漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

五言詩

李陵 《與蘇武詩三首 其二》 古詩源 文選  詩<105>Ⅱ李白に影響を与えた詩852 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2808

李陵 《與蘇武詩三首 其二》 二人での楽しい会合は、再度出逢うことは、困難なことであろう。 そしてそれは三年が千年を過ぎたほどに思えるものなのだ。いま君を送って黄河にのぞみ、涙にぬれた冠の紐を洗って、いさぎよく別れようとするが、君を思う心の悲しみは流れる水のように果てしない。

 

2013年8月10日  同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
   
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李陵 《與蘇武詩三首 其二》 古詩源 文選  詩<105>Ⅱ李白に影響を与えた詩852 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2808
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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平淮西碑 韓愈(韓退之) <163-#22>Ⅱ中唐詩765 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2809
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Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoor

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150

 


李陵 《與蘇武詩三首 其二》 古詩源 文選  詩<
105>Ⅱ李白に影響を与えた詩852 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2808

 

 

前漢 李陵

與蘇武詩 其二

(別れに際して蘇武に与える詩 其の二)

嘉會難再遇,三載爲千秋。

二人での楽しい会合は、再度出逢うことは、困難なことであろう。 そしてそれは三年が千年を過ぎたほどに思えるものなのだ。
臨河濯長纓,念子悵悠悠。

いま君を送って黄河にのぞみ、涙にぬれた冠の紐を洗って、いさぎよく別れようとするが、君を思う心の悲しみは流れる水のように果てしない。
minamo008遠望悲風至,對酒不能酬。

立って遠く眺めると秋風がもの悲しくおとずれる。送別の酒宴にのぞんでも、君に潤をすすめる元気も出ない。
行人懷往路,何以慰我愁。

旅立つ君も行く手のことが気にかかるというもので、どうやってわたしの愁いを慰めるということができるというのか。
獨有盈觴酒,與子結綢繆。

ただここに盃を満たした酒かある。せめてはこれを飲んでつきぬ交情を結びかわそう。 

 

蘇武に與【あた】うる詩  其の二

嘉會 再び遇ひ難く,三載は千秋と爲る。

河に臨みて長纓【ちょうえい】を 濯【あら】い,子【し】を 念【おも】いて悵として悠悠たり。

遠望すれば悲風至り,酒に對して酬いる能【あた】はず。

行人往路を懷い,何を以てか我が愁いを慰めん。

獨り觴【しょう】に 盈【み】つるの酒有りて,子【し】と綢繆【ちょうびょう】を結ばん。

 

 

『與蘇武詩 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

與蘇武詩 其二

嘉會難再遇,三載爲千秋。

臨河濯長纓,念子悵悠悠。

遠望悲風至,對酒不能酬。

行人懷往路,何以慰我愁。

獨有盈觴酒,與子結綢繆。

 

 

(下し文)

蘇武に與【あた】うる詩  其の二

嘉會 再び遇ひ難く,三載は千秋と爲る。

河に臨みて長纓【ちょうえい】を 濯【あら】い,子【し】を 念【おも】いて悵として悠悠たり。

遠望すれば悲風至り,酒に對して酬いる能【あた】はず。

行人往路を懷い,何を以てか我が愁いを慰めん。

獨り觴【しょう】に 盈【み】つるの酒有りて,子【し】と綢繆【ちょうびょう】を結ばん。

 

 

(現代語訳)

(別れに際して蘇武に与える詩 其の二)

二人での楽しい会合は、再度出逢うことは、困難なことであろう。 そしてそれは三年が千年を過ぎたほどに思えるものなのだ。

いま君を送って黄河にのぞみ、涙にぬれた冠の紐を洗って、いさぎよく別れようとするが、君を思う心の悲しみは流れる水のように果てしない。

立って遠く眺めると秋風がもの悲しくおとずれる。送別の酒宴にのぞんでも、君に潤をすすめる元気も出ない。

旅立つ君も行く手のことが気にかかるというもので、どうやってわたしの愁いを慰めるということができるというのか。

ただここに盃を満たした酒かある。せめてはこれを飲んでつきぬ交情を結びかわそう。 

 

 

(訳注)

與蘇武詩 其二

(別れに際して蘇武に与える詩 其の二)

・與蘇武詩:『文選』第二十九巻に李少卿(李陵)として『与蘇武詩三首』の其一として載っている。『古詩源』卷二「漢詩」の中にもある。この作品は後人の偽作といわれる。

 

嘉會難再遇,三載爲千秋。

二人での楽しい会合は、再度出逢うことは、困難なことであろう。 そしてそれは三年が千年を過ぎたほどに思えるものなのだ。

・嘉會:楽しい宴会。すばらしい会。盛会。また、すばらしい出逢い。『與蘇武詩・其一』の「良時不再至」の「良時」と対になっていよう。 

・嘉:好い。すばらしい。 

・難:むつかしい。困難である。ここは「不再遇」としたいところを婉曲に「難再遇」としているので、実際は否定に近い働きをしている。 

・再遇:もう一度出逢うこと。再会すること。

(別れてしまうと)三年が千年に感じられる。 

・三載:三年。 

・爲:…になる。…である。 

・千秋:千年。「載」≒「年」≒「秋」≒「歳」。

 

臨河濯長纓,念子悵悠悠。

いま君を送って黄河にのぞみ、涙にぬれた冠の紐を洗って、いさぎよく別れようとするが、君を思う心の悲しみは流れる水のように果てしない。

・臨河:黄河にのぞむ。

・纓:冠のひも。官吏、仕官することを表す。また、「請纓」の意では、捕虜にした匈奴を縛る縄。出征の意になる。

・濯:洗う。洗濯をする。 

・長纓:冠のひも。官吏の大切な物、の意で使われている。『孟子』の『孺子歌』「滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。」や、『楚辞』の『漁父』「屈原既放, 游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。…屈原曰: 「吾聞之:新沐者必彈冠,新浴者必振衣。安能以身之察察,受物之者乎?寧赴湘流,葬於江魚之腹中,安能以皓皓之白,而蒙世俗之塵埃乎?」 漁父莞爾而笑,鼓枻而去。乃歌曰: 「滄浪之水淸兮,可以濯我纓,滄浪之水濁兮,可以濯我足。」遂去,不復與言。」に、その義は同じ。

・念子:あなたを思う。 ・念:心に鞏く思う。 ・子:あなた。ここでは、蘇武のことになる。

・悵:悼(いた)む。うらむ。うれえなげく。 

・悠悠:遠くはるかなさま。限りないさま。また、ゆったりと落ち着いたさま。

 

遠望悲風至,對酒不能酬。

立って遠く眺めると秋風がもの悲しくおとずれる。送別の酒宴にのぞんでも、君に潤をすすめる元気も出ない。

・遠望:遠くの方を眺めやる。ここでは、漢土の方を望むことになる。 

・悲風:悲しげな風。運命の風でもあるといえよう。 

・至:物事や場所に着く。達する。いたる。

・對酒:酒に向かって。酒の壷を前にして。 

・不能:…ができない。 

・酬:すすめる。主人が客に酒をすすめる。むくいる。応(こた)える。

 

行人懷往路,何以慰我愁。

旅立つ君も行く手のことが気にかかるというもので、どうやってわたしの愁いを慰めるということができるというのか。

・行人:旅人。旅立つ蘇武のことになる。 

・懷:胸の内で思う。 

・往路:行く手の道筋。李陵自身が、漢土から匈奴の地・胡地を目指しての出征の時のことになる。

・何以:どのようにして。どうして。何ゆえ。何を以て。 

・慰:なぐさめる。心が霽る。

・我愁:わたしの愁い。わたしの心の中の悲しさ。故国へ帰れないで胡地に独り留まることの愁い。

 

獨有盈觴酒,與子結綢繆。

ただここに盃を満たした酒かある。せめてはこれを飲んでつきぬ交情を結びかわそう。 

・獨有:ただ…だけがある。 (せめて、酒の酔いの中で、)あなたと心の中では、縺(もつ)れ纏(まつ)わって、絡(から)みついていたい。 

・盈觴酒:いっぱいに満たされた酒。 

・盈:(空っぽだった杯に酒を注がれて)満ち(た)。盛る。だんだん満ちる。みたす。 

・觴:(古代の)さかづき。

・與:…と。 

・結:むすぶ。ゆう。つなぐ。つなぎあわせる。 

・綢繆:縺(もつ)れあう。纏(まつ)わる。絡(から)みつく。感情が絡(から)みあって、細やかなこと。情緒が深く離れがたいこと。纏綿としていること。
oushokun04 

陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2058

陌上桑行 古詩漢楽府<55>
この詩も道のほとりの桑の意である。別の題名を「艶歌羅敷行」ともいい、王台新詠(巻二 には「日出東南隅行」とある。

2013年3月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原鬼 韓愈(韓退之) <118-2>Ⅱ中唐詩615 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2059
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集春水 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 18)  杜甫 <423>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2060 杜甫詩1000-423-606/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集鄰里相送至方山 謝霊運<12> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2061 (03/13)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性遣懷 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-103-38-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2062
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2058

この詩も道のほとりの桑の意である。別の題名を「艶歌羅敷行」ともいい、王台新詠(巻二 には「日出東南隅行」とある。長詩なので5分割して掲載する。


陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
秦氏有好女,自名為羅敷。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。
羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
羅敷ほ養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。
青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。
頭上倭墮髻,耳中明月珠。

頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
少年見羅敷,脫帽著帩頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”

#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。
秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。
羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。
青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。
頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。

#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。
行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、
少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、
耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。
来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って蜘踊す。
使君束をして徒かしめ、間ふ 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。
「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅数と為す」。
「羅敷は年幾何ぞ」。
「二十には筒は足らず、十五頗る飴り有り」 と。
使君羅敦に謝す、「寧ろ共に載る可きゃ不」 と。
#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。
使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。
東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。
何を用てか夫靖を識る、白馬磯駒を徒へ、
青練を馬屋に繋け、黄金を番頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿底の鉱は、千萬徐に値す可し。
十五に心て府の小史、二十にして朝の大夫。
三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。
人と為り潔自習、孝養として頗る裏有り。
盈盈として公府に歩み、再再として府中に趨る。
坐中の数千人、皆言ふ 『夫巧は殊なり』 と。

桑摘女00









『陌上桑』 現代語訳と訳註
(本文)
陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。
羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻,耳中明月珠。


(下し文)
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。
秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。
羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。
青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。
頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。

(現代語訳)
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。
羅敷ほ養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。
頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、


(訳注)
陌上桑
 #1
・陌上桑 道のほとりの桑の意である。別の題名を「艶歌羅敷行」ともいい、王台新詠(巻二には「日出東南隅行」とある。
・陌 田中の路。東西に通ずるのを陌といい、南北を阡肝という。


日出東南隅,照我秦氏樓。
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
日出東南隅 北半球では晩春から夏にのぼる位置である。
・秦氏 邯鄲(河北省) の人なる秦氏に羅敷という娘があって邑人王仁の妻となった。王仁は後に趙王の家令となった。羅敷がある時、路で桑摘みをしていると、趙王が台の上から見て悦び、宴によびよせて奪い取ろうとした。羅敷は筝をひき、「陌上桑」の歌をうたって、自らを明らかにしたので、趙王は思いとまったとある。この詩をみると、趙王ではなくて、土地の長官大守が羅敷を見そめたことになっている。
列女伝、東家の女。秋胡詩、日出東南隅ということで、ほぼ同様な詩である。日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287
身を売った西家の女は傾城といわれるほどの妓女となって黄金で身を飾り、刺繍を施した肌着を身に纏えるほどの生活をしている。 しかし東家の女はただただ貧しさに苦しみながらも、その玉体を北国の人買いの手には渡さなかった。


秦氏有好女,自名為羅敷。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。
・東家有賢女 美人といっても賢くて美人の東家の女です。西は、色気がある傾国の美女を云う。
為焦仲卿妻作#4(-其二)で「東家有賢女,自名秦羅敷。」「でも、東隣には賢い女がいる。本人が自分でも秦の羅敷だというほどの器量よしなのだ。」と母親が息子の府吏にいっている。
・東家有賢女  ・東家 楚の宋玉の『登徒子好色の賦』「臣が里の美しき者は、臣が東家の子に若くはなし。」とある。ここから美人のたとえを”東家之子”又は”東家之女”と。美女を称して”東隣”とした事例に唐の李白「自古有秀色、西施与東隣」(古来より秀でた容姿端麗美人、西施と東隣)白居易「感情」のもある 
李白『白紵辭其一』「揚清歌、發皓齒。 北方佳人東鄰子、且吟白紵停綠水。」

李白81白紵辭其一  82白紵辭其二  83 巴女詞
無題(何處哀筝随急管) 李商隠21

・秦羅敷 秦氏羅敷。「陌上桑」その美貌をほこって自ら泰氏の羅敷と称したのである。秋胡詩 (1) 顔延之秋胡詩 (1) 顔延之(延年) 詩<2471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1230

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
羅敷ほ養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。


青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。
・籠系 王台新詠には籠縄に作る。寵をぶらさげるひも。
・籠鉤 寵の柄、半月形のつる。


頭上倭墮髻,耳中明月珠。
頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、

・倭堕賢 髪の形を云う。「雲髪垂るるを羞づ倭堕の髪」とある。垂れ髪である。おそらくは髪を結んで、結び残りの髪を垂れたものであろうか。イメージ女性を書いてみた。髪の形の美しいのを形容した語である。
・明月珠 大真珠。
 珠櫻001


豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299

豫章行 謝霊運(康楽) 詩<71>Ⅱ李白に影響を与えた詩494 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1299



豫章行
短生旅長世,恒覺白日欹。
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。
覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。
茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。

傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。

豫章行
短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。
鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。
茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。


坐ろに咤噛(山) に落つるを観ん


現代語訳と訳註
(本文)
豫章行
短生旅長世,恒覺白日欹。
覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。


(下し文)
豫章行
短生にして長世に旅し,恒に白日 欹【かたぶ】くを覺ゆ。
鏡を覽りて頹容を睨【にら】み,華顏【かがん】豈に乆期ならん。
茍【いや】しくも廻戈の術無くんば,坐【そぞ】ろに崦嵫【えんじ】に落つを觀ん。


(現代語訳)
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。
傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。


(訳注)
豫章行

清調曲で歌う。この古辞は、白楊のはかない運命を歌ったものであるが、霊運はその詩意を強く意識して、人生の無常を歌ったもので、題材も内容もきわめて月並みである。豫章行苦相篇 傅玄 女のさだめ 六朝時代(3)
親友、謝蕙連にも同題の作がある。古辞には古詩十九首、挽歌、に同様な内容が見える。


短生旅長世,恒覺白日欹。
人が生きるというのは短いものであるが、世の中に旅に出るのは長いものである。太陽が常に真上にある時には何とも思わなかったのに傾き始めて気が付くのである。


覽鏡睨頹容,華顏豈乆期。
鏡を取り出して衰えた顔を写してよくよく見るのである。華やかな顔でいられるのはどうしてその時期が久しいものでありえないのであろうか。


茍無廻戈術,坐觀落崦嵫。
傾きかけた太陽を戻したという『淮南子』にある「廻戈の術」はもちあわせていない。ということで、そぞろに歩くのは山海経』の「西山」にあるという太陽が沈んでいく崦嵫山の烏鼠洞の穴のほとりを歩く行と思うのである。
廻戈術 『淮南子』にある物語で、魯の陽公が韓と戦争をしたとき、日が暮れようとしたので、まさに没せんとした日を呼びもどしたということである。・崦嵫 崦嵫山のこと。『山海経』の「西山」に烏鼠洞の穴山の西南にあるといい、下に虞泉があって太陽の入るところとされている。

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1293

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1293


長歌行  謝靈運
倐爍夕星流,昱奕朝露團。
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
徂齡速飛電,頹節騖驚湍。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。
覽物起悲緒,顧已識憂端。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。
朽貌改鮮色,悴容變柔顏。

朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる

倐爍【しゅくしゃく】 夕の星は流れ、昱奕【いくえき】に朝の露は団【あつ】まる
粲粲【さんさん】として鳥 停まる有り、泫泫【けんげん】と豈に暫く安んぜんや。
徂【さ】る齢は飛電よりも速く、頹【おとろ】えたる節は驚湍【きょうたん】よりも騖【はせ】る。
物を覧て悲しみの緒を起こし、己れを顧みて憂いの端を識る。
朽ちる貌は鮮色を改め、悴【やつ】れたる容 柔顔を変う。

#2
變改茍催促,容色烏盤桓。
変化と改修というものはどういうわけか催促されるものであるが、顔色の変化についてはどうしてぐずぐずするというのであろうか。
亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
まじめで勤勉であっても衰退期は逼って來るし、ゆっくりのんびりと進んでいるようであっても勇壮な気持ちをみなぎらせいることもある。
既慙臧孫慨,復愧楊子歎。
既にある臧武仲が孟孫の讒言によって慚を受けたことと同じ仕打ちを受けた詩、また、揚子が悩み嘆いた多岐亡羊の故事のように私も悩んだ。
寸陰果有逝,尺素竟無觀。
わずかの時間が果たしてすぎゆくだけであり、一尺の絹地に書く手紙はついに見ることはない。
幸賖道念戚,且取長歌歡。
願うことならば浄土にゆく道をひたすらおもいうれうのであるが、それでしばらくはこの長歌を吟じて喜ぶということにしたいものだ。

変改 苛しくも催促せば、容色も烏【いず】くんぞ盤桓【はんこう】せん。
亹亹【びび】として衰期迫り、靡靡【びび】として壮志闌【たけなわ】なり。
既に臧孫【ぞうそん】の慨【なげ】きに慙【は】じ、復た楊子の歎きに愧ず。
寸陰 果たして逝く有り、尺素も竟に観る無し。
幸わくは道を念う戚【うれ】いを賖【か】して、且【しばら】く長歌の歡びを取らん。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
變改茍催促,容色烏盤桓。
亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
既慙臧孫慨,復愧楊子歎。
寸陰果有逝,尺素竟無觀。
幸賖道念戚,且取長歌歡。


