漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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翰林院供奉

さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180

 
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さらば長安よ「東武吟」 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白180

人からの讒言がなくても、こうした朝廷の中には、李白の安住の地は見いだせない。ついに李白は辞意を洩らすことになった。

李陽次『草堂集』序によると、
天子は「留む可からざるを知り、乃ち金を賜いて之を帰す」とある。
花伝正の「新墓碑」は、やや詳しく、玄宗が、その才能を情しんだが、「或いは酔いに乗じて省中に出入し、温室(殿)の樹を言わざる能わざるを慮り、後息を擦るを恐れ、惜しんで之を遂す」といって、酔って殿中に自由に出入するから、秘密が洩れはしないかと心配したという。やはり酔態は、当時としては、よほど人の耳目を集めていたらしい。

『本事詩』は、「廊臍の器に非ず、優詔して之姦め遣む」とあり、宰相の器たる政治家でないと判断したという。要するに玄宗としては、詩人としての才能は惜しんだが、しかし李白の心をもはや留めるべくもなかった。

李白は好きにつけ悪しきにつけ、思い出多い長安を去ることになる。思えは742年天宝元年秋に入京し、744年天宝三年春三月、去ることになった。足かけ三年間の短い長安生活であった。去るに当たって、翰林院で職を同じくした仲間たちに一篇の詩を残している。

「東武の吟」がそれである。


東武吟  一出東門后書懷留別翰林諸公―

好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。

恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。

倚岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。



李白の友人の任華は、このときの李白の姿を「李白に寄す」の中に次のごとく歌っている。


寄李白  任華 
権臣炉盛名
葦犬多吠撃
有数放君
却蹄隠冷感
高歌大笑出関去


権臣は盛名を歩み
群犬は貯ゆる声多し
勅 有りて君を放ち
却って隠輪の処に帰せしめ
高歌大笑して関より出でて去る



任華が見た李白の「高歌大笑」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。




東武吟 一出東門后書懷留別翰林諸公―

歌は辞任の寂しさと宮中出仕のころの回想から始まる。
「自分は、何のしごともできず辞任することは、残念ではある。思えば、三年前に天子から目をかけられて翰林院に召されることになった。それは光栄なことであった。また、天子の行幸にもいつも随行する。鷹山で作った駅はいささかおはめにあずかり、その評判は広く伝わった。都に帰ると、人々から尊敬され、話し相手は王公貴族はかりである。そのときはじつに愉快の極みであった」と、長安時代の生活の楽しさを思い出している。


「東武吟」―還山留別金門知己-
好古笑流俗。素聞賢達風。
方希佐明主。長揖辭成功。
白日在高天。回光燭微躬。
古(いにしえ)を好(この)んで  流俗(りゅうぞく)を笑い、素(もと)  賢達(けんたつ)の風(ふう)を聞く
方(まさ)に希(こいねが)う 明主(めいしゅ)を佐(たす)け、長揖(ちょうゆう)して成功を辞(じ)せんことを
白日(はくじつ)  青天に在り、廻光(かいこう)  微躬(びきゅ)を燭(てら)す



恭承鳳凰詔。欻起云蘿中。
清切紫霄迥。優游丹禁通。
君王賜顏色。聲價凌煙虹。
乘輿擁翠蓋。扈從金城東。
寶馬麗絕景。錦衣入新丰。
恭(うやうや)しく鳳凰(ほうおう)の詔を承(う)け、歘(たちま)ち雲蘿(うんら)の中(うち)より起(た)つ
澄みわたる雲居(くもい)のかなた、宮中に出入りして悠然と歩く
天子は  謁見を賜わり、名声は  虹をも凌ぐほどである
天子の輦(くるま)が  翠羽の蓋(かさ)を差し上げて、長安の東の離宮に行幸(みゆき)する
名馬絶景のような駿馬を馳(はし)らせ、錦の衣(ころも)を着て新豊にはいる



依岩望松雪。對酒鳴絲桐。
因學揚子云。獻賦甘泉宮。
天書美片善。清芬播無窮。
歸來入咸陽。談笑皆王公。
巌にもたれて松の雪を眺め、酒を酌みながら琴を奏でる
漢の揚雄が賦を献じた故事にならい、離宮に扈従(こじゅう)して詩を奉ると
勅書をもって お褒めの言葉をいただき限りない栄誉に浴する
長安に帰ってくれば交際するのは  もっぱら王公貴族のみ



ここで歌は一転して追放後のことになる。

一朝去金馬。飄落成飛蓬。
賓客日疏散。玉樽亦已空。
才力猶可倚。不慚世上雄。
閑作東武吟。曲盡情未終。
書此謝知己。扁舟尋釣翁 。
だが  ひとたび翰林院を去り、転落して  飛蓬の身となれば
よい客人は日に日に疎遠となり、酒樽もからになる
だが 
私の才能は衰えておらず、世の豪雄にひけは取らない、
暇にまかせて東武吟を口にすれば、曲が終わっても感興はつきない
そこでこの詩を書いて知己に贈り、小舟に乗って  釣りする翁を尋ねるとしよう



「さて、一朝にして翰林院を去ると零落して飛蓬のように、あてどなくさまよう身となってしまった」。「飛蓬」は風が吹くと根もとが切れて舞い上がる植物で、曹植が転々として国換えになる身をしばしは喩えたことばである。
また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に噺ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。しかし、内心は寂しくてやり切れなかったであろう。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むむべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって歌い終わる。


李白は、長安に住むこと足かけ三年、時に四十四歳、以後、再び長安には姿を現わさなかった。

同王昌齡送族弟襄歸桂陽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白179

同王昌齡送族弟襄歸桂陽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白179


 漢の成帝の寵した飛燕皇后のことは、事実はともかくとして、この頃の人士には、記述については非常に簡単ではあったが正史である『漢書』に、優れた容姿を表現する記述がある。
その出生は卑賤であり、幼少時に長安にたどり着き、号を飛燕とし歌舞の研鑽を積み、その美貌が成帝の目にとまり後宮に迎えられた。後宮では成帝の寵愛を受け、更に妹の趙合徳を昭儀として入宮されることも実現している。成帝は趙飛燕を皇后とすることを計画する。太后の強い反対を受けるが前18年12月に許皇后を廃立し、前16年に遂に立皇后が実現した。前7年、成帝が崩御すると事態が一変する。成帝が急死したことよりその死因に疑問の声が上がり、妹の趙合徳が自殺に追い込まれている。こうした危機を迎えた趙飛燕であるが、自ら子がなかったため哀帝の即位を支持、これにより哀帝が即位すると皇太后としての地位が与えられた。しかし前1年に哀帝が崩御し平帝が即位すると支持基盤を失った

王莽により宗室を乱したと断罪され皇太后から孝成皇后へ降格が行われ、更に庶人に落とされ間もなく自殺した。

六朝時代の作なる小説「飛燕外伝」を通じてよく知られていたのである。この「飛燕外伝」に見える飛燕皇后は、宮中に入る前にすでに鳥を射る者と通じ、立后後も多くの者と姦通している。唐時代に、朝廷内のものがこの小説を知らぬはずはない。李白が朝廷に上がった段階では、楊貴妃ではなく女道士としての太真としていた。玄宗の息子の寿王の王妃であったものを奪い取ったものであることも周知のことであった。朝廷内における地位としては確立していない段階ではあったが、趙飛燕は痩身体型、楊太真は細身、グラマラスな体系であった。
これを以て貴妃に比したのは、李白にとって慎重を欠いたというだけなのか、どんな意図があったのか。

李白の詩の特徴の一は、巧みに故事をとらえて、現在の事柄と連関させる方法である。そのため現実は浪曼化され、美化される。抽象化、誇張ということもありうる。

当然、写実から遠ざかることもある。詩とは、本来そうしたものである。

歌が善く、舞を善くし、君王の寵愛はくらべるものもなく、肌膚こまやかに、姿態楚々たる美人ということを詠いあげ、曖昧模糊に表現することで、美を表出したのである。傾国などの表現とはまったくちがったものであった。

しかし、李白は早い時期に云っておくべきこと、すなわち正論があった。それは、玄宗にこんな女、それ以上のめり込むべきでない趙飛燕の末期におけるものは悲劇そのものである。それを教訓として一線を画して対処されるべきといいたかったのだ。それを聞き入れられたとしたら、朝廷は安禄山の乱を生むことはなかったし、李白ももっと生かされたであろう。楊貴妃に問題があることは誰もが分かっていたが、問題点を指摘するものより、それを自己のためにうまく利用できるかということしかなかったのである。
その正論は、「浮云蔽紫闥。 白日難回光。」(古風三十七)朝廷内、内も外も上も下も、暗雲が垂れ込め」発言する場発揮することはなかった。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。 (古風三十九)
また、梧桐にしか止まらない猜疑心の塊のような小人、枳殻ととげばかりでもって邪魔をする者たちばかりであった。詩を完全に評価、詩人として評価してくれた賀知章は李白が入朝して間もなく引退して鏡湖周辺をご褒美に賜り故郷に帰っていった。李白の飛び出た杭にいち早く気が付き老い先短い命を故郷で過ごしたいと思うのは当然のことだったのだ。

 かくて李林甫の率いる官僚と高力氏の率いる宦官の巣窟の宮廷との双方から攻撃を受けた詩人は、長安を去るよりほかなかった。

 

