漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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ずいぶん回復してきました。(12/10)
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毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

文選 賦

張平子(張衡)《西京賦》(33) (長安の城郭)-#2 文選 賦<114―(33)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1070 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3898

張衡《西京賦》(33) 厚𥿻と錦とを木にまとわせ、土には朱と紫色を着色し、兵器庫には宮城守護兵の寵臣のものたちの武器が所蔵されており、一々ならべて兵架に収められ、寵臣の石顕でもない、董賢でもない限り、誰がこのような大邸宅に住めるというのか。

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張平子(張衡)《西京賦》(33) (長安の城郭)-2 文選 賦<114―(33)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1070 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3898

斗拱00


(32)14-1長安の城郭

徒觀其城郭之制,則旁開三門。

(長安の城郭)とにかく、長安の城郭の作り方に目を観察してみると、各方位の璧面の一面ごとに門が三つ開くように配置される。

參塗夷庭,方軌十二,街衢相經。

そして、各門ごとに三本の道路を配し、平坦で一直線、四台の車を並べて走れる幅員(軌)があり、そうした道路が全部で十二通りあり、そして四通八達の道路が、十字路に交差して通っている。

廛里端直,甍宇齊平。

屋敷町はきちんと屋なみのそろえていて、屋根の甍は寸尺たがわず高さをそろえられた。

北闕甲第,當道直啓。

宮城の北にある一級邸宅地区は寵愛された貴族で、道路に画し南正面に屋敷の墻門をひらくようにした。

 (33)14-2

程巧致功,期不陁

名だたる工匠を徹底して選び抜き、彼等に期待通り以上の腕をふるわせて、曲ってもくずれおちないようにする。

木衣綈錦,土被朱紫。

厚𥿻と錦とを木にまとわせ、土には朱と紫の二色を全面に着色した。

武庫禁兵,設在蘭錡。

兵器庫には宮城守護兵の寵臣のものたちの武器が所蔵されており、一々ならべて兵架に収められる。

匪石匪董,疇能宅此?

こんなことでは寵臣の石顕でもない、董賢でもない限り、誰がこのような大邸宅に住めるというのか。

 

14

徒【ただ】其の城郭の制を觀れば,則ち旁に三門を開く。

參塗【さんと】夷【たいらか】に庭【ただ】しく,軌を方【なら】ぶと十二,街衢【がいく】相い經【わた】る。

廛里【てんり】端直し,甍宇【ぼうう】齊平【せいへい】なり。

北闕の甲第【こうだい】,道に當りて直ちに啓【ひら】く。

 

巧を程【えら】びて功を致し,陁【しち】せざらんことを期す

木には綈錦【ていきん】を【き】せ,土には朱紫【しゅし】を【こうむ】る

武庫の禁兵は,設けて蘭錡【らんき】に在る。

石の匪ず 董に匪ずんば,疇【たれ】か能く此に宅さん

漢長安図02 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (33)14-2

程巧致功,期不陁

木衣綈錦,土被朱紫。

武庫禁兵,設在蘭錡。

匪石匪董,疇能宅此?

 

(下し文)

巧を程【えら】びて功を致し,陁【しち】せざらんことを期す。

木には綈錦【ていきん】を衣【き】せ,土には朱紫【しゅし】を被【こうむ】る。

武庫の禁兵は,設けて蘭錡【らんき】に在る。

石の匪ず 董に匪ずんば,疇【たれ】か能く此に宅さん?

 

(現代語訳)

名だたる工匠を徹底して選び抜き、彼等に期待通り以上の腕をふるわせて、曲ってもくずれおちないようにする。

厚𥿻と錦とを木にまとわせ、土には朱と紫の二色を全面に着色した。

兵器庫には宮城守護兵の寵臣のものたちの武器が所蔵されており、一々ならべて兵架に収められる。

こんなことでは寵臣の石顕でもない、董賢でもない限り、誰がこのような大邸宅に住めるというのか。

 

(訳注) (33)14-2

程巧致功,期不陁

名だたる工匠を徹底して選び抜き、彼等に期待通り以上の腕をふるわせて、曲ってもくずれおちないようにする。

程巧 巧は名工。名匠を選定する。

致 尽くす。

 くずれ落ちる。悪いものは作らないっ徹底した良いものを作る。陁 ななめ、 ななめのさま けわしい

 

木衣綈錦,土被朱紫。

厚𥿻と錦とを木にまとわせ、土には朱と紫の二色を全面に着色した。

綈 厚𥿻、つむぎの類。木も土も錦繍のごとく装飾されている。

 

武庫禁兵,設在蘭錡。

兵器庫には宮城守護兵の寵臣のものたちの武器が所蔵されており、一々ならべて兵架に収められる。

武庫 兵器庫、本来なら武庫令丞があって管理する。ここは寵臣が私的に兵器庫をもっていることをいう。

禁兵 宮城守護兵の所蔵する武器。

蘭錡 兵架。弩を格納するを錡、他の兵器を格納するを蘭という。

 

匪石匪董,疇能宅此?

