漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

張衡

張平子(張衡)《西京賦》(31) (武帝の神仙思想) 文選 賦<114―(31)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1068 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3888

張衡《西京賦》(31)武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。


2014年3月14日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(31) (武帝の神仙思想) 文選 賦<114―(31)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1068 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3888
孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)●張衡『西京賦』●古詩十九詩 無名氏●女性
●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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孟郊張籍    
●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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張平子(張衡)《西京賦》(31) (武帝の神仙思想) 文選賦<114―(31)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1068 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3888

 

 

13

於是采少君之端信,庶欒大之貞固。

(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。

立脩莖之仙掌,承雲表之清露。

仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。

屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。

玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。

美往昔之松喬,要羨門乎天路。

往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。

想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。

おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。

若歷世而長存,何遽營乎陵墓!

もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。

 

13

是に於いて少君の端信を采り,欒大の貞固【ていこ】を庶【こいねが】う。

脩莖【しゅうけい】の仙掌を立て,雲表の清露を承く。

瓊蘂【けいずい】を屑いて以て朝に飧い,性命の度る可きを必とす。

往昔の松喬を美し,羨門を天路に要【もと】む。

升龍を鼎湖に想う,豈に時俗の慕うに足らんや。

若し世を歷て長存せば、何ぞ遽【にわか】に陵墓を營ん乎!

漢宮 建章宮00唐長安城図00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 13

於是采少君之端信,庶欒大之貞固。

立脩莖之仙掌,承雲表之清露。

屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。

美往昔之松喬,要羨門乎天路。

想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。

若歷世而長存,何遽營乎陵墓!

 

(下し文)13

是に於いて少君の端信を采り,欒大の貞固【ていこ】を庶【こいねが】う。

脩莖【しゅうけい】の仙掌を立て,雲表の清露を承く。

瓊蘂【けいずい】を屑いて以て朝に飧い,性命の度る可きを必とす。

往昔の松喬を美し,羨門を天路に要【もと】む。

升龍を鼎湖に想う,豈に時俗の慕うに足らんや。

若し世を歷て長存せば、何ぞ遽【にわか】に陵墓を營ん乎!

 

(現代語訳)

(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。

仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。

玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。

往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。

おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。

もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。

 

 

(訳注) 13

於是采少君之端信,庶欒大之貞固。

(武帝の神仙愛好) さて、武帝の取り上げたのは、李少君の、まことしやかな不老の術、期待したのは、欒大の、確信ありげな神仙の術である。

○少君 「李少君…穀遺、老を却くるの方を以て、上(武帝)に見ゆ。上これを尊ぶ。少君とは故の深沢侯なり。入れて以て方を主らしむ」(『史記』の封禅書)、また『漢書』の郊祀志にもある。

○端信 端は正。正しく誠あること。

○欒大 前項李少君と同じく方士。不死の薬で仙人になれるという(『漢書』)。少君は文成将軍になり、これは五利将軍となった。「西都の賦」に西将軍のことをうたう。

貞固 貞は正、正しく誠実なこと。ここは端信とともに、既の作者が皮肉たっぷりに両人を表現し、言外に詐りのにせ者であることをいう。

 

立脩莖之仙掌,承雲表之清露。

仙人掌を設けた長い銅桂を立て、雲外の活き露を銅露盤にうけてあつめる。

脩莖 長い柱「西都の賦」に「金茎」 とあり、銅柱のこと。

 

屑瓊蘂以朝飧,必性命之可度。

玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して、朝な朝なにそれを飲み、永遠の生命を生き続けるものと信じこむ。

瓊蘂 玉英(花)の蕊をくだいたものを、露盤であつめた露に調合して飲む。

 

