漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

人生に影響を与えた史実

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰 安史の乱と李白(5) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 219

漢詩李白 219 經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰 安史の乱と李白(5) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 219

(乱を経て離れて後、天恩により夜郎に流さる、旧游を憶い懐を書す、江夏の韋太守良宰に贈る)


安禄山によって長安が陥れられた悲惨な情況は、洛陽の陥落よりさらに悲惨で、李白の胸をえぐるものがある。
のちに李白が、永王璘に荷担した罪に問われ、夜郎に流されたとき、十年くらい前、その当時を思い出して作った大長篇の詩があるが、李白詩中最長篇で、五言、百六十六句から成る超大作で、李白の経歴を述べた自叙伝的詩でもある。

「經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰」(乱離を経て後、天恩ありて夜郎に流さる。旧遊を憶いて懐いを害し、江夏の葦太守良宰に贈る)である。その中に、長安の陥落を歌っている。(この詩をもってブログ李白詩350の最終回にする予定なのだが、ここでは詩のちょうど中ごろ、安禄山の部分だけをここで取り上げる)


經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰
(安禄山の乱関係個所)

漢甲連胡兵、沙塵暗云海。
王朝軍の甲冑をつけた兵士は叛乱軍と入交り、連らなったのだ、そのため、国中が沙塵のため暗くなるほどであった
草木搖殺氣、星辰無光彩。
草木だが、これは普通に人まで内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気がただよい、揺れているのだ、星は砂塵で見えなくなり光彩を放っておらず、生きる希望までなくなってしまうのだ。
白骨成丘山、蒼生竟何罪。
大殺戮がなされたのでおびただしい白骨は丘山ほどの高さになった、青々とした草原であり人民に何の罪かあるというのか。
函關壯帝居、國命懸哥舒。
函谷関、潼関は長安、王朝を守る生命線であるため勇壮に戦ってほしい、天下国家の命運は哥舒翰総司令官に懸かっているのだ。
長戟三十萬、開門納凶渠。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くした兇渠(かしら)を長安にまで入場させてしまった。
公卿如犬羊、忠讜醢輿菹。
役に立たない公卿は犬羊のように追い詰められ、為すところがない。召使のようにされている。忠義のもの、朝臣だったものはことごとく塩辛、塩漬物にされてしまったのである。


(乱を経て離れて後、天恩により夜郎に流さる、旧游を憶い懐を書す、江夏の韋太守良宰に贈る)

漢の甲は胡兵に連なり、沙塵のため雲海は暗し。
草木には殺気揺らぎ、星辰には光彩無し。
白骨は丘山と成る、蒼生は竟に何の罪かあらん。
函関は帝居を壮んならしめ、国命は哥舒(かじょ)に懸かる。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて兇渠(かしら)を納(い)る
公卿は犬羊を奴(つかう)うがごとくされ、忠讜(ただ)しきものは醢(かい)と菹(しょ)にせらる。


經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰
(安禄山の謀叛)  現代語訳と訳註 解説
(本文)
漢甲連胡兵、沙塵暗云海。
草木搖殺氣、星辰無光彩。
白骨成丘山、蒼生竟何罪。
函關壯帝居、國命懸哥舒。
長戟三十萬、開門納凶渠。
公卿如犬羊、忠讜醢輿菹。

(下し文)
漢の甲は胡兵に連なり、沙塵のため雲海は暗し。
草木には殺気揺らぎ、星辰には光彩無し。
白骨は丘山と成る、蒼生は竟に何の罪かあらん。
函関は帝居を壮んならしめ、国命は哥舒(かじょ)に懸かる。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて兇渠(かしら)を納(い)る
公卿は犬羊を奴(つかう)うがごとくされ、忠讜(ただ)しきものは醢(かい)と菹(しょ)にせらる。

(現代語訳)
王朝軍の甲冑をつけた兵士は叛乱軍と入交り、連らなったのだ、そのため、国中が沙塵のため暗くなるほどであった
草木だが、これは普通に人まで内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気がただよい、揺れているのだ、星は砂塵で見えなくなり光彩を放っておらず、生きる希望までなくなってしまうのだ。
大殺戮がなされたのでおびただしい白骨は丘山ほどの高さになった、青々とした草原であり人民に何の罪かあるというのか。
函谷関、潼関は長安、王朝を守る生命線であるため勇壮に戦ってほしい、天下国家の命運は哥舒翰総司令官に懸かっているのだ。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くした兇渠(かしら)を長安にまで入場させてしまった。
役に立たない公卿は犬羊のように追い詰められ、為すところがない。召使のようにされている。忠義のもの、朝臣だったものはことごとく塩辛、塩漬物にされてしまったのである。


