漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

五言雑詩

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蘇武 《詩四首 其四》#2 思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

 

2013年8月7日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
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蘇武 《詩四首 其四》#2 古詩源  詩<103-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩849 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2793

 

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

征夫懷遠路,遊子戀故

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。

#2

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

俯しては江漢の水の流れ去るを見て、仰いでは浮雲の飛びゆくを眺めるのである。

良友遠別離,各在天一方。

良友と遠く離れて、各々が天の一方に住む身となるのである、この江水浮雲に異なるものではないであろう。

山海隔中州,相去悠且長。

海山は遠く都を隔ているし、友との別れは果てしもなく長いのである。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。

願君崇令德,隨時愛景光。

願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

 

燭燭たり農の明月、説法として秋蘭芳し、

券馨良夜に毒し、凪に随って我が堂に聞ゆ。

征夫遠路を懐ひ、遊子故郷を鯉ふ)

塞多い二月、鳥に起きて厳霜を践む。

#2

俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る。

良友遠く離別し、各【おのお】の天の一方に在り。

山海中州を隔て、相去ること悠【はるか】にして且つ長し。

嘉會【かかい】再び遇ひ難く、歓楽殊【こと】に末だ央【つ】きず。

願はくば君 令 徳を崇くし、時に随ひて景光を愛せよ。

 nat0002
















 

『詩四首 其四』#2 現代語訳と訳註

(本文)

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

 

(下し文)

俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る。

良友遠く離別し、各【おのお】の天の一方に在り。

山海中州を隔て、相去ること悠【はるか】にして且つ長し。

嘉會【かかい】再び遇ひ難く、歓楽殊【こと】に末だ央【つ】きず。

願はくば君 令 徳を崇くし、時に随ひて景光を愛せよ。

 

 

(現代語訳)

俯しては江漢の水の流れ去るを見て、仰いでは浮雲の飛びゆくを眺めるのである。

良友と遠く離れて、各々が天の一方に住む身となるのである、この江水浮雲に異なるものではないであろう。

海山は遠く都を隔ているし、友との別れは果てしもなく長いのである。

思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。

願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

 

 

(訳注) #2

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

俯しては江漢の水の流れ去るを見て、仰いでは浮雲の飛びゆくを眺めるのである。

 

良友遠別離,各在天一方。

良友と遠く離れて、各々が天の一方に住む身となるのである、この江水浮雲に異なるものではないであろう。

 

山海隔中州,相去悠且長。

海山は遠く都を隔ているし、友との別れは果てしもなく長いのである。

〇中州 帝都をさす。

 

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。

〇嘉会難再遇 李陵の詩に同じ句がある。『與蘇武詩二首』「嘉會難再遇、三載爲千秋。」(嘉會 再び遇い難く、三載 千秋と爲らん。)

李陵 《與蘇武詩二首 其二》#1 古詩源 文選  詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩852 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2808

 

願君崇令德,隨時愛景光。

願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

〇令徳 善徳。
大鷹01 

蘇武 《詩四首 其四》#1 古詩源  詩<103-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩848 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2788

蘇武 《詩四首 其四》#1 夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-1>文選 雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html 
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 

 

蘇武 《詩四首 其四》#1 古詩源  詩<103-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩848 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2788

 

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

征夫懷遠路,遊子戀故

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。

#2

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

燭燭たり農の明月、説法として秋蘭芳し、

券馨良夜に毒し、凪に随って我が堂に聞ゆ。

征夫遠路を懐ひ、遊子故郷を鯉ふ)

塞多い二月、鳥に起きて厳霜を践む。

#2

俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る。

良友遠く離別し、各【おのお】の天の一方に在り。

山海中州を隔て、相去ること悠【はるか】にして且つ長し。

嘉會【かかい】再び遇ひ難く、歓楽殊【こと】に末だ央【つ】きず。

願はくば君 令 徳を崇くし、時に随ひて景光を愛せよ。

 

 

『詩四首 其四』 現代語訳と訳註

60moon(本文)

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

征夫懷遠路,遊子戀故

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

 

(下し文) (詩四首 其の四)

燭燭たり農の明月、説法として秋蘭芳し、

券馨良夜に毒し、凪に随って我が堂に聞ゆ。

征夫遠路を懐ひ、遊子故郷を鯉ふ)

塞多い二月、鳥に起きて厳霜を践む。

 

(現代語訳)

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。

 

 

(訳注)

詩四首 其四

 

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

○燭燭 光明のさま。

○晨明月 明月が明け方まで残るというと陰暦9月の16日から20日の名残月(別れ月)ということになる。

〇馥馥 芳ばしいこと。

〇我蘭芳 「秋蘭芳」に作るテクストもある。

 

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

〇芬馨 芳香に同じ。男女の性交の際の汗臭さを消す芳香を焚く臭い。

○良夜 男女の睦まじい混じり合いの夜。二人で過ごした夜。

〇聞我堂 「聞」は香気の伝わり及ぶこと、我々の奥座敷にまで芳香が漂い匂って来る。

 

征夫懷遠路,遊子戀故

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

 

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。
 


幻日環01














「名月」から導かれる月について

泠色 冷は9月 初は8/3,9/3である。澄むがあるので8月初めではなく、9/3と考える。9月は別れの月でもある。明月は8月15日の満月を云う。

三日月01

 

月は三夜五夜と日々明るくなり、十五夜には満月になる、四夜五夜と蟾蜍に喰われ兔もいなくなり、二十日夜になると欠け月になる。

 

陰暦十六夜の月。満月の翌晩は月の出がやや遅くなるのを、月がためらっていると見立てたもの。《季 秋》

陰暦二〇日の月。特に陰暦八月についていう。更け待ち月。[季]秋。

 

 

・月 雁声が聞こえる時の「月」とは、秋の月のことになる。月について、今夜は十二夜、満月には帰ってきてくれるという希望を持った意味となる。ちなみに十三夜は初恋。二十日は名残月、別れの月。閨情詩はそれぞれ別の意味を含んでいるので併せて考えると味わいが深くなる。)

 

・殘月 十五夜までにはなく陰暦十六日以降、一般的には二十日頃の夜明けに残る月を云う。このような月を詩に詠うは芸妓との別れる場合、人目を忍んで逢瀬を重ねた男女の別れを云う。

 

・初月 初月(はつづき、しょげつ). 三日月。陰暦3日(ごろ)の、月で最初に見え始める月。特に、陰暦8月の初月。唐朝の中興も未だ力微に、群盗の勢いなお盛んなることを暗示する。杜甫は同谷を出発したのは11月の終わりで成都に着いたのは1220日を過ぎているはずである。したがってこの詩の「初月」はこの夜、昇った月ではない。秦州における杜甫の五言律詩『初月』「光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。河漢不oborotsuki02h改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。」秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293>に“「八月三日の月」初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。”この『初月』に基づいている。

 

立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。このころは涼しい、清という季語である。

・処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14七月中(通常旧暦7月内)。

・白露(はくろ)は、二十四節気の第15八月節(旧暦7月後半 - 8月前半)。大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。

・秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。八月中(旧暦8月内)。

・寒露(かんろ)は、二十四節気の第17九月節(旧暦8月後半 - 9月前半)。露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。

・霜降(そうこう)は、二十四節気の第18九月中(通常旧暦9月内)。露が冷気によって霜となって降り始めるころ。『暦便覧』では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。

楓や蔦が紅葉し始めるころ。この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。

・立冬(りっとう)は、二十四節気の第19十月節(旧暦9月後半 - 10月前半)。初めて冬の気配が現われてくる日。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。

秋分と冬至の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立春の前日までが冬となる

蘇武 《詩四首 其三》#2 古詩源  詩<102-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩847 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2783

蘇武 《詩四首 其三》#2 わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。
 

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李商隠詩 
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蘇武 《詩四首 其三》#2 古詩源  詩<102-2>Ⅱ李白に影響を与えた詩847 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2783

 

 

詩四首 其三

(詩四首 其の三)

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。 

在今夕,嬿婉及良時。

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

征夫懷往路,起視夜何其?

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

參辰皆已沒,去去從此辭。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

 

行役在戰場,相見未有期。

わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。

握手一長歎,淚爲生別滋。

かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。夫婦で楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

生當複來歸,死當長相思。

幸いに命があったらまたかならず帰って來ようし、運わるく死ぬこともあり、だから必ずいつまでも思いあうことにしよう。

 

 

其三

詩四首  其の三

結髮  夫妻と爲【な】り,恩愛  兩【ふた】つながら 疑はず。

歡娯  今夕に在り,嬿【えんゑん】 良時に 及ぶ。

征夫  往路を 懷い,起ちて 夜の 何其【いかん】を 視る。

參辰  皆な 已に沒す,去り去りて 此れ從【よ】り 辭せん。

#2

行役して 戰場に 在らば,相ひ見ること  未だ 期 有らず。

手を握り  一たび長歎すれば ,涙は 生別の 爲に 滋【しげ】し。

努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫れ。

生きては 當【まさ】に  復た 來り歸るべく,死しては 當【まさ】に 長【とこし】へに 相ひ思ふべし。

 幻日環01









 


『詩四首 其三』#2 現代語訳と訳註

(本文)

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

 

 

(下し文) #2

行役して 戰場に 在らば,相ひ見ること  未だ 期 有らず。

手を握り  一たび長歎すれば ,涙は 生別の 爲に 滋【しげ】し。

努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫れ。

生きては 當【まさ】に  復た 來り歸るべく,死しては 當【まさ】に 長【とこし】へに 相ひ思ふべし。

 

 

 

(現代語訳)

わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。

かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。

つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。夫婦で楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

幸いに命があったらまたかならず帰って來ようし、運わるく死ぬこともあり、だから必ずいつまでも思いあうことにしよう。

 

 

(訳注)

行役在戰場,相見未有期。

わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。

・行役:軍役。出征。

・相見:まみえる。会う。 

・未有期:期しがたい。会う時期がまだない。会う時期が来るかどうかまだ分からない。

 

握手一長歎,淚爲生別滋。

かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。

・握手:手をにぎる。 

・長歎:長歎息をする。

・爲:…のために。 

・生別:生き別れ。親子、夫婦などが生きながら長く別れること。親子のものは『詩經』で、夫婦や男女間のものは婉約詞に多く歌われている。 

・滋:多い。たくさん。しげし。

 

努力愛春華,莫忘歡樂時。

つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。夫婦で楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

・努力:つとめて。がんばって。 

・愛春華:青春の華やかなときを大切にして。すばらしい年代を大事にして。

・莫忘:忘れないでほしい。

・歡樂時:夫婦で楽しく過ごしたあの時期を。

 

生當複來歸,死當長相思。

幸いに命があったらまたかならず帰って來ようし、運わるく死ぬこともあり、だから必ずいつまでも思いあうことにしよう。

・生當:生きていたら当然のことながら。 

・死當:死んだら当然のことながら。 

・長:いつまでも。とこしなへに 

・相思:異性を思う。

 大鷹01

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孟郊詩 
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李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


蘇武 《詩四首 其二》#1 古詩源  詩<
101-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩844 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2768

 

 

 

詩四首 其二 #1

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

一遠別,千裏顧徘徊。

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

胡馬失其群,思心常依依。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

幸有弦歌曲,可以中懷。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

#2

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

詩四首 其二

【こうかく】一たび遠く別れ,千裏にして顧みて徘徊す。

胡馬 其の群を失い,思心 常に依依たり。

何んぞ況んや雙飛の龍,羽翼 當に乖【そむ】くべきに臨むをや。

幸に 弦歌の曲有り,以って中懷を【さと】す可し

請うて 遊子の吟を爲せば,泠泠として一に何ぞ悲しき。

#2

絲竹 清聲を厲【はげ】しくし,慷慨【こうがい】余 哀 有り。

長歌 正に激烈,中心 愴【そう】として以て摧【くだ】く。

清商の曲を展ぜんと欲して,子の不歸る得ざるを念う。

俯仰【ふぎょう】心を傷ましめ,淚下りて揮う可からず。

願わくば雙の黃りて,子を送りて俱に遠く飛ばんことを。


oushokun04

 

