漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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どうぞよろしくお願いします。

五言古詩(古風)

古風 其四十八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 262/350

古風 其四十八 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 262/350


其四十八
秦皇按寶劍。 赫怒震威神。
秦の始皇は宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
逐日巡海右。 驅石駕滄津。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
征卒空九寓。 作橋傷萬人。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
但求蓬島藥。 豈思農扈春。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
力盡功不贍。 千載為悲辛。

国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである。


古風 其の四十八

秦皇 宝剣をじ、赫怒(かくど)して威神(いしん)を震(ふる)う。

日を逐いて海右(かいゆう)を巡り、石を駆って津に駕()す。

卒を()して九寓を空(むな)しゅうし、橋を作りて万人を傷つく。

但だ蓬島(ほうとう)の薬を求め、豈に農(のうこ)の春を思わんや。

力尽きて 功 ()らず、千載(せんざい) 為に悲辛(ひしん)す。


宮島(1)


古風 其四十八 現代語訳と訳註
(本文)

秦皇按寶劍、赫怒震威神。
逐日巡海右、驅石駕滄津。
征卒空九寓、作橋傷萬人。
但求蓬島藥、豈思農扈春。
力盡功不贍、千載為悲辛。


(下し文) 其の四十八
秦皇 宝剣を按じ、赫怒(かくど)して威神(いしん)を震(ふる)う。
日を逐いて海右(かいゆう)を巡り、石を駆って滄津に駕(が)す。
卒を征(め)して九寓を空(むな)しゅうし、橋を作りて万人を傷つく。
但だ蓬島(ほうとう)の薬を求め、豈に農扈(のうこ)の春を思わんや。
力尽きて 功 贍(た)らず、千載(せんざい) 為に悲辛(ひしん)す。


(現代語訳)
秦の始皇はほう宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである。


(訳注)
秦皇按寶劍、赫怒震威神。

秦の始皇はほう宝飾の剣をなでさすりながら、烈火のように怒った時、すばらしい威力を天下に示した。
秦皇 秦の始皇帝。○威神 神威に同じ。すばらしい威力。


逐日巡海右、驅石駕滄津。
権力者威光を示す最大のもの太陽を誘導することをめざし、西の山の向こう、海の更に右側を巡幸し、石を駆使して大海原に橋をかけようとした。
海右 中國では古来から四方には海があり、西の山の向こうには海がありその海の果てには崖があって、その場所に太陽が沈むとされていた。方向性は北、北斗七星を背にして左が東、右が西になる。西の山の向こうの海の更に右側ということになる。○駆石 「三斉略記」という本に次のような話が見える。秦の始皇帝は、東海を渡れるような巨大な石橋をつくり、日の出る所を見たいと思った。すると、一人の魔法使が現われ、石を追いやって海に投じた。城陽にある十云山の石がことごとく起きあがり、高高と東に傾き、互につれだって歩いてゆくように見えた。石の歩き方がおそいと、魔法使はムチをふるった。石はみな血を流し、真っ赤になった、という。○ 架。かける。○滄津 大海。


征卒空九寓。 作橋傷萬人。
兵卒を徴用し尽くしたので、国中はからになってしまった。橋の建設にすべての人が何らかの傷を負ったのだ。
 兵卒。〇九寓 九州。中国全土を九つに区分。九州は九区分の真ん中を除いた八の州を示すが、九寓の場合は単に九の州という意味。空の場合は九天。


但求蓬島藥。 豈思農扈春。
そればかりか始皇帝はただ仙人の島、蓬莱島の仙薬ばかりをほしがったのだ、最も大切な春の農耕の仕事など全く念頭になかったのだ。
蓬島薬 蓬島は、東海の中にあると信じられた仙人の島、蓬莱島の略。そこに産する不老長生の仙薬。「史記」の始皇本紀によると、始豊の二十八年、斉人の徐市を派遣し、童男童女数千人を出して海上に仙人を求めさせた。同三十二年、韓終・侯公・石生に仙人の不死の薬を求めさせた。同三十七年、方士の徐市らは、海上に仙薬を求めて、数年になるが得られず、費用が多いだけだったので、罰せられることを恐れ、「蓬莱では仙薬を得られるのですが、いつも途中で大鮫に妨げられて島に行くことができないのです。船に連穹(矢をつづけさまに発射できる仕掛の石弓)をつけて下さい」と報告している。始皇帝と仙薬、徐市の詩によく登場する有名な逸話である。○農扈春 扈は1.したがう。主君のあとにつきしたがう。主君のお供をする。2.はびこる。ここでは、春の訪れに伴って当然やるべき農業、耕作種まきをいう。


力盡功不贍。 千載為悲辛。
国力は尽きはててしまい、仙薬の効能もなったく無かったのだ。その国力の衰えは、千年もの長きにわたって悲しみと辛い思いをしていくのである
 足る。十分である。


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古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198

古風五十九首 其四十 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白198


古風 其四十 李白
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
懐恩未得報、感別室長歎。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。



古風 其の四十

鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅(ろうかん)

焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。






古風 五十九首 其四十 訳註と解説
(本文)
鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
幸遇王子晉、結交青雲端。
懐恩未得報、感別空長歎。

  

(下し文)
鳳は飢うるも 粟を啄(つい)ばまず、食う所は 唯だ琅玕(ろうかん)。
焉んぞ能く 群発と与(とも)に、刺蹙(せきしゅく)して 一餐(いっさん)を争わん。
朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱(しちゅう)の瑞に飲む。
帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。
幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ばん。
恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆す。

  

(現代語訳)
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとして、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。


(語訳と訳註)

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
鳳凰ほうおう。姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。椅桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。○ 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。○琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。



焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。○刺蹙こせこせ。



朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。○砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。○朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。



歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
海路遠 仙境は海上はるか先の島ということ。李白の住まいは相応のもの以下だったのかもしれない。



幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交をあたためたるのだ
王子晉むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。「列仙伝」に見える。○青雲 青雲の志、立身出世。
 

懐恩未得報、感別空長歎。
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

(解説)
李白は朝廷に入っていたこと、その生活を後になって、いろんな形で表現している。放浪生活の中で、招かれたところで披露する詩であったものであろう。
 朝廷にいるときにはたとえ朝廷を仙境と比喩してもこういった詩は詠うことはできない。梁園、北方、鄴中と漂泊轉蓬の中で招かれたところで詠うと効果は大きかったと思う。


古風 其三十四 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白195 /350

古風 其三十四 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白195 /350

北の幽州で安禄山が驕り高ぶって、野蛮な異民族と同じようになり、おかしくなった状況になってきた。一方、中央の朝廷内でも李林甫の死後、権力をえて、楊国忠が驕った政治を行い、南方での全く無駄な血を流してしまった。


古風 其の三十四

其三十四
羽檄如流星。 虎符合專城。
至急を示す鳥の羽をつけた召集令状が流星のように出されている。虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされるのだ。
喧呼救邊急。 群鳥皆夜鳴。
国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで、みんな、夜中に鳴きだした。
白日曜紫微。 三公運權衡。
真昼の太陽のような天子が、紫微の御座所にかがやいておられる、りっぱな三公の大臣がよい政治をしているのだ。
天地皆得一。 澹然四海清。
天地というものは万物が一から成り立ち支え合い溶け合っていくものであるという「道」なのである、天下はおだやかに四方の果ての海原、そのはてまで澄みわたっているのだ。
借問此何為。 答言楚征兵。
問いかけてみた、「こんなにあわただしいのはどうしたのか」と、答えてくれた、「楚の地方で兵隊を招集しているのだ。」と。
渡瀘及五月。 將赴云南征。』

濾水を渡るのを五月にしている、熱帯の雲南を征伐に赴こうというのだ。』
怯卒非戰士。 炎方難遠行。
臆病な兵卒は戦いの役にたつ勇士とはこのようなものではない、炎のように熱い南方への遠い行軍はむつかしいのである。
長號別嚴親。 日月慘光晶。
泣きわめき怒号のような叫びは、尊い両親にたいしての別れなのだ、そのために日も月も光輝きを失ってしまうばかりなのだ。
泣盡繼以血。 心摧兩無聲。
泣いて涙がつきはて、血が出るまで泣いたのだ、心までくだけてしまい、親も子も声が出なくなった。
困獸當猛虎。 窮魚餌奔鯨。
くたびれはてた獣が猛虎に出あったようなものであり、おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなものになっているのだ。
千去不一回。 投軀豈全生。
千という兵士が出征して一回もかえってこないのだ、身を投じたが最後、命はないものと思えばよいというのか。
如何舞干戚。 一使有苗平。』
ああ、なんとかして、タテとマサカリの舞いを舞うことができないものか、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一度で辺境を平和にしてもらいたいのだ。



羽檄 流星の如く、虎符 専城に合す。

喧しく呼んで 辺の急を救わんとし、群鳥は 皆 夜鳴く

白日 紫徴に曜き、三公権衡を運らす

天地皆一なるを得、澹然として 四海消し

借問す 此れ何をか為すと、

答えて言う 楚 兵を徴すと

瀘を渡って 五月に及び、将に雲南に赴いて征せんとす。』


怯卒は 戦士に非ず、炎方は 遠行し難し。

長く号きて 厳親に別れ、日月 光晶 惨たり。

泣尽きて 継ぐに血を以てし、心摧けて 両びに声なし

困猷猛虎に当り。窮魚奔鯨の餌となる

千去って 一も回らず、躯を投じて 豈に生を全うせんや

如何か 干戚を舞わし、一たび有苗をして 平らかならしめん』




古風 其三十四 訳註と解説

(本文)
羽檄如流星。 虎符合專城。
喧呼救邊急。 群鳥皆夜鳴。
白日曜紫微。 三公運權衡。
天地皆得一。 澹然四海清。
借問此何為。 答言楚征兵。
渡瀘及五月。 將赴云南征。』

(下し文)
羽檄 流星の如く、虎符 専城に合す。
喧しく呼んで 辺の急を救わんとし、群鳥は 皆 夜鳴く
白日 紫徴に曜き、三公権衡を運らす
天地皆一なるを得、澹然として 四海消し
借問す 此れ何をか為すと、
答えて言う 楚 兵を徴すと
瀘を渡って 五月に及び、将に雲南に赴いて征せんとす。』

現代語訳)
急用を示す鳥の羽をつけた召集令状が流星のように出されている。虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされるのだ。
国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで、みんな、夜中に鳴きだした。
真昼の太陽のような天子が、紫微の御座所にかがやいておられる、りっぱな三公の大臣がよい政治をしているのだ。
天地というものは万物が一から成り立ち支え合い溶け合っていくものであるという「道」なのである、天下はおだやかに四方の果ての海原、そのはてまで澄みわたっているのだ。
問いかけてみた、「こんなにあわただしいのはどうしたのか」と、答えてくれた、「楚の地方で兵隊を招集しているのだ。」と。
濾水を渡るのを五月にしている、熱帯の雲南を征伐に赴こうというのだ。』


(訳註)

羽檄如流星。 虎符合專城。
急用を示す鳥の羽をつけた召集令状が流星のように出されている。虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされるのだ。
羽撒 轍は木賎通知書。急用の場合に鶏の羽を目印につけた。この詩では、速達の召集令状。○虎符 兵
士を徴発するときに用いる割符。銅片か竹片を用い、虎の絵が刻みこまれ、半分は京に留め、半分は将軍に賜わり、その命令の真実であることの証拠とした。○専城 城を専らにする、一城の主、すなわち一州一部の主で、地方の将軍のこと。

 
喧呼救邊急。 群鳥皆夜鳴。
国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで、みんな、夜中に鳴きだした。
辺急 国境の危急。

白日曜紫微。 三公運權衡。
真昼の太陽のような天子が、紫微の御座所にかがやいておられる、りっぱな三公の大臣がよい政治をしているのだ。
紫微 天子の御座所。〇三公 周代以来、時代によって内容が異なるが、地位の最も高い大臣である。唐の制度では、大尉・司従・司空を三公とした。○権衡 はかりのおもりと竿と。これを運用するというのは、政治を正しく行うこと。

天地皆得一。 澹然四海清。
天地というものは万物が一から成り立ち支え合い溶け合っていくものであるという「道」なのである、天下はおだやかに四方の果ての海原、そのはてまで澄みわたっているのだ。
天地皆得一天下太平のこと。「天は一を得て以て招く、地は一を得て以て寧というのは「老子」の言葉であるが、「こというのは「道」といいかえでもよい。○澹然 ごたごたせず、さっぱりとしておだやかなさま。〇四海 大地の四方のはてに海があると中国人は意識していた。



借問此何為。 答言楚征兵。
問いかけてみた、「こんなにあわただしいのはどうしたのか」と、答えてくれた、「楚の地方で兵隊を招集しているのだ。」と。
借問 ちょっとたずねる。○楚徴兵 天宝十載(751年)唐の玄宗は兵を発し、雲南地方の新興国、タイ族の南詔に遠征して大敗した。八万の大軍が渡水の南で全滅したにもかかわらず、宰相の揚国忠は勝利したと上奏し、それをごまかすために、ふたたび七万の軍で南詔を討とうとした。これがまた大敗したが、このとき人民は、十中八九まで倒れて死ぬという雲南のわるい毒気のうわさを聞いており、だれも募集に応じない。揚国忠は各地に使を派遣して徴兵の人数をわりあて、強制的に召集した。楚は、雲南地方に地を接する南方の地方。なお、中唐の詩人、白居易(楽天)の「新豊折臂翁」というすぐれた詩は、この雲南征伐の際、自分で自分の腕をへし折って徴兵をのがれたという厭戦詩である。



渡瀘及五月。 將赴云南征。』
濾水を渡るのを五月にしている、熱帯の雲南を征伐に赴こうというのだ。』
楚から雲南に入るところに、濾水という川がある。いまの雲南省の北境を流れる金沙江(長江の上流)のこと。この川がおそろしい川である三種の毒ガスを発散して、毎年三月、四月にこの川をわたると必ず中毒で死ぬという。五月になると渡れるが、それでも吐気をもよおしたりするという。蚊の大発生の時期。〇五月旧暦だから、真夏の最中である。





(本文)
怯卒非戰士。 炎方難遠行。
長號別嚴親。 日月慘光晶。
泣盡繼以血。 心摧兩無聲。
困獸當猛虎。 窮魚餌奔鯨。
千去不一回。 投軀豈全生。
如何舞干戚。 一使有苗平。』

(下し文)
怯卒は 戦士に非ず、炎方は 遠行し難し。
長く号きて 厳親に別れ、日月 光晶 惨たり。
泣尽きて 継ぐに血を以てし、心摧けて 両びに声なし
困猷猛虎に当り。窮魚奔鯨の餌となる
千去って 一も回らず、躯を投じて 豈に生を全うせんや
如何か 干戚を舞わし、一たび有苗をして 平らかならしめん』

