漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

送る詩

盛唐詩 送朱大入秦 孟浩然<35> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -342

盛唐詩 送朱大入秦 孟浩然<35> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -342

送朱大入秦
遊人五陵去,寶劍直千金。
分手脱相贈,平生一片心。
 
朱大の秦に入るを 送る
遊人 五陵に 去る,寶劍 直(あたひ)千金。
手を分つとき 脱して 相ひ贈る,平生 一片の心。



侠客であるあなたは長安の游侠の徒の多く住む五陵に行くというこれはわたしが宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる。 
別れに際して、これをはずしてあなたに贈ろう。普段からのわたしのあなたに対する心を表すために。


解説
送朱大入秦

朱家の長男が旧秦地である長安に行くのを送別する。 
○送 見送る。送別する。○朱大 朱家の長男。「大」は排行で長男の意。○入秦 長安に行く。旧秦地である関中に行く。陝西南部に入る。
東晉・陶潛の『詠荊軻』
燕丹善養士,志在報強嬴;招集百夫良,歲暮得荊卿。
君子死知己,提劍出燕京。素驥鳴廣陌,慷慨送我行。
雄髮指危冠,猛氣沖長纓。飲餞易水上,四座列群英。
漸離擊悲筑,宋意唱高聲,蕭蕭哀風逝,淡淡寒波生。
商音更流涕,羽奏壯士驚;心知去不歸,且有後世名。
登車何時顧,飛蓋入秦庭。淩厲越萬裏,逶迤過千城。
圖窮事自至,豪主正怔營,惜哉劍術疏,奇功遂不成。
其人雖已沒,千載有餘情。


遊人五陵去、寶劍直千金。
侠客であるあなたは長安の游侠の徒の多く住む五陵に行くというこれはわたしが宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる。 
遊人 侠客。遊客。職業を持たないで遊んでいる人。○五陵 長安の游侠の徒の多く住む所の名。
李白『少年行』「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」・五陵 高祖劉邦の長陵、恵帝劉盈の安陵、景帝劉啓の陽陵、武帝劉徹の茂陵、昭帝劉弗之の平陵をいう。○ 去る。行く。○寶劍:宝として大切に秘蔵する剣。 ・ ねうち。値段。値。○千金 大金。

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」

李白 89 將進酒(李白と道教)

「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。人生得意須盡歡,莫使金尊空對月。天生我材必有用,千金散盡還復來。烹羊宰牛且爲樂,會須一飮三百杯。岑夫子,丹丘生。將進酒,杯莫停。與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。


分手脱相贈、平生一片心。
別れに際して、これをはずしてあなたに贈ろう。普段からのわたしのあなたに対する心を表すために。 
分手 別れる。関係を絶つ。○ とる。はずす。○相贈 …に贈る。○:…ていく。…てくる。動詞の前に附き、動作が対象に及ぶ表現。○平生 ふだん。平素。平常。○一片心 ひとつの心
哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163


日本晁卿辭帝都,征帆一片遶蓬壺。
明月不歸沈碧海,白雲愁色滿蒼梧。

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kanbuniinkai10 頌之の漢詩 唐宋詩人選集 Ⅰ李商隠150首 Ⅱ韓退之(韓愈)Ⅶ孟郊
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盛唐詩 送杜十四之江南 孟浩然<34> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -341

盛唐詩 送杜十四之江南 孟浩然<34> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -341


卷160_180 「送杜十四之江南(一題作送杜晃進士之東吳)」孟浩然

送杜十四之江南
杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
荊吳相接水為鄉,君去春江正淼茫。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
日暮征帆何處泊,天涯一望斷人腸。

日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。


杜十四の 江南に 之【ゆ】くを 送る       
荊呉【けいご】 相ひ接して  水 鄕と爲す,君 去りて 春江  正に 淼茫【べうばう】。
日暮 弧舟 何【いづ】れの處にか 泊する,天涯 一望  人の膓【はらわた】を 斷つ。


李白の足跡55


現代語訳と訳註
(本文)

送杜十四之江南
荊呉相接水爲鄕,君去春江正淼茫。
日暮弧舟何處泊,天涯一望斷人膓。

(下し文) 杜十四の 江南に 之【ゆ】くを 送る       
荊呉【けいご】 相ひ接して  水 鄕と爲す,君 去りて 春江  正に 淼茫【べうばう】。
日暮 弧舟 何【いづ】れの處にか 泊する,天涯 一望  人の膓【はらわた】を 斷つ。


(現代語訳)
杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。 


(訳注)
送杜十四之江南

杜家の十四男が江南方面赴任に対しての詩。
 見送る。 ○杜十四 杜家の十四男。十四は排行。 ○ 行く。 ○江南 長江下流以南の地。


荊呉相接水爲鄕、君去春江正淼茫。
荊の地方と呉の地方とは、水郷となって接しあっている。あなたがこれからゆく春の長江は、ちょうど水が広々と拡がっている。 
荊呉 〔けいご〕荊は楚の国の別名。現在の湖北、湖南省あたり。呉は現在の江蘇省。 ○相接 つながっている。 ○爲鄕 里とする。くにとなる。水郷となる。 ○水爲鄕 水郷となっている。 ○春江 春の長江の流れ。 ○正 ちょうど。 ○淼茫【びょうぼう】長江と平野の水の広々としたさま。


日暮弧舟何處泊、天涯一望斷人膓。
日が暮れると、一つだけ旅する小舟はどこに泊ることになるのだろうか。空のはてまでをグルッと見渡してみて人と接することなく、断腸の思いがする。 
日暮 日が暮れる。日暮れ。○弧舟 ぽつんと一つだけある小舟。一人旅や、ひとりぼっちの人生をも謂う。○何處 どこ。○【はく】とまる。(船を)船着き場にとめる。○天涯【てんがい】空のはて。○一望 広い眺めを一目で見渡すこと。○斷人膓 人と接することがなく断腸の思いをさせる。
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金郷迭韋八之西京 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -268

金郷迭韋八之西京 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -268

頌春00

金郷送韋八之西京
山東省滋陽県兗州金郷で長安に旅立つ韋八君を送る歌。
客自長安来、還辟長安去。
旅人の君は、長安から来たのだが、また旅人となって、あの大変な長安へ帰ってゆくのである。
狂風吹我心、西桂成陽樹。
長安に向かってくる風は狂おしいものでわたしの心を吹きとばし、西の方へはこんで長安の都をずっと見てきた木の枝にひっかけてしまうだろう。
此情不可道、此別何時遇。
思うことが多くて、この気持は言うことができないくらいなのだ、だから、大変なところへ行く君と別れるということになるがいつ又逢えることになるのだろうか。
望望不見君、連山起煙霧。

不安で、不安で仕方がない、眺めてみても、どんなに眺めたとしても君の姿は見えないのだ、あれだけ聳え、連なる山山に、靄がたちこめているのだ。


金郷にて韋八の西京に之くを送る
客は長安より来り、還た長安に帰り去る。
狂風 我が心を吹いて、酉のかた咸陽の樹に桂く。
此の情 道う可からず、此の別れ 何れの時か遇わん。
望み望めども 君を見ず、連山 煙霧を起す。


金郷送韋八之西京 現代語訳と訳註
(本文)
金郷迭韋八之西京
客自長安来、還辟長安去。
狂風吹我心、西桂成陽樹。
此情不可道、此別何時遇。
望望不見君、連山起煙霧。


(下し文) 金郷にて韋八の西京に之くを送る
客は長安より来り、還た長安に帰り去る。
狂風 我が心を吹いて、酉のかた咸陽の樹に桂く。
此の情 道う可からず、此の別れ 何れの時か遇わん。
望み望めども 君を見ず、連山 煙霧を起す。

