漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

七言絶句

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
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盛唐詩 送杜十四之江南 孟浩然<34> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -341

盛唐詩 送杜十四之江南 孟浩然<34> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -341


卷160_180 「送杜十四之江南(一題作送杜晃進士之東吳)」孟浩然

送杜十四之江南
杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
荊吳相接水為鄉,君去春江正淼茫。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
日暮征帆何處泊,天涯一望斷人腸。

日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。


杜十四の 江南に 之【ゆ】くを 送る       
荊呉【けいご】 相ひ接して  水 鄕と爲す,君 去りて 春江  正に 淼茫【べうばう】。
日暮 弧舟 何【いづ】れの處にか 泊する,天涯 一望  人の膓【はらわた】を 斷つ。


李白の足跡55


現代語訳と訳註
(本文)

送杜十四之江南
荊呉相接水爲鄕,君去春江正淼茫。
日暮弧舟何處泊,天涯一望斷人膓。

(下し文) 杜十四の 江南に 之【ゆ】くを 送る       
荊呉【けいご】 相ひ接して  水 鄕と爲す,君 去りて 春江  正に 淼茫【べうばう】。
日暮 弧舟 何【いづ】れの處にか 泊する,天涯 一望  人の膓【はらわた】を 斷つ。


(現代語訳)
杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。 


(訳注)
送杜十四之江南

杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
 見送る。 ○杜十四 杜家の十四男。十四は排行。 ○ 行く。 ○江南 長江下流以南の地。


荊呉相接水爲鄕、君去春江正淼茫。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
荊呉 〔けいご〕荊は楚の国の別名。現在の湖北、湖南省あたり。呉は現在の江蘇省。 ○相接 つながっている。 ○爲鄕 里とする。くにとなる。水郷となる。 ○水爲鄕 水郷となっている。 ○春江 春の長江の流れ。 ○正 ちょうど。 ○淼茫【びょうぼう】長江と平野の水の広々としたさま。


日暮弧舟何處泊、天涯一望斷人膓。
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。 
日暮 日が暮れる。日暮れ。○弧舟 ぽつんと一つだけある小舟。一人旅や、ひとりぼっちの人生をも謂う。○何處 どこ。○【はく】とまる。(船を)船着き場にとめる。○天涯【てんがい】空のはて。○一望 広い眺めを一目で見渡すこと。○斷人膓 人と接することがなく断腸の思いをさせる。
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宿建徳江 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -329

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孟浩然の「自然(月)と人」についてみてみる。


宿建徳江
移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
野曠天低樹、江清月近人。


建徳の江に宿す 

舟を移して 烟渚に泊す、日暮 客愁 新たなり。
野曠【むなし】くして 天 樹に低【た】れ、江清くして 月 人に近し。


doteiko012


現代語訳と訳註
(本文)

移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
野曠天低樹、江清月近人。
 

(下し文)
舟を移して 烟渚に泊す、日暮 客愁 新たなり。
野曠【むなし】くして 天 樹に低【た】れ、江清くして 月 人に近し。


(現代語訳)
銭塘江中流あたり、建徳に宿泊する
私は船を夕靄に包まれた岸辺と漕ぎ寄せさせ、今夜の泊りの用意をする。やがて日は暮れ、旅の愁が新たなものとしてわいてきて胸に迫る。
がらんとしてさびしい原野がひろがり、天空が木々樹の上に低くたれさがっている。銭塘江の水は清くすみきっていて、水面に映る月だけがそ私の身近にあるものだ。


(訳注) 宿建徳江
銭塘江中流あたり、建徳に宿泊する
建徳江 建徳は県名。いま浙江省に属する。その川は銭塘江の中流である。


移舟泊烟渚、日暮客愁新。  
私は船を夕靄に包まれた岸辺と漕ぎ寄せさせ、今夜の泊りの用意をする。やがて日は暮れ、旅の愁が新たなものとしてわいてきて胸に迫る。
烟渚 もやのたちこめた砂浜。


野曠天低樹、江清月近人。  
がらんとしてさびしい原野がひろがり、天空が木々樹の上に低くたれさがっている。銭塘江の水は清くすみきっていて、水面に映る月だけがそ私の身近にあるものだ。
野曠 がらんとして人けのないのが曠。○ ここでは孟浩然自身をさす。

この詩の「人」は作者自身であるが、不特定な人をいう場合もある。王維の『輞川集』「竹里館」
獨坐幽篁裏,彈琴復長嘯。
深林人不知,明月來相照。
竹里館
獨り坐す  幽篁の 裏(うち),琴を弾じて  復(ま)た 長嘯す。
深林  人 知らず,明月  來りて 相ひ照らす。


孟浩然は自身の視線が中心であり、視線の動きが自然の動きとしている。李白などは「月」が自分の動きについてくると、山が動くのに月が自分の動きについてくるというものだが、そうした動きのないはずの「天」「月」も時間の経過で動くというだけでなく、「樹」「人」のほうにひきよせたように描いている。孟浩然が宋の謝霊運に学ぶところがあり、その詩的感覚が同質の傾向を持つと指摘する中で、その例として、右の孟詩の転句・結句と、次に掲げる謝霊運の「初去郡」詩(『文選』巻二十六「行旅」)中の二句とを対比している。
・・・・・・・・・・
負心二十載、於今廢将迎。
理棹遄還期、遵渚騖修垌。
遡渓終水渉、登嶺始山行。
野曠沙岸浄、天高秋月明。
憩石挹飛泉、攀林搴落英。

・・・・・・・・・・
心に負くこと二十載、今において将迎を廢め。
棹を理めて 還る期を遄くし、渚に遵いて修き垌を騖す。
渓を遡り終に水を渉り、嶺に登らんとして始めて山行す。
野は曠くして 沙岸は浄く、天高くして 秋月明らかなり。

謝霊運の詩の大意は、悟った人間は浮世から脱出すべきものである。「低き位をみずから耕すに代えた」というものである。隠棲する心情を詠うための「自然」である。

孟浩然詩の「天」「月」に対して、謝詩の「沙岸」は清いままで動きがなく、また「秋月」は天空に懸かったまま静止していないと隠棲の心情があらわせないと考えている。孟浩然と謝霊運とは、自分の心情の表現として自然描写における詩的感覚が同様であるとしても、描写された自然が動いているか静止しているかという点で、大きな違いがあるといえる。
謝霊運に学んでいるのは李白にもしばしばある。月が上がり落ちていく様子であり、舟を移動する、歩行している・・・・・。

答湖州迦葉司馬問白是何人 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -271

答湖州迦葉司馬問白是何人 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -271

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答湖州迦葉司馬問白是何人

青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。

 

青蓮(せいれん)居士(こじ)謫仙人(たくせんにん)、 酒肆(しゅし) 名を藏すること三十春(さんじゅうしゅん)。
湖州(こしゅう)の司馬 何ぞ問いを須いん、金粟(こんぞく)如來(にょらい)是れ身を後にす。

 

 

答湖州迦葉司馬問白是何人 現代語訳と訳註

(本文)
青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。

 

(下し文)

青蓮(せいれん)居士(こじ)謫仙人(たくせんにん)、 酒肆(しゅし) 名を藏すること三十春(さんじゅうしゅん)。
湖州(こしゅう)の司馬 何ぞ問いを須いん、金粟(こんぞく)如來(にょらい)是れ身を後にす。

 

