漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

楽府

苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628

《曹操:苦寒行》#3 どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。


2013年7月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628


苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
王屋山01袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。

かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


『苦寒行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(下し文) #3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


(現代語訳)
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。


(訳注) #3
苦寒行 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。


迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
・宿棲 旅籠だけでなく、下男などが家財道具を持参しているのでかなりの人数が眠れる場所ということ。


行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。


擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
・斧氷 斧で氷をわること。
・糜 おかゆ。


悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
・東山詩 『詩経』豳風東山篇、周公東征し三年にして帰り、士を慰労したのをたたえて、時の大夫が作ったのだと伝える。
・悠悠 『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
nat0002

苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623

《曹操:苦寒行》石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623


苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
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溪谷少人民,雪落何霏霏!
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頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
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水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
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谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。


(下し文) #2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。


(現代語訳)
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。


(訳注)
・太行 太行山脈山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。

華山000











#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
・溪谷 石佛谷:河北贊皇縣,有世界最大的天然迴音壁。五台山は文殊菩薩、峨眉山は普賢菩薩、九華山はお地蔵様、普陀山は観音様の住む聖地とされている。
五台山の五台とは5つの平らな峰という意味で、平均海抜は1000m以上あり、風が強く、背の高い木は育っていない。道も険しく、五月でも綿入れの上着を着るほど寒いところ。また、ラマ教徒の聖地にもなっている。
・霏霏 雪がしんしんと降っているさま。


延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
・長嘆息 長いためいき。
・遠行 遠征。


我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
・怫郁 憂いに沈んで心のふさがるさま。
・東帰 故郷に帰るのをさす。


水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
・水 漳水のこと考える。大行山脈から東流する主要な河川である。水深が深くて渡れない河川である。
白砂渡船場イメージ

苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618


200年官渡の戦いで袁紹軍を破る。
202年袁紹病没。
206年、建安11年 甄后は曹叡(明帝)を生む。
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩『苦寒行』。この遠征は残党狩りであった。
「三国志演義」にの遠征はまったくふれられていないし、この詩も出ていないてんから、曹操の実体験のものではなく創作であろう。


 
 
苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。

黄河二首 杜甫

















『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)  
北上太行山,艱哉何巍巍!
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。


(下し文)
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。


(現代語訳)
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。


(訳注)
苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩とされる。態勢が決まっている闘いなので曹操が直接軍を率いてこの詩を作ったのではなく、こんな辛苦をした戰であったろうと功勲をもって戻ってきたものを讃えるものであった。

北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
・北上 中原から北に向かって攻め上ること。この時の模様を後世の李白『北上行』がある。
yamanoki02北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか

北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304

太行山 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。
ぞ~たる強調。 
巍巍 けわしいさま。 


羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
羊腸坂 高幹の占拠する大原晋陽の北に在る。やつ坂の名。羊の腸のように屈曲しているので名づけた。


樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
北風 強い寒気による冬の風は吹き足が長く悲鳴のように吹き付ける。零下三、四十度の強い風を云う。
蕭瑟 寂しい感じ。ものさびしく風の吹くさま。


熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
熊羆 熊やヒグマ。 
虎豹 虎や豹。
nat0002

《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#1>古詩源 巻五 812 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2608

《曹操詩全集︰蒿里行》はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。


2013年7月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#1>古詩源 巻五 812 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2608
 
 
蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
竹林0021#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。

嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。

#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。

 
『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文)
蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。


(下し文)
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。


(現代語訳)
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。


(訳注)
蒿里行-#1 
・蒿里行 蒿里もまた漢代の挽歌である。
蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
前篇を承けて、また漢未の乱をいたむ詩である。


關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
・義士 袁紹を指す。賊徒董卓を伐つの盟主であるからその段階のことでこのようにいった。
・羣凶 董卓・呂布・李傕・郭汜の屬。


初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
・初期會盟津・乃心在咸陽 盟津は洛陽東北の地名。この句は書経の泰誓にみえる。「惟十有三年春、大に孟津に会す」の語をふまえて、武王の紂王を伐った時とは反対に諸軍を盟津に会しながら、洛陽の董卓の軍に向わずして、咸陽に天子を擁立しょうとしたことをいう。


軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
・雁行 雁が泣び飛ぶよう斜めに相次いで行くこと。ここは敵軍を追撃すること緩くして敢えて先を争わぬこと。


勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
・勢利使人爭 袁紹・袁術・孫堅など、互いに勢力を争ったことをいう。
yuugure02

《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603

無名氏  《蒿里曲》かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603

漢・樂府
蒿里曲
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。

蒿里の曲
蒿里 誰が家の地ぞ,魂魄を聚斂して 賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ 相ひ催促し,人命 少【しばら】くも 踟蹰【ちちゅう】するを得ず。




『蒿里曲』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)

蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。


(下し文)
蒿里の曲
蒿里 誰が家の地ぞ,魂魄を聚斂して 賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ 相ひ催促し,人命 少【しばら】くも 踟蹰【ちちゅう】するを得ず。


(現代語訳)
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。


(訳注)
蒿里曲
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
漢代の挽歌。殯(もがり)の時に歌う。貴人の葬送には『薤露歌』「薤上露,何易晞。露晞明朝更復落,人死一去何時歸。」を歌う。蒿里の本来の意は、泰山の南にある山の名。人が死ぬと魂がここに来るという。墓地のこと。
曹操『蒿里行』
關東有義士,興兵討群凶。初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。勢利使人爭,嗣還自相戕。
淮南弟稱號,刻璽於北方。鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無鷄鳴。生民百遺一,念之斷人腸。


蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
・蒿里 地名。山東省泰山の南にある。この曲によって墓地の通称に転用される。
・罪敵 あつめおさめる。何もかもとりこむこと。
・魂塊 人が死ぬと、魂と塊とに分離し、魂は遊離して天上に上り、塊は肉体に属
して地中に入る。
・蒿里:泰山の南にある山の名。人が死ぬと魂がここに来るという。墓地のことでもある。後、墓地の意で使われる。 ・誰家:どこの。だれの。 ・地:ところ。
・聚斂:集め収める。(税を)取り立てる。 ・魂魄:たましい。霊魂。 ・魂:天から受ける陽のたましい。また、精神の働きを司る。 ・魄:地から受ける陰のたましい。また、肉体の生命を司る。 ・無賢愚:差異がなくなる。平等である。賢者も愚人も同様になる。


鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。
・鬼伯 伯は長、死をつかさどる神。
踟蹰 ためらう。躊躇。ものが行き悩むさま。ためらう。躊躇する。物が連なるさま。
yuugure02

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598

(殷末周初・箕子)《麥秀歌》 麦の穂は、ずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。

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《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598



麥秀歌  (殷末周初・箕子)
(麥秀の歌)
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
彼狡僮兮,不與我好兮。

この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。

麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


『麥秀歌』 現代語訳と訳註
DCF00106(本文)
麥秀歌
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
彼狡僮兮,不與我好兮。


(下し文)
麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


(現代語訳)
(麥秀の歌)
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。


(訳注)
麥秀歌

麦秀歌 『史記・宋微子世家第八』に、周の武王が笑子を朝鮮に封じた。箕子は紂王の親戚で、かつて紂の暴虐を諌めたが、聴かれなかった。後周に朝する時、殷の廃墟を過ぎ、禾黍の生ぜるを傷んだが、今は周の代であるから声をあげて泣くこともできず、麦秀の歌を作ったとある。尚書大伝には、これを紂の庶兄微子の作としてある。
『史記・宋微子世家第八』に、歌とともに載っている。「其後箕子朝周,過故殷虚(墟),感宮室毀壞,生禾黍,箕子傷之,欲哭則不可,欲泣爲其近婦人,乃作麥秀之詩以歌詠之。…殷民聞之,皆爲流涕。」となっている。最古の歌の一。なお、これと同じモチーフのものに、『詩經』王風『黍離』がある。「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」 『黍離』は、西周の武王の都であった鎬京が、廃墟となってキビが生い茂るさまを見て、亡国の悲嘆に耽っている詩。こちらは有名で、豪放詞でしばしば引用されている。なお、この第三句に似た詩が『詩經・鄭風』の『狡童』に「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。 彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」とある。
箕子:殷の紂王の同母の庶兄になる。殷が滅んだ後、周の武王に赦されて、周に仕えた。


麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
麥秀:麦の穂。麦の穂がみのる。普通、後者にとるが、後の句との続き具合から見ると、前者の意ではないのか。・秀:動詞:しげる。(花やイネが)咲く。
漸漸:麦ののぎのさま。麦の秀でるさま。・兮:語調を整える虚辞。取り立てた意味はない。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。「…て、」。上代詩によく見られる。
禾黍:イネとキビ。イネやキビ。ここは後者。 
油:うるわしく盛んに生えてる。つやつやした。生き生きした。


彼狡僮兮,不與我好兮。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。
:あの。かの。 
狡僮:悪童。ずるがしこいやつ。殷の紂王のことをいう。『史記・宋微子世家第八』本文の記述で「所謂狡童者,紂也。」とある。・狡:わるがしこい。ずるい。はしこい。・僮:こども。わらは。
不與:…と。…と…いっしょに…する。 ・我:わたし(と)。・好:よい。 

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588

《曹操詩全集︰薤露行》#2つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。


2013年6月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588



薤露行 
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
惟漢廿二世,所任誠不良。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
沐猴而冠帶,知小而謀疆。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。
白虹為貫日,己亦先受殃。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。
#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
播越西遷移,號泣而且行。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷。
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。

