漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

文選 祖餞

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

送應氏二首 其二 曹植 魏詩<32-2>文選 祖餞 665 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1877

送應氏二首 其二 曹植 魏詩

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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送應氏二首 其二 曹植 魏詩<32-2>文選 祖餞 665 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1877


其二
清時難屢得,嘉會不可常。
太平の時世というものがたびたびあるということはむつかしいしいものだ、友との心嬉しい会合も、何時も持てるとは限らない。
天地中無極,人命若朝霜。
天地山河は悠久で終わりがあることはない、人のいのちはまことに朝におく霜のようなはかないものだ。
願得展嬿婉,我友之朔方。
できることならこのような親愛の情をほしいままにできる機会をいつも持ちたいものだ、こういう中でわが友は北の方に旅立っていくのである。
親昵並集送,置酒此河陽。

ここで親しい仲間が集まってみなでおくろうとしている。ここの黄河の北でもって酒を酌み交わす別れの宴をしている。

中饋起獨薄?賓飲不盡觴。
送別の宴に供する酒食の量が乏しいとか少ないというわけではないのだが、主人公の君の杯がどうやらすすまないようだ。
愛至望苦深,豈不愧中腸?
君に対する親愛の情の大きさを考えれば私の助力に期待を寄せることも当然のことだ。どういうわけか今回はうまくいかなかった。無力な自分を情けなく思っているところだ。
山川阻且遠,別促會日長。
これからお互いは、険しい山河で隔てられ遠いものとなる。別れの時は迫ってくる。再び会うことができるのは遠い先のことになる。
願為比翼鳥,施翮起高翔!
願うことは「比翼鳥」になって、このまま離れずに並び飛びたいとおもっている。そして、翼を広げ大空高く翔けゆきたいとおもうのだ!


其二
清時【せいじ】屡【しばし】ば得難く、嘉会常にはす可からず。
天地終極無く、人命朝の霜の若し。
願わくは 嬿婉【えんえん】を展【の】ぶるを得ん、我が友朔方【さくほう】に之く。
親昵【しんじつ】並び集いて送り、酒を此の河陽に置く。
中饋【ちゅうさ】は豈に独り薄からんや、賓は飲むに 觴【さかずき】を尽くさず。
愛至りて望み苦【はなは】だ深し、豈に中腸に愧じざらんや。
山川阻たり且つ遠く、別れ促【せま】りて会日【かいじつ】長し。
願わくは 比翼の鳥と為り、翮【つばさ】を施【の】べ起ちて高く翔【か】けらん。


『送應氏二首 其二』 曹植 現代語訳と訳註
(本文) 其二
中饋起獨薄?賓飲不盡觴。
愛至望苦深,豈不愧中腸?
山川阻且遠,別促會日長。
願為比翼鳥,施翮起高翔!


(下し文)
中饋【ちゅうさ】は豈に独り薄からんや、賓は飲むに 觴【さかずき】を尽くさず。
愛至りて望み苦【はなは】だ深し、豈に中腸に愧じざらんや。
山川阻たり且つ遠く、別れ促【せま】りて会日【かいじつ】長し。
願わくは 比翼の鳥と為り、翮【つばさ】を施【の】べ起ちて高く翔【か】けらん。


(現代語訳)
送別の宴に供する酒食の量が乏しいとか少ないというわけではないのだが、主人公の君の杯がどうやらすすまないようだ。
君に対する親愛の情の大きさを考えれば私の助力に期待を寄せることも当然のことだ。どういうわけか今回はうまくいかなかった。無力な自分を情けなく思っているところだ。
これからお互いは、険しい山河で隔てられ遠いものとなる。別れの時は迫ってくる。再び会うことができるのは遠い先のことになる。
願うことは「比翼鳥」になって、このまま離れずに並び飛びたいとおもっている。そして、翼を広げ大空高く翔けゆきたいとおもうのだ!


