漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

楚辞

《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> Ⅱ李白に影響を与えた詩1071 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3903

《楚辞 『九辯』》 宋玉 <案内> 『九辯』は楚の宋玉の作である。辯は変なであり、道徳をのべて以て君王の施政のあり方をのべる。九は陽の数、道の綱紀であると。宋玉は屈原の弟子である。師は忠義心あるも放逐せられた。故に『九辯』を作って其の志を述べた。

2014年3月17日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> Ⅱ李白に影響を与えた詩1071 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3903
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《楚辞 『九辯』》 宋玉 <案内> Ⅱ李白に影響を与えた詩1071 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3903


《楚辞 『九辯』》 宋玉 <案内>


     
  楚辞 『九辯』 宋玉  
     
  九章説も、九の数に合わせるために無理に分けたような所もあって、確かではないが、一応旧説に準じて、九段に分けて訳注する。九辯」は楚辞の中でもすぐれた代表作品である。  
    
  悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,
憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,
泬寥兮天高而氣清,寂寥兮收潦而水清,
悽增欷兮薄寒之中人,愴怳懭悢兮去故而就新,
坎廩兮貧士失職而志不平,廓落兮羇旅而無友生。
惆悵兮而私自憐。
  
  悲しいしいことよ、秋の気というものは! 風はさわさわと草木に吹きさびしく鳴っている。それにより、草木は葉を落とし、吹き散り、色を変わっておとろえる。  
  逝く秋には心がいたみ悲しむもので、それは遠い旅路で、山に登ったり、水辺に立ったりして、故郷に帰ろうとする人を送る時のこころにおもうことのようである。  
  秋の眺めはむなしく雲もない。大空は高くなり、空気は清々しいものとなる。秋の野はひっそりとしてくるし、物影もなくなるのだ。長雨で出来た道の溜り水も収まり引いて、秋の水は澄んでくるのだ。  
  心は痛み悲しんで、しだいにすすり泣くのである、はだ寒い秋の気は次第に人の身にしみる寒さになるのである。そうして、物悲しくうつろな心になり、気力もうちしおれ、住みなれた土地を去って見知らぬ国に行くことになるのである。  
  そのような境遇であれば心は楽しいものではなく、貧しい士太夫、その人は心中おだやかであるはずもない。ただ広々として寂しいのはその地も、こころもそうなのだ。その地を離れてこの旅の空に友達もいないのである。  
  心は恨み嘆いており、そしてひそかに自分を憐れに思うことであろう。  
    
  九辯 第一段ー#1 宋玉 <00-#1>  
  九辯 第一段ー#2 宋玉 <00-#2>  
  九辯 第二段-#1 宋玉  <00-#3>  
  九辯 第二段-#2 宋玉  <00-#4>  
  九辯 第三段-#1 宋玉 <00-#5>  
  九辯 第三段-#2 宋玉  <00-#6回目>  
  九辯 第三段-#3 宋玉  <00-#7回目>  
  九辯 第三段-#4 宋玉  <00-#8回目>  
  九辯 第四段-#1 宋玉  <00-#9回目>  
  九辯 第四段-#2 宋玉 <00-#10回目>  
  九辯 第五段-#1 宋玉  <00-#11>  
  九辯 第五段-#2 宋玉  <00-#12>  
  九辯 第五段-#3 宋玉  <00-#13>  
  九辯 第五段-#4 宋玉  <00-#14>  
  九辯 第五段-#5 宋玉  <00-#15>  
  九辯 第五段-#6 宋玉  <00-#16>  
  九辯 第六段-#1 宋玉  <00-#17>  
  九辯 第六段-#2 宋玉  <00-#18>  
  九辯 第一~ニ段(とおし) 宋玉  <00-#19>  
  九辯 第三段(とおし) 宋玉  <00-#20>  
  九辯 第四五段(とおし) 宋玉  <00-#21>  
  九辯 第七段-#1 宋玉  <00-#22>  
  九辯 第七段-#2 宋玉  <00-#23>  
  九辯 第八段-#1 宋玉  <00-#24>  
  九辯 第八段-#2 宋玉  <00-#25>  
  九辯 第六・七・八段 まとめ 宋玉  <00-#26>  
  九辯 第九段―#1 宋玉  <00-#27>  
  九辯 第九段―#2 宋玉  <00-#28>  
  九辯 第九段―#3 宋玉  <00-#29>  
  九辯 第九段―#4 宋玉  <00-#30>  
  九辯 第九段―#5 宋玉  <00-#31>  
  九辯 第九段―#6 宋玉  <00-#32>  
  九辯 第九段―#7 宋玉  <00-#33>  
  九辯 第九段―#8 宋玉  <00-#34>  
  九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>  
     