『詩四首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

 

 

(下し文)

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

 

 

(現代語訳)

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

 

 

(訳注)

詩四首 其二

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れをのべる。

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、匈奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三首は匈奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

・蘇武(前142一前60年)字は子卿。前100年天漢元年で匈奴に使いし、拘留されて十九年間ったが、屈しなかった。後昭帝の時、匈奴と和親が爲り、始めて帰国し、典属国に拝せられた。この四首の詩はいずれも絶妙の傑作で、文選巻二九に載せてあるが、これを蘇武の作とするには古来異説があり、後人の擬作とするのが定説に近いとされる。

 

一遠別,千裏顧徘徊。

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

・黄鵠 黄色みを帯びた白鳥。渡り鳥で、秋には南方に帰っていく。 鶴は、雁に似てそれより大きく、飛ぶこと甚だ高く、俗に天鵝という。その一種で蒼黄色のものを黄鵠といい、仙人が乗るという。烏孫公主(劉細君)『悲愁歌』「吾家嫁我兮天一方。遠託異國兮烏孫王。穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。」

悲愁歌 烏公主(劉細君) <108>玉台新詠集 女性詩 542 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443

 

胡馬失其群,思心常依依。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

・胡馬 北方の遊牧・騎馬民族の胡地に産する馬。『古詩十九 第一首』「行行重行行、與君生別離。相去萬餘里、各在天一涯。道路阻且長、會面安可知。胡馬依北風、越鳥巣南枝。相去日已遠、衣帯日已緩。浮雲蔽白日、遊子不顧返。思君令人老、歳月忽已晩。棄捐勿復道、努力加餐飯。」
(胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう。)と見える。
古詩十九首 (1) 漢詩<88

・依依 離れるに忍び難い意。思い慕うさま。

『秋胡詩』 顔延之(延年) (7)  

高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑時。美人望昏至,慚歎前相持。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

晩唐・温庭筠の『渭上題三首』之三に「煙水何曾息世機,暫時相向亦依依。所嗟白首磻谿叟,一下漁舟更不歸。」

 

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

 

幸有弦歌曲,可以中懷。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

中懐 心のうち。

 

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

冷冷 音声の清らかなさま。

遊子吟 遊子故郷富心うの歌。楚の遊子龍丘高の作る「楚引」を以てこれにあてている。

終南山03 

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贈徐幹 (2) 曹植 魏詩

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贈徐幹
驚風飄白日,忽然歸西山。
突然の風はかがやくあの太陽でさえ吹き翻す、そして、こつぜんとして西の山へ追い帰えしたのだ。
圓景光未滿,眾星粲以繁。
月がまるくはならないように事を成功させるという目標がまだたっせいされないままなのだ、多くの星が索然とまたたいているように賢臣たちはかがやいているのだ。
志士榮世業,小人亦不閒。
斯くいう様に志をもつ君は、後世にのこす著述にうちこみ立派に出来上がっている、徳のない小人の自分達は暇をとってでも手助けすることはできなかったのだ。
聊且夜行遊,遊彼雙闕間。

そんな気持ちで私はしばらくの夜の散策を思いたち、朝廷御門のあたりを歩きまわったのだ。

文昌鬱雲興,迎風高中天。
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観は周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
だが、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
慷慨有悲心,興文自成篇。

しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。

寶棄怨何人?和氏有其愆。
彈冠俟知己,知己誰不然?
良田無晚歲,膏澤多豐年。
亮懷璵璠美,積久德愈宣。
親交義在敦,申章復何言。

(徐幹に贈る)
驚風は白日を飄えし,忽然として西山に歸える。
圓景は光り未だ滿たず,眾星は粲として以って繁し。
志士は世業を榮え,小人も亦た閒ならず。
聊且【しばら】く夜行きて遊び,彼の雙闕【そうけつ】の間に遊ぶ。

文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。

寶【たから】は棄てらるるも何人かを怨まん?和氏【かし】に其の愆【あやまち】有り。
冠を彈きて知己【ちき】を俟つも,知己誰か不然【しか】らざらん?
良田には晚歲無く,膏澤には豐年多し。
亮【まこと】に璵璠【よはん】の美を懷けば,久しきを積んで德愈【いよい】よ宣ぶ。
親交の義は敦きに在り,章を申【かさ】ねて復た何をか言わん。


銅雀臺00

『贈徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

文昌鬱雲興,迎風高中天。
春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
慷慨有悲心,興文自成篇。


(下し文)
文昌は鬱として雲のごとく興こり,迎風は中天に高し。
春鳩は飛棟に鳴き,流猋【りゅうひょう】櫺軒【れいけん】に激す。
顧【かえ】って蓬室の士を念えば,貧賤【ひんせん】誠に憐むに足れり。
薇藿【びかく】は虛しきに充たず,皮褐も猶お全からず。
慷慨【こがい】して悲心有り,文を興せば自ら篇を成す。


(現代語訳)
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観は周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)
が、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。


(訳注)
贈徐幹

文選 贈答二、古詩源巻五
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。この詩の制作時期は216年建安二十一年頃と推定される。


文昌鬱雲興,迎風高中天。
文昌殿はもくもくと雲がわきおこるかのようであり、迎風観はも周の穆王の中天台のように神人が沿って降りて来るほどに聾えたつのである。
○文昌 郡の都の宮中にある正殿の莞朝廷の公式の儀式が行われた。
○鬱 雲や気の起るさま。
○迎風 邪城中の高閣の名。
○高中天 神人が沿って降りて来ると考え「中天台」を建て、天空の宮殿に遊んだという。『列子」周穆王篇の話「周の穆王、中天の台を築く。」も同じ類型のものであろう。たらしい。


春鳩鳴飛棟,流猋激櫺軒。
子を作る季節の鳩は高い棟木でなきあうものであり、旋風がふけは格子窓やてすりにあたって激しく音をたてるものである。
(なにかを成せばそれに応えたものがあるものであるはずだが、それなのに、徐幹が後世に残す業績、「中論」を著わし、一家言を成しているのに、貧者でいるのだ。)
○春鳩 オスはクルクルと鳴くとき喉を大きく膨らませて泣き、雌はピーピーなく。
○流森 疾風、旋風。
○櫺軒 櫺はレンジ、格子窓。軒はてすり。


顧念蓬室士,貧賤誠足憐。
だが、ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士ではないか、君の貧士のさまを思いやれば、その貧窮ぶり、誠に同情にたえぬ。
○蓬室士 ヨモギで葺いたあばらやに住む貧士。ここでは徐幹をさしていう。徐幹晩年の貧窮ぶりは「全三国文」に載せる無名氏の「中論序」にくわしい。


薇藿弗充虛,皮褐猶不全。
わらびや豆では、すき腹をみたせるものではなく、あらい毛皮の短い着物なので、身をおおうに十分ではないのだ。
○薇蕾 ゼンマイと豆。粗食をいう。
○充虚 虚は空腹で充分腹を満たせるものではないこと。
○皮褐 着物は単衣でその上に粗末な毛皮の短い着物を着る、貧乏人の衣料である。


慷慨有悲心,興文自成篇。
しかし、君はわきたつ壮士の志に悲愁をひめ、「中論」を作ったことは、おのずとその一篇の文章となるものなのである。
○慷慨 「憤慨は、壮士志を心に得ざるなり。」という。曹植はこの語を多用する。

雜詩六首其六 曹植 魏詩<23>古詩源 巻三 女性詩649 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1813

情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789

燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 623 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1709

興文 「中論」を作ったこと。


贈徐幹 曹植

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩463 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1206

還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽) 詩<62-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩463 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1206


還舊園作見顏范二中書 謝靈運

#1
辭滿豈多秩,謝病不待年。
この官を満了しないで官を辞するのは禄が多くて重いのが原因であろうというわけでもないが、病気と言いたてて、老年になるのを待たずに退きやめた。
偶與張邴合,久欲還東山。
これは、思い続けていたとはいえ張長公や邴曼容の隠退の志と合うものであって、あの謝安の東山のある会稽に帰りたいと、長らく欲していたのである。
聖靈昔回眷,微尚不及宣。
かつて、今は亡き聖天子、宋の高祖武帝の恩遇を受けて仕えたことをふりかえる、しかしそのためわが隠退の志を達せられなかったのである。
何意沖飆激,烈火縱炎烟。
ところが、少帝の即位後はからずも大暴風のたけり狂う如くに徐羨之らの乱が起り、やつらのすることは火勢はげしく炎や煙がのたうちまわる如くに猛威をふるったのだ。
(旧園に還りて作り、顔范二中書に見す)#1
満をのぞまず辞す 豈 秩【ちつ】多くありとや、病と謝するに年を待たず。
偶【たまた】ま張邴【ちょうへい】と合い、久しく東山に還らんと欲す。
聖靈【せいれい】は昔 廻眷【かいけん】せしも、微尚【びしょう】は宣【の】ぶるに及ばず。
何ぞ意【おも】はん沖飆【ちゅうひょう】激し、烈火【れっか】は炎烟【えんえん】を縦【ほしいまま】にせんとは。

#2
焚玉發崑峰,餘燎遂見遷。
かくて徐羨之らの暴挙は崑崗に火がもえさかり、玉を焚く如くに盧陵王らを殺し、とうとうその火はのびてこのわたしにも及び、永嘉太守に左遷されたのだ。
投沙理既迫,如邛原亦愆。
わたしは長沙に流された賈誼のごとく、臨邛にゆける司馬相釦のごとく、永嘉に赴いたが、とても快かなものではなかったばかりか、旧園に帰りたい願いも遂げられなかった。
長與懽愛別,永絶平生緣。
かくて長らく親愛の情で親交を深めていた顔延之と范泰と別離し、監視の目が厳しく日常の親しい縁も接触も絶たれた。
浮舟千仞壑,揔轡萬尋巔。
永嘉への左遷の旅は千仞もある深い谷の流れに舟を浮かべ、ある時は萬尋の高い山の路にたずなをとったのだ。
#2
玉を焚くこと崑峰【こんぽう】より發し、餘燎【よりょう】に遂に遷さるを見る。
沙に投じて理は既に迫り、邛【きょう】に如【ゆ】きて 願 亦【たちまち】愆【あやま】つ。
長く懽愛【かんあい】と別れ、永く平生の緣を絶つ。
舟を千仞【せんじん】の壑【たに】に浮べ、轡【たずな】を萬尋【ばんじん】の巔【いただき】に揔【と】る。
#3
流沫不足險,石林豈為艱。
この流れに比べると、論語でいうかの呂梁さえも険しいとするには足らず、この山に比べると、かの石林山もどうして難所と言えようか、艱険なことは呂梁や石林以上である。
閩中安可處,日夜念歸旋。
永嘉は都を遠くはなれた閩中の地という場所であり、何でそこに落ちついておられようか、昼も夜も会稽に帰りたいと望んでいた。
事躓兩如直,心愜三避賢。
己に世の治乱にかかわらず論語でいう史魚と遽伯玉の二人の直道を守るものほどのものであるがつまずき失敗し、左遷の憂きめをみたが、心は孫叔敖の三度退けられても悔いぬごとき賢に満足している。
託身青雲上,棲岩挹飛泉。
会稽の荘園では、青雲のかかる山の高きに身を寄せ、いわおのほとりに住んで谷川の水をすくいとって飲むという日常であった。
#3
流沫【りゅうまつ】も險とするに足らず、石林【せきりん】も豈【あに】艱【かん】と為さんや。
閩中【びんちゅう】には安んぞ處【お】る可けん、日夜に歸旋【きせん】を念【おも】う。
事は兩如【りょうじょ】の直に躓【つまづ】けるも、心は三避の賢に愜【あきた】る。
身を青雲の上に託し、巌【いわお】に棲みて飛泉【ひせん】を挹【く】む。

