漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

文選 雑擬 上

司馬相如 《子虚賦 》(11)#5-1 文選 賦<109-#5-1>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩890 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2998

司馬相如 《子虚賦 》(11ここで楚は、專諸の如き勇者たちに命ぜられ、素手でこれらの獣に打ちかからせる。王自らは、よく馴れた四頭の駁(一角獣)に引かせた、王の彫刻で飾った車に乗られた。

 

2013年9月17日  同じ日の紀頌之5つのブログ
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司馬相如 《子虚賦 》(11)#51 文選 賦<109-#5-19分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩890 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2998

 

 美女004 

(11)#5-1

「於是乃使專諸之倫,手格此獸。

楚王乃駕馴駁之駟,乘彫玉之輿,

靡魚須之橈旃,曳明月之珠旗,

建干將之雄戟,左烏號之雕弓,右夏服之勁箭。

(12)#5-2

陽子驂乘,孅阿為御,案節未舒,

即陵狡獸。蛩蛩,轔距虛,

軼野馬,騊駼,乘遺風,

射游騏,儵倩浰,雷動焱至,

星流電擊,弓不虛發,中必決眦,

(13)#5-3

洞胸達腋,乎心繫,獲若雨獸,揜屮蔽地。

於是楚王乃弭節徘徊,翔容與,

覽乎陰林,觀壯士之暴怒,

與猛獸之恐懼,徼(左谷+右凡)受詘,殫覩眾物之變態。」

 


(11)#5-1

「於是乃使專諸之倫,冬00手格此獸。

ここで楚は、專諸の如き勇者たちに命ぜられ、素手でこれらの獣に打ちかからせる。

楚王乃駕馴駁之駟,乘彫玉之輿,

王自らは、よく馴れた四頭の駁(一角獣)に引かせた、王の彫刻で飾った車に乗られた。

靡魚須之橈旃,曳明月之珠旗,

大魚のひげを柄にしたしなやかな旗や、明月の如き珠玉で飾った旗をなびかせて、

建干將之雄戟,左烏號之雕弓,右夏服之勁箭。

名匠の王将が鍛えた刺戟を掲げられる。左には紋様の美しい烏号の弓を、右には夏后氏のえびらに入れた男な矢を置かれた。

 

(11)#5-1

「是に於いて乃ち專諸【せんしょ】が之れ倫【ともがら】をして,手ずから此の獸を格【う】た使【し】む。

楚王は乃ち馴駁【しゅんばく】の駟に駕し,彫玉【ちょうぎょく】の輿に乘り,

魚須【ぎょしゅ】の橈旃【とうせん】を靡【なびか】せ,明月の珠旗を曳き,

干將【かんしょう】の雄戟【ゆうげき】を建て,烏號【うごう】の雕弓【ちょうきゅう】に左し,夏服の勁箭【けいせん】を右にせり。

 

 

『子虛賦』 現代語訳と訳註

(本文)(11)#5-1

於是乃使專諸之倫,手格此獸。

楚王乃駕馴駁之駟,乘彫玉之輿,

靡魚須之橈旃,曳明月之珠旗,

建干將之雄戟,左烏號之雕弓,右夏服之勁箭。

 

 

(下し文) #5-1

「是に於いて乃ち專諸【せんしょ】が之れ倫【ともがら】をして,手ずから此の獸を格【う】た使【し】む。

楚王は乃ち馴駁【しゅんばく】の駟に駕し,彫玉【ちょうぎょく】の輿に乘り,

魚須【ぎょしゅ】の橈旃【とうせん】を靡【なびか】せ,明月の珠旗を曳き,

干將【かんしょう】の雄戟【ゆうげき】を建て,烏號【うごう】の雕弓【ちょうきゅう】に左し,夏服の勁箭【けいせん】を右にせり。

 

 

(現代語訳)

ここで楚は、專諸の如き勇者たちに命ぜられ、素手でこれらの獣に打ちかからせる。

王自らは、よく馴れた四頭の駁(一角獣)に引かせた、王の彫刻で飾った車に乗られた。

大魚のひげを柄にしたしなやかな旗や、明月の如き珠玉で飾った旗をなびかせて、

名匠の王将が鍛えた刺戟を掲げられる。左には紋様の美しい烏号の弓を、右には夏后氏のえびらに入れた男な矢を置かれた。

 

 

(訳注) (11)#5-1

於是乃使專諸之倫,手格此獸。

ここで楚は、專諸の如き勇者たちに命ぜられ、素手でこれらの獣に打ちかからせる。

 

楚王乃駕馴駁之駟,乘彫玉之輿,

王自らは、よく馴れた四頭の駁(一角獣)に引かせた、王の彫刻で飾った車に乗られた。

 

靡魚須之橈旃,曳明月之珠旗,

大魚のひげを柄にしたしなやかな旗や、明月の如き珠玉で飾った旗をなびかせて、

・魚須 大魚のひげ。

・橈旃 しなやかな旗。

 

建干將之雄戟,左烏號之雕弓,右夏服之勁箭。

名匠の王将が鍛えた刺戟を掲げられる。左には紋様の美しい烏号の弓を、右には夏后氏のえびらに入れた男な矢を置かれた。
sunrise002 

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蘇武 《詩四首 其四》#2 古詩源  詩<103-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩849 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2793

 

 

詩四首 其四

燭燭晨明月,馥馥秋蘭芳。

夜中蝋燭を焚き続けて過ごしたが見上げると十六夜の別れ月が夜明けの空に見ある、かぐわしい蘭の香りにつつまれる。

芬馨良夜發,隨風聞我堂。

その名残月と芳香はこの二人で過ごした夜に発して、ゆるやかな風にのってわが奥座敷へと漂って芳香をはこんで別離の情を一層深くする。

征夫懷遠路,遊子戀故

旅立つ人というものは、往くての長い道中を思い、異郷に留まる遊子というものは故郷を恋いしたうものである。

寒冬十二月,晨起踐嚴霜。

そうこうしていて寒冬十二月になった、朝早く起きて出て見れば、ひどい霜が足にあたる。

#2

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

俯しては江漢の水の流れ去るを見て、仰いでは浮雲の飛びゆくを眺めるのである。

良友遠別離,各在天一方。

良友と遠く離れて、各々が天の一方に住む身となるのである、この江水浮雲に異なるものではないであろう。

山海隔中州,相去悠且長。

海山は遠く都を隔ているし、友との別れは果てしもなく長いのである。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。

願君崇令德,隨時愛景光。

願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

 

燭燭たり農の明月、説法として秋蘭芳し、

券馨良夜に毒し、凪に随って我が堂に聞ゆ。

征夫遠路を懐ひ、遊子故郷を鯉ふ)

塞多い二月、鳥に起きて厳霜を践む。

#2

俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る。

良友遠く離別し、各【おのお】の天の一方に在り。

山海中州を隔て、相去ること悠【はるか】にして且つ長し。

嘉會【かかい】再び遇ひ難く、歓楽殊【こと】に末だ央【つ】きず。

願はくば君 令 徳を崇くし、時に随ひて景光を愛せよ。

 nat0002
















 

『詩四首 其四』#2 現代語訳と訳註

(本文)

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

良友遠別離,各在天一方。

山海隔中州,相去悠且長。

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

願君崇令德,隨時愛景光。

 

 

(下し文)

俯して江漢の流るるを観、仰いで浮雲の翔るを視る。

良友遠く離別し、各【おのお】の天の一方に在り。

山海中州を隔て、相去ること悠【はるか】にして且つ長し。

嘉會【かかい】再び遇ひ難く、歓楽殊【こと】に末だ央【つ】きず。

願はくば君 令 徳を崇くし、時に随ひて景光を愛せよ。

 

 

(現代語訳)

俯しては江漢の水の流れ去るを見て、仰いでは浮雲の飛びゆくを眺めるのである。

良友と遠く離れて、各々が天の一方に住む身となるのである、この江水浮雲に異なるものではないであろう。

海山は遠く都を隔ているし、友との別れは果てしもなく長いのである。

思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。

願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

 

 

(訳注) #2

俯觀江漢流,仰視浮雲翔。

俯しては江漢の水の流れ去るを見て、仰いでは浮雲の飛びゆくを眺めるのである。

 

良友遠別離,各在天一方。

良友と遠く離れて、各々が天の一方に住む身となるのである、この江水浮雲に異なるものではないであろう。

 

山海隔中州,相去悠且長。

海山は遠く都を隔ているし、友との別れは果てしもなく長いのである。

〇中州 帝都をさす。

 

嘉會難再遇,歡樂殊未央。

思えば、再会の日は期し難い。別れに際して歓楽は尽きないが、出発は迫っている。

〇嘉会難再遇 李陵の詩に同じ句がある。『與蘇武詩二首』「嘉會難再遇、三載爲千秋。」(嘉會 再び遇い難く、三載 千秋と爲らん。)

李陵 《與蘇武詩二首 其二》#1 古詩源 文選  詩<106>Ⅱ李白に影響を与えた詩852 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2808

 

願君崇令德,隨時愛景光。

願わくは、君よ善徳を積み、常々光陰を惜しんで自愛されることを祈っているのである。

〇令徳 善徳。
大鷹01 

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。 
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html 
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー 
http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html 
孟浩然の詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。 
女性詩人 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。 
孟郊詩 
http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。 
李商隠詩 
http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


蘇武 《詩四首 其二》#1 古詩源  詩<
101-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩844 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2768

 

 

 

詩四首 其二 #1

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

一遠別,千裏顧徘徊。

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

胡馬失其群,思心常依依。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

幸有弦歌曲,可以中懷。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

#2

絲竹厲清聲,慷慨有余哀。

長歌正激烈,中心以摧。

欲展清商曲,念子不得歸。

俯仰傷心,淚下不可揮。

願爲雙黃,送子俱遠飛。

 

詩四首 其二

【こうかく】一たび遠く別れ,千裏にして顧みて徘徊す。

胡馬 其の群を失い,思心 常に依依たり。

何んぞ況んや雙飛の龍,羽翼 當に乖【そむ】くべきに臨むをや。

幸に 弦歌の曲有り,以って中懷を【さと】す可し

請うて 遊子の吟を爲せば,泠泠として一に何ぞ悲しき。

#2

絲竹 清聲を厲【はげ】しくし,慷慨【こうがい】余 哀 有り。

長歌 正に激烈,中心 愴【そう】として以て摧【くだ】く。

清商の曲を展ぜんと欲して,子の不歸る得ざるを念う。

俯仰【ふぎょう】心を傷ましめ,淚下りて揮う可からず。

願わくば雙の黃りて,子を送りて俱に遠く飛ばんことを。


oushokun04

 

『詩四首 其二』 現代語訳と訳註

(本文)

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

 

 

(下し文)

詩四首 其二

一遠別,千裏顧徘徊。

胡馬失其群,思心常依依。

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

幸有弦歌曲,可以中懷。

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

 

 

(現代語訳)

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

 

 

(訳注)

詩四首 其二

(詩四首 其の二 李陵に別れをのべる)

第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れをのべる。

四首共に、蘇武が作った惜別の詩であるという。第一首は、匈奴に使する時に兄弟に別れ、第二首は匈奴から漢に帰る時に李陵に別れ、第三首は匈奴に使する時に妻に別れ、第四首は同じく友に別れる詩と伝えられている。

・蘇武(前142一前60年)字は子卿。前100年天漢元年で匈奴に使いし、拘留されて十九年間ったが、屈しなかった。後昭帝の時、匈奴と和親が爲り、始めて帰国し、典属国に拝せられた。この四首の詩はいずれも絶妙の傑作で、文選巻二九に載せてあるが、これを蘇武の作とするには古来異説があり、後人の擬作とするのが定説に近いとされる。

 

