《曹操:苦寒行》#3 どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
2013年7月5日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628
苦寒行
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。
『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文) #3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
(下し文) #3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。
(現代語訳)
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
(訳注) #3
・苦寒行 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
・宿棲 旅籠だけでなく、下男などが家財道具を持参しているのでかなりの人数が眠れる場所ということ。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
・斧氷 斧で氷をわること。
・糜 おかゆ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
・東山詩 『詩経』豳風東山篇、周公東征し三年にして帰り、士を慰労したのをたたえて、時の大夫が作ったのだと伝える。
・悠悠 『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。 青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。