漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

五言絶句

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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東陽溪中贈答二首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<40#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086

東陽溪中贈答二首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<40#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩423 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1086


東陽溪中贈答二首
一 可憐誰家婦。緣流洗素足。
       明月在雲間。迢迢不可得。
二 可憐誰家郎。緣流乘素舸。
       但問情若為。月就雲中墮。


東陽溪中贈答二首 その(2)
可憐誰家郎。緣流乘素舸。
そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。
但問情若為。月就雲中墮。
越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。


憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。
但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。


現代語訳と訳註
(本文)

東陽溪中贈答二首 その(2)
可憐誰家郎。緣流乘素舸。
但問情若為。月就雲中墮。


(下し文)
憐れむ 可【べ】し  誰【た】が家の 郎【ろう】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素舸【こぶね】に 乘る。
但 問う  情 若為【いか】にと,月は雲中に就いて墮【お】つ。

(現代語訳)
そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。
越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。


(訳注)
(二)可憐誰家郎 (可憐なり誰が家の郎おとこ)
可憐誰家郎、淥流乗素舸
そこにいいおとこがいるがどこの家の若者だ、清らかな流れに一人で白い小舟に乗っている。
可憐 若々しくていい男。 ○誰家 どの家系。  ○ 若い男。○淥流:谷川の流れに沿って。 ○舸 白木の舟。 ○:白い。


但問情若爲、月就雲中堕。
越王勾践が船に乗ってここを通過した時と同じように質問する「情をなせるだろうか?」と、月に喩えていうとそれは雲の中に落ちていくというものだ。


西施ものがたり
 本名は施夷光。中国では西子ともいう。紀元前5世紀、春秋時代末期の浙江省紹興市諸曁県(現在の諸曁市)生まれだと言われている。

 現代に広く伝わる西施と言う名前は、出身地である苧蘿村に施と言う姓の家族が東西二つの村に住んでいて、彼女は西側の村に住んでいたため、西村の施>>>西施と呼ばれるようになった。

 紀元前5世紀、越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた施夷光は谷川で洗濯をしている姿を見出されてたといわれている。

 この時の越の献上は黒檀の柱200本と美女50人といわれている。黒檀は、硬くて、耐久性のある良材で、高級家具や仏壇、高級品に使用される。比重が大きく、水に入れると沈む。
 呉にとってこの献上の良材は、宮殿の造営に向かわせた。豪奢な宮殿造営は国家財政を弱体化させることになる。宮殿は、五層の建造物で、姑蘇台(こそだい)と命名された。
 次は美女軍団が呉の国王を狂わせた。

 十八史略には、西施のきわめて美しかったこと、彼女にまつわるエピソードが記されている。西施は、呉王 夫差の寵姫となったが、あるとき胸の病となり、故郷の村に帰ってきた。西施は、痛む胸を手でおさえ、苦しみに眉をひそめて歩いた。それがかえって色香を引出し、村人の目を引いた。そのときに村に評判の醜女がいて、西施のまねた行動をした。それは、異様な姿に映り、かえって村人に嫌われた。これを「西施捧心」と表され、実もないのに真似をしても無駄なことだということだが、日本では、「これだけやっていますが、自分の力だけでなく、真似をしただけですよ」という謙遜の意味に使用されることが多い。


 このようにまれな美しさをそなえた西施は、呉王 夫差を虜(とりこ)にした。夫差は、西施のために八景を築き、その中でともに遊んだ。それぞれの風景の中には、所々に、席がもうけられ、優雅な宴(うたげ)がもよおされた。夏には、西施とともに船を浮かべ、西施が水浴すると、呉王 夫差は、その美しい肢体に見入った。こうして、夫差は悦楽の世界にひたり、政治も軍事も、そして民さえ忘れてしまい、傾国が始まったのである。


 越の策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

呉が滅びた後の生涯は不明だが、勾践夫人が彼女の美貌を恐れ、夫も二の舞にならぬよう、また呉国の人民も彼女のことを妖術で国王をたぶらかし、国を滅亡に追い込んだ妖怪と思っていたことから、西施も生きたまま皮袋に入れられ長江に投げられた。


 その後、長江で蛤がよく獲れるようになり、人々は西施の舌だと噂しあった。この事から、中国では蛤のことを西施の舌とも呼ぶようになった。また、美女献上の策案者であり世話役でもあった范蠡に付き従って越を出奔し、余生を暮らしたという説もある。

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083

東陽溪中贈答二首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<40#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩422 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1083
東陽谿中贈答 謝靈運      *385~433年 南朝の宋の詩人。


東陽溪中贈答二首
一  可憐誰家婦、緣流洗素足。
   明月在雲間、迢迢不可得。

二  可憐誰家郎、緣流乘素舸。
   但問情若為、月就雲中墮。




東陽谿中贈答 その(1)
東陽の谷にあたって答えて贈る。その(1)
可憐誰家婦,淥流洗素足。
可愛らしい娘がいるが、誰の家系もご婦人なのだろうか、澄み切った谷の流れに、西施のように素足をだしての白い足を洗っている。
明月在雲間,迢迢不可得。

明月は、雲のむこうにあって抱かれているようだが、遥か彼方の存在だから、とても手にいれることはできはしない。 


東陽の谿中 答え贈る
可憐【かれん】なるは 誰【た】が家の 婦【おんな】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素足を 洗ふ。
明月  雲間に 在り,迢迢【ちょうちょう】として  得 可【べ】からず。


現代語訳と訳註
(本文)

東陽谿中贈答
可憐誰家婦,淥流洗素足。
明月在雲間,迢迢不可得。


(下し文)
東陽の谿中 答え贈る
可憐【かれん】なるは 誰【た】が家の 婦【おんな】ぞ,淥流【ろくりゅう】に 素足を 洗ふ。
明月  雲間に 在り,迢迢【ちょうちょう】として  得 可【べ】からず。


(現代語訳)
東陽の谷にあたって答えて贈る。
可愛らしい娘がいるが、誰の家系もご婦人なのだろうか、澄み切った谷の流れに、西施のように素足をだしての白い足を洗っている。
明月は、雲のむこうにあって抱かれているようだが、遥か彼方の存在だから、とても手にいれることはできはしない。 


(訳注)
東陽谿中贈答

東陽の谷にあたって答えて贈る。
東陽 浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある
谿 (1)山または丘にはさまれた細長い溝状の低地。一般には河川の浸食による河谷が多い。成因によって川や氷河による浸食谷と断層や褶曲(しゆうきよく)による構造谷とに分ける。また、山脈に沿う谷を縦谷(じゆうこく)、山脈を横切るものを横谷(おうこく)という。(2)高い所にはさまれた低い部分。 (3)二つの屋根の流れが交わる所。


可憐誰家婦、縁流洗素足。
可愛らしい娘がいるが、誰の家系もご婦人なのだろうか、澄み切った谷の流れに、西施のように素足をだしての白い足を洗っている。
可憐 愛すべき娘。可愛らしい娘。 ・誰家 どの家系。 ・ おんな。 ・淥流:谷川の流れに沿って。 ・ あらう。 ・素足 白い足。 ・:白い。
東陽の素足の女は。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施がそのふっくらとした艶的の魅力により
語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。


明月在雲間、迢迢不可得。
明月は、雲のむこうにあって抱かれているようだが、遥か彼方の存在だから、とても手にいれることはできはしない。 
明月 澄みわたった月。素足の女性、西施をイメージする。 ・雲間:雲の間。 ・迢迢 (ちょうちょう) 遥か。遠い。高い。 ・不可得 得ることができない。


(解説)
淥水=白 素=白 足=白 、明=白 月=白 雲=白 ここで一句に3つの白、次の句で6つの白を挿入している。淥水は透明な水昼は緑に見え、夜は黒で、月明かりで白ある。素月は霜月で澄み切ったもの、汚れていないものをいう、その清らかなそんざいが、雲のようにつかむことはできない。エロチックな雰囲気を出しつつも謝霊運には精一杯かもしれない。玉台新詠の中で最も艶歌らしくない詩である。



 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。
 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ) 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。

盛唐詩 送朱大入秦 孟浩然<35> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -342

盛唐詩 送朱大入秦 孟浩然<35> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -342

送朱大入秦
遊人五陵去,寶劍直千金。
分手脱相贈,平生一片心。
 
朱大の秦に入るを 送る
遊人 五陵に 去る,寶劍 直(あたひ)千金。
手を分つとき 脱して 相ひ贈る,平生 一片の心。



侠客であるあなたは長安の游侠の徒の多く住む五陵に行くというこれはわたしが宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる。 
別れに際して、これをはずしてあなたに贈ろう。普段からのわたしのあなたに対する心を表すために。


解説
送朱大入秦

朱家の長男が旧秦地である長安に行くのを送別する。 
○送 見送る。送別する。○朱大 朱家の長男。「大」は排行で長男の意。○入秦 長安に行く。旧秦地である関中に行く。陝西南部に入る。
東晉・陶潛の『詠荊軻』
燕丹善養士,志在報強嬴;招集百夫良,歲暮得荊卿。
君子死知己,提劍出燕京。素驥鳴廣陌,慷慨送我行。
雄髮指危冠,猛氣沖長纓。飲餞易水上,四座列群英。
漸離擊悲筑,宋意唱高聲,蕭蕭哀風逝,淡淡寒波生。
商音更流涕,羽奏壯士驚;心知去不歸,且有後世名。
登車何時顧,飛蓋入秦庭。淩厲越萬裏,逶迤過千城。
圖窮事自至,豪主正怔營,惜哉劍術疏,奇功遂不成。
其人雖已沒,千載有餘情。


遊人五陵去、寶劍直千金。
侠客であるあなたは長安の游侠の徒の多く住む五陵に行くというこれはわたしが宝として大切に秘蔵する剣で、その値は千金になる。 
遊人 侠客。遊客。職業を持たないで遊んでいる人。○五陵 長安の游侠の徒の多く住む所の名。
李白『少年行』「五陵年少金市東,銀鞍白馬度春風。落花踏盡遊何處,笑入胡姫酒肆中。」・五陵 高祖劉邦の長陵、恵帝劉盈の安陵、景帝劉啓の陽陵、武帝劉徹の茂陵、昭帝劉弗之の平陵をいう。○ 去る。行く。○寶劍:宝として大切に秘蔵する剣。 ・ ねうち。値段。値。○千金 大金。

李白と道教48襄陽歌 ⅰ

落日欲沒山西,倒著接花下迷。襄陽小兒齊拍手,街爭唱白銅。傍人借問笑何事,笑殺山公醉似泥。杓,鸚鵡杯。百年三萬六千日,一日須傾三百杯。遙看漢水鴨頭綠,恰似葡萄初醗。此江若變作春酒,壘麹便築糟丘臺。千金駿馬換小妾,笑坐雕鞍歌落梅。車旁側挂一壺酒,鳳笙龍管行相催。咸陽市中歎黄犬,何如月下傾金罍。君不見晉朝羊公一片石,龜頭剥落生莓苔。涙亦不能爲之墮,心亦不能爲之哀。清風朗月不用一錢買,玉山自倒非人推。舒州杓,力士鐺。李白與爾同死生,襄王雲雨今安在,江水東流猿夜聲。」

李白 89 將進酒(李白と道教)

「君不見黄河之水天上來,奔流到海不復回。君不見高堂明鏡悲白髮,朝如青絲暮成雪。人生得意須盡歡,莫使金尊空對月。天生我材必有用,千金散盡還復來。烹羊宰牛且爲樂,會須一飮三百杯。岑夫子,丹丘生。將進酒,杯莫停。與君歌一曲,請君爲我傾耳聽。鐘鼓饌玉不足貴,但願長醉不用醒。古來聖賢皆寂寞,惟有飮者留其名。陳王昔時宴平樂,斗酒十千恣歡謔。主人何爲言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。


分手脱相贈、平生一片心。
別れに際して、これをはずしてあなたに贈ろう。普段からのわたしのあなたに対する心を表すために。 
分手 別れる。関係を絶つ。○ とる。はずす。○相贈 …に贈る。○:…ていく。…てくる。動詞の前に附き、動作が対象に及ぶ表現。○平生 ふだん。平素。平常。○一片心 ひとつの心
哭晁卿衡 李白  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 163


日本晁卿辭帝都,征帆一片遶蓬壺。
明月不歸沈碧海,白雲愁色滿蒼梧。

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盛唐詩 春暁 孟浩然28 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -335

盛唐詩 春暁 孟浩然29 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336



孟浩然『春暁』 と王維『田園楽』

729年王維30歳、孟浩然40歳。二人は世俗から離れた田園、澗林にいる。
春の眠りを詩に詠う。



孟浩然は、字も浩然ともいい、襄州襄陽(湖北省)の人。
その世系や事蹟には不明な点が多い。

没年は740年開元二十八年、通説では卒年を五十二歳とし、溯って生年を則天朝の689年永昌元年とする。
<しかし山本巌は、卒年を五十歳とし、生年を則天朝の天授二年(六九一)とする説を唱えている。>
若い頃、地元の鹿門山に隠棲し、白雲道士のものとで修学したらしい。『田園作』など、隠棲生活を記している。
のちに洛陽に出て士人と交わり、


727年、開元十五年38歳、には長安に赴いて科挙の試験を受けたが落第。失意の彼は故郷に帰るが、40歳までは受験したのか、長安と襄陽を往来しているようだ。

731年、同十九年41歳に越の地を遊覧する。天台山を訪れたのはこの折であったと思われる。道教、天台山に関する詩を多く残している。
そののち故郷に戻ったが、

737年同二十五年(48歳)には、丞相であった張九齢の従事となっている。
740年同二十八年(52歳)に、王昌齢に看取られて没している。



 その境遇は李白に類似している。交友関係は李白と酷似し、ほとんどが道教に関連した者たちと思われ、それも多くの詩人たちが受け入れる、司馬承禎とそのの系統のものであった。司馬承禎(643年~735年)は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれている。李白は孟浩然の影響をかなり受けているのも、道教とその境遇に起因しているものと思われるのである。王維との交流の内密度の濃かった期間は、727年~730年かけてと思われる。

「旧唐書」巻一九○下、「新唐書」巻二○三本伝。「唐才子伝」巻二。「孟浩然集」は諸本あるが、四部叢刊初輯所収は四巻本。和刻本に「孟浩然詩集」(不分巻、元文四年刊「和刻本漢詩集成唐詩第一」)、同「孟浩然詩集(襄陽集)」巻中(北村可昌点、元禄三年刊「和刻本漢詩集成唐詩第一」)がある。


 孟浩然は若いころ、磊落な生活をしていて、30代後半まで、基本的に襄陽鹿門山で隠棲し、各有名寺観を旅した。そして、727~732年頃(この時も定住ではない)唐の都、長安に上京。この時期に張九齢、諸光義、崔顥、李邕、賀知章、李白、王昌齢、王維、岑参、崔敏童、賈至、高適、裴迪と長安にはいたのである。孟浩然は道教の影響を強く受けている詩人との付き合いが多かったようで王維、李白、岑参、詩人仲間はすぐに打ち解けた。でもその中で孟浩然は王維と詩に対して、山水、自然に関して底辺にあるものに好感を持てた。この時朝廷で、一方では、「一芸に秀でたもの」を李園に集め、六朝から続く雅な艶歌を好み、他方では、文人を忌み嫌い狡猾な宰相李林甫が台頭し、文人の登用、重用の排除し頽廃が蔓延して行っていた。
 士官を目指す詩人たちもこの李林甫により夢を壊されていく。

当時朝廷の出勤は夜明けで、鶏人が夜明けを告げるころは朝廷に出勤した。春は合格発表がある時で、孟浩然は落第をしたので、及第の象徴、牡丹が咲き乱れるこの季節は街を歩くのも嫌なのである。万物が芽吹く希望の春ではない孟浩然の「春」を詠うのが春暁である。王維の『田園楽』と比較してみると面白い。

春曉   孟浩然

春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。


春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


春曉
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。


現代語訳と訳註
(本文)
春曉
春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
夜來風雨聲,花落知多少。

(下し文) 春曉
春眠 曉を覺えず,處處 啼鳥を聞く。
夜來 風雨の聲, 落つること 知りぬ多少ぞ。

(現代語訳)
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。


(訳注)春曉
春の夜明け。詩人は床からは出ない。春の朝に目覚めていても、時間経過順に、淡々と詠われている。


春眠不覺曉,處處聞啼鳥。
春の眠りは心地よいので、夜が明けるのも分からずに眠ってしまう。ふと目覚めるとあちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる
(この春はむかつくので、昨日の夜しこたま酒を飲んだため、早く起きることはしない。布団の中に何時までもいつづけていても小鳥の声が聞えてくる。)
春眠 春の季節の睡眠。 ○不覺曉 日の出の時を覚えていない。寝坊をすること。○ …を覚えている。知っている。気づく。「覺」には、「覚醒」の意がある。○ あかつき。あけぼの。夜明け。○處處 ところどころ。ほうぼう。いたるところ。○ きこえる。聞こえてくる。品からすると「きく」の場合は、「聽」が良いのだが。○啼鳥 鳴く鳥。さえずる鳥。

