漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

五言雑詩

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

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女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
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李陵 《與蘇武詩三首 其三》 古詩源 文選  詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩853 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2813

 

 

  ()

攜手上河梁,游子暮何之。

徘徊蹊路側,悢悢不得辭。

行人難久留,各言長相思。

安知非日月,弦望自有時。

努力崇明德,皓首以為期。

君と手をたずさえて橋の上に立った。旅姿の君よ、この日暮れどこへ行こうというのか。

二人でともに小道のほとりを行きつ戻りつ、名残り惜しさに、いとまをつけることばも出ない。

さりとて旅立つ君ゆえ、長くとどまることもかなわない。お互いにいつまでも忘れないといいかわすののだ。

人生の離合は日月の循環と同じではなかろうか。月は満ちたりかけたりし、ときには日と月とがあい望むこともあるように、われらもまたあい会うときがないとは限らないのだ。

どうか明徳を高めていただきたい。白髪になっても必ず再会することを約しましょう。

 

手を携えて河梁に上る、遊子暮に何くにか之く。

蹊路の側 に徘徊して、悢悢【りょりょう】として辞する能わず。

行人久しく留まり難し、各々言う長く相い思うと。

安んぞ日月に非るを知らんや、弦望自ら時有る。

努力して明徳を崇くせよ、皓首以て期と爲さん。

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『與蘇武詩三首 其三』 現代語訳と訳註

(本文)

攜手上河梁,游子暮何之。

徘徊蹊路側,悢悢不得辭。

行人難久留,各言長相思。

安知非日月,弦望自有時。

努力崇明德,皓首以為期。

 

 

(下し文)

手を携えて河梁に上る、遊子暮に何くにか之く。

蹊路の側 に徘徊して、悢悢【りょりょう】として辞する能わず。

行人久しく留まり難し、各々言う長く相い思うと。

安んぞ日月に非るを知らんや、弦望自ら時有る。

努力して明徳を崇くせよ、皓首以て期と爲さん。

 

 

(現代語訳)

君と手をたずさえて橋の上に立った。旅姿の君よ、この日暮れどこへ行こうというのか。

二人でともに小道のほとりを行きつ戻りつ、名残り惜しさに、いとまをつけることばも出ない。

さりとて旅立つ君ゆえ、長くとどまることもかなわない。お互いにいつまでも忘れないといいかわすののだ。

人生の離合は日月の循環と同じではなかろうか。月は満ちたりかけたりし、ときには日と月とがあい望むこともあるように、われらもまたあい会うときがないとは限らないのだ。

どうか明徳を高めていただきたい。白髪になっても必ず再会することを約しましょう。

 

 

(訳注)

攜手上河梁,游子暮何之。

君と手をたずさえて橋の上に立った。旅姿の君よ、この日暮れどこへ行こうというのか。

・河梁 河の橋。橋のたもとで人を見送るのが常であった。

 

徘徊蹊路側,悢悢不得辭。

二人でともに小道のほとりを行きつ戻りつ、名残り惜しさに、いとまをつけることばも出ない。

・蹊路 径路、こみち。

・悢悢 悲しみかえり去るざま。文選呂尚の註には「相恋の情、別を為す能はざるなり」とある。

 

行人難久留,各言長相思。

さりとて旅立つ君ゆえ、長くとどまることもかなわない。お互いにいつまでも忘れないといいかわすだけなのだ。

 

安知非日月,弦望自有時。

人生の離合は日月の循環と同じではなかろうか。月は満ちたりかけたりし、ときには日と月とがあい望むこともあるように、われらもまたあい会うときがないとは限らないのだ。

・安知非日月 どうして日月でないという理があろうか。それに違いないの意。人生の離合は日月の循環と同じではなかろうか。

・弦望 弦は半月(上弦:7日・下弦:20日)、望は満月の名。新月から上弦の月までは希望を著し、望月すなわち十五夜には月は東に出で、日は西にあって遙かに相望むとある。下弦の月は別れ、日月相望む如く、日と月は希望をあらわし、必ずわれらにも再会の期あるべきを予定した語となる。

 

努力崇明德,皓首以為期。

どうか明徳を高めていただきたい。白髪になっても必ず再会することを約しましょう。

・皓首 白髪の頭.老年。

denen01255 

 

 

 

蘇武與李陵詩

(偽作)

         ()

        骨肉緣枝葉,結交亦相因。

        四海皆兄弟,誰為行路人。

        況我連枝樹,與子同一身。

        昔為鴛與鴦,今為參與商。

        昔者長相近,邈若胡與秦。

        惟念當離別,恩情日以新。

        鹿鳴思野草,可以嘉賓。

        我有一(缶尊)酒,欲以贈遠人。

        願子留斟酌,敘此平生親。

 

 

 

         ()

        結發為夫妻,恩愛兩不疑。

        在今夕,燕婉及良時。

        徵夫懷遠路,起視夜何其。

        參辰皆已沒,去去從此辭。

        行役在戰場,相見未有期。

        握手一長嘆,淚為生別滋。

        努力愛春華,莫忘歡樂時。

        生當複來歸,死當長相思。

 

 

 

         ()

        黃鵠一遠別,千裡顧徘徊。

        胡馬失其群,思心常依依。

        何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

        幸有弦歌曲,可以中懷。

        請為游子吟,泠泠一何悲。

        絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

        長歌正激烈,中心愴以摧。

        欲展清商曲,念子不能歸。

        俯仰傷心,淚下不可揮。

        願為雙黃鵠,送子俱遠飛。

 

 

 

         ()

        燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

        芳馨良夜發,隨風聞我堂。

        徵夫懷遠路,游子戀故

        寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

        俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

        良友遠別離,各在天一方。

        山海隔中州,相去悠且長。

        嘉會難再遇,歡樂殊未央。

        願君崇令德,隨時愛景光。

 

 

 

        李陵與蘇武詩

 

         ()

        良時不再至,離別在須臾。

        屏營衢路側,執手野躑躕。

        仰視浮雲馳,奄忽互相逾。

        風波一失所,各在天一隅。

        長當從此別,且複立斯須。

        欲因晨風發,送子以賤軀。

 

 

 

         ()

        嘉會難再遇,三載為千秋。

        臨河濯長纓,念子悵悠悠。

        遠望悲風至,對酒不能酬。

        行人懷往路,何以慰我愁。

        獨有盈觴酒,與子結綢繆。

 

 

 

         ()

        攜手上河梁,游子暮何之。

        徘徊蹊路側,悢悢不得辭。

        行人難久留,各言長相思。

        安知非日月,弦望自有時。

        努力崇明德,皓首以為期

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蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<
102-1>Ⅱ李白に影響を与えた詩846 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2778

 

 

詩四首 其三

(詩四首 其の三)

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。 

在今夕,嬿婉及良時。

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

征夫懷往路,起視夜何其?

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

參辰皆已沒,去去從此辭。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

 

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

満月003 

 

其三

詩四首  其の三

結髮  夫妻と爲【な】り,恩愛  兩【ふた】つながら 疑はず。

歡娯  今夕に在り,嬿【えんゑん】 良時に 及ぶ。

征夫  往路を 懷い,起ちて 夜の 何其【いかん】を 視る。

參辰  皆な 已に沒す,去り去りて 此れ從【よ】り 辭せん。

#2

行役して 戰場に 在らば,相ひ見ること  未だ 期 有らず。

手を握り  一たび長歎すれば ,涙は 生別の 爲に 滋【しげ】し。

努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫れ。

生きては 當【まさ】に  復た 來り歸るべく,死しては 當【まさ】に 長【とこし】へに 相ひ思ふべし。

 

 

『詩四首 其三』 現代語訳と訳註

(本文)

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

在今夕,嬿婉及良時。

征夫懷往路,起視夜何其?

參辰皆已沒,去去從此辭。

 

 

(下し文)

結髮  夫妻と爲(な)り,恩愛  兩(ふた)つながら 疑はず。

歡娯  今夕に 在り,婉(えんゑん)  良時に 及ぶ。

征夫  往路を 懷(おも)ひ,起ちて 夜の 何其(いかん)を 視(み)る。

參辰  皆な 已(すで)に沒す,去り去りて 此れ從(よ)り 辭せん。

 

 

(現代語訳)

(詩四首 其の三)

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。 

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

 

 

(訳注)

詩四首其三

『文選』巻二十九詩己 雜詩上には、蘇子卿として一連の作が録されている。『古詩源』巻二「漢詩」に、『玉臺新詠』巻一にも『留別妻一首』として採録されている。この作は、蘇武が匈奴に使いする出立の前夜、妻に贈った生別の詩になる。

 

結髮爲夫妻、恩愛兩不疑。

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。  

・結髮:成人となること。髪を結う。男子は二十、女子は十五になれば髪を結び、男子は冠をつけ、女子は辞(琶をさす。 

・爲夫妻:夫婦となる。『玉臺新詠』では「爲夫婦」とする。

・恩愛:恩と愛。いつくしみ。夫婦などの情愛。 

・兩:「恩」と「愛」のどちらも。恩愛を強いて「恩」と「愛」とに分ければ、「恩」は精神的ないたみ閔れむ気持ちで、「愛」は、かわいがる思い。また、「恩」は夫が施して妻が受けるものであり、「愛」は妻が還すべきことである。 

・不疑:疑わない。

 

在今夕,嬿婉及良時。

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

・歡娯:たのしみごと。歓楽。 ・在:…の時に。 ・今夕:今宵。今晩。こよい。

嬿:すなおなさま。しとやかで美しいさま。=燕婉。ここでは、夫婦がうち解けて睦みあうさまになる。 

・及:(時間が)ふさわしい。 

・良時:満足いく充分な時間。幸福の時。二人共にいられる時をさす。

 

征夫懷往路、起視夜何其。

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

・征夫:旅立つ人。出征する人。旅行に行く人。ここでは、蘇武自身のことになる。 ・懷:心に思いいだく。 

・往路:(目的地までの)行き道の行程。

夜何其:『詩經』小雅『庭燎』に「夜如何其。夜未央,庭燎之光。君子至止,鸞聲將將。」と「夜如何其」を繰り返して歌うのに基づく。 

・起視:起きあがって(夜が明けたかどうかを)見る。 

・何其:どうであるか。「夜如何其」のことで、「其」は語調を整えるための助辞。

 

參辰皆已沒、去去從此辭。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

・參辰:參星と辰星。參星は西空に、辰星は東の空に現れる星。 

・已:とっくに。 

・沒:沈んだ。時計がない時代の、明け方の時刻の判断でもあろう。

・去去:去って行って、もっと去っていって。動作が重複して行われるさま。言葉のリズム感と同時に別離のさまの強調でもある。それらが複合して使われている。現代語の用法とは異なる。『古詩十九首之一』の「行行重行行,與君生別離。相去萬餘里,各在天一涯。道路阻且長,會面安可知。胡馬依北風,越鳥巣南枝。」は、この詩句から生まれたのかも知れない。また、陶潜の「去去欲何之,南山有舊宅。」もここから来たか。  

・從此:この家庭から。この妻の元から。 

・辭:別れの言葉を言う。別れる。辞去する。

蘇武 《詩四首 其二》#2 古詩源  詩<101-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩845 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2773

蘇武 《詩四首 其二》#2この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

 


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蘇武 《詩四首 其二》#2 古詩源  詩<101-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩845 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2773

 

 

詩四首 其二 #1

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

一遠別,千裏顧徘徊。

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

胡馬失其群,思心常依依。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

幸有弦歌曲,可以中懷。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

#2

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

絃楽器と管楽器の調べは清らかな響きを高めて、それが心の嘆きをさらにかきたて、悲しみはつきない。

長歌正激烈,中心以摧。

長い歌曲がいよいよ激しく鳴り響く、そうなれば、哀痛にたえることはできず、心も砕けるばかりである。

欲展清商曲,念子不得歸。

この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

俯仰傷心,淚下不可揮。

うつむいたり、あおむいたり、心のうちは痛み、傷ついてばかりで、涙はしきりに下って拭うこともおぼつかないのだ。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

できることなら、二羽の黄鵠となりたいのだ。そうすれば君と連れ添って相い共にどこまでも飛んでゆくことができるというものだ。 

詩四首 其二

【こうかく】一たび遠く別れ,千裏にして顧みて徘徊す。

胡馬 其の群を失い,思心 常に依依たり。

何んぞ況んや雙飛の龍,羽翼 當に乖【そむ】くべきに臨むをや。

幸に 弦歌の曲有り,以って中懷を【さと】す可し

請うて 遊子の吟を爲せば,泠泠として一に何ぞ悲しき。

#2

絲竹 清聲を厲【はげ】しくし,慷慨【こうがい】余 哀 有り。

長歌 正に激烈,中心 愴【そう】として以て摧【くだ】く。

清商の曲を展ぜんと欲して,子の不歸る得ざるを念う。

俯仰【ふぎょう】心を傷ましめ,淚下りて揮う可からず。

願わくば雙の黃りて,子を送りて俱に遠く飛ばんことを。

 
花蕊夫人006

 









『詩四首 其二』 現代語訳と訳註

 (本文)

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

 

(下し文)

絲竹 清聲を厲【はげ】しくし,慷慨【こうがい】余 哀 有り。

長歌 正に激烈,中心 愴【そう】として以て摧【くだ】く。

清商の曲を展ぜんと欲して,子の不歸る得ざるを念う。

俯仰【ふぎょう】心を傷ましめ,淚下りて揮う可からず。

願わくば雙の黃りて,子を送りて俱に遠く飛ばんことを。

 

 

(現代語訳)#2

絃楽器と管楽器の調べは清らかな響きを高めて、それが心の嘆きをさらにかきたて、悲しみはつきない。

長い歌曲がいよいよ激しく鳴り響く、そうなれば、哀痛にたえることはできず、心も砕けるばかりである。

この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

うつむいたり、あおむいたり、心のうちは痛み、傷ついてばかりで、涙はしきりに下って拭うこともおぼつかないのだ。

できることなら、二羽の黄鵠となりたいのだ。そうすれば君と連れ添って相い共にどこまでも飛んでゆくことができるというものだ。

 

 

(訳注)

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

絃楽器と管楽器の調べは清らかな響きを高めて、それが心の嘆きをさらにかきたて、悲しみはつきない。

・糸竹:絃楽器と管楽器。楽器。音楽の意。「糸管」ともする。同義。

 

歌正激烈,中心愴以摧。

長い歌曲がいよいよ激しく鳴り響く、そうなれば、哀痛にたえることはできず、心も砕けるばかりである。

・愴 傷むの意。

 

欲展清商曲,念子不得歸。

この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

・展 歌曲を展開する。

・清商曲 「商」は五音の一で、その調は悲哀である。声のすんで調の悲しい曲。杜甫『秋笛』「清商欲盡奏,奏苦血沾衣。他日傷心極,徵人白骨歸。相逢恐恨過,故作發聲微。不見秋雲動,悲風稍稍飛。」

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

清苦にして哀愁のある音調。 ・商 秋、秋風。西の方角。星座のこと。五音階。「宮・商・角・徴・羽」隋・唐は中国史上で最も強大・安定し、音楽・絵画・書・舞踊・建築などが発展した。 音楽は「宮廷音楽(七部伎=清商伎・国伎・亀慈伎・安国伎・天竺伎・高麗伎・文康伎)」と 「民間音楽(山歌・小曲、器楽=琵琶・笙・笛などの演奏)」に二分される。

曹丕(曹子桓/魏文帝)詩 『燕歌行』「援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。」 

 

俯仰傷心,淚下不可揮。

うつむいたり、あおむいたり、心のうちは痛み、傷ついてばかりで、涙はしきりに下って拭うこともおぼつかないのだ。

俯仰 「僻仰」に同じ。うつむいたり、あおむい

たりする。

 

願爲雙黃,送子俱遠飛。

できることなら、二羽の黄鵠となりたいのだ。そうすれば君と連れ添って相い共にどこまでも飛んでゆくことができるというものだ。
 大鷹01

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蘇武 《詩四首 其一》#2 古詩源  詩<
100-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩843 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2763

 

 

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、旬奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は旬奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三百は何奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

 

詩四首 其一 #1

(其の一)

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

況我連枝樹,與子同一身。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

#2

昔者長相近,邈若胡與秦。

昔はいつも離れずに相親しんだのに、今は北の胡と西の秦の如く、はるかに隔たることとなった。

惟念當乖離,恩情日以新。

いよいよ別れるにあたっては、愛情の日々に深まるのを覚えるのみである。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

詩経に、鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて賓客との宴会を思う詩があるが、そのようにここで君を嘉賓に見なして惜別の宴を張ろう。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

幸い私にはここに一大盃の酒がある。これをば遠く旅立つ君に贈ろうと思う。
願子留斟酌,敘此平生親。

ついては、君よ、どうぞ、しばらく留まってこの酒を酌みかわし、平素の親しみを心ゆくまで叙べてほしい。 

#1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

#2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

 

『詩四首 其一』 現代語訳と訳註

 

曙001

(本文) #2

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

 

(下し文) #2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

 

(現代語訳)

昔はいつも離れずに相親しんだのに、今は北の胡と西の秦の如く、はるかに隔たることとなった。

いよいよ別れるにあたっては、愛情の日々に深まるのを覚えるのみである。

詩経に、鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて賓客との宴会を思う詩があるが、そのようにここで君を嘉賓に見なして惜別の宴を張ろう。

幸い私にはここに一大盃の酒がある。これをば遠く旅立つ君に贈ろうと思う。

ついては、君よ、どうぞ、しばらく留まってこの酒を酌みかわし、平素の親しみを心ゆくまで叙べてほしい。 

 

(訳注) #2

昔者長相近,邈若胡與秦。

昔はいつも離れずに相親しんだのに、今は北の胡と西の秦の如く、はるかに隔たることとなった。

○邈 遠くはるかなさま。

○胡・秦 胡は北方の蛮族。秦は西方の国。相隔たって遠い。

 

惟念當乖離,恩情日以新。

いよいよ別れるにあたっては、愛情の日々に深まるのを覚えるのみである。

 

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

詩経に、鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて賓客との宴会を思う詩があるが、そのようにここで君を嘉賓に見なして惜別の宴を張ろう。

○鹿鳴思野草 毛詩、小雅、鹿鳴篇は、羣臣嘉賓を会して宴する歌。「呦呦として鹿鳴き、野の苹を食む。我に嘉賓有り、瑟を鼓し笙を吹く」とある。鹿が鳴いて野の草を食む如く、われらも嘉賓を会して宴を開き樂しもうとの意である。

 

我有一樽酒,欲以贈遠人。

幸い私にはここに一大盃の酒がある。これをば遠く旅立つ君に贈ろうと思う。

 

願子留斟酌,敘此平生親。

ついては、君よ、どうぞ、しばらく留まってこの酒を酌みかわし、平素の親しみを心ゆくまで叙べてほしい。

○掛酌 酒を酌んで飲むこと。

 幻日環01

蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758

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謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758

 

 

詩四首 其一

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

詩四首 其三

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

在今夕,嬿婉及良時。

征夫懷往路,起視夜何其?

參辰皆已沒,去去從此辭。

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

征夫懷遠路,遊子戀故

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

 

詩四首 其一 #1

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

#2

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

#1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

#2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

600moon880

 



『詩四首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

 

 

(下し文) #1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

 

 

(現代語訳)

(其の一)

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

 

 

(訳注)

詩四首 其一

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、匈奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三首は匈奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

・蘇武(前142一前60年)字は子卿。前100年天漢元年で匈奴に使いし、拘留されて十九年間ったが、屈しなかった。後昭帝の時、匈奴と和親が爲り、始めて帰国し、典属国に拝せられた。この四首の詩はいずれも絶妙の傑作で、文選巻二九に載せてあるが、これを蘇武の作とするには古来異説があり、後人の擬作とするのが定説に近いとされる。

・四首 共に送別の詩で、第一首は兄弟に別れを叙べるものである。

 

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

 

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

・四海皆兄弟 論語・顔淵篇に「与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也」(人と恭しくして礼あらば、四海の内皆兄弟たり)とある。

 

況我連枝樹,與子同一身。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

 

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

鴛和鴦 おしどりのオス()とメス ()

○参・辰 二つの星の名。参は西に在り、辰は東に在り、出没互いに相見ずという。

nat0002 

七歩詩 曹植 魏詩<35>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1897

七歩詩 曹植 魏詩



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女性詩人
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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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七歩詩 曹植 魏詩<35>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1897


七歩詩
煮豆持作羹,漉豉以爲汁。
豆を煮て、それで豆乳を作り、醗酵させた味噌をこして汁を作る。
萁向釜下然,豆在釜中泣。
豆がらは釜の下でもえ、豆は釜の中で泣いていうのだ。
本是同根生,相煎何太急?
「もとはといえば、同じ根から育ったものではありませんか、どしてそんなにひどく煎ってしまうのですか。」と。

豆を煮て 持って羹【あつもの】と作し,豉【し】を漉して 以って汁と爲す。
萁【まめがら】 は釜の下に在りて然え,豆は 釜の中に 在りて 泣く。
本是れ同根に生ぜしに,相い煎【に】ること何ぞ太【はなは】だ 急なる。


00大豆畑


『七歩詩』 現代語訳と訳註
(本文)
煮豆持作羹,漉豉以爲汁。
萁向釜下然,豆在釜中泣。
本是同根生,相煎何太急?


