漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
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尋ねる・抒情詩

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306
(孟浩然・張九齢・陳子昂・張説・李白「峴山」懐古について)


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田園作元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下層石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)

詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。 
孟浩然     (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
  白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


登襄陽峴山 張九齢


登襄陽峴山
襄陽の峴山に登る
昔年亟攀践、征馬復来過。
ここで昔、劉備は挙兵し、早いうちに皇帝に即位した、このあたりの守りを関羽に任せ、この地で度々戦いが繰り広げられたのである。
信若山河舊、誰知歳月何。
信義・信頼というものは山河のように昔から変わらないものだ、この歳月の流れをだれが知っているというのか。
蜀相吟安在、羊公碣已磨。
諸葛孔明は、隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだが今はどこにいるのだろう、羊祜公はこの地のために役立った、この地の人々によって建てられた堕涙碑の文字も風化し既に読めなくなっている。
令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
戦をすすめるはかりごと、法令、律令が定められたが今はさびしい限りだ。それでうまく行ったこともあればうまくいかなくて挫折したこともあったのだ。
宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
逶迱春日逍、感寄客情多。
陽炎は春の日にも遙かにゆらゆら揺れるものである。古きことを思いここを訪れる人、旅人は多感し、感情をたかぶらせるのだ。
地本原林秀、朝来煙景和。
この地は、地形、地質、本来持っているものの恵みが秀逸なものである。朝が来ると霞(かすみ)たなびく春の景色もこのちを和ませてくれる。
同心不同賞、留歎此巌阿。
同じ志を持っているということで同じ賞賛をされるということはない。嘆きをここにとどめているのは大岩の窪みの沈碑潭に残しているのだ。


襄陽の峴山に登る
昔年、亟(すみや)かに攀践し、
征馬、復た来り過ぐ
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き
誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
令図、尚ほ寂寞、嘉会、亦た蹉跌。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に


登襄陽峴山 現代語訳と訳註
(本文) 登襄陽峴山

昔年亟攀践、征馬復来過。
信若山河舊、誰知歳月何。
蜀相吟安在、羊公碣已磨。
令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
逶迱春日逍、感寄客情多。
地本原林秀、朝来煙景和。
同心不同賞、留歎此巌阿。


(下し文) 襄陽の峴山に登る
昔年、亟(すみや)かに攀践し、征馬、復た来り過ぐ。
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き、誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを。
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
令図 尚ほ寂寞、嘉会 亦た蹉跌。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波。
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す。
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に。


(現代語訳)
襄陽の峴山に登る
ここで昔、劉備は挙兵し、早いうちに皇帝に即位した、このあたりの守りを関羽に任せ、この地で度々戦いが繰り広げられたのである。
信義・信頼というものは山河のように昔から変わらないものだ、この歳月の流れをだれが知っているというのか。
諸葛孔明は、隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだが今はどこにいるのだろう、羊祜公はこの地のために役立った、この地の人々によって建てられた堕涙碑の文字も風化し既に読めなくなっている。
戦をすすめるはかりごと、法令、律令が定められたが今はさびしい限りだ。それでうまく行ったこともあればうまくいかなくて挫折したこともあったのだ。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
陽炎は春の日にも遙かにゆらゆら揺れるものである。古きことを思いここを訪れる人、旅人は多感し、感情をたかぶらせるのだ。
この地は、地形、地質、本来持っているものの恵みが秀逸なものである。朝が来ると霞(かすみ)たなびく春の景色もこのちを和ませてくれる。

同じ志を持っているということで同じ賞賛をされるということはない。嘆きをここにとどめているのは大岩の窪みの沈碑潭に残しているのだ。


(訳注)
登襄陽峴山

襄陽の峴山に登る
襄陽 襄陽は、峴山・万山・鹿門山といった優美な山々に囲まれ、漠水・白水(現在の唐白河)といった清らかな緑水に抱かれた、山水豊かな都市として、あるいはまた古来から中国の南北を繋ぐ交通の要衝として開けた、商業盛んな繁華な都市としてその名を知られている。また、歴史的にも文化的にも詩的素材の宝庫と言ってよい。○峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。羊祜の墮淚碣がある。