(下し文)
変改 苛しくも催促せば、容色も烏【いず】くんぞ盤桓【はんこう】せん。
亹亹【びび】として衰期迫り、靡靡【びび】として壮志闌【たけなわ】なり。
既に臧孫【ぞうそん】の慨【なげ】きに慙【は】じ、復た楊子の歎きに愧ず。
寸陰 果たして逝く有り、尺素【せきそ】も竟に観る無し。
幸わくは道を念う戚【うれ】いを賖【か】して、且【しばら】く長歌の歡びを取らん。


(現代語訳)
変化と改修というものはどういうわけか催促されるものであるが、顔色の変化についてはどうしてぐずぐずするというのであろうか。
まじめで勤勉であっても衰退期は逼って來るし、ゆっくりのんびりと進んでいるようであっても勇壮な気持ちをみなぎらせいることもある。
既にある臧武仲が孟孫の讒言によって慚を受けたことと同じ仕打ちを受けた詩、また、揚子が悩み嘆いた多岐亡羊の故事のように私も悩んだ。
わずかの時間が果たしてすぎゆくだけであり、一尺の絹地に書く手紙はついに見ることはない。
願うことならば浄土にゆく道をひたすらおもいうれうのであるが、それでしばらくはこの長歌を吟じて喜ぶということにしたいものだ。


(訳注) #2
變改茍催促,容色烏盤桓。

変化と改修というものはどういうわけか催促されるものであるが、顔色の変化についてはどうしてぐずぐずするというのであろうか。


亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
まじめで勤勉であっても衰退期は逼って來るし、ゆっくりのんびりと進んでいるようであっても勇壮な気持ちをみなぎらせいることもある。
・亹亹 休まず努力する様子。進む様子。靡靡 靡き従う様子。ゆっくり歩く様子。靡;1 風や水の勢いに従って横にゆらめくように動く。「柳が風に―・く」2 他の意志や威力などに屈したり、引き寄せられたりして服従する。また、女性が男性に言い寄られて承知する。


既慙臧孫慨,復愧楊子歎。
既にある臧武仲が孟孫の讒言によって慚を受けたことと同じ仕打ちを受けた詩、また、揚子が悩み嘆いた多岐亡羊の故事のように私も悩んだ。
臧孫慨 臧孫は臧武仲という。孔子と同じ魯の御三家の一つである季孫氏に寵愛されていたが、孟孫氏には嫌われていた。孟孫氏は季孫氏と臧武仲の仲を裂こうと諮って、季孫氏に対して臧武仲が謀反をたくらんでいる讒言した。孟孫氏の策略で季孫氏は臧武仲を攻撃したため、臧武仲をやむを得ず魯国を去る事になった。 ・楊子歎 多岐亡羊の故事のこと。目標が羊一匹であっても、岐れ路、岐れ路と迷いこんで追求するようでは結局それを見失ってしまう。学問の道もそのようなもので、帰一する大事なポイントを見失うような追究の仕方は無意味である。


寸陰果有逝,尺素竟無觀。
わずかの時間が果たしてすぎゆくだけであり、一尺の絹地に書く手紙はついに見ることはない。
寸陰【すんいん】わずかの時間。「―を惜しむ」・尺素 1尺の絹布の意で、文字を書くのに用いたところから短い手紙。尺書。


幸賖道念戚,且取長歌歡。
願うことならば浄土にゆく道をひたすらおもいうれうのであるが、それでしばらくはこの長歌を吟じて喜ぶということにしたいものだ。
 親類。 うれえる。身近にひしひしと感ずる。思い 煩 ( わずら ) う。 【戚む】いたむ. 深く悲しむ。うれえる。 【戚える】うれえる. 心を悩ます。心を痛めて心配する。思い煩う。 【戚戚】せきせき. うれえて思い煩うようす。 【戚然】せきぜん. うれえ悲しむさま。 【哀戚】あいせき
古辞の最終句では、「少壮不努力、老大徒傷悲。」(少壮努力せずんは、老大徒らに傷悲せん。)
古辞については長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>参照

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩491 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1290

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩491 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1290



古詩源 第三巻 楽府歌辭 『長歌行』
平調曲でその志を歌う。この古辞は、人生は無常であって英華もけっして久しく続かないゆえ、大いに努力すべきである、という内容を歌う。


古辞  相和歌辞『長歌行
青青園中葵、朝露待日晞。
陽春布徳澤、萬物生光輝。
常恐秋節至、焜黄華葉衰。
百川東到海、何時復西歸。
少壮不努力、老大徒傷悲。

青青たる園中の葵、朝露日を待ちて暗く。
陽春徳浮を布き、萬物光輝を生ず。
常に恐る秋節の至りて、棍黄として華葉の衰へんことを。
百川東して海に到らば、何れの時か復た西に辟らん。
少壮努力せずんは、老大徒らに傷悲せん。

青々とした園のあおい、それをうるおす朝露もつかのま、やがて日の光を受ければかわく。うららかな春が恵みの光を与えると、万物は輝くように生き生きと伸びる。しかしひとたび秋の季節が訪れると、その美しい花も葉も、色あせて見るかげもなく衰えはてる。
人生もまた同じで、東に流れる川の水、ひとたび去って海にいたれば、いつまた西に帰られるというのか、若いときにいそしまぬ悔いを、老いて気が付きやり直そうとしても、それはむなしいことであろう。


長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>

長歌行  謝靈運
倐爍夕星流,昱奕朝露團。
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
徂齡速飛電,頹節騖驚湍。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。
覽物起悲緒,顧已識憂端。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。
朽貌改鮮色,悴容變柔顏。
朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる。
倐爍【しゅくしゃく】 夕の星は流れ、昱奕【いくえき】に朝の露は団【あつ】まる
粲粲【さんさん】として鳥 停まる有り、泫泫【けんげん】と豈に暫く安んぜんや。
徂【さ】る齢は飛電よりも速く、頹【おとろ】えたる節は驚湍【きょうたん】よりも騖【はせ】る。
物を覧て悲しみの緒を起こし、己れを顧みて憂いの端を識る。
朽ちる貌は鮮色を改め、悴【やつ】れたる容 柔顔を変う。

#2
變改茍催促,容色烏盤桓。亹亹衰期迫,靡靡壯志闌。
既慙臧孫慨,復愧楊子歎。寸陰果有逝,尺素竟無觀。
幸賖道念戚,且取長歌歡。

#2
変改 苛しくも催促せば、容色も烏【いず】くんぞ盤桓【はんこう】せん。
亹亹【びび】として衰期迫り、靡靡【びび】として壮志闌【たけなわ】なり。
既に臧孫【ぞうそん】の慨【なげ】きに慙【は】じ、復た楊子の歎きに愧ず。
寸陰 果たして逝く有り、尺素も竟に観る無し。
幸わくは道を念う戚【うれ】いを賖【か】して、且【しばら】く長歌の歡びを取らん。


現代語訳と訳註
(本文) 長歌行
倐爍夕星流,昱奕朝露團。粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
徂齡速飛電,頹節騖驚湍。覽物起悲緒,顧已識憂端。
朽貌改鮮色,悴容變柔顏。


(下し文)
倐爍【しゅくしゃく】 夕の星は流れ、昱奕【いくえき】に朝の露は団【あつ】まる
粲粲【さんさん】として鳥 停まる有り、泫泫【けんげん】と豈に暫く安んぜんや。
徂【さ】る齢は飛電よりも速く、頹【おとろ】えたる節は驚湍【きょうたん】よりも騖【はせ】る。
物を覧て悲しみの緒を起こし、己れを顧みて憂いの端を識る。
朽ちる貌は鮮色を改め、悴【やつ】れたる容 柔顔を変う。


(現代語訳)
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。
朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる。


(訳注)
長歌行

古詩源 第三巻 楽府歌辭 『長歌行』の詩に基づいて作られている。人間、若い若いといっても、人生はどんどん老齢化していってしまう。それは自然が日ごとに変わってゆくようなものである。


倐爍夕星流,昱奕朝露團。
星が突然明るく照り輝いて夕方の空に流れて行く、夜が明け、あかるくかがやき始め朝露が丸くなりひかる。
 突然,たちまち。・ 明るく照り輝くさま。・昱奕 あかるくかがやく


粲粲烏有停,泫泫豈暫安。
鳥が翅をひろげると太陽に映えて鮮やかに輝き庭園に留まっている、枝にとまった取りの動きで朝露の玉はしとしと落ちてい駆動してもうしばらく葉の上に置いたままにしておいてやらないのか。
粲粲 美しく光り輝くさま。鮮やかに輝くさま。・泫泫 滴(しずく)が垂れる,滴(したた)る.泫然 はらはらと(涙がこぼれるさま)


徂齡速飛電,頹節騖驚湍。
それはこの年が去り、歳を重ねることも空を走る稲光よりも早い。秋の季節の最盛期の木々の葉が色ずきそして落葉するのは早瀬の流れより早くて驚かされる。


覽物起悲緒,顧已識憂端。
万物の衰えていくのを見ることはその衰えていく悲しみの根源がなんであるかを見ることである。自分を顧みると憂いの根源は認識しているので会う。


朽貌改鮮色,悴容變柔顏。
朽ち果てていくその姿容貌が鮮やかな色に生き生きとすることが出来る。やつれてしまった顔が若さあふれる顔に変わる。

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287


五言楽府
日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。

穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。
(日は東南の隅に出ずる行【うた】)
柏梁【はくりょう】は南山【なんざん】に冠たり,桂宮【けいきゅう】は北泉【ほくせん】に燿【かがや】く。
晨風【しんぷう】幨幌【たんこう】を拂い,朝日【あさひ】閨軒【けいけん】を照す。
美人【びじん】屏席【へいせき】に臥し,蘭【らん】瑤璠【ようはん】より秀いずるを懷う。
皎潔【こうけつ】秋松【しゅうしょう】の氣,淑德【しゅくとく】春景【しゅんけい】暄【あたたか】なり。


現代語訳と訳註
(本文)

日出東南隅行
柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
皎潔秋松氣,淑德春景暄。


(下し文)
(日は東南の隅に出ずる行【うた】)
柏梁【はくりょう】は南山【なんざん】に冠たり,桂宮【けいきゅう】は北泉【ほくせん】に燿【かがや】く。
晨風【しんぷう】幨幌【たんこう】を拂い,朝日【あさひ】閨軒【けいけん】を照す。
美人【びじん】屏席【へいせき】に臥し,蘭【らん】瑤璠【ようはん】より秀いずるを懷う。
皎潔【こうけつ】秋松【しゅうしょう】の氣,淑德【しゅくとく】春景【しゅんけい】暄【あたたか】なり。


(現代語訳)
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。
穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。


(訳注)
 日出東南隅行

玉台新詠 古楽府六首『日出東南隅行』、古詩源 第三巻 楽府歌辭 『陌上桑』の詩に基づいて作られている。君主が戦場に送り出している美人を手に入れようとしたが、節操を持った女性に拒絶されたという話であるが、この時代美人はすべて君主のものということで全国に貝を掬い取る網、兔を取る網を各地に仕掛けていた。こうした、権力者批判していることがこれらの背景にある。顔延之の秋古詩などを詠い、謝宣遠ら四友(謝蕙連、羊璿之、何長瑜、筍蕹)らと和唱している中で作られているのであろう。このページ末部に参考として掲載


柏梁冠南山,桂宮燿北泉。
漢の柏梁台とは今のこの国の建業の南山での天子の冠である。桂宮の天子の歓楽の御殿は北泉湖に影を落としている。
柏梁 前116年、漢の武帝が長安の西北に築いた、高さ数十丈の楼台。梁(はり)に香柏を用いたのでこの名がある。冠南山 呉代265年に、南山(現深圳南山区)に塩官が置かれたことから、漢代の塩官も南山に置かれた。桂宮 漢長安城には未央宮、長楽宮、北宮、桂宮があった。・北泉 宮殿の南側にある池湖。
「柏梁詩」 柏梁台は武帝の元封三年(前103年)に作られたもので、台は長安城中北門内にあり、香栢の木をもって梁としたのでこの名があるという。台成るや帝は群臣および地方官を召して、よく七言詩を作るものには上座を与えた。その時、群臣らが一人一句ずつ聯ねたと伝えるのがこの詩である。


晨風拂幨幌,朝日照閨軒。
そこでは早朝に吹く風に庭の幔幕をはらってしまうし、今日もまた朝日が、処女が閨の軒端を照らすのを閨で見るのである。
晨風 早朝に吹く風。あさかぜ。・幨幌【たんこう・ほろ】 とばり、 ほろ、 たちきれる。・閨軒 ねやの軒端。処女の女性が初めての夜を過ごし、夜通し眠れず夜明けを迎える。そのとき上を向いて寝ているので軒端に朝日が差してくるのが強烈に目に刻まれる様子をいう。


美人臥屏席,懷蘭秀瑤璠。
美しい宮女はかこまれた部屋に置いて寝たままであるし、蘭の花のようにすぐれた美しい宝玉のことを思うのである。


皎潔秋松氣,淑德春景暄。
穢れのないものにとって清々しい秋の風か、青松のような節度を持った男なのか、節操のある淑女にとってこの春景色は暖かさを呼んでいることだろう。


相和歌辭︰相和曲
陌上桑. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。
秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷善蠶桑、採桑城南隅。
青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。
緗綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔捋髭須。
少年見羅敷、脫帽著幛頭。
耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟躕、使君遣吏往。
問此誰家姝、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。
二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。
羅敷前致辭、使君一何愚。
使君自有婦、羅夫自有夫。

東方千餘騎、夫婿居上頭。
何用識夫婿、白馬從驪駒。
青絲系馬尾、黃金絡馬頭。
腰中鹿盧劍、可值千萬餘。
十五府小史、二十朝大夫。
三十侍中郎、四十專城居。
為人潔白皙、髯髯頗有須。
盈盈公府步、冉冉府中趨。
坐中數千人、皆言夫婿殊。

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。
夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。

歳暮 謝霊運(康楽) 詩<67>Ⅱ李白に影響を与えた詩489 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1284

歳暮 謝霊運(康楽) 詩<67>Ⅱ李白に影響を与えた詩489 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1284


歳 暮
殷憂不能寐,苦此夜難頹。
深い憂いのために眠ることができず、この歳暮は苦しみ、夜が長くても頽廃的になり難いのだ。
明月照積雪,朔風勁且哀。
月は明く一面に積もった雪を照らし、冬の北風は強く吹きそして哀しい音を立てている。
運往無淹物,年逝覺已催。
今年も時がめぐり過ぎゆくと、旧のままに久しく留まるものなどなにもなく、年が去り行くことがすでに私をせき立てているようにおもわれる。
(闕文)
(闕文とされていている。)


現代語訳と訳註
(本文)

歳 暮
殷憂不能寐,苦此夜難頹。
明月照積雪,朔風勁且哀。
運往無淹物,年逝覺已催。
(闕文)

(下し文) 歳 暮
殷憂【いんゆう】して寐【い】ぬる能はず、此の夜の頹【くず】し難きに苦【くるし】む。
明月【めいげつ】は積雪を照らし、朔風【さくふう】は勁【つよ】くして且哀し。
運 往【ゆ】いて掩【とど】まる物無く、年 逝【ゆ】いて己に催【もよお】すを覺ゆ。
(闕文)


(現代語訳)
深い憂いのために眠ることができず、この歳暮は苦しみ、夜が長くても頽廃的になり難いのだ。
月は明く一面に積もった雪を照らし、冬の北風は強く吹きそして哀しい音を立てている。
今年も時がめぐり過ぎゆくと、旧のままに久しく留まるものなどなにもなく、年が去り行くことがすでに私をせき立てているようにおもわれる。
(闕文で伝わらない)


(訳注)
歳 暮


殷憂不能寐,苦此夜難頹。
深い憂いのために眠ることができず、この歳暮は苦しみ、夜が長くても頽廃的になり難いのだ。
殷憂 憂愁の甚だしいもの。殷殷は憂えること。以下に基づく。
『詩経、邶風、(出門)』
出自北門、憂心殷殷。
終窭且貧、莫知我艱。
已焉哉。
天実為之,謂之何哉。
私は北門を出る、心中憂鬱で気が重い。貧しくて生活が行き詰っているのに、誰も私の辛さなやみはわからない。でも仕方がない。全ては天がなせるわざだ。どうあがいても変わらない。
・頽 くずす。頽廃的になる。


明月照積雪,朔風勁且哀。
月は明く一面に積もった雪を照らし、冬の北風は強く吹きそして哀しい音を立てている。
朔風 北風。朔は北。・勁 強い。


運往無淹物,年逝覺已催。
今年も時がめぐり過ぎゆくと、旧のままに久しく留まるものなどなにもなく、年が去り行くことがすでに私をせき立てているようにおもわれる。
・掩物 久しく留まるもの。・已催 すでにせき立てている。


謝霊運の年の暮とおなじ世界感を盛唐詩人 高適の有名な七言絶句『除夜作』である。
219 高適 こうせき 702頃~765

 旅の空、一人迎える大みそかの夜。
 詩人を孤独が襲う。


  除夜作 

 旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。


 故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。



寒々とした旅館のともしびのもと、一人過ごす眠れぬ除夜をすごす。ああ、本当にさみしい。
旅の寂しさは愈々増すばかり・・・・・・・・・・。
今夜は大晦日。
故郷の家族は、遠く旅に出ている私のことを思ってくれているだろう。
夜が明けると白髪頭の置いたこの身に、また一つ歳を重ねるのか・・・・。



 作者 高適は河南省開封市に祀られています。三賢祠と呼ばれるその杜は李白、杜甫、高適の三詩人が共に旅をした場所である。記念して建立されている。
 詩人高適は50歳で初めて詩に志し、たちまち大詩人の名声を得て、1篇を吟ずるごとに好事家の伝えるところとなった。吐蕃との戦いに従事したので辺塞詩も多く残されている。詩風は「高古豪壮」とされる。李林甫に忌まれて蜀に左遷されて?州を通ったときに李白・杜甫と会い、詩の味わいが高まった。
李林甫に捧げた詩も残されており、「好んで天下の治乱を談ずれども、事において切ならず」と評された。『高常侍集』8巻がある。

 
 霜鬢明朝又一年
 ああ、大晦日の夜が過ぎると、また一つ年を取ってしまう。年々頭の白髪も増えていく、白髪の数と同じだけ愁いが増えてゆくのか
 当時、「数え」で歳を計算する、新年を迎えると年を取るのだ。

旅館寒燈獨不眠,客心何事轉悽然。
故鄕今夜思千里,霜鬢明朝又一年。


 旅先で一人過ごす大晦日、故郷にいれば家族そろって団欒し、みんなで酒を酌み交わしていたことだ。

:故鄕 今夜  千里を 思う
自分が千里離れた故郷を偲ぶのではなく、故郷の家族が自分を思ってくれるだろうという中国人の発想の仕方である。中華思想と同じ発想法で、多くの詩人の詩に表れている。
 しかしそれが作者の孤独感を一層引き立て、望郷の念を掻き立てるのだ。

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩488 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1281

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩488 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1281


入華子崗是麻源第三穀
南州實炎德,桂樹淩寒山。
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。
銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
險徑無測度,天路非術阡。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。
遂登羣峯首,邈若升雲煙。
かくて、ついに群山中の最も高い華子崗に登と、はるか雲にのぼった思いがするのである。
(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)
南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。
銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。
既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。
險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。
遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。

#2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。
今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。
圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
仙人の地図と系図といえばもはや擦り切れてなくなり、碑や版も誰が聞き伝えているというのか、それはないだろう。
莫辯百世後,安知千載前。
百世代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
且申獨往意,乘月弄潺湲。
それで外物に左右されず、一人で行く心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水の音を聞いて楽しむのである。
恒充俄頃用,豈為古今然!
かくてしばらくの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うことであるが、古今にわたる長久の事のために来たわけではないのである。

羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】を絕ち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。
圖牒【とちょう】複た摩滅【まめつ】し,碑版【ひはん】誰か聞き傳えんや?
百世【ひゃくせい】の後を辯ずる莫し,安んぞ千載【せんさい】の前を知らん。
且つ獨往【どくおう】の意を申【の】べ,月に乘じて潺湲【せんかん】を弄【ろう】す。
恒【たうね】に俄頃【がけい】の用に充【あ】つ,豈に古今の然るを為さんや!


