

自代内贈 #2 李白 240 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#2

自代内贈 #2 李白 240 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239―#2

李白が妻に代って詠じた詩である。


自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
自代内贈 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#2
自代内贈 #3 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#3



自代內贈
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」―#1
游云落何山。一往不見歸。
鳳凰も帰るところがあり、大空に浮んでいる雲もどこかの山のいわやの中に隠遁していく、でも、あなたはいったん旅に出ていくと帰ってくるということを全くしないのです。
估客發大樓。知君在秋浦。
先日、旅の行商人に聞いたところによると大楼山を出発したということだった、それで、あなたが秋浦にいるということを知ったのです。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
あなたとの梁苑での二人だけの暮らしというのがむなしい気がします、朝廷につかえ、官僚として十分な働きをすることは夢です。
妾家三作相。失勢去西秦。
わたしの実家は則天武后の治世に三度宰相になった宗氏です、その後は、政権の交代で勢を失って長安を去ったのです。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#
2
しかし、いまでもなお古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおります、卓越してすずしく清い音をたてているということは天下に知られているのです。
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」―#3

時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る

#-1
宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

#-2
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

#-3
曲度(キョクド)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(ショウスイ)深し。
いづくんぞ秦吉了 人のために寸心を道(い)はしめん。

宮島(3)

自代内贈 #2 現代語訳と訳註
(本文)

游云落何山。一往不見歸。
估客發大樓。知君在秋浦。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
妾家三作相。失勢去西秦。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」―#2

(下し文)
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

(現代語訳)
鳳凰も帰るところがあり、大空に浮んでいる雲もどこかの山のいわやの中に隠遁していく、でも、あなたはいったん旅に出ていくと帰ってくるということを全くしないのです。
先日、旅の行商人に聞いたところによると大楼山を出発したということだった、それで、あなたが秋浦にいるということを知ったのです。
あなたとの梁苑での二人だけの暮らしというのがむなしい気がします、朝廷につかえ、官僚として十分な働きをすることは夢です。
わたしの実家は則天武后の治世に三度宰相になった宗氏です、その後は、政権の交代で勢を失って長安を去ったのです。
しかし、いまでもなお古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおります、卓越してすずしく清い音をたてているということは天下に知られているのです。


(訳注)#-2
游云落何山。一往不見歸。

鳳凰も帰るところがあり、大空に浮んでいる雲もどこかの山のいわやの中に隠遁していく、でも、あなたはいったん旅に出ていくと帰ってくるということを全くしないのです。
遊雲 大空に浮んでいる雲。昔から、中国では雲は巌谷の割れ目、奥まったところから発生し、また楚聲帰っていくとされて絲ことを踏まえる。○一往 ひとたび旅に出ていくこと。


估客發大樓。知君在秋浦。
先日、旅の行商人に聞いたところによると大楼山を出発したということだった、それで、あなたが秋浦にいるということを知ったのです。
估客 行商人。○大樓 秋浦の北の大楼山。


梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
あなたとの梁苑での二人だけの暮らしというのがむなしい気がします、朝廷につかえ、官僚として十分な働きをすることは夢です。
梁苑 前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った、と考えられる。この句により、開封にいた妻4人目の妻であることがわかる。○錦衾 きんきん にしきのふすま。李白たちの閨。○陽台 朝廷、政治の中心でつかさどる。 ○行雨 朝廷につかえ、官僚として十分な働きをするさま。


妾家三作相。失勢去西秦。
わたしの実家は則天武后の治世に三度宰相になった宗氏です、その後は、政権の交代で勢を失って長安を去ったのです。
三作相 則天武后の治世に三度宰相になった宗○失勢 則天武后が病死をすると王朝は、政権争いになり、玄宗のクーデターで様変わりしたため、それまでの高級官僚は排斥されたことを言う。○西秦 西都長安のこと


猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」
しかし、いまでもなお古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおります、卓越してすずしく清い音をたてているということは天下に知られているのです。
舊歌管 古くからの詩歌、歌人、笛、管楽器をするものがおり淒清聞 すずしく清い音をたてて。○四鄰:四隣。四囲の国。周り。周囲。

