漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

文選 楽府 上

種葛篇 曹植 魏詩<62-#3> 女性詩724 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2168

曹植 種葛篇


2013年4月4日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#3> 女性詩724 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2168
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#4 宋玉  <00-#8回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 637 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2169
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集絶句漫興九首 其二 成都浣花渓 杜甫 <446>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2175 杜甫詩1000-446-629/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集初去郡 謝霊運<34> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2171 (04/04)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。精醉儔難。謝家聯雪何以加之。有客自京師来者示予。因次其韻。-#7 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-125--#7  kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2172
 
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

種葛篇 曹植 魏詩<62-#3> 女性詩724 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2168



種葛篇 #1
種葛南山下,葛藟自成陰。
葛を南の山のふもとにうえると、葛はつるをのばして、ひとりでに、かげをつくるようになった。
與君初婚時,結髮恩義深。
私とあなたとがはじめて結婚したのは、成年に達して結髪したての頃で、夫婦の情愛も深かった。
歡愛在枕席,宿昔同衣衾。
二人の愛情の歓喜は枕の寝台とふとんにあり、夜ごと、かいまきをともにして、仲むつまじくしたものです。
竊慕《棠棣》篇,好樂和瑟琴。
また心ひそかに『詩経、小雅、棠棣』の詩をしたって思いつづけ、むつみ楽しみあうこと、琴家の和するようでありました。
#2
行年將晚暮,佳人懷異心。
だが、すぎゆく年というものは季節は暮れていくものであり私も女盛りをすぎる歳はくれていくものである。そんな恩紀曠不接,我情遂抑沈。
時にあなたの前に美人が出現したら、やがてと、あなたは他に心をうつされるだろう。
もはや、恵愛の筋道も、久しく接点すらなくなっている。私の心はとうとうおもくるしく沈みこんでしまうのです。
出門當何顧?徘徊步北林。
心中憂鬱で気が重いままに北門を出る、どこへ行くあてもないのだ。ただあてもなく北の方の林をさまよい歩く。
下有交頸獸,仰見雙棲禽。
地上には、首を寄せ合って親愛の情をあらわしている獣がおり、あおぎ見れば、二つ仲良くならんだ鳥が巣住まいをしている。
#3
攀枝長嘆息,淚下沾羅衿。
上を見たまま思わず、枝につかまって、長いためいきをついた。涙が流れてとまらずうす絹のえりをぬらす。
良馬知我悲,延頸代我吟。
良馬は私の悲しみを知り、くびをのばし、私にむかっていなないている。
昔為同池魚,今為商與參。
昔は、同じ池の魚のようにすごしたものでしたが、今では、西の方のなかご星と東のからすき星のように、めぐりあうこともなかなかできないのだ。
往古皆歡遇,我獨困於今。
その昔は、二人とも楽しんで相いに会うことができたのに、今では、私はただひとり、今のこの時をすごすことにくるしめられているのだ。
棄置委天命,悠悠安可任?

このようなことでは、天命にまかせるよりないのだが、はてしなくひろがるあてもない状態なのにどこにまかせられるというのだ。


種葛篇  #1
葛を種う 南山の下、葛は蔓のばして自から陰を成す。
君と初めて婚せし時、結髪 恩義探し。
歓愛 枕席に在り、宿昔 衣衾を同じくす。
窃かに《棠棣》の篇を慕い、好楽 瑟琴和せり。
#2
行年【こうねん】将に晩暮【ばんぼ】ならんとして、佳人【かじん】異心を懐く。
恩紀【おんき】曠【ひさ】しく接せず、我が情 遂に抑沈【よくちん】す。
門を出でて当に何をか顧みるべき、排禍【はいか】して北かぶ林に歩む。
下に 頸を交うる獣有り、仰ぎて 双び棲む禽を見る。
#3
枝に攣【よ】じて長嘆息し、涙下り 羅衿【らきん】を沾す。
良馬 我が悲しみを知り、頸を延べ 我に対して吟ず。
昔は 池を同じくする魚為り、今は 商【しょう】と参【しん】為り。
往古 皆な遇うを歓びたるに、我は独り 今に困しむ。
棄置して 天命に委ねんとするも、悠悠として安んぞ任【と】う可き


『種葛篇』 現代語訳と訳註
王屋山01(本文)
#3
攀枝長嘆息,淚下沾羅衿。
良馬知我悲,延頸代我吟。
昔為同池魚,今為商與參。
往古皆歡遇,我獨困於今。
棄置委天命,悠悠安可任?


(下し文)
#3
枝に攣【よ】じて長嘆息し、涙下り 羅衿【らきん】を沾す。
良馬 我が悲しみを知り、頸を延べ 我に対して吟ず。
昔は 池を同じくする魚為り、今は 商【しょう】と参【しん】為り。
往古 皆な遇うを歓びたるに、我は独り 今に困しむ。
棄置して 天命に委ねんとするも、悠悠として安んぞ任【と】う可き。


(現代語訳)
上を見たまま思わず、枝につかまって、長いためいきをついた。涙が流れてとまらずうす絹のえりをぬらす。
良馬は私の悲しみを知り、くびをのばし、私にむかっていなないている。
昔は、同じ池の魚のようにすごしたものでしたが、今では、西の方のなかご星と東のからすき星のように、めぐりあうこともなかなかできないのだ。
その昔は、二人とも楽しんで相いに会うことができたのに、今では、私はただひとり、今のこの時をすごすことにくるしめられているのだ。
このようなことでは、天命にまかせるよりないのだが、はてしなくひろがるあてもない状態なのにどこにまかせられるというのだ。


(訳注)#3
攀枝長嘆息,淚下沾羅衿。

上を見たまま思わず、枝につかまって、長いためいきをついた。涙が流れてとまらずうす絹のえりをぬらす。
〇涙下沾羅衿 羅衿はうす絹のえり。沾はうるおす。ぬらす。


良馬知我悲,延頸代我吟。
良馬は私の悲しみを知り、くびをのばし、私にむかっていなないている。
○良馬 良馬、自分を理解してくれるもの。。
○対我吟 互いにむきあっていななく。互いにわかるように互いに理解し合う。


昔為同池魚,今為商與參。
昔は、同じ池の魚のようにすごしたものでしたが、今では、西の方のなかご星と東のからすき星のように、めぐりあうこともなかなかできないのだ。
○同池魚 古人は魚をば男女相愛をあらわすものである、意見、主張が理解できるもの同士。
〇今為商与参 商・参とも星の名。商星は辰星に同じ、なかごぼし。参宿(しんしゅく)、和名は唐鋤星(からすきぼし)、二十八宿の一つで西方白虎七宿の第7宿。オリオン座の中央に位置する。古来めったにあえぬことのたとえとして用いられ、また商星は東方、参星は西方に位遭するが故に、互に遠くへだたっていることにもたとえられる。


往古皆歡遇,我獨困於今。
その昔は、二人とも楽しんで相いに会うことができたのに、今では、私はただひとり、今のこの時をすごすことにくるしめられているのだ。


棄置委天命,悠悠安可任?
このようなことでは、天命にまかせるよりないのだが、はてしなくひろがるあてもない状態なのにどこにまかせられるというのだ。

種葛篇 曹植 魏詩<62-#2> 女性詩723 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2163

曹植 種葛篇-#2


2013年4月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#3 宋玉  <00-#7回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 636 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2164
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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種葛篇 #1
種葛南山下,葛藟自成陰。
葛を南の山のふもとにうえると、葛はつるをのばして、ひとりでに、かげをつくるようになった。
與君初婚時,結髮恩義深。
私とあなたとがはじめて結婚したのは、成年に達して結髪したての頃で、夫婦の情愛も深かった。
歡愛在枕席,宿昔同衣衾。
二人の愛情の歓喜は枕の寝台とふとんにあり、夜ごと、かいまきをともにして、仲むつまじくしたものです。
竊慕《棠棣》篇,好樂和瑟琴。
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行年將晚暮,佳人懷異心。
だが、すぎゆく年というものは季節は暮れていくものであり私も女盛りをすぎる歳はくれていくものである。そんな時にあなたの前に美人が出現したら、やがてと、あなたは他に心をうつされるだろう。
恩紀曠不接,我情遂抑沈。
もはや、恵愛の筋道も、久しく接点すらなくなっている。私の心はとうとうおもくるしく沈みこんでしまうのです。
出門當何顧?徘徊步北林。
心中憂鬱で気が重いままに北門を出る、どこへ行くあてもないのだ。ただあてもなく北の方の林をさまよい歩く。
下有交頸獸,仰見雙棲禽。
地上には、首を寄せ合って親愛の情をあらわしている獣がおり、あおぎ見れば、二つ仲良くならんだ鳥が巣住まいをしている。
#3
攀枝長嘆息,淚下沾羅衿。
良馬知我悲,延頸代我吟。
昔為同池魚,今為商與參。
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種葛篇  #1
葛を種う 南山の下、葛は蔓のばして自から陰を成す。
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#2
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門を出でて当に何をか顧みるべき、排禍【はいか】して北かぶ林に歩む。
下に 頸を交うる獣有り、仰ぎて 双び棲む禽を見る。
#3
枝に攣【よ】じて長嘆息し、涙下り 羅衿【らきん】を沾す。
良馬 我が悲しみを知り、頸を延べ 我に対して吟ず。
昔は 池を同じくする魚為り、今は 商【しょう】と参【しん】為り。
往古 皆な遇うを歓びたるに、我は独り 今に困しむ。
棄置して 天命に委ねんとするも、悠悠として安んぞ任【と】う可き。


『種葛篇』 現代語訳と訳註
李清照0002211道観(本文)
#2
行年將晚暮,佳人懷異心。
恩紀曠不接,我情遂抑沈。
出門當何顧?徘徊步北林。
下有交頸獸,仰見雙棲禽。


(下し文)#2
行年【こうねん】将に晩暮【ばんぼ】ならんとして、佳人【かじん】異心を懐く。
恩紀【おんき】曠【ひさ】しく接せず、我が情 遂に抑沈【よくちん】す。
門を出でて当に何をか顧みるべき、排禍【はいか】して北かぶ林に歩む。
下に 頸を交うる獣有り、仰ぎて 双び棲む禽を見る。


(現代語訳)
aki02だが、すぎゆく年というものは季節は暮れていくものであり私も女盛りをすぎる歳はくれていくものである。そんな時にあなたの前に美人が出現したら、やがてと、あなたは他に心をうつされるだろう。
もはや、恵愛の筋道も、久しく接点すらなくなっている。私の心はとうとうおもくるしく沈みこんでしまうのです。
心中憂鬱で気が重いままに北門を出る、どこへ行くあてもないのだ。ただあてもなく北の方の林をさまよい歩く。
地上には、首を寄せ合って親愛の情をあらわしている獣がおり、あおぎ見れば、二つ仲良くならんだ鳥が巣住まいをしている。



(訳注) #2
〇種葛篇 棄てられた妻の歌。曹楯は、妻が夫を思うことばを作ったとする。この詩の題は、首句のはじめの二字よりとったもの。226年黄初7年35歳の作詩。

行年將晚暮,佳人懷異心。
だが、すぎゆく年というものは季節は暮れていくものであり私も女盛りをすぎる歳はくれていくものである。そんな時にあなたの前に美人が出現したら、やがてと、あなたは他に心をうつされるだろう。
○行年 とる年。すぎゆく年。
○佳人懷異心 美人。懐異心は他に心をうつすこと。


恩紀曠不接,我情遂抑沈。
もはや、恵愛の筋道も、久しく接点すらなくなっている。私の心はとうとうおもくるしく沈みこんでしまうのです。
○恩紀 恩愛の道の意。恩はめぐみ、紀は筋道をきちんと立てたおきて。「紀律/官紀・軍紀・校紀・綱紀・風紀」 2 筋道や順序を追って整理・記録する。男女の仲の愛の筋道。古代は一夫多妻制の中での恩紀ということではあるが、君王の仁愛の問題をていきしている。
○曠 1 広々として何もない。「曠野」 2 むなしい。むなしくする。「曠日・曠世」 3 心がひろい。久しい意。むなしく、又はとおくともよめる。○抑沈 抑圧されて沈みこむ。抑はおさえる。


出門當何顧?徘徊步北林。
心中憂鬱で気が重いままに北門を出る、どこへ行くあてもないのだ。ただあてもなく北の方の林をさまよい歩く。
〇出門 『詩経、邶風、(出門)』に基づく。
出自北門、憂心殷殷。
終窭且貧、莫知我艱。
已焉哉。
天実為之,謂之何哉。
私は北門を出る、心中憂鬱で気が重い。貧しくて生活が行き詰っているのに、誰も私の辛さなやみはわからない。でも仕方がない。全ては天がなせるわざだ。どうあがいても変わらない。
〇北林 さきの南山に対す。語は「詩経」秦風、晨風に見える。


下有交頸獸,仰見雙棲禽。
地上には、首を寄せ合って親愛の情をあらわしている獣がおり、あおぎ見れば、二つ仲良くならんだ鳥が巣住まいをしている。
〇交頸猷 たがいにくびをよせあって、親愛の情をあらわしているけもの。
○双棲禽 二羽仲よくならび棲む鳥。

種葛篇 曹植 魏詩<62-#1> 女性詩722 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2158

曹植 種葛篇



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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩種葛篇 曹植 魏詩<62-#1> 女性詩722 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2158
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩九辯 第三段-#2 宋玉  <00-#6回目>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 635 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2159
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聯句 光威裒姉妹三人、小孤而始姸乃有是作。・・・因次其韻。-#5 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-123--#5  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2162
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
種葛篇 曹植 魏詩<62-#1> 女性詩722 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2158



種葛篇 #1
種葛南山下,葛藟自成陰。
葛を南の山のふもとにうえると、葛はつるをのばして、ひとりでに、かげをつくるようになった。
與君初婚時,結髮恩義深。
私とあなたとがはじめて結婚したのは、成年に達して結髪したての頃で、夫婦の情愛も深かった。
歡愛在枕席,宿昔同衣衾。
二人の愛情の歓喜は枕の寝台とふとんにあり、夜ごと、かいまきをともにして、仲むつまじくしたものです。
竊慕《棠棣》篇,好樂和瑟琴。

また心ひそかに『詩経、小雅、棠棣』の詩をしたって思いつづけ、むつみ楽しみあうこと、琴家の和するようでありました。

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#2
行年將晚暮,佳人懷異心。
恩紀曠不接,我情遂抑沈。
出門當何顧?徘徊步北林。
下有交頸獸,仰見雙棲禽。
#3
攀枝長嘆息,淚下沾羅衿。
良馬知我悲,延頸代我吟。
昔為同池魚,今為商與參。
往古皆歡遇,我獨困於今。
棄置委天命,悠悠安可任?