つまり、昔、華子期の住んでいた名勝を訪ね、その情景を詠じている。道なき山路を登り、脚下に雲を踏みしめてゆくと、そこにはすでに仙人の遺跡も消え失せてしまっていたと悲しげにいう。そして、私は「豊に古今の馬に 然せんや」という。つまり、昔のことを尊重し、今を否定するような仙人になるためではない、という。
臨川郡にいての霊運の行動について、『朱書』の本伝では、郡に在りて遊放すること永嘉に異ならず。
と簡単に記している。この記事から考えてみると、相変わらず、ストレス解消のため、あちこちの名勝を訪ねて歩くということは少しも変わらなかったらしい。
さて、やがて不幸な一生を送らねはならなかった霊運の残された作品のなかで、その制作年代の不明なものを、次にまとめてみることにしよう。



現代語訳と訳註
(本文)
#2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。
圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
莫辯百世後,安知千載前。
且申獨往意,乘月弄潺湲。
恒充俄頃用,豈為古今然!


(下し文) #2
羽人【うじん】髣髴【ほうふつ】を絕ち,丹丘【たんきゅう】は徒【いたずら】に空筌【くうぜん】となる。
圖牒【とちょう】複た摩滅【まめつ】し,碑版【ひはん】誰か聞き傳えんや?
百世【ひゃくせい】の後を辯ずる莫し,安んぞ千載【せんさい】の前を知らん。
且つ獨往【どくおう】の意を申【の】べ,月に乘じて潺湲【せんかん】を弄【ろう】す。
恒【たうね】に俄頃【がけい】の用に充【あ】つ,豈に古今の然るを為さんや!


(現代語訳)
今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。
仙人の地図と系図といえばもはや擦り切れてなくなり、碑や版も誰が聞き伝えているというのか、それはないだろう。
百世代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
それで外物に左右されず、一人で行く心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水の音を聞いて楽しむのである。
かくてしばらくの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うことであるが、古今にわたる長久の事のために来たわけではないのである。


(訳注) #2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。
今ここで、仙人、華子期の姿はおぼろげで見えず、ただ丹丘の仙人の住む山にはその跡が残り、魚のいないやなしろと同様であるばかりである。
羽人 仙人。ここは華子期さす。 『楚辞』遠遊に「仍羽人於丹邱兮、留不死之旧郷(飛僊に従って常明のところに行き、神僊のいます不死の郷に留まる)」とある。天台山に隠棲する人をいうに基づく。あるいは、孫綽『遊天台山賦』に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。福を生じるもとの庭。道教では不老を自然に同化するということで死を回避する。自然に帰ることでもある。○髣髴 おぼろげなこと。○丹丘 仙人の住む山。○ やな、魚をとらえる竹製の器。


圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
仙人の地図と系図といえばもはや擦り切れてなくなり、碑や版も誰が聞き伝えているというのか、それはないだろう。
○圖 地図と系図。○碑 金や石に刻きんだ文字。ここでは、囲牒とともに仙家の記録。

莫辯百世後,安知千載前。
百世代の後の事はわかるものではないし、千年前の事などもどうしてわかろうか。
百世後 百世代の後の事。○千載前 千年前の事。


且申獨往意,乘月弄潺湲。
それで外物に左右されず、一人で行く心を伸ばそうとて、月下にさらさらと流れる水のおとをきいて楽しむのである。
獨往 ただ一人で行く。外物に左右されず、一人で行く。『荘子、在宥』「出入六合、遊乎九州、獨往獨來。是謂獨有。」


恒充俄頃用,豈為古今然!
かくてしばらくの間、眼前の光景に心を楽しませることを常に思うことであるが、古今にわたる長久の事のために来たわけではないのである。
○充 当てる、術える。○ やくだてる。

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1278

入華子岡是麻源第三谷 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩487 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1278



入華子崗是麻源第三穀五言
南州實炎德,桂樹淩寒山。
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。
銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
險徑無測度,天路非術阡。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。
遂登羣峯首,邈若升雲煙。
かくて、ついに群山中の最も高い華子崗に登と、はるか雲にのぼった思いがするのである。
(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)
南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。
銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。
既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。
險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。
遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。

#2
羽人絕髣髴,丹丘徒空筌。圖牒複摩滅,碑版誰聞傳?
莫辯百世後,安知千載前。且申獨往意,乘月弄潺湲。
恒充俄頃用,豈為古今然!


臨川に着いた宝達は、型のごとく、下役人の出迎えを受け、何日かは歓迎の宴会が続いたことであろう。役人としてやるべき仕事はあったかもしれぬが、心にはちきれんほどの不満をもっていた霊運は、そのうえ、永嘉の時代のごとく、理想に燃える若さもなくなってい、政治に夢はもてなくなっていた。ただ残っていたのは、相変わらず名勝を訪ねて賞でるということのみであった。おそらく、臨川付近の名勝はあちこち見て歩き、いくつかの詩作はしたであろうが、今は『文選』の巻二十六の「行旅」の部に「華子崗に入る。走れ麻原の第三谷」の詩が残っているのみである。この「華子崗」とは、臨川から撫江をさらに一五キロ以上さかのぼった、今の建昌の南城県にあり、昔、商山の四皓の一人であった用里生の弟子の華子期が住んでいたところといわれる。また、「麻源」とは後世、孫の手の原形の手をもって知られる麻姑仙人がいたところと伝えられる。李白『西嶽雲臺歌送丹邱子』「明星玉女備灑掃、麻姑搔背指爪輕。」にみられる。神仙伝「麻姑」に基づく。


現代語訳と訳註
(本文)
入華子崗是麻源第三穀五言
南州實炎德,桂樹淩寒山。銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。險徑無測度,天路非術阡。
遂登羣峯首,邈若升雲煙。


(下し文)
(華子崗に入る、是れ麻源の第三谷なり)
南州は実に炎徳【えんとく】あり、桂樹【けいじゅ】は寒山を凌ぐ。
銅陵【どうりょう】は碧潤【へきかん】に映じ、石磴【せきとう】は紅泉【こうせん】を瀉【そそ】ぐ。
既に隱淪【いんりん】の客を枉【ま】げ、亦た肥遯【ひとん】の賢を棲【す】ましむ。
險徑【けんけい】は測度【そくたく】する無く、天路【てんろ】術阡【じゅつせん】に非ず。
遂に群峰【ぐんほう】の首【いただき】に登れば、邈【ばく】として雲煙【うんえん】に升【のぼ】るが若し。


(現代語訳)
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。
かくて、ついに群山中の最も高い華子崗に登と、はるか雲にのぼった思いがするのである。


(訳注)
入華子崗是麻源第三穀五言

文選巻二十六、行旅(上)218謝靈運の山居の図によれば、「商山の四皓のひとりであるところの甪里」の弟子なる華子期がこの山頂にいたと言い伝えられ、それで華子崗という。そこの風景をみて所感をのべたのである。
商山は長安の東南商州にある山の名、漢の高祖の時四人の老人があり秦の乱をさけでその山に隠れ芝を採ってくらした。中国秦代末期、乱世を避けて陝西(せんせい)省商山に入った東園公・綺里季・夏黄公・里(ろくり)先生の四人の隠士。みな鬚眉(しゅび)が皓白(こうはく)の老人であったのでいう。


南州實炎德,桂樹淩寒山。
南方の地は暖かで山の桂の木は冬の寒さにもしぼむことなく青さを残している。


銅陵映碧潤,石磴瀉紅泉。
谷をゆけば銅鉱山は碧の谷川に映し、石段の坂には丹沙の中から、紅色の水が流れ出る。
 石の段。○紅泉 丹沙の中から、水が流れ出るので、色は紅。


既枉隱淪客,亦棲肥遯賢。
ここにはかって隱淪という世俗から隠れ住む人が来たし、同様に、肥遯の人も棲んだ。
 曲、まげる。○隱淪 世俗から隠れ住む。○ 止、久しくとどまる。ただし、この詩では、枉げると棲は同意に用いたのであろう。○肥遯 世をのがれかくれるという意味。肥は飛。隱淪と肥遯は、独往の意をふくむ。○ すぐれた人、高士の意味。「客」字も、そのような高士をさす。


險徑無測度,天路非術阡。
山道は険しくてその高さを測りしることができない、天にのぼる路のようで、それは常なみの道ではない。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275



登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
その1
杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。

その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。

その3
淹留昔時歡,復增今日歎。
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。
茲情已分慮,况乃協悲端。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
戚戚新別心,悽悽久念攢。
憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。
掩留【えんりゅう】するに昔時【せきじ】の歓のために、復た今日の歎【たん】を檜す。
茲【こ】の情は己に慮【おもんばかり】を分つ、況んや乃【すなわ】ち悲端【ひたん】に協【かな】えるをや。
秋泉【しゅうせん】は北澗【ほくかん】に鳴り、哀猿【あいえん】は南巒【なんらん】に響く。
戚戚【せきせき】たり新に別るるの心、悽悽【せいせい】として久念【きゅうねん】攢【あつ】まる。

その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。
臨江楼にいると思う念があつまり、ここを別離しようとする心を攻めたてられるのである、明朝こそは清溪の南を出発することにしょう。
暝投剡中宿,明登天姥岑。
そして明日の夕刻には剡中にいって宿り、更にその翌朝は剡中の天姥山(臨海嶠)に登ろうと思う。
高高入雲霓,還期那可尋。
そして高い高い雲に分け入ったとしたら、帰りには尋遠山によると約束していたがその時期はいつになるかわからない。
倘遇浮丘公,長絕子徽音。
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
攢念【さんねん】は別心を攻め,旦【あした】に清溪【せいけい】の陰を發す。
暝【ゆうべ】に剡中【せんちゅう】の宿に投じ,明【あした】に天姥【てんろう】の岑【みね】に登る。
高高【こうこう】として雲霓【うんけい】に入り,還期【かんき】は那ぞ尋ぬ可きや。
倘【も】し浮丘公【ふきゅうこう】に遇えば,長く子の徽音【きいん】を絕たん。


現代語訳と訳註
(本文) その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。


(下し文) その4
攢念【さんねん】は別心を攻め,旦【あした】に清溪【せいけい】の陰を發す。
暝【ゆうべ】に剡中【せんちゅう】の宿に投じ,明【あした】に天姥【てんろう】の岑【みね】に登る。
高高【こうこう】として雲霓【うんけい】に入り,還期【かんき】は那ぞ尋ぬ可きや。
倘【も】し浮丘公【ふきゅうこう】に遇えば,長く子の徽音【きいん】を絕たん。


(現代語訳)(その四)
臨江楼にいると思う念があつまり、ここを別離しようとする心を攻めたてられるのである、明朝こそは清溪の南を出発することにしょう。
そして明日の夕刻には剡中にいって宿り、更にその翌朝は剡中の天姥山(臨海嶠)に登ろうと思う。
そして高い高い雲に分け入ったとしたら、帰りには尋遠山によると約束していたがその時期はいつになるかわからない。
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 


(訳注) その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。
臨江楼にいると思う念があつまり、ここを別離しようとする心を攻めたてられるのである、明朝こそは清溪の南を出発することにしょう。
・攢 あつまる。葬らないで棺に土をかけること。うがつ。


暝投剡中宿,明登天姥岑。
そして明日の夕刻には剡中にいって宿り、更にその翌朝は剡中の天姥山(臨海嶠)に登ろうと思う。
剡中 浙江省嵊県。・天姥 山の名。浙江省新昌県の南部にある、主峰「撥雲尖」は標高817m。『太平寰宇記』(江南道八「越州、剡県」所引)の『後呉録』によれば、この山に登ると天姥(天上の老女)の歌う声が聞こえる、と伝えられる。


高高入雲霓,還期那可尋。
そして高い高い雲に分け入ったとしたら、帰りには尋遠山によると約束していたがその時期はいつになるかわからない。
・還期 帰る時期の約束。その1 
杪秋臨遠山,山遠行不近。
與子別山阿,含酸赴脩畛。
中流袂就判,欲去情不忍
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。


倘遇浮丘公,長絕子徽音。
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
/・浮斤公 列仙伝に「王子喬は好んで笠を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。○微音 りっぱななたより。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩485 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1272

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩485 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1272


この詩は、臨海山に登るべく、彊中を出発した時の作。




登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
その1
杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。

その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。

その3
淹留昔時歡,復增今日歎。
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。
茲情已分慮,况乃協悲端。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
戚新別心,悽悽久念攢。

憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。
掩留【えんりゅう】するに昔時【せきじ】の歓のために、復た今日の歎【たん】を檜す。
茲【こ】の情は己に慮【おもんばかり】を分つ、況んや乃【すなわ】ち悲端【ひたん】に協【かな】えるをや。
秋泉【しゅうせん】は北澗【ほくかん】に鳴り、哀猿【あいえん】は南巒【なんらん】に響く。
戚戚【せきせき】たり新に別るるの心、悽悽【せいせい】として久念【きゅうねん】攢【あつ】まる。

その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。



keikoku00

現代語訳と訳註
(本文)
その3
淹留昔時歡,復增今日歎。茲情已分慮,况乃協悲端。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。戚戚新別心,悽悽久念攢。


(下し文) その3
掩留【えんりゅう】するに昔時【せきじ】の歓のために、復た今日の歎【たん】を檜す。
茲【こ】の情は己に慮【おもんばかり】を分つ、況んや乃【すなわ】ち悲端【ひたん】に協【かな】えるをや。
秋泉【しゅうせん】は北澗【ほくかん】に鳴り、哀猿【あいえん】は南巒【なんらん】に響く。
戚戚【せきせき】たり新に別るるの心、悽悽【せいせい】として久念【きゅうねん】攢【あつ】まる。


(現代語訳)
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。


(訳注) その3
淹留昔時歡,復增今日歎。
この楼(臨江樓)にとどまっていると、かつて君と歓び遊んだことを思いだし、するとまた今日の離別の悲しさは更に増してくる。

 
茲情已分慮,况乃協悲端。
この哀しい情はわたしの思慮をかき乱し分裂する上に、ましてや時あたかも悲しさをそそる秋である。
悲端 哀しい心ばえ。秋のこと。宋玉『楚辞、九辯』に、「悲しいかな秋の気たるや」。


秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。
北の谷川には水の音が鳴り、南の連なった山々には猿の声が哀しげにひびいている。
 山の形の長く狭いもの。連なった山々。


戚戚新別心,悽悽久念攢。
憂いに満ち満ちた君と別れたばかりの心であり、胸にあつまり迫るのは往時を思う念が悲しくも起こるからである。
新別 あらたに別れる。今しがた別れたばかりの、の意味。○久念 旧畔のおもい。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩484 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1269

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩484 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1269


この詩は、臨海山に登るべく、彊中を出発した時の作。


登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
その1
杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。
その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。

夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。
a謝霊運永嘉ルート02

その3
淹留昔時歡,復增今日歎。茲情已分慮,况乃協悲端。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。戚戚新別心,悽悽久念攢。
その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。



現代語訳と訳註
(本文) その2

隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
欲抑一生歡,并奔千里遊。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。
豈惟夕情歛,憶爾共淹留。


(下し文)
汀【てい】に隱れて望舟【ぼうしゅう】を絕ち,棹【さお】を驚【は】せて驚流【けいりゅう】を逐う。
一生の歡【かん】を抑んと欲す,并【なら】びに千里の遊に奔らんと。
日落ちて當【まさ】に棲薄【せいはく】すべし,纜【ともずな】を繫ぐ臨江樓。
豈惟だ夕情の歛むらんや,爾【なんじ】を憶いて共に淹留【えんりゅう】す。


(現代語訳) (その二)
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。


(訳注) #2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。
君の舟は岸の曲りに望むのに絶たれて隠れてしまい、わたしは棹を早めて波たつ流れを追いかけ進む。