自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1

自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1

李白が妻に代って詠じた詩である。


自代内贈 #1 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#1
自代内贈 #2 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#2
自代内贈 #3 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -239-#3

自代內贈
寶刀截流水。無有斷絕時。
宝刀でもって流水をたちきったとしても、断絶するのは瞬間で、きれるものではない。
妾意逐君行。纏綿亦如之。」
私の思いというものはあなたに従い衝いてゆくもの、纏わりついた綿のように心にまつわりついて離れない。
別來門前草。秋黃春轉碧。
別れてこのかた、私はあなたを待つ、門前の草のようなものです。 秋は黄色の草になり枯れ、そして春になればまた碧(みどり)なる。それの繰り返し。
掃盡更還生。萋萋滿行跡。
草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとするのですが、なおさら生えてくるように思いが募るばかり。それは萋萋として草が茂って来て、あなたの旅立ちの跡をいっぱいにしている。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」-#
1
つがいの鳳凰はいっしょに鳴いて、はじめは互いに心を通い合わせていた。雄の鳳凰は驚いて、雌もつづいておのおの飛びあがるのです

游云落何山。一往不見歸。估客發大樓。知君在秋浦。
梁苑空錦衾。陽台夢行雨。妾家三作相。失勢去西秦。
猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」-#2
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。 窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」-#3

時。之。/碧。跡。飛。/歸。浦。雨。秦。鄰。/云。人。/笑。照。/深。心。

自ら内に代りて贈る
#-1
宝刀流水を截(た)つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(てんめん)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

#-2
遊雲いづれの山にか落つ 一たび往いて帰るを見ず。
估客大楼を発し 知る 君が秋浦にあるを。
梁苑むなしく錦衾 陽台 行雨を夢む。
妾が家は三たび相となりしが 勢を失って西秦を去る。
なほ旧歌管あり 凄清 四鄰に聞ゆ。

#-3
曲度(キョクド)  紫雲に入り 啼いて眼中の人なし。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
妾は井底の桃のごとく 花を開けども誰に向ってか笑まむ。
君は天上の月のごとく あへて一たびも廻照せず。
鏡を窺ふもみづからも識らず 別多くして憔悴(ショウスイ)深し。
いづくんぞ秦吉了 人のために寸心を道(い)はしめん。

宮島(5)

自代内贈#1 現代語訳と訳註
(本文)#1

寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」

(下し文)#1
宝刀流水を截つとも、断絶の時あるなし。
妾が意 君を逐うて行く、纏綿(テンメン)またかくのごとし。
別れてこのかた門前の草 秋は黄(?)に春はまた碧(みどり)なり。
掃い尽せば更にまた生じ 萋萋(せいせい)として行跡に満つ。
鳴鳳 はじめあい得しが 雄驚いて雌おのおの飛ぶ。

(現代語訳)#1
宝刀でもって流水をたちきったとしても、断絶するのは瞬間で、きれるものではない。
私の思いというものはあなたに従い衝いてゆくもの、纏わりついた綿のように心にまつわりついて離れない。
別れてこのかた、私はあなたを待つ、門前の草のようなものです。 秋は黄色の草になり枯れ、そして春になればまた碧(みどり)なる。それの繰り返し。
草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとするのですが、なおさら生えてくるように思いが募るばかり。それは萋萋として草が茂って来て、あなたの旅立ちの跡をいっぱいにしている。
つがいの鳳凰はいっしょに鳴いて、はじめは互いに心を通い合わせていた。雄の鳳凰は驚いて、雌もつづいておのおの飛びあがるのです。


(訳注)#1
自代内贈
 
自ら内に代りて贈る


寶刀截流水。無有斷絕時。
宝刀でもって流水をたちきったとしても、断絶するのは瞬間で、きれるものではない。
 [音]セツ(漢) [訓]たつ きるずばりとたち切る。「截然・截断/断截・直截・半截」 ◆「截」を「サイ」と読むのは「裁」などとの混同による。 .


