漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

天台山 道教

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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盛唐詩 宿天台桐柏觀#2 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339

盛唐詩 宿天台桐柏觀#2 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339

☆唐百、方外志巻二八、全唐詩巻159_28 「宿天臺桐柏觀」孟浩然

便宜上2分割して掲載



宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。
官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
高步淩四明,玄蹤得三老。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。

#1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


現代語訳と訳註
(本文) 宿天台桐柏觀
 #2
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。』

(下し文)#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に三老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


(現代語訳)
わたしは官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。


(訳注)
願言解纓紱,從此去煩惱。
わたしは官職への未練を捨て去り、世俗の束縛から解き放たれ、これからは煩悩を捨て去ろうと願っている。
願言 言はわれ。このような詩の場合、自分が願ことを言うわけであり、助辞より、「われ」のほうが強調度が高くなる。『詩経、小雅、彤弓』「受言蔵之。」(受けて言は之を蔵す。)○解纓紱 纓は冠のひも。紱は印綬。文苑の絡も同じく、ひもの類。自分を拘束するものを表す○煩惱 仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。 原始仏教では、人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、解脱による涅槃への道が求められた。


高步淩四明,玄蹤得三老。
世俗から高く離れて歩み、四明山などを凌駕、自然と万物に同化し、老子の解いた「道」に従って学び周代、天子が三老五更と父兄の礼をもった人のようになりたいのだ。
高歩 世俗から高く離れて歩むこと。左思『詠史詩其五』に「被褐出閶闔、高歩追許由」(褐を被りて閶闔を出で、高歩して許由を追う)-そまつな服をまとって都の閶闔門から出て、高くかまえて古の隠者である許由のあとを追いたい―とある。・許由 中国古代の三皇五帝時代の人と伝わる、伝説の隠者である。 伝説によれば、許由は陽城槐里の人でその人格の廉潔さは世に名高く、当時の堯帝がその噂を聞き彼に帝位を譲ろうと申し出るが、それを聞いた許由は箕山に隠れてしまう。○四明 四明山。友人の賀知章がそこに棲む。賀知章:盛唐の詩人。659年~744年浙江の四明山に取った四明狂客と号する。越州永興(現・浙江省蕭山県)の人をいう。四明山をはじめ、唐の時代は雁蕩山、雪竇山、天目山、天台山、仙都山など全て道教にちなんだ山である。宋の時代以降は天台宗の本山とした。○玄蹤 玄はみち。老子の解いた道の性質。時間空間を超えた天地万物の根源である絶対的な道の性格を「玄」という。『老子』「同謂之玄」玄蹤は老子の解いた道に従って学ぶこと。蹤は先人の道を究めた跡。○三老 三老五更。中国、周代、天子が父兄の礼をもって養った長老の称。


紛吾遠遊意,學彼長生道。
私の世俗から遠くにはなれ修学する意志は益々盛んになっている、こうなったらこの地で老子の教えにいう「長生の道」を学ぶしかない。
○紛 盛んな様。『楚辞、離騒』に「紛吾既有此内美兮」(紛として吾既に此の内に美有り)―私の内には既に盛んな美質がある―とある。○遠遊 修学のために遠方に行く。『論語、里仁』「子曰、父母在不遠游。遊必有方。」(子曰父母在りせば遠游せず。遊べば必ず方有り。)○長生道 『老子、第五九章』に「深根固柢、長生久視之道」(根を深く固柢くし、長生久しく之を道と視る)―根を深く固くし、長生きをする道―とある


日夕望三山,雲濤空浩浩。
昼も夜もかの神仙三山を遠望すれば、波のような雲がはるかひろびろと広がっている。
○日夕 「朝な夕なに」。○三山 道教でいう神仙三山。東海のかなたにある蓬莱・方丈・瀛州の三山。○雲濤 雲海の名勝で有名なところである。○浩浩 雲海が広々と広がる様。


