秋浦寄内 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-243/-350
李白の閨怨の詩人としてのべている。
李白の居住は少年時代以来、流転を極めてゐる。僅かに最初の結婚の頃、即ち安陸時代と後の開封居住の頃とにやや定住の跡が見られる位で、その他の住ひは永きは数年、短きは一年に足らず、羈旅の生涯といっても過言ではない。芭蕉の如き無配偶者、西行の如き世捨人ならいざ知らず、彼は妻子を有していたのである。子に対する愛情は既に述べた。妻に対してはどうであったろうか。私はこれを李白に閨怨の詩の多い所以と解したい。
李白の旅には妻子を伴うことは殆どなかったと見られる。現に安禄山の乱後、彼が宣城より剡渓にゆき、また西に引返して盧山に赴こうとした途中、秋浦(安徽省貴池県)で妻に送った詩がこれだ。
秋浦寄內
我今尋陽去。辭家千里余。
私は旅をつづけているが、今度は、尋陽に旅立とうとしている。家を出てから 千里を越える道のりだ。
結荷倦水宿。卻寄大雷書。
旅の支度で荷物をととのえている、ここは水辺での舟宿なのだ、いつか君と読んだことのある鮑照の大雷の書信ように旅先から詩を送る。
雖不同辛苦。愴離各自居。
艱難苦労を同じ場所で共にしているわけではないが、離れていることは痛ましく思うことだが心がつながっているのだから各々自からの気持ちを強く持って生きていくのである。
我自入秋浦。三年北信疏。
秋浦を気に入って来たのだが、三年になろうとしているが、北からの便りというものが、ほとんど途絶えてない。
北信 北からのたより。北の方の社会情勢が緊迫してきているためかと心配する。
紅顏愁落盡。白發不能除。
ほんのり赤く美しい顔であったがしっかりしているとはいえ心配する気持ちで落ち込み沈んでいるだろう、きっと、白髪が抜き取ることできないほどになっている。
有客自梁苑。手攜五色魚。
梁園の方から訪ねてくれた客があった、手に携えてきてくれた錦織の五色の短冊があった。
開魚得錦字。歸問我何如。
短冊の封を切ると錦織の文字が現われたのだ、いかがですか、いつお帰りになるのですかとわたしへの労わりの問いがあったのだ。
江山雖道阻。意合不為殊。
広くて遙かな長江や山々に道はへだてられているけれど、憶いはひとつ合致していて違いがあろうはずはない。
秋浦にて内(ない)に寄す
われいま尋陽に去り 家を辞すること千里余。
結荷 水宿を見る かえって寄す大雷の書。
辛苦を同じくせずといえども、離れを愴(いた)んで おのおのみずから居る。
わが秋浦に入ってより、三年 北信疎なり。
紅顔 落日を愁へ、白髪 除く あたわず。
客あり梁苑よりし、手に五色の魚を携(たづさ) ふ。
魚を開きて錦字を得るに、帰ってわがいかん を問う。
江山に道 阻(へだ)たる といえども、意合すれば殊なれりとなさず。
秋浦寄內 現代語訳と訳註
(本文) 秋浦寄內
我今尋陽去。辭家千里余。結荷倦水宿。卻寄大雷書。
雖不同辛苦。愴離各自居。我自入秋浦。三年北信疏。
紅顏愁落盡。白發不能除。有客自梁苑。手攜五色魚。
開魚得錦字。歸問我何如。江山雖道阻。意合不為殊。
(下し文) 秋浦にて内(ない)に寄す
われいま尋陽に去り 家を辞すること千里余。
結荷 水宿を見る かえって寄す大雷の書。
辛苦を同じくせずといえども、離れを愴(いた)んで おのおのみずから居る。
わが秋浦に入ってより、三年 北信疎なり。
紅顔 落日を愁へ、白髪 除く あたわず。
客あり梁苑よりし、手に五色の魚を携(たづさ) ふ。
魚を開きて錦字を得るに、帰ってわがいかん を問う。
江山に道 阻(へだ)たる といえども、意合すれば殊なれりとなさず。
(現代語訳)
私は旅をつづけているが、今度は、尋陽に旅立とうとしている。家を出てから 千里を越える道のりだ。
旅の支度で荷物をととのえている、ここは水辺での舟宿なのだ、いつか君と読んだことのある鮑照の大雷の書信ように旅先から詩を送る。