昔年亟攀践、征馬復来過。
昔年、亟(すみや)かに攀践し、征馬、復た来り過ぐ
ここで昔、劉備は挙兵し、早いうちに皇帝に即位した、このあたりの守りを関羽に任せ、この地で度々戦いが繰り広げられたのである。
 すみやかに。たるまずに、急いで。 「棘」に当てた用法。 〔キ〕しばしば。 【亟やか】すみやか. 手間取らずに急いで。あわただしく。すぐさま。 【亟遊】きゆう. よく行くこと。 「亟遊の地」 「曾遊」. 【亟行】きょくこう. 急いで行くこと。○攀践 攀は引っ張る。あがる、で朝廷に召されたこと言う。践はふむ。. 【踏む・履む・践む】 1.合わす。入る。交わる。乗る。収(治)める。継ぐ。連ねる。現す。表す。保つ。留める。 2.狭める。締める。抱える。押す。攻める。潰す。 3.離れる/離す。放つ。開く。 4.正の方向に離れる/離す。高まる・勢い付く・栄る


信若山河舊、誰知歳月何。
信(まこと)に山河の旧(ふる)きが若き、誰か知らん、歳月の何(いくば)くなるを
信義・信頼というものは山河のように昔から変わらないものだ、この歳月の流れをだれが知っているというのか。


蜀相吟安在、羊公碣已磨。
蜀相の吟、安くにか在る、羊公の碣、已に磨したり。
諸葛孔明は、隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだが今はどこにいるのだろう、羊祜公はこの地のために役立った、この地の人々によって建てられた堕涙碑の文字も風化し既に読めなくなっている。
○蜀相 隆中において諸葛亮は梁父吟を吟じながら農耕に励んだ。○ 梁父吟。○羊公 堕涙碑。羊公石。已磨


令圖尚寂寞、嘉會亦蹉跌。
令図、尚ほ寂寞、嘉会、亦た蹉跌。
戦をすすめるはかりごと、法令、律令が定められたが今はさびしい限りだ。それでうまく行ったこともあればうまくいかなくて挫折したこともあったのだ。
令圖 巧いはかりごと。決まり事を書き留める。諸葛亮の「出仕の表」○嘉会 はかりごとがうまくいくこと。○蹉跌 つまずくこと。失敗し行きづまること。挫折(ざせつ)。


宛宛攀城岸、悠悠漢水波。
宛宛たり、攀城の岸、悠悠たり、漢水の波。
樊城は水攻めに会い、その城の岸は水位の伸び縮みした。漢江の波はゆったりと揺れていた。
宛宛 龍が伸び縮みするさま。やわらかくしなやかなさま。龍は諸葛亮をイメージする語でもあるが。○攀城岸 樊城の戦い(はんじょうのたたかい)は、後漢時代の建安24年(219年)に起こった劉備軍の関羽と曹操軍(曹仁・于禁・徐晃)並びに孫権軍(呂蒙・陸遜)の合戦である。○悠悠漢水波
関羽は水陸両軍を率い、子の関平・都督の趙累らと共に樊城を守る曹仁を攻撃した。曹仁の援軍として、七軍を率いた于禁が駆けつけるが、折からの悪天候により大洪水が起こり、七軍は水没。関羽は船団を率いて攻撃をかけ、于禁と彼が率いていた3万の兵を降伏させ、龐徳を斬った。また、このとき荊州刺史の胡修・南郷太守の傅方らが関羽に降っている。関羽は樊城を完全に包囲し、別将を派遣して呂常が守る襄陽までも包囲した。関羽水淹七軍


逶迱春日逍、感寄客情多。
逶迱(いた)として春日遠く、感は寄せて客情多し。
陽炎は春の日にも遙かにゆらゆら揺れるものである。古きことを思いここを訪れる人、旅人は多感し、感情をたかぶらせるのだ。
逶迱 いい(委蛇)」に同じ。くねくねと曲がっているさま○ さまよう○


地本原林秀、朝来煙景和。
地、本と原林、秀で、朝来、煙景、和す。
この地は、地形、地質、本来持っているものの恵みが秀逸なものである。朝が来ると霞(かすみ)たなびく春の景色もこのちを和ませてくれる。
煙景 霞(かすみ)たなびく春の景色。○地本 地の利が本物である。○原林秀 原野や森林が秀でていること。