五言古詩。
韻字  島・好・討・草・早・悩・老・道・浩

遙か遠くからようやく天台山に到着したことから歌い始め、隠者や神仙に思いをはせながら山中を遊行する様を歌う。謝眺や謝霊運の詩を踏まえた表現があり、また孫綽の賦から取った語句も散見する。ただし、六朝期や初唐の作品の多くが、孫綽の賦から有名な語(例えば「瀑布」「琪樹」など)を引くに留まっていたのに対し、孟浩然は詩句を自らの詩の中に織り込んでる点で異なっている。自らの天台山体験を踏まえながら孫綽の賦を振り返っているのであろう。


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 宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
 #1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


司馬承禎(しば・しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。
字を子微といい、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。

陳子昂・李白・孟浩然・宋之問・王維・賀知章などと交遊があり、『坐忘論』・『天隠子』・『服気精義論』・『道体論』などを著した。彼の学識は老子・荘子に精通し、その思想は「道禅合一」を特徴とし、それまでの道教が煉丹・服薬・祈祷を中心としたものだったのを、修養を中心としたものへと転換した。こうした迷信・神秘からの脱却傾向は弟子の呉筠へと引き継がれた。

桐柏観(桐柏観)同時期の詩であり、内容的には孟浩然とも考えられる作品がある。

桐柏観
上盡崢嶸萬仭巓、四山圍繞洞中天。
秋風吹月瓊臺曉、試問人間過幾年。

(桐柏観)
上は崢嶸を盡くす萬仭の巓、四山圍繞す洞中の天。
秋風月を吹く瓊臺の曉、試問す人間幾年を過ぐと。

(口語訳)
高々とその険しさを極めた万仭の巓にあり周囲を山々に囲まれて、洞中の天のよう秋風が月に吹き寄せ、やがて瓊臺で朝を迎えたが(短い時間しかすぎていないのに)
(仙界と俗世とでは時間の早さが違うので)お尋ねします、人間世界では何年が過ぎたのですか
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盛唐詩 宿天台桐柏觀#1 孟浩然<32> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -339

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孟浩然の道教の詩

盛唐詩 舟中曉望 孟浩然 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -332

盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333

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盛唐詩 越中逢天臺太乙子 孟浩然<29> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336


宿天台桐柏觀
桐柏観
尋天台山



宿天台桐柏觀孟浩然(天台の桐柏觀に宿す)

☆唐百、方外志巻二八、全唐詩巻159_28 「宿天臺桐柏觀」孟浩然

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宿天台桐柏觀
#1
海行信風帆,夕宿逗雲島。
滄海の仙界にむかって、帆は風をうけてふくらみ、風にまかせて進んでいる。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
はるかに隠者や神仙の趣のするこの土地にやって來る。船は進んで、赤城山のすばらしさを身近に愛でることができるようになる。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
私は船から離れ、好き勝手にあたりを訪ねまわる、山中に分け入り、蔦をつかみ、また苔を踏んで自然にひたるのである。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
秀でた華を摘んだり、薬草、霊芝を手にもてあそんだりする、そうして、木陰で休み、桐柏観で憩うのである。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。

ここの自然は素晴らしく、それは鶴が声をあげ、清らかな露が滴るのである。この自然の時の経過は、鶏が鳴き、潮の流れが早さによってわかるのである。
#2
願言解纓紱,從此去煩惱。高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。日夕望三山,雲濤空浩浩。

#1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
#2
言【われ】願はくば 纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に三老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。


現代語訳と訳註
(本文) 宿天台桐柏觀

海行信風帆,夕宿逗雲島。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。』

(下し文) #1
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。


(現代語訳)
滄海の仙界にむかって、帆は風をうけてふくらみ、風にまかせて進んでいる。
はるかに隠者や神仙の趣のするこの土地にやって來る。船は進んで、赤城山のすばらしさを身近に愛でることができるようになる。
私は船から離れ、好き勝手にあたりを訪ねまわる、山中に分け入り、蔦をつかみ、また苔を踏んで自然にひたるのである。
秀でた華を摘んだり、薬草、霊芝を手にもてあそんだりする、そうして、木陰で休み、桐柏観で憩うのである。
ここの自然は素晴らしく、それは鶴が声をあげ、清らかな露が滴るのである。この自然の時の経過は、鶏が鳴き、潮の流れが早さによってわかるのである。