(現代語訳)
湖州の迦葉司馬が「李白はどんな人物か」とたずねたのに答える。
仏教を勉強して青蓮居士と名乗り、道教を勉強して道士となり賀知章公から謫仙人と称せられた、酒場にて酒を飲むこと三十度春の新酒を飲んでおり、その名で蔵ができるほどだ。
湖州の司馬どのは、わざわざわたしに問われてなんとされるのか、金粟如来の生まれかわり、維摩居士こそ、このわたくしであるように、いい米が実ってくれれば、いいお酒ができるというもので、もっと本質を見る勉強をなされよ。

 

(訳注)
答湖州迦葉司馬問白是何人

湖州の迦葉司馬が「李白はどんな人物か」とたずねたのに答える。
湖州 現在の浙江省呉興。1981年、呉興県を廃止して湖州市に併せる。唐代には、湖州とも呉輿とも呼ばれていた。戦国時代の楚考烈王15年(紀元前248年)、楚国の春申君(楚の相の敬称)黄歇が封ぜられ城を築き、菰城と名付ける(菰が多い為)。下菰城とも。○迦葉司馬 -「迦葉」という姓の司馬。摩訶迦葉(まかかしょう)「頭陀第一」と讃えられる仏教教団の重鎮。釈迦亡き後の教団を指導した。釈迦の弟子中「迦葉」の名を持つ者は多く、また各々それなりに軽からざる人物である。例えば、成道前からの修行仲間にして最初の仏弟子の1人である十力迦葉。或いは、釈迦に随従することになる出家の弟子1250人の内、実にその1000人を率いてそっくり入信した迦葉3兄弟、即ち優楼頻螺(うるびんら)迦葉・伽耶(がや)迦葉・那提(なだい)迦葉 等。 しかしそれらの迦葉に比べても彼の功績はずば抜けて偉大である為、特にその名に「摩訶」(「大」の意)を冠して「摩訶迦葉」と呼び慣わす。ここの「迦葉」は、それを姓とする中国人は、インドからの帰化人を遠祖とするとされている。(宋、鄭樵『通志』巻二十九「諸方復姓」)。「司馬」 は、刺史・長史に次ぐ州の属官。科挙に及第したてで配属されていることが多い。この詩は、たずねたのが「迦葉司馬」という仏教を連想させる姓の役人だったので、結句において「金粟如來の後身」という仏教的な人間として自分を説明したもの。
 

青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
仏教を勉強して青蓮居士と名乗り、道教を勉強して道士となり賀知章公から謫仙人と称せられた、酒場にて酒を飲むこと三十度春の新酒を飲んでおり、その名で蔵ができるほどだ。
青蓮居士 李白の自称。李白の出身地が蜀の「青蓮郷」だったから、ともいわれるがそれだけでは李白に人間的深まりがなくなる。・「青蓮」は水蓮の一種。仏典では白蓮華、紅蓮華、青蓮華、黄蓮華があり、このうち青蓮華と黄蓮華がスイレンと言われている。仏典に頻出して、仏の眼に喩えられるものである。また、阿弥陀如来立像の蓮台というように仏像の台に出てくるようになる。・「居士」は、在家の仏教信徒。ここでは、釈迦の弟子維摩詰居士を連想した表現。○謫仙人 天上界から人間界に流涌(左遷)されてきた仙人。李白にとってきわめて重要な意味をもつ別称。 神仙にたとえられるような非凡な才能をもった人。道教からの評価、詩人としても最大の評価といえる。李白の詩才をほめて使っている。李白『對酒憶賀監其一』「長安一相見,呼我謫仙人。」(長安に 一たび相ひ見(まみ)え,我を謫仙人と呼ぶ。) 
○酒肆 酒を飲ませる店。酒場。李白『金陵酒肆留別』、『少年行』など。○ ここでは、収蔵し、とどめる、の意。酒を貯蔵する蔵と掛けて名を収蔵する酒に喩えて。○三十春 ただ、三十回春を迎えてきたというだけでなく、この句の初めの「酒」、「蔵」、「春」と言う意味から、この春には新豊の春の一番の酒を表している。酒を楽しむものの至福の時なのだ。王維『少年行』 「新豊の美酒 斗十千咸陽の遊侠 少年多し」、風雨』 李商隠など数多くの詩人が新豊の美酒を詠っている。李白の詩は、掘り下げれば、奥が深いものなのだ。それは、短い詩ばかり読んでいてはわからないことが多いということなのだ。

李白『楊叛兒



湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。
湖州の司馬どのは、わざわざわたしに問われてなんとされるのか、金粟如来の生まれかわり、維摩居士こそ、このわたくしであるように、いい米が実ってくれれば、いいお酒ができるというもので、もっと本質を見る勉強をなされよ。
何須 なんとなす。必要がない。・「不須」もちいずの類語。○金葉如来 - 維摩居士の前身。金菜如来がこの世に来化して維摩居士になったとされる。ここでは実った稲穂を指すものと思 われ、それによってうまい酒が作られることの比喩という意味を含む。○後身 生まれかわり。「前身」 の対語。仏教説話としては、「金栗如来の後身」は「維摩居士」 であり、いいお米の生まれ変わりはいいお酒なのだ。

 

解説

○韻字 人・春・身。


30年酒を飲んできたことの結論である。勉強しつつも今を喜び、今を楽しく生きていても自分のみに勉強の積重ねはなされているものだ。量から質への変化を成しているのであるから、見た目だけの判断、聞いてわかろうとするものではないということを教えたものである。自らの勉学の深さ、高さによって物事は見るものである。見てわからないから、聞いてわかろうとする、科挙及第間もない若者に教えたのであろうと思われる詩である。詩人は、苦労している、それも並みのものではない。苦労が多ければ多いほど、その一字一句が味わい深いものとなっている。



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宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350
宣城にて杜鵑の花を見る

754天宝十三年から、宜城に遊んだことは間違いない。宣城は金陵の南西に長江を登ったところにあり、この地は李白の思慕する六朝の斉の謝朓が太守をしていたところである。謝朓の遺跡を訪ねて、謝謝の追憶にふけりながら、ここでも多くの優れた作品を残している。


天宝十四載(755)になり、李白は宣城で二度目の春を迎えた。二十四歳で蜀を出てから(旅立ちの詩「眉山月歌 李白 2」)一度も郷里に帰ることのなかった。宣城の杜鵑(つつじ)の花をみて、故郷の春の盛りを思い出さずにはいられなかった。
 「杜鵑花」はつつじだが、「子規鳥」(ほととぎす)は別名を「杜鵑」(とけん)ともいい、古代の蜀王杜宇の化身とされているのだ。この詩は「不如帰去」(帰り去くに如かず)と望郷の想いで鳴いた声、吐いた血が赤いつつじの花になったという伝説に基づいている。


宣城見杜鵑花  李白
蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。

 

宣城にて 杜鵑花を見る
蜀國に 曾て聞く  子規(しき)の鳥,宣城に 還また 見る  杜鵑(とけん)の花。
一叫 一廻  腸(はらわた) 一斷,三春 三月 三巴(さんぱ)を 憶おもう。

杜鵑
ホトトギス
鳥  春の鳥 自然大博物館より

植物 
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秋の花 杜鵑花
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つつじは春。

皐月躑躅(さつきつつじ)」を 省略したもの。つつじの一種。 ・「杜鵑花」とも書く。 杜鵑花(ほととぎす)が鳴く頃に咲く花で あることから。 ・江戸時代から人気があって園芸化がすすみ、 現在、1500種ほどもあるらしい。
 