一遠別,千裏顧徘徊。

秋になり、黄鵠が遠く南へ別れるときは、千里先に飛ぶけれど後をかえりみ徘徊するものだ。

・黄鵠 黄色みを帯びた白鳥。渡り鳥で、秋には南方に帰っていく。 鶴は、雁に似てそれより大きく、飛ぶこと甚だ高く、俗に天鵝という。その一種で蒼黄色のものを黄鵠といい、仙人が乗るという。烏孫公主(劉細君)『悲愁歌』「吾家嫁我兮天一方。遠託異國兮烏孫王。穹盧爲室兮氈爲牆,以肉爲食兮酪爲漿。居常土思兮心内傷,願爲黄鵠兮歸故鄕。」

悲愁歌 烏公主(劉細君) <108>玉台新詠集 女性詩 542 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1443

 

胡馬失其群,思心常依依。

俊敏なえびすの馬であっても其のなかまを離れうしなうと、妻子友人を思うていつも心に恋い慕うというというものだ。

・胡馬 北方の遊牧・騎馬民族の胡地に産する馬。『古詩十九 第一首』「行行重行行、與君生別離。相去萬餘里、各在天一涯。道路阻且長、會面安可知。胡馬依北風、越鳥巣南枝。相去日已遠、衣帯日已緩。浮雲蔽白日、遊子不顧返。思君令人老、歳月忽已晩。棄捐勿復道、努力加餐飯。」
(胡馬北風に依り、越鳥南枝に巣くう。)と見える。
古詩十九首 (1) 漢詩<88

・依依 離れるに忍び難い意。思い慕うさま。

『秋胡詩』 顔延之(延年) (7)  

高節難久淹,朅來⑼空複辭。遲遲前途盡,依依造門基。上堂拜嘉慶,入室問何之。日暮行采歸,物色桑時。美人望昏至,慚歎前相持。

秋胡詩 (7) 顔延之(延年) 詩<9>Ⅱ李白に影響を与えた詩478 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1251

晩唐・温庭筠の『渭上題三首』之三に「煙水何曾息世機,暫時相向亦依依。所嗟白首磻谿叟,一下漁舟更不歸。」

 

何況雙飛龍,羽翼臨當乖。

まして君とわれとは、連れ添うて飛ぶ龍のような身であったのに、今や互いに翼を分かって別れねばならないこととなっては、一層たえ難いのだ。

 

幸有弦歌曲,可以中懷。

せめてものこととして、弦歌の曲を奏して心中の悲しみを慰めようとするのだ。

中懐 心のうち。

 

請爲遊子吟,泠泠一何悲。

異郷の空の下、故郷を思う曲を歌うことを希って歌うとわしてもらうと、たかくすみきった声は何と悲しさがこみ上げてくるのだ。

冷冷 音声の清らかなさま。

遊子吟 遊子故郷富心うの歌。楚の遊子龍丘高の作る「楚引」を以てこれにあてている。

終南山03 

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543

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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#3>平原侯值瑒 799 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2543


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。

王屋山01平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。


(下し文) #3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


(現代語訳)
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。


(訳注) #3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
衆った賓客は皆すぐれてよいものたちであり、口をついて出る清雅な言辞は、たとえば、芳しい蘭の香りや麗しい藻の模様のごとくであり、詩を吟じること、音楽は一座を感動させるのであった。
・灑 水をまき注ぐ。ここは蘭藻の如き清辞を吐くこと。


哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
哀しげな歌声は空の鵠をも下り舞わすほどであり、また余韻は清んだ天にまでもとどく。
・下廻鵠 鵠(白鳥)下り舞わす。韓子に「師曂が清徴を奏するに、玄鵠二八ありて廊門に集る」という、それにたとえた。
・餘哇 「哇」は、吐く。また、捏声。ここは、歌ごえ。韻の意か。列子に「辞談は謳を秦青に学び、辞して帰る。青は郊衝に餞し、節を撫して悲歌す、声は林木を震(H)かし、撃は行雲を過む」というものにたとえた。
・徹 通る。いたる。


中山不知醉,飲德方覺飽。
中山の名酒を十分のんでも猶お酔えないが、太子のめぐみに深く浴したことが身にしみて思われる。
・中山 そこには美酒を産する。ここは銘酒にたとえたこととなる。なお漢書の「中山王なる勝」のことを用いたということでもある。すなわち、「建元三年、中山王勝ら来朝す。天子置酒す、勝は発声を聞いて泣く。其の故を問ふに、勝は対へて日く、臣は聞けり、悲しめる者には素欷を為すべからず、思ふ者には歎息を為すべからず(歓款の声を聞けば、悲思ますます甚しくなるをいふ)、故に高漸離の筑を易水の上【ほとり】に撃つや、荊軻は之がために(首を)低(た)れて、復た食ふこと能はず。今、臣は心結ばれて日久し。幼抄の芦を聞く毎に涕泣の横集するを知らざるなり」という。この故事によるとすれば、曹椿は、心に憂生の念があるので、太子の恵みには十分感ずるが、酒には酔えぬ、というのであろう。
・飲德方覺飽 詩経、大雅、既酔篇に「既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす。君子万年、爾の景福を介にせん」という。酒に酔い、また恵みをうけて飽き足ること。君子も爾も、王をさす。


願以黃發期,養生念將老。
この上願うところは、生を養い寿を保って、年老いて黄髪の期まで生きたいことである。
・黄髪期 年老いて髪が黄いろになるとき。

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《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#2>平原侯值瑒 798 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2538



平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。
泰山の夕日02#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。

平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。
#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』現代語訳と訳註
白楊02(本文)
#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
平衢修且直,白楊信褭褭。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。


(下し文) #2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。


(現代語訳)
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。


(訳注) #2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
すなわち西のかたに大行のけわしい山を望み、北のかたに邯鄲への大道を見る。
・大行山 河内の野王県にある、けわしい山。古の詩には、人生行路の穀難にたとえて、しばしば、引かれる。   魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。・・・・」(北のかた太行山に上れば 艱き哉 何ぞ巍巍たる。羊腸の坂 詰屈し 車輪 之れが為に摧く)
・邯鄲道 史記、張釈之伝に「文帝は、寵妾なる供夫人に、㶚陵の北頭から、見おろす新豊街道を指ざし示し、『あれが、汝の故郷の邯鄲に赴く道ぞ』といい、夫人に瑟をひかせ、自らは、その曲にあわせて歌い、惨棲悲懐した」ことをいう。


平衢修且直,白楊信褭褭。
その平らな道は長く且つまっすぐにつらなりすすむ、白楊は風になびき、なよなよとしている。
・白楊 1 ヤマナラシの別名。 2 ドロノキの別名。
・衢 四方八方に通ずる道。
・褭褭 なよやかな形容。


副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
やがて太子の命で酒盛りが催され、客は皆よろこんで興を尽くす。
・副君 漢書に「疏広の白く、太子は国の儲副の君なり」。天子の副。もうけの君。
・写寫 のべ洩らす。尽くす。
・懷抱 思い。考え。


良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
かくて楽しい遊びは昼と夜、また夜おそくとか朝はやくとかの別なく催される。

《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。

2013年6月16日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首  平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#3>710 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2534
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集又觀打魚 楽府(七言歌行) 成都6-(17) 杜甫 <481-#1>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2535 杜甫詩1000-481-#1-701/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送姚員外 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-198-64-#58  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2537
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《擬魏太子鄴中集詩八首   平原侯值》 謝靈運 六朝詩<85-#1>平原侯值瑒 797 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2533
108  平原侯植


平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
徙倚窮騁望,目極盡所討。

しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
折楊柳0002#2
西顧太行山,北眺邯鄲道。
平衢修且直,白楊信褭褭。
副君命飲宴,歡娛寫懷抱。
良遊匪晝夜,豈雲晚與早。
#3
眾賓悉精妙,清辭灑蘭藻。
哀音下回鵠,餘哇徹清昊。
中山不知醉,飲德方覺飽。
願以黃發期,養生念將老。

平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。

#2
西のかた太行の山を顧み,北のかた邯鄲【かんたん】の道を眺む。
平衢【へいく】は修とし且つ直とす,白楊は信に褭褭【じょうじょう】たり。
副君は飲宴【いんえん】を命じ,歡娛【かんご】して懷抱【かいほう】を寫【つ】くす。
良遊は晝夜に匪ず,豈に雲【い】わんや晚と早とに。
#3
DCF002102眾賓は悉【ことごと】く精妙にして,清辭もて蘭藻を灑ぐ。
哀音は回鵠を下し,餘哇【よあ】は清昊【せいこう】に徹す。
中山にも醉を知らず,德を飲んで方に飽くを覺ゆ。
願はくは黃發の期を以って,生を養いて將に老んと念う。


『平原侯植』 現代語訳と訳註
(本文)

公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
徙倚窮騁望,目極盡所討。


(下し文)
平原侯【へいげんこう】植【ち】
公子は世事【せいじ】に及ばず,但だ遨遊【ごうゆう】を美みず,然れども頗しく憂生【ゆうせい】の嗟有り。

朝に遊びて登鳳閣にり,日暮れて華沼に集る。
柯を傾けて弱枝を引き,條を攀ぢて蕙草を摘む。
徙倚【しい】して騁望【ていぼう】を窮め,目極りて討ぬる所をく盡す。


(現代語訳)
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。
朝になるまで風閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。


(訳注)
平原侯植
公子不及世事,但美遨遊,然頗有憂生之嗟。
公子曹植は俗世間のことに関心をもたず、ただ、遊びたのしむことを美しとし好んだ。しかし、いささか生を憂える歎きがある。

朝遊登鳳閣,日暮集華沼。
朝になるまで鳳閣に登ってあそび、夕になるまで美しい池のほとりにいたって宴に侍する。
・鳳閣・華沼 「鳳」も「華」も美称。「登鳳閣」を、役づとめ、と見ないで遊びとしている。


傾柯引弱枝,攀條摘蕙草。
そこでは柳の大きな枝を傾け、枉げて弱々しい若枝をひき、香草の小枝をつかまえてその花をつみとる。
・弱枝 柳のわかい枝。


徙倚窮騁望,目極盡所討。
しずかにさまよいながら、遙か遠くを眺めると、見わたす限りすべてわが心を惹くのである。
・窮騁望 目のとどく限り、目をはなって遠くを望む。
・討 たずねること。

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3> 應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。


2013年6月15日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3> 應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#2>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集觀打魚歌 楽府(七言歌行) 成都6-(16) 杜甫 <480-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2530 杜甫詩1000-480-#2-700/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春郊游眺寄孫處士二首 其二 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-197-63-#57  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2532
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#3>  應瑒 796 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2528

詩人李白5x5阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。


建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、


107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。

#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。


『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
 (本文)
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(下し文) #3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。


(現代語訳)
今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。


(訳注) #3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。

今また河曲の遊びに従うに、従者は笛を吹いて路を開き、黄河のほとり蘭の生ずる水辺に舟をうかべる。
〇河曲 黄河のほとり。曲は蛇行する川の隈になったところを云う。淵で舟遊びを愉しめるところ。曹丕の「呉質に与ふる書」にも、「時に駕して遊び、北のかた河曲に遵ふ。従者は茄を鳴らして以て路を啓き、文学は後事に託粟す」という。


躧步陵丹梯,並坐侍君子。
あるいは郤克の故事のように拙い身を以て朱塗りの階段をのぼり、衆賢とならび坐して宴席につらなり太子に侍したのである。
〇躧步陵丹梯 春秋時代の晋の政治家、将軍。紀元前592年の春に郤克は、斉に断道(山西省)で行われる諸侯会議への参加を求めるために外交の使者として赴いたが、斉(頃公)とその母の蕭同叔子に自分の怪異な風貌を笑われるという大恥辱を受けてしまう。
謝霊運の「永初三年七月十六日之郡初発」(永初三年七月十六日、都に之かんとして、初めて郡を発す」(翌にも見えた。ここでは、不具者の如く拙いわが身、の意。山水詩人、謝霊運 永初三年七月十六日之郡初発都 詩集 370