種葛篇  #1
葛を種う 南山の下、葛は蔓のばして自から陰を成す。
君と初めて婚せし時、結髪 恩義探し。
歓愛 枕席に在り、宿昔 衣衾を同じくす。
窃かに《棠棣》の篇を慕い、好楽 瑟琴和せり。

#2
行年 将に晩暮ならんとして、佳人 異心を懐く。
恩紀 曠しく接せず、我が情 遂に抑沈す。
門を出でて当に何をか顧みるべき、排禍して北株に歩む。
下に 頸を交うる獣有り、仰ぎて 双び棲む禽を見る。
#3
枝に攣じて長嘆息し、涙下り 羅衿を沾す。
良馬 我が悲しみを知り、頸を延べ 我に対して吟ず。
昔は 池を同じくする魚為り、今は 商と参為り。
往古 皆な遇うを歓びたるに、我は独り 今に困しむ。
棄置して 天命に委ねんとするも、悠悠として安んぞ任う可き


『種葛篇』 現代語訳と訳註
(本文)
 #1
種葛南山下,葛藟自成陰。
與君初婚時,結髮恩義深。
歡愛在枕席,宿昔同衣衾。
竊慕《棠棣》篇,好樂和瑟琴。


(下し文) 種葛篇  #1
葛を種う 南山の下、葛は蔓のばして自から陰を成す。
君と初めて婚せし時、結髪 恩義探し。
歓愛 枕席に在り、宿昔 衣衾を同じくす。
窃かに《棠棣》の篇を慕い、好楽 瑟琴和せり。


(現代語訳)
葛を南の山のふもとにうえると、葛はつるをのばして、ひとりでに、かげをつくるようになった。
私とあなたとがはじめて結婚したのは、成年に達して結髪したての頃で、夫婦の情愛も深かった。
二人の愛情の歓喜は枕の寝台とふとんにあり、夜ごと、かいまきをともにして、仲むつまじくしたものです。
また心ひそかに『詩経、小雅、棠棣』の詩をしたって思いつづけ、むつみ楽しみあうこと、琴家の和するようでありました。

yayoipl07


(訳注) 種葛篇
 #1
〇種葛篇 棄てられた妻の歌。「楽府詩集」では、雑曲歌辞に列する。この第は棄てられた要に託して、孤独な心情をのべたもの。『詩経、唐風、葛生』「葛生蒙楚,蘞蔓于野,予美亡此,誰與?獨處。 葛生蒙棘,蘞蔓于域,予美亡此,誰與?獨息。 角枕粲兮,錦衾爛兮,予美亡此,誰與?獨旦。 夏之日,冬之夜,百歲之後,歸于其居。 冬之夜,夏之日,百歲之後,歸于其室。をひき、曹楯は、妻が夫を思うことばを作ったとする。この詩の題は、首句のはじめの二字よりとったもの。226年黄初7年35歳の作詩。


種葛南山下,葛藟自成陰。
葛を南の山のふもとにうえると、葛はつるをのばして、ひとりでに、かげをつくるようになった。
〇南山 曹植は洛陽、北の陵墓である邙山に対して生まれ育つ「南の山」という表現をしている。
名都篇 #1
名都多妖女,京洛出少年。寶劍直千金,被服麗且鮮。
鬥雞東郊道,走馬長楸間。馳驅未能半,雙兔過我前。
攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。左挽因右發,一縱雙禽連。
余巧未及展,仰手接飛鳶。觀者咸稱善,眾工歸我妍。
歸來宴平樂,美酒斗十千。膾鯉皪胎濩,炮鱉炙熊蹯。
鳴儔嘯匹侶,列坐竟長筵。連翩擊鞠壤,巧捷惟萬端。
白日西南馳,光景不可攀。雲散還城邑,清晨復來還。
名都篇 曹植 魏<57-#2> 女性詩711 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2103

○葛藟 くずはつるをのはす。葛は和名クズ。豆科で蔓性の植物。「南有樛木.葛藟纍之.樂只君子.福履綏之詩経」周南、樛木に「南有樛木.葛藟纍之.樂只君子.福履綏之」(南に樛木有りて、葛と蔓と之に纍う。楽しき君子、福履之を綏んず)と見える。『詩経国風』。古人は葛のような蔓性の植物で男にからむ女の愛情にたとえた。


與君初婚時,結髮恩義深。
私とあなたとがはじめて結婚したのは、成年に達して結髪したての頃で、夫婦の情愛も深かった。
〇結髪 髪をたばねをいう。男は二十歳、女は十五歳。笄で結い始める時の儀式である「笄礼」(けいれい)を成人式のように扱うことがある。このため「笄」には成人とした15歳という意味もある。
蘇武『留別妻』
結髮爲夫妻、恩愛兩不疑。
歡娯在今夕、燕婉及良時。
征夫懷往路、起視夜何其。
參辰皆已沒、去去從此辭。
行役在戰場、相見未有期。
握手一長歎、涙爲生別滋。
努力愛春華、莫忘歡樂時。
生當復來歸、死當長相思。


歡愛在枕席,宿昔同衣衾。
二人の愛情の歓喜は枕の寝台とふとんにあり、夜ごと、かいまきをともにして、仲むつまじくしたものです。
○歡愛在枕席,宿昔同衣衾。
#3為焦仲卿妻作-其二場面 (2)-1#3
結髮同枕席,黃泉共為友。共事二三年,始而未為久。
「髪を上に結い始めて仕官したことと同じくして枕席をともにする夫婦となって以来、黄泉のあの世までも添い遂げることにしたのです。」そして「仕事に仕えると共に一緒の生活をした足かせ三年というもの、まだ始めたばかりで日数もたっていないのです。」
○宿昔 そのむかし。ここではその当時の夜の事の意。


竊慕《棠棣》篇,好樂和瑟琴。
また心ひそかに『詩経、小雅、棠棣』の詩をしたって思いつづけ、むつみ楽しみあうこと、琴家の和するようでありました。
・棠棣篇 『詩経、小雅、棠棣』「妻子好合、如鼓琴瑟。 兄弟既翕、和楽且耽。」
家庭にあって妻子睦まじく、琴瑟が調律よく合奏し、家族が心から打ちとける」ということである。ここに家族=兄弟の問題をのべている。こういう詩を曹丕が皇帝でなくもし信長だったら絶対殺されるだろう。故云った抽象的であっても疑われる詩を多く書いている。かなり思い込みの強いタイプの性格であったことがわかる。

名都篇 曹植 魏<57-#2> 女性詩711 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2103

名都篇 曹植 魏

2013年3月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩名都篇 曹植 魏<57-#2> 女性詩711 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2103
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#7>Ⅱ中唐詩624 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2104
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集琴台 杜甫 <432>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2105 杜甫詩1000-432-615/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集遊嶺門山  謝霊運<21> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2106 (03/22)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江陵愁望寄子安 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-112-47-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2107
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


名都篇 曹植 魏<57-#2> 女性詩711 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2103


名都篇 #1
名都多妖女,京洛出少年。寶劍直千金,被服麗且鮮。
鬥雞東郊道,走馬長楸間。馳驅未能半,雙兔過我前。

大都会にはなまめかしい婦人が多い。ここ洛陽には青年が出没する。
彼らは千金の高値な宝剣をもち、奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやかな衣服をまとう。
時には、東の郊外の道で闘鶏をやり、時には、長い板の並木道で乗馬をする。
今日もあちこちへ疾駆している途中、二匹の兎が馬前を走るのを見つけた。

 #2
攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。
弓を手にとり、かぶら矢を腰の帯にたばさんで、遠く南の山まで追いあげるのである。
左挽因右發,一縱雙禽連。
曲芸のような射法もやるのは左に引いて、右から矢をはなつかとおもうと、一発で二匹とも射とめてしまうのだ。
余巧未及展,仰手接飛鳶。
その腕前であってもまだ十分に発揮したのではないという、そこで手を高くあげ、飛んでくる鳶を射るのである。
觀者咸稱善,眾工歸我妍。
見ていた人たちはみな声をそろえてほめそやす、多く入る弓矢の使い手の巧者連も、賞讃の言葉をおくるのである。
歸來宴平樂,美酒斗十千。
それが済むと帰って来て、平楽殿で宴会をひらくのである。そこに出される美酒は一斗で一万銭もするということなのだ。
#3
膾鯉皪胎濩,炮鱉炙熊蹯。鳴儔嘯匹侶,列坐竟長筵。
連翩擊鞠壤,巧捷惟萬端。白日西南馳,光景不可攀。
雲散還城邑,清晨復來還。


名都篇 #1
名都 妖女多く、京洛 少年を出す。
宝剣 千金に直し、被服 光き且つ鮮かなり。
鶏を闘わす 東郊の道、馬を走らす 長楸【ちょうしゅう】の間。
馳騎【ちてい】未だだ半ばなる能わざるに、双免 我が前を過ぐ。
#2
弓を携りて鳴鏑【めいてき】を捷【はさ】み、長駆して南の山に上る。
左に挽き因って右に発し、一たび縦【はな】てば 両禽【りょうきん】連なる。
余巧 未だ展【の】ぶるに及ばず、手を仰ぎて飛鳶【ひえん】を接【い】る。
観る者 咸【み】な善しと稱し、衆工 我に妍【けん】を帰す。
帰り来りて平楽に宴す、美酒 斗 十千なり。

#3
鯉を臍【なます】にし 胎濩【たいか】を皪【あつもの】にし、鱉【べつ】を炮【い】り熊蹯【ゆうはん】を炙【あぶ】る。
儔【とも】に鳴き 匹侶【ひつりょ】に嘯【うそぶ】き、坐に列して長筵【ちょうえん】に竟【わた】る。
連翩【れんべん】として鞠【きく】と壤【じょう】を撃ち、巧捷【こうしょう】惟れ万端なり。
白日 西南に馳せ、光景 攀【とど】む可からず。
雲散して城邑に還り、清晨 復た来り還らん。


『名都篇』 現代語訳と訳註
漢魏隋唐の洛陽城(本文)
#2
攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。左挽因右發,一縱雙禽連。
余巧未及展,仰手接飛鳶。觀者咸稱善,眾工歸我妍。歸來宴平樂,美酒斗十千。


(下し文)#2
弓を携りて鳴鏑【めいてき】を捷【はさ】み、長駆して南の山に上る。
左に挽き因って右に発し、一たび縦【はな】てば 両禽【りょうきん】連なる。
余巧 未だ展【の】ぶるに及ばず、手を仰ぎて飛鳶【ひえん】を接【い】る。
観る者 咸【み】な善しと稱し、衆工 我に妍【けん】を帰す。
帰り来りて平楽に宴す、美酒 斗 十千なり。


曹植洛陽地図01(現代語訳)
弓を手にとり、かぶら矢を腰の帯にたばさんで、遠く南の山まで追いあげるのである。
曲芸のような射法もやるのは左に引いて、右から矢をはなつかとおもうと、一発で二匹とも射とめてしまうのだ。
その腕前であってもまだ十分に発揮したのではないという、そこで手を高くあげ、飛んでくる鳶を射るのである。
見ていた人たちはみな声をそろえてほめそやす、多く入る弓矢の使い手の巧者連も、賞讃の言葉をおくるのである。
それが済むと帰って来て、平楽殿で宴会をひらくのである。そこに出される美酒は一斗で一万銭もするということなのだ。


(訳注) #2
攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。
弓を手にとり、かぶら矢を腰の帯にたばさんで、遠く南の山まで追いあげるのである。
〇捷 帯の間か、えびらにさすこと。
○鳴鏑 かぶら(鏑)矢のこと。
○南山 普通は長安の南にある終南山をさすが、ここは洛陽の南の山のこと。


左挽因右發,一縱雙禽連。
曲芸のような射法もやるのは左に引いて、右から矢をはなつかとおもうと、一発で二匹とも射とめてしまうのだ。
○左挽因右發 一種の曲芸のような射法。左手で弓のつるをひいて、しかも右の方から射る(右左逆になる。右前で両腕が交差する。)こと、これを左右でやる。若者の戯れと勇気の自慢。
○縦 矢をはなつ。
〇両禽 二匹の兎をいう。禽は鳥獣の絵名。


余巧未及展,仰手接飛鳶。
その腕前であってもまだ十分に発揮したのではないという、そこで手を高くあげ、飛んでくる鳶を射るのである。
○接 飛来するもの迎ええて射ること。
○蔦 とび。


觀者咸稱善,眾工歸我妍。
見ていた人たちはみな声をそろえてほめそやす、多く入る弓矢の使い手の巧者連も、賞讃の言葉をおくるのである。
○咸稱善 咸【みな】善【よい】と稱【ほめ】る。
○衆工 多くの巧者たち。
○歸我妍 私に上手だと芸の言葉をおくる。帰は贈る。折は好しと同じ。


歸來宴平樂,美酒斗十千。
それが済むと帰って来て、平楽殿で宴会をひらくのである。そこに出される美酒は一斗で一万銭もするということなのだ
○平楽 宮殿の名。上林苑にあって、後漢の明帯が造営した。
○斗十千 一斗の値段が一万銭。豪奢なさまをのべたもの。

上林苑(じょうりんえん)とは、古代中国の秦、前漢の皇帝のための大庭園である。咸陽、長安の南方に広がっていた。
『三輔黄図』によると元は秦の庭園であり、漢の武帝の建元3年(紀元前138年)、遊猟を好む武帝がしばしば上林苑の敷地内を越えて民の土地に足を踏み入れるようになって民を苦しめていたため、武帝が吾丘寿王に命じて費用を計算させて拡大し、周囲300里の広大な庭園となった。
上林苑の中には70箇所もの離宮があり、それはどれも馬車一千台、騎一万を収容できるほどの大きさだった。また多種多様な獣が飼われ、皇帝が秋、冬に猟を行ってその獣を取った。また武帝が上林苑を拡大した際に、群臣に命じて各地の珍しい植物や果樹を献上させ、それらを栽培した。
また茂陵の富民袁広漢は珍しい動物や植物を集め、砂浜や激流を人工的に作り、建物を全て廊下で繋いであるという豪壮な庭園を造っていたが、後に罪があって誅殺されるとこれも官有の庭園とされ、動植物は上林苑に移された。
上林苑には上林令、上林尉などの役人が置かれ、飼っている動物の種類や数を管理し、記録していた。また上林苑内には6つの池や10以上の宮殿などがあった。
武帝の元鼎2年(紀元前115年)に水衡都尉の官が置かれ、上林苑を管轄することとなった。上林令、上林尉も水衡都尉の属官となっている。また武帝が民間で五銖銭を鋳造することを禁止すると、銭の鋳造は水衡都尉の属官である均輸、鍾官、弁銅の三官が独占して行うこととされた。これは上林三官と呼ばれた。
後漢の時代になると、都が洛陽に置かれたため前漢の上林苑は使われておらず、洛陽西方に上林苑が置かれている。

名都篇 魏<57-#1> 女性詩710 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2098

名都篇 魏<57-#1>
都会の青年の豪奢放恣生活を諷刺するにある。国を思う気持ちのないことを謗るものである。

2013年3月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩名都篇 魏<57-#1> 女性詩710 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2098
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

名都篇 魏<57-#1> 女性詩710 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2098


名都篇 #1
名都多妖女,京洛出少年。
大都会にはなまめかしい婦人が多い。ここ洛陽には青年が出没する。
寶劍直千金,被服麗且鮮。
彼らは千金の高値な宝剣をもち、奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやかな衣服をまとう。
鬥雞東郊道,走馬長楸間。
時には、東の郊外の道で闘鶏をやり、時には、長い板の並木道で乗馬をする。
馳驅未能半,雙兔過我前。

今日もあちこちへ疾駆している途中、二匹の兎が馬前を走るのを見つけた。
 #2
攬弓捷鳴鏑,驅上彼南山。左挽因右發,一縱雙禽連。
余巧未及展,仰手接飛鳶。觀者咸稱善,眾工歸我妍。
歸來宴平樂,美酒斗十千。
#3
膾鯉皪胎濩,炮鱉炙熊蹯。鳴儔嘯匹侶,列坐竟長筵。
連翩擊鞠壤,巧捷惟萬端。白日西南馳,光景不可攀。
雲散還城邑,清晨復來還。