(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。
#2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。




『薤露行』 現代語訳と訳註
姑蘇台02(本文)
#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
播越西遷移,號泣而且行。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷


(下し文) #2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。


(現代語訳)
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。


(訳注) #2
薤露行 
ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う
・薤露行 漢代の挽歌に「薤露歌」がある(このブログの数日後)。作者、曹操はその題か借りて、漢末の乱世を歎じたのである。


賊臣持國柄,殺主滅宇京。
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
・賊臣 何進に次いで董卓が変わって実権を握る。


蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
蕩覆 国家をくつがえす。蕩は「物事に締まりがなくだらしないさま」。蕩駘(トウタイ=かってきままにする、ふける)、蕩漾(トウヨウ=ただようさま、水が揺れ動くさま)
燔喪 焼かれ失われること。


播越西遷移,號泣而且行。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
播越 播は遷移・去ること。越は遠方という意で、「遠方にうつりさまよう」こと。洛陽を焼き尽くして長安遷都を行ったことを示す。


瞻彼洛城郭,微子為哀傷
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。
微子為哀傷 殷の遺臣微子が、故都を過ぎ麦秀の歌(数日後のブログ掲載)を歌って詠歎した故事を指し、曹操自らを以て微子に比した。
銅雀臺00

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578

曹操 《龜雖壽》龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578


龜雖壽
百舌鳥02神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
烈士暮年,壯心不已。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。
盈縮之期,不但在天;
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
養怡之福,可得永年。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
幸甚至哉!歌以詠志。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;
烈士 暮年に,壯心 已まず。
盈縮 の期は,但だ天に在らず;
養怡 の福は,永年を得べし。
幸 甚だ至れる哉!歌うて以て志を詠ず。





『龜雖壽』 現代語訳と訳註
展望四阿01(本文)
神龜雖壽,猶有竟時。
騰蛇乘霧,終為土灰。
老驥伏櫪,志在千里;
烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天;
養怡之福,可得永年。
幸甚至哉!歌以詠志。

(下し文)
亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;
烈士 暮年に,壯心 已まず。
盈縮 の期は,但だ天に在らず;
養怡 の福は,永年を得べし。
幸 甚だ至れる哉!歌うて以て志を詠ず。


(現代語訳)
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。


(訳注)
神龜雖壽,猶有竟時。

龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。


騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
・騰蛇 星の名であるが、ここでは天に昇る蛇の意味。


老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
・老驥 老衰した駿馬。
・伏櫪 櫪は厩の根太板。


烈士暮年,壯心不已。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。


盈縮之期,不但在天;
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
・盈縮之期 長短の生命。


養怡之福,可得永年。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
・養怡之福 和楽の心情を養うことによって得る幸福。


幸甚至哉!歌以詠志。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568

曹操《觀滄海》折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、

2013年6月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃源行》 王維  <#3>717 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2569
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568

 
 
觀滄海 
東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
秋風蕭瑟,洪波涌起。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
日月之行,若出其中;
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、
星漢燦爛,若出其里。
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
幸甚至哉!歌以詠志。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。sas0024














『觀滄海』 現代語訳と訳註
(本文)
東臨碣石,以觀滄海。
水何澹澹,山島竦峙。
樹木叢生,百草豐茂。
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。


(下し文) 滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。
秋風 蕭瑟【しょうしつ】して,洪波【こうは】涌起【ようき】す。
日月【じつげつ】の行,其の中より出づるが若く;
星漢 燦爛【さんらん】として,其の里【うら】より出づるが若く。
幸 甚だ至れる哉!歌って以って志を詠ず。


(現代語訳)
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。


(訳注)
觀滄海
東海三山に至る広大な海原を見る。
・滄海 東海三山に至る広大な海原。海に臨む地方。自分が隠棲したいと思っているところ。


東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
・碣石  山の名。古来有名であるが、その所在については説が一様でない。海岸の山であるという。東海ということから泰山をイメージするというのではないか。


水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


秋風蕭瑟,洪波涌起。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
・蕭瑟 秋風が草木に鳴るさわさわという音。宋玉 『九辯』一段目 「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,」


日月之行,若出其中;
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、


星漢燦爛,若出其里。
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
・星漢 天の川。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。夏に明るくなっていた天の川も秋になると光度が落ちて來るので川を渡ることが出来ないとされるもの。


幸甚至哉!歌以詠志。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1> 平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563

曹操《觀滄海》東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1>  平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563
 
 
觀滄海 
(東海三山に至る広大な海原を見る)
東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
王屋山01#2
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。
滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。

秋風 蕭瑟【しょうしつ】して,洪波【こうは】涌起【ようき】す。
日月【じつげつ】の行,其の中より出づるが若く;
星漢 燦爛【さんらん】として,其の里【うら】より出づるが若く。
幸 甚だ至れる哉!歌って以って志を詠ず。
 

『觀滄海』 現代語訳と訳註
(本文)
東臨碣石,以觀滄海。
水何澹澹,山島竦峙。
樹木叢生,百草豐茂。
#2
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。


(下し文)
滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。


(現代語訳)
(東海三山に至る広大な海原を見る。)
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


(訳注)
觀滄海
東海三山に至る広大な海原を見る。
・滄海 東海三山に至る広大な海原。海に臨む地方。自分が隠棲したいと思っているところ。


東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
・碣石  山の名。古来有名であるが、その所在については説が一様でない。海岸の山であるという。東海ということから泰山をイメージするというのではないか。


水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3> 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558

魏武帝《短歌行》#3 東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 


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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3>  古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

泰山の道観

















『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
菖蒲03越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


(下し文) #3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


(現代語訳)
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


(訳注) #3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
・陌:道。田の東西に通じるあぜみち。=陌阡。 
・阡:道。南北に通じるあぜみち。
・枉:まげて。・用:もって。 
・相存:ねぎらう。見舞う。あい問う。 
・存:問う。見舞う。ねぎらう。


契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
・契闊:久闊を叙する。久しぶりでお目にかかる。ひさしぶり。ぶさた。堅い契りを結ぶ。離れることと合うことと。離合。
・談讌:語らいながら酒盛りをする。・讌:さかもり。≒宴。
・舊恩:旧誼。


月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
・烏鵲:カササギ。


繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
・匝:めぐる。めぐり。


山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。


周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。
・周公:周公旦のこと。古代の聖人。周の文王の子で、武王の弟になる。武王の子の成王を補佐して、人材の発掘に努め、制度、礼楽を定めて、周王朝の基礎を固めた。人材の登用を重視して、高い位に在るにも拘わらずに、一回の洗髪を三度中断したり、一回の食事を三度中断してまでして賢士の来客に面会した。 
・吐哺:食べかけで口に含んでいる食物を吐き出して(までして、人物の来訪に会った)故事をいう。食事を中断してまでして、来客に面会したことをいう。『史記・魯周公世家第三』に「周公戒伯禽曰:『我文王之子,武王之弟,成王之叔父,我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮;一飯三吐哺,起以待士,猶恐失天下之賢人。子之魯,慎無以國驕人。』」とある。

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553

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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性上川主武元衡相國二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-202-68-#62  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2557
 
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2>  古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
kagaribi00但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#2
但為君故、沈吟至今。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
明明如月、何時可採。
憂従中來、不可断絶。


(下し文) #2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。


(現代語訳)
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。


(訳注) #2
満月003但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。


呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
 ・呦呦:鹿の鳴き声。擬声語。『詩經』に出てくる。「小雅・鹿鳴」「呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我行周。」が一解となり、「呦呦鹿鳴,食野之蒿。…」「呦呦鹿鳴,食野之。…」として、「呦呦鹿鳴,食野之…」を繰り返して、使っている。「呦呦鹿鳴,食野之苹」に同じ。前記『詩經』では解が移るとともに「苹」(ヨモギ)、「蒿」(クサヨモギ)、「」(アシ)とシカの食べるものが変わっていく。蛇足だが『三國演義』では、「食野之苹」を「食野之萍」としているものの、「萍」はウキクサなので、少し苦しい。


我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
・嘉賓:曹操が天下平定のために人材を広く集め、賢士を招いたことをに基づく。


明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
・輟:やめる。とどめる。とどまる。中途でちょっととどまること。≒とする。 ・:とる。拾い取る。ここは、仮に「優れた人材」を拾い取る、としたが、前後の続き具合や、彼の歴史的存在から多様に読みとれる。


憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1>  古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548


三国時代(さんごくじだい)は中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)から[要出典]、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。黄巾の乱(こうきんのらん、中国語:黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。「黄巾の乱」は後漢が衰退し三国時代に移る一つの契機となった。


建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   


短歌行   曹操
#1
対酒当歌  人生幾何
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露  去日苦多
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷  幽思難忘
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂  唯有杜康
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿  悠悠我心

遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


#2
但為君故  沈吟至今
呦呦鹿鳴  食野之苹
我有嘉賓  鼓瑟吹笙
明明如月  何時可採
憂従中來  不可断絶

#3
越陌度阡  枉用相存
契闊談讌  心念旧恩
月明星稀  烏鵲南飛
繞樹三匝  何枝可依
山不厭高  海不厭深
周公吐哺  天下帰心


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
(本文) 短歌行 
  曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
譬如朝露、去日苦多。
慨当以慷、幽思難忘。
何以解憂、唯有杜康。
青青子衿、悠悠我心。


DCF002102(下し文)
短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬【たと】えば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,幽思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。


