「出師の表」)とは、臣下が出陣する際に君主に奉る文書のことである。「出師」とは文字通り「師(=軍隊)を出す」ことであり、「表」とは公開される上奏文を指す。「出師表」自体は一般的な文書名であるが、歴史上、三国時代蜀の丞相であった諸葛亮が、皇帝劉禅に奏上したものが著名であり、特に述べられない場合、「出師表」とはこれを指す。
2013年7月30日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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前出師表1-1-1#1
臣亮言:先帝創業未半,而中道崩殂;
陛下の家臣である亮が申し上げます。 先帝(劉備)は、この国の基礎を作り始められてから、事業の道半ばにして、事業途中でほうぎょされました。
今天下三分,益州疲敝,此誠危急存亡之秋也。
今、天下は三国に分かれ鼎立しており、わが益州の地は疲れ果ててしまい、これは本当に危急存亡の時、まさしく冬を迎えようとしているのです。
然侍衛之臣,不懈於內;
そんな中では、まず、陛下(劉禅)の護衛をしている兵士たちは怠慢の気持ちを起こすことがあってはなりません。
忠志之士,忘身於外者:
そして、忠義心を抱く役人たちでかためること、外部の守りをするものは自分の身を忘れることである。
蓋追先帝之殊遇,欲報之於陛下也。
つまり、たいせつなのは、先帝(劉備)に特別の礼で接遇されたことを思い慕うこと、そして、その御恩を陛下に報いようとしなければならないと思うことであります。
誠宜開張聖聽,以光先帝遺德,恢弘志士之氣;
陛下が仁義、慈愛、道徳でもって心を広く開かれ、施政されることがもっともよろしいのです、偉大なる先の帝ののこされた徳につつまれていることなのです。そうすればわが国に尽くそうという志のある人々の心は広がってまいります。
不宜妄自菲薄,引喻失義,以塞忠諫之路也。
むやみに、自分の形成されていない力であることを、昔のたとえを引用して教条主義的施政を行えば主君と家臣の筋道をなくしてしまいます、まずもって陛下は家臣たちが真心を持って陛下を諫める道をふさいではなりません。
1-1-2#2
宮中府中,俱為一體;
宮廷の中と役所の中の者たちは、ともに一体となること。
陟罰臧否,不宜異同:
功績によって官位を上昇させることであり、、罰による官位の下降させることであり、人物の善し悪しの判断については、人によって異なる点があってはならないということです。
若有作奸犯科,及為忠善者,宜付有司,
もし、やましいことや、悪事を行って法律を犯すこと、それに真心をもって善行をしたのだということになれば、役人に任じることにする。
論其刑賞,以昭陛下平明之治;
その刑罰と功績による褒美を与えることについて判断をさせるときには、陛下の公平で明らかな道理をはっきりとさせることによって判断をさせることにするのです。
不宜偏私,使內外異法也。
そのときには特定の人をえこひいきしたりして、国内・国外の法を曲げないようにすることです。
侍中、侍郎郭攸之、費依、董允等,此皆良實,志慮忠純,是以先帝簡拔以遺陛下:
陛下に政務のことを申し上げる侍中(じちゅう)や役所の次官(じかん)である侍郞(じろう)の郭攸之(かくゆうし)や、費禕(ひい)や、董允(とういん)らは、彼らは皆な善良で実直であり、その志は真心があって素直であり、そのことを見抜かれた先の帝によって多くの者たちから選び出されて、そして陛下のためにのこされたのです。
愚以為宮中之事,事無大小,
彼等に任じて宮中の仕事をすすめていき、仕事の大小の差をつけないこと。
悉以咨之,然後施行,
