漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

雑言古詩

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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種桑 謝霊運<19>  詩集 385

種桑 謝霊運<19>  詩集 385


すなおち、この田舎はいろいろと生活への条件が悪く、物の産出も少なく、人民ははな
はだしく貧乏になりやすいため、凶災の年にはその生命すら全うしがたく、そのうえ、知能も低い。それゆえ、一生懸命、政治に励み、物の豊かになれるように努力したいという。この詩のうちで、鄭白の渠とは鄭渠と白渠の朧漑により人民は衣食が満ち足りたという後漢の班固の「西都賦」を意識して歌う。いかにも地方の政治家として真剣に取り組んでいる姿が浮かぶ。
 また、産業の指導にも熱心に当たったようで、それを物語るものとして、「種桑」の詩が伝えられている。この詩が、いつ、どこで作られたかは不明であるが、政治家謝霊運の一面を語る資料として挙げてみる。

種桑
詩人陳條柯、亦有美攘剔。
(植え方)詩人は枝を揃えて並べていく、あるいはまた、枝を選定して美しくするものだ。
前修爲誰故、後事資紡績。
(加工)昔この作業を修業した人は誰のためにしたのであろうか、木が成長した後に、紡績を助けるためにしたのである。
媿微富敎益、浮陽騖嘉日。
(生産性)少しずつでも富となっていくように利益が増えるよう植え方を教えてきたことは大したことではなく、ほんの少し恥ずかしいと思う。日当たりについては、よろしい日々を重ねることである。
蓺桑迨閒隙、疏欄發近郛、長行達廣場。
(手入)桑の木はその間隔を整えることである、粗くていいので、城郭の近くから手すりを設置しなかにいれない、長く広場所まで達するものにするのである。
曠流始毖泉、湎塗猶跬跡。
(灌漑の水)遠くから流れ込むささやかな泉から始まり。なお流れていきその足跡を残して筋を残して沈み込んでいく。
俾比將長成、慰我海外役。
(土地を守る)これらのことをこれからとこしえに成功するためには、「我々は海外での役割、戦いをすることで慰められるものである」ということをしめしておくことなのだ。



桑を種える。
詩人は(桑の)條柯【じょうか】を陳【なら】べるに、また攘【はら】い剔【き】って美しくする有り。
前修は誰の故に為す、後の事は紡績に資るのみ。
媿微【きび】は富の教え益ますなり、浮陽は嘉日を騖【はせ】る
桑を蓺えて間隙に迨【およ】ぶ、疎らな欄は近くの郛に発し、長行して広場に達す。
曠【とお】き流れも毖泉【ひせん】に始まり、湎塗【めんと】 猶 跬跡【けいせき】のごとし。
此 長成し、「我を慰むるに海外の役」をもって俾めん

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現代語訳と訳註
(本文) 
種桑
詩人陳條柯、亦有美攘剔。
前修爲誰故、後事資紡績。
媿微富敎益、浮陽騖嘉日。
蓺桑迨閒隙、疏欄發近郛、長行達廣場。
曠流始毖泉、湎塗猶跬跡。
俾比將長成、慰我海外役。


(下し文)
桑を種える。
詩人は(桑の)條柯【じょうか】を陳【なら】べるに、また攘【はら】い剔【き】って美しくする有り。
前修は誰の故に為す、後の事は紡績に資るのみ。
媿微【きび】は富の教え益ますなり、浮陽は嘉目を騖【はせ】る
桑を蓺えて間隙に迨【およ】ぶ、疎らな欄は近くの郛に発し、長行して広場に達す。
曠【とお】き流れも毖泉【ひせん】に始まり、湎塗【めんと】 猶 跬跡【けいせき】のごとし。
此 長成し、「我を慰むるに海外の役」をもって俾めん。

(現代語訳)
(植え方)詩人は枝を揃えて並べていく、あるいはまた、枝を選定して美しくするものだ。
(加工)昔この作業を修業した人は誰のためにしたのであろうか、木が成長した後に、紡績を助けるためにしたのである。
(生産性)少しずつでも富となっていくように利益が増えるよう植え方を教えてきたことは大したことではなく、ほんの少し恥ずかしいと思う。日当たりについては、よろしい日々を重ねることである。
(手入)桑の木はその間隔を整えることである、粗くていいので、城郭の近くから手すりを設置しなかにいれない、長く広場所まで達するものにするのである。
(灌漑の水)遠くから流れ込むささやかな泉から始まり。なお流れていきその足跡を残して筋を残して沈み込んでいく。
(土地を守る)これらのことをこれからとこしえに成功するためには、「我々は海外での役割、戦いをすることで慰められるものである」ということをしめしておくことなのだ。


(訳注)
詩人陳條柯、亦有美攘剔。

(植え方)詩人は枝を揃えて並べていく、あるいはまた、枝を選定して美しくするものだ。


前修爲誰故、後事資紡績。
(加工)昔この作業を修業した人は誰のためにしたのであろうか、木が成長した後に、紡績を助けるためにしたのである。


媿微富敎益、浮陽騖嘉日。
(生産性)少しずつでも富となっていくように利益が増えるよう植え方を教えてきたことは大したことではなく、ほんの少し恥ずかしいと思う。日当たりについては、よろしい日々を重ねることである。
媿微 ほんの少し、恥ずかしいと思う。○浮陽 水上に浮かび日光に近づくこと。日光。


蓺桑迨閒隙、疏欄發近郛、長行達廣場。
(手入)桑の木はその間隔を整えることである、粗くていいので、城郭の近くから手すりを設置しなかにいれない、長く広場所まで達するものにするのである。


曠流始毖泉、湎塗猶跬跡。
(灌漑の水)遠くから流れ込むささやかな泉から始まり。なお流れていきその足跡を残して筋を残して沈み込んでいく。
曠流 遥かな遠いさま。○毖泉 『詩経』毖泉篇「毖彼泉水、亦流于淇」(毖【ささや】かなる彼の泉の水も、亦た淇のかわに流【そそ】ぐなり。)大意は泲(せい)・禰(でい)という土地は衛という国から嫁入りした時に経由したところであるという。また干(かん)・言(げん)は衛に里帰りをするならばその地を経由するのである。この2章の語意はもともと同じであるが、その解釈は異なっている。そして干(かん)・言(げん)を衛に里帰りをする時の経由地であるとするならば、「車を旋(かえ)す」は特に適切でないと思われる。「諸姫(しょき)は姪娣(ていてつ)を謂う。姪娣の中に乃ち諸姑伯姊あり」とは、意味が通らない。○ しずみ、のめりこむ。塗 ぬりふさぐ。すじみちとする。○跬跡 かたあしのあと。


俾比將長成、慰我海外役。
(土地を守る)これらのことをこれからとこしえに成功するためには、「我々は辺境の土地での役割、仕事、戦いをすることでまもられ、慰められるものである」ということをしめしておくことなのだ。
 しめる。せしめる。○長成、とこしえにうまくいくように。○海外役 辺境の土地での役割、仕事。


この詩は、治政者として謝霊運が懸命に人民の致治を考え、実践したことを示す。都から離れていても、国を富国強兵で、継続性のあるものにするには、その生産基盤をしっかりとし、生産性を高めなければいけないとしている。そしてそれを末代まで継続する必要があるということで、農耕法をしにしている。根っからの政治家であった。人民のための謝霊運のまじめな努力と一方では、美しい山水の詩人である。この地方で抜群の指示を受けたのも理解できることである。
しかし出るくぎは打たれるというものである謝霊運の仁徳の政治実践は権力者によっては目障りなものとして映るかもしれない。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<10> 隴西行 詩集 369

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<10> 隴西行 詩集 369


隴西行 
昔在老子、至理成篇。
むかし、老子がいらっしゃいました。まことにもっともな道理をまとめられた。
柱小傾大、綆短絶泉。
能力の小さいものに大きな責任を持たせる時危険は増大する。井戸にある釣瓶が短ければ水をくむことに事欠く。
鳥之棲遊、林檀是閑。
鳥が棲み遊んでいるとしても檀の木で森ができているなら鳥は木が固くにおいのために棲むことができず静かなものであろう。
韶楽牢膳、豈伊攸便。
舜帝が作ったといわれる音楽を麗しく奏で、太牢の大御馳走があるならば、どうしてこれでくつろぎ安らぎのきもちにならずにおられようか。
胡爲乖枉、従表方圓。
どういうわけか無実の罪に貶められたとしても、天子の天と地の法則にはしたがわざるを得ないだろう。
耿耿僚志、慊慊丘園。
役所の仕事というもの官僚について心が安らかではない。思うところは不満なことが多い、できることなら、隠棲したいものだ。
善謌以詠、言理成篇。
そんなことで、気に入った詩歌でもって吟じていたい。真理をいうことによって詩篇を編成したいのだ。


(隴西行)
昔 老子在り、至理 篇を成す。
柱は小 傾は大、梗【つるべのなわ】は短く絶えたる泉に。
鳥は之れ棲み遊ぶ、林せる檀【せんだん】は是れ閑【しずか】。
韶【しょう】の楽は牢膳【ろうぜん】、豈伊【こ】れ便【くつろぎ】を攸【おさ】む。
胡【なん】すれぞ 乖枉【かいおう】を為せる、方円を表わすに従う。
耿耿【やすらか】なる僚志、慊慊【けんけん】たる丘園。
善く謌【うた】い以って詠ず、理を言いて篇を成す。



現代語訳と訳註
(本文)
  隴西行
昔在老子、至理成篇。
柱小傾大、綆短絶泉。
鳥之棲遊、林檀是閑。
韶楽牢膳、豈伊攸便。
胡爲乖枉、従表方圓。
耿耿僚志、慊慊丘園。
善謌以詠、言理成篇。

(下し文) (隴西行)
昔 老子在り、至理 篇を成す。
柱は小 傾は大、梗【つるべのなわ】は短く絶えたる泉に。
鳥は之れ棲み遊ぶ、林せる檀【せんだん】は是れ閑【しずか】。
韶【しょう】の楽は牢膳【ろうぜん】、豈伊【こ】れ便【くつろぎ】を攸【おさ】む。
胡【なん】すれぞ 乖枉【かいおう】を為せる、方円を表わすに従う。
耿耿【やすらか】なる僚志、慊慊【けんけん】たる丘園。
善く謌【うた】い以って詠ず、理を言いて篇を成す。

(現代語訳)
むかし、老子がいらっしゃいました。まことにもっともな道理をまとめられた。
能力の小さいものに大きな責任を持たせる時危険は増大する。井戸にある釣瓶が短ければ水をくむことに事欠く。
鳥が棲み遊んでいるとしても檀の木で森ができているなら鳥は木が固くにおいのために棲むことができず静かなものであろう。
舜帝が作ったといわれる音楽を麗しく奏で、太牢の大御馳走があるならば、どうしてこれでくつろぎ安らぎのきもちにならずにおられようか。
どういうわけか無実の罪に貶められたとしても、天子の天と地の法則にはしたがわざるを得ないだろう。
役所の仕事というもの官僚について心が安らかではない。思うところは不満なことが多い、できることなら、隠棲したいものだ。
そんなことで、気に入った詩歌でもって吟じていたい。真理をいうことによって詩篇を編成したいのだ。


(訳注)
昔在老子、至理成篇。
むかし、老子がいらっしゃいました。まことにもっともな道理をまとめられた。
至理 まことにもっともな道理。至極 (しごく) の道理。


柱小傾大、綆短絶泉。
能力の小さいものに大きな責任を持たせる時危険は増大する。井戸にある釣瓶が短ければ水をくむことに事欠く。
柱小傾大 喻指能力小者承擔重任必出危險。


鳥之棲遊、林檀是閑。
鳥が棲み遊んでいるとしても檀の木で森ができているなら鳥は木が固くにおいのために棲むことができず静かなものであろう。
 固い木で、巣作りが難しく、エサになる虫が巣くっていない。


韶楽牢膳、豈伊攸便。
舜帝が作ったといわれる音楽を麗しく奏で、太牢の大御馳走があるならば、どうしてこれでくつろぎ安らぎのきもちにならずにおられようか。
牢膳:「以太牢為膳食」以って太牢 膳食と為す。太牢:まつりに牛・羊・豚の三性が備わること。大御馳走。『老子、二十』「衆人は熙熙として、如く享たるが太牢を如し春登るが臺に、」(衆人は熙熙として、太牢を享たるが如く、春臺に登るが如し。)


胡爲乖枉、従表方圓。
どういうわけか無実の罪に貶められたとしても、天子の天と地の法則にはしたがわざるを得ないだろう。
乖枉 そむきわかれる。乖そむく。よこしまな枉枉げる。まがった人。無実の罪。方円 天と地。『孟子、離婁上』「離婁之明、公輸子之功、不以規矩、不能成方円。孟子曰:規矩方円之至也。」(離婁之明、公輸子之功も、規矩を以ってせざれば方円を成す能はざる。孟子曰く規矩は方円之至り也。)


耿耿僚志、慊慊丘園。
役所の仕事というもの官僚について心が安らかではない。思うところは不満なことが多い、できることなら、隠棲したいものだ。
耿耿 光が明るく輝くさま。気にかかることがあって、心が安らかでないさま。○僚志 同僚。下役。志を同じくするもの。○慊慊 あきたらず思うさま。不満足なさま。○丘園 山野。小高い丘にある花畑。転じて、隠棲の場所をいう。


善謌以詠、言理成篇。
そんなことで、気に入った詩歌でもって吟じていたい。真理をいうことによって詩篇を編成したいのだ。



射霊運のこの詩は、老荘への煩斜の一つとして、楽府の「階西行」でる。実によく『老子』の哲理を簡にして要領よくとらえて歌っているのは、字句を老子を引用して構成され、よほど『老子』を熟読していたのであろうと思う。

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

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#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、偉い素振りをするものだ。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそぶったりするものだ。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折りをしたものだと、せせら笑った。簗甫吟を吟じて、ここに至れば、声はまことに悲壮となる。
張公兩龍劍。 神物合有時。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。

梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


戦国時代勢力図


現代語訳と訳註
(本文)

側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


(下し文)
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。


(現代語訳)
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、偉い素振りをするものだ。
焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそぶったりするものだ。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折りをしたものだと、せせら笑った。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。

sangaku880

(訳注) #4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。

焦原の絶壁の石に足のつま先で立って、少しも苦しいなどとは言わない。知恵ある者は知恵を巻物にしまいこむようにしていることができるもの、愚か者ほど、強がったり、えらそうなそぶりをするものだ。
智者可巻 知恵ある者は、政治が道をはずれ、筋の通らぬ時代には、自己の才能や知恵をふところに巻きこんで、世に出ない。「論語」の「衛の霊公」に「君子なる哉、蘧伯玉。邦に道あれば則ち仕え、邦に道なければ則ち巻きて懐(いだ)く可し」とある。

世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。

世間の人は、わたしを鴻の鳥羽の毛より軽く見くびっているのである。むかし、力自慢では南山でもおしのけるという三人の壮士がいた。
力排南山三壯士 諸葛亮(諸葛孔明)『梁甫吟』#1で全文掲載 説明は以下が詳しい。
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

「二桃もて三士を殺す」「妟子春秋」に見える故事。春秋時代の斉の景公の部下に、公孫接・田開疆・古冶子という三人の勇士がいた。力が非常に強く、虎をなぐり殺した。ある日、斉の国の大臣である量子(曇嬰)が彼らの前を通りすぎたが、三人は起ち上ろうともしない。妟子は景公にお目通りして言った。「かれらは勇気とカの持主ですが、礼節を知りません。君臣上下の分別がありません。これを放っておくと危険ですから、殺してしまうべきです。」国王は同意したが、三人の勇士を刺殺することのできる者はいない。妟子は一計を案じた。かれは国王の名によって、二つの桃を三人に送りとどけ、各自の能力をくらべあって、能力の大きい者が桃を食わないかと言った。まず公孫接が言うには「按は、第一にいのししを打ち殺し、第二に虎の子をも打ち殺した。この接の能力などは、十分に桃を食うねうちがある。人と同じには見てもろうまい。」桃をつかんで起ち上った。次に田閉彊が言った。「わたしは、武器をとって敵の大軍をしりぞけること二度。この開彊の能力などは、十分に桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。」やはり、桃をつかんで起ち上った。さいごに古冶子が言った。「わたしは、かつて主君に従って黄河をわたったとき、大きなスッポンが三頭立の馬車の左の副馬にくらいつき、黄河の中流に柱のように突立っている砥柱山の流れに引きずりこんだ。この冶は、流れに逆らうこと百歩、流れに順うこと九里、大スッポンをつかまえて殺し、左手で副馬の尾をあやつり、右手にスッポンの頭をひっさげ、おどりあがって岸に出た。人びとがみな、河伯(黄河の神様)だと言うので、この冶がよく見ると、それは大スッポンの首だった。この冶の能力などは、やはり桃を食うねうちがあり、人と同じには見てもろうまい。お二方、どうして桃をかさえないのか。」公孫接と田開彊が言った。「われわれの勇はあなたに及ばない。能力もあなたに及ばない。桃を取ってゆずらないのは欲が深い。そして又、死なないのは勇気がない。」二人とも、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。古冶子は言った。「二人が死んだのに、冶がひとり生きているのは不仁である。人に恥をかかせながら、自分だけが誇っているのは、不義である。そうした自分の行為を遺憾に思いながら死なないのは勇気がない。」これまた、その桃をかえし、自分の手で首をしめて死んだ。景公は、三人を鄭重に葬った。


齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
斉の宰相(妟子)はかれらを殺すのに、わずか二つの桃をついやしただけだった。また、呉楚七国は兵をあげ反乱をくわだてながら、劇孟というような立派で勇壮な人物を味方にしなかった。
○吳楚弄兵無劇孟。 漢の景帝三年(紀元前154年)、呉楚等七国が反乱を起したとき、景帝は大将軍の竇嬰、太尉の周亞夫を派遣して鎮圧させた。周亞夫は東方にむかい河南に至ろうとしたとき、当時の有名な侠客であった劇孟を味方に得た。東天は喜んで言った。「呉や楚は天下を争うような大事を企てながら、劇孟を求めない。わたしは、かれらが何もできないことを知るだけだ。」「漢書」に見える話であるが、強大であった呉楚の分断作戦と補給路を断つことで戦意を失わせ、内部分解させた。
 
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
だから、反乱を鎮圧した周亜夫は、七国の反乱を無駄な骨折をしたものだと、せせら笑った。
簗甫吟を吟じて、ここに至れば、声はまことに悲壮となる。
〇咍 せせら笑う。


張公兩龍劍。 神物合有時。
むかし張公のもっていた二つの宝剣が、別別に失われたにもかかわらず、二頭の竜となってあらわれたという故事もある。非常にすぐれたものは、その働き場所を得るには、時期というものが合わなければならないのだ。
張公両竜剣 竜泉、太阿という二つの宝剣が、豫章と豐城とで出土し、張華と雷煥の二人が、おのおのその一刀を待ったと伝えられる。その後、張華が誅せられ、剣のありかを失った。雷煥が亡くなったのち、子の雷華が剣を持って旅をし、延平津に通りかかった時、剣が突然、腰間から躍り出て水中におちた。人を水にもぐらせてさがしたが、剣は見つからず、しかし、長さ数丈の二頭の竜を見たという。


風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。
竜虎が風雲に出会って活躍したように、牛の屠殺と釣三昧から一躍、身を起した太公望という人もいる。今の世の君主が動揺不安の境遇にあるとき、わたしこそが、それを安定させる人であるのだ。
風雲感會 「易経」に「竜は雲に従い、虎は風に従う」とある。竜虎が風雲に出会うように、英雄が時を得て、めざましく活躍すること。○屠釣 牛殺しや釣をしていた男。太公望をさす。○大人 ここではおそらく君主をさす。○幌帆 「書経」や「易経」に見える言葉、(机隈・離礁)と意味は同じく、動揺して不安なありさま。 


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梁甫吟 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -297

梁甫吟 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -297


#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。

 
現代語訳と訳註
(本文) #3

帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。


(下し文) #3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


(現代語訳)
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。

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(訳注) #3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
天帝のおそばには、飾り立て輝く穹女が大勢ならび、投壷のゲームをやっていた。半日のあいだ、壷に投げこむ矢がはずれるたびに、天帝が大いに笑い、イナズマの閃光があったのだ。
帝努授壷多玉女 帝は上帝(玄宗のこと)、天の神。天上と仙境と宮廷を同じ表現でいう場合がある。投壺は、矢を壷に投げこむ遊戯。「神異経」に「東王公が玉女と投壺をしてあそんだ。千二百本の矢を投じたが、矢が壷にうまく入ると天はすすりなき、はずれると天が笑った」とある。また、むかしの人は、雨のふらないときに、いなずまが光ると、天が笑った、と考えた。〇三時一昼夜が十二時。昼の一日が六時だから、三時は半日(現在の六時間)に当る。


倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
ピカッと光っては、忽ち暗闇となり、暴風雨がまきおこる。天に通じる御門は九重にとざされ、通りぬけることができなくなった。
倏爍 極めて短い時間、光がひらめく。○晦瞑 くらい。○閶闔 天の門。

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玉壺吟 :雑言古詩 李白

侍従遊宿温泉宮作 :李白

2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

 

以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
九重の門にひたいをぶっつけて門をたたくと、門番がおこった。それからくもりではない太陽の光も、わたくしの真心を照らし出してはくれなくなった。
閽者 門番。


杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
むかし、杞の国の人は、何事も起らないのに、天の傾くことを憂えた。わたしも、また、杞憂をいだかざるを得ない。竊寙(せつゆ)という怪獣が、牙をみがいて、われ先に人の肉を食おうとしているというのだ。
杷国無事憂天傾「列子」に見える故事。杞という国のある人が、天がもし崩れおちるなら、身の置きどころがないと、無用の心配をし、夜も眠れず食欲もなくなった。つまり、神経疾患になった。こういった取りこし苦労を「杞憂」という語源である。○貕貐「山海経」に見える怪獣。少咸という山に獣がすみ、そのかたちは牛のごとく、体は赤く、顔は人、足は馬、名を竊寙(せつゆ)という。なき声は赤子のようで、こいつは人を食う。貕貐はすなわち竊寙である。


騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。
また、騶虞という仁獣は、生きている草の茎さえ折らないように、注意ぶかく歩いているというのに、朝廷には悪人がはびこり、善人は消極的である。これはわたしなら、飛びまわる手長猿を片手でつかみながら、片手で斑の虎をなぐり殺すことさえできるというものだ。
騶虞 白い虎。体に黒いもようがあり、尾は胴体より長い。生きた動物を食わず、生えている草をふみつけない。想像上の仁獣である。「詩経国風上」騶虞はなさけあるけものとされ、仁徳のある君主の期待をもつ者として登場する。○手技飛操持彫虎 猿と虎と戦うことを比喩して、貧窮と疎賤の二つに対して常にたたかい、これにうちかつことだという。儒教の言葉、故事である。○焦原 山東省の莒(きょ)県の南三十六里のところに、横山と呼ばれる大きな岩があり、それが焦原である。広さ五十歩、百幅(幅は、両手を左右にひろげた幅)の深さの谷川に臨み、非常に危険な場所である。莒の国でも、これに近づこうとする者がいなかったが、一人の勇者があらわれ、後向きに歩いて崖のはしで足のかかとをそろえた。世にたたえられたが、そもそも正義ということは、この焦原のように高いものだ。そして賢者は、正義のためには、どんなに危険をおかしてでも、足のかかとを焦原の石の上にそろえるようなことをやってのけ、しかも、少しも苦痛を言わない。儒教の一節。


帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
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梁甫吟 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -296

梁甫吟 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -296


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

#2
君不見高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。

#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。


宮島(3)


現代語訳と訳註
(本文)
#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。


(下し文)
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。

(現代語訳)
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。


(訳注)#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。

君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
君は知っているだろう。高陽の大酒のみ(酈生食其)が、荒草の中から身をおこし、山東の鼻の高いおやじさん(漢の高祖)に会釈くらいの軽い挨拶をしたことを。
高陽酒徒 高陽は地名。いまの河南省杞県の西。陳留県に属した。酒徒は酒のみ。高陽の呑み助とは、漢の酈食其(れきいき)のことで、陳留県高陽郷の人である。読書を好んだ。(酈生の生は、読書人に対する呼び方。)家が貧しくて、おちぶれ、仕事がなくて衣食に困った。県中の人がみな、かれを狂生と呼んだ。沛公(のちの漢の高祖)が軍をひきいて陳留の郊外を攻略したとき、沛公の旗本の騎士で、たまたま酈生と同じ村の青年がいた。その青年に会って酈生は言った。「おまえが沛公にお目通りしたらこのように申しあげろ。臣の村に、酈生という者がおります。年は六十あまり、身のたけ八尺、人びとはみな彼を狂生と呼んでいますが、彼みずからは、わたしは狂生ではないと、申しております、と。」騎士は酈生におしえられたとおりに言った。沛公は高陽の宿舎まで来て、使を出して酈生を招いた。酈生が来て、入って謁見すると、沛公はちょうど、床几に足を投げ出して坐り、二人の女に足を洗わせていたが、そのままで酈生と面会した。酈生は部屋に入り、両手を組み合わせて会釈しただけで、ひざまずく拝礼はしなかった。そして言った。「足下は秦を助けて諸侯を攻めようとされるのか。それとも、諸侯をひきいて秦を破ろうとされるのか。」沛公は罵って言った。「小僧め。そもそも天下の者がみな、秦のために長い間くるしめられた。だから諸侯が連合して秦を攻めている。それにどうして、秦を助けて諸侯を攻めるなどと申すのか。」酈生は言った。「徒党をあつめ、義兵をあわせて、必ず無道の秦を課しょうとされるなら、足を投げ出したまま年長者に面会するのはよろしくありません。」沛公は足を洗うのをやめ、起ち上って着物をつくろい、酈生を上座にまねいて、あやまった。酈生はそこでむかし戦国時代に、列国が南北または東西に結んで、強国に対抗したり同盟したりした、いわゆる六国の合縦連衡の話をした。沛公は喜び鄭生に食をたまい、「では、どうした計略をたてるのか」ときいた。酈生は、強い秦をうちやぶるには、まず、天下の要害であり、交通の要処である保留を攻略すべきであると進言し、先導してそこを降伏させた。沛公は、酈生に広野君という号を与えた。酈生は遊説の士となり、馳せまわって諸侯の国に使した。漢の三年に、漢王(沛公)は酈生をつかわして斉王の田広に説かせ、酈生は、車の横木にもたれて安坐しながら、斉の七十余城を降服させた。酈生がはじめて沛公に謁見した時のことは、次のようにも伝わっている。酈生が会いに来たとき、沛公はちょうど足を洗っていたが、取次にきた門番に「どんな男か」とたずねた。「一見したところ、儒者のような身なりをしております」と門番がこたえた。沛公は言った。「おれはいま天下を相手に仕事をしているのだ。儒者などに会う暇はない。」門番が出ていって、その旨をつたえると、酈生は目をいからし、剣の柄に手をかけ、門番をどなりつけた。「おれは高陽の酒徒だ。儒者などではない。」門番は腰をぬかして沛公に報告した。「客は天下の壮士です。」かくして酈生は沛公に謁見することができた。○草中 草がぼうぼうと等見た野原の中。民間、在野。○長揖 両手を前でくみあわせて上から下へ腹の辺までさげる。敬礼の一種であるが、王に対する最敬礼でなく、軽い会釈にすぎない。○山東隆準公 のちに漢の高祖となる沛公すなわち劉邦をさす。沛の豊邑(いまの江蘇省豊県)の人である。豊県は、山東省にちかい。「史記」の高祖本紀に、高祖は生れつき「隆準にして竜顔」とある。隆は高い。準は、音がセツ、鼻柱のこと、隆準公は、鼻の高いおやじさん。
高適の詩(2)塞上聞吹笛  田家春望 参照


