漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

七言古詩

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

     
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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,

夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。

誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。


現代語訳と訳註
(本文)

對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。


(下し文)
君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,窗を闢【あ】け幌を開いて秦箏【しんそう】を弄ぶ,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。


(現代語訳)
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。


(訳注)
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,

君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,窗を闢【あ】け幌を開いて秦箏【しんそう】を弄ぶ,,
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
【えい】1 冠の付属具で、背後の中央に垂らす部分。古くは、髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めたひもの余りを後ろに垂らした。のちには、幅広く長い形に作って巾子の背面の纓壺(えつぼ)に差し込んでつけた。女性が婚約をした時身につける飾りひも。・秦箏 箏では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴(きん)では柱が無いことである。秦箏」は「十二弦の琴」で、「斉瑟は二十五弦の大きな琴」である。


調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
帷屏 屏: 1 中を隠すために設けるもの。ついたてや垣根。2 閉じて外に出さない。ついたて。おおって防ぐ。


誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。
誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。
展轉 (1)ころがること。回転すること。 (2)寝返りを打つこと。 「―して眠れぬ夜」 (3)巡り移ること。・思服 寤寐思服. 「寤寐思服(ごびしふく)」目覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っていること。 切実に人を思うこと。 「寤寐」は目覚めることと寝る事。




参考(1)
古詩十九首其十七

孟冬寒氣至,北風何慘慄?愁多知夜長,仰觀眾星列。 三五明月滿,四五詹兔缺。客從遠方來,遺我一書札。 上言長相思,下言久別離。置書懷袖中,三歲字不滅。 一心抱區區,懼君不識察。
孟冬 寒氣至り、北風 何ぞ慘栗たる。
愁ひ多くして夜の長きを知り、仰いで衆星の列なるを觀る。
三五 明月滿ち、四五 蟾兔缺く。
客 遠方より來り、我に一書札を遺る。
上には長く相思ふと言ひ、下には久しく離別すと言ふ。
書を懷袖の中に置き、三歳なるも字滅せず。
一心に區區を抱き、君の識察せざらんことを懼る。


参考(2)
曹丕(曹子桓/魏文帝)の詩 『燕歌行』 

燕歌行
秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜、
羣燕辭帰雁南翔。
念君客遊思断腸、慊慊思帰戀故郷、
何為淹留寄他方。』

賤妾煢煢守空房、憂来思君不敢忘。
不覚涙下霑衣裳。
援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。』

明月皎皎照我牀、星漢西流夜未央。
牽牛織女遥相望、爾獨何辜限河梁。』

(燕歌行)
秋風 蕭瑟として天気涼し、草木 搖落して 露 霜となり、羣燕 辭し帰りて 雁 南に翔る。
君が 客遊を念いて 思い腸を断ち、慊慊【けんけん】として帰るを思い故郷を戀【した】わん、何為れぞ淹留してか他方に寄る。
妾 煢々【けいけい】として空房を守り、憂い来りて君を思い 敢えて忘れず、覚えずも涙下りて衣裳を霑【うるお】す。
琴を援き絃を鳴らして清商【せいかん】を發し、短歌 微吟【びぎん】長くするを能わず。
明月 皎皎として我が牀を照らす、星漢【せいかん】西に流れ夜未だ央きず。
牽牛 織女 遥かに相望む、爾 独り何の辜【つみ】ありてか河梁【かりょう】に限らる。

燕歌行 玉台新詠 蕭子顯 「風光遅舞出青蘋、蘭條翠鳥鳴發春。」

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

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燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,

10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。

孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,

君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,闢窗を開け幌を秦箏【しんそう】を弄ぶ,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。




現代語訳と訳註
(本文)
燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,


(下し文)
燕歌行
孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,


(現代語訳)
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。


(訳注)
燕歌行

内容的には古詩十九首其十七の初二句に酷似している。詩題としては、文選魏の文帝、玉台新詠にもある。題材は同様なものである。ただ、七言楽府、七言詩はこの時代には本遯ど完成されていたいうことになる。



初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
『古詩十九首其十七』「孟冬寒氣至,北風何慘慄?愁多知夜長,仰觀眾星列。 三五明月滿,四五詹兔缺。客從遠方來,遺我一書札。 上言長相思,下言久別離。置書懷袖中,三歲字不滅。 一心抱區區,懼君不識察。」

『悲陳陶』「孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。野曠天清無戦声、四万義軍同日死。群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。」

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152



秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
秋蟬 李白『留別廣陵諸公』「還家守清真,孤節勵秋蟬。」(還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。)“家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。”○還家 いえにかえる。○清真 清らかな眞實。○孤節 季節の変わり目。○秋蟬 夏から秋に変わる季節の移り変わりのむなしさをいう。他のものが流されていく中で、信念を貫く意味をいう。○ 励む、 はげます



君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,
あなたはどうして厳しく困難で行きっぱなしの出征にいったのですか、わたしは身だしなみをしても仕方がなくコウノトリが啼くことも感じることもありはしないのです。
崎嶇【きく】険しいこと。容易でないこと。また、辛苦すること。1 山道の険しいさま。2 世渡りの厳しく困難なさま。・徂征 :(1) 行く,去る.(2) 死ぬ.:【せい】1 旅に行く。「征衣」2 敵・罪人を討ちに行く。「征夷(せいい)・征討・征伐・征服/遠征・出征・東征」3 征服する。「征圧」

贈從弟南平太守之遙二首 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -290

贈從弟南平太守之遙二首 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -290


贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
朱漆で飾った天子の庭に左右に別れ整列し、天子の夜を「万年続く」と唱呼したものだ。そこでお目にかかっていたものが今や叛乱軍の手に落ち、落ちぶれたものとなっている。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
王朝の翰林院で筆を執って、詔を起草した者たちはかしこそうな目つきでながめまわしたものだ。あの麒麟閣に飾られた賢臣たちを今このように世の中が嶮しい時にあたって誰が見ることができるというのか。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
天子から賜った名馬には天子の好みの足踏み金具、細工彫の馬具、白く輝く宝飾の鞍をつけた。象牙のこしかけ、絹の敷物、黄金の皿で食事したのだ。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。

わたしが王朝に仕えていた当時、私の地位がわずかに低いからと笑いかけてきたものがいた、ところがそれが却って今たたえ合って交歓しているのである。

#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
#1
從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の一
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。

