漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

楽府

苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628

《曹操:苦寒行》#3 どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。


2013年7月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
廣宣上人頻見過 韓愈(韓退之) <150>Ⅱ中唐詩729 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2629
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor早發射洪縣南途中作 成都 杜甫 <493-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2630 杜甫詩1000-493-#2-720/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor上王尚書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-218-84-#78  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2637
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩816 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2628


苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
王屋山01袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。

かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


『苦寒行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(下し文) #3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


(現代語訳)
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。


(訳注) #3
苦寒行 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。


迷惑失故路,薄暮無宿棲。
どうしたらよいのか分からなくなったが戻る道もわからず、夕暮れがせまるのに泊まる宿も場所もない。
・宿棲 旅籠だけでなく、下男などが家財道具を持参しているのでかなりの人数が眠れる場所ということ。


行行日已遠,人馬同時饑。
行けども、行けども遠く、もう何日も経っている。人も馬も同じように飢餓状態になっている。


擔囊行取薪,斧冰持作糜。
ふくろをかついで薪をとりにいってきて、氷を斧で切りだしてきて粥を作ったのだ。
・斧氷 斧で氷をわること。
・糜 おかゆ。


悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。
かの偉大な周公が遠征に苦労した悲しい「東山詩」を思い、遥かに離れていき、私の心は憂い哀しいのである。
・東山詩 『詩経』豳風東山篇、周公東征し三年にして帰り、士を慰労したのをたたえて、時の大夫が作ったのだと伝える。
・悠悠 『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
nat0002

苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623

《曹操:苦寒行》石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。

2013年7月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
奉酬振武胡十二丈大夫 韓愈(韓退之) <149>Ⅱ中唐詩728 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2624
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor早發射洪縣南途中作 成都 杜甫 <493-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2625 杜甫詩1000-493-#1-719/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor寄張元夫 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-217-83-#77  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2632
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩815 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2623


苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
 彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。


『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。


(下し文) #2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。


(現代語訳)
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。


(訳注)
・太行 太行山脈山西省、河南省、河北省の三つの省の境界部分に位置する。太行山脈は東の華北平野と西の山西高原(黄土高原の最東端)の間に、北東から南西へ400kmにわたり伸びており、平均標高は1,500mから2,000mである。最高峰は河北省張家口市の小五台山で、標高2,882m。山脈の東にある標高1,000mほどの蒼岩山は自然の奇峰や歴史ある楼閣などの多い風景区となっている。山西省・山東省の地名は、この太行山脈の西・東にあることに由来する。

華山000











#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
石切り場の石佛渓谷にも作業員も人もまったく少ない。それに雪崩がひどくはげしく落ちてくるのだ。
・溪谷 石佛谷:河北贊皇縣,有世界最大的天然迴音壁。五台山は文殊菩薩、峨眉山は普賢菩薩、九華山はお地蔵様、普陀山は観音様の住む聖地とされている。
五台山の五台とは5つの平らな峰という意味で、平均海抜は1000m以上あり、風が強く、背の高い木は育っていない。道も険しく、五月でも綿入れの上着を着るほど寒いところ。また、ラマ教徒の聖地にもなっている。
・霏霏 雪がしんしんと降っているさま。


延頸長嘆息,遠行多所懷。
頸をのばしてながめ、深い溜息をついて嘆きのぞきこむ。この遠征をやりとげるには多くいろんなところをおもわないといけない。
・長嘆息 長いためいき。
・遠行 遠征。


我心何怫郁?思欲一東歸。
われわれの心はなんということか憂いに沈んでしなうのである。こんなにつらいと、一度でいい、東の故郷へ帰ってしまいと思うのである。
・怫郁 憂いに沈んで心のふさがるさま。
・東帰 故郷に帰るのをさす。


水深橋梁絕,中路正徘徊。
漳水の水深は深く、しかも橋が途中でなくなっている。行軍もその道も半ばにして本格的に右往左往するだけなのだ。
・水 漳水のこと考える。大行山脈から東流する主要な河川である。水深が深くて渡れない河川である。
白砂渡船場イメージ

苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618

《曹操詩︰苦寒行》袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。


2013年7月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
酬王二十舍人雪中見寄 韓愈(韓退之) <148>Ⅱ中唐詩727 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2619
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor奉贈射洪李四丈【案:明甫。】 成都 杜甫 <492-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2620 杜甫詩1000-492-#2-718/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor贈遠二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-216-82-#76  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2627
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


苦寒行 漢詩<94-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩814 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2618


200年官渡の戦いで袁紹軍を破る。
202年袁紹病没。
206年、建安11年 甄后は曹叡(明帝)を生む。
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩『苦寒行』。この遠征は残党狩りであった。
「三国志演義」にの遠征はまったくふれられていないし、この詩も出ていないてんから、曹操の実体験のものではなく創作であろう。


 
 
苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
#2
溪谷少人民,雪落何霏霏!
延頸長嘆息,遠行多所懷。
我心何怫郁?思欲一東歸。
水深橋梁絕,中路正徘徊。
#3
迷惑失故路,薄暮無宿棲。
行行日已遠,人馬同時饑。
擔囊行取薪,斧冰持作糜。
悲彼《東山》詩,悠悠令我哀。


(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。
#2
谿谷【けいこく】 人民 少く、雪落 何ぞ霏霏【ひひ】たるや。
頸【くび】を延ばし 長く歎息し、遠く行けば 懐【おも】う所 多し。
我が心 何ぞ怫鬱【ふつうつ】たる、一たび東に歸らんと思欲【しよく】す 。
水深くして橋梁 絶え、中路 正に徘徊す。
#3
迷惑して故路を失い、薄暮に宿栖【しゅくせい】する無し。
行き行きて 日 已に遠し、人馬 同時に饑【う】う。
囊【ふくろ】を擔【にな】いて行きて薪を取り、冰を斧【き】りて持ちて糜【かゆ】を作る。
彼の《東山》の詩を悲しみ、悠悠として我をして哀しましむ。

黄河二首 杜甫

















『苦寒行』 現代語訳と訳註
(本文)  
北上太行山,艱哉何巍巍!
羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。


(下し文)
(苦寒の行【うた】)
北上して太行山にある、艱【かん】なるかな何ぞ巍巍【ぎぎ】たるを。
羊腸阪は詰屈【きつくつ】たり、車輪 之が爲に摧【くだ】く。
樹木の何ぞ蕭索たるや、北風 聲は正しく悲しきもの。
熊羆は我に對して蹲【うずくま】り、虎豹は路を夾【はさ】んで啼くのみ。


(現代語訳)
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。


(訳注)
苦寒行 
(寒く辛苦な戦をしてきた歌。)
曹操が袁紹の甥高幹を討つために太行山脈を超えた時の詩とされる。態勢が決まっている闘いなので曹操が直接軍を率いてこの詩を作ったのではなく、こんな辛苦をした戰であったろうと功勲をもって戻ってきたものを讃えるものであった。

北上太行山,艱哉何巍巍!
袁紹の残党を北上して太行山のあたりで征討する。山々はけわしくそびえ立ち、散りじりの敵を打つのは何と艱難辛苦の戦いである。
・北上 中原から北に向かって攻め上ること。この時の模様を後世の李白『北上行』がある。
yamanoki02北上行 #1
北上何所苦,北上緣太行。
磴道盤且峻,巉岩凌穹蒼。
馬足蹶側石,車輪摧高岡。
沙塵接幽州,烽火連朔方。
殺氣毒劍戟,嚴風裂衣裳。
奔鯨夾黄河,鑿齒屯洛陽。
前行無歸日,返顧思舊鄉。」
北への避難をすることは、どうして人を苦しめるのか、北へ向かっていくことは 太行山に沿って行かねばならないのだ。
馬は 突き出た石に足をとられたりしたし、車輪が 岡を越えようとして砕け散ったりする。
石の多い急な坂道は平坦だったり、曲がりくねって険しく、切り立った険しいがけ岩山が 天空にそそり立っている。
叛乱軍の巻き起こす砂塵は 幽州から起こったのだ、戦火、烽火は西の方から、この場所から北の方まで連なっている。
叛乱軍の横暴は殺気をはびこらせている。それは 剣戟よりも人を恐怖に陥らせ、傷つけているのだ。そこに吹きすさぶ北風は、衣装を引き裂いて吹くほど厳しいものである。
暴れまわる、狂った鯨であるかのように安史軍は 黄河を越え、悪獣の牙の安禄山は 洛陽に居座って皇帝と称している。
人々は、ただ、北へ逃げるだけで いつになったら帰れるのかわかりはしない、厳しい北風の中人々は、振りかえって 戦のなかったころの故郷を思うのである。
#2
慘戚冰雪里,悲號絕中腸。
尺布不掩體,皮膚劇枯桑。
汲水澗穀阻,采薪隴坂長。
猛虎又掉尾,磨牙皓秋霜。
草木不可餐,饑飲零露漿。
歎此北上苦,停驂爲之傷。
何日王道平,開顏睹天光。
真冬の逃行で氷雪の中で悲惨を極めるひどい悲しみの中に有る、泣き叫ぶこと胸も腹も張り裂けんばかりに追い詰められたのである。
着の身着のままで逃げだしたのでわずかな布きれでは体を覆うこともできない、寒空の中皮膚は寒さに痛いほどになり、まるで枯葉のようになった。
谷沿いの道とはいえ水を汲むには谷川が深いのだ、薪を採るにも岡や 山坂は長いのだ。
猛虎は勢いよく襲いかかろうと 尾を振り立てている、牙は磨かれていて秋の白い霜よりも白いのだ。
あたりの草木も尽きてしってもう食べるものさえなくなった、飲むもの無く飢えてしまいこぼれる露のしずくを啜ってのんだのだ。
この艱難辛苦しても北上したのだ、あまりに悲惨で馬車をとめてこの痛み苦しみを記しておくのである。
いつになったら天子が正道の道を平穏に取り戻してくれるのか、安心して顔を出して歩ける日になり、晴々として 天光を受けることができるのだろうか

北上行 #1 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -303

北上行 #2 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -304

太行山 大行山の氷雪を冒して進む行役の苦難を述べたものである。
ぞ~たる強調。 
巍巍 けわしいさま。 


羊腸阪詰屈,車輪為之摧。
大原晋陽の北に在る羊腸阪はつづら折れに曲がりくねる。車輪はこんな坂道を曲がることでくだけてしまった。
羊腸坂 高幹の占拠する大原晋陽の北に在る。やつ坂の名。羊の腸のように屈曲しているので名づけた。


樹木何蕭瑟,北風聲正悲!
冬枯れの木々はなんとものがなしく吹きすさぶのであろうか。長く吹き付ける北風はまさに悲声をうなるもので強く吹きつける。
北風 強い寒気による冬の風は吹き足が長く悲鳴のように吹き付ける。零下三、四十度の強い風を云う。
蕭瑟 寂しい感じ。ものさびしく風の吹くさま。


熊羆對我蹲,虎豹夾路啼。
熊やひぐまでさえ私をみつけてもうずくまって隠れたし、虎や豹は道を挟んで鳴いているだけなのだ。
熊羆 熊やヒグマ。 
虎豹 虎や豹。
nat0002

《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#1>古詩源 巻五 812 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2608

《曹操詩全集︰蒿里行》はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。


2013年7月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#2>古詩源 巻五 813 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2613
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
江漢答孟郊 韓愈(韓退之) <147-#2>Ⅱ中唐詩726 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2614
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor奉贈射洪李四丈 成都 杜甫 <492>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2615 杜甫詩1000-492-717/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor贈遠二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-215-81-#75  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2622
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#1>古詩源 巻五 812 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2608
 
 
蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
竹林0021#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。

嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。

#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。

 
『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文)
蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。


(下し文)
嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。


(現代語訳)
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。


(訳注)
蒿里行-#1 
・蒿里行 蒿里もまた漢代の挽歌である。
蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
前篇を承けて、また漢未の乱をいたむ詩である。


關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
・義士 袁紹を指す。賊徒董卓を伐つの盟主であるからその段階のことでこのようにいった。
・羣凶 董卓・呂布・李傕・郭汜の屬。


初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
・初期會盟津・乃心在咸陽 盟津は洛陽東北の地名。この句は書経の泰誓にみえる。「惟十有三年春、大に孟津に会す」の語をふまえて、武王の紂王を伐った時とは反対に諸軍を盟津に会しながら、洛陽の董卓の軍に向わずして、咸陽に天子を擁立しょうとしたことをいう。


軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
・雁行 雁が泣び飛ぶよう斜めに相次いで行くこと。ここは敵軍を追撃すること緩くして敢えて先を争わぬこと。


勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
・勢利使人爭 袁紹・袁術・孫堅など、互いに勢力を争ったことをいう。
yuugure02

《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603

無名氏  《蒿里曲》かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。


2013年6月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
遊太平公主山莊 韓愈(韓退之) <146>Ⅱ中唐詩724 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2604
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor謁文公上方 (五言古詩) 成都6-(29-#2) 杜甫 <491-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2605 杜甫詩1000-491-#2-715/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor寄詞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-212-78-#72  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2607
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

《蒿里曲》 無名氏  挽歌 漢・樂府<92>古詩源 巻三 811 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2603

漢・樂府
蒿里曲
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。

蒿里の曲
蒿里 誰が家の地ぞ,魂魄を聚斂して 賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ 相ひ催促し,人命 少【しばら】くも 踟蹰【ちちゅう】するを得ず。




『蒿里曲』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)

蒿里曲
蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。


(下し文)
蒿里の曲
蒿里 誰が家の地ぞ,魂魄を聚斂して 賢愚無し。
鬼伯 一に何ぞ 相ひ催促し,人命 少【しばら】くも 踟蹰【ちちゅう】するを得ず。


(現代語訳)
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。


(訳注)
蒿里曲
(士大夫や平民の葬送の際の歌)
漢代の挽歌。殯(もがり)の時に歌う。貴人の葬送には『薤露歌』「薤上露,何易晞。露晞明朝更復落,人死一去何時歸。」を歌う。蒿里の本来の意は、泰山の南にある山の名。人が死ぬと魂がここに来るという。墓地のこと。
曹操『蒿里行』
關東有義士,興兵討群凶。初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。勢利使人爭,嗣還自相戕。
淮南弟稱號,刻璽於北方。鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無鷄鳴。生民百遺一,念之斷人腸。


蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。
かの嵩里の土地はそもそもどのような者の棲みかであろう。そこには賢愚の差別なしに人の霊魂をとりおさめてある。
・蒿里 地名。山東省泰山の南にある。この曲によって墓地の通称に転用される。
・罪敵 あつめおさめる。何もかもとりこむこと。
・魂塊 人が死ぬと、魂と塊とに分離し、魂は遊離して天上に上り、塊は肉体に属
して地中に入る。
・蒿里:泰山の南にある山の名。人が死ぬと魂がここに来るという。墓地のことでもある。後、墓地の意で使われる。 ・誰家:どこの。だれの。 ・地:ところ。
・聚斂:集め収める。(税を)取り立てる。 ・魂魄:たましい。霊魂。 ・魂:天から受ける陽のたましい。また、精神の働きを司る。 ・魄:地から受ける陰のたましい。また、肉体の生命を司る。 ・無賢愚:差異がなくなる。平等である。賢者も愚人も同様になる。


鬼伯一何相催促,人命不得少踟蹰。
死神の促しかたのさても急なことであろう。ひとたびこれに誘われたら、人の命はしばしもこの世にたちどまることはできないということだ。
・鬼伯 伯は長、死をつかさどる神。
踟蹰 ためらう。躊躇。ものが行き悩むさま。ためらう。躊躇する。物が連なるさま。
yuugure02

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598

(殷末周初・箕子)《麥秀歌》 麦の穂は、ずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。

2013年6月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
  
LiveDoor
《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 81...
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
LiveDoor
桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#5>Ⅱ中唐詩723 漢文委員会kanb...
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集 LiveDoor謁文公上方 (五言古詩) 成都6-(29-#1) 杜甫 <491-#1>  漢...
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor斛石山曉望寄呂侍御 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-211-77-#71  ...
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《麥秀歌》 (殷末周初・箕子) <91>古詩源 巻一 古逸 810 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2598



麥秀歌  (殷末周初・箕子)
(麥秀の歌)
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
彼狡僮兮,不與我好兮。

この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。

麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


『麥秀歌』 現代語訳と訳註
DCF00106(本文)
麥秀歌
麥秀漸漸兮,禾黍油油。
彼狡僮兮,不與我好兮。


(下し文)
麥秀の歌
麥 秀でで  漸漸たり,禾黍  油油たり。
彼の狡僮,我と 好からざりき。


(現代語訳)
(麥秀の歌)
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。


(訳注)
麥秀歌

麦秀歌 『史記・宋微子世家第八』に、周の武王が笑子を朝鮮に封じた。箕子は紂王の親戚で、かつて紂の暴虐を諌めたが、聴かれなかった。後周に朝する時、殷の廃墟を過ぎ、禾黍の生ぜるを傷んだが、今は周の代であるから声をあげて泣くこともできず、麦秀の歌を作ったとある。尚書大伝には、これを紂の庶兄微子の作としてある。
『史記・宋微子世家第八』に、歌とともに載っている。「其後箕子朝周,過故殷虚(墟),感宮室毀壞,生禾黍,箕子傷之,欲哭則不可,欲泣爲其近婦人,乃作麥秀之詩以歌詠之。…殷民聞之,皆爲流涕。」となっている。最古の歌の一。なお、これと同じモチーフのものに、『詩經』王風『黍離』がある。「彼黍離離,彼稷之苗。行邁靡靡,中心搖搖。知我者謂我心憂,不知我者謂我何求。悠悠蒼天,此何人哉。」 『黍離』は、西周の武王の都であった鎬京が、廃墟となってキビが生い茂るさまを見て、亡国の悲嘆に耽っている詩。こちらは有名で、豪放詞でしばしば引用されている。なお、この第三句に似た詩が『詩經・鄭風』の『狡童』に「彼狡童兮,不與我言兮。維子之故,使我不能餐兮。 彼狡童兮,不與我食兮。維子之故,使我不能息兮。」とある。
箕子:殷の紂王の同母の庶兄になる。殷が滅んだ後、周の武王に赦されて、周に仕えた。


麥秀漸漸兮,禾黍油油。
麦の穂はずんずんのびている。稲や黍はみずみずしくそだっている。ああ、これがわが祖国の都のあとなのか。
麥秀:麦の穂。麦の穂がみのる。普通、後者にとるが、後の句との続き具合から見ると、前者の意ではないのか。・秀:動詞:しげる。(花やイネが)咲く。
漸漸:麦ののぎのさま。麦の秀でるさま。・兮:語調を整える虚辞。取り立てた意味はない。上句の末尾や、一句のなかの節奏に附くことが多い。「…て、」。上代詩によく見られる。
禾黍:イネとキビ。イネやキビ。ここは後者。 
油:うるわしく盛んに生えてる。つやつやした。生き生きした。


彼狡僮兮,不與我好兮。
この荒廃のなんとはなはだしいことよ。これというのもあの生意気な紂のやつが、わしと仲悪く、わしの諌めを聞いてくれなかったからだ。
:あの。かの。 
狡僮:悪童。ずるがしこいやつ。殷の紂王のことをいう。『史記・宋微子世家第八』本文の記述で「所謂狡童者,紂也。」とある。・狡:わるがしこい。ずるい。はしこい。・僮:こども。わらは。
不與:…と。…と…いっしょに…する。 ・我:わたし(と)。・好:よい。 

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588

《曹操詩全集︰薤露行》#2つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。


2013年6月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145-#3>Ⅱ中唐詩721 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2589
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集冬到金華山觀,因得故拾遺陳公 楽府(五言古詩) 成都6-(28) 杜甫 <490-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2590 杜甫詩1000-490-#1-712/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性鄉思 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-209-75-#69  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2592
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#2>古詩源 巻五 808 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2588



薤露行 
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
惟漢廿二世,所任誠不良。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
沐猴而冠帶,知小而謀疆。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。
白虹為貫日,己亦先受殃。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。
#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
播越西遷移,號泣而且行。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷。
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。

(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。
#2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。




『薤露行』 現代語訳と訳註
姑蘇台02(本文)
#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
播越西遷移,號泣而且行。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷


(下し文) #2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。


(現代語訳)
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。


(訳注) #2
薤露行 
ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う
・薤露行 漢代の挽歌に「薤露歌」がある(このブログの数日後)。作者、曹操はその題か借りて、漢末の乱世を歎じたのである。


賊臣持國柄,殺主滅宇京。
つぎに賊臣である董卓がかわって国軍をにぎり、少帝大后を殺し、帝京をほろぼした。
・賊臣 何進に次いで董卓が変わって実権を握る。


蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
国のあり方、帝業の基礎もくつがえしてしまい、二十数代続いた宗廟でさえも焼かれたのである。
蕩覆 国家をくつがえす。蕩は「物事に締まりがなくだらしないさま」。蕩駘(トウタイ=かってきままにする、ふける)、蕩漾(トウヨウ=ただようさま、水が揺れ動くさま)
燔喪 焼かれ失われること。


播越西遷移,號泣而且行。
洛陽を焼き尽くして長安遷都を行った、洛陽の人士は号泣してこれに従った。
播越 播は遷移・去ること。越は遠方という意で、「遠方にうつりさまよう」こと。洛陽を焼き尽くして長安遷都を行ったことを示す。


瞻彼洛城郭,微子為哀傷
荒廃した洛陽の城郭を眺めては、彼の微子の「麦秀の歌」をうたって哀傷せざるを得ないということなのだ。
微子為哀傷 殷の遺臣微子が、故都を過ぎ麦秀の歌(数日後のブログ掲載)を歌って詠歎した故事を指し、曹操自らを以て微子に比した。
銅雀臺00

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578

曹操 《龜雖壽》龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。

2013年6月25日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《通泉縣署屋壁後薛少保畫鶴》  楽府(五言古詩) 成都6-(25-#2) 杜甫 <488-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2580 杜甫詩1000-488-#2-710/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性摩訶池宴 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-207-73-#67  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2582
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#2>古詩源 巻五 806 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2578


龜雖壽
百舌鳥02神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
烈士暮年,壯心不已。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。
盈縮之期,不但在天;
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
養怡之福,可得永年。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
幸甚至哉!歌以詠志。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;
烈士 暮年に,壯心 已まず。
盈縮 の期は,但だ天に在らず;
養怡 の福は,永年を得べし。
幸 甚だ至れる哉!歌うて以て志を詠ず。





『龜雖壽』 現代語訳と訳註
展望四阿01(本文)
神龜雖壽,猶有竟時。
騰蛇乘霧,終為土灰。
老驥伏櫪,志在千里;
烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天;
養怡之福,可得永年。
幸甚至哉!歌以詠志。

(下し文)
亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;
烈士 暮年に,壯心 已まず。
盈縮 の期は,但だ天に在らず;
養怡 の福は,永年を得べし。
幸 甚だ至れる哉!歌うて以て志を詠ず。


(現代語訳)
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。


(訳注)
神龜雖壽,猶有竟時。

龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。


騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
・騰蛇 星の名であるが、ここでは天に昇る蛇の意味。


老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
・老驥 老衰した駿馬。
・伏櫪 櫪は厩の根太板。


烈士暮年,壯心不已。
そのように老いてなお壮心やみがたく大志を成さんと欲する烈士はすくない。


盈縮之期,不但在天;
これを思うに命運の長短はただ天のみの定めるところとは限らないのである。
・盈縮之期 長短の生命。


養怡之福,可得永年。
自ら和楽の心を養い得れば、寿命を永くできる幸福も求めがたくはないということだ。
・養怡之福 和楽の心情を養うことによって得る幸福。


幸甚至哉!歌以詠志。
この道を悟ることができたことは幸いなことである。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568

曹操《觀滄海》折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、

2013年6月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃源行》 王維  <#3>717 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2569
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集通泉驛南去通泉縣十五里山水作 楽府(七言歌行) 成都6-(24) 杜甫 <845-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2570 杜甫詩1000-845-#2-708/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性贈歌人 武元衝 薛濤関連 唐五代詞・宋詩 薛濤-205-71-#65  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2572
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#2>古詩源 巻五 804 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2568

 
 
觀滄海 
東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
秋風蕭瑟,洪波涌起。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
日月之行,若出其中;
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、
星漢燦爛,若出其里。
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
幸甚至哉!歌以詠志。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。sas0024














『觀滄海』 現代語訳と訳註
(本文)
東臨碣石,以觀滄海。
水何澹澹,山島竦峙。
樹木叢生,百草豐茂。
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。


(下し文) 滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。
秋風 蕭瑟【しょうしつ】して,洪波【こうは】涌起【ようき】す。
日月【じつげつ】の行,其の中より出づるが若く;
星漢 燦爛【さんらん】として,其の里【うら】より出づるが若く。
幸 甚だ至れる哉!歌って以って志を詠ず。


(現代語訳)
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。


(訳注)
觀滄海
東海三山に至る広大な海原を見る。
・滄海 東海三山に至る広大な海原。海に臨む地方。自分が隠棲したいと思っているところ。


東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
・碣石  山の名。古来有名であるが、その所在については説が一様でない。海岸の山であるという。東海ということから泰山をイメージするというのではないか。


水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


秋風蕭瑟,洪波涌起。
折から秋風がさわさわとさびしく吹き起こり、大浪がたちあがりさわぎたつ。
・蕭瑟 秋風が草木に鳴るさわさわという音。宋玉 『九辯』一段目 「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰,憭慄兮若在遠行,登山臨水兮送將歸,」


日月之行,若出其中;
太陽と月もその中から運行し出し、そのなかにしずむようであるし、


星漢燦爛,若出其里。
キラキラと輝く星影や天の川も、その中から現れ出る手、その裏に沈むようである。
・星漢 天の川。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。夏に明るくなっていた天の川も秋になると光度が落ちて來るので川を渡ることが出来ないとされるもの。


幸甚至哉!歌以詠志。
この蒼海の景を観ることのできたことは、なんと幸いなことであろうか。そこでこれを歌ってわが志を述べる。

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1> 平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563

曹操《觀滄海》東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


2013年6月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1> 平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃源行》 王維  <#2>716 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2564
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集光祿阪行 楽府(七言歌行) 成都6-(22) 杜甫 <484>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2560 杜甫詩1000-484-706/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性題嘉陵驛 武元衡 唐五代詞・宋詩 -204-70-#64  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2567
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《觀滄海 曹操》 武帝 魏詩<87-#1>  平原侯值 803 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2563
 
 
觀滄海 
(東海三山に至る広大な海原を見る)
東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。
王屋山01#2
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。
滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。

