漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

文選 雑詩 上

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蘇武 《詩四首 其四》#1 夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

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蘇武 《詩四首 其四》#1 古詩源  詩<103-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩848 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2788

 

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

征夫懷遠路,遊子戀故

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。

#2

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

燭燭たり農の明月、説法として秋蘭芳し、

券馨良夜に毒し、凪に随って我が堂に聞ゆ。

征夫遠路を懐ひ、遊子故郷を鯉ふ)

塞多い二月、鳥に起きて厳霜を践む。

#2

俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る。

良友遠く離別し、各【おのお】の天の一方に在り。

山海中州を隔て、相去ること悠【はるか】にして且つ長し。

嘉會【かかい】再び遇ひ難く、歓楽殊【こと】に末だ央【つ】きず。

願はくば君 令 徳を崇くし、時に随ひて景光を愛せよ。

 

 

『詩四首 其四』 現代語訳と訳註

60moon(本文)

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

征夫懷遠路,遊子戀故

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

 

(下し文) (詩四首 其の四)

燭燭たり農の明月、説法として秋蘭芳し、

券馨良夜に毒し、凪に随って我が堂に聞ゆ。

征夫遠路を懐ひ、遊子故郷を鯉ふ)

塞多い二月、鳥に起きて厳霜を践む。

 

(現代語訳)

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。

 

 

(訳注)

詩四首 其四

 

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

○燭燭 光明のさま。

○晨明月 明月が明け方まで残るというと陰暦9月の16日から20日の名残月(別れ月)ということになる。

〇馥馥 芳ばしいこと。

〇我蘭芳 「秋蘭芳」に作るテクストもある。

 

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

〇芬馨 芳香に同じ。男女の性交の際の汗臭さを消す芳香を焚く臭い。

○良夜 男女の睦まじい混じり合いの夜。二人で過ごした夜。

〇聞我堂 「聞」は香気の伝わり及ぶこと、我々の奥座敷にまで芳香が漂い匂って来る。

 

征夫懷遠路,遊子戀故

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

 

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。
 


幻日環01














「名月」から導かれる月について

泠色 冷は9月 初は8/3,9/3である。澄むがあるので8月初めではなく、9/3と考える。9月は別れの月でもある。明月は8月15日の満月を云う。

三日月01

 

月は三夜五夜と日々明るくなり、十五夜には満月になる、四夜五夜と蟾蜍に喰われ兔もいなくなり、二十日夜になると欠け月になる。

 

陰暦十六夜の月。満月の翌晩は月の出がやや遅くなるのを、月がためらっていると見立てたもの。《季 秋》

陰暦二〇日の月。特に陰暦八月についていう。更け待ち月。[季]秋。

 

 

・月 雁声が聞こえる時の「月」とは、秋の月のことになる。月について、今夜は十二夜、満月には帰ってきてくれるという希望を持った意味となる。ちなみに十三夜は初恋。二十日は名残月、別れの月。閨情詩はそれぞれ別の意味を含んでいるので併せて考えると味わいが深くなる。)

 

・殘月 十五夜までにはなく陰暦十六日以降、一般的には二十日頃の夜明けに残る月を云う。このような月を詩に詠うは芸妓との別れる場合、人目を忍んで逢瀬を重ねた男女の別れを云う。

 

・初月 初月(はつづき、しょげつ). 三日月。陰暦3日(ごろ)の、月で最初に見え始める月。特に、陰暦8月の初月。唐朝の中興も未だ力微に、群盗の勢いなお盛んなることを暗示する。杜甫は同谷を出発したのは11月の終わりで成都に着いたのは1220日を過ぎているはずである。したがってこの詩の「初月」はこの夜、昇った月ではない。秦州における杜甫の五言律詩『初月』「光細弦欲上,影斜輪未安。微升古塞外,已隱暮雲端。河漢不oborotsuki02h改色,關山空自寒。庭前有白露,暗滿菊花團。」秦州抒情詩(8)  初月 杜甫 <293>に“「八月三日の月」初月、三日月は、その光が細くこの日その弦形の尖端をうわむきにしている、しかしその影の部分は半円形の底辺のあたりはおちつかぬさまだ。三日月の影の部分が広がって満月になるエネルギー、そのことは自分の夢、希望を満たすことであり、それが自分とその家族の安寧、安定、おちつきにつながる輪、満月の満足までにはなっていない。”この『初月』に基づいている。

 

立秋(りっしゅう)は、二十四節気の第13七月節(旧暦6月後半 - 7月前半)。初めて秋の気配が現れてくる頃とされる。このころは涼しい、清という季語である。

・処暑(しょしょ)は、二十四節気の第14七月中(通常旧暦7月内)。

・白露(はくろ)は、二十四節気の第15八月節(旧暦7月後半 - 8月前半)。大気が冷えてきて、露ができ始めるころ。『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」と説明している。

・秋分(しゅうぶん)は、二十四節気の第16。八月中(旧暦8月内)。

・寒露(かんろ)は、二十四節気の第17九月節(旧暦8月後半 - 9月前半)。露が冷気によって凍りそうになるころ。雁などの冬鳥が渡ってきて、菊が咲き始め、蟋蟀(こおろぎ)などが鳴き止むころ。

・霜降(そうこう)は、二十四節気の第18九月中(通常旧暦9月内)。露が冷気によって霜となって降り始めるころ。『暦便覧』では「露が陰気に結ばれて霜となりて降るゆゑ也」と説明している。

楓や蔦が紅葉し始めるころ。この日から立冬までの間に吹く寒い北風を木枯らしと呼ぶ。

・立冬(りっとう)は、二十四節気の第19十月節(旧暦9月後半 - 10月前半)。初めて冬の気配が現われてくる日。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。

秋分と冬至の中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立春の前日までが冬となる

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蘇武 《詩四首 其三》#2 古詩源  詩<102-2>Ⅱ李白に影響を与えた詩847 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2783

 

 

詩四首 其三

(詩四首 其の三)

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。 

在今夕,嬿婉及良時。

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

征夫懷往路,起視夜何其?

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

參辰皆已沒,去去從此辭。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

 

行役在戰場,相見未有期。

わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。

握手一長歎,淚爲生別滋。

かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。夫婦で楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

生當複來歸,死當長相思。

幸いに命があったらまたかならず帰って來ようし、運わるく死ぬこともあり、だから必ずいつまでも思いあうことにしよう。

 

 

其三

詩四首  其の三

結髮  夫妻と爲【な】り,恩愛  兩【ふた】つながら 疑はず。

歡娯  今夕に在り,嬿【えんゑん】 良時に 及ぶ。

征夫  往路を 懷い,起ちて 夜の 何其【いかん】を 視る。

參辰  皆な 已に沒す,去り去りて 此れ從【よ】り 辭せん。

#2

行役して 戰場に 在らば,相ひ見ること  未だ 期 有らず。

手を握り  一たび長歎すれば ,涙は 生別の 爲に 滋【しげ】し。

努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫れ。

生きては 當【まさ】に  復た 來り歸るべく,死しては 當【まさ】に 長【とこし】へに 相ひ思ふべし。

 幻日環01









 


『詩四首 其三』#2 現代語訳と訳註

(本文)

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

 

 

(下し文) #2

行役して 戰場に 在らば,相ひ見ること  未だ 期 有らず。

手を握り  一たび長歎すれば ,涙は 生別の 爲に 滋【しげ】し。

努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫れ。

生きては 當【まさ】に  復た 來り歸るべく,死しては 當【まさ】に 長【とこし】へに 相ひ思ふべし。

 

 

 

(現代語訳)

わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。

かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。

つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。夫婦で楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

幸いに命があったらまたかならず帰って來ようし、運わるく死ぬこともあり、だから必ずいつまでも思いあうことにしよう。

 

 

(訳注)

行役在戰場,相見未有期。

わが身は役目で戦場に赴くことであるから、再び会えることはもとよりその時期というのは難いのだ。

・行役:軍役。出征。

・相見:まみえる。会う。 

・未有期:期しがたい。会う時期がまだない。会う時期が来るかどうかまだ分からない。

 

握手一長歎,淚爲生別滋。

かく言うて、去りぎわに妻の手を握り、一たび嘆息をもらした、生き別れのために、悲しみの涙はしきりに流れる。

・握手:手をにぎる。 

・長歎:長歎息をする。

・爲:…のために。 

・生別:生き別れ。親子、夫婦などが生きながら長く別れること。親子のものは『詩經』で、夫婦や男女間のものは婉約詞に多く歌われている。 

・滋:多い。たくさん。しげし。

 

努力愛春華,莫忘歡樂時。

つとめて人生の華やいだ時期を大切にして、生きていってほしい。夫婦で楽しく過ごしたあの時期を忘れないでほしい。

・努力:つとめて。がんばって。 

・愛春華:青春の華やかなときを大切にして。すばらしい年代を大事にして。

・莫忘:忘れないでほしい。

・歡樂時:夫婦で楽しく過ごしたあの時期を。

 

生當複來歸,死當長相思。

幸いに命があったらまたかならず帰って來ようし、運わるく死ぬこともあり、だから必ずいつまでも思いあうことにしよう。

・生當:生きていたら当然のことながら。 

・死當:死んだら当然のことながら。 

・長:いつまでも。とこしなへに 

・相思:異性を思う。

 大鷹01

蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<102-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩846 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2778

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李商隠詩 
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蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<
102-1>Ⅱ李白に影響を与えた詩846 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2778

 

 

詩四首 其三

(詩四首 其の三)

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。 

在今夕,嬿婉及良時。

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

征夫懷往路,起視夜何其?

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

參辰皆已沒,去去從此辭。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

 

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

満月003 

 

其三

詩四首  其の三

結髮  夫妻と爲【な】り,恩愛  兩【ふた】つながら 疑はず。

歡娯  今夕に在り,嬿【えんゑん】 良時に 及ぶ。

征夫  往路を 懷い,起ちて 夜の 何其【いかん】を 視る。

參辰  皆な 已に沒す,去り去りて 此れ從【よ】り 辭せん。

#2

行役して 戰場に 在らば,相ひ見ること  未だ 期 有らず。

手を握り  一たび長歎すれば ,涙は 生別の 爲に 滋【しげ】し。

努力して  春華を 愛し,歡樂の時を  忘るる莫れ。

生きては 當【まさ】に  復た 來り歸るべく,死しては 當【まさ】に 長【とこし】へに 相ひ思ふべし。

 

 

『詩四首 其三』 現代語訳と訳註

(本文)

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

在今夕,嬿婉及良時。

征夫懷往路,起視夜何其?

參辰皆已沒,去去從此辭。

 

 

(下し文)

結髮  夫妻と爲(な)り,恩愛  兩(ふた)つながら 疑はず。

歡娯  今夕に 在り,婉(えんゑん)  良時に 及ぶ。

征夫  往路を 懷(おも)ひ,起ちて 夜の 何其(いかん)を 視(み)る。

參辰  皆な 已(すで)に沒す,去り去りて 此れ從(よ)り 辭せん。

 

 

(現代語訳)

(詩四首 其の三)

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。 

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

 

 

(訳注)

詩四首其三

『文選』巻二十九詩己 雜詩上には、蘇子卿として一連の作が録されている。『古詩源』巻二「漢詩」に、『玉臺新詠』巻一にも『留別妻一首』として採録されている。この作は、蘇武が匈奴に使いする出立の前夜、妻に贈った生別の詩になる。

 

結髮爲夫妻、恩愛兩不疑。

成人となり、そなたと夫妻となって以来、互いに愛し愛され、疑う心はまったくない。  

・結髮:成人となること。髪を結う。男子は二十、女子は十五になれば髪を結び、男子は冠をつけ、女子は辞(琶をさす。 

・爲夫妻:夫婦となる。『玉臺新詠』では「爲夫婦」とする。

・恩愛:恩と愛。いつくしみ。夫婦などの情愛。 

・兩:「恩」と「愛」のどちらも。恩愛を強いて「恩」と「愛」とに分ければ、「恩」は精神的ないたみ閔れむ気持ちで、「愛」は、かわいがる思い。また、「恩」は夫が施して妻が受けるものであり、「愛」は妻が還すべきことである。 

・不疑:疑わない。

 

在今夕,嬿婉及良時。

今日まで暮らしてきたが、喜び楽しみも今宵限りだ。せめてまたなきこの一夜を空しくせず、むつみあうて過ごそう。

・歡娯:たのしみごと。歓楽。 ・在:…の時に。 ・今夕:今宵。今晩。こよい。

嬿:すなおなさま。しとやかで美しいさま。=燕婉。ここでは、夫婦がうち解けて睦みあうさまになる。 

・及:(時間が)ふさわしい。 

・良時:満足いく充分な時間。幸福の時。二人共にいられる時をさす。

 

征夫懷往路、起視夜何其。

わたしは旅立つ人となり、行く先遠い路のりを思い、起きあがって窓外の夜に見入るのである。

・征夫:旅立つ人。出征する人。旅行に行く人。ここでは、蘇武自身のことになる。 ・懷:心に思いいだく。 

・往路:(目的地までの)行き道の行程。

夜何其:『詩經』小雅『庭燎』に「夜如何其。夜未央,庭燎之光。君子至止,鸞聲將將。」と「夜如何其」を繰り返して歌うのに基づく。 

・起視:起きあがって(夜が明けたかどうかを)見る。 

・何其:どうであるか。「夜如何其」のことで、「其」は語調を整えるための助辞。

 

參辰皆已沒、去去從此辭。

夜空の參星や辰星などの星影は、すっかり無くなってしまって暁になりかけている。妻に別れの言葉を告げ、妻の元からどんどん去って行くのである。

・參辰:參星と辰星。參星は西空に、辰星は東の空に現れる星。 

・已:とっくに。 

・沒:沈んだ。時計がない時代の、明け方の時刻の判断でもあろう。

・去去:去って行って、もっと去っていって。動作が重複して行われるさま。言葉のリズム感と同時に別離のさまの強調でもある。それらが複合して使われている。現代語の用法とは異なる。『古詩十九首之一』の「行行重行行,與君生別離。相去萬餘里,各在天一涯。道路阻且長,會面安可知。胡馬依北風,越鳥巣南枝。」は、この詩句から生まれたのかも知れない。また、陶潜の「去去欲何之,南山有舊宅。」もここから来たか。  

