漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

楽府

班孟堅(班固)《東都賦》(33) 文選 賦 賦<113―33>18分割35回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1035 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3723

班固《東都賦》(33) (靈臺の詩)そもそも文王の霊台はその仁徳を以ていとなまれるものであり、雲台ははやくも高くそびえる。明帝はつとめて時にあたってここに登られ、敬きめでたきしるしを問いただす。日月星の三光は、くまなくかがやきわたり、水火金木土の五行は、順序のとおりめぐりゆく。やんごとなきさいわいの風はそよそよとふきわたり、いつくしみの雨はひろく静かに降る。


2014年2月9日 の紀頌之5つのブログ
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(31) 16

明堂詩

於昭明堂,明堂孔陽。

聖皇宗祀,穆穆煌煌。

上帝宴饗,五位時序。

誰其配之,世祖光武。

普天率土,各以其職。

猗歟緝熙,允懷多福。

ああ、明堂というものはけがれなき、政教を明らかにされるところであり、明堂は国をとても鮮明にしていくところである。

聖徳なる天子は祖先を最も大切なものとしてまつり、これほどに威儀多く、つつましくして美しく立派なこととされる。

地上の主宰者である天子も郊祀楽,儀礼の宴饗楽をおこなう、東西南北と中央の五方に分け、それぞれ五神とさだめられた席にならびたまう。

神に配されし人は誰であろうか、それは世祖光武の帝その人である。

大地をあまねくおおっている広大な天が陸地と海との接する果てまでの国土、その天下国土より、その職司をもって祭りに当たる。

ああ、徳があり広く知れわたることとなり、まことにこれほどの多福が来るのである。

 

(32) #17

辟雍詩

乃流辟雍,辟雍湯湯。

聖皇蒞止,造舟為梁。

皤皤國老,乃父乃兄。

抑抑威儀,孝友光明。

於赫太上,示我漢行。

洪化惟神,永觀厥成。

(天子が建てられた大学、辟雍の詩)

天子が建てられた辟雍は水面に浮んでいるようだ、辟雍をめぐって水はゆたかに滔滔と流れている。

聖徳の天子はその場に儀礼、作法にのっとったふるまいされ、舟を造りて浮き橋となれた。

髪白き国老をうやまい、父とし兄として仕えるように教えられる。

注意深く細心な起ち居振舞いをしなければいけないとし、孝悌の情についてもあきらかにし、かくすところなどあってはならない。

ああ、かがやける天子よ、我が漢の国の歩む道を示すものである。

天子の大いなる徳化は神のわざのようである、そして、それはとこしえにその成功、盛栄を見せられるのである。

 

(33) 18

靈臺詩

(靈臺の詩)

乃經靈臺,靈臺既崇。

そもそも文王の霊台はその仁徳を以ていとなまれるものであり、雲台ははやくも高くそびえる。

帝勤時登,爰考休徵。

明帝はつとめて時にあたってここに登られ、敬きめでたきしるしを問いただす。

三光宣精,五行布序。

日月星の三光は、くまなくかがやきわたり、水火金木土の五行は、順序のとおりめぐりゆく。

習習祥風,祁祁甘雨。

やんごとなきさいわいの風はそよそよとふきわたり、いつくしみの雨はひろく静かに降る。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

百穀はのびそだち豊穣となり、もろもろの草木はしげりにしげる。

屢惟豊年,於皇樂胥。

豊穣の年はたびかさなり、ああ、いとも楽しきことにあふれる。

辟雍00 

 

『東都賦』 現代語訳と訳註

(本文)

靈臺詩

乃經靈臺,靈臺既崇。

帝勤時登,爰考休徵。

三光宣精,五行布序。

習習祥風,祁祁甘雨。

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

屢惟豊年,於皇樂胥。

 

 

(下し文)

靈臺の詩

乃れ靈臺【れいだい】を経【いとな】みて、靈臺既に崇し。

帝 勤めて時に登り、爰【ここ】に休徴を考ふ。

三光 精を宣べ、五行 布き序【つい】づ。

習習たる祥風祁祁【きき】たる甘雨。

百穀 蓁蓁【しんしん】として、庶草 蕃廡【はんぶ】す。

屢【しばし】ば惟れ豊年、於【ああ】皇【おおい】に楽し。

 

(現代語訳)

(靈臺の詩)

そもそも文王の霊台はその仁徳を以ていとなまれるものであり、雲台ははやくも高くそびえる。

明帝はつとめて時にあたってここに登られ、敬きめでたきしるしを問いただす。

日月星の三光は、くまなくかがやきわたり、水火金木土の五行は、順序のとおりめぐりゆく。

やんごとなきさいわいの風はそよそよとふきわたり、いつくしみの雨はひろく静かに降る。

百穀はのびそだち豊穣となり、もろもろの草木はしげりにしげる。

豊穣の年はたびかさなり、ああ、いとも楽しきことにあふれる。

hakubai01 

(訳注)

靈臺詩

詩經大雅文王之什靈臺. 毛詩序:《靈臺》「經始靈臺、經之營之。 庶民攻之、不日成之。 經始勿亟、庶民子來。」靈臺とは文王が密を討じて後に豊邑を作って、此の台を築いたのである。名称は人民が文王の死後、その仁徳に対し、その善霊の徳を仰いで、霊台と称した。

韻 前二聯と、次の三聯、すべて偶数句にあり換韻する。崇・は各々冬部、通韻。序・雨・は古音の魚部に属する。

 

乃經靈臺,靈臺既崇。

そもそも文王の霊台はその仁徳を以ていとなまれるものであり、雲台ははやくも高くそびえる。

経霊台 「霊台を経始し、之を経し之を営む」(『詩経』大雅、文王之什の霊台篇)。

既崇 前記詩篇の句に続いて「庶民之を攻(紬)め、日ならずして之を成す」とある。嵩は上へ高くするの意。

 

帝勤時登,爰考休徵。

明帝はつとめて時にあたってここに登られ、敬きめでたきしるしを問いただす。

帝 明帝

勤 足しげく…するの意。

 

三光宣精,五行布序。

日月星の三光は、くまなくかがやきわたり、水火金木土の五行は、順序のとおりめぐりゆく。

三光 日月星をいう。霊台は天文現象を見て、政治の善悪を正す。永平二年の詔に「霊台に登り、儀度を正す」(明帝紀、『東観漢記』など)。

宣精 光明。宣輪はくもりなく三つともかがやきわたることで、善政の吉兆。

五行 水火金木土(『尚書』洪範)。万物を生ずる五元素。この元素が始めて生じた順序に並ぶ。この順序がみだれないと、万物はそだち、太平の世となる。

 

習習祥風,祁祁甘雨。

やんごとなきさいわいの風はそよそよとふきわたり、いつくしみの雨はひろく静かに降る。

習習 そよそよ吹く風。「習習たる谷風」(『詩経』邶風)。

祁祁 しずかなさま。風雨がおだやかだと、祥風甘雨が万物をそだてる。天文とも関係あり、たとえば「熒惑(星)順行は、廿雨の時」(『尚書』考霊耀)という。

 

百穀蓁蓁,庶草蕃廡。

百穀はのびそだち豊穣となり、もろもろの草木はしげりにしげる。

蓁蓁蕃廡 前者は茂るで、しげるでものびていく。後者は繁るで広がりふえる。

 

屢惟豊年,於皇樂胥。

豊穣の年はたびかさなり、ああ、いとも楽しきことにあふれる。

 は辟薙詩の荏止の止と同じく、助詞の働きをする。用例「君子楽常す」(『詩経』)などと見える。
長安城漢唐 

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

諸葛亮 《梁甫吟》斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。

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梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643


「梁甫吟」
(梁甫の詩を吟じる。)
歩出齊城門、遙望蕩陰里。
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
里中有三墓、累累正相似。
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
問是誰家墓、田彊古冶子。
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。
力能排南山、文能絶地紀。
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
一朝被讒言、二桃殺三士。
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
誰能為此謀、國相齊晏子。
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。

 (梁甫の吟)
歩して齊の城門を出で、遙かに蕩陰里を望む。
里中に三墳有り、累累として正に相似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ、田強 古冶子。
力は能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。
一朝讒言を被り、二桃三士を殺す。
誰か能く此の謀 を為す、國相齊の晏子なり。

嚢陽一帯00












『梁甫吟』 現代語訳と訳註
(本文)
歩出齊城門、遙望蕩陰里。
里中有三墓、累累正相似。
問是誰家墓、田彊古冶子。
力能排南山、文能絶地紀。
一朝被讒言、二桃殺三士。
誰能為此謀、國相齊晏子。


(下し文)
(梁甫の吟)
歩して齊の城門を出で、遙かに蕩陰里を望む。
里中に三墳有り、累累として正に相似たり。
問う是れ誰が家の墓ぞ、田強 古冶子。
力は能く南山を排し、文は能く地紀を絶つ。
一朝讒言を被り、二桃三士を殺す。
誰か能く此の謀 を為す、國相齊の晏子なり。


(現代語訳)
(梁甫の詩を吟じる。)
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。


(訳注)
諸葛亮孔明
・諸葛亮 (181-234)字は孔明、陽都(山東折水県の南) の人。蜀漢の名臣で、三国時代第一流の人物。劉備三顧の礼に感激して襄陽(湖北省)の隠居を出で、曹操を赤壁に破って丞相となり、劉備の死後はその千割禅を助けて幾を討ったが、陣中に病没した。その 「出師表」は赤誠の発露と文品の高いのによって称せられる。


「梁甫吟」
(梁甫の詩を吟じる。)
・梁甫吟 梁甫は泰山の麓にある山。この題名は、この山に近い地方の人物を詠んだためか、或いはこの附近の地で作ったからであろう。三国志に諸葛亮は好んで梁甫吟を為したとあるから、常にこれを愛吟したと思われる。


歩出齊城門 遙望蕩陰里
斉の城門から歩み出ると遙か先に蕩陰の里が見える。
・斉城門 斉の古城は山東省臨湽県にあった。斉(齊、せい、紀元前1046年 - 紀元前386年)は周代、春秋時代、戦国時代初頭に亘って現在の山東省を中心に存在した国(諸侯)。周建国の功臣太公望によって立てられた国である。
・蕩陰里 斉城附近の里名。


里中有三墓 累累正相似
蕩陰の里の中に三つの墳墓があり、似よった形をなしてつらなっている。
・累累 相連なるさま。


問是誰家墓 田彊古冶子
誰の家系の墓かとたずねてみる。田彊・古冶子(・公孫接ら)のものだという。


力能排南山 文能絶地紀
彼らが合わせれば、その力は南山をもおしのけるほどであり、文才はというと、天柱地維を震動させるほどの人物ということだ。
・南山 斉城南方の山。
・地紀 地経に同じ、大地を維持する大綱。古伝説では天柱地維があって天地が安定を保つと考えた。それを絶つとは天地を震動する意。


一朝被讒言 二桃殺三士
それほどの者でも、いったん讒言というものにあうと、妟子の故事「三士に二桃」でいうように、この三士は殺されてしまったではないか。
・二桃殺三士 三士とは田開彊・古冶子・公孫接。三人は斉の景公に仕え、勇力の士であった。宰相妟子は景公に請うて二桃を三士に与え、功のすぐれた者がこれを食うべきだという。そこで公孫接と田閑粥がまず功をいい、次に古治子がいうと、二士はこれにおよばぬのを認め、功がおよはぬのに桃を取るのは貪るものであり、貪って死なないのは勇がないと考えて共に桃を返して自殺した。古治子はこれを見ておのれひとり生き永らえるのは不仁不義であるとしてまた死んだ、事は妟子春秋・巻二に詳しい。


誰能為此謀 國相齊晏子
誰がそんな謀計をしたのだろうか、それは斉の宰相晏子である。
・國相齊晏子 晏嬰(あんえい、未詳 - 紀元前500年)は、中国春秋時代の斉の政治家。氏は晏、諱は嬰、字は仲、諡は平。莱の夷維の人。父は晏弱(晏桓子)。子は晏圉(あんぎょ)。妻の名及び生まれは史書に記載なし。霊公、荘公光、景公の3代に仕え、上を憚ることなく諫言を行った。名宰相として評価が高く、晏平仲、もしくは晏子と尊称される。

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・名相晏子が何故この計をなしたか。晏子春秋の伝うる所では三勇士が晏子に礼を失したのをふくんで、景公に君臣の義を知らぬ勇士を養うのは、国を危くする本だと諌めたとある。晏子としては別に理由があったのでもあろうが、諸葛亮は「被讒言」といって晏子の狭量を責めている。中国にはこのような子供だましのような逸話が多く残っている。掘り下げて考えればいくらでも背景から考えられるが、歴史の必然性というものを重要視しない国民性の典型の逸話の一つである。


卻東西門行 漢詩<95-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩818 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2638

魏・武帝(曹操)《卻東西門行》#2 それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。
 

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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卻東西門行 漢詩<95-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩818 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2638


卻東西門行
(東西の門にかかわる歌)
鴻雁出塞北、乃在無人郷。
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
挙翅萬里餘、行止自成行。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
冬節食南稲、春日復北翔。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。
田中有轉蓬、随風遠飄揚。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
長與故根絶、萬歳不相當。
もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。
#2
奈何此征夫、安得去四方。
それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。
戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。
冉冉老将至、何時反故郷。
そうしている間に月日はいたずらに過ぎ去り、老いの身がせまりくる。いつになったら故郷に帰れるというのだろうか。
神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
神の龍は深い淵の奥底に隠れ、い泉にかくれ、猛獣は高い岡を歩いてそこに安住している。
狐死歸首丘、故郷安可忘。
狐は死んでも、自分の故丘に首を向けるといぅのに、われらがどうして故郷を忘れることがあるというのか。

