漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

抒情詩

峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312

峴山送蕭員外之荊州 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -312


305 孟浩然 与諸子登峴山     ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作   ⑧
316  〃   田家元旦⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)



詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。
孟浩然 (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。
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卷160_133 「峴山送蕭員外之荊州」孟浩然



峴山送蕭員外之荊州
荊州幕府の員外官の蕭君を峴山で荊州に帰るのを見送って作った詩。
峴山江岸曲,郢水郭門前。
峴山は漢江の川岸が大きく湾曲したなかにある。漢水は襄陽城郭門の前を郢州に向かって流れている。
自古登臨處,非今獨黯然。
昔より襄陽のものは別れに峴山にのぼって、城郭を眺めるもの、でも今の私は、一人憂えて暗い気持ちになどなってはいない。
亭樓明落照,井邑秀通川。
峴首亭の高楼は日が落ちて、ともし火を照らし始めている。町や村は川を通して秀逸な景色を見せている。
澗竹生幽興,林風入管弦。
谷川に沿った竹林は静かに奥まっており風興の気持ちを起させ、風は林を抜け、管弦楽の中にひこんでくれる。
再飛鵬激水,一舉鶴沖天。
大鳥は水を激しく蹴って飛び立ちを繰り返している。鶴は、天に向かって一直線に飛び上がり、ひとたび飛び上がっていくだけだ。
佇立三荊使,看君駟馬旋。

立ちどまって友情の証の三荊を使わし、君を見て、四頭だての馬車を廻そうではないか。


峴山にて蕭員外の荊州に之くを送る
峴山 江岸 曲り,郢水 郭門 前にす。
古き自り登臨する處,今に非らず 獨り黯然す。
亭樓 明落 照らし,井邑 通川 秀でる。
澗竹 幽興に生え,林風 管弦に入る。
鵬は激水にして再び飛び,鶴は沖天に一たび 舉る。
佇立(ちょりつ)して三荊(さんけい)を使し,君を看て駟馬を旋(めぐ)らす。

 

現代語訳と訳註
(本文)
峴山送蕭員外之荊州  孟浩然
峴山送蕭員外之荊州
峴山江岸曲,郢水郭門前。
自古登臨處,非今獨黯然。
亭樓明落照,井邑秀通川。
澗竹生幽興,林風入管弦。
再飛鵬激水,一舉鶴衝天。
佇立三荊使,看君駟馬旋。  


(下し文) 峴山にて蕭員外の荊州に之くを送る
峴山 江岸 曲り,郢水 郭門 前にす。
古き自り登臨する處,今に非らず 獨り黯然す。
亭樓 明落 照らし,井邑 通川 秀でる。
澗竹 幽興に生え,林風 管弦に入る。
鵬は激水にして再び飛び,鶴は沖天に一たび 舉る。
佇立(ちょりつ)して三荊(さんけい)を使し,君を看て駟馬を旋(めぐ)らす。


(現代語訳)
荊州幕府の員外官の蕭君を峴山で荊州に帰るのを見送って作った詩。
峴山は漢江の川岸が大きく湾曲したなかにある。漢水は襄陽城郭門の前を郢州に向かって流れている。
昔より襄陽のものは別れに峴山にのぼって、城郭を眺めるもの、でも今の私は、一人憂えて暗い気持ちになどなってはいない。
峴首亭の高楼は日が落ちて、ともし火を照らし始めている。町や村は川を通して秀逸な景色を見せている。
谷川に沿った竹林は静かに奥まっており風興の気持ちを起させ、風は林を抜け、管弦楽の中にひこんでくれる。
大鳥は水を激しく蹴って飛び立ちを繰り返している。鶴は、天に向かって一直線に飛び上がり、ひとたび飛び上がっていくだけだ。
立ちどまって友情の証の三荊を使わし、君を見て、四頭だての馬車を廻そうではないか。


