漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

七言歌行

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208

送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208


送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。

君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。


六月、南風(はや)、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。

水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。

夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。

高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。

我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。

君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。



送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽 現代語訳と訳註解説
(本文)

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。


(下し文)
六月、南風、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。
水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。
夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。
高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。
我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。
君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。


(現代語訳)
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。


(訳註)

蕭三十一の魯中に之くを送り、兼ねて稚子伯禽に問ふ 

六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
○吳牛喘月 暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぐ。ひどく恐れる喩(たと)え。また、取り越し苦労の喩えに使われる語である。


水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
水國 江南の水や湖の多い地方。○鬱蒸 密閉して蒸すこと。また、蒸されること。ひどく熱いこと。


夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
嫋嫋 やわらかいよわい。風のそよぐさま。


高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
伯魚 孔子の子。親より先に死んだ。○趨庭 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。


我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
斷腸 性交渉を前提としたやるせない思いを言う。


君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。
伯禽 1歳違いの下の男の子。姉は平陽。この頃8~10歳くらいだろう



(解説)
○七言歌行 
○押韻  沙,霞。車。去。處。/傍,腸。羊。  
 

 この詩は、簫某が魯に行くということを聞きつけ、送別の詩を贈ったものだ。朝廷を追われ、洛陽で杜甫と遭遇し、斉、魯で遊んだその1年半の間、李白は、「魯の女」、汶水の砂邱の家を中心に行動した。
 金陵での旅客生活も随分経過した。江南地方は蒸し暑くて生きた心地がしない。君は北の過ごしやすい所に行く。孔子の教えの地であるから儒学の勉強をするのもいいね。ついでに僕の長男伯禽の様子を知らせてくれと有りがたい。もう3年も帰っていないのである。少しは家族のことが気にかかったのか、外交辞令のあいさつ程度なのか、李白は家族に対してシャイなのか、詩に残していない。
その数少ない家族の詩は次の通り。

南陵別兒童入京 李白121

内別赴徴 三首 其一李白122

内別赴徴 三首 其二李白123

内別赴徴 三首 其三李白124

寄東魯二稚子李白47

現代と違って、家族の在り方、女性の生き方について考えられないほどの違いがある。男はプレイボーイで当たり前、通い婚があった、子供と留守を守るのは当たり前、詩だがって、家族のことを取り上げる風潮はないのである。また、恥ずかしい、はしたないことであるのである。逆に言えば、李白のこれらの詩は、家族のことを精一杯心配してるということかもしれない。

醉後贈從甥高鎮  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-206

醉後贈從甥高鎮  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-206


醉後贈從甥高鎮
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに同情しあう。
欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。




醉後贈從甥高鎮 現代語訳と訳註
(本文)

馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』

(下し文)
馬上相逢うて 馬鞭を揖(いつ)し、客中相見て 客中に憐れむ。
撃筑悲歌を邀(むか)えて飲まんと欲するも、正に値(お)う家を傾けて酒銭の無きに。
江東の風光 人に借(か)さず、枉殺す落花 空しく自のずから春なるを。
黄金手を逐うて 意の快(まま)に尽き、咋日産を破りて 今朝貧なり。
丈夫何事ぞ 空しく嘯傲(しょうごう)する、如(し)かず頭上の巾を焼却せんには。
君は進士と為るも 進むを得ず、我は秋霜 旅鬢に生ぜらる。
時清けれど英豪の人に及ばず、三尺の童児も廉藺に唾す。
匣中の盤剣 鞞魚を装うも、閑(あだ)に腰間に在って 未だ渠(かれ)を用いず。
且つ将って酒に換えて 君と与に酔い、酔帰して呉の専諸に託宿せんとす。

(現代語訳)
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに同情しあう。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。


(語訳と訳註)
醉後贈從甥高鎮
酔いが回った後にいとこの高鎮に贈った詩。
従甥 自分の家の女子が他家に嫁入して生んだ子。○高鎮 李白の詩「従甥高五に贈別す」の高五と同人物であるらしい。


馬上相逢揖馬鞭、客中相見客中憐。』
たがいに馬の上で出あい、馬の鞭を高くふりあげて敬礼する。たがいに流浪の身であるのを見て、たがいに共感しあう。
敬礼する。○客中旅のさなか。○ 共感する。