(現代語訳)
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


(訳注)
短歌行
:古楽府「相和歌・平調曲」。
武帝(曹操)(155年 – 220)後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 
・短歌行 ・観蒼海 ・圡不同 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・苦寒行 ・卻東西行 


対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。


譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
・去日:過ぎ去った日々。過去の日々。 
・苦:はなはだ。たいそう。副詞。


慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
・慨:いきどおる。 
・慷:なげく。いきどおりなげく。


何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
杜康:初めて酒を造った人の名。転じて、酒。ここでは、酒の意。


青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経にあるように「青い襟の愛しい女(ひと)よ。・・・・」はるかになっていくわたしの思い。
『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
・子:あなた。
ここでは曹操は、人材を欲して、この言葉を使った。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。


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《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。

王屋山01平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。


(下し文) #3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


(現代語訳)
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。


(訳注) #3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
・灑 水をまき注ぐ。ここは蘭藻の如き清辞を吐くこと。


哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
・下廻鵠 鵠(白鳥)下り舞わす。韓子に「師曂が清徴を奏するに、玄鵠二八ありて廊門に集る」という、それにたとえた。
・餘哇 「哇」は、吐く。また、捏声。ここは、歌ごえ。韻の意か。列子に「辞談は謳を秦青に学び、辞して帰る。青は郊衝に餞し、節を撫して悲歌す、声は林木を震(H)かし、撃は行雲を過む」というものにたとえた。
・徹 通る。いたる。


中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
・中山 そこには美酒を産する。ここは銘酒にたとえたこととなる。なお漢書の「中山王なる勝」のことを用いたということでもある。すなわち、「建元三年、中山王勝ら来朝す。天子置酒す、勝は発声を聞いて泣く。其の故を問ふに、勝は対へて日く、臣は聞けり、悲しめる者には素欷を為すべからず、思ふ者には歎息を為すべからず(歓款の声を聞けば、悲思ますます甚しくなるをいふ)、故に高漸離の筑を易水の上【ほとり】に撃つや、荊軻は之がために(首を)低(た)れて、復た食ふこと能はず。今、臣は心結ばれて日久し。幼抄の芦を聞く毎に涕泣の横集するを知らざるなり」という。この故事によるとすれば、曹椿は、心に憂生の念があるので、太子の恵みには十分感ずるが、酒には酔えぬ、というのであろう。
・飲德方覺飽 詩経、大雅、既酔篇に「既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす。君子万年、爾の景福を介にせん」という。酒に酔い、また恵みをうけて飽き足ること。君子も爾も、王をさす。


願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。
・黄髪期 年老いて髪が黄いろになるとき。

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。


 

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。


(下し文) #2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。


(現代語訳)
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
〇淪薄 淪①. 隠れ沈む・こと(さま)。 ②. 世をのがれて隠れること。薄 いきつくこと。ここでは落ちぶれ果て行き着くところまで行ったという意味。


天下昔未定,托身早得所。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
〇昔未定 過去のおちぶれて、まだ定まらなかった時のことを言ったものである。
〇早得所 身を託する所を得たこと。曹操に託するを得たことをいう。


官度廁一卒,烏林預艱阻。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
〇官度 後漢末期の200年に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間で行われた戦い。
〇烏林 呉の孫権の将なる周瑜は、劉備の軍と連合して、赤壁より烏林にわたる戦に、曹操の軍を破る。


晚節值眾賢,會同庇天宇。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
〇晩節 晩年。ここは、そののち晩年まで、とでも解す。
〇眾賢 建安の三曹七賢。
〇庇 おおう。護りたすける。
〇天宇 曹操から、曹丕に仕えることが出来たことを云う。 

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498


劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨#3
王屋山01朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。


(下し文)#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


(現代語訳)
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(訳注)#3
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 
 


朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
・牛羊下 詩経、王風、君子子役篇に「鷄は括に棲り、日は夕となる、羊牛下り括(か)る」という。
・括揭 「括揭」はとまり木にとまること。鶏のとまり木。「括」「揭」同じ。


終歲非一日,傳巵弄新聲。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。


辰事既難諧,歡願如今並。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。


唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
・羨 愛慕をねがう。
・粛粛 羽の声。 (1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。  (2)おごそかなさま。曹植『棄婦篇』「歭躇還入房、肅肅帷幕聲。」とよくつかう。
・翰 長く堅い羽毛。
・繽紛 ひらひら飛ぶさま。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493

 謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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鷹将劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
竹林0021(本文) 劉楨
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。


(下し文) #2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。


(現代語訳)
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。


(訳注) #2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
黎陽津 魏の主要の港である黎陽。
紀郢城 劉表がいる楚の紀城や郢城。


既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。


歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
・相解達 「解」は説。李善は「相談説して進達するなり」といい、李周翰も同じ。何燈は、それを非とし「古今治乱のことをLるので、親友らと互いに、響えを引いて話しあった」意とする。
・平生 古今治乱の事情について、かねてしる所の知識をさす。


矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
・矧荷 いわんや~をうける。それに加えて~をうける
・明哲顧 明智の太子の恩顧。
・知深 知己の恩の深く。王逸の晋書に「孔短日く、士は知遇の恩に死し、命をして軽からしむ」。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。


 

2013年6月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499
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Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2490 杜甫詩1000-476-692/1500
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488



劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


銅雀臺00







『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
貧居晏裏閈,少小長東平。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
廣川無逆流,招納廁羣英。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 


卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
・卓犖 すぐれて他からぬきんでていること。また 、そのさま。
・偏人 文才のある人。
・而文 ここに「文」とは、主としてかれの詩をさす。


貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
・裏閈 貧しい村里。
・東平 斉國地方。山東省泰安市に位置する県。


河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
・河兗 斉河、兗州をいう。
・沖要 要衝。
・淪飄 戦乱がはげしくなること。波にただよう。
・薄 至る。
・許京 許都。獻帝は、洛陽から許州に遷ったので京といった。


廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
・広川無逆流 管子に「善く君たるものは。宜しく江海に法るべし。江海は細流を逆まず、故に百谷の長となる」。
yuuhi00

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運  このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。

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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。
 


『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)
#2
此歡謂可終,外物始難畢。搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
末塗幸休明,棲集建薄質。已免負薪苦,仍游椒蘭室。


(下し文) #2

此の歡をば終ふ可しと謂ひしに、外物のため始めて【お】へ難し。
箕濮【きばく】の情を搖盪【ようとう】し、年を窮めて憂栗【ゆうりつ】に迫らる。
末塗【まつと】には幸に休明にあひ、棲集【せいしゅう】は薄質に逮【およぶ】ぶ。
己に負薪【ふしん】の苦しみを免れ、仍お椒蘭【しょうらん】の室に游ぶ。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#2
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)


此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
・外物  1 自分以外の事物。外界の事物。 2 自我の働きの外にあり、客観的世界に存在するもの。客観的実在。
・終・畢 ともに、「此歓」をきわめつくすこと。


搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
・搖盪 うごかし、はらう。
・箕濮 箕山は許由らの隠居したところ、濮水は荘周が隠遁して釣などをしたところという。


末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
・塗 1 ぬる。「塗装・塗布・塗抹・塗料」2 泥。泥にまみれる。「塗炭/泥塗」3 道路。
・棲集 至り、とまる。ここは衆賢が、曹公のもとに來たこと。


已免負薪苦,仍游椒蘭室。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた
・負薪 ・負薪之憂 士が自分の病気を謙遜して言う。禄が十分でなく、薪を背負って働いたので病気になったという意味。「負薪」は、生活のために雑用や力仕事をすることの喩え。苦役。
・椒蘭室 『楚辞、離騒』第十四段「覧椒蘭其若茲兮」(椒蘭を覧るに其れ茲の若しかくのごとし)
大戴礼に「君子と遊ぶときは、必ず蘭正の室に入るが如し。久しくして聞かず、則ち之と化すればなり」という。
サンショウ(はじかみ)とラン(ふじばかま)。香りのよい植物の代名詞。転じて、「皇后の親類、外戚」転じて賢人ということもある。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。


2013年5月31日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。柳巷 韓愈(韓退之) <133>Ⅱ中唐詩694 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2454
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 五言古詩 成都6-(4) 杜甫 <470-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2455 杜甫詩1000-470-#2-685/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 馬離廄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-182-54-#42  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2457
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453


王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
排霧屬盛明,披雲對清朗。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
不謂息肩願,一旦值明兩。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
既作長夜飲,豈顧乘日養!
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。


王屋山01(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。
#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。
#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。


『擬魏太子鄴中集詩八首』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!


(下し文) #3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!


(現代語訳) #3
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 王粲

(177年熹平6年 - 217年建安22年)は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。


慶泰欲重疊,公子特先賞。
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
・泰 ①ゆったりと落ち着いている。②はなはだしい。③とおる。通。④おごり高ぶる。⑤やすらか。⑥なめらか。
・欲重畳 「欲」は、李周翰によれば、欣の意。


不謂息肩願,一旦值明兩。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
・息肩 荷物をおろして肩をやすめる。戦乱に悩むのあまりというほどの意味。
・明両 曹操は明、曹丕も明、故に「明両」といった。ただし、ここでは、主として曹丕をさす。


並載游鄴京,方舟泛河廣。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。


綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
・綢繆 ①まつわりつくこと。また、糸などをからめて結ぶこと。②むつみあうこと。なれしたしむこと。
・梁棟響 梁と棟をめぐりひびく歌声の音楽のいいことをいう。梁塵 1 梁(はり)の上に積もっているちり。梁上のちり。 2 《「梁塵を動かす」の故事から》すぐれた歌声。また、歌謡。音楽。


既作長夜飲,豈顧乘日養!
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。
・長夜飲 古くは、尉王がそれをした。
・乘日 太陽をのせて走る車の御者。神話中の人物である。「楚辞」離巌に「吾義和をして節を辞めしめ云云」と見える。 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。

 

2013年5月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448


王粲が後漢末の桓帝や霊帝の時代の乱に、都の長安を逃れて、遠く楚の地まで行ったが、その土地の美しきも、王粲の心を引き止めるものなく、故郷が懐かしく思い出された。が、やがて曹操や曹丕に会い、はじめて安心立命の地を得た。そして、さいわいなことには曹植をも知ることができ、幸福な毎日を送ることができたという。すなわち、謝霊運が王粲が三曹に会った喜びを推定して歌っているが、あるいは謝霊運もこのようなりっぱな君主に会いたいという願望が隠されているかもしれぬ。内容的には他の臣下グループと同じ形式になっていることが重要である。


102  王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
排霧屬盛明,披雲對清朗。

そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!