(訳注)
宿天台桐柏觀

天台山の西部地域にある道観「桐柏觀」に宿をとった。
桐柏観 天台山の西部地域にある道観。呉孫権の創建になるなどの伝説があるが、確実なのは唐睿宗が司馬承禎のために重修したこと「天台山記」にみある。又承禎は玄宗に進言し、天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したという。かつては、麓の天台観から登った先にあり、奥深い山奥に突然開けた仙境のような雰囲気をなしていたらしい。天台道教の中心であったが、現在はダムが造られて移転しており、周囲に荘厳な雰囲気はない。山中道観ではあるが、かなり大型の施設であり、唐代には外来者の宿泊施設になっていたのである。又、一般的に寺観、道教の祠は妓女の救済場所にもなっていたようだ。


海行信風帆,夕宿逗雲島。
滄海の仙界にむかって、帆は風をうけてふくらみ、風にまかせて進んでいる。
夕べには、雲の上の仙人の島に逗留する
○海行 天台山は仙界ということで捉えられていたので、神秘性、カリスマ性を持たせる語としている。ここでは、滄海を暗示させる。


緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
はるかに隠者や神仙の趣のするこの土地にやって來る。船は進んで、赤城山のすばらしさを身近に愛でることができるようになる。
滄洲 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。前聯の「海行」がかかる。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。」


捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
私は船から離れ、好き勝手にあたりを訪ねまわる、山中に分け入り、蔦をつかみ、また苔を踏んで自然にひたるのである。
○捫蘿、踐苔 蔦をつかみ、苔を践む、は、孫綽の賦にある天台山遊行の常套句。
孟浩然『寄天臺道士』
海上求仙客,三山望幾時。
焚香宿華頂,裛露采靈芝。
屢躡莓苔滑,將尋汗漫期。
倘因松子去,長與世人辭。
輟棹 棹をやめる、舟をすてる。船から離れること。この聯は倒句として読む。


息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
秀でた華を摘んだり、薬草、霊芝を手にもてあそんだりする、そうして、木陰で休み、桐柏観で憩うのである。
息陰 木陰で休むこと。孟浩然の鹿門山に関する詩にはこの聯の思いは同じものである。
孟浩然『登鹿門山懐古』
清曉因興來,乘流越江峴。
沙禽近方識,浦樹遙莫辨。
漸至鹿門山,山明翠微淺。
岩潭多屈曲,舟楫屢回轉。
昔聞龐德公,采藥遂不返。
金澗餌芝朮,石床臥苔蘚。
紛吾感耆舊,結攬事攀踐。
隱跡今尚存,高風邈已遠。
白雲何時去,丹桂空偃蹇。
探討意未窮,回艇夕陽晚。
『田園作』『澗南即事,貽皎上人』『仲夏歸漢南園,寄京邑耆』『夏日辮玉法師茅齋』などイメージが同じものである。この聯も倒句として見る。


鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
ここの自然は素晴らしく、それは鶴が声をあげ、清らかな露が滴るのである。この自然の時の経過は鶏が鳴き、潮の流れが早さによってわかるのである。
鶴唳、鷄鳴 唳は鳥などが鳴く。鶴は風光明媚、自然に対するものをいい、鶏は時の経過によって生じることを詠うのである。○信潮 一定の間隔で必ず満干する潮。
この聯はSV構文である。