     
 『九辯』は楚の宋玉の作である。辯は変なであり、道徳をのべて以て君王の施政のあり方をのべる。九は陽の数、道の綱紀であると。
宋玉は屈原の弟子である。師は忠義心あるも放逐せられた。故に『九辯』を作って其の志を述べた。
 
  
    
 宋玉は、戦国時代末期の文学者で、屈原の弟子とされる。屈原にならって主として辞賦作品を作っているが、その批判精神は受け継いではいない。主君の意向に沿った作品を作る宮廷作家の典型とされる。宋玉の作品は、《文選》には『風の賦』『高唐の賦』『神女の賦』『登徒子好色の賦』など,《楚辞》には『九弁』『招魂』などが収められる。ただ、彼の伝記に確実なよりどころがないこととあわせて,作品の来歴に多くの問題のあることが指摘されているが、旧説に合わせて紹介する。 
     
幻日環01

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338


     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」

ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。

緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,

音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。


暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。」

律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」


現代語訳と訳註
(本文)

青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。


(下し文)
青雲の衣白霓の裳、長矢を舉げて天狼を射る。
餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。


(現代語訳)
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。


(訳注)
青雲衣兮白霓裳、舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
青雲衣兮白霓裳 高天にある青い雲の上衣をまとい、白い虹のはかまをつけることで、太陽神の象徴でそのいでたちのことである。・天狼 星の名。東井の星の南にあって、侵椋をつかさどる。秦の分野に当たる。冬によく見える星である。これを射る長欠は、太陽の光線を見たてた。


操餘弧兮反淪降、援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
 弓。弧矢も星の名。補注に「説文に日く、木弓なりと。晋志に、弧の九星は狼の東南に在り。天弓なり。盗賊に備ふるを主ると。」と。・反淪降 返り立ちもどって、下界に降りる。倫降はしずみくだる。日没のこと。・北斗 北斗七星。ひしゃくの形をしているので、祭りの酒を酌む器として、日神はこれを取る。既に夕空の星が出ていることをいう。・桂漿 肉柱入りの薄い酒。菜はこんずのこと。


撰餘轡兮高駝翔、杳冥冥兮以東行。
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。
・撰 持ち上げる。・轡 たづな。・配 馳に同じ。はせる。・杳冥冥今以東行 太陽が日没後、遠い暗黒の空を東に行くこと。古代にはそのように考えられていた。


 この篇は、昇り行く朝日としての東君が、自分を祭る地上の祭儀に心ひかれて去り難く思う。その祭儀の盛観に、日神は遂に高い空から降りてくる。太陽神は天狼星を射て、天空を征服し、赫赫とした神威を輝かし、北斗を取って供えられた桂策を酌んで、この祭りを享ける。やがて暗黒の空の中を東へ去るという。

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩506 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1335

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」

ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」

音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」


現代語訳と訳註
(本文)

緪瑟兮交鼓、簫鍾兮瑤簴。
鳴箎兮吹竽、思靈保兮賢姱。
翾飛兮翠曾、展詩兮會舞。
應律兮合節、靈之來兮蔽日。


(下し文)
瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。


(現代語訳)
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。


(訳注)
緪瑟兮交鼓、簫鍾兮瑤簴。

張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
緪瑟 緪をはりつめた瑟(こと)。・交鼓 二個かわるがわるにあわせて打つ鼓。・ 古くから撃つという動詞に読む。手偏が付いたテキストもある。・ 鐘に同じ。・瑤 瑤は玉で飾る。・ 鐘や磬を吊る台。


鳴箎兮吹竽、思靈保兮賢姱。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
 音チ。ちのふえ。一尺四寸の横笛。竿と同様な竹で作った笛の類。・霊保 祭りに奉仕する巫女のこと。『詩経』に「神保是れ格る」「神保聿【ここ】に騰【あが】る」等の語がある。これはかたしろ、神霊の下るかたしろ。やはり巫のこと。・賢姱 徳すぐれてみめうるわしいこと。姱は美。