入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
門を入って最敬礼をしないのである、そして雄弁にまくしたてた。沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。
 身体をかがめ、手のあたりまで頭をさげる、おじぎ。○ 走らせる。雄弁に語ることの意。〇両女輯洗来趨風 沛公の足を洗っていた二人の女は、あっけにとられて洗うのをやめ、あわてて沛公のきげんをとったのだ。。○趨風 風のように走りまわる。


東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
酈生は東方に下って行った、そしてその雄弁でもって斉の七十二城をおとした。また、楚と漢の両軍を指揮して、空をとびまわるヨモギの穂を丸めるようにしてしまったのだ。
東下斉城七十二 漢王(沛公)の三年の秋、楚の項羽は漢を撃って賛陽(河南)を攻め落した。漢の軍は退却して河南の肇県と洛陽の間に立てこもった。一方、沛公の部将である韓信が、東の方で斉の国を攻めていた。酈生はこのとき、沛公に進言し、斉を漢の東方の同盟国とするために斉王の田広を説得する案を出した。沛公は同意した。酈生は斉におもむき、田広に会って言った。「王は、天下の帰一するところを知っておられますか」「知らぬ」「王が天下の帰一するところを知っておられるなら、斉の国をたもてましょうが、もし知っておられないなら、斉の国はたもてないでしょう」「天下はどこに帰一するだろうか」「漢王に帰一しましょう」「どういう根拠で、そう言うのか。」酈生はそこで、雄弁をふるって天下の形勢を論じ、楚の項王の不徳をのべ、漢の沛公の人徳をのぺ、「後れて漢に帰服する国が先ず亡びましょう。王がはやく漢王に降服されるなら、斉の国はたもてましょうが、もし漢に降らなければ、たちまち危険滅亡がやって来ましょう」とまくしたてた。田広は酈生のことばを信じ、斉の七十二城をあけわたした。韓信はそれをきくと、軍隊を動かして斉を掌った。漢軍の来襲をきいた斉玉田広は、だまされたと知り、酈生に向い、「汝が漢軍の侵入をとめたら、わしは汝を生かしておくが、さもなければ、汝を煮殺してしまうぞ」と言った。野生「大事業をなす者は、細かい事はどうでもよい。わたしは、おまえごときのために前言を変えはせぬ。」斉王はついに、酈生を煮殺し、兵をひきいて東方に逃げた。「史記」酈生陸質列伝。○旋蓬 風にふかれて飛びまわるヨモギの穂
 
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
独りよがりの頑固者と呼ばれ、おちぶれていた者でも、なお、こういった仕事ができたのだ。まして、血気さかんな志士であったなら、むらがる英雄の前にのり出そうとするのも当たり前のことであろう。
狂客 きちがい扱いにされた余計者。一つのことに夢中になって他の意見を取り入れない頑固者。杜甫も狂夫とつかう。○落魄おちぶれる。「史記」弥生の伝に「家貧にして落塊、以て衣食の業を為す無し」とあるのを用いた。


我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
わたしは、竜のうろこをつかみ、よじのぼって、賢明な君主にお目通りしたいと思っていたが、カミナリ公が、がらごろごろと天の太鼓をうちならしてあわせてくれないのだ。
攣竜 竜のうろこにすがる。君主の知遇を得ること。○明主 賢明な君主。玄宗をさす。○砰訇 大きな音。○天鼓 かみなり。星の名前。天から鼓が降った夢を見て身ごもった母から生まれた少年「天鼓」は、本当に天から降った鼓を打って妙なる音を響かせた。話を聞いた帝に鼓を召されることになったので、惜しんで山に隠れ、見つけられて川に沈められたが、鼓は鳴りやまなかった。父が呼ばれて打つと鼓は鳴り、川辺で管弦講によって弔うと天鼓の霊が現れて舞を舞うという。宇宙は大きく、空は澄み渡り、心も澄み渡る。清らかな世界という意味。

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梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295

梁甫吟 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -295


梁甫吟
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。

すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。

#2
君不見 高陽酒徒起草中。 長揖山東隆准公。
入門不拜騁雄辯。 兩女輟洗來趨風。
東下齊城七十二。 指揮楚漢如旋蓬。
狂客落魄尚如此。何況壯士當群雄。
我欲攀龍見明主。雷公砰訇震天鼓。

#3
帝旁投壺多玉女。三時大笑開電光。
倏爍晦冥起風雨。閶闔九門不可通。
以額叩關閽者怒。白日不照吾精誠。
杞國無事憂天傾。貕貐磨牙競人肉。
騶虞不折生草莖。手接飛猱搏雕虎。

#4
側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。
世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。
齊相殺之費二桃。吳楚弄兵無劇孟。
亞夫咍爾為徒勞。梁甫吟。聲正悲。
張公兩龍劍。 神物合有時。
風云感會起屠釣。大人嶬屼當安之。


梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。

#2
君見ずや高陽の酒徒 草中に起り、山東の隆準公に長揖せるを。
門に入りて拝せず 雄弁を騁すれば、両女洗うことを輟めて 来って風に趨る。
東のかた斉城七十二を下す、楚漢を指揮して旋蓬の如し。
狂客落魄するも 尚お此の如し、何ぞ況んや壮士の群雄に当るをや。
我竜に攀じて明主に見えんと欲す、雷公の砰訇(ほうこう) 天鼓を震う。
#3
帝の旁に授壷して 玉女多し、三時大笑して 電光を開く。
倏燦(しゅくしゃく) 晦冥(かいめい) 風雨を起す、
閶闔(しょうこう)の九門 通ず可からず。
額を以て関を叩けば 閽者怒る、白日吾が精誠を照らさず。
杞国無事にして 天の傾くを憂う、喫給は牙を磨いて 人肉を競い。
騶虞(すうぐ)は折らず 生草の茎、手は飛猿に接して 雕虎を持ち。

#4
足を焦原に側だてて 未だ苦を言わず、智者は巻く可く愚者は豪なり。
世人我を見ること鴻毛よりも軽し、力は南山を排す三壮士。
斉相 之を殺すに二桃を費す、呉楚兵を弄して劇孟無し。
亜夫 咍爾としで徒労と為す。梁甫吟  声正に悲し。
張公の両竜剣、神物 合するに時有り。
風雲感会 屠釣を起す、大人嶬屼たらは当に之を安んずべし。
韓愈の地図00
 

現代語訳と訳註
(本文)
#1
長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。


(下し文) 梁甫吟#1
長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。
君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。
寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。
広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。
大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。


(現代語訳)
梁甫山
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。


nat0026
(訳注)
○梁甫吟
 楽府の古い題の一つ。梁甫は、梁父とも書き、むかしの斉の国、いまの山東省の、泰山のふもとにある、570mの小さな山の名である。そこは、古代の迷信では、死者のたましいの帰る場所とされていた。「梁甫吟」はもともと、葬いの歌であったという。また、骨子(孔子の弟子)の作ったものであるという。骨子が泰山のふもとに耕していたところ、天が大雪をふらし、凍ること旬日、帰ることができず、その父母を思って、巣山歌を作ったと、「琴挽」という本に見える、それが「梁甫吟」の起源であるという。現在「楽府詩集」に収められている一首は、「三国志」の立役者である諸葛亮(孔明)の作と伝えられている。それは次の歌である。
諸葛亮(孔明)「梁甫吟」
歩出斉城門  遥望蕩陰里
里中有三墳  塁塁正相似
問是誰家墓  田疆古冶子
力能排南山  文能絶地紀
一朝被讒言  二桃殺三士
誰能為此謀  国相斉晏子
下し文
歩して斉の城門を出で  遥に蕩陰の里を望む 
里中に三墳有り  塁塁として正に相似たり
問う是れ誰が家の墓ぞ  田疆古冶氏
力を能く南山を排し  文を能く地紀を絶つ
一朝 讒言を被りて  二桃 三士を殺す
誰か能く此の謀を為せる  国相斉の晏子なり

現代訳
梁甫の歌;
斉の城門を歩いて出て、遠くに蕩陰(地名)の村を眺めるとそこにお墓が三基ある 並んで立っていて、よく似ていた。
これはどちらのお墓ですかと聞いてみた。
これが有名な公孫接・田開彊・古冶子のお墓です。
三人は南山を動かすほど力が強く、大地の四隅を繋ぐ紐を切るほど学問もできる人たちでした
ところが、ひとたび、讒言を言われ、二つの桃でもって三人を殺してしまった。
誰がこんなはかりごとをしたのですか? それは斉の宰相の晏嬰です

これは、詭計をもちいて人を殺した、斉の量子の故事をうたったものである。「力排南山三壯士。齊相殺之費二桃」参照。李白のこの詩は、その故事をふくみつつ、主題を少しかえ、不遇の志士の時機到来を待つ気持をうたいあげる。


長嘯梁甫吟。 何時見陽春。
(長嘯す梁甫吟。何れの時か陽春を見ん。)
大声を発してながく、ながく吟じてみる、梁甫吟をうたっては時機の到来を待つのだ。いつになれば、うららかな春を見ることがあるのか。
長哺 長く、すみきった声を出して詩歌を吟じる。○陽春 陽気のみちみちた春。春という季節は、万物をはぐくみ育てる、それにも似た君主の慈愛恩恵を、暗に意味する。「楚辞」の「九弁」に、「恐らくは慈死して陽春を見るを碍ざらん」(恐らくは忽ち死んで春を見られねであろう)という句が、君主から放逐されて絶望の意中を述べたところに見える。

君不見朝歌屠叟辭棘津、八十西來釣渭濱。
(君見ずや 朝歌の屠叟 棘津を辞し、八十にして西に来って渭浜に釣す。)
君は知っているだろう。朝歌の牛殺しのおじいさん(太公望)が、棘津の地にわかれをつげ、八十歳の時、西方にきて、渭水のほとりで釣りをしていて文王と出会ったのをたことを。 
朝歌屠叟 朝歌は地名。大むかし、殷の時代のみやこ、河南省にあった。屠叟は、屠牛(牛殺し)のじいさん。朝歌の牛殺しのじじいとは、周の太公望、呂尚のことである。伝説によると、かれはかつて朝歌において牛殺しをしていたことがあり、棘津(河南省延津県)においては行商人をしていたし、橎渓(いまの駅西省宝鶏県の東南にあり、源は南山から出、北に流れて渭水に入る)では魚を釣っていた。八十歳のときに、はじめて周の文王に出遇った。文王は立ちどころにその人物を見抜き、この人こそ自分の父の大公が、かねがね望んでいた軍師である、だから太公望と呼ぶといって連れて帰り、非常に重くかれを用いた。かれは、文王の子の武王をたすけて駿を討ち、天下を定め、斉の国の始祖となった。○渭浜渭水のほとり。


寧羞白發照淥水。逢時壯氣思經綸。
(寧んぞ羞じんや 白髪の淥水を照らすを、時に逢い気を壮にして 經綸を思う。)
白髪が緑の清らかな水に映るようになっていることを、どうして恥じる必要があろう。時節の到来にあたれば、意気さかんに、天下をおさめ人民をすくう方策をいかしていくのだ。
壮気 意気さかんに。○経論 天下をおさめ人民をすくう方策。


廣張三千六百鉤。 風期暗與文王親。
(広く張る三千六百鉤、風期 暗に文王と親しむ。)

十年もの長い問、毎日毎日、釣り糸をたらした。しらず、しらず、その風格が文王と親しむべきようになっていた。
三千六百鉤 鉤はつりばり。一年は三百六十日、十年で三千六百日っ毎日表を垂れると、十年で三千六百鈎となる。太公望は八十歳のときから洞水のほとりで釣りをし、九十歳のときに文王に遇った、その間の十年間(一説では、七十から八十までの間)釣りをしていたことをさす。また、清の沈徳潜の説では、三千六百鈎は、天下をことごとく釣ることで、文王を釣り出したという意味に解する。○風期風塵、または、風采に同じ。人品。びとがら。○ しらぬうちに。しらず、しらず。○文王 文王(未詳- 紀元前1152年-紀元前1056年 寿命 97才)は、中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父季歴と母太任の子。周王朝の創始者である武王の父にあたる。文王は商に仕えて、三公(特に重要な三人の諸侯)の地位にあり、父である季歴の死後に周の地を受け継ぎ、岐山のふもとより本拠地を灃河(渭河の支流である。湖南省の澧水とは字が異なる。)の西岸の豊邑(正しくは豐邑。後の長安の近く)に移し、仁政を行ってこの地を豊かにしていた。


大賢虎變愚不測。 當年頗似尋常人。
(大賢は虎変して愚は測らず、当年頗る似たり尋常の人に。)
すぐれた人物は、期の到来で虎の毛並のもようが見事に変るように、あざやかな変化をするものだ、愚か者には予想もできはしない。はじめは、世間のふつうの人といささか似ているというものであったのだ。
虎変 「易経」に「大人虎変」とあるのに基づく。虎の毛皮のもようの鮮やかなように、非凡な大人物は、あざやかに変化する。「君子豹変」も出典は同じく、現在使われるような惑い意味ではなく、本来は、君子が過を改めて善にうつることの際立って著しいことを意味する。「大人」というのは「君子」よりも、一枚上の人物。○当年 当時。○頗似 いささか似ている。頻はいささか。(顔は少であり甚ではない。)○尋常 ふつう。なみ。

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贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289

贈從弟南平太守之遙二首 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -289


贈從弟南平太守之遙二首
( 太白自注:南平時因飲酒過度。貶武陵。)

其一 #1
少年不得意。 落魄無安居。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。

天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
#2
彤庭左右呼萬歲。拜賀明主收沉淪。
翰林秉筆回英眄。麟閣崢嶸誰可見。
承恩初入銀台門。著書獨在金鑾殿。
龍駒雕鐙白玉鞍。象床綺席黃金盤。
當時笑我微賤者。卻來請謁為交歡。
#3
一朝謝病游江海。 疇昔相知几人在。
前門長揖後門關。 今日結交明日改。
愛君山岳心不移。 隨君云霧迷所為。
夢得池塘生春草。 使我長價登樓詩。
別後遙傳臨海作。 可見羊何共和之。
#1
從弟の南平の太守之遙に贈る二首 其の一
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

#2
彤庭(とうてい)に左右 万歳を呼ばひ、拝賀す 明主の沈淪(ち んりん)を收むるを。
翰林 筆を秉(と)って 英眄(えいべん)を回(めぐ)らし、麟閣 崢嶸(そうこう) たり誰か見るべき。
恩を承(う)けて初めて 入る銀台門、0書を著してひとり金鑾殿にあり。
寵鉤(ちょうこう) 雕鐙(ちょうとう)  白玉の鞍 賜った名馬には玉を刻んだあぶみや白玉の鞍をおかせ、象牀(ぞうしょう) 綺 席 黄金の盤
当時わが微賤なるを笑ひし者、かへって来って謁を請うて交歓をなす。
#3
一朝病を謝(つ)げて江海に遊べば、疇昔(ちゅうしゃく)の相知 幾人か在る。
前門には長揖(ちょうゆう)して後門は関 (とざ)す、 今日 交りを結んで明日は改まる。
君を愛するは山岳 心 移さず。君に隨うは云霧 為す所を迷う。
夢 池塘を得 春草生える。我 長價に使う 登樓の詩。
別後 遙に傳う 臨海と作す。 可見 羊 何ぞ 共に之を和す。

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#4

其二
東平與南平。 今古兩步兵。
素心愛美酒。 不是顧專城。
謫官桃源去。 尋花几處行。
秦人如舊識。 出戶笑相迎。

東平と南平。 今は古(いにしえ) 兩の步兵。
素心 美酒を愛し。 是 專城を顧ず。
謫官 桃源を去り。花を尋ねて 几そ處行す。
秦人 舊きを識るが如し。 出戶 笑って相い迎う。


贈從弟南平太守之遙二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)#1
少年不得意。 落魄無安居。
愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
漢家天子馳駟馬。赤車蜀道迎相如。
天門九重謁聖人。龍顏一解四海春。


(下し文)
少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
愿みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。
天門 九重(きゅうちょう) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。

(現代語訳)
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。


(訳注) 其一 #1
少年不得意、落魄無安居。

少年 意を得ず、魄 落く 安ぞ居む無し。
成年は意識を得ない、落ちぶれた魂は安らかに落ち着くとこもない。
 1 人の肉体に宿り、活力を生み出すもの。たましい。「気魄・魂魄」 2 月のかげの部分。「生魄」 3 落ちぶれる。「落魄」 .


愿隨任公子。 欲釣吞舟魚。
愿(つつし)みて 任公子に隨う。吞みて舟に魚を釣んうと欲す。
したがって私は、謹んで、会稽山の釣り人任公子に従っていく、酒を飲んで船に乗って魚を釣り上げようと思う。
 つつしむ。誠実である。○任公子 子明は会稽山の山頂から沖に届くくらいの竿を作り、餌も去勢牛五十頭ほど用意し、一年かけて釣り上げた。それを村人に食べ物を配った。『荘子』任公子にある。


常時飲酒逐風景。壯心遂與功名疏。
常時 飲酒 風景 逐。壯心 與に遂う 功名疏(うと)んず。
いつもながら、酒を飲んで風流に景色を追うのである、意気盛んな心はともに追い求めこの名をはせて流されるのである。
壯心 雄々しき心。意気盛んな心。


蘭生谷底人不鋤。云在高山空卷舒。
蘭 谷底に生え 人鋤えず。云 高山に在る 空しく舒を卷く。
蘭の花が谷の底の方に生えていると人は鋤とることはできない、雲が高い山にかかって、むなしく巻いたりのばしたりして広がっているのだ。
○卷舒 巻いたりのばしたりすること。広げることとしまうこと。


漢家天子馳駟馬、赤軍蜀道迎相如。
(漢家の天子  駟馬(しば)を馳せ、赤軍もて蜀道に相如 (しょうじょ)を迎ふ。)
唐王朝の天子は4頭立ての馬車で夜明けに出発した、南方を守る軍隊は蜀へ通じる道に司馬相如の様な賢臣がお迎えをしている。
○天子 玄宗のことをたとえる。○駟馬 四頭立ての馬車。○赤軍 南方へ向かう軍隊。○相如 蜀出身の詩人司馬相如。李白のこと。


天門九重謁聖人、龍顏一解四海春。
天門 九重(キュウチョウ) 聖人に謁し、龍顔 一たび解くれば四海 春なり。
天へと続く門は九つの門で守られ聖天子に拝謁できるのである、本来の天子のお顔をひとたび拝見したならその放たれる佳気で世界は春を迎えた気分になるものである。
龍顏 龍の顔というのは想像上の動物であるが、同時に仙界と王朝を示すものであり、皇帝の顔を示す。○九重 天子の門は九。○聖人 聖天子 

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猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279

猛虎行 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -279
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その4回目

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』 旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。 一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。 朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。 暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。 有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。 有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。 三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。

猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。
五重塔(2)
 


猛虎行#4 現代語訳と訳註
(本文) #4

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

(下し文) #4
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。


(現代語訳)
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。


(訳注)
#4
 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
溧陽の酒楼 三月の春、楊花 茫茫 人を愁殺せしむ。
いま、溧陽の酒場で三月春たけなわのころである。いつもなら柳や、春の花が咲き乱れているのに叛乱軍により人を殺しているので愁えで茫茫としたけしきになっている。
溧陽 現在江蘇省常州市に位置する県級市。  三月春 三月は春の終わり、科挙試験、地方においても試験が終わり合格者は貴族の庭に自由に出入りし、祝ってもらえる。長安の貴族の庭には牡丹、梨の花が咲き乱れ、柳絮が飛び交っていた。叛乱軍は略奪、強奪を残虐にしていた。


胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
胡の雛 緑の眼 玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)梁の塵を飛ばす。

叛乱軍には異民族の緑眼の胡人の野郎が異国の玉笛を吹いているのだ、白紵曲の呉歌の声は高く上がり、ここにいる叛乱軍を塵のようにふっ飛ばすのである。
胡雛 当時の漢人が異民族に対する蔑視の表現であり、「胡のくそガキ」という意味である。○呉歌の白紵(はくちょ) 李白「白紵辞」李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞  晋の時代、呉の地方に白紵の舞というのが起った。白紵というのは、麻の着物の美白なもの。それを着て舞い、その舞の歌を白紵辞と言った。
○梁塵 溧陽の地は梁の国の中心であった。その地にいた叛乱軍、異民族の兵士を示す。


丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
丈夫相い見え 且く楽しみを為せ、牛を槌ち 鼓を樋きて 衆賓を会す。
私と張旭二人、こうして会っているのは久しぶりのことでとても楽しいものだ、牛を殺して料理をし、太鼓をうちならし音高く、みんな大勢であつまってこの会を大いに楽しむのである。
丈夫 張旭のこと。○相見 二人があっていること ○且為楽 久しぶりのことでとても楽しいもの。○槌牛 牛を殺して料理をする。○撾鼓 太鼓をうちならし音高くするさま。 ○会衆賓 州知事や地元の文人などがみんなで集まることを言う。


我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。
我 此より去って東海に釣りせん、魚を得ば 笑って寄せて情 相親しまん。
自分は別れてから東海に行って釣りをして隠者の生活をしよう。魚が釣れたら、こんなものが釣れたと笑いつつ送ってよこし、互いの友情を温めようではないか。
釣東海 「東海に釣りをする」は、『荘子』「外物」篇に、任公子が、大きな釣針で牛五十頭を餌にして、会稽山でうずくまり東海に糸を投じたという寓話にもとづくものである。○得魚笑寄 風流人、隠者の楽しみの表現である。


 張旭とは長安時代の飲み仲間である。気心知れている友人である。モれに対しては思う気持ちを偽りなく打ち明けられる。おそらくこのときは、剣中まで行って隠遁でもするつもりではなかったろうか。自分は「策がある」が認められないし、今や安禄山の乱まで起きて大混乱の世である。前途に対する希望は失いかけていたにちがいない。


 深陽から剣中に向かってゆくが、どの道を通ったか分からない。この地方は、かつての呉・越の地である。長安を追放されて以後、詐梁を中心に各地に遊び、南はこの地を通り、会稽方面まで行っている。あるいはそれより前、長安に入る以前にも、この呉・越の地を遍歴していると思われる。この地に関係する詩に、『唐詩選』にも収められている有名な「蘇台にて古えを覧る」と[越中にて古えを覧る]がある。同時期の作でないかもしれないが、亡国の悲しみを歌うところを見ると、安禄山の乱後、乱を避けて刻中に行く途中、呉・越の地を通りつつ、国家の危機を感じて、亡国の感慨を歌ったものではなかろうか。

李白8  蘇台覧古

李白9  越中覧古


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猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278

猛虎行 #3 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -278
「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その3回目


猛虎行
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。

#4 春、人、塵、賓、親。
溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2

頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3

#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


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現代語訳と訳註
(本文)
#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』


(下し文)
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3


(現代語訳)
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。


(訳注)#3
昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

(訳注)

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
そういうことでここ最近、旅人となって宣城にきたのだ。鈴を制止して通き交うこと二千石の酒である。


有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
そのとき六博の賭けごとに興じ快壯の気分になる。床を三回囘そして一回賽を投げろと連呼するのだ。
六博 紀元前後の漢時代を中心に戦国時代から魏晋時代に流行した2人用の盤上遊戯。 3~40cm四方の盤上で、さいころを使って各自12個の駒を進める。
 盤にはアルファベットのLやTのような記号が描かれているが、複数の種類が発見されている。 駒を進めるためにはさいころを用いるが、6本の棒状のものや18面体のものが発見されている。双六のようなレースゲームであるという説と、駒を取り合う戦争ゲームであるという説がある。多くはふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれるというもの。○繞床 床を廻る○三匝 三匝さんかいまわる 三方を囲む 、○一擲 一回賽を投げろと連呼する
梁園吟  李白42


楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
ここ宣城の楚の国の人、いつも「道」をもとめており、  張旭は興味深い好ましい人間なのだ。 心に秘めて思っていることは機会をつかんで世の中で活躍するには世の人に知られないことだ。 
○風云 機会をつかんで世の中で活躍する
 
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。
呉地方の三呉の州知事はどの地域も政治的に振り返ってじっとにらみを利かせている。中国全土においても英雄的なこと、任侠的な事、そのどちらも実行しようとしているのだ。
三吳 吳の地の吳郡・吳興・會稽をさす。○邦伯 州の長官。刺史。○盼顧 振り返ってじっと見る。 ○四海 天下。中国全土。○雄俠 英雄的な任侠の人を言う。


蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』
漢の創業の功臣蕭何や曹参が曾て江蘇省の沛県の中の官吏であった。そこから、龍をかかげて鳳凰に附隋して時期が来たときことを成したのだ。
蕭曹 漢の創業の功臣蕭何しょうかや曹参そうしん曾て○沛中 沛公、劉邦。江蘇省の沛県の官吏であったと作す。

-----------------------------------------------------------------
李白『梁園吟』
連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて賽する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

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(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

猛虎行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -277

「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。その2回目
宮島(5)

#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
( 玉一作長 )
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。 繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。 心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。  四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。


猛虎の行 ( 此の詩、蕭士に贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』

#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫たり、人を愁殺せしむ。
胡の雛(こども )緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌(う)ち鼓を撾きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。

猛虎の行 #2 現代語訳と訳註
(本文)#2

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』

(下し文)
頗 似て楚漢の時。 翻覆して定むる止むることなし。

朝に博浪の沙を過ぎる。 暮に淮陰の市に入る。
張良 未だ韓信の貧しきに遇わず。劉項存亡在兩臣。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲として 古きこと此くの如し。今時 亦た青云の士 棄る。
策 有りて 敢て龍鱗を犯さず。竄身 南國に胡塵を避く。
寶書 玉劍 高閣に挂かる。金鞍 駿馬 故人に散す。』

(現代語訳)#2
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。


(訳注)#2
頗似楚漢時。 翻覆無定止。
趙の将軍廉頗が楚との戦いで活躍したときは今の唐の時代と似ている。趙楚の戦いも形勢は変わりやすかった、攻めたり攻められたり、体制は流動的で態勢がきまったわけではない。
廉頗(れんぱ、生没年不詳)は、中国戦国時代の趙の将軍。藺相如との関係が「刎頸の交わり」として有名。○翻覆 上に向けたり、下に向けること。変わりやすいこと。