(現代語訳)
臆病な兵卒は戦いの役にたつ勇士とはこのようなものではない、炎のように熱い南方への遠い行軍はむつかしいのである。
泣きわめき怒号のような叫びは、尊い両親にたいしての別れなのだ、そのために日も月も光輝きを失ってしまうばかりなのだ。
泣いて涙がつきはて、血が出るまで泣いたのだ、心までくだけてしまい、親も子も声が出なくなった。
くたびれはてた獣が猛虎に出あったようなものであり、おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなものになっているのだ。
千という兵士が出征して一回もかえってこないのだ、身を投じたが最後、命はないものと思えばよいというのか。
ああ、なんとかして、タテとマサカリの舞いを舞うことができないものか、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一度で辺境を平和にしてもらいたいのだ。


(訳註)

怯卒非戰士。 炎方難遠行。
臆病な兵卒は戦いの役にたつ勇士とはこのようなものではない、炎のように熱い南方への遠い行軍はむつかしいのである。



長號別嚴親。 日月慘光晶。
泣きわめき怒号のような叫びは、尊い両親にたいしての別れなのだ、そのために日も月も光輝きを失ってしまうばかりなのだ。


泣盡繼以血。 心摧兩無聲。
泣いて涙がつきはて、血が出るまで泣いたのだ、心までくだけてしまい、親も子も声が出なくなった。



困獸當猛虎。 窮魚餌奔鯨。
くたびれはてた獣が猛虎に出あったようなものであり、おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなものになっているのだ。



千去不一回。 投軀豈全生。
千という兵士が出征して一回もかえってこないのだ、身を投じたが最後、命はないものと思えばよいというのか。



如何舞干戚。 一使有苗平。』
ああ、なんとかして、タテとマサカリの舞いを舞うことができないものか、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一度で辺境を平和にしてもらいたいのだ。
干戚 たてとまさかり、転じて武器の総称。むかしの聖人舜帝は千戚を手にして舞っただけで有苗族がたちまち服従したという。○有苗 中国古代の少数民族の名。



(解説)
 軍事力と統治力、大義と威圧というものがなければ一時的に勝てても、必ず反撃され、敗れる。楊国忠の戦いの目的は低俗なもので、侵略略奪のためのもので、自己の権力を誇示するためのものであった。
 この詩の後半はすべて、戦は人心をつかむものでなければならないということを李白は言っている。
 李林甫が病死して、宦官と結託した楊国忠が行う政治は唐の歴史の中で最低最悪のレベルのものであった。時期を同じくしてこれに、天災が加わるのである。国中にフラストレーションが充満するのである。

 

古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181

古風 其二十二  李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白181          


長安を去るにあたって、関係者と飲み明かした。また、「賓客もまばらになって、酒樽ももう空になってしまった」。「玉樽は己に空し」とは、李白らしい表現である。「しかし、まだ頼むべき才力はあり、評判をとった名に恥ずかしくない力は持っている」。まだまだ活躍はできると自信のほどを示している。
長安を去って寂しい気持ちにはなるが、まだ「頼むべき才力はある」といって、勇気を奮い起こし、自信をとり戻して長安をあとにするが、まずは「この詩を作って隠棲を願いつつ友人たちに別れを告げて去って行こう」といって「東武の吟」を歌い終わる。
李白は「高歌大笑して関より出でて去る」。「高笑い」は果たして何を意味するか。李白の心境は複雑なものがあったにちがいない。
長安黄河

古風 其二十二
秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
胡馬顧朔雪。 躞蹀長嘶鳴。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪、その向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
感物動我心。 緬然含歸情。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
昔視秋蛾飛。 今見春蠶生。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
裊裊桑柘葉。 萋萋柳垂榮。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
急節謝流水。 羈心搖懸旌。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
揮涕且復去。 惻愴何時平。

涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか


長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪、その向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか



古風 其の二十二
秦水(しんすい)  隴首(ろうしゅ)に別れ、幽咽(ゆうえつ)して悲声(ひせい)多し
胡馬(こば)  朔雪(さくせつ)を顧(かえり)み、躞蹀(しょうちょう)として長く嘶鳴(しめい)す
物に感じて我が心を動かし、緬然(めんぜん)として帰情(きじょう)を含む
昔は視る  秋蛾(しゅうが)の飛ぶを、今は見る  春蚕(しゅんさん)の生ずるを。
嫋嫋(じょうじょう)として桑は葉を結び、萋萋(せいせい)として柳は栄(えい)を垂(た)る。
急節(きゅうせつ)  流水のごとく謝(さ)り、羇心(きしん)   懸旌(けんせい)を揺るがす。
涕を揮(ふる)って且(しばら)く復(ま)た去り、惻愴(そくそう)  何(いず)れの時か平かならん。

 


秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を立つと東流する秦水はやがて隴山に別れを告げると、寂しくて泣き嗚咽して悲しい声がおおくなる。
秦水 渭水の上流部。 ○隴首 渭水が隴山のすそをながれるあたりは、杜甫の「前出塞九首」其三 紀頌之の漢詩ブログ誠実な詩人杜甫特集 42
「磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。欲輕腸斷聲,心緒亂已久。」
(隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれているのだ。)



胡馬顧朔雪。 躞蹀長嘶鳴。
自慢の胡地の馬も朔州の山に積もった雪の向こうは馬の生まれたところ、馬に付けた鈴や玉が鳴るいつまでも嘶きつづけ、何だが流れてやまないのだ。
躞蹀 馬に付けた鈴や玉が鳴る音。旅立ちの寂しさをあらわす。○朔雪 朔は、北の意味。ここでは山西省朔州の山に積もった雪とすれば、黄河合流点をこえ、洛陽に近づいて来たことになる。○嘶鳴 馬が嘶くのだが、李白自身が大声で泣きたい心境を示している。



感物動我心。 緬然含歸情。
思い出せば心に思うこと、目にする物、すべては詩人としての私の心を動かした、いろんな思いにふけっている、やはり長安を旅立つのではなく帰る気持ちの方が強いのか。
緬然 はるかなさま。遠く思いやるさま。思いにふけるさま。



昔視秋蛾飛。 今見春蠶生。
まえの事だが家を出るときは  秋の蛾が飛んでいたが、いまはどうだろう、春もたけなわを過ぎる蚕が生まれているころになっている。
春蠶生 春になって生まれ蚕が生まれるが晩春を指す。浮気心が芽生えてきたことをあらわす句である。



裊裊桑柘葉。 萋萋柳垂榮。
桑は葉にしなやかにまとわりつくように、着物のうつくしい女性に柳の枝のように寄り添いまじわるのだ。
裊裊 風で気が揺れる。細長く音が響くさま。しなやかにまとわりつく。○萋萋 草が生い茂るさま。雲が行くさま。女性の服のうつくしいさま。柳は男性を、楊は女性。この二句はすべての語が男女の情愛、情交をあらわす表現。



急節謝流水。 羈心搖懸旌。
時節は流れる水のように早くながれ、旅人の心は旗のように揺れうごくものだ。
羈心 旅人の心。楽天的な李白にはマイナスの要素はない。そして道教に本格的に向かう。



揮涕且復去。 惻愴何時平。
涙を払ってともかくも歩いてゆこう、この重たく暗い思いは何時になったら軽くなるのだろうか

 

 「古風」の詩は制作年が不明である。詩の本文内容により、書かれたのは、後日であり、回想であるとわかっていても内容を重視し、挿入するようなやり方で、紹介してきた。今回の詩も去る者の旅の悲しみが溢れている。
「秦水」は渭水(いすい)のことですので、「隴首」(隴山)を東に離れると関中平野を東に流れる。渭水をみずからに例え、隴山を都の比喩と考えれば、長安を去る李白の心境が表現されている。
李白が南陵の鄭氏の家を発ったのは、「秋蛾」の飛ぶ秋だった。いま長安を去る日は「春蚕」がはじまる春の季節だ。桑の葉も柳の葉も緑です。最後の四句「急節 流水のごとく謝り 羇心 懸旌を揺るがす 涕を揮って且く復た去り 惻愴 何れの時か平かならん」には、李白が深い悲しみを秘めて、渭水に沿った路を東へとぼとぼと騎乗してゆく姿がしのばれます。

古風 其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178

 

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古風 其三十九 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白178

いよいよ、長安朝廷を辞する時が来たのか。
それにつけても、この3年何だったのか。三顧の礼をもって迎えられたかと思うと次の日から天地が転化したような扱い、頼りにした道教の仲間も、すべてが宦官のいいなり、朝廷は李林甫の横暴がまかり通る。どんなに正論を言っても、天子のところには届かない。そればかりか、その天子たるや、気ままな性格そのもので、云い無、やりっぱなし、のその時政治。家臣は、やりたい放題。
酒は楽しく飲むもの。ここでの酒は酔うためのもの。こんな自分ではなかった。


古風 其三十九      
登高望四海。 天地何漫漫。
高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
霜被群物秋。 風飄大荒寒。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
榮華東流水。 萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
白日掩徂輝。 浮云無定端。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。


高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。



古風 其の三十九
登高(とうこう)して四海(しかい)を望めば、天地  何ぞ漫漫(まんまん)たる
霜は被(おお)って群物(ぐんぶつ)秋なり、風は飄(ひるがえ)って大荒(たいこう)寒し
栄華  東流(とうりゅう)の水、万事  皆(みな)波瀾(はらん)
白日  徂暉(そき)を掩(おお)い、浮雲  定端(じょうたん)無し
梧桐(ごとう)に燕雀(えんじゃく)を巣(すく)わしめ、枳棘(ききょく)に鴛鸞(えんらん)を棲(す)ましむ
且(しばら)く復(ま)た帰去来(かえりなん)、剣歌(けんか)す  行路難(ころなん)



登高望四海。 天地何漫漫。
高い山に登り、四方、天下を見わたすと、天も地もはるか ひろびろとして人の世の出来事の小さいことか。
登高 九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 ○四海 古来から四方の地の果ては海となっているからそれの内の意》国内。世の中。天下。また、世界。 『孟子』尽心上に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるをイメージしている。



霜被群物秋。 風飄大荒寒。
霜が降り被い尽くし、すべて穀物が実り秋になった、突風が吹いて  ひろびろとした荒野は寒々として誰もいない。
霜被 霜が降り被い ○群物秋 霜が降り被い ○風飄 ヒューと風が吹く ○大荒 ひろびろとした荒野 ○ 寒々として誰もいない。

 

榮華東流水。 萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、この朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っている。
東流 中國の大河は東流している。水は東に流れるもの。其の位置にはとどまらない。いつかは消えていくもの。 ○萬 すべてのことがら。



白日掩徂輝。 浮云無定端。
白日の下の正論というものが、李林甫のつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような宦官たちは常識の端がないように思うがままにしている。
白日 日中の太陽。天子の威光。正論。○浮云 うきぐも。李白は朝廷内の宦官のことを暗天の比喩としていうことが多い。 ○無定端 定めの端がない。好き勝手なことをする。



梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。
燕と雀の小人物が青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、おしどりと鸞鳳がからたちととげのように人の邪魔をしている。
梧桐 あおぎり。玄宗と楊貴妃の生活を示したもの。元代の戯曲「梧桐雨」がある。また、『荘子』秋水篇の故事を用いる。荘子が梁の国の宰相恵子を訪れようとすると、それは宰相の地位を奪い取ろうとしているのだという重言があった。恐れる恵子に向かって荘子はたとえ話を持ち出す。南方に「鴛雛」という鳥がいて、梧桐にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、清浄な水しか飲まない。鶴が「腐鼠」を食べていたところに鴛雛が通りかかると、鶴はにらみつけて「嚇」と叫んだ。今あなたは梁の国を取られはしないか恐れて威嚇するのか、と恵子に言った。猜疑心を抱きつつの後宮生活を示す。○燕雀 小人物のこと。趙飛燕。楊貴妃の事。 ○枳棘 からたちととげ。人の邪魔をすること。 ○棲鴛鸞 おしどりと鸞鳳。楊貴妃とその兄弟の事。
この聯は『史記』・陳渉世家に「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀いずくんぞ鴻鵠之志を知るや。:小人物は大人物、鴻鵠の志を知ることができようか)の一節に基づくもの。



且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
歸去來 陶淵明が仕官80日あまりで官を辞して故郷に帰った時の辞。 ○劍歌 孟嘗君(もうしょうくん)に苦言を呈した馮驩(ふうかん)は剣の柄をたたき詩を吟じた。○行路難 古楽府の名。 

古風 其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177

古風 其三十七 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白177


 宮廷に入り一年が過ぎ、政事の現実がどのようなものであるか何もかもすぐに分かった李白、うかつに発言できないもどかしさ、それは日に日に増していくのであった。李白は宮廷詩人として、芸人のような接遇、李白の矜持はボロボロにされていくのである。しかも、その思いは天子に全く伝わらないのである。
 古来、慟哭し、号泣すれば、天は答えてくれた。しかし、今はどうなっているのだ。袖も、着物もぐっしょりと濡れるほどに泣くのに何の返事もないのだ。これまで飲んだ酒は涙につながるお酒はなかった。しかし、今は、なんなのだ。どうすればいいのだ。李白の胸の内を詠いあげている「古風其の三十七」と「古風其の三十九」である。




古風 其三十七

其三十七
燕臣昔慟哭。 五月飛秋霜。
戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きた自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまった」。
浮云蔽紫闥。 白日難回光。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。
群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
古來共嘆息。 流淚空沾裳。

それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。



戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。
ところで、「誠実に生きた自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまった」。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。


燕臣 昔 慟哭す。 五月にして 秋霜飛ぶ。
庶女 蒼天 號。 震風 齊堂を擊つ。
精誠 感ずる所有り。 造化 悲傷を為す。
而我 竟に何んぞ辜す。 遠身 金殿の旁。
浮云 紫闥を蔽う。 白日 光 回り難し。
群沙 明珠を穢れ。 眾草 孤芳 凌す。
古來 共に嘆息す。 流淚 沾裳 空し。