同王昌齡送族弟襄歸桂陽  

秦地見碧草、楚謠對清樽。 
唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。
把酒爾何思、鷓鴣啼南園。
清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。
予欲羅浮隱、猶懷明主恩。
自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。
躊躇紫宮戀、孤負滄洲言。
 
いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。


 

唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。

清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。

自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。

いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

 

 

 


王昌齢と同じく族弟襄が桂陽に帰るを送る
秦地 碧草を見、楚謡 清樽に対す。 
酒を把(と)ってなんぢ何をか思ふ、鷓鴣(シャコ)  南園に啼く。 
予は羅浮に隠れんと欲すれども、なほ明主の恩を懐(おも)ふ。
紫宮の恋に躊躇し、ひとり滄洲の言に負く
 

 

 

 

 

秦地見碧草、楚謠對清樽。 

唐の都長安の地において君は青々と凛とした草のようである、これから帰る湖南の地には古くからの民謡があり、聖人の飲む清酒の樽があるのだ。

碧草 李白は碧という語をよく使う。ここでは若草のこれから伸びようとするものへの表現である。○ 襄の赴く桂陽(湖南省)は昔の楚の地。

 


把酒爾何思、鷓鴣啼南園。

清酒をくみ上げ君は何を思い語るのであろうか、そこの地方の野山、庭園ににたくさんいる鷓鴣が啼くように普通のことを言っていてはいけない。

鷓鴣(シャコ)南方に多い鳥。 なくから生け捕られ、食用にされる。○ 清と濁とある。濁り酒は賢人、すなわち酒を飲みながら政治批判をすることをいうが、ここでは、ことさら清といっている。自分が政治的批判をして懲りたことを顕わしている

 


予欲羅浮隱、猶懷明主恩。

自分は蓬莱山中の一峰に隠遁したとしても、天の明主の御恩は思い続けるであろう。

○羅浮 蓬莱山中の一峰。

 


躊躇紫宮戀、孤負滄洲言。
 

いろんなことがあっても、ここ天子の宮をこいしているからなかなか決めかねているのだ、ひとり神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

紫宮 紫微に同じく天子の宮。○滄洲 神仙のすむ滄浪洲へ行くという言葉を言い出せないのだ。

 

 

玄宗の恩を思い、宮廷を恋しくは思いながらも、彼は帝に暇を乞うた。

 玄宗はさすがにその才を惜んで慰撫した。しかし、辞意の決意の堅さを知り、金を賜って許した。君臣の間柄に他の不純なもののまじらなかったことが、李白にとってせめてもの慰めであった。

古風 其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178

 

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 上代~隋南北朝・隋の詩人初唐・盛唐・中唐・晩唐 
 
古風 其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178

いよいよ、長安朝廷を辞する時が来たのか。
それにつけても、この3年何だったのか。三顧の礼をもって迎えられたかと思うと次の日から天地が転化したような扱い、頼りにした道教の仲間も、すべてが宦官のいいなり、朝廷は李林甫の横暴がまかり通る。どんなに正論を言っても、天子のところには届かない。そればかりか、その天子たるや、気ままな性格そのもので、云い無、やりっぱなし、のその時政治。家臣は、やりたい放題。
酒は楽しく飲むもの。ここでの酒は酔うためのもの。こんな自分ではなかった。


古風 其三十九      
登高望四海。 天地何漫漫。
高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
霜被群物秋。 風飄大荒寒。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。


高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。



古風 其の三十九
登高(とうこう)して四海(しかい)を望めば、天地  何ぞ漫漫(まんまん)たる
霜は被(おお)って群物(ぐんぶつ)秋なり、風は飄(ひるがえ)って大荒(たいこう)寒し
栄華  東流(とうりゅう)の水、万事  皆(みな)波瀾(はらん)
白日  徂暉(そき)を掩(おお)い、浮雲  定端(じょうたん)無し
梧桐(ごとう)に燕雀(えんじゃく)を巣(すく)わしめ、枳棘(ききょく)に鴛鸞(えんらん)を棲(す)ましむ
且(しばら)く復(ま)た帰去来(かえりなん)、剣歌(けんか)す  行路難(ころなん)



登高望四海。 天地何漫漫。
高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
登高 九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 ○四海 古来から四方の地の果ては海となっているからそれの内の意》国内。世の中。天下。また、世界。 『孟子』尽心上に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるをイメージしている。



霜被群物秋。 風飄大荒寒。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
霜被 霜が降り被い ○群物秋 霜が降り被い ○風飄 ヒューと風が吹く ○大荒 ひろびろとした荒野 ○ 寒々として誰もいない。

 

榮華東流水。 萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
東流 中國の大河は東流している。水は東に流れるもの。其の位置にはとどまらない。いつかは消えていくもの。 ○萬 すべてのことがら。



白日掩徂輝。 浮云無定端。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
白日 日中の太陽。天子の威光。正論。○浮云 うきぐも。李白は朝廷内の宦官のことを暗天の比喩としていうことが多い。 ○無定端 定めの端がない。好き勝手なことをする。



梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
梧桐 あおぎり。玄宗と楊貴妃の生活を示したもの。元代の戯曲「梧桐雨」がある。また、『荘子』秋水篇の故事を用いる。荘子が梁の国の宰相恵子を訪れようとすると、それは宰相の地位を奪い取ろうとしているのだという重言があった。恐れる恵子に向かって荘子はたとえ話を持ち出す。南方に「鴛雛」という鳥がいて、梧桐にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、清浄な水しか飲まない。鶴が「腐鼠」を食べていたところに鴛雛が通りかかると、鶴はにらみつけて「嚇」と叫んだ。今あなたは梁の国を取られはしないか恐れて威嚇するのか、と恵子に言った。猜疑心を抱きつつの後宮生活を示す。○燕雀 小人物のこと。趙飛燕。楊貴妃の事。 ○枳棘 からたちととげ。人の邪魔をすること。 ○棲鴛鸞 おしどりと鸞鳳。楊貴妃とその兄弟の事。
この聯は『史記』・陳渉世家に「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀いずくんぞ鴻鵠之志を知るや。:小人物は大人物、鴻鵠の志を知ることができようか)の一節に基づくもの。



且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
歸去來 陶淵明が仕官80日あまりで官を辞して故郷に帰った時の辞。 ○劍歌 孟嘗君(もうしょうくん)に苦言を呈した馮驩(ふうかん)は剣の柄をたたき詩を吟じた。○行路難 古楽府の名。 

古風 其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177

古風 其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177


 宮廷に入り一年が過ぎ、政事の現実がどのようなものであるか何もかもすぐに分かった李白、うかつに発言できないもどかしさ、それは日に日に増していくのであった。李白は宮廷詩人として、芸人のような接遇、李白の矜持はボロボロにされていくのである。しかも、その思いは天子に全く伝わらないのである。
 古来、慟哭し、号泣すれば、天は答えてくれた。しかし、今はどうなっているのだ。袖も、着物もぐっしょりと濡れるほどに泣くのに何の返事もないのだ。これまで飲んだ酒は涙につながるお酒はなかった。しかし、今は、なんなのだ。どうすればいいのだ。李白の胸の内を詠いあげている「古風其の三十七」と「古風其の三十九」である。




古風 其三十七

其三十七
燕臣昔慟哭。 五月飛秋霜。
戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きた自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまった」。
浮云蔽紫闥。 白日難回光。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。
群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
古來共嘆息。 流淚空沾裳。

それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。



戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
ところで、「誠実に生きた自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまった」。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。


燕臣 昔 慟哭す。 五月にして 秋霜飛ぶ。
庶女 蒼天 號。 震風 齊堂を擊つ。
精誠 感ずる所有り。 造化 悲傷を為す。
而我 竟に何んぞ辜す。 遠身 金殿の旁。
浮云 紫闥を蔽う。 白日 光 回り難し。
群沙 明珠を穢れ。 眾草 孤芳 凌す。
古來 共に嘆息す。 流淚 沾裳 空し。




燕臣昔慟哭。 五月飛秋霜。
戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
燕臣 鄒衍(前305-前240)天地万物は陰陽二つの性質を持ち、その消長によって変化する(日・春・南・男などが陽、月・秋・夜・女・北などが陰)とする陰陽説と、万物組成の元素を土・木・金・火・水とする五行説とをまとめ、自然現象から世の中の動き、男女の仲まであらゆることをこの陰陽五行説によって説明。彼の説は占いや呪術とも結びついて後世に多大な影響を与えた。どれほど影響があるかは「陽気」「陰気」という言葉や、曜日の名前を思い浮かべればすぐわかる。○飛秋霜 秋に降りる霜が降り、風に飛んだ。



庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
庶女 斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられた。



精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。



而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きている自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまうのだ」。



浮云蔽紫闥。 白日難回光。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。



群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
○群 ただ集まっている砂。誠実ならざる姦物が多い ○ けがれている。荒れ果てる。



古來共嘆息。 流淚空沾裳。
それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。



○韻  霜、堂、傷、傍、光、芳、裳。




この涙は、李林甫の横暴、加えて宦官たちの陰険・陰謀、正論が上に全く上がらない朝廷の現状を嘆く悲しみの涙であり、思う仕事を何一つさせてもらえない無念の涙、こんなところに長居はできないとおもったにちがいない。