・從此:この家庭から。この妻の元から。 

・辭:別れの言葉を言う。別れる。辞去する。

蘇武 《詩四首 其二》#2 古詩源  詩<101-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩845 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2773

蘇武 《詩四首 其二》#2この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

 


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蘇武 《詩四首 其二》#2 古詩源  詩<101-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩845 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2773

 

 

詩四首 其二 #1

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

一遠別,千裏顧徘徊。

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

胡馬失其群,思心常依依。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

幸有弦歌曲,可以中懷。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

#2

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

絃楽器と管楽器の調べは清らかな響きを高めて、それが心の嘆きをさらにかきたて、悲しみはつきない。

長歌正激烈,中心以摧。

長い歌曲がいよいよ激しく鳴り響く、そうなれば、哀痛にたえることはできず、心も砕けるばかりである。

欲展清商曲,念子不得歸。

この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

俯仰傷心,淚下不可揮。

うつむいたり、あおむいたり、心のうちは痛み、傷ついてばかりで、涙はしきりに下って拭うこともおぼつかないのだ。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

できることなら、二羽の黄鵠となりたいのだ。そうすれば君と連れ添って相い共にどこまでも飛んでゆくことができるというものだ。 

詩四首 其二

【こうかく】一たび遠く別れ,千裏にして顧みて徘徊す。

胡馬 其の群を失い,思心 常に依依たり。

何んぞ況んや雙飛の龍,羽翼 當に乖【そむ】くべきに臨むをや。

幸に 弦歌の曲有り,以って中懷を【さと】す可し

請うて 遊子の吟を爲せば,泠泠として一に何ぞ悲しき。

#2

絲竹 清聲を厲【はげ】しくし,慷慨【こうがい】余 哀 有り。

長歌 正に激烈,中心 愴【そう】として以て摧【くだ】く。

清商の曲を展ぜんと欲して,子の不歸る得ざるを念う。

俯仰【ふぎょう】心を傷ましめ,淚下りて揮う可からず。

願わくば雙の黃りて,子を送りて俱に遠く飛ばんことを。

 
花蕊夫人006

 









『詩四首 其二』 現代語訳と訳註

 (本文)

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

 

(下し文)

絲竹 清聲を厲【はげ】しくし,慷慨【こうがい】余 哀 有り。

長歌 正に激烈,中心 愴【そう】として以て摧【くだ】く。

清商の曲を展ぜんと欲して,子の不歸る得ざるを念う。

俯仰【ふぎょう】心を傷ましめ,淚下りて揮う可からず。

願わくば雙の黃りて,子を送りて俱に遠く飛ばんことを。

 

 

(現代語訳)#2

絃楽器と管楽器の調べは清らかな響きを高めて、それが心の嘆きをさらにかきたて、悲しみはつきない。

長い歌曲がいよいよ激しく鳴り響く、そうなれば、哀痛にたえることはできず、心も砕けるばかりである。

この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

うつむいたり、あおむいたり、心のうちは痛み、傷ついてばかりで、涙はしきりに下って拭うこともおぼつかないのだ。

できることなら、二羽の黄鵠となりたいのだ。そうすれば君と連れ添って相い共にどこまでも飛んでゆくことができるというものだ。

 

 

(訳注)

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

絃楽器と管楽器の調べは清らかな響きを高めて、それが心の嘆きをさらにかきたて、悲しみはつきない。

・糸竹:絃楽器と管楽器。楽器。音楽の意。「糸管」ともする。同義。

 

歌正激烈,中心愴以摧。

長い歌曲がいよいよ激しく鳴り響く、そうなれば、哀痛にたえることはできず、心も砕けるばかりである。

・愴 傷むの意。

 

欲展清商曲,念子不得歸。

この清調悲痛の曲に続いて奏でようと思うのだが、共に帰ることのできない君の身ことばかりを思うのである。

・展 歌曲を展開する。

・清商曲 「商」は五音の一で、その調は悲哀である。声のすんで調の悲しい曲。杜甫『秋笛』「清商欲盡奏,奏苦血沾衣。他日傷心極,徵人白骨歸。相逢恐恨過,故作發聲微。不見秋雲動,悲風稍稍飛。」

秦州抒情詩(19) 秋笛 杜甫 <304> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1379 杜甫詩 700- 424

清苦にして哀愁のある音調。 ・商 秋、秋風。西の方角。星座のこと。五音階。「宮・商・角・徴・羽」隋・唐は中国史上で最も強大・安定し、音楽・絵画・書・舞踊・建築などが発展した。 音楽は「宮廷音楽(七部伎=清商伎・国伎・亀慈伎・安国伎・天竺伎・高麗伎・文康伎)」と 「民間音楽(山歌・小曲、器楽=琵琶・笙・笛などの演奏)」に二分される。

曹丕(曹子桓/魏文帝)詩 『燕歌行』「援琴鳴絃發清商、短歌微吟不能長。」 

 

俯仰傷心,淚下不可揮。

うつむいたり、あおむいたり、心のうちは痛み、傷ついてばかりで、涙はしきりに下って拭うこともおぼつかないのだ。

俯仰 「僻仰」に同じ。うつむいたり、あおむい

たりする。

 

願爲雙黃,送子俱遠飛。

できることなら、二羽の黄鵠となりたいのだ。そうすれば君と連れ添って相い共にどこまでも飛んでゆくことができるというものだ。
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謝靈運詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。 
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


蘇武 《詩四首 其一》#2 古詩源  詩<
100-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩843 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2763

 

 

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、旬奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は旬奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三百は何奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

 

詩四首 其一 #1

(其の一)

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

況我連枝樹,與子同一身。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

#2

昔者長相近,邈若胡與秦。

昔はいつも離れずに相親しんだのに、今は北の胡と西の秦の如く、はるかに隔たることとなった。

惟念當乖離,恩情日以新。

いよいよ別れるにあたっては、愛情の日々に深まるのを覚えるのみである。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

詩経に、鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて賓客との宴会を思う詩があるが、そのようにここで君を嘉賓に見なして惜別の宴を張ろう。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

幸い私にはここに一大盃の酒がある。これをば遠く旅立つ君に贈ろうと思う。
願子留斟酌,敘此平生親。

ついては、君よ、どうぞ、しばらく留まってこの酒を酌みかわし、平素の親しみを心ゆくまで叙べてほしい。 

#1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

#2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

 

『詩四首 其一』 現代語訳と訳註

 

曙001

(本文) #2

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

 

(下し文) #2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

 

(現代語訳)

昔はいつも離れずに相親しんだのに、今は北の胡と西の秦の如く、はるかに隔たることとなった。

いよいよ別れるにあたっては、愛情の日々に深まるのを覚えるのみである。

詩経に、鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて賓客との宴会を思う詩があるが、そのようにここで君を嘉賓に見なして惜別の宴を張ろう。

幸い私にはここに一大盃の酒がある。これをば遠く旅立つ君に贈ろうと思う。

ついては、君よ、どうぞ、しばらく留まってこの酒を酌みかわし、平素の親しみを心ゆくまで叙べてほしい。 

 

(訳注) #2

昔者長相近,邈若胡與秦。

昔はいつも離れずに相親しんだのに、今は北の胡と西の秦の如く、はるかに隔たることとなった。

○邈 遠くはるかなさま。

○胡・秦 胡は北方の蛮族。秦は西方の国。相隔たって遠い。

 

惟念當乖離,恩情日以新。

いよいよ別れるにあたっては、愛情の日々に深まるのを覚えるのみである。

 

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

詩経に、鹿が鳴いて野の草を求めるのを聞いて賓客との宴会を思う詩があるが、そのようにここで君を嘉賓に見なして惜別の宴を張ろう。

○鹿鳴思野草 毛詩、小雅、鹿鳴篇は、羣臣嘉賓を会して宴する歌。「呦呦として鹿鳴き、野の苹を食む。我に嘉賓有り、瑟を鼓し笙を吹く」とある。鹿が鳴いて野の草を食む如く、われらも嘉賓を会して宴を開き樂しもうとの意である。

 

我有一樽酒,欲以贈遠人。

幸い私にはここに一大盃の酒がある。これをば遠く旅立つ君に贈ろうと思う。

 

願子留斟酌,敘此平生親。

ついては、君よ、どうぞ、しばらく留まってこの酒を酌みかわし、平素の親しみを心ゆくまで叙べてほしい。

○掛酌 酒を酌んで飲むこと。

 幻日環01

蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758

蘇武 《詩四首 其一》#1 昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

 

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孟浩然の詩 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
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孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 

蘇武 《詩四首 其一》#1 古詩源  詩<100-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩842 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2758

 

 

詩四首 其一

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

詩四首 其三

結發爲夫妻,恩愛兩不疑。

在今夕,嬿婉及良時。

征夫懷往路,起視夜何其?

參辰皆已沒,去去從此辭。

行役在戰場,相見未有期。

握手一長歎,淚爲生別滋。

努力愛春華,莫忘歡樂時。

生當複來歸,死當長相思。

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

征夫懷遠路,遊子戀故

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

 

詩四首 其一 #1

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

#2

昔者長相近,邈若胡與秦。

惟念當乖離,恩情日以新。

鹿鳴思野草,可以嘉賓。

我有一樽酒,欲以贈遠人。

願子留斟酌,敘此平生親。

 

#1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

#2

昔者は常に相い近づききしに、邈として胡と奉との若し。

惟だ念う乖離【かひん】するに當りて、恩情 日に以て新なるを。

鹿鳴きて野草を思う,以って嘉賓【かひん】【たと】う

我一樽の酒に有り,以って遠人に贈らんと欲っす。

願わくば子留りて斟酌【しんしゃく】し,此の平生の親を敘せよ。

 

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『詩四首 其一』 現代語訳と訳註

(本文)

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

四海皆兄弟,誰爲行路人。

況我連枝樹,與子同一身。

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

 

 

(下し文) #1

骨肉 枝葉に縁り、交りを結ぶも亦た相い因る。

四海 皆兄弟、誰か行路の人と爲さん。

況んや我は連枝の樹、子と同じく一身なるをや。

昔は鴛と鴦と爲り、今は参と辰と爲る。

 

 

(現代語訳)

(其の一)

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

 

 

(訳注)

詩四首 其一

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、匈奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三首は匈奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

・蘇武(前142一前60年)字は子卿。前100年天漢元年で匈奴に使いし、拘留されて十九年間ったが、屈しなかった。後昭帝の時、匈奴と和親が爲り、始めて帰国し、典属国に拝せられた。この四首の詩はいずれも絶妙の傑作で、文選巻二九に載せてあるが、これを蘇武の作とするには古来異説があり、後人の擬作とするのが定説に近いとされる。

・四首 共に送別の詩で、第一首は兄弟に別れを叙べるものである。

 

骨肉緣枝葉,結交亦相因。

兄弟というものは同じ根から出た枝や葉と同じ関係にあり、交際を結ぶ朋友もまた互いに頼り合うものである。

 

四海皆兄弟,誰爲行路人。

孔子も「四海の内は皆兄弟」だといったのであるから、誰でも路傍の人と見なすことはできない。

・四海皆兄弟 論語・顔淵篇に「与人恭而有礼、四海之内、皆為兄弟也」(人と恭しくして礼あらば、四海の内皆兄弟たり)とある。

 

況我連枝樹,與子同一身。

まして、私と君とは枝を連ねた樹の如き肉親の関係にあるのだから、なおさらである。

 

昔爲鴛和鴦,今爲參與辰。

昔は鴛と鴦とのようによりそうて暮らしたのに、今は東西相いに隔たる参星と辰星との如く、遠ざかることとなった。

鴛和鴦 おしどりのオス()とメス ()

○参・辰 二つの星の名。参は西に在り、辰は東に在り、出没互いに相見ずという。

nat0002 

喜雨 曹植 魏詩<26>古詩源 巻三 656 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1841

喜雨 曹植


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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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喜雨 曹植 魏詩<26>古詩源 巻三 656 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1841



喜雨
天覆何彌廣!苞育此群生。
天のめぐみはどれほど広大無辺に地上をおおいつくして、この天の恵みに包まれて人民たちを、豊かにはぐくんでいるのである。
棄之必憔悴,惠之則滋榮。
その天がもし人民を棄てられたならば、彼らは必ず憔悴しておとろえていくものであり、反対に恵みをあたえられたならば、間違いなく繁栄することになるのである。
慶雲從北來,鬱述西南征。
めでたいことの前兆となる瑞雲は北より飛来し、むらむらと立ちのぼる雲気は西南に向かって進むものだ。
時雨終夜降,長雷周我廷。
時節にほどよくふる雨は、夜半にふるものであり、それは長く尾を引く雷鳴が、我が庭をめぐるものである。
嘉種盈膏壤,登秋必有成。

よい種苗は、豊沃な壌圡にこそ満ちみちるものであり、これらのことがあいまって、みのりの秋に、かならずゆたかな収穫に恵まれることであろう。

天の覆う何ぞ弥【あまねく】く広くして、此の群生を苞育【ほういく】するや。
之を棄つれば必ず憔悴し、之を恵めば則ち滋榮【じえい】す。
慶雲【けいうん】北従り来り、鬱述【うつじゅつ】として西南に征く。
時雨【じう】中夜に降り、長雷【ちょうらい】我が庭を周る。
嘉種【かしゅ】膏壤【こうじょう】に盈【み】ち、登秋【とうしゅう】必ず成る有り。


『喜雨』曹植 現代語訳と訳註
(本文)
喜雨
天覆何彌廣!苞育此群生。
棄之必憔悴,惠之則滋榮。
慶雲從北來,鬱述西南征。
時雨終夜降,長雷周我廷。
嘉種盈膏壤,登秋必有成。


(下し文)
天の覆う何ぞ弥【あまねく】く広くして、此の群生を苞育【ほういく】するや。
之を棄つれば必ず憔悴し、之を恵めば則ち滋榮【じえい】す。
慶雲【けいうん】北従り来り、鬱述【うつじゅつ】として西南に征く。
時雨【じう】中夜に降り、長雷【ちょうらい】我が庭を周る。
嘉種【かしゅ】膏壤【こうじょう】に盈【み】ち、登秋【とうしゅう】必ず成る有り。


