送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208
送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽
六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。
六月、南風(はや)、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。
水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。
夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。
高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。
我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。
君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。
送蕭三十一魯中。兼問稚子伯禽 現代語訳と訳註解説
(本文)
六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。
(下し文)
六月、南風、白沙を吹き、呉牛、月に喘いで、氣、霞を成す。
水國鬱蒸、處(を)るべからず、時炎に、路遠くして、行車なし。
夫子如何ぞ、江路を渉る。雲帆嫋嫋(じょうじょう)、金陵に去る。
高堂、門に倚って伯魚を望む、魯中正に是れ趨庭の處(ところ)。
我が家、寄せて在り沙丘の傍、三年歸らず、空しく斷腸。
君が行、すでに識る伯禽子、應(まさ)に小車に駕して白羊に騎すべし。
(現代語訳)
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。
(訳註)
蕭三十一の魯中に之くを送り、兼ねて稚子伯禽に問ふ
六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
今年も六月になった、真夏の南風が、中州の白沙を吹き巻き上げて逝く、暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぎ泣いている、湿った氣は、霞にかわる。
○吳牛喘月 暑い呉(ご)の国の牛は、月が出てきたのを日(太陽)と間違えてあえぐ。ひどく恐れる喩(たと)え。また、取り越し苦労の喩えに使われる語である。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
江南の水や湖の多い地方は蒸され、ひどく熱いこんなところを住いにすることは嫌なことだ、昼間の炎天下、はるか遠くまで路をゆくひとも、行車もまったくない。
○水國 江南の水や湖の多い地方。○鬱蒸 密閉して蒸すこと。また、蒸されること。ひどく熱いこと。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
大夫士たるきみがどうして大運河をゆくのか。船の雲帆にはそよそよと風が吹いている、ゆっくりと金陵に別れを告げるのだ。
○嫋嫋 やわらかいよわい。風のそよぐさま。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
この屋敷の高い所にお座敷があり、門に倚って旅立つ孔子の子、伯魚を見ているようである。魯の國に孔子の故郷で「趨庭の處」ということが分かっているところだ。自分も子供のことが思い出された。
○伯魚 孔子の子。親より先に死んだ。○趨庭 庭さきを走りまわる。 『論語』季氏篇に、孔子の子の伯魚(鯉)が「鯉趨而過庭」(庭を趨って過ぎたとき)、父の孔子が呼びとめて「詩」と「礼」とつまり、詩経と書経を学ぶようにさとしたとあるのにもとづき、子供が父の教えを受けることをいう。この『論語』のことばを使用するのは、魯の國に孔子の故郷である曲阜があることによる。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
我が家は、汶水の砂丘のそばにある集落のなかにある。かれこれ3年も帰っていない、妻が全く交わっていないので腸が断ち切れるほどの思いがある。
○斷腸 性交渉を前提としたやるせない思いを言う。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。
君がそこに立ち寄ってくれたなら、息子の伯禽の様子(姉の平陽のこと)を知らせてほしい、きっともう小車を操り、白羊に騎ったりするくらい大きくなっていることだろう。
○伯禽 1歳違いの下の男の子。姉は平陽。この頃8~10歳くらいだろう
(解説)
○七言歌行
○押韻 沙,霞。車。去。處。/傍,腸。羊。
この詩は、簫某が魯に行くということを聞きつけ、送別の詩を贈ったものだ。朝廷を追われ、洛陽で杜甫と遭遇し、斉、魯で遊んだその1年半の間、李白は、「魯の女」、汶水の砂邱の家を中心に行動した。
金陵での旅客生活も随分経過した。江南地方は蒸し暑くて生きた心地がしない。君は北の過ごしやすい所に行く。孔子の教えの地であるから儒学の勉強をするのもいいね。ついでに僕の長男伯禽の様子を知らせてくれと有りがたい。もう3年も帰っていないのである。少しは家族のことが気にかかったのか、外交辞令のあいさつ程度なのか、李白は家族に対してシャイなのか、詩に残していない。
その数少ない家族の詩は次の通り。
南陵別兒童入京 李白121
寄東魯二稚子李白47
現代と違って、家族の在り方、女性の生き方について考えられないほどの違いがある。男はプレイボーイで当たり前、通い婚があった、子供と留守を守るのは当たり前、詩だがって、家族のことを取り上げる風潮はないのである。また、恥ずかしい、はしたないことであるのである。逆に言えば、李白のこれらの詩は、家族のことを精一杯心配してるということかもしれない。