#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。



#2 現代語訳と訳註
(本文) #2

彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。


(下し文)
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。


(現代語訳)
朱漆で飾った天子の庭に左右に別れ整列し、天子の夜を「万年続く」と唱呼したものだ。そこでお目にかかっていたものが今や叛乱軍の手に落ち、落ちぶれたものとなっている。
王朝の翰林院で筆を執って、詔を起草した者たちはかしこそうな目つきでながめまわしたものだ。あの麒麟閣に飾られた賢臣たちを今このように世の中が嶮しい時にあたって誰が見ることができるというのか。
天子から賜った名馬には天子の好みの足踏み金具、細工彫の馬具、白く輝く宝飾の鞍をつけた。象牙のこしかけ、絹の敷物、黄金の皿で食事したのだ。
わたしが王朝に仕えていた当時、私の地位がわずかに低いからと笑いかけてきたものがいた、ところがそれが却って今たたえ合って交歓しているのである。


(訳注)
彤庭左右呼萬歳、拜賀明主收沈淪。
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
朱漆で飾った天子の庭に左右に別れ整列し、天子の夜を「万年続く」と唱呼したものだ。そこでお目にかかっていたものが今や叛乱軍の手に落ち、落ちぶれたものとなっている。
彤庭 (とうてい)朱漆で飾った天子の庭。天子の宮殿の正殿の正面階段から続く庭は朱漆で赤く塗られている。かいだんは「丹陛」という。李商隠『有感二首其 二』「丹陛猶敷奏、彤庭歘戦争。」とある。○萬歳 万年。○明主 あなた様。天子様。○沈淪 (ちんりん)しずみおちぶれた賢人。


翰林秉筆囘英眄 麟閣崢嶸誰可見
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
王朝の翰林院で筆を執って、詔を起草した者たちはかしこそうな目つきでながめまわしたものだ。あの麒麟閣に飾られた賢臣たちを今このように世の中が嶮しい時にあたって誰が見ることができるというのか。
翰林 李白がいた翰林院のこと。唐の玄宗が738年(開元26年)に設けた翰林学士院がその起源で、唐中期以降、主に詔書の起草に当たった役所のことをいう。○英眄 (えいべん) かしこそうな目つきでながめまわすこと。○麟閣 麒麟閣。漢代、長安の宮中にあった高殿。武帝が麒麟を献上されたとき築いたといわれる。宣帝のとき、11人の功臣の肖像などが飾られた。○崢嶸   山や谷のけわしさ。  人生のけわしさ。


承恩初入銀臺門 著書獨在金鑾殿
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、書を著してひとり金鑾殿にあり。
天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。


龍鉤雕鐙白玉鞍 象牀綺席黄金盤
寵鉤(ちょうこう)雕鐙(ちょうとう) 白玉の鞍、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
天子から賜った名馬には天子の好みの足踏み金具、細工彫の馬具、白く輝く宝飾の鞍をつけた。象牙のこしかけ、絹の敷物、黄金の皿で食事したのだ。
寵鉤(ちょうこう) 天子の好みの足踏み金具。○雕鐙(ちょうとう) 細工彫の馬具。○白玉鞍 白く輝く宝飾の鞍。○象牀 (ぞうしょう) 象牙のこしかけ ○綺 席 絹の敷物。○黄金盤 黄金の皿で食事する。


當時笑我微賤者 却來請謁爲交歡
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
わたしが王朝に仕えていた当時、私の地位がわずかに低いからと笑いかけてきたものがいた、ところがそれが却って今たたえ合って交歓しているのである。

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江上吟  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -288

江上吟  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -288



江上吟
長江の船の上での歌。 
木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。

風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
             

江上吟
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。

55moon


江上吟 現代語訳と訳註
(本文)

木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
功名富貴若長在,漢水亦應西北流。


(下し文)
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,
玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。

(現代語訳)
長江の船の上での歌。              
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。

風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
宮島(1)

(訳注)
江上吟

長江の船の上での歌。
○漢水が長江に流入する武漢地域での作であるが、李白の「金陵の江上にて蓬池隠者に遇う」と内容的に同じ時期とした。


木蘭之枻沙棠舟,玉簫金管坐兩頭。
木蘭(もくらん)の枻(かい) 沙棠(さとう)の舟,玉簫(ぎょくしょう) 金管(きんかん)  兩頭(りょうとう)に 坐(ざ)す。
長江に浮べる船は、木蘭のすばらしい櫂は欠かせず、沙棠の美事な舟というものだ。きれいに飾った立派な簫の笛に立派な笛の奏者を前後の舳先(へさき)に坐らせるのだ。 
木蘭〔もくらん〕モクレン。アララギ。香木の舟。蘭は美称で、実際に木蘭(モクレン)でできた舟とは限らない。舟を表す一種の詞語。 中国の民間伝説の女主人公。老病の父に代わり男装して出征。十数年の奮戦の後,恩賞を得て女性の姿に戻って帰郷する。北中国の民間歌謡が伝承され,釈智匠の《古今楽録》に収める《木蘭詩(辞)》がある。○ …の。節奏のために使う。・ 〔えい〕舟のかい(櫂)のこと。「鼓」はここでは揺らすこと。かいを漕いで、舟を出した。屈原の漁父の辞に「漁父、莞爾として笑み、枻を鼓して去る」とある。 泛泛 ( はんはん ). ゆらゆらと浮かんでいる様子。○沙棠 〔さとう〕棠(やまなし)に似た木。こりんご。果樹の一種。材は、舟を造るのに用いる。 ○玉簫 立派なしょうのふえ。立派な管楽器。 ○金管 立派な管楽器。 ○ すわる。 ○兩頭 前後の舳先(へさき)。
 
美酒尊中置千斛,載妓隨波任去留。
美酒 尊中(そんちゅう)千斛(せんこく)を置き,妓を載せて波に 隨ひて去留(きょりゅう)に 任(まか)す。
船上での宴はまずは美酒、大きめの盃を用意し、酒龜には千斛のたくさんの美酒を用意する。そして妓女を舟に乗せて、波のままに流れにまかせ、去ることも、とどまることも、自然の流れに任せるものなのだ。
美酒 うまい酒。贅沢な酒。王維の王維 少年行「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」や、王翰の『涼州詞』その一首に「葡萄美酒夜光杯,欲飮琵琶馬上催。醉臥沙場君莫笑,古來征戰幾人回。」や。李白の李白56客中行 李白57夜下征虜亭 李白58春怨 李白59陌上贈美人に「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」 とある。 ○尊中 酒器の中に。=樽中。 ○千斛 極めて多量を謂う。 ○ 〔こく〕桝(ます)。口が小さく底が広く四角になった升。容量の単位。一斛=一石(こく)=十斗=59.44リットル(唐代)。○載妓 妓女を(舟に)乗せる。 ○隨波 波のままに。流れのままに。 ○去留 去ると留まると。自然のなりゆき。