(訳注)
峴山送蕭員外之荊州

峴山にて蕭員外の荊州に之くを送る。
荊州幕府の員外官の蕭君を峴山で荊州に帰るのを見送って作った詩。
峴山 襄陽城の南十里にある。孫堅が襄陽を攻撃したとき、黄祖(あるいは呂公)はこの山に潜んで孫堅を射殺した。○員外 【員外官】いんげかん 律令制で、令 (りょう) に定められた定員以外の官吏。


峴山江岸曲,郢水郭門前。
峴山 江岸 曲り,郢水 郭門 前にす。
峴山は漢江の川岸が大きく湾曲したなかにある。漢水は襄陽城郭門の前を郢州に向かって流れている。
郭、門前 三国志の舞台。・関羽水淹七軍の地。・樊城。・魚梁洲。・襄陽城。・解佩渚。・沈碑潭。・諸葛亮故居。・万山。・望楚山。・古檀渓。・襄水。・峴山。・墮淚碑。峴首亭。・羊杜祠。・習家池(高揚)。・鹿門山。鹿門寺。など襄陽の名勝である。


自古登臨處,非今獨黯然。
古き自り登臨する處,今に非らず 獨り黯然す。
昔より襄陽のものは別れに峴山にのぼって、城郭を眺めるもの、でも今の私は、一人憂えて暗い気持ちになどなってはいない
黯然 黒いさま。暗いさま。憂えるさま。顔色を変えるさま。


亭樓明落照,井邑秀通川。
亭樓 明落 照らし,井邑 通川 秀でる。
峴首亭の高楼は日が落ちて、ともし火を照らし始めている。町や村は川を通して秀逸な景色を見せている。


澗竹生幽興,林風入管弦。
澗竹 幽興に生え,林風 管弦に入る。
谷川に沿った竹林は静かに奥まっており風興の気持ちを起させ、風は林を抜け、管弦楽の中にひこんでくれる。

○この句は孟浩然らしい「」と「」の素晴らしい表現である。

再飛鵬激水,一舉鶴沖天。
鵬は激水にして再び飛び,鶴は沖天に一たび 舉る。
大鳥は水を激しく蹴って飛び立ちを繰り返している。鶴は、天に向かって一直線に飛び上がり、ひとたび飛び上がっていくだけだ。
 伝説の鵬の鳥ではなく。アホウドリのような大きな鳥をいうのであろう。○激水 水を激しく蹴って飛び立つさま。○沖天 天に向かって一直線に飛び上がるさま。○自分はここで飛んで行ったりもどたりしているが、君はきっとここをとびたてば一直線に中央朝廷にまで上がっていくだろう、と持ち上げているのであろう。


佇立三荊使,看君駟馬旋。
佇立(ちょりつ)して三荊(さんけい)を使し,君を看て駟馬を旋(めぐ)らす。
立ちどまって友情の証の三荊を使わし、君を見て、四頭だての馬車を廻そうではないか。
佇立 たちどまる。たたずむ。○三荊 大切に育てたものが分散し、喩え枯れたとしても心は枯れない。再びめぐり会えばまた栄えるということの故事。「我が三荊、別れを惜しむがために枯れたり。吾等留まるべし。復た返りて栄(はなさ)かむや。」『注好選』
駟馬 4頭立ての馬車。また、その馬車を引く4頭の馬。しめ。

嚢陽一帯00
安陸・南陽・嚢陽 李白00


解説

●前の詩と同様に峴山における送別のうたである。第二句「郢水」(えいすい)_は、蕭員外が向かう荊州の治所一江陵県(湖北省江陵県)すなわち春秋戦国の楚の郡である郢の方へと流れてゆく川という意味である。
「郭門」は漢水を北に臨む襄陽県城である。送別の地と蕭員外の向かう地を「峴山」「郢水」として対にし、全句、ソフトタッチ、抒情的な対句で表現されている孟浩然の秀作である。