(訳註)
漢甲連胡兵、沙塵暗云海。

王朝軍の甲冑をつけた兵士は叛乱軍と入交り、連らなったのだ、そのため、国中が沙塵のため暗くなるほどであった。
漢甲 王朝軍の甲冑をつけた兵士。○胡兵 安禄山はトルコ人との混血5か国語を話した。その兵士の中には、税逃れや、異国、異民族の兵士がたくさんいたので、胡といったもの。○沙塵 戦いの際の巻き起こる砂塵。両軍合わせると40万を超え、人馬でいえば100万位かもしれない○暗云海 ここでの雲海は、世の中、国中という意味。

草木搖殺氣、星辰無光彩。
草木だが、これは普通に人まで内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気がただよい、揺れているのだ、星は砂塵で見えなくなり光彩を放っておらず、生きる希望までなくなってしまうのだ。
草木 草木だが、これは普通に人のことも意味する。○搖殺氣 内通や、裏切りにより殺し合いが起こる雰囲気を言う。○星辰 大空の星。○無光彩 実際に砂塵により見えなくなったのであろうが、ここには希望の星まで見合なくなったという意味が込められている。


白骨成丘山、蒼生竟何罪。
大殺戮がなされたのでおびただしい白骨は丘山ほどの高さになった、青々とした草原であり人民に何の罪かあるというのか。
白骨 この反乱によって殺された人のこと。○成丘山 世界史上最高の最大の大殺戮がなされたのでおびただしい数であった。○蒼生 青々とした草原であり人民という意味。


函關壯帝居、國命懸哥舒。
函谷関、潼関は長安、王朝を守る生命線であるため勇壮に戦ってほしい、天下国家の命運は哥舒翰総司令官に懸かっているのだ。
函關 函谷関、潼関。○壯帝居、長安、王朝を守る生命線であるということ。○國命 天下国家の命運。○懸哥舒 総司令官の哥舒翰。この前に洛陽を守りきらなかった高之仙を処刑している。高仙之は743年タラスの戦いでは成果を上げている。


長戟三十萬、開門納凶渠。
長戟(ちょうげき)の三十万、門を開いて凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くした兇渠(かしら)を長安にまで入場させてしまった。
○長戟 長い戟を持った兵士。○三十萬 唐の国軍、三十萬。○開門 国の命運をかけた函谷関、潼関より入れてしまった。○納凶渠 反乱軍のかしらというだけでなく、凶暴、虐殺、殺戮、略奪の限りを尽くしたかしらということ。


公卿如犬羊、忠讜醢輿菹
役に立たない公卿は犬羊のように追い詰められ、為すところがない。召使のようにされている。忠義のもの、朝臣だったものはことごとく塩辛、塩漬物にされてしまったのである。
公卿 貴族官僚諸侯。○忠讜 忠義のもの、朝臣。○醢輿菹 塩辛、塩漬物。



唐と安禄山の軍隊と入りまじった戦いのため、兵馬の挙げる砂塵は天をも暗くし、草木には殺気がただよい、空の星も輝きが薄れる、戦死者の白骨は山と積まれる悲惨な状態である。戦乱のために苦しむのは民草である。いったい人民に何の罪があるというのか。
李白はおそらく為政者の楊国忠・高力士たちを思い浮かべて歌っているのであろう。政治がよくなければ迷惑するのは民草、人民である。                
「函谷関が堅固であることが天子のいる長安を支えることになるし、天下の運命はひとみかん潼関を守る総司令官の哥舒翰にかかっている。長き戟を持った唐の軍隊三十万もおりながら、戦い敗れて、関門を開いて叛乱軍安禄山を潼関より入れてしまった。情けないことだ。一挙に長安は占領され、役にたたぬ公卿たちは犬羊のごとく追いまわされ、なすところを知らず。忠義の者は塩辛や塩漬けにされてしまった。叛乱軍の横暴略奪は悲惨を極めた」と、当時の乱離の様を追憶している。杜甫もしきりに安禄山の乱を歌い、その悲惨さを多く歌っているが、詩人ならずとも、当時の人々に特技た衝撃は大きかった。この時、玄宗の周りには、楊貴妃一族、奸臣、高力士などの宦官勢力だけであった。