燕臣昔慟哭。 五月飛秋霜。
戦国時代の燕の鄒衍は、燕の恵王に忠誠を尽くしたが讒言のため捕えられた。鄒衍は天を仰いで慟哭したところ、天もその誠心に感じ、夏五月にかかわらず、秋の霜を降らせ風に飛んだ。
燕臣 鄒衍(前305-前240)天地万物は陰陽二つの性質を持ち、その消長によって変化する(日・春・南・男などが陽、月・秋・夜・女・北などが陰)とする陰陽説と、万物組成の元素を土・木・金・火・水とする五行説とをまとめ、自然現象から世の中の動き、男女の仲まであらゆることをこの陰陽五行説によって説明。彼の説は占いや呪術とも結びついて後世に多大な影響を与えた。どれほど影響があるかは「陽気」「陰気」という言葉や、曜日の名前を思い浮かべればすぐわかる。○飛秋霜 秋に降りる霜が降り、風に飛んだ。



庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
庶女 斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられた。



精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。



而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きている自分には何の罪があるのか、天子のおられる金堂殿から遠ざけられてしまうのだ」。



浮云蔽紫闥。 白日難回光。
陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のように被われている。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。



群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
○群 ただ集まっている砂。誠実ならざる姦物が多い ○ けがれている。荒れ果てる。



古來共嘆息。 流淚空沾裳。
それは昔から嘆かわしいことはおなじようにあった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。



○韻  霜、堂、傷、傍、光、芳、裳。




この涙は、李林甫の横暴、加えて宦官たちの陰険・陰謀、正論が上に全く上がらない朝廷の現状を嘆く悲しみの涙であり、思う仕事を何一つさせてもらえない無念の涙、こんなところに長居はできないとおもったにちがいない。

古風 五十九首 其二十六 李白  Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白173 と 玄宗(6)

古風 五十九首 其二十六 李白  Kanbuniinkai 紀頌之の漢詩 李白173 と 玄宗(6)



玄宗(6)
寿王との結婚を受け入れた楊玉環だが、玄宗と運命的な出会いをしてしまう。寿王を含めた兄弟たちの権力争いが大きくなっていく。
寿王の母の武恵妃は芙蓉園での演奏会で、楊玉環の発案という名目で、500人の近衛兵に鎧を着せ、武器を持たせる事を提案する。それは、自分たちの危機を感じていた李瑛たちが、これに乗じて動き出すと考えた武恵妃の罠だった。光王、鄂王がこの罠にはまり、偽の剣とみせかけて本物の剣を持ち込んだ事が発覚してしまう。


737年(開元25年)玄宗は、謀反を企てた李瑛と光王、鄂王を平民に落として都から追放。張九齢は自ら命を絶つ。李瑛を罠にはめた武恵妃は治療法のない重い病で没する。

玄宗は、見晴らしの良い場所に墓地を設けて敬陵と名づける。寿王は馬でその地を駈けた事で怒りを買い、母の墓の建立という重要な任務を忠王に取られてしまう。この情報操作は、宦官の手によるものであった。


738年(開元26年)、玄宗冊立の大典を行い、正式に忠王を皇太子とし、名を李亨と改める。大失態の寿王は皇太子の地位をめぐる後継者争いは、敗れてしまった。



740年の前後、李白は山東で竹渓の六逸と称して遊び、酒と詩作の生活をしていた。この中の一人呉筠が朝廷から呼び出された。道教の仲間であった
玄宗は驪陽宮で再び楊玉環と会い、美しい胡服姿に目を奪われる。妹である玉真に頼み、楊玉環を驪山華清宮に招き評価をさせる。

父である玄宗に楊玉環を奪われてしまう事は寿王苦しまたが、玄宗の絶対的な権力に抵抗することはできない。玄宗は寿王に、側室として魏来馨を与えられる
寿王は、楊玉環に、自分を皇太子にするよう様に頼むことしかなかった。
西暦740年(開元28年)に、玄宗皇帝は楊玉環を後宮に住まわせ、道号「太真法師」とし、宮中に道観を建てる。

742年玄宗は李林甫を人事部長官に任命すると共に、節度使の後任には皇太子側の勢力である王忠嗣と皇甫惟明を任命し、権力を分散させる。地方潘鎮の力が強まるのを抑える意味で、時期尚早との意見がある中、安禄山を平盧軍の節度使に抜擢する。李は持朝廷に召されるのである。


其二十六
碧荷生幽泉。 朝日艷且鮮。
みどりの蓮が、人目につかない泉に生えている。朝日をうけて、つややかで、その上、あざやかだ。
秋花冒綠水。 密葉羅青煙。
秋にひらく花は、綠の水の上におおいかぶさる。密生した葉は、青い靄に網をかぶせられたよう。
秀色空絕世。 馨香竟誰傳。
そのすばらしい色は絶世のうつくしさだが、そのよいかおりを、だれが世間につたえてくれよう。
坐看飛霜滿。 凋此紅芳年。
やがて霜がいちめんにふりかかる時節ともなれば、せっかくの紅い花びらのしおれてしまうのを、むざむざと見なければならぬ。
結根未得所。 願托華池邊。

根をおろすのに場所がわるかった。何とかできるものなら、華池のぞばに身をよせたいものだが。


みどりの蓮が、人目につかない泉に生えている。朝日をうけて、つややかで、その上、あざやかだ。
秋にひらく花は、綠の水の上におおいかぶさる。密生した葉は、青い靄に網をかぶせられたよう。
そのすばらしい色は絶世のうつくしさだが、そのよいかおりを、だれが世間につたえてくれよう。
やがて霜がいちめんにふりかかる時節ともなれば、せっかくの紅い花びらのしおれてしまうのを、むざむざと見なければならぬ。
根をおろすのに場所がわるかった。何とかできるものなら、華池のぞばに身をよせたいものだが。




古風其の二十六
碧荷(へきか)幽泉に生じ、朝日艶にして且つ鮮(あざや)かなり。
秋花綠水を冒(おお)い、密葉青煙を羅(あみ)す。
秀色 空しく絶世、馨香 誰か為に伝えん。
坐(そぞろ)に看る 飛霜(ひそう)満ちて、此の紅芳の年を凋(しぼ)ましむを。
根を結んで 未だ所を得ず、願わくは華池の辺に託せん。


碧荷生幽泉。 朝日艷且鮮。
みどりの蓮が、人目につかない泉に生えている。朝日をうけて、つややかで、その上、あざやかだ。
碧荷 みどり色の蓮。 ○幽泉 人目につかないところ。茂みの影の暗いところ。


秋花冒綠水。 密葉羅青煙。
秋にひらく花は、綠の水の上におおいかぶさる。密生した葉は、青い靄に網をかぶせられたよう。
綠水 澄み切った水。 ○羅青煙 青い靄に網をかぶせられる。


秀色空絕世。 馨香竟誰傳。
そのすばらしい色は絶世のうつくしさだが、そのよいかおりを、だれが世間につたえてくれよう。
馨香 よいかおり。


坐看飛霜滿。 凋此紅芳年。
やがて霜がいちめんにふりかかる時節ともなれば、せっかくの紅い花びらのしおれてしまうのを、むざむざと見なければならぬ。


結根未得所。 願托華池邊。
根をおろすのに場所がわるかった。何とかできるものなら、華池のぞばに身をよせたいものだが。
華池 西王母の住む崑崙山上にある池の名。(瑤地)


******もう一つの意味*********************
この詩も高貴なところで詠われる詩で、艶情詩である、
碧荷生幽泉。 朝日艷且鮮。
まだうら若い女性の局部は高貴なお方によって艶や科であっても新鮮。
○碧荷 まだうら若い女性。 ○幽泉 女性の局部。

秋花冒綠水。 密葉羅青煙。
(性交の描写)これは訳したくない。
秀色空絕世。 馨香竟誰傳。
そのすばらしい色は絶世の美しさだが、その好い香りは、伝えることができない。

坐看飛霜滿。 凋此紅芳年。
やがて年を重ねる、素晴らしかった紅い花弁もしおれてしまうものだ。
結根未得所。 願托華池邊。
寿王などでは所がわるい。天子の華清宮の側に身をよせるのがよい。
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古風 五十九首 其二十四 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172と玄宗(5)

古風 五十九首 其二十四 李白  :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白172 玄宗(5)



玄宗(5)
互いに思いを寄せる楊玉環と彭勃だったが、果毅副将軍はここでいっしょになられてはもともこもない、妨害ししたのである、

 そして、武恵妃から楊玉環の家に寿王との縁談が申し込まれるのである。後日になって、彭勃は結婚を楊玉環の父に申し込むのだが、許すはずもない。悲恋に悩む楊玉環であったが、一族の名誉のため、発展・隆盛のため、結婚は着々とすすめられた。深い悲しみの中、遂に運命の日、皇室からのお迎えの護送役の一員に彭勃がいた。
悲恋で嫁いだ楊玉環は次第に寿王の優しさに、少しずつ気持ちが和らいでいった。


 一方、736年11月 玄宗皇帝は、宦官の策略にのり、朝議の場で張九齢を罷免し、李林甫を昇進させる。また李瑛が、張九齢を批判した行為が皇帝の怒りを買い“皇太子”の座も廃されてしまう。唐王朝を築いた大宗皇帝から続いてきた忠臣、正統派の家臣をすべて排斥したのであるこれ以降、玄宗皇帝の耳には、正当な情報は全く入らなくなった。これまでも、皇帝に媚を売るものを取り上げてきた玄宗の自業自得の行為であった。


そんな中、玄宗皇帝は芙蓉園の御宴宮で寿王妃・楊玉環と運命の出会いをするのである。



古風 五十九首

其二十四
大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。
長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。
中貴多黃金。 連云開甲宅。
宮中の宦官でいばっているやつが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
路逢鬥雞者。 冠蓋何輝赫。
町を歩いていて、闘鶏師に出あったが、頭上にのせた冠、車上の被いは、驚くほどピカピカに輝いている。
鼻息干虹霓。 行人皆怵惕。
街中でひけらかすかれらの権勢の荒さは、空の虹にとどくばかりであり、道行く人びとはおそれてよけていくのである。
世無洗耳翁。 誰知堯與跖。
今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。


長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。
宮中の宦官でいばっているやつが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
町を歩いていて、闘鶏師に出あったが、頭上にのせた冠、車上の被いは、驚くほどピカピカに輝いている。
街中でひけらかすかれらの権勢の荒さは、空の虹にとどくばかりであり、道行く人びとはおそれてよけていくのである。
今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。



古風 其の二十四
大車 飛塵を揚げ、亭午 阡陌暗し。
中貴は 黄金多く、雲に連なって 甲宅を開く。
路に闘鶏の者に逢う、冠蓋 何ぞ輝赫たる。
鼻息 虹霓を干し、行人 皆怵惕す。
世に耳を洗う翁無し、誰か知らん堯と跖と。



大車揚飛塵。 亭午暗阡陌。
長安の街では、大きな車がほこりを巻きあげて通り、正午という時間帯であるのに街路が暗くしている。
亭午 正午。○阡陌 たてよこのみち。



中貴多黃金。 連云開甲宅。
宮中の宦官でいばっているやつが黄金を沢山ため込んでいる、その家の瓦は雲が連なっているような大邸宅を建てている。
中貴 宮中において幅をきかしていた宦官。○甲宅 第一等の邸宅。



路逢鬥雞者。 冠蓋何輝赫。
町を歩いていて、闘鶏師に出あったが、頭上にのせた冠、車上の被いは、驚くほどピカピカに輝いている。
闘鶏 一種のカケ事のあそびで、各自のもつ鶏を闘争させて勝負をきめえ。当時、玄宗をはじめ、唐の皇室や貴族たちの間で闘鶏がはやり、賈昌という男は幼い時から鳥のコトバを聞きわけで、鶏を取扱う特殊な才能があったので引き立てられた。○冠蓋 冠と車の上のおおい。



鼻息干虹霓。 行人皆怵惕。
街中でひけらかすかれらの権勢の荒さは、空の虹にとどくばかりであり、道行く人びとはおそれてよけていくのである。
虹霓 にじ。○怵惕 おそれてよける。



世無洗耳翁。 誰知堯與跖。
今の世には、穎水で耳を洗って隠居したような清廉潔白な人はいない、聖人の堯帝と大泥棒の跖とを、誰が見分けられるというのか。
洗耳翁 太古堯帝の時の高士、許由のこと。責帝から天子の位をゆずろうと相談をもちかけられた時、受けつけず、穎水の北にゆき隠居した。堯帝が又、かれを招いて九州の長にしようとしたら、かれは、こういう話は耳がけがれるといって、すぐさま川の水で耳を洗った。李白「迭裴十八図南歸嵩山其二」紀頌之の漢詩 164  参照
堯与跖 堯は伝説中の古代の聖天子。跖は伝説中の春秋時代の大泥棒。堯と跖といえば聖人と極悪人の代表である。

古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167

古風五十九首 其二十三 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白167



長安において、必ずしも愉快な生活ではなかった李白を慰めるものは、自然の風物と酒である。自然を歌い、酒を歌うことで、美しい白鳳を眺め、それを詩に歌うことに喜びを感じ、酒を飲み、それを詩に歌うことに人生の生きがいを求めた。

李白は、心に苦悩を覚えれば覚えるほど、自然に、酒にひたりこむ。道教の友、道士たちと酒を酌み交わす際は特別なものであった。道教における自然、方向性は一緒だが少し違った自然の中に酒の中に人生の生きがいを求めた。そして、その境地を詩歌することを自分の生きる運命と思っていた。自然への目を覆い、酒に対する口を封じれば、それはそれで李白の人生は全く違ったものであったろう。明朗な性格は李白の人生観でもある。

長安においても、しばしば自然の風物を尋ねる。

「終南山を下り、斜斯山人に過りて宿る。置酒す」詩

李白 88 下終南山過斛斯山人宿置酒
「二人ともに楽しく語りあい、ゆったりとした。かくては美酒を飲もう。松風に吹かれて歌.続け、歌い終わってみると、天の川の星もまばらで、夜もふけた。自分も君も酔っぱらって、ゆしかった。よい気持ちで、すべてのことは忘れた境地である」。「忘機」は、世の俗事を忘れ去て淡々とすること。道家の目指す境地である。山中の自然の美しきを楽しみ、知己の山人とともに、好きな酒を飲み、「陶然として共に機を忘れ」る境地こそ、李白の望むところであった。けして、それは仙人の境地にも通ずる。それは李白の理想とするところであった。