仙人有待乘黄鶴,海客無心隨白鴎。
仙人 待つ有りて 黄鶴(こうかく)に 乘り,海客(かいきゃく)心 無くして 白鴎(はくおう) 隨(したが)ふ。
風流を興じる仙人というものは黄鶴に乗るまでの間でも興を有するもので、その後、空を飛んでいく。この船に乗っている漁師は無心であるものだ、だから白い鴎を従わせられるのだ。 
仙人 不老不死の術を得た人。人界を離れて山中に住み、変幻自在の術を得た人。 ○有待 …を待っていて。は風流を興じる気持ちがあるということ。 ○黄鶴 仙人の乗る黄色い仙鶴。なお、黄鶴樓は湖北省武昌(現・武漢)の西南の蛇山北黄鵠(長江右岸)ににある楼の名。老人が酒代の代わりに店の壁に黄鶴を描き、やがてその黄鶴にまたがって白雲に乗って去っていった伝説上の仙人を指す。李白の黄鶴について次のような詩がある。
黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15
蜀道難 李白
古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152
送儲邕之武昌 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白174 と玄宗(7)
登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210
贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -232
秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350海客 海辺の人。『列子』で謂う海上之人。「海辺の人で、カモメがすきな者がいて、毎朝海辺へ行って、カモメと遊んでいた。集まってくるカモメの数は百に止まらなかった。そこで、その者の父親が、『わたしは、カモメがお前に付き随って遊んでいるという噂を聞いているが、お前、そのカモメを取ってこい。わたしがあそんでやろう』と言った。そこで、息子は翌朝海辺へ行って(言われたとおりに捕まえようとしたが)カモメは降りては来なかった。」『列子・黄帝篇』「海上之人有好鴎鳥者,毎旦之海上,從鴎鳥游。鴎鳥之至者,百住而不止。其父曰:『吾聞鴎鳥皆從汝游,汝取來,吾玩之。』明日之海上,鴎鳥舞而不下也。」とある。 ○無心 心中に何もとらわれた心がないこと。ここでは、漁師の人がカモメを捕まえる気がないときは、カモメと戯れられたことを指す。次の句の屈原の話し相手が漁師である。この句が次の句を呼び込んでいくものである。○ したがう。○白鴎 白いカモメ。前出『列子・黄帝篇』に出てくる人の心を読むカモメ。


屈平詞賦懸日月,楚王臺榭空山丘。
屈平(くっぺい)の詞賦(しふ)は 日月(じつげつ)を 懸(か)くるも,楚王(そおう)の臺榭(だいしゃ)は 山丘(さんきゅう)に 空し。
愛国の人、屈原の詩は、太陽や月を天に輝いて仰いでいるのだ。屈原の君王であった楚王の楼閣を覧古される山や丘に空しく残っているというだけだ。
屈平 楚・屈原のこと。『楚辭』『漁父の辞』の一部の作者。楚の国を憂いて汨羅に身を投じた王族の政治家。詩人。 ○詞賦 屈原の『楚辭』を指す。屈原の強烈な愛国の情から選出したのが『楚辞』で、その中でも代表作とされる『離騒』は後世の愛国の士から愛された。
なお、『漁父辞』の冒頭「屈原 既に放たれて」から洟垂れ小僧のことを屈原ということがあったようである。 ・懸 つりさげる。かかげる。かける。 ・日月 太陽と月。○楚王 春秋戦国時代の楚の王。古代の南部中国の帝王。靈王、襄王、懷王、莊王などか。

李白8  蘇台覧古
李白9  越中覧古
 ○臺榭 うてな。高台の上の御殿。楼閣。 ○山丘 山と丘。物の多いさま。墳墓。重いことの形容。


興酣落筆搖五嶽,詩成笑傲凌滄洲。
興(きょう)酣(たけなは)にして 筆(ふで)を 落とせば  五嶽を 搖(うご)かし,詩 成りて 笑傲(しょうごう)すれば  滄洲(そうしゅう)を 凌(しの)ぐ。
風流な興がたけなわになるにつれて、詩を作り出されてくる、その勢いは、国の霊山として崇拝される五嶽をも揺るがすものである。その詩が出来上がって傲然と笑うにしたがえば、その境地は仙境の滄洲の仙人をも凌ぐものなのだ。
 風流にたのしいこと。悦ぶこと。心に趣(おもむ)きを感じる。おもしろみ。興味。興趣。 ・ 物事の真っ盛り。酒宴のさなか。たけなわ。○落筆 筆をおろす。書き始める。 ○五嶽 五つの霊山。
•東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
•南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
•中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
•西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
•北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016,m。 
詩成 詩ができあがる。詩(が)なる。 ○笑傲 〔しょうごう〕あざわらっていばる。○滄洲 仙人の住むところ。滄浪洲。


功名富貴若長在,漢水亦應西北流。
功名(こうみょう)富貴(ふうき) 若(も)し 長(とこしな)へに在(あ)らば,漢水(かんすい)も亦(ま)た 應(まさ)に 西北に 流るべし。
風流を興じるものにとって、名誉や財産、地位というものが、もし永遠に存在するというのならば、漢水の流れが逆流して、西北方向に流れるということをいうことになるのだ。
功名 てがら。手柄を立て名をあげること。 ○富貴 金持ちで身分が高い。 ○長在 いつまでもある。永遠に存在する。李白の古風五十九首 其十一 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140に「黄河走東溟,白日落西海。逝川與流光,飄忽不相待。春容捨我去,秋髮已衰改。人生非寒松,年貌豈長在。吾當乘雲,吸景駐光彩。」とある。 ○漢水 梁州(現・陝西省)の方から東南方向に向かって流れ、襄陽(現・湖北省)を経て、漢陽で長江に注ぎ込む大河。 ○ …もまた。 ・ きっと…だろう。 ○西北流 漢水が逆流するということ。漢水は、東南方向に向かって流れている。

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夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266

夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266
(夜黄山に泊して殷十四の呉吟を聞く)