#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。
424年文帝即位し、426年には盛明の徳をもって暗い陰湿な徐羨之らの横暴を粛清したのである、そして正美の道をもって難儀な状態を鎮め落ち着いた世にした。
殊方咸成貸,微物豫采甄。
それで遠い国々までも皆、徳の恩恵をうけて国が栄えたのであるし、微細でとるに足らないわたしごときをおとりあげになり、恩命に接したのである。
感深操不固,質弱易版纏。
わたしはこれに深く感じいって隠退の志は堅いということでなく、気も弱くて恩命に引かれ易いままに秘書監の職についた。(426年秘書監となる。秘閣の書を整理し、『晋書』を作る。)。
曾是反昔園,語往實款然。

かくて官についたものの今や会稽の先祖伝来の荘園にもどり、過ぎし日の事など語ることができて打ち解けて。真心から人に接することが実にうれしい。
#4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。
#5
曩基即先築,故池不更穿。
果木有舊行,壤石無遠延。
雖非休憩地,聊取永日閒。
衛生自有經,息陰謝所牽。
夫子照清素,探懷授往篇。
#5
曩基【のうき】即ち先に築けり,故池【こち】は更に穿たず。
果木【かぼく】舊行【きゅうこう】有り,壤石【じょうせき】は遠延【えんえん】無し。
休憩の地に非ず雖ども,聊【いささ】か永日【えいじつ】の閒を取る。
生を衛【まも】るには自ら經【つね】有り,陰に息いて牽く所のものを謝せん。
夫子【ふうし】は清素【せいそ】を照【あきら】かにす,懷【ふところ】に探りて往篇【おうへん】授【さづ】く。


現代語訳と訳註
(本文)
#4
#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅。殊方咸成貸,微物豫采甄。
感深操不固,質弱易版纏。曾是反昔園,語往實款然。


(下し文) #4
盛明【せいめい】は氛昏【ふんこん】を蕩【あら】ひ、貞休【ていきゅう】は屯邅【ちゅうてん】を康んず。
殊方【しゅほう】は咸【みな】貸【めぐみ】に成り、微物【びぶつ】も采甄【さいけん】に豫【あずか】る。
感は深くして操は固からず、質は弱くして版纏【はんてん】し易し。
曾ち是れ昔園【せきえん】に反り,語往を語りて實に款然【かんぜん】たり。


(現代語訳)
424年文帝即位し、426年には盛明の徳をもって暗い陰湿な徐羨之らの横暴を粛清したのである、そして正美の道をもって難儀な状態を鎮め落ち着いた世にした。
それで遠い国々までも皆、徳の恩恵をうけて国が栄えたのであるし、微細でとるに足らないわたしごときをおとりあげになり、恩命に接したのである。
わたしはこれに深く感じいって隠退の志は堅いということでなく、気も弱くて恩命に引かれ易いままに秘書監の職についた。(426年秘書監となる。秘閣の書を整理し、『晋書』を作る。)。
かくて官についたものの今や会稽の先祖伝来の荘園にもどり、過ぎし日の事など語ることができて打ち解けて。真心から人に接することが実にうれしい。


(訳注)#4
盛明蕩氛昏,貞休康屯邅

424年文帝即位し、426年には盛明の徳をもって暗い陰湿な徐羨之らの横暴を粛清したのである、そして正美の道をもって難儀な状態を鎮め落ち着いた世にした。
○盛明 少帝422年 - 424年文帝(ぶんてい)は南朝宋の第3代皇帝。皇帝を廃されて殺された少帝(劉義符)の弟に当たる。即位以前は宜都王の地位にあった。424年、兄の義符が不行跡を理由に廃されて殺されると、代わって即位することとなった。即位後は、兄を廃して殺した罪で徐羨之らの重臣を次々と粛清した。(426年に徐羨之らの専横を嫌った文帝により、少帝殺害の罪を問われ、自殺を命じる。)その一方で貴族を重用し、学問を奨励して国子学を復興する。謝靈運は、426年"秘書監となる。秘閣の書を整理し、『晋書』を作る。このような経緯から、文帝の治世において学問・仏教などの文化が盛んになり、范曄が『後漢書』を完成させたりと、宋は全盛期を迎えることになった。このため、文帝の治世は元嘉の治と呼ばれている。○氛昏 422~426年までの徐羨之・傅亮らの専横。顔延之は422年左遷されている。○貞休 正義をもって純徳の道を進むこと。○屯邅 二字とも、一か所にたむろして行き悩んで進まぬこと。ここでは、それまでの皇帝が短年で変わっており、文帝になり安定したことをいう。


殊方咸成貸,微物豫采甄。
それで遠い国々までも皆、徳の恩恵をうけて国が栄えたのであるし、微細でとるに足らないわたしごときをおとりあげになり、恩命に接したのである。(426年秘書監となる。秘閣の書を整理し、『晋書』を作る。)。
殊方 方法を異にする。方向を変えること。○成貸 老子の「それただ道は善く貸し且つ成す」に本づく。『老子:徳経:同異第四十一』
上士聞道、勤而行之。中士聞道、若存若亡。下士聞道、大笑之。不笑不足以爲道。故建言有之。明道若昧、進道若退、夷道若纇。上徳若谷、大白若辱、廣徳若不足。建徳若偸、質眞若渝。大方無隅。大器晩成。大音希聲。大象無形。道隱無名。夫唯道、善貸且成。○ 参す。あづかり加わる。


感深操不固,質弱易版纏。
わたしはこれに深く感じいって隠退の志は堅いということでなく、気も弱くて恩命に引かれ易いままに秘書監の職についた。
○板纏 牽引の意、ひく。


曾是反昔園,語往實款然。
かくて官についたものの今や会稽の先祖伝来の荘園にもどり、過ぎし日の事など語ることができて打ち解けて。真心から人に接することが実にうれしい。
曾是 かくて~したものの今や~。○款然 打ち解けて。真心から人に接するさま。

道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<58-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1173

道路憶山中 謝霊運(康楽) 詩<58-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩452 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1173


臨川郡に行く途中、遠ざかりゆく始寧の故居を思い、その過去の生活を追憶しつつ、その感情を歌った。「道路憶山中」(道路にて山中を憶う) 詩は、『文選』の巻二十六の「行旅」 の部に選ばれているものである。


道路憶山中
采菱調易急,江南歌不緩。
楚人の歌曲の「採菱曲」の調べで歩くと早歩きになりやすいし、「江南曲」だと歌はゆるやかにはならない。
楚人心昔絕,越客腸今斷。
楚人の宋玉の心というのは昔に讒言によって絶たれてしまった、越客の屈原の腸も今私の断腸の思いも屈原が強烈な愛国の情から出た詩を生み出したように、私はこの自然を極楽浄土、祇園精舎として詩を描くのだ。
斷絕雖殊念,俱為歸慮款。
屈原の国を思う心と私の極楽浄土へのおもい、断絶は念いをそれぞれ殊にするというものだが、一緒なのは供に故郷に帰りたいという思いが強いということである。
#2
存鄉爾思積,憶山我憤懣。
故郷を思う気持ちはうず高く積み重なってしまった、先祖の謝安の東山を思えば、私の心は我慢できないし、腹に据えかねるのだ。
追尋棲息時,偃臥任縱誕。
始寧で隠棲の時を昔を思い起してみると、体が思うに任せず、わがままでしまりがないことをし続けていたのだ。
得性非外求,自已為誰纂?
この性格になったのはだれか外部から影響を受けたというものではない。すべてこの身から出たものであり、誰の為に集めてそろえるといったものであろうか。
不怨秋夕長,常苦夏日短。
愁いに秋の夕の長いことを怨んでみてもしかたがないし、「一切皆苦」と常に夏に日ごとに短かくなっていく、生滅変化を免れえないからこそ苦であるとされるのだ。
#3
濯流激浮湍,息陰倚密竿。
人生は浮き沈みの多い流れで急流は激しいし、そして木陰にて休み、始寧での隠棲生活がそれだった、そしてひっそりとした竹の林に寄りかかるのは自分を支えてくれる仏教者たちであった。
懷故叵新歡,含悲忘春暖。
しかしこうして旅する今となって、故郷の山を懐うので新しい歓びは得られはしないし、悲しみを抱いていては喜ぶべき春の暖かさをわすれる。
淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
それで、凄淒と胸ふさがる懐いで「明月の曲」を吹き、身にしみて感ずる「廣陵散」の琴曲をかなでる。
殷勤訴危柱,慷慨命促管!
この憂いを晴らす,心をこめて琴柱に訴える、笛の音が急にして怒り嘆きを命じるのである。

道路にて山中を憶う
菱を采る調べは急になり易く、江南の歌は緩ならず。
楚人の心は昔から絕ち,越客【えつかく】の腸は今に斷つ。
斷絕【だんぜつ】は念いを殊にすと雖も,俱為【とも】に歸慮【きりょ】に款【たた】かれぬ。
#2
鄉を存【おも】い爾【しか】い思いは積めり,山を憶い我は憤懣【ふんまん】す。
棲息の時 追尋するに,偃臥【えんが】して縱誕【しょうたん】を任【ほしい】ままにせり。
性を得る外に求むるに非らず,自から已むのみにて誰の為にか纂【つ】がん?
秋の夕の長きを怨みず,常に夏の日の短きに苦しむ。
#3
濯流【とうりゅう】浮湍【ふたん】に激しくし,陰に息【いこ】いて密【しげり】の竿【たけ】に倚る。
故【むかし】を懷い新しき歡【よろこ】びは叵【しがた】く,悲しを含み春の暖かなるを忘る。
淒淒として明月を吹き,惻惻として廣陵を散【ひ】く。
殷勤【いんぎん】 危柱【きちゅう】に訴え,慷慨【こうがい】 促管【そくかん】を命ず!


現代語訳と訳註
(本文)
#3
濯流激浮湍,息陰倚密竿。
懷故叵新歡,含悲忘春暖。
淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
殷勤訴危柱,慷慨命促管!


(下し文) #3
濯流【とうりゅう】浮湍【ふたん】に激しくし,陰に息【いこ】いて密【しげり】の竿【たけ】に倚る。
故【むかし】を懷い新しき歡【よろこ】びは叵【しがた】く,悲しを含み春の暖かなるを忘る。
淒淒として明月を吹き,惻惻として廣陵を散【ひ】く。
殷勤【いんぎん】 危柱【きちゅう】に訴え,慷慨【こうがい】 促管【そくかん】を命ず!


(現代語訳)
人生は浮き沈みの多い流れで急流は激しいし、そして木陰にて休み、始寧での隠棲生活がそれだった、そしてひっそりとした竹の林に寄りかかるのは自分を支えてくれる仏教者たちであった。
しかしこうして旅する今となって、故郷の山を懐うので新しい歓びは得られはしないし、悲しみを抱いていては喜ぶべき春の暖かさをわすれる。
それで、凄淒と胸ふさがる懐いで「明月の曲」を吹き、身にしみて感ずる「廣陵散」の琴曲をかなでる。
この憂いを晴らす,心をこめて琴柱に訴える、笛の音が急にして怒り嘆きを命じるのである。


(訳注) #3
濯流激浮湍,息陰倚密竿。

人生は浮き沈みの多い流れで急流は激しいし、そして木陰にて休み、始寧での隠棲生活がそれだった、そしてひっそりとした竹の林に寄りかかるのは自分を支えてくれる仏教者たちであった。
濯流【とうりゅう】 浮き沈みの多い流れ。・浮湍【ふたん】急流。
息陰 木陰にて休む。ここでは始寧での隠棲生活をいう。・密竿 竹の林。ここでは自分を支えてくれる仏教者をさすもの。


懷故叵新歡,含悲忘春暖
しかしこうして旅する今となって、故郷の山を懐うので新しい歓びは得られはしないし、悲しみを抱いていては喜ぶべき春の暖かさをわすれる。
・叵 …し難い,…できない叵耐我慢ならない.