妍談既愉心,哀弄信睦耳。
かくて談論の美しき言葉は人びとの心を楽しましてくれ、音楽の哀調は心ゆくばかり耳をやわらげよろこばしてくれたのだ。
〇哀弄 「弄」は、小曲、音楽のしらべ。


傾酤系芳醑,酌言豈終始。
貴重な香のたかい美酒をのんだあとで、買ってきた酒をもかたむけ、酒くみかわしていつまでも終ることがない良好な主従関係にあった。
〇酤 一夜づくりの酒。販売するための酒。
〇芳醑 貴重な香のたかい美酒。
〇酌言 詩経、小雅、瓠葉篇に「幡幡瓠葉、采之亨之。 君子有酒、酌言嘗之。」(幡幡たる瓠葉、之を采り之を亨る。 君子酒あり。酌みて言【ここ】に之を嘗む。。」主従関係のよいことをあらわす語句である。


自從食蓱來,唯見今日美。
これまでも宴で酒肴にあずかり侍してきたが、ただ今日のようにりつばな宴席は始めてである。
〇食蓱 詩経、小雅、鹿鳴篇に「呦呦鹿鳴、食野之苹。我有嘉賓、鼓瑟吹笙。 吹笙鼓簧、承筐是將。人之好我、示我周行。」呦呦として鹿鳴き、野の苹を食(は)む。我に嘉賓あり、瑟を鼓し笠を吹く」と見え、その詩の序には、群臣嘉賓を燕するものという。「苹」は大萍、よもぎの類いで、陸生と水生がある。
〇今日美 このころの宴游は、昼は外で、夜は内で、ひきつづいておこなうことが多い。昼に、河曲の遊びをして、夜は室内或はそれに準じた場所。日々初めてということは毎日経験していない宴席であったということである。
花蕊夫人002

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2> 劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。


2013年6月14日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2> 劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#1>709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性春郊游眺寄孫處士二首 其一 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-196-62-#56  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2527
 
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『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#2>  劉楨 795 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2523


阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。


建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、

泰山の夕日02












107
擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
王屋山01#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。

#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。



『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。


(下し文)#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。


(現代語訳)
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。


(訳注)#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
黄河の洲のほとりは大軍の移動、対峙に砂塵が舞う。そこへ悲風が吹きまくり、黄色の沙塵は、黄雲かと見まごうほどに盛んにわきおこる。
〇河洲の句 黄河のほとり、沙吹雪のようすを云う。袁紹と黄河を対峙してのようすが浮かんでくる。大軍移動での砂塵が舞う。謝靈運『緩歌行』「飛客結靈友,凌空萃丹丘,習習和風起,采采彤雲浮,娥皇發湘浦,霄明出河洲,宛宛連螭轡,裔裔振龍旒。」
〇風悲の句 秋の足の長い風を云う。「風悲とは、風急にして悲しきこと。黄雲とは、黄河流域の挨塵の色の黄なるものが雲のように湧き上がることを云う。といい、淮南子には「黄泉の浜は上りて黄雲となる」とある。


金羈相馳逐,聯翩何窮已。
金に輝くオモガイをつけた立派な馬がたがいに、戦闘をはげしくした、群雄は馬を馳せて追い合い、それがつづいて止むことがなかった。
〇金羈 帝は、馬のおもがい。それを一部の金を使い輝いている、りつぱな飾りつきのものであるため「金」字を加えた。


慶雲惠優渥,微薄攀多士。
この時喜ばしくめでたい雲のごとく湧き上がる勢力になった曹操公は厚いめぐみを垂れられたのだ、才能うすき私自身も衆賢の後につづいて共にめぐみをうけることになった。
〇攀多士 多士にすがりつく。謙遜語で多くの兵と同様にたよりにされた、あるいは恵みを受けたという意味。


念昔渤海時,南皮戲清沚。
思い浮かべることは、それより前の事、太子に従い渤海郡の南皮にあったとき、水清き渚に遊びたわむれたりしたことからはじまったのだ。
〇南皮 曹盃の「異質に与ふる書」にも、「昔日の南皮の道を念ふ毎に、誠に忘るべからず」という。

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1> 劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。


 

2013年6月13日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1> 劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性江亭餞別 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-195-61-#55  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2522
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀》 謝靈運 六朝詩<84-#1>  劉楨 794 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2518


建安文学の文学者 
有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。"   

阮瑀(?~212)
  字は元瑜。陳留郡尉氏の人。蔡邕に師事して、学問を修めた。曹洪が書記として任用しようとしたが従わず、笞打たれた。建安初年、曹操によって司空軍謀祭酒・記室に任ぜられた。陳琳とともに章表書記にすぐれ、檄文の起草にあたった。倉曹掾属に上った。若くして没して、曹丕に惜しまれた。建安七子のひとり。『阮元瑜集』。

終南山03

建安の七子の一人である阮瑀(未詳~212)、字は阮喩について、すでに曹丕は「呉質に与うる書」で「元喩書記翩翩を致して楽を足す」といい、「典論」の「論文」で「琳・瑀の章表書記今の雋なり」と、評しているが、謝霊運もその小序で、


107

擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)
管書記之任,有優渥之言。

阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。
#2
河洲多沙塵,風悲黃雲起。
金羈相馳逐,聯翩何窮已。
慶雲惠優渥,微薄攀多士。
念昔渤海時,南皮戲清沚。
#3
今複河曲遊,鳴葭泛蘭汜。
躧步陵丹梯,並坐侍君子。
妍談既愉心,哀弄信睦耳。
傾酤系芳醑,酌言豈終始。
自從食蓱來,唯見今日美。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「阮瑀」)
 
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。

#2
河洲には沙塵【さじん】多く,風悲しみて黃雲起る。
金羈は相い馳逐【ちちく】し,聯翩【れんぺん】何んぞ窮り已まん。
慶雲は優渥【ゆうあく】を惠み,微薄は多士を攀づ。
念う 昔 渤海の時,南皮にて清沚【せいし】に戲れしを。
#3
今複た河曲に遊び,葭を鳴らして蘭汜【らんし】に泛ぶ。
躧步【しほ】して丹梯【たんてい】を陵ぎ,並び坐して君子に侍す。
妍談【けんだん】は既に心を愉しましめ,哀弄【あいろう】は信【まこと】に耳を睦【やわら】ぐ。
酤【こ】を傾けて芳醑【ほうしょ】を系ぎ,酌言は豈に終始あらんや。
蓱【へい】を食いしより來【このかた】,唯だ今日の美を見る。



『擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀』 現代語訳と訳註
紅梅002(本文)
管書記之任,有優渥之言。


(下し文)
書記の任を管【つかさど】る,故に優渥【ゆうあく】の言有り。


(現代語訳)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。


(訳注)
阮瑀は曹操に仕えて書記の任務をとっていたので、主君の厚いめぐみを感謝することばがある。



擬魏太子鄴中集詩八首 阮瑀

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 阮瑀について。)


管書記之任,有優渥之言。

4岳陽樓詩人003
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。   

 
1)孔 融 (こう ゆう) 153年 - 208年   後漢末期の人。字は文挙。孔子20世の孫に当たる。出身地も遠祖の孔子と同じく青州魯国の曲阜県である。父は孔宙、兄は孔襃。子の名は不詳。 


2)陳 琳(ちん りん)  ? - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。 飲馬長城窟行    易公孫瓚與子書


3)王 粲(おう さん) 177年 - 217年 、)は、中国、後漢末の文学者・学者・政治家。字は仲宣。王龔の曾孫、王暢の孫、王謙の子。王凱の従兄弟。子に男子二名。山陽郡高平県(現山東省)の人。曽祖父の王龔、祖父の王暢は漢王朝において三公を務めた。文人として名を残し、建安の七子の一人に数えられる。 登樓賦   公讌詩   詠史詩   七哀詩三首   從軍詩五首


4)徐幹 (とかん)  ? - 217年  
北海郡劇県の出身。字は偉長。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『詩品』では下品に分類される。 


5)応瑒 (おうとう) ?~217   字は徳璉。汝南郡南頓の人。応珣の子。応劭の甥。学者の家の出で、曹操に召し出され、丞相掾属に任ぜられた。平原侯(曹植)の庶子を経て、五官将文学に上った。建安七子のひとり。 


6)劉 楨 (りゅう てい) ? - 217年
後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。


劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)[1]。
曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。" 贈従弟三首


7)阮瑀 (げんう) ?~212  陳留尉氏の出身。字は元瑜。蔡邕に就いて学問を修め、曹洪の招聘を拒否して鞭打たれたこともあったが、建安初年に曹操の司空軍謀祭酒・記室となった。章表書記において陳琳と双璧と謳われたが若くして病死し、殊に曹丕に惜しまれたという。『詩品』では下品に位する。 
王琰(おうえん) 177~217 後漢から魏(ぎ)にかけての文人。高平(山東省)の人。字(あざな)は仲宣。博覧多識で知られる。詩賦に長じ、建安七子の一人。「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」など。  「従軍詩」「七哀詩」「登楼賦」

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3> 劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。


2013年6月12日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3> 劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩酬藍田崔丞立之詠雪見寄 韓愈(韓退之) <144-#1>Ⅱ中唐詩707 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2519
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集苦戰行 楽府(五言律詩) 成都6-(13) 杜甫 <478>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2515 杜甫詩1000-478-697/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性送鄭資州 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-194-60-#54  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2517
 
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#3>  劉楨 793 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2513


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。

moon2011






擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
鷹将(本文) #3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。


(下し文)
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


(現代語訳)
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
列をなして坐するとまるで屋根を支える屋根裏の花の垂木のようにならんだのだ。そして金の大盃には清酒が満ちほどに注がれた。
〇榱 たるき。屋根を支えるため、棟から軒先に渡す長い木材。はえき。たりき。たるきがた【垂木形】屋根のつまに、垂木と平行に取り付ける板。たるきだけ【垂木竹】竹で作った垂木。また、それに用いる竹。かやぶきの屋根など.