(下し文)
豆を煮て 持って羹【あつもの】と作し,豉【し】を漉して 以って汁と爲す。
萁【まめがら】 は釜の下に在りて然え,豆は 釜の中に 在りて 泣く。
本是れ同根に生ぜしに,相い煎【に】ること何ぞ太【はなは】だ 急なる。


(現代語訳)
豆を煮て、それで豆乳を作り、醗酵させた味噌をこして汁を作る。
豆がらは釜の下でもえ、豆は釜の中で泣いていうのだ。
「もとはといえば、同じ根から育ったものではありませんか、どしてそんなにひどく煎ってしまうのですか。」と。


(訳注)
七歩詩
 『三國演義』第七十九回「兄逼弟曹植賦詩。姪陥叔劉封伏法」には『七歩詩』が出てくる。曹丕は弟の曹植に対して「吾今限汝行七歩吟詩一首」と命じ、作った「兩肉齊道行,頭上帶凹骨。相遇由山下,起相突。二敵不倶剛,一肉臥土窟。非是力不如,盛氣不泄畢。」がそれである。それに対して曹丕は「七歩成章,吾猶以爲遲。汝能應聲而作詩一首否?」といわれ、再び作ったのが四句の詩であるが三国演義などの講談、逸話としての面白さであるがこの話はここで本気で取り上げることではないのでここまでにする。。
曹植:(そうち)。(192年~232年)。曹操の子で、曹丕の弟。詩人として有名で建安時 代を代表する作家であり、「建安の傑」と称される。その才能によって、かつて父曹操より太子にされようとしたこともある。父の死後,曹丕らによって種々の迫害を受け不遇をかこったが、詩人として成長させた。


煮豆持作羹,漉豉以爲汁。
豆を煮て、それで豆乳を作り、醗酵させた味噌をこして汁を作る。
・羹 羹。汁もの。
・漉豉 漉はこす。豉は煮たり蒸したりしたのち、醸酵させた豆。味噌、納豆の類。


萁向釜下然,豆在釜中泣。
豆がらは釜の下でもえ、豆は釜の中で泣いていうのだ。
・萁 豆の茎。豆がら。
・釜下 かまどした。*豆と豆萁とは、本来同一の根から生えている謂わば身内だが、豆がらは燃えて(身内の)豆を煮て来るので、豆は堪えかねてカマの中で泣いている。・釜中泣 釜の中で泣く。豆と豆萁とは、本来同一の根から生えている、いわば身内だが、豆萁(豆がら)は燃えて豆を煮て来るので、豆は堪えかねてカマの中で泣いている


本是同根生,相煎何太急?
「もとはといえば、同じ根から育ったものではありませんか、どしてそんなにひどく煎ってしまうのですか。」と。
本是 本来は。 
同根生 同じ根から生長した。ここでは曹丕と曹植との兄弟をも指す。
相煎 豆萁が豆をにる。兄が弟を虐めることを云っている。・相 …てくる。動作が対象に及ぶ時の表現。 
・何太急:どうしてそんなに急くのか。 ・何:なんぞ。反問。疑問の辞。・太 はなはだ。あまりにも。・急 いそぐ。せく。急である。
*ここでは曹丕と曹植の兄弟を指し、兄が弟を殺し除こうとすることを云っているとされているが、この詩程度のものは曹植の作詩能力からすると低レベルであり、その点からこの詩の評価と、『三國演義』に対して疑問を持っているものは私だけではないのだろうと思う。

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贈徐幹 (1) 曹植 魏詩


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853




贈徐幹
驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。

そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。
文昌鬱雲興,迎風高中天。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
慷慨有悲心,興文自成篇。

寶棄怨何人?和氏有其愆。
彈冠俟知己,知己誰不然?
良田無晚歲,膏澤多豐年。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
親交義在敦,申章復何言。

(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。

文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。

寶【たから】は棄てらるるも何人かを怨まん?和氏【かし】に其の愆【あやまち】有り。
冠を彈きて知己【ちき】を俟つも,知己誰か不然【しか】らざらん?
良田には晚歲無く,膏澤には豐年多し。
亮【まこと】に璵璠【よはん】の美を懷けば,久しきを積んで德愈【いよい】よ宣ぶ。
親交の義は敦きに在り,章を申【かさ】ねて復た何をか言わん。

tsuki001

『贈徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

驚風飄白日,忽然歸西山。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
志士榮世業,小人亦不閒。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。


(下し文)
(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。


(現代語訳)
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。


(訳注)
贈徐幹

文選 贈答二、古詩源巻五
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。この詩の制作時期は216年建安二十一年頃と推定される。


驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
○驚風 突風。疾風。真実を吹き飛ばす、讒言、横槍、という意味を含む。
○白日 1 照り輝く太陽。2 真昼。白昼。3 身が潔白であることのたとえ。白日の下に晒す隠されていた物事を世間に公開する。ここは厳然と輝く真実、嘘のない忠誠心、目標というところ。
古詩十九首之一.
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
古詩十九首之一 (1) 漢詩<88>Ⅱ李白に影響を与えた詩520 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1377
○西山
 日の入る山。


圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだ、達成されないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
〇円景 月をさす。景は光。事を成功させるという目標。
○以 その上。


志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
○志士 徐幹をさす。
○世業 後世に残す業績。ここでは徐幹が「中論」を著わし、一家言を成せるをいう。
○小人 「大学」に「小人閉居して不善をなす。」と見える。無徳、不肖の輩をさしていう。


聊且夜行遊,遊彼雙闕間。
そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、宮殿の外にある楼門のあたりを歩きまわったのだ。
○夜行遊 「古詩」に「昼短くして夜の長きに苦しむ、何んぞ燭を乗りて遊ばざる。」と見える。
○雙闕 「古詩十九首」第三首
青青陵上栢、磊磊礀中石。
人生大地間、忽如遠行客。
斗酒相娯楽、聊厚不為薄。
駆車策駑馬、遊戯宛與洛。
洛中何欝欝、冠帯自相索。
長衢羅夾巷、王侯多第宅。
両宮遥相望、双闕百余尺。
極宴娯心意、戚戚何所迫。
雨宮逢かに相望むに、雙闕百余尺なり。」と見える。宮殿の外にある楼門のこと。
宮島(3)

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雑詩二首 其一
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
展転不能寐、披衣起彷徨。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
俯視清水波、仰看明月光。

天漢廻西流、三五正縦横。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
願飛安得翼、欲済河無梁。
向風長嘆息、断絶我中腸。


雑詩二首 其二
西北有浮雲、亭亭如車蓋。
惜哉時不遇、適與飄風會。
吹我東南行、行行至呉會。
呉會非我郷、安得久留滯。
棄置勿複陳、客子常畏人。



雑詩二首 其一
#1
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
広々と果てしないこの地に来て秋の夜長は愁いに沈むと辛い、そのうえすでに北風が猛烈に吹き始めて涼しさが肌に挿すようである。
展転不能寐、披衣起彷徨。
父の思いに憂いはつのり、寝らねぬままに寝返りをうつのである。こんどは、起きて上着を羽織り歩き廻るのである。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
しかしそれもさまよい歩くうち、忽ち時が久しく立っていることに気付く、知らぬ間に白露が私の衣裳を霑しているのである。
俯視清水波、仰看明月光。

そこにたたずみ、目をしたにむければ清らかな水と強い風によるさざ波を視るのであり、目を挙げれば仲秋の明月の光が蚊が気照らすのを見るのである。
#2
天漢廻西流、三五正縦横。
天の河は廻って、西の方に流れて行き季節は秋も深まってくる。あれだけよく見えていた天の川も星が三つ、五つとまさに日暮れの南北の流れはもう東西の流れになっている。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
それにしても秋の草虫の鳴く音は何と悲しいことであろうか、群を離れた一羽の鴈が独り南に翔けてとんでゆく。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
私の気持ちはとても沈んでいてずっと悲しい思いがさらに多くなるのである。絶えず南にむかって飛んでいる鴈のようには私に似て故郷を離れて南征しつづけているのだ。
願飛安得翼、欲済河無梁。
願うことなら飛んで帰りたいがどうしたら翼を手にいれられるのだろうということであり、河を渡ろうと思ってみたけれど橋が無いということだ。
向風長嘆息、断絶我中腸。
季節も変わりかけてきて北風が吹くようになり、故郷の方から吹く風に向って長い嘆息を吐くのである、そして私は心配のあまり腸が絶ち切れそうになるのである。
#1
漫漫とするは秋の夜長【よなが】、烈烈とする北風の涼【りょう】。
展転として寐【い】ぬる能はず、衣を披【き】て起って彷徨す。
彷徨【ほうこう】忽【たちま】ち已に久しく、白露我が裳【しょう】を霑【うるお】す。
俯して清水の波を視て、仰ぎて明月の光を看る。
#2
天漢【あまのかわ】廻り西に流れ、三五【さんご】正に縦横たり。
草蟲【そうちゅう】鳴いて何ぞ悲しき、孤鴈獨り南に翔【かけ】る。
鬱鬱【うつうつ】として悲思多く、緜緜【めんめん】として故郷を思う。
飛ばんことを願へども安んぞ翼を得ん、済【わた】らんと欲するも河に梁無し。
風に向かい長く嘆息し、我が中腸を断絶す。

銀河002

『雑詩二首』 其一 現代語訳と訳註
(本文)

天漢廻西流、三五正縦横。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
願飛安得翼、欲済河無梁。
向風長嘆息、断絶我中腸。


(下し文)
#2
天漢【あまのかわ】廻り西に流れ、三五【さんご】正に縦横たり。
草蟲【そうちゅう】鳴いて何ぞ悲しき、孤鴈獨り南に翔【かけ】る。
鬱鬱【うつうつ】として悲思多く、緜緜【めんめん】として故郷を思う。
飛ばんことを願へども安んぞ翼を得ん、済【わた】らんと欲するも河に梁無し。
風に向かい長く嘆息し、我が中腸を断絶す。


(現代語訳)
天の河は廻って、西の方に流れて行き季節は秋も深まってくる。あれだけよく見えていた天の川も星が三つ、五つとまさに日暮れの南北の流れはもう東西の流れになっている。
それにしても秋の草虫の鳴く音は何と悲しいことであろうか、群を離れた一羽の鴈が独り南に翔けてとんでゆく。
私の気持ちはとても沈んでいてずっと悲しい思いがさらに多くなるのである。絶えず南にむかって飛んでいる鴈のようには私に似て故郷を離れて南征しつづけているのだ。
願うことなら飛んで帰りたいがどうしたら翼を手にいれられるのだろうということであり、河を渡ろうと思ってみたけれど橋が無いということだ。
季節も変わりかけてきて北風が吹くようになり、故郷の方から吹く風に向って長い嘆息を吐くのである、そして私は心配のあまり腸が絶ち切れそうになるのである。


(訳注)
天漢廻西流、三五正縦横。

天の河は廻って、西の方に流れて行き季節は秋も深まってくる。あれだけよく見えていた天の川も星が三つ、五つとまさに日暮れの南北の流れはもう東西の流れになっている。
天漢 あまのがわ。天河・銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。
詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。この時期の織女星と牽牛星杜その他の星座が最もはっきりと見えるのである。
西流 天の川は秋には日暮れに南北に流れ、夜明けには東西に流れる。
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草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
それにしても秋の草虫の鳴く音は何と悲しいことであろうか、群を離れた一羽の鴈が独り南に翔けてとんでゆく。


鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
私の気持ちはとても沈んでいてずっと悲しい思いがさらに多くなるのである。絶えず南にむかって飛んでいる鴈のようには私に似て故郷を離れて南征しつづけているのだ。
・鬱鬱【うつうつ】1 心の中に不安や心配があって思い沈むさま。2 草木がよく茂っているさま。
緜緜 緻密な平絹がほどかれて行く様に絶えずやむなく続くこと。。


願飛安得翼、欲済河無梁。
願うことなら飛んで帰りたいがどうしたら翼を手にいれられるのだろうということであり、河を渡ろうと思ってみたけれど橋が無いということだ。


向風長嘆息、断絶我中腸。
季節も変わりかけてきて北風が吹くようになり、故郷の方から吹く風に向って長い嘆息を吐くのである、そして私は心配のあまり腸が絶ち切れそうになるのである。
断絶我中腸 此の詩は曹丕が太子という地位から落されるかもしれない、曹植に対する嫉妬心が猛烈に湧いてきているのである。本来、下半身のやるせなさを意味する断腸であるが、その思いと曹植に対する嫉妬心を表現したものと解釈した方が断然面白く味わい深いものになる。

217年、正式に太子として指名される。この時、同母弟で五男の曹植と太子の座を争ったと言われている。本来なら、嫡男で長子である曹丕が後継者となるのが筋であるが、曹操が曹植を寵愛した為、「曹丕派」と「曹植派」に分かれたのである。実際には本人同士という訳でなく、その取り巻きによる権力争いと言った方が正確である。218年曹丕が呉を攻めている際、父魏王曹操が曹植を太子にするのではないかと憂愁の気持ちをこの詩に詠っているとされる。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1209

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1209


還舊園作見顏范二中書 謝靈運

#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
何意沖飆激,烈火縱炎烟。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。

#2
焚玉發崑峰,餘燎遂見遷。
かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
投沙理既迫,如邛原亦愆。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
長與懽愛別,永絶平生緣。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。
#2
玉を焚くこと崑峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。
#3
流沫不足險,石林豈為艱。
この流れに比べると、論語でいうかの呂梁さえも険しいとするには足らず、この山に比べると、かの石林山もどうして難所と言えようか、艱険なことは呂梁や石林以上である。
閩中安可處,日夜念歸旋。
永嘉は都を遠くはなれた閩中の地という場所であり、何でそこに落ちついておられようか、昼も夜も会稽に帰りたいと望んでいた。
事躓兩如直,心愜三避賢。
己に世の治乱にかかわらず論語でいう史魚と遽伯玉の二人の直道を守るものほどのものであるがつまずき失敗し、左遷の憂きめをみたが、心は孫叔敖の三度退けられても悔いぬごとき賢に満足している。
託身青雲上,棲岩挹飛泉。
会稽の荘園では、青雲のかかる山の高きに身を寄せ、いわおのほとりに住んで谷川の水をすくいとって飲むという日常であった。
#3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。

#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。
424年文帝即位し、426年には盛明の徳をもって暗い陰湿な徐羨之らの横暴を粛清したのである、そして正美の道をもって難儀な状態を鎮め落ち着いた世にした。
殊方咸成貸,微物豫采甄。
それで遠い国々までも皆、徳の恩恵をうけて国が栄えたのであるし、微細でとるに足らないわたしごときをおとりあげになり、恩命に接したのである。
感深操不固,質弱易版纏。
わたしはこれに深く感じいって隠退の志は堅いということでなく、気も弱くて恩命に引かれ易いままに秘書監の職についた。(426年秘書監となる。秘閣の書を整理し、『晋書』を作る。)。
曾是反昔園,語往實款然。
かくて官についたものの今や会稽の先祖伝来の荘園にもどり、過ぎし日の事など語ることができて打ち解けて。真心から人に接することが実にうれしい。
#4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。

#5
曩基即先築,故池不更穿。
修業ための家屋、別荘は以前すでに建築している、池はもとからあり、この上さらに掘ることはいらないのである。
果木有舊行,壤石無遠延。
果樹はもとのままに立ち並び、土や石も近くにあるから遠方から持ち運ぶ必要はない。
雖非休憩地,聊取永日閒。
この先祖からの荘園は真に休憩すべき地ではないにしても、まあ昼を長く引きのばして楽しむといわれる、その永日ののどかな心を養いたい。
衛生自有經,息陰謝所牽。
生を守り命を全うするには自ずから方法かあるもので、日向で影ができるのが嫌で日の当らぬ影の所に休み、俗務に引きわずらわされぬようにしたい。
夫子照清素,探懷授往篇。
顔・范の二君はわが胸の中から本当の心を探りとっているので、わが胸のうちを述べたこの詩を差しあげる。
#5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。

demen07

現代語訳と訳註
(本文)
#5
曩基即先築,故池不更穿。果木有舊行,壤石無遠延。
雖非休憩地,聊取永日閒。衛生自有經,息陰謝所牽。
夫子照清素,探懷授往篇。


(下し文) #5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。


(現代語訳)
修業ための家屋、別荘は以前すでに建築している、池はもとからあり、この上さらに掘ることはいらないのである。
果樹はもとのままに立ち並び、土や石も近くにあるから遠方から持ち運ぶ必要はない。
この先祖からの荘園は真に休憩すべき地ではないにしても、まあ昼を長く引きのばして楽しむといわれる、その永日ののどかな心を養いたい。
生を守り命を全うするには自ずから方法かあるもので、日向で影ができるのが嫌で日の当らぬ影の所に休み、俗務に引きわずらわされぬようにしたい。
顔・范の二君はわが胸の中から本当の心を探りとっているので、わが胸のうちを述べたこの詩を差しあげる。


(訳注)#5
曩基即先築,故池不更穿。

修業ための家屋、別荘は以前すでに建築している、池はもとからあり、この上さらに掘ることはいらないのである。
 昔、以前。○ 土台。ここは家屋のこと。浄土教による学問修業の場、別荘や寺もたてている。


果木有舊行,壤石無遠延。
果樹はもとのままに立ち並び、土や石も近くにあるから遠方から持ち運ぶ必要はない。


雖非休憩地,聊取永日閒。
この先祖からの荘園は真に休憩すべき地ではないにしても、まあ昼を長く引きのばして楽しむといわれる、その永日ののどかな心を養いたい。
永日 のどかな春の日。春の日長。一日中。日を長くする。『詩経、唐風、山有樞』「且以喜楽、且以永日」(且つ以て喜楽し、且つ以て日を永うせん。)琴を引いて愉快にやれば楽しくもあり、一日のんびりと暮らせる。―ということでこの詩に基づいている。
 

衛生自有經,息陰謝所牽。
生を守り命を全うするには自ずから方法かあるもので、日向で影ができるのが嫌で日の当らぬかげの所に休み、俗務に引きわずらわされぬようにしたい。
衛生 生命を守り全うする。健康を保ち、病気の予防、治療をはかること。『荘子、庚桑楚』「 南榮趎曰:“里人有病,里人問之,病者能言其病,然其病病者猶未病也。若趎之聞大道,譬猶飲藥以加病也,趎願聞衛生之經而已矣。”老子曰:“衛生之經,能抱一乎?能勿失乎?能無卜筮而知吉凶乎?能止乎?能已乎?」南栄趎曰く、願はくは生を衛るの經を聞かんのみと。老子日く、生を衛るの経は、能く一を抱かんかな。能く失ふ勿からんかな。能く物と委蛇して其の波に同じくするは、是れ生を衛るの経なり」。・経とは道、方法。○息陰 荘子に「人、影を畏れ迩を悪み、之を去りて走るものあり。足を挙ぐること愈々しばしばすれば、迹ほ愈々疾ければ影は身を離れず」ということから、影がうつるのをやめたいならば、走り動くことをやめて、日光の当らぬ所に居ればよい。そこならば影は生ぜぬ」といった。○謝 しりぞけことわる。


夫子照清素,探懷授往篇。
顔・范の二君はわが胸の中から本当の心を探りとっているので、わが胸のうちを述べたこの詩を差しあげる。
探懷 胸の中から情素(ほんとの心)を探りとる。○往篇 当方から寄せる詩。先方から寄こすものを来詩という。顔延之(延年)  和謝監靈運  詩<61-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1185謝靈運の酬従弟恵運にも用例がある。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩462 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1203

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#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
何意沖飆激,烈火縱炎烟。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。

#2
焚玉發崑峰,餘燎遂見遷。
かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
投沙理既迫,如邛原亦愆。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
長與懽愛別,永絶平生緣。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。
#2
玉を焚くこと崑峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。
#3
流沫不足險,石林豈為艱。
この流れに比べると、論語でいうかの呂梁さえも険しいとするには足らず、この山に比べると、かの石林山もどうして難所と言えようか、艱険なことは呂梁や石林以上である。
閩中安可處,日夜念歸旋。
永嘉は都を遠くはなれた閩中の地という場所であり、何でそこに落ちついておられようか、昼も夜も会稽に帰りたいと望んでいた。
事躓兩如直,心愜三避賢。
己に世の治乱にかかわらず論語でいう史魚と遽伯玉の二人の直道を守るものほどのものであるがつまずき失敗し、左遷の憂きめをみたが、心は孫叔敖の三度退けられても悔いぬごとき賢に満足している。
託身青雲上,棲岩挹飛泉。
会稽の荘園では、青雲のかかる山の高きに身を寄せ、いわおのほとりに住んで谷川の水をすくいとって飲むという日常であった。
#3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。

