漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

留別

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

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李陵 《與蘇武詩三首 其一》#2 古詩源 文選  詩<104ー#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩851 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2803

前漢・李陵 與蘇武詩 三首其一

 

 

與蘇武詩   其一#1

(別れに際して蘇武に与える詩 其の一)

良時不再至,離別在須臾。

今別れたら再会の楽しいときは二度とこないのに、離別のときはたちまち迫ってくる。

屏營衢路側,執手野踟蹰。

分かれ路に立ってはためらい、手を取り合っては野道に立ち止まる。

仰視浮雲馳,奄忽互相踰。

仰ぎ見る空には、浮き雲が浮かびとびかい、先になり、あとになりしてたちまち遠ざかってゆく。

 

#2

風波一失所,各在天一隅。

風に吹かれ一たびその場所をうしなってしまい、すると、連れそう雲もおのおの天の一方に隔てられてしまう。

長當從此別,且復立斯須。

われらもまたこれと同じように、長くここから別れ去ることになるのだ。名残りを惜しみ、またもやそこに立ちどまる。

欲因晨風發,送子以賤躯。

ああ、せめてこの朝風の吹いてくるときに、この身を載せて、君を送って何処までもお供をしたいのだ。

 

蘇武に與うる詩 其の一

良時 再びは至らず,離別 須臾【しゅゆ】に在り。

衢路【くろ】の側に屏營【へいえい】し,手を執【と】りて野に踟蹰【ちちう】す。

仰【あお】いで浮雲の馳【は】するを視【み】るに,奄忽【えんこつ】として互【たが】ひに 相い踰【こ】ゆ。

 

#2
風波に一たび所を失へば,各ゝ【おのおの】天の一隅に在り。

長く當【まさ】に此れ從り 別るべくも,且(しばら)く復た立ちて 斯須【ししゅ】す。

晨風の發するに因って,子を送るに賤躯【せんく】を 以てせんと欲っす。

 

 

『與蘇武詩 其一』現代語訳と訳註

(本文)#2

風波一失所,各在天一隅。

長當從此別,且復立斯須。

欲因晨風發,送子以賤躯。

 

 

(下し文)

(蘇武に與うる詩 其の一)

風波に一たび所を失へば,各ゝ【おのおの】天の一隅に在り。

長く當【まさ】に此れ從り 別るべくも,且(しばら)く復た立ちて 斯須【ししゅ】す。

晨風の發するに因って,子を送るに賤躯【せんく】を 以てせんと欲っす。

 

鷹将

 

(現代語訳)

風に吹かれ一たびその場所をうしなってしまい、すると、連れそう雲もおのおの天の一方に隔てられてしまう。

われらもまたこれと同じように、長くここから別れ去ることになるのだ。名残りを惜しみ、またもやそこに立ちどまる。

ああ、せめてこの朝風の吹いてくるときに、この身を載せて、君を送って何処までもお供をしたいのだ。

 

 

(訳注)

與蘇武詩   其一

(別れに際して蘇武に与える詩 其の一)

・與蘇武詩:『文選』第二十九巻に李少卿(李陵)として『与蘇武詩三首』の其一として載っている。『古詩源』卷二「漢詩」の中にもある。この作品は後人の偽作といわれる。

・李陵:前漢の名将。字は少卿。騎都尉として、匈奴の征討をし、五千で以て八万の単于軍とよく奮戦した。簡潔に「以少撃衆,歩兵五千人渉單于庭」と表されている。孤軍の歩兵のため、武運が尽き、匈奴に降りた。単于は、李陵を壮として、単于の女(むすめ)を妻として与え、右校王に取り立てた。(『漢書・…・李陵列傳』) 彼はその地で二十余年を過ごし、そこで歿した。蘇武とともにこの時代を彩る人物。李陵、蘇武は、ともに漢の武帝の対匈奴積極攻略策で犠牲となったと謂える人物。二人は、漢の地、胡の地双方を通じての知己で、古来、両者を比して論じられる。一方の蘇武は、匈奴に使いしたが拘留されて十九年匈奴の地にさまよった。しかしながら節を持して、屈服しなかった。

 

 

良時不再至,離別在須臾。

今別れたら再会の楽しいときは二度とこないのに、離別のときはたちまち迫ってくる。

・良時:すばらしい時。蘇武と共に過ごす時、この餞別の宴のことになる。通常は女性と閨を共にすることを云う。

・不再:二度とは…ない。一度目はあったが、二度目はないこと。 

・至:来る。いたる。

・離別:別離。 

・在:…にある。 

・須臾:しばらく。しばし。ゆるゆる。ここでは、短時間で、まもなく、の意になる。

 

屏營衢路側,執手野踟蹰。

分かれ路に立ってはためらい、手を取り合っては野道に立ち止まる。

・屏營:不安に思ってさまようさま。彷徨する。おそれる。ためらう。 

・衢路:分かれ道。岐路。李陵と蘇武の人生の分かれ道。 

・側:かたわら。そば。わき。

・執手:手をとる。「携手」は男女間の情愛を形で表すときに使い、女性との別れの詩にふさわしいもの。 

・野:町はずれ。郊野。前出「衢路」は、大路であって、「野」は町はずれ、また、町外れにある野道。

・踟蹰 ものが行き悩むさま。ためらう。躊躇する。

 

仰視浮雲馳,奄忽互相踰。

仰ぎ見る空には、浮き雲が浮かびとびかい、先になり、あとになりしてたちまち遠ざかってゆく。

・仰視:仰ぎ見る。 

・浮雲:はぐれ雲。浮かんでいる雲。あてどなく空に浮かぶ雲。あてどなく流離う旅人のことでもあり、匈奴の地に留め置かれた蘇武と李陵のことをもいう。 

・馳:はせる。かける。ゆく。雲が流れることだが、雲が別れ別れになって流れていくことであって、やがて来る別離を暗示するもの。

・奄忽:たちまち。にわかに。『古詩十九首之十一』に「廻車駕言邁,悠悠渉長道。四顧何茫茫,東風搖百草。所遇無故物,焉得不速老。盛衰各有時,立身苦不早。人生非金石,豈能長壽考。奄忽隨物化,榮名以爲寶。」と使われている。

古詩十九首之十一 漢の無名氏(11) 漢詩<98>Ⅱ李白に影響を与えた詩530 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1407

 

風波一失所,各在天一隅。

風に吹かれ一たびその場所をうしなってしまい、すると、連れそう雲もおのおの天の一方に隔てられてしまう。

・互相:たがいに。相互に。 

・踰:こえる。こす。すぎる。とびこす。蘇武が李陵を越えて帰国することも暗示している。

 

・風波:吹き寄せる風。世の中の風の動き。黄河の最北、陰山山脈あたりの湿地帯を意味する。 

・一:ひとたび。 

・失所:居る所をうしなう。

・各在:おのおの…にある(いる)。それぞれが別々にいる。 

・天一隅:天の(反対側の)片隅。

 

長當從此別,且復立斯須。

われらもまたこれと同じように、長くここから別れ去ることになるのだ。名残りを惜しみ、またもやそこに立ちどまる。

・長:ずっと。ながく。 

・當:まさに…べし。…当然………ことになるだろう。 

・從此:これより。今より。 

・別:別れる。

・且:しばし。しばらくの間。短時間を指す。 

・復:また。 

・立:馬より下り立つ。立ち止まる。 

・斯須:「須臾」に同じ。しばらく。しばし。ゆるゆる。ここでは、ゆるゆる、の意になる」。

 

欲因晨風發,送子以賤躯。

ああ、せめてこの朝風の吹いてくるときに、この身を載せて、君を送って何処までもお供をしたいのだ。

・欲因:…によって…したい。ここでは、気後れして「屏營」「斯須」いた李陵の気持ちを促す働きをしている。

・晨風:朝風。また、鳥の名で、ハヤブサ、鷹の仲間。 

・晨:朝。 

・發:起こる。(風が)吹いてくる。

・送:見送る。送別する。おくる。 

・子:あなた。貴男。 

・以:…で。(賎しい身)で。 

・賤躯:いやしい身。ここでは、敵・匈奴の地に住み続ける李陵が、へりくだって自分のことを指していったことば。もっとも漢代の詩の『虞美人歌』には「漢兵已略地,四方楚歌聲。大王意氣盡,賤妾何聊生。」とあり、本来は女性の自称。

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前漢・李陵 與蘇武詩 三首其一

 

 

與蘇武詩   其一

(別れに際して蘇武に与える詩 其の一)

良時不再至,離別在須臾。

今別れたら再会の楽しいときは二度とこないのに、離別のときはたちまち迫ってくる。

屏營衢路側,執手野踟蹰。

分かれ路に立ってはためらい、手を取り合っては野道に立ち止まる。

仰視浮雲馳,奄忽互相踰。

仰ぎ見る空には、浮き雲が浮かびとびかい、先になり、あとになりしてたちまち遠ざかってゆく。

#2

風波一失所,各在天一隅。

長當從此別,且復立斯須。

欲因晨風發,送子以賤躯。

 

蘇武に與うる詩 其の一

良時 再びは至らず,離別 須臾【しゅゆ】に在り。

衢路【くろ】の側に屏營【へいえい】し,手を執【と】りて野に踟蹰【ちちう】す。

仰【あお】いで浮雲の馳【は】するを視【み】るに,奄忽【えんこつ】として互【たが】ひに 相い踰【こ】ゆ。

風波に一たび所を失へば,各ゝ【おのおの】天の一隅に在り。

長く當【まさ】に此れ從り 別るべくも,且(しばら)く復た立ちて 斯須【ししゅ】す。

晨風の發するに因って,子を送るに賤躯【せんく】を 以てせんと欲っす。

 

 

『與蘇武詩 其一』現代語訳と訳註

曙001(本文)

良時不再至,離別在須臾。

屏營衢路側,執手野踟蹰。

仰視浮雲馳,奄忽互相踰。

 

 

(下し文)