すべて彼等に相談をすること。そういうことしたうえで実施すること。
必得裨補闕漏,有所廣益。
必ずよく手落ちとなっている部分を助けて補うこと。そうすれば、利益になるところが大きいのです。
1-1-3#3
將軍向寵,性行淑均,
将軍の向寵(こうちょう)は、性質と行いは穏やかで公平である。
曉暢軍事,試用之於昔日,
軍事に関する道理に通じており、すこし前のこと、彼を試みに用いています。
先帝稱之曰“能”,是以眾議舉寵為督:
先帝(劉備)は彼を賞賛して能力のある人と仰せられています。このことで、衆人して議論により、彼を軍の指揮官としたのです。
愚以為營中之事,事無大小,
まず、わが身を愚として、彼に経営・軍事上のことを任せること。それは事の大小を問わずということです。
悉以咨之,必能使行陣和穆,優劣得所也。
すべてのことをよく相談するのです。かれは、必ずよく軍・部隊をうち解けさせて、その個々人の優劣を見極め、能力にあった役割を与えてくれるのです。
親賢臣,遠小人,此先漢所以興隆也;
才能や仁徳にすぐれた家臣に親しんで、人格の劣ったくだらない者たちを遠ざけるのは、これは前漢という国が盛えた所以なのです。
親小人,遠賢臣,此後漢所以傾頹也。
一方で小人という人格の劣ったくだらない者たちと親しんで、賢臣という才能や人格にすぐれた家臣たちを遠ざけるのは、これは後漢末期に、國が衰えてしまった理由なのです。
1-1-4#4
先帝在時,每與臣論此事,
先帝(劉備)がご存命の時、常に私と次の事を議論している。
未嘗不嘆息痛恨於桓、靈也!
まず、後漢の国家を衰えさせ痛恨の極みである桓帝と霊帝の時代を嘆いていた。
侍中、尚書、長史、參軍,此悉貞亮死節之臣也,
侍中や、中央官庁の長官である尚書や、宰相の次官である長史や、軍の相談に当たる役人の参軍の者たちは、彼等はすべて志がまっすぐですぐれたもの、大義のためには命を惜しまない家臣たちを配する事である。
願陛下親之、信之,則漢室之隆,可計日而待也。
陛下にはその者たちと親しまれ、信頼されること。それによって漢の王室が栄えること。日々計画的にすること、そうしてその結果を待つようにすることを願うのです。
1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。
1-2-1 #5
臣本布衣,躬耕南陽,
臣下の私は元々庶民の身分で、南陽で自分で田畑を耕していました。
苟全性命於亂世,不求聞達於諸侯。
僭越ではありますが何とか乱世のなかで生きがいを見出すことであり、諸侯におかれればよくて、それ以上の出世をすることを求めることはないのです。
先帝不以臣卑鄙,猥自枉屈,
先帝(劉備)は私を下品な田舎ものとして取り扱うことされなかった、ご自身をへりくだって来訪を重ねられたのです。
三顧臣於草廬之中,諮臣以當世之事,
三顧の礼をもって私の粗末な草葺きの庵の中をおとずれられ、私に今の世の中のことを相談なされた。
由是感激,遂許先帝以驅馳。
このことによって私は感激し、ついには先帝のために駆け回って尽くすことを許されたのです。
後值傾覆,受任於敗軍之際,
後には国家の滅亡に遭遇するし、任務の軍が敗れる時期を受けることになる。
奉命於危難之間:爾來二十有一年矣。
危機存亡の期間に遭うたびに命令を謹んで承り、それ以来これまでもう二十一年になります。
先帝知臣謹慎,故臨崩寄臣以大事也。
先帝は私の行いが慎み深いことを承知されておられ、それによりまして先帝が崩御なされたときに、私に国家の重大な仕事を任せられたのです。
1-2-2#6
受命以來,夙夜憂慮,
私はそのご命令を受けて以来、朝早くから夜遅くまで、思い悩んでおります。
恐付託不效,以傷先帝之明;