頌春00

夜泊黄山聞殷十四呉吟
ある夜、黄山に泊って殷兄弟順の十四番目の呉歌を吟じたのを聞いいた。
昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林。
ゆうべ、呉の地方の歌曲をうたっていたのは誰だったのか。風が谷という谷に吹き荒れ、葉を落しきった林に吹いたのだ。
龍驚不敢水中臥、猿嘯時間巌下音。
隠れ、寝ていた竜はびっくりして目をさまし、じっと寝ていることができなかった。猿の寂しいけど鋭いなき声が、時をおいて何度も、岩の下から聞こえてきた。
我宿黄山碧渓月、聴之却罷松間琴。
わたしはここ黄山に泊まった緑静かな渓谷の中で月を見て、この鳴き声を聞いていると今まで松の木の間で引いていた琴を止めてしまうほどだった。
朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。
けさになってから、はたしてそれは滄州にすむ隠者がおこしていた仕業であるとわかった。隠者には酒である、そこで酒を買い、肴をいれた皿をさげ持ち、粟飯を用意して訪ねたのだ。
半酣更發江海聲、客愁頓向杯中失。

黄山に宿をとったわたしは、碧の谷川の月を見ていたが、酒が半ばまわってくると、かれはさらにまた、自由なうた声を響かせうならせはじめた。その歌を耳にすると、旅の愁がいっぺんに、琴の手を頓挫して、杯の中にむかって消え失せさせてくれた。 


夜黄山に泊して殷十四の呉吟を聞く

昨夜 誰か呉会の吟を為す、風は万壑(ばんがく)に生じて 空林に振う。

竜は驚いて敢て水中に臥さず、猿は嘯いて時に聞く巌下の音。

我は宿す黄山碧渓(へきけい)の月、之を聴いて却って罷む 松間の琴。

朝来 果して是れ 滄洲の逸、酒をい盤を提げ 霜栗を飯す。

半酣 更に発す 江海の声、客愁 頓(とみ)に杯中に向って失す

56moon


夜泊黄山聞殷十四呉吟 現代語訳と訳註
(本文)

昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林。
龍驚不敢水中臥、猿嘯時間巌下音。
我宿黄山碧渓月、聴之却罷松間琴。
朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。
半酣更發江海聲、客愁頓向杯中失。

(下し文)
昨夜 誰か呉会の吟を為す、風は万壑(ばんがく)に生じて 空林に振う。
竜は驚いて敢て水中に臥さず、猿は嘯いて時に聞く巌下の音。
我は宿す黄山碧渓(へきけい)の月、之を聴いて却って罷む 松間の琴。
朝来 果して是れ 滄洲の逸、酒を酤い盤を提げ 霜栗を飯す。
半酣 更に発す 江海の声、客愁 頓(とみ)に杯中に向って失す

(現代語訳)
ある夜、黄山に泊って殷兄弟順の十四番目の呉歌を吟じたのを聞いいた。
ゆうべ、呉の地方の歌曲をうたっていたのは誰だったのか。風が谷という谷に吹き荒れ、葉を落しきった林に吹いたのだ。
隠れ、寝ていた竜はびっくりして目をさまし、じっと寝ていることができなかった。猿の寂しいけど鋭いなき声が、時をおいて何度も、岩の下から聞こえてきた。
けさになってから、はたしてそれは滄州にすむ隠者がおこしていた仕業であるとわかった。隠者には酒である、そこで酒を買い、肴をいれた皿をさげ持ち、粟飯を用意して訪ねたのだ。
黄山に宿をとったわたしは、碧の谷川の月を見ていたが、酒が半ばまわってくると、かれはさらにまた、自由なうた声を響かせうならせはじめた。その歌を耳にすると、旅の愁がいっぺんに、琴の手を頓挫して、杯の中にむかって消え失せさせてくれた。 


(訳注)
夜泊黄山聞殷十四呉吟

ある夜、黄山に泊って殷兄弟順の十四番目の呉歌を吟じたのを聞いいた。
黄山 いまの安徽省当塗県にあり、むかし浮邱翁という者が鷄をここで飼ったと伝えられ、又の名を浮邱やまという。○殷十四 この人のくわしい事跡は不明。十四は、中国の大家族の中で、いとこをふくめた兄弟の順番を示す。殷家の十四番目の息子である。○呉吟 呉の国の歌曲。


昨夜誰爲具會吟、風生萬壑振空林
ゆうべ、呉の地方の歌曲をうたっていたのは誰だったのか。風が谷という谷に吹き荒れ、葉を落しきった林に吹いたのだ。
呉会 呉郡と会稽郡。すなわち、いまの江蘇省南部と浙江省北部。長江下流の南側、いわゆる江南の地方と蘇州と銭塘江流域、紹興がその中心地。〇万壑 万の谷。


龍驚不敢水中臥、猿嘯時間巌下音。
隠れ、寝ていた竜はびっくりして目をさまし、じっと寝ていることができなかった。猿の寂しいけど鋭いなき声が、時をおいて何度も、岩の下から聞こえてきた。
 架空の動物。水中に臥しているが、時を得て雲をよび天に昇るという。○猿嘯 猿のなき声。キァーキィーッツという鋭い声。

我宿黄山碧渓月、聴之却罷松間琴。
わたしはここ黄山に泊まった緑静かな渓谷の中で月を見て、この鳴き声を聞いていると今まで松の木の間で引いていた琴を止めてしまうほどだった。

朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。
けさになってから、はたしてそれは滄州にすむ隠者がおこしていた仕業であるとわかった。隠者には酒である、そこで酒を買い、肴をいれた皿をさげ持ち、粟飯を用意して訪ねたのだ。
朝来 朝になって。○滄州 東方の海上にあると信じられた仙人の島。○逸 隠者。○ 酒を買う。○飯霜栗 晩秋、霜のふる頃に熟した粟を、飯にまぜて炊く。


半酣更發江海聲、客愁頓向杯中失。
黄山に宿をとったわたしは、碧の谷川の月を見ていたが、酒が半ばまわってくると、かれはさらにまた、自由なうた声を響かせうならせはじめた。その歌を耳にすると、旅の愁がいっぺんに、琴の手を頓挫して、杯の中にむかって消え失せさせてくれた。 
江海声 自由な境涯にいる人のうた聲。長江、大海の上で気ままに歌うことを表す。○ 息に。



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金陵酒肆留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 225