欲抑一生歡,并奔千里遊。
これまでどおり君と共に楽しみたい心をおさえ、と同時に君とともに千里の遠きに行きたいのに、それはできないことなのだ。
一生之歓 列子に、公孫朝の言「一生の歓を尽くし、当年の楽しみを窮めんと欲す」。謝悪運は、それと反対である。「抑歡」は遠く別れることに、「奔遊」は、離別の悲しさが増すことにかかる。


日落當棲薄,繫纜臨江樓。
日は落ち、暗くなり舟を泊める時になったので、ともづなを臨江樓のほとりにつないだ。
棲薄 二字とも、とまる、泊。


豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
夕方の色がおさまり晩になったというばかりでなく、君を憶う心も更に深いので、それらのためにこの江楼に留ったのである。
 おさまる。収斂。やむ。○共沌留 「夕情斂」と「憶爾」のふたつのことにとどまる。

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<66-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242
  文選447
この詩は、臨海山に登るべく、彊中を出発した時の作。


登臨海嶠、發疆中作、與從弟惠連、可見羊何共和之。

臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
その1

杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。

keikoku00

その2
隱汀絕望舟,驚棹逐驚流。欲抑一生歡,并奔千里遊。
日落當棲薄,繫纜臨江樓。豈惟夕情歛,憶爾共淹留。
その3
淹留昔時歡,復增今日歎。茲情已分慮,况乃協悲端。
秋泉鳴北澗,哀猿響南巒。戚戚新別心,悽悽久念攢。
その4
攢念攻別心,旦發清溪陰。暝投剡中宿,明登天姥岑。
高高入雲霓,還期那可尋。倘遇浮丘公,長絕子徽音。

宮島(5)

現代語訳と訳註
(本文)

登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
杪秋臨遠山,山遠行不近。
與子別山阿,含酸赴脩畛。
中流袂就判,欲去情不忍。
顧望脰未悁,汀曲舟已隱。

(下し文)
(臨海嶠に登らんとて、初め彊中を寄せしとき作る。從弟惠連に与え 羊何に見して共に之に和せしむ。)
杪秋に遠山を尋ねんとす、山遠くして行くに近からず。
子と山阿に別れ、酸を含みて脩畛に赴く。
中流にて袂は判に就き、去らんと欲して情忍びず。
顧望して脰は未だ悁れざるに、汀曲に舟は己に隱る。


(現代語訳)
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。


(訳注)
登臨海嶠、發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。
臨海の高く鋭い山を登るために、疆中を出立するときに作る。この詩はその時従弟の謝蕙連にあたえ、羊璿之、何長瑜、筍蕹らには示したもので四友共にこの詩を唱和したものである。
臨海嶠 臨海の高く鋭い山・嶠 高く鋭い山。・疆中 ・羊何
四友沈約の宋書の謝霊伝には「謝霊運は東に帰ってから、謝恵連や、東海の何長瑜、頴川の筍蕹、太山の羊璿之と文章をもって会し、共に山沢の遊びをなした。時人は、これを四友といった」ことが見える。又これらのことを詠ったものに李白『翰林讀書言懷呈集賢諸學士』がある。
翰林讀書言懷呈集賢諸學士
晨趨紫禁中。 夕待金門詔。
觀書散遺帙。 探古窮至妙。
片言苟會心。 掩卷忽而笑。
青蠅易相點。 白雪難同調。
本是疏散人。 屢貽褊促誚。
云天屬清朗。 林壑憶游眺。
或時清風來。 閑倚檐下嘯。
嚴光桐廬溪。 謝客臨海嶠。
功成謝人間。 從此一投釣。

林讀書言懷呈集賢諸學士 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白176 と玄宗(8


孟浩然『將適天臺、留別臨安李主簿』孟浩然が、天台山へ向かう途上、浙江の臨安県で知人に別れた留別の詩である。孟浩然は謝霊運『登臨海嶠、初發疆中作』とほぼ同じルートで天台山へ向かっている。これは、謝霊運の詩に基づき詩作したものである。
將適天臺,留別臨安李主簿
枳棘君尚棲,匏瓜吾豈系。
念離當夏首,漂泊指炎裔。
江海非墮游,田園失歸計。
定山既早發,漁浦亦宵濟。
泛泛隨波瀾,行行任艫枻。
故林日已遠,群木坐成翳。
羽人在丹丘,吾亦從此逝。孟浩然の官界への深い失望感が表され、天台山はイメージとしてうたっているので、具体性、動的な観察表現は全くない。ゆったりと波にまかせて進んだ先にあること、木陰をなす川筋の先にあることなど、天台山への道のりが、快適な自然の中にあること、すべてがイメージだけのものである。

盛唐詩 將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


杪秋臨遠山,山遠行不近。
晩秋になって遠い臨海山を尋ねようとするが、その山への路をすすむにはとても近くはない。
杪秋 晩秋。杪:木の梢。木の末端部をいうことから、杪秋、杪冬とつかう。

與子別山阿,含酸赴脩畛。
君と山の隈までいって別れようということであったが、寂しくなる、悲しみの情をいだきつつ田畑の中の長い路を行った。
脩畛 五臣江本にしたがって「珍」を「瞼」とした。田畑の中の長い道。


中流袂就判,欲去情不忍。
そして中流で君と袂を分かちおえる、たち去ろうとおもうのであるが別れたくない情にたえられない。
就判 就:つく、おえる。判:別れる、離れる。

顧望脰未悁,汀曲舟已隱。
ふりかえっては君を望み、首すじがまだ疲れず名残りもつきないうちに、早くも君の舟は岸の曲りかどで隠れてしまった。
:くびすじ、うなじ。:腹を立てる。なやむ。あせる。名残の思い。

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1263

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩482 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1263


還至梁城作
眇默軌路長,憔悴征戍勤。
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
昔邁先徂師,今來後歸軍。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。
振策睠東路,傾側不及群。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
息徒顧將夕,極望梁陳分。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
故國多喬木,空城凝寒雲。」
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。
(還【かえ】りて梁城に至る作)
眇默【びょうもく】として軌路【きろ】は長く,憔悴【しょうすい】して征戍【せいじゅ】に勤【つと】む。
昔 邁きしとき徂師【そし】に先だち,今 來たるとき歸軍【きぐん】に後【おく】る。
策【むち】を振【あ】げて東路【とうろ】を睠【かえり】み,傾側【けいそく】すれども群に及ばず。
徒【と】を息【いこ】えて顧みるに將に夕べにならんとし,望を極むれば 梁陳【ちん・りょう】 分る。
故國【ここく】には喬木【きょうぼく】多く,空城には寒雲【かんうん】凝【こ】る。
#2
丘壟填郛郭,銘志滅無文。
旧都の城壁の外には墳墓が多くある、その墓の銘や誌は磨滅して、文宇は読めない。
木石扃幽闥,黍苗延高墳。
木や石は散乱して墓の門をふさぎ、黍の苗が高い墳塚の上に生い茂るという荒れ方である。
惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
昔雍門于が孟賞君に言ったことを思いだして嘆かわしくなる。
愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
まことに尊貴の人といえども、愚賤のものと同じょうに、亡びて跡かたもなくなるのであり、尊貴だけが亡びずして称せられることなど、何とてあり得ないことなのだ。
曷為久遊客?憂念坐自殷。」

それにつけても、わたしはどうしてこのように、久しく他郷に在ることか、憂い心がおのずから深まるのである。
#2
丘壟【きゅうろう】は郛郭【ふかく】に填【み】ち,銘志【めいし】は無文【むもん】に滅【きえ】る。
木石【ぼくせい】は幽闥【ゆうたつ】を扃【とざ】し,黍苗【しょびょう】は高墳【こうふん】に延【の】ぶ。
惟【おも】う彼の雍門子【ようもんし】,吁嗟 孟嘗君【もうしょうくん】。
愚賤【ぐせん】と同じく堙滅【いんめつ】す,尊貴【そんき】とて誰か獨り聞こえん?
曷【なん】為【す】れぞ久遊【きゅうゆう】の客か?憂念【ゆうねん】坐ろに自ら殷んなり。


現代語訳と訳註
(本文) #2

丘壟填郛郭,銘志滅無文。
木石扃幽闥,黍苗延高墳。
惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
曷為久遊客?憂念坐自殷。」


(下し文)#2
丘壟【きゅうろう】は郛郭【ふかく】に填【み】ち,銘志【めいし】は無文【むもん】に滅【きえ】る。
木石【ぼくせい】は幽闥【ゆうたつ】を扃【とざ】し,黍苗【しょびょう】は高墳【こうふん】に延【の】ぶ。
惟【おも】う彼の雍門子【ようもんし】,吁嗟 孟嘗君【もうしょうくん】。
愚賤【ぐせん】と同じく堙滅【いんめつ】す,尊貴【そんき】とて誰か獨り聞こえん?
曷【なん】為【す】れぞ久遊【きゅうゆう】の客か?憂念【ゆうねん】坐ろに自ら殷んなり。


(現代語訳) #2
旧都の城壁の外には墳墓が多くある、その墓の銘や誌は磨滅して、文宇は読めない。
木や石は散乱して墓の門をふさぎ、黍の苗が高い墳塚の上に生い茂るという荒れ方である。
昔雍門于が孟賞君に言ったことを思いだして嘆かわしくなる。
まことに尊貴の人といえども、愚賤のものと同じょうに、亡びて跡かたもなくなるのであり、尊貴だけが亡びずして称せられることなど、何とてあり得ないことなのだ。
それにつけても、わたしはどうしてこのように、久しく他郷に在ることか、憂い心がおのずから深まるのである。


(訳注) #2
丘壟填郛郭,銘志滅無文。
旧都の城壁の外には墳墓が多くある、その墓の銘や誌は磨滅して、文宇は読めない。
丘壟 おか。墓地をさす。○郛郭 外ぐるわ。城壁。○銘・誌 死者の生前の功徳などを石碑に刻した文章。


木石扃幽闥,黍苗延高墳。
木や石は散乱して墓の門をふさぎ、黍の苗が高い墳塚の上に生い茂るという荒れ方である。
木石 もと墓を造った時に用いた材料。○ とず。戸じまりのための横木。かんぬき。○幽闘 奥深く見える門。○ ここは、茎、幹(匹)の意。○ 延びている。満ち茂ること。


惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
昔雍門于が孟賞君に言ったことを思いだして嘆かわしくなる。
雍門子 桓子新論に「雍門周は孟嘗君に見えて曰く、臣はひそかに悲しむ、干秋万歳の後には墳墓に荊辣の生じ、行人これを見て『孟嘗君の尊貴なるも、乃ち是の如きか』と日はんことを、と」。
桓子新論曰:雍門周見孟嘗君曰:臣竊悲千秋萬歲後,墳墓生荊棘,行人見之曰:孟嘗君尊貴乃如是乎!毛詩曰:吁嗟女兮。封禪書曰:堙滅而不稱。列子曰:伏羲以來,三十餘萬歲,賢愚好醜,無不消滅。


愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
まことに尊貴の人といえども、愚賤のものと同じょうに、亡びて跡かたもなくなるのであり、尊貴だけが亡びずして称せられることなど、何とてあり得ないことなのだ。


曷為久遊客?憂念坐自殷。」
それにつけても、わたしはどうしてこのように、久しく他郷に在ることか、憂い心がおのずから深まるのである。

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩481 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1260

還至梁城作 顔延之(延年) 詩<12-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩481 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1260


現代語訳と訳註
(本文) 文選 220
還至梁城作
眇默軌路長,憔悴征戍勤。
昔邁先徂師,今來後歸軍。
振策睠東路,傾側不及群。
息徒顧將夕,極望梁陳分。
故國多喬木,空城凝寒雲。」
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。
#2
丘壟填郛郭,銘志滅無文。
木石扃幽闥,黍苗延高墳。
惟彼雍門子,吁嗟孟嘗君。
愚賤同堙滅,尊貴誰獨聞?
曷為久遊客?憂念坐自殷。」

(下し文)
(還【かえ】りて梁城に至る作)
眇默【びょうもく】として軌路【きろ】は長く,憔悴【しょうすい】して征戍【せいじゅ】に勤【つと】む。
昔 邁きしとき徂師【そし】に先だち,今 來たるとき歸軍【きぐん】に後【おく】る。
策【むち】を振【あ】げて東路【とうろ】を睠【かえり】み,傾側【けいそく】すれども群に及ばず。
徒【と】を息【いこ】えて顧みるに將に夕べにならんとし,望を極むれば 梁陳【ちん・りょう】 分る。
故國【ここく】には喬木【きょうぼく】多く,空城には寒雲【かんうん】凝【こ】る。
#2
丘壟【きゅうろう】は郛郭【ふかく】に填【み】ち,銘志【めいし】は無文【むもん】に滅【きえ】る。
木石【ぼくせい】は幽闥【ゆうたつ】を扃【とざ】し,黍苗【しょびょう】は高墳【こうふん】に延【の】ぶ。
惟【おも】う彼の雍門子【ようもんし】,吁嗟 孟嘗君【もうしょうくん】。
愚賤【ぐせん】と同じく堙滅【いんめつ】す,尊貴【そんき】とて誰か獨り聞こえん?
曷【なん】為【す】れぞ久遊【きゅうゆう】の客か?憂念【ゆうねん】坐ろに自ら殷んなり。


(現代語訳)
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。


(訳注)
還至梁城作   顔延年(延之)
文選 行旅 下220
洛陽に使いし、それから帰る途中、梁国の都に着いた時の作。
■ 梁国 河南・安徽・山東省の交界部。
 秦の碭郡。 8県、38.7千戸、106.7千人(A2年)/ 9県、83.3千戸、431.3千人(140年)
 治所は碭(安徽省宿州市碭山)。  ・睢陽・蒙(河南省商丘市区) ・虞(商丘市虞城) ・已氏(山東省渮沢市曹県)

眇默軌路長,憔悴征戍勤。
私の帰り道はなかなで遠く長くなっている、洛陽にへの旅にでて職務に邁進しているためと憂苦のために顔色がくろくやつれている。
○眇默 遠く、ひっそりしたこと。『楚辭、九章』「石巒に登って遠く望めば,路は眇眇として默默たり。」(登石巒兮遠望,路眇眇兮默默。)○軌路 車で帰るから、軌といった。○憔悴 憂苦のために顔色がくろくやつれる。『楚辭、漁夫』「屈原既放,游於江潭,行吟澤畔,顏色憔悴,形容枯槁。」(屈原既に放れて,江潭に於游び,行々く澤畔に吟ず,顏色憔悴し,形容枯槁す。)○征戌 行き守る。洛陽に使いしたことをさす。左氏傳「勤戍五年。」

昔邁先徂師,今來後歸軍。
かつて北伐にゆく行軍に従い、その先となって洛陽におもむいたのだが、今は帰りの軍の後についてもどることになる。

振策睠東路,傾側不及群。
鞭を振りあげて東のかた帰路を視つつ、前に倒れるくらい道を急ぐけれども、軍に追いつくことができないのだ。
○傾側 ここは、からだが、前に傾き倒れる意。楚辭「肩傾側而不容兮,固陿腹而不得息。」


息徒顧將夕,極望梁陳分。
従者のものたちを休息させ、見まわすに、時はすでにタ方近くになっている、はるか遠くを望むと梁と陳との分れ目の国境線のあたりが見える。
○徒 徒侶、なかま。ここは従者。

故國多喬木,空城凝寒雲。」
旧国であるこの梁城には高い大木が茂っているが、さびれ果てた城郭には寒そうな雲がたちこめている。
○故國の句 ・故国 梁国。孟子の梁恵王篇に「觀喬木,知舊都」(いはゆる故国とは、喬木有るの謂にあらず)とみえるから、「旧国には大木があるものだ」との考え方もあったということ。○空城 梁城をさす。なむしきさまは、次の諸句にのべてある

秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257

秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257



魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。
列女伝

魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。
(下し文)

秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)
(大意)

魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

顔延年はこの説話を詠んだ詩。


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

(第七首)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
(高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。

(第八首)
有懷誰能已?聊用申苦難。
心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。
離居殊年載,一別阻河關。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
春來無時豫,秋至恒早寒。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
明發動愁心,閨中起長歎。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
慘淒歲方晏,日落遊子顔。
心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。
懐ふこと有れば誰か能く已【や】まん、聯【いささ】か用て苦難を申【の】べん。
離居【りきょ】して年載【ねんさい】を殊【こと】にし、一別して河關【かかん】に阻【へだ】てらる。
春末るも時に豫【たの】しむこと無く、秋至れば恒に早く寒かるべし。
明發【めいはつ】まて愁心を動かし、閨中【けいちゅう】に起って長歎【ちょうたん】す。
慘淒【さんせい】す歳【とし】方【まさ】に晏【く】るるときには、日は落つらん遊子【ゆうし】の顔にと。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。
琴瑟も高い調子に張ると絶ち切れる絃が生じるように、みさおを高く立て通すためには命を絶つこともある。音声のきびしく悲しいのは曲のしらべが高まるように恨みか深いから、言葉も痛切になるのです。
自昔枉光塵,結言固終始。
昔、貴君がわざわざ来られて私を妻に迎えられてから、終始、固く変わるまいと失婦の約束をしたのです。
如何久爲別,百行諐諸己。
しかしこのように、久しく別れているうちに、あなたはすべての行勤に貴君自身が徳義を破ったのをどうしからよいというのですか。
君子失明義,誰與偕沒齒!
孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失う。」といわれる通り、貴君が、明らかた道義にそむくことをされるなら、誰がともに一生を終えることができようか。
愧彼行露詩,甘之長川汜。

とても一緒に暮らせるものではありません。『詩経、召南』石露篇に貞節の婚人には無礼を加えることができないことを歌っているが、私はその詩に恥じると思うのです。それゆえ甘んじて大川の岸に行って身を投げて死のうと思うのです。
高張【こうちょう】は絕弦【ぜつげん】を生じ,聲の急なるは調の起るに由る。
昔 光塵【こうじん】を枉げて自より,言を結びて終始を固くす。
如何ぞ久しく別を爲し,百行諸れ己に諐【あやま】るや。
君子 明義【めいぎ】を失す,誰と與【とも】にか偕【とも】に齒【よわい】を沒せむ!
彼の「行露詩」に愧ず,甘んじて長川【ちょうせん】の汜【ほとり】に之【ゆ】かん。