朝過博浪沙。 暮入淮陰市。
張良は朝に鉄槌を投げて暗殺未遂をした博浪沙をすぎた。夕方にはもう韓信が漂母に出会った淮陰の街に着いていた。
博浪沙 いまの河南省原陽県(陽武)。開封の近くにある。李白『經下邳圯橋懷張子房』「椎秦博浪沙」
漢の高祖(鋸鰯の参謀として漢の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。
淮陰市 韓信が人生を変えた漂母と出会った街。


張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
張良は韓信が貧しかったうちには未だであっていない.劉邦と項羽は存亡をかけた両雄が鴻門の会を結べたのは張良と韓信の存在があったからだ。
張良・韓信 張良・蕭何・韓信で漢の三傑。○劉項 秦軍を撃破した漢の劉邦、楚の項羽
鴻門の会 咸陽占領を巡る項羽と劉邦の咸陽城外での講和会議。懐王はかねて咸陽を陥落させた者を関中王とすると宣していたが、咸陽を開城させた劉邦は項羽の接近に対して関門を閉じ、一時は交戦となるところを張良・項伯の周旋で鴻門での和睦となった。会盟中、項羽の軍師の范増は劉邦暗殺を謀ったが、項伯・樊噲・張良の機転で果たせず、散会後に項羽を「豎子、ともに図るに足りず」と罵り、これが後の項羽と范増の不和の最初になったという。   

暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。
張良は暫くして下邳では黄石公に平方の戦略を習って倒すことができたのである。韓信は川で漂泊をしているおばあさんに御馳走になりこれを主人とすることで立派な人として抜擢されたのだ。
○この聯は 注釈を参照。
經下邳圯橋懷張子房 李白-272

扶風豪士歌 安史の乱と李白(3215

淮陰書懷寄王宗成李白350-199

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
張良という賢人と韓信という哲人でさえあくせくしていたのも昔のことであるがここにいる、私と張旭の二人があくせくするのも当たり前だろう。今、こんな時世であるから、もう若い時に描いていた、天下国家を動かそうなんていう青雲の志い詩を持った指導者なんていらないのだろう。
○賢【賢哲】 (名・形動) [文]ナリ [1]賢人と哲人。[2]賢明で道理に通じていること。
棲棲 いそがしいさま。落ち着かないさま。あくせくする。○青云士
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 李白-217-2

古風五十九首 其四十 李白198


有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
策略はいくらでもあるだから無理をして粛宗の龍と永王の鱗をどちらかということ時期ではないはずなのだ。自分らは張良のように身を竄して、湖南や浙江の南國に叛乱軍を避け、情勢をよく見ることにしていよう。
龍鱗 下句の胡塵が対句であるから、ここでは、唐王朝、天子を指す。李白は、玄宗から追放を受けた訳で、龍:玄宗と鱗:粛宗ともいえるが、のち、永王鄰の軍に参加することを考えると、兄弟仲があまり良くなかった:粛宗で、:永王璘というのが妥当であろうと思う。




寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』
今、叛乱軍によって、翰林院の大切な宝のような書物、受け継がれてきた輝く宝飾で飾られた剣、それらの価値のわからない奴ら間、高閣にただ置かれているだけで生かし切ることができないのだ。貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍つけて、優れて走り抜ける馬に乗っていた長安時代の友人、官僚の友人たちは今はもういないのだ。
寶書 翰林院の大切な宝のような書物。○挂高閣 朝廷内の高閣に置いている。それを生かし切ることができないことをいう。金鞍 貴族以上の身分のものが付ける馬の鞍。 ○駿馬 優れて走り抜ける馬。 ○故人 長安時代の友人、官僚の友人をいう。




○張子房 張良のこと。子房はそのあざな。漢の高祖(鋸鰯の参謀として漠の帝国樹立に功績があり、斎何、韓信とともに、創業の表といわれている。のち、大名に封ぜられ、留侯と呼ばれた。張良の先祖は韓の人で、祖父も父も韓国の宰相をつとめた。秦が韓を滅ぼした時、張良はまだ少年であったが、家財を投げ出して晴箸を求め、秦の始皇帝を警うと決意した。

家柄からして、韓のために仇を報いざるを得なかったのである。かれは捨海君という異民族の夏に力の強い男を芸してもらい、大きな鉄のハンマーをつくり、案の始皇帝が博浪汐という所に行幸したのを狙撃させた。狙いは外れて予備の車にあたった。始皇帝は大いに怒った。天下に犯人をもとめ、捜索は非常にきびしかった。張良は変名して下警身をかくしていた。ある日のこと、張良がぶらぶら散歩して下邸の土橋にさしかかると、一人のじいさんがそまつな着物をきて張良のそばに寄ってきた。

いきなり、自分の靴を橋の下におとし、張良の顔をみて言った。「小僧、おりで靴を警て来い」張良はびっくりした。殴ってやろうかと思ったが、年よりだから、がまんして→りてゆき靴を拾った。じいさんは言った。「わしにはかせろ」張良は是や靴を拾った以上仕方がない。誓まずいて、はかせてやった。じいさんは足で受け、笑って立ち去った。張良があっけにとられて後姿を見送っていると、しばらくして引きかえしてきたじいさんが言った。

「小僧、警がいのある奴だ。音のち、明け方にわしと此所で会晋」張良は怪しみながらも「はい」と答えた。音たって夜明けに張良が行くと、じいさんは先に来ている。そして怒って言う。「老人と約束七で遅れるとは何事だー・」去りながら言った。「音のち、朝早く会おう」こんどは妄鶏がなくころ張良は行った。じいさんはやっぱ。先に来ていた。また怒って言う。「おくれるとは何事だー三富のち、もっと早く来い」張良、こんどこそはと、夜中にもならないうちに行った。しばらくするとじいさんがやってきて、はじめてニ…コした。「こうこなくちゃいかん」-警書を菅出して言った。「これを読めば、王者の師となれる。十年のち、出掌る。

十三年のち、小僧はわしを済北の穀城山のふきに見つけるであろう、黄石がつま。わしなんだ」言い至ると、さっと姿晶した。夜が明けてその書をよく見ると、太公望の兵書であった。張良はふしぎに思い、いつ登れを詞読した。

やがて高祖が兵をあげる主柄豊てたが、十三年のち、高祖に従って済北を過ぎたとき、張良ははたして黄色
の石を見つけたので、警できてそれをまつったということであった。



淮陰書懷寄王宗成 李白
暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。』
日暮れに淮陰に着き、宿をとることができました。幸いにも韓信の故事の 漂母のような方が迎えてくれたのです
○漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

予為楚壯士。 不是魯諸生。
私は楚の雄壮な武士であります、けっして魯の孔子の里の儒家思想の人間ではないのです。
○楚壯士 楚の国は勇壮な武士をたくさん出している。○魯諸生 山東省魯の孔子の里。

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首
飢從漂母食。閑綴羽陵簡。
●后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。
●漂母 韓 信(かん しん、生未詳 - 紀元前196年)は、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。こんな有様であったため、淮陰の者はみな韓信を見下していた。とある亭長の家に居候していたが、嫌気がした亭長とその妻は韓信に食事を出さなくなった。いよいよ当てのなくなった韓信は、数日間何も食べないで放浪し、見かねた老女に数十日間食事を恵まれる有様であった。韓信はその老女に「必ず厚く御礼をする」と言ったが、老女は「あんたが可哀想だからしてあげただけのこと。御礼なんて望んでいない」といわれた。老女が真綿を晒す老女であったことから、漂母という。
●丹徒の布衣者と一斛いっこくの檳榔びんろう
 劉 穆之(りゅう ぼくし、360年 - 417年)は、中国五胡十六国時代の東晋末期に劉裕(宋の武帝)に仕えた政治家のことさす。若く貧しかった頃は、妻の兄である江氏の家に食事を乞いに行っては、しばしば辱められ、妻にも行くのを止められたが、これを恥としなかった。後に劉穆之は江氏の祝いの宴会に赴き、食後の消化に檳榔を求めたが、江氏の兄弟に「いつも腹を空かしているのにそんなものがいるのか」とからかわれた。妻は髪を切った金で兄弟に代わり劉穆之に食事を出したが、これ以後、劉穆之の身繕いをしなくなった。後に劉穆之は丹陽尹となると、妻の兄弟を呼び寄せようとした。妻が泣いて劉穆之に謝ると、劉穆之は「もともと怨んでもいないのだから、心配することもない」といい、食事で満腹になると金の盆に盛った1斛の檳榔を彼らに進めたという。

唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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猛虎行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276

猛虎行 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -276
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猛虎行-張旭と飲む

「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない。」
張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。ぞく叛乱軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。

洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たる賊軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき賊軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、横暴な振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。

凡そ生死の場に損入する遊侠者の悪い部面として賭博行為がつきまとう.したがって司馬遷が遊侠者の性格を述べるに当り,正義に外れる場合のあり得る事を前提とした意中にはこのような行為も入るわけである.
李白「梁園吟」には組分けして滑を賭け遊び暮したことが彼の実際経験としで述べられているが,より切実感を盛った描写としては「猛虎行」がある.これは楽府体の詩であるが辞中の言菜では,溧陽で張旭に留別するに際し作ったものとされている.この中には  李白が安禄山の乱を避けて宣城に至り,この地の太守と親交があったことを語り,また時には自ら  六博をなして賭博的享楽中にその壮心を慰めた様子も詠われている.李白がこのような放浪の旅をしきりに痛快にできたのは,尋常一様の士として、過去の作品の軌を異にするものである.詩の注釈に蕭士賛はこの詩を李白のではないと凝っている。

李白の詩は、論理の流れが滑らかで、使われている語が幾様にも掛けことばとされている。それでいても論理の錯誤はない。立て板に水が流れるような詩であることが一番で、押韻のために無駄な語を使用しない。 しかし、この詩は一貫性がない。論理性もしっかりしていない。この詩は倫理的でないことに尽きる。
だからといって李白のものではないとは言えない。いや、李白の詩、全体的な作品から見て、もう一つの大きな時期的なもの、政情不安、治安も不安な時期であったことが、この詩にさせたものであるようにおもえるのである。
儒教的な視点で李白の詩は語れない。遊侠的実践を好ましくないものとして位置づけ、遊侠・任侠は不正義につながるという儒教者の教条主義的な見方では理解できないのかもしれない。

蕭士賛は論理が通っていない偽物といい
「猛虎行」蕭士賛曰,按此詩似非太自之作,用事既無倫理.徒爾辟鴬狂誕之辞,首尾不相應,詠絡不相貫串 語意斐率.悲欺失拠,必是他人詩,竄入集中,歳久難別. 
王琦は時期的に合致、飲んだ席でのことであり、本物という。
李太白文集韓註巻六 「猛虎行」琦夜是詩当天宝十五載之春,太白与張旭相遇於溧陽,而太白又将遨遊東越,与張旭宴別而作也. 


「函谷関が堅固であることが天子のいる長安を支えることになるし、天下の運命は潼関を守る総司令官の哥舒翰にかかっている。ところが、長き仗を持った唐の軍隊三十万もおりながら、戦い敗れて、関門を開いて賊軍安禄山を潼関より入れてしまった。情けないことだ。一挙に長安は占領され、役にたたぬ公卿たちは犬羊のごとく追いまわされ、なすところを知らず。忠義の者は塩辛や塩漬けにされてしまった。賊軍の横暴略奪は悲惨を極めた」と、当時の乱離の様を追憶している。杜甫もしきりに安禄山の乱を歌い、その悲惨さを多く歌っているが、詩人ならずとも、当時の人々に特に衝撃は大きかった。
李商隠

「行次西郊作一百韻」について李商隠の詩150 -147はじめに

李商隠 148 北徵と行次西郊作一百韻について

行次西郊作 一百韻 李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集150-149

「猛虎行」は李白が溧陽(江蘇省常州市の南に位置する西湖の西端から50km位西に行ったあたり)にいるとき作った詩である。
この地で草書の名人張旭(杜甫「飲中人仙歌」にも出る)と遇って、酒を飲んで歓を尽くし、別れに際して作ったもので、亡国の感慨を歌ったものである。
4回に分けて掲載。

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
#1 吟、琴/道、倒、草、城、寧。

朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

#2 時、止、市/貧、臣、人/此、士/鱗、人』

頗似楚漢時。 翻覆無定止。
朝過博浪沙。 暮入淮陰市。』
張良未遇韓信貧。劉項存亡在兩臣。
暫到下邳受兵略。來投漂母作主人。」
賢哲棲棲古如此。今時亦棄青云士。
有策不敢犯龍鱗。竄身南國避胡塵。
寶書玉劍挂高閣。金鞍駿馬散故人。』 ( 玉一作長 )

#3 客。石。擲。/ 奇。知。隨。

昨日方為宣城客。制鈴交通二千石。
有時六博快壯心。繞床三匝呼一擲。
楚人每道張旭奇。心藏風云世莫知。
三吳邦伯皆顧盼。四海雄俠兩追隨。 ( 皆一作多 )
蕭曹曾作沛中吏。攀龍附鳳當有時。』

#4 春、人、塵、賓、親。

溧陽酒樓三月春。楊花茫茫愁殺人。
胡雛綠眼吹玉笛。吳歌白紵飛梁塵。
丈夫相見且為樂。槌牛撾鼓會眾賓。
我從此去釣東海。得魚笑寄情相親。

猛虎の行 (注 此の詩、蕭士贇に云う、是れ偽作。 )
#1
朝に 猛虎の行を作す、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』
#2
頗 似て楚漢の時。 翻 覆て定むる止るることなし。
朝 博 浪沙を過ぎ。 暮 淮陰の市に入る。
張良 未だ 韓信の貧に遇わず。劉項 存亡すること兩に臣在る。
暫く 下邳にて 兵略 受けて到る。來りて 漂母 主人と作して投ざるる。
賢哲 棲棲 古きこと此の如し。今時 亦 青云の士棄る。
策 有り 敢て龍鱗を犯さず。身を竄して 南國に 胡塵を避ける。
寶書 玉劍 高閣に挂る。金鞍 駿馬 故人は散る。』
#3
昨日 方に宣城の客と為し。制鈴 交通 二千石。
有時 六博 快壯の心。 床を繞らし 三匝 一擲を呼ぶ。
楚人 每道 張旭は奇なり。 心藏 風云 世に知る莫れ。
三吳 邦伯 皆盼を顧る。  四海 雄俠 兩に追隨す。 ( 皆一作多 )
蕭曹 曾て沛中の吏と作す。龍を攀げて 鳳に當に時に有りて附く。』-#3
#4
溧陽の酒楼に三月の春、楊花は茫茫れて人を愁殺せしむ。
胡の雛緑の眼にて玉笛を吹き、呉歌の白紵(はくちょ)は梁の塵を飛ばす。
丈夫相い見えば且く楽しみを為せ、牛を槌ち鼓を樋きて衆賓を会す。
我は此より去って東海に釣りせん、魚を得ば笑って寄せて情相親しまん。


杜甫乱前後の図003鳳翔渭水は秦州から右側に流れ長安を過ぎて、潼関で黄河と合流する。合流して黄河は東流(右に)して洛陽方面から来た洛水と合流する。 


猛虎行 現代語訳と訳註
(本文) #1

猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )
朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』

(下し文)
猛虎の行  ( 此の詩、蕭士贇は云う、是れ偽作。 )
朝に 猛虎の行を作し、暮に 猛虎吟を作す。
腸斷す 關に非らずして 隴頭の水。 淚下 為さずして 雍門の琴。』
旌旗 繽紛として 兩の河道。 戰鼓 山を驚かして 傾倒せんと欲っす。
秦人 半ば作すと 燕地の囚となる。 胡馬 銜を翻して 洛陽の草。
一輸 一失 關下の兵。 朝降 夕べに叛し 幽薊の城。
巨鰲は未だ海水を動して斬らず。 魚龍は 奔走 安ぞ寧を得る。』

(現代語訳)
猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。

安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。

(訳注)
猛虎行 ( 此詩蕭士贇云是偽作 )

猛虎のうた ( 此の詩は、蕭士贇が言うに李白の作ではない偽作である。)
猛虎 安禄山の叛乱、叛乱軍の残虐で略奪をほしいままにしたことを踏まえていう。○蕭士 草書を完成させた立派な人。○ 美しい草書 ○偽作 陸機作のものの贋作ということにしてイメージを借りた。

猛虎行 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -274


朝作猛虎行。 暮作猛虎吟。
朝に猛虎の歌を作って、日暮れに猛虎の歌を吟じている。
○猛虎 自分の意に副わない敵対する側を指すもの。ここでは、反乱軍安禄山の軍が、勝手気ままな治政を行い、各地で略奪をほしいままに繰り返した。唐王朝の貞観の治により、地方の隅々まで、潤っていたものが、官僚取立て制度のシステムの崩壊から、税負担が大きくなり、唐王朝に対する不満があり、安禄山もその不満を受けて当初は支持をされていた。ところが、その軍は、胡の帽子をかぶり、野党、盗賊の群れであった。民衆の支持はたちまち離れた。李白は、陸機の「猛虎行」の雰囲気を借りて歌ったものである。


腸斷非關隴頭水。 淚下不為雍門琴。』
腹立たしくて腸がちぎれんばかりに怒りがわいてくる関中には天子はいなくて隴山の奥に行ってしまって水が流れてくるばかり。今はただ涙が流れて止まらない、雍城で大敗しその門前で寂しく琴音が響く。
○雍門 756年雍丘の戦いにおいて唐王朝軍が大敗している。○


旌旗繽紛兩河道。 戰鼓驚山欲傾倒。
今や叛乱軍の軍旗が風に翻っている渭水、洛水の両岸を抑えられてしまった。戦いの際に打ち鳴らされる太鼓は吹きの山々に轟き、これを倒してもらいたいのだ。
旌旗 反乱軍の軍旗。○繽紛 ひらひらと風に翻っているさま。○兩河道 黄河の分水、渭水は長安を西に上流を流域とする川と洛陽も黄河の分水の洛水にそっている。この時両都市を反乱軍が抑えていた。 ○戰鼓 戦いの陣列を整える陣太鼓。○驚山 太鼓の音が山に轟いて、そこに住む人間にとって脅威であった。


秦人半作燕地囚。 胡馬翻銜洛陽草。
しかし、長安にいた臣下の者たちは、叛乱軍に進んで虜になってしまった。その捕虜たちの奸臣たちは叛乱軍の馬たちに託して洛陽に送られたのだ。
秦人 長安、洛陽の朝廷の官僚、臣下。○半作 官僚として王朝軍の筋を通さないこと。○燕地囚 反乱軍の捕虜となること。 ○胡馬 反乱軍の軍馬。○翻銜 馬の轡の向きを変える。ここでは西に向かう馬を東に帰ることで、反乱軍の本拠地洛陽に向かうことを示す。○洛陽草 洛陽で捕虜として仕えること。

一輸一失關下兵。 朝降夕叛幽薊城。
ひとたび輸送され、ひとたび消失して関中の兵は叛乱軍に下ったのだ。明日に降参した者たちは、ゆうべには幽州の薊の城郭から叛乱は始まったのだ。
幽薊 反乱軍が決起したところを示す。:幽州。・薊:古代中国の都市。春秋戦国時代には、燕の都が置かれた。現在の北京市。


巨鰲未斬海水動。 魚龍奔走安得寧。』
安禄山の叛乱以来そのオオガメは大海原切り開いて出てくることはない。大魚と龍も大暴れしてどうしてそのままおとなしくしておられるものか。
巨鰲 オオガメ  李白『懷仙歌』 懷仙歌 李白 111
「堯舜之事不足驚。 自余囂囂直可輕。
 巨鰲莫戴三山去。 我欲蓬萊頂上行。」
(尭舜の事は驚くに足らず自余のものの囂囂(きょうきょう)たるは直だ軽んず可し。巨鰲は三山を戴きつつ去ること莫かれ、我は蓬莱の頂上に行かんと欲す)
儒教を国のおしえ覇道として堯帝と舜帝のやったことなど私にとっては驚くべきことではない、まして私に嘆いたり、心配してうるさいものはただ値打ちのない軽んじられるものなのだ
ただ大亀いる、仙人の住む三山をはるか先に背負っていってしまってはいけない、私はこれから蓬萊山の頂上に行こうと思っている。

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猛虎行#2 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275

猛虎行#2 陸機  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -275

 父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。

「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。

猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」日歸功未建、時往歳載陰。-#1
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
急絃無懦響、亮節難爲音。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生誠未易、曷云開此衿。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。

○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今

猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。
#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。

猛虎行 陸機 #2 現代語訳と訳註
(本文)
崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

(下し文) #2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。

(現代語訳)
崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。



(訳注)#2
崇雲臨岸駭 鳴條随風吟

崇高な雰囲気の雲は崖のように立ち上り驚かす、枝を鳴らせて風は吹きいつまでも吟じてくれている。
○自分の意志に反した戦いの中で、自然は何も変わっていないことを示す。


靜言幽谷底 長嘯高山岑
しずかで奥深い谷の底にいる時にはこころのなかで思いを巡らせるのだ、そして高い山の峰にいるときには胸をはって長く自分の作った詩を唄ってみるのだ。
○この聯も戦いに来ている自分を風流なことをするにより慰めていると考えられる。


急絃無懦響 亮節難爲音
張りつめた琴の絃で早く強く引けば、低く鈍い音は出ないものだ、心晴れ晴れとして出る高い声で気持ちというものは、この琴によっては弾くことで表せない。
○この詩は,儒教者の陸機が人生観を述べるのにこうした舞台を想像して詩を作っている。 ○亮節 淸く明かるさを持った仁徳に対する淸操。ここでは心晴れ晴れとして出る高い声で詠う詩の一節を言う。


人生誠未易 曷云開此衿
人生は、誠に容易なものではない、今、どうして此の衿を開いて休んでいられるというものではないのだ。 


眷我耿介懐 俯仰愧古今
我が心に抱いた崇高で堅固な志をかえりみると、俯したり仰ぎみて、古今の人に恥じ入るばかりなのである。
耿介 かたく志を守って譲らぬこと。詩人としては誇りだが、政治生活の中ではうとまれるものでもあったろう。


 父が亡くなる直前まで心配し、兄が死んででも守ろうとした祖国。その祖国を滅ぼした国に仕えるとき、彼は気持ちだったのだろう……。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。(まあこれは呉の方言を馬鹿にされたり、祖父や父を嘲られたことに起因するが)それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。


陸機(りく き) 261年 - 303年 永安4年(261年) - 太安2年(303年))は、呉・西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。本籍は呉郡呉(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都であった建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。七尺もの身の丈を持ち、その声は鐘のように響きわたったという。儒学の教養を身につけ、礼に外れることは行なわなかった。同じく著名な弟の陸雲と合わせて「二陸」とも呼ばれる。文弱で親しみやすい弟に比して、陸機は郷党から畏れられていたが、洛陽に出て西晋に仕えてからは、兄弟ともに呉出身の人士のリーダー的存在であった。西晋のみならず、六朝時代を代表する文学者の一人であり、同時代に活躍した潘岳と共に、「潘陸」と並び称されている。特に「文賦(文の賦)」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。また書家としては、彼の「平復帖」(北京故宮博物院所蔵)が現存する最古の有名書家による真跡とされる。
陸機(りくき) あざなは士衡(しこう) 中国西晋時代の詩人
呉の名族陸家の出身 祖父に陸遜、父に陸坑を持つ

261(0) 陸抗の四男として誕生
274(13) 父・陸抗病死・兄弟で父の兵を継ぐ
   (この間に三番目の兄が死亡か)
280(19) 戦で二人の兄を失う。祖国呉が晋に滅ぼされる。
|        この間、弟とともに故郷に籠る。
290(29) 周囲の説得に応じて晋に士官。

301(40) 陸機の仕えていた趙王司馬倫、帝位簒奪を狙うが誅殺される。
        側近であった陸機は周囲の計らいによって罪を許される。
303(42) 讒言による謀反の疑いをかけられ、処刑。
       弟、息子も連座して、陸家直系の血も絶えた。
                   

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猛虎行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -268



 父が亡くし、兄が死んででも守ろうとした祖国、その祖国を滅ぼした国に仕えるときの気持ちをしにしたものである。
 故国にいる間は同郷の士に畏れられていたが、晋に仕え始めてからは呉出身の人士のリーダー的存在となっている。
 儒学に親しみ、礼に外れることはなかったという。また、相当に負けん気の強い人物であったらしく、たびたび晋の官人と衝突している。それが、彼の不運な最期を招いたのかもしれない。

「猛虎行」その内容から、晋に仕官し始めてからの作で、敵のもとに仕える心情を詠っている。
李白の「猛虎行」はこの詩にイメージを借りているので、李白の詩の前に掲載することとした。儒学に嫌気を持っていた李白、李白の猛虎行は偽作とされている根拠が陸機の詩にあるのだろうか。


猛虎行
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
悪木豈無枝、志士多苦心。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
整駕肅時命、杖策將尋遠。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
日歸功未建、時往歳載陰。-
#1
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった。

崇雲臨岸駭、鳴條随風吟。
靜言幽谷底、長嘯高山岑。
急絃無懦響、亮節難爲音。
人生誠未易、曷云開此衿。
眷我耿介懐、俯仰愧古今。」-#2

○韻 陰、心、遠、林/建、陰、吟、岑、音、衿、今

猛虎の行(うた)
渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。

#2
崇雲(しゅううん)は岸に臨みて駭(おどろ)き、鳴條(めいじょう)は風に従って吟ず。
靜言(せいげん)す幽谷の底、長嘯(ちょうしょう)す高山の岑(みね)。
急絃には懦響(だきょう)無く、亮節(りょうせつ)には音を為し難し。
人生は誠に未だ易からず、曷(いずく)んぞ云(ここ)に此の衿を開かん
我が耿介(こうかい)の懐(おもい)を眷(かえり)み、俯仰して古今に愧(は)ず。



猛虎行 現代語訳と訳註
(本文)

渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
悪木豈無枝、志士多苦心。
整駕肅時命、杖策將尋遠。
飢食猛虎窟、寒栖野雀林。」
日歸功未建、時往歳載陰。-#1


(下し文)
猛虎の行(うた)

渇すれども盗泉の水を飲まず、熱けれど悪木の陰に息(いこ)わず。
悪木には豈(あ)に枝なからんや、志士は苦心多し。
駕を整えて時命を肅(つつし)み、杖(むち)を取りてまさに遠く尋ねんとす。
飢えては猛虎の窟(あな)に食らい、寒ければ野雀の林に栖(す)む。
日歸(おもむ)いて功は未だ建たず、時往(ゆ)いて歳は載(すなわ)ち陰(く)る。