#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。殊方咸成貸,微物豫采甄。
感深操不固,質弱易版纏。曾是反昔園,語往實款然。
#5
曩基即先築,故池不更穿。果木有舊行,壤石無遠延。
雖非休憩地,聊取永日閒。衛生自有經,息陰謝所牽。
夫子照清素,探懷授往篇。

#4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。
#5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
流沫不足險,石林豈為艱。閩中安可處,日夜念歸旋。
事躓兩如直,心愜三避賢。託身青雲上,棲岩挹飛泉。

(下し文) #3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。

(現代語訳)
この流れに比べると、論語でいうかの呂梁さえも険しいとするには足らず、この山に比べると、かの石林山もどうして難所と言えようか、艱険なことは呂梁や石林以上である。
永嘉は都を遠くはなれた閩中の地という場所であり、何でそこに落ちついておられようか、昼も夜も会稽に帰りたいと望んでいた。
己に世の治乱にかかわらず論語でいう史魚と遽伯玉の二人の直道を守るものほどのものであるがつまずき失敗し、左遷の憂きめをみたが、心は孫叔敖の三度退けられても悔いぬごとき賢に満足している。
会稽の荘園では、青雲のかかる山の高きに身を寄せ、いわおのほとりに住んで谷川の水をすくいとって飲むという日常であった。


(訳注)#3
流沫不足險,石林豈為艱。

この流れに比べると、論語でいうかの呂梁さえも険しいとするには足らず、この山に比べると、かの石林山もどうして難所と言えようか、艱険なことは呂梁や石林以上である。
流沫 急流に立つあわ。列子「孔子從而問之, 曰: 「 呂梁懸水三十仞, 流沫三十里, 黿鼉魚鱉所不能游, 向吾見子道之. 以為有苦而欲」孔子は呂梁を観る。懸水四十仭、流沫三十里。東嶺(誓)魚順讐管も泳ぐははざる所なり」。
孔子が呂梁(ろりょう・急流を石堤でせき止めたところ)に遊んだとき、そこには三十尋(ひろ・約1・5メートル)もの滝がかかっていて、水しぶきを上げる流れは四十里も続き、魚類でさえ泳ぐ事のできないところだったが、一人の男がそこで泳いでいるのが眼に入った。孔子は悩み事で自殺しようとしていると思い、弟子をやって岸辺から助けようとした。ところが男は数百歩の先で水から上がると、髪を振り乱したまま歌を唄って歩いて、堤のあたりをぶらついた。
 孔子は男に尋ねた「私はあなたを化け物かと思いましたが、よく見ると人間でした。お尋ねしたいが、水中を泳ぐのに何か特別な方法があるのですか」。
 男は答えた「ありません。私は慣れたところから始めて、本性のままに成長し、運命のままに出来上がっているのです。水の中では渦巻きに身を任せて一緒に深く入り、湧き水に身を任せて一緒に出てくる。水のあり方についていくだけで、自分の勝手な心を加えないのです。私が水中を上手く泳げるのはそのためです」。
 孔子はいった「慣れたところから始まって、本性のままに成長し、運命のままに出来上がったといわれたが、それはどういうことですか」
 男はいう「私がこうした丘陵地に生まれ、安住しているという事が慣れた所です。こうした水の流れとともに育って、その流れに安心しているというのが本性(もちまえ)です。自分が何故そんなに上手く泳げるのか、そんな事は分からずにいて、そうあるというのが、運命(さだめ)なのです)」。  


閩中安可處,日夜念歸旋。
永嘉は都を遠くはなれた閩中の地という場所であり、何でそこに落ちついておられようか、昼も夜も会稽に帰りたいと望んでいた。
 中国五代十国時代に現在の福建省を中心に存在した国。十国の一つであるが、ここではその国のことではなくその地方のことをいう。


事躓兩如直,心愜三避賢。
己に世の治乱にかかわらず論語でいう史魚と遽伯玉の二人の直道を守るものほどのものであるがつまずき失敗し、左遷の憂きめをみたが、心は孫叔敖の三度退けられても悔いぬごとき賢に満足している。
○両如直 論語の衛霊公篇に「子曰、直哉史魚、邦有道如矢、邦無道如矢、君子哉遽伯玉、邦有道則仕、邦無道則可巻而懐之。」(子曰わく、直(ちょく)なるかな史魚(しぎょ)。邦(くに)に道有るにも矢の如(ごと)く、邦に道無きも矢の如し。君子なるかな遽伯玉(きょはくぎょく)。邦に道有れば則(すなわ)ち仕(つか)え、邦に道無ければ則ち巻きてこれを懐(ふところ)にすべし。)廉直の人である史魚と君子である遽伯玉を評価したもの。史魚は国家の秩序関係なく懸命に働く。遽伯玉は秩序がとられていないときはその才能を発揮せずしまいこんだことを君子と評価した。〇三避 史記に「孫叔敖は楚に相たり、三たび相を去りたれども悔いず、その己が罪にあらざるを知ればなり」。○ すぐれた道、かしこさ。


託身青雲上,棲岩挹飛泉。
会稽の荘園では、青雲のかかる山の高きに身を寄せ、いわおのほとりに住んで谷川の水をすくいとって飲むという日常であった。
託身青雲上,棲岩挹飛泉 永嘉太守をやめて、会稽の旧園に暫くいた時のこという。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩461 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1200

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩461 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1200

還舊園作見顏范二中書 謝靈運
五言

#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
何意沖飆激,烈火縱炎烟。

ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
#2
焚玉發崑峰,餘燎遂見遷。
かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
投沙理既迫,如邛原亦愆。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
長與懽愛別,永絶平生緣。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。
#3
流沫不足險,石林豈為艱。閩中安可處,日夜念歸旋。
事躓兩如直,心愜三避賢。託身青雲上,棲岩挹飛泉。
#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。殊方咸成貸,微物豫采甄。
感深操不固,質弱易版纏。曾是反昔園,語往實款然。
#5
曩基即先築,故池不更穿。果木有舊行,壤石無遠延。
雖非休憩地,聊取永日閒。衛生自有經,息陰謝所牽。
夫子照清素,探懷授往篇。

(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。
#2
玉を焚くこと崑峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。

#3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。
#4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。
#5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
焚玉發昆峰,餘燎遂見遷。投沙理既迫,如邛原亦愆。
長與懽愛別,永絶平生緣。浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。


(下し文)#2
玉を焚くこと昆峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。


(現代語訳)
かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。


(訳注)#2
焚玉發崑峰,餘燎遂見遷。

かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
○焚玉 尚書の胤征篇に、「祝融司夏,萬物焦爍,火炎昆崗,玉石俱焚,爾無與焉。天吏逸德烈于猛火。」火の崑崗と炎えさかるや、玉も石も俱に焚かる。天吏の逸徳は猛火よりも烈し」。○崑峰 棟両端の金幣、屋根上の宝珠は崑崗が中国随一の金銀の産地であることに由来し、金塊を現している。○余燎 余火。もえ広がる火の余り。宋書に、「少帝は位につく、権は大臣に在り、靈運は異同を構扇し、執政を非毀す。司徒の徐羨之が患ひ、出して永嘉の太守となす」。霊運は時に盧陵王の司馬となっていたのである。


投沙理既迫,如邛原亦愆。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
投沙 身を長沙に投ず。長沙にゆくこと。漢書に、「賈誼は謫せられて長沙に居る。長沙は卑濕なれは、自ら傷悼し、おもへらく、壽ながきを得ざらんと」。・賈誼 漢の孝文帝劉恒(紀元前202-157年)に仕えた文人賈誼(紀元前201―169年)のこと。洛陽の人。諸吉家の説に通じ、二十歳で博士となった。一年後、太中大夫すなわち内閣建議官となり、法律の改革にのりだして寵任されたが、若輩にして高官についたことを重臣たちに嫉まれ、長沙王の傅に左遷された。のち呼び戻され、孝文帝の鬼神の事に関する質問に答え、弁説して夜にまで及び、孝文帝は坐席をのりだして聴き入ったと伝えられる。その後、孝文帝の少子である梁の懐王の傅となり、まもなく三十三歳を以て死んだ。屈原を弔う文及び鵩(みみずく)の賦が有名。賈誼が長沙にいた時、「目鳥 其の承塵に集まる」。目鳥はふくろうに似た鳥というが、詩文のなかのみにあらわれ、その家の主人の死を予兆する不吉な鳥とされる。賈誼はその出現におびえ、「鵩鳥の賦」(『文選』巻一三)を著した。○理迫 運命がさしせまる。「理は法官なり」という。それは、徐羨之らに厳しく監視されて、さし迫った立場に置かれた、というもの。○如邛 漢書に「卓文君は司馬相如に謂って曰く、しばらく臨邛にゆきて昆弟に従ひて仮貸せば、なお以て生を為すに足らん。何ぞ自ら苦しむこと此くのごときに至らん、と。相加ときに臨邛にゆく」。○ あやまつ、たがう、失。


長與懽愛別,永絶平生緣。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
長與懽愛 長らく親愛の情で親交を深めていた付き合いをいう。詩を贈った相手の名前ではないが貰った相手にはすぐわかる表現である。顔延之と范泰である。・顔延之(ガンエンシ)384~456
瑯邪の人。字は延年。諡は憲子。顔含の曽孫。御史中丞、秘書監などを経て金紫光禄大夫になった。 当時延之と謝霊運とは詩才をもって有名で、西晋の潘岳、陸機以来の文士といわれていた。 延之は貴族としては第2流であるが、その言動には当時の貴族のもつ特性が顕著に現われている。
范泰【ハンタイ】355~428 南陽・順陽の人。字は伯倫。諡は宣侯。〈後漢書〉の著者范曄の父。 晋の太学博士として任官、父范寧の遂郷侯の爵をついだ。 のち宋の武帝と文帝に仕え、侍中となり、国子祭酒・領江夏王師であった。 晩年には仏教に傾倒した。謝靈運と親交があった。 文章にすぐれ、いくつかの上奏文は正史に載せられている。 文集20巻のほか、古今の善言を集めた24編があったが、全て現在に伝わっていない。
范曄(ハンヨウ)398~445
字は蔚宗。順陽・山陰の人。父范泰は宋の車騎将軍。 范曄は家をでて従伯范弘之の家を継ぎ武興県五等侯を襲封。 経史にひろくわたり、文章・隷書・音律にひいでた。 晋末に彭城王劉義康の冠軍参軍となり、宋に入っては荊州別駕従事まですすみ、父の死をもって退いた。 のち征南将軍檀道済の司馬となったが、脚疾を理由に従軍をがえんじないことなどがあり、不覊の行為が多かったが、累遷して尚書吏部郎となった。 これよりさき、424〔元嘉元〕年、彭城太妃が没し、その葬祭のとき、故僚の集まっているときに、彼は弟の范広義の家で酒を飲み、窓を開いて挽歌を聞きながら楽をかなでた。 そのため、彭城王の怒りをかい、宣城太守に左遷された。しかしその志をえぬ間に、彼は諸家の〈後漢書〉をつづり、一家の作をなした。 范曄は完成をみぬまま没した。 439〔元嘉16〕年、母の死で退いた范曄は、ふたたび仕えて左衛将軍太子せん事にまだいたったが、家庭は修まらず、門地が高いわりに朝廷の優遇を得ず、同じく不平の徒、魯の孔熙先とむすび、彭城王の擁立をはかったが、事がもれて棄市の刑に処された。


浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。
○仞 一仞は八尺、また七尺、もしくは四尺。○尋 八尺。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 詩集 370

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 #2 詩集 371

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 鄰里相送至方山 詩集 373

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 #3 詩集 372

過始寧墅 謝霊運 #1 詩集 374

過始寧墅 謝霊運 #2 詩集 375

富春渚<14> #1 謝霊運 376

富春渚 #2 謝霊運<14> 詩集 377

初往新安桐盧口 謝霊運<15>  詩集 378

七里瀬 #1 謝霊運<16> 詩集 376

七里瀬 #2 謝霊運<16> 詩集 377

晚出西射堂 #1 謝霊運<17>  詩集 381

晚出西射堂 #2謝霊運<17>  詩集 382 #2

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197



429年 文帝 元嘉6年45歳。
(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)

会稽の始寧県に先祖からの故郷の荘園にかえってから、顔延之太守ならびに范泰中書侍郎におくったものである。


還舊園作見顏范二中書 謝靈運

#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
何意沖飆激,烈火縱炎烟。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
#2
焚玉發昆峰,餘燎遂見遷。投沙理既迫,如邛原亦愆。
長與懽愛別,永絶平生緣。浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
#3
流沫不足險,石林豈為艱。閩中安可處,日夜念歸旋。
事躓兩如直,心愜三避賢。託身青雲上,棲岩挹飛泉。
#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。殊方咸成貸,微物豫采甄。
感深操不固,質弱易版纏。曾是反昔園,語往實款然。
#5
曩基即先築,故池不更穿。果木有舊行,壤石無遠延。
雖非休憩地,聊取永日閒。衛生自有經,息陰謝所牽。
夫子照清素,探懷授往篇。

(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。

#2
玉を焚くこと昆峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。
#3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。
#4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。
#5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。偶與張邴合,久欲還東山。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。何意沖飆激,烈火縱炎烟。


(下し文)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。


(現代語訳)
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。


(訳注) #1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
滿 滿ち足る。ここは在官のこと。官を満了する。○豈多秩 「秩を多とせんや」(秩ありて満つることを望まず、辞す)。


偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
張邴 張長公と邴丹曼容のこと。・:張長公 漢の張摯、字は長公、官吏となったが、世間と合はないとてやめられたのち終身仕へなかった。漢の張釈之の子。
陶淵明『飲酒、其十二』
長公曾一仕、壯節忽失時。
杜門不復出、終身與世辭。
仲理歸大澤、高風始在茲。
一往便當已、何爲復狐疑。
去去當奚道、世俗久相欺。
擺落悠悠談、請從余所之。
長公曾て一たび仕(つか)えしも、壮節にして忽ち時を失う。
門を杜(と)じて復(ま)た出でず、終身 世と辞す。
仲理 大沢(だいたく)に帰りて、高風 始めて茲(こ)こに在り。
一たび往かば便(すなわ)ち当(まさ)に已むべし、(なん)為(す)れぞ復た狐疑する。
去り去りて当(まさ)に奚(なに)をか道(い)う可けん、世俗は久しく相い欺(あざむ)けり。
悠悠の談を擺(はら)い落とし、請(こ)う 余が之(ゆ)く所に従わん。

前漢の張長公は一度官途についたが、まだ壮年だというのにすぐに失脚した。それからは門を閉ざして外に出ず、終生仕えようとしなかった。後漢の楊仲理は大きな池のそばに隠居して、あの高尚な学風がそこで養われたのだ。さっさと隠退しよう、何をためらうことがあろうか。どんどん歩いて行こう、何もいうことはない、世間はずっと昔からお互いだましあいの世界。世俗のいい加減なうわさなどはらいすてて、さあ我が道を行くのだ。
○長公 前漢の張摯。『史記』巻一百二「張釈之伝」に「釈之(せきし)卒す。其の子を張摯(ちょうし)と曰う、字は長公。官は大夫に至るも、免ぜらる。当世に容(い)らるるを取ること能(あた)わざるを以て、故に終身仕(つか)えず」とある。○仲理 後漢の楊倫。『後漢書』巻一百九上「楊倫伝」に「楊倫、字は仲理。……少(わか)くして諸生と為り、司徒丁鴻に師事して古文尚書を習い、郡の文学掾(えん)と為るも、更(あらた)められて数将を歴(ふ)。志(こころざし)時に乖(そむ)き、人間(じんかん)の事を能(よ)くせざるを以て、遂に職を去り、復た州郡の命に応じず。大沢中に講授して、弟子千余人に至る」とある。○狐疑 『離騒』に「心猶(ゆう)豫(よ)して狐疑す、自ら適(ゆ)かんと欲するに而も可ならず」とある、屈原が美女に求婚しようとするのにぐずぐずしている表現を意識し、ここは、そのように閑居に踏み切れずにいる自分を叱咤激励している。○去去當奚道 曹植「雜詩六首」其一(『文選』巻二十九)「去(ゆ)き去きて復た道(い)う莫れ、沈憂は人をして老いしむ」を意識し、官界への未練を断ち切れと自らに言いきかせている。○悠悠談 悠悠は、とりとめもない、けじめがないの意。「悠悠の談」は、世間での自分に対する風評のたぐい。そんなものは気にせずに我が道を行けと、これも自分を励ましている。
 これは、官界から離脱し、閑居に入ろうとしつつも、官界への未練があってぐずぐずしている自分に決断をせまり、叱咤激励する詩である。
李白『單父東樓秋夜送族弟沈之秦』
爾從咸陽來。 問我何勞苦。
沐猴而冠不足言。 身騎土牛滯東魯。』
沈弟欲行凝弟留。 孤飛一雁秦云秋。
坐來黃葉落四五。 北斗已挂西城樓。』
絲桐感人弦亦絕。 滿堂送君皆惜別。
卷帘見月清興來。 疑是山陰夜中雪。』
明日斗酒別。 惆悵清路塵。
遙望長安日。 不見長安人。
長安宮闕九天上。 此地曾經為近臣。』
一朝復一朝。 發白心不改。
屈原憔悴滯江潭。 亭伯流離放遼海。』
折翮翻飛隨轉蓬。 聞弦墜虛下霜空。
聖朝久棄青云士。 他日誰憐張長公。』
青云士 学徳高き賢人。 ○張長公 漢の張摯、字は長公、官吏となったが、世間と合はないとてやめられたのち終身仕へなかった。漢の張釈之の子。
謝靈運『初去郡』
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生
恭承古人意,促裝反柴荊。
○尚子 尚長、字は子平。男女の子供が結婚した後は、家事に関係せず、死んだようにして暮らした(高士伝)。○薄遊 遊宦(役人生活)をなすことが薄い。薄禄に甘んじたこと。○邴生 漢書「邴丹曼容養志自修,為官不肯過六百石,輒自免去。」(邴生、名は丹、字は曼容、志を養い自ら修む。官と為りて敢えて六百石を過ぎず、輒ち免じて去ると。)

初去郡 謝靈運<34>#2 詩集 413  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1056

東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。


聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。


何意沖飆激,烈火縱炎烟。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
 突風。竜巻き。また、一般に風。つむじかぜ. 渦を巻きながら激しく舞い上がる風。大風。徐羨之らの乱を比喩する表現。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩459 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1194

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩459 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1194

(謝監靈運に和す)―「還舊園作見顔范二中書」に答える。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197





和謝監靈運   顏延年
弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
雖慚丹雘施,未謂玄素睽。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
(謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。

#2
徒遭良時詖,王道奄昏霾。
しかるに、宋の武帝の良く治まった時代が終って偏った施政となった、たちまち王道は乱れて暗くなり、文帝のあと、少帝は政治を怠ったのだ。
人神幽明絶,朋好雲雨乖。
人と神とは天と地との如く懸け離れて縁がなくなり祭りができず、朋友は雲雨の離れ散るようにばらばらに散ったのだ。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。
かくて我も始安郡の太守となって都を離れる途中で祠原を沼薗のほとりに弔い、蒼梧山の径のほとりなる舜帝の廟に詣でた。
倚岩聽緒風,攀林結留荑。

また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。
#2
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。
韓愈の地図03

#3
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。

衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
惜無爵雉化,何用充海淮。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
去國還故里,幽門樹蓬藜。
それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。
#3
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。

#4
采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。
物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。
芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。
盡言非報章,聊用布所懷。

家の周りのいばらを取り除き、むかしからの家の屋根を葺きかえ、荘園のいばらなどを伐り除いて旧田を開き耕したい。
今や万物、気持ちの部分でも凋落して老人のように歳晩となっていた、たしかに、わが年もまた往き老いていて、隠遁したいという志を遂げることができずにいる。
浄土教の仁を積んだ者と親しくしている君は、この度わたしに対して親近の情をのべ示し、詩を寄せて真心こめたことばをのべてくれたのだ。
君は人里はなれた林野で修行に適した閑静な場所で過ごしているのでありながら、その詩は香気が盛んに漂わせているのだ、清らかに響く音は珪璧の美玉が触れ合って鳴る澄んだ音のようである。
わたしが精いっぱいのことばで述べたこの詩は、君に答えるに足るものではなくいかもしれないが、まあ心に思うことをのべたというほどのつまらないものです。

#4
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。


現代語訳と訳註
(本文)

采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。
盡言非報章,聊用布所懷。


(下し文)
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。


(現代語訳)
家の周りのいばらを取り除き、むかしからの家の屋根を葺きかえ、荘園のいばらなどを伐り除いて旧田を開き耕したい。
今や万物、気持ちの部分でも凋落して老人のように歳晩となっていた、たしかに、わが年もまた往き老いていて、隠遁したいという志を遂げることができずにいる。
浄土教の仁を積んだ者と親しくしている君は、この度わたしに対して親近の情をのべ示し、詩を寄せて真心こめたことばをのべてくれたのだ。
君は人里はなれた林野で修行に適した閑静な場所で過ごしているのでありながら、その詩は香気が盛んに漂わせているのだ、清らかに響く音は珪璧の美玉が触れ合って鳴る澄んだ音のようである。
わたしが精いっぱいのことばで述べたこの詩は、君に答えるに足るものではなくいかもしれないが、まあ心に思うことをのべたというほどのつまらないものです。