(現代語訳)
天のめぐみはどれほど広大無辺に地上をおおいつくして、この天の恵みに包まれて人民たちを、豊かにはぐくんでいるのである。
その天がもし人民を棄てられたならば、彼らは必ず憔悴しておとろえていくものであり、反対に恵みをあたえられたならば、間違いなく繁栄することになるのである。
めでたいことの前兆となる瑞雲は北より飛来し、むらむらと立ちのぼる雲気は西南に向かって進むものだ。
時節にほどよくふる雨は、夜半にふるものであり、それは長く尾を引く雷鳴が、我が庭をめぐるものである。
よい種苗は、豊沃な壌圡にこそ満ちみちるものであり、これらのことがあいまって、みのりの秋に、かならずゆたかな収穫に恵まれることであろう。


(訳注)
喜雨
 228年太和二年夏の作と推定される。時に曹植はふたたび蕹丘(河南省杞県)に国替えになった。この詩は、日照りが続いた後の雨に感謝し、曹植が詠んだものです。
「北堂書鈔」巻百五十六にはこ『喜雨』の詩をひいて、「大和二年、大いに旱し、三麥採りいれせず百姓飢餓に分す」という序をつけている。この序は不完全なものであるし。また曹植の作と断定されたものではないが、我々は、はっきりするまでは採用することとする。尚、盛唐・杜甫に同名の詩がある。

喜晴 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 157


天覆何彌廣!苞育此群生。
天のめぐみはどれほど広大無辺に地上をおおいつくして、この天の恵みに包まれて人民たちを、豊かにはぐくんでいるのである。
○天 晴に天子をさしていう。
○弥 あまねし。
○苞育 ゆたかに育てる。
○群生 人民。


棄之必憔悴,惠之則滋榮。
その天がもし人民を棄てられたならば、彼らは必ず憔悴しておとろえていくものであり、反対に恵みをあたえられたならば、間違いなく繁栄することになるのである。
○棄之、恵之 之は人民をさす。また、「之」の中に、曹植自身をもさすともいえる。
○滋栄 しげりさかえる。

 
慶雲從北來,鬱述西南征。
めでたいことの前兆となる瑞雲は北より飛来し、むらむらと立ちのぼる雲気は西南に向かって進むものだ。
○慶雲 めでたいことの前兆となる雲。瑞雲。ここでは雨雲のこと。卿雲、景雲と同じ。
○従北来 夏、北風吹けば雨ふるという。
○鬱述 気の上るさま。鬱律ともいう。


時雨終夜降,長雷周我廷。
時節にほどよくふる雨は、夜半にふるものであり、それは長く尾を引く雷鳴が、我が庭をめぐるものである。
○周 めぐる。この字「あまねし」と読んで一面にとどろきわたると解することも可能と思う。


嘉種盈膏壤,登秋必有成。
よい種苗は、豊沃な壌圡にこそ満ちみちるものであり、これらのことがあいまって、みのりの秋に、かならずゆたかな収穫に恵まれることであろう。
○膏壤 豊沃な壌土。
○登秋 みのりの秋。
○成 みのる。


朔風 (五章) 曹植 魏詩<25-#5>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1837



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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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朔風 (五章) 曹植 魏詩<25-#5>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1837


朔風
朔風 (一章) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。


朔風 (二章) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。

昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。

その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

朔風 (三章) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。

千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。



朔風 (四章) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。

君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。

朔風 (五章) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。
絃楽器に合せて歌う絃歌は、人の心を癒し、優しく楽しましてくれるものなのだ、だから、誰とともにこの憂愁を消せばよいのであろうか。
臨川慕思,何為泛舟。
川にむかって、心の友を慕い思うのである、しかしどうやって、舟を浮べればよいのだろうか。
豈無和樂,游非我憐。
この地でも、絃楽器に合せて歌うなごやかな楽しい宴会がないわけではないのだ、ただその宴会の仲間が、心を分け合った私の同志ではないということなのだ。
誰忘泛舟,愧無榜人。
私がどうして、舟を浮べることを忘れるとだれがいうのか、ただ、恥ずかしいことには、その舟をあやつってくれる船頭がいないことなのだ。

弦歌【げんか】思いを盪【とろか】すも,誰と與に愁いを銷【け】さん。
川に臨んで慕い思うも,何為【なんす】れぞ舟を泛べん。
豈に和樂【わらく】無からんや,游ぶこと我が憐に非らず。
誰か舟を泛べるを忘れんや,愧ずらくは榜人無きを。


『朔風 (五章)』 曹植 現代語訳と訳註
(本文)
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。


(下し文)
俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


(現代語訳)
絃楽器に合せて歌う絃歌は、人の心を癒し、優しく楽しましてくれるものなのだ、だから、誰とともにこの憂愁を消せばよいのであろうか。
川にむかって、心の友を慕い思うのである、しかしどうやって、舟を浮べればよいのだろうか。
この地でも、絃楽器に合せて歌うなごやかな楽しい宴会がないわけではないのだ、ただその宴会の仲間が、心を分け合った私の同志ではないということなのだ。
私がどうして、舟を浮べることを忘れるとだれがいうのか、ただ、恥ずかしいことには、その舟をあやつってくれる船頭がいないことなのだ。


(訳注)
朔風 
(五章) 
この段の趣旨は、彼の孤立無接の悲しみを、兄弟(恐らくは彪)もしくは心の友に訴えたもの。


弦歌盪思,誰與銷愁。
絃楽器に合せて歌う絃歌は、人の心を癒し、優しく楽しましてくれるものなのだ、だから、誰とともにこの憂愁を消せばよいのであろうか。
○絃歌 絃楽器に合せて歌う歌唱。
○盪思 悲しい思いあらい流す。


臨川慕思,何為泛舟。
川にむかって、心の友を慕い思うのである、しかしどうやって、舟を浮べればよいのだろうか。
○慕思 「文選」では暮恩(日くれて思う、時すでにおそしの意。)に作るが、ここでは日暮れより曹植の優しさを表現から良いと思うので、「曹集」に従うことにした。
○何為汎舟 何為は何以と同じ、何によってか、どうして、の意。舟を汎べるすべがない。

 
豈無和樂,游非我憐。
この地でも、絃楽器に合せて歌うなごやかな楽しい宴会がないわけではないのだ、ただその宴会の仲間が、心を分け合った私の同志ではないということなのだ。
○和楽 絃歌の和樂。兄弟及び君臣が、融和して楽しむこと。「詩経」小雅、常棣に「兄弟既に具い、和楽して孺しむ。」と見え、同じく小雅、鹿鳴には「瑟を鼓し琴を鼓し、和楽して湛たのし。」と見える。「常棣」は兄弟の宴会、「鹿鳴」は君臣の宴会を歌ったもの。
○我憐 我が同志。「論語」里仁篇に「徳は孤ならず、必ず憐あり。」と見える。


誰忘泛舟,愧無榜人。
私がどうして、舟を浮べることを忘れるとだれがいうのか、ただ、恥ずかしいことには、その舟をあやつってくれる船頭がいないことなのだ。
○榜人 船頭。この句は、自分に多くの束縛をうけて、自由のない身をなげいたもの。

朔風 (四章) 曹植 魏詩<25-#4>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1833

朔風


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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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朔風 (四章) 曹植 魏詩<25-#4>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1833


朔風 (一章) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

朔風 (二章) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

朔風 (三章) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。

俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


朔風 (四章) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
繁華將茂,秋霜悴之。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。
君不垂眷,豈雲其誠。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
秋蘭可喻,桂樹冬榮。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。

朔風 (四章) 
子 芳草を好む、豈に爾に貽【おく】るを忘れんや。
繁華 将に茂らんとし、秋霜 之れを悴【か】らす。
君 眷【けん】を垂れざるも、豈に其の誠【まこと】なりと云【い】わんや。
秋蘭 喩【たと】う可く、桂樹【けいじゅ】 冬に栄【はな】さく。


朔風 (五章) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。


秋蘭003『古詩十九首之第六首』漢の無名氏蘭澤多芳草


『朔風 (四章) 』曹植 現代語訳と訳註
(本文)
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。


(下し文)
朔風
子 芳草を好む、豈に爾に貽【おく】るを忘れんや。
繁華 将に茂らんとし、秋霜 之れを悴【か】らす。
君 眷【けん】を垂れざるも、豈に其の誠【まこと】なりと云【い】わんや。
秋蘭 喩【たと】う可く、桂樹【けいじゅ】 冬に栄【はな】さく。


(現代語訳)
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。


(訳注)
朔風 (四) 曹植

〇第四段は、彪又は心の友を、話し相手として、明帝(曹叡)に対する自己の忠節の誠を披瀝したものと考える。


子好芳草,豈忘爾貽。
君は芳香をはなつ草木が好きだし、どうして、それを君におくることを忘れることがあろうか。
子・爾 彪もしくは心の友をさすあるいは、明帝をさすとの説もあるが、それは間接的にさしていうのである。
○芳革 かんばしい草。多くは蘭をさす。毎年花を咲かせる多年草。河原や池の側など水辺に好んで自生するふじばかのことをいう。
『古詩十九首之第六首』漢の無名氏
第六首

涉江采芙蓉,澤多芳草。采之欲遺誰,所思在遠道。
還顧望舊鄉,長路漫浩浩。同心而離居,憂傷以終老。

江を捗【わた】りて芙蓉【ふよう】を采る、蘭澤【らんたく】芳草【ほうそう】多し。
之を采りて誰にか遺【おく】らんと欲する、思ふ所は遠道【えんどう】に在り。
還【めぐ】り顧【かえりみ】て 旧郷を望めば、長路漫として浩浩たらん。
同心にして離屈【りきょ】せば、憂傷【ゆうしょう】して以て終に老いなん。古詩十九首之六 (6) 漢詩<93>Ⅱ李白に影響を与えた詩525 漢文委員会 紀頌之の漢詩ブログ1392
○貽 おくりものとする。


繁華將茂,秋霜悴之。
だけど、この気候が続けば多くの花がこれから満開に咲こうとするだろが、秋の霜はこれを枯らしてしまうのだ。
○繁華 多くの花。君子にたとえるとの説もある。
○秋霜 讒言を云って貶める小人にたとえるもの。
○悴 そこなう。枯らす。


君不垂眷,豈雲其誠。
たとえ明帝陛下が、小人の讒言を聞き入れ目をかけられなくとも、それがどうして陛下の誠、本心であろうはずがない。
 明帝をさすと考えたい。
 目をかけること。
○豈雲其誠 作者の忠誠心という解釈など諸説あるが、ここはこじつけず「陛下の自分に対する気持ちが本心ではない。」という順当な訳しにした。


秋蘭可喻,桂樹冬榮。
私の忠誠心は、人に知られずとも芳香をはなつ秋の蘭にたとえるとおりであり、また、厳冬にもめげず花を開く桂樹の如くたとえるものである。
○秋蘭の二句 「秋蘭」「桂樹」「冬榮」の語は忠誠をあらわす語である。人がいなくてもかんばしくかおる蘭、厳冬にあっても花さく桂は、自己の忠誠は、君に顧みられずとも、かわることがないという意味である。
○秋蘭 清廉潔白の表象。「楚辞」離騒に「秋蘭を縶ぎてもって佩となす。」と見える。
○桂樹冬栄 桂は南方産の常緑喬木で、「南方草木状」に見える。木犀に似た木。栄は花さくこと。「楚辞」遠遊に「桂樹の冬に栄さくを麗とす。」と見える。

朔風 (三章) 曹植 魏詩<25-#3>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1829

朔風 (三章) 曹植

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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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朔風 (三章) 曹植 魏詩<25-#3>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1829


朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。

昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。

その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
風飄蓬飛,載離寒暑。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
千仞易陟,天阻可越。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
昔我同袍,今永乖別。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。

俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

華山000

『朔風 (三)』曹植 現代語訳と訳註
(本文) 
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。


(下し文)
俯して千仞を降り,仰ぎて天阻に登る。
風飄【ふうひょう】蓬飛【ほうひ】し,載【すなわ】ち寒暑を離れたり。
千仞 陟【のぼ】り易く,天阻 越ゆ可し。
昔 我が同袍,今や永く乖別【かいべつ】す。


(現代語訳)
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。


(訳注)
朔風 (三) 
○この第三段は、あいつぐ転任と兄弟の離散を悲しんだもの。ここの詩句は「詩経」小雅、小明に学ぶ所が多い。小明の詩を毛序は、大臣が乱世に役人となっているのを後悔したもの、と見ている。


俯降千仞,仰登天阻。
うつむいて千切の渓谷に降りていく、行軍は時には、仰ぎ見つつ天にとどくばかりのけわしい山を登る。
・千仞 谷や海などが非常に深いこと。 天に聳えるような路のため、 進もうとするのをさまたげる、防ぎとめる、また、こばむ、 気持ちがくじける、ひるむ。深い谷をさすと考えてもよい。例は舌代の長さの単位で、周尺七尺位という。
○天阻 天険と同じ。天にとどくばかりの高い険阻な山のこと。


風飄蓬飛,載離寒暑。
まるで風に吹かれて転蓬のように舞とんでいくように、この夏冬をすごして足かけ二年もすぎた。
○風飄蓬飛「風のごとくひるがえり、蓬のごとく飛ぶ。」と読む。蓬とはよもぎ。風が吹けば、根よりぬけ、風のままに転ずるので、古来、人生無常の喩に頻用される。ここでは転戰移駐がつづいて二か所におちつけないのを悲しむ。
○載離寒暑 載は即ちで、詩経によく用いられる助字で、意味はない。離はあう、経験する。寒暑は前段来の状況に従えば、夏冬を過ごし足かけ二年繰返したことをいう。


千仞易陟,天阻可越。
我が魏軍は勇猛で千切の高さも、容易く登ってしまう、けわしい山も、越える意気込み強く越えていく。
○陟 登る、進む。この千切の二句、内容的にかさなるので、それをきらってか、「降千仞」に対しては陟、千切の深い谷をわたる意である。


昔我同袍,今永乖別。
だが、昔、私が親密にしていた兄弟と、今や、望みもしないのに永遠のわかれをしているのだ。
○同袍 袍とはマント、夜は蒲団の代用とする。その袍を共用するものとは、極めて親密な間柄の人のこと。ここでは彼の兄弟をさしていう。その兄弟は、任城主彰(黄初四年に死す。)や白馬王彪をさすと思われるが、すでに逝去した文帝曹丕と考えてもよい。同袍は「詩経」秦風、無衣に見える。
・乖別 そむきはなれること。結びつきがはなれること。望みもしないのに永遠のわかれをした。

朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825

朔風 (二章) 曹植 魏詩


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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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朔風 (二章) 曹植 魏詩<25-#2>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1825


朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。

凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

彼の朔風を仰ぎ、用って魏都を懐う。
願わくは代馬を験せ、候忽として北に祖かん。
凱風 永かに至り、彼の蛮方を思う。
願わくは越鳥に随い、翻飛して南に翔けらん。


朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
別如俯仰,脫若三秋。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
昔我初遷,朱華未希。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今我旋止,素雪雲飛。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。

四氣は代謝し,懸景【けんけい】は運周す。
別しは俯仰【ふぎょう】の如く,脫せしは三秋の若くす。
昔我 初めて遷りしとき,朱華【しゅか】未だ希れならず。
今我 旋【かえ】り止めゆき,素雪【そせつ】雲にして飛ぶ。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。

朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

雪の庭

『朔風 (二)』 現代語訳と訳註
(本文) 

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。


 (下し文)
四氣は代謝し,懸景【けんけい】は運周す。
別しは俯仰【ふぎょう】の如く,脫せしは三秋の若くす。
昔我 初めて遷りしとき,朱華【しゅか】未だ希れならず。
今我 旋【かえ】り止めゆき,素雪【そせつ】雲にして飛ぶ。


(現代語訳)
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。
 

(訳注)
朔風 
(二) 
朔風 北風。この詩の制作年代に関しては定説がない。朱緒曾は明帝(曹叡)の228年太和二年、浚儀(河南省開封の北)より、再び蕹丘(河南省杷県)に國がえになった頃の作品と推定し、古直・金冠英両氏もこれに同じ、詩中に、転蓬の嘆きや、乖別の悲しみなどが見えることを、推定の理由にあげている。ここではそれに従う。
「古詩紀」のように内容により、八句ずつの五段に分け、五章分割する。其の二。


四氣代謝,懸景運周。
四季の気候が移り変わりが気になり始める、天空にかかる光の循環も移り変わる。
〇四気 四季の気候。
○代謝 うつりかわる、交替する。
○懸景 天空にかかる光の意で、日月星辰をさす。
○運周 循環運動をすること。


別如俯仰,脫若三秋。
君と別れを過ごしたのは、今思えば目を動かすほどの一瞬のうちのようである、惜別の気持ちから脱するのにこの秋の三カ月もかかってしまい、一日過ごすのも遅く感じたものなのだ。
○俯仰 目を伏せ眼を上に仰ぎ見る間、ほんの一瞬にすぎさってしまうこと。たが、中国人の表現としては、別れてからは、日のたつのがおそく、一日一日がまるで九か月の長さにも思われる。」と解することもできる。
○脱 たちまち。あるいは、ゆるやかなるさま。或は、惜別の感情を脱するためには秋の三が月もかかってしまったよいう意味でもあろう。
〇三秋 早秋、仲秋、晩秋の三秋で、それが一日の朝昼晩にあたるということ。詩経経」召南篇から九か月という説もあるがそれでは三年ということになりまちがい。ここでは、相当長い期間の意味であって先の意味に用いるもの。


昔我初遷,朱華未希。
その昔、私がはじめて、この地から他へ転任したと、きには、あかい花はまだ相当残っていたものだ。
○初遷 浚儀に移った時をさす。「魏志」の本伝に大和元年授儀に遷し封ぜられ、二年復た蕹丘に還える旨の記載がある。
○朱筆 あかい花。蓮の花という。
○未希 まだ大分残っていた。希は稀に同じ。凋落していないこと。


今我旋止,素雪雲飛。
今、私がふたたび帰ってくる池の辺に来てみたのだが、まっ白な雪が樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見え、そしてまた雪が舞い飛び降ってくる。 
○旋 めぐりかえる。
○止 文末につく助字で、とどまる意味はなく、決定の気特をあらわすというのであるが、ここは前の句を受けて池の辺、はすの花を見に来てみたということ。
○素雪 白雪
○云 樹氷の上に降り積もった雪は雲のように見える。

朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1821

朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>

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女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1821




朔風
朔風 (一) 曹植
仰彼朔風,用懷魏都。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
願騁代馬,倏忽北徂。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
凱風永至,思彼蠻方。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
願隨越鳥,翻飛南翔。

天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。

朔風 (二) 曹植
四氣代謝,懸景運周。別如俯仰,脫若三秋。
昔我初遷,朱華未希。今我旋止,素雪雲飛。

朔風 (三) 曹植
俯降千仞,仰登天阻。風飄蓬飛,載離寒暑。
千仞易陟,天阻可越。昔我同袍,今永乖別。

朔風 (四) 曹植
子好芳草,豈忘爾貽。繁華將茂,秋霜悴之。
君不垂眷,豈雲其誠。秋蘭可喻,桂樹冬榮。

朔風 (五) 曹植
弦歌盪思,誰與銷愁。臨川慕思,何為泛舟。
豈無和樂,游非我憐。誰忘泛舟,愧無榜人。

oushokun04

『朔風 (一)』 現代語訳と訳註
(本文) 

仰彼朔風,用懷魏都。願騁代馬,倏忽北徂。
凱風永至,思彼蠻方。願隨越鳥,翻飛南翔。


(下し文)
彼の朔風を仰ぎ,用って魏都を懐う。
願わくは代馬を験せ、候忽として北に徂かん。
凱風 永かに至り、彼の蛮方を思う。
願わくは越鳥に随い、翻飛して南に翔けらん。


(現代語訳)
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。


(訳注)
朔風 (一) 
○朔風
 北風。この詩の制作年代に関しては定説がない。朱緒曾は明帝(曹叡)の228年太和二年、浚儀(河南省開封の北)より、再び蕹丘(河南省杷県)に國がえになった頃の作品と推定し、古直・金冠英両氏もこれに同じ、詩中に、転蓬の嘆きや、乖別の悲しみなどが見えることを、推定の理由にあげている。ここではそれに従う。
「古詩紀」のように内容により、八句ずつの五段に分け、五章分割する。


仰彼朔風,用懷魏都。
北風が吹くようになると天を仰ぎ見るのだ、その風によって魏の都洛陽が恋しくなるのだ。
○用 それによって。
○魏都 当時の皇都洛陽。武帝(曹操)が葬られている故都鄴城とも考えられる。「懐魏都」とは、都に参上して、誤解をとき、政治に参画したい気持をあらわすものであろう。文帝を優しくするという意にとる説もある。


願騁代馬,倏忽北徂。
天に願いたい、代郡の馬にまたがり、飛ぶように走って北の方、洛陽にゆきたいということだ。
○代馬 代郡(山西省北部の地名)に産する馬。
○倏忽 たちまちに。走ることのはやい形容。
○狙 ゆく。

凱風永至,思彼蠻方。
季節が変わり、南風が、はるかこの地まで吹きはじめると、かの南方の仇敵呉を討たねばならないと強く思うのである。
○凱風 南風。「詩経」邶風、凱風に「凱風南よりす。」と見える。
○永 はるかに。
○蛮方 「礼記」王制に「南方を蛮という」と見える。ここでは、仇敵たる呉をさす。「思彼蛮方」は、呉に遠征するという意をあらわす。上の「懐魏都」に対するもの。

中華思想における方位・民族呼称。
東夷(とうい)靑 - 古代は漠然と中国大陸沿岸部、後には日本・朝鮮などの東方諸国。人の同類とされ、習俗が仁で君子不老の国とされており、蔑称かどうか議論がある(後述)。
西戎(せいじゅう)白- 所謂西域と呼ばれた諸国など。羊を放牧する人で、人と羊の同類。春秋戦国時代は秦王朝をこれに当てた。(蘇軾「夷狄論」)
北狄(ほくてき)黒 - 匈奴・鮮卑・契丹・蒙古などの北方諸国。犬の同類。
南蛮(なんばん)赤- 東南アジア諸国や南方から渡航してきた西洋人など。虫の同類。
例えば、「東夷」については孟子に、古代の聖王・舜は東夷の人であるという説があるため、蔑称ではないという主張も存在し、外国宛の文書に相手国を「東夷」と記して蔑称であるか、そうでないか問題になったこともあるという(陳舜臣の説)。

願隨越鳥,翻飛南翔。
天に願いたい、越の国の鳥と一緒になって、大空高くびるがえり飛んで、南に翔けゆきたいということだ。
○越鳥 越の国(浙江省紹興附近)の鳥。「古詩」に古詩十九 第一首
行行重行行、與君生別離。
相去萬餘里、各在天一涯。
道路阻且長、會面安可知。
胡馬依北風、越鳥巣南枝。
相去日已遠、衣帯日已緩。
浮雲蔽白日、遊子不顧返。
思君令人老、歳月忽已晩。
棄捐勿復道、努力加餐飯。
胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう。と見える。

古詩十九首 (1) 漢詩<88


三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1817

三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

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三良詩 曹植 魏詩<24>文選 詠史 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1817


三良詩
功名不可為、忠義我所安。
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
秦穆先下世、三臣皆自殘。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
生時等榮樂、既沒同憂患。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。
攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
長夜何冥冥?一往不復還。
この墓穴は冥冥とし暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝。
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。
(三良の詩)
功名は為す可からざず、忠義は我の安んずる所なり。
秦穆先ず下世して,三臣は皆自ら残【そこな】う。
生時に栄楽を等しくし、既に没して憂患を同じくす。
誰が言う軀を損【す】つるは易しと、身を殺すは誠に独り難し。
涕を攬【と】りて君の墓に登り、穴に臨み天を仰ぎて歎ず。
長夜の何ぞ冥冥たる、一たび往きて復た還らず。
黄鳥為に悲鳴し、哀しい哉肺肝【はいかん】を傷ましむ。

曉鶯005

『三良詩』 現代語訳と訳註
(本文)
三良詩
功名不可為、忠義我所安。
秦穆先下世、三臣皆自殘。
生時等榮樂、既沒同憂患。
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
長夜何冥冥?一往不復還。
黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝。


(下し文)(三良の詩)
功名は為す可からざず、忠義は我の安んずる所なり。
秦穆先ず下世して,三臣は皆自ら残【そこな】う。
生時に栄楽を等しくし、既に没して憂患を同じくす。
誰が言う軀を損【す】つるは易しと、身を殺すは誠に独り難し。
涕を攬【と】りて君の墓に登り、穴に臨み天を仰ぎて歎ず。
長夜の何ぞ冥冥たる、一たび往きて復た還らず。
黄鳥為に悲鳴し、哀しい哉肺肝【はいかん】を傷ましむ。


(現代語訳)
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
この墓穴は冥冥とし暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。


(訳注)
三良詩
歴史に借りて時事を風刺する詠史詩である。
〇三良 秦の穆公(春秋時代の諸侯)が死んだ時、殉死した百七十七人の中に、子車(子輿氏ともいう)の子の良臣、奄息・仲行・鍼虎の三人がいた。彼らは何れも善良のほまれが高い人であったので、秦国の人々は「黄鳥」の詩を作って哀しんだ。その事は「左伝」文公六年に見える。なお「詩経」秦風に「黄鳥」という篇があり、「毛詩序」には、国人がこの『三良』を哀しみ、殉死させた穆公を責めた詩であるという。曹植のこの詩の制作時期は不明だが、「文選」五臣注では、曹植が父の操に殉死することができなかったのを後悔して作ったというから、建安二十五年以後のものと見ているようだ。しかし、建安二十年、曹植が張魯征伐に従軍した時、穆公の墓を通って作ったという説もあり、一定しない。三良に託して曹植自身の苦衷を吐露したものと考える。


功名不可為、忠義我所安。
功名は天の差配によるもので自分だけで為せるものではない。忠義こそは私の心のよりどころとするところであるのだ。
○功名不可為 功名が立てられるか否かは、天の意志によるもので、自分の意志ではなんともできないもの。またこの句は、功名は自分の問題とするものではないという。

秦穆先下世、三臣皆自殘。
かつて秦の穆公が世を去るにあたって,三臣の良臣は皆自害して後を追ったのである。
○秦の穆公。
○下世 死ぬこと。
〇自殘 自殺。自害。


生時等榮樂、既沒同憂患。
かれらは生きている時には主君と栄楽を共に等しくしていた,死んでからは憂患を同じものとしたのである。
生時の二句「秦本紀」の『征義』に引いいて應劭曰く:「秦穆公與群臣飲,酒酣,公曰:『生共此樂,死共此哀。』於是奄息、仲行、鍼虎許諾。」(秦穆公群臣と飲む。酒酣なるとき、公日く、生きて此の楽しみを共にし、死しては此の表しみを共にせんと。ここにおいて奄息・仲行・鍼虎許諾せり。公の荒ずるに及び、皆死に従えり。黄鳥の詩は為めに作らるるなり。)という言葉を引く。

 
誰言捐軀易?殺身誠獨難。
自らの命を捨てることは容易いことなんて一体誰が言うというのか? 自身を殺すということこそ難しいことは他にはないのだ。


攬涕登君墓、臨穴仰天歎。
涙の顔を拭いて三人の良臣の墓に登り,墓穴に臨んで天を仰いでまた嘆息するのである。
○臨穴仰天歎 「詩経」秦風、黄鳥に「臨其穴.惴惴其慄。彼蒼者天.殲我良人。」(その穴に臨み、憶憶としてそれ慄る。彼の蒼たるは天なり、我が良人を殲しぬ。)と見える。
○穴 墓穴。


長夜何冥冥?一往不復還。
この墓穴は冥冥として暗く、そこではなんと夜が長く明けないのであろうか? そこに入った人はもう二度と還っては来られないのだ。
長夜 永遠のくらい夜。


黄鳥為悲鳴、哀哉傷肺肝!
樹木で囀るウグイスは三人の良臣を悲しみの声で鳴いている。ああ、哀しいことか!心もこの身も傷つけてしまうばかりのことである。
黄鳥為悲鳴 「詩経」秦風に「黄鳥篇」三良の死を悼んだことを詠う。黄鳥は今では黄雀という。うぐいすの一種。

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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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雜詩六首其六 曹植 魏詩<23>古詩源 巻三 女性詩649 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1813