蘇武に與うる詩 其の一

良時 再びは至らず,離別 須臾【しゅゆ】に在り。

衢路【くろ】の側に屏營【へいえい】し,手を執【と】りて野に踟蹰【ちちう】す。

仰【あお】いで浮雲の馳【は】するを視【み】るに,奄忽【えんこつ】として互【たが】ひに 相い踰【こ】ゆ。

 

 

(現代語訳)

(別れに際して蘇武に与える詩 其の一)

今別れたら再会の楽しいときは二度とこないのに、離別のときはたちまち迫ってくる。

分かれ路に立ってはためらい、手を取り合っては野道に立ち止まる。

仰ぎ見る空には、浮き雲が浮かびとびかい、先になり、あとになりしてたちまち遠ざかってゆく。

 

 

(訳注)

與蘇武詩   其一

(別れに際して蘇武に与える詩 其の一)

・與蘇武詩:『文選』第二十九巻に李少卿(李陵)として『与蘇武詩三首』の其一として載っている。『古詩源』卷二「漢詩」の中にもある。この作品は後人の偽作といわれる。

・李陵:前漢の名将。字は少卿。騎都尉として、匈奴の征討をし、五千で以て八万の単于軍とよく奮戦した。簡潔に「以少撃衆,歩兵五千人渉單于庭」と表されている。孤軍の歩兵のため、武運が尽き、匈奴に降りた。単于は、李陵を壮として、単于の女(むすめ)を妻として与え、右校王に取り立てた。(『漢書・…・李陵列傳』) 彼はその地で二十余年を過ごし、そこで歿した。蘇武とともにこの時代を彩る人物。李陵、蘇武は、ともに漢の武帝の対匈奴積極攻略策で犠牲となったと謂える人物。二人は、漢の地、胡の地双方を通じての知己で、古来、両者を比して論じられる。一方の蘇武は、匈奴に使いしたが拘留されて十九年匈奴の地にさまよった。しかしながら節を持して、屈服しなかった。

 

 

良時不再至,離別在須臾。

今別れたら再会の楽しいときは二度とこないのに、離別のときはたちまち迫ってくる。

・良時:すばらしい時。蘇武と共に過ごす時、この餞別の宴のことになる。通常は女性と閨を共にすることを云う。

・不再:二度とは…ない。一度目はあったが、二度目はないこと。 

・至:来る。いたる。

・離別:別離。 

・在:…にある。 

・須臾:しばらく。しばし。ゆるゆる。ここでは、短時間で、まもなく、の意になる。

 

屏營衢路側,執手野踟蹰。

分かれ路に立ってはためらい、手を取り合っては野道に立ち止まる。

・屏營:不安に思ってさまようさま。彷徨する。おそれる。ためらう。 

・衢路:分かれ道。岐路。李陵と蘇武の人生の分かれ道。 

・側:かたわら。そば。わき。

・執手:手をとる。「携手」は男女間の情愛を形で表すときに使い、女性との別れの詩にふさわしいもの。 

・野:町はずれ。郊野。前出「衢路」は、大路であって、「野」は町はずれ、また、町外れにある野道。

・踟蹰 ものが行き悩むさま。ためらう。躊躇する。

 

仰視浮雲馳,奄忽互相踰。

仰ぎ見る空には、浮き雲が浮かびとびかい、先になり、あとになりしてたちまち遠ざかってゆく。

・仰視:仰ぎ見る。 

・浮雲:はぐれ雲。浮かんでいる雲。あてどなく空に浮かぶ雲。あてどなく流離う旅人のことでもあり、匈奴の地に留め置かれた蘇武と李陵のことをもいう。 

・馳:はせる。かける。ゆく。雲が流れることだが、雲が別れ別れになって流れていくことであって、やがて来る別離を暗示するもの。

・奄忽:たちまち。にわかに。『古詩十九首之十一』に「廻車駕言邁,悠悠渉長道。四顧何茫茫,東風搖百草。所遇無故物,焉得不速老。盛衰各有時,立身苦不早。人生非金石,豈能長壽考。奄忽隨物化,榮名以爲寶。」と使われている。

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盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333

盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


將に天台に適かんとし臨安の李主簿に留別す 孟浩然
☆前集巻上
★文苑巻二八六(留別)、唐百、全唐詩巻一五九、孟浩然集(四部叢刊初編)巻
一卷159_15 「將適天臺,留別臨安李主簿」孟浩然


將適天臺,留別臨安李主簿
今まさに天台山に赴くところだ、旅立ちの別れに際して臨安の李主簿にこの詩を。
枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
いま、居心地の非常に悪いあなたにふさわしくない低い地位に留まられている。私もひさご瓜のようにただぶら下がって、人に認められないでいるだけというのはいやなものである。
念離當夏首,漂泊指炎裔。
もう初夏で更に熱くなろうという時に、あなたとお別れして船旅で漂いながら南の異民族の住む土地を目指していこうとしている。
江海非墮游,田園失歸計。
長江を下り、湖海を漂泊して行くのはただ無駄に過ごしてしまってはいけない。若い時に田園に隠遁し、仕官を目指しはじめた時が遅く、計画の時機を逸してしまったのだ。
定山既早發,漁浦亦宵濟。
定山を早朝に出発し、漁浦潭を宵には渡る(あの謝康楽先生がされたことなのだ)。
泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。
故林日已遠,群木坐成翳。
故郷の澗南園の素晴らしい林は日々遠く離れていっている、この辺りの群生している大木に囲まれているとまあ日陰となってはくれるようだ。(空気中の湿度多さをいい、故郷の林間の清々しさを思うのである)
羽人在丹丘,吾亦從此逝。

仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。



(將に天台に適【ゆ】かんとし臨安の李主簿に留別す)
枳棘【ききょく】に君 尚お棲み、匏瓜【ほうか】吾豈に繋がらん。
離れを念がうこと 夏首に當り、漂泊して夷裔【いえい】を指す。
江海は堕遊にあらず、田園に歸計を失う。
定山既に早く發っし、漁浦 亦た宵に濟【わた】る。
泛泛として波瀾に隨い、行行として艫枻【ろえい】に任す。
故林 日に已に遠く、群木坐【むなし】く翳【かげ】を成す。
羽人 丹邱に在り、吾も亦た此より逝かん。



現代語訳と訳註
(本文)
將適天臺,留別臨安李主簿
枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
念離當夏首,漂泊指炎裔。
江海非墮游,田園失歸計。
定山既早發,漁浦亦宵濟。
泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
故林日已遠,群木坐成翳。
羽人在丹丘,吾亦從此逝。


(下し文) (將に天台に適【ゆ】かんとし臨安の李主簿に留別す)
枳棘【ききょく】に君 尚お棲み、匏瓜【ほうか】吾豈に繋がらん。
離れを念がうこと 夏首に當り、漂泊して夷裔【いえい】を指す。
江海は堕遊にあらず、田園に歸計を失う。
定山既に早く發っし、漁浦 亦た宵に濟【わた】る。
泛泛として波瀾に隨い、行行として艫枻【ろえい】に任す。
故林 日に已に遠く、群木坐【むなし】く翳【かげ】を成す。
羽人 丹邱に在り、吾も亦た此より逝かん。


(現代語訳)
今まさに天台山に赴くところだ、旅立ちの別れに際して臨安の李主簿にこの詩を。
いま、居心地の非常に悪いあなたにふさわしくない低い地位に留まられている。私もひさご瓜のようにただぶら下がって、人に認められないでいるだけというのはいやなものである。
もう初夏で更に熱くなろうという時に、あなたとお別れして船旅で漂いながら南の異民族の住む土地を目指していこうとしている。
長江を下り、湖海を漂泊して行くのはただ無駄に過ごしてしまってはいけない。若い時に田園に隠遁し、仕官を目指しはじめた時が遅く、計画の時機を逸してしまったのだ。
ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。
定山を早朝に出発し、漁浦潭を宵には渡る(あの謝康楽先生がされたことなのだ)。
故郷の澗南園の素晴らしい林は日々遠く離れていっている、この辺りの群生している大木に囲まれているとまあ日陰となってはくれるようだ。(空気中の湿度多さをいい、故郷の林間の清々しさを思うのである)
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。



(訳注)
將適天臺,留別臨安李主簿

今まさに天台山に赴くところだ、旅立ちの別れに際して臨安の李主簿にこの詩を。
臨安 杭州府臨安県。○李主簿 不詳。主簿は職名で、県に置かれ、文書の管理を任務とする。


枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
いま、居心地の非常に悪いあなたにふさわしくない低い地位に留まられている。私もひさご瓜のようにただぶら下がって、人に認められないでいるだけというのはいやなものである。
枳棘【ききょく】 からたちといばら。心にとげのある人や、居心地の非常に悪い場所などをたとえていう。いずれもとげのある低木。『後漢書』巻七六覧伝に、主簿という低い地位についていた仇覧に、上司である王渙が「枳棘非鸞鳳所棲(枳棘といった悪木は鸞や鳳凰のようなすぐれた鳥が宿るところではない)」と述べた挿話がある。賢人に似合わない低い地位。○匏瓜 ひさご・ふくべの類。苦くて食べられないとされ、『論語』‐陽貨篇の「吾豈匏瓜哉、焉能繋而不食」(瓜ではあるまいに、ぶら下がっていて食べられないでいるということができようか)から、人に認められないこと、起用してもらえないことのたとえに用いられる。


念離當夏首,漂泊指炎裔。
もう初夏で更に熱くなろうという時に、あなたとお別れして船旅で漂いながら南の異民族の住む土地を目指していこうとしている。
夏首 初夏。○炎裔 南方の異民族、またそこに近い地方。炎が南方を象徴し、南の夷狄の住む土地という意味。