秋風 蕭瑟【しょうしつ】して,洪波【こうは】涌起【ようき】す。
日月【じつげつ】の行,其の中より出づるが若く;
星漢 燦爛【さんらん】として,其の里【うら】より出づるが若く。
幸 甚だ至れる哉!歌って以って志を詠ず。
 

『觀滄海』 現代語訳と訳註
(本文)
東臨碣石,以觀滄海。
水何澹澹,山島竦峙。
樹木叢生,百草豐茂。
#2
秋風蕭瑟,洪波涌起。
日月之行,若出其中;
星漢燦爛,若出其里。
幸甚至哉!歌以詠志。


(下し文)
滄海を觀る
東のかた碣石【けつせき】に臨み,以て滄海を觀る。
水 何ぞ澹澹【】たる,山島 竦峙【しょうじ】せり。
樹木 叢生【そうせい】し,百草 豐茂す。


(現代語訳)
(東海三山に至る広大な海原を見る。)
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


(訳注)
觀滄海
東海三山に至る広大な海原を見る。
・滄海 東海三山に至る広大な海原。海に臨む地方。自分が隠棲したいと思っているところ。


東臨碣石,以觀滄海。
東の方、碣石山に立つ、それから、はるかな東海を見渡す。
・碣石  山の名。古来有名であるが、その所在については説が一様でない。海岸の山であるという。東海ということから泰山をイメージするというのではないか。


水何澹澹,山島竦峙。
そこの水面はいかにもゆったりと波うっている。海原にそばたつ島山がある。


樹木叢生,百草豐茂。
樹木がむらがり鬱蒼と生えている、そこにはいろいろの草も茂っている。


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3> 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558

魏武帝《短歌行》#3 東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 


2013年6月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3> 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃源行》 王維  <#1>715 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2559
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集相逢歌贈嚴二別駕 楽府(七言歌行) 成都6-(23) 杜甫 <485>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2565 杜甫詩1000-485-707/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性上川主武元衡相國二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-203-69-#63  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2562
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3>  古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。

泰山の道観

















『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
菖蒲03越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


(下し文) #3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


(現代語訳)
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。


(訳注) #3
越陌度阡、枉用相存。
東西に延びる道を越え、南北にのびる道をわたっていく。苦難の道中を重ねて、わざわざ見舞いに来てくれる。
・陌:道。田の東西に通じるあぜみち。=陌阡。 
・阡:道。南北に通じるあぜみち。
・枉:まげて。・用:もって。 
・相存:ねぎらう。見舞う。あい問う。 
・存:問う。見舞う。ねぎらう。


契闊談讌、心念旧恩。
万里を遠しとせずに訪れてくれた賓客久しぶりにお目にかかって、語らいながら酒盛りをする。心で昔の誼(よしみ)を思い起こそうというのだ。 
・契闊:久闊を叙する。久しぶりでお目にかかる。ひさしぶり。ぶさた。堅い契りを結ぶ。離れることと合うことと。離合。
・談讌:語らいながら酒盛りをする。・讌:さかもり。≒宴。
・舊恩:旧誼。


月明星稀、烏鵲南飛。
月が明るく照り亘るので、星影が目立たなくなっている。そこにカササギが南に向かって飛んでいく。 
・烏鵲:カササギ。


繞樹三匝、何枝可依。
木の周りをぐるぐると何度もまわって、カササギがどの枝に留まろうかというだけではなく、人物がどこの陣営につくのか、誰に属するのか、その帰趨をもいう。
・匝:めぐる。めぐり。


山不厭高、海不厭深。
山は、多くの土砂や岩石が慕い寄って、高さが増すことを厭がらないので、ますます高くなり、徳を慕って、人の寄ってくることを拒まなければ、ますます立派なものになることをいう。海の水は、多くの水が慕い寄って、深みが増すことを厭がらないので、ますます深くなり。


周公吐哺、天下帰心。
周公は、食事を中断してまでして、来客に面会した。 天下の人心を獲得したのだ。
・周公:周公旦のこと。古代の聖人。周の文王の子で、武王の弟になる。武王の子の成王を補佐して、人材の発掘に努め、制度、礼楽を定めて、周王朝の基礎を固めた。人材の登用を重視して、高い位に在るにも拘わらずに、一回の洗髪を三度中断したり、一回の食事を三度中断してまでして賢士の来客に面会した。 
・吐哺:食べかけで口に含んでいる食物を吐き出して(までして、人物の来訪に会った)故事をいう。食事を中断してまでして、来客に面会したことをいう。『史記・魯周公世家第三』に「周公戒伯禽曰:『我文王之子,武王之弟,成王之叔父,我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮;一飯三吐哺,起以待士,猶恐失天下之賢人。子之魯,慎無以國驕人。』」とある。

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553

魏武帝《短歌行》 ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 

2013年6月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行》 魏武帝 魏詩<86-#2> 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#3>714 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2554
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集姜楚公畫角鷹歌【案:姜皎,上邽人,善畫鷹鳥,官至太常,封楚國公。】 楽府(七言歌行) 成都6-(21) 杜甫 <483>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2555 杜甫詩1000-483-705/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性上川主武元衡相國二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-202-68-#62  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2557
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2>  古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553


短歌行   曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。

#2
kagaribi00但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

#3
越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀、烏鵲南飛。
繞樹三匝、何枝可依。
山不厭高、海不厭深。
周公吐哺、天下帰心。


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
 (本文)
#2
但為君故、沈吟至今。
呦呦鹿鳴、食野之苹。
我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
明明如月、何時可採。
憂従中來、不可断絶。


(下し文) #2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。


(現代語訳)
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。


(訳注) #2
満月003但為君故、沈吟至今。
ただ、あなたのためだということで、深く静かにあなたを思って歌ってきて、今に至っている。


呦呦鹿鳴、食野之苹。
ヨーッ、ヨーッと鹿が鳴き、野のヨモギを食べている。
 ・呦呦:鹿の鳴き声。擬声語。『詩經』に出てくる。「小雅・鹿鳴」「呦呦鹿鳴,食野之苹。我有嘉賓,鼓瑟吹笙。吹笙鼓簧,承筐是將。人之好我,示我行周。」が一解となり、「呦呦鹿鳴,食野之蒿。…」「呦呦鹿鳴,食野之。…」として、「呦呦鹿鳴,食野之…」を繰り返して、使っている。「呦呦鹿鳴,食野之苹」に同じ。前記『詩經』では解が移るとともに「苹」(ヨモギ)、「蒿」(クサヨモギ)、「」(アシ)とシカの食べるものが変わっていく。蛇足だが『三國演義』では、「食野之苹」を「食野之萍」としているものの、「萍」はウキクサなので、少し苦しい。


我有嘉賓、鼓瑟吹笙。
わたしにはここに来たすばらしいお客がいる。瑟をかなでて、笙を吹く。 
・嘉賓:曹操が天下平定のために人材を広く集め、賢士を招いたことをに基づく。


明明如月、何時可採。
月のように、はっきりとしていても、いつ優れた人材を拾い取ることができようか。
・輟:やめる。とどめる。とどまる。中途でちょっととどまること。≒とする。 ・:とる。拾い取る。ここは、仮に「優れた人材」を拾い取る、としたが、前後の続き具合や、彼の歴史的存在から多様に読みとれる。


憂従中來、不可断絶。
憂いは心の中から起こってくる。それを断ち切ることはできないのだ。

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

魏武帝 《 短歌行 》 酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 

2013年6月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1> 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#2>713 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2549
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集海棕行 楽府(七言歌行) 成都6-(20) 杜甫 <482-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2550 杜甫詩1000-482-#2-704/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性續嘉陵驛詩獻武相國 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-201-67-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2552
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1>  古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548


三国時代(さんごくじだい)は中国の時代区分の一つ。狭義では後漢滅亡(220年)から、広義では黄巾の乱の蜂起(184年)から[要出典]、西晋による中国再統一(280年)までを指す。229年までに魏(初代皇帝:曹丕)、蜀(蜀漢)(初代皇帝:劉備)、呉(初代皇帝:孫権)が成立、中国国内に3人の皇帝が同時に立った。黄巾の乱(こうきんのらん、中国語:黃巾之亂)は、中国後漢末期の184年(中平1年)に太平道の教祖張角が起こした農民反乱。目印として黄巾と呼ばれる黄色い頭巾を頭に巻いた事から、この名称がついた。また、小説『三国志演義』では反乱軍を黄巾“賊”と呼称している。「黄巾の乱」は後漢が衰退し三国時代に移る一つの契機となった。


建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   


短歌行   曹操
#1
対酒当歌  人生幾何
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
譬如朝露  去日苦多
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
慨当以慷  幽思難忘
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何以解憂  唯有杜康
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
青青子衿  悠悠我心

遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


#2
但為君故  沈吟至今
呦呦鹿鳴  食野之苹
我有嘉賓  鼓瑟吹笙
明明如月  何時可採
憂従中來  不可断絶

#3
越陌度阡  枉用相存
契闊談讌  心念旧恩
月明星稀  烏鵲南飛
繞樹三匝  何枝可依
山不厭高  海不厭深
周公吐哺  天下帰心


短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬へば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,憂思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。

#2
但だ 君が為め 故,沈吟して  今に至る。
呦呦 として 鹿 鳴き,野の苹を  食ふ。
我に  嘉賓 有り,瑟を 鼓し  笙を 吹く。
明明たること月の如きも,何の時か 輟【と】る可けんや。
憂ひは 中從り來たり,斷絶す可【べ】からず。

#3
陌【みち】を 越え 阡【みち】を 度り,枉【ま】げて用って 相ひ存【と】はば;
契闊 談讌して,心に 舊恩を念【おも】はん。
月明るく星稀【まれ】にして,烏鵲 南に飛ぶ。
樹を繞【めぐ】ること 三匝【さふ】,何【いづ】れの枝にか依【よ】る可き。
山 高きを厭【いと】はず,水深きを厭はず。
周公 哺を吐きて,天下心を歸せり。


『短歌行』 現代語訳と訳註
(本文) 短歌行 
  曹操
#1
対酒当歌、人生幾何。
譬如朝露、去日苦多。
慨当以慷、幽思難忘。
何以解憂、唯有杜康。
青青子衿、悠悠我心。


DCF002102(下し文)
短歌行 
酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。
譬【たと】えば 朝露の如く,去日 苦【はなは】だ多し。
慨して 當に以って 慷すべきも,幽思 忘れ難し。
何を以ってか 憂ひを解かん,唯だ 杜康の有るのみ。
青青たる 子の衿,悠悠たる 我が心。


(現代語訳)
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
遥かに離れていく詩経に「青い襟の愛しい女(ひと)よ。」はるかになっていくわたしの思い。


(訳注)
短歌行
:古楽府「相和歌・平調曲」。
武帝(曹操)(155年 – 220)後漢末の武将、政治家、詩人、兵法家。後漢の丞相・魏王で、三国時代の魏の基礎を作った。建安文学の担い手の一人であり、子の曹丕・曹植と合わせて「三曹」と称される。現存する彼の詩作品は多くないが、そこには民衆や兵士の困苦を憐れむ気持ちや、乱世平定への気概が感じられる。表現自体は簡潔なものが多いが、スケールが大きく大望を望んだ文体が特徴である。 
・短歌行 ・観蒼海 ・圡不同 ・亀雖寿 ・蒿里行 ・苦寒行 ・卻東西行 


対酒当歌、人生幾何。
酒を飲もうとしている時は、歌を歌って歓しく過ごすべきである。人の命はどれほどのものだというのだろうか。


譬如朝露、去日苦多。
それはあたかも、朝露のようなはかないものである。過ぎ去った日々は、はなはだ多いくても功績と云うものはなかなか成就しないものだ。 
・去日:過ぎ去った日々。過去の日々。 
・苦:はなはだ。たいそう。副詞。


慨当以慷、幽思難忘。
それをおもえばなげかずにはおれなくて、心の塞ぎは去りがたく、なげく声は、高くなっていくものの、さびしく憂いの感情は、忘れがたいものである。
・慨:いきどおる。 
・慷:なげく。いきどおりなげく。


何以解憂、唯有杜康。
何をもってその憂いを解くかといえば、ただ、杜康が始めとした酒があるのみである。
杜康:初めて酒を造った人の名。転じて、酒。ここでは、酒の意。


青青子衿、悠悠我心。
遥かに離れていく詩経にあるように「青い襟の愛しい女(ひと)よ。・・・・」はるかになっていくわたしの思い。
『詩經』「國風・鄭風、子衿篇」男が女を慕う歌として、「青青子衿,悠悠我心。縱我不往,子寧不嗣音。  青青子佩,悠悠我思。縱我不往,子寧不來。」(青々としたあなた(恋人、また、学生)の襟、はるかになっていくわたしの思い。たとえ、わたしがいかなくとも、どうして…してくれないのか)とあり、それにもとずいている。
・子:あなた。
ここでは曹操は、人材を欲して、この言葉を使った。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。


2013年6月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源詩》 陶淵明(陶潜)  <#1>712 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2544
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集越王樓歌 楽府(七言歌行) 成都6-(19) 杜甫 <482-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2545 杜甫詩1000-482-#1-703/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性賊平后上高相公 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-200-66-#60  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2547
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。

王屋山01平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。


(下し文) #3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


(現代語訳)
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。


(訳注) #3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
・灑 水をまき注ぐ。ここは蘭藻の如き清辞を吐くこと。


哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
・下廻鵠 鵠(白鳥)下り舞わす。韓子に「師曂が清徴を奏するに、玄鵠二八ありて廊門に集る」という、それにたとえた。
・餘哇 「哇」は、吐く。また、捏声。ここは、歌ごえ。韻の意か。列子に「辞談は謳を秦青に学び、辞して帰る。青は郊衝に餞し、節を撫して悲歌す、声は林木を震(H)かし、撃は行雲を過む」というものにたとえた。
・徹 通る。いたる。


中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
・中山 そこには美酒を産する。ここは銘酒にたとえたこととなる。なお漢書の「中山王なる勝」のことを用いたということでもある。すなわち、「建元三年、中山王勝ら来朝す。天子置酒す、勝は発声を聞いて泣く。其の故を問ふに、勝は対へて日く、臣は聞けり、悲しめる者には素欷を為すべからず、思ふ者には歎息を為すべからず(歓款の声を聞けば、悲思ますます甚しくなるをいふ)、故に高漸離の筑を易水の上【ほとり】に撃つや、荊軻は之がために(首を)低(た)れて、復た食ふこと能はず。今、臣は心結ばれて日久し。幼抄の芦を聞く毎に涕泣の横集するを知らざるなり」という。この故事によるとすれば、曹椿は、心に憂生の念があるので、太子の恵みには十分感ずるが、酒には酔えぬ、というのであろう。
・飲德方覺飽 詩経、大雅、既酔篇に「既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす。君子万年、爾の景福を介にせん」という。酒に酔い、また恵みをうけて飽き足ること。君子も爾も、王をさす。


願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。
・黄髪期 年老いて髪が黄いろになるとき。

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。


 

2013年6月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和武相公鎮蜀時,詠使宅韋太尉所養孔雀 韓愈(韓退之) <143>Ⅱ中唐詩706 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2514
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集大麥行  楽府(七言歌行) 成都6-(12) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2510 杜甫詩1000-477-696/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和郭員外題萬里橋 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-193-59-#53  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2512
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。


(下し文) #2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。


(現代語訳)
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
〇淪薄 淪①. 隠れ沈む・こと(さま)。 ②. 世をのがれて隠れること。薄 いきつくこと。ここでは落ちぶれ果て行き着くところまで行ったという意味。


天下昔未定,托身早得所。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
〇昔未定 過去のおちぶれて、まだ定まらなかった時のことを言ったものである。
〇早得所 身を託する所を得たこと。曹操に託するを得たことをいう。


官度廁一卒,烏林預艱阻。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
〇官度 後漢末期の200年に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間で行われた戦い。
〇烏林 呉の孫権の将なる周瑜は、劉備の軍と連合して、赤壁より烏林にわたる戦に、曹操の軍を破る。


晚節值眾賢,會同庇天宇。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
〇晩節 晩年。ここは、そののち晩年まで、とでも解す。
〇眾賢 建安の三曹七賢。
〇庇 おおう。護りたすける。
〇天宇 曹操から、曹丕に仕えることが出来たことを云う。 

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。

2013年6月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩和武相公早春聞鶯 韓愈(韓退之) <141-#1>Ⅱ中唐詩702 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2494
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#4) 杜甫 <475-#4>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2500 杜甫詩1000-475-#4-694/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬辛員外折花見遺 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-191-57-#51  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2502
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498


劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨#3
王屋山01朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。


(下し文)#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


(現代語訳)
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(訳注)#3
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 
 


朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
・牛羊下 詩経、王風、君子子役篇に「鷄は括に棲り、日は夕となる、羊牛下り括(か)る」という。
・括揭 「括揭」はとまり木にとまること。鶏のとまり木。「括」「揭」同じ。


終歲非一日,傳巵弄新聲。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。


辰事既難諧,歡願如今並。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。


唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
・羨 愛慕をねがう。
・粛粛 羽の声。 (1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。  (2)おごそかなさま。曹植『棄婦篇』「歭躇還入房、肅肅帷幕聲。」とよくつかう。
・翰 長く堅い羽毛。
・繽紛 ひらひら飛ぶさま。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493

 謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。

2013年6月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩和武相公早春聞鶯 韓愈(韓退之) <141-#1>Ⅱ中唐詩702 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2494
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#3) 杜甫 <475-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2495 杜甫詩1000-475-#3-693/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性贈韋校書 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-190-56-#50  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2497
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493


鷹将劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
竹林0021(本文) 劉楨
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。


(下し文) #2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。


(現代語訳)
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。


(訳注) #2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
黎陽津 魏の主要の港である黎陽。
紀郢城 劉表がいる楚の紀城や郢城。


既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。


歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
・相解達 「解」は説。李善は「相談説して進達するなり」といい、李周翰も同じ。何燈は、それを非とし「古今治乱のことをLるので、親友らと互いに、響えを引いて話しあった」意とする。
・平生 古今治乱の事情について、かねてしる所の知識をさす。


矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
・矧荷 いわんや~をうける。それに加えて~をうける
・明哲顧 明智の太子の恩顧。
・知深 知己の恩の深く。王逸の晋書に「孔短日く、士は知遇の恩に死し、命をして軽からしむ」。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。


 

2013年6月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩雪後寄崔二十六丞公 韓愈(韓退之) <142-#1>Ⅱ中唐詩703 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2499
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遭田父泥飲美嚴中丞 五言古詩 成都6-(10-#2) 杜甫 <475>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2490 杜甫詩1000-476-692/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鏡離台 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-189-55-#49  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2492
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488



劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


銅雀臺00







『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
貧居晏裏閈,少小長東平。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
廣川無逆流,招納廁羣英。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 


卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
・卓犖 すぐれて他からぬきんでていること。また 、そのさま。
・偏人 文才のある人。
・而文 ここに「文」とは、主としてかれの詩をさす。


貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
・裏閈 貧しい村里。
・東平 斉國地方。山東省泰安市に位置する県。


河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
・河兗 斉河、兗州をいう。
・沖要 要衝。
・淪飄 戦乱がはげしくなること。波にただよう。
・薄 至る。
・許京 許都。獻帝は、洛陽から許州に遷ったので京といった。


廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
・広川無逆流 管子に「善く君たるものは。宜しく江海に法るべし。江海は細流を逆まず、故に百谷の長となる」。
yuuhi00

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運  このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。

2013年6月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。方橋 韓愈(韓退之) <138>Ⅱ中唐詩699 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2479
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集戲贈友,二首之二 五言律詩 成都6-(9) 杜甫 <474>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2480 杜甫詩1000-474-690/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鷹離鞲 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-187-53-#47  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2482
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。
 


『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)
#2
此歡謂可終,外物始難畢。搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
末塗幸休明,棲集建薄質。已免負薪苦,仍游椒蘭室。


(下し文) #2

此の歡をば終ふ可しと謂ひしに、外物のため始めて【お】へ難し。
箕濮【きばく】の情を搖盪【ようとう】し、年を窮めて憂栗【ゆうりつ】に迫らる。
末塗【まつと】には幸に休明にあひ、棲集【せいしゅう】は薄質に逮【およぶ】ぶ。
己に負薪【ふしん】の苦しみを免れ、仍お椒蘭【しょうらん】の室に游ぶ。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#2
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)


此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
・外物  1 自分以外の事物。外界の事物。 2 自我の働きの外にあり、客観的世界に存在するもの。客観的実在。
・終・畢 ともに、「此歓」をきわめつくすこと。


搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
・搖盪 うごかし、はらう。
・箕濮 箕山は許由らの隠居したところ、濮水は荘周が隠遁して釣などをしたところという。


末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
・塗 1 ぬる。「塗装・塗布・塗抹・塗料」2 泥。泥にまみれる。「塗炭/泥塗」3 道路。
・棲集 至り、とまる。ここは衆賢が、曹公のもとに來たこと。


已免負薪苦,仍游椒蘭室。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた
・負薪 ・負薪之憂 士が自分の病気を謙遜して言う。禄が十分でなく、薪を背負って働いたので病気になったという意味。「負薪」は、生活のために雑用や力仕事をすることの喩え。苦役。
・椒蘭室 『楚辞、離騒』第十四段「覧椒蘭其若茲兮」(椒蘭を覧るに其れ茲の若しかくのごとし)
大戴礼に「君子と遊ぶときは、必ず蘭正の室に入るが如し。久しくして聞かず、則ち之と化すればなり」という。
サンショウ(はじかみ)とラン(ふじばかま)。香りのよい植物の代名詞。転じて、「皇后の親類、外戚」転じて賢人ということもある。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。


2013年5月31日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。柳巷 韓愈(韓退之) <133>Ⅱ中唐詩694 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2454
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 五言古詩 成都6-(4) 杜甫 <470-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2455 杜甫詩1000-470-#2-685/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 馬離廄 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-182-54-#42  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2457
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453


王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
排霧屬盛明,披雲對清朗。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
不謂息肩願,一旦值明兩。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
既作長夜飲,豈顧乘日養!
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。


王屋山01(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。
#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。
#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。


『擬魏太子鄴中集詩八首』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!


(下し文) #3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!


(現代語訳) #3
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 王粲

(177年熹平6年 - 217年建安22年)は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。


慶泰欲重疊,公子特先賞。
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
・泰 ①ゆったりと落ち着いている。②はなはだしい。③とおる。通。④おごり高ぶる。⑤やすらか。⑥なめらか。
・欲重畳 「欲」は、李周翰によれば、欣の意。


不謂息肩願,一旦值明兩。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
・息肩 荷物をおろして肩をやすめる。戦乱に悩むのあまりというほどの意味。
・明両 曹操は明、曹丕も明、故に「明両」といった。ただし、ここでは、主として曹丕をさす。


並載游鄴京,方舟泛河廣。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。


綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
・綢繆 ①まつわりつくこと。また、糸などをからめて結ぶこと。②むつみあうこと。なれしたしむこと。
・梁棟響 梁と棟をめぐりひびく歌声の音楽のいいことをいう。梁塵 1 梁(はり)の上に積もっているちり。梁上のちり。 2 《「梁塵を動かす」の故事から》すぐれた歌声。また、歌謡。音楽。


既作長夜飲,豈顧乘日養!
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。
・長夜飲 古くは、尉王がそれをした。
・乘日 太陽をのせて走る車の御者。神話中の人物である。「楚辞」離巌に「吾義和をして節を辞めしめ云云」と見える。 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。

 

2013年5月30日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。稻畦 韓愈(韓退之) <132>Ⅱ中唐詩693 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2449
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 成都6-(3) 杜甫 <470>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2450 杜甫詩1000-470-684/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 筆離手 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-181-53-#41-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2452
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448


王粲が後漢末の桓帝や霊帝の時代の乱に、都の長安を逃れて、遠く楚の地まで行ったが、その土地の美しきも、王粲の心を引き止めるものなく、故郷が懐かしく思い出された。が、やがて曹操や曹丕に会い、はじめて安心立命の地を得た。そして、さいわいなことには曹植をも知ることができ、幸福な毎日を送ることができたという。すなわち、謝霊運が王粲が三曹に会った喜びを推定して歌っているが、あるいは謝霊運もこのようなりっぱな君主に会いたいという願望が隠されているかもしれぬ。内容的には他の臣下グループと同じ形式になっていることが重要である。


102  王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
排霧屬盛明,披雲對清朗。

そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!