金陵酒肆留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 225



「漢水の下流、長江をさかのぼり、廬山の頂きに登りたいと思う。香炉峰の紫煙は消えて、瀑布は大空より落下しているであろう。その廬山の高いところに登り、そのまま星によじ登って、大空のかなたに行くとすれば、この俗世界ともお別れであり、諸君とも別れだ。手を振ってかなたの世界より気持ちをこめて別れの挨拶しょう」。廬山に登って隠棲しょうという気持ちを表わしている。これが俗世に希望を失った李白のこの時の真情である。また、金陵の酒場では、飲み友だちが集まってきて、俗世との別れという気持ちで、李白の奔放な性格まるだしの大騒ぎの送別の宴が催されている。

金陵酒肆留別

白門柳花滿店香、吳姬壓酒喚客嘗。
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
金陵子弟來相送、欲行不行各盡觴。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
請君問取東流水、別意與之誰短長。
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。


金陵の酒肆にて留別す

白門の柳花(りゅうか)に  満店 香(かん)ばし、呉姫(ごき)は酒を圧して 客を喚びて嘗()めしむ。

金陵の子弟(してい) 来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす。

請う君 問取れ  東流(とうりゅう)の水に、別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと。



 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地があ。そして白門をくぐると、酒旗高楼が林立している。



金陵酒肆留別 現代語訳と訳註
(本文)

風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君問取東流水、別意与之誰長短


(下し文) 金陵の酒肆にて留別す
白門の柳花(りゅうか)に  満店 香(かん)ばし、呉姫(ごき)は酒を圧して  客を喚びて嘗(な)めしむ。
金陵の子弟(してい) 来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす。
請う君  問取れ  東流(とうりゅう)の水に、別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと。


(現代語訳)
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。


(訳注) 金陵酒肆留別
○金陵  
現在の南京市。金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212参照)。○酒肆  酒を飲ませる店。酒場。○留別 別れの気持を書き留める。旅立つ人が詩を書きのこす場合の用語。人を送る場合の用語「送別」の対語。
          
白門柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
○白門 金陵城の中の歓楽街に入る門。五行思想で西は白色、西側から入るため白門としていた。白門を金陵の色町があまりに有名であり、南京そのものを示す語になっている。一つ。○柳花 「柳絮」(柳のワタ)。初夏のころ種子をつけて飛ぶ柳のワタを花と見てこういう。○呉姫 呉(現在の南京市や蘇州市など)の地方のむすめ。「姫」は女性の美称。呉の国には美女が多いとされていた。○圧酒 新しく醸した酒をモロミごと樽に入れ、強く圧縮して絞り出す。○ 味わわせる。

金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
子弟 わかものたち。詩題に諸公とあるので全体的には諸公。○相送 (わたしを)送る。相手がいる場合に使う、相は動作に対象のある場合に用いる副詞。〇 角製のさかずき。

請君問取東流水、別意与之誰長短。
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。
問取 取は、助字化され軽く添えた用法。○東流水 金陵のまちに添って東に流れる長江の水。中国では川の流れは東流するものとして当たり前のこととされている。○ どちら。この「誰」は、疑問詞としての広い用法。「だれ」ではない。



 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、756年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、756年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。
金陵から江をさかのぼって鷹山に入り、五老峰の下の屏風畳にしばらく隠棲することにした。756年至徳元年五十六歳のときである。安禄山が天下を二分してしまった危機を打開したいとは思うが、叛乱軍に見つかれば生きてはおれない。もはや世を救える人物たりえない、ここは屏風畳に隠れ住むよりしかたがないと李白は考えたのだ。かくて廬山の諸名勝を眺めながら、世俗を超越して無心に廬山の自然に融けこんで、ここで生涯を送ろうと考えるほかなかったようだ。


○詩型 七言古詩
○押韻 香、送、觴。/嘗、短。

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金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212

金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212


金陵城西樓月下吟
金陵夜寂涼風發、獨上高樓望呉越。
金陵城は、しずかに夜が更けてゆく、夜も更けて涼やかな風が吹きはじめた、私はただ独り高楼に登るのである、はるか遠く呉越ちほうを思い望むのである。
白雲映水揺空城、白露垂珠滴秋月。
白雲は長江の水に映り、人気のない静かな城郭がその影を水面に揺らす、白露が真珠のように結すばれ、、澄み切った秋の月光に照らされて滴り落ちてくる。
月下沉吟久不歸、古来相接眼中稀。
こんな月光のもとに沈んだ低い声詩で吟じていると、ここから帰えられないでじっと立っているのだ。
古来、相い継ぐべき詩人は、私の眼中にほとんどいない。

解道澄江浄如練、令人長憶謝玄暉。

ああこの風景だ、「澄江、浄きこと練の如し」と詠っている、これこそよく表現しているものだ。この詩句は、この私に、かの謝玄暉を憶い慕わせ続けてくれるものだ。



金陵城の西楼 月下の吟
金陵 夜 寂として 涼風発り、独り高楼に上りて 呉越を望む。

白雲 水に映じて空城を揺り、白露 珠を垂れて秋月に滴る。

月下に沈吟して 久しく帰らず、古来 相い接ぐもの 眼中に稀なり。

()い解()たり、「澄江浄きこと練(ねりぎぬ)の如し」と、人をして 長く謝玄暉()を憶わ令む。






金陵城西樓月下吟 現代語訳と訳註 解説
(本文)

金陵夜寂涼風發、獨上高樓望呉越。
白雲映水揺空城、白露垂珠滴秋月。
月下沉吟久不歸、古来相接眼中稀。
解道澄江浄如練、令人長憶謝玄暉。

(下し文)
金陵 夜 寂として 涼風発り、独り高楼に上りて 呉越を望む。
白雲 水に映じて空城を揺り、白露 珠を垂れて秋月に滴る。
月下に沈吟して 久しく帰らず、古来 相い接ぐもの 眼中に稀なり。
道(い)い解(え)たり、「澄江浄きこと練(ねりぎぬ)の如し」と、人をして 長く謝玄暉(謝朓)を憶わ令む。

(現代語訳)
金陵城は、しずかに夜が更けてゆく、夜も更けて涼やかな風が吹きはじめた、私はただ独り高楼に登るのである、はるか遠く呉越ちほうを思い望むのである。
白雲は長江の水に映り、人気のない静かな城郭がその影を水面に揺らす、白露が真珠のように結すばれ、、澄み切った秋の月光に照らされて滴り落ちてくる。
こんな月光のもとに沈んだ低い声詩で吟じていると、ここから帰えられないでじっと立っているのだ。
古来、相い継ぐべき詩人は、私の眼中にほとんどいない。
ああこの風景だ、「澄江、浄きこと練の如し」と詠っている、これこそよく表現しているものだ。この詩句は、この私に、かの謝玄暉を憶い慕わせ続けてくれるものだ。