夜來風雨聲,花落知多少。
そういえばゆうべの雨風の音が激しかったが、今朝の庭にはどれほどの花がたくさん散ったことだろう。
(遅くまで酒を飲んだので、春の嵐雨の音がしていたの知っているし、花が吹き飛ばされて落ちているだろうと思っているがそれを見たいとは思はない。)
夜來 昨夜。夜間。また、昨夜来の意。その場合、「-來」は「~から」の意。○風雨聲 雨風の音。酒を飲んだこと。○花落 花が散る。○知 わかる。この語で、作者の推量を表している。○多少 どれほど、どれくらい。多い。少ない。

この詩は単に春の眠りの心地よさを詠っているのではないところにこの詩の良さがある。試験に落第していること、早起きをして朝廷勤めをしている者を見ることが嫌であること、少し暖かくなって、布団の中ので居心地が良いこと、雨が降り続くのかと思っていたらきっと晴れたのだろうということ、後悔卑屈を全く感じさせないところ、等々、この詩を興味あるものにしている。落第してこんな詩が書けるのも孟浩然くらいではなかろうか。もう一人、李白もそうである。襄陽、峴山、鹿門山、天台山、道教、謝霊運、、、孟浩然と李白に共通点は多い。このブログで李白特集に孟浩然を取り上げているのはその意味を示すことにある。
この詩、春暁、山水田園詩については王維との調和感もある。


この詩で寝坊して、寝床の中から、昨夜の雨風の様子から始まり春たけなわの咲き誇る庭の花の状況の移り変わりをよく表していて、布団の中で、世俗のことなんか気にするより、昨夜の風雨で散った花弁も庭中に散らばって、それが美しいような情景を彷彿させるのである。
 最後の句には小僧さん早く起きてせっかく美しい庭をきれいにするなよという意味を込めている。

五言絶句 ○韻 暁、鳥、少 




 この詩を読んだ王維は早起きして掃除をしては興が覚めると詩を作っている。


田園楽 王維
珍しい六言の絶句
歌うのに心地良いように、二言の語で啖呵を切るようにつくっている。


桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。 
 


桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。


は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。


 この詩の作者王維は高級官僚であったが、孟浩然のように自然の中での暮らしを愛していた。宮使いの合間に都の郊外にある山荘、輞川荘で悠々自適の生活を楽しんでいた。
 こうした生き方を「半官半隠」といい、この生活は詩人の憧れで古くから多くの詩人が詠っている。王維の詩も孟浩然の詩もテーマは同じでも品格にはずいぶんの差がある。王維はその情景を静かに語りかけている。裏も表もなく。

 同じように花が咲き、風雨があり、鶯が鳴き、庭に散った花が誰も踏みつけていないきれいな模様となっていて、だけど布団の中で眺めている。そして、あたりは他の煩わしいことは何にもない。すべての事象が、山水画のように静けさの世界を作り出している。

 二人の詩の違いは少しずつ感じるものではあるが、人をとっても穏やかにしてくれくる詩であることは間違いない。


現代語訳と訳註
(本文)
田園楽
桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  
花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。


(下し文)
桃は紅にして、復【ま】た宿雨【しゅくう】を含み、柳は緑にして、更に春煙【しゅんえん】を帯ぶ。
花落ちて 家僮 未【いま】だ掃【は】らわず、鶯啼いて 山客 猶【な】お 眠る。


(現代語訳)

(訳注) 田園楽 
春のぼんやりした、けだるい情景の中で。
王維は高級官僚であったが、孟浩然のように自然の中での暮らしを愛していた。妻との早い死別がそれを強めた。宮使いの合間に、都の郊外にある山荘で悠々自適の生活を楽しんだ。
こうした『半官半隠』が、王維の地位や名誉は必ずしも心を満たすものではなく、次第に朝廷での務め、短料としての意欲は失っていくのである。熱心な仏教徒であった母の影響であるのかもしれない。しかし、詩の持っている品格は王維独特のものである。


桃紅復含宿雨、柳緑更帯春煙。  

桃の花は、夕べの雨を含んでつやつやといっそう紅色あざやか、柳は青さを増して、春のかすみにけむる。
宿雨 前日から降り続いている雨。○春煙 雨靄。


花落家童未掃、鶯啼山客猶眠。  
花が庭先に散り敷かれている、召使いの少年は掃き清めたりはしない。ウグイスがしきりに鳴くのに山荘のあるじはまだまだ夢うつつの中に有る。
家僮 召使。○山客 山荘の主。王維のこと。

雨と靄、遠くの景色は春煙で水墨画の様なモノトーンの世界、その中に桃の紅と柳の緑が色あざやかに詠い込まれる。

 雨に濡れた庭の土はもっとも黒い。その上に散り敷かれた花、花びらも美しいのだろう。急いで召使に履かせたりはしない。自然のまま、自然の風情が一番きれいだ。鶯が鳴く中、朝寝坊をする
休みはたっぷり取って山荘でのんびり田園生活する。

桃紅+復含+宿雨、柳緑+更帯+春煙。  
花落+家童+未掃、鶯啼+山客+猶眠。
句、句。がそれぞれ対になる:対句。句、+句。を聯。聯の最後の語が韻です。絶句は対句にこだわらないものであるがこの詩は対と韻は欠かせない。
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登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313

登峴山亭,寄晉陵張少府 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -313
(峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)



305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)

孟浩然詩全集 卷160_161 「登峴山亭,寄晉陵張少府」
全集245首中絶句は約一割の26首である。孟浩然といえば、『春眠』「不覺曉,處處聞啼鳥。夜來風雨聲,花落知多少。」である。このブログはストーリーがないわけではないが、第一に考えていることは、できるだけマイナーなものを取り上げる。李白のブログに孟浩然を割り込ませて進めている。

 孟浩然は、襄陽城の東南漢水を渡ってひと山越えたあたり、鹿門山の麓に隠遁している。体があまり丈夫でなく気ままな生活をしていたようだ。友人が訪ねてきて別れる場所は、峴山に登って、襄陽の街を眺めると詩には出てくるが、この詩に登場する峴首亭がお目当てだったのではないだろうか。

登峴山亭,寄晉陵張少府
峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。
峴首風湍急,雲帆若鳥飛。
峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。
憑軒試一問,張翰欲來歸。

亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。

峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。
峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。
軒に憑(よ)りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。


現代語訳と訳註
(本文) 登峴山亭,寄晉陵張少府

峴首風湍急,雲帆若鳥飛。
憑軒試一問,張翰欲來歸。

(下し文) (峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。)
峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。
軒に憑(よ)りて試みに一たび問わん,張翰 來り歸らんと欲するか。

(現代語訳)
峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。
峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。
亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか。
嚢陽一帯00

(訳注)
登峴山亭寄晉陵張少府

峴山の亭に登る。晋陵の張少府に寄せる。
峴山に登り峴首亭にいってみると、晋の張翰少府の気持ちがよくわかりこの詩を寄せる。
峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。○ 峴首亭のこと。○少府 後漢での少府は、宮中の御物、衣服、珍宝、御膳を担当すると注釈されている。秩禄は中二千石。丞は1人である。属官には以下のものがあり、中常侍等の宦官の各職官に加え、侍中、尚書令、御史中丞等のような政務の中枢をつかさどる職官が係属されている。


峴首風湍急,雲帆若鳥飛。
峴首 風湍 急にして,雲帆 鳥の飛ぶが若し。
峴山の鼻先にある峴首亭にいるが、川の流れと急な風が吹いていて、舟の雲帆ままるで都営が飛んでいくように見える。
風湍 急な風と水の流れが速い。 ・ 流れが急である. 急流.杜甫『将赴成都草堂途中有作先寄厳鄭公 五首其四』 
常苦沙崩損藥欄,也從江檻落風湍
新松恨不高千尺,惡竹應須斬萬竿。
生理只憑黃閣老,衰顏欲付紫金丹。
三年奔走空皮骨,信有人間行路難。
雲帆 雲のように大きな船の帆。
送蕭三十一之魯中、兼問稚子伯禽 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-208
六月南風吹白沙,吳牛喘月氣成霞。
水國鬱蒸不可處,時炎道遠無行車。
夫子如何涉江路,雲帆嫋嫋金陵去。
高堂倚門望伯魚,魯中正是趨庭處。
我家寄在沙丘傍,三年不歸空斷腸。
君行既識伯禽子,應駕小車騎白羊。


憑軒試一問,張翰欲來歸。
軒に憑(よ)りて試みに一たび問わん、張翰 來り帰らんと欲するか
亭の欄干に寄りかかったところで、あなたにちょっと一言聞いてみるけど、晋の張翰少府が、秋風が吹いたら、鱠を食べないと自分の人生ではないといって官を辞して呉の郷里に帰ったけれどあなたも帰ろうと思っているのではないのか
憑軒 欄干によりかかるさま。・憑1 よりかかる。頼みにする。よりどころ。「憑拠/証憑・信憑」 2 霊がのり移る。つく。○翰 【翰藻】かんそう. 詩・文章のこと。 「藻」は言葉のあや。 【翰墨】かんぼく. 筆と墨。 「翰墨を座右に置く」; 文学のこと。 書いたもの。文章のこと。 筆跡。 【翰林】かんりん. 学者・文人の仲間。文書の集まっている所の意から。 「学林・儒林」; 「 翰林院 ( かんりんいん ) 」1.の略。ここでは翰林院に仕える張君ということ。又西晋の文人張翰をもじっているという解釈とする。張翰については後述している。


DCF00199


解説と参考(張翰)
起句、嚢陽の峴山のもと、風が吹き付ける漢水の急激な流れの描写と、承句、それに乗って雲のような大きな帆を膨らませて鳥のように進む舟の描写は、スピード感に満ちた活動性を持ち、さらにはその「秋風」にのって張翰のように故郷へ帰りたいのかと心の動きを描いている。視線、心理どちらも動的にとらえていく孟浩然の秀作である。。

晉陵 張翰
蓴羹鱸膾(じゅんこうろかい) 《四熟》 1.故郷(ふるさと)の味。 類:●お袋の味 2.故郷を思う気持ちが抑えられなくなることの喩え。 類:●里心が付く 故事:「晋書-文苑伝・張翰」「翰因見秋風起,乃思呉中菰菜、蓴羮、鱸魚膾」 晋の張翰(ちょうかん)は、秋風に逢って、故郷の蓴菜(じゅんさい)の羹(あつもの)と鱸(すずき)の膾(なます)の味を思い出し、辞職して帰郷した。


 張翰は夏侯湛のこと。
この西晋太康期に「新」をもって評された文人に夏侯湛・張翰がいる。
夏侯湛包有盛才、文章宏富、善構新詞、而美容観、與溢岳友善。
          (晋書 侯湛傳)

張翰有清才美望、博學善蜀文、造次立成、辭義清新。
           (文士傳 世説識鑒注所引)

張翰字季鷹、呉郡人也。文藻新麗。
          (今書七志 文選巻二十九注所引)

夏侯湛はその美貌ゆえに潘岳とともに「連壁」ともてはやされた美男子である。

張翰は陸機と同じく呉郡の出身である。呉滅亡後、西晋に仕えた張翰は同郡出身の顧栄にその複雑な心境を述べ、又その顧栄が死んだ時弔問に出向いて、生前共に楽しんだ琴を撫して激しく慟哭したということが『世説』に見えるが、その顧栄のために「妻に贈る詩」を代作したのが陸機であった。張翰が有名なのは折角、西晋朝に仕えながら秋風の立つのを見て、故郷呉の鱸魚の鱠が恋しく、この人生、地位のためにあの美味を捨てられようかと職を投げ打って呉に馬を走らせた曠達ぶりによってであるが、なるほど「江東の歩兵(阮籍)」と時人の評目を得るだけの常識破りな人物であった。
張翰の文学は、『文選』の雑詩を示し、「短篇に鋭いものを見せる」と言い、『詩品』は、「季鷹の黄華の唱は美を具へずと雖も、文彩は高麗なり」(中品)と評す。


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哭宣城善醸紀叟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -294

哭宣城善醸紀叟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -294


紀叟黄泉裏、還應醸老春。
夜臺無暁日、沽酒與何人。

紀叟 黄泉の裏、還た 應に 老春を醸(かも) す。
夜臺 暁日 無きに、酒を沽りて何人に與たう。


紀おじいさんは黄泉の国にいってしまった、でもきっとまた、「老春」の酒を醸造している。
冥土には明るいお日様は照らされてはないだろう、それにわたしがいないのにそのお酒はどんな人に売るというのか。


哭宣城善醸紀叟
宣城 地図e5座標。○善醸 上手に醸造する。○紀叟 紀というおじいさん。
 rihakustep足跡


紀叟黄泉裏、還應醸老春。
紀叟 黄泉の裏、還た 應に 老春を醸(かも) す。
紀おじいさんは黄泉の国にいってしまった、でもきっとまた、「老春」の酒を醸造している。
黄泉 黄泉の国。地下に死者の世界があると考え、そこを黄泉と呼んだ。黄は、五行思想で、土を表象し、方向性としては中央を意味する。泉は地下の世界、それゆえに、兵馬庸は地下に地上と同じ世界を作った。○老春 お酒の名前。(若さをよみがえらせる。歳を重ねていくことをよろこぶ。ということであろうか。)

夜臺無暁日、沽酒與何人。
夜臺 暁日 無きに、酒を沽りて何人に與たう。
冥土には明るいお日様は照らされてはないだろう、それに(真の酒飲みでこよなく酒を愛するわたしがいないのに)そのお酒はどんな人に売るというのか。
夜臺 冥土。墓の穴。墳墓。○暁日 夜明けの太陽。朝日。明るいお日様。○沽酒 売っている酒。

56moon

「戴老酒店」
戴老黄泉下 還應醸大春 
夜臺無李白 沽酒與何人

戴老(たいろう)は黄泉(こうせん)の下にて、
還(な)ほ応(まさ)に大春(だいしゅん)を醸(かも)すなるべし。
夜台には李白無きに、何人に酒を沽(う)り与へんや。

酒造り名人の戴の爺さんは死んじまったが、黄泉の国でも、
きっと自慢の銘酒「大春」を造っているに違いない。
しかし、冥土には(真の酒飲みでこよなく酒を愛する)李白はいないのだ、
いったい誰にその酒を飲ませるつもりなのだろう。

○大春 酒の銘柄。○夜臺 あの世。

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答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293

答友人贈烏紗帽 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -293


答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


答友人贈烏紗帽 李白                           
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


 鳥紗帽たしかに受け取りました                         
 白接蘺よりずっといい                             
 鏡で見てみたわけじゃないけど                         
 子供は似合うと言ってます                           
李白
       ウィキペディア  李白像
 
現代語訳と訳註
(本文)
答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
山人不照鏡,稚子道相宜。


(下し文)
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。


(現代語訳)
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。


(訳注) 答友人贈烏紗帽
領得烏紗帽,全勝白接蘺。
烏紗帽を領得して、全く白接蘺(り)に勝(まさ)る。
烏紗帽を届けてくれて確かに受け取りました。白い接羅の帽子よりすべてに勝っている。
烏紗帽:絹で出来た礼装用の黒い帽子。
白接羅:白い接羅(せつり)。接羅は帽子の一種。昔、荊の地方長官だった山簡が被っていたことで有名。
山簡は竹林の七賢人である山濤の息子だが、それよりなにより酔ってこの白接蘺を前後反対に被り
町なかで馬に乗ったほどの「酔っぱらい」ぶりで名高い。              
「山公」と言えば酔っぱらいの代名詞であり、李白はしばしば自分をこの山簡に例えている。 

山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接蘺 接蘺は帽子。


山人不照鏡,稚子道相宜。
山人 鏡に照らさざるも、稚子 相 宜(よろ)しと道(い)う。
山で隠遁すべき人間が街にいるこの私が鏡を見るまでのことはないのだ、山間ではないけれど子供たちはよく似合ってるといっている。
○山人 山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。ここでは李白自身のことを指す。


     
 帽子01

帽子02
帽子03
 
  唐太宗戴幞頭 禮官戴幞頭 兩文人戴幞頭 
 帽子04
帽子05
帽子06
 
  長腳羅幞頭 翹腳幞頭 翹腳幞頭
 
    

   時代を遡ると、元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。現に李白は「答友人贈烏紗帽」(《李白集校注》巻19)で「山人不照鏡、稚子道相宜」と自ら山人を称している

 
「山公」
李白と道教48襄陽歌 ⅰ

李白と道教(7)襄陽曲49から52

阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251350

秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350


 烏紗帽00烏紗帽平巾幘(さく)帽00平巾幘(さく)帽

 
    