現代語訳と訳註
(本文) (9) 
 
高張生絕弦,聲急由調起。
自昔枉光塵,結言固終始。
如何久爲別,百行諐諸己。
君子失明義,誰與偕沒齒!
愧彼行露詩,甘之長川汜。


(下し文)
高張【こうちょう】は絕弦【ぜつげん】を生じ,聲の急なるは調の起るに由る。
昔 光塵【こうじん】を枉げて自より,言を結びて終始を固くす。
如何ぞ久しく別を爲し,百行諸れ己に諐【あやま】るや。
君子 明義【めいぎ】を失す,誰と與【とも】にか偕【とも】に齒【よわい】を沒せむ!
彼の「行露詩」に愧ず,甘んじて長川【ちょうせん】の汜【ほとり】に之【ゆ】かん。


(現代語訳) (第九首)
琴瑟も高い調子に張ると絶ち切れる絃が生じるように、みさおを高く立て通すためには命を絶つこともある。音声のきびしく悲しいのは曲のしらべが高まるように恨みか深いから、言葉も痛切になるのです。
昔、貴君がわざわざ来られて私を妻に迎えられてから、終始、固く変わるまいと失婦の約束をしたのです。
しかしこのように、久しく別れているうちに、あなたはすべての行勤に貴君自身が徳義を破ったのをどうしからよいというのですか。
孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失う。」といわれる通り、貴君が、明らかた道義にそむくことをされるなら、誰がともに一生を終えることができようか。
とても一緒に暮らせるものではありません。『詩経、召南』石露篇に貞節の婚人には無礼を加えることができないことを歌っているが、私はその詩に恥じると思うのです。それゆえ甘んじて大川の岸に行って身を投げて死のうと思うのです。


 (訳注)
高張生絕弦,聲急由調起。

琴瑟も高い調子に張ると絶ち切れる絃が生じるように、みさおを高く立て通すためには命を絶つこともある。音声のきびしく悲しいのは曲のしらべが高まるように恨みか深いから、言葉も痛切になるのです。
高張生紬絃 生は致す意。節操を立てるため、命を致す(自殺)を期することにたとえた。 琴の絃を声高く張れば絶ち切れる絃も生じる。みさお強く立て通せば生命か絶つこともある。筋を通すには命を懸けるの喩え。○声急由調趙 恨みか深いのて、辞も痛切になることにたとえた。
声急由調起 音声のぜまって悲しげなことは曲調が高まるのによる。妻の苦言は恨みの深いためであるという意味を、音曲の理にたとえた。この「秋湖詩」は歌い語りの詩であるから、両句は音曲上のことでいう。 


自昔枉光塵,結言固終始。
昔、貴君がわざわざ来られて私を妻に迎えられてから、終始、固く変わるまいと失婦の約束をしたのです。
枉光塵 わざわざお迎えを頂いて婚礼をした。光塵は人の車の迹に起こる塵の美称。光は輝く意味で美称。光塵 秋胡の光と塵をさす。○結言 佩び帯を結んで約束をする。楚辞、離騒「吾令豐隆乘雲兮,求虙妃之所在解佩纕以結言兮」佩纕を解いて以て言を結ぶ。」


如何久爲別,百行諐諸己。
しかしこのように、久しく別れているうちに、あなたはすべての行勤に貴君自身が徳義を破ったのをどうしからよいというのですか。
百行 あらゆる行ない。○諐諸己 あやまつ、失。秋湖自身徳義を破ったことをいう。


君子失明義,誰與偕沒齒!
孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失う。」といわれる通り、貴君が、明らかた道義にそむくことをされるなら、誰がともに一生を終えることができようか。
 ○失明義 孔子家語「淫乱は男女より生ず。男女、別なければ、夫婦、義か失ふ。」


愧彼行露詩,甘之長川汜。
とても一緒に暮らせるものではありません。『詩経、召南』石露篇に貞節の婚人には無礼を加えることができないことを歌っているが、私はその詩に恥じると思うのです。それゆえ甘んじて大川の岸に行って身を投げて死のうと思うのです。
傀彼行露詩 愧とは、はずかしく思うこと。「貞女は、霜露を犯して礼に違ふことをせず、而るに我は生を貪りて義を棄つるをなさば、彼の貞女に劣る。故に愧づることあり」という注がある。
 『詩経、召南』石露篇に「厭浥行露、豈不夙夜、謂行多露。」(厭浥たる行の露、豈夙夜せざらんや、謂ふ行に露の多しと。)詩の序に「彊暴の男も、貞女 を侵凌すること能ばず」という。○甘 満足して。みずから願って。○ 爾雅に、「決れて復た河に入る水」というのは、再び本流に合流する所の支流のこと。ここは「水涯」(入水自殺)をいう。○長川汜 大川の岸。汜は岸。


高張【こうちょう】は絕弦【ぜつげん】を生じ,聲の急なるは調の起るに由る。
昔 光塵【こうじん】を枉げて自より,言を結びて終始を固くす。
如何ぞ久しく別を爲し,百行諸れ己に諐【あやま】るや。
君子 明義【めいぎ】を失す,誰と與【とも】にか偕【とも】に齒【よわい】を沒せむ!
彼の「行露詩」に愧ず,甘んじて長川【ちょうせん】の汜【ほとり】に之【ゆ】かん。

秋胡詩 (8) 顔延之(延年) 詩<10>Ⅱ李白に影響を与えた詩479 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1254

秋胡詩 (8) 顔延之(延年) 詩<10>Ⅱ李白に影響を与えた詩479 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1254


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

(第七首)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
(高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。

(第八首)
有懷誰能已?聊用申苦難。
心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。
離居殊年載,一別阻河關。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
春來無時豫,秋至恒早寒。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
明發動愁心,閨中起長歎。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
慘淒歲方晏,日落遊子顔。

心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。
懐ふこと有れば誰か能く已【や】まん、聯【いささ】か用て苦難を申【の】べん。
離居【りきょ】して年載【ねんさい】を殊【こと】にし、一別して河關【かかん】に阻【へだ】てらる。
春末るも時に豫【たの】しむこと無く、秋至れば恒に早く寒かるべし。
明發【めいはつ】まて愁心を動かし、閨中【けいちゅう】に起って長歎【ちょうたん】す。
慘淒【さんせい】す歳【とし】方【まさ】に晏【く】るるときには、日は落つらん遊子【ゆうし】の顔にと。
 (9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。
如何久爲別,百行諐諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!
愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]



現代語訳と訳註
(本文) (8)
  

有懷誰能已?聊用申苦難。
離居殊年載, 一別阻河關。
春來無時豫, 秋至恒早寒。
明發動愁心, 閨中起長歎。
慘淒歲方晏, 日落遊子顔。


(下し文)
懐ふこと有れば誰か能く已【や】まん、聯【いささ】か用て苦難を申【の】べん。
離居【りきょ】して年載【ねんさい】を殊【こと】にし、一別して河關【かかん】に阻【へだ】てらる。
春末るも時に豫【たの】しむこと無く、秋至れば恒に早く寒かるべし。
明發【めいはつ】まて愁心を動かし、閨中【けいちゅう】に起って長歎【ちょうたん】す。
慘淒【さんせい】す歳【とし】方【まさ】に晏【く】るるときには、日は落つらん遊子【ゆうし】の顔にと。


(現代語訳) (第八首)
心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。


 (訳注)
有懷誰能已?聊用申苦難。

心に思うことがあるのを苦難であっても誰がやめることができよう。それ故、妻は少しばかり苦しい胸の内を述べてみる。


離居殊年載,一別阻河關。
あの日別れてから離れて住んで年は移りゆく、一たび別れてのちは黄河の関所を隔て消息も絶えてしまった。
殊年載 年が変わる。 ・阻河関 黄河の関所を隔て行くこともできない。


春來無時豫,秋至恒早寒。
私は春が来でも時節のたのしみもなく、秋になるといつも早く寒くなるであろう夫の赴任地の事を思った。
無時豫 時節に楽しむこともない。豫は逸楽。 


明發動愁心,閨中起長歎。
そして夜通し明け方まで憂い、心配し眠れない時を過ごし、夜は初夜を引きずって、ねやで立ち上がり長いためいぎをついていたものだった。
明発 早朝、夜が明けて光が発する時。夜は初夜を引きずっているということ。 
 

慘淒歲方晏,日落遊子顔。
心がいたみ悲しみの中でこの年も暮れてゆくのでした。夫の貴君が夕日の落ちる時にはますます旅人のやつれ顔をしておられる姿を思っていたのです。
慘淒 心がいたみ悲しむ。 ・ 暮れる。 ・遊子顔 夫の旅にやっれた顔を思い浮かべる。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

 (第七首)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
 (高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。
8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]


現代語訳と訳註
(本文)
(7)  
高節難久淹,朅來空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。
上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。
美人望昏至,慚歎前相持。


(下し文)
高節【こうせつ】には久しくは淹【とどま】り難く、朅來【けつらい】して空しく複た辭す。
遲遲【ちち】として前途【ぜんと】盡【つ】き,依依【いい】として門基【もんき】に造【いた】る。
堂に上りて嘉慶【かけい】を拜し、室に入りて問う何に之けると。
日暮【にっぽ】には行【ゆくゆ】く采り歸らん,物色【ぶっしょく】桑榆【そうゆ】の時にと。
美人は昏【ゆうべ】を望みて至り,慚【は】じ歎【なげ】く前に相い持【じ】せしを。


(現代語訳) (第七首)
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。


(訳注)
高節難久淹,朅來空複辭。
高くすぐれた操をまもる婦人のもとに久しく留まることは難しいことである、秋湖は行きつもどりつしながらもむなしくまた別れをつげて去ったのだ。
高節 潔婦の高いみさお。 ・追来 去來に同じ。行きつもどりつする。去り難くして去る。去りなむ、いざ。


遲遲前途盡,依依造門基。
秋湖の足どりは遅れがちながらも行く道を尽くしてしまう、後に心を引かれながらも家の門の土台に行き着いた。
依依 後に心がひかれるさま。 ・門基 わが家の門の土台。


上堂拜嘉慶,入室問何之。
秋胡は奥座敷に上がって母に拝して健康を歓び祝った、夫婦の奥室に入って、妻がどこに行ったのかを問う。
拝嘉慶 母を拝して、その款嫌のよいことを喜ぶ。 ・問伺之 妾がどこに行ったかを問う。


日暮行采歸,物色桑榆時。
母は答えた、妻女は夕暮れ頃には帰って來るでしょう。それはいろんな物の色がわからなくなる、桑や楡の木立に日の入る黄昏時になるころでしょう。
行帰来 そろそろ帰って来るであろう。母の答え。 ・桑楡 日が家の西側の桑や楡のこずえに落ち
かかる頃。目暮れ前。後漢書馮異伝に「之を東隅に失ひて、之を桑楡に取む」とあり、注に「桑楡は晩なり」とある。


美人望昏至,慚歎前相持。
美人は日の黄昏を望みながら家に到着する、さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったことをはじめて恥じ入り、そして嘆くのである。
頂作庖 目暮れになるのを望み見ながら。 ・前拒拉 さきに夫と途中で相応酬して、夫の心の不義なのを知ったこと。
・沈徳潜曰く「此の章は、其の母、人をして其の婦を呼ばしむ、至れば乃ち向の採桑の者なるを言ふなり」と。

秋胡詩 (6) 顔延之(延年) 詩<8>Ⅱ李白に影響を与えた詩477 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1248

秋胡詩 (6) 顔延之(延年) 詩<8>Ⅱ李白に影響を与えた詩477 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1248


魯国の秋胡子の妾なる潔婦について述べた詩。
列女伝

魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。


秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)


魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

顔延年はこの説話を詠んだ詩。


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

 (4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。

 (7)  
高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。美人望昏至,慚歎前相持。
(8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]


現代語訳と訳註
(本文) (6)  

年往誠思勞,事遠闊音形。
雖爲五載別,相與昧平生。
舍車遵往路,凫藻馳目成。
南金豈不重?聊自意所輕。
義心多苦調,密比金玉聲。


(下し文)
年往きて誠に思は勞するも、事遠くして音形は闊【とお】し。
五載の別を爲すと雖も、相與に平生に昧し。
車を捨てて往路に遵【したが】ひ、凫藻【ふそう】して目成【もくせい】を馳す。
南金壹重からざらんや。聊【いささか】か自ら意に握んずる所なり。
義心に苦調【くちょう】多し。密に金玉【きんぎょく】の聲に比す。


(現代語訳)
年はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。


(訳注)
年往誠思勞,事遠闊音形。

はすぎ往き、誠意や思慕の心は疲れてしまい維持しなかった、それに路は遠く隔たって声も姿も久しく見聞きしていない。
闊音形 声も姿も見聞きせず久しくなった。○ 遠く、うとい。通ぜぬこと。


雖爲五載別,相與昧平生。
五年もの別れをしていたのだけれども、お互いに平生の様子をなにもわからなかったものだ。
相與 ここは「たがいに」ではない。○昧平生 平素のようすがよくわからない。 ○平生 ここは、その昔、かつて。


舍車遵往路,凫藻馳目成。
秋湖は車をおりて今来た道にしたがって戻った、秋湖は鴨が水草を得て喜んで踊り進むようにして、桑畑に美人に目くばせして「今夜の情交」の約束をしようとした。
遵往路 すぎて来た路に引きかえす。・凫藻馳目成 凫はかも。かもが水藻を得て喜び躍るように、進んで美女と目くばせして情交を約束する。目成は目で約束する。楚辞九歌に「满堂兮美人,忽独与余兮目成」堂に满ちて美人あるに,忽ち独だ与に余と目成す。
凫藻 呂延済は「秋胡が共の妻を望み匹肋(怠むこと、殆鳥の水草を俳で、猷び尿りて言むがごとし)という。○目成 自分の思いを成しとぐべく目くばせすること。ここは「いどむ」ため。


南金豈不重?聊自意所輕。
秋湖が贈ろうとした南国産の金はどうして重い値打ちがないであろうか、しかし、秋湖の妻はとにかく自分の心でそれを軽いつまらないものと思ったのである。
南金 詩経 魯頌 泮水篇に「元龜象齒,大賂南金。」(元亀象俳、大南金を賂(おく)る」。南方の荊州・揚州に産する黄金。・聊自穿所輯 とにかく自分では心に輕んじた。 秋湖の妻の思い:


義心多苦調,密比金玉聲。
彼女は貞節を重しとするためにお金を拒んだのである。その節義の心は秋湖にとって多くの苦い響きの言葉で語られたが、その声は全く金玉の美しく清い音にも似ていていた。
○義心 義とは、夫蛸の道をさす。○多苦調 聞く者の心に苦しい響きの言葉が多い。○ ひそかに、ひそめる。○金玉声 ここは秋胡自身の聲。毛詩の小雅、白駒篇に「爾の音を金玉にして、遐心有る毋かれ」という。音は声。金玉にすとは、愛惜(おしむ)。出すことを、おしむ。

秋胡詩 (5) 顔延之(延年) 詩<7>Ⅱ李白に影響を与えた詩476 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1245

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魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

顔延年はこの説話を詠んだ詩。


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。
(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。
(5)  
勤役從歸願,反路遵山河。
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。雖爲五載別,相與昧平生。舍車遵往路,凫藻馳目成。南金豈不重?聊自意所輕。義心多苦調,密比金玉聲。
(7)  
高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。美人望昏至,慚歎前相持。
(8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]

(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。

ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。
悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。

はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。


現代語訳と訳註
(本文) (5)
  
勤役從歸願,反路遵山河。
昔辭秋未素,今也歲載華。
蠶月觀時暇,桑野多經過。
佳人從所務,窈窕援高柯。
傾城誰不顧,弭節停中阿。


(下し文)
勤役【きんえき】歸願【きがん】に從い,反路【はんろ】山河に遵【したが】う。
昔 辭せしとき秋未だ素ならず,今や歲は載【すなわ】ち華【はな】さく。
蠶月【さんげつ】時暇【じか】を觀,桑野【そうや】經過すること多し。
佳人【かじん】は務むる所に從う,窈窕【ようちょう】として高柯【こうか】を援【ひ】く。
傾城【けいじょう】誰か顧みざらん,節を弭【おさ】えて中阿【ちゅうあ】に停【とど】まる。


(現代語訳) (第五首)
役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。


(訳注)
勤役從歸願,反路遵山河。

役所勤めのうちにも帰省の願いが聞き入れられ、帰り道は山や河に沿って帰って行く。
勤役 役所のつとめ。 ・従帰願 帰郷の願どおりになる。 ・反路遵山河 帰りの路は山川に沿って続く。 


昔辭秋未素,今也歲載華。
昔、いとま乞いをしたときは秋もまだ深くない落葉のない時期であったが、今は歳も新たに春の花が咲いている。
 木の葉が落ちること。 ・載華 草木がもう花が咲いている。載は「すなはち」。


蠶月觀時暇,桑野多經過。
春の蚕を飼う月にちょうどよい休暇をもらったのだ、帰り道は先々さかりの桑畑を通った。
蠶月 養蚕の月。養蚕をいう。・歓時暇 ちょうどよい晦に当たった休暇か餓ぶ。 


佳人從所務,窈窕援高柯。
そこには美しい女が務めの桑摘みをしていた、見目麗しい様子で高い枝をひきよせて桑の葉を摘んでいた。
佳人 美人。秋湖の妻。この時は自分の妻とは思っていない。・従所務「所」は文選に「此」に作る。・窈窕 たおやか。美人の形容。 ・援高柯 高い桑の枝を引き寄せて葉を摘む。


傾城誰不顧,弭節停中阿。
世にもまれなその美人は一たび顧みれば人の城を傾けるといわれる魅力あるその美貌を、誰が振り向かないということがあるだろうか。秋湖も車の速度をとめて路の曲がり角に立ちどまって見とれてしまったのである。
傾城 漢の李延年が妹を歌った佳人歌に。「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く。寧んぞ傾と城傾国とを知らざらん。佳人は再び得難し」と。美人。・弭節 車の速度を止める。 ・中阿 出路の曲がりかど。阿は山の中腹。