(現代語訳)
山東省滋陽県兗州金郷で長安に旅立つ韋八君を送る歌。
旅人の君は、長安から来たのだが、また旅人となって、あの大変な長安へ帰ってゆくのである。
長安に向かってくる風は狂おしいものでわたしの心を吹きとばし、西の方へはこんで長安の都をずっと見てきた木の枝にひっかけてしまうだろう。
思うことが多くて、この気持は言うことができないくらいなのだ、だから、大変なところへ行く君と別れるということになるがいつ又逢えることになるのだろうか。
不安で、不安で仕方がない、眺めてみても、どんなに眺めたとしても君の姿は見えないのだ、あれだけ聳え、連なる山山に、靄がたちこめているのだ。


(訳注)
金郷迭韋八之西京

山東省滋陽県兗州金郷で長安に旅立つ韋八君を送る歌。
金郷 いまの山東省滋陽県(兗州)の近くにあった町の名。○韋八 この人のことはわからない。八は八郎。○西京 西の都、長安(いまの陝西省西安)のこと。東の都、洛陽に対する呼び方。特に、兩都が叛乱軍によって占拠されており、西の鳳翔から、長安にそして洛陽を奪回したことから、特に安史の乱の時期には西京というような表現が多く使われた。運河を使い、黄河を登るルートは叛乱軍の中を通るため、持物が強奪されるだけでなく、命も危ぶまれた。したがって長江の支流漢江を最上流に上り、山越えをするルートでいったのだ。


客自長安来、還辟長安去
旅人の君は、長安から来たのだが、また旅人となって、あの大変な長安へ帰ってゆくのである。
 旅人。韋八をさす。○長安来 反乱軍のことをうまく表現したもので、“行きはよいよい、帰りは恐い” を表現している。


風吹我心、西桂咸陽樹
長安に向かってくる風は狂おしいものでわたしの心を吹きとばし、西の方へはこんで長安の都をずっと見てきた木の枝にひっかけてしまうだろう。
狂風 李白の朝廷を追われたことを思い出して、朝廷内の冷ややかな目を強風というのか、安禄山の叛乱軍が、強奪、略奪をほしいままに行い、旧朝廷の人間たちは震え上がっていたことを示すもので、どちらも李白にとっていやなものでしかないのである。○咸陽 長安の渭水をへだてた対岸にあり、秦の時代の首都であるが、ここでは首都という意味で長安そのものをさす。詩人は、古い時代の地名を好んで使う。李白は秦樹という表現で長安の街を秦の昔からずっと見てきた樹という意味で使っている。


此情不可道、此別何時遇
思うことが多くて、この気持は言うことができないくらいなのだ、だから、大変なところへ行く君と別れるということになるがいつ又逢えることになるのだろうか。
此情 李白は長安の思いが言い表せないほどこみあげてくるものがあるのだ。それを強調するため次の句がある。○此別 ただでさえ大変なところへ帰るのに、今は、叛乱軍により、どうなることやら心配で仕方がないのだ。


望望不見君、連山起煙霧
不安で、不安で仕方がない、眺めてみても、どんなに眺めたとしても君の姿は見えないのだ、あれだけ聳え、連なる山山に、靄がたちこめているのだ。
望望不見君 望むというのは、景色であり、希望であり、はっきりしているものに使われる語デアるが、ここでは、まったく正反対の不安な状況を歌うものである。○連山起煙霧 連山も連なってはっきりしたものであるはずのものであるが、それが煙霧にかかっている。この時代、山東省は安禄山の拠点であり、黄河流域はまともな状態ではなかったのであろう。



(解説)
○詩型 五言律詩

○押韻 去、樹、遇、霧。


 都長安へ戻っていく旅人を送った詩。「狂風」は,詩人の心を掻きむしるような物狂おしい風である。金郷から遥か遠くの咸陽まで吹き通す強風であると同時に,「狂」字は,詩人の心の強い昂揚を表す。都に対する恋情・懐念が触発され,居ても立ってもいられない思いで心乱れる詩人の姿そのものとして描かれている。
 横江の白波が逆巻いて渡れない。狂ったように吹き荒れる強風が船頭たちを悩ませる。李白が自らの険難な前途を寓した詩として読めば,ここでもまた「狂風」は単なる自然現象としての烈風ではなく,詩人を取り巻く状況の困難,あるいは安禄山の乱が勃発した当時の政治的風波を象徴するものである。

横江西望阻西秦、漢水東連揚子津。
白浪如山那可渡、狂風愁殺峭帆人。
横江 西に望めば西秦と阻たり、
漢水 東に連なる揚子の津。
白浪 山の如し 那ぞ渡るべけんや、
狂風 愁殺す 峭帆の人 
(李白「横江詞六首」其三)



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送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -230


金陵から江をさかのぼって廬山に入り、五老峰の下の屏風畳にしばらく隠棲することにした。
756年至徳元年五十六歳のときである。安禄山が天下を二分してしまった危機を打開したいとは思うが、いまはなにもできない。まずは屏風畳に隠れ住むよりしかたがないと李白は考え、廬山の諸名勝を眺めながら、世俗を超越して無心に塵山の自然に融けこんだ。ここで生涯を送ろうと考えたのである。(「贈王判官、時余帰隠居廬山屏風畳」(王判官に贈る。時に余は帰隠して廬山の屏風畳に居る)廬山を詠んだ詩は多いが、そのすべてがこのとき詠んだかどうかは明らかではない。廬山の名勝の瀑布を望む詩「廬山の瀑布を望む」二首があるが、若き時代、蜀より長江を下ってここを過ぎたとき立ち寄ったとも考えられるが、746年の作として掲載した。

望廬山五老峯 李白  李白特集350 -226

望廬山瀑布水 二首其一 #1 350 -227

望廬山瀑布水二首 其一#2とまとめ350 -228

望廬山瀑布 二首其二(絶句) 李白特集350 -229



望廬山瀑布 二首其二
日照香炉生紫煙、遥看瀑布挂前川。
飛流直下三千尺、疑是銀河落九天。


李白は、廬山屏風畳には妻宗氏と棲んでいた。宗氏は李白の三人目の妻で、魏顥の『李翰林集』序に、「終に宗に娶る」とあるの。梁園にいるとき結婚した妻である。この妻が廬山の女道士李騰空(宰相李林甫の娘)を尋ねるのを送った「内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る」二首がある。李騰空は屏風畳の辺に住んでいた。
 この詩は李白が屏風畳に行く前らしく、妻のほうが先に行って、李白があとから行ったものである。夫婦二人でしばらく鷹山に住んでいたのだ。

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一   
君尋騰空子 応到碧山家。
君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
水舂雲母碓 風掃石楠花。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
若恋幽居好 相邀弄紫霞。

もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。


内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る  二首其の一
君は尋ぬ  騰空子(とうくうし)、応(まさ)に碧山(へきざん)の家に到るべし。
水は舂(うすづ)く  雲母(うんも)の碓(うす)、風は掃(はら)う  石楠(せきなん)の花。
若(も)し幽居(ゆうきょ)の好(よ)さを恋わば、相邀(あいむか)えて紫霞(しか)を弄(ろう)せん。

56moonetsujo250

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

君尋騰空子 応到碧山家。
水舂雲母碓 風掃石楠花。
若恋幽居好 相邀弄紫霞。

(下し文)
内の廬山の女道士 李騰空を尋ぬる を送る  二首其の一
君は尋ぬ  騰空子(とうくうし)、応(まさ)に碧山(へきざん)の家に到るべし。
水は舂(うすつ)く  雲母(うんも)の碓(うす)、風は掃(はら)う  石楠(せきなん)の花。
若(も)し幽居(ゆうきょ)の好(よ)さを恋わば、相邀(あいむか)えて紫霞(しか)を弄(ろう)せん。