宣城見杜鵑花 現代語訳と訳註
(本文)

蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。


(下し文)

蜀國に 曾て聞く  子規(しき)の鳥,宣城に 還また 見る  杜鵑(とけん)の花。
一たび叫(な)くこと 一廻  腸(はらわた) 一斷を,三たび春すこと 三月 憶(こころ)の三巴(さんは)。


(現代語訳)

蜀の国にいた頃、かつて子規鳥(ホトトギス)を聞いたことがあったが。今宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見た。
一たび鳴けば、一回断腸の思いがして。春の三か月のうち季春の三月に、(故郷の蜀の国の)三巴の地域を思い出してしまう。



(訳注)
宣城見杜鵑花
 現・安徽省南部の宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見て故郷のことを思い出した。全対格で構成、また数字を有効に使っている。この詩の主旨は「今、宣城で杜鵑花(ツツジの花)を見て、昔、故郷で聞いた子規鳥(ホトトギス)のことを思い出した」ということである。その聯想のキーワードは【ホトトギス】。⇒「杜鵑花(ツツジの花)」と「子規鳥(ホトトギス)」のことである。「杜鵑」も「子規」もホトトギスのことで、そこから聯想された。・杜鵑花:ツツジの花。なお、「杜鵑」はホトトギスのことでもある。「子規鳥」とはホトトギスのことである。
 
 

蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
蜀の国にいた頃、かつて子規鳥(ホトトギス)を聞いたことがあったが。今宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見た。 
蜀國 現・四川省。また、現・四川省にあった三国時代の王国。蜀漢。ここでは李白の故郷の意として使われている。○曾聞 昔、聞いたことがある。かつて耳にした。 ○子規鳥 ホトトギス。

燕臺詩四首 其二-#1 現代語訳と訳註
(本文)其二-#1
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
(下し文)
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』


李商隠1錦瑟 詩注参照。
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。
(下し文)
錦瑟きんしつ端無はし なくも  五十弦ご じうげん,一弦いちげん一柱いっちゅう  華年かねんを思う。
莊生さうせいの曉夢ぎょう む は  蝴蝶こ ちょう に迷い,望帝ぼうていの春心しゅんしん は  杜鵑 と けん に托たくす。
滄海そうかい 月 明あきらかにして  珠たまに涙 有り,藍田らんでん 日ひ 暖かにして  玉は煙を 生ず。
此の情 追憶と成なるを 待つ可べけんや,
只 是れ 當時より  已すでに惘然ぼうぜん。

杜鵑花 (ツツジ)とは、「杜鵑(ホトトギス)の花」(鳴いて血を吐くホトトギスのように赤い花)の意で、そこから故郷の杜鵑(ホトトギス)ことを思い出した、ということ。 


一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。
一たび鳴けば、一回断腸の思いがして。春の三か月のうち季春の三月に、(故郷の蜀の国の)三巴の地域を思い出してしまう。
「一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴」と「一」や「三」のリズミカルな繰り返しで構成された詠いやすい詩句である。 
一叫 一たび鳴く。 ○一廻 一回。 ○腸 〔ちゃう〕はらわた。性に関する思い、もどかしさ。 ○腸斷 断腸の思いになる。妻との性交の思いを言う。断腸と春が繋がっている。 ○三春 春の三か月。陰暦の孟春(正月)、仲春(二月)、季春(三月)。三度の春。三年。 ○三月 〔さんぐゎつ〕陰暦・三月は季春で、春の最後の月。また、三ヶ月。 ○ 〔おく〕思い出す。忘れない。 ○三巴 現・四川省の東半分の郡名。後漢に置かれた巴・巴東・巴西の三郡の地域。ここでは、前出・「蜀國」とほぼ同意で、作者・李白の故郷の意として使われている。「巴」は四川省東部一帯を指す古名。巴の國に属する山といえは巫山があり、楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させる。李商隠 6 「重過聖女詞」(重ねて聖女詞を過ぎる)詩注参照。





() 國 曾  子規 鳥,



() 城 還  杜鵑 花。





()  一  腸一斷



()  三  憶三巴



こういう「お遊び」をたくさんしている李白の天才たる所以である。



 

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望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

日本人には「望廬山瀑布」として、この絶句の方が広く知られている。五言古詩「望廬山瀑布 二首其一」の要約篇七言絶句「望廬山瀑布水二首 其二」としている。李白は以下の詩でも同じ手法をとっている。
越女詞 五首 其一~其五の絶句五首を五言律詩「採連曲」にまとめ、五言絶句「淥水曲」 にしている。
また、雑言古詩「襄陽歌」を五言絶句「襄陽曲」其一~其四にしている。

■李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11



李白と道教48襄陽歌ⅰ 李白と道教48襄陽歌 ⅱ

李白と道教(7)襄陽曲49から52




望廬山瀑布水二首 其一
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。

飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。



日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず

遥かに看()る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂()かるを

飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺

疑うらくは是()れ  銀河の九天より落つるかと



絶句としてのきれいな対句

日照香炉紫煙遥看瀑布

飛流直下三千尺、疑是銀河落九天



五言絶句としても
香炉生紫煙、瀑布挂前川。
直下三千尺、銀河落九天。



四六駢儷文に読める
日照遥看 飛流疑是


香炉瀑布 直下銀河

紫煙

三千尺落九天




望廬山瀑布 二首其二 現代語訳と訳註

(本文)
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。


(下し文)
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
遥かに看(み)る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂(か)かるを
飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺
疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと


(現代語下し文)
香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる、遥か彼方に一筋の瀧  まるで向こうの川まで掛けた川。
飛び出す流れは直下して三千尺、まるで天から  銀河が落ちてくる。


 (現代語訳)
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。


(訳注)
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
○日照 日は白日、太陽のこと。○香炉 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。○紫煙 紫のかすみ。煙は、香炉の縁語。○瀑布 滝。○前川 向こうの川。別の本では長川となっているが、景色としては前川の方が奥深い。


飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。
○飛流 見上げる高い所から流れが飛び出してくる○銀河 天の川。○九天 中華思想で天地は九で区分される。地は九州、天は九天、その真ん中を示す語である。


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望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

日本人には「望廬山瀑布」として、この絶句の方が広く知られている。五言古詩「望廬山瀑布 二首其一」の要約篇七言絶句「望廬山瀑布水二首 其二」としている。李白は以下の詩でも同じ手法をとっている。
越女詞 五首 其一~其五の絶句五首を五言律詩「採連曲」にまとめ、五言絶句「淥水曲」 にしている。
また、雑言古詩「襄陽歌」を五言絶句「襄陽曲」其一~其四にしている。

■李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其二 李白13

越女詞五首其三 14其四 12-5其五

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

 

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李白と道教(7)襄陽曲49から52


 望廬山瀑布水二首 其一
西登香爐峰。南見瀑布水。』
挂流三百丈。噴壑數十里。
欻如飛電來。隱若白虹起。
初驚河漢落。半洒云天里。』
仰觀勢轉雄。壯哉造化功。
海風吹不斷。江月照還空。』
空中亂潀射。左右洗青壁。
飛珠散輕霞。流沫沸穹石。』
而我樂名山。對之心益閑。
無論漱瓊液。且得洗塵顏。
且諧宿所好。永愿辭人間。』

望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる、遥か彼方に一筋の瀧  まるで向こうの川まで掛けた川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。