始奏延露曲,繼以闌夕語。
宴は延露の曲を合奏することから始まり、それにつづいての談論は夜おそくまで夜を徹して行われた。
〇延露曲 李善は、港南子の「表れ采菱を歌ひ、陽阿を発するも、都人は之を聴けば、延露の以て和せるに若(し)かず」を引く。現行本の港南子、人間訓には、「此の延路・陽局に若かず」とある。延路と陽局とは、都歌曲のこと。
〇聞夕 夜おそいこと。「聞」は、おそい。尽きる。


調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
また、からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったり、そして即答の応酬があり、気まりわるがって止めることなどないのである。
〇慚沮 「沮」は、勢いがなくなる、沮喪。酬答することを止める。


傾軀無遺慮,在心良已敘。
かくて、この身も心も太子に傾けまかせることとし、心にあることはすべて叙べたのである。

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。


 

2013年6月11日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和武相公鎮蜀時,詠使宅韋太尉所養孔雀 韓愈(韓退之) <143>Ⅱ中唐詩706 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2514
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集大麥行  楽府(七言歌行) 成都6-(12) 杜甫 <477>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2510 杜甫詩1000-477-696/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性和郭員外題萬里橋 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-193-59-#53  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2512
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#2> 792 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2508


106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。


(下し文) #2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。


(現代語訳)
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
一旦後漢末の世の乱、災難にあっったことで、さすらい、おちぶれていき、ただ常に旅の身となり落ち着くところはなかった。
〇淪薄 淪①. 隠れ沈む・こと(さま)。 ②. 世をのがれて隠れること。薄 いきつくこと。ここでは落ちぶれ果て行き着くところまで行ったという意味。


天下昔未定,托身早得所。
しかし天下がまだ平定しなかった時に、早くも曹操のところに身を寄せることができた。
〇昔未定 過去のおちぶれて、まだ定まらなかった時のことを言ったものである。
〇早得所 身を託する所を得たこと。曹操に託するを得たことをいう。


官度廁一卒,烏林預艱阻。
かくて官度の戦には曹操の軍に一兵士として加わって袁紹の軍を破り、烏林の戦に曹操公の軍が周瑜らに破られたときには、われも敗戦の苦難にあずかったのである。
〇官度 後漢末期の200年に官渡(現在の河南省中牟の近く)に於いて曹操と袁紹との間で行われた戦い。
〇烏林 呉の孫権の将なる周瑜は、劉備の軍と連合して、赤壁より烏林にわたる戦に、曹操の軍を破る。


晚節值眾賢,會同庇天宇。
そののち晩年まで、劉楨らのすぐれた文武両道の士(建安の三曹七賢)にあい、彼らと集まり参じて、天であり宇宙のような威徳の太子のめぐみのもとに会することが出来たのである。
〇晩節 晩年。ここは、そののち晩年まで、とでも解す。
〇眾賢 建安の三曹七賢。
〇庇 おおう。護りたすける。
〇天宇 曹操から、曹丕に仕えることが出来たことを云う。 

《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503

《擬魏太子鄴中集詩八首》 謝靈運  こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
 

2013年6月10日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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《擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒》 謝靈運 六朝詩<83-#1> 791 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2503

106  應瑒
應瑒【おうとう】(未詳―217)、字は徳漣について、早く、曹丕は「呉質に与うる書」で、「徳漣は常に斐然として述作の意あり。其の才学は以って書を著わすに足れり。美志遂げず。良に痛惜すべし」といい、「典論」の「論文」で、「應瑒は和にして壮ならず」と評しているが、謝霊運はその小序で、「汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。」汝水と頴水との付近の士なり。世の乱れに流離し、頗る浅薄の欺き有り。と、彼の作風について曹丕と同じように評している。


擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
鷹将嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
#2
一旦逢世難,淪薄恒羈旅。
天下昔未定,托身早得所。
官度廁一卒,烏林預艱阻。
晚節值眾賢,會同庇天宇。
#3
列坐蔭華榱,金樽盈清醑。
始奏延露曲,繼以闌夕語。
調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。
傾軀無遺慮,在心良已敘。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。
#2
一旦 世難に逢い,淪薄して恒に羈旅す。
天下の昔 未だ定らざりしときに,身を托して早く所を得たり。
官度には一卒に廁【まじ】り,烏林には艱阻【かんそ】預る。
晚節には眾賢【しゅうけん】に值い,會同して天宇に庇わる。
#3
坐を列ねて華榱【かすい】に蔭れ,金樽には清醑【せいしょ】を盈たす。
始むるに延露の曲を奏し,繼ぐに闌夕【らんせき】の語を以ってす。
調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。
軀を傾けて慮を遺すこと無く,心に在りて良に已に敘【の】ぶ。


『擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒』 現代語訳と訳註
(本文)
汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
求涼弱水湄,違寒長沙渚。
顧我梁川時,緩步集潁許。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「應瑒」)
<汝潁【じょえい】の士なり,世故に流離し,頗【すこ】しく飄薄【ひょうはく】の歎有り。> 

嗷嗷【ごうごう】たる雲中の鴈,翮【つばさ】を舉げて委羽よりす。
涼を弱水の湄【ほとり】に求め,寒を長沙の渚に違く。
顧うに我 梁川の時,緩步して潁許に集る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
<応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。>
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 應瑒
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 應瑒について。)
謝霊運は応場が若いときあっちこっちと職をさがしつつ旅をし、ついに、漢末の戦乱に会い、困窮していたが、曹操に出会い、各地を転戦し、功績をたて、幸福な生活をすることができるようになったという。すなわち、不幸な出発から幸福な生活を歌っているのは徐幹、劉楨の場合と同じである。


汝潁之士,流離世故,頗有飄薄之歎。
応瑒は、魏の汝南、穎川の地方の人である。乱世のためあちらこちらと他郷をさすらったので、いささか、ここに示すような、かくのごとき運命を欺いたのである。
〇汝穎 汝水(現在の汝河。河南省に発し淮河に注ぐ。)穎水(河南省嵩山南麓を流れる河で、淮河の主要な川である。)「穎水に耳を洗う」という許由の故事がある。
〇飄薄 さすらい。「薄」は迫。


嗷嗷雲中鴈,舉翮自委羽。
こうごうとかなしげな声で鳴くのは雲間の雁である。遠い北国の永遠に日が差さない委羽山から飛びたってくる。
〇翮 羽の茎。
〇委羽 委羽山。委羽山. イウサン. 中国神話の山で、はるか北の果てにあり、永遠に日が差さないとされた山。羽山のことだともいわれる。


求涼弱水湄,違寒長沙渚。
春から初夏に崑崙山から流れる弱水のほとりに涼をもとめ、寒波襲来には、寒さを避けて南方の長沙の水辺に向かう。
〇弱水 崑崙山の東に在るという神話上の川の名。中国東北部にある、松花江ともいわれている。


顧我梁川時,緩步集潁許。
わが過去もふりかえるとあたかもそのようで、大梁の川にいた時のことをふりかえってみる。たしかに頴川であそび、許都に集まって楽しんだものである。
〇梁川 戦国時代の魏は、大梁にうつったので、「梁」ともいう。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。

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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#3> 790 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2498


劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨#3
王屋山01朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。


(下し文)#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


(現代語訳)
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。


(訳注)#3
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 
 


朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
かくて朝に遊びに出ては牛羊の下る日ぐれまで鳴きつづけ、ゆうべに宴席に坐しては明曉にわとりが鳴くまでつづくのである。
・牛羊下 詩経、王風、君子子役篇に「鷄は括に棲り、日は夕となる、羊牛下り括(か)る」という。
・括揭 「括揭」はとまり木にとまること。鶏のとまり木。「括」「揭」同じ。


終歲非一日,傳巵弄新聲。
これが年中であって、一日のみのことではないのである。宴に侍して酒杯を伝えかわし、新作の音楽を味わったのである。


辰事既難諧,歡願如今並。
かっては辰時と楽事とは伴うものではないと思っていたのであるが、今やこの楽しみの願いいがかなうとなると、両者をあわせ持つことができたのである。


唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。
ただこの上とも望むことは、鳥が羽音をたてておごそかに飛びあがり、空高くにいたるごとく、吾も貴い地位にのぼりたいとおもうのである。
・羨 愛慕をねがう。
・粛粛 羽の声。 (1)しずかなさま。ひっそりとしているさま。  (2)おごそかなさま。曹植『棄婦篇』「歭躇還入房、肅肅帷幕聲。」とよくつかう。
・翰 長く堅い羽毛。
・繽紛 ひらひら飛ぶさま。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493

 謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。

2013年6月8日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩和武相公早春聞鶯 韓愈(韓退之) <141-#1>Ⅱ中唐詩702 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2494
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#2> 789 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2493


鷹将劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
<劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。>
貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
竹林0021(本文) 劉楨
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。


(下し文) #2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。


(現代語訳)
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。


(訳注) #2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
それからは曹操に従って北のかた魏の黎陽の津を渡って袁紹を討ち、あるいは南のかた楚の紀や郢の城にのぼり劉表を征圧したのだ。
黎陽津 魏の主要の港である黎陽。
紀郢城 劉表がいる楚の紀城や郢城。


既覽古今事,頗識治亂情。
われはすでに古今の事がらを見て、いささかその治乱の理に通じていたので更に深く知ったのだ。


歡友相解達,敷奏究平生。
親友は吾のことを説き且つ進めてくれたので、文書をもって陳べ進める仕事に当らせてもらえ、平生の才を存分に発揮できるようになった。
・相解達 「解」は説。李善は「相談説して進達するなり」といい、李周翰も同じ。何燈は、それを非とし「古今治乱のことをLるので、親友らと互いに、響えを引いて話しあった」意とする。
・平生 古今治乱の事情について、かねてしる所の知識をさす。


矧荷明哲顧,知深覺命輕。
それに加えて明智の太子曹丕の恩顧をうけたのだ。そして知己の恩の深いことで、わが身命の軽んずべきことをさとった。
・矧荷 いわんや~をうける。それに加えて~をうける
・明哲顧 明智の太子の恩顧。
・知深 知己の恩の深く。王逸の晋書に「孔短日く、士は知遇の恩に死し、命をして軽からしむ」。

《擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。


 

2013年6月7日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首  劉楨》 謝靈運 六朝詩<82-#1> 788 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2488



劉楨(未詳~-217)、字は公幹。彼の作品についてすでに曹丕は「呉質に与うる書」で「公幹は逸気あり。但だ未だ遵からざるのみ。その五言詩の善なるは時人に妙絶せり」といい、「典論」の「論文」で「劉禎は壮にして密ならず」と、評しているが、霊運はその中序で、
(卓犖れたる偏人〈文才のある人〉而して文に最も気有り。得る所頗る経奇なり。)

・劉楨が若いとき、貧乏して山東の田舎にいたこと、
・出世しようとして旅をしつつ許都に行き、曹操と知り会って召しかかえられるようになったこと。
・曹操に従い、各地を転戦して、いろいろのことを見学し、治乱のことについて学習することができたこと。
・多くの英才と仲よく政治を行ない、毎日、宴会に追われ楽しい日を送った。

このうえは、「唯だ羨うは粛粛たる翰もて 繽紛れて高冥に戻らんことを」と、その願望を歌っている。この詩も、劉楨の幸運を歌い、詩意は前述の王粲『《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運』とは願望については異なるが、通してなはだしく似ている。


105
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
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貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
#2
北渡黎陽津,南登紀郢城。
既覽古今事,頗識治亂情。
歡友相解達,敷奏究平生。
矧荷明哲顧,知深覺命輕。
#3
朝游牛羊下,暮坐括揭鳴。
終歲非一日,傳巵弄新聲。
辰事既難諧,歡願如今並。
唯羨肅肅翰,繽紛戾高冥。

(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。
#2
北のかた黎陽の津を渡り,南のかた紀郢の城に登る。
既に古今の事を覽て,頗る治亂の情を識る。
歡友は相い解達し,敷奏して平生を究む。
矧【いわん】や明哲の顧を荷い,知は深くして命の輕きを覺るや。
#3
朝に游んで牛羊の下までし,暮に坐して揭鳴【けつめい】に括【いた】る。
終歲【しゅうさい】にして一日に非らず,巵を傳えて新聲を弄す。
辰事は既に諧【かな】い難く,歡願を如今【じょこん】に並【あわ】せたり。
唯だ羨【ねが】うは肅肅たる翰【つばさ】の,繽紛【ひんぷん】として高冥に戾らんことを。


銅雀臺00







『擬魏太子鄴中集詩八首 』 現代語訳と訳註
(本文) 劉楨
卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
貧居晏裏閈,少小長東平。
河兗當沖要,淪飄薄許京。
廣川無逆流,招納廁羣英。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す八首「劉楨」)
<卓犖【たくらく】たる偏人にして,而して文は最も氣有り,得る所頗しく經【つね】に奇なり。>
貧居して裏閈【りかん】に晏んじ,少小にして東平に長ず。
河の兗は沖要に當れば,淪飄【りんぴょう】して許京に薄【いた】れり。
廣き川には逆流すること無く,招納【しょうのう】されて羣英に廁【まじわ】る。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 劉楨
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首 劉楨について。)
劉 楨(りゅう てい、? - 217年)は、中国、後漢末に曹操に仕えた文学者。字は公幹。建安七子の一人。東平寧陽(現山東省)の人。後漢の宗室の子孫、劉梁の子(あるいは孫)。曹操に招かれ丞相掾属となり、五官将文学・平原侯庶子に転じて、曹操の息子の曹丕や曹植と親しく交際した。後に宴席の場で、曹丕が夫人の甄氏に命じて挨拶させた時、座中の人々が平伏する中、一人彼女を平視した。このことを聞いた曹操に不敬を問われたが、死刑を許されて懲役にされた。刑期が終わると吏に任じられた。217年に死去。
劉楨は文才に優れ、数十篇の作品を著したという。特に五言詩は「其の五言詩の善き者、時人に妙絶す」(曹丕「呉質に与うる書」)として高く評価された。後世においても「真骨は霜を凌ぎ、高風は俗を跨ぐ」(鍾嶸『詩品』)と評されるように、骨太で高邁な風格を特徴とする作風は、王粲とともに建安七子の中で最も高い評価を受けている。 