(訳注)
中饋起獨薄?賓飲不盡觴。

送別の宴に供する酒食の量が乏しいとか少ないというわけではないのだが、主人公の君の杯がどうやらすすまないようだ。
○中饋 餞とは目上の者に食物をすすめることで、古来、女性の職分として男性に勧めることをいう。「周易」家人に見える。ここでは送別の宴に供する酒食のこと。
 

愛至望苦深,豈不愧中腸?
君に対する親愛の情の大きさを考えれば私の助力に期待を寄せることも当然のことだ。どういうわけか今回はうまくいかなかった。無力な自分を情けなく思っているところだ。
愛至望苦深 「漢書」、杜鄴傳に「愛至りてはその求むるや詳かなり。」と見える。望は期待するのぞみ。苦は非常に。恐らく曹植は応氏から、北方へ出張せよとの命令を取消すべき斡旋を依頼されたのだろうが、それが果せなかったのを、恥じて言ったもの。
○中腸 腹中、心中。


山川阻且遠,別促會日長。
これからお互いは、険しい山河で隔てられ遠いものとなる。別れの時は迫ってくる。再び会うことができるのは遠い先のことになる。


願為比翼鳥,施翮起高翔!
願うことは「比翼鳥」になって、このまま離れずに並び飛びたいとおもっている。そして、翼を広げ大空高く翔けゆきたいとおもうのだ
○比翼鳥 常に二羽並んで飛ぶ仲のよい鳥。逆にいうと二羽そろわないと飛べないわけで、そのことが男女の仲の睦まじさをあらわす喩えにもなっている。『山海経』「海外南経」によれば、青赤色の身体で、2羽で翼がそろって飛ぶという鳥。 フウチョウ科の鳥。全長18センチくらい。雄は背面が赤く、胸のわきに扇形の緑色の飾り羽をもち、尾は中央羽根が線状で著しく長い。雌は全体に茶褐色。
○施 のばす。
○翮 はねのくき。
二羽のゆりかもめ

送應氏二首 其二 曹植 魏詩<32>文選 祖餞 664 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1873

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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送應氏二首 其二 曹植 魏詩<32>文選 祖餞 664 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1873


其二
清時難屢得,嘉會不可常。
太平の時世というものがたびたびあるということはむつかしいしいものだ、友との心嬉しい会合も、何時も持てるとは限らない。
天地中無極,人命若朝霜。
天地山河は悠久で終わりがあることはない、人のいのちはまことに朝におく霜のようなはかないものだ。
願得展嬿婉,我友之朔方。
できることならこのような親愛の情をほしいままにできる機会をいつも持ちたいものだ、こういう中でわが友は北の方に旅立っていくのである。
親昵並集送,置酒此河陽。
ここで親しい仲間が集まってみなでおくろうとしている。ここの黄河の北でもって酒を酌み交わす別れの宴をしている。

中饋起獨薄?賓飲不盡觴。
愛至望苦深,豈不愧中腸?
山川阻且遠,別促會日長。
願為比翼鳥,施翮起高翔!

其二
清時【せいじ】屡【しばし】ば得難く、嘉会常にはす可からず。
天地終極無く、人命朝の霜の若し。
願わくは 嬿婉【えんえん】を展【の】ぶるを得ん、我が友朔方【さくほう】に之く。
親昵【しんじつ】並び集いて送り、酒を此の河陽に置く。

中饋【ちゅうさ】は豈に独り薄からんや、賓は飲むに 觴【さかずき】を尽くさず。
愛至りて望み苦【はなは】だ深し、豈に中腸に愧じざらんや。
山川阻たり且つ遠く、別れ促【せま】りて会日【かいじつ】長し。
願わくは 比翼の鳥と為り、翮【つばさ】を施【の】べ起ちて高く翔【か】けらん。

汜水関などの地図


『送應氏二首 其二』 曹植 現代語訳と訳註
(本文) 其二
清時難屢得,嘉會不可常。
天地中無極,人命若朝霜。
願得展嬿婉,我友之朔方。
親昵並集送,置酒此河陽。


(下し文) 其二
清時【せいじ】屡【しばし】ば得難く、嘉会常にはす可からず。
天地終極無く、人命朝の霜の若し。
願わくは 嬿婉【えんえん】を展【の】ぶるを得ん、我が友朔方【さくほう】に之く。
親昵【しんじつ】並び集いて送り、酒を此の河陽に置く。


(現代語訳)
太平の時世というものがたびたびあるということはむつかしいしいものだ、友との心嬉しい会合も、何時も持てるとは限らない。
天地山河は悠久で終わりがあることはない、人のいのちはまことに朝におく霜のようなはかないものだ。
できることならこのような親愛の情をほしいままにできる機会をいつも持ちたいものだ、こういう中でわが友は北の方に旅立っていくのである。
ここで親しい仲間が集まってみなでおくろうとしている。ここの黄河の北でもって酒を酌み交わす別れの宴をしている。