 minamo008
 宿天台桐柏觀
海行信風帆,夕宿逗雲島。
緬尋滄洲趣,近愛赤城好。
捫蘿亦踐苔,輟棹恣探討。
息陰憩桐柏,采秀弄芝草。
鶴唳清露垂,雞鳴信潮早。
願言解纓紱,從此去煩惱。
高步淩四明,玄蹤得三老。
紛吾遠遊意,學彼長生道。
日夕望三山,雲濤空浩浩。
海汎風帆に信【まか】せ、夕宿雲島に逗【とど】まる。
緬【はるか】に尋ぬ滄洲の趣、近くに愛す赤城の好きを。
蘿【かずら】を捫【ひ】き亦た苔を踐【ふ】み、棹を輟【と】めて窮討を恣【ほしいまま】にす。
陰に息み桐柏に憩【いこふ、秀を采りて芝草を弄ぶ。
鶴唳きて清露垂れ、鷄鳴きて信潮早し。
願はくは言【ここ】に纓紱【えいふつ】を解き、此より煩惱【ぼんのう】を去らん。
高歩して四明を凌ぎ、玄蹤に二老を得ん。
紛たるかな吾が遠遊の意、學ばんかな彼の長生の道。
日夕三山を望めば、雲濤【うんとう】空しく浩浩たり。

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唐宋詩 
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盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338


☆前集巻上、勝蹟録巻一
★唐百、方外志巻27、全唐詩巻160、古今巻125
卷160_49 「尋天臺山」孟浩然


尋天台山
吾友太乙子,餐霞臥赤城。
太乙先生はわが友でもある。仙界のように霞を食らって赤城山(天台山)を住処としている。
欲尋華頂去,不憚惡溪名。
私も隠棲生活の最高峰の華頂峰を尋ねていこう。そこが、昔から、悪渓と呼ばれるところであるということは一向に構わないことである。
歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
かくして雲に乗ったような奥深い所で馬を憩わせ、帆をあげて海を断ち切って渡っていく。
高高翠微裏,遙見石樑橫。
高く聳える山の中腹になかにある、それは遙かなところに石橋が滝のうえに横たわっているのが見える。

(天台山を尋ぬ)
吾が友太乙子、霞を飡ひて赤城に臥す。
華頂を尋ね去らんと欲す、悪谿の名を憚らずして。
馬を歇す雲に憑りし宿に、帆を揚げて海を截ちて行く。
高高たる翠微の裏、遙に見る石梁の橫たわるを。


現代語訳と訳註
(本文) 尋天台山
吾友太乙子,餐霞臥赤城。
欲尋華頂去,不憚惡溪名。
歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
高高翠微裏,遙見石樑橫。


(下し文) (天台山を尋ぬ)
吾が友太乙子、霞を飡ひて赤城に臥す。
華頂を尋ね去らんと欲す、悪谿の名を憚らずして。
馬を歇す雲に憑りし宿に、帆を揚げて海を截ちて行く。
高高たる翠微の裏、遙に見る石梁の橫たわるを。


(現代語訳)
太乙先生はわが友でもある。仙界のように霞を食らって赤城山(天台山)を住処としている。
私も隠棲生活の最高峰の華頂峰を尋ねていこう。そこが、昔から、悪渓と呼ばれるところであるということは一向に構わないことである。
かくして雲に乗ったような奥深い所で馬を憩わせ、帆をあげて海を断ち切って渡っていく。
高く聳える山の中腹になかにある、それは遙かなところに石橋が滝のうえに横たわっているのが見える。

(訳注)
吾友太乙子,餐霞臥赤城。

太乙先生はわが友でもある。仙界のように霞を食らって赤城山(天台山)を住処としている。
餐霞 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人、羽人、僊人ともするものが誤解されがちではあるがこの場合の霞とは朝日と夕日のことを指しており、逆に霧や本当の霞などは食べてはいけないものとされている。自然への同化をいうものである。