名都篇 #1
名都 妖女多く、京洛 少年を出す。
宝剣 千金に直し、被服 光き且つ鮮かなり。
鶏を闘わす 東郊の道、馬を走らす 長楸【ちょうしゅう】の間。
馳騎【ちてい】未だだ半ばなる能わざるに、双免 我が前を過ぐ。
#2
弓を携りて鳴鏑【めいてき】を捷【はさ】み、長駆して南の山に上る。
左に挽き因って右に発し、一たび縦【はな】てば 両禽【りょうきん】連なる。
余巧 未だ展【の】ぶるに及ばず、手を仰ぎて飛鳶【ひえん】を接【い】る。
観る者 咸【み】な善しと稱し、衆工 我に妍【けん】を帰す。
帰り来りて平楽に宴す、美酒 斗 十千なり。
#3
鯉を臍【なます】にし 胎濩【たいか】を皪【あつもの】にし、鱉【べつ】を炮【い】り熊蹯【ゆうはん】を炙【あぶ】る。
儔【とも】に鳴き 匹侶【ひつりょ】に嘯【うそぶ】き、坐に列して長筵【ちょうえん】に竟【わた】る。
連翩【れんべん】として鞠【きく】と壤【じょう】を撃ち、巧捷【こうしょう】惟れ万端なり。
白日 西南に馳せ、光景 攀【とど】む可からず。
雲散して城邑に還り、清晨 復た来り還らん。


花蕊夫人006







『名都篇』 現代語訳と訳註
(本文)
名都多妖女,京洛出少年。寶劍直千金,被服麗且鮮。
鬥雞東郊道,走馬長楸間。馳驅未能半,雙兔過我前。


(下し文)
名都篇 #1
名都 妖女多く、京洛 少年を出す。
宝剣 千金に直し、被服 光き且つ鮮かなり。
鶏を闘わす 東郊の道、馬を走らす 長楸【ちょうしゅう】の間。
馳騎【ちてい】未だだ半ばなる能わざるに、双免 我が前を過ぐ。


(現代語訳)

大都会にはなまめかしい婦人が多い。ここ洛陽には青年が出没する。
彼らは千金の高値な宝剣をもち、奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやかな衣服をまとう。
時には、東の郊外の道で闘鶏をやり、時には、長い板の並木道で乗馬をする。
今日もあちこちへ疾駆している途中、二匹の兎が馬前を走るのを見つけた。

moon2011






(訳注)
名都篇

○名都篇 大都会の若者の歌。「楽府詩集」では、雄曲歌辞に列する。題名は首旬よりとる。この篇の主題は、都会の青年の豪奢放恣生活を諷刺するにある。国を思う気持ちのないことを謗るものである。名都とは大都会の意味だが、ここでは首都洛陽が舞台となっている。この節の制作年代は、建安年間と推定される。少し長いので三段に分ける。


名都多妖女,京洛出少年。
大都会にはなまめかしい婦人が多い。ここ洛陽には青年が出没する。
〇妖女 艶麗な婦人。
○京洛 洛陽をさす。
○少年 若者


寶劍直千金,被服麗且鮮。
彼らは千金の高値な宝剣をもち、奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやかな衣服をまとう。
〇直 ねうちがある。高値なもの。
○麗且鮮 奇麗できらきらかがやき、その上色もあざやか。


鬥雞東郊道,走馬長楸間。
時には、東の郊外の道で闘鶏をやり、時には、長い板の並木道で乗馬をする。
○闘鶏 鷄を戦わせる遊戯、賭博もおこなわれた。闘鶏の歴史はかなり古く、紀元前515年「春秋左伝」昭公二十五年の条に見えるし寒食にこのあそびが行われると記載する。収穫の占いが起源で、当時は闘鶏が盛んに行われた。
鬥鷄 曹植 魏詩<51-#1>楽府 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2008
〇長楸 長くつづく漱(和名ヒサギ)の列。鰍は梓に同じ、落葉の喬木。ここでは稗道にうえた並木。


馳驅未能半,雙兔過我前。
今日もあちこちへ疾駆している途中、二匹の兎が馬前を走るのを見つけた。
○馳驅 両字ともに疾走する恵。

棄婦篇 曹植 魏詩<56-#3> 女性詩709 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2093

棄婦篇 曹植 魏詩
3年たってこなきはされ、さて曹植はなんて云うのか?

2013年3月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩棄婦篇 曹植 魏詩<56-#3> 女性詩709 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2093
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#5>Ⅱ中唐詩621 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2089
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集種桑 謝霊運<19> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2096 (03/20)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性隔漢江寄子安 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-110-45-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2097
 
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
 

棄婦篇 曹植 魏詩<56-#3> 女性詩709 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2093


棄婦篇
石榴植前庭、綠葉搖縹青。
石榴の木を前庭に植えた。緑の葉がゆれて若葉の萌黄がはえる。(①嫁を娶った)
丹華灼烈烈、帷彩有光榮。
まっかな花が火の燃えるように輝き、きらきらと光って、とばりは五色にてりはえている。(②婚姻後の性交渉)
光好曄流離、可以戲淑靈。
その照栄えるさまの輝かしさは、まるで瑠璃の玉のようであり、これこそりっぱな神霊を宿らしめるにふさわしいものである。(③これほどに大事にしたので授かるはずである)
有鳥飛來集、樹翼以悲鳴。
そこへ鳥が飛んで来て木にとまり、羽ばたきをして、悲しげに鳴く。(④いくら待っても子ができない)
悲鳴復何為、丹華實不成。

その悲しげに鳴くのはなぜか。それはあかい花はりっばだが実がならないためなのだ。(⑤いくら待っても子ができない)

石榴【せきりゅう】を前庭に植う、緑葉【りょくよう】縹青【ひょうせい】を搖がす。
丹華灼【かしゃく】として烈烈、帷彩【いさい】として光榮有り。
光榮【こうえい】曄【よう】として流離【るり】、以て淑靈【しゅくれい】を戲らしむ可し。
鳥有り飛び乗り集まり、翼を樹って以て悲鳴す。
悲鳴夫れ何の爲めぞ、丹華は実成らず。

拊心長歎息、無子當歸甯。
わたしは胸をうって長いためいきをつくことになる。子がなければ実家に帰らねばならないのだ。
有子月經天、無子若流星。
子があれば月が天をわたると同じに晴れやかに一生をおえる。子がなければさ流れ星のように消え去るのみなのだ。
天月相終始、流星沒無精。
天の月はそのなかでいつまでも運行するが、流れ星は燃え尽きて消えればもう光明はない。
棲遲失所宜、下與瓦石并。
ぐずぐず日を過ごして、子作りの時機を逸してしまえば、流れ星のように下界で瓦や石ころ同様にされてしまうことになる。
憂懷從中來、歎息通鷄鳴。
そんな心配事を思えばせつない思いがが次々に湧いてきて、夜通し眠れず、鶏のなく時刻になって歎きの吐息をするのである。
反側不能寐、逍遙於前庭。
ねがえりしても眠られず、前庭をひとりでぶらつくのだ。
心を射ちて長に歎息す、子無くんは當に歸寧すべし。
子有らば月天を経り、子無くんは流星の若し。
天と月とは相終始するも、流星は捜して精無し。
棲遲して宜しき所を失はば、下 瓦石と幷【あわ】せらる。
憂懐 中従り来り、歎息して鶏鳴に通ず。
反側して寐【い】ぬる能はず、前庭に逍遙す。

歭躇還入房、肅肅帷幕聲。
あれこれ迷ってまたわが部屋に戻ると、ひっそりとしずまりかえっていてとばりの衝立の中の寝台の音だけがする。
搴帷更攝帶、撫節彈素箏。
そのとばりをかかげ、衣と帯をして衣裳ををととのえ、絃を指で押さえ撫でて白木の箏をかきならす。
慷慨有餘音、要妙悲且清。
意気が盛んな胸の思いをのせて余音は長く、妙なる調べは、悲しくもまたさやかにひびきわたる。
收淚長歎息、何以負神靈。
涙をおさめて長いため息をもらしつつ思う。神のみ心にどうしてわたしがそむくことができるというのでしょう。
招搖待霜露、何必春夏成。
北斗七星であるあの招揺の星も霜露の秋を待つものを、何も春や夏に急いで実を結ばねはならぬことはない。
晚穫為良實、願君且安甯。
収穫はおそければよい実がなるというもの、あなたもどうかあせらずに、しばらく心をおちつけていただきたい。

歭躇して還って房に入れば、肅肅たり 惟幕の聲。
帷を搴げ 更に帶を攝め、節を撫して素箏を弾ず。
慷慨餘音有り、要妙として悲しく且つ清し。
涙を収めて長歎息す、何を以てか神靈に負かん。
招揺霜露を待つ、何ぞ必ずしも春夏に成らん。
晩穫は良實と為る、願はくほ君且く安寧なれ。


『棄婦篇』 現代語訳と訳註
魚玄機55021(本文)

歭躇還入房、肅肅帷幕聲。
搴帷更攝帶、撫節彈素箏。
慷慨有餘音、要妙悲且清。
收淚長歎息、何以負神靈。
招搖待霜露、何必春夏成。
晚穫為良實、願君且安甯。


(下し文)
歭躇【ちちょ】して還って房に入れば、肅肅たり 惟幕の聲。
帷を搴げ 更に帶を攝め、節を撫して素箏を弾ず。
慷慨餘音有り、要妙として悲しく且つ清し。
涙を収めて長歎息す、何を以てか神靈に負かん。
招揺霜露を待つ、何ぞ必ずしも春夏に成らん。
晩穫は良實と為る、願はくほ君且く安寧なれ。


(現代語訳)
あれこれ迷ってまたわが部屋に戻ると、ひっそりとしずまりかえっていてとばりの衝立の中の寝台の音だけがする。
そのとばりをかかげ、衣と帯をして衣裳ををととのえ、絃を指で押さえ撫でて白木の箏をかきならす。
意気が盛んな胸の思いをのせて余音は長く、妙なる調べは、悲しくもまたさやかにひびきわたる。
涙をおさめて長いため息をもらしつつ思う。神のみ心にどうしてわたしがそむくことができるというのでしょう。
北斗七星であるあの招揺の星も霜露の秋を待つものを、何も春や夏に急いで実を結ばねはならぬことはない。
収穫はおそければよい実がなるというもの、あなたもどうかあせらずに、しばらく心をおちつけていただきたい。


(訳注)
歭躇還入房、肅肅帷幕聲。

あれこれ迷ってまたわが部屋に戻ると、ひっそりとしずまりかえっていてとばりの衝立の中の寝台の音だけがする。
・歭躇 歭䠧は躊躇と同じ意味の語。あれこれ迷って決心できないこと。ためらうこと。
・肅肅  (1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。  (2)おごそかなさま。


搴帷更攝帶、撫節彈素箏。
そのとばりをかかげ、衣と帯をして衣裳ををととのえ、絃を指で押さえ撫でて白木の箏をかきならす。


慷慨有餘音、要妙悲且清。
意気が盛んな胸の思いをのせて余音は長く、妙なる調べは、悲しくもまたさやかにひびきわたる。
・慷慨 1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。2 意気が盛んなこと。また、そのさま。情詩 曹植 魏詩<17>古詩源 巻三 643 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1789
曹植『情詩』
微陰翳陽景,清風飄我衣。
游魚潛淥水,翔鳥薄天飛。
眇眇客行士,徭役不得歸。
始出嚴霜結,今來白露晞。
遊者歎黍離,處者歌式微。
慷慨對嘉賓,悽愴內傷悲。
・要妙 幼抄とも書く。微妙の意。


收淚長歎息、何以負神靈。
涙をおさめて長いため息をもらしつつ思う。神のみ心にどうしてわたしがそむくことができるというのでしょう。


招搖待霜露、何必春夏成。
北斗七星であるあの招揺の星も霜露の秋を待つものを、何も春や夏に急いで実を結ばねはならぬことはない。
・招搖 北斗七星の柄の上端にある星。方向を指示し、それが西南を指すと秋になる。別にこれを桂樹の名と見る解もある。
・待霜露 何事も秋にならなければ成就せぬとの意。おなかに子供を宿しているかどうかがわかるということ。


晚穫為良實、願君且安甯。
収穫はおそければよい実がなるというもの、あなたもどうかあせらずに、しばらく心をおちつけていただきたい。

棄婦篇 曹植 魏詩<56-#2> 女性詩708 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2088

棄婦篇 曹植 魏詩
子無くして棄てられた妻の心をよんだもの、君主に棄てられた家臣も同様と考えて作ったものである。

2013年3月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

棄婦篇 曹植 魏詩<56-#2> 女性詩708 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2088



棄婦篇
石榴植前庭、綠葉搖縹青。
石榴の木を前庭に植えた。緑の葉がゆれて若葉の萌黄がはえる。(①嫁を娶った)
丹華灼烈烈、帷彩有光榮。
まっかな花が火の燃えるように輝き、きらきらと光って、とばりは五色にてりはえている。(②婚姻後の性交渉)
光好曄流離、可以戲淑靈。
その照栄えるさまの輝かしさは、まるで瑠璃の玉のようであり、これこそりっぱな神霊を宿らしめるにふさわしいものである。(③これほどに大事にしたので授かるはずである)
有鳥飛來集、樹翼以悲鳴。
そこへ鳥が飛んで来て木にとまり、羽ばたきをして、悲しげに鳴く。(④いくら待っても子ができない)
悲鳴復何為、丹華實不成。

その悲しげに鳴くのはなぜか。それはあかい花はりっばだが実がならないためなのだ。(⑤いくら待っても子ができない)

石榴【せきりゅう】を前庭に植う、緑葉【りょくよう】縹青【ひょうせい】を搖がす。
丹華灼【かしゃく】として烈烈、帷彩【いさい】として光榮有り。
光榮【こうえい】曄【よう】として流離【るり】、以て淑靈【しゅくれい】を戲らしむ可し。
鳥有り飛び乗り集まり、翼を樹って以て悲鳴す。
悲鳴夫れ何の爲めぞ、丹華は実成らず。

拊心長歎息、無子當歸甯。
わたしは胸をうって長いためいきをつくことになる。子がなければ実家に帰らねばならないのだ。
有子月經天、無子若流星。
子があれば月が天をわたると同じに晴れやかに一生をおえる。子がなければさ流れ星のように消え去るのみなのだ。
天月相終始、流星沒無精。
天の月はそのなかでいつまでも運行するが、流れ星は燃え尽きて消えればもう光明はない。
棲遲失所宜、下與瓦石并。
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ねがえりしても眠られず、前庭をひとりでぶらつくのだ。
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歭躇還入房、肅肅帷幕聲。
搴帷更攝帶、撫節彈素箏。
慷慨有餘音、要妙悲且清。
收淚長歎息、何以負神靈。
招搖待霜露、何必春夏成。
晚穫為良實、願君且安甯。
歭躇して還って房に入れば、肅肅たり 惟幕の聲。
帷を搴げ 更に帶を攝め、節を撫して素箏を弾ず。
慷慨餘音有り、要妙として悲しく且つ清し。
涙を収めて長歎息す、何を以てか神靈に負かん。
招揺霜露を待つ、何ぞ必ずしも春夏に成らん。
晩穫は良實と為る、願はくほ君且く安寧なれ。


oborotsuki01h『棄婦篇』 現代語訳と訳註
(本文)
拊心長歎息、無子當歸甯。
有子月經天、無子若流星。
天月相終始、流星沒無精。
棲遲失所宜、下與瓦石并。
憂懷從中來、歎息通鷄鳴。
反側不能寐、逍遙於前庭。

(下し文)
心を射ちて長に歎息す、子無くんは當に歸甯【きねい】すべし。
子有らば月天を経り、子無くんは流星の若し。
天と月とは相終始するも、流星は捜して精無し。
棲遲して宜しき所を失はば、下 瓦石と幷【あわ】せらる。
憂懐 中従り来り、歎息して鶏鳴に通ず。
反側して寐【い】ぬる能はず、前庭に逍遙す。