江海非墮游,田園失歸計。
長江を下り、湖海を漂泊して行くのはただ無駄に過ごしてしまってはいけない。若い時に田園に隠遁し、仕官を目指しはじめた時が遅く、計画の時機を逸してしまったのだ。
○堕遊 生産に携わらずただ遊んでいること、またその人。○帰計 聞き従うべき計略、手だて。「史記」淮陰侯列伝に「僕委心帰計、願足下勿辞(私は従うべき策のままにしようと思います、どうかあなたも辞することはやめてください)」とある。ここは、及第する人間は十五歳を過ぎて長安に登り、受験を始めるもので自分は40歳近くになって始めたことを示すものである。挫折というより後悔を表現するものである。


定山既早發,漁浦亦宵濟。
定山を早朝に出発し、漁浦潭を宵には渡る(あの謝康楽先生がされたことなのだ)。
定山、漁浦 地名。謝霊運「富春渚」(「文選」巻二六)に「宵済漁浦潭、旦及富春郭。定山緬雲霧、赤亭無淹薄(夜明けには漁浦という名の淵を出発し、朝に富春の城郭に着いた。定山は雲や霧の彼方にかすみ、赤亭のあたりは流れが早くて船を留めることができない)」とあり、どちらも富春江沿いの地名である。謝霊運は始寧から永嘉へ赴く途上に富春渚を経由したようだが、孟浩然は臨安から富春に至り、そこから謝霊運が来た道を逆にたどったようである。謝 霊運(しゃ れいうん、385年(太元10年) - 433年(元嘉10年))は、中国東晋・南朝宋の詩人・文学者。本籍は陳郡陽夏(現河南省太康)。魏晋南北朝時代を代表する詩人で、山水を詠じた詩が名高く、「山水詩」の祖とされる。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。聡明で様々な才能に恵まれたが性格は傲慢で、大貴族出身だったことも災いし、後に刑死した。
漁浦については、孟浩然に『早發漁浦潭』の詩がある。
卷159_49  早發漁浦潭 孟浩然
東旭早光芒,渚禽已驚聒。臥聞漁浦口,橈聲暗相撥。
日出氣象分,始知江湖闊。美人常晏起,照影弄流沫。
飲水畏驚猿,祭魚時見獺。舟行自無悶,況值晴景豁。


泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
ひろびろとした水面を波にまかせて漂い、船の行くままに進んでゆく。
泛泛 浮かび漂う様。文苑の如く汎汎ならば、水が漲る様。○波瀾 波。○枻 艫は船の舳先や船尾。枻は舟をこぐかい。あわせて動いている船を表す。


故林日已遠,群木坐成翳。
故郷の澗南園の素晴らしい林は日々遠く離れていっている、この辺りの群生している大木に囲まれているとまあ日陰となってはくれるようだ。(空気中の湿度多さをいい、故郷の林間の清々しさを思うのである)
故林 故郷の澗南園の林間を指す。


羽人在丹丘,吾亦從此逝。
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。
羽人 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。 道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。○丹丘 胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、12首もある。
「楚辞」遠遊に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。


解説
五言古詩。
韻字 繋・裔・計・濟・枻・翳・逝

この詩は、天台山へ向かう途上、浙江の臨安県で知人に別れた留別の詩である。孟浩然は謝霊運『登臨海嶠、初發疆中作』とほぼ同じルートで天台山へ向かっている。これは、謝霊運の詩に基づき詩作したものである。孟浩然の官界への深い失望感が表され、天台山はイメージとしてうたっているので、具体性、動的な観察表現は全くない。ゆったりと波にまかせて進んだ先にあること、木陰をなす川筋の先にあることなど、天台山への道のりが、快適な自然の中にあること、すべてがイメージだけのものである。

またすぐれた道士が修行をする聖地として捉えられている。これから訪れる、未だ見ぬ天台山に対する期待感が込められている。この詩には、謝霊運を踏まえたものは見られるが、孫綽の「遊天台山賦」や司馬承禎に関わる詩句は見られない。
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留別王侍御維 孟浩然
王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 
寂寂竟何待,朝朝空自歸。
ひっそりとして何のおとさた進展もなく、この上何を待っていたらよいというのか。 毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけて決断して帰ることにする。
欲尋芳草去,惜與故人違。
この上は、芳(かぐわ)しい草の咲くところや薬草を尋ねて隠棲したしようと去る。残念なことだが、古くからの友人の王維君と別れることとなる。
當路誰相假,知音世所稀。
重要な地位についている者の誰に頼っていこうかとしても王維君あなたぐらいのものしかいない。真実の理解者は、世に稀(まれ)なものということだ。 
祗應守索寞,還掩故園扉。
ただ、こうなったら、隠遁者の侘(わ)び・寂(さ)びの気持ちを固守していくのだ。なおまた、故郷の隠棲居所のトビラを閉ざして浮き世との交渉を断とうとおもっている。



王侍御維に留別す     
寂寂(せきせき)  竟つひに何をか待たん,朝朝(てうてう)  空しく自(みづ)から歸る。
芳草(はうさう)を  尋(たづね)んと欲ほっして去り,惜をしむらくは  故人と違たがふ。
當路(たう ろ)  誰(たれ)か 相(あひ)假(かり)ん,知音(ち いん)  世に稀(まれ)なる所。
祗(ただ)應(まさ)に  索寞(さくばく)を守り,還(また)  故園の扉を掩(おほふ)べし。



現代語訳と訳註
(本文) 留別王侍御維

寂寂竟何待,朝朝空自歸。
欲尋芳草去,惜與故人違。
當路誰相假,知音世所稀。
祗應守索寞,還掩故園扉。


(下し文) 王侍御維に留別す     
寂寂せきせき  竟つひに何をか待たん,朝朝てうてう  空しく自みづから歸る。
芳草はうさうを  尋たづねんと欲ほっして去り,惜をしむらくは  故人と違たがふ。
當路たう ろ  誰たれか 相あひ假かりん,知音ち いん  世に稀まれなる所。
祗ただ應まさに  索寞さくばくを守り,還また  故園の扉を掩おほふべし。


(現代語訳)
王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 
ひっそりとして何のおとさた進展もなく、この上何を待っていたらよいというのか。 毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけて決断して帰ることにする。
この上は、芳(かぐわ)しい草の咲くところや薬草を尋ねて隠棲したしようと去る。残念なことだが、古くからの友人の王維君と別れることとなる。
重要な地位についている者の誰に頼っていこうかとしても王維君あなたぐらいのものしかいない。真実の理解者は、世に稀(まれ)なものということだ。 
ただ、こうなったら、隠遁者の侘(わ)び・寂(さ)びの気持ちを固守していくのだ。なおまた、故郷の隠棲居所のトビラを閉ざして浮き世との交渉を断とうとおもっている。


(訳注)
留別王侍御維

王維侍御に詩を書き残して別れ行く。 
○就職活動で挫折して、不本意なまま郷里に帰っていく時の詩になろう。 
留別 旅立つ人が詩を書き残して別れる。とどまる人へのいとまごいの詩を作る。「送別」の対義語。○王侍御維 侍御の官位にある王維。〔姓+官職+名〕と表現する。王維侍御。 ○侍御 天子の側に仕える官。


寂寂竟何待、朝朝空自歸。
ひっそりとして何のおとさた進展もなく、この上何を待っていたらよいというのか。 毎朝いつも、むなしく自分から決着をつけて決断して帰ることにする。
寂寂 ひっそりとして寂しい。 ○竟 ついに。とうとう。 ○ 何をか。反問、反語の語気。 ○ まつ。待機する。○朝朝 毎朝。朝朝には白居易の『長恨歌』に「聖主朝朝暮暮情」楚の襄王が巫山で夢に神女と契った時、神女は朝は巫山の雲となり夕べには雨になるといった故事がある。宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの)があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」に基づく。○ いたずらに。むなしく。○自歸 自分で結末をつける。自分から諦めて帰る意で、決意して帰ること。


欲尋芳草去、惜與故人違。
この上は、芳(かぐわ)しい草の咲くところや薬草を尋ねて隠棲したしようと去る。残念なことだが、古くからの友人の王維君と別れることとなる。
欲 …たい。…う。 ○尋 訪問する。たずねる。○芳草 よいかおりのする草。春の草。薬草を摘みとる。○…去:…を訪問しに行く。○ 残念な(ことには)。惜しい(ことには)。 ○ …と。○故人 古くからの友だち。旧友。ここでは、王維を指す。 ○ 離れる。遠ざかる。去る。


當路誰相假、知音世所稀
重要な地位についている者の誰に頼っていこうかとしても王維君あなたぐらいのものしかいない。真実の理解者は、世に稀(まれ)なものということだ。 
當路 重要な地位についている者。要路にいる者。 ○ …ていく。○ 借りる。よる。請う。○知音 知己。自分の琴の演奏の良さを理解していくれる親友のこと。伯牙は琴を能くしたが、鍾子期はその琴の音によって、伯牙の心を見抜いたという。転じて自分を理解してくれる知人。 ○- …(とする)ところ。動詞などに附いて、名詞化するする働きをする。○ まれ(だ)。


祗應守索寞、還掩故園扉。
ただ、こうなったら、隠遁者の侘(わ)び・寂(さ)びの気持ちを固守していくのだ。なおまた、故郷の隠棲居所のトビラを閉ざして浮き世との交渉を断とうとおもっている。
○祗應 ただ…だけだろう。ただまさに。ちょうど…だろう。=只應。○ 只(ただ)。○ 当然…であろう。まさに…べし。○ 固持する。○索寞 失意のさま。もの寂しいさま。○ また。なおもまた。 ・掩 閉じる。 ・故園 故郷。現・湖北省襄陽の鹿門山。 ○ とびら。開き戸。ここでは柴扉のことで、粗末な隠居所の扉の意になる。 ○ …扉 トビラを閉ざして(浮き世との交渉を断つ)。
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金陵酒肆留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 225

金陵酒肆留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 225



「漢水の下流、長江をさかのぼり、廬山の頂きに登りたいと思う。香炉峰の紫煙は消えて、瀑布は大空より落下しているであろう。その廬山の高いところに登り、そのまま星によじ登って、大空のかなたに行くとすれば、この俗世界ともお別れであり、諸君とも別れだ。手を振ってかなたの世界より気持ちをこめて別れの挨拶しょう」。廬山に登って隠棲しょうという気持ちを表わしている。これが俗世に希望を失った李白のこの時の真情である。また、金陵の酒場では、飲み友だちが集まってきて、俗世との別れという気持ちで、李白の奔放な性格まるだしの大騒ぎの送別の宴が催されている。