(現代語下し文)
君が  騰空子を尋ねてゆくなら、たぶん緑の山中の家に到るだろう
水車の臼で雲母を搗き、風が石楠花の花を散らす
もし静かで奥深い生活を恋(した)いなら、迎えて共に紫霞などとあそぶだろう。

(現代語訳)
君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。


(訳注)
君尋騰空子 応到碧山家。

君が 女道士の騰空子を尋ねてゆこうとしている、そこには間違いなく仙界の緑あふれた家に到るだろうとおもう。
騰空子 752年まで宰相をしていた李林甫二人の娘の内の一人、李騰空。女道士道士で、屏風畳の辺に住んでいた。歿直前から権威は奈落に落ち、死後も鄭重には扱われなかった。娘としては肩身の狭い生活を送っていた。 ○碧山家 緑豊かな山の中の家であるが、李白は憧れを込めて、仙人の里という意味で「碧」を使っている。


水舂雲母碓 風掃石楠花。
そこの景色は、水車がまわり臼で雲母を搗く音が絶え間なく聞こえている、春風が石楠花の花を揺らせ、のどかな様子だろう。
 うすづ・く 臼、搗くとおなじ。○雲母 道教に欠かせない金丹を作る原材料の一つ。 ○風掃石楠花 シャクナゲ(石南花)は、ツツジ科日本ではその多くのものがツツジと称される。低木花の総称である。低い位置で咲き誇っている、つつじを思い浮かべると、いっぱいに咲いている花を風が散らしたら趣は半減する。春ののどかな風が花びらを揺らせていくと見たほうが味わいが深い。


若恋幽居好 相邀弄紫霞。
もしそのまま静かで奥深い趣のある生活をしたいなら、彼女は共に朝の光に照らされて紫色に映え霞をあつめ、万物を細やかに大切にする生活ができると大歓迎してくれるだろう。
若恋 もし~をしたいなら。○幽居 奥まった静かなたたずまいを言う。竹林の奥の方。○ 趣向 ○弄 女同士繊細なものに目を向け万物を愛する気持ちで取り扱うこと。○紫霞 朝の光に照らされて紫色に映えて見えるもやのこと。道教では万物はすべて塵の様なものの集まりである。特に朝の紫霞を集めると不老長寿の薬になるといわれている。


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送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。

君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。


六月、南風(はや)、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。

水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。

夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。

高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。

我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。

君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。



送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽 現代語訳と訳註解説
(本文)

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。


(下し文)
六月、南風、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。
水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。
夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。
高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。
我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。
君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。


(現代語訳)
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。


(訳註)

蕭三十一の魯中に之くを送り、兼ねて稚子伯禽に問ふ 

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
○吳牛喘月 暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぐ。ひどく恐れる喩(たと)え。また、取り越し苦労の喩えに使われる語である。


水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
水國 江南の水や湖の多い地方。○鬱蒸 密閉して蒸すこと。また、蒸されること。ひどく熱いこと。


夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
嫋嫋 やわらかいよわい。風のそよぐさま。


高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
伯魚 孔子の子。親より先に死んだ。○趨庭 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。


我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
斷腸 性交渉を前提としたやるせない思いを言う。


君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。
伯禽 1歳違いの下の男の子。姉は平陽。この頃8~10歳くらいだろう



(解説)
○七言歌行 
○押韻  沙,霞。車。去。處。/傍,腸。羊。  
 

 この詩は、簫某が魯に行くということを聞きつけ、送別の詩を贈ったものだ。朝廷を追われ、洛陽で杜甫と遭遇し、斉、魯で遊んだその1年半の間、李白は、「魯の女」、汶水の砂邱の家を中心に行動した。
 金陵での旅客生活も随分経過した。江南地方は蒸し暑くて生きた心地がしない。君は北の過ごしやすい所に行く。孔子の教えの地であるから儒学の勉強をするのもいいね。ついでに僕の長男伯禽の様子を知らせてくれと有りがたい。もう3年も帰っていないのである。少しは家族のことが気にかかったのか、外交辞令のあいさつ程度なのか、李白は家族に対してシャイなのか、詩に残していない。
その数少ない家族の詩は次の通り。

南陵別兒童入京 李白121

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

寄東魯二稚子李白47

現代と違って、家族の在り方、女性の生き方について考えられないほどの違いがある。男はプレイボーイで当たり前、通い婚があった、子供と留守を守るのは当たり前、詩だがって、家族のことを取り上げる風潮はないのである。また、恥ずかしい、はしたないことであるのである。逆に言えば、李白のこれらの詩は、家族のことを精一杯心配してるということかもしれない。

江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201

江夏別宋之悌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 201


江夏別宋之悌

江夏で宋之悌に別れる。
楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
平生不下涙、於此泣無窮。

日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。

江夏にて宋之悌に別る

楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。

人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。

谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。

平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし



江夏別宋之悌 現代語訳と訳註 解説
(本文)
楚水清若空、遙將碧海通。
人分千里外、興在一盃中。
谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
平生不下涙、於此泣無窮。

(下し文)
楚水 清きこと空しきが若く、遥かに碧海と通ず。
人は千里の外に分れ、興は一盃の中に在り。
谷鳥 晴日に吟じ、江猿 晩風に嘯く。
平生は涙を下さざるに、此に於て泣くこと窮りなし。

(現代語訳)
江夏で宋之悌に別れる。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


(訳註)
江夏別宋之悌
江夏で宋之悌に別れる。
江夏-現在の湖北省武漢市武昌。d-5
rihakustep足跡

 

○宋之悌-初唐の詩人宋之問の末弟。

楚水清若空、遙將碧海通。
楚の国を流れる長江は、清らかに澄みきっているその上大空のようでもありその境がない。遥かに遠くまで続き東海の碧の大海原へと通じている。
楚水 楚(湖南・湖北)の地方を流れる長江。


人分千里外、興在一盃中。
人と人とは、千里のかなたに分かれてしまうのに、お互いの趣向にたいする思いというものは、この一杯の盃の中にこそ在るというものだ。
興 詩についての興趣、心情。

谷鳥吟晴日、江猿嘯晩風。
渓谷の鳥は、晴れあがった日の光をあびて鳴きひびきわたる、長江に迫る岸辺の巌上の猿は、夕暮れの風の乗せて哀しい声で鳴きつづける。

平生不下涙、於此泣無窮。
日頃は涙を流したことのない私だが、ああ、いまここでは、泣けて、泣けて限りないほど泣けてくるのだ。


○韻字 空、通、中、風、窮。


735年、開元二十三年の作と考証されているが、詩の雰囲気がその頃のものと違うと思うので、外していた。何となく、朝廷を追われて以降、第二次放浪記の雰囲気の詩のように感じるのだ。

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

 長安追放後李白が開封とともに比較的永くいたのが単父である。ここは兗州から西南二百支里で、家族の住居とも近かったからたびたび往来したと考へられる上に、この時、県の主簿の任にあった李凝、その弟らしい李沈(リシン)の二人との交際によって、事実しばらく滞在していたようである。

 この李沈が長安にゆくのを、単父の東楼で送別して作った。詩は佳作である。



單父東樓秋夜送族弟沈之秦 *時凝弟在席
単父の東楼に秋夜 同族の弟 沈の秦に行くのを送る。 *この時、弟凝もその席に在った。
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』

簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。』
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。
遙望長安日。 不見長安人。
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。』
一朝復一朝。 發白心不改。
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
屈原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』

聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。』



なんぢ咸陽より来り われに問ふ何ぞ労苦すと。

沐猴(もっこう)にして冠するは言ふに足らず、身は土牛に騎して東魯に滞(とど)まる。』

沈弟は行かんとし凝弟は留まる、孤飛の一雁 秦雲の秋。

坐来 黄葉 落つること四五 、北斗すでに挂(かか)る西城の楼。』

糸桐 人を感ぜしめ絃また絶ゆ、満堂の送客みな別を惜む。

簾(すだれ)を巻き月を見て清興 来る 、擬ふらくはこれ山陰の夜中の雪かと。』


明日 斗酒の別、惆悵(ちゅうちょう)たり清路の塵。

遥に長安の日を望めども、長安の人を見ず。

長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。』

長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。

屈平は憔悴(しょうすい)して江潭に滞(とど)まり  

亭伯は流離して遼海に放たる。』

(かく)を折り翻飛(ほんぴ)して転蓬に随ひ、弦を聞き虚墜して霜空を下る。

聖朝久しく棄つ青雲の士、他日誰か憐まん張長公。』



-------------------------------------------------
單父東樓秋夜送族弟沈之秦 

(本文)
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』

(下し文)
なんぢ咸陽より来り われに問ふ何ぞ労苦すと。
沐猴(もっこう)にして冠するは言ふに足らず、身は土牛に騎して東魯に滞(とど)まる。』
沈弟は行かんとし凝弟は留まる、孤飛の一雁 秦雲の秋。
坐来 黄葉 落つること四五 、北斗すでに挂(かか)る西城の楼。』
糸桐 人を感ぜしめ絃また絶ゆ、満堂の送客みな別を惜む。
簾(すだれ)を巻き月を見て清興 来る 、擬ふらくはこれ山陰の夜中の雪かと。』

(現代語訳)
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。』
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。』
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。』



爾從咸陽來 問我何勞苦
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
咸陽 長安。


沐猴而冠不足言 身騎土牛滯東魯
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。
沐猴(もっこう)史記・項羽本紀「沐猴而冠」、猿が冠をかぶっているということより心の賤しいつまらない者が外見を飾る、あるいは、高官となること。○土牛 猿である上に土の牛にのっているからのろのろとして。

沈弟欲行凝弟留 孤飛一雁秦雲秋 
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。



坐來黄葉落四五 北斗已挂西城樓 
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。

坐來 そぞろに来てしまった

絲桐感人弦亦絶 滿堂送客皆惜別 
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
糸桐 琴。○ 主要な座敷。

卷簾見月清興來 疑是山陰夜中雪』
簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。  
清興來:疑是山陰夜中雪 晋の風流人、王徽之が見てたちまち友人戴逵を懐った山陰の夜の夜中の雪かと、月光を見ておもう。晋の王徽之(未詳―388) 中国、東晋(しん)の人。字(あざな)は子猷。王羲之(おうぎし)の第五子。官は黄門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し、風流を好み、特に竹を愛した。






(本文)
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
遙望長安日。 不見長安人。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
一朝復一朝。 發白心不改。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』

(下し文)
明日 斗酒の別、惆悵(ちゅうちょう)たり清路の塵。
遥に長安の日を望めども、長安の人を見ず。
長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。』
長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。
屈平は憔悴(しょうすい)して江潭に滞(とど)まり  
亭伯は流離して遼海に放たる。』
翮(かく)を折り翻飛(ほんぴ)して転蓬に随ひ、弦を聞き虚墜して霜空を下る。
聖朝久しく棄つ青雲の士、他日誰か憐まん張長公。』

(現代語訳)
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。』
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。
屈原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。』
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。
聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。』


明日斗酒別 惆悵清路塵
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。  
惆悵((ちゅうちょう)かなしくうらめし。○清路塵 聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在。



遙望長安日 不見長安人
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。


長安宮闕九天上 此地曾經為近臣
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。
宮闕 宮廷。宮廷の遠望台を言うのであるがここで李白は朝廷を強調して表現している。○九天 宇宙を九分割する、地上も空も。

一朝復一朝 髪白心不改
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。

屈平憔悴滯江潭 亭伯流離放遼海
原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。 
屈平 洞庭湖畔に追放された屈原。中国、戦国時代の楚(そ)の政治家・詩人。名は平。原は字(あざな)。楚の王族に生まれ、懐王に仕え内政・外交に活躍したが、汨羅(べきら)に身を投じたという。○亭伯 後漢の崔駰、字は亭伯、楽浪郡の官に左遷された。

折翮翻飛隨轉蓬 聞弦虚墜下霜空
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。

 羽のもと、羽のくき。○転蓬 風に吹かれて飛ぶよもぎ。○聞弦虚墜 つる音をきいてあたりもしないのに落ちて来る。


聖朝久棄青云士 他日誰憐張長公
聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。
青云士 学徳高き賢人。 ○張長公 漢の張摯、字は長公、官吏となったが、世間と合はないとてやめられたのち終身仕へなかった。漢の張釈之の子。

 

魯郡東石門送杜二甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白189

魯郡東石門送杜二甫 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白189



魯郡東石門送杜二甫  李白

 李白と杜甫は中国が生んだ最も偉大な詩人である。
 この二人は李白が11歳年長だったことを考慮に入れても、ほぼ同時代人であった。そこから李杜と並び称されるようにもなるが、これは単に同時代人としての併称であることを超えて、中国4000年の文学の真髄を表したものなのである。

 この二人が生きたのは8世紀の前半、盛唐と称される時代である。唐王朝が誕生して約100年、盤石であった律令体制にほころびが出始めた時期である。則天武后による逸脱、や王朝の権力闘争の陰で、柱であった均田制と府兵制、拡張しすぎた領土、王朝の維持に節度使制により、解決されるが、これが、国を大きく揺るがせる叛乱の大極元年(712)玄宗が皇位について、未曾有の繁栄を謳歌する。李白はよきにつけ悪しきに付けこの時代の雰囲気を体現して、1000首余りに上る膨大な詩を残した。

李杜の作風にはおのずから相違がある。その相違はまた中国文学の持つ二つの特質をある意味で表現したものだともいえる。杜甫の作風は堅実で繊細、しかも社会の動きにも敏感で、民衆の苦悩に同情するあまり時に社会批判的な傾向を帯びる。

それに対して李白の作風は豪放磊落という言葉に集約される。調子はリズミカルで内容は細事に拘泥せず、天真爛漫な気持ちを歌ったものが多い。社会の動きに時に目を配ることはあっても、人民の苦悩に同情するところはほとんどない。こんなこともあって、現代中国では杜甫に比較して評価が低くなってもいるが、その作風が中国文学の大きな流れのひとつを体現していることは間違いない。

李白の出自については長らく、四川省出身の漢民族だという説が有力であった。しかし前世紀の半ば以降緻密な研究が重ねられた結果、李白の一族は四川省土着のものではないということが明らかになった。彼の父とその祖先は西域を根拠としてシルクロードの貿易に従事する人たちだったらしい。その一家が李白の生まれた頃に蜀(四川省)にやってきた。そして李白が5歳の頃に、現在の四川省江油市あたりに定住した。もしかしたら、李白は漢民族ではなく、西域の血を引いていた可能性がある。


 唐の時代には、偉大な文学者はほとんどすべて官僚であった。官僚にならずに終わった人も、生涯のある時期、官僚を目指して進士の試験を受けるのが当たり前であった。ところが李白には自らこの試験を受けようとした形跡がない。彼は生涯を無衣の人として過ごすのであり、放浪に明け暮れた人生を送った。また人生の節々で色々な人と出会い、宮殿の端に列するようなこともあったが、その折の李白は文人としては敬意を評されても、一人の人間として高い尊敬を受けたとは思えない。これらのことが彼の出自と関係していることは大いに考えられる。