人に頼むことによって成果を出すことが出来ないことをいつも恐れ、それが先帝の道理の明るさを傷つけてしまうのではないかということを恐れておるのです。
故五月渡瀘,深入不毛。
そこで五月に瀘水を渡って、作物が十分に育たないといわれた土地の中へと深く入っていくのです。
今南方已定,甲兵已足,
現在は南方はすでに平定しましたが、武器とよろいかぶと兵力はすでに十分にそろっております。
當獎帥三軍,北定中原,
今こそ大軍を統率して北にある天下の中央部である中原を平定する北伐をせねばならないのです。
庶竭駑鈍,攘除奸兇,
皆でその鈍い才能のかぎりを尽くして、魏の悪者たちを払い除くのです。
興復漢室,還於舊都:
漢の王室を元通りに復興することです。都を昔の都に戻すことです。
此臣所以報先帝而忠陛下之職分也。
家臣を集め、そして先帝の御霊にそのはたらきを報告するのです。
至於斟酌損益,進盡忠言,
そして北伐の損益・功績をさしはかり、忠誠信に基づいた発言の限りを進言させます。
則攸之、依、允等之任也。
すなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれを任せるのです。
1-2-3 #7
願陛下托臣以討賊興復之效,
願わくば陛下は託された臣下は託されたことで北伐で魏の賊を討ち、元通りに復興させるのに役割を果たす。
不效則治臣之罪,以告先帝之靈;
元通りに復興させる役割を果たせないときにはこれは罪で私をはじめとする臣下の者に問い、以て先帝の霊に報告をさせるのです。
若無興復之言,則責攸之、依、允等之咎,
もし、漢を元通りに復興させなければ、すなわちすなわち、郭攸之、費禕、董允など四相にこれをとがめることにするのです。
以彰其慢。陛下亦宜自謀,
そして彼等の怠慢を明らかに致します。陛下もまたご自身で調べられることです。
以諮諏善道,察納雅言,深追先帝遺詔。
そして臣下に意見を求めて相談して正しい方向へ導き、良い言葉を聞き入れて、深く先の帝のご臨終の時のお言葉を思い出していただきたいのです。
臣不勝受恩感激!今當遠離,
私は陛下の御恩を受けて感激をこらえることができません。今、私は任務を受けて陛下の元を遠く離れるのです。
臨表涕泣,不知所云。
此れだけの心意を申し上たことで涙を流しっぱなしで、何を言うべきかわからないほどです。
1-1-1#1
臣の亮言わく:先帝、業を創【はじ】めて未だ半ばならずして中道にして崩殂し、
今の天下は参に分かたれ、益州【えきしゅう】は疲弊し、此れ誠の危急存亡の秋なり。然るに侍衛【じえい】の臣は内に懈【おこた】らず、忠志【ちゅうし】の士は身を外に忘るるは、蓋し先帝の殊遇【しゅぐう】を追うて、之を陛下に報いんと欲すればなり。誠に宜しく聖徳【せいとく】を開張【かいちょう】するに、光【おお】いなる先帝の遺徳【いとく】を以てすべく、志士【しし】の気を恢弘【かいこう】し、妄りに菲薄【ひはく】に自【よ】りて、喩えを引きて義を失うて、以て忠諫【ちゅうかん】の路を塞ぐべからざるなり。
1-1-2#2
宮中・府中は俱に一体となり、
陟罰【ちょくばつ】・臧否【ぞうひ】、宜しく異同あるべからず。
若し奸を作して科を犯して忠善【ちゅうぜん】を為すに及びては、宜しく有司【ゆうし】に付して
其の刑賞を論ずるに、陛下の平明の理を昭【あき】らかにするを以てし、
宜しく偏私【へんし】して、内外の法を異ならしむべからず。
侍中【じちゅう】﹑侍郎【じろう】の郭攸之【かくゆうし】﹑費禕【ひい】﹑董允【とういん】らは、此れ皆な良実【りょうじつ】にして、志慮【しりょ】は忠純【ちゅうじゅん】にして、是を以て先帝は簡抜【かんばつ】して以て陛下に遺す。
愚は以て宮中の事を為し、事に大小 無く、