襄陽曲四首 李白
「あの儒教者の立派な人格者の晉の羊公でさえ、台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔だらけ。『涙を堕す碑』とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心も羊公のために、悲しむことさえ出来ない。
清々しい風、明月を眺め、その上、酒を飲むなら、これにまさることはない。」
どんなに笑われても、山公(山簡先生)のように生きたい。という李白であった。
 中国では、昔から、茶屋、居酒屋のようなにぎやかに人を集めた場所で、「三国志」、とか、「王昭君」、「西施」など節をつけ、唄いながら講談をした。襄陽は交通の要衝で、大きな歓楽街もあった。そこで詠われた詩の「襄陽楽」を題材にして李白が詠ったのだが、同じ内容の絶句四首がある。李白の考え方をよく表している。(再掲)

現代語訳と訳註

李白『襄陽曲四首其一』
(本文)

襄陽行樂處、歌舞白銅蹄。
江城回淥水、花月使人迷。


(下し文)
嚢陽 行楽の処、歌舞 白銅鞋
江城 淥水回(めぐ)り、花月 人をして迷わせる


(現代語訳)
嚢陽はたのしい行楽の場所だ。人びとは、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったりする。
江にのぞむこのまちは、うつくしい水にとりまかれ、なまめかしい花と月とが、人の心をまよわせる。

(訳注)
○裏陽曲 六朝の栄の隋王寵が作ったといわれる「嚢陽楽」という歌謡に、「朝に嚢陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。嚢陽曲は、すなわち賽陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。・白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。 ○淥水 清らかな水。 ○花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。(売春の誘い込みも含むと考えればわかりやすい)


李白 襄陽曲四首 其二
(本文)

山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。


(下し文)

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

(現代語訳)
山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

(訳註)
○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。



李白 襄陽曲四首 其三
(本文)

峴山臨漢江、水淥沙如雪。
上有墮淚碑、青苔久磨滅。

(下し文)
峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し
上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す

(現代語訳)
峴山は漢江に臨んでそびえたつ、ながれる水は清く澄み、川辺の砂は雪の白さだ。
山上には「墮淚碑」が有り、 青苔におおわれたまま永いので磨滅したように彫刻が見えない。
(こんなに哀れに苔だらけになってしまっている。ここで泣けるのか)

(訳註)
○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 ○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。



李白 襄陽曲四首 其四
(本文)

且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

(下し文)

且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。
山公 馬に上らんと欲すれは、笑殺す 嚢陽の児。

 (現代語訳)
ともかく、習家池で酔いつぶれよう、墮淚碑になんか見てもしかたがない。
山公先生が馬に乗ろうとして、襄陽の子供たちが笑い転げてくれ。(その方がどんなにいいか)

(訳注)
○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。○笑殺 穀は調子を強める字。


 死んで世に名を残したって、苔むすだけだろう。それなら、一生どれだけ飲めるのかといっても、たかが知れている。人に笑われたって今を楽しむほうがいい。ここで、酒好きな李白の「酒」を論じるのではない。(酒については別のところで述べる予定。)


 子供についての考え方、に続いて、わらべ歌について、李白の考えを詠ったものだが、端的に言うと、峴山の羊祜、「堕涙碑」は儒教の精神を示している。それに対して、山簡を山公と山翁呼んでいるが、李白は自分のことをしばしばそう詠っている。竹林の七賢山濤の子の山簡、つまり、山簡先生と同じように自分もたとえ子供に笑われたって、酒を飲むほうがいいといっている。酒を飲むというのは現実社会、今生きていることを示すのである。(李白は山東で竹渓の六逸と称し遊ぶ)


 李白は、自分の道徳観を故事になぞらえて正当化する手法をとっている。しかも、わかりやすいわらべ歌を題材にしているのである。

 襄陽は、道教の宗派最大の聖地、武当山のおひざ元、門前町なのだ。ここでも道教の接点があるのだ。
(長安で寓居していた終南山も道教の本家地がある。元丹邱の関連でよく出てくる地名である。)
 しかし、のちに、この道教のつながりで、中央官僚、しかも皇帝が李白のために新しいポストを作って迎えられるのだから、「大作戦」成功を見るのである。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
攜妓東山去。 春光半道催。
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。

きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。


姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。


pla044
 

現代語訳と訳註
(本文)

送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。

(下し文) 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

 
(現代語訳)
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。


(訳注)
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈
(姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り)
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。
姪良 李白の甥の李良。くわしい事蹄はわからない。○会稽 いまの浙江省紹興市附近。このあたりは水郷で、たいへん景色がよい。
李白憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270 
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

攜妓東山去。 春光半道催。
(妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。)
芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。
東山 紹興市の東の上虞県の西南にあり、菅の謝安(字は安石)がここに隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亨の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携妓 謝安の故事をふまえる。


遙看若桃李。 雙入鏡中開。
(遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。)
きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。
○若桃李 魏の曹植の詩に「南国に佳人有り、容華は桃李の若し」とある。○鏡中開 会稽は山陰ともいわれるが、このあたりは山水がぅるわしく、白くかがやく水と翠の巌とが互に映発して、鏡のごとく、絵のようである。だから王孝之が言った。「山陰の路をあるいて行くのは、鏡の中に入って遊ぶようなものだ」と。なお、山陰には、鏡湖という湖がある。鏡、月、湖、妓女を示す語で、「鏡中開」ということは、性行為を意味するものである。
李白對酒憶賀監二首 其二 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白135
狂客歸四明。 山陰道士迎。
敕賜鏡湖水。 為君台沼榮。
人亡余故宅。 空有荷花生。
念此杳如夢。 淒然傷我情。

李白『送賀賓客帰越  Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白137
『送賀賓客帰越』       
鏡湖流水漾清波、狂客帰舟逸興多。
山陰道士如相見、応写黄庭換白鵝。
天子から賜った静かな湖面の鏡湖と漢水の上流澄み切った水の流れる漾水(ようすい)は 清らかな波がたつ、四明狂客の賀殿が船でのご帰還とあれば、興味深いことが数々おこって 面白いことでしょう
○鏡湖 山陰にある湖。天宝二年、賀知章は年老いたため、官をやめ郷里に帰りたいと奏上したところ、玄宗は詔して、鏡湖剡川の地帯を賜わり、鄭重に送別した。○漾清波、○水漾 陝西省漢水の上流の嶓冢山から流れ出る川の名であるが、澄み切って綺麗な流れということで、きれいなものの比較対象として使われる。きれいな心の持ち主の賀知章が長安のひと山越えて、漢水のきれいな水に乗って鏡湖に帰ってきたいうこと。○ 

李白 93 春日酔起言志

李白 97 把酒問月




李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)





裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164

題江夏修静寺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白197

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

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經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216





秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

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憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

憶東山二首其二 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270

李白、会稽、紹興滞在中の作である。内容から、永王鄰の軍への参加より前の作である。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだ。朝廷に上がる以上は隠遁以外で再び訪れることとは思っていなかった場所なのだ。
宮島(5)

其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。


憶東山二首其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。
欲報東山客。 開關掃白云。


(下し文)
我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群を絕つ。
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

(現代語訳)
私は今謝安が東山で芸妓ととも過ごしていたころと同じだ、気合を入れて、時が来れば、長い歌を吟じて奸臣の輩を絶滅させるのだ。
謝安のように東山の客としていた以上は同じように時期が来れば立ち上がって、国を救おうと思っている。長安の状態を打開して叛乱軍を平定して偽の皇帝と名乗っているものを払い落としてみせる。


(訳注)
我今攜謝妓。 長嘯絕人群。

私は今謝安が東山で芸妓ととも過ごしていたころと同じだ、気合を入れて、時が来れば、長い歌を吟じて奸臣の輩を絶滅させるのだ。
攜謝妓 晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。時期が来るまで、待っている賢者というものは、一喜一憂しない。敵を油断させる方法にも幾通りもある。ここに言う「芸妓を携えて」というのは、国外のみならず国内にも敵がおり、国を建てなおすにも相手の状況の分析を行い、時機が到来して立ち上がったのであるが、東山に白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所といわれ、妓女と酒を飲んで時期を待っていたことを言う。謝安について李白『送裴十八図南歸嵩山其二』「謝公終一起、相與済蒼生。」とあり、送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164
また、李白『梁園吟』「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。」とある。

長嘯 李白が長嘯という語を使うのはそれを機に行動を起こす場合の言葉としている李白42 梁園吟.。
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216
李白『經亂後將避地剡中留贈崔宣城」(乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る)では、安禄山の叛乱軍を小馬鹿にして長嘯している。
「雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。
何意上東門。胡雛更長嘯。」
(双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。)
東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。
また、李白 『贈王大勧入高鳳石門山幽居』

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

「投躯寄天下、長嘯尋豪英。」(躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。) 天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
李白『游泰山六首其一』

李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)
「天門一長嘯。萬里清風來。」
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
天門に一たび長噴すれば、万里より清風釆たる

使い方としては「長嘯して~する」、ということである。



欲報東山客。 開關掃白云。
謝安のように東山の客としていた以上は同じように時期が来れば立ち上がって、国を救おうと思っている。長安の状態を打開して叛乱軍を平定して偽の皇帝と名乗っているものを払い落としてみせる。
東山客 謝安と同じ志を持っている李白のこという。○開關 関は関中で通常は長安をさすが、京畿とかんがえ洛陽を含む叛乱軍を指すと考える方が良い。
白云 天上にあるもの、手に届かないものであり、温かく見守るものの象徴としている。東山を思う二首の場合、天子を指している。其一では、希望夢であり、粛宗を指し、其の二では叛乱軍の大燕皇帝を指すものと思う。
李白『憶東山二首 其一』憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす

秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350
祧波一步地。  了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。

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李白、会稽、紹興滞在中の作である。内容から、永王鄰の軍への参加より前の作である。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだ。朝廷に上がる以上は隠遁以外で再び訪れることとは思っていなかった場所なのだ。



憶東山二首  李白
其一
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。

向わざること東山に久し、薔薇 幾度(いくたび)か花く。
白雲また自ら散す、明月 誰が家に落ちん。

pla011

憶東山二首 其一 現代語訳と訳註
(本文)

其一
不向東山久。 薔薇几度花。
白云還自散。 明月落誰家。

(下し文)
向わざること東山に久(ひさ)し、薔薇 幾度(いくたび)か花(さ)く。
白雲 また自ら散(さん)す、明月 誰が家に落ちん。

(現代語訳)
二度と東山にはいかないと決めていてもう長いこと行っていない、薔薇の花も幾度も咲いただろうが花の様な芸妓たちは元気でいるのだろうか。白雲は自然に散り去っていく、美しい月は、輝くような芸妓は今日は誰の家にいるのだろうか。

(訳注)
不向東山久。 薔薇几度花。
二度と東山にはいかないと決めていてもう長いこと行っていない、薔薇の花も幾度も咲いただろうが、花の様な芸妓たちは元気でいるのだろうか。
不向 向わないと決めたこと。起承転結、それぞれの初めが対語になっている。不向に対して、薔薇は堅い約束を示す。
起:不向  承:薔薇  
転:白云  結:明月

東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。謝安(320年 - 385年)は中国東晋の政治家。王義之らと同時期のひと。
○几(幾)  数詞. 1.いくつ; 2.いくつか. 名詞. 1.(~儿)小さな机; 2.ひじかけ. 副詞. 1.〈書〉ほとんど.

白云還自散。 明月落誰家。
白雲は自然に散り去っていくように長安を追われて旅の空なのだ、美しい月は、輝くような芸妓は今日、誰の家にいるのだろうか。(天子は誰の意見を取り入れるべきなのか、いまだわかっていないようだ)
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす。李林甫と宦官高力士、楊貴妃、楊国忠ら奸臣の意見しか取り入れなくなり、異民族、混血などの節度使に力を与えたことなどを込めた詩であえう。
立身出世をするものは、おおらかにしているものであり、時期が来るのを待っているものだ。今を楽しく愉快に過ごしていないものがどうして人の上に立ってけん引していくことができるというのか。謝安は遊ぶときには芸妓を伴って、徹底的遊んだものである。

 天子に正しい意見、情報が伝わらなくなってしまって誰が正しいのかわからなくなってしまっている。謝安も自分も芸妓遊びをしたとしても物の本質を見失うことはないのだ。この地において咲く花は薔薇であるが、天子のもとには牡丹の花、楊貴妃の色香に狂ってしまっている。誰の意見を聞き入れるのか。

一般的な解釈
東山に足を向けなくなって久しいが、薔薇は幾度目の花をひらいたか。皇霞もう思い思いに散ってしまったことだろう。明月はさて誰の家の屋根に沈んだものか。
一般的な下し文
東山(とうざん)に向(む)かわざること久(ひさ)し、 薔薇(そうび)は幾度(いくたび)か花(はな)さきし 白雲(はくうん)の他(かれ)は自(おの)ずと散(ち)らん 明月(めいげつ)は誰(た)が家(いえ)にか落(お)つ。

  (東山にはずいぶんご無沙汰しているが、薔薇は何度咲いたやら、真白き雲はきままに散っていようが、月は誰の家の屋根へと沈み行くことか)。 



  このような李白の女性に対する性的な部分のみをこの詩の主題と解釈してはいけないのである。一般的な解釈をしてしまうと憶東山二首其二が意味不明になってしまう。李白は会稽、紹興に帰ってきてこの詩を作ったのではないのである。
 李白はいくつもの意味合いを込めて詠うのである。したがって、味わい深いのである。儒教的見方をすると李白がまた女性との性を詠っていると毛嫌いするようでは味わい深い李白の詩が死んでしまう。


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秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

しばらく滞在した秋浦、村人たちは李白が叛乱軍を征伐に行く水軍に参画するのに別れを惜しんでくれただ。


秋浦歌十七首其十七

波一地。了了語聲聞。

闇與山僧別。低頭禮白云。



      

秋浦の歌十七首 其の十七

(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
(やみ)
(たす) 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低()れて白雲に礼(れい)す。




秋浦歌十七首 其十七 現代語訳と訳註
(本文) 其十七

祧波一步地。 了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。


(下し文) 其の十七
祧波(ちょうは) 一歩(いっぽ)の地なり、了了(りょうりょう)なり 語声(ごせい)聞こゆ。
闇(やみ)に 與(たす)く 山僧(さんそう) 別れ、頭(こうべ)を低(た)れて白雲に礼(れい)す。


(現代語訳)
王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。


(訳注)
祧波一步地。 了了語聲聞。

王朝は波のように代々受け継がれていくものであるがそれはひとたび歩き始めたその地の始まるものである。このたびの戦は大義がはっきりとしており天下世間の人々から語句、声援が聞こえてくるのである。
祧波 代々受け継がれていく傾向というもの。・ ちゅう(1) 先代の跡を継ぐ. (2) 遠い祖先を祭る廟。・ 水面が揺れて生じる起伏。傾向。走って逃げる。眼遣い。○了了 はっきり。(形動タリ)物事がはっきりわかるさま。あきらかなさま。 「霊知本性ひとり了了として鎮常なり/正法眼蔵」

闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。
 昼間は叛乱軍の兵士が居るので、夜の行動を示す。黙って。○ 与えられる。たすける。やる。○山僧 山にいる僧侶という意味もあるが、通常僧侶が自分を謙遜して使うもので、「拙僧」という意味である。お坊さんに向かって、「拙僧」とは言わない。李白が僧侶と別れたという解釈はおかしい。したがって、謫仙人といわれた風体の李白が自分自身のことを謙遜の言葉として「山僧」という表現をして村人に別れを告げたのである。○白雲 天帝。ここでは、玄宗のこと。


(解説)新説「秋浦の歌」終わりにあたって。***********
 この詩においても解釈が難解のため、従来、語句の写し間違いということにして、無理やり抒情詩を作り上げられてきた。

 「祧波」の「祧」(ちょう)を桃(とう)に、「波」(は)を陂(ひ)にかってに修正し、無理やり地名にする。

 一歩地を小さな土地としている。

 この秋浦の歌は詩経にイメージを借りて、戦に出る前の軍師の李白がその気持ちを詠いあげるというものである。通常、了了という語は天から、霊からのお告げもの様なものがはっきりに聞こえたことを言う。

 「了了語聲聞」 ここでは長い間重税に不満を持っていて、一時は叛乱軍に心情的に味方していた世間が、とんでもない異民族の叛乱であったと気が付き、世論は討伐に味方するように変わってきたので、李白に頑張ってくれという声援を送ったのははっきり聞こえてきたというものである。

 蛇足ではあるが、この時期、100年から20,30年前までは地方長官が地方の人民に対して手厚い行政を行い、人徳のあるのもほど中央に政府の高官になり仕組みであった。これを私利私欲の藩鎭、地方長官のシステムに変えていったのが李林甫からで、755年ごろになると、重税に耐えかねて逃村、難民が激増したのである。不平不満は人民の中に渦巻いたのである。そこに反乱の手が上がったのである、不平不満の人民が一時的に応援を向けたのである。ところが反乱軍は盗賊の叛乱であった。国の意見は二分され、一方では、これまでの政府批判があるものの、討伐を願う声が次第に大きくなっていった。


 お寺のお坊さんに別れる側の人間が「山僧」という語は用いない、身分制の厳格な時代、中国の文化としても等対してさげすんだ言い方をする場合は、敵の場合だけではなかろうか。