經亂離後天恩流夜郎 、憶舊游書懷贈江夏韋太守良宰

天上白玉京。 十二樓五城。 仙人撫我頂。 結發受長生。
誤逐世間樂。 頗窮理亂情。 九十六聖君。 浮云挂空名。
天地睹一擲。 未能忘戰爭。 試涉霸王略。 將期軒冕榮。
時命乃大謬。 棄之海上行。 學劍翻自哂。 為文竟何成。
劍非萬人敵。 文竊四海聲。 兒戲不足道。 五噫出西京。
臨當欲去時。 慷慨淚沾纓。 嘆君倜儻才。 標舉冠群英。
開筵引祖帳。 慰此遠徂征。 鞍馬若浮云。 送余驃騎亭。
歌鐘不盡意。 白日落昆明。 十月到幽州。 戈(鋋)若羅星。
君王棄北海。 掃地借長鯨。 呼吸走百川。 燕然可摧傾。
心知不得語。 卻欲棲蓬瀛。 彎弧懼天狼。 挾矢不敢張。
攬涕黃金台。 呼天哭昭王。 無人貴駿骨。 (騄)耳空騰驤。
樂毅儻再生。 于今亦奔亡。 蹉跎不得意。 驅馬還貴鄉。
逢君聽弦歌。 肅穆坐華堂。 百里獨太古。 陶然臥羲皇。
徵樂昌樂館。 開筵列壺觴。 賢豪問青娥。 對燭儼成行。
醉舞紛綺席。 清歌繞飛梁。 歡娛未終朝。 秩滿歸咸陽。
祖道擁萬人。 供帳遙相望。 一別隔千里。 榮枯異炎涼。
炎涼几度改。 九土中橫潰。

漢甲連胡兵。 沙塵暗云海。 草木搖殺氣。 星辰無光彩。
白骨成丘山。 蒼生竟何罪。 函關壯帝居。 國命懸哥舒。
長戟三十萬。 開門納凶渠。 公卿如犬羊。 忠讜醢輿菹。

 二聖出游豫。 兩京遂丘墟。 帝子許專征。 秉旄控強楚。
節制非桓文。 軍師擁熊虎。 人心失去就。 賊勢騰風雨。
惟君固房陵。 誠節冠終古。 仆臥香爐頂。 餐霞漱瑤泉。
門開九江轉。 枕下五湖連。 半夜水軍來。 潯陽滿旌旃。
空名適自誤。 迫脅上樓船。 徒賜五百金。 棄之若浮煙。
辭官不受賞。 翻謫夜郎天。 夜郎萬里道。 西上令人老。
掃蕩六合清。 仍為負霜草。 日月無偏照。 何由訴蒼昊。
良牧稱神明。 深仁恤交道。 一忝青云客。 三登黃鶴樓。
顧慚檷處士。 虛對鸚鵡洲。 樊山霸氣盡。 寥落天地秋。
江帶峨嵋雪。 川橫三峽流。 萬舸此中來。 連帆過揚州。
送此萬里目。 曠然散我愁。 紗窗倚天開。 水樹綠如發。
窺日畏銜山。 促酒喜得月。 吳娃與越艷。 窈窕夸鉛紅。
呼來上云梯。 合笑出帘櫳。 對客小垂手。 羅衣舞春風。
賓跪請休息。 主人情未極。 覽君荊山作。 江鮑堪動色。
清水出芙蓉。 天然去雕飾。 逸興橫素襟。 無時不招尋。
朱門擁虎士。 列戟何森森。 剪鑿竹石開。 縈流漲清深。
登台坐水閣。 吐論多英音。 片辭貴白璧。 一諾輕黃金。
謂我不愧君。 青鳥明丹心。 五色云間鵲。 飛鳴天上來。
傳聞赦書至。 卻放夜郎回。 暖氣變寒谷。 炎煙生死灰。
君登鳳池去。 忽棄賈生才。 桀犬尚吠堯。 匈奴笑千秋。
中夜四五嘆。 常為大國憂。 旌旆夾兩山。 黃河當中流。
連雞不得進。 飲馬空夷猶。 安得羿善射。 一箭落旌頭。

