漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

王朝・社会的批判詩

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

古風 其四十八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 262/350

古風 其四十八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 262/350


其四十八
秦皇按寶劍。 赫怒震威神。
秦の始皇は宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
逐日巡海右。 驅石駕滄津。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
征卒空九寓。 作橋傷萬人。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
但求蓬島藥。 豈思農扈春。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
力盡功不贍。 千載為悲辛。

国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである。


古風 其の四十八

秦皇 宝剣をじ、赫怒(かくど)して威神(いしん)を震(ふる)う。

日を逐いて海右(かいゆう)を巡り、石を駆って津に駕()す。

卒を()して九寓を空(むな)しゅうし、橋を作りて万人を傷つく。

但だ蓬島(ほうとう)の薬を求め、豈に農(のうこ)の春を思わんや。

力尽きて 功 ()らず、千載(せんざい) 為に悲辛(ひしん)す。


宮島(1)


古風 其四十八 現代語訳と訳註
(本文)

秦皇按寶劍、赫怒震威神。
逐日巡海右、驅石駕滄津。
征卒空九寓、作橋傷萬人。
但求蓬島藥、豈思農扈春。
力盡功不贍、千載為悲辛。


(下し文) 其の四十八
秦皇 宝剣を按じ、赫怒(かくど)して威神(いしん)を震(ふる)う。
日を逐いて海右(かいゆう)を巡り、石を駆って滄津に駕(が)す。
卒を征(め)して九寓を空(むな)しゅうし、橋を作りて万人を傷つく。
但だ蓬島(ほうとう)の薬を求め、豈に農扈(のうこ)の春を思わんや。
力尽きて 功 贍(た)らず、千載(せんざい) 為に悲辛(ひしん)す。


(現代語訳)
秦の始皇はほう宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである。


(訳注)
秦皇按寶劍、赫怒震威神。

秦の始皇はほう宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
秦皇 秦の始皇帝。○威神 神威に同じ。すばらしい威力。


逐日巡海右、驅石駕滄津。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
海右 中國では古来から四方には海があり、西の山の向こうには海がありその海の果てには崖があって、その場所に太陽が沈むとされていた。方向性は北、北斗七星を背にして左が東、右が西になる。西の山の向こうの海の更に右側ということになる。○駆石 「三斉略記」という本に次のような話が見える。秦の始皇帝は、東海を渡れるような巨大な石橋をつくり、日の出る所を見たいと思った。すると、一人の魔法使が現われ、石を追いやって海に投じた。城陽にある十云山の石がことごとく起きあがり、高高と東に傾き、互につれだって歩いてゆくように見えた。石の歩き方がおそいと、魔法使はムチをふるった。石はみな血を流し、真っ赤になった、という。○ 架。かける。○滄津 大海。


征卒空九寓。 作橋傷萬人。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
 兵卒。〇九寓 九州。中国全土を九つに区分。九州は九区分の真ん中を除いた八の州を示すが、九寓の場合は単に九の州という意味。空の場合は九天。


但求蓬島藥。 豈思農扈春。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
蓬島薬 蓬島は、東海の中にあると信じられた仙人の島、蓬莱島の略。そこに産する不老長生の仙薬。「史記」の始皇本紀によると、始豊の二十八年、斉人の徐市を派遣し、童男童女数千人を出して海上に仙人を求めさせた。同三十二年、韓終・侯公・石生に仙人の不死の薬を求めさせた。同三十七年、方士の徐市らは、海上に仙薬を求めて、数年になるが得られず、費用が多いだけだったので、罰せられることを恐れ、「蓬莱では仙薬を得られるのですが、いつも途中で大鮫に妨げられて島に行くことができないのです。船に連穹(矢をつづけさまに発射できる仕掛の石弓)をつけて下さい」と報告している。始皇帝と仙薬、徐市の詩によく登場する有名な逸話である。○農扈春 扈は1.したがう。主君のあとにつきしたがう。主君のお供をする。2.はびこる。ここでは、春の訪れに伴って当然やるべき農業、耕作種まきをいう。


力盡功不贍。 千載為悲辛。
国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである
 足る。十分である。


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秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集248/350

秋浦歌十七首其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか

両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。

猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。


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 現代語訳と訳註
(本文) 秋浦歌十七首 其四

兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。

(下し文) 秋浦の歌 十七首 其の四
両鬢(りょうびん)  秋浦に入りて、一朝(いっちょう)  颯(さつ)として已(すで)に衰う。
猿声(えんせい)  白髪(はくはつ)を催(うなが)し、長短(ちょうたん)  尽(ことごと)く糸と成る。