美往昔之松喬,要羨門乎天路

往きし昔の赤松子とか、王子喬という神仙のものを賛美して、仙人の羨門をば天上の通路に尋ねる。

松喬 赤松子と王子喬。前者は和典の時、水玉の服用を教え、後者は周の霊王の太子の晋の土とで、寓高山に上ると伝えらる(『列仙伝』)。「西都の賦」にも見える。○赤松子 黄帝の八代前、神農の時代の雨師(雨の神、または雨乞い)。自分の体を焼いて仙人となった尸解仙とされ、後世では仙人の代名詞となり劉邦の家臣張良も彼について言及している。そこでは、赤松子と同一視され、黄色い石の化身と言われ、そのため黄石公と称される。張子房に太公望が記した兵法書を授けたとされるものだ。 ○王子喬 列仙伝に「王子喬は好んで笠を吹く。道人の浮丘公は接して以て嵩山にのぼる」。周の霊王の太子。笙を吹くことを好み、とりわけ鳳凰の鳴き声を出すことが得意だった。王子喬がある時、河南省の伊水と洛水を漫遊した時に、浮丘公という道士に出逢った。王子喬は、その道士について嵩山に登っていった。そこにいること三十余年、浮丘公の指導の下、仙人になった。その後、王子喬は白い鶴に乗って、飛び去った、という『列仙傳』に出てくる故事中の人物。

○羨門 古の仙人。「始皇、碣石にゆき、燕の人慮生をして羨門を求めしむ」(『史記』の始皇本紀)。始皇帝を以て武帝の神仙狂信をたとえる。

 

想升龍於鼎湖,豈時俗之足慕。

おもいおこせば、鼎湖で黄帝を乗せ、升天した龍のことばかりであり、どういうわけか、とても下々であり、世俗を慕うどころではないのである。

○升龍 黄帝が首山の銅で鼎を鋳造すると、龍が彼をのせて升天した。そこでその地を鼎湖という。藍田にあり。武帝はここに宮殿を作る。

○時俗 世俗。

 

若歷世而長存,何遽營乎陵墓!

もし不死藥が効いて世々にわたって生きられるなら、どうして、事の是非を思案もせずに、これほどの陵墓苑を造営したのか。

 玄武門hakubai01


張平子(張衡)《西京賦》(30)(建章宮の池)#12-2 文選 賦<114―(30)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1067 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3883

張衡《西京賦》(30) 大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。


2014年3月13日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(30)(建章宮の池)#12-2 文選 賦<114―(30)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1067 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3883
孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)●張衡『西京賦』●古詩十九詩 無名氏●女性
●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 
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index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首
index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など
孟郊張籍    
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杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首
杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首
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●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor
薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5)
魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10)
温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻
毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻
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張平子(張衡)《西京賦》(30)(建章宮の池)122 文選 賦<114―(30)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1067 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3883

 

漢宮 建章宮00

(29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

顧臨太液,滄池漭沆。

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

清淵洋洋,神山峨峨。

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅。

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

上林苑内のけわしい小山の頂上は高くさかしく、麓は山肌鋭く高低いりまじる。

大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。

岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。

海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。
 

(29) #12-1

前には唐中を開き,彌望【びぼう】廣潒【こうとう】なり。

顧みて太液を臨み,滄池漭沆【もうこう】たり。

漸臺【ぜんだい】中央に立ち,赫昈【かくこ】昈として以て弘敞【こうしょう】なり。

清淵【せいえん】洋洋とし,神山 峨峨たり。

瀛洲と方丈とを列ね,蓬萊を夾んで駢び羅なる。

12-2

上林の岑 以て壘【らいざい】,下の嶄巖 以て【がんが】なり

長風 別隯に激し,洪濤【こうとう】を波を揚ぐ。

石菌 重涯に浸し,靈芝 以て朱柯に濯ぐ。

海若【かいじゃく】玄渚に游び,鯨魚 流を失って蹉跎【さた】す

 

長安城漢唐 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

 

(下し文)12-2

上林の岑 以て壘【らいざい】,下の嶄巖 以て齬【がんが】なり。

長風 別隯に激し,洪濤【こうとう】を起し波を揚ぐ。

石菌 重涯に浸し,靈芝 以て朱柯に濯ぐ。

海若【かいじゃく】玄渚に游び,鯨魚 流を失って蹉跎【さた】す。

 

(現代語訳)

上林苑内のけわしい小山の頂上は高くさかしく、麓は山肌鋭く高低いりまじる。

大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。

岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。

海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。

 

 

(訳注) 12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

上林苑内のけわしい小山の頂上は高くさかしく、麓は山肌鋭く高低いりまじる。

上林岑 上林苑内のけわしい小山の形。

 険峻なさま。

嶄巖 山の尖りまた谷の深くけわしいきま。

 高く低くふそろいなさま。参差と同じ。以上四項の熟語は畳韻双声をなす。

 