(現代語訳)
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった。


(訳注)
渇不飲盗泉水、熱不息悪木陰。
孔子はのどが渇いても、「盗泉」という名の泉の水は飲まず、どんなに熱くとも、「悪木」という名の木の下には休まない。
○孔子の故事の引用。そのように立派に生きたいということ。「飢えては猛虎の穴に食らい 凍えては野雀の林に栖む」より、その志に反するという悔しさを表す儒教者の教えをいう。陸機の教条的なことを示す一語といえる。


悪木豈無枝、志士多苦心。
「悪木」に日よけとなる枝がないわけではないが、 志の高きものはあれこれと思い悩むものである。
志士多苦心 聖人を意識して、常日頃、論語を確認して悩むことを示す。


整駕肅時命 杖策將尋遠
馬車を整えて、時の帝の命令を頂き、 馬にまたがり、鞭を手にして、いざこれより遠き敵のもとへすすんでいくのだ。
○士太夫は武具をそろえ、馬を調教し、馬車を仕立てておくもの、だがそれが自己の利益のために使われることがあってはならない。


飢食猛虎窟 寒栖野雀林
今は、自分の考えとは違うことである猛虎のすむ洞窟に飢えたときには食を求め、寒い時には野雀の住む林にも泊まるような、何が正義かわからないいくさにかかわっている。
猛虎窟 野盗盗賊のようなまねをするさま。○野雀林 雀の巢のあるはやしでやすむことは、農家や、村の中で勝手に泊まることのさまをいう。


日歸功未建 時往歳載陰
こんなことをしていて日々は過ぎてゆくが、いまだに何の功績もないのだ、時はさらに流れ、もう年が暮れてしまう時期になった
日歸 日が沈むことを繰り返すこと。何日も過ぎたことを言う。
功未建 「以義建功」(義をもって功を建てる)の基本からして何らの功績をあげられて異なこと。○載陰 『神農本草』「秋冬為陰」(秋冬を陰と為す)

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安史の乱と李白(2)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214


李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ふつうの人と容貌もちがうし、数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男という印象がある。李白のような倣岸不遜の者から見れば、当時の高力士と同じく俗物に見えた。腰が低く権力者にとり入る性格の持ち主であって、李白とはまったく性格が合わない。むろん親しくつきあったわけではないであろう。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。

憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(浙江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。
おそらく旧遊の山水美を思い出して、煩憂の思いを消そうとしたのかもしれない。ただ、李白のこの旅を、難を避けるためとする説もあるが、必ずしもそれだけとは考えられない。やはり剣中の山水美にひかれることが多かったであろう。途中、太湖近くの漢陽(江蘇省)を通ってゆく。

この県の役人をしている宋捗に、今の気持ちを訴えて、自分は経世済民の策を実現したいと思いながら、天子の側近となったが、姦邪の臣のために重言をこうむり、天子とは疎遠の間柄になったが、しかし自分は、「何れの日か中原を清らかにして、天歩を廓げんことを相い期す」といっている。中原の乱れを救って、天子が安らかに巡幸されるようにと考えているという。この喪乱に対して、天下を安泰にしようとした決意を示したものである。この李白の決意にかかわらず、洛陽陥落の悲報はもたらされて、「扶風の豪士の歌」に李白は胸を痛めるようすがみえる。

扶風豪士歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
 
東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』

雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
 
撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』


扶風 豪士の歌
洛陽 三月に胡沙飛び、洛陽城中 人は怨み嗟く
天津の流水は波も赤血なり、白骨相い培(つちかえ)えて乱るる麻の如し
我も亦た東に奔り呉国に向かわんとす、浮雲は四もに塞がり道路は除かなり』
東方 日出で早に鴉啼く。 城門 人 開たて落花 掃く。
梧桐(こどう)楊柳(ようりゅう)金井(きんせい)拂う。醉うて來る扶風豪士の家。
扶風 豪士 天下の奇。 意氣 相傾けて山移すべし。
人を作す 將軍の勢に倚らず。 飲酒して豈 尚書の期を顧る。』

雕盤 綺食 眾客に會う。 吳歌 趙舞 香風 吹く。
原(もともと)嘗(かつて)春陵 六國の時。心開きて意を寫し君の知る所。
堂中 各々三千士 有り。 明日 恩に報いること是誰ぞ知る。』
 
長劍を撫るい。一(ひとたび)眉を揚る。 清水白石 何ぞ離れ離れになるぞ。
吾が帽を脱ぎて君に向かって笑い。君の酒を飲み君が為に吟ず。
張良は末だ赤松を逐いて去らず、橋辺の黄石のみ我が心を知る。』




扶風豪士歌
扶風の豪士の歌

洛陽三月飛胡沙。 洛陽城中人怨嗟。
洛陽の三月といえば牡丹梨花の咲き誇る嬉しい時節、ところがどうだ、異民族交じりの軍隊が砂塵を建てているではないか。洛陽城の街中のすべての人は怨み嗟くのである。
 
天津流水波赤血。 白骨相撐如亂麻。
叛乱の勢いはここ天津の方まで広がって河江の流水、波までも赤血色に染まっている、戦いの後には白骨が積み重ねられていて粗雑な麻布のようにひどい状況なのだ。


我亦東奔向吳國。 浮云四塞道路賒。』
町中東に逃げているわたしも同じように東に向かって走り、呉の国あたにまで行こうとしている、叛乱軍は四方八方に配置されており道路には検問所のようになっている。

「扶風」郡はのち鳳翔郡と改める。長安の西に当たる。ここ出身の「豪士」とは、だれであるか分からない。李白が乱を避けて東呉に来ているとき、彼も難を避けて来ていて、意気投合した仲というのが、王玲の説である。
冒頭いきなり、洛陽が賊の手に落ち、戦乱のために血が流れ、死者の白骨が横たわることを歌う。李白の胸の痛みをまず歌ったわけで、「三月」とは天宝十五年へ童ハ)の三月であろう。「賊軍の兵馬の砂塵が洛陽春三月に舞い上がる」。常ならば花の咲く好時節であるべきなのに。「人々は怨嗟の声をあげる。あの天津橋の下を流れる洛水の水は、死傷者の血で赤くなっている。戦死着の白骨は、乱麻のように重なりあっている。自分は東のかた呉国(長江下流一帯)に行こうと思っているが、浮雲にさえぎられて道路もはるかに感ぜられる」。「浮雲」はよく邪悪の者の比喩と使われるが、ここも旅するに困難な事態でもあったのであろうか。


東方日出啼早鴉。 城門人開掃落花。
東方の國に来れば来て観て夜明けの早起きの鶏のように、がやがや騒いでいる、城門には人が多く集まって早くから開かれているようだ春の花々はみなたたきおとさててしまっている。
 
梧桐楊柳拂金井。 來醉扶風豪士家。
鳳凰が棲む青桐の葉っぱ、女たちの土手の楊、湖水の柳、金を拂えば町にいられる。よってふらふら歩いていると長安の西の扶風地方出身の豪士の家にきている。

扶風豪士天下奇。 意氣相傾山可移。
扶風地方出身の豪士というのは天下の中でも気骨もので通っている。その気性というのは互いに酒を酌み交わし気心が知れたら山をも動かすほどなのだ。


作人不倚將軍勢。 飲酒豈顧尚書期。』
普通の人たちで成り立ち立派な対象に統率された軍隊ではないのだ。まあひとまず酒を飲んでしばらくしたら、郭子儀尚書が約束を果たしてくれるはずである。』


雕盤綺食會眾客。 吳歌趙舞香風吹。
大皿に盛られた御馳走を集まった客人たちはきれいに食べたようだ。呉の歌がうたわれ、趙の国の舞が踊られ香わしい風が吹きわたっている。


原嘗春陵六國時。 開心寫意君所知。
もともとかっては穏やかな丘陵地帯で、斉・楚・燕・韓・魏・趙のじだいがあったのだ。心を開いて意気を確かめ合っていれば天子の知るところである。


六国(りっこく)とは、戦国時代、秦以外の六つの大国、斉・楚・燕・韓・魏・趙をいう
。秦が西周の故地に入って周の文化をある程度受け継いだのに対して六国では独自の文化が花開いた。文字も周秦の籀文と違い、各国で独特の文字が使われた。


堂中各有三千士。 明日報恩知是誰。』
朝廷の宮殿にはそれぞれ三千の兵士がいる。さあ、明日こそ天子の御恩に報いようではないか、これは誰が知るというのか。


撫長劍。一揚眉。 清水白石何離離。
長剣をもってなぎ払い、まなじりをあげて怒りを示そう。「清水白石」という澄み切った水の中の白石のように、清く正しい考えというもの、理解してくれる人だけ理解してくれればいいのだ。


脫吾帽。向君笑。 飲君酒。為君吟。
私は帽子を脱いでしまい、きみにむかってほほえむ。
君の差し出す酒を飲み、君のために吟じよう。


張良未逐赤松去。 橋邊黃石知我心。』
張良ほどの人間はまだ赤松を置いたままでは去りはしないものだ。わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。


詩は続いて、豪士の家を訪ねて酒を飲み、意気投合する。そして、豪士の才能を称え、肝胆相照らす仲となっている。そして終わりに、

君と飲んでいると、君の豪士たる所以が分かり、「君に尊敬の念を抱きつつ御馳走になって君のために歌をうたうわけである。


自分はまだ志を得ない漢の張良のようなもの、仙人の赤松の跡を逐って上昇するほど、脱俗的の気分にはなっていない」。張良は下郡の杷橋のもとで黄石公から兵法を授けられ、その後、漢の高祖に仕えて出世して留侯にまでなった。「その黄石公に比すべき人のみ、わが気持ちが分かってくれるものだ」と歌う。最後の句は、李白の希望を述べ、わが心を知ってくれる黄石公のごとき人が出てほしい。そして、再び活躍する場を与えてはしいという。前途に対しての希望はまだまだ消えてはいない。賊軍の侵入の悲惨を歌いながら、それに刺激されて任侠心が勃然とよみがえってきたのであろうか。


参考
張 良
(ちょう りょう、? - 紀元前186年)は、秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留(江蘇省徐州市沛県の東南)に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。


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夜坐吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-207

夜坐吟 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-207


夜坐吟 李白
冬夜夜寒覺夜長、沈吟久坐坐北堂。
冬の夜は、夜の寒さがきびしければ厳しいほど、夜がますます長く感じられるものである。うれいの詩を吟じれば沈みこみ、ながい時間をじっと座れば座るほど、北の奥座敷に坐わることになる。
冰合井泉月入閨、金鉱青凝照悲啼。
寒さが増して氷が井戸にはりつめた、月の光が閨の部屋に冷たくさしこんでいる。黄金の油皿の火が青くこりかたまるほどの長い時間がたっている、悲しい泣きはらした顔を照らしだしている。
金釭滅、啼轉多、掩妾涙、聴君歌。
黄金の油皿の火がきえると、ますますひどく泣けてくる。わたしの涙をかくして、あなたの歌を聞きましょう。
歌有聲、妾有情、情聾合、兩無違。
歌はあなたのよい声でいい。わたしのこころには情がある。わたしの情と、いい声のあなたを、兩の手のように合わせ、たがいにちぐはぐのないようにしましょう。
一語不入意、従君萬曲梁塵飛。

一つのことばが、わたしの心情に響かないなら、あなたが万曲を歌ったとしても、それはただ、梁の上の塵を飛ばすほど澄みきった声であろうと、わたしに関係のないことなのよ、すきにしなさい。

夜坐吟

冬夜 夜は寒くして 夜の長きを覚ゆ、沈吟 久しく坐して北堂に坐す。

氷は井泉に合し 月は閏に入る、金紅青く凝って悲啼を照らす。

金紅滅し、啼くこと転(うた)た多し。

妾が涙を掩い、君が歌を聴く。

歌には声有り、妾には情有り。

情声合して、両つながら違(たご)う無けん。

一語 意に入らずんば、君が万曲梁塵(りょうじん)の飛ぶに従(ま)かせん。



夜坐吟 現代訳と訳註 解説。

(本文)
夜坐吟 李白

冬夜夜寒覺夜長、沈吟久坐坐北堂。
冰合井泉月入閨、金鉱青凝照悲啼。
金紅滅、啼轉多、掩妾涙、聴君歌。
歌有聲、妾有情、情聾合、兩無違。
一語不入意、従君萬曲梁塵飛。
  
(下し文)
冬夜 夜は寒くして 夜の長きを覚ゆ、沈吟 久しく坐して北堂に坐す。
氷は井泉に合し 月は閏に入る、金紅青く凝って悲啼を照らす。
金紅滅し、啼くこと転(うた)た多し。
妾が涙を掩い、君が歌を聴く。
歌には声有り、妾には情有り。
情声合して、両つながら違(たご)う無けん。
一語 意に入らずんば、君が万曲梁塵(りょうじん)の飛ぶに従(ま)かせん。
  
(現代語訳)
冬の夜は、夜の寒さがきびしければ厳しいほど、夜がますます長く感じられるものである。うれいの詩を吟じれば沈みこみ、ながい時間をじっと座れば座るほど、北の奥座敷に坐わることになる。
寒さが増して氷が井戸にはりつめた、月の光が閨の部屋に冷たくさしこんでいる。黄金の油皿の火が青くこりかたまるほどの長い時間がたっている、悲しい泣きはらした顔を照らしだしている。
黄金の油皿の火がきえると、ますますひどく泣けてくる。
わたしの涙をかくして、あなたの歌を聞きましょう。
歌はあなたのよい声でいい。わたしのこころには情がある。わたしの情と、いい声のあなたを、兩の手のように合わせ、たがいにちぐはぐのないようにしましょう。


一つのことばが、わたしの心情に響かないなら、あなたが万曲を歌ったとしても、それはただ、梁の上の塵を飛ばすほど澄みきった声であろうと、わたしに関係のないことなのよ、すきにしなさい。

  
夜坐吟(語訳と訳註)
  
夜坐吟 六朝の、飽照の詩集に「代夜坐吟」と題する楽府。
冬夜沈沈夜坐吟、含聲未発已知心。
霜入幕、風度林、 朱灯滅、 朱顔尋。
体君歌、逐君音、 不貴声、 貴意探。


この詩は、冬の夜に人の歌うのを聞いて、歌の声のよさよりも歌う心の深さを貴ぶ、とうたっている。李白も、同じリズムを借り、同じ発想によっている。

冬夜夜寒覺夜長、沈吟久坐坐北堂。
冬の夜は、夜の寒さがきびしければ厳しいほど、夜がますます長く感じられるものである。うれいの詩を吟じれば沈みこみ、ながい時間をじっと座れば座るほど、北の奥座敷に坐わることになる。
沈吟 かんがえこむこと。うれえなげくこと。○北堂 北向の奥の部室婦人がここに住む。


冰合井泉月入閨、金鉱青凝照悲啼。
寒さが増して氷が井戸にはりつめた、月の光が閨の部屋に冷たくさしこんでいる。黄金の油皿の火が青くこりかたまるほどの長い時間がたっている、悲しい泣きはらした顔を照らしだしている。
冰井合 井戸の水が氷って音を立てる。。○ 美人の寝室。


金紅滅、啼轉多、掩妾涙、聴君歌。
黄金の油皿の火がきえると、ますますひどく泣けてくる。
わたしの涙をかくして、あなたの歌を聞きましょう。
金釭 釭は、ともしぴの油皿。それが黄金づくり。○ ますます。○ 女の一人称。


歌有聲、妾有情、情聾合、兩無違。
歌はあなたのよい声でいい。わたしのこころには情がある。わたしの情と、いい声のあなたを、兩の手のように合わせ、たがいにちぐはぐのないようにしましょう。


一語不入意、従君萬曲梁塵飛。
一つのことばが、わたしの心情に響かないなら、あなたが万曲を歌ったとしても、それはただ、梁の上の塵を飛ばすほど澄みきった声であろうと、わたしに関係のないことなのよ、すきにしなさい。
 なるが儘にまかせる。したいようにしなさい、わたしには関係ないことだ。〇万曲 情をふくんだ一曲には心を動かされるが、情のない万曲のいい声で歌っても気にもとまらない。○梁塵飛 漢の劉向の「別録」に、漢はじまって以来の名歌手といわれる魯の人虞公は、声がすみきっていて、歌うと、梁の上につもった塵までが動いたという美声の故事。



(解説)
 冬の長き夜が、一人寝の場合長くなり、待ち人が来ないと更に長く感じる。近頃はちっとも来てくれないので毎夜泣き腫らしていた。今日も泣き腫らしていたら私の心を動かすようないい声のあなたが来てくれた。心とあなたの思いやりのある歌声できっと固く結ばれるはず。
心で結び合いたいと願っている。心が結ばれたら、あなたが来ない寒い夜もきっと泣かないでいられると思う。
 
 梁の上の塵、梁に朝日が射すなど梁の語は女性目線で寝転んで上を見ている、つまり、性交を意味している。
あなたのいい声で私の心に響かせてくれたら、明日から泣かないで済むという。
 一夜の情交でも心が通じ合うことを夢見ている妓女の詩である。


前有樽酒行二首 其二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 204

前有樽酒行二首 其二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 204

前有樽酒行 其二  

琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
胡姫貌如花、當壚笑春風。
ペルシャ人の女は、顔立ちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
笑春風、舞羅衣。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
君今不酔將安歸。

さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


前有樽酒行 其の二
琴は竜門の緑桐を奏し、玉壺美酒 清くして空しきが若し。
絃を催し柱(ことじ)を払って君と飲む、朱を看て碧と成れば顔始めて紅なり。
胡姫の貌 花の如し、壚に当って 春風に笑う。
春風に笑い、羅衣を舞う。
君今酔わずして将に安くにか帰らんとする。


前有樽酒行 其二 現代語訳と訳註 解説

(本文)
琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
胡姫貌如花、當壚笑春風。
笑春風、舞羅衣。
君今不酔將安歸。
  
(下し文)
琴は竜門の緑桐を奏し、玉壺美酒 清くして空しきが若し。
絃を催し柱(ことじ)を払って君と飲む、朱を看て碧と成れば顔始めて紅なり。
胡姫の貌 花の如し、壚に当って 春風に笑う。
春風に笑い、羅衣を舞う。
君今酔わずして将に安くにか帰らんとする。
  
(現代語訳)
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
ペルシャ人の女は、顔立ちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


(語訳と訳註)

琴奏龍門之緑桐、玉壺美酒晴若空。
琴というものは、竜門山の緑の桐で作ったもので演奏するにかぎる。玉の壺にたたえたうまい酒というのは、晴れた空のすみきっていて空っぽに見えるのがいい。
竜門之縁桐 「周礼」に、竜門の琴宏は、祖先のみたまやの中で之を演奏する、とある。鄭玄の注によると、竜門は山の名で、この山の桐は、高さが百尺で枝がなく、琴の材料に用いられる。〇晴若空 晴れた空のようにすみきっていて空っぽに見える。


催絃拂柱與君飲、看朱成碧顔始紅。
絃をかきならし、琴柱をうごかしながら、君といっしょに飲む。赤い物が青い色に見えたり、ほろ酔いで顔もほんのりあかくなったり、悪酔いをしたりしている。
催絃 絃舷をせきたてる。せわしく絃をかきならす。○払柱 琴柱をはらう。「払」は琴そのものを女性とするので、性行為の比喩である。自由奔放に琴をひくことと表現する。○看朱成碧 赤い色が青く見える。ここでは、酔って物の見分けがつかなくなること、ほろ酔いであったり、悪酔いをしたものと解釈する。


胡姫貌如花、當壚笑春風。
ペルシャ人の女は、かおだちがはっきりして花のようだ。酒をうりながら、色香を振りまいて誘ってくる。
胡姫 外人の女。当時、長安の酒場にイラン系の美女がいて、歌ったり舞ったりお酌したりした。李白によく登場するが、杜甫の詩にも見える。○貌如花 目鼻立ちが大きくはっきりしている。○当墟 櫨は、酒がめを置く所。漢の文人司馬相加が、美しい女房の卓文君を壚のそばに坐らせ、酒を売らせた話は有名である。「史記」や「漢書」に見える。当壚は、酒を売ること。(おカンの番をすると解することが多い)○笑春風 色香を振りまいて誘うこと。中国古代王朝周幽王は、一人の絶世の美女の気を引こうとしたために、国を滅ぼした。


笑春風、舞羅衣。
春風のほほえみという誘いに乗ったので、うすぎぬの衣で舞っている。
蘿衣 うすぎぬの衣。


君今不酔將安歸。
さあ君、いまこそ酔おうではないか。いまさら何処へどう落ち着こうというのか。


(解説)
琴は、龍門之緑桐、酒は、玉壺で寝かせた清酒がいい。
それがそろったら、美女の微笑が一番だ。
今更どこへどうするというのだ。とにかく飲もう。

美女微笑と傾国はよく詠われる。また胡女となればペルシャの女となる。唐の時代は長安は国際都市で、西方白人系の女性が流入していたのである。

参考 美女微笑と傾国
 紀元前8世紀頃、中国古代王朝の一つ、周の12代目幽王は、一人の絶世の美女の気を引こうとしたために、国を滅ぼし一切合切を失う羽目になってしまった。その絶世の美女は襃似(ほうじ)という王妃だった。「その唇は珊瑚のごとく、その歯は真珠のごとく、その指は、のみで彫られた硬玉のごとし」とうたわれているように、彼女は、さまざまな文献、言い伝えにその美しさが表現されるほどの美女であった。
 幽王は、この絶世の美女に溺愛するあまり、正妃と正妃の産んだ子を廃して、褒似を妃として、その子を皇太子にしてしまうほどであった。しかし、どうしたことか、これほどの寵愛を受けているにもかかわらず、彼女は、幽王のもとに来てからは、ただの一度として笑ったことはなかった。そこで、のろしを上げ、各地から慌てて馳せ参じてくる諸候の狼狽ぶった表情を見て、微笑を誘い、これをくりかえした。オオカミ少年と同様、適の侵略に対抗できず、国を滅ぼした。

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203

前有樽酒行二首 其一  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 203




前有樽酒行二首 其一
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
君起舞、日西夕。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。
當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。

わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。


前有樽酒行二首 其の一

春風東より来って 忽ち相過ぐ、金樽の酒 徴波を生ず。

落花紛紛として 楷やに多きを覺ゆ、美人酔わんと欲して 朱顔たり。

青軒の桃李 能く幾何ぞ、流光人を欺いて 忽ち蹉たり。

君起って舞え、日西に夕なり。

当年の意気 肯て傾かず、白髪糸の如し 歎ずるも何の益かあらん。




前有樽酒行二首 其一 現代訳と訳註
雑言古詩

(本文)
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
君起舞、日西夕。
當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。

(下し文)
春風東より来って 忽ち相過ぐ、金樽の淥酒 徴波を生ず。
落花紛紛として 楷やに多きを覺ゆ、美人酔わんと欲して 朱顔酡たり。
青軒の桃李 能く幾何ぞ、流光人を欺いて 忽ち蹉跎たり。
君起って舞え、日西に夕なり。
当年の意気 肯て傾かず、白髪糸の如し 歎ずるも何の益かあらん。

(現代語訳)
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。

わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。


(訳註)
前有樽酒行二首 其一
春風東來忽相過、金樽淥酒生微波。
春のかおりの女たちが東のほうからやって来た。女たちと一緒の聖人たちはこがねの樽にたたえた酒に、かすかな波がたっている。
春風東來 春風は東風であり、東來するものである。同じくで同じことを示すわけがなく。性的な始まり、性的欲望を生むものと解釈すべきである。○淥酒 濁り酒がと賢人清酒は聖人。濁り酒は道士の飲むもの、清酒は儒者の飲むもの。○微波 かすかな波がたつ。波は東風によるものなのか、何によっておこる波なのか。
 
落花紛紛楷覺多、美人欲酔朱顔酡。
女たちは花びらがはらはらとしだいに多く散りかかるのである。妓女たちは、化粧して着飾っていて、酔いごこちによりほんのり顔を赤らめている。
○紛紛 いりみだれて散るさま。○ だんだん。○美人 宮妓、芸妓。○朱顔酡 「酡」は酒を飲んで顔が赤くなった様子。


青軒桃李能幾何、流光欺人忽蹉跎。
東の庭の青い車、桃李の花のように人は集まり、なにもしないでいていつまであつまっているだろうか。流れる時間は、人をあざけるようにアッというまに過ぎてしまう。
青軒 青い色を塗った軒、高貴な人の車。青色を塗った東側の娼屋。○桃李 桃と梨。何をしなくても人が集まるさま。○蹉跎 時間がたちまち経過してしまう形容。


君起舞、日西夕。
君、起ちあがって踊れ。太陽は西に沈むじゃないか。


當年意気不肯傾、白髪如絲歎何益。
わかいころの志、意気はおとろえたくないものなのだ。白髪が糸のようになってから嘆いてみても、何の役に立つというのか。
不肯傾 おとろえたくないものなの・傾 尽きていく。かたよる。かたむく。さけをのむ。


○韻 過、波、酡、跎。/夕、益。

北風行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白196

北風行 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白196
雑言古詩



北風行
燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。
燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。
箭空在、人今戦死不復囘。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということだ。
不忍見此物、焚之己成灰。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。
黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。

よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。


北風の行
燭竜 寒門に棲み、光耀 猶お旦に開く。
日月之を照らすも何ぞ此に及ぼざる、唯だ北風の号怒して天上より来る有り。
燕山の雪花 大なること席の如し、片片吹き落つ 軒轅台。
幽州の思婦 十二月、歌を停め笑いを罷めて 双蛾摧く。
門に倚って 行人を望む、君が長城の苦寒を念えば 良に哀しむ可し。
別るる時 剣を提げ 辺を救うて去り、此の虎文の金靫鞞を遺す。
中に一双の白羽箭有り、蜘味は網を結んで 塵埃を生ず。
箭は空しく在り、人は今戦死して 復た回らず。
此の物を見るに忍びず、之を焚いて 己に灰と成る。
黄河土を捧げて 尚お塞ぐ可し、北風雪を雨らし 恨み裁ち難し。


北風行 訳註と解説

(本文)
北風行
燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
箭空在、人今戦死不復囘。
不忍見此物、焚之己成灰。
黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。

(下し文)
燭竜 寒門に棲み、光耀 猶お旦に開く。
日月之を照らすも何ぞ此に及ぼざる、唯だ北風の号怒して天上より来る有り。
燕山の雪花 大なること席の如し、片片吹き落つ 軒轅台。
幽州の思婦 十二月、歌を停め笑いを罷めて 双蛾摧く。
門に倚って 行人を望む、君が長城の苦寒を念えば 良に哀しむ可し。
別るる時 剣を提げ 辺を救うて去り、此の虎文の金靫鞞を遺す。
中に一双の白羽箭有り、蜘味は網を結んで 塵埃を生ず。
箭は空しく在り、人は今戦死して 復た回らず。
此の物を見るに忍びず、之を焚いて 己に灰と成る。
黄河土を捧げて 尚お塞ぐ可し、北風雪を雨らし 恨み裁ち難し。

(現代語訳)
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということだ。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。
よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。


 