(訳注)
送應氏二首 其二

華やかな建安文学の中でも応瑒、応璩も中心的な存在であった。曹植のもとを去って、都に引き返す応瑒を送別するに当ってこの作品を作った。応瑒には『別詩二首』という作品が残っていて、この曹植の二首と呼応するところがあり、互いに作品を送りあって別れを惜しんだことがうかがえる。
建安七子に一人 )応瑒 (おうよう) ?~217   字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。
応璩(おうきょ) 190~252   字は休璉。汝南郡南頓の人。応瑒の弟にあたる。散騎常侍・侍中を経て、大将軍・曹爽の長史となった。時政を諷刺した「百一詩」は世上の評判を取った。嘉平二年(250)、再び侍中となった。


清時難屢得,嘉會不可常。
太平の時世というものがたびたびあるということはむつかしいしいものだ、友との心嬉しい会合も、何時も持てるとは限らない。
○晴時 太平の時世。
○嘉会 このましき会合。李陵の作と伝える「蘇武に与うる詩三首」其二に「嘉会再びは遇い難く、三載も千秋為り」と見える。


天地中無極,人命若朝霜。
天地山河は悠久で終わりがあることはない、人のいのちはまことに朝におく霜のようなはかないものだ。


願得展嬿婉,我友之朔方。
できることならこのような親愛の情をほしいままにできる機会をいつも持ちたいものだ、こういう中でわが友は北の方に旅立っていくのである。
○展嬿婉 親愛の情をほしいままにする。・嬿婉 おだやかなさま。好ましいさま。ここではたがいのなごやかな友情をさして言ったもの。「詩経」邶風、新台に「燕婉なるをこそ之れ求めしに」と見えるが、雜詩では「嬿婉」に作る。毛伝は「燕は安、婉は順なり」といい、韓説は「嬿婉は好ましき貌なり。」といぅ。
○朔方 通常は甘粛省北部をいうが、ここではひろく北方をさす。


親昵並集送,置酒此河陽。
ここで親しい仲間が集まってみなでおくろうとしている。ここの黄河の北でもって酒を酌み交わす別れの宴をしている。
親昵 親近の人たち。
○河陽 黄河の北の地。固有名詞と考えれば、河南の河陽県。
nat0022

送應氏二首 其一 曹植 魏詩<31-2>文選 祖餞 663 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1869



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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。


李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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送應氏二首 其一 曹植 魏詩<31-2>文選 祖餞 663 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1869


送應氏二首
其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
不見舊耆老,但睹新少年。

街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。

側足無行徑,荒疇不復田。
この焦土の洛陽の街はつま先立ちで歩かなければいけないほど行く路も踏み場もない。
遊子久不歸,不識陌與阡。
此れまで旅続きで久しく帰っていないので洛陽を訪れる君らはには道の東西さえ見分けられないほどなのだ。
中野何蕭條,千里無人煙。
此れでは野原の中に立つのであり、なんとしかことかこの蕭條と広がるこの地は。もう千里の彼方まで一筋の人の生活の煙がみえないのだ。
念我平常居,氣結不能言。
今私が君らかつて過ごした屋敷を思い出そうとしている、ところがこの有様を見ると、気持ちはふさがってしまい、言葉にすることもできない。

其の一
歩みて北芒の坂を登り、遙かに洛陽の山を望む。
洛陽何ぞ寂寞たる、宮室 尽【ことごと】く焼焚【しょうふん】す。
垣牆【えんしょう】皆頓【くず】れ擗【さ】け、荊棘【けいきょく】上って天に参わる。
旧耆老【きろう】を見ず、但だ新少年を覩【み】るのみ。
足を側【そばだ】つるに行径なく、荒疇【こうちゅう】復た田をせず。
遊子久しく帰らず、陌と阡とを識らざらん。
中野【ちゅうや】何ぞ蕭条【しょうじょう】たる、千里人煙無し。
我が平常の居を念い、気結ばれて言うこと能わず。

sas0010

『送應氏二首 其一』後半 現代語訳と訳註
(本文)

側足無行徑,荒疇不復田。
遊子久不歸,不識陌與阡。
中野何蕭條,千里無人煙。
念我平常居,氣結不能言。


(下し文)
足を側【そばだ】つるに行径なく、荒疇【こうちゅう】復た田をせず。
遊子久しく帰らず、陌と阡とを識らざらん。
中野【ちゅうや】何ぞ蕭条【しょうじょう】たる、千里人煙無し。
我が平常の居を念い、気結ばれて言うこと能わず。