 白雲についても白い雲か、天帝にしか使わないものである。唐王朝は、古代から血脈が受け継が手てきた王朝であって、これが、異民族の混血のものに穢されてはいけないのだ。

 秋浦の歌十七首とひとまとめにしての最後の歌が抒情のみの意味しかないというのはどうしても解せない。儒教的な解釈では、見えないのかもしれない。


通常の解釈(愚訳)を紹介する。

桃陂は  ほんの小さな土地
村人の話し声もはっきり聞こえる
山寺の僧と黙って別れ
白雲寺に向かって頭をさげる

これでは、(桃陂という小さな土地で村人にこそこそ噂をされて出ていかないといけなくなった。世話になったくそ坊主に別れも告げず飛び出した。しかし暫く言って頭だけは下げた。)こんな意味の詩がいい詩であるといえるのか、不思議である。

 新説「秋浦の歌」ということになるのかもしれない。このような解釈は今まで全くないと思うが、しかし、この方が、李白の詩らしい解釈ではなかろうか。李白は一語、一句、単純な読み方をしない。いくつもの意味に掛け合わせたり、故事をふんだんに使う詩人である。この秋浦の歌のみ単純な解釈が通説になっているのはなぜなのか。長い間疑問を持っていたもののひとつである。


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秋浦歌十七首 其十六 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集260/350

秋浦歌十七首 其十六 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集260/350

秋浦歌十七首其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。

 

秋浦の歌 十七首 其の十六

秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采()りて水中に宿す。

妻子は白(はくかん)に張(ちょう)し、結(けつしょ)  深竹(しんちく)に映ず。




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秋浦歌十七首 其十六 現代語訳と訳註
(本文) 其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。


(下し文) 其の十六
秋浦の田舎翁(でんしゃおう)、魚(うお)を采(と)りて水中に宿す。
妻子は白鷴(はくかん)に張(ちょう)し、結罝(けつしょ)  深竹(しんちく)に映ず。


(現代語訳)
詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。


(訳注)
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。

詩経で周公の叛乱軍征伐のように私も召喚されているけれど、ここ秋浦に留まっているもう初老の田舎爺なのだ、魚を取るように東征して平定しようと出発の準備で真冬にここに留まっているのである。
田舍翁 李白のこと。秋浦に留まっている自分のことを転句の出征兵士の妻子と対比させて表現するものである。○水中宿 五行思想から真冬の河川という意味と川の中ほどにという意味を含む。・宿 詩経の東山、周公が殷の残党を征伐すべく東方に軍を進める。又、同じ詩経の九罭(こあみ)魚を取る網のことを詠いつつ、中央朝廷が周公を呼び戻す時、その地のものがその帰還を惜しむということ。しばらくその地に宿したということに基づく。

妻子張白鷴。 結罝映深竹。
出征の夫のいない家を守っているここの妻子は、兵士の嫌がる雨、その雨の好きな白鷴を網にかけて捕えようとしている、竹林の奥の方にはっきりとわかるけれど網をしかけているのだ。
 鳥を捕える網を張ること。〇白鷴 鶴に似た雨の好きな鳥。江南に産する雉の一種。白い色で、背には細かい黒い紋があって、飼畜できるという。その羽の姿は刀の白刃にも例えられる。詩経『東山』に「鷴鳴于垤、婦歎于室」夫のいない家を守る妻子は部屋の中にいるということに基づいている。○ 鳥や獣を捕える網。ここは、妻子の心意気を言い、出征するものへ檄を飛ばす意味であろう。詩経 『兔罝』
 

解説

李白は詩経のイメージを借りて詠っている。以下に示す解釈は一般的なものだがこれでは、ただ抒情的に解釈するだけで全く意味不明である。
一般の愚訳
秋浦のいなかのじいさんは、魚をとって川の上で夜をあかす。
妻子たちは白いきじを捕ろうとする。網をはっているのが、竹林の奥にくっきりと見える。

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秋浦歌十七首 其十五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集259/350

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秋浦歌十七首其十五

其十五

白發三千丈。 愁似個長。

不知明鏡里。 何處得秋霜。


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秋浦の歌 十七首 其の十五

白髪  三千丈、愁いに縁()って  箇(かく)の似(ごと)く長し。

知らず  明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。

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秋浦歌十七首 其十五 現代語訳と訳註
(本文) 其十五

白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。


(下し文) 其の十五
白髪  三千丈、愁いに縁(よ)って  箇(かく)の似(ごと)く長し。
知らず  明鏡(めいきょう)の裏(うち)、何(いず)れの処にか秋霜(しゅうそう)を得たる。


(現代語訳)
白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない


(訳注) 其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。

白髪が三千丈にもなった!
いろんな愁がつもりつもっている、この白髪の白さと長さは愁いの多さと長さが同じなのだ。
○この詩は唐詩選に見える。○個長 箇のながさ。

不知明鏡里。 何處得秋霜。
月明りのあかるい鏡の中の私の頭へ、いったい何処から秋の霜がふってきたのか、わたしにはさっぱりわからない


 「白髪三千丈」の詩は、秋浦歌十七首中の代表作としてしばしば取り上げられる作品で、唐詩選の中でも目を引く秀作である。
 この詩は李白が老いたことを感嘆しているような解釈もあるが、この詩のテーマは愁いなのである。唐王朝の中には私利私欲の奸臣だらけで、奢侈と大敗で天下の道理が正道でなくなってきた。欲のあるものが国を操り、賢人は隠遁していく。天子が聖人を引き上げていくことが全くなくなってしまった。その結果、安禄山の叛乱を引き起こしてしまった。


 水軍参加で、誰もが思うことはもう少し若ければと思うものである。青雲の志は若い自分の表現である。表現は歳を重ねて抜群である。心に秘めたものをさりげなくいっているのである。それをいやまだまだこれからだという表現をしないで、自分の心は前を向いてこれから戦に向かう、鏡の中の自分の頭を見ると凍えた川を進んでいく間に霜がのっただけなのだ。その十四句を受けているのである。



 

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秋浦歌十七首 其十四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集258/350

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安禄山の叛乱に対し、冬にかけて洛陽に攻め上ろうということを詠ったものである。表向きの意味は、村の銅の精練作業とだぶらせている。


秋浦歌十七首其十四

爐火照天地。紅星亂紫煙。

赧郎明月夜。歌曲動寒川。





秋浦の歌十七首 其の十四

炉火(ろか)  天地を照らし、紅星(こうせい)  紫烟(しえん)を乱す。

赧郎(たんろう)  明月の夜、歌曲(かきょく)  寒川(かんせん)を動かす。


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秋浦歌十七首 其十四現代語訳と訳註
(本文) 其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。


(下し文) 其の十四
炉火(ろか)  天地を照らし、紅星(こうせい)  紫烟(しえん)を乱す。
赧郎(たんろう)  明月の夜、歌曲(かきょく)  寒川(かんせん)を動かす。


(現代語訳)
都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。しばらくしたら安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。


(訳注)其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。

都や各地で烽火が夜空を焦がした、ここ秋浦の街では精錬所の溶鉱炉が赤々と燃える。大空に火星が不思議なきらめきを示し不吉な予感である。安禄山が反乱を起こし、しばらくして天子の宮殿を攻め落としたそうだとわかった。
○炉火 秋浦は唐代には銀と銅の産地であった。それらの原鉱をとかす熔鉱炉の火。ということと、都や各地で烽火があがること挿す。○紅星 五行思想では火星を示し、熒惑守心(熒惑心を守る)といい、不吉の前兆とされた。「心」とは、アンタレスが所属する星官(中国の星座)心宿のこと。


五行
五色青(緑)玄(黒)
五方西
五時土用
節句人日上巳端午七夕重陽
五星歳星(木星)螢惑(火星)填星(土星)太白(金星)辰星(水星)

宣城のことを紅星と表現したとも考えられる。そうすると秋浦の近くで烽火があり夜空を焦がしてもおかしくない。○紫煙 天子の宮殿の厳かな香による霞。天子の宮殿。


赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
安禄山は洛陽で滅んだ周の赧王のようにまもなく滅びる運命をもっている、永王軍に参加した心配しおそれ顔の男が月に明るく照らされる静かな夜だ。ここに集結した永王水軍の兵たちは戦に向かう歌を唄って、凍えそうな川を進んでいく。
○赧郎 心配し畏れながらの表情を顔に浮かべる男。 ・ 心配しおそれる。赧は周朝の第37代の王最後の王を示し、洛陽で最後の王であった。
赧王(たんおう)は、周朝の第37代の王最後の王。慎靚王の子。在位期間は59年であり、周朝における最長在位の君主であった。在位中は周王室の影響力はわずかに王畿(現在の洛陽附近)に限定されるようになっていた。李白はこのことを「安禄山畏れるに足らず」とかんがえた。


愚訳(この訳では語句の働きが全くないこのような詩は子供の時でもない。物語性もない。)
炉の焔は  天地を焦がし
煙のなかで 火花がはじける
明月の夜に 火に照らされる男たち
その歌声が 冷たい川に轟きわたる

其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。



解説
通常の解釈をしたのでは、面白くもなんともない愚作になってしまう。李白が、この秋浦の歌の時だけ、普通の歌人のようになってしまったのだろうか。20年も若い時の詩と同次元の解釈をしたのではおかしい。李白が永王鄰の幕下に入るまでの約2年杭州から九江、廬山の間を行き来している。756年12月永王軍に参加しているその間安全な連絡方法はこの秋浦の歌であるとしたら非常に興味深い詩がたくさん出てくる。このブログはその可能性を追求している。通常、李白の詩の中での秋浦の歌十七首は其十五の「白髪三千丈」とつけた詩みたいに其一、其二が紹介される程度である。其四から其十四までは、関連性が尻切れトンボのように解釈され、ぐさくあつかいがほとんだている。この詩は全体を756年の秋に作ったものか、加筆をされたものである。十三、十四は驚くような意味に展開したのである。


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秋浦歌十七首 其十三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -257/350

秋浦歌十七首 其十三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -257/350


秋浦歌十七首其十三
淥水淨素月、月明白鷺飛。
郎聽采菱女、一道夜歌歸。

 
       

秋浦の歌 十七首 其の十三

(ろくすい) 素月(そげつ)(きよ)らかに、

月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。

(ろう)は聴く  菱(ひし)を採()る女、

一道(いちどう)  夜に歌いて帰る。


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秋浦歌十七首其十三 現代語訳と訳註
(本文) 其十三

淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。


(下し文) 其の十三
淥水(ろくすい)  素月(そげつ)浄(きよ)らかに、月明らかにして白鷺(はくろ)飛ぶ。
郎(ろう)は聴く  菱(ひし)を採(と)る女、一道(いちどう)  夜に歌いて帰る。


(現代語訳)
この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍をしめし、藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)


(訳注)
淥水淨素月、月明白鷺飛。

この平天湖すみきった水面に白く輝く月の影を映してさらに清らかにしてくれる。月明かりは真昼のように照らすので白鷺は飛んでいる。
淥水 すみきった水。平天湖をしめす。其十二参照。○素月 しろい月。

淥水=白 素=白 月=白 、月=白 明=白 白鷺=白 ここで一句に3つの白、聯で6つの白を挿入している。まず起句から、淥水は透明な水昼は緑に見え、夜は黒で、月明かりで白ある。素月は霜月で澄み切ったもの、汚れていないものをいう、それをさらに清らかにする。そういう景色とはどんな景色なのか?承句の白鷺は常識的にはつがいもしくは複数でいるもの。そうであればたくさんの白があることになる。しかし、白鷺が夜飛ぶのか?飛ばない。これも不思議な光景である。


郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
こんな美しい光景の中に叛乱軍の慰安婦が大勢いるのだ、明るいから少しは恥ずかしさはないのか、なんの臆面もなく一本道で道すがら、一緒に唄いながら歩いている。(しかし白鷺は永王軍で藩鎭諸侯も永王軍にすり寄る。)
 男。ここでは叛乱軍の兵士。○採菱 菱の実(食用)をつみとる。慰安婦を示す。〇一道 ひとすじの遺。あるいは「みちすがら」という意味? 

 転句において男女が出る、この時代の菱摘みは食料用のはず、そして、沼地である。水に浮いて育ち、水面一面に葉が敷き詰められたような景色である。李白の『蘇台覧古』『越女詞』『淥水曲』などと違っている。結句では道すがら詠って帰るのである。

絶句として、起承転結、李白は、まず、景色の面白さをうたい、清らかなものがさらに清らかであう一転、採菱女と男が道で詠いながら帰っていく景色のギャップを詠ったのだ、夜飛ぶはずのない白鷺が飛び、月が明るいと男女は何もできないはずが堂々と歩くという、この詩は李白の詩の面白さだけなのだろうか、次々と疑問が湧き出てくるのである。ここまで疑問を持っているのは文献を探してもなかなか見つからない。

 秋浦の歌十七首全体不思議なものが多いのであるが、作時を756年秋に設定すると詩における不可解な点はすべて謎は解けた。

 ここでも、李白は安禄山に協力する潘鎮の兵士からマークされていたのだろう。したがって、異民族の文か。漢民族ではしないこと、中国人の奥ゆかしさがなく、平気でやれる民族性を秋浦のうつくしい自然の中に不思議な出来事があると詩の中に織り込んだと考える。


李白『蘇台覧古』では菱歌と月の表現が見える
旧苑荒台楊柳新、菱歌清唱不勝春。
只今惟有西江月、曾照呉王宮裏人。


李白が中国四大美人の一人と呼ばれる西施をうたっているが俗説では絶世の美女である彼女にも一点欠点があったともいわれており、それは大根足であったとされ、常にすその長い衣が欠かせなかったといわれている。逆に四大美女としての画題となると、彼女が川で足を出して洗濯をする姿に見とれて魚達は泳ぐのを忘れてしまったという俗説から「沈魚美人」と称された。それを踏まえて、越女詞の天真爛漫な純真な美しさをうたった。

越女詞其一 李白
長干吳兒女,眉目豔新月。
屐上足如霜,不着鴉頭襪。
長干の呉の娘は、眉目麗しく星や月にも勝る
木靴の足は霜の如く、真白き素足の美しさ

越女詞 五首 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。
東陽生まれの素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
月が沈まないので、わけもなくせつない思いにくれている。
○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。〇白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。○肝腸 きもとはらわた


淥水曲          
淥水明秋日、南湖採白蘋。
荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。
(下し文) 
淥水曲(りょくすいきょく)
淥水秋日(しゅうじつ)に明らかに
南湖  白蘋(はくひん)を採る
荷花(かか)  嬌(きょう)として語らんと欲す
愁殺(しゅうさつ)す舟を蕩(うご)かすの人
淥水は、澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。「白蘋」は水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。「南湖」という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。「愁殺」の殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。


 以上みたように、男女を詠いつつもどこかに、気恥ずかしさ、奥ゆかしさを感じさせるものである。
 しかし秋浦の歌十三の男女には、秋浦の美しい自然の景色の中で何の臆面もなくそれに及ぶような雰囲気はどこかに違和感を生じるものであり、異民族の風習ということにはなりはしないか。


其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
すみきった水にきよらかに、しろい月が浮ぶ。月明りのなかを、白さぎが飛ぶ。
男はじっと聞いている。菱採り女の歌声に聴きほれて
夜道をいっしょに  歌って帰る


秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350





秋浦歌十七首其十二

水如一匹練。此地即平天。

耐可乘明月。看花上酒船。

 



秋浦の歌十七首 其の十二

水は一匹の練(れん)の如し、

此の地 即ち 平天(へいてん)なり。

()く  明月に乗じて、

花を看るには 酒船(しゅせん)に上る可し。

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秋浦歌十七首 其十二 現代語訳と訳註
(本文)  其十二

水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。



(下し文) 其の十二
水は一匹の練(れん)の如し、此の地  即ち 平天(へいてん)なり。
耐(よ)く  明月に乗じて、花を看るには  酒船(しゅせん)に上る可し。

 (現代語訳)
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。


(訳注)
水如一匹練。 此地即平天。
永王軍により、蜀からこの地、すなわち平天湖あたりまで平定されたので、長江は、ゆっくりとはるか遠くまで流れゆく水面一疋の練り絹のように穏やかである。
 織物二反を単位として数えることば。○ ねりぎぬ。灰汁などで煮てやわらかくした絹。白く光沢がある。○平天 天に平らかに連なっているという意味と、平天湖という湖をしめす。この湖は池州の西南3kmほどのところにあり、斉山の麓にあって清渓に通じていたのではないだろうか。

耐可乘明月。 看花上酒船。
戦いを進めて長安奪還するには今夜の明月にのっていくことべきであろう、そうすれば花のさくころには都で花見ができるだろう、そして攻め入った戦艦は酒の宴の船になることだろう。
耐可 当時の口語。「能可」「寧可」とおなじ。むしろ……すべし。長江に映る明月にのる、つまり船団に乗り込み攻め入ったらよいのではないか。長江の支配権は永王銀が抑えたのだ夏から秋にかけ、安禄山討伐の募集をかけて集結してきた諸侯により、数万の軍団になったのである。