悉く之に咨(はか)るを以て、然る後に施行され、
必ず能く闕漏(けつろう)を裨補(ひほ)して、広く益する所有り。
1-1-3#3
将軍の向寵【こうちょう】は、性行は淑均【しゅっきん】にす、
軍事に暁暢【ぎょうちょう】し、試みに昔日に用いる、
先帝は之を称して能と曰【い】い、是を以て衆議は寵を挙げて督と為す。
愚は以て営中【えいちゅう】の事を為し、事は大小無し。
悉く之に咨るを以て、必ず能く行陳【こうじん】して和睦し、優劣の所を得しむ。
賢臣に親しみて、小人を遠ざくるは、此れ先の漢の興隆せし所以なり;
小人に親しみ、賢臣を遠ざくるは、此れ後漢の傾頽【けいたい】せし所以なり。
1-1-4#4
先帝の在時、毎に臣と此の事を論じ、
未だ嘗て歎息して桓﹑霊を痛恨せざることあらざるなり。
侍中【じちゅう】、文書の発行をつかさどる尚書【しょうしょ】や、長史【ちょうし】﹑参軍【さんぐん】は、此れ悉く貞良 死節の臣にして、
願わくは陛下は之に親しみ之を信じ、則ち漢室の隆【さかん】なるを、日に計りて待つべきなり。
1-1-5#5
臣は本と布衣【ふい】にして、南陽に躬耕【きゅうこう】し、
苟【いやし】くも性命を乱世に全うし、諸侯に聞達【ぶんたつ】せらるるを求めず。
先帝は臣を以て卑鄙【ひひ】とせず、猥【みだ】りに自ら枉屈(おうくつ)し、
参【み】たび臣を草廬の中に顧みて、臣に諮【はか】るに当世の事を以てす。
是に由りて感激し、遂【つい】に先帝に以て駆馳【くち】を許さる。
後に傾覆に値【あ】い、任を敗軍の際に受けて、
命を危難の間に奉り、爾来【じらい】二十有一年なり。
先帝は臣の謹慎なるを知りて、故に崩に臨みて臣に寄するに大事を以てするなり。
1-1-6#6
命を受けて以来、夙夜【しゅくや】に憂歎【ゆうたん】し、託付【たくふ】して效【こう】あらずして、以て先帝の明を傷つくるを恐れ、
故に五月に瀘【ろ】に渡り、深く不毛に入る。
今は南方は已に定まり、兵甲は已に足り、
当に奨めて参軍を率い、北に中原を定めて、
庶【ことごと】く駑鈍【どどん】を竭【つく】し、姦凶【かんきょう】を攘【はら】い除き、
漢室を興復【こうふく】し、旧都に還らんとすべし。此れ臣の先帝に報いて、陛下の職分に忠なる所以なり。損益を斟酌するに至り、進んで忠言を尽し、則ち攸之﹑禕﹑允の任なり。
1-1-7#7
願わくは陛下の臣に託するに討賊【とうぞく】興復の效【こう】を以てせんことを;
效あらざれば、則ち臣の罪を治めて、以て先帝の霊に告げん。
若【も】し徳を興すの言 無くば、則ち攸之﹑依﹑允等の咎を責め、以て其の慢を彰らかにせん。
陛下は亦た宜しく自ら課して、以て善道を諮諏【ししゅ】し、
雅言【がげん】を察納【さつのう】し、深く先帝の遺詔(いしょう)を追うべし。
臣は恩を受けて感激に勝えず、今、遠離に当たりて、
表に臨みて涕泣【ていきゅう】し、云【い】う所を知らず。
後出師表 #1
亮曰:「大軍在祁山﹑箕谷、
亮が以下のように申し上げる。「大軍は祁山と箕谷にあります。
皆多於賊、而不能破賊為賊所破者、
そのどちらも魏の賊軍が多くおるのです。ところが、我々がその賊軍を破ることができなくて反対に賊軍に打ち破られている現状なのです。
則此病不在兵少也、在一人耳。
つまりこの苦しい状況は我々の兵の数が少ないからではなく、その敗北の戦略責任はわたくし、ただ一人にあるのです。
今欲減兵省将、明罰思過、校変通之道於将来;
今はまず、兵の数を減らして将軍の数を少なくすること、刑罰を明らかにして間違ったところについて明らかにすること、それから、事態に臨機応変に対処する方策を立てるためにいろんなことを引きあわせて調べることに致すことなのです。
若不能然者、雖兵多何益!