飛び出す流れは直下して三千尺、まるで天から  銀河が落ちてくる。

日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
遥かに看(み)る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂(か)かるを
飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺
疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと


絶句としてのきれいな対句

日照香炉紫煙遥看瀑布

飛流直下三千尺、疑是銀河落九天

 

四六駢儷文に読める

日照遥看 飛流疑是

香炉瀑布 直下銀河

紫煙

三千尺落九天



nat0002

望廬山瀑布 二首其二 現代語訳と訳註
(本文)

日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。

(下し文)
日は香炉(こうろ)を照らして紫煙(しえん)を生ず
遥かに看(み)る  瀑布の前川(ぜんせん)を挂(か)かるを
飛流(ひりゅう)   直下(ちょっか)  三千尺
疑うらくは是(こ)れ  銀河の九天より落つるかと


(現代語下し文)
香炉峰に陽がさすと  紫の靄(もや)がわいてくる、遥か彼方に一筋の瀧  まるで向こうの川まで掛けた川。
飛び出す流れは直下して三千尺、まるで天から  銀河が落ちてくる。


 (現代語訳)
太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。


(訳注)
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。

太陽が香炉峰を照らしはじめると 光に映えて紫のかすみがわきあがってくる、この嶺の上から遥か彼方に一筋の瀧がみえる  まるで向こうの川まで掛けた川のようになってみえる。
日照 日は白日、太陽のこと。○香炉 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。○紫煙 紫のかすみ。煙は、香炉の縁語。○瀑布 滝。○前川 向こうの川。別の本では長川となっているが、景色としては前川の方が奥深い。


飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。
飛び出している流れが真下に落ちている 三千尺という長さだ。まるで大空の一番高い所から、天の川が落ちてくるのかと思えるのだ。
飛流 見上げる高い所から流れが飛び出してくる○銀河 天の川。○九天 中華思想で天地は九で区分される。地は九州、天は九天、その真ん中を示す語である。

望廬山五老峯 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -226

 

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望廬山五老峯 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -226

廬山は断層の運動によって地塊が周囲からせりあがった断層地塊山地であり、その中に川や谷、湖沼、峰など多様な相貌をもつ。中国における第四紀の氷河が形成した地形の典型とも評され、この観点からジオパーク(世界地質公園)に指定されている。主峰の漢陽峰(大漢陽峰)は海抜が1,474メートルであるが、その周囲には多数の峰がそびえ、その間に渓谷、断崖絶壁、瀑布、洞窟など複雑な地形が生じている。


 五老峰: 海抜1,436メートルの奇岩の峰。形が、五人の老人が座っているように見えることからきている。
 漢陽峰: ピラミッド状の形をした廬山の主峰で江西省最高峰。海抜1,474メートル。
 香炉峰: 白居易の詩の一節(「香炉峰の雪は簾を撥げて看る」)や『枕草子』への引用などで知られる。
 三畳泉: 落差155メートルの大きな滝。
 龍首崖: 空中に突き出した崖。明代の寺院・天池寺の跡地に近い。
 含鄱口: 五老峰と太乙峰の間の谷間。鄱陽湖に面しているため、湖からの水蒸気がここで霧となって峰々を覆い隠している。

望廬山五老峯
廬山東南五老峯,青天削出金芙蓉。
廬山の東南に五老峰がある、青空の中から金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようだ。 
九江秀色可攬結,吾將此地巣雲松。

長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見える。わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。


廬山の五老峰を望む

廬山東南 五老峯,青天 削り出だす 金芙蓉。

九江の秀色を 攬結(らんけつ)す可(べ)き,

吾(われ) 此(こ)の地を將(も)って 雲松に巣(すく)はん。



望廬山五老峯 現代語訳と訳註
(本文)

廬山東南五老峯,青天削出金芙蓉。
九江秀色可攬結,吾將此地巣雲松。

(下し文) 廬山の五老峰を望む
廬山 東南  五老峯,
青天 削り出だす  金芙蓉。
九江の秀色を  攬結(らんけつ)す可(べ)き,
吾(われ) 此(こ)の地を將(も)って  雲松に巣(すく)はん。


李白の足跡55

(現代語訳)
廬山の東南に五老峰がある、青空の中から金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようだ。 
長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見える。わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。


(訳注)
望廬山五老峰

廬山の東南部分の嶺。本来、山の麓側(陽湖側=東側)からの眺めによって呼ばれた嶺嶺。五つ六つの嶺の稜線が、恰も五人の老人が背を丸めて並んでいるようにも、肩を組んで並んでいるかのようにも見えることから呼ばれた。李白は五老峰の近くの山の中に太白書堂を建ててそこに隠棲しようとした。


廬山東南五老峰、青天削出金芙蓉。
廬山の東南に五老峰がある、青空の中から金色かがやく芙蓉の花を削り出したかのようだ。 
東南 廬山は山塊、山地といった山で、その山塊の東南部分が五老峰にあたる。○削出 彫り出す。 ○金芙蓉 金色に輝くハスの花。また、金色に輝く芙蓉の花。五老峰が陽光で黄金色に輝く。


九江秀色可攬結、吾將此地巣雲松。
長江の支流、分流である九江のすばらしい景色が手に取るように見える。わたしはこの地で浮き世を離れ、高い雲のかかった松に巣を作って隠棲しようと思う。
九江 北側の眼下にある尋陽(いまの江西省九江市)のあたりには、長江の九つの支流があつまって、廬山の北を流れる。現・九江市がある。 ・秀色 ひいでた景色。すぐれた景色。 ○攬結 刈り取った稲束のようにとりまとめる。とりあつめる。○ すくう。巣を作る。ここでは、隠棲するの意。 ○雲松 浮き世を離れ、雲のかかった背の高い松。


○押韻 峯、蓉。松。


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哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163

 
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哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163

李白の詩は時系列並べてみていかなければいけないものはほとんどない。李白の都における交友関係は酒中の八仙、飲中の八仙といわれる人々か、道教の関係者である。李白の方から知己を広げようとか、親密になろうと接近することはない。
 
この詩題の「哭晁卿衡も」754年の作である。晁衡とは阿倍仲麻呂であり、遣唐使の中で、唐王朝の高級官僚で秘書監となり、衡尉卿を兼ねていた。李白が朝廷にいた時に阿倍仲麻呂とどの程度の付き合いがあったのか全く資料は残っていない。役職上での接点はないし、個人的な接点のない。共通点は、李白も阿倍仲麻呂も①試験を及第して朝廷に入ったのではない。②どちらも有名人である。ある一時気について言えば、③天子の寵愛を受けていた。④抜群の文才がある。④権力者に媚びる性格はない。

 こういう点から見れば、足かけ三年実質二年の中で、文学について意気投合していてもおかしくはない。仲麻呂に詩の心得があるのに詩を交わしていないことからすれば、それほどの付き合いではないのであろうか。ちがう、仲麻呂は李白の詩才に驚愕したから、日本から持参した絹を贈ったのである。仲麻呂の使命は中国文化を吸収し、持ち帰ることにある。したがって、李白に積極的に接近していてもおかしくない。数少ないチャンスの中で贈り物をし、言葉をかわしたはずである。残念なことに李白が追放され、仲麻呂が帰国に際してすべきことは、李白との接触の痕跡を消すことであったはずである。

