漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

文選 献詩 四言詩

應詔詩 曹植 魏詩<76-#まとめ>文選 上 献詩 773 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2413

曹植 《應詔詩》 作者はかつて楊脩・應楊らと共に酒を飲んで、酔うた上に馬を司禁門に走らせたことがあった。兄文帝は即位の後これをとがめて鄄城侯(山東濮県東)に封じた。時に黄初三年(221)作者三十一歳の夏である。翌年洛陽に朝して、帝にまみえようとしたが許されず、西館に留め置かれた。この時「責躬詩」と「応詔詩」との二首をたてまつった。前者は己の非を責めて天子に拝謁を願う詩、後者は天子の詔を拝して上京入朝することを叙べた詩である。

2013年5月23日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。竹溪 韓愈(韓退之) <125>Ⅱ中唐詩686 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2414
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集陪李七司馬皂江上觀造竹橋即日成往來之人免冬寒入水聊題短作簡李公,二首之二 成都5-(41) 杜甫<466>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2415 
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江村即事 司空曙 唐五代詞・宋詩 薛濤-174-46-#36-#4  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2417
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 





應詔詩 曹植 魏詩<76-#まとめ>文選 上 献詩 773 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2413


應詔詩
肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。

#3
望城不過,面邑不游。
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
僕夫警策,平路是由。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
流風翼衡,輕雲承蓋。

くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。

#4
竹林0021涉澗之濱,綠山之隈。
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。
遵彼河滸,黃坂是階。
また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。
西濟關谷,或降或升。
西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。
鋋驂倦路,載寢載興。

車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。

#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。
これから聖皇帝にお目見得しょうとしている身である。どうして安閑としておられようものか。
珥節長騖,指日遄征。
時には、車をとどめて休息することもあるが、また遙かな道をはせて行く。太陽をゆびさしては、急ぎすすむのである。
前驅舉燧,后乘抗旌。
進行列のさきがけ役は、たいまつをかかげて道をてらし、進行のしんがり役は、はねのついた旗で進行のさしずをする。
輪不輟運,鸞無廢聲。
車輪はたえず回転し、車の鈴はなりつづける。

#6
爰暨帝室,稅此西墉。
天子の宮廷のあるところにようやく到着し、そこの西の館に宿をしたのである。
嘉詔未賜,朝覲莫從。
しかし、御目通りの詔を賜らないのであり、朝廷にお目見得するてだてもないのである。
仰瞻城閾,俯惟闕庭。
仕方なく、城内の門のしきみを、むなしく仰ぎみたり、こうべをたれて、皇居の庭の方へと、くさぐさの思いをはせるしかないのである。
長懷永慕,憂心如酲。
いついつまでも、君をなつかしみ、慕わしく思い、憂慮する心は、さながら悪酔いに沈んでいるかのようである。



#1
粛みて明詔【めいしょう】を承け、皇都に会するに應ず。
星陳 夙に駕し、馬に秣かひ車に脂さす。
彼の掌徒に命じ、我が征旅を粛す。
朝に鸞臺を発し、夕に蘭渚に宿す。
#2
芒芒たる原隰【げんしゅう】,祁祁【きき】たる士女。
彼の公田を經,我が稷黍【しょくしょ】樂しむ。
爰【ここ】に樛木【きゅうぼく】有り,重陰【ちょういん】匪れど息わず。
餱糧【こうりょう】有りと雖も,飢えて食うに遑【いとま】あらず。
#3
城を望めども過らず、邑【ゆう】に面【むかえ】へども遊ばず。
僕夫は警策し、平路に是れ由る。
玄駟【げんし】は藹藹【あいあい】として、鑣【くつわ】を揚げ沫を漂わす。
流風は衡【くびき】を翼【たす】け、軽雲は蓋【がい】を承【たす】く。
#4
潤の潜を捗り、山の隈を縁り。
彼の河の滸に遵い、黃坂に是れ階る。
西のかた關と谷を濟り,或いは降り、或いは升る。
鋋驂 路に倦み,載び寢ね載び興く。
#5
將に聖皇に朝せんとし,敢えて晏寧【あんねい】に匪ず。
節を珥め 長く騖【は】せ,日を指して遄【すみや】かに征く。
前驅 燧【すい】を舉げ,后乘【こうじょう】旌【しょう】を抗【あ】ぐ。
輪は運【め】ぐる輟【や】めず,鸞は聲を廢【や】むる無し。

#6
爰【ここ】に帝室に暨【いた】り,此の西墉【せいじょう】に稅【やど】る。
嘉詔【かしょう】未だ賜らざれば,朝覲【ちょうぎん】從【よし】莫し。
仰ぎて城閾【じょういき】を瞻て,俯して闕庭【けつてい】を惟う。
長く懷【なつか】しみ永く慕う,憂心 酲【てい】の如し。


應詔詩 曹植 魏詩<76-#6>文選 上 献詩 女性詩772 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2408

曹植 《應詔詩》 
天子の宮廷のあるところにようやく到着し、そこの西の館に宿をしたのである。
しかし、御目通りの詔を賜らないのであり、朝廷にお目見得するてだてもないのである。

2013年5月22日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩應詔詩 曹植 魏詩<76-#6>文選 上 献詩 女性詩772 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2408
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


應詔詩 曹植 魏詩<76-#5>文選 上 献詩 女性詩771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2403


應詔詩
肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。

#3
望城不過,面邑不游。
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
僕夫警策,平路是由。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
流風翼衡,輕雲承蓋。

くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。

#4
竹林0021涉澗之濱,綠山之隈。
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。
遵彼河滸,黃坂是階。
また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。
西濟關谷,或降或升。
西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。
鋋驂倦路,載寢載興。

車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。

#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。
これから聖皇帝にお目見得しょうとしている身である。どうして安閑としておられようものか。
珥節長騖,指日遄征。
時には、車をとどめて休息することもあるが、また遙かな道をはせて行く。太陽をゆびさしては、急ぎすすむのである。
前驅舉燧,后乘抗旌。
進行列のさきがけ役は、たいまつをかかげて道をてらし、進行のしんがり役は、はねのついた旗で進行のさしずをする。
輪不輟運,鸞無廢聲。
車輪はたえず回転し、車の鈴はなりつづける。

#6
爰暨帝室,稅此西墉。
天子の宮廷のあるところにようやく到着し、そこの西の館に宿をしたのである。
嘉詔未賜,朝覲莫從。
しかし、御目通りの詔を賜らないのであり、朝廷にお目見得するてだてもないのである。
仰瞻城閾,俯惟闕庭。
仕方なく、城内の門のしきみを、むなしく仰ぎみたり、こうべをたれて、皇居の庭の方へと、くさぐさの思いをはせるしかないのである。
長懷永慕,憂心如酲。
いついつまでも、君をなつかしみ、慕わしく思い、憂慮する心は、さながら悪酔いに沈んでいるかのようである。

#6
爰【ここ】に帝室に暨【いた】り,此の西墉【せいじょう】に稅【やど】る。
嘉詔【かしょう】未だ賜らざれば,朝覲【ちょうぎん】從【よし】莫し。
仰ぎて城閾【じょういき】を瞻て,俯して闕庭【けつてい】を惟う。
長く懷【なつか】しみ永く慕う,憂心 酲【てい】の如し。


『應詔詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#6
爰暨帝室,稅此西墉。嘉詔未賜,朝覲莫從。
仰瞻城閾,俯惟闕庭。長懷永慕,憂心如酲。


(下し文) #6
爰【ここ】に帝室に暨【いた】り,此の西墉【せいじょう】に稅【やど】る。
嘉詔【かしょう】未だ賜らざれば,朝覲【ちょうぎん】從【よし】莫し。
仰ぎて城閾【じょういき】を瞻て,俯して闕庭【けつてい】を惟う。
長く懷【なつか】しみ永く慕う,憂心 酲【てい】の如し。