雜詩六首 其六
飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。
飛び上がれば百余尺の高さである、このそびえたつ楼閣も櫺窓を動かしてすりによりかかって遠くを望のである。
遠望周千里,朝夕見平原。
遠く見わたせば、千里のかなたまで一望できる、私は毎日朝と夕べに、どこまでもひろがる平原をながめるのである。
烈士多悲心,小人偷自閒。
烈士として名をのこしたいものは、悲しみを心にいだくことが多いもので、とるにたらないものは、ただいい加減に、なんにもせずに暮らしているものだ。
國讎亮不塞,甘心思喪元。
わが国に盾つく国や国内の不満分子どもは、たしかにまだ絶滅させてはいないのだ。私が満足したいとおもうことは、喜んでこの首を犠牲にしていいと思っていることである。
拊劍西南望,思欲赴太山。
今はこうして剣をなでつつ、この楼閣で西と南の方をながめてはいるが、戰場で功をなし名を挙げて、泰山に赴き天につげたいものだ。
弦急悲聲發,聆我慷慨言。

この思いで瑟の弦をたたくと、事態は切迫しているかのように悲しい音が響き渡る。天よどうか、私のたかぶる悲憤の言葉をおききたまえ。

其の六
觀るに飛ぶ 百餘尺,牖【ゆう】に臨む 御欞【ぎょれい】の軒。
遠望して千里に周く,朝夕 平原を見る。
烈士は悲心多く,小人は偷にして自から閒なり。
國讎【こくしゅう】亮【まこと】に塞きず,甘心するは元【こうべ】を喪わんことを思う。
劍を拊【ふ】して西南を望み,思いて太山に赴かんと欲す。
弦 急にして悲聲を發し,我が慷慨【こうがい】の言を聆【き】け。

汜水関などの地図

『雜詩六首』其六 現代語訳と訳註
(本文)

飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。遠望周千里,朝夕見平原。烈士多悲心,小人偷自閒。
國讎亮不塞,甘心思喪元。拊劍西南望,思欲赴太山。弦急悲聲發,聆我慷慨言。


(下し文)
觀るに飛ぶ 百餘尺,牖【ゆう】に臨む 御欞【ぎょれい】の軒。
遠望して千里に周く,朝夕 平原を見る。
烈士は悲心多く,小人は偷にして自から閒なり。
國讎【こくしゅう】亮【まこと】に塞きず,甘心するは元【こうべ】を喪わんことを思う。
劍を拊【ふ】して西南を望み,思いて太山に赴かんと欲す。
弦 急にして悲聲を發し,我が慷慨【こうがい】の言を聆【き】け。


(現代語訳)
飛び上がれば百余尺の高さである、このそびえたつ楼閣も櫺窓を動かしてすりによりかかって遠くを望のである。
遠く見わたせば、千里のかなたまで一望できる、私は毎日朝と夕べに、どこまでもひろがる平原をながめるのである。
烈士として名をのこしたいものは、悲しみを心にいだくことが多いもので、とるにたらないものは、ただいい加減に、なんにもせずに暮らしているものだ。
わが国に盾つく国や国内の不満分子どもは、たしかにまだ絶滅させてはいないのだ。私が満足したいとおもうことは、喜んでこの首を犠牲にしていいと思っていることである。
今はこうして剣をなでつつ、この楼閣で西と南の方をながめてはいるが、戰場で功をなし名を挙げて、泰山に赴き天につげたいものだ。
この思いで瑟の弦をたたくと、事態は切迫しているかのように悲しい音が響き渡る。天よどうか、私のたかぶる悲憤の言葉をおききたまえ。


(訳注)
其六
 214年建安十九年、曹操が呉を討つにあたって、曹植を留めて甄城を守らせた時、曹植が遠征を思って作ったものである。しかし、内容的に「其五」の詩と語句の似通ったものがあるのは続編ということであろう。


飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。
飛び上がれば百余尺の高さである、このそびえたつ楼閣も櫺窓を動かしてすりによりかかって遠くを望のである。
○飛観 観は楼閣。飛は高いさまをいう、落ちるという表現で高さをあらわさないので、100尺余り飛び上がったという。。
○御欞 櫺子のまどをあける。窓とてすり。御は動かすこと。格子窓、軒はてすり。れんじ窓を動かして手摺の掴まる。

遠望周千里,朝夕見平原。
遠く見わたせば、千里のかなたまで一望できる、私は毎日朝と夕べに、どこまでもひろがる平原をながめるのである。

烈士多悲心,小人偷自閒。
烈士として名をのこしたいものは、悲しみを心にいだくことが多いもので、とるにたらないものは、ただいい加減に、なんにもせずに暮らしているものだ。
〇烈士 征伐、革命、維新などにおいて戦い功績を残し、名を遺したものの人物の称号をいう。
○偷 物事をゆるがせにして安逸をむさぼる。


國讎亮不塞,甘心思喪元。
わが国に盾つく国や国内の不満分子どもは、たしかにまだ絶滅させてはいないのだ。私が満足したいとおもうことは、喜んでこの首を犠牲にしていいと思っていることである。
○国儲 敵国、呉と局をさす。
○塞 とだえる、なくなる。
○甘心 自らが満足するという意味。
○元 あたま、首のこと。

拊劍西南望,思欲赴太山。
今はこうして剣をなでつつ、この楼閣で西と南の方をながめてはいるが、戰場で功をなし名を挙げて、泰山に赴き天につげたいものだ。
○拊 なでる、かるくうつ。
○西南 甄城から西は許都、蜀、南は、呉。
○太山 泰山(山東省にある。)のこと。五嶽の一つ。古来、重要な祭典が行われ、出征の時も、ここでその旨を天に告げる。前の聯に「烈士、小人」とある。孔子の「登泰山而小天下」(泰山に登れば天下はなん. と小さく見えることか)ということも意味するかもしれない。


弦急悲聲發,聆我慷慨言。
この思いで瑟の弦をたたくと、事態は切迫しているかのように悲しい音が響き渡る。天よどうか、私のたかぶる悲憤の言葉をおききたまえ。
○弦 瑟の弦。
○慷慨 「壮士の志を心に得ざるなり」と、胸にこみあげる感情をいう。



雜詩(六首)其一
高台多悲風,朝日照北林。之子在萬里,江湖回且深。方舟安可極,離思故難任。
孤雁飛南遊,過庭長哀吟。翹思慕遠人,願欲托遺音。形影忽不見,翩翩傷我心。

其二
轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。高高上無極,天路安可窮。
類此遊客子,捐軀遠從戎。毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。

其三
西北有織婦,綺縞何繽紛。明晨秉機杼,日昃不成文。太息終長夜,悲嘯入青雲。
妾身入空閨,良人行從軍。自期三年歸,今已歷九春。飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
願為南流景,馳光見我君。

其四
南國有佳人,容華若桃李。朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。俯仰歲將暮,榮耀難久恃。

其五
僕夫早嚴駕,吾將遠行游。遠遊欲何之?吳國為我仇。將騁萬里途,東路安足由。
江介多悲風,淮泗馳急流。願欲一輕濟,惜哉無方舟。閒居非吾志,甘心赴國憂。

其六
飛觀百餘尺,臨牖御欞軒。遠望周千里,朝夕見平原。烈士多悲心,小人偷自閒。
國讎亮不塞,甘心思喪元。拊劍西南望,思欲赴太山。弦急悲聲發,聆我慷慨言。

喜雨
天覆何彌廣,苞育此群生。棄之必憔悴,惠之則滋榮。慶雲從北來,郁述西南征。
時雨終夜降,長雷周我廷。嘉種盈膏壤,登秋必有成。

雜詩六首其五 曹植 魏詩<22>古詩源 巻三 女性詩648 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1809

雜詩六首其五 曹植



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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人  http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


雜詩六首其五 曹植 魏詩<22>古詩源 巻三 女性詩648 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1809

雜詩六首 其五
僕夫早嚴駕,吾將遠行游。
御者たちよ、朝早くから厳重に車の準備をしておきなさいと命じておいた。私はこれから遠い旅行に出かけるのだ。
遠遊欲何之?吳國為我仇。
遠い旅行・行軍は、どこへ行こうというのか。いうまでもない、呉の国は、われわれの仇敵ではないか。
將騁萬里途,東路安足由。
まさに、万里の道を勇んではせ行こうとする。だから蕹丘への東へ行く道なんか、遠回りして通って行く理由を云うだけのものを持ち合わせないだろう。
江介多悲風,淮泗馳急流。
長江下流域のあたりは、悲しい風が吹きすさみ、准水や泗水水の流れは、まことに急である。
願欲一輕濟,惜哉無方舟。
私はそれらの大河を一挙にしてわたりたいとは思うが、ああ口惜しいことには、ならべるだけの箱舟がないのだ。
閒居非吾志,甘心赴國憂。
隠遁者のようにのんびりくらすことは私の志ではない。私が満足できることは、国の将来を心配してその解決のために赴く仕事がしたいのだ。

其の五
僕夫早く駕を嚴めよ,吾將に遠く行きて游ばんとす。
遠く遊びて何くにか之かんと欲する?吳國は我が仇するを為す。
將に萬里の途を騁せんとす,東路安んぞ由るに足らん。
江介 悲風を多くし,淮泗 急流を馳す。
願わくは一たび輕く濟らんと欲すれども,惜しい哉 方舟無し。
閒居は吾が志に非ず,心に甘んじて國憂に赴かん。

李白 済南

『雜詩六首』 其五 現代語訳と訳註
(本文)

僕夫早嚴駕,吾將遠行游。遠遊欲何之?吳國為我仇。將騁萬里途,東路安足由。
江介多悲風,淮泗馳急流。願欲一輕濟,惜哉無方舟。閒居非吾志,甘心赴國憂。


(下し文)
其の五

僕夫早に駕を厳しめよ,吾將に遠く行きて游ばんとす。
遠く遊びて何くにか之かんと欲する?吳國は我が仇するを為す。
將に萬里の途を騁せんとす,東路安んぞ由るに足らん。
江介 悲風を多くし,淮泗 急流を馳す。
願わくは一たび輕く濟らんと欲すれども,惜しい哉 方舟無し。
閒居は吾が志に非ず,心に甘んじて國憂に赴かん


(現代語訳)
御者たちよ、朝早くから厳重に車の準備をしておきなさいと命じておいた。私はこれから遠い旅行に出かけるのだ。
遠い旅行・行軍は、どこへ行こうというのか。いうまでもない、呉の国は、われわれの仇敵ではないか。
まさに、万里の道を勇んではせ行こうとする。だから蕹丘への東へ行く道なんか、遠回りして通って行く理由を云うだけのものを持ち合わせないだろう。
長江下流域のあたりは、悲しい風が吹きすさみ、准水や泗水水の流れは、まことに急である。
私はそれらの大河を一挙にしてわたりたいとは思うが、ああ口惜しいことには、ならべるだけの箱舟がないのだ。
隠遁者のようにのんびりくらすことは私の志ではない。私が満足できることは、国の将来を心配してその解決のために赴く仕事がしたいのだ。


(訳注)
雜詩六首 其五
○其五
の詩は蕹丘(河南省杷県)に国がえになった後の作品。時期は223年黄初四年以後で、曹植の「情詩」「白馬王彪に贈る」詩と同時頃の作と推定される。


僕夫早嚴駕,吾將遠行游。
御者たちよ、朝早くから厳重に車の準備をしておきなさいと命じておいた。私はこれから遠い旅行に出かけるのだ。
○僕夫 御者。
○早厳駕 朝早くから車馬の整備を厳重にしている。早は夙と同じ、朝早くの意。厳は厳重に整備すること。馭者は夜明けと同時に出発できるようにしているもので、ことさら、ここで「早」「厳」の語を使うことは「致命急なり」と命が下っていることを示すものである。
 早に駕を厳しめよと読み、「御者よ、朝早く起き、車の準備をいそげ。」という命令文に解することも可能である。
○行遊 行遊は旅すること。行軍すること。


遠遊欲何之?吳國為我仇。
遠い旅行・行軍は、どこへ行こうというのか。いうまでもない、呉の国は、われわれの仇敵ではないか。
○呉国 当時、魏・呉・蜀の三国鼎立、それぞれ独立し、交戦状態にあった。呉の君主は孫権。蜀が魏を攻め、魏が呉を攻め、呉が蜀を攻めるということである。劉備が223年夷陵の戦いで呉軍に大敗。白帝城にて陣没することにより、三権鼎立はしばらく続く。


將騁萬里途,東路安足由。
まさに、万里の道を勇んではせ行こうとする。だから蕹丘への東へ行く道なんか、遠回りして通って行く理由を云うだけのものを持ち合わせないだろう。(曹丕に対する言い訳が立たない))
○東路 曹植の封地蕹丘をさす、蕹丘は首都洛陽より東にあたる。
○由 ……のコースを通って行く理由。


江介多悲風,淮泗馳急流。
長江下流域のあたりは、悲しい風が吹きすさみ、准水や泗水水の流れは、まことに急である。
○江介多悲風 介は間、長江下流域附近(揚子江と呼ばれたあたり)の地をさす。
○淮洒 淮水は安徽・江蘇の北部を流れる川。淮水と泗水には運河が通じている、蕹丘に行くには泗水を渡らねはならぬ。


願欲一輕濟,惜哉無方舟。
私はそれらの大河を一挙にしてわたりたいとは思うが、ああ口惜しいことには、ならべるだけの箱舟がないのだ。
○願欲 出征したくても、その願いをはたす手だてのないことをなげいたもの
〇一軽済 済は渡。この河川は軽く渡れるような河川ではないからこそ、願うのである。
○方舟 舟をならべ、橋にする。方は二つ並べること。狭い河川の場合ひき船の場合、橋にする場合船頭が居なくて船だけの状態を云う。曹丕『又清河作一首』「方舟戲長水,湛淡自浮沈。」又清河作一首 曹丕(魏文帝) 魏詩<4 後世杜甫『發秦州』「密竹復冬笋、清池可方舟。」“同谷紀行(1)” 發秦州 杜甫 <321#1  


閒居非吾志,甘心赴國憂。
隠遁者のようにのんびりくらすことは私の志ではない。私が満足できることは、国の将来を心配してその解決のために赴く仕事がしたいのだ。
○閒居 のんびりくらすこと。渓谷、林澗を意味し、隠棲生活を云う。
○甘心 自らが満足するという意味。

雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805

雜詩六首 其四 曹植

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雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805