阿倍仲麻呂が帰国する前後の長安の主な出来事を示す。
752年天宝11載・11月宰相李林甫(65歳位)が病死、楊国忠、右相となる。18年間の圧制も今度は楊貴妃一族に取って代わる。
753年天宝12載・8月、長安に長雨あり、米穀騰貴す。
四隻の遣唐使帰国船団で、同船には、藤原清河がおり、別の船にはすでに視力を失った鑑真和上が乗っていた。出港に際して詠んだのが、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」であるとされている。沖縄のあたりで暴風雨に遭い、船は難破する。仲麻呂の船はベトナムに漂着する。
754年天宝13載この年、戸部郡県の戸口の数を奏して、唐代の極盛となすも、関中は大いに賑わう。

天宝十三年ごろは、李白は南方を放浪し、揚州(広陵)に遊び、ついで金陵(南京)・宜城などに遊んでいた。
この遊びの相手に仲麻呂がかつて李白に贈ったものを、友人の親方に贈り、日本の布で作った着物を着ているという詩が残されている。李白が仲麻呂に詩を贈り、お礼に日本の反物を李白に贈呈したのであろう。しかし、仲麻呂のほうには、李白に対する友情を示す何の資料も今は残っていない。
  

哭晁卿衡 
日本晁卿辞帝都、征帆一片繞蓬壺。
日本から来ていた晁卿どのは、帝都長安に別れを告げられた、帰途に立った帆一片は風をはらんで、蓬莱山をめぐって行ったのだろう。
明月不帰沈碧海、白雲愁色満蒼梧。
明月のように輝くあなたは 祖国の地にたどりつけないで仙人の住む海に沈んでしまった、白雲は悲しみの色に染まり、舜帝が巡航し没した蒼梧の地に惜しむ聲が満々ているのだ。


日本から来ていた晁卿どのは、帝都長安に別れを告げられた、帰途に立った帆一片は風をはらんで、蓬莱山をめぐって行ったのだろう。
明月のように輝くあなたは 祖国の地にたどりつけないで仙人の住む海に沈んでしまった、白雲は悲しみの色に染まり、舜帝が巡航し没した蒼梧の地に惜しむ聲が満々ているのだ。




晁卿衡を哭す
日本の晁卿(ちょうけい)  帝都を辞し
征帆(せいはん)  一片  蓬壺(ほうこ)を繞(めぐ)る
明月は帰らず   碧海(へきかい)に沈み
白雲  愁色(しゅうしょく)  蒼梧(そうご)に満つ




日本晁卿辞帝都、征帆一片繞蓬壺。
日本から来ていた晁卿どのは、帝都長安に別れを告げられた、帰途に立った帆一片は風をはらんで、蓬莱山をめぐって行ったのだろう。
○帝都 都、長安。○征帆 向かう方向に帆をあげたことをいう。○蓬壺 東海の仙人の住む島、蓬莱、方丈、瀛州のうちの一つ。


明月不帰沈碧海、白雲愁色満蒼梧。
明月のように輝くあなたは 祖国の地にたどりつけないで仙人の住む海に沈んでしまった、白雲は悲しみの色に染まり、舜帝が巡航し没した蒼梧の地に惜しむ聲が満々ているのだ。
碧海 仙人の島にむかうまでの間の海を言う。○蒼梧 舜帝が巡航し没したといわれる中国東南(現広東省の海岸線)の地方名。

清平調詞 三首 其三 李白  :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

清平調詞 三首 其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

清平調詞其三 
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。


名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。


清平調詞 其の三
名花 傾国両つながら相い歓ぶ
長えに 君王の 笑いを帯びて看るを得たり
解釈す 春風無限の恨み
沈香亭北 閲千に侍る


その三。
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、
北方有佳人,
絶世而獨立。
一顧傾人城,
再顧傾人國。
寧不知傾城與傾國,
佳人難再得。
「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。
白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。○君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。



解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。
解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 ○春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。○沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。〇  身をもたせる。よりかかる。
長安城郭015


韻   歓、看、干。
宮島(3)



親友の杜甫も、「李十二日に寄せる、二十韻」
昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

に、「筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神か泣かしむ」といい、かの賀知章が「烏夜噂」を嘆賞して「鬼神を泣かしむ」といったことを含みつつ、李白の詩を激賞している。そして、「文采は殊寵を承け、流伝すれば必ず絶倫たり」といって、天子の「殊寵を承け」たことを歌っている。真実を歌う杜甫のごとき人がいうほどだから、玄宗の特別の寵愛があったことは確かであろう

清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白161

一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白155

側近の宦官、高力士は、かつて宴席で李白の靴を脱がせられたことを恨みに思い、この第二首に前漢の成帝の皇后趨飛燕が歌われていることを理由として(第二首の語釈参照)、李白のことを貴妃に議言し、李白の登用に強く反対させたため、玄宗もついに断念することになった。(趙飛燕は漢代随一の美人とされるが、後年、王葬に弾劾されて庶民となり、自殺している。それを太真妃になぞらえたということが、彼女の怒りを買ったのである)。李白がなぜ楊貴妃とタイプが違い、何よりも権力の掌握度が圧倒的に違っていたし、姉妹で皇帝に寵愛された趙飛燕を喩えにとったかは理解できないが、残っている資料は支配者側のものでしかない。事実はあったかもしれないが宮廷を追われるほどのものかどうか疑問が残る点である。
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清平調詞三首 其一 
云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。


清平調詞 三首 其二 
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 
一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

清平調詞其三 
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。

長安城漢唐清平調詞 三首其の一
雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う,露華濃やかなり
若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん

其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。
 

清平調詞 其の三
名花 傾国両つながら相い歓ぶ,長えに 君王の 笑いを帯びて看るを得たり
解釈す 春風無限の恨み,沈香亭北 閲千に侍る
玄武門
『清平調詞 三首 其二』 現代語訳と訳註
(本文)

清平調詞 三首 其二
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。

(下し文)

其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。

(現代語訳)

一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

(訳注)

清平調詞 三首
宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。開元中、玄宗は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、玄宗は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。七言絶句、清平調詞三首である。


一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 
一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を井す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
  いたずらに、甲斐もなく。
○断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。


借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。
借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。


○韻  香、腸、粧。


 いづれも宮中の妃妾の美しさを、さながらの如く描き出しているが、宮中行樂詞八首 其二、ここでも其二に漢の成帝の寵した趙飛燕の名が見えているのは注意すべきである。
李白の天才はこれらのことによって余すところなく示されたが、この詩の内容は、君主の前に酔を帯びて出ることとあわせ、失態であることはいうまでもなく、彼が永く宮廷詩人の地位を占め得ないであらうことは、これらの記事によって予知し得ることであった。
唐長安城図00続きを読む

清平調詞 三首 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白160/350

 
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清平調詞 三首 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白160/350
 
宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。
開元中、天子は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、天子は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。
ここでは七言絶句、清平調詞三首をとりあげる。
宮島(3)


清平調詞三首 其一 
云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。


容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。



清平調詞 三首其の一
雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う
露華濃やかなり
若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん

宮島(5)

云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。○衣裳 衣装はあでやかさを示す。○(宮殿の)欄干、手すり。○露華 露は性交を示唆する。後宮での夜の華やかな閨のいとなみを示している。


若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。
群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山。○瑤台 五色の玉で作った高台。神仙の住むという土地。


○韻 容、濃、逢。
宮島(4)