妾意逐君行。纏綿亦如之。」
私の思いというものはあなたに従い衝いてゆくもの、纏わりついた綿のように心にまつわりついて離れない。
妾意 私の思い。・妾は女性がかわいらしく自分のことを言う時に使う。めかけではない。・意はおもい。○纏綿 まつわり離れがたいさま。1 からみつくこと。「蔦(つた)が木に纏綿する」「選手の移籍に纏綿する問題」 2 複雑に入り組んでいること。心にまつわりついて離れないさま。「情緒纏綿として去りがたい」


別來門前草。秋黃春轉碧。
別れてこのかた、私はあなたを待つ、門前の草のようなものです。 秋は黄色の草になり枯れ、そして春になればまた碧(みどり)なる。それの繰り返し。
門前草 自分の家の門前の草。待つ身の表現として使われる。○それの繰り返し。○ 青々とした緑で覆われるさま。は性的な意味のこもった語である。


掃盡更還生。萋萋滿行跡。
草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとするのですが、なおさら生えてくるように思いが募るばかり。それは萋萋として草が茂って来て、あなたの旅立ちの跡をいっぱいにしている。
掃盡 草を抜いて掃除をするように、あなたへの思いを消そうとする。○更還生 なおさら生えてくるように思いが募るばかり。○萋萋 草の茂った様。


鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。」
つがいの鳳凰はいっしょに鳴いて、はじめは互いに心を通い合わせていた。雄の鳳凰は驚いて、雌もつづいておのおの飛びあがるのです。
鳴鳳 鳳凰が鳴く。つがいでいるのが基本の鳥。○始相得 はじめは互いに心を通い合わせているさま。

妾薄命 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -238

妾薄命 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -238
漢 陳皇后の詩

色におぼれて、嫉妬に狂った女の詩。班婕妤は趙飛燕に嫉妬し、漢の陳皇后の嫉妬は尋常ではなかった。

妾薄命
漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。
咳唾落九天、隨風生珠玉。
その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。
寵極愛還歇、妒深情卻疏。
天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。
長門一步地、不肯暫回車。
一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
雨落不上天、水覆難再收。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。
君情與妾意、各自東西流。
天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
昔日芙蓉花、今成斷根草。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。
以色事他人、能得幾時好。
色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。

漢帝 阿嬌 寵(いつく) しむ、之を黃金の屋に貯(おさ)む。
咳唾(がいだ) 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。
寵極 愛 還た歇(つきる)、妒み深く 情 卻く疏(うと)んず。
長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。
雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。
君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。
昔日  芙蓉の花,今 成る  斷根の草。
色を以て  他人に事(つか)へ,能(よ)く  幾時(いくとき)の 好(よろし)きを  得たりや。

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妾薄命 現代語訳と訳註
(本文)

漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
咳唾落九天、隨風生珠玉。 」
寵極愛還歇、妒深情卻疏。
長門一步地、不肯暫回車。
雨落不上天、水覆難再收。 」
君情與妾意、各自東西流。
昔日芙蓉花、今成斷根草。
以色事他人、能得幾時好。 」

○押韻 屋。玉。/歇、疏。車。收。/流。草。好

(下し文)
漢帝 阿嬌 寵(いつく) しむ、之を黃金の屋に貯(おさ)む。
咳唾(がいだ) 九天に落つ、風隨う 珠玉 生ず。
寵極 愛 還た歇(つきる)、妒み深く 情 卻く疏(うと)んず。
長門 一たび 地を步む、肯って 暫く 回車されず。
雨落 天に上らず、水覆 再び收り難し。
君情 與 妾意、各々自ら 東西に流る。
昔日  芙蓉の花,今 成る  斷根の草。
色を以て  他人に事(つか)へ,能(よ)く  幾時(いくとき)の 好(よろし)きを  得たりや。

(現代語訳)
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。
その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。
天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。
一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。
天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。
色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。


(訳注)
曹植に同名の「妾薄命」があり、後部に掲載あり。(2)
漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。
阿嬌 漢の武帝の后の幼名。(漢武故事)。「阿」は親しみを表す語。「嬌」は〕美しい女性。美人。文末に
(1)阿嬌陳后妃ものがたり 参照。
漢の武帝について李商隠特集。
宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 62