(解説)
長江にあった叛乱軍を詩題に追い詰め、蜀から金陵あたりまで、永王軍が一気に抑えた。実際には、玄宗皇帝が長江中流域の荊州、江陵から金陵付近の潘鎮諸公が永王軍に集結して恭順をあらわしたため闘う前で、平定されていったのである。
 粛宗は北の霊武から南下して長安洛陽を奪還する。永王は水路、蜀から東征し、金陵から北上して運河を都まで攻め入ること、この作戦を詩にしたものではないだろうか。李白は、この詩の段階ではまだ永王軍に参加しているわけではないので、漠然とした様子を詠ったのである。



通常の解釈
川の水はちょうど一疋のねりぎぬのように、良くのびて、白く光っている。ここは天に平らかに連なっている。
いっそのこと、明月にのぼって、花をながめ酒の船にのりたいものだ。
(多くの本、WEBでも大方上のような解釈である、これは大きなパズルの一個を取り出して、そのなかにあがかれているものだけを見ているから、意味不明になる。この秋浦の歌十七首、こじつけか意味不明の解釈ばかりである。)



 

秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-255/350



秋浦歌十七首其十一

邏人橫鳥道、江祖出魚梁。

水急客舟疾、山花拂面香。

 


 


秋浦の歌十七首 其の十一

邏人(らじん)  鳥道(ちょうどう)に横たわり、

江祖(こうそ)  魚梁(ぎょりょう)に出()ず。

水急にして客舟(かくしゅう)(はや)く、

山花(さんか) 面(おもて)を払って香(かんば)し。
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秋浦歌十七首 其十一 現代語訳と訳註
(本文) 其十一
邏人橫鳥道、江祖出魚梁。
水急客舟疾、山花拂面香。


(下し文) 其の十一
邏人(らじん)  鳥道(ちょうどう)に横たわり、江祖(こうそ)  魚梁(ぎょりょう)に出(い)ず。
水急にして客舟(かくしゅう)疾(はや)く、山花(さんか)  面(おもて)を払って香(かんば)し。


(現代語訳)
叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。


(訳注)
邏人橫鳥道、江祖出魚梁。

叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
邏人(らじん)  安禄山の叛乱軍の憲兵・邏 見まわる。巡察する。「邏卒/警邏・巡邏 羅叉とする訳本がある「人」が「叉」の写し間違いだという、そして無理やり羅叉石としている。それは間違い。○鳥道 大空の鳥のとぶ道。○魚梁 やな。川で魚をとる仕掛け。川での検問。反乱軍の検問は盗賊のような検問だったという。


水急客舟疾、山花拂面香。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。
山花 木の実の山椒のこと。刺激臭のある木の実を指すから、やはり元来中国語の輸入されたもの。昔の日本人もまさか山椒魚が魚で無い事はわかっていた




ここまでの秋浦の歌其五から其十一 五言古詩として見ていくと物語性が出てくる。
秋浦多白猿。超騰若飛雪。
牽引條上兒。飲弄水中月。」
愁作秋浦客。強看秋浦花。
山川如剡縣。風日似長沙。」
醉上山公馬。寒歌寧戚牛。
空吟白石爛。淚滿黑貂裘。」
秋浦千重嶺。水車嶺最奇。
天傾欲墮石。水拂寄生枝。」
江祖一片石。青天掃畫屏。
題詩留萬古。綠字錦苔生。」
千千石楠樹。萬萬女貞林。
山山白鷺滿。澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。猿聲碎客心。」
邏人橫鳥道。江祖出魚梁。
水急客舟疾。山花拂面香。」

#5
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行った酒を喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。ひどい秋になったものだ。
#6
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった謝霊運、王羲之。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
#7
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。

#8
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。
#9
その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。
石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。
(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。 空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。山公のように普段は飲んだくれていてもここはやるときなのだ)

派手な色をした千本のシャクナゲが植えられてそれが千か所続いている。地味だが守り抜く万本のネズミモチの木が植えられ、それが万か所続いているという。
#10
山は連綿と続き白鷺があふれている、谷という谷にまでここ秋浦には安禄山叛乱軍の異民族の兵士の白猿が民謡を吟じているのだ。
永王の君はこの秋浦に向かってきてはいけない、野蛮な猿がせっかくの旅心を砕いてしまうことだろう。

叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江に箭な量のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。
#11
叛乱軍の憲兵は鳥道と呼ばれるようなところまで検門している。雄々しく流れる長江にヤナ猟のように出没して検問している。
水の流れの急なうちに旅人は船を疾風のように走らせるのだ。憲兵たちは山椒の様なものを顔に付け香を放っていた。



秋浦の歌 其十二につづく。



秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350


秋浦歌十七首其九

江祖一片石、青天掃畫屏。
題詩留萬古、 綠字錦苔生。
 
      
秋浦の歌 十七首 其の九
江祖(こうそ) 一片の石、青天(せいてん)  画屏(がへい)を掃(はら)う。
詩を題して万古(ばんこ)に留(とど)むれば、緑字(りょくじ) 錦苔(きんたい)を生ぜん。
宮島(1)


秋浦歌十七首 其九 現代語訳と訳註
(本文) 其九

江祖一片石。 青天掃畫屏。
題詩留萬古。 綠字錦苔生。


(下し文) 其の九
江祖(こうそ) 一片の石、青天(せいてん)  画屏(がへい)を掃(はら)う。
詩を題して万古(ばんこ)に留(とど)むれば、緑字(りょくじ) 錦苔(きんたい)を生ぜん。


(現代語訳)
その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。

石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。)

(訳注)
江祖一片石、青天掃畫屏。

その石は大空に届くかのように大きな画屏風のようであっても、長江の流れは昔も今も大きな河川として流れていることは天の理であり、変わることのないものだ、どんなにりっぱな人格者といわれても一片の石は石なのだ。
○江祖 秋浦の町の西南にある。大きな石が水際に突立ち、その高さ数丈、江祖石と名づける、といのが従来の解釈であるが、襄陽歌の「襄王雲雨今安在、江水東流猿夜聲。」江水東流という思想のことを示す語である。古来より川の流れは流れ去るもので、歳月等の時間で一度去って再び帰らないものである。・東流:東に向かって流れる。東流するのは中国の川の通常の姿であり、天理でもある。古来、時間の推移を謂う。○一片石 李白『襄陽歌』「君不見晉朝羊公一片石、龜頭剥落生莓苔。」(君は見ないか。あの立派な人格者の晋の羊公でさえ、いまは一かけらの石じゃないか。台石の亀の頭は、むざんに欠け落ちてしまって、苔が生えるじゃないか。) ・君不見:諸君、見たことがありませんか。詩をみている人に対する呼びかけ。樂府体に使われる。「君不聞」もある。そこで詩のリズムが大きく変化する。 ・晉朝羊公一片石: 晉朝 (西)晋。265年~419年。三国の魏に代わり、265年権臣司馬炎が建てた国。280年、呉を併せて天下を統一したが、八王の乱で、匈奴の劉曜らによって316年に滅ぼされた。 ・羊公 呉と闘った西晋の名将・羊のこと。山を愛し、善政をしたため、羊の没後、民衆は羊が愛した山を望むところに石碑を築いた。 ・一片石 羊の石碑。前出の堕涙碑(紫字部分)のこと。 ・龜頭:石碑の土台の亀の頭。石碑の土台部分は亀のような形をして、甲羅に碑を背負っている形になっている。あの亀のような動物は想像上のもので贔屓〔ひいき〕という。 ・剥落:剥げ落ちる。 ・莓苔:〔ばい〕こけ。○画屏 画にかいたびようぶ。


題詩留萬古。 綠字錦苔生。
石に詩をかきつけて万古に留めようとするのだが、字が緑色になり錦の苔が生えてしまう。(ここで其七の「醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。」
とつながってくるのである。)
○題詩 石に詩をかきつけること。○萬古 これからさきのこと。遠い将来から今を見るという表現。 ○綠字 苔によって緑色になる。詩碑ができた時だけであとは誰も管理するものがいなくて放置されることを言う。○錦 皮肉表現で詩碑ができた当初は金か漆で文字を塗るが、誰もいなくて苔の錦となる。○苔生 苔、草木に覆われるさまをいう。
 これも襄陽曲其四に「涙亦不能爲之墮、心亦不能爲之哀。」
「涙を堕す碑」とよばれるのに、涙さえおとすことも出来ない。心もかれのために、かなしむことが出来ない。
・亦:…もまた。・不能:…ことはできない。・爲:…のために。 ・之:(古びてしまった)羊の堕涙碑。・墮:(涙を)落とす。・哀:哀しむ。
襄陽曲其四
且醉習家池。 莫看墮淚碑。
山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。


(解説)
 李白は儒教者のように見た目からの人格者というものに少しの憧れをもっていなくて、山簡のように子供に笑われていてもしっかりとして清談をしていた。学問をどんなにしていてもそれを表に出さず、いざという時には必ず役に立てられるものだ。いい君主に出会って登用された時は役割を立派に果たす。若い時に夢を抱いて述べることは誰でもするが、秋浦歌其四「猿聲催白發。 長短盡成絲。」とあるように55,56歳の白髪になって云うにはそれなりの理由、すなわち、永王の軍にはせ参じること決意したに他ならない。

秋浦歌十七首 其八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集252/350


秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集252/350



秋浦歌十七首其八
 

秋浦千重嶺、水車嶺最奇。

天傾欲墮石、水拂寄生枝。



秋浦の歌 十七首 其の八

秋浦 千重(せんちょう)の嶺(みね)

水車 嶺(みね)は最も奇なり

天傾いて石を堕(おと)さんと欲し

水は 寄生(きせい)の枝(えだ)を払う


現代的下し文
千重にも連なる秋浦の峰
なかでも水車嶺は その嶺は特別いいのだ
天は傾いて 岩が落ちてくるかと見え
水は宿り木の枝を払って流れてゆく
(通常の解釈はこの読みのとおりである)

DCF00213


紀 頌之の異訳
秋浦歌十七首其八 現代語訳と訳註
(本文)

秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
天傾欲墮石。 水拂寄生枝。

(下し文) 其の八
秋浦 千重(せんちょう) 嶺(みね)、水車  嶺最 奇なり。
天 堕石を欲して傾く、水は 寄生枝を払わん。


(現代語訳)
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。


(訳注)

秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
秋浦にきてからはるかに連なる峰の道よりいろんな異民族の部隊が出た。水軍と兵車を要した永王の軍が最も期待されるのだ。
千重嶺 千の数ほど山道が重なる。○水車 浙江省 杭州 桐廬県 水車嶺、というのが通説であるが、水車嶺と秋浦と間に黄山があり、200km以上離れており、場所的に無理があるということ、水車はこの山ではなく水軍と兵車というように考えられる。○嶺最奇 山脈として最もすてきなものである


天傾欲墮石。 水拂寄生枝。
天下はこのため不穏になり、王朝も転覆させようとして反乱を起こし、唐王朝は傾いた。永王の軍でもって、天下を揺るがす叛乱軍を追っ払っていくのだ。
 天下。唐国家。○ 傾国。○墮石 安禄山の叛乱。○ 永王の水軍。○寄生枝 反乱軍に抑えられた領地を示す。


秋浦の水辺には山が迫っていて、幾重にも連なる峰が見える。なかでも水車嶺は岩が倒れかかってくるように聳えており、その横を岩に寄生している木の枝を払うようにして水が流れていると詠う。李白は小舟で川を下っていることになる。
通上の解釈では、突然、愁いも故事もなくなり、抒情詩に変わることになる。それに加え何ら関係のない、一度も李白の詩に登場していない水車嶺という場所が出てくるのである。特に七首の詩がおかしくなってしまう。私の訳を通して読んでみたら李白の心の動きがよくわかる。振り返って、秋浦の歌十七首のそれぞれの語をみてみよう。
其 一 秋浦 長秋 人愁 客愁 大樓。
 長安 江水流  江水 淚 揚州。
  
其 二 秋浦 猿 夜愁  黃山 白頭
 清溪 隴水 斷腸 薄游 久游。
 雨淚 孤舟
  
其 三 秋浦 錦駝鳥
 山雞 淥水
  
其 四 兩鬢 秋浦 一朝 
 猿聲 白發 長短 成絲。
  
其 五 秋浦 白猿 飛雪
 上兒 水中月。
  
其 六 愁 秋浦客 秋浦花
 山川 剡縣 風日 長沙
  
其 七 山公馬 寧戚牛。
 白石爛 淚 黑貂裘
  
其 八 秋浦 千重嶺  水車 嶺最奇。
 天傾 墮石 水 寄生枝。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。

(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。

(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。


其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。

(下し文) 其の七
酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。
空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)。

(現代語訳)
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集251/350


秋浦歌十七首 其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。


秋浦の歌十七首 其の七

酔うて上る 山公(さんこう)の馬

寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛

空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば

泪は満つ 黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)

李白の足跡5


秋浦歌十七首 其七 現代語訳と訳註
(本文)
其七
醉上山公馬、寒歌甯戚牛。
空吟白石爛、淚滿黑貂裘。
 

(下し文) 其の七
酔うて上る  山公(さんこう)の馬、寒歌(かんか)するは  寧戚(ねいせき)の牛。
空しく白石爛(はくせきらん)を吟ずれば、泪は満つ  黒貂(こくちょう)の裘(かわごろも)。


(現代語訳)
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。


(訳注)
醉上山公馬。 寒歌甯戚牛。
酔った時には、山簡のように馬に乗ってふざけてみるのは賢人であることを示している。寒い時には、甯戚のように、牛の角をたたいて貧乏をうたうと名君が見出してくれるかもしれない。
山公 西晋の山簡のこと。荊州の知事として湖北省の荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。山簡は泥酔しているのではなく、この時、談義はしているのである。竹林の七賢人の山濤の子であり、山簡はそのような儒教的・既成の倫理観を捨て, 外聞を気にせず, 己に正直にして自由にふるまった。李白が山簡を詠い讃える重要な点である。李白は儒教的価値観に徹底的に嫌気を示している。山簡を象徴的に詠うのである。○甯戚 春秋時代の斉の国の人。生活に困っていた時に、牛の角を叩きながら「牛を飯う歌」をうたって、自分の貧窮と希望とをのべた斉の桓公がそれを聞いて大臣にしたという。道教でいう名君を示す。

空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。
しかし、「白い石があざやかなりー」と歌ってみても、自分を用いてくれる度量の君王がいない。蘇秦のようにボロボロになった黒貂の皮ごろもに、涙がいっぱいになる。
白石爛 寧戚の歌の中の文句。白い石がぴかぴか光る。爛1 ただれる。くさる。やわらかくなってくずれる。「爛熟/糜爛(びらん)・腐爛」 2 あふれんばかりに光り輝く。あざやか。「爛然・爛漫・爛爛/絢爛(けんらん)・燦爛(さんらん)」 ○黑貂裘 黒いてん(いたち科の動物)の皮ごろも。戦国時代の論客、蘇秦が、秦の王にまみえて自分の説を進言したが、十回進言して用いられず、その時、蘇秦は非常に困窮して黑貂裘皮ごろもはボロボロだし、黄金百斤はなくなっていた。「戦国策」に見える話の故事を用いる。
名君といわれた桓公の故事を例にとっているのだが、李白はその桓公の背後に魯仲連の存在なくして語れないものであること、李白は、永王鄰のもとに走ることを示唆した詩ではなかろうか。


 
 其の七の詩に「秋浦」という言葉を使わなくて、山簡、甯戚、蘇秦を用いることで、自らの決意をあらわしたかった。したがって、場所と時を示す「秋浦」を使う必要がなかったのだ。李白は、他のどんな詩人より山公(山簡)を例に用いた。「山公馬」というのが特に好んだ。
 李白は、儒教に嫌気がしていたことについては多く詠っている。

寧戚牛というのは春秋斉の桓公時代の説話で、斉に仕えたいと思った寧戚が、斉都臨淄の城門外にたどりついて野宿をした。すると、桓公が門から出てきた。そこで寧戚は連れていた牛に飼い葉をやりながら牛の角をたたいて歌をうたった。その歌が「白石爛」で、それを聞いた桓公は寧戚を上卿に取り立てたという。桓公は名君といわれた。それだけの眼力があったということであるが、太公望の故事と並べて語られる。李白は、嘗て太公望のようにして朝廷に迎えられたしかし、朝廷を追放されたので、こんどは、寧戚を例にとったのだ。
 李白は空しく「白石爛」を吟ずるのだが、名君に認められることもなく「泪は満つ 黒貂の裘」と詠う。 

李白50 襄陽曲四首
其二
山公醉酒時。 酩酊高陽下。
頭上白接籬。 倒著還騎馬。

山簡先生はいつもお酒に酔っている、酩酊してかならず高陽池のほとりでおりていた。
あたまの上には、白い帽子。それを逆さにかぶりながら、それでも馬をのりまわした。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は「世説」にある。 ○高陽 嚢陽にある池の名。 ○白接離 接寵は帽子。

山公 酒に酔う時、酩酊し 高陽の下
頭上の 白接籬、倒しまに着けて還(また)馬に騎(のる)