(訳注)
采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。

家の周りのいばらを取り除き、むかしからの家の屋根を葺きかえ、荘園のいばらなどを伐り除いて旧田を開き耕したい。
○茨1 バラ・カラタチなど、とげのある低木の総称。荊棘(けいきょく)。 2 人里近くに多いバラ科バラ属の低木の総称。ノイバラ・ヤマイバラ・ヤブイバラなど。《季 花=夏 実=秋》3 植物のとげ。○棘 いばら。ひくく横に並んではえて林を成す。○畦 田のこと。「二十五畝を小畦となす」という。


物謝時既晏,年往志不偕。
今や万物、気持ちの部分でも凋落して老人のように歳晩となっていた、たしかに、わが年もまた往き老いていて、隠遁したいという志を遂げることができずにいる。
○謝 去る。凋落。○晏 晩。


親仁敷情昵,興賦究辭棲。
浄土教の仁を積んだ者と親しくしている君は、この度わたしに対して親近の情をのべ示し、詩を寄せて真心こめたことばをのべてくれたのだ。
○親仁 謝霊運をさす。左氏伝、隠公六年に「仁に親しみ鄭に善きは、同の宝なり」。○敷 しく、のべる。○賦 詩を作ることにもいう。ここは詩。○悽 李善注本は「唆」に作るが、五臣注本に従う。切実なこと。○究 きわめつくす。


芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。
君は人里はなれた林野で修行に適した閑静な場所で過ごしているのでありながら、その詩は香気が盛んに漂わせているのだ、清らかに響く音は珪璧の美玉が触れ合って鳴る澄んだ音のようである。
○芬馥【ふんぷく】香気が盛んに漂う様。○歇 ひと息入れる.(2) 停止する,中止する.(3) 寝る,眠る.短い時間,しばらくの間。○蘭若 仏典では,人里はなれた林野で修行に適した閑静な場所とされ,転じて僧侶の住む山間の小寺院を指す。○琳【りん】美しい玉。また、玉が触れ合って鳴る、澄んだ音の形容。○珪 諸侯に封じる時に、天子が授ける玉。「珪璧(けいへき)」


盡言非報章,聊用布所懷。
わたしが精いっぱいのことばで述べたこの詩は、君に答えるに足るものではなくいかもしれないが、まあ心に思うことをのべたというほどのつまらないものです。
○清越 礼記の聘義篇に「夫昔者,君子比德於玉焉。玉的敲擊,聲音清越悠長」(昔者、君子は徳を玉に比す、之を叩くときは、其の声は清越にして長し。)越は、あがる意。○歇・奪 香草のかおりや美玉の清い音を、「うばい尽くす」とは、香草・美玉にとってかわる、それと同じ、の意。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1191

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1191

(謝監靈運に和す)―「還舊園作見顔范二中書」に答える。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197






和謝監靈運   顏延年
弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
雖慚丹雘施,未謂玄素睽。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
(謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。

#2
徒遭良時詖,王道奄昏霾。
しかるに、宋の武帝の良く治まった時代が終って偏った施政となった、たちまち王道は乱れて暗くなり、文帝のあと、少帝は政治を怠ったのだ。
人神幽明絶,朋好雲雨乖。
人と神とは天と地との如く懸け離れて縁がなくなり祭りができず、朋友は雲雨の離れ散るようにばらばらに散ったのだ。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。
かくて我も始安郡の太守となって都を離れる途中で祠原を沼薗のほとりに弔い、蒼梧山の径のほとりなる舜帝の廟に詣でた。
倚岩聽緒風,攀林結留荑。

また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。
#2
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。
韓愈の地図03

#3
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。
衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
惜無爵雉化,何用充海淮。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
去國還故里,幽門樹蓬藜。

それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。
#3
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。

#4
采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。
盡言非報章,聊用布所懷

#4
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。



現代語訳と訳註
(本文)
#3
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。
皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
惜無爵雉化,何用充海淮。
去國還故里,幽門樹蓬藜。


(下し文)
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。
 

(現代語訳)
衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。


 (訳注)
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。

衡山にへだてられた五嶺山脈の向こうの始安郡(桂林)にあっても、爪先を立てて君の方を望み、いつになったら君の住む会稽山を見ることができようかと思ったものだ。
 山の名。○ 爾雅に「山の鋭くて高いもの」とあり、五嶺山脈。○ 会稽郡の秦望山。始皇帝が、この山に登り、南海を望んだからという。○ 会楷山。もと茅山といい、禹帝がここに登ってから、名を改めた。


皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
のち文帝が位につかれて天のごとき徳を明らかにし、その治世は元嘉の治と呼ばれた。そのゆたかな恵みは、水底に沈む泥をもふるい起すごとく、元嘉三年、徐羨之を誅殺、顔延之は、中書侍郎として都に召しかえされた。
皇聖昭天德 424年文帝即位。貴族勢力との妥協のもと政治を行なった。文帝の治世は元嘉の治と呼ばれた。426年顔延死を左遷させた徐羨之・傅亮らが誅殺され顔延之は召還された。


惜無爵雉化,何用充海淮。
残念なことに、我はすずめを蛤(はまぐり)にかえ、きじを蜃(おおはまぐり)にかえるような才がないので、どうして故事に言う「海や淮水」の変化に当ることができるというのか、天子に仕えてよく職責をはたすにことはできかねる。
爵雉化 国語に、趙簡子の語「雀(爵)は海に入りて蛤となり、雉は淮水に入りて蜃となる」ことがみえる。○化 かわる。かえる。天地が万物を生成する。民の俗をかえる、教化・徳化、などをいう。


去國還故里,幽門樹蓬藜。
それゆえこの国都を去って放郷に帰り、静かに隠遁し、門のほとりに蓬やあかざを植えるのである。
 ここは、天子の都の意。国の反対語に隠遁がある。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1188

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1188

(謝監靈運に和す)―「還舊園作見顔范二中書」に答える。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197






和謝監靈運   顏延年
弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
雖慚丹雘施,未謂玄素睽。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
(謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。

#2
徒遭良時詖,王道奄昏霾。
しかるに、宋の武帝の良く治まった時代が終って偏った施政となった、たちまち王道は乱れて暗くなり、文帝のあと、少帝は政治を怠ったのだ。
人神幽明絶,朋好雲雨乖。
人と神とは天と地との如く懸け離れて縁がなくなり祭りができず、朋友は雲雨の離れ散るようにばらばらに散ったのだ。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。
かくて我も始安郡の太守となって都を離れる途中で祠原を沼薗のほとりに弔い、蒼梧山の径のほとりなる舜帝の廟に詣でた。
倚岩聽緒風,攀林結留荑。
また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。
#2
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。
#3
跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
惜無爵雉化,何用充海淮。去國還故里,幽門樹蓬藜。
#4
采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。
盡言非報章,聊用布所懷

#3
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。
#4
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
徒遭良時詖,王道奄昏霾。人神幽明絶,朋好雲雨乖。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。倚岩聽緒風,攀林結留荑。


(下し文)
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。


(現代語訳)
しかるに、宋の武帝の良く治まった時代が終って偏った施政となった、たちまち王道は乱れて暗くなり、文帝のあと、少帝は政治を怠ったのだ。
人と神とは天と地との如く懸け離れて縁がなくなり祭りができず、朋友は雲雨の離れ散るようにばらばらに散ったのだ。
かくて我も始安郡の太守となって都を離れる途中で祠原を沼薗のほとりに弔い、蒼梧山の径のほとりなる舜帝の廟に詣でた。
また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。


(訳注)
徒遭良時詖,王道奄昏霾。

しかるに、宋の武帝の良く治まった時代が終って偏った施政となった、たちまち王道は乱れて暗くなり、文帝のあと、少帝は政治を怠ったのだ。
 さかしい、かたよる、正しくない。○ にわか。○ 爾雅に「風が土をふらすこと」とある。砂や土を空にまきあげて、ふらす。そのため暗くなる。


人神幽明絶,朋好雲雨乖。
人と神とは天と地との如く懸け離れて縁がなくなり祭りができず、朋友は雲雨の離れ散るようにばらばらに散ったのだ。
幽明 1 暗いことと明るいこと。 2 死後の世界と、現在の世界。冥土(めいど)と現世。天と地。


弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。
かくて我も始安郡の太守となって都を離れる途中で祠原を沼薗のほとりに弔い、蒼梧山の径のほとりなる舜帝の廟に詣でた。
弔屈 史記によると、屈原は主君に忠心をつくしたが、用いられずして退けられ、のちに狽羅に身を投じて死んだ。顔延年は都から始安郡にうつされたのが不平で、屈原に感ずる所があった。始安郡は、今の広西省にあたるから、狽羅を通過したのである。ときに「屈原を祭る文」を作って、自身の意をのべたことが、南史の本伝に見える。○汀洲浦 汀:水ぎわ。洲:す。浦:うら。水に沿うた地。以上により、沼薗のほとりということになる。○蒼山 九疑山, 別称(蒼梧山)、寧遠県の南部にあり、[史記]五帝紀に、舜が「南に巡狩し、蒼梧の野に崩じ、江南の九疑に葬らる」とある舜廟の旧址と碑刻が現存し、廟の背後に舜源峰、前方に蛾皇・女英両峰が聳えるとある。故に「帝に謁す」といった。


倚岩聽緒風,攀林結留荑。
また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。
倚岩聽緒風,攀林結留荑 楚辞に「石巌に倚りて以て涕を流す」、遵野莽以呼風兮,步從容於山廋。巡陸夷之曲衍兮,幽空虛以寂寞。倚石巖以流涕兮,憂憔悴而無樂。登巑岏以長企兮,望南郢而闚之。山脩遠其遼遼兮,塗漫漫其無時。聽玄鶴之晨鳴兮,于高岡之峨峨。獨憤積而哀娛兮,翔江洲而安歌。
離騒4「留夷と掲車(鰐と)P27
余既茲蘭之九畹兮,又樹蕙之百畝。畦留夷與掲車兮,雑杜蘅與芳芷。冀枝葉之峻茂兮,愿竢時乎吾將刈。雖萎絶其亦何傷兮,哀衆芳之蕪穢。
・秋冬之緒風『楚辞』「九章」の「渉江」
○緒風 秋冬の風の名残をいう。に、「乗鄂渚而反顧兮、欵秋冬之緒風。」(鄂渚に乗りて反顧すれば、ああ、秋冬の緒風なり。)とある。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1185

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1185
(謝監靈運に和す)―「還舊園作見顔范二中書」に答える。

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩460 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1197



和謝監靈運   顏延年
弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
雖慚丹雘施,未謂玄素睽。

天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
#2

徒遭良時詖,王道奄昏霾。人神幽明絶,朋好雲雨乖。
弔屈汀洲浦,謁帝蒼山蹊。倚岩聽緒風,攀林結留荑。
#3

跂予間衡嶠,曷月瞻秦稽。皇聖昭天德,豐澤振沈泥。
惜無爵雉化,何用充海淮。去國還故里,幽門樹蓬藜。
#4

采茨葺昔宇,翦棘開舊畦。物謝時既晏,年往志不偕。
親仁敷情昵,興賦究辭棲。芬馥歇蘭若,清越奪琳珪。

盡言非報章,聊用布所懷。


(謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。
#2
徒【ただ】良時【りょうじ】の詖【かたむ】けるに遭い,王道【おうどう】奄【たちま】ち昏霾【こんまい】す。
人神【じんしん】は幽明【ゆうめい】のごとく絶え,朋好【ほうこう】は雲雨のごとく乖【そむ】く。
屈【くつ】を汀洲【ていしゅう】の浦【ほ】に弔し,帝に蒼山【そうざん】の蹊【みち】に謁【えつ】す。
岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。
#3
跂【つまだ】てて予【われ】衡嶠【こうきょう】を間【へだ】つ,曷【いづれ】の月にか秦稽【しんけい】を瞻【み】ん。
皇聖【こうせい】は天德【てんとく】を昭【あきら】かにし,豐澤【ほうたく】は沈泥【ちんでい】を振う。
惜【おし】むらくは爵雉【じゃくち】の化【か】無し,何を用てか 海淮【かいわい】に充【あ】たらん。
國を去りて 故里【こり】に還り,幽門【ゆうもん】に蓬藜【ほうれい】を樹えん。
#4
茨【し】を采りて 昔宇【せきう】を葺【ふ】き,棘【きょく】を翦【き】りて 舊畦【きゅうけい】を開かん。
物 謝【さ】りて時は既に晏【く】れ,年 往きて志【こころざし】は偕【とも】ならず。
仁【じん】に親しみて 情の昵【ちか】きを敷き,賦【ふ】を興して 辭の棲【せい】を究【きわ】む。
芬馥【ぶんぱく】は蘭若【らんじゃく】を歇【つく】し,清越【せいえつ】は琳珪【りんけい】を奪う。
言を盡すも章にゆる報に非らず,聊【いささ】か用って 懷う所を布【し】く。



現代語訳と訳註
(本文)
和謝監靈運
弱植慕端操,窘步懼先迷。寡立非擇方,刻意藉窮棲。
伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。雖慚丹雘施,未謂玄素睽。


(下し文) (謝監靈運に和す)
弱植【じゃくち】にして端操【たんそう】を慕ひ,窘步【きんぽ】して先迷【せんめい】を懼【おそ】る。
立つこと寡【すくな】くして方【みち】を擇【えら】ぶに非ず,意【こころ】を刻【きざ】みて窮棲【きゅうせい】に籍【よ】る。
伊【こ】れ昔多幸【たこう】に邁ひ,筆を秉りて兩閨【りょうけい】に侍す。
丹雘【たんかく】の施【ほどこし】に慚【は】づと雖も,未だ玄素の睽【そむ】けるを謂はず。


(現代語訳)
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。


(訳注) 和謝監靈運
秘書監なる謝霊運に、故郷の会楷にかえったとき『還舊園作見顔范二中書』(旧園に還りて作り、顔・范二中書に見す)詩がある。顔延年が、それに答えたのがこの詩である。


弱植慕端操,窘步懼先迷。
われわれは年若いころから正しい操を守る道を慕ってきた、脇道を急いで進み正道を踏みはずすことがないようにと気づかったものだ。
弱植 楚辞注「植は志なり」を引くから、1.弱い志2.自主性のない志。3.若い時から身を立てる。ここでは3.○端操 ただしいみさお。志のありかたをいう。○窘步 急いで歩み進む。○先迷 『周易、坤卦』「君子有攸往,先迷失道,後得順常。」君子の行く骸(樋)、先んずるときは迷ひて 道を失ひ、後るるときは順にして常を得」。従うべきものに従わないで先に行くと、迷って道をふみはずすことになること。


寡立非擇方,刻意藉窮棲。
そうして立身を志として方策とすることなどない「正しい道を択び求め善く官につかえる」ことができない性格なのである、ひたすら一人静かな隠棲することに心をむけていた。
立・方 『周易、恒卦』「雷風,恒,君子以立不易方。」(雷風は恒あり。君子は以て立ちて方を易へず。)恒に変ることなき所の道に従って身を立て、方(道)をかえるようなことはせぬ意。○刻意藉窮棲 『荘子、刻意篇』「刻意尚行、離世異俗、高論怨誹、為亢而已矣、此山谷之士、非世之人、枯槁赴淵者之所好也。」(意を刻み行ひを尚くし、世を離れ俗と異にし、高論・怨誹、完を為すのみなるは、此れ山谷の士、世を封るの人、枯槙にして淵に赴くものの好む所なり)を含むところの五種の人物をあげ、これらは、自己の好む所に従い、一方に偏するもので、至道に達せぬという。○ かる、よる。○窮棲 山におること。幽棲。隠棲生活。


伊昔遘多幸,秉筆待兩閨。
かつて幸い多い時にめぐりあうことができて、筆をとって文帝と太子との二宮に仕えた(武帝に仕え、太子舎人となった)。
兩閨 閨閥のこと。王室、貴族に属す一族のこと。
1高祖-武帝-劉裕     420年 - 422年
2    -少帝-劉義符-422年 - 424年


雖慚丹雘施,未謂玄素睽。
天子の御恩にむくいるに足らなかったことは、はずかしいことであるとはいえ、だからといって、「素が玄に」節操を変えるようなことはしなかったといえるのである。
丹雘施 尚書、梓材篇「「若作梓材,旣勤樸斵,惟其塗丹雘」木を削り治めた上、朱色の漆を塗り、器を作りあげることをいう。ここは、栄禄を賜わった君恩をさす。丹雘は、国家の光華たるものをいう。○玄素睽 初めは素(白)い糸であるのが、終りには玄(黒)く汚れそまる、色がかわる。「睽」はそむき、はなれる。純真なものが世間に汚れる、賄賂、汚職にまみえること。

道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<58-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩451 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1170

道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<58-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩451 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1170


臨川郡に行く途中、遠ざかりゆく始寧の故居を思い、その過去の生活を追憶しつつ、その感情を歌った。「道路憶山中」(道路にて山中を憶う) 詩は、『文選』の巻二十六の「行旅」 の部に選ばれているものである。


道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。
屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。
#2
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
故郷を思う気持ちはうず高く積み重なってしまった、先祖の謝安の東山を思えば、私の心は我慢できないし、腹に据えかねるのだ。
追尋棲息時,偃臥任縱誕。
始寧で隠棲の時の昔を思い起してみると、体が思うに任せず、わがままでしまりがないことをし続けていたのだ。
得性非外求,自已為誰纂?
この性格になったのはだれか外部から影響を受けたというものではない。すべてこの身から出たものであり、誰の為に集めてそろえるといったものであろうか。
不怨秋夕長,常苦夏日短。

愁いに秋の夕の長いことを怨んでみてもしかたがないし、「一切皆苦」と常に夏に日ごとに短かくなっていく、生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされるのだ。
#3
濯流激浮湍,息陰倚密竿。
懷故叵新歡,含悲忘春暖。
淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
殷勤訴危柱,慷慨命促管!

道路にて山中を憶う
菱を采る調べは急になり易く、江南の歌は緩ならず。
楚人の心は昔から絕ち,越客【えつかく】の腸は今に斷つ。
斷絕【だんぜつ】は念いを殊にすと雖も,俱為【とも】に歸慮【きりょ】に款【たた】かれぬ。
#2
鄉を存【おも】い爾【しか】い思いは積めり,山を憶い我は憤懣【ふんまん】す。
棲息の時 追尋するに,偃臥【えんが】して縱誕【しょうたん】を任【ほしい】ままにせり。
性を得る外に求むるに非らず,自から已むのみにて誰の為にか纂【つ】がん?
秋の夕の長きを怨みず,常に夏の日の短きに苦しむ。
#3
流れに濯ぎて 浮湍に激しくし,陰に息【いこ】いて密【しげり】の竿【たけ】に倚る。
故【むかし】を懷い新しき歡【よろこ】びは叵【しがた】く,悲しを含み春の暖かなるを忘る。
淒淒として明月を吹き,惻惻として廣陵を散【ひ】く。
殷勤【いんぎん】 危柱【きちゅう】に訴え,慷慨【こうがい】 促管【そくかん】を命ず!



現代語訳と訳註
(本文)
#2
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
追尋棲息時,偃臥任縱誕。
得性非外求,自已為誰纂?
不怨秋夕長,常苦夏日短。

(下し文) #2
鄉を存【おも】い爾【しか】い思いは積めり,山を憶い我は憤懣【ふんまん】す。
棲息の時 追尋するに,偃臥【えんが】して縱誕【しょうたん】を任【ほしい】ままにせり。
性を得る外に求むるに非らず,自から已むのみにて誰の為にか纂【つ】がん?
秋の夕の長きを怨みず,常に夏の日の短きに苦しむ。


(現代語訳)
故郷を思う気持ちはうず高く積み重なってしまった、先祖の謝安の東山を思えば、私の心は我慢できないし、腹に据えかねるのだ。
始寧で隠棲の時を昔を思い起してみると、体が思うに任せず、わがままでしまりがないことをし続けていたのだ。
この性格になったのはだれか外部から影響を受けたというものではない。すべてこの身から出たものであり、誰の為に集めてそろえるといったものであろうか。
愁いに秋の夕の長いことを怨んでみてもしかたがないし、「一切皆苦」と常に夏に日ごとに短かくなっていく、生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされるのだ。


(訳注) #2
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
故郷を思う気持ちはうず高く積み重なってしまった、先祖の謝安の東山を思えば、私の心は我慢できないし、腹に据えかねるのだ。
憤懣 我慢できない腹に据えかねる ・ 業を煮やす。


追尋棲息時,偃臥任縱誕。
始寧で隠棲の時の昔を思い起してみると、体が思うに任せず、わがままでしまりがないことをし続けていたのだ。
追尋 昔を思い尋ねる。・偃臥 【えんが】うつぶして寝ること。腹ばうこと。病気療養を指す。・縱誕【しょうたん】かってきまま。わがままでしまりがないさま。


得性非外求,自已為誰纂?
この性格になったのはだれか外部から影響を受けたというものではない。すべてこの身から出たものであり、誰の為に集めてそろえるといったものであろうか。
 集めてそろえる。編集する。「纂修/雑纂・編纂・論纂」 .