漢宮詞 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 63

賈生 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64

茂陵 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 65


咳唾落九天、隨風生珠玉。
その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。
咳唾 せきとつばき。権力・勢力の強いさま。一言一句が珠玉の言葉になること。 ○九天 中華思想で天地は九で区分される。地は九州、天は九天、その真ん中を示す語である大空の真ん中。天下の中心。○風隨 かぜのふくままに。○珠玉 生ず。

寵極愛還歇、妒深情卻疏。
天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。
寵極 天子の寵愛○愛還歇、別の后妃に移った○妒深 嫉妬心が深く。
 
長門一步地、不肯暫回車
一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
長門 一族○回車 お迎えの車馬。。

雨落不上天、水覆難再收。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。
雨落 天に上らず、○水覆難再收 覆水盆に返らず。
 
君情與妾意、各自東西流。
天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
君情 天子の愛情○妾意 后妃の思い○東西流る。
 

昔日芙蓉花、今成斷根草。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。
昔日 むかし。○芙蓉花 フヨウの花。華麗に咲く花の女王でもある。そのように、天子の側にいて芙蓉花のように愛でられる位置にいたものだった(が)。 ○今成 今は…となった。 ○斷根草 根無し草。飛蓬、転蓬。 *零落して各地を流浪するさまをいう。


以色事他人、能得幾時好。
色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。
以色 色香をもって。色事で。 ○ つかえる。動詞。 ・他人 ほかの人。○能得 …が可能である。 ○ よく。 ○ 得る。 ○幾時 どれほどの時間。 ○ よい。
 




 



趙飛燕と班婕妤
衛子夫と陳皇后

(1)陳皇后のものがたり
阿嬌
:陳皇后(ちん こうごう、生没年不詳)は、前漢の武帝の最初の皇后。武帝の従姉妹に当たる。
母は武帝の父である景帝の同母姉の館陶長公主劉嫖、父は堂邑侯陳午である。
『漢武故事』によると、館陶長公主は娘を皇太子に娶わせようと思ったが、当時の皇太子である劉栄の母栗姫が長公主と仲が悪かった。そこで長公主は景帝に王夫人の子である劉徹(武帝)を褒め、王夫人を皇后、劉徹を皇太子にすることに成功した。
長公主はまだ幼い皇太子の劉徹と娘の阿嬌を会わせ、劉徹に「阿嬌を得たいかい?」と訊いた。劉徹は「もし阿嬌を得る事ができたら、金の建物に住まわせるよ」と答えたので、長公主は喜んで娘を彼に娶わせ、阿嬌は皇太子妃となった。

 武帝が即位すると彼女は皇后となり、寵愛をほしいままにしたが、10年以上子が出来なかった。一方で衛子夫が武帝に寵愛されたと聞くと、嫉妬心 皇后は彼女の死を願い、一族も弟の衛青を連れ去り監禁するほどだった。皇后は呪術を用いて呪い、それが発覚して元光5年(紀元前130年)に廃位された。
母の館陶長公主は武帝の姉の平陽公主に「皇帝は私がいなければ皇太子になれなかったのに、どうして我が娘を捨てるのだ」と訊いたが、平陽公主は「子が出来ないからです」と答えた。皇后は子が出来るようにと医者に多額の金を使ったが、結局子は出来なかった。
十数年後に館陶長公主が死亡し、その数年後には陳皇后も死亡した。



 



(2)
妾薄命二首 其一 曹植(曹子建)

(本文)
携玉手喜同車  比上雲閣飛除
釣台蹇産清虚  池塘霊沼可娯
仰汎龍舟緑波  俯擢神草枝柯
想彼宓妃洛河  退詠漢女湘娥
(下し文)
玉手を携え同車を喜び  比びて雲閣の飛除を上がる
釣台は蹇産とし清虚  池塘霊沼を娯しむべし
仰ぎて龍舟を緑波に汎べ  俯して神草の枝柯を擢く
彼の宓妃の洛河を想い  退きて漢女湘娥を詠ず


 



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黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237

黄葛篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -237
  

 女性の無限の哀怨を湛える、寵愛を得ないことに李白はたくさん詠っている。
「玉階怨」「妾薄命」、「長信宮」、「長門怨」二首、もみなこれと同じ趣を詠っている。
 以上のものとは異って、内妻の地位、別れの原因を具体的にしない閨怨の詩も多い。
「黄葛篇」もこの類である。