  遣懐(昔我遊宋中) 杜甫15大暦3年76857歳夔州

贈李白 杜甫16(李白と旅する)天宝3載74433
贈李白 杜甫17 (李白と旅する) 33

  昔遊 杜甫19(李白と旅する)大暦3年76857歳夔州
與李十二白同尋范十隱居 天宝4載74534

冬日億李白
春日憶李白 天宝5載 746 35

送孔巢父謝病歸游江東,兼呈李白35

飲中八仙歌 杜甫28   35  

10/15現在杜甫755年頃ブログ進行中 この後六首 掲載予定
秦州**********************乾元2年759年48歳
⑧五言古詩夢李白二首其の一  
⑨五言古詩夢李白二首其の二
⑩五言律詩天末懷李白
⑪五言古詩寄李十二白二十韻
成都・浣花渓**************上元2年761年50歳
⑫五言古詩 不見  
菱州**********************大暦3年768年57歳
⑬五言古詩 昔游 
⑭五言古詩 遣懷
⑮五言古詩 壯游
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李白と杜甫の別れ
 李白と杜甫の交友が始まって、何日も何日も二人は酒を酌み交わす日々が続いたが、二人の生活は一年足らずで終わることとなる。ある時、杜甫が仕官のため魯郡を離れて都に出たいと打ち明け時、李白はその無念さを酒で紛らわした詩「石門にて杜二甫を送る」がある。
これより李白と杜甫との交誼は親密度を加え、しばしば詩文を論じあうことがあった。また、二人して当時の文学の大先輩であり、もはや七十歳に近い李邕を済南に訪ねている。李邕はこのとき、北海の太守であった。李邕は『文選』に注した李善の子であって、父の注の補いもしている文選学者でもある。杜甫が後年、李邕の知遇を得たのは、このときの縁であり、杜甫が『文選』を学ぶようになったのも、この李邕のおかげである。

上李邕 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白188

746年天宝5載35歳

その年の夏、李邕が済州(済南)にやって来たので、杜甫は李邕に従い、済州の駅亭にある歴下亭や、済州城の北方にある鵲山亭での宴遊に加わって、当代の文壇のあれこれについて談じた。話は祖父審言にも及び、李邕は審言の詩の美しきを賛えた。杜甫は祖父の存在を、どんなに誇りに思ったことであろう。
 秋になって、杜甫は兗州に李白を訪ねた。李白は兗州に程近い任城(済寧)に家を構えており、二人の子供をそこに置いていた。杜甫は、すでに高天師のところから帰っていた李白と、東方にある蒙山に登って、董錬師、元逸人という道士を訪ねたり、城北に范十隠居を訪問したりしている。

杜甫③「李十二と同に花十隠居を尋ぬ」詩を見ると、李白の詩の佳句は、六朝梁の詩人、陰鐘に似ていると評している。陰鐙は、自然の美しきを歌うことが多いから、その点が似ているといっているのかもしれない。また、二人は兄弟のごとき親しさをもち、「酔うて眠るに秋には被を共にき、手を携えて日ごとに行を同にす」と歌っている。
與李十二白同尋范十隱居 杜甫
李侯有佳句,往往似陰鏗
余亦東蒙客,憐君如弟兄。
醉眠秋共被,攜手日同行。
更想幽期處,還尋北郭生。
・・・・・・・・

李白と杜甫は、このあとまもなく山東の曲阜近くの石門の地で別れることになる。杜甫は官職を求め希望を抱いて長安の都に行くためであり、李白も新しい遍歴の旅に上ることになったからである。石門の地で手を別って以来、終生再び遇うことはなかった。李白は杜甫に対して送別の詩「魯郡の東 石門にて、杜二甫を送る」を作っている。



魯郡東石門送杜二甫
酔別復幾日、登臨徧池臺。
別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
何言石門路、重有金樽開。
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
秋波落泗水、海色明徂徠。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
飛蓬各自遠、且尽林中盃。

風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!

toujidaimap216


魯郡東石門送杜二甫 訳註と解説

(本文)
魯郡東石門送杜二甫
酔別復幾日、登臨徧池臺。
何言石門路、重有金樽開。
秋波落泗水、海色明徂徠。
飛蓬各自遠、且尽林中盃。

(下し文) 魯郡の東 石門にて杜二甫を送る

(現代語訳)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!


魯郡東石門送杜二甫
○魯郡 いまの山東省兗州市。○石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。○杜二甫 まん中の二は、杜甫が一族の中で上から二番目の男子であることを示す。



酔別復幾日、登臨徧池臺。
別れを惜しんで酒に酔うことを、もう幾日くりかえしたことであろう。高い所に登って見晴らすために、池や展望台は、ことごとく廻り歩いた。
酔別 別れの酒に酔う。○登臨 登山臨水。



何言石門路、重有金樽開
ああ、いつの日に、石門の路でふたたび、黄金の酒樽を開けることか。
何言 「言」が日であったり、時であるばあいもある。 ○金樽 口の広い酒器、盃より大きい。



秋波落泗水、海色明徂徠。
秋のさざ波は満水の泗水の川面に落ち、東海のはてまで澄みきった秋の色に、徂徠山は明るい。
洒水 山東省を流れる川。大運河に流れ込む。黄河の支流。兗州を流れる。○徂徠 山東省奉安県の東南にある山。北に見る泰山に対する山として有名。



飛蓬各自遠、且尽林中盃。
風に飛ぶ蓬根無し草のように、遠くはなればなれになってしまうぼくたち、今はともかく、手の中にある杯を飲みほそう!
飛蓬 風に飛ぶ蓬根無し草。寒山、李賀にみえる。杜甫は「飄蓬」をよくつかう。根はないが、芯はしっかりした場合に使う。ただの風来坊には使わない。


(解説)
冒頭「酔別幾日ぞ」とは、よほど名残り惜しかったことだろう。続いて と詠んでいる。山東省滋陽県の辺りを「魯郡」という。李白は、ここの滋陽県の辺に家族を置いていた。東魯とか兗州と呼んでいたところである。た。当時、李白はこの二つを往来し、「石門」は曲阜の近くにある山である。
それとは別に、汁州の梁園(開封)に再婚の妻を置いていまた、ここを中心に各地方を遍歴していたと推定される。この詩、李白の家族の住む近くで遊んで別れることになった。作られた年代は、黄氏は、天宝三年八七四四)、四十四歳のとき、唐氏は、それよりのちの四十六歳とするが、洛陽で杜甫と会って、それからのことであるから、唐氏の説が当たっているかもしれない。
「いっしょに飲んで別れて幾日たったであろうか。きみとあらゆる名所の池や台に遊びまわった。この石門の地で別れたらもう再び飲んで遊びまわることはないかもしれない」。
「秋のけはいの中に酒水が低く流れている」。「泗水」は石門山付近を流れる。「遠くの海水の色が輝き、近くの徂徠山が明るく見えている」。「徂徠」山は、曲卓の近くにある。東の海ははるかで遠いが、秋波と対句にするためにあえていったもの。「秋波」 は秋の薄雲がなびくさまをいうか。

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187

送魯郡劉長史遷弘農長史  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白187


魯郡の劉長史、弘農の長史に遷るを送る
 
744の冬には 道士になり、李白は任城の「魯の一婦人」のもとにもどって、冬から翌天宝四載(745)の春を過ごしている。
また、時には人から同情され、贈りものがあり、大いに感激にふるえることもあった。「魯郡の劉長史、弘農の長史に還るを送る」では、劉長史がよき地弘農に赴任する喜びを歌いつつ、赴任に際して李白に示してくれた厚き友情に感激して、歌ったものである。


送魯郡劉長史遷弘農長史

魯國一杯水。 難容橫海鱗。
魯國においての一人で杯水のようで役に立たない状態なのだ。食事に海鱗の鱠をならべることはむつかしい。
仲尼且不敬。 況乃尋常人。
いまは仲の良い女道士も敬って献納してはおれない。そんなことなので街の普通の人を尋ねたのである。
白玉換斗粟。 黃金買尺薪。』