安史の乱と李白(2) 「古風 其十九」 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214

漢詩李白 214 安史の乱と李白(2) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 214

白ブログ210安史の乱と李白(2)で書いたように、始まりは安禄山の乱、その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地に一生を送る気持ちでいた。都追放は大きな痛手であった。心の平静をとり戻したとき、突如、安禄山の謀反の報が入って、詩人を驚愕させた。時に755年天宝十四年11月、李白55歳のことである。安禄山については、李白も長安時代、宮中で会っている。それが叛乱を起こしたと聞き、李白は驚をとおりこしたにちがいない。

 安禄山は、異民族出身でありながら、天宝の初め、平底節度使兼花陽節度使となり、東北地方の実権を握り、長安にしばしば参朝、玄宗に媚辞の男でうまくとり入り信任を得ているのである。楊貴妃に至っては、自分の利益と安禄山の野望が合致にして、このヒグマのような男を楊貴妃の養子にしているのである。馬に乗ること、歩くことも困難なくらい肥満の男であったのだ。750年天宝10年には河東節度使も兼ねるほどの勢力を得、玄宗の絶大の信任を得るに至った。初めは宰相李林甫には頭が上がらなかった。752年李林甫が病死以後、楊氏一族の楊国忠が宰相となるに及んで、楊国忠と対立して、勢力を争うようになってきた。玄宗は安禄山に宰相の地位を与えようとしたが、楊国忠に反対されて実現されなかった。安禄山は、長安から詣陽(北京)に引き揚げてしまった。この時、両者の力を均等にできていたなら、歴史はちがっていたかもしれない。しかし、着々と反乱の準備をととのえた。叛乱前の不穏な動きは、李白、杜甫の詩にもある。

幽州胡馬客歌 李白 紀頌之の漢詩 李白193

行行游且獵篇 李白 紀頌之の漢詩 李白194

聽胡人吹笛 李白 Kanbuniinkai李白特集350- 207


 ついに755年天宝14年11月9日、配下の軍隊十五万人を率いて洛陽に向かって進軍を開始した。そして、一か月後には洛陽を陥落させて、年を越して洛陽でみずから大燕皇帝と名のった。玄宗は哥舒翰に命じて潼関で防備させ、さらに洛陽の回復を命じたが、やがて安禄山軍のため潼関の守りも破られてしまった。この敗戦の前に、玄宗は、朝臣、賢臣の郭子儀を讒言によって詩を命じている。朝臣、賢臣の団結、体制の回復をすべき時、奸臣、宦官らの讒言を取り入れる王朝のたいせいでしかなかったのである。


756年
 天宝十五年六月、玄宗は、楊貴妃姉妹・楊国忠・高力士を従えて蜀に豪塵することになった。蜀に行く途中、長安の西に馬鬼駅があるが、ここが悲劇の場所である。玄宗の率いる軍隊によって楊国忠・楊貴妃の姉妹が殺され、ついで楊貴妃も絞死するという事態になった。この玄宗と楊貴妃の悲恋物語は、のちに白楽天の「長恨歌」によって有名となったことは周知のとおりである、玄宗は蜀に行ったが、皇太子は北方の霊武に行き、即位して、至徳と改元する。これが粛宗である。それは七月のことである。安禄山は長安に入り、略奪をほしいままにして、長安は大混乱となった。

李白は、安禄山の反乱の起こった報を、宣城で聞いた。かつて宮中で会っている男であり、ヒグマのようである、ジャンボ蝦蟇にしか見えない容貌であった。この男は数か国語もしゃべり、玄宗にとり入り、能弁の男であった。  
李白とは正反対の男であり、腰が低く権力者に媚を売ってとり入る性格の持ち主であって親しくつきことなどまったくなかった。しかし、その男が謀反を起こし、しかも東都洛陽を占領したと聞けば、李白の任侠心が許さない。
憤慨の心を抱きつつ、李白は、一生住んでもよいと思った宣城をあとにして、また流浪の旅に出る。行く先は旧遊の地、刻中(新江省煉県)である。江南で最も山水美に富む所で、近くは刻漢の名勝地があり、かつて李白は、長安に入る前に滞在して、その山水美を楽しんだ所である。