送賀賓客帰越 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

「送賀賓客帰越」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137

李白 賀知章の思い出(4) 李白137 
 
送賀賓客帰越       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。

越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。


天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。



賀賓客が越に帰るを送る
鏡湖(きょうこ) 流水 清波(せいは)を漾(ただよ)わし
狂客(きょうかく)の帰舟(きしゅう) 逸興(いつきょう)多し
山陰(さんいん)の道士 如(も)し相(あい)見れば
応(まさ)に黄庭(こうてい)を写して白鵝(はくが)に換うべし



鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○この句「鏡湖流水漾清波」は、次の句の帰舟にかかっている。  ○狂客帰舟逸興多 ・賀知章:659年~744年(天寶三年)盛唐の詩人。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人。字は季真。則天武后の代に進士に及第して、国子監、秘書監などになった。・狂客:奇抜な振る舞いをする文人。また、軽はずみな人。常軌を逸した人。狂草で有名な張旭と交わり、草書も得意としていた。酒を好み、酒席で感興の趣くままに詩文を作り、紙のあるに任せて大書したことから、杜甫の詩『飲中八仙歌』では八仙の筆頭に挙げられている賀知章の自号は「四明狂客」で、ここでは彼を指す。 ・賀季真:賀知章を字で呼ぶ。親しい友人からの呼びかけになる。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを見ないと心が貧しくなるという人もいた。則天武后の時、官吏の試験に合格して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。、また秘書監の役にもなった。しかし、晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。これは、李林甫と宦官たちの悪政に対し、数少ない抗議をする役割を借ってもいたのだ。竹林の七賢人の役割を意識してのものであった。政治的な抵抗は、「死」を意味する時代であった。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。


山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
越の会稽地方の道士にきっと出会うと思う、そうしたら、ちょうどよい。立派な黄庭経を書き写して白鵝(あひる)と換えることに応じたらよいのです。
山陰 浙江省紹興市、会稽山あたりのこと。○道士 道教の本山が近くにあって、賀知章も道士であった。道教の熱心な地域である。○黄庭 王羲之の書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名である。他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などが見られるが、そのうちの『黄庭経』を書いてもらうためにこの地の道士たちが、王羲之が大変好きであった、白鵝(あひる)をたくさん送って書いてもらったことに基づく。賀知章も文字が上手だったので、「黄庭経」を書いて白鵝を貰うといいよ。 賀知章を王羲之に見立てて面白いことが起こるという。

晋の書家。王羲之(最高峰の書家)は当時から非常に有名だったので、その書はなかなか手に入れるのが困難であった。山陰(いまの浙江省紹興県)にいた一人の道士は、王羲之が白い鵞鳥を好んで飼うことを知り、一群の鵞をおくって「黄庭経」を書かせた。その故事をふまえで、この詩では山陰の故郷に帰る賀知章を、王義之になぞらえている。


 天宝二年(743)の十二月、賀知章は八十六歳の高齢でもあり、病気がちでもあったので、道士になって郷里に帰ることを願い出て許された。翌天宝三載(この年から年を載というように改められた)の正月五日に、左右相以下の卿大夫(けいたいふ)が長楽坡で賀知章を送別し、李白も詩を贈っている。
 賀知章がこんなに早くなくなるとはだれも思っていなかった。故郷に帰ってすぐなくなったわけであるから。




 この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
  王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。
 会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
 354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

内別赴徴 三首 其三 :李白

内別赴徴 三首 其三:李白124
この詩は蜀にいる女性のため未詠ったのだろうか
 
其三
翡翠為樓金作梯、誰人獨宿倚門啼。
翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
夜坐寒燈連曉月、行行淚盡楚關西。

夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。


翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。



翡翠(ひすい) 楼と為(な)し 金 梯(てい)と作すとも
誰人(だれひと)か独宿して  門に倚(よ)りて啼(な)く
夜泣きて寒燈(かんとう)  暁月(ぎょうげつ)に連なり
行行(こうこう)涙は尽く  楚関(そかん)の西



翡翠為樓金作梯、誰人獨宿倚門啼。

翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
翡翠 後宮の飾りに使われるもの。○ 楼閣。 ○金作梯 楼閣に上がる階段の手すりなどの飾りを金で作る。 ○誰人 後宮で待つ宮妓をさしながら、李白、李白を待つ妻をさす。 ○獨宿 李白とその妻。 ○倚門啼 それぞれにそれぞれの角先で啼く。
後宮の女の人でも待ち続け、啼いているのだ。


夜坐寒燈連曉月、行行淚盡楚關西。
夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。
寒燈 一人で蝋燭をつけることをいう。旅人の一人寝の場合に使われることが多い。 ○連曉月 月が出てから明け方まで続いていることを表現している。 ○行行 行動の継続を意味する。 ○楚關西 楚の関所の西の位置。地図で示す通り襄陽のあたりがその中心で、南陵あたりは、越というのが李白の表現ではあるが。
戦国時代勢力図

 三首の詩の中で一首目の場所を示すものとして、吳關、三首目に楚關西と場所が違う。楚の関所の西ということであれば、李白は巴という言い方をしている。はたして、巴の女ということか。それとも襄陽、安陸の人か。南陵であってもおかしくはない。
李白は何人かいる女性のそれぞれの別れに対してそれぞれ誰にも会う別れの詩を詠ったのではなかろうか。場所の特定をしないで関所を示している。これだと、どこの女性も自分のことと思うのではなかろうか。
いずれにしても、この詩は、留守中の妻のことを思ってのものであるが、李白自身も、妻同様やはり寂しい思いに駆られ涙したのであろう。

三国鼎立時代の勢力図


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内別赴徴 三首 其二  李白

内別赴徴 三首 其二李白123

この詩は、妻に出立のときの心意気を示したものである。
一般的にこの詩の解釈として、“妻子のいつ帰ってくるかという問いに対して、「大臣・大将の位になって帰ってきたら、少しは丁重に出迎えてくれよ」といって、その心意気を示すとともに、やや妻に向かってからかっているかのごとくでもある“というものであるが私は違うと思う。女子の文盲率の高かった時代、故事の喩はその説明を詳しくしてあげないといけないわけで、妻子を題材にしていても妻に対しての詩ではないのである。では誰に対しての詩か、それは男社会に対して、「俺はこんな風に妻との別れをしたのだよ」というものである。それを踏まえて読んでみる。


其二
出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。

そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出ずれば妻子は強いて衣を牽き
我に問う西のかたに行きておおよそ日いつ帰るかと
歸り来たる時儻もし黄金の印を佩びなん
蘇秦 機より下らざるを学ぶ莫かれ


出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
西行 都、長安のこと。 ○ 凡と同じ。おおよその意。


歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。
 ひいでる。もし、もしくは。ほしいままにする。ここは、もしの意味とする。○ 帯に付ける冠位を示すかざりをつけることをいう ○黄金印 諸侯・丞相・大将が佩びる印。戦国の世に蘇秦が錦を着て故郷へ帰り、「 我をして負廓の田二頃あらしめば豈に六国の相印を佩んや」 といって威張ったという話があるが、 立身出世して六国の相印を佩びる  ○蘇秦不下機 『戦国策』「秦策」にある故事で、「戦国時代、蘇秦が、秦王に説くこと十回に及ぶも、その説が行なわれぬため、家に帰る。家に帰れば、妻は怒って紐より下らず、煙は炊をなさず、父母はともに言わずであった」という。
ここでは「蘇秦の妻のようなことをしてくれるな」とたしなめた。