白い輝く宝石を、数斗の粟に変えたし、黄金は揃えられた薪の束を買うのに使ったのだ。』
閉門木葉下。 始覺秋非春。
家の門を閉ざし木葉を下に敷き詰めた。 こんなことは初めてのことだ、いまは春ではない秋なのだということがしみじみわかった。
聞君向西遷。 地即鼎湖鄰。
君に聞きたい、西方の弘農の地に左遷され向おうというのだろう。 その地は即ち鼎湖の鄰のあたりで遠いところだ。
寶鏡匣蒼蘚。 丹經埋素塵。
宝石の鏡、サファイア石は鮮やかに光っている。それに比べ道教の経典は埃に埋もれている。
軒后上天時。 攀龍遺小臣。
皇后が御車で宮殿に上がられるとき。鳳凰と龍の飛び上がる勢いの置物を自分につかわされた。
及此留惠愛。 庶幾風化淳。 』

此に及んで 惠愛をありがたく思い。 常日頃から今後長きにわたって忘れてはいけないことだと淳心な気持ちになった。』
魯縞如白煙。 五縑不成束。
その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。
臨行贈貧交。 一尺重山岳。
きみは出立にあたって魯の絹をこの貧しき友に贈ってくれた。その厚意は一尺でも山岳より重いものがある」。
相國齊晏子。 贈行不及言。
そして、春秋時代、斉の大臣妟子は、旅の出立に際して、贈るものは、ことばがいちばんよいといったが、今、自分もよきことばを贈ろう。
托陰當樹李。 忘憂當樹萱。
木陰をたよりにしたいなら李の木を植えるべきであり、憂いを忘れたいなら忘憂草を植えるべきである。
他日見張祿。 綈袍懷舊恩。』
「人と交際するには徳ある人と交わるべきであり、才能ある人と交わるべきである。君よつまらぬ者と交際するな」。』


魯國 一杯の水。海鱗 橫わり容し難し。
仲尼 且 敬ず。況や乃 常人尋ねん。
白玉 斗粟に換る。 黃金 尺薪を買う。 』

門を閉ざし木葉の下。 始めて覺ゆ 秋 春に非らず。
君に聞く西遷に向わんと。 地 即ち鼎湖の鄰。
寶鏡 匣蒼 蘚なり。 丹經 素塵に埋る。
軒后 上天の時。 攀龍 小臣に遺る。
此に及び 惠愛を留む。 幾に庶り 風化 淳し。 』

魯の縞は白煙の如く、五縑にして束を成さず
行に臨んで貧しき交に贈らる、一尺は山岳より重し
相国の斉の貴子、行に贈るに言に及かずと
陰に託せんとすれば当に李を樹うべし、憂いを忘れんとすれば当に萱を樹うべし
他日 張禄を見ん、綿袖もて旧恩を懐わん』





送魯郡劉長史遷弘農長史 訳註と解説


(本文)
魯國一杯水。 難容橫海鱗。
仲尼且不敬。 況乃尋常人。
白玉換斗粟。 黃金買尺薪。

(下し文)
魯國 一杯の水。海鱗 橫わり容し難し。
仲尼 且 敬ず。況や乃 常人尋ねん。
白玉 斗粟に換る。 黃金 尺薪を買う。


(語訳)
 魯國においての一人で杯水のようで役に立たない状態なのだ。食事に海鱗の鱠をならべることはむつかしい。
いまは仲の良い女道士も敬って献納してはおれない。そんなことなので街の普通の人を尋ねたのである。
白い輝く宝石を、数斗の粟に変えたし、黄金は揃えられた薪の束を買うのに使ったのだ。



魯國一杯水。 難容橫海鱗。
魯國においての一人で杯水のようで役に立たない状態なのだ。食事に海鱗の鱠をならべることはむつかしい。
○杯水 盃に入れた水では役に立たない。孟子・告子「杯水車薪」いっぱいとは言え盃の水では火を消せないということ。



仲尼且不敬。 況乃尋常人。
いまは仲の良い女道士も敬って献納してはおれない。そんなことなので街の普通の人を尋ねたのである。



白玉換斗粟。 黃金買尺薪。
白い輝く宝石を、数斗の粟に変えたし、黄金は揃えられた薪の束を買うのに使ったのだ。




(本文)
閉門木葉下。 始覺秋非春。
聞君向西遷。 地即鼎湖鄰。
寶鏡匣蒼蘚。 丹經埋素塵。
軒后上天時。 攀龍遺小臣。
及此留惠愛。 庶幾風化淳。


(下し文)
門を閉ざし木葉の下。 始めて覺ゆ 秋 春に非らず。
君に聞く西遷に向わんと。 地 即ち鼎湖の鄰。
寶鏡 匣蒼 蘚なり。 丹經 素塵に埋る。
軒后 上天の時。 攀龍 小臣に遺る。
此に及び 惠愛を留む。 幾に庶り 風化 淳し。


(語訳)
家の門を閉ざし木葉を下に敷き詰めた。 こんなことは初めてのことだ、いまは春ではない秋なのだということがしみじみわかった。
君に聞きたい、西方の弘農の地に左遷され向おうというのだろう。 その地は即ち鼎湖の鄰のあたりで遠いところだ。
宝石の鏡、サファイア石は鮮やかに光っている。
それに比べ道教の経典は埃に埋もれている。
皇后が御車で宮殿に上がられるとき。鳳凰と龍の飛び上がる勢いの置物を自分につかわされた。
此に及んで 惠愛をありがたく思い。 常日頃から今後長きにわたって忘れてはいけないことだと淳心な気持ちになった。



閉門木葉下。 始覺秋非春。
家の門を閉ざし木葉を下に敷き詰めた。 こんなことは初めてのことだ、いまは春ではない秋なのだということがしみじみわかった



聞君向西遷。 地即鼎湖鄰。
君に聞きたい、西方の弘農の地に左遷され向おうというのだろう。 その地は即ち鼎湖の鄰のあたりで遠いところだ
鼎湖は広東省肇慶市に位置する(桂林と香港の中間あたり)



寶鏡匣蒼蘚。 丹經埋素塵。
宝石の鏡、サファイア石は鮮やかに光っている。それに比べ道教の経典は埃に埋もれている。
○寶鏡 宝飾で飾られた鏡。○匣蒼 サファイア玉。 ○丹經 道教の教本。 ○素塵 ほこり。



軒后上天時。 攀龍遺小臣。
皇后が御車で宮殿に上がられるとき。鳳凰と龍の飛び上がる勢いの置物を自分につかわされた。



及此留惠愛。 庶幾風化淳。
此に及んで 惠愛をありがたく思い。 常日頃から今後長きにわたって忘れてはいけないことだと淳心な気持ちになった



(本文)
魯縞如白煙、五縑不成束。
臨行胎貧交、一尺重山岳。
相国哲量子、潜行不及言。
託陰常樹李、忘憂普樹萱。
他日見張縁、組柏懐蕃恩。


(下し文)
魯の縞は白煙の如く、五縑にして束を成さず
行に臨んで貧しき交に贈らる、一尺は山岳より重し
相国の斉の貴子、行に贈るに言に及かずと
陰に託せんとすれば当に李を樹うべし、憂いを忘れんとすれば当に萱を樹うべし
他日 張禄を見ん、綿袖もて旧恩を懐わん

(語訳)

その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。
きみは出立にあたって魯の絹をこの貧しき友に贈ってくれた。その厚意は一尺でも山岳より重いものがある」。
そして、春秋時代、斉の大臣妟子は、旅の出立に際して、贈るものは、ことばがいちばんよいといったが、今、自分もよきことばを贈ろう。
「木陰をたよりにしたいなら李の木を植えるべきであり、憂いを忘れたいなら忘憂草を植えるべきである。
人と交際するには徳ある人と交わるべきであり、才能ある人と交わるべきである。君よつまらぬ者と交際するな」。