(現代語訳)
天子の宮廷のあるところにようやく到着し、そこの西の館に宿をしたのである。
しかし、御目通りの詔を賜らないのであり、朝廷にお目見得するてだてもないのである。
仕方なく、城内の門のしきみを、むなしく仰ぎみたり、こうべをたれて、皇居の庭の方へと、くさぐさの思いをはせるしかないのである。
いついつまでも、君をなつかしみ、慕わしく思い、憂慮する心は、さながら悪酔いに沈んでいるかのようである。


(訳注) #6
○この段はようやく皇居についたものの、お目見得できぬ遣り切れなさを歌ったもの。

王屋山01
爰暨帝室,稅此西墉。
天子の宮廷のあるところにようやく到着し、そこの西の館に宿をしたのである。
○爰 発語。語頭の助辞で、かるくそわった言葉。「詩経」によく用いられる。
○暨 いたる、望。
○帝室 天子のおられる所。
○税 やどる。
○西墉 西館をさす。墉とは城壁をいう。


嘉詔未賜,朝覲莫從。
しかし、御目通りの詔を賜らないのであり、朝廷にお目見得するてだてもないのである。
○朝覲 天子にお目通りすること。覲は兄の意。
○従 由に同じ。てだて、すべ。


仰瞻城閾,俯惟闕庭。
仕方なく、城内の門のしきみを、むなしく仰ぎみたり、こうべをたれて、皇居の庭の方へと、くさぐさの思いをはせるしかないのである。
〇仰 あおぎみる。
○城閾 宮城の門のしきみ。門戸の内外の区ぎりをするため、しく横木を閾という。
○惟 色色思案すること。
○闕庭 宮門内の庭、闕は宮門。


長懷永慕,憂心如酲。
いついつまでも、君をなつかしみ、慕わしく思い、憂慮する心は、さながら悪酔いに沈んでいるかのようである。
○懐 思いしたうこと。
○憂心如醍 憂慮して、心が悪酔のように茫然としていること。酲は二日酔とも、酒の酔のさめない状態ともいう。


應詔詩
肅承明詔,應會皇都。星陳夙駕,秣馬脂車。
命彼掌徒,肅我征旅。朝發鸞台,夕宿蘭渚。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。經彼公田,樂我稷黍。
爰有樛木,重陰匪息。雖有餱糧,飢不遑食。
#3
望城不過,面邑不游。僕夫警策,平路是由。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。流風翼衡,輕雲承蓋。
#4
涉澗之濱,綠山之隈。遵彼河滸,黃坂是階。
西濟關谷,或降或升。鋋驂倦路,載寢載興。
#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。珥節長騖,指日遄征。
前驅舉燧,后乘抗旌。輪不輟運,鸞無廢聲。
#6
爰暨帝室,稅此西墉。嘉詔未賜,朝覲莫從。
仰瞻城閾,俯惟闕庭。長懷永慕,憂心如酲。

應詔詩 曹植 魏詩<76-#5>文選 上 献詩 女性詩771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2403

曹植 《應詔詩》 
これから聖皇帝にお目見得しょうとしている身である。どうして安閑としておられようものか。時には、車をとどめて休息することもあるが、また遙かな道をはせて行く。太陽をゆびさしては、急ぎすすむのである。進行列のさきがけ役は、たいまつをかかげて道をてらし、進行のしんがり役は、はねのついた旗で進行のさしずをする。


2013年5月21日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩應詔詩 曹植 魏詩<76-#5>文選 上 献詩 女性詩771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2403
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。月臺 韓愈(韓退之) <123>Ⅱ中唐詩684 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2404
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集王竟攜酒,高亦同過,共用寒字 七言律詩 成都5-(39) 杜甫 <464>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2405 杜甫詩1000-464-675/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性題凌云寺 司空曙 唐五代詞・宋詩 薛濤-172-44-#36-#2  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2407
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



應詔詩 曹植 魏詩<76-#5>文選 上 献詩 女性詩771 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2403


應詔詩
肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。

#3
望城不過,面邑不游。
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
僕夫警策,平路是由。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
流風翼衡,輕雲承蓋。

くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。

#4
竹林0021涉澗之濱,綠山之隈。
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。
遵彼河滸,黃坂是階。
また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。
西濟關谷,或降或升。
西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。
鋋驂倦路,載寢載興。

車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。

#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。
これから聖皇帝にお目見得しょうとしている身である。どうして安閑としておられようものか。
珥節長騖,指日遄征。
時には、車をとどめて休息することもあるが、また遙かな道をはせて行く。太陽をゆびさしては、急ぎすすむのである。
前驅舉燧,后乘抗旌。
進行列のさきがけ役は、たいまつをかかげて道をてらし、進行のしんがり役は、はねのついた旗で進行のさしずをする。
輪不輟運,鸞無廢聲。

#5
車輪はたえず回転し、車の鈴はなりつづける。

#5
將に聖皇に朝せんとし,敢えて晏寧【あんねい】に匪ず。
節を珥め 長く騖【は】せ,日を指して遄【すみや】かに征く。
前驅 燧【すい】を舉げ,后乘【こうじょう】旌【しょう】を抗【あ】ぐ。
輪は運【め】ぐる輟【や】めず,鸞は聲を廢【や】むる無し。


『應詔詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。珥節長騖,指日遄征。
前驅舉燧,后乘抗旌。輪不輟運,鸞無廢聲。


花蕊夫人006(下し文) #5
將に聖皇に朝せんとし,敢えて晏寧【あんねい】に匪ず。
節を珥め 長く騖【は】せ,日を指して遄【すみや】かに征く。
前驅 燧【すい】を舉げ,后乘【こうじょう】旌【しょう】を抗【あ】ぐ。
輪は運【め】ぐる輟【や】めず,鸞は聲を廢【や】むる無し。


(現代語訳) #5
これから聖皇帝にお目見得しょうとしている身である。どうして安閑としておられようものか。
時には、車をとどめて休息することもあるが、また遙かな道をはせて行く。太陽をゆびさしては、急ぎすすむのである。
進行列のさきがけ役は、たいまつをかかげて道をてらし、進行のしんがり役は、はねのついた旗で進行のさしずをする。
車輪はたえず回転し、車の鈴はなりつづける。


(訳注) #5
將朝聖皇,匪敢晏寧。
これから聖皇帝にお目見得しょうとしている身である。どうして安閑としておられようものか。
○朝聖皇 ひじりの君にお目見えする。
○匪敢 不敢に同じ。無理に~しない・決して~しない。敬は謙辞としても、しばしば用いられる。
○晏寧 安閑とする。


珥節長騖,指日遄征。
時には、車をとどめて休息することもあるが、また遙かな道をはせて行く。太陽をゆびさしては、急ぎすすむのである。
○珥節長騖 ①時には車をとどめて休息し、また、はるかな道をはせて行く、②馬の手綱をとりつつ速い道のりをはせる。
○指日 日を天子または都のたとえとして用いたと考えたい。また時間の推移をあらわすものと考えることも可能だ。
○遄征 遄はすみやか。征は行く。


前驅舉燧,后乘抗旌。
進行列のさきがけ役は、たいまつをかかげて道をてらし、進行のしんがり役は、はねのついた旗で進行のさしずをする。
○前駆 さきがけ、つゆはらい役。『詩経、衛風、伯兮』「伯兮朅兮、邦之桀兮。 伯也執殳、為王前驅。」(伯や朅なり、邦の桀なり。 伯也殳、伯や殳を執り、王の為に前駆す)。
○燧 のろし、たいまつ。挙燈は夜の道中に、火をかかげで行くことをいう。
○后乘 しんがり。前駆に対するもの。
○抗旌 はたをあげる。旌は旗の一種、さいた鳥の羽をはた竿の先につけたもので、士卒を進めるもの。


輪不輟運,鸞無廢聲。
車輪はたえず回転し、車の鈴はなりつづける。
〇輟運 回転をやめる。
○鸞 鈴のこと。馬のくつわにつき、鸞鳥のような声を出すとも、車のくびきにつき、鸞鳥が口に含むともいう。

應詔詩 曹植 魏詩<76-#4>文選 上 献詩 女性詩770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2398