三荊 昔、三人の兄弟ありき。田祖・田達・田音といふ。即ちその祖の家に前栽あり。四季に花を開く荊三茎ありて、一花は白、一花は赤、一花は紫なり。往代より相伝へて財(たから)となして、色に随ひ香に付きて、千万の喜び余りあり。人々願ふと雖も、未だ他所にあらず。即ち父母亡せて後に、この三人身極めて貧し。相語らひて曰はく、「我が家を売りて他国に移住せむ。」と。時に隣国の人、三荊を買ふ。已に之を売りて値を得つ。その明旦に、三荊花落ち、葉枯れたり。三人之を見て嘆ず。未だ、此のごとき事をば見ず、と。呪して曰はく、「我が三荊、別れを惜しむがために枯れたり。吾等留まるべし。復た返りて栄(はなさ)かむや。」と。即ち値を返す。明くる日に随ひて元のごとく盛りなり。故に去らず。是をもつて、契をば三荊といふなり。『注好選』より。


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峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310


305 孟浩然 与諸子登峴山  ①(世の移ろい、季節の変化を詠う)
309  〃   輿黄侍御北津泛舟②
310  〃   峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)
311  〃   過故人莊      ④
312  〃   峴山送蕭員外之荊州  ⑤
313  〃   登峴山亭寄晉陵張少府
314  〃   澗南園即時貽皎上人  ⑦
315  〃   田園作    ⑧
316  〃   田家元旦  ⑨
317  〃   南山下與老圃期種瓜⑩
318  〃   夏日南亭懷辛大⑪
319  〃   登鹿門山懐古 ⑫
320  〃   宿建徳江    ⑬
321  〃   仲夏歸漢南園,寄京邑耆舊   ⑭
322  〃   秦中苦雨思歸贈袁左丞賀侍郎 ⑮
323  〃   歳暮帰南山   ⑯
324  〃   登安陽城樓   ⑰
325  〃   與顏錢塘登障樓望潮作 ⑱
326  〃   下贛石  ⑲
327  〃         ⑳
(襄陽・峴山・鹿門山をあつかったものでほかに 九日懷襄陽 、 峴山餞房琯、崔宗之 、 傷峴山雲表觀主 、 大堤行寄萬七 、 襄陽公宅飲 、 和賈主簿弁九日登峴山 ・・・・・etc.と峴山襄陽を詩題としたものが多くある。)

306 張九齢 登襄陽峴山
307 陳子昂 峴山懷古 
308 張 説   還至端駅前与高六別処
328 李 白  襄陽曲四首 其一
329  〃    襄陽曲四首 其二
330  〃    襄陽曲四首 其三
331  〃    襄陽曲四首 其四
332  〃    襄陽歌
333  〃    峴山懐古
*(番号の順でこのブログに掲載する)

詩人名生年 - 歿年 概  要
陳子昴
(ちんすこう)
661年 - 702年六朝期の華美さを脱して漢代の建安文学にみられるような堅固さを理想とする詩を作り、盛唐の質実な詩の礎を築いた。
張九齢 (ちょうきゅうれい)678年 - 740年陳子昂の詩と並んで「神味超逸」の風があり、阮籍の「詠懐詩」の流れをくむ「感遇詩」12種の連作が有名。著作に『張曲江集』20巻がある。字は子寿。韶州曲江の人。幼少の頃、南方に流されてきた張説に才能を認められた。長安二年(702)、進士に及第した。左拾遺となり、玄宗の信任を得て左補闕・司勲員外郎を歴任。張説の腹心として活躍した。のちに中書舎人から工部侍郎・中書令(宰相)に至った。李林甫と衝突し、玄宗の信頼を失って荊州長史に左遷された。『曲江張先生集』。
孟浩然 (もうこうねん)689年 - 740年盛唐の詩人。王維とともに「王孟」と並称され、山水自然派の詩人として知られるが、王維が自然の静的な面を客観的に歌うのに比して、より主観的に、自然を人間に親しいものとしてとらえる傾向を持つ。「春眠暁(あかつき)を覚えず」など、日本でも著名な作品が多い。襄陽出身。諱は浩、浩然は字。鹿門山に隠棲し、40才頃に進士に応じて落第し、王維との親交によって玄宗に謁見しながらも、「不才にして明主に棄てられ…」の句で官途を失い、郷里に隠棲した。襄陽長史に遷された張九齢の幕下に加わり、致仕後は江南を巡って王昌齢とも親交したが、まもなく襄陽で病死した。
 盛唐期にあって王維らとともに田園詩人群を形成し、王維とともに後の韋応物・柳宗元と併称される。ともに山水美を訴求しながら、王維の客観的・傍観的・静的態度と異なり、主観的・親近的・動的追及を旨とし、特に『春暁』は人口に膾炙している。
白   (りはく)701年 - 762年中国最大の詩人の一人。西域で生まれ、綿州(四川省)で成長。字(あざな)は太白(たいはく)。号、青蓮居士。玄宗朝に一時仕えた以外、放浪の一生を送った。好んで酒・月・山を詠み、道教的幻想に富む作品を残した。詩聖杜甫に対して詩仙とも称される。「両人対酌して山花開く、一杯一杯又一杯」「白髪三千丈、愁いに縁(よ)りて個(かく)の似(ごと)く長し」など、人口に膾炙(かいしゃ)した句が多い。