淒淒明月吹,惻惻廣陵散。
それで、凄淒と胸ふさがる懐いで「明月の曲」を吹き、身にしみて感ずる「廣陵散」の琴曲をかなでる。
凄淒 (1) 寒い,冷え冷えする.(2) もの寂しい,うらさびれた.悲しい,胸ふさがる.・惻惻 . 惻 惻(そくそく). 悲しみ、悼むさま。身にしみて感ずること。・明月 明月の曲 古典音楽、越劇(浙江省の地方劇:女性のみで演じられる京劇に次いで人気のある華東の伝統劇の中の曲。)漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○・廣陵散 漢代の大型琴曲。別名「廣陵止息」。安徽省壽縣境內の民間樂曲。琴、箏、笙、築等の樂器で演奏,現存するもっとも古い琴曲である。


殷勤訴危柱,慷慨命促管!
この憂いを晴らす,心をこめて琴柱に訴える、笛の音が急にして怒り嘆きを命じるのである。
殷勤 ねんごろな,心のこもった、心からもてなす.・危柱 琴の音が高いことをいう。柱はことじ。・慷慨【こうがい】1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。・促管 笛の音が急なこと。


石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146

石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146


石室山詩
石室のある山での詩
清旦索幽異。放舟越坰郊。
すがすがしい 朝に、静かな此の別荘を目指してやって來る、それから小舟をきしから解き放って郊外の離れたところを超えてゆく。
苺苺蘭渚急。藐藐苔嶺高。
野イチゴがたくさん実っている、蘭が咲き誇る渚は急流である。はるか遠くまで映しい苔が生え高い峰の上まで続いている。
石室冠林陬。飛泉發山椒。
山懐に巌の空洞になっている、石橋か、冠のように変わった場所がある、泉から湧き出す水が滝となって飛び散り山の頂から噴出している。
虛泛徑千載。崢嶸非一朝。
小舟をむなしく浮かべている千年も前からの道としている、この石室山は高く聳えているのはこの朝だけではない。


#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。
人里、村は見えなくなってしまい、人々の生活の音も聞こえなくなった。木こりと草刈だけが風流な景色とこの大空を見ているだろう。
微戎無遠覽。總笄羨升喬。
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
靈域久韜隱。如與心賞交。
この浄土に近い霊域においてこれからずっと久しく弓や剣を入れてつつんでしまいこんでしまうのだ、如来と共に心を賞賛し念仏を唱えていくのである。
合歡不容言。摘芳弄寒條。
浄土に行ける喜びを共にすることが分かってくると説明やなんか必要としない。香しい草花を摘み取り、まだ装いをしていない冬の木の枝を遊んで枯れ木に花が咲かせてやるとことにしよう。

#2
鄉村【ごうそん】 聞見【ぶんけん】を絕ち、樵【きこり】と蘇【くさかり】は風霄【ふうせい】に限【はば】まる。
微戎【びじゅう】のため遠覽【えんらん】する無し、總笄【そうべん】より升 喬を羨みしも。
靈域【れいいき】久しく韜隱【とういん】し、如し與に心賞【しんしょう】の交わりせば。
合歡【ごうかん】言を容【い】れず、芳を摘み寒條【かんじょう】を弄【もてあそ】ぶ。


夜明けを待って朝早く石室山の名勝を訪ねようとして、家を出ると、たちまちのうちに郊外に出てしまった。すると、遥か彼方に石室山が高く聾えていた。そこは人里遠く離れていて、人を寄せつけない。私は若いときから王子喬が仙人となったことにあこがれていたが、仙山に近づくこともできなかった。今、この名山を眺め、霊運の心の中にはさまざまな思い出が去来していたことであったろう。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。微戎無遠覽。總笄羨升喬。
靈域久韜隱。如與心賞交。合歡不容言。摘芳弄寒條。


(下し文)#2
鄉村【ごうそん】 聞見【ぶんけん】を絕ち、樵【きこり】と蘇【くさかり】は風霄【ふうせい】に限【はば】まる。
微戎【びじゅう】のため遠覽【えんらん】する無し、總笄【そうべん】より升 喬を羨みしも。
靈域【れいいき】久しく韜隱【とういん】し、如し與に心賞【しんしょう】の交わりせば。
合歡【ごうかん】言を容【い】れず、芳を摘み寒條【かんじょう】を弄【もてあそ】ぶ。


(現代語訳)
人里、村は見えなくなってしまい、人々の生活の音も聞こえなくなった。木こりと草刈だけが風流な景色とこの大空を見ているだろう。
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
この浄土に近い霊域においてこれからずっと久しく弓や剣を入れてつつんでしまいこんでしまうのだ、如来と共に心を賞賛し念仏を唱えていくのである。
浄土に行ける喜びを共にすることが分かってくると説明やなんか必要としない。香しい草花を摘み取り、まだ装いをしていない冬の木の枝を遊んで枯れ木に花が咲かせてやるとことにしよう。


(訳注)#2
鄉村絕聞見。樵蘇限風霄。

人里、村は見えなくなってしまい、人々の生活の音も聞こえなくなった。木こりと草刈だけが風流な景色とこの大空を見ているだろう。
樵蘇 木こりと草刈人。・風・ 大空。はるかな天。


微戎無遠覽。總笄羨升喬。
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
微戎 微子啓(鄭の王)と罷戎(楚の公子)のこと。B.C.564閏12月、鄭が晋についたので、楚恭王は鄭を討たれ、その後楚と和睦したので、公子罷戎は鄭に使いして同盟を結んだ。・總笄 總は髪の毛を束ねること。笄はかんざし。・ 趙升のこと。漢代の仙人,生卒年均不詳,道教天師道創始者張道陵の弟子。・ 王子喬【おうしきょう】のこと。中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。


靈域久韜隱。如與心賞交。
この浄土に近い霊域においてこれからずっと久しく弓や剣を入れてつつんでしまいこんでしまうのだ、如来と共に心を賞賛し念仏を唱えていくのである。
韜隱 弓や剣を入れておく袋。つつむ。つつんでしまいこむ。また、中に隠す。ゆごて。弓を射るとき、つるが当たるのをふせぐため、左腕につけるかわのこて。自分の才能・地位・本心などを隠して表に出さないこと。節操を知り、自分をひけらかさないこと。


合歡不容言。摘芳弄寒條。
浄土に行ける喜びを共にすることが分かってくると説明やなんか必要としない。香しい草花を摘み取り、まだ装いをしていない冬の木の枝を遊んで枯れ木に花が咲かせてやるとことにしよう。
合歡 (1)喜びをともにすること。 (2)男女が共寝すること。 (3)「合歓木(ごうかんぼく)」の略。・寒條 秋冬樹木的枝條。 晉陶潛《歸鳥》詩: “翼翼歸鳥, 戢羽寒條。

西陵遇風獻康楽 その5 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<54>Ⅱ李白に影響を与えた詩441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1140

西陵遇風獻康楽 その5 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<54>Ⅱ李白に影響を与えた詩441 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1140




 謝靈運

 謝惠連

酬従弟謝惠連 五首

西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1

(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2

(その2)

心胸既雲披,意得鹹在斯。

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所知。

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日馳。

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成分離

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3

(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4

(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5

(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風波。

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧和。

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽歌。

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如何。



西陵遇風獻康楽 謝惠連
謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。元嘉七年(430)、彭城王・劉義慶のもとで法曹行参軍をつとめた。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。



西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。

(その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。

(その3)
靡靡【びび】として長路に即【つ】き、戚戚【せきせき】として遙なる悲みを抱く。
悲 遙なるは 但 自ら弭【や】む。路の長ぎに當【まさ】に誰とか語るべき。
行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。
昨【きのう】は浦陽【ほよう】の汭【ほとり】を發し、今【きょう】は浙江の湄【みぎわ】に宿る。

(その4)
屯雲【ちゅううん】は曾嶺【そうれい】を蔽【おお】い、驚風【きょうふう】飛流【ひりゅう】を湧かす。
零雨【れいう】墳澤【ふんたく】を潤おし、落雪【らいせつ】林邱【りんきゅう】に灑【そそ】ぐ。
浮氛【ふふん】崖巘【がいけん】に晦【くら】く、積素【せきそ】原疇【げんちゅう】を成【まどわ】す。
曲汜【きょくし】薄【しばら】く旅を停【とど】め、通川【つうせん】に行舟【こうしゅう】を絶つ。

(その5)
津【しん】に臨めど済【わた】り得ず、楫【かじ】を佇【とど】めて風波【ふうは】阻【へだ】てらる。
蕭條【しょうじょう】洲渚【しゅうちょ】の際、気色【けしょく】諧和【かいわ】すること少し。
西に瞻【み】て遊歎【ゆうたん】を興し、東に睇【み】て悽歌【せいか】を起す。
積憤【せきふん】疢痗【ちんばい】を成す、萱【けん】無くば將に如何【いかん】せんとす。



現代語訳と訳註
(本文)
(その5)
臨津不得済、佇楫阻風波。
蕭條洲渚際、気色少諧和。
西瞻興遊歎、東睇起悽歌。
積憤成疢痗、無萱將如何。


(下し文) (その5)
津【しん】に臨めど済【わた】り得ず、楫【かじ】を佇【とど】めて風波【ふうは】阻【へだ】てらる。
蕭條【しょうじょう】洲渚【しゅうちょ】の際、気色【けしょく】諧和【かいわ】すること少し。
西に瞻【み】て遊歎【ゆうたん】を興し、東に睇【み】て悽歌【せいか】を起す。
積憤【せきふん】疢痗【ちんばい】を成す、萱【けん】無くば將に如何【いかん】せんとす。



(現代語訳) (その5)
川の渡場のそばまで来ても渡ることができず、私は舟の楫をとどめて風波のために始寧に帰ることは阻まれている。
蕭条としてものさびしい川の中州のなぎさの際には、風雲によって暗い状態になっており、たのしく心やわらぐものが少ないのだ。
西の方向を眺めてみると他国に遊ぶ旅人達の嘆きを共にすることになり、東のかた郷里、始寧の方角を視てはこの悲しい歌を作ることになるのである。
なかなか帰れないことでつもり積もった憤怒のために私は病気になってしまった。もし憂えを忘れるという萱草が無かったら、わたしはいかにしたらよいというのであろうか。


(訳注)(その5)
臨津不得済、佇楫阻風波。

川の渡場のそばまで来ても渡ることができず、私は舟の楫をとどめて風波のために始寧に帰ることは阻まれている。
渡し場


蕭條洲渚際、気色少諧和。
蕭条としてものさびしい川の中州のなぎさの際には、風雲によって暗い状態になっており、たのしく心やわらぐものが少ないのだ。
蕭條 ものさびしい。・諧和 楽しく和やかた気分。


西瞻興遊歎、東睇起悽歌。
西の方向を眺めてみると他国に遊ぶ旅人達の嘆きを共にすることになり、東のかた郷里、始寧の方角を視てはこの悲しい歌を作ることになるのである。
遊歎 旅にある人の憂い欺き。・悽歌 悲しい歌。この詩をさす。


積憤成疢痗、無萱將如何。
なかなか帰れないことでつもり積もった憤怒のために私は病気になってしまった。もし憂えを忘れるという萱草が無かったら、わたしはいかにしたらよいというのであろうか。
積憤 積もって久しい憤り。・疢痗 病気。疢はわずらい、は病。・ 萱草、諼草、忘れ草。忘憂草。
詩経、衛風伯兮篇に「焉諼得草、言樹之背。願言伯思、使我心痗。」(焉くんぞ諼草を得ん。言に背に樹えん。願いて言に伯を思い、我が心をして痗ましむ)とある。
我憂いを忘れるために、何処かで、もの忘れする草をみつけ、それを裏座敷に植えたい。一生懸命あなたのことばかり思いつめていると、私の心は病気になりそう。
.「雅音徘徊(さまよい)して、清婉(きよらかこやさしく)誦すベし」と。