卓犖偏人,而文最有氣,所得頗經奇。
劉楨は、世の常なみの人よりも高くすぐれ、その文は最も気力があり、得るところは、少しは、つねにすぐれている。
・卓犖 すぐれて他からぬきんでていること。また 、そのさま。
・偏人 文才のある人。
・而文 ここに「文」とは、主としてかれの詩をさす。


貧居晏裏閈,少小長東平。
若い時から故郷斉の東平県で貧しい暮らしながらも安んじて成長してきた。
・裏閈 貧しい村里。
・東平 斉國地方。山東省泰安市に位置する県。


河兗當沖要,淪飄薄許京。
この済河および兗州の地方は交通や軍事の要地にあたり、戦乱がはげしくなったので、故郷を去り、流浪して許都に至る。
・河兗 斉河、兗州をいう。
・沖要 要衝。
・淪飄 戦乱がはげしくなること。波にただよう。
・薄 至る。
・許京 許都。獻帝は、洛陽から許州に遷ったので京といった。


廣川無逆流,招納廁羣英。
広い川は細流をも拒むことなく受けいれるが、そのように曹操は微細な我をも招き入れて、すぐれた人士の列に加えて下された。
・広川無逆流 管子に「善く君たるものは。宜しく江海に法るべし。江海は細流を逆まず、故に百谷の長となる」。
yuuhi00

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。

2013年6月6日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
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《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#3>文選 雜擬 上 787 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2483


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。
かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
行觴奏悲歌,永夜系白日。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
中飲顧昔心,悵焉若有失。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。


moon2011





 

『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。


DCF002102(下し文) #3
清論 事は萬を究め,美話 信に一に非ず。
行觴に悲歌を奏し,永き夜 白日に系ぐ。
華屋は蓬居に非ず,時髦 豈に餘は匹いならんや?
中飲にして昔の心を顧う,悵焉として失う有るが若し。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#3
かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。


(訳注) #3
清論 事 究萬,美話 信 非一。

かくて清く超俗の談論はあらゆることにいきわたり、善美な話は、まことに一つの題材ではないのである。
・清論 清く超俗の談論。


行觴 奏 悲歌,永夜 系 白日。
また杯が座卓をめぐるほどに悲歌を奏し、宴は真昼から夜にひきつがれて、いつまでもつづく。
・行觴 酒杯を廻すこと
・悲歌 清んだ響きは悲しげにきこえる。「徐幹は、もと宦情なし。故に悲歌あり、悲歎こもごも懐に集る」


華屋 非 蓬居,時髦 豈 餘匹?
ただこの華麗な家はわが住まいとすべきわが蓬居とは異なり、ここにあそぶ当代の俊才もどうしても、蓬居に住み、野人とともにありたいということなのだ。
・蓬居 蓬の住居。野人の家。隠遁者の住まい。


中飲 顧 昔心,悵焉 若 有失。
それで宴に列席していながらも、嘗ての隠遁の心をおもいだしては、何かしら失うことあるようなので、我はうれいなげくのである。
・悵焉 なげきかなしむ。・焉①ようすを表す語に添える助字。状態を示す。「溘焉(こうえん)・忽焉(こつえん) 」 ② 「ここに」の意を添える助字。「終焉」

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運  このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。

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《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#2>文選 雜擬 上 786 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2478


擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
#2
此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
已免負薪苦,仍游椒蘭室。

薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。
#3
清論事究萬,美話信非一。行觴奏悲歌,永夜系白日。
華屋非蓬居,時髦豈餘匹?中飲顧昔心,悵焉若有失。
 


『擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹』 現代語訳と訳註
takadonosky01(本文)
#2
此歡謂可終,外物始難畢。搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
末塗幸休明,棲集建薄質。已免負薪苦,仍游椒蘭室。


(下し文) #2

此の歡をば終ふ可しと謂ひしに、外物のため始めて【お】へ難し。
箕濮【きばく】の情を搖盪【ようとう】し、年を窮めて憂栗【ゆうりつ】に迫らる。
末塗【まつと】には幸に休明にあひ、棲集【せいしゅう】は薄質に逮【およぶ】ぶ。
己に負薪【ふしん】の苦しみを免れ、仍お椒蘭【しょうらん】の室に游ぶ。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)-#2
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた。


(訳注) #2
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹

(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)


此歡謂可終,外物始難畢。
このような楽しみを一生やりとおしたいものと思っているのに、世の乱れにあったため、この願をとげることができないのである。
・外物  1 自分以外の事物。外界の事物。 2 自我の働きの外にあり、客観的世界に存在するもの。客観的実在。
・終・畢 ともに、「此歓」をきわめつくすこと。


搖盪箕濮情,窮年迫憂栗。
許由や荘周のように箕山・濮水に隠棲したい心を棄て、年中うれいおそれに襲われどおしになった。
・搖盪 うごかし、はらう。
・箕濮 箕山は許由らの隠居したところ、濮水は荘周が隠遁して釣などをしたところという。


末塗幸休明,棲集建薄質。
しかるに、晩年幸いにも美しく明らかな世にゆきつくことができ、乏しき才能のわが身も衆賢とともに曹公に仕えるを得たのである。
・塗 1 ぬる。「塗装・塗布・塗抹・塗料」2 泥。泥にまみれる。「塗炭/泥塗」3 道路。
・棲集 至り、とまる。ここは衆賢が、曹公のもとに來たこと。


已免負薪苦,仍游椒蘭室。
薪をになう賤しい仕事をする労苦からまぬがれた上、さらに山椒や蘭をぬりこめた太子の高貴な室に遊ぶことさえゆるされた
・負薪 ・負薪之憂 士が自分の病気を謙遜して言う。禄が十分でなく、薪を背負って働いたので病気になったという意味。「負薪」は、生活のために雑用や力仕事をすることの喩え。苦役。
・椒蘭室 『楚辞、離騒』第十四段「覧椒蘭其若茲兮」(椒蘭を覧るに其れ茲の若しかくのごとし)
大戴礼に「君子と遊ぶときは、必ず蘭正の室に入るが如し。久しくして聞かず、則ち之と化すればなり」という。
サンショウ(はじかみ)とラン(ふじばかま)。香りのよい植物の代名詞。転じて、「皇后の親類、外戚」転じて賢人ということもある。

《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#1>文選 雜擬 上 785 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2473

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹》 謝靈運 六朝詩<81-#1>文選 雜擬 上 785 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2473
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#2
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(本文)

少無宦情,有箕潁之心事,故仕世多素辭。
伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
置酒飲膠東,淹留憩高密。


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 徐幹)
少くして官情無く、箕頴の心有り。事故ありて世に仕ふ。素辞多し。
伊れ昔 臨淄に家し、提攜して齊瑟を弄す。
置酒して膠東に飲み,淹留して高密に憩う。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 徐幹
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に徐幹ついて。)
○徐幹 (170-217年)字は偉長、北海郡劇県(山東、日日楽県警の人。零落した旧家の出で、高い品行と美麗典雅な文章で知られた。建安年間に曹操に仕え、司空軍謀祭酒掾属・五官将文学に進んだ。隠士的人格者で、文質兼備であると曹丕から絶賛された。『《建安七子》の一人であるが、博雅達識の君子としての名声高く《七子母中に異彩をはなった。曹雪り「佳境い諾懐き質を抱き、悟淡寡慾にして、箕山の志あり。彬彬たる君子と酎っべし。「中論」二十余笛を著わし、辞義典雅にして、後に伝うるに足る。此の子不朽たり。」(「呉質に与うる書」)と評されている。
贈徐幹 (1) 曹植 魏詩<28>文選 贈答二 659 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1853


少無宦情,有箕潁之心事,
徐幹は年わかいころから官につく気特はなく、頴山と穎水とは近くにあり、許由と巣父が耳を洗い隠遁したように隠遁の心をいだいたが、戦乱にあって世に仕えることとなった。そのような人であるのである。
・官 仕える。
・箕潁 頴山と穎水とは近くにある。堯のとき、許由と巣父とが、そこに隠居していたといわれる。


故仕世多素辭。
彼の文は、おおむね質素で、かざりがない。
・素辭 質素で、かざりがない。


伊昔家臨淄,提攜弄齊瑟。
われは嘗て古の斉の都なる臨淄にいたころ、朋友とともに斉瑟をかきならすのである。
・臨溜 史記、蘇秦伝に「臨潤は、甚だ富みて実(み)つ。その民は、竿を吹き、琴を弾じ、筑を撃たざるなし」といわれるほど、音楽ずきの地であった。
齊瑟 斉国に産する繋。


置酒飲膠東,淹留憩高密。
また膠東では宴をして酒をのみ、高密では滞在して憩い遊ぶのである。
・膠東・高密 ともに斉の地名。

宮島(8)

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。

2013年6月3日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。北樓 韓愈(韓退之) <135>Ⅱ中唐詩696 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2464
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集溪漲 成都6-(6-#2) 杜甫 <472-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2470 杜甫詩1000-472-688/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 珠離掌 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-185-57-#45  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2472
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#3>文選 雜擬 上 784 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2468


有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。

孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。

皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。
#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。

戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
#2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
DCF002102愛客不告疲,飲燕遺景刻。
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。

#3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。



『擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


(下し文) #3
客を愛して疲を告げず、飲燕して景刻を遺る。
夜聴いて星闌を極め、朝に遊んで曛黑を窮む。
哀哇は梁埃を動かし、急觴は幽默を蕩ふ。
且つ一日の娯しみを盡し、古来の惑を知ること莫し。


(現代語訳)
太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。

takadonosky01
(訳注) #3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。

太子は客を愛しており、疲れたということはなかったし、宴を催し共にたのしんでは時がたつのも忘れ、夜昼の区別もなかったという。
・景刻 「景」は日かげ。「刻」は時間。昼夜を一百刻となすという。


夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
夜、音楽をきいては明けの明星が爛然と輝くころまでに至り、朝に、遊びに出かけては日ぐれまでも楽しむ。
・極/窮 二字とも、きわめる。ここは、至るの意。
・星闌 明けの明星が爛然と輝くことを云う。『詩経、鄭風、女日鷄鳴篇』に「士興きて夜を視よ、明星は爛たるあらん」という。

 
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
哀調をおびた音楽の声は梁上の塵を動かし、ひっきりなく酒杯をすすめては夜の静かな雰囲気を破ってにぎやかにするのである。
・哀哇 はなはだ哀しいこと。「哇」は、気がふさがって伸びないこと。


且盡一日娛,莫知古來惑。
このようにして、まあ一日中を楽しみ、酒は人の心をまどわすと古から言われた酒・色・財の三つの不惑とをも忘れてはいけない。
・古來惑 古来からいわれる酒・色・財の三つの不惑。

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463

謝靈運《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。


2013年6月2日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 燕離巢 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-184-56-#44  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2467
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

《擬魏太子鄴中集詩八首    陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#2>文選 雜擬 上 783 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2463


有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


陳琳
DCF002102(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
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その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)
袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。

皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。

#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
餘生幸已多,矧乃值明德。

戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


『擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
takadonosky01豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。