欲尋華頂去,不憚惡溪名。
私も隠棲生活の最高峰の華頂峰を尋ねていこう。そこが、昔から、悪渓と呼ばれるところであるということは一向に構わないことである。
惡溪 固有名詞ならば、浙江省の川。「元和郡県志」巻二六には、急流や瀬の連続であったので悪渓と呼ばれていたのを、隋の開皇中に「麗水」に改めたという。また「新唐書」地理志では、水怪が多いため悪渓と呼ばれていたが、段成式が善政を布いたところ、水怪が去った。そこで民は好渓と呼ぶようになったという。孔子が盗泉の名をはばかってその水を飲まなかったが、自分は天台山を思慕してやまないので、孔子とは異なって悪渓という名をはばからないのだ、ということである。儒者の行為、考え方を否定するというもの。


歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
かくして雲に乗ったような奥深い所で馬を憩わせ、帆をあげて海を断ち切って渡っていく。
歇馬 馬を休ませる、あるいは休んでいる馬。庾信「帰田詩」に「樹陰逢歇馬、魚潭見酒船(木陰では休んでいる馬がおり、魚の潜む深い淵には酒を運ぶ船が見える)」とある。李白『奔亡道中五首』「歇馬傍春草、欲行遠道迷」(馬を歇(とど)めて春草(しゅんそう)に傍(そ)い、行かんと欲して遠道(えんどう)に迷う)○憑雲 謝恵連「雪賦」(「文選」巻一三)に「憑雲陞降、從風飄零(雲に乗って上下し、風に吹かれて漂い落ちる)」とある。○揚帆…謝霊運「遊赤意志進航海」に「揚帆采石華、挂席拾海月」とある。孫綽『遊天台山賦』に「赤城霞起以建標」とある。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁の如くであるのでこの名がある。また唐徐霊府「天台山記」には「石色赩然如朝霞(その石が赤く輝いていて朝焼けのようである)」とあり、朝靄夕霞が漂い纏うのも、この山にまつわる慣用的表現である。


高高翠微裏,遙見石樑橫。
高く聳える山の中腹になかにある、それは遙かなところに石橋が滝のうえに横たわっているのが見える。
翠微 青い山々に靄が立ち込めているさま。山の八合目あたり。萌黄いろ。男女のことを示唆するばあいもある。○石樑 天台山の中腹にある石橋の下から流れ落ちる滝があることをいう。
『舟中曉望』
掛席東南望,青山水國遙。
舳艫爭利涉,來往接風潮。
問我今何去,天臺訪石橋。
坐看霞色曉,疑是赤城標。


■解説
五言律詩。
韻字 「城・名・行・横」


天台山に太乙子という道士を訪ねて。孟浩然が天台山を訪れたのは、この道士に会いに行くことも目的の一つであったのだろう。太一子については何も分かっていない。孟浩然の天台山訪問が、730年開元十八年頃で、司馬承禎が天台山を去ったのが727年同十五年である。司馬承禎門下の道士たちがまだたくさん残っている。そうした人々の中の一人に、孟浩然が接見したのである。既に親交があったものだ。この詩は天台山訪問を、全体的に振り返って書いたものであろう。

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 尋天台山
吾友太乙子,餐霞臥赤城。
欲尋華頂去,不憚惡溪名。
歇馬憑雲宿,揚帆截海行。
高高翠微裏,遙見石樑橫。


 (天台山を尋ぬ)
吾が友太乙子、霞を飡ひて赤城に臥す。
華頂を尋ね去らんと欲す、悪谿の名を憚らずして。
馬を歇す雲に憑りし宿に、帆を揚げて海を截ちて行く。
高高たる翠微の裏、遙に見る石梁の橫たわるを。

 舟中曉望
掛席東南望,青山水國遙。
舳艫爭利涉,來往接風潮。
問我今何去,天臺訪石橋。
坐看霞色曉,疑是赤城標。

(舟中にて曉に望む)
席を掛けて東南に望めば、青山 水國 遙かなり。
舳艫 利渉を爭ひ、來往 風潮に接す。
我に問ふ 今何くに去ると、天台に石橋を訪ねんとす。
坐く看る霞色の曉、疑ふらくは是れ赤城の標か。