不怨秋夕長,常苦夏日短。
愁いに秋の夕の長いことを怨んでみてもしかたがないし、「一切皆苦」と常に夏に日ごとに短かくなっていく、生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされるのだ。
ここは、「一切皆苦」初期の経典に「色は苦なり」「受想行識も苦なり」としばしば説かれていることをいっている。「すべての存在は不完全であり、不満足なものである」と言いかえることもできる。不完全であるがゆえに、常に変化して止まることがない。永遠に存在するものはなく、ただ変化のみが続くので「空しい」というふうに、「苦」という一語で様々な現象が語られる。日常的感覚における苦受であり、肉体的な身苦と精神的な心苦(憂)に分けられることもある。しかしながら、精神的苦痛が苦であることはいうまでもないが、楽もその壊れるときには苦となり、不苦不楽もすべては無常であって生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされ、これを苦苦・壊苦・行苦の三苦という。すなわち、どちらの立場にしても、苦ではないものはないわけで、「一切皆苦」というのは実にこの意である。

道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<52#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩449 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1164

道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<52#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩449 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1164


臨川郡に行く途中、遠ざかりゆく始寧の故居を思い、その過去の生活を追憶しつつ、その感情を歌った。「道路憶山中」(道路にて山中を憶う) 詩は、『文選』の巻二十六の「行旅」 の部に選ばれているものである。


道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。

屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。
#2
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
追尋棲息時,偃臥任縱誕。
得性非外求,自已為誰纂?
不怨秋夕長,常苦夏日短。
#3
濯流激浮湍,息陰倚密竿。
懷故叵新歡,含悲忘春日耎。
淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
殷勤訴危柱,慷慨命促管!

道路にて山中を憶う
菱を采る調べは急になり易く、江南の歌は緩ならず。
楚人の心は昔から絕ち,越客【えつかく】の腸は今に斷つ。
斷絕【だんぜつ】は念いを殊にすと雖も,俱為【とも】に歸慮【きりょ】に款【たた】かれぬ。

#2
鄉を存【おも】い爾【しか】い思いは積めり,山を憶い我は憤懣【ふんまん】す。
棲息の時 追尋するに,偃臥【えんが】して縱誕【おもい】を任【ほしい】ままにせり。
性を得る外に求むるに非らず,自から已むのみにて誰の為にか纂【つ】がん?
秋の夕の長きを怨みず,常に夏の日の短きに苦しむ。
#3
流れに濯ぎて 浮湍に激しくし,陰に息【いこ】いて密【しげり】の竿【たけ】に倚る。
故【むかし】を懷い新しき歡【よろこ】びは叵【しがた】く,悲しを含み春の暖かなるを忘る。
淒淒として明月を吹き,惻惻として廣陵を散【ひ】く。
殷勤【いんぎん】 危柱【きちゅう】に訴え,慷慨【こうがい】 促管【そくかん】を命ず!


現代語訳と訳註
(本文) 道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。


(下し文)
道路にて山中を憶う
「采菱」 調べは急になり易く、「江南」 歌は緩ならず。
楚人の心は昔から絕ち,越客【えつかく】の腸は今に斷つ。
斷絕【だんぜつ】は念いを殊にすと雖も,俱為【とも】に歸慮【きりょ】に款【たた】かれぬ。

(現代語訳)
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。
屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。

(訳注)
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。

・采菱 楚人の歌曲名。採菱曲。農民女性の歌。宋玉『楚辞・招魂』「肴羞未通、女楽蘿些。㴑鐘按鼓、造新歌些。渉江采菱、發揚荷些。美人既酔、朱顔酡些。」(肴羞【こうしゅう】未だ通ぜらるに、女楽【じょがく】蘿【つらな】る。鐘を㴑【つら】ね鼓を按じて、造新歌些。渉江【しょうこう】采菱【さいりょう】、發揚荷【】些。美人既酔、朱顔【しゅがん】酡【だ】なり。)


楚人心昔絕,越客腸今斷。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。


斷絕雖殊念,俱為歸慮款。
屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩446 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1155


初發石首城
珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう。
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕萬里帆,茫茫終何之?」

苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。

皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。
旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
越海淩三山,遊湘曆九嶷。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
皎皎明發心,不為歲寒欺。」


(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」
#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」



現代語訳と訳註
(本文)

游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」

(下し文)#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」


(現代語訳)
旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。


(訳注) #3
游當羅浮行,息必廬霍期。

旅をし、遊ぶといえばまさに羅浮山に行かねばならないのだ、心の癒し・憩うといえば必ず廬山の絶景であろうし、六安瓜片の緑茶の産地霍山に時期をみていくことである。
羅浮 羅浮山のこと。広東省恵州市博楽県長寧鎮にある。 広州の東90キロに位置する羅浮山は古くは東樵山といわれ南海の西樵山と姉妹関係にある。広東四大名山の一つで、道教の聖地として中国十大名山の一つにも数えられている。主峰飛雲頂は海抜1296m、は香港の北、広州市の東、東莞市の北東に所在する山である。広東省の道教の聖地「羅浮山」羅浮仙ラフセン:隋の趙師雄が梅の名所の羅浮山で羅をまとった美女と出会い酒を酌み交わす酒に酔い伏し梅の樹の下で気が付いた美女は梅の精で羅浮仙ラフセンと呼ばれた故事もある。
李白『江西送友人之羅浮
爾去之羅浮、我還憩峨眉。
中閥道萬里、霞月逼相思。
如尋楚狂子、瓊樹有芳枝。
李白『金陵江上遇蓬池隱者』
心愛名山游、身隨名山遠。
羅浮麻姑台、此去或未返。
『安陸白兆山桃花岩寄劉侍御綰』
云臥三十年、好閑復愛仙。 蓬壺雖冥絕、鸞鶴心悠然。
歸來桃花岩、得憩云窗眠。對嶺人共語、飲潭猿相連。
時升翠微上、邈若羅浮巔。 兩岑抱東壑、一嶂橫西天。
樹雜日易隱、崖傾月難圓。芳草換野色、飛蘿搖春煙。
入遠構石室、選幽開上田。 獨此林下意、杳無區中緣。

永辭霜台客、千載方來旋。
道教の寺観の傍には、娼屋のようなところがあった。祠もあって、旅人も宿泊できるものであったようだ。
廬山 江西省九江市南部にある名山。峰々が作る風景の雄大さ、奇絶さ、険しさ、秀麗さが古来より有名で、「匡廬奇秀甲天下」(匡廬の奇秀は天下一である)と称えられてきた(匡廬とは廬山の別名)。・霍山 安徽省六安市に位置する。六安瓜片(緑茶)の産地


越海淩三山,遊湘曆九嶷。
そして、越の地方からは海を越えて温州に至る三山を陵ぐものである。湘江で遊び九嶷山を経ていくのもよいのである。
三山 会稽始寧から南に三山(現浙江省富陽縣三山)がある。東方三神山の一山として に移動。蓬萊、方丈、瀛州(えいしゅう)は東海の三神山であり、不老不死の仙人が住むと伝えられている。・九嶷山 洞庭湖の南部で、瀟水と湘江が合流する一帯の景色は「瀟湘湖南」と称されて親しまれてきた。これに古代の帝王・舜が葬られたとされている九嶷山を取り入れた景観もまたその美しさで知られ、多くの詩が詠まれてきた(劉禹錫の「瀟湘曲」など)。


欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。
聖人をつつしみ敬うのは朝が晩になるように当然のこととしている、そして賢人を懐うことは亦た、それが悲しくて,胸ふさがるのである。
1 つつしみ敬う。「欽仰・欽羨(きんせん)・欽慕」2 天子に関する物事に付けて敬意を示す語。「欽定・欽命」・旦暮 1 朝晩。あけくれ。旦夕。 2 時機が迫っていること。・ (凄) (1) 寒い,冷え冷えする.(2) もの寂しい,うらさびれた.《―(悽)》悲しい,胸ふさがる.


皎皎明發心,不為歲寒欺。」
皎皎として何もなく広々として明るさを発っしているおもう心境である、論語子罕でいう節奏を持った男が欺かれてしまうことはあってほしくないのだ。
皎皎(皓皓)【こうこう】1 白く光り輝くさま。清らかなさま。2 何もなく広々としているさま。
歳寒【さいかん】 寒さの厳しい時節。冬季。冬。歳寒の松柏、論語子罕:子曰:歲寒,然後知松柏之後凋也"。松や柏が厳寒にも葉の緑を保っているところから、節操が堅く、困難にあっても屈しないことのたとえ。

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1152

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩445 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1152


初發石首城
白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」

太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう。
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」


(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」
#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」


現代語訳と訳註
(本文)

出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。重經平生別,再與朋知辭。
故山日已遠,風波豈還時。苕苕萬里帆,茫茫終何之?」


(下し文)#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」


(現代語訳)
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。


(訳注) #2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。
私は宿を出て金陵の都、京幾に滞留したのである、午前中に旅の装いをして旅途中の涼風をとらえたのである。
京畿(けいき)は、漢字文化圏で京師(みやこ)および京師周辺の地域のこと。・魯颸 旅途中の涼風。


重經平生別,再與朋知辭。
重ねて常日頃の別をした後で、再び朋友に別れの辞を与えることができる。
平生 ふだん。いつも。つね日ごろ。副詞的にも用いる。・朋知 朋友の。


故山日已遠,風波豈還時。
故郷の山野は日ごとに既に遠くなっているし、大風か大波がおこってくれればこれで、かえり時になるのであろう。


苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
苕苕として万里に向かう帆を高く掲げ、茫茫としてはっきりしないのについにどこに行けばよいのだろう。
苕苕 高いさま。超然。・茫茫 ひろびろと広大なさま

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1149

初発石首城 謝霊運(康楽) 詩<56-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩444 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1149


謝霊運は、臨川の内史をもって呼ぶ習慣があったがこの地の内史になったのは天子の特別なるおばしめしで、彼にとっては思わざる栄転であったとされるが、謝霊運は喜んではいなかった。
その臨川に赴任するとき、都の建康の西にあった石首城、すなわち石頭城を出発するときにその感慨を歌ったものに「初めて石首城を発す」がある。これは『文選』の巻二十六の「行旅」の部に引用されているが、この詩にはその不満の感情が実によく歌われているからである。



初發石首城
白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう
#2
出宿薄京畿,晨裝摶魯颸。重經平生別,再與朋知辭。
故山日已遠,風波豈還時。苕苕萬里帆,茫茫終何之?」
#3
游當羅浮行,息必廬霍期。越海淩三山,遊湘曆九嶷。
欽聖若旦暮,懷賢亦淒其。皎皎明發心,不為歲寒欺。」


(初めて石首城を発す)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」
#2
出宿をて京畿【けいき】に薄【いた】り,晨に裝いて魯颸【ろし】摶つ。
重ねて平生の別を經て,再び朋知に辭を與【あた】う。
故山【こざん】日に已に遠く,風波もて豈 還る時あらんや。
苕苕【ちょうちょう】萬里の帆,茫茫【ぼうぼう】終【つい】に何れに之かん?」

#3
游びには當に羅浮【らふ】に行くべし,息うは必ず廬 霍に期す。
海を越えて三山を淩ぎ,湘に遊びて九嶷【きゅうぎ】を曆ん。
欽聖【きんせい】旦暮【たんぼ】の若く,懷賢【かいけん】亦た 淒其【せいき】たり。
皎皎【きょうきょう】明發を心し,歲寒に欺【あざむ】かるるを為さず。」


現代語訳と訳註
(本文) 初發石首城

白珪尚可磨,斯言易為緇。雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
寸心若不亮,微命察如絲。日月垂光景,成貸遂兼茲。」


(下し文)
白き珪【けい】は尚 磨く可きも,斯の言は緇【くろ】と為し易し。
中孚【ちゅうふ】の爻【こう】を抱くと雖ども,猶 貝錦【ばいきん】詩に勞するごとし。
寸心【すんしん】の若し不亮【あき】らかならずんば,微命は察するに絲の如く。
日月 光景を垂れ,貸を成して遂に茲【これ】を兼ねしむ。」


(現代語訳)

天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう


(訳注)
初發石首城

石首城 石頭城のこと。建康の都の西にある石頭城から任地臨川に赴くときに作った。
江蘇省南京市清涼山。 本楚金陵城, 漢建安十七年孫權重築改名。 城負山面江, 南臨秦淮河口, 當交通要沖, 六朝時為建康軍事重鎮。
戦国時代,周?王三十六年(前333年)に楚が越を滅ぼした。この時楚の威王が金陵邑を今の南京に建設した。同時に、今の 清凉山と呼ばれるところに城を築いた。秦始皇帝二十四年(前223年),楚を滅ぼし、金陵邑を秣陵?とした。三国時代,孫権は、秣陵を建業と改称、清凉山 に石頭城を建設した。当時、長江は清凉山下流を流れていて、石頭城の軍事的重要性は突出していた。呉では、水軍もっとも重要な水軍基地とし、以後数百年 間、軍事上の要衝となった。南北朝時代、何度も勝負の帰趨に大きな役割を果たした。
石頭城は清凉山の 西の天然の障壁をなし、山の周囲に築城したもの。周囲7里(現在の6里)あり 北は大江に接し南は秦淮河に接している。南向きに二つ門があり、東に向かって一つ,南門の西に西門があった。内部には石頭庫、石頭倉と呼ばれる倉庫があっ た。高所には烽火台があった。呉以降南朝でも重要性は変わらなかった。
南京清涼山後方位置(南京時内で30分距離)にある石頭城は南北の長さ3km,城遺跡は赤い色,城内には大量の河工石があって高さが0.3-0.7m,一番高いところは17mに達する自然岩石で造成され中間部位何ヶ所は飛び出してきた赤い色の水成岩になって険悪な顔と似て(鬼脸城)という。 本城は楚威王の金陵邑として楚威王7年(333年)に建造した。秦始皇帝二十四年(前223年),楚を滅ぼし、金陵邑を秣陵とした。東漢建安16年(211年)呉の孫権は秣陵(今日南京)に遷都して翌年に石頭山金陵邑旧跡に城を築いて石頭と名付けた。 明洪武2年(1369年)石頭城を応天府城(現南京)の一つ部分で再建した。 長江の軍事要地に当たるので歴代軍事家らの必須争奪地域になったし,石城虎距という名前を持つようになった。


白珪尚可磨,斯言易為緇。
天子に賜る白い玉は磨けば磨け砕け良いことになるが、言葉は讒言など黒く汚れたものでも容易にもちいられている。
白珪 【けい】諸侯に封じる時に、天子が授ける玉。「珪璧(けいへき)」白い玉はまた磨けばいいが、言葉は黒く汚れ易い、とある。『詩經』大雅、抑篇「白圭之玷,尚可磨也。斯言之玷,不可爲也。」(白圭の(王占)けたるは、なお磨くべし、この言の(王占)けたるは、為(おさ)むべからず。)、白い玉の欠けたのは、また磨けばいいが、言葉を誤ると改めようがない、とあるを引く。 ・ 悪口


雖抱中孚爻,猶勞貝錦詩。
誠、真心というものを易の卦のようにして大事にしているのであるが、それでもなおいろんな讒言によって苦労をしているのだ。
中孚 誠、真心ということ。・(こう)は、易の卦を構成する基本記号。
貝錦詩 議言


寸心若不亮,微命察如絲。
自分のほんの少しの気持ちが、もし人に明るくはっきりしていることができないのであれば、私の徴命は察するに糸のように危ういことである。
寸心 ほんの少しの気持ち。自分の気持ちをへりくだっていう語。


日月垂光景,成貸遂兼茲。」
太陽や月のように我々に暖かい慈愛を施してくれる文帝は私に光景を垂れてくだされた、誰もがするように賄賂を贈ることをしてでも臨川の内守を何とか勤め上げることにしよう
 宝。まいなう、賄賂を贈ること。・茲 江西省の臨川の内史という役につけられたが、これは謝霊運を太守扱いにするというもので実質謝霊運の上に大守がいた。

西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 詩<46>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116

西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 詩<46>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116



 謝靈運

 謝惠連

酬従弟謝惠連 五首

西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1

(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2

(その2)

心胸既雲披,意得鹹在斯。

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所知。

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日馳。

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成分離

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3

(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4

(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5

(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風波。

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧和。

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽歌。

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如何。



西陵遇風獻康楽 謝惠連
謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。元嘉七年(430)、彭城王・劉義慶のもとで法曹行参軍をつとめた。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。


西陵遇風獻康楽(その1)
都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
我行指孟春、春仲尚未發。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
趣途遠有期、念離情無歇。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。


現代語訳と訳註
(本文)

西陵遇風獻康楽(その1)
我行指孟春、春仲尚未發。
趣途遠有期、念離情無歇。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(下し文)
西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。


(現代語訳)
都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


(訳注)
西陵遇風獻康楽

都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
西綾 西陵は都建康の西とされる。・遇風 風流な景色に出遭ったという意味であるが、ここでは風邪か、痛風か、肝臓の病気になったと思われる。台風などに出遭う場合にも使う。・献康楽 康楽侯謝靈運は従兄であったから尊んで獻ずという。この詩は文選に一首とあり、五節一連の詩であるが、節ごとに韻を換えている。


我行指孟春、春仲尚未發。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
孟春 初春。・春仲 二月 


趣途遠有期、念離情無歇。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
趣途 途に向かう。・遠有期 すでに遙か前に心に期をきめていた。


成装候良辰、漾舟陶嘉月。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
良辰 良い時。「安静風無き時なり」・漾 うかべる。・陶嘉月 楚辞九懐篇「嘉月を陶滲みて駕を総ぶ」謝靈運『酬従弟謝蕙連 五首その4』「儻若果歸言,共陶暮春時。」


瞻塗意少悰、還顧情多闕。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。
 たのしみ。・多闕 意に満たないことが多い。




(謝霊運のその1)
酬従弟謝惠連 五首
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
永絕賞心望,長懷莫與同。
末路值令弟,開顏披心胸。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。

(従弟謝惠運に酬ゆ五首)
(その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113


謝霊運が懐かしい都を出て、再び隠遁のため故郷始寧に向かうときの感情を歌ったものである。朝早く旅立ちをするのが当時の習いであったが、ちょうど大風の吹いている日であった。それも、向かい風で歩きにくいものであった。しかし、出発の日は清明節、陽暦の四月五日または六日にあたるが、旅立つにはきわめて縁起のよい日であった。再び都に来たが、無念にも、再び故郷に隠遁しに帰る謝霊運の心情は、さぞかし感慨無量なものがあったと思う。
なお、このころの作らしいものに、「酬従弟謝惠運」(従弟の恵連に酬ゆ)という題の作品が残っている。


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首
従弟の恵連に酬ゆ 五首西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首
(その1(その1
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。我行指孟春、春仲尚未發。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。趣途遠有期、念離情無歇。
賞心望,長懷莫與同。成装候良辰、漾舟陶嘉月。
末路令弟,開顏披心胸瞻塗意少悰、還顧情多闕。
(その2(その2)
心胸既雲,意得鹹在哲兄感仳別、相送越垌
淩澗尋我室,散帙問所飲餞野亭館、分袂澄湖
夕慮曉月流,朝忌曛日悽悽留子言、眷眷浮客
悟對無厭歇,聚散成迴塘隠艫栧、遠望絶形
(その3(その3
分離別西,回景歸東靡靡即長路,戚戚抱遙
別時悲已甚,別後情更悲遙但自弭,路長當語
傾想遲嘉音,果枉濟江行行道轉遠,去去情彌
辛勤風波事,款曲洲渚昨發浦陽汭,今宿浙江
(その4(その4)
洲渚既淹,風波子行屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛
務協華京想,詎存空穀零雨潤墳澤、落雪灑林
猶復恵来章,祇足攬余浮氛晦崖巘、積素成原
儻若果歸言,共陶暮春曲汜薄停旅、通川絶行
(その5(その5)
暮春雖未交,仲春善遊臨津不得済、佇楫阻風
山桃發紅萼,野蕨漸紫蕭條洲渚際、気色少諧
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁西瞻興遊歎、東睇起悽
夢寐佇歸舟,釋我吝與積憤成疢痗、無萱將如


酬従弟謝惠連 五首
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。

(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。淩澗尋我室,散帙問所知。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。悟對無厭歇,聚散成分離。
(その3)
分離別西川,回景歸東山。別時悲已甚,別後情更延。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。辛勤風波事,款曲洲渚言。
(その4)
洲渚既淹時,風波子行遲,務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。儻若果歸言,共陶暮春時。
(その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。


(従弟謝惠連に酬ゆ五首)
(その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。

(その2)
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんしつ】知れる所を問える。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
悟對【われとたい】して 厭歇【けんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。