(現代語訳)
安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか



(訳注)
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。

安禄山が乱を起こしてから秋浦に来きたが、洛陽、長安の二つの都が敵の手に落ち私の左右の鬢も一度にさっと衰えたのだ。
兩鬢 左右のおでこ生え際、もみあげ。洛陽と長安を比喩している。○入 入城する。陥落させる。○秋浦 銭塘江最上流の盆地のようなところ。今の安徽省貴池県。唐代では池州と呼ばれた。李白のこの秋浦歌十七首のはじめの詩、ほとんど各詩に必ず秋浦の語が挿入されている。(はいらないのは、7,9、10,11,12,13,14,15,17で安禄山の乱を感じ取れるもの) 、入っているのは、この詩のようにそう鬢を長安と洛陽と思わなければ、ただの抒情詩なのである。秋浦にはそのものの場所を示すことと、秋に叛乱した、秋は西を示すということで、安禄山の動向を心配している詩と考えて、抒情詩であると同時に李白は、乱の行くすえを案じている詩といえるのである。○一朝 ある朝。○颯已衰 一気におとろえた。両鬢に白髪が一気に増えてしまったように洛陽長安が一気に陥落して、国中大混乱であるという意味である。


猿聲催白發。 長短盡成絲。
猿の哀しい啼き声は悲愴感漂うように、安禄山に寝返った諸公達も煩く鳴いて、わたしの白髪は増え、髪はことごとく糸のように細くなる。このまま安禄山の天下になってしまうのか
猿聲 この猿は日本猿と違い手長猿で、啼き方に悲哀が籠って長く引っ張るように鳴く。悲しいこと寂しいことの代名詞である。と同時に、安禄山に媚を売って追随している諸侯を示す。○長短 白髪の長短。別に、安禄山への寝返りの強弱を示す。



(解説)
其の四の詩では「猿声」、中國の南辺に棲む手長猿の哀しい啼き声を歌うのは安禄山に迎合して、略奪をして行った潘鎮、諸侯が多くいたことを比喩したのである。叛乱後わずか1カ月足らずで洛陽が落ち、兵の数は数倍で圧倒的に王朝軍が強いはずで、早晩、おさまるものと誰もが思っていた。ところが半年後には、長安が落ちたのである。中國の二つの都が叛乱軍の手に落ちたので、情勢は一変し安禄山の側に寝返るものが増えたのである。日頃不満を持っていた者たちに多く見られた。そして大殺戮に加担したのである。。
 もし、李白が安禄山を支持するならこの詩に「秋浦」という語はなかったはずである。私は秋浦にいる。国家存亡のこの危機を心配している。李白はそう発信したかったのだ。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。


秋浦歌十七首 其三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集247/350


 秋浦歌は李白の人生への思いが込められているものである。その二で「青渓は朧水に非ざるに 翻って断腸の流れを作す」は古楽府にある詩句を踏まえ、また、李白自身が「古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181参照)で「秦水 朧首に別れ 幽咽して悲声多し」と詠っている。杜甫も出塞九首 其三 杜甫 で隴山のことを詠っている。
 先行き不安な時期に唄っている。現代人にとって「人生」を考えるにつけて、この頃の李白の詩は参考になるものが多い。


秋浦歌十七首其三

秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。

ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。


秋浦の錦(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。

山鶏(さんけい)  (ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。

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現代語訳と訳註
(本文) 其三

秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
山雞羞淥水、不敢照毛衣。



(下し文) 秋浦の歌 十七首  其の三
秋浦の錦鄞鳥(きんぎんちょう)、人間(じんかん)  天上に稀なり。
山鶏(さんけい)  淥水(ろくすい)に羞じ、敢えて毛衣(もうい)を照らさず。


(現代語訳)
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。



秋浦歌十七首  其三 (訳注)
秋浦錦駝鳥、人間天上稀。
ここ秋浦に錦の駝鳥がいる、人の世に、いや、天上をふくめてもこの美しさは稀というものだ。
錦軒鳥 錦の羽毛をもつダチョウ。


山雞羞淥水、不敢照毛衣。
さすがの山鶏も、この清らかな水の前で恥ずかしくなって、自分の羽毛をうつして見ることをできはしないだろう。
山鶏 錦鶏(きんけい)。キジ科の鳥。自分の美しい羽毛の色を愛し、終日水に映して自分の影に見とれ、しまいに目がくらんで溺れ死ぬという。○淥水 みどりの水。澄んだ川や湖。