艱難苦労を同じ場所で共にしているわけではないが、離れていることは痛ましく思うことだが心がつながっているのだから各々自からの気持ちを強く持って生きていくのである。
秋浦を気に入って来たのだが、三年になろうとしているが、北からの便りというものが、ほとんど途絶えてない。
北信 北からのたより。北の方の社会情勢が緊迫してきているためかと心配する。
ほんのり赤く美しい顔であったがしっかりしているとはいえ心配する気持ちで落ち込み沈んでいるだろう、きっと、白髪が抜き取ることできないほどになっている。
梁園の方から訪ねてくれた客があった、手に携えてきてくれた錦織の五色の短冊があった。
短冊の封を切ると錦織の文字が現われたのだ、いかがですか、いつお帰りになるのですかとわたしへの労わりの問いがあったのだ。
広くて遙かな長江や山々に道はへだてられているけれど、憶いはひとつ合致していて違いがあろうはずはない。
(訳注) 秋浦寄内
我今尋陽去 辭家千里餘
私は旅をつづけているが、今度は、尋陽に旅立とうとしている。家を出てから 千里を越える道のりだ。
○尋陽 唐の江州、今の江西省九江。○今 今日ではなく、今度は。○去 去々。さあいこう。
結荷見水宿 却寄大雷書
旅の支度で荷物をととのえている、ここは水辺での舟宿なのだ、いつか君と読んだことのある鮑照の大雷の書信ように旅先から詩を送る。
○結荷 荷物をととのえる。○水宿 舟のやどり場。
○大雷書 大雷池は湖北省の望江県にある。南朝宋の詩人鮑照(ほうしょう)が舟旅の途中、大雷池(安徽省舒城県付近の池)のほとりから妹に書信を送った故事にもとづいており、旅先からの便りを詩的に表現したもの
雖不同辛苦 愴離各自居
艱難苦労を同じ場所で共にしているわけではないが、離れていることは痛ましく思うことだが心がつながっているのだから各々自からの気持ちを強く持って生きていくのである。
○同 おなじばしょでおなじように。○愴離 離れていることは痛ましく思うこと。○各自居 この語句は通常言えない語である。この妻はかなりしっかりしていて、自己主張もあったようである。この妻は李白に世の中に認められもっと評価されることを願っていることを語っていたのだろう。
我自入秋浦 三年北信疏
秋浦を気に入って来たのだが、三年になろうとしているが、北からの便りというものが、ほとんど途絶えてない。
北信 北からのたより。北の方の社会情勢が緊迫してきているためかと心配する。
紅顏愁落盡 白髮不能除
ほんのり赤く美しい顔であったがしっかりしているとはいえ心配する気持ちで落ち込み沈んでいるだろう、きっと、白髪が抜き取ることできないほどになっている。
有客自梁苑 手攜五色魚
梁園の方から訪ねてくれた客があった、手に携えてきてくれた錦織の五色の短冊があった。
○梁苑 梁園に同じ、開封の街。○五色魚 錦織、五色の短冊。一般女性の手紙は機織りで文字を織り込んで意思表示をするというのが当時の方法であった。砧と機織りは当時の家に残された女性を象徴するものである。紙に書くのは生意気なことで奥ゆかしさがない。短い分を錦に織ったのだ。
開魚得錦字 歸問我何如
短冊の封を切ると錦織の文字が現われたのだ、いかがですか、いつお帰りになるのですかとわたしへの労わりの問いがあったのだ。
○開魚 錦に織りこんだ手紙、妻よりの手紙。
江山雖道阻 意合不爲殊
広くて遙かな長江や山々に道はへだてられているけれど、憶いはひとつ合致していて違いがあろうはずはない。
(解説)
秋も終わりに近づくと、李白は池州から尋陽(江西省九江市)に行く。宋州(河南省商丘市)にのこしたままにしている妻宗氏に、秋浦から書信を出したのだ。751年天宝十載に宋州に立ち寄って以来、四年もの間、妻のもとにもどっていない李白であった。
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