(下し文) #2
豈に意わんや己に乖【そむ】くを事にせんや,永く懷いて故國を戀う。
相公は實に王に勤め,信に能く蝥賊【ぼうぞく】を定む。
複た東都の輝を覩て,重ねて漢朝の則を見る。
餘生は幸にして已に多し,矧【いわ】んや乃ち明德に值えるを。


(現代語訳)
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。


(訳注) #2
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。

豈意事乖己,永懷戀故國。
しかしその思いに反して事は自分の思い通りにはならない、だから、いつも故郷に帰りたいと恋い慕うことばかりであった。


相公實勤王,信能定蝥賊。
ときに丞相であった曹操は王事に勤めており、よく乱賊である董卓・衰紹らを平定したのである。
・相公 丞相であった曹操。
・定 平定する。
・蝥賊 乱賊である董卓と衰紹。
衰紹の家は四代続いて三公(太尉・司徒・司空)を輩出した名門である。衰紹白身も董卓が洛陽を占領した中平六年(一八九)にはすでに司隷校尉(整旨視総監)という要職にあった。


複覩東都輝,重見漢朝則。
人々はまたかさねて、東都洛陽・漢朝の光輝ける礼法・法律などを見るにいたった。
・則 法則。一定の決まり。法律。制度。『詩経、大雅、烝民』「天生烝民、有物有則。」


餘生幸已多,矧乃值明德。
戦乱にあった私自身は生きのこっただけでも幸いが多いというべきなのである。ましてや明徳の太子にあい知遇をうけるにいたるとは何とした幸いであろう。
・餘生幸已多 陳琳は、袁紹に仕えたとき、「袁紹のために豫州に儌す」なる文で曹操の罪状をかぞえたて、かつ、その祖先をも、ののしりはずかしめた。しかるに、陳琳が曹操に帰してのち、曹操は、陳琳を殺さなかった。

《擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458

《擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳》 謝靈運 
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。



2013年6月1日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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Ⅲ杜甫詩1000詩集《大雨》 五言古詩 成都6-(5) 杜甫 <470-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2460 杜甫詩1000-470-#3-686/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 鸚鵡離籠 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-183-55-#43  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2462
 
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 
《擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳》 謝靈運 六朝詩<80-#1>文選 雜擬 上 782 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2458


王屋山01建安文学
建安文学 (けんあんぶんがく)  後漢末期、建安年間(196年 - 220年)、当時、実質的な最高権力者となっていた曹一族の曹操を擁護者として、多くの優れた文人たちによって築き上げられた、五言詩を中心とする詩文学。辞賦に代わり、楽府と呼ばれる歌謡を文学形式へと昇華させ、儒家的・礼楽的な型に囚われない、自由闊達な文調を生み出した。激情的で、反骨に富んだ力強い作風の物も多く、戦乱の悲劇から生じた不遇や悲哀、社会や民衆の混乱に対する想い、未来への不安等をより強く表現した作品が、数多く残されている。建安の三曹七子 1)孔融・2)陳琳・3)徐幹・4)王粲・5)応瑒・6)劉楨・8)阮瑀、建安の七子と曹操・曹丕・曹植の三曹を同列とし、建安の三曹七子と呼称する。

 

有名、無名を合わせ、数多くの文学者が建安の文壇に名を連ねてはいるが、中でも著名なのが、建安七子と呼ばれる文学者たちである。
孔融・陳琳・徐幹・王粲・応瑒・劉楨・阮瑀ら七人を総称して、建安の七子と呼ぶ。それに加えて、建安文学の擁護者であり、一流の詩人でもあった曹一族の曹操・曹丕・曹植の三人(三曹と呼ぶ)を同列とし、建安の三曹七子と呼称することもある。
また、繁欽・何晏・応璩・蔡琰・呉質といった著名文学者たちも、この建安文学に携わり、大きく貢献した文壇の一員であるとされている。


擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
單民易周章,窘身就羈勒。

孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
 (魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)

袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。


皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。

#2
豈意事乖己,永懷戀故國。
相公實勤王,信能定蝥賊。
複覩東都輝,重見漢朝則。
餘生幸已多,矧乃值明德。
#3
愛客不告疲,飲燕遺景刻。
夜聽極星闌,朝游窮曛黑。
哀哇動梁埃,急觴蕩幽默。
且盡一日娛,莫知古來惑。


『擬魏太子鄴中集詩八首  陳琳』 現代語訳と訳註
(本文) 陳琳

袁本初書記之士,故述喪亂事多。
皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
董氏淪關西,袁家擁河北。
單民易周章,窘身就羈勒。


(下し文)
 (魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 陳琳)

袁 本初が書記の士なり,故に喪亂の事を述ぶること多し。


皇漢は屯邅【とんせん】に逢い,天下は氛慝【ふんとく】に遭う。
董氏は關西を淪【しず】め,袁家は河北を擁す。
單民は周章し易く,身を窘【くる】しめて羈勒【きろく】に就く。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、あざな本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 陳琳
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首に陳琳ついて。)

1)陳琳は後漢の建安の七子の一人。秦の万里の長城建設に後漢の衰亡を重ね合わせているという。
2)陳 琳(ちん りん)  未詳 - 217年  後漢末期の文官。建安七子の1人。字は孔璋。広陵郡洪邑の出身。はじめ大将軍の何進に仕え、主簿を務めた。何進が宦官誅滅を図って諸国の豪雄に上洛を促したとき、これに猛反対している。何進の死後は冀州に難を避け、袁紹の幕僚となる。官渡の戦いの際、袁紹が全国に飛ばした曹操打倒の檄文を書いた。
陳琳『飲馬長城窟行』   
飲馬長城窟、水寒傷馬骨。
往謂長城吏、慎莫稽留太原卒。
官作自有程、挙築諧汝声。
男児寧当格闘死、何能怫鬱築長城。
万里の長城の岩穴で馬に水を飲ませてしまうと、その水は冷たく馬の骨まで傷つけるほどだ
俺は監督の役人に言ってやった
「どうか太原から来ている人足を帰してやってください」
訴えを聞いた役人は「お上の仕事には工程が決められているのだ。文句を言わずに杵を取って声を合わせて働け」と言う
人足は「男たるもの戦いの中で死ぬならまだしも、なんでこんな長城を築くやるせない仕事で朽ち果てるのは嫌だ」と憤懣をもらす


袁本初書記之士,故述喪亂事多。
陳琳はもと、冀州を中心に勢力を伸ばしていた衰紹、字が本初の書記となっていたので、董卓を洛陽追放、多く喪乱のことを述べている。
・衰 衰紹、字(あざな)は本初。霊帝の死後,宦官(かんがん)の専横を抑圧。皇帝の廃立を行なっ た董卓(とうたく)を洛陽(らくよう)から追放して,冀州(きしゆう)を中心に勢力を伸ばし, 山東の曹操(そうそう)と対立した。官渡(河南省)の戦いで敗れ病没。


皇漢逢屯邅,天下遭氛慝。
この時、漢室は艱難にあっていた、天下は乱賊にみだされていたのである。
・屯邅 艱難辛苦。時運や国家の困難。・邅:ゆきなやむ。めぐりくる。
・氛慝 不善な気象。


董氏淪關西,袁家擁河北。
その時、董卓は潼関以西の地方、長安をおとしいれ、衰紹は黄河以北の地をかかえ持っていた。
・淪 沈む。


單民易周章,窘身就羈勒。
孤独の吾(陳琳)はあわてふためいて、なすところを知らず、身を屈して衰紹に仕えたのである。
・周章 慣れて、あわてふためく。
・窘 くるしめる。
・羈勒 馬のおもがいと、くつばみと。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。


2013年5月31日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#3>文選 雜擬 上 781 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2453


王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
排霧屬盛明,披雲對清朗。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
不謂息肩願,一旦值明兩。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
既作長夜飲,豈顧乘日養!
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。


王屋山01(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。
#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。
#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。


『擬魏太子鄴中集詩八首』 現代語訳と訳註
(本文)
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!


(下し文) #3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!


(現代語訳) #3
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首 王粲

(177年熹平6年 - 217年建安22年)は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。


慶泰欲重疊,公子特先賞。
ありがたいことには、公と公子(曹丕)とに遇って幸福が重なり、公子(曹丕)は特にまずわれを賞識されたのだ。
・泰 ①ゆったりと落ち着いている。②はなはだしい。③とおる。通。④おごり高ぶる。⑤やすらか。⑥なめらか。
・欲重畳 「欲」は、李周翰によれば、欣の意。


不謂息肩願,一旦值明兩。
もともと吾は戦乱に悩むのあまり暫く肩をやすめたいと願っていただけなのに、今日のごとく公子にもあい、恩遇をうけようとは、思いがけなかったことである。
・息肩 荷物をおろして肩をやすめる。戦乱に悩むのあまりというほどの意味。
・明両 曹操は明、曹丕も明、故に「明両」といった。ただし、ここでは、主として曹丕をさす。


並載游鄴京,方舟泛河廣。
かくて公子とともに車を並べて乗って鄴京に遊んだり、舟をならべて広い河に浮べたりする。


綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
また、まつわりつつむように親しい清宴の楽しみにあずかり、梁棟をめぐりひびく静探なる歌声の音楽を聞くこともできた。
・綢繆 ①まつわりつくこと。また、糸などをからめて結ぶこと。②むつみあうこと。なれしたしむこと。
・梁棟響 梁と棟をめぐりひびく歌声の音楽のいいことをいう。梁塵 1 梁(はり)の上に積もっているちり。梁上のちり。 2 《「梁塵を動かす」の故事から》すぐれた歌声。また、歌謡。音楽。


既作長夜飲,豈顧乘日養!
このようにして夜どおしの宴などをしているのだから、日輪の車に乗って出道する楽しみなどどうして厭うことがあろうか。
・長夜飲 古くは、尉王がそれをした。
・乘日 太陽をのせて走る車の御者。神話中の人物である。「楚辞」離巌に「吾義和をして節を辞めしめ云云」と見える。 太陽神の乗る、六頭立ての竜の引く車。義和という御者がそれを御して大空を東から西にめぐる、という神話に基づく。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 筆離手 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-181-53-#41-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2452
 
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朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選 雑詩 上  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩 六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 



《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#2>文選 雜擬 上 780 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2448


王粲が後漢末の桓帝や霊帝の時代の乱に、都の長安を逃れて、遠く楚の地まで行ったが、その土地の美しきも、王粲の心を引き止めるものなく、故郷が懐かしく思い出された。が、やがて曹操や曹丕に会い、はじめて安心立命の地を得た。そして、さいわいなことには曹植をも知ることができ、幸福な毎日を送ることができたという。すなわち、謝霊運が王粲が三曹に会った喜びを推定して歌っているが、あるいは謝霊運もこのようなりっぱな君主に会いたいという願望が隠されているかもしれぬ。内容的には他の臣下グループと同じ形式になっていることが重要である。


102  王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。

それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
排霧屬盛明,披雲對清朗。

そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!