秋胡詩 (4) 顔延之(延年) 詩<6>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242

秋胡詩 (4) 顔延之(延年) 詩<6>Ⅱ李白に影響を与えた詩475 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1242


秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。

(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。

ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。
悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

 (4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寢興日已寒,白露生庭蕪。

寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。

 (5)  
勤役從歸願,反路遵⑹山河。昔辭秋未素,今也歲載華。蠶月觀時暇,桑野多經過。佳人從所務,窈窕援高柯。傾城誰不顧,弭節⑺停中阿⑻。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。雖爲五載別,相與昧平生。舍車遵往路,凫藻馳目成。南金豈不重?聊自意所輕。義心多苦調,密比金玉聲。
(7)  
高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。美人望昏至,慚歎前相持。
(8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]


現代語訳と訳註
(本文) (4) 
 
超遙行人遠,宛轉年運徂。
良時爲此別,日月方向除。
孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
歲暮臨空房,涼風起坐隅。
寢興日已寒,白露生庭蕪。


(下し文) (4)  
超遙【ちょうよう】として行人【こうじん】は遠く,宛轉【えんてん】年運は徂【ゆ】く。
良時【りょうじ】此の別れを爲せしとき,日月は方【まさ】に除に向【なん】なんとす。
孰【たれ】か知らん寒暑【かんしょ】の積りて,僶俛【びんべん】榮枯【えいこ】を見るを!
歲暮に空房【くうぼう】に臨むに,涼風【りょうふう】坐隅【ざぐう】に起る。
寢興【しんこう】日ごとに已に寒く,白露は庭蕪【ていぶ】生ず。


(現代語訳)
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。


(訳注) (4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。
はるかにも旅ゆく人、夫、秋湖は遠ざかり、めぐりめぐって年はうつりゆく。
超遙 遙かに遠い。〇行人 旅人。〇宛転 次々に変化すること。顔の形の美しいさま。白居易『長恨歌』。「六軍不發無奈何、宛轉蛾眉馬前死。」やたら寝返りを打つさま。めぐりまわる変化すること。『荘子、天下』「椎拍輐斷、與物宛轉。」〇年運 年のめぐり。


良時爲此別,日月方向除。
あの新婚の良い時に別れてから月日はちょうど年が改たまろうとしている。
良時 新婚のよい時。〇向除 歳末、年が尽き去ろうとする。


孰知寒暑積,僶俛見榮枯!
誰も知らないうちに、寒いときがあり、暑さがやってきて歳を重ねている、それはつとめて速かに花を咲かせ、そして枯れてゆくのを見るのである。
僶俛 つとめて速いこと。光陰矢のごとし。


歲暮臨空房,涼風起坐隅。
こうして月日が過ぎ、はからずも年の暮れに夫のいないさびしい部屋に入って見る、寒い風が坐席のかたわらから吹きおこる。(そばには夫の温か味があったのに)
空房 主人のいない室。


寢興日已寒,白露生庭蕪。
寝て起ききて日一日と日を重ね、としをかさねて、もう既に寒い季節になっている、私の操である白露の玉は庭の真ん中で輝くほどであったがしげみの陰に置くころとなった。
白露 草木などにおく露が白く見えることからいう。茶の一種。二十四節季の一つ、陰暦七月半ば過ぎ。秋の夜露は月に輝く貞操を示す。〇庭蕪 蕪:あれ草、廡:庭の軒先。庭の真ん中で輝くほどであったが今はしげみの陰に置くということ。貞婦

秋胡詩 (3) 顔延之(延年) 詩<5>Ⅱ李白に影響を与えた詩474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1239

秋胡詩 (3) 顔延之(延年) 詩<5>Ⅱ李白に影響を与えた詩474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1239


魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。
列女伝
魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。
(列女伝 秋胡子)

秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す


魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

顔延年はこの説話を詠んだ詩。
本讃には九百とあるが、文選ではすべてを一首としているのがよい。



秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。
(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。

(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲哉遊宦子,勞此山川路。

悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

 (4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。良時爲此別,日月方向除。孰知寒暑積,僶俛⑸見榮枯!歲暮臨空房,涼風起坐隅。寢興日已寒,白露生庭蕪。
(5)  
勤役從歸願,反路遵⑹山河。昔辭秋未素,今也歲載華。蠶月觀時暇,桑野多經過。佳人從所務,窈窕援高柯。傾城誰不顧,弭節⑺停中阿⑻。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。雖爲五載別,相與昧平生。舍車遵往路,凫藻馳目成。南金豈不重?聊自意所輕。義心多苦調,密比金玉聲。
(7)  
高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。美人望昏至,慚歎前相持。
(8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。

tsuki0882


現代語訳と訳註
(本文)(3) 
 
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
悲哉遊宦子,勞此山川路。


(下し文)
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。


(現代語訳)
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。
悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。


(訳注) (3) 
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
ああわれ秋胡は役目のための旅を悲しみながら、詩経の巻耳や陟岵の篇にしばしは険阻な山路をのぼると歌ってある、ように、朝から夜おそくまで旅を続ける。
〇行役・三陟 骨身を惜しまず朝も夕も行役する。『詩経国風:魏風・陟岵篇』「陟彼岵兮・・・行役夙夜・・・」詩経の周南篇・巻耳、魏風・陟岵篇に外交の旅に出た夫が故郷にいる妻の身になって自分のことをこんな風に思ってくれているというもので、旅の苦しみ疲れをいう。『詩経、周南篇・巻耳』 「陟彼崔嵬」「陟彼高岡、我馬玄黃。」「陟彼砠矣、我馬瘏矣。」〇窮晨暮 朝早くから夜おそくまで。


嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
車を厳重に整えて、風の寒い山を越え、鞍を解き馬を休めて、霜露を蒙って野宿する。
嚴駕 馬車の装備を戒しめ、用心する。〇解鞍 鞍を解いて休む。〇犯鋸露 霜露を蒙って野宿する。


原隰多悲涼,回飙卷高樹。
低い湿地の草原には悲しみやさびしさがみちて、つむじ風は高い木を吹き巻いている。
原隰 湿地の草原。〇悲涼 哀しみ、愁い。〇回飙 吹き巻くつむじ風。


離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
群れを離れたけものが草深い小道に飛び出し、物に驚いた鳥が散乱して去って行く。


悲哉遊宦子,勞此山川路。
悲しいことだ、役目のために他国に旅する私は、この山川の路に苦労しているのである。
遊宦子 他国に仕官する人。宦は仕官。


『詩経国風:魏風・陟岵篇』
陟彼岵兮 瞻望父兮 父曰嗟予子 行役夙夜無已 上慎旃哉 猶來無止 陟彼屺兮 瞻望母兮 母曰嗟予季 行役夙夜無寐 上慎旃哉 猶來無棄 陟彼岡兮 瞻望兄兮 兄曰嗟予弟 行役夙夜必偕 上慎旃哉 猶來無死


『詩経、周南篇・巻耳』
采采卷耳、不盈頃筐。嗟我懷人、寘彼周行。   
陟彼崔嵬、我馬虺隤。我姑酌彼金罍、維以不永懷。
陟彼高岡、我馬玄黃。我姑酌彼兕觥、維以不永傷。
陟彼砠矣、我馬瘏矣。我僕痡矣、云何吁矣。
卷耳を采り采る、頃筐に盈たず。
嗟(ああ)我 人を懷ひて、彼の周行に寘(お)く。
彼の崔嵬に陟(のぼ)れば、我が馬虺隤(かいたい)たり。
我姑(しば)らく彼の金罍に酌み、維れを以て永く懷はざらん。
彼の高岡に陟れば、我が馬玄黃たり
我姑らく彼の兕觥(じこう)に酌み、維れを以て不永く傷まざらん
彼の砠に陟れば、我が馬は瘏(や)む
我が僕は痡む、云何(いかん)せん 吁(ああ)


秋胡詩(3)  
嗟余怨行役,三陟窮晨暮。
嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。
原隰多悲涼,回飙卷高樹。
離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。
悲哉遊宦子,勞此山川路。
嗟【ああ】余【われ】は行役【こうえき】を怨む,三び陟【のぼ】りて晨暮【しんぼ】を窮む。
駕【が】を嚴【いま】しめて風寒【ふうかん】を越え,鞍【くら】を解いて霜露【そうろ】を犯す。
原隰【げんしゅう】に悲涼【ひりょう】多く,回飙【かいひょう】は高樹【こうじゅ】を卷く。
離獸【りじゅう】は荒蹊【こうけい】に起り,驚鳥【きょうちょう】は縦横に去る。
悲しい哉、遊宦【ゆうかん】の子、此の山川【さんせん】の路に勞【つか】る。

秋胡詩 (2) 顔延之(延年) 詩<4>Ⅱ李白に影響を与えた詩473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1236

秋胡詩 (2) 顔延之(延年) 詩<4>Ⅱ李白に影響を与えた詩473 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1236



秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。

空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。

(2)
燕居未及好,良人顧有違。
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。

(3)  
嗟余怨行役,三陟⑷窮晨暮。嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。原隰多悲涼,回飙卷高樹。離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。悲哉遊宦子,勞此山川路。
(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。良時爲此別,日月方向除。孰知寒暑積,僶俛⑸見榮枯!歲暮臨空房,涼風起坐隅。寢興日已寒,白露生庭蕪。
(5)  
勤役從歸願,反路遵⑹山河。昔辭秋未素,今也歲載華。蠶月觀時暇,桑野多經過。佳人從所務,窈窕援高柯。傾城誰不顧,弭節⑺停中阿⑻。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。雖爲五載別,相與昧平生。舍車遵往路,凫藻馳目成。南金豈不重?聊自意所輕。義心多苦調,密比金玉聲。
(7)  
高節難久淹,朅來空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。美人望昏至,慚歎前相持。
(8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜。[1]


現代語訳と訳註
(本文) (2)

燕居未及好,良人顧有違。
脫巾千裏外,結绶登王畿。
戒徒在昧旦,左右來相依。
驅車出郊郭,行路正威遲。
存爲久離別,沒爲長不歸。

(下し文)
燕居【えんきょ】未だ好するに及ばざる,良人顧って違【さ】る有り。
巾【きん】を千裏の外に脫して,綬を結んで王畿【おうき】に登る。
徒を戒しむること昧旦【まいたん】に在り,左右來って相依る。
車を驅りて郊郭【こうかく】を出で,行路正に威遲【いち】たり。
存して久しき離別を爲し,沒して長き不歸を爲さん。

(現代語訳)
夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。


(訳注)
燕居未及好,良人顧有違。

夫婦が和らいで暮らし、また仲睦まじくなるまでになっていないのに、夫はそれとは違って遠くへ別れることになった。
・燕居 和らいでおる。家でのんびりすること。 『論語、述而』「子之燕居。申申如也。夭夭如也。」(子の燕居するや、申申如たり。夭夭如たり。)・好 仲良くする。 ・良人 夫。


脫巾千裏外,結绶登王畿。
平民の頭巾を脱いで官僚の冠をつけ、千里の彼方に仕官して、官印の綬を腰に結んで王の治められる都、陳である「王畿」に上るのであった。
・脱巾 頭巾をぬいで衣冠をつけて仕官する。布衣すなわち平民のかぶる、づきんのこと。・綬 印綬、官印のひも。・王畿 みやこ。王の直接治める地域。王城の郭外になる五百里四方の地。ここは「陳は、王者の起こるところなれば、陳をいう」(詩緯に見える)。


戒徒在昧旦,左右來相依。
しもべの者を戒めて朝まだきに出発の準備を整える。そうして、左右の従者も夫の傍に来て寄り添う。
昧旦 まだ暗い朝。朝まだき。


驅車出郊郭,行路正威遲。
やがて車を駆って城外の野に出ると、行く路はまさに遙か先までうねうねと続いている。
威遲 道が遠く続くうねりさま。遠海に同じ。


存爲久離別,沒爲長不歸。
これから後、生存しても久しい別離となり、死ねば永遠に帰ってこられない、哀しいことである。

秋胡詩 (1) 顔延之(延年) 詩<2>Ⅱ李白に影響を与えた詩471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1230

秋胡詩 (1) 顔延之(延年) 詩<2>Ⅱ李白に影響を与えた詩471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1230

顔延年はこの説話を詠んだ詩。
本讃には九首とあるが、文選ではすべてを一首としている。

魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。
列女伝
魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是污行也,污行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。

秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)

魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。



秋胡詩 顔延之(延年)
(1)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
嘉運既我從,欣願自此畢。

良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。

(2)
燕居未及好,良人顧有違。脫巾千裏外,結绶登王畿⑵。戒徒在昧旦,左右來相依。驅車出郊郭,行路正威遲⑶。存爲久離別,沒爲長不歸。
(3)  
嗟余怨行役,三陟⑷窮晨暮。嚴駕越風寒,解鞍犯霜露。原隰多悲涼,回飙卷高樹。離獸起荒蹊,驚鳥縱橫去。悲哉遊宦子,勞此山川路。
(4)  
超遙行人遠,宛轉年運徂。良時爲此別,日月方向除。孰知寒暑積,僶俛⑸見榮枯!歲暮臨空房,涼風起坐隅。寢興日已寒,白露生庭蕪。
(5)  
勤役從歸願,反路遵⑹山河。昔辭秋未素,今也歲載華。蠶月觀時暇,桑野多經過。佳人從所務,窈窕援高柯。傾城誰不顧,弭節⑺停中阿⑻。
(6)  
年往誠思勞,事遠闊音形。雖爲五載別,相與昧平生。舍車遵往路,凫藻馳目成。南金豈不重?聊自意所輕。義心多苦調,密比金玉聲。
(7)  
高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑榆時。美人望昏至,慚歎前相持。
(8)  
有懷誰能已?聊用申苦難。離居殊年載,一別阻河關。春來無時豫,秋至恒早寒。明發⑽動愁心,閨中起長歎。慘淒歲方晏,日落遊子顔。
(9)  
高張生絕弦,聲急由調起。自昔枉光塵,結言固終始。如何久爲別,百行諐⑾諸己。君子失明義,誰與偕沒齒!愧彼《行露》詩⑿,甘之長川汜⒀。[1]


現代語訳と訳註
(本文) (1)

椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律⑴。
影響豈不懷?自遠每相匹。
婉彼幽閑女,作嫔君子室。
峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
嘉運既我從,欣願自此畢。


(下し文)
椅梧【いご】は高鳳【こうほう】に傾き、寒谷【かんこく】は鳴律【めいりつ】を待つ。
影響豈懐はざらんや、遠きより毎に相匹【ひつ】す。
婉たる彼の幽閑【ゆうかん】の女、君子の室に嫔【ひん】と作【な】る。
峻節【しゅんせつ】は秋霜を貫き、明豔【めいえん】は朝日に博し。
嘉運【かうん】は既に我に從へり、欣願【きんがん】比より垂らん。


(現代語訳)
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。


(訳注)
椅梧傾高鳳,寒谷待鳴律。
空高く飛ぶ鳳凰の方へと桐の木は枝を傾けて止りに来るのを待っている、寒くつめたい谷は鄒衍が律菅を吹き鳴らしてくれるのを待っている。
椅梧 椅も梧の類。・傾高鳳 高く飛ぶ鳳のやすむのを待って枝を傾ける。鳳は桐に息むと伝える。青桐には仲の良いつがいの鳳凰が住む。 ・寒谷待鳴律 燕の寒谷には穀物を生ぜぬか、鄒衍(周代の学者)の吹く音律に応じて黍を生じた。劉向別録沈徳潜の注に「椅梧鳳烏の來儀(あいさつに来る)を佇め、寒谷吹律を待って煦まるとは、夫婦の相匹すること、影皆の相思ふが如きを言ふなり」と。


影響豈不懷?自遠每相匹。
それと同じく男女の場合も、形に影が従い声に琴が応ずるごとく、互いに思いあうもので、遠くはなれたところにいても、どこにいても夫婦であるのが常である。


婉彼幽閑女,作嫔君子室。
うるわしき彼のしとやかな女「潔婦」は、徳のある人の家、秋胡の家にとついで妻となった。
幽閑 奥ゆかしく淑やかな。窃充。・作嫔 妻となる。


峻節貫秋霜,明豔侔朝日。
高くすぐれた、厳しい節操のあるかの女は秋霜を貫き凌ぐほどのものであり、辺りを照らすそのあでやかさは朝日の光が輝くようなのと同じである。
明艶 光明艶美。 


嘉運既我從,欣願自此畢。
良い運の巡り合わせは自分に従いついている。すでに嫁にした上は、これからによろこばしい願いが満足に遂げられることと妻はおもったのだ。(その一)
嘉運 めでたい運。

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1230

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#5>Ⅱ李白に影響を与えた詩471 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1230


於安城答靈運詩の作者
謝宣遠(謝瞻)
(387-421)37歳卒
(宋) 謝瞻、字は宣遠、謝朗の孫で、陳郡陽夏(河南省太康付近)の人。幼いとき孤となり、叔母の劉氏に撫養せられた。六歳でよく文を作る。従奴の混、族弟の霊運とともに盛名があった。江南の安城の太守。

謝霊運(謝康楽) (385~433) 48歳卒 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。



於安城答靈運詩
(1)
條繁林彌蔚。波清源愈濬。
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
華宗誕吾秀。之子紹前胤。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
鴻漸隨事變。雲台與年峻。

官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。

(2)
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。
花は美しく光りかがいているように謝一族の栄誉は互いを輝かせている。鳥は嚶鳴しているようにわたしたちも心からうれしそうに唱和している。
親親子敦余。賢賢五爾賞。
そのように、あなたは親しい仲の者のうち特にわたしに親愛の厚い情を示してくれる、わたしはすぐれたあなたを賢者として尊びほめたたえるのである。
比景後鮮輝。方年一日長。
ひとに慕われることを比較するとあなたの鮮明さにわたしは劣っている、年齢を比べるとあなたが少しだけ多いだけというのに輝きは明らかに違っている。
萎葉愛榮條。涸流好河廣。
衰えしぼんだ葉というものは繁った枝であったことを愛するもの、水がなくなった川は広い河をよしとするごとくわたしは、あなたを敬い慕うのである。
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。