李白10  採蓮曲
淥水曲  李白 11

(解説)
 貴族、富豪のものは権力と資力により、美女を集めることができる。この頃の潘鎮は君王化していた。中央の王朝の命をも拒絶するものが出始めていた。贅を治めないものも出始め、これを抑えるため、節度使を設置したり、潘鎮同士を互いにけん制させることを行った。山鳥はまさに地方に君臨する潘鎮のことである。権力者はさらに強い権力者には弱いものであるということである。
 美人についてもいえる、上には上がいるということ、でもその最上級の美人であっても年老いて、その地位を後退せざるを得ないのである。
 李白は足かけ3年の朝廷生活で、権力者の頽廃ぶりを目にして、特に李林甫の末路を学習したのである。
一般論ではあるが、この詩の山鷄を李白自身のことと比喩しているとの解説を見かけるが、悲観的な見方であり、間違いである。
自分の人生光を、が、不安であるのではなく、この詩句にいうのは、王朝の行く末が不安なのである。野心はあっても欲がないのが李白である。杜甫とはすこし違った詩人の矜持を感じる。


秋浦歌十七首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-246/350

秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。

秋浦歌十七首 其二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-246/350
 
 其の一で、姿勢を正して長安に向き合うという気持ちが込められていた。長江は世に出ることを目指してはじめて下った江であり、その長江に向かって問いかけ、自分の初心に問いかけたのだ。


秋浦歌十七首其二


其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
欲去不得去。 薄游成久游。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。

もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている。

其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。

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秋浦歌十七首其二 現代語訳と訳註
(本文) 其二

秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。


(下し文) 其の二
秋浦  猿は夜愁(うれ)う、黄山  白頭(はくとう)に堪えたり。
青渓(せいけい)は朧水(ろうすい)に非(あら)ざるに、翻(かえ)って断腸(だんちょう)の流れを作(な)す。
去らんと欲(ほっ)して去るを得ず、薄遊(はくゆう)  久遊(きゅうゆう)と成る
何(いず)れの年か  是(こ)れ帰る日ぞ、泪を雨(ふ)らせて孤舟(こしゅう)に下る。

(現代語訳)
秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている。


(訳注)
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。

秋浦で、秋が深まってきて猿がかなしそうに啼く夜になると愁いで胸いっぱいになる。ここからすこし南に黄山がある、もう冬になろうというのか、私のように愁いが募って、白髪頭になろうとしている。
黄山 山の名。秋浦の南方にある。会稽山、天望山、天台山、廬山など李白が愛した名山が集まっている場所だ。


清溪非隴水。 翻作斷腸流。
清渓の水は隴頭の水ほどではないけれど、やっぱり君との性交を思い出す腸を断ち切る声に聞こえてくるのだ。
清渓 秋浦の近くにある。安徽省貴池地方を北西に流れて長江にそそぐ川。その西側を流れる、秋浦河とともにその美しさにより景勝地となっている。別名、白洋河。

李白64清溪半夜聞笛 66清溪行 67 宿清溪主人

隴水 隴水は甘粛省。「隴頭歌」という古い歌に「隴頭の流水は、鳴声幽咽す。造かに秦川を望み、肝腸断絶す」とある。○隴水 甘粛省隴山から長安方面に流れる渭水に合流する川の名。チベット;吐蕃との国境をながれる。○腸斷 腹の底からの感情を示す。悲哀の具象的表現。「楽府特集」二十五巻≪横笛曲辞≫「隴頭の流水、鳴声幽咽す。はるかに秦川(長安)を望み、心肝断絶す。」李白「清溪半夜聞笛」参照 杜甫「前出塞九首 其三 杜甫」 杜甫 「三秦記」にいう「隴山の頂に泉有りて、清水四に注ぐ、東のかた秦川を望めば四五里なるが如し。俗歌に『陣頭の流水、鳴声幽咽す。遙かに秦川を望めば、肝腸断絶す』という」と。隴山は今の陝西省鳳翔府隴州の北西にあって、ここを経て甘粛省の方へ赴くが、長安地方の眺望がこれよりみえなくなる様子を詠った歌である。鳴咽の水とはむせびなくような水流をいう。腸断声とは水自身に人をして腸をたたしめるような声のあることをいう。○水赤刃傷手 事実は刃が手をきずつけるから血が染まって水が赤くなるのであるが、我々がであう経験からすれば水が赤いのではっとおどろいてみると刃が手をきずつけていることが知られるということになる。 

