盛唐詩 宿天台桐柏觀#2 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339
☆唐百、方外志巻二八、全唐詩巻159_28 「宿天臺桐柏觀」孟浩然
便宜上2分割して掲載
宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。
官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
高步淩四明,玄蹤得三老。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。
#1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。
現代語訳と訳註
(本文) 宿天台桐柏觀 #2
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。』
(下し文)#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に三老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。
(現代語訳)
わたしは官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。
(訳注)
願言解纓紱,從此去煩惱。
わたしは官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
○願言 言はわれ。このような詩の場合、自分が願ことを言うわけであり、助辞より、「われ」のほうが強調度が高くなる。『詩経、小雅、彤弓』「受言蔵之。」(受けて言は之を蔵す。)○解纓紱 纓は冠のひも。紱は印綬。文苑の絡も同じく、ひもの類。自分を拘束するものを表す○煩惱 仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。 原始仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、解脱による涅槃への道が求められた。
高步淩四明,玄蹤得三老。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
○高歩 世俗から高く離れて歩むこと。左思『詠史詩其五』に「被褐出閶闔、高歩追許由」(褐を被りて閶闔を出で、高歩して許由を追う)-そまつな服をまとって都の閶闔門から出て、高くかまえて古の隠者である許由のあとを追いたい―とある。・許由 中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。 伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。○四明 四明山。友人の賀知章がそこに棲む。賀知章:盛唐の詩人。659年~744年浙江の四明山に取った四明狂客と号する。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人をいう。四明山をはじめ、唐の時代は雁蕩山、雪竇山、天目山、天台山、仙都山など全て道教にちなんだ山である。宋の時代以降は天台宗の本山とした。○玄蹤 玄はみち。老子の解いた道の性質。時間空間を超えた天地万物の根源である絶対的な道の性格を「玄」という。『老子』「同謂之玄」玄蹤は老子の解いた道に従って学ぶこと。蹤は先人の道を究めた跡。○三老 三老五更。中国、周代、天子が父兄の礼をもって養った長老の称。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
○紛 盛んな様。『楚辞、離騒』に「紛吾既有此内美兮」(紛として吾既に此の内に美有り)―私の内には既に盛んな美質がある―とある。○遠遊 修学のために遠方に行く。『論語、里仁』「子曰、父母在不遠游。遊必有方。」(子曰父母在りせば遠游せず。遊べば必ず方有り。)○長生道 『老子、第五九章』に「深根固柢、長生久視之道」(根を深く固柢くし、長生久しく之を道と視る)―根を深く固くし、長生きをする道―とある
日夕望三山,雲濤空浩浩。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。
○日夕 「朝な夕なに」。○三山 道教でいう神仙三山。東海のかなたにある蓬莱・方丈・瀛州の三山。○雲濤 雲海の名勝で有名なところである。○浩浩 雲海が広々と広がる様。
五言古詩。
韻字 島・好・討・草・早・悩・老・道・浩
遙か遠くからようやく天台山に到着したことから歌い始め、隠者や神仙に思いをはせながら山中を遊行する様を歌う。謝眺や謝霊運の詩を踏まえた表現があり、また孫綽の賦から取った語句も散見する。ただし、六朝期や初唐の作品の多くが、孫綽の賦から有名な語(例えば「瀑布」「琪樹」など)を引くに留まっていたのに対し、孟浩然は詩句を自らの詩の中に織り込んでる点で異なっている。自らの天台山体験を踏まえながら孫綽の賦を振り返っているのであろう。
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#1 海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。 緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。 蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。 陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。 鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。 #2 言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。 高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。 紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。 日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。 |
司馬承禎(しば・しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。
字を子微といい、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。
陳子昂・李白・孟浩然・宋之問・王維・賀知章などと交遊があり、『坐忘論』・『天隠子』・『服気精義論』・『道体論』などを著した。彼の学識は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれた。
桐柏観(桐柏観)同時期の詩であり、内容的には孟浩然とも考えられる作品がある。
桐柏観
上盡崢嶸萬仭巓、四山圍繞洞中天。
秋風吹月瓊臺曉、試問人間過幾年。
(桐柏観)
上は崢嶸を盡くす萬仭の巓、四山圍繞す洞中の天。
秋風月を吹く瓊臺の曉、試問す人間幾年を過ぐと。
(口語訳)
高々とその険しさを極めた万仭の巓にあり周囲を山々に囲まれて、洞中の天のよう秋風が月に吹き寄せ、やがて瓊臺で朝を迎えたが(短い時間しかすぎていないのに)
(仙界と俗世とでは時間の早さが違うので)お尋ねします、人間世界では何年が過ぎたのですか
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