(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。
#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。

#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。

終南山03
『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
常歎詩人言,式微何由往。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
排霧屬盛明,披雲對清朗。


(下し文) #2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。


(現代語訳)王屋山01
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。


(訳注) #2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
・可美 美しいにはちがいない。
・外奨 留るようにとに外物がすすめる。


常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
・詩人・式微 「詩経」邶風の篇名。毛序では、黎侯が故国より追われ、衛の国に寓居していた時、彼の臣が帰国をすすめたもの、という。その詩に「式くて微【おとろ】え、式くて微う、胡んぞ帰らざる。」という一節がある。即位して間もない文帝に自己の忠節のかわらぬことを訴えたものと見ている。謝靈運が「詩人・式微」といったのは、この式微の詩が「胡不帰」の三字を含むが故に、家で帰りを待つ者が歌う詩として適当なものであるからである。


上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
・上宰 丞宰の曹操。
・奉皇靈 献帝の威命を奉じること。


雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
・雲騎 雲のごとく多い騎馬兵。
・掃塗 はらいのける。


排霧屬盛明,披雲對清朗。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。

聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198

曹植 聖皇篇


2013年4月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第五段-#4 宋玉  <00-#14>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 643 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2199
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其八 成都浣花渓 杜甫 <452>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2205 杜甫詩1000-452-635/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集立石壁招提精舎 謝霊運<40> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2201 (04/10)
●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性贈薛濤 白居易 全唐詩 巻462  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-131--#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2202
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

聖皇篇 曹植 魏詩<66-#1> 女性詩730 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2198

《曹植全集︰聖皇篇 》

 
聖皇篇 
聖皇應歷數。正康帝道休。
九州咸賓服。威德洞八幽。
三公奏諸公。不得久淹留。
蕃位任至重。舊章咸率由。
侍臣省文奏。陛下體仁慈。
#2
沉吟有愛戀。不忍听可之。
迫有官典憲。不得顧恩私。
諸王當就國。璽綬何累縗。
便時舍外殿。宮省寂無人。
主上增顧念。皇母懷苦辛。
#3
何以為贈賜。傾府竭寶珍。
文錢百億萬。采帛若煙雲。
乘輿服御物。錦羅與金銀。
龍旗垂九旒。羽蓋參班輪。
諸王自計念。無功荷厚德。
#4
思一效筋力。糜軀以報國。
鴻臚擁節衛。副使隨經營。
貴戚並出送。夾道交輜軿。
車服齊整設。韡曄耀天精。
武騎衛前後。鼓吹簫笳聲。
#5
祖道魏東門。淚下沾冠纓。
扳蓋因內顧。俛仰慕同生。
行行將日暮。何時還闕庭。
車輪為徘徊。四馬躊躇鳴。
路人尚酸鼻。何況骨肉情。


聖皇篇 
聖皇應歷數。正康帝道休。
聖天子は天の暦数に応じて即位し、天下の正道は安らかに、帝道は大いに行なわれる。
九州咸賓服。威德洞八幽。
天下九州はみな賓として来たり平服し、威徳は八方幽遠の地までおよぶにいたった。
三公奏諸公。不得久淹留。
このときの朝廷の重臣からの上奏があり、奉賀のため入朝した諸公王はいつまでも都にとどまってはならないとの勅命であった。
蕃位任至重。舊章咸率由。
それはすべて旧来の法令にもとづいたもので、藩公の任は特に重いものであるから、藩公は速かに任地に帰ることを定めとしたのである。
侍臣省文奏。陛下體仁慈。
藩公から内奏した文書はいちいち侍臣が点検して奏上する定めであり、その上で陛下のなさけ深さにすがることになる。

聖皇篇
聖皇暦数に應じ、正に康くして帝道休なり。
九州咸賓服し、威徳八幽に洞る。
三公誇公を奏し、久しく淹留するを得ざらしむ。
蕃位任は至りて重く、舊章咸【ことごと】く率由す。
侍臣文を省て奏し、陛下は仁慈を體す。

銅雀臺00
『聖皇篇』 現代語訳と訳註
(本文)
聖皇篇 
聖皇應歷數。正康帝道休。
九州咸賓服。威德洞八幽。
三公奏諸公。不得久淹留。
蕃位任至重。舊章咸率由。
侍臣省文奏。陛下體仁慈。


(下し文) 聖皇篇
聖皇暦数に應じ、正に康くして帝道休なり。
九州咸賓服し、威徳八幽に洞る。
三公誇公を奏し、久しく淹留するを得ざらしむ。
蕃位任は至りて重く、舊章咸【ことごと】く率由す。
侍臣文を省て奏し、陛下は仁慈を體す。


(現代語訳)
聖天子は天の暦数に応じて即位し、天下の正道は安らかに、帝道は大いに行なわれる。
天下九州はみな賓として来たり平服し、威徳は八方幽遠の地までおよぶにいたった。
このときの朝廷の重臣からの上奏があり、奉賀のため入朝した諸公王はいつまでも都にとどまってはならないとの勅命であった。
それはすべて旧来の法令にもとづいたもので、藩公の任は特に重いものであるから、藩公は速かに任地に帰ることを定めとしたのである。
藩公から内奏した文書はいちいち侍臣が点検して奏上する定めであり、その上で陛下のなさけ深さにすがることになる。


(訳注)
聖皇篇 

泰山の夕日02・聖皇篇 
詩は曹操が死んで文帝即位後、諸侯王たる作者などが上謁を終わり、藩邑に帰任する時、帝徳を頌し、兄弟離別の情を叙したのである。この時、作者曹植はこれから疎んぜられることを知って、これを憂えた意をのべたものと思われる。おそらくは「贈白馬王彪」また文選に見える「上責窮応詔詩表」(窮を責め詔に応ずる詩を上る表)を作った223年黄初四年の作で、作詩の動機もそれによってうかがわれよう。
・聖皇 文帝を指す。


聖皇應歷數。正康帝道休。
聖天子は天の暦数に応じて即位し、天下の正道は安らかに、帝道は大いに行なわれる。
・応暦数 暦数は即位のめぐりあわせ。論語・堯日篇に「天の暦数爾が躬に在り」。ここは天意に応じて即位するの意。


九州咸賓服。威德洞八幽。
天下九州はみな賓として来たり平服し、威徳は八方幽遠の地までおよぶにいたった。
・九州 古、天下を分かって九州とした。
・賓服 賓として来たり服すること。
・八幽 八方幽遠の地。


三公奏諸公。不得久淹留。
このときの朝廷の重臣からの上奏があり、奉賀のため入朝した諸公王はいつまでも都にとどまってはならないとの勅命であった。
・三公 朝廷の重臣、大尉・司空・司徒。
・諸公 各地に封ぜられた藩士をいう。
・不得久掩留 黄初元年から藩公は必ず封地に赴任せねばならぬ定めであった。


蕃位任至重。舊章咸率由。
それはすべて旧来の法令にもとづいたもので、藩公の任は特に重いものであるから、藩公は速かに任地に帰ることを定めとしたのである。


侍臣省文奏。陛下體仁慈。
藩公から内奏した文書はいちいち侍臣が点検して奏上する定めであり、その上で陛下のなさけ深さにすがることになる。
・侍臣 近侍の重臣、すなわち、三公。
・省文奏 藩公のたてまつった文書を省察し、奏進すること。

盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133

曹植 盤石篇

2013年3月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 宋玉 <00-#1>もっとも影響を与えた詩文 630 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2134
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 其二 成都浣花渓 杜甫 <438>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2135 杜甫詩1000-438-621/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集游赤石進帆海詩 謝霊運<27> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2136 (03/28)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和人次韻 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-118-53-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2137
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex

安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

盤石篇 曹植 魏<60-#1> 女性詩717 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2133 
 


盤石篇  #1
盤石山巔石,飄颻澗底蓬。
我本泰山人,何為客淮東?
雚葭彌斥土,林木無分重。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。

#2
蚌蛤被濱涯,光彩如錦虹。
高彼凌雲霄,浮氣象螭龍。
鯨脊若丘陵,須若山上松。
呼吸吞船紵,澎濞戲中鴻。

#3
方舟尋高價,珍寶麗以通。
一舉必千里,乘幹舉帆幢。
經危履險阻,未知命所鍾。
常恐沈黃壚,下與黿鱉同。

#4
南極蒼梧野,游眄窮九江。
中夜指參辰,欲師當定從。
仰天長太息,思想懷故邦。
乘桴何所志,吁嗟我孔公。




盤石篇
盤石山巓石,飄颻澗底蓬。
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
我本泰山人,何為客淮東?
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
雚葭彌斥土,林木無分重。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。

きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。

盤盤たり 山巓【さんてん】の石、飄颻【ひょうよう】たり 澗底【かんてい】の蓬。
我は本 泰山の人、何為れぞ 淮東に客たる。
雚葭【けんか】斥土【せきど】に弥く、林木 分重【ふんちょう】なる無し。
岸巌 崩れ缺【か】くるが若く、湖水 何んぞ洶洶【きょうきょう】たる。


『盤石篇』 現代語訳と訳註
(本文)

盤石篇
盤石山巓石,飄颻澗底蓬。
我本太山人,何為客淮東?
雚葭彌斥土,林木無分重。
岸岩若崩缺,湖水何洶洶。


(下し文)
盤盤たり 山巓【さんてん】の石、飄颻【ひょうよう】たり 澗底【かんてい】の蓬。
我は本 泰山の人、何為れぞ 淮東に客たる。
雚葭【けんか】斥土【せきど】に弥く、林木 分重【ふんちょう】なる無し。
岸巌 崩れ缺【か】くるが若く、湖水 何んぞ洶洶【きょうきょう】たる。


(現代語訳)
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。

泰山の夕日02
(訳注)
盤石篇

○盤石篇 海に浮ぶ歌。「楽府詩集」では雑曲歌辞に入れる。海上をさすらう者の望郷の念を歌ったもので、題名とはあまり関係はない。
曹操が建安十一年八月海賊管東を征伐したとき、曹植も十五歳で従軍して作ったと推定している。この篇は少し長いので、四段に分ける。


盤石山巔石,飄颻澗底蓬。
その山にはどっしりと根をはる山頂の盤石の石がある。ひらひらと風に吹かれる谷底には飄転するよもぎがある。
○盤盤 盤は大きな皿又は大きな石の盤。ここではどっしりした形容に用いた。盤石に作るならば、この句は「盤石のごとし山巓の石。」春秋戦国に書かれた『莊子』の内篇の第一逍遙遊には既に大きいものの例えとして、「太山」という名前が記されている。荘子では人間の小ささを表すために、絶大な大きさを持つ架空の鵬という名の鳥を例に対比させている。これは泰山がとてつもなく大きいものの代表という概念が、春秋時代にはもう形成されていたことを示している。
○飄颻 風にひるがえるさま。
○澗底 谷川の底。
○蓬 よもぎ。風のまにまに吹かれて飛ぶので、人生のはかなさにたとえて用いられる。


我本太山人,何為客淮東?
私は、もとは泰山の人間である、それがどうして東海・淮東を旅する身となったのだろう。
○太・泰山 山の名。五岳の山のひとつ。山東省泰安市にある山。高さは1,545m(最高峰は玉皇頂と呼ばれる)。信仰の対象にもなる。封禅の儀式が行われる山として名高い。 道教の聖地である五つの山(=五岳)のひとつ。五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも尊いとされる。 ユネスコの世界遺産(複合遺産)に登録されている。
○淮東・海東 長安・洛陽からみて東の地方。黄河、淮水は東流することから東海、あるいは今の准河地方。


雚葭彌斥土,林木無分重。
ヒメヨシは東の海浜辛い土地一面に生い茂りるものであり、木々などは林とならずあまり見えないのだ。
○雚葭 和名ヒメヨシ、萩の別名である。「詩経」葉風、雚葭に「雚葭蒼たり。」と見える。
○弥 充満する。
○斥土 海浜。東方の塩からい地を斤という。
○無分重 余り多くない。紛重は非常に多いさまとなる。


岸岩若崩缺,湖水何洶洶。
きりたつ岸巌はくだけ落ちているかのようである。そこにはどういうわけかドオードオーとものすごい潮騒がしているのである。
○岸巌 大岩の切り立った岸壁。
○湖水 湾内に入って來る大波の水。
○洶洶 波浪の音。ドオー・ドオー。「楚辞」九章、悲回風に「馮崑崙以瞰霧兮,隱岷山以清江。憚涌湍之磕磕兮,聽波聲之洶洶。」(崑崙に馮りて以て霧を瞰して,岷山に隱りて以て江を清ませ。涌湍の磕磕たるをり,波声の淘淘たるを聴く。)と見える。
sas0002

遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128

遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府

2013年3月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀(まとめ) 韓愈(韓退之) <119-#12>Ⅱ中唐詩629 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2129
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集江畔獨步尋花七絕句 杜甫 <437> 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集遊南亭 謝霊運<26> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2131 (03/27)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性左名場自澤州至京,使人傳語 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-117-52-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2132
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 

遠游篇 曹植 魏<59-#2>曹子建集 卷第六 樂府 女性詩716 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2128

遠遊篇
遠遊臨四海,俯仰觀洪波。
遠くに遊びたいと四海に臨むのである。時代の不安定さのような伏しつ仰ぎつしてくる大きな波を見るのである。
大魚若曲陵,承浪相經過。
大きな魚は真中が隆起して屈曲する丘のようである波をかぶって波と魚は共に目の前を通りすぎる。
靈鰲戴方丈,神岳儼嵯峨。
霊妙な大亀は、背に方丈山をのせるという。神仙のすむ山は、いかめしくもそびえたっている。
仙人翔其隅,玉女戲其阿。
仙人はその一隅をかけり飛びあがる、玉女は屈曲した大きな丘の奥まったところで、たわむれ遊ぶのである。
瓊蕊可療飢,仰首吸朝霞。

赤い美玉で飢をいやさないといけないし、王子喬のようにあおいで正陽の気に口すすぎ、朝がすみを吸う。
#2
崑崙本吾宅,中州非我家。
崑崙の山は、もともと我が住居である。みやこは、私の家ではない。
將歸謁東父,一舉超流沙。
さあ、わたしは帰って、東王父に謁見することにしよう。そして一挙に飛んで沙漠をこえよう。
鼓翼舞時風,長嘯激清歌。
翼をはばたいて、順風に舞いあがろう。、長く口笛を吹いて、清澄な響きの歌を激しい調子で歌うのである。
金石固易弊,日月同光華。
金石であっても、やはりこわれやすいものだ。日や月とその輝く光を同じようにかがやかそう。
齊年與天地,萬乘安足多。
天や地とその生命を同化するのが、私の願いなのであって、万乗の天子の地位など、けっしては満足できるものではないのである。

漢文委員会紀頌之タイトル










遠游して四海に臨み、俯仰して洪波を観る。
大魚は曲陵の若く、浪を承けて相い経過す。
靈鰲 方丈を戴き、神嶽 儼として嵯峨たり。
仙人 其の隅を翔けり、玉女 共の阿に戯る。
瓊蕊 飢を療す可く、仰ぎて漱ぎ 朝霞を吸う。
#2
崑崙は本もと吾が宅にして、中州は我が家には非ず。
将に帰りて東父に謁せんとし、一たび挙がりて流沙を超ゆ。
翼を鼓して時なる風に舞い、長く嘯きて清歌を激す。
金石 固より弊れ易し、日月と光華を同じくし。
年を天地と与に斉しくせん、万乗 安んぞ多となすに足らんや。


『遠遊篇』 現代語訳と訳註
(本文)
遠遊篇#2
崑崙本吾宅,中州非我家。
將歸謁東父,一舉超流沙。
鼓翼舞時風,長嘯激清歌。
金石固易弊,日月同光華。
齊年與天地,萬乘安足多。


(下し文) #2
華山000崑崙は本もと吾が宅にして、中州は我が家には非ず。
将に帰りて東父に謁せんとし、一たび挙がりて流沙を超ゆ。
翼を鼓して時なる風に舞い、長く嘯きて清歌を激す。
金石 固より弊れ易し、日月と光華を同じくし。
年を天地と与に斉しくせん、万乗 安んぞ多となすに足らんや。


(現代語訳)
崑崙の山は、もともと我が住居である。みやこは、私の家ではない。
さあ、わたしは帰って、東王父に謁見することにしよう。そして一挙に飛んで沙漠をこえよう。
翼をはばたいて、順風に舞いあがろう。、長く口笛を吹いて、清澄な響きの歌を激しい調子で歌うのである。
金石であっても、やはりこわれやすいものだ。日や月とその輝く光を同じようにかがやかそう。
天や地とその生命を同化するのが、私の願いなのであって、万乗の天子の地位など、けっしては満足できるものではないのである。


(訳注) #2
遠遊篇
天地に遊ぶ歌。「楽府詩集」では雑曲歌辞に入れる。遠游とは「楚辞」の篇名であり、屈原の作とされる。
「楚辞」遠游について 王逸の解題に、
「遠遊は屈原の作であって、屈原が方直の行ないを履みながら世に入れられず、君に捨てられ、衆人に苦しめられ、山野をさまよいつつ、深く唯一の幽玄な真理を思い、心を淡泊に持して世を救おうと思うと、心は憤然として美しい文章となった。彼は篇中で、仙人と共に遊戯して、天地を周遊し、到らぬ所がなかったが、やはり楚国と故旧の人々とを忘れかねたのは、忠信仁義の心の厚いところであった。そこで君子はその志をめで、その辞を美しいと思うのである。」
といっている。


nat0022崑崙の山は、もともと我が住居である。みやこは、私の家ではない。
○崑崙 西方にある山で、神仙の住む所。「楚辞」九章、渉江に「崑崙に登り、玉英を食い」と見える。
○中州 帝都のあるところをさす。


將歸謁東父,一舉超流沙。
さあ、わたしは帰って、東王父に謁見することにしよう。そして一挙に飛んで沙漠をこえよう。
○東父 東王父(とうおうふ)は、中国の神話上の仙人。西王母に対応する。西王母が女仙を統率するのに対し、東王公は男仙を統率する。東王公、東華帝君、東父、東君とも。西王母が、神話や伝説、小説などに頻繁に登場するのに対し、東王父は、あまり登場しない。これは、西王母が先に成立し、それに対応する形で東王父が生まれたとされる成立事情に関係があると思われる。
○流沙 西北の沙漠をいう。


鼓翼舞時風,長嘯激清歌。
翼をはばたいて、順風に舞いあがろう。、長く口笛を吹いて、清澄な響きの歌を激しい調子で歌うのである。
○時風 よい時にふく風。
○嘯 口笛をふく。
○激清歌 清歌を急激な調子で歌うことをいう。清歌とはよく響くすんだ調子の歌のこと。清歌は仙人にふさわしいものらしい。


金石固易弊,日月同光華。
金石であっても、やはりこわれやすいものだ。日や月とその輝く光を同じようにかがやかそう。
○金石 金属と石。堅固不変のたとえで、「古詩」にも「人生は金石に非らはず。」といった表現が見えるが、ここではその金石でさえ、天地とともにはあり得ないという意味で用いる。
○日月岡光華、斉年与天地 「楚辞」九章、(二)渉江に「崑崙に登って玉英を食らい、天地と寿を同じくし、日月と光を斉じくせん。」と見える。


齊年與天地,萬乘安足多。
天や地とその生命を同化するのが、私の願いなのであって、万乗の天子の地位など、けっしては満足できるものではないのである。
○万乗 天子をいう。一乗とは一こと車四馬をいう。「乗」は車の意。中国の周代、天子は直轄地から戦時に兵車1万台を徴発することができたところから、天子。また、天子の位。
○安足多 どうして自分の気持ちを満足させることがあろうか。

鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008

鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府

2013年3月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原性 韓愈(韓退之) <116-7>Ⅱ中唐詩605 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2009
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集春夜喜雨 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 8)  杜甫 <413>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2010 杜甫詩1000-413-596/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集九日従宋公戯馬台集送孔令詩 謝霊運<2> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2011 (03/03)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江行 二首 其二 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-93-29-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2012
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首  
 
 





鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008



鬥鷄
遊目極妙伎。清聽厭宮商。
うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊りというものを見るにつけては目を凝らしてみるもので目が疲れる、音楽も音階まで聞き分け、耳を傾けて聞くならば飽きてしまうものである。
主人寂無為。眾賓進樂方。
この宴会の主は、そんなことに無頓着で何にも云わなかったら、宴会の多くの客たちには、型通りの法則にかなった音楽をそのまま進行し続けるのである。
長筵坐戲客。鬥雞間觀房。
高貴なお客に用意されている長い竹むしろに座っている客は初めに行ったように辟易してざわついてくるのである。だからつぎの楽しみは闘鶏であり、入り混じって闘鶏を部星で観覧することになる。
群雄正翕赫。雙翹自飛揚。
そうして、多くのいさましい鶏は、いまや、けばけばしい羽根をはばたいて相手を威嚇する。次には両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢になり、それぞれ、高くはねたり、あがっているのである。
#2
揮羽激清風。悍目發朱光。
觜落輕毛散。嚴距往往傷。
長鳴入青雲。扇翼獨翱翔。
願蒙貍膏助。常得擅此場。

遊目して極めし 妙伎、清聴して厭く 宮商。
主人 寂として無為、衆賓 進めるは楽方。
長筵  戯客 坐し、闘鶏 観房に間す。
群雄 正に翕赫【きゅうかく】たり、双翹【そうぎょう】自から飛揚す。
#2
羽を揮わせて清風を邀え、目を悍【いか】らせて朱光を発す。
觜は落ち 軽毛 散じ、厳は距り 往往 傷つけり。
長鳴 青雲に入り、扇翼 翺翔に独りす。
願わくは 狸膏の助けを蒙りて、長く此の場を擅にするを得ん。


宮島(8)





『鬥鷄』-#1 現代語訳と訳註
(本文)
鬥鷄
遊目極妙伎。清聽厭宮商。
主人寂無為。眾賓進樂方。
長筵坐戲客。鬥雞間觀房。
群雄正翕赫。雙翹自飛揚。


(下し文) 鬥鷄
遊目して極めし 妙伎、清聴して厭く 宮商。
主人 寂として無為、衆賓 進めるは楽方。
長筵  戯客 坐し、闘鶏 観房に間す。
群雄 正に翕赫【きゅうかく】たり、双翹【そうぎょう】自から飛揚す。


(現代語訳)
うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊りというものを見るにつけては目を凝らしてみるもので目が疲れる、音楽も音階まで聞き分け、耳を傾けて聞くならば飽きてしまうものである。
この宴会の主は、そんなことに無頓着で何にも云わなかったら、宴会の多くの客たちには、型通りの法則にかなった音楽をそのまま進行し続けるのである。
高貴なお客に用意されている長い竹むしろに座っている客は初めに行ったように辟易してざわついてくるのである。だからつぎの楽しみは闘鶏であり、入り混じって闘鶏を部星で観覧することになる。
そうして、多くのいさましい鶏は、いまや、けばけばしい羽根をはばたいて相手を威嚇する。次には両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢になり、それぞれ、高くはねたり、あがっているのである。


(訳注)
鬥鷄
鷄を戦わせる遊戯、賭博もおこなわれた。闘鶏の歴史はかなり古く、紀元前515年「春秋左伝」昭公二十五年の条に見えるし寒食にこのあそびが行われると記載する。収穫の占いが起源で、当時は闘鶏が盛んに行われた。
この詩を曹集では詩の類に入れているが、「楽府詩集」では「誰曲歌辞」に列し、内容的にも楽譜の方が適切と考え楽府とした。この詩は、内容的にも建安中の作品であろうと考える。
・寒食 中国において,火の使用を禁じたため,あらかじめ用意した冷たい物を食べる風習。〈かんじき〉とも読む。冬至後105日目を寒食節と呼び,前後2日もしくは3日間,寒食した。この寒食禁火の風習は古来,介子推(かいしすい)の伝説(晋の文公の功臣。その焼死をいたんで,一日,火の使用を禁じた)と結びつけられるが,起源は,(1)古代の改火儀礼(新しい火の陽火で春の陽気を招く),(2)火災防止(暴風雨の多い季節がら)などが考えられている。


遊目極妙伎。清聽厭宮商。
うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊りというものを見るにつけては目を凝らしてみるもので目が疲れる、音楽も音階まで聞き分け、耳を傾けて聞くならば飽きてしまうものである。
○遊目 視線を縦横に走らせること。目を凝らしてみること。
○極妙伎 絶妙なる舞踊。うまい踊りの更に上を行く絶妙の極みの技法の踊り。
○晴聴 耳をすませて聞くこと。
○厭宮商 宮、商とは音楽理論用語、五音の1・2番目。五音は広くは5音音階を意味する。中国音階の基調をなし,日本,朝鮮にも入った。宮・商・角・徴(ち)・羽の5音からなり,徴と宮の半音下の変徴・変宮を加えたものを七声という。 五声は中国では周末から前漢にかけて,その算法を記した《管子》《呂氏春秋》《淮南子(えなんじ)》などがある。その算法は,宮を出発音として,三分損益の法で,5度上と4度下を交互にとり,宮・徴・商・羽・角の順で決定する。厭とはききあきる。


主人寂無為。眾賓進樂方。
この宴会の主は、そんなことに無頓着で何にも云わなかったら、宴会の多くの客たちには、型通りの法則にかなった音楽をそのまま進行し続けるのである。
○楽方 音楽の法則? 後漢の侍鼓の「舞の賦」に「音を光げて高く歌い、楽の方を為す。」と見え、曹丕の「善哉行」に「音を知り曲を識り、善く楽方を為す。」と見える。善哉行其二
有美一人,婉如清揚。 妍姿巧笑,和媚心腸。
知音識曲,善為樂方。 哀絃微妙,清氣含芳。
流鄭激楚,度宮中商


長筵坐戲客。鬥雞間觀房。
高貴なお客に用意されている長い竹むしろに座っている客は初めに行ったように辟易してざわついてくるのである。だからつぎの楽しみは闘鶏であり、入り混じって闘鶏を部星で観覧することになる。
○長筵 長い竹むしろであるが、高貴な人に対する宴会の席を云い、。
○戯客 客がざわつき宴会が乱れる。。
○間觀房 闘鶏を見る部屋であるが入り乱れて座ること。そのくらい闘鶏をたのしみにしている


群雄正翕赫。雙翹自飛揚。
そうして、多くのいさましい鶏は、いまや、けばけばしい羽根をはばたいて相手を威嚇する。次には両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢になり、それぞれ、高くはねたり、あがっているのである。
○翕赫 けばけばしく羽をはばたくさま。相手を威嚇して、大きく見せるために羽を広げて威嚇すること。
○雙翹 翹はしっほの長い毛を云うが、ここでは両の羽を上に持ち上げて相手に飛びかかるための姿勢を云う。

泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1988

泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>

2013年2月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1988
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原性 韓愈(韓退之) <116-3>Ⅱ中唐詩601 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1989
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集遣意二首其一 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 4)  杜甫 <409> 五言律詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1990 杜甫詩1000-409-592/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集秋登蘭山寄張五 孟浩然 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 1991 (02/27)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性遊崇真觀南樓,睹新及第題名處 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-89-25-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1992
 
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
  古詩十九首 (1) 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67676781.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首 
 
 


泰山梁父行 曹植 魏詩・楽府<49>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1988


泰山梁甫行
八方各異氣,千里殊風雨。
天下の八方それぞれ気候は異なるものである。千里の遠方は風雨のようすさえも別なものになる。
劇哉邊海民,寄身於草野。
辺地、僻地、海辺の地域に住む民の生活はひどいものである。その身は草ぶきのあばら屋に寄せている。
妻子像禽獸,行止依林阻。
妻子はまるで禽獣のようである。仕事をするのは山林のけわしい所ばかりなのである。
柴門何蕭條,狐兔翔我宇。

その家の門は柴折戸のなんとものさびしいことであろうか。狐や兎までもが家の中をかけまわっているのである。

泰山梁父行
八方各の気を異にし、千里風雨を殊にす。
劇しい哉遠海の民、身を草堂に寄す。
妻子は禽獣に象、行止は林阻に依る。
柴門何ぞ蕭條たる、狐兎我が宇に翔る。


01boudake5

『泰山梁父行』 現代語訳と訳註
(本文)
梁甫行
八方各異氣,千里殊風雨。
劇哉邊海民,寄身於草野。
妻子像禽獸,行止依林阻。
柴門何蕭條,狐兔翔我宇。


(下し文)
泰山梁父行
八方各の気を異にし、千里風雨を殊にす。
劇しい哉遠海の民、身を草堂に寄す。
妻子は禽獣に象、行止は林阻に依る。
柴門何ぞ蕭條たる、狐兎我が宇に翔る。


(現代語訳)
天下の八方それぞれ気候は異なるものである。千里の遠方は風雨のようすさえも別なものになる。
辺地、僻地、海辺の地域に住む民の生活はひどいものである。その身は草ぶきのあばら屋に寄せている。
妻子はまるで禽獣のようである。仕事をするのは山林のけわしい所ばかりなのである。
その家の門は柴折戸のなんとものさびしいことであろうか。狐や兎までもが家の中をかけまわっているのである。