欲去不得去。 薄游成久游。
ここにいると、ここを去ろうと思うのだけれどなぜか去り得ないのだ。ちょっとのつもりの滞在がながい滞在となってしまった。
薄遊しばらくの旅行。


何年是歸日。 雨淚下孤舟。
もう一二年で、思いを遂げて帰る日となる。いまは雨のように涙をながしながら、この川にただ一槽の小舟にのって下っている
 清溪の下流にすすむと銭塘江に灌がれ、蕭山方面でまた妻のいる開封方面から遠ざかることになる。



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秋浦歌十七首 其一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 245/-350

 

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秋浦歌十七首 注目すべき秋浦の歌
李白が秋浦を歌うなかで、人生二度目の転換期、自分の人生について深く顧みている詩集である。
秋浦歌十七首 其一

其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。


其二
秋浦猿夜愁。 黃山堪白頭。
清溪非隴水。 翻作斷腸流。
欲去不得去。 薄游成久游。
何年是歸日。 雨淚下孤舟。


其三
秋浦錦駝鳥。 人間天上稀。
山雞羞淥水。 不敢照毛衣。


其四
兩鬢入秋浦。 一朝颯已衰。
猿聲催白發。 長短盡成絲。


其五
秋浦多白猿。 超騰若飛雪。
牽引條上兒。 飲弄水中月。
 
其六
愁作秋浦客。 強看秋浦花。
山川如剡縣。 風日似長沙。
 
其七
醉上山公馬。 寒歌寧戚牛。
空吟白石爛。 淚滿黑貂裘。

其八
秋浦千重嶺。 水車嶺最奇。
 天傾欲墮石。 水拂寄生枝。
 
其九
江祖一片石。 青天掃畫屏。
題詩留萬古。 綠字錦苔生。
 
其十
千千石楠樹。 萬萬女貞林。
山山白鷺滿。 澗澗白猿吟。
君莫向秋浦。 猿聲碎客心。
 
其十一
邏人橫鳥道。江祖出魚梁。
水急客舟疾。  山花拂面香。
 
其十二
水如一匹練。 此地即平天。
耐可乘明月。 看花上酒船。
 
其十三
淥水淨素月。 月明白鷺飛。
郎聽采菱女。 一道夜歌歸。
 
其十四
爐火照天地。 紅星亂紫煙。
赧郎明月夜。 歌曲動寒川。
 
其十五
白發三千丈。 緣愁似個長。
不知明鏡里。 何處得秋霜。
 
其十六
秋浦田舍翁。 采魚水中宿。
妻子張白鷴。 結罝映深竹。
 
其十七
祧波一步地。  了了語聲聞。
闇與山僧別。 低頭禮白云。

秋浦歌十七首 其一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 245/-350
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秋浦歌十七首 其九 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -253/350
秋浦歌十七首 其十 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集-254/350
秋浦歌十七首 其十一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-255/350
秋浦歌十七首 其十二 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -256/350
秋浦歌十七首 其十三 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 -257/350
秋浦歌十七首 其十四 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集258/350
秋浦歌十七首 其十五 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集259/350
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秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

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秋浦歌十七首 其一 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -245



秋浦歌十七首  其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。

秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり、蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ。
客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず、行きて東(ひがし)の大楼に上る。
正西(せいせい)して長安を望む、下に江水(こうすい)の流るるを見る。
言(げん)を寄せて江水に向かい、汝の意(い)  儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や。
遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え、我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ。

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現代語訳と訳註
(本文) 其一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。
客愁不可度。 行上東大樓。
正西望長安。 下見江水流。
寄言向江水。 汝意憶儂不。
遙傳一掬淚。 為我達揚州。


(下し文)
秋浦(しゅうほ) 長(とこし)えに秋に似たり、蕭条(しょうじょう) 人をして愁えしむ。
客愁(かくしゅう) 度(すく)う可からず、行きて東(ひがし)の大楼に上る。
正西(せいせい)して長安を望む、下に江水(こうすい)の流るるを見る。
言(げん)を寄せて江水に向かい、汝の意(い)  儂(われ)を憶(おも)うや不(いな)や。
遥かに一掬(いっきく)の泪(なみだ)を伝え、我が為に揚州(ようしゅう)に達せよ。