秦嶺山脈の西端の高峰が、太白山であり、常に山頂に積雪がある。南は武功山に連なる。「蜀道難」

蜀道難 李白127
の中にも、その険峻を歌っている。頂上に道教を信奉するものが尊重する洞窟もあるし、李白の字と名を同じくする山でもある。李白はそれにひかれて、ときどき登ったものと思わしる。「太白峰に登る」詩
李白16 登太白峯 希望に燃えて太白山に上る。
があるが、すでに述べた「太山に遊ぶ」
李白 112 游泰山六首
や、また「夢に天姥に遊ぶの吟、留別」
夢遊天姥吟留別 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166
と同じく、仙境にあこがれる気持ちを想像力をたくましくして写し出し、無限の世界を自由に飛びまわる気持ちを表わしている。これも李白の詩の大きな特色の一つであることすでに述べたーおりである。こうして、自然を楽しみ、酒を飲み、仙境を夢みていると、そのときだけ李白の心を満足さるが、一たび現実の長安の生活に帰ると、李白にとっては、何を見てもがまんのならぬことがかった。
これら李白にとって、居心地のよくない宮廷務め、その合間に、気晴らしに、たくさんの詩を書いたはずである。しかし、歴史は、支配者の歴史であるから、李白の宮廷時代のものはおおくはない。


古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人心若波瀾、世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
三萬六千日、夜夜當秉燭。

人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。



秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。





古風 其の二十三
秋蕗は 白くして玉の如く、団団として 庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見、寒早くして 歳の促すを悲しむ。
人生は鳥の目を過ぐるがごとし、胡ぞ乃ち自ずから結束するや
景公 ひとえに何ぞ愚かなる、牛山涙相続ぐ、
物は足るを知らざるを苦しみ、隴を得て 又た蜀を望む。
人心は 波瀾の若し、世路には 屈曲有り。
三万六千日、夜夜 当に燭を乗るべし


其二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝恵連の詩に「団団たり満葉の露」とある。○庭綠 庭の中の草木。


我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
鳥過日 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。「光陰矢の如し」○胡乃 胡はなんぞ、乃はすなわち。○自結束 窮屈にする。しばりつける。孔子の論語為政篇にある「何為自結束」(何為れぞ自から結束する)に基づいている


景公一何愚、牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
景公一何愚。 牛山淚相續。 「列子」に見える話。景公は、春秋時代の斉の景公。牛山は、斉の国都であった今の山東省臨消県の、南にある山。むかし斉の景公は、牛山にあそび、北方に自分の国城を見おろしながら、涙をながして言った。「美しいなあ、この国土は。あおあおと草木がしげっている。それに、どうして滴がおちるよぅにこの国を去って死んでいくのだろう。もしも永久に死ということがないならば、わたしはここをはなれて何処へも行きたくないのだ。」そばにいた二人の臣、文孔と梁邸拠とが公に同情して泣いたが、ひとり、大臣の蜃子が、それを見て笑った。なぜ笑うかときかれて、量子がこたえた。「この国の代代の君主は、この国土をここまで立派にせられるのに、死ぬことなどを考える暇もなかったのです。いま、わが君が安んじて国王の位についておられるのは、代代の国王が次次と即位し、次次と世を去って、わが君に至ったからです。それなのに、ひとり涙をながして死をなげかれるのは、不仁というものでし上う。不仁の君を見、へつらいの臣を見る、これが、臣がひとりひそかに笑ったゆえんです。」景公は、はずかしく思い、杯をあげて自分を罰し、二人の臣を罰するに、それぞれ二杯の酒をのませた。


物苦不知足、得隴又望蜀。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
物苦不知足、得隴又望蜀。 「後漢書」の、光武帝が岑彭に与えた書に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省除酉県の地表はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。


三萬六千日、夜夜當秉燭。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。
三万六千 百年の日数。「抱朴子」に「百年の寿も、三万余日のみ」とある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の一に「生年は百に満たず。常に千歳の警懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。李白の『春夜桃李園に宴する序』に、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

春夜桃李園宴序 李白116
『銭徴君少陽に贈る。』にも「燭を秉ってただすべからく飲むべし。」
贈銭徴君少陽 李白114

古風五十九首 其十九 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白153

古風五十九首 其十九 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白153

古風五十九首 其一 李白150

古風五十九首 其三 李白106
古風五十九首 其五 李白107
古風五十九首 其六 李白120

古風五十九首 其七 李白108
古風五十九首 其八 李白117
古風五十九首 第九 李白109
古風五十九首 其十  李白126

古風五十九首 其十一 李白 140
古風五十九首 其十二 李白 141
古風五十九首 其十四 李白151
古風五十九首 其十五 李白152

古風五十九首 第十八 李白110
古風五十九首 其十九李白153
古風五十九首 其二十三 李白113 



古風五十九首 其十九
西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。


古風 其の十九
西のかた蓮花山に上れば、迢迢として 明星を見る。
素手 芙蓉を把り、虚歩して 太晴を躡む。
霓裳 広帯を曳き、諷払 天に昇り行く。
我を邀えて雲台に登り、高く揖す 衛叔卿。
恍恍として 之と与に去り、鴻に駕して紫冥を凌ぐ
俯して洛陽川を視れば、茫茫として胡兵走る。
流血 野草に涂まみれ。 豺狼盡々冠纓。



西岳蓮花山。 迢迢見明星。
西嶽の蓮花山にのぼってゆくと、はるかかなたに明星の仙女や西玉母が見える。
○蓮花山 華山の最高峰。華山は西嶽ともいい、嵩山(中嶽・河南)、泰山(東嶽・山東)、衡山(南嶽・湖南)、恒山(北嶽・山西)とともに五嶽の一つにかぞえられ、中国大陸の西方をつかさどる山の神とされている。陝西省と山西省の境、黄河の曲り角にある。蓮花山の頂には池があり、千枚の花びらのある蓮の花を生じ、それをのむと羽がはえて自由に空をとぶ仙人になれるという。
 ○迢迢 はるかなさま。李白「長相思」につかう。○明星 もと華山にすんでいた明星の玉女という女の仙人。



素手把芙蓉。 虛步躡太清。
まっしろな手に蓮の花をもち、足をおよがすようにうごかしで大空をあるいた。
○素手 しろい手。○芙蓉 蓮の異名。○虚歩 空中歩行。○太清 大空。



霓裳曳廣帶。 飄拂升天行。
虹の裾と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風をきって昇天してゆく。
○霓裳 虹の裾。○諷払 ひらりひらり。裳と長い広帯をほうき星のような筋をつけて、風を切って飛行する形容。



邀我登云台。 高揖衛叔卿。
わたしをまねいてくれ雲台の上につれて行ってくれ、そこで衛叔卿にあいさつさせた。
○雲台 崋山の東北にそびえる峰。○高揖 手を高くあげる敬礼。○衛叔卿 中叫という所の人で、雲母をのんで仙人になった。漢の武帝は仙道を好んだ。武帝が殿上に閑居していると、突然、一人の男が雲の車にのり、白い鹿にその車をひかせて天からおりて来た。仙道を好む武帝に厚遇されると思い来たのだった。童子のような顔色で、羽の衣をき、星の冠をかむっていた。武帝は誰かとたずねると、「わたしは中山の衛叔卿だ。」と答えた。皇帝は「中山の人ならば、朕の臣じゃ。近う寄れ、苦しゅうないぞ。」邸重な礼で迎えられると期待していた衛叔卿は失望し、黙然としてこたえず、たちまち所在をくらましてしまったという。



恍恍與之去。 駕鴻凌紫冥。
夢見心地で仙人とともに、鴻にまたがり、はてしない大空の上へとんでいったのだ。
○恍恍 うっとり、夢見心地。○鴻 雁の一種。大きな鳥。○繋冥 天。



俯視洛陽川。 茫茫走胡兵。
洛陽のあたりや黄河のあたり、地上を見おろすと、みわたすかぎり胡兵が走りまわっている。
○俯視 見下ろす。高いところから下を見下ろす。○洛陽川 河南省の洛陽のあたりの平地。川は、河川以外にその平地をさすことがある。○茫茫 ひろびろと広大なさま。○胡兵 えびすの兵。安禄山の反乱軍。玄宗の天宝十四戟(七五五年)十一月、叛旗をひるがえした安禄山の大軍は、いまの北京から出発して長安に向い、破竹の勢いで各地を席捲し、同年十二月には、はやくも東都洛陽を陥落した。



流血涂野草。 豺狼盡冠纓。
流された血は野の草にまみれている。山犬や狼の輩がみな冠をかむっているのだ。
○豺狼 山犬と狼。○冠浬 かんむりのひも。

古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152

古風五十九首 其十五 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白152


古風五十九首 其十五 
燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか。
珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
方知黄鶴擧、千里濁徘徊。

いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。



むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。

その十五
燕昭 郭隗を延き、遂(か)くて 黄金台を築けり。
劇辛は 万に趙より至り、鄒衍も 復た斉より来れり。
奈何ぞ 青雲の士、我を棄つること 塵挨の如くなるや。
珠玉もて 歌笑を買い、糟糠もて 賢才を養う。
方に知る 黄鶴の挙りて、千里に 独り徘徊するを。



燕昭延郭隗、遂築黄金臺。
むかし燕の昭王は、「まず隗より始めよ」と郭隗をひきたて、ついには黄金台まできずいて天下の英才をまねいた。
燕昭 戦国時代の燕の昭王。○郭隗 昭王の臣、「先ず隗より始めよ」の故事で有名。昭王は、一時とはいえ燕を亡国に追い込んだ斉を深く憎み、いつか復讐したいと願っていた。しかし当時の斉は秦と並んで最強国であり、燕の国力では非常に難しい問題であった。昭王は人材を集めることを願い、どうしたら人材が来てくれるかを家臣の郭隗に聞いた。郭隗の返答は「まず私を優遇してください。さすれば郭隗程度でもあのようにしてくれるのだから、もっと優れた人物はもっと優遇してくれるに違いないと思って人材が集まってきます。」と答え、昭王はこれを容れて郭隗を師と仰ぎ、特別に宮殿を造って郭隗に与えた。これは後世に「まず隗より始めよ」として有名な逸話になった。郭隗の言う通りに、燕には名将楽毅は魏の国から、鄒衍は斉の国から、劇辛は趙の国から、蘇秦の弟蘇代など、続々と人材が集まってきた。また、時期は不明であるが、昭王は不老不死の仙人を求めて東方の海上に人を派遣したという。これらの人材を使い、昭王は燕の改革・再建を進めた。○黄金台 易水の東南にあって、昭王が、千金を台の上に置き、天下の士を招いたという。



劇辛方趙至、鄒衍復斉來。
劇辛は、はたして趙からやって来た。鄒衍も、つづいて斉からやって来た。



奈何青雲士、棄我如塵挨。
ところが、なんということだ、青雲の上に立身出世したやつどもは、われわれを塵や挨のように棄ててかえりみないではないか
青雲士 立身出世してしまった人。



珠玉買歌笑、糟糠養賢才。
珠玉を美人の歌や笑いのために惜しまず買うが、糠や糟でもって賢才を養おうと思っているのか。



方知黄鶴擧、千里濁徘徊。
いまこそ十分に理解した、黄い鶴が舞いあがるように崇高な志をもつ者は、千里をひとりで飛びまわるものなのだ。
万知 いまこそ十分に、理解できる。

古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151

古風五十九首 其十四 李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白151



古風五十九首 其十四
胡關饒風沙、蕭索竟終古。
胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
借問誰凌虐、天驕毒威武。
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
陽和變殺氣、發卒騷中土。』
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
三十六萬人、哀哀淚如雨。
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。
且悲就行役、安得營農圃。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。』



胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。』


胡関 風沙靡く、粛索 責に終古。
木落ちて 秋草黄ばみ、高きに登りて 戎虜を望む。
荒城は 空しく大漠、辺邑に 遺堵無し。
白骨 千霜に横たわり、嵯峨として 榛葬に顧わる。
借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。
我が聖皇を赫怒せしめ、師を労して 輩鼓を事とす。
陽和は 殺気に変じ、卒を発して中土を騒がしむ。
三十六万人、哀哀として、涙 雨の如し。
且つ悲しんで、行役に就く、安くんぞ農圃を営むを得ん。
征戊の児を見ずんば、豈 関山の苦しみを知らんや。
李牧 今在らず、辺入 豺虎の飼となる。



胡關饒風沙、蕭索竟終古。
胡に対する関所塞は風と砂塵がむやみに多いところにある。未開の地で殺風景であること、大昔からのことだ。
胡関 胡地への関所。胡は、中国北方の異民族。農耕民族に対して、遊牧・騎馬民族。○粛索。ものさびしく、ひっそりしているさま。



木落秋草黃、登高望戎虜。
木の葉が落ちて秋もふかまり、草の黄ばむころになった、小高い丘にのぼり、はるか先の胡の方をながめた。
木落 そのものでなく木の葉が落ちること、詩の慣用語。○終古 いつまでも、永久に。○戎虜 えびす。胡地。



荒城空大漠、邊邑無遺堵。
荒れはてた城郭があり、ほかには何もない大きな砂漠があるのだ。国境の村々には、垣根すら跡形なく残っていない。
大漠 大砂漠。○辺邑 国境の村。○遺堵 のこった垣根。



白骨橫千霜、嵯峨蔽榛莽。』
白骨が千年もの霜を過ごしても、累々と横たわっている。山は高く嶮しいが、藪や叢に蔽われてしまっている。』
千霜 千年のこと。千「□」と千につく語は詩の印象を強めす。例えば、春だと咲き誇る春が千年であり、秋だと、草花が枯れていくさびしい秋が千年となる。ここでは、句の初めに、白骨があり、千霜と冷たくあたり一面広々と霜の白と白骨の白が続く。○嵯峨 山が高くけわしい。○榛莽 やぶや雑草。



借問誰凌虐、天驕毒威武。
だれがいったい、こんな陵虐を引きおこしたのか、とたずねてみると、だいたい、天の騎子とうぬぼれる匈奴が武力を悪用するからである。
天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。



赫怒我聖皇、勞師事鼙鼓。
われわれのすぐれた皇帝は、烈火にお怒りになった。そこで軍隊をうごかし、進軍太鼓をたたいて攻撃するのである。
聖皇 神聖なる皇帝。唐の玄宗をさす。○労師 玄宗の738年開元26年にチベットに大挙攻めいって以来、唐と吐蕃(チベット)の間に戦争はたえなかった。北方・北西は、契丹、奚、突蕨と、西、南西に吐蕃、ペルシャと戦った。○鼙鼓 進軍太鼓。戦車が基本の戦いのため。

陽和變殺氣、發卒騷中土。』
麗らかな、長閑な生活が、殺伐たる空気に変わった。兵卒をつぎつぎとくり出し、兵車で砂塵は上がり、国中は大騒動になった。』
陽和 うららかな、のどかな生活。○中土 中国。



三十六萬人、哀哀淚如雨。
三十六万人もの兵士。人びとのかなしみのなみだは雨のようだ。



且悲就行役、安得營農圃。
かなしみを背負って、兵士になって戦場に就くのだ。男がいなくなるのにこの先どうして田畑をいとなんでいけるというのだろうか。
安得 安は何と同じ。前の聯句は対句を無視して強調され、この聯に受けて、且悲:安得と強調している。
行役 国境守備などの兵役。○農圃 田畑。