曹植
192年(初平3年) - 232年(太和6年)11月28日)は、中国後漢末から三国時代の人物で、魏の皇族。字は子建。陳王に封じられ、諡は思であったことから陳思王とも呼ばれる。唐の李白・杜甫以前における中国を代表する文学者として、「詩聖」の評価を受けた人物でもある。才高八斗(八斗の才)・七歩の才の語源。建安文学の三曹の一人。
沛国譙県(現在の安徽省亳州市)の人。曹操の五男として生まれる。生母の卞氏は倡家(歌姫)の出身であるが、『世説新語』賢媛篇に名を列ねるほどの賢婦であった。同母兄に文帝曹丕・任城威王曹彰。同母弟に蕭懐王曹熊。子は曹苗(早世)・曹志。他に2人の娘がいた。
異母兄の曹昂と曹鑠が早世すると、197年(建安2年)頃[3]に卞氏が正室に上げられ、曹植は曹操の正嫡の三男となる。幼い頃より詩など数十万言を諳んじ、自身も詩人であった曹操に寵愛された。211年(建安16年)、平原侯(食邑5000戸)に封じられ、214年、臨葘侯(同)に転封される。


雜詩六首   其四
南國有佳人,容華若桃李。
南の国には美しい人がいる。容貌の華やかなことは、桃や李の花のようである。
朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
ところが、朝には長江から洞庭湖の北岸に遊營し、夕べには洞庭湖の南の瀟湘の水ぎわに宿営する毎日が続いている。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
時代の好みの流行は、若いその美しい顔立ちなど見むきもしてくれない。その美人は誰のために、白い歯をみせて歌えばよいのであろうか。
俯仰歲將暮,榮耀難久恃。
頭をあげさげする一瞬のうちに、今年もはや暮れようとしている。その華やいだ輝きも、何時までも持続できるというものではないのである。
南国に佳人有り、容華 桃李の若し。
朝に 江北の岸に遊び、夕に 瀟湘の沚に宿す。
時俗 朱顔を薄んず、誰が為にか皓歯を発かん。
俯仰すれば 歳将に暮れんとす、栄耀 久しくは恃み難し。

Chrysanthemum

『雜詩六首其四』 現代語訳と訳註
(本文)

其四
南國有佳人,容華若桃李。
朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
俯仰歲將暮,榮耀難久恃。


(下し文)
南国に佳人有り、容華 桃李の若し。
朝に 江北の岸に遊び、夕に 瀟湘の沚に宿す。
時俗 朱顔を薄んず、誰が為にか皓歯を発かん。
俯仰すれば 歳将に暮れんとす、栄耀 久しくは恃み難し。


(現代語訳)
南の国には美しい人がいる。容貌の華やかなことは、桃や李の花のようである。
ところが、朝には長江から洞庭湖の北岸に遊營し、夕べには洞庭湖の南の瀟湘の水ぎわに宿営する毎日が続いている。
時代の好みの流行は、若いその美しい顔立ちなど見むきもしてくれない。その美人は誰のために、白い歯をみせて歌えばよいのであろうか。
頭をあげさげする一瞬のうちに、今年もはや暮れようとしている。その華やいだ輝きも、何時までも持続できるというものではないのである。


(訳注)
其四

○其四の詩は、南国にすむ美人の空しく世に埋もれるのに託して、曹植自身の不遇を訴えたものと見られる。黄節は異母弟の曹彪を傷んで作ったという。曹彪は哉初三年呉王に封ぜられ、同五年に寿春県(安徽省寿県)に改め封ぜられ、同七年白馬(河南省滑県の東)にうつし封ぜられた。曹彪は七年までは南方の安徴の地にいたわけだ。


南國有佳人,容華若桃李。
南の国には美しい人がいる。容貌の華やかなことは、桃や李の花のようである。
○南国 南方の国。越の国には美人が多い
〇佳人 美しい人。美しい女性。美人。かじんはくめい【佳人薄命】《蘇軾「薄命佳人詩」から》美人は、病弱で早死にしたり、運命にもてあそばれて、不幸になったりすることが多いということ。曹植自身をたとえたもの、曹彪にたとえるとの説もある。
○容華 容貌の華やかなこと。


朝游江北岸,夕宿瀟湘沚。
ところが、朝には長江から洞庭湖の北岸に遊營し、夕べには洞庭湖の南の瀟湘の水ぎわに宿営する毎日が続いている。
○瀟湘沚 瀟、湘ともに洞庭湖に流入する川の名。瀟水は湖南省零陵県の西北で湘水と合流して洞庭湖にそそぐ。沚はみぎわ。
○朝游江北岸,夕宿瀟湘沚 任地を転転して居処の定まらないことをたとえたもの。楚辞 九歌 湘夫人 「朝騁騖兮江皋,夕弭節兮北渚。 鳥次兮屋上,水周兮堂下。(朝に航皐を騁驁て、夕に節を北渚に弭む)と見える。なお「夕宿」の句を、「文選」は「日夕宿湘沚、日夕れば湘の沚に宿す」に作るが、「古詩源」「曹集」によった。 


時俗薄朱顏,誰為發皓齒。
時代の好みの流行は、若いその美しい顔立ちなど見むきもしてくれない。その美人は誰のために、白い歯をみせて歌えばよいのであろうか。
○薄 けいべつする。
○発皓歯 白い歯をみせて、歌をうたうこと。
「楚辞」大招、宋玉「笛賦」などの歌唱の場面に「皓歯」を用いた例が見える。皓歯の用語解説 - 白くきれいな歯。多く「明眸(めいぼう)皓歯」の形で、美人の形容に用いる。


俯仰歲將暮,榮耀難久恃。
頭をあげさげする一瞬のうちに、今年もはや暮れようとしている。その華やいだ輝きも、何時までも持続できるというものではないのである。
○俯仰 ふしあおぐ意から時間の経過の極めてはやいことに用いた。「荘子」在宥篇に「其疾俛仰之間而再撫四海之外」(その疾きこと、俛仰の間にして再び四海の外に撫む。)と見える。
○栄耀 はなのかがやき、美人の桃李のような容貌についていう。

雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801

雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>


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雜詩六首其三 曹植 魏詩<20>古詩源 巻三 三国時代の詩646 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1801


其三
西北有織婦,綺縞何繽紛。
北から西へ移動した天の川には織女がいます。女の織りなす精巧な絹織物は、天の川でその輝きが何と入り乱れていることでありましょうか。
明晨秉機杼,日昃不成文。
女は朝早くから機おりの杼を手にとっていますが、日がかたむく頃になっても、あや模様を仕上げることができません。
太息終長夜,悲嘯入青雲。
だから、女は大きくためいきをつきながら長い夜をあかしてしまうのです。そして、おおきな悲しい嘆息が、はるか高い雲のなかにはいって行くのです。
妾身入空閨,良人行從軍。
このわたしはというと夫のいない閏にはいっていくだけなのです。あの人はでかけて従軍しているからなのです。
自期三年歸,今已歷九春。
出発の時私に、三年たてば帰ってくるよ、と言ったのです。なのに、今はすでに九春が経ているのです。
飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
空を飛ぶ一羽の鳥が、樹をめぐって旋回していきます、きょうきょうと悲しげな鳴き声をあげて仲間の群れをもとめているのです。
願為南流景,馳光見我君。

願うことなら、あの南の呉の方にmけて星が流れに託したい、その星光は馳せて行き、我が夫を見つけてくれることでしょう。

其の三
西北に織婦【しょくふ】有り,綺縞何ぞ繽紛たり。
明晨機杼を秉り,日昃【かたむ】くも文を成さず。
太息して長夜を終え,悲嘯【ひしょう】青雲に入る。
妾身 空閨に入り,良人 行きて軍に從う。
自ら期す三年にして歸らんと,今は已に九春を歷たり。飛鳥 樹を繞りて翔【かけ】り,噭噭【きょうきょう】として鳴きて群を索【もと】む。
願わくは南流の景と為りて,光を馳せて我が君に見【まみ】えん。


銀河002

『雜詩六首』其三 現代語訳と訳註
(本文)
其三
西北有織婦,綺縞何繽紛。明晨秉機杼,日昃不成文。太息終長夜,悲嘯入青雲。
妾身入空閨,良人行從軍。自期三年歸,今已歷九春。飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
願為南流景,馳光見我君。


(下し文)
西北に織婦【しょくふ】有り,綺縞何ぞ繽紛たり。
明晨機杼を秉り,日昃【かたむ】くも文を成さず。
太息して長夜を終え,悲嘯【ひしょう】青雲に入る。
妾身 空閨に入り,良人 行きて軍に從う。
自ら期す三年にして歸らんと,今は已に九春を歷たり。飛鳥 樹を繞りて翔【かけ】り,噭噭【きょうきょう】として鳴きて群を索【もと】む。
願わくは南流の景と為りて,光を馳せて我が君に見【まみ】えん。


(現代語訳)
北から西へ移動した天の川には織女がいます。女の織りなす精巧な絹織物は、天の川でその輝きが何と入り乱れていることでありましょうか。
女は朝早くから機おりの杼を手にとっていますが、日がかたむく頃になっても、あや模様を仕上げることができません。
だから、女は大きくためいきをつきながら長い夜をあかしてしまうのです。そして、おおきな悲しい嘆息が、はるか高い雲のなかにはいって行くのです。
このわたしはというと夫のいない閏にはいっていくだけなのです。あの人はでかけて従軍しているからなのです。
出発の時私に、三年たてば帰ってくるよ、と言ったのです。なのに、今はすでに九春が経ているのです。
空を飛ぶ一羽の鳥が、樹をめぐって旋回していきます、きょうきょうと悲しげな鳴き声をあげて仲間の群れをもとめているのです。

願うことなら、あの南の呉の方にmけて星が流れに託したい、その星光は馳せて行き、我が夫を見つけてくれることでしょう。

(訳注)
其三

○其三の詩は、225年黄初五年七月より、227年七年七月にかけて行われた、曹丕の呉遠征と結びつけ、曹丕の帰りをまつ曹植の心情を、良人の帰りをまつ妻の心情に託したもの。元来、このような主題は楽府や古詩がよく採りあげるところである故、曹植がそれらに擬して作ったものと見る。


西北有織婦,綺縞何繽紛。
北から西へ移動した天の川には織女がいます。女の織りなす精巧な絹織物は、天の川でその輝きが何と入り乱れていることでありましょうか。
○西北 天の川が北から西へ移動した。ここは時間の経過を示す。魏文帝『燕歌行』「明月皎皎照我床,星漢西流夜未央。」折からの仲秋の名月はこうこうと私の閨の床を照らしています。天の川は西の空に流れて薄くなりましたがまだ夜明けになるには早すぎます。
・星漢 天の川。天河・銀河・経河・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。杜甫『天河』。夏に明るくなっていた天の川も秋になると光度が落ちて來るので川を渡ることが出来ないとされるもの。
・織婦 曹丕が足かけ3年にわたり呉を攻めたこと。
『古詩十九首 第五首』第五首「西北有高樓,上與浮雲齊。交疏結綺窗,阿閣三重階。上有弦歌聲,音響一何悲。誰能為此曲?無乃杞梁妻!清商隨風發,中曲正徘徊。一彈再三嘆,慷慨有餘哀。不惜歌者苦,但傷知音希,願為雙鴻鵠,奮翅起高飛。
・織婦 ・牽牛織女 牽牛星、織女星、この二星は七月七日の夕、一年に一回逢い会するといわれる。織女星が烏鵠のわたした橋をわたって牽牛星の方へゆくというもの。 また、「漢武内伝」に見える漢の武帝劉徹(紀元前157-87)と西王母の逢瀬を指す。承華殿に閑居していた武帝の前に、青い鳥の化身の美女が現われ、妾は墉宮の王子登というもの、七月七日に道教西の理想郷の仙女西王母が来ることをお伝えにきましたと言った。武帝は延霊台に登って待ったところ、果して七夕の夜に西王母がやって来たという。
○綺縞 綺はあや絹、縞は自絹。ともに精巧な絹織物のこと。
○績紛 盛んにあやなすさま。


明晨秉機杼,日昃不成文。
女は朝早くから機おりの杼を手にとっていますが、日がかたむく頃になっても、あや模様を仕上げることができません。
○明晨 朝早く。
○機杼 はたのひのこと。
○文 あや模様。
 

太息終長夜,悲嘯入青雲。
だから、女は大きくためいきをつきながら長い夜をあかしてしまうのです。そして、おおきな悲しい嘆息が、はるか高い雲のなかにはいって行くのです。

○嘯 いぶき、いきづき。

妾身入空閨,良人行從軍。
このわたしはというと夫のいない閏にはいっていくだけなのです。あの人はでかけて従軍しているからなのです。



自期三年歸,今已歷九春。
出発の時私に、三年たてば帰ってくるよ、と言ったのです。なのに、今はすでに九春が経ているのです。
〇九春 季善注に従えば、春季は早春、盛春、晩春の一年三春であり、九春は三年になる。


飛鳥繞樹翔,噭噭鳴索群。
空を飛ぶ一羽の鳥が、樹をめぐって旋回していきます、きょうきょうと悲しげな鳴き声をあげて仲間の群れをもとめているのです。
○噭噭 悲哀のこもる鳴声。


願為南流景,馳光見我君。
願うことなら、あの南の呉の方にmけて星が流れに託したい、その星光は馳せて行き、我が夫を見つけてくれることでしょう。
○流景 文脈からは呉の方へ流れる星に願いを掛けることを云う。日光や月光ならばどこにも同じように照らすのであり「南」と方向を示す語がおかしくなるので、初句の銀河、織婦を出していることから星の動きを云うものである。特にこの詩は曹丕が3年物長期にわたって出兵をしていることへ批判的な気持ちをあらわしている。したがって太陽や月では意味をなさない。

雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797

雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>

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雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797


雜詩六首 其二
轉蓬離本根,飄颻長隨風。
転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
何意回飆舉,吹我入雲中。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
高高上無極,天路安可窮。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。
類此遊客子,捐軀遠從戎。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。
毛褐不掩形,薇藿常不充。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
去去莫復道,沈憂令人老。

こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。

轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。
何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。
高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。
類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。
毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。

轉蓬001

『雜詩六首』 現代語訳と訳註
(本文)
其二
轉蓬離本根,飄颻長隨風。何意回飆舉,吹我入雲中。
高高上無極,天路安可窮。類此遊客子,捐軀遠從戎。
毛褐不掩形,薇藿常不充。去去莫復道,沈憂令人老。