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176 と玄宗(8)

翰林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176


玄宗(9)
李白が長安を追われる直接の原因となったのは、魏顥の『李翰林集』序によると、「張洎の讒言」であったとされる。張洎は、もとの宰相張説の子で、玄宗の娘を妻にして、玄宗に寵愛された人であるが、のち安禄山に寝返り、その宰相となる。朝廷に召される10年前、李白は長安に来ている。その時道教の友人に張洎を紹介されているのだ。張洎に終南山の麓に居を紹介され、わずかの間棲んでいる。

李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二



その頃、張洎とうまくいっていなかったのか、李白も後のフォローに問題点があったであろうと思う。朝廷内の影響力を持つ人物からの助言、援助は考えられないもであったのはまちがいない。
劉全白の「翰林学士李君碣記」にも、「同列者の謗る所と為る」とあるが、これも中書舎人であった張洎のことかもしれない。

さらに、高力士の讒言というのも伝えられる。
『太平広記』巻204に引く『松窓録』によると、「高力士はかつての脱靴のことを怨みに思っていた」ところ、楊貴妃が「清平調詞」(三首)を吟じているのを聞いて、「飛燕を以って妃子を指すは、これを闇しむこと甚だしきなり」と謹言し、「貴妃も然りとした」という。宮女程度ならまだしも、王妃である。「清平調詞」(三首)貴妃の側からすれば手放しで喜べる内容ではない。4,50年かけて築いてきた地位、飛ぶ鳥を落とす勢いのある高力士にとって、昨日、今日入朝したての李白の奔放不覇な性格と態度、朝廷内でうまくゆくはずはない。


誰も味方してくれない状態の中で、李白は酔態を晒すばかりであったろう。入朝したいきさつからも、詩文を立ちどころに書き上げた才能はある意味当たり前の事なのである。それを当たり前のこととされると、高力士をはじめ禁中の者から見ると、李白のような倣慢無礼のやつ、天子の前でも何ものも恐れない態度をとるやつは許せなかったにちがいない。何かのきっかけを待って李白を陥れられるのは時間の問題であったろう。


翰林院供奉の職として、天子の詔勅を草する者としては、酔態は異常である。「宮中行楽詩」十首を作ったときも、寧王のところで飲んでいたのを召されて、ふらふらした状態であった。また、『松窓録』にある「清平調詞」三章を作った話も、「宿酲未だ解けざるに苦しむ」と、二日酔いのさめぬ苦しさの中に筆を執った。この『松窓録』にある一連の話は楽史の『李翰林別集』序にも見る。

范伝正の「李公新墓碑」には、、玄宗が、白蓮池に舟を浮かべて遊んでいたとき、呼び出されて、序を作らされた。このとき、李白は翰林中で酒を飲んでいたので、高力士に助けられて舟に登ったとある。これも、『太平広記』引く『琴言』にあるが、『携言』では、「白蓮花開序」を作ったとある。そのとき大酔していたので、女官たちが、冷水をかけて、醒まして、一気に筆を執って書き上げ、修正もしなかったという、とある。

魏顥の『李翰林集』序では、また別の話を伝える。すなわち、天子に召されたとき、李白は高官の家で飲んでいた。たまたま「半酔」の状態であったが、「出師詔」を作った。下書きもせずに一切しなかった。
これだけで、高力士の讒言がたとえなくとも、はじめから禁中の高官連中から快く思われていない李白が正規の官に就任できなかったのは、当然のことである。


李白自身も、もはや居るべき所ではないと感じ、晩かれ早かれ、宮中を出てゆく運命にあった。李白は、当時の高官たちの悪意に満ちた非難、冷笑をひしひしと身に感じていた。



翰林讀書言懷呈集賢諸學士
晨趨紫禁中。 夕待金門詔。
朝礼に間に合うように急ぎ足で歩く、天子の住居にて執務にあたる。夕べには翰林学士院で待詔している。
觀書散遺帙。 探古窮至妙。
また、古い書物をひもどいて読みあさり、古しえよりの至理をきわめるのが仕事である。
片言苟會心。 掩卷忽而笑。
一言一句でも感動するものがあれば、書物を閉じてふと笑えむのである。
青蠅易相點。 白雪難同調。
青い蝿はその糞で白い玉を汚しがちのもの、お高く留まった「白雪の歌」は歌いにくいもので和せるものではないのだ。
本是疏散人。 屢貽褊促誚。
自分はもともと気ままの人物であり、しばしば、偏狭な人物であると非難されるばかりである。
云天屬清朗。 林壑憶游眺。
本当は晴天なのに、宮廷というのはこのように雲が重たくかかっている、山林幽谷はそこにあり、わが心を慰めてくれるのは、自然の美しい眺めなのである。
或時清風來。 閑倚檐下嘯。
ときには清々しい風流な時もやってくる。そういうひとときの合間には、欄干によりかかり、あるいは下河原でのどかに詩を吟ずるのである。
嚴光桐廬溪。 謝客臨海嶠。
厳光は宮廷のことなど考えず桐廬溪で釣り糸を垂れたのだ、謝霊雲は左遷されるとき臨海の山のいただきに登った。
功成謝人間。 從此一投釣。

今は務めの身、天子から招かれた身分、一応はやることだけはしとげて、それから天子にお暇乞いをして、もっぱら釣り糸を垂れる身分となりたい。


朝礼に間に合うように急ぎ足で歩く、天子の住居にて執務にあたる。夕べには翰林学士院で待詔している。
また、古い書物をひもどいて読みあさり、古しえよりの至理をきわめるのが仕事である。
一言一句でも感動するものがあれば、書物を閉じてふと笑えむのである。
青い蝿はその糞で白い玉を汚しがちのもの、お高く留まった「白雪の歌」は歌いにくいもので和せるものではないのだ。
自分はもともと気ままの人物であり、しばしば、偏狭な人物であると非難されるばかりである。
本当は晴天なのに、宮廷というのはこのように雲が重たくかかっている、山林幽谷はそこにあり、わが心を慰めてくれるのは、自然の美しい眺めなのである。
ときには清々しい風流な時もやってくる。そういうひとときの合間には、欄干によりかかり、あるいは下河原でのどかに詩を吟ずるのである。
厳光は宮廷のことなど考えず桐廬溪で釣り糸を垂れたのだ、謝霊雲は左遷されるとき臨海の山のいただきに登った。
今は務めの身、天子から招かれた身分、一応はやることだけはしとげて、それから天子にお暇乞いをして、もっぱら釣り糸を垂れる身分となりたい。


晨には紫禁の中に趨り。 夕には金門の詔を待つ。
書を観て遺帙を散き、古探り至妙を窮む
片言 苟し心に会せば、巻を掩いて忽ちにして笑う
青き蝿は相い点し易く、白雪は同調し難し
本もと是れ疎散なる人にして屡しば褊促なる誚りを貽す
雲天は清朗と属り、林林壑に遊朓を憶う
時或りて清風来たり、閒ま欄下に倚って囁く
厳光の桐廬の溪、謝客の臨海の嶠
功成りて人君に謝し、此より一えに釣を投げん





晨趨紫禁中。 夕待金門詔。
朝礼に間に合うように急ぎ足で歩く、天子の住居にて執務にあたる。夕べには翰林学士院で待詔している。
 夜明けに朝礼がある。○趨 急ぎ足で歩く。○紫禁 皇居、天子の住居。○金門 右銀台門、翰林学士院を示す。 ○ 天子からの詔をまっている。
自分のしごとは、「禁中に出て、翰林院で天子の詔を待っている身。「金門」は漢の金馬門、漢の武帝は、ここで学士を集めて詔を待たせた。金馬門は唐では、右銀台門に当たり、ここを入ると翰林学士院がある。よって翰林学士院で待詔すことをかくいった。


觀書散遺帙。 探古窮至妙。
また、古い書物をひもどいて読みあさり、古しえよりの至理をきわめるのが仕事である。
遺帙 古い書物をひもどいて読み  ○探古窮至妙 古しえよりの至理をきわめるのが仕事である



片言苟會心。 掩卷忽而笑。
一言一句でも感動するものがあれば、書物を閉じてふと笑えむのである。



青蠅易相點。 白雪難同調。
青い蝿はその糞で白い玉を汚しがちのもの、お高く留まった「白雪の歌」は歌いにくいもので和せないのだ。
青蠅 青い蝿。○相點 糞で白い玉を汚す。○白雪難同調 潔白の人にとっては、人の中傷非難はありがち、また高傑の人には俗人はついてこない。いま自分はそれと同じである。「白雪」は曲の名であり、宋玉の「楚王の問いに対う」に、俗な曲は和する者が多かったが、陽春・白雪のような高尚な曲は、和する者数十人にすぎなかったという。これにもとづき、高傑の人物は孤立しがちのものであることにたとえる。
 

本是疏散人。 屢貽褊促誚。
自分はもともと気ままの人物であり、しばしば、偏狭な人物であると非難されるばかりである。
本是 自分はもともと。○疏散人気ままな人物。○ 屢貽褊促誚。この表現をみると、李白は宮中において、すでに非難攻撃を受けていることを十分知っている。そして、宮廷の人々とは合わないことも十分知っている。とすると、聾一昆よって追放さかることがなくても、李白のほうも、もはやみずから出てゆく時が来ていると覚悟していたにちがいない。