北風行 ・『詩経』の邶風(はいふう)に「北風」の詩がある。:乱暴な政治に悩む人、国を捨てて逃げようというの歌。 ・飽照の楽府に「代北風涼行」があり、北風が雪をふらし、行人の帰らないことを傷む。李白もそれにたらい、戦死して帰らぬ兵士の妻の気持をうたう。



燭龍棲塞門、光耀猶旦開。
ともし火をくわえた竜が、北極の寒門山にすんでいる。とぼしい光があり、そしてやがて、朝日がのぼってくるだろう。
燭竜 「准南子」に出てくる神竜。北極の山の、日の当らぬ所に住む。身長は千里の長さ、顔は人間の顔で、足がない。ロにともし火をくわえ、太陰(夜の国)を照らす。日をひらくと、その国は昼となり、目をとじると、その国は夜となる。息をはきだすと、その国は冬となり、大声を出すと、その国は夏となる。また、「楚辞」の「天間」に「日は安くにか到らざる、燭竜は何ぞ照せる」という句がある。○寒門 北極の山。○旦開 朝日が昇るさま。



日月照之何不及此、唯有北風號怒天上來。
太陽やかがやく月光は、どうしてそこへとどかないのか。ただ北風が吹き怒り叫び、天上から吹いてくるだけなのだ。

燕山雪花大如席、片片吹落軒轅臺。
北方にある燕山の雪の花は、むしろのように大きく、花びらがひらりひらりと吹きとんだ、太古の皇帝の軒轅台の上に落ちる。
燕山 山の名。いまの河北省玉田県の西北にある。燕山山脈(燕山、えんざんさんみゃく、Yanshan)は中華人民共和国北部にある山地。河北省の河北平原の北を囲むようにそびえる。名は、南に燕国があったことにちなむ。北京市の北部の軍都山から潮白河の峡谷を超えて山海関までを東西に走る。特に北京市西部の潮白河峡谷から山海関までの間(小燕山)が狭義の燕山であり、大房山、鳳凰山、霧霊山などの名山が点在する。北京北部の軍都山から潮白河峡谷までは大燕山とも呼ばれ、軍都山西端の拒馬河峡谷と居庸関の向こうは、河北平原の西を南北に走る太行山脈である。海抜は400mから1,000mで、最高峰の霧霊山(承徳市興隆県)は海抜2,116mに達する。南の華北と北の内モンゴルおよび遼西を隔てる燕山には多数の渓谷があり、これらは南北を結ぶ隘路として戦略上重要な役割を持っていた。主な道には古北口(潮河峡谷、北京市密雲県)、喜峰口(灤河峡谷、唐山市と承徳市の間)、冷口などがある。また万里の長城の東端は燕山の上を走る。○雪花 雪片を花のようにたとえていうことば。○ むしろ。たたみ。○片片 軽く飛ぶさま。○軒轅臺 中国上古の皇帝と伝えられる黄帝は、軒轅の丘に住み、軒轅氏と称した。その黄帝の登ったという軒轅台の遺跡は、いまの河北省凍涿鹿県附近にあるといわれる。



幽州思婦十二月、停歌罷笑雙蛾摧。
幽州の女は、真冬の十二月となれば、いくさのことでもの思いにしずむようになる。あれだけはなやかにしていたのに歌もうたわず、笑いもわすれ、うつくしい両の眉もだめになるのである。
幽州 唐代の幽州は、鞄陽郡ともいい、いまの河北省のあたりにあった。○思婦 思いにしずむ女。○十二月 スバルの星が輝く12月異民族は南下して攻撃してくる。○双蛾 美人の両の眉。



倚門望行人、念君長城苦寒良可哀。
城郭の門にもたれかかり、出征した夫の方をながめている。「あなたの身のうえ、万里の長城を守る苦しさ寒さをおもうと、ほんとに気のどくでたまらない」、というのだ。
○行人 ここでは、出征した夫。○長城 万里の長城。



別時提剣救邊去、遺此虎文金靫鞞。
出征の別れ送ったとき、剣をささげ、国境の救援に行ったのだ。ここに残るのは、形見の虎の模様の金の失をいれる袋だけなのだ。
○辺 国境。○虎文 虎のもよう。○靫鞞 矢をいれる袋。やなぐい。



中有一雙白羽箭、蜘蛛結網生塵埃。
袋の中に一そろいの白い羽根の矢が入っている。だが、長い時が絶ち、蜘蛛の糸で巣をはっており、ほこりがたまっているのだ。



箭空在、人今戦死不復囘。
矢だけが、むなしく、のこる・・・・・・。ところが人は戦死して、二度とかえらないということなのだ。



不忍見此物、焚之己成灰。
この袋の遺品を見るに堪えられない、とうとう焼いて灰にしてしまった。


黄河捧土尚可塞、北風雨雪恨難裁。
よく氾濫する黄河の水でも、両手で土を運ぶようなわずかな事の積重ねでも、いつかは塞ぐことができるものなのだ。「北風」というのは雨を雪にしてふき積もるし、ずっとこもっている恨みはいつまでも断ちきれるものではないのだ。
黄河捧土 「後漢書」の朱浮伝に、「これはちょうど黄河のほとりの人人が、土を捧げて轟津を塞ぐようなものだ。」とある。



(解説)
 冬になると北方異民族からの攻撃が始まり、寒い冬の闘に備えた。しかし、出征した兵士の多くは帰らないのである。唐王朝は幽州の守りを安禄山に任せきりになっていた。統治能力の全くないものが、唐の国内に充満し、堆積していたフラストレーションを時流に乗っただけのものであった。
西方の戦いでも局地戦で大敗し、南方の雲南でも局地戦を大敗するというもので、安禄山だけが無傷であった。

行行游且獵篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白194/350


 
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行行游且獵篇 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-  194


行行游且獵篇
邊城兒。生年不讀一字書。 但將游獵夸輕趫。
国境あたりの子は、生れてからずっと一字も書物など読むことなどないのだ。ただ知っているのは狩猟をあそびとするだけ、それにからだがすばしこいのが自慢であるという。
胡馬秋肥宜白草。 騎來躡影何矜驕。
大宛国産の馬が秋になってまるまると肥えるのは白い草もたくさん食べられる頃だからだ。かれらは、馬にむねはってまたがり走ってゆくが、何と怖さを知らず自信をもっているのだろう。
金鞭拂雪揮鳴鞘。 半酣呼鷹出遠郊。
狩猟に出るのに金のむちで雪をはらいのけると、ビシリとむちの先が鳴る。まだ半分酔っ払った状態のまま、鷹を放って、街を遠く離れたところまで出かける。
弓彎滿月不虛發。 雙鶬迸落連飛髇。』
弓を満月のように引きしぼり、射れば必ずあたるときまで矢をはなたない。射たら二羽のマナヅルがまっしぐらに落ち、飛んだかぶら矢が串ざしにしている。
海邊觀者皆辟易。 猛氣英風振沙磧。
放牧できていた湖のほとりで見ている者は、みな、おそれおののいているのだ。猛々しい気性であって、すぐれた風貌は、砂漠中にその名を鳴り響かせているのだ。
儒生不及游俠人。 白首下幃復何益。』

そういうことから儒学者というものは、狩猟ができ、任侠の筋道を立てる人にはかなわないのだ。しらが頭で、家の中にとじこもって、書物をたよりに礼節ばかりで、いったい何の利益があるというのだろう。


行き行きて游び且つ獵の篇

辺城の児、生年一字の書を読まず。但だ遊猟を知って 輕趫【けいきょう】を誇る。

胡馬秋肥えて 白草に宜し。騎し来って影を踏む 何ぞ矜驕【きょうきょう】。

金鞭【きんべん】雪を払って 鳴鞘【めいしょう】を揮)い、半酣【はんかん】鷹を呼んで 遠郊に出づ。

弓は満月を彎いて 虚しく発せず、双鶬【そうそう】迸落【ほうらく】 飛【ひこう】に連なる。

海辺観る者 皆辟易【へきえき】し、猛気英風 沙磧【させき】に振う。

儒生は及ばず 遊侠の人に、白首 幃【い】を下すも 復た何の益かあらん。





行行游且獵篇  訳註と解説

(本文)
邊城兒。生年不讀一字書。 但將游獵夸輕趫。
胡馬秋肥宜白草。 騎來躡影何矜驕。
金鞭拂雪揮鳴鞘。 半酣呼鷹出遠郊。
弓彎滿月不虛發。 雙鶬迸落連飛髇。』
海邊觀者皆辟易。 猛氣英風振沙磧。
儒生不及游俠人。 白首下幃復何益。』

(下し文)

行き行きて游び且つ獵の篇

辺城の児、生年一字の書を読まず。但だ遊猟を知って 輕趫【けいきょう】を誇る。

胡馬秋肥えて 白草に宜し。騎し来って影を踏む 何ぞ矜驕【きょうきょう】。

金鞭【きんべん】雪を払って 鳴鞘【めいしょう】を揮)い、半酣【はんかん】鷹を呼んで 遠郊に出づ。

弓は満月を彎いて 虚しく発せず、双鶬【そうそう】迸落【ほうらく】 飛【ひこう】に連なる。

海辺観る者 皆辟易【へきえき】し、猛気英風 沙磧【させき】に振う。

儒生は及ばず 遊侠の人に、白首 幃【い】を下すも 復た何の益かあらん。
 

(現代語訳)
国境あたりの子は、生れてからずっと一字も書物など読むことなどないのだ。ただ知っているのは狩猟をあそびとするだけ、それにからだがすばしこいのが自慢であるという。
大宛国産の馬が秋になってまるまると肥えるのは白い草もたくさん食べられる頃だからだ。かれらは、馬にむねはってまたがり走ってゆくが、何と怖さを知らず自信をもっているのだろう。
狩猟に出るのに金のむちで雪をはらいのけると、ビシリとむちの先が鳴る。まだ半分酔っ払った状態のまま、鷹を放って、街を遠く離れたところまで出かける。
弓を満月のように引きしぼり、射れば必ずあたるときまで矢をはなたない。射たら二羽のマナヅルがまっしぐらに落ち、飛んだかぶら矢が串ざしにしている。
放牧できていた湖のほとりで見ている者は、みな、おそれおののいているのだ。猛々しい気性であって、すぐれた風貌は、砂漠中にその名を鳴り響かせているのだ。
そういうことから儒学者というものは、狩猟ができ、任侠の筋道を立てる人にはかなわないのだ。しらが頭で、家の中にとじこもって、書物をたよりに礼節ばかりで、いったい何の利益があるというのだろう。


(語訳と訳註)

行行游且獵篇
行行且遊猟篇 古い楽府の題で、もとは天子の遊猟をうたったものといわれるが、李白のこの詩は辺境の少年の遊猟をうたっている。



邊城兒。生年不讀一字書。 但將游獵夸輕趫。
国境あたりの子は、生れてからずっと一字も書物など読むことなどないのだ。ただ知っているのは狩猟をあそびとするだけ、それにからだがすばしこいのが自慢であるという。
辺城 国境の町。○遊猟 狩をして遊ぶこと。○軽超 すばしこい。

 

胡馬秋肥宜白草。 騎來躡影何矜驕。
大宛国産の馬が秋になってまるまると肥えるのは白い草もたくさん食べられる頃だからだ。かれらは、馬にむねはってまたがり走ってゆくが、何と怖さを知らず自信をもっているのだろう。
胡馬 大宛国産の馬。胡は中国北方の異民族を指す。○白草 「白草は、稲に似た雑草でほそく、芒がなく、乾燥するとまっしろになり、ミネラル分が多い牛馬のえさになる。○躡影 疾走の形容。○矜驕 ほこり、おごる。意気揚揚。


金鞭拂雪揮鳴鞘。 半酣呼鷹出遠郊。
狩猟に出るのに金のむちで雪をはらいのけると、ビシリとむちの先が鳴る。まだ半分酔っ払った状態のまま、鷹を放って、街を遠く離れたところまで出かける。
鳴鞠鳴るむちの先。○半酎 半分よっばらう。○呼鷹 鷹狩をする。



弓彎滿月不虛發。 雙鶬迸落連飛髇。』
弓を満月のように引きしぼり、射れば必ずあたるときまで矢をはなたない。射たら二羽のマナヅルがまっしぐらに落ち、飛んだかぶら矢が串ざしにしている。
不虚発 射れば必ずあたる。○双鶬 二羽の鶬。鶬は鶬鴰。地方によって呼び名がちがい、鴰鹿、鶬鶏などとも呼ばれる。鶴の一種で、青蒼色、または灰色。頂には丹がなく、両頬は紅い。マナヅルのことらしい。○迸落 ほとばしり落ちる。○飛髇 髇は鳴鏑、囁矢、に同じく、かぶら矢。木または鹿角で作った中空のかぶら形の筒に数箇の穴をあけ、それを矢の先につける。射れば筒の穴に風が入って激しく鳴る。



海邊觀者皆辟易。 猛氣英風振沙磧。
放牧できていた湖のほとりで見ている者は、みな、おそれおののいているのだ。猛々しい気性であって、すぐれた風貌は、砂漠中にその名を鳴り響かせているのだ。
海辺 海は東方の大海ではない。砂漠の中の実は湖。○辟易 おどろきおそれて、しりごみする。○沙磧 砂漠。 



儒生不及游俠人。 白首下幃復何益。』
そういうことから儒学者というものは、狩猟ができ、任侠の筋道を立てる人にはかなわないのだ。しらが頭で、家の中にとじこもって、書物をたよりに礼節ばかりで、いったい何の利益があるというのだろう。
儒生 儒学者。○遊侠 游は、狩猟が上手い、武術ができる。腕っぷしが強い。その上、強きをくじき弱きをたすけ、生命をなげだして人を救うことを自分の任務とし、私交を結んで勢力をし、命をはっているもの。○白首 しらが頭。○下幃 とばりを垂れおろす。弟子をとること。「漢書」によると、漢の儒者、董仲舒は若いころ「春秋」を修得し、景帝のとき博士となったが、「帷下し」家にとじこもって弟子をとり、講義した。弟子たちは長い間順番を待って授業を受けたが、中には先生の顔を見ることさえできずに帰る者もいた。それほど多くの弟子が押しかけたという。李白は儒学者を評価していない



(解説)
 李白『幽州胡馬客歌』「旄頭四光芒」(旄頭(ぼうとう) 四(よも)に光芒あり)寒くなると北方の異民族は南下して国境線を突破してきた、そのため冬の戦いに備えた。異民族は騎馬民族で馬上の戦いであった。それに対し漢民族は農耕民族で、戦いは歩兵戦であった。
 幽州の兵は、北方の敵に対しての訓練がなされたのである。凶暴、残忍さが加わったのだ。もう一つは、略奪すること。これらが基本で、戦略とか、統治する意識がないのである。安禄山の叛乱は、普通に戦えば天下は取れた。統治するという意識がなさ過ぎたのである。

 李白の北方の詩、辺境の詩、出塞の詩はこういった部分を読み取ることができる。杜甫の『後出塞五首』其四も参考になる。


單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

單父東樓秋夜送族弟沈之秦  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白192

 長安追放後李白が開封とともに比較的永くいたのが単父である。ここは兗州から西南二百支里で、家族の住居とも近かったからたびたび往来したと考へられる上に、この時、県の主簿の任にあった李凝、その弟らしい李沈(リシン)の二人との交際によって、事実しばらく滞在していたようである。

 この李沈が長安にゆくのを、単父の東楼で送別して作った。詩は佳作である。



單父東樓秋夜送族弟沈之秦 *時凝弟在席
単父の東楼に秋夜 同族の弟 沈の秦に行くのを送る。 *この時、弟凝もその席に在った。
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』

簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。』
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。
遙望長安日。 不見長安人。
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。』
一朝復一朝。 發白心不改。
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
屈原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』

聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。』



なんぢ咸陽より来り われに問ふ何ぞ労苦すと。

沐猴(もっこう)にして冠するは言ふに足らず、身は土牛に騎して東魯に滞(とど)まる。』

沈弟は行かんとし凝弟は留まる、孤飛の一雁 秦雲の秋。

坐来 黄葉 落つること四五 、北斗すでに挂(かか)る西城の楼。』

糸桐 人を感ぜしめ絃また絶ゆ、満堂の送客みな別を惜む。

簾(すだれ)を巻き月を見て清興 来る 、擬ふらくはこれ山陰の夜中の雪かと。』


明日 斗酒の別、惆悵(ちゅうちょう)たり清路の塵。

遥に長安の日を望めども、長安の人を見ず。

長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。』

長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。

屈平は憔悴(しょうすい)して江潭に滞(とど)まり  

亭伯は流離して遼海に放たる。』

(かく)を折り翻飛(ほんぴ)して転蓬に随ひ、弦を聞き虚墜して霜空を下る。

聖朝久しく棄つ青雲の士、他日誰か憐まん張長公。』



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單父東樓秋夜送族弟沈之秦 

(本文)
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』

(下し文)
なんぢ咸陽より来り われに問ふ何ぞ労苦すと。
沐猴(もっこう)にして冠するは言ふに足らず、身は土牛に騎して東魯に滞(とど)まる。』
沈弟は行かんとし凝弟は留まる、孤飛の一雁 秦雲の秋。
坐来 黄葉 落つること四五 、北斗すでに挂(かか)る西城の楼。』
糸桐 人を感ぜしめ絃また絶ゆ、満堂の送客みな別を惜む。
簾(すだれ)を巻き月を見て清興 来る 、擬ふらくはこれ山陰の夜中の雪かと。』

(現代語訳)
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。』
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。』
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。』



爾從咸陽來 問我何勞苦
君は長安から来た。そして、私にどんな辛苦、苦労があったのかと質問した。
咸陽 長安。


沐猴而冠不足言 身騎土牛滯東魯
心の賤しいつまらない者が、高官となることは言うに足らないことであり、身は土の牛に騎乗してここ東魯に滞(とど)まっているのだ。
沐猴(もっこう)史記・項羽本紀「沐猴而冠」、猿が冠をかぶっているということより心の賤しいつまらない者が外見を飾る、あるいは、高官となること。○土牛 猿である上に土の牛にのっているからのろのろとして。

沈弟欲行凝弟留 孤飛一雁秦雲秋 
上の弟の沈君はこれから長安に行こうとしていてもう一人の弟の凝君はここに留まるという、一人で旅立つというのは群れから離れた一羽の雁が、大都会の長安の暗雲の秋に飛び込むことなのだ。



坐來黄葉落四五 北斗已挂西城樓 
気ままにここに来たのだが、黄葉の落ちること四、五年も経ってしまったが、今、北斗の星がすでに挂(かか)って輝き始めた西城の楼閣にいる。

坐來 そぞろに来てしまった

絲桐感人弦亦絶 滿堂送客皆惜別 
鼓弓、琴はここにいる人の別れの感情をかき立たせた曲も終わり琴の音も途絶えた。どこの座敷の送客の皆が別を惜んでいる。
糸桐 琴。○ 主要な座敷。

卷簾見月清興來 疑是山陰夜中雪』
簾(すだれ)を巻きあげて月を見あげるとあたりは明るく照らされて清々しい興味がわいてきたのだ。これは風流人が言った「山陰地方のは夜中に雪か降った」かのように間違ってしまうほどあかるく白々しいのだ。  
清興來:疑是山陰夜中雪 晋の風流人、王徽之が見てたちまち友人戴逵を懐った山陰の夜の夜中の雪かと、月光を見ておもう。晋の王徽之(未詳―388) 中国、東晋(しん)の人。字(あざな)は子猷。王羲之(おうぎし)の第五子。官は黄門侍郎に至る。会稽の山陰に隠居し、風流を好み、特に竹を愛した。






(本文)
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
遙望長安日。 不見長安人。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
一朝復一朝。 發白心不改。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』

(下し文)
明日 斗酒の別、惆悵(ちゅうちょう)たり清路の塵。
遥に長安の日を望めども、長安の人を見ず。
長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。』
長安の宮闕は九天の上、この地かつて経(へ)て近臣となる。
屈平は憔悴(しょうすい)して江潭に滞(とど)まり  
亭伯は流離して遼海に放たる。』
翮(かく)を折り翻飛(ほんぴ)して転蓬に随ひ、弦を聞き虚墜して霜空を下る。
聖朝久しく棄つ青雲の士、他日誰か憐まん張長公。』

(現代語訳)
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。』
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。
屈原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。』
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。
聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。』


明日斗酒別 惆悵清路塵
明日の朝は別れの酒を飲み干した別れとなる、返す返すも恨めしく思うことは、聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在にされてしまったことだ。  
惆悵((ちゅうちょう)かなしくうらめし。○清路塵 聖人の道を歩いてきた一粒の塵のような存在。



遙望長安日 不見長安人
長安ですごした日々は遥かなものとして望むことはするけれどもめども、長安の朝廷の人たちについては見ることはない。


長安宮闕九天上 此地曾經為近臣
長安の宮闕の御門は大宇宙の真ん中、九天の上になる、この地で少し前まで天子の近臣のものとなっていた。
宮闕 宮廷。宮廷の遠望台を言うのであるがここで李白は朝廷を強調して表現している。○九天 宇宙を九分割する、地上も空も。

一朝復一朝 髪白心不改
それ以来、一朝過ぎまた一朝と過ぎてきている、白髪頭に変わっていくけれど心はなかなか落ちつかないでいて改まらないのだ。

屈平憔悴滯江潭 亭伯流離放遼海
原は憔悴(しょうすい)して湘江、潭州地方に遣られたままだった、崔亭伯は楽浪郡の官に左遷されたままだった。 
屈平 洞庭湖畔に追放された屈原。中国、戦国時代の楚(そ)の政治家・詩人。名は平。原は字(あざな)。楚の王族に生まれ、懐王に仕え内政・外交に活躍したが、汨羅(べきら)に身を投じたという。○亭伯 後漢の崔駰、字は亭伯、楽浪郡の官に左遷された。

折翮翻飛隨轉蓬 聞弦虚墜下霜空
大鳥の羽の翮(かく)を折ってしまって、飛んでも裏返ってしまったので風に吹かれて飛ぶ転蓬のように旅をしている、弓を引いただけで墜落してしまったそして霜空の下にいるのだ。

 羽のもと、羽のくき。○転蓬 風に吹かれて飛ぶよもぎ。○聞弦虚墜 つる音をきいてあたりもしないのに落ちて来る。


聖朝久棄青云士 他日誰憐張長公
聖人の朝廷から永久に棄てられた学徳高き賢人というものが、後世の世において誰か憐れむというのだ。漢の張長公もそうなのだ。
青云士 学徳高き賢人。 ○張長公 漢の張摯、字は長公、官吏となったが、世間と合はないとてやめられたのち終身仕へなかった。漢の張釈之の子。

 

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

行路難 三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185


其三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
儒教思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
子胥既棄呉江上,屈原終投湘水濱。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。
 


(本文)其三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
子胥既棄呉江上,屈原終投湘水濱。
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
華亭鶴唳渠可聞,上蔡蒼鷹何足道。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
(下し文)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損(おと)す

子胥は既に棄てらる呉江の上(ほとり) 屈原は終に投ず湘水の浜

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道(いう)に足らむ

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須(もちひ)るや


(詩訳)

儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。



李白「行路難」三首其三 訳注解説
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有耳莫洗潁川水 有口莫食首陽蕨
儒虚思想の許由は、仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をした、同じ儒教者の伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死した。こういうことはしてはいけない。
有耳莫洗潁川水 、堯の時代の許由という高潔の士は、堯から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられたとき、それを受けつけなかったばかりか、穎水の北にゆき隠居した。堯が又、かれを招いて九州の長(当時全国を九つの州に分けていた)にしようとした時、かれはこういぅ話をきくと耳が汚れると言って、すぐさま穎水の川の水で耳を洗った。○首陽蕨 伯夷、叔齊のかくれた首陽山のわらび。彼等は、祖国殷を征服した周の国の禄を食むのを拒み、この山に隠れワラビを食べて暮らし、ついに餓死した。陶淵明「擬古九首其八
陶淵明「飲酒其二
積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。
(末尾に訳注を参照)




含光混世貴無名 何用孤高比雲月
自分自身に光り輝く才能を持っていて世の中に大使は無名であることを尊いことという。どうして自分一人で崇高でいたとして大空の雲や満月ほど崇高といえるのか。



吾観自古賢達人 功成不退皆損身
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄呉江上 屈原終投湘水浜
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、葉かは作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜 のすなになっている。
子胥 伍子胥(ごししょ、? - 紀元前484年)は、春秋時代の政治家、軍人。諱は員(うん)。子胥は字。復讐鬼。呉に仕え、呉の躍進に大きく貢献したが、次第に呉王から疎まれるようになり、最後には誅殺された。伍子胥は夫差から剣を渡され自害するようにと命令された。
 その際、伍子胥は「自分の墓の上に梓の木を植えよ、それを以って(夫差の)棺桶が作れるように。自分の目をくりぬいて東南(越の方向)の城門の上に置け。越が呉を滅ぼすのを見られるように」と言い、自ら首をはねて死んだ。
 その言葉が夫差の逆鱗に触れ、伍子胥の墓は作られず、遺体は馬の革袋に入れられ川に流された。人々は彼を憐れみ、ほとりに祠を建てたという。ちなみにこの行為が日本の端午の節句や中国での厄よけの風習として、川に供養物を流す由来になったと言われている。
屈原 (くつげん、紀元前343年1月21日? - 紀元前278年5月5日?)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

陸機雄才豈自保 李斯稅駕苦不早
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず謀反の疑いで処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
陸 機(りくき261年- 303年)は、呉・西晋の儒家文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つ、陸氏の出身で、祖父・父は三国志演義の登場人物としても有名な陸遜・陸抗。謀反の疑いで処刑された。
李 斯(り し? - 紀元前208年)儒家中国秦代の宰相。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。



華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたい。 上蔡の敏俊な蒼鷹にしてもどうしてそうなりえたのか言わなくてもわかっている。
華亭県(かてい-けん)は中華人民共和国甘粛省平涼市に位置する県。県人民政府の所在地は東華鎮。華亭県は東は崇信県、西は庄浪県、寧夏回族自治区の涇源県、南は張家川回族自治県と陝西省隴県、北は崆峒區に隣接する。
上蔡県(じょうさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。



君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君は見ているだろう、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったことを。
張翰昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に先手を打ったのだと思ったという逸話。李白「秋荊門を下る」

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって名声を拍したとして何になろうか。




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道教思想により死んだあとの名声より今の一杯の酒を楽しむ李白。
ここでの 行路難 三首其三 李白
迭裴十八図南歸嵩山其二 李白