同心不同賞、留歎此巌阿。
同心、賞を同にせず、留歎す、此の巌の阿(くま)に。
同じ志を持っているということで同じ賞賛をされるということはない。嘆きをここにとどめているのは大岩の窪みの沈碑潭に残しているのだ。
○同心 同じ志。○此巌阿 漢水杜預沈碑潭、

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金陵江上遇蓬池隱者 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286

金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -286
金陵の江上にて蓬池隱者に遇う


金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上

心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
空言不成歡、強笑惜日晚。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』
#2
共語一執手、留連夜將久。
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
解我紫綺裘、且換金陵酒。
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
酒來笑復歌、興酣樂事多。
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
水影弄月色、清光奈愁何。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。


金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 蔽龍山。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』
#2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。 清光 愁 奈何。
明晨 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。

宮島(1)

 現代語訳と訳註
(本文) #2
 久。酒。/歌、多。何。波。
共語一執手、留連夜將久。
解我紫綺裘、且換金陵酒。
酒來笑復歌、興酣樂事多。
水影弄月色、清光奈愁何。
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』


(下し文) #2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。清光に愁う奈何(いかならん)。
明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。


(現代語訳)
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。


(訳注)
共語一執手、留連夜將久。

(共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。)
二人で真剣に語り合って、お互い引き止めながら夜が更けていくのに長いこと一緒にいる。
○留連 遊興にふけって、家に帰るのを忘れること。中国では「大安」:「奉安」と言われ「友引」は「先負」と「先勝」の間で「ひきわけ」(共引)ということで、「留連」:「友引」とも表現されていた。


解我紫綺裘、且換金陵酒
(我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換す。)
私の持っていた朝廷で来ていた官吏服を荷物から出してきて、それを金陵の酒に変えてしばらくの間、飲んだのだ。
紫綺裳烏紗巾 ともに李白が、長安の翰林供奉時代に着ていた宮中の官吏服であろう。酔ったまぎれに、昔を思い出しつつ、かつての宮中における李白の権威を見せつける気持ちもあったのであろう。○「紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。」官吏の服で権威を示して酒にしたのかもしれない。長安以外の地方ではでたまにしか、官吏の服を見ない、税金の取り立て位の権威をもって酒にしたので、質に入れて金にしたのではない。


酒來笑復歌、興酣樂事多。
(酒 來りて笑い復た歌う。興 酣(たけなわ) 樂しむ事 多し。)
酒が来ると笑うながら飲み、それから歌って飲んだ、酔うことがたけなわになり、音楽でもってたのしみが多くなった。
興酣 酔って最高の気分、それが風流の内であること。李白の気分の乗った時の常套語。李白は琵琶、琴、笙を奏でたのでいろいろしたのであろう。
 
水影弄月色、清光奈愁何。
(水影 月色に弄ぶ。 清光に愁う奈何(いかならん)。
月は長江の水に影を落とし、月の色に遊んだのだ、清々しいこの光は愁いが浮かんで来てどうしようもないのである
奈愁何 押韻のため奈何愁を奈愁何としたもの。

明晨挂帆席、離恨滿滄波。
(明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。)
朝が来て明るくなり、舟で座っていた席を立った、惜しみつつ別れ、そのあとには青々とした波が続いていた。
離恨 別離の悲しみ。人と別れるつらさ。○滄波 隠遁生活にあこがれを持つ李白は、その生活を連想させる滄海とともにこの語をよく使う。

(1)金陵における李白
金陵のエピソードが『旧唐書』 に載せられている。長安を追放されてから、(乃ち江湖を浪跡い、終日沈いに飲む。時に侍御史の崔宗之、金陵に謫官され、白と詩酒もて唱和す。嘗て月夜舟に乗って采石(南京と当塗の中間にある采石磯) より金陵に達る。白は官錦袍を舟中に衣、顧り瞻みて笑倣いし、傍らに人無きが若し。)とある。久しぶりに長安時代における旧友の飲み仲間の崖宗之に会い、都の生活を思い起こし、詩を作り、酒を飲み、唱和したりして、楽しい会合であった。あるときには、月夜に揚子江に舟を浮かべ、采石磯より金陵まで下った。そのときには、長安時代に着た官錦袖を着て、あたりを顧みて平然と笑い、傍若無人の態度をとったという。長安時代の李白に返り、かつての李白の面目が再びよみがえってきたようである