云天屬清朗。 林壑憶游眺。
本当は晴天なのに、宮廷というのはこのように雲が重たくかかっている、山林幽谷はそこにあり、わが心を慰めてくれるのは、自然の美しい眺めなのである。
云天 宮中は魑魅魍魎が住み着くところ。○林壑 山林幽谷の自然を愛す。○憶游眺 自然に浸り詩歌を詠う。



或時清風來。 閒倚檐下嘯。
ときには清々しい風流な時もやってくる。そういうひとときの合間には、欄干によりかかり、あるいは下河原でのどかに詩を吟ずるのである。
清風來 清々しい風流な時もやってくる。○(うそぶ)くはのどの奥から声を出す。六朝人は、よく山水に遊んで噴く習慣があり、世俗を超越した隠遁者の超俗的態度であったが、唐に入ると、声を出さずに、そうした態度だけをすることも「囁」といった。ここも必ずしも声を出さずに、俗たちを低く見る態度をとったとみてもよい。ここでは自然の風景によって心の憂いをはらすともに、宮廷の俗人たちを無視した気持ちも表わしているとみられる。

 

嚴光桐廬溪。 謝客臨海嶠。
厳光は宮廷のことなど考えず桐廬溪で釣り糸を垂れたのだ、謝霊雲は左遷されるとき臨海の山のいただきに登った。
厳光 後漢の「厳光」(字は子陵)は、光武帝と若いころ友人であったが、光武帝が即位してから、招かれても応ぜず、桐廬溪でいつも釣りをしていた。この渓は今、杭州湾に流れこむ富春江を湖えと厳陵瀬の急瑞があり、厳光が釣りをしていたところといわれる。○謝客 六朝、宋の大詩人謝霊運も、この江を潤って永嘉(温州)の太守に左遷されるとき、この厳陵瀬のことを歌っている。彼は幼名を客児と呼ばれたために、当時から「謝客」と加阿客とか呼ばれていた。永嘉の太守をやめて、故郷の会稽に帰って、しばしばこの付近の山水探勝を試み、臨海(今の臨海県)の山にも登っている。



功成謝人間。 從此一投釣。
今は務めの身、天子から招かれた身分、一応はやることだけはしとげて、それから天子にお暇乞いをして、もっぱら釣り糸を垂れる身分となりたい。
功成謝人間 謝には「臨海晴」の詩がある。ともに世間との交渉を断ち、山水に遊んだ人。「こうした人々がうらやましく、自分もそうした身分になりたい。」という。


○韻  中、詔、妙、笑、調、誚、眺、嘯、嶠、釣。

ここでは自由の身になることを望んでいる。ただ天子に対してやるべき「功」だけはやって、それが「成」きあがったらという。「功」とは、翰林院における与えられた職務である。宮中の宮人官僚たちの非難冷笑を受けて、もはや相容れないと感じ、翰林院を去る時期を、李白はうかがっていたにちがいない。その機会は、高力士、あるいは張泊の讒言であったかもしれないが、それよりも李白にとって政治的助言の場が全くなく、芸人のような処遇に耐えきれないものがあった。それは、李白の矜持に触れるものであったからである。

清平調詞 三首 其三 李白  :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

清平調詞 三首 其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白162

清平調詞其三 
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。


名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。


清平調詞 其の三
名花 傾国両つながら相い歓ぶ
長えに 君王の 笑いを帯びて看るを得たり
解釈す 春風無限の恨み
沈香亭北 閲千に侍る


その三。
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、
北方有佳人,
絶世而獨立。
一顧傾人城,
再顧傾人國。
寧不知傾城與傾國,
佳人難再得。
「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。
白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。○君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。



解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。
解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 ○春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。○沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。〇  身をもたせる。よりかかる。
長安城郭015


韻   歓、看、干。
宮島(3)



親友の杜甫も、「李十二日に寄せる、二十韻」
昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。
聲名從此大,汩沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必絕倫。
龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。
乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。
劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

に、「筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神か泣かしむ」といい、かの賀知章が「烏夜噂」を嘆賞して「鬼神を泣かしむ」といったことを含みつつ、李白の詩を激賞している。そして、「文采は殊寵を承け、流伝すれば必ず絶倫たり」といって、天子の「殊寵を承け」たことを歌っている。真実を歌う杜甫のごとき人がいうほどだから、玄宗の特別の寵愛があったことは確かであろう

清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白161

一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

清平調詞 三首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白155

側近の宦官、高力士は、かつて宴席で李白の靴を脱がせられたことを恨みに思い、この第二首に前漢の成帝の皇后趨飛燕が歌われていることを理由として(第二首の語釈参照)、李白のことを貴妃に議言し、李白の登用に強く反対させたため、玄宗もついに断念することになった。(趙飛燕は漢代随一の美人とされるが、後年、王葬に弾劾されて庶民となり、自殺している。それを太真妃になぞらえたということが、彼女の怒りを買ったのである)。李白がなぜ楊貴妃とタイプが違い、何よりも権力の掌握度が圧倒的に違っていたし、姉妹で皇帝に寵愛された趙飛燕を喩えにとったかは理解できないが、残っている資料は支配者側のものでしかない。事実はあったかもしれないが宮廷を追われるほどのものかどうか疑問が残る点である。
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清平調詞三首 其一 
云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。


清平調詞 三首 其二 
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 
一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

清平調詞其三 
名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 
名高い牡丹の花と傾国の美女が、たがいにその美を歓びあう。君王は楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられる。
解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 
その無限の恨みを解きほぐすかのように春風がふいてくる、紫檀、黒檀で作られた沈香亭の奥まったところ、欄杵に身を倚せた美しい建物に溶け込んだ妃は美しい。

長安城漢唐清平調詞 三首其の一
雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う,露華濃やかなり
若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん

其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。
 

清平調詞 其の三
名花 傾国両つながら相い歓ぶ,長えに 君王の 笑いを帯びて看るを得たり
解釈す 春風無限の恨み,沈香亭北 閲千に侍る
玄武門
『清平調詞 三首 其二』 現代語訳と訳註
(本文)

清平調詞 三首 其二
一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。
借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。

(下し文)

其の二
一枝の紅艶 露香を凝らす、雲雨 巫山 枉しく断腸。
借問す 漢宮 誰か似るを得たる、可憐なり 飛燕 新妝に倚る。

(現代語訳)

一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。

(訳注)

清平調詞 三首
宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。開元中、玄宗は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、玄宗は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。七言絶句、清平調詞三首である。


一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 
一と枝の紅く艶やかな牡丹の花、露を含んでただよわせる濃密な香り。雲となり雨となる巫山の神女との契りさえも、この美しさの前ではいたずらなやるせないきもちになってしまう。
雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を井す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
  いたずらに、甲斐もなく。
○断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。


借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 
お聞かせ下さい。漢の後宮の美女のなかで、だれがこの貴妃に似ることができるというのでしょうか。
ああ、なんと華やかでいて可憐な、「飛燕」が新しいよそおいを誇るその姿であろう。
借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。


○韻  香、腸、粧。


 いづれも宮中の妃妾の美しさを、さながらの如く描き出しているが、宮中行樂詞八首 其二、ここでも其二に漢の成帝の寵した趙飛燕の名が見えているのは注意すべきである。
李白の天才はこれらのことによって余すところなく示されたが、この詩の内容は、君主の前に酔を帯びて出ることとあわせ、失態であることはいうまでもなく、彼が永く宮廷詩人の地位を占め得ないであらうことは、これらの記事によって予知し得ることであった。
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清平調詞 三首 其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白160/350
 
宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。
開元中、天子は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、天子は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。
ここでは七言絶句、清平調詞三首をとりあげる。
宮島(3)


清平調詞三首 其一 
云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。


容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。



清平調詞 三首其の一
雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う
露華濃やかなり
若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん

宮島(5)

云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 
雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。
云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。○衣裳 衣装はあでやかさを示す。○(宮殿の)欄干、手すり。○露華 露は性交を示唆する。後宮での夜の華やかな閨のいとなみを示している。


若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 
ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。
群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山。○瑤台 五色の玉で作った高台。神仙の住むという土地。


○韻 容、濃、逢。
宮島(4)

宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149

宮中行樂詞八首其八 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白149


宮中行樂詞八首 其八
水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。


水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の簫の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。



宮中行楽詞 其の八
水は綠なり 南薫殿、花は紅なり 北闕楼。
鶯歌 太液に聞こえ、鳳吹 瀛洲を繞る。
素女は 珠佩を鳴らし、天人は 彩毬を弄す。
今朝 風日好し、宜しく未央に入りて遊ぶべし。




水綠南薰殿。 花紅北闕樓。
水ゆたかに、みどりしたたる南薰殿。花は咲きほこり、紅に萌え聳えるような北闕楼。
○南薫殿・北闕樓 いずれも唐代の長安の宮殿の名。北の見張り台のある楼閣。左右に石の高さ15メートル以上石壁がありその上に大きな宮殿のような楼閣が聳えるように建っていた玄武殿と玄武門をさす。



鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。
うぐいすの歌ごえは、大液池から聞こえてくる。鳳凰の笙の音は、蓬莱山を越え瀛洲の島を廻っている。
太液 池の名。漢の太液池は漢の武帝が作った。池の南に建章宮という大宮殿を建て、池の中には高さ二十余丈の漸台というものを建て、長さ三文の石の鯨を刻んだ。また、池に三つの島をつくり、はるか東海にあって仙人が住むと信じられた瀛洲・蓬莱・方丈の象徴とした。漢の成帝はこの池に舟をうかべ、愛姫趙飛燕をのせて遊びたわむれた。唐代においても、漢代のそれをまねて、蓬莱殿の北に太液池をつくり、池の中の島を蓬莱山とよんだという。○鳳吹 笙(しょうのふえ)のこと。鳳のかたちをしている。○瀛洲 仙島の一つ。別に蓬莱、方丈がある。



素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。
宮中の素女は、身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら走りまわり、天の乙女は、美しい鞠を蹴ってたわむれている。
素女 仙女の名。瑟(琴に似た楽器)をひくのが上手といわれる。○珠佩 真珠のおびもの。礼服の装飾で、玉を貫いた糸を数本つないで腰から靴の先まで垂れ、歩くとき鳴るようにしたもの。宮中に入るものすべてのものがつけていた。階級によって音が違った。○天人 仙女。天上にすむ美女。天の乙女。○彩毬 美しい模様の鞠。



今朝風日好。 宜入未央游。
けさは、風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊ぶことがふさわしい。
未央 漢の皇居の正殿の名。中国、漢代に造られた宮殿。高祖劉邦(りゅうほう)が長安の竜首山上に造営したもの。唐代には宮廷の内に入った。

宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

宮中行樂詞八首其七 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白148

高貴な階級ほどエロティックな詩を喜んだ。「玉台新詠集」などその典型で、詠み人は皇帝、その親族、、高級官僚である。ここでいう行楽とは、冬は奥座敷の閨の牀で行った性交を屋外でするという意味を含んでいる。それを前提におかないと宮中行楽詞は意味不明の句が出てくる。この詩の舞台には儒教的生活は存在しないのである。




宮中行樂詞八首 其七
寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
晚來移綵仗、行樂泥光輝。

日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている



つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。


宮中行楽詞 其の七
寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。
宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷檐燕 語って還た飛ぶ。
遅日 歌席明らかに、新花 舞衣 艶なり。
晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。



寒雪梅中盡、春風柳上歸。
つめたい雪は梅の花のなかで消えてなくなった、香しい春風のような女は柳の木のような男の腕の中にに帰ってきた。

宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。
宮中のうぐいすの役割の宮妓は、ほんのりと酔いごこち愛らしくなる。のきばのつばめの役割の宮女は、また飛んで行ったり帰ったりして言葉を伝えている。
簷燕 のきばのつばめ。

遲日明歌席、新花艷舞衣。
待っているとなかなか日が暮れない春の日が、歌の席が明るいままである。新らしい歌い手が花と咲き、舞姫の衣はいっそうなまめかしい。
遲日 日が長くなる春。なかなか日が暮れない。「詩経」の豳風(ひんふう)に「七月ふみづき」
七月流火  九月授衣  春日載陽  有鳴倉庚  
女執深筐  遵彼微行  爰求柔桑  春日遅遅
采蘩祁祁  女心傷悲  殆及公子同歸
一緒になりたい待っている女心を詠っている。
歌席 音楽の演奏会。

晚來移綵仗、行樂泥光輝。
日暮れになると、着飾った衛兵を移動する、野外で行なわれる楽しいことは光り輝きをやわらかくしている。
晩来 夕方。○綵仗 唐の制度では、宮殿の下の衛兵を仗という。綵は、着飾ってはなやかなという形容、飾り物が華麗である場合に使用する。別のテキストでは彩としている。この場合は色のあでやかさの場合が多い。○行楽泥光輝 野外において性的行為をする光景を詠っている。光と影が交錯していること。景色を泥はやわらかくする。

宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147

宮中行樂詞八首其六 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白147


宮中行樂詞八首 其六
今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。

北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。


今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。



宮中行楽詞 共の六
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
艷舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って藏鉤するを。



今日明光里。 還須結伴游。
今日の日の明るいうちの明光殿のなかのことである、また、たくさんの美女たちがあつまって遊んでいる。
明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。



春風開紫殿。 天樂下珠樓。
宮女たちのかぐわしい春風が紫殿に充満している、天上にふさわしい音楽が真珠の楼閣におりてくる。
紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。



艷舞全知巧。 嬌歌半欲羞。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくし踊る、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにさそっている。



更憐花月夜。 宮女笑藏鉤。
北斎の憐のような琴や踊りの上手い宮女や月のような宮女たちの夜が楽しい、宮女たちが蔵鉤のあそびになって笑いころげているのである。
憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。○蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。


宮中行樂詞八首其五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白146

宮中行樂詞八首其五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白146



宮中行樂詞八首 其五
繡戶香風暖。 紗窗曙色新。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
宮花爭笑日。 池草暗生春。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
昭陽桃李月。 羅綺自相親。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。


きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。


宮中行楽詞 其の五
繍戸 香風暖かに、紗窓 曙色新たなり。
宮花 争って日に笑い、池草 暗に春を生ず。
綠樹には 歌鳥を聞き、青楼には 舞人を見る。
昭陽 桃李の月、羅綺を白のずから相親しむ



繡戶香風暖。 紗窗曙色新。
きれいな飾りのある扉には、香しい春風が吹いて暖かくなった。うす絹をはった窓には、あけぼのの光が鮮やかで清新な明るさだ。
繍戸 きらびやかに飾りたてた扉。宮中の女の部屋をさす。〇紗窗 薄絹を張った窓。○曙色 あけぼのの光。



宮花爭笑日。 池草暗生春。
宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。池のほとりの草も、いつのまにか、春のいのちをもやしはじめる。
宮花争笑日 「劉子新論」に「春の葩は日を含みで笑うが似く、秋の葉は露に泫おいて泣くが如し」とある。宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。○弛草幡生春 南宋、謝霊運の長詩「登池上楼閣」
・・・・・・
初景革緒風、新陽改故陰。
池塘春草生、園柳変鳴禽。
・・・・・・
「池塘春草生じ、園柳鳴禽に変ず」から。
池のほとり(堤)に芽吹きがある、春が来た
同じKanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白「灞陵行送別」
上有無花之古樹、下有傷心之春草。とある。同じように使用している。



綠樹聞歌鳥。 青樓見舞人。
綠の木の間からは、歌う鳥の声がきこえ、昔、名君がすごした青い楼閣の上には、舞う美人の姿がみえる。
青楼 「南史」に、斉の武帝は、興光楼上に青い漆をぬり、世人これを青楼とよんだ、とある。
武帝(ぶてい、440年 - 493年)は、斉の第2代皇帝。姓は蕭、諱は賾。高帝蕭道成の長子。 父の死で即位する。即位後は国力増強に力を注ぎ、大規模な検地を実施した。あまりに厳しい検地であったため、逆に農民の反発を招くこととなってしまったこともあったが、反乱自体は微弱なものに過ぎず、検地は結果的に大成功したという。また戸籍を整理したり、貴族の利権を削減して皇帝権力の強化に務めるなどの政治手腕を見せた。このため、武帝は南朝における名君の一人として讃えられている。



昭陽桃李月。 羅綺自相親。
趙飛燕が愛された昭陽殿では、桃花や李花のような美人が月の寝室で待つ、うす絹やあや絹の宮妓は互いに愛しあっている。
昭陽 趙飛燕の宮殿の名。○羅綺 うすぎぬとあやぎぬと。○羅綺自相親 羅綺をつけた人びと(官女)がたがいに親しみあうという意味。



  李白の詩は儒教手解釈では理解できない。当時は身分の高い人たち中でこそ、下ネタをうまく詠いこむことが洒落であった。解釈書、漢詩紹介の本に欠如しているのは、あるいは、意味不明とされている。洒落として解釈しないとりかいできないのだ。解釈は詩人の主張する通りに理解しないといけない。そうでないと、つまらない詩のままで終わる。このブログでは、詩人はエロチックな表現によって体制批判をしていることが多い。この「宮中行樂詞八首其五」は間違いなく艶情詩なのだ。
後宮は、天界、、仙界、極楽を具現化したものであり、それを利用し、その世界を詠うものである。 
唐朝 大明宮01

宮中行樂詞八首其四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白145

宮中行樂詞八首其四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白145
宮中行樂詞八首 其四 李白145


宮中行樂詞八首 其四
玉樹春歸日。金宮樂事多。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
後庭朝未入。輕輦夜相過。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
笑出花間語。嬌來竹下歌。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた
莫教明月去。留著醉嫦蛾。

あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。



宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。

 
宮中行楽詞 其の四
玉樹 春帰る日、金宮 楽事多し
後庭 朝に未だ入らず、輕輦 夜 相過ぐ。
笑いは花間の語に出で、嬌は燭下の歌に来る。
明月をして去らしむる莫れ、留著して 嫦蛾を酔わしめん



玉樹春歸日。金宮樂事多。
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどってくる日々、黄金の宮では春の楽しい行事が多くなってくる。
玉樹 りっばな木。○金宮 こがね作りの宮殿。