(卻【きゃく】東西門の行【うた】)
鴻雁 塞北に出で、乃ち無人の郷に在り。
翅【はね】を挙ぐること萬里餘、行止 自ら行を成す。
冬節に南稲【なんとう】を食し、春日に復た北に翔る。
田中に轉蓬有り、風に随って遠く飄揚【ひょうよう】す。
長く故根と絶ち、萬歳まで相ひ當たらず。

此の征夫を奈何せん、安んぞ四方を去るを得ん。
戎馬 鞍を解かず、鎧甲【がいこう】傍を離れず。
冉冉【ぜんぜん】として老いは将に至らんとす、何れの時にか故郷に反らん。
神龍は深泉に藏【かく】れ、猛獣は高岡【こうこう】に歩す。
狐死して歸って丘に首【むか】ふ、故郷 安んぞ忘るべけんや。



『卻東西門行』 現代語訳と訳註
鷹将 (本文)
#2
奈何此征夫、安得去四方。
戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
冉冉老将至、何時反故郷。
神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
狐死歸首丘、故郷安可忘。


(下し文)
此の征夫を奈何せん、安んぞ四方を去るを得ん。
戎馬 鞍を解かず、鎧甲【がいこう】傍を離れず。
冉冉【ぜんぜん】として老いは将に至らんとす、何れの時にか故郷に反らん。
神龍は深泉に藏【かく】れ、猛獣は高岡【こうこう】に歩す。
狐死して歸って丘に首【むか】ふ、故郷 安んぞ忘るべけんや。


(現代語訳)
それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。
兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。
そうしている間に月日はいたずらに過ぎ去り、老いの身がせまりくる。いつになったら故郷に帰れるというのだろうか。
神の龍は深い淵の奥底に隠れ、い泉にかくれ、猛獣は高い岡を歩いてそこに安住している。
狐は死んでも、自分の故丘に首を向けるといぅのに、われらがどうして故郷を忘れることがあるというのか。


(訳注)#2
奈何此征夫、安得去四方。
それにも似たこの出征の士卒どうなるのであろうか、それに今さら四方への遠征軍をやめてここを立ち去ることなどがどうしてできよう。
・此征矢 部下の士卒を指していう。


戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
兵器と軍馬には鞍をとくことなでできないし、鎧と甲冑は兵士の身を離すこともできないのだ。


冉冉老将至、何時反故郷。
そうしている間に月日はいたずらに過ぎ去り、老いの身がせまりくる。いつになったら故郷に帰れるというのだろうか。
・冉冉 月日の過ぎ去るをいう。


神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
神の龍は深い淵の奥底に隠れ、い泉にかくれ、猛獣は高い岡を歩いてそこに安住している。


狐死歸首丘、故郷安可忘。
狐は死んでも、自分の故丘に首を向けるといぅのに、われらがどうして故郷を忘れることがあるというのか。
・首丘 狐が死する時は敢盾のある丘に首を向けてたおれるという。死んでもなお郷里を思うこと。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

卻東西門行 漢詩<94-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩817 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2633

卻東西門行
(東西の門にかかわる歌)
鴻雁出塞北、乃在無人郷。
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
挙翅萬里餘、行止自成行。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
冬節食南稲、春日復北翔。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。
田中有轉蓬、随風遠飄揚。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
長與故根絶、萬歳不相當。

もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。
#2
奈何此征夫、安得去四方。
戎馬不解鞍、鎧甲不離傍。
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神龍藏深泉、猛獣歩高岡。
狐死歸首丘、故郷安可忘。

(卻【きゃく】東西門の行【うた】)
鴻雁 塞北に出で、乃ち無人の郷に在り。
翅【はね】を挙ぐること萬里餘、行止 自ら行を成す。
冬節に南稲【なんとう】を食し、春日に復た北に翔る。
田中に轉蓬有り、風に随って遠く飄揚【ひょうよう】す。
長く故根と絶ち、萬歳まで相ひ當たらず。

takadonosky01此の征夫を奈何せん、安んぞ四方を去るを得ん。
戎馬 鞍を解かず、鎧甲【がいこう】傍を離れず。
冉冉【ぜんぜん】として老いは将に至らんとす、何れの時にか故郷に反らん。
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『卻東西門行』 現代語訳と訳註
(本文)
鴻雁出塞北、乃在無人郷。
挙翅萬里餘、行止自成行。
冬節食南稲、春日復北翔。
田中有轉蓬、随風遠飄揚。
長與故根絶、萬歳不相當。


(下し文)
(卻【きゃく】東西門の行【うた】)
鴻雁 塞北に出で、乃ち無人の郷に在り。
翅【はね】を挙ぐること萬里餘、行止 自ら行を成す。
冬節に南稲【なんとう】を食し、春日に復た北に翔る。
田中に轉蓬有り、風に随って遠く飄揚【ひょうよう】す。
長く故根と絶ち、萬歳まで相ひ當たらず。


(現代語訳)
(東西の門にかかわる歌)
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。


(訳注)
卻東西門行

(東西の門にかかわる歌)
・卻東西門行 出征して帰り得ざるをいたむ詩でしめる。五行思想で東の門から旅立つことを出世門であり、西の門から帰って來るのが基本となる。兵士は西の門から出兵した。


鴻雁出塞北、乃在無人郷。
雁は塞北の地に産し、人里でなくだれもいない所にいたのである。
・鴻雁 鴻は「ひしくい」といい、雁の大いなるもの。


挙翅萬里餘、行止自成行。
翼をあげて万里の遠方の更に向こうに飛び立っても、その動作には一定の行動がある。
・行止 行くと止まると。挙止、動作の意。


冬節食南稲、春日復北翔。
冬の季節には南に行ってそこの稲を食い、春はまた北に飛びかえるのである。


田中有轉蓬、随風遠飄揚。
田の中にはえているよもぎは風の吹くままに遠く飛びあがる。
・轉蓬 枯れて転倒せる蓬。


長與故根絶、萬歳不相當。
もとの根と離れては、永久に互いに会うことはないのである。
終南山03

《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#2>古詩源 巻五 813 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2613

武帝 《蒿里行》 淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。


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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《蒿里行》 武帝 魏詩<93-#2>古詩源 巻五 813 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2613


蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
関東に義士の袁紹があり、兵を起こして董卓など羣凶を討とうとしていた。
初期會盟津,乃心在咸陽。
はじめ董卓討伐の諸軍を盟津に会したのだが、その実、洛陽の董卓に向わないで、その意はかえって咸陽において、天子を擁立しようとしていたのだ。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
その諸軍は合軍したのだがも、その力は董卓軍にならぶものではなかった。ためらいがちに追撃して、あえて先を争うほどに戦うものはなかった。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
やがて袁紹・袁術・孫堅など勢力利権がかえって人を争わせる結果となり、連合の諸将もひきついで互いに殺しあうことになっていたのだ。
#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
白骨露於野,千里無雞鳴。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
生民百遺一,念之斷人腸。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。

満月003嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。


『蒿里行』 現代語訳と訳註
(本文) #2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。


(下し文)#2
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。 


(現代語訳)
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。


(訳注)#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
淮南にあった袁紹の弟袁術が、みずから帝号を称した。孫堅の国璽を奪って、北方に即位することとなったのだ。
・淮南弟 袁紹の従弟袁術は揚州刺史を殺してその州を領していた。
・刻璽於北方 袁術が孫堅の伝えた国璽を奪って北方寿春に帝号を僭したこと。

鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
かくて兵乱は永くつづいたのだが、戦士の鎧甲にはしらみがわき、万民が死亡したのだ。
・蟣虱 蟣・虱、共に、しらみをいう。

白骨露於野,千里無雞鳴。
白骨は野にさらされ、千里四方に鷄の声は聞くことはなくなった。
・無難鳴 人家のないこと。

生民百遺一,念之斷人腸。
生民は百のうちの一を残すのみということになり、これを思えば腸も断ちきられるようである。


600moon880





嵩里行
関東に義士有り、兵を興して羣凶を討つ。
初め期して盟津に會せしが、乃ち心は咸陽に在り。
軍合するも力は齊しからず、躊躇して雁行す。
勢利 人をして爭いはじめ、嗣ぎて還って自ら相戕う。
准南の弟はのこぎり號を稱し、璽を北方に刻せり。
鎧甲に蟣虱を生じ、萬姓以て死亡す。
白骨野に露はれ、千里 鶏鳴 無し。
生民百に一を遺す、之を念えば人の腸 を断たしむ。 


蒿里行-#1 
關東有義士,興兵討群凶。
初期會盟津,乃心在咸陽。
軍合力不齊,躊躇而雁行。
勢利使人爭,嗣還自相戕。
#2
淮南弟稱號,刻璽於北方。
鎧甲生蟣虱,萬姓以死亡。
白骨露於野,千里無雞鳴。
生民百遺一,念之斷人腸。

《薤露行》 武帝 魏詩<89-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573

曹操詩全集 《薤露行》漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。

2013年6月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《薤露行》 武帝 魏詩<89-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩桃源圖 韓愈(韓退之) <146-#2>Ⅱ中唐詩720 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2584
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集陳拾遺故宅 五言古詩 成都6-(27-#1) 杜甫 <489-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2585 杜甫詩1000-489-#1-711/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性摩訶池贈蕭中丞 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-208-74-#68  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2587
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332

http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《薤露行》 武帝 魏詩<89-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573

《曹操詩全集︰薤露行》

 
 
薤露行 
惟漢廿二世,所任誠不良。
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
満月003沐猴而冠帶,知小而謀疆。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
白虹為貫日,己亦先受殃。

それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。

#2
賊臣持國柄,殺主滅宇京。
蕩覆帝基業,宗廟以燔喪。
播越西遷移,號泣而且行。
瞻彼洛城郭,微子為哀傷
(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。

#2
賊臣 國柄を持ち,主を殺して宇京【うけい】を滅す。
帝の基業を蕩覆【とうふく】し,宗廟【そうびょう】以って燔喪【はんそう】す。
播越【はえつ】西に遷移【せんい】し,號泣【ごうきゅう】して且つ行く。
彼の洛城の郭を瞻【み】て,微子【びし】為めに哀傷す。


『薤露行』 現代語訳と訳註
(本文) 
惟漢廿二世,所任誠不良。
沐猴而冠帶,知小而謀疆。
猶豫不敢斷,因狩執君王。
白虹為貫日,己亦先受殃。


(下し文)
(薤露【かいろ】の行【うた】)
惟【これ】漢の二十二世、任ずる所 誠に良からず。
沐猴【もっこう】にして冠帶【かんたい】し、知小にして謀は疆【つよ】し。
猶預【ゆうよ】して敢て断ぜす、狩りに困りて君王を執【とら】ふ。
白虹爲めに日を貫き、己も亦た先づ殃【わずらい】を受く。


(現代語訳)
(ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う)
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。


(訳注)
薤露行 
ニラの葉に降りた夜露の様な出来事を詠う
・薤露行 漢代の挽歌に「薤露歌」がある(このブログの数日後)。作者、曹操はその題か借りて、漢末の乱世を歎じたのである。


惟漢廿二世,所任誠不良。
漢はこれまで二十二代継承している。しかし、官に任ずるものはけっして誠実、機宜・適宜な者たちということではなかった。
・二十二世 漢は前後通じて二十三帝。


沐猴而冠帶,知小而謀疆。
何進の如きはまことに昔からいわれる「沐猴而冠」とさるが冠をつけたようなもので、矩識が無く、頭が空っぽの者で、ただ謀略・強暴のみで施政した。
・沐猴而冠 猿が冠をかぶること。表題のみ美にして心のともなわぬことをいい、『史記.卷七.項羽本紀』。「後或亦用沐猴而冠指. 獼猴性急,不能若人久著冠帶,比喻性情暴躁。」人の項羽をそしった語である。ここでは“何進”に比した。
・謀疆 宦官を誅殺しようとした謀を指すもの。


猶豫不敢斷,因狩執君王。
それでいて政治については何事においてもぐずぐずして断行できず、狩りにかこつけて少帝(劉弁)をとらえたのである。


白虹為貫日,己亦先受殃。
古来より乱世を呼ぶ「幻日環」現象があらわれた。捕えられた少帝はます宦官に殺されてしまった。
・白虹為貫日 日傘の一現象をいい、幻日環という。幻日環(げんじつかん、英語:parhelic circle)とは、天頂を中心として太陽を通る光の輪が見られる大気光学現象のことである。月でも同様の現象が見られることがあり、こちらは幻月環(げんげつかん)と呼ばれる。中国では戦乱の前兆となすものとされる。

《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573

曹操 《龜雖壽》龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。


2013年6月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《龜雖壽》 武帝 魏詩<88-#1>古詩源 巻五 805 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2573


龜雖壽
minamo008神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
#2
烈士暮年,壯心不已。
盈縮之期,不但在天;
養怡之福,可得永年。
幸甚至哉!歌以詠志。

亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;







『龜雖壽』 現代語訳と訳註
(本文)

神龜雖壽,猶有竟時。
騰蛇乘霧,終為土灰。
老驥伏櫪,志在千里;


(下し文)
亀は壽なりと雖も
神龜は壽なりと雖も,猶お竟わるの時有り。
騰蛇は霧を乘せども,終に土灰と為る。
老驥 櫪に伏しても,志は千里に在り;