黃葛篇
黃葛生洛溪、黃花自綿冪。
黄い葛は洛水の溪谷に生えている。その黄色の花はそっと大切に真綿で覆われているのである。
青煙蔓長條、繚繞几百尺。
春の青いかすみがかかり、その葛のつたは細長い枝となっている。くねくねと湾曲、もつれあっていること数百尺の長さだ。
閨人費素手、采緝作絺綌。
その内妻は白い素肌のままでてにとり、絲にしてつむいで、細糸とあら糸の葛布を織ったのだ。
縫為絕國衣、遠寄日南客。
遠くへだたった国へ行っているあの人の衣用に縫っている。越南の日南方面へ行く旅人に夫へ渡してもらうため託する。
蒼梧大火落、暑服莫輕擲。
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。
此物雖過時、是妾手中跡。
この葛を縒って織った着物を縫った。このようなことが過ぎたけれども、残された妻の手中になかに跡として残っているのだ。

冪。尺。綌。客。/落、擲。跡。

黄葛(こうかつ)は洛溪に生じ、黄花 自(おのずから) 綿冪(めんべき)。
青煙 長條を蔓(はびこ)らし、繚繞(りょうじょう) 幾百尺。
閨人 素手を費し、採緝(さいしゅう)して絺綌(ちげき)を作る。
縫ひて絶国の衣となし、遠く日南の客に 寄す。
蒼梧に大火落つるとも、暑服 軽(かろがろし)く擲(なげう)つなかれ。
この物 時を過ぎると いへども、これ妾が手中の跡。

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黃葛篇 現代語訳と訳註
(本文)

黃葛生洛溪、黃花自綿冪。
青煙蔓長條、繚繞几百尺。
閨人費素手、采緝作絺綌。
縫為絕國衣、遠寄日南客。
蒼梧大火落、暑服莫輕擲。
此物雖過時、是妾手中跡。


(下し文)
黄葛(こうかつ)は洛溪に生じ、黄花 自(おのずから) 綿冪(めんべき)。
青煙 長條を蔓(はびこ)らし、繚繞(りょうじょう) 幾百尺。
閨人 素手を費し、採緝(さいしゅう)して絺綌(ちげき)を作る。
縫ひて絶国の衣となし、遠く日南の客に 寄す。
蒼梧に大火落つるとも、暑服 軽(かろがろし)く擲(なげう)つなかれ。
この物 時を過ぎると いへども、これ妾が手中の跡。


(現代語訳)
黄い葛は洛水の溪谷に生えている。その黄色の花はそっと大切に真綿で覆われているのである。
春の青いかすみがかかり、その葛のつたは細長い枝となっている。くねくねと湾曲、もつれあっていること数百尺の長さだ。
その内妻は白い素肌のままでてにとり、絲にしてつむいで、細糸とあら糸の葛布を織ったのだ。
遠くへだたった国へ行っているあの人の衣用に縫っている。越南の日南方面へ行く旅人に夫へ渡してもらうため託する。
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。
この葛を縒って織った着物を縫った。このようなことが過ぎたけれども、残された妻の手中になかに跡として残っているのだ。


(訳注)
黃葛生洛溪、黃花自綿冪。

黄い葛は洛水の溪谷に生えている。その黄色の花はそっと大切に真綿で覆われているのである。
黄葛 マメ科のつる性の多年草。花と根が黄色である。根を用いて食品の葛粉や漢方薬が作られる。秋の七草の一つ。○洛溪 洛水の谷間。・洛水陝西(せんせい)省南部にある華山に源を発し、河南省に入って北東に流れ、洛陽の南を通り黄河に注ぐ川。長さ420キロ。洛河。○綿冪 (メンベキ)若のように細かに覆い被さっている。


青煙蔓長條、繚繞几百尺。
春の青いかすみがかかり、その葛のつたは細長い枝となっている。くねくねと湾曲、もつれあうすること数百尺の長さだ。
青煙 春の青いかすみ。○長條 細長い枝。○繚繞 もつれあう、まつわりめぐること。また、くねくねと湾曲すること。