(その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。
(その4) 
洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。
(その5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。



現代語訳と訳註
(本文) 酬従弟謝惠連 五首 (その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
永絕賞心望,長懷莫與同。
末路值令弟,開顏披心胸。


(下し文) (その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。


(現代語訳)
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。


(訳注) 酬従弟謝惠連 五首 (その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後、名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
滅跡 名跡を訪れることはないこと。


岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
歡愛 愛しい人。


永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。


末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、、胸襟を開いたのだ。
末路 晩年。

謝恵連のその1
西陵遇風獻康楽(その1)
我行指孟春、春仲尚未發。
趣途遠有期、念離情無歇。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。


都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。

初去郡 謝靈運<34>#4 詩集 415  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1062

初去郡 謝靈運<34>#4 詩集 415  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1062
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)

親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。

謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。
其の4回目。


初去郡#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
野は広がり、砂の岸は続き水はどこまでも清い、そして、天は高く澄みわたり、秋の月は明るく照らしている。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
岩石の上で憩い多岐に飛び落ちる滝の水を立ち汲み取る、そして林の木々の枝を引き寄せて落ち始めた花房を取るのである。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
韓非子にいう「戦いに勝つものは勝負の心配をしなくて良いからこえるものだ」と、また「明鏡止水」といわれるように考えをするということは流れを止めてでもじっくりと考えるのだ。流れる水も最後には泊まるのである。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」

すなわち三皇五帝の時代にその徳のある政治によって政治が無為なものとされるようになったことと、わたしにとって堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事によりよく理解できるものとしたのである。(今の政治に徳がないために民が苦しんでいるのだ。)

#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。
#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


(下し文)#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


(現代語訳)
野は広がり、砂の岸は続き水はどこまでも清い、そして、天は高く澄みわたり、秋の月は明るく照らしている。
岩石の上で憩い多岐に飛び落ちる滝の水を立ち汲み取る、そして林の木々の枝を引き寄せて落ち始めた花房を取るのである。
韓非子にいう「戦いに勝つものは勝負の心配をしなくて良いからこえるものだ」と、また「明鏡止水」といわれるように考えをするということは流れを止めてでもじっくりと考えるのだ。流れる水も最後には泊まるのである。
すなわち三皇五帝の時代にその徳のある政治によって政治が無為なものとされるようになったことと、わたしにとって堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事によりよく理解できるものとしたのである。(今の政治に徳がないために民が苦しんでいるのだ。)


(訳注) #4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
野は広がり、砂の岸は続き水はどこまでも清い、そして、天は高く澄みわたり、秋の月は明るく照らしている。


憩石挹飛泉,攀林搴落英。
岩石の上で憩い多岐に飛び落ちる滝の水を立ち汲み取る、そして林の木々の枝を引き寄せて落ち始めた花房を取るのである。


戰勝臞者肥,止監流歸停。
韓非子にいう「戦いに勝つものは勝負の心配をしなくて良いからこえるものだ」と、また「明鏡止水」といわれるように考えをするということは流れを止めてでもじっくりと考えるのだ。流れる水も最後には泊まるのである。
戰勝臞者肥 『韓非子、喻老』「子夏曰:「吾入見先王之義則榮之,出見富貴之樂又榮之,兩者戰於胸中,未知勝負,故臞。今先王之義勝,故肥。」(子夏曰く:吾入りて 先王の義を見れば 則ち之を榮とし,出でて富貴を見れば 之を樂とし又 之を榮とす,兩者胸中に於て戰ふ,未だ勝負を知らず,故に臞せたり。今先王の義を見て勝てり,故に肥えたり。)○止監流歸停 文子(人は流水に鑑(かんが)みること莫く、止水に鑑みる。 →明鏡止水)


即是羲唐化,獲我擊壤聲!」
すなわち三皇五帝の時代にその徳のある政治によって政治が無為なものとされるようになったことと、わたしにとって堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事によりよく理解できるものとしたのである。(今の政治に徳がないために民が苦しんでいるのだ。)
羲唐化 三皇五帝のことで、伏義と唐堯とが無爲にして世を収めた時の天子の民に対する影響。○擊壤 堯の時老人が土壌を撃って太平を謳歌した故事。撃壤 〔撃壌歌の故事から〕 (1)地面をたたいて拍子をとること。平和な世の中を楽しむありさまをいう。 →鼓腹(こふく)撃壌 (2)中国の遊び。木靴に似た木を地面に立て、同じ形の別の木でねらいうつ。下駄打ち。○撃壤の壤には、中国古代の遊具であるとする説と、土壌のこととする説がある。遊具であるとすれば、この歌は遊びの歌ということになろうし、土壌であるとすれば、労働歌ということになるのだろうか。

初去郡 謝靈運<34>#3 詩集 414  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1059

初去郡 謝靈運<34>#3 詩集 414  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1059
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)

親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。
謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。
其の3回目。

初去郡#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
初めて官に仕えて印綬の紐を垂れ牽いたのは晉の安帝の元興年間になっていたが、腰の金亀の飾り物を解いて官を退くことしは景平元年になってである。
負心二十載,於今廢將迎。
私は退隠の志を持ちながら、それに背いて仕えること二十年、今はじめて荘子にいう心が外物に順って送迎するのをやめて、鏡がものにあって照らすような態度で接するようになった。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
棹を整え舟を装いをして帰る準備を急いでして川の渚に沿って長い郊野に馬を馳せるのだ。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
谷川をさかのぼって竟に水を渡り、山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。

#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」


(下し文)#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。

 
(現代語訳)
初めて官に仕えて印綬の紐を垂れ牽いたのは晉の安帝の元興年間になっていたが、腰の金亀の飾り物を解いて官を退くことしは景平元年になってである。
私は退隠の志を持ちながら、それに背いて仕えること二十年、今はじめて荘子にいう心が外物に順って送迎するのをやめて、鏡がものにあって照らすような態度で接するようになった。
棹を整え舟を装いをして帰る準備を急いでして川の渚に沿って長い郊野に馬を馳せるのだ。
谷川をさかのぼって竟に水を渡り、山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。


(訳注) #3
牽絲及元興,解龜在景平。
初めて官に仕えて印綬の紐を垂れ牽いたのは晉の安帝の元興年間になっていたが、腰の金亀の飾り物を解いて官を退くことしは景平元年になってである。
牽糸 405年初めて仕えたこと。印綬の組み糸を垂れて牽く。○及元典 元興(晉の安帝の年号)改元の時になっていた。晋(晉、しん、265年 - 420年)は、中国の王朝の一つ。司馬炎が魏最後の元帝から禅譲を受けて建国した。280年に呉を滅ぼして三国時代を終焉させる。通常は、匈奴(前趙)に華北を奪われ一旦滅亡し、南遷した317年以前を西晋、以後を東晋と呼び分けている○解亀 腰の金色の飾り物を解いて辞職すること。○景平 宋の少帝423・424の年号。宋(そう、420年 - 479年)は、中国南北朝時代の南朝の王朝。周代の諸侯国の宋や趙匡胤が建てた宋などと区別するために、帝室の姓から劉宋とも呼ばれる。420年に劉裕(高祖・武帝)が、東晋の恭帝から禅譲を受けて、王朝を開いた。東晋以来、貴族勢力が強かったものの、貴族勢力との妥協のもと政治を行なった。文帝の治世は元嘉の治と呼ばれ、国政は安定したが、文帝の治世の末期には北魏の侵攻に苦しむようになった。
 

負心二十載,於今廢將迎。
私は退隠の志を持ちながら、それに背いて仕えること二十年、今はじめて荘子にいう心が外物に順って送迎するのをやめて、鏡がものにあって照らすような態度で接するようになった。
負心 隠退の志にそむく。○将迎 荘子知北遊篇に「将【おく】る所有る無く、迎ふる所有る無し」と。“聖人は物の世界に身を置いて物を傷つけることがない。物を傷つけることがない聖人に対しては物の方でも傷つけようがないのである。そして、このように物を傷つけ己れを傷つけることのないものだけが他人と交わって無心に送り迎えすることができる“ということにもとづいている。


理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
棹を整え舟を装いをして帰る準備を急いでして川の渚に沿って長い郊野に馬を馳せるのだ。
理棹 舟、棹を整える。○遄還期 帰る準備。○遵渚 川の渚に沿う。○騖脩坰 長い郊野。


溯溪終水涉,登嶺始山行。」
谷川をさかのぼって竟に水を渡り、山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。
溯溪 谷川をさかのぼる。○終水涉 竟に水を渡る。○登嶺始山行 山の峰に登って初めて尾根伝いに山路を行く。

初去郡 謝靈運<34>#2 詩集 413  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1056

初去郡 謝靈運<34>#2 詩集 413  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1056
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)


親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。
謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。
其の2回目。



初去郡#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。

このようにこれまでの自分のことを顧みて自ら許してはいるけれど、心に誓ったことと実際のおこないとやはり一致させていないのだ。
無庸妨周任,有疾像長卿。
私の力量は、論語にいう古の良史である周任に比べることのできるものがなく、疾病だけは司馬相加に似たものがある。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
「子供のために嫁を取ること」が終わったことは漢の尚長に似ているし、薄い禄を受けて官命をうけて故郷を出ることは邴丹に似ている。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
つつしんで以上の古人の心を承けつぎ、急ぎ旅装をととのえて柴の門、荊の扉のわが家に返りたいものだ。
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


(初めて郡を去る)#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。
#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」


(下し文)#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。

(現代語訳)
このようにこれまでの自分のことを顧みて自ら許してはいるけれど、心に誓ったことと実際のおこないとやはり一致させていないのだ。
私の力量は、論語にいう古の良史である周任に比べることのできるものがなく、疾病だけは司馬相加に似たものがある。
「子供のために嫁を取ること」が終わったことは漢の尚長に似ているし、薄い禄を受けて官命をうけて故郷を出ることは邴丹に似ている。
つつしんで以上の古人の心を承けつぎ、急ぎ旅装をととのえて柴の門、荊の扉のわが家に返りたいものだ。


(訳注) #2
顧己雖自許,心跡猶未並。
このようにこれまでの自分のことを顧みて自ら許してはいるけれど、心に誓ったことと実際のおこないとやはり一致させていないのだ。
心跡猶末井 心と行跡とは一致しない。

無庸妨周任,有疾像長卿。
私の力量は、論語にいう古の良史である周任に比べることのできるものがなく、疾病だけは司馬相加に似たものがある。
 力量、手柄。○周任 論語季氏篇「孔子曰、求、周任有言、曰、陳力就列、不能者止、危而不持、顛而不扶、則将焉用彼相矣、且爾言過矣、児虎出於甲、亀玉毀於櫝中、是誰之過与。」(孔子曰く、求よ、周任(しゅうにん)に言あり曰く、力を陳べて(のべて)列に就き、能わざれば止む(やむ)と。危うくして持せず、顛(くつがえ)って扶け(たすけ)ずんば、則ち将た(はた)焉んぞ(いずくんぞ)彼(か)の相(しょう)を用いん。且つ爾(なんじ)の言は過てり。虎・児(こじ)、甲より出で、亀玉(きぎょく)、櫝中に毀たれば(こぼたれば)、是れ誰の過ちぞや。)に「孔子曰く、求、周任言へる有りて曰く、力を陳べて列(官職)に就き、能はざれば止むと」とある。「周任古之良史也。」古の良史という。○像長卿 司馬長卿(相如)に似ている。漢書に「司馬長卿、消渇有疾、閑居不慕官爵」(司馬長卿に消渇の疾有り、閑居して官爵を慕はず)とある。相如は有る段階から官職や爵位にまるで興味を示さなくなり、病気と称して家で文君と共に気楽に暮らした。相如にはどもりと糖尿病の持病があった。


畢娶類尚子,薄遊似邴生。
「子供のために嫁を取ること」が終わったことは漢の尚長に似ているし、薄い禄を受けて官命をうけて故郷を出ることは邴丹に似ている。
尚子 尚長、字は子平。男女の子供が結婚した後は、家事に関係せず、死んだようにして暮らした(高士伝)。○薄遊 遊宦(役人生活)をなすことが薄い。薄禄に甘んじたこと。○邴生 漢書「邴丹曼容養志自修,為官不肯過六百石,輒自免去。」(邴生、名は丹、字は曼容、志を養い自ら修む。官と為りて敢えて六百石を過ぎず、輒ち免じて去ると。)


恭承古人意,促裝反柴荊。」
つつしんで以上の古人の心を承けつぎ、急ぎ旅装をととのえて柴の門、荊の扉のわが家に返りたいものだ。
促装 旅装を急ぎ着ける。

初去郡 謝靈運<34>#1 詩集 412  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1053

初去郡 謝靈運<34>#1 詩集 412  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1053
文選巻二十六「行旅」(初めて郡を去る)


永嘉を去る
『宋書』の本伝に次のように記されている。

郡に在り三周し、疾いと称して職を去る。従弟の晦【かい】・曜【よう】・弘徴【こうび】等並びに書を与えて之を止むるも従わず。


謝霊運は永嘉に着任してから熱心にその地方の政治に当たりつつ、また、心の寂しさを慰めるため、付近の名勝を訪ねているうちに、またたくまに一年は夢のごとく去ってしまった。この時代では格差が大きく小さな田舎町ではともに志を語り、学にいそしむ友もないことで、病を回復するまでこの地に留まる意欲はなかった。肝臓系の病気の場合、倦怠感でたまらなかったものである。謝霊運にとっては、一日も早く親戚や親しい友人のいる町に帰りたいと思うのであった。


一方で、永嘉にいるあいだ、中央政府の動向は謝霊運にとって少しも有利な方向にはならなかった。結局、親しい友人や親戚などの切なる忠告をも振り切って職を辞し、故郷に帰ることとなったのは、423年景平元年、謝霊運39歳の秋であった。

謝霊運は賦やら詩を借りて、その複雑なる感情を歌っている。

賦では、「禄を辞する賦」を作っている。
辭祿賦 謝靈運「藝文類聚」巻三十六
詩では、その感慨を歌ったものに「初めて郡を去る」 の作があり、『文選』 の巻二十六の「行旅」の部に選ばれている。ここでは詩を4回に分割して見ていく。


初去郡#1
初めて永嘉郡を去る。
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
漢の彭宣と薛広徳は宦官の王奔の専横に対し恥を知って朝を辞したが、貢禹は皇帝を信じて仕官の栄誉を忘れなかった。
或可優貪競,豈足稱達生?
或いは爵禄をむさぼり競うるよりは優っているであるべきだが、どうして人生の真実のありかたに通じるに足りるというのであろうか。
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
私はここでとるにたりない主義を守り、世なれをしていない口下手な身であるから、世間の根拠のない名誉を辞退したのだ。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」

私は廬や園を山林の巌穴の代わりとして住んだし、卑しい地位の太守の官に就任して自分で農耕する代わりとした。

#2
顧己雖自許,心跡猶未並。
無庸妨周任,有疾像長卿。
畢娶類尚子,薄遊似邴生。
恭承古人意,促裝反柴荊。」
#3
牽絲及元興,解龜在景平。
負心二十載,於今廢將迎。
理棹遄還期,遵渚騖脩坰。
溯溪終水涉,登嶺始山行。」
#4
野曠沙岸淨,天高秋月明。
憩石挹飛泉,攀林搴落英。
戰勝臞者肥,止監流歸停。
即是羲唐化,獲我擊壤聲!」


(初めて郡を去る)#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。
#2
己れを顧みて自から許すと雖も、心跡【しんせき】は猶お未だ幷【あ】わず。
庸【よう】は無く周任【しゅうにん】を妨なう、
やま                   ちようけい  しばしようじ上    に
疾い有り 長卿【ちょうけい】に像【に】たり。
娶【しゅ】を畢【おわ】るは尚子【しょうし】に類【るい】し、薄遊するは 邴生【へいせい】に似たり。
恭【つつし】みて古人の意を承け、装を促し柴荊【さいけい】に返える。
#3
絲を牽けるは元興【げんこう】に及び、亀を解くは景平【けいへい】に在り。
心に負【そむ】くこと二十載、今に於いて将迎【しょうげい】を廢す。
棹【さお】を理めて還期を遄【かえ】し,渚に遵【したが】いて脩坰【しゅうけい】に騖【は】す。
溪【けい】を溯【さかのぼ】って終【つい】に水涉【すいしょう】し、嶺に登って始めて山行す。
#4
野は曠く沙岸【さがん】は浄く、天高くして秋月は明らかなり。
石に憩いて飛泉【ひせん】を挹【く】み、林に攀【よ】じ落英【らくえい】を搴【と】る。
戦い勝って臞者【くしゃ】は肥え、止【し】に鑑【かんが】みて流れは停に帰す。
是れ義唐【ぎとう】の化に即【つ】き、我 擊壤【げきじょう】の情を獲【え】たり。


現代語訳と訳註
(本文)
#1
彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
或可優貪競,豈足稱達生?
伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
廬園當棲巖,卑位代躬耕。」


(下し文)#1
彭薛【ほうせつ】は裁【わず】かに恥を知り、貢公【こうこう】は未だ栄【えい】れを遺【わす】れず。
或いは貪競【たんけい】いて優【まさ】る可し、豈達生【たつせい】と称するに足らんや。
伊【こ】れ余【われ】に徽尚【びしょう】を秉【と】り、拙訥【せつとつ】にして浮名【ふめい】を謝せり
廬園【ろえん】をば棲巌【せいがん】に当たり、卑位【ひい】をは窮耕【きゅうこう】に代えたり。


(現代語訳)
初めて永嘉郡を去る。
漢の彭宣と薛広徳は宦官の王奔の専横に対し恥を知って朝を辞したが、貢禹は皇帝を信じて仕官の栄誉を忘れなかった。
或いは爵禄をむさぼり競うるよりは優っているであるべきだが、どうして人生の真実のありかたに通じるに足りるというのであろうか。
私はここでとるにたりない主義を守り、世なれをしていない口下手な身であるから、世間の根拠のない名誉を辞退したのだ。
私は廬や園を山林の巌穴の代わりとして住んだし、卑しい地位の太守の官に就任して自分で農耕する代わりとした。


 (訳注) 初去郡 #1
初めて永嘉郡を去る。
初去郡 謝霊運は永嘉郡の太守になって二年、疾と称して去り、姶寧に帰った。


彭薛裁知恥,貢公未遺榮。
漢の彭宣と薛広徳は宦官の王奔の専横に対し恥を知って朝を辞したが、貢禹は皇帝を信じて仕官の栄誉を忘れなかった。
彭薛 彭宣と薛広徳。漢の哀帝の時に、彭は大司空、薛は御史大夫となる。王奔の専横を恥じて辞職した。宦官の横行である。漢王朝は、一時皇帝の外戚、王奔(おうもう)に権力を奪われることをいう。○貢公 貢禹。宣帝の時に、河南の令、元帝の時に光禄大夫となった。親友王陽が登用されると、自分も挽推を期待して喜んだ。前漢のころ貢禹(こうう)の親友の王吉(おうきつ)が任官すると、貢禹は自分も任用される希望が出てきたと、冠のほこりを払って喜んだという故事。


或可優貪競,豈足稱達生?
或いは爵禄をむさぼり競うるよりは優っているであるべきだが、どうして人生の真実のありかたに通じるに足りるというのであろうか。
貪競 爵禄をむさぼり競う。○達生 生命の眞實のありかたに通ずる。莊子外篇達生十九


伊余秉微尚,拙訥謝浮名。
私はここでとるにたりない主義を守り、世なれをしていない口下手な身であるから、世間の根拠のない名誉を辞退したのだ。
秉微尚 わが取るに足りない主義を守る。尚は好みたっとぷこと。○拙訥 世なれず口下手。○謝浮名 根のない世間の評判を辞退する。


廬園當棲巖,卑位代躬耕。」
私は廬や園を山林の巌穴の代わりとして住んだし、卑しい地位の太守の官に就任して自分で農耕する代わりとした。
 いおり。○棲巖 住まいとする巌の洞窟。○卑位 卑しい地位の太守の官に就任したこと。

石門巌上宿 謝霊運<33> 詩集 411  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1050

石門巌上宿 謝霊運<33> 詩集 411  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ 1050
石門の巌上の宿


ある時、行楽に山に入った。崖の上の巌上にキャンプをした、そのとき歌った「石門の巌上の宿」という作品が残されている。謝霊運詩の良さのあらわれである『楚辞、九歌少司命篇』に基づいて作られていることである。



石門巌上宿
石門の巌の上で宿す。
朝搴苑中蘭、畏彼霜下歇。
朝に石門の苑の中で蘭の花をとりあげる、その花は霜のもと寒い中、枯れ尽きるのを心配するのだ。
瞑還雲際宿、弄此石上月。
夕暮れ暗くなってきたので雲の際にある石門山の高い所に宿する。ここの大岩の上に上がっている月と楽しく遊ぶのだ。
鳥鳴識夜棲、木落知風發。
山鳥は夜になって巣に戻り、啼いているのがわかる。それから、木々の落葉によって風のおこったのを知る。
異音同致聽、殊響倶清越。
いろんな違う音が同時に聞こえてくる、たまには清風にのっていろんな音がきこえて調子が高いのだ。
妙物莫爲賞、芳醑誰興伐。
私の作った興味ある変わった詩文に対して賞賛してくれる人はいない、それに香しい旨酒をだれと共に自慢できるというのか。
美人竟不來、陽阿徒晞髪。