 (現代語訳)
秋浦はその名のとおり、いつでも秋のようだ。ここのものさびしさは、人を愁にとじこめる。
旅客としてここの愁はまことに始末におえないものだ。そこで東のかたの大楼山にのぼってみる。
真西の方、秋の真っ最中にあたって長安の方をながめるのだ、眼下にひろがる長江、水の流れを見ている。
ここでわたしは言葉をあなたに寄せようと、長江の流れに向っている。君の心はわたしをおぼえていてくれるかどうか。
ひとすくいの涙は遠い所から伝えてくれて、わしのために、ここと中間の揚州にまで送りとどけてくれないか。


 (訳注) 秋浦の歌 其の一
秋浦長似秋。 蕭條使人愁。

秋浦はその名のとおり、いつでも秋のようだ。ここのものさびしさは、人を愁にとじこめる。
○秋浦 いまの安徽省貴地県。唐代には池州と呼ばれた。揚子江沿岸にある。○粛条 さびしいこと。

客愁不可度。 行上東大樓
旅客としてここの愁はまことに始末におえないものだ。そこで東のかたの大楼山にのぼってみる。
 わたる。かぞえる。計画する。かんがえる。○大樓 秋浦の北の大楼山。

自代内贈 #1~#3 李白
寶刀截流水。無有斷絕時。妾意逐君行。纏綿亦如之。」
別來門前草。秋黃春轉碧。掃盡更還生。萋萋滿行跡。
鳴鳳始相得。雄驚雌各飛。游云落何山。一往不見歸。
估客發大樓。知君在秋浦。梁苑空錦衾。陽台夢行雨。
妾家三作相。失勢去西秦。猶有舊歌管。淒清聞四鄰。」
曲度入紫云。啼無眼中人。妾似井底桃。開花向誰笑。
君如天上月。不肯一回照。窺鏡不自識。別多憔悴深。
安得秦吉了。為人道寸心。」


正西望長安。 下見江水流。
真西の方、秋の真っ最中にあたって長安の方をながめるのだ、眼下にひろがる長江、水の流れを見ている。
正西 真西という意味と秋の真っ最中。


寄言向江水。 汝意憶儂不。
ここでわたしは言葉をあなたに寄せようと、長江の流れに向っている。君の心はわたしをおぼえていてくれるかどうか。
 一人称の人代名詞。近世では女性が親しい相手に対して用いたが、現代では男性が、同輩以下の相手に対して用いる。


遙傳一掬淚。 為我達揚州。
ひとすくいの涙は遠い所から伝えてくれて、わしのために、ここと中間の揚州にまで送りとどけてくれないか。
 両手ですくう。○揚州 江蘇省揚州。長江の下流にあり、当時から繁華な大都会であった。ここから運河を北上し、洛陽、長安に向かう。宋州(河南省商丘市)にのこしたままにしている妻宗氏に、秋浦から書信を出したのだ。

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宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350

宣城見杜鵑花 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集-244/-350
宣城にて杜鵑の花を見る

754天宝十三年から、宜城に遊んだことは間違いない。宣城は金陵の南西に長江を登ったところにあり、この地は李白の思慕する六朝の斉の謝朓が太守をしていたところである。謝朓の遺跡を訪ねて、謝謝の追憶にふけりながら、ここでも多くの優れた作品を残している。


天宝十四載(755)になり、李白は宣城で二度目の春を迎えた。二十四歳で蜀を出てから(旅立ちの詩「眉山月歌 李白 2」)一度も郷里に帰ることのなかった。宣城の杜鵑(つつじ)の花をみて、故郷の春の盛りを思い出さずにはいられなかった。
 「杜鵑花」はつつじだが、「子規鳥」(ほととぎす)は別名を「杜鵑」(とけん)ともいい、古代の蜀王杜宇の化身とされているのだ。この詩は「不如帰去」(帰り去くに如かず)と望郷の想いで鳴いた声、吐いた血が赤いつつじの花になったという伝説に基づいている。


宣城見杜鵑花  李白
蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。

 

宣城にて 杜鵑花を見る
蜀國に 曾て聞く  子規(しき)の鳥,宣城に 還また 見る  杜鵑(とけん)の花。
一叫 一廻  腸(はらわた) 一斷,三春 三月 三巴(さんぱ)を 憶おもう。