後庭朝未入。輕輦夜相過。
奥の御殿、ここへは天子が朝は入って行かれることはない。軽い手くるま、夜の訪れに伴い、これにのってお通りになる。
後庭 後宮。宮中の奥御殿○朝 朝は、日の出に朝礼が行われ、列を整えて礼をする。その後、天下の政事、諸事をおこなう。○輕輦 手車の呼び方を変えている。「其一」・歩輩 手車。人がひく車。人力車。「其二」・雕輦 彫刻をほどこした手くるま。宮中において天子のみが使用する車で宮中を象徴するものとしてとらえている。



笑出花間語。嬌來竹下歌。
ほほえみは花を咲かせ、歓びの声は花の間の話からおこる、可愛がられる時が来た、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた。
花間 宮女の話し声。花は宮女。○ 美しい。艶めかしい。声や色合いが美しい。可愛がる。○竹下歌 紙のない時代は紙の代わりに用いた。蝋燭のもとで竹に書き物をする。また、竹の簾のもと、閨を意味しそこでの男女の情交の際の声を歌で示した。



莫教明月去。留著醉嫦蛾。
あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。
留著 とめておく。○嫦蛾 。古代の神話中の女性。努という弓の名人の妻であったが、夫が酎欝が(仙女)からもらってきた不死の薬。宮中では、不死薬は媚薬でもあり、精力増強剤とされていた。それを、夫のるすの問にぬすんでのんだため、体が地上をはなれて月にむかってすっとび、それいらい、月の精となった。月の世界で、「女の盛りに、一人で、待っている女性」という意味でつかわれる。魯迅の「故事新編」の中の「奔月」は、この話がもとになっている。

紀頌之漢詩ブログ 李白 97 把酒問月  
白兔搗藥秋復春,嫦娥孤棲與誰鄰。

嫦娥 李商隠
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。


紀頌之漢詩ブログ 李商隠 嫦娥
1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥

宮中行樂詞八首其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白144

宮中行樂詞八首其三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李白144



宮中行樂詞八首 其三
盧橘為秦樹、蒲桃出漢宮。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
煙花宜落日、絲管醉春風。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
笛奏龍吟水、蕭鳴鳳下空。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
君王多樂事、還與萬方同。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。



枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。


宮中行楽詞 其の三
盧橘は 秦樹と為り、 蒲桃は漢宮より出づ。
煙花 落日に宜しく、 絲管 春風に醉う。
笛奏 龍 水に鳴き、 蕭吟 鳳 空より下る。
君王 樂事多く、 還た 萬方と同じくする。

 


盧橘為秦樹、 蒲桃出漢宮。
枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になった、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。
盧橘 果樹、枇杷の別名。もと南方の植物。戴叔倫の「湘南即事」に「盧橘花開楓菓哀」とあるのもそれがもとは南方の風物であることを示したもの。○ 長安の地方。Kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 李商隠37「寄令狐郎中」では
嵩雲秦樹久離居、雙鯉迢迢一紙書。
休問梁園舊賓客、茂陵秋雨病相如。
秦樹は長安を長い時代見ていた樹という意味に使っている。
蒲桃 葡萄。ぶどう。ペルシャ原産で、西域を通って中国に入ったのは、漢の武帝のときである。



煙花宜落日、絲管醉春風。
春霞と咲きほこる花に、落ちかかる日のひかりがその場所にうまい具合にあたっている。音楽が、うきうきと酔いごこちで、春風にのって流れている。
煙花 かすみと花。○絲管 弦楽器と管楽器。つまり、音楽。

 

笛奏龍鳴水、蕭吟鳳下空。
笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。
節奏竜鳴水 漢の馬融の「笛の賦」によれば、西方の異民族である羌の人が、竹を伐っていると、竜があらわれて水中で鳴いた。すぐに竜は見えなくなったが、羌人が、きり出した竹でつくった笛を吹くと、竜のなき声と似ていたという。竜は、空想の動物である。○蕭吟鳳下空 簫は管楽器の一種。「列仙伝」に、蕭史という人が、上手に簫を吹いた。すると鳳凰がとんで来て、その家の屋根に止まった、とある。鳳凰もまた、空想の動物である。鳳がおす、凰がめす。



君王多樂事、還與萬方同。
国の天子には、楽しい行事がたくさんおありでしょう、やはり、天下のこと、万事に楽しまれることでありましょう。
万方 万国と同じ。天下、万事のこと。

宮中行樂詞八首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143

宮中行樂詞八首 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143



宮中行樂詞八首 其二
柳色黃金嫩、梨花白雪香。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
選妓隨雕輦、徵歌出洞房。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
宮中誰第一、飛燕在昭陽。

宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。



芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。


宮中行楽詞 其の二
柳色(りゅうしょく)  黄金にして嫩(やわら)か、梨花(りか)  白雪(はくせつ)にして香(かんば)し。
玉楼(ぎょくろう)には翡翠(ひすい)巣くい、珠殿(しゅでん)には鴛鴦(えんおう)を鎖(とざ)す。
妓(ぎ)を選んで雕輦(ちょうれん)に随わしめ、歌を徴(め)して洞房(どうぼう)を出(い)でしむ。
宮中(きゅうちゅう)  誰か第一なる、飛燕(ひえん)  昭陽(しょうよう)に在り。

 

柳色黃金嫩、梨花白雪香。
芽をふき出したばかりの柳の色は、黄金のようにかがやき、しかも見るからにやわらかく若い(玄宗皇帝)。梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっている(楊太真)。
柳色 男性を示唆する柳で玄宗。楊は女性を示す。○ 物がまだ新しく、若くて、弱い状態。○梨花 女性を示唆する、楊太真(貴楊妃)。



玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。
宝玉でかざりたてた楼閣には、うつくしい羽根をもつかわせみの巣がある。真珠をちりばめた御殿には、夫婦仲むつまじいおしどりが、とじこもりの場所である。
○玉楼 宝玉でかざり立てた楼閣。○翡翠 かわせみ。うつくしい羽根の鳥。○珠殿 真珠をちりばめた御殿。○鴛鴦 おしどり。おす(鴛)と、めす(鴦)と仲むつまじい鳥。

 

選妓隨雕輦、徵歌出洞房。
天子はすぐれた宮妓の者をえらばれ、手ぐるまのあとについて歩くよう命じられる。また、歌手をよびよせて、奥の部屋にいたものに出て来るよう命じられる。
 宮妓、種種の妓芸を演じて人をたのしませる俳優のこと。○雕輦 彫刻をほどこした手ぐるま。〇洞房 奥ぶかい部屋。



宮中誰第一、飛燕在昭陽。
宮中において美人といえば、誰が第一だろうか。飛燕だ、宮中のはなやいだ昭陽殿に在られるのだ。
○飛燕 漢の成帝の愛姫、超飛燕。もとは長安の生れで身分は低かったが、歌や舞がうまく、やせ型の美人で、その軽やかな舞はツバメが飛ぶようであったから、飛燕とよばれた。ある時、おしのびで遊びに出た成帝の目にとまり、その妹とともに宮中に召され、帝の寵愛を一身にあつめた。十余年、彼女は日夜、帝を誘惑したので、しまいに帝は精根つきはてで崩御した。晩年、彼女は不遇となり、さいごには自殺した。彼女は漢代随一の美女とされている。また、やせた美人の代表は漢の趙飛燕、ふとった美人の代表は唐の楊貴妃とされているが、唐詩において趙飛燕をうたうとき、多くの易合、玄宗の後宮における第一人者、楊貴妃そのひとを暗に指す。もっともこの時期は楊太真で、李白が都を追われた後、楊貴妃となる。○昭陽 趙飛燕がすんでいた宮殿の名。

宮中行樂詞八首其一  李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白142

宮中行樂詞八首其一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白143


宮中行楽詞 其一
小小生金屋、盈盈在紫微。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
山花插寶髻、石竹繡羅衣。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
每出深宮里、常隨步輦歸。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。


五重塔(1)


小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。



宮中行楽詞一其の一
小小にして 金屋に生れ、盈盈として 紫微に在り。
山花 宝撃に挿しはさみ、石竹 羅衣を繡う。
深宮の裏每び出ず、常に歩を肇めて歸るに従う。
只だ愁う 歌舞の散じては、化して綜雲と作りて飛ばんことを



宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

 玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。


小小生金屋、盈盈在紫微。
小さい子供のときから、黄金で飾った家でそだてられ、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。
小小 年のおさないこと。○金屋 漢の武帝の故事。鷺は幼少のころ、いとこにあたる阿矯(のちの陳皇后)を見そめ、「もし阿舵をお嫁さんにもらえるなら、慧づくりの家(金星)の中へ入れてあげる」と言った。吉川幸次郎「漠の武帝」(岩波誓)にくわしい物語がある。○盈盈 みずみずしくうつくしいさま。古詩十九首の第二首に「盈盈たり楼上の女」という句がある。○紫微 がんらいは草の名。紫微殿があるため皇居にたとえる。



山花插寶髻、石竹繡羅衣。
なでしこの花一輪を、宝で飾った髪のもとどりに挿しはさみ、セキチクの模様のうすぎぬの上衣に刺繍してある。
寶髻 髻はもとどり、髪を頂に束ねた所。宝で飾りたてたもとどり。○石竹 草の名。和名セキチク。別称からなでしこ。葉は細く、花は紅・自または琶音ごろ開く。中国原産であって、唐代の人もこの花の模様を刺繍して、衣裳の飾りとした。○羅衣 うすぎねのうわぎ。