曹植 《應詔詩》 魏詩
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。

2013年5月20日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


應詔詩 曹植 魏詩<76-#4>文選 上 献詩 女性詩770 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2398


應詔詩
肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。

#3
望城不過,面邑不游。
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
僕夫警策,平路是由。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
流風翼衡,輕雲承蓋。

くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。

#4
竹林0021涉澗之濱,綠山之隈。
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。
遵彼河滸,黃坂是階。
また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。
西濟關谷,或降或升。
西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。
鋋驂倦路,載寢載興。

車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。
潤の潜を捗り、山の隈を縁り。
彼の河の滸に遵い、黃坂に是れ階る。
西のかた關と谷を濟り,或いは降り、或いは升る。
鋋驂 路に倦み,載び寢ね載び興く。


『應詔詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
涉澗之濱,綠山之隈。遵彼河滸,黃坂是階。
西濟關谷,或降或升。鋋驂倦路,載寢載興。


(下し文) #4
潤の潜を捗り、山の隈を縁り。
彼の河の滸に遵い、黃坂に是れ階る。
西のかた關と谷を濟り,或いは降り、或いは升る。
鋋驂 路に倦み,載び寢ね載び興く。


(現代語訳)
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。
また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。
西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。
車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。


(訳注) #4
涉澗之濱,綠山之隈。
時には、谷川の水辺を通り、山のいりくんだ隈を周囲をふちどるようにすすむ。
○渉 接触して近よること。かちわたる意にも解せる。
○澗 山の谷川。
○浜 岸、水辺。
○縁 周囲をふちどるようにすすむこと。
○隈 屈曲したところ。入りくんだところ。


遵彼河滸,黃坂是階。
また、かの河の岸によりしたがってすすみ、黄土のおおう坂道によってすすむ。
○遵 したがって、通る。遵行する。
○彼河滸 彼は軽くそわった助辞。河は黄河又はその支流。滸は岸、水辺。『詩経、王風、葛藟』に「河の清に滸り」とみえる。 
○黄坂 黄土のおおう坂。
○是 話中の助辞で、目的語と動詞を倒置する時、その間に入れられる。
○階 因る。

 
西濟關谷,或降或升。
西のかたをめざして、関所や渓谷をわたりすぎる。その間、時には下に降りたり、時には上に登るのである。
○済 水を渡ること。一本は臍(のぼる)に作る。
○関谷 関谷は固有名詞ではない。関は境界の大切な道に設けられた関所で、谷は山谷の意。洛陽の西方の関所と、南方の伊関(竜門山ともいう)の渓谷、洛陽の東方にあたる古兗州の鄄城より来た曹植の道程としてはありえない。

曹植洛陽地図02
鋋驂倦路,載寢載興。
車をひく馬は旅路につかれ、一行の人々は寝る時間も少く、辛労を重ねる。
○鋋驂 鋋も驂も、四頭立ての左右の外側につないだ馬、中央の二頭を服という。「詩経」鄭風、大叔子田に、「両驂雁行す」とみえ、韓諸説に「両驂は左右の鋋驂なり」という。
○載寢載興 おそくねては早く起き、早く起きてはおそくねる意で、旅程をいそぎ辛労するさまをいったものであろう。

應詔詩 曹植 魏詩<76-#3>文選 上 献詩 女性詩769 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2393

曹植 《應詔詩》 魏詩
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。

 

2013年5月19日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



應詔詩 曹植 魏詩<76-#3>文選 上 献詩 女性詩769 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2393


應詔詩
肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。

朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。

#3
望城不過,面邑不游。
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
僕夫警策,平路是由。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
流風翼衡,輕雲承蓋。

吹き流れる風は、くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。


銅雀臺00『應詔詩』 現代語訳と訳註
(本文) ##3
望城不過,面邑不游。僕夫警策,平路是由。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。流風翼衡,輕雲承蓋。


(下し文)
城を望めども過らず、邑【ゆう】に面【むかえ】へども遊ばず。
僕夫は警策し、平路に是れ由る。
玄駟【げんし】は藹藹【あいあい】として、鑣【くつわ】を揚げ沫を漂わす。
流風は衡【くびき】を翼【たす】け、軽雲は蓋【がい】を承【たす】く。


(現代語訳)
都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
吹き流れる風は、くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。


(訳注) #3
望城不過,面邑不游。

都市に入るにながめてみて、通りすぎることをしない。まち中にむかっても、遊びに行くことをしない。
○城 都市、まち。
○過 中を通る。
〇両邑 面は向う。邑はまち。
○遊 行く。「礼記」曲礼にみえる。遊覧の意に解し、ここでは過に対するものい。


僕夫警策,平路是由。
御者に馬をむちうたせて、馬車を早く走らせ、平らな道に従ってひたすら進むのだ。
○僕夫 御(馭)者をいう。『離騒』「陟陞皇之赫戯兮,忽臨睨夫舊郷僕夫悲余馬懷兮,蜷局顧而不行。」(皇の赫戲たるに陟陞し、忽ち夫の舊郷を臨睨す。  僕夫悲しみ餘が馬懷ひ、蜷局として顧みて行かず。)
「日の光の輝く皇天に上り、そこから故郷を眺め渡すと、馭者たちは悲しみ、馬は故郷を慕い、何度も振り返っては前へ進まない(赫戲:陽光の輝かしいさま、陟陞:登る、蜷局:振り返りつつ進まないさま)」
○警策 馬にむちうち早く走らせること。
○平路 平らなみち。
○由 従う。


玄駟藹藹,揚鑣漂沫。
黒毛の四頭の馬は、その勢いすさまじく、くつわをふりあげ、あわを吹いて疾駆する。
○玄駟 黒毛の四頭だての馬。一車には四頭の馬をつなぐ。
○藹藹 盛んなるさま。
○鑣 くつわ。
○漂沫 あわを吹く。漂は液体の流れること。馬が疾駆するためにあわをふくのである。


流風翼衡,輕雲承蓋。
吹き流れる風は、くびきの負担を少くし、軽ろやかな雲は、車のおおいの後ろに沸き起こりおしすすめる。
○翼衡 翼はたすける。衡は馬につけるくびき、よこぎ。
○承蓋 「軽雲承蓋」は、車は飛びかける如く疾駆して、軽やかな雲が、車蓋につらなるという意となる。



應詔詩
肅承明詔,應會皇都。星陳夙駕,秣馬脂車。
命彼掌徒,肅我征旅。朝發鸞台,夕宿蘭渚。

#2
芒芒原隰,祁祁士女。經彼公田,樂我稷黍。
爰有樛木,重陰匪息。雖有餱糧,飢不遑食。
#3
望城不過,面邑不游。僕夫警策,平路是由。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。流風翼衡,輕雲承蓋。
#4
涉澗之濱,綠山之隈。遵彼河滸,黃坂是階。
西濟關谷,或降或升。鋋驂倦路,載寢載興。
#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。珥節長騖,指日遄征。
前驅舉燧,后乘抗旌。輪不輟運,鸞無廢聲。
#6
爰暨帝室,稅此西墉。嘉詔未賜,朝覲莫從。
仰瞻城閾,俯惟闕庭。長懷永慕,憂心如酲。

應詔詩 魏詩<76-#2>文選 上 献詩 女性詩768 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2388

曹植 《應詔詩》 魏詩
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。

2013年5月18日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩應詔詩 魏詩<76-#2>文選 上 献詩 女性詩768 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2388
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠:新亭 韓愈(韓退之) <120>Ⅱ中唐詩681 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2389
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集徐九少尹見過 五言律詩 成都5-(36) 杜甫 <484>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2390 杜甫詩1000-484-672/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性題竹郎廟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-169-41-#34  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2392
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー
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女性詩人
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孟郊詩
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩
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應詔詩 魏詩<76-#2>文選 上 献詩 女性詩768 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2388



應詔詩
肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。
wakaba002#2
芒芒原隰,祁祁士女。
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。


『應詔詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
芒芒原隰,祁祁士女。經彼公田,樂我稷黍。
爰有樛木,重陰匪息。雖有餱糧,飢不遑食。