(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。
#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。

#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。

終南山03
『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
常歎詩人言,式微何由往。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
排霧屬盛明,披雲對清朗。


(下し文) #2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。


(現代語訳)王屋山01
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。


(訳注) #2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
・可美 美しいにはちがいない。
・外奨 留るようにとに外物がすすめる。


常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
・詩人・式微 「詩経」邶風の篇名。毛序では、黎侯が故国より追われ、衛の国に寓居していた時、彼の臣が帰国をすすめたもの、という。その詩に「式くて微【おとろ】え、式くて微う、胡んぞ帰らざる。」という一節がある。即位して間もない文帝に自己の忠節のかわらぬことを訴えたものと見ている。謝靈運が「詩人・式微」といったのは、この式微の詩が「胡不帰」の三字を含むが故に、家で帰りを待つ者が歌う詩として適当なものであるからである。


上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
・上宰 丞宰の曹操。
・奉皇靈 献帝の威命を奉じること。


雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
・雲騎 雲のごとく多い騎馬兵。
・掃塗 はらいのける。


排霧屬盛明,披雲對清朗。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。

聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198

曹植 聖皇篇


2013年4月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#4 宋玉  <00-#14>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 643 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2199
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198

《曹植全集︰聖皇篇 》

 
聖皇篇 
聖皇應歷數。正康帝道休。
九州咸賓服。威德洞八幽。
三公奏諸公。不得久淹留。
蕃位任至重。舊章咸率由。
侍臣省文奏。陛下體仁慈。
#2
沉吟有愛戀。不忍听可之。
迫有官典憲。不得顧恩私。
諸王當就國。璽綬何累縗。
便時舍外殿。宮省寂無人。
主上增顧念。皇母懷苦辛。
#3
何以為贈賜。傾府竭寶珍。
文錢百億萬。采帛若煙雲。
乘輿服御物。錦羅與金銀。
龍旗垂九旒。羽蓋參班輪。
諸王自計念。無功荷厚德。
#4
思一效筋力。糜軀以報國。
鴻臚擁節衛。副使隨經營。
貴戚並出送。夾道交輜軿。
車服齊整設。韡曄耀天精。
武騎衛前後。鼓吹簫笳聲。
#5
祖道魏東門。淚下沾冠纓。
扳蓋因內顧。俛仰慕同生。
行行將日暮。何時還闕庭。
車輪為徘徊。四馬躊躇鳴。
路人尚酸鼻。何況骨肉情。


聖皇篇 
聖皇應歷數。正康帝道休。
聖天子は天の暦数に応じて即位し、天下の正道は安らかに、帝道は大いに行なわれる。
九州咸賓服。威德洞八幽。
天下九州はみな賓として来たり平服し、威徳は八方幽遠の地までおよぶにいたった。
三公奏諸公。不得久淹留。
このときの朝廷の重臣からの上奏があり、奉賀のため入朝した諸公王はいつまでも都にとどまってはならないとの勅命であった。
蕃位任至重。舊章咸率由。
それはすべて旧来の法令にもとづいたもので、藩公の任は特に重いものであるから、藩公は速かに任地に帰ることを定めとしたのである。
侍臣省文奏。陛下體仁慈。
藩公から内奏した文書はいちいち侍臣が点検して奏上する定めであり、その上で陛下のなさけ深さにすがることになる。

聖皇篇
聖皇暦数に應じ、正に康くして帝道休なり。
九州咸賓服し、威徳八幽に洞る。
三公誇公を奏し、久しく淹留するを得ざらしむ。
蕃位任は至りて重く、舊章咸【ことごと】く率由す。
侍臣文を省て奏し、陛下は仁慈を體す。

銅雀臺00
『聖皇篇』 現代語訳と訳註
(本文)
聖皇篇 
聖皇應歷數。正康帝道休。
九州咸賓服。威德洞八幽。
三公奏諸公。不得久淹留。
蕃位任至重。舊章咸率由。
侍臣省文奏。陛下體仁慈。


(下し文) 聖皇篇
聖皇暦数に應じ、正に康くして帝道休なり。
九州咸賓服し、威徳八幽に洞る。
三公誇公を奏し、久しく淹留するを得ざらしむ。
蕃位任は至りて重く、舊章咸【ことごと】く率由す。
侍臣文を省て奏し、陛下は仁慈を體す。


(現代語訳)
聖天子は天の暦数に応じて即位し、天下の正道は安らかに、帝道は大いに行なわれる。
天下九州はみな賓として来たり平服し、威徳は八方幽遠の地までおよぶにいたった。
このときの朝廷の重臣からの上奏があり、奉賀のため入朝した諸公王はいつまでも都にとどまってはならないとの勅命であった。
それはすべて旧来の法令にもとづいたもので、藩公の任は特に重いものであるから、藩公は速かに任地に帰ることを定めとしたのである。
藩公から内奏した文書はいちいち侍臣が点検して奏上する定めであり、その上で陛下のなさけ深さにすがることになる。


(訳注)
聖皇篇 

泰山の夕日02・聖皇篇 
詩は曹操が死んで文帝即位後、諸侯王たる作者などが上謁を終わり、藩邑に帰任する時、帝徳を頌し、兄弟離別の情を叙したのである。この時、作者曹植はこれから疎んぜられることを知って、これを憂えた意をのべたものと思われる。おそらくは「贈白馬王彪」また文選に見える「上責窮応詔詩表」(窮を責め詔に応ずる詩を上る表)を作った223年黄初四年の作で、作詩の動機もそれによってうかがわれよう。
・聖皇 文帝を指す。


聖皇應歷數。正康帝道休。
聖天子は天の暦数に応じて即位し、天下の正道は安らかに、帝道は大いに行なわれる。
・応暦数 暦数は即位のめぐりあわせ。論語・堯日篇に「天の暦数爾が躬に在り」。ここは天意に応じて即位するの意。


九州咸賓服。威德洞八幽。
天下九州はみな賓として来たり平服し、威徳は八方幽遠の地までおよぶにいたった。
・九州 古、天下を分かって九州とした。
・賓服 賓として来たり服すること。
・八幽 八方幽遠の地。


三公奏諸公。不得久淹留。
このときの朝廷の重臣からの上奏があり、奉賀のため入朝した諸公王はいつまでも都にとどまってはならないとの勅命であった。
・三公 朝廷の重臣、大尉・司空・司徒。
・諸公 各地に封ぜられた藩士をいう。
・不得久掩留 黄初元年から藩公は必ず封地に赴任せねばならぬ定めであった。


蕃位任至重。舊章咸率由。
それはすべて旧来の法令にもとづいたもので、藩公の任は特に重いものであるから、藩公は速かに任地に帰ることを定めとしたのである。


侍臣省文奏。陛下體仁慈。
藩公から内奏した文書はいちいち侍臣が点検して奏上する定めであり、その上で陛下のなさけ深さにすがることになる。
・侍臣 近侍の重臣、すなわち、三公。
・省文奏 藩公のたてまつった文書を省察し、奏進すること。

盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133

曹植 盤石篇

2013年3月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133 
 


盤石篇  #1
盤石山巔石,飄颻澗底蓬。
我本泰山人,何為客淮東?
雚葭彌斥土,林木無分重。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。

#2
蚌蛤被濱涯,光彩如錦虹。
高彼凌雲霄,浮氣象螭龍。
鯨脊若丘陵,須若山上松。
呼吸吞船紵,澎濞戲中鴻。

#3
方舟尋高價,珍寶麗以通。
一舉必千里,乘幹舉帆幢。
經危履險阻,未知命所鍾。
常恐沈黃壚,下與黿鱉同。

#4
南極蒼梧野,游眄窮九江。
中夜指參辰,欲師當定從。
仰天長太息,思想懷故邦。
乘桴何所志,吁嗟我孔公。




盤石篇
盤石山巓石,飄颻澗底蓬。
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
我本泰山人,何為客淮東?
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
雚葭彌斥土,林木無分重。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。

きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。

盤盤たり 山巓【さんてん】の石、飄颻【ひょうよう】たり 澗底【かんてい】の蓬。
我は本 泰山の人、何為れぞ 淮東に客たる。
雚葭【けんか】斥土【せきど】に弥く、林木 分重【ふんちょう】なる無し。
岸巌 崩れ缺【か】くるが若く、湖水 何んぞ洶洶【きょうきょう】たる。


『盤石篇』 現代語訳と訳註
(本文)

盤石篇
盤石山巓石,飄颻澗底蓬。
我本太山人,何為客淮東?
雚葭彌斥土,林木無分重。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。