(2)羅浮麻姑台。
麻姑の名は『神仙伝』の巻二「王遠」と巻七「麻姑」の項に見られるが、麻姑に関する部分の記述はほとんど同じである。
漢の孝桓帝の代に、神仙の王遠が平民である蔡経の家に降臨し、使者をやって麻姑を呼び寄せた。麻姑は蔡経の弟の妻が出産数日後であることを遠目から知ると、しばらく近づかぬように言いつけ、清めのために少量の米粒を持ってこさせた。このとき地面に撒いた米は、悉く丹砂(巻七では真珠)に変わったという。
蔡経は麻姑の爪が鳥のように伸びているのを見ると、彼女が神人であるにもかかわらず、心中「この爪で背中を掻けたら気持ちが良いだろう」と考えた。この心を見抜いた王遠は蔡経を捕まえて怒った。このとき蔡経は背を鞭で打たれたが、鞭を打つ人の姿は見えなかったという。
また同様の話は三国時代の『列異伝』にも見られ、この書では、麻姑の爪で背中を掻きたいと思った蔡経は彼女の怒りを買って地に倒れ、両目から血を流したという。


唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))
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金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -285

金陵江上遇蓬池隱者 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -285

(金陵の江上にて蓬池隱者に遇う)

金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上

金陵の長江に浮ぶ船の上で蓬池の隱者に出遭った。(この時は冬で岩にのぼる)
  

心愛名山游、身隨名山遠。
わたしは心の底から名山を尋ねそこで隠遁生活して過ごすことを愛している。しかし自分自身として名山で隠遁することには ほど遠い。
羅浮麻姑台、此去或未返。
羅浮山の仙女麻姑がいるという仙境の修行場があるというのに ここを去ることができず仙境に帰ることもできないでいる。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
こうして蓬莱山頂の池の傍で隠遁生活していた君に偶然出会ったのだ。その昔我々は石の上に座禅をして修行をすることにしていた。
空言不成歡、強笑惜日晚。
でもそれは絵空事になってしまって、無理やり笑ってその日を惜しみながら過ごした。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
澄みきった清流は雁門山からながれている、黄色い雲は龍山を覆い尽くして冬の訪れを知らせてくれる。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』

ため息が出る、いまのわたしは雨の中の烏のような旅人で、呉越をずっと旅をして回っている

#2
共語一執手、留連夜將久。 解我紫綺裘、且換金陵酒。
酒來笑復歌、興酣樂事多。 水影弄月色、清光奈愁何。
明晨挂帆席、離恨滿滄波。』

金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 蔽龍山。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』
#2
共に語り 一に手を執る。留連し將に久しき夜となる。
我 紫綺裘を解き。且く金陵酒に換う。
酒 來りて笑い復た歌う。 興 酣(たけなわ)にして樂しむ事 多し。
水影 月色に弄ぶ。清光に愁う奈何(いかならん)。
明けて晨(あした) 帆席を挂け。 離恨 滄波を滿つ。



金陵江上遇蓬池隱者 #1現代語訳と訳註
(本文)

金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上 #1
心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
遇君蓬池隱、就我石上飯。
空言不成歡、強笑惜日晚。
綠水向雁門、黃云蔽龍山。
嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。』


(下し文)  #1
金陵の江上にて蓬池の隱者に遇う 于の時落星 石上にて
心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山遠。
羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。
君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。

空言 歡び成ず。 強いて笑う日晚惜む。
綠水 雁門に向う。 黃云 龍山を蔽う。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。 』

