贈丁廙 曹植 魏詩<48-#2>
2013年2月26日 | 同じ日の紀頌之5つのブログ |
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贈丁廙 曹植 魏詩<48-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1983
贈丁廙
嘉賓填城闕,豐膳出中廚。吾與二三子,曲宴此城隅。
立派な賓客たちが城門の楼閣に勢ぞろいしていっぱいである。山海の珍味のごちそう豊富な食膳が調理場よりはこばれてくる。
私は二三人の友人と共にいる、それはこの城壁の小楼で、この者たちと心おきのない小宴をはるのである。
秦箏發西氣,齊瑟揚東謳。餚來不虛歸,觴至反無餘。
秦の筝は西方の国のメロディーを流し西方の気分にしてくれる。斉の瑟をかなでると東方の国の歌を声を張り上げて歌うのだ。
料理が来れば、すべて食らい残して還すことなどない。杯がまわって来れば、すべて飲みほして杯をかえすのである。
我豈狎異人,朋友與我俱。
だから、私はどうして意見の違う他人になれ親しむことがあろうか。気のおけない朋友がここにいっしょにいるではないか。
大國多良材,譬海出明珠。
大国には、有為の才能が、逸材が多い。たとえると、大海からかがやく真珠が産出されるというようなものだ。
君子義休偫,小人德無儲。
君子には正義がみごとにそなわっているが、小人には徳、義をたくわえる余地がないものだ。
積善有餘慶,榮枯立可須。
『易経・坤卦』にいう「積善の家には余慶ありという」善いことをすれば、その報いがあるというものだ。栄枯盛衰などというがそれは瞬時のうちに転変するものである。
滔盪固大節,時俗多所拘。
大らかな気持こそ、そのもととなるものであり、人生の大きな意義である。世人・俗人というものは何にでも詰まらぬことに拘りを持ち過ぎるというものである。
君子通大道,無願為世儒。
だから、君子というものは大道に通じなければいけないのだ。狭い了見の、権欲にすり寄った俗儒になろうと願うことなどあってはならないことなのだ。
丁翼【ていよく】に贈る
#1
嘉賓【かひん】城闕【じょうけつ】に墳ち、豊膳【ほうぜん】中廚【ちゅうちゅう】より出づ。
吾 二三子と与に、此の城隅【じょうぐう】に曲宴す。
秦箏【しんそう】西気を発し、斉瑟【せいしつ】東謳【とうおう】を揚ぐ。
餚【さかな】来りては虚しくは帰らず、觴【さかずき】至りては反【か】えすに余す無し。
我 豈に異人に狎【な】れんや、朋友 我と供にす。
#2
大国には良材多く、譬【たと】うれば海の明珠【めいじゅ】を出すがごとし。
君子 義は休【よ】く偫【そな】わり、小人 徳は儲うる無し。
善を積めば余慶【よけい】有り、栄枯【えいこ】立どころに須【ま】つ可し。
滔盪【とうとう】たるは固【もと】より大節にして、世俗は拘【こだわ】る所多し。
君子は大道に通ず、世儒【せじゅ】と為るを願うこと無かれ。
『贈丁廙』 現代語訳と訳註
(本文) 贈丁廙#2
大國多良材,譬海出明珠。
君子義休偫,小人德無儲。
積善有餘慶,榮枯立可須。
滔盪固大節,時俗多所拘。
君子通大道,無願為世儒。
(下し文)
#2
大国には良材多く、譬【たと】うれば海の明珠【めいじゅ】を出すがごとし。
君子 義は休【よ】く偫【そな】わり、小人 徳は儲うる無し。
善を積めば余慶【よけい】有り、栄枯【えいこ】立どころに須【ま】つ可し。
滔盪【とうとう】たるは固【もと】より大節にして、世俗は拘【こだわ】る所多し。
君子は大道に通ず、世儒【せじゅ】と為るを願うこと無かれ。
(現代語訳)
大国には、有為の才能が、逸材が多い。たとえると、大海からかがやく真珠が産出されるというようなものだ。
君子には正義がみごとにそなわっているが、小人には徳、義をたくわえる余地がないものだ。
『易経・坤卦』にいう「積善の家には余慶ありという」善いことをすれば、その報いがあるというものだ。栄枯盛衰などというがそれは瞬時のうちに転変するものである。
大らかな気持こそ、そのもととなるものであり、人生の大きな意義である。世人・俗人というものは何にでも詰まらぬことに拘りを持ち過ぎるというものである。
だから、君子というものは大道に通じなければいけないのだ。狭い了見の、権欲にすり寄った俗儒になろうと願うことなどあってはならないことなのだ。
(訳注) 贈丁廙#2
○廙 (未詳―220年)字は敬礼、儀の弟で博学多識との評があった。曹植側近の一人。兄儀とともに文帝(曹丕)に忌まれ、黄初元年殺さる。「魏志」では「丁翼」に作る。この詩の制作時期は不明だが、黄初以前の作であることは勿論である
大國多良材,譬海出明珠。
大国には、有為の才能が、逸材が多い。たとえると、大海からかがやく真珠が産出されるというようなものだ。
君子義休偫,小人德無儲。
君子には正義がみごとにそなわっているが、小人には徳、義をたくわえる余地がないものだ。
○義 利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。
○休偫 休1やすむ。2やめる。3やすみ。4さいわい。よろこび。5よい。うるわしい。りっぱな。美なり。偫は具備の意。
積善有餘慶,榮枯立可須。
『易経・坤卦』にいう「積善の家には余慶ありという」善いことをすれば、その報いがあるというものだ。栄枯盛衰などというがそれは瞬時のうちに転変するものである。
○積善 「積善の家に余慶あり」『易経・坤卦』
善行を重ねているような人の家庭には、自然にめでたいことが集まってくる。人知れず善いことを積み重ねていくよう努力することは決して無駄にはならない。
基本的な筋として、天地の理・宇宙の運行と人間の運命との関連を追求した書で「善いことをすれば、その報いがある」という因果応報の考え方は、自然の理によるものという理想に裏付けられている。「余慶」とは慶事の余ったものの意味で、十分に良いことがあるということを意味する。
○須 待つ
滔盪固大節,時俗多所拘。
大らかな気持こそ、そのもととなるものであり、人生の大きな意義である。世人・俗人というものは何にでも詰まらぬことに拘りを持ち過ぎるというものである。
○滔盪 広大なるさま。
君子通大道,無願為世儒。
だから、君子というものは大道に通じなければいけないのだ。狭い了見の、権欲にすり寄った俗儒になろうと願うことなどあってはならないことなのだ。
○世儒 俗儒の意。儒者を名乗るも俗人的な振る舞いをする、権欲にすり寄った儒学者というところか。王充(2796年頃)後漢の文人。道教、儒教に対して厳しい批判を行なっている。『論衡』問孔篇に「世儒学者、好みて師を信じて古を是とし、もって聖賢の言う所皆非なること無しと為す。専ら講習に精しく難問を知らず。」と見える。