欲邀擊筑悲歌飲、正值傾家無酒錢。
故事に云う「筑を撃ちならし悲歌慷慨する」悲壮歌を歌う時は仲間をむかえて酒を飲みたいものだが、ちょうどいま、家計は傾き、酒を買う銭も無いのが正直なところだ。
撃筑悲歌 筑は、中国古代の楽器。形は琴に似ていて、竹尺で綾を撃ち鳴らす。戦国時代の燕の国の侠客、荊軻は、酒がすきで、かれの友だちである犬殺しや高漸離という筑の名手と、毎日、燕の市中で酒を飲んだ。酔いがまわると、高漸離が筑を撃ち、荊封がそれにあわせて悲壮な歌をうたった。いっしょに慷慨して泣き、傍に人がいないかのようにふるまった。話は、「史記」刺客列伝に見える。


江東風光不借人、枉殺落花空自春。』
江南の風光明美な恵まれた地方であっても人を助けてはくれないのだ、いたずらにむなしく花びらを散らし、空虚に春がすぎていくのである。
江東 江南に同じ。長江下流域南地方、江蘇・浙江省方面。湖水が多く、風光明美な地方。○枉殺 枉は、むなしく、いたずらに。殺は、強調の字。


黃金逐手快意盡、昨日破產今朝貧。
黄金は手あたりしだい、思うがまま、気ままに使いはたした。きのうすべて使い果たしたので、今朝はもう貧乏の極みなのだ。
よい。
逐手 手あたりしだい。○快意 思うがまま


丈夫何事空嘯傲、不如燒卻頭上巾。
男一人、プライドを捨てないで空威張りを決め込んでも何にもならないのだ。それより、頭の上の窮屈な平巾幘の帽子など焼いてしまった方がよいのだろう。
嘯傲 自由奔放に鼻歌に吟じてみる。プライドを捨てないで空威張りを決め込むこと。○頭上巾 平巾幘(さく)帽。平巾幘(さく)帽00
 平巾幘(さく)帽


君為進士不得進、我被秋霜生旅鬢。
君は高進士試験に及第している、まだ官吏になれないけれども立派なものだ。旅の身のぼくは鬢の毛に秋の霜のよぅな白髪が生えてきている。
進士官吏登用試験の及第者。


時清不及英豪人、三尺童兒重廉藺。』
太平の時代の恩恵は、英豪の人にはかえって及ばないものだ。三尺の背ぐらいしかない子供でも、讒言によって貶められた廉塵や蘭相如をばかにしているではないか。
英素人すぐれた能力のある人。○廉藺 簾頗と藺相如。「刎頸の交わり」の故事で知られる「史記」列伝に見える人物。どちらも戦国時代の趙の国の大臣で、廉顔は軍事上、囁相加は外交上、それぞれ特別の手柄を立てたので有名。奸臣による讒言のため、晩年は無能呼ばわりされた。


匣中盤劍裝鞞魚、閑在腰間未用渠。
わが家の武具箱の中には、サメの鞘に入れた一ふりの盤剣がある、ぶらぶら、腰にぶらさげるだけで、一度もそれを使ったことはないものだ。
はこ,武道具箱○盤劍 盤状の劍。○鞞魚 さめ皮で刀のさやをつくる。鞘のこと。○ かれ。指示代名詞。


且將換酒與君醉、醉歸托宿吳專諸。』
その盤剣を酒に換えてきて、君とともに酔うことにしよう。酔ったあげくは、呉の刺客、専諸のところへでもころがり込もうじゃないか。
專諸 戦国時代の呉の国の侠客。呉の公子光すなわち後の呉王闔閭のために呉王僚を刺殺した。「史記」刺客列伝に見える。


都での李白 酒中の八仙

酒中の八仙

飲中八仙歌 杜甫
李白は、賀知章をはじめ、汝陽王璡・崔宗之・裴周南らと酒中の八仙の遊びをしたといわれる。ただ、杜甫に「飲中八仙歌」があり、賀知章については、「(賀)知章は馬に騎り船に乗るに似たり、眼はちらつき井に落ちて水底に眠る」といっている。杜甫のいう八仙は、李白が都にいた743年、天宝二年ごろ、長安に同時にいた人ではない。賀知章、李左相、蘇晉はすでに死んでいたし、李白は長安にいなかった。これらの八人のうち、李白に最も多くの字をあてているのは、杜甫の李白への敬愛振りの表れだろう。
竹林の七賢、竟陵の八友、初唐の四傑、竹渓の六逸、唐宋八大家などとこの飲中八仙とは異なった質ものである。


杜甫の詩中、李白に関して、「李白は一斗にして詩百第、長安市上 酒家に眠る、天子呼び来たれども船に上らず、自ら称す臣は是れ酒中の仙なりと」と歌うところは、范伝正の「李公新墓碑」に述べられている高力士に扶けられて舟に登った話とよく一致する。とすると、高力士に扶けられて舟に登ったり、高力士に靴を脱がさせたりした話は、支配者側の記述とばかりは言えない真実を伝えているのかもしれない。