(下し文) #2
芒芒たる原隰【げんしゅう】,祁祁【きき】たる士女。彼の公田を經,我が稷黍【しょくしょ】樂しむ。
爰【ここ】に樛木【きゅうぼく】有り,重陰【ちょういん】匪れど息わず。
餱糧【こうりょう】有りと雖も,飢えて食うに遑【いとま】あらず。


(現代語訳)
はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。


(訳注) #2
芒芒原隰,祁祁士女。

はるかに平原が広がる、そこには農蚕にいそしむ多くの若い男女のすがたがある。
・芒芒 広大なるさま。
・原隰 原は高く平らな土地、隰は湿地。曹植のこの詩句も、整地がすすみ、君民平安を楽しむさまをたたえたもの。
・祁祁 多いさま。「『詩経、豳風【ひんのくにのうた】』「春日遅遅、采蔞祁祁。」(春の日は遅々として、蔞【よもぎ】采【と】るものは祁祁たり。)“春の日あしはのどかにある、白よもぎを摘む人もおびただしい。” 女性の養蚕にいそしむさまをのべる。七月の詩は、周公の王業をのべたもの。
・士女 未婚の男女。「詩経」小雅、甫田に見える。


經彼公田,樂我稷黍。
帝王の徳に溢れているため、よく手入れされた公田を通りすぎ、成育する黍や稷を楽しげに見る。
・公田 共同で耕し、そこから得た収穫を上納して税金とする田地。井田法に定める所のもの。「詩経」小雅、大田に「我が公田に雨ふらし」と見える。
・稷黍 和名キビ、ヒエ。「詩経」小雅、出車に「黍稷方に華さく。」と見える。以上何れも帝王の徳をたたえる。


爰有樛木,重陰匪息。
枝がからみあって下垂している木があり、木かげを作ってはいるが、休息しない。
○爰 ここと訓ずるが指示代名詞ではなく、語頭の助辞へここでは(発語)で意味はない。「詩経」では頻用される。
○樛木 枝がからみあって下垂している木。「詩経」周南、樛木に見える。
○重陰 枝葉が重なってできた木かげ。
○匪息 やすまない。匪は打消の副詞。「詩経」周南、漢広に「南に喬木有れど、休む可からず」と見える。


雖有餱糧,飢不遑食。
また乾かした携帯食をもってはいるが、食べて飢をいやす暇はなく、ひたすら旅をいそぐのみなのだ。
○餱糧 乾かした携帯食のこと。「左伝」宜公十一年に見える。
○飢不遑食 遑はいとま。旅程をいそぐために、食事を十分とることができないこと。楽府の「古善哉行」に「親交在門、飢不及餐。」(親交門に在り、飢えて餐に及ばず)と見える。

應詔詩 曹植 魏詩<76-#1> 文選 上 献詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2383

曹植 《應詔詩》 つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。


2013年5月17日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性西巌 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-168-40-#33  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2387
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

應詔詩 曹植 魏詩<76-#1> 文選 上 献詩 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2383


作者はかつて楊脩・應楊らと共に酒を飲んで、酔うた上に馬を司禁門に走らせたことがあった。兄文帝は即位の後これをとがめて鄄城侯(山東濮県東)に封じた。時に黄初三年(221)作者三十一歳の夏である。翌年洛陽に朝して、帝にまみえようとしたが許されず、西館に留め置かれた。この時「責躬詩」と「応詔詩」との二首をたてまつった。前者は己の非を責めて天子に拝謁を願う詩、後者は天子の詔を拝して上京入朝することを叙べた詩である。


應詔詩
王屋山01肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝發鸞台,夕宿蘭渚。

朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。
#2
芒芒原隰,祁祁士女。經彼公田,樂我稷黍。
爰有樛木,重陰匪息。雖有餱糧,飢不遑食。
#3
望城不過,面邑不游。僕夫警策,平路是由。
玄駟藹藹,揚鑣漂沫。流風翼衡,輕雲承蓋。
#4
涉澗之濱,綠山之隈。遵彼河滸,黃坂是階。
西濟關谷,或降或升。鋋驂倦路,載寢載興。
#5
將朝聖皇,匪敢晏寧。珥節長騖,指日遄征。
前驅舉燧,后乘抗旌。輪不輟運,鸞無廢聲。
#6
爰暨帝室,稅此西墉。嘉詔未賜,朝覲莫從。
仰瞻城閾,俯惟闕庭。長懷永慕,憂心如酲。

#1
粛みて明詔【めいしょう】を承け、皇都に会するに應ず。
星陳 夙に駕し、馬に秣かひ車に脂さす。
彼の掌徒に命じ、我が征旅を粛す。
朝に鸞臺を発し、夕に蘭渚に宿す。


『應詔詩』 現代語訳と訳註
(本文)
肅承明詔,應會皇都。星陳夙駕,秣馬脂車。
命彼掌徒,肅我征旅。朝發鸞台,夕宿蘭渚。


(下し文) #1
粛みて明詔【めいしょう】を承け、皇都に会するに應ず。
星陳 夙に駕し、馬に秣かひ車に脂さす。
彼の掌徒に命じ、我が征旅を粛す。
朝に鸞臺を発し、夕に蘭渚に宿す。


(現代語訳)
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。


(訳注)
應詔詩

文帝にささげたもの。文選 上 献詩


肅承明詔,應會皇都。
つつしんで天子の詔命を拝し、都に上って入朝しょうとした。
・明詔 潘王に朝会の詔が下った。曹植『贈白馬王彪(並序)』にのべている。
黃初四年五月,白馬王、任城王與余俱朝京師。會節氣,到洛陽,任城王薨。至七月,與白馬王還國。後有司以二王歸藩,道路宜異宿止,意毒恨之。蓋以大別在數日,是用自剖,與王辭焉,憤而成篇:
(223年黃初四年五月のことである。私は白馬王彪・任城王彰とともに、都洛陽に参集し、夏至節の朝会に出席することになった。ところが夏至節の朝会に出席のための洛陽に到着すると、まもなく、任城王は逝去されたのである。
七月になり、私は白馬王とともに国に帰ろうとしたのである。
白馬王との別離は特に任城王の逝去があったので私の心中いたく恨みものなのだ。あと数日で、今度何時再会できるか分らない別離となるからなのだ。
白馬王と別れをつげたのではあるが、胸のつかえをはらすために、語り尽くせないことをいっておくために二篇の詩章としたのである。)

贈白馬王彪 序 曹植(曹子建) 魏詩<39>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1933


星陳夙駕,秣馬脂車。
朝まだき星を見ながら、馬車を陳ねて、馬には秣をやり、車には脂をさすなどして準備する。
・星陳夙短 『詩経』鄘風、定之方中に「星みてここに夙に駕す」とあるによった語。朝早く星を見ながら事の用意をし、供揃【ともぞろえ】をすること。
・株馬脂車 馬には秣をやり、車には脂をさす。『詩経』周南、漢広に「言(霊に其の馬に秣かわん」、又『詩経』小雅、何人斯「爾の亟に脂さすに遑あらんや」とある。


命彼掌徒,肅我征旅。
わたしは供頭に命じて旅の用意に手落ちなきよう戒めた。
・掌徒 征制を掌るもの。ともがしら。


朝發鸞台,夕宿蘭渚。
朝に鸞がすんでいる高い台を発し、夕には蘭の花さく渚に宿する。
・鸞台・蘭渚 途中通過した地を美しく言ったのである

責躬詩 曹植 魏詩<75ーまとめ>文選 上 献詩 女性詩766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2378

曹植 《責躬詩》 ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した。 


責躬詩 曹植 魏詩<75ーまとめ>文選 上 献詩 女性詩766 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2378


2013年5月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩送劉師服 韓愈(韓退之) <119>Ⅱ中唐詩678 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2374
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性斛石山書事 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-167-39-#32  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2382
 