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

大風がこの神山の島に吹きつけると、大波を起こし波頭があがる。

長風 遠くより吹いてくる大風。

障 水中の洲(辞綜注)、また島じ

 

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

岸辺に生えた仙草の石菌は水浸し、霊芝の赤い枝は水しずく。

石菌・霊芝 ともに神山の神事の名。仙人の食べるもの。

重涯 高い岸辺。

以 動作の帰する所を示す。「於」と同じ。

朱柯 芝草の赤い茎。

 

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

海神は深く奥まる渚によせて来て戯れ、鯨魚はただよせてうち上げられてへたばり果てる。

海若 海神。『楚辞』の遠遊篇に見える。

玄渚 玄は幽遠。深く奥まった波静かな渚。長安の北側におおきな砂浜がある。

鯨魚 大魚。李善の注に「清淵の北に鯨魚あり。石を刻し之を為る。長さ三丈」(『三輔旧事』)を引く。清淵といいこれといい、この賦によって名づけた。

流 浮行するの意。

蹉跎 「足を失ふ」(広雅)。困頓すなわち疲れ果ててへたばる。
函谷関長安地図座標005 

張平子(張衡)《西京賦》(29)(建章宮の池)#12-1 文選 賦<114―(29)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1066 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3878

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2014312

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(29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

顧臨太液,滄池漭沆。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

清淵洋洋,神山峨峨。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

12-2

上林岑以壘,下嶄巖以齬。

長風激於別隯,起洪濤而揚波。

浸石菌於重涯,濯靈芝以朱柯。

海若游於玄渚,鯨魚失流而蹉跎。

 

(29) #12-1

前には唐中を開き,彌望【びぼう】廣潒【こうとう】なり。

顧みて太液を臨み,滄池漭沆【もうこう】たり。

漸臺【ぜんだい】中央に立ち,赫昈【かくこ】昈として以て弘敞【こうしょう】なり。

清淵【せいえん】洋洋とし,神山 峨峨たり。

瀛洲と方丈とを列ね,蓬萊を夾んで駢び羅なる。

12-2

上林の岑 以て壘【らいざい】,下の嶄巖 以て【がんが】なり

長風 別隯に激し,洪濤【こうとう】を波を揚ぐ。

石菌 重涯に浸し,靈芝 以て朱柯に濯ぐ。

海若【かいじゃく】玄渚に游び,鯨魚 流を失って蹉跎【さた】す

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

顧臨太液,滄池漭沆。

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

清淵洋洋,神山峨峨。

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅。

 

(下し文) (29) #12-1

前には唐中を開き,彌望【びぼう】廣潒【こうとう】なり。

顧みて太液を臨み,滄池漭沆【もうこう】たり。

漸臺【ぜんだい】中央に立ち,赫昈【かくこ】昈として以て弘敞【こうしょう】なり。

清淵【せいえん】洋洋とし,神山 峨峨たり。

瀛洲と方丈とを列ね,蓬萊を夾んで駢び羅なる。

 

 

(現代語訳)

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

 

(訳注) (29) 12-1

前開唐中,彌望廣潒。

(建章宮の池) 宮殿の前面には、唐中と呼ぶ池が開け、見わたす限り広々と、水はゆらりゆらりと揺れ動く。

唐中 建章官正殿の西にあり、「数十里、虎圏あり。其の北に大池を治め、漸台は高さ二十余丈、名づけて泰(太)液といふ。地中に蓬來・方丈・瀛州・壷梁ありて、海中の神山亀魚の属に象る」(『漢書』の郊祀志下)とある。『漢書』では池と記さないが、『三輔黄図』では「唐中池、周井十二里、建章宮、太液池の南に在り」といい、この賦と合う。唐中は地名にも使い、池の名にも使ったもの。

広潒 広大で水の揺れ動くさま。

 

顧臨太液,滄池漭沆。

ふり返って北の太液の池を見おろすことになり、そこには蒼い水が広々と果てしなくひろがる。

太液 建章宮の北にあり、前聯の注釈参考。(建章宮図31

漭沆 水の広大なさま。

 