詠懐詩  阮籍
夜中不能寐、起坐弾鳴琴。
薄帷鑒明月、清風吹我襟。
孤鴻號外野、朔鳥鳴北林。
徘徊将何見、憂思独傷心。

酒を飲む場所が、酒場でなく野酒、竹林なのは老荘思想の「山林に世塵を避ける」ということの実践である。お酒を飲みながら、老子、荘子、または王弼の「周易注」などを教科書にして、活発な論議(清談、玄談)をしていた。談義のカムフラージュのためである。
この思想は、子供にからかわれても酒を飲むほうがよい。峴山の「涙堕碑」か、山公かとの選択(李白襄陽曲四首)につながっていく

 仙人思想は、隠遁を意味するわけであるが、宗教につてすべての宗教上のすべてのこと、すべての行事等も、皇帝の許可が必要であった。一揆、叛乱の防止のためであるが、逆に、宗教は国家運営に協力方向に舵を切っていったのである。その結果道教は、不老長寿の丸薬、回春薬を皇帝に提供し、古苦境にまで発展したのである。老荘思想の道教への取り込みにより道教内で老境思想は矛盾しないものであった。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350


秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其六  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集250/350

李白の詩の中でまともに解釈されていない詩のひとつである。さらっと読んで行ってもすぐ解釈できるが、何か引っかかる詩なのである。裏の裏の意味があるのか、暗号なのか、不思議な詩なのである。



其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


愁えて秋浦の客と作()り、強()いて秋浦の花を看()る。

山川(さんせん)は  (せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は 長沙(ちょうさ)に似るに。




秋浦歌十七首 其六 現代語訳と訳註
(本文) 其六

愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。


(下し文)
愁えて秋浦の客と作(な)り、強(し)いて秋浦の花を看(み)る。
山川(さんせん)は  剡県(せんけん)の如く、風日(ふうじつ)は  長沙(ちょうさ)に似るに。


(現代語訳)
国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。



(訳注)
愁作秋浦客。 強看秋浦花。

国の危機に対して愁をいだきながら旅人となって秋浦に来た、そこに尋ねてきてくれた人がいる。二人は話し合い秋浦の花を見たのである。
 初句はじめに使うことは珍しい。安史の乱はすべての人にとっての愁いである。秋浦を上句と下句に使って強調している。○秋浦花 強いてみる花とは、李白にとって、美人である。あるいは女よりもっといいこと。

  愁 作 秋浦 客 = 愁秋浦・・・・作秋浦・・・・秋浦客
  強 看 秋浦 花。= 強秋浦・・・・看秋浦・・・・秋浦花


秋浦について:
① 安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。銭塘江の最上流にある。しかし長江にもすぐいける。
② 長沙と剡渓の中間に位置する。
③ 隠遁という意味でなく敵から逃避し、隠れたのではないかと思うところ。
④ 安禄山の叛乱を示唆する語。(秋:秋、浦:謀叛)



山川如剡縣。 風日似長沙。
山と川のように立ち上がり行動する、隠遁していた剡県地方から立ち上がった。風と日の光のように悔しい思いを胸に秘めて命を絶った屈原の長沙での生き方を選ぶべきなのか。どちらにするか思案している。
剡縣 浙江省剡県。町の南に剡渓があり、両岸の景色がうつくしく、六朝時代にはことに人びとに愛貸された。謝霊運、王羲之に李白自身を映したのであろう。
長沙 唐時代の長沙郡をさす。帯湘、洞庭などの名勝がすべて郡内にある。同時に長沙は、屈原を連想させる。



1 秋浦歌十七首 其六 について

 李白は自分の書いた詩を違った形で詠いあげるということが多い。その視点からこの詩を見ると、この詩に近いイメージの詩は、「贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊」ということになる。この形をとることによって、詩に味わい深さを増すのである。

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229


贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊
昔別黃鶴樓、蹉跎淮海秋。
俱飄零落葉、各散洞庭流。』
中年不相見、蹭蹬游吳越。
何處我思君、天台綠蘿月。』
會稽風月好、卻繞剡溪回。
云山海上出、人物鏡中來。
一度浙江北、十年醉楚台。
荊門倒屈宋、梁苑傾鄒枚。』
むかし黄鶴楼に別れ、蹉跎(さた)たり 淮海(わいかい)の 秋。
ともに零落の葉を飄(ひ るがへ)し、おのおの洞庭の流に散ず。』
中年あい見(まみ)えず、蹭蹬(そうとう) 呉越に遊ぶ。
何の処かわれ君を思う、天台 緑蘿(りょくら)の月。』
会稽 風月好し、かえって剡溪(えんけい)を繞(めぐ)って廻(かへ)る。
雲山 海上に出で、人物 鏡中に来る。
ひとたび 浙江を度(わたり)て 北し、十年 楚台に酔う。
荊門に屈宋を倒し、梁苑には鄒枚を傾く。』

昔、君と別れの酒を酌み交わしたのは黄鶴楼だった、なかなか別れがたく、ぐずぐず過ごした淮海の秋がとても懐かしい。
お互いに放浪の身で、枯葉のように疲れ切っていた、 だけど 各々分散する洞庭の流のようにわかれたのだ。』
暫くの間、お互い音信不通であったのだ、これといった目標がないままに江南地方で遊んだ。
それでもどこにいても私は君のことを考えていた、緑の蔦のおい茂る天台山に登って月影をあおぎながら。』
会稽地方はさわやかな風、すばらしい月が印象的なところだ。 中でも剡溪の辺りは。気に入ったので何回も廻りまわった。


2.秋浦歌十七首 其六 について 

 一般的な解釈は次のとおりである。
 この詩には「秋浦」が二回も出てきて、しかも対句になっている。転結句は複雑な感情を五言絶句という短い詩形に押し込めているので、すこし分かりにくい。

秋浦の山川風日が剡県や長沙のように美しく似ているのに、それを愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでないと言っていると解するべきである。


 このうえのような解釈では、①なぜ愁いなのか、何に対して愁いなのか。②なぜ強いるのか、なぜ強いたのか。③秋浦の花とはなんなのか。
「愁えてみる、強いてみるというように心から楽しめない感情を述べている。なぜなら、それは剡県や長沙を訪れたころはまだ若く希望に燃えていたので、虚心坦懐に風物に没入できたのに、いまはそうでない」
初めの2句の説明、解釈にはなっていない。

結論をいうと
① 愁いは国へのの愁いということである。李白は長安での宮廷内のみならずかなり知れ渡った「謫仙人」であった。だから、叛乱軍に掴まると危ない。国のために何かおこしたいが何もできない。それを「憂い」ているのだ。
② 強いたのは、尋ね人があったのだ。李白はもう第一線には立てないと自覚していた。情報を伝えに来て、花は咲かせないかもしれないが「看る」ことはできるかもしれない。
③ 秋浦の客は李白自身と来客であった。
その話し合いの中でで生まれた共通の決意。それが「花」なのだ。

 転結の句は李白の大好きな剡渓の景色、と同時に謝霊運、王之義は、隠遁していても、国の存亡の時その地から立ち上がった。長沙地方の風光明美と同時に、愁いをもって汨羅に身を投げた屈原の行動。秋浦の花は剡渓から立ち上がることを示すのである。



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秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集249/350



秋浦歌十七首其五
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


nat0022

現代語訳と訳註
(本文) 其五

秋浦多白猿、超騰若飛雪。
牽引條上兒、飲弄水中月。


(下し文) 秋浦歌十七首 其五      

秋浦の歌 十七首 其の五
秋浦  白猿(はくえん)多く、超騰(ちょうとう)すること飛雪(ひせつ)の若(ごと)し。
条上(じょうじょう)の児(こ)を牽引(けんいんし)し、飲みて弄(もてあそ)ぶ  水中(すいちゅう)の月。


(現代語訳)
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。


(訳注)
秋浦多白猿、超騰若飛雪。
秋浦のこんなところ伝説の盗賊白猿みたいなものが多くいる、突然大暴れをして略奪していく、それは雪が舞っているかのように襲っているのだ。
白猿 白猿伝説。六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)が南方遠征に派遣された時に、別将の欧陽紇(おうようこつ)も同様に南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。ところで彼には美人の妻がおり、白猿神のさらわれたことに関する故事、伝説にもとづくもので、安禄山に参画した盗賊に近い者たちという意味であろう。○超騰 とびはねる。突然大暴れをして略奪していく。


牽引條上兒、飲弄水中月。
木の枝の上から子猿を引っぱるように、女こともを連れ去っていく、持って行ったさけを喰らって、月影に美女相手にしてじゃれついている。なんて秋になったのだ。
牽引 引っぱる。○水中月 水に映るの月影。月は女性、水に映すほどの美人の女性。



(この詩の理解のために。)
通常の訳はつぎのとおり、
いま、秋浦には白い猿がたくさんいる。とんだりはねたりしている様子は、飛ぶ雪のようにみえる。
木の枝の上から子猿を引っぱってきて、谷川で水を飲みながら、水中の月影にじゃれている。

であるが、これではなぜ、白猿についてみれば意味不明になる。安禄山の兵士は、黄色隊、白隊、茶隊、帽子や、お面をつけていたという記述は多く残されている。  

杜甫「悲陳陶 杜甫 700- 152


また、白猿について、参考として読んでみると、李白のこの詩はこの伝説に基づいているのである。
六朝時代からある怪奇伝説「白猿伝説」六朝の梁の時代のこと。平南将軍の藺欽(りんきん)や別将の欧陽紇は南方の長楽の地を占領し、異民族の居住地を次々に平定していった。そのとき美人の妻を遠征に帯同していた。ある明け方に一陣の怪風が吹いたかと思うと、その時には妻は既にさらわれていた。

欧陽紇は血眼になって方々へ妻を捜し回り、数ヶ月後に岩窟の入り口が見つかった。その岩窟の門の前で、女たちが歌い合ったり笑い合ったりしていた。この岩窟は白猿神の住処であり、女たちはみな彼にさらわれて来たのだ。欧陽紇の妻もやはり同じように白猿神にさらわれたのであった。彼は岩窟に忍び込んで妻との再会を果たした。白猿神は不思議な力を持っていて、正面から戦いを挑めば百人がかりでも倒せない。


白い衣をまとい、美しいあごひげを伸ばした男が、杖をついて女たち従えながらやって来た。これこそが白猿神の変化した姿である。彼は犬が走り回っているのを見つけると、立所に捕まえてその肉を引き裂き、ムシャムシャと食べ始めた。満腹になると今度は女たちに酒を勧められる。数斗飲んだ所でふらふらになると、やはり女たちが介添えをして岩窟へと去って行った。そこで彼は部下と共に武器を手にとって入ってみると、正体を現した。

白猿神
が寝台に手足を縛られ、ジタバタともがいていた。欧陽紇と部下がその体を剣で斬りつけても、鉄か岩を打っているように傷ひとつ付かない。しかしヘソの下を刺すと、血が一気に吹き出てきた。白猿神は、「わしはお前にではなく、天に殺されたのだ。それにお前の妻はわしの子を身籠もっておる。だがその子を殺すでないぞ。偉大な君主に出会って一族を繁栄させるであろうからな!」と捨てぜりふを残して絶命した。

欧陽紇は白猿神の宝物を積み込み、女たちを引き連れて帰って行った。そして女たちをそれぞれ里に帰してやった。一年後に彼の妻は男の子を出産したが、その容貌はかの白猿神にそっくりであった。これが欧陽詢(おうようじゅん)である。その後欧陽紇は陳の武帝(陳覇先)に誅殺された。欧陽詢は父の友人・江総に匿われて難を逃れた。彼は成人してから書道家・学者として有名となり、隋に仕えた。また友人の李淵が唐王朝を立てると今度は唐に降り、高祖・太宗の二代に仕えた。

秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか

両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。

猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。


nat0022




 現代語訳と訳註
(本文) 秋浦歌十七首 其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。

(下し文) 秋浦の歌 十七首 其の四
両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。
猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。

(現代語訳)
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか



(訳注)
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。

安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
兩鬢 左右のおでこ生え際、もみあげ。洛陽と長安を比喩している。○入 入城する。陥落させる。○秋浦 銭塘江最上流の盆地のようなところ。今の安徽省貴池県。唐代では池州と呼ばれた。李白のこの秋浦歌十七首のはじめの詩、ほとんど各詩に必ず秋浦の語が挿入されている。(はいらないのは、7,9、10,11,12,13,14,15,17で安禄山の乱を感じ取れるもの) 、入っているのは、この詩のようにそう鬢を長安と洛陽と思わなければ、ただの抒情詩なのである。秋浦にはそのものの場所を示すことと、秋に叛乱した、秋は西を示すということで、安禄山の動向を心配している詩と考えて、抒情詩であると同時に李白は、乱の行くすえを案じている詩といえるのである。○一朝 ある朝。○颯已衰 一気におとろえた。両鬢に白髪が一気に増えてしまったように洛陽長安が一気に陥落して、国中大混乱であるという意味である。


猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか
猿聲 この猿は日本猿と違い手長猿で、啼き方に悲哀が籠って長く引っ張るように鳴く。悲しいこと寂しいことの代名詞である。と同時に、安禄山に媚を売って追随している諸侯を示す。○長短 白髪の長短。別に、安禄山への寝返りの強弱を示す。



(解説)
其の四の詩では「猿声」、中國の南辺に棲む手長猿の哀しい啼き声を歌うのは安禄山に迎合して、略奪をして行った潘鎮、諸侯が多くいたことを比喩したのである。叛乱後わずか1カ月足らずで洛陽が落ち、兵の数は数倍で圧倒的に王朝軍が強いはずで、早晩、おさまるものと誰もが思っていた。ところが半年後には、長安が落ちたのである。中國の二つの都が叛乱軍の手に落ちたので、情勢は一変し安禄山の側に寝返るものが増えたのである。日頃不満を持っていた者たちに多く見られた。そして大殺戮に加担したのである。。
 もし、李白が安禄山を支持するならこの詩に「秋浦」という語はなかったはずである。私は秋浦にいる。国家存亡のこの危機を心配している。李白はそう発信したかったのだ。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350


 秋浦歌は李白の人生への思いが込められているものである。その二で「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえ、また、李白自身が「古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181参照)で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っている。杜甫も出塞九首 其三 杜甫 で隴山のことを詠っている。
 先行き不安な時期に唄っている。現代人にとって「人生」を考えるにつけて、この頃の李白の詩は参考になるものが多い。


秋浦歌十七首其三

秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。

ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。


秋浦の錦(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。

山鶏(さんけい)  (ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。

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現代語訳と訳註
(本文) 其三

秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
山雞羞淥水、不敢照毛衣。



(下し文) 秋浦の歌 十七首  其の三
秋浦の錦鄞鳥(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。
山鶏(さんけい)  淥水(ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。


(現代語訳)
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。



秋浦歌十七首  其三 (訳注)
秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
錦軒鳥 錦の羽毛をもつダチョウ。


山雞羞淥水、不敢照毛衣。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。
山鶏 錦鶏(きんけい)。キジ科の鳥。自分の美しい羽毛の色を愛し、終日水に映して自分の影に見とれ、しまいに目がくらんで溺れ死ぬという。○淥水 みどりの水。澄んだ川や湖。

李白10  採蓮曲
淥水曲  李白 11

(解説)
 貴族、富豪のものは権力と資力により、美女を集めることができる。この頃の潘鎮は君王化していた。中央の王朝の命をも拒絶するものが出始めていた。贅を治めないものも出始め、これを抑えるため、節度使を設置したり、潘鎮同士を互いにけん制させることを行った。山鳥はまさに地方に君臨する潘鎮のことである。権力者はさらに強い権力者には弱いものであるということである。
 美人についてもいえる、上には上がいるということ、でもその最上級の美人であっても年老いて、その地位を後退せざるを得ないのである。
 李白は足かけ3年の朝廷生活で、権力者の頽廃ぶりを目にして、特に李林甫の末路を学習したのである。
一般論ではあるが、この詩の山鷄を李白自身のことと比喩しているとの解説を見かけるが、悲観的な見方であり、間違いである。
自分の人生光を、が、不安であるのではなく、この詩句にいうのは、王朝の行く末が不安なのである。野心はあっても欲がないのが李白である。杜甫とはすこし違った詩人の矜持を感じる。


望木瓜山 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -233

望木瓜山 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -233


朝廷追放を機に、李白は現実世界への強い不満と同時に、理想の世への強烈なあこがれを抱くにいたった。道士としての生き方の中に、世俗的な政治の世界での栄達を混入することの誤りに気づいたのだと思われる。自己の内なる世界に深く向き合うことを通して、彼は自己覚醒する。これ以後の李白は専一に仙界の日々を願うようになり、また深みのある山の詩を書くようになっていく。