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

責躬詩
曹植自身の非を責めて天子に拝謁を願う詩。
詩がうますぎて心が伝わらないのが曹植の欠点であろう。

於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。

#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。

その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。

#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。

そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。

#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
改封兗邑,於河之濱。

そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。

#7
股肱弗置,有君無臣。
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
荒淫之闕,誰弼余身。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
煢煢僕夫,於彼冀方。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
嗟予小子,乃罹斯殃。
ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。

#8
赫赫天子,恩不遺物。
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
剖符授玉,王爵是加。

符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。


#9
仰齒金璽,俯執聖策。
かくて仰いでほ黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
皇恩過隆,祗承怵惕。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
咨我小子,頑凶是嬰。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。
逝慚陵墓,存愧闕庭。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。


#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。

常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
 

 

#11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
甘赴江湘,奮戈吳越。

進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。


#12
天啟其衷,得會京畿。
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
遲奉聖顏,如渴如飢。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
心之雲慕,愴矣其悲。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
天高聽卑,皇肯照微。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。 



(窮を責むる詩)

於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。

#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。
#5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
#6
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
#7
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。

#8
赫赫【かくかく】たる天子あり,恩 物を遺【す】てず。
我に玄冕【げんべん】を冠せしめ,我に朱紱【しゅばつ】を要【こし】にせしむ。
光光たる大使あり,我をば榮し 我をば華す。
符を剖【さ】き 玉を授け,王爵【おうしゃく】を是に加う。
#9
仰いで金璽【きんじ】に齒【よわい】し,俯して聖策を執る。
皇恩は過隆【かりゅう】なり,祗【つつ】み承けて怵惕【じゅつてき】す。
咨【ああ】我 小子なり,頑凶 是れ嬰【めぐ】れり。
逝いては陵墓に慚じ,存しては闕庭【けつてい】に愧づ。
#10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。
#11
願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。
#12
天 其の衷を啟【ひら】き,京畿に會するを得たり。
聖顏に奉ずるを遲【ま】つこと,渴するが如く飢うるが如し。
心の雲【ここ】に慕う,愴んで其れ悲しむ。
天高けれども卑きを聽く,皇 肯えて微を照らせれよ。





責躬詩 曹植 魏詩<75ー#12>文選 上 献詩 女性詩765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2373

曹植 《責躬詩》  魏詩
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。


2013/5/15 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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責躬詩 曹植 魏詩<75ー#12>文選 上 献詩 女性詩765 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2373


#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。

常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
#10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。

#11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
甘赴江湘,奮戈吳越。

進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。

願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。

#12
天啟其衷,得會京畿。
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
遲奉聖顏,如渴如飢。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
心之雲慕,愴矣其悲。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
天高聽卑,皇肯照微。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。

天 其の衷を啟【ひら】き,京畿に會するを得たり。
聖顏に奉ずるを遲【ま】つこと,渴するが如く飢うるが如し。
心の雲【ここ】に慕う,愴んで其れ悲しむ。
天高けれども卑きを聽く,皇 肯えて微を照らせれよ。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
yuugure02(本文)
#12
天啟其衷,得會京畿。
遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。
天高聽卑,皇肯照微。


(下し文) #12
天 其の衷を啟【ひら】き,京畿に會するを得たり。
聖顏に奉ずるを遲【ま】つこと,渴するが如く飢うるが如し。
心の雲【ここ】に慕う,愴んで其れ悲しむ。
天高けれども卑きを聽く,皇 肯えて微を照らせれよ。


(現代語訳)
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。


(訳注) #12
天啟其衷,得會京畿。
幸いなことに陛下はその衷心を開き給われたことで、京畿で拝謁を得ることとなりました。
・衷心  心の奥底。まごころ。衷心。


遲奉聖顏,如渴如飢。
聖天子に拜顏するのを待つことは、まさしく乾ききったものが水を求めるようなものであり、飢餓者が食を求めるごとく切でありました。
・聖顏 聖天子に拜顏する。


心之雲慕,愴矣其悲。
心のなかで陛下を慕うており、愴然として悲しみいたみます。
・雲 すぐれて高いさま。ここでは皇帝をさす。
・愴 悲しみに打ちひしがれる。「愴然/悽愴(せいそう)・悲愴」


天高聽卑,皇肯照微。
ああ天は高いけれどもよく卑きにあるものの願いを聴いてくださる。陛下もまたわが微誠を照覧してくださらんことを思い願うのです。
・微 わずかに見える忠誠心。謙譲語。


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#11>文選 上 献詩 女性詩764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2368

曹植 《責躬詩》  魏詩
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。


 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#11>文選 上 献詩 女性詩764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2368
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩送進士劉師服東歸 韓愈(韓退之) <118>Ⅱ中唐詩677 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2369
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集所思 七言律詩  成都5-(32) 杜甫 <480>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2370 杜甫詩1000-480-668/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性試新服裁制初成三首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-165-37-#30  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2372
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#11>文選 上 献詩 女性詩764 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2368



#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
#10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。

#11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
甘赴江湘,奮戈吳越。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。

願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。


#12
天啟其衷,得會京畿。遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。天高聽卑,皇肯照微。





『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#11
願蒙矢石,建旗東嶽。庶立毫釐,微功自贖。
危軀授命,知足免戾。甘赴江湘,奮戈吳越。


(下し文)
願わくは矢石を蒙むり,東嶽に旗を建んことを。
庶【ねが】わくば毫釐【ごうり】を立て,微功【びこう】もて自ら贖【あがわな】わんことを。
軀を危くし命を授けば,戾【つみ】を免【まぬが】るるに足るを知る。
甘んじて江湘に赴き,戈を吳越に奮う。

(現代語訳)
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。


(訳注) #11
願蒙矢石,建旗東嶽。
願うことなら、呉軍討伐の軍に加わり、矢石を冒して旗を呉境東岳にたてたいものだ。
・東嶽 中国の五岳の一、泰山の別名。呉境東岳。


庶立毫釐,微功自贖。
わずかながらも戦功を立て、それで自らの罪をあがないたいと思います。
・毫釐 「毫」「釐」「厘」はともにわずかの意きわめてわずかなこと。ごうりん。―も他の可能性を許さない。
・微功 わずかながらも戦功。


危軀授命,知足免戾。
この身を危難に投じて一命をなげうてば、罪を免れることができるかとおもっています。


甘赴江湘,奮戈吳越。
進んで江湘の地に赴き、戈を呉越に奮おうと思います。
・江湘 長江下流域、洞庭湖以南の湘江。

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#10>文選 上 献詩 女性詩763 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2363

曹植 《責躬詩》 魏詩
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。

2013年5月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性試新服裁制初成三首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-164-36-#29  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2367
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#10>文選 上 献詩 女性詩763 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2363


#10
匪敢傲德,實恩是恃。
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常懼顛沛,抱罪黃壚。

常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
oborotsuki01h#11
願蒙矢石,建旗東嶽。庶立毫釐,微功自贖。
危軀授命,知足免戾。甘赴江湘,奮戈吳越。
#12
天啟其衷,得會京畿。遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。天高聽卑,皇肯照微。


『責躬詩』  曹植 現代語訳と訳註
(本文)
#10
匪敢傲德,實恩是恃。
威靈改加,足以沒齒。
昊天罔極,生命不圖。
常懼顛沛,抱罪黃壚。


(下し文) #10
敢えて德に傲るに匪らず,實【まこと】に恩を是れ恃む。
威靈【いれい】改め加えて,以って齒【よわい】を沒るに足る。
昊天【こうてん】極り罔【な】く,生命圖られず。
常に顛沛【てんはい】して,罪を黃壚【こうろ】に抱んことを懼る。


(現代語訳)
今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。


(訳注) #10
匪敢傲德,實恩是恃。

今後は敢て自ら倣ることなく、ただ、まことに皇恩をのみたのみとするところであります。


威靈改加,足以沒齒。
重ねてご威光のお蔭を蒙って、この余生を終ればよいと思っております。
○威靈 威光と不思議な力や働きをもつ存在。万物に宿る精気。


昊天罔極,生命不圖。
しかし皇恩の広大なること、天の極まりのないとろまでいきわたる。これに報ゆべき人間の生命は図り難いのである。
○昊天 ①夏の空。②広い空。大空。③天上の帝王の意。
○罔 ①鳥獣を捕える網。捕らえる。「罔罟(もうこ)」②(「誷(もう・ぼう)」と通用)しいる。あざむく。