こんなことでは寵臣の石顕でもない、董賢でもない限り、誰がこのような大邸宅に住めるというのか。

石 石顕のこと。元帝の時の腎官で寵臣。元帝の病気につけこみ、政事の実権を握り、事大小となく彼によって決した。硬骨漢の宰相蕭望之をも自殺せしめた。下賜の貨財一万万といわれたが、元帝死去の後没落して故郷に帰る途中で死んだ。

 賢のこと。哀帝の寵臣。美貌で取り入る。二十二歳で百官の政務を統括す。また妻の父を将作大匠(宮廷造営長官) とし、詔によって、北闕の下に大邸宅を起工し、前後二重の御殿と洞門とを建て、土木事業に技巧の限力を尽くし、柱や檻は「衣するに綈錦を以てし」、下は僮僕に至るまで、下賜のものあり、「武庫の禁兵、上方(尚方、御物制作またその庫を掌る官署)の珍宝もあり、また死後のための金縷玉衣もあった。その邸宅は堅牢を拉めたが、哀帝の死後苦境に落ち自殺した。けれどもその父は、朱砂で棺を塗り、またほりものの絵を画き、四季にちなむ色彩を施し、蒼龍を左に、白虎を右に描き、上には金銀の太陽と月をあらわす模様があり、天子もこれに及ばぬほどであった」という(『漢書』の侒幸伝)。

 

石顕(せきけん、生没年不詳)は、前漢の人。字は君房。済南の人。

(1)若い頃に罪があり宮刑に処せられ宦官となった。中黄門となって中書に選ばれた。宣帝は中書の宦官を重用し、宦官の弘恭を中書令、石顕を中書僕射とした。

宣帝が死亡し元帝の世になると、元帝は政務より音楽を好み、石顕ら宦官を信用し、政治を任せた。

前将軍蕭望之、宗正劉更生、光禄大夫周堪らが石顕らの排除を狙うと、彼らを陥れ、蕭望之を自殺、劉更生や周堪を罷免に追い込んだ。

(2)元帝が即位して数年で弘恭が死ぬと、石顕が中書令になった。太中大夫張猛、魏郡太守京房、御史中丞陳咸、待詔賈捐之らが元帝に石顕の短所を述べて排除を狙ったが、石顕は彼らの罪を探し出し、京房と賈捐之は処刑され、張猛は自殺に追い込まれ、陳咸は髠刑に処せられた。こういったことから大臣たちも石顕を恐れるようになった。

(3)石顕はまた少府五鹿充宗や中書僕射牢梁、御史中丞伊嘉といった者と交友関係を持ち、付き従う者は高い地位に昇った。彼らが石顕によって地位を得た様を世間では「牢よ石よ、五鹿は客よ。印はなんと多いことよ。綬はなんと長いことよ」と歌った。

(4)石顕はまた左将軍馮奉世が、子の馮野王ともども大臣として有名であり、娘は後宮で元帝の寵愛を受けていることから、彼らを味方にしようとし、馮奉世の子の馮逡を元帝に推薦した。馮逡は石顕が権力をほしいままにしていることを述べ、元帝は激怒して彼を郎に戻した。このことがあって、後に御史大夫の後任を選ぶ時、大臣が馮野王を推薦した際、元帝が石顕に尋ねると、「寵姫の兄である馮野王を選べば、後世の者は陛下が寵姫の親族を贔屓して三公にしたのだと思うでしょう」と答えたため、元帝は馮野王を選ばなかった。

(5)石顕はわざと宮門が閉じた後の夜間に出入りすると元帝に申し出ておいて、後から石顕が夜間に勝手に宮門を開けて出入りしたと告発する者がいた。石顕は元帝に対し「私を嫉妬して陥れようとする者がいるのです。大役をおおせつかりながら皆を喜ばせることが出来ず、天下から恨まれておりますので、役目を返上して後宮の掃除夫にしていただいて私を生かしていただければ幸いです」と言い、元帝に憐れみを催させ、慰労と恩賞を賜った。

(6)世間で儒者の蕭望之を殺したことが批判されているのを知ると、儒者の歓心を買うため、儒者の貢禹と親交を結び、彼を推薦して御史大夫にまで至らしめた。これにより世間では石顕を称え、蕭望之を妬んだのではないのだと思うようになった。

(7)元帝の晩年、定陶王(劉康)が寵愛を受け皇太子の地位を脅かしたが、石顕は皇太子を支持した。しかしその皇太子(成帝)が即位すると、石顕を長信中太僕に左遷し、数ヵ月後には丞相匡衡らが石顕の旧悪を告発した。石顕や牢梁、陳順らの一党は罷免され、石顕は妻子と共に故郷に戻る道中で憂いのあまり食を取らず死亡した。

 

(とう けん、前22 - 1年)は、その眉目秀麗なる容姿から前漢哀帝の寵愛を受けた官人。哀帝の死後は権勢を失い自殺に追い込まれた。字は聖卿。

(1)董賢は御史であった董恭の子として生まれた。当初は太子舍人となったが、哀帝即位後は様々な官職を転任していた。前4年、哀帝は眉目秀麗な少年に成長した董賢に心奪われ、以後董賢は帝の男色相手として寵愛されるようになった。

 

(2)寵愛を受けた董賢は大司馬に任じられ、妹を昭儀(漢代の後宮女官の位)として後宮に迎え入れ、また妻も入宮し侍奉することが認められるという、破格の待遇を与えられた。帝は董賢を寵愛することすこぶるで、彼を片時も側から離さなかった。(3)ある日のこと、共に昼寝をしていた二人のうち哀帝が先に目を覚ましたが、横には自分の衣の大きな袖の上に董賢がまだすやすやと眠っていた。ここで自分が立ち上がろうとすれば董賢を起さざるを得ないが、それはいかにも忍びないと感じた哀帝は、人に命じて董賢が横たわっていた方の袖を切り落とさせた。この故事が男色の別称のひとつである「断袖」(だんしゅう)の由来である。