(現代語訳)
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。


(訳注)
oushokun04神龜雖壽,猶有竟時。
龜は長寿といわれるけれども、なお死ぬときをまぬがれるわけではない。


騰蛇乘霧,終為土灰。
天にのぼるという蛇は霧を起こすほどの霊異を成すけれども、ついには土塊となってしまう。
・騰蛇 星の名であるが、ここでは天に昇る蛇の意味。


老驥伏櫪,志在千里;
けれども彼の駿馬はたとい老衰して厩に伏していても、その志は千里の遠きをかけめぐりたいとおもっている。
・老驥 老衰した駿馬。
・伏櫪 櫪は厩の根太板。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538


謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。


2013年6月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538
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Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(18) 杜甫 <481-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2540 杜甫詩1000-481-#2-702/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性酬祝十三秀才 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-199-65-#59  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2542
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538



平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
泰山の夕日02#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。

平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』現代語訳と訳註
白楊02(本文)
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
平衢修且直,白楊信褭褭。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。


(下し文) #2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。


(現代語訳)
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。


(訳注) #2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
・大行山 河内の野王県にある、けわしい山。古の詩には、人生行路の穀難にたとえて、しばしば、引かれる。   魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。・・・・」(北のかた太行山に上れば 艱き哉 何ぞ巍巍たる。羊腸の坂 詰屈し 車輪 之れが為に摧く)
・邯鄲道 史記、張釈之伝に「文帝は、寵妾なる供夫人に、㶚陵の北頭から、見おろす新豊街道を指ざし示し、『あれが、汝の故郷の邯鄲に赴く道ぞ』といい、夫人に瑟をひかせ、自らは、その曲にあわせて歌い、惨棲悲懐した」ことをいう。


平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
・白楊 1 ヤマナラシの別名。 2 ドロノキの別名。
・衢 四方八方に通ずる道。
・褭褭 なよやかな形容。


副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
・副君 漢書に「疏広の白く、太子は国の儲副の君なり」。天子の副。もうけの君。
・写寫 のべ洩らす。尽くす。
・懷抱 思い。考え。


良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。

2013年6月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#3>710 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2534
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(17) 杜甫 <481-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2535 杜甫詩1000-481-#1-701/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
108  平原侯植


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。

しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
折楊柳0002#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
平衢修且直,白楊信褭褭。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。

平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。

#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
DCF002102眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)

公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
徙倚窮騁望,目極盡所討。


(下し文)
平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。


(現代語訳)
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。


(訳注)
平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで鳳閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
・鳳閣・華沼 「鳳」も「華」も美称。「登鳳閣」を、役づとめ、と見ないで遊びとしている。


傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
・弱枝 柳のわかい枝。


徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
・窮騁望 目のとどく限り、目をはなって遠くを望む。
・討 たずねること。

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3> 應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。


2013年6月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3> 應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#2>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(16) 杜甫 <480-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2530 杜甫詩1000-480-#2-700/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集古詩十九首之十五 漢の無名氏(15)  漢詩<28> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2526 (06/14)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春郊游眺寄孫處士二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-197-63-#57  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2532
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3>  應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528

詩人李白5x5阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。


建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、


107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。

#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。


『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(下し文) #3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。


(現代語訳)
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。


(訳注) #3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。

今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
〇河曲 黄河のほとり。曲は蛇行する川の隈になったところを云う。淵で舟遊びを愉しめるところ。曹丕の「呉質に与ふる書」にも、「時に駕して遊び、北のかた河曲に遵ふ。従者は茄を鳴らして以て路を啓き、文学は後事に託粟す」という。


躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
〇躧步陵丹梯 春秋時代の晋の政治家、将軍。紀元前592年の春に郤克は、斉に断道(山西省)で行われる諸侯会議への参加を求めるために外交の使者として赴いたが、斉(頃公)とその母の蕭同叔子に自分の怪異な風貌を笑われるという大恥辱を受けてしまう。
謝霊運の「永初三年七月十六日之郡初発」(永初三年七月十六日、都に之かんとして、初めて郡を発す」(翌にも見えた。ここでは、不具者の如く拙いわが身、の意。山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 詩集 370

妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
〇哀弄 「弄」は、小曲、音楽のしらべ。


傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
〇酤 一夜づくりの酒。販売するための酒。
〇芳醑 貴重な香のたかい美酒。
〇酌言 詩経、小雅、瓠葉篇に「幡幡瓠葉、采之亨之。 君子有酒、酌言嘗之。」(幡幡たる瓠葉、之を采り之を亨る。 君子酒あり。酌みて言【ここ】に之を嘗む。。」主従関係のよいことをあらわす語句である。


自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。
〇食蓱 詩経、小雅、鹿鳴篇に「呦呦鹿鳴、食野之苹。我有嘉賓、鼓瑟吹笙。 吹笙鼓簧、承筐是將。人之好我、示我周行。」呦呦として鹿鳴き、野の苹を食(は)む。我に嘉賓あり、瑟を鼓し笠を吹く」と見え、その詩の序には、群臣嘉賓を燕するものという。「苹」は大萍、よもぎの類いで、陸生と水生がある。
〇今日美 このころの宴游は、昼は外で、夜は内で、ひきつづいておこなうことが多い。昼に、河曲の遊びをして、夜は室内或はそれに準じた場所。日々初めてということは毎日経験していない宴席であったということである。
花蕊夫人002

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2> 劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。


2013年6月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2> 劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2>  劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523


阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。


建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、

泰山の夕日02












107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
王屋山01#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。

#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。



『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。


(下し文)#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。


(現代語訳)
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。


(訳注)#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
〇河洲の句 黄河のほとり、沙吹雪のようすを云う。袁紹と黄河を対峙してのようすが浮かんでくる。大軍移動での砂塵が舞う。謝靈運『緩歌行』「飛客結靈友,凌空萃丹丘,習習和風起,采采彤雲浮,娥皇發湘浦,霄明出河洲,宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。」
〇風悲の句 秋の足の長い風を云う。「風悲とは、風急にして悲しきこと。黄雲とは、黄河流域の挨塵の色の黄なるものが雲のように湧き上がることを云う。といい、淮南子には「黄泉の浜は上りて黄雲となる」とある。


金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
〇金羈 帝は、馬のおもがい。それを一部の金を使い輝いている、りつぱな飾りつきのものであるため「金」字を加えた。


慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
〇攀多士 多士にすがりつく。謙遜語で多くの兵と同様にたよりにされた、あるいは恵みを受けたという意味。


念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
〇南皮 曹盃の「異質に与ふる書」にも、「昔日の南皮の道を念ふ毎に、誠に忘るべからず」という。

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1> 劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。


 

2013年6月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1> 劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#2>Ⅱ中唐詩708 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2524
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集去秋行 楽府(七言歌行) 成都6-(14) 杜甫 <479>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2520 杜甫詩1000-479-698/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江亭餞別 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-195-61-#55  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2522
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1>  劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518


建安文学の文学者 
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。"   

阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。

終南山03

建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、


107

擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。

阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
 
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。



『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
紅梅002(本文)
管書記之任,有優渥之言。


(下し文)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。


(現代語訳)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。


(訳注)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。



擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)


管書記之任,有優渥之言。

4岳陽樓詩人003
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   

 
1)孔 融 (こう ゆう) 153年 - 208年   後漢末期の人。字は文挙。孔子20世の孫に当たる。出身地も遠祖の孔子と同じく青州魯国の曲阜県である。父は孔宙、兄は孔襃。子の名は不詳。 


2)陳 琳(ちん りん)  ? - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。 飲馬長城窟行    易公孫瓚與子書


3)王 粲(おう さん) 177年 - 217年 、)は、中国、後漢末の文学者・学者・政治家。字は仲宣。王龔の曾孫、王暢の孫、王謙の子。王凱の従兄弟。子に男子二名。山陽郡高平県(現山東省)の人。曽祖父の王龔、祖父の王暢は漢王朝において三公を務めた。文人として名を残し、建安の七子の一人に数えられる。 登樓賦   公讌詩   詠史詩   七哀詩三首   從軍詩五首


4)徐幹 (とかん)  ? - 217年  
北海郡劇県の出身。字は偉長。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『詩品』では下品に分類される。 


5)応瑒 (おうとう) ?~217   字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。建安七子のひとり。 


6)劉 楨 (りゅう てい) ? - 217年
後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。


劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。" 贈従弟三首


7)阮瑀 (げんう) ?~212  陳留尉氏の出身。字は元瑜。蔡邕に就いて学問を修め、曹洪の招聘を拒否して鞭打たれたこともあったが、建安初年に曹操の司空軍謀祭酒・記室となった。章表書記において陳琳と双璧と謳われたが若くして病死し、殊に曹丕に惜しまれたという。『詩品』では下品に位する。 
王琰(おうえん) 177~217 後漢から魏(ぎ)にかけての文人。高平(山東省)の人。字(あざな)は仲宣。博覧多識で知られる。詩賦に長じ、建安七子の一人。「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」など。  「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3> 劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。


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Ⅲ杜甫詩1000詩集苦戰行 楽府(五言律詩) 成都6-(13) 杜甫 <478>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2515 杜甫詩1000-478-697/1500
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3>  劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。

moon2011






擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
鷹将(本文) #3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。


(下し文)
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


(現代語訳)
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
〇榱 たるき。屋根を支えるため、棟から軒先に渡す長い木材。はえき。たりき。たるきがた【垂木形】屋根のつまに、垂木と平行に取り付ける板。たるきだけ【垂木竹】竹で作った垂木。また、それに用いる竹。かやぶきの屋根など.


始奏延露曲,繼以闌夕語。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
〇延露曲 李善は、港南子の「表れ采菱を歌ひ、陽阿を発するも、都人は之を聴けば、延露の以て和せるに若(し)かず」を引く。現行本の港南子、人間訓には、「此の延路・陽局に若かず」とある。延路と陽局とは、都歌曲のこと。
〇聞夕 夜おそいこと。「聞」は、おそい。尽きる。


調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
〇慚沮 「沮」は、勢いがなくなる、沮喪。酬答することを止める。


傾軀無遺慮,在心良已敘。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503

《擬魏太子鄴中集詩八首》 謝靈運  こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
 

2013年6月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503

106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
鷹将嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
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#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。
〇汝穎 汝水(現在の汝河。河南省に発し淮河に注ぐ。)穎水(河南省嵩山南麓を流れる河で、淮河の主要な川である。)「穎水に耳を洗う」という許由の故事がある。
〇飄薄 さすらい。「薄」は迫。


嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
〇翮 羽の茎。
〇委羽 委羽山。委羽山. イウサン. 中国神話の山で、はるか北の果てにあり、永遠に日が差さないとされた山。羽山のことだともいわれる。


求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
〇弱水 崑崙山の東に在るという神話上の川の名。中国東北部にある、松花江ともいわれている。


顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
〇梁川 戦国時代の魏は、大梁にうつったので、「梁」ともいう。

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。

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《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。
かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
行觴奏悲歌,永夜系白日。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
中飲顧昔心,悵焉若有失。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。


moon2011





 

『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。


DCF002102(下し文) #3
清論 事は萬を究め,美話 信に一に非ず。
行觴に悲歌を奏し,永き夜 白日に系ぐ。
華屋は蓬居に非ず,時髦 豈に餘は匹いならんや?
中飲にして昔の心を顧う,悵焉として失う有るが若し。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#3
かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。


(訳注) #3
清論 事 究萬,美話 信 非一。

かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
・清論 清く超俗の談論。


行觴 奏 悲歌,永夜 系 白日。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
・行觴 酒杯を廻すこと
・悲歌 清んだ響きは悲しげにきこえる。「徐幹は、もと宦情なし。故に悲歌あり、悲歎こもごも懐に集る」


華屋 非 蓬居,時髦 豈 餘匹?
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
・蓬居 蓬の住居。野人の家。隠遁者の住まい。


中飲 顧 昔心,悵焉 若 有失。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。
・悵焉 なげきかなしむ。・焉①ようすを表す語に添える助字。状態を示す。「溘焉(こうえん)・忽焉(こつえん) 」 ② 「ここに」の意を添える助字。「終焉」

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#1>文選 雜擬 上 785 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2473


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。

また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
末塗幸休明,棲集建薄質。已免負薪苦,仍游椒蘭室。
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。
 


『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)

少無宦情,有箕潁之心事,故仕世多素辭。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
置酒飲膠東,淹留憩高密。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 徐幹)
少くして官情無く、箕頴の心有り。事故ありて世に仕ふ。素辞多し。
伊れ昔 臨淄に家し、提攜して齊瑟を弄す。
置酒して膠東に飲み,淹留して高密に憩う。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。
贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853


少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
・官 仕える。
・箕潁 頴山と穎水とは近くにある。堯のとき、許由と巣父とが、そこに隠居していたといわれる。


故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
・素辭 質素で、かざりがない。


伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
・臨溜 史記、蘇秦伝に「臨潤は、甚だ富みて実(み)つ。その民は、竿を吹き、琴を弾じ、筑を撃たざるなし」といわれるほど、音楽ずきの地であった。
齊瑟 斉国に産する繋。


置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
・膠東・高密 ともに斉の地名。

宮島(8)

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。

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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468


有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。

孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。

皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。

戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
#2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
DCF002102愛客不告疲,飲燕遺景刻。
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。

#3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。



『擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


(下し文) #3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。


(現代語訳)
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。

takadonosky01
(訳注) #3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。

太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
・景刻 「景」は日かげ。「刻」は時間。昼夜を一百刻となすという。


夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
・極/窮 二字とも、きわめる。ここは、至るの意。
・星闌 明けの明星が爛然と輝くことを云う。『詩経、鄭風、女日鷄鳴篇』に「士興きて夜を視よ、明星は爛たるあらん」という。

 
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
・哀哇 はなはだ哀しいこと。「哇」は、気がふさがって伸びないこと。


且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。
・古來惑 古来からいわれる酒・色・財の三つの不惑。

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463

謝靈運《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。


2013年6月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。北樓 韓愈(韓退之) <135>Ⅱ中唐詩696 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2464
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集溪漲 成都6-(6-#1) 杜甫 <471-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2465 杜甫詩1000-471-687/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 燕離巢 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-184-56-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2467
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463


有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


陳琳
DCF002102(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。

皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。

#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。

戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


『擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
takadonosky01豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。


(下し文) #2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。


(現代語訳)
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。


(訳注) #2
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。

豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。


相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
・相公 丞相であった曹操。
・定 平定する。
・蝥賊 乱賊である董卓と衰紹。
衰紹の家は四代続いて三公(太尉・司徒・司空)を輩出した名門である。衰紹白身も董卓が洛陽を占領した中平六年(一八九)にはすでに司隷校尉(整旨視総監)という要職にあった。


複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
・則 法則。一定の決まり。法律。制度。『詩経、大雅、烝民』「天生烝民、有物有則。」


餘生幸已多,矧乃值明德。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
・餘生幸已多 陳琳は、袁紹に仕えたとき、「袁紹のために豫州に儌す」なる文で曹操の罪状をかぞえたて、かつ、その祖先をも、ののしりはずかしめた。しかるに、陳琳が曹操に帰してのち、曹操は、陳琳を殺さなかった。

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458

《擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳》 謝靈運 
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。



2013年6月1日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。花源 韓愈(韓退之) <134>Ⅱ中唐詩695 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2459
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 五言古詩 成都6-(5) 杜甫 <470-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2460 杜甫詩1000-470-#3-686/1500
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鸚鵡離籠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-183-55-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2462
 
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
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王屋山01建安文学
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。

 

有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。

孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
 (魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)

袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。


皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。

#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


『擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳』 現代語訳と訳註
(本文) 陳琳

袁本初書記之士,故述喪亂事多。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
董氏淪關西,袁家擁河北。
單民易周章,窘身就羈勒。


(下し文)
 (魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)

袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。


皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)

1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。
陳琳『飲馬長城窟行』   
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。
万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ
俺は監督の役人に言ってやった
「どうか太原から来ている人足を帰してやってください」
訴えを聞いた役人は「お上の仕事には工程が決められているのだ。文句を言わずに杵を取って声を合わせて働け」と言う
人足は「男たるもの戦いの中で死ぬならまだしも、なんでこんな長城を築くやるせない仕事で朽ち果てるのは嫌だ」と憤懣をもらす


袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、字が本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
・衰 衰紹、字(あざな)は本初。霊帝の死後,宦官(かんがん)の専横を抑圧。皇帝の廃立を行なっ た董卓(とうたく)を洛陽(らくよう)から追放して,冀州(きしゆう)を中心に勢力を伸ばし, 山東の曹操(そうそう)と対立した。官渡(河南省)の戦いで敗れ病没。


皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
・屯邅 艱難辛苦。時運や国家の困難。・邅:ゆきなやむ。めぐりくる。
・氛慝 不善な気象。


董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
・淪 沈む。


單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
・周章 慣れて、あわてふためく。
・窘 くるしめる。
・羈勒 馬のおもがいと、くつばみと。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443

謝靈運《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。


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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443


102  王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。
それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
常歎詩人言,式微何由往。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
排霧屬盛明,披雲對清朗。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!

(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。

#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。
#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。

takadonosky01

『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』 現代語訳と訳註
(本文)
王粲
家本秦川,貴公子孫,
遭亂流寓,自傷情多。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。


(下し文)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。


(現代語訳)
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。


(訳注)
王粲

(177年熹平6年 - 217年建安22年)は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。


家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
・秦川 甘粛省隴西県の鳥鼠山に源を発し、最後に黄河に合流する。
・貴公子 1 高貴な家柄の男子。貴族の子弟。2 容貌(ようぼう)・風采(ふうさい)がすぐれ、気品のある青年。


遭亂流寓,自傷情多。
戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
・自傷情多 王条の詩は、董卓の乱に遭いて流寓し、その不幸な境遇から多く悲哀の詩が生まれたことをいう。


幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
・板蕩 『詩経』、大雅、板筒の鄭玄の注によれば、「板」は、先王の道に反すること。また「蕩」は、法律・制度がすたれやぶれること。


伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
・伊洛既燎煙 洛陽の官室が董卓の乱で焼かれたこと。反董卓連合軍の盟主は、四代にわたって五人の三公を輩出した名門袁氏の御曹司の袁紹であった。以前に何進とともに宦官抹殺を計画している。董卓は洛陽を焼き払い、住民ともはや自らの操り人形にしか過ぎなかった献帝をつれて長安に都を移した。この時190年であった。 その一方反董卓軍として集まった武将達は積極的な攻撃に出ることはなくそれぞれ自らの地盤の確立と勢力圏の拡大に力を入れるようになり、このように群雄割拠の形成が決定的となった。


整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。
それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
・秦川/楚壌 王条の七哀詩には「復た中国を棄てて去り、身を遠ざけて荊州に適(ゆ)く」という。「秦川」は長安地方。

擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#3>文選 雜擬 上 778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2438

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》 清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしつらえた腰かけが連なって設置される。


2013年5月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#3>文選 雜擬 上 778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2438


擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
古來此娛,書籍未見。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。
#2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;
なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。
不誣方將,庶必賢於今日爾。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
歲月如流,零落將盡,
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。


101 魏太子 -#1
(魏太子)
百川赴巨海,眾星環北辰。
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
區宇既滌蕩,羣英必來臻。

天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
#2
忝此欽賢性,由來常懷仁。
もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。
況值眾君子,傾心隆日新。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。
論物靡浮說,析理實敷陳。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
羅縷豈闕辭?窈窕究天人。
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。
#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。
清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしつらえた腰かけが連なって設置される。
急弦動飛聽,清歌拂梁塵。
急調子の絃楽器による音楽は飛鳥も感動させて下りてきて聴いている。清く妙なる歌声は「梁塵を動かす」の故事に言うとおり梁の塵をもはらい動かす。
何言相遇易,此歡信可珍。

このような歓びにめぐりあうのは易いことだとどうして言えようか、まことに珍重すべきことである。

(魏太子)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。
#2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。
#3
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。

杏00紅白花00
















『擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子』 現代語訳と訳註
(本文)
#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。急弦動飛聽,清歌拂梁塵。何言相遇易,此歡信可珍。

(下し文)
#3 
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。


(現代語訳)
清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしつらえた腰かけが連なって設置される。
急調子の絃楽器による音楽は飛鳥も感動させて下りてきて聴いている。清く妙なる歌声は「梁塵を動かす」の故事に言うとおり梁の塵をもはらい動かす。
このような歓びにめぐりあうのは易いことだとどうして言えようか、まことに珍重すべきことである。


(訳注) #3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。

清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしっらえた腰かけが連なって設置される。
・澄 清酒。
・觴 さかずき。酒杯。
・榻 ほそ長い牀几。
・茵(しとね)とは座ったり寝たりするときの敷物の古風な呼称。寝るときの敷物は「褥」という文字を使い、ベッドパッドなどのことを指す。


急弦動飛聽,清歌拂梁塵。
急調子の絃楽器による音楽は飛鳥も感動させて下りてきて聴いている。清く妙なる歌声は「梁塵を動かす」の故事に言うとおり梁の塵をもはらい動かす。
・梁塵 1 梁(はり)の上に積もっているちり。梁上のちり。 2 《「梁塵を動かす」の故事から》すぐれた歌声。また、歌謡。音楽。


何言相遇易,此歡信可珍。
このような歓びにめぐりあうのは易いことだとどうして言えようか、まことに珍重すべきことである。

miyajima 697

擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》 もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。

2013年5月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。西山 韓愈(韓退之) <129>Ⅱ中唐詩690 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2434
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#2) 杜甫 <469-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2435 杜甫詩1000-468-#2-681/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433


擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
DCF002102建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
古來此娛,書籍未見。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。
#2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;
なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。
不誣方將,庶必賢於今日爾。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
歲月如流,零落將盡,
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。


101 魏太子 -#1
(魏太子)
百川赴巨海,眾星環北辰。
takadonosky01すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
區宇既滌蕩,羣英必來臻。

天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
#2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。
もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。
況值眾君子,傾心隆日新。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。
論物靡浮說,析理實敷陳。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
羅縷豈闕辭?窈窕究天人。
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。
#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。急弦動飛聽,清歌拂梁塵。何言相遇易,此歡信可珍。


(魏太子)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。
#2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。

#3
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。



『擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子』 現代語訳と訳註
(本文)
#2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。況值眾君子,傾心隆日新。論物靡浮說,析理實敷陳。羅縷豈闕辭?窈窕究天人。


(下し文) #2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。


(現代語訳)
もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。


(訳注) #2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。

もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。


況值眾君子,傾心隆日新。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。


論物靡浮說,析理實敷陳。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
・論物/析理 荘子に、「天地の美を判ち、万物の理を析く」。


羅縷豈闕辭?窈窕究天人
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。
・羅縷 ならべ述べること。
・窈窕 美しくしとやかなさま。男として魅力のあることをいう。セックスアピールのこと。
『為焦仲卿妻作』-其七 「雲有第三郎,窈窕世無雙。」(媒酌人が言うには県令さまには第三男があります。美しくしとやかであり、世に二人とはないお方です。)
・天人 天意と人事と。李善は、次の荘子の「天人」と解するらしい。すなわち荘子に「宗を離れざる、之を天人といふ」といい、つづけて神人・至人をあげる。「宗」とは道のこと。


擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#1>文選 雜擬 上 776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2428

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》 
謝靈運の数多く残る作品のうちで、注目すべき作品である、魏の太子の曹丕が鄴の都で家臣らに命じて詩を作らせたもの

2013年5月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#1>文選 雜擬 上 776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2428
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。柳溪 韓愈(韓退之) <128>Ⅱ中唐詩689 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2429
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#1) 杜甫 <469-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2430 杜甫詩1000-468-#2-680/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊上韋相公二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-177-49-#39  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2432
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#1>文選 雜擬 上 776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2428


謝靈運の数多く残る作品のうちで、注目すべき作品である、魏の太子の曹丕が鄴の都で家臣らに命じて詩を作らせたなかから、八首を選んで、それになぞらえて作ったものに「魏の太子の鄴中集の詩に擬す。八首」である。この作は、謝霊運がそれぞれの作家の詩風を充分理解したうえで、擬作したものであるから、謝霊運が作家と作品についていかに理解していたかを知るのに、はなはだしく便利であり、また、当時の作家論を知るのに多くの資料を与える。
すべて『文選』の巻三十の「雑擬」の部に、その序文とともに引用されている五言詩の代表作である。


101 魏太子 -#1
(魏太子)
百川赴巨海,眾星環北辰。
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
區宇既滌蕩,羣英必來臻。

天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
-#2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。況值眾君子,傾心隆日新。論物靡浮說,析理實敷陳。羅縷豈闕辭?窈窕究天人。
-#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。急弦動飛聽,清歌拂梁塵。何言相遇易,此歡信可珍。


(魏太子)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。

#2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。
#3
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。


『魏太子』 現代語訳と訳註
(本文)
百川赴巨海,眾星環北辰。照灼爛霄漢,遙裔起長津。天地中橫潰,家王拯生民。區宇既滌蕩,羣英必來臻。


(下し文)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。


(現代語訳)
(魏太子)
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。

takadonosky01
(訳注)
魏太子

曹丕(そうひ/caopī、187年~226年)字は子桓。謚は文帝。父・曹操の後を継ぎ魏王へと即位する。その後、献帝へ帝位禅譲を迫り皇帝に即位した。在位は僅か7年だった。概要太子に指名される豫州沛国譙県の人。


百川赴巨海,眾星環北辰。
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
・百川赴巨海 尚書大伝に「百川は東海に赴く」。
・眾星環北辰 この詩の「百川」「衆星」の句は、万民が曹操に帰服することにたとえた。論語、為政篇「子曰:為政以德,其如北辰,居其所,而眾星共之。」。


照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
・霄漢 大空。天空。
・裔 1 遠い子孫。「後裔・神裔・苗裔・末裔・余裔」 2 遠い辺境。


天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。

・中 乱の前と後との中間。
・橫潰 堤防をつきやぶって大水が乱流する。天下の大乱にたとえた。
・拯 説文によれば、溺れたものをすくいだす。

區宇既滌蕩,羣英必來臻。
天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
・滌蕩 汚れを洗い落とすこと。
・羣英 多くのすぐれた人士。次の「衆君子」に同じ。李周翰・劉良は、王粲・陳琳らの類とする。

吁嗟篇 曹植 魏詩<73-#3> 女性詩746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2278

曹植 吁嗟篇 
焼けただれ、もえつきてしまうことは、苦痛でないことはないが、しかし、かつてのように株や根と運命をともにすることこそが、私の願いなのだ。

2013年4月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩吁嗟篇 曹植 魏詩<73-#3> 女性詩746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2278
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集茅屋為秋風所破歌 成都5-(12-1) 杜甫 <465-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2280 杜甫詩1000-465-#1-650/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集還舊園作見顔范二中書 謝霊運(康楽)<56> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2281 (04/26)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性罰赴邊有懷上韋令公二首其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-147-19-#12  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2282
 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
吁嗟篇 曹植 魏詩<73-#3> 女性詩746 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2278