もしそうすることができなければ、我々の兵の数が多くても何の利益があるというのでしょうか。
自今已後、諸有忠慮於国、但勤攻吾之闕、
こから後は、もろもろの事態に忠臣愛国、真心を維持し国をおもう、ひたすらに私のこれまでの過失を責めることに励みます。
則事可定、賊可死、功可蹻足而待矣」
そうすれば万事定まって、賊は死ぬことになるでしょう。功績はつま先立ちをするように期待をして待つことができます」と。
#2
於是考微労、甄烈壮、
これからは微に入り細に入って苦労することをおしまず、勇ましく激しい兵士を育てるのです。
引咎責躬、布所失於天下、
責任の所在をはっきりさせ、信賞必罰にします。そして、天下の人にも過失のあるところを公明正大にします。
厲兵講武、以為後図、
それには兵士たちを鍛えて武術を鍛錬させる、まずそんな風に将来の計画をたてます。
戎士簡練、民忘其敗矣。
兵士たちは選び出されて鍛えてゆき、民衆は前に戦に負けたことも忘れるほどになる。
亮聞孫権破曹休、魏兵東下、関中虚弱。
私、亮は以下を把握しています、それは“呉の孫権が魏の曹休を破り、魏の兵は東に下がって、関中地方での勢力が弱まっている”のです。
#3
十一月、上言曰:
そこで十一月になったので、主君(劉禅)に以下のように申し上げる。
「先帝慮漢﹑賊不両立、
「先帝(劉備)は漢の再興に配慮されて、賊(魏)に並び立ってはいけないと思っておられた。
王業不偏安、故託臣以討賊也。
それに天下を治めるための事業は安定している状況とは言えなく、それゆえ、先帝は家臣の私に後のこと、賊討伐を託されたのです。
以先帝之明、量臣之才、
先帝の明晰な知恵によって、家臣の才能を推量なされた。
故知臣伐賊才弱敵強也;
魏という敵が強いことを理解しておられ、賊を征伐するには家臣の才能が乏しいと思っておられた。そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。
然不伐賊、王業亦亡、
だからといって賊を討伐てず、それによって天下統一して治めることも失ってしまうことはできない。
惟坐待亡、孰与伐之?
ただ目の前の状況をそのままにして自分が滅びるのを待つようであれば、一体誰が賊を討伐できるのだろうか?