酬従弟謝惠運 五首その(5) 謝霊運(康楽) 詩<53>Ⅱ李白に影響を与えた詩440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1137

酬従弟謝惠運 五首その(5) 謝霊運(康楽) 詩<53>Ⅱ李白に影響を与えた詩440 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1137

(5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。
始寧の晩春のひと時を楽しもうということでいまだに友好を交わすことはないと言いながらも、今は中春であり広い空や海を)漫遊することをよろこぶ。
山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
その頃には山に桃の花が咲き、ガクアジサイ花が咲き、白・水色から紅・紫赤色に変化する。野にはワラビが顔をだし、紫苞をつみとるのである。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。
また、生き歳往けるもの友人を求めて鳴き、友人同士が仲よく語り合いそのよろこび楽しみをを示すのである。しずかな独り住いであってもなお晴れやかな楽しみの時なのだ。
夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。
そして舟に帰ってそのまま待っているとしても、始寧に帰った時のことを眠って夢を見るのである、少し君のための労力を出し惜しみをしているわたしのことを理解してほしい。


(5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。


現代語訳と訳註
(本文)
(その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。


(下し文)(その5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。


(現代語訳)
始寧の晩春のひと時を楽しもうということでいまだに友好を交わすことはないと言いながらも、今は中春であり広い空や海を)漫遊することをよろこぶ。
その頃には山に桃の花が咲き、ガクアジサイ花が咲き、白・水色から紅・紫赤色に変化する。野にはワラビが顔をだし、紫苞をつみとるのである。
また、生き歳往けるもの友人を求めて鳴き、友人同士が仲よく語り合いそのよろこび楽しみをを示すのである。しずかな独り住いであってもなお晴れやかな楽しみの時なのだ。
そして舟に帰ってそのまま待っているとしても、始寧に帰った時のことを眠って夢を見るのである、少し君のための労力を出し惜しみをしているわたしのことを理解してほしい。


(訳注)
暮春雖未交,仲春善遊遨。

始寧の晩春のひと時を楽しもうということでいまだに友好を交わすことはないと言いながらも、今は中春であり広い空や海を)漫遊することをよろこぶ。
・遊遨 (広い空や海を)漫遊する,遍歴する。


山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
その頃には山に桃の花が咲き、ガクアジサイ花が咲き、白・水色から紅・紫赤色に変化する。野にはワラビが顔をだし、紫苞をつみとるのである。
紅萼 ガクアジサイの園芸品種。初夏に花が咲き、装飾花が白・水色から紅・紫赤色に変化する。・紫苞 苞(ほう)とは、植物用語の一つで、花や花序の基部にあって、つぼみを包んでいた葉のことをいう。


鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。
また、生き歳往けるもの友人を求めて鳴き、友人同士が仲よく語り合いそのよろこび楽しみをを示すのである。しずかな独り住いであってもなお晴れやかな楽しみの時なのだ。
鳴嚶 1 鳥が仲よく鳴き交わしたり、友人を求めて鳴いたりすること。また、その声。 2 友人同士が仲よく語り合うこと。「詩経」小雅・伐木の「伐木丁丁、鳥鳴嚶々、出於幽谷、遷干喬木。」嚶として其れ鳴くは其の友を求むる声」・悅豫 喜び楽しむ。予はたのしむ。・ 1 香りがいい。かぐわしい。 2 文化が盛んなさま。  1 焼き物。「陶器・陶工・陶土/彩陶・製陶」2 人格を練りあげる。教え導く。「陶冶(とうや)/薫陶」3 うちとけて楽しい。「陶酔・陶然」4 もやもやして晴れない。「鬱陶(うっとう)」


夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。
そして舟に帰ってそのまま待っているとしても、始寧に帰った時のことを眠って夢を見るのである、少し君のための労力を出し惜しみをしているわたしのことを理解してほしい。
 び【寐】[漢字項目]とは。意味や解説。[音]ビ(漢)[訓]ねるねむる。ねる。「寤寐(ごび)・夢寐」眠って夢を見ること。また、その間。
けち. 金銭や品物を惜しがって出さないこと。また、そのようなさまや人。 こせこせして卑しいこと。気持ちのせまいこと。また、そのさま。 【吝い】しわい. けちである。しみったれている。 【吝か】やぶさか. 物惜しみするようす。けち。 ためらうさま。思いきりの悪いさま。

西陵遇風獻康楽 その4 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<52>Ⅱ李白に影響を与えた詩439 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1134

西陵遇風獻康楽 その4 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<52>Ⅱ李白に影響を与えた詩439 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1134


(その4)
屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛流。
とどまって動かない雲は重なる嶺蔽っている、突風はしぶきを浪立つ流れを湧きあげている。
零雨潤墳澤、落雪灑林邱。
降る雨は土手も沢地も一面になって潤している、山の方では飛び散る雪は林にも丘にもふりそそいでいる。
浮氛晦崖巘、積素成原疇。
ただよう靄は崖も峰も暗くしてかすんであいる、ふり積もった雪は原野と田畑の区別をわからなくしている。
曲汜薄停旅、通川絶行舟。

曲がりこんだ入り江の岸に暫くわが旅の一行を停めているが、流れる川には行く舟は全く絶えてしまった。



屯雲【ちゅううん】は曾嶺【そうれい】を蔽【おお】い、驚風【きょうふう】飛流【ひりゅう】を湧かす。
零雨【れいう】墳澤【ふんたく】を潤おし、落雪【らいせつ】林邱【りんきゅう】に灑【そそ】ぐ。
浮氛【ふふん】崖巘【がいけん】に晦【くら】く、積素【せきそ】原疇【げんちゅう】を成【まどわ】す。
曲汜【きょくし】薄【しばら】く旅を停【とど】め、通川【つうせん】に行舟【こうしゅう】を絶つ。



現代語訳と訳註
(本文) (
その4)
屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛流。
零雨潤墳澤、落雪灑林邱。
浮氛晦崖巘、積素成原疇。
曲汜薄停旅、通川絶行舟。


(下し文)
屯雲【ちゅううん】は曾嶺【そうれい】を蔽【おお】い、驚風【きょうふう】飛流【ひりゅう】を湧かす。
零雨【れいう】墳澤【ふんたく】を潤おし、落雪【らいせつ】林邱【りんきゅう】に灑【そそ】ぐ。
浮氛【ふふん】崖巘【がいけん】に晦【くら】く、積素【せきそ】原疇【げんちゅう】を成【まどわ】す。
曲汜【きょくし】薄【しばら】く旅を停【とど】め、通川【つうせん】に行舟【こうしゅう】を絶つ。


(現代語訳) (その四)
とどまって動かない雲は重なる嶺蔽っている、突風はしぶきを浪立つ流れを湧きあげている。
降る雨は土手も沢地も一面になって潤している、山の方では飛び散る雪は林にも丘にもふりそそいでいる。
ただよう靄は崖も峰も暗くしてかすんであいる、ふり積もった雪は原野と田畑の区別をわからなくしている。
曲がりこんだ入り江の岸に暫くわが旅の一行を停めているが、流れる川には行く舟は全く絶えてしまった。


(訳注)(その4)
屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛流。

とどまって動かない雲は重なる嶺蔽っている、突風はしぶきを浪立つ流れを湧きあげている。
屯雲 とどまって動かない雲 ・曾嶺 重なる嶺。 ・飛流 しぶき浪立つ流れ。


零雨潤墳澤、落雪灑林邱。
降る雨は土手も沢地も一面になって潤している、山の方では飛び散る雪は林にも丘にもふりそそいでいる。
墳沢 土手や沢地。高低一面に。


浮氛晦崖巘、積素成原疇。
ただよう靄は崖も峰も暗くしてかすんであいる、ふり積もった雪は原野と田畑の区別をわからなくしている。
浮氛 ただより靄、水気。・晦崖巘 崖も峰も暗い。 ・積素 ふり積もる雪。 ・成原疇 成は惑。野原と田畑などの区別がわからなくする。


曲汜薄停旅、通川絶行舟。
曲がりこんだ入り江の岸に暫くわが旅の一行を停めているが、流れる川には行く舟は全く絶えてしまった。
曲汜 曲がりこんだ入り江の岸。 ・ しばらく。 ・停旅 旅の一行を停める。 ・通川 通じ流れる川水、 ・絶行舟 行く舟か絶えた。


酬従弟謝惠運 五首その(4) 謝霊運(康楽) 詩<51>Ⅱ李白に影響を与えた詩438 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1131

酬従弟謝惠運 五首その(4) 謝霊運(康楽) 詩<51>Ⅱ李白に影響を与えた詩438 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1131


洲渚既淹時,風波子行遲,
務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。
儻若果歸言,共陶暮春時。
中州の水際ですでにそのまま長くいつづける、船が出発できない風が吹き、船を転覆させる大波が君の行程を遅らせてしまう。
帝都での思いというものは逢うことははっきりしない。どうにかして始寧の谷間で逢うことの約束があるわけではないのだが何時でもいいから、会いたいものだ。
できるなら、また、手紙をくれると嬉しいのだけれど、手紙が来ないと私の心は乱れてしまうのだ。
若し変えることが出来るのであればともに、始寧の晩春のひと時を楽しもうではないか。



現代語訳と訳註
(本文)
(その4)
洲渚既淹時,風波子行遲,
務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。
儻若果歸言,共陶暮春時。


(下し文)
(その4) 
洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。


(現代語訳)
中州の水際ですでにそのまま長くいつづける、船が出発できない風が吹き、船を転覆させる大波が君の行程を遅らせてしまう。
帝都での思いというものは逢うことははっきりしない。どうにかして始寧の谷間で逢うことの約束があるわけではないのだが何時でもいいから、会いたいものだ。
できるなら、また、手紙をくれると嬉しいのだけれど、手紙が来ないと私の心は乱れてしまうのだ。
若し変えることが出来るのであればともに、始寧の晩春のひと時を楽しもうではないか。


(訳注)
洲渚既淹時,風波子行遲,
中州の水際ですでにそのまま長くいつづける、船が出発できない風が吹き、船を転覆させる大波が君の行程を遅らせてしまう。
洲渚【しゅうしょ】 洲渚  州(す)の水際。旅先の中州の渚。


務協華京想,詎存空穀期。
帝都での思いというものは逢うことははっきりしない。どうにかして始寧の谷間で逢うことの約束があるわけではないのだが何時でもいいから、会いたいものだ。
務協 務:つとめる、おもむく。はっきりしない。協:かなう。逢う。和合する。・空穀期 谷で逢う約束があるのではない。


猶復恵来章,祇足攬余思。
できるなら、また、手紙をくれると嬉しいのだけれど、手紙が来ないと私の心は乱れてしまうのだ。
来章 手紙が来ること


儻若果歸言,共陶暮春時。
若し変えることが出来るのであればともに、始寧の晩春のひと時を楽しもうではないか。

暮春 晩春。春から初夏へ移り際。新暦では4月終りから5月初めのころ。

西陵遇風獻康楽 その3 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<50>Ⅱ李白に影響を与えた詩437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1128

西陵遇風獻康楽 その3 謝惠運 謝霊運(康楽) 詩<50>Ⅱ李白に影響を与えた詩437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1128