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盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -337

孟浩然(越中の天台山で太乙先生に逢う)

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☆前集巻上
★文苑巻二二七(道門)、唐百、全唐詩巻一五九、古今巻一二五、孟浩然集巻一
卷159_43 「越中逢天臺太乙子」孟浩然

越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』
#2
雞鳴見日出,常覿仙人旆。
鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
往來赤城中,逍遙白雲外。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
莓苔異人間,瀑布當空界。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
福庭長自然,華頂舊稱最。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
永此從之游,何當濟所屆。

以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである。

僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』
#2
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』


現代語訳と訳註
(本文) #2

雞鳴見日出,常覿仙人旆。
往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。
福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。


(下し文) #2
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』


(現代語訳)
鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである。


(訳注)#2
雞鳴見日出,常覿仙人旆。

鶏が鳴けば朝日が出て一日が始まる。ここでは毎日修行している仙人とその旗じるしとに直接お会いできる。
○雞鳴 一般的な朝を告げる鶏か。あるいは神話上のことなら、「玄中記」(「芸文類聚」巻九一鶏)に「東南有桃都山。上有大樹。名曰桃都。枝相去三千里、上有天鷄。日初出、照此木、天鷄即鳴。天下鷄皆隨之」とある。○覿 結果・効果が即座に表れる・こと(さま)。まともに見ること。覿面【てきめん】面と向かうこと。また、そのさま。○旆 日月と昇竜・降竜とを描いた大きな旗。これは、天子、将軍が用いた。堂々たる旗印。草木の生い茂ったさま。


往來赤城中,逍遙白雲外。
赤城山の中で司馬承禎先生の教えを学び上り下りしている。洞窟岩場から生じる白雲は遠くはるかなところに去っていくように先生も朝廷に召されて全国を回られている。
赤城、白雲 赤城は孫綽賦に既出の、天台山を代表する赤城山。白雲は一般的には神仙に関わる象徴だが、天台山と関わらせてみると、司馬承禎が白雲を称していた。司馬承禎は、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住むとされている。李白『送賀賓客帰越』:


莓苔異人間,瀑布當空界。
苔生した石橋のあたりはもはや人間世界とは異なる気配があり瀑布が一筋、空を区切るように流れ落ちている。
○莓苔 青い苔。孫綽「遊天台山賦」に「踐莓苔之滑石、搏壁立之翠屏」とある。○瀑布、界 孫綽「遊天台山賦」に「瀑布飛流以界道」とある。

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夢遊天姥吟留別李白:Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白166

福庭長自然,華頂舊稱最。
ここにあるすべての自然物は福のもとにあるもので、不死の庭である。中でも華頂峰は古くから福境として最もすばらしいとされている。
福庭 幸いの土地。「羽人」」、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。○華頂、最 浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1138m。華頂峰、仏朧峰、唐渓峰の三つの峰からなり、それが不思議にも三台星宿(オリオン座の三つ星)に応じている福境ゆえに「天台」と名づけられたという。華頂峰は福境の「最」という位置づけなのである。徐霊府「天台山記」に「上華頂峰。此天台極高処也(華頂峰に至る。ここは天台山の最高峰である)」とある。


永此從之游,何當濟所屆。
以前から思っていたことは「この地において自然と同化できるということを学び、遊んで、何時の時か窮極の境地にいたること」なのである
永此從之游 この地において自然と同化できるということを学ぶということ。○濟所届 木華「海賦」(「文選」巻一二)に「一越三千、不終朝而濟所届(一気に三千里を越えて、朝の内に目的地に到達する)」とある。