每出深宮里、常隨步輦歸。
奥の御殿の中から出るごとに、いつも手車のあとについて歩いてゆく。
歩輩 手車。人がひく車。人力車。



只愁歌舞散、化作彩云飛。
すこし心配になることがある。美女たちが歌をうたい舞いおわってしまったら、そのまま美しい色の雲となって、飛んでゆくのではないかと。
彩云 いろどり模様の美しい雲。



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玉壺吟 :雑言古詩 李白

 玉壺吟 :雑言古詩 李白132

玉壺吟
烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。

ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。


烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。


(訓読み)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。




玉壷の吟
玉壷吟  「玉壷の吟」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺、壯心惜暮年。
烈士の志をもつ者は、いま玉壷を撃って詠い、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、しだいに老いてゆく年を惜しんでいる。
烈士~暮年  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。



三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
酒におぼれず酒杯を重ねて剣を抜き払い、秋月のもとに立って舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。
三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。○涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

 

鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。
紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。
鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。○稱觴  觴(さかずき)を挙げる。○御筵 皇帝の設けた宴席。



揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。
九重の宮中深く住まわれる皇帝陛下の、治世の御徳を賛え、宮廷の赤墀(せきち)・青瑣(せいさ)の場所で今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
○揄揚  ほめたたえる。〇九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。○万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。○謔浪 自由自在にふざけ戯れる。○赤墀  宮殿に登る朱塗りの階段。○青瑣 宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。



朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬を幾たびも取り換え、勅令により、珊瑚や白玉で飾った美しい鞭を賜わった。
飛竜馬 駿馬。「飛竜」は、玄武門外の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛竜厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。



世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
世間の人々には、東方朔の才能、各いう私の才能が分からないが、「大隠者」として金馬門に隠棲している、これをもって、私こそ、「謫仙人」といわれるのだ。
東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可LLとあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。○謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。



西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。
西施は、笑い顔も、しかめ顔も、ともに美しいが、醜女が真似をすれば、その甲斐もなく自分の価値をおとしめるだけなのだ。
西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)



君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
ああ、わが君王はこの峨眉の美しさを愛しておられる、宮中の人々が西施をひどく妖妬するのを、どうすることもできないのだ。
蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺  ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。


韻  年・漣・延・賢・鞭・仙・身・人



烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。
三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。
鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴さかずきを稱あげえて御筵に登る。
揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。
天に朝して數しばしば換う飛龍の馬、敕みことのりして賜う珊瑚の白玉の鞭。
世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。
西施 笑に宜しく復た顰ひんすること宜し、丑女は之に效ならいて徒いたずらに身を累くるしむ。
君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌   李白 131
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)

李白は初めての春を絶頂で迎えた。この詩は、宮廷内の各宮殿を皇帝に随行したのであろう、その模様を詠って、初めから最後まで後宮内の様々な宮殿を示している。

侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌
宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す
東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。』
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
垂絲百尺挂雕楹。
しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上有好鳥相和鳴。間關早得春風情。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている。
春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。


侍從宜春苑奉詔賦龍池柳色初青聽新鶯百囀歌 李白131
(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。



(宜春苑に侍従し、詔を奉じて、龍池の柳色はじめて青く、新鴬の百囀を聴くの歌を賦す)
東風すでに緑にす瀛洲の草、紫殿 紅楼 春の好きを覚ゆ。
池南の柳色なかば青青、烟を縈(めぐ)らせ裊娜(ジョウダ)として綺城を払ふ。
垂糸百尺雕楹(チョウエイ)に挂(かか)り。
上に好鳥のあひ和して鳴くあり、間関はやくも得たり春風の情。
春風 巻いて碧雲に入って去り、千門 万戸みな春声。
この時 君王は鎬京(コウケイ)にゐませば、五雲も暉(ひかり)を垂れて紫清に耀(かがや)く。
仗(ジョウ)は金宮を出でて日に随って転じ、天は玉輦(レン)を回 (めぐら)して花を繞って行く。
はじめ蓬萊に向って舞鶴を看(み)、また茝石(シジャク※ 13)を過ぎて新鴬を聴く。
 新鴬は飛びて上林苑を繞り、簫韶(ショウショウ) に入って鳳笙に雑(まじは)らんと願ふ。

唐朝 大明宮01

東風已綠瀛洲草。紫殿紅樓覺春好。
春を呼ぶ風、東風はすでに東方の仙人の島の瀛洲の草園の木々を緑にしている、後宮の紫殿、紅楼、すべてに 春の景色がひろがっている。
東風 春風。○瀛洲 東方海上にある仙人の住む山、蓬莱山、方丈山、瀛州山。○紫殿 後宮の中には紫宸殿、紫蘭殿など翰林院からすべて東側にあるもの


池南柳色半青春。縈煙裊娜拂綺城。』
池の南水辺の柳の色も黄緑から青々としてきた、春霞はただよいはじめしなやかに長安城を覆った。
半青春 萌木色。黄緑。○縈煙 春霞。○裊娜 しなやかな様。○綺城 美しい長安城


垂絲百尺挂雕楹、
上有好鳥相和鳴、間關早得春風情。

しだれ柳はその枝を百尺ものながさで彫刻で飾った楼の軒先にかかっている。
上に気の合う鳥たちはそれぞれで啼くと合唱しているようだ、鳥のさえずりに女たちの声が混じり、はやくも春風による情を得ている

垂糸 しだれ柳の枝。○雕楹(チョウエイ) 楼閣の彫刻で飾った軒先○間関 鳥の相和して鳴くさま。ここは、後宮の女たちの声を示す。 ○春風情 春風に誘われて男女の混じりあい。


春風卷入碧云去。千門萬戶皆春聲。
春風は、巻いて冬雲にわけ入って去っていった、城郭の千門、 城内の万戸、みんな春の声になった。
碧雲 暗い雲。冬の雲。


是時君王在鎬京。五云垂暉耀紫清。
この時 君王は長安鎬京にいらっしゃるので、五雲も暉(ひかり)を垂れて天空の真ん中で耀(かがや)いている。
鎬京 春秋戦国のころの宮廷の場所で長安の古称 ○五云 仙界の五色のうつくしい雲。 ○垂暉 かがやきひかりの輪が尾を引くさま。 ○耀紫清 空のまんなか


仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。
仗(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。
 杖の先に剣がついている宮廷の警護専門の武器。○金宮 金鑾殿 ○玉輦 宝飾で飾った皇帝の御車。
 
始向蓬萊看舞鶴。還過芷若聽新鶯。
はじめ蓬萊殿に向っていく舞姫たちを看(み) た、また茝石(シジャク)殿を過ぎたら新らしい歌手の歌を聴いた。
蓬萊 宮廷にも大液池という大きな池がありその中島を蓬莱山している。ここでは、道教に言う東方に浮かぶ仙人の山である。


新鶯飛繞上林苑。愿入簫韶雜鳳笙。
新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。
新鶯 新しい歌手。 ○ 真面目である。誠実である。 ○簫韶 舜の楽 ○鳳笙 鳳凰の飾りのある笛。
上林苑 後宮内の大液池の周りの庭園。

溫泉侍從歸逢故人 :李白

溫泉侍從歸逢故人 :李白130 都長安(翰林院供奉)

李白は宮廷に召され、高官からも厚遇され、絶頂を迎えている。漢の武帝の時、楊雄もかなり年を取ってから朝廷に上がり、寵愛されている。楊雄を自分に重ねていたのだろう。国政にも参画していい助言をしたいものと考えていたようだ。しかし、玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもってはいない。李白の優れた詩才を愛して、文人としての才能を重要視しただけなのである。華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたようである。玄宗の関心は楊貴妃にあり、国政にかかる事務までも任せきる状況であった。



溫泉侍從歸逢故人
漢帝長楊苑。 夸胡羽獵歸。
漢の武帝は長楊苑で狩猟をなされた。猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
子云叨侍從。 獻賦有光輝。
お供をした楊雄は畏れ多く申し上げ、羽獵などの賦を献上したところたいそうおほめにあずかった。
激賞搖天筆。 承恩賜御衣。
激賞され、御自ら筆をとられ、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けた。
逢君奏明主。 他日共翻飛。

賢明な君主である唐の国の皇帝に合うことができた、過去の日は過ぎた話、ともに大空に翻り飛び立とう。



漢の武帝は長楊苑で狩猟をなされた。猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
お供をした楊雄は畏れ多く申し上げ、羽獵などの賦を献上したところたいそうおほめにあずかった。
激賞され、御自ら筆をとられ、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けた。
賢明な君主である唐の国の皇帝に合うことができた、過去の日は過ぎた話、ともに大空に翻り飛び立とう。


溫泉に侍從して歸って故人に逢う。
漢帝 長楊苑、夸胡 羽獵し 歸る。
子云 侍從せりは叨し。賦を獻じ 光輝有り。
激賞して 天筆が搖る。恩を承けて 御衣を賜る。
君逢う 奏の明主。 他日 共に翻飛せん。



漢帝長楊苑、夸胡羽獵歸。
漢の武帝は長楊苑で狩猟をなされた。猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
漢帝 漢の武帝。 ○夸胡 おごるけもの ○羽獵 鳥類の狩猟。楊雄の賦にあるのでそれを示す。