蘇秦は、秦に対抗する諸国同盟を説いて歩いて成功し、故郷に錦を飾ったわけであるが、これを蘇秦の積極的説得型とすると「内別赴徴 三首 其一」では諸葛孔明が無名の時、劉備が三度も草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うたとされる、「三顧の礼」を受けた待ち受け型、二つを意識して李白は使っている。 






蘇秦について史記にあるが、ウィキペディアの記述を抜粋しのを紹介してこの詩を見てほしい。

蘇 秦(そ しん、? - 紀元前317年?)は、中国戦国時代の弁論家。張儀と並んで縦横家の代表人物であり、諸国を遊説して合従を成立させたとされる。蘇代の兄。洛陽の人。斉に行き、張儀と共に鬼谷に縦横の術を学んだ。
『史記』蘇秦列伝における事跡である。

数年間諸国を放浪し、困窮して帰郷した所を親族に嘲笑され、発奮して相手を説得する方法を作り出した。最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。
 
その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる『鶏口となるも牛後となることなかれ』という言辞を述べた。
 
趙に帰った後、粛侯から武安君に封じられ、同盟の約定書を秦に送った。以後、秦は15年に渡って東に侵攻しなかった。蘇秦の方針は秦以外の国を同盟させ、それによって強国である秦の進出を押さえ込もうとするもので、それらの国が南北に縦に並んでいることから合従説と呼ばれた。
 
合従を成立させた蘇秦は故郷に帰ったが、彼の行列に諸侯それぞれが使者を出して見送り、さながら王者のようであった。これを聞いて周王も道を掃き清めて出迎え、郊外まで人を出して迎えた。故郷の親戚たちは恐れて顔も上げない様であった。彼は「もし自分にわずかの土地でもあれば、今のように宰相の印を持つことができたろうか」と言い、親族・友人らに多額の金銭を分け与えた。
 
李白のこの詩を理解するためにはここまでにするが、ウィキペディアには李白の時代と現代では蘇秦に対する事跡は異なるようだ。以下ウィキペディアを参照。

内別赴徴三首 其一  李白

内別赴徴 三首 其一李白122


 現代でも、並外れた、天才人間は、並みの考えは当てはまらない。タイガーウッズ、など枚挙にいとまがないほどだ。まして千三百年も前の時代儒教者、仏教徒、極めた人以外、女性について、愛情をもって接するとか、家族を大切にとかを前面に出すのは極めてまれなことであった。
 女性が芸妓、妾、かこわれ者、口減らし、というのが普通に存在する時代である。現代の倫理観で李白の詩を読むと間違いを起こしやすい。

 妻子があっても、旅に出る一旗揚げて帰るものもいれば、そのまま帰らないというのも大いにあった。くどいようだが、時代が違うのである。
 天才詩人、李白は、儒教的考え方に立たなければという前提条件をおいてみれば、思想的にもしっかりしているのではないだろうか。

 家族への愛情がないわけではなく、妻に対する愛情がないわけではないのだ。ただ、謫仙人にとって家族、妻子は一番難しい詩の題材であったのだ。現代の見方、儒教的な見方からすれば、冗談か、ふざけているのかと間違われることの多い詩である。



別內赴徵三首
其一
王命三徵去未還、明朝離別出吳關。 
勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
白玉高樓看不見、相思須上望夫山。
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ

勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ


王命三たび徴す  去らば未だ還(かえ)らざらん
明朝離別して呉関(ごかん)を出(い)ず
白玉(はくぎょく)高楼 看(み)れども見えず
相思(そうし)  須(すべか)らく上るべし望夫山


王命三徵去未還。 明朝離別出吳關。
勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
王命 勅令 ○三徵 諸葛孔明が名のないころ劉備が三度草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うた、三顧の礼をもじったものであろう。 ○吳關 唐朝は統一国家を形成していた、ここでは三国時代の呉と魏の国境を示すもので李白は南京を経て運河を北上し黄河を西に上ったのである。
三国鼎立時代の勢力図
 


白玉高樓看不見、相思須上望夫山。
白玉(はくぎょく)高楼 看(み)れども見えず
相思(そうし)  須(すべか)らく上るべし望夫山
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ

白玉 白く輝く玉飾り。白と黄金は宮殿にだけ使用されたもので、宮殿をあらわす。白玉は大理石である。謝朓、李白、「玉階怨」のきざはしに使用されている。大理石のきざはしは宮妓を示す語である。李白は都での女性関係はないよとでも言いたかったのであろう。○望夫山 中国各地にある。府兵制で夫が辺地に出征するのが義務であった。どこの家で、働き手は女であった。夫の帰りを待ち望み、やがて、女性は石に変わっていた。そういう山が全国に存在した。

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李白55 贈内
三百六十日,日日醉如泥。
雖爲李白婦,何異太常妻。
内(つま)に 贈る
一年、三百 六十日,毎日 べろんべろんに酔っている。
〝李白"の妻とは名ばかりで,あの太常の妻と同じだということ。

贈汪倫  李白 115

贈汪倫  李白115

贈汪倫
李白乗舟將欲行、忽聞岸上踏歌聲。
李白が舟に乗って出発しょうとした時、ふと聞えてきた岸の上の歌ごえ。
見れば汪倫が村人たちと手をつなぎ、足ぶみしながら歌をうたって見送ってくれている。

桃花潭水深千尺、不及汪倫送我情

いま舟がゆく桃花澤のふちの水は、深さが千尺。その深さも、荘倫がわたしを見おくってくれる情の深さにはとても及ばない。

李白が舟に乗って出発しょうとした時、ふと聞えてきた岸の上の歌ごえ。
見れば汪倫が村人たちと手をつなぎ、足ぶみしながら歌をうたって見送ってくれている。
いま舟がゆく桃花澤のふちの水は、深さが千尺。その深さも、荘倫がわたしを見おくってくれる情の深さにはとても及ばない。


汪倫に贈る
李白舟に乗って 将に行かんと欲す、忽ち聞く 岸上踏歌の声。
桃花潭水 深さ千尺、及ばず汪倫が我を送る情に。


贈汪倫

○汪倫 李白が安徽省㷀涇県の南西にある桃花潭というところに遊んだとき、附近の村に汪倫という男がいた。いつもうまい酒をつくっては李白を招待した。李白はこの地を去るに臨んで、見送りに来た汪倫に感謝して、この詩を贈った。宋蜀本の題した注に「倫の裔孫、今に至るもその詩を宝とす。」とある。


李白乗舟將欲行、忽聞岸上踏歌聲。

李白が舟に乗って出発しょうとした時、ふと聞えてきた岸の上の歌ごえ。
見れば汪倫が村人たちと手をつなぎ、足ぶみしながら歌をうたって見送ってくれている。

踏歌 手をつなぎあい足でリズムをとって歩きながらうたう歌。


桃花潭水深千尺、不及汪倫送我情。
いま舟がゆく桃花澤のふちの水は、深さが千尺。その深さも、荘倫がわたしを見おくってくれる情の深さにはとても及ばない。
桃花潭 現在安徽省涇県の桃花潭という  潭(ふち)の名の名所。

李白 92 山中答俗人

李白 92 山中答俗人
七言絶句 (山中問答)

山中答俗人
問余何意棲碧山,笑而不答心自閑。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
桃花流水杳然去,別有天地非人間。

「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。


わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。


山中答俗人
余に問ふ 何の意ありてか  碧山に棲むと,
笑って 答へず  心 自(おのづか)ら 閑なり。
桃花 流水  杳然と 去る,
別に 天地の  人間(じんかん)に 非ざる 有り。