飲中八仙歌
知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。』
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,
恨不移封向酒泉。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』
左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,
銜杯樂聖稱避賢。』
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,
皎如玉樹臨風前。』

宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。』
蘇蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,
揮毫落紙如雲煙。』
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。



賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』

汝陽は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』

左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』

宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』

蘇蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』

李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』

張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』

焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。



(下し文)飲中八仙歌
知章が馬に騎るは船に乗るに似たり、眼花さき井に落ちて水底に眠る』
汝陽は三斗始めて天に朝す、道地車に逢うて口涎を流す、恨むらくは封を移して酒泉に向わざるを』
左相は日興万銭を費す、飲むことは長鯨の百川を吸うが如し、杯を銜み聖を楽み賢を避くと称す』
宗之は瀟灑たる美少年、觴を挙げ白眼青天を望む、皎として玉樹の風前に臨むが如し』
蘇晉長斎す繡佛の前、酔中往往逃禅を愛す』
李白一斗詩百第、長安の市上酒家に眠る、
天子呼び来れども船に上らず、自ら称す臣は是れ酒中の仙と』
張旭三杯事聖伝う、帽を脱し頂を露わす王公の前、毫を揮い紙に落せば雲煙の如し』
焦遂五斗方に卓然、高談雄弁四筵を驚かす』




飲中八仙歌
○飲中八仙 酒飲み仲間の八人の仙とよばれるもの、即ち
・蘇晉 735年(開元二十二年卒)
・賀知章744年(天宝三載卒)
・李適之746年(天宝五載卒)
・李璡  750年(天宝九載卒)
・雀宗之 未詳
・張旭  未詳
・焦遂  未詳
・李白   763年(宝応元年卒)らをいう。



知章騎馬似乘船,眼花落井水底眠。
賀知章は何時も酔っていて、馬に乗っても船に乗っているように揺れている、くるくると回る目が井戸に落ちて水底に眠る。』
知章 賀知章。会稽永興の人、自から四明狂客と号し、太子賓客・秘書監となった。天宝三載、疏を上って郷に帰るとき、玄宗は詩を賦して彼を送った。○乗船 ゆらゆらする酔態をいう。知章は出身が商人で、商人は船に乗るので、騎馬にまたがった状態をいったのだ。○眼花 酔眼でみるとき現象のちらつくことをいう。



汝陽三鬥始朝天,道逢曲車口流涎,恨不移封向酒泉。』
汝陽王李礎は朝から三斗酒を飲みそれから出勤する、途中麹を積んだ車に出会うと口からよだれを垂らす始末、転勤先が酒泉でなかったのが残念だ。』
汝陽 汝陽王李璡、8/11杜甫27贈特進汝陽王二十韻。〇三斗 飲む酒の量をいう。○朝天 朝廷へ参内すること。○麹車 こうじを載せた車。○移封 封は領地をいう、移は場所をかえる。汝陽よりほかの地へうつしてもらうこと。○酒泉 漢の時の郡名、今の甘粛省粛州。これは地名を活用したもの。



左相日興費萬錢,飲如長鯨吸百川,銜杯樂聖稱避賢。
左相は日々の興に万銭を費やす、飲みっぷりは長鯨が百川を飲み干す勢いだ、酒を楽しんで賢者を遠ざけるのだと嘯く。』
左相 李適之。天宝元年、牛仙客に代って左丞相となったが、天宝五載にやめ、七月歿した。○日興 毎日の酒興。○費万銭 唐時代の酒価は一斗三百銭、万銭を以ては三石三斗余りを買うことができた。○長鯨 身のたけのながいくじら。〇百川 多くの川水。○銜杯 銜とは口にくわえること、含とは異なる。含むは口の中へいれておくこと。○楽聖称避賢 適之が相をやめたとき、親交を招き詩を賦して、「賢を避けて初めて相を辞め、聖を楽しみて且つ盃を銜む、為に問う門前の客、今朝幾個から来ると」といった。此の聖・賢の文字には両義を帯用させたものであろう。魏の時酒を禁じたところが酔客の間では清酒を聖人といい濁酒を賢人といったが、前詩は表には通常の聖人・賢人の表現を、裏には清酒・濁酒の表現をもたせたものである。竹林の七賢参照。