(4)過度な寵愛は董賢一族に経済的、政治的な恩恵が与えられたばかりか、董賢の僮僕にまで賞賜が与えられた。その後哀帝は董賢を侯に封じた。反対した丞相王嘉はその後加増の詔を差し戻すという事態となり、王嘉はそれが元で罪を得て投獄され絶食し命を絶っている。また舜堯の故事を引き合いに禅譲までも申し出たが、これは中常侍王閎に諫言され撤回している。

(5)元寿2年(前1年)に哀帝が崩御すると、哀帝は董賢に皇帝の璽綬を託した(次の皇帝の決定権を与えたことになる)。そこで王閎が太皇太后王氏(王政君)に璽綬を奪うよう進言し、王閎は武装して宮殿に入り董賢から璽綬を強奪した。これにより董賢は政治基盤を失う。太皇太后王氏は董賢を朝廷より遠ざけ、また年少との理由で大司馬の職を解いた。この詔勅が出された当日、董賢は妻と共に自殺した。なお彼の後任が王莽である。この時董賢の年齢は僅かに21歳、死後は財産は没収され、一族は各地に流刑となった。 
DCF00207 















張平子(張衡)《西京賦》(32) (長安の城郭)-#1 文選 賦<114―(32)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1069 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3893

張衡《西京賦》(32) 

長安の城郭の作り方は、各方位璧一面ごとに三門が配置される。各門ごと三本の道路は平坦で一直線、四台の車を並べて走れる幅員があり、それが全部で十二通りあ。四通八達の道路が、十字路に交差し、屋敷町はきちんと甍が寸尺たがわず高さをそろえる。

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張平子(張衡)《西京賦》(32) (長安の城郭)-1 文選 賦<114―(32)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1069 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3893

 


(32)14-1長安の城郭

徒觀其城郭之制,則旁開三門。

(長安の城郭)とにかく、長安の城郭の作り方に目を観察してみると、各方位の璧面の一面ごとに門が三つ開くように配置される。

參塗夷庭,方軌十二,街衢相經。

そして、各門ごとに三本の道路を配し、平坦で一直線、四台の車を並べて走れる幅員(軌)があり、そうした道路が全部で十二通りあり、そして四通八達の道路が、十字路に交差して通っている。

廛里端直,甍宇齊平。

屋敷町はきちんと屋なみのそろえていて、屋根の甍は寸尺たがわず高さをそろえられた。

北闕甲第,當道直啓。

宮城の北にある一級邸宅地区は寵愛された貴族で、道路に画し南正面に屋敷の墻門をひらくようにした。

 (33)14-2

程巧致功,期不陁

木衣綈錦,土被朱紫。

武庫禁兵,設在蘭錡。

匪石匪董,疇能宅此?

 


14

徒【ただ】其の城郭の制を觀れば,則ち旁に三門を開く。

參塗【さんと】夷【たいらか】に庭【ただ】しく,軌を方【なら】ぶと十二,街衢【がいく】相い經【わた】る。

廛里【てんり】端直し,甍宇【ぼうう】齊平【せいへい】なり。

北闕の甲第【こうだい】,道に當りて直ちに啓【ひら】く。

 


巧を程【えら】びて功を致し,陁【しち】せざらんことを期す

木には綈錦【ていきん】を【き】せ,土には朱紫【しゅし】を【こうむ】る

武庫の禁兵は,設けて蘭錡【らんき】に在る。

石の匪ず 董に匪ずんば,疇【たれ】か能く此に宅さん

漢長安図02 


 


『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)14長安の城郭

徒觀其城郭之制,則旁開三門。

參塗夷庭,方軌十二,街衢相經。

廛里端直,甍宇齊平。

北闕甲第,當道直啓。

 


(下し文)14

徒【ただ】其の城郭の制を觀れば,則ち旁に三門を開く。

參塗【さんと】夷【たいらか】に庭【ただ】しく,軌を方【なら】ぶと十二,街衢【がいく】相い經【わた】る。

廛里【てんり】端直し,甍宇【ぼうう】齊平【せいへい】なり。

北闕の甲第【こうだい】,道に當りて直ちに啓【ひら】く。

 


(現代語訳)

(長安の城郭)とにかく、長安の城郭の作り方に目を観察してみると、各方位の璧面の一面ごとに門が三つ開くように配置される。

そして、各門ごとに三本の道路を配し、平坦で一直線、四台の車を並べて走れる幅員(軌)があり、そうした道路が全部で十二通りあり、そして四通八達の道路が、十字路に交差して通っている。

屋敷町はきちんと屋なみのそろえていて、屋根の甍は寸尺たがわず高さをそろえられた。

宮城の北にある一級邸宅地区は寵愛された貴族で、道路に画し南正面に屋敷の墻門をひらくようにした。

 斗拱00


(訳注)14長安の城郭

徒觀其城郭之制,則旁開三門。

(長安の城郭)とにかく、長安の城郭の作り方に目を観察してみると、各方位の璧面の一面ごとに門が三つ開くように配置される。

旁 側、ここは城の二側面。長安城は、全体の形は真四角でなく、東面の城壁(璃)だけが真直であるが、他の三面は曲折し、特に北面は最もはなはだしい。

 