 それとまったく好対照の陶淵明の飮酒二十首 其二  陶淵明「九十行く索を帶びし,飢寒况んや當年をや。」末尾に紹介する。





迭裴十八図南歸嵩山其二 李白
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君思穎水綠、忽復歸嵩岑。
歸時莫洗耳、爲我洗其心。
洗心得眞情、洗耳徒買名。
謝公終一起、相與済蒼生。
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君は頴水のあの澄み切った緑色を思い出し、急に嵩山の高峰にまた帰ろうとしている。
帰った時を境に、耳を洗うようなことはしないでくれ、わたしのために、心を洗うことをしてくれないか。
心を洗うことができたら、真理、情実のすがたをつかむことが出来よう。かの許由のように耳を洗って、名前が売れるだけでつまらないものだ。
晉の時代の謝安石が、ついに起ちあがって活躍した、その時は君とともに天下の人民を救うためやろうではないか。
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裴十八図南の嵩山に帰るを送る 其の二
君は穎水(えいすい)の綠なるを思い、忽ち復た 嵩岑に帰る
帰る時 耳を洗う莫れ、我が為に 其の心を洗え。
心を洗わば 真情を得ん、耳を洗わば 徒らに名を買うのみ。
謝公 終(つい)に一たび起ちて、相与に 蒼生を済わん。
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飮酒二十首 其二  陶淵明
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積善云有報、夷叔在西山。
善惡苟不應、何事立空言。
九十行帶索、飢寒况當年。
不賴固窮節、百世當誰傳。
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飮酒 其二
積善 報い有りと 云ふも,夷叔 西山に 在り。
善惡 苟にも 應ぜざらば,何事ぞ 空言を 立てし。
九十 行(ゆくゆ)く 索を 帶びし,飢寒 况(いは)んや 當年をや。
固窮の節に 賴らざれば,百世 當(まさ)に 誰をか 傳へん。
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積み重ねた善行には、(それに相応する)善い報いがあるといわれている(が)。(しかしながら正義を貫いた)伯夷と叔齊は、(節を保持しようとしたために、却って世から遁れざるを得ず、)首陽山に(隠棲して、餓死するはめになって)いる。

正義を貫いた伯夷と叔齊は、節を保持しようとしたために、却って首陽山に隠棲して、餓死するはめになったが、このような、かりそめにも善と悪とに相応した結果が伴わない場合には。(もしもかりそめにも、善と悪とに、相応したむくいがないのならば、)どうしてこのような「積善云有報」というような「空言」を言ってきたのか。

九十歳になんなんとした栄啓期は、縄を帯にして、楽器を打ち鳴らして歌を唱うという行為をした。
(栄啓期の老年期の)貧窮生活は、壮年時代よりも一層のものだ。
貧窮を固守する節操に依拠しないとすれば。仏教的な「積善云有報」ではなくて、清貧に甘んじる節操・儒教的な「固窮節」こそが、後世に伝うべきものであろう。
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行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184

行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184




李白は長安を去って、河南の開封地方に行ったが、そのとき、洛陽にも足を延ばしている。時に744年天宝三年である。このとき、詩聖といわれる杜甫との出会いがあった。
このとき、杜甫は、山東地方漫遊から帰って、試験にも落第して、たまたま洛陽に住んでいた。二人が会ったときは、李白は四十四歳、杜甫は十一歳下の三十三歳である。杜甫は、その性格から、当時の虚偽に満ちた世相を厭わしく思っていたところ、たまたま神仙を求め楽天的に振る舞う豪快な李白を見て、その詩にひきつけられ、意気投合して共に遊び、共に飲み、共に詩を作るようになった。また、詩人高適ともめぐり会う遭遇し、三人共に会して痛飲し、時世を憤慨したものである。
李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」
杜甫「書懐」「昔游」

 行路難其の二は、唐王朝の体制には居場所がないこと、魑魅魍魎の棲みかで、聖人、賢人の活躍の機会はないことを述べている。杜甫は妻を娶って間もないこともあり、また父の意向で士官を強く要望されていた。詩人として生きていくことにしているが、二人とも岐路に立っていると感じていた。

其二
大道如青天,我獨不得出。
天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。

昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。
行路難,歸去來。

目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。

其二
大道如青天,我獨不得出。
羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
行路難,歸去來。

其の二

大道(たいどう)は晴天の如し、我(われ)独り出ずるを得ず。

()ず  長安社中の児()を逐()うて、赤鶏(せきけい) 白狗(はくく) 梨栗(りりつ)を賭するを。

剣を弾じ歌を作()して苦声(くせい)を奏(そう)し、裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず。

淮陰(わいいん)の市井 韓信(かんしん)を笑い、漢朝(かんちょう)の公卿  賈生(かせい)を忌()む。


君見ずや 昔時(せきじ)の燕家(えんか)郭隗を重んじ? (すい)を擁し節(せつ)を折って嫌猜(けんさい)無し

劇辛(げきしん) 楽毅(がくき) 恩分(おんぶん)に感じ、肝を輸(いた)し膽(たん)を剖()いて英才を效(いた)

昭王の白骨 蔓草(まんそう)?(まと)わる、誰人(たれひと)か更に掃(はら)わん 黄金(おうごん)

行路(こうろ)は難(かた)し、いざ帰去来(かえりなん)



天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。

それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。
目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。





其二
大道如青天,我獨不得出。

天子の御政道は青天のように清朗で広く包み込むものである、私、ひとりその道を得ることができなかった。
○大道 道は万物に備わったそれぞれの道をいい、それら万物すべてに共通する道をしめす。天下の御政道




羞逐長安社中兒,赤雞白狗賭梨栗。
はずかしいことではあるが長安城中で若い衆らとやってしまう、闘鶏や闘犬に梨栗程度の賭けをして遊んでいたのだ。
○羞逐 はずかしいことではあるがやってしまう。
○兒 若い衆、任侠の使徒。子供は童。○梨栗 実際には、お金をかけたのかもしれないが、レートとして、高くないことを示している。



彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。
馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。
○馮驩 すうかん斉の宰相孟嘗君に仕えた政治家。孟嘗君の食客として迎えられ、下級宿舎に泊まらせられた。馮驩は剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、食う魚なし」という歌を歌い出した。それを聞いた孟嘗君は中級宿舎に泊まらせた。すると馮驩はまた剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、外にも出ようも御輿がない」という歌を歌い出した。詳しくはウィキペディア「馮驩」「斉の宰相と馮驩」参照。○曳裾王門不稱情 弁舌の上手い使徒を雇い入れ、王に意見を述べさせても、述べた本質のところの理解はすぐにできるのではない。「史記」巻八十三は戦国の弁舌の徒・魯仲連と漢代に文章を以て重用された鄒陽の合伝にある故事に基づいている。



淮陰市井笑韓信,漢朝公卿忌賈生。
淮陰の街の人たちの若い徒は韓信をあなどり「股くぐり」をさせた、漢の貴族、官僚たちは若くして要職に就いた賈誼に嫉妬し忌み嫌い讒言し、左遷させた。
○韓信 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。韓信は町の少年に「お前は背が高く、いつも剣を帯びているが、実際には臆病者に違いない。その剣で俺を刺してみろ。出来ないならば俺の股をくぐれ」と挑発された。韓信は黙って少年の股をくぐり、周囲の者は韓信を大いに笑ったという。大いに笑われた韓信であったが、「恥は一時、志は一生。ここでこいつを切り殺しても何の得もなく、それどころか仇持ちになってしまうだけだ」と冷静に判断していたのである。この出来事は「韓信の股くぐり」として知られることになる。
 ○賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。李商隠「賈生」 李商隠:紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集 64 参照



君不見昔時燕家重郭隗,擁彗折節無嫌猜。
君見ているだろう  戦国燕の昭王は郭隗を重用したではないか、鄒衍を迎えるに 礼を尽くして讒言や諫言など猜疑心の意見がある中、全く疑わないで使いにだし成功した。
○燕家重郭隗 昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。 ○擁彗折節無嫌猜 鄒衍(前305頃―前240) 戦国時代の陰陽五行家。斉の人。弁才にたけ、燕・斉を歴遊した。晩年、斉の使いとして趙に赴き、公孫竜を説得して尊敬された。陰陽のことを研究し、「五徳終始」説を提唱、春秋戦国時代に流行する「五行」説を社会・歴史の変化と王朝の交代になぞらえて、漢代の懺緯学の主な源流となった。著書の『鄒子』などは全部散逸した。 


劇辛樂毅感恩分,輸肝剖膽效英才。
燕昭王が集めた人材、劇辛や楽毅は 君恩に報いようと五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ。よき人材の登用すれば「肝胆を砕いて 才能の限りをつくす」働きをするものだ。
○劇辛樂毅感恩分 劇辛は趙の国出身の人物で、郭隗の進言を聞き入れた燕昭王が「隗より始めよ」と富国強兵の為の人材優遇を始めて以降に、楽毅や鄒衍らと同様に、賢人を求め優遇する燕昭王の元へと赴き、燕の臣となった。楽毅は、戦国燕の武将で、昭王を助けて仇敵の斉を五国連合を率いて打ち破り、斉を滅亡寸前にまで追い込んだ稀代の軍略家。 ○輸肝剖膽效英才



昭王白骨縈爛草,誰人更掃黃金台。
それだけの昭王であっても今は白骨になり蔓草に蔽われ墓のしたにある。昭王が政治を行った黄金台の跡をだれが見守り掃除するというのか。



行路難,歸去來。
目標を持った行路を進んでいくというのは困難なことだ、いっそ隠遁して桃源郷に帰ろう。



李白は人材登用が全くなされようとしない玄宗の唐王朝に嫌気がしたのだ。最後の2聯が言いたいことではない。国に帰ることを言いたいのではない。李林甫、高級官僚の讒言に動かされ、淮陰の街の使徒のように宦官たちがよき人材を侮るようなことをしている。李白は憤っていたのであるが、無能呼ばわりだけしたのではおとがめられるので、自分の進むべき道が分からないと思考方向を自らに向けたのだ。
燕の昭王、孟嘗君らが登用した歴史上で有名な七人の快男子、馮驩、韓信、韓信、鄒衍、郭隗、劇辛、樂毅について取り上げ、適正な登用がなされれば、かならず「感恩分、輸肝剖膽效英才」(恩分に感じ、肝を輸し膽を剖いて英才を效す)ということになるのであるということが李白の主張である。

 陶淵明をいいとは思っていないということがこの詩ではっきりしている。これについては別のところで取り上げたい。


 

行路難 三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

行路難 三首 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

 この詩は李白が杜甫に悩みを打ち分けるという観点でみると味わい深い。

 杜甫は、洛陽にいて同族、血縁、貴族公子などとの付き合いに辟易していた。李白との出会いで、その風采が超絶しており、天才的な詩に対し一挙にカルチャーショックを受けてしまった。李白が東に旅すると聞いたが、叔母の葬儀があるので、一緒に旅立てない。後を追って往くことにした。叔母の葬儀を終えて、この「謫仙人」李白を求めて東方の梁宋(河南開封、商邱地方)に遊ぼうとしたのである。
天宝3載744年杜甫33歳 李白44歳であった。


 その後の二人は、詩の交換を通じて情をうまく表現した傑作をのこす。先ず、杜甫が先輩の李白に贈った詩に
贈李白」がある。
秋來相顧尚瓢蓮、未就丹砂愧葛洪。
痛飲狂歌空度日、飛楊跋扈為誰雄。

(秋になり顔を見合わせると瓢か蓬のように頼りない、いまだ丹砂にも辿りつけず葛洪に合わせる顔がない。飲み明かし 歌い狂って 空しく日を送り、飛び跳ねて暴れているが 誰のためにやっているのだ。)
 杜甫は李白と遊んでいる嬉しい様を、歌に託して李白に贈っている。実際には詩のやり取りをしているのだろうが李白の方はあまり残っていない。

 杜甫と李白は一層、仲睦まじくなり、その年の秋には梁宋に出掛けている。杜甫「書懐」、李白「秋猟孟諸夜帰置酒単父東楼観妓」参照
ここには岑参(しんじん)、高適(こうせき)の詩人たちもいたので、共に酒を飲み、詩を賦して意気投合し愉快な日々をおくった。城中の酒楼や吹台に上って眺望を恣にして、古を懐かしんでいる。

  その翌年、天宝4載745年杜甫34歳は、李白が魯郡の任城に家を持ったので、ここに杜甫を迎えて、さらに、互いに親交を深めている。この頃が二人とも詩情が溢れ、詩作が最も盛んな時期である。

 李白は杜甫の詩才を讃え、杜甫は李白を慕い賞賛の辞句を数多く入れて詩を作っている。このように二人が極めて親しく交わり、詩を贈答しあったことは歴史の偶然だったのか、必然なのか、とはいえ、漢詩文学にとっては画期的なことと特筆されている。

 李白も、現実の社会では障害や自分の奔放さの性格から苦難を免れないと悟っていたので、初めて出会い親しくなった杜甫に打ち明けたのだ。

 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠うものだ。李白は、食事も咽喉を通らず茫然として八方ふさがりであった。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたいと杜甫に訴えた。朝廷を放免されたことは李白にとって、死ぬほどのショックなことだったのだ。でも李白はプラス思考の詩人だ。明るい。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。



其一
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。
停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
行路難,行路難,多岐路,今安在。
長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。

金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞(ちんしゅう) 直(あたい) 萬錢(ばんぜん)

杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然(ぼうぜん)

黄河を渡らんと欲すれば冰は川を塞ぐ,太行に登らんと將れば雪は山に滿。

閑來(かんらい) 釣を垂る 碧溪(へきけい)の上,忽ち復 舟に乘じて日邊を夢む。

行路 難! 行路 難! 岐路 多し 今 安くにか在る。

長風 浪を破る 會ず時 有り,直ちに雲帆(うんぱん)を挂()けて 滄海(そうかい)に濟(わた)



金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。





行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。李白は三首つくった。


(其の一)
金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。

金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。
斗十干 一斗一万銭。高い上等の酒。曹植の詩「美酒斗十干」にもとづく。
[李白「將進酒」
陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。
(陳王の曹植は平楽観で宴を開いたとき。 陳王・曹植は斗酒を大金で手に入れ、よろこびたわむれることをほしいままにした。)
・陳王 三国時代魏の曹植のこと。 ・昔時 むかし。 ・平樂 平楽観。『名都篇』で詠う宮殿の名で、後漢の明帝の造営になる。(当時の)首都・洛陽にあった遊戯場。或いは、長安の未央宮にあった。○斗酒十千 斗酒で一万銭。曹植楽府詩、「一斗一万銭」。 ○斗酒 両義あり。わずかな酒。また、多くの酒。 ○斗 ます。少しばかりの量。少量の酒。多くの酒。 ○十千 一万。 ・恣 ほしいままにする。わがまま。勝手きままにふるまう。 ・歡謔 かんぎゃく よろこびたわむれる。]○珍羞 めずらしいごちそう。○直 値と同じ。



停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。
そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。
停杯 気持ちがのらない度いつの間にか酒を辞めている状態。○拔劒四顧 剣を抜いて四方の霊に問いただしてみる。



欲渡黄河冰塞川,將登太行雪滿山。
今までのように黄河を渡るようなことしようとしても、心の氷が川すじを塞いでしまうのだ。太行山に登るようなことしようとしても、心に積もった雪が山をいっぱいにしている。
太行 山の名。太行山脈(たいこうさんみゃく)は中国北部にある山地。山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。



閑來垂釣碧溪上,忽復乘舟夢日邊。
そこで、太公望をまねて、きれいでしずかなみどりの谷川で釣糸を垂れたのだ。ふと気がつくと、どうしても舟に乗って白日の天子のそばに行くことを、夢みてしまうのだ。
日辺 太陽の側と、天子の側という意味と、ここでは兼ねている。



行路難,行路難,多岐路,今安在
これから生きる行路は困難だ。どの行路も困難だ。進めば岐路に当たり、行けば岐路、分れ路が多すぎる。迷路に入ったようだ、いまはいったい、どどこにいるというのか?
多岐路 わかれみちが多いために逃げた羊を追うことができず、とうとう羊を亡ってしまった。ヘボ学者はそれと同様、多すぎる資料をもてあまして決断に迷い、いたずらに年をとってしまう、という故事がある。「列子」にみえる。ここは岐路から岐路へ、岐路が多い迷路のようだということ。
今安在 迷路のどこにいるのか。



長風破浪會有時,直挂雲帆濟滄海。
偏西風の大風に乗じてはるか波をのりこえていくような時期がいつかは来るのだ。その時がきたら、ただちに、雲のように風に乗る帆をかけて、理想の仙界に向かう大海原をわたっているだろう。
滄海 東方の仙界、蓬莱・方丈・瀛州に向かい海。あおうなばら。



毎日それぞれ一首(長詩の場合一部分割掲載)kanbuniinkai紀 頌之の漢詩3ブログ
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李白詩350首kanbuniinkai紀頌之のブログ

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戦城南   李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175 戦争

戦城南   李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白175 戦争
雑言古詩



玄宗ものがたり(8)

皇太子側の皇甫惟明が李林甫を弾効する上奏文が、玄宗皇帝の指示で張本人の李林甫の元に届けられる。李林甫は皇太子派の意図を知りそれに備える。一方、皇太子派は皇帝の許可なく外出ができる「元宵節」に行動を開始するが大失敗。李林甫の力をまざまざ見せつられることになってしまう。

 玄宗は、宦官の侍従長・高力士を驃騎大将軍という歴史始まって以来の高い地位に任命する。一方で、李林甫糾弾の計画に失敗した皇太子派の韋堅と皇甫惟明が懲罰される。皇太子自身には咎めは無かったものの、李林甫との権力争いで部下を巻き込んだ事を悔い、争いは避けて耐える決意をする。


 朝廷と後宮に軍隊に、暗雲がもたらされてくる。ひとつは、「安史の乱」を起こすくわせものの策士・安禄山の重用が、朝廷に不満と対立を生む。もうひとつは、楊貴妃は玄宗の浮気心に悩まされるようになる。道教への傾倒は不老不死につながり、それは回春薬につながる。金丹薬が、政治から女の方にしか関心を持たせなくしてゆくのである。宦官の軍隊が皇帝を守る物と矮小化され、従来の近衛軍三軍は、形骸化していったのである。
潘鎮はそれぞれ力をつけてきた、それを抑え、力の均衡を図るため節度使に力を与えてきたことで、叛乱をだれが起してもおかしくないほどの力をつけさせてしまったのだ。その筆頭格に安禄山がいた。


 安禄山は、辺境で戦いの火種をまき、国境防衛を名目に王忠嗣に援軍を要請、王忠嗣の兵力の一部を安禄山の配下に加えことに成功する。この軍勢で東北の敵を壊滅させ、野心を成就していくのである。





戦城南 

去年戦桑乾源、今年戦葱河道。
去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦った。
洗兵滌支海上波、放馬天山雪中草。
刀剣の血のりを、条支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
萬里長征戦、三軍盡衰老。』
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。』
匈奴以殺戮爲耕作、古来惟見白骨黄沙田。
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
秦家築城備胡處、漢家還有烽火燃』。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
烽火燃不息、征戦無己時。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。
野戦格闘死、敗馬號鳴向天悲。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。
烏鳶啄人腸、銜飛上挂枯樹枝。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
士卒塗草莽、将軍空爾爲。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。
乃知兵者是凶器、聖人不得己而用之。』

これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。



去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦った。
刀剣の血のりを、条支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。』
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。
これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、
聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。



城南に戦う
去年は桑乾の源に戦い、今年は葱河の道に戦う。
兵を洗う 条支 海上の波、馬を放つ 天山 雪中の草。
万里 長く征戦し、三軍 尽く衰老す。』
匈奴は殺戮を以て耕作と為す、古来 唯だ見る 白骨黄抄の田。
秦家 城を築いて胡に備えし処、漢家 還た烽火の燃ゆる有り。』
烽火 燃えて息まず、征戦 己むの時無し。
野戦 格闘して死す、敗馬 號鳴し 天に向って悲しむ。
烏鳶 人の腸を啄み、銜み飛んで上に挂く 枯樹の枝。
士卒 草莽に塗る、将軍 空しく爾か為せり。
乃ち知る 兵なる者は是れ凶器、聖人は己むを得ずして之を用うるを。



城南に戦う。
戦城南  742年の北方、西方での戦い。詩は後に掛かれたものであろう。玄宗ものがたり(8)時期的の背景になるものである。
漢代の古辞以来の厭戦・反戦的な作であり。天宝年間繰り返された西方、北方の戦争を批判するものである。領土拡張、略奪、強奪の犠牲者を思い、残されたものの悲しみ、悲惨さは誰もが知っていたことである。ここに至るまでの数百年間の間に他の周辺諸国との間に国力の違いが生まれた。農耕民族の生産高が倍増したためであった。当初はこれをもとにして、国土を拡大し、略奪により、さらに国力を増加させた。



去年戦桑乾源、今年戦葱河道。
去年は、東のかた桑乾河の水源で戦い、今年は、西のかた葱嶺河の道辺で戦った。
桑乾  山西省北部に源を発し、河北省東北部を流れる河。下流の北京地方を流れる部分は「永定河と呼ばれる。○葱河 葱嶺河の略称。葱嶺(パミ-ル高原)から現在の新疆イグル自治区を流れる葱嶺北河(カシュガル河)と葱嶺南河(ヤルカンド河)およびその下流のタリム河を含めた総称。



洗兵滌支海上波、放馬天山雪中草。
刀剣の血のりを、条支の水辺の波で洗い落とした、戦いに疲れた馬を、天山の雪深き草原に解き放って休ませた。
洗兵 血のりで汚れた兵器を洗う。○条支  西域の国名。所在地としては、地中海東岸、ペルシャ湾岸、中央アジアなどの西域の地名として象徴的に用いている。○天山 新顔ウイグル自治区を東西に横断する大山脈。またその東南、甘粛省の酒泉・張掖の南に横たわる祁連山も天山と呼ばれる。
五言古詩「関山月」参照。



萬里長征戦、三軍盡衰老。』
万里のかなた、遠く出征して戦いつづけ、三軍の将も士も、ことごとくみな老い衰えてしまった。』
三軍  大軍。もと周代の兵制。一軍が一万二千五百人。大国(諸侯)は三軍を、王(天子)は六軍をもつとされた。(『周礼』、夏官「司馬」)。


匈奴以殺戮爲耕作、古来惟見白骨黄沙田。
異民族の匈奴たちは、人を殺すということを、まるで田畑を耕すような日々の仕事と思っている。昔からそこに見られるのは、白骨のころがる黄砂の土地ばかりだ。
匈奴 漢代西北の騎馬民族、遊牧民。異民族の代称としても用いられる。



秦家築城備胡處、漢家還有烽火燃』。
秦以前の王家から始まり、秦の始皇帝が本格的に長城を築いて、胡人の侵入に備えたところ、そこにはまた、漢民族のこの世になっても、危急を告げる烽火を燃やすのである。
秦家築城 秦の始皇帝が慕情に命じて、万里の長城を築いたこと。○備胡 胡人(異民族)の侵入に備える。○漢家 漢王朝。暗に唐王朝をさす。○煙火 危急を知らせる煙火。蜂火台から煙火台へと連絡される。



烽火燃不息、征戦無己時。
烽火は燃えて、やむことがない。出征と戦闘も、やむときがない。



野戦格闘死、敗馬號鳴向天悲。
荒野での戦い、格闘して死ぬ、敗残した馬は、悲しげないななきは天にとどくよう向かう。



烏鳶啄人腸、銜飛上挂枯樹枝。
カラスやトビは、戦死者の腸をついばむ、口にくわえて舞いあがり、枯木の枝の上に引っかける。
烏鳶  カラスやトビ。○衝  口にくわえる。この部分は、漢代の古辞の「城南に戦い郭北に死す、野に死して葬られず、烏食らう可し」を踏まえている。



士卒塗草莽、将軍空爾爲。
兵士たちは、草むらいちめんに倒れて死んでいる、その将軍がこんな空しい結果を招いたのだ。

塗葦葬 草むらの中で無残に死ぬこと。「塗」は、一面に広がる、ばらばらに広がるの意。ここは、兵士の血潮や肝・脳が草むらに広がる・散らばるの意。



乃知兵者是凶器、聖人不得己而用之。』
これで分かったことは「武器というものは不吉な道具、
聖人はやむを得ない時しか使わない」という言葉の意味である。
兵者是凶器、聖人不得己而用之  
『老子』(三十一章)の、「兵(武器)なる者は不祥(不吉)の器(道具)なり。君子の器に非ず。己むを得ずして之を用うるも、惜淡(執着しないこと)なるを上と為す」や、『六第』巻一「兵道」の「聖王は兵を号して凶器と為し、己むを得ずして之を用う」 ○聖人 古代のすぐれた為政者。


○韻  道・草・老/田・燃/時・悲・枝・為・之。

三五七言 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4)

三五七言 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171


玄宗(4)
735年(開元23年)、玄宗と武恵妃の間の息子(寿王李瑁、第十八子)の妃となる。李瑁は武恵妃と宰相・李林甫の後押しにより皇太子に推されるが、737年(開元25年)、武恵妃が死去し、翌年、宦官・高力士の薦めで李璵が皇太子に冊立された。

 楊玉環は容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。
 女性は美しいということ、性的要求を満足させる道具か、そうでなければ、はたを織りとして価値を求められた。後に楊貴妃専用の機織りは5、600人であったという。娘が宮中に上がると恩賞を得られたのである。うまくいけば、一族全員恩賞にあずかることもあった。

 楊玉環はどういう経緯で宮中に入ったのか、寿王とのめぐり会いはどうだったのか。
*****(取り上げる李白の詩と「玄宗ものがたり」の時期はかならずしも一致しない。)*****
遡ること3年。寿王の李清は李瑁となる。寿王の母・武恵妃は、改名に重要な意味があると判断し、寿王が皇位に就くための計画を練り、寿王が大人になった印象を玄宗皇帝に与えるために結婚を画策する。姉の咸宜姫の婚儀を行うが、そこに現れた楊玉環を見て、寿王は一目惚れをしてしまう。この時、楊玉環は意中の男性がほかにいた。同じ洛陽に棲む彭勃という人物であった。
楊玉環(後の楊貴妃)は、楊玄璬(きょう)の娘として、洛陽に暮らしていた。ある日、玉環が親友の謝阿蛮と外出中に、偶然、彭勃と出会ったのである。この頃洛陽に絶世の美人がいるということは有名になりつつあったので、果毅副将軍という人物が楊玉環を調査するため彭勃を使いに出していたのである。当時は美人を探し出し、情報提供するだけでも褒美がもらえるから、官の禄では食べていけないので美人探しが本業であったかもしれない。

三五七言

秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。

 


三五七言
秋風 清く、  秋月 明らかなり。
落莫 衆まって還た散じ、寒鴉 棲んで復た驚く。
相思い相見る 知る何れの日ぞ、此の時此の夜 情を為し難し。





三五七言   三言、五言、七言、それぞれ二旬ずつ対になっている。この詩体は李白の創作といわれる。カラスは、芸妓の中でも相手が決まっている、いわゆるかこわれ者を指す。芸妓は宮妓、官妓、貴族などの家妓、娼屋などの街妓などあったが、ここでいう鴉は芸ごとがよくできるものを指す。春から夏にかけては宴、納涼などで歌われるので、鴉、烏の登場はない。秋の夜長に待ちわびている状況になって登場するのである。この詩でも、そういうシチュエーションである。