楚辞に私の慕うよい人はとうとう来ない。「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)(少司命)とあるが、私も友人か来ないので、むなしく伝説の日の照る山の端で、ひとり髪を乾かすだけである。同じ心の友がいないのは寂しいことである。

(石門の巌上の宿)
朝に搴【と】る苑中の蘭、彼は畏る霜下に歇【つ】くるを。
瞑【くら】くして還る雲際の宿、此の石上の月を弄【もてあそ】ぶ。
鳥鳴きて夜 棲まうを識り、木 落ちて風の発するを知る。
異音 同じく聴を致し、殊なれる響き 俱に清越たり。
妙物 賞を為す莫く、芳【かおりよ】き醑【うまざけ】 誰と与にか伐【ほこ】らん。
美人 竟に來たらず、陽の阿【おか】にて徒【いたず】らに髪を晞【かわ】かす


現代語訳と訳註
(本文)
石門巌上宿
朝搴苑中蘭、畏彼霜下歇。
瞑還雲際宿、弄此石上月。
鳥鳴識夜棲、木落知風發。
異音同致聽、殊響倶清越。
妙物莫爲賞、芳醑誰興伐。
美人竟不來、陽阿徒晞髪。


(下し文)
(石門の巌上の宿)
朝に搴【と】る苑中の蘭、彼は畏る霜下に歇【つ】くるを。
瞑【くら】くして還る雲際の宿、此の石上の月を弄【もてあそ】ぶ。
鳥鳴きて夜 棲まうを識り、木 落ちて風の発するを知る。
異音 同じく聴を致し、殊なれる響き 俱に清越たり。
妙物 賞を為す莫く、芳【かおりよ】き醑【うまざけ】 誰と与にか伐【ほこ】らん。
美人 竟に來たらず、陽の阿【おか】にて徒【いたず】らに髪を晞【かわ】かす


(現代語訳)
石門の巌の上で宿す。
朝に石門の苑の中で蘭の花をとりあげる、その花は霜のもと寒い中、枯れ尽きるのを心配するのだ。
夕暮れ暗くなってきたので雲の際にある石門山の高い所に宿する。ここの大岩の上に上がっている月と楽しく遊ぶのだ。
山鳥は夜になって巣に戻り、啼いているのがわかる。それから、木々の落葉によって風のおこったのを知る。
いろんな違う音が同時に聞こえてくる、たまには清風にのっていろんな音がきこえて調子が高いのだ。
私の作った興味ある変わった詩文に対して賞賛してくれる人はいない、それに香しい旨酒をだれと共に自慢できるというのか。
楚辞に私の慕うよい人はとうとう来ない。「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)(少司命)とあるが、私も友人か来ないので、むなしく伝説の日の照る山の端で、ひとり髪を乾かすだけである。同じ心の友がいないのは寂しいことである。


(訳注) 石門巌上宿
石門の巌の上で宿す。
石門 謝霊運が郡県令についていた永嘉近郊で、遊楽地として、温州郊外とされる。この詩は『楚辞、九歌少司命篇』に基づいて作られている。 


朝搴苑中蘭、畏彼霜下歇。
朝に石門の苑の中で蘭の花をとりあげる、その花は霜のもと寒い中、枯れ尽きるのを心配するのだ。
 取る。○ 枯れ尽きる。


瞑還雲際宿、弄此石上月。
夕暮れ暗くなってきたので雲の際にある石門山の高い所に宿する。ここの大岩の上に上がっている月と楽しく遊ぶのだ。
 暮れ。○ めでる。


鳥鳴識夜棲、木落知風發。
山鳥は夜になって巣に戻り、啼いているのがわかる。それから、木々の落葉によって風のおこったのを知る。
夜棲 夜樹上に宿ること。


異音同致聽、殊響倶清越。
いろんな違う音が同時に聞こえてくる、たまには清風にのっていろんな音がきこえて調子が高いのだ。
清越 清くて調子が高い。


妙物莫爲賞、芳醑誰興伐。
私の作った興味ある変わった詩文に対して賞賛してくれる人はいない、それに香しい旨酒をだれと共に自慢できるというのか。
妙物 すぐれた物。珍味嘉肴。○芳醑 香ばしい旨酒。○伐 ほこる。


美人竟不來、陽阿徒晞髪。
楚辞に私の慕うよい人はとうとう来ない。「夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。」(夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。)(少司命)とあるが、私も友人か来ないので、むなしく伝説の日の照る山の端で、ひとり髪を乾かすだけである。同じ心の友がいないのは寂しいことである。
美人 友人。慕わしい人。○陽阿徒晞髪 楚辞九歌少司命篇に「女【なんじ】咸池に浴し、女の髪を陽の阿に晞かさん美人を望めども未だ来らず。風に臨んで怳として浩歌す」と。陽阿は日の照る山の端の意味。九陽の丘。扶桑のほとりの伝説の地名。
楚辞 九歌少司命篇
秋蘭兮麋蕪、羅生兮堂下。
緑葉兮素枝、芳菲菲兮襲予。
夫人自有兮美子、蓀何以兮愁苦。
秋蘭兮青青、緑葉兮紫莖。
滿堂兮美人、忽獨與余兮目成。
入不言兮出不辭、乗回風兮載雲旗。
悲莫悲兮生別離、樂莫樂兮新相知。
荷衣兮蕙帶、儵而來兮忽而逝。
夕宿兮帝郊、君誰須兮雲之際。
與女遊兮九河、衝風至兮水揚波。
與女沐兮咸池、晞女髮兮陽之阿。
望美人兮未來、臨風怳兮浩歌。
孔蓋兮翠旍、登九天兮撫彗星。
竦長劔兮擁幼艾、蓀獨冝兮爲民正。

九歌少司命篇
秋蘭と麋蕪【びぶ】と、堂下に羅生す。
緑葉と素枝【そし】、芳【ほう】菲菲【ひひ】として予を襲おそう。
それ人にはおのずから美子【びし】あり、蓀【そん】何をもって愁苦【しゅうく】する。
秋蘭【しゅうらん】は青青せいせいたり、緑葉と紫茎【しけい】と、満堂【まんどう】の美人、たちまち独余と目成【もくせい】す。
入いるに言ものいわず、出ずるに辞せず、回風に乗りて雲旗を載つ。
悲しきは生別離【べつり】より悲しきはなく、楽しきは新相知【そうち】より楽しきはなし。
荷かの衣、蕙【けい】の帯、儵しゅくとして来り、忽として逝く。
夕に帝の郊【こう】に宿れば、君誰をか雲の際【はて】に須【ま】つ。
女なんじと九河【きゅうか】に遊べば、衝風【しょうふう】至って水波を揚ぐ。
女【なんじ】と咸池【かんち】に沐【もく】し、女【なんじ】の髪を陽【よう】の阿【あ】に晞【かわ】かさん。
美人を望めどもいまだ来らず、風に臨【のぞ】んで怳【こう】として浩歌【こうか】す。
孔蓋【こうがい】と翠旍【すいせい】と、九天【きゅうてん】に登って彗星【すいせい】を撫【ぶ】す。
長剣【ちょうけん】を竦【と】りて幼艾【ようがい】を擁【よう】す。
蓀【そん】独【ひと】り宜【よろ】しく民【たみ】の正たるべし。

斎中讀書 謝霊運<32>#2 詩集 410  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1047

斎中讀書 謝霊運<32>#2 詩集 410  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1047


斎中讀書
昔余遊京華、未嘗廢邱壑。
矧乃歸山川、心跡兩寂漠。
虚館絶諍訟、空庭來鳥雀。
臥疾豐暇豫、翰墨時間作。』
懐抱觀古今、寢食展戯謔。
古今の事物を観察し、また自分がこれまでにたくわえた識見、思いを持つことで、寝食をする日常の茶飯事に、しばしば冗談などをとばしたりする。
既笑沮溺苦、又哂子雲閣。
書を読んだことの中で、先には周の長沮と桀溺が隠棲して農耕の苦しみを味わった儒者の愚かさを笑うのである。また今度は長く爵禄のために仕えた結果、禍を招いて天禄閣から身を投じた。漢の楊雄の愚かな忠義をあざ笑い、官僚にこだわって身を誤りたくないと思う。
執戟亦以疲、耕稼豈云樂。
忠議を持っている他方で、侍郎の役目から戟を握って宮廷に立ち疲れたことであろうし、儒者だからといっても耕したり種を蒔いたりずる農事はどうして楽しいと思おうか。
萬事難竝歓、達生幸可託。』
このようにすべての事がみな楽しみ難いものである、ただ静かに書を続んで、荘子のいうところの人生の真実によく通じで、無為自然に生きることに、自分自身をまかせることができるのは、私にとってまことに幸いなことであると思う。

斎中に書を読む
昔、余【われ】京華【けいか】に遊べども、未だ嘗て邱堅【きゅうがく】を廢【す】てざりき。
矧【いわん】や乃ち山川に歸るをや、心跡【しんせき】兩【ふたつ】ながら寂漠【せきばく】たり。
虚館【きょかん】諍訟【そうしょう】絶え、空庭【くうてい】鳥雀【ちょうじゃく】來る。
疾に臥して暇豫【かよ】豐かに、翰墨【かんぼく】時に間【ま】ま作る。
#2
懐抱【かいほう】に古今を觀て、寝食に戯謔【ぎぎゃく】を展【の】ぶ。
既に沮溺【そでき】の苦を笑ひ、又子雲の閣を哂【わら】ふ。
執戟【しつげき】も亦以に疲る。耕稼【こうか】壹云【ここ】に樂しまんや。
萬事竝【なら】びに歓び難し、達生【たっせい】幸に託す可し。


現代語訳と訳註
(本文)

懐抱觀古今、寢食展戯謔。
既笑沮溺苦、又哂子雲閣。
執戟亦以疲、耕稼豈云樂。
萬事難竝歓、達生幸可託。』


(下し文)#2
懐抱【かいほう】に古今を觀て、寝食に戯謔【ぎぎゃく】を展【の】ぶ。
既に沮溺【そでき】の苦を笑ひ、又子雲の閣を哂【わら】ふ。
執戟【しつげき】も亦以に疲る。耕稼【こうか】壹云【ここ】に樂しまんや。
萬事竝【なら】びに歓び難し、達生【たっせい】幸に託す可し。

(現代語訳)
古今の事物を観察し、また自分がこれまでにたくわえた識見、思いを持つことで、寝食をする日常の茶飯事に、しばしば冗談などをとばしたりする。
書を読んだことの中で、先には周の長沮と桀溺が隠棲して農耕の苦しみを味わった儒者の愚かさを笑うのである。また今度は長く爵禄のために仕えた結果、禍を招いて天禄閣から身を投じた。漢の楊雄の愚かな忠義をあざ笑い、官僚にこだわって身を誤りたくないと思う。
忠議を持っている他方で、侍郎の役目から戟を握って宮廷に立ち疲れたことであろうし、儒者だからといっても耕したり種を蒔いたりずる農事はどうして楽しいと思おうか。
このようにすべての事がみな楽しみ難いものである、ただ静かに書を続んで、荘子のいうところの人生の真実によく通じで、無為自然に生きることに、自分自身をまかせることができるのは、私にとってまことに幸いなことであると思う。


(訳注)
懐抱觀古今、寢食展戯謔。
古今の事物を観察し、また自分がこれまでにたくわえた識見、思いを持つことで、寝食をする日常の茶飯事に、しばしば冗談などをとばしたりする。
戯謔 戯れや戯言をいう。戯と謔。


既笑沮溺苦、又哂子雲閣。
書を読んだことの中で、先には周の長沮と桀溺が隠棲をさそって農耕の苦しみを味わった儒者の愚かさを笑うのである。また今度は長く爵禄のために仕えた結果、禍を招いて天禄閣から身を投じた。漢の楊雄の愚かな忠義をあざ笑い、官僚にこだわって身を誤りたくないと思う。
沮溺苦 『論語』「微子篇」孔子一行が南方を旅した際に出会った百姓の長沮と桀溺という人物が子路を捕まえて「世間を避ける我々のようにならないか」と言う。農耕の経験のない儒者があざけられたことをいう。○子雲閣 漢の楊雄は高官ではないが文人・学者で名をはせていた。王莽の乱で助言をしたことで、司直の手を逃れられぬと感じた揚雄は、天禄閣の上から投身自殺を図る。それは揚雄の一人合点で、結局大怪我はしたものの、生命に別状はなく、自殺未遂に終わった。しかし、このことは、都中に知れ渡るところとなった。当時流行った俗謡に言う「惟(こ)れ寂惟れ寞にして自ら閣より投じ、爰(ここ)に清爰に静にして符命を作る」(揚雄自身が作った「解嘲賦」の一節を捩っている)。


執戟亦以疲、耕稼豈云樂。
忠議を持っている他方で、侍郎の役目から戟を握って宮廷に立ち疲れたことであろうし、儒者だからといっても耕したり種を蒔いたりずる農事はどうして楽しいと思おうか。
執戟 侍郎の役目がら、戟を執って宮庭に立って護衛の任に当たった。○耕稼 耕したり種を蒔いたりずる農事。
*道家の盲目的思考性や儒者の教条的なことを謝霊運は揶揄している。


萬事難竝歓、達生幸可託。』
このようにすべての事がみな楽しみ難いものである、ただ静かに書を続んで、荘子のいうところの人生の真実によく通じで、無為自然に生きることに、自分自身をまかせることができるのは、私にとってまことに幸いなことであると思う。
萬事 他方から見ること、多面的に思考していくこと。○達生 莊子外篇達生十九を勉学すること。

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

登石門最高頂 謝霊運<31>#2 詩集 408  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1041

また、『文選』の巻二十二には、「石門の最高頂に登る」が引用されている。

【名稱】登石門最高頂
【年代】南朝宋
【作者】謝靈運
【體裁】五言詩


登石門最高頂 #1
晨策尋絕壁,夕息在山棲。
疏峰抗高館,對嶺臨回溪。
長林羅戶穴,積石擁基階。
連岩覺路塞,密竹使徑迷。
來人忘新術,去子惑故蹊。』
#2
活活夕流駛,噭噭夜猿啼。
谷川の水は勢いよく音立てて夕べの流れは早く走る、騒いでいるのは夜の猿が啼いているのだ。
沈冥豈別理,守道自不攜。
心を深く瞑想していても、道理というものは、どうして別のものであるというのであろうか。その道理を大切に守って自分で離れたり、そむいたりしないようにしているのである
心契九秋榦,日玩三春荑。
心に九十日の秋の霜にも枯れぬ松柏の幹のような心の道を守ることを誓い、ここでの日々は春の三か月に咲く初花を愛で遊ぶのだ。
居常以待終,處順故安排。
平常の生活をしたままで一生を終ることができること、具象の変化に順応してことさらに心を安らかなる所に推し移っていくのである。
惜無同懷客,共登青雲梯。』

俗世を超越して仏の教えを修めようとする、私と同じ心の人がいないのが残念である。というのもこのような生きかたをして、ともに天にたなびく青雲の梯子を登りたいのだ。

(石門の最高頂に登る)#1
晨に策つきて絶壁を尋ね、夕に息いて山棲に在り。
峰を疎ちて高館を抗げ、嶺に対し廻れる渓に臨む
長き林は戸庭に羅なり、積み石は基階を擁す。
連なる巌に路の塞がるを覚え、密なる竹は径をして迷わしむ。
来たれる人は新しき術を忘れ、去る子は故蹊に惑う。』

#2
活活として夕の流は駛り、噭噭として夜猿 啼く。
沈冥 豈 理を別にせんや、道を守り自から携れず。
心に契る九秋の幹を、目は翫【よろこ】ぶ三春の荑【つばみ】。
常に居りて 以って終わりを待ち、順に処して故に安排【あんぱい】す。
惜しむらくは懐いを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを。』


現代語訳と訳註
(本文)
#2
活活夕流駛,噭噭夜猿啼。
沈冥豈別理,守道自不攜。
心契九秋榦,日玩三春荑。
居常以待終,處順故安排。
惜無同懷客,共登青雲梯。』


(下し文) #2
活活として夕の流は駛り、噭噭として夜猿 啼く。
沈冥 豈 理を別にせんや、道を守り自から携れず。
心に契る九秋の幹を、目は翫【よろこ】ぶ三春の荑【つばみ】。
常に居りて 以って終わりを待ち、順に処して故に安排【あんぱい】す。
惜しむらくは懐いを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを。』


(現代語訳)
谷川の水は勢いよく音立てて夕べの流れは早く走る、騒いでいるのは夜の猿が啼いているのだ。
心を深く瞑想していても、道理というものは、どうして別のものであるというのであろうか。その道理を大切に守って自分で離れたり、そむいたりしないようにしているのである
心に九十日の秋の霜にも枯れぬ松柏の幹のような心の道を守ることを誓い、ここでの日々は春の三か月に咲く初花を愛で遊ぶのだ。
平常の生活をしたままで一生を終ることができること、具象の変化に順応してことさらに心を安らかなる所に推し移っていくのである。
俗世を超越して仏の教えを修めようとする、私と同じ心の人がいないのが残念である。というのもこのような生きかたをして、ともに天にたなびく青雲の梯子を登りたいのだ。


(訳注)
活活夕流駛,噭噭夜猿啼。

谷川の水は勢いよく音立てて夕べの流れは早く走る、騒いでいるのは夜の猿が啼いているのだ。
活活 水の勢いよく流れる音。○ はやくはしる。○噭噭 声高く響く。


沈冥豈別理,守道自不攜。
心を深く瞑想していても、道理というものは、どうして別のものであるというのであろうか。その道理を大切に守って自分で離れたり、そむいたりしないようにしているのである。
沈冥 心を深く潜めて暗く閉じる。沈黙して心を外に表わさない。○豊別理 どうしてほかに道理があろうか。○不備 離れない。


心契九秋榦,日玩三春荑。
心に九十日の秋の霜にも枯れぬ松柏の幹のような心の道を守ることを誓い、ここでの日々は春の三か月に咲く初花を愛で遊ぶのだ。
九秋榦 九十日の秋の霜にも変わらぬ松柏の幹のように道心堅固であること。九秋【きゅうしゅう】1 秋の90日間のこと。2秋にちなむ9種の風物。秋山・秋境・秋城・秋樹・秋燕・秋蝶・秋琴・秋笛・秋塘。または、9種を一組にした秋の花。桂花(けいか)・芙蓉(ふよう)・秋海棠(しゅうかいどう).○ 日で潔しむ。○三春葵 春三か月の初花。葵はつばな。
 

居常以待終,處順故安排。
平常の生活をしたままで一生を終ることができること、具象の変化に順応してことさらに心を安らかなる所に推し移っていくのである。
思常 平常の生活に安んじている。○得終 妥当な終末をとげて、一生を終える。○処順 具象の変化に順って。○故安排 ことさらにこころを安らかに推し移る。荘子に「安排して去り化して、乃ち蓼(しずか)に入りて天と一なり」とある。排は推。移る。


惜無同懷客,共登青雲梯。』
俗世を超越して仏の教えを修めようとする、私と同じ心の人がいないのが残念である。というのもこのような生きかたをして、ともに天にたなびく青雲の梯子を登りたいのだ。
同慎 同じ心。○青雲梯 空高い青い雲の梯子。仙人が天に登るための階梯。

登石門最高頂 謝霊運<31>#1 詩集 407  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1038

登石門最高頂 謝霊運<31>#1 詩集 407  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1038

また、『文選』の巻二十二には、「石門の最高頂に登る」が引用されている。

【名稱】登石門最高頂
【年代】南朝宋
【作者】謝靈運
【體裁】五言詩


登石門最高頂 #1
石門山の最高の山頂に登る
晨策尋絕壁,夕息在山棲。
朝早く杖をつきながら絶壁の景色を尋ね、夕方になると山頂に住居して静かに休む。
疏峰抗高館,對嶺臨回溪。
峯を掘り削って高館を築き上げ、向こうの山の巌に面していてその前のすぐ下は廻り込んだ谷川を臨む。
長林羅戶穴,積石擁基階。
丈の高い林が門内の庭に並んでいて、積み重った石はきざはしの土台を抱きかかえている。
連岩覺路塞,密竹使徑迷。
岩が連なるので路を塞いで行き止まりのように思われ、竹は密に茂るので庭の小道を迷わせてしまう。
來人忘新術,去子惑故蹊。』

訪ねて来る人は今来た道がいつも新しく忘れてしまい、帰ってゆく人は自然に茂った庭には人跡も稀であるためもと来た山路に戸惑うのである。
#2
活活夕流駛,噭噭夜猿啼。
沈冥豈別理,守道自不攜。
心契九秋榦,日玩三春荑。
居常以待終,處順故安排。
惜無同懷客,共登青雲梯。』