參塗夷庭,方軌十二,街衢相經。

そして、各門ごとに三本の道路を配し、平坦で一直線、四台の車を並べて走れる幅員(軌)があり、そうした道路が全部で十二通りあり、そして四通八達の道路が、十字路に交差して通っている。

参塗 二つの道。その中央は天子だけ往来する道で、両側の道は天子以外の人が通行する。

夷庭 平らかでまっすぐなこと。

方軌 軌は車の轍、円軌すなわち四台の車をならべて走れる。十二は、一門三道、二門で、道は十二軌となる。

街衛 四通八達の大路を街、四達の十字路を衝という。「西都の賦」では、これが「洞達す」とあり、城内は「八街九陌」(黄図)という。

相経 東西南北に道が通る。

 


廛里端直,甍宇齊平。

屋敷町はきちんと屋なみのそろえていて、里は大夫の居住地となり、廛は庶人、工商などの居住地とした、屋根の甍は寸尺たがわず高さをそろえられた。

廛里 廛は屋敷、都邑の宅地。里は、野にあるものを廛というに対し、特に都内の宅地をいう。城内住宅の区画を里といい、里門があり、門内は巷で区切られた士大夫の居住地。廛は庶人、工商などの居住地となる。

 


北闕甲第,當道直啓。

宮城の北にある一級邸宅地区は寵愛された貴族で、道路に画し南正面に屋敷の墻門をひらくようにした。

北闕 城北の宮門。

甲第 里の中で一級の宅地を甲といい、甲乙の順序あり。「霍光に甲第一区を贈る」(『漢書』)とある。区の中に里があった。貴族や寵愛された家臣の宅地であった。

 DCF00207





張平子(張衡)《西京賦》(31) (武帝の神仙思想) 文選 賦<114―(31)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1068 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3888

張衡《西京賦》(31)武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。


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魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻
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張平子(張衡)《西京賦》(31) (武帝の神仙思想) 文選賦<114―(31)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1068 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3888

 

 

13

於是采少君之端信,庶欒大之貞固。

(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。

立脩莖之仙掌,承雲表之清露。

仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。

屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。

玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。

美往昔之松喬,要羨門乎天路。

往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。

想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。

おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。

若歷世而長存,何遽營乎陵墓!

もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。

 

13

是に於いて少君の端信を采り,欒大の貞固【ていこ】を庶【こいねが】う。

脩莖【しゅうけい】の仙掌を立て,雲表の清露を承く。

瓊蘂【けいずい】を屑いて以て朝に飧い,性命の度る可きを必とす。

往昔の松喬を美し,羨門を天路に要【もと】む。

升龍を鼎湖に想う,豈に時俗の慕うに足らんや。

若し世を歷て長存せば、何ぞ遽【にわか】に陵墓を營ん乎!

漢宮 建章宮00唐長安城図00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 13

於是采少君之端信,庶欒大之貞固。

立脩莖之仙掌,承雲表之清露。

屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。

美往昔之松喬,要羨門乎天路。

想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。

若歷世而長存,何遽營乎陵墓!

 

(下し文)13

是に於いて少君の端信を采り,欒大の貞固【ていこ】を庶【こいねが】う。

脩莖【しゅうけい】の仙掌を立て,雲表の清露を承く。

瓊蘂【けいずい】を屑いて以て朝に飧い,性命の度る可きを必とす。

往昔の松喬を美し,羨門を天路に要【もと】む。

升龍を鼎湖に想う,豈に時俗の慕うに足らんや。

若し世を歷て長存せば、何ぞ遽【にわか】に陵墓を營ん乎!

 

(現代語訳)

(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。

仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。

玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。

往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。

おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。

もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。

 

 

(訳注) 13

於是采少君之端信,庶欒大之貞固。

(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。

○少君 「李少君…穀遺、老を却くるの方を以て、上(武帝)に見ゆ。上これを尊ぶ。少君とは故の深沢侯なり。入れて以て方を主らしむ」(『史記』の封禅書)、また『漢書』の郊祀志にもある。

○端信 端は正。正しく誠あること。

○欒大 前項李少君と同じく方士。不死の薬で仙人になれるという(『漢書』)。少君は文成将軍になり、これは五利将軍となった。「西都の賦」に西将軍のことをうたう。

貞固 貞は正、正しく誠実なこと。ここは端信とともに、既の作者が皮肉たっぷりに両人を表現し、言外に詐りのにせ者であることをいう。

 

立脩莖之仙掌,承雲表之清露。

仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。

脩莖 長い柱「西都の賦」に「金茎」 とあり、銅柱のこと。

 

屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。

玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。

瓊蘂 玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して飲む。

 

美往昔之松喬,要羨門乎天路

往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。

松喬 赤松子と王子喬。前者は和典の時、水玉の服用を教え、後者は周の霊王の太子の晋の土とで、寓高山に上ると伝えらる(『列仙伝』)。「西都の賦」にも見える。○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。 ○王子喬 列仙伝に「王子喬は好んで笠を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。

○羨門 古の仙人。「始皇、碣石にゆき、燕の人慮生をして羨門を求めしむ」(『史記』の始皇本紀)。始皇帝を以て武帝の神仙狂信をたとえる。

 

想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。

おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。

○升龍 黄帝が首山の銅で鼎を鋳造すると、龍が彼をのせて升天した。そこでその地を鼎湖という。藍田にあり。武帝はここに宮殿を作る。

○時俗 世俗。

 

若歷世而長存,何遽營乎陵墓!

もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。

 玄武門hakubai01


張平子(張衡)《西京賦》(30)(建章宮の池)#12-2 文選 賦<114―(30)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1067 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3883

張衡《西京賦》(30) 大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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張平子(張衡)《西京賦》(30)(建章宮の池)#12-2 文選 賦<114―(30)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1067 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3883
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曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)●張衡『西京賦』●古詩十九詩 無名氏●女性
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index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首
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張平子(張衡)《西京賦》(30)(建章宮の池)122 文選 賦<114―(30)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1067 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3883

 

漢宮 建章宮00

(29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

顧臨太液,滄池漭沆。

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

清淵洋洋,神山峨峨。

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅。

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

上林苑内のけわしい小山の頂上は高くさかしく、麓は山肌鋭く高低いりまじる。

大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。

岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。

海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。
 

(29) #12-1

前には唐中を開き,彌望【びぼう】廣潒【こうとう】なり。

顧みて太液を臨み,滄池漭沆【もうこう】たり。

漸臺【ぜんだい】中央に立ち,赫昈【かくこ】昈として以て弘敞【こうしょう】なり。

清淵【せいえん】洋洋とし,神山 峨峨たり。

瀛洲と方丈とを列ね,蓬萊を夾んで駢び羅なる。

12-2

上林の岑 以て壘【らいざい】,下の嶄巖 以て【がんが】なり

長風 別隯に激し,洪濤【こうとう】を波を揚ぐ。

石菌 重涯に浸し,靈芝 以て朱柯に濯ぐ。

海若【かいじゃく】玄渚に游び,鯨魚 流を失って蹉跎【さた】す

 

長安城漢唐 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

 

(下し文)12-2

上林の岑 以て壘【らいざい】,下の嶄巖 以て齬【がんが】なり。

長風 別隯に激し,洪濤【こうとう】を起し波を揚ぐ。

石菌 重涯に浸し,靈芝 以て朱柯に濯ぐ。

海若【かいじゃく】玄渚に游び,鯨魚 流を失って蹉跎【さた】す。

 

(現代語訳)

上林苑内のけわしい小山の頂上は高くさかしく、麓は山肌鋭く高低いりまじる。

大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。

岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。

海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。

 

 

(訳注) 12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

上林苑内のけわしい小山の頂上は高くさかしく、麓は山肌鋭く高低いりまじる。

上林岑 上林苑内のけわしい小山の形。

 険峻なさま。

嶄巖 山の尖りまた谷の深くけわしいきま。

 高く低くふそろいなさま。参差と同じ。以上四項の熟語は畳韻双声をなす。

 

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。

長風 遠くより吹いてくる大風。

障 水中の洲(辞綜注)、また島じ

 

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。

石菌・霊芝 ともに神山の神事の名。仙人の食べるもの。

重涯 高い岸辺。

以 動作の帰する所を示す。「於」と同じ。

朱柯 芝草の赤い茎。

 

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。

海若 海神。『楚辞』の遠遊篇に見える。

玄渚 玄は幽遠。深く奥まった波静かな渚。長安の北側におおきな砂浜がある。

鯨魚 大魚。李善の注に「清淵の北に鯨魚あり。石を刻し之を為る。長さ三丈」(『三輔旧事』)を引く。清淵といいこれといい、この賦によって名づけた。

流 浮行するの意。

蹉跎 「足を失ふ」(広雅)。困頓すなわち疲れ果ててへたばる。
函谷関長安地図座標005 

張平子(張衡)《西京賦》(29)(建章宮の池)#12-1 文選 賦<114―(29)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1066 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3878

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杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49

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(29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

顧臨太液,滄池漭沆。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

清淵洋洋,神山峨峨。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

 

(29) #12-1

前には唐中を開き,彌望【びぼう】廣潒【こうとう】なり。

顧みて太液を臨み,滄池漭沆【もうこう】たり。

漸臺【ぜんだい】中央に立ち,赫昈【かくこ】昈として以て弘敞【こうしょう】なり。

清淵【せいえん】洋洋とし,神山 峨峨たり。

瀛洲と方丈とを列ね,蓬萊を夾んで駢び羅なる。

12-2

上林の岑 以て壘【らいざい】,下の嶄巖 以て【がんが】なり

長風 別隯に激し,洪濤【こうとう】を波を揚ぐ。

石菌 重涯に浸し,靈芝 以て朱柯に濯ぐ。

海若【かいじゃく】玄渚に游び,鯨魚 流を失って蹉跎【さた】す

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

顧臨太液,滄池漭沆。

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

清淵洋洋,神山峨峨。

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅。

 

(下し文) (29) #12-1

前には唐中を開き,彌望【びぼう】廣潒【こうとう】なり。

顧みて太液を臨み,滄池漭沆【もうこう】たり。

漸臺【ぜんだい】中央に立ち,赫昈【かくこ】昈として以て弘敞【こうしょう】なり。

清淵【せいえん】洋洋とし,神山 峨峨たり。

瀛洲と方丈とを列ね,蓬萊を夾んで駢び羅なる。

 

 

(現代語訳)

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

 

(訳注) (29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

唐中 建章官正殿の西にあり、「数十里、虎圏あり。其の北に大池を治め、漸台は高さ二十余丈、名づけて泰(太)液といふ。地中に蓬來・方丈・瀛州・壷梁ありて、海中の神山亀魚の属に象る」(『漢書』の郊祀志下)とある。『漢書』では池と記さないが、『三輔黄図』では「唐中池、周井十二里、建章宮、太液池の南に在り」といい、この賦と合う。唐中は地名にも使い、池の名にも使ったもの。