金陵酒肆留別

白門柳花滿店香、吳姬壓酒喚客嘗。
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
金陵子弟來相送、欲行不行各盡觴。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
請君問取東流水、別意與之誰短長。
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。


金陵の酒肆にて留別す

白門の柳花(りゅうか)に  満店 香(かん)ばし、呉姫(ごき)は酒を圧して 客を喚びて嘗()めしむ。

金陵の子弟(してい) 来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす。

請う君 問取れ  東流(とうりゅう)の水に、別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと。



 天門から北へ流れていた長江が東へ向きを変えると、舟はやがて江寧(こうねい・江蘇省南京市)の渡津(としん)に着く。江寧郡城は六朝の古都建康(けんこう)の跡である。雅名を金陵(きんりょう)といい、李白はほとんどの詩に「金陵」の雅名を用いている。金陵の渡津は古都の南郊を流れる秦淮河(しんわいか)の河口にあり、長干里(ちょうかんり)と横塘(おうとう)の歓楽地があ。そして白門をくぐると、酒旗高楼が林立している。



金陵酒肆留別 現代語訳と訳註
(本文)

風吹柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
請君問取東流水、別意与之誰長短


(下し文) 金陵の酒肆にて留別す
白門の柳花(りゅうか)に  満店 香(かん)ばし、呉姫(ごき)は酒を圧して  客を喚びて嘗(な)めしむ。
金陵の子弟(してい) 来りて相い送り、行かんと欲して行かず  各々觴(さかずき)を尽くす。
請う君  問取れ  東流(とうりゅう)の水に、別意(べつい)と之(これ)と  誰か長短なるやと。


(現代語訳)
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。


(訳注) 金陵酒肆留別
○金陵  
現在の南京市。金陵城西樓月下吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 212参照)。○酒肆  酒を飲ませる店。酒場。○留別 別れの気持を書き留める。旅立つ人が詩を書きのこす場合の用語。人を送る場合の用語「送別」の対語。
          
白門柳花満店香、呉姫圧酒喚客嘗。
金陵城の白門の土手に柳絮(りゅうじょ)を吹き散らし  酒場は香ばしい匂いで満ちあふれている、呉の国の美女がしぼり酒をだし、客を呼び、味見をさせている。
○白門 金陵城の中の歓楽街に入る門。五行思想で西は白色、西側から入るため白門としていた。白門を金陵の色町があまりに有名であり、南京そのものを示す語になっている。一つ。○柳花 「柳絮」(柳のワタ)。初夏のころ種子をつけて飛ぶ柳のワタを花と見てこういう。○呉姫 呉(現在の南京市や蘇州市など)の地方のむすめ。「姫」は女性の美称。呉の国には美女が多いとされていた。○圧酒 新しく醸した酒をモロミごと樽に入れ、強く圧縮して絞り出す。○ 味わわせる。

金陵子弟来相送、欲行不行各尽觴。
金陵の諸公、子弟たちが 集まって別れの宴を開いてくれ、行こうとするが立ち去りがたく、心ゆくまで杯を重ね合う
子弟 わかものたち。詩題に諸公とあるので全体的には諸公。○相送 (わたしを)送る。相手がいる場合に使う、相は動作に対象のある場合に用いる副詞。〇 角製のさかずき。

請君問取東流水、別意与之誰長短。
諸君尋ねてみたらよいと思う、長江流れは当たり前のように東流する水に、別れるということの意味がどれほどなのか、 どちらが深く長いか、短いのかと。
問取 取は、助字化され軽く添えた用法。○東流水 金陵のまちに添って東に流れる長江の水。中国では川の流れは東流するものとして当たり前のこととされている。○ どちら。この「誰」は、疑問詞としての広い用法。「だれ」ではない。



 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、756年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。

 李白は秋から翌年の春にかけて、金陵の街で過ごし、地元の知識人や若い詩人たちと交流した。半年近く滞在した後、756年開元十四年、暮春に舟を出し、さらに東へ進む。詩は金陵を立つ時の別れの詩で、呉の美女がいる酒肆(しゅし)に知友が集まり、送別の宴を催してくれる。
金陵から江をさかのぼって鷹山に入り、五老峰の下の屏風畳にしばらく隠棲することにした。756年至徳元年五十六歳のときである。安禄山が天下を二分してしまった危機を打開したいとは思うが、叛乱軍に見つかれば生きてはおれない。もはや世を救える人物たりえない、ここは屏風畳に隠れ住むよりしかたがないと李白は考えたのだ。かくて廬山の諸名勝を眺めながら、世俗を超越して無心に廬山の自然に融けこんで、ここで生涯を送ろうと考えるほかなかったようだ。


○詩型 七言古詩
○押韻 香、送、觴。/嘗、短。

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留別金陵諸公 224 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 223-#2

留別金陵諸公 224 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 223-#2

rihakustep足跡
   金陵に来た李白は、旧知の友人たちとの再会を喜びつつ酒を飲み、一時を楽しんで、やがて廬山を目指して旅立ってゆく。「金陵の諸公に留別す」では、その送別の宴で、廬山に隠棲したい胸の中を明らかにしている詩である。

留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。
黃旗一掃蕩。 割壤開吳京。
六代更霸王。 遺跡見都城。
至今秦淮間。 禮樂秀群英。
#2
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。
この地の湧き上がる風は老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせている、詩歌はここで盛んになり、顔延之、謝霊運、謝朓の名声を博したのだ。
五月金陵西。祖余白下亭。
いまは五月、晩春から初夏である、清風が山川を洗う時節、金陵城の西側にいる、旅立つ私を白下亭に招いてくれている。
欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
わたしは江西の盧山の山頂に登ろうと思っているのだ、それにはまず麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていくのだ。
香炉紫煙滅、瀑布落太清。
盧峰の香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。
若攀星辰去、揮手緬含情。
そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、今ここで君の手を握るわたしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。


#2
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。
五月 金陵の西。 祖余 白下亭。
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。



留別金陵諸公 -#2 現代語訳と訳註
(本文)

地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。
五月金陵西。祖余白下亭。
欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
香炉紫煙滅、瀑布落太清。
若攀星辰去、揮手緬含情。

(下し文)
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。
五月 金陵の西。 祖余 白下亭。
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。

(現代語訳)
この地の湧き上がる風は老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせている、詩歌はここで盛んになり、顔延之、謝霊運、謝朓の名声を博したのだ。
いまは五月、晩春から初夏である、清風が山川を洗う時節、金陵城の西側にいる、旅立つ私を白下亭に招いてくれている。
わたしは江西の盧山の山頂に登ろうと思っているのだ、それにはまず麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていくのだ。
盧峰の香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。
そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、今ここで君の手を握るわたしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。


(訳注)
地扇鄒魯學。詩騰顏謝名。

この地の湧き上がる風は老荘孟子の思想、孔子の儒教を学ばせている、詩歌はここで盛んになり、顔延之、謝霊運、謝朓の名声を博したのだ。
地扇 その地の湧き上がる風 ○鄒魯學 鄒と魯の国の学問、鄒は孟子、魯は孔子。老荘思想、儒教。
詩騰 詩の高ぶり。○顏謝 顔 延之と謝霊運の山水詩人。文末に参考として掲載。


五月金陵西。祖余白下亭。
いまは五月、晩春から初夏である、清風が山川を洗う時節、金陵城の西側にいる、旅立つ私を白下亭に招いてくれている。
祖余 旅に出るわたし。


欲尋盧峰頂、先繞漢水行。
わたしは江西の盧山の山頂に登ろうと思っているのだ、それにはまず麓をぐるりとめぐり、漢水をさかのぼっていくのだ。


香炉紫煙滅、瀑布落太清。
盧峰の香炉峰の紫の霞も消え、名高い滝の落下がとてもはっきりと見えることだろう。


若攀星辰去、揮手緬含情。
そこまで行けば手を延ばすだけで星々に届くだろうから、手を延ばそうと思うけど、今ここで君の手を握るわたしの手は、離れ難い思いを拭い去れはしない。


------- 参考 --------------

謝霊運  385~433 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。

顔 延之(がん えんし) 384年 - 456年 、)は中国南北朝時代、宋の文学者。字は延年。本籍地は琅邪郡臨沂県(現在の山東省臨沂市)。宋の文帝や孝武帝の宮廷文人として活躍し、謝霊運・鮑照らと「元嘉三大家」に総称される。また謝霊運と併称され「顔謝」とも呼ばれる。

謝朓(しゃちょう) 464年 - 499 南北朝時代、南斉の詩人。現存する詩は200首余り、その内容は代表作とされる山水詩のほか、花鳥風月や器物を詠じた詠物詩、友人・同僚との唱和・離別の詩、楽府詩などが大半を占める。竟陵八友のひとり


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漢詩李白 233 留別金陵諸公  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 223-#1


留別金陵諸公  #1
海水昔飛動。 三龍紛戰爭。
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。
黃旗一掃蕩。 割壤開吳京。
六代更霸王。 遺跡見都城。
至今秦淮間。 禮樂秀群英。
-#2
地扇鄒魯學。 詩騰顏謝名。
五月金陵西。 祖余白下亭。
欲尋廬峰頂。 先繞漢水行。
香爐紫煙滅。 瀑布落太清。
若攀星辰去。 揮手緬含情。
( 跡一作都 ) ( 都一作空 )

#1
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。
今に至る秦淮の間、禮樂 群英 秀し。
#2
地扇 魯學を鄒。 詩騰 顏謝の名。
五月 金陵の西。 祖余 白下亭。
盧峰の頂を尋ね、先に漢水を繞(めぐ)り行かんと欲す。
香炉の紫煙滅し、瀑布落ちること太(はなは)だ清ならん。
もし星辰を攀じり去らんも、手を揮うに緬として情を含まん。