卷160_135 「峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大)」孟浩然

峴山送張去非遊巴東
峴山南郭外,送別每登臨。
峴山が見える襄陽城の南側の郊外にいる。友と別れるとき送別の度にこの山に登って眼下に望むのだ。
沙岸江村近,松門山寺深。
砂浜のある岸が続き川沿いの村が近くにある。松並木の門がある鹿門寺は奥深い山にある。
一言予有贈,三峽爾將尋。
一詩を作った私はこれに記して贈る。三峡に君をこちらから訪ねようと。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
送別の宴席では宜城の酒にきまっている。之からの旅の道は、雲霧の澤、林を抜けていくのである。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
不遇で時機を待っている旅人であるが志はある。同じ思いを持っている友人としての心を大切にしたい。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。

ここから去りなさい、早瀬に留まることはない。巴東の猿が夜さびしげに吟じてくれる。

峴山 南郭の外、送別毎に登臨す。
沙岸 江村の近、松門 山寺 深し。
一言 余は贈る有り、三峡 爾 相 尋る。
祖席 宜城の酒、征途 雲夢の林。
蹉跎 遊子の意、眷戀 故人の心。
去るべし 滝に滞る勿れ、巴東 猿 夜吟す。
 
現代語訳と訳註
(本文)

峴山南郭外,送別每登臨。
沙岸江村近,松門山寺深。
一言予有贈,三峽爾將尋。
祖席宜城酒,征途雲夢林。
蹉跎遊子意,眷戀故人心。
去矣勿淹滯,巴東猿夜吟。


(下し文)

峴山 南郭の外、送別毎に登臨す。
沙岸 江村の近、松門 山寺 深し。
一言 余は贈る有り、三峡 爾 相 尋る。
祖席 宜城の酒、征途 雲夢の林。
蹉跎 遊子の意、眷戀 故人の心。
去るべし 滝に滞る勿れ、巴東 猿 夜吟す


(現代語訳)

峴山が見える襄陽城の南側の郊外にいる。友と別れるとき送別の度にこの山に登って眼下に望むのだ。
砂浜のある岸が続き川沿いの村が近くにある。松並木の門がある鹿門寺は奥深い山にある。
一詩を作った私はこれに記して贈る。三峡に君をこちらから訪ねようと。
送別の宴席では宜城の酒にきまっている。之からの旅の道は、雲霧の澤、林を抜けていくのである。
不遇で時機を待っている旅人であるが志はある。同じ思いを持っている友人としての心を大切にしたい。
ここから去りなさい、早瀬に留まることはない。巴東の猿が夜さびしげに吟じてくれる。


(訳注)