(下し文)
盤盤たり 山巓【さんてん】の石、飄颻【ひょうよう】たり 澗底【かんてい】の蓬。
我は本 泰山の人、何為れぞ 淮東に客たる。
雚葭【けんか】斥土【せきど】に弥く、林木 分重【ふんちょう】なる無し。
岸巌 崩れ缺【か】くるが若く、湖水 何んぞ洶洶【きょうきょう】たる。


(現代語訳)
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。

泰山の夕日02
(訳注)
盤石篇

○盤石篇 海に浮ぶ歌。「楽府詩集」では雑曲歌辞に入れる。海上をさすらう者の望郷の念を歌ったもので、題名とはあまり関係はない。
曹操が建安十一年八月海賊管東を征伐したとき、曹植も十五歳で従軍して作ったと推定している。この篇は少し長いので、四段に分ける。


盤石山巔石,飄颻澗底蓬。
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
○盤盤 盤は大きな皿又は大きな石の盤。ここではどっしりした形容に用いた。盤石に作るならば、この句は「盤石のごとし山巓の石。」春秋戦国に書かれた『莊子』の内篇の第一逍遙遊には既に大きいものの例えとして、「太山」という名前が記されている。荘子では人間の小ささを表すために、絶大な大きさを持つ架空の鵬という名の鳥を例に対比させている。これは泰山がとてつもなく大きいものの代表という概念が、春秋時代にはもう形成されていたことを示している。
○飄颻 風にひるがえるさま。
○澗底 谷川の底。
○蓬 よもぎ。風のまにまに吹かれて飛ぶので、人生のはかなさにたとえて用いられる。


我本太山人,何為客淮東?
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
○太・泰山 山の名。五岳の山のひとつ。山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。信仰の対象にもなる。封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。 ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。
○淮東・海東 長安・洛陽からみて東の地方。黄河、淮水は東流することから東海、あるいは今の准河地方。


雚葭彌斥土,林木無分重。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
○雚葭 和名ヒメヨシ、萩の別名である。「詩経」葉風、雚葭に「雚葭蒼たり。」と見える。
○弥 充満する。
○斥土 海浜。東方の塩からい地を斤という。
○無分重 余り多くない。紛重は非常に多いさまとなる。


岸岩若崩缺,湖水何洶洶。
きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。
○岸巌 大岩の切り立った岸壁。
○湖水 湾内に入って來る大波の水。
○洶洶 波浪の音。ドオー・ドオー。「楚辞」九章、悲回風に「馮崑崙以瞰霧兮,隱岷山以清江。憚涌湍之磕磕兮,聽波聲之洶洶。」(崑崙に馮りて以て霧を瞰して,岷山に隱りて以て江を清ませ。涌湍の磕磕たるをり,波声の淘淘たるを聴く。)と見える。
sas0002

遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128

遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府

2013年3月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) <119-#12>Ⅱ中唐詩629 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2129
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 

遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128

遠遊篇
遠遊臨四海,俯仰觀洪波。
遠くに遊びたいと四海に臨むのである。時代の不安定さのような伏しつ仰ぎつしてくる大きな波を見るのである。
大魚若曲陵,承浪相經過。
大きな魚は真中が隆起して屈曲する丘のようである波をかぶって波と魚は共に目の前を通りすぎる。
靈鰲戴方丈,神岳儼嵯峨。
霊妙な大亀は、背に方丈山をのせるという。神仙のすむ山は、いかめしくもそびえたっている。
仙人翔其隅,玉女戲其阿。
仙人はその一隅をかけり飛びあがる、玉女は屈曲した大きな丘の奥まったところで、たわむれ遊ぶのである。
瓊蕊可療飢,仰首吸朝霞。

赤い美玉で飢をいやさないといけないし、王子喬のようにあおいで正陽の気に口すすぎ、朝がすみを吸う。
#2
崑崙本吾宅,中州非我家。
崑崙の山は、もともと我が住居である。みやこは、私の家ではない。
將歸謁東父,一舉超流沙。
さあ、わたしは帰って、東王父に謁見することにしよう。そして一挙に飛んで沙漠をこえよう。
鼓翼舞時風,長嘯激清歌。
翼をはばたいて、順風に舞いあがろう。、長く口笛を吹いて、清澄な響きの歌を激しい調子で歌うのである。
金石固易弊,日月同光華。
金石であっても、やはりこわれやすいものだ。日や月とその輝く光を同じようにかがやかそう。
齊年與天地,萬乘安足多。
天や地とその生命を同化するのが、私の願いなのであって、万乗の天子の地位など、けっしては満足できるものではないのである。

漢文委員会紀頌之タイトル










遠游して四海に臨み、俯仰して洪波を観る。
大魚は曲陵の若く、浪を承けて相い経過す。
靈鰲 方丈を戴き、神嶽 儼として嵯峨たり。
仙人 其の隅を翔けり、玉女 共の阿に戯る。
瓊蕊 飢を療す可く、仰ぎて漱ぎ 朝霞を吸う。
#2
崑崙は本もと吾が宅にして、中州は我が家には非ず。
将に帰りて東父に謁せんとし、一たび挙がりて流沙を超ゆ。
翼を鼓して時なる風に舞い、長く嘯きて清歌を激す。
金石 固より弊れ易し、日月と光華を同じくし。
年を天地と与に斉しくせん、万乗 安んぞ多となすに足らんや。


『遠遊篇』 現代語訳と訳註
(本文)
遠遊篇#2
崑崙本吾宅,中州非我家。
將歸謁東父,一舉超流沙。
鼓翼舞時風,長嘯激清歌。
金石固易弊,日月同光華。
齊年與天地,萬乘安足多。


(下し文) #2
華山000崑崙は本もと吾が宅にして、中州は我が家には非ず。
将に帰りて東父に謁せんとし、一たび挙がりて流沙を超ゆ。
翼を鼓して時なる風に舞い、長く嘯きて清歌を激す。
金石 固より弊れ易し、日月と光華を同じくし。
年を天地と与に斉しくせん、万乗 安んぞ多となすに足らんや。


(現代語訳)
崑崙の山は、もともと我が住居である。みやこは、私の家ではない。
さあ、わたしは帰って、東王父に謁見することにしよう。そして一挙に飛んで沙漠をこえよう。
翼をはばたいて、順風に舞いあがろう。、長く口笛を吹いて、清澄な響きの歌を激しい調子で歌うのである。
金石であっても、やはりこわれやすいものだ。日や月とその輝く光を同じようにかがやかそう。
天や地とその生命を同化するのが、私の願いなのであって、万乗の天子の地位など、けっしては満足できるものではないのである。


(訳注) #2
遠遊篇
天地に遊ぶ歌。「楽府詩集」では雑曲歌辞に入れる。遠游とは「楚辞」の篇名であり、屈原の作とされる。
「楚辞」遠游について 王逸の解題に、
「遠遊は屈原の作であって、屈原が方直の行ないを履みながら世に入れられず、君に捨てられ、衆人に苦しめられ、山野をさまよいつつ、深く唯一の幽玄な真理を思い、心を淡泊に持して世を救おうと思うと、心は憤然として美しい文章となった。彼は篇中で、仙人と共に遊戯して、天地を周遊し、到らぬ所がなかったが、やはり楚国と故旧の人々とを忘れかねたのは、忠信仁義の心の厚いところであった。そこで君子はその志をめで、その辞を美しいと思うのである。」
といっている。


nat0022崑崙の山は、もともと我が住居である。みやこは、私の家ではない。
○崑崙 西方にある山で、神仙の住む所。「楚辞」九章、渉江に「崑崙に登り、玉英を食い」と見える。
○中州 帝都のあるところをさす。


將歸謁東父,一舉超流沙。
さあ、わたしは帰って、東王父に謁見することにしよう。そして一挙に飛んで沙漠をこえよう。
○東父 東王父(とうおうふ)は、中国の神話上の仙人。西王母に対応する。西王母が女仙を統率するのに対し、東王公は男仙を統率する。東王公、東華帝君、東父、東君とも。西王母が、神話や伝説、小説などに頻繁に登場するのに対し、東王父は、あまり登場しない。これは、西王母が先に成立し、それに対応する形で東王父が生まれたとされる成立事情に関係があると思われる。
○流沙 西北の沙漠をいう。


鼓翼舞時風,長嘯激清歌。
翼をはばたいて、順風に舞いあがろう。、長く口笛を吹いて、清澄な響きの歌を激しい調子で歌うのである。
○時風 よい時にふく風。
○嘯 口笛をふく。
○激清歌 清歌を急激な調子で歌うことをいう。清歌とはよく響くすんだ調子の歌のこと。清歌は仙人にふさわしいものらしい。


金石固易弊,日月同光華。
金石であっても、やはりこわれやすいものだ。日や月とその輝く光を同じようにかがやかそう。
○金石 金属と石。堅固不変のたとえで、「古詩」にも「人生は金石に非らはず。」といった表現が見えるが、ここではその金石でさえ、天地とともにはあり得ないという意味で用いる。
○日月岡光華、斉年与天地 「楚辞」九章、(二)渉江に「崑崙に登って玉英を食らい、天地と寿を同じくし、日月と光を斉じくせん。」と見える。


齊年與天地,萬乘安足多。
天や地とその生命を同化するのが、私の願いなのであって、万乗の天子の地位など、けっしては満足できるものではないのである。
○万乗 天子をいう。一乗とは一こと車四馬をいう。「乗」は車の意。中国の周代、天子は直轄地から戦時に兵車1万台を徴発することができたところから、天子。また、天子の位。
○安足多 どうして自分の気持ちを満足させることがあろうか。

鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008

鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府

2013年3月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江行 二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-93-29-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2012
 
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女性詩人
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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首  
 
 





鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008



鬥鷄
遊目極妙伎。清聽厭宮商。
うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊りというものを見るにつけては目を凝らしてみるもので目が疲れる、音楽も音階まで聞き分け、耳を傾けて聞くならば飽きてしまうものである。
主人寂無為。眾賓進樂方。
この宴会の主は、そんなことに無頓着で何にも云わなかったら、宴会の多くの客たちには、型通りの法則にかなった音楽をそのまま進行し続けるのである。
長筵坐戲客。鬥雞間觀房。
高貴なお客に用意されている長い竹むしろに座っている客は初めに行ったように辟易してざわついてくるのである。だからつぎの楽しみは闘鶏であり、入り混じって闘鶏を部星で観覧することになる。
群雄正翕赫。雙翹自飛揚。
そうして、多くのいさましい鶏は、いまや、けばけばしい羽根をはばたいて相手を威嚇する。次には両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢になり、それぞれ、高くはねたり、あがっているのである。
#2
揮羽激清風。悍目發朱光。
觜落輕毛散。嚴距往往傷。
長鳴入青雲。扇翼獨翱翔。
願蒙貍膏助。常得擅此場。

遊目して極めし 妙伎、清聴して厭く 宮商。
主人 寂として無為、衆賓 進めるは楽方。
長筵  戯客 坐し、闘鶏 観房に間す。
群雄 正に翕赫【きゅうかく】たり、双翹【そうぎょう】自から飛揚す。
#2
羽を揮わせて清風を邀え、目を悍【いか】らせて朱光を発す。
觜は落ち 軽毛 散じ、厳は距り 往往 傷つけり。
長鳴 青雲に入り、扇翼 翺翔に独りす。
願わくは 狸膏の助けを蒙りて、長く此の場を擅にするを得ん。


宮島(8)





『鬥鷄』-#1 現代語訳と訳註
(本文)
鬥鷄
遊目極妙伎。清聽厭宮商。
主人寂無為。眾賓進樂方。
長筵坐戲客。鬥雞間觀房。
群雄正翕赫。雙翹自飛揚。


(下し文) 鬥鷄
遊目して極めし 妙伎、清聴して厭く 宮商。
主人 寂として無為、衆賓 進めるは楽方。
長筵  戯客 坐し、闘鶏 観房に間す。
群雄 正に翕赫【きゅうかく】たり、双翹【そうぎょう】自から飛揚す。


(現代語訳)
うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊りというものを見るにつけては目を凝らしてみるもので目が疲れる、音楽も音階まで聞き分け、耳を傾けて聞くならば飽きてしまうものである。
この宴会の主は、そんなことに無頓着で何にも云わなかったら、宴会の多くの客たちには、型通りの法則にかなった音楽をそのまま進行し続けるのである。
高貴なお客に用意されている長い竹むしろに座っている客は初めに行ったように辟易してざわついてくるのである。だからつぎの楽しみは闘鶏であり、入り混じって闘鶏を部星で観覧することになる。
そうして、多くのいさましい鶏は、いまや、けばけばしい羽根をはばたいて相手を威嚇する。次には両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢になり、それぞれ、高くはねたり、あがっているのである。


(訳注)
鬥鷄
鷄を戦わせる遊戯、賭博もおこなわれた。闘鶏の歴史はかなり古く、紀元前515年「春秋左伝」昭公二十五年の条に見えるし寒食にこのあそびが行われると記載する。収穫の占いが起源で、当時は闘鶏が盛んに行われた。
この詩を曹集では詩の類に入れているが、「楽府詩集」では「誰曲歌辞」に列し、内容的にも楽譜の方が適切と考え楽府とした。この詩は、内容的にも建安中の作品であろうと考える。
・寒食 中国において,火の使用を禁じたため,あらかじめ用意した冷たい物を食べる風習。〈かんじき〉とも読む。冬至後105日目を寒食節と呼び,前後2日もしくは3日間,寒食した。この寒食禁火の風習は古来,介子推(かいしすい)の伝説(晋の文公の功臣。その焼死をいたんで,一日,火の使用を禁じた)と結びつけられるが,起源は,(1)古代の改火儀礼(新しい火の陽火で春の陽気を招く),(2)火災防止(暴風雨の多い季節がら)などが考えられている。


遊目極妙伎。清聽厭宮商。
うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊りというものを見るにつけては目を凝らしてみるもので目が疲れる、音楽も音階まで聞き分け、耳を傾けて聞くならば飽きてしまうものである。
○遊目 視線を縦横に走らせること。目を凝らしてみること。
○極妙伎 絶妙なる舞踊。うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊り。
○晴聴 耳をすませて聞くこと。
○厭宮商 宮、商とは音楽理論用語、五音の1・2番目。五音は広くは5音音階を意味する。中国音階の基調をなし,日本,朝鮮にも入った。宮・商・角・徴(ち)・羽の5音からなり,徴と宮の半音下の変徴・変宮を加えたものを七声という。 五声は中国では周末から前漢にかけて,その算法を記した《管子》《呂氏春秋》《淮南子(えなんじ)》などがある。その算法は,宮を出発音として,三分損益の法で,5度上と4度下を交互にとり,宮・徴・商・羽・角の順で決定する。厭とはききあきる。


主人寂無為。眾賓進樂方。
この宴会の主は、そんなことに無頓着で何にも云わなかったら、宴会の多くの客たちには、型通りの法則にかなった音楽をそのまま進行し続けるのである。
○楽方 音楽の法則? 後漢の侍鼓の「舞の賦」に「音を光げて高く歌い、楽の方を為す。」と見え、曹丕の「善哉行」に「音を知り曲を識り、善く楽方を為す。」と見える。善哉行其二
有美一人,婉如清揚。 妍姿巧笑,和媚心腸。
知音識曲,善為樂方。 哀絃微妙,清氣含芳。
流鄭激楚,度宮中商


長筵坐戲客。鬥雞間觀房。
高貴なお客に用意されている長い竹むしろに座っている客は初めに行ったように辟易してざわついてくるのである。だからつぎの楽しみは闘鶏であり、入り混じって闘鶏を部星で観覧することになる。
○長筵 長い竹むしろであるが、高貴な人に対する宴会の席を云い、。
○戯客 客がざわつき宴会が乱れる。。
○間觀房 闘鶏を見る部屋であるが入り乱れて座ること。そのくらい闘鶏をたのしみにしている


群雄正翕赫。雙翹自飛揚。
そうして、多くのいさましい鶏は、いまや、けばけばしい羽根をはばたいて相手を威嚇する。次には両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢になり、それぞれ、高くはねたり、あがっているのである。
○翕赫 けばけばしく羽をはばたくさま。相手を威嚇して、大きく見せるために羽を広げて威嚇すること。
○雙翹 翹はしっほの長い毛を云うが、ここでは両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢を云う。

泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1988

泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>

2013年2月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1988
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原性 韓愈(韓退之) <116-3>Ⅱ中唐詩601 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1989
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首 
 
 


泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1988


泰山梁甫行
八方各異氣,千里殊風雨。
天下の八方それぞれ気候は異なるものである。千里の遠方は風雨のようすさえも別なものになる。
劇哉邊海民,寄身於草野。
辺地、僻地、海辺の地域に住む民の生活はひどいものである。その身は草ぶきのあばら屋に寄せている。
妻子像禽獸,行止依林阻。
妻子はまるで禽獣のようである。仕事をするのは山林のけわしい所ばかりなのである。
柴門何蕭條,狐兔翔我宇。

その家の門は柴折戸のなんとものさびしいことであろうか。狐や兎までもが家の中をかけまわっているのである。

泰山梁父行
八方各の気を異にし、千里風雨を殊にす。
劇しい哉遠海の民、身を草堂に寄す。
妻子は禽獣に象、行止は林阻に依る。
柴門何ぞ蕭條たる、狐兎我が宇に翔る。


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『泰山梁父行』 現代語訳と訳註
(本文)
梁甫行
八方各異氣,千里殊風雨。
劇哉邊海民,寄身於草野。
妻子像禽獸,行止依林阻。
柴門何蕭條,狐兔翔我宇。


(下し文)
泰山梁父行
八方各の気を異にし、千里風雨を殊にす。
劇しい哉遠海の民、身を草堂に寄す。
妻子は禽獣に象、行止は林阻に依る。
柴門何ぞ蕭條たる、狐兎我が宇に翔る。


(現代語訳)
天下の八方それぞれ気候は異なるものである。千里の遠方は風雨のようすさえも別なものになる。
辺地、僻地、海辺の地域に住む民の生活はひどいものである。その身は草ぶきのあばら屋に寄せている。
妻子はまるで禽獣のようである。仕事をするのは山林のけわしい所ばかりなのである。
その家の門は柴折戸のなんとものさびしいことであろうか。狐や兎までもが家の中をかけまわっているのである。