(訳注)
泰山梁父行

貧しい人の歌。「楽府詩集」では相和歌辞楚調曲に入れる。古辞もあったらしいが、今は残っていない。梁甫は泰山の下にある山で、ともに人の死後、霊魂が帰ってゆくところといわれる。普通は「泰山吟」「梁父吟」の二曲に分けられて居り、両者とも、『薤露』『蒿里』などと同じく挽歌の類である。しかし曹植のこの篇は挽歌ではなく、賤山賤の苦しい荒涼たる生活を歌うもの。
この篇の制作動機については、諸説があり、斉の国の風土を詠むが故に、東阿・甄城王に封ぜられた時のものとか、漢末黄巾の乱による人民流離のさまを憫れみ作ったとか、曹植が「遷都の賦の序」でいう「連りに瘠せたる土に遇い、衣食継がず。」と同趣旨であるなどという。
晩年の大和年間の作品ではなかろうか。曹丕にも明帝にも権力闘争に敗れて以降の作品は、詩人らしく、哲学的な作品が増えている。


八方各異氣,千里殊風雨。
天下の八方それぞれ気候は異なるものである。千里の遠方は風雨のようすさえも別なものになる。
・八方 東・西・南・北の四万と東北・東南・西北・西南の四隅を合わせいう。八方の用語解説 - 1 四方と四隅。東・西・南・北と北東・北西・南東・南西の八つの方角。 2 あらゆる方面。ほうぼう。「―に目を配る」「―丸くおさまる」 3 「八方行灯(あんどん)」の略。


劇哉邊海民,寄身於草野。
辺地、僻地、海辺の地域に住む民の生活はひどいものである。その身は草ぶきのあばら屋に寄せている。
・劇哉 生活の困難をいう。
・辺海 辺地、僻地、海辺の地域。
・草堂 一本には草野に作る。「壁」はかりいお、なや、田畑の収穫をとり入れる小屋、また野原の意もある。


妻子像禽獸,行止依林阻。
妻子はまるで禽獣のようである。仕事をするのは山林のけわしい所ばかりなのである。
・象 …のよう。
・行止 行くと止まる。行動、動作の意。
・林阻 山林や険阻の地をいう。


柴門何蕭條,狐兔翔我宇。
その家の門は柴折戸のなんとものさびしいことであろうか。狐や兎までもが家の中をかけまわっているのである。
・柴門 柴を折って作った門扉。
・蕭條 さびしさをいう。
・翔 遊び廻る。
demen07

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749

善哉行 楽府歌辭 漢詩

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(9) 韓退之(韓愈)詩<109>Ⅱ中唐詩546 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1750 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(8) 又於韋處乞大邑瓷碗 杜甫 <361>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1751 杜甫詩 700- 537 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集剥啄行 韓退之(韓愈)詩<82-#1> (01/03) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首(五)』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-34-6-#12 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1752 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                             http://3rd.geocities.jp/miz910yh/



善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749



古詩源巻二漢詩 楽府歌辭『善哉行』
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。今日相樂,皆當喜歡。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。

經歷名山,芝草翻翻。仙人王喬、奉藥一丸。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。

自惜袖短,內手知寒。慚無靈輒,以報趙宣。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
#2
月沒參橫,北斗闌干。
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。
親交在門,饑不及餐。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。 
歡日尚少,戚日苦多。
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。
以何忘憂,彈箏酒歌。 
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。
淮南八公,要道不煩,
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
參駕六龍,遊戲雲端。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。

善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。
#2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 

淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。

sangaku880

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行  #2
月沒參橫,北斗闌干。親交在門,饑不及餐。
歡日尚少,戚日苦多。以何忘憂,彈箏酒歌。 
淮南八公,要道不煩,參駕六龍,遊戲雲端。


(下し文)善哉行  #2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 
淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。


(現代語訳)
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。 
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。


(訳注)
・善哉行
 以下六章は相和歌辞の宏調曲に属する。
詩は貧士が盛宴に列して、身の境遇を歎じ、感ずる所を述べたのである。四句一解、一章六解に分かれる。



月沒參横、北斗闌干。
月沈みきったが、参星は横たわっている。きらめきながら北斗七星が斜めに傾いている。          
参星 参宿(しんしゅく)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第7宿。距星はオリオン座ζ星(三つ星の東端の星)。
闌干 横斜のさま。また星のきらめくさまをいう。


親交在門、饑不及餐。
親友の家を訪れ門をはいった、食に飢えているにもかかわらず、一飯の饗応もなしという対応であった。             


歡日尚少、戚日苦多
私のこれまでは、苦しいことばかりの日々がおおく、楽しい日なんて滅多にないのである。


以何忘憂、彈箏酒歌。
だけど、どうやってこの憂いを忘れることだできるのだろうか。幸いにこの宴に列して、琴の音を聞き、酒を飲み、歌をうたって、しばらく憂さを散じようと思う。


淮南八公、要道不煩。
昔、淮南王の八公が訪れて「仙術の要道」を説いたことで、私も日々の憂いなど気にかけないことにしている。
・涯南八公 准南王劉安(漠高祖の孫)は方術を好んだ。時に八公という者が来て仙術を授け、白日王と共に昇天した。
八公の名字は詳かでない。
・要道 長寿の要術をいう。


參駕六龍、游戯雲端。
太陽神の乗る六竜を馬車の引手にして天をかけり、雲の上で遊戯したというが、わたしも仙術を得て天にのぼり、今日のこの日、苦を除きたいものである。
・参駕 そえ馬として車に駕するのである。
○六竜 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。(『初学記』巻一,『准南子』「天文訓」など)。
また、「書経」五子之歌から》くさった縄で6頭の馬を御するように、非常に難しくて危ないこと
五竜 青竜・赤竜・黄竜・白竜・黒竜。 
蜀道難 李白「上有六龍回日之高標。」にある。


善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>

  同じ日の紀頌之5つのブログ 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745 
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩秋懐詩十一首(8) 韓退之(韓愈)詩<108-#2>Ⅱ中唐詩545 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1746 
 Ⅲ杜甫詩1000詩集成都(1)浣花渓の草堂(7) 憑韋少府班覓松樹子 杜甫 <357>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1747 杜甫詩 700- 536 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#18><18最終回> (01/02) 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩『南歌子七首(四)』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-33-5-#11 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1748 
      
 ■今週の人気記事(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex 
 謝靈運index謝靈運詩古詩index漢の無名氏  
孟浩然index孟浩然の詩韓愈詩index韓愈詩集
杜甫詩index杜甫詩 李商隠index李商隠詩
李白詩index 李白350首女性詩index女性詩人 
 上代・後漢・三国・晉南北朝・隋初唐・盛唐・中唐・晩唐北宋の詩人  
◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/
                  http://kanbuniinkai7.dousetsu.com
                  http://kanbuniinkai8.dousetsu.com
                           http://3rd.geocities.jp/miz910yh/




善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745



古詩源巻二漢詩 楽府歌辭『善哉行』
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。。
今日相樂,皆當喜歡。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。
經歷名山,芝草翻翻。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王喬、奉藥一丸。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。
自惜袖短,內手知寒。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
慚無靈輒,以報趙宣。
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
#2
月沒參橫,北斗闌干。親交在門,饑不及餐。
歡日尚少,戚日苦多。以何忘憂,彈箏酒歌。 
淮南八公,要道不煩,參駕六龍,遊戲雲端。

善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。

#2
月沒し參橫たわり,北斗 闌干たり。親交 門に在り,饑えて餐するに及ばず。
歡ぶ日は尚お少く,戚日 苦多し。以って何ぞ憂を忘れん,箏を彈きて酒歌す。 
淮南の八公,道を要すも煩わず,參駕するは六龍,遊戲するは雲端たり。

寒梅002

『善哉行』 現代語訳と訳註
(本文)
善哉行  #1
來日大難,口燥唇乾。今日相樂,皆當喜歡。
經歷名山,芝草翻翻。仙人王喬、奉藥一丸。
自惜袖短,內手知寒。慚無靈輒,以報趙宣。


(下し文)善哉行  #1                                
日來りて大に難く,口燥して唇乾く。今日 相い樂み,皆當に喜歡すべし。
經歷する名山,芝草翻翻たり。仙人王喬、藥一丸を奉ず。
自ら袖の短かきを惜み,手を內にして寒を知る。慚づらくは靈輒【れいちょう】の,以って趙宣【ちょうせん】に報ぜし無し。

(現代語訳)
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。  
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。


(訳注)
善哉行
・善哉行
 以下六章は相和歌辞の宏調曲に属する。
詩は貧士が盛宴に列して、身の境遇を歎じ、感ずる所を述べたのである。四句一解、一章六解に分かれる。


來日大難,口燥唇乾。
その日が到来してきたがここまで生活も困窮しており、「焦唇乾舌」というありさまなのである。
・口燥層乾 焦唇乾舌とは。意味や解説。唇や舌が乾くほどに辛苦すること。大いに焦燥すること。また、大いに言い争うことのたとえ。大いに焦るさまに用いられることもある。唇が焦げ舌が乾く意から。

   
今日相樂、皆當喜歡。 
今日盛宴に列する機会を得たのであるから大いに楽しみ、喜び、感激すべきであるのだ。

              
經歴名山、芝草飜飜。
わが身は今や名山にはいって仙境に遊ぶ思いであるのだ。そこには薬草であり、霊芝が山ほど採れたように御馳走がひるがえように運ばれてきている。
・経歴名山 名山は宴を張った豪家をたとえた。
・芝草新潮 芝草は霊芝のこと。翻細はひるがえり飛ぶさま。ここは御馳走のとり運ばれることにたとえた。


仙人王喬、奉藥一丸。
仙人王子喬が貴重な丸薬一粒を恵みくださったようなものなのだ。
王喬 仙人王子喬、周の太子晋、好んで笠を吹き、道士浮丘公に伴なわれて常山に上り仙人となったという。仙人の王子喬。鶴に乗って昇天したといわれる神仙で、周の霊王(在位前572~前545)の38人の子の一人である太子晋のこと。王喬ともいう。
 伝説によると、王子喬は若くから才能豊かで、笙(しょう)という楽器を吹いては鳳凰(ほうおう)が鳴くような音を出すことができた。伊川(いせん)、洛水(河南省洛陽南部)あたりを巡り歩いていたとき、道士の浮丘公(ふきゅうこう)に誘われ中岳嵩山(すうざん)に入り、帰らなくなった。それから30年以上後、友人の桓良が山上で王子喬を探していると、ふいに本人が現れ、「7月7日に緱氏山(こうしざん)の頂上で待つように家族に伝えてくれ」といった。
 その日、家族がいわれたとおり山に登ると、王子喬が白鶴に乗って山上に舞い降りた。だが、山が険しく家族は近づくことができなかった。と、王子喬は手を上げて家族に挨拶し、数日後白鶴に乗って飛び去ったという。 そこで、人々は緱氏山の麓や嵩山の山頂に祠を建てて、王子喬を祀ったといわれている。(『列仙伝』)
・薬一丸 丸薬一粒の意。飲食供御にたとえた。


自惜袖短、内手知寒。
自分の衣服は袖も短く、寒さを覚えると懐に手をいれるしかないのだ。      
・内手知寒 袖が短いため、手を納めて暖をとることができない意。単衣の着物、洗濯もできないので縮んでいる状態で貧困を云う。


慚無靈輒、以報趙宣。
昔、趙宣の故事に言う、「霊輒は貧窮のとき、趙宣に救われた恩義に感じて、後にその難を救うた」というが、われには今そのような報恩の道のないことがはずかしい。
霊輒報趙宣 左伝(宣公二年) によれば、趙宣子(趙盾)が首山に狩りして、霊机の飢餓を見て、これを救った。後、盾の危難を防いで代わって死し、その恩に報いた。趙盾(ちょうとん、生没年不詳)は中国春秋時代の晋の政治家。姓は贏、氏は趙、諱は盾、謚は宣。趙衰の長男。趙氏の祖。晋で長く政権を執り、趙氏の存在を一躍大きくした。趙宣子、趙宣孟などとも呼ばれる。

白頭吟 卓文君 <109-#1>玉台新詠集 女性詩 543 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1446

白頭吟 卓文君 <109-#1>玉台新詠集 女性詩 543 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1446

     
  同じ日のブログ 
     1446白頭吟 卓文君 <109-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩543 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1446 
     1447元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#9>Ⅱ中唐詩456 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1447 
     1448寄岳州賈司馬六丈、巴州嚴八使君兩閣老五十韻 杜甫 <317-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1448 杜甫詩 700- 447 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



○白頭吟 辛苦を共にした夫が茂陵の女を妾にしようとした多情な夫をいさめる詩。

杜甫『奉贈王中允維』
中允聲名久,如今契闊深。
共傳收庾信,不比得陳琳。
一病緣明主,三年獨此心。
窮愁應有作,試誦白頭吟。
○白頭吟 漢の司馬相如の妻卓文君が夫が妾を買おうとするのをきいて賦した「白頭吟」を引き、王維の詩が天子に対して二心なきをいうのはこれと似ている。又、飽照の「白頭吟」の「直きこと朱糸の縄の如く、清きこと玉壷の氷の如し」といい、身の清直で潔白な旨を表現する。奉贈王中允維 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 254

『古別離』孟郊
欲別牽郞衣,郞今到何處。
不恨歸來遲,莫向臨邛去。
唐宋詩203 Ⅶ孟郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 「古別離」孟郊(8

○臨邛 〔りんきょう〕司馬相如が卓文君と恋に落ちて駆け落ちを始めたところ。男を惑わす女の居る所の意で使う。臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県。 ○去 行く。去る。

卓文君
前漢時代、臨の大富豪である卓王孫の娘。司馬相如と恋に落ちて駆け落ちをする、愛情溢れる女性とされる。


白頭吟 
皚如山上雪,皎若雲間月。
わたしの心はこれだけ真っ白で、山上の雪のようです、そして女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光で、立派に貞操を守っている女なのです。
聞君有兩意,故來相決絶。
あなたが、心情を他人に遣るということが聞こえてきます。わたしはほとほと愛想が尽きたので、わざわざあなたと別れるためにやって来たのです。 
今日斗酒會,明旦溝水頭。
今日は二人にとっての最後のお酒を飲む機会だし、明日になれば堀端のほとりを歩くだけなのです。
躞蹀御溝上,溝水東西流。
お堀の畔をとぼとぼ歩くでしょう、すると掘割の水は西から東へ別れ、当たり前のように流れていくことでしょう。

淒淒復淒淒,嫁娶不須啼。
願得一心人,白頭不相離。
竹竿何嫋嫋,魚尾何簁簁。
男兒重意氣,何用錢刀爲。

白頭吟
皚【がい】たること山上の雪の 如く,皎【こう】たること雲間の月の 若【ごと】し。
聞く君 兩意有りと,故【ことさら】に來たりて相い決絶す。
今日斗酒の會,明旦溝水の頭【ほとり】。
御溝の上に躞蹀【しょうちょう】すれば,溝水は東西に流る。

淒淒【せいせい】復た 淒淒たり,嫁娶【かしゅ】に啼【な】くを須【もち】いず。
願はくは一心の人を得て,白頭まで相い離れざらん。
竹竿何ぞ嫋嫋【じょうじょう】たる,魚尾何ぞ簁簁【しし】たる。
男兒は意氣を重んず,何ぞ錢刀を用いるを爲さん。


現代語訳と訳註
(本文)
白頭吟 
皚如山上雪,皎若雲間月。
聞君有兩意,故來相決絶。
今日斗酒會,明旦溝水頭。
躞蹀御溝上,溝水東西流。


(下し文)
皚【がい】たること山上の雪の 如く,皎【こう】たること雲間の月の 若【ごと】し。
聞く君 兩意有りと,故【ことさら】に來たりて相い決絶す。
今日斗酒の會,明旦溝水の頭【ほとり】。
御溝の上に躞蹀【しょうちょう】すれば,溝水は東西に流る。


(現代語訳)
わたしの心はこれだけ真っ白で、山上の雪のようです、そして女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光で、立派に貞操を守っている女なのです。
あなたが、心情を他人に遣るということが聞こえてきます。わたしはほとほと愛想が尽きたので、わざわざあなたと別れるためにやって来たのです。 
今日は二人にとっての最後のお酒を飲む機会だし、明日になれば堀端のほとりを歩くだけなのです。
お堀の畔をとぼとぼ歩くでしょう、すると掘割の水は西から東へ別れ、当たり前のように流れていくことでしょう。


(訳注)
白頭吟
この作品は『玉臺新詠』、『古樂府詩 集』卷第四十一・『相和歌辭』『古詩源』にはあるものの、それ以前にはないようだ。樂府題。「共白髪」の意。卓文君の詩とするには疑わしいものである。

 
皚如山上雪,皎若雲間月。
わたしの心はこれだけ真っ白であり山上の雪のようである、そして女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光である。貞操を守っている女である。
皚如 白いさま。霜や雪の白いさま。・皚:白い。霜や雪の白さをいう。
山上雪 山上の穢れない純白の雪。
皎若 白いさま。月光の白いさま。・皎 白い。月光の白さを発するさま。
雲間月 女としても、雲間に輝く清らかで澄んだ白い月光である。貞操を守っている女である。


聞君有兩意,故來相決絶。
あなたが、心情を他に遣るということが聞こえてきている。わたしは愛想が尽きたので、わざわざあなたとわかれるためにやって来たのだ。 
・退隠して住んでいる茂陵で、やはり茂陵に住んでいる女性を妾としたことを指す。 
 耳に入る。聞こえる。…噂がある。風聞がある。
有兩意 ふたごころ。二心。浮気心でなく本気で心をやっていること。ここでは、思いを他に遣るという表現であろうか。
故 わざと。ことさらに。ゆゑ。わけ。普通でない事柄。
決絶 愛想が尽きて永久の別れをする。


今日斗酒會,明旦溝水頭。
今日は二人にとっての最後のお酒を飲む機会だ。明日は堀端のほとりを歩くだけだ。
斗酒 わずかな酒。・斗 ます。少しばかりの量。 
 あつまる。よりあう。しる。とき。おり。しお。さかもり。訣別の宴の意。『古詩十九首之四』に「今日良宴會,歡樂難具陳。彈箏奮逸響,新聲妙入神。令德唱高言,識曲聽其真。」とある。

古詩十九首之四 (4) 漢詩<91>Ⅱ李白に影響を与えた詩523 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1386


溝水頭 堀端のほとりを歩くという意。・溝水:都市の中の堀。・頭:ところ。畔。


躞蹀御溝上,溝水東西流。
お堀の畔をとぼとぼ歩くと、掘割の水は西から東へ当たり前のように流れることでしょう
躞蹀 行く。しょんぼりとして行くさま。 
御溝 宮殿の周囲の掘り割り。
 ほとり。そば。ところ。
東西流 東と西に別れて流れゆこうということと別れたことがあたりまえのこととしてながれさっていく、「東流」という意味が重なって別れを強調する。

悲愁歌 烏孫公主(劉細君) <108>玉台新詠集 女性詩 542 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443

悲愁歌 烏孫公主(劉細君) <108>玉台新詠集 女性詩 542 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443


     
  同じ日のブログ 
     1443悲愁歌 烏孫公主(劉細君) <108>Ⅱ李白に影響を与えた詩542 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443 
     1444元和聖徳詩 韓退之(韓愈)詩<80-#8>Ⅱ中唐詩455 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1444 
     1445寄彭州高三十五使君適、虢州岑二十七長史參三十韻 杜甫 <316-#6> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1445 杜甫詩 700- 446 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

悲愁歌
吾家嫁我兮天一方,遠託異國兮烏孫王。
漢王室であるわたしの家は、わたしを天涯の西国に)嫁がそうとしている、遠く異民族の国である烏孫王の許へ嫁ぎゆかせるのである。
穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。
その国の風俗はテントの部屋で、毛氈を壁としている。 肉を常食として、馬乳製飲料を飲み物としている。
居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。
この異郷に居住してふだんから漢の地を思いしのんで心の中は悲しい思いなのだ、願うことなら黄鵠となり、故郷に帰りたいのである。


現代語訳と訳註
(本文)
悲愁歌
吾家嫁我兮天一方。遠託異國兮烏孫王。
穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。
居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。


(下し文)
悲愁歌
吾が家【いえ】我を嫁す、天の一方。遠く異國に託す  烏孫王。
穹盧【きゅうろ】を室と爲し 氈【せん】を牆【かき】と爲し,肉を以て食と爲し 酪【らく】を漿【しょう】と爲す。
居常【きょじょう】土を思して心内に傷め,願はくは黄鵠【こうこく】と爲りて故鄕に歸らん。


(現代語訳)
漢王室であるわたしの家は、わたしを天涯の西国に)嫁がそうとしている、遠く異民族の国である烏孫王の許へ嫁ぎゆかせるのである。
その国の風俗はテントの部屋で、毛氈を壁としている。 肉を常食として、馬乳製飲料を飲み物としている。
この異郷に居住してふだんから漢の地を思いしのんで心の中は悲しい思いなのだ、願うことなら黄鵠となり、故郷に帰りたいのである。


(訳注)
烏孫公主(劉細君)
烏孫公主 漢の武帝の時、西域、伊犂地方、トルコ系民族国家の烏孫国に嫁した漢の皇女で、名は劉細君という。江都王・劉建の娘で、武帝の従孫であった。異民族との和親を図るための政略結婚で、王昭君が匈奴に嫁いだのは、この劉細君の婚姻の七十余年後になる。どちらも漢王朝の対西域政策によるものである。 
公主 天子の娘。


吾家嫁我兮天一方、遠託異國兮烏孫王。
漢王室であるわたしの家は、わたしを天涯の西国に)嫁がそうとしている、遠く異民族の国である烏孫王の許へ嫁ぎゆかせるのである。
・吾家 わたしの家は。漢家は。劉家は。 ・兮 上古の詩によく見られる、リズムをとり、語調を整える辞(ことば)。
遠託 遠くとつぐ。・託:憑る。寄せる。まかせる。頼る。 
異國 異民族の国。ここでは烏孫国になる。  
烏孫王 烏孫の王。劉細君が烏孫王に嫁いだのは、紀元前105年(武帝の元封六年)のこと。


穹盧爲室兮氈爲牆、以肉爲食兮酪爲漿。
その国の風俗はテントの部屋で、毛氈を壁としている。 肉を常食として、馬乳製飲料を飲み物としている。
穹廬 弓なりに張った円いドーム状のテント。
 毛むしろ。もうせん。
 かき。塀。境。壁。
以肉爲食 獣肉を常食とする。
酪爲漿 馬乳飲料を。・酪 馬ちちざけ。ミルク。乳製飲料。・漿 どろりとした飲み物。濃いめの液体。こんず。汁。


居常土思兮心内傷、願爲黄鵠兮歸故鄕。
この異郷に居住してふだんから漢の地を思いしのんで心の中は悲しい思いなのだ、願うことなら黄鵠となり、故郷に帰りたいのである。  
・居常 ふだん。平生。日常。 
土思 ふるさとを思いしのぶ。 
心内傷 心のなかでいたましい思いをする。
願爲 願わくば…となり。
黄鵠 黄色みを帯びた白鳥。渡り鳥で、秋には南方に帰っていく。 
 故郷など本来居るべき所に戻っていくこと。かえる。 
故鄕 ふるさと。ここでは、漢の地を指す。

秋風辭 漢(武帝)劉徹 詩 Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

秋風辭 漢(武帝)劉徹 詩 Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350



秋風辭 漢(武帝)劉徹 詩 Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

琴操十首 (2)猗蘭操 孔子傷不逢時作 韓退之(韓愈)詩<68-(2)>Ⅱ中唐詩432 紀頌之の漢詩ブログ1375
秦州抒情詩(18) 日暮 杜甫 <303> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1376 杜甫詩 700- 423

   漢文委員会Kanbuniinkai紀頌之の漢文 
 Ⅰ.李白と李白に影響を与えた詩集 
  
 Ⅱ.中唐詩・晩唐詩  
 Ⅲ.杜甫詩1000詩集  
 Ⅳ.漢詩・唐詩・宋詞詩詩集  
 Ⅴ.晩唐五代詞詩・宋詞詩  
      
 ◎漢文委員会のHP http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/ 
               http://kanbuniinkai7.dousetsu.com 
               http://kanbuniinkai8.dousetsu.com 
                               http://3rd.geocities.jp/miz910yh/ 
      
漢武帝故事によれば、帝は河東(山西省) に行幸して、后土(地の神)を祀った時、汾河の中流に船をうかべて、群臣と酒くみかわし、帝京をかえりみ、欣然としてこの歌を作ったとある。


武帝:漢の武帝。(前156年~前87年)前漢の第7代皇帝(在位:紀元前141年3月9日 - 紀元前87年3月29日)。諱は徹。廟号は世宗。正式な諡号は孝武皇帝。初代皇帝高祖劉邦の曾孫に当たり、父は景帝で、生母は王氏。また、皇太子に立てられる前の王号は膠東王(こうとうおう)。

これらの体制と文景の治による多大な蓄積を背景に、宿敵匈奴への外征を開始する。高祖劉邦が冒頓単于に敗れて以来、漢はその孫の軍臣単于が君臨する匈奴に対して低姿勢で臨んでいたが、武帝は反攻作戦を画策する。
かつて匈奴に敗れて西へ落ちていった大月氏へ張騫を派遣する。大月氏との同盟で匈奴の挟撃を狙ったが、同盟は失敗に終わった。しかし張騫の旅行によりそれまで漠然としていた北西部の情勢がはっきりとわかるようになった事が後の対匈奴戦に大きく影響した。
武帝は衛青とその甥の霍去病の両将軍を登用して、匈奴に当たらせ、幾度と無く匈奴を打ち破り、西域を漢の影響下に入れた。更に李広利に命じて、大宛(現/中央アジアのフェルガナ地方)を征服し、汗血馬を獲得した。また南越国に遠征し、郡県に組み入れ、衛氏朝鮮を滅ぼして楽浪郡を初めとする漢四郡を朝鮮に置いた。
これらの成果により前漢の版図は最大にまで広がり、武帝の治世は前漢の全盛期と賞される。高祖劉邦にすら成し遂げられなかった匈奴打倒を達成した武帝は泰山に封禅の儀式を行って、自らの功績を上天に報告した。
武帝の治世の前期は漢の最盛期であり、中国史上において栄光の時代の一つでもあった。しかし、文景の治による蓄積によっての繁栄であるという見方もあり、後半の悪政も含めて考えれば武帝の評価は分かれる所である。彼自身、外交や遠征などの派手な事業については特筆すべき事柄が多いが、内政に関して見るべきものがない。むしろ、こうした地道な政治を後手に回していたきらいがあり、さかんな造作もあいまって治世末には農民反乱が頻発した。このため、後世は秦の始皇帝と並び「(英邁な資質ではあるが)大事業で民衆を疲弊させた君主」の代表例として、しばしば引き合いに出されることとなる。


秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
少壯幾時兮奈老何。
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流を橫わりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


・樂府
古代の民歌。本来は漢の武帝が音楽を司る役所・楽府を設置して、音曲や歌謡を採取した処。後、そこで歌われた歌謡と詩体が同じものをも樂府と云い、同形式の古代歌謡の意味を持つようになった。「樂府」「古樂府」「漢樂府」「樂府體」「樂府詩」「樂府歌辭」ともいう。このことは、填詞(宋詞)が唐の教坊の曲に端を発しているものが多いのと酷似している。片や、漢・樂府→同一音楽の歌謡(樂府)、片や、唐・教坊→同一音楽(詞牌)の歌詞(填詞)となり、詩歌の発展の姿がよく分かる。この作品は、宋の郭茂倩『樂府詩集』巻八十四「雜歌謠辭」、『古詩源』巻一「古逸」、『文選』巻四十五等の中にある。


現代語訳と訳註
(本文)
秋風辭
秋風起兮白雲飛,草木黄落兮雁南歸。
蘭有秀兮菊有芳,懷佳人兮不能忘。
汎樓船兮濟汾河,橫中流兮揚素波。
簫鼓鳴兮發櫂歌,歡樂極兮哀情多。
少壯幾時兮奈老何。


(下し文) (秋風の辭)
秋風起こりて 白雲飛び,草木黄落して 雁南歸す。
蘭には秀【しう】有りて 菊には芳【ほう】有り,佳人を懷【おも】うて忘るる能【あた】わず。
樓船を汎【うか】べて汾河を濟【わた】り,中流を橫わりて素波【そは】を揚【あ】ぐ。
簫鼓【そうこ】鳴りて櫂歌【とうか】を發っし,歡樂 極りて哀情多し。
少壯【しょうそう】幾時【いくとき】ぞ老いを奈何【いか】にせん。


(現代語訳)
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。


(訳注)
秋風辭

漢魏六朝に流行した辞賦の影響で対句をよくしている。この詩は武帝が汾河の南方(現・山西省万栄県汾水)を巡行した際のもの。自然の情景を詠みながら、老いていく人生の歎きを詠っている。人生の悲哀を語りかけてくる。 
辞 散文の要素を持った詩体のこと。


秋風起兮白雲飛、草木黄落兮雁南歸。
秋風湧き上がり吹いて、白雲が飛び季節の変わりを知らせてくれる。草木が黄ばんで散り落ち、雁は南の方へ帰っていく。 
秋風 西風。あきかぜ。参考に下記の詩をあげた。
李白『三五七言』
秋風清、    秋月明。
落葉衆還散、  寒鴉棲復驚。
相思相見知何日、此時此夜難怠惰。
三五七言 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白171 玄宗(4


宿贊公房
〔原注〕 賛。京師大雲寺主。謫此安置。
杖錫何來此,秋風已颯然。
雨荒深院菊,霜倒半池蓮。
放逐寧違性?虛空不離禪。
相逢成夜宿,隴月向人圓。
宿贊公房 杜甫 <279> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1286 杜甫詩 700- 393

 おきる。吹き始める。 
 語調を整える助辞。押韻に似た音楽的な働きをする。古代の詩歌に多く見られる。特に『楚辞』、『詩経』に多くみる。古文復興の韓愈も好んで使用している。 
白雲飛 白雲が飛ぶ。白雲が起こる。白雲:用法により「移ろう人間の世・無情」に対して、「不変の自然・真理」という意味合いとともに、超俗的な雰囲気を持つ語で、仏教、浄土、極楽、道教では、仙界、天界の趣をもつもの。ここでは、時節の変化の意味で使う。
黄落 黄ばんで散る。落葉。 
 渡り鳥。 
南歸 南の方へ帰っていく。 秋が深まって、北方のこの場所から雁は、南の方へ帰っていく。


蘭有秀兮菊有芳、懷佳人兮不能忘。
秋蘭(ふじばかま)は、君子が佩びるめでたい草であり、菊はよい花の薫りがする草である。それを見て美人をなつかしく思い、忘れることができない。 
 ここでは、秋蘭で、フジバカマ。『史記、孔子世家』「孔子歷聘諸侯,莫能用。自衛反魯,隱谷之中,見香蘭獨茂,喟然嘆曰:“夫蘭當為王者香,今乃獨茂,與眾草為伍。”乃止車,援琴鼓之。自傷不逢時,托辭於香蘭雲。」『楚辞』『離騒』「帝高陽之苗裔兮,朕皇考曰伯庸。攝提貞於孟陬兮,惟庚寅吾以降。皇覽揆余初度兮,肇錫余以嘉名。名余曰正則兮,字余曰靈均。紛吾既有此内美兮,又重之以脩能。扈江離與辟兮,秋蘭以爲佩。」春蘭は、一般的なランになる。
 「名詞」めでたい草。動詞のばあい、ひいでる、花が咲く。稲や草の花が咲く。
 「名詞」よい花の薫り。動詞のばあい、花がかおる。
佳人 美人。宮妓。みめかたちのよい女。


汎樓船兮濟汾河、簫鼓鳴兮發櫂歌
高楼のある屋形船を浮かべて、汾河を渡る。簫と太鼓を鳴らせば、舟歌が起こる。
汎 うかべる。 
樓船 二階造りの船。屋形船。『楚辭九歌 河伯』「與女遊兮九河,衝風起兮橫波。……與女遊兮河之渚,流澌紛兮將來下。」黄河の神を祭る詩、黄河の女神の話を背景にしたもの。
 わたる。川を渡る。 
汾河 黄河の支流。汾水。五台山を水源に山西省の寧武県に源を発し、河津県で黄河に注ぎ込む。


橫中流兮揚素波、歡樂極兮哀情多
川の流れの中程に横たえると、白い波が揚がる。群臣たちと酒をくみかわして楽しみごとが極まれば、哀しみの思いが多くなる。 
橫 横たえる。横ざまにする。動詞。 
中流 川の流れの中程。河の真ん中
素波 白い波。白い波を揚げて、川の流れの中程を横切ることをいう。
簫鼓 ふえと太鼓。管楽器と打楽器で、音楽の謂い。・簫:古代のものは、ハーモニカ状に竹管の吹き口が並んだ楽器。なお、笙は吹き口が一箇所で形状は似ているものの大きく異なる。 
・發 おこる。発する。声に出す。 
櫂歌 櫂を漕ぐ時の歌声。舟歌。
・歡樂 歓楽。楽しみごと。 
極 きわまる。 
哀情 かなしみの思い。


少壯幾時兮奈老何
年若く意気盛んな時がどれほどの時間になろうか、品性は儚いものであるから、やがて迎える老年をどのようにしようか。 
・少壯 年若く意気盛んな時。年の若いことまた、その時期。二十歳代、三十歳代ぐらいまでの世代。
・幾時 どれほどの時間だろうか。 
・奈老何 老年をどのようにしようか。

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<86>Ⅱ李白に影響を与えた詩518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1371

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<86>Ⅱ李白に影響を与えた詩518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1371

     
  同じ日のブログ 
     1371上留田行 謝霊運(康楽) 詩<86>Ⅱ李白に影響を与えた詩518 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1371 
     1372琴操十首 (1)將歸操 孔子之趙聞殺鳴犢作 韓退之(韓愈)詩<67-(1)>Ⅱ中唐詩431 紀頌之の漢詩ブログ1372 
     1373秦州抒情詩(17) 夕烽 杜甫 <302> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1373 杜甫詩 700- 422 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

上留田行
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
循聽一何矗矗,上留田,
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
澄川一何皎皎,上留田,
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
兩服上阪電遊,上留田,
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
舫舟下遊颷驅,上留田,
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,

この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

寸心繫在萬里,上留田,
そんな男の心の内は万里の先にあるけれどこことつながっている、留田の高楼に上ろう。
尺素遵此千夕,上留田,
手紙をもらえばここで毎日夕方になればこれを読むのです、留田の高楼に上ろう。
秋冬迭相去就,上留田,
秋がさり冬がくるとたがいに互いを思ってどう身を処するかの態度をきめる、留田の高楼に上ろう。
素雪紛紛鶴委,上留田,
白い雪がしんしんと降れば鶴に気持ちをゆだねる、留田の高楼に上ろう。
清風飈飈入袖,上留田,
新年の清々しい風が飄々と吹いて袖口から入り、留田の高楼に上ろう。
嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
誠知運來詎抑,上留田,
今となって本当に知ったことは、運命・人生にとってどうしても自分を抑制行くことが大切であるということだ、留田の高楼に上ろう。
熟視年往莫留,上留田。
年を重ねた経験のある目で見ると年齢が行くと抑制したりしないことだ、留田の高楼に上ろう。


薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
聴くに循【したが】って一に何ぞ矗矗【ちくちく】たる,上留田,
澄める川一に何ぞ皎皎【きょうきょう】たる,上留田,
悠【ゆう】なるかな逷【とお】きかな征夫は,上留田,
服を両つにして阪を上り電【いなびかり】のごと遊び,上留田,
舟を舫【なら】べ下り遊び颷【かぜ】のごとく駆く,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田

寸心は繋【か】けて万里に在り,上留田,
尺素【しゃくそ】は比の千夕に遵【もち】う,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
素雪【そせつ】は紛粉として鶴のごとく委【ゆだ】ね,上留田,
清風飈飈【ひょうひょう】として袖に入る,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
誠に知る運り来たり詎【いか】んぞ抑【ふせ】がん,上留田,
熟視すれば年往【ゆ】きて留まる美し,上留田,


現代語訳と訳註
(本文)

寸心繫在萬里,上留田,
尺素遵此千夕,上留田,
秋冬迭相去就,上留田,
素雪紛紛鶴委,上留田,
清風飈飈入袖,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
誠知運來詎抑,上留田,
熟視年往莫留,上留田。


(下し文)
寸心は繋【か】けて万里に在り,上留田,
尺素【しゃくそ】は比の千夕に遵【もち】う,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
素雪【そせつ】は紛粉として鶴のごとく委【ゆだ】ね,上留田,
清風飈飈【ひょうひょう】として袖に入る,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
誠に知る運り来たり詎【いか】んぞ抑【ふせ】がん,上留田,
熟視すれば年往【ゆ】きて留まる美し,上留田,


(現代語訳)
そんな男の心の内は万里の先にあるけれどこことつながっている、留田の高楼に上ろう。
手紙をもらえばここで毎日夕方になればこれを読むのです、留田の高楼に上ろう。
秋がさり冬がくるとたがいに互いを思ってどう身を処するかの態度をきめる、留田の高楼に上ろう。
白い雪がしんしんと降れば鶴に気持ちをゆだねる、留田の高楼に上ろう。
新年の清々しい風が飄々と吹いて袖口から入り、留田の高楼に上ろう。
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。
今となって本当に知ったことは、運命・人生にとってどうしても自分を抑制行くことが大切であるということだ、留田の高楼に上ろう。
年を重ねた経験のある目で見ると年齢が行くと抑制したりしないことだ、留田の高楼に上ろう。


(訳注)
寸心繫在萬里,上留田,

そんな男の心の内は万里の先にあるけれどこことつながっている、留田の高楼に上ろう。
・寸心 【すんしん】ほんの少しの気持ち。自分の気持ちをへりくだっていう語。


尺素遵此千夕,上留田,
手紙をもらえばここで毎日夕方になればこれを読むのです、留田の高楼に上ろう。
尺素 手紙をいう詩語。長さ一尺のしろぎぬに書いたので尺素という。古楽府「飲馬長城窟行」に「児を呼びて鯉魚を君れば、中に尺素の書有り」。


秋冬迭相去就,上留田,
秋がさり冬がくるとたがいに互いを思ってどう身を処するかの態度をきめる、留田の高楼に上ろう。
・迭 入れかわる。抜けて他のものとかわる。
去就 1 背き離れることと、つき従うこと。 2 どう身を処するかの態度。進退。


素雪紛紛鶴委,上留田,
白い雪がしんしんと降れば鶴に気持ちをゆだねる、留田の高楼に上ろう。
素雪 白い雪。


清風飈飈入袖,上留田,
新年の清々しい風が飄々と吹いて袖口から入り、留田の高楼に上ろう。
清風 清々しい風流な時がやってくる。清々しい風は秋口の風、新春の風をいう。


嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。


嵗云暮矣增憂,上留田,
そしてまた暮になり、年の暮れの憂いが増すのである、留田の高楼に上ろう。


誠知運來詎抑,上留田,
今となって本当に知ったことは、運命・人生にとってどうしても自分を抑制行くことが大切であるということだ、留田の高楼に上ろう。


熟視年往莫留,上留田。
年を重ねた経験のある目で見ると年齢が行くと抑制したりしないことだ、留田の高楼に上ろう。
熟視 年を重ねた経験のある目で見ること。

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

上留田行 謝霊運(康楽) 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

     
  同じ日のブログ 
     1368上留田行 謝霊運(康楽) 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344 
     1369琴操十首 (0)序  韓退之(韓愈)詩<66-#0>Ⅱ中唐詩430 紀頌之の漢詩ブログ1369 
     1370秦州抒情詩(16) 廃畦 杜甫 <301> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1370 杜甫詩 700- 421 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


上留田行
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
循聽一何矗矗,上留田,
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
澄川一何皎皎,上留田,
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
兩服上阪電遊,上留田,
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
舫舟下遊颷驅,上留田,
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。
此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

寸心繫在萬里,上留田,
尺素遵此千夕,上留田,
秋冬迭相去就,上留田,
素雪紛紛鶴委,上留田,
清風飈飈入袖,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
嵗云暮矣增憂,上留田,
誠知運來詎抑,上留田,
熟視年往莫留,上留田。
 

薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
聴くに循【したが】って一に何ぞ矗矗【ちくちく】たる,上留田,
澄める川一に何ぞ皎皎【きょうきょう】たる,上留田,
悠【ゆう】なるかな逷【とお】きかな征夫は,上留田,
服を両つにして阪を上り電【いなびかり】のごと遊び,上留田,
舟を舫【なら】べ下り遊び颷【かぜ】のごとく駆く,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,

寸心は繋【か】けて万里に在り,上留田,
尺素【しゃくそ】は比の千夕に遵【もち】う,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
秋冬迭【たが】いに相い去り就く,上留田,
素雪【そせつ】は紛粉として鶴のごとく委【ゆだ】ね,上留田,
清風飈飈【ひょうひょう】として袖に入る,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
歳 云に暮れ憂いを増す,上留田,
誠に知る運り来たり詎【いか】んぞ抑【ふせ】がん,上留田,
熟視すれば年往【ゆ】きて留まる美し,上留田,


現代語訳と訳註
(本文)
上留田行
薄遊出彼東道,上留田,
薄遊出彼東道,上留田,
循聽一何矗矗,上留田,
澄川一何皎皎,上留田,
悠哉逷矣征夫,上留田,
悠哉逷矣征夫,上留田,
兩服上阪電遊,上留田,
舫舟下遊颷驅,上留田,
此別既久無適,上留田,
此別既久無適,上留田,


(下し文)
留田に上がるの行【うた】
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
薄【いささ】か遊び彼の東の道に出でん,上留田,
聴くに循【したが】って一に何ぞ矗矗【ちくちく】たる,上留田,
澄める川一に何ぞ皎皎【きょうきょう】たる,上留田,
悠【ゆう】なるかな逷【とお】きかな征夫は,上留田,
服を両つにして阪を上り電【いなびかり】のごと遊び,上留田,
舟を舫【なら】べ下り遊び颷【かぜ】のごとく駆く,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,
此より別れて既に久しく適【たの】しみ無し,上留田,

(現代語訳)
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。


(訳注)
上留田行

宏調曲で歌う。この詩は魏の文帝、曹丕がそうであったのであろうか、同句の繰り返しが非常に多い。
上留田行  曹丕(貧乏な男をうたう) 
居世一何不同、上留田行。
富人食稲與粱、上留田行。
貧子食糟與糠、上留田行。
貧賤亦何傷、上留田行。
禄命懸在蒼天、上留田行。


今爾歎息、将欲誰怨、上留田行。
世に居る 一に何ぞ同じからざる、上留田行。
富人は稲と粱を食い、上留田行。
貧子は糟と糠を食い、上留田行。
貧賤なるも亦た何んぞ傷まん、上留田行。
禄命 懸りて蒼天に在り、上留田行。
今 爾 歎息し、将に誰れをか怨まんとす、上留田行。

謝靈運の詩から想像して、留田というのは歓楽街であろうと思う。○○○ 留田のおねえちゃんとはやし立てるようなイメージをする。謝安の芸妓を携えて東山
始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである
送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈
攜妓東山去。 春光半道催。
遙看若桃李。 雙入鏡中開。
 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
遙(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。
○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。
送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287


薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。


薄遊出彼東道,上留田,
少しばかり遊びをしようと東山に向かう道に出発しようとする、留田の高楼に上ろう。


循聽一何矗矗,上留田,
何度も聞いているとひと度どうしてなのか背伸びをグウッとして見るのだ、留田の高楼に上ろう。
【じゅん】 決まったルールにしたがう。よる。「循守・循吏/因循」2 あちこちとめぐる。「循環」
矗矗【ちくちく】直立して伸びるさま。そびえ立つさま。


澄川一何皎皎,上留田,
澄みきった川に対しているとひと度どうしてなのか背伸びをしたら明るく光り輝く日がこうこうとしている、留田の高楼に上ろう。
皎皎【こうこう】明るく光り輝くさま。特に、太陽・月・雪などにいう。こうこう。


悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。
 ゆったりとどこまでも長く続く。・ とおく。・征夫 出征していく太夫。武士。


悠哉逷矣征夫,上留田,
ゆったりできたなあ、遠くに出ようとしている出征していく太夫がいる、留田の高楼に上ろう。


兩服上阪電遊,上留田,
脱いだ服をきちんと折りたたんで、奥座敷に上がり込んで稲光がするほどの遊びをしている、留田の高楼に上ろう。
・阪 坂道のこと。普通、坂と書く。


舫舟下遊颷驅,上留田,
船を並べて舟遊びをして楽しむのであるそして風のように立ち去っていく、留田の高楼に上ろう。
舫舟 舟と舟をつなぎあわせてあること、または、杭などに舟をつなぎとめることで、そのつなぎとめているものを「舫綱」という。

此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

此別既久無適,上留田,
この場所と別れてしまうとしばらくは、とても長くこんなたのしみはないのだ、留田の高楼に上ろう。

鞠歌行 謝霊運(康楽) 詩<80>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

鞠歌行 謝霊運(康楽) 詩<80>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

     
  同じ日のブログ 
     1365鞠歌行 謝霊運(康楽) 詩<80>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341 
     1366贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#2>Ⅱ中唐詩429 紀頌之の漢詩ブログ1366 
     1367除架 杜甫 <300> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1367 杜甫詩 700- 420 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

鞠歌行
德不孤兮必有鄰,唱和之契冥相因,
論語に「徳は孤ならず 必ず隣有り。」とあるが、これを唱和してこれを約束として実行すれば知らず知らずして互いに仲間内になっている。
譬如虬虎兮來風雲,亦如形聲影響陳,
たとえば水中の王者の蛟と陸の王者猛虎がほえてあばれれば風雲急をつげるというものだ、またその姿と声を聴けばその影響は言葉に尽くせない。
心歡賞兮嵗易淪,隱玉藏彩疇識真,
琴の音に合わせ歌うと心の底から喜び褒め称えることをして生き歳いきる時が沈み易くなる、『瑟操』に歌う「和氏の璧」のとおり、玉の良さを隠して磨かなければ誰もそのものが本物かどうかを知らなかったのだ。
叔牙顯,夷吾親,郢既歿,匠寢斤,
管鮑の交わりの鮑叔牙があらわれ、管 夷吾は親しくするし、荘子に言う「揮斤扶木」の郢人は既沒しているし、匠石は腕自慢のまさかりを仕舞いこみ寝ている。
覽古籍,信伊人,永言知巳感良辰。

古い書物を読んでいくと、そこに出る主人公については白井置けるものであるし、古くから長い年月掛けて伝えられた言葉というのは自分の知識として知っておく必要があり、人生が吉日に感じられるというものである。

徳は孤ならず 必ず隣有りと、唱和の契り冥【ひそ】かに相い因【よ】る。
誓【たと】えば虯虎【きゅうこ】の風雲を来たすが如く、亦た形声 影響 陳【ちん】ずるが如し。
心歡【しんかん】賞びて歳は淪【しず】み易し、玉を隠し彩を蔵し疇【たれ】か真なるを識らん。
叔牙は顯【あら】われ 夷吾は親しむ、郢は既に歿し 匠は斤【まさかり】を寝【や】む。
古籍を覧るに 伊の人を信じ、知己と永言し良辰に感ず。


現代語訳と訳註
(本文)

德不孤兮必有鄰,唱和之契冥相因,
譬如虬虎兮來風雲,亦如形聲影響陳,
心歡賞兮嵗易淪,隱玉藏彩疇識真,
叔牙顯,夷吾親,郢既歿,匠寢斤,
覽古籍,信伊人,永言知巳感良辰。


(下し文)
徳は孤ならず 必ず隣有りと、唱和の契り冥【ひそ】かに相い因【よ】る。
誓【たと】えば虯虎【きゅうこ】の風雲を来たすが如く、亦た形声 影響 陳【ちん】ずるが如し。
心歡【しんかん】賞びて歳は淪【しず】み易し、玉を隠し彩を蔵し疇【たれ】か真なるを識らん。
叔牙は顯【あら】われ 夷吾は親しむ、郢は既に歿し 匠は斤【まさかり】を寝【や】む。
古籍を覧るに 伊の人を信じ、知己と永言し良辰に感ず。


(現代語訳)
論語に「徳は孤ならず 必ず隣有り。」とあるが、これを唱和してこれを約束として実行すれば知らず知らずして互いに仲間内になっている。
たとえば水中の王者の蛟と陸の王者猛虎がほえてあばれれば風雲急をつげるというものだ、またその姿と声を聴けばその影響は言葉に尽くせない。
琴の音に合わせ歌うと心の底から喜び褒め称えることをして生き歳いきる時が沈み易くなる、『瑟操』に歌う「和氏の璧」のとおり、玉の良さを隠して磨かなければ誰もそのものが本物かどうかを知らなかったのだ。
管鮑の交わりの鮑叔牙があらわれ、管 夷吾は親しくするし、荘子に言う「揮斤扶木」の郢人は既沒しているし、匠石は腕自慢のまさかりを仕舞いこみ寝ている。
古い書物を読んでいくと、そこに出る主人公については白井置けるものであるし、古くから長い年月掛けて伝えられた言葉というのは自分の知識として知っておく必要があり、人生が吉日に感じられるというものである。


(訳注)
鞠歌行

平調曲で歌う。この詩は実に多くの故事を用いて詩意を展開する。


德不孤兮必有鄰,唱和之契冥相因。
論語に「徳は孤ならず 必ず隣有り。」とあるが、これを唱和してこれを約束として実行すれば知らず知らずして互いに仲間内になっている。
德不孤兮必有鄰 『論語』子曰、「徳不孤、必有鄰」。(子曰く、徳は孤ならず 必ず隣有り。)
先生が言われた。『道徳を実践する者は孤立しない。必ずその徳を慕って集まってくる隣人(同志・仲間)がある。』
社会において正しい道を実直に実践する君子は、周囲から受け容れられず孤立しているかのように見えることもあるが、実際には必ずそういった道徳的な人生に感化される仲間を生み出すものであり、道徳の実践者は孤独ではないのである。孤高の君子は正しき道を踏み行っていれば、必ず良き理解者や支援者を得ることができるという孔子の処世訓である。


譬如虬虎兮來風雲,亦如形聲影響陳,
たとえば水中の王者の蛟と陸の王者猛虎がほえてあばれれば風雲急をつげるというものだ、またその姿と声を聴けばその影響は言葉に尽くせない。


心歡賞兮嵗易淪,隱玉藏彩疇識真,
琴の音に合わせ歌うと心の底から喜び褒め称えることをして生き歳いきる時が沈み易くなる、『瑟操』に歌う「和氏の璧」のとおり、玉の良さを隠して磨かなければ誰もそのものが本物かどうかを知らなかったのだ。
・この二句は『瑟操』に歌う「卞和の玉の話」に基づいている。中國古代有名的玉-和氏璧,就是在玉璞的辨認上有歧見,而發生一則故事。話說春秋戰國時代,楚國人卞和在楚山得到一塊玉璞,獻給楚厲王,厲王命令
玉工檢視,玉工說是石不是玉,於是厲玉大怒,叫人砍去卞和的左腳。
楚の国にいた卞和(べんか)という人が、山中で玉の原石を見つけて楚の厲王(蚡冒)に献上した。厲王は玉石に詳しい者に鑑定させたところとただの雑石だと述べたので、厲王は怒って卞和の右足の筋を切断する刑をくだした。厲王没後、卞和は同じ石を武王に献上したが結果は同じで、今度は左足切断の刑に処せられた。文王即位後、卞和はその石を抱いて3日3晩泣き続けたので、文王がその理由を聞き、試しにと原石を磨かせたところ名玉を得たという。その際、文王は不明を詫び、卞和を称えるためその名玉に卞和の名を取り「和氏の璧」と名付けた。


叔牙顯,夷吾親,郢既歿,匠寢斤,
管鮑の交わりの鮑叔牙があらわれ、管 夷吾は親しくするし、荘子に言う「揮斤扶木」の郢人は既沒しているし、匠石は腕自慢のまさかりを仕舞いこみ寝ている。
叔牙 鮑叔牙(ほうしゅくが、生没年不詳)は中国春秋時代の斉の政治家。姓は姒、氏は封地から鮑、諱は牙、字は叔。鮑叔の方が一般的。桓公に仕えた。
夷吾 管 夷吾(かん いご)は、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。
伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)は、古代中国・殷代末期の孤竹国(現在地不明、一説に河北省唐山市周辺)の王子の兄弟である。高名な隠者で、儒教では聖人とされる。/
郢、匠 『荘子』による荘子が恵子の墓をよぎったときの話で、「揮斤扶木」の二人の名人郢と匠の故事。 郢人(えいひと)の左官の鼻先に薄く塗った土を、匠石(しょうせき)という大工が手斧(ちょうな)を振って傷つけることなくこれを落としたという。 ここでは、釈迦・弥陀二尊の意が一致していることを喩えたもの。郢匠揮斤.【釋義】:比喻純熟、高超的技藝。 【出處】:《莊子•徐無鬼》載,匠石揮斧削去郢人塗在鼻翼上的白粉,而不傷其人。
『史記』による管仲・飽叔の仲のよい交わりのこと
順東門行 謝霊運(康楽) 詩<80>Ⅱ李白に影響を与えた詩510 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1347