魯縞如白煙、五縑不成束。
その魯地産の絹は白煙のごとく白く、わずか五匹では一束にはなりはしないのだ。



臨行胎貧交、一尺重山岳。
きみは出立にあたって魯の絹をこの貧しき友に贈ってくれた。その厚意は一尺でも山岳より重いものがある」。

(今の貧乏暮らしの自分にとっては、じつにありがたい。一生忘れることはできない、と感謝している。)



相國齊晏子。贈行不及言。
そして、春秋時代、斉の大臣妟子は、旅の出立に際して、贈るものは、ことばがいちばんよいといったが、今、自分もよきことばを贈ろう。



托陰當樹李。 忘憂當樹萱。
木陰をたよりにしたいなら李の木を植えるべきであり、憂いを忘れたいなら忘憂草を植えるべきである。



他日見張縁、組柏懐蕃恩。
人と交際するには徳ある人と交わるべきであり、才能ある人と交わるべきである。君よつまらぬ者と交際するな」。




この戒めの喩えは、李白の過去の体験から来たものであるが参考にした故事は以下のとおりである。。

 
 さて、春秋時代、范雎は、はじめ魏の須賈に仕え、逐われて、のち張禄と姓名を変え、秦に仕えて大臣になった。須賈は知らずに秦に使いして、徴服の范雎に会い、その寒苦に同情して厚き上衣を与えた。そして、共に役所に行き、大臣となっているのを知って謝罪したという。ことは『史記』の「范雎伝」に詳しい。「君も将来、張禄のように出世されるであろう。そのときは、贈ってくださった魯の縞を思い出して旧恩に報いたいと思う」といい、その厚き友情に対する感謝の念を現わしている。貧しい日常の李白にとっては「旧恩」をいつまでも思ったことであろう。 

 貧しいがゆえにその感激はひとしおのものであった。
 以上に見られるような感慨は、長安に入るまでの第一次の遍歴時代にはまったく見られなかったところである。彼の生活がいかに苦しかったかが想像される。

送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7)

 
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送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174
五言排律

玄宗(7)
742年、玉真公主、賀知章、呉筠らは詩人の李白を都に呼び寄せた。事前に賀知章が公主道観で面接し、蜀道難、烏夜亭、烏棲曲などすぐれた作品にたいし最大の評価をした。賀知章はそのまま玄宗に報告した。さっそく、玄宗は、彭勃と謝阿蛮を迎えに出し宮中に招き入れる。

李林甫と皇太子の李亨との権力闘争は尖鋭化してくる。この争いに巻き込まれたくない安禄山は都に身を潜め、玄宗と直接会う自らの目的のためにため策を練る。安禄山は、狡猾に玄宗皇帝に取り入る。
玄宗は、太真法師とした楊玉環を、正式に皇妃として迎える事を一気に進める。安禄山は科挙に対する不正を玄宗に告発する。事の真偽を確かめるため自ら試験官となり、不正を確かめた。玄宗の知らないところで科挙試験はゆがめられていたのだ。

 玄宗は、楊玉環に貴妃の地位を与え「楊貴妃」と名乗らせ、正式に皇妃として迎え入れた。さらに玄宗は、楊貴妃の親族を高い地位につけていく。
楊貴妃の父・楊玄儌は、娘が皇妃に迎えられた事で重用される楊家の行く末を心配していたが、逝去する。
その父の訃報が楊貴妃に伝えられた。

太子派の皇甫維明が西北警備で目覚しい武功を上げ、朝廷内の反対勢力を駆逐してきた宰相・李林甫を公に弾劾(だんがい)する。それを知った李林甫は、太子派の制圧を決める。
玄宗皇帝の元に、皇太子派の皇甫惟明将軍が吐藩の洪斉城を攻落したとの報告が入る。これで王忠嗣将軍が吐藩の石堡城を奪還すれば国境線がつながり西北は安泰となる。
この功績により、皇太子側の両将軍に軍事費の3分の2以上が与えられる事を警戒する李林甫は策略をめぐらす。


送儲邕之武昌
黄鶴西樓月、長江萬里情。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
春風三十度、空憶武昌城。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
送爾難為別、銜杯惜未傾。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
湖連張欒地、山逐汎舟行。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。

仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。



友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。



儲邕の武昌に之くを送る
黄鶴 西楼の月、長江 万里の情。
春風 三十度、空しく憶う 武昌城。
爾を送ってほ 別れを為し難く、杯を銜んでは 惜しみて未だ傾けず
湖は楽を張るの地に連なり、山は舟を汎ぶるの行を逐う。
諾には楚人の重きを謂い、詩には謝朓の清きを伝う。
滄浪 吾に曲有り、寄せて悼歌の声に入れん。



迭儲邕之武昌
儲邕が武昌に旅立つのを送る。
儲邕  李白の友人。伝記不詳。○武昌-現在の湖北省武漢市武昌地区。李白の時代の「武昌」は、正確には現在の都城市(武漢の東約六〇キロ)であり、「現在の武昌」は「江夏」と呼ばれていた。しかし、西晋・六朝期には「江夏」(「夏日」とも)がより広い「武昌郡」に属していたために、李白は「江夏」を「武昌」とも呼んでいる。ここは、その例に当たる。


黄鶴西樓月、長江萬里情。
友と別れた黄鶴がいる西の方の高楼に月がかかる、長江のながれははるか万里のわが思い。
黄鶴楼 江夏(現在の湖北省武漢市武昌地区)の黄鶴(鵠)磯に在った楼の名。(現在は蛇山の山上に再建)。仙人と黄色い鶴に関する伝説で名高い。
黄鶴伝説 『列異伝』 に出る故事。 子安にたすけられた鶴 (黄鵠) が、子安の死後、三年間その墓の上でかれを思って鳴きつづけ、鶴は死んだが子安は蘇って千年の寿命を保ったという。 ここでは、鶴が命の恩人である子安を思う心の強さを住持に喩えたもの。
○「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15



春風三十度、空憶武昌城。
あれから、春風は三十度めぐってきた、それにしても武昌城をむなしくも遠く憶いだす。
三十度 十五回、二十回を超えたら三十という詩人感覚。



送爾難為別、銜杯惜未傾。
私の思いで多き地へ旅立つ君を送ること、この別れのひとときはことさらに辛い、杯をロにもっていくが、名残り惜しさになかなか杯を傾けられない。
○爾 「汝」の類語。二人称代名詞。○衝杯 杯を口にあてる。



湖連張欒地、山逐汎舟行。
船路に広がる江湖は、演奏させたという黄帝の徳をしめす咸池の楽洞庭湖の平野がひろびろと連なっている、長江に沿った山々は、君の船旅を逐うかのように、どこまでもその姿を見せてくれる。 
張楽地 洞庭湖一帯をさす。『荘子』(天運篇)に、「帝張咸池楽洞庭野」(黄帝、咸池の楽[黄帝の作った天上の音楽]を洞庭の野に張る)とある。咸池 音楽の名前。 咸は「みな」、池は「施す」を意味し、この音楽は黄帝の徳が備わっていたことを明らかにするもの。○汎舟行 船を汎べてゆく行。



諾謂楚人重、詩傳謝朓清。
楚の人は古くから「黄金百斤より一諾を得る」といわれ、信義を重んじ、詩歌について、謝朓の「清廉」が伝統になっている。
諾謂楚人重 楚の国の出身者である季布は、任侠の徒として信義を重んじ、いちど承諾したことは必ず実行した。「黄金百斤を得るよりも、季布の一諾を得るほうがよい」という諺が生まれるほどだった。『史記』巻百「季布」列伝にもとづく。○詩伝謝朓清 六朝斉代の詩人謝朓は、その詩風がとくに清麗・清発であったことで名高い。