吁嗟篇
吁嗟此轉蓬,居世何獨然。
ああ、ここに転びゆくよもぎがある。この世にあるもので、どうしてお前だけが、この「轉蓬」となるのあろうか。
長去本根逝,宿夜無休閒。
よもぎはもとの根よりはるか遠くまで去ってゆくのであり、朝早くから夜おそくまで、休むひまはないのである。
東西經七陌,南北越九阡。
東西に、七つのあぜみちをとびすぎたかと思うと、南北に、九つのあぜみちをとびこえる。
卒遇迴風起,吹我入雲間。

突如としておこったつむじ風に巻きこまれ、われわれ「轉蓬」は雲間に吹き上げられる。

自謂終天路,忽然下沉泉。
これなら、天の路の終点まで行けるということだ。そのうちに、たちまち深い沈淵まで急降下する。
驚飆接我出,故歸彼中田。
もうだめだと観念したのだが、はげしく吹き上げる風がつれだしてくれる。今度はもとの通り、田んぼの中のあのすみかに、帰してくれるのであろう。
王屋山01當南而更北,謂東而反西。
当然これなら南に行くものと思っていると、さらに北に行く。東に行くのかと思っていると、あべこべに西に行ってしまう。
宕宕當何依?忽亡而復存。
この果しなくひろがる空間では、一体どこに身をよせたらよいのだろうか。ふと消えきっても、またあいかわらず生きのびている。

飄颻周八澤,連翩歷五山。
かくて、ふわふわ風に乗って舞い、水のあつまる八大沢をめぐる。そして、ひらひらとびつづけ、世界を作る五山をめぐり経てきた。
流轉無恆處,誰知吾苦艱。
このように世界を流転をしつづけ、定住の場所さえないのである。そのような私のくるしさを、誰がわかってくれるというのか。
願為中林草,秋隨野火燔。
やはり、政治の中心にある林の中の草となりたいと願うものであり、秋になれば、野焼きによって春を迎えたいのである。
糜滅豈不痛,願與株荄連。

焼けただれ、もえつきてしまうことは、苦痛でないことはないが、しかし、かつてのように株や根と運命をともにすることこそが、私の願いなのだ。


飄颻【ひょうひょう】として八沢を周る、連翩【れんべん】として五山を歴たり。
流転して恒の処無し、誰か 吾が苦【くかん】を知らんや。
願わくは 中林の草と為らんや、秋 野火に随いて【や】かれなん。
磨滅するは 豈に痛ましからざらんや、願わくは 株安と連ならん。



『吁嗟篇』 現代語訳と訳註
(本文)
飄颻周八澤,連翩歷五山。
流轉無恆處,誰知吾苦艱。
願為中林草,秋隨野火燔。
糜滅豈不痛,願與株荄連。

(下し文)
飄颻【ひょうひょう】として八沢を周る、連翩【れんべん】として五山を歴たり。
流転して恒の処無し、誰か 吾が苦【くかん】を知らんや。
願わくは 中林の草と為らんや、秋 野火に随いて【や】かれなん。
磨滅するは 豈に痛ましからざらんや、願わくは 株安と連ならん。


(現代語訳)
かくて、ふわふわ風に乗って舞い、水のあつまる八大沢をめぐる。そして、ひらひらとびつづけ、世界を作る五山をめぐり経てきた。
このように世界を流転をしつづけ、定住の場所さえないのである。そのような私のくるしさを、誰がわかってくれるというのか。
やはり、政治の中心にある林の中の草となりたいと願うものであり、秋になれば、野焼きによって春を迎えたいのである。
焼けただれ、もえつきてしまうことは、苦痛でないことはないが、しかし、かつてのように株や根と運命をともにすることこそが、私の願いなのだ。


(訳注)
吁嗟篇 流転の歌。この篇は転ぶ蓬に自己をたとえ、流転生活の悲愁を歌うが、悲愁は同胞離散のうらみをこめて、きわめて激烈な調子でつづられている。228年太和二年以後の作と推定しているのが通説のようだ。


飄颻周八澤,連翩歷五山。
かくて、ふわふわ風に乗って舞い、水のあつまる八大沢をめぐる。そして、ひらひらとびつづけ、世界を作る五山をめぐり経てきた。
・飄颻 風にひるがえるさま。
・八沢 昔の中国にあった八つの大きな沢、大野、大陸、楊淤、孟諸、雲夢、具區、海隅、圃田のこと。沢とは水のあつまる所、水が少なければ籔という。「尚書」禹貢では九沢と、「爾雅」釈地には十薮が、「漢書」
厳助伝には八薮と、それぞれのべている。
・連翩 飛翔するさま。ひっきりなしにつづくさまにも用いる。孟浩然 『望洞庭湖贈張丞相』「八月湖水平,涵虚混太淸。氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。」 
・五山 中華思想のもとになる五つの山、五嶽ともいい、世界(九州)を形作る物。したがって、それぞれの山は道教、儒教、仏教の中心的な山となっている。この五岳を象徴図形にしたものが五岳真形図(「五嶽眞形圖」)である。
華山(西嶽;2,160m陝西省渭南市華陰市)
嵩山(中嶽;1,440m河南省鄭州市登封市)、
泰山(東嶽;1,545m山東省泰安市泰山区)、
衡山(南嶽;1,298m湖南省衡陽市衡山県)、
恒山(北嶽;2,016,m山西省大同市渾源県)


流轉無恆處,誰知吾苦艱。
このように世界を流転をしつづけ、定住の場所さえないのである。そのような私のくるしさを、誰がわかってくれるというのか。
・無恆處 きまった住所をもたぬ。黄帝のような仙人の悠悠としで楽しいことをいうが、曹植は自分自身が領地換えをされたことをいい、支持者が激減していったことを云う。


願為中林草,秋隨野火燔。
やはり、政治の中心にある林の中の草となりたいと願うものであり、秋になれば、野焼きによって春を迎えたいのである。
・中林 政治の中心にあることで、詩経の意に基づくものである。『詩経』国風 周南.兔罝「肅肅兔罝、施于中林。 赳赳武夫、公侯腹心。」(うさぎの罠は気付かれぬように仕掛ける。仕掛ける場所は林の中。隙を突いてはすり抜ける武人の如く。縄張るお前は分かり切っていた。)曹植は詩経の語句を単独で暗号のように使う。
・燔 焼く。


糜滅豈不痛,願與株荄連。
焼けただれ、もえつきてしまうことは、苦痛でないことはないが、しかし、かつてのように株や根と運命をともにすることこそが、私の願いなのだ。
・糜滅 やかれてただれほろぶ。・糜滅:〔びめつ〕(焼け)ただれる。 ・糜 ついえる。ただれる。形がぐちゃぐちゃになるまで煮る。
・不痛:痛くない。痛さを感じない。
・株荄 株はかぶ。荄は草の根(「爾雅」釈革)。私は「荄与株安連」の句を、同根である兄弟たちと、その運命をともにしたいと
泰山の道観

吁嗟篇 魏詩<73-#2> 女性詩745 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2273

曹植《吁嗟篇》 魏詩 曹植詩 第73-#1首目
歎きの歌。蓬に託して、変転きわまりない自らの境涯を歎き詠っている。陶淵明の『歸去來兮辭』は、この作品から大きな影響を受けている。後世の詩人に多大な影響を与えている。

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

吁嗟篇 魏詩<73-#2> 女性詩745 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2273



吁嗟篇
吁嗟此轉蓬,居世何獨然。
ああ、ここに転びゆくよもぎがある。この世にあるもので、どうしてお前だけが、この「轉蓬」となるのあろうか。
長去本根逝,宿夜無休閒。
よもぎはもとの根よりはるか遠くまで去ってゆくのであり、朝早くから夜おそくまで、休むひまはないのである。
東西經七陌,南北越九阡。
東西に、七つのあぜみちをとびすぎたかと思うと、南北に、九つのあぜみちをとびこえる。
卒遇迴風起,吹我入雲間。
突如としておこったつむじ風に巻きこまれ、われわれ「轉蓬」は雲間に吹き上げられる。

自謂終天路,忽然下沉泉。
これなら、天の路の終点まで行けるということだ。そのうちに、たちまち深い沈淵まで急降下する。
驚飆接我出,故歸彼中田。
もうだめだと観念したのだが、はげしく吹き上げる風がつれだしてくれる。今度はもとの通り、田んぼの中のあのすみかに、帰してくれるのであろう。
當南而更北,謂東而反西。
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飄颻周八澤,連翩歷五山。
流轉無恆處,誰知吾苦艱。
願為中林草,秋隨野火燔。
糜滅豈不痛,願與株荄連。


『吁嗟篇』 現代語訳と訳註
曹植5x5(本文)

自謂終天路,忽然下沉泉。
驚飆接我出,故歸彼中田。
當南而更北,謂東而反西。
宕宕當何依?忽亡而復存。


(下し文)
自ら 天路を終えんと謂【おも】いしに、忽然として沈淵【ちんえん】に下る。
驚飆【けいひょう】 我を接【むか】えて出だす、故より彼の中田に帰すなるや。
当に南すべくして更に北し、東せんと謂うに反って西す。
宕宕【とうとう】としで当【まさ】に何れにか依るべき、忽【たちまち】に亡びて復た存す。


(現代語訳)
これなら、天の路の終点まで行けるということだ。そのうちに、たちまち深い沈淵まで急降下する。
もうだめだと観念したのだが、はげしく吹き上げる風がつれだしてくれる。今度はもとの通り、田んぼの中のあのすみかに、帰してくれるのであろう。
当然これなら南に行くものと思っていると、さらに北に行く。東に行くのかと思っていると、あべこべに西に行ってしまう。
この果しなくひろがる空間では、一体どこに身をよせたらよいのだろうか。ふと消えきっても、またあいかわらず生きのびている。


(訳注)
吁嗟篇 歎きの歌。蓬に託して、変転きわまりない自らの境涯を歎き詠っている。陶淵明の『歸去來兮辭』は、この作品から大きな影響を受けている。後世の詩人に多大な影響を与えている。


自謂終天路,忽然下沉泉。
これなら、天の路の終点まで行けるということだ。そのうちに、たちまち深い沈淵まで急降下する。
・自:みずから。・謂:思う。・終:おえる。・天路:天の路。 
・忽然:ふいに。たちまち。・下:くだる。・沈泉:深い淵。


驚飆接我出,故歸彼中田。
もうだめだと観念したのだが、はげしく吹き上げる風がつれだしてくれる。今度はもとの通り、田んぼの中のあのすみかに、帰してくれるのであろう。
・驚飆 はげしいはやて。暴風。 ・接我:わたしを迎える。 ・接我出:わたしを(沈泉から)迎えて、出して。 ・接:迎える。現代語でも同義で使う、息の長い言葉。
・故:もと。以前。昔。いにしへ;わざと。ことさら。ゆえに。 ・歸:もどす。 ・彼:あの。彼(か)の。 ・中田:畑の中。田の中。


當南而更北,謂東而反西。
当然これなら南に行くものと思っていると、さらに北に行く。東に行くのかと思っていると、あべこべに西に行ってしまう。
・當:まさに…す。・南:南す。動詞。南へ行く。同様に「東、西、北、左、右」なども動詞の働きをする場合がある。 ・而:接続詞。 ・更:さらにまた。「當… 更…」。
・謂:思う。 ・反:反対に。「謂… 反…」。 ・西:この語(字)は韻脚になるべきところ。何故か押韻しないが…??