宗之瀟灑美少年,舉觴白眼望青天,皎如玉樹臨風前。
宗之は垢抜けた美少年、杯を挙げては白眼で晴天を望む、輝くようなその姿は風前の玉樹のようだ。』
○宗之 雀宗之。宗之は雀日用の子、斉国公に襲ぎ封ぜられる。また侍御史となったことがある。○斎藤 さっぱりしたさま。○腸 さかずき。○白眼 魂の院籍の故事、籍は俗人を見るときには白眼をむきだした。○唆 しろいさま。○玉樹 うつくしい樹。魏の夏侯玄が嘗て毛骨と並び坐ったところが、時の人はそれを「葉餞玉樹二倍ル」といったという、玄のうつくしいさまをいったもの。○臨風前 風の前に立っている。



蘇晉長齋繡佛前,醉中往往愛逃禪。
蘇晉は仏教信者でぬいとりした仏像をかかげてその前で年中喪の忌をしているが、酔いのなかでもときどき禅定に入ることを好む。』
蘇曹 蘇珦の子、先の皇帝のときに中書舎人であった。玄宗が監国であったときの別命は蘇晋と賈曾との筆によったものだ。吏部・戸部の侍郎を歴て太子庶子に終った。○長斎 一年中喪の忌をしている。○繍仏 ぬいとりしてつくった仏像、これは六朝以来あったもの。○逃禅 これは酒を飲むことは破戒であるから教外へにげだすこと。居眠りでもしていること。



李白一鬥詩百篇,長安市上酒家眠,
天子呼來不上船,自稱臣是酒中仙。
李白は酒を一斗のむうちに詩百篇もつくる豪のもので、長安の市街へでかけて酒家で眠る。天子から呼びよせられても酔っぱらって船にものぼりきらず、自分は酒中の仙人だなどと気楽な事をいっている。』
酒家眠 玄宗が嘗て沈香華に坐して、翰林供奉の李白をして楽章をつくらせようとして李白を召して入らせたところ、李白はすでに酔っていた。左右のものは水をその面にそそいでようやく酔いを解いたという。○不上船 玄宗が白蓮池に遊んだとき、李白を召して序をつくらせようとしたところ、李白はすでに翰苑にあって酒を被っており、高力士に命じて李白をかかえて舟に登らせた。



張旭三杯草聖傳,脫帽露頂王公前,揮毫落紙如雲煙。
張旭は三杯の酒を飲んで見事な草書を披露する、王侯の前で脱帽して頭を向け、筆を振るえば雲のように自在な字が現れる。』
張旭 呉郡の人、右率府長史となる。草書を善くし、酒を好み、酔えば号呼狂走しつつ筆をもとめて渾灑し、又或は大叫しながら頭髪を以て水墨の中をかきまわして書き、さめて後自ずから視て神異となしたという。○草聖伝 後漢の張芝は草書の聖人とよばれたが、旭が酔うと草聖の書法が、彼に伝わるが如くであった。○脱帽露頂 帽をいただくのが礼であり、帽をぬいで頂きをあらわすのは礼儀を無視するさま。○王公 地位高き人々。○揮毫 毫は「け」、筆をいう。○雲煙 草書のさま。



焦遂五斗方卓然,高談雄辨驚四筵。
焦速は五斗の酒を傾けてやっと意気があがってきて、その高談雄弁はあたりを驚かすのである。
焦遂 この人物は未詳。○卓然 意気の高くあがるさま。○高談 高声でかたる。○雄弁 カづよい弁舌。〇四筵 満座、一座。



賀知章は、当時、太子賓客であり、玄宗に目をかけられていたが、この賀知章の紹介で、李白は翰林供奉となった。賀知章と李白との出遇いを『本事詩』「高逸」 には次のごとく伝えている。
李太白初め苛より京師に至り、逆旅に舎る。賀監知章、其の名を聞きて、首めて之を訪ぬ。既に其の姿を奇とし、復た為る所の文を請う。「萄道難」を出だして以って之に示す。読んで未だ寛わらざるに、称歎すること数回、号して諦仙と為す。金色(印)を解きて酒に換う。与に傾けて酔いを尽くし、日を間かざるを期す。是より称蒼は光り赤く。
宮島(1)
 写真はイメージで詩と関係ありません。

駕去温泉宮後贈楊山人 :李白

駕去温泉宮後贈楊山人 :李白129

当時の李白の得意さを知る詩がある。それは、玄宗のお供をして鷹山の温泉官に行き、天子のみ車が帰ってから、楊山人に贈った詩「駕温泉官を去りし後、楊山人に贈る」である。楊山人の名は分からない。「山人」というところから、官に仕えず隠れて住んでいた人で驪山の付近に住んでいた在野の詩人だろう。