(訳注)
泰山梁父行

貧しい人の歌。「楽府詩集」では相和歌辞楚調曲に入れる。古辞もあったらしいが、今は残っていない。梁甫は泰山の下にある山で、ともに人の死後、霊魂が帰ってゆくところといわれる。普通は「泰山吟」「梁父吟」の二曲に分けられて居り、両者とも、『薤露』『蒿里』などと同じく挽歌の類である。しかし曹植のこの篇は挽歌ではなく、賤山賤の苦しい荒涼たる生活を歌うもの。
この篇の制作動機については、諸説があり、斉の国の風土を詠むが故に、東阿・甄城王に封ぜられた時のものとか、漢末黄巾の乱による人民流離のさまを憫れみ作ったとか、曹植が「遷都の賦の序」でいう「連りに瘠せたる土に遇い、衣食継がず。」と同趣旨であるなどという。
晩年の大和年間の作品ではなかろうか。曹丕にも明帝にも権力闘争に敗れて以降の作品は、詩人らしく、哲学的な作品が増えている。


八方各異氣,千里殊風雨。
天下の八方それぞれ気候は異なるものである。千里の遠方は風雨のようすさえも別なものになる。
・八方 東・西・南・北の四万と東北・東南・西北・西南の四隅を合わせいう。八方の用語解説 - 1 四方と四隅。東・西・南・北と北東・北西・南東・南西の八つの方角。 2 あらゆる方面。ほうぼう。「―に目を配る」「―丸くおさまる」 3 「八方行灯(あんどん)」の略。


劇哉邊海民,寄身於草野。
辺地、僻地、海辺の地域に住む民の生活はひどいものである。その身は草ぶきのあばら屋に寄せている。
・劇哉 生活の困難をいう。
・辺海 辺地、僻地、海辺の地域。
・草堂 一本には草野に作る。「壁」はかりいお、なや、田畑の収穫をとり入れる小屋、また野原の意もある。


妻子像禽獸,行止依林阻。
妻子はまるで禽獣のようである。仕事をするのは山林のけわしい所ばかりなのである。
・象 …のよう。
・行止 行くと止まる。行動、動作の意。
・林阻 山林や険阻の地をいう。


柴門何蕭條,狐兔翔我宇。
その家の門は柴折戸のなんとものさびしいことであろうか。狐や兎までもが家の中をかけまわっているのである。
・柴門 柴を折って作った門扉。
・蕭條 さびしさをいう。
・翔 遊び廻る。
demen07

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749

善哉行 楽府歌辭 漢詩

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善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749



古詩源巻二漢詩 楽府歌辭『善哉行』
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。今日相樂,皆當喜歡。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。

經歷名山,芝草翻翻。仙人王喬、奉藥一丸。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。

自惜袖短,內手知寒。慚無靈輒,以報趙宣。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
#2
月沒參橫,北斗闌干。
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。
親交在門,饑不及餐。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。 
歡日尚少,戚日苦多。
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。
以何忘憂,彈箏酒歌。 
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。
淮南八公,要道不煩,
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
參駕六龍,遊戲雲端。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。

善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。
#2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 

淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。

sangaku880

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行  #2
月沒參橫,北斗闌干。親交在門,饑不及餐。
歡日尚少,戚日苦多。以何忘憂,彈箏酒歌。 
淮南八公,要道不煩,參駕六龍,遊戲雲端。


(下し文)善哉行  #2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 
淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。


(現代語訳)
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。 
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。


(訳注)
・善哉行
 以下六章は相和歌辞の宏調曲に属する。
詩は貧士が盛宴に列して、身の境遇を歎じ、感ずる所を述べたのである。四句一解、一章六解に分かれる。



月沒參横、北斗闌干。
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。          
参星 参宿(しんしゅく)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第7宿。距星はオリオン座ζ星(三つ星の東端の星)。
闌干 横斜のさま。また星のきらめくさまをいう。


親交在門、饑不及餐。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。             


歡日尚少、戚日苦多
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。


以何忘憂、彈箏酒歌。
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。


淮南八公、要道不煩。
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
・涯南八公 准南王劉安(漠高祖の孫)は方術を好んだ。時に八公という者が来て仙術を授け、白日王と共に昇天した。
八公の名字は詳かでない。
・要道 長寿の要術をいう。


參駕六龍、游戯雲端。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。
・参駕 そえ馬として車に駕するのである。
○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一,『准南子』「天文訓」など)。
また、「書経」五子之歌から》くさった縄で6頭の馬を御するように、非常に難しくて危ないこと
五竜 青竜・赤竜・黄竜・白竜・黒竜。 
蜀道難 李白「上有六龍回日之高標。」にある。


善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>

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善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745



古詩源巻二漢詩 楽府歌辭『善哉行』
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。。
今日相樂,皆當喜歡。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。
經歷名山,芝草翻翻。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王喬、奉藥一丸。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。
自惜袖短,內手知寒。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
慚無靈輒,以報趙宣。
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
#2
月沒參橫,北斗闌干。親交在門,饑不及餐。
歡日尚少,戚日苦多。以何忘憂,彈箏酒歌。 
淮南八公,要道不煩,參駕六龍,遊戲雲端。

善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。

#2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 
淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。

寒梅002

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。今日相樂,皆當喜歡。
經歷名山,芝草翻翻。仙人王喬、奉藥一丸。
自惜袖短,內手知寒。慚無靈輒,以報趙宣。


(下し文)善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。

(現代語訳)
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。


(訳注)
善哉行
・善哉行
 以下六章は相和歌辞の宏調曲に属する。
詩は貧士が盛宴に列して、身の境遇を歎じ、感ずる所を述べたのである。四句一解、一章六解に分かれる。


來日大難,口燥唇乾。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
・口燥層乾 焦唇乾舌とは。意味や解説。唇や舌が乾くほどに辛苦すること。大いに焦燥すること。また、大いに言い争うことのたとえ。大いに焦るさまに用いられることもある。唇が焦げ舌が乾く意から。

   
今日相樂、皆當喜歡。 
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。

              
經歴名山、芝草飜飜。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
・経歴名山 名山は宴を張った豪家をたとえた。
・芝草新潮 芝草は霊芝のこと。翻細はひるがえり飛ぶさま。ここは御馳走のとり運ばれることにたとえた。


仙人王喬、奉藥一丸。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。
王喬 仙人王子喬、周の太子晋、好んで笠を吹き、道士浮丘公に伴なわれて常山に上り仙人となったという。仙人の王子喬。鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。
 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。
 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。(『列仙伝』)
・薬一丸 丸薬一粒の意。飲食供御にたとえた。


自惜袖短、内手知寒。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。      
・内手知寒 袖が短いため、手を納めて暖をとることができない意。単衣の着物、洗濯もできないので縮んでいる状態で貧困を云う。


慚無靈輒、以報趙宣。
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
霊輒報趙宣 左伝(宣公二年) によれば、趙宣子(趙盾)が首山に狩りして、霊机の飢餓を見て、これを救った。後、盾の危難を防いで代わって死し、その恩に報いた。趙盾(ちょうとん、生没年不詳)は中国春秋時代の晋の政治家。姓は贏、氏は趙、諱は盾、謚は宣。趙衰の長男。趙氏の祖。晋で長く政権を執り、趙氏の存在を一躍大きくした。趙宣子、趙宣孟などとも呼ばれる。

白頭吟 卓文君 <109-#1>玉台新詠集 女性詩 543 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1446

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 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



○白頭吟 辛苦を共にした夫が茂陵の女を妾にしようとした多情な夫をいさめる詩。

杜甫『奉贈王中允維』
中允聲名久,如今契闊深。
共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。
窮愁應有作,試誦白頭吟。
○白頭吟 漢の司馬相如の妻卓文君が夫が妾を買おうとするのをきいて賦した「白頭吟」を引き、王維の詩が天子に対して二心なきをいうのはこれと似ている。又、飽照の「白頭吟」の「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

『古別離』孟郊
欲別牽郞衣,郞今到何處。
不恨歸來遲,莫向臨邛去。
唐宋詩203 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「古別離」孟郊(8

○臨邛 〔りんきょう〕司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。男を惑わす女の居る所の意で使う。臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県。 ○去 行く。去る。

卓文君
前漢時代、臨の大富豪である卓王孫の娘。司馬相如と恋に落ちて駆け落ちをする、愛情溢れる女性とされる。


白頭吟 
皚如山上雪,皎若雲間月。
わたしの心はこれだけ真っ白で、山上の雪のようです、そして女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光で、立派に貞操を守っている女なのです。
聞君有兩意,故來相決絶。
あなたが、心情を他人に遣るということが聞こえてきます。わたしはほとほと愛想が尽きたので、わざわざあなたと別れるためにやって来たのです。 
今日斗酒會,明旦溝水頭。
今日は二人にとっての最後のお酒を飲む機会だし、明日になれば堀端のほとりを歩くだけなのです。
躞蹀御溝上,溝水東西流。
お堀の畔をとぼとぼ歩くでしょう、すると掘割の水は西から東へ別れ、当たり前のように流れていくことでしょう。

淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。
願得一心人,白頭不相離。
竹竿何嫋嫋,魚尾何簁簁。
男兒重意氣,何用錢刀爲。

白頭吟
皚【がい】たること山上の雪の 如く,皎【こう】たること雲間の月の 若【ごと】し。
聞く君 兩意有りと,故【ことさら】に來たりて相い決絶す。
今日斗酒の會,明旦溝水の頭【ほとり】。
御溝の上に躞蹀【しょうちょう】すれば,溝水は東西に流る。

淒淒【せいせい】復た 淒淒たり,嫁娶【かしゅ】に啼【な】くを須【もち】いず。
願はくは一心の人を得て,白頭まで相い離れざらん。
竹竿何ぞ嫋嫋【じょうじょう】たる,魚尾何ぞ簁簁【しし】たる。
男兒は意氣を重んず,何ぞ錢刀を用いるを爲さん。