(3)
徇業謝成操。復禮愧貧樂。

わたしは仕事をしてみさおを守り貫いて成就することができないことを申し上げ、礼を踏み行なって貧しい中にあっても道を楽しむというまでにはなられず、愧ずかしい次第であった。
幸會果代耕。符守江南曲。
幸いにも仕官ができて禄を得ることになっている、朝廷から割符をもらい受けて、江南のほとりになる安城に太守となった。
履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。
しかし当面することにおわれてしまい年月はどんどん過ぎていった、またあなたとは役所の仕事を遵守することで身も心も遠くはなれていることを欺き悲しむ。
布懷存所欽。我勞一何篤。
わがうやまい慕うところのあなたを想う情をのべて詩をおくるけれど、わたしのあなたを思う心使いは何と厚いことであろうかきっとわかってくれることでしょう。
業を徇【いとな】みては操を成すことを謝し、禮に復しては貧にも楽しむことに愧【は】ず。
幸に代耕【だいこう】を果すに會ひ、江南の曲【ほとり】に符守【ふしゅ】す。
運を履【ふ】みては荏苒【じんぜん】なるを傷み、塗【みち】に遵【したが】っては緬邈【めんばく】なるを歎く。
懐【おもい】を布【し】いて欽【きん】する所を存す、我が勞【ろう】は一に何ぞ篤き。

#4
肇允雖同規。翻飛各異概。

はじめわれと君とはまことに円形を描く用具のように見た目も考えも同じであったが、飛びたって世に進むに至っては各々ちがう才能が現われた。
迢遞封畿外。窈窕承明內。
かくてたしは都から遠く離れたこの安城の地に太守として在り、あなたは都の奥深い承明殿に秘書丞として仕えている。
尋塗塗既暌。即理理已對。
私とあなたの志す道は官途都で進むものと地方とで途は道理の上から見ると才ある者は都の秘書監について二極分化している、それはすなわち、その道理として才のあるものとない者が相対している。
絲路有恆悲。矧迺在吾愛。
素絲を見て泣き、岐路を見て哭すという悲しみの情を起すことは古から恒にあることだが、ましてやわが敬愛するあなたと離れている場合なおさらである。

肇は允【まこと】に規【のり】を同じくすと雖も、翻飛【はんぴ】しては各々概を異にす。
封畿【ほうき】の外に迢遞【しょうてい】し、承明の内に窈窕【ようちょう】たり。
塗【みち】を尋ねれば塗【みち】は既に暌【そむ】き、理に即【つ】けば理も亦對【まいたい】す。
絲路【しろ】には恒悲【こうひ】有り、矧【いわ】んや迺【すなわ】ち吾が愛に在るをや。

#5
跬行安步武。鎩翮周數仞。
わたしは半歩ほど歩いてその短い距離の間に安心満足するほどもので、また『荘子、逍遥遊』に「鵬が翮を搏てば九万里」といわれるが私は翅を負傷してわずか数仞の高さでくるっと周る遊ぶ鳥ほどのものでしかない小人物である。
豈不識高遠。違方往有吝。
たしかに、高く遠い大空まで飛ぶ楽しみを十分に知ることがないわけではないのだが、才徳の足らぬわが身のほどをわきまえておるのです。そしてそれは行くべき方向とは違った所へ往き進んでしまい、後悔するようになるであろうということなのだ。
歲寒霜雪嚴。過半路愈峻。
そしてそれは、年も暮れ、寒い時節で霜や雪か厳しく降るときに、道の半ばすぎくらいのところまで進んだのに、前途がますます険しくむつかしくなるというものだ。
量已畏友朋。勇退不敢進。
それゆえ自分の力量をよく考え友だちから分不相応であると、そしられるであろうことを気づかうのである。いさぎよく退いて、無理にも進もうなどとはしてはならないのだ。
行矣勵令猷。寫誠酬來訊。

謝霊運殿、何とぞよき道につとめ励まれよ、われは誠の心をのべ表わしてあなたの詩に答えることとします。
跬行して步武【ほぶ】に安んじ、翮【つばさ】を鎩【そ】ぎて數仞【すうじん】を周【めぐ】る。
豈 高遠【こうえん】を識らざらんや、方に違ひ往くときほ客有り。
歲寒く霜雪【そうせつ】嚴しきとき。過半にして路は愈よ峻し。
已を量りて友朋【ゆうほう】を畏れ、退くことに勇して敢えて進まず。
行いて令猷【れいゆう】を勵めよ。誠を寫して來訊【らいじん】に酬【むく】ゆ。




現代語訳と訳註
(本文)
#5
跬行安步武、鎩翮周數仞。豈不識高遠、違方往有吝。
歲寒霜雪嚴、過半路愈峻。量已畏友朋、勇退不敢進。
行矣勵令猷、寫誠酬來訊。


(下し文)
跬行して步武【ほぶ】に安んじ、翮【つばさ】を鎩【そ】ぎて數仞【すうじん】を周【めぐ】る。
豈 高遠【こうえん】を識らざらんや、方に違ひ往くときほ客有り。
歲寒く霜雪【そうせつ】嚴しきとき。過半にして路は愈よ峻し。
已を量りて友朋【ゆうほう】を畏れ、退くことに勇して敢えて進まず。
行いて令猷【れいゆう】を勵めよ。誠を寫して來訊【らいじん】に酬【むく】ゆ。


(現代語訳)
わたしは半歩ほど歩いてその短い距離の間に安心満足するほどもので、また『荘子、逍遥遊』に「鵬が翮を搏てば九万里」といわれるが私は翅を負傷してわずか数仞の高さでくるっと周る遊ぶ鳥ほどのものでしかない小人物である。
たしかに、高く遠い大空まで飛ぶ楽しみを十分に知ることがないわけではないのだが、才徳の足らぬわが身のほどをわきまえておるのです。そしてそれは行くべき方向とは違った所へ往き進んでしまい、後悔するようになるであろうということなのだ。
そしてそれは、年も暮れ、寒い時節で霜や雪か厳しく降るときに、道の半ばすぎくらいのところまで進んだのに、前途がますます険しくむつかしくなるというものだ。
それゆえ自分の力量をよく考え友だちから分不相応であると、そしられるであろうことを気づかうのである。いさぎよく退いて、無理にも進もうなどとはしてはならないのだ。
謝霊運殿、何とぞよき道につとめ励まれよ、われは誠の心をのべ表わしてあなたの詩に答えることとします。


(訳注) #5
跬行安步武、鎩翮周數仞。

わたしは半歩ほど歩いてその短い距離の間に安心満足するほどもので、また『荘子、逍遥遊』に「鵬が翮を搏てば九万里」といわれるが私は翅を負傷してわずか数仞の高さでくるっと周る遊ぶ鳥ほどのものでしかない小人物である。
跬行 司馬法「凡人一舉足曰跬。跬,三尺也。兩舉足曰步。步,六尺也。」(凡そ人の一たび足を挙ぐるを跬といふ、跬は三尺なり。両たび足を挙ぐるを歩といふ、歩は六尺なり。)すなわち跬は半歩で日本での普通に一歩というものに当る。〇 半歩すなわち三尺。歩武とは、わずかな距離のこと。〇鎩翮 つばさをそぐ。羽毛をそこない、いためること。○周數仞 仞は八尺、また七尺ともいう。荘子、逍遥遊に「鵬搏扶搖羊角而上者九萬里。斥鷃笑之曰彼且奚適也我騰躍而上不過數仞而下。此亦飛之至也。」(鵬は扶揺に搏ち羊角して上る者九万里なり。斥鷃は之を笑うて曰く、我は騰躍して上る、数仞に過ぎず、而して下る、これも亦、飛ぶことの至りなり。)「歩武・数仞」の二句は、謝宣遠自身の地位や志の小なることをいうものであるが、宣遠は、もとより明哲保身の人で、かつて「吾が家は素退を以て業となす」といって、弟なる謝晦を誡めたこともあるほどだから(南史本伝)、この詩にいう所も、右のような立場からであって、必ずしも単なる卑下ではない。


豈不識高遠。違方往有吝。
たしかに、高く遠い大空まで飛ぶ楽しみを十分に知ることがないわけではないのだが、才徳の足らぬわが身のほどをわきまえておるのです。そしてそれは行くべき方向とは違った所へ往き進んでしまい、後悔するようになるであろうということなのだ。
高遠 官途が進み栄えることは結構だが、それにつれて、苦労や危険も多いことをいう。〇 『論語、里仁篇』「子曰、父母在、不遠遊、遊必有方。」(子曰く、父母在せば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方あるべし。)〇往有吝 『周易、屯卦』「即鹿无虞,以從禽也﹔君子舍之,往吝窮也。」(鹿につくに虜なく、ただ林中に入る。 君子はきざしをみてやむにしかず。往くときは客にして窮まる。)鹿を追うことをやめるべきなのに追い往くときほ、後悔のたねとなり、進退きわまるようになる。


歲寒霜雪嚴、過半路愈峻。
そしてそれは、年も暮れ、寒い時節で霜や雪か厳しく降るときに、道の半ばすぎくらいのところまで進んだのに、前途がますます険しくむつかしくなるというものだ。
過半路愈峻  官途が進み栄えることは結構だが、それにつれて、苦労や危険も多いことをいう。


量已畏友朋、勇退不敢進。
それゆえ自分の力量をよく考え友だちから分不相応であると、そしられるであろうことを気づかうのである。いさぎよく退いて、無理にも進もうなどとはしてはならないのだ。
量已畏友朋 自分の力量をよく考え友だちから、分不相応であると、そしられるであろうことを気づかう。


行矣勵令猷、寫誠酬來訊。
謝霊運殿、何とぞよき道につとめ励まれよ、われは誠の心をのべ表わしてあなたの詩に答えることとします。
行矣 行かなむ、行けよ。いざ、さあ、の意味。〇 水をもらす。ここは、謝靈運に対し述べ表わすこと。

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩470 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1227

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#4>Ⅱ李白に影響を与えた詩470 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1227


於安城答靈運詩の作者
謝宣遠(謝瞻)
(387-421)37歳卒
(宋) 謝瞻、字は宣遠、謝朗の孫で、陳郡陽夏(河南省太康付近)の人。幼いとき孤となり、叔母の劉氏に撫養せられた。六歳でよく文を作る。従奴の混、族弟の霊運とともに盛名があった。江南の安城の太守。

謝霊運(謝康楽) (385~433) 48歳卒 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。



於安城答靈運詩
(1)
條繁林彌蔚。波清源愈濬。
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
華宗誕吾秀。之子紹前胤。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
鴻漸隨事變。雲台與年峻。

官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。

(2)
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。
花は美しく光りかがいているように謝一族の栄誉は互いを輝かせている。鳥は嚶鳴しているようにわたしたちも心からうれしそうに唱和している。
親親子敦余。賢賢五爾賞。
そのように、あなたは親しい仲の者のうち特にわたしに親愛の厚い情を示してくれる、わたしはすぐれたあなたを賢者として尊びほめたたえるのである。
比景後鮮輝。方年一日長。
ひとに慕われることを比較するとあなたの鮮明さにわたしは劣っている、年齢を比べるとあなたが少しだけ多いだけというのに輝きは明らかに違っている。
萎葉愛榮條。涸流好河廣。
衰えしぼんだ葉というものは繁った枝であったことを愛するもの、水がなくなった川は広い河をよしとするごとくわたしは、あなたを敬い慕うのである。
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。

(3)
徇業謝成操。復禮愧貧樂。

わたしは仕事をしてみさおを守り貫いて成就することができないことを申し上げ、礼を踏み行なって貧しい中にあっても道を楽しむというまでにはなられず、愧ずかしい次第であった。
幸會果代耕。符守江南曲。
幸いにも仕官ができて禄を得ることになっている、朝廷から割符をもらい受けて、江南のほとりになる安城に太守となった。
履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。
しかし当面することにおわれてしまい年月はどんどん過ぎていった、またあなたとは役所の仕事を遵守することで身も心も遠くはなれていることを欺き悲しむ。
布懷存所欽。我勞一何篤。
わがうやまい慕うところのあなたを想う情をのべて詩をおくるけれど、わたしのあなたを思う心使いは何と厚いことであろうかきっとわかってくれることでしょう。
業を徇【いとな】みては操を成すことを謝し、禮に復しては貧にも楽しむことに愧【は】ず。
幸に代耕【だいこう】を果すに會ひ、江南の曲【ほとり】に符守【ふしゅ】す。
運を履【ふ】みては荏苒【じんぜん】なるを傷み、塗【みち】に遵【したが】っては緬邈【めんばく】なるを歎く。
懐【おもい】を布【し】いて欽【きん】する所を存す、我が勞【ろう】は一に何ぞ篤き。

#4
肇允雖同規。翻飛各異概。
はじめわれと君とはまことに円形を描く用具のように見た目も考えも同じであったが、飛びたって世に進むに至っては各々ちがう才能が現われた。
迢遞封畿外。窈窕承明內。
かくてたしは都から遠く離れたこの安城の地に太守として在り、あなたは都の奥深い承明殿に秘書丞として仕えている。
尋塗塗既暌。即理理已對。
私とあなたの志す道は官途都で進むものと地方とで途は道理の上から見ると才ある者は都の秘書監について二極分化している、それはすなわち、その道理として才のあるものとない者が相対している。
絲路有恆悲。矧迺在吾愛。
素絲を見て泣き、岐路を見て哭すという悲しみの情を起すことは古から恒にあることだが、ましてやわが敬愛するあなたと離れている場合なおさらである。

肇は允【まこと】に規【のり】を同じくすと雖も、翻飛【はんぴ】しては各々概を異にす。
封畿【ほうき】の外に迢遞【しょうてい】し、承明の内に窈窕【ようちょう】たり。
塗【みち】を尋ねれば塗【みち】は既に暌【そむ】き、理に即【つ】けば理も亦對【まいたい】す。
絲路【しろ】には恒悲【こうひ】有り、矧【いわ】んや迺【すなわ】ち吾が愛に在るをや。

#5
跬行安步武。鎩翮周數仞。豈不識高遠。違方往有吝。
歲寒霜雪嚴。過半路愈峻。量已畏友朋。勇退不敢進。
行矣勵令猷。寫誠酬來訊。
跬行して步武【ほぶ】に安んじ、翮【つばさ】を鎩【そ】ぎて數仞【すうじん】を周【めぐ】る。
豈 高遠【こうえん】を識らざらんや、方に違ひ往くときほ客有り。
歲寒く霜雪【そうせつ】嚴しきとき。過半にして路は愈よ峻し。
已を量りて友朋【ゆうほう】を畏れ、退くことに勇して敢えて進まず。
行いて令猷【れいゆう】を勵めよ。誠を寫して來訊【らいじん】に酬【むく】ゆ。



現代語訳と訳註
(本文)
#4
肇允雖同規。翻飛各異概。迢遞封畿外。窈窕承明內。
尋塗塗既暌。即理理已對。絲路有恆悲。矧迺在吾愛。



(下し文)
肇は允【まこと】に規【のり】を同じくすと雖も、翻飛【はんぴ】しては各々概を異にす。
封畿【ほうき】の外に迢遞【しょうてい】し、承明の内に窈窕【ようちょう】たり。
塗【みち】を尋ねれば塗【みち】は既に暌【そむ】き、理に即【つ】けば理も亦對【まいたい】す。
絲路【しろ】には恒悲【こうひ】有り、矧【いわ】んや迺【すなわ】ち吾が愛に在るをや。



(現代語訳)
はじめわれと君とはまことに円形を描く用具のように見た目も考えも同じであったが、飛びたって世に進むに至っては各々ちがう才能が現われた。
かくてたしは都から遠く離れたこの安城の地に太守として在り、あなたは都の奥深い承明殿に秘書丞として仕えている。
私とあなたの志す道は官途都で進むものと地方とで途は道理の上から見ると才ある者は都の秘書監について二極分化している、それはすなわち、その道理として才のあるものとない者が相対している。
素絲を見て泣き、岐路を見て哭すという悲しみの情を起すことは古から恒にあることだが、ましてやわが敬愛するあなたと離れている場合なおさらである。



(訳注)
肇允雖同規。翻飛各異概。

肇は允【まこと】に規【のり】を同じくすと雖も、翻飛【はんぴ】しては各々概を異にす。
はじめわれと君とはまことに円形を描く用具のように見た目も考えも同じであったが、飛びたって世に進むに至っては各々ちがう才能が現われた。
 ぶん回し。円形を描く用具。○ 分量。才能。



迢遞封畿外。窈窕承明內。
封畿【ほうき】の外に迢遞【しょうてい】し、承明の内に窈窕【ようちょう】たり。
かくてたしは都から遠く離れたこの安城の地に太守として在り、あなたは都の奥深い承明殿に秘書丞として仕えている。
迢遞 遠く聳えたさま。○封畿 諸侯の領地。安城郡をさす。○窈窕 遠くうねり続く。○承明 承明殿に秘書丞として仕えている



尋塗塗既暌。即理理已對。
塗【みち】を尋ねれば塗【みち】は既に暌【そむ】き、理に即【つ】けば理も亦對【まいたい】す。
私とあなたの志す道は官途都で進むものと地方とで途は道理の上から見ると才ある者は都の秘書監について二極分化している、それはすなわち、その道理として才のあるものとない者が相対している。
○塗 志を持って進む道。ここでは靈運と謝瞻、それぞれの官途。○ 隔たる,離れる。にらみあう。そむく。○ 志を持って進むことに対する道理。



絲路有恆悲。矧迺在吾愛。
絲路【しろ】には恒悲【こうひ】有り、矧【いわ】んや迺【すなわ】ち吾が愛に在るをや。
素絲を見て泣き、岐路を見て哭すという悲しみの情を起すことは古から恒にあることだが、ましてやわが敬愛するあなたと離れている場合なおさらである。
絲・路 淮南子に「墨子は素絲を見て泣く、以て黄となすべく、以て黒となすべきがためなり」。「揚子は岐路を見て哭す、以て南すべく、以て北すべきがためなり」。