駕去温泉宮後贈楊山人  
 
少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。』  
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。  
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。』  
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。』
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。』

私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


青年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、
赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか。


駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る
少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間(かん)
風塵  蕭瑟(しょうしつ)として苦顔(くがん)多し
自ら言う  介蠆(かいまん)竟(つい)に誰か許さんと
長吁(ちょうく) 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず』
一朝  君王  払拭(ふっしょく)を垂(た)れ
心を剖(さ)き丹を輸(いた)して  胸臆を雪(すす)ぐ
忽ち白日の景光(けいこう)を廻らすを蒙(こうむ)り
直(ただ)ちに青雲に上って羽翼(うよく)を生ず』
幸に鸞輦(らんれん)に陪(ばい)して鴻都(こうと)を出で
身は騎(の)る 飛龍(ひりゅう)天馬(てんま)の駒(く)
王公大人(たいじん) 顔色(がんしょく)を借(しゃく)し
金章(きんしょう)紫綬(しじゅ) 来りて相趨(はし)る』
当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛(ふんぷん)
片言(へんげん) 道(みち)合するは唯だ君有り
吾が節を尽くして明主(めいしゅ)に報ずるを待って
然(しか)る後 相攜(たずさ)えて白雲に臥(が)せん』


 

少年落托楚漢間、風塵蕭瑟多苦顔。
生年のころは  長江下流地方や長安洛陽をはじめ黄河の下流域のあたりで人を頼りにしておりました、世間の風はさびしいことの音のようなもので苦しそうな顔をすることが多かった。
落托 他人に頼って生活する。年を取ってからなら、落ちぶれたということになる。この場合、少年の時から、いわば初めからであるから落ちぶれたのではない。 ○楚漢 楚は襄陽、安陸地方であるが実際は長江の下流域「呉・越」にも滞在している。漢は洛陽長安をいうが大まかに黄河下流「魯・斉」を含めている。


自言介蠆竟誰許、長吁莫錯還閉関。
自分でいうのもおかしいが、頑固さやなにかで成長しないままの状態で誰も認めてくれない、溜め息をついて力なく道観の奥の方で門を閉じてしまっていた
介蠆 やご。成長しないままの状態。○還閉関 たびたびあちこちの道観にはいって隠遁していることを指している。朝廷に召されたのも道教のつながりである。最初の四句は、道教の修行をしていることを示したものである。


一朝君王垂払拭、剖心輸丹雪胸臆。

一朝にして君王がすべての難事難問を吹き払い除けられ、赤心を披瀝して洗いざらい残らず胸の内を申し上げる


忽蒙白日廻景光、直上青雲生羽翼。
するとたちまちにして、 ひかり輝く太陽がまわってきて恵みを受けられることになった。たちまち大きな翼を生やして、この大空にあがっていこう。


幸陪鸞輦出鴻都、身騎飛龍天馬駒。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 ○出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。


王公大人借顔色、金章紫綬来相趨。
高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。
 
当時結交何紛紛、片言道合唯有君。
このとき交わりを結んだ人は数知れないほどだが、ただ一言で、調子の合ったのは君だけなのだ。


待吾尽節報明主、然後相攜臥白雲。
私が忠節をつくし君に仕える務めが終わったら、そののちは君とともに隠遁して語りあおうではないか
 
         
自分は少年のころ湖北・湖南辺りをぶらついていたが、世間における暮らしは狐独の貧乏暮らし。また、自分の倣慢をだれも許してくれぬと思って、嘆きつつ家に帰って閉じこもったきりであった。ところが、この失意の状態が、突然解消された。たちまち天子がわが才能を認めてくれることになり、赤心を開いて申し上げることになった。天子の光に照らされて、青空にかけ上って仕えることになった。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらっている。飛竜天馬のごとき良馬に乗っているのだ。高位高官の人も面会してくれるし、大臣・将軍たちも交わってくれる王公貴顕も小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これはおそらく李白がはじめて出仕したときのことであろう。おそらく事実に近いであろう。天子も優遇してくれたことは事実であろう。ただ、玄宗は李白の何を認めて優遇してくれたのか。大官たちは李白の何を認めて交わってくれたのか。その点、李白の考えるところとはかなりの食い違うものがあったにちがいない。

それは、この詩の尾聯にも予測したような隠遁のことがでており、出仕した当初から李白も感ずるものがあったのではなかろうか。

玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもっていたのではない。李林甫と宦官に実務をほとんどゆだねていた時期であり、李白の優れた詩才、文人としての才能を重要視したが、あくまで華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたのである。この狂いが李白をさらに意固地にさせ、理解者を急速に減少させた。

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