望木瓜山
早起見日出。 暮見棲鳥還。
客心自酸楚。 況對木瓜山。


木瓜山を望む
早く起きて 日の出づるを見、幕に棲鳥の還るを見る。
客心 白のずから酸楚、況んや木瓜山に対するをや。

nat0022


望木瓜山 現代語訳と訳註
(本文)
望木瓜山
早起見日出。 暮見棲鳥還。
客心自酸楚。 況對木瓜山。

(下し文)木瓜山を望む
早く起きて 日の出る を見、幕に横島の還る を見る。
客心 自(おのずから)酸楚、況や木瓜山に対する をや。


(現代語訳)
毎日、朝早く起きて日の出を見て、日の暮れにねぐらにいそぐ鳥のかえってゆくのを見る。(おなじことをしているだけなのだ。)
でもその当たり前も、旅先にあるわたしの心は、自然とかなしくなり、そしてすっぱいものを食べたときの感覚になってくる。それというのは、すっぱい味を連想させる木瓜山を前にしては、なおさらのことだ。


(訳注) 望木瓜山
木瓜山 湖南省常徳県洞庭湖の西側に位置し、陶淵明の。桃源郷に近いところ。詩の雰囲気も陶淵明の雰囲気を持っている。もうひとつは、秋浦、いまの安徽省貴地県と、どちらにも木瓜山という山があり、ともに李白がよく遊んだところ。この詩はどちらなのか、わからない。


早起見日出。 暮見棲鳥還。
毎日、朝早く起きて日の出を見て、日の暮れにねぐらにいそぐ鳥のかえってゆくのを見る。(おなじことをしているだけなのだ。)
○ 榛鳥 ねぐらに帰る鳥。


客心自酸楚。 況對木瓜山
でもその当たり前も、旅先にあるわたしの心は、自然とかなしくなり、そしてすっぱいものを食べたときの感覚になってくる。それというのは、すっぱい味を連想させる木瓜山を前にしては、なおさらのことだ。
客心 旅人の心。○酸楚 すっぱい。つらい、かなしい。○木瓜 ばら科の落葉溶木。和名ボケ。実は形が小瓜のよう、味は酸味を帯びる。

木瓜00
                      木瓜の花                                                   木瓜の実



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陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202

陪従祖済南太守泛鵲山湖 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 202



陪従祖済南太守泛鵲山湖

水入北湖去、舟従南浦囘。

鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
遙看鵲山傳、却似送人来。

狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる


従祖済南の太守に陪し、鵲山湖に泛ぶ

水は北湖に入って去り、舟は南浦より回る。

遙かに看る 鵲山の転ずるを、却って人を送り来るに似たり。



陪従祖済南太守泛鵲山湖 現代語訳と訳註、解説

(本文)
陪従祖済南太守泛鵲山湖
水入北湖去、舟従南浦囘。
遙看鵲山傳、却似送人来。

(下し文)
従祖済南の太守に陪し、鵲山湖に泛ぶ
水は北湖に入って去り、舟は南浦より回る。
遙かに看る 鵲山の転ずるを、却って人を送り来るに似たり。

(現代語訳)
鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる。


(訳註)
陪従祖済南太守泛鵲山湖

従祖 祖父の兄弟。○済南 いまの山東省済南市。○太守 郡の長官。○鵲山湖 山東省済南市歴城区、とされているが鵲山確認できない。山の南に湖があるというが現在地は確認できていない。この詩は、舟遊びではなく、鳧猟をしたものであろう。

李白 済南

水入北湖去、舟従南浦囘。
鵲山から来る川が湖の北に流れ込んでいる。わたしの乗った舟は、湖南がわ川の合流点の浦のあたりをまわってから引きかえしてきた。
 湖に流れ込む川であるが。このあたりは北に黄河があるので、小さな川は北流している。○南浦 鵲山湖の南にある。川が流入するあたりに鴨がいる。


遙看鵲山傳、却似送人来。
狩猟を終えてはるかに目をやると、舟の位置の移動につれて鵲山が次々に位置をかえ、山がわれわれ人を送ってくれているように思われる。
 本来書き付けたものを次に伝えるという意味なので、伝えるにしたがって遠ざかるというイメージで捉える。


 


(解説)
山東省済南市歴城区のあたりで通ったものである。幽州からの帰りに立ち寄ったのか、行く前かは不明であるが。以前、杜甫と狩りをして歩いたのはもっと南の方である。
山東省済南市に大明湖と東湖というのがあって位置関係からして、唐時代この湖がつながっていてもおかしくない感じがする。黄河流域の下流地方であるから、おそらく湿地であったのではないか。詩の雰囲気は理解できる。

對雪獻從兄虞城宰  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白186

對雪獻從兄虞城宰  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白186


 李白は任城に「魯の一婦人」という女性を置いており、この女性は李白の三人目の内妻になる。李白と杜甫は任城の家に立ち寄ってから斉州に行ったと思われるが、斉州に着くと李白は道士になる修行をはじめ、道籙(どうろく)を受けるのだが、これには謝礼を必要とした。その金も玄宗の御下賜金で賄われた。この時、李白は道教にすがる思いもあったのではないだろうか。
 杜甫は道士になる気はないので、斉州の司馬として赴任していた李之芳(りしほう)のもとに身を寄せた。
李之芳のもとにいたとき、たまたま隣の青州(山東省益都県)の刺史李邕(りよう)が訪ねてきて、杜甫はこの著名な老文学者と知り合いになる。
 道士になった李白は任城の「魯の一婦人」のもとにもどって冬から翌天宝四載(745)の春過ぎまで一緒に過ごしている。夏のはじめに杜甫が斉州から訪ねてきて、二人は連れ立って任城一帯で遊ぶ。


しかし、李白の周辺は、都追放が人との付き合いに影響していたようだ。かく人情は軽薄にしてつねに反覆するものであることを歌い、世の風の冷酷さを李白はしみじみ感じている。また一方、生活はしだいに窮乏を告げてきた。長安を去るとき、天子から何ほどかの御下賜金があったはずであるが、もはや使い果たしている。
食糧のなかったことを、この貧しさに耐えかねて、従兄とする皓に訴えざるをえなかった。「雪に対して従兄の虞城の宰に献ず」はこの時の気持ちを詠っている。

對雪獻從兄虞城宰
昨夜梁園裏。 弟寒兄不知。
ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官を相手にしていた自分が、まだ名もなき頃義兄といって付き合っていた、たかだか県知事のところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
庭前看玉樹。 腸斷憶連枝。

朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。


對雪獻從兄虞城宰の訳註と解説

(本文)
昨夜梁園裏。 弟寒兄不知。
庭前看玉樹。 腸斷憶連枝。

(下し文)

昨夜梁園の裏(うち)、弟寒けれども兄は知らざらん。

庭前に玉樹を見、腸は断えて連枝を憶ふ。


ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官を相手にしていた自分が、まだ名もなき頃義兄といって付き合っていた、たかだか県知事のところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。

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對雪獻從兄虞城宰
從兄 裏陽の少府をやっていた皓であり、この時、虞城(河南省虞城県)の宰(地方長官)となっている。 ○虞城 虞城は今の河南省の東境で、山東省の単父(ゼンポ)の隣県になる。



昨夜梁園裏 弟寒兄不知
ほんの昨夜まで、朝廷(魏の宮廷の梁園)で大官であった自分が、名もなき頃義兄といってつきあっていた、たかだか県知事ところへ逗留するとは、人情にも、懐にも寒さを感じておる弟の自分のことは義兄としてわかってはいないだろう。
昨夜 昨日の夜。と同時にほんの昨日まで、とういうことをかけている。○梁園 梁園とは前漢の文帝の子梁孝王が築いた庭園。詩にある平臺(宮廷)は梁園にあり、また阮籍は梁園付近の蓬池に遊んだ。李白はそうした史実を引用しながら、過去の栄華と今日の歓楽をかんじさせる。ここでは、漢の宮廷、つまり唐の宮廷の大官であったことを示す。

庭前看玉樹 腸斷憶連枝
朝起きて庭を見ると雪が降り積もって、ちょっと前まで宮廷で看ていた宝玉石で飾った木樹を見られた。腸の絶えるいろんな思いがあるがここは兄弟ということの意味を憶い起してほしい。

庭前 この邸宅の庭ということと宮廷を意味する。○玉樹 雪で宝石、白玉製かと思はせる木。
腸斷 腸が断えるできごとと情交が満たされない思い。○連枝 兄弟と男女の結びつき。兄弟はたかが県令と鼻をくくっていたが援助してもらいたいということ。と同時に男女間のことを表現して、照れ隠しをしたのだ。それくらい困窮していたのだろう。

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 この詩の相手は真の従兄ではなく、李白が同族よばわりして、李氏なら必ず用ひるにせ従兄の、天宝四載からここの県令であった李錫(リセキ)である。このとき救ってもらった礼か、李白には「虞城県令李公去思頌碑」といふ頌徳文もあって、このころの文人の生活も、中々なみ大抵でなかったことを思わせる。県令といふのは県知事には相違なく、いまの日本の知事さんたちと同じくいばったものかもしれないが、昨日までの大官相手がたかだか県令相手とまでなり下ったのである。しかも李白は貧を衒(てら)うことはない。ここまで困窮している場合でも大言壮語するのである。

白鷺鷥 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白170 玄宗(3)

白鷺鷥 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白170


玄宗〈3〉
楊氏は元来その出自も明確ではない。父は四川省の小役人であった。蜀州司戸の楊玄淡の四女。兄に楊銛、姉に後の韓国夫人、虢国夫人、秦国夫人がいる。幼いころに両親を失い、叔父の楊玄璬の家で育てられた。

 生まれながら玉環を持っていたのでその名がつけられたというものや、涙や汗が紅かったという伝説がある。また、広西省の庶民の出身であり、生まれた時に室内に芳香が充満しあまりに美しかったので楊玄淡に売られたという俗説もある。いずれにしても、当時の美人の条件をすべて持ち合わせていたことに間違いはないし、性的な満足を与えられる美人であったということだ。玄宗のなりふり構わない執着ぶりからも異常なほどだ。

 玄宗の子の寿王の妃となっていて、楊環といった。玄宗は驪山華清宮でこれを見そめて(740年)、離縁させ、息子から直接妻を奪う形になるのを避けるため、女道士とならせ、太真と呼んだ。実質は内縁関係にあったと言われる。後、高力士に命じて宮中にひそかに入れた。李白は742年に都に呼ばれ、744年追われているのである。内縁関係といっても誰もが分かるものであった。貴妃宮中入りの事情を、李白は知らぬわけではない。天子の命で「清平調詞」三章をみごとに作ったとはいえ、李白の内心は、楊貴妃に好意を寄せてうたいあげたものでいないとしかみれない。

haqro07

白鷺鷥
白鷺下秋水、孤飛如墜霜。
心閑且未去、濁立沙洲傍。


白鷺鷥
白鷺 秋水に下り、孤飛して 霜を墜すが如し。
心閑にして 且らく未だ去らず、独り立つ 沙洲の傍。

haqro04白鷺鷥



白鷺鷥 白鷺は白さぎ。鷥も白さぎ。白鷺と鷥は原則つがいとするか、群れを成している。詩に取り上げる場合、つがいが多い。秋雨に中州に降りてくる。水鳥である。

白鷺下秋水、孤飛如墜霜。
白さぎが秋雨の清らかな水に舞降りる。そのあとにただ一羽飛ぶさまは、霜が吹き飛んでいるようだ。
如墜粛 羽毛の白い形容。


心閑且未去、濁立沙洲傍。
心のんびりと、しばらく立ち去らず、ぽつんと砂の中洲のそばに立っている。

haqro05


王維
『輞川集』13 欒家瀬 
13 欒家瀬 
颯颯秋雨中、浅浅石溜瀉。
波跳自相濺、白鷺驚復下。

欒家瀬 (らんからい)
颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)
浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ
波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ
白鷺(はくろ)は驚きて復(ま)た下(くだ)れり

觀放白鷹 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169 玄宗〈2〉

觀放白鷹 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白169


玄宗〈2〉
高力士は玄宗の皇太子時代から仕え、太平公主を倒すのに功があって、以後重要視され、ます.玄宗に甘言をもってうまくとり入り、厚い信任を得てほとんどの政務を任されるようになった。こうした高力士が宮中の権力を握る中にあっては、李白が存分に政治手腕などできる可能性も全くないものだった。

この高力士と、はじめはうまくとり入り、やがて玄宗の信任を得て、宰相の地位にまでのし上がったのが李林甫である。賢臣張九齢らのすべての反対勢力は朝廷より追われたし、殺されたのである。表は、李林甫の独裁政治、裏は高力氏という時代になったのである。 


736年開元二十四年11月張九齢を追放してから始まった。李林甫の反対派弾圧は徹底して行われたのである。また、府兵制度が崩壊し、地方の節度使が大きな勢力を持つのを恐れて、名もなき武官や、異民族出身者を任命した。その中の一人が、のちに反乱を起こした安禄山である。これらすべては初期唐王朝の蓄積の浪費するだけであり、玄宗の我儘の帰結であった。

天宝と改元された玄宗の後半生は、歓楽極まったものであった。そしてやがて哀情多い方向をたどることになる。その因をなすものは楊貴妃である。玄宗の後半生を狂わした女性でもある。李白は玄宗の歓楽の一部のために召されたのである。それも道教の関係者の伝手に頼ったものであった。





觀放白鷹
白鷹を放つ鷹狩りを見る。
八月邊風高、胡鷹白錦毛。
八月は秋の中ごろ,国境付近の岩山の上、ぬけるように晴れた空高く秋風が吹きわたっている。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦もようの羽は銀白色にかがやいてくる。
孤飛一片雪、百里見秋毫。

ひとり飛びたったら、恰もひとひらの雪が空中に舞ったかのようである。山上から眺めると周囲百里にわたってどんな微細なものでも目に見えるほど、見晴らしがすばらしい。




白鷹を放つ鷹狩りを見る。
八月は秋の中ごろ,国境付近の岩山の上、ぬけるように晴れた空高く秋風が吹きわたっている。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦もようの羽は銀白色にかがやいてくる。
ひとり飛びたったら、恰もひとひらの雪が空中に舞ったかのようである。山上から眺めると周囲百里にわたってどんな微細なものでも目に見えるほど、見晴らしがすばらしい。


白鷹を放つを観る
八月 辺風高し、胡鷹 白錦毛。
孤飛す一片の雪、百里 秋毫を見る。




觀放白鷹
白鷹を放つ鷹狩りを見る。
放鷹 たかを飛ばして小鳥をとること。鷹狩に白いたかを使う。



八月邊風高、胡鷹白錦毛
八月は秋の中ごろ,国境付近の岩山の上、ぬけるように晴れた空高く秋風が吹きわたっている。我われが鷹狩に使っているのは優秀な胡地産の鷹で、寒くなればなるほど錦もようの羽は銀白色にかがやいてくる。
八月 旧暦八月は、秋の中ごろ。○辺風 国境の風。○胡鷹 胡地に産する鷹。○錦毛 錦の美しいもようのある毛。

 

孤飛一片雪、百里見秋毫。
ひとり飛びたったら、恰もひとひらの雪が空中に舞ったかのようである。山上から眺めると周囲百里にわたってどんな微細なものでも目に見えるほど、見晴らしがすばらしい。
秋毫 毫は細い毛。動物の毛は秋に殊に細くなるので、きわめで微細なものを秋毫という。


 ○韻  高、毛、毫。


李白らしい着眼点が素晴らしい。異民族との国境付近の景色は、秋の深まりと共にモノトーン変わっていく。その中に接近してみれば錦に輝いているが、放って100里先でも雪の塊ほどに見えるという、100里も李白らしい。

紫藤樹 李白 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168 玄宗(1)

紫藤樹 李白 漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白168  玄宗(1)



玄宗(1)
 玄宗は、「開元の治」といわれるほどの治世をもたらした部分はたしかにあるが、とくに音楽を好み、宮中に左教坊・右教坊なる教習所を設け、また梨園では、梨園の弟子とし、玄宗は唐の宮廷楽団を「立部伎」および「座部伎」に分け、「立部伎」は立ったままで演奏し、室外で行う比較的に規模の小さいもの。「座部伎」は室内で座って演奏し、規模は比較的大きく、豪華さと迫力を重んじるものだった。

 玄宗は、梨園で選び抜いた300人に自ら音楽を教え、間違いがあるとすぐに指摘し正すなど厳しく指導していた。その場所には、梨が多く植えられていたことから「梨園」といわれている。唐玄宗の指導を受けた300人は後に、梨園弟子と呼ばれた。演出に参加した数百人の女官も梨園弟子と呼ばれた。ここの楽人をいう。また、西域から外来音楽を好んで移入したために、その曲調は広まり、のちの詞のメロディーにも影響する。

 また、興慶官の離宮を設けて遊び、あるいは曲江池の離宮にも遊んだりする。また、東の驪山の温泉宮にも、冬は避寒に出かけることを習わしにした。こうした遊びを詩に歌わせ、その遊びの中に音楽を演奏させることが、ことのほか好きであった。こうした中に登場したのが、ほかならぬ李白である。しかし、李白が腕を見せることのできる場はこうした遊びの場だけであった。記録に残るものには醜態も多い。