(3)
靡靡即長路,戚戚抱遙悲。
離れがたい気持ちは足どりを遅くしつつ、遠い旅路についている、憂いもち傷む心ではてしなぎ別れの悲しみを抱いて行くのである。
悲遙但自弭,路長當語誰。
はてしなぎ別れの悲しみは、しかしそれでもやはり自ずから止むのであろうが、長い道中に誰と語ってよいやらどうすべきであろうか。賢兄と別れては語るべき友もないのがいよいよ遠くさびしいのだ。
行行道轉遠,去去情彌遲。
行けども行けども道はいよいよ遠く、離れ去れば雛れるほど賢兄を思う憐はますます残って絶つことができない。
昨發浦陽汭,今宿浙江湄。

それにしても昨日は浦陽江の北の岸を発って、今日は浙江のほとりに宿ったのである。

靡靡【びび】として長路に即【つ】き、戚戚【せきせき】として遙なる悲みを抱く。
悲 遙なるは 但 自ら弭【や】む。路の長ぎに當【まさ】に誰とか語るべき。
行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。
昨【きのう】は浦陽【ほよう】の汭【ほとり】を發し、今【きょう】は浙江の湄【みぎわ】に宿る。


現代語訳と訳註
(本文)
(3)
靡靡即長路,戚戚抱遙悲。
悲遙但自弭,路長當語誰。
行行道轉遠,去去情彌遲。
昨發浦陽汭,今宿浙江湄。


(下し文)
靡靡【びび】として長路に即【つ】き、戚戚【せきせき】として遙なる悲みを抱く。
悲 遙なるは 但 自ら弭【や】む。路の長ぎに當【まさ】に誰とか語るべき。
行き行ぎて道 轉【うたた】遠く、去り去りて 情 彌【いよい】よ遅し。
昨【きのう】は浦陽【ほよう】の汭【ほとり】を發し、今【きょう】は浙江の湄【みぎわ】に宿る。


(現代語訳)
離れがたい気持ちは足どりを遅くしつつ、遠い旅路についている、憂いもち傷む心ではてしなぎ別れの悲しみを抱いて行くのである。
はてしなぎ別れの悲しみは、しかしそれでもやはり自ずから止むのであろうが、長い道中に誰と語ってよいやらどうすべきであろうか。賢兄と別れては語るべき友もないのがいよいよ遠くさびしいのだ。
行けども行けども道はいよいよ遠く、離れ去れば雛れるほど賢兄を思う憐はますます残って絶つことができない。

それにしても昨日は浦陽江の北の岸を発って、今日は浙江のほとりに宿ったのである。

(訳注) (3)
靡靡即長路,戚戚抱遙悲。

離れがたい気持ちは足どりを遅くしつつ、遠い旅路についている、憂いもち傷む心ではてしなぎ別れの悲しみを抱いて行くのである。
靡靡 足の進みのおそい形容。 ・遙悲 久しくはるかな悲哀。 ・戚戚 憂い悲しむさま。また、憂い恐れるさま。

悲遙但自弭,路長當語誰。
はてしなぎ別れの悲しみは、しかしそれでもやはり自ずから止むのであろうが、長い道中に誰と語ってよいやらどうすべきであろうか。賢兄と別れては語るべき友もないのがいよいよ遠くさびしいのだ。
 止む。・当語誰 思い切れない。

行行道轉遠,去去情彌遲。
行けども行けども道はいよいよ遠く、離れ去れば雛れるほど賢兄を思う憐はますます残って絶つことができない。
転遠 いよいよ遠い。 ・情弥遅 君を恋うる竹はますますぐずぐずとして、

昨發浦陽汭,今宿浙江湄。
それにしても昨日は浦陽江の北の岸を発って、今日は浙江のほとりに宿ったのである。
浦陽汭 消浦陽は浙江省にある江の名。は支流の注ぐ所。また水の北をいう。 ・浙江 曲折が多いので浙江という。また江ともいう。下流は銭塘江。 ・ ほとり。岸。

酬従弟謝惠運 五首その(3) 謝霊運(康楽) 詩<49>Ⅱ李白に影響を与えた詩436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1125

酬従弟謝惠運 五首その(3) 謝霊運(康楽) 詩<49>Ⅱ李白に影響を与えた詩436 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1125


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首
従弟の恵連に酬ゆ 五首西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首
(その1(その1
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。我行指孟春、春仲尚未發。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。趣途遠有期、念離情無歇。
賞心望,長懷莫與同。成装候良辰、漾舟陶嘉月。
末路令弟,開顏披心胸瞻塗意少悰、還顧情多闕。
(その2(その2)
心胸既雲,意得鹹在哲兄感仳別、相送越垌
淩澗尋我室,散帙問所飲餞野亭館、分袂澄湖
夕慮曉月流,朝忌曛日悽悽留子言、眷眷浮客
悟對無厭歇,聚散成迴塘隠艫栧、遠望絶形
(その3(その3
分離別西,回景歸東靡靡即長路,戚戚抱遙
別時悲已甚,別後情更悲遙但自弭,路長當語
傾想遲嘉音,果枉濟江行行道轉遠,去去情彌
辛勤風波事,款曲洲渚昨發浦陽汭,今宿浙江
(その4(その4)
洲渚既淹,風波子行屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛
務協華京想,詎存空穀零雨潤墳澤、落雪灑林
猶復恵来章,祇足攬余浮氛晦崖巘、積素成原
儻若果歸言,共陶暮春曲汜薄停旅、通川絶行
(その5(その5)
暮春雖未交,仲春善遊臨津不得済、佇楫阻風
山桃發紅萼,野蕨漸紫蕭條洲渚際、気色少諧
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁西瞻興遊歎、東睇起悽
夢寐佇歸舟,釋我吝與積憤成疢痗、無萱將如

酬従弟謝惠運 五首 
従弟の恵連に酬ゆ 五首 
(その1)
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。
(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。
淩澗尋我室,散帙問所知。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
悟對無厭歇,聚散成分離。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。
(その3)
分離別西川,回景歸東山。
惠連と西川で別れた、わたしは景色を廻って会稽の東山に帰った。
別時悲已甚,別後情更延。
別れるときはそれまで以上に甚だ悲しい思いをしていた、別れた後は心情としてさらに伸びたようだ。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。
想いを謝蕙連の方に傾けて良い便りをこころまちにしている。果して私の贈った詩「濟江篇」の気持ちを忘れたりはしないのだ。
辛勤風波事,款曲洲渚言。
辛いおもいをして勤めていておだやかでないしごとがあるものだ,その旅先の中州の渚からこちらに手紙をくれたらいいのだ。

離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。


(その4) 
洲渚既淹時,風波子行遲, 洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,
務協華京想,詎存空穀期。 務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶復恵来章,祇足攬余思。 猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若果歸言,共陶暮春時。 儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。
(その5) (その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。 暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。 山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。 鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。
夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。 夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。



現代語訳と訳註
(本文)
(その3)
分離別西川,回景歸東山。
別時悲已甚,別後情更延。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。
辛勤風波事,款曲洲渚言。


(下し文) (その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。


(現代語訳)
惠連と西川で別れた、わたしは景色を廻って会稽の東山に帰った。
別れるときはそれまで以上に甚だ悲しい思いをしていた、別れた後は心情としてさらに伸びたようだ。
想いを謝蕙連の方に傾けて良い便りをこころまちにしている。果して私の贈った詩「濟江篇」の気持ちを忘れたりはしないのだ。
辛いおもいをして勤めていておだやかでないしごとがあるものだ,その旅先の中州の渚からこちらに手紙をくれたらいいのだ。


(訳注) (その3)
分離別西川,回景歸東山。

惠連と西川で別れた、わたしは景色を廻って会稽の東山に帰った。
○東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。


別時悲已甚,別後情更延。
別れるときはそれまで以上に甚だ悲しい思いをしていた、別れた後は心情としてさらに伸びたようだ。


傾想遲嘉音,果枉濟江篇。
想いを謝蕙連の方に傾けて良い便りをこころまちにしている。果して私の贈った詩「濟江篇」の気持ちを忘れたりはしないのだ。
嘉音 良い便り。濟江篇 謝惠連に贈った謝靈運の詩篇. 《昭明文選》卷二十五南朝宋•謝靈運《酬從弟惠連》 傾想遲嘉音,果枉濟江篇。 《昭明文選》卷二十五南朝宋•謝惠連《西陵遇風獻康樂》 昨發浦陽汭,今宿浙江湄。屯雲蔽曾嶺,驚風涌飛流。零雨潤墳澤,落雪灑林丘。


辛勤風波事,款曲洲渚言。
辛いおもいをして勤めていておだやかでないしごとがあるものだ,その旅先の中州の渚からこちらに手紙をくれたらいいのだ。
款曲【かんきょく】うちとてけ交わる
洲渚【しゅうしょ】洲渚  州(す)の水際の言。旅先の中州の渚からこちらに手紙。


(その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。

西陵遇風獻康楽 その2 謝惠運 詩<48>Ⅱ李白に影響を与えた詩435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1122

西陵遇風獻康楽 その2 謝惠運 詩<48>Ⅱ李白に影響を与えた詩435 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1122


西陵遇風獻康楽 謝蕙連
謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。元嘉七年(430)、彭城王・劉義慶のもとで法曹行参軍をつとめた。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2(その2)

心胸既雲,意得鹹在

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如


西陵遇風獻康楽(その1)
都建康の西陵で病気になったので康楽兄上に近況をお知らせする詩。
我行指孟春、春仲尚未發。
私の旅は春のはじめのつもりであったのに、仲春二月になってもやはりまだ出発しないでいる。
趣途遠有期、念離情無歇。
旅の途に向かうことは遠く以前に心に決めていたが、別れを思えばさびしい気持ちが尽きない。
成装候良辰、漾舟陶嘉月。
旅装も出来上がって門出の良い日を待ちながら、船を浮かべて春の好ましい月を楽しむのである。
瞻塗意少悰、還顧情多闕。
そうはいっても、行く手の途をながめてみると心に楽しみが少なく、あと振り返ってみるなら、ここに留まるには、気持の上で満足することはないことの方が多いのを覚えるのである。


西陵にて風に遇い康楽に獻ず(その1)
我が行 孟春【もうしゅん】を指すに、春仲【はるなかば】なるも尚 未だ發せず。
途に趣くこと遠く期有り、離【わかれ】を念うて情 歇【や】む無し。
装【よそおい】成して良辰【りょうしん】を候【ま】ち、舟を漾【うかべ】て嘉月を陶【たの】しむ。
塗【みち】を瞻て意に悰【たのしみ】少し、還顧【かんこ】すれば情に闕【か】くること多し。

(その2)
哲兄感仳別、相送越垌林。
賢兄は私との別れに心を感きわまったようだ、互いの別れのために野の林を越えて遠く送って下さいました。
飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
郊外の宿場の館で贐の酒宴を催してくれ、澄んだ入江の南岸でたもとを分かち別れを惜しまれた。
悽悽留子言、眷眷浮客心。
後に留まる貴君のことばは悲しみに満ち、旅人の私はいつまでも心引かれて顧みるのであった。
迴塘隠艫栧、遠望絶形音。
舟は進みやがで曲がった岸に楫や舟のへさきが隠れて、はるかな眺めの中に人々の姿も声も絶えてしまった。


(その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。


現代語訳と訳註
(本文)

哲兄感仳別、相送越垌林。
飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
悽悽留子言、眷眷浮客心。
迴塘隠艫栧、遠望絶形音。

(下し文) (その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。


(現代語訳)
賢兄は私との別れに心を感きわまったようだ、互いの別れのために野の林を越えて遠く送って下さいました。
郊外の宿場の館で贐の酒宴を催してくれ、澄んだ入江の南岸でたもとを分かち別れを惜しまれた。
後に留まる貴君のことばは悲しみに満ち、旅人の私はいつまでも心引かれて顧みるのであった。
舟は進みやがで曲がった岸に楫や舟のへさきが隠れて、はるかな眺めの中に人々の姿も声も絶えてしまった。


(訳注) (その二)
哲兄感仳別、相送越垌林。
賢兄は私との別れに心を感きわまったようだ、互いの別れのために野の林を越えて遠く送って下さいました。
哲兄 賢兄に同じ。 ・仳 別れ。


飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
郊外の宿場の館で贐の酒宴を催してくれ、澄んだ入江の南岸でたもとを分かち別れを惜しまれた。
 爾雅に「。野外を林と日ひ、林外な桐と臼ふ、」と。郊外、秋野。・飲餞はなむけの宴を催す。・野亭鮮 郊外にある宿場の旅館。・澄湖陰 澄んだ入江の南岸。陰は水の南。


悽悽留子言、眷眷浮客心。
後に留まる貴君のことばは悲しみに満ち、旅人の私はいつまでも心引かれて顧みるのであった。
留子 残留する人。謝霊運を指す。・眷眷 心引かれて顧みる。・浮客 行方定めぬ旅人。


迴塘隠艫栧、遠望絶形音。
舟は進みやがで曲がった岸に楫や舟のへさきが隠れて、はるかな眺めの中に人々の姿も声も絶えてしまった。
迴塘 曲がった岸。・艫栧 舟のへさきとかじ。・絶形音 姿も声も絶えてわからなくなる。

酬従弟謝惠運 五首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<47>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116

酬従弟謝惠運 五首その(2) 謝霊運(康楽) 詩<47>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116


 謝靈運 謝惠連
酬従弟謝惠連 五首西陵遇風獻康楽 五首

従弟の恵連に酬ゆ 五首

西陵にて風に遇い康楽に獻ず五首

(その1(その1

寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。

我行指孟春、春仲尚未發。

岩壑寓耳目,歡愛隔音容。

趣途遠有期、念離情無歇。

賞心望,長懷莫與同。

成装候良辰、漾舟陶嘉月。

末路令弟,開顏披心胸

瞻塗意少悰、還顧情多闕。

(その2(その2)

心胸既雲,意得鹹在

哲兄感仳別、相送越垌

淩澗尋我室,散帙問所

飲餞野亭館、分袂澄湖

夕慮曉月流,朝忌曛日

悽悽留子言、眷眷浮客

悟對無厭歇,聚散成

迴塘隠艫栧、遠望絶形

(その3(その3

分離別西,回景歸東

靡靡即長路,戚戚抱遙

別時悲已甚,別後情更

悲遙但自弭,路長當語

傾想遲嘉音,果枉濟江

行行道轉遠,去去情彌

辛勤風波事,款曲洲渚

昨發浦陽汭,今宿浙江

(その4(その4)

洲渚既淹,風波子行

屯雲蔽曾嶺、驚風湧飛

務協華京想,詎存空穀

零雨潤墳澤、落雪灑林

猶復恵来章,祇足攬余

浮氛晦崖巘、積素成原

儻若果歸言,共陶暮春

曲汜薄停旅、通川絶行

(その5(その5)

暮春雖未交,仲春善遊

臨津不得済、佇楫阻風

山桃發紅萼,野蕨漸紫

蕭條洲渚際、気色少諧

鳴嚶已悅豫,幽居猶郁

西瞻興遊歎、東睇起悽

夢寐佇歸舟,釋我吝與

積憤成疢痗、無萱將如




酬従弟謝惠運 五首
(その1)
寢瘵謝人徒,滅跡入雲峯。
病の床について人と会うのを謝絶した、それから後名跡を訪れることはなく雲に隠れる峯に隠棲した。
岩壑寓耳目,歡愛隔音容。
ひととの交じりを断って岩の谷間の水音に耳や目を寄せた。愛しい人とも声を聞くことも隔たったのである。
永絕賞心望,長懷莫與同。
その隠棲生活は長く続いた、景観を賞賛する心でここで臨んだのだ。そして長期間にわたって同じ気持ちで過ごすことはなかった。
末路值令弟,開顏披心胸。
晩年になって、弟の君と逢うことが出来た。そして顔を開いたし、心を打ち解け、胸襟を開いたのだ。
(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。
淩澗尋我室,散帙問所知。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
悟對無厭歇,聚散成分離。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。

(その3)
分離別西川,回景歸東山。別時悲已甚,別後情更延。
傾想遲嘉音,果枉濟江篇。辛勤風波事,款曲洲渚言。
(その4)
洲渚既淹時,風波子行遲,務協華京想,詎存空穀期。
猶復恵来章,祇足攬余思。儻若果歸言,共陶暮春時。
(その5)
暮春雖未交,仲春善遊遨。山桃發紅萼,野蕨漸紫苞。
鳴嚶已悅豫,幽居猶郁陶。夢寐佇歸舟,釋我吝與勞。


(従弟謝惠運に酬ゆ五首)
(その1)
瘵【やまい】に寢【い】ね 人徒【じんと】を謝し,滅跡【めつせき】して雲峯【うんほう】に入れり。
岩壑【がんがく】耳目【じもく】を寓【よ】せ,歡愛【かんあい】音容【おんよう】を隔てり。
永絕【えいぜつ】して賞心【しょうしん】を望み,長懷【ちょうかい】して 與に同じくするを莫きを。
末路【ばんねん】令弟【おとうと】に值【あ】い,開顏【かいがん】心胸【しんきょう】を披【ひら】けり。

(その2)
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんしつ】知れる所を問える。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
悟對【ごたい】して 厭歇【えんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。

(その3)
分離して西川にて別れ,回景【かいけい】して東山に歸れり。
別れし時 悲しみ已に甚しきも,別れて後 情け更に延ぶ。
想いを傾けて嘉音【かおん】を遲【ま】ちしに,果して濟江【せいこう】の篇を枉【まげ】られぬ。
辛勤【して】風波【ふうは】の事,款曲【かんきょく】して洲渚【しゅうしょ】の言。
(その4) 
洲渚【しゅうしょ】既に淹時【えんじ】せば,風波【ふうは】子の行くこと遲し,務【とお】く華京【かきょう】の想に協【かな】えり,詎【なん】ぞ 空穀【くうこく】に 期を存せん。
猶 復た来章【らいしょう】を恵む,祇【まさ】に足余【よ】の思いを攬【みだ】す。
儻若【もし】歸言【きごん】を果しなば,共に陶【たのし】まん 暮春の時を。
(その5)
暮春 未だ交わらずと雖も,仲春にても善く遊遨【たのし】まん。
山桃は紅萼【こうがく】を發し,野蕨【やけつ】は紫苞【しほう】を漸【すす】む。
鳴嚶【めいえい】 已に悅豫【えつしょう】し,幽居猶お 郁陶【ゆうとう】す。夢寐【むび】にも歸舟【きしゅう】を佇【ま】ち,我の吝【けち】と勞とを釋【と】かん。


現代語訳と訳註
(本文)
(その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
淩澗尋我室,散帙問所知。
夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
悟對無厭歇,聚散成分離。


(下し文) (その2)
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんしつ】知れる所を問える。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
悟對【ごたい】して 厭歇【えんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。


(現代語訳)
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。


(訳注) (その2)
心胸既雲披,意得鹹在斯。
心胸【しんきょう】既【すで】に雲【いう】を披【ひら】け,意得ること鹹【みな】斯【ここ】に在りき。
心と胸の中の本音を既にうちあけて話したら、互いの思いはここで納得し合うことが出来た。


淩澗尋我室,散帙問所知。
澗【たに】を淩ぎ 我が室を尋ね,散帙【さんちつ】知れる所を問える。
そうしたら、隠棲している谷を越えて私の庵を尋ねてくる。読書をしてわからないところを質問をしてくる。
散帙 書帙をうち開くこと。また讀書することをさす。(ちつ)とは、和本を包んで保存する装具の一種。


夕慮曉月流,朝忌曛日馳。
夕には曉月【ぎょうげつ】の流れるを慮【おもんばか】り,朝には曛日【くんじつ】の馳するを忌【い】めり。
夕べに明け方の月かが流れ落ちるのかと思い、朝には夕日が落ちるのを嫌ったように朝と夕を間違えるほど楽しい時を過ごした。
・曉月 あけがたのつき。・曛日 夕日、入日、黄昏時のことをいう。気に入った時の経過の表現として、朝・夕の表現をよく使う。
『登石門最高頂』「晨策尋絕壁,夕息在山棲。疏峰抗高館,對嶺臨回溪。」『石門在永嘉』「早聞夕飈急、晩見朝日暾。」『晚出西射堂』「步出西城門,遙望城西岑。連鄣疊巘崿,青翠杳深沈。曉霜楓葉丹,夕曛嵐氣陰。」


悟對無厭歇,聚散成分離。
悟對【ごたい】して 厭歇【えんけつ】すること無く,聚散【しゅうさん】して 分離を成しぬ。
向かい合ってみると厭になって辞めることはなく、集った後で散したらその後は分れて離れたままである。
厭歇 きらってやめる。・聚散 人々がより集まって仲間をつくったり、また別々に分かれたりすること。・聚散【しゅうさん】1 集まったり散ったりすること。2 生産地から集めた品物を消費地へ送り出すこと。


西陵遇風獻康楽(その2)
哲兄感仳別、相送越垌林。
飲餞野亭館、分袂澄湖陰。
悽悽留子言、眷眷浮客心。
迴塘隠艫栧、遠望絶形音。


(その2)
哲兄【てっけい】は仳別【ひべつ】に感じ、相送って垌林【けいりん】を越え。
野亭【やてい】の館に飲餞【いんせん】し、澄湖【とうこ】の陰に分袂【ぶんぺい】す。
悽悽【せいせい】たり留子【りゅうし】の言、眷眷【けんけん】たり浮客【ふかく】の心。
迴塘【かいとう】に櫨挽【ろえい】隠れ、遠望【えんぼう】形音【けいおん】絶ゆ。


田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<43#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩429 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1104

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<43#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩429 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1104


田南樹園激流植援 #1
樵隱俱在山,由來事不同。
不同非一事,養痾亦園中。
中園屏氛雜,清曠招遠風。
蔔室倚北阜,啟扉面南江。
激澗代汲井,插槿當列墉。
#2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
園中に群がる木々がすでに戸口に連なり並んでいる、多くの山々もまた高窓からまともに見える。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
うねうねと続いた低い田を歩いたり、遠く聾えた高い峯をながめたりする。
寡欲不期勞,即事罕人功。
欲が少ないことは、この山居のため、日常の煩わしさで心身を疲れさそうとは思わないし、物事はあるがままに、人の力を用いることはまれであった。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
ただ漢の蔣詡のように幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた、また高士である求仲と羊仲が俗世をさけてその道を歩いて遊んだことを永く慕わしく思おもうのである。
賞心不可忘,妙善冀能同。
この山水の風景を賞賛する心を忘れることはできない。それにただ念仏を唱え浄土にゆくすぐれて善い真理を悟って、どうか善悪、死生を同一視できる念仏することの願う。この山水幽遠の境地にいて、浄土を求めたいと思うのである。


(田の南園に樹え流れに激ぎ援を植う)
樵【しょう】と隠【いん】とは俱【とも】に山に在れども、由来 車は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾【やまい】を養うも亦た園中にあり。
園中 氛【よごれ】と 雑 を屏【しりぞ】け、清曠【せいこう】して遠風【えんぷう】を招く。
室を卜【ぼく】いて北皐【ほくふ】に倚り、扉を啓【ひら】いて南の江に画す。
澗【かん】を激【そそ】いで井に汲むに代え、槿【きん】を插して糖【かき】を列【ならび】に当つ。
#2
群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【きゅうよう】の踪【あと】をを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを冀【ねが】う。


現代語訳と訳註
(本文)
田南樹園激流植援 #2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
寡欲不期勞,即事罕人功。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
賞心不可忘,妙善冀能同。


(下し文) #2
群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【きゅうよう】の踪【あと】をを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを冀【ねが】う。


