漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

人生生き方

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598

(殷末周初・箕子)《麥秀歌》 麦の穂は、ずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。

2013年6月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598



麥秀歌  (殷末周初・箕子)
(麥秀の歌)
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
彼狡僮兮,不與我好兮。

この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。

麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


『麥秀歌』 現代語訳と訳註
DCF00106(本文)
麥秀歌
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
彼狡僮兮,不與我好兮。


(下し文)
麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


(現代語訳)
(麥秀の歌)
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。


(訳注)
麥秀歌

麦秀歌 『史記・宋微子世家第八』に、周の武王が笑子を朝鮮に封じた。箕子は紂王の親戚で、かつて紂の暴虐を諌めたが、聴かれなかった。後周に朝する時、殷の廃墟を過ぎ、禾黍の生ぜるを傷んだが、今は周の代であるから声をあげて泣くこともできず、麦秀の歌を作ったとある。尚書大伝には、これを紂の庶兄微子の作としてある。
『史記・宋微子世家第八』に、歌とともに載っている。「其後箕子朝周,過故殷虚(墟),感宮室毀壞,生禾黍,箕子傷之,欲哭則不可,欲泣爲其近婦人,乃作麥秀之詩以歌詠之。…殷民聞之,皆爲流涕。」となっている。最古の歌の一。なお、これと同じモチーフのものに、『詩經』王風『黍離』がある。「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」 『黍離』は、西周の武王の都であった鎬京が、廃墟となってキビが生い茂るさまを見て、亡国の悲嘆に耽っている詩。こちらは有名で、豪放詞でしばしば引用されている。なお、この第三句に似た詩が『詩經・鄭風』の『狡童』に「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。 彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」とある。
箕子:殷の紂王の同母の庶兄になる。殷が滅んだ後、周の武王に赦されて、周に仕えた。


麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
麥秀:麦の穂。麦の穂がみのる。普通、後者にとるが、後の句との続き具合から見ると、前者の意ではないのか。・秀:動詞:しげる。(花やイネが)咲く。
漸漸:麦ののぎのさま。麦の秀でるさま。・兮:語調を整える虚辞。取り立てた意味はない。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。「…て、」。上代詩によく見られる。
禾黍:イネとキビ。イネやキビ。ここは後者。 
油:うるわしく盛んに生えてる。つやつやした。生き生きした。


彼狡僮兮,不與我好兮。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。
:あの。かの。 
狡僮:悪童。ずるがしこいやつ。殷の紂王のことをいう。『史記・宋微子世家第八』本文の記述で「所謂狡童者,紂也。」とある。・狡:わるがしこい。ずるい。はしこい。・僮:こども。わらは。
不與:…と。…と…いっしょに…する。 ・我:わたし(と)。・好:よい。 

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3> 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558

魏武帝《短歌行》#3 東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 


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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3>  古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

泰山の道観

















『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
菖蒲03越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


(下し文) #3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


(現代語訳)
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


(訳注) #3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
・陌:道。田の東西に通じるあぜみち。=陌阡。 
・阡:道。南北に通じるあぜみち。
・枉:まげて。・用:もって。 
・相存:ねぎらう。見舞う。あい問う。 
・存:問う。見舞う。ねぎらう。


契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
・契闊:久闊を叙する。久しぶりでお目にかかる。ひさしぶり。ぶさた。堅い契りを結ぶ。離れることと合うことと。離合。
・談讌:語らいながら酒盛りをする。・讌:さかもり。≒宴。
・舊恩:旧誼。


月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
・烏鵲:カササギ。


繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
・匝:めぐる。めぐり。


山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。


周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。
・周公:周公旦のこと。古代の聖人。周の文王の子で、武王の弟になる。武王の子の成王を補佐して、人材の発掘に努め、制度、礼楽を定めて、周王朝の基礎を固めた。人材の登用を重視して、高い位に在るにも拘わらずに、一回の洗髪を三度中断したり、一回の食事を三度中断してまでして賢士の来客に面会した。 
・吐哺:食べかけで口に含んでいる食物を吐き出して(までして、人物の来訪に会った)故事をいう。食事を中断してまでして、来客に面会したことをいう。『史記・魯周公世家第三』に「周公戒伯禽曰:『我文王之子,武王之弟,成王之叔父,我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮;一飯三吐哺,起以待士,猶恐失天下之賢人。子之魯,慎無以國驕人。』」とある。

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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性上川主武元衡相國二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-202-68-#62  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2557
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2>  古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
kagaribi00但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#2
但為君故、沈吟至今。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
明明如月、何時可採。
憂従中來、不可断絶。


(下し文) #2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。


(現代語訳)
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。


(訳注) #2
満月003但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。


呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
 ・呦呦:鹿の鳴き声。擬声語。『詩經』に出てくる。「小雅・鹿鳴」「呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我行周。」が一解となり、「呦呦鹿鳴,食野之蒿。…」「呦呦鹿鳴,食野之。…」として、「呦呦鹿鳴,食野之…」を繰り返して、使っている。「呦呦鹿鳴,食野之苹」に同じ。前記『詩經』では解が移るとともに「苹」(ヨモギ)、「蒿」(クサヨモギ)、「」(アシ)とシカの食べるものが変わっていく。蛇足だが『三國演義』では、「食野之苹」を「食野之萍」としているものの、「萍」はウキクサなので、少し苦しい。


我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
・嘉賓:曹操が天下平定のために人材を広く集め、賢士を招いたことをに基づく。


明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
・輟:やめる。とどめる。とどまる。中途でちょっととどまること。≒とする。 ・:とる。拾い取る。ここは、仮に「優れた人材」を拾い取る、としたが、前後の続き具合や、彼の歴史的存在から多様に読みとれる。


憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

魏武帝 《 短歌行 》 酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 

2013年6月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#2>713 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2549
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集海棕行 楽府(七言歌行) 成都6-(20) 杜甫 <482-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2550 杜甫詩1000-482-#2-704/1500
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1>  古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548


三国時代(さんごくじだい)は中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)から[要出典]、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。黄巾の乱(こうきんのらん、中国語:黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。「黄巾の乱」は後漢が衰退し三国時代に移る一つの契機となった。


建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   


短歌行   曹操
#1
対酒当歌  人生幾何
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露  去日苦多
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷  幽思難忘
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂  唯有杜康
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿  悠悠我心

遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


#2
但為君故  沈吟至今
呦呦鹿鳴  食野之苹
我有嘉賓  鼓瑟吹笙
明明如月  何時可採
憂従中來  不可断絶

#3
越陌度阡  枉用相存
契闊談讌  心念旧恩
月明星稀  烏鵲南飛
繞樹三匝  何枝可依
山不厭高  海不厭深
周公吐哺  天下帰心


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
(本文) 短歌行 
  曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
譬如朝露、去日苦多。
慨当以慷、幽思難忘。
何以解憂、唯有杜康。
青青子衿、悠悠我心。


DCF002102(下し文)
短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬【たと】えば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,幽思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。


(現代語訳)
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


(訳注)
短歌行
:古楽府「相和歌・平調曲」。
武帝(曹操)(155年 – 220)後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 
・短歌行 ・観蒼海 ・圡不同 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・苦寒行 ・卻東西行 


対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。


譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
・去日:過ぎ去った日々。過去の日々。 
・苦:はなはだ。たいそう。副詞。


慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
・慨:いきどおる。 
・慷:なげく。いきどおりなげく。


何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
杜康:初めて酒を造った人の名。転じて、酒。ここでは、酒の意。


青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経にあるように「青い襟の愛しい女(ひと)よ。・・・・」はるかになっていくわたしの思い。
『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
・子:あなた。
ここでは曹操は、人材を欲して、この言葉を使った。

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757

善哉行 謝靈運

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善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757


善哉行
陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。

三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。

居德斯頤,積善嬉謔。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。
#2
陰灌陽叢,凋華墮蕚。
日陰に日陰が合流するかと思えば日向に明かりが集まることもあるが、しおれた花はその花の咢から落してゆくものだ。
歡去易慘,悲至難鑠。
歓喜した後に悲惨なことが来るということも容易にわかるが、悲しいことがきてしまったらいきいきして元気をよくしようとしてもなかなかしがたいということだ。
擊節當歌,對酒當酌。
節季を迎えると歌を唄い、酒の宴を行い必ず盃を酌み交わすのである。
鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
都から離れた土地ということを歎くのは愚かな人であり、自分が病に侵されていることは憂い恐れることなのだ。
善哉達士,滔滔處樂。
物事に達観している人こそ善いことである、其処には楽しいことがとうとうと溢れているということだ。

善哉行
陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。
景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。
三春は燠敷し,九秋は蕭索す。
涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。
德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔す。

#2
陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。
歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。
擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。
鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。
善哉の達士,滔滔として樂に處す。

榿木栽5001

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
陰灌陽叢,凋華墮蕚。歡去易慘,悲至難鑠。
擊節當歌,對酒當酌。鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
善哉達士,滔滔處樂。


(下し文) #2
陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。
歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。
擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。
鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。
善哉の達士,滔滔として樂に處す。


(現代語訳)
日陰に日陰が合流するかと思えば日向に明かりが集まることもあるが、しおれた花はその花の咢から落してゆくものだ。
歓喜した後に悲惨なことが来るということも容易にわかるが、悲しいことがきてしまったらいきいきして元気をよくしようとしてもなかなかしがたいということだ。
節季を迎えると歌を唄い、酒の宴を行い必ず盃を酌み交わすのである。
都から離れた土地ということを歎くのは愚かな人であり、自分が病に侵されていることは憂い恐れることなのだ。
物事に達観している人こそ善いことである、其処には楽しいことがとうとうと溢れているということだ。


(訳注)
#2善哉行
四言楽府、瑟調曲。人生の苦しみを詠う。


陰灌陽叢,凋華墮蕚。
日陰に日陰が合流するかと思えば日向に明かりが集まることもあるが、しおれた花はその花の咢から落してゆくものだ。


歡去易慘,悲至難鑠。
歓喜した後に悲惨なことが来るということも容易にわかるが、悲しいことがきてしまったらいきいきして元気をよくしようとしてもなかなかしがたいということだ。
・鑠 とかす。とける。鉱石や金属をごたまぜにして、熱してとかす。また、熱せられて金属がとける。 あかあかとかがやくさま。いきいきして元気がよい。美しい。


擊節當歌,對酒當酌。
節季を迎えると歌を唄い、酒の宴を行い必ず盃を酌み交わすのである。


鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
都から離れた土地ということを歎くのは愚かな人であり、自分が病に侵されていることは憂い恐れることなのだ。
・鄙 [1]都から離れた土地。いなか。―にはまれな美人[2]支配の及ばない未開地に住む人々。えびす。
・戚戚 憂い悲しむさま。また、憂い恐れるさま。
・瘼 病,困苦.


善哉達士,滔滔處樂。
物事に達観している人こそ善いことである、其処には楽しいことがとうとうと溢れているということだ。
・達士 ある物事に熟達した人。練達の士。物事に達観している人。風流に生きていくことで納得して生きていく人。隠棲はしていないが気持ち的には世俗の事にこだわらない生活をする人。
・滔滔 1 水がとどまることなく流れるさま。2 次から次へとよどみなく話すさま。

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>

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善哉行 謝靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753


善哉行
陽谷躍升,虞淵引落。
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
景曜東隅,晼晚西薄。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。
三春燠敷,九秋蕭索。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
涼來溫謝,寒往暑却。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。
居德斯頤,積善嬉謔。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。
#2
陰灌陽叢,凋華墮蕚。歡去易慘,悲至難鑠。
擊節當歌,對酒當酌。鄙哉愚人,戚戚懷瘼。
善哉達士,滔滔處樂。

善哉行
陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。
景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。
三春は燠敷し,九秋は蕭索す。
涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。
德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔す。

#2
陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。
歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。
擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。
鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。
善哉の達士,滔滔として樂に處す。

真竹003

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行
陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。
三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。
居德斯頤,積善嬉謔。陰灌陽叢,凋華墮蕚。
歡去易慘,悲至難鑠。擊節當歌,對酒當酌。
鄙哉愚人,戚戚懷瘼。善哉達士,滔滔處樂。


(下し文) 善哉行
陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。
景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。
三春は燠敷し,九秋は蕭索す。
涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。
德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔【きぎゃく】す。


(現代語訳)
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。


(訳注)
善哉行
四言楽府、瑟調曲。人生の苦しみを詠う。


陽谷躍升,虞淵引落。
朝日は湯谷の扶桑樹から躍り上がるように昇り、やがて太陽は、はるか西方の虞淵に沈んで夜になる。
・虞淵 中国神話中、太陽が沈むとされた山。はるか西方の地にあり、山裾に蒙水という川があり、その川に虞淵という深い淵がある。虞淵は禺谷ともいう。
 太陽は毎朝、東方にある湯谷の扶桑樹から昇るが、これが西に移動して崦嵫山中の虞淵まで来るとたそがれになるという。この先にさらに蒙谷という谷があり、ここに太陽が沈むと夜になるという。


景曜東隅,晼晚西薄。
朝日は桑畑の向こうからかがやいて昇り、かたむいた夕日は楡の畑に落ちて小さくなり暗くなっていく。
・東隅:東方日出處,指早晨;桑、(榆:指日落處,也指日暮。)
・晼晚: 日が西落ちる。楚辭.宋玉.九辯:七段「白日晼晚其將入兮,明月銷鑠而減毀。」(白日は晼晚して其れ將に入らんとす,明月は銷鑠して減毀す。)晼:日陰が傾く。


三春燠敷,九秋蕭索。
春の三季は気候が温暖になっていき花が咲き誇り散って庭に敷物をしてくれるし、九秋は太陽、月、風も花も葉も次第に物寂しくなっていく。
・三春 春の三季、早春、盛春、晩春。咲く花が全く違うことを云う場合。三年越しの春。経過年数の一区切りで使う。
・燠敷 和暖四布。氣候和暖、陽光明媚的春天
・九秋 1 秋の90日間のこと。《季 秋》2 画題で、秋にちなむ9種の風物。秋山・秋境・秋城・秋樹・秋燕・秋蝶・秋琴・秋笛・秋塘。または、9種を一組にした秋の花。桂花(けいか)・芙蓉(ふよう)・秋海棠(しゅうかいどう).
・蕭索 もの寂しいさま。うらぶれた感じのするさま。蕭条。


涼來溫謝,寒往暑却。
すずしい風が吹き始めると熱射、熱気が去って行くが、じきに凍える寒さが訪れて暑かったときのことはすべて忘却してしまう。


居德斯頤,積善嬉謔。
徳を持った行いはその人の顔に反映されるし、善意・善幸をつみかさねればそれも希望どおり喜んだ気持ちになり、冗談も弾むというものだ。
・頤(おとがい)はヒトの下あごまたは下あごの先端をさす語
・嬉謔 :にこにこしたくなる気持ちだ。自分の希望するとおりの状態であるので喜んでいる。喜ばしい気持ち。 :喜び楽しむ。

秋風辭 漢(武帝)劉徹 詩 Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

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漢武帝故事によれば、帝は河東(山西省) に行幸して、后土(地の神)を祀った時、汾河の中流に船をうかべて、群臣と酒くみかわし、帝京をかえりみ、欣然としてこの歌を作ったとある。


武帝:漢の武帝。(前156年~前87年)前漢の第7代皇帝(在位:紀元前141年3月9日 - 紀元前87年3月29日)。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。初代皇帝高祖劉邦の曾孫に当たり、父は景帝で、生母は王氏。また、皇太子に立てられる前の王号は膠東王(こうとうおう)。

これらの体制と文景の治による多大な蓄積を背景に、宿敵匈奴への外征を開始する。高祖劉邦が冒頓単于に敗れて以来、漢はその孫の軍臣単于が君臨する匈奴に対して低姿勢で臨んでいたが、武帝は反攻作戦を画策する。
かつて匈奴に敗れて西へ落ちていった大月氏へ張騫を派遣する。大月氏との同盟で匈奴の挟撃を狙ったが、同盟は失敗に終わった。しかし張騫の旅行によりそれまで漠然としていた北西部の情勢がはっきりとわかるようになった事が後の対匈奴戦に大きく影響した。
武帝は衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用して、匈奴に当たらせ、幾度と無く匈奴を打ち破り、西域を漢の影響下に入れた。更に李広利に命じて、大宛(現/中央アジアのフェルガナ地方)を征服し、汗血馬を獲得した。また南越国に遠征し、郡県に組み入れ、衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を初めとする漢四郡を朝鮮に置いた。
これらの成果により前漢の版図は最大にまで広がり、武帝の治世は前漢の全盛期と賞される。高祖劉邦にすら成し遂げられなかった匈奴打倒を達成した武帝は泰山に封禅の儀式を行って、自らの功績を上天に報告した。
武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もあり、後半の悪政も含めて考えれば武帝の評価は分かれる所である。彼自身、外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関して見るべきものがない。むしろ、こうした地道な政治を後手に回していたきらいがあり、さかんな造作もあいまって治世末には農民反乱が頻発した。このため、後世は秦の始皇帝と並び「(英邁な資質ではあるが)大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。


秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
少壯幾時兮奈老何。
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流を橫わりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


・樂府
古代の民歌。本来は漢の武帝が音楽を司る役所・楽府を設置して、音曲や歌謡を採取した処。後、そこで歌われた歌謡と詩体が同じものをも樂府と云い、同形式の古代歌謡の意味を持つようになった。「樂府」「古樂府」「漢樂府」「樂府體」「樂府詩」「樂府歌辭」ともいう。このことは、填詞(宋詞)が唐の教坊の曲に端を発しているものが多いのと酷似している。片や、漢・樂府→同一音楽の歌謡(樂府)、片や、唐・教坊→同一音楽(詞牌)の歌詞(填詞)となり、詩歌の発展の姿がよく分かる。この作品は、宋の郭茂倩『樂府詩集』巻八十四「雜歌謠辭」、『古詩源』巻一「古逸」、『文選』巻四十五等の中にある。


現代語訳と訳註
(本文)
秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
少壯幾時兮奈老何。


(下し文) (秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流を橫わりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


(現代語訳)
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(訳注)
秋風辭

漢魏六朝に流行した辞賦の影響で対句をよくしている。この詩は武帝が汾河の南方(現・山西省万栄県汾水)を巡行した際のもの。自然の情景を詠みながら、老いていく人生の歎きを詠っている。人生の悲哀を語りかけてくる。 
辞 散文の要素を持った詩体のこと。


秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。 
秋風 西風。あきかぜ。参考に下記の詩をあげた。
李白『三五七言』
秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
三五七言 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4


宿贊公房
〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性?虛空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。
宿贊公房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393

 おきる。吹き始める。 
 語調を整える助辞。押韻に似た音楽的な働きをする。古代の詩歌に多く見られる。特に『楚辞』、『詩経』に多くみる。古文復興の韓愈も好んで使用している。 
白雲飛 白雲が飛ぶ。白雲が起こる。白雲:用法により「移ろう人間の世・無情」に対して、「不変の自然・真理」という意味合いとともに、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、浄土、極楽、道教では、仙界、天界の趣をもつもの。ここでは、時節の変化の意味で使う。
黄落 黄ばんで散る。落葉。 
 渡り鳥。 
南歸 南の方へ帰っていく。 秋が深まって、北方のこの場所から雁は、南の方へ帰っていく。


蘭有秀兮菊有芳、懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
 ここでは、秋蘭で、フジバカマ。『史記、孔子世家』「孔子歷聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。」『楚辞』『離騒』「帝高陽之苗裔兮,朕皇考曰伯庸。攝提貞於孟陬兮,惟庚寅吾以降。皇覽揆余初度兮,肇錫余以嘉名。名余曰正則兮,字余曰靈均。紛吾既有此内美兮,又重之以脩能。扈江離與辟兮,秋蘭以爲佩。」春蘭は、一般的なランになる。
 「名詞」めでたい草。動詞のばあい、ひいでる、花が咲く。稲や草の花が咲く。
 「名詞」よい花の薫り。動詞のばあい、花がかおる。
佳人 美人。宮妓。みめかたちのよい女。


汎樓船兮濟汾河、簫鼓鳴兮發櫂歌
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
汎 うかべる。 
樓船 二階造りの船。屋形船。『楚辭九歌 河伯』「與女遊兮九河,衝風起兮橫波。……與女遊兮河之渚,流澌紛兮將來下。」黄河の神を祭る詩、黄河の女神の話を背景にしたもの。
 わたる。川を渡る。 
汾河 黄河の支流。汾水。五台山を水源に山西省の寧武県に源を発し、河津県で黄河に注ぎ込む。


橫中流兮揚素波、歡樂極兮哀情多
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
橫 横たえる。横ざまにする。動詞。 
中流 川の流れの中程。河の真ん中
素波 白い波。白い波を揚げて、川の流れの中程を横切ることをいう。
簫鼓 ふえと太鼓。管楽器と打楽器で、音楽の謂い。・簫:古代のものは、ハーモニカ状に竹管の吹き口が並んだ楽器。なお、笙は吹き口が一箇所で形状は似ているものの大きく異なる。 
・發 おこる。発する。声に出す。 
櫂歌 櫂を漕ぐ時の歌声。舟歌。
・歡樂 歓楽。楽しみごと。 
極 きわまる。 
哀情 かなしみの思い。


少壯幾時兮奈老何
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。 
・少壯 年若く意気盛んな時。年の若いことまた、その時期。二十歳代、三十歳代ぐらいまでの世代。
・幾時 どれほどの時間だろうか。 
・奈老何 老年をどのようにしようか。

盛唐詩 游鳳林寺西嶺 孟浩然<38> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -345

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(鳳林寺の西嶺に遊ぶ)
卷160_58 「游鳳林寺西嶺」孟浩然



游鳳林寺西嶺
共喜年華好,來游水石間。
長い冬が過ぎ共に春のうららかな日差しになったことを喜んでいる、自然の中に入り込むと清々しい水が岩間を流れている。
煙容開遠樹,春色滿幽山。
春の霞で覆われていた遠くの山の木樹までみえるほど霞が晴れてくる、すると、万物の芽吹く春景色の色か奥深い山にまでいっぱいに満ちているではないか。
壺酒朋情洽,琴歌野興閑。
壷の酒は友情を確かめるものであり、酒を酌み、杯を挙げようではないか。琴を弾き、歌を歌うことは、その音が野外の自然おなかに広がって興雅な気持ちにしてくれる。
莫愁歸路暝,招月伴人還。

とことん飲んだから帰り道は暗くなったけれどそれを愁うるものではない、月が出るまで呑んでいよう、そうすれば我々に月を付き添わせて一緒に帰れば良いではないか。


(鳳林寺の西嶺に遊ぶ)
共に年華【ねんか】の好【よ】きを喜び、来たりて遊ぶ水石の間。
煙容【えんよう】 遠樹を開き、春色 幽山に満つ。
壷酒 朋情 洽【ごう】し、琴歌 野興【やきょう】 閑なり。
愁う莫かれ 帰路の瞑【くら】きを、月を招き人を伴いて還らん。 
 

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現代語訳と訳註
(本文) 游鳳林寺西嶺
共喜年華好,來游水石間。
煙容開遠樹,春色滿幽山。
壺酒朋情洽,琴歌野興閑。
莫愁歸路暝,招月伴人還。


(下し文)
(鳳林寺の西嶺に遊ぶ)
共に年華【ねんか】の好【よ】きを喜び、来たりて遊ぶ水石の間。
煙容【えんよう】 遠樹を開き、春色 幽山に満つ。
壷酒 朋情 洽【ごう】し、琴歌 野興【やきょう】 閑なり。
愁う莫かれ 帰路の瞑【くら】きを、月を招き人を伴いて還らん。 


(現代語訳)
長い冬が過ぎ共に春のうららかな日差しになったことを喜んでいる、自然の中に入り込むと清々しい水が岩間を流れている。
春の霞で覆われていた遠くの山の木樹までみえるほど霞が晴れてくる、すると、万物の芽吹く春景色の色か奥深い山にまでいっぱいに満ちているではないか。
壷の酒は友情を確かめるものであり、酒を酌み、杯を挙げようではないか。琴を弾き、歌を歌うことは、その音が野外の自然おなかに広がって興雅な気持ちにしてくれる。
とことん飲んだから帰り道は暗くなったけれどそれを愁うるものではない、月が出るまで呑んでいよう、そうすれば我々に月を付き添わせて一緒に帰れば良いではないか。

木瓜00


(訳注)
共喜年華好,來游水石間。
 【首聯】
長い冬が過ぎ共に春のうららかな日差しになったことを喜んでいる、自然の中に入り込むと清々しい水が岩間を流れている。
年華 年月。春のひかり。青春のころ。寿命。


煙容開遠樹,春色滿幽山。 【頷聯】
春の霞で覆われていた遠くの山の木樹までみえるほど霞が晴れてくる、すると、万物の芽吹く春景色の色か奥深い山にまでいっぱいに満ちているではないか。
煙容 霞によって作り出された容貌。霞が雲海のように覆っている景色を連想させる。其れが晴れると、近くの林澗の水から木々、遠くの木樹まで春景色になっている。「煙容」によって強調されたのである。


壺酒朋情洽,琴歌野興閑。 【頸聯】
壷の酒は友情を確かめるものであり、酒を酌み杯を挙げようではないか、琴を弾き、歌を歌うことは、その音が野外の自然おなかに広がって興雅な気持ちにしてくれる。
 あう。かなう。つうじる。『詩経、大雅、江漢』「洽此四国。」(此の四国を洽う。)○ のどか。みやびやか。うるわしい。『文選、賈誼、鵬鳥賦』「貌甚閑暇。」(貌は甚だ閑暇。)―善曰く、閑暇は驚き恐れざるなり。-


莫愁歸路暝,招月伴人還。 【尾聯】
とことん飲んだから帰り道は暗くなったけれどそれを愁うるものではない、月が出るまで呑んでいよう、そうすれば我々に月を付き添わせて一緒に帰れば良いではないか。


万物との同化、万物の目ぶときを楽しむ風流、あるいは、道教の「道」の生き方、今この時を楽しむことを感じる詩で、李白の世界観と共通している。春、酒を題材にするとそうなるのであろうか。孟浩然の特徴である大パノラマは頷聯の「煙容」という語であろう。
 第ハ句の「月」は、まだ孟浩然の目の前には現れていない。夜が更けて滞り道が判らなくなったら、月を招いて我々を連れていってもらおう、というのである。
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盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334

盛唐詩 寄天台道士 孟浩然<27> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -334


全唐詩巻 孟浩然集巻卷160_22 「寄天臺道士」

寄天臺道士
海上求仙客,三山望幾時。
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
倘因松子去,長與世人辭。

もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。


天臺の道士に寄せる
海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。
香を焚きて華頂に宿し、露に裛【うるお】いて靈芝を采る。
屢しば躡【ふ】む莓苔【ばいたい】の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。
儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。

keikoku00
 

現代語訳と訳註
(本文)
寄天臺道士
海上求仙客,三山望幾時。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
倘因松子去,長與世人辭。


(下し文) 天臺の道士に寄せる
海上に仙客を求め、三山 望むこと幾時ぞ。
香を焚きて華頂に宿し、露に裛ひて靈芝を采る。
屢しば踐む莓苔の滑なるを、將に尋ねんとす汗漫の期。
儻し松子に因りて去らば、長く世人と辭せん。


(現代語訳)
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。


(訳注)
海上求仙客,三山望幾時。
始皇帝の命を受け徐福らが海上に神仙、神薬を求めて旅立った、その三神山を望んでから一体どれくらいの年月がたったのだろう。
海上求僊客 「史記」秦始皇本紀などでいう、徐福らに海上の三神山を求めさせた話を踏まえるならば、孟浩然の時代から九百年以上前のこととなる。司馬遷の『史記』秦始皇本紀の二十八年(前二十九)の条によれば、徐福らは始皇帝に、海上に三神山〔蓬莱・方丈・瀛洲)があり、仙人が住んでいるので、童男童女を供に、不老不死の妙薬を求めに行きたいと上書した。始皇帝は二十年(前221年)に中国を統一し、あらゆる願望を満たしており、最後の望みは、自分を不老不死の身にすることだけであつた。そこで、徐福を遣わし、童男童女数千人をつけ、巨額の背高川をかけた。ところが九年後、徐福は薬を得ずに戻ってきた。そして、薬は見つけたが、大きな鮫に邪魔されてたどりつくことができない、と偽りの報告をしたという。


焚香宿華頂,裛露采靈芝。
しかし、海上に神薬を求める道などなく、天台山において香を焚いて華頂峰に宿泊し自然と同化している。そして、露に潤いながら霊芝を摘み取るのである。
裛露 陶淵明『飲酒二十首』から其七「秋菊有佳色、裛露掇其英。」(秋菊 佳色あり、露を裛みて其の英を掇り)秋の菊がきれいに色づいているので、露にぬれながら花びらをつみとる。


屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
しばしば、苔生した滑りやすい滝上の石橋を渡るのである。そして、広大無辺で計り知れないひろい神仙的世界で過ごす約束を果たしに行くのである。
 踏む。踏みつける。 履く。はきものを履く。 追う。あとをつける。従う。○莓苔 苔が群生しているさま。 ○汗漫 広大無辺で計り知れないこと。水面などが広々としてはてしないこと。また、そのさま。『淮南子』≪‧道應訓≫「吾與汗漫期於九垓之外。」とあり、淮南子に見える天界遊行・古代の宇宙観をいう。廬敖という存在が、遠遊して世界を経巡ったと誇ったところ、ある存在がそれをまだまだ小さいことだとして高誘注で「吾与汗漫、期于九垓之上。吾不可以久(私は汗漫と九天の上で逢う約束をしている。お前の相手をしている暇はない)」として雲の彼方へ消えていった、という説話を載せる。


倘因松子去,長與世人辭。
もしもそれがかなうなら、赤松子に連れて行ってもらって、この人間世界から永遠にお別れをすることできるということなのだ。
倘(儻)  もしも,仮に 倘有困难 なにか困難があれば。○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。 



解説
五言律詩。
韻字  時・芝・期・辞。


始皇帝の神三山探訪説話や「淮南子」に見られる神仙説などをちりばめ、天台山の神仙的雰囲気を描いているが、孟浩然は、司馬承禎の影響を強く受け、「道禅合一」を特徴としたものを受け入れている。この詩は、呉筠に受け継がれた道教の寺観を尋ねてのものである。その後、呉筠は李白の朝廷へ招かれるのに尽力している。孟浩然と李白の人生観の共通性を感じる詩である。


司馬承禎(しば・しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。

字を子微といい、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。

陳子昂・李白・孟浩然・宋之問・王維・賀知章などと交遊があり、『坐忘論』・『天隠子』・『服気精義論』・『道体論』などを著した。彼の学識は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれた。
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題長安主人壁 孟浩然「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白特集350 -328

題長安主人壁 孟浩然「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白特集350 -328

題長安主人壁
 久廢南山田,叨陪東閣賢。
しばらく鹿門山の澗南園にある田畑を耕すのをやめて久しくなる、そして、自分の気に沿わないまま「東閣に詔せられた賢人」のように陪席している。
 欲隨平子去,猶未獻甘泉。
平津侯がなされたように待詔の身分になることを辞めて隠棲したいと思っているのだが、今なお楊雄が「甘泉賦」を奉献したようなことができていない。
 枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
書籍を枕にし、音楽と読書という風流な事ばかり満ち溢れている。とばりをかかげてみるとはるか遠くに山の峰々が連なっている。
 我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
わたしが澗南園を離れ長安に来たのがまだほんの昨日のようである。荘園の木々には蝉が鳴いていることだろう。
 促織驚寒女,秋風感長年。
やがてコオロギが鳴き始めると貧しい女が寒くなるのを思って驚くのである。そして秋風の西からの風が強くなると長くここにいることを感じさせるのだ。
 授衣當九月,無褐竟誰憐。

冬の衣を準備する九月になっている、着物もなく、毛織物もなければ竟に誰も憐れんではくれない、わたしの情況がまさしくそうなっているのだ。


久しく南山の田を廢し、明りに東閣の賢に陪す。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。
枕籍 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。

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現代語訳と訳註
(本文)

久廢南山田,叨陪東閣賢。
欲隨平子去,猶未獻甘泉。
枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
促織驚寒女,秋風感長年。
授衣當九月,無褐竟誰憐。

(下し文)
久しく南山の田を廢し、叨【みだ】りに東閣の賢に陪す。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。
枕席 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。


(現代語訳)
しばらく鹿門山の澗南園にある田畑を耕すのをやめて久しくなる、そして、自分の気に沿わないまま「東閣に詔せられた賢人」のように陪席している。
平津侯がなされたように待詔の身分になることを辞めて隠棲したいと思っているのだが、今なお楊雄が「甘泉賦」を奉献したようなことができていない。
書籍を枕にし、音楽と読書という風流な事ばかり満ち溢れている。とばりをかかげてみるとはるか遠くに山の峰々が連なっている。
わたしが澗南園を離れ長安に来たのがまだほんの昨日のようである。荘園の木々には蝉が鳴いていることだろう。
やがてコオロギが鳴き始めると貧しい女が寒くなるのを思って驚くのである。そして秋風の西からの風が強くなると長くここにいることを感じさせるのだ。
冬の衣を準備する九月になっている、着物もなく、毛織物もなければ竟に誰も憐れんではくれない、わたしの情況がまさしくそうなっているのだ。


(訳注)
久廢南山田,叨陪東閣賢。
久しく南山の田を廢し、叨【みだ】りに東閣の賢に陪す。
しばらく鹿門山の澗南園にある田畑を耕すのをやめて久しくなる、そして、自分の気に沿わないまま「東閣に詔せられた賢人」のように陪席している。
南山 孟浩然の耕作している澗南園のこと。○東閣賢 漢の公孫弘が丞相となり、平津侯に封ぜられ、東閣を開いて賢士を招いた。ここは孟浩然が試験場に受験生と一緒に入ったことをいう。杜甫『奉贈鮮於京兆二十韻』で試験の内幕を詠っている。


欲隨平子去,猶未獻甘泉。
平子に隨ひて去らんと欲するも、猶は未だ甘泉を献ぜず。

平津侯がなされたように待詔の身分になることを辞めて隠棲したいと思っているのだが、今なお楊雄が「甘泉賦」を奉献したようなことができていない。
平子 平津侯。子は尊敬の語。孔子という様○献甘泉 揚維か「甘泉賦」を奉った時の話をふまえる。揚雄の文章が司馬相如に似ていると孝成帝に推薦する名があり、そのおかけで彼は承明殿に待詔となったというものである。その後、掲雄は「甘泉賦」を奉っている。ここでは、揚雄のように自分を推挙する人物が現れ、文学の臣として仕えることを願うのである。
田園作』。
弊廬隔塵喧,惟先養恬素。卜鄰近三徑,植果盈千樹。
粵余任推遷,三十猶未遇。書劍時將晚,丘園日已暮。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
望斷金馬門,勞歌采樵路。鄉曲無知己,朝端乏親故。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
聖明なる君主に文学の侍臣として仕え、活躍することをねがいとしいることから抜け出せない日々を過ごしている。


枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
枕席 琴書満ち、帷を褰ぐれば 遠岫連なる。

書籍を枕にし、音楽と読書という風流な事ばかり満ち溢れている。とばりをかかげてみるとはるか遠くに山の峰々が連なっている。
枕籍 1 互いの身を枕として寝ること。寄りかかり合って寝ること。 2 男女がともに寝ること。同衾(どうきん)。 3 書物を積んで枕とすること。また、書物が高く積んであること。○琴書 琴と書籍。また、音楽と読書。風流人の高尚な趣味のこと。○褰帳  即位式や朝賀の際、高御座(たかみくら)の御帳(みちょう)を女官によりかかげひらくこと。とばりあげ。○岫 1 山の洞穴。2 山の峰。


我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
我来ること昨日のごときも、庭樹 忽ち蝉鴫く。
わたしが澗南園を離れ長安に来たのがまだほんの昨日のようである。荘園の木々には蝉が鳴いていることだろう。


促織驚寒女,秋風感長年。
促織 寒女を驚かし、秋風 長年を感ぜしむ。

やがてコオロギが鳴き始めると貧しい女が寒くなるのを思って驚くのである。そして秋風の西からの風が強くなると長くここにいることを感じさせるのだ。
促織 蟋蟀こおろぎ。中国ではこおろぎの鳴き声は機織りを促す声のように聞こえた。○寒女 貧乏な女。冬支度は井戸端で砧をたたいて冬着の準備をするため、その光景から冬支度をする女を寒女とする。 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。○秋風 あきかぜ。西からの風。砂漠を越して山越えをし、砂塵の吹き降ろしの風になる。


授衣當九月,無褐竟誰憐。
衣を授く 九月に當たる、褐無きも竟に誰か憐れまん。
冬の衣を準備する九月になっている、着物もなく、毛織物もなければ竟に誰も憐れんではくれない、わたしの情況がまさしくそうなっているのだ。
授衣 1 冬着の準備をすること。冬の用意をすること。2 陰暦9月の異称。
『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)
七月流火、九月授衣。
一之日觱發、二之日栗烈。
無衣無褐、何以卒歲。
三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。
饁彼南畝、田畯至喜。

(七月には流る火あり、九月衣を授く。
一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。
衣無く褐無くんば、何を以てか歲を卒へん。
三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。
彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)
に基づく句である。
<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)


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秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -326

秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 孟浩然 「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -326
孟浩然晩年の作

秦中苦雨思歸,贈袁左丞、賀侍郎(孟浩然 )
 苦學三十載,閉門江漢陰。
仕官を目指して学んできたがなかなかうまく行かず三十年も苦しんでいる。金馬門という試験を及第することができないでいて、今はこの漢水の江川の南にいる。
 用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
友人であり、後輩である杜甫に粛宗皇帝に会えたのである。自分の旅を続けていて秋の長雨は何時までも続いている。
 豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
そして実際に今この晩年になっても悩み苦しんでいる。それにまた、気持を維持し続けることもできず沈んでしまっている。
 二毛催白發,百鎰罄黄金。
白髪混じりから白髪にかわってきている。大金、ましてや黄金など空っぽの状態でいる。
 淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
涙を流すことは峴山にある堕涙碑を思い浮かべることであり、湘水の深さを思えば屈原の愁いを懐かしく思う。
 謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
謝霊運は奸臣たちに憤懣をつみかさねて隠棲していたし、梁父吟を歌っていた諸葛亮のようにはいかず田舎の田園で空しく謡うだけだ。
 躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
馬を躍らせるのは自分の仕事でも目標でもはないのであり、馴れた小鳩になることなど私の心にはないのである。
 寄言當路者,去矣北山岑。

この詩を同じ思いをしているものによせる、しかしもう嵩山の向こうにあるそそりたつ頂といえる朝廷に仕官することはあきらめてこの隠遁生活に入るのである。


(秦中苦雨歸らんと思い袁左丞賀侍郎に贈る)
學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
二毛 白髪を催し、百鎰 黄金 罄く。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。

宮島(3)


現代語訳と訳註
(本文)
秦中苦雨思歸,贈袁左丞、賀侍郎
 苦學三十載,閉門江漢陰。
 用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
 豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
 二毛催白發,百鎰罄黄金。
 淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
 謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
 躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
 寄言當路者,去矣北山岑。


(下し文) (秦中苦雨歸らんと思い袁左丞賀侍郎に贈る)
學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
二毛 白髪を催し、百鎰 黄金 罄く。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。


(現代語訳)
仕官を目指して学んできたがなかなかうまく行かず三十年も苦しんでいる。金馬門という試験を及第することができないでいて、今はこの漢水の江川の南にいる。
友人であり、詩の後輩である王維に粛宗皇帝に会えたのである。自分の旅を続けていて秋の長雨は何時までも続いている。
そして実際に今この晩年になっても悩み苦しんでいる。それにまた、気持を維持し続けることもできず沈んでしまっている。
白髪混じりから白髪にかわってきている。大金、ましてや黄金など空っぽの状態でいる。
涙を流すことは峴山にある堕涙碑を思い浮かべることであり、湘水の深さを思えば屈原の愁いを懐かしく思う。

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(訳注)
苦學三十載,閉門江漢陰。

學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
仕官を目指して学んできたがなかなかうまく行かず三十年も苦しんでいる。金馬門という試験を及第することができないでいて、今はこの漢水の江川の南にいる。
苦學三十載 この句は宋の謝霊運の「初去郡」詩(『文選』巻二十六「行旅」)に基づいている。
・・・・・・・・・・
負心二十載、於今廢将迎。
理棹遄還期、遵渚騖修垌。
遡渓終水渉、登嶺始山行。
野曠沙岸浄、天高秋月明。
憩石挹飛泉、攀林搴落英。
・・・・・・・・・・
心に負くこと二十載、今において将迎を廢め。
棹を理めて 還る期を遄くし、渚に遵いて修き垌を騖す。
渓を遡り終に水を渉り、嶺に登らんとして始めて山行す。
野は曠くして 沙岸は浄く、天高くして 秋月明らかなり。

謝霊運は、悟った人間は浮世から脱出すべきものである。「低き位をみずから耕すに代えた」というものである。ということを言っていて、孟浩然の心情はまさにおなじものであった。陶淵明にも『歸田園居』というのがあるが、山水、自然、田園について謝霊運の心情にちかく、学んでいる。○閉門 金馬門、朝廷の入り口の門であり、朝廷を意味する。したがって、進士試験に及第をしないこと。王維に玄宗に面会の機会を与えられてもそれを生かせなかったことで挫折したことを示すものである。○江漢陰 江は江川、漢は漢水、陰は南で、澗南園を意味する。


用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
友人であり、後輩である杜甫に粛宗皇帝に会えたのである。自分の旅を続けていて秋の長雨は何時までも続いている。
用賢遭聖日 この句は、王維が朝廷に宿直であった折、玄宗に会うことができたことを示すものである。王維は34才~35歳の頃であった。この後737年、張九齢は荊州長史に左遷され、その地で孟浩然を従事させる。孟浩然48歳の時であった○用賢 賢者に用意をしてもらうこと。この場合賢は王維のことである。○聖日 聖は天子のこと。日も天子のこと。○ 続く。おびる。注意する。つきしたがう。○秋霖 秋の初めに降りつづく雨。秋の長雨。秋雨(あきさめ)。


豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
そして実際に今この晩年になっても悩み苦しんでいる。それにまた、気持を維持し続けることもできず沈んでしまっている。
昏墊 晩年になって悩み苦しむ。・:日暮れて暗くなる。・:しずみこむ。なやむ。○權勢 権力と勢力。


二毛催白發,百鎰罄黄金。
二毛 白髪を催し、百鎰【びゃくいつ】 黄金 罄く。
白髪混じりから白髪にかわってきている。大金、ましてや黄金など空っぽの状態でいる。
百鎰 大金。・:金の目方、一鎰は20両。  使い切る,空(から)になる(する) 告罄 空になる.


淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
涙を流すことは峴山にある堕涙碑を思い浮かべることであり、湘水の深さを思えば屈原の愁いを懐かしく思う。
峴山堕 襄陽の南襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。羊祜が荊州の都督として陸抗と対峙していた、荊州の領民を労わるはおろか 相対していた呉の将兵にまで礼節を以て臨み敵味方問わずから尊崇を集めていた。 そんな羊祜が病で没した。死を惜しんだ民により生前彼が好んだ峴山に碑が建立された。 その碑を見た者は皆在りし日の羊祜を偲んで涙を堕とすに及んだ。墮淚碣という。


謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
謝霊運は奸臣たちに憤懣をつみかさねて隠棲していたし、梁父吟を歌っていた諸葛亮のようにはいかず田舎の田園で空しく謡うだけだ。
莊舄 荘園。いなかの田園。 シャク、 サク、 セキ、 タク訓読み:かささぎ 謠吟襄陽は諸葛孔明が「梁甫吟」をうたって田園で耕作していた。


躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
馬を躍らせるのは自分の仕事でも目標でもはないのであり、馴れた小鳩になることなど私の心にはないのである
狎鷗 馴れている鳩。・狎:動物が人に対して警戒心を解き従順になること。


寄言當路者,去矣北山岑。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。
この詩を同じ思いをしているものによせる、しかしもう嵩山の向こうにあるそそりたつ頂といえる朝廷に仕官することはあきらめてこの隠遁生活に入るのである。


(秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎)
  苦學三十載,閉門江漢陰。
 用賢遭聖日,羈旅屬秋霖。
 豈直昏墊苦,亦爲權勢沈。
 二毛催白發,百鎰罄黄金。
 淚憶峴山堕,愁懷湘水深。
 謝公積憤懑,莊舄空謠吟。
 躍馬非吾事,狎鷗宜我心。
 寄言當路者,去矣北山岑。


(秦中苦雨歸らんと思い袁左丞賀侍郎に贈る)
學に苦むこと 三十載、門を閉ざす江漢の陰。
賢を用ふ 聖日に遭ふに、羈旅 秋霖に屬す
豈に直に昏墊に苦しめらるる、亦た權勢の為に沈めらるる。
二毛 白髪を催し、百鎰 黄金 罄く。
涙して峴山の堕を憶ひ、愁ひて 湘水の深きを懐ふ。
謝公は憤懑を積み、莊舄は空しく謠吟す。
馬を躍らすは吾が事に非ず、鴎に狎るるは宜に我が心なり。
言を寄す 當路の者に、去りゆかん 北山の岑にと。


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歳暮帰南山(北闕休上書)


卷160_87  歲暮歸故園


「歲暮歸南山(一題作歸故園作)」孟浩然
年の暮れに南山へ帰る(年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。)
北闕休上書,南山歸敝廬。
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
不才明主棄,多病故人疏。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
白髮催年老,青陽逼歲除。
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
永懷愁不寐,松月夜窗虛。

横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。 


北闕 書を上つるを休め、南山 敞廬しょうろに帰る。
不才 明主棄て、多病 故人疎なり。
白髪 年老を催し、青陽 歳除に逼る。
永懐 愁いて寐いねられず、松月 夜牕そう虚し。


現代語訳と訳註
(本文)

北闕休上書,南山歸敝廬。
不才明主棄,多病故人疏。
白髮催年老,青陽逼歲除。
永懷愁不寐,松月夜窗虛。


(下し文)
北闕 書を上つるを休め、南山 敞廬しょうろに帰る。
不才 明主棄て、多病 故人疎なり。
白髪 年老を催し、青陽 歳除に逼る。
永懐 愁いて寐いねられず、松月 夜牕そう虚し。


(現代語訳)
年の暮れに南山へ帰る(年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。)
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。


(訳注)
歳暮帰南山「故園」 孟浩然
年の暮れに南山へ帰る
年がせまってきた澗南園に帰るのに王維の故園によって行こう。
最初の2句目に南山とあるため澗南園の隠棲の関係者と考えるが、詩の内容からすれば、「故園」に変える方が理解しやすい。つまり、王維の別業に帰ることと考えられる。実際には王維に対して、別れを告げるため、王維の別業を意識させて、自分の故郷の澗南園に帰るということを言っている。孟浩然は浪人中だから。


北闕休上書,南山歸敝廬。
年の暮れになるのを機会に藍田の輞川荘に暫く休暇をいただくために天子に休暇届を出した。私もしばらくいて、南山の澗南園に帰ろうと思う。
北闕 大明宮の北門。上奏謁見をする人の出入りする所。 禁中。大明宮の中で丹砂の庭鬼があるとこで謁見するが紫宸殿は真ん中あたりに位置するが、大明宮そのものは長安城の北にあり南に向いてたてられていた。休暇の上申書をねがいでる。それ相応な地位のもので、もちろん孟浩然ではない。王維であろう。○北闕 得家書 得家書 #2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 182「北闕妖氛滿,西郊白露初。」(北闕妖気満つ、西郊白露の初)、官僚でない孟浩然が上奏文を出して休みを取ることはない。王維が休みを取ったのだろう。
休上書 休暇届。○南山 王維にとっては、終南山、藍田野輞川荘、王後年にとって、鹿門山の南の澗南園青山の見える○敝廬 『夏日南亭懷辛大』「散發乘夕涼,開軒臥閑敞。」『田園作』「弊廬隔塵喧」『澗南園即時貽皎上人』「弊廬在郭外,素產惟田園。」襄陽の孟浩然の農園を示している。


不才明主棄,多病故人疏。
どうせ自分には才能がなく、せっかくの天子からもすでに見限られており、その上最近は病気がちであり、引っ込み思案になって旧友とも疎遠になっている。(わたしには詩文の才能がある。天子から見放されようが友達と疎遠になろうがこの詩才をいかしてやっていく。)
明主 天子。粛宗皇帝、757年杜甫が粛兆区の折に掃海したとき、皇帝を侮辱するととれる分を差し出した。○ 採用されない。○故人 沢山の詩人たちが友人としていた。○ 疎遠になること。中国人がこういうことを言うことは自虐的に言っているのではなく、反対の意味のことを言うのである。


白髮催年老,青陽逼歲除。
もうすでに白髪の方が増えてしまって寄る年波、老いてきて真っ白になるのだろう。のどかな春の陽気は大晦日が迫っているのだから間もなくなのだ。
白髮 白髪交じりの頭は二毛とか斑という表現。ここは白髪の方が多い状況であろう。○催年老 寄る年波によってもよおした。○青陽 五行思想で青は春、東をあらわす。 ○歲除 大みそか。除夜。「霜鬢明朝又一年。」ということ。


永懷愁不寐,松月夜窗虛。
横になって長い時間、反省をしている、思いがめぐって寂しい気持ちになって眠れない。松の木のを超えて月明かりが窓から入ってくるこの庵には明るすぎて帰って空虚なものになってしまう。
永懷 長い時間かけておもうこと。○愁不寐 今までのことを思い悩んで、愁は寂しいこと、反省するという場合のうれい。○松月 松は男性としての希望、月は情勢を示し、男女間の寂しさを感じ取らせる。○夜窗 月の光が入ってくる窓である。通常は閨をいう。○ 隠棲をする住居に月明かりははって明るすぎるために逆に旧居になる。友なし、女なし、ごちそうなし、あるのは反省があるばかり。


この頃孟浩然は何をやってもうまく行かず、悲観的な発想をしていたのだ。いわゆるマイナス思考だ。
しかし、これが詩人としての才能の栄養素になるのである。詩人には貧乏であり、挫折が肥やしになる。何事もうまくいく詩人は全くいない。



これに対して王維は次のように詠っている。


 bamb05176
 送孟六帰襄陽  王維

杜門不欲出、久与世情疎。
以此為長策、勧君帰旧盧。
酔歌田舎酒、笑読古人書。
好是一生事、無労献子虚。


門を杜して出ずるを欲せず、久しく世情と疎なり
此を以って長策と為し、君に勧めて旧盧に帰らしむ
酔うて歌う田舎の酒、笑って読む古人の書
好し是れ一生の事、労する無れ子虚を献ずるを


王維は親友である孟浩然を慮って語りかける。孟浩然も科挙に合格せず、故郷に戻ることになるが、王維との別離を深く悲しむのである。心通じ合う者同士の心遣いが読み取れる作品である。
 人は夢破れた時、その傷心を癒すのは、帰心を誘う故郷の山河なのであろうか。それとも徹底した悲しみを受け入れて、其処から生まれ来る真の生命の覚悟なのであろうか。


孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320

孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #2 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -320


 田家が緑の樹木で囲まれた幽閑な場所、林澗であることも重要な点である。孟浩然か陶淵明を慕う理由もまたここに存在している。こうした陶淵明をしたい気持ちを詠ったものが「仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊」がある。


仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。中年廢丘壑,上國旅風塵。」
忠欲事明主,孝思侍老親。
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」

詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。


仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
#1
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
#2
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

nat0022


現代語訳と訳註
(本文)

忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」

(下し文)
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

(現代語訳)
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。
宮島(5)

(訳注)#2
忠欲事明主,孝思侍老親。
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
忠義心を持って天子の仕事をしたいと思うのであるが、思い悩み考えるのは年取った親がそれをのぞんでいるのである。
明主 天子。○侍老親 年老いた親が待っている。親としては一族の名誉のためにも仕官しほしいと願っているが、心配もしてくれている。


歸來當炎夏,耕稼不及春。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
しかしこうして炎天の夏に帰ってきたのである、土地を耕して農作物を作っているだがまだ次の春まで及ぶことはない。


扇枕北窗下,采芝南澗濱。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
この夏はしばらくここで北の寝室の窓辺に涼んでいくのだ、薬草を摘み取ったりして南の谷川の川辺の浜で過ごす。
扇枕北窗下 陶淵明『与子儼等疏』に「常言五六月中,北窗下臥,遇涼風暫至,自謂是羲皇上人。」(五六月中、北窗の下に臥すれば涼風の暫かに至るに遇ひ、自ら謂へらく是れ義皇の人なり)とあるのをふまえている。孟浩然は田園における陶淵明の姿を確かに見ていたのである。○采芝 『登鹿門山懐古』「金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。」(金澗に芝朮(しじゅつ)を養ひ、石床 苔蘇に臥す。)・養芝朮 貴重な薬草をそだてる。○南澗 澗南園のこと。


因聲謝同列,吾慕潁陽真。」
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」
詩を吟じることによって謝霊運と同じ境地に達していると思い、そして私は穎川の南でのみみをあらった許由を本当に慕っているのである。
『田園作』でも「望斷金馬門,勞歌采樵路。」(望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。)