覽古籍,信伊人,永言知巳感良辰。
古い書物を読んでいくと、そこに出る主人公については白井置けるものであるし、古くから長い年月掛けて伝えられた言葉というのは自分の知識として知っておく必要があり、人生が吉日に感じられるというものである。
良辰【りょうしん】よい日。吉日。吉辰。


擣衣 謝惠連 詩<83-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩515 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1362

擣衣 謝惠連 詩<83-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩515 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1362

     
  同じ日のブログ 
     1362擣衣 謝惠連 詩<83-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩515 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1362 
     1363贈崔立之 韓退之(韓愈)詩<65-#1>Ⅱ中唐詩428 紀頌之の漢詩ブログ1363 
     1364苦竹 杜甫 <299> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1364 杜甫詩 700- 419  
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

擣衣 (謝惠連)
 布帛を、きぬたにのせて擣つ。そして衣を仕立てて、遠く出征した夫に送ろうとする、妻の心をのべたもの。


擣衣
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
白露滋園菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。」
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。
美人戒裳服、端飭相招攜。
美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
簪玉出北房、鳴金步南階。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。
紈素既已成、君子行不歸。
白ぎぬを既に縫い終わってしまったが、私の主は旅の行く先からまだ帰ってこない。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
さて箱の中から裁断刀を出して白ぎぬをたちきり、万里の遠くにある夫のための着物を縫い上げる。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
それをわが手でこころをこめて箱につめこんだのだ、念いりに荷造りしたのを、あなたが封印の深い閉じ目解き開かれるのを待つのである。
腰帶准疇昔、不知今是非。」
ただ着物の腰まわりや帯の長さなどは以前のままにしたが、今はそれでよいのか、わるいのか、わからないので心配と悲しみに耐えられないのである。

擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」

美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」

紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


現代語訳と訳註
(本文)

紈素既已成、君子行不歸。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
腰帶准疇昔、不知今是非。」


(下し文)
紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


(現代語訳)
白ぎぬを既に縫い終わってしまったが、私の主は旅の行く先からまだ帰ってこない。
さて箱の中から裁断刀を出して白ぎぬをたちきり、万里の遠くにある夫のための着物を縫い上げる。
それをわが手でこころをこめて箱につめこんだのだ、念いりに荷造りしたのを、あなたが封印の深い閉じ目解き開かれるのを待つのである。
ただ着物の腰まわりや帯の長さなどは以前のままにしたが、今はそれでよいのか、わるいのか、わからないので心配と悲しみに耐えられないのである。


 (訳注)
紈素既已成、君子行不歸。

白ぎぬを既に縫い終わってしまったが、私の主は旅の行く先からまだ帰ってこない。
紈素 白の練り絹。細い絹織物を紈であり、素は白。・君子 夫。主。


裁用笥中刀、縫為萬里衣。
さて箱の中から裁断刀を出して白ぎぬをたちきり、万里の遠くにある夫のための着物を縫い上げる。
 四角な箱。こおり。・萬里衣 万里の旅に出ている人のために作る衣。


盈篋自予手、幽緘俟君開。
それをわが手でこころをこめて箱につめこんだのだ、念いりに荷造りしたのを、あなたが封印の深い閉じ目解き開かれるのを待つのである。
 長方形の竹の器。竹の行李。・幽緘 封印の深い閉じ目。


腰帶准疇昔、不知今是非。」
ただ着物の腰まわりや帯の長さなどは以前のままにしたが、今はそれでよいのか、わるいのか、わからないので心配と悲しみに耐えられないのである。
腰帶 衣の腰幅と帯。・ したがう。なぞらえる。ここでは、もとの裁(た)ち方・寸法を基準にすること。・疇昔 その昔。

擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359

擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359

     
  同じ日のブログ 
     1359擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359 
     1360城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#31最終回>Ⅱ中唐詩427 紀頌之の漢詩ブログ1360 
     1361兼葭 杜甫 <298> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1361 杜甫詩 700- 418 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

擣衣
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
白露滋園菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。」

また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。
美人戒裳服、端飭相招攜。
美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
簪玉出北房、鳴金步南階。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。
紈素既已成、君子行不歸。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
腰帶准疇昔、不知今是非。」

擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」

美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」

紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


現代語訳と訳註
(本文)

美人戒裳服、端飭相招攜。
簪玉出北房、鳴金步南階。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」


(下し文)
美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」


(現代語訳)
美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。


(訳注)
美人戒裳服、端飭相招攜。

美しい人達は着物を出して身づくろいをしている、そして飾り整えて互いに招きあって手を携えて行くのである。
美人 芸妓、ここではお妾さんというところであろうか、妻ではない。


簪玉出北房、鳴金步南階。
頭には玉のかんざしをさし北の部屋から出てきた、黄金でかざった腰の佩び珠を鳴らしながら南の階段へと歩いてくる。
簪玉 頭には玉のかんざし。・北房 かこわれた女性の部屋。・南階 外部に向けての出口のある階。


楣高砧響發、楹長杵聲哀。
衣を打つ場所は軒が高くきぬたをうつ音を発しているし、柱が長いのできねの音が悲しげにひびきわたっちる。
楣高 軒が高い衣をうつへや。井戸ばたのある部屋のようなところ。・楹長 柱が長い様子をいう。


微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
そして、きぬたをうつ両方の袖からほのかなかおりが起ってくる、またかるい汗が両方の額じゅうを染めている。
雙題 左右二つの額。

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

     
  同じ日のブログ 
     1356擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356 
     1357城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#30>Ⅱ中唐詩426 紀頌之の漢詩ブログ1357 
     1358蛍火 杜甫 <297> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1358 杜甫詩 700- 417 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

謝恵連(394~433)   会稽の太守であった謝方明の子。陳郡陽夏(河南省)の人。謝霊運の従弟にあたる。大謝:霊運に対して小謝と呼ばれ、後に謝朓を加えて“三謝”とも称された。幼いころから聰敏で十歳の時からよく文をつづった。430年元嘉七年、彭城王・劉義康のもとで法曹行参軍となる。詩賦にたくみで、謝霊運に対して小謝と称された。『秋懐』『擣衣』は『詩品』でも絶賛され、また楽府体詩にも優れた。『詩品』中。謝恵連・何長瑜・荀雍・羊濬之らいわゆる四友は謝靈運を頭としたグループであった。とともに詩賦や文章の創作鑑賞を楽しんだ。四友の一人。

酬従弟謝惠連 五首その(1) 謝霊運(康楽) 詩<45>Ⅱ李白に影響を与えた詩432 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1113

西陵遇風獻康楽 その1 謝惠運 詩<46>Ⅱ李白に影響を与えた詩433 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1116



擣衣 (謝惠連)
 布帛を、きぬたにのせて擣つ。そして衣を仕立てて、遠く出征した夫に送ろうとする、妻の心をのべたもの。


擣衣
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
白露滋園菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。」
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。
美人戒裳服、端飭相招攜。
簪玉出北房、鳴金步南階。
楣高砧響發、楹長杵聲哀。
微芳起兩袖、輕汗染雙題。」
紈素既已成、君子行不歸。
裁用笥中刀、縫為萬里衣。
盈篋自予手、幽緘俟君開。
腰帶准疇昔、不知今是非。」

擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」

美人は裳服を戒【いあまし】め、端飭【たんしょく】して相い招攜【しょうけい】す。
簪玉【しんぎょく】もて北房より野で、鳴金【めいきん】もて南階【なんかい】に歩す。
楣【のき】は高くして砧響【ちんきょう】發し、楹【はしら】は長くして杵聲【しょせい】哀し。
微芳【びほう】は両袖に起り、軽汗【けいかん】は雙題【そうだい】を染む。」

紈素【がんそ】は既己【すで】に成れり、君子は行きて未だ歸らず。
裁つに笥中【しちゅう】の刀を用【もつ】てし、縫ひて萬里の衣と為す。
篋【はこ】に盈【み】たすは余【わ】が手よりし、幽鍼【ゆうかん】は君が開くを俟【ま】つ。
腰帯【ようたい】は疇昔【ちゅうせき】に準【なぞら】へたり、今の是非を知らず。」


現代語訳と訳註
(本文)
擣衣 -#1
衡紀無淹度、晷運倐如催。
白露園滋菊、秋風落庭槐。
肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
夕陰結空幕、霄月皓中閨。


(下し文)
擣衣【とうい】(衣を擣つ)
衡紀【こうき】は度に淹【とど】まる無く、晷運【きうん】は倐【たちま】ちにして催【うなが】すが如し。
白露は園菊【えんぎく】に滋【しげ】く、秋風は庭槐【ていかい】を落す。
粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。
夕陰は空幕に結び、霄月【しょうげつ】は中閨【ちゅうけい】に皓【ひろ】し。」


(現代語訳)
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。


(訳注)
擣衣 

絹布を砧でうって白練り絹に詩、衣を製する。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する女性について詠うものである。楽府題、雜曲歌辞。

『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)
七月流火、九月授衣。
一之日觱發、二之日栗烈。
無衣無褐、何以卒歲。
三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。
饁彼南畝、田畯至喜。
(七月には流る火あり、九月衣を授く。
一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。
衣無く褐無くんば、何を以てか歲を卒へん。
三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。
彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)
に基づく句である。
<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)

孟浩然『題長安主人壁』
久廢南山田,叨陪東閣賢。
欲隨平子去,猶未獻甘泉。
枕籍琴書滿,褰帷遠岫連。
我來如昨日,庭樹忽鳴蟬。
促織驚寒女,秋風感長年。
授衣當九月,無褐竟誰憐。
○促織 蟋蟀こおろぎ。中国ではこおろぎの鳴き声は機織りを促す声のように聞こえた。○寒女 貧乏な女。冬支度は井戸端で砧をたたいて冬着の準備をするため、その光景から冬支度をする女を寒女とする。 「擣(う)つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。○秋風 あきかぜ。西からの風。砂漠を越して山越えをし、砂塵の吹き降ろしの風になる。
○授衣 1 冬着の準備をすること。冬の用意をすること。2 陰暦9月の異称。

杜甫『擣衣』
亦知戍不返,秋至拭清砧。
已近苦寒月,況經長別心。
寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。
用盡閨中力,君聽空外音。

李白
李白『子夜呉歌其三 秋』

長安一片月、万戸擣衣声。
秋風吹不尽、総是玉関情。
何日平胡虜、良人罷遠征。

 
衡紀無淹度、晷運倐如催。
玉衛星はそのすじみちに従ってとどまることなく動きめぐり、天日の運行はせきたてられるようにただしく速かに動きすすむ。
 「北斗七星の中央の星」玉衡星と牽牛星。衡は北斗七星の第五星。『爾雅』に星紀は斗宿と牽牛星とある。・ すじみち、きまり。・ とどまる。・度 星の回転移動の度数・速度のこと。・ もよおし、うながす。追いかけ迫る意。・晷運 天日の運行。晷はひかげ。・ たちまち。


白露園滋菊、秋風落庭槐。
こうして、白露は中庭園の菊をしっとりとうるおしてくれるし、秋風は庭のえんじゅの葉を吹き落す。
・滋 潤す。・槐 えんじゅ。マメ科の植物。

槐001

肅肅莎雞羽、烈烈寒螿啼。
こおろぎは羽を動かし粛々と音をたてて、秋蟬、ひぐらしは烈烈と鳴いてうったえる。
肅肅 激しく飛ぶ鳥の羽の音。『詩経、唐風、鴇羽』「肅肅鴇羽、集于苞栩。」(肅肅たる鴇羽、苞栩に集る。)・莎雞 こおろぎ。促織。蟋蟀。・烈烈 声の多いさま。・寒螿 秋蟬。蝉に似て小さい、という。ひぐらしであろう。


夕陰結空幕、霄月皓中閨。
また、夕方になると暗い雰囲気が人陰のない部屋の幕にこもり結び、宵月はねやの中まで白々とさしこみ照らす。

東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353

東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353

     
  同じ日のブログ 
     1353東門行 漢の無名氏 詩<82>Ⅱ李白に影響を与えた詩512 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1353 
     1354城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#29>Ⅱ中唐詩425 紀頌之の漢詩ブログ1354 
     1355促織 杜甫 <296> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1355 杜甫詩 700- 416 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

  【年代】:漢
  【作者】:漢無名氏
  【  題  】:東門行


東門行
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
城郭の東門を出て旅立ことを思い定めた、そう決意したらわが家に帰ろうとは思いはしない、妻子に心がひかれ門に入ってみると、いたましくまた悲しくなる。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
鉢の中には一升の米の貯えすらなく、ふり返って衛門掛けの上を見るに一枚の衣もかけてない。
拔劍出門去,兒女牽衣啼。
剣を抜いてうちふり、今度こそ心に決して門を出ると、わが児女が衣をひいて泣きわめいている。
他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
妻が「よその方はひたすら富貴を願うのに、わたしはあなたとともに貧苦に甘んじ、おかゆを食べてくらしてきました。と云い、続けて。
共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
共におかゆを食ってくらすのも、上の理由は天命によって貧苦の生活を余儀なくする、下の理由は幼い子供のためです。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
繰り返すけど、今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。」と妻は続けたのだ。
行,吾去為遲。
夫はいう。「行かねばならないから行こう!。わたしは話している中に遅くなってしまった」。
平慎行,望君歸。
妻がまたいう「くれぐれも心を平かにもって行ないを供しみ、短気を起こされぬよう。あなたのお帰りをお待ち申します」

現代語訳と訳註
(本文)

東門行
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。

拔劍出門去,兒女牽衣啼。

他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
行,吾去為遲。
平慎行,望君歸。


(下し文)
(東門行)
東門を出でて、締るを顧【おも】はず、来りて門に入り、悵として悲しまんと欲す。
盎中に斗儲無く、還って桁上【こうじょう】を視るに懸衣【けんい】無し。
剣を抜いて門を出で去けば、兒女衣を牽いて啼く。
「他家は但富貴を願ふに、餞妾【せんしょう】は君と共に糜【び】を餔【くら】ふ。
共に糜【び】を餔【くら】は、上は倉浪の天の故を用てし、下は黄口の小兒の爲めなり。
 今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。
今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。」
「行かん,吾れ去ることの為めに遲し。」
「平かに行を慎しめ,君が歸るを望まん」。


(現代語訳)
城郭の東門を出て旅立ことを思い定めた、そう決意したらわが家に帰ろうとは思いはしない、妻子に心がひかれ門に入ってみると、いたましくまた悲しくなる。
鉢の中には一升の米の貯えすらなく、ふり返って衛門掛けの上を見るに一枚の衣もかけてない。
剣を抜いてうちふり、今度こそ心に決して門を出ると、わが児女が衣をひいて泣きわめいている。
妻が「よその方はひたすら富貴を願うのに、わたしはあなたとともに貧苦に甘んじ、おかゆを食べてくらしてきました。と云い、続けて。
共におかゆを食ってくらすのも、上の理由は天命によって貧苦の生活を余儀なくする、下の理由は幼い子供のためです。
今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。
繰り返すけど、今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。」と妻は続けたのだ。
夫はいう。「行かねばならないから行こう!。わたしは話している中に遅くなってしまった」。
妻がまたいう「くれぐれも心を平かにもって行ないを供しみ、短気を起こされぬよう。あなたのお帰りをお待ち申します」


(訳注)
東門行

東門行 貧士が志をいだいて家を出る時、妻と問答する詩である。これを前出の西門行と比べると、共に長短句を混じた楽府であるが、思想的には相対立し、これは頗る道義的なものである。


出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
城郭の東門を出て旅立ことを思い定めた、そう決意したらわが家に帰ろうとは思いはしない、妻子に心がひかれ門に入ってみると、いたましくまた悲しくなる。


盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
鉢の中には一升の米の貯えすらなく、ふり返って衛門掛けの上を見るに一枚の衣もかけてない。
 鉢や皿の類。・斗儲 一斗のたくわえ。一斗は大約わが一升ほど。・桁上 衛門掛けの上。ハンガーの上。


拔劍出門去,兒女牽衣啼。
剣を抜いてうちふり、今度こそ心に決して門を出ると、わが児女が衣をひいて泣きわめいている。
抜剣 決心せるさま。


他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
妻が「よその方はひたすら富貴を願うのに、わたしはあなたとともに貧苦に甘んじ、おかゆを食べてくらしてきました。と云い、続けて。


共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
共におかゆを食ってくらすのも、上の理由は天命によって貧苦の生活を余儀なくする、下の理由は幼い子供のためです。
上用 この用は、以に同じ。事の原因、理由を表わす語。・槍浪天 蒼天。蒼天の故とは天命によって貧苦の生活を余儀なくするとの意。・黄口 幼小の意。


今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。
教言 教令諭告の詞、法律のこと。


今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
繰り返すけど、今の時代大切な事は清廉を重んじる世の中ですから、法律を犯すことはできませんから、あなたもどうぞ自重して、よくないことはしないでください。」と妻は続けたのだ。


行,吾去為遲。
夫はいう。「行かねばならないから行こう!。わたしは話している中に遅くなってしまった」。


平慎行,望君歸。
妻がまたいう「くれぐれも心を平かにもって行ないを供しみ、短気を起こされぬよう。あなたのお帰りをお待ち申します」


東門行
出東門,不顧歸,來入門,悵欲悲。
盎中無斗儲,還視桁上無懸衣。
拔劍出門去,兒女牽衣啼,他家但願富貴,賤妾與君共餔糜。
共餔糜,上用倉浪天故,下為黃口小兒。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
今時清廉,難犯教言,君復自愛莫為非。
行,吾去為遲,平慎行,望君歸。

(東門行)
東門を出でて、締るを顧【おも】はず、来りて門に入り、悵として悲しまんと欲す。
盎中に斗儲無く、還って桁上【こうじょう】を視るに懸衣【けんい】無し。
剣を抜いて門を出で去けば、兒女衣を牽いて啼く。
「他家は但富貴を願ふに、餞妾【せんしょう】は君と共に糜【び】を餔【くら】ふ。
共に糜【び】を餔【くら】は、上は倉浪の天の故を用てし、下は黄口の小兒の爲めなり。
 今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。
今時清廉、教言を犯し難し、君復た自愛して非を為すこと莫れ。」
「行かん,吾れ去ることの為めに遲し。」
「平かに行を慎しめ,君が歸るを望まん」。

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

西門行 漢の無名氏 詩<81>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

同じ日のブログ

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350
城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#28>Ⅱ中唐詩424 紀頌之の漢詩ブログ1351
搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415
李商隠詩
2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回)
第一回李商隠 1 錦瑟
最終回唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文)


古詩源 漢の無名氏『西門行』。
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
夫爲樂、爲樂當及時。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生不滿百、常懷千歳憂。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
晝短而夜長、何不秉燭游。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人壽非金石、年命安可期。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
財愛惜費、但爲後世嗤。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。



現代語訳と訳註
(本文)
西門行

出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。


(下し文)
西門行 【せいもんきょう】
西門を出で、歩みて之を念う、今日 樂しみを作さずんば、當【まさ】に何れの時をか待つべき。
夫れ樂しみを爲さん、樂しみを爲すには當に時に及ぶべし。
何んぞ能く坐し愁えて鬱を拂いて、當に復た來茲を待んや。
醇酒【じゅんしゅ】を飲み、肥牛【ひぎゅう】を炙り、請する心に歡ぶ所を呼べば、用って愁憂を解く可けん。
人生は百に滿たず、常に千歳の憂いを懷う。
晝【ひる】短くして夜長く、何ぞ燭游を秉らざるや。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
仙人王子喬に非らざるより、計會して壽命【じゅみょう】を與に期するを難し。
人壽は金石に非らず、年命安くんぞ期す可けん。
財を貪【むさぼ】りて費を愛惜すれば、但 後世の嗤【わらび】と爲るのみ。


(現代語訳)
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。


(訳注)
西門行

・城郭における西門は遊郭のある歓楽街の門である。この詩は時を逸せず快楽を得るものだという享楽思想を詠ったもので貴族の遊びの歌である。したがって、駢儷文のような歯切れの良さと抑揚をもって詠うものであった。

出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
歓楽街のある西門を出たのであるが、歩きながらおもいかえしてみる、今日、楽しいことはしていない、こんなことではいったいいつ楽しむことができるというのだ。


夫爲樂、爲樂當及時。
そもそも悦楽をえようというのなら、楽しむべき時に逃さないようにしないといけないのだ。


何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
どうして座ったままでくよくよし悶々と苦悩したとしてまさに来年まで待たなければいけないなんてことはあるまいに。
來茲 来年。句の頭に來ると、謝靈運『白石巖下徑行田詩』「天鑒儻不孤。來茲驗微誠。」來茲[読み]まさに~すべし;応(應)~ [意味]おそらく(きっと)~だろう。

白石巌下径行田詩 #1 謝霊運<18>  詩集 383


飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
よい酒を飲み、肥えた牛の肉を炙り、自分の心から許せる相手をよびたいのだ、そのうえで初めて心の憂いを解消することが出来るというものなのだ。


人生不滿百、常懷千歳憂。
人生は百年にも満たないというのに、常に千年後の憂いを心配するおろかなものである。
この句からは、古詩十九首其十五とおなじ。

晝短而夜長、何不秉燭游。
秋の日は昼は短くして夜は長いのが苦であるなら、明かりを照らし夜を比に継ぎ足して遊ばないのだ。(毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。)
・秉燭 蝋燭を手に取るのではなく、燃えていると暗くなるので燃え尽きた部分を切ると再び明るくなる。このことで「燭を秉る」とは芯を取り換えることを言い、一晩中と意味になる。ここでは昼が短いので次の夜もつないでずっとということになる。秋から冬の長い夜全部つないでと考えると味わい深い。
古風五十九首 其二十三
秋露白如玉、團團下庭綠。
我行忽見之、寒早悲歲促。
人生鳥過目、胡乃自結束。
景公一何愚、牛山淚相續。
物苦不知足、得隴又望蜀。
人心若波瀾、世路有屈曲。
三萬六千日、夜夜當秉燭。
秋の霧は白くて宝玉のように輝いている。まるく、まるく、庭の木の下に広がっている縁の上におりている。
わたしの行く先々で、どこでもそれを見たものだ。寒さが早く来ている、悲しいことに年の瀬がおしせまっている。
人生は、鳥が目のさきをかすめて飛ぶ瞬間にひとしい。それなのに、どうして儒教者たちは自分で自分を束縛することをするのか。
むかしの斉の景公は、じつに何とおろかなことか。牛山にあそんで美しい国土をながめ、人間はどうして死んでしまうのかと歎いて、涙をとめどもなく流した。
世間の人間が満足を知らないというのは困ったことだ。隴が手に入ると、蜀まで欲しくなるものなのだ。
人の心はあたかも大波のようだ。そして、処世の道には曲りくねりがある。
人生、三万六千日、毎夜毎夜、ともし火を掲げて遊びをつくすべきなのだ。

古風 其二十三 李白113


春夜宴桃李園序 李白116

天地者,萬物之逆旅;
光陰者,百代之過客。

浮生若夢,爲歡幾何?
古人秉燭夜遊,良有以也。

陽春召我以煙景,大塊假我以文章。
會桃李之芳園,序天倫之樂事。
群季俊秀,皆爲惠連。
吾人詠歌,獨慚康樂。
幽賞未已,高談轉清。
開瓊筵以坐華,飛羽觴而醉月。
不有佳作,何伸雅懷?
如詩不成,罰依金谷酒斗數。

春夜桃李園宴序李白116


自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
仙人の王子喬ではないから寿命を数えたところで他人と寿命時期を同じようにすることなど難しいのだ。


自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
王子喬のような仙人ではないから、寿命を数えたところでたかが知れたものということだ。
王子喬に関する詩(1)  
謝霊運(康楽) 『登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。』 「倘遇浮丘公,長絕子徽音。」
あるいは、もし、山中で浮丘公のような仙人にあうようなことがあったならは、王子喬がそのまま山にとどまったように永久に君のおたよりを貰えぬことになるだろう。 
浮斤公 列仙伝に「王子喬は好んで笙を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。
微音 りっぱななたより。
登臨海嶠發疆中作,與從弟惠連,可見羊何共和之。 謝霊運(康楽) 詩<65-4>Ⅱ李白に影響を与えた詩486 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1275

王子喬に関する詩(2)
謝靈運『石室山詩』「微戎無遠覽。總笄羨升喬。」
あの昔の微子啓と公子罷戎の同盟を結んだはるかに遠い出来事として見ることはできないし、髪の毛を束ねて役人の簪をつけたとして趙升や王子喬の仙人を羨ましがっているのだ。
微戎 微子啓(鄭の王)と罷戎(楚の公子)のこと。B.C.564閏12月、鄭が晋についたので、楚恭王は鄭を討たれ、その後楚と和睦したので、公子罷戎は鄭に使いして同盟を結んだ。・總笄 總は髪の毛を束ねること。笄はかんざし。・ 趙升のこと。漢代の仙人,生卒年均不詳,道教天師道創始者張道陵の弟子。・喬 王子喬【おうしきょう】のこと。中国、周代の仙人。霊王の太子といわれる。名は晋。白い鶴にまたがり、笙(しょう)を吹いて雲中を飛んだという。
石室山詩 謝霊運(康楽) 詩<55-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩443 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1146

王子喬に関する詩(3)
孟浩然『將適天臺,留別臨安李主簿』「羽人在丹丘,吾亦從此逝。」
仙境の道士たちは丹を練り、天台山で道を求めてしゅぎょうしている。私もまたその地へ赴いていこうとしている。
羽人 中国の道教において、仙境にて暮らし、仙術をあやつり、不老不死を得た人を指す。羽人、僊人ともいう。 道教の不滅の真理である、道(タオ)を体現した人とされる。○丹丘 胡紫陽の事蹟は李白の作「漢東紫陽先生碑銘」あり、ここに詳しく伝えられている。 「胡紫陽は代々道士の家に生れ、九歳で出家し、十二歳から穀類を食うことをやめ(これが修行の第一段階である)、二十歳にして衡山(五嶽の一、南嶽、湖南省衡陽の北)に遊んだ。(この後は欠文があって判りにくいが、その後、召されて威儀及び天下採経使といふ道教の官に任ぜられ、隋州に飡霞楼を置いたなどのことが書かれている。)彼の道統は漢の三茅(茅盈、茅固、茅衷の三兄弟)、晋の許穆父子等に流を発し、その後、陳の陶弘景(陶隠居)、その弟子唐の王遠知(昇元先生)、その弟子潘師正(体元先生)、その弟子で李白とも交りのあった司馬承禎(貞一先生)を経て、李含光より伝はった。弟子は三千余人あったが、天宝の初、その高弟元丹邱はこれに嵩山(スウザン)及び洛陽に於いて伝籙をなさんことを乞うたが、病と称して往かぬといふ高潔の士であった。その後、いくばくもなくして玄宗に召されると、止むを得ないで赴いたが、まもなく疾と称して帝城を辞した。その去る時には王公卿士みな洛陽の龍門まで送ったが、葉県(河南省)まで来て、王喬(また王子喬、王子晋といい周の王子で仙人だったと)の祠に宿ったとき、しずかに仙化した。この年十月二十三日、隋州の新松山に葬った。時に年六十二歳であった。」 と示しており、李白が紫陽と親交あり、紫陽の説教の十中の九を得たことをいっている。李白にはまた別に「隋州の紫陽先生の壁に題す」という詩があり、紫陽との交りを表している。しかし胡紫陽先生よりも、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、12首もある。
「楚辞」遠遊に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」とある。
將適天臺,留別臨安李主簿 孟浩然26 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -333