 玄宗が音楽に傾倒したのは、即位する以前の太平公主時代の豪奢な宮廷生活をまのあたりに見て、それへのあこがれが大きいのではないだろうか。政務を宦官任せにし、歌舞音楽の世界に鬱結した。また玄宗は、神仙道教に傾倒した。これは心のゆとりを神仙に求めたものであったが、不老長寿、悦楽、媚薬を求めたものでしかなかった。
こうした皇帝の我儘に付け込めるのが宦官の高力士であり、宰相の李林甫であったのだ。この時、唐の国の礎であった、二大制度、律令制度と府兵制度は崩壊していた。



紫藤樹

紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。
きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。
密葉隠歌島、香風留美人。

肢体は葉のように密着し合い、宮妓たちの歌声、はしゃぐ声は帳に隠れている。かぐわしい宮女たちの香りは風に乗ってくる、その中で特に美しい人を引きとどめる。



かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。

肢体は葉のように密着し合い、宮妓たちの歌声、はしゃぐ声は帳に隠れている。かぐわしい宮女たちの香りは風に乗ってくる、その中で特に美しい人を引きとどめる。



紫藤樹
紫藤(しとう) 雲木に掛り、花蔓(かまん) 陽春に宜し。
密葉(みつよう) 歌鳥を隠し、香風 美人を留む。





紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。
かぐわしき紫のふじの花、やわらかき雲、尊き大木にかかっている。きれいな花は蔦のように絡まっている、万物が性に目覚める春にふさわしいことだ。
○紫藤 紫の藤の花。○雲木 雲に秘めるのは女性の柔らかさ、包み込むこと。木は、男性を表す。雲のまつわる大木の意。天使を示す。
花蔓 花をつけたつる。○陽春 万物が性に目覚める春。




密葉隠歌島、香風留美人。
すきまのない葉は、さえずる小鳥の姿をかくし、かぐわしい風は、美しい人を引きとどめる。
 肢体をしめす。○歌鳥 さえずる小鳥。ここでは宮妓を示す。○香風 香しき風。ここでは女性の持つ香りを示す。 ○美人 宮妓の中の美人、ここでは楊貴妃(当時は楊環)

重憶 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136

「重憶」:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白136
五言絶句   李白 賀知章の思い出(3)


重憶  
欲向江東去、定將誰擧杯。

わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。
稽山無賀老、却棹酒船回。
会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。

わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。



重ねて憶う
江東に向って去らんと欲す、定めて誰と杯を挙げん。
稽山に 賀老無く、却って酒船に棹さして回る。



欲向江東去、定將誰擧杯。
わたしは江東の方へ行きたいと思っているが、いったい誰と杯をあげたらいいのだろう。
江東 長江の東。江蘇・浙江省方面。○ 与と同じ。



稽山無賀老、却棹酒船回。
会稽山には賀知章老はいない。それではいっそ、酒の船に棹さしてかえろう。
稽山 会稽山の略、すなわち賀知章の故郷。


**************************
これからは短いものを取り上げても一首一日としていく、複数の詩を掲載すると検索しにくかったり、詩が埋没してしまうかもしれないので、どんなになながい詩でも分割して、細切れにして掲載するのは、作者に失礼と思うので分割掲載はしない。その考えで、複数掲載も行けないのではと考えたのである。そこで、関連した、物語をけいさいすることにした。



◎李白を朝廷に導いたのは

 李白と玉真公主との関係をひらいたのは、恐らく司馬承禎である。承禎は、字を子微といった。開元10年代の後半ぐらいであろうが、道教を以て玄宗に召されたひとである。その時、王屋山(山西省陽城県)にいたが、玄宗の妹、玉真公は玄宗の命によってここへ王屋山に使したことがある。この承禎(貞一先生)と李白とが江陵(荊州)で会ったことは、その「大鵬賦」の序にのべている。

 ただし周知の如く、秘書監であり、道士の資格者賀知章が彼の「蜀道難」に感嘆して、これを「謫仙人」と呼び、玄宗に推薦したといふのも重要なファクターである。
要するに承禎、玉真公主や呉筠等の道教関係の側と、賀知章との推薦が同時期に行われて、李白は翰林に入ることを得たのである。そして、玄宗が道教に傾倒していたこと、宮廷詩人はいないような状態であった。王維がいたが、張説、張九齢の派閥で、10年くらい涼州などに飛ばされ長安に帰ってきていたが、李林保などとの折り合いが悪く、半官半隠で、輞川荘の経営を本格化し始めたころである。



李白の臨終の際、李白の話を書き残したものに、李白のめからみた入朝の様子が述べられている。
唐朝 大明宮01

小尾郊一著「中国の詩人・李白」P74-75から

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唐の李陽氷の『草堂集』序には次のようにいっている。

天宝中、皇祖(玄宗) 詔を下して徴し、金馬(門)に就かしむ。輦を降り歩して迎え、綺皓を見るが如く、七宝の牀を以って食を賜う。御手もて羹を調え以って之に飯し、謂いて日わく、
「卿は是れ布衣にして、名は朕の知るところと為る、素より道義を蓄うるに非ざれは、何を以って此に及ばんと。」
金堂殿に置き、翰林中に出入せしめ、問うに国政を以ってし、潜かに詔誥を草せしむ。人知る者なし。

「金馬」門は、漢代の名で、唐では、大明宮の右銀台門を指し、この門を入ると、学士院・翰林院があり、その奥に金鑾殿がある。「綺皓」は秦末の商山の四皓を指す。東園公・用里先生・綺里季・夏黄公の四人が商山に隠れ、ともに八十余歳で、髪は白かったので商山の四皓という。その中の綺里季を代表させてという。漢の高祖が迎えたが、従わなかった。富貴に恬淡たる人物たちである。
玄宗が金馬門(右銀台門)まで歩いて出迎え、漢の高祖が南山の四皓を迎えるごとく礼を尽くし、その上、七宝の食卓で、天子みずからが御馳走をとってくれたという。この記述による限り、天子としては最高の礼を尽くした出迎えである。事実この通りであったかどうかは疑わしいが、玄宗もけっして疎かには扱わなかったであろう。この記録は李白が最後に病身を託した一族である李陽妹の書いたものである。李陽次は李白の口述を記録したものにちがいない。李白の誇張もあるし、李陽次の修飾もあろう。また玄宗が、「きみの名は自分も知っているが、それは道義を身につけているからこそ有名になったのだ」とのことばがあったと記されているが、これもはたして玄宗が「道義」といったかどうか。これはむしろ、李白は自分こそ正しい道義を体しているという自信のほどをいっているのではなかろうか。また、「問うに国政を以ってす」というのも玄宗が果たしてそのつもりであったのか、これも李白自身がそう期待していたことではあるまいか。
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李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

李白24 子夜呉歌其三 秋
この詩は、李白詩で、日本人に膾炙している秀作作品のひとつ。
李白は兵士の妻の閨怨を詠っているが、だからといってこの詩に反戦思想は感じられません。
 


子夜呉歌其三 秋         
            
長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。 

長安の空に輝く月ひとつ
あちこちの家から聞こえるのは砧(きぬた)を擣(う)つの声
夜空をわたる秋風(あきかぜ)も  吹きちらせ尽くせない。
それらの一つ一つの音はすべて 玉門関の夫を思うもの
 いつの日に胡虜を平定して
恋しい夫は、遠征をやめてかえってくるのか


 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。

子夜呉歌(しやごか) 其の三 秋
長安  一片の月
万戸  衣(い)を擣(う)つの声
秋風(しゅうふう)  吹いて尽きず
総て是(こ)れ玉関(ぎょくかん)の情
何(いず)れの日か胡虜(こりょ)を平らげ
良人(りょうじん)  遠征を罷(や)めん





 李白25 子夜呉歌其四 冬
 「冬」は「秋」のつづき。「秋」が幻想的に比べ、「冬」は極めて現実的。

子夜呉歌其四 冬         
            
明朝駅使発、一夜絮征袍。
素手抽針冷、那堪把剪刀。
裁縫寄遠道、幾日到臨洮。


明日の朝には駅亭の飛脚が出発する
今夜のうちにこの軍服に綿入れして仕立てなきゃ
白い手で針を運ぶ 指はこごえつめたい
はさみを持つ手は もっとつらい
縫いあげて  遠いかなたのあなたに送ります
幾日たてば  臨洮に着くやら


明日の朝に駅亭の使者が発つ、それに託するため、今夜中に冬用の軍服を仕立て上げなければならないと、妻はこごえる手をこすりながら針を使う。なお、唐初の徴兵は、服などの壮備は本人負担であった。「臨洮」は甘粛省にある。広く西方の駐屯地でここから西方の万里の長城の始まりでその臨洮からさらに西に行く。
下に示す図の中心に長安(西安)があり、そのまま左方向(西)に赤ポイントが臨洮、甘粛省は左上に万里の長城を囲むようにずっと伸びる。
 ちょうどこのころ、長く続いた、府兵制度は崩壊します。傭兵は主体になっていきます。しかし、この万里の長城を守る安西方面の守りについては、税金と同様に庶民に義務として課せられていた。当初は、3年官であったものが、やがて帰ってこない出征に代わっていきます。唐時代の人々は、この制度に不満を持っていた。
 出征したら、帰ってこないという詩はたくさん残されています。王維  高適  賈至  岑參 王昌齢、王之渙、杜甫、・・・盛唐の期の詩が多いい。    http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/
辺塞詩をうたう。http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_hensaishijin013.html 
万里の長城を詠う。   http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99banri014.html

名朝駅使発、一夜絮征袍。
素手抽針冷、那堪把剪刀。
裁縫寄遠道、幾日到臨洮。

子夜呉歌(しやごか)其の四 冬
明朝(みょうちょう)  駅使(えきし)発す
一夜にして征袍(せいほう)に絮(じょ)せん
素手(そしゅ)  針を抽(ひ)けば冷たく
那(なん)ぞ   剪刀(せんとう)を把(と)るに堪えん
裁縫して遠道(えんどう)に寄す
裁縫して遠道(えんどう)に寄す
幾(いずれ)の日か  臨洮(りんとう)に到らん





toubanrimap044



詩に詠われた 万里の長城・関所  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99banri014

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白22 子夜呉歌

 子夜は、東晋以前に子夜という女性が、作った曲であり、その声は非常に悲しく苦しげだった、という。そして、唐時代になると、恋歌になっていた。
 ずっと楽府題(がふだい)が続く。この詩は五言六句を、春夏秋冬に配して季節四首組歌にしている。
 春の「羅敷女」は漢代の楽府に出てくる美女の名で、古辞では邯鄲(かんたん)の秦氏の女(むすめ)である。李白はそれを秦の農家の娘に変え、言い寄る「五馬」をそでにする話にしている。


子夜呉歌 其一 春        

秦地羅敷女、採桑緑水辺。
素手青条上、紅粧白日鮮。
蚕飢妾欲去、五馬莫留連。


秦の地の羅敷女ような美女、桑を摘む清らかな川のほとり。
白い手は緑の枝に伸び、ほほ紅が真昼の光に映えて鮮やかだ
蚕に餌をやるので 私は失礼いたします
太守さまはお急ぎお帰り下さいませ

 五馬とは五頭立ての馬車に乗ることが許されている州刺史(しゅうしし)または郡太守(ぐんたいしゅ)のこと。漢代の郡は行政機関で県の上に位置し、唐代には州と呼ぶようになる。県は市や町にあたる。なお、唐の長安の都は広大でしたので、城内の南の部分には農地もあり、農家や高官の別荘などが点在していた。
○韻 辺、鮮、連。

秦地羅敷女、採桑緑水辺。
素手青条上、紅粧白日鮮。
蚕飢妾欲去、五馬莫留連。

子夜呉歌(しやごか) 其の一 春
秦地(しんち)の羅敷女(らふじょ)
桑を採(と)る  緑水(りょくすい)の辺(ほとり)
素手(そしゅ)  青条(せいじょう)の上
紅粧(こうしょう)  白日(はくじつ)に鮮やかなり
蚕(かいこ)は飢えて妾(しょう)は去らんと欲す
五馬(ごば)   留連(りゅうれん)する莫(なか)れ





夏は一転して越の美女西施の再登場。

李白23
 子夜呉歌其二 夏         

鏡湖三百里、函萏発荷花。    
五月西施採、人看隘若耶。    
囘舟不待月、帰去越王家。
   

 
鏡のように澄んだ鏡湖は周囲三百里
蓮のつぼみが蓮の花をひらく
五月になって西施は花を摘み
見物人が集まって、若耶渓も狭くなる
舟の向きを変えて月の出を待たず
西施は越王の御殿へ帰ってゆく

 「西施」については『西施ものがたり」(李白12を参照)、中国の伝説的な美女。秦の美女、越の美女と、美女の話が李白らしく続けた。



鏡湖三百里、函萏発荷花。    
五月西施採、人看隘若耶。    
囘舟不待月、帰去越王家。

子夜呉歌(しやごか)  其の二 夏
鏡湖(きょうこ)   三百里
函萏(かんたん)  荷花(かか)を発(ひら)く
五月  西施(せいし)が採(と)るや
舟を囘(めぐ)らして月を待たず
帰り去る  越王(えつおう)の家

越女詞五首 其五



12-5
其五
鏡湖水如月,耶溪女似雪。
新妝蕩新波,光景兩奇絶。

鏡湖は水が月光のようにすみ,耶溪は女むすめが雪のように色白。
初々しい化粧姿はすがすがしい波間にうつる,その光景はどちらも比べがたく素晴らしい。

○鏡湖 浙江省の会稽・山陰両県のさかいにある湖。○耶渓 若耶渓は会稽の南から北流して鏡湖に流れ入る。
○蕩 水のゆれうごくさせ。○奇施 すばらしくめずらしい。
鏡湖の水は月のように姿がうつる。若耶渓の女は雪のようにしろい。
新しい化粧をこらした女の影が湖の新しい波にゆれうごき、そのようすほ、どちら、もすぼらしい。
韻は、月、雪、絶。

鏡湖 水 如月のごとく,耶溪 女 雪のごとし。
新妝 新波に蕩ゆらめき,光景 兩つながら奇絶。
李白の詩 連載中 7/12現在 75首

2011・6・30 3000首掲載
漢文委員会 ホームページ それぞれ個性があります。
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李商隠の女詞特集ブログ連載中
burogutitl185李商隠 毎日書いています。

 李白の漢詩特集 連載中
kanshiblog460李白 毎日書いています。

越女詞 五首 其四

越女詞 五首 其四
東陽素足女,會稽素舸郎。
相看月未墮,白地斷肝腸。

東陽生まれの素足の女と、会稽の白木の舟の船頭とが顔を見あわせている。
月が沈まないので、わけもなくせつない思いにくれている。

○東陽 いまの浙江省東陽県。会稽山脈の南方にある。○素足女 この地方は美人の多い子で有名。素足の女は、楚の国の王を籠絡した女性西施が其ふっくらとした艶的の魅力により語の句に警告させその出発殿のすあしのおんなであった。○会稽 いまの浙江省紹興。会稽山脈の北端にある。○素舸 白木の舟。○郎 若い男。〇白地 口語の「平白地」の略。わけもなく、いわれなく。○肝腸 きもとはらわた

○韻 郎、腸。

東陽 素足の女,会稽 素駒の郎
相看て 月 末だ墜ちず,白地に 肝腸を断つ

越女詞 五首 其三 李白14-3

 李白の江南地方での若いときの旅は2年程度であった。この地方を題材にした詩は多く残されているが、詩の目線は中年のものが多いようである。推測ではあるが、若いときに作った作品を、後年再び訪れた時修正したのではないかと感じられる。淥水曲りょくすいきょく 清らかな澄んだ水、純真な心もった娘たちの歌である。


李白の若い娘の歌はつづきます。

越女詞 五首 其三 李白14

其三
耶溪採蓮女,見客棹歌囘。
若耶渓でハスの実をつむむすめたちは、旅人を見ると舟歌を唄いながらあちらへこいで遠ざかる。
笑入荷花去,佯羞不出來。

にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうなふりをして出て来ない。

若耶渓でハスの実をつむむすめたちは、旅人を見ると舟歌を唄いながらあちらへこいで遠ざかる。
にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうなふりをして出て来ない。


耶渓 採蓮の女、客を見て 棹歌して回かえる
笑って荷花に入って去り、佯いつわり羞はじて 出で来らず

耶溪採蓮女,見客棹歌囘。
若耶渓でハスの実をつむむすめたちは、旅人を見ると舟歌を唄いながらあちらへこいで遠ざかる。
耶渓 やけい 若耶渓の略。浙江省紹興の南を流れている川。○採蓮 さいれん ハスの実をつみとる。○客 たびびと。 ○棹歌 たくか 舟うた。○ かえる。 回・巡るだと行ったり来たりすることになる。
李白11 採蓮曲 がある。


笑入荷花去,佯羞不出來。
にっこり笑ってハスの花の影にかくれ、はずかしそうなふりをして出て来ない。
○荷花 かか ハスの花。○佯羞 いつわりはじて はずかしそうにする。


○韻 囘、來。

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