 (現代語訳)
金陵の長江に浮ぶ船の上で蓬池の隱者に出遭った。(この時は冬で岩にのぼる)
わたしは心の底から名山を尋ねそこで隠遁生活して過ごすことを愛している。しかし自分自身として名山で隠遁することには ほど遠い。
羅浮山の仙女麻姑がいるという仙境の修行場があるというのに ここを去ることができず仙境に帰ることもできないでいる。
こうして蓬莱山頂の池の傍で隠遁生活していた君に偶然出会ったのだ。その昔我々は石の上に座禅をして修行をすることにしていた。
でもそれは絵空事になってしまって、無理やり笑ってその日を惜しみながら過ごした。
澄みきった清流は雁門山からながれている、黄色い雲は龍山を覆い尽くして冬の訪れを知らせてくれる。
ため息が出る、いまのわたしは雨の中の烏のような旅人で、呉越をずっと旅をして回っている


金陵江上遇蓬池隱者 #1  (訳注)
金陵江上遇蓬池隱者 時于落星石上
金陵の江上にて蓬池隱者に遇う (この時 星落ち 石の上にて)
金陵の長江に浮ぶ船の上で蓬池の隱者に出遭った。(この時は冬で岩にのぼる)
落星 星が落ちて、地面に落ちると石となる。北落は北斗七星であり、時期として冬を示す。○石上 樹下、石上等で自発的に坐禅すること。

心愛名山游、身隨名山遠。
(心愛 名山に游ぶ。 身隨 名山 遠し。)
わたしは心の底から名山を尋ねそこで隠遁生活して過ごすことを愛している。しかし自分自身として名山で隠遁することには ほど遠い。
名山 李白は名山を尋ねるのが好きで各地の名山を題材にしている。すべて道教の寺観のある山である。

訪載天山道士不遇 李白1

峨眉山月歌 李白 2

望天門山  李白 6

李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。

李白31 関山月

(2)李白と道教 李白46西岳云台歌送丹邱子

李白85 安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰

李白 87 下終南山過斛斯山人宿置酒

李白 112游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)

夢遊天姥吟留別李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

望廬山五老峯 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-226

望廬山瀑布水 二首其一#1李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -227

望廬山瀑布二首其二(絶句) 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -229

送内尋廬山女道士李騰空二首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-230

送内尋廬山女道士李騰空二首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-231

贈王判官時余歸隱居廬山屏風疊 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-229

望木瓜山 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350-233

尋高鳳石門山中元丹丘 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234

夜泊黄山聞殷十四呉吟 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -266

憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269

憶東山二首其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -270


羅浮麻姑台、此去或未返。
(羅浮麻姑台。 此を去る或は未だ返らず。)
羅浮山の仙女麻姑がいるという仙境の修行場があるというのに ここを去ることができず仙境に帰ることもできないでいる。
羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。○麻姑台 仙女麻姑、道教の寺観の一部。江西送友人之羅浮 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -280

遇君蓬池隱、就我石上飯。
(君に蓬池の隱に遇う。我 石上の飯に就く。)
こうして蓬莱山頂の池の傍で隠遁生活していた君に偶然出会ったのだ。その昔我々は石の上に座禅をして修行をすることにしていた。
○蓬池隠 、阮籍「蓬池の詠懐詩」 詳細 参照

李白42 梁園吟
李白42 梁園吟 (2)
梁園吟 まとめ 李白42


空言不成歡、強笑惜日晚。
(空しく言う 歡び成ずと。 強いて笑う日晚に惜む。)
でもそれは絵空事になってしまって、無理やり笑ってその日を惜しみながら過ごした。


綠水向雁門、黃云蔽龍山。
綠水 雁門に向う。 黃云 龍山を蔽う。
澄みきった清流は雁門山からながれている、黄色い雲は龍山を覆い尽くして冬の訪れを知らせてくれる。
雁門 江蘇省にある山の名前。山西省代県のそばにある関所。 別に万里の長城に近く、北の国境である。〇龍庭 句奴の王の単子が天をまつるところ。そこは砂漠地帯である。
黃云 黄色の雲。麦や稲が熟して一面が黄色になっているさま。○龍山 安徽省にある山。

嘆息兩客鳥、徘徊吳越間。
嘆息す兩客の鳥。 徘徊す吳越の間。
ため息が出る、いまのわたしは雨の中の烏のような旅人で、呉越をずっと旅をして回っている。

金陵江上遇蓬池隱者 #1 につづく

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尋高鳳石門山中元丹邱 李白236 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3

尋高鳳石門山中元丹邱 李白236 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3
(高鳳石門山中の元丹丘を尋ぬ)