解説
 ここに描かれた陶淵明について、「風雅、隠棲等の超俗性か端的に表れた」ものとして捉え、「官を棄て、世俗との交渉を断って自適の境を楽しむ、まことに風雅の隠者というにふきわしい姿にであると指摘する。そのうえで、こうした陶淵明像を描くことの背後には、自らが経阿から隠遁へと意識が転換したことを都のの旧友たちに対して弁明する意図があったと解釈している。陶淵明の隠者としての姿は、孟浩然の隠遁生活の支えであったから、「かけがえのないものと」なったとするのである。
 半官半隠は孟浩然の最大の願いであった。張九齢が左遷されてこの地にくるまで官に仕えることはなかった。

komichi03  
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」


仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

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孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #1 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

孟浩然 仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 #1 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -319

 田家が緑の樹木で囲まれた幽閑な場所、林澗であることも重要な点である。孟浩然か陶淵明を慕う理由もまたここに存在している。こうした陶淵明をしたい気持ちを詠ったものが「仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊」である。


仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。
予複何爲者,棲棲徒問津。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。

忠欲事明主,孝思侍老親。歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。因聲謝同列,吾慕潁陽真。」



仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
#1
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」

#2
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

nat0026

仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊 現代語訳と訳註
(本文)#1
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」


(下し文)
仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」


(現代語訳)
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。

komichi03  
嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
日耽田園趣,自謂羲皇人。
予複何爲者,棲棲徒問津。
中年廢丘壑,上國旅風塵。」
忠欲事明主,孝思侍老親。
歸來當炎夏,耕稼不及春。
扇枕北窗下,采芝南澗濱。
因聲謝同列,吾慕潁陽真。」


仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
忠 明主に事へんと欲し、孝 老親に侍せんことを思ふ。
歸来 炎暑を冒し、耕稼 春に及ばず。
枕を扇す 北窗の下、芝を采る 南澗の濱。
聾に因りて同列に謝す、吾は穎陽の真を慕ふと。」

(訳注)
仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊

仲夏 漢南園に歸る,京邑の耆舊に寄せる
夏の盛りに澗南園に帰った、長安近くの邑に棲む「耆舊」によせる。
仲夏 夏のなかば。また、陰暦5月の異称。中夏。○漢南園 澗南園のこと。孟浩然の『澗南園即時貽皎上人』○ 邑里。いなか。街の郊外の田園にかこまれた数軒の家が固まったようなところ。『過故人莊』孟浩然○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。龐德公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。ここでは王維のことを示唆するのではなかろうか。○耆舊 「襄陽耆舊記」龐德公と劉表、諸葛孔明らと問答をまとめて書いた史書。龐德公の隠棲という雰囲気を残した丹桂遺跡が近くにある。ここでは王維のことを示唆するのではなかろうか。


嚐讀高士傳,最嘉陶征君。
嘗て高士傳を讀み、最も陶徴君を嘉せり。
以前から「高士伝」をはじめとして隠棲した人たちの書をよく読んでいる、その中で最も忠君であった陶淵明のことが喜ばしいと思う。
高士傳 『史記』「伯夷列伝第一」 に「甫謐高士傳云・・「許由字武仲。堯聞致天下而譲焉、乃退而遁於中嶽潁水陽、箕山之下隠。堯又召爲九州長、由不欲聞之、洗耳於穎水濱。」(皇甫謐『高士伝』に云ふ、許由、字は武仲。尭、天下を致して譲らんとするを聞き、乃ち退いて中嶽潁水の陽、箕山の下に遁れ隠る。尭、又た召して九州の長と為さんとす。由、之を聞くを欲せず、耳を潁水の浜に洗ふ。)


日耽田園趣,自謂羲皇人。
日び田園の趣きに耽り、自ら謂う義皇の人と。
毎日、この田園の自然に浸り趣きを感じることに耽るのである。自分で陶淵明や謝霊運のように天子に忠議する人間というのである。


予複何爲者,棲棲徒問津。
予は復た何為る者ぞ、棲棲として徒らに津を問う。
わたしは今またどうしたらよいのであろうか、隠棲して生活しているのであるが、それであってもなおかつ人生の道をたずねるのである。
問津 学問の道をたずねる、人生の道をたずねる。


中年廢丘壑,上國旅風塵。」
中年にして丘壡を廢し、上國 風塵に旅す。」
人生も半ばになってこうした隠棲を辞めようとしている、国の都に上がり俗人の世界に旅をしようかとしている。
丘壑(キウガク) おかと谷と、隱者の棲息する處。
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田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315

田園作 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -315
 
卷159_46 「田園作」孟浩然
718年開元六年三十歳の時の襄陽における作品

田園作

弊廬隔塵喧,惟先養恬素。
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
卜鄰近三徑,植果盈千樹。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
粵余任推遷,三十猶未遇。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
書劍時將晚,丘園日已暮。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。
沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
望斷金馬門,勞歌采樵路。
金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
鄉曲無知己,朝端乏親故。
かの鄉曲で隠遁した老子のように知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。


田園の作
弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素を尚べばなり
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
沖天する鴻鵠を羨み,爭食する雞鶩を羞じる。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。



現代語訳と訳註
(本文)

弊廬隔塵喧,惟先養恬素。卜鄰近三徑,植果盈千樹。
粵余任推遷,三十猶未遇。書劍時將晚,丘園日已暮。
晨興自多懷,晝坐常寡悟。沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
望斷金馬門,勞歌采樵路。鄉曲無知己,朝端乏親故。
誰能為揚雄,一薦甘泉賦。


(下し文)
弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素を尚べばなり
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
沖天する鴻鵠(こうこく)を羨み,爭食する雞鶩(けいぼく)を羞じる。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。


(現代語訳)
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。
三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。
大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
かといって、鄉曲で隠遁した老子のようには知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。



(訳注)
弊廬隔塵喧,惟先養恬素。

弊廬の塵喧を隔つるは、惟れ先の恬素(てんそ)を尚(とうと)べばなり。
わたしが棲んでいる家は、襄陽城の街中の塵や喧騒からは離れたところにある。そうしてこれまで、よけいなことを考えず素直な性格、質素にすることがいいことだと教えられ生きてきた。
弊廬 わたしが棲んでいる屋根を蘆で拭いている家のかまど。かまどは家を指す。○塵喧 襄陽城の街中の塵や喧騒。○恬素 物欲のないあっさりとしているさま。よけいなことを考えず素直な性格、質素にする。先祖からうけついだもの。土地をいう。○產 生産する。作物を作る。生産して経営する。○田園 前の「産」と園で従僕がいて小作させていたことがわかる。しかし、大規模なものではない。孟浩然『澗南園即時貽皎上人』ではこの聯と同じ意味を「弊廬在郭外,素產惟田園。」とする。


卜鄰近三徑,植果盈千樹。
鄰をトすること三徑に近く、果を植えて干樹に盈つ。
近くには数軒の家は建っていて近くに三つの小道がある。果樹の木を植えたりしてたくさんの木々がいっぱいになっている。
卜鄰 近くには数軒の家は建っている。接近して立っているのではないが遠くではない様子をいう。○三徑 三本の小道。○植果 果樹の木


粵余任推遷,三十猶未遇。
粵(ここに)余、推遷に任せ,三十にして猶 未だ遇はず。
ああ、私は、時に流されたままこの田舎に生きてきた。三十にして立つというがまだその境遇にはなっていない。
 ここに、<ああ>嘆息の語。○推遷 推し進め、移り変わる。時の流れのままに押し流される。○三十 論語「三十而立」に対して孟浩然自身の生活態度をいうのである。これにより、科挙の試験を意識したのである。


書劍時將晚,丘園日已暮。
書劍 時 將に晚れんとし,丘園 日 已に暮る。
この年では官僚になるというのはすでに遅いのかもしれない。ちょうど、この丘や畑が暮れていくのと同じことなのだ。
書劍 書と剣は当時の文人の必要アイテムで官僚の意味。科挙試験へのチャレンジは、通常十代の後半から、長安に上京して始める。ここと先頭の二句が絡んでくる。つまり、物欲、名誉欲、権威に対する欲が全くなかったことから、作詩が好きで、詩経、古文を暗誦することをしてこなかったのではなかろうか。

晨興自多懷,晝坐常寡悟。
晨に興くれば自ら懷うこと多し,晝に坐すれば常に悟ること寡す。
朝起きた時には実にたくさんのことを思い浮かべるのだが、日中に座禅を組んで瞑想するのであるが悟りの様なものはあまりない。


沖天羨鴻鵠,爭食羞雞鶩。
沖天する鴻鵠を羨み,爭食する雞鶩を羞じる。

大空に向かって飛び立つ鴻鳥や鵠鳥のように中央朝廷の大人物をうらやましくおもうし、エサを争って食べる鶏や鶩のように物欲丸出しというのは恥ずかしいことと思う。
沖天 大空の真ん中。朝廷。鴻鵠 (1)鴻(おおとり)や鵠(くぐい)など、大きな鳥。 (2)大人物。英雄。
屈原『卜居』「寧與黃鵠比翼乎、將與雞鶩爭食乎」   (寧ろ黃鵠と翼を比(なら)べんか、將雞鶩(けいぼく)と食を爭はんか)に基づいている。


望斷金馬門,勞歌采樵路。
望み斷つ 金馬門,勞歌す 采樵の路。

金馬門をくぐって中央朝廷につかえることの希望は捨てることになるし、仕事をする人の歌を唄って、木こりの杣道を歩いているようなものだ。
○金馬門 中国、漢代の未央宮 (びおうきゅう) の門の一。側臣が出仕して下問を待つ所。金馬。金門。


鄉曲無知己,朝端乏親故。
鄉曲 知己無く,朝端 親故乏し。
かの鄉曲で隠遁した老子のようには知己に富んでいるわけではないし、かといって、朝廷への推薦してくれるコネを持った親戚友人はいないのだ。
鄉曲 老子のことを指す。『史記』「.老子者,楚苦縣厲鄉曲仁里人也,姓李氏,名耳,字耼,周守藏室之史也」とみえる。○朝端 朝廷へ推薦してくれる端っこの方にでも引っ掛かりがあるかどうか。○親故 親族、知人。


誰能為揚雄,一薦甘泉賦。
誰か能く揚雄と為すか,一たび甘泉の賦を薦めん。
だれが朝廷に入り楊雄のようになろうというのか、彼のように、「甘泉の賦」のように詩賦を奏上したいのだ。
○揚雄 楊雄とも書く。(前53-後18) 中国、前漢の文人・学者。字(あざな)は子雲。宮廷詩人として作った「甘泉賦」「羽猟(うりよう)賦」「長楊賦」などの美文が有名。



解説
冒頭四句について、「弊廬」は、襄陽の澗南の居を指している。ここでは、襄陽城から漢水を挟んで距離を匿いたところに田園を営み、都市の俗塵・喧噪から隔絶して生活している。先祖が静かで質素な生活を尊んだことを継承するものだと述べている。作品では人生の区切りの歳である三十にして、有力なつてもなく、いまだ仕官の途が見いだせない焦燥か歌われる。先祖の処世を継承し、都市という世俗、換言すれば利益重視の人間関係の世界に関わってこなかったことのように書き、一方では、勉強不足であると述べている。利益ついきゅう、処世術をしなかったからという言い訳の部分だけではない。中國の人は日本人型の潔い反省はしない。
安徽の勉強が苦手であった孟浩然は独自の山水田園の世界感を作っていくことになるのである。古今東西、詩人は精神的に追い詰められたり、貧乏でなければ創造性豊かな「いい詩」は書けないのである。
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留別廣陵諸公 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -302

留別廣陵諸公 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -302
3分割の3回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。

憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
臥海不關人,租稅遼東田。
蒼海にいっては俗世界の人とは関係することなくしずかに臥せているのだ。年貢は、はるかさきの東田に謝朓と同じように狩りをすることである。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
風流なこころで興に乗って来たなら、たちまちまた起き上がるのである。そうしたら船頭の歌を聴きながら剡渓の船の中にいる。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
酒に酔うにあたって、山簡公に愛された武将の葛強となることを許されて。私にとっても山簡公に鞭打たれ倒されたいと思っている。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3
夢中になって歌を唄い、そしてここにおいて別れを告げる。目標は、東海の蒼海の波に釣り糸を垂れたいのである。
#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ。
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」


現代語訳と訳註
(本文) #3

臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」

(下し文) #3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」

(現代語訳)
蒼海にいっては俗世界の人とは関係することなくしずかに臥せているのだ。年貢は、はるかさきの東田に謝朓と同じように狩りをすることである。
風流なこころで興に乗って来たなら、たちまちまた起き上がるのである。そうしたら船頭の歌を聴きながら剡渓の船の中にいる。
酒に酔うにあたって、山簡公に愛された武将の葛強となることを許されて。私にとっても山簡公に鞭打たれ倒されたいと思っている。
夢中になって歌を唄い、そしてここにおいて別れを告げる。目標は、東海の蒼海の波に釣り糸を垂れたいのである。
鳥居(3)


(訳注) #3
臥海不關人,租稅遼東田。

海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
蒼海にいっては俗世界の人とは関係することなくしずかに臥せているのだ。年貢は、はるかさきの東田に謝朓と同じように狩りをすることである。
○租 租庸調がの内の租はは土地にかかるもので、戸籍を意味する。李白は朝廷に上がっているので免除されているので隠遁者に自由になれることを県令の前でいっている。○東田 東の狩り場 謝朓の「遊東田」に基づいている。

乘興忽復起,棹歌溪中船。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
風流なこころで興に乗って来たなら、たちまちまた起き上がるのである。そうしたら船頭の歌を聴きながら剡渓の船の中にいる。

臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
酒に酔うにあたって、山簡公に愛された武将の葛強となることを許されて。私にとっても山簡公に鞭打たれ倒されたいと思っている。
○葛強(かつきょう)は晋の将軍山簡(さんかん)に愛された部将で、二人の信頼関係は杜甫も好きな話題である。山簡の葛強への信任、葛強の山簡に対する忠誠心は自分と同じだ。李白は山公を10首も詠っている。
自分を山公としたいところ、県令などの手前、葛強に置き換えたのである。

狂歌自此別,垂釣滄浪前。」
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
夢中になって歌を唄い、そしてここにおいて別れを告げる。目標は、東海の蒼海の波に釣り糸を垂れたいのである。


解説

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。
「裏陽歌」の冒頭部分にいう「傍人借問笑何事,笑殺山公酔似泥」も,表面的には山簡の故事をふまえているが、李白自身の事でもある。
「秋浦歌十七首」其七の「酔上山公馬」,「江夏贈章南陵水」の「山公酔後能騎馬」,「留別廣陵諸公」の「山公欲倒鞭」,さらに「尋魯城北お居士失道落蒼耳中見通置酒摘蒼耳作」に「酎宋上馬去,却笑高陽池」,「魯中都東棲酔起作」に「昨日東棲酔,還應倒接羅」というように,泥酔したまま馬に跨り,帽子を逆さまにかぶった滑稽な酔態を詠むものである。
「答友人贈烏紗帽」、「襄陽曲四首」などもこのブログに掲載している
山公、謝安など一見飲んだくれであるもことに及べが力を発揮する李白の矜持の表現である。

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留別廣陵諸公 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -301

留別廣陵諸公 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -301
3分割の2回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。


留別廣陵諸公
憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。
臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3

#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
宮島(3)

留別廣陵諸公 現代語訳と訳註
(本文) #2

中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」

(下し文)#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」


(現代語訳)
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。


(訳注)#2
中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。

中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ。
わたしは世の中いろんな人物の中から、徳にすぐれて聡明な天子に三顧の礼で請われたのである、筆と墨でふるって朝廷の中で認められる存在となった。
聖明  天子が徳にすぐれて聡明なこと。○ 翰墨】かんぼく. 筆と墨。 「翰墨を座右に置く」; 文学のこと。 書いたもの。文章のこと。 筆跡。 【翰林】かんりん. 学者・文人の仲間。文書の集まっている所の意から。 「学林・儒林」; 「 翰林院 ( かんりんいん ) 」1.の略


騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
いったん虎の背に乗ったなら、あえて降りることなどない、龍は立ち上がっていったなら天から落ちることなどないのだ。
騎虎 虎(とら)の背に乗ること。『隋書』「独孤皇后伝」虎に乗った者は途中で降りると虎に食われてしまうので降りられないように、やりかけた物事を、行きがかり上途中でやめることができなくなることのたとえ。


還家守清真,孤節勵秋蟬。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。
還家 いえにかえる。○清真 清らかな眞實。○孤節 季節の変わり目。○秋蟬 夏から秋に変わる季節の移り変わりのむなしさをいう。他のものが流されていく中で、信念を貫く意味をいう。○ 励む、 はげます


煉丹費火石,採藥窮山川。」
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」
火を炙り石を削ることに精を費やして金丹を練るのだ、山や川を極めて薬草を採取したのだ。
煉丹 道教の隠遁者を夢見ていた李白の詩には金丹のこと、仙薬のことは50首以上多くある。時代としては、媚薬、回春薬というに対しての嫌悪というものはなかったようである。


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留別廣陵諸公 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -300

留別廣陵諸公 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -300
3分割1回目

この詩の内容は、二十六句ほとんど殆どすべてが李白自身の過去の生活を歴史的に叙述し反省しているものである。送別の宴を開いてくれた「広陵の諸公」に感謝してその地をあとにすることをいうもので、李白に多く見える、自らを山簡になぞらえて詠っているものである。
tsuki0882

留別廣陵諸公

憶昔作少年,結交趙與燕。
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
寸心無疑事,所向非徒然。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
しかし、この年になって、このように疎んじられたことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」
#1
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。

中迴聖明顧,揮翰淩雲煙。
騎虎不敢下,攀龍忽墮天。
還家守清真,孤節勵秋蟬。
煉丹費火石,採藥窮山川。」#2
臥海不關人,租稅遼東田。
乘興忽復起,棹歌溪中船。
臨醉謝葛強,山公欲倒鞭。
狂歌自此別,垂釣滄浪前。」#3

#1
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬(しゅんめ)に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」

#2
中にて迴らす 聖明 顧る,翰を揮って雲煙を淩ぐ
騎虎 敢えて下らず,龍を攀げて 忽 天を墮つ。
還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。
丹を煉り 火石を費やす,藥を採る 山川を窮す。」

#3
海に臥す 人に關せず,租稅 東田に遼す。
興に乗じて忽ち復た起き、櫂歌す 渓中の船
酔うに臨みて葛強に謝し、山公は鞭を倒まにせんと欲す
狂歌して此れ自り別れ、 釣りを垂れん滄浪の前。」
DCF00208

留別廣陵諸公 現代語訳と訳註
(本文)

憶昔作少年,結交趙與燕。
金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
寸心無疑事,所向非徒然。
晚節覺此疏,獵精草太玄。
空名束壯士,薄俗棄高賢。」#1

(下し文)
昔 少年と作るを憶う,交りを結ぶ 趙と燕 。
金羈 駿馬に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」


(現代語訳)
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
しかし、この年になって、このように疎んじられた
ことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。

(訳注)
憶昔作少年,結交趙與燕。
憶う昔 少年と作るとき,交りを結ぶ 趙と燕 。
わたしが、青年のであった頃思っていたことだ、趙の国の人で劇辛のように燕のくにの軍師となり趙、燕、など五国連合に導いたことを夢見ていた。
憶昔 この詩は李白の反省の詩である。この句は自然体にかかっている。○趙與燕 劇辛はもともと趙の人であったが、先の趙と燕との戦後交渉のときに 燕王に気に入られて燕の相国になった者である。秦の始皇帝に対抗して同盟を結んだ。・劇辛樂毅感恩分 劇辛は趙の国出身の人物で、郭隗の進言を聞き入れた燕昭王が「隗より始めよ」と富国強兵の為の人材優遇を始めて以降に、楽毅や鄒衍らと同様に、賢人を求め優遇する燕昭王の元へと赴き、燕の臣となった。楽毅は、戦国燕の武将で、昭王を助けて仇敵の斉を五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ稀代の軍略家。
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古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152

古風五十九首 其三 李白



金羈絡駿馬,錦帶橫龍泉。
金羈 駿馬に絡む,錦帶 龍泉 橫わる。
わたしが朝廷に上がった時は金の馬飾りを駿馬に飾り付けていて、錦の帯には龍雲沸き立つ玄宗皇帝に仕えて横に侍っていたものだ。
駿馬 足の速い優れた馬。○ 玄宗を示す。


寸心無疑事,所向非徒然。
寸心 疑う事 無し,向う所 徒然にあらず。
これらのことは、たとえわずかなところまで疑うことなど全くない。自分の向かうところ無意味に過ごすことなど思ってもみないことだった。
徒然 あてもなく。いたずらに。無意味に。空しいさま。


晚節覺此疏,獵精草太玄。
晚節 此疏を覺ゆ,獵精 太玄 草す。

しかし、この年になって、このように疎んじられたことを感じている、それでもいま、私は、純粋に漢代の哲学書「太玄経」を勉強し「道」を求めていっているのだ。
○晚節 晩年。季節の終わり。末の世。末年。晩年における節操。晩年 老後。○獵精 一生懸命に勉学に励むこと。○太玄 中国、漢代の哲学書。10巻。揚雄撰。易に老荘思想を取り入れ、易占を社会情勢に応じた合理的なものにしようとしたもので、易の陰陽二元論の代わりに、始・中・終の三元をもって宇宙万物を説明した。


空名束壯士,薄俗棄高賢。
空名 壯士を束ね,薄俗 高賢を棄す。」
空しい名であっても名を遺したいりっぱな壯士はたくさんいる、薄俗な世間の人たちは高貴な賢人であってもすてさるものだ。


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梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

tsuki0882


#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、偉い素振りをするものだ。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそぶったりするものだ。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折りをしたものだと、せせら笑った。簗甫吟を吟じて、ここに至れば、声はまことに悲壮となる。
張公兩龍劍。 神物合有時。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。

梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


戦国時代勢力図


現代語訳と訳註
(本文)

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


(下し文)
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


(現代語訳)
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、偉い素振りをするものだ。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそぶったりするものだ。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折りをしたものだと、せせら笑った。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。

sangaku880

(訳注) #4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。

焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。
智者可巻 知恵ある者は、政治が道をはずれ、筋の通らぬ時代には、自己の才能や知恵をふところに巻きこんで、世に出ない。「論語」の「衛の霊公」に「君子なる哉、蘧伯玉。邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きて懐(いだ)く可し」とある。

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。

世間の人は、わたしを鴻の鳥羽の毛より軽く見くびっているのである。むかし、力自慢では南山でもおしのけるという三人の壮士がいた。
力排南山三壯士 諸葛亮(諸葛孔明)『梁甫吟』#1で全文掲載 説明は以下が詳しい。
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。


齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
○吳楚弄兵無劇孟。 漢の景帝三年(紀元前154年)、呉楚等七国が反乱を起したとき、景帝は大将軍の竇嬰、太尉の周亞夫を派遣して鎮圧させた。周亞夫は東方にむかい河南に至ろうとしたとき、当時の有名な侠客であった劇孟を味方に得た。東天は喜んで言った。「呉や楚は天下を争うような大事を企てながら、劇孟を求めない。わたしは、かれらが何もできないことを知るだけだ。」「漢書」に見える話であるが、強大であった呉楚の分断作戦と補給路を断つことで戦意を失わせ、内部分解させた。
 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折をしたものだと、せせら笑った。
簗甫吟を吟じて、ここに至れば、声はまことに悲壮となる。
〇咍 せせら笑う。


張公兩龍劍。 神物合有時。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待ったと伝えられる。その後、張華が誅せられ、剣のありかを失った。雷煥が亡くなったのち、子の雷華が剣を持って旅をし、延平津に通りかかった時、剣が突然、腰間から躍り出て水中におちた。人を水にもぐらせてさがしたが、剣は見つからず、しかし、長さ数丈の二頭の竜を見たという。


風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。
竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。
風雲感會 「易経」に「竜は雲に従い、虎は風に従う」とある。竜虎が風雲に出会うように、英雄が時を得て、めざましく活躍すること。○屠釣 牛殺しや釣をしていた男。太公望をさす。○大人 ここではおそらく君主をさす。○幌帆 「書経」や「易経」に見える言葉、(机隈・離礁)と意味は同じく、動揺して不安なありさま。 


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梁甫吟 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -297

梁甫吟 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -297


#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

 
現代語訳と訳註
(本文) #3

帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。


(下し文) #3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


(現代語訳)
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。

DCF00208

 
(訳注) #3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
帝努授壷多玉女 帝は上帝(玄宗のこと)、天の神。天上と仙境と宮廷を同じ表現でいう場合がある。投壺は、矢を壷に投げこむ遊戯。「神異経」に「東王公が玉女と投壺をしてあそんだ。千二百本の矢を投じたが、矢が壷にうまく入ると天はすすりなき、はずれると天が笑った」とある。また、むかしの人は、雨のふらないときに、いなずまが光ると、天が笑った、と考えた。〇三時一昼夜が十二時。昼の一日が六時だから、三時は半日(現在の六時間)に当る。


倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
倏爍 極めて短い時間、光がひらめく。○晦瞑 くらい。○閶闔 天の門。

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244-350

燕臺詩四首 其二 夏#1 李商隠130 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150- 130-#1

九門 九重の門。これらは大明宮のことを指す
贈從弟南平太守之遙二首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -292

玉壺吟 :雑言古詩 李白

侍従遊宿温泉宮作 :李白

2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

 

以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
閽者 門番。


杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
杷国無事憂天傾「列子」に見える故事。杞という国のある人が、天がもし崩れおちるなら、身の置きどころがないと、無用の心配をし、夜も眠れず食欲もなくなった。つまり、神経疾患になった。こういった取りこし苦労を「杞憂」という語源である。○貕貐「山海経」に見える怪獣。少咸という山に獣がすみ、そのかたちは牛のごとく、体は赤く、顔は人、足は馬、名を竊寙(せつゆ)という。なき声は赤子のようで、こいつは人を食う。貕貐はすなわち竊寙である。


騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
騶虞 白い虎。体に黒いもようがあり、尾は胴体より長い。生きた動物を食わず、生えている草をふみつけない。想像上の仁獣である。「詩経国風上」騶虞はなさけあるけものとされ、仁徳のある君主の期待をもつ者として登場する。○手技飛操持彫虎 猿と虎と戦うことを比喩して、貧窮と疎賤の二つに対して常にたたかい、これにうちかつことだという。儒教の言葉、故事である。○焦原 山東省の莒(きょ)県の南三十六里のところに、横山と呼ばれる大きな岩があり、それが焦原である。広さ五十歩、百幅(幅は、両手を左右にひろげた幅)の深さの谷川に臨み、非常に危険な場所である。莒の国でも、これに近づこうとする者がいなかったが、一人の勇者があらわれ、後向きに歩いて崖のはしで足のかかとをそろえた。世にたたえられたが、そもそも正義ということは、この焦原のように高いものだ。そして賢者は、正義のためには、どんなに危険をおかしてでも、足のかかとを焦原の石の上にそろえるようなことをやってのけ、しかも、少しも苦痛を言わない。儒教の一節。


帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。


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梁甫吟 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -296

梁甫吟 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -296


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。

#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


宮島(3)


現代語訳と訳註
(本文)
#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。


(下し文)
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。

(現代語訳)
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。


(訳注)#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
高陽酒徒 高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。○草中 草がぼうぼうと等見た野原の中。民間、在野。○長揖 両手を前でくみあわせて上から下へ腹の辺までさげる。敬礼の一種であるが、王に対する最敬礼でなく、軽い会釈にすぎない。○山東隆準公 のちに漢の高祖となる沛公すなわち劉邦をさす。沛の豊邑(いまの江蘇省豊県)の人である。豊県は、山東省にちかい。「史記」の高祖本紀に、高祖は生れつき「隆準にして竜顔」とある。隆は高い。準は、音がセツ、鼻柱のこと、隆準公は、鼻の高いおやじさん。
高適の詩(2)塞上聞吹笛  田家春望 参照


入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
 身体をかがめ、手のあたりまで頭をさげる、おじぎ。○ 走らせる。雄弁に語ることの意。〇両女輯洗来趨風 沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。。○趨風 風のように走りまわる。


東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
東下斉城七十二 漢王(沛公)の三年の秋、楚の項羽は漢を撃って賛陽(河南)を攻め落した。漢の軍は退却して河南の肇県と洛陽の間に立てこもった。一方、沛公の部将である韓信が、東の方で斉の国を攻めていた。酈生はこのとき、沛公に進言し、斉を漢の東方の同盟国とするために斉王の田広を説得する案を出した。沛公は同意した。酈生は斉におもむき、田広に会って言った。「王は、天下の帰一するところを知っておられますか」「知らぬ」「王が天下の帰一するところを知っておられるなら、斉の国をたもてましょうが、もし知っておられないなら、斉の国はたもてないでしょう」「天下はどこに帰一するだろうか」「漢王に帰一しましょう」「どういう根拠で、そう言うのか。」酈生はそこで、雄弁をふるって天下の形勢を論じ、楚の項王の不徳をのべ、漢の沛公の人徳をのぺ、「後れて漢に帰服する国が先ず亡びましょう。王がはやく漢王に降服されるなら、斉の国はたもてましょうが、もし漢に降らなければ、たちまち危険滅亡がやって来ましょう」とまくしたてた。田広は酈生のことばを信じ、斉の七十二城をあけわたした。韓信はそれをきくと、軍隊を動かして斉を掌った。漢軍の来襲をきいた斉玉田広は、だまされたと知り、酈生に向い、「汝が漢軍の侵入をとめたら、わしは汝を生かしておくが、さもなければ、汝を煮殺してしまうぞ」と言った。野生「大事業をなす者は、細かい事はどうでもよい。わたしは、おまえごときのために前言を変えはせぬ。」斉王はついに、酈生を煮殺し、兵をひきいて東方に逃げた。「史記」酈生陸質列伝。○旋蓬 風にふかれて飛びまわるヨモギの穂
 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
狂客 きちがい扱いにされた余計者。一つのことに夢中になって他の意見を取り入れない頑固者。杜甫も狂夫とつかう。○落魄おちぶれる。「史記」弥生の伝に「家貧にして落塊、以て衣食の業を為す無し」とあるのを用いた。


我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。
攣竜 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。○明主 賢明な君主。玄宗をさす。○砰訇 大きな音。○天鼓 かみなり。星の名前。天から鼓が降った夢を見て身ごもった母から生まれた少年「天鼓」は、本当に天から降った鼓を打って妙なる音を響かせた。話を聞いた帝に鼓を召されることになったので、惜しんで山に隠れ、見つけられて川に沈められたが、鼓は鳴りやまなかった。父が呼ばれて打つと鼓は鳴り、川辺で管弦講によって弔うと天鼓の霊が現れて舞を舞うという。宇宙は大きく、空は澄み渡り、心も澄み渡る。清らかな世界という意味。

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梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295

梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。
韓愈の地図00
 

現代語訳と訳註
(本文)
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。


(下し文) 梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。


(現代語訳)
梁甫山
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。


nat0026
(訳注)
○梁甫吟
 楽府の古い題の一つ。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。


長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
(長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。)
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
長哺 長く、すみきった声を出して詩歌を吟じる。○陽春 陽気のみちみちた春。春という季節は、万物をはぐくみ育てる、それにも似た君主の慈愛恩恵を、暗に意味する。「楚辞」の「九弁」に、「恐らくは慈死して陽春を見るを碍ざらん」(恐らくは忽ち死んで春を見られねであろう)という句が、君主から放逐されて絶望の意中を述べたところに見える。

君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
(君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。)
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
朝歌屠叟 朝歌は地名。大むかし、殷の時代のみやこ、河南省にあった。屠叟は、屠牛(牛殺し)のじいさん。朝歌の牛殺しのじじいとは、周の太公望、呂尚のことである。伝説によると、かれはかつて朝歌において牛殺しをしていたことがあり、棘津(河南省延津県)においては行商人をしていたし、橎渓(いまの駅西省宝鶏県の東南にあり、源は南山から出、北に流れて渭水に入る)では魚を釣っていた。八十歳のときに、はじめて周の文王に出遇った。文王は立ちどころにその人物を見抜き、この人こそ自分の父の大公が、かねがね望んでいた軍師である、だから太公望と呼ぶといって連れて帰り、非常に重くかれを用いた。かれは、文王の子の武王をたすけて駿を討ち、天下を定め、斉の国の始祖となった。○渭浜渭水のほとり。


寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
(寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。)
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
壮気 意気さかんに。○経論 天下をおさめ人民をすくう方策。


廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
(広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。)

十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
三千六百鉤 鉤はつりばり。一年は三百六十日、十年で三千六百日っ毎日表を垂れると、十年で三千六百鈎となる。太公望は八十歳のときから洞水のほとりで釣りをし、九十歳のときに文王に遇った、その間の十年間(一説では、七十から八十までの間)釣りをしていたことをさす。また、清の沈徳潜の説では、三千六百鈎は、天下をことごとく釣ることで、文王を釣り出したという意味に解する。○風期風塵、または、風采に同じ。人品。びとがら。○ しらぬうちに。しらず、しらず。○文王 文王(未詳- 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる。)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。


大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。
(大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。)
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。
虎変 「易経」に「大人虎変」とあるのに基づく。虎の毛皮のもようの鮮やかなように、非凡な大人物は、あざやかに変化する。「君子豹変」も出典は同じく、現在使われるような惑い意味ではなく、本来は、君子が過を改めて善にうつることの際立って著しいことを意味する。「大人」というのは「君子」よりも、一枚上の人物。○当年 当時。○頗似 いささか似ている。頻はいささか。(顔は少であり甚ではない。)○尋常 ふつう。なみ。

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越中秋懷 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283

越中秋懷 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283
越中に行っているときの詩と思われるものに「越中秋懐」がある。

李白の足跡5

越中秋懷
越水繞碧山。 周回數千里。
越中の水域、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江の流域の緑濃き山をめぐり歩いた、その巡り歩いた距離は、数千里にもなるだろう。
乃是天鏡中。 分明畫相似。
この地方の長江の流れ、湖こそは、月が影を落とし、天を映して自分の風流にあたって満足させる。又、明らかなことは、絵の描かれた景色に似ていることである。
愛此從冥搜。 永懷臨湍游。
わたしはこの地を愛してやまないそして、静かな隠遁のできる所をさがす、長い間その静かな場所、臨湍で遊ぶことを思っているのだ。
一為滄波客。 十見紅蕖秋。 」
一度、旅人としてここの仙界の様な海の波を見てからというもの、もう十度も秋の赤い蓮の花の咲くのを見たことになる。
觀濤壯天險。 望海令人愁。
また、海の波涛が天に届くかのようなこともある、ここに来て海を眺めると人は愁いに浸ってしまうのだ。
路遐迫西照。 歲晚悲東流。
旅路のはるかに長いこの路を西日が焦がしている、もう今年も終わりそうだ人生も川の流れが東流するのと同じように流れていくのだ。
何必探禹穴。 逝將歸蓬丘。
どうして、古代の禹帝の埋葬先を探さないといけないのだろうか、それより仙人の棲むとされる蓬莱山の丘に帰るのがいいのだ。
不然五湖上。 亦可乘扁舟。」

そうでなければ、越中の五大湖の上にただ一槽の船でもいいから浮かべている方が良いのである。

越水 碧山を繞る。 周回すること數千里。
是れ乃ち天鏡に中(あた)る、分明 相い似ること畫なり。
此を愛して 從って冥を搜し、永く臨湍に游ぶこと懷う
一たび滄波の客と為し、十たび紅蕖の秋を見る。
濤を觀ること 天に壯じて 險し、海を望むこと 人をして愁わしむ。
路遐(ろか) 西照に迫る、歲晚(さいばん) 東流 悲し。
何ぞ必ず 禹穴を探さん、將て蓬丘に歸らんとして逝かん。
然ずんば 五湖に上ざる、亦 扁舟に乘るべし。

 戦国時代勢力図

越中秋懷 現代語訳と訳註
(本文)
里。似。/搜、游。秋。愁。/照、流。丘。舟。
越水繞碧山、周回數千里。
乃是天鏡中、分明畫相似。」
愛此從冥搜、永懷臨湍游。
一為滄波客、十見紅蕖秋。
觀濤壯天險、望海令人愁。」
路遐迫西照、歲晚悲東流。
何必探禹穴、逝將歸蓬丘。
不然五湖上、亦可乘扁舟。」

(下し文)
越水 碧山を繞る。 周回すること數千里。
是れ乃ち天鏡に中る。 分明 相い似ること畫なり。」
此を愛して 從って冥を搜し。 永く臨湍に游ぶこと懷う
一たび滄波の客と為し。 十たび紅蕖の秋を見る。
濤を觀ること 天に壯じて 險し。海を望むこと 人をして愁わしむ。」
路遐(ろか) 西照に迫る。 歲晚(さいばん) 東流 悲し。
何ぞ必ず 禹穴を探さん。將て蓬丘に歸らんとして逝かん。
然ずんば 五湖に上ざる。 亦 扁舟に乘るべし。」


(現代語訳)
越中の水域、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江の流域の緑濃き山をめぐり歩いた、その巡り歩いた距離は、数千里にもなるだろう。
この地方の長江の流れ、湖こそは、月が影を落とし、天を映して自分の風流にあたって満足させる。又、明らかなことは、絵の描かれた景色に似ていることである。
わたしはこの地を愛してやまないそして、静かな隠遁のできる所をさがす、長い間その静かな場所、臨湍で遊ぶことを思っているのだ。
一度、旅人としてここの仙界の様な海の波を見てからというもの、もう十度も秋の赤い蓮の花の咲くのを見たことになる。
また、海の波涛が天に届くかのようなこともある、ここに来て海を眺めると人は愁いに浸ってしまうのだ。
旅路のはるかに長いこの路を西日が焦がしている、もう今年も終わりそうだ人生も川の流れが東流するのと同じように流れていくのだ。
どうして、古代の禹帝の埋葬先を探さないといけないのだろうか、それより仙人の棲むとされる蓬莱山の丘に帰るのがいいのだ。
そうでなければ、越中の五大湖の上にただ一槽の船でもいいから浮かべている方が良いのである。


(訳注)
越水繞碧山。 周回數千里。

(越水 碧山を繞る。 周回すること數千里。)
越中の水域、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江の流域の緑濃き山をめぐり歩いた、その巡り歩いた距離は、数千里にもなるだろう。
越水 春秋時代の越の国、杭州を中心にして、金陵、廬山、黄山、宣城、会稽、など、長江下流域、銭塘江りゅうき流域を示す。○碧山 緑豊かな山であるが、李白は憧れを込めて、仙人の里という意味で「碧」を使っている。○ 周回 前句の越水の地域を周回すること。○數千里 直線距離でないため実際の距離でなく沢山の距離を示す。。


乃是天鏡中。 分明畫相似。
(是れ乃ち天鏡に中る、分明 畫 相い似たり。)
この地方の長江の流れ、湖こそは、月が影を落とし、天を映して自分の風流にあたって満足させる。又、明らかなことは、絵の描かれた景色に似ていることである。
乃是 乃は判断、断定を強調する。これこそ~である。○天鏡 天の鏡の意味から、月を指す。あるいは、湖を指す。ここでは、鏡湖、西湖などであろう。○分明の用語解説 - [名・形動](スル)《古くは「ふんめい」とも》 1 他との区別がはっきりしていること。あきらかなこと。また、そのさま。ぶんみょう。「―な事実」 2 明らかになること。


愛此從冥搜。 永懷臨湍游。
(此を愛して 從って冥を搜し、永く臨湍に游ぶこと懷う。)
わたしはこの地を愛してやまないそして、静かな隠遁のできる所をさがす、長い間その静かな場所、臨湍で遊ぶことを思っているのだ。
臨湍 かって隋の時代に存在した湖南省、浙江省にの県名、地方の名前。


一為滄波客。 十見紅蕖秋。 」
(一たび滄波の客と為し。 十たび紅蕖の秋を見る。」)
一度、旅人としてここの仙界の様な海の波を見てからというもの、もう十度も秋の赤い蓮の花の咲くのを見たことになる。
滄波 水の青さ・清らかさを李白は滄海をイメ―ジして使う。『古風 其十二』。隠遁を意識した語。仙境に至るまでの蒼海に釣り糸を垂れるという意味の使い方をする。○紅蕖 紅色の蓮のはな。


觀濤壯天險。 望海令人愁。
(濤を觀ること 天に壯じて 險し、海を望むこと 人をして愁わしむ。)
また、海の波涛が天に届くかのようなこともある、ここに来て海を眺めると人は愁いに浸ってしまうのだ。


路遐迫西照。 歲晚悲東流。
(路遐(ろか) 西照に迫る、歲晚(さいばん) 東流 悲し。)
旅路のはるかに長いこの路を西日が焦がしている、もう今年も終わりそうだ人生も川の流れが東流するのと同じように流れていくのだ。
路遐 旅路の長いこと。。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくこと、中國の川の流れは、東に向かって流れるものであり、常識であることの意味でつかわれる。


何必探禹穴。 逝將歸蓬丘。
(何ぞ必ず 禹穴を探さん、將て蓬丘に歸らんとして逝かん。)
どうして、古代の禹帝の埋葬先を探さないといけないのだろうか、それより仙人の棲むとされる蓬莱山の丘に帰るのがいいのだ。
禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。○蓬丘 蓬莱山の丘。仙界の丘を指すし、隠遁をしめしている。


不然五湖上、亦可乘扁舟。」
(然ずんば 五湖に上ざる。 亦 扁舟に乘るべし。)
そうでなければ、越中の五大湖の上にただ一槽の船でもいいから浮かべている方が良いのである。
扁舟 小さな舟。小舟。『東武吟』、『古風五十九首 第十八』、『把酒問月』、『宣州謝朓樓餞別校書叔雲』、『秋登宣城謝眺北楼』などあるが、李白の憧れとして詩の終わりに使い結んでいる。

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越中」の美しい風景を歌い、紅色の蓮花を見ることすでに十度、浙江の海を望んで波を見て、壮大な景色を味わっているが、やはり歳月の移りゆくのを悲しんでいる。
そして終わりに、仙境に行きたいがそれは難しく、それより江湖に扁舟を浮かべて、人知れずどこかに行ってしまうほうがよいかもしれぬ、と歌っている。安禄山の乱のために、政治参加への希望をどう変えていくのか悶々の日々の詩である。李白は、刻中、越中に落ち着くこともなく、また旅に出る。永王鄰への参加には並々ならぬ決意が必要だったのだ。



隠遁で「扁舟」を浮かべて暮らしたいと願う詩である。
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古風五十九首 第十八 李白

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望金陵漢江 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -281

望金陵漢江 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -281
李白の詩もたくさんある。初めの予定と次第に変わって行きつ戻りつして予定をオーバーしてしまう。現在唐宋詩について、杜甫700首の予定でけいさいしている。李白は350首の予定であったが、杜甫、李白について予定はあって無い様なものである。ひとまず掲載して後日整理をしていくことにしている。厳密に時系列に並べなおすことが難しい李白である。時系列より、気の赴くまま、掲載を続けていくこととしよう。今回は、猛虎行の中で魚を釣ってゆっくり暮らそうと隠遁への憧れを李白が強がって述べたことと同様のものである。
 
望金陵漢江 李白210 
 
金陵望漢江
漢江回萬里、派作九龍盤。
漢水と長江は万里をめぐって大河と成している。その九ある支流はまるで九龍の大皿のようなものである。
橫潰豁中國、崔嵬飛迅湍。
山が迫り早瀬となると水しぶきは峻岳に飛ぶようにこの地からの文化は決潰し横にひろがり、国の中心に溢れひろがっているのだ。
六帝淪亡後、三吳不足觀。
文化の華が開いた六朝時代が滅亡してから後というもの、今の州知事の蕭曹以外に三呉の地に見るべきリーダーの者いないのだ。
我君混區宇、垂拱眾流安。
天下は、何にもしないで「開元の治」と邊あんな時代を過ごした。ところが、わが党の玄宗は異民族の混血などに平安だった区切りの内側、あらたな節度使にして、反乱を起こす原因を作った。
今日任公子、滄浪罷釣竿。
だから、安禄山の叛乱によって、今日のように乱れてしまっていたら、任公子が居たらどうするであろう。隠遁して、会稽山の山の上から釣竿に糸を垂れている場合ではなかろう。


金陵にて漢江を望む
漢江(かんこう)  万里を廻(めぐ)り、派を作(な)す 九龍の盤。
横潰(おうかい)し 中国 豁(ひろ)し、崔嵬(さいかい)  迅湍(じんたん) 飛ぶ。
六帝(りくてい)  淪亡(りんぼう)の後、三呉(さんご)   観るに足らず。
我が君  区宇(くう)を混(こん)じ、垂拱(すいきょう)し 衆流(しゅうりゅう) 安し。 
今日の任公子(じんこうし)、滄浪(そうろう) 釣竿(ちょうかん)を罷(や)めたり。


toujidaimap216



金陵望漢江 現代語訳と訳註
(本文) 
盤。湍。觀。安。竿。
漢江回萬里。 派作九龍盤。
橫潰豁中國。 崔嵬飛迅湍。
六帝淪亡後。 三吳不足觀。
我君混區宇。 垂拱眾流安。
今日任公子。 滄浪罷釣竿。


(下し文)
漢江(かんこう)  万里を廻(めぐ)り、派を作(な)す 九龍の盤。
横潰(おうかい)し 中国 豁(ひろ)し、崔嵬(さいかい)  迅湍(じんたん) 飛ぶ。
六帝(りくてい)  淪亡(りんぼう)の後、三呉(さんご)   観るに足らず。
我が君  区宇(くう)を混(こん)じ、垂拱(すいきょう)し 衆流(しゅうりゅう) 安し。 
今日の任公子(じんこうし)、滄浪(そうろう) 釣竿(ちょうかん)を罷(や)めたり。


(現代語訳)
漢水と長江は万里をめぐって大河と成している。その九ある支流はまるで九龍の大皿のようなものである。
山が迫り早瀬となると水しぶきは峻岳に飛ぶようにこの地からの文化は決潰し横にひろがり、国の中心に溢れひろがっているのだ。
文化の華が開いた六朝時代が滅亡してから後というもの、今の州知事の蕭曹以外に三呉の地に見るべきリーダーの者いないのだ。
天下は、何にもしないで「開元の治」と邊あんな時代を過ごした。ところが、わが党の玄宗は異民族の混血などに平安だった区切りの内側、あらたな節度使にして、反乱を起こす原因を作った。
だから、安禄山の叛乱によって、今日のように乱れてしまっていたら、任公子が居たらどうするであろう。隠遁して、会稽山の山の上から釣竿に糸を垂れている場合ではなかろう。

宮島(1)

(訳注)
漢江回萬里、派作九龍盤。
漢水と長江は万里をめぐって大河と成している。その九ある支流はまるで九龍の大皿のようなものである。
漢江 漢水、湘水など九の支流が集まって合流して長江を大河にしている。


橫潰豁中國、崔嵬飛迅湍。
山が迫り早瀬となると水しぶきは峻岳に飛ぶようにこの地からの文化は決潰し横にひろがり、国の中心に溢れひろがっているのだ。
橫潰 ・横 横に広がる・潰1 秩序ある形がくずれる。乱れ散り散りになる。「潰走・潰滅・潰乱/決潰・崩潰」 2 ただれてくずれる。○豁 [音]カツ広々と開けているさま。あけっぴろげ。「豁然・豁達」○崔嵬の用語解説 - [ト・タル][文][形動タリ]山で、岩や石がごろごろしていて険しいさま。「―たる岩山」 [形動ナリ]堂や塔などが高くそびえているさま。
○この聯は倒句として見る。


六帝淪亡後、三吳不足觀。
文化の華が開いた六朝時代が滅亡してから後というもの、今の州知事の蕭曹以外に三呉の地に見るべきリーダーの者いないのだ。
六帝 通常、古代の聖帝を示す語であるが、下句対句の三呉から、六朝南北朝時代をしめすものである。と。○  1 さざなみ。「淪(りんい)」 2 沈む。落ちぶれる。「淪没・淪滅・淪落/沈淪」○三吳 吳の地の吳郡・吳興・會稽をさす。ここの州の知事と友人関係であったことは、「猛虎行」でも述べていた。


我君混區宇、垂拱眾流安。
天下は、何にもしないで「開元の治」と邊あんな時代を過ごした。ところが、わが党の玄宗は異民族の混血などに平安だった区切りの内側、あらたな節度使にして、反乱を起こす原因を作った。
區宇 区切りの内側。宇は「天地四方上下」つまり上下前後左右、三次元空間全体、漢「淮南子斉俗訓」。 「宇」は「天」、「宙」は「地」を意味する。○垂拱 書経(武成)「垂拱而天下治」。衣の袖を垂れ、手をこまぬく意。何もせず、なすがままに任せること。通常は、何にもしないで天下がよく治まっていることにいう。垂裳(すいしよう)。この聯も倒句としてみるとよくわかる。


今日任公子、滄浪罷釣竿。
だから、安禄山の叛乱によって、今日のように乱れてしまっていたら、任公子が居たらどうするであろう。
隠遁して、会稽山の山の上から釣竿に糸を垂れている場合ではなかろう。
任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。○滄浪 通常、あおあおとした波。蒼波(そうは)。 (滄浪)川の名。中国湖北省を流れる漢水の一部の異称という。ここでは前句の任公子から神仙の棲む島までの滄海、つまり隠遁して魚を釣る青々とした海でという意味である。


猛虎行#4 
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

「猛虎行」の詩とこの「望金陵漢江」と天下の騒乱を何とかしたいのではあるが、李白の胸の内は、どうしようもないためにいたたまれないのである。

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江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280


江西送友人之羅浮 「廬山諮」詩の他に,「江西送友人之羅浮」と題する詩の中でも,李白は自らを「楚狂」
と称している。

江西送友人之羅浮
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
君はここから旅たち羅浮山に行く、私は峨眉山にでもかえって休息をする。
中閥道萬里、霞月逼相思。
羅浮山と峨眉山では道を万里離れてしまう。月に綺麗な霞がかかっていて互いの思いにより隔たりは狭まるであろう。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。


江西で友人の羅浮に之くを送る
爾は去りて羅浮に之き、我は還りて峨眉に憩う。
中閥 道 万里、霞月 遥かに相思わん。
如し楚の狂子を尋ぬれば、瓊樹 芳枝有らん。

miyajima 709330

江西送友人之羅浮 現代語訳と訳註
(本文)
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。

(下し文)
爾は去りて羅浮に之き、我は還りて峨眉に憩う。
中閥 道 万里、霞月 遥かに相思わん。
如し楚の狂子を尋ぬれば、瓊樹 芳枝有らん。

(現代語訳)
君はここから旅たち羅浮山に行く、私は峨眉山にでもかえって休息をする。
羅浮山と峨眉山では道を万里離れてしまう。月に綺麗な霞がかかっていて互いの思いにより隔たりは狭まるであろう。
それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。


(訳注)
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
君はここから旅たち羅浮山に行く、私は峨眉山にでもかえって休息をする。
羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。○峨眉 峨眉山は山の名前。道教や中国の仏教の聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一番高い峰が万仏頂(標高3,098メートル)で、頂まで32の名刹が続いている。後漢時代から仏教施設の建設が始まり、南宋時代に最盛期を迎えた。
中國歴史rihaku00

中閥道萬里、霞月逼相思。
羅浮山と峨眉山では道を万里離れてしまう。月に綺麗な霞がかかっていて互いの思いにより隔たりは狭まるであろう。
中閥 敷居。通常功績を記した門柱を言う。ここでは峨眉山と羅浮山を柱に見立てた敷居とすることから隔たった距離を示す。○霞月 朝焼け、夕焼け。美しい。艶めかしい。かすむ。かすみたなびくつき。ここでは、前の聯の羅浮と峨眉がすべて美人、女性を連想させる語である。○ 1 圧倒するような勢いで近づいてくる。押し寄せる。また、せり出している。


如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
それで江南の楚の国が好きで君と同じように道教の仙人になっているであろう。玉のようにきれいな樹木、仙境の樹木や王宮の宮殿の樹木、きれいな女性と一緒にいることだろう。
楚狂 道教の拠点。隠遁を意味する。晋の謝安、謝朓、王羲之のように芸妓を携えての本拠地。これら中央朝廷から離れた隠者が、時機が到来する前この地にいたことを示す語である。○瓊樹 玉のようにきれいな樹木。仙境の樹木。王宮の宮殿の樹木。○芳枝 かぐわしい細い枝。美人の細い腕をいうのであろう。

 羅浮山と峨眉山とは,隔たること万里。もし君が私を訪ねてきてくれることがあるならば,私の所には玉の樹に芳しい花が咲いていることだろうと歌う。「瓊樹」は,仙境を連想させる詩語である。つまり,君が尋ねてきてくれる頃には,自分はすでに仙道を成就して仙境に居るだろう、と歌っているのである。


 総じて,李白が自ら任じた「狂」は,俗世から距離を置いたアウトサイダー,もしくは俗世を超脱した世界に住む仙人としての「楚狂」であり,後に述べる儒家的な杜甫の場合とは大きく異なり,道家的,ないしは道教的な傾向の強いものであった。