是故託臣而弗疑也。
そう思われたからこそ先帝は、家臣の私に後のことを託して疑うことはなかったのです。
#4
臣受命之日、寝不安席、
家臣としてその命令を受けた日は、寝るのに寝床に安心して居ることはできませんでした。
食不甘味、思惟北征、
食事をするときもその味をあじわくこともできませんし、ただ、私の気持ちは魏を討つ北征にあるだけでした。
宜先入南、故五月渡瀘、
そのためにはまず南方を平定しなければいけないのです。ゆえに五月に瀘水渡り攻め込むことにしたのです。
深入不毛、并日而食。
土地の性質が悪く農作物も十分に育たないような土地に深く入り込んで、二日に一度食事を取るほどの苦心をしたのです。
臣非不自惜也、顧王業不得偏全於蜀都、
家臣の私はその苦しみを自ら惜しいと思わないわけではないのです。天下統一を治めることを常に考えてこの蜀の都を他の二国に比較して劣ることのない状態に保つことはできていない現状なのです。
故冒危難以奉先帝之遺意也、而議者謂為非計。
ゆえに危険を冒してでも先帝が私に託されたご意思を大切にして万事を行っているのです。しかしあれこれと文句をつける者たちはこれを良いはかりごとではないと言っているのです。
今賊適疲於西、又務於東、
現在、賊軍は西のまもりをするのに疲弊しており、その状態でまた呉対策の東に備えているのです。
兵法乘労、此進趨之時也。
謹陳其事如左:
謹んで陛下にそのことを左記(以下)の通り陳述いたします。
高帝明並日月、謀臣淵深、
高帝(漢の高祖=劉邦)は、明晰な知恵はまるで太陽や月のようであり、智謀のたくみな部下たちは奥深い知恵を備えていた。
然渉険被創、危然後安。
それでいても危険なところを進んでいって傷を受けたのに、その危険な状況が後には安全なものになっていくのです。
今陛下未及高帝、謀臣不如良﹑平、
そこで今段階、陛下はいまだ劉邦には及びはしない。はかりごとをする部下たちも劉邦の有名な参謀である張良(ちょうりょう)や陳平(ちんぺい)にはとても及びません。
而欲以長計取勝、坐定天下、
そうであるにもかかわらず、すぐれた計画を立てること、計略して勝利をなしとげたいとだけなのである。何もせずに天下を平定しようとされているとおもわれるのです。
此臣之未解一也。
これは臣下である私がいまだ理解していないことの一点目です。
99-#6
劉繇﹑王朗各拠州郡、
御存じの様に、後漢末期、長江下流域の江東を治めていた劉繇や王朗はそれぞれ州や郡に拠点を構えていた。
論安言計、動引聖人、
国を安定させることを論じてそのためのはかりごとのことを言い、行動指針は聖人の言葉を引いていた。
群疑満腹、衆難塞胸、
多くの疑義に満腹状態になり、多くの苦難に心をふさがれてしまって、江東に新たに勢力を伸ばしてきたのが孫策(孫権の兄そんさく)である。
今歳不戦、明年不征、
孫策という新勢力に対し今年には戦わず、次の年には征伐をすることもしない。
使孫策坐大、遂并江東、
そんな状況だから孫策の勢力はひとりでに大きくなってきて、ついには孫策に江東を併合されてしまったのです。
此臣之未解二也。
これは臣下の私がいまだ理解していない二点目です。2-2-3#7
曹操智計,殊絕於人,其用兵也,
曹操の知力と計略は、すぐれていて他の人たちとは全く違い、その兵法を用いることにある。
仿怫孫、吳,然困於南陽,
まるで兵法の書物でも有名な孫子(そんし)や呉子(ごし)を思わせるほどのものです。そうであるにもかかわらず、南陽の地で苦しめられた。
險於烏巢,危於祁連,
烏巣(うそう)では危険であったし、祁連(きれん)山でも危うい状況であった。
逼於黎陽,幾敗北山,
黎陽(れいよう)の地では敵に迫られて、北山では何度も敗北したのだ。
殆死潼關,然後偽定一時耳;
潼関では全軍ほとんど全滅状態なり、その後にやっと一時の見せかけ安定状態に持ちこたえたのです。
況臣才弱,而欲以不危而定之:
ましてや陛下の臣下である私の才能は乏しいのですから、それなのに危険を冒さずに国を安定させようとすることなどできるはずがないのです。
此臣之未解三也。
これは臣下の私がいまだに理解していないことの三点目です。