(現代語訳)
この焦土の洛陽の街はつま先立ちで歩かなければいけないほど行く路も踏み場もない。
此れまで旅続きで久しく帰っていないので洛陽を訪れる君らはには道の東西さえ見分けられないほどなのだ。
此れでは野原の中に立つのであり、なんとしかことかこの蕭條と広がるこの地は。もう千里の彼方まで一筋の人の生活の煙がみえないのだ。
今私が君らかつて過ごした屋敷を思い出そうとしている、ところがこの有様を見ると、気持ちはふさがってしまい、言葉にすることもできない。


(訳注)
送應氏二首 其一

華やかな建安文学の中でも応瑒、応璩も中心的な存在であった。曹植のもとを去って、都に引き返す応瑒を送別するに当ってこの作品を作った。応瑒には『別詩二首』という作品が残っていて、この曹植の二首と呼応するところがあり、互いに作品を送りあって別れを惜しんだことがうかがえる。
建安七子に一人 )応瑒 (おうよう) ?~217   字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。
応璩(おうきょ) 190~252   字は休璉。汝南郡南頓の人。応瑒の弟にあたる。散騎常侍・侍中を経て、大将軍・曹爽の長史となった。時政を諷刺した「百一詩」は世上の評判を取った。嘉平二年(250)、再び侍中となった。


側足無行徑,荒疇不復田。
この焦土の洛陽の街はつま先立ちで歩かなければいけないほど行く路も踏み場もない。
荒れ放題の田畑は ふたたび耕される様子もない。
○側足 つまだちして歩く。この場合焦土でまともに歩ける場所がないこと。
李白『梁甫吟』「側足焦原未言苦。智者可卷愚者豪。世人見我輕鴻毛。力排南山三壯士。」
○疇 1 田畑のうね。あぜ道。田畑。「田疇」 2 昔。以前。
○田 耕作する(動詞)。


遊子久不歸,不識陌與阡。
此れまで旅続きで久しく帰っていないので洛陽を訪れる君らはには道の東西さえ見分けられないほどなのだ。
○遊子 旅人、応氏兄弟をさす。
○陌與阡 東西に通ずる道を陌といい、南北の大通りを阡という。


中野何蕭條,千里無人煙。
此れでは野原の中に立つのであり、なんとしかことかこの蕭條と広がるこの地は。もう千里の彼方まで一筋の人の生活の煙がみえないのだ。
○中野 野原の中。
○蕭條 ものさびしい。
・人煙 人が生活するためのかまどの煙。


念我平常居,氣結不能言。
今私が君らかつて過ごした屋敷を思い出そうとしている、ところがこの有様を見ると、気持ちはふさがってしまい、言葉にすることもできない。

送應氏二首 其一 曹植 魏詩<31-1>文選 祖餞 662 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1865

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送應氏二首 其一 曹植 魏詩<31-1>文選 祖餞 662 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1865




建安文学
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。 

  

有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。

建安の詩人の中で、曹植は別格に優れた詩人であり、陶淵明や謝靈運らいわゆる六朝詩以前における最高の詩人の一人であることは間違いない。実際、彼の詩は今見ても表現は艶麗にして細緻、その描く情景の美しさには格別なものがある。


曹植の詩は、曹家の公子として、また天才青年詩人として活躍した前半生と、任地を流刑同然に転々としていた後半生とではっきりと二分される。父曹操の死歿によってはっきりとその詩の様相が変わるのである。文帝曹丕に疎まれることも、曹家に生まれ、人心掌握力を持っていれば仕方のない運命である。前半生のころの詩はひたすら華やかで明るく、後半はその憂悶が詩に表われ、詩人として生きていくことに喜びを感じていたのではないだろうか。


送應氏二首

其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
不見舊耆老,但睹新少年。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。

側足無行徑,荒疇不復田。
遊子久不歸,不識陌與阡。
中野何蕭條,千里無人煙。
念我平常居,氣結不能言。


其二
清時難屢得,嘉會不可常。
天地中無極,人命若朝霜。
願得展嬿婉,我友之朔方。
親昵並集送,置酒此河陽。

中饋起獨薄?賓飲不盡觴。
愛至望苦深,豈不愧中腸?
山川阻且遠,別促會日長。
願為比翼鳥,施翮起高翔!