-#1
海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争い戦ったのだ。
鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
黄色い旗を建てて帝王が現われ、混乱を収拾したのだ、壊され傾いた部分を打ち壊して、呉の都、金陵を開いたのだ。
六代更霸王、遺跡見都城。
六朝といわれるように国々が交代し王がつづいた、その後遺跡となって帝都では無くなったが東南の都の城郭をみている。
至今秦淮間、禮樂秀群英。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかだ、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地なのだ。

海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。
今に至る秦淮の間(ほとり)、禮樂 秀(すぐれ) 群る英。


留別金陵諸公 現代語訳と訳註
(本文)

海水昔飛動。 三龍紛戰爭。
鐘山危波瀾。 傾側駭奔鯨。
黃旗一掃蕩。 割壤開吳京。
六代更霸王。 遺跡見都城。
至今秦淮間。 禮樂秀群英。

(下し文)
海水 昔 飛動し、三龍 紛として戦争す。
鐘山 波瀾に危うく、傾側して奔鯨を駭(おどろ)かす。
黄旗一たび掃蕩し、割り尽くして呉京を開けり。 
六代 更に霸王、遺跡 都城を見る。
今に至る秦淮の間(ほとり)、禮樂 秀群の英(はな)。

(現代語訳)
むかし、金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争い戦ったのだ。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
黄色い旗を建てて帝王が現われ、混乱を収拾したのだ、壊され傾いた部分を打ち壊して、呉の都、金陵を開いたのだ。
六朝といわれるように国々が交代し王がつづいた、その後遺跡となって帝都では無くなったが東南の都の城郭をみている。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかだ、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地なのだ。


(訳注)
海水昔飛動、三龍紛戦争。
むかし、金陵のあたりまで海水が飛びあがるように遡ってきたことがあった。三匹の龍が激しく争い戦ったのだ。
この二句の根拠戦国時代に呉と楚と秦の三国がここ金陵の地で戦いがあったことを示している。
 
鐘山危波瀾、傾側駭奔鯨。
金陵山は「王気がある」ことからみだされ渦に呑みこまれそうになった、傾き崩れ自在な巨鯨のような始皇帝によって驚かされたのだ。
この二句の根拠 春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まる。戦国時代に呉を征服した楚は金陵邑を設置。その後秦朝による統一事業が達成され、始皇帝がこの地に巡幸してきた際に、「この地に王者の気がある」と言われ、それに怒って地形を無理やり変えてこの地の気を絶とうとした。また名前も金から秣(まぐさ)の秣陵県と改称している。このことを示している。○鐘山 金陵の東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。-現在の南京市の雅名。李白は特にこの名を愛用している。金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。○奔鯨 秦の始皇帝を指す。


黄旗一掃蕩、割尽開呉京。
黄色い旗を建てて帝王が現われ、混乱を収拾したのだ、壊され傾いた部分を打ち壊して、呉の都、金陵を開いたのだ。
黄旗 孫権による呉の建国。○呉京 呉の都、建業(金陵)とした。


六代更霸王、 遺跡見都城。
六朝といわれるように国々が交代し王がつづいた、その後遺跡となって帝都では無くなったが東南の都の城郭をみている。
かつては呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳(以上の6朝を総称して六朝)、王朝の都であった。


至今秦淮間、 禮樂秀群英。
今にいたるも金陵の秦淮河のほとりは華やかだ、礼儀と音楽、礼記と楽記の文人の秀でたものがあつまり英知の中心の地なのだ。
禮樂礼儀と音楽、礼記と楽記、周から漢にかけて儒学者がまとめた礼に関する書物を、戴聖が編纂したものである。全49篇。これは唐代以降、五経の1つとして尊重された。楽記‐一説に前漢の武帝のときに河間献王が編纂させたといわれている。その他、公孫尼子、荀子などの説もある。○長江と秦淮河の辺には歓楽街があった。



○押韻 動、争。鯨。京。城。英。

夢遊天姥吟留別 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

夢遊天姥吟留別   李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166



雑言古詩「夢に天姥に遊ぶの吟 留別の詩」
夢游天姥吟留別
#1
海客談瀛洲。 煙濤微茫信難求。 』
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。

越人語天姥。 云霓明滅或可覩。 』
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
天姥連天向天橫。 勢拔五岳掩赤城。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。

天台四萬八千丈。 對此欲倒東南傾。』
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
我欲因之夢吳越。 一夜飛度鏡湖月。』
#1
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。

#2
湖月照我影。 送我至剡谿。
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
謝公宿處今尚在。 淥水蕩漾清猿啼。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
腳著謝公屐。 身登青云梯。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
半壁見海日。 空中聞天雞。 』
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
千岩萬轉路不定。 迷花倚石忽已暝。』
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
熊咆龍吟殷岩泉。 栗深林兮驚層巔。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
云青青兮欲雨。 水澹澹兮生煙。 』
 #2
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。


#3
列缺霹靂。 丘巒崩摧。
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
洞天石扇。 訇然中開。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。
青冥浩蕩不見底。 日月照耀金銀台。』
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
霓為衣兮鳳為馬。 云之君兮紛紛而來下。』
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
虎鼓瑟兮鸞回車。 仙之人兮列如麻。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
忽魂悸以魄動。 怳驚起而長嗟。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
惟覺時之枕席。 失向來之煙霞。』
  #3
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。


#4
世間行樂亦如此。 古來萬事東流水。』
世間の楽しみも、やはりこんなもの。昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。
別君去兮何時還。
君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。
且放白鹿青崖間。
ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
須行即騎訪名山。』
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
安能摧眉折腰事權貴。 使我不得開心顏。』
#4
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。


#1
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。
#2
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。

#3
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、
太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。
お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。

#4
世間の楽しみも、やはりこんなもの。
昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。
君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。
ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、
わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。


#1
海客 瀛洲を談ず、煙濤 微茫にして信に求め難しと。』 
越人 天姥を語る、雲霓 明滅 或は睹(み)る可しと』
天姥 天に連なり天に向って橫たはる、勢は五嶽を拔き赤城を掩ふ。 
天台 四萬八千丈、此に對すれば東南に倒れ傾かんと欲す』
我 之に困って呉越を夢みんと欲す、一夜 飛んで度る 鏡湖の月。』
#1
#2
湖月 我が影を照らし、我を送って剡溪(せんけい)に至らしむ 
謝公の宿處 今尚ほ在り、綠水 蕩漾して 清猿啼く
脚には著く謝公の屐(げき)、身は登る青雲の梯 
半壁 海日を見、空中 天鶏を聞く』
千巖萬轉して路定まらず、花に迷ひ石に倚れば忽ち已に暝し。』  
熊は咆え龍は吟じて 巖泉殷たり、深林に慄(おそ)れて 層嶺に驚く。
雲は青青として 雨ふらんと欲し、水は澹澹として 煙を生ず。』
#2
#3
列缺 霹、丘巒 崩れ摧く。
洞天の石扇、訇(こう)然として中より開く。
青冥浩蕩として底を見ず、日月照耀す 金銀台。』
霓を衣と為し 風を馬と為し、雲の君 紛紛として來り下る。』
虎は瑟を鼓し 鸞は車を回らし、仙の人 列ること麻の如し
忽ち魂悸(おどろ)きて以て魄動き、恍として驚き起きて長嗟す。
惟だ覺めし時 これ枕席のみ、向來の煙霞を失ふ。』
#3
#4
世間の行樂 亦此の如し、古來萬事 東流の水。』
君に別れて去れば何れの時にか還らん。
且(しばら)く白鹿を青崖の間に放ち。
須らく行くべくんば即ち騎って名山を訪はん。
安んぞ能く眉を摧き腰を折って權貴に事へ、我をして心顏を開くを得ざらしめん。』
#4



 
夢游天姥吟留別
夢で天姥山に遊んだ吟、留別の詩。
夢遊天姥吟留別  夢で天姥山に遊んだ吟、留別の詩。
天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。○留別 旅立つ人が「別意を留めて」作る離別の詩。「送別」は、あとにのこる人が「旅立つ人を送って」作る離別の詩。

#1
海客談瀛洲。 煙濤微茫信難求。 』
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。
海客 船乗り。また、海を旅する人。○瀛洲 東海中にあると伝える仙山。蓬莱、方丈と共に三山とする。○微茫 はっきりしないさま。



越人語天姥。 云霓明滅或可覩。 』
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
○越人 現在の浙江省、古代の「越」の国の地域に住む人々。○雲霓  うんげい-雲や霓(にじ)。○明滅 急に明るくなったり暗くなったりするさま。○ 目に見える



天姥連天向天橫。 勢拔五岳掩赤城。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。
五岳 中国を代表する五つの名山。
• 東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
• 南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
• 中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
• 西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
• 北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016,m。
赤城 山名。天台山の西南にあり、天台の南門とされる。赤い岩石が連なって城のよう覧える。


天台四萬八千丈。 對此欲倒東南傾。』
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
天台 天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。「四万八千丈」は誇張した表現。○呉越  現在の江蘇・浙江省地方。古代の呉の国・越の国の地方。○東南傾  天台山は天姥山の西北にあるので、こう表現した。



我欲因之夢吳越。 一夜飛度鏡湖月。』
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。
鏡湖  浙江省紹興市の南、会稽山麓にある湖。賀知章が官を辞する際玄宗より賜ったところ。


○韻  州、求/姥、覩/横、城、傾/越、月。



#2
湖月照我影。 送我至剡谿。
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
剡谿 せんけい-川の名。現在の新江省峡県の南。曹娥江の上流の諸水を、古代では剡谿(則県の渓)と通称していた。東晋以来、風景の美しさで称せられた。



謝公宿處今尚在。 淥水蕩漾清猿啼。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
謝公宿処 晋・宋の詩人謝霊運の宿泊した処。その詩に、「瞑に劇中の宿に投り、明に天姥の琴に登る」(「臨海の嶋に登らんとし、初めて廻中を発して作る。……」)とある。○蕩漾  水のゆらめくさま。