(現代語訳)
わたしは胸をうって長いためいきをつくことになる。子がなければ実家に帰らねばならないのだ。
子があれば月が天をわたると同じに晴れやかに一生をおえる。子がなければさ流れ星のように消え去るのみなのだ。
天の月はそのなかでいつまでも運行するが、流れ星は燃え尽きて消えればもう光明はない。
ぐずぐず日を過ごして、子作りの時機を逸してしまえば、流れ星のように下界で瓦や石ころ同様にされてしまうことになる。
そんな心配事を思えばせつない思いがが次々に湧いてきて、夜通し眠れず、鶏のなく時刻になって歎きの吐息をするのである。
ねがえりしても眠られず、前庭をひとりでぶらつくのだ。


(訳注)
拊心長歎息、無子當歸甯。
わたしは胸をうって長いためいきをつくことになる。子がなければ実家に帰らねばならないのだ。
・拊心 むねをうつ。拊は拍とおなじ。
・歸甯 寧とおなじ。やすらか。やすんずる。さとがえりする。


有子月經天、無子若流星。
子があれば月が天をわたると同じに晴れやかに一生をおえる。子がなければ流れ星のように消え去るのみなのだ。
・月経天 月が天を運行する。晴れやかなさまのたとえ。


天月相終始、流星沒無精。
天の月はそのなかでいつまでも運行するが、流れ星は燃え尽きて消えればもう光明はない。
・天月相終始 天上の中に包まれるように存在するという意味で、天の月に解す。相終始は終始変わらず循環する意で、相は月が一方的に循環する。相思の場合と同じで、互いにという意味だけでなく一方的に思うこと。
・精 光明。


魚玄機5x5棲遲失所宜、下與瓦石并。
ぐずぐず日を過ごして、子作りの時機を逸してしまえば、流れ星のように下界で瓦や石ころ同様にされてしまうことになる。
・棲遅 遊息すること。ここは夫の家にとどまってのんびり暮らす意。子供がいないと仕事をしていないわけであるから、ぐずぐず過ごすこと。


憂懷從中來、歎息通鷄鳴。
そんな心配事を思えばせつない思いがが次々に湧いてきて、夜通し眠れず、鶏のなく時刻になって歎きの吐息をするのである。


反側不能寐、逍遙於前庭。
ねがえりしても眠られず、前庭をひとりでぶらつくのだ。

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<55-#5> 女性詩706 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2078

陌上桑行 古詩・漢の無名氏
陌上桑は道のほとりの桑の意である。別の題名を「艶歌羅敷行」ともいい、王台新詠(巻二 には「日出東南隅行」とある。

2013年3月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<55-#5> 女性詩706 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2078
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原毀 韓愈(韓退之) <119-#2>Ⅱ中唐詩619 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2079
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集落日 杜甫 <427>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2080 杜甫詩1000-427-610/1500落日 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 22)
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集七里瀬 謝霊運<16> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2081 (03/17)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性暮春即事 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-107-42-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2082
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<55-#5> 女性詩706 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2078

この時代、一夫多妻制で、権力者はその力で美女を手元とに集めた。奇麗な女性を数多く妻にすることは、この時代の男性の評価基準とされるものなのである。場合によれば上位のものに献上するということも考えられる時代である。趣味と実用と、ある意味切り札にもなったのである。

舞台として、桑畑である、ここで働くのは寡婦という設定なのである。この詩の場合は、その夫が求婚者の太守以上の天子に御目見えしている高級官僚であるから、啖呵一括で終わりとなるのである。儒教者の節操という意味でいろんな寡婦像が描かれている中の一つである。

面白いのは、中国では、これが理不尽な求婚ではないということなのだ。この求婚した男に対する批判はないのである。男が、惚れぬいて妻にして、飽きたら捨てたとしても批判はされないのである。女は球根に対してのちに捨てられようとも断ることはできないので、求婚を受けるか、死ぬかの選択をせまられるのである。




陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
羅敷は養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。

頭上倭墮髻,耳中明月珠。

頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫の紋織物を上衣としている。
その美しい羅敷の姿に道行く男はみつめる。しかも荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁をととのえる。

少年見羅敷,脫帽著帩頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
若者の場合は羅敷を見ると髷を包んだ帽をぬいで、髪をつつんだ頭をあらわして大人びて見せる。
田を耕す人は持っていた犁を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。

來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
家に帰ってからそれがもとで怨んだり怒ったり、夫婦喧嘩をするのも、じつはただ羅敷を見てしまうことがもとなのだ。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
その日に、うわさを聞いた国の太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまって進もうとしないのである。
太守は役人をよこしてたずねる。「ここのあなたはどちらの家の娘殿であろうか」と。

“秦氏有好女,自名為羅敷。”
まわりの人々が答えた。「泰家の美しい娘、その名は羅敷さんとおっしゃいます」
“羅敷年幾何?”
「その羅敷とやらはいくつになられるのか」
“二十尚不足,十五頗有餘。”
「二十にはまだまだならないけれど、十五歳は過ぎて随分たっています」
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行くことはできませんか」と。
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはいったいなんと愚かなことを謂われます。
太守さまには自らもとめた奥さまがいらっしゃるし、羅敷にも自らもとめられた夫があります。

“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
東方地方軍における千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭におります。
それに「夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従えています。」

青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
青糸の紐を面繋から尻繋に押しかけし、それに黄金をからめてかざりをつけていいます」
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。
夫の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣なのです。
十五府小吏,二十朝大夫,
夫は十五の歳に役所の書記になっており、二十で朝廷の大夫になっています。
三十侍中郎,四十專城居。
三十では天子に近侍する侍従職、四十では一城の主となりました。
為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
生まれつきの体格にめぐまれ、性格もよくすっきりした色白で、ふさふさとしたあごひげをしております。
盈盈公府步,冉冉府中趨。
威風堂々と役所を歩みます、急がねばならない時にはさっさと役所内を急ぎまわるのです。
坐中數千人,皆言夫婿殊。”
参列に同坐の方々から朝廷の数千人のひとびとが、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します。」と。
(太守如きがこれ以上言うならば許しませんよ。早々に無礼を謝って立ち去りなさい。)

#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。
秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。
羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。
青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。
頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。
#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。
行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、
少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、
耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。
来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って踟躕【ちちゅう】す。
使君吏をして遣かしめ、問う 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。
「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅敷と為す」。
「羅敷は年幾何ぞ」。

oushokun04「二十には尚は足らず、十五頗【すこぶ】る餘り有り」 と。
使君羅敷に謝す、「寧ろ共に載【の】る可きや不【いな】」 と。
#4
羅敷前【すす】んで辭を致す、「使君一に何ぞ愚なる。
使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。
東方の千餘騎、夫婿【ふせい】は上頭に居る。
何を用てか夫婿を識る、白馬驪駒【りく】を從へ、
青絲を馬尾【ばび】に繋【か】け、黄金を馬頭に絡【まと】ふ。
#5
腰中の鹿盧の剣は、千萬徐に値す可し。
十五にして府の小史、二十にして朝の大夫。
三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。
人と為り潔白晰、鬑鬑【れんれん】頗【すこぶ】る須【ひげ】有り。
盈盈【えいえい】公府步,冉冉【ぜんぜん】として府中に趨【はしる】。
坐中の数千人、皆言ふ 『夫婿は殊なり』 と。


『陌上桑行』 現代語訳と訳註
(本文) #5

腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”


(下し文) #5
腰中の鹿盧の剣は、千萬徐に値す可し。
十五にして府の小史、二十にして朝の大夫。
三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。
人と為り潔白晰、鬑鬑【れんれん】頗【すこぶ】る須【ひげ】有り。
盈盈【えいえい】公府步,冉冉【ぜんぜん】として府中に趨【はしる】。
坐中の数千人、皆言ふ 『夫婿は殊なり』 と。


(現代語訳)
夫の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣なのです。
夫は十五の歳に役所の書記になっており、二十で朝廷の大夫になっています。
三十では天子に近侍する侍従職、四十では一城の主となりました。
生まれつきの体格にめぐまれ、性格もよくすっきりした色白で、ふさふさとしたあごひげをしております。
威風堂々と役所を歩みます、急がねばならない時にはさっさと役所内を急ぎまわるのです。
参列に同坐の方々から朝廷の数千人のひとびとが、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します。」と。
(太守如きがこれ以上言うならば許しませんよ。早々に無礼を謝って立ち去りなさい。)


(訳注) #5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。

夫の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣なのです。
・鹿盧劍 剣の柄頭に玉の轆櫓(井戸の滑車の形)を飾りとしたもの。ロクロ仕掛けの環がついているもののばあいもある。


十五府小吏,二十朝大夫,
夫は十五の歳に役所の書記になっており、二十で朝廷の大夫になっています。
府小史 役所の小書記。玉台新詠は小吏につくる。
・朝大夫 朝廷に職任ある重要な太夫。


三十侍中郎,四十專城居。
三十では天子に近侍する侍従職、四十では一城の主となりました。
・侍中郎 天子に近侍する郎官。侍従の職。侍中官・郎官と二つに分けて見るを要せねであろう。
・專城居 一城の持主。


為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
生まれつきの体格にめぐまれ、性格もよくすっきりした色白で、ふさふさとしたあごひげをしております。
・為人 人の性格にも体格にもいう。ここは、生まれつき、体についていう。体格的に能く性格のよいことを云う。
鬑鬑 髭のふさふさとして長いさま。


盈盈公府步,冉冉府中趨。
威風堂々と役所を歩みます、急がねばならない時にはさっさと役所内を急ぎまわるのです。
・盈盈 威風堂々とゆったりとするさま。
・冉冉 進むさま。
・趨 小またにはやく歩むこと。


坐中數千人,皆言夫婿殊。”
参列に同坐の方々から朝廷の数千人のひとびとが、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します。」と。
(太守如きがこれ以上言うならば許しませんよ。早々に無礼を謝って立ち去りなさい。)
・殊 特別。人と異なって勝れている意。
4岳陽樓詩人003

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#4> 女性詩705 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2073

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#4>

2013年3月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#4> 女性詩705 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2073
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#4> 女性詩705 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2073


陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
秦氏有好女,自名為羅敷。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。
羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
羅敷ほ養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。
青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。
頭上倭墮髻,耳中明月珠。
頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。
浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫の紋織物を上衣としている。
行者見羅敷,下擔捋髭須。
その美しい羅敷の姿に道行く男はみつめる。しかも荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁をととのえる。
少年見羅敷,脫帽著帩頭。
若者の場合は羅敷を見ると髷を包んだ帽をぬいで、髪をつつんだ頭をあらわして大人びて見せる。
耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
田を耕す人は持っていた犁を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
家に帰ってからそれがもとで怨んだり怒ったり、夫婦喧嘩をするのも、じつはただ羅敷を見てしまうことがもとなのだ。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。
その日に、うわさを聞いた国の太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまって進もうとしないのである。
使君遣吏往,問是誰家姝。
太守は役人をよこしてたずねる。「ここのあなたはどちらの家の娘殿であろうか」と。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
まわりの人々が答えた。「泰家の美しい娘、その名は羅敷さんとおっしゃいます」
“羅敷年幾何?”
「その羅敷とやらはいくつになられるのか」
“二十尚不足,十五頗有餘。”
「二十にはまだまだならないけれど、十五歳は過ぎて随分たっています」
“使君謝羅敷,寧可共載不?”

太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行くことはできませんか」と。
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!

青糸の紐を面繋から尻繋に押しかけし、それに黄金をからめてかざりをつけていいます」
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”
羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはいったいなんと愚かなことを謂われます。
使君自有婦,羅敷自有夫。”
太守さまには自らもとめた奥さまがいらっしゃるし、羅敷にも自らもとめられた夫があります。
“東方千餘騎,夫婿居上頭。
東方地方軍における千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭におります。
何用識夫婿?白馬從驪駒;
それに「夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従えています。」
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;

DCF00023#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。
秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。
羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。
青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。
頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。
#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。
行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、
少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、
耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。
来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って踟躕【ちちゅう】す。
使君吏をして遣かしめ、問う 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。
「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅敷と為す」。
「羅敷は年幾何ぞ」。
「二十には尚は足らず、十五頗【すこぶ】る餘り有り」 と。
使君羅敷に謝す、「寧ろ共に載【の】る可きや不【いな】」 と。
#4
羅敷前【すす】んで辭を致す、「使君一に何ぞ愚なる。
使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。
東方の千餘騎、夫婿【ふせい】は上頭に居る。
何を用てか夫婿を識る、白馬驪駒【りく】を從へ、
青絲を馬尾【ばび】に繋【か】け、黄金を馬頭に絡【まと】ふ。

#5
腰中の鹿盧の剣は、千萬徐に値す可し。
十五にして府の小史、二十にして朝の大夫。
三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。
人と為り潔白晰、鬑鬑として頗る鬚有り。
盈盈として公府に歩み、冉冉として府中に趨る。
坐中の数千人、皆言ふ 『夫婿は殊なり』 と。

 

『陌上桑』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;


(下し文) #4
羅敷前【すす】んで辭を致す、「使君一に何ぞ愚なる。
使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。
東方の千餘騎、夫婿【ふせい】は上頭に居る。
何を用てか夫婿を識る、白馬驪駒【りく】を從へ、
青絲を馬尾【ばび】に繋【か】け、黄金を馬頭に絡【まと】ふ。


桑摘女00(現代語訳)
羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはいったいなんと愚かなことを謂われます。
太守さまには自らもとめた奥さまがいらっしゃるし、羅敷にも自らもとめられた夫があります。
東方地方軍における千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭におります。
それに「夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従えています。」
青糸の紐を面繋から尻繋に押しかけし、それに黄金をからめてかざりをつけていいます」


(訳注)#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!

羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはいったいなんと愚かなことを謂われます。」
・使君 太守。天子に命ぜられて州の長官となるもの。


使君自有婦,羅敷自有夫。”
「太守さまには自らもとめた奥さまがいらっしゃるし、羅敷にも自らもとめられた夫があります。」


“東方千餘騎,夫婿居上頭。
「東方地方軍における千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭におります。」
・上頭 上位。その軍の頭(トップ)。


何用識夫婿?白馬從驪駒;
それに「夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従えています。」
・驪駒 純黒の駒。駒は二歳の馬、若ごま。軍の上位者は替え馬を持つ。


青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
青糸の紐を面繋から尻繋に押しかけし、それに黄金をからめてかざりをつけていいます」
・青絲係馬尾 ㋐馬の尾の下から後輪(しずわ)の四緒手(しおで)につなげる緒。㋑面繋(おもがい)・胸繋(むながい)および㋐の総称。三繋(さんがい)。押掛(おしかけ)。
2 牛の胸から尻にかけて取り付け、車の轅(ながえ)を固定させる緒。

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#3> 女性詩704 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2068

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩

2013年3月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#3> 女性詩704 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2068
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原鬼 韓愈(韓退之) <118-4>Ⅱ中唐詩617 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2069
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集早起 杜甫 <425>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2070 杜甫詩1000-425-608/1500早起 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 20) 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集富春渚 謝霊運<14> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2071 (03/15)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性過鄂州 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-105-40-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2072
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 漢詩<55-#3> 女性詩704 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2068


陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
羅敷ほ養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。

頭上倭墮髻,耳中明月珠。
頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫の紋織物を上衣としている。
その美しい羅敷の姿に道行く男はみつめる。しかも荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁をととのえる。

少年見羅敷,脫帽著帩頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
若者の場合は羅敷を見ると髷を包んだ帽をぬいで、髪をつつんだ頭をあらわして大人びて見せる。
田を耕す人は持っていた犁を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。

來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
家に帰ってからそれがもとで怨んだり怒ったり、夫婦喧嘩をするのも、じつはただ羅敷を見てしまうことがもとなのだ。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。
その日に、うわさを聞いた国の太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまって進もうとしないのである。
使君遣吏往,問是誰家姝。
太守は役人をよこしてたずねる。「ここのあなたはどちらの家の娘殿であろうか」と。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
まわりの人々が答えた。「泰家の美しい娘、その名は羅敷さんとおっしゃいます」
“羅敷年幾何?”
「その羅敷とやらはいくつになられるのか」
“二十尚不足,十五頗有餘。”
「二十にはまだまだならないけれど、十五歳は過ぎて随分たっています」
“使君謝羅敷,寧可共載不?”