不見征戍兒、豈知關山苦。
見たことはないだろう、戦争にかりだされた若者のことを、どうして遠い国境のとりで、山々での苦しみを知ることができるというのか。
不見 君不見・・・と同じ。 ○関山 関は関所、塞。国境の山山。



李牧今不在、邊人飼豺虎。』
李牧のような名将は、今は存在しない。だから、国境の人びとは山犬や虎のような胡人たちの餌じきになっているのだ。
○李牧 (り ぼく、生年不明―紀元前229年)は中国春秋戦国時代の趙国の武将。『史記』「廉頗蘭相如列伝」において司馬遷は李牧を、「守戦の名将」としている。は趙の北方、代の雁門に駐屯する国境軍の長官で、国境防衛のために独自の地方軍政を許されていた。 警戒を密にし、烽火台を多く設け、間諜を多く放つなどとともに兵士を厚遇していた。 匈奴の執拗な攻撃に対しては、徹底的な防衛・篭城の戦法を取ることで、大きな損害を受けずに安定的に国境を守備した。


古風五十九首 其一 李白 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

古風五十九首 其一 李白 :杜甫紀頌之の漢詩ブログ 明朗な人生観、自然界に自らを一致させた謫仙人李白特集 150

 古風 其一        古風 其の一      
これまで古風五十九首のうち、以下を取り上げた。
古風 其三 李白106
古風 其五 李白107
古風 其六   李白120

古風 其七 李白108
古風 其八   李白117
古風 第九   李白109

古風 其十     李白126
古風 其十一 李白 140
古風 其十二 李白 141

古風 第十八     李白110
古風 其二十三 李白113

李白は道教の道について述べ、人生の問題としている。戦争を取り上げ、政事理念を直接に詩の主題にし、故事の引用や艶情の用語を使用して、「詩経」くにの風(うた)のスタイルにしている。

翰林学士として天子の助言者たりえたいと思っていた。吐蕃に対して「和蕃書」の起草等、それを示すものである。「古風 其の一」は李白が官吏として意欲をもっていた天宝二年夏まえの作品であろうか。


古風五十九首其一
大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。
王風委蔓草。 戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
龍虎相啖食。 兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
正聲何微茫。 哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚馬激頹波。 開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
廢興雖萬變。 憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
文質相炳煥。 眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
我志在刪述。 垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
希聖如有立。 絕筆于獲麟。』

聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』


詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか。王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』



大雅(たいが)  久しく作(おこ)らず、吾れ衰(おとろ)えなば竟(つい)に誰か陳(の)べん。
王風(おうふう)は蔓草(まんそう)に委(す)てられ、戦国には荊榛(けいしん)多し。
龍虎(りゅうこ)  相い啖食(たんしょく)し、兵戈(へいか)  狂秦(きょうしん)に逮(およ)ぶ。
正声(せいせい)  何ぞ微茫(びぼう)たる、哀怨(あいえん)  騒人(そうじん)より起こる。
揚馬(ようば)  頽波(たいは)を激(げき)し、流れを開き  蕩(とう)として垠(かぎ)り無し』
廃興(はいこう)  万変(ばんぺん)すと雖も、憲章(けんしょう)  亦(ま)た已に淪(ほろ)ぶ。
建安(けんあん)より来(こ)のかたは、綺麗(きれい)にして珍(ちん)とするに足らず。
聖代  元古(げんこ)に復し、衣(い)を垂れて清真(せいしん)を貴ぶ。
群才  休明(きゅうめい)に属し、運に乗じて共に鱗(うろこ)を躍(おど)らす。』
文質(ぶんしつ)  相い炳煥(へいかん)し、衆星(しゅうせい)  秋旻(しゅうびん)に羅(つら)なる。
我が志は刪述(さんじゅつ)に在り、輝(ひか)りを垂れて千春(せんしゅん)を映(てら)さん。
聖を希(ねが)いて如(も)し立つ有らば、筆を獲麟(かくりん)に絶(た)たん。』





大雅久不作。 吾衰竟誰陳。
詩経の大雅のような大らかな正しい詩風が、長い間作られなくなった。わたくしのやろうという気持ちが衰退したら、いったい誰がそれを復活できようか
大雅 中国の最古の詩集「詩経」の篇名。大きく正しい詩。



王風委蔓草、戰國多荊榛。
王風の詩は草のはびこる中にすてられるに任せている、戦国の丗は、雑草ばかりになってしまった。
王風 詩経の国風篇巻の六。洛陽を中心とした周の王墓の衰えたころの詩。○戦国 紀元前5~前3世紀までの時代。○荊榛 雑木雑草。



龍虎相啖食、兵戈逮狂秦。
竜と虎とが食いあうように諸侯はあらそい、戦争はながくつづいて、狂暴な秦に及んでしまった。
○兵戈 戦争。 ○ 及ぶ。とどく。 ○狂秦 狂暴な秦



正聲何微茫、哀怨起騷人。
川原で正しい歌声で詠った屈原のような人はわずかいるかの状態となり、哀しみと怨みにより騒人を生み出した。
騒人 「離騒」の作者である屈原(前三世紀)をはじめ悲憤條慨の詩を作った一派の詩人たち、それ以来悲憤憤慨の人をたくさん作りだしたことをいう。



揚馬激頹波、開流蕩無垠。』
揚雄と司馬相如は、くずれゆく波をかき立てようと努力したが、いったん開いた流れは、取り留めなく広がって、行き着くところを知らない。』
揚馬 揚雄と司馬相如。前一、二世紀の漢の時代に出た文人。 
 かぎり、はて。さかい。



廢興雖萬變、憲章亦已淪。
その後、すたれたり、復興したりがあって千変万化した、正しい詩法はすっかりほろんでしまった。
憲章 正しい法則。



自從建安來。 綺麗不足珍。
建安以後の詩にいたっては、ただ綺麗なだけで、新しく珍しい良いものはたらない。
建安 紀元二世紀末の年号。曹植をはじめ多くの詩人が出た。



聖代復元古。 垂衣貴清真。
唐の聖代というものは、太古の姿にかえって、天子は、衣を垂れて、すっきりとして、ありのままなことを貴ぶようになった。
聖代 唐の時代をさす。○垂衣 大昔の聖天子、責と舜とは、ただ衣を地に垂れていただけで、天下がよく治まったという。○清真 すっきりとして、ありのままなこと

 

群才屬休明。 乘運共躍鱗。』
多くの才能ある人びとが、やすらかであかるい御代にいるのだ、時代の運気に乗って、共に魚がうろこをおどらせて活躍し出した。』
休明 やすらかであかるい時代。



文質相炳煥、眾星羅秋旻。
模様と生地があるように、詩の雰囲気と詩の形式がともに照栄え、おびただしい星のように詩人たちが秋の空にかがやいている。
文質 文はあやで模様と質は素材、生地。詩の雰囲気と詩の形式。○炳煥 てりはえる。○秋旻 秋の空。



我志在刪述、垂輝映千春。
わたしの志は、古代の詩の伝統を後世につたえることだ。その光が千年さきの春を照らすような詩集をつくるのだ。
刪述 けずって、のべる。良くない所はけずり、良い所をのべつたえる。西周時代、当時歌われていた民謡や廟歌を孔子が編集した(孔子刪詩説)とされる。史記・孔子世家によれば、当初三千篇あった膨大な詩編を、孔子が311編(うち6編は題名のみ現存)に編成しなおしたという ○千春 千年



希聖如有立、絕筆于獲麟。』
聖人の仕事を望み通り、もし立派にでき上ったならば、わたしも孔子のように最後は、麒麟をつかまえたとして筆を絶つことにする。』
獲麟 むかし孔子は歴史の本「春秋」を著わしたとき、「麒麟をつかまえた」という所で筆を絶った。麒麟は、空想の動物で、聖人のあらわれる瑞兆とされている。

古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141

古風五十九首 其十二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白141


古風五十九首 其十二


古風五十九首其十二
松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
使我長嘆息、冥棲巌石間。

わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 


古風五十九首 其の十二
松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。
身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。
清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀(よ)ずべからず
我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ




松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているのもで、桃や李の花のようないろどりはない
 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。



昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
強い個性をもって光っている厳子陵という人は、あおあおとした波の間に釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。○厳子陵 漢の厳光。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃、すなわち今の漸江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝点かれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三べん辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。詳細は、ウィキペディアにもある。○滄波  あおあおとした波。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
その身は現われては消える客星のように世間からかくれたのだ、そして、心は、大空の浮雲のように、のどかでひろいものであった。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。○ のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰っていった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。○万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。○富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。
 

清風灑六合、邈然不可攀。
すがすがしい風格が天地四方にいきわたった、しかしそれは遠くはるかなことで、とても手がとどきそうにないようなことだ
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。○邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
わたしに長いためいきをつかせたこと、せめて洞窟の奥深くひっそりした中で静かにくらしてみたいと思わせたことだったのだ。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。

古風五十九首 其十一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140

古風五十九首 其十一 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白140
古風 十一 李白 140



古風五十九首 其十一
黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる
逝川與流光、飄忽不相待。
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
吾當乘云螭、吸景駐光彩
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。


黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。

わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。


古風五十九首 古風其の十一
黃河は 東溟に走り、 白日は西海に落つ。
逝川と 流光と、 飄忽として 相待たず。
春容 我を舍てて去り、 秋髪 已に衰改す。
人生は 寒松に非ず、年貌 豈に長えに在らんや。
吾 当に雲螭に乗じ、景を吸うて 光彩を駐むべし。

 

黃河走東溟、白日落西海。
黄河の流れははるか東の海にむかって走り、太陽は西方の海に落ちる。
東溟 はるか東の海。○西海 中国人は大地の四方に海があると意識していた。天竺の向こうには大海がある。中国人の宇宙観であり、道教の教えでもある。


逝川與流光、飄忽不相待。
すぎゆく川の流れも、光矢のようにはやく流れる時間も、たちまちのことであり、人を待ってはくれない。
逝川 流れゆく川。むかし孔子が川のほとりに立って流れゆく水を見て言った。「逝く者は斯の如き夫、昼夜を合かず。」そのコトバが連想される。○流光 光矢のようにはやく流れさる時間。○飄忽 急なさま。たちまち。



春容舍我去、秋髪已衰改。
青春の顔かたちはわたしを捨てて変わってしまった。頭はすでに秋霜のような白髪哀しくも変わってしまった。
春容 青春の日の容貌。青春の顔かたち。○秋髪 晩年の白髪。
 


人生非寒松、年貌豈長在。
人間の生命は、寒い冬がきても葉を落さない松の木のようにはいかないのだ。年齢と容貌は、長く同じところにいてくれないのだ。
寒松 寒い冬がきても葉を落さない松の木。〇年貌 年齢と容貌。

 

吾當乘云螭。 吸景駐光彩。
わたしは、幸運の竜の背に乗って日月の光を吸いとり、流れる五色の光矢時間をひきとめたいと思う。
雲螭 螭竜の一種。螭は額に角を持たない龍のことを言う。龍から角を取った感じだ。山や沢に棲む小さな龍で、色は赤や白、あるいは蒼色のものがいる。螭はとりわけ岩や木陰などの湿った場所を好むという。そして小さな虫や動物を食べて生きている。人目に触れる場所にはあまり出没しないという。螭が湿った場所を好むのか、螭が棲む場所を湿らせるのかはよく分からないが、螭がいなくなったためにその場所から湿気がなくなったという話も残されているという。仙界の幸運のいきもの。○吸景 日月の景を吸う。景は、ひかり。○光彩 ひかり。

古風五十九首 其十 李白

古風 其十 李白126都長安(翰林院供奉)


古風 其十
齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
明月出海底、一朝開光曜。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
卻秦振英聲、後世仰末照。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
吾亦澹蕩人、拂衣可同調。

わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。


斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。


古風 其の十
斉に倜儻てきとうの生有り、魯連ろれん 特に高妙。
明月 海底より出で、一朝 光曜こうようを開く。
秦を却しりぞけて 英声を振い、後世 末照を仰ぐ。
意 千金の贈りものを軽んじ、顧みて平原に向って笑う。
吾も亦た 澹蕩たんとうの人、衣を払って 調を同じゅうすべし。


戦国時代勢力図


齊有倜儻生、魯連特高妙。
斉の国には英傑の士が多いが、魯仲連は中でもずばぬけている。
 今の山東省にあった紀元前の国。昔、周のはじめ、有名な太公望がそこに封ぜられ、又、桓公のようなすぐれた君主の出た土地で、傑物が少なくない。○倜儻 志が大きく、人にすぐれ、独立自由であること。○ 先生の略。○魯連 魯仲連の略称。
戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魂の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、超は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。


明月出海底、一朝開光曜。
たとえば明月の珠が海底から出てきて、一朝にして光輝をはなつようなものだ。
明月 明月のような夜光の珠。


卻秦振英聲、後世仰末照。
秦の軍隊を追っ払ってすぐれた名声をとどろかせ、後世の人はその余光を仰いでいる。
 やはり紀元前、今の陝西省にあった国。○末照 余光。


意輕千金贈、顧向平原笑。
千金の贈物を全くもんだいにせず、平原君の方をふりむいて一笑に付した。
平原 平原君。趙の国の王子で、食客数千人をかかえていたので有名。


吾亦澹蕩人、拂衣可同調。
わたしも同様、さっぱりしたたちだ。思いきって、かれと意気投合しょう。
澹蕩 あっさりして、物事にこだわらないこと。○払衣 うわぎをぱっとはねあげてすっくとたちあがること。決然と別れを告げるときに用いることば。○同調 調子が合う。

古風五十九首 其八  李白

古風 其八  李白117

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 Ⅱ.中唐詩・晩唐詩  
 Ⅲ.杜甫詩1000詩集  
 Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集  
 Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩  
      
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古風 其八

咸陽二三月、宮柳黃金枝。
咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
日暮醉酒歸、白馬驕且馳。
昼と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
意氣人所仰、冶游方及時。』
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
子云不曉事、晚獻長楊辭。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
賦達身已老、草玄鬢若絲。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
投閣良可嘆、但為此輩嗤。』

うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。

咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
昼と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。

(下し文)古風 其八

咸陽 二三月、宮柳 黃金の枝。
綠幘(りょくさく)誰が家の子、珠を賣る 輕薄兒。
日暮 酒に醉うて歸る、白馬 驕って且た馳す。
意氣 人の仰ぐ所、冶游(やゆう)方(まさ) に時に及ぶ。
子云 事を曉(さと)らず、晚に獻ず 長楊の辭。
賦 達して 身已に老い、玄を草して 鬢 絲の若し。
閣より投ずること 良に嘆ず可し、但だ此の輩に嗤(わら)わる。