秋風清、    秋月明。
秋の風はすがすがしく、秋の月はあかるい。
秋風清 ここでいう風は女性自身の香りを運ぶかぜである。 ○秋月明 ここでいう月は女性自身である。

落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
落葉は風に吹きよせられては、また散る。からすはねぐらに帰ったかと思うと、ふいに驚いて飛び立つ。
 葉は肢体をしめす。ここでは性行為を示している。○衆還散 くっついたり離れたり、これも性行為の描写の言葉。○寒鴉 秋の夜長に、寒空に待つ身のからす。夜が長いのでいろんなことを思いめぐらす。
棲復驚 自分はずっと待っているが、隣の芸妓は出たり入ったりしている。そんなボーとしていて予期していない自分に声がかかったのでびっくりしたのであろう。



相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
思うひとにあえるのは、いつの日のことか知れない。こんな時、こんな夜、もえさかる気持を、どうしてよいかわからない。
○相思相見 この場合の相はお互いにという意味ではなく相手のことを思う、見るであり、一人なのである。ここを相思相愛、決まった相手と互いに重い互いを見つめると訳すと、狭い範囲の理解しかできなく、わけのわからないものになる。片思いの場合でも使うのである。

*この詩などの艶歌、閨情詩、行為詩、など当時の文化として理解すべきで、それによって李白の詩が低俗なものとしてとらえられたりする方がおかしい。こういった詩にはわけのわからない解釈が多い。特に、李白と李商隠の詩に多い。むしろ、李白の詩に味わい深みが増してくるというものである。
Kanbuniinkaiで李商隠と李白を同時にブログしているのは理解できない解釈にたいして、歯に衣を着せないで、記述していくことにあるからである。もっとも誰かにそのことを訴えようとか、知ってもらいたいとか思っているわけでもないことは付け加えておきたい。

夢遊天姥吟留別 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

夢遊天姥吟留別   李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166



雑言古詩「夢に天姥に遊ぶの吟 留別の詩」
夢游天姥吟留別
#1
海客談瀛洲。 煙濤微茫信難求。 』
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。

越人語天姥。 云霓明滅或可覩。 』
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
天姥連天向天橫。 勢拔五岳掩赤城。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。

天台四萬八千丈。 對此欲倒東南傾。』
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
我欲因之夢吳越。 一夜飛度鏡湖月。』
#1
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。

#2
湖月照我影。 送我至剡谿。
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
謝公宿處今尚在。 淥水蕩漾清猿啼。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
腳著謝公屐。 身登青云梯。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
半壁見海日。 空中聞天雞。 』
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
千岩萬轉路不定。 迷花倚石忽已暝。』
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
熊咆龍吟殷岩泉。 栗深林兮驚層巔。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
云青青兮欲雨。 水澹澹兮生煙。 』
 #2
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。


#3
列缺霹靂。 丘巒崩摧。
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
洞天石扇。 訇然中開。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。
青冥浩蕩不見底。 日月照耀金銀台。』
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
霓為衣兮鳳為馬。 云之君兮紛紛而來下。』
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
虎鼓瑟兮鸞回車。 仙之人兮列如麻。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
忽魂悸以魄動。 怳驚起而長嗟。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
惟覺時之枕席。 失向來之煙霞。』
  #3
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。


#4
世間行樂亦如此。 古來萬事東流水。』
世間の楽しみも、やはりこんなもの。昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。
別君去兮何時還。
君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。
且放白鹿青崖間。
ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
須行即騎訪名山。』
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
安能摧眉折腰事權貴。 使我不得開心顏。』
#4
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。


#1
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。
#2
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。

#3
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、
太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。
お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。

#4
世間の楽しみも、やはりこんなもの。
昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。
君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。
ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、
わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。


#1
海客 瀛洲を談ず、煙濤 微茫にして信に求め難しと。』 
越人 天姥を語る、雲霓 明滅 或は睹(み)る可しと』
天姥 天に連なり天に向って橫たはる、勢は五嶽を拔き赤城を掩ふ。 
天台 四萬八千丈、此に對すれば東南に倒れ傾かんと欲す』
我 之に困って呉越を夢みんと欲す、一夜 飛んで度る 鏡湖の月。』
#1
#2
湖月 我が影を照らし、我を送って剡溪(せんけい)に至らしむ 
謝公の宿處 今尚ほ在り、綠水 蕩漾して 清猿啼く
脚には著く謝公の屐(げき)、身は登る青雲の梯 
半壁 海日を見、空中 天鶏を聞く』
千巖萬轉して路定まらず、花に迷ひ石に倚れば忽ち已に暝し。』  
熊は咆え龍は吟じて 巖泉殷たり、深林に慄(おそ)れて 層嶺に驚く。
雲は青青として 雨ふらんと欲し、水は澹澹として 煙を生ず。』
#2
#3
列缺 霹、丘巒 崩れ摧く。
洞天の石扇、訇(こう)然として中より開く。
青冥浩蕩として底を見ず、日月照耀す 金銀台。』
霓を衣と為し 風を馬と為し、雲の君 紛紛として來り下る。』
虎は瑟を鼓し 鸞は車を回らし、仙の人 列ること麻の如し
忽ち魂悸(おどろ)きて以て魄動き、恍として驚き起きて長嗟す。
惟だ覺めし時 これ枕席のみ、向來の煙霞を失ふ。』
#3
#4
世間の行樂 亦此の如し、古來萬事 東流の水。』
君に別れて去れば何れの時にか還らん。
且(しばら)く白鹿を青崖の間に放ち。
須らく行くべくんば即ち騎って名山を訪はん。
安んぞ能く眉を摧き腰を折って權貴に事へ、我をして心顏を開くを得ざらしめん。』
#4



 
夢游天姥吟留別
夢で天姥山に遊んだ吟、留別の詩。
夢遊天姥吟留別  夢で天姥山に遊んだ吟、留別の詩。
天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。○留別 旅立つ人が「別意を留めて」作る離別の詩。「送別」は、あとにのこる人が「旅立つ人を送って」作る離別の詩。

#1
海客談瀛洲。 煙濤微茫信難求。 』
東海の船乗りたちは、瀛洲の仙山について話をする。
濃霧と波涛の彼方にぼんやりと海が広り、尋ねあてるのは本当にむずかしい。
海客 船乗り。また、海を旅する人。○瀛洲 東海中にあると伝える仙山。蓬莱、方丈と共に三山とする。○微茫 はっきりしないさま。



越人語天姥。 云霓明滅或可覩。 』
越の人々は、天姥山について話をしている。雲やにじが明滅するわずかな瞬間に、この目に見えることもあるのだと。
○越人 現在の浙江省、古代の「越」の国の地域に住む人々。○雲霓  うんげい-雲や霓(にじ)。○明滅 急に明るくなったり暗くなったりするさま。○ 目に見える



天姥連天向天橫。 勢拔五岳掩赤城。
天姥山は天まで連なり、天に向って横たわる。
その勢いは、五岳の山々を抜き、赤城山を掩いつくさんばかりである。
五岳 中国を代表する五つの名山。
• 東岳泰山(山東省泰安市泰山区)標高1,545m。
• 南岳衡山(湖南省衡陽市衡山県)標高1,298m。
• 中岳嵩山(河南省鄭州市登封市)標高1,440m。
• 西岳華山(陝西省渭南市華陰市)標高2,160m。
• 北岳恒山(山西省大同市渾源県)標高2,016,m。
赤城 山名。天台山の西南にあり、天台の南門とされる。赤い岩石が連なって城のよう覧える。


天台四萬八千丈。 對此欲倒東南傾。』
天台山は、四万八千丈の高さを誇るが、天姥山と向きあえば、その力に引かれて東南に倒れかかるほどのようにみえる。
天台 天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。「四万八千丈」は誇張した表現。○呉越  現在の江蘇・浙江省地方。古代の呉の国・越の国の地方。○東南傾  天台山は天姥山の西北にあるので、こう表現した。



我欲因之夢吳越。 一夜飛度鏡湖月。』
わたしはこの山ゆえに呉越の山河を夢に見たく思い、ある一夜、月の輝く鏡湖の空を飛び渡ったのだ。
鏡湖  浙江省紹興市の南、会稽山麓にある湖。賀知章が官を辞する際玄宗より賜ったところ。


○韻  州、求/姥、覩/横、城、傾/越、月。



#2
湖月照我影。 送我至剡谿。
鏡湖の月は、湖面に私の影を照しつつ、私を剡谿までつれてきてくれた。
剡谿 せんけい-川の名。現在の新江省峡県の南。曹娥江の上流の諸水を、古代では剡谿(則県の渓)と通称していた。東晋以来、風景の美しさで称せられた。



謝公宿處今尚在。 淥水蕩漾清猿啼。
謝霊運公が身をよせた宿は、今もなお在り、緑に澄んだ水がゆらめいて、清らかに猿の声が聞こえてくる。
謝公宿処 晋・宋の詩人謝霊運の宿泊した処。その詩に、「瞑に劇中の宿に投り、明に天姥の琴に登る」(「臨海の嶋に登らんとし、初めて廻中を発して作る。……」)とある。○蕩漾  水のゆらめくさま。



腳著謝公屐。 身登青云梯。
足には、謝公の木履をはき、この身は、青雲の梯子のような、険しい山路を登ってゆく。
  ゲタのような木製の履き物。謝霊運は山歩きが好きで、登る時には木履の前歯をはずし、下る時には後の歯をはずして使ったという。(『南史』巻十九「謝霊運伝」)。○青雲梯 青い雲にまで届く高い梯子。謝霊運の「石門の最高頂に登る」詩に、「共に登る青雲の梯」とあるのを踏まえた。



半壁見海日。 空中聞天雞。 』
絶壁の半ばから、海からのぼる太陽が見え、空中から、天鶏の声が聞こえてくる。
半壁 絶壁の半ば。○海日  海からのぼる太陽。天姥山は比較的海に近いので、このように連想した。○天鶏  任妨『述異記』(下)に、「東南の桃都山上の桃都という大樹の上に天鶏が居り、太陽がこの樹を照らすと天鶏が鳴き、天下の鶏が皆これに随って鳴く」旨が記されている。



千岩萬轉路不定。 迷花倚石忽已暝。』
岩々がゴロゴロと転がってきて、山路の行くては定まらない、花の間に迷い入り、石に寄りかかって休む、いつの間にか日暮れとなる。
萬轉 宣の岩が万回転する。 ○迷花 花の間に迷い入る。  ○倚石 石に寄りかかって休む。  ○ 日が暮れる。



熊咆龍吟殷岩泉。 慄深林兮驚層巔。
熊が咆え、竜がうなって、岩間の泉に響きあい、深い林、重なった峰さえ、震えおびえる。
○殷 さかんなこと。鳴動する、震動する。○層巔 重なりあった山々の頂。



云青青兮欲雨。 水澹澹兮生煙。 』
雲は青黒く湧きあがって、今しも雨が迫り、水は大きくゆらめいて、モヤが立ちのぼる。
澹澹  水の揺れ動くさま。

○韻  谿、啼、梯、鶏/定、瞑/泉、巓、煙。




#3
列缺霹靂。 丘巒崩摧。
きらめく稲妻、とどろく雷鳴、尾根も蜂も、崩れ落ちる。
列鉄  いなづま。畳韻語。○霹靂 雷鳴。畳韻語。○丘巒  連なった丘や峰。○崩擢  崩れ砕ける。



洞天石扇。 訇然中開。
奥深い洞穴、石の扉が、轟音とともに、左右に開く。

洞天  道教用語。仙人の住まう仙境。「洞中の別天地」の意。三十六の洞天、七十二の福地、などが有るとされる。○訇然  音声の大きいさま。



青冥浩蕩不見底。 日月照耀金銀台。』
別天地の青空は限りなく広がって、その果ても見えず、
太陽と月が、金銀の楼台に照り輝く。
青冥  青空。○浩蕩  広々としたさま。○金銀台  神仙の住む金銀の宮殿。



霓為衣兮鳳為馬。 云之君兮紛紛而來下。
霓を衣裳とし、鳳凰を馬として、雲の神霊の行列が、賑々しく空から下りてくる。
  にじ。古代中国では「にじ」を竜の一種に見立て、色彩の濃いものを雄の「虹」、薄いものを雌の「寛」と呼んだ。(『文選』「西都賦」 への唐の張銑の注など)。この詩では、色の薄い副虹を「寛」と呼んで、美しい衣裳に見立てている。○ 鳳凰。景宋威浮木・王本などでは「夙」に作るが、「寛」を雌竜に見立てている点から言えば、「鳳」が勝るだろう。○雲主君  雲の神。『楚辞』(九歌)に「雲中君」の篤がある。○紛紛 ここでは、行列の供揃えが賑々しいさま。



虎鼓瑟兮鸞回車。 仙之人兮列如麻。
白虎が窓を鳴らし、鸞鳳が車を引き回らす。
お供の仙人たちは、麻糸を紡ぐように列なり続く。
虎鼓瑟 虎が瑟(二十五絃)のコトを鼓らす。張衛の「西京賦」(『文選』巻二)に、「白虎は瑟を鼓し、蒼竜は横笛を吹く」とある。動物に扮装した楽人たちの演奏のさま。○ 鳳凰の一種。空想上の神鳥。○列如麻 麻糸の続くように列なり続く。

忽魂悸以魄動。怳驚起而長嗟。
ふと気づけば、精神が不安で動悸が激しさを感じ、はっと驚いて身を起こし、長く溜息をついていた。
魂悸・魄動 精神が不安で動悸が激しいさま。○ ここでは、前句の「忽」と同じく、心に予期しないことが生じるさま。「怳」の頼語。「ふっと」「はっと」。○長嗟 長く溜息をつく。



惟覺時之枕席。 失向來之煙霞。』
ただそこには、眼覚めの折りの夜具だけがあり、さきほどまでの仙界の光景は、すっかり消えてしまっていた。
枕席 枕とフトン。寝具、夜具。○向来 さきほどまでの。○煙霞  モヤ・カスミ・キリの頼。ここでは、神仙境の景


韻  墔、開、台/馬・下/車、麻、嗟、霞。




#4

世間行樂亦如此。 古來萬事東流水。』
世間の楽しみも、やはりこんなもの。
昔から、万事はすべて水は東流するもの、ひとたび去れば帰らない。



別君去兮何時還。

君たちと別れて立ち去れば、もどって来られるのは何時のことか。



且放白鹿青崖間。
須行即騎訪名山。』

ひとまずは、白鹿を青山の谷間に放ち、
行くべき時には即それに騎って、各地の名山を訪ねよう。
白鹿 白い鹿。隠者の乗りもの。



安能摧眉折腰事權貴。 使我不得開心顏。』#4
眉を伏せ腰をかがめて、権貴の人々に仕え、
わが心身を苦しめることなど、どうして私にできようか。

推眉  眉を伏せる、卑屈な態度。○折腰  腰をかがめる。ぺこぺこおじぎをする。○関心顔  心も顔つきも晴ればれとする。



○韻   此、水/還、間、山、顔。

万里の長城  陳琳と汪遵

万里の長城  陳琳と汪遵


万里の長城。世界最大の建造物。そこには建設に狩り出された人々の、血、汗、涙、そして尊い命までもがしみ込んでいるのです。

飲馬長城窟行   陳 琳

飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。


万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ
俺は監督の役人に言ってやった
「どうか太原から来ている人足を帰してやってください」
訴えを聞いた役人は「お上の仕事には工程が決められているのだ。文句を言わずに杵を取って声を合わせて働け」と言う
人足は「男たるもの戦いの中で死ぬならまだしも、なんでこんな長城を築くやるせない仕事で朽ち果てるのは嫌だ」と憤懣をもらす



馬に飲(みずか)う長城の窟(いわや)
水寒うして馬骨(ばこつ)を傷(いたま)しむ
往きて長城の吏(り)に謂(い)う
慎んで太原(たいげん)の卒(そつ)を稽留(けいりゅう)する莫(なか)れ
官作(かんさく)自ら程(てい)有り
築(きね)を挙げて汝の声を諧(ととの)えよ
男児は寧(むし)ろ当(まさ)に格闘して死すべし
何ぞ能(よ)く怫鬱(ふつうつ)として長城を築かん




陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという


2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。飲馬長城窟行    易公孫餐與子書



建安文学 (けんあんぶんがく)
 後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応楊・6)劉楨・8)阮禹、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。



時代は9世紀唐のに王遵は詠います。
長城  汪遵


秦築長城比鉄牢、蕃戎不敢逼臨兆。
焉知万里連雲勢、不及堯階三尺高。


秦の始皇帝は鉄のように頑丈な長城を築き、さすがの匈奴を臨兆の街に近づくことはできなかった。だが、はるかかなたの雲まで届きそうな万里の長城はあの聖主である堯帝のわずか三尺の高さの階段にも及ばなかった。


 堯帝とは古代中国を治めた伝説の皇帝です。その宮殿は質素で土の階段で、わずか三尺の高さであった。それでも堯帝は徳を持って国を治めたといわれます。

 一方、秦の始皇帝は万里の長城を始め、権力任せて国を統一した。ある意味では、中国最初の統一国家を成し遂げたことは歴史に残る偉大なことではあるのですが、彼の死後、たちまち国の内部で反乱がおこり、国は滅びたのです。国を興してわずか15年でした。

 国の守りは、築城の険ではなく、「徳に在って、険にあらず」と詠じていますが、秦という国は、国を一気に統一する力を使い切ってしまった結果短期間で滅びたのですが、中国の統一国家は次の漢以後約700年くらい後、581年隋の統一までかかります。


秦 長城を築いて 鉄牢に比す
蕃戎 敢えて 臨兆に逼(せま)らず

焉くんぞ知らん 万里 連雲の勢い
及ばず 堯階 三尺の高きに



これらの詩の漢文委員会の解説

 陳琳の詩そのものは古来からよくある「問答」詩ですが、最初聯、「万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ」には驚かされます。

 子の頃から、兵役負担は当時の人々には重い税だったのです。律体制に移行する時代の詩で社会情勢をよく反映しています。。


 この王遵の「国を治めるに徳をもって為せ」ですが、もし秦の始皇帝が万里の長城を築かなかったら(実際には1/3の規模でそれまで築かれていた)、異民族にもっと早く滅ぼされ中国の歴史は変わっていたでしょう。古代における長城建設の威力は大きいものがあったのです。
 国力以上のものを建設し、国の富み、特に人民にそれを強いたのが滅ぼす原因で歴史の必然であることには間違いはありません


 匈奴という国は遊牧民族、騎馬民族です。中国、漢民族の農耕民族と決定的な違いは国力の強化は奪うことが基本なのです。略奪する、制覇して力根こそぎ奪うのです。戦争の本質はいつの時代も同じですが、古代においては、大殺戮と焼野原になりますから、殺さなければ奴隷ですから、万里の長城は偉大な建設物だったのです。万里の長城があるおかげで防御はポイント強化、人配置で済みます。もし3尺の土塁しかなかったら、中国の歴史は変わったでしょう。


 この王遵の詩も実際に自分自身が戦ったり、実体験したものでなく、多くの邊塞詩がそうであるように、文人たちの間で交わされる詩であったと思われます。


 現在でも受けを狙って、面白おかしくされる議論に似ています。この詩からは儒教とか道教の徳の論理性とは違うものを感じます。

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139

灞陵行送別 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白139
雑言古詩「灞陵行送別」 李白 



灞陵行送別
送君灞陵亭。 灞水流浩浩。
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
上有無花之古樹。 下有傷心之春草。
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
正當今夕斷腸處。 驪歌愁絕不忍聽。

まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。

miyajima596


灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう。
まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない。


君を送る  灞陵亭(はりょうてい)、灞水(はすい)は流れて浩浩(こうこう)たり
上に無花(むか)の古樹(こじゅ)有り、下に傷心(しょうしん)の春草(しゅんそう)有り
我  秦人(しんじん)に向かって路岐(ろき)を問う、云う是れ 王粲(おうさん)が南登(なんと)の古道なりと
古道は連綿(れんめん)として西京(せいけい)に走り、紫関(しかん)  落日  浮雲(ふうん)生ず
正(まさ)に当たる 今夕(こんせき)断腸の処(ところ)、驪歌(りか)愁絶(しゅうぜつ)して聴くに忍(しの)びず

 
長安と五陵他

 
灞陵行送別
㶚水、㶚陵橋、㶚陵亭、㶚陵橋のたもとで繰り広げられる別れの歌、送別のうた。
灞陵 漢の文帝劉恆(紀元前203-前157年)陵墓。長安の東南にある。
 

送君灞陵亭、 灞水流浩浩
灞陵亭で君を送る、灞水の流れはひろびろとうららかにながれている。
 この君は、不特定多数の君である。この場所で東の洛陽方面と、南の漢水に向けての古道を行くかのジャンクションである㶚水橋のたもとで別れることを意味する。 ○灞陵亭 長安東の正門たる春明門からここまでに滻水に架かる橋をわたってくるのであるが、㶚水にかかる橋のたもとにあった亭である。ここを過ぎるとしばらくは、宿場町があるだけである。長の別れを惜しみ、一夜、酒を酌み交わすのである。また、娼屋の様なものもあったようだ。㶚水の堤には楊柳があり、柳を折って旅の安全を願ったのである。 ○灞水流 長安の東を流れる川は終南山を水源にした滻水と驪山、藍田の方角から流れてくるこの㶚水が北流して合流し渭水に灌ぐのである。㶚水、滻水の二俣川。○浩浩 川の流れのひろびろとしたさま。



上有無花之古樹。 下有傷心之春草。
まだ早春で、頭上には花のない古木がある、足元には心を痛めるような芽生え始めた春草が生えている
無花之古樹 雪解け水で春が来たのではあるが、まだ早春で、花を咲かせるはずの古樹があることで別れの悲しさを演出する。 ○傷心之春草 春草は男女の情愛を連想させ、せっかく芽生えた恋心と別れに伴ういろんな意味を加えて味わいを深めている。この二句で上の無花と下の春草ばかりでなく別れの何度も振り返り手を振る、号哭することもイメージしてくる。



我向秦人問路歧。 云是王粲南登之古道。
土地の人に向かって東洛陽方面と南はどこへと分かれ道のことを尋ねた。こちらの道は建安の七子の王粲が「南登」と歌った古道はこれで漢水まで続くのだといった。
秦人 秦は陝西省の南部一帯であるから長安一帯の地元の人のこと。 ○問路歧 東と南の分岐点両方について問うこと。 ○王粲(おう さん)177年 - 217年、)は、中国、後漢末の文学者・学者・政治家。字は仲宣。王龔の曾孫、王暢の孫、王謙の子。王凱の従兄弟。子に男子二名。山陽郡高平県(現山東省)の人。曽祖父の王龔、祖父の王暢は漢王朝において三公を務めた。文人として名を残し、建安の七子の一人に数えられる。代表作として、登樓賦、公讌詩、詠史詩、七哀詩三首   從軍詩五首がある。七哀詩三首に「南の方㶚陵に登り、首をめぐらして長安を望む」とある。王粲は長安を去って㶚水を上流に登り、峠を越えて、漢水にのり、荊州(湖北省江陵県)の劉表のもとに赴くのである。こちらの古道は南の道。



古道連綿走西京。 紫闕落日浮云生。
もう一方の古道は、洛陽から連綿と続いて長安にはしっている。その紫の天子の御門のうちでは夕日が落ちて宮女たちのよろこびが生じているのだろう
古道 この路は洛陽に向かう道である。○西京 西京は長安であるが、わざわざ最強というには東京、洛陽があるということを示唆する。。 ○紫闕 天子の宮殿の御門。○落日 夕日が沈むことと洛陽と掛けてある。○浮云生 雲は、男女の混じり合いを意味し、天子の後宮のことを意味する。



正當今夕斷腸處。 驪歌愁絕不忍聽。
まさに今夜わたしは別れてひとりの夜、断腸のもだえ聲のあるところ、女が主人恋しさに唄う歌は、聞くに堪えない

斷腸處 断腸というのは、エクスタシーのことを指す。 ○驪歌 古歌で妾の女が主人を恋しくて歌う詩。○愁絕 交わりを断つこと。 ○不忍聽 女の身として聞くに忍びない。男をあさることなど全くない時代。悶えた声、待ち人の詩・・・聞くことはできない。


解説
しゃれた男は、男女の睦愛を巧妙に掛けことばで詩歌にするものであり、六朝から続く伝統的なもので、李白は集大成し、発展させたのである。 そういう意味合いを、偲ばせているからこの詩の味わい深さがあるのである。

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玉壺吟 :雑言古詩 李白

 玉壺吟 :雑言古詩 李白132

玉壺吟
烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。

ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。


烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。


(訓読み)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。




玉壷の吟
玉壷吟  「玉壷の吟」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
烈士~暮年  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。



三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。○涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

 

鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。○稱觴  觴(さかずき)を挙げる。○御筵 皇帝の設けた宴席。



揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
○揄揚  ほめたたえる。〇九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。○万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。○謔浪 自由自在にふざけ戯れる。○赤墀  宮殿に登る朱塗りの階段。○青瑣 宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。



朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
飛竜馬 駿馬。「飛竜」は、玄武門外の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛竜厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。



世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可LLとあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。○謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。



西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)



君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。
蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺  ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。


韻  年・漣・延・賢・鞭・仙・身・人



烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

蜀道難 李白

蜀道難 李白127  都長安(翰林院供奉)

雑言古詩「蜀道難し」
賀知章が謫仙人として、大絶賛した詩である。前の 烏棲曲 李白125花の都長安(翰林院供奉)   は楊貴妃との仲を詠ったいわば「オベンチャラ」であるが、詩人としての評価は「蜀道難」にあった。この詩により、玄宗に推薦したというのも、否定できない。要するに呉筠等の道教関係の側、司馬承禎、持盈(ジエイ)法師(玉真公主)や、賀知章など、ここにきて集中して推薦がなされたのである。こうして李白は翰林に入ることを得た。

この「蜀道難」は迫力ある楽府である。玄宗もまさか10年後に自らがこの路を逃避して成都に入るとは考えもしなかったことである。

蜀道難
噫吁戲危乎高哉。
ああ、何と危うく、高いことか。
蜀道之難。   難于上青天。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
蠶叢及魚鳧。 開國何茫然。
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
爾來四萬八千歲。 不與秦塞通人煙。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西當太白有鳥道。 可以橫絕峨眉巔。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山の巔までも、ずいと横切って進めることができよう。
地崩山摧壯士死。 然后天梯石棧相鉤連。
大地が崩れ、高山がくだけ、壮士たちが圧死したという大事件。その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったのだ。
上有六龍回日之高標。下有沖波逆折之囘川。
上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、ぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の川である。
黃鶴之飛尚不得過。 猿猱欲度愁攀緣。 』