常懼顛沛,抱罪黃壚。
常にこのままたおれてしまって罪を償わずに墳墓の中までいだいてゆくようになることをおそれます。
○顛沛 顛【たお】れること。死の意。
○黃壚 地の底、黄泉よみじ。墳墓をいう。


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#9>文選 上 献詩 女性詩762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2358

曹植 《責躬詩》 魏詩
かくて仰いでは黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。


2013年5月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#9>文選 上 献詩 女性詩762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2358
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Ⅱ中唐詩・晩唐詩晩春 韓愈(韓退之) <116>Ⅱ中唐詩675 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2359
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Ⅲ杜甫詩1000詩集枯楠(枯柟) 五言古詩 成都5-(30) 杜甫 <478-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2360 
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性聽僧吹蘆管 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-163-35-#28  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2362
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#9>文選 上 献詩 女性詩762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2358


#8
赫赫天子,恩不遺物。
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
王屋山01冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
剖符授玉,王爵是加。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。


#9
仰齒金璽,俯執聖策。
かくて仰いでほ黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
皇恩過隆,祗承怵惕。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
咨我小子,頑凶是嬰。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。
逝慚陵墓,存愧闕庭。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。

仰いで金璽【きんじ】に齒【よわい】し,俯して聖策を執る。
皇恩は過隆【かりゅう】なり,祗【つつ】み承けて怵惕【じゅつてき】す。
咨【ああ】我 小子なり,頑凶 是れ嬰【めぐ】れり。
逝いては陵墓に慚じ,存しては闕庭【けつてい】に愧づ。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#9
仰齒金璽,俯執聖策。皇恩過隆,祗承怵惕。
咨我小子,頑凶是嬰。逝慚陵墓,存愧闕庭。


(下し文) #9
仰いで金璽【きんじ】に齒【よわい】し,俯して聖策を執る。
皇恩は過隆【かりゅう】なり,祗【つつ】み承けて怵惕【じゅつてき】す。
咨【ああ】我 小子なり,頑凶 是れ嬰【めぐ】れり。逝いては陵墓に慚じ,存しては闕庭【けつてい】に愧づ。


(現代語訳)
かくて仰いでは黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。


(訳注) #9
仰齒金璽,俯執聖策。
かくて仰いでは黄金の印璽を執る侯王の列に加わり、俯しては天子の策書をいただく身となります。
・金璽 ①印章。天子をはじめとして諸侯、卿、太夫、士の印章。2 三種の神器の一。八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)。
・齒 ①は。「歯科・歯牙(しが)・歯齦(しぎん)/義歯・犬歯・皓歯(こうし)・切歯・乳歯・抜歯・門歯」②年齢。よわい。
・聖策 天子の封冊、王侯に封ずる詔書。


皇恩過隆,祗承怵惕。
この皇恩は誠に大きなものであり、謹みお受けして恐縮する次第であります。
・怵惕 おそれあやぶむこと。恐縮する。


咨我小子,頑凶是嬰。
ああ、不肖の私は誠に頑凶身にまとう罪深いものであります。


逝慚陵墓,存愧闕庭。
この上は死して、先帝の陵墓に漸じ、生きては陛下の朝廷に立つことを愧じいります。
・闕庭 御所のこと。文帝を指す。

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#8>文選 上 献詩 女性詩761 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2353

曹植 《責躬詩》 魏詩
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。


2013年5月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#8>文選 上 献詩 女性詩761 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2353
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩感春三首 其三 韓愈(韓退之) <115-#2>Ⅱ中唐詩674 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2354
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集枯椶 五言古詩 成都5-(26-2) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2355 杜甫詩1000-477-665/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性九日遇雨二首 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-162-34-#27  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2357
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#8>文選 上 献詩 女性詩761 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2353


責躬詩
王屋山01於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先

受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。

#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。

その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。

#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。

そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。

#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
改封兗邑,於河之濱。

そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。

#7
股肱弗置,有君無臣。
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
荒淫之闕,誰弼余身。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
煢煢僕夫,於彼冀方。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
嗟予小子,乃罹斯殃。

ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。

#8
赫赫天子,恩不遺物。
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
剖符授玉,王爵是加。

符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。

(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。

#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。
#5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
#6
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
#7
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。

#8
赫赫【かくかく】たる天子あり,恩 物を遺【す】てず。
我に玄冕【げんべん】を冠せしめ,我に朱紱【しゅばつ】を要【こし】にせしむ。
光光たる大使あり,我をば榮し 我をば華す。
符を剖【さ】き 玉を授け,王爵【おうしゃく】を是に加う。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#8
赫赫天子,恩不遺物。冠我玄冕,要我朱紱。
光光大使,我榮我華。剖符授玉,王爵是加。


(下し文)#8
赫赫【かくかく】たる天子あり,恩 物を遺【す】てず。
我に玄冕【げんべん】を冠せしめ,我に朱紱【しゅばつ】を要【こし】にせしむ。
光光たる大使あり,我をば榮し 我をば華す。
符を剖【さ】き 玉を授け,王爵【おうしゃく】を是に加う。


(現代語訳)
幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。


(訳注) #8
赫赫天子,恩不遺物。

幸いに聖徳照り輝く天子は慈恩を深くしてくだされ、一物としてすてることはされない。
○赫赫 ①赤赤と照り輝くさま。②功名・声望などがりっぱで目立つさま。


冠我玄冕,要我朱紱。
われに玄冕を冠らせ、朱の印綬をおびさせて諸侯の儀服を許された。
○玄冕・朱紱 黒の冕冠、朱の印綬、共に諸侯の儀服。


光光大使,我榮我華。
その上に光栄ある大使をつかわされて、われに栄華を下された。


剖符授玉,王爵是加。
符を割き、玉を授けて王爵を賜い、鄄城王に封じたもうた。
○剖符授玉 符を割き、玉を授けられること。


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#7>文選 上 献詩 女性詩760 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2348

曹植 《責躬詩》 魏詩

今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。

2013年5月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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責躬詩
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
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#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。

#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。

その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。

#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。

そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。

#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
改封兗邑,於河之濱。

そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。

#7
股肱弗置,有君無臣。
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
荒淫之闕,誰弼余身。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
煢煢僕夫,於彼冀方。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
嗟予小子,乃罹斯殃。

ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。


(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。

#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。
#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。
#5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。
#6
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。
#7
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
王屋山01(本文)
#7
股肱弗置,有君無臣。荒淫之闕,誰弼余身。
煢煢僕夫,於彼冀方。嗟予小子,乃罹斯殃。


(下し文)
股肱【ここう】置かず,君有れど臣無し。
荒淫【こういん】の闕【けつ】,誰か余が身を弼けん。
煢煢【けいけい】たる僕夫【ぼくふ】,彼の冀方【きほう】に於【ゆ】く。
嗟【ああ】予【われ】は小子にて,乃ち斯の殃【わざわい】に罹【かか】る。


(現代語訳)
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。


(訳注)#7
股肱弗置,有君無臣。
今や文武それぞれの補佐をしてくれることで配置するものを払いのけ、君はあっても臣下をもたないのです。
○股肱弗置 弼と輔の臣下。 弼:軍事的な補佐役。・輔:政治的な補佐役。文武それぞれの補佐をしてくれることで配置する事。日本的に言えば、手足となって働いてくれる部下。


荒淫之闕,誰弼余身。
このふしだらの過失、大失態をおかしたものに、誰がわたしを輔けてくれるでありましょうか。
○荒淫之闕 不品行、ふしだらの失態。


煢煢僕夫,於彼冀方。
心細くもただ一人の御者を伴って、帝都洛陽に参朝したのです。
○煢煢 孤独のさま。
○冀方 唐堯の郡した所である。魏都は鄴に都し、鄴は冀州にあるから、鄴都を指すとするが、時に魏は洛陽をもって京師としていたのであるから、洛陽を鄴都に比して冀方といった。