現代語訳と訳註
(本文)
白頭吟 
皚如山上雪,皎若雲間月。
聞君有兩意,故來相決絶。
今日斗酒會,明旦溝水頭。
躞蹀御溝上,溝水東西流。


(下し文)
皚【がい】たること山上の雪の 如く,皎【こう】たること雲間の月の 若【ごと】し。
聞く君 兩意有りと,故【ことさら】に來たりて相い決絶す。
今日斗酒の會,明旦溝水の頭【ほとり】。
御溝の上に躞蹀【しょうちょう】すれば,溝水は東西に流る。


(現代語訳)
わたしの心はこれだけ真っ白で、山上の雪のようです、そして女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光で、立派に貞操を守っている女なのです。
あなたが、心情を他人に遣るということが聞こえてきます。わたしはほとほと愛想が尽きたので、わざわざあなたと別れるためにやって来たのです。 
今日は二人にとっての最後のお酒を飲む機会だし、明日になれば堀端のほとりを歩くだけなのです。
お堀の畔をとぼとぼ歩くでしょう、すると掘割の水は西から東へ別れ、当たり前のように流れていくことでしょう。


(訳注)
白頭吟
この作品は『玉臺新詠』、『古樂府詩 集』卷第四十一・『相和歌辭』『古詩源』にはあるものの、それ以前にはないようだ。樂府題。「共白髪」の意。卓文君の詩とするには疑わしいものである。

 
皚如山上雪,皎若雲間月。
わたしの心はこれだけ真っ白であり山上の雪のようである、そして女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光である。貞操を守っている女である。
皚如 白いさま。霜や雪の白いさま。・皚:白い。霜や雪の白さをいう。
山上雪 山上の穢れない純白の雪。
皎若 白いさま。月光の白いさま。・皎 白い。月光の白さを発するさま。
雲間月 女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光である。貞操を守っている女である。


聞君有兩意,故來相決絶。
あなたが、心情を他に遣るということが聞こえてきている。わたしは愛想が尽きたので、わざわざあなたとわかれるためにやって来たのだ。 
・退隠して住んでいる茂陵で、やはり茂陵に住んでいる女性を妾としたことを指す。 
 耳に入る。聞こえる。…噂がある。風聞がある。
有兩意 ふたごころ。二心。浮気心でなく本気で心をやっていること。ここでは、思いを他に遣るという表現であろうか。
故 わざと。ことさらに。ゆゑ。わけ。普通でない事柄。
決絶 愛想が尽きて永久の別れをする。


今日斗酒會,明旦溝水頭。
今日は二人にとっての最後のお酒を飲む機会だ。明日は堀端のほとりを歩くだけだ。
斗酒 わずかな酒。・斗 ます。少しばかりの量。 
 あつまる。よりあう。しる。とき。おり。しお。さかもり。訣別の宴の意。『古詩十九首之四』に「今日良宴會,歡樂難具陳。彈箏奮逸響,新聲妙入神。令德唱高言,識曲聽其真。」とある。

古詩十九首之四 (4) 漢詩<91>Ⅱ李白に影響を与えた詩523 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1386


溝水頭 堀端のほとりを歩くという意。・溝水:都市の中の堀。・頭:ところ。畔。


躞蹀御溝上,溝水東西流。
お堀の畔をとぼとぼ歩くと、掘割の水は西から東へ当たり前のように流れることでしょう
躞蹀 行く。しょんぼりとして行くさま。 
御溝 宮殿の周囲の掘り割り。
 ほとり。そば。ところ。
東西流 東と西に別れて流れゆこうということと別れたことがあたりまえのこととしてながれさっていく、「東流」という意味が重なって別れを強調する。

悲愁歌 烏孫公主(劉細君) <108>玉台新詠集 女性詩 542 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443

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悲愁歌
吾家嫁我兮天一方,遠託異國兮烏孫王。
漢王室であるわたしの家は、わたしを天涯の西国に)嫁がそうとしている、遠く異民族の国である烏孫王の許へ嫁ぎゆかせるのである。
穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。
その国の風俗はテントの部屋で、毛氈を壁としている。 肉を常食として、馬乳製飲料を飲み物としている。
居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。
この異郷に居住してふだんから漢の地を思いしのんで心の中は悲しい思いなのだ、願うことなら黄鵠となり、故郷に帰りたいのである。


現代語訳と訳註
(本文)
悲愁歌
吾家嫁我兮天一方。遠託異國兮烏孫王。
穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。
居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。


(下し文)
悲愁歌
吾が家【いえ】我を嫁す、天の一方。遠く異國に託す  烏孫王。
穹盧【きゅうろ】を室と爲し 氈【せん】を牆【かき】と爲し,肉を以て食と爲し 酪【らく】を漿【しょう】と爲す。
居常【きょじょう】土を思して心内に傷め,願はくは黄鵠【こうこく】と爲りて故鄕に歸らん。


(現代語訳)
漢王室であるわたしの家は、わたしを天涯の西国に)嫁がそうとしている、遠く異民族の国である烏孫王の許へ嫁ぎゆかせるのである。
その国の風俗はテントの部屋で、毛氈を壁としている。 肉を常食として、馬乳製飲料を飲み物としている。
この異郷に居住してふだんから漢の地を思いしのんで心の中は悲しい思いなのだ、願うことなら黄鵠となり、故郷に帰りたいのである。


(訳注)
烏孫公主(劉細君)
烏孫公主 漢の武帝の時、西域、伊犂地方、トルコ系民族国家の烏孫国に嫁した漢の皇女で、名は劉細君という。江都王・劉建の娘で、武帝の従孫であった。異民族との和親を図るための政略結婚で、王昭君が匈奴に嫁いだのは、この劉細君の婚姻の七十余年後になる。どちらも漢王朝の対西域政策によるものである。 
公主 天子の娘。


吾家嫁我兮天一方、遠託異國兮烏孫王。
漢王室であるわたしの家は、わたしを天涯の西国に)嫁がそうとしている、遠く異民族の国である烏孫王の許へ嫁ぎゆかせるのである。
・吾家 わたしの家は。漢家は。劉家は。 ・兮 上古の詩によく見られる、リズムをとり、語調を整える辞(ことば)。
遠託 遠くとつぐ。・託:憑る。寄せる。まかせる。頼る。 
異國 異民族の国。ここでは烏孫国になる。  
烏孫王 烏孫の王。劉細君が烏孫王に嫁いだのは、紀元前105年(武帝の元封六年)のこと。


穹盧爲室兮氈爲牆、以肉爲食兮酪爲漿。
その国の風俗はテントの部屋で、毛氈を壁としている。 肉を常食として、馬乳製飲料を飲み物としている。
穹廬 弓なりに張った円いドーム状のテント。
 毛むしろ。もうせん。
 かき。塀。境。壁。
以肉爲食 獣肉を常食とする。
酪爲漿 馬乳飲料を。・酪 馬ちちざけ。ミルク。乳製飲料。・漿 どろりとした飲み物。濃いめの液体。こんず。汁。


居常土思兮心内傷、願爲黄鵠兮歸故鄕。
この異郷に居住してふだんから漢の地を思いしのんで心の中は悲しい思いなのだ、願うことなら黄鵠となり、故郷に帰りたいのである。  
・居常 ふだん。平生。日常。 
土思 ふるさとを思いしのぶ。 
心内傷 心のなかでいたましい思いをする。
願爲 願わくば…となり。
黄鵠 黄色みを帯びた白鳥。渡り鳥で、秋には南方に帰っていく。 
 故郷など本来居るべき所に戻っていくこと。かえる。 
故鄕 ふるさと。ここでは、漢の地を指す。

秋風辭 漢(武帝)劉徹 詩 Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

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漢武帝故事によれば、帝は河東(山西省) に行幸して、后土(地の神)を祀った時、汾河の中流に船をうかべて、群臣と酒くみかわし、帝京をかえりみ、欣然としてこの歌を作ったとある。


武帝:漢の武帝。(前156年~前87年)前漢の第7代皇帝(在位:紀元前141年3月9日 - 紀元前87年3月29日)。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。初代皇帝高祖劉邦の曾孫に当たり、父は景帝で、生母は王氏。また、皇太子に立てられる前の王号は膠東王(こうとうおう)。

これらの体制と文景の治による多大な蓄積を背景に、宿敵匈奴への外征を開始する。高祖劉邦が冒頓単于に敗れて以来、漢はその孫の軍臣単于が君臨する匈奴に対して低姿勢で臨んでいたが、武帝は反攻作戦を画策する。
かつて匈奴に敗れて西へ落ちていった大月氏へ張騫を派遣する。大月氏との同盟で匈奴の挟撃を狙ったが、同盟は失敗に終わった。しかし張騫の旅行によりそれまで漠然としていた北西部の情勢がはっきりとわかるようになった事が後の対匈奴戦に大きく影響した。
武帝は衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用して、匈奴に当たらせ、幾度と無く匈奴を打ち破り、西域を漢の影響下に入れた。更に李広利に命じて、大宛(現/中央アジアのフェルガナ地方)を征服し、汗血馬を獲得した。また南越国に遠征し、郡県に組み入れ、衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を初めとする漢四郡を朝鮮に置いた。
これらの成果により前漢の版図は最大にまで広がり、武帝の治世は前漢の全盛期と賞される。高祖劉邦にすら成し遂げられなかった匈奴打倒を達成した武帝は泰山に封禅の儀式を行って、自らの功績を上天に報告した。
武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もあり、後半の悪政も含めて考えれば武帝の評価は分かれる所である。彼自身、外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関して見るべきものがない。むしろ、