(訳註)

金陵城西樓月下吟
金陵のまちの西楼にて、月下の吟。
金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。○吟 詩歌の一体。


金陵夜寂涼風發、獨上高樓望呉越。
金陵城は、しずかに夜が更けてゆく、夜も更けて涼やかな風が吹きはじめた、私はただ独り高楼に登るのである、はるか遠く呉越ちほうを思い望むのである。
呉越 呉(江蘇省―宜城)と越(浙江省―会稽)の地方。金陵の東方に当たる。


白雲映水揺空城、白露垂珠滴秋月。
白雲は長江の水に映り、人気のない静かな城郭がその影を水面に揺らす、白露が真珠のように結ばれ、澄み切った秋の月光に照らされて滴り落ちてくる。


月下沉吟久不歸、古来相接眼中稀。
こんな月光のもとに沈んだ低い声詩で吟じていると、ここから帰えられないでじっと立っているのだ。
古来、相い継ぐべき詩人は、私の眼中にほとんどいない。

沈吟 声をおさえて吟ずる。「低吟」「微吟」。


解道澄江浄如練、令人長憶謝玄暉。
ああこの風景だ、「澄江、浄きこと練の如し」と詠っている、これこそよく表現しているものだ。この詩句は、この私に、かの謝玄暉を憶い慕わせ続けてくれるものだ。
解道 「能道」(能く這えり)と同じ。表現の巧みさを誉める言葉。○澄江浄如練 澄んだ長江は練のように浄らかだ。南朝時代の斉の謝桃「晩登三山還望京邑」(澄江静かなること練の如し)をさす。○玄暉-謝朓の字。李白は特に謝朓を敬愛し、すぐれた詩人として思慕する詩を数多く作っている。


○詩型 七言古詩
○韻字 発・越・月/帰・稀・暉

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌   李白 131
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)

李白は初めての春を絶頂で迎えた。この詩は、宮廷内の各宮殿を皇帝に随行したのであろう、その模様を詠って、初めから最後まで後宮内の様々な宮殿を示している。

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌
宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す
東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。』
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
垂絲百尺挂雕楹。
しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上有好鳥相和鳴。間關早得春風情。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている。
春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。


侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白131
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。



(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈(めぐ)らせ裊娜(ジョウダ)として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹(チョウエイ)に挂(かか)り。
上に好鳥のあひ和して鳴くあり、間関はやくも得たり春風の情。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王は鎬京(コウケイ)にゐませば、五雲も暉(ひかり)を垂れて紫清に耀(かがや)く。
仗(ジョウ)は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦(レン)を回 (めぐら)して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看(み)、また茝石(シジャク※ 13)を過ぎて新鴬を聴く。
 新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶(ショウショウ) に入って鳳笙に雑(まじは)らんと願ふ。

唐朝 大明宮01

東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
東風 春風。○瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。○紫殿 後宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの


池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。』
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
半青春 萌木色。黄緑。○縈煙 春霞。○裊娜 しなやかな様。○綺城 美しい長安城


垂絲百尺挂雕楹、
上有好鳥相和鳴、間關早得春風情。

しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている

垂糸 しだれ柳の枝。○雕楹(チョウエイ) 楼閣の彫刻で飾った軒先○間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の女たちの声を示す。 ○春風情 春風に誘われて男女の混じりあい。


春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
碧雲 暗い雲。冬の雲。


是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称 ○五云 仙界の五色のうつくしい雲。 ○垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。 ○耀紫清 空のまんなか


仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
 杖の先に剣がついている宮廷の警護専門の武器。○金宮 金鑾殿 ○玉輦 宝飾で飾った皇帝の御車。
 
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
蓬萊 宮廷にも大液池という大きな池がありその中島を蓬莱山している。ここでは、道教に言う東方に浮かぶ仙人の山である。


新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。
新鶯 新しい歌手。 ○ 真面目である。誠実である。 ○簫韶 舜の楽 ○鳳笙 鳳凰の飾りのある笛。
上林苑 後宮内の大液池の周りの庭園。

烏棲曲 :李白

李白  烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 東方漸高奈樂何。

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)  呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

李太白集巻一44

烏  棲  曲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  06

文體:

樂府

李太白集 

02-06

 

 

詩題:

烏棲曲

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 姑蘇台

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

  卷162_6 《烏棲曲》李白 

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 

東方漸高奈樂何。 


烏棲曲 
烏棲の曲。(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。 
呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。 

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。 
そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。


大明宮の圖003
『烏棲曲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

東方漸高奈樂何。

(下し文)
(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。

呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。

銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。

東方漸く高く 楽しみを奈何。

(現代語訳)
烏棲曲(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

霓裳羽衣舞002
(訳注) 

烏棲曲

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

1 烏棲曲 梁簡文帝、梁の元帝、蕭子顯、並びに此の題有り之を作る。《樂府詩集巻四十八》に「清商曲辞、西曲歌」の歌中に烏夜啼を列して後よりなる。男女の歓楽を詠うものが多い。また、李白詩に、これに倣った「大堤曲」「襄陽歌」「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。

2 本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」とある。

3 蕭士贇は「この樂府は然り深く國風諷刺の體を得り、盛んに其の美を言うて、美ならざる者、自ら見わる。」という。

 

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

4 姑蘇台 春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。16世紀に王世貞撰よってかかれた《豔異編--第五卷》に、「越王越謀滅,畜天下奇寶、美人、異味進於。殺三牲以祈天地,殺龍蛇以祠川岳。矯以江南億萬民輸為傭保。越又有美女二人,一名夷光,二名修明(即西施、鄭旦之別名),以貢於處以椒華之房,貫細珠為簾幌,朝下以蔽景,夕卷以待月。二人當軒並坐,理鏡靚妝於珠幌之,竊窺者莫不動心驚魂,謂之神人。王妖惑忘政。」(越王 越謀し滅さんとし,天下の奇寶、美人、異味を畜えて進む。三牲を殺し 以て天地を祈り,龍蛇を殺し 以て川岳を祠る。矯って以て江南億萬民を輸して傭保為らしむ。越 又た、美女二人有り,一名は夷光,二名は修明(即ち西施、鄭旦の別名である),以て貢ぐ。處らしむるに椒華の房を以てし,細珠を貫いて簾幌と為し,朝に下し 以て景を蔽い,夕に卷き以て月を待つ。二人 軒に當って並坐し,鏡を理めて珠幌の靚妝し,竊に窺うもの動心驚魂せざるは莫し,之れ神人と謂う。王 妖惑し 政を忘る。

