無名氏挽歌 《薤露歌》 露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一たび去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえることはないのである
2013年6月28日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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《薤露歌》 無名氏挽歌 漢魏詩<90>古詩源 巻五 809 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2593
薤露歌
(人生のはかない挽歌の歌)
薤上露、何易晞。
人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
露晞明朝更復落。
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
人死一去何時歸。
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。
薤露【かいろ】の歌
薤上【かいじょう】の露、何ぞ晞【かわ】き易き。
露 晞【かわ】けば 明朝 更に復た落つ。
人 死して一たび去れば何れの時か歸らん。
『薤露歌』 現代語訳と訳註(本文)
薤露歌
薤上露、何易晞。
露晞明朝更復落。
人死一去何時歸。
(下し文)
薤露【かいろ】の歌
薤上【かいじょう】の露、何ぞ晞【かわ】き易き。
露 晞【かわ】けば 明朝 更に復た落つ。
人 死して一たび去れば何れの時か歸らん。
(現代語訳)
(人生のはかない挽歌の歌)
人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。
(露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一たび去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえることはないのである)
(訳注)
薤露歌
人生のはかない挽歌の歌
・薤 にら。草の名。地中にできる卵状の白い鱗茎りんけいは食用とする。らっきょう。おおにら。ユリ科の多年草。原産地は中国。鱗茎は卵形で白色。一種の臭気があるが、漬けて食用にする。
(薤露蒿里)人生のはかないことのたとえ。
「薤露」「蒿里」ともに挽歌(葬送の時の哀悼歌)の曲。
漢の田横でんおうが高祖に仕えることを恥じて自殺した時、その死を悼んで門人が作った挽歌で、武帝の時、李延年が二曲を分けて「薤露」は王侯貴族の葬送に、「蒿里」は下級官吏・士大夫・庶人の葬式に用いた。「薤露」は、薤らっきょうの葉に置いた露が乾きやすく落ちやすいのを命のはかなさにたとえたことから。「蒿里」はもと、山の名で、人が死ぬとその霊魂がここに集まり来るといわれた。
『蒿里曲』「蒿里誰家地,聚斂魂魄無賢愚。鬼伯一何相催促,人命不得少踟。」になる。なお、曹操にも『蒿里行』「關東有義士,興兵討群凶。初期會盟津,乃心在咸陽。軍合力不齊,躊躇而雁行。勢利使人爭,嗣還自相。淮南弟稱號,刻璽於北方。鎧甲生虱,萬姓以死亡。白骨露於野,千里無鷄鳴。生民百遺一,念之斷人腸。」がある。
薤上露、何易晞。
人の生命は草葉にやどる露よりもはかないものだという。まことに、にらの上の露のかわきやすきことよ。
・薤上露
・何:なぜ。何と。疑問、詠嘆の辞。
・易:容易に。たやすく。
・晞:かわく。日の出。日光にさらす。
露晞明朝更復落。
けれど露は今日かわいているのに、明朝はまた新しくやどり、そしておちる。
*漢・古樂府『長歌行』では、「青青園中葵,朝露待日晞。」と、時間の経過を詠って使われている。 ・明朝:明日の朝。 ・更復:さらにまた。 ・落:下りる。
人死一去何時歸。
人はいったん死んだら、いつまた帰り来るのだろうか。永久に帰らないのだ。
(露は乾いても、翌朝になれば、また再び降りるが、それに反して、人が死んで、一たび去ってしまえば、いつ帰ってくるのだろうか。つゆのように又にらの上にかえることはないのである)
・人死:人が死ぬ。 ・一去:ひとたび去る。荊軻の『易水歌』「壯士一去兮不復還。」と文型は同じ。 ・何時:いつ。 ・歸:かえる。本来の場所である自宅や故郷、墓所にかえること。