翾飛兮翠曾、展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
翾飛 小さく飛び軽く揚がる。鳥の飛ぶように舞う。・翠曾 かわせみの鳥のように身軽に飛びあがる。曾は翾(あがる)に同じ。巫女が身軽に舞うさま。・展詩 詩を叙べる。詩はここでは歌詞。・会舞 集まり舞う。


應律兮合節、靈之來兮蔽日。
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。
 調子・拍子。節度。・靈之來兮蔽日 霊は日神東君が、自分に従って来る衆神をいう。日を蔽うはむらがる形容。

(1)漁父辞 屈原 李白に影響を与えた詩

(1)漁父辞 屈原 李白に影響を与えた詩
 屈原 紀元前343年-紀元前277年 戦国時代に楚の懐王に仕えて、内政、外交に手腕を発揮した。
楚、斉は秦の脅威にさらされていたので、屈原は楚、斉が同盟して秦に対抗する策を推進した。他方、秦の保護下に入って安全を図る連衡を主張する勢力も強く、国論は二分していました。
 このとき、秦は楚を孤立させ、屈原を追放させ、楚斉同盟を破棄させ、はては、楚は滅亡することになる。
 懐王は屈原を再起用して態勢挽回を図るが、秦は懐柔策に出、懐王を呼び寄せ、屈原を再び追放される。屈原は、滅び行く祖国の前途を見るに忍びず、泪羅(ベキラ)の淵に入水自殺することになる。
 屈原は優れた政治家であったばかりでなく、大詩人でもありました。「楚辞」と呼ばれる詩は彼の創始によるもので、後世の詩に絶大な影響を与えた。
 屈原の詩の代表作は「離騒」「九歌」「天問」「九章」がある。



漁父辞
屈原既放  游於江潭
行吟澤畔  顔色憔悴
形容枯槁
漁父見而問之
子非三閭太夫與 何故至於斯

屈原曰
與世皆濁  我独清
衆人皆酔  我独醒
是以見放  

漁父曰
聖人不凝滞於物  而能與世推移
世人皆濁  何不乱其泥
而揚其波  衆人皆酔
何啜其汁  何故深思高挙
自令放為

屈原曰
吾聞之  新沐者必弾冠
新浴者必振衣  安能以身之察察
受物之紋紋者乎  寧赴湘流
葬於江魚之腹中  安能以晧晧之白
而蒙世俗之塵埃乎  漁父莞爾而笑
鼓枻而去

乃歌曰
滄浪之水清兮  可以濯吾纓
滄浪之水濁兮  可以濯吾足

 屈原は放逐されて江や淵をさまよい、詩を口ずさみつつ河岸を歩いていた。顔色はやつれはて、見る影もなく痩せ衰えている。一人の漁夫が彼を見付け、尋ねた。

「あなたは三閭太夫さまではございませぬか。どうしてまたこのような処にいらっしゃるのですか?」

 屈原は言った。

「世の中はすべて濁っている中で、私独りが澄んでいる。人々すべて酔っている中で、私独りが醒めている。それゆえ追放されたのだ」

 漁夫は言った。

「聖人は物事に拘らず、世と共に移り変わると申します。世人がすべて濁っているならば、なぜご自分も一緒に泥をかき乱し、波をたてようとなされませぬ。人々がみな酔っているなら、なぜご自分もその酒かすをくらい、糟汁までも啜ろうとなされませぬ。なんでまたそのように深刻に思い悩み、高尚に振舞って、自ら追放を招くようなことをなさったのです」

 屈原は言った。

「ことわざにいう、『髪を洗ったばかりの者は、必ず冠の塵を払ってから被り、湯浴みしたばかりの者は、必ず衣服をふるってから着るものだ』と。どうしてこの清らかな身に、汚らわしきものを受けられよう。いっそこの湘水の流れに身を投げて、魚の餌食となろうとも、どうして純白の身を世俗の塵にまみれさせよう」

 漁夫はにっこりと笑い、櫂を操って歌いながら漕ぎ去った。

「滄浪の水が澄んだのなら、冠の紐を洗うがよい、滄浪の水が濁ったのならば、自分の泥足を洗うがよい」

 そのまま姿を消して、彼らは再び語り合うことがなかった。

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