峴山送朱太非道巴東 孟浩然

峴山南郭外、送別毎登臨。
峴山 南郭の外、送別毎に登臨す。
峴山が見える襄陽城の南側の郊外にいる。友と別れるとき送別の度にこの山に登って眼下に望むのだ。


沙岸江村近、松門山寺深。
沙岸 江村の近、松門 山寺 深し。
砂浜のある岸が続き川沿いの村が近くにある。松並木の門がある鹿門寺は奥深い山にある。


一言余有贈、三峡爾相尋。
一言 余は贈る有り、三峡 爾 相 尋る。
一詩を作った私はこれに記して贈る。三峡に君をこちらから訪ねようと。


祖席宜城酒、征途雲夢林。
祖席 宜城の酒、征途 雲夢の林。
送別の宴席では宜城の酒にきまっている。之からの旅の道は、雲霧の澤、林を抜けていくのである。
祖席 送別の宴席。○宜城酒 裏陽が名酒. の産地であつた。襄州宜城(現在湖北宜城県)○雲夢  古代中国で湖北省の武漢一帯にあったとされる大湿地。のち、長江と漢水が沖積して平原となった。武漢付近に散在する湖沼はその跡。


蹉跎遊子意、眷戀故人心。
蹉跎 遊子の意、眷戀 故人の心。
不遇で時機を待っている旅人であるが志はある。同じ思いを持っている友人としての心を大切にしたい。
蹉跎 つまずいて時機を失すること。 [形動タリ]時機を逸しているさま。不遇であるさま。 ...○眷戀 愛着の思いにひかれること。恋いこがれること。眷の用語解説 - [音]ケン(呉)(漢) [訓]かえりみる1 振り返って見る。目をかける。「眷顧・眷恋」 2 身うち。「眷属


去矣勿滝滞、巴東猿夜吟。
去るべし 滝に滞(とどこお)る勿れ、巴東 猿 夜吟す。
ここから去りなさい早瀬に留まることはない。巴東の猿が夜さびしげに吟じてくれる。
○巴東 巴東県(はとう-けん)は現在中国湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州に位置する県。ここは三峡を超えて三巴の東。


この詩は、孟浩然自身の住まいである澗南園付近で友人を送ったものであるが、冒頭四句、「送別」において「毎」に_その場として選んだ「峴山」とその近くの「江村」「山寺」は、「郭」の喧噪に対して静かに存在するものとして峴山からの眺め、景色を教えてくれる。


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唐宋詩 
(Ⅰ李商隠Ⅱ韓退之(韓愈))

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李白15 黄鶴楼送孟浩然之広陵 李白14 贈孟浩然  李白13 淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤(

李白15 黄鶴楼送孟浩然之広陵 李白14 贈孟浩然  李白13 淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤(
故郷に手紙を)
李白13   

726年秋、二十六歳の李白は揚州(江蘇省揚州市)にいた。呉越の地から長江を北へ渡って淮南(わいなん)の地に来たのだ。揚州は海外交易などにより賑わっていた。李白は揚州で楽しんだが、病気になった。所持金も乏しくなって心細くなったのではないか。

 豪放磊落な李白も気弱になって、故郷に書を送っている。相手は三年ほど岷山に一緒に籠もったことのある人物で、趙蕤といった。彼は李白に史書や兵法を教え、論じた仲である。

 「淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤」(註)

 病の床で、李白は故郷への想いをつづったのだす。二十二句の五言古詩である。

 病気が治った李白は、安陸にいる孟浩然に会いにいき、師と仰ぐようになる。李白は、古い城郭都市の安陸で孟浩然に詩を贈っている。


 李白14   贈孟浩然         孟浩然に贈る

吾愛孟夫子、風流天下聞。
紅顔棄軒冕、白首臥松雲。
酔月頻中聖、迷花不事君。
高山安可仰、従此揖清芬。

私の愛する孟先生
先生の風流は 天下に聞こえている
若くして高官になる志を棄て
白髪になるまで松雲に臥しておられる
月に酔って聖にあたったといわれる
花を迷うのは君主に仕えないことだ
高山はどうして仰ぐことができようか
ここから清らかな香りを拝します