太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行くことはできませんか」と。
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”


日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。
秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。
羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。
青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。
頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。
#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。
行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、
少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、
耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。
来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って踟躕【ちちゅう】す。
使君吏をして遣かしめ、問う 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。
「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅敷と為す」。
「羅敷は年幾何ぞ」。
「二十には尚は足らず、十五頗【すこぶ】る餘り有り」 と。
使君羅敷に謝す、「寧ろ共に載【の】る可きや不【いな】」 と。

#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。
使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。
東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。
何を用てか夫靖を識る、白馬驪駒を從へ、
青絲を馬尾に繋け、黄金を馬頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿盧の剣は、千萬徐に値す可し。
十五にして府の小史、二十にして朝の大夫。
三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。
人と為り潔白晰、鬑鬑として頗る鬚有り。
盈盈として公府に歩み、冉冉として府中に趨る。
坐中の数千人、皆言ふ 『夫婿は殊なり』 と。

桑摘女00 

『陌上桑』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”


(下し文) #3
使君南より来り、五馬立って踟躕【ちちゅう】す。
使君吏をして遣かしめ、問う 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。
「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅敷と為す」。
「羅敷は年幾何ぞ」。
「二十には尚は足らず、十五頗【すこぶ】る餘り有り」 と。
使君羅敷に謝す、「寧ろ共に載【の】る可きや不【いな】」 と。


(現代語訳)
その日に、うわさを聞いた国の太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまって進もうとしないのである。
太守は役人をよこしてたずねる。「ここのあなたはどちらの家の娘殿であろうか」と。
まわりの人々が答えた。「泰家の美しい娘、その名は羅敷さんとおっしゃいます」
「その羅敷とやらはいくつになられるのか」
「二十にはまだまだならないけれど、十五歳は過ぎて随分たっています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行くことはできませんか」と。


4岳陽樓詩人003(訳注)#3
使君從南來,五馬立踟躕。

その日に、うわさを聞いた国の太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまって進もうとしないのである。
使君 太守。天子に命ぜられて州の長官となるもの。
・五馬 中央政府の官が地方に転出して長官となると四頭馬車の外にさらに一頭を増して副え馬とし、五馬とする。
・踟躕 ためろうさま。


使君遣吏往,問是誰家姝。
太守は役人をよこしてたずねる。「ここのあなたはどちらの家の娘殿であろうか」と。
・妹 美女。むすめ。


“秦氏有好女,自名為羅敷。”
まわりの人々が答えた。「泰家の美しい娘、その名は羅敷さんとおっしゃいます」


“羅敷年幾何?”
「その羅敷とやらはいくつになられるのか」


“二十尚不足,十五頗有餘。”
「二十にはまだまだならないけれど、十五歳は過ぎて随分たっています」


使君謝羅敷,“寧可共載不?”
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行くことはできませんか」と。
海棠花002

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<56>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2063


陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<56>

2013年3月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<56>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2063
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

陌上桑行 古詩・漢の無名氏 魏詩<56>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2063


陌上桑は道のほとりの桑の意である。別の題名を「艶歌羅敷行」ともいい、王台新詠(巻二 には「日出東南隅行」とある。長詩なので5分割して掲載する。


陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。
東南の隅から出た朝日が昇る晩春のことである。まずわが秦氏の高殿を照らしている。
その秦氏に美しいむすめがいる。その名を自ら羅敷という。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。青絲為籠係,桂枝為籠鉤。
羅敷ほ養蚕が上手である、城郭の南隅の桑畑で桑つみをする。
その時の彼女の格好は青い糸を籠のひもにし、桂の枝を寵のさげ柄にしている。

頭上倭墮髻,耳中明月珠。
頭の上に髪のまげをむすびのこりのかみをそのしたに垂れている。耳には明月の珠をかざり、
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。
浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫の紋織物を上衣としている。
行者見羅敷,下擔捋髭須。
その美しい羅敷の姿に道行く男はみつめる。しかも荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁をととのえる。
少年見羅敷,脫帽著帩頭。
若者の場合は羅敷を見ると髷を包んだ帽をぬいで、髪をつつんだ頭をあらわして大人びて見せる。
耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
田を耕す人は持っていた犁を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。

家に帰ってからそれがもとで怨んだり怒ったり、夫婦喧嘩をするのも、じつはただ羅敷を見てしまうことがもとなのだ。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”

#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。
秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。
羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。
青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。
頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。
#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。
行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、
少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、
耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。
来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。

#3
使君南より来り、五馬立って蜘踊す。
使君束をして徒かしめ、間ふ 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。
「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅数と為す」。
「羅敷は年幾何ぞ」。
「二十には筒は足らず、十五頗る飴り有り」 と。
使君羅敦に謝す、「寧ろ共に載る可きゃ不」 と。
#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。
使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。
東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。
何を用てか夫靖を識る、白馬磯駒を徒へ、
青練を馬屋に繋け、黄金を番頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿底の鉱は、千萬徐に値す可し。
十五に心て府の小史、二十にして朝の大夫。
三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。
人と為り潔自習、孝養として頗る裏有り。
盈盈として公府に歩み、再再として府中に趨る。
坐中の数千人、皆言ふ 『夫巧は殊なり』 と。


桑摘女00

『陌上桑』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
少年見羅敷,脫帽著帩頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。


(下し文) #2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。
行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、
少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、
耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。
来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。


(現代語訳)
浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫の紋織物を上衣としている。
その美しい羅敷の姿に道行く男はみつめる。しかも荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁をととのえる。
若者の場合は羅敷を見ると髷を包んだ帽をぬいで、髪をつつんだ頭をあらわして大人びて見せる。
田を耕す人は持っていた犁を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。
家に帰ってからそれがもとで怨んだり怒ったり、夫婦喧嘩をするのも、じつはただ羅敷を見てしまうことがもとなのだ。

魚玄機5x5
(訳注) #2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。

浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫の紋織物を上衣としている。
・緗綺 緗は、浅黄色。綺は綾の古名で,単色の紋織物をさす。中国では古く戦国時代にすでに〈綺〉の名称があり,《戦国策》鮑彪の注には〈綺は文様のある繒(かとり,上質の平絹)〉とある。また《漢書》地理志の顔師古の注に〈綺は今日いう細かい綾〉とあり,元の《六書故》に,綺は彩糸で文様を織りだした錦に対し,単色で文様をあらわした織物であることが記されている。現存する作例,例えば馬王堆1号漢墓その他の出土例から古代の綺の特色を見ると,ほとんどが平地の経の浮紋織,あるいは平地の経綾の紋織になっている。
・上襦 襦は短い上衣、袖無しの羽織。


行者見羅敷,下擔捋髭須。
その美しい羅敷の姿に道行く男はみつめる。しかも荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁をととのえる。
・擔 肩にになった荷物。
・髭須 口ひげと頬ひげ。


少年見羅敷,脫帽著帩頭。
若者の場合は羅敷を見ると髷を包んだ帽をぬいで、髪をつつんだ頭をあらわして大人びて見せる。
・帩頭 元服をして結ぶ髻を巾で包む。
かしらつつみ。また単に帽の下にかぶる頭巾の一種ともいう。これを取って髪を見せるのは一人前の男らしく気取って見せる。

曹植5x5
耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
田を耕す人は持っていた犁を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。
・犁・鋤 犁はからすき、柄の曲がったもの、鋤は柄のまっすぐなもの。


來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
家に帰ってからそれがもとで怨んだり怒ったり、夫婦喧嘩をするのも、じつはただ羅敷を見てしまうことがもとなのだ。
・怨怒 垂は夫が羅敷に見とれて仕事を怠ったことを怨み、夫は妻が羅敷ほどの美しさのないことを怒る。
・坐 そのおかげ、原因をいう。

美女篇 曹植 魏詩<54-#3>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2053

美女篇 曹植 魏詩 古代中国の結婚感、女性感,貧しいものの生活について、人生を述べる詩 曹植哲学 多くの詩人が題材としたもの、結末が曹植らしい。

2013年3月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩美女篇 曹植 魏詩<54-#3>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2053
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原鬼 韓愈(韓退之) <118-1>Ⅱ中唐詩614 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2054
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集後遊 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 17)  杜甫 <422>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2055 杜甫詩1000-422-605/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集永初三年七月十六日之郡初発都 謝霊運<11> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2056 (03/12)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性遣懷 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-102-38-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2057
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

美女篇 曹植 魏詩<54-#3>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2053


美女篇
美女妖且閒,採桑歧路間。柔條紛冉冉,落葉何翩翩。
美しい女性が艶美でそしてものしずかである。彼女は分れ遺のところで、桑の葉を摘んでいる。
やわらかい枝は、あちこちに、伸びる様にしてなよやかにしなだれており、これが桑の落葉だとなんとひらわらと舞うことであろう。

攘袖見素手,皓腕約金環。頭上金爵釵,腰佩翠琅玕。
彼女の袖はまくりあげていて、白い素肌の手を見せている。白く映える腕には、金の腕輪をはめている。
頭には金の雀の形をしたかんざしをさし、腰に、青碧色の琅玕の玉つけている。

明珠交玉體,珊瑚間木難。
真珠が玉のような彼女の身体にまつわり、珊瑚に木難の珠がいりまじりあっている。

羅衣何飄飄,輕裾隨風還。顧眄遺光彩,長嘯氣若蘭。
うす絹の上衣はどうしてかひらひら揺れ動く。軽やかな着物のもすそは、風にふかれるかのように旋回して揺れあがり降りる。
彼女は向こうを向きふりかえると、その光り輝くながし目は強い印象を残す。長く吹く口笛の息がただようと、蘭の香を思わせる。

行徒用息駕,休者以忘餐。借問女何居?乃在城南端。
このみち行きかう人は、用事を忘れそこに車を留めて見るのである。そしてそのとどまったものは、そのため食事すら忘れてしまうほどである。
「貴女はどこにお住まいですか。」とたずねてみると、すると、「私は、町の正南門のみなみの区画でございます。」

青樓臨大路,高門結重關。
つづいて、「大通りに面した靑樓に居ります。高い門があり、厳重な関門に守られ、それにわたしじしんも自分を守っています。」と答える。

容華耀朝日,誰不希令顏。
はなやかな容貌が、朝日に照りかがやいている。この美しさを見て誰一人として、美貌を望まぬ者はありはしない。
媒氏何所營?玉帛不時安。
媒酌の使者は一体何をしているのだろう。最高の礼物をもって、しかるべき時にとどけられてはいないのであろうか、心配で落ち着けないのだ。
佳人慕高義,求賢良獨難。
美女は高い節操と仁義心のある人を慕っているが、賢者良人を求めるのは、それこそ本当にむつかしいことである。
眾人徒嗷嗷,安知彼所觀。
まわりの多くの人たちは、ただ、いたずらにガヤガヤいうものであるが、どうして、かの美人がこの事態を注意ぶかく観察していることを知り得ようか。
盛年處房室,中夜起長嘆。
それで彼の美人は、最高の娘ざかりの頃を、奥まった部屋にこもってしまって、夜中に起きあがって、長いためいきをもらしてしまうことになってしまうのだ。

美女妖にして且つ閑なり。桑を岐路の間に採る。
柔條紛として冉冉たり。葉落つること何ぞ翩翩たる。
袖を翩翩げて素手を見はせば、皓腕に金環を約す。
頭上には金爵の釵、腰に佩ぶは翠琅玕。
明珠玉膿に交はり、珊瑚木難に間はる。

羅衣何ぞ諷諷たる、軽裾風に隨って還る。
顧眄すれば光彩を遺し、長嘯すれば気蘭の若し。
行徒は用て駕を息め、休者は以て餐を忘る。
借間す女は安くにか宿る、乃ち城の南端に在り。
青樓 大路に臨み、高門 重関を結ぶ。

容華朝日に輝く、誰か令顔を希はざらん。
媒氏何の営む所ぞ、玉帛時に安んぜず。
佳人高義を慕ひ、賢を求むること良に濁り難し。
衆人徒 に嗷嗷たり、安くんぞ彼の観る所を知らん。
盛年房室に慮り、中夜起ちて長歎す。

00大豆畑

『美女』 現代語訳と訳註
(本文)

容華耀朝日,誰不希令顏。媒氏何所營?玉帛不時安。佳人慕高義,求賢良獨難。眾人徒嗷嗷,安知彼所觀。盛年處房室,中夜起長嘆。


(下し文)
容華朝日に輝く、誰か令顔を希はざらん。
媒氏何の営む所ぞ、玉帛時に安んぜず。
佳人高義を慕ひ、賢を求むること良に濁り難し。
衆人徒 に嗷嗷たり、安くんぞ彼の観る所を知らん。
盛年房室に慮り、中夜起ちて長歎す。


(現代語訳)
はなやかな容貌が、朝日に照りかがやいている。この美しさを見て誰一人として、美貌を望まぬ者はありはしない。
媒酌の使者は一体何をしているのだろう。最高の礼物をもって、しかるべき時にとどけられてはいないのであろうか、心配で落ち着けないのだ。
美女は高い節操と仁義心のある人を慕っているが、賢者良人を求めるのは、それこそ本当にむつかしいことである。
まわりの多くの人たちは、ただ、いたずらにガヤガヤいうものであるが、どうして、かの美人がこの事態を注意ぶかく観察していることを知り得ようか。
それで彼の美人は、最高の娘ざかりの頃を、奥まった部屋にこもってしまって、夜中に起きあがって、長いためいきをもらしてしまうことになってしまうのだ。


(訳注)
美女行・美女篇
 美人の容姿を描いて、賢い夫を得たいと思う心を歌った詩。題名は首句の二字をとったもの。
文選以外の諸本は美女を以て君子にたとえ、君子が美行あって賢君に事えたいと思っても、その人を得なければ召されて節を屈しない意を言ったと見ている。


容華耀朝日,誰不希令顏。
はなやかな容貌が、朝日に照りかがやいている。この美しさを見て誰一人として、美貌を望まぬ者はありはしない。
○容華 はなやかな容貌。
○希 願う。
○令顔 よい顔。美貌。


媒氏何所營?玉帛不時安。
媒酌の使者は一体何をしているのだろう。最高の礼物をもって、しかるべき時にとどけられてはいないのであろうか、心配で落ち着けないのだ。
○媒氏 媒酌の使者。#16為焦仲卿妻作-其七(7)-1「還家十餘日,縣令遣媒來。」
為焦仲卿妻作 (まとめその1) 漢詩<32>古詩源 巻三 女性詩615 漢文委員会
為焦仲卿妻作 (まとめ その-2) 漢詩<32>古詩源 巻三 女性詩615 漢文委員会
為焦仲卿妻作 (まとめ-3) 漢詩<32>古詩源 巻三 女性詩615 漢文委員会

玉帛 圭璋と束帛のこと。束ねた絹の上に玉を乗せることで、古代より最高の礼物のこと。もって結納とする。儀式のとき、飾りに用いる貴重な玉。。同為焦仲卿妻作詩#22(9)-2に「交語速裝束,絡繹如浮雲。青雀白鵠舫,四角龍子幡。婀娜隨風轉,金車玉作輪。躑躅青驄馬,流蘇金縷鞍。齎錢三百萬,皆用青絲穿。雜彩三百疋,交廣市鮭珍。從人四五百,鬱鬱登郡門。」とある。
不時安 おちつくべきときにおちつかない。。