広潒 広大で水の揺れ動くさま。

 

顧臨太液,滄池漭沆。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

太液 建章宮の北にあり、前聯の注釈参考。(建章宮図31

漭沆 水の広大なさま。

 

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

漸台 水のひたす台、池の中にある鈞殿に似たもの。

赫 火の赤いさま。ここは朱塗りの色のきわだつさま。

昈昈 文彩あるさまをいう。「赫は赤文なり」。

弘敞 ひろく高く平らかなさま。水中に建て水面より高くなった台の平らかでひろいこと。この台も武帝の時作られる(『史記』の武帝本紀)。

 

清淵洋洋,神山峨峨。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

清淵 「三輔旧事に曰く、建章宮の北に清淵海を作る」とある。太液池の別名であるが、ここは池の水流の澄むことをいう。淵は潭と同じ。

洋洋 水の盛んなさま。

峨峨 山の高大なさま。

長安城漢唐 

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅。

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

駢 並ぶ。

 


 

 

張平子(張衡)《西京賦》(28)(建章宮〔二〕)#11-3 文選 賦<114―(28)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1065 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3873

張衡《西京賦》(28) 一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。


2014年3月11日の紀頌之5つのブログ
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張平子(張衡)《西京賦》(28)(建章宮〔二〕)#11-3 文選 賦<114―(28)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1065 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3873
孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)●張衡『西京賦』●古詩十九詩 無名氏●女性
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杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年;天平勝寶四年、41歳~754年;天平勝寶六年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年;天平勝寶七年、44歳~756年;至徳元年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年;至徳二年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
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張平子(張衡)《西京賦》(28)(建章宮〔二〕)113 文選 賦<114―(28)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1065 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3873

唐長安城図00 

 

 

(26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

旗不扃,結駟方蘄。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

轢輻輕騖,容於一扉。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

閈庭詭異,門千萬。

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

重閨幽闥,轉相踰延。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

 (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

あたかも崑崙山の閬風山のように行けども尽きない長い坂に似ていて、西の堀を横切って金城の長安城壁を横断する。

城尉不弛柝,而外潛通。

城門守護の城門校尉の役人は、怠ることなく拍子木をうち鳴らすので、宮殿の内外では、暗黙のうちに刻を知っている。

 

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり

流景 照り,曜を日月に引く。

11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

11-3

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして外 潛通【せんとう】す

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

城尉不弛柝,而外潛通。

 

(下し文)

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る。

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして,外 潛通【せんとう】す。

 

(現代語訳)

一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。

もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。

あたかも崑崙山の閬風山のように行けども尽きない長い坂に似ていて、西の堀を横切って金城の長安城壁を横断する。

城門守護の城門校尉の役人は、怠ることなく拍子木をうち鳴らすので、宮殿の内外では、暗黙のうちに刻を知っている。

 

 

(訳注) (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。

䆗窱 深くまでつづいているさま。

○径延 続いて行って隔絶。馬鹿らしいほどの数にのぼるその様子をいう。

 

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。

○珍台 台の名。城の東にあり。「廿泉の賦」に「珍台閑館」とあり。

 山が屈曲して高い形をしたもの。

道 閣道のこと。「西都賦」にあり。

邐倚 閣道の高低あり屈折あること。

○正東 建章宮から真東の未央宮に閣道がつらなること。

 

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

あたかも崑崙山の閬風山のように行けども尽きない長い坂に似ていて、西の堀を横切って金城の長安城壁を横断する。

閬風 崑崙山中の山名。

西洫 は「広さ八尺、深さ八尺」(『周礼』)の城の池。

金墉 金城の意。西方に位置する城、長安城。

 

城尉不弛柝,而外潛通。

城門守護の城門校尉の役人は、怠ることなく拍子木をうち鳴らすので、宮殿の内外では、暗黙のうちに刻を知っている。

○城尉 城門校尉、武帝初めて置く。丞や司馬があり、京師の城門、屯兵を掌る

○内外潜通 宮殿の内外は、暗黙のうちに刻を知っていること。
長安城漢唐 

張平子(張衡)《西京賦》(27)(建章宮〔二〕)#11-2 文選 賦<114―(27)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1064 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3868

張衡《西京賦》(27) この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。


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張平子(張衡)《西京賦》(27)(建章宮〔二〕)112 文選 賦<114―(27)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1064 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3868

長安城漢唐






(26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

旗不扃,結駟方蘄。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

轢輻輕騖,容於一扉。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

閈庭詭異,門千萬。

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

重閨幽闥,轉相踰延。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

 (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

城尉不弛柝,而外潛通。

 

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり

流景 照り,曜を日月に引く。

11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

11-3

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして外 潛通【せんとう】す

 漢宮 建章宮00

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (27)(建章宮(二)) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

旗不扃,結駟方蘄。

轢輻輕騖,容於一扉。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

閈庭詭異,門千萬。

重閨幽闥,轉相踰延。

 

(下し文) 11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

 

(現代語訳)

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

 

(訳注) (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

○天梁 宮殿の名。「梁木大に至る。宮の高きを言ふなり」(『三輔黄圖』)。

○高闈 天梁宮内の門をいう。高闈は特に高大に作られていること。
 

旗不扃,結駟方蘄。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

 旗竿のかんの木。

○結駟 四頭の馬を横に連ねる。横幅が十分にあることをいう。

 くつわ。
 

轢輻輕騖,容於一扉。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

 かき鳴らす。車の輻(や)を笞でかきならす。

輕騖 軽はすばやく疾行する。馨は馳す。

一扉 一気に大門の扉を出入することができる

 