王子喬に関する詩(4)
李白『古風五十九首 其七』「兩兩白玉童。雙吹紫鸞笙。」
左右に、白玉のように美しいお顔の童子う従えて、ともに紫檀で鷲のかたちの笙を奏でている。
○白玉童 白玉のような清らかな顔の童子。○紫鸞笙 王子喬という仙人は笙の名手であったが、かれの笙は紫檀で鳳翼にかたどって製ってあった。鸞は、鳳風の一種。

古風五十九首 其七 李白 108/350


人壽非金石、年命安可期。
人の寿命は金石のように不変ではないのだ。いつまでもいきると予測できる命ではないのた。


貪財愛惜費、但爲後世嗤。
財貨をむさぼり、出費を惜しむことだけをしたとしても、その結果はただ、後世の笑われ草、嗤となるだけのことである。

順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338

     
  同じ日のブログ 
     1347順東門行 謝霊運(康楽) 詩<79>Ⅱ李白に影響を与えた詩507 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1338 
     1348城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#27>Ⅱ中唐詩423 紀頌之の漢詩ブログ1348 
     1349歸燕 杜甫 <294> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1349 杜甫詩 700- 414 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

順東門行
出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉,
西門を出ることは閨を後にするか、歓楽から出ること、振り返ると薄もやの中に妓女をのぞむ。斧をふるいうまく枝を断ち切る『荘子』に出る二人の名人郢と匠の故事ように上手な技術で美人の泉を陥落させた。
信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
浄土信仰を信じる者にとって、川は低きに流れゆく当たり前のこととして、歓楽を思うことはしばらくは捨てると誓い人生を迷うことない。
閔九九,傷牛山,宿心載違徒昔言,
古代の禹帝の子啟【けい】が勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだし、孟子が言われた牛山の木にしても斧できればただの木で、前々からの志があってもそれは昔の人が言うようにはなりはしない。
競運落,務頹年,招命儕好相追牽,
良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争するし、年老いてくれば急に勤勉に務めるものだ。そして息の合った友達同士が招いたり、命じたりして、互いに追いもとめ、ひっぱりあう。
酌芳酤,奏繁絃,惜寸陰,情固然。
そうして、香しいお酒を酌み交わし、一所懸命に琴を演奏して、わずかの間も惜しむことなく、心情、感情、友情を固くするものである。
西門【せいもん】を出でて 雲間を眺め、斤【まさかり】を揮【ふる】いて木を扶【えぐ】り虞泉【ぐせん】に墜つ。
信の道の人 徂川【そせん】に鑒【かんが】み、楽を思うこと暫く捨てて旋【せん】せざるを誓う。
九九を閔【あわ】れみ 牛山を傷む、宿心 載【すなわ】ち違い徒【いたず】らに昔言す。
落運に競い 頽年は務め、儕好【さいこう】を招命して相い追牽【ついけん】す。
芳しき酤【さけ】を酌み 繁絃【はんげん】を奏し、惜しみ 情は固然【かた】し。

miyajima 709330


現代語訳と訳註
(本文)
順東門行
出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉,
信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
閔九九,傷牛山,宿心載違徒昔言,
競運落,務頹年,招命儕好相追牽,
酌芳酤,奏繁絃,惜寸陰,情固然。


(下し文)
西門【せいもん】を出でて 雲間を眺め、斤【まさかり】を揮【ふる】いて木を扶【えぐ】り虞泉【ぐせん】に墜つ。
信の道の人 徂川【そせん】に鑒【かんが】み、楽を思うこと暫く捨てて旋【せん】せざるを誓う。
九九を閔【あわ】れみ 牛山を傷む、宿心 載【すなわ】ち違い徒【いたず】らに昔言す。
落運に競い 頽年は務め、儕好【さいこう】を招命して相い追牽【ついけん】す。
芳しき酤【さけ】を酌み 繁絃【はんげん】を奏し、惜しみ 情は固然【かた】し。


(現代語訳)
西門を出ることは閨を後にするか、歓楽から出ること、振り返ると薄もやの中に妓女をのぞむ。斧をふるいうまく枝を断ち切る『荘子』に出る二人の名人郢と匠の故事ように上手な技術で美人の泉を陥落させた。
浄土信仰を信じる者にとって、川は低きに流れゆく当たり前のこととして、歓楽を思うことはしばらくは捨てると誓い人生を迷うことない。
古代の禹帝の子啟【けい】が勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだし、孟子が言われた牛山の木にしても斧できればただの木で、前々からの志があってもそれは昔の人が言うようにはなりはしない。
良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争するし、年老いてくれば急に勤勉に務めるものだ。そして息の合った友達同士が招いたり、命じたりして、互いに追いもとめ、ひっぱりあう。
そうして、香しいお酒を酌み交わし、一所懸命に琴を演奏して、わずかの間も惜しむことなく、心情、感情、友情を固くするものである。


(訳注)
順東門行

東門は志を以て家を出ること。謝恵連にも同題の作がある。詩は、古詩源 漢の無名氏『西門行』をまねて作る。
西門行
出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。
夫爲樂、爲樂當及時。
何能坐愁拂鬱、當復待來茲。
飲醇酒、炙肥牛、請呼心所歡、可用解愁憂。
人生不滿百、常懷千歳憂。
晝短而夜長、何不秉燭游。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
自非仙人王子喬、計會壽命難與期。
人壽非金石、年命安可期。
貪財愛惜費、但爲後世嗤。


出西門,眺雲間,揮斤扶木墜虞泉
西門を出ることは閨を後にするか、歓楽から出ること、振り返ると薄もやの中に妓女をのぞむ。斧をふるいうまく枝を断ち切る『荘子』に出る二人の名人郢と匠の故事ように上手な技術で美人の泉を陥落させた。
西門 西は家でいえば閨であったり、城郭内では芸妓のいる歓楽街の門である。・揮斤扶木 『荘子』 に出る二人の名人郢と匠の故事。 郢人(えいひと)の左官の鼻先に薄く塗った土を、匠石(しょうせき)という大工が手斧(ちょうな)を振って傷つけることなくこれを落としたという。 ここでは、釈迦・弥陀二尊の意が一致していることを喩えたもの。郢匠揮斤.【釋義】:比喻純熟、高超的技藝。 【出處】:《莊子•徐無鬼》載,匠石揮斧削去郢人塗在鼻翼上的白粉,而不傷其人。


信道人,鑒徂川,思樂暫捨誓不旋,
浄土信仰を信じる者にとって、川は低きに流れゆく当たり前のこととして、歓楽を思うことはしばらくは捨てると誓い人生を迷うことない。
信道人 浄土信仰を信じる者。・徂川 川は低きに流れゆく当たり前のこと。東流と同義語。


閔九九,傷牛山,宿心載違徒昔言,
古代の禹帝の子啟【けい】が勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだし、孟子が言われた牛山の木にしても斧できればただの木で、前々からの志があってもそれは昔の人が言うようにはなりはしない。
閔九九 『楚辞、天問』「啟棘賓商,九辯九歌」(啟【けい】棘【ゆめ】に商【てい】に賓【ひん】し,九辯九歌あり。)聖人といわれる禹の一般の男女と同じに交友をしたのかと詠い、その子啟が災難に遭って拘禁されたが、後自由を得て、勤勉によって九辯九歌を得たのに死ねば憐れだ。・傷牛山 【孟子:告子章句上八】 『原文』 孟子曰、 牛山之木嘗美矣、 以其郊於大國也、 斧斤伐之、可以爲美乎。(孟子曰く、 牛山の木は 嘗て美なり。 其の大国に 郊するを以て、 斧斤【ふきん】之を伐る、以て美と為す可けんや。)・宿心 =宿志:かねてからの希望。前々からの志。・昔言 古人のことば。


競運落,務頹年,招命儕好相追牽,
良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争するし、年老いてくれば急に勤勉に務めるものだ。そして息の合った友達同士が招いたり、命じたりして、互いに追いもとめ、ひっぱりあう。
競運落 良い時には思いもしなかったが運が落ちてきたら競争する。・務頹年 年老いてくれば急に勤勉に務める。・儕好 息の合った友達同士。・相追牽 互いに追いもとめ、ひっぱりあうこと。


酌芳酤,奏繁絃,惜寸陰,情固然。
そうして、香しいお酒を酌み交わし、一所懸命に琴を演奏して、わずかの間も惜しむことなく、心情、感情、友情を固くするものである。

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344

     
  同じ日のブログ 
     1344燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩509 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1344 
     1345城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#25>Ⅱ中唐詩421 紀頌之の漢詩ブログ1342 
     1346初月 杜甫 <293> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1346 杜甫詩 700- 413 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,

夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。

誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。


現代語訳と訳註
(本文)

對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。


(下し文)
君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,窗を闢【あ】け幌を開いて秦箏【しんそう】を弄ぶ,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。


(現代語訳)
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。


(訳注)
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,

君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,窗を闢【あ】け幌を開いて秦箏【しんそう】を弄ぶ,,
夫に対して留守宅を守るわたしは自分が楽しいことなどはしないし、いつも涙にくれ嫁入りに付けた紐は湿り続けている。閨の窓を開き、とばりを挙げるのであるが、そして秦箏を引いて慰めているのである。
【えい】1 冠の付属具で、背後の中央に垂らす部分。古くは、髻(もとどり)を入れて巾子(こじ)の根を引き締めたひもの余りを後ろに垂らした。のちには、幅広く長い形に作って巾子の背面の纓壺(えつぼ)に差し込んでつけた。女性が婚約をした時身につける飾りひも。・秦箏 箏では柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴(きん)では柱が無いことである。秦箏」は「十二弦の琴」で、「斉瑟は二十五弦の大きな琴」である。


調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
琴の絃を調整し、琴柱を促すのである、悲しみの声を多くするのである。夜になるとはるか出征先を思い、名月が出ると思っている、とばりも多いも明月が照らすのである。
帷屏 屏: 1 中を隠すために設けるもの。ついたてや垣根。2 閉じて外に出さない。ついたて。おおって防ぐ。


誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。
誰か知っているだろうか、天の川は浅いのだろうか、清流なのだろうか。寝返りを打ちながら、覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っている、今日もかなしい星空を見るのです。
展轉 (1)ころがること。回転すること。 (2)寝返りを打つこと。 「―して眠れぬ夜」 (3)巡り移ること。・思服 寤寐思服. 「寤寐思服(ごびしふく)」目覚めているときはもちろん、寝ている時でも常に心に思っていること。 切実に人を思うこと。 「寤寐」は目覚めることと寝る事。




参考(1)
古詩十九首其十七

孟冬寒氣至,北風何慘慄?愁多知夜長,仰觀眾星列。 三五明月滿,四五詹兔缺。客從遠方來,遺我一書札。 上言長相思,下言久別離。置書懷袖中,三歲字不滅。 一心抱區區,懼君不識察。
孟冬 寒氣至り、北風 何ぞ慘栗たる。
愁ひ多くして夜の長きを知り、仰いで衆星の列なるを觀る。
三五 明月滿ち、四五 蟾兔缺く。
客 遠方より來り、我に一書札を遺る。
上には長く相思ふと言ひ、下には久しく離別すと言ふ。
書を懷袖の中に置き、三歳なるも字滅せず。
一心に區區を抱き、君の識察せざらんことを懼る。


参考(2)
曹丕(曹子桓/魏文帝)の詩 『燕歌行』 

燕歌行
秋風蕭瑟天気涼、草木搖落露為霜、
羣燕辭帰雁南翔。
念君客遊思断腸、慊慊思帰戀故郷、
何為淹留寄他方。』

賤妾煢煢守空房、憂来思君不敢忘。
不覚涙下霑衣裳。
援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。』

明月皎皎照我牀、星漢西流夜未央。
牽牛織女遥相望、爾獨何辜限河梁。』

(燕歌行)
秋風 蕭瑟として天気涼し、草木 搖落して 露 霜となり、羣燕 辭し帰りて 雁 南に翔る。
君が 客遊を念いて 思い腸を断ち、慊慊【けんけん】として帰るを思い故郷を戀【した】わん、何為れぞ淹留してか他方に寄る。
妾 煢々【けいけい】として空房を守り、憂い来りて君を思い 敢えて忘れず、覚えずも涙下りて衣裳を霑【うるお】す。
琴を援き絃を鳴らして清商【せいかん】を發し、短歌 微吟【びぎん】長くするを能わず。
明月 皎皎として我が牀を照らす、星漢【せいかん】西に流れ夜未だ央きず。
牽牛 織女 遥かに相望む、爾 独り何の辜【つみ】ありてか河梁【かりょう】に限らる。

燕歌行 玉台新詠 蕭子顯 「風光遅舞出青蘋、蘭條翠鳥鳴發春。」

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

     
  同じ日のブログ 
     1341燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341 
     1342城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#26>Ⅱ中唐詩422 紀頌之の漢詩ブログ1345 
     1343天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,

10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
對君不樂淚沾纓,闢窗開幌弄秦箏,
調絃促柱多哀聲,遙夜明月鑒帷屏,
誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。

孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,

君に對し樂しまず 淚 纓【えい】を沾【うる】おす,闢窗を開け幌を秦箏【しんそう】を弄ぶ,
調絃し柱を促し哀聲多く,遙なる夜の明月 帷屏【いへい】を鑒【て】らす,
誰か知らん河漢【かかん】は淺く且つ清きを,展轉【てんてん】思服し明星を悲しむ。




現代語訳と訳註
(本文)
燕歌行
孟冬初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,


(下し文)
燕歌行
孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,


(現代語訳)
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。


(訳注)
燕歌行

内容的には古詩十九首其十七の初二句に酷似している。詩題としては、文選魏の文帝、玉台新詠にもある。題材は同様なものである。ただ、七言楽府、七言詩はこの時代には本遯ど完成されていたいうことになる。



初寒節氣成,悲風入閨霜依庭,
孟冬 初めて寒く節氣は成り,悲風 閨【ねや】に入り霜は庭に依る,
10月初旬に初めての寒気団が到来して、「立冬」という始めて冬の氣配が現れて來る、夫のことは悲しみでもいい、私の閨にまで風が運び入ってくるけれど霜は庭に降りてほしい。
『古詩十九首其十七』「孟冬寒氣至,北風何慘慄?愁多知夜長,仰觀眾星列。 三五明月滿,四五詹兔缺。客從遠方來,遺我一書札。 上言長相思,下言久別離。置書懷袖中,三歲字不滅。 一心抱區區,懼君不識察。」

『悲陳陶』「孟冬十郡良家子、血作陳陶沢中水。野曠天清無戦声、四万義軍同日死。群胡帰来血洗箭、仍唱胡歌飲都市。都人廻面向北啼、日夜更望官軍至。」

悲陳陶 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 152



秋蟬噪栁燕辭楹,念君行役怨邊城,
秋蟬【しゅうぜん】栁に噪【さわ】ぎ燕は楹【はしら】を辭【じ】し,君の行役して邊城を怨むを念う,
秋蟬は柳の木で騒いで泣いていた、ツバメも軒の柱からいなくなっている。夫の役目として辺境の城塞勤めについて恨みの思いでいっぱいなのである。
秋蟬 李白『留別廣陵諸公』「還家守清真,孤節勵秋蟬。」(還家 清真を守る,孤節 秋蟬 勵く。)“家に帰ると誠心誠意を守る、一人、季節の代わりを迎える秋の蝉のようにはげむのだ。”○還家 いえにかえる。○清真 清らかな眞實。○孤節 季節の変わり目。○秋蟬 夏から秋に変わる季節の移り変わりのむなしさをいう。他のものが流されていく中で、信念を貫く意味をいう。○ 励む、 はげます



君何崎嶇乆徂征,豈無膏沐感鸛鳴,
君 何んぞ崎嶇【きく】乆しく徂征【そせい】す,豈膏沐【こうもく】する無く鸛鳴【かんめい】を感ずる,
あなたはどうして厳しく困難で行きっぱなしの出征にいったのですか、わたしは身だしなみをしても仕方がなくコウノトリが啼くことも感じることもありはしないのです。
崎嶇【きく】険しいこと。容易でないこと。また、辛苦すること。1 山道の険しいさま。2 世渡りの厳しく困難なさま。・徂征 :(1) 行く,去る.(2) 死ぬ.:【せい】1 旅に行く。「征衣」2 敵・罪人を討ちに行く。「征夷(せいい)・征討・征伐・征服/遠征・出征・東征」3 征服する。「征圧」

緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329

緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329

     
  同じ日のブログ 
     1329緩歌行 謝霊運(康楽) 詩<77>Ⅱ李白に影響を与えた詩504 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1329 
     1330城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#21>Ⅱ中唐詩417 紀頌之の漢詩ブログ1330 
     1331寓目 杜甫 <288> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1331 杜甫詩 700- 408 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


緩歌行
飛客結靈友,凌空萃丹丘,
仙人は神と巫女とをむすび、空を凌ぐ高い所は昼夜常に明光をあつめる処である。
習習和風起,采采彤雲浮,
しゅうしゅうとしてなごやかに風が起こり、さいさいとしてあざやかな赤い浮雲にかわっていく。
娥皇發湘浦,霄明出河洲,
娥皇という湘水の神は湘水の淵浦に出発してくれ、夜明けになれば、大河の中州に出没する。
宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。

ねうねとして長く続く水中には蛟に手綱をつけて連なっているし、えいえいとして空を飛んでいくのは龍が人ぶりうねっている。

現代語訳と訳註
(本文)
緩歌行
飛客結靈友,凌空萃丹丘,
習習和風起,采采彤雲浮,
娥皇發湘浦,霄明出河洲,
宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。


(下し文)
飛客【ひきゃく】霊友と結び、空を凌ぎ丹丘に萃【あつ】まる。
習習な和風起こり、采采として彤雲【たんうん】浮かぶ。
娥皇【がこう】は湘浦を発し、霄明【しょうめい】に河洲【かしゅう】に出ず。
宛宛として螭【みずち】の轡【たづな】を連ね、裔裔【えいえい】として竜の旒【ながえ】を振るう。


(現代語訳)
仙人は神と巫女とをむすび、空を凌ぐ高い所は昼夜常に明光をあつめる処である。
しゅうしゅうとしてなごやかに風が起こり、さいさいとしてあざやかな赤い浮雲にかわっていく。
娥皇という湘水の神は湘水の淵浦に出発してくれ、夜明けになれば、大河の中州に出没する。
ねうねとして長く続く水中には蛟に手綱をつけて連なっているし、えいえいとして空を飛んでいくのは龍が人ぶりうねっている。


(訳注)
緩歌行

緩やかなテンポの歌。『楚辞・九歌「東君」』屈原 東君とは日の神のこと。歌は太陽が東の空から昇って、天空を一周し、最後には暗闇の中を再び東へと戻っていく行程を描いている。その間に、天女たちが、日の神を迎え、管弦を以てもてなすさまが歌われる。このような雰囲気と遊びの感覚でこの詩を読むことであろう。
また内容からも白居易の楊貴妃の悲哀をうたった『長恨歌』も参考になろうか。「驪宮高處入青雲,仙樂風飄處處聞;緩歌謾舞凝絲竹, 盡日君王看不足。」


飛客結靈友,凌空萃丹丘,
仙人は神と巫女とをむすび、空を凌ぐ高い所は昼夜常に明光をあつめる処である。
飛客 仙人。・靈友 神。たましい。命。優れたもの。巫女。・丹丘 昼夜常に明るい処。『楚辞、遠遊』「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷。」(羽人に丹丘に仍い、不死の旧郷に留まる。)「夕べに明光に宿る。」とあり、明光はすなわち丹邱である。


習習和風起,采采彤雲浮,
しゅうしゅうとしてなごやかに風が起こり、さいさいとしてあざやかな赤い浮雲にかわっていく。
詩経・小雅・谷風> 習習谷風,維風及雨。 習習たる谷風、これ風と雨と將恐將懼,維予與女。 はた恐れはた懼る。・采采 詩経・周南・芣苢. 「采采芣苢、薄言采之。 采采芣苢、薄言有之。」芣苢を采り采り薄言采之 薄【いささ】か言【ここ】に之【これ】を采る。


娥皇發湘浦,霄明出河洲,
娥皇という湘水の神は湘水の淵浦に出発してくれ、夜明けになれば、大河の中州に出没する。
娥皇 尭(ぎょう)帝の二人の娘で、姉を娥皇・妹を女英といい、共に舜の妃となったが、舜が没すると、悲しんで湘江に身を投げて水神となったという。(湘水の神)『楚辞』の九歌。・霄明 【しょうめい】夜明け。


宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。
ねうねとして長く続く水中には蛟に手綱をつけて連なっているし、えいえいとして空を飛んでいくのは龍が人ぶりうねっている。
宛宛 うねうねとして長く続くさま。龍が伸び縮むさま。
裔裔 行くさま。宋玉『神女賦』「歩裔裔兮曜殿堂。」飛んでいくさま。裔の用語解説 - [音]エイ(呉)(漢) [訓]すえ1 遠い子孫。「後裔・神裔・苗裔・末裔・余裔」 2 遠い辺境。「四裔」




『楚辞・九歌「東君」』屈原
東君
暾將出兮東方,照吾檻兮扶桑。
朝日は赤々として東の空に出ようとし、扶桑にある我が宮殿の欄干を照らしはじめている。
撫余馬兮安驅,夜皎皎兮既明。
わたしの馬を撫でてやり、静かにさせて駆けだすと、夜は白々と明けて、もう明るく輝いている。
駕龍輈兮乘雷,載雲旗兮委蛇。
竜に車を引かせて雷雲に乗り、雲の旗をひらめかせて、ゆらゆらとたなびいている。
長太息兮將上,心低佪兮顧懷。
わたしは大きな長いため息をついて、いよいよ一気に天に上ろうとすると、心は去りがたく後ろのほうを振り返る。
羌聲色兮娛人,觀者憺兮忘歸。」
ああ、歌声や美しい巫女の私をなぐさめる、見るものは皆心安らかに帰るのを忘れる。
緪瑟兮交鼓,簫鍾兮瑤虡,
張りつめた瑟の糸を締め、鼓をかわるがわるに打ち交わし、鍾をうち、簴(きょ)を瑤るがせる。
鳴箎兮吹竽,思靈保兮賢姱。
横笛を鳴らして、縦笛を吹けいている、そして巫女の徳すぐれてかしこく見た目が美しいことを思うのである。
翾飛兮翠曾,展詩兮會舞。
巫女たちは飛びまわり、カワセミのように飛び上がる、そして詩を歌いながら舞いまわっている。
應律兮合節,靈之來兮蔽日。」
音律におうじて調子を合わせているうちに、神々がやってきて、日を蔽うように天から降りあつまる。

青雲衣兮白霓裳,舉長矢兮射天狼。
太陽のわたしは青雲の上衣に白霓の裳をつける、太陽光線の長矢を以て天狼星を射る。
操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。
私はそれを操って弓を持って下方へむかって降りてきて、北斗星の柄杓をとって肉桂の漿を酌むのである。
撰余轡兮高駝翔,杳冥冥兮以東行。」
そしてわが手綱を振り上げて高く駆け上って、はるかな暗黒の中をわたしは東へと行くのである。

暾【とん】として將に東方に出でんとし、吾が檻【かん】を扶桑【ふそう】に照らす。
餘が馬を撫して安驅すれば、夜は晈晈【こうこう】として既に明らかなり。
龍輈【りょうちゅう】に駕して雷に乘り、雲旗を載【た】てて委蛇たり。
長太息して將に上らんとすれど、心は低佪して顧【かへり】み懷ふ。
羌【ああ】聲色の人を娛ましむる、觀る者憺として歸るを忘る。」

瑟を緪【こう】し鼓を交へ、鍾を簫【う】ち簴【きょ】を瑤す。
箎【ち】鳴らし竽を吹き、靈保の賢姱【けんか】なるを思ふ。
翾飛【けんぴ】して翠曾し、詩を展【の】べて會舞す。
律に應じて節に合すれば、靈の來ること日を蔽ふ。」

餘が弧を操【と】りて反って淪降【りんこう】し、北斗を援【と】りて桂漿【けいしゅう】を酌【く】む。
餘が轡を撰【も】ちて高く駝翔【ちしゃう】し、杳として冥冥として以て東に行く。」

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326



     
  同じ日のブログ 
     1326悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩503 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1326 
     1327城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#20>Ⅱ中唐詩416 紀頌之の漢詩ブログ1327 
     1328雨晴 杜甫 <287> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1328 杜甫詩 700- 407 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     


悲哉行
萋萋春草生,王孫遊有情,
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
檐上雲結陰,澗下風吹清,
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
幽樹雖改觀,終始在初生。
薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。

松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,
風がこちらに来たからといってそれに頼ってしまってはいけない。鳥が去って行く様にどうして聞き流してしまうのだろうか。
松に絡むつたは蔓延していることを歓喜するし、その纏わって蔦はからみ纏わることを欣喜雀躍する。
眇然遊宦子,晤言時未并,
取るに足りないことであるが故郷を離れて務めている役人がいる、相対してうちとけて語ることは時に全く意に沿わないものがいる。
鼻感改朔氣,眼傷變節榮,
鼻が感じることは、秋が改ためられて北方から吹いてくる寒気であるし、目が傷つくことは季節の華やかに栄えるのが変化していくことである。
侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
志を失うことはどうしてやるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまということだ、
風來不可托,鳥去豈為聽。


現代語訳と訳註
(本文)

松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,
眇然遊宦子,晤言時未并,
鼻感改朔氣,眼傷變節榮,
侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
風來不可托,鳥去豈為聽。


(下し文)
松の蔦【つた】蔓延【まんえん】を歓び、樛【まつわ】れる葛 虆縈【るいし】するを欣ぶ
眇然【びょうぜん】たり遊宦【ゆうかん】の子、悟言す時に未だ并【あ】わざるを。
鼻にて朔気に改むるを感じ、眼は節の栄ゆるを変ずるを傷む。
侘傺【たてい】豈 徒然ならんや、澶漫【たんまん】に音形 絶ゆ。
風来たるも託す可からず、鳥去り 豈 聴くを為さんや。