佳人慕高義,求賢良獨難。
美女は高い節操と仁義心のある人を慕っているが、賢者良人を求めるのは、それこそ本当にむつかしいことである。
○佳人 美女をさす。古直は男子をさす。
○良 まことに。


眾人徒嗷嗷,安知彼所觀。
まわりの多くの人たちは、ただ、いたずらにガヤガヤいうものであるが、どうして、かの美人がこの事態を注意ぶかく観察していることを知り得ようか。
○徒嗷嗷 多くのものがガヤガヤ言うさま。また悪口をいうさまの意にもとれる。むやみに騒ぎあうこと。
○観 よく見る。注意して見る。「玉台新詠」では歓の字に作る。


盛年處房室,中夜起長嘆。
それで彼の美人は、最高の娘ざかりの頃を、奥まった部屋にこもってしまって、夜中に起きあがって、長いためいきをもらしてしまうことになってしまうのだ。
pla044

美女篇 曹植 魏詩<54-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2048

美女篇古代中国の結婚感、女性感,貧しいものの生活について、人生を述べる詩 曹植哲学

2013年3月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩

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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

美女篇 曹植 魏詩<54-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2048




美女篇
美女妖且閒,採桑歧路間。
美しい女性が艶美でそしてものしずかである。彼女は分れ遺のところで、桑の葉を摘んでいる。
柔條紛冉冉,落葉何翩翩。
やわらかい枝は、あちこちに、伸びる様にしてなよやかにしなだれており、これが桑の落葉だとなんとひらわらと舞うことであろう。
攘袖見素手,皓腕約金環。
彼女の袖はまくりあげていて、白い素肌の手を見せている。白く映える腕には、金の腕輪をはめている。
頭上金爵釵,腰佩翠琅玕。
頭には金の雀の形をしたかんざしをさし、腰に、青碧色の琅玕の玉つけている。
明珠交玉體,珊瑚間木難。
真珠が玉のような彼女の身体にまつわり、珊瑚に木難の珠がいりまじりあっている。

羅衣何飄飄,輕裾隨風還。
うす絹の上衣はどうしてかひらひら揺れ動く。軽やかな着物のもすそは、風にふかれるかのように旋回して揺れあがり降りる。
顧眄遺光彩,長嘯氣若蘭。
彼女は向こうを向きふりかえると、その光り輝くながし目は強い印象を残す。長く吹く口笛の息がただようと、蘭の香を思わせる。
行徒用息駕,休者以忘餐。
このみち行きかう人は、用事を忘れそこに車を留めて見るのである。そしてそのとどまったものは、そのため食事すら忘れてしまうほどである。
借問女何居?乃在城南端。
「貴女はどこにお住まいですか。」とたずねてみると、すると、「私は、町の正南門のみなみの区画でございます。」
青樓臨大路,高門結重關。
つづいて、「大通りに面した靑樓に居ります。高い門があり、厳重な関門に守られ、それにわたしじしんも自分を守っています。」と答える。

容華耀朝日,誰不希令顏。媒氏何所營?玉帛不時安。佳人慕高義,求賢良獨難。眾人徒嗷嗷,安知彼所觀。盛年處房室,中夜起長嘆。

美女妖にして且つ閑なり。桑を岐路の間に採る。
柔條紛として冉冉たり。葉落つること何ぞ翩翩たる。
袖を翩翩げて素手を見はせば、皓腕に金環を約す。
頭上には金爵の釵、腰に佩ぶは翠琅玕。
明珠玉膿に交はり、珊瑚木難に間はる。

羅衣何ぞ諷諷たる、軽裾風に隨って還る。
顧眄すれば光彩を遺し、長嘯すれば気蘭の若し。
行徒は用て駕を息め、休者は以て餐を忘る。
借間す女は安くにか宿る、乃ち城の南端に在り。
青樓 大路に臨み、高門 重関を結ぶ。

容華朝日に輝く、誰か令顔を希はざらん。
媒氏何の営む所ぞ、玉帛時に安んぜず。
佳人高義を慕ひ、賢を求むること良に濁り難し。
衆人徒 に嗷嗷たり、安くんぞ彼の観る所を知らん。
盛年房室に慮り、中夜起ちて長歎す。


李清照0002211道観『美女篇』 現代語訳と訳註
(本文)
羅衣何飄飄,輕裾隨風還。顧眄遺光彩,長嘯氣若蘭。行徒用息駕,休者以忘餐。借問女何居?乃在城南端。
青樓臨大路,高門結重關。


(下し文)
羅衣何ぞ諷諷たる、軽裾風に隨って還る。
顧眄すれば光彩を遺し、長嘯すれば気蘭の若し。
行徒は用て駕を息め、休者は以て餐を忘る。
借間す女は安くにか宿る、乃ち城の南端に在り。
青樓 大路に臨み、高門 重関を結ぶ。


(現代語訳)
うす絹の上衣はどうしてかひらひら揺れ動く。軽やかな着物のもすそは、風にふかれるかのように旋回して揺れあがり降りる。
彼女は向こうを向きふりかえると、その光り輝くながし目は強い印象を残す。長く吹く口笛の息がただようと、蘭の香を思わせる。
このみち行きかう人は、用事を忘れそこに車を留めて見るのである。そしてそのとどまったものは、そのため食事すら忘れてしまうほどである。
「貴女はどこにお住まいですか。」とたずねてみると、すると、「私は、町の正南門のみなみの区画でございます。」
つづいて、「大通りに面した靑樓に居ります。高い門があり、厳重な関門に守られ、それにわたしじしんも自分を守っています。」と答える。


(訳注)
美女行
・美女篇 美人の容姿を描いて、賢い夫を得たいと思う心を歌った詩。題名は首句の二字をとった。
文選以外の諸本は美女を以て君子にたとえ、君子が美行あって賢君に事えたいと思っても、その人を得なければ召されて節を屈しない意を言ったと見た。

羅衣何飄飄,輕裾隨風還。

うす絹の上衣はどうしてかひらひら揺れ動く。軽やかな着物のもすそは、風にふかれるかのように旋回して揺れあがり降りる。
○羅衣 この詩全体、「陌上桑行」の羅敷に基づく。美人の代名詞として様々な伝説をもつの「日出東南隅行」「艶歌行」や「羅敷」も「陌上桑」 と結び付くもの。
○飄飄 風にゆれ動くさま。「玉台新詠」「曹集」は飄飄に作る。
○裾 もすそ。スカート。
○還 旋回する。循環。


顧眄遺光彩,長嘯氣若蘭。
彼女は向こうを向きふりかえると、その光り輝くながし目は強い印象を残す。長く吹く口笛の息がただようと、蘭の香を思わせる。
○顧眄 ふりかえり見る。
○遺光彩 美しい輝きをあたえる。見るものの目に強い印象を残すこと。
○嘯 口笛をならす。


行徒用息駕,休者以忘餐。
このみち行きかう人は、用事を忘れそこに車を留めて見るのである。そしてそのとどまったものは、そのため食事すら忘れてしまうほどである。
○行徒 みち行く人。この詩全体、特にこの二句は古詩「陌上桑行」 の一部に学ぶ。
○息駕 車をとめてやすむ。
○餐 食事。


借問女何居?乃在城南端。
「貴女はどこにお住まいですか。」とたずねてみると、すると困惑げに答えた、「私は、町の正南門のみなみの区画でございます。」
○借間 ちょつとたずねる。試みに問う。
○乃 それはね。困惑した屈曲した感情を示す言葉。
・古詩漢の楽府『陌上桑』では「美女は南の隅で桑を摘む。青い糸の籠を手にして頭に明月の飾りをつけているところへ太守が通りかけ車を止めて見初める」というもの。「どこのむすめさんか」とたずねるのである。」


青樓臨大路,高門結重關。
つづいて、「大通りに面した靑樓に居ります。高い門があり、厳重な関門に守られ、それにわたしじしんも自分を守っています。」と答える。
○城南端 城はまち。家屋はすべて南が正面の門である。南端は城の正南門をいう。
○青楼 青い漆でぬった東にある高殿。通常宮女、女性の住む所で、子供が生まれることを希望して女性と接する場所。芸妓の場合は白、金色でしめされる。
○重関 二重の関門がある。忍び込むことが出来ないこと、貞操が守られていることの二重。
botan00

美女篇 曹植 魏詩<54-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2043

美女篇 曹植 魏詩<54-#1>

2013年3月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩美女篇 曹植 魏詩<54-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2043
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集述祖徳詩 二首(3)其二 謝霊運<9> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2046 (03/10)
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於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

美女篇 曹植 魏詩<54-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2043


美女篇
美女妖且閒,採桑歧路間。
美しい女性が艶美でそしてものしずかである。彼女は分れ遺のところで、桑の葉を摘んでいる。
柔條紛冉冉,落葉何翩翩。
やわらかい枝は、あちこちに、伸びる様にしてなよやかにしなだれており、これが桑の落葉だとなんとひらわらと舞うことであろう。
攘袖見素手,皓腕約金環。
彼女の袖はまくりあげていて、白い素肌の手を見せている。白く映える腕には、金の腕輪をはめている。
頭上金爵釵,腰佩翠琅玕。
頭には金の雀の形をしたかんざしをさし、腰に、青碧色の琅玕の玉つけている。
明珠交玉體,珊瑚間木難。

真珠が玉のような彼女の身体にまつわり、珊瑚に木難の珠がいりまじりあっている。


羅衣何飄飄,輕裾隨風還。顧眄遺光彩,長嘯氣若蘭。行徒用息駕,休者以忘餐。借問女何居?乃在城南端。
青樓臨大路,高門結重關。


容華耀朝日,誰不希令顏。媒氏何所營?玉帛不時安。佳人慕高義,求賢良獨難。眾人徒嗷嗷,安知彼所觀。盛年處房室,中夜起長嘆。

#1
美女妖にして且つ閑なり。桑を岐路の間に採る。
柔條紛として冉冉たり。葉落つること何ぞ翩翩たる。
袖を翩翩げて素手を見はせば、皓腕に金環を約す。
頭上には金爵の釵、腰に佩ぶは翠琅玕。
明珠玉膿に交はり、珊瑚木難に間はる。

#2
羅衣何ぞ諷諷たる、軽裾風に隨って還る。
顧眄すれば光彩を遺し、長嘯すれば気蘭の若し。
行徒は用て駕を息め、休者は以て餐を忘る。
借間す女は安くにか宿る、乃ち城の南端に在り。
青樓 大路に臨み、高門 重関を結ぶ。

#3
容華朝日に輝く、誰か令顔を希はざらん。
媒氏何の営む所ぞ、玉帛時に安んぜず。
佳人高義を慕ひ、賢を求むること良に濁り難し。
衆人徒 に嗷嗷たり、安くんぞ彼の観る所を知らん。
盛年房室に慮り、中夜起ちて長歎す。



珠櫻001









『美女』 現代語訳と訳註
(本文)
美女妖且閒,採桑歧路間。柔條紛冉冉,落葉何翩翩。
攘袖見素手,皓腕約金環。頭上金爵釵,腰佩翠琅玕。
明珠交玉體,珊瑚間木難。


(下し文)
美女妖にして且つ閑なり。桑を岐路の間に採る。
柔條紛として冉冉たり。葉落つること何ぞ翩翩たる。
袖を翩翩げて素手を見はせば、皓腕に金環を約す。
頭上には金爵の釵、腰に佩ぶは翠琅玕。
明珠玉膿に交はり、珊瑚木難に間はる。


(現代語訳)
美しい女性が艶美でそしてものしずかである。彼女は分れ遺のところで、桑の葉を摘んでいる。
やわらかい枝は、あちこちに、伸びる様にしてなよやかにしなだれており、これが桑の落葉だとなんとひらわらと舞うことであろう。
彼女の袖はまくりあげていて、白い素肌の手を見せている。白く映える腕には、金の腕輪をはめている。
頭には金の雀の形をしたかんざしをさし、腰に、青碧色の琅玕の玉つけている。
真珠が玉のような彼女の身体にまつわり、珊瑚に木難の珠がいりまじりあっている。


(訳注)
美女行

・美女篇 美人の容姿を描いて、賢い夫を得たいと思う心を歌った詩。題名は首句の二字をとった。
文選以外の諸本は美女を以て君子にたとえ、君子が美行あって賢君に事えたいと思っても、その人を得なければ召されて節を屈しない意を言ったと見た。


美女妖且閒,採桑歧路間。
美しい女性が艶美でそしてものしずかである。彼女は分れ遺のところで、桑の葉を摘んでいる。
・妖 艶美のさま。
・且 そして、その上。条件が重なることをあらわす言葉。桑は東に植えられるものであり、東で桑を積むのが東家の美女である。 楚の宋玉の『登徒子好色の賦』「臣が里の美しき者は、臣が東家の子に若くはなし。」とある。ここから美人のたとえを”東家之子”又は”東家之女”と。
・閑 ものしずかなさま。閑雅、しとやかなこと。「詩経」周南、関雌に、「窈窕たる淑女」と見え、毛伝に「窈窕は幽閉なり。」という


柔條紛冉冉,落葉何翩翩。
やわらかい枝は、あちこちに、伸びる様にしてなよやかにしなだれており、これが桑の落葉だとなんとひらわらと舞うことであろう。
・柔条 しなやかな若枝。
・紛 いりみだれるさま。
・冉冉 しだいに進んでいくさま。また、徐々に侵していくさま。なよなよとのひている意。漸進のさま、また柔弱のさま。なよやかにしなだれること。柔弱で下垂るさま古詩十九首第八首』「冉冉孤生竹,結根泰山阿。」古詩十九首之八 (8) 漢詩<95>Ⅱ李白に影響を与えた詩527 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1398
・落葉 白紙に落ちる柴ではなく、桑の木を下からたたくなどして、落としたものをいう。
・観劇 ひるがえるさま。


攘袖見素手,皓腕約金環。
彼女の袖はまくりあげていて、白い素肌の手を見せている。白く映える腕には、金の腕輪をはめている。
・攘袖 袖をまくりあげる。
・素手 白い干。
・皓腕 まっ白いうで。
・約金環 金の腕輪をはめる。


頭上金爵釵,腰佩翠琅玕。
頭には金の雀の形をしたかんざしをさし、腰に、青碧色の琅玕の玉つけている。
・金爵叙 金の経の形をしたかんぎし。爵は雀と同じ。雀をかたどった黄金のかんざし。
・琅玕 玉に似た美石。硬玉の一種。暗緑色、青碧色を呈する半透明の美石。崑崙山に産するという。


明珠交玉體,珊瑚間木難。
真珠が玉のような彼女の身体にまつわり、珊瑚に木難の珠がいりまじりあっている。
・明珠 真珠のこと。
・交 格と同義。まとう。
・木難 莫難とも書く。金趐鳥の唾からできた碧色の珠で、大泰国の珍という。一説には黄色の宝石。
botan00

怨歌行 曹植 魏詩<53-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2038

怨歌行 曹植 魏詩

2013年3月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩原人 二段目 韓愈(韓退之) <117-2>Ⅱ中唐詩611 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2039
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集題新津北橋樓得郊字 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 14)  杜甫 <419>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2040 杜甫詩1000-419-602/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集述祖徳詩 二首(2)其一 謝霊運<8> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2041 (03/09)
●森鴎外の小説 ”激しい嫉妬・焦燥に下女を殺してしまった『魚玄機』”といわれているがこれに疑問を持ち異なる視点で解釈して行く。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性感懷寄人 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-99-35-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2042
 
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

 



怨歌行 曹植 魏詩<53-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2038


怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
忠信事不顯,乃有見疑患。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
周公佐成王,金縢功不刋。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
推心輔王政,二叔反流言。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
待罪居東國,泣涕常流連。

罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。
#2
皇靈大動變,震雷風且寒。
拔樹偃秋稼,天威不可干。
周公が讒言によって退いて2年たった秋のこと、折しも天の霊は大変動をおこされた。雷はとどろき、風は荒れ、その上寒さはこれを襲ったのだ。
素服開金縢,感悟求其端。
樹々は根こそぎ倒され、秋の実りも倒れふしてしまった。まことに天の怒りは犯すべからざるものがあったということだ。
公旦事既顯,成王乃哀嘆。
そこで成王は礼服を身に着けて祈祷し、うやうやしく金滕を開かれて、天意を感じ悟られ、その端源をたしかめられたのである。
こうして、周公旦の忠誠の事実はあきらかとなり、成王はいたく哀しみ欺かれたのである。
吾欲竟此曲,此曲悲且長。
わたしはついにはこの曲を終わろうと思うところであるが、この曲は悲しくもまたその意味をかんがえるとつきぬものがあるのである。
今日樂相樂,別後莫相忘。

今日お互いに楽しみの時を過ごしているが、この宴席から別れた後も忘れないようにしようではないか。

君為ること既に易からず、臣爲ること良に濁り難し。
忠信事顯われずんば、乃ち疑わるるの患あり。
周公は成王を佐け、金縢功刋られず。
心を推して王室を輔くるに、二叔反って流言す。
罪を待ちて東国に居り、泣涕して常に留連す。

皇靈大いに動變し、震雷風ふいて且つ寒し。
樹を抜きて秋稼を偃し、天成干す可からず。
素服して金縢を開き、感悟して其の端を求む。
公旦事既に顯われ、成王乃ち哀嘆す。
吾此曲を竟えんと欲するも、此曲悲しく且つ長し。
今日欒しみて相欒しみ、別後相忘るること莫かれ。


『怨歌行』 現代語訳と訳註
(本文)
怨歌行 #2
皇靈大動變,震雷風且寒。
拔樹偃秋稼,天威不可干。
素服開金縢,感悟求其端。
公旦事既顯,成王乃哀嘆。
吾欲竟此曲,此曲悲且長。
今日樂相樂,別後莫相忘。


(下し文)
皇靈大いに動變し、震雷風ふいて且つ寒し。
樹を抜きて秋稼を偃し、天成干す可からず。
素服して金縢を開き、感悟して其の端を求む。
公旦事既に顯われ、成王乃ち哀嘆す。
吾此曲を竟えんと欲するも、此曲悲しく且つ長し。
今日欒しみて相欒しみ、別後相忘るること莫かれ。


(現代語訳)
周公が讒言によって退いて2年たった秋のこと、折しも天の霊は大変動をおこされた。雷はとどろき、風は荒れ、その上寒さはこれを襲ったのだ。
樹々は根こそぎ倒され、秋の実りも倒れふしてしまった。まことに天の怒りは犯すべからざるものがあったということだ。
そこで成王は礼服を身に着けて祈祷し、うやうやしく金滕を開かれて、天意を感じ悟られ、その端源をたしかめられたのである。
こうして、周公旦の忠誠の事実はあきらかとなり、成王はいたく哀しみ欺かれたのである。
わたしはついにはこの曲を終わろうと思うところであるが、この曲は悲しくもまたその意味をかんがえるとつきぬものがあるのである。
今日お互いに楽しみの時を過ごしているが、この宴席から別れた後も忘れないようにしようではないか。


(訳注) #2
皇靈大動變,震雷風且寒。

周公が讒言によって退いて2年たった秋のこと、折しも天の霊は大変動をおこされた。雷はとどろき、風は荒れ、その上寒さはこれを襲ったのだ。
皇靈 天の神様という意味。孔伝によると二年後の秋。
・大動變 天変地異。
・震雷 轟く雷。
・風且寒 風は荒れ、その上寒さが加わる。


拔樹偃秋稼,天威不可干。
樹々は根こそぎ倒され、秋の実りも倒れふしてしまった。まことに天の怒りは犯すべからざるものがあったということだ。
○偃 なびきふす。
○秋稼 秋のみのり。
○干 犯す。天に逆らったことを云う。


素服開金縢,感悟求其端。
そこで成王は礼服を身に着けて祈祷し、うやうやしく金滕を開かれて、天意を感じ悟られ、その端源をたしかめられたのである。
○素服開金縢 礼装して金滕をあける。金滕をひらくのは、占い、祈祷によって古い記録をしらべるためである。祈祷のための素服は白い服。金滕 金は金属。滕は封緘すること。建国間もない時期に兄・武王は病に倒れ、余命いくばくもないと言う状態に陥った。これを旦は嘆いて自らを生贄とすることで武王の病を治してほしいと願った。武王の病は一時回復したが、再び悪化して武王は崩御した。これが「金滕」の故事である。金は金属、滕は封じること。武王が病気になった時、周公は王室の動揺を恐れ、自ら武王の死に代わろうとの祈祷書を作った。時の史官がその書と、事の次第を録して金滕の箱の中に蔵めた。武王の死後、周公は流言に厄せられ、東方に遣りおること二年、時に天は風雷の災を下して国人大いに恐れたので、成王はその天変を卜しようと彼の金滕の箱を開いて始めて実を知り、おのれの流言を信じようとしたことを歎じた。
・其端 その発端、その原因、その端源。


公旦事既顯,成王乃哀嘆。
こうして、周公旦の忠誠の事実はあきらかとなり、成王はいたく哀しみ欺かれたのである。
〇公旦 周公のこと。


吾欲竟此曲,此曲悲且長。
わたしはついにはこの曲を終わろうと思うところであるが、この曲は悲しくもまたその意味をかんがえるとつきぬものがあるのである。


今日樂相樂,別後莫相忘。
今日お互いに楽しみの時を過ごしているが、この宴席から別れた後も忘れないようにしようではないか。


怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

怨歌行 曹植 魏詩

2013年3月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033



怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
忠信事不顯,乃有見疑患。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
周公佐成王,金縢功不刋。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
推心輔王政,二叔反流言。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
待罪居東國,泣涕常流連。

罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。
#2
皇靈大動變,震雷風且寒。
拔樹偃秋稼,天威不可干。
素服開金縢,感悟求其端。
公旦事既顯,成王乃哀嘆。
吾欲竟此曲,此曲悲且長。
今日樂相樂,別後莫相忘。

君為ること既に易からず、臣爲ること良に濁り難し。
忠信事顯われずんば、乃ち疑わるるの患あり。
周公は成王を佐け、金縢功刋られず。
心を推して王室を輔くるに、二叔反って流言す。
罪を待ちて東国に居り、泣涕して常に留連す。

皇靈大いに動變し、震雷風ふいて且つ寒し。
樹を抜きて秋稼を偃し、天成干す可からず。
素服して金縢を開き、感悟して其の端を求む。
公旦事既に顯われ、成王乃ち哀嘆す。
吾此曲を竟えんと欲するも、此曲悲しく且つ長し。
今日欒しみて相欒しみ、別後相忘るること莫かれ。


『怨歌行』 現代語訳と訳註
(本文)
怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。
忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。
推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。


(下し文)
君為ること既に易からず、臣爲ること良に濁り難し。
忠信事顯われずんば、乃ち疑わるるの患あり。
周公は成王を佐け、金縢功刋られず。
心を推して王室を輔くるに、二叔反って流言す。
罪を待ちて東国に居り、泣涕して常に留連す。


(現代語訳)
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。

曹植000
(訳注)
怨歌行

・怨歌行 友に向かって讒言によって貶められたことを訴える「うらみの歌」である。作者について異説があるが、曹植の作と見る。曹植独特の、忠誠信、道徳感をのべた「曹植哲学」というものである。
曹植は自分自身を周公になぞらえ、身にふりかかる明帝の疑惑を解こうとしたものとして解した。


為君既不易,為臣良獨難。
『論語』に言う「良い君主たることは、もとよりたやすくはないが、よい臣下たることも、まことにむつかしいものである。」と。
○この二句 「論語」子路篇に「人之言曰、為君難、為臣不易、如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎。」(人の言に曰く、君たること難く、臣たること易からずと。如し君たることの難きを知らば、一言にして邦を興すに幾からずや。)“人民の言葉に、「よき君主となることは困難であり、よき家臣となることも簡単ではない」というものがあります。もし本当によき君主になることの難しさが分かったら、この言葉ことわずか一言で国を隆盛させるものに近いでしょう。』”と見える。


忠信事不顯,乃有見疑患。
君につかえて忠誠・忠信の事実がまだ顕著でないと感じるうちは、疑念・疑惑をもたれているのではないかと心配するものである。
〇良まことに。
○忠信事不顕 忠誠・忠信であることの事実が疑われることのないほどに信頼され、信用されるまではというほどの意味である。そうでなければ、心なものの讒言により、貶められてしまう。軽挙妄動について心配することを云う。
○見疑患 たんなる愁い、心配でなく「みられる」→「疑われる」→「心配する。」・見 受身をあらわす。他のものから見られること。・患 憂い。心配。

minamo008
周公佐成王,金縢功不刋。
たとえば、周公は成王を輔佐したという、そしてその忠誠は「金滕」により確かめられたが、収めた功績はもともと永遠のものであったはずなのだ。
○周公 未詳-紀元前1105年頃の人。名は且、魯の開祖で周公は称号と思われる。文王の第四子で、初代武王の同母弟である。次兄・武王の補佐を勤め、さらに武王の少子(年少の子)の成王を補佐して建国直後の周を安定させた。太公望や召公奭と並び、周建国の大功臣の一人である。また旦は、礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。旦の時代から遅れること約500年の春秋時代に儒学を開いた孔子は魯の出身であり、旦を理想の聖人と崇め、常に旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかった(吾不復夢見周公)ので「年を取った」と嘆いたと言う。
〇成王 名は諭、聖の子。在位期間は紀元前1116―1079年。
○佐 輔佐する。もりとも、周公が如何なる形式で輔佐したかは、はっきりしていないが、この頃に、礼学の基礎を形作った人物とされ、周代の儀式・儀礼について書かれた『周礼』、『儀礼』を著したとされる。。
○金滕 金は金属。滕は封緘すること。建国間もない時期に兄・武王は病に倒れ、余命いくばくもないと言う状態に陥った。これを旦は嘆いて自らを生贄とすることで武王の病を治してほしいと願った。武王の病は一時回復したが、再び悪化して武王は崩御した。これが「金滕」の故事である。金は金属、滕は封じること。武王が病気になった時、周公は王室の動揺を恐れ、自ら武王の死に代わろうとの祈祷書を作った。時の史官がその書と、事の次第を録して金滕の箱の中に蔵めた。武王の死後、周公は流言に厄せられ、東方に遣りおること二年、時に天は風雷の災を下して国人大いに恐れたので、成王はその天変を卜しようと彼の金滕の箱を
開いて始めて実を知り、おのれの流言を信じようとしたことを歎じた。
○刋 きる。摩滅する。


推心輔王政,二叔反流言。
しかし、彼は誠心誠意王政を輔佐したのに、反対に管叔と蔡叔のふたりが「周公は幼主の為によくない」と流言飛語したのである。
〇推心 誠意をこめて行うこと。
〇二叔反流言 聖王とされる周の文王の不肖の子、管叔と蔡叔、武王の二弟のこと。鮮は管に封ぜられたので管叔といい、一度は蔡に封ぜられたので蔡叔という。二人は殷の紂王の子武康・祿父の相であった。武王の死後成王が幼かったので周公旦が摂政となった。管・蔡は国中に流言した、「周公は幼主の為によくない」と。周公は居を東都に避けた。後に成王は周公を迎えて帰ったので、管・蔡は懼れて、武康を立てて叛いた。成工は周公に命じてこれを討たせ、武康を誅し、管叔を殺し、蔡叔を追放してこれを遷したが、ついで彼もまた死んだ(『書経』金膽篇)。管叔[?~前1110ころ]中国、周の王族。文王の三男。武王の弟、周公の兄。名は鮮。管に封ぜられたのでこの姓がある。武王の死後、蔡(さい)に封ぜられた叔度とともに周に背き、周公に殺された。蔡叔度は、西周の諸侯である蔡の初代の君主。姓は姫で、名は度。周の文王の五男として生まれた。武王が殷を滅ぼすと、叔度は蔡(河南省駐馬店市上蔡県の南西)に封じられ、帝辛(紂王)の子の武庚を監視する任を与えられた。成王が即位すると、幼年であったため周公旦が摂政した。蔡叔度は周公旦が朝政を専断するのが不満で、管叔鮮とともに三監の乱を引き起こした。戦争に敗れると、周公旦によって郭邻に流され、配所で死去した。子の蔡仲が蔡に封じられて、祭祀を継いだ。

原性 韓愈(韓退之) 116-9>Ⅱ中唐詩607 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2019

に詳しく述べる。

待罪居東國,泣涕常流連。
罪のさばきを東国にみをかくして待つことになり、二年もの間常に涙を流す身となったのである。

白馬篇 曹植 魏詩<52-#3>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2028

白馬篇

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



白馬篇 曹植 魏詩<52-#3>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2028


白馬篇
白馬飾金羈,連翩西北馳。
白馬には黄金のおもがいを飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
借問誰家子?幽幷遊俠兒。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
少小去鄉邑,揚名沙漠垂。
小さいころに郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
宿昔秉良弓,楛矢何參差。
彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしている。
#2
控弦破左的,右發摧月支。
弦をひけば、まず、左のぶら下がっているまとを破り、右に矢を放てば、月支の板のまとをくだいた。
仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
また手を高くあげて合図して、飛び上がっている猿を迎え射ち、身を低くして、馬蹄のまとをコナゴナにした。
(紙の「左的」,板の「月支」、飛び上がっている「猿」、ロープの「馬蹄」ここまで次第に難しくなる4つの的をことごとく射抜いた。)
狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
その敏捷さたるや、猴、猿をもはるかにしのぎ、勇敢であり俊敏・軽快なることは、まるで豹かミズチかと見紛うばかりである。
邊城多驚急,虜騎數遷移。
国境の城塞では非常事態がしばしばおこるものであるが、それは、遊牧の異民族どもが不意に移動してくるに対処するためである。
羽檄從北來,厲馬登高堤。

兵を緊急召集する文書が北からくると、さんざん馬にむちうち、敵兵を食い止めるための防塁のところまで駆けつけるのである。
#3
長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
長駆して匈奴の軍を踏みくだき、左にかえして鮮卑の兵を踏みしだいてやる。
棄身鋒刃端,性命安可懷。
この身を鋒や兵刃のあいだにすてさるのは覚悟していることである。善悪・道徳・生命など、どうしておしいとおもうものか。
父母且不顧,何言子與妻。
そして、父母さえ顧みないのである。ましてや、なんで子や妻のことを口にしようものか。
名在壯士籍,不得中顧私。
名前が勇士の名簿につらねているからには、心中に私事を思うべきではないのである。
捐軀赴國難,視死忽如歸。
また身命をなげうって、国難におもむく上のことである。戦死ということに見合われた時には「帰るべきところに帰ることになるだけだ」(帰る時は死ぬ時だけだ)と考えている。

白馬篇
白馬 金羈を飾り、連翩として西北に翩す。
借問す 誰が家の子ぞ、幽幷の遊侠児。
少小にして郷邑を去り、声を沙漠の垂に揚ぐ。
宿昔 良弓を秉り、楛矢 何んぞ参差たる。