滄浪吾有曲、寄入悼歌聾。
仙境をおもわせる清らかな水、青々とした波、私には歌う曲がある、いまこれを送りとどけて、去りゆく君の船歌の聲に加えてください。
○滄浪 水の青さ・清らかさを李白は滄海をイメ―ジして使う。「古風」其十二では、滄波。○悼歌 カイをこぐ時の歌。舟うた。李白「越女詞」其三


○韻  倍、城、傾、行、清、声。


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何處可爲別、長安青綺門。
どこで君と別れをするところとするかといえば、長安城の東門の青綺門である
胡姫招素手、延客酔金樽。
イランの美女が長く細い白い手で招き、客を引っ張り込み、金の酒樽で酔わせてくる。
臨當上馬時、我獨與君言。
いよいよ馬にのって出発する時間がきた。わたしだけひとりが、君と話をしている。
風吹芳蘭折、日沒鳥雀喧。
風が吹き、せっかくの香のよい蘭も無残に折れる。日が沈んで、雀や小鳥がやかましく囀っている。
擧手指飛鴻、此情難具論。
手をさしあげて、空を飛ぶあの大きな鴻を指さすのだが、この気持はうまく説明することがむつかしいのだ。
同歸無早晩、穎水有精源。

わたしもおそかれはやかれ、君と同じ所に帰る。調子のいい話を聞く耳を洗ったことで有名な穎水には、清い源があるにちがいないから。



どこで君と別れをするところとするかといえば、長安城の東門の青綺門である
イランの美女が長く細い白い手で招き、客を引っ張り込み、金の酒樽で酔わせてくる。
いよいよ馬にのって出発する時間がきた。わたしだけひとりが、君と話をしている。
風が吹き、せっかくの香のよい蘭も無残に折れる。日が沈んで、雀や小鳥がやかましく囀っている。
手をさしあげて、空を飛ぶあの大きな鴻を指さすのだが、この気持はうまく説明することがむつかしいのだ。
わたしもおそかれはやかれ、君と同じ所に帰る。調子のいい話を聞く耳を洗ったことで有名な穎水には、清い源があるにちがいないから。


裴十八図南の嵩山に帰るを送る 其の一
何れの処か 別れを為す可き、長安の青綺門。
胡姫 素手もて招き、客を延(ひ)いて 金樽に酔う。
当(まさ)に馬に上るべき時に臨んで、我独り 君と言う。
風吹いて 芳蘭折れ、日没して 鳥雀喧(かしま)し。
手を挙げて 飛鴻を指す、此の情 具(つぶさ)に論じ難し。
同じく帰って 早晩無し、穎水に 清源有り。


裴十八図南 裴が姓、図南が名。十八は排行(一族のなかでの序列)。○嵩山 中国の五嶽の中の一つ。中嶽河南省洛陽の東方にある。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。この時代道教の総本山があり、そこに帰っていくことを示す。
• 東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
• 南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
• 中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
• 西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
• 北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016m。

この詩をもって李白が長安から去る気持ちを持っていたというのは間違いで、友人が道教の本山に帰るということに対して、自分も行きたいといっているだけなのだ。


何處可爲別、長安青綺門。
どこで君と別れをするところとするかといえば、長安城の東門の青綺門である。
青綺門 長安の町をかこむ城壁の門の一つ、東に向いた㶚城門は、青い色をぬってあったので、通称を、青城門、又は青門、又は、青綺門といった。

胡姫招素手、延客酔金樽。
イランの美女が長く細い白い手で招き、客を引っ張り込み、金の酒樽で酔わせてくる。
胡姫 外人の女。当時、イラン系の美女が長安の酒場、歌ったり舞ったりサービスしたりした。○素手 しろい手。○延客 客をひっぱる。

臨當上馬時、我獨與君言。
いよいよ馬にのって出発する時間がきた。わたしだけひとりが、君と話をしている。
臨當 その時にあたる。望む。その時に及ぶ。
 

風吹芳蘭折、日沒鳥雀喧。
風が吹き、せっかくの香のよい蘭も無残に折れる。日が沈んで、雀や小鳥がやかましく囀っている。
芳蘭 においのよいラン。

擧手指飛鴻、此情難具論。
手をさしあげて、空を飛ぶあの大きな鴻を指さすのだが、この気持はうまく説明することがむつかしいのだ。
擧手指飛鴻 晉の時代の隠者である郭瑀いう人の故事。ある人が郭瑀に、山を出て役人になるよう、使に呼びに行かせた。郭瑀は空を飛ぶ鴻(雁の大きいもの)を指さして言った。「ごらんなさい。あの鳥がどうして籠の中へ入れられましょう」。

同歸無早晩、穎水有精源。
わたしもおそかれはやかれ、君と同じ所に帰る。調子のいい話を聞く耳を洗ったことで有名な穎水には、清い源があるにちがいないから。
穎水 河南省登封県の西、すなわち嵩山の南方に源を発し、南に向って流れ、安徽省に入って准河と合流している。伝説によると、大昔、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。


○韻  門、樽、言、喧、論、源。

送友人  李白 118

送友人  李白 118

送友人

青山橫北郭、白水繞東城。
草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
此地一為別、孤蓬萬里征。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
浮云游子意、落日故人情。
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
揮手自茲去、蕭蕭班馬鳴。

手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。

草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。


青山  北郭に 橫たはり,
白水  東城を遶(めぐ)る。
此地  一たび 別れを 爲(な)し,
孤蓬  萬里に 征(ゆ)く。
浮雲  遊子の意,
落日  故人の情。
手を 揮(ふる)ひて  茲(ここ)より 去れば,
蕭蕭(せうせう)として  班馬 鳴く。


送友人:友人を見送る。人を送るために、しばし同行してゆく。澄んだ水が、都市(城市)の東側をめぐっている。

青山橫北郭、白水繞東城。
草木が青々と茂っている山が、街の城郭の北側に横たわっている、澄んだ水は 城郭の東側をながれている。
・青山 草木が青々と茂っている山。また、墓所とすべき山。ここでは、前者の意。 ・橫 よこたわる。動詞。 ・北郭 都市の城郭の北側。・白水:澄んだ水。 ・遶 じょう めぐる。めぐらす。とりまく。 ・東城 城郭の東側。

此地一為別、孤蓬萬里征。
今、この地でひとたび別れることになれば、風に吹かれてひとつだけで風に飛びさすらう根なし蓬のように、万里の道をゆくのである。 
・此地 この地(で)。この場所(で)。 ・一爲 ひとたび…をなす(やいなや)。ひとたび…をす(れば)。 ・別 別れること。離別。名詞。・孤蓬 こほう ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。映画『黄土地』にもその場面が出てくる。江湖を流離う老人が、転蓬とともに歩み去ってゆく。
飛蓬。転蓬。
黄色い砂埃がやがて、老人も転蓬をも隠してゆく…。中華版デラシネ表現の一。流転の人生の象徴。。 ・萬里 遙かな行程をいう。 ・征 旅に出る。行く。

浮云游子意、落日故人情。
浮ぶ雲は、旅人の心であり、しずむ夕陽は残される友人の感情である。
・浮雲 浮かび漂う雲。漂う雲のように行方定まらないこと。・遊子 旅人。家を離れて他郷に旅立つ人。ここでは、李白の友人を指す。 ・意 心。・落日 夕陽。 ・故人 旧知の友人。 ・情 思い。

揮手自茲去、蕭蕭班馬鳴。
手を振って、ここより去りろうとしている、ヒヒーンヒヒーンと、別れゆく馬もものさびしく嘶いた。
・揮手 手を振る。 ・自茲去 …より ここ。 去る。行く。・蕭蕭 馬の嘶く声。また、もの寂しいさま。 ・班馬 離れ馬。 

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