閨人費素手、采緝作絺綌。
その内妻は白い素肌のままでてにとり、絲にしてつむいで、細糸とあら糸の葛布を織ったのだ。
閨人 寝室を共にする人。閨の人。妻の場合。めかけの場合。娼婦の場合。○素手 白い素肌で
○採緝 (サイシュウ)絲にしてつむぐ。○絺綌 (チゲキ)細糸とあら糸の葛布。


縫為絕國衣、遠寄日南客。
遠くへだたった国へ行っているあの人の衣用に縫っている。越南の日南方面へ行く旅人に夫へ渡してもらうため託する。
○絶国 遠くへだたった国。○日南 漢の時、越南に置かれた郡。○ たびびと。雲南に徴兵で戦争に行っている夫へ渡してもらうため託する。


蒼梧大火落、暑服莫輕擲。
越何の地方、蒼梧県だといっても大火の星が西に流れると秋が来るのだ、軽はずみに夏服だと思って投げ出すことがあってはならない。
蒼梧 蒼梧県(そうご-けん)は中華人民共和国広西チワン族自治区梧州市に位置する県。 戦国時代より蒼梧、または倉吾の名で呼ばれている。○大火 「アレース(火星)に対抗するもの」という意味で、「アンタレス」この星の光が火星の赤い色によく似ているところからつけられた。蝎座の一等星で太陽の直径の230倍もあって、中国では「火」とか「大火」と呼ばれる。陰暦七月末から西に流れる。
(なげう) 投げ出すこと。捨ててかえりみないこと。


此物雖過時、是妾手中跡。
この葛を縒って織った着物を縫った。このようなことが過ぎたけれども、残された妻の手中になかに跡として残っているのだ。


(解説)
楊國忠の雲南戦線の戦いに敗れ、死者6万人をかぞえるも、なお徴兵し続けた。同じころ、西方のタラスの戦いも敗戦している。李白は、西方の勝ち負けは常日頃耳にしていたが、南方の戦で、負けてもなお兵力をつぎ込む楊国忠の無能さが言いたかったことであろう。

 「子夜呉歌」にも似た趣がある。これは南方にいる夫を思う情景に作っている。
 妻の征夫を懐うの情はひとたび翻せば、兵士の思郷の情である。

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無題(乗是重言去紹躍) 李商隠 19

無題(乗是重言去紹躍)李商隠 19
七言律詩 六朝時代の謝朓、李白、の閨怨の詩を受け継ぎ李商隠風に発展させた詩である。


無題
題をつけない詩。閨怨の詩。
來是空言去絶蹤、月斜楼上五更鐘。
また来てくれるというお約束でした、それが絵空事になるなんて、その上あなたが何処へ行かれたのかもわからない。月は傾き、ひと夜、二階座敷でまっていたら、はや、午前四時(五更)の鐘が鳴ったのです。
夢為遠別啼難喚、書被催成墨未濃。
うたたねの中で、あなたと遠く行ってお別れする夢を見ました。あなたを何度も呼ぶのに届かない、悲しくて声をあげて泣いてしまった。
せめてお手紙を差し上げよう思い、筆をとりましたけれど、墨は充分な濃さにすれなくお使いの出る時刻に焦ってしまった。

蝋照半籠金翡翠、麝薫微度繍芙蓉。
いま、部屋の蝋燭の明りは、半ばにこもり、金をあしらった翳翠羽の飾りに、麝薫の香りほのかにかおり、蓮花模様の褥の上に漂っているだけで蓮華は開けない。
劉郎已恨蓬山遠、更隔蓬山一萬重。

劉郎の喜びというものが、蓬莱山のように遠くて手の到かない気がするとくやんでいたけど、いまのわたしはそれ以上に、距てられている。いまは蓬莱山までの一万里をも重ねたくらい隔てられるている。