2-2-4#8
曹操五攻昌霸不下,四越巢湖不成,
曹操は五回も昌霸を攻めましたが攻め落とすことはできず、四回も巣湖(そうこ)を越えても覇業をなし遂げることはできなかった。
任用李服而李服圖之,委任夏侯而夏侯敗亡,
そこで李服を用いてはかりごとを立案し、夏侯淵将軍に任せたが、戦いに敗れてしまった。
先帝每稱操為能,猶有此失;
それでも先帝は常に曹操を有能な人物だと賞賛しておられた。そしてこの有能な人物を失ってはいけないと考えられていたのです。
況臣弩下,何能必勝:
しかし、先帝があれほど賞賛された曹操までがこんな様子なのですから、ましてや才能に乏しい私などは、どうして必勝することができると言えましょうか。
此臣之未解四也。
これは臣下の私がいまだ理解していない四点目です。
#9
自臣到漢中、中間期年耳、
私が漢中に行きましてから、ただ半年が経っただけであります。
然喪趙雲、陽群、馬玉、閻芝、丁立、白壽、劉郃、鄧銅等及曲長屯将七十餘人、突将無前。
それなのに趙雲・陽群(ようい)・馬玉・閻芝(えんし)・丁立(ていりつ)・白壽(はくじゅ)・劉郃(りゅうこう)、鄧銅(とうどう)という部下たちや、その下の曲長・屯将(とんしょう)の地位にある者たちの七十数名を失うだけでなく、先頭で突撃していく将軍はいなくなってしまいました。
賨﹑叟﹑青羌散騎﹑武騎一千餘人、
賨叟(そうそう)・青羌(せいきょう)といった異民族の兵や陛下のそば近くに使える騎士やその他の勇敢な騎士千人余りを失ったのです。
此皆数十年之内所糾合四方之精鋭、非一州之所有、
この者たちは皆、数十年の間に四方の各地にいた精鋭たちを寄せ集めたもので、一つの州の人員だけで構成されているわけではないのです。
若復数年、則損参分之二也、
もしこの先数年も同じような状況を重ねるのであれば、さらに三分の二を失うこととおもわれます。
当何以図敵?
そうなればどうやって敵にはかりごとを行うことができるでしょうか。
此臣之未解五也。
これは臣下の私がいまだ理解していない五点目です。
#10
今民窮兵疲,而事不可息;
今、民衆は生活に苦しく、兵は疲労してしまっておりますが、それでも有事は休むことなく必ずやって来るのです。
事不可息,則住與行,勞費正等;
その有事が休むことなくやって来る状況であれば、その場に止まるにしても先に行くにしても、そのための労働と、そのための費えは常に等しいのです。
而不及今圖之,欲以一州之地,與賊持久:
しかしながら今はこのことに対してはきちんとした計画を立てることができていないで、賊に一つの州を与えることで持久できているのです。
此臣之未解六也。
これは臣下の私がいまだ理解していない六点目です。
#1
亮曰く、「大軍は祁山【きざん】・箕谷【きこく】に在りて、
皆な賊多し、而るに賊を破る能わずして賊の破る所となるのは、
則ち此の病は兵の少なきにあらず、一人に在るのみ。
今、兵を減じ将を省かんとして、罰を明らかにし過ちを思い、変通【へんつう】の道を将来に校【くら】ぶ;
若【も】し然る能わざれば、兵の多きと雖も何の益かあらん。
今より已後【いご】、諸【もろも】ろを忠に国を慮【おもんばか】ること有りて、但だ吾の闕【けつ】を攻めることを勤めば、
則ち事は定まるべくして、賊は死すべし、功は足を蹻【あ】げて待つべし」と。
#2
是に於て微に労を考え、烈壮【れっそう】を甄【そだ】て、
引咎【いんきゅう】して躬【み】を責め、天下に失うところを布【の】べ、
兵を厲【みが】き武を講じて、以て後図【こうと】を為し、
戎士【じゅうし】は簡練【かんれん】し、民は其の敗るるを忘る。
亮は孫権の曹休を破り、魏の兵は東に下り、関中は虚弱たるを聞けり。
#3
十一月、上言して曰く、
「先帝は漢を慮【おもんぱか】り﹑賊に両立せず、
王業は偏【ひとえ】には安からず、故に臣に託して以て賊を討たんとするなり。
先帝の明を以て、臣の才を量れば、
故に臣の賊を伐つに才の弱く敵の強きを知るなり。
然るに賊を伐たず、王業も亦た亡び、
惟だ坐して亡ぶるを待つ、孰【いずれ】か与【とも】に之を伐たん?