 当時の道教は、逃げてきたり、年を取って捨てられた娼婦の受け入れをしていた。そのあたりから、山の名前と女性と結びついてくるのである。隠遁をすることと女性が一体化している李白流である。それは決して不真面目ということなのである。女性を人と見ない時代であっても李白流の女性論ということではなかろうか。
 


蜀の峨眉山出身の蘇東坡が羅浮山を詠っている。

食茘枝 蘇東坡(蘇軾) 

羅浮山下四時春,盧橘楊梅次第新。
日噉茘枝三百顆,不辭長作嶺南人。

茘枝(れい し)を食す             
羅浮山下は  四時(しいじ) 春、盧橘(ろ きつ)楊梅(ようばい)次第に新たなり。
日に噉(く)らう 茘枝(れいし) 三百顆、辭せず  長(とこし)へに 嶺南人(れいなんじん)と作(な)るを。

○食茘枝:レイシを食べる。 ・茘枝 れいし。中国南方原産の果物。赤い果皮の中に白色半透明で薫り高い果肉の果物。南方方言経由の呼称ではライチ。


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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279

猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その4回目

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』 旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。 一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。 朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。 暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。 有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。 有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。 三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。

猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。
五重塔(2)
 


猛虎行#4 現代語訳と訳註
(本文) #4

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

(下し文) #4
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。


(現代語訳)
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。


(訳注)
#4
 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
溧陽 現在江蘇省常州市に位置する県級市。  三月春 三月は春の終わり、科挙試験、地方においても試験が終わり合格者は貴族の庭に自由に出入りし、祝ってもらえる。長安の貴族の庭には牡丹、梨の花が咲き乱れ、柳絮が飛び交っていた。叛乱軍は略奪、強奪を残虐にしていた。


胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。

叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
胡雛 当時の漢人が異民族に対する蔑視の表現であり、「胡のくそガキ」という意味である。○呉歌の白紵(はくちょ) 李白「白紵辞」李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞  晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。
○梁塵 溧陽の地は梁の国の中心であった。その地にいた叛乱軍、異民族の兵士を示す。


丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
丈夫 張旭のこと。○相見 二人があっていること ○且為楽 久しぶりのことでとても楽しいもの。○槌牛 牛を殺して料理をする。○撾鼓 太鼓をうちならし音高くするさま。 ○会衆賓 州知事や地元の文人などがみんなで集まることを言う。


我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。
釣東海 「東海に釣りをする」は、『荘子』「外物」篇に、任公子が、大きな釣針で牛五十頭を餌にして、会稽山でうずくまり東海に糸を投じたという寓話にもとづくものである。○得魚笑寄 風流人、隠者の楽しみの表現である。


 張旭とは長安時代の飲み仲間である。気心知れている友人である。モれに対しては思う気持ちを偽りなく打ち明けられる。おそらくこのときは、剣中まで行って隠遁でもするつもりではなかったろうか。自分は「策がある」が認められないし、今や安禄山の乱まで起きて大混乱の世である。前途に対する希望は失いかけていたにちがいない。


 深陽から剣中に向かってゆくが、どの道を通ったか分からない。この地方は、かつての呉・越の地である。長安を追放されて以後、詐梁を中心に各地に遊び、南はこの地を通り、会稽方面まで行っている。あるいはそれより前、長安に入る以前にも、この呉・越の地を遍歴していると思われる。この地に関係する詩に、『唐詩選』にも収められている有名な「蘇台にて古えを覧る」と[越中にて古えを覧る]がある。同時期の作でないかもしれないが、亡国の悲しみを歌うところを見ると、安禄山の乱後、乱を避けて刻中に行く途中、呉・越の地を通りつつ、国家の危機を感じて、亡国の感慨を歌ったものではなかろうか。

李白8  蘇台覧古

李白9  越中覧古


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猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278

猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その3回目


猛虎行
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。

#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3

#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


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現代語訳と訳註
(本文)
#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


(下し文)
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3


(現代語訳)
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。


(訳注)#3
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

(訳注)

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。


有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 3~40cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。
 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。○繞床 床を廻る○三匝 三匝さんかいまわる 三方を囲む 、○一擲 一回賽を投げろと連呼する
梁園吟  李白42


楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
○風云 機会をつかんで世の中で活躍する
 
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
三吳 吳の地の吳郡・吳興・會稽をさす。○邦伯 州の長官。刺史。○盼顧 振り返ってじっと見る。 ○四海 天下。中国全土。○雄俠 英雄的な任侠の人を言う。


蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。
蕭曹 漢の創業の功臣蕭何しょうかや曹参そうしん曾て○沛中 沛公、劉邦。江蘇省の沛県の官吏であったと作す。

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李白『梁園吟』
連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて賽する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

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猛虎行#2 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275

猛虎行#2 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275

 父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。

「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。

猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」日歸功未建、時往歳載陰。-#1
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
急絃無懦響、亮節難爲音。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生誠未易、曷云開此衿。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。

○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今

猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。
#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。

猛虎行 陸機 #2 現代語訳と訳註
(本文)
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

(下し文) #2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。

(現代語訳)
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。



(訳注)#2
崇雲臨岸駭 鳴條随風吟

崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
○自分の意志に反した戦いの中で、自然は何も変わっていないことを示す。


靜言幽谷底 長嘯高山岑
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
○この聯も戦いに来ている自分を風流なことをするにより慰めていると考えられる。


急絃無懦響 亮節難爲音
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
○この詩は,儒教者の陸機が人生観を述べるのにこうした舞台を想像して詩を作っている。 ○亮節 淸く明かるさを持った仁徳に対する淸操。ここでは心晴れ晴れとして出る高い声で詠う詩の一節を言う。


人生誠未易 曷云開此衿
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。 


眷我耿介懐 俯仰愧古今
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。
耿介 かたく志を守って譲らぬこと。詩人としては誇りだが、政治生活の中ではうとまれるものでもあったろう。


 父が亡くなる直前まで心配し、兄が死んででも守ろうとした祖国。その祖国を滅ぼした国に仕えるとき、彼は気持ちだったのだろう……。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。(まあこれは呉の方言を馬鹿にされたり、祖父や父を嘲られたことに起因するが)それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。


陸機(りく き) 261年 - 303年 永安4年(261年) - 太安2年(303年))は、呉・西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。本籍は呉郡呉(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都であった建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。儒学の教養を身につけ、礼に外れることは行なわなかった。同じく著名な弟の陸雲と合わせて「二陸」とも呼ばれる。文弱で親しみやすい弟に比して、陸機は郷党から畏れられていたが、洛陽に出て西晋に仕えてからは、兄弟ともに呉出身の人士のリーダー的存在であった。西晋のみならず、六朝時代を代表する文学者の一人であり、同時代に活躍した潘岳と共に、「潘陸」と並び称されている。特に「文賦(文の賦)」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。また書家としては、彼の「平復帖」(北京故宮博物院所蔵)が現存する最古の有名書家による真跡とされる。
陸機(りくき) あざなは士衡(しこう) 中国西晋時代の詩人
呉の名族陸家の出身 祖父に陸遜、父に陸坑を持つ

261(0) 陸抗の四男として誕生
274(13) 父・陸抗病死・兄弟で父の兵を継ぐ
   (この間に三番目の兄が死亡か)
280(19) 戦で二人の兄を失う。祖国呉が晋に滅ぼされる。
|        この間、弟とともに故郷に籠る。
290(29) 周囲の説得に応じて晋に士官。

301(40) 陸機の仕えていた趙王司馬倫、帝位簒奪を狙うが誅殺される。
        側近であった陸機は周囲の計らいによって罪を許される。
303(42) 讒言による謀反の疑いをかけられ、処刑。
       弟、息子も連座して、陸家直系の血も絶えた。
                   

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猛虎行#1 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274

      
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猛虎行#1 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274


猛虎行 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274
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猛虎行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -268



 父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。

「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。


猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
悪木豈無枝、志士多苦心。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
整駕肅時命、杖策將尋遠。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
日歸功未建、時往歳載陰。-
#1
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった。

崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今

猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。

#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。



猛虎行 現代語訳と訳註
(本文)

渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。
整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」
日歸功未建、時往歳載陰。-#1


(下し文)
猛虎の行(うた)

渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。


(現代語訳)
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった。


(訳注)
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
○孔子の故事の引用。そのように立派に生きたいということ。「飢えては猛虎の穴に食らい 凍えては野雀の林に栖む」より、その志に反するという悔しさを表す儒教者の教えをいう。陸機の教条的なことを示す一語といえる。


悪木豈無枝、志士多苦心。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
志士多苦心 聖人を意識して、常日頃、論語を確認して悩むことを示す。


整駕肅時命 杖策將尋遠
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
○士太夫は武具をそろえ、馬を調教し、馬車を仕立てておくもの、だがそれが自己の利益のために使われることがあってはならない。


飢食猛虎窟 寒栖野雀林
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
猛虎窟 野盗盗賊のようなまねをするさま。○野雀林 雀の巢のあるはやしでやすむことは、農家や、村の中で勝手に泊まることのさまをいう。


日歸功未建 時往歳載陰
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった
日歸 日が沈むことを繰り返すこと。何日も過ぎたことを言う。
功未建 「以義建功」(義をもって功を建てる)の基本からして何らの功績をあげられて異なこと。○載陰 『神農本草』「秋冬為陰」(秋冬を陰と為す)

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答湖州迦葉司馬問白是何人 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -271

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答湖州迦葉司馬問白是何人

青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。

 

青蓮(せいれん)居士(こじ)謫仙人(たくせんにん)、 酒肆(しゅし) 名を藏すること三十春(さんじゅうしゅん)。
湖州(こしゅう)の司馬 何ぞ問いを須いん、金粟(こんぞく)如來(にょらい)是れ身を後にす。

 

 

答湖州迦葉司馬問白是何人 現代語訳と訳註

(本文)
青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。

 

(下し文)

青蓮(せいれん)居士(こじ)謫仙人(たくせんにん)、 酒肆(しゅし) 名を藏すること三十春(さんじゅうしゅん)。
湖州(こしゅう)の司馬 何ぞ問いを須いん、金粟(こんぞく)如來(にょらい)是れ身を後にす。

 

(現代語訳)
湖州の迦葉司馬が「李白はどんな人物か」とたずねたのに答える。
仏教を勉強して青蓮居士と名乗り、道教を勉強して道士となり賀知章公から謫仙人と称せられた、酒場にて酒を飲むこと三十度春の新酒を飲んでおり、その名で蔵ができるほどだ。
湖州の司馬どのは、わざわざわたしに問われてなんとされるのか、金粟如来の生まれかわり、維摩居士こそ、このわたくしであるように、いい米が実ってくれれば、いいお酒ができるというもので、もっと本質を見る勉強をなされよ。

 

(訳注)
答湖州迦葉司馬問白是何人

湖州の迦葉司馬が「李白はどんな人物か」とたずねたのに答える。
湖州 現在の浙江省呉興。1981年、呉興県を廃止して湖州市に併せる。唐代には、湖州とも呉輿とも呼ばれていた。戦国時代の楚考烈王15年(紀元前248年)、楚国の春申君(楚の相の敬称)黄歇が封ぜられ城を築き、菰城と名付ける(菰が多い為)。下菰城とも。○迦葉司馬 -「迦葉」という姓の司馬。摩訶迦葉(まかかしょう)「頭陀第一」と讃えられる仏教教団の重鎮。釈迦亡き後の教団を指導した。釈迦の弟子中「迦葉」の名を持つ者は多く、また各々それなりに軽からざる人物である。例えば、成道前からの修行仲間にして最初の仏弟子の1人である十力迦葉。或いは、釈迦に随従することになる出家の弟子1250人の内、実にその1000人を率いてそっくり入信した迦葉3兄弟、即ち優楼頻螺(うるびんら)迦葉・伽耶(がや)迦葉・那提(なだい)迦葉 等。 しかしそれらの迦葉に比べても彼の功績はずば抜けて偉大である為、特にその名に「摩訶」(「大」の意)を冠して「摩訶迦葉」と呼び慣わす。ここの「迦葉」は、それを姓とする中国人は、インドからの帰化人を遠祖とするとされている。(宋、鄭樵『通志』巻二十九「諸方復姓」)。「司馬」 は、刺史・長史に次ぐ州の属官。科挙に及第したてで配属されていることが多い。この詩は、たずねたのが「迦葉司馬」という仏教を連想させる姓の役人だったので、結句において「金粟如來の後身」という仏教的な人間として自分を説明したもの。
 

青蓮居士謫仙人。 酒肆藏名三十春。
仏教を勉強して青蓮居士と名乗り、道教を勉強して道士となり賀知章公から謫仙人と称せられた、酒場にて酒を飲むこと三十度春の新酒を飲んでおり、その名で蔵ができるほどだ。
青蓮居士 李白の自称。李白の出身地が蜀の「青蓮郷」だったから、ともいわれるがそれだけでは李白に人間的深まりがなくなる。・「青蓮」は水蓮の一種。仏典では白蓮華、紅蓮華、青蓮華、黄蓮華があり、このうち青蓮華と黄蓮華がスイレンと言われている。仏典に頻出して、仏の眼に喩えられるものである。また、阿弥陀如来立像の蓮台というように仏像の台に出てくるようになる。・「居士」は、在家の仏教信徒。ここでは、釈迦の弟子維摩詰居士を連想した表現。○謫仙人 天上界から人間界に流涌(左遷)されてきた仙人。李白にとってきわめて重要な意味をもつ別称。 神仙にたとえられるような非凡な才能をもった人。道教からの評価、詩人としても最大の評価といえる。李白の詩才をほめて使っている。李白『對酒憶賀監其一』「長安一相見,呼我謫仙人。」(長安に 一たび相ひ見(まみ)え,我を謫仙人と呼ぶ。) 
○酒肆 酒を飲ませる店。酒場。李白『金陵酒肆留別』、『少年行』など。○ ここでは、収蔵し、とどめる、の意。酒を貯蔵する蔵と掛けて名を収蔵する酒に喩えて。○三十春 ただ、三十回春を迎えてきたというだけでなく、この句の初めの「酒」、「蔵」、「春」と言う意味から、この春には新豊の春の一番の酒を表している。酒を楽しむものの至福の時なのだ。王維『少年行』 「新豊の美酒 斗十千咸陽の遊侠 少年多し」、風雨』 李商隠など数多くの詩人が新豊の美酒を詠っている。李白の詩は、掘り下げれば、奥が深いものなのだ。それは、短い詩ばかり読んでいてはわからないことが多いということなのだ。

李白『楊叛兒



湖州司馬何須問。 金粟如來是後身。
湖州の司馬どのは、わざわざわたしに問われてなんとされるのか、金粟如来の生まれかわり、維摩居士こそ、このわたくしであるように、いい米が実ってくれれば、いいお酒ができるというもので、もっと本質を見る勉強をなされよ。
何須 なんとなす。必要がない。・「不須」もちいずの類語。○金葉如来 - 維摩居士の前身。金菜如来がこの世に来化して維摩居士になったとされる。ここでは実った稲穂を指すものと思 われ、それによってうまい酒が作られることの比喩という意味を含む。○後身 生まれかわり。「前身」 の対語。仏教説話としては、「金栗如来の後身」は「維摩居士」 であり、いいお米の生まれ変わりはいいお酒なのだ。

 

解説

○韻字 人・春・身。


30年酒を飲んできたことの結論である。勉強しつつも今を喜び、今を楽しく生きていても自分のみに勉強の積重ねはなされているものだ。量から質への変化を成しているのであるから、見た目だけの判断、聞いてわかろうとするものではないということを教えたものである。自らの勉学の深さ、高さによって物事は見るものである。見てわからないから、聞いてわかろうとする、科挙及第間もない若者に教えたのであろうと思われる詩である。詩人は、苦労している、それも並みのものではない。苦労が多ければ多いほど、その一字一句が味わい深いものとなっている。



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憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

李白、会稽、紹興滞在中の作である。内容から、永王鄰の軍への参加より前の作である。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだ。朝廷に上がる以上は隠遁以外で再び訪れることとは思っていなかった場所なのだ。
宮島(5)

其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。


憶東山二首其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。


(下し文)
我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

(現代語訳)
私は今謝安が東山で芸妓ととも過ごしていたころと同じだ、気合を入れて、時が来れば、長い歌を吟じて奸臣の輩を絶滅させるのだ。
謝安のように東山の客としていた以上は同じように時期が来れば立ち上がって、国を救おうと思っている。長安の状態を打開して叛乱軍を平定して偽の皇帝と名乗っているものを払い落としてみせる。


(訳注)
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。

私は今謝安が東山で芸妓ととも過ごしていたころと同じだ、気合を入れて、時が来れば、長い歌を吟じて奸臣の輩を絶滅させるのだ。
攜謝妓 晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。時期が来るまで、待っている賢者というものは、一喜一憂しない。敵を油断させる方法にも幾通りもある。ここに言う「芸妓を携えて」というのは、国外のみならず国内にも敵がおり、国を建てなおすにも相手の状況の分析を行い、時機が到来して立ち上がったのであるが、東山に白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所といわれ、妓女と酒を飲んで時期を待っていたことを言う。謝安について李白『送裴十八図南歸嵩山其二』「謝公終一起、相與済蒼生。」とあり、送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164
また、李白『梁園吟』「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。」とある。

長嘯 李白が長嘯という語を使うのはそれを機に行動を起こす場合の言葉としている李白42 梁園吟.。
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216
李白『經亂後將避地剡中留贈崔宣城」(乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る)では、安禄山の叛乱軍を小馬鹿にして長嘯している。
「雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。」
(双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。)
東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。
また、李白 『贈王大勧入高鳳石門山幽居』

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

「投躯寄天下、長嘯尋豪英。」(躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。) 天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
李白『游泰山六首其一』

李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)
「天門一長嘯。萬里清風來。」
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
天門に一たび長噴すれば、万里より清風釆たる

使い方としては「長嘯して~する」、ということである。



欲報東山客。 開關掃白云。
謝安のように東山の客としていた以上は同じように時期が来れば立ち上がって、国を救おうと思っている。長安の状態を打開して叛乱軍を平定して偽の皇帝と名乗っているものを払い落としてみせる。
東山客 謝安と同じ志を持っている李白のこという。○開關 関は関中で通常は長安をさすが、京畿とかんがえ洛陽を含む叛乱軍を指すと考える方が良い。
白云 天上にあるもの、手に届かないものであり、温かく見守るものの象徴としている。東山を思う二首の場合、天子を指している。其一では、希望夢であり、粛宗を指し、其の二では叛乱軍の大燕皇帝を指すものと思う。
李白『憶東山二首 其一』憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす

秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350
祧波一步地。  了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。

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憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

 

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李白、会稽、紹興滞在中の作である。内容から、永王鄰の軍への参加より前の作である。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだ。朝廷に上がる以上は隠遁以外で再び訪れることとは思っていなかった場所なのだ。



憶東山二首  李白
其一
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。

向わざること東山に久し、薔薇 幾度(いくたび)か花く。
白雲また自ら散す、明月 誰が家に落ちん。

pla011

憶東山二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

其一
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。

(下し文)
向わざること東山に久(ひさ)し、薔薇 幾度(いくたび)か花(さ)く。
白雲 また自ら散(さん)す、明月 誰が家に落ちん。

(現代語訳)
二度と東山にはいかないと決めていてもう長いこと行っていない、薔薇の花も幾度も咲いただろうが花の様な芸妓たちは元気でいるのだろうか。白雲は自然に散り去っていく、美しい月は、輝くような芸妓は今日は誰の家にいるのだろうか。

(訳注)
不向東山久。 薔薇几度花。
二度と東山にはいかないと決めていてもう長いこと行っていない、薔薇の花も幾度も咲いただろうが、花の様な芸妓たちは元気でいるのだろうか。
不向 向わないと決めたこと。起承転結、それぞれの初めが対語になっている。不向に対して、薔薇は堅い約束を示す。
起:不向  承:薔薇  
転:白云  結:明月

東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。謝安(320年 - 385年)は中国東晋の政治家。王義之らと同時期のひと。
○几(幾)  数詞. 1.いくつ; 2.いくつか. 名詞. 1.(~儿)小さな机; 2.ひじかけ. 副詞. 1.〈書〉ほとんど.

白云還自散。 明月落誰家。
白雲は自然に散り去っていくように長安を追われて旅の空なのだ、美しい月は、輝くような芸妓は今日、誰の家にいるのだろうか。(天子は誰の意見を取り入れるべきなのか、いまだわかっていないようだ)
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす。李林甫と宦官高力士、楊貴妃、楊国忠ら奸臣の意見しか取り入れなくなり、異民族、混血などの節度使に力を与えたことなどを込めた詩であえう。
立身出世をするものは、おおらかにしているものであり、時期が来るのを待っているものだ。今を楽しく愉快に過ごしていないものがどうして人の上に立ってけん引していくことができるというのか。謝安は遊ぶときには芸妓を伴って、徹底的遊んだものである。

 天子に正しい意見、情報が伝わらなくなってしまって誰が正しいのかわからなくなってしまっている。謝安も自分も芸妓遊びをしたとしても物の本質を見失うことはないのだ。この地において咲く花は薔薇であるが、天子のもとには牡丹の花、楊貴妃の色香に狂ってしまっている。誰の意見を聞き入れるのか。

一般的な解釈
東山に足を向けなくなって久しいが、薔薇は幾度目の花をひらいたか。皇霞もう思い思いに散ってしまったことだろう。明月はさて誰の家の屋根に沈んだものか。
一般的な下し文
東山(とうざん)に向(む)かわざること久(ひさ)し、 薔薇(そうび)は幾度(いくたび)か花(はな)さきし 白雲(はくうん)の他(かれ)は自(おの)ずと散(ち)らん 明月(めいげつ)は誰(た)が家(いえ)にか落(お)つ。

  (東山にはずいぶんご無沙汰しているが、薔薇は何度咲いたやら、真白き雲はきままに散っていようが、月は誰の家の屋根へと沈み行くことか)。 



  このような李白の女性に対する性的な部分のみをこの詩の主題と解釈してはいけないのである。一般的な解釈をしてしまうと憶東山二首其二が意味不明になってしまう。李白は会稽、紹興に帰ってきてこの詩を作ったのではないのである。
 李白はいくつもの意味合いを込めて詠うのである。したがって、味わい深いのである。儒教的見方をすると李白がまた女性との性を詠っていると毛嫌いするようでは味わい深い李白の詩が死んでしまう。


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贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -232

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229
「王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る」李白


756年至徳元年、廬山の屏風畳にいた頃の作。王判官はわかっていないが、別離後、久しく会っていない彼に、これまでの自己の足跡を語り今の心境を寄せたものである。


贈王判官時余歸隱居廬山屏風畳
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
何處我思君、天台綠蘿月。』
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。
云山海上出、人物鏡中來。
海上に湧き上がってくる雲の山はひとのかたちを出してきた、時には水面が鏡のようになり雲の人物を写してこちらに来るようでもあった
一度浙江北、十年醉楚台。
ひとたび この銭塘江わたって浙江の北に旅した。 十年たった今、楚の国の中心だったところにいて、こうして酒に酔っている。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
荊州では屈原、宋玉に傾倒した、江蘇地方では梁の国の食客であった鄒陽、枚乗、司馬相如らに傾倒して学んだのだ。
苦笑我夸誕、知音安在哉。』
苦しいことも笑えることもわたしは大げさに言い立てたりしたのだ。 よく心の中を知りあっている人はどこにいるのだろうか。』
大盜割鴻溝、如風掃秋葉。
いまや大盜賊化して略奪の限りを尽くす安禄山の叛乱軍は項羽と劉邦が対峙したように潼関でにらみ合っている。天下に吹く風というものは 落ち葉を掃き清めてくれるものである。
吾非濟代人、且隱屏風疊。』
わたしは経済人ではないし、大衆迎合などできないのだ、 且くはここ屏風疊に隱れているのだ。』
中夜天中望、憶君思見君。
昼も夜も大空を仰ぎ見ている、それは君のことを憶い 君と会えること思って見上げるのだ。
明朝拂衣去、永與海鷗群。』

しかし、明朝になったら、ここの衣を拂って去ることにしよう、これからずっと永く 海鷗とでも遊ぼうと思うのだ。』

「王判官に贈る 時に余帰隠し廬山屏風畳に居る」
むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』
苦笑す わが誇誕(こたん)、知音(ちいん) いづこ にありや。
大盗 鴻溝を割(さ)く、風の秋葉を掃うがごとし。
われは代を済(すくう)の人にはあらず、しばらく屏風畳に隠れる。』

中夜 天中を望み、君を憶うて 君を見んことを思う。
明朝 衣を払って去り、永く海鴎と群せん。』


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贈王判官時余歸隱居廬山屏風畳 現代語訳と訳註
(本文)
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
何處我思君、天台綠蘿月。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
云山海上出、人物鏡中來。
一度浙江北、十年醉楚台。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
苦笑我夸誕、知音安在哉。』
大盜割鴻溝、如風掃秋葉。
吾非濟代人、且隱屏風疊。』
中夜天中望、憶君思見君。
明朝拂衣去、永與海鷗群。』


(下し文)

むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』
苦笑す わが誇誕(こたん)、知音(ちいん) いづこ にありや。
大盗 鴻溝を割(さ)く、風の秋葉を掃うがごとし。
われは代を済(すくう)の人にはあらず、しばらく屏風畳に隠れる。』
中夜 天中を望み、君を憶うて 君を見んことを思う。
明朝 衣を払って去り、永く海鴎と群せん。』


(現代語訳)

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。
海上に湧き上がってくる雲の山はひとのかたちを出してきた、時には水面が鏡のようになり雲の人物を写してこちらに来るようでもあった
一度この銭塘江わたって浙江の北に旅した。 十年たった今、楚の国の中心だったところにいて、こうして酒に酔っている。
荊州では屈原、宋玉に傾倒した、江蘇地方では梁の国の食客であった鄒陽、枚乗、司馬相如らに傾倒して学んだのだ。
苦しいことも笑えることもわたしは大げさに言い立てたりしたのだ。 よく心の中を知りあっている人はどこにいるのだろうか。』
いまや大盜賊化して略奪の限りを尽くす安禄山の叛乱軍は項羽と劉邦が対峙したように潼関でにらみ合っている。天下に吹く風というものは 落ち葉を掃き清めてくれるものである。
わたしは経済人ではないし、大衆迎合などできないのだ、 且くはここ屏風疊に隱れているのだ。』
昼も夜も大空を仰ぎ見ている、それは君のことを憶い 君と会えること思って見上げるのだ。
しかし、明朝になったら、ここの衣を拂って去ることにしよう、これからずっと永く 海鷗とでも遊ぼうと思うのだ。』


(訳注)
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。黄鶴伝説 『列異伝れついでん』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。○広陵 揚州(江蘇省揚州市)の古名。○蹉跎 つまずいて時機を失すること。 [形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。○淮海  上海の中心的な繁華街の一つ。(4)