題をつけない詩。閨怨の詩

また来てくれるというお約束でした、それが絵空事になるなんて、その上あなたが何処へ行かれたのかもわからない。月は傾き、ひと夜、二階座敷でまっていたら、はや、午前四時(五更)の鐘が鳴ったのです。
うたたねの中で、あなたと遠く行ってお別れする夢を見ました。あなたを何度も呼ぶのに届かない、悲しくて声をあげて泣いてしまった。
せめてお手紙を差し上げよう思い、筆をとりましたけれど、墨は充分な濃さにすれなくお使いの出る時刻に焦ってしまった。
いま、部屋の蝋燭の明りは、半ばにこもり、金をあしらった翳翠羽の飾りに、麝薫の香りほのかにかおり、蓮花模様の褥の上に漂っているだけで蓮華は開けない。
劉郎の喜びというものが、蓬莱山のように遠くて手の到かない気がするとくやんでいたけど、いまのわたしはそれ以上に、距てられている。いまは蓬莱山までの一万里をも重ねたくらい隔てられるている。


(下し文)無題
来るとは是れ空言 去って蹤を絶つ
月は斜めなり 楼上 五更の鐘
夢に遠別を為して啼けども喚び難く
書は成すを催されて墨未だ濃からず
蝋照 半ば籠む 金翡翠
麝薫 微かに度る 繍芙蓉
劉郎は己に恨む 蓬山の遠きを
更に隔つ 蓬山 一万重
 
無題
無題 題をつけない詩。閨怨の詩
空閏、とどかぬ思い、胸の痛み、あのお方はなぜ来ない。やり切れぬ思い、女性の側から恋情を歌ったもの。

來是空言去絶蹤、月斜楼上五更鐘。
また来てくれるというお約束でした、それが絵空事になるなんて、その上あなたが何処へ行かれたのかもわからない。月は傾き、ひと夜、二階座敷でまっていたら、はや、午前四時(五更)の鐘が鳴ったのです。
空言 事実に裏付けされない言葉。空約束。絵空事。〇五更鐘 一夜を五分し、その度に夜番の者が更代(交代)する。五更は午前四時。

夢為遠別啼難喚、書被催成墨未濃。
うたたねの中で、あなたと遠く行ってお別れする夢を見ました。あなたを何度も呼ぶのに届かない、悲しくて声をあげて泣いてしまった。
せめてお手紙を差し上げよう思い、筆をとりましたけれど、墨は充分な濃さにすれなくお使いの出る時刻に焦ってしまった。
 声をあげて悲しみ泣く。梁の蕭綸(未詳―551)の秋胡の婦に代って閨怨する詩に「涙は尽く夢啼の中。」とある。○催成 催は催促されて気がせくこと。被催はせかされること。(夜明けが始業時間、朝廷の官僚も暗いうちから出勤した)したがって書被催成とは、夜が白みかけたら人の往来がある四、夜明けの鐘とともに使者が出発するので、それに間に合わないといけないために、早く手紙を書かかなければと焦っている状態を示す。また梁の劉孝威(496~549)の冬暁と題する詩に「妾が家は洛陽に辺す、慣れ知る暁鐘の声。鐘声猶お未だ尽きず、漢使応に行くべきを報ず。天寒くして硯の水凍る、心は悲しむ書の成らざるに。」寒くて墨がすれない。また、薄墨の言伝は心がないこと別れを意味する。だから、紛らわしくない濃い墨でとどけないといけない。

蝋照半籠金翡翠、麝薫微度繍芙蓉。
いま、部屋の蝋燭の明りは、半ばにこもり、金をあしらった翳翠羽の飾りに、麝薫の香りほのかにかおり、蓮花模様の褥の上に漂っているだけで蓮華は開けない。
金翡翠 蝋燭の光で閨に置く羽の飾り物が金色を散らしたようにみえる。翡翠はカワセミの長い綺麗な羽をいう。この翅は節句の飾りつけにつかわれる。○麝薫 麝薫 麝香鹿:中央アジア産の鹿の類 の腹からとった香料のかおり。○繍芙蓉 ぬいとりの蓮花模様。しとねの模様である。杜甫(712-770)の李監の宅の詩に「屏は開く金孔雀、裕は隠す繍芙蓉。」と。