(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。
#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。

#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。

終南山03
『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』 現代語訳と訳註
(本文)
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
常歎詩人言,式微何由往。
上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
排霧屬盛明,披雲對清朗。


(下し文) #2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。


(現代語訳)王屋山01
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。


(訳注) #2
沮漳自可美,客心非外獎。
その地の沮水・漳水の風景はもとより美しいにはちがいないが、旅愁になやむわが身をこの実景も引きとめられないのである。
・可美 美しいにはちがいない。
・外奨 留るようにとに外物がすすめる。


常歎詩人言,式微何由往。
いつも詩経の式微の詩の作者の言に感じなげいて帰りたかったが、どうしても帰るすべがなかった。
・詩人・式微 「詩経」邶風の篇名。毛序では、黎侯が故国より追われ、衛の国に寓居していた時、彼の臣が帰国をすすめたもの、という。その詩に「式くて微【おとろ】え、式くて微う、胡んぞ帰らざる。」という一節がある。即位して間もない文帝に自己の忠節のかわらぬことを訴えたものと見ている。謝靈運が「詩人・式微」といったのは、この式微の詩が「胡不帰」の三字を含むが故に、家で帰りを待つ者が歌う詩として適当なものであるからである。


上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
時あたかも丞宰の曹操は献帝の威命を奉じて天下にのぞみ、諸侯はみな官公を尊び長として従った。
・上宰 丞宰の曹操。
・奉皇靈 献帝の威命を奉じること。


雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
かくて官公大軍、雲のごとく多い騎馬兵は漢水南の乱れをしずめ、楚の紀県・郢県の地方はみな平定された。
・雲騎 雲のごとく多い騎馬兵。
・掃塗 はらいのける。


排霧屬盛明,披雲對清朗。
そして雲霧をはらいのけて青天白日をのぞんだのだ。昏乱がしずまって盛明清朗なる官公に従い仕えることができた。

《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443

謝靈運《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。


2013年5月29日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 犬離主 原註 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-180-52-#40-#3  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2447
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


《擬魏太子鄴中集詩八首 王粲》 謝靈運 六朝詩<79-#1>文選 雜擬 上 779 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2443


102  王粲
家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
遭亂流寓,自傷情多。

戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。
それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
#2
沮漳自可美,客心非外獎。
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上宰奉皇靈,侯伯咸宗長。
雲騎亂漢南,紀郢皆掃蕩。
排霧屬盛明,披雲對清朗。
#3
慶泰欲重疊,公子特先賞。
不謂息肩願,一旦值明兩。
並載游鄴京,方舟泛河廣。
綢繆清燕娛,寂寥梁棟響。
既作長夜飲,豈顧乘日養!

(王粲)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。

#2
沮漳は自ら美なる可きも、客心は外奨に非ず。
常に詩人の言を歎く、式微何に由りてか往かん。
上宰は皇靈を奉じ、侯伯は咸宗長とす。
雲騎は漢南を乳め、紀邸は皆掃塗せらる。
霧を排して盛明に属し、雲を披いて清朗に対す。
#3
慶泰は重畳を欲し、公子は特り先づ賞す。
謂はざりき、肩を息はすの願、一旦明兩に値はんとは。
載を遊べて鄴京に遊び、舟を方べて河の廣きに汎ぶ。
綢繆たり清燕の娛しみ、寂蓼たり梁棟の響。
既に長夜の飲を作す、豈に乘日の養を顧みんや。

takadonosky01

『擬魏太子鄴中集詩八首 王粲』 現代語訳と訳註
(本文)
王粲
家本秦川,貴公子孫,
遭亂流寓,自傷情多。
幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
伊洛既燎煙,函崤沒無像。
整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。


(下し文)
家は本々 秦川にして、貴公の子孫なり。
乱に遭ひて流寓し、自ら傷みて情多し。

幽厲のとき昔崩乱し、桓霊のとき今板蕩す。
伊洛は既に燎煙せられ、函崤は沒して像無し。
裝を整へて秦川を辞し、馬に秣ひて楚壤に赴く。


(現代語訳)
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。


(訳注)
王粲

(177年熹平6年 - 217年建安22年)は、中国後漢末期の文学者・学者・政治家。字は仲宣。曾祖父は王龔(後漢の三公)。祖父は王暢(後漢の三公)。父は王謙。王凱の従兄弟。子は男子二名。兗州山陽郡高平県(現山東省)の人。文人としても名を残したため、建安の七子の一人に数えられる。


家本秦川,貴公子孫,
王粲の郷里はもと秦川で、門閥なる貴公子孫であるが、
・秦川 甘粛省隴西県の鳥鼠山に源を発し、最後に黄河に合流する。
・貴公子 1 高貴な家柄の男子。貴族の子弟。2 容貌(ようぼう)・風采(ふうさい)がすぐれ、気品のある青年。


遭亂流寓,自傷情多。
戦乱にあい他郷に身をよせていたので、悲しみいたむ情が多い。
・自傷情多 王条の詩は、董卓の乱に遭いて流寓し、その不幸な境遇から多く悲哀の詩が生まれたことをいう。


幽厲昔崩亂,桓靈今板蕩。
むかし周の幽王・属王のとき天下は乱れきったが、今、後漠の桓帝・霊帝の世も甚だ乱れされた。
・板蕩 『詩経』、大雅、板筒の鄭玄の注によれば、「板」は、先王の道に反すること。また「蕩」は、法律・制度がすたれやぶれること。


伊洛既燎煙,函崤沒無像。
伊水・洛水の洛陽地方は焼きつくされ、函谷関から長安地方も陥れられ、前のおもかげもないほど荒廃した。
・伊洛既燎煙 洛陽の官室が董卓の乱で焼かれたこと。反董卓連合軍の盟主は、四代にわたって五人の三公を輩出した名門袁氏の御曹司の袁紹であった。以前に何進とともに宦官抹殺を計画している。董卓は洛陽を焼き払い、住民ともはや自らの操り人形にしか過ぎなかった献帝をつれて長安に都を移した。この時190年であった。 その一方反董卓軍として集まった武将達は積極的な攻撃に出ることはなくそれぞれ自らの地盤の確立と勢力圏の拡大に力を入れるようになり、このように群雄割拠の形成が決定的となった。


整裝辭秦川,秣馬赴楚壤。
それでわれは旅装を整え馬にまぐさかって、秦州を去り楚の地なる剤州に行き劉表にたよったのである。
・秦川/楚壌 王条の七哀詩には「復た中国を棄てて去り、身を遠ざけて荊州に適(ゆ)く」という。「秦川」は長安地方。

擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#3>文選 雜擬 上 778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2438

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》 清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしつらえた腰かけが連なって設置される。


2013年5月28日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#3>文選 雜擬 上 778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2438
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。竹徑 韓愈(韓退之) <130>Ⅱ中唐詩691 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2439
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#3) 杜甫 <469-#3>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2440 杜甫詩1000-469-682/1500
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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#3>文選 雜擬 上 778 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2438


擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
古來此娛,書籍未見。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。
#2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;
なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。
不誣方將,庶必賢於今日爾。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
歲月如流,零落將盡,
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。


101 魏太子 -#1
(魏太子)
百川赴巨海,眾星環北辰。
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
區宇既滌蕩,羣英必來臻。

天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
#2
忝此欽賢性,由來常懷仁。
もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。
況值眾君子,傾心隆日新。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。
論物靡浮說,析理實敷陳。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
羅縷豈闕辭?窈窕究天人。
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。
#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。
清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしつらえた腰かけが連なって設置される。
急弦動飛聽,清歌拂梁塵。
急調子の絃楽器による音楽は飛鳥も感動させて下りてきて聴いている。清く妙なる歌声は「梁塵を動かす」の故事に言うとおり梁の塵をもはらい動かす。
何言相遇易,此歡信可珍。

このような歓びにめぐりあうのは易いことだとどうして言えようか、まことに珍重すべきことである。

(魏太子)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。
#2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。
#3
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。

杏00紅白花00
















『擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子』 現代語訳と訳註
(本文)
#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。急弦動飛聽,清歌拂梁塵。何言相遇易,此歡信可珍。

(下し文)
#3 
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。


(現代語訳)
清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしつらえた腰かけが連なって設置される。
急調子の絃楽器による音楽は飛鳥も感動させて下りてきて聴いている。清く妙なる歌声は「梁塵を動かす」の故事に言うとおり梁の塵をもはらい動かす。
このような歓びにめぐりあうのは易いことだとどうして言えようか、まことに珍重すべきことである。


(訳注) #3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。

清酒は金盃に満ち満ちと注がれ、華麗な敷き物をしっらえた腰かけが連なって設置される。
・澄 清酒。
・觴 さかずき。酒杯。
・榻 ほそ長い牀几。
・茵(しとね)とは座ったり寝たりするときの敷物の古風な呼称。寝るときの敷物は「褥」という文字を使い、ベッドパッドなどのことを指す。


急弦動飛聽,清歌拂梁塵。
急調子の絃楽器による音楽は飛鳥も感動させて下りてきて聴いている。清く妙なる歌声は「梁塵を動かす」の故事に言うとおり梁の塵をもはらい動かす。
・梁塵 1 梁(はり)の上に積もっているちり。梁上のちり。 2 《「梁塵を動かす」の故事から》すぐれた歌声。また、歌謡。音楽。


何言相遇易,此歡信可珍。
このような歓びにめぐりあうのは易いことだとどうして言えようか、まことに珍重すべきことである。

miyajima 697

擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》 もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。

2013年5月27日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。西山 韓愈(韓退之) <129>Ⅱ中唐詩690 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2434
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集入奏行贈西山檢察使竇侍御 雑言古詩(楽府) 成都6-(2-#2) 杜甫 <469-#2>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2435 杜甫詩1000-468-#2-681/1500
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性十離詩十首 犬離主-幷序 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-178-50-#1-#40 -1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2437
 
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 


擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#2>文選 雜擬 上 777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2433


擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
DCF002102建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
古來此娛,書籍未見。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。
#2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;
なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。
不誣方將,庶必賢於今日爾。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
歲月如流,零落將盡,
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。


101 魏太子 -#1
(魏太子)
百川赴巨海,眾星環北辰。
takadonosky01すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
區宇既滌蕩,羣英必來臻。

天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
#2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。
もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。
況值眾君子,傾心隆日新。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。
論物靡浮說,析理實敷陳。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
羅縷豈闕辭?窈窕究天人。
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。
#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。急弦動飛聽,清歌拂梁塵。何言相遇易,此歡信可珍。


(魏太子)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。
#2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。

#3
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。



『擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子』 現代語訳と訳註
(本文)
#2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。況值眾君子,傾心隆日新。論物靡浮說,析理實敷陳。羅縷豈闕辭?窈窕究天人。


(下し文) #2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。


(現代語訳)
もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。


(訳注) #2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。

もともと我はふつつかものながら、賢人を敬する心があるので、仁徳ある人のことを見たいと、常に心にこめて思ってきた。


況值眾君子,傾心隆日新。
今や衆君子にあい、日ごとに仁徳を新たに隆盛にすべく、わが心を傾けそそぐことができてうれしい。


論物靡浮說,析理實敷陳。
衆君子と物を論じては空談することはない、理を解釈するにあたっては必ずその実態をのべる。
・論物/析理 荘子に、「天地の美を判ち、万物の理を析く」。


羅縷豈闕辭?窈窕究天人
文章を述べつらねては欠けるところなくあまねくし、深く天意と人事とをきわめつくす。
・羅縷 ならべ述べること。
・窈窕 美しくしとやかなさま。男として魅力のあることをいう。セックスアピールのこと。
『為焦仲卿妻作』-其七 「雲有第三郎,窈窕世無雙。」(媒酌人が言うには県令さまには第三男があります。美しくしとやかであり、世に二人とはないお方です。)
・天人 天意と人事と。李善は、次の荘子の「天人」と解するらしい。すなわち荘子に「宗を離れざる、之を天人といふ」といい、つづけて神人・至人をあげる。「宗」とは道のこと。


擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#1>文選 雜擬 上 776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2428

謝靈運 《擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子》 
謝靈運の数多く残る作品のうちで、注目すべき作品である、魏の太子の曹丕が鄴の都で家臣らに命じて詩を作らせたもの

2013年5月26日 同じ日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#1>文選 雜擬 上 776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2428
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩奉和虢州劉給事使君三堂新題二十一詠。柳溪 韓愈(韓退之) <128>Ⅱ中唐詩689 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2429
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
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●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩 盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。

李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

擬魏太子鄴中集詩八首  魏太子 謝靈運 六朝魏詩<78-#1>文選 雜擬 上 776 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2428