○韻 聞、雲、君、芬 ○対句  紅顔:白首、酔月:迷花

孟浩然に贈る

吾は愛す孟夫子(もうふうし)
風流(ふうりゅう)は天下に聞こゆ
紅顔(こうがん)  軒冕(けんめん)を棄て
白首(はくしゅ)  松雲(しょううん)に臥(ふ)す
月に酔いて頻(しき)りに聖(せい)に中(あた)
花に迷いて君に事(つか)えず
高山(こうざん) (いずく)んぞ仰ぐ可けんや
(ここ)より清芬(せいふん)を揖(ゆう)


 孟浩然は三十八歳であり、李白は二十六歳であった。隠遁している憧れの孟浩然を「白首」と言った。孟浩然は、襄陽の近郊の鹿門山に別業(別荘)を営んでいた。



 李白15   黄鶴楼送孟浩然之広陵        
                 
故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。
孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。

友よ  西のかた  黄鶴楼をあとにして
花がすみの三月  揚州へくだる
孤舟の帆影は    遠くの碧空(そら)に消え
見えるのは天空のはてまでつづく長江(たいが)の流れ


○韻 楼、州、流  ○対句 孤帆遠影:唯見長江 碧空尽:天際流

黄鶴楼 孟浩然の広陵に之くを送る

故人  西のかた黄鶴楼(こうかくろう)を辞し
烟花(えんか)  三月  揚州(ようしゅう)に下る
孤帆(こはん)の遠影  碧空(へきくう)に尽き
唯だ見る  長江の天際(てんさい)に流るるを


(註)
李白13
淮南臥病書懐寄蜀中趙徴君蕤

呉会一浮雲、飄如遠行客。
功業莫従就、歳光屡奔迫。
良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
国門遥天外、郷路遠山隔。
朝憶相如台。夜夢子雲宅、
旅情初結緝、秋気方寂歴。
風入松下清、露出草間白。
故人不在此、而我誰与適。
寄書西飛鴻、贈爾慰離析。

呉会は一浮雲、
飄としているのは遠行えんこうの客
功業は従就じゅうしゅうし莫ない
歳光は屢々しばしば奔迫ほんはくしてる
良図は俄にわかに棄損きえんしており
衰疾については綿劇めんげきなのだ』

古琴は虚匣きょこうに蔵おさめたまま
長剣は空壁くうへきに挂けている
楚懐そかいという曲はは 鐘儀しょうぎ奏でる
越吟えつぎんというものは荘舃そうせきが吟じたこととに比較される
国への門は遥天ようてんの外そとである
郷への路は 遠い山よりずっと隔へだっている
あしたには司馬相如そうじょの台のことを憶おも
夜には子雲しうんの宅たくを夢みている
旅の情おもむきは初めて結緝けつしゅうしてきた
秋の気けはいは方まさに寂歴せきれきである
風が入ってくることは松下しょうかを清さびしくする
露がではじめるのは草間そうかんを白くしている
ゆえある人は 此ここに在いない
したがって我れは誰と与ともに適するのか
書を寄せることは西に飛ぶ鴻こう
汝に贈るのは離れている析しさを慰さめるものだ


呉越のあたりひとひらの浮雲(うきぐも)
飄然と遠くへ旅する旅人のようだ
功業を成し遂げることもなく
歳月はあわただしく過ぎてゆく
折角の壮図もにわかに棄て去り
疾のために身は衰え果てている
愛する琴は箱に納め
長剣も壁に虚しくかけてある
鐘儀が楚国の曲を奏で
荘舃が越の詩を吟じたように故郷への想いはつのる
故国の城門は遥かな空のかなたにあり
郷里への道は遠くの山に隔てられている
朝には司馬相如の琴台(きんだい)を憶い
夜には揚雄の邸を夢にみる
旅情は胸にこみあげ
秋のけはいはもの寂しく満ちわたる
清らかな風が松の林を吹き抜け
くさむらは露に濡れて白くかがやく
ここには語り合うべき友もなく
私は誰と過ごしたらいいのだろうか
西に飛ぶ鴻(かり)に託して書を送り
いささか別離の淋しさを慰めるのだ