宕宕當何依?忽亡而復存。
この果しなくひろがる空間では、一体どこに身をよせたらよいのだろうか。ふと消えきっても、またあいかわらず生きのびている。
・宕宕 広大でとりとめのないさま。蕩蕩。 ・當:…べきである。まさに…べし。また、あたる。 ・何依:何に頼るのか。
・忽:たちまち。 ・亡:なくなる。 ・復:また。 ・存:。「忽… 復…」「…かと思うと、すぐに…」。

吁嗟篇 魏詩<73-#1> 女性詩744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2268

曹植《吁嗟篇》 魏詩 曹植詩 第73-#1首目
流転の歌。この篇は転ぶ蓬に自己をたとえ、流転生活の悲愁を歌うが、悲愁は同胞離散のうらみをこめて、きわめて激烈な調子でつづられている。228年太和二年以後の作と推定しているのが通説のようだ。

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Ⅲ杜甫詩1000詩集楠樹為風雨所拔嘆 成都5-(11-1) 杜甫 <464-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2270 杜甫詩1000-464-#1-648/1500
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

吁嗟篇 魏詩<73-#1> 女性詩744 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2268


吁嗟篇
吁嗟此轉蓬,居世何獨然。
ああ、ここに転びゆくよもぎがある。この世にあるもので、どうしてお前だけが、この「轉蓬」となるのあろうか。
yamanoki01長去本根逝,宿夜無休閒。
よもぎはもとの根よりはるか遠くまで去ってゆくのであり、朝早くから夜おそくまで、休むひまはないのである。
東西經七陌,南北越九阡。
東西に、七つのあぜみちをとびすぎたかと思うと、南北に、九つのあぜみちをとびこえる。
卒遇迴風起,吹我入雲間。
突如としておこったつむじ風に巻きこまれ、雲間に吹き上げられる。これなら、われわれ「轉蓬」は天の路の終点まで行けるということだ。

自謂終天路,忽然下沉泉。
驚飆接我出,故歸彼中田。
當南而更北,謂東而反西。
宕宕當何依?忽亡而復存。

飄颻周八澤,連翩歷五山。
流轉無恆處,誰知吾苦艱。
願為中林草,秋隨野火燔。
糜滅豈不痛,願與株荄連。


『吁嗟篇』 現代語訳と訳註
(本文)
吁嗟篇
吁嗟此轉蓬,居世何獨然。
長去本根逝,宿夜無休閒。
東西經七陌,南北越九阡。
卒遇迴風起,吹我入雲間。


(下し文)
呼嗟 此の転蓬、世に居る 何んぞ独り然るや。
長く本根を去りて瀞き、夙夜 休閑無し。
東西 七階を経、南北 九肝を題ゆ。
卒に同風の起るに遇い、我を吹きで雲間に入れり。


(現代語訳)
ああ、ここに転びゆくよもぎがある。この世にあるもので、どうしてお前だけが、この「轉蓬」となるのあろうか。
よもぎはもとの根よりはるか遠くまで去ってゆくのであり、朝早くから夜おそくまで、休むひまはないのである。
東西に、七つのあぜみちをとびすぎたかと思うと、南北に、九つのあぜみちをとびこえる。
突如としておこったつむじ風に巻きこまれ、雲間に吹き上げられる。これなら、われわれ「轉蓬」は天の路の終点まで行けるということだ。


(訳注)
吁嗟篇

〇吁嗟篇 流転の歌。この篇は転ぶ蓬に自己をたとえ、流転生活の悲愁を歌うが、悲愁は同胞離散のうらみをこめて、きわめて激烈な調子でつづられている。228年太和二年以後の作と推定しているのが通説のようだ。


吁嗟此轉蓬,居世何獨然。
ああ、ここに転びゆくよもぎがある。この世にあるもので、どうしてお前だけが、この「轉蓬」となるのあろうか。
○呼嗟ああ。嘆辞。
○転蓬 転ぶよもぎ。○転蓬 風に吹かれて転びゆく蓬。蓬は菊科の多年生草本、蓬は秋風が吹くや、根より抜けて風のまにまに飛ぶ。「飛蓬」ともいう。はかない人生の此喩として頻用される。多くの詩人が点々と旅する身を詠う。漂泊についても使う。
曹植『雜詩六首 其二』
轉蓬離本根,飄颻長隨風。
何意回飆舉,吹我入雲中。
高高上無極,天路安可窮。
類此遊客子,捐軀遠從戎。
毛褐不掩形,薇藿常不充。
去去莫復道,沈憂令人老。

転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。


長去本根逝,宿夜無休閒。
よもぎはもとの根よりはるか遠くまで去ってゆくのであり、朝早くから夜おそくまで、休むひまはないのである。
○長 はるかに、遠く。
○宿夜/夙夜 夙は早朝、夜は深夜。
○休閒 のんびりすること。


東西經七陌,南北越九阡。
東西に、七つのあぜみちをとびすぎたかと思うと、南北に、九つのあぜみちをとびこえる。
〇七陌,九阡 陌,阡はともに田の中の畦で、束‥西を陌といい、南北を阡という。


卒遇迴風起,吹我入雲間。
突如としておこったつむじ風に巻きこまれ、雲間に吹き上げられる。これなら、われわれ「轉蓬」は天の路の終点まで行けるということだ。
○卒 にわかに
○迴風 つむじかぜ。風。曹植「雜詩」其二に「何意回飆舉,吹我入雲中。」(何んぞ意わん迴風の挙がり、我を吹きで雲中に入れんとは。)/回飆 旋風。飆は上から下に吹く風。

妾薄命二首 其二 曹植 魏詩<72-#3> 女性詩743 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2263

曹植《妾薄命二首 其二》 曹植 魏詩 曹植詩 第72-#3首目
客賦既醉言歸,主人稱露未晞。
客はきまり文句の「既醉言歸」(もう酔いました。いざ帰りましょう)と歌った。すると主人は返し文句の「露未晞」(まだまだ。露はまだかわいていませんよ)と歌って返す。

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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

妾薄命二首 其二 曹植 魏詩<72-#3> 女性詩743 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2263 


この詩は其一、其二の二首とされているが、内容的にみると一詩である。

妾薄命(二首)其一
攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
玉のような手をたずさえて、心嬉しく同じ車に乗る。つれだって高い階段をふみ、雲にもとどく楼閣に登っていく。
釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
釣をする高台はおごそかに高く、俗界より隔絶されてすずやかにたつ。円池や方池、きれいな沼があり、これらは見事であり、楽しむには好適である。
仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
あおぎみて竜舟を清らかな水波に浮べている、うつぶしてみては芙蓉の茎を抜きとる。
想彼宓妃洛河,退詠漢女湘娥。
こうして見るとかの宓妃に守られた洛河が想い出され、そして、船遊を終えてのち、漢女や湘娥を詠じるのである。

其二 -#1
日月既逝西藏,更會蘭室洞房。
日が昇り時間はすぎさって、日は西にかくれる、さらに、蘭香をたきこめた奥座敷の部屋に会合する。
華燈步障舒光,皎若日出扶桑。
きらびやかな燭台は、外出用の幌幕にその光をひろげて、燦然とかがやき、日が扶桑からのぼり出たかと見間違えるほどである。
促樽合坐行觴,主人起舞娑盤。
宴がはじまると、大型の盃を引よせ、座席をともにして、たがいに酒をくみかわす。主人はたちあがってくるくる回って踊る。
能者穴觸別端,騰觚飛爵闌干。
踊り手のうまいひとが、それにあわせて楽しくうす絹を振って、踊り相手の踊り手の薄絹の端を持つ。こちらではたがいに觚や爵のさかずきで、献杯を繰返えし、酒を留めなく飲み続ける。
同量等色齊顏,任意交屬所歡。
主客何れも同じほど酒を飲み、みながそろって赤い顔になる。思いのままに、たがいに好いた女性を相手にお酌されて酒をのむ。
#2
朱顏發外形蘭,袖隨禮容極情。
やがて、女性たちの美しいかんばせに紅がさし、色気が顔に現れ、その容姿は、蘭のようになまめかしい。その舞う袖は、礼儀正しい姿態にしたがってゆれうごき、あらゆる感情を表現する。
妙舞仙仙體輕,裳解履遺絕纓。
妙麗に舞うさまは、ひらりひらりと仙女の艶めかしさも軽やかだ。やがて、もすそはほどけ、履はぬげおち、冠のひもはきれる。
俯仰笑喧無呈,覽持佳人玉顏。
僻せたる、仰いだり、笑いまた叫び、とどまるところを知らない。美人の玉のような顔を手にとり、客たちが見守る
齊舉金爵翠盤,手形羅袖良難。
客たちは一せいに、黄金の杯や羞翠の盤を高くあげ、その妙技をたたえる。彼女はうけようとするが、手をうす絹の袖から出すのに、えらくもじもじしている。
腕弱不勝珠環,坐者嘆息舒顏。
腕がかぼそくなよやかで、真珠の腕輪にもたえぬ風情である。宴席の一座のものは、ため息をつき、思わず顔色をほころばせる。
#3
御巾裛粉君傍,中有霍納都梁,
かつて、彼女は佩巾やおしろいを、君王のそばで用いたものだった。そのおしろいの中には、霍納・都梁というものであった。 
雞舌五味雜香,進者何人齊姜,恩重愛深難忘。
鶏舌などの香や、五つの種類がまじった香などがはいっていた。今や前にすすみ出たものは誰であろうか。ほかでもない、家筋として斉の国の美人にもくらべられる美しい女性である。彼女は深い情をうけた君王が忘れられないのだ。
召延親好宴私,但歌杯來何遲。
親しい人人ばかりを招待して、水入らずの宴会をする。人人はきまり文句の「杯の来るのがなんと遅い」と、声を合わせて歌う。
客賦既醉言歸,主人稱露未晞。

客はきまり文句の「既醉言歸」(もう酔いました。いざ帰りましょう)と歌った。すると主人は返し文句の「露未晞」(まだまだ。露はまだかわいていませんよ)と歌って返す。


(妾薄命(二首))
玉手を携え 車を同じくするを喜び、此びて 雲闇 飛除に上る。
釣台は蹇產として清虚、池塘 霊沼 娯しむ可し。
仰ぎて竜舟を緑波に汎べ、併しで神草の枝村を擢く。
彼の 宓妃の洛河を想い、退きて 漢女と湘蛾を詠ず。


日月既に逝きて西に藏【かく】る、更に 蘭室の洞房に会す。
華鐙 歩障に光を舒べ、皎として日の扶桑より出づるが若し。
樽を促し坐を合せて觴を行る、主人 起ちて舞うや婆盤たり。
能者は冗にして別端に触る、觚を騰げ爵を飛ばして闌干たり。
量を同じくし色を等しくし顔を斉しくす、意に任せて交ごも歓ぶ所に属ぐ。

朱顔 外に発【あらわ】れて 形 蘭たり、袖は礼容に随いて情を極め。
妙舞 仙仙として体軽し、裳 解け履遣りで纓を絶ち。
俯仰し笑喧して呈無し、佳人の玉顔を覧持ち。
斉しく金爵と翠盤を挙ぐ、手 羅袖より形わるるは良に難く。
腕 弱くして珠環に勝えず、坐する者 嘆息して顔を舒ぶ。

巾を御し粉を裛う君が傍、中に有り霍納と都梁と。
鶏舌と五味の雑香と、進む者は何人ぞ 斉姜なり。
恩は重く愛は深く 忘れ難し、親好を召延して宴私す。
但だ歌う 杯の来る何んぞ遅きやと、客は賦す 既に酔う言に帰らんと、主人は称す 露未だ晞【かわ】かずと。


『妾薄命二首 其二』 曹植 -#3 現代語訳と訳註
(本文)
#3
御巾裛粉君傍,中有霍納都梁,
雞舌五味雜香,進者何人齊姜,
恩重愛深難忘。召延親好宴私,
但歌杯來何遲。客賦既醉言歸,主人稱露未晞。





花蕊夫人002




















(下し文)
巾を御し粉を裛う君が傍、中に有り霍納と都梁と。
鶏舌と五味の雑香と、進む者は何人ぞ 斉姜なり。
恩は重く愛は深く 忘れ難し、親好を召延して宴私す。
但だ歌う 杯の来る何んぞ遅きやと、客は賦す 既に酔う言に帰らんと、主人は称す 露未だ晞【かわ】かずと。


(現代語訳)
かつて、彼女は佩巾やおしろいを、君王のそばで用いたものだった。そのおしろいの中には、霍納・都梁というものであった。 
鶏舌などの香や、五つの種類がまじった香などがはいっていた。今や前にすすみ出たものは誰であろうか。ほかでもない、家筋として斉の国の美人にもくらべられる美しい女性である。彼女は深い情をうけた君王が忘れられないのだ。
親しい人人ばかりを招待して、水入らずの宴会をする。人人はきまり文句の「杯の来るのがなんと遅い」と、声を合わせて歌う。
客はきまり文句の「既醉言歸」(もう酔いました。いざ帰りましょう)と歌った。すると主人は返し文句の「露未晞」(まだまだ。露はまだかわいていませんよ)と歌って返す。


(訳注) #3
御巾裛粉君傍,中有霍納都梁,

かつて、彼女は佩巾やおしろいを、君王のそばで用いたものだった。そのおしろいの中には、霍納・都梁というものであった。 
・御巾 衣服などを身につけること。また用いる。巾は佩巾で、ひれのこと。
・裛粉 裛は纏うこと。粉はおしろい。
君傍 君のそばで用いること。
・霍納 香の名。霍納という香。
・都梁 香の名。「水経注」資水によれば、今の湖南省武岡県の東北の山上に流れる川の中からとれる蘭草のこと。


雞舌五味雜香,進者何人齊姜,恩重愛深難忘。
鶏舌などの香や、五つの種類がまじった香などがはいっていた。今や前にすすみ出たものは誰であろうか。ほかでもない、家筋として斉の国の美人にもくらべられる美しい女性である。彼女は深い情をうけた君王が忘れられないのだ。
○雞舌 香の名。「広志」にみえる南海中及び剽國の産。
○五味雜香 香の名。五味、雑香各上独立した香。
○斉姜 本来は大国たる斉国の姜姓の娘(当時姜氏は第一流の貴族であった。)嫁としては最高のものという意味。
○恩重愛深難忘 文帝に対する曹植の真情をこめたもの。


召延親好宴私,但歌杯來何遲。
親しい人人ばかりを招待して、水入らずの宴会をする。人人はきまり文句の「杯の来るのがなんと遅い」と、声を合わせて歌う。
○親好 親しい人人。
○宴私 同姓の友だちや、肉親たちとうちわの宴会をすること。
○但 ただそれだけ。
○杯來何遲 当時の宴会の席上で、よく歌われた文句であった。現在の言葉でいえば「一気、一気」の雰囲気で盃を速く回せというのだろう。


客賦既醉言歸,主人稱露未晞。
客はきまり文句の「既醉言歸」(もう酔いました。いざ帰りましょう)と歌った。すると主人は返し文句の「露未晞」(まだまだ。露はまだかわいていませんよ)と歌って返す。
○賦詞する。うたう。
○酔言帰 「酔う言に帰らん」
○称 言う。
○露未晞 「露は日が出ないと乾かないように、君たちも酔わなければ、帰ってはいけませんよ。」というのが、その大意。