(現代語訳)
松に絡むつたは蔓延していることを歓喜するし、その纏わって蔦はからみ纏わることを欣喜雀躍する。
取るに足りないことであるが故郷を離れて務めている役人がいる、相対してうちとけて語ることは時に全く意に沿わないものがいる。
鼻が感じることは、秋が改ためられて北方から吹いてくる寒気であるし、目が傷つくことは季節の華やかに栄えるのが変化していくことである。

志を失うことはどうしてやるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまということだ、
風がこちらに来たからといってそれに頼ってしまってはいけない。鳥が去って行く様にどうして聞き流してしまうのだろうか。


(訳注)
松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,
松に絡むつたは蔓延していることを歓喜するし、その纏わって蔦はからみ纏わることを欣喜雀躍する。
松蔦 この詩に言う松は、男性、男性に局所。蔦は女性を示す。


眇然遊宦子,晤言時未并,
取るに足りないことであるが故郷を離れて務めている役人がいる、相対してうちとけて語ることは時に全く意に沿わないものがいる。
・眇然 小さいさま。取るに足りないさま。・遊宦 故郷を離れて務めている役人。・晤言【ごげん】相対してうちとけて語ること。また、そのことば。(「悟」「晤」は、あう、むかいあうの意)


鼻感改朔氣,眼傷變節榮,
鼻が感じることは、秋が改ためられて北方から吹いてくる寒気であるし、目が傷つくことは季節の華やかに栄えるのが変化していくことである。
朔氣 北方から吹いてくる寒気。


侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
志を失うことはどうしてやるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさまということだ、
侘傺 志を失う。・徒然 やるべき事がなくて、手持ち無沙汰なさま。・澶漫 ほしいままなこと。緩やかに長いさま。


風來不可托,鳥去豈為聽。
風がこちらに来たからといってそれに頼ってしまってはいけない。鳥が去って行く様にどうして聞き流してしまうのだろうか。


この詩は、謝靈運の他の詩と比較して疑問のおこる詩である。内容的、語句のつかい方など若い時のものなら理解もできるが異なる語句が随所にある。詩経と楚辞の語句をそのまま使用したり、その内容・背景を借用するということ基づいて作るというより、直接使用している。謝靈運に艶詩は不得手である。

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323

悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323


     
  同じ日のブログ 
     1323悲哉行 謝霊運(康楽) 詩<76-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩502 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1323 
     1324城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#19>Ⅱ中唐詩415 紀頌之の漢詩ブログ1324 
     1325東樓 杜甫 <286> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1325 杜甫詩 700- 406 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
      2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全130首(187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     



悲哉行
萋萋春草生,王孫遊有情,
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
檐上雲結陰,澗下風吹清,
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
幽樹雖改觀,終始在初生。

薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。
松蔦歡蔓延,樛葛欣虆縈,眇然遊宦子,晤言時未并,
鼻感改朔氣,眼傷變節榮,侘傺豈徒然,澶漫絕音形,
風來不可托,鳥去豈為聽。

宮島(3)

現代語訳と訳註
(本文)

悲哉行
萋萋春草生,王孫遊有情,差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,檐上雲結陰,澗下風吹清,
幽樹雖改觀,終始在初生。


(下し文)
悲哉行
萋萋として春草生じ,王孫 遊ぶに情有る,
差池【さち】に鷰【つばめ】始めて飛び,夭裊【ようい】の桃 始めて榮え,
灼灼【しゃくしゃく】桃 悅ぶ色あり,飛飛として燕聲を弄す,
檐の上の雲 陰を結び,澗の下 風吹きて清し,
幽樹 觀を改むと雖も,終始 初生に在り。


(現代語訳)
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。


(訳注)
悲哉行

悲哀を歌うとされるがそうした表現を借りて、男女の交わりをうたう。貴族の遊びの中で詠われた艶歌である。


萋萋春草生,王孫遊有情,
さかんに茂っている春の草木がのびている、「楚辞」で詠う王孫は遊んでいて情をもっている。
萋萋【せいせい】草木の茂っているさま。さいさい。・王孫遊 「楚辞・招隠士」 「王孫遊兮不帰、春草生兮萋萋」(王孫遊びて帰らず、春草生じて萋萋たり)・・王孫 楊 王孫(よう おうそん、生没年不詳)は、前漢の武帝の時代の人。自らを裸葬にさせた。 黄老の術を学び、家は千金を生む仕事を行っていた。
謝靈運『登池上樓』「池塘生春草,園柳變鳴禽。」登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  詩集 395 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1002

差池鷰始飛,夭裊桃始榮,
翼を動かしツバメが飛び始めるし、若くやわらかくしなりながら桃が初めて栄える。
差池 等しくないさま。互い違いにするさま。羽を伸ばす形容。『詩経、北風』「燕燕干飛、差池其羽」(燕燕は干き飛ぶに、其の羽を差池にす)


灼灼桃悅色,飛飛燕弄聲,
あでやかな桃は喜びの色になり、飛び回るツバメは声を上げる。
『詩経國風 周南』桃夭「桃之夭夭 灼灼其華」若々しい桃の木、艶艶した其の華(その様に美しい)


檐上雲結陰,澗下風吹清,
軒端の上にいたツバメが飛び立ち、雲の影に入っていく、谷の下には風が吹きすがすがしさを運ぶ。
【のき】1 屋根の下端で、建物の壁面より外に突出している部分。2 庇(ひさし)。


幽樹雖改觀,終始在初生。
薄暗い木の陰に姿を改めているとしても、初めから終わりまで、うぶなものとしてあるのだ。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

     
  同じ日のブログ 
     1320君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320 
     1321城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#18>Ⅱ中唐詩414 紀頌之の漢詩ブログ1321 
     1322貽阮隱居 杜甫 <285-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1322 杜甫詩 700- 405 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
   2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
     2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~187回) 
   2012/1/11 唐宋 Ⅰ李商隠187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     

君子有所思行
總駕越鍾陵,還願望京畿,
君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
躑躅周名都,遊目倦忘歸,
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
市鄽無阨室,世族有高闈,
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである。
密親麗華苑,軒甍飭通逵,
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
孰是金張樂,諒由燕趙詩,

一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。

長夜恣酣飲,窮年弄音徽,
別れの長い夜は酒をくみ交わすのが最も盛んになり、飲みまくる。人の一生涯は琴の音に象徴されるようにもてあそぶ。
盛往速露墮,衰來疾風飛,
それは盛んなる年頃においては、露がしたたり落ちる間のようであり、衰え始めると風で飛ばされるほど速いものだ。
餘生不歡娛,何以竟暮歸,
残された命、歓楽と娯楽をしないというなら、なにをもって人生の最期を迎えられるというのか。
寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
人の気配がなく、寂しい感じがする肱を曲げて枕の代わりとして休むことができる、飲みものはただ瓢にある水をのみ、朝もひもじいきわめて質素な生活のなかで療養できる。
所秉自天性,貧富豈相譏。
盛者必衰の人生において自分の天性のものにのっとり生きていくものであり、貧しかろうと富んでいようとどうして人から謗られるというのか。


現代語訳と訳註
(本文)

長夜恣酣飲,窮年弄音徽,盛往速露墮,衰來疾風飛,
餘生不歡娛,何以竟暮歸,寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
所秉自天性,貧富豈相譏。


(下し文)
長夜【ちょうや】酣飲【かんいん】するを恣【ほしいまま】にし,窮年【きゅうねん】弄音徽【おんび】を【mてあそ】ぶ,
盛の往くは露の墮つるより速く,衰の來たるは風の飛ぶより疾【はや】し,
餘生 歡娛せざれば,何を以って竟に暮歸せん,
寂寥【せきりょう】たる肱を曲げる子,瓢飲【ひょういん】朝饑【ちょうき】を療せん,
秉【と】る所 天性よりし,貧富 豈に相い譏【そし】らん。


(現代語訳)
別れの長い夜は酒をくみ交わすのが最も盛んになり、飲みまくる。人の一生涯は琴の音に象徴されるようにもてあそぶ。
それは盛んなる年頃においては、露がしたたり落ちる間のようであり、衰え始めると風で飛ばされるほど速いものだ。
残された命、歓楽と娯楽をしないというなら、なにをもって人生の最期を迎えられるというのか。
人の気配がなく、寂しい感じがする肱を曲げて枕の代わりとして休むことができる、飲みものはただ瓢にある水をのみ、朝もひもじいきわめて質素な生活のなかで療養できる。
盛者必衰の人生において自分の天性のものにのっとり生きていくものであり、貧しかろうと富んでいようとどうして人から謗られるというのか。


(訳注)
長夜恣酣飲,窮年弄音徽,
別れの長い夜は酒をくみ交わすのが最も盛んになり、飲みまくる。人の一生涯は琴の音に象徴されるようにもてあそぶ。
酣飲 行事・季節などが最も盛んになった時。盛りが極まって、それ以後は衰えに向かう時。また、そのようなさま。真っ盛り。真っ最中。・窮年 人の一生涯。・【しるし】. 細い組みひものしるし。転じて、小さい物で全体を代表させたしるし。


盛往速露墮,衰來疾風飛,
それは盛んなる年頃においては、露がしたたり落ちる間のようであり、衰え始めると風で飛ばされるほど速いものだ。


餘生不歡娛,何以竟暮歸,
残された命、歓楽と娯楽をしないというなら、なにをもって人生の最期を迎えられるというのか。
暮歸 人生の最期。


寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
人の気配がなく、寂しい感じがする肱を曲げて枕の代わりとして休むことができる、飲みものはただ瓢にある水をのみ、朝もひもじいきわめて質素な生活のなかで療養できる。
寂寥 【せきりょう】とは。人の気配がなく、寂しい感じがするさま。また、心が満たされず、寂しいさま。・曲肱 『論語』に記された顔回の、肱を曲げて枕の代わりとして休み、飲みものはただ瓢にある水のみという、きわめて質素な生活のなかで、人間の生きてゆく方法を追究したことを述べる。・饑【ひだる】い、空腹である。ひもじい。


所秉自天性,貧富豈相譏。
盛者必衰の人生において自分の天性のものにのっとり生きていくものであり、貧しかろうと富んでいようとどうして人から謗られるというのか。


長夜【ちょうや】酣飲【かんいん】するを恣【ほしいまま】にし,窮年【きゅうねん】弄音徽【おんび】を【mてあそ】ぶ,
盛の往くは露の墮つるより速く,衰の來たるは風の飛ぶより疾【はや】し,
餘生 歡娛せざれば,何を以って竟に暮歸せん,
寂寥【せきりょう】たる肱を曲げる子,瓢飲【ひょういん】朝饑【ちょうき】を療せん,
秉【と】る所 天性よりし,貧富 豈に相い譏【そし】らん。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

     
  同じ日のブログ 
     1317君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317 
     1318城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#17>Ⅱ中唐詩413 紀頌之の漢詩ブログ1318 
     1319貽阮隱居 杜甫 <285-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1319 杜甫詩 700- 404 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
    2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~187回) 
 2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文/現代語訳 (全文) 
     
君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>


君子有所思行
總駕越鍾陵,還願望京畿,
君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
躑躅周名都,遊目倦忘歸,
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
市鄽無阨室,世族有高闈,
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである。
密親麗華苑,軒甍飭通逵,
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
孰是金張樂,諒由燕趙詩,

一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。

長夜恣酣飲,窮年弄音徽,盛往速露墮,衰來疾風飛,
餘生不歡娛,何以竟暮歸,寂寥曲肱子,瓢飲療朝饑,
所秉自天性,貧富豈相譏。




現代語訳と訳註
(本文)

總駕越鍾陵,還願望京畿,躑躅周名都,遊目倦忘歸,
市鄽無阨室,世族有高闈,密親麗華苑,軒甍飭通逵,
孰是金張樂,諒由燕趙詩,


(下し文)
總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,
躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,
市鄽【してん】には阨き室無く,世族高き闈【くらい】に有り,密親は麗華苑【かえん】より,軒の甍【いらか】は通逵【つうき】を飭【かざ】る,
孰【いずれ】か是れ金張の樂しみ,諒【まこと】に燕や趙の詩に由らん,


(現代語訳)
君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである。
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。


(訳注)
總駕越鍾陵,還願望京畿,

君子の車馬は臨川から鍾陵をこえていく、また都に帰ろうと願って見回している。
總駕 君子の車馬。・鍾陵 現在江西省高安県・京畿 漢字文化圏で京師(みやこ)および京師周辺の地域のこと。


躑躅周名都,遊目倦忘歸,
このあたりの名都というところには見て回り足ぶみして行くことが出来ない、遊び回っていて変えることをついつい忘れてしまう。
・躑躅 中国で毒性のあるツツジを羊が誤って食べたところ、足ぶみしてもがき、うずくまってしまったと伝えられています。このようになることを躑躅(てきちょく)と言う漢字で表しています。通常はつつじのことあるが、ここでは足ぶみして行くことが出来ない様子をいう。


市鄽無阨室,世族有高闈,
市場のお店には区分けされた部屋はないし、代々血統が続いてきた一族というものは宮中の小門の血筋、皇后の血縁なのである
・鄽 みせ。・世族 代々血統が続いてきた一族。・ 宮中の小門。奥の部屋。


密親麗華苑,軒甍飭通逵,
近しい親族には華麗で輝かしい学究者もいる。軒端の瓦が大通りに面するように我々一族はこの血統に対応しているのだ。
・密親 近しい親族。・華苑 1 囲いをして、植物を植え、または、鳥獣を放し飼いにする所。その。「外苑・御苑(ぎょえん)・禁苑」2 学問・芸術の集まる所。・通逵 【つうき】往来の激しいにぎやかな通り、本道。


孰是金張樂,諒由燕趙詩,
一族においていずれの時にか前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者の金日磾と張安世のように權力ある貴族のようになれるだろうし、本当の所、燕趙詩でいうところの親しい者が去っていったことを詠うのである。
金張 金日磾と張安世と。二人は前漢宣帝に仕へて權勢を振ひし者。轉じて權力ある貴族の義とす。
燕趙詩 燕詩:「燕詩示劉叟」燕に託して、親子の情をうたいあげる。心に強く訴えかけてくる詩である。劉叟の息子が老いた親を置いて家を出て行き、帰ってこなくなったことについて、詠った。或いは、劉叟に仮託して、親しい者が去っていったことをいうのか。


(君子 思う所有るの行)
總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,
躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,
市鄽【してん】には阨き室無く,世族高き闈【くらい】に有り,密親は麗華苑【かえん】より,軒の甍【いらか】は通逵【つうき】を飭【かざ】る,
孰【いずれ】か是れ金張の樂しみ,諒【まこと】に燕や趙の詩に由らん,

泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314

     
  同じ日のブログ 
 

1314

泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314 
 

1315

城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#16>Ⅱ中唐詩412 紀頌之の漢詩ブログ1315 
 

1316

太平寺泉眼 杜甫 <284-#3> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1316 杜甫詩 700- 403 
   
 李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡 
 2011/7/11李商隠 1 錦瑟 
 2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首(1~185回) 
 2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文) 
     



泰山吟 謝霊運(康楽) 詩<74>Ⅱ李白に影響を与えた詩499 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1314





泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。



現代語訳と訳註
(本文)
泰山吟
岱宗秀維岳,崔崒剌雲天,
岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
石閭何晻藹,明堂祕靈篇。


(下し文)
岱宗【たいそう】は維嶽【いがく】より秀【ひい】で、崔崒【さいしゅつ】して雲天を刺す。
岝崿【さくがく】既に嶮巇しく、石に触るれば輒ち芊綿す。
登封【とうほう】し崇壇【しゅうだん】に痙【うず】む、降禅【こうぜん】し蔵すること粛然たり。
石閭【せきりょ】何ぞ晻藹【うすぐら】き、明宝 秘霊篇。


(現代語訳)
我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
瘗 地中にふかくうずめる。墓にうずめる。
泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。


(訳注)
泰山吟

楚調曲にて歌う。全篇、泰山の高く険しき霊場を歌う。
この詩は黄節によると、宋の太祖が、在位が長かったので、泰山にて封禅せんとして、使いを遣わしたとき、霊運がこの篇を作ったのであろうと推定されているが、謝靈運が皇帝の封禅に対して、賛同し、心から希望し喜んでいるわけではないことがよく読めるものではなかろうか。


岱宗秀維岳,崔崒剌雲天,
我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
岱宗 泰山の別名。・維岳 封禅をする太い綱でつながっている山々。・崔崒 高く嶮しいさま。


岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
岝崿 山の高い形容。・嶮巇 山道が峻険なようすをいう。峻険の中でも峻険なさま。・ 広く人々に告げ知らせること。また、その人。・ 草がしげる。山の青々としたさま。


登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
 地中にふかくうずめる。墓にうずめる。・肅然 粛然山


石閭何晻藹,明堂祕靈篇。
泰山、石閭山で封じて、明堂という祠を建てた。世の中が安寧になると行われるものなのだがどうして今暗いままなのか、明堂という祠を建てることなどできないで、ただ霊に対してこの詩篇を納めるだけなのだ。
石閭 石閭山在山東泰安縣南四十五里
明堂 .祠明堂.
封禅の儀式は、封と禅に分かれた2つの儀式の総称を指し、天に対して感謝する「封」の儀式と地に感謝する「禅」の儀式の2つ構成されていると言われている。

司馬遷の『史記』(卷二十八封禪書第六)の注釈書である『史記三家注』によれば、
「正義此泰山上築土為壇以祭天,報天之功,故曰封.此泰山下小山上除地,報地之功,故曰禪.(『史記正義』には、泰山の頂に土を築いて壇を作り天を祭り、天の功に報いるのが封で、その泰山の下にある小山の地を平らにして、地の功に報いるのが禅だ、とある。)」
『史記三家注』では続いて『五経通義』から「易姓而王,致太平,必封泰山,(王朝が変わって太平の世が至ったならば、必ず泰山を封ぜよ)」という言葉を引用している。

前漢 武帝劉徹
元封元年(紀元前110年) 封泰山、禅粛然山
元封2年(紀元前109年)  封泰山、祠明堂
元封5年(紀元前106年)  封泰山、祠明堂
太初元年(紀元前104年) 封泰山、禅蒿里山
太初3年(紀元前102年)  封泰山、禅石閭山
天漢3年(紀元前98年)   封泰山、祠明堂
太始4年(紀元前93年)   封泰山、禅石閭山
征和4年(紀元前89年)   封泰山、禅石閭山

後漢
光武帝劉秀  建武32年(56年) 封泰山、禅梁父山
章帝 劉烜  元和2年(85年) 柴祭泰山、祠明堂
安帝 劉祜  延光3年(124年) 柴祭泰山、祠明堂


我らが崇高に思う泰山は封禅をする太い綱でつながっている山々の中で秀でた山である。その山は高く嶮しく雲を衝き天まで突き抜けるものなのだ。
岝崿既嶮巇,觸石輒芊綿,
高くそびえる山には登るには峻嶮すぎる、やまは石岩でできておりそこには封禅の碑文が彫られており、連綿と続いている。
登封瘗崇壇,降禪藏肅然,
古代より天下が安寧になるとこの山に登り封禅を行った、前漢の武帝は泰山で封じて粛然山で禅師納めた。
石閭何晻藹,明堂祕靈篇。

折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1311

 同じ日のブログ
13111311 折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1311
13121312 城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#15>Ⅱ中唐詩411 紀頌之の漢詩ブログ1312
13131313 太平寺泉眼 杜甫 <284-#2> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1313 杜甫詩 700- 402
 
李商隠詩李商隠/韓愈韓退之(韓愈)・柳宗元・李煜・王安石・蘇東坡
2011/7/11李商隠 1 錦瑟
2011/7/11 ~ 2012/1/11 まで毎日掲載 全約150首
2012/1/11唐宋詩 Ⅰ李商隠 187 行次西郊作一百韻  白文  現代語訳 (全文)




折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故鄉客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

その二 #1
騷屑出穴風,揮霍見日雪,
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている。
颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
未覺泮春冰,巳復謝秋節,

春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。
騒屑【そうせつ】として穴より出ずる風、揮霍【きかく】して日ごと雪を見る。
颼颼【そうそう】として久しく揺らすこと無く、皎皎として幾時か潔からん。
未だ覚らず春氷を泮【と】くを、己に復た秋節を謝す。
#2
空對尺素遷,獨視寸陰滅,
詩歌を書いてはまた書くしかしそれがむなしい手紙でしかないのだ。そして、ただ一人このわずかにすぎていく時間を見るだけなのだ。
否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないでいるが易では天下無法の乱世が来る、泰は小往き大来るであり、蚕は茅の葉を棚にして飼う茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉というが難しい。
桑茅迭生運,語默寄前哲。

桑と茅は重要でたがいに運命を生じるものである。この別れの時において、言葉を語るのではなくて易経の考えでもって代えることにする。
空しく尺素【しゃくそ】の遷【うつ】るに対し、独り寸陰【すんいん】の滅するを視る。
否桑【ひそう】未だ繋け易からず、泰茅【たいぼう】重ねて抜け難し。
桑茅【そうぼう】迭【たが】いに生運し、語黙して前哲に寄す

折楊柳0002


現代語訳と訳註
(本文)

折楊柳行二首 その二
#2
空對尺素遷,獨視寸陰滅,
否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑茅迭生運,語默寄前哲。


(下し文)
空しく尺素【しゃくそ】の遷【うつ】るに対し、独り寸陰【すんいん】の滅するを視る。
否桑【ひそう】未だ繋け易からず、泰茅【たいぼう】重ねて抜け難し。
桑茅【そうぼう】迭【たが】いに生運し、語黙して前哲に寄す。


(現代語訳)
詩歌を書いてはまた書くしかしそれがむなしい手紙でしかないのだ。そして、ただ一人このわずかにすぎていく時間を見るだけなのだ。
桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないでいるが易では天下無法の乱世が来る、泰は小往き大来るであり、蚕は茅の葉を棚にして飼う茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉というが難しい。

桑と茅は重要でたがいに運命を生じるものである。この別れの時において、言葉を語るのではなくて易経の考えでもって代えることにする。

(訳注)
空對尺素遷,獨視寸陰滅,

詩歌を書いてはまた書くしかしそれがむなしい手紙でしかないのだ。そして、ただ一人このわずかにすぎていく時間を見るだけなのだ。
尺素 一尺ほどの白絹。伝言文転じて一首の詩を意味する。・寸陰 僅かの時間。光陰矢の如し。


否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないでいるが易では天下無法の乱世が来る、泰は小往き大来るであり、蚕は茅の葉を棚にして飼う茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉というが難しい。
否桑 桑や梓の農耕作業をするために隠遁するということが出来ないこと。易の卦に託し繋ぐこと。(天地否) 天下無法の乱世が来るのは人災である。
泰茅 易経 泰は小往き大来る。天地交わるは泰なり。蚕は茅の葉を棚にして飼う。茅を抜くとその根が連なって抜けるように、多くの同士とともに積極的に活動すれば、吉という。


桑茅迭生運,語默寄前哲。
桑と茅は重要でたがいに運命を生じるものである。この別れの時において、言葉を語るのではなくて易経の考えでもって代えることにする。

折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1308

折楊柳行 その二 謝霊運(康楽) 詩<73-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1308

1309 韓愈のブログ 城南聯句 韓退之(韓愈)詩<64-#14>Ⅱ中唐詩410 紀頌之の漢詩ブログ1309
1310 杜甫のブログ 太平寺泉眼 杜甫 <284-#1> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1310 杜甫詩 700- 401


折楊柳行二首 その一
鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故鄉客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,抆淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

その二 #1
騷屑出穴風,揮霍見日雪,
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている。
颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
未覺泮春冰,巳復謝秋節,

春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。
騒屑【そうせつ】として穴より出ずる風、揮霍【きかく】して日ごと雪を見る。
颼颼【そうそう】として久しく揺らすこと無く、皎皎として幾時か潔からん。
未だ覚らず春氷を泮【と】くを、己に復た秋節を謝す。

#2
空對尺素遷,獨視寸陰滅,
否桑未易繫,泰茅難重拔,
桑茅迭生運,語默寄前哲。

youryuu05

 現代語訳と訳註
(本文)

折楊柳行二首 その二
騷屑出穴風,揮霍見日雪,颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,未覺泮春冰,巳復謝秋節,


(下し文)
騒屑【そうせつ】として穴より出ずる風、揮霍【きかく】して日ごと雪を見る。
颼颼【そうそう】として久しく揺らすこと無く、皎皎として幾時か潔からん。
未だ覚らず春氷を泮【と】くを、己に復た秋節を謝す。


(現代語訳)
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている。
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。


(訳注)
騷屑出穴風,揮霍見日雪,
もう、騒々しく風が吹くのは穴から出て吹いてくる。夏の日に攪乱するような病気の症状があったがすでに日々雪をみるような寒い時期になっている
騒屑 行ったり来たり、騒々しい風の音。紛擾のさま、四苦八苦している。杜甫『自京赴奉先縣詠懷五百字』「生常免租税、名不隸征伐。撫迹猶酸辛、平人固騒屑。」揮霍 揮霍撩乱;日射病や暑気あたり、江戸時代には夏に起こる激しい吐き気や下痢を伴う急性の病気をいった。「霍(カク)」=慌ただしく飛ぶ鳥の羽音。すみやか・ はやい。鶴。


颼颼無乆搖,皎皎幾時潔,
しゅうしゅうと雨や風の音がかすかである紫雨が何も揺らすことはない静かに降っている。そうして何もなく広々としているさまいずれの時になれば讒言などない清らかな時代が来るのだろうか。
・颼颼【そうそう】雨や風の音がかすかであるさま。しゅうしゅう。・皎皎【こうこう/皓皓】1 白く光り輝くさま。清らかなさま。2 何もなく広々としているさま。


未覺泮春冰,巳復謝秋節,
春になっての氷が解け始めそれが半ばになるかどうかはまだわからない。と思っていたら、また、中秋節も去ってしまった。
 分散する,分解する.・ さる。
秋節 旧暦8月15日の中秋節は、春節(旧正月)、元宵節、端午節とならぶ「中国の四大伝統祭り」と呼ばれている。この日の夜は一家団欒して、庭に供え物をならべ、月を拝んで月見をする。


プロフィール

紀 頌之

Twitter プロフィール
メッセージ

名前
メール
本文
記事検索
最新記事(画像付)
メッセージ

名前
メール
本文
カテゴリ別アーカイブ
タグクラウド
QRコード
QRコード
最新記事(画像付)
記事検索
  • ライブドアブログ