咸陽二三月、宮柳黃金枝。
咸陽の都。二三月の季節。宮殿の柳は、黄金色に萌える枝をたれている。
咸陽 秦の都。長安の対岸にある。この詩は、実際には唐の都、長安の風俗をうたっている。詩人は唐を秦、長安を咸陽とよく詠う。〇二三月 旧暦だから、春たけなわな頃である。○宮柳 宮殿のそばの柳。○黃金枝 新芽の明るい緑に日がさすと黄金に見える。この時期だけのものである。
  

綠幘誰家子、賣珠輕薄兒。
縁の頭巾をきたのは、どの家の子だ。漢時代の臣偃のように、もとはといえば真珠でも売っていた軽薄な男児ではないのか。
綠幘 幘;幅は頭巾。みどりのずきん。漢の董偃の故事。「漢書」に見える話。董偃は母とともに真珠を売って歩いていたが、年十三のとき、漢の武帝のおばであり、陳皇后の母でもある館陶公主の邸に出入し、美貌な少年であったので公主の寵愛を得て董君と呼ばれた。そののち公主に従って帝に御目見えしたとき、かれは、綠の頭巾をかむり、腕ぬきをつけて罷り出た。公主は「館陶公主の料理番、臣偃」と紹介し、かれは平伏した。帝はかれに衣冠をたまわった。やがて無礼講がはじまったが、以後かれは武帝の寵愛をも受けるようになり、噂は天下にひろまった。吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)。


日暮醉酒歸、白馬驕且馳
と夜の境もなくのべつ酒に酔って帰るし、乗っている白馬も、驕り高ぶって、そして(街中でも)、走りだす。
漢詩ブログ6月9日李白 17少年行  杜甫「少年行」とイメージが似ている。


意氣人所仰、冶游方及時。
そのさかんな意気は、人びとがみな見上げる。芸者遊びには、もってこい時候もいいのだ。
冶遊 芸者遊び。心がとろけるような楽しい遊び。


子云不曉事、晚獻長楊辭。
揚子雲先生の場合は世間の事に通じない。晩年には天子に「長楊の辞」を献上するまでになった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。
不暁事 世間の事に通じない。○ 晩年。○楊辭 天子に献上する「長楊の辞」のこと。


賦達身已老、草玄鬢若絲。
念願の賦は天子に献上するまでになったが、身はすでに老いてしまった、「太玄経」を書き上げたころには、鬢は絹糸のようになってしまっていた
 韻文の一体。漢の時代の流行。○玄楊 子雲、雄の著書「太玄経」。


投閣良可嘆、但為此輩嗤。
うろたえて天禄閣上から飛び降りたというのは、本当にためいきが出る。軽薄な少年の仲間の物笑いの種になっただけであるから。
投閣 天禄閣上から身を投げた。○此輩 緑幘さくの軽薄児をさす。 

儒教の貫いて痩せ細ったと同じこと、死んでしまっては何にもならない。世間のことぉ知らなくて、芸者遊びのひとつも知らないで、年を取ってしまった。李白はここでも儒教批判を述べている。



 
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古風五十九首 其二十三  李白

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古風 其二十三  李白113


其二十三
秋露白如玉。 團團下庭綠。
秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
我行忽見之。 寒早悲歲促。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
人生鳥過目。 胡乃自結束。
人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
景公一何愚。 牛山淚相續。
むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
物苦不知足。 得隴又望蜀。
人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
人心若波瀾。 世路有屈曲。
人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
三萬六千日。 夜夜當秉燭。

人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。



秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。


(下し文)
秋露は白くして玉の如く、 團團として庭綠に下る。
我行きて忽ち之を見る、寒早くして 歳の促すのを悲しむ
人生は 鳥の目を過ぎるがごとし、胡こそ乃ち 自ら結束するや
景公ひとえに何で愚かなる。牛山 涙 相続く
物は足ることを知らざるを苦しみ、隴を得て又蜀を望む。
人心は波瀾の若し。 世路には屈曲有り。
三萬六千日、 夜夜當に燭を秉る。

古風 其の二十三

秋露白如玉、團團下庭綠。
秋の露はまるで白い宝玉だ。丸く、丸い、庭の木樹の綠におりている。
団団 まるいさま。露が丸い粒にかたまったさま。六朝の謝霊運の詩に「團團たり満葉の露」とある。李白「古郎月行」では木々のこんもり繁るさまに使っている。 ○庭綠 庭の中の草木。

我行忽見之、寒早悲歲促。
わたしの旅先中で、それを見つけた、寒さが早くも来ていて、年の瀬がおしせまる気がして悲しさをさそう。
歳促 歳の瀬がせまる。


人生鳥過目、胡乃自結束。

人生というものは、鳥が目の先をかすめ飛びさるようなものだ。このことはつまらないことだ、自分で自分を束縛するなんて。
鳥過目 張協の詩に「人生は瀛海の内、忽上して鳥の目を過ぐるが如し」とある。飛鳥が目の前をかすめて過ぎるように、人生はつかのまの時間に限られる。○ ここではでたらめ。あやしい。つまらないこと。 ○結束 窮屈にする。しばりつける。


景公一何愚、牛山淚相續。

むかしの斉の景公は、儒教の考えで自分を束縛しているじつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はなぜ死なねばならぬかとなげいて、涙をとめどもなく流した。
景公二句 「列子」にある話。景公は、春秋時代の斉の景公、牛山は、斉の国都であった今の山東省臨淄県の、南にある山。 杜牧「九日齊山登高」 牛山何必獨霑衣。とある。この牛山に春秋・斉の景公が遊び、北の方にある都を望んで、涙を流して「どうして人はこんなにばたばたと死んでいくのか」と人の死を歎き、涙で濡らしたという。
これは儒教の考えをくだらないものとして比喩している。


物苦不知足、得隴又望蜀。

人は自ら満ち足りるということがなくて苦しむというが、すでに隴を得たのにも関わらず今度は蜀が欲しくなった、と。
○物苦二句「十八史略-東漢[世祖光武皇帝][岑彭]
」の、光武帝が岑彭に与えた富に「人は足るを知らざるに苦しむ。既に隴を平らげて復た蜀を望む」とある。隴はいまの甘粛省隴西県の地。蜀はいまの四川省。物は人間。


人心若波瀾。 世路有屈曲。

人の心は高揚したり、沈んだりの起伏変化があるもの、世間で暮らしを立ててゆくことは、よかったり、悪かったりという曲りくねりがあるものだ。
波瀾 大波、小波。起伏変化のさま。○処世 世渡り。世間で暮らしを立ててゆくこと。(荘子)
 
三萬六千日。 夜夜當秉燭。
人生、三万六千日。毎夜、毎夜、ともしびをかかげて楽しくすごすべきである。
三万六千日 百年の日数。李白お得意のわかりやす協調表現。詩の調子を激変させ集中させる効果がある。○夜夜当秉燭 秉は、手で持つ。漢代の古詩十九首の言「生年は百に満たず。常に千歳の憂を懐く。昼は短く、夜の長きを苦しむ。何ぞ燭を秉って遊ばざる」とある。
この最後の句でこの詩の集約している。李白の「贈銭徴君少陽」に秉燭唯須飲;燭を秉って唯須らく飲べし。
白玉一盃酒、緑楊三月時。
春風餘幾日、兩鬢各成絲。
秉燭唯須飲、投竿也未遲。
如逢渭水獵、猶可帝王師。

李白の「春夜桃李園に宴する序」にも、「浮生は夢のごとし。歓を為す幾何ぞ。古人、燭を秉りて夜遊ぶ。良に以あるなり」とある。

唐・李白
夫天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。
而浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。
況陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒數。


 この詩「古風 其二十三」は、秋になり、夜露が珠になり、やがて年の瀬に向かう。旅先での寂しさを詠いつつ、年老いていく自分を重ねている。ここでも儒教の礼節の強要を無意味なこと度とし、人生は一瞬ですぎていくのと同じである。欲を言い出したらきりがない。よい時も悪い時もある。曲がった道をまっすぐ歩けない、自然に、自由にすること。それには、毎日を楽しくすごさなければいけないのだ。

 李白は儒教的な考えに徹底的に嫌気を持っていた。そのことは、逆に儒教的詩人たちの評価が低かったのも理解できる。

古風五十九首 第十八 李白

古風五十九首 第十八 李白110

古風 第十八であるが、古風での道教の詩としてはここまでである。はじめと終りとに栄華の無常をい、中ごろではそのはかない栄華に得々たる権力者たちを心憎いまでに描写して効果を深めてゐる。しかしこの無常感は、仏教のそれとは全く異なる老荘の説に基くものである。咸陽の市に黄犬を牽いた得意の時を過ぎて、刑場に就く李斯と対照されている鴟夷子は越王勾践の相だった范蠡(はんれい)であるが、李斯を以て当時の李林甫、楊国忠にたとえたものとすれば、呉を亡したのち髪を散らし、姓名を変じて斉に赴いた無欲の范蠡は李白の理想とする姿にほかならない。李白のもっとも言いたかったものではなかろうか

其十八
天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。』
朝為斷腸花、暮逐東流水。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。』
前水復后水、古今相續流。
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
新人非舊人、年年橋上游。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
衣冠照云日、朝下散皇州。』
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。』
鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。』
行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。』
行樂爭晝夜、自言度千秋。
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 
功成身不退、自古多愆尤。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
黃犬空嘆息、綠珠成舋讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかって、仕打ちをされた。
何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。』


古風 其十八
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。』
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。』

道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。』

昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかって、仕打ちをされた。
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。



古風 其の十八

天津 三月の時、千門 桃と李と。』
朝には断腸の花と為り、碁には東流の水を逐う。』
前水 復た後水、古今 相競いで流る。
新人は 旧人に非ず、年年 橋上に遊ぶ。
鶏 鳴いて 海色動き、帝に謁して 公侯を羅ぬ。
月は西上陽に落ちて、余輝 城楼に半ばなり。
衣冠 雲日を照らし、朝より下りて 皇州に散ず。』
鞍馬 飛竜の如く、黄金 馬頭に給う。』
行人 皆辟易し、志気 嵩邸に横たわる。
門に入りて 高堂に上れば、鼎を列ねて 珍羞を錯う。
香風 超舞を引き、清管 斉謳に随う。
七十の 紫鴛意、双双として 庭幽に戯むる。』
行楽 昼夜を争い、自ずから言う 千秋を度ると。
功成りて 身退かざれば、古えより 慾尤多し。
黄犬 空しく嘆息、緑珠 費健を成す。
何ぞ加かんや 塊夷子が、撃を散じて 届舟に樟させるに。』



天津三月時、千門桃與李。』
洛陽の天津橋から見わたすと、時は春三月、千門たちならぶ都大路には、桃と李の花が今をさかりと咲いている。
天津 橋の名。唐の東のみやこ洛陽をめぐって洛水が流れ、その川にかかっている。初唐の詩人劉廷芝の「公子行」は、「天津橋下陽春の水、天津橋上兼葦の子」という詞句で始まっており、李白はその詩の出だしのイメージを借りている。参照。劉廷芝の詩は「怨詩」である。〇千門 宮殿には多くの門があり、迷路のように門戸が連続している。千門万戸という表現は李白の得意とするところ。


朝為斷腸花、暮逐東流水。』
朝には、真っ赤な花の咲き誇って人の心をゆきぶるような思いをさせるその花も、日の暮れには、天津橋下の春の水を迫って東に向って流れてゆく。
断腸花 真っ赤な花の咲き誇っているさまをいう。李白が断腸という語を使用するとき、女心、嫉妬、焦燥の気持ちを表す際に多い。李白「春思」「清平調詞其三」にある。○東流 東が下流で流れ去る、消えていくことをします。

前水復后水、古今相續流。
水は次から次へと、上流から下流へと流れていき、古と今も同じようにつづいてゆくのが「道」である。
前水復后水 水は次から次へと、上流から下流へと流れていくのが「道」理である。この聯と次の聯は道教の真理「道」についての表現である。


新人非舊人、年年橋上游。
橋の上をとおる人達も、顔ぶれが違うものだ。毎年毎年、橋の上で人々の往来は続くのである。
 往来すること。交流する。


雞鳴海色動、謁帝羅公侯。
鶏が鳴いて夜のとばりの明けそめるころ、朝の朝礼で天子に拝謁する公侯たちが居ならんだ。
海色 夜明け前のほのぐらい色。○謁帝 朝の朝礼。夜明けに集合。


月落西上陽、余輝半城樓。
月は西上陽宮に落ちかかり、残った光が城樓の半分を照らしていた。
○西上陽 洛陽の宮城の西南隅に上陽宮があり、さらにその西側に西上陽宮という宮殿があった。touRAKUYOjou0036
 唐時代 洛陽城図 参照
 
衣冠照云日、朝下散皇州。』
やがて、朝廷の吏官の冠が日の彩雲に照らされてでてきた、朝延から自分の邸にひきあげているのは、光が帝都に散っていくようだ。
衣冠 衣冠をつけた人。朝廷の吏官。○皇州 帝都のこと。


鞍馬如飛龍、黃金絡馬頭。』
鞍をおいた馬は、飛ぶ竜のようであり、黄金の飾りが、馬の頭につけられている。


行人皆辟易、志氣橫嵩丘。
道ゆく人びとは、みな辟易して路をよける。そのいきおいたるや向うにそびえる嵩山ぐらいもあるようだ。

嵩丘 洛陽の近くにある嵩山。道教の総寺観があった。

入門上高堂、列鼎錯珍羞。
門から入ると、高堂のお座敷に上った、三本足の大食器がならべられ、珍しい御馳走がいろいろとりそろえていた。
 足が三本ある一種の鍋。○珍羞 珍しい御馳走 


香風引趙舞、清管隨齊謳。
かぐわしい風が、趙の国の舞姫の舞いをさそい出していた。清らかな笛の音が、斉の国の歌姫の歌に合わせて奏でていた。


七十紫鴛鴦、雙雙戲庭幽。』
七十羽の紫のつがいのおしどりたちは、それぞれつがいで、庭の茂みのおくにたわむれている。
七十紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。


行樂爭晝夜、自言度千秋。
昼夜おかまいなく行楽をむさぼり、自分では千年もこうありつづけたいなどと言っている。 


功成身不退、自古多愆尤。
成功して引退しないでいると、むかしからまちがいが多いものだ。
退 引退。范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。そのあと引退し悠々自適の生活をした。〇愆尤 けんゆう あやまち。失敗。