妾薄命二首 其二 曹植 魏詩<72-#2> 女性詩742 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2258

曹植《妾薄命二首 其二 曹植》 魏詩 曹植詩 第72-#2首目


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妾薄命(二首)其一
攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
玉のような手をたずさえて、心嬉しく同じ車に乗る。つれだって高い階段をふみ、雲にもとどく楼閣に登っていく。
釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
釣をする高台はおごそかに高く、俗界より隔絶されてすずやかにたつ。円池や方池、きれいな沼があり、これらは見事であり、楽しむには好適である。
仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
あおぎみて竜舟を清らかな水波に浮べている、うつぶしてみては芙蓉の茎を抜きとる。
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華燈步障舒光,皎若日出扶桑。
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同量等色齊顏,任意交屬所歡。

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#2
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やがて、女性たちの美しいかんばせに紅がさし、色気が顔に現れ、その容姿は、蘭のようになまめかしい。その舞う袖は、礼儀正しい姿態にしたがってゆれうごき、あらゆる感情を表現する。
妙舞仙仙體輕,裳解履遺絕纓。
妙麗に舞うさまは、ひらりひらりと仙女の艶めかしさも軽やかだ。やがて、もすそはほどけ、履はぬげおち、冠のひもはきれる。
俯仰笑喧無呈,覽持佳人玉顏。
僻せたる、仰いだり、笑いまた叫び、とどまるところを知らない。美人の玉のような顔を手にとり、客たちが見守る
齊舉金爵翠盤,手形羅袖良難。
客たちは一せいに、黄金の杯や羞翠の盤を高くあげ、その妙技をたたえる。彼女はうけようとするが、手をうす絹の袖から出すのに、えらくもじもじしている。
腕弱不勝珠環,坐者嘆息舒顏。

腕がかぼそくなよやかで、真珠の腕輪にもたえぬ風情である。宴席の一座のものは、ため息をつき、思わず顔色をほころばせる。
#3
趙飛燕Hienso003御巾裛粉君傍,中有霍納都梁,
雞舌五味雜香,進者何人齊姜,
恩重愛深難忘。召延親好宴私,
但歌杯來何遲。客賦既醉言歸,主人稱露未晞。


『妾薄命二首 其二』 曹植 現代語訳と訳註
(本文)
  -#1
朱顏發外形蘭,袖隨禮容極情。
妙舞仙仙體輕,裳解履遺絕纓。
俯仰笑喧無呈,覽持佳人玉顏。
齊舉金爵翠盤,手形羅袖良難。
腕弱不勝珠環,坐者嘆息舒顏。


(下し文)
朱顔 外に発【あらわ】れて 形 蘭たり、袖は礼容に随いて情を極め。
妙舞 仙仙として体軽し、裳 解け履遣りで纓を絶ち。
俯仰し笑喧して呈無し、佳人の玉顔を覧持ち。
斉しく金爵と翠盤を挙ぐ、手 羅袖より形わるるは良に難く。
腕 弱くして珠環に勝えず、坐する者 嘆息して顔を舒ぶ。


(現代語訳)
やがて、女性たちの美しいかんばせに紅がさし、色気が顔に現れ、その容姿は、蘭のようになまめかしい。その舞う袖は、礼儀正しい姿態にしたがってゆれうごき、あらゆる感情を表現する。
妙麗に舞うさまは、ひらりひらりと仙女の艶めかしさも軽やかだ。やがて、もすそはほどけ、履はぬげおち、冠のひもはきれる。
僻せたる、仰いだり、笑いまた叫び、とどまるところを知らない。美人の玉のような顔を手にとり、客たちが見守る
客たちは一せいに、黄金の杯や羞翠の盤を高くあげ、その妙技をたたえる。彼女はうけようとするが、手をうす絹の袖から出すのに、えらくもじもじしている。
腕がかぼそくなよやかで、真珠の腕輪にもたえぬ風情である。宴席の一座のものは、ため息をつき、思わず顔色をほころばせる。


(訳注)
朱顏發外形蘭,袖隨禮容極情。

やがて、女性たちの美しいかんばせに紅がさし、色気が顔に現れ、その容姿は、蘭のようになまめかしい。その舞う袖は、礼儀正しい姿態にしたがってゆれうごき、あらゆる感情を表現する。
○朱顔 美人の顔色をいう。『楚辞、招魂』に「美人既酔、朱顔離些。」(美人既に酔い朱顔離し。)と見える。李白『蜀道難』「使人聽此凋朱顏。」(人がこの言葉を聴けば、張りのある若さ紅顔も凋むことだろう。)
蜀道難 李白
○発外 エネルギーが顔にあらわれること。ここでは色気が顔にあらわれること。
○形蘭 その形は蘭のようになよやかに美しいこと。


妙舞仙仙體輕,裳解履遺絕纓。
妙麗に舞うさまは、ひらりひらりと仙女の艶めかしさも軽やかだ。やがて、もすそはほどけ、履はぬげおち、冠のひもはきれる。
・仙仙 仙は仙女。仙女の艶めかしさを云う。


俯仰笑喧無呈,覽持佳人玉顏。
僻せたる、仰いだり、笑いまた叫び、とどまるところを知らない。美人の玉のような顔を手にとり、客たちが見守る
○覽持佳人玉顏 佳人は舞を終えた美人をさす。覽は手にとり、客たちが見守る。


齊舉金爵翠盤,手形羅袖良難。
客たちは一せいに、黄金の杯や羞翠の盤を高くあげ、その妙技をたたえる。彼女はうけようとするが、手をうす絹の袖から出すのに、えらくもじもじしている。
○斉挙 一せいにあげる。舞をたたえることであろう。客たちがそろってうけとる。
○翠盤 翠盤のこと。翡翠をちりばめた大きな皿。
○良 本当に、いかにも。
○この段は、舞終って、主客その労をねぎらったのに対し、佳人それにこたえるさまを歌ったものであろう。
○形 あらわれでる。


腕弱不勝珠環,坐者嘆息舒顏。
腕がかぼそくなよやかで、真珠の腕輪にもたえぬ風情である。宴席の一座のものは、ため息をつき、思わず顔色をほころばせる。
○珠環 真珠のうでわ。
○酔顔 かおつきをやわらげること。舒は和と同じ。

妾薄命二首 其二 曹植 魏詩<72-#1> 女性詩741 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2253


曹植《妾薄命二首 其二 曹植》-#1 魏詩 曹植詩 第72首目

2013年4月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩妾薄命二首 其二 曹植 魏詩<72-#1> 女性詩741 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2253
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第八段-#2 宋玉  <00-#25>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 654 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2254
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

妾薄命二首 其二 曹植 魏詩<72-#1> 女性詩741 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2253 



妾薄命(二首)#1
攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
玉のような手をたずさえて、心嬉しく同じ車に乗る。つれだって高い階段をふみ、雲にもとどく楼閣に登っていく。
釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
釣をする高台はおごそかに高く、俗界より隔絶されてすずやかにたつ。円池や方池、きれいな沼があり、これらは見事であり、楽しむには好適である。
bijo02仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
あおぎみて竜舟を清らかな水波に浮べている、うつぶしてみては芙蓉の茎を抜きとる。
想彼宓妃洛河,退詠漢女湘娥。
こうして見るとかの宓妃に守られた洛河が想い出され、そして、船遊を終えてのち、漢女や湘娥を詠じるのである。

#2
日月既逝西藏,更會蘭室洞房。
日が昇り時間はすぎさって、日は西にかくれる、さらに、蘭香をたきこめた奥座敷の部屋に会合する。
華燈步障舒光,皎若日出扶桑。
きらびやかな燭台は、外出用の幌幕にその光をひろげて、燦然とかがやき、日が扶桑からのぼり出たかと見間違えるほどである。
促樽合坐行觴,主人起舞娑盤。
宴がはじまると、大型の盃を引よせ、座席をともにして、たがいに酒をくみかわす。主人はたちあがってくるくる回って踊る。
能者穴觸別端,騰觚飛爵闌干。
踊り手のうまいひとが、それにあわせて楽しくうす絹を振って、踊り相手の踊り手の薄絹の端を持つ。こちらではたがいに觚や爵のさかずきで、献杯を繰返えし、酒を留めなく飲み続ける。
同量等色齊顏,任意交屬所歡。
主客何れも同じほど酒を飲み、みながそろって赤い顔になる。思いのままに、たがいに好いた女性を相手にお酌されて酒をのむ。

朱顏發外形蘭,袖隨禮容極情。
妙舞仙仙體輕,裳解履遺絕纓。
俯仰笑喧無呈,覽持佳人玉顏。
齊舉金爵翠盤,手形羅袖良難。
腕弱不勝珠環,坐者嘆息舒顏。

御巾裛粉君傍,中有霍納都梁,
雞舌五味雜香,進者何人齊姜,
恩重愛深難忘。召延親好宴私,
但歌杯來何遲。客賦既醉言歸,主人稱露未晞。




『妾薄命二首 其二』#2 現代語訳と訳註
(本文)

日月既逝西藏,更會蘭室洞房。
華燈步障舒光,皎若日出扶桑。
促樽合坐行觴,主人起舞娑盤。
能者冗觸別端,騰觚飛爵闌干。
同量等色齊顏,任意交屬所歡。


(下し文)
日月既に逝きて西に藏【かく】る、更に 蘭室の洞房に会す。
華鐙 歩障に光を舒べ、皎として日の扶桑より出づるが若し。
樽を促し坐を合せて觴を行る、主人 起ちて舞うや婆盤たり。
能者は冗にして別端に触る、觚を騰げ爵を飛ばして闌干たり。
量を同じくし色を等しくし顔を斉しくす、意に任せて交ごも歓ぶ所に属ぐ。


(現代語訳)
日が昇り時間はすぎさって、日は西にかくれる、さらに、蘭香をたきこめた奥座敷の部屋に会合する。
きらびやかな燭台は、外出用の幌幕にその光をひろげて、燦然とかがやき、日が扶桑からのぼり出たかと見間違えるほどである。
宴がはじまると、大型の盃を引よせ、座席をともにして、たがいに酒をくみかわす。主人はたちあがってくるくる回って踊る。
踊り手のうまいひとが、それにあわせて楽しくうす絹を振って、踊り相手の踊り手の薄絹の端を持つ。こちらではたがいに觚や爵のさかずきで、献杯を繰返えし、酒を留めなく飲み続ける。
主客何れも同じほど酒を飲み、みながそろって赤い顔になる。思いのままに、たがいに好いた女性を相手にお酌されて酒をのむ。


(訳注)
○この段は宴会愈上たけなわなる状態を歌うもの。

日月既逝西藏,更會蘭室洞房。
日が昇り時間はすぎさって、日は西にかくれる、さらに、蘭香をたきこめた奥座敷の部屋に会合する。


華燈步障舒光,皎若日出扶桑。
きらびやかな燭台は、外出用の幌幕にその光をひろげて、燦然とかがやき、日が扶桑からのぼり出たかと見間違えるほどである。
・華燈 きらびやかな燭台。
・步障 外出用の幌幕
・扶桑 桑畑は東に作る。


促樽合坐行觴,主人起舞娑盤。
宴がはじまると、大型の盃を引よせ、座席をともにして、たがいに酒をくみかわす。主人はたちあがってくるくる回って踊る。
・樽 大型の盃
・舞娑盤 くるくる回って踊る様子を云う。


能者穴觸別端,騰觚飛爵闌干。
踊り手のうまいひとが、それにあわせて楽しくうす絹を振って、踊り相手の踊り手の薄絹の端を持つ。こちらではたがいに觚や爵のさかずきで、献杯を繰返えし、酒を留めなく飲み続ける。
・能者 踊り手のうまいひと。
・穴觸 冗は楽しくうす絹を振って踊る。
・別端 別の踊り手の薄絹の端を持つ。
・騰觚飛爵 觚や爵のさかずきをくみかわす。
・闌干 酒を留めなく飲み続ける。


同量等色齊顏,任意交屬所歡。
主客何れも同じほど酒を飲み、みながそろって赤い顔になる。思いのままに、たがいに好いた女性を相手にお酌されて酒をのむ。
・等色斉顔 同じ顔色容貌になるをいう。
・任意 思いのまま。思いきり。
・属 酌をすること。
・所歓 すいた人。

妾薄命二首 其一 曹植 魏詩<71> 女性詩740 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2248

曹植《妾薄命二首 其一 曹植》 魏詩 曹植詩 第71首目


2013年4月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第八段-#1 宋玉  <00-#24>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 653 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2249
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

妾薄命二首 其一 曹植 魏詩<71> 女性詩740 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2248


妾薄命(二首)
bijo01攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
想彼宓妃洛河,退詠漢女湘娥。