謝靈運の数多く残る作品のうちで、注目すべき作品である、魏の太子の曹丕が鄴の都で家臣らに命じて詩を作らせたなかから、八首を選んで、それになぞらえて作ったものに「魏の太子の鄴中集の詩に擬す。八首」である。この作は、謝霊運がそれぞれの作家の詩風を充分理解したうえで、擬作したものであるから、謝霊運が作家と作品についていかに理解していたかを知るのに、はなはだしく便利であり、また、当時の作家論を知るのに多くの資料を与える。
すべて『文選』の巻三十の「雑擬」の部に、その序文とともに引用されている五言詩の代表作である。


101 魏太子 -#1
(魏太子)
百川赴巨海,眾星環北辰。
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
區宇既滌蕩,羣英必來臻。

天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
-#2 
忝此欽賢性,由來常懷仁。況值眾君子,傾心隆日新。論物靡浮說,析理實敷陳。羅縷豈闕辭?窈窕究天人。
-#3 
澄觴滿金罍,連榻設華茵。急弦動飛聽,清歌拂梁塵。何言相遇易,此歡信可珍。


(魏太子)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。

#2
此の賢を欽【した】うの性を忝なくする,由來 常に仁を懷う。
況んや眾君子に值い,心を傾むけて日新を隆【さか】んにするをや。
物を論んじては浮說靡【な】く,理を析【わか】ちては敷陳【ふちん】を實にす。
羅縷【らい】するに豈に辭を闕【はぶ】かんや?窈窕【ようちょう】として天人を究【きわ】む。
#3
澄觴【ちょうしょう】は金罍【きんらい】に滿ち,連榻【れんとう】に華茵【かいん】を設く。
急弦は飛聽【ひちょう】を動かし,清歌 梁塵を拂う。
何んぞ言わん相い遇うこと易しと,此の歡びは信に珍とす可し。


『魏太子』 現代語訳と訳註
(本文)
百川赴巨海,眾星環北辰。照灼爛霄漢,遙裔起長津。天地中橫潰,家王拯生民。區宇既滌蕩,羣英必來臻。


(下し文)
百川は巨海に赴き,眾星は北辰を環れり。
照り灼やきて霄漢【しょうかん】に爛【かがや】き,遙裔【ようえい】として長津【ちょうしん】を起す。
天地は中ごろ橫潰【おうかい】し,家王は生民を拯【すく】う。
區宇は既に滌蕩【てきとう】せられ,羣英【ぐんえい】は必ず來り臻【いた】る。


(現代語訳)
(魏太子)
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。
天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。

takadonosky01
(訳注)
魏太子

曹丕(そうひ/caopī、187年~226年)字は子桓。謚は文帝。父・曹操の後を継ぎ魏王へと即位する。その後、献帝へ帝位禅譲を迫り皇帝に即位した。在位は僅か7年だった。概要太子に指名される豫州沛国譙県の人。


百川赴巨海,眾星環北辰。
すべての川は東の大海に赴き注ぐものであり、衆星は北極星をとりまいて運行するものである。
・百川赴巨海 尚書大伝に「百川は東海に赴く」。
・眾星環北辰 この詩の「百川」「衆星」の句は、万民が曹操に帰服することにたとえた。論語、為政篇「子曰:為政以德,其如北辰,居其所,而眾星共之。」。


照灼爛霄漢,遙裔起長津。
星の光はきらきら天空にかがやき、川は遠か遠くに流れて岸が長くつらなる。
・霄漢 大空。天空。
・裔 1 遠い子孫。「後裔・神裔・苗裔・末裔・余裔」 2 遠い辺境。


天地中橫潰,家王拯生民。
この大海や北極星にもたとえるべきわが王(父の曹操)は漢末の乱れた時に、民の苦難を救ったのだ。

・中 乱の前と後との中間。
・橫潰 堤防をつきやぶって大水が乱流する。天下の大乱にたとえた。
・拯 説文によれば、溺れたものをすくいだす。

區宇既滌蕩,羣英必來臻。
天下の禍乱はやがて洗い除き鎮められて、多くのすぐれた人士は堅く心にきめてわが王のもとにきた。
・滌蕩 汚れを洗い落とすこと。
・羣英 多くのすぐれた人士。次の「衆君子」に同じ。李周翰・劉良は、王粲・陳琳らの類とする。

擬魏太子鄴中集詩八首 幷序 謝靈運 六朝魏詩<77-#2>文選 雜擬 上 775 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2423

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女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
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擬魏太子鄴中集詩八首 幷序 謝靈運 六朝魏詩<77-#2>文選 雜擬 上 775 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2423



擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
古來此娛,書籍未見。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。
#2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;
なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。
不誣方將,庶必賢於今日爾。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
歲月如流,零落將盡,
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。


『擬魏太子鄴中集詩八首 幷序』 現代語訳と訳註
kokage01(本文)
#2
楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
不誣方將,庶必賢於今日爾。
歲月如流,零落將盡,
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:


(下し文) #2
何となれば?楚の襄王の時、宋玉・唐・景有り,梁の孝王の時、鄒、枚、嚴、馬有りて,遊ぶ者は美なり,而も其の主は文ならず;
漢の武帝のとき、徐樂らの諸才は,應對の能を備う,而るに雄猜 多忌なり,豈に晤言の適を獲んや?
方將に,庶はくば於今日を賢ると必すことを誣いざるのみ。
歲月は流るるが如く,零落して將に盡きんとし,
文を撰し人を懷い,往に感して愴みを增す。其の辭に曰く:


(現代語訳)
なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。


(訳注) #2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,遊者美矣,而其主不文;

なぜなら、楚の嚢王の時には、太夫の宋玉・唐勒・景差らあり、漢の景帝の弟である梁の孝王のときには、鄒陽・枚乗・厳忌・司馬相如らがあり、かれら従遊の士は文にすぐれたが、その主君は文学がなかった。
・楚襄王時有宋玉、唐景 「屈原既死之後,楚有宋玉、唐勒、景差之徒者,皆好辭而以賦見稱。」
司馬相如 ~B118 蜀郡成都の人。字は長卿。景帝の武騎常侍となったが、文学を好む梁孝王の食客に転じ、鄒陽・枚乗・荘忌らと交流した。


漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
漢の武帝のとき、徐楽をはじめとして枚皐・東方朔らは文章応対の下臣の才は十分であった。


而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
しかし武帝は剛強であり、かつ疑い深い性であり、したがって打ちとけて思う存分に話しあう楽しみを獲られなかった。


不誣方將,庶必賢於今日爾。
してみると、まあ、ほぼ、「われは、今日がまさっているのではないかと思う」、といっても、実際とちがっているのではないだろうか。
・不誣方將,庶必賢於今日爾。「誣」とは、実際とちがったことをいうこと。「不誣」を、「方将庶必賢於今日爾」の全体にかかるものと考え「われは、今日がまさっているのではないかと思う」との意とする。「方将」は、まさにまさに。「庶」は、近いこと。「必」はは、かたく期すること。


歲月如流,零落將盡,
ただ年月のたつのは水の流れるように速かなもので、わが友も亡くなってしまいそうである。
・零落將盡 徐幹・陳琳・王瑒・阮瑀・王粲の文才を評する。ちなみに、阮瑀は建安十七年(212年)ころ死し、徐幹・陳琳・王瑒・劉楨・王粲は、同二十二年217年に死んだ。


撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
いま文をえらび集をつくり、その人を思い、それにつけても過ぎ去った日のことに心動かされて、悲しみいたむ情がいよいよ深い。その詩は次の通りいう。
撰文 ここは、詩を撰定したこと。

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謝靈運 擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。

2013年5月24日 同じ日の紀頌之5つのブログ
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人 古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首

 

擬魏太子鄴中集詩八首 幷序 謝靈運 六朝魏詩<77-#1> 774 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2418


擬魏太子鄴中集詩八首 幷序-#1
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
建安末,余時在鄴宮,
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、
朝游夕燕,究歡愉之極。
夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
古來此娛,書籍未見。

このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。
#2
何者?楚襄王時有宋玉、唐景,梁孝王時有鄒、枚、嚴、馬,
遊者美矣,而其主不文;
漢武帝徐樂諸才,備應對之能,
而雄猜多忌,豈獲晤言之適?
不誣方將,庶必賢於今日爾。
歲月如流,零落將盡,
撰文懷人,感往增愴。其辭曰:
 
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 幷びに序)-#1
建安の末,余は時に鄴宮に在り,朝に游び夕に燕し,歡愉の極を究む。
天下の良辰・美景,賞心・樂事,四者は並せ難し。
今、昆弟友朋,二三の諸彥と,共に之を盡せり。
古來、此の娛は,書籍未だ見えず。
詩人李白5x5#2
何となれば?楚の襄王の時、宋玉・唐・景有り,梁の孝王の時、鄒、枚、嚴、馬有りて,遊ぶ者は美なり,而も其の主は文ならず;
漢の武帝のとき、徐樂らの諸才は,應對の能を備う,而るに雄猜 多忌なり,豈に晤言の適を獲んや?
方將に,庶はくば於今日を賢ると必すことを誣いざるのみ。
歲月は流るるが如く,零落して將に盡きんとし,
文を撰し人を懷い,往に感して愴みを增す。其の辭に曰く:


『擬魏太子鄴中集詩八首 幷序』 現代語訳と訳註
(本文)
-#1
建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
古來此娛,書籍未見,何者?


(下し文)
(魏の太子の鄴中集の詩に擬す 八首 幷びに序)-#1
建安の末,余は時に鄴宮に在り,朝に游び夕に燕し,歡愉の極を究む。
天下の良辰・美景,賞心・樂事,四者は並せ難し。
今、昆弟友朋,二三の諸彥と,共に之を盡せり。
古來、此の娛は,書籍未だ見えず。


(現代語訳)
(魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。)
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。


(訳注)
擬魏太子鄴中集詩八首
 幷序-#1
魏の太子、曹丕の鄴の宮殿にいたとしての詩八首についてと並びに序文。


建安末,余時在鄴宮,朝游夕燕,究歡愉之極。
建安の末ころ、私(太子の曹丕)は鄴宮に在り、朝に遊宴し、夕には宴席をひらき、歓楽なことを十分にたのしみつくしたものだ。
・建安 建安(けんあん)は、後漢の献帝(劉協)の治世に行われた3番目(永漢を除く)の元号。196年 - 220年。建安25年は3月に改元されて延康元年となった。ただし、蜀(蜀漢)では延康の正統性を認めず、建安を26年まで使った。魏の曹操は天子たる実力を持ちながらも後漢に仕えたが、後、その子の曹丕は後漢を倒して魏を建て、帝位につく。すなわちそれが魏の文帝である。


天下良辰美景,賞心樂事,四者難並。
いったい、天下の良き日、美しいひかりと景、親しい友、楽しいこと、この四つを一度に同時に満足できるようあわせもつことは難しいのだ。
・良辰 良き日とは、上に明君あり、下に賢臣あって、よくおさまった時代のことをいう。
・楽事 宴をひらく、ともに遊戯・談論し、詩文を作る、などの楽しみをさす。太子曹丕、弟の平原侯曹植、および彼らをめぐる文人の作に、そのことが見える。


今昆弟友朋,二三諸彥,共盡之矣。
したがって、われは今、弟や朋友諸君とともにこの四者のすべてを得ることができた。
・昆弟 兄弟。ここでは弟の曹植、あざな子建をさす。「昆」は兄。
・友朋 次の詩覧える王粂以→の友をさす。
・二三諸彦 「二三」とは、論語の諸第に見える「二三子」(諸弟子学たち)の意であろう。「彦」とは、美士、徳行すぐれた男子。


古來此娛,書籍未見。
このような娯しみは、古くからいまだに書物には見えないものだ。

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紀 頌之

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