子云叨侍從、獻賦有光輝。
お供をした楊雄は畏れ多く申し上げ、羽獵などの賦を献上したところたいそうおほめにあずかった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。 ○ むさぼる。身分不相応。恐れ多い。 ○侍從 君主のおそばに同行する。
 

激賞搖天筆、承恩賜御衣。
激賞され、御自ら筆をとられ、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けた。
御衣 冠位。この詩は、古風其八にと同様の内容なのでブログ紀頌之の漢詩参照


逢君奏明主。 他日共翻飛。
賢明な君主である唐の国の皇帝に合うことができた、過去の日は過ぎた話、ともに大空に翻り飛び立とう。
奏明主 秦の名君である玄宗皇帝を指す。○他日 きのうまでのこと。これから先の日。いつか。




参考
揚 雄(よう ゆう、紀元前53年(宣帝の甘露元年) - 18年(王莽の天鳳五年))は、中国前漢時代末期の文人、学者。現在の四川省に当たる蜀郡成都の人。字は子雲。また楊雄とも表記する。
 
蜀の地に在った若いころは、郷土の先輩司馬相如の影響から辞賦作りに没頭していたが、30歳を過ぎたとき上京する。前漢最末期の都長安で、何とか伝手を頼って官途にありつくと、同僚に王莽、劉歆らの顔があった。郷里では博覧強記を誇った揚雄も、京洛の地で自らの夜郎自大ぶりを悟り、成帝の勅許を得て3年間勉学のために休職すると、その成果を踏まえ「甘泉賦」「長揚賦」「羽猟賦」などを次々とものし、辞賦作家としての名声をほしいままにした。
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駕去温泉宮後贈楊山人 :李白

駕去温泉宮後贈楊山人 :李白129

当時の李白の得意さを知る詩がある。それは、玄宗のお供をして鷹山の温泉官に行き、天子のみ車が帰ってから、楊山人に贈った詩「駕温泉官を去りし後、楊山人に贈る」である。楊山人の名は分からない。「山人」というところから、官に仕えず隠れて住んでいた人で驪山の付近に住んでいた在野の詩人だろう。



駕去温泉宮後贈楊山人  
 
少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。』  
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。  
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。』  
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。』
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。』

私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、
赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る
少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間(かん)
風塵  蕭瑟(しょうしつ)として苦顔(くがん)多し
自ら言う  介蠆(かいまん)竟(つい)に誰か許さんと
長吁(ちょうく) 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず』
一朝  君王  払拭(ふっしょく)を垂(た)れ
心を剖(さ)き丹を輸(いた)して  胸臆を雪(すす)ぐ
忽ち白日の景光(けいこう)を廻らすを蒙(こうむ)り
直(ただ)ちに青雲に上って羽翼(うよく)を生ず』
幸に鸞輦(らんれん)に陪(ばい)して鴻都(こうと)を出で
身は騎(の)る 飛龍(ひりゅう)天馬(てんま)の駒(く)
王公大人(たいじん) 顔色(がんしょく)を借(しゃく)し
金章(きんしょう)紫綬(しじゅ) 来りて相趨(はし)る』
当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛(ふんぷん)
片言(へんげん) 道(みち)合するは唯だ君有り
吾が節を尽くして明主(めいしゅ)に報ずるを待って
然(しか)る後 相攜(たずさ)えて白雲に臥(が)せん』


 

少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
生年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
落托 他人に頼って生活する。年を取ってからなら、落ちぶれたということになる。この場合、少年の時から、いわば初めからであるから落ちぶれたのではない。 ○楚漢 楚は襄陽、安陸地方であるが実際は長江の下流域「呉・越」にも滞在している。漢は洛陽長安をいうが大まかに黄河下流「魯・斉」を含めている。


自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
介蠆 やご。成長しないままの状態。○還閉関 たびたびあちこちの道観にはいって隠遁していることを指している。朝廷に召されたのも道教のつながりである。最初の四句は、道教の修行をしていることを示したものである。


一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。

一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる


忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。


幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 ○出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。


王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
 
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。


待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか
 
         
自分は少年のころ湖北・湖南辺りをぶらついていたが、世間における暮らしは狐独の貧乏暮らし。また、自分の倣慢をだれも許してくれぬと思って、嘆きつつ家に帰って閉じこもったきりであった。ところが、この失意の状態が、突然解消された。たちまち天子がわが才能を認めてくれることになり、赤心を開いて申し上げることになった。天子の光に照らされて、青空にかけ上って仕えることになった。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これはおそらく李白がはじめて出仕したときのことであろう。おそらく事実に近いであろう。天子も優遇してくれたことは事実であろう。ただ、玄宗は李白の何を認めて優遇してくれたのか。大官たちは李白の何を認めて交わってくれたのか。その点、李白の考えるところとはかなりの食い違うものがあったにちがいない。

それは、この詩の尾聯にも予測したような隠遁のことがでており、出仕した当初から李白も感ずるものがあったのではなかろうか。

玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもっていたのではない。李林甫と宦官に実務をほとんどゆだねていた時期であり、李白の優れた詩才、文人としての才能を重要視したが、あくまで華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたのである。この狂いが李白をさらに意固地にさせ、理解者を急速に減少させた。

侍従遊宿温泉宮作 :李白

侍従遊宿温泉宮作 李白128  都長安(翰林院供奉)  
五言律詩

 宮廷に入った李白は絶頂であったようだ。この詩はその様子をよく表している。天子に続いての席に座った李白は、初めが良すぎたともいえる。

侍従遊宿温泉宮作

羽林十二将、羅列応星文。 
宮廷護衛の将軍は羽林の十二将、星宿(せいしゅく)の各御門に応じて連なって配置についている。
霜仗懸秋月 霓旌巻夜雲。
儀仗の刃は霜のように白く秋月の光に冴えている、天子の旗は 夜空の雲を巻いてひるがえる
厳更千戸蕭 清楽九天聞。
刻を告げる太鼓の音に。 千戸の家は静まりかえり、優雅な楽のしらべが  宮廷の奥から聞こえてくる。
日出瞻佳気 叢叢繞聖君。

やがて朝日が昇るとめでたい香気がただよいはじめる、役人が朝礼にたくさん集まって聖天子の前にせいれつした。


宮廷護衛の将軍は羽林の十二将、星宿(せいしゅく)の各御門に応じて連なって配置についている。
儀仗の刃は霜のように白く秋月の光に冴えている、天子の旗は 夜空の雲を巻いてひるがえる
刻を告げる太鼓の音に。 千戸の家は静まりかえり、優雅な楽のしらべが  宮廷の奥から聞こえてくる。
やがて朝日が昇るとめでたい香気がただよいはじめる、役人が朝礼にたくさん集まって聖天子の前にせいれつした。



羽林(うりん)の十二将、羅列(られつ)して星文(せいもん)に応ず。
霜仗(そうじょう)  秋月(しゅうげつ)を懸(か)け、霓旌(げいせい)  夜雲(やうん)を巻く。
厳更(げんこう)  千戸蕭(つつし)み、清楽(せいがく)  九天(きゅうてん)に聞こゆ。
日出でて佳気(かき)を瞻(み)る、叢叢(そうそう)として聖君を繞(めぐ)る。



羽林十二将、羅列応星文。 
宮廷護衛の将軍は羽林の十二将、星宿(せいしゅく)の各御門に応じて連なって配置についている。
羽林 羽林大将軍、親衛大将軍、虎牙大将軍といった唐名で呼ぶこともあり、左近衛大将・右近衛大将をそれぞれ「左大将」・「右大将」と省略した呼び方もある○十二将 大将左右1名、中将:左右1~4名親衛中郎将、親衛将軍、羽林将軍、少将:左右2~4名羽林郎将、親衛郎将、羽林中郎将 ○羅列 連なり並ぶこと。 ○応星文 12の星座でよんだ門のこと。宮廷の門を守備する軍隊の配置。
 唐朝 大明宮01
 
霜仗懸秋月 霓旌巻夜雲。
儀仗の刃は霜のように白く秋月の光に冴えている、天子の旗は 夜空の雲を巻いてひるがえる
霜仗 守備兵の儀仗の刃が霜のように白く鋭く  ○霓旌 天子の旗 


厳更千戸蕭 清楽九天聞。

刻を告げる太鼓の音に。 千戸の家は静まりかえり,優雅な楽のしらべが  宮廷の奥から聞こえてくる。
厳更 五更:日没から日の出までを五に分けた時間の単位。 ○千戸 千戸の家。すべての家。○ 太鼓の音。○清楽 優雅な楽のしらべ。 ○九天 天を九に分け、その真ん中に天子、皇帝がいる。宮廷のこと。九重も宮廷。天文学、地理、山、九であらわした。縁起のいい数字とされた。


日出瞻佳気 叢叢繞聖君。

やがて朝日が昇るとめでたい香気がただよいはじめる、役人が朝礼にたくさん集まって聖天子の前にせいれつした。
日出 朝日が昇る ○ あおぎみる。日が昇ると朝礼がある。 ○佳気 めでたい香気。○叢叢 役人がたくさん集まっている様子。 ○ 朝礼で整列。○聖君 天子。

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