《述異記》に王夫差築姑蘇之臺、三年乃成。周旋詰屈横亘五里、崇飾土木、殫耗人力、妓數千人、上立春宵為長夜之飲、造千石酒鍾、夫差作天池池中造青龍舟、舟中盛陳妓樂、日與西施為水嬉。」(王夫差 姑蘇之臺、三年乃る。周旋詰屈 横に亘る五里、土木を崇飾し、人力を殫耗し、妓數千人、上に春宵立てて夜の飲をし、千石の酒鍾を造り、夫差 天池を作し 池中に青龍舟を造り、舟中盛に妓樂を陳じ、日に西施と水嬉を為す。

《述異記》は、中国の南朝梁の任昉が撰したとされる志怪小説集。2巻。 ... 隋書』や『旧唐書』の「経籍志」および『新唐書』「芸文志」で著録される『述異記』10巻は、撰者を祖沖之としている。

5 呉王 夫差をさす。

6 裏  なか。

7 西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。

李白8  蘇台覧古

(2)西施ものがたり

  

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

8 呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。

・呉歌《樂府詩集》卷四十四引《晉書·樂志》にく「歌雜曲,並出江南。東晉已來,稍有增廣。其始皆徒歌,既而被之管弦。」とあり、呉歌は、南方の流行歌。

・楚舞 《史記留侯世家》:「高帝謂戚夫人曰:『為我楚舞,吾為若楚歌.』歌曰:「鴻鴈高飛,一舉千里。羽翮已就,橫四海。橫四海,當可奈何!雖有矰繳,尚安所施!」(鴻鵠高く飛んで、一挙に千里。羽翼すでに就って、四海を横絶す。四海を横絶すれば、 当に如何すべき。矰繳あれど、何処に施さん。)といった南方に行われた舞曲。

9 半邊日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

10 銀箭 水時計の漏水桶に泛べる銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリである。江總詩「虬水銀箭莫相催」

11 金壷 金属製の水時計の壷。鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

12 漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。夜は夜明けまでの五更に別れるので、上の桶の水が下の桶に流れ落ちてゆくので、時間の長さを水の量で表現したもの。

 

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

13 漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。

14 奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お衝んと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。

 

 

 

【字解】

   烏棲曲

士贇曰樂録烏栖曲者/鳥獸三十一曲之一也

 

姑蘇臺上烏棲時呉王裏醉西施齊賢曰賀知章見/太白烏栖曲嘆賞

曰此詩可/以泣鬼神呉歌楚舞歡未畢青山欲半邊日銀箭

壺漏水多起看秋月墜江波東方漸高柰樂何士贇曰/此詩雖

只樂府然深得國風諷刺之體盛言/其美而不美者自見觀者其毋忽諸

 

 

  烏棲曲梁簡文帝梁元帝蕭子顯並有此題之作/樂府詩集列于西曲歌中烏夜啼之後

姑蘇臺上烏棲時裏醉西施歌楚舞歡未

青山欲繆本/作猶銜半邊日銀箭金壺一作金/壺丁丁漏水多起看

秋月墜江波東方漸髙奈樂何

述異記王夫差/築姑蘇之臺三年乃成周旋詰曲横亘五里崇飾土木殫耗人力官妓千/

立春宵為長夜之飲造千石酒鍾作天池池中造青龍舟舟中盛陳妓樂日與西施為水

晉書 /歌雜曲並出江南 漢書 為我楚舞 

江總詩「虬水銀箭莫」相催 鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」

 

南陵別兒童入京 李白 121「就活大作戦」大成功

南陵別兒童入京 李白 121「就活大作戦」大成功

742年 天宝元年 李白42歳
山東において共に隠居生活を送った呉筠が、玄宗に召され入京することになった。呉筠は長安の都に入って玄宗に李白を推薦した。また、玄宗の妹の玉真公主も、つとに李白の詩人としての名声を聞いていたので、やはり長安入りを希望していた。全て道教のつながりである。かくて、玄宗のお召しによって、彼の年来の望みが果たされることになった。李白の胸内には、重要の職に就けるチャンス到来と燃え上がる希望をもって、長安に向かって出立する準備に入った。


【妻子との別れ】
李白の都長安入りは急転直下のようであるがこれまで道教の寺観を訪ね、名山を訪ねて培ってきたものの積み重ねであった。チャンスというのは積重ねがなくてあるはずもなく、この呉筠との出遇い、玉真公主、賀知章だ道教の信者でなかったら、寺観の応援がなかったなら、不可能であったのだ。
かくて、李白の「就活大作戦」は成功したのである。

出立のときは、安微の南陵(今の南陵県)に住んでいた。いつごろ湖北からここに移り住んだかは明らかではないが、詩の雰囲気で「李白47 寄東魯二稚子」の子供たちかもしれない。安陸と南陵は長江の流域で安陸から南陵は直線距離でも500km前後はある。李白に俗人的礼節はないし、儒教的な考えは全くない。いわゆる一般的な愛情というものは、全く見られないのである。この天才詩人には、あちこちに女性がいてもおかしくないのであるが、とにかくこの南陵にも妻子が住んでいたことは、詩よって明らかなことである。
南陵は、李白の好きな斉の謝朓の太守をしていた宜城の西北近くである。ここで、妻子と別れたときの詩「南陵にて児童に別れて京に入る」がある。
 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。

天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
仰天大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。

新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。

高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒(はくしゅ)新たに熟して山中(さんちゅう)に帰る、黄鶏(こうけい) 黍(しょ)を啄んで秋正(まさ)に肥ゆ
童(どう)を呼び鶏(けい)を烹(に)て白酒を酌(く)む、児女(じじょ)歌笑(かしょう)して人の衣(い)を牽(ひ)く

高歌(こうか) 酔(えい)を取って自ら慰めんと欲す、起って舞えば 落日光輝(こうき)を争う
万乗(ばんじょう)に遊説す 早からざりしに苦しむ、鞭を著(つ)け馬に跨(またが)って遠道を渉(わた)る