--------------古風其十九
この「古風」五十九首中、「その十九」には、はじめに、仙人となって天上に上り、大空を飛んで下界を見る表現をとり、空想的に描いた神仙の世界を歌っているが、その大空から現実の「下界を見れば」として洛陽辺のことを歌う。


古風五十九首 其十九

西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。



古風 其の十九

西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。

素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。

霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。

我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。

恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ

俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。

流血 野草にまみれ。 豺狼盡々冠纓。





風五十九首 其十九 現代語訳と訳註
(本文)

西岳蓮花山。 迢迢見明星。 素手把芙蓉。 虛步躡太清。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。 邀我登云台。 高揖衛叔卿。

恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。 俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。

(下し文)
古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。


(現代語訳)
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


(訳註)
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。


素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。


霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。


邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。


恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
恍恍 うっとり、夢見心地。○ 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。


俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の755天宝14載11月9日、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年12月13日には、も東都洛陽を陥落した。


流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。



 洛陽には洛水が流れている。「その辺りは胡兵たるぞく叛乱軍がいずこにも走りまわっている。戦いのために、野草が血塗られている。財狼に比すべき叛乱軍軍は、みな衣冠束帯をつけて役人となり、横暴を極めている」。「流血は野草を塗らし、財狼のもの尽く冠の樫をす」には、安禄山の配下の者が、にわか官僚となって、かってな振舞いをしていることに対する李白の憤りがこめられている。
安禄山によって長安が陥れられた悲惨な情況は、洛陽の陥落よりまして李白の胸をえぐるものがあった。



--------------------扶風の豪士の歌へ



安史の乱 と李白 (1)Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 213

安史の乱

概要
1. 755年11月初から763年にかけて、范陽・北方の辺境地域(現北京周辺)の三つの節度使を兼任する安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱である。

安禄山の乱

2. 反乱した安禄山の軍に対する唐の国軍の大部分はほとんどが経験の少ない傭兵で、全く刃が立たず、安禄山率いる反乱軍は挙兵からわずか1ヶ月で、唐の東都(中国の中心と考えられていた)洛陽を陥落させた。


3. 安禄山は皇帝(聖武)を名乗り、さらに長安へと侵攻を開始し6月長安の手前最後の砦である潼関が破られる。玄宗は蜀(現在の四川省)へと逃れる。その途上の馬嵬で、楊国忠、息子の楊暄・楊出・楊曉・楊晞兄弟、楊貴妃も絞殺された。


4. 玄宗は退位し、皇太子の李亨が霊武で粛宗として即位した。
安反乱軍は常に内紛を起こし、安禄山は息子慶緒に殺され、さらに史思明に殺害され権力は変わっていく。この反乱勢力の分裂は各地の叛乱を呼び起こす。しかし、一つの力にまとまらないものはやがて他国に援軍を求めた唐の国軍に制圧されることになる


5.王朝内部では、宦官勢力が強くなり、国全体では、潘鎮が地方の王気取りになっていき、王朝は実質支配を限定されたものとなっていく。しかしこれから150年唐王朝は続くのである。
 


叛乱軍の侵攻

●杜甫が奉先県の家族のもとで幼子の死を嘆いているころ、幽州の指陽(今の北京)では安禄山が兵を挙げていた。杜甫44歳の時である。

●その時李白は敬慕する謝跳曾遊の地、宜城に一生を送りたいと思いつつあったとき、突如、安禄山の報が入って、驚愕させた。時に李白55歳の時である。


■ 安禄山の叛乱  755年 11月~

755 天宝十四年11月 9日、「逆賊・楊国忠を討て」と勅命を受けたと偽り、息子の安慶緒、高尚、厳荘、孫孝哲、阿史那承慶らと范陽で反乱を起こす。15万人の大軍を率いて夜半に洛陽への進軍する。太原、河北の諸郡は全て降伏させた。