杜鵑
ホトトギス
鳥  春の鳥 自然大博物館より

植物 
token hana
秋の花 杜鵑花
tsuzji00
つつじは春。

皐月躑躅(さつきつつじ)」を 省略したもの。つつじの一種。 ・「杜鵑花」とも書く。 杜鵑花(ほととぎす)が鳴く頃に咲く花で あることから。 ・江戸時代から人気があって園芸化がすすみ、 現在、1500種ほどもあるらしい。
 

宣城見杜鵑花 現代語訳と訳註
(本文)

蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。


(下し文)

蜀國に 曾て聞く  子規(しき)の鳥,宣城に 還また 見る  杜鵑(とけん)の花。
一たび叫(な)くこと 一廻  腸(はらわた) 一斷を,三たび春すこと 三月 憶(こころ)の三巴(さんは)。


(現代語訳)

蜀の国にいた頃、かつて子規鳥(ホトトギス)を聞いたことがあったが。今宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見た。
一たび鳴けば、一回断腸の思いがして。春の三か月のうち季春の三月に、(故郷の蜀の国の)三巴の地域を思い出してしまう。



(訳注)
宣城見杜鵑花
 現・安徽省南部の宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見て故郷のことを思い出した。全対格で構成、また数字を有効に使っている。この詩の主旨は「今、宣城で杜鵑花(ツツジの花)を見て、昔、故郷で聞いた子規鳥(ホトトギス)のことを思い出した」ということである。その聯想のキーワードは【ホトトギス】。⇒「杜鵑花(ツツジの花)」と「子規鳥(ホトトギス)」のことである。「杜鵑」も「子規」もホトトギスのことで、そこから聯想された。・杜鵑花:ツツジの花。なお、「杜鵑」はホトトギスのことでもある。「子規鳥」とはホトトギスのことである。
 
 

蜀國曾聞子規鳥,宣城還見杜鵑花。
蜀の国にいた頃、かつて子規鳥(ホトトギス)を聞いたことがあったが。今宣城で、杜鵑花(ツツジ)を見た。 
蜀國 現・四川省。また、現・四川省にあった三国時代の王国。蜀漢。ここでは李白の故郷の意として使われている。○曾聞 昔、聞いたことがある。かつて耳にした。 ○子規鳥 ホトトギス。

燕臺詩四首 其二-#1 現代語訳と訳註
(本文)其二-#1
前閣雨簾愁不巻、後堂芳樹陰陰見。
石城景物類黄泉、夜半行郎空柘彈。」
綾扇喚風閶闔天、軽帷翠幕波淵旋。
蜀魂寂寞有伴未、幾夜瘴花開木棉。』
(下し文)
前閣の雨簾 愁(うれい)て巻かず、後堂の芳樹 陰陰として 見 ゆ。
石城の景物 黄泉に類し、夜半の行郎 空しく柘彈(しゃだん)す。
綾扇(りょうせん) 風を喚(よぶ) 閶闔(しょうこう)の天、軽帷(けいい) 翠幕(すいばく) 波 淵旋(えんせん)す。
蜀魂(しょくこん) 寂寞(せきばく)たり 伴有るや未だしや、幾夜か 瘴花(しょうか)を 木棉(もくめん)を開く。』


李商隠1錦瑟 詩注参照。
錦瑟無端五十弦、一弦一柱思華年。
莊生曉夢迷蝴蝶、望帝春心托杜鵑。
滄海月明珠有涙、藍田日暖玉生煙。
此情可待成追憶、只是當時已惘然。
(下し文)
錦瑟きんしつ端無はし なくも  五十弦ご じうげん,一弦いちげん一柱いっちゅう  華年かねんを思う。
莊生さうせいの曉夢ぎょう む は  蝴蝶こ ちょう に迷い,望帝ぼうていの春心しゅんしん は  杜鵑 と けん に托たくす。
滄海そうかい 月 明あきらかにして  珠たまに涙 有り,藍田らんでん 日ひ 暖かにして  玉は煙を 生ず。
此の情 追憶と成なるを 待つ可べけんや,
只 是れ 當時より  已すでに惘然ぼうぜん。

杜鵑花 (ツツジ)とは、「杜鵑(ホトトギス)の花」(鳴いて血を吐くホトトギスのように赤い花)の意で、そこから故郷の杜鵑(ホトトギス)ことを思い出した、ということ。 