俱飄零落葉、各散洞庭流。』
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』 ○飄 放浪の身.○零落  枯葉


中年不相見、蹭蹬游吳越。
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
蹭蹬 不遇で志を得ないさま


何處我思君、天台綠蘿月。』
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』


會稽風月好、卻繞剡溪回。
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。


云山海上出、人物鏡中來。
海上に湧き上がってくる雲の山はひとのかたちを出してきた、時には水面が鏡のようになり雲の人物を写してこちらに来るようでもあった。


一度浙江北、十年醉楚台。
一度この銭塘江わたって浙江の北に旅した。 十年たった今、楚の国の中心だったところにいて、こうして酒に酔っている。
一度 剡渓にいたので銭塘江を渡るという意味。○楚台 その国の諸台、政治、軍事の中心であったところ。


荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
荊州では屈原、宋玉に傾倒した、江蘇地方では梁の国の食客であった鄒陽、枚乗、司馬相如らに傾倒して学んだのだ。
荊門 荊州。秋下荊門 李白 4     渡荊門送別 李白 5屈宋 荊州 生れの屈原(1)・宋玉(2)などの詩人。○梁苑傾鄒枚 梁の孝王の食客だった鄒陽、枚乗(3)で司馬相如らと共にした。枚乗ばい じょう前漢淮陰の人で賦や文章を得意とした遊説の徒。


苦笑我夸誕、知音安在哉。』
苦しいことも笑えることもわたしは大げさに言い立てたりしたのだ。 よく心の中を知りあっている人はどこにいるのだろうか。』
誇誕 大げさに言い立てること。見栄を張って、ぎょうさんそうに誇ること。○知音 よく心の中を知りあっている人。親友。


大盜割鴻溝、如風掃秋葉。
いまや大盜賊化して略奪の限りを尽くす安禄山の叛乱軍は項羽と劉邦が対峙したように潼関でにらみ合っている。天下に吹く風というものは 落ち葉を掃き清めてくれるものである。


吾非濟代人、且隱屏風疊。』
わたしは経済人ではないし、大衆迎合などできないのだ、 且くはここ屏風疊に隱れているのだ。』
濟代人 経済人。大衆迎合のひと。そろばん勘定で動く人。


中夜天中望、憶君思見君。
昼も夜も大空を仰ぎ見ている、それは君のことを憶い 君と会えること思って見上げるのだ。


明朝拂衣去、永與海鷗群。』
しかし、明朝になったら、ここの衣を拂って去ることにしよう、これからずっと永く 海鷗とでも遊ぼうと思うのだ。』
海鷗群 世の中の人。庶民。・海鷗は遊女ということも考えられる。


参考------------------------------------
(1)屈原(くつげん) [前340ころ~前278ころ] 中国、戦国時代の楚(そ)の政治家・詩人。名は平。原は字(あざな)。楚の王族に生まれ、懐王に仕え内政・外交に活躍したが、汨羅(べきら)に身を投じたという。

(2)宋玉(そうぎょく) ? 中国、戦国時代、楚(そ)の文人。楚王に仕え、のち落魄の生涯を送ったといわれるが、生没年・伝記ともに未詳。屈原の弟子とされる。

(3)枚 乗(ばい じょう、生没年不詳)は、前漢の人。字は叔。淮陰の人。賦や文章を得意とした遊説の徒。
呉王劉濞の郎中となっていたが、呉王が漢に対し恨みを持ち反逆しようとすると、枚乗は上書してそれを諌めた。しかしながら呉王はそれを取り上げなかったので、枚乗は呉を去って梁へ行き、梁王劉武の元に就いた。
景帝前3年(紀元前154年)に呉王はついに他の六国と共に反乱を起こし(呉楚七国の乱)、晁錯の誅殺を反乱の名目に掲げた。漢はそれを知ると晁錯を殺して諸侯に謝罪した。枚乗は再び呉王に対し書を奉り、速やかに兵を帰還させることを説いたが呉王は用いず、反乱は失敗に終わり呉王は滅びた。
役人となることを喜ばず、病気と称して官を辞して再度梁の賓客となった。梁の賓客の中でも彼が最も賦に長じていた。

(4)淮海 上海の中心的な繁華街の一つ。
広義の淮海路は人民路から西蔵南路までの淮海東路、西蔵南路から崋山路までの淮海中路、崋山路から虹橋路までの淮海西路の三つを含む。淮海東路は373メートル、淮海西路は1506メートルである。終端は越境路まで続いている。淮海西路と淮海東路は淮海中路に繋がっているが一本道とは言えず、中路と東西路は趣が異なる。



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送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -231



其一
君尋騰空子。 應到碧山家。
水舂云母碓。 風掃石楠花。
若愛幽居好。 相邀弄紫霞。
 
送內尋廬山女道士李騰空二首  其二
多君相門女。 學道愛神仙。
君も、今君が会おうとしている人も、名門の門閥で、しかも 宰相の家の娘ではないか、そうでありながら、「道」を学んでおり、道教、神仙思想を愛するのである。
素手掬青靄。 羅衣曳紫煙。
神仙の世界に入って、万物の創生される青い靄を白い手で掬い取るのだ、そして薄絹の衣裳をつけて、香しいお香の霞がたなびく「気」を引き寄せるのだ。
一往屏風疊。 乘鸞著玉鞭。

こうして、一度、女道士李騰空の屏風畳の仙居にゆくのである、神霊の精の鸞鳥に乗って天子に正しいことができる宝玉で飾った鞭を使うであろう。

内が廬山の女道士李騰空を尋ぬるを送る 二首 其の二
多とす  君が相門(しょうもん)の女(じょ)にして
道(みち)を学び神仙(しんせん)を愛するを
素手(そしゅ)  青靄(せいあい)を掬(きく)し
羅衣(らい)   紫烟(しえん)を曳く
一(ひと)たび屏風畳(へいふうじょう)に往(ゆ)かば
鸞(らん)に乗って玉鞭(ぎょくべん)を著(つ)けん
宮島(3)

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
多君相門女。 學道愛神仙。
素手掬青靄。 羅衣曳紫煙。
一往屏風疊。 乘鸞著玉鞭。

(下し文) 其の二
多とす  君が相門(しょうもん)の女(じょ)にして、道(みち)を学び神仙(しんせん)を愛するを。
素手(そしゅ)  青靄(せいあい)を掬(きく)し、羅衣(らい)   紫烟(しえん)を曳く。
一(ひと)たび屏風畳(へいふうじょう)に往(ゆ)かば、鸞(らん)に乗って玉鞭(ぎょくべん)を著(つ)けん。


(現代語訳)
君も、今君が会おうとしている人も、名門の門閥で、しかも 宰相の家の娘ではないか、そうでありながら、「道」を学んでおり、道教、神仙思想を愛するのである。
神仙の世界に入って、万物の創生される青い靄を白い手で掬い取るのだ、そして薄絹の衣裳をつけて、香しいお香の霞がたなびく「気」を引き寄せるのだ。
こうして、一度、女道士李騰空の屏風畳の仙居にゆくのである、神霊の精の鸞鳥に乗って天子に正しいことができる宝玉で飾った鞭を使うであろう。


(訳注)
多君相門女。 學道愛神仙。

君も、今君が会おうとしている人も、名門の門閥で、しかも 宰相の家の娘ではないか、そうでありながら、「道」を学んでおり、道教、神仙思想を愛するのである。
相門女 李白に妻宗氏が宰相を出したような家の娘である。今回会うのは、少し前の宰相李林甫の娘である。○ 道教の「道」。○神仙 神仙思想。


素手掬青靄。 羅衣曳紫煙。
神仙の世界に入って、万物の創生される青い靄を白い手で掬い取るのだ、そして薄絹の衣裳をつけて、香しいお香の霞がたなびく「気」を引き寄せるのだ。
青靄 道教の修行の場に漂うもの。李白『訪載天山道士不遇』「野竹分青靄、飛泉挂碧峰。」(野竹の林は青い靄を分かつように立っている。滝の飛沫(しぶき)が緑の峰にかかっている。) 。○紫煙 香を焚くことによる煙。


一往屏風疊。 乘鸞著玉鞭。
こうして、一度、女道士李騰空の屏風畳の仙居にゆくのである、神霊の精の鸞鳥に乗って天子に正しいことができる宝玉で飾った鞭を使うであろう。
屏風疊 五郎峰の麓の村。 ○乘鸞 鸞は神霊の精が鳥と化したものとされている。「鸞」は雄の名であり、雌は「和」と呼ぶのが正しいとされる。鳳凰が歳を経ると鸞になるとも、君主が折り目正しいときに現れるともいい、その血液は粘りがあるために膠として弓や琴の弦の接着に最適とある。○玉鞭 宝形句で飾られた鞭、天子の正しい政を示す。捌き。


(解説)
○五言古詩
○押韻 仙。煙。鞭。

 内(妻)に対する其の二の詩で、「多とす 君が相門の女にして 道を学び神仙を愛するを」と、宗氏が宰相を出したような家の娘でありながら、道教を学んで神仙を愛するのは、奇特なことだと褒めている。李白自身、743年天宝三載、朝廷を追放となった李白は東魯の家に帰り、杜甫と遊び、ひとときを過ごした後、北海の高尊師、如貴道士に頼んで道士の免許(道録)を授かっている。

 詩中ではしばしば神仙の世界への憧れを詠っている。この詩は李白が屏風畳に行く前らしく、妻のほうが先に行って、李白があとから行ったものである。夫婦二人でしばらく鷹山に住んでいたのだ。


 李白の夢想した理想世界とは、天災や疫病・戦争などがなく、君主は英明で臣下も賢明、また物資が豊かで経済が安定し、家族が円満で、人々が健康で長生きし、徳義がそなわり等といったものであったろう。しかし、その夢はかなわず、政治の世界での挫折感は、李白を深く苦悩させることとなった。
しかし、この頃、李白は名山に遊ぶことを夢に見、廬山に棲み、詠ったのである。

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送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230


金陵から江をさかのぼって廬山に入り、五老峰の下の屏風畳にしばらく隠棲することにした。
756年至徳元年五十六歳のときである。安禄山が天下を二分してしまった危機を打開したいとは思うが、いまはなにもできない。まずは屏風畳に隠れ住むよりしかたがないと李白は考え、廬山の諸名勝を眺めながら、世俗を超越して無心に塵山の自然に融けこんだ。ここで生涯を送ろうと考えたのである。(「贈王判官、時余帰隠居廬山屏風畳」(王判官に贈る。時に余は帰隠して廬山の屏風畳に居る)廬山を詠んだ詩は多いが、そのすべてがこのとき詠んだかどうかは明らかではない。廬山の名勝の瀑布を望む詩「廬山の瀑布を望む」二首があるが、若き時代、蜀より長江を下ってここを過ぎたとき立ち寄ったとも考えられるが、746年の作として掲載した。

望廬山五老峯 李白  李白特集350 -226

望廬山瀑布水 二首其一 #1 350 -227

望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ350 -228

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白特集350 -229



望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。


李白は、廬山屏風畳には妻宗氏と棲んでいた。宗氏は李白の三人目の妻で、魏顥の『李翰林集』序に、「終に宗に娶る」とあるの。梁園にいるとき結婚した妻である。この妻が廬山の女道士李騰空(宰相李林甫の娘)を尋ねるのを送った「内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る」二首がある。李騰空は屏風畳の辺に住んでいた。
 この詩は李白が屏風畳に行く前らしく、妻のほうが先に行って、李白があとから行ったものである。夫婦二人でしばらく鷹山に住んでいたのだ。

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一   
君尋騰空子 応到碧山家。
君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
水舂雲母碓 風掃石楠花。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
若恋幽居好 相邀弄紫霞。

もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。


内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る  二首其の一
君は尋ぬ  騰空子(とうくうし)、応(まさ)に碧山(へきざん)の家に到るべし。
水は舂(うすづ)く  雲母(うんも)の碓(うす)、風は掃(はら)う  石楠(せきなん)の花。
若(も)し幽居(ゆうきょ)の好(よ)さを恋わば、相邀(あいむか)えて紫霞(しか)を弄(ろう)せん。

56moonetsujo250

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

君尋騰空子 応到碧山家。
水舂雲母碓 風掃石楠花。
若恋幽居好 相邀弄紫霞。

(下し文)
内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る  二首其の一
君は尋ぬ  騰空子(とうくうし)、応(まさ)に碧山(へきざん)の家に到るべし。
水は舂(うすつ)く  雲母(うんも)の碓(うす)、風は掃(はら)う  石楠(せきなん)の花。
若(も)し幽居(ゆうきょ)の好(よ)さを恋わば、相邀(あいむか)えて紫霞(しか)を弄(ろう)せん。

(現代語下し文)
君が  騰空子を尋ねてゆくなら、たぶん緑の山中の家に到るだろう
水車の臼で雲母を搗き、風が石楠花の花を散らす
もし静かで奥深い生活を恋(した)いなら、迎えて共に紫霞などとあそぶだろう。

(現代語訳)
君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。


(訳注)
君尋騰空子 応到碧山家。

君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
騰空子 752年まで宰相をしていた李林甫二人の娘の内の一人、李騰空。女道士道士で、屏風畳の辺に住んでいた。歿直前から権威は奈落に落ち、死後も鄭重には扱われなかった。娘としては肩身の狭い生活を送っていた。 ○碧山家 緑豊かな山の中の家であるが、李白は憧れを込めて、仙人の里という意味で「碧」を使っている。


水舂雲母碓 風掃石楠花。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
 うすづ・く 臼、搗くとおなじ。○雲母 道教に欠かせない金丹を作る原材料の一つ。 ○風掃石楠花 シャクナゲ(石南花)は、ツツジ科日本ではその多くのものがツツジと称される。低木花の総称である。低い位置で咲き誇っている、つつじを思い浮かべると、いっぱいに咲いている花を風が散らしたら趣は半減する。春ののどかな風が花びらを揺らせていくと見たほうが味わいが深い。


若恋幽居好 相邀弄紫霞。
もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。
若恋 もし~をしたいなら。○幽居 奥まった静かなたたずまいを言う。竹林の奥の方。○ 趣向 ○弄 女同士繊細なものに目を向け万物を愛する気持ちで取り扱うこと。○紫霞 朝の光に照らされて紫色に映えて見えるもやのこと。道教では万物はすべて塵の様なものの集まりである。特に朝の紫霞を集めると不老長寿の薬になるといわれている。


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玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -222

漢詩李白 222 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -222


#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
贈我數百字。 字字凌風飇。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3

雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

(下し文)
雞鳴に復た相い招かれ、清宴は雲霄に逸る
我に贈る数百字、字字風飇を凌ぐ
之を衣裘の上に繋け、相い憶うて毎に長謡せん

(現代語訳)
翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。

(訳注)
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。

翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
雞鳴 朝食を庭のテーブルでとる。


贈我數百字。 字字凌風飇
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
風飇 こころにつむじかぜをおこすこと。


系之衣裘上。 相憶每長謠。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。
系之 この詩文、長詩。○衣裘 きもの。


翌朝また招宴にあずかり、その宴会の盛んな気は空にも上るほど。きみはつむじ風をしのぐ勢いある数百字の長詩を贈ってくれた。これを身につけて、いつも思い出して歌い続けよう」。

この詩は崔侍御との友情の詩であるが、前半は遊興にふける歌で、徹底的に酒に酔う、しかも乱れに乱れていくほど、風流を味わえる。友情もしっかり確認し合えるというのが李白である。儒教の人たちから、理解されないのが、酔い乱れることと、風流を味わうというところであろうか。


鉤。樓。頭。裘。/笑。猷。流。侯。揄。羞。橈。橋。搖。/招。霄。飇。謠。


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玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御

昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』


(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾を著け、酒客数人と、秦淮に樟歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)

昨(きのう)西城の月を翫(たの)しむ、青天に玉の鉤を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草かに豪り、紫椅裳を倒に披る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝れて中流に酔う。』
諺浪れて海客を綽い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に袂を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』
雞鳴に復た相い招かれ、清宴は雲霄に逸る
我に贈る数百字、字字風飇を凌ぐ
之を衣裘の上に繋け、相い憶うて毎に長謡せん。』


『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。

たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』

わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。

翌朝また招かれお相いした、清々しい時の宴の盛り上がりは大空高くひろがっているのだ。
私に贈ってくれた数百字、字と字はつむじかぜを凌ぐ勢いのあるものである。
この詩文を衣裳のように身に着けていく、そうしてこの長謡を歌う時はいつも思い抱いていることだろう。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -221

漢詩李白 221 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -221

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
一月一見君。 三杯便回橈。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』

ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』

諺浪(たわむ)れて海客を掉(ゆす)り、喧呼し陽侯に倣(おご)る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて出でて揶揄(からか)う。』
我は君を憶いて此に到る、狂と羞とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に袂を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』


(下し文)
諺浪れて海客を棹い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。』
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に枚を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて綠水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』


(現代語訳)
たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちをたかぶらせたりしている。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。


(訳注)
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。

たわむれて海客をのせたまま竿を持ち舟をこいだり、どなりあって、陽侯たちの酔った勢いををたかぶらせたりしている。
諺浪 たわむれること。○掉 ゆらせる。○海客 海上を旅行する人。諸方を流れ歩く人。○ おごりたかぶる。陽侯


半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。
船を進めていく途中にて呉の美人妓女に逢った、簾を巻きあげて顔をだして、野卑な声をかけて冷やかすのだ。』


我憶君到此。 不知狂與羞。
わたしは崔君のことを憶い逢いたくてここ石頭まで来たのだ、途中でこんなに酔いつぶれてしまって、だから恥ずかしくて仕方がない。でも大目に見てこんな醜態知らないことにしくれないか。
○王子猷のある雪のある、月明らかな夜、友人戴逵を思い出して船で剡渓までいって彼の門まで行ったが、興ざめしてじき返したという風流人。(前述)この句以降、この王子猷の風流に乗っている。


一月一見君。三杯便回橈。
月がこんなに美しいし、君にこうして会えた、だから、ほんの三杯でも飲んだら、舟のかいをこいで帰るよ。


舍舟共連袂。 行上南渡橋。
舟から上がって共に袂をそろえよう、そして南渡橋を渡っていこう。

連袂 袂を分かつの反対語。

興發歌綠水。 秦客為之搖。
ともに、風流な興が湧いてきて昔の歌曲、『綠水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせている。


「船頭をからかったり、波の神にどなりちらす。途中、遊女に会えば、簾を上げて出てひやかす」。酔客の酔態が出ている。こうした酔態を歌うことは、李白の得意とするところで、他の詩人にはあまり見られない。さて、これから崖侍御訪問ということになる。
「狂」と「羞」といっているのは、急に思いついて崖侍御の住む石頭までやって来た行動と、舟中の異常な酔態を指していっているもので、要するに「きみに会いたくなったので、やって来た。三杯も飲めば帰る」は門まで来て帰ったが、という。背後には王子猷の風流をまねしていることを意識して、王子猷とおなじように自分は君と飲めば帰るという。気心の知れている、風流を理解しあえる友人なのであろう。儒教的な考え、見方からは理解されないものかもしれない。。
「舟から上がって共に南渡橋を渡る。興が湧いて昔の歌曲、『緑水』を歌うと、長安(秦)から来た崔侍御も、それにつれて調子を合わせる」。

玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -220

漢詩李白 220 玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -220

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)



金城付近の自然を鑑賞し、好きな月を楽しみ、友人たちと酒を飲み、歌姫をひやかし、歓楽の興に浸りこんでいる李白の姿が、このころ見られる。長安追放のことなどすべて過去のものとして忘れ去ってしまったかのようである。


鉤。樓。頭。裘。/笑。猷。流。侯。揄。羞。橈。橋。搖。/招。霄。飇。謠。


玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』

舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。


 
#2
謔浪棹海客。 喧呼傲陽侯。
半道逢吳姬。 卷帘出揶揄。』
我憶君到此。 不知狂與羞。
一月一見君。 三杯便回橈。
舍舟共連袂。 行上南渡橋。
興發歌綠水。 秦客為之搖。』
#3
雞鳴復相招。 清宴逸云霄。
贈我數百字。 字字凌風飇。
系之衣裘上。 相憶每長謠。』




(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)


#1
昨(きのう)西城の月を翫(たの)しむ、青天に玉の鉤を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草かに豪り、紫椅裳を倒に披る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝れて中流に酔う。』

諺浪れて海客を綽い、喧呼びて陽侯に倣る。
半道にて呉姫に逢い、簾を巻きて野でて椰拾う。
我は君を憶いて此に到る、狂と差とを知らず。
月下に一たび君に見えは、三杯にて便ちに槙を廻らさん。
舟を捨てて共に枚を連ね、行きて南渡の橋に上る。
興発こりて漁水を歌えば、秦客之が為に揺らぐ。』
難鴨に復た相い招かれ、清宴は雲番に逸る
我に贈る数百字、字字風鵬を凌ぐ
之を衣裳の上に繋け、い憶うて毎に長謡せん』


 現代語訳と訳註
詩題
玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹、日晚乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御

(本文) #1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。
朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。』
兩岸拍手笑。 疑是王子猷。
酒客十數公。 崩騰醉中流。』

(下し文)
詩題

(金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹す。日晩れて酔いに乗じて紫綺裳、烏紗巾をけ、酒客数人と、秦淮に歌し、石頭に往きて、崔四侍御を訪ぬ)

#1
昨西城の月を翫しむ、青天に玉の釣を垂る。
朝に金陵の酒を清い、孫楚の楼に歌い吹く。
忽ち繍衣の人を憶い、船に乗って石頭に往く。
烏紗巾を草(おろそ)かに裹(かぶ)り、紫椅裳を倒(うら)に披(き)る。』
両岸のもの手を拍ちて笑い、疑うらくは是れ王子献ならんかと。
酒客は十数公、崩勝(よいくず)れて中流に酔う。』


(現代語訳)
『金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。』

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。


(訳注)詩題
玩月金陵城西孫楚酒樓達曙歌吹日晚、乘醉著紫綺裘烏紗巾與酒客數人棹歌、秦淮往石頭訪崔四侍御
金陵城の西の孫楚の酒楼にて月を玩しみ、曙に達するまで歌吹しつづけた。それでも朝からさらに飲んで、日暮れになって酔いにまかせて朝廷の制服、紫綺裳、烏紗巾を着て、酒客数人と、船に乗り込み秦淮に行き着くまで舟歌の樟歌をうたった。そして石頭に着いたので、崔四侍御を訪ねたのである。
孫楚 東晋の酒を愛した詩人。彼の名に因んだ酒楼があったという。○紫綺裳、烏紗巾 ともに李白が、長安の翰林供奉時代に着ていた宮中の官吏服であろう。酔ったまぎれに、昔を思い出しつつ、かつての宮中における李白の権威を見せつける気持ちもあったのであろう。○崖四侍御 名は分からない。排行は四で、侍御史である。


#1
昨玩西城月。 青天垂玉鉤。

昨晩、金陵の西にある孫楚亭で月を楽しむ。大空はいっぱいに広がっていて、三日月は光り輝く鉤をを垂らしたようである
西城 金陵の西にある孫楚亭 ○翫 たのしむ。○玉の鉤 光るもので作った簾を巻き上げて止めるものが三日月に見えるのか、三日月を行として大空に垂しているといったのか。

朝沽金陵酒。 歌吹孫楚樓。
朝になると金陵の売り酒を持ってこさせた、孫楚楼に楽曲を歌い笛を吹いて楽しんだ。
 売っている酒。


忽憶繡衣人。 乘船往石頭。
それから長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人をおもいだし、船に乗って石頭に往くのである。
繡衣人 長安の朝廷で刺繍のある着飾った宮廷人


草裹烏紗巾。 倒披紫綺裘。 』
烏紗巾をおふざけで阿弥陀にかぶり、紫椅裳を裏返しに着てみたのだ。
烏紗巾 黒の紗の頭巾。○紫綺裳 紫のあや絹の上着。この服は後に掲載の「金陵の江上にて、蓬池隠者に遇う」詩を見ると、隠者と飲み、「わが紫扮装を解き、且く金陵の酒に換う」といって、酒に換えてしまうのである。


兩岸拍手笑。 疑是王子猷

両岸にいた人たちは手をたたいて笑いっている、これは風流のひとであった王子猷の再来かと驚いている。
王子猷 王子猷 王徽之[おうきし](?~388年)王徽之は書聖晋の王羲之の第五番目の子供で、彼もまた行・草書を善くしました。『世説新語』「任誕」に
「王子猷嘗暫寄人空宅住、便令種竹。或問、暫住何煩爾。
王嘯詠良久、直指竹曰、何可一日無此君」
(王子猷はかつて他人の空家にしばらく仮住まいをしていたが、すぐに竹を植えさせた。ある人が尋ねた。「少しの間しか住まないのに、どうしてわざわざそんなことをするのですか。」王はやや久しく嘯詠[うそぶ]いてから、竹をまっすぐ指して言った。「どうして一日でも此の君が無くてよかろうか」と。)  たとえ仮住まいであっても、風流な生活を忘れない王徽之は文人の典型と言うべきひとであった。 王徽之にはまた、「人琴倶亡(人と琴ともにほろぶ)」という言葉を残している。これは琴の名手であった弟の王献之(344~386年、字は子敬)の死に際して発した言葉で、『世説新語』(「傷逝篇第十七」)。にみえる。


酒客十數公。 崩騰醉中流。』
舟の中では十数人がぐでんぐでんに酔っぱらってくずれている。
○崩騰 ぐでんぐでんに酔っぱらっているさま

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經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-218 -#3

漢詩李白 218 經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-218 -#3



#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』
#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』

 
-#3
經亂後將避地剡中留贈崔宣城
赤霞動金光。日足森海嶠。
北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。
猿近天上啼。人移月邊棹。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
華發長折腰。將貽陶公誚。』
 
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。


乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』
崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。』

赤霞 金光を動かし、日足 海に森たり。

ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。

猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。

墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。

華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。』



經亂後將避地剡中留贈崔宣城 -#3 現代語訳と訳註
(本文)

經亂後將避地剡中留贈崔宣城
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』 

(下し文)
赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。

(現代語訳)
北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。


(訳註)
赤霞動金光。日足森海嶠。

北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
海嶠。海と山。


獨散萬古意。閑垂一溪釣。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。


猿近天上啼。人移月邊棹。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。

無以墨綬苦。來求丹砂要。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
墨綬 県令のしるし。○丹砂要。丹砂から不老長生の薬を作る要訣。


華發長折腰。將貽陶公誚。』 
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。
華發 白髪頭○長折腰 役人の深いお辞儀。最敬礼。○ 残す。 ○陶公誚 陶淵明からの批判。


(解説)