嗟予小子,乃罹斯殃。
ああ、それにしても、わが身不肖にして、このわざわいにかかったのであります。
○殃 災い/禍/殃は①人に不幸をもたらす物事。また、その結果である不幸な出来事。災厄。災難。②不快であること。多く、感動表現に用いる。

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#6>文選 上 献詩 女性詩759 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2343

曹植 《責躬詩》  
 幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。

2013年5月9日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江邊 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-160-32-#25  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2347
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#6>文選 上 献詩 女性詩759 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2343


於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。

#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。

その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。

#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。

そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。

#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
改封兗邑,於河之濱。

そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。

明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)

明明天子,時惟篤類。不忍我刑,暴之朝肆。
違彼執憲,哀予小子。改封兗邑,於河之濱。


(下し文)
明明【めいめい】たる天子,時に惟【こ】れ類に篤し。
我を刑するに忍ばず,之を朝肆【ちょうし】に暴くも。
彼の執憲【しつけん】に違い,予れ小子を哀む。
封ずるは兗邑【えんゆう】に改め,河の濱【ほとり】に於【ゆ】かしむ。


(現代語訳)
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。
そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。


(訳注)#6
明明天子,時惟篤類。
幸いにも天子は心にわだかまりのないところで兄弟の情を厚く思し召されたのだ。
○明明 ①非常に明るいさま。②はっきりしていて,疑わしいところのないさま。また,心にわだかまりのないさま。
 兄弟。


不忍我刑,暴之朝肆。
私を朝廷における、裁判においてすべて暴かれ、刑にて罰するには忍びないとされたのである。
○朝肆 古代から中世に、朝市で商品を並べた所。後の朝の見世棚にあたる。ここでは朝廷における、裁判。


違彼執憲,哀予小子。
それはかの司法官の意に反して、この私、不肖の臣をあわれみたまわれたのだ。


改封兗邑,於河之濱。
そこで私の封地を兗邑に改めて、済河のほとりに赴任させてくださった。
○兗邑 222年黄初三年改めて鄄城侯に封ぜらる。郡城は古の兗州の地(G・H―8・9)である。
曹植洛陽地図02

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#5>文選 上 献詩 女性詩758 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2338

曹植  《責躬詩》 天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。


2013年5月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
aki02受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。

#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。

その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。

#5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
將寘於理,元兇是率。

そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。

藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
yamanoki01(本文)
#5
作藩作屏,先軌是墮。傲我皇使,犯我朝儀。
國有典刑,我削我黜。將寘於理,元兇是率。


(下し文) #5
藩と作り屏と作りて,先軌を是れ墮【やぶ】り。
我が皇使に傲【おご】り,我が朝儀を犯す。
國に典刑有り,我をば削我をば黜【しりぞ】け。
將に理に寘【おい】て,元兇【げんきょう】是れ率【みちび】かんとす。


(現代語訳)
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。


(訳注) #5
作藩作屏,先軌是墮。
天子の藩となり、屏となるべきを、身をもって先帝の法典を破ったのです。
〇先軌 先帝の法典。


傲我皇使,犯我朝儀。
それに、勅使に無礼をはたらき、朝儀を犯す不法を敢て致しました。
〇皇使 目付役の監国使の灌均のこと。221年黄初二年曹植国に就く。使者灌均奏して日く、「曹植酒に酔って使者をおびやかした」と。有司その罪を治めようと請うたが、帝は皇太后の意を憚って安郷侯に左遷した。「皇候に傲り朝儀を犯す」とはこれをいう。


國有典刑,我削我黜。
国家にはもとより国の法典・刑罰がありますが、わが封土を削り、わが爵位をしりぞけられました。
〇典刑 刑罰のこと


將寘於理,元兇是率。
そして、獄官にあずけられ、大罪の律に当てようとなされた。
〇理 治獄の官。
〇元凶 大罪人。

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#4>文選 上 献詩 女性詩757 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2333

曹植 《責躬詩》 
不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。

2013年5月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#4>文選 上 献詩 女性詩757 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2333


責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
王屋山01萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。

#4
車服有輝,旗章有敘。
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
舉掛時網,動亂國經。

その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#4
車服有輝,旗章有敘。濟濟俊乂,我弼我輔。
伊爾小子,恃寵驕盈。舉掛時網,動亂國經。


(下し文)#4
車服は輝き有り,旗章【きしょう】は敘【じょ】有り。
濟濟【せいせい】たる俊乂【しゅんがい】,我をば弼【たす】け我をば輔【たす】く。
伊【こ】れ爾【なんじ】小子,寵【ちょう】恃【たの】をんで驕盈【きょうえい】なり。
舉は時網【じもう】に掛り,動は國經を亂る。


(現代語訳)
されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。


(訳注)#4
車服有輝,旗章有敘。

されば諸侯としての車と引く馬は光輝を放ち、諸公の旗さしものは秩序もって立ちならぶ。
・車服 服は車を引く馬。4頭立ての馬車の中に挟まる2頭。


濟濟俊乂,我弼我輔。
一斉に並んだ数多の俊傑の士が左右にあって、われを文武それぞれの補佐してくれたのであります。
〇済済俊乂 衆多の俊傑。
○弼・輔 弼:軍事的な補佐役。・輔:政治的な補佐役。文武それぞれの補佐をしてくれる。


伊爾小子,恃寵驕盈。
然るに不肖の私は、君の恩寵をたのんでわがままな振る舞いをしたのです。
〇恃寵 君の恩寵にあまえて(をたのんで)。
〇驕盈 わがままな振る舞い.


舉掛時網,動亂國經。
その時のことは現時の法律に触れ、国法の乱れる挙動に出てしまったのです。
〇時網 現時の法律。
〇動亂 挙動のみだれ。
〇國經 国の治める法則。国の経営。

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#3>古詩源 巻三 女性詩756 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2328

曹植 《責躬詩》 魏詩
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。


2013年5月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#3>古詩源 巻三 女性詩756 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2328
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩示児 韓愈(韓退之) <112-#5>Ⅱ中唐詩669 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2329
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集病柏 五言古詩 成都5-(24) 杜甫 <473-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2330 杜甫詩1000-473-#1-660/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) <66> kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞ブログ 2331 (05/06)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#3>古詩源 巻三 女性詩756 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2328


責躬詩
bijo01於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
#3
萬邦既化,率由舊章。
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
奄有海濱,方周於魯。

広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。
#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
萬邦既化,率由舊章。廣命懿親,以藩王國。
帝曰爾侯,君茲青土。奄有海濱,方周於魯。


(下し文)#3
萬邦【ばんぽう】は既に化し,舊章【きゅうしょう】に率由【そつゆう】す。
廣く懿親【いしん】に命じて,以って王國に藩とす。
帝曰く爾侯【なんじこう】,茲の青土【せいど】に君たれと。
海濱を奄有【えんゆう】し,周に魯に方【なら】う。


(現代語訳)
万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。


(訳注) #3
萬邦既化,率由舊章。

万国はすでに朝貢して徳化に服したので、古来の法制からはずれないようにすることであった。
○率由 前例からはずれないようにすること。
○舊章 古来の法制。


廣命懿親,以藩王國。
人情がこまやかで、素朴な美しさである広く親戚を封建されたことである。それで、王国の守りのための藩屏とせられた。
〇懿親 親戚。懿はうるわしい、うつくしい、ほめたたえる、人情がこまやかで、素朴な美しさがあること醇美の意。徳川時代の譜代と外様、天領を中間に配置したのはよく似ている。


帝曰爾侯,君茲青土。
そこで帝はわれに詔して、汝はこの青州の地の侯とされてのだ。
〇青土 214年建安十九年 曹植臨菑【さい】侯に封ぜらる。臨菑は斉郡に属し、古の青州の地、故に青土といった。