#2
弦を控きて左的を破り、右に発して月支を摧く。
手を仰げて飛猱を接ち、身を俯して馬蹄を散ず。
狡捷なる 猴猿に過ぎ、勇別なる 豹螭の若し。
邊城 驚急多く,虜騎 數ば遷移す。
羽檄 北從り來り,馬を厲まして高堤に登る。
#3
長驅して匈奴を蹈み,左顧して鮮卑を陵がん。
身を鋒刃の端に棄つ,性命 安んぞ懷う可けん。
父母すら且つ顧みず,何んぞ子と妻に言わん。
名は壯士の籍に在り,中に私を顧みるを得ず。
軀を捐てて國難に赴むく,死を視ること忽ち歸する如がし。


駿馬04











『白馬篇』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
棄身鋒刃端,性命安可懷。
父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。
捐軀赴國難,視死忽如歸。


(下し文) #3
長驅して匈奴を蹈み,左顧して鮮卑を陵がん。
身を鋒刃の端に棄つ,性命 安んぞ懷う可けん。
父母すら且つ顧みず,何んぞ子と妻に言わん。
名は壯士の籍に在り,中に私を顧みるを得ず。
軀を捐てて國難に赴むく,死を視ること忽ち歸する如がし。


(現代語訳)
長駆して匈奴の軍を踏みくだき、左にかえして鮮卑の兵を踏みしだいてやる。
この身を鋒や兵刃のあいだにすてさるのは覚悟していることである。善悪・道徳・生命など、どうしておしいとおもうものか。
そして、父母さえ顧みないのである。ましてや、なんで子や妻のことを口にしようものか。
名前が勇士の名簿につらねているからには、心中に私事を思うべきではないのである。
また身命をなげうって、国難におもむく上のことである。戦死ということに見合われた時には「帰るべきところに帰ることになるだけだ」(帰る時は死ぬ時だけだ)と考えている。


(訳注) #3
○白馬篇
 白馬にのる勇士の歌。「白馬篇」という題名の由来は、「名都篇」「美女篇」などと同じく、首句の二字をあてたもの。この詩は、曹操の勇臣で、幷州(山西・陝西の北部にあたる。)雁門出身の張遼のために作ったもので、建安十二年に、張遼が先鋒となり、「長駆して匈奴を踏ん」だ事実へ「魏志」武帝紀)ありという。この詩はを、李白、杜甫、王昌齢などの党の詩人と違い、曹植の体験による写実の作であるといわれているだけに迫力が違う。この詩の制作年代は、建安年間である。この十句は曹植の絶頂の時をあらわす迫力がある。おそらく曹操に認められ、評価を受けて自信満々の『檄文』である。


長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
長駆して匈奴の軍を踏みくだき、左にかえして鮮卑の兵を踏みしだいてやる。
〇匈奴 フンヌ。西北から北方の遊牧民族。万里の長城の向こう側の異民族を指す。
○陵 陵属、おかす。ふみつける。
○左顧 敵陣を背にしての方向性で、許都、洛陽に向かっての左方向。
○鮮卑 蒙古族の一つ。昔は興安嶺の東にいたが、三国当時は、敦煌から朔方、遼東、大遼江の北方にあって勢威強大であった。


棄身鋒刃端,性命安可懷。
この身を鋒や兵刃のあいだにすてさるのは覚悟していることである。善悪・道徳・生命など、どうしておしいとおもうものか。
○懐 おしむ。


父母且不顧,何言子與妻。
そして、父母さえ顧みないのである。ましてや、なんで子や妻のことを口にしようものか。
○且~ ~さえなお。程度の強調に用いる。


名在壯士籍,不得中顧私。
名前が勇士の名簿につらねているからには、心中に私事を思うべきではないのである。
○在 在籍する。
○中 心中。こころ。


捐軀赴國難,視死忽如歸。
また身命をなげうって、国難におもむく上のことである。戦死ということに見合われた時には「帰るべきところに帰ることになるだけだ」(帰る時は死ぬ時だけだ)と考えている。
『古詩十九首之第十四首』「思還故里閭,欲歸道無因。」(秋になれば儚さが増してくる、そう思うと、故郷が懐かしく、帰りたいとは思うが、道は遠く世は乱れ、帰る道すら求めがたいのである。)と対比してみると面白い。





白馬篇
白馬飾金羈,連翩西北馳。
借問誰家子?幽幷遊俠兒。
少小去鄉邑,揚名沙漠垂。
宿昔秉良弓,楛矢何參差。
#2
控弦破左的,右發摧月支。
仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
邊城多驚急,虜騎數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。
#3
長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
棄身鋒刃端,性命安可懷。
父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。
捐軀赴國難,視死忽如歸。


白馬篇 曹植 魏詩<52-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2023

白馬篇

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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性題隱霧亭 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-96-32-#  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2027
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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白馬篇 曹植 魏詩<52-#2>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2023


白馬篇
白馬飾金羈,連翩西北馳。
白馬には黄金のおもがいを飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
借問誰家子?幽幷遊俠兒。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
少小去鄉邑,揚名沙漠垂。
小さいころに郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
宿昔秉良弓,楛矢何參差。
彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしている。
#2
控弦破左的,右發摧月支。
弦をひけば、まず、左のぶら下がっているまとを破り、右に矢を放てば、月支の板のまとをくだいた。
仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
また手を高くあげて合図して、飛び上がっている猿を迎え射ち、身を低くして、馬蹄のまとをコナゴナにした。
(紙の「左的」,板の「月支」、飛び上がっている「猿」、ロープの「馬蹄」ここまで次第に難しくなる4つの的をことごとく射抜いた。)

狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
その敏捷さたるや、猴、猿をもはるかにしのぎ、勇敢であり俊敏・軽快なることは、まるで豹かミズチかと見紛うばかりである。
邊城多驚急,虜騎數遷移。
国境の城塞では非常事態がしばしばおこるものであるが、それは、遊牧の異民族どもが不意に移動してくるに対処するためである。
羽檄從北來,厲馬登高堤。
兵を緊急召集する文書が北からくると、さんざん馬にむちうち、敵兵を食い止めるための防塁のところまで駆けつけるのである
#3
長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
棄身鋒刃端,性命安可懷。
父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。
捐軀赴國難,視死忽如歸。


白馬 金羈を飾り、連翩として西北に翩す。
借問す 誰が家の子ぞ、幽幷の遊侠児。
少小にして郷邑を去り、声を沙漠の垂に揚ぐ。
宿昔 良弓を秉り、楛矢 何んぞ参差たる。

#2
弦を控きて左的を破り、右に発して月支を摧く。
手を仰げて飛猱を接ち、身を俯して馬蹄を散ず。
狡捷なる 猴猿に過ぎ、勇別なる 豹螭の若し。
邊城 驚急多く,虜騎 數ば遷移す。
羽檄 北從り來り,馬を厲まして高堤に登る。
#3
長驅して匈奴を蹈み,左顧して鮮卑を陵がん。
身を鋒刃の端に棄つ,性命 安んぞ懷う可けん。
父母すら且つ顧みず,何んぞ子と妻に言わん。
名は壯士の籍に在り,中に私を顧みるを得ず。
軀を捐てて國難に赴むく,死を視ること忽ち歸する如がし。


『白馬篇』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
控弦破左的,右發摧月支。
仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
邊城多驚急,虜騎數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。


(下し文)
弦を控きて左的を破り、右に発して月支を摧く。
手を仰げて飛猱を接ち、身を俯して馬蹄を散ず。
狡捷なる 猴猿に過ぎ、勇別なる 豹螭の若し。
邊城 驚急多く,虜騎 數ば遷移す。
羽檄 北從り來り,馬を厲まして高堤に登る。


(現代語訳)
弦をひけば、まず、左のぶら下がっているまとを破り、右に矢を放てば、月支の板のまとをくだいた。
また手を高くあげて合図して、飛び上がっている猿を迎え射ち、身を低くして、馬蹄のまとをコナゴナにした。
(紙の「左的」,板の「月支」、飛び上がっている「猿」、
ロープの「馬蹄」ここまで次第に難しくなる4つの的をことごとく射抜いた。)
その敏捷さたるや、猴、猿をもはるかにしのぎ、勇敢であり俊敏・軽快なることは、まるで豹かミズチかと見紛うばかりである。
国境の城塞では非常事態がしばしばおこるものであるが、それは、遊牧の異民族どもが不意に移動してくるに対処するためである。
兵を緊急召集する文書が北からくると、さんざん馬にむちうち、敵兵を食い止めるための防塁のところまで駆けつけるのである。


(訳注) #2
○白馬篇 白馬にのる勇士の歌。「白馬篇」という題名の由来は、「名都篇」「美女篇」などと同じく、首句の二字をあてたもの。この詩は、曹操の勇臣で、幷州(山西・陝西の北部にあたる。)雁門出身の張遼のために作ったもので、建安十二年に、張遼が先鋒となり、「長駆して匈奴を踏ん」だ事実へ「魏志」武帝紀)ありという。この詩はを、李白、杜甫、王昌齢などの党の詩人と違い、曹植の体験による写実の作であるといわれているだけに迫力が違う。この詩の制作年代は、建安年間である。


控弦破左的,右發摧月支。
弦をひけば、まず、左のぶら下がっているまとを破り、右に矢を放てば、月支の板のまとをくだいた。
○控弦 弓を番える。ひくこと。
○左的 紙が張ってある左方のまと。
○推 破壊する。
〇月支 素支ともいう。板の的の別名。


仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
また手を高くあげて合図して、飛び上がっている猿を迎え射ち、身を低くして、馬蹄のまとをコナゴナにした。
○接 飛ぶものを迎えて射ること
○飛猱 飛び上がっている猿。
○散 失で射あてて、バラバラにする。
○馬蹄 馬蹄の的、月支と同じく別の的名。ロープを張って馬蹄をかけておく。当たれば飛び散る。
紙の「左的」,板の「月支」、飛び上がっている「猿」、ロープの「馬蹄」ここまで次第に難しくなる4つの的をことごとく射抜いた。


狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
その敏捷さたるや、猴、猿をもはるかにしのぎ、勇敢であり俊敏・軽快なることは、まるで豹かミズチかと見紛うばかりである。
〇狡捷 敏捷。
○猴猿 どちらも猿。サルの中のサル。さるとさる。猿がたくさんいることであろう。
○勇剽 功敢で軽快。
○豹螭 獣の一種。豹とミズチ。


邊城多驚急,虜騎數遷移。
国境の城塞では非常事態がしばしばおこるものであるが、それは、遊牧の異民族どもが不意に移動してくるに対処するためである。
○辺城 国境の城塞。
○驚急 事変突発の報
○虜騎 北方の民族で遊牧生活を営む異民族をいう。匈奴をさしていう場合もある。虜とは外敵に対する属称で、異民族を蔑む意味である。
○遷移 居所をかえる遊牧民族なるが故に当然である。そのため定住する農耕の漢族と紛争も起る。


羽檄從北來,厲馬登高堤。
兵を緊急召集する文書が北からくると、さんざん馬にむちうち、敵兵を食い止めるための防塁のところまで駆けつけるのである。
○羽檄 檄とは兵を徴集する時に用いる文事長さ一尺二寸(中国尺)の木札。羽は木簡に羽をつければ、緊急の意味になることを示すもので「羽檄」という。
○属馬 馬をむちうって、早く走らすこと。
○登高堤 敵兵を食い止めるための防塁。万里の長城の小型の様なもの。塹壕もあったのではなかろうか。

白馬篇 曹植 魏詩<52>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2018

白馬篇

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白馬篇 曹植 魏詩<52>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2018


白馬篇
白馬飾金羈,連翩西北馳。
白馬には黄金のおもがいを飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
借問誰家子?幽幷遊俠兒。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
少小去鄉邑,揚名沙漠垂。
小さいころに郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
宿昔秉良弓,楛矢何參差。

彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしたという。
#2
控弦破左的,右發摧月支。
仰手接飛猱,俯身散馬蹄。
狡捷過猴猿,勇剽若豹螭。
邊城多驚急,虜騎數遷移。
羽檄從北來,厲馬登高堤。
#3
長驅蹈匈奴,左顧陵鮮卑。
棄身鋒刃端,性命安可懷。
父母且不顧,何言子與妻。
名在壯士籍,不得中顧私。
捐軀赴國難,視死忽如歸。


白馬 金羈を飾り、連翩として西北に翩す。
借問す 誰が家の子ぞ、幽幷の遊侠児。
少小にして郷邑を去り、声を沙漠の垂に揚ぐ。
宿昔 良弓を秉り、楛矢 何んぞ参差たる。

#2
弦を控きて左的を破り、右に発して月支を摧く。
手を仰げて飛猱を接ち、身を俯して馬蹄を散ず。
狡捷なる 猴猿に過ぎ、勇別なる 豹螭の若し。
邊城 驚急多く,虜騎 數ば遷移す。
羽檄 北從り來り,馬を厲まして高堤に登る。
#3
長驅して匈奴を蹈み,左顧して鮮卑を陵がん。
身を鋒刃の端に棄つ,性命 安んぞ懷う可けん。
父母すら且つ顧みず,何んぞ子と妻に言わん。
名は壯士の籍に在り,中に私を顧みるを得ず。
軀を捐てて國難に赴むく,死を視ること忽ち歸する如がし。


oushokun04



『白馬篇』 現代語訳と訳註
(本文)
白馬篇
白馬飾金羈,連翩西北馳。
借問誰家子?幽幷遊俠兒。
少小去鄉邑,揚名沙漠垂。
宿昔秉良弓,楛矢何參差。


(下し文)
白馬 金羈を飾り、連翩として西北に翩す。
借問す 誰が家の子ぞ、幽幷の遊侠児。
少小にして郷邑を去り、声を沙漠の垂に揚ぐ。
宿昔 良弓を秉り、楛矢 何んぞ参差たる。


(現代語訳)
白馬には黄金のおもがいを飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
小さいころに郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしたという。


(訳注)
白馬篇
○白馬篇
白馬にのる勇士の歌。「白馬篇」という題名の由来は、「名都篇」「美女篇」などと同じく、首句の二字をあてたもの。この詩は、曹操の勇臣で、幷州(山西・陝西の北部にあたる。)雁門出身の張遼のために作ったもので、建安十二年に、張遼が先鋒となり、「長駆して匈奴を踏ん」だ事実へ「魏志」武帝紀)ありという。この詩を、曹植の体験による写実の作であるといわれている。この詩の制作年代は、建安年間である。


白馬飾金羈,連翩西北馳。
白馬には黄金のおもがいを飾り、馬を連ねての早く軽やかにかけ、西北の戦地をめざして疾駆する。
○金羈 金製の面繋(おもがい)。くつわを釣るため、頭から頗にからむ組糸を属という。
○連翩 聯翩に同じ。鳥の列をなして飛ぶさま。ここでは馬を連ねての早く軽やかにかけるさまをいう。


借問誰家子?幽幷遊俠兒。
あの勇士の若者はどこの家のものかと問うてみた、勇士の名門の幽州、幷州出身の遊侠のものだという。
〇借問 試みにたずねる。
○幽幷 幽州と幷州。今の河北・山西・陝西の一部にあたる。古豪、勇士の出身地として知られる。
○遊俠兒 官途に就かず遊侠の男。死を軽んじ義を重んずる徒。「史記」の列伝に遊侠列伝あり。


少小去鄉邑,揚名沙漠垂。
小さいころに郷里を離れたものであり、年若くして辺境の砂漠においてその名をあげているという。
○少小 少年の頃。
○沙漠垂 北方の沙漠なる僻遠の地。垂ははて。


宿昔秉良弓,楛矢何參差。
彼はその昔、良弓を手に、箙にさした矢が取りやすくして背にさしたという。
○宿昔 ここではむかしの意。そのむかし。
○秉 手にとる。
○楛矢 楛はいばらに以た茎の赤い木。矢の材料となる。
○参差 箙【えびら】にさした矢が取りやすくしてあること。矢を構える際に重なっていると後れを取るので、わざわざ不揃いに射している。


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