 この詩は「王城皆蕩覆」といっているから、長安陥落後のものと思われる。叛乱軍の猖獗は江南をも恐怖に陥れた。
この詩の前半は叛乱軍に陥った人民の苦痛を述べ、王朝軍がすべきことをしていない、作戦、統率がとれいいないことを、後半では剡溪の静かで、隠遁するにはもってこいの様子をあらわしていてして、太公望のように釣り糸を垂らすべき時期とし、陶淵明のようにさっさと辞職せよといって崔太守をもここへ誘うのである。


本文

#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』
#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』
 
-#3
經亂後將避地剡中留贈崔宣城
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』 

現代語訳
#1
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』
#2
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。
洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである。
#3
北の方から起した赤い霞に覆われて天子の御威光まですみにおいやった、日一日と海と山を森のように蹂躙している。
わたしはひとりさまざまにある思いを振り捨てて、閑(しづか)にここ剡渓において釣糸を垂れるのである。
猿が近くまできて大空まで響きわたるような声で啼いている、人は月が川面に映る当たりで棹(さをさ)している。
君のように県令のしるし墨綬(ボクジュ)においての苦労するだけだ、官を辞してここに来て隠遁して丹砂の要である「道」を探求しようではないか。
白髪の頭をして、最敬礼をして長く腰を折るようなことを続けていると、まさに陶淵明からの批判を残すことをしているだけではないか。


下し文
乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』
#2
崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。
#3
赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。

經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 217-#2

漢詩李白 217 經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 217-#2


經亂後將避地剡中留贈崔宣城
#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』

#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。
雪盡天地明。風開湖山貌。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』

洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである

#3
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』

 

乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』


崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。』

赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。


經亂後將避地剡中留贈崔宣城 現代語訳と訳註 #2
(本文)#2

崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。』
 
 (下し文)
崔子は賢主人、歓娛つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。
 
(現代語訳)
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。
洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである。


(訳註)

崔子賢主人。歡娛每相召。』
崔殿は世の中のことよくわかる賢人である宴主なのだ、よろこびたのしむことをするのにいつも気の合う人を招待している。
歡娛 よろこびたのしむこと。


胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
腰掛けがある、紫のかがやいている笛がある、そうして希望に燃えて青雲の志を胸に坐って思いのたけを叫ぶのである。
胡牀 中国北方の胡国から伝えられたという、一人用の腰掛け。戸外の行事の席や休息のために用いた。 
 
楊花滿州城。置酒同臨眺。
柳が芽を吹き柳絮が飛ぶ花さき乱れる剡中の城である。盛大に酒宴を催すことでここに集まり花を眺め、青雲の志に挑むのである。
楊花 しだれ柳、○置 盛大に酒宴を催すこと。また、酒宴のこと。・「置酒」は酒宴を開くこと。「高会」は盛大な宴会のこと。 臨眺 見晴らし。ながめ。「眺望・遠眺・臨眺」 [解字] 形声。「目」+音符「兆」(=左右に分ける)。視線を左右に走らせて遠くを見る意。ここでは前の聯の「坐青云叫」をうけているので、安禄山の叛乱に対してどう考えどうするのか話し合おうといことになる。ここで、置酒、賢人、青云、臨眺という語が関連している。


忽思剡溪去。水石遠清妙。
そんなに時がたたないうちに官を辞して剡溪に来ることを考えたらどうか、ここ剡溪は水の流れ、石渓、はるか先まで清々しいものであるのだ。

雪盡天地明。風開湖山貌。
雪という世の筋道は天地の暗いところまで明らかにしている、風という世論の力は湖山の貌というべき悪奴らをやっつけたい。


悶為洛生詠。醉發吳越調。
洛陽の書生の詩歌を詠音するにもなやみもだえている、呉や越の国の音調を発して酔うのである。
洛生詠 洛陽の書生の詠音重濁。○吳越調 呉や越の国の音調。

召。叫。眺。妙。貌。調。


經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216

漢詩李白 216 經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216

李白は安禄山と仲がいいわけなく、むしろ楊貴妃に排除されていたので、叛乱軍も李白に対していい感情はない。暫く安徽省、浙江省、金陵、宣城、剡中、そして江西省廬山と逃避している。この詩は廬山に行く前の作品で756年の前半であろう。

經亂後將避地剡中留贈崔宣城
#1
雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
何意上東門。胡雛更長嘯。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
太白晝經天。頹陽掩余照。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
四海望長安。顰眉寡西笑。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。
連兵似雪山。破敵誰能料。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
我垂北溟翼。且學南山豹。』
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』


#2
崔子賢主人。歡娛每相召。
胡牀紫玉笛。卻坐青云叫。
楊花滿州城。置酒同臨眺。
忽思剡溪去。水石遠清妙。
雪盡天地明。風開湖山貌。
悶為洛生詠。醉發吳越調。
赤霞動金光。日足森海嶠。
獨散萬古意。閑垂一溪釣。
猿近天上啼。人移月邊棹。
無以墨綬苦。來求丹砂要。
華發長折腰。將貽陶公誚。』 


乱を経たるの後将に地をに避けんとし留めて崔宣城に贈る

双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る

なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。

中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。

太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 

王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。

四海 長安を望み、眉を(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。

蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。

兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。

われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』
 
崔子は賢主人、歓媒つねにあひ召す。
胡牀 紫玉の笛、かへって青雲に坐して叫ぶ。
楊花 州城に満ち、酒を置いてともに臨眺す。
ただちまち剡溪に去るを思ふ、水石 遠く清妙なり。
雪 天地明らかに盡す、風は湖山の貌を開く。
悶えて洛生の詠をなし、酔うて呉越の調を発す。
赤霞 金光を動かし、日足 海嶠に森たり。
ひとり万古の意を散じ、閑(しづか)に一渓の釣を垂る。
猿近天上啼 猿は天上に近づいて啼き、人は月辺に移って棹(さをさ)す。
墨綬(ボクジュ)の苦をもって、来りて丹砂の要を求むるなかれ。
華髪 長く腰を折らば、まさに陶公の誚(そしり)を貽(のこ)さんとす。


經亂後將避地剡中留贈崔宣城 現代語訳と訳註
(本文)#1

雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。
中原走豺虎。烈火焚宗廟。
太白晝經天。頹陽掩余照。
王城皆蕩覆。世路成奔峭。
四海望長安。顰眉寡西笑。
蒼生疑落葉。白骨空相吊。
連兵似雪山。破敵誰能料。
我垂北溟翼。且學南山豹。』


(下し文)
乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る
双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。
中原 豺虎を走らせ、烈火 宗廟を焚く。
太白 昼 天を経(わた)り、頽陽 余照を掩(おほ)ふ。 
王城みな蕩覆し、世路 奔峭となる。
四海 長安を望み、眉を嚬(ひそ)めて西笑寡(すくな)し。
蒼生 落葉と疑ひ、白骨むなしくあひ弔ふ。
兵を連ねて雪山に似たり、敵を破ることたれかよく料(はか)らん。
われ北溟の翼を垂れ、しばらく南山の豹を学ぶ。』


(現代語訳)
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』

(訳註)
剡中(せんちゅう浙江省嵊県fg-5・6)宣城(せんじょう安徽省宣城市宣州区e―3)

rihakustep足跡

雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。その鵝が洛陽に飛びに飛んできた、それぞれ難を逃れたが、そのご五王は江南にのがれた故事があるように長江を渡りの国境の帆に逃げるのだ。
雙鵝 晋の孝懐帝の時、二羽の鵝があらわれ国が乱れる前兆となった。○五馬 晋の太安中の童謡に五馬游渡江云々、その後五王江南にのがれた。○江徼。国境である長江。


何意上東門。胡雛更長嘯。
どんな思いがあって洛陽城の門を破り陥落させたのか、そして皇帝罠乗るとはなんにもわからない胡の子供の様なものではないか、ああ、本当に情けない。
東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。


中原走豺虎。烈火焚宗廟。
王朝の主たる地域の平原を豺虎のように暴行略奪の限りを尽くしている 街の至る所に火をかけ、尊い宗廟までを焚くことをしている。
中原 中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のこと。狭義では春秋戦国時代に周の王都があった現在の河南省一帯を指していたが、後に漢民族の勢力拡大によって広く黄河中下流域を指すようになった。  ○宗廟 宗廟(そうびょう)とは、中国において、氏族が先祖に対する祭祀を行う廟のこと。ここでは洛陽付近亡山の中国の歴代王朝の宗廟をしめす。


太白晝經天。頹陽掩余照。
革命の兆、金星が真昼でも天空を渡っていくのが見えたという、夕日のような明かりが点を焦がし、いつまでも夜空を赤く染めているのである。 
太白 革命の兆、太白は金星。○頹陽 夕日。○掩余照 名残りの光。


王城皆蕩覆。世路成奔峭。
歴代の王朝の都であったところの城郭みな破壊され、ひっくり返えされている、天下の道はどこにおいてもあわただしく、騒がしさが厳しい状況なのだ。
王城 歴代の王朝の都であったところの城郭。○蕩覆 破壊され、ひっくり返る。王室が滅亡する際の語として使われている。「王室蕩覆」資治通鑑・漢紀。に基づく。○成奔峭 騒がしく、厳しい様子がさらに高く嶮しいさまをいう。


四海望長安。顰眉寡西笑。
四方の果てまでこんな有様で、長安の様子をを望み見てみる、誰もが眉をひそめている、かっては世界の中心国際都市手反映し、「西笑」といって一番楽しい所としていたのにその場所もなくなっているという。
西笑。 もとは長安を楽しいところといって西の方をむいて笑ったが。


蒼生疑落葉。白骨空相吊。
青々と生い茂って生えている樹木さえ、落葉したのかと間違えてしまう、屍は白骨となり、誰も弔うものがいなくてむなしく白骨同士で弔いをしているのだ。

連兵似雪山。破敵誰能料。
攻め入った兵は連ん綿と続いて入場し、まるで雪山になったかのようである。こうした叛乱軍を打ち破ることができる能力を持ったもの誰かいないのか。
連兵 攻め入った兵は当初15万人とされ、その後投降し他ので数十万の兵であったのだ。その中に北方出身者が多く、漢民族の黒い帽子に対して、毛皮の帽子をかぶっていたので単なる山ではなく、雪山という表現をしたのだろう。


我垂北溟翼。且學南山豹。
わたしとしては少しの間、図南の鵬翼を休めることにする、そうして、しばらく南山の豹のこじをを学び、まず叛乱軍に見つからず、情勢分析を行うことから始めよう。』
○北溟翼。極北の海にいた鯤(こん)という巨大な魚が鵬(ほう)という鳥に化け、海上を三千里飛び、旋風(ゆむじかぜ)に乗って九万里の高さに上り、南の空へ飛んでいこうとしている。「荘子-逍遥遊」「絶雲気、負青天、然後図南、且適南冥也」に基づくもの。北海の鵬の図南のつばさ。大事業をしようとする志・計画。図南の鵬翼(ほうよく)。○學南山豹。南山の黒豹はその毛皮を美しくするために霧雨の中で七日間何も食べずに毛皮を潤すことから、富谷名声にこだわらず、その前に、勉強し力を蓄えることを言う。ここでは、叛乱軍に見つからず、情勢分析を行って、同志を募ろうというところか。
(つづく)

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215

漢詩李白 215 扶風豪士歌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 215


安史の乱と李白(2)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214


李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ふつうの人と容貌もちがうし、数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男という印象がある。李白のような倣岸不遜の者から見れば、当時の高力士と同じく俗物に見えた。腰が低く権力者にとり入る性格の持ち主であって、李白とはまったく性格が合わない。むろん親しくつきあったわけではないであろう。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。

憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(浙江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。
おそらく旧遊の山水美を思い出して、煩憂の思いを消そうとしたのかもしれない。ただ、李白のこの旅を、難を避けるためとする説もあるが、必ずしもそれだけとは考えられない。やはり剣中の山水美にひかれることが多かったであろう。途中、太湖近くの漢陽(江蘇省)を通ってゆく。

この県の役人をしている宋捗に、今の気持ちを訴えて、自分は経世済民の策を実現したいと思いながら、天子の側近となったが、姦邪の臣のために重言をこうむり、天子とは疎遠の間柄になったが、しかし自分は、「何れの日か中原を清らかにして、天歩を廓げんことを相い期す」といっている。中原の乱れを救って、天子が安らかに巡幸されるようにと考えているという。この喪乱に対して、天下を安泰にしようとした決意を示したものである。この李白の決意にかかわらず、洛陽陥落の悲報はもたらされて、「扶風の豪士の歌」に李白は胸を痛めるようすがみえる。

扶風豪士歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
 
東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』

雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
 
撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』


扶風 豪士の歌
洛陽 三月に胡沙飛び、洛陽城中 人は怨み嗟く
天津の流水は波も赤血なり、白骨相い培(つちかえ)えて乱るる麻の如し
我も亦た東に奔り呉国に向かわんとす、浮雲は四もに塞がり道路は除かなり』
東方 日出で早に鴉啼く。 城門 人 開たて落花 掃く。
梧桐(こどう)楊柳(ようりゅう)金井(きんせい)拂う。醉うて來る扶風豪士の家。
扶風 豪士 天下の奇。 意氣 相傾けて山移すべし。
人を作す 將軍の勢に倚らず。 飲酒して豈 尚書の期を顧る。』

雕盤 綺食 眾客に會う。 吳歌 趙舞 香風 吹く。
原(もともと)嘗(かつて)春陵 六國の時。心開きて意を寫し君の知る所。
堂中 各々三千士 有り。 明日 恩に報いること是誰ぞ知る。』
 
長劍を撫るい。一(ひとたび)眉を揚る。 清水白石 何ぞ離れ離れになるぞ。
吾が帽を脱ぎて君に向かって笑い。君の酒を飲み君が為に吟ず。
張良は末だ赤松を逐いて去らず、橋辺の黄石のみ我が心を知る。』




扶風豪士歌
扶風の豪士の歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
洛陽の三月といえば牡丹梨花の咲き誇る嬉しい時節、ところがどうだ、異民族交じりの軍隊が砂塵を建てているではないか。洛陽城の街中のすべての人は怨み嗟くのである。
 
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
叛乱の勢いはここ天津の方まで広がって河江の流水、波までも赤血色に染まっている、戦いの後には白骨が積み重ねられていて粗雑な麻布のようにひどい状況なのだ。


我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
町中東に逃げているわたしも同じように東に向かって走り、呉の国あたにまで行こうとしている、叛乱軍は四方八方に配置されており道路には検問所のようになっている。

「扶風」郡はのち鳳翔郡と改める。長安の西に当たる。ここ出身の「豪士」とは、だれであるか分からない。李白が乱を避けて東呉に来ているとき、彼も難を避けて来ていて、意気投合した仲というのが、王玲の説である。
冒頭いきなり、洛陽が賊の手に落ち、戦乱のために血が流れ、死者の白骨が横たわることを歌う。李白の胸の痛みをまず歌ったわけで、「三月」とは天宝十五年へ童ハ)の三月であろう。「賊軍の兵馬の砂塵が洛陽春三月に舞い上がる」。常ならば花の咲く好時節であるべきなのに。「人々は怨嗟の声をあげる。あの天津橋の下を流れる洛水の水は、死傷者の血で赤くなっている。戦死着の白骨は、乱麻のように重なりあっている。自分は東のかた呉国(長江下流一帯)に行こうと思っているが、浮雲にさえぎられて道路もはるかに感ぜられる」。「浮雲」はよく邪悪の者の比喩と使われるが、ここも旅するに困難な事態でもあったのであろうか。


東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
東方の國に来れば来て観て夜明けの早起きの鶏のように、がやがや騒いでいる、城門には人が多く集まって早くから開かれているようだ春の花々はみなたたきおとさててしまっている。
 
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
鳳凰が棲む青桐の葉っぱ、女たちの土手の楊、湖水の柳、金を拂えば町にいられる。よってふらふら歩いていると長安の西の扶風地方出身の豪士の家にきている。

扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
扶風地方出身の豪士というのは天下の中でも気骨もので通っている。その気性というのは互いに酒を酌み交わし気心が知れたら山をも動かすほどなのだ。


作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』
普通の人たちで成り立ち立派な対象に統率された軍隊ではないのだ。まあひとまず酒を飲んでしばらくしたら、郭子儀尚書が約束を果たしてくれるはずである。』


雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
大皿に盛られた御馳走を集まった客人たちはきれいに食べたようだ。呉の歌がうたわれ、趙の国の舞が踊られ香わしい風が吹きわたっている。


原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
もともとかっては穏やかな丘陵地帯で、斉・楚・燕・韓・魏・趙のじだいがあったのだ。心を開いて意気を確かめ合っていれば天子の知るところである。


六国(りっこく)とは、戦国時代、秦以外の六つの大国、斉・楚・燕・韓・魏・趙をいう
。秦が西周の故地に入って周の文化をある程度受け継いだのに対して六国では独自の文化が花開いた。文字も周秦の籀文と違い、各国で独特の文字が使われた。


堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
朝廷の宮殿にはそれぞれ三千の兵士がいる。さあ、明日こそ天子の御恩に報いようではないか、これは誰が知るというのか。


撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
長剣をもってなぎ払い、まなじりをあげて怒りを示そう。「清水白石」という澄み切った水の中の白石のように、清く正しい考えというもの、理解してくれる人だけ理解してくれればいいのだ。


脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
私は帽子を脱いでしまい、きみにむかってほほえむ。
君の差し出す酒を飲み、君のために吟じよう。


張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』
張良ほどの人間はまだ赤松を置いたままでは去りはしないものだ。わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。


詩は続いて、豪士の家を訪ねて酒を飲み、意気投合する。そして、豪士の才能を称え、肝胆相照らす仲となっている。そして終わりに、

君と飲んでいると、君の豪士たる所以が分かり、「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。


自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない」。張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。賊軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。


参考
張 良
(ちょう りょう、? - 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。


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聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 209

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聽胡人吹笛 ( 觀一作)

胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
卻望長安道。 空懷戀主情。

やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。


(下し文)

胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是()れ秦声(しんせい)

十月 呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。

愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。

(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。



miyajima 709330


聽胡人吹笛 李白 現代語訳と訳註 解説・参考

(本文)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。
十月吳山曉。 梅花落敬亭。
愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
卻望長安道。 空懷戀主情。

(下し文)
胡人(こじん)  玉笛(ぎょくてき)を吹く、一半は是(こ)れ秦声(しんせい)。
十月  呉山(ござん)の暁(あかつき)、梅花  敬亭(けいてい)に落つ。
愁えて出塞(しゅっさい)の曲を聞けば、涙は逐臣(ちくしん)の纓(えい)に満つ。
却(かえ)って長安の道を望み、空しく主(しゅ)を恋うるの情を懐(いだ)く。


(現代語訳)
胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。


(訳註)
胡人吹玉笛。 一半是秦聲。

胡人がきれいに輝いている笛曲を吹いている、一曲あって次の曲の半ばまで聞いていると漢の宮廷音楽の曲だ。
玉笛 きれいに輝いている笛。漢の王朝で作曲された宮廷音楽という意味。○秦聲 漢の曲を奏でていることを示す。胡人は笛の名手が多く、笛を吹くといえば胡人と思われていたのでこの表現をしている。


十月吳山曉。 梅花落敬亭。
初冬の十月は 呉山の夜明けがうつくしい。梅花落の曲を聞けば  春の敬亭山を想い出す。
十月吳山曉 この句は下句の梅花落と関連する。梅花落というのは、「霜中能作花。露中能作實。」(霜中に能く花を作し、露中に能く実を作す)梅花は霜の中で花を咲かせ、霜の中で実を結んでいる。初冬10月は初霜、呉山の暁に木々の葉に霜の花が咲き、きれいということを示している。李白の詩は、この奥深さ、味わいの深さが楽しい。○梅花落 笛の曲に「梅花落」というものがある。この詩は、その曲を頭において作詩している。鮑照の詩(解説・参考1と2)


愁聞出塞曲。 淚滿逐臣纓。
出塞の曲を聞けば、悲しみの愁いは胸に満ちてくる、思い出せばいっぱいの涙にあふれてくる、自分は天子から朝臣の徴の冠の紐を賜った事に執着しているのである。
出塞曲 漢代の宮中音楽「楽府」、李延年等は『出塞』『入塞』の曲を作っている。この曲をもとに王昌齢、王之渙、高適など、笛曲、梅花落、出塞と結びつく。李白26 塞下曲六首参考 ○逐纓臣 一度天子に仕えたが都を追われた朝臣。纓は天子から賜れた冠の紐。 


卻望長安道。 空懷戀主情。
やはり私は 長安の朝廷へ通ずる道を望んでいる、(それが宦官の讒言などにより通じないので)今はただ、むなしいことだけれど天子を恋い慕い詩を作るのである。



(解説・参考)
○ 詩型 五言古詩
○ 押韻 聲。亭。/纓。情。



 李白は自分の詩の編纂を若き詩人魏万(のち顥と改名)に頼んでいる。この詩はそのことをうかがわせる詩である。
 854年天宝十三年、広陵(揚州)に姿を現わす。広陵では彼を最も崇拝し、兄弟のごとき交わりを結んだ魏万と出会った。魏万は、李白の名を慕って、山東・開封地方を訪ね、ついで南下して、江蘇・浙江省に至って、広陵ではじめて会った。山西にある王屋山に隠遁して王屋山人と号した。李白五十四歳のときである。魏万は、このときのことを『李翰林集』序で、(白を訪れんとして、天台に遊び、広陵に還り、之を見る。眸子烔然けり。哆ること餞えたる虎の如く、或いは是れ束帯し、風流にして醞籍やかなり。)
といっている。“詩を詠う時、ひとみが輝いて、飢えた虎のように素晴らしい句が次々に吐き出されてくる。その詩は、風流であり、卓越した雰囲気をかもしだしている。”と魏万は李白に心酔しているのである。


 李白の方は、「送王屋山人魏萬還王屋 并序」(王屋山人魏万の王屋に還るを送る)で、(身には日本の裳を著て、昂蔵りて風塵より出ず)といって、世俗を超越した態度をとって、隠遁している王屋山に還ってゆく姿を歌っている。この「日本裳」が、阿倍仲麻呂から贈られた日本の布で作ったものであること、その自注に明らかであり(「哭晁卿衡 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白163参照)。互いに肝胆相照らして、以後、諸所を歴遊し、共に金陵に至って別れる。この遍歴は李白にとって久しぶりの楽しいものであった。

 二人の友情の厚かったことは、詩の贈答はむろんのこと、このとき、李白は、その詩文をことごとく出して、魏万に文集を編纂させたことである。自分の詩文集を編纂させることは、自己の情報がすべてわかるわけで、場合によっては首が飛ぶことになるかもしれない。全くの心を許した仲でなければできないことである。この詩文集は、861年上元末、李白生前中にできたが、現存しない。ただ、魏万(顥)の序文が残り、いきさつが分かるのである。

 金陵に至っては一つのエピソードが『旧唐書』 に載せられている。長安を追放されてから、(乃ち江湖を浪跡い、終日沈いに飲む。時に侍御史の崔宗之、金陵に謫官され、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜舟に乗って采石(南京と当塗の中間にある采石磯) より金陵に達る。白は官錦袍を舟中に衣、顧り瞻みて笑倣いし、傍らに人無きが若し。)とある。久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。あるときには、月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。長安時代の李白に返り、かつての李白の面目が再びよみがえってきたようである



参考1
杜甫は「春日李白を憶う」の中で、李白の詩の俊逸さを (鮑照の詩のようだ)と例えている。
「清新庾開府、俊逸鮑参軍。」(清新 庾開府(ゆかいふ)、俊逸 鮑参軍(ほうさんぐん)。)
清新なる君の詩風は、北周の庚信のようであり、それと俊逸な詩風は宋の飽照のようである。

春日憶李白 杜甫25


参考2
「梅花落」 鮑照
中庭雜樹多、偏為梅咨嗟。
問君何獨然、念其霜中能作花。
露中能作實、搖蕩春風媚春日。
念爾零落逐寒風、徒有霜華無霜質。
 
中庭に雜樹多きも、偏えに梅の為に咨嗟す。
君に問う 何ぞ独り然るや、
「念え 其霜中に能く花を作し、
露中に能く実を作すを。
春風に搖蕩し 春日に媚ぶるも、
念え 爾らは零落して寒風を逐い、
徒らに霜華有って霜質無きを。」


鮑照 412 頃-466 六朝時代、宋の詩人。字(あざな)は明遠。元嘉年間の三大詩人の一人として謝霊運・顔延之と併称された。



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醉後贈從甥高鎮  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-206

醉後贈從甥高鎮  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-206


醉後贈從甥高鎮
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに同情しあう。
欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。




醉後贈從甥高鎮 現代語訳と訳註
(本文)

馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』

(下し文)
馬上相逢うて 馬鞭を揖(いつ)し、客中相見て 客中に憐れむ。
撃筑悲歌を邀(むか)えて飲まんと欲するも、正に値(お)う家を傾けて酒銭の無きに。
江東の風光 人に借(か)さず、枉殺す落花 空しく自のずから春なるを。
黄金手を逐うて 意の快(まま)に尽き、咋日産を破りて 今朝貧なり。
丈夫何事ぞ 空しく嘯傲(しょうごう)する、如(し)かず頭上の巾を焼却せんには。
君は進士と為るも 進むを得ず、我は秋霜 旅鬢に生ぜらる。
時清けれど英豪の人に及ばず、三尺の童児も廉藺に唾す。
匣中の盤剣 鞞魚を装うも、閑(あだ)に腰間に在って 未だ渠(かれ)を用いず。
且つ将って酒に換えて 君と与に酔い、酔帰して呉の専諸に託宿せんとす。

(現代語訳)
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに同情しあう。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。


(語訳と訳註)
醉後贈從甥高鎮
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
従甥 自分の家の女子が他家に嫁入して生んだ子。○高鎮 李白の詩「従甥高五に贈別す」の高五と同人物であるらしい。


馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに共感しあう。
敬礼する。○客中旅のさなか。○ 共感する。


欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
撃筑悲歌 筑は、中国古代の楽器。形は琴に似ていて、竹尺で綾を撃ち鳴らす。戦国時代の燕の国の侠客、荊軻は、酒がすきで、かれの友だちである犬殺しや高漸離という筑の名手と、毎日、燕の市中で酒を飲んだ。酔いがまわると、高漸離が筑を撃ち、荊封がそれにあわせて悲壮な歌をうたった。いっしょに慷慨して泣き、傍に人がいないかのようにふるまった。話は、「史記」刺客列伝に見える。


江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
江東 江南に同じ。長江下流域南地方、江蘇・浙江省方面。湖水が多く、風光明美な地方。○枉殺 枉は、むなしく、いたずらに。殺は、強調の字。


黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
よい。
逐手 手あたりしだい。○快意 思うがまま


丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
嘯傲 自由奔放に鼻歌に吟じてみる。プライドを捨てないで空威張りを決め込むこと。○頭上巾 平巾幘(さく)帽。平巾幘(さく)帽00
 平巾幘(さく)帽


君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
進士官吏登用試験の及第者。


時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
英素人すぐれた能力のある人。○廉藺 簾頗と藺相如。「刎頸の交わり」の故事で知られる「史記」列伝に見える人物。どちらも戦国時代の趙の国の大臣で、廉顔は軍事上、囁相加は外交上、それぞれ特別の手柄を立てたので有名。奸臣による讒言のため、晩年は無能呼ばわりされた。


匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
はこ,武道具箱○盤劍 盤状の劍。○鞞魚 さめ皮で刀のさやをつくる。鞘のこと。○ かれ。指示代名詞。


且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。
專諸 戦国時代の呉の国の侠客。呉の公子光すなわち後の呉王闔閭のために呉王僚を刺殺した。「史記」刺客列伝に見える。


前有樽酒行二首 其二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 204

前有樽酒行二首 其二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 204

前有樽酒行 其二  

琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
胡姫貌如花、當壚笑春風。
ペルシャ人の女は、顔立ちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
笑春風、舞羅衣。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
君今不酔將安歸。

さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


前有樽酒行 其の二
琴は竜門の緑桐を奏し、玉壺美酒 清くして空しきが若し。
絃を催し柱(ことじ)を払って君と飲む、朱を看て碧と成れば顔始めて紅なり。
胡姫の貌 花の如し、壚に当って 春風に笑う。
春風に笑い、羅衣を舞う。
君今酔わずして将に安くにか帰らんとする。


前有樽酒行 其二 現代語訳と訳註 解説

(本文)
琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
胡姫貌如花、當壚笑春風。
笑春風、舞羅衣。
君今不酔將安歸。
  
(下し文)
琴は竜門の緑桐を奏し、玉壺美酒 清くして空しきが若し。
絃を催し柱(ことじ)を払って君と飲む、朱を看て碧と成れば顔始めて紅なり。
胡姫の貌 花の如し、壚に当って 春風に笑う。
春風に笑い、羅衣を舞う。
君今酔わずして将に安くにか帰らんとする。
  
(現代語訳)
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
ペルシャ人の女は、顔立ちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


(語訳と訳註)

琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
竜門之縁桐 「周礼」に、竜門の琴宏は、祖先のみたまやの中で之を演奏する、とある。鄭玄の注によると、竜門は山の名で、この山の桐は、高さが百尺で枝がなく、琴の材料に用いられる。〇晴若空 晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見える。


催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
催絃 絃舷をせきたてる。せわしく絃をかきならす。○払柱 琴柱をはらう。「払」は琴そのものを女性とするので、性行為の比喩である。自由奔放に琴をひくことと表現する。○看朱成碧 赤い色が青く見える。ここでは、酔って物の見分けがつかなくなること、ほろ酔いであったり、悪酔いをしたものと解釈する。


胡姫貌如花、當壚笑春風。
ペルシャ人の女は、かおだちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
胡姫 外人の女。当時、長安の酒場にイラン系の美女がいて、歌ったり舞ったりお酌したりした。李白によく登場するが、杜甫の詩にも見える。○貌如花 目鼻立ちが大きくはっきりしている。○当墟 櫨は、酒がめを置く所。漢の文人司馬相加が、美しい女房の卓文君を壚のそばに坐らせ、酒を売らせた話は有名である。「史記」や「漢書」に見える。当壚は、酒を売ること。(おカンの番をすると解することが多い)○笑春風 色香を振りまいて誘うこと。中国古代王朝周幽王は、一人の絶世の美女の気を引こうとしたために、国を滅ぼした。


笑春風、舞羅衣。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
蘿衣 うすぎぬの衣。


君今不酔將安歸。
さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


(解説)
琴は、龍門之緑桐、酒は、玉壺で寝かせた清酒がいい。
それがそろったら、美女の微笑が一番だ。
今更どこへどうするというのだ。とにかく飲もう。

美女微笑と傾国はよく詠われる。また胡女となればペルシャの女となる。唐の時代は長安は国際都市で、西方白人系の女性が流入していたのである。

参考 美女微笑と傾国
 紀元前8世紀頃、中国古代王朝の一つ、周の12代目幽王は、一人の絶世の美女の気を引こうとしたために、国を滅ぼし一切合切を失う羽目になってしまった。その絶世の美女は襃似(ほうじ)という王妃だった。「その唇は珊瑚のごとく、その歯は真珠のごとく、その指は、のみで彫られた硬玉のごとし」とうたわれているように、彼女は、さまざまな文献、言い伝えにその美しさが表現されるほどの美女であった。
 幽王は、この絶世の美女に溺愛するあまり、正妃と正妃の産んだ子を廃して、褒似を妃として、その子を皇太子にしてしまうほどであった。しかし、どうしたことか、これほどの寵愛を受けているにもかかわらず、彼女は、幽王のもとに来てからは、ただの一度として笑ったことはなかった。そこで、のろしを上げ、各地から慌てて馳せ参じてくる諸候の狼狽ぶった表情を見て、微笑を誘い、これをくりかえした。オオカミ少年と同様、適の侵略に対抗できず、国を滅ぼした。

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203




前有樽酒行二首 其一
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
君起舞、日西夕。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。
當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。

わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。


前有樽酒行二首 其の一

春風東より来って 忽ち相過ぐ、金樽の酒 徴波を生ず。

落花紛紛として 楷やに多きを覺ゆ、美人酔わんと欲して 朱顔たり。

青軒の桃李 能く幾何ぞ、流光人を欺いて 忽ち蹉たり。

君起って舞え、日西に夕なり。

当年の意気 肯て傾かず、白髪糸の如し 歎ずるも何の益かあらん。




前有樽酒行二首 其一 現代訳と訳註
雑言古詩

(本文)
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
君起舞、日西夕。
當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。

(下し文)
春風東より来って 忽ち相過ぐ、金樽の淥酒 徴波を生ず。
落花紛紛として 楷やに多きを覺ゆ、美人酔わんと欲して 朱顔酡たり。
青軒の桃李 能く幾何ぞ、流光人を欺いて 忽ち蹉跎たり。
君起って舞え、日西に夕なり。
当年の意気 肯て傾かず、白髪糸の如し 歎ずるも何の益かあらん。

(現代語訳)
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。

わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。


(訳註)
前有樽酒行二首 其一
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
春風東來 春風は東風であり、東來するものである。同じくで同じことを示すわけがなく。性的な始まり、性的欲望を生むものと解釈すべきである。○淥酒 濁り酒がと賢人清酒は聖人。濁り酒は道士の飲むもの、清酒は儒者の飲むもの。○微波 かすかな波がたつ。波は東風によるものなのか、何によっておこる波なのか。
 
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
○紛紛 いりみだれて散るさま。○ だんだん。○美人 宮妓、芸妓。○朱顔酡 「酡」は酒を飲んで顔が赤くなった様子。


青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
青軒 青い色を塗った軒、高貴な人の車。青色を塗った東側の娼屋。○桃李 桃と梨。何をしなくても人が集まるさま。○蹉跎 時間がたちまち経過してしまう形容。


君起舞、日西夕。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。


當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。
わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。
不肯傾 おとろえたくないものなの・傾 尽きていく。かたよる。かたむく。さけをのむ。


○韻 過、波、酡、跎。/夕、益。

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200


彼は梁園を中心に数年、北方にまた西方に遍歴を続けていたが、鄭中(河南省臨彰県)では、親友の王大に詩を贈って、現在の不遇の心境を述べ、それでもなお世を救済する策を献じたいと、往年の気力を見せている。「贈王大勧入高鳳石門山幽居」(鄭中にて王大勧八、高風の石門山に幽居するに贈る)がそれである。
「王大」については、詩中から察して親しい交際をしている人であろう。まず、現在の飄蓬の境遇を詠う。


贈王大勧入高鳳石門山幽居


一身竟無託、遠興孤蓬征。

人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
千里失所依、復將落葉幷。

千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
中途偶良朋、問我將何行。

そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。
欲献濟時策、此心誰見明。

自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。
投躯寄天下、長嘯尋豪英。

天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。

今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。

一身は竟に託するところ無く、遠く孤蓬とともに征く。

千里のかなた依る所を失い、復た落葉と(とも)になる。

中途に良き朋に偶い、我に問う将に何くに行かんとするやと。

時を済(すく)わんとする策を献ぜんと欲す、此の心誰にか明らかに見(しめ)さん。

躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。

恥ずらくは瑯の人を学び、竜のごと蟠り躬から耕すを事とするを。






贈王大勧入高鳳石門山幽居 現代語訳と訳註、解説

(本文)
一身竟無託、遠興孤蓬征。
千里失所依、復將落葉幷。
中途偶良朋、問我將何行。
欲献濟時策、此心誰見明。
投躯寄天下、長嘯尋豪英。
恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。



(下し文)
一身は竟に託するところ無く、遠く孤蓬とともに征く。
千里のかなた依る所を失い、復た落葉と幷(とも)になる。
中途に良き朋に偶い、我に問う将に何くに行かんとするやと。
時を済(すく)わんとする策を献ぜんと欲す、此の心誰にか明らかに見(しめ)さん。
躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。
恥ずらくは瑯琊の人を学び、竜のごと蟠り躬から耕すを事とするを。



(現代語訳)
人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。
自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。
天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。




(訳註)
一身竟無託、遠興孤蓬征。
人間ひとつの身になり、とうとう落ち着くところがなくなってしまった。現在は孤蓬のような身分で、風が吹くと舞い上がりどこへでも行くのである。
○託 まかせる。たよる。定着する。落ち着く


千里失所依、復將落葉幷。
千里四方探しても教理などなく失ってしまっている、今日もまた、落葉と同じような気持ちになっているのだ。
○所依 しょえ 仏語。教理などのよりどころ。


中途偶良朋、問我將何行。
そんな中であなたのようなよい朋に遭遇できたことはよかった。あなたはどこに遍歴の旅をするのかと聞かれ、教理のことを思ってくれた。


欲献濟時策、此心誰見明。
自分は時世を救う策を天子に献上したいと思っているのである。しかし、今の心境は複雑なものであり、だれにこの気持ちを明らかにしたらよいだろうかと思っていたところだった。


投躯寄天下、長嘯尋豪英。
天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
○長嘯 詩を長く吟ずる「尋豪英」という詩を詠いながら。


恥学瑯琊人、龍蟠事躬耕。
今は、もう学ぶことを恥と思う『瑯琊の出身の諸葛孔明』ことを。龍ほどの能力を持っているものが、みずからで一から畑を耕すことから始めるということには躊躇するものである。
○躬耕 天子が畑を耕す礼式のこと。この場合、能力のあるものが、一から畑を耕すことから始めるという意味である。


(解説)
孤独で頼る人もない寂しい境遇に置かれていることを訴えている。長安の都に入る第一次の遍歴中には、まったく見られぬ心境である。その寂しい中にきみとめぐり会った。
一時挫折した気持ちも、友人に会って再び勇気が出て、政治の舞台に躍り出ようという。ところで、今は天下太平、腕の振るいどころもなく、「憂いに沈み乱れて縦横たり、飄飄として意を得ず」である。しかし、今自分の望むところは、
ここでも世に出たい希望が、まだ胸中に去来している。とはいえ、寄るべなき放浪の身の孤独の寂しさは、隠すべくもなく、王大の友情を頼りにする思いであった。
このときの李白の心境は、おそらく孤独の寂しさに堪えつつ、なお将来、いつかは再び政治の場に浮かび上がる夢を抱いていたにちがいない。
 今の王朝では、家臣のものが天子に世間のことを伝えていない。だから、どんなに一からやり直したとしてもそのことで、「三顧の礼」で迎えられることにはならないのである。
 地方官であっても、多くの知識人に自分を認めてくれる人を多くしたいのだ云っている。



行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185


其三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
儒教思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
子胥既棄呉江上,屈原終投湘水濱。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。
 


(本文)其三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
子胥既棄呉江上,屈原終投湘水濱。
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
(下し文)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損(おと)す

子胥は既に棄てらる呉江の上(ほとり) 屈原は終に投ず湘水の浜

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道(いう)に足らむ

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須(もちひ)るや


(詩訳)

儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。



李白「行路難」三首其三 訳注解説
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有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨
儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八
陶淵明「飲酒其二
積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。
(末尾に訳注を参照)




含光混世貴無名 何用孤高比雲月
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。



吾観自古賢達人 功成不退皆損身
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄呉江上 屈原終投湘水浜
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
子胥 伍子胥(ごししょ、? - 紀元前484年)は、春秋時代の政治家、軍人。諱は員(うん)。子胥は字。復讐鬼。呉に仕え、呉の躍進に大きく貢献したが、次第に呉王から疎まれるようになり、最後には誅殺された。伍子胥は夫差から剣を渡され自害するようにと命令された。
 その際、伍子胥は「自分の墓の上に梓の木を植えよ、それを以って(夫差の)棺桶が作れるように。自分の目をくりぬいて東南(越の方向)の城門の上に置け。越が呉を滅ぼすのを見られるように」と言い、自ら首をはねて死んだ。
 その言葉が夫差の逆鱗に触れ、伍子胥の墓は作られず、遺体は馬の革袋に入れられ川に流された。人々は彼を憐れみ、ほとりに祠を建てたという。ちなみにこの行為が日本の端午の節句や中国での厄よけの風習として、川に供養物を流す由来になったと言われている。
屈原 (くつげん、紀元前343年1月21日? - 紀元前278年5月5日?)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

陸機雄才豈自保 李斯稅駕苦不早
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
陸 機(りくき261年- 303年)は、呉・西晋の儒家文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。謀反の疑いで処刑された。
李 斯(り し? - 紀元前208年)儒家中国秦代の宰相。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。



華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
華亭県(かてい-けん)は中華人民共和国甘粛省平涼市に位置する県。県人民政府の所在地は東華鎮。華亭県は東は崇信県、西は庄浪県、寧夏回族自治区の涇源県、南は張家川回族自治県と陝西省隴県、北は崆峒區に隣接する。
上蔡県(じょうさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。



君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
張翰昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に先手を打ったのだと思ったという逸話。李白「秋荊門を下る」

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。




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道教思想により死んだあとの名声より今の一杯の酒を楽しむ李白。
ここでの 行路難 三首其三 李白
迭裴十八図南歸嵩山其二 李白

 それとまったく好対照の陶淵明の飮酒二十首 其二  陶淵明「九十行く索を帶びし,飢寒况んや當年をや。」末尾に紹介する。





迭裴十八図南歸嵩山其二 李白
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君思穎水綠、忽復歸嵩岑。
歸時莫洗耳、爲我洗其心。
洗心得眞情、洗耳徒買名。
謝公終一起、相與済蒼生。
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君は頴水のあの澄み切った緑色を思い出し、急に嵩山の高峰にまた帰ろうとしている。
帰った時を境に、耳を洗うようなことはしないでくれ、わたしのために、心を洗うことをしてくれないか。
心を洗うことができたら、真理、情実のすがたをつかむことが出来よう。かの許由のように耳を洗って、名前が売れるだけでつまらないものだ。
晉の時代の謝安石が、ついに起ちあがって活躍した、その時は君とともに天下の人民を救うためやろうではないか。
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裴十八図南の嵩山に帰るを送る 其の二
君は穎水(えいすい)の綠なるを思い、忽ち復た 嵩岑に帰る
帰る時 耳を洗う莫れ、我が為に 其の心を洗え。
心を洗わば 真情を得ん、耳を洗わば 徒らに名を買うのみ。
謝公 終(つい)に一たび起ちて、相与に 蒼生を済わん。
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飮酒二十首 其二  陶淵明
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積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。
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飮酒 其二
積善 報い有りと 云ふも,夷叔 西山に 在り。
善惡 苟にも 應ぜざらば,何事ぞ 空言を 立てし。
九十 行(ゆくゆ)く 索を 帶びし,飢寒 况(いは)んや 當年をや。
固窮の節に 賴らざれば,百世 當(まさ)に 誰をか 傳へん。
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積み重ねた善行には、(それに相応する)善い報いがあるといわれている(が)。(しかしながら正義を貫いた)伯夷と叔齊は、(節を保持しようとしたために、却って世から遁れざるを得ず、)首陽山に(隠棲して、餓死するはめになって)いる。

正義を貫いた伯夷と叔齊は、節を保持しようとしたために、却って首陽山に隠棲して、餓死するはめになったが、このような、かりそめにも善と悪とに相応した結果が伴わない場合には。(もしもかりそめにも、善と悪とに、相応したむくいがないのならば、)どうしてこのような「積善云有報」というような「空言」を言ってきたのか。

九十歳になんなんとした栄啓期は、縄を帯にして、楽器を打ち鳴らして歌を唱うという行為をした。
(栄啓期の老年期の)貧窮生活は、壮年時代よりも一層のものだ。
貧窮を固守する節操に依拠しないとすれば。仏教的な「積善云有報」ではなくて、清貧に甘んじる節操・儒教的な「固窮節」こそが、後世に伝うべきものであろう。
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行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184

行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184




李白は長安を去って、河南の開封地方に行ったが、そのとき、洛陽にも足を延ばしている。時に744年天宝三年である。このとき、詩聖といわれる杜甫との出会いがあった。
このとき、杜甫は、山東地方漫遊から帰って、試験にも落第して、たまたま洛陽に住んでいた。二人が会ったときは、李白は四十四歳、杜甫は十一歳下の三十三歳である。杜甫は、その性格から、当時の虚偽に満ちた世相を厭わしく思っていたところ、たまたま神仙を求め楽天的に振る舞う豪快な李白を見て、その詩にひきつけられ、意気投合して共に遊び、共に飲み、共に詩を作るようになった。また、詩人高適ともめぐり会う遭遇し、三人共に会して痛飲し、時世を憤慨したものである。
李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」
杜甫「書懐」「昔游」

 行路難其の二は、唐王朝の体制には居場所がないこと、魑魅魍魎の棲みかで、聖人、賢人の活躍の機会はないことを述べている。杜甫は妻を娶って間もないこともあり、また父の意向で士官を強く要望されていた。詩人として生きていくことにしているが、二人とも岐路に立っていると感じていた。

其二
大道如青天,我獨不得出。
天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。

昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。
行路難,歸去來。

目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。

其二
大道如青天,我獨不得出。
羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
行路難,歸去來。

其の二

大道(たいどう)は晴天の如し、我(われ)独り出ずるを得ず。

()ず  長安社中の児()を逐()うて、赤鶏(せきけい) 白狗(はくく) 梨栗(りりつ)を賭するを。

剣を弾じ歌を作()して苦声(くせい)を奏(そう)し、裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず。

淮陰(わいいん)の市井 韓信(かんしん)を笑い、漢朝(かんちょう)の公卿  賈生(かせい)を忌()む。


君見ずや 昔時(せきじ)の燕家(えんか)郭隗を重んじ? (すい)を擁し節(せつ)を折って嫌猜(けんさい)無し

劇辛(げきしん) 楽毅(がくき) 恩分(おんぶん)に感じ、肝を輸(いた)し膽(たん)を剖()いて英才を效(いた)

昭王の白骨 蔓草(まんそう)?(まと)わる、誰人(たれひと)か更に掃(はら)わん 黄金(おうごん)

行路(こうろ)は難(かた)し、いざ帰去来(かえりなん)



天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。

それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。
目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。





其二
大道如青天,我獨不得出。

天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
○大道 道は万物に備わったそれぞれの道をいい、それら万物すべてに共通する道をしめす。天下の御政道




羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
○羞逐 はずかしいことではあるがやってしまう。
○兒 若い衆、任侠の使徒。子供は童。○梨栗 実際には、お金をかけたのかもしれないが、レートとして、高くないことを示している。



彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
○馮驩 すうかん斉の宰相孟嘗君に仕えた政治家。孟嘗君の食客として迎えられ、下級宿舎に泊まらせられた。馮驩は剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、食う魚なし」という歌を歌い出した。それを聞いた孟嘗君は中級宿舎に泊まらせた。すると馮驩はまた剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、外にも出ようも御輿がない」という歌を歌い出した。詳しくはウィキペディア「馮驩」「斉の宰相と馮驩」参照。○曳裾王門不稱情 弁舌の上手い使徒を雇い入れ、王に意見を述べさせても、述べた本質のところの理解はすぐにできるのではない。「史記」巻八十三は戦国の弁舌の徒・魯仲連と漢代に文章を以て重用された鄒陽の合伝にある故事に基づいている。



淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
○韓信 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。大いに笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。
 ○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照



君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
○燕家重郭隗 昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。 ○擁彗折節無嫌猜 鄒衍(前305頃―前240) 戦国時代の陰陽五行家。斉の人。弁才にたけ、燕・斉を歴遊した。晩年、斉の使いとして趙に赴き、公孫竜を説得して尊敬された。陰陽のことを研究し、「五徳終始」説を提唱、春秋戦国時代に流行する「五行」説を社会・歴史の変化と王朝の交代になぞらえて、漢代の懺緯学の主な源流となった。著書の『鄒子』などは全部散逸した。 


劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。
○劇辛樂毅感恩分 劇辛は趙の国出身の人物で、郭隗の進言を聞き入れた燕昭王が「隗より始めよ」と富国強兵の為の人材優遇を始めて以降に、楽毅や鄒衍らと同様に、賢人を求め優遇する燕昭王の元へと赴き、燕の臣となった。楽毅は、戦国燕の武将で、昭王を助けて仇敵の斉を五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ稀代の軍略家。 ○輸肝剖膽效英才



昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。



行路難,歸去來。
目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。



李白は人材登用が全くなされようとしない玄宗の唐王朝に嫌気がしたのだ。最後の2聯が言いたいことではない。国に帰ることを言いたいのではない。李林甫、高級官僚の讒言に動かされ、淮陰の街の使徒のように宦官たちがよき人材を侮るようなことをしている。李白は憤っていたのであるが、無能呼ばわりだけしたのではおとがめられるので、自分の進むべき道が分からないと思考方向を自らに向けたのだ。
燕の昭王、孟嘗君らが登用した歴史上で有名な七人の快男子、馮驩、韓信、韓信、鄒衍、郭隗、劇辛、樂毅について取り上げ、適正な登用がなされれば、かならず「感恩分、輸肝剖膽效英才」(恩分に感じ、肝を輸し膽を剖いて英才を效す)ということになるのであるということが李白の主張である。

 陶淵明をいいとは思っていないということがこの詩ではっきりしている。これについては別のところで取り上げたい。


 

行路難 三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

行路難 三首 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

 この詩は李白が杜甫に悩みを打ち分けるという観点でみると味わい深い。

 杜甫は、洛陽にいて同族、血縁、貴族公子などとの付き合いに辟易していた。李白との出会いで、その風采が超絶しており、天才的な詩に対し一挙にカルチャーショックを受けてしまった。李白が東に旅すると聞いたが、叔母の葬儀があるので、一緒に旅立てない。後を追って往くことにした。叔母の葬儀を終えて、この「謫仙人」李白を求めて東方の梁宋(河南開封、商邱地方)に遊ぼうとしたのである。
天宝3載744年杜甫33歳 李白44歳であった。


 その後の二人は、詩の交換を通じて情をうまく表現した傑作をのこす。先ず、杜甫が先輩の李白に贈った詩に
贈李白」がある。
秋來相顧尚瓢蓮、未就丹砂愧葛洪。
痛飲狂歌空度日、飛楊跋扈為誰雄。

(秋になり顔を見合わせると瓢か蓬のように頼りない、いまだ丹砂にも辿りつけず葛洪に合わせる顔がない。飲み明かし 歌い狂って 空しく日を送り、飛び跳ねて暴れているが 誰のためにやっているのだ。)
 杜甫は李白と遊んでいる嬉しい様を、歌に託して李白に贈っている。実際には詩のやり取りをしているのだろうが李白の方はあまり残っていない。

 杜甫と李白は一層、仲睦まじくなり、その年の秋には梁宋に出掛けている。杜甫「書懐」、李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」参照
ここには岑参(しんじん)、高適(こうせき)の詩人たちもいたので、共に酒を飲み、詩を賦して意気投合し愉快な日々をおくった。城中の酒楼や吹台に上って眺望を恣にして、古を懐かしんでいる。

  その翌年、天宝4載745年杜甫34歳は、李白が魯郡の任城に家を持ったので、ここに杜甫を迎えて、さらに、互いに親交を深めている。この頃が二人とも詩情が溢れ、詩作が最も盛んな時期である。

 李白は杜甫の詩才を讃え、杜甫は李白を慕い賞賛の辞句を数多く入れて詩を作っている。このように二人が極めて親しく交わり、詩を贈答しあったことは歴史の偶然だったのか、必然なのか、とはいえ、漢詩文学にとっては画期的なことと特筆されている。

 李白も、現実の社会では障害や自分の奔放さの性格から苦難を免れないと悟っていたので、初めて出会い親しくなった杜甫に打ち明けたのだ。

 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠うものだ。李白は、食事も咽喉を通らず茫然として八方ふさがりであった。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたいと杜甫に訴えた。朝廷を放免されたことは李白にとって、死ぬほどのショックなことだったのだ。でも李白はプラス思考の詩人だ。明るい。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞(ちんしゅう) 直(あたい) 萬錢(ばんぜん)

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然(ぼうぜん)

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來(かんらい) 釣を垂る 碧溪(へきけい)の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難! 岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆(うんぱん)を挂()けて 滄海(そうかい)に濟(わた)



金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。





行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。李白は三首つくった。


(其の一)
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
斗十干 一斗一万銭。高い上等の酒。曹植の詩「美酒斗十干」にもとづく。
[李白「將進酒」
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
(陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。)
・陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ・昔時 むかし。 ・平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。○斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ○斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ○斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ○十千 一万。 ・恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ・歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。]○珍羞 めずらしいごちそう。○直 値と同じ。



停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
停杯 気持ちがのらない度いつの間にか酒を辞めている状態。○拔劒四顧 剣を抜いて四方の霊に問いただしてみる。



欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
太行 山の名。太行山脈(たいこうさんみゃく)は中国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。



閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
日辺 太陽の側と、天子の側という意味と、ここでは兼ねている。



行路難,行路難,多岐路,今安在
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
多岐路 わかれみちが多いために逃げた羊を追うことができず、とうとう羊を亡ってしまった。ヘボ学者はそれと同様、多すぎる資料をもてあまして決断に迷い、いたずらに年をとってしまう、という故事がある。「列子」にみえる。ここは岐路から岐路へ、岐路が多い迷路のようだということ。
今安在 迷路のどこにいるのか。



長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。
滄海 東方の仙界、蓬莱・方丈・瀛州に向かい海。あおうなばら。



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