12月13日には東都洛陽を陥してしまった。そうして翌年の6月18日には長安に入城する。その間の様子を少し詳しく述べると、


755 11月16日-朝廷では安西節度使封常清を召して対策を下問。封常清を先鋒部隊の大将として洛陽に進発させた。


755 12月 2日-高仙芝が総司令官として東に向かった。


755 12月 6日-陳留(河南省開封の陳留)陥落。


755 12月10日-鄭州(河南省許昌の鄭県)陥落。


755 12月13日-洛陽陥落。敗れた封常清は、高仙芝とともに洛陽と長安の間にある潼関で安禄山軍をくい止めようとしたが、監軍(目付)として従っていた嘗者の辺令誠の蔑言により、両名は玄宗より死を賜わった。そのあとは河西・院右の節度使哥舒翰に引き継がれた。


756 天宝15年元旦-安禄山は洛陽で帝位に即き、大燕聖武皇帝と称した。
 史思明と蔡希徳が常山を陥落させ、河北の奪還に成功した。しかし、唐側の郭子儀と李光弼によって、史思明が敗北し、さらに顔真卿が激しい抵抗を重ね、再び河北の情勢は危うくなる。再度、史思明が郭子儀と李光弼に敗北したことにより、河北の十数郡が唐に奪回される。南方も唐側の張巡らの活躍によって、配下の尹士奇や令狐潮の進軍を止められてしまう。


河北において、常山太守の顔杲卿と平原太守顔真卿が唐のために決起したため、叛乱軍は潼関攻撃を止め、河北へと引き返すところへ追いつめられた。

潼関に陣を布いた哥舒翰は、叛乱軍と対峙して動かなかったが、その間に平原太守の顔真卿ら河北の軍が賊の後方を撹乱したため、安禄山は花陽への一時撤退を考えはじめていた。ところが朝廷では、楊国忠らが哥舒翰の待期作戦に業をにやし、潼関を出て戦うよう督促。
 
叛乱軍の侵攻
756 6月 4日 潼関を出た哥舒翰は、函谷関の西、霊宝県で安禄山軍と戦って大敗。潼関へ逃げ帰ったのち、部下に強要されて賊に降った。
孫孝哲、張通儒、安守忠、田乾真に長安、関中を治めさせた。陳希烈、張均、張洎らは叛乱軍に降伏し、王維は捕らえられ、洛陽に連行された。長安、洛陽は、大虐殺を行ったので長安洛陽での反抗反撃がなくなり略奪の限りを尽くし、悲惨な状況になる。潼関の勝利に甘んじて唐国軍をそれ以上追わなかった。

杜甫乱前後の図003鳳翔

756 6月 10日 宮中で御前会議が開かれ、楊国忠は蜀(四川省) への行幸を請い、玄宗はそれを了承。


756 6月13日早朝-玄宗は貴妃姉妹、皇子、皇孫、楊国忠および側近の者だけを連れ、陳玄礼の率いる近衛兵に衛られて西に向かった。


756 6月14日 馬嵬の駅で護衛の兵たちは、このような事態を招いた責任を問い、楊国忠および韓国夫人・秦国夫人を殺害。さらに楊貴妃に死を賜うことを要求。玄宗はやむをえずそれに従った。玄宗は皇太子(李亨)に討賊の任を与えてあとに残し、皇太子は西北の辺境にある霊武(寧夏回族自治区霊武)に逃れ、群臣に推されて帝位に即く(粛宗)。


756 6月18日-賊軍は長安へ入城。


756 6月19日-玄宗の一行は散開(隣酉省宝鶏市西南)に至る。


756 7月  唐側は態勢を立て直すのに成功した。関中の豪族たちが唐側についた。また、河北では顔真卿が抵抗を続け、南では張巡の守る雍丘を陥落できない状況が続いていた。


756 7月 唐の皇太子李亨が粛宗として、霊武で即位、郭子儀が軍を率いて加わった。唐軍が勢力回復するかと思われたが、房琯(杜甫のおさな馴染み)が敗れ、郭子儀と李光弼が山西に退き、史思明が河北で勝利し、顔真卿も平原を放棄し河南に逃げる。


756 7月28日 ようやく成都へ到着。


757 至徳2年(757年)正月、安慶緒は安禄山を殺害しこの乱は安慶緒によって続けられる。さらに、安慶緒は史思明に殺され、引き継がれたために安史の乱と呼ばれるようになり、史思明の子・史朝義が殺される763年まで続いていくことになった。この後も、安禄山の旧領はその配下であった3人が節度使として任命され、「河北三鎮」として唐に反抗的な態度を続けることになる。

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