会稽(かいけい)の愚婦(ぐふ) 買臣(ばいしん)を軽んず、余(よ)も亦 家を辞して西のかた秦(しん)に入る
天を仰ぎ大笑(たいしょう)して門を出(い)で去る、我輩 豈(あ)に是(こ)れ蓬蒿(ほうこう)の人ならんや


 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。

南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。


白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
白酒 どぶろく。


呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
児女 男の子と女の子


高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
高歌 高らかに歌を歌う ○自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。 ○落日 沈む夕日の方向 ○爭光輝 光と未来の輝きがを争う


游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。○万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。


會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
会稽愚婦軽買臣 「漢書」に出ている話。朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64上)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。○ 長安のこと。


大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。
蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。

 

 

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3) 李白47「 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

烏棲曲 李白125 花の都長安(翰林院供奉)

烏棲曲 李白125 花の都長安(翰林院供奉)

妻子との離別は寂しいが、前途洋々たる思いで花の都長安に着いた。長安の都で天下に君臨する玄宗は、史上において名高き君主であり、唐代文化の極盛期を生み出した人でもあり、政治上、「開元の治」といわれる統一国家を作り上げた人でもある。玄宗の即位の開元元年(睾二)に先立つ三年前には、わが国では、奈良の平城京に遷都し、即位の前年には、太安万侶が『古事記』を上っている。わが遣唐使の往来も随時繁くなってゆくころである。
玄宗期の都長安は、開元の治といわれる中国始まって以来の繁栄を示していた。貴族の家には必ず牡丹を主力にした庭園を造っていた。花の都は、詩人たちにさまざまに歌われた。人口も100万人を超え、世界最大都市といわれた。長安にはシルクロードよりローマ、ギリシャ、トルコ、ペルシャ世界中の人が集まっていた国際都市であった。

都市の設計は、天下に君臨する天子の名にふさわしいものであり、天下に威力を見せつけるものであり、周辺諸国には絶大な影響を与えた。日本もこの超先進国から学び国の制度を整えていったのだ。
長安城は、外郭は、東西約10km、南北8.2km、城壁は5m以上の高さがあった。東西十四条、南北に十一条の街路が通じ、碁盤の目状で、街路の幅も広く、東西の通り広いので約150mの幅員、狭いのでも70mあり、南北の通りは、ほとんどが150m級で火災に対応した都市計画であった。
この都市の優れたものは生活基盤の東西それぞれ市場があったことだ。また、北には官庁のある皇城と天子の住まいの宮城があるが、天子が実際政治をとったのは、北東の隅に当たるところの大明官であった。

李白の出仕したのも大明官であり、小高い丘の上にある。玄宗はしばしば東にある離宮の興慶官に楊貴妃とともに遊んでいる。李白の「清平調詞」の書かれた舞台である。南東の隅には、長安第一の行楽地、曲江池がある。また、その近くには大慈恩寺があり、大雁塔がそびえている。こうした花の大都会に、各地、長い放浪の旅を終え、江南の風土になじんでいた李白にとっては、見るもの珍しく感激ひとしおであったことは想像にかたくない。


李白が都についたのは晩秋九月はじめのころ、李白は老子を祀る玄元廟(げんげんびょう)に宿を取っている。道教の知人、詩人の秘書監(従三品)の賀知章(がちしょう)の指示で泊まったようだ。賀知章は八十四歳である。
賀知章は李白が差し出した詩を読んで「此の詩、以て鬼神を哭せしむべし」と称賛し、李白を「謫仙人」(たくせんにん)と言って褒めたという。「謫仙人」とは天上から地上にたまたま流されてきた仙人という意味であって、道教では最大の褒め言葉である。
「烏棲曲」は楽府題で、春秋呉越戦争の時代の懐古詩は、賀知章によって評価され、天子が三顧の礼をもって李白を迎えたことにつながる評価であったようだ。詩人で道教者の良すぎる評価は後の逆評価で奈落の底へ落とされることを引き起こす原因かもしれない。
朝廷は李林甫が宦官たちと組んで権力を集中化し始めたころであり、その一方で玄宗は、息子寿王の妃楊玉環(ようぎょくかん)を召し上げて女道士とし、宮中に入れて太真(たいしん)と名を変えさせ溺愛しはじめたころでもあった。


烏棲曲
姑蘇台上烏棲時、吳王宮里醉西施。
吳歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
東方漸高奈樂何。


烏棲の曲。
姑蘇山の台上で、カラスがねぐらに宿るとき、呉王の宮殿では、絶世の美女の西施の色香に酔いしれている。
呉の歌、楚の舞いも、歓びの宴は、尽きはしない、青い山並みに、沈みかけた半輪の太陽が光輝きを放っている。
時を示す銀の箭と金の壷、水時計はいつしか多くの水を漏らしていた、身を起こして秋の月を見れば、西の太湖の波の中に沈んでゆく。
東の空が次第に白めはじめ、明かるくなってゆこうとも、この楽しみはまだまだ続けられていくのだ。


烏棲の曲。
○烏棲曲 『楽府詩集』巻四十八「清商曲辞、西曲歌、中」。男女の歓楽を詠うものが多い。「大堤曲」「襄陽歌」
「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。


姑蘇台上烏棲時、吳王宮里醉西施。
姑蘇山の台上で、カラスがねぐらに宿るとき、呉王の宮殿では、絶世の美女の西施の色香に酔いしれている。
○姑蘇台 -春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。(★印)。○呉王  ここでは夫差をさす。○裏  なか。○西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。参照‥七言絶句「蘇台覧古」李白8蘇台覧古  ・西施ものがたり
  
吳歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。
呉の歌、楚の舞いも、歓びの宴は、尽きはしない、青い山並みに、沈みかけた半輪の太陽が光輝きを放っている。
○呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。○青山猶衝半辺日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。


銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。
時を示す銀の箭と金の壷、水時計はいつしか多くの水を漏らしていた、身を起こして秋の月を見れば、西の太湖の波の中に沈んでゆく。
○銀箭  水時計の銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリ。○金壷 金属製の水時計の壷。○漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。


東方漸高奈樂何。
東の空が次第に白めはじめ、明かるくなってゆこうとも、この楽しみはまだまだ続けられていくのだ。
○漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。○奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


韻字   時・施/畢・日/多・波・何


烏棲曲

姑蘇の台上 烏棲む時
呉壬の官裏 西施を酔わしむ
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず
青山 猶お衝む 半辺の日
銀箭 金壷 漏水多し
起って看る 秋月の江波に墜つるを
東方漸く高し 楽しみを奈何せん

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