奄有海濱,方周於魯。
広く四方天涯、海浜に及ぶ土地を残らず所領せよとされた、それは周室が周公の子伯禽を魯侯に封ぜられたことにならわれたということなのだ。
〇奄有 おおいたもつ、残らず所領すること。
〇方周於魯 「周成王封伯禽於魯」周室が周公の子伯禽を魯に封じ、徐涯の夷を征伐したことに比す。
魯公(?~前1006?)   姓は姫、名は伯禽。在位?~前1006?。周公旦の子。魯に封ぜられておもむいた。魯の風俗を変え、礼法を改め、服喪三年を定めたという。淮夷・徐戎を討ち、魯を安定させた。

責躬詩 曹植 魏詩<75ー#2>古詩源 巻三 女性詩755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2323

曹植 《責躬詩》 
曹植自身の非を責めて天子に拝謁を願う詩。今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。

2013年5月5日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩責躬詩 曹植 魏詩<75ー#2>古詩源 巻三 女性詩755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2323
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性憶荔枝 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-156-28-#21  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2327
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


責躬詩 曹植 魏詩<75ー#2>古詩源 巻三 女性詩755 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2323


責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。

道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
#2
超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
受禪於漢,君臨萬邦。

漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。

(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。
#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。

#3
萬邦既化,率由舊章。廣命懿親,以藩王國。
帝曰爾侯,君茲青土。奄有海濱,方周於魯。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
超商越周,與唐比蹤。篤生我皇,奕世載聰。
武則肅烈,文則時雍。受禪於漢,君臨萬邦。


(下し文)#2
商【しょう】に超え周に越【こ】え、唐と蹤【あと】を比ぶ。
篤く我が皇を生み、奕世【えきせい】聰【そう】を載せ、
武は則ち肅烈【しゅくれつ】、文は則ち【時雍じよう】、
禪【ぜん】を漢に受け、萬邦に君臨す。


(現代語訳)
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。


(訳注) #2
責躬詩

曹植自身の非を責めて天子に拝謁を願う詩。


超商越周,與唐比蹤。
殷の湯王や周の武王にもまさり、帝堯陶唐氏にも及ぶというべきである。
○超商越周 殷の湯王や周の武王。
〇与唐比躍 股周は放伐をもって天下を取り、磨虞は禅譲による。魂は漠の禅を受けたので、唐に比すといった。


篤生我皇,奕世載聰。
今はわが文帝であり、あつい徳をうけて生まれ給うたので、魏は代々聡明の君を得たのである。
〇我皇 文帝曹丕を指す。


武則肅烈,文則時雍。
すなわち武帝は厳しくて烈しく、文帝はおだやかに雍容なのだ。
〇雍 和やかな.雍容 [形]《書》おうような,おっとりした雍容。


受禪於漢,君臨萬邦。
漢より禅譲を受け、万国に君臨せられることとなった。
○禪 禅譲。天子(ほとんどの場合、皇帝)が、その地位を血縁者でない有徳の人物に譲ることである。実際には、歴史上禅譲と称していても譲られる側が強制して行われていることが多い。
○君臨 ①主君として国家を統治すること。 ②ある分野で、強大な力を持って他を支配すること。

責躬詩 魏詩<75ー#1>古詩源 巻三 女性詩754 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2318

曹植 《責躬詩》 魏詩
作者はかつて楊脩・應楊らと共に酒を飲んで、酔うた上に馬を司禁門に走らせたことがあった。兄文帝は即位の後これをとがめて鄄城侯(山東濮県東)に封じた。時に黄初三年(221)作者三十一歳の夏である。翌年洛陽に朝して、帝にまみえようとしたが許されず、西館に留め置かれた。この時「責躬詩」と「応詔詩」との二首をたてまつった。前者は己の非を責めて天子に拝謁を願う詩、後者は天子の詔を拝して上京入朝することを叙べた詩である。
四六駢儷体の文 『上責躬應詔詩表』が#1~#7あり、

上責躬應詔詩表  曹植 魏詩<74>文選 献詩 747 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2283
そしてこの詩『責躬詩』があり、#1~#12と掲載する。

oborotsuki01h


責躬
於穆顯考,時惟武皇。受命於天,寧濟四方。
朱旗所拂,九土披攘。玄化滂流,荒服來王。

超商越周,與唐比蹤。篤生我皇,奕世載聰。
武則肅烈,文則時雍。受禪於漢,君臨萬邦。

萬邦既化,率由舊章。廣命懿親,以藩王國。
帝曰爾侯,君茲青土。奄有海濱,方周於魯。

車服有輝,旗章有敘。濟濟俊?,我弼我輔。
伊爾小子,恃寵驕盈。舉掛時網,動亂國經。

作藩作屏,先軌是墮。傲我皇使,犯我朝儀。
國有典刑,我削我黜。將寘於理,元兇是率。

明明天子,時惟篤類。不忍我刑,暴之朝肆。
違彼執憲,哀予小子。改封兗邑,於河之濱。

股肱弗置,有君無臣。荒淫之闕,誰弼余身。
煢煢僕夫,於彼冀方。嗟予小子,乃罹斯殃。

赫赫天子,恩不遺物。冠我玄冕,要我朱紱。
光光大使,我榮我華。剖符授玉,王爵是加。

仰齒金璽,俯執聖策。皇恩過隆,祗承怵惕。
咨我小子,頑凶是嬰。逝慚陵墓,存愧闕庭。

匪敢傲德,實恩是恃。威靈改加,足以沒齒。
昊天罔極,生命不圖。常懼顛沛,抱罪黃壚。

願蒙矢石,建旗東嶽。庶立毫釐,微功自贖。
危軀授命,知足免戾。甘赴江湘,奮戈吳越。

天啟其衷,得會京畿。遲奉聖顏,如渴如飢。
心之雲慕,愴矣其悲。天高聽卑,皇肯照微。


責躬
於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
玄化滂流,荒服來王。

道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。


『責躬詩』 現代語訳と訳註
(本文)
責躬
於穆顯考,時惟武皇。受命於天,寧濟四方。
朱旗所拂,九土披攘。玄化滂流,荒服來王。


(下し文)
(窮を責むる詩)
於【ああ】穆【ぼく】たる【けんこう】、時れ惟れ武皇【ぶこう】、
命を天に受け、四方を寧済【ねいさい】す。
朱旗の排【はら】ふ所、九土は【ひじょう】し、
玄化【げんか】【あまねく】く流れ、荒服【こうふく】來王す。


(現代語訳)
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した。


(訳注)
責躬詩

曹植自身の非を責めて天子に拝謁を願う詩。
詩がうますぎて心が伝わらないのが曹植の欠点であろう。


於穆顯考,時惟武皇。
ああ、美しく世にあらわれた光明の徳あるのがわが先考武帝(曹操)である。
〇於穆 於は歎辞、穆は美、又探遠のさま。
〇顯考 光明の徳ある父の武帝曹操を指す。
○武皇 魏の武帝。


受命於天,寧濟四方。
天より大命を受けて、四方隅々まで平定せられた。


朱旗所拂,九土披攘。
赤旗のひるがえるところとし、九州全土なびき服した。
〇朱旗 漢は火徳をもって王となる。故にその旗は赤い。曹操は漢を助けて赤旗を用いる。
〇九土 五行思想で中國全土を九州に分った。


玄化滂流,荒服來王。
道徳の変革はあまねく及んで、最遠方の異民族も皆来朝した。
〇玄化 玄は道。道徳の変革。
〇荒服 中國九州の外の最も遠く隔たった地。王畿を去る二千里より二千五百里に至るの地。五服(匈服・侯服・綏服・要服・荒服、毎服五百里ずつ順次荒服に及ぶ)中最も僻遠の地。ご‐ふく【五服】①中国古代に、京畿を中心として、その周囲500里ごとに分けた五つの地域。近くから順に甸(でん)服・侯服・綏(すい)服・要服・荒服。
②中国の五等の喪服。斬衰(ざんさい)・斉衰(しさい)・大功・小功・緦麻(しま)。父の場合は斬衰を3年、母の場合は斉衰を3年着用するなどの別がある。③中国古代の五等の制服。天子(王)・諸侯(公)・卿・大夫・士の服装。


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