解説
五言古詩。
韻字 拝・邁・怪・界・届
           会・大・会・外・最


この山陰地方で語るべきは、謝朓と王羲之である。謝朓は別に取り上げているので王羲之について概略を述べる。
王羲之(303年 - 361年)は書道史上、最も優れた書家で書聖と称される。末子の王献之と併せて二王(羲之が大王、献之が小王)あるいは羲献と称され、また顔真卿と共に中国書道界の二大宗師とも謳われた。
「書道の最高峰」とも言われ、近代書道の体系を作り上げ、書道を一つの独立した芸術としての地位を確保し、後世の書道家達に大きな影響を与えた。その書の中では『蘭亭序』・『楽毅論』・『十七帖』・『集王聖教序』が特に有名で、他に『黄庭経』・『喪乱帖』・『孔侍中帖』・『興福寺断碑』などがある。
 
 王羲之は魏晋南北朝時代を代表する門閥貴族、琅邪王氏の家に生まれ、東晋建国の元勲であった同族の王導や王敦らから一族期待の若者として将来を嘱望され、東晋の有力者である郗鑒の目にとまりその女婿となり、またもう一人の有力者であった征西将軍・庾亮からは、彼の幕僚に請われて就任し、その人格と識見を称えられた。その後、護軍将軍に就任するも、しばらくして地方転出を請い、右軍将軍・会稽内史(会稽郡の長官、現在の浙江省紹興市付近)となった。

 会稽に赴任すると、山水に恵まれた土地柄を気に入り、次第に詩、酒、音楽にふける清談の風に染まっていき、ここを終焉の地と定め、当地に隠棲中の謝安や孫綽・許詢・支遁ら名士たちとの交遊を楽しんだ。一方で会稽一帯が飢饉に見舞われた時は、中央への租税の減免を要請するなど、この地方の頼りになる人材となった。
 
354年、かねてより羲之と不仲であった王述(琅邪王氏とは別系統の太原王氏の出身)が会稽内史を管轄する揚州刺史となり、王羲之は王述の下になることを恥じ、翌355年、病気を理由に官を辞して隠遁する。官を辞した王羲之はその後も会稽の地にとどまり続け、当地の人士と山水を巡り、道教の修行に励むなど悠々自適の生活を過ごしたという。

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越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』
雞鳴見日出,常覿仙人旆。
往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。
福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。』
僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す。
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』
鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』

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盛唐詩 越中逢天臺太乙子 孟浩然<29> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -336

孟浩然

☆前集巻上
★文苑巻二二七(道門)、唐百、全唐詩巻一五九、古今巻一二五、孟浩然集巻一
卷159_43 「越中逢天臺太乙子」孟浩然

越中逢天臺太乙子
越中の天台山で太乙先生に逢う。
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
ここにある仙人の隠棲する禹穴で有名なところであり、㶚人である太乙先生に逢うことになる。船を止めて、前に進み拝顔に向かうのである。
問余涉風水,何處遠行邁。
わたしにここの風光と河水を渡っていくのかと問われるだろう、そして心の中を揺れ動かしていてどこに行くのはなぜですかということを聞かれる。
登陸尋天臺,順流下吳會。
孫綽に倣い、陸に上がって天台山を尋ねようとし川に沿って呉の会稽の地へ下るためとこたえる。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
この山はかねてより尊崇されてきたところでなんとか神霊のことを聞きたいものだと思っていたのです。
上逼青天高,俯臨滄海大。』

この山に登れば、上は高い青天にも近づくことができ伏して眺めれば眼下に滄海が広がっているのが見える。』
雞鳴見日出,常覿仙人旆。往來赤城中,逍遙白雲外。
莓苔異人間,瀑布當空界。福庭長自然,華頂舊稱最。
永此從之游,何當濟所屆。


僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』

鷄鳴きて日の出づるを見、毎に神僊と會ふ。
來去す 赤城の中、逍遙たり 白雲の外。
莓苔は人間に異なり、瀑布は空界を作せり。
福庭は長く不死にして、華頂は舊より最と稱す。
永く懷ふ 此に從ひて遊び、何當【いつ】か届【いた】る所に濟らんことを。』