751年 李白は、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に道教の先輩元丹邱を訪ねている。元丹邱は嵩山の山居から石門山に移っていたようだ。
 事前の約束もせずに突然この地を尋ねていったようだ。山路に難渋するようすが描かれている。

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尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3



尋高鳳石門山中元丹邱
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』-#2
峰巒秀中天、登眺不可盡。
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3

その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。


○ 遠。晚。轉。/愁、秋。流。/天、盡。哂。閑。還。


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』
#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹邱(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』

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尋高鳳石門山中元丹丘 #3 現代語訳と訳註
(本文) #3
峰巒秀中天、登眺不可盡。
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3


(現代語訳)
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。


(訳註)
峰巒秀中天、登眺不可盡。

高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
峰巒 高く突き出たような峰。○秀中天 大空の真ん中まで秀でている。 


丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
忽而哂 ・忽:たちまち ゆるがせ1 たちまち。「忽焉(こつえん)・忽然」 2 おろそか。「忽略/軽忽・粗忽」
・「哂」=微笑する。歯を出してにっこりわらう。「笑」=顔がほどけて口が開いてわらう。花の開くのもいう。「嗤」=あざけりわらう。


遂造窮谷間、始知靜者閑。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
遂造 ついに来るところまで来たさま。・造1 物をこしらえる。つくる。2 なす。行う。3 ある所まで行きつく。至る。4 急であわただしい。いたる・なり○靜者閑 静者が閑散としたところにいる。静かなものが静かな中にいる。静者は隠遁者、元丹邱。道教の道士は隠遁をして、「気」、万物を大事にする。自然を大切にする。あるがままなすがままの生活をするのである。


留歡達永夜、清曉方言還。』
その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。
留歡 再会の喜びが続いているさま。○達永夜 夜遅くまでがさらに続くことのさま。○清曉 夜を徹して歓談したのだ。その達成感で清々しい朝を迎えたことをあらわす。○方言還 言葉を交わしたことから詩を書くことに変わっていくさま。


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尋高鳳石門山中元丹邱 李白236

尋高鳳石門山中元丹邱
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』-#2
峰巒秀中天、登眺不可盡。
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』
#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹邱(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』


(現代語訳)
心の許せる先輩に逢いたい気持ちを止めることができないでこんな奥まった静かなところまで前もっての 約束しないで来てしまった、途中の景色にも風流の趣があり、ノリノリになって遠いことなど全然気にならない。
切立った巌場に苔が生えており、その森がいつまでも続いていて歩くのに難儀をする。なかなかいきつかず真昼の太陽ももはや暮れようとしはじめている。
幾つかの山々を越え行き着くところに来たわけでもないのに、千回も万回も曲りくねったところを登ってきたような気がする。

まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人けのない谷というものは これほどの清々しい秋にふさわしいというものだ。
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。

高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
突然、元丹丘が遥か向こうから声をかけてきた、私を見てうなずきそしてにこやかに笑いかけてきた。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
ついに来るところまで来たようだ、そのまま谷合いの奥まったところに行き着いた、そこで、はじめて隠者の静かな生活を知ることになった。
その日は永い夜を過ごし、夜を徹して歓談したのだ。 その談笑の達成感で清々しい朝を迎えた、やっと、言葉を交わすことから詩を書くことに変わっていくのである。

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尋高鳳石門山中元丹邱 李白235 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
(高鳳石門山中の元丹邱を尋ぬ)

751年 李白は、葉州(河南省平頂山市葉県)の石門山(別名、西唐山)に道教の先輩元丹丘を訪ねている。元丹邱は嵩山の山居から石門山に移っていたようだ。
 事前の約束もせずに突然この地を尋ねていったようだ。山路に難渋するようすが描かれている。(#2)
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#1
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#2
尋高鳳石門山中元丹邱 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -234-#3


尋高鳳石門山中元丹邱
尋幽無前期、 乘興不覺遠。
蒼崖渺難涉、 白日忽欲晚。
未窮三四山、 已歷千萬轉。』-#1
寂寂聞猿愁、行行見云收。
まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
高松來好月、空谷宜清秋。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人けのない谷というものは これほどの清々しい秋にふさわしいというものだ。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。』
峰巒秀中天、登眺不可盡。』-
#2
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。』
丹邱遙相呼、顧我忽而哂。
遂造窮谷間、始知靜者閑。
留歡達永夜、清曉方言還。』-#3