黄鶴が飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう。

青泥何盤盤。 百步九折縈岩巒。
青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、岩山をめぐって進むのだ。
捫參歷井仰脅息。以手撫膺坐長嘆。
参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、天を仰いで苦しい息をつき、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息ばかりつく。
問君西游何時還。畏途巉岩不可攀。
 君にたずねたい。西に向かう旅に出て、何時になったら還れるのかと。こんな恐ろしい旅路の嶮しい岩山は、よじ登ることさえなどできないのだ。
但見悲鳥號古木。雄飛雌從繞林間。
ふと見れば、悲しげな鳥が、樹齢も知られぬ古木に鳴いている、雄が飛び、雌が後を追って、樹々の間をめぐってゆく。
又聞子規啼夜月。愁空山。
また聞けば、ホトトギスが夜半の月光に啼き、何にもない山中で愁え鳴きをしている。
蜀道之難。 難于上青天。
「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」
使人聽此凋朱顏。』
人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。


連峰去天不盈尺。 枯松倒挂倚絕壁。
連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。
飛湍瀑流爭喧豗。 砯崖轉石萬壑雷。
飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
其險也如此。
その唆しさは、これほどまでのものなのだ。
嗟爾遠道之人胡為乎來哉。
ああ君よ、遠き道をゆく旅人よ、どうしてこんな所にやってきてしまったのか。
劍閣崢嶸而崔嵬。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
一夫當關。 萬夫莫開。
一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。
所守或匪親。化為狼與豺。
守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。
朝避猛虎。 夕避長蛇。
夜明けには、猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、大蛇のようなやからを避ける。
磨牙吮血。 殺人如麻。
かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺す。
錦城雖云樂。 不如早還家。
山のかなた 〝錦城″ は、楽しい所だと言われるが、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
蜀道之難。 難于上青天。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
側身西望長咨嗟。』

身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。






ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山の巔までも、ずいと横切って進めることができよう。
大地が崩れ、高山がくだけ、壮士たちが圧死したという大事件。その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったのだ。
上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、ぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の川である。
黄鶴が飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう。

16shisenseitomap赤印の長安から南西方面に成都がある。太白山、剣門山を経て、巴西、成都のルートということになる。天水、同谷から同じルートを杜甫が通っている。(杜甫、同谷紀行十二首、成都紀行十二首がある。)

蜀道難
蜀道難   『楽府詩集』巻四十「相和歌辞、窓調曲」。長安から萄に入る山路が険しく困難なことを詠う。一首の表現意図については多くの説があるが、一説に特定する必要はない。


噫吁戲危乎高哉。
蜀道之難。  難于上青天。
蠶叢及魚鳧。 開國何茫然。

蜀への道の難しさ。
ああ、何と危うく、高いことか。蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
蜀王の蚕叢、さらには魚鳧、かれらの開国の世に何と遠くたどり着くことができなくことか。

噫吁戲  感嘆詞「ああ」「おお」などに相当する。蜀地方の方言とされる。○蠶叢及魚鳧  伝説中の、古代のどう蜀国における二人の君主の名。○茫然-ぼんやり広がって見定めがたいさま。
 
爾來四萬八千歲。 不與秦塞通人煙。
それ以来、はるかに四万八千年、長安地方とは、人家の煙も通じないままだった。
爾来 それ以来。〇四万八千歳 揚雄の『蜀王本紀』(『文選』巻四「三都賦」への西晋の劉達住所引)に、「どう蜀王の先、蚕叢・柏蓬・魚長・蒲沢∴開明と名づく。……開明従り上りて蚕叢に到るまで、三万四千歳を積む」とある。○秦塞 長安地方の塞。ここでは広く長安地方のまちや村をいう。


西當太白有鳥道。 可以橫絕峨眉巔。
西のかた太白山には、鳥しか通えないような高く険しい道があるが、どうして峨眉山の巔までも、ずいと横切って進めることができよう。
太白 長安の西方約100kmの山(3767m)。秦嶺山脈の主峰の一つ。○鳥道 鳥だけが通れるような険岨な山道。○何以 どのようにして。○峨眉 成都の西南西約220kmにある山(3098m)でここから西、北西に至るまで6000m級の山が連なっている。その連峰の中で蜀を象徴する名山として、ここに引いたもの。長安から蜀に入り際に蜀を包み込むように見えることから述べているのであり、進んで行く山道とは、関連しない。


地崩山摧壯士死。 然后天梯石棧相鉤連。
大地が崩れ、高山がくだけ、壮士たちが圧死したという大事件。その後で、天の梯子のような山道や、岩壁に渡した桟道が、やっとつながるようになったのだ。
地崩山擢壮士死   『華陽国志』(巻三「蜀志」)の伝説を詠ったもの。秦の恵王は、蜀王が好色なのを知って五人の美女を送った。蜀は五人の壮丁(壮士)を遣わして美女を迎えた。梓潼(剣門関の南西約80km)まで戻ってきたとき、大蛇が洞穴に入るのを見かけた。一人がその尾を引っぱったが動かず、五人で掛け声をかけて引っはると、山が崩れ、五人の壮士、五人の美女、お供のものたちも、みな圧死し、山も五つの嶺に分かれた(要旨)。○天梯 天までとどく梯子のような階段。高く険しい山道に喩える。○石桟 岩壁に刻みを作り木材を差し込みそれに板材を張っていく桟橋上のものをいう。○鉤連 (鉤で引っかけるように)つながる、つなげる。○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一所引の『准南子』「天文訓」など)。


上有六龍回日之高標。下有沖波逆折之囘川。
上のほうに有るのは、六竜の引く太陽神の車も迂回するような、さらに高く突き出た峰、下のほうに有るのは、ぶつかりあう波頭が逆巻きつつ、蛇行して流れ去る激流の川である。
回日之高標 太陽神の龍車が迂回しなければならないような高い山の峰。


黃鶴之飛尚不得過。 猿猱欲度愁攀緣。 』
黄鶴が飛ぼうとしても、越えてしまうのは、なお不可能だろう、猿が渡ろうとしても、よじのぼることさえできなくて考え込んでしまうだろう。
猿猱 手の長めのサルの類。○攀緣 よじのぼる。


韻字 天・然・煙・厳・連・川・縁
---------------------------------------------------




青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、岩山をめぐって進むのだ。
参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、天を仰いで苦しい息をつき、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息ばかりつく。
 君にたずねたい。西に向かう旅に出て、何時になったら還れるのかと。こんな恐ろしい旅路の嶮しい岩山は、よじ登ることさえなどできないのだ。
ふと見れば、悲しげな鳥が、樹齢も知られぬ古木に鳴いている、雄が飛び、雌が後を追って、樹々の間をめぐってゆく。
また聞けば、ホトトギスが夜半の月光に啼き、何にもない山中で愁え鳴きをしている。
「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。


青泥何盤盤。  百步九折縈巌巒。
青泥の嶺の山道は、何と曲りくねって続くことか。百歩のうちに九度も折れ曲り、岩山をめぐって進むのだ。
青泥 蜀道の途中の険しい嶺の名。雨や霧が多く、旅人が泥土に苦しむので、この名がある。現在の甘粛省南部の徽県と陳西省北部の略陽県の中間。杜甫の成都紀行にもこのあたりのことを詠うものがある。○盤盤  (山道が)重なりめぐるさま。○巌巒  岩山や尾根。


捫參歷井仰脅息。以手撫膺坐長嘆。
参の星座を手でさぐり、井の星座を踏みしめるようにして、天を仰いで苦しい息をつき、わが手で胸をさすりつつ、腰をおろして長いため息ばかりつく。
椚参歴井  参の星座(蜀の上空)を椚で、井の星座(秦〔長安地方〕の上空)を歩みすぎる。山道が高いので、手や足が星座に届きそうだ、という表現。○脅息  (山が高く峻しく空気が薄いので)呼吸が苦しげなさま。また、緊張や悲しみで息がつけない時にも用いる。脅は収縮する、・させるの意。
 

問君西游何時還。畏途巉巌不可攀。
 君にたずねたい。西に向かう旅に出て、何時になったら還れるのかと。こんな恐ろしい旅路の嶮しい岩山は、よじ登ることさえなどできないのだ。
長途 人を畏れさせるような険しい途。○巉巌  ゴツゴツとそびえる岩。
 
但見悲鳥號古木。雄飛雌從繞林間。
ふと見れば、悲しげな鳥が、樹齢も知られぬ古木に鳴いている、雄が飛び、雌が後を追って、樹々の間をめぐってゆく。


又聞子規啼夜月。愁空山。
また聞けば、ホトトギスが夜半の月光に啼き、何にもない山中で愁え鳴きをしている。
子規 ホトトギス。「杜鵑鳥」ともかく。蜀の地方に多い。


蜀道之難。 難于上青天。 使人聽此凋朱顏。』
「蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。」人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。
朱顔  血色のよい顔。紅顔。

韻字  盤・轡・歎・還・攀・間・山・天・顔
------------------------------------------------------------------



連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、
枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。
飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
その唆しさは、これほどまでのものなのだ。
ああ君よ、遠き道をゆく旅人よ、どうしてこんな所にやってきてしまったのか。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。
夜明けには、猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、大蛇のようなやからを避ける。
かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺す。
山のかなた 〝錦城″ は、楽しい所だと言われるが、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。
身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。



連峰去天不盈尺。 枯松倒挂倚絕壁。
連なる峰々は、天から一尺にも足りぬ高さでそびえたち、枯れた松の木が、まるで逆さに掛かったように、絶壁によりかかって生えている。


飛湍瀑流爭喧豗。 砯崖轉石萬壑雷。
飛び散るしぶきの急流と、落ちかかる瀑布の流れは、たがいに豪濁音を争っている、絶壁にぶつかり、岩石を転がして、すべての谷々に雷鳴がとどろきわたっているのだ。
飛溝 しぶきをあげて飛びちる激流。○暴流 滝。瀑布が落ち流れる轟音。○砯崖  水が岩壁に音をたててぶつかること。○喧豗 さわがしさ。水が出すすべての音が集まったやかましさをいう。〇萬壑  無数の谷間。
 
其險也如此。嗟爾遠道之人胡為乎來哉。
その唆しさは、これほどまでのものなのだ。
ああ君よ、遠き道をゆく旅人よ、どうしてこんな所にやってきてしまったのか。
  ああ。感嘆詞。○爾  「汝」 の類語。○ どうして。疑問反語。原因を問いただす。「何」 の類語。

 
劍閣崢嶸而崔嵬。
剣門山の閣道は、崢嶸で崔嵬として草木もなく高く険しすぎる。
剣閣 剣門山(蜀道の中の最も険岨な山。四川省東北部)の閣道(桟道)。現在の四川省剣閣県の東北の、大剣山・小剣山の間、約一五キロの山々に設置された。唐代にはここに剣門関が置かれていた。〇崢嶸而崔嵬 - 高く険しいさま。・崢嶸 山など高く嶮しいさま。歳月の積み重なるさま。寒気の厳しいさま。 ・崔嵬 石や岩がごろごろしているさま。高くそばだって草木がない山。


一夫當關。 萬夫莫開。所守或匪親。化為狼與豺。
一人の男が、関所を守れば、万人が攻めても、開きはしない。守るその男が、もし骨肉の親族でないならば、狼や山犬のような、反逆者にならぬとも限らない。
一夫当関~化為狼与財  剣閣を詠う慣用句。


朝避猛虎。 夕避長蛇。
夜明けには、猛虎のようなやからを避け、ゆうべには、大蛇のようなやからを避ける。


磨牙吮血。 殺人如麻。
かれらは、牙を磨ぎ、血をすすって、手当り次第に、人々を殺す。
  吸う・すする。音は「ゼン・セン」「ジュン・シュン」 の二系統がある。○殺人如麻  手あたり次第に人を殺す。「如麻」は、多く入り乱れるさま。


錦城雖云樂。 不如早還家。
山のかなた 〝錦城″ は、楽しい所だと言われるが、いっそ、早く我が家に戻ったほうがよい。
錦城  成都の美称。「錦官城」ともいう。昔、成都の南部地区に錦を扱う官署(少城)が置かれていたための呼称。蜀は錦の名産地だった。


蜀道之難。 難于上青天。
蜀に行く道の難儀ことよ、その難しさは青空に登るよりもなお難しいだろう。


側身西望長咨嗟。』
身をよじって西のかたを望み、長く嘆息するばかりだ。
○側身  体の向きを変える。身をよじる、振りかえる。○長咨嗟 長く嘆息する。


韻字 尺・壁/蒐・雷・哉・鬼・開・財/蛇・麻・家・嗟






蜀道難
噫吁戲危乎高哉。
蜀道之難。
難于上青天。
蠶叢及魚鳧。
開國何茫然。
爾來四萬八千歲。
不與秦塞通人煙。
西當太白有鳥道。
可以橫絕峨眉巔。
地崩山摧壯士死。
然后天梯石棧相鉤連。
上有六龍回日之高標。
下有沖波逆折之囘川。
黃鶴之飛尚不得過。
猿猱欲度愁攀緣。 』
----- 
噫吁戲(ああ) 危ふきかな高い哉
蜀道の難きは青天に上るよりも難し     
蚕叢と魚鳧(ぎょふ)と
開國 何ぞ茫然たる
爾來 四萬八千歳
秦塞と人煙を通ぜず
西のかた太白に當りて鳥道有り
何を以てか峨眉の頂を橫絶せん
地崩れ山摧けて壯士死す
然る后 天梯 石棧 相ひ鉤連す
上には六龍回日の高標有り
下には沖波逆折の回川有り
黄鶴の飛ぶこと 尚過ぐるを得ず
猿柔度らんと欲して攀縁を愁ふ



青泥何盤盤。
百步九折縈岩巒。
捫參歷井仰脅息。
以手撫膺坐長嘆。
問君西游何時還。
畏途巉岩不可攀。
但見悲鳥號古木。
雄飛雌從繞林間。
又聞子規啼夜月。愁空山。
蜀道之難。 難于上青天。
使人聽此凋朱顏。』
----
青泥 何ぞ盤盤たる
百歩九折 岩巒を巡(めぐ)る
參を捫(さぐ)り井を歴て仰いで脅息し
手を以て膺(むね)を撫し 坐して長嘆す
君に問ふ 西游して何れの時にか還ると
畏途の巉岩 攀づ可からず
但だ見る 悲鳥古木に號ぶを
雄は飛び雌は從って 林間を繞る
又聞く 子規夜月に啼いて
空山を愁ふるを
蜀道の難きは
青天に上るよりも難し
人をして此を聽いて朱顏を凋ばしむ



連峰去天不盈尺。
枯松倒挂倚絕壁。
飛湍瀑流爭喧(豗)。
(砯)崖轉石萬壑雷。
其險也如此。
嗟爾遠道之人胡為乎來哉。
劍閣崢嶸而崔嵬。
一夫當關。
萬夫莫開。
所守或匪親。
化為狼與豺。
朝避猛虎。
夕避長蛇。
磨牙吮血。
殺人如麻。
錦城雖云樂。
不如早還家。
蜀道之難。
難于上青天。
側身西望長咨嗟。』
-----
連峰天を去ること尺に盈たず
枯松倒しまに挂(か)かって絶壁に倚る
飛湍 瀑流 爭って喧?(けんかい)たり
崖を撃ち石を轉じて萬壑雷(とどろ)く
其の險や此くの若し
嗟(ああ)爾遠道の人
胡為(なんすれ)ぞ來れるや     
劍閣は崢嶸として崔嵬たり
一夫 關に當たれば
萬夫も開く莫し
守る所 或は親に匪ざれば
化して 狼と豺と為る
朝には 猛虎を避け      
夕には 長蛇を避く      
牙を磨き 血を吮(す)ひ      
人を殺すこと麻の如し
錦城 樂しと云ふと雖も
早く家に還るに如かず
蜀道の難きは
青天に上るよりも難し
身を側てて西望し 長く咨嗟す


梁園吟 まとめ 李白42

李白42 梁園吟

洛陽の下流、開封近くにある梁園に立ち寄った際の作。梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽、そして未来への思いを重層的に歌い上げている。秀作である。

雑言古詩 梁園吟

我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。

天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』

平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。

卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』

洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。

平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』

玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。

持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』


昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。

荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』

梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。

舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』

沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。

連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』

酣馳輝,歌且謠,意方遠。

東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』



私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もうとすれば、波は山のように連なって湧く。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。
ふり返って、院籍どのの「蓬池の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ"にこだわった、そんな真似などやめておこう。』

昔の人々は、魏の信陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
梁の孝王の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る?水だけ。』
栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
馳せゆく時の間に酔いしれて、
歌いかつ謡えば、
心は、今こそ遠くあこがれゆく。
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』



  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
  天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』
  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
  卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』
  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』

私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もう与れば、波は山のように連なって湧く。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、古人の跡を訪ねて、ようやく平台のあたりまでやってきた。』
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作。あげたのだ。
ふり返って、院籍どのの「郵野の詠懐詩」を憶いおこし、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。』





   梁園吟
  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』
  玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』

人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ”にこだわった、そんな真似などやめておこう。』
 


梁園吟
○「梁園」は、梁苑・菟(兎)園ともいう。前漢の文帝の子、景帝の弟、梁孝王劉武が築いた庭園。現在の河南省商丘市東南5kmに在った、と考えられる。参照‥『史記』巻五十八「染孝壬世家」の「史記正義」所引『括地志』D〔補注讐「吟」は、詩歌の一体。この詩は、第一次在京期の後、長安を離れて梁園に遊んだおり、三十代前半の作と考えられる。

我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
私は、黄河に浮かんで都を去る。高く帆を掛けて進もう与れば、波は山のように連なって湧く。
京関!都、長安。王本などでは「京朗」に作る。煩語やあるが、七言詩の第一句としては、韻字としての「閑」が勝るであろう。景宋威串本も「関」に作る。○捷席-船に帆(席)を掛ける。船旅をする。「席」はイグサの頬で織った席の帆。○波連山-大波が山を連ねたように湧き立つ。木筆の「海賦」(『文選』巻十九)に「波は山を遵ぬるが如し」とある。先行者訳の「山に連なる」は適切を欠こう。

天長水闊厭遠?,訪古始及平台間。
空は果てもなくつづき、水は広々とひろがって、旅路の遥けさに厭きながら、
遠渉1遠い旅路。○平台-漢の梁孝王が賓客を集めて遊宴した楼台。もとは、春秋時代の宋の平公が築かせた。場所は、現在の商丘市の東北(虞城県の西約二〇キロ)とされる。(『元和都県志』巻八「宋州」)。


平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
平台の地に旅住まいして、憂い思うこと多く、酒を飲みつつ、たちまち「梁園の歌」を作りあげたのだ。
-動作や行為がスムーズに進むことを表わす副詞。「すぐさま・たやすく・かくして」などの意。「とうとう」ではない。

卻憶蓬池阮公詠,因吟淥水揚洪波。
ふり返って、院籍どのの「郵野の詠懐詩」を憶いお。し、それに因んで「清らかな池に大波が立つ」と吟詠する。
蓬池阮公詠-魏の阮籍の「詠懐詩、其の十六〔陳伯君『阮籍集校注』(中華書局)による〕」に、「蓬池(梁園付近の池)の上を誹御し、還って大梁(開封)を望む」とあるのをさす。○淥水揚洪波-同じく「其の十六」の詩句。「浅水」は青く澄んだ水や川や池。

洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。
洪波はゆらめき広がって、この旧き梁国の水郷に迷い、船路はすでに遠く、西のかた長安に帰るすべはない。
浩蕩-水の広がるさま。○旧国-旧い都の地。梁園のあった商丘地方が、先秦時代の宋国、漢の梁国など、旧くからの都だったので、こう表現した。一説に、長安をさすとする。

人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
人として生き、天命に通達すれば、愁い哀しんでいる暇はない。
ひとまずは美酒を飲むのだ、高楼に登って。
達令-自己の天命に通達する。

平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。
平らな頭巾の下僕が、大きな団扇をあおげは、
夏五月でも暑さを忘れ、涼やかな秋かと思われる。』
量傾愁-「豊暇愁」(愁えている暇がない)と同義。○平頭奴子-上の平らな頭巾をかぶった下僕、召使い。ただし異説も多い。

玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
白玉の大皿の楊梅は、君のために用意したもの、
呉の国の塩は花のように美しく、白雪よりも白く光る。
楊梅-ヤマモモの頼。〇-白く光るさま。

持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』
塩をつまみ、酒を手にとって、ただただ飲もう。伯夷・叔斉が〝高潔さ?にこだわった、そんな真似などやめておこう。』
夷斉-伯夷と叔斉の兄弟。段周革命の際に・周の武重が武力によって殿の肘王を討つのを諌めた。周の世になってからは、首陽山に隠れて薇(野生のマメの槙)を採って食に充て、餓死して士筈示した。儒教の「名分論」を体現する人物像として、伝承されている。○事高潔-臣下(武王)として主君(肘王)を討つべきではない、という「大義名分論」に殉じた高潔な事跡をいう。

韻字  関・山・間/多・歌・波/国・得/愁・楼・秋/設・苧・潔


  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
  荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
  舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』

昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、
今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、
世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、
あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る抃水だけ。』


  沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
  酣馳輝,歌且謠,意方遠。
  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』

栄華の拶さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。
黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、
ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
馳せゆく時の間に酔いしれて、
歌いかつ謡えば、
心は、今こそ遠くあこがれゆく。
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。
世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』


昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
昔の人々は、魂の后陵君を、豪勇の貴人と仰いでいたのに、今の人々は、信陵君の墓地あとで、田畑を耕し種をまいている。
○信陵君-戦国時代の讐昭王の公子、名は無忌。信陵(河南省寧陵)に封ぜられた。食客三千人を養い、讐助けて秦を破り、さらに十年後・五国の兵を率いて秦を破った。戦国の四公子(四君)の一人。○信陵墳-『太平宴字記』(彗)によれば、その墓は開封府の富県の「南十二里」にあるという。

荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
荒れはてた都城を空しく照らすのは、青い山々にのぼった明るい月、世々を経た古木の梢いちめんにかかるのは、蒼梧の山から流れてきた白い雲。』
○蒼梧雲-『芸文類衆』彗「雲」に所引の『帰蔵』に、「白雲は蒼梧自り大梁に入る」とあるのを誓えたもの=蒼梧」は、現在の湖南省南部にぁる山の名。一名「九疑山」。

梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
梁の孝壬の宮殿は、いまどこに在るというのだろう。
枚乗(ばいじょう)も司馬相如も、先立つように死んでゆき、この身を待っては居てくれない。
〇枚馬-前漢時代の文学者、配剰青馬相如。ともに梁苑に来訪して、梁王の栄華に彩りを添えた。

舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』
舞い姫の影も、歌い女の声も、清らかな池の水に散ってゆき、あとに空しくのこったのは、東のかた海に流れ入る抃水だけ。』
○綠池-澄きった池。○抃水-抃水べんすい。黄河から開封をへて准水に到る。大運河通済渠の唐宋時代の呼称。

沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
栄華の儚さを深く思えば、涙が衣服をぬらしつくす。黄金を惜しまず酒を買って酔い、まだまだ宿には帰れない。

連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
「五白よ五白よ」と連呼して、六博の賭けごとに興じあい、ふた組に分かれて酒を賭け、馳せゆく時の間に酔いしれる。』
〇五白-購博の重義が黒く裏が白い五つのサイコロを投げて、すべて黒の場合(六里嘉最上、すべて白の場合〔五日)がその次、とする。〇六博-賭博の毎→二箇のコマを、六つずつに分けて質する。〇分嘉酒-二つのグループ(曹)に分かれて酒の勝負をする。○酎-酒興の盛んなさま。○馳曙-馳けるように過ぎゆく日の光、時間。

酣馳輝, 歌且謠, 意方遠。
馳せゆく時の間に酔いしれて、歌いかつ謡えば、心は、今こそ遠くあこがれゆく。
○歌且謠-楽曲の伴奏に合わせてうたうのが「歌」、無伴奏が「謡」、とするのが古典的な解釈(『詩経』慧「園有桃」の「毛伝」)。ここでは、さ喜まな歌いかたをする、の意。

東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』
かの東山に隠棲して、時が来れば起ちあがるのだ。世の人民を救おうというこの意欲、遅すぎるはずはない。』
○東山高臥-東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配したD(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

韻字-君・墳・雲/在・待・海/衣・帰・曙/遠・晩


  我浮黄雲去京闕,掛席欲進波連山。
  天長水闊厭遠渉,訪古始及平台間。』
  平台爲客憂思多,對酒遂作梁園歌。
  卻憶蓬池阮公詠,因吟緑水揚洪波。』
  洪波浩盪迷舊國,路遠西歸安可得。』
  人生達命豈暇愁,且飲美酒登高樓。
  平頭奴子搖大扇,五月不熱疑清秋。』
  玉盤楊梅爲君設,呉鹽如花皎白雪。
  持鹽把酒但飲之,莫學夷齊事高潔。』

  昔人豪貴信陵君,今人耕種信陵墳。
  荒城虚照碧山月,古木盡入蒼梧雲。』
  梁王宮闕今安在,枚馬先歸不相待。
  舞影歌聲散綠池,空餘抃水東流海。』
  沈吟此事涙滿衣,黄金買醉未能歸。
  連呼五白行六博,分曹賭酒酣馳輝。』
  酣馳輝,歌且謠,意方遠。
  東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。』

我黄河に浮かんで京闕を去り 席むしろを挂けて進まんと欲すれば波山を連ぬ
天は長く水は闊くして遠渉に厭き 古を訪うて始めて及ぶ平臺の間』
平臺に客と爲りて憂思多く 酒に對して遂に作る梁園の歌
却って憶ふ蓬池の阮公の詠 因って吟ず緑水洪波を揚ぐるを』
洪波 浩蕩 舊國に迷ひ 路遠くして西歸安んぞ得る可けんや』

人生命に達すれば豈に愁ふるに暇あらん 且らく美酒を飲まん高樓に登りて
平頭の奴子 大扇を描かし、五月も熱からず 清秋かと疑う』
玉盤の楊梅 君が為に設け、呉塩は花の如く 白雪よりも唆し
塩を持ち酒を把って 但だ之を飲まん、学ぶ莫かれ 夷斉の高潔を事とするを
平頭の奴子大扇を搖るがし 五月も熱からず清秋かと疑ふ』
玉盤の楊梅 君が爲に設け 呉鹽は花の如く白雪よりも皎し
鹽を持ち酒を把って但だ之を飲まん 學ぶ莫かれ夷齊の高潔を事とするを』


昔人豪貴とす信陵君 今人耕種す信陵の墳
荒城虚しく照らす碧山の月 古木盡ことごとく入る蒼梧の雲』
粱王の宮闕今安くにか在る 枚馬先づ歸って相ひ待たず
舞影 歌聲 綠池に散じ  空しく餘す抃水べんすいの東にかた海に流るるを』

此の事を沈吟して涙衣に滿つ  黄金もて醉を買ひ未だ歸る能はず
五白を連呼し六博を行ひ  曹を分かち酒を賭して馳輝に酣(よ)ふ』
馳輝に酣ひて  歌ひ且つ謠へば  意 方に遠し
東山に高臥して時に起ち來る  蒼生を濟はんと欲すること未だ應に晩からざるべし』
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