長廊廣廡,途閣雲蔓。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

 堂屋の外廻りのはそどの。

 廊下のひさし。

 

閈庭詭異,門千

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

閈庭 垣根のある庭。垣は短牆で屋敷内にある。


重閨幽闥,轉相踰延。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

○閨  夜寝るための部屋。特に、夫婦の寝室。「―のむつ言 (ごと)」2 奥深い所にある部屋。深窓。

○踰延 は一門を過ぎて、また一門を通ること。
DCF00208 

張平子(張衡)《西京賦》(26)(建章宮〔二〕)#11-1 文選 賦<114―(26)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1063 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3863

張平子(張衡)《西京賦》(26)(建章宮〔二〕)111

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張衡《西京賦》(26) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 

張平子(張衡)《西京賦》(26)(建章宮〔二〕)111 文選 賦<114―(26)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1063 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3863

 

 

(26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

旗不扃,結駟方蘄。

轢輻輕騖,容於一扉。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

閈庭詭異,門千萬。

重閨幽闥,轉相踰延。

(28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

城尉不弛柝,而外潛通。

 

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり

流景 照り,曜を日月に引く。

11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

11-3

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして外 潛通【せんとう】す

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

詣承光,睽罛庨豁。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

反宇業業,飛檐䡾䡾

流景照,引曜日月。

 

(下し文)

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

詣【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり。

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり。

流景 に照り,曜を日月に引く。

 

(現代語訳)

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 

(訳注)11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

○馺娑 台の名。「西都の賦」では殿といい、『三輔黄圖』では宮という。同書にこの名称を「馬の行くこと疾(はや)き貌(かたち)、馬行迅疾なり。一日の間宮中をくまなくめぐる(遍)。宮の大なるを言ふ。」とある。

駘盪 台の名。殿とも官ともいうは前項に同じ。また『三輔黄図』に「春時、景物駘盪として宮中に満つるなり」とある。

○燾奡 台の高峻なさま。燾は昂頭の形、奡は傲の意あれば、屋の傲然といかつい形をいう。

○桔桀 直立して均整のとれた形をいう建築の力強い表現。

 

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

詣 台の名(醇綜の注)。「西都の賦」は殿、『三輔黄圖』は宮とす。同書に「木の名。宮中美木茂盛するなり」とある。

○承光 台の名。

睽罛 広く深いさま。睽は左右の目が同一物を見ることができないこと(『説文』)。罛は目の意。大きく広々している意あり。目を左右に見ひらいて、見張らねはならぬほど、屋内の広大で奥の深いこと。

庨豁 宮室のがらんとして大きいさま。庨は宮室の高く奥深いさま。

 

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

鍔鍔 高いさま。

○列列 列をなして高いさま。

 

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

○業業 高大なこと。櫓(ご板で鼠根を支えるさま。

䡾䡾 車に物を高く載せるさま、引いて高くそばだつさま。

 

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

○流景 流光、建物の装飾色彩の光彩が照り曜やき、また映り輝く光をさしていう。「朱画華采、日月の光曜を流引す」。

○曜 向こうからさす光。 
漢宮 建章宮00 

張平子(張衡)《西京賦》(25) (建章宮〔一〕)#10-4 文選 賦<114―(25)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1062 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3858

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2014年3月8日

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(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

 (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

ここに登れば、湾曲する虹の長い背骨を下に見おろし、雲神の宿る所を探しあてることができるという。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

さらに高層建築の上層の小門に張り出した木に上り、上空を見上げてみれば、北斗七星の瑤光と玉縄の星とを見つけ出す。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

ということではあるけれど、ちょっとでも進もうとしても、半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

累層構而遂隮01 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

(下し文) (建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

 

 

(現代語訳)

ここに登れば、湾曲する虹の長い背骨を下に見おろし、雲神の宿る所を探しあてることができるという。

さらに高層建築の上層の小門に張り出した木に上り、上空を見上げてみれば、北斗七星の瑤光と玉縄の星とを見つけ出す。

ということではあるけれど、ちょっとでも進もうとしても、半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。

南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。

漢宮 建章宮00 

 

(訳注)  (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

ここに登れば、湾曲する虹の長い背骨を下に見おろし、雲神の宿る所を探しあてることができるという。

宛虹 湾曲した虹。

鬐 魚の脊。

雲師 畢星、雲の神、豊隆ともいう。『楚辞、離騒』「豊隆雲に乗る」。雨師、雷師ではない。

 

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

さらに高層建築の上層の小門に張り出した木に上り、上空を見上げてみれば、北斗七星の瑤光と玉縄の星とを見つけ出す。

飛闥 高層建築の上層の門をいう。門上に突出した方木(四角の木)であるという。

瑤光 北斗七星第七の星。

玉縄 北斗の第五星玉衡の北天乙、太乙の星。

 

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

ということではあるけれど、ちょっとでも進もうとしても、あまりに高いので半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。

怵悼 物に引かれておそれる様子。

慄 肝をひやしふるえあがる。

慫兢 驚きおびえ、落ちそうになる恐怖心。

 