一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴。
一たび鳴けば、一回断腸の思いがして。春の三か月のうち季春の三月に、(故郷の蜀の国の)三巴の地域を思い出してしまう。
「一叫一廻腸一斷,三春三月憶三巴」と「一」や「三」のリズミカルな繰り返しで構成された詠いやすい詩句である。 
一叫 一たび鳴く。 ○一廻 一回。 ○腸 〔ちゃう〕はらわた。性に関する思い、もどかしさ。 ○腸斷 断腸の思いになる。妻との性交の思いを言う。断腸と春が繋がっている。 ○三春 春の三か月。陰暦の孟春(正月)、仲春(二月)、季春(三月)。三度の春。三年。 ○三月 〔さんぐゎつ〕陰暦・三月は季春で、春の最後の月。また、三ヶ月。 ○ 〔おく〕思い出す。忘れない。 ○三巴 現・四川省の東半分の郡名。後漢に置かれた巴・巴東・巴西の三郡の地域。ここでは、前出・「蜀國」とほぼ同意で、作者・李白の故郷の意として使われている。「巴」は四川省東部一帯を指す古名。巴の國に属する山といえは巫山があり、楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させる。李商隠 6 「重過聖女詞」(重ねて聖女詞を過ぎる)詩注参照。





() 國 曾  子規 鳥,



() 城 還  杜鵑 花。





()  一  腸一斷



()  三  憶三巴



こういう「お遊び」をたくさんしている李白の天才たる所以である。



 

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登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210

登金陵鳳凰臺 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 210

                 
久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。金陵における李白の作は多数に上るが、有名な「金陵の鳳風台に登る」である。


登金陵鳳凰臺
鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。

唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。
 
金陵の鳳凰臺に 登る
鳳凰臺(ほうおうだい)上  鳳凰 遊び,鳳 去り 臺 空(むな)しくして  江(こう) 自(おのづか)ら流る。
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は  幽徑(ゆうけい)に 埋(うず)もれ,晉代(しんだい)の衣冠(いかん)は  古丘(こきゅう)と成る。
三山 半(なか)ば落つ  靑天の外(ほか),二水 中分す  白鷺洲(はくろしゅう)。
總(す)べて 浮雲  能(よ)く日を 蔽(おお)うが 為に,長安 見えず  人をして 愁(うれ)いしむ。

李白の足跡300

登金陵鳳凰臺 現代語訳と訳註 解説

(本文)
鳳凰臺上鳳凰遊,鳳去臺空江自流。
呉宮花草埋幽徑,晉代衣冠成古丘。
三山半落靑天外,二水中分白鷺洲。
總爲浮雲能蔽日,長安不見使人愁。

(下し文)
鳳凰臺(ほうおうだい)上  鳳凰 遊び,鳳 去り  臺 空(むな)しくして  江(こう) 自(おのづか)ら流る。
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は  幽徑(ゆうけい)に 埋(うず)もれ,晉代(しんだい)の衣冠(いかん)は  古丘(こきゅう)と 成る。
三山 半(なか)ば 落つ  靑天の外(ほか),二水 中分す  白鷺洲(はくろしゅう)。
總(す)べて 浮雲  能(よ)く 日を 蔽(おお)うが 為に,長安 見えず  人をして 愁(うれ)いしむ。


(現代語訳)
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。


(訳注)

登金陵鳳凰臺
金陵の鳳凰台に登る。 
金陵 現在の南京市。六朝の古都。南朝の各朝の首都。金陵、建業、建、建康、南京。東の郊外にある紫金山(鍾山)を金陵山と呼ぶところから生まれた。戦国時代の楚の威王が金を埋めて王気を鎮めたことによる。○鳳凰臺 南京城の南西にある台。南朝・宋の元嘉十四年(437年)に、孔雀のようで五色の模様のある美しい鳴き声の鳥が集まったことに因って、築いた台とされるが実際に築かれたものか不明。。現・南京市の鳳凰山上とされる。


鳳凰臺上鳳凰遊、鳳去臺空江自流。
かつてこの鳳凰台に鳳凰が舞い、遊んでいた、鳳凰は飛び去り、その栄光の台だけがむなしくありその傍らを長江は何の変りもなくゆったりと流れてゆく。
鳳去 鳳凰は飛び去った。○臺空 鳳凰台は、なにもなくなった。 ○江自流 長江は人の世の思惑や栄枯盛衰とは関わることなく、いつも変わることなく流れている。