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現代語訳と訳註
(本文)
越中逢天臺太乙子
仙穴逢羽人,停艫向前拜。
問余涉風水,何處遠行邁。
登陸尋天臺,順流下吳會。
茲山夙所尚,安得問靈怪。
上逼青天高,俯臨滄海大。』


(下し文)
越中逢天臺太乙子
僊穴にて羽人に逢はんとし、艫を停めて前に向ひて拜す
余に問ふ風水を渉り、何事ぞ遠く行邁すと。
陸に登りて天台を尋ね、流れに順ひて呉會に下る。
茲の山夙【つと】に尚ぶ所、安んぞ靈怪を聞くを得ん。
上は青天の高きに逼り、俯して滄海の大なるに臨む。』


(現代語訳)
越中の天台山で太乙先生に逢う。
ここにある仙人の隠棲する禹穴で有名なところであり、㶚人である太乙先生に逢うことになる。船を止めて、前に進み拝顔に向かうのである。
わたしにここの風光と河水を渡っていくのかと問われるだろう、そして心の中を揺れ動かしていてどこに行くのはなぜですかということを聞かれる。
孫綽に倣い、陸に上がって天台山を尋ねようとし川に沿って呉の会稽の地へ下るためとこたえる。
この山はかねてより尊崇されてきたところでなんとか神霊のことを聞きたいものだと思っていたのです。
この山に登れば、上は高い青天にも近づくことができ伏して眺めれば眼下に滄海が広がっているのが見える。』


(訳注)
越中逢天臺太乙子

越中の天台山で太乙先生に逢う。
越中 浙江省あたりを指す。天台山での作であろう。○太一子 道士の名、不詳。『尋天台山』にも登場する。太一は太乙とも。天地創造の元気、天神、星など。字号によく用いられる。


仙穴逢羽人,停艫向前拜。
ここにある仙人の隠棲する禹穴で有名なところであり、㶚人である太乙先生に逢うことになる。船を止めて、前に進み拝顔に向かうのである。
仙穴 浙江省紹興府の会稽山にある南の葬処。・禹穴 禹が皇帝になった後、“巡守大越(見守り続けた大越)”ここで病死してしまったため、会稽山の麓に埋葬した。禹陵は古くは、禹穴と呼ばれ、大禹の埋葬地となった。大禹陵は会稽山とは背中合わせにあり、前には、禹池がある。隠遁をしめしている。『越中秋懷』 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -283○羽人 『楚辞』遠遊に「仍羽人於丹邱兮、留不死之旧郷(飛僊に従って常明のところに行き、神僊のいます不死の郷に留まる)」とある。天台山に隠棲する人を、ここでは太乙先生のことである。


問余涉風水,何處遠行邁。
わたしにここの風光と河水を渡っていくのかと問われるだろう、そして心の中を揺れ動かしていてどこに行くのはなぜですかということを聞かれる。
風水 風光と河水。○ 行く。『詩経』王風、黍離に「行邁靡靡、中心揺揺」(道をとぼとぼとたどり、心の中は揺れ動く)とある。


登陸尋天臺,順流下吳會。
孫綽に倣い、陸に上がって天台山を尋ねようとし川に沿って呉の会稽の地へ下るためとこたえる。
○登陸尋天台 孫綽の賦の表現。○登陸 孫綽「遊天台山賦序」に「渉海則有方丈蓬莱、陸則有四明天台」とある。語注。○呉會 後漢時代には、会稽郡を呉と会稽の二郡としていた。浙江省あたりを差し、ここでは天台山のある地域を指す。

 
茲山夙所尚,安得問靈怪。
この山はかねてより尊崇されてきたところでなんとか神霊のことを聞きたいものだと思っていたのです。
靈怪 ここでは神霊のことか。○


上逼青天高,俯臨滄海大。』
この山に登れば、上は高い青天にも近づくことができ伏して眺めれば眼下に滄海が広がっているのが見える。』
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