黃犬空嘆息、綠珠成舋讎。
秦の李斯は黄犬を嘆いたが空しかったし、晋の石崇は緑珠を愛したばかりに恋仇のうらみをかってしうちをされた。
黃犬 このブログ 襄陽歌 李白49に示す。「咸陽市中歎黄犬、何如月下傾金罍。」咸陽の町のまん中で「黄色い犬をつれて免狩りしたかった」などと嘆いた秦の李斯のさいごを思うと、たとえ出世しなくとも、月の下で、黄金の杯を傾けているほうが、どれだけよいことか。 ・歎黄犬:李斯の故事をいう。〇綠珠 晋の石崇は、富を集め豪奪な生活をした人だが、綠珠という女を愛していた。彼女は美しく、色っぽく、上手に笛を吹いた。孫秀という男が人を遣わして綠珠をしつこく求めた。石崇は立腹して言った。緑珠はわたしの愛人だ、と。恨んだ孫秀は、超王倫に告げ口をして石崇を殺そうとした。綠珠は樓から身を投げて自殺し、崇の親兄妻子はみな穀書された。「晋書」にある話。○舋讎 仲たがいのあだ、うらみ。○ 讐と同じ。

何如鴟夷子、散發棹扁舟。』
かの氾蠡(はんれい)が鴟夷子と名乗って髪をかっさばき引退し、小舟に棹さして気ままに江湖にうかんだ境地こそ何よりだ。
鴟夷子 越王勾践は呉王夫差と戦って会稽山で和を請うた。その後二十年、嘗胆の苦しみを経て、氾蠡の助けを得て軍隊を訓練し、呉と戦って会稽の恥をそそいだ。越が呉を滅ぼすと、汚轟は越を去った。小舟に乗り、江湖に浮かび、姓名を変じて斉の国におもむき、怨夷子皮と名のった。鴎夷とは馬の革でつくった袋である。呉の功臣伍子背が呉王夫差に死を命ぜられた上、死体は線夷につつまれて揚子江に投げこまれた。泡轟は賢いから、自分もぐずぐずしていたら、そんな目にあっただろうという意味で、こういう皮肉な名前をつけたのである。○散髪 役人のかむる冠で髪を拘束しないこと。


<ウィキペディアから 抜粋>
范蠡(はんれい 生没年不詳)は、中国春秋時代の越の政治家、軍人。氏は范、諱は蠡、字は少伯。越王勾践に仕え、勾践を春秋五覇に数えられるまでに押し上げた最大の立役者。
范蠡は夫差の軍に一旦敗れた時に、夫差を堕落させるために絶世の美女施夷光(西施(せいし))を密かに送り込んでいた。思惑通り夫差は施夷光に溺れて傲慢になった。夫差を滅ぼした後、范蠡は施夷光を伴って斉へ逃げた。
 
越を脱出した范蠡は、斉で鴟夷子皮(しいしひ)と名前を変えて商売を行い、巨万の富を得た。范蠡の名を聞いた斉は范蠡を宰相にしたいと迎えに来るが、范蠡は名が上がり過ぎるのは不幸の元だと財産を全て他人に分け与えて去った。 斉を去った范蠡は、かつての曹の国都で、今は宋領となっている定陶(山東省陶県)に移り、陶朱公と名乗った。ここでも商売で大成功して、巨万の富を得た。老いてからは子供に店を譲って悠々自適の暮らしを送ったと言う。陶朱公の名前は後世、大商人の代名詞となった(陶朱の富の故事)。このことについては、史記の「貨殖列伝」に描かれている

「古風」 第九首 李白109

「古風」 第九首 李白109

 はじめに荘子の「斉物論」を引き、ついで秦の東陵侯邵平をと引き合いに出し、損得勘定にあくせくする俗人に対して夢を持つことを述べている。


古風 其九
莊周夢胡蝶。 胡蝶為庄周。
荘周はあるとき蝴蝶になった夢をみた、さめてみると蝴蝶がまた荘周となっていた。
一體更變易。 萬事良悠悠。
万物は本来一体であるものが、交互に姿をかえるだけなのだ。万事はまことに、はてしなく運動してゆくのである
乃知蓬萊水。 復作清淺流。
このことはすなわち、仙人の島の蓬莱山を浮かべている東海の水が、またもや清く浅い流れになろうとすることも理解できる。
青門種瓜人。 舊日東陵侯。
長安の青城門の郊外で瓜を作っている人は、昔は位の高い東陵侯という人であった。
富貴故如此。 營營何所求。

富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高い人なのに同じように瓜を作っている。あくせくして損得勘定だけの行動をするなんて愚かなことか。


荘周はあるとき蝴蝶になった夢をみた、さめてみると蝴蝶がまた荘周となっていた。
万物は本来一体であるものが、交互に姿をかえるだけなのだ。万事はまことに、はてしなく運動してゆくのである
このことはすなわち、仙人の島の蓬莱山を浮かべている東海の水が、またもや清く浅い流れになろうとすることも理解できる。
長安の青城門の郊外で瓜を作っている人は、昔は位の高い東陵侯という人であった。
富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高い人なのに同じように瓜を作っている。あくせくして損得勘定だけの行動をするなんて愚かなことか。


(書き下し文)
荘周胡蝶を夢み
胡蝶は荘周となる。
一体たがひに変易し
万事まことに悠悠たり。
すなはち知る蓬莱の水の
また清浅の流れとなるを。
青門に瓜を種うるの人は
旧日の東陵侯なり。
富貴はもとよりかくのごとし
営々なんの求むるところぞ。 


莊周夢蝴蝶。 蝴蝶為庄周。
荘周はあるとき蝴蝶になった夢をみた、さめてみると蝴蝶がまた荘周となっていた。
荘周 紀元前四世紀の人。いまの河南省に生れた。哲学者。「荘子」の著者。○夢蝴蝶 「荘子」の「斉物論」篇に見える話。あるとき荘周が夢のなかで蝴蝶になった。ひらひらと空を舞う蝴蝶。かれはすっかりいい気持になり、自分が荘周であることをわすれてしまった。ところが、ふと目がさめてみると、まぎれもなく、荘周にかえっている。かれは考えた。荘周が夢をみて蝴蝶となったのか、それとも、蝴蝶が夢をみて荘周になっているのだろうか。荘周と蝴蝶とは、はっきりと区別される。すると、これは「物の変化」ということであろうか。つまり、荘子は、人間と蝴蝶、夢と現実を区別する常識的な分別を問題にせず、渾沌とした世界の中で自由にたのしむことをよしと考えたのである。


一體更變易。 萬事良悠悠
万物は本来一体であるものが、交互に姿をかえるだけなのだ。万事はまことに、はてしなく運動してゆくのである
一体更変易 万物は本来一つであるということを明らかにするのが、荘子の斉物論である。世の中のあらゆる現象は、もともと一体であるものが、いろいろに姿をかえているのである。○悠悠 無限に運動するさま。

乃知蓬萊水。 復作清淺流。
このことはすなわち、仙人の島の蓬莱山を浮かべている東海の水が、またもや清く浅い流れになろうとすることも理解できる。
蓬莱水 蓬莱というのは、東海の中にあるといわれる仙人の島。麻姑という女の仙人が言った。「東の海が三遍干上って桑畑にかわったのを見たが、先ごろ蓬莱島に行ってみると、水が以前の半分の浅さになってしまっている。またもや陸地になるのだろうか。」王遠という者が嘆いて言った。「聖人はみな言っている、海の中もゆくゆくは砂塵をまきあげるのだと。」「神仙伝」に見える話。

青門種瓜人。 舊日東陵侯。
長安の青城門の郊外で瓜を作っている人は、昔は位の高い東陵侯という人であった。
青門 長安城の東がわ、南から数えた第一の門を新開門という。青い色であったから通称を青城門、または青門といった。下図 曲江の東にある門
mapchina00201長安城の図 東南側は陵墓と瓜畑が広がっていた。
種瓜人 広陵の人、邵平は、秦の時代に東陵侯であったが、秦が漢に破れると、平民となり、青門の門外で瓜畑を経営した。瓜はおいしく、当時の人びとはこれを東陵の瓜 押とよんだ。

富貴故如此。 營營何所求。
富んでいて尊敬できる人というものは、このように位が高い人なのに同じように瓜を作っている。あくせくして損得勘定だけの行動をするなんて愚かなことか。
富貴 ふうき 富んでいて尊いこと。富んでいて尊敬できる人。○営営 あくせくとはたらいて利益を追求すること。損得勘定により行動をすること。


<参考>
荘周 「夢蝴蝶」
以前のこと、わたし荘周は夢の中で胡蝶となった。喜々として胡蝶になりきっていた。 自分でも楽しくて心ゆくばかりにひらひらと舞っていた。荘周であることは全く念頭になかった。はっと目が覚めると、これはしたり、荘周ではないか。 ところで、荘周である私が夢の中で胡蝶となったのか、自分は実は胡蝶であって、いま夢を見て荘周となっているのか、いずれが本当か私にはわからない。 荘周と胡蝶とには確かに、形の上では区別があるはずだ。しかし主体としての自分には変わりは無く、これが物の変化というものである。
<原文>
 昔者荘周夢為胡蝶。栩栩然胡蝶也。
自喩適志与。不知周也。
俄然覚、則蘧蘧然周也。
 不知、周之夢為胡蝶与、胡蝶之夢為周与。
周与胡蝶、則必有分矣。
此之謂物化。
<書き下し文>
 昔者荘周夢に胡蝶と為る。栩栩然として胡蝶なり。 自ら喩しみて志に適えるかな。周たるを知らざるなり。 俄然として覚むれば、則ち蘧々然として周なり。 知らず、周の夢に胡蝶と為れるか、胡蝶の夢に周と為れるかを。 周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う。

古風五十九首 其七 李白 108/350

古風五十九首 其七 李白108/350


古風五十九首 其七
客有鶴上仙、飛飛凌太清。
鶴の背にのった仙人が、大空を飛びまわって大酒境まで行こうとしている。
揚言碧雲裏、自道安期名。
あおい雲のなかから名のりをあげて、われこそは安期生であると言った。
兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
去影忽不見、囘風迭天聾。
ところがたちまち、姿は見えなくなり、向かい風吹き天上の音楽だけを送ってきた。
拳首遠望之、諷然若流星。
首をのばして遠くを望むと、聞こえてきた天上の調が、流れ星のようにきえていった。
願餐金光草、詩興天斉傾。
わたしの願いは、仙人草を食べることであり、生命は天とならび帰服することにある。

鶴の背にのった仙人が、大空を飛びまわって大酒境まで行こうとしている。
あおい雲のなかから名のりをあげて、われこそは安期生であると言った。
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
ところがたちまち、姿は見えなくなり、向かい風吹き天上の音楽だけを送ってきた。
首をのばして遠くを望むと、聞こえてきた天上の調が、流れ星のようにきえていった。
わたしの願いは、仙人草を食べることであり、生命は天とならび帰服することにある。


(下し文)古風 其の七
客に鶴上の仙有り、飛び飛んで 太清を凌ぐ
言を揚ぐ 碧雲の裏、自ずから道う 安期が名。
両両たり 白玉の童、双び吹く 紫鸞の笙
去影 忽ちに見えず、回風 天声を送る
首を挙げて 遠く之を望めば、諷然として 流星の若し
願わくは金光の草を餐し、寿 天と斉しく傾かん


客有鶴上仙、飛飛凌太清。
鶴の背にのった仙人が、大空を飛びまわって大酒境まで行こうとしている。
凌 のりこえる。○太清 天上にある世界。道家でいわゆる三清の一つ。聖人は玉清に登り、真人は上清に登り、仙人は太滑に登るという。 李白の詩は、道教の説明をきちんと入れなければいけない。
三清(さんちん):
最高神である上合虚道君応号元始天尊、右に霊宝天尊、左に道徳天尊(太上老君)を配した3神のことである。
三清境に住み、玉清には元始天尊が、上清には霊宝天尊が、太清には太上老君がそれぞれ宮殿を構えていると言われている。6世紀以降、それまで最高神として扱われていた道家の創始者・太上老君を三身一体の一部として組み入れ、元始天尊をリーダーとして道教の最高神として祭られるようになった。
元始天尊 三清の中央に位置する神。三清界の玉京(玉清)という場所に住むという。上合虚道君応号元始天尊 玉清元始天尊、玉清とも呼ぶ。道と万物の創造神であると言われ、道士の信仰が熱い。
霊宝天尊 別名太上道君。三清界の上清境に住むので上清、上清天尊とも呼ばれる。
太上老君 別名道徳天尊。三清の1人で道家の創始者。三清境の太清に宮殿を構えることから太清とも呼ばれる。
 
揚言碧雲裏、自道安期名。
あおい雲のなかから名のりをあげて、われこそは安期生であると言った。
揚言 名乗りを上げる。○碧雲 青雲。李白は青い色にこの文字を多用する。好きな文字なのであろう。○安期 仙人の名。安期宅秦の墳邪の人で、学問を河上文人に受け、東海のほとりで薬を売っていた。当時の人は千歳公と呼んだ。始皇帝が山東に遊んだとき、三旦二晩ともに語った。金崗数千万を賜わったが、みな置いたまま立去り、「数十年のちに、われを蓬莱山のふもとにたずねよ」という置手紙をのこした。始皇はかれを海上にさがさせたが、使者は風波にあい引返した。漢の武帝の時、李少君という者が帝に報告した。「臣がかつて海上に遊んだとき、安期生を見た。かれは瓜のように大きいナツメを臣に食わせた、云云」武帝もまた、方士を海に派遣して安期生をさがさせたという。「列仙伝」や「史記」『三国志』「魏書」に登場する話。

兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。
 
去影忽不見、囘風迭天聾。
ところがたちまち、姿は見えなくなり、向かい風吹き天上の音楽だけを送ってきた。
囘風 向かい風。上句の「去」の対語としての「囘」は帰ることで天からこちらへ送ってくれた調べとなる。回風はつむじ風。○天声 天上の音楽。
 
拳首遠望之、諷然若流星。
首をのばして遠くを望むと、聞こえてきた天上の調が、流れ星のようにきえていった。
 そらんじる。天上の音楽のこと。  ○然若 しかり・・・・ごとく

願餐金光草、壽興天斉傾。
わたしの願いは、仙人草を食べることであり、生命は天とならび帰服することにある。
金光草 仙人草。 
senninso01日本ではよく見かける。
 ○ せい齊 ととのえる。ならべる。 ・さい齋つつしむ。神仏へのそなえもの。学問をするところ。
 心を傾ける。帰服する。