腳著謝公屐。 身登青云梯。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
  ゲタのような木製の履き物。謝霊運は山歩きが好きで、登る時には木履の前歯をはずし、下る時には後の歯をはずして使ったという。(『南史』巻十九「謝霊運伝」)。○青雲梯 青い雲にまで届く高い梯子。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に、「共に登る青雲の梯」とあるのを踏まえた。



半壁見海日。 空中聞天雞。 』
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
半壁 絶壁の半ば。○海日  海からのぼる太陽。天姥山は比較的海に近いので、このように連想した。○天鶏  任妨『述異記』(下)に、「東南の桃都山上の桃都という大樹の上に天鶏が居り、太陽がこの樹を照らすと天鶏が鳴き、天下の鶏が皆これに随って鳴く」旨が記されている。



千岩萬轉路不定。 迷花倚石忽已暝。』
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
萬轉 宣の岩が万回転する。 ○迷花 花の間に迷い入る。  ○倚石 石に寄りかかって休む。  ○ 日が暮れる。



熊咆龍吟殷岩泉。 慄深林兮驚層巔。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
○殷 さかんなこと。鳴動する、震動する。○層巔 重なりあった山々の頂。



云青青兮欲雨。 水澹澹兮生煙。 』
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。
澹澹  水の揺れ動くさま。

○韻  谿、啼、梯、鶏/定、瞑/泉、巓、煙。




#3
列缺霹靂。 丘巒崩摧。
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
列鉄  いなづま。畳韻語。○霹靂 雷鳴。畳韻語。○丘巒  連なった丘や峰。○崩擢  崩れ砕ける。



洞天石扇。 訇然中開。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。

洞天  道教用語。仙人の住まう仙境。「洞中の別天地」の意。三十六の洞天、七十二の福地、などが有るとされる。○訇然  音声の大きいさま。



青冥浩蕩不見底。 日月照耀金銀台。』
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、
太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
青冥  青空。○浩蕩  広々としたさま。○金銀台  神仙の住む金銀の宮殿。



霓為衣兮鳳為馬。 云之君兮紛紛而來下。
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
  にじ。古代中国では「にじ」を竜の一種に見立て、色彩の濃いものを雄の「虹」、薄いものを雌の「寛」と呼んだ。(『文選』「西都賦」 への唐の張銑の注など)。この詩では、色の薄い副虹を「寛」と呼んで、美しい衣裳に見立てている。○ 鳳凰。景宋威浮木・王本などでは「夙」に作るが、「寛」を雌竜に見立てている点から言えば、「鳳」が勝るだろう。○雲主君  雲の神。『楚辞』(九歌)に「雲中君」の篤がある。○紛紛 ここでは、行列の供揃えが賑々しいさま。



虎鼓瑟兮鸞回車。 仙之人兮列如麻。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。
お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
虎鼓瑟 虎が瑟(二十五絃)のコトを鼓らす。張衛の「西京賦」(『文選』巻二)に、「白虎は瑟を鼓し、蒼竜は横笛を吹く」とある。動物に扮装した楽人たちの演奏のさま。○ 鳳凰の一種。空想上の神鳥。○列如麻 麻糸の続くように列なり続く。

忽魂悸以魄動。怳驚起而長嗟。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
魂悸・魄動 精神が不安で動悸が激しいさま。○ ここでは、前句の「忽」と同じく、心に予期しないことが生じるさま。「怳」の頼語。「ふっと」「はっと」。○長嗟 長く溜息をつく。



惟覺時之枕席。 失向來之煙霞。』
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。
枕席 枕とフトン。寝具、夜具。○向来 さきほどまでの。○煙霞  モヤ・カスミ・キリの頼。ここでは、神仙境の景


韻  墔、開、台/馬・下/車、麻、嗟、霞。




#4

世間行樂亦如此。 古來萬事東流水。』
世間の楽しみも、やはりこんなもの。
昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。



別君去兮何時還。

君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。



且放白鹿青崖間。
須行即騎訪名山。』

ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
白鹿 白い鹿。隠者の乗りもの。



安能摧眉折腰事權貴。 使我不得開心顏。』#4
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、
わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。

推眉  眉を伏せる、卑屈な態度。○折腰  腰をかがめる。ぺこぺこおじぎをする。○関心顔  心も顔つきも晴ればれとする。



○韻   此、水/還、間、山、顔。

送賀監歸四明應制 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白138

「送賀監歸四明應制」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白138
李白 賀知章の思い出(5) 李白138 



送賀監歸四明應制
賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
久辭榮祿遂初衣。 曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
真訣自從茅氏得。 恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
瑤台含霧星辰滿。 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
借問欲棲珠樹鶴。 何年卻向帝城飛。

ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。



賀秘書監が山陰四明に帰られるのを送る 天子の命に応じて作る。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。


賀監 四明に歸るを送る 應制
久辭して 榮祿 初衣を遂う。 曾て向う 長生 息機を說ぶ。
真訣によりて茅氏を得。 恩波は 寧ろ洞庭に歸えるを阻えぎる。
瑤台は 霧を含み 星辰滿つ。 仙嶠 浮空 島嶼とうしょを微かくす。



賀監 四明に歸るを送る 應制
賀監 秘書外警号していた賀知章のこと。詩人賀知章、あざなは季真、会稽の永興(いまの浙江省蔚山県西)の人である。気の大きい明るい人で話がうまかった。かれを盲見ないと心が貧しくなるという人もいた。官吏の試験に合棉して、玄宗の時には太子の賓客という役になった。また秘書監の役にもなった。しかし晩年には苦く羽目をはずし、色町に遊び、自分から四明狂客、または租書外監と号した。李白が初めて長安に来たとき、かれを玄宗に推薦したのは、この人であったと伝えられる。天宝二年、老齢のゆえに役人をやめ、郷里にかえって道士になった。 ・應制 天子の命令によって即興でつくるものとされている。  ・四明  四明山1017m。浙江にある山の名。杭州市、蕭山市の東南100kmの所にある。近くに会稽山がある。「賀監」「賀公」どれも、賀知章のこと。 賀知章 回鄕偶書二首



久辭榮祿遂初衣、曾向長生說息機。
長く命を受けて努めた職をやっと辞することになり栄誉をもって俸禄を受けまだ官についていないときに来た衣服を着るときがきた。これまでながく続けられてこられやっと仕事をおやめになられることをお喜びします。
久辭 長く命を受けて努めた職をやっと辞する。 ・榮祿 栄誉をもって俸禄を受ける ・初衣 まだ官についていないときに来た衣服。・息機 しごとをやめる ・ よろこぶ



真訣自從茅氏得、恩波寧阻洞庭歸。
この朝廷にお別れをすることになり天子より、茅という諸侯名をえられた。波のように降りそそぐめぐみはむしろ洞庭湖に帰るのをさえぎるほどであろう
真訣 真の別れ  ・茅氏 茅という諸侯名。 恩波 波のように降り注ぐめぐみ。 寧阻 むしろ~をさえぎる 洞庭に歸る。



瑤台含霧星辰滿、 仙嶠浮空島嶼微。
美しい仙人の住まいは かすみを漂わせているが、大空の星々は滿天にある。仙人のいるところへ向かう嶮しい道は大空にまで浮いていて仙人の住む島嶼を微かくしている。
瑤台 五色の玉で作った高台。美しい仙人の住まい。
李白「清平調詞其一」、「古朗月行」。  ・星辰滿  星も辰も、ほし。 仙嶠 仙人のいるところへ向かう嶮しい道。 浮空 ・島嶼微  島、嶼もしまをかくす。



借問欲棲珠樹鶴、何年卻向帝城飛。
ちょっとうかがいますが 仙境にあるという樹に留まっている鶴はそのままそこに棲もうとお思いであるのか。 でもまあ、何年かしたら、天子のおられる長安城に飛んでこられたらよかろうと思います。
借問 ちょっとうかがう。 ・珠樹鶴  仙境にあるという樹に留まっている鶴 。  卻向 うえをあおぎみてむかう。 

(掲載予定にはなかったものをいれる。)

内別赴徴 三首 其三 :李白

内別赴徴 三首 其三:李白124
この詩は蜀にいる女性のため未詠ったのだろうか
 
其三
翡翠為樓金作梯、誰人獨宿倚門啼。
翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
夜坐寒燈連曉月、行行淚盡楚關西。

夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。


翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。



翡翠(ひすい) 楼と為(な)し 金 梯(てい)と作すとも
誰人(だれひと)か独宿して  門に倚(よ)りて啼(な)く
夜泣きて寒燈(かんとう)  暁月(ぎょうげつ)に連なり
行行(こうこう)涙は尽く  楚関(そかん)の西



翡翠為樓金作梯、誰人獨宿倚門啼。

翡翠の楼閣に黄金の梯子で住んでいる後宮の宮妓もまつものである、門に佇み自分ひとり、嘆いて泣くのは誰であろう。
翡翠 後宮の飾りに使われるもの。○ 楼閣。 ○金作梯 楼閣に上がる階段の手すりなどの飾りを金で作る。 ○誰人 後宮で待つ宮妓をさしながら、李白、李白を待つ妻をさす。 ○獨宿 李白とその妻。 ○倚門啼 それぞれにそれぞれの角先で啼く。
後宮の女の人でも待ち続け、啼いているのだ。


夜坐寒燈連曉月、行行淚盡楚關西。
夜は寒灯の下で暁の月の照らすまで泣きぬれ、さめざめと泣いて涙は尽きてしまうであろう、あの遠い楚の関所の西の方で妻は。
寒燈 一人で蝋燭をつけることをいう。旅人の一人寝の場合に使われることが多い。 ○連曉月 月が出てから明け方まで続いていることを表現している。 ○行行 行動の継続を意味する。 ○楚關西 楚の関所の西の位置。地図で示す通り襄陽のあたりがその中心で、南陵あたりは、越というのが李白の表現ではあるが。
戦国時代勢力図