○ 遠。晚。轉。/愁、秋。流。/天、盡。/哂。閑。還。


#1
幽(ゆう)を尋ねて前期(ぜんき)無く、興(きょう)に乗じて遠きを覚(おぼ)えず。
蒼崖(そうがい)  渺(びょう)として渉(わた)り難く、白日(はくじつ)  忽ち晩(く)れんと欲す。
未だ三四山(さんしざん)を窮(きわ)めず、已(すで)に歴(へ)たり  千万転(せんまんてん)。』

#2
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
#3
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』
丹邱(たんきゅう) 遥かに相(あい)呼び、我を顧みて  忽(こつ)として哂(わら)う。
遂に窮谷(きゅうこく)の間(かん)に造(いた)り、始めて静者(せいじゃ)の閒(かん)なるを知る。
留歓(りゅうかん)  永夜(えいや)に達し、清暁(せいぎょう)  方(まさ)に言(ここ)に還(いた)る。』

DCF00213

尋高鳳石門山中元丹邱 #2 現代語訳と訳註
(本文) #2
寂寂聞猿愁、行行見云收。
高松來好月、空谷宜清秋。
溪深古雪在、石斷寒泉流。』
峰巒秀中天、登眺不可盡。』

(下し文)
寂寂(せきせき)として  猿の愁うるを聞き、行行(こうこう)  雲の収まるを見る。
高松(こうしょう) 好月(こうげつ)来たり、空谷(くうこく)  清秋(せいしゅう)に宜(よろ)し。
渓(たに)深くして古雪(こせつ)在り、石断(た)たれて寒泉(かんせん)流る。』
峰巒(ほうらん)  中天(ちゅうてん)に秀(ひい)で、登眺(とうちょう)  尽(つ)くす可からず。』

(現代語訳)#2
まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人けのない谷というものは これほどの清々しい秋にふさわしいというものだ。
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。』
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。』


(訳注)#2
寂寂聞猿愁、行行見云收。
まわりがさびしく気持ちまで寂しくなっていると、悲しげな猿の声を聞こえてくる、道をそのまま進んでいると雲がいつの間にか消えてゆくのが目に入る。
寂寂 まわりがさびしく気持ちがさみしい。○猿愁 日本猿と違って、手足が長い。特に泣き声が、悲鳴のように長く引っ張って啼くため、悲愴感を出す場合に比喩としても使われる。○云收 雲がいつの間にか消えてゆくこと。雲も長く尾を引いていることで寂寞感をだす。

高松來好月、空谷宜清秋。
高い所にすっと立っている松の上にわたしの趣向によく合う綺麗な月が昇ってきた、人気のない谷というものは これこそ清々しい秋にふさわしいというものだ。
高松 高い所にすっと立っている松。○清秋 清々しい秋。 

溪深古雪在、石斷寒泉流。』
どこまでも続く奥深い渓谷、里では融けているのに残雪がある。岩の裂け目から、その融けた冷たい水が流れ出ている。
溪深 どこまでも続く奥深い渓谷。○古雪 里では融けているのに残雪がある 


峰巒秀中天、登眺不可盡。』
高く突き出たような峰、大空の真ん中まで秀でている。登って眺めたいがとても登れるものではないということだ。
峰巒 高く突き出たような峰。○秀中天 大空の真ん中まで秀でている。 


(解説)
中国人は高い山に登るのが好きである。それは、重陽の日だけではない。道教の影響かもしれないし、そういう土壌に道教が生まれてきたのかもしれない。山水画と詩歌高山はつきものなのである。
 この詩#2でも、「寂寂」+「猿愁」「行行」+「云收」「高松」+「好月」「空谷」+「清秋」。 「溪深」「古雪」「石斷」「泉流」「峰巒」「中天」「登眺」すべての句に山に関連した語が散りばめられており、作られている。しかもそれぞれの語が関連しあっているのである。上から読んでも下から読んでも意味が通るのである。

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