山中答俗人
山に入って脱俗的な生活をするということに対する当時の文化人の姿勢が窺われる。陶淵明の生活などに対する憧れのようなものがあることを古来よりの問答形式をとっていること、具体的に転句結句の「桃花流水杳然去」である。

問余何意棲碧山、笑而不答心自閑。
わたしに尋ねた人がいる「どんな気持ちで、緑深い山奥に住んでいるのか」と。わたしはただ笑って答えはしないが、心は自ずとのどかでしずかでのんびりしている。
  ・何意  どういう訳で。なぜ。 ・棲  すむ。本来は、鳥のすみか。 ・碧山 :緑の色濃い山奥。白兆山、湖北省安陸県にあり、李白は嘗てここで過ごしたことがある実在の山をあげる解説も多いが、ここでは具体的な場所と見ない方がよい。 ・棲碧山 隠遁生活をすること。この語もって、湖北の安陸にある白兆山に住むとするとされるが、「隠遁生活をする」ことにあこがれを持ち

李白 84 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰
の詩で見るように結婚をして住んだ形跡があるものの、間もなくこの地から旅立って、他の地で隠遁している。李白の神仙思想から言ってもここは一般的な場所と考えるべきである ・笑而 笑って…(する)。 ・不答 返事をしない。返事の答えはしないものの、詩の後半が答の思いとなっている。 ・自閑 自ずと落ち着いている。自閑は隠遁者の基本中の基本である。おのずと静かでのんびりすること、尋ねられても答えない、会いに行ってもあえないというのが基本である。

桃花流水杳然去、別有天地非人間。
「桃花源」の花びらははるか彼方に流れ去っていく、そこにこそ別の世界があるのであり、俗世間とは異なる別天地なのだ。 
桃花 モモの花。ここでは、モモの花びら。「桃花」は陶淵明の『桃花源記』や『桃花源詩』を聯想させるための語句である。 ・流水 流れゆく川の流れ。 ・杳然 ようぜん はるかなさま。 ・ さる。 ・別有天地 別な所に世界がある。 ・非人間 俗世間とは違う。この浮き世とは違う世の中。 ・人間 じんかん 俗世間。


○韻 山、閑、間。   この詩は、陶淵明の詩のイメージを借りつつも陶淵明を李白自身が乗り越えたことを示す作品と解釈する。


道教は老荘の学説と、神仙説と、天師道との三種の要素が混合して成立した宗致である。老荘の教は周知の如く、孔子孟子の儒教に対する反動思想として起ったものである。
これは仁義・礼節によって修身冶平天下を計る儒教への反動として、虚静、人為的な工作を避け天地の常道に則った生活によって、理想社会の出現を期待する。特に神仙説は、より具体的な形、東方の海上に存在する三神山(瀛州、方壷、蓬莱)ならびに西方極遠の地に存在する西王母の国を現在する理想国とした。ここには神仙が居住し、耕さず努めず、気を吸ひ、霞を食べ、仙薬を服し、金丹を煉(ね)って、身を養って不老長生である、闘争もなければ犯法者もない。かかる神仙との交通によって、同じく神仙と化し延寿を計り得るのであって、これ以外には施すべき手段はなく、これ以外の地上の営みはすべて徒為(むだ)であるとなすに至る。これらのことは、詩人の詩に多く取り上げられた。
徳に李白は若い時ほど、神仙思想にあこがれ、いんとんせいかつにあこがれてきた。



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李白 91 山中與幽人對酌

李白 91 山中與幽人對酌
七言絶句

山中與幽人對酌
兩人對酌山花開。 一杯一杯復一杯。
山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
我醉欲眠卿且去。 明朝有意抱琴來。

わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。


山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。


山中にて 幽人と對酌
兩人 對酌すれば  山花 開く,一杯一杯  復(ま)た 一杯。
我 醉って眠らんと欲す  卿(きみ)且(しば)らく 去れ,
明朝 意有れば  琴を 抱いて來たれ。

山中與幽人對酌
山中で隠者と差し向かいで酒をくみかわす

兩人對酌山花開。一杯一杯復一杯。
山中で隠者と差し向かいで酒を飲む。二人が差し向かいで酒を飲んでいたら、まわりには山の花が微笑んでくれる。
 ・山中 山奥に。 ・幽人 世を遁れた人。隠者。隠棲している人。 ・對酌 差し向かいで酒を飲む。『山中對酌』ともする。 ・ 咲く。擬人的に微笑むという感じ。 ・兩人 二人。 ・山花 山中に咲く花。 

一杯一杯、また一杯と(繰り返した)。 ・一杯一杯 酒を飲む動作が繰り返される表現。 ・ くりかえす。ふたたびする。また。ふたたび。

我醉欲眠卿且去、明朝有意抱琴來。
わたしは酔ってしまって眠むたくなってしまった。君は適当なところで勝手に帰っていいよ。明日の朝に、そのきがあったら、琴を持ってまた来てください。
我醉 わたしは酔った。 ・ …たい。…としようとする。 ・ ねむる。 ・ きみ。人の尊称。 ・ しばし。しばらく。短時間をいう。てきとうなところで、かってなときに、 ・去:さる。 私をほったらかしにしといていいよ。 ・明朝 明日の朝。 ・有意 意志がある。 ・抱琴 琴をかかえる。琴は古代より隠者を象徴するものでもある。隠者は弦のない琴を肴に酒を飲んだ。酒を抱えてきてくれと解釈する。 ・ 来る。

・韻 開、杯、來。

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15

黄鶴樓送孟浩然之廣陵 李白15 

安陸・南陽・嚢陽 李白00

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。


魏太尉承班二首


『黄鶴樓送孟浩然之廣陵』 現代語訳と訳註
(本文)
黄鶴樓送孟浩然之廣陵
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。


(下し文)
(黄鶴樓にて孟浩然が廣陵に之くを送る)
故人 西のかた黄鶴楼を辞し、烟花 三月 揚州に下る。
孤帆 遠く影し 碧空に尽き、唯見る 長江の天際に流るるを。

(現代語訳)

(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。

(訳注)

黄鶴樓送孟浩然之廣陵
(黄鶴楼で、孟浩然が広陵にゆくのを見送る。)

黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。

黄鶴伝説 『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
孟浩然 盛唐の詩人。689-740。李白より11歳ほど年長の友人。襄陽(湖北省襄樊市)の出身。王維・韋応物・柳宗元と並んで、唐代の代表的な自然詩人とされる。
広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。この詩は、李白二十八歳の作とする。通説であるが、異説もある。


故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
わたしに親しき友がいる、街の西方、黄鶴楼に別れをつげ、春がすみに牡丹咲き誇る三月、揚州へと下って行った。
故人 以前からの、親しい友人。
辞 別れをつげる。辞去する。
烟花三月 烟は煙。春かすみにつつまれ燃えるような牡丹の花々の咲き誇る三月。
揚州 大運河が長江と交わる交通の要所。唐代では江南随一の繁華をきわめたところ。

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。
一槽の帆かけ舟、遠ざかりゆく帆影は、ぬけるような青空に吸われて消えてしまった。ただわが目に映るのは、天空に果てしなくつづく長江の流れだけだ。
弧帆 一つだけの帆影。
○碧空-碧玉のように青い空。
天際 天空の果て。

○韻字  楼・州・流

宮島(3)

黄鶴伝説
『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。


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