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。

都盧 南嶺山脈の向う合浦(漢の郡名、広東省にあり)の南にある国名。「武帝四夷の客を享し、巴添、都盧の戯を作さしむ」(『漢書』の西城伝)。また西域伝賛に見える。その国人は身軽でよく木をつたい走るわざを得意とす。
玄武門 
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張衡《西京賦》(24) 神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

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杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年;乾元二年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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張平子(張衡)《西京賦》(24)(建章宮〔一〕)103 文選 賦<114―(24)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1061 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3853

 

DCF00207 

(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

 (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

長安城漢唐

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)  (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

 

(下し文)  (建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】疊【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり。

遊極を浮柱【ふちゅう】に跱【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

 

(現代語訳)

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

 

 累層構而遂隮01

(訳注) (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

神明 台の名。「西都の賦」に見ゆ。建章宮の南にあり、高さ五十丈。一説五十余丈、懸閣、輦道が相属るとあり(『水経』渭水注)。

崛 切り立つさま。

特 他の力を借りず自力で。ひとり抜きんでている。

井幹 木を積み高くし樓とする。井戸の木の欄干、井幹(井げた)の形をなす。よって樓の名とす。建章宮の南にあり、高さ五十丈(「郊祀志」)という。四角あるいは八角の形をなすともいう。

 

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

鈷 置く。

遊極・浮柱 遊は高く飛ぶさま。上空に梁をおくさま、浮も空中高く柱をのばしたさま。

結 構える。

斗拱00 

累層構而遂隮,望北辰而高興。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

興 心と力とを同じくして共に挙げる。字の原義による。

 

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

雰埃 塵埃。

中宸 天地の交わり会うところ。転じて宮殿、下界の意。

重陽 天。上方を陽という。陽を清ともいう。下文「清徴もここによる。陽を積むは天、天は九重ともいう。『楚辞』の遠遊篇に「重陽に集たる」とあり。
DCF00209 

張平子(張衡)《西京賦》(23)(建章宮〔一〕)#10-2 文選 賦<114―(23)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1060 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3848

張衡《西京賦》(23) その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。


2014年3月6日

の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫ほ火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

(建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

漢宮 未央宮 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

閶闔之,別風嶕嶢。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

 

(下し文) (建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり。

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり。

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり。

 

(現代語訳)

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 漢長安図02

(訳注) )10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

○騫翥 翔りとぶ。風にのってとぶ。

 

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

○閶闔 天門の名であるが、転用して宮門の名となる。また未央宮の宮門、ここは建章宮の正門。

○別風 「建章宮の東に折風闕あり。(三輔故事)「折風一名は別風」(『関中記』)。「西都の賦」にもこの賦と同じ表現あり。

 

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

○瑰瑋 珠玉の美しさ。

○交綺 交は結ぶ、給(あやぎぬ)を張ること。ここは小窗のすかし彫りの細工の美しいこと。「

○豁 空になるさま。

○疏寮 疏は従横に組まれた格子窓。疏は「刻し穿つ」の意。すかし彫り。寮は小窗。

 

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

〇干 雲霧に触れて入りこむ。

○亭亭 そびえ立つさま。

○苕苕 高きが上にも高いさま。五臣木造に作る。

唐長安城図00 



張平子(張衡)《西京賦》(23)(建章宮〔一〕)102 文選 賦<114―(23)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1060 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3848

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張衡)《西京賦》(22) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。




張平子(張衡)《西京賦》(22)(建章宮〔一〕)101 文選 賦<114―(22)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1059 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3843

 

 

(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

閶闔之,別風嶕嶢。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

(建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

(建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

長安城漢唐 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 10-1

柏梁既災,越巫陳方。

建章是經,用厭火祥。

營宇之制,事兼未央。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

 

(下し文) (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

 

(現代語訳)

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 

(訳注) 10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

〇柏梁 武帝の元鼎二年春、柏梁台を起こし、大初元年十一月乙酉、火災あり、その時越の巫であった勇というものが、越では以前にまさる宮室を再建し、火を圧勝(まじないで圧伏)すると言上した。そこで未央宮に倍する大宮殿、千門万戸の建章宮を、未央官の西南に建てた。唐代に俗に貞女樓と呼んだ楼観(宮闘)が残っていたという(『漢書』の武帝紀注)。柏梁台の名は香柏を用いて建てたからであり、「その香は数十里に聞る」とある(『漢武故事』)。また建章宮には鴟尾(雨をふらす)が屋根にあったという。

 

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

建章 この宮殿は上林苑の中にあり、境内の周囲に十里。その正殿は未央宮より高く、東に鳳闕がある。その南に神明台、井幹樓がある。

 

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

 

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

圜闕 円形の宮闕。闕は門観、楼観。二つの台を作り、楼観を台上に建て、中央は通路になるようにする。これが闕(空、欠の意)。楼に登れば遠くを見るから観という。ここはそこが円形をなす。壁門ともいう、「西都の賦」に「璧門の鳳闕を設く」とある。鳳凰が甎にあるので鳳闕ともいい、高さ二十余丈。「西都の賦」では「金爵(雀)」すなわち銅鳳という。宮闕は必ず一対になるように建てられるので双闕ともいう。なお鳳凰について薛注に「鉄の鳳皇を作り、両翼を張り、頭を挙げ、尾を敷げ、以て屋上に挿し棟の中央に当らしむ。下に転枢あり。常に風に向つて、将に飛ばんとするものの如し。」とある。『三輔黄圖』では「上に銅の鳳皇あり」という。