其の一
歩みて北芒の坂を登り、遙かに洛陽の山を望む。
洛陽何ぞ寂寞たる、宮室 尽【ことごと】く焼焚【しょうふん】す。
垣牆【えんしょう】皆頓【くず】れ擗【さ】け、荊棘【けいきょく】上って天に参わる。
旧耆老【きろう】を見ず、但だ新少年を覩【み】るのみ。

足を側【そばだ】つるに行径なく、荒疇【こうちゅう】復た田をせず。
遊子久しく帰らず、陌と阡とを識らざらん。
中野【ちゅうや】何ぞ蕭条【しょうじょう】たる、千里人煙無し。
我が平常の居を念い、気結ばれて言うこと能わず。


其二
清時【せいじ】屡【しばし】ば得難く、嘉会常にはす可からず。
天地終極無く、人命朝の霜の若し。
願わくは 嬿婉【えんえん】を展【の】ぶるを得ん、我が友朔方【さくほう】に之く。
親昵【しんじつ】並び集いて送り、酒を此の河陽に置く。
中饋【ちゅうさ】は豈に独り薄からんや、賓は飲むに 觴【さかずき】を尽くさず。
愛至りて望み苦【はなは】だ深し、豈に中腸に愧じざらんや。
山川阻たり且つ遠く、別れ促【せま】りて会日【かいじつ】長し。
願わくは 比翼の鳥と為り、翮【つばさ】を施【の】べ起ちて高く翔【か】けらん。

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『送應氏二首』 現代語訳と訳註
(本文) 其一
步登北芒阪,遙望洛陽山。
洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
不見舊耆老,但睹新少年。


(下し文)
其の一
歩みて北芒の坂を登り、遙かに洛陽の山を望む。
洛陽何ぞ寂寞たる、宮室 尽【ことごと】く焼焚【しょうふん】す。
垣牆【えんしょう】皆頓【くず】れ擗【さ】け、荊棘【けいきょく】上って天に参わる。
旧耆老【きろう】を見ず、但だ新少年を覩【み】るのみ。


(現代語訳)
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。


(訳注)
送應氏二首 其一

華やかな建安文学の中でも応瑒、応璩も中心的な存在であった。曹植のもとを去って、都に引き返す応瑒を送別するに当ってこの作品を作った。応瑒には『別詩二首』という作品が残っていて、この曹植の二首と呼応するところがあり、互いに作品を送りあって別れを惜しんだことがうかがえる。
建安七子に一人 )応瑒 (おうよう) ?~217   字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。
応璩(おうきょ) 190~252   字は休璉。汝南郡南頓の人。応瑒の弟にあたる。散騎常侍・侍中を経て、大将軍・曹爽の長史となった。時政を諷刺した「百一詩」は世上の評判を取った。嘉平二年(250)、再び侍中となった。


步登北芒阪,遙望洛陽山。
徒歩で城郭の北にある北芒陵の坂を登っていく。はるかに見える洛陽、とりまく山々を望む。
○北芒 洛陽の北にある山。後漢以降、この地に王侯貴族の墓が集まっていた。北邙 『古詩十九首之第十三首』「驅車上東門,遙望郭北墓。」劉希夷(劉廷芝)『公子行』「百年同謝西山日,千秋萬古北邙塵。」  


洛陽何寂寞!宮室盡燒焚。
洛陽の城郭はなんとさびしい所となってしまったのか。あの宮殿が専横な董卓によってことごとく焼き払われているのだ。
○焼焚 190年初平元年、形勢不利と判断した董卓が長安に逃避する際、洛陽の宮殿城郭を焼きはらったのだ。


垣牆皆頓擗,荊棘上參天。
宮殿も邸宅の垣根も土塀もすべて崩壊され、破裂、破壊されてしまっている。それなのに、ただイバラだけは生い茂り、天にも届かんばかりになっているのだ。
○頓擗 頓は崩壊、擗は破裂。
○荊棟 イバラ。
○参天 天にとどくほどのびる。


不見舊耆老,但睹新少年。
街の中を歩く人でさえも昔を知る老人の姿は見当たらない。見知らぬ風来の貴公子、若者たちが行き交うばかりなのだ。
〇耆老 老人。
○但 ただ……だけ。
○少年 若者。

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