張衡《西京賦》(31)武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。
張平子(張衡)《西京賦》(31) (武帝の神仙思想) 文選賦<114―(31)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1068 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3888
#13
於是采少君之端信,庶欒大之貞固。
(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。
立脩莖之仙掌,承雲表之清露。
仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。
屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。
玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。
美往昔之松喬,要羨門乎天路。
往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。
想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。
おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。
若歷世而長存,何遽營乎陵墓!
もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。
#13
是に於いて少君の端信を采り,欒大の貞固【ていこ】を庶【こいねが】う。
脩莖【しゅうけい】の仙掌を立て,雲表の清露を承く。
瓊蘂【けいずい】を屑いて以て朝に飧い,性命の度る可きを必とす。
往昔の松喬を美し,羨門を天路に要【もと】む。
升龍を鼎湖に想う,豈に時俗の慕うに足らんや。
若し世を歷て長存せば、何ぞ遽【にわか】に陵墓を營ん乎!
『西京賦』 現代語訳と訳註
(本文) #13
於是采少君之端信,庶欒大之貞固。
立脩莖之仙掌,承雲表之清露。
屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。
美往昔之松喬,要羨門乎天路。
想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。
若歷世而長存,何遽營乎陵墓!
(下し文)#13
是に於いて少君の端信を采り,欒大の貞固【ていこ】を庶【こいねが】う。
脩莖【しゅうけい】の仙掌を立て,雲表の清露を承く。
瓊蘂【けいずい】を屑いて以て朝に飧い,性命の度る可きを必とす。
往昔の松喬を美し,羨門を天路に要【もと】む。
升龍を鼎湖に想う,豈に時俗の慕うに足らんや。
若し世を歷て長存せば、何ぞ遽【にわか】に陵墓を營ん乎!
(現代語訳)
(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。
仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。
玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。
往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。
おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。
もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。
(訳注) #13
於是采少君之端信,庶欒大之貞固。
(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。
○少君 「李少君…穀遺、老を却くるの方を以て、上(武帝)に見ゆ。上これを尊ぶ。少君とは故の深沢侯なり。入れて以て方を主らしむ」(『史記』の封禅書)、また『漢書』の郊祀志にもある。
○端信 端は正。正しく誠あること。
○欒大 前項李少君と同じく方士。不死の薬で仙人になれるという(『漢書』)。少君は文成将軍になり、これは五利将軍となった。「西都の賦」に西将軍のことをうたう。
○貞固 貞は正、正しく誠実なこと。ここは端信とともに、既の作者が皮肉たっぷりに両人を表現し、言外に詐りのにせ者であることをいう。
立脩莖之仙掌,承雲表之清露。
仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。
○脩莖 長い柱「西都の賦」に「金茎」 とあり、銅柱のこと。
屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。
玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。
○瓊蘂 玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して飲む。
美往昔之松喬,要羨門乎天路。
往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。
○松喬 赤松子と王子喬。前者は和典の時、水玉の服用を教え、後者は周の霊王の太子の晋の土とで、寓高山に上ると伝えらる(『列仙伝』)。「西都の賦」にも見える。○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。 ○王子喬 列仙伝に「王子喬は好んで笠を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。
○羨門 古の仙人。「始皇、碣石にゆき、燕の人慮生をして羨門を求めしむ」(『史記』の始皇本紀)。始皇帝を以て武帝の神仙狂信をたとえる。
想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。
おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。
○升龍 黄帝が首山の銅で鼎を鋳造すると、龍が彼をのせて升天した。そこでその地を鼎湖という。藍田にあり。武帝はここに宮殿を作る。
○時俗 世俗。
若歷世而長存,何遽營乎陵墓!
もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。