(下し文)
轉蓬は本根より離れ,飄颻として長く風に隨う。
何んぞ意わん回飆【かいひょう】の舉がり,我を吹きて雲中に入れんとは。
高高と上りて極り無く,天路 安んぞ窮む可かんや。
類たり此の遊客の子,軀を捐てて遠く戎に從う。
毛褐 形を掩わず,薇藿【びかく】常に充たざるに。去り去りて復た道う莫れ,沈憂 人をして老わしむ。


(現代語訳)
転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。


(訳注)
雜詩六首其二

○其二は蕹丘(河南省杷県)に国がえになったのちの作と思われるから、223黄初四年以後の作品とされる。


轉蓬離本根,飄颻長隨風。
転びゆく蓬は、もとの根より離れ、ひらひらと、遠く風の吹くまにまにひるがえってとばされる。
○転蓬 風に吹かれて転びゆく蓬。蓬は菊科の多年生草本、蓬は秋風が吹くや、根より抜けて風のまにまに飛ぶ。「飛蓬」ともいう。はかない人生の此喩として頻用される。多くの詩人が点々と旅する身を詠う。漂泊についても使う。
○飄颻 風にひるがえるさま。

何意回飆舉,吹我入雲中。
ところが、思いがけなくも、つむじ風が巻きおこったとすると我々蓬は雲中高く吹きあげられてしまうのだ。
○回飆 旋風。親は上から下に吹く風。


高高上無極,天路安可窮。
高く高く吹き上げられると、どこまでも限りなく飛ばされるのだ。しかし、天の路こそは、どうしてその窮極の先まで行くというのか。


類此遊客子,捐軀遠從戎。
これはさすらう旅人に似ているというものであり、その身を犠牲にして、遠く従軍するというのはこのことをいうものなのだ。


毛褐不掩形,薇藿常不充。
その旅人が冬にきる短い皮ごろもは、身体を全ておおうことにならないし、食べるものも、わらびや豆の葉などで、いつも腹をみたすことはできないのである。
○毛褐 粗末な皮の短い着物、又あらい毛織の短い着物ともいう。貧しい人の冬の衣料。毛は皮ごろも、褐は短いきもの。「淮南子」斉俗訓に見えるもの。
○薇藿 薇はわらび、藿は豆の葉。


去去莫復道,沈憂令人老。
こんな話はやめなければ、そうだもうもうやめよう。二度とこのような言葉は繰りかえすことはしない。こんな深い憂愁な気分でいることは人をふけさせるものでしかないのだ。
○老 押韵の字、最後の二句で、前の十句と韵をふみかえた。古楽府の手法である。

雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>古詩源 巻三 女性詩644 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1793

雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>


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雜詩六首 其一 曹植 魏詩<18>古詩源 巻三 女性詩644 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1793


雑詩六首  其一
高臺多悲風。朝日照北林。
この鄄城にも秋の強い風が毎日あたるようになってきている。ここに照る朝日が北の最果ての欝欝たる北林を同じように照らしている。
之子在萬里。江湖迥且深。
弟の曹彪ははるか万里の先にいったままでいる、君との間には大江、湖沼が横たわっており、遙か先であり、奥深い所であるという。
方舟安可極。離思故難任。
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもないし、そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いでいるのだ。
孤雁飛南遊。過庭長哀吟。
群れを離れた一羽の雁が南をめざしていることをおもいだし、庭のはるか上の空を横切って飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴くのをきくのである。
翹思慕遠人。願欲託遺音。
私の感情はつのり、遠方の君の事を慕わしくおもい起こすのだ。せめてこの意を雁に伝言として託したいと思うのた。
形影忽不見。翩翩傷我心。

その雁の形も影も忽ち我が視界から消えてしまう。それから、どっと私の心は悲しみにおそわれるのだ。

高臺【こうだい】悲風多し、朝日北林を照らす。
之の子萬里に在り、江湖迥に且つ深し。
舟に方ぶるも安んぞ極る可き、離思故より任へ難し。
孤雁飛んで南に遊ぶ、庭を過ぎりて長く哀吟す。
思を翹【あ】げて遠人を慕う、願はくは遺音【いおん】を託せんと欲す。
形影忽ち見えず、翩翩【へんぺん】として我が心を傷ましむ。


『雑詩六首』 其一 現代語訳と訳註
(本文)
雑詩六首  其一
高臺多悲風。朝日照北林。
之子在萬里。江湖迥且深。
方舟安可極。離思故難任。
孤雁飛南遊。過庭長哀吟。
翹思慕遠人。願欲託遺音。
形影忽不見。翩翩傷我心。


(下し文)
高臺【こうだい】悲風多し、朝日北林を照らす。
之の子萬里に在り、江湖迥に且つ深し。
舟に方ぶるも安んぞ極る可き、離思故より任へ難し。
孤雁飛んで南に遊ぶ、庭を過ぎりて長く哀吟す。
思を翹【あ】げて遠人を慕う、願はくは遺音【いおん】を託せんと欲す。
形影忽ち見えず、翩翩【へんぺん】として我が心を傷ましむ。


(現代語訳)
この鄄城にも秋の強い風が毎日あたるようになってきている。ここに照る朝日が北の最果ての欝欝たる北林を同じように照らしている。
弟の曹彪ははるか万里の先にいったままでいる、君との間には大江、湖沼が横たわっており、遙か先であり、奥深い所であるという。
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもないし、そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いでいるのだ。
群れを離れた一羽の雁が南をめざしていることをおもいだし、庭のはるか上の空を横切って飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴くのをきくのである。
私の感情はつのり、遠方の君の事を慕わしくおもい起こすのだ。せめてこの意を雁に伝言として託したいと思うのた。
その雁の形も影も忽ち我が視界から消えてしまう。それから、どっと私の心は悲しみにおそわれるのだ。


(訳注)
雑詩六首  其一

曹操の死後、鄄城にあって221-222(黄初二.三年)のころ作ったものとされる。鄄城県(けんじょう-けん)は現在の山東省菏沢市に位置する県。曹植の異母弟である曹彪を思って作ったといわれるものである。

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高臺多悲風。朝日照北林。
この鄄城にも秋の強い風が毎日あたるようになってきている。ここに照る朝日が北の最果ての欝欝たる北林を同じように照らしている。
・高臺 鄄城の幕府・政治処。
・悲風 秋の強い風。宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。『古詩十九首之第十四首』「去者日以疏,生者日已親。出郭門直視,但見丘與墳。古墓犁為田,松柏摧為薪。白楊多悲風,蕭蕭愁殺人!思還故里閭,欲歸道無因。・北林 遠く北の果ての林
『詩経、秦風、』晨風 鴪彼晨風.鴥彼晨風.鬱彼北林.未見君子.憂心欽欽.如何如何.忘我實多山有苞櫟.隰有六駮.未見君子.憂心靡樂.如何如何.忘我實多」とある。また、魏文帝『又清河作一首』「方舟戲長水,湛淡自浮沈。弦歌發中流,悲響有餘音。音聲入君懷,淒愴傷人心。心傷安所念,但願恩情深。願為晨風鳥,雙飛翔北林。」


之子在萬里。江湖迥且深。
弟の曹彪ははるか万里の先にいったままでいる、君との間には大江、湖沼が横たわっており、遙か先であり、奥深い所であるという。
・之子在萬里 この頃弟の曹彪が袁紹の残党を追って幽州以北討伐軍を出していた。
・江湖 黄河、濟河、大甄潭など。


方舟安可極。離思故難任。
舟を並べて渡ろうとしても、とても行けるものでもないし、そうとは思いながらも、離ればなれに住むことは、堪え難い思いでいるのだ。
・方舟 はこぶね。船頭も輓男もいない様子を云う。魏文帝『又清河作一首』「方舟戲長水,湛淡自浮沈。弦歌發中流,悲響有餘音。」


孤雁飛南遊。過庭長哀吟。
群れを離れた一羽の雁が南をめざしていることをおもいだし、庭のはるか上の空を横切って飛び過ぎて、声長く哀しげに鳴くのをきくのである。
・過庭 庭から見える範囲の空。
・長哀吟 雁が鳴くように私も詩を詠って泣くのだ。


翹思慕遠人。願欲託遺音。
私の感情はつのり、遠方の君の事を慕わしくおもい起こすのだ。せめてこの意を雁に伝言として託したいと思うのた。


形影忽不見。翩翩傷我心。
その雁の形も影も忽ち我が視界から消えてしまう。それから、どっと私の心は悲しみにおそわれるのだ。


情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789

情詩 曹植 魏詩


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情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789



建安中の作とし、223年黄初四年

情詩
微陰翳陽景,清風飄我衣。
うすい雲が太陽の光をかげらせている、秋の初めのすずやかな風が私のきものをひらひらさせる。
游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
水に遊ぶ魚は縁りなす澄み切った水にひそんでいるものであり、高い空をかける鳥というものはあの臼雲の上を高く自由に飛んでいくのである。
眇眇客行士,徭役不得歸。
だが、はるかかなたに出征した軍人は、遠距離の公務をおびた旅であり、帰ることができない。
始出嚴霜結,今來白露晞。
兵士が出発するのは、きびしい霜柱がたちはじめる晩秋九月の頃であるが、今また秋はめぐりくる白い露が寒さにかわいて霜を結ぶ頃になってくる。
遊者歎黍離,處者歌式微。
旅人は『詩経』「黍離」の詩になげきをよせるのであり、家で留守居をする者は、「式微」の詩を歌って、どうして帰えれないのかと悲しむものである。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。

情詩
徴陰 陽景を翳くし、清風 我が衣を飄えす。
遊魚は淥水に潜み、翔鳥は天に薄りて飛ぶ。
眇眇たり客行の士、徭役して帰るを得ず。
始め出でしとき厳霜結び、今来れば 白露晞く。
遊者は黍離を歎じ、処る者は式微を歌う。
慷慨して嘉賓に対し、悽愴して内に傷悲す。

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『情詩』 現代語訳と訳註
(本文) 情詩

微陰翳陽景,清風飄我衣。
游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
眇眇客行士,徭役不得歸。
始出嚴霜結,今來白露晞。
遊者歎黍離,處者歌式微。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。


(下し文) 情詩
徴陰 陽景を翳くし、清風 我が衣を飄えす。
遊魚は淥水に潜み、翔鳥は天に薄りて飛ぶ。
眇眇たり客行の士、徭役して帰るを得ず。
始め出でしとき厳霜結び、今来れば 白露晞く。
遊者は黍離を歎じ、処る者は式微を歌う。
慷慨して嘉賓に対し、悽愴して内に傷悲す。


(現代語訳)
うすい雲が太陽の光をかげらせている、秋の初めのすずやかな風が私のきものをひらひらさせる。
水に遊ぶ魚は縁りなす澄み切った水にひそんでいるものであり、高い空をかける鳥というものはあの臼雲の上を高く自由に飛んでいくのである。
だが、はるかかなたに出征した軍人は、遠距離の公務をおびた旅であり、帰ることができない。
兵士が出発するのは、きびしい霜柱がたちはじめる晩秋九月の頃であるが、今また秋はめぐりくる白い露が寒さにかわいて霜を結ぶ頃になってくる。
旅人は『詩経』「黍離」の詩になげきをよせるのであり、家で留守居をする者は、「式微」の詩を歌って、どうして帰えれないのかと悲しむものである。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。


(訳注)
情詩
「王台新詠」には「雑詩」とある。この詩は、故郷を遙か離れて旅に出ている者が、その望郷の思い、また留守居の妻の行役中の夫に対する思慕の情をベースにおいて、兄文帝に対しての忠誠を誓ったのを詠ったものである。
この詩の制作時期は建安中の作とし、223年黄初四年の作である。


微陰翳陽景,清風飄我衣。
うすい雲が太陽の光をかげらせている、秋の初めのすずやかな風が私のきものをひらひらさせる。
・陰 かげ。雲。
・翳 かげらす、おおう。
・陽景 太陽の光。


游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
水に遊ぶ魚は縁りの澄み切った水にひそんでいるもおであり、高い空をかける鳥というものはあの臼雲の上を高く自由に飛んでいくのである。


眇眇客行士,徭役不得歸。
だが、はるかかなたに出征した軍人は、遠距離の公務をおびた旅であり、帰ることができない。
・眇眇 はるかなさま。
・徭役 遠距離の公務をおびた旅行。従軍の旅。
 

始出嚴霜結,今來白露晞。
兵士が出発するのは、きびしい霜柱がたちはじめる晩秋九月の頃であるが、今また秋はめぐりくる白い露が寒さにかわいて霜を結ぶ頃になってくる。
・嚴霜結 きびしい霜柱がたつことで、時節からいえば、晩秋から冬にかけての間がそれに当る。「楚辞」九弁(宋玉の作)には「秋既先戒以白露兮,冬又申之以嚴霜。」秋既に先ず戒めるに白露を以ってし、冬又之に申ぬるに嚴霜を以ってす」と見える。九弁に従えば、その時期は冬のことである。『為焦仲卿妻作』「今日大風寒,寒風摧樹木,嚴霜結庭蘭。」でも冬に使う。ここは夏の終わりから冬になって行く時間の経過をあらわす。
しかし「礼記」月令には「是の月(季秋とはすなわち陰暦の九月をさす)や、霜始めて降り」と見える。その時期を、月令に従って陰暦の九月のことと考えられる。ただ、この時の戦いは魏は220年までに曹操が北方を制覇しており、この前年より呉にたいする挑発威嚇の出兵をしている時期であることから真冬の事となる。。
・白露晞 白い露がかわいて霜となる。と、晞はかわく。『詩経、國風』秦風、蒹葭「蒹葭萋萋、白露未晞。所謂伊人、在水之畔」(蒹葭は萋萋たり、白露未だ晞かず、所謂伊の人、水の畔に在り。)と見え、部箋に「未だ蹄かずとは、未だ霜と為らざるなり」という。


遊者歎黍離,處者歌式微。
旅人は『詩経』「黍離」の詩になげきをよせるのであり、家で留守居をする者は、「式微」の詩を歌って、どうして帰えれないのかと悲しむものである。
・黍離 「詩経」王風の篇名。毛序によれば、「周の大夫行役して宗周に至り、故の宗廟・宮室を過ぐるに、尽く未黍と為れり。周室の転覆を悼み、彷徨して去くに忍びずして、この詩を作れり。」という。兄の死を悲しみで作ったものと解するという説もある。
・式微 「詩経」邶風の篇名。毛序では、黎侯が故国より追われ、衛の国に寓居していた時、彼の臣が帰国をすすめたもの、という。その詩に「式くて微【おとろ】え、式くて微う、胡んぞ帰らざる。」という一節がある。即位して間もない文帝に自己の忠節のかわらぬことを訴えたものと見ている。曹植が「歌式微」といったのは、この式微の詩が「胡不帰」の三字を含むが故に、家で帰りを待つ者が歌う詩として適当なものであるからである。


慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
私はたかぶる感情をいだきつつ、このましいお客の前に坐っている。いたましくて、心のうちはやぶれんばかりである。
・慷慨【こうがい】1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。「社会の矛盾を―する」「悲憤―」2 意気が盛んなこと。・促管 笛の音が急なこと。
・嘉賓 このましいお客。
・悽愴 いたみかなしむ。
・內傷悲 心のうちはやぶれんばかりである

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雑詩二首(二) 曹丕(魏文帝) 魏詩<7>文選 雑詩 上 627 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1725



雑詩二首 其一
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
展転不能寐、披衣起彷徨。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
俯視清水波、仰看明月光。

天漢廻西流、三五正縦横。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
願飛安得翼、欲済河無梁。
向風長嘆息、断絶我中腸。

雑詩二首 其二
西北有浮雲、亭亭如車蓋。
惜哉時不遇、適與飄風會。
吹我東南行、行行至呉會。
呉會非我郷、安得久留滯。
棄置勿複陳、客子常畏人。



雑詩二首 其一
#1
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
広々と果てしないこの地に来て秋の夜長は愁いに沈むと辛い、そのうえすでに北風が猛烈に吹き始めて涼しさが肌に挿すようである。
展転不能寐、披衣起彷徨。
父の思いに憂いはつのり、寝らねぬままに寝返りをうつのである。こんどは、起きて上着を羽織り歩き廻るのである。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
しかしそれもさまよい歩くうち、忽ち時が久しく立っていることに気付く、知らぬ間に白露が私の衣裳を霑しているのである。
俯視清水波、仰看明月光。
そこにたたずみ、目をしたにむければ清らかな水と強い風によるさざ波を視るのであり、目を挙げれば仲秋の明月の光が蚊が気照らすのを見るのである。
#2
天漢廻西流、三五正縦横。
天の河は廻って、西の方に流れて行き季節は秋も深まってくる。あれだけよく見えていた天の川も星が三つ、五つとまさに日暮れの南北の流れはもう東西の流れになっている。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
それにしても秋の草虫の鳴く音は何と悲しいことであろうか、群を離れた一羽の鴈が独り南に翔けてとんでゆく。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
私の気持ちはとても沈んでいてずっと悲しい思いがさらに多くなるのである。絶えず南にむかって飛んでいる鴈のようには私に似て故郷を離れて南征しつづけているのだ。
願飛安得翼、欲済河無梁。
願うことなら飛んで帰りたいがどうしたら翼を手にいれられるのだろうということであり、河を渡ろうと思ってみたけれど橋が無いということだ。
向風長嘆息、断絶我中腸。

季節も変わりかけてきて北風が吹くようになり、故郷の方から吹く風に向って長い嘆息を吐くのである、そして私は心配のあまり腸が絶ち切れそうになるのである。


雑詩二首 其二
西北有浮雲、亭亭如車蓋。
それにしても都許都の方角が気になり見上げてみれば浮浪雲がうかんでいる。高い所にありまるでそこに車の蓋いから見られているかのようだ。
惜哉時不遇、適與飄風會。
惜しいこととおもうのはわたしは時の運が悪く、たまたま吹き起こったつむじ風のように父の威光に吹き飛ばされてしまうことがあるのだ。
吹我東南行、行行至呉會。
私に命が下って呉を攻めよと東南方向の行軍を続けるうち、とうとう呉・会稽の地まで攻め落とせということである。
呉會非我郷、安得久留滯。
しかし、呉・会稽は我々の故郷ではないのである。どうして長く攻め続けていることができようか。
棄置勿複陳、客子常畏人。
この事は聞かなかったことと捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうことはない。戦線を維持するものとして『論語』でいう「君子に三畏有り」で常に油断してはならないということだ。

#1
漫漫とするは秋の夜長【よなが】、烈烈とする北風の涼【りょう】。
展転として寐【い】ぬる能はず、衣を披【き】て起って彷徨す。
彷徨【ほうこう】忽【たちま】ち已に久しく、白露我が裳【しょう】を霑【うるお】す。
俯して清水の波を視て、仰ぎて明月の光を看る。
#2
天漢【あまのかわ】廻り西に流れ、三五【さんご】正に縦横たり。
草蟲【そうちゅう】鳴いて何ぞ悲しき、孤鴈獨り南に翔【かけ】る。
鬱鬱【うつうつ】として悲思多く、緜緜【めんめん】として故郷を思う。
飛ばんことを願へども安んぞ翼を得ん、済【わた】らんと欲するも河に梁無し。
風に向かい長く嘆息し、我が中腸を断絶す。



雑詩二首 其二
西北 浮雲有り、亭亭 車蓋の如し。
惜しい哉 時遇うことなく、適與するに飄風に會う。
我に吹くこと 東南行なり、行き行きて呉會に至る。
呉會 我が郷に非ず、安んぞ久しく留滯するを得ん。
棄置して複た陳ぶる勿れ、客子 人を畏るるを常とするなり。




『雑詩二首』 其二 現代語訳と訳註
(本文)
雑詩二首 其二
西北有浮雲、亭亭如車蓋。
惜哉時不遇、適與飄風會。
吹我東南行、行行至呉會。
呉會非我郷、安得久留滯。
棄置勿複陳、客子常畏人。


(下し文)
雑詩二首 其二
西北 浮雲有り、亭亭 車蓋の如し。
惜しい哉 時遇うことなく、適與するに飄風に會う。
我に吹くこと 東南行なり、行き行きて呉會に至る。
呉會 我が郷に非ず、安んぞ久しく留滯するを得ん。
棄置して複た陳ぶる勿れ、客子 人を畏るるを常とす


(現代語訳)
それにしても都許都の方角が気になり見上げてみれば浮浪雲がうかんでいる。高い所にありまるでそこに車の蓋いから見られているかのようだ。
惜しいこととおもうのはわたしは時の運が悪く、たまたま吹き起こったつむじ風のように父の威光に吹き飛ばされてしまうことがあるのだ。
私に命が下って呉を攻めよと東南方向の行軍を続けるうち、とうとう呉・会稽の地まで攻め落とせということである。
しかし、呉・会稽は我々の故郷ではないのである。どうして長く攻め続けていることができようか。
この事は聞かなかったことと捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうことはない。戦線を維持するものとして『論語』でいう「君子に三畏有り」で常に油断してはならないということだ。


(訳注) 雑詩二首 其二
西北有浮雲、亭亭如車蓋。

それにしても都許都の方角が気になり見上げてみれば浮浪雲がうかんでいる。高い所にありまるでそこに車の蓋いから見られているかのようだ。
・亭亭 高くそびえているさま。 
・車蓋 車の蓋い。父曹操の事が気になって父の馬車が来ていてそこから自分の様子を監視されているのかということ。


惜哉時不遇、適與飄風會。
惜しいこととおもうのはわたしは時の運が悪く、たまたま吹き起こったつむじ風のように父の威光に吹き飛ばされてしまうことがあるのだ。
・時不遇 適時が悪い。幸運にめぐりあわせなかった。
・適與 適与。たまたま。
・飄風 つむじ風。
・呉會 呉会。呉郡と会稽郡。現江蘇・浙江一帯。


吹我東南行、行行至呉會。
私に命が下って呉を攻めよと東南方向の行軍を続けるうち、とうとう呉・会稽の地まで攻め落とせということである。


呉會非我郷、安得久留滯。
しかし、呉・会稽は我々の故郷ではないのである。どうして長く攻め続けていることができようか。
・安 いずくんぞ。どうして~できようか。 
・留滯 滞在。ここでは自分の国魏から遠くなれば救援物資から何からして維持できるものではない。呉の孫権を懲らしめる程度でよいのではないかということ。


棄置勿複陳、客子常畏人。
この事は聞かなかったことと捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうことはない。戦線を維持するものとして『論語』でいう「君子に三畏有り」で常に油断してはならないということだ。
棄置勿複陳 捨て置かれよ、そのようなことに度とふたたびいうものではない。慣用句。
・客子 旅人。よそ者。普通の旅人ではなく戦線を戦うもの。
『論語•季氏篇』 孔子曰 君子有三畏。畏天命,畏大人,畏聖人之言。
こうして、父曹操は戦に大敗することも多くあったが、曹丕は負けないのである。

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雑詩二首(一) 曹丕(魏文帝)
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雑詩二首 其一
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
展転不能寐、披衣起彷徨。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
俯視清水波、仰看明月光。

天漢廻西流、三五正縦横。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
願飛安得翼、欲済河無梁。
向風長嘆息、断絶我中腸。

雑詩二首 其二
西北有浮雲、亭亭如車蓋。
惜哉時不遇、適與飄風會。
吹我東南行、行行至呉會。
呉會非我郷、安得久留滯。
棄置勿複陳、客子常畏人。



雑詩二首 其一
#1
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
広々と果てしないこの地に来て秋の夜長は愁いに沈むと辛い、そのうえすでに北風が猛烈に吹き始めて涼しさが肌に挿すようである。
展転不能寐、披衣起彷徨。
父の思いに憂いはつのり、寝らねぬままに寝返りをうつのである。こんどは、起きて上着を羽織り歩き廻るのである。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
しかしそれもさまよい歩くうち、忽ち時が久しく立っていることに気付く、知らぬ間に白露が私の衣裳を霑しているのである。
俯視清水波、仰看明月光。

そこにたたずみ、目をしたにむければ清らかな水と強い風によるさざ波を視るのであり、目を挙げれば仲秋の明月の光が蚊が気照らすのを見るのである。
#2
天漢廻西流、三五正縦横。
草蟲鳴何悲、孤鴈獨南翔。
鬱鬱多悲思、緜緜思故郷。
願飛安得翼、欲済河無梁。
向風長嘆息、断絶我中腸。
#1
漫漫とするは秋の夜長【よなが】、烈烈とする北風の涼【りょう】。
展転として寐【い】ぬる能はず、衣を披【き】て起って彷徨す。
彷徨【ほうこう】忽【たちま】ち已に久しく、白露我が裳【しょう】を霑【うるお】す。
俯して清水の波を視て、仰ぎて明月の光を看る。
#2

天漢【あまのかわ】廻り西に流れ、三五【さんご】正に縦横たり。
草蟲【そうちゅう】鳴いて何ぞ悲しき、孤鴈獨り南に翔【かけ】る。
鬱鬱【うつうつ】として悲思多く、緜緜【めんめん】として故郷を思う。
飛ばんことを願へども安んぞ翼を得ん、済【わた】らんと欲するも河に梁無し。
風に向かい長く嘆息し、我が中腸を断絶す。


『雑詩二首』 其一 現代語訳と訳註
(本文)

雑詩二首 其一
#1
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
展転不能寐、披衣起彷徨。
彷徨忽已久、白露霑我裳。
俯視清水波、仰看明月光。


(下し文)#1
漫漫とするは秋の夜長【よなが】、烈烈とする北風の涼【りょう】。
展転として寐【い】ぬる能はず、衣を披【き】て起って彷徨す。
彷徨【ほうこう】忽【たちま】ち已に久しく、白露我が裳【しょう】を霑【うるお】す。
俯して清水の波を視て、仰ぎて明月の光を看る。


(現代語訳)
広々と果てしないこの地に来て秋の夜長は愁いに沈むと辛い、そのうえすでに北風が猛烈に吹き始めて涼しさが肌に挿すようである。
父の思いに憂いはつのり、寝らねぬままに寝返りをうつのである。こんどは、起きて上着を羽織り歩き廻るのである。
しかしそれもさまよい歩くうち、忽ち時が久しく立っていることに気付く、知らぬ間に白露が私の衣裳を霑しているのである。
そこにたたずみ、目をしたにむければ清らかな水と強い風によるさざ波を視るのであり、目を挙げれば仲秋の明月の光が蚊が気照らすのを見るのである。


(訳注)
雑詩二首 其一
217年、正式に太子として指名される。この時、同母弟で五男の曹植と太子の座を争ったと言われている。本来なら、嫡男で長子である曹丕が後継者となるのが筋であるが、曹操が曹植を寵愛した為、「曹丕派」と「曹植派」に分かれたのである。実際には本人同士という訳でなく、その取り巻きによる権力争いと言った方が正確である。218年曹丕が呉を攻めている際、父魏王曹操が曹植を太子にするのではないかと憂愁の気持ちをこの詩に詠っているとされる。

#1
漫漫秋夜長、烈烈北風涼。
広々と果てしないこの地に来て秋の夜長は愁いに沈むと辛い、そのうえすでに北風が猛烈に吹き始めて涼しさが肌に挿すようである。
漫漫 広々と果てしないさま。
夜長 昼間の時間が急速に短くなって夜の火灯し時間が長くなる。夜の寂しさ、憂える気持ちを強調するもの。
烈烈 気迫・炎などの勢いがはげしいさま。


展転不能寐、披衣起彷徨。
父の思いに憂いはつのり、寝らねぬままに寝返りをうつのである。こんどは、起きて上着を羽織り歩き廻るのである。
展転 寝返りをうつことだが、この情景は女性が大生の寵愛が受けられずに眠れぬままに寝返りを繰り返す場合の語句であり、曹丕が父曹操に対して、女子が持つ気持ちと同じものであるということである。


彷徨忽已久、白露霑我裳。
しかしそれもさまよい歩くうち、忽ち時が久しく立っていることに気付く、知らぬ間に白露が私の衣裳を霑しているのである。


俯視清水波、仰看明月光。
そこにたたずみ、目をしたにむければ清らかな水と強い風によるさざ波を視るのであり、目を挙げれば仲秋の明月の光が蚊が気照らすのを見るのである。
明月 清らかに澄んだ月。仲秋の月。満月。
古詩十九首之第七首
明月皎夜光,促織鳴東壁。
玉衡指孟冬,眾星何歷歷。
白露沾野草,時節忽復易。
秋蟬鳴樹間,玄鳥逝安適。

古詩十九首之七 (7) 漢詩<94



古詩十九首之十七 漢の無名氏 (17) 漢詩<104


 

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