○韻 客、迫、劇、壁、舃、隔、宅、歴、白、適、析

 詩中の相如は司馬相如をさす。司馬相如は梁の孝王の客人たなっていた。梁の孝王が亡くなったため、帰ったが、家は貧しく生活が出来なかった。彼は臨邛の県令の王吉と知り合いであったため、県令は司馬相如のために、一計を案じた。それは司馬相如を立派な者に見せるという演出をし、彼を県令の賓客として待遇することだった。やがて、県令に賓客がいるとの噂を聞いた臨邛の大富豪である卓王孫らが催した招宴に、勿体を付けて出席をした。その席で、琴を奏でることとなった。卓王孫には、寡婦となって戻っていた娘・卓文君がおり、彼女は音楽が好きなので、王吉と司馬相如は計略を案じて、琴の演奏で卓文君の心を捕まえようとした。そのため、司馬相如は、威儀を正した乗り物に典雅な容儀で現れ、やがて琴を演奏した。彼女をトリコのする作戦は成功した。その夜、司馬相如は、恋文を人づてに渡し、二人は駆け落ちをした。司馬相如が連れて行った先の成都の家は、四方にただ壁があるだけの何一つ無い貧しい住まいだった。ことの次第を知った卓王孫は、大いに怒り狂い、親子の縁を絶ってしまった。二人は成都での生活苦に耐えかねて、卓文君の兄弟の縁を頼って、臨邛に戻ってきた。臨邛での二人は、卑しいとされる仕事に精を出した。この二人の行為を恥じた父親の卓王孫は、家に閉じこもって出てこなくなった。やがて、周りの者の取りなしで、卓王孫は財産を分けてやったので、二人は成都へと戻っていって、お金持ちの生活を始めた。司馬相如の姿は前半の策謀家から恬澹としたものに変わっている。李白は、こうした、司馬相如を引き合いに出すのは旅行中の病気がよほど堪えたのであろう。恵まれた昔の生活を直接に表現しないで、司馬をひきあにだしたのだ


○韻 客、迫、劇、壁、舃、隔、宅、歴、白、適、析  

呉会一浮雲、飄如遠行客。
功業莫従就、歳光屡奔迫。
良図俄棄損、衰疾乃綿劇。』
古琴蔵虚匣、長剣挂空壁。
楚懐奏鐘儀、越吟比荘舃。
国門遥天外、郷路遠山隔。
朝憶相如台。夜夢子雲宅、
旅情初結緝、秋気方寂歴。
風入松下清、露出草間白。
故人不在此、而我誰与適。
寄書西飛鴻、贈爾慰離析。

呉会(ごかい)の一浮雲(いちふうん)
(ひょう)として遠行(えんこう)の客の如し
功業  従就(じゅうしゅう)する莫(な)
歳光  屢々(しばしば)奔迫(ほんはく)
良図  俄(にわか)に棄損(きえん)
衰疾  乃(すなは)ち綿劇(めんげき)す』

古琴  虚匣(きょこう)に蔵し
長剣  空壁(くうへき)に挂(か)
楚懐(そかい)  鐘儀(しょうぎ)奏し
越吟(えつぎん)  荘舃(そうせき)に比す
国門(こくもん)  遥天(ようてん)の外(そと)
郷路(きょうろ)  遠山(えんざん)(へだ)
(あした)には相如(そうじょ)の台を憶(おも)
夜には子雲(しうん)の宅(たく)を夢む
旅情  初めて結緝(けつしゅう)
秋気  方(まさ)に寂歴(せきれき)たり

風は松下(しょうか)に入りて清く
露は草間(そうかん)を出でて白し
故人  此(ここ)に在らず
(しか)るに我れ誰と与(とも)にか適せん
書を西飛(せいひ)の鴻(こう)に寄せ
(なんじ)に贈って離析(りせき)を慰む



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