(石門の最高頂に登る)#1
晨に策つきて絶壁を尋ね、夕に息いて山棲に在り。
峰を疎ちて高館を抗げ、嶺に対し廻れる渓に臨む
長き林は戸庭に羅なり、積み石は基階を擁す。
連なる巌に路の塞がるを覚え、密なる竹は径をして迷わしむ。
来たれる人は新しき術を忘れ、去る子は故蹊に惑う。』

#2
活活として夕の流は駛り、噭噭として夜猿 啼く。
沈冥 豈 理を別にせんや、道を守り自から携れず。
心に契る九秋の幹を、目は翫【よろこ】ぶ三春の荑【つばみ】。
常に居りて 以って終わりを待ち、順に処して故に安排【あんぱい】す。
惜しむらくは懐いを同じくする客の、共に青雲の梯に登る無きを。』


現代語訳と訳註
(本文)
登石門最高頂 #1
晨策尋絕壁,夕息在山棲。
疏峰抗高館,對嶺臨回溪。
長林羅戶穴,積石擁基階。
連岩覺路塞,密竹使徑迷。
來人忘新術,去子惑故蹊。』


(下し文) (石門の最高頂に登る)#1
晨に策つきて絶壁を尋ね、夕に息いて山棲に在り。
峰を疎ちて高館を抗げ、嶺に対し廻れる渓に臨む
長き林は戸庭に羅なり、積み石は基階を擁す。
連なる巌に路の塞がるを覚え、密なる竹は径をして迷わしむ。
来たれる人は新しき術を忘れ、去る子は故蹊に惑う。』


(現代語訳)
石門山の最高の山頂に登る
朝早く杖をつきながら絶壁の景色を尋ね、夕方になると山頂に住居して静かに休む。
峯を掘り削って高館を築き上げ、向こうの山の巌に面していてその前のすぐ下は廻り込んだ谷川を臨む。
丈の高い林が門内の庭に並んでいて、積み重った石はきざはしの土台を抱きかかえている。
岩が連なるので路を塞いで行き止まりのように思われ、竹は密に茂るので庭の小道を迷わせてしまう。
訪ねて来る人は今来た道がいつも新しく忘れてしまい、帰ってゆく人は自然に茂った庭には人跡も稀であるためもと来た山路に戸惑うのである。


(訳注)
登石門最高頂

石門山の最高の山頂に登る
石門 謝霊運遊名山志に「石門の潤は六処あり。石門は水を遡りて上り、兩山の口に入る。両辺は石壁、右辺の石巌、下は澗水に臨む」とある。浙江省嵊県の山名。


晨策尋絕壁,夕息在山棲。
朝早く杖をつきながら絶壁上の景色を尋ね、夕方になると山頂に住居して静かに休む。
晨策 朝早く杖をついて。


疏峰抗高館,對嶺臨回溪。
峯を掘り削って高館を築き上げ、向こうの山の巌に面していてその前のすぐ下は廻り込んだ谷川を臨む。
疏峯 山の峯を掘り削る。○抗高館 高いやかたを築き上げる。抗は挙げる。


長林羅戶穴,積石擁基階。
丈の高い林が門内の庭に並んでいて、積み重った石はきざはしの土台を抱きかかえている。
 並んでいる○戶穴 門内の庭。○積石 積み重った石。○擁 抱きかかえる。○基階 きざはしの土台。家の周りに基礎の外側は一段高くしているので階となる。それの基礎であるから2段になる。古代から遺跡で見られる階の基礎。


連岩覺路塞,密竹使徑迷。
岩が連なるので路を塞いで行き止まりのように思われ、竹は密に茂るので庭の小道を迷わせてしまう。


來人忘新術,去子惑故蹊。』
訪ねて来る人は今来た道がいつも新しく忘れてしまい、帰ってゆく人は自然に茂った庭には人跡も稀であるためもと来た山路に戸惑うのである。
新術 新しい山路。 ○故蹊 古いもとの山道。

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 謝霊運<30>#3 詩集 406  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1035

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 謝霊運<30>#3 詩集 406  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1035
(石門は永嘉に在り)
『文選』の巻三十の「雑詩」石門在永嘉
『石門新營所住四面高山回溪石濑茂林修竹』(石門に新たに住する所を営む。四面は高山、漢を廻らし、石瀬、傭竹、茂林)

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 #1
躋険築幽居、披雲臥石門。
苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。
嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。
美人遊不遠、佳期何繇敦。』
#2
芳塵凝瑤席、清醑満金樽。
洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。
結念屬霽漢、孤景莫與諼。
俯濯石下潭、仰看條上猿。』
#3
早聞夕飈急、晩見朝日暾。
深い谷は朝早く夕方をおもわせるような急な突風が聞えているとおもうと、晩方、日が昇る朝日を思わせるようにみえる。
崖傾光難留、林深響易奔。
崖に傾け始めた太陽の光が降り注いで、光を遮ることがなくなると、林の木々の奥深く影響し、光は奔走しやすくなっている。
感往慮有復、理来情無存。
こころに感じるままに進んでゆくと思慮、憂慮することが次々に生じてくるのだ、物の道理、理性を以て来てみると不平不満の心情があるはずなのにないのである。
庶持乗日車、得以慰營魂。」
できることなら太陽を進行させる御車を持ちたいものだし、そうすれば慰められ、自分の思いを貫くことができるのだ。
匪爲衆人説、冀與智者論。』
世間の人々に対して言い訳をすることはしないが、願わくば智徳を積んだ人と議論を合わせたいものだ。

(石門は永嘉に在り)#1
険に躋【のぼ】りて幽居を築き、雲を披【ひら】きて石門に臥す。
苔は滑【なめ】らかにして誰か能く歩せん、葛は弱くして豈捫る可けんや。
嫋嫋【じょうじょう】と秋風が過ぎ、萋萋【せいせい】と春草も繁り。
美人は遊びて還らず、佳期は何に繇【よ】りてか敦【さだ】めん。
#2
芳塵【ほうじん】瑤席【ようせき】に凝【こ】もり、清醑【うまざけ】は金の樽に満つ。
洞庭は空しく波瀾し、桂の枝は徒らに攀翻【はんぱん】す。
念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。
俯【ふ】して石下の潭【ふち】に濯【そそ】ぎ、仰いで粂上の猿を看る。
#3
早【つと】に夕飈の急なるを聞き、晩に朝日の暾【かがや】くを見る
崖は傾き光は留【とど】め難し、林深くして響き 奔【はし】り易【やす】し。
感の往き慮【おも】い 復する有り、理の来たり情 存する無し。
庶【ねが】わくは乗日の事に持し、以って営魂を慰むるを待んことを。
衆人の為に説くに匪【あら】ず、冀【こいねが】わくは智者と論ぜん。


現代語訳と訳註
(本文) #3
早聞夕飈急、晩見朝日暾。
崖傾光難留、林深響易奔。
感往慮有復、理来情無存。
庶持乗日車、得以慰營魂。」
匪爲衆人説、冀與智者論。』


(下し文) #3
早【つと】に夕飈の急なるを聞き、晩に朝日の暾【かがや】くを見る
崖は傾き光は留【とど】め難し、林深くして響き 奔【はし】り易【やす】し。
感の往き慮【おも】い 復する有り、理の来たり情 存する無し。
庶【ねが】わくは乗日の事に持し、以って営魂を慰むるを待んことを。
衆人の為に説くに匪【あら】ず、冀【こいねが】わくは智者と論ぜん。


(現代語訳)
深い谷は朝早く夕方をおもわせるような急な突風が聞えているとおもうと、晩方、日が昇る朝日を思わせるようにみえる。
崖に傾け始めた太陽の光が降り注いで、光を遮ることがなくなると、林の木々の奥深く影響し、光は奔走しやすくなっている。
こころに感じるままに進んでゆくと思慮、憂慮することが次々に生じてくるのだ、物の道理、理性を以て来てみると不平不満の心情があるはずなのにないのである。
できることなら太陽を進行させる御車を持ちたいものだし、そうすれば慰められ、自分の思いを貫くことができるのだ。
世間の人々に対して言い訳をすることはしないが、願わくば智徳を積んだ人と議論を合わせたいものだ。


(訳注)《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》#3

早聞夕飈急、晩見朝日暾。
深い谷は朝早く夕方をおもわせるような急な突風が聞えているとおもうと、晩方、日が昇る朝日を思わせるようにみえる。
○飈 つむじかぜ。○朝暾【ちょうとん】朝日。朝陽。


崖傾光難留、林深響易奔。
崖に傾け始めた太陽の光が降り注いで、光を遮ることがなくなると、林の木々の奥深く影響し、光は奔走しやすくなっている。
崖傾光難留 日が真上の時には木の葉にさえぎられて見えなかったものが見えてくる。時には視点を変えてみることが必要だ。○林深響易奔 日が傾いてくると林の奥まで明るく照らす。


感往慮有復、理来情無存。
こころに感じるままに進んでゆくと思慮、憂慮することが次々に生じてくるのだ、物の道理、理性を以て来てみると不平不満の心情があるはずなのにないのである。
感往 こころに感じるままに進んでゆく。○慮有復 憂慮することが次々に生じてくる。○理来 物の道理、理性を以て来る。○情無存 不平不満の心情があるはずなのにない。

庶持乗日車、得以慰營魂。」
できることなら太陽を進行させる御車を持ちたいものだし、そうすれば慰められ、自分の思いを貫くことができるのだ。
庶持乗日車 できることなら太陽を進行させる御車を持ちたいもの。○慰營魂 慰められ、自分の思いを貫くことができる。

匪爲衆人説、冀與智者論。』
世間の人々に対して言い訳をすることはしないが、願わくば智徳を積んだ人と議論を合わせたいものだ。
匪爲衆人説 世間の人々に対して言い訳をすることはしない。○冀與智者論 願わくば智徳を積んだ人と議論を合わせたい

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032

石門在永嘉 謝霊運<30>#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032
(石門は永嘉に在り)
『文選』の巻三十の「雑詩」石門在永嘉
『文選』の巻三十の五言雑詩に『石門新營所住四面高山回溪石濑茂林修竹』(石門に新たに住する所を営む。四面は高山、漢を廻らし、石瀬、傭竹、茂林)

この石門とは、始寧より少しく南の浙江省嵊県の嘑山の南にある名勝という説と、永嘉にありとする説と、古来、二説ある。もしも、嵊県の石門とすると、少しく始寧より距離がある。遊楽地としては温州郊外の石門とみるほうが適当だとされる。
謝霊運の心には山水の美を賞でたいという気持はいっこうに消えず、名山を求めては旅を続け、詩を作ったらしい。それらのうちに名勝石門を主題にした作品群が残されている。


《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 #1
躋険築幽居、披雲臥石門。
苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。
嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。
美人遊不遠、佳期何繇敦。』
#2
芳塵凝瑤席、清醑満金樽。
においの良い塵は立派な玉飾りの御御座席に固まるものであり、清酒のうま酒は金の大盃に満たされるものだ。
洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。
洞庭湖には空しく大波が立っているし、桂樹の枝は無造作に上に向かって翻っている。
結念屬霽漢、孤景莫與諼。
思いを胸に結ぶ、すると空が晴れ渡ってきて、この気に入っている風景は忘れることはないようにしたい。
俯濯石下潭、仰看條上猿。』
身をかがめて下を向き川の流れをみる、大岩の下には淵があり、仰ぎ見て枝々が重なったうえに猿がいる。

#3
早聞夕飈急、晩見朝日暾。
崖傾光難留、林深響易奔。
感往慮有復、理来情無存。
庶持乗日車、得以慰營魂。」
匪爲衆人説、冀與智者論。』

(石門は永嘉に在り)#1
険に躋【のぼ】りて幽居を築き、雲を披【ひら】きて石門に臥す。
苔は滑【なめ】らかにして誰か能く歩せん、葛は弱くして豈捫る可けんや。
嫋嫋【じょうじょう】と秋風が過ぎ、萋萋【せいせい】と春草も繁り。
美人は遊びて還らず、佳期は何に繇【よ】りてか敦【さだ】めん。
#2
芳塵【ほうじん】瑤席【ようせき】に凝【こ】もり、清醑【うまざけ】は金の樽に満つ。
洞庭は空しく波瀾し、桂の枝は徒らに攀翻【はんぱん】す。
念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。
俯【ふ】して石下の潭【ふち】に濯【そそ】ぎ、仰いで粂上の猿を看る。

#3
早【つと】に夕飈の急なるを聞き、晩に朝日の暾【かがや】くを見る
崖は傾き光は留【とど】め難し、林深くして響き 奔【はし】り易【やす】し。
感の往き慮【おも】い 復する有り、理の来たり情 存する無し。
庶【ねが】わくは乗日の事に持し、以って営魂を慰むるを待んことを。
衆人の為に説くに匪【あら】ず、冀【こいねが】わくは智者と論ぜん。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
芳塵凝瑤席、清醑満金樽。
洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。
結念屬霽漢、孤景莫與諼。
俯濯石下潭、仰看條上猿。』


(下し文) #2
芳塵【ほうじん】瑤席【ようせき】に凝【こ】もり、清醑【うまざけ】は金の樽に満つ。
洞庭は空しく波瀾し、桂の枝は徒らに攀翻【はんぱん】す。
念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。
俯【ふ】して石下の潭【ふち】に濯【そそ】ぎ、仰いで粂上の猿を看る。


(現代語訳)
においの良い塵は立派な玉飾りの御御座席に固まるものであり、清酒のうま酒は金の大盃に満たされるものだ。
洞庭湖には空しく大波が立っているし、桂樹の枝は無造作に上に向かって翻っている。
思いを胸に結ぶ、すると空が晴れ渡ってきて、この気に入っている風景は忘れることはないようにしたい。
身をかがめて下を向き川の流れをみる、大岩の下には淵があり、仰ぎ見て枝々が重なったうえに猿がいる。


(訳注) #2
芳塵凝瑤席、清醑満金樽。
においの良い塵は立派な玉飾りの御御座席に固まるものであり、清酒のうま酒は金の大盃に満たされるものだ。
芳塵 においのよいちり。塵の美称。○1 一所にかたまって動かない。こりかたまる。「凝血・凝結・凝固・凝集・凝然・凝滞」 2 じっと一点に集中する。「凝議・凝視」○瑤席 玉のむしろ。立派な席。天子の御座席。○清醑 清酒のうまざけ。


洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。
洞庭湖には空しく大波が立っているし、桂樹の枝は無造作に上に向かって翻っている。
○桂枝 桂樹の枝。○攀翻 上に向かって翻える


結念屬霽漢、孤景莫與諼。
思いを胸に結ぶ、すると空が晴れ渡ってきて、この気に入っている風景は忘れることはないようにしたい。
*故郷始寧への思い、隠棲したいと思うこと。半官半隠の生活。○霽漢 (天空)漢の国の空が晴れ渡る ○ うつわる、 わすれる、 かまびすしい、 いつわる。


俯濯石下潭、仰看條上猿。』
身をかがめて下を向き川の流れをみる、大岩の下には淵があり、仰ぎ見て枝々が重なったうえに猿がいる。
 うつむく。身をかがめて下を向く。○石下潭 巌の下の淵。○條上猿 枝々が重なったうえに猿がいる

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 謝霊運<30>#1 詩集 404  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1029

石門在永嘉 謝霊運<30>#1 詩集 404  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1029
(石門は永嘉に在り)
『文選』の巻三十の「雑詩」石門在永嘉

『文選』の巻三十の五言雑詩に『石門新營所住四面高山回溪石濑茂林修竹』(石門に新たに住する所を営む。四面は高山、漢を廻らし、石瀬、傭竹、茂林)

この石門とは、始寧より少しく南の浙江省嵊県の嘑山の南にある名勝という説と、永嘉にありとする説と、古来、二説ある。もしも、嵊県の石門とすると、少しく始寧より距離がある。遊楽地としては温州郊外の石門とみるほうが適当だとされる。
謝霊運の心には山水の美を賞でたいという気持はいっこうに消えず、名山を求めては旅を続け、詩を作ったらしい。それらのうちに名勝石門を主題にした作品群が残されている。


《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 #1
躋険築幽居、披雲臥石門。
嶮しい道を登ったところに一軒家を別荘として建てた、雲におおわれたところ、石門のところに病の療養に伏せた。
苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。
そこは苔むしたところで滑ってしまう、誰がそこで歩くことができようか、かずらも成長がぜい弱でどうしてつかむことができはしない。
嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。
そこは夏にはそよそよと涼風が秋風のように吹いてくれ、春にはせいせいとした萌える春草が茂っている。
美人遊不遠、佳期何繇敦。』

こんな美しい景色の遊ぶところが遠くない場所にある。過ごしやすく心地良い時節にこんな遠くに送られた太守として、何の役割があるというのか。

#2
芳塵凝瑤席、清醑満金樽。
洞庭空波瀾、桂枝徒攀翻。
結念屬霽漢、孤景莫與諼。
俯濯石下潭、仰看條上猿。』
#3
早聞夕飈急、晩見朝日暾。
崖傾光難留、林深響易奔。
感往慮有復、理来情無存。
庶持乗日車、得以慰營魂。」
匪爲衆人説、冀與智者論。』

(石門は永嘉に在り)#1
険に躋【のぼ】りて幽居を築き、雲を披【ひら】きて石門に臥す。
苔は滑【なめ】らかにして誰か能く歩せん、葛は弱くして豈捫る可けんや。
嫋嫋【じょうじょう】と秋風が過ぎ、萋萋【せいせい】と春草も繁り。
美人は遊びて還らず、佳期は何に繇【よ】りてか敦【さだ】めん。
#2
芳塵【ほうじん】瑤席【ようせき】に凝【こ】もり、清醑【うまざけ】は金の樽に満つ。
洞庭は空しく波瀾し、桂の枝は徒らに攀翻【はんぱん】す。
念いを結び霽漢【しょうかん】に属【つ】け、弧景【こけい】与【とも】に 諼【わす】るる莫し。
俯【ふ】して石下の潭【ふち】に濯【そそ】ぎ、仰いで粂上の猿を看る。
#3
早【つと】に夕飈の急なるを聞き、晩に朝日の暾【かがや】くを見る
崖は傾き光は留【とど】め難し、林深くして響き 奔【はし】り易【やす】し。
感の往き慮【おも】い 復する有り、理の来たり情 存する無し。
庶【ねが】わくは乗日の事に持し、以って営魂を慰むるを待んことを。
衆人の為に説くに匪【あら】ず、冀【こいねが】わくは智者と論ぜん。


現代語訳と訳註
(本文)
石門在永嘉 #1
躋険築幽居、披雲臥石門。
苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。
嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。
美人遊不遠、佳期何繇敦。』


(下し文) (石門は永嘉に在り)#1
険に躋【のぼ】りて幽居を築き、雲を披【ひら】きて石門に臥す。
苔は滑【なめ】らかにして誰か能く歩せん、葛は弱くして豈捫る可けんや。
嫋嫋【じょうじょう】と秋風が過ぎ、萋萋【せいせい】と春草も繁り。
美人は遊びて還らず、佳期は何に繇【よ】りてか敦【さだ】めん。


(現代語訳)
嶮しい道を登ったところに一軒家を別荘として建てた、雲におおわれたところ、石門のところに病の療養に伏せた。
そこは苔むしたところで滑ってしまう、誰がそこで歩くことができようか、かずらも成長がぜい弱でどうしてつかむことができはしない。
そこは夏にはそよそよと涼風が秋風のように吹いてくれ、春にはせいせいとした萌える春草が茂っている。
こんな美しい景色の遊ぶところが遠くない場所にある。過ごしやすく心地良い時節にこんな遠くに送られた太守として、何の役割があるというのか。


(訳注)
躋険築幽居、披雲臥石門。

嶮しい道を登ったところに一軒家を別荘として建てた、雲におおわれたところ、石門のところに病の療養に伏せた。
躋険 嶮しい道を登る。


苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。
そこは苔むしたところで滑ってしまう、誰がそこで歩くことができようか、かずらも成長がぜい弱でどうしてつかむことができはしない。
 もつ、とる。なでる。


嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。
そこは夏にはそよそよと涼風が秋風のように吹いてくれ、春にはせいせいとした萌える春草が茂っている。
嫋嫋 1 風がそよそよと吹くさま。「薫風―として菜花黄波を揚ぐ」2 長くしなやかなさま。3 音声が細く長く、尾を引く.


美人遊不遠、佳期何繇敦。』
こんな美しい景色の遊ぶところが遠くない場所にある。過ごしやすく心地良い時節にこんな遠くに送られた太守として、何の役割があるというのか。
美人 美女。宮女の官名。きれいな芸妓。ここでは美しい景色を擬人化した表現。○佳期 こころよい季節。李白『大堤曲』「漢水臨襄陽。花開大堤暖。佳期大堤下。淚向南云滿。」 ○繇敦 遠くに送られた太守としての役割。 ・繇:①従う。②扶役。③謡う。④動く。揺れる。⑤うれえる。⑥よろこぶ。・敦:あつし・おさむ・たい・つとむ・つる・のぶ。

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