呉宮花草埋幽徑、晉代衣冠成古丘。
三国時代孫権が金陵を建業として都をここにおいた、宮殿の花の宮女や草ともする宦官は、人気のない奥深いところに埋れ消えてしまった。 東晋も建康(金陵)に都を置いた、衣冠束帯の貴族、富豪のものも、古い墳墓の土になっている。
呉宮 三国の呉の孫権が建業(金陵、南京)に都を置いたことによる。 
花草 花と草。宮女と宦官のこと。 ○幽徑 奥深い小道。人気のない静かな小道。
晉代衣冠 東晋もここに都を置いた、その時の権門。東晋の貴族。 
衣冠 貴顕。権門富貴。貴族。 
 ~となる。~と変わった。
古丘 古い墳墓。

三山半落靑天外、二水中分白鷺洲。
金陵南西の遠くに三山がある、澄み切った大空が広がり山々はまるで大空の向こうへ半ば零れ落ちそうである。一筋に雄々しく流れる長江の中州、白鷺洲のところで別れて流れている。
三山 金陵の南西にある山で南北に三つの峰が並んでいるとされる。清涼山、獅子山等。李白流の表現でポコポコと山が見えるというこの句全体、遠近法、立体感を出す表現になっている。 
半落 青空の向こうへ半ば落ちている。
靑天外 青空のむこうがわ。
二水 長江の二筋の川。 
中分 川の流れは、中州で分流する。
白鷺洲 はくろしゅう、長江へ注入する秦淮河の合流点付近の中州の名。

總爲浮雲能蔽日、長安不見使人愁。
唐王朝は、結局、雲が日を覆い隠すように、奸臣、邪臣が、天子の明徳を覆い隠しておるだけだ。そのせいで長安が見えないのだ、わたしの心は悲しい思いに沈んでいるのだ。 
總爲 すべて~のために。結局~のために。
浮雲 天子に讒言し、事実を隠し、自己の利益にのみで動く。宦官の高力士、宰相李林甫、のち宰相楊国忠、節度使安禄山、等を指す。 
蔽日 天子の明徳を覆い遮る。 
天子。ここでは、玄宗のことになる。 
長安 天子のいる首都長安。現・西安。 
使人愁 人を悲しくさせる。「人」は、ここでは作者のことになる。

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(解説)

この詩は、崔顥の「黄鶴楼」に触発されて作ったものといわれている。「鳳凰台」 の遺跡は今の南京城内にあるが、六朝、宋の元嘉年間に、瑞鳥の鳳風が城内の山にとまったのを記念して、台を建てたという。むろん李白のころは、その台がまだあった。「昔、この台に鳳凰が遊んだというが、今はその鳥も来ず、台だけがむなしく残り、近くを流れる江はそれなりに流れている。その昔の呉の宮殿に咲いた花草は奥深い小路を埋めている。ここは三国時代に呉の孫権が都して宮殿を建てた所である。また、東晋時代も都した所でもある。その時代の衣冠をつけた役人たちも、今は死んでしまい、古い墓が残されているだけである」。

長安を追放されて、五、六年たつが、なお玄宗のことを心配している詩になる。そうなると李白の感慨はさらに一転することになる。
金陵付近の風景、長江を上下するときの風物は、李白の追放の悲しみと旅愁を慰め、しばし自然の美しさにすべてを忘れることもあった。金陵をさかのぼって、白壁山を過ぎ、安微の銅陵県の東南にある天門山に到達した。

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古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198

古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198


古風 其四十 李白
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
懐恩未得報、感別室長歎。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。



古風 其の四十

鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅(ろうかん)

焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。






古風 五十九首 其四十 訳註と解説
(本文)
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

  

(下し文)
鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅玕(ろうかん)。
焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。
朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。
帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。
幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。
恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。

  

(現代語訳)
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。


(語訳と訳註)

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
鳳凰ほうおう。姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。椅桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。○ 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。○琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。



焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。○刺蹙こせこせ。



朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。



歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
海路遠 仙境は海上はるか先の島ということ。李白の住まいは相応のもの以下だったのかもしれない。



幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
王子晉むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。「列仙伝」に見える。○青雲 青雲の志、立身出世。
 

懐恩未得報、感別空長歎。
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

(解説)
李白は朝廷に入っていたこと、その生活を後になって、いろんな形で表現している。放浪生活の中で、招かれたところで披露する詩であったものであろう。
 朝廷にいるときにはたとえ朝廷を仙境と比喩してもこういった詩は詠うことはできない。梁園、北方、鄴中と漂泊轉蓬の中で招かれたところで詠うと効果は大きかったと思う。


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