劉郎已恨蓬山遠、更隔蓬山一萬重。
劉郎の喜びというものが、蓬莱山のように遠くて手の到かない気がするとくやんでいたけど、いまのわたしはそれ以上に、距てられている。いまは蓬莱山までの一万里をも重ねたくらい隔てられるている。
劉郎 中唐の詩人李賀(790-817)の「金銅仙人の漢を辞するの歌」に『茂陵の劉郎秋風の客。』から出る言葉。元来は漢の武帝劉徹を指すがそれにひっかけながらここは待っている人という意味で用いられている。○蓬山 東方海上、三仙山の一つ。〇 わたる。渡にひとしい。香りが漂いわたる。


   道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。

待酒不至 李白 103

待酒不至 李白 103
五言律詩「酒を待てど至らず」


待酒不至
酒を待てど至らず
玉壺系青絲、沽酒來何遲。
きれいな酒壺は蓋を青絲で結わえている。世間で売っている酒が来るのが何と遅いことか。(お目当ての女性が酒を持ってくるのが遅い)
山花向我笑、正好銜杯時。
山花が私に微笑みかけるこの頃、まさにこのような時は酒を飲むのが一番だ。(女性の笑い顔には酒が一番良い)
晚酌東窗下、流鶯復在茲。
晩酌は月をみる東の窓辺がよく、その上鶯の鳴き声はますます趣きを加える。(東窗に対して、西の窓辺、閨があり、鶯は女性で潤いが増す)
春風與醉客、今日乃相宜。
春風と醉客とが、今日という日は酒を飲むのに合っている。
(女性に自分は全く相性が良い)

酒を待てど至らず
きれいな酒壺は蓋を青絲で結わえている。世間で売っている酒が来るのが何と遅いことか。(お目当ての女性が酒を持ってくるのが遅い)
山花が私に微笑みかけるこの頃、まさにこのような時は酒を飲むのが一番だ。(女性の笑い顔には酒が一番良い)
晩酌は月をみる東の窓辺がよく、その上鶯の鳴き声はますます趣きを加える。(東窗に対して、西の窓辺、閨があり、鶯は女性で潤いが増す)
春風と醉客とが、今日という日は酒を飲むのに合っている。
(女性に自分は全く相性が良い)


酒を待てど至らず
玉壺 青絲に繫ぎ、沽酒 何ぞ遲れて來る
山花 我に笑って向う、正に好む杯時銜ふくむを。
晩酌す 東窗の下、流鶯 復た茲に在り
春風 醉客にあたうる、今日乃ち相ひ宜し。


玉壺系青絲、沽酒來何遲。
きれいな酒壺は蓋を青絲で結わえている。世間で売っている酒が来るのが何と遅いことか。(お目当ての女性が酒を持ってくるのが遅い)
玉壺 丸い形の酒壺。輝く綺麗な人。○青絲 青い糸。細い柳の枝。李白「將進酒」では黒髪をきれいに整髪しているさま。○沽酒 世間で売られている酒。酒を買ってこいではない。仙界の高楼にいる李白は持ってこさせているのである。

山花向我笑、正好銜杯時。
山花が私に微笑みかけるこの頃、まさにこのような時は酒を飲むのが一番だ。(女性の笑い顔には酒が一番良い)
 くつわ。口にくわえる。


晚酌東窗下、流鶯復在茲。
晩酌は月をみる東の窓辺がよく、その上鶯の鳴き声はますます趣きを加える。
(東窗に対して、西の窓辺、閨があり、鶯は女性で潤いが増す)


春風與醉客、今日乃相宜。
春風と醉客とが、今日という日は酒を飲むのに合っている。
(女性に自分は全く相性が良い)


○韻 絲、遲、時、茲、宜。

 普通に読むと、「前半では買いにやらせた酒がなかなか来ないこということにいらだつさまが描かれ、後半では春風に吹かれながら心地よく酔う楽しみが語られている。」とされるが、玉、壺、花、笑、好、銜、窓、鶯、茲、春、相。すべて、女性を詠う際に使われる語である。儒教的な考えでこの詩を見ると酒の事しか歌っていないものが、悦楽も人生の大切な要件であるという見方からすれば、ありきたりの詩が、断然に違った世界を見せるのである。李白の詩の素晴らしさがここにあるといってもおかしくないのではないだろうか。 
 

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