 三首の詩の中で一首目の場所を示すものとして、吳關、三首目に楚關西と場所が違う。楚の関所の西ということであれば、李白は巴という言い方をしている。はたして、巴の女ということか。それとも襄陽、安陸の人か。南陵であってもおかしくはない。
李白は何人かいる女性のそれぞれの別れに対してそれぞれ誰にも会う別れの詩を詠ったのではなかろうか。場所の特定をしないで関所を示している。これだと、どこの女性も自分のことと思うのではなかろうか。
いずれにしても、この詩は、留守中の妻のことを思ってのものであるが、李白自身も、妻同様やはり寂しい思いに駆られ涙したのであろう。

三国鼎立時代の勢力図


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内別赴徴 三首 其二  李白

内別赴徴 三首 其二李白123

この詩は、妻に出立のときの心意気を示したものである。
一般的にこの詩の解釈として、“妻子のいつ帰ってくるかという問いに対して、「大臣・大将の位になって帰ってきたら、少しは丁重に出迎えてくれよ」といって、その心意気を示すとともに、やや妻に向かってからかっているかのごとくでもある“というものであるが私は違うと思う。女子の文盲率の高かった時代、故事の喩はその説明を詳しくしてあげないといけないわけで、妻子を題材にしていても妻に対しての詩ではないのである。では誰に対しての詩か、それは男社会に対して、「俺はこんな風に妻との別れをしたのだよ」というものである。それを踏まえて読んでみる。


其二
出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。

そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。


門を出ずれば妻子は強いて衣を牽き
我に問う西のかたに行きておおよそ日いつ帰るかと
歸り来たる時儻もし黄金の印を佩びなん
蘇秦 機より下らざるを学ぶ莫かれ


出門妻子強牽衣。 問我西行几日歸。
門を出る時に、妻子は私の袖や、衣(ころも)にすがりついてきた、そして、都に行けば 帰るのはいつかと尋ねたのである。
西行 都、長安のこと。 ○ 凡と同じ。おおよその意。


歸時儻佩黃金印。 莫學蘇秦不下機。
そこで答えた、もし、帰って来たとき、黄金の印綬(いんじゅ)を佩びていたら、蘇秦の妻は機織りして出迎えなかった故事を学んで出迎えてくれとたしなめた。
 ひいでる。もし、もしくは。ほしいままにする。ここは、もしの意味とする。○ 帯に付ける冠位を示すかざりをつけることをいう ○黄金印 諸侯・丞相・大将が佩びる印。戦国の世に蘇秦が錦を着て故郷へ帰り、「 我をして負廓の田二頃あらしめば豈に六国の相印を佩んや」 といって威張ったという話があるが、 立身出世して六国の相印を佩びる  ○蘇秦不下機 『戦国策』「秦策」にある故事で、「戦国時代、蘇秦が、秦王に説くこと十回に及ぶも、その説が行なわれぬため、家に帰る。家に帰れば、妻は怒って紐より下らず、煙は炊をなさず、父母はともに言わずであった」という。
ここでは「蘇秦の妻のようなことをしてくれるな」とたしなめた。


蘇秦は、秦に対抗する諸国同盟を説いて歩いて成功し、故郷に錦を飾ったわけであるが、これを蘇秦の積極的説得型とすると「内別赴徴 三首 其一」では諸葛孔明が無名の時、劉備が三度も草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うたとされる、「三顧の礼」を受けた待ち受け型、二つを意識して李白は使っている。 






蘇秦について史記にあるが、ウィキペディアの記述を抜粋しのを紹介してこの詩を見てほしい。

蘇 秦(そ しん、? - 紀元前317年?)は、中国戦国時代の弁論家。張儀と並んで縦横家の代表人物であり、諸国を遊説して合従を成立させたとされる。蘇代の兄。洛陽の人。斉に行き、張儀と共に鬼谷に縦横の術を学んだ。
『史記』蘇秦列伝における事跡である。

数年間諸国を放浪し、困窮して帰郷した所を親族に嘲笑され、発奮して相手を説得する方法を作り出した。最初に周の顕王に近づこうとしたが、蘇秦の経歴を知る王の側近らに信用されず、失敗した。次に秦に向かい、恵文王に進言したが、受け入れられなかった。当時の秦は商鞅が死刑になった直後で、弁舌の士を敬遠していた時期のためである。
 
その後は燕の文公に進言して趙との同盟を成立させ、更に韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を成立させ、六国の宰相を兼任した。この時、韓の宣恵王を説いた際に、後に故事成語として知られる『鶏口となるも牛後となることなかれ』という言辞を述べた。
 
趙に帰った後、粛侯から武安君に封じられ、同盟の約定書を秦に送った。以後、秦は15年に渡って東に侵攻しなかった。蘇秦の方針は秦以外の国を同盟させ、それによって強国である秦の進出を押さえ込もうとするもので、それらの国が南北に縦に並んでいることから合従説と呼ばれた。
 
合従を成立させた蘇秦は故郷に帰ったが、彼の行列に諸侯それぞれが使者を出して見送り、さながら王者のようであった。これを聞いて周王も道を掃き清めて出迎え、郊外まで人を出して迎えた。故郷の親戚たちは恐れて顔も上げない様であった。彼は「もし自分にわずかの土地でもあれば、今のように宰相の印を持つことができたろうか」と言い、親族・友人らに多額の金銭を分け与えた。
 
李白のこの詩を理解するためにはここまでにするが、ウィキペディアには李白の時代と現代では蘇秦に対する事跡は異なるようだ。以下ウィキペディアを参照。

内別赴徴三首 其一  李白

内別赴徴 三首 其一李白122


 現代でも、並外れた、天才人間は、並みの考えは当てはまらない。タイガーウッズ、など枚挙にいとまがないほどだ。まして千三百年も前の時代儒教者、仏教徒、極めた人以外、女性について、愛情をもって接するとか、家族を大切にとかを前面に出すのは極めてまれなことであった。
 女性が芸妓、妾、かこわれ者、口減らし、というのが普通に存在する時代である。現代の倫理観で李白の詩を読むと間違いを起こしやすい。

 妻子があっても、旅に出る一旗揚げて帰るものもいれば、そのまま帰らないというのも大いにあった。くどいようだが、時代が違うのである。
 天才詩人、李白は、儒教的考え方に立たなければという前提条件をおいてみれば、思想的にもしっかりしているのではないだろうか。

 家族への愛情がないわけではなく、妻に対する愛情がないわけではないのだ。ただ、謫仙人にとって家族、妻子は一番難しい詩の題材であったのだ。現代の見方、儒教的な見方からすれば、冗談か、ふざけているのかと間違われることの多い詩である。



別內赴徵三首
其一
王命三徵去未還、明朝離別出吳關。 
勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
白玉高樓看不見、相思須上望夫山。
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ

勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ


王命三たび徴す  去らば未だ還(かえ)らざらん
明朝離別して呉関(ごかん)を出(い)ず
白玉(はくぎょく)高楼 看(み)れども見えず
相思(そうし)  須(すべか)らく上るべし望夫山


王命三徵去未還。 明朝離別出吳關。
勅命で三顧の礼で朝廷に迎えられるから、帰られないことがあるかも知れない、明日の朝には別れなくてはならない、そして 呉の関門を出ることになる。
王命 勅令 ○三徵 諸葛孔明が名のないころ劉備が三度草盧を訪れ礼を尽くして出馬を乞うた、三顧の礼をもじったものであろう。 ○吳關 唐朝は統一国家を形成していた、ここでは三国時代の呉と魏の国境を示すもので李白は南京を経て運河を北上し黄河を西に上ったのである。
三国鼎立時代の勢力図
 


白玉高樓看不見、相思須上望夫山。
白玉(はくぎょく)高楼 看(み)れども見えず
相思(そうし)  須(すべか)らく上るべし望夫山
大理石のきざはしのある宮妓がいる宮殿の高楼はわたしが見ようとしても後宮だから入ることもできないから見ようとしても看ることはできない。
互いに思っているのだから、望夫山に登らないといけないよ

白玉 白く輝く玉飾り。白と黄金は宮殿にだけ使用されたもので、宮殿をあらわす。白玉は大理石である。謝朓、李白、「玉階怨」のきざはしに使用されている。大理石のきざはしは宮妓を示す語である。李白は都での女性関係はないよとでも言いたかったのであろう。○望夫山 中国各地にある。府兵制で夫が辺地に出征するのが義務であった。どこの家で、働き手は女であった。夫の帰りを待ち望み、やがて、女性は石に変わっていた。そういう山が全国に存在した。

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李白55 贈内
三百六十日,日日醉如泥。
雖爲李白婦,何異太常妻。
内(つま)に 贈る
一年、三百 六十日,毎日 べろんべろんに酔っている。
〝李白"の妻とは名ばかりで,あの太常の妻と同じだということ。

南陵別兒童入京 李白 121「就活大作戦」大成功

南陵別兒童入京 李白 121「就活大作戦」大成功

742年 天宝元年 李白42歳
山東において共に隠居生活を送った呉筠が、玄宗に召され入京することになった。呉筠は長安の都に入って玄宗に李白を推薦した。また、玄宗の妹の玉真公主も、つとに李白の詩人としての名声を聞いていたので、やはり長安入りを希望していた。全て道教のつながりである。かくて、玄宗のお召しによって、彼の年来の望みが果たされることになった。李白の胸内には、重要の職に就けるチャンス到来と燃え上がる希望をもって、長安に向かって出立する準備に入った。


【妻子との別れ】
李白の都長安入りは急転直下のようであるがこれまで道教の寺観を訪ね、名山を訪ねて培ってきたものの積み重ねであった。チャンスというのは積重ねがなくてあるはずもなく、この呉筠との出遇い、玉真公主、賀知章だ道教の信者でなかったら、寺観の応援がなかったなら、不可能であったのだ。
かくて、李白の「就活大作戦」は成功したのである。