日月既逝西藏,更會蘭室洞房。
華燈步障舒光,皎若日出扶桑。
促樽合坐行觴,主人起舞娑盤。
能者穴觸別端,騰觚飛爵闌干。
同量等色齊顏,任意交屬所歡。

朱顏發外形蘭,袖隨禮容極情。
妙舞仙仙體輕,裳解履遺絕纓。
俯仰笑喧無呈,覽持佳人玉顏。
齊舉金爵翠盤,手形羅袖良難。
腕弱不勝珠環,坐者嘆息舒顏。

御巾裛粉君傍,中有霍納都梁,
雞舌五味雜香,進者何人齊姜,
恩重愛深難忘。召延親好宴私,
但歌杯來何遲。客賦既醉言歸,主人稱露未晞。


妾薄命(二首)
攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
玉のような手をたずさえて、心嬉しく同じ車に乗る。つれだって高い階段をふみ、雲にもとどく楼閣に登っていく。
釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
釣をする高台はおごそかに高く、俗界より隔絶されてすずやかにたつ。円池や方池、きれいな沼があり、これらは見事であり、楽しむには好適である。
仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
あおぎみて竜舟を清らかな水波に浮べている、うつぶしてみては芙蓉の茎を抜きとる。
想彼宓妃洛河,退詠漢女湘娥。
こうして見るとかの宓妃に守られた洛河が想い出され、そして、船遊を終えてのち、漢女や湘娥を詠じるのである。

玉手を携え 車を同じくするを喜び、此びて 雲闇 飛除に上る。
釣台は蹇產として清虚、池塘 霊沼 娯しむ可し。
仰ぎて竜舟を緑波に汎べ、併しで神草の枝村を擢く。
彼の 宓妃の洛河を想い、退きて 漢女と湘蛾を詠ず。


『妾薄命』 現代語訳と訳註
(本文)
(二首)其一
攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
想彼宓妃洛河,退詠漢女湘娥。


(下し文)
玉手を携え 車を同じくするを喜び、此びて 雲闇 飛除に上る。
釣台は蹇產として清虚、池塘 霊沼 娯しむ可し。
仰ぎて竜舟を緑波に汎べ、併しで神草の枝村を擢く。
彼の 宓妃の洛河を想い、退きて 漢女と湘蛾を詠ず。


(現代語訳)
玉のような手をたずさえて、心嬉しく同じ車に乗る。つれだって高い階段をふみ、雲にもとどく楼閣に登っていく。
釣をする高台はおごそかに高く、俗界より隔絶されてすずやかにたつ。円池や方池、きれいな沼があり、これらは見事であり、楽しむには好適である。
あおぎみて竜舟を清らかな水波に浮べている、うつぶしてみては芙蓉の茎を抜きとる。
こうして見るとかの宓妃に守られた洛河が想い出され、そして、船遊を終えてのち、漢女や湘娥を詠じるのである。


(訳注)
王屋山01妾薄命(二首)

○妾薄命 はかなき楽しみの歌。「楽府詩集」では二首に分け、(「玉台新詠」巻九では其二のみを収める。
其一は園遊をのべ、其二は宴会の楽しみのさまをのべる。制作年代を、建安中の作とする説と、黄初六年、文帝が東征よりの帰途、蕹丘に柾をたずねた時の作との説がある。詩の雰囲気、できばえからすると前者建安中の作と考える。


攜玉手喜同車,比上雲閣飛除。
玉のような手をたずさえて、心嬉しく同じ車に乗る。つれだって高い階段をふみ、雲にもとどく楼閣に登っていく。
○此上 ならんで登る。
○雲閣飛除 雲閣とは雲につながるほど高い楼閣。飛除は高い階段。


釣台蹇產清虛,池塘靈沼可娛。
釣をする高台はおごそかに高く、俗界より隔絶されてすずやかにたつ。円池や方池、きれいな沼があり、これらは見事であり、楽しむには好適である。
○蹇產 高いさま。漢の東方朝の「七諌」に「高山の幡隆たるを望む。」と見えるごとく、高いさまの意となる。
○清虚 俗界より隔絶されたすずやかさ。釣台を中心とした光景をいうものと考えたい。
○池塘 いけ。池は円く、塘は四角いのをさす。
○靈沼 霊は美称、沼は池。「詩経」大雅、霊台に「王霊沼に在り。」と見える。


仰泛龍舟綠波,俯擢神草枝柯。
あおぎみて竜舟を清らかな水波に浮べている、うつぶしてみては芙蓉の茎を抜きとる。
○龍舟 竜の形をした舟。天子の乗用である。
〇綠波 清らかな水。
〇俯擢神草枝柯 神草は霊芝のことで、枝柯は芙蓉のともに枝であるが茎の意。


想彼宓妃洛河,退詠漢女湘娥。
こうして見るとかの宓妃に守られた洛河が想い出され、そして、船遊を終えてのち、漢女や湘娥を詠じるのである。
○想彼宓妃洛河 宓妃は伏義民の娘で、伊水洛水(ともに洛陽附近に流れる川の名)の女神といわれる。曹植の賦の代表作たる「洛神の賦」は宓妃を歌ったものである。
○漢女 漢水の女神。。
○湘娥 湘水(広西省より洞庭湖に入る川)の女神。湘君又は湘夫人ともいう。堯の娘に娥皇・女英の二人がおり、それぞれ舜の后及び妃となったが、舜が死んだとき、ともに湘水に身を投じた。湘君、湘夫人は「楚辞」の離騒・九歌に見えるが、湘娥は張衝の「西京賦」に見える。正しくは娥皇のみをさすのだろうが、普通は女英も含めていうようだ。

○湘妃 舜の妻、娥皇・女英の二人が舜王のあとを追いかけ湘水までゆき、舜の死んだことをきき、湘水に身をなげて死に、湘水の女神となった。それが湘妃であり、この湘妃が洞庭の月夜に瑟を鼓くという古伝説がある。
○斑竹 斑紋のある竹、湘水の地方に産する。その竹は湘妃が涙を流したあとに生じたものであるとの伝説がある。
○江 湘江をさす。 

娥皇と女英の故事にもとづく。古代の帝王舜は南方巡行の途中、蒼梧(湖南省寧遠県付近の山)で残した。二人の妃、娥皇と女英は舜を追い求めて湘江のあたりまで来たが、二人の涙がこぼれた。竹はまだらに染まった。そのためこの地の竹には斑紋がついているという(『博物志』、『述異記』)。湘江は長抄の西を通って洞庭湖に注ぐ。「浅深」はあるいは浅くあるいは深く、まだらになっていることをいう。




李白『妾薄命』 
漢帝寵阿嬌、貯之黃金屋。
咳唾落九天、隨風生珠玉。 」
寵極愛還歇、妒深情卻疏。
長門一步地、不肯暫回車。
雨落不上天、水覆難再收。 」
君情與妾意、各自東西流。
昔日芙蓉花、今成斷根草。
以色事他人、能得幾時好。 」
漢の武帝は皇太子の時、阿嬌を見初め、いつくしんだ、これよって金で飾られた家に住まわせたのだ。その権力と勢力、天下の真ん中だということを知らしめた、風までもそれに従い珠玉を生じていった。天子の寵愛が極限まで行ったその後に別の后妃に移った時、嫉妬心が深く人の心も疎んじていった。一族でさえひとたびその地を歩んだ、その後、車馬さえ回ってこなくなった。
雨が落ちてくるように天子のもとに上がることはなくなった、こぼされた水は再び元に収まることはないのだ。天子の愛情と后妃の思いはそれぞれ西と東に別れて流れたようなものだ。
昔は確かに、芙蓉の花のように 華麗に咲く花のような后妃であったが、それも廃位となった今はただ、根無し草となり、飛蓬のように、零落して各地を流浪するしかなくなったのだ。色香をもって、人につかえることしかできないものが、一体どれほどの期間、すばらしい時間とすることができるというのであろうか。

當欲游南山行 曹植 魏詩<70-#2> 女性詩739 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2243

曹植《當欲游南山行 曹植》 魏詩 曹植詩 第70-#2首目


2013年4月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩當欲游南山行 曹植 魏詩<70-#2> 女性詩739 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2243
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第七段-#2 宋玉  <00-#23>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 652 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2244
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集送韓十四江東省覲 成都5-(7) 杜甫 <460>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2245 杜甫詩1000-460-643/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集石室山詩 謝霊運<49> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2246 (04/19)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

當欲游南山行 曹植 魏詩<70-#2> 女性詩739 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2243

 


當欲游南山行
東海廣且深,由卑下百川。
東にながれこむ海は広くもまた深いものだが、それはうみは低いところにあればこそ、多くの川がくだり導き入れることができるのだ。
五嶽雖高大,不逆垢與塵。
聖地である五嶽は高くそびえていても、おり・かすやちりでよごれるのをこばむものではない。
良木不十圍,洪條無所因。
またよい木は、十かかえ以上でなければならず、その巨木でなければ、大きな枝をつけるわけにはゆかないのだ。

長者能博愛,天下寄其身。
同じょうに、徳行を備えた人は、びろく愛を及ぼすことができる。天下の人はそのもとに身をよせるのだ。
大匠無棄材,船車用不均。
また大いいなる匠の頭は、どんな材料でも、棄て去ることしないものだ。というのは、船には船に、事には車に、それぞれ適した材料を使いわけることをするのである。
錐刀各異能,何所獨卻前。
また、錐と小刀は、ともに加工してそれぞれそのはたらきはちがうものをいかしていく。どうして、ただ単に片方だけを用いることで、他方を使わなくてよいことがあろうか、あろうはずがないのである。
嘉善而矜愚,大聖亦同然。
できるものはほめてやり、できない愚かなものはあわれむのが大切なのだ。昔の聖人も、やはりそのようにせられたのは当然のことなのである。
仁者各壽考,四坐咸萬年。
『論語、蕹也』に「仁者壽」というように、仁徳の者は、長寿にめぐまれるものだ。ここに列席した人たち、全員に、何れも万年の寿をうけられることであろうことを祈念しておわる。


(南山に遊ばんと欲する行に当う)
東海 広くして且つ深く、卑きに由り 百川をして下らしむ。
五嶽 高大なりと雖も、垢と塵とを逆まず。
良木も十囲ならざれば、洪条 因る所無し。
長者 能く博愛、天下 共の身を寄す。

大匠 材を棄つる無く、船と車と 用うるは均しからず。
錐 刀 各おの能を異にす、何んの独り卻前する所ぞ。
善を嘉して愚を衿れむ、大聖も亦た同じく然り。
仁者 各おの寿考にして、四坐 咸な万年ならん。


『當欲游南山行』 現代語訳と訳註
aki02(本文)

大匠無棄材,船車用不均。
錐刀各異能,何所獨卻前。
嘉善而矜愚,大聖亦同然。
仁者各壽考,四坐咸萬年。


(下し文)
大匠 材を棄つる無く、船と車と 用うるは均しからず。
錐 刀 各おの能を異にす、何んの独り卻前する所ぞ。
善を嘉して愚を衿れむ、大聖も亦た同じく然り。
仁者 各おの寿考にして、四坐 咸な万年ならん。


(現代語訳)
また大いいなる匠の頭は、どんな材料でも、棄て去ることしないものだ。というのは、船には船に、事には車に、それぞれ適した材料を使いわけることをするのである。
また、錐と小刀は、ともに加工してそれぞれそのはたらきはちがうものをいかしていく。どうして、ただ単に片方だけを用いることで、他方を使わなくてよいことがあろうか、あろうはずがないのである。
できるものはほめてやり、できない愚かなものはあわれむのが大切なのだ。昔の聖人も、やはりそのようにせられたのは当然のことなのである。
『論語、蕹也』に「仁者壽」というように、仁徳の者は、長寿にめぐまれるものだ。ここに列席した人たち、全員に、何れも万年の寿をうけられることであろうことを祈念しておわる。


(訳注)
當欲游南山行

〇当欲遊南山行 長者(有徳の人)を慕う歌。当は擬及び代に同じ、かえうたの意。


大匠無棄材,船車用不均。
また大いいなる匠の頭は、どんな材料でも、棄て去ることしないものだ。というのは、船には船に、事には車に、それぞれ適した材料を使いわけることをするからである。
〇大匠無棄材,船車用不均 大匠とは大工の長をいう。適材を適所に配置すべきことをのべる。均は同じ。


錐刀各異能,何所獨卻前。
また、錐と小刀は、ともに加工してそれぞれそのはたらきはちがうものをいかしていく。どうして、ただ単に片方だけを用いることで、他方を使わなくてよいことがあろうか、あろうはずがないのである。
〇錐刀 錐はきり、刀はナイフ。ともに小さいもの、「左伝」昭公六年に「錐刀の末」と見える。
○卻前 卻は退ける、前は進める意にとり、人は各上能力を異にするが故に、人材を使う者はこの人間を退けて、他の人間を採用することをしないという意味。


嘉善而矜愚,大聖亦同然。
できるものはほめてやり、できない愚かなものはあわれむのが大切なのだ。昔の聖人も、やはりそのようにせられたのは当然のことなのである。
〇嘉善而矜愚 善は能力のあるもの。「論語」子張第十九の三に「君子尊賢而容眾,嘉善而矜不能。」(君子、賢を尊びて衆を容れ、善を嘉【よみ】して不能を矜【あわ】れむ。)と見える。衿は憐れむ。
○大聖 昔の聖人をさす。


仁者各壽考,四坐咸萬年。
『論語、蕹也』に「仁者壽」というように、仁徳の者は、長寿にめぐまれるものだ。ここに列席した人たち、全員に、何れも万年の寿をうけられることであろうことを祈念しておわる。
○仁者各壽考,四坐咸萬年 
『論語、蕹也』「子曰、知者樂水、仁者樂山、知者動、仁者静、知者楽、仁者壽」(子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿し。)
曹植『箜篌引【くごいん】』では「先民誰不死,知命復何憂。」(昔の人で死なぬものが誰かいたであろうか。長寿を祈っても甲斐ないこと、『易経』に云うように天命を知れば何を憂えることがあろうか。)
今も昔も宴会においては披露する詩の終わりは『祈念』する言葉である。