(現代語訳)
園中に群がる木々がすでに戸口に連なり並んでいる、多くの山々もまた高窓からまともに見える。
うねうねと続いた低い田を歩いたり、遠く聾えた高い峯をながめたりする。
欲が少ないことは、この山居のため、日常の煩わしさで心身を疲れさそうとは思わないし、物事はあるがままに、人の力を用いることはまれであった。
ただ漢の蔣詡のように幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた、また高士である求仲と羊仲が俗世をさけてその道を歩いて遊んだことを永く慕わしく思おもうのである。
この山水の風景を賞賛する心を忘れることはできない。それにただ念仏を唱え浄土にゆくすぐれて善い真理を悟って、どうか善悪、死生を同一視できる念仏することの願う。この山水幽遠の境地にいて、浄土を求めたいと思うのである。


(訳注) #2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
園中に群がる木々がすでに戸口に連なり並んでいる、多くの山々もまた高窓からまともに見える。
 高まど、 てんまど、 けむだし。


靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
うねうねと続いた低い田を歩いたり、遠く聾えた高い峯をながめたりする。
靡迤 うねうねと連らなるさま。○迢遞 遠く聳えたさま。○ 見下ろす。眺める。


寡欲不期勞,即事罕人功。
欲が少ないことは、この山居のため、日常の煩わしさで心身を疲れさそうとは思わないし、物事はあるがままに、人の力を用いることはまれであった。
寡欲 物欲が少ない。○不期労 山居のために必ずしも心身を疲らそうと思わない。○即事 物事についてそのままで。○罕人功 人手を煩わすことがまれである。


唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
ただ漢の蔣詡のように幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた、また高士である求仲と羊仲が俗世をさけてその道を歩いて遊んだことを永く慕わしく思おもうのである。
○蔣生徑 漢代の蒋詡(しょうく)が、幽居の庭に3筋の径(こみち)をつくり、松・菊・竹を植えた故事から庭につけた3本のこみちのことをいう。○求羊蹤 羊仲・求仲の歩いた足あと。彼等の行為。
二仲; 開徑; 羊仲; 羊求; 求仲; 求羊; 三三徑; 三徑詡; 開三徑; 開竹徑; 求羊徑; 求羊蹤; 徑三三; 蔣生徑; 蔣詡徑; 徑開高士; 避地蔣生; 蔣生難再逢; 開徑;. 3. 三徑 • 二仲; 開徑; 羊仲; 羊求; 求仲; 求羊; 三三徑; 三徑詡; 開三徑; 開竹徑; 求羊徑;


賞心不可忘,妙善冀能同。
この山水の風景を賞賛する心を忘れることはできない。それにただ念仏を唱え浄土にゆくすぐれて善い真理を悟って、どうか善悪、死生を同一視できる念仏することの願う。この山水幽遠の境地にいて、浄土を求めたいと思うのである。
賞心 山水の風景を賞賛する心。○妙善 浄土宗の真理をいう。○冀能同 念仏を唱えることで、前任悪人の別なく浄土にゆける。


と歌う。始寧に帰った霊運は本宅以外に別荘をも作り、悠々と自適の生活にはいった。その別荘は、室を卜いて北の卓に借り、扉を啓けば南は江に面しその景が眺められ、そして潮水を敵いで升に汲むに代え、程を挿えて垣根の代わりにした、と描写し、そこからの眺めを、「群がれる木は既に戸に羅なり 衆くの山も亦た牌に対す 靡逼りて下の田に潜り 邁遽なる高峰を放る」と述べる。特に、欲寡なければ労を期せず、事に即して人の功苧なり、唯だ漠の蒋生の故事によって逆を開いた。と詠ずるのは、陶淵明の「帰去来辞」の「僮僕歡迎、稚子候門。三逕就荒、松菊猶存。」(僮僕は歡び迎へ、稚子 門に候(ま)つ。三径は荒に就(つ)き、松菊は猶お存せり)の内容と同じ考えをもっていたことを示す。貧しさをいとわず、役人生活を捨てた淵明。親戚・友人の切なる忠告を退けてやめた謝霊運がに求めたのは仏教的な心の自由であった。南亡く朝という特異な時代、二君に交えずの時代であっても、君主の禅譲ということからの嫌気は自然の美へあこがれ、自由な生活へのあこがれ、それは中国知識人の夢であり望みであったのだ。


#2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
寡欲不期勞,即事罕人功。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
賞心不可忘,妙善冀能同。

群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【きゅうよう】の踪【あと】をを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを冀【ねが】う。

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1101

田南樹園激流植援 謝霊運(康楽) 詩<42#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩428 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1101
(田の南園に樹え流れに激ぎ援を植うP134田の南園に樹え、流れに激ぎ援を植う)


始寧の隠世
『宋書』の本伝によると、謝霊運は

父祖ならびに始寧県に葬らる。併せて故宅及び有り。遂に籍を会稽に移し、別業を營す。山に傍い江を帯び、幽居の美を尽くす。隠士王弘之・孔淳之等と縦放(自由)を娯しみと為す。終焉の志有り。一詩の都邑に至る有る毎に、貴賤競い写さざるなし。

宿昔の間、士庶皆なし。遠近名を欽慕し京師を動かす。山居の賦を作る。


始寧は現在の浙江省上虞県である。海外貿易で有名な寧波の町から西に60km、名酒の町、紹興から東50kmのところにある。謝霊運は『山居賦』の自注に、

余が祖、車騎(謝玄)は大功を淮に建て、江左は横流の禍いを免るるを得たり。後に太博(謝安)既にずるに及び、建國己に輟む。是に於いて便ち駕を解いて東に帰り、以って君側の乱を避けんことを求む。廃興・隠顕は当に是れ賢達の心たるべし。故に神麗の所を選び、以って高棲の志を申ぶ。山川を経始し、実に此に基をおく。



会稽に籍を移し、別業=別荘に本拠をそこに移すことにした。このことははなはだ簡略にそれとなく記されている。それは晋の南渡に当たり、先祖の眠る故郷に自由に行けなくなったこと、また、この自然の美しい土地に魅せられたのであろうか。「山居賦」によれば、

其の居や湖を左にし、江を右にし、渚に往き、江に還り、山を西にし、阜を背にし。



山居の様子を述べ、農産物、あるいは水草・樹木・魚類・鳥類・獣類について書き、または、仏寺を歌い、仏道・浄土へのあこがれをいい、仏教を論じ、文学について私見を述べる。
始寧で霊運のやったことは、『文選』の巻三十の 「雑詩」に引用される 「田南樹園激流植援」(田の南園に樹え、流れに激ぎ援を植う)という詩に歌われた。



田南樹園激流植援 #1
田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。
樵隱俱在山,由來事不同。
木こりと隠者とがともにこの山中に住んでいるが、もとより彼等のする事は同じではない。
不同非一事,養痾亦園中。
同じでないのは一つの事だけではなくて、私のように病気の保養をするのもまたこの園中での仕事の一つである。
中園屏氛雜,清曠招遠風。
荘園の中にうるさい雑事をしりぞけて、清らかにむなしい心で幽遠な気分、座禅のような気分を招き求めるのである。
蔔室倚北阜,啟扉面南江。
亀の甲を焼いて占い、庵の位置、方位を定めて、北山を背にして建てる、門の扉を南方の川江に向かって開いた。
激澗代汲井,插槿當列墉。
そして谷川を堰き止めて園にさそい注流させ、井戸水を汲む代わりにする、むくげの木を挿し植えて連ねて土塀の代用にあてるのだ。
#2
羣木既羅戶,眾山亦對牕。
靡迤趨下田,迢遞瞰高峯。
寡欲不期勞,即事罕人功。
唯開蔣生徑,永懷求羊蹤。
賞心不可忘,妙善冀能同。


(田の南園に樹え流れに激ぎ援を植う)
樵【しょう】と隠【いん】とは俱【とも】に山に在れども、由来 車は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾【やまい】を養うも亦た園中にあり。
園中 氛【よごれ】と 雑 を屏【しりぞ】け、清曠【せいこう】して遠風【えんぷう】を招く。
室を卜【ぼく】いて北皐【ほくふ】に倚り、扉を啓【ひら】いて南の江に画す。
澗【かん】を激【そそ】いで井に汲むに代え、槿【きん】を插して糖【かき】を列【ならび】に当つ。
#2
群木は既に戸に羅なり、衆山も亦た窗に対す。
靡迤【びい】りて下の田に趨き、迢遞なる高峰を瞰【み】る。
寡欲【かよく】労にしてを期せず、事に即して人の功を竿なくす。
唯だ蒋生【しょうせい】の蓮を開き、永く求羊【】の踪【あと】をむるを懐う。
覚心 忘る可からず、妙善【みょうぜん】をば能く同じくせんことを巽【ねが】う
 


現代語訳と訳註
(本文) #1

田南樹園激流植援
樵隱俱在山,由來事不同。
不同非一事,養痾亦園中。
中園屏氛雜,清曠招遠風。
蔔室倚北阜,啟扉面南江。
激澗代汲井,插槿當列墉。


(下し文)
樵【しょう】と隠【いん】とは俱【とも】に山に在れども、由来 車は同じからず。
同じからざるは一事に非ず、痾【やまい】を養うも亦た園中にあり。
園中 氛【よごれ】と 雑 を屏【しりぞ】け、清曠【せいこう】して遠風【えんぷう】を招く。
室を卜【ぼく】いて北皐【ほくふ】に倚り、扉を啓【ひら】いて南の江に画す。
澗【かん】を激【そそ】いで井に汲むに代え、槿【きん】を插して糖【かき】を列【ならび】に当つ。

(現代語訳)
田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。
木こりと隠者とがともにこの山中に住んでいるが、もとより彼等のする事は同じではない。
同じでないのは一つの事だけではなくて、私のように病気の保養をするのもまたこの園中での仕事の一つである。
荘園の中にうるさい雑事をしりぞけて、清らかにむなしい心で幽遠な気分、座禅のような気分を招き求めるのである。
亀の甲を焼いて占い、庵の位置、方位を定めて、北山を背にして建てる、門の扉を南方の川江に向かって開いた。
そして谷川を堰き止めて園にさそい注流させ、井戸水を汲む代わりにする、むくげの木を挿し植えて連ねて土塀の代用にあてるのだ。


(訳注)#1
田南樹園激流植援

田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。
田南樹園激流植援 田の南に庭を作り、流れをせき止めて水を庭にそそぎ庭わまわりに生垣を植える。援は垣、いけがき。
○隠棲し始めた謝霊運は隠棲を意識過剰であったのだろう、いかにも隠者を意識した詩題となっている。


隱俱在山,由來事不同。
木こりと隠者とがともにこの山中に住んでいるが、もとより彼等のする事は同じではない。
樵隠 木こりと隠者。○事不同 仕事は同じではない。


不同非一事,養痾亦園中。
同じでないのは一つの事だけではなくて、私のように病気の保養をするのもまたこの園中での仕事の一つである。
養痾 病気の保養をする。


中園屏氛雜,清曠招遠風。
荘園の中にうるさい雑事をしりぞけて、清らかにむなしい心で幽遠な気分、座禅のような気分を招き求めるのである。
氛雜 うるさい雜事。氛は乱。○清曠 心がすずしくむなしい。○抑遠風 幽遠な気分を招く。一人静かに心を日常のことから遠ざける気分、座禅のような気分をいう。

蔔室倚北阜,啟扉面南江。
亀の甲を焼いて占い、庵の位置、方位を定めて、北山を背にして建てる、門の扉を南方の川江に向かって開いた。
蔔室【ぼくしつ】 蔔:卜。うらなって家を建てる。○倚北阜 北峯を背にする。


激澗代汲井,插槿當列墉。
そして谷川を堰き止めて園にさそい注流させ、井戸水を汲む代わりにする、むくげの木を挿し植えて連ねて土塀の代用にあてるのだ。
槿 むくげ。木槿。錦臾科の灌木。その花は朝開き夕に萎む。○ 土塀。

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