於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1224

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩469 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1224


於安城答靈運詩の作者
謝宣遠(謝瞻) (387-421)37歳卒
(宋) 謝瞻、字は宣遠、謝朗の孫で、陳郡陽夏(河南省太康付近)の人。幼いとき孤となり、叔母の劉氏に撫養せられた。六歳でよく文を作る。従奴の混、族弟の霊運とともに盛名があった。江南の安城の太守。

謝霊運(謝康楽) (385~433) 48歳卒 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。



於安城答靈運詩
(1)
條繁林彌蔚。波清源愈濬。
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
華宗誕吾秀。之子紹前胤。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
鴻漸隨事變。雲台與年峻。

官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。

(2)
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。
花は美しく光りかがいているように謝一族の栄誉は互いを輝かせている。鳥は嚶鳴しているようにわたしたちも心からうれしそうに唱和している。
親親子敦余。賢賢五爾賞。
そのように、あなたは親しい仲の者のうち特にわたしに親愛の厚い情を示してくれる、わたしはすぐれたあなたを賢者として尊びほめたたえるのである。
比景後鮮輝。方年一日長。
ひとに慕われることを比較するとあなたの鮮明さにわたしは劣っている、年齢を比べるとあなたが少しだけ多いだけというのに輝きは明らかに違っている。
萎葉愛榮條。涸流好河廣。
衰えしぼんだ葉というものは繁った枝であったことを愛するもの、水がなくなった川は広い河をよしとするごとくわたしは、あなたを敬い慕うのである。
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。

(3)
徇業謝成操。復禮愧貧樂。
わたしは仕事をしてみさおを守り貫いて成就することができないことを申し上げ、礼を踏み行なって貧しい中にあっても道を楽しむというまでにはなられず、愧ずかしい次第であった。
幸會果代耕。符守江南曲。
幸いにも仕官ができて禄を得ることになっている、朝廷から割符をもらい受けて、江南のほとりになる安城に太守となった。
履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。
しかし当面することにおわれてしまい年月はどんどん過ぎていった、またあなたとは役所の仕事を遵守することで身も心も遠くはなれていることを欺き悲しむ。
布懷存所欽。我勞一何篤。

わがうやまい慕うところのあなたを想う情をのべて詩をおくるけれど、わたしのあなたを思う心使いは何と厚いことであろうかきっとわかってくれることでしょう。
業を徇【いとな】みては操を成すことを謝し、禮に復しては貧にも楽しむことに愧【は】ず。
幸に代耕【だいこう】を果すに會ひ、江南の曲【ほとり】に符守【ふしゅ】す。
運を履【ふ】みては荏苒【じんぜん】なるを傷み、塗【みち】に遵【したが】っては緬邈【めんばく】なるを歎く。
懐【おもい】を布【し】いて欽【きん】する所を存す、我が勞【ろう】は一に何ぞ篤き。

#4
肇允雖同規。翻飛各異概。迢遞封畿外。窈窕承明內。
尋塗塗既暌。即理理已對。絲路有恆悲。矧迺在吾愛。
#5
跬行安步武。鎩翮周數仞。豈不識高遠。違方往有吝。
歲寒霜雪嚴。過半路愈峻。量已畏友朋。勇退不敢進。
行矣勵令猷。寫誠酬來訊。


現代語訳と訳註
(本文)
#3
徇業謝成操。復禮愧貧樂。
幸會果代耕。符守江南曲。
履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。
布懷存所欽。我勞一何篤。


(下し文) #3
業を徇【いとな】みては操を成すことを謝し、禮に復しては貧にも楽しむことに愧【は】ず。
幸に代耕【だいこう】を果すに會ひ、江南の曲【ほとり】に符守【ふしゅ】す。
運を履【ふ】みては荏苒【じんぜん】なるを傷み、塗【みち】に遵【したが】っては緬邈【めんばく】なるを歎く。
懐【おもい】を布【し】いて欽【きん】する所を存す、我が勞【ろう】は一に何ぞ篤き。


(現代語訳)
わたしは仕事をしてみさおを守り貫いて成就することができないことを申し上げ、礼を踏み行なって貧しい中にあっても道を楽しむというまでにはなられず、愧ずかしい次第であった。
幸いにも仕官ができて禄を得ることになっている、朝廷から割符をもらい受けて、江南のほとりになる安城に太守となった。
しかし当面することにおわれてしまい年月はどんどん過ぎていった、またあなたとは役所の仕事を遵守することで身も心も遠くはなれていることを欺き悲しむ。
わがうやまい慕うところのあなたを想う情をのべて詩をおくるけれど、わたしのあなたを思う心使いは何と厚いことであろうかきっとわかってくれることでしょう。


(訳注) #3
徇業謝成操。復禮愧貧樂。
業を徇【いとな】みては操を成すことを謝し、禮に復しては貧にも楽しむことに愧【は】ず。
わたしは仕事をしてみさおを守り貫いて成就することができないことを申し上げ、礼を踏み行なって貧しい中にあっても道を楽しむというまでにはなられず、愧ずかしい次第であった。
 ふれしらせる。もとめる。あまねく示す。ここは営む。『史記、項羽紀』「不徇、尚書、徇于貨色。」〇 去る。断る。礼を述べる。あやまる。告げる、。話す。むくいる。○成操 みさおを守り遂げること。志を成就すること。○復礼 礼を踏み行う。『論語、顔淵』第に「子日、克己復礼為仁。」(子日く、己に克ち礼に復して仁と為す。)〇貧樂 貧乏であるために、気をつかうことも少なく、かえって気楽であること。貧乏ゆえの気楽さ。『論語、学而篇』「子曰、可也、未若貧時樂道、富而好禮者也」(子日く、未だ、貧にあっても楽しみ、富みても礼を好む者には若かざるなり。)


幸會果代耕。符守江南曲。
幸に代耕【だいこう】を果すに會ひ、江南の曲【ほとり】に符守【ふしゅ】す。
幸いにも仕官ができて禄を得ることになっている、朝廷から割符をもらい受けて、江南のほとりになる安城に太守となった。
 成し遂げる。〇代耕 官からもらう禄米、転じて仕官すること。耕さずに食うこと。礼記、王制に「諸侯之下士、視上農夫。禄足以代其耕也。」(諸侯の下士は、上級の農夫に視【なぞ】らふ、禄は以て其の耕に代ふるに足る」。〇符守 朝廷から割符をもらい受けて、太守となる。尹辞


履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。
運を履【ふ】みては荏苒【じんぜん】なるを傷み、塗【みち】に遵【したが】っては緬邈【めんばく】なるを歎く。
しかし当面することにおわれてしまい年月はどんどん過ぎていった、またあなたとは役所の仕事を遵守することで身も心も遠くはなれていることを欺き悲しむ。
 時のめぐりゆくこと。それを履とは、当面することである。○荏苒【じんぜん】なすことのないまま歳月が過ぎるさま。また、物事が延び延びになるさま。○緬邈 はるかに遠いさま。


布懷存所欽。我勞一何篤。
懐【おもい】を布【し】いて欽【きん】する所を存す、我が勞【ろう】は一に何ぞ篤き。
わがうやまい慕うところのあなたを想う情をのべて詩をおくるけれど、わたしのあなたを思う心使いは何と厚いことであろうかきっとわかってくれることでしょう。
 ここは、たずねる。想う。〇 いたく心をつかうこと。

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1221

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩468 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1221


於安城答靈運詩の作者
謝宣遠(謝瞻)(387-421)37歳卒
(宋) 謝瞻、字は宣遠、謝朗の孫で、陳郡陽夏(河南省太康付近)の人。幼いとき孤となり、叔母の劉氏に撫養せられた。六歳でよく文を作る。従奴の混、族弟の霊運とともに盛名があった。

謝霊運(謝康楽)
 (385~433) 48歳卒 南朝の宋の詩人。陽夏(河南省)の人。永嘉太守・侍中などを歴任。のち、反逆を疑われ、広州で処刑された。江南の自然美を精緻(せいち)な表現によって山水詩にうたった。六朝時代を代表する門閥貴族である謝氏の出身で、祖父の謝玄は淝水の戦いで前秦の苻堅の大軍を撃破した東晋の名将である。祖父の爵位である康楽公を継いだため、後世では謝康楽とも呼ばれる。


於安城答靈運詩
條繁林彌蔚。波清源愈濬。
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
華宗誕吾秀。之子紹前胤。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
鴻漸隨事變。雲台與年峻。

官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。

#2
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。
花は美しく光りかがいているように謝一族の栄誉は互いを輝かせている。鳥は嚶鳴しているようにわたしたちも心からうれしそうに唱和している。
親親子敦余。賢賢五爾賞。
そのように、あなたは親しい仲の者のうち特にわたしに親愛の厚い情を示してくれる、わたしはすぐれたあなたを賢者として尊びほめたたえるのである。
比景後鮮輝。方年一日長。
ひとに慕われることを比較するとあなたの鮮明さにわたしは劣っている、年齢を比べるとあなたが少しだけ多いだけというのに輝きは明らかに違っている。
萎葉愛榮條。涸流好河廣。
衰えしぼんだ葉というものは繁った枝であったことを愛するもの、水がなくなった川は広い河をよしとするごとくわたしは、あなたを敬い慕うのである。
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。

#3
徇業謝成操。復禮愧貧樂。幸會果代耕。符守江南曲。
履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。布懷存所欽。我勞一何篤。
#4
肇允雖同規。翻飛各異概。迢遞封畿外。窈窕承明內。
尋塗塗既暌。即理理已對。絲路有恆悲。矧迺在吾愛。
#5
跬行安步武。鎩翮周數仞。豈不識高遠。違方往有吝。
歲寒霜雪嚴。過半路愈峻。量已畏友朋。勇退不敢進。
行矣勵令猷。寫誠酬來訊。


現代語訳と訳註
(本文)
#2
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。親親子敦余。賢賢五爾賞。
比景後鮮輝。方年一日長。萎葉愛榮條。涸流好河廣。


(下し文)#2
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。


(現代語訳)
花は美しく光りかがいているように謝一族の栄誉は互いを輝かせている。鳥は嚶鳴しているようにわたしたちも心からうれしそうに唱和している。
そのように、あなたは親しい仲の者のうち特にわたしに親愛の厚い情を示してくれる、わたしはすぐれたあなたを賢者として尊びほめたたえるのである。
ひとに慕われることを比較するとあなたの鮮明さにわたしは劣っている、年齢を比べるとあなたが少しだけ多いだけというのに輝きは明らかに違っている。
衰えしぼんだ葉というものは繁った枝であったことを愛するもの、水がなくなった川は広い河をよしとするごとくわたしは、あなたを敬い慕うのである。


(訳注)#2
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。

華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
花は美しく光りかがいているように謝一族の栄誉は互いを輝かせている。鳥は嚶鳴しているようにわたしたちも心からうれしそうに唱和している。
・華萼 一族の栄誉・栄位のたとえ。兄弟の情をいう。萼:1 四方を眺めるために建てられた高い建物。高殿(たかどの)。 2 極楽に往生した者の座る蓮(はす)の花の形をした台。3 (「萼」とも書く)花の萼(がく)。 4 眺望をよくする。5花の最も外側の部分。ふつう緑色をし、外面に毛をもつ。つぼみのときは内部を包み保護する。・嚶鳴 鳥が仲良く声を合わせて鳴くこと。鳥が友を呼ぶ声。『詩経、小雅、伐木』「伐木丁丁、鳥鳴嚶嚶。出自幽谷、遷于喬木。嚶其鳴矣、 求其友聲。相彼鳥矣、猶求友聲。矧伊人矣、不求友生。」


親親子敦余。賢賢五爾賞。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
そのように、あなたは親しい仲の者のうち特にわたしに親愛の厚い情を示してくれる、わたしは賢れたあなたを賢者として尊びほめたたえるのである。

比景後鮮輝。方年一日長。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
ひとに慕われることを比較するとあなたの鮮明さにわたしは劣っている、年齢を比べるとあなたが少しだけ多いだけというのに輝きは明らかに違っている。
・景 景気・景況・景仰・景行・景色・景勝・景福・光景。ここは文学・遺徳などを含めて、人格の高い人をあおぎ慕うこと。
 
萎葉愛榮條。涸流好河廣。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。
衰えしぼんだ葉というものは繁った枝であったことを愛するもの、水がなくなった川は広い河をよしとするごとくわたしは、あなたを敬い慕うのである。
・萎葉 1 木の葉しなわせる、たわめる。2 しみじみとした感じを出す様子をいう。


#2
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。
親親子敦余。賢賢五爾賞。
比景後鮮輝。方年一日長。
萎葉愛榮條。涸流好河廣。

#2
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩467 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1218

於安城答靈運 謝宣遠(謝瞻) 詩<64-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩467 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1218


於安城答靈運詩
條繁林彌蔚。波清源愈濬。
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
華宗誕吾秀。之子紹前胤。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
鴻漸隨事變。雲台與年峻。

官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。

#2
華萼相光飾。嚶鳴悅同響。親親子敦余。賢賢五爾賞。
比景後鮮輝。方年一日長。萎葉愛榮條。涸流好河廣。
#2
華萼【かがく】は相【あい】光飾【こうしょく】し、嚶鳴【おうめい】は同響【どうきょう】を悦【よろこ】ぶ。
親【しん】を親しみて子は予に敦【あつ】くし、賢を賢として吾は爾を賞す。
景を比ぶれば鮮輝【せんき】に後れ、年を方ぶれば一日長ず。
萎葉【いよう】は榮條【えいじょう】を愛し、涸流【こりゅう】は河鷹【かこう】を好す。
#3
徇業謝成操。復禮愧貧樂。幸會果代耕。符守江南曲。
履運傷荏苒。遵塗歎緬邈。布懷存所欽。我勞一何篤。
#4
肇允雖同規。翻飛各異概。迢遞封畿外。窈窕承明內。
尋塗塗既暌。即理理已對。絲路有恆悲。矧迺在吾愛。
#5
跬行安步武。鎩翮周數仞。豈不識高遠。違方往有吝。
歲寒霜雪嚴。過半路愈峻。量已畏友朋。勇退不敢進。
行矣勵令猷。寫誠酬來訊。


現代語訳と訳註
(本文)

條繁林彌蔚。波清源愈濬。華宗誕吾秀。之子紹前胤。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。鴻漸隨事變。雲台與年峻。


(下し文)#1
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。


(現代語訳)
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。


(訳注)
條繁林彌蔚。波清源愈濬。

條繁くして林は弼上蔚たり、披清くして源は愈よ濬し。
木々の枝が重なり、繁茂すればするほど林はますますこんもりと茂り、波が清らかであれば清く、源はますます清く深くなる。(源が深いほど、流はいよいよ清くなる意)。
波清源愈濬 「條繁」「林」、を謝氏の血統の世さ、秀逸なところから秀士が生まれる。「原清」「流清」(源清めば則ち流清み)に基づいて詩の初めの聯を構成する。
『荀子、君道』「原清則流清、原濁則流濁。故上好礼義、尚賢使能、無貪利之心、則下亦将綦辞譲、致忠信、而謹於臣子矣。」(源清【す】めば則ち流清み、源濁れば則ち流濁る。故に上【かみ】礼義を好み、賢を尚【とうと】び能を使い、貪利の心無ければ、則ち下【しも】も亦、将に辞譲を綦【きわ】め、忠臣を致【きわ】めて、臣子に謹まんとす。」(源(みなもと)清ければ流れ清し)


華宗誕吾秀。之子紹前胤。
華宗には吾が秀誕まれ、之の子は前胤を紹ぐ。
そのように、輝けるわが謝一族には秀美の人士が生まれている、その一人であるあなたは祖先の血統をついでいる。
華宗 貴族の意。・誕 毛蓑の詩伝に「毛萇詩傳 誕,大也。載,生也。大矣后稷, 十月而生也。」誕は大なり、大なるかな后稷は十月にして生まる」。りつばに生みつけられる意である。


綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
綢繆して風徽を結び、煙熅として芳訊を吐く。
そしてあなたの文才の心にまつわりつくように風雅の道が結晶と成し、天地の気が和合し、いきいきした芳しい詩をつくる。
綱超 まといつく。ここは、夙微の方に心が引かれて、離れがたいこと。・風徽 よい風とは、文学こ坦徳などの風雅なことであろう。・煙熅 煙を伴った火、煙のない火、転じて天地の気が和合し、さかんで、いきいきしたさま。・ 問う。告ぐ、ここは、誰もが早く聞きたい詩である。


鴻漸隨事變。雲台與年峻。
鴻漸は事に隨って變じ、雲台は年と輿に峻し。
官に仕えては「鴻漸之翼」のように出世する優秀な人材であり、雲にとどくばかりの政治の舞台であら、爵位は年の経過と共に高くなる。
鴻漸 鴻漸之翼のこと。ひとたび飛翔すれば一気に千里をすすむといわれる鴻(おおとり)のつばさ。転じて、スピード出世する優秀な人材、大事業が成功する人物のこと。・雲台 台は政治の舞台。雲にとどくばかりの政治の舞台、爵位。


於安城答靈運詩
條繁林彌蔚。波清源愈濬。
華宗誕吾秀。之子紹前胤。
綢繆結風徽。煙熅吐芳訊。
鴻漸隨事變。雲台與年峻。
(その一)
條【えだ】繁【しげ】くして林は彌【いよい】よ蔚【うつ】たり、波清くして源は愈【いよい】よ濬【ふか】し。
華宗【かそう】には吾が秀【しゅう】誕【う】まれ、之の子は前胤【ぜんいん】を紹ぐ。
綢繆【ちょうびゅう】して風徽【ふうき】を結び、煙熅【えんうん】として芳訊【ほうじん】を吐く。
鴻漸【こうぜん】は事に隨って變じ、雲台【うんだい】は年と輿【とも】に峻【たか】し。

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