是の故に臣に託して疑わざるなり。
#4
臣の命を受くるの日、寝ても席に安んぜず、
食べても味を甘しとせず、思は惟【た】だ北征にあるのみ。宜しく先んじて南に入るべし、
故に五月に瀘【ろ】を渡り、深く不毛に入り、
日を并【あわ】せて食らう。
臣は自ら惜まざるに非ざるなり、王業を顧みて偏に蜀都【しょくと】を全【まっと】うするを得ず、
故に危難を冒して以て先帝の遺意【いい】を奉ずるなり、而れども議する者は非計を為すと謂う。
今、賊は適きて西に疲れ、又た東に務む、
兵法は労するに乗ず、此れ進趨の時なり。
#-5
謹んで其の事を陳【の】ぶれば左の如し:
高帝【こうてい】の明なるは日月に並び、謀臣【ぼうしん】は淵深【しんえん】なり、
然れども険【けん】を渉【わた】りて創【きず】を被【こうむ】り、危くして然る後に安し。
今の陛下は未だ高帝に及ばず、謀臣は良・平に如かず、
而れども長計【ちょうけい】を以て勝を計り、坐して天下を定めんと欲するは、此れ臣の未だ解せざるの一なり。
#-6
劉繇【りゅうよう】・王朗は各【おのお)の州郡に拠りて、
安きを論じて計を言い、動くに聖人を引くも、
群疑【ぐんぎ】は腹を満たし、衆難【しゅうなん】は胸を塞【ふさ】ぎ、
今歳【こんさい】にして戦わず、明年にして征せず、
孫策【そんさく】をして坐【いながら】に大ならしめて、遂に江東を并【あわ】さる、
此れ臣の未だ解せざるの二なり。
#7
曹操の智計【ちけい】は殊【こと】に人に絶し、其の兵を用いるや、
孫・呉を髣彿【ほうふつ】とさせる、然るに南陽に困しみ、
烏巣【うそう】に険しく、祁連【きれん】に危うく、
黎陽【れいよう】に偪【せま】られ、幾たびも北山【ほくざん】に敗れ、
殆【ほと】んど潼関に死し、然る後に偽りて一時を定むるのみ、
況んや臣の才の弱く、而して以て危うからずして之を定めんと欲するにおいてをや。
此れ臣の未だ解せざるの参【さん】なり。
#8
曹操は五たび昌霸【しょうは】を攻めて下せず、四たび巣湖【そうこ】を越ゆるも成らず、
李服【りふく】を任用して李服は之を図り、夏侯に委ねて夏侯は敗亡す。
先帝は毎に操【そう】を称して能と為すこと、猶お此を失うこと有るがごとし。
況んや臣の駑下【どか】なるにおいてをや。何ぞ必勝を能くせん?
此れ臣の未だ解せざるの四なり。
#9
臣の漢中に到りてより、中間にして期年するのみにて、
然るに趙雲【ちょううん】・陽群【ようい】・馬玉・閻芝【えんし】・丁立【ていりつ】・白壽【はくじゅ】・劉郃【りゅうこう】、鄧銅【とうどう】ら及び曲長【きょくちょう】・屯将の七十餘人を喪い、突将は前に無し。
賨叟【そうそう】・青羌【せいきょう】・散騎【さんき】・武騎一千餘人を喪い、
此れ皆な数十年の内に四方の精鋭を糾合【きゅうごう】せし所にして、一州の有する所に非ず、
若し数年を復【ふたた】びすれば、則ち参分の二を損するなり、
当に何を以て敵に図すべきや?
此れ臣の未だ解せざるの五なり。
#10
今、民は窮して兵は疲れ、而るに事は息むべからず。
事は息むべからずして、則ち住【とど】まると行くと労するも費やすも正に等し。
而れども今は之を図るに及ばず、一州の地を以て賊に与えて持久す、