出立のときは、安微の南陵(今の南陵県)に住んでいた。いつごろ湖北からここに移り住んだかは明らかではないが、詩の雰囲気で「李白47 寄東魯二稚子」の子供たちかもしれない。安陸と南陵は長江の流域で安陸から南陵は直線距離でも500km前後はある。李白に俗人的礼節はないし、儒教的な考えは全くない。いわゆる一般的な愛情というものは、全く見られないのである。この天才詩人には、あちこちに女性がいてもおかしくないのであるが、とにかくこの南陵にも妻子が住んでいたことは、詩よって明らかなことである。
南陵は、李白の好きな斉の謝朓の太守をしていた宜城の西北近くである。ここで、妻子と別れたときの詩「南陵にて児童に別れて京に入る」がある。
 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。

そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。

天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。
会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
仰天大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。

新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。

高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。


南陵にて兒童に別れ京に入る。
白酒(はくしゅ)新たに熟して山中(さんちゅう)に帰る、黄鶏(こうけい) 黍(しょ)を啄んで秋正(まさ)に肥ゆ
童(どう)を呼び鶏(けい)を烹(に)て白酒を酌(く)む、児女(じじょ)歌笑(かしょう)して人の衣(い)を牽(ひ)く

高歌(こうか) 酔(えい)を取って自ら慰めんと欲す、起って舞えば 落日光輝(こうき)を争う
万乗(ばんじょう)に遊説す 早からざりしに苦しむ、鞭を著(つ)け馬に跨(またが)って遠道を渉(わた)る

会稽(かいけい)の愚婦(ぐふ) 買臣(ばいしん)を軽んず、余(よ)も亦 家を辞して西のかた秦(しん)に入る
天を仰ぎ大笑(たいしょう)して門を出(い)で去る、我輩 豈(あ)に是(こ)れ蓬蒿(ほうこう)の人ならんや


 
南陵別兒童入京
南陵にて兒童に別れ京に入る。

南陵 安徽省宜城県の西にあり、李白は玄宗に召されて長安へ上京した際、ここで妻子と別れたらしい。この詩の児童というのは、李白47「東魯の二稚子」と同じであるかどうか、わからない。


白酒新熟山中歸。 黃雞啄黍秋正肥。
新しく濁酒が出来上ったころ山中のわが家に帰ってきた。いま秋たけなわであり、黄色い鶏はキビをよく食べてよく肥えている。
白酒 どぶろく。


呼童烹雞酌白酒。 兒女嬉笑牽人衣。
そこで子供を呼んで、鶏を料理させ、それをつつきながら濁酒を飲む。男の子も女の子も、よろこび、笑いながらわたしの着物にひっぱる。
児女 男の子と女の子


高歌取醉欲自慰。 起舞落日爭光輝。
高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。
高歌 高らかに歌を歌う ○自慰 酒を飲み酔うことにより自分で自分を慰める。 ○落日 沈む夕日の方向 ○爭光輝 光と未来の輝きがを争う


游說萬乘苦不早。 著鞭跨馬涉遠道。
天子に自分の意見を申しあげ、皇帝がもっと早く来ればよかったのにと思う。鞭をもち馬にまたがって遠い道を旅するのだ。
遊説 春秋戦国時代に、ある種の人びとは各国を奔走して、国王や貴族の面前で自己の政治主張をのべ、採用されることを求めた。これを遊説といった。○万乗 皇帝のこと。古代の制度によると、皇帝は、一万の兵車を有していた。


會稽愚婦輕買臣。 余亦辭家西入秦。

会稽のおろかな嫁は朱買臣をばかにした故事がある、わたしもまた、この家をあとにして西の方、長安の都に入ろうとしているのだ。
会稽愚婦軽買臣 「漢書」に出ている話。朱買臣は漢の会稽郡呉(いまの江蘇省呉県)の人。豪が貧乏で、柴を売って生活をしのいでいたが、読書好きで、柴を背負って歩きながら道道、書物を朗読した。同じく柴を背負っていっしょに歩いていた妻が、かっこうが悪いのでそれを止めると、買臣はますます大声をはりあげてやる。妻はそれを恥じ離縁を申し出た。買臣は笑って言った。「わたしは五十歳になれば必ず金持になり身分も高くなるだろう。今すでに四十余り、おまえにも長い間苦労さしたが、わたしがいい身分になっておまえの功にむくいるまで待ちなさい」妻は怒って言った。「あなたみたいな人は、しまいにドブの中で餓死するだけですよ。何でいい御身分になんかなれるものですか」買臣の留めるのもきかず、妻は去って行
った。数年後、買臣は長安に行き富貴の身になったという。吉川幸次郎「漢の武帝」岩波新書参照。しかし、朱買臣はのちのち何度も官をやめさされ、最後には武帝の命で殺された(「漢書」巻64上)し、蘇秦も六国の宰相を兼ねた得意の時は実に短かいものだったのである。李白はなぜこの故事を使ったのか、まさかの都故事通り、みにふりかかるとは思っていないから、愚妻といって冗談を言ったと思われる。○ 長安のこと。


大笑出門去。 我輩豈是蓬蒿人。
胸を張って大笑して門を出てゆこう。わがはいはとてもじゃないが、雑草の中に埋もれてしまうような人物なんかじゃない。
蓬嵩 よもぎ。雑草のこと。蓬嵩の人とは、野に埋もれて一生を終る人のこと。

 

 

 「児童に別れて」とある、「児童」は詩中に「児女」とあり、李白と道教(3) 李白47「 寄東魯二稚子」詩に、嬌女は平陽と字し、花を折って桃辺に侍り小児は伯禽と名づけ、姉と亦た肩を同じくすとある平陽と伯禽のことであろう。この二人と別れて都に入るときの詩であるが、むろん道士呉筠の推薦と、玉真公主の希望によってである。時は天宝元年八七讐)、李白四十二歳である。

 旅に出ていて、入京の吉報を得て、「ちょうど濁酒が熟するころ、わが山中の住みかに帰ってきた」。酒好きの李白にとってはまずは酒である。「黍を十分ついばんでいた黄鶏は、この秋に今や肥えて食べごろ。下男を呼んで鶏を煮させて肴にしつつ濁酒を飲んで、「一杯機嫌で都入。」の自慢話をすると、子供たちは歌って大喜び、お父さんよかったねと、父の着物を引っ張る」。「人がわ衣を牽く」は、子供心の嬉しさと、多少父をからかうような気持ちでもある。その様子が目に浮かぶような表現でうまい。

 高らかに歌を歌う、酔いたいだけ酔って自分を慰めている。起ち上り舞い、沈む夕日の方向に光と未来の輝きがを争っている。元来、落日の光は、どちらかというと、喜びを予想しない、不安を予期することが多い題材であるが、巧みな表現力で寂勢と希望をよく連なって詠っている。また、道教思想の西の仙女の国と西方の長安を意識させるものであって、喜びと対比させることは珍しい使い方である。


 読書が好きで、柴を負いながら書物を読む。妻はその姿のみすぼらしいのを見て、離縁を申し出る。朱買臣は、五十歳になると、地位も高く金持ちになる。今は四十歳であるから、しばらく待てという。妻は、あなたみたいな人は、どぶで餓死するであろうといって、家を出てゆく。数年後、朱買臣は、長安に行って富貴の身となった」とある。この故事をふまえて、「自分も先買臣と同じように家を出て長安の都に入ることになった。おそらく朱買臣と同じように出世するであろう」。

 「会稽の愚婦」は、ここでは、自分の妻に戯れて、「おまえも自分をいつも出世しないと馬鹿にしていたが、今度はいよいよ長安に出て出世するぞ」といった椰稔の意があるであろう。郭沫若は、『李白と杜甫』において、これは妻を愚かなる婦とののしったものであり、この「愚婦」とは、魂頴の『李翰林集』序にいう劉氏のことであるとする。李白は三度妻を要るが、二番めが劉氏である。郭氏の説には従いがたいが、参考までに挙げておく。さて、李白は「誇らしげに天を仰いで、大笑して、わが家の門を出てゆく」。「仰天大笑」は、このときの李白の喜びにあふれる気持ちを平易な表現でよく表現している。そして、最後に、李白の自信に満ちた気持ちを、「わが輩は野に埋もれる人ではない」と強くいっている。「蓬蒿」は、ともによもぎといわれ、雑草の類。野原に生えることから、田舎の意味に使われる。「蓬嵩人」という使い方は李白がはじめてであろう。


寄東魯二稚子 在金陵作
吳地桑葉綠。 吳蠶已三眠。
我家寄東魯。 誰種龜陰田。
春事已不及。 江行復茫然。』
南風吹歸心。 飛墮酒樓前。
樓東一株桃。 枝葉拂青煙。
此樹我所種。 別來向三年。
桃今與樓齊。 我行尚未旋。』
嬌女字平陽。 折花倚桃邊。
折花不見我。 淚下如流泉。』
小兒名伯禽。 與姊亦齊肩。
雙行桃樹下。 撫背復誰憐。』
念此失次第。 肝腸日憂煎。
裂素寫遠意。 因之汶陽川。』

呉地桑葉緑に、呉蚕すでに三眠。
わが家 東魯に寄す、誰か種(う)うる亀陰の田。
春事すでに及ばん、江行また茫然。』
南風 帰心を吹き、飛び 墮(お)つ 酒楼の前。
楼東 一株の桃、枝葉 青煙を払う。
この樹はわが種うるところ、別れてこのかた三年ならん。
桃はいま楼と斉(ひと)しきに、わが行ないまだ旋(かへ)らず。』
嬌女 字 (あざな)は平陽、花を折り 桃辺に倚(よ) る。
花 折りつつ 我を見ず、涙下ること流泉のごとし。』
小児名は伯禽、姐(あね)とまた肩を斉ひとしく。
ならび行く桃樹の下、背を撫してまた誰か憐れまん。』
これを念うて 次第を失し、肝腸 日(ひび) 憂いに煎る。
素(しろぎぬ)を裂いて 遠意を写し、これを汶陽川にたくす。』 

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