古風五十九首 其五 李白

古風五十九首 其五 李白 107

古風五十九首 其五
太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。多くの星、きらめく星たちは上に、いかめしくにならんでいる。
去天三百里、邈爾與世絕。
天上から山頂まで、わずかに三百里。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
中有綠髪翁、披云臥松雪。
その山中に緑の髪の翁がいる。雲を着物とし、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
不笑亦不語、冥棲在岩穴。
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
我來逢真人、長跪問寶訣。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来た、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねた。
粲然啟玉齒、授以煉藥說。
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれた。
銘骨傳其語、竦身已電滅。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていた。
仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
吾將營丹砂、永與世人別。
わたしは今後、丹砂をつくることにし、永久に世間の人に別れをつげることにしたのだ。

太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。多くの星、きらめく星たちは上に、いかめしくにならんでいる。
天上から山頂まで、わずかに三百里。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
その山中に緑の髪の翁がいる。雲を着物とし、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来た、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねた。
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれた。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていた。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
わたしは今後、丹砂をつくることにし、永久に世間の人に別れをつげることにしたのだ。


(下し文)
太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。
天を去る 三百里、邈爾として世と絕つ。
中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。
笑わず 亦 語らず、冥棲 岩穴にあり。
我來って 真人に逢い、長跪して寶訣を問う。
粲然として 玉齒を啟き、授くるに煉藥の說を以てす。
骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。
仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。
吾 將に 丹砂を營み、永く世人と別れんとす。

太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、なんとおごそかなあお色をしているのだ。多くの星、きらめく星たちは上に、いかめしくにならんでいる。 
太白 長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。○蒼蒼 山があおあおとしている、そのようす。○星辰 星も辰も、ほし。○森列 いかめしくならぶ。

去天三百里、邈爾與世絕。
天上から山頂まで、わずかに三百里。はるか遠くにあり、俗世間からとは遮断されている。
去天三百里 「武功の太白、天を去ること三百里」という言いつたえがある。○邈爾 ばくじ はるか遠くにあること。

中有綠髪翁、披云臥松雪。
その山中に緑の髪の翁がいる。雲を着物とし、松に積もる雪を枕にして寝ている。 
 着物としてきる。 ○云 雲。云は古来文字。

不笑亦不語、冥棲在岩穴。
笑わないし、語りもしない、ひっそりと雲を湧かせる洞窟の中に棲んでいるのだ。
冥棲 ひっそりとしたところに棲む。
 

我來逢真人、長跪問寶訣。
わたしは道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその人に会いに来た、長く両ひざをついてお辞儀をして、悟りと奥義についてたずねた。
真人 道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだ人。○長跪 ちょうき 長く両ひざをついてお辞儀をする姿勢をとること。○寶訣 ほうけつ 修行をして体得した悟りとか奥義。

粲然啟玉齒、授以煉藥說。
にこやかに笑をうかべ、玉のような歯なみをみせて、仙薬の作り方を教えてくれた。
粲然 にこやかに笑うさま。あざやかなさま。○煉藥 仙薬を練ること。丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げると金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。


銘骨傳其語、竦身已電滅。
骨の髄にまでこの言葉をおぼえこもうとしていたら、突然、翁は身をすくめてしまったと思うと、電撃のようにきえ去っていた。
竦身已電滅 仙人は、上はよく身を雲霄にそばだて、下はよく形を川海にひそめる、という。

仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、およびもつかないのである。すると春の草木が萌えいでるように喜、怒、哀、楽、怨のあらゆる感情が胸をたぎらせてきたのだ。
蒼然 春の草木が萌え出るさま。〇五情 喜び・怒。・哀しみ・楽しみ・怨みの五つの感情。

吾將營丹砂、永與世人別。
わたしは今後、丹砂をつくることにし、永久に世間の人に別れをつげることにしたのだ。

五嶽 中国の五つの名山。東嶽(泰山1024m・山東省)南嶽(衡山1290m・湖南省)西嶽(華山2160m・陝西省)北嶽(恒山2017m・山西省)中嶽(嵩山1440m・河南省)


太白山 3767m 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本のして地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  


登太白峯  李白 20
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。
西方登は太白峰、夕陽は山擧に窮めた。
太白星は我に語りかけ、私のために天空の門を開いた。
爽やかな風に乗り、すぐにも出たい雲のあいだを。
手を挙げれば月に近づき、前にすすめば遮るものも無いかのように。
ひとたび去る武功の地、いつまた帰ってこられるのか。

古風五十九首 其三 李白

古風五十九首 其三 李白 106


  これまで約二十首連続で、酒に関する詩を取り上げてきた。それらの詩により、李白の考え方は次のようにまとめられる。
李白は、神仙となって長命を得ることは道を得る機会が増えることであり、奨励されると考えており、真理としての宇宙観には多様性があるとするのが道教の思想であると考えていた。食生活においてはとりわけ、酒飲むことを基本とし、この相乗効果として、さまざまな食物を得ることで均衡が取れ、長生きすると考えていた。


次に李白に人生の集大成とも思われる「古風」五十九首のうちで道教に関するものと思われるものを見ていこう。この詩は、神仙思想というものから見れば、始皇帝の行った数々のことはおろかなことである、神仙を愚弄したものであり、結果は、「金棺の寒灰を葬る。」と。


古風五十九首 其三
秦皇掃六合、虎視何雄哉。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
揮劍決浮云、諸侯盡西來。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
明斷自天啟、大略駕群才。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(使いこなしていない)
收兵鑄金人、函谷正東開。
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。
銘功會稽嶺、騁望琅琊台。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
刑徒七十萬、起土驪山隈。』
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
尚采不死藥、茫然使心哀。
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
連弩射海魚、長鯨正崔嵬。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
額鼻象五嶽、揚波噴云雷。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
鬈鬣蔽青天、何由睹蓬萊。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
徐市載秦女、樓船幾時回。
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
但見三泉下、金棺葬寒灰。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(使いこなしていない)
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。


(下し文)古風 其三
秦皇 六合を掃いて、虎視 何ぞ 雄なる哉。
劍を揮って 浮云を決れば、諸侯 盡く西に來る。
明斷 天より啟き、大略 群才を駕す。
兵を收めて 金人を鑄、函谷 正に東に開く。
功を銘す 會稽の嶺、望を騁ず 琅琊の台。
刑徒 七十萬、土を起す 驪山の隈。』

尚 不死の藥を采り、茫然として 心哀しましむ。
連弩 海魚を射、長鯨 正に崔嵬。
額鼻は五岳に象かたどり、波を揚げて云雷を噴はく。
鬈鬣きりょう 青天を蔽おおう、何に由りてか 蓬萊を睹みん。
徐市じょふつ 秦女を載す、樓船 幾時か回える。
但見る三泉の下、金棺 寒灰を葬ほうむるを。



古風五十九首 其三

秦皇掃六合、虎視何雄哉。

秦の始皇帝は天下国家を一掃し平らげた、虎のような睨みは何と勇壮なことか。
秦皇 秦の始皇帝。〇六合 天地と四方と。すなわち、宇宙。世界。天下国家。○虎視 猛虎がニラミをきかすこと。勢意の盛んで強いことのたとえ。

 
揮劍決浮云、諸侯盡西來。
剣をふるって浮雲を切ると、天下の諸侯は一人のこらず西へ来て秦に降伏した。
揮劍決浮雲 「荘子」に「天子の剣は、上は浮雲を決り、下は地紀(大地の根本)を断つ。」とあるのにもとづくもの。○諸侯尽西来 戦国時代の諸侯、すなわち斉・楚・燕・韓・魏・趙の六国の王たちは皆降伏して当時は一番西に位置したので(西のかた)秦に来た。中国初めての統一国家とされているが、実質的には隋王朝の国の体をなした国家、すなわち、律令国家体制こそが初めての統一国家といえるもののではなかろうか。

明斷自天啟、大略駕群才。
英明なる決断力は天から啓示されたもので、大きな計画は多くの才士を凌駕した。(人材をうまく使いこなしているわけではない)
明断 英明な決断力。○大略 大計画。


收兵鑄金人、函谷正東開。
天下の兵や武器をあつめて鋳銅の大人形をつくり、函谷関も、東にむかって門戸を開いた。 
収兵鋳金人 「史記」の始皇本紀の二十六年の条に「天下の兵(武器)を収めて咸陽に集め、これをとかして鐘鐻(しょうきょ:鐘や鼓をかける台)と金人(銅製の大人形)十二をつくり、重さはそれぞれ千石(一石は普通人がかつげる重さ)で、宮廷に置いた」とある。○函谷 秦の東境にある関所の名。いまの河南省の西端。秦は自然の要塞でもあるここを厳重守っていたが、六国を滅ぼして天下を統一したので「東に開」いたわけである。


銘功會稽嶺、騁望琅琊台。
南は会稽山の嶺にのぼって、自分の功績を石に刻み、東は琅邪台にのぼって、はるかに東方海上を眺めまわした。
銘功会稽嶺 「史記」の始皇本紀、三十七年に「会稽山(浙江省紹興)に登って大禹(夏の商王)を祭り、南海を望んで石を立て、文字を刻んで秦の徳をたたえた」とある。杭州が中国南部統治の要衝地であった。その象徴ともいえる山が会稽山である。地図上での南は海南方面であるが李白の時代唐時は交通手段が川・運河であったためこの地を南としていた。○騁望琅琊台 琅邪は琅琊とも、また琅邪とも書く。同じく始皇本紀、二十八年「南のかた琅邪山(山東省諸城県東南)に登って大いに楽しみ、滞留三か月、平民三万戸を琅邪山のふもとに移し、十二年間免税することにし、琅邪台を作って石を立て、秦の徳をたたえた」。この地が最東の要衝地であった。

刑徒七十萬、起土驪山隈。』
囚人七十万をつかって、驪山のふもとに土木工事をはじめた。(兵馬俑坑の建設)
刑徒七十万 同じく始皇本紀、三十五年「始皇は阿房宮を作った。東西五百歩つまり3,000尺・南北五十丈つまり500尺という。なお、メートル法に換算すると、乗数に諸説があるため東西600-800m・南北113-150mなどの幅がある。ウィキペディア中国語版では、693mと116.5mと記述されている。 二階建で上は万人を坐らすことができ、下は五丈の旗を建てることができた。殿外には柵木を立て、廊下を作り、これを周馳せしめ、南山にいたることができ、複道を作って阿房から渭水を渡り咸陽の宮殿に連結した。これは、天極星中の閣道なる星が天漢、すなわち天の川を渡って、営室星にいたるのにかたどったものである。その建築に任じた刑徒の数は70余万に昇った。なおも諸宮を造り、関中に300、関外に400余、咸陽付近100里内に建てた宮殿は270に達した。このために民家3万戸を驪邑に、5万戸を雲陽にそれぞれ移住せしめた。」。○驪山 いまの陝西省臨潼県の東南、つまり咸陽の東の郊外にある山。 

尚采不死藥、茫然使心哀。
しかもなお、不死の仙薬を採ってこさせようとして、思うようにならず茫然と心をかなしませた。
○尚採不死薬 「史記」始皇本紀三十二年「韓終・侯公・石生に仙人の不死の薬を求めさせた」。

連弩射海魚、長鯨正崔嵬。
海中に恐ろしい大魚がいて仙島へ行くじゃまをするというので、数十本の矢をつづけさまに発射できる石弓でそれを射たが、あらわれたクジラは岩山のような大きさであった。
連弩 数本ないし数十本の矢を連続して発射できるような仕掛の石弓。○海魚 大鮫。○連弩射海魚 始皇本紀、二十八年「斉の人、徐市らが上書して「海中に三つの神山があり、蓬莱・方丈・瀛洲と申して、仙人が住んでおります。斎戒して童男童女を連れ、仙人を探したいと思います」と言った。そこで徐市を派遣し、董男童女数千人を出して海上に仙人を求めさせた」。三十七年「方士の徐市らは、海上に神薬を求めて、数年になるが得られず、費用が多いだけだったので、罰せられることを恐れ、いつわって、「蓬莱では神薬を得られるのですが、いつも大鮫に苦しめられて、島に行くことができないのです。上手な射手を附けていただけば、現われたら連弩で射るのですが」と言った。……そこで海上に行く者に大魚を捕える道具を持たせ、大魚が出たら、始皇みずから連弩で射ようと、琅邪から労山・成山(いずれも山東省)まで行ったが、ついに現われなかった。之罘に行くと大魚が出たので、一魚を射殺した」。 〇崔嵬 高くて急な、石山の形容。

額鼻象五嶽、揚波噴云雷。
額と鼻は五嶽のかたち(象)をしており、大波をかき揚げ、雲雷を噴きだした。
五嶽 中国の五つの名山。東嶽(泰山・山東省)南嶽(衡山・湖南省)西嶽(華山・陝西省)北嶽(恒山・山西省)中嶽(嵩山・河南省)

鬈鬣蔽青天、何由睹蓬萊。
ひれとひげは大空をもおおいかくししてしまう、これでどうして蓬莱などが見られるというのか
鬈鬣 ひれとひげ。○蓬莱 海上にあるといわれる仙人の島。

徐市載秦女、樓船幾時回。
徐市は秦の童女をのせて出かけたが、その楼船は何時帰って来るのだろう。
徐市 じょふく(一+巾)秦の始皇帝をだましたイカサマ師。徐福ともいう。日本に来て住んだという。紀州にその墓がある。○楼船 二階づくりの屋形船。

但見三泉下、金棺葬寒灰。
いまはただ、三泉の深い地の底で、こがねの棺につめたい灰が葬られているのを見るだけである。
三泉 始皇本紀に「始皇を驪山に葬る。始皇帝が初めて帝位に即いた時、驪山のふもとに陵をつくるため穴を掘り、天下をあわせたのちは、天下の徒刑の罪人七十余万人をつかって三泉の下まで掘り、銅を以て下をふさぎ、外棺を入れた。塚の中に宮殿や百官の席をつくり、珍奇な器物をいっぱい入れた」とある。三泉とは、地下水の層を三つ掘りぬいた深い地底。○寒灰 つめたい灰。死骸は火葬しないが、次第に風化して灰になることをいう。


 この詩も、神仙を願うことに反対しているのではない。また始皇帝をひきあいにだして、玄宗を諷刺したというものでもなく、ただ神仙の道を求める資格が、なかったことをいっているのである。晩年の豪奢と強権、宦官に任せた始皇帝には、不老長寿を求める資格はない、たとえ徐市(徐福)に始皇帝を欺く意志があったとしてもである。


 ○韻 哉、來、才、開、台、隈、哀、嵬、雷、萊、回、灰。

 
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