漸臺立於中央,赫昈昈以弘敞。

その中央には漸台が立っており、朱塗りの色もきわだって、それが照り映えると、台は水面に高く平らかで広いものだ。

漸台 水のひたす台、池の中にある鈞殿に似たもの。

赫 火の赤いさま。ここは朱塗りの色のきわだつさま。

昈昈 文彩あるさまをいう。「赫は赤文なり」。

弘敞 ひろく高く平らかなさま。水中に建て水面より高くなった台の平らかでひろいこと。この台も武帝の時作られる(『史記』の武帝本紀)。

 

清淵洋洋,神山峨峨。

湧いてくる水はうずまき、澄み切った淵はゆたかに、神仙三山の山がそばだちっている。

清淵 「三輔旧事に曰く、建章宮の北に清淵海を作る」とある。太液池の別名であるが、ここは池の水流の澄むことをいう。淵は潭と同じ。

洋洋 水の盛んなさま。

峨峨 山の高大なさま。

長安城漢唐 

列瀛洲與方丈,夾蓬萊而駢羅。

神仙三山は、瀛州山と方丈山と、島々が列をなし、蓬莱の山を中にはさんで並び連なる。

駢 並ぶ。

 


 

 

張平子(張衡)《西京賦》(28)(建章宮〔二〕)#11-3 文選 賦<114―(28)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1065 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3873

張衡《西京賦》(28) 一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。


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張平子(張衡)《西京賦》(28)(建章宮〔二〕)113 文選 賦<114―(28)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1065 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3873

唐長安城図00 

 

 

(26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

旗不扃,結駟方蘄。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

轢輻輕騖,容於一扉。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

閈庭詭異,門千萬。

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

重閨幽闥,轉相踰延。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

 (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

あたかも崑崙山の閬風山のように行けども尽きない長い坂に似ていて、西の堀を横切って金城の長安城壁を横断する。

城尉不弛柝,而外潛通。

城門守護の城門校尉の役人は、怠ることなく拍子木をうち鳴らすので、宮殿の内外では、暗黙のうちに刻を知っている。

 

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり

流景 照り,曜を日月に引く。

11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

11-3

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして外 潛通【せんとう】す

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

城尉不弛柝,而外潛通。

 

(下し文)

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る。

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして,外 潛通【せんとう】す。

 

(現代語訳)

一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。

もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。

あたかも崑崙山の閬風山のように行けども尽きない長い坂に似ていて、西の堀を横切って金城の長安城壁を横断する。

城門守護の城門校尉の役人は、怠ることなく拍子木をうち鳴らすので、宮殿の内外では、暗黙のうちに刻を知っている。

 

 

(訳注) (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

一望してみると、門戸の列は、遠く先のかなたまで続き、奥深くて果て知れず、その先はかすかでよく見えず、引きかえす地点が、何処なのかわかりはしない。

䆗窱 深くまでつづいているさま。

○径延 続いて行って隔絶。馬鹿らしいほどの数にのぼるその様子をいう。

 

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

もとより、この西の方にあたる珍台は、屈曲する山の形に似て、壮大を極め、また閣道は、高く低く、あるいは一曲一直しながら、この建章宮より真東に向かい、つらなる先は未央宮につながっている。

○珍台 台の名。城の東にあり。「廿泉の賦」に「珍台閑館」とあり。

 山が屈曲して高い形をしたもの。

道 閣道のこと。「西都賦」にあり。

邐倚 閣道の高低あり屈折あること。

○正東 建章宮から真東の未央宮に閣道がつらなること。

 

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

あたかも崑崙山の閬風山のように行けども尽きない長い坂に似ていて、西の堀を横切って金城の長安城壁を横断する。

閬風 崑崙山中の山名。

西洫 は「広さ八尺、深さ八尺」(『周礼』)の城の池。

金墉 金城の意。西方に位置する城、長安城。

 

城尉不弛柝,而外潛通。

城門守護の城門校尉の役人は、怠ることなく拍子木をうち鳴らすので、宮殿の内外では、暗黙のうちに刻を知っている。

○城尉 城門校尉、武帝初めて置く。丞や司馬があり、京師の城門、屯兵を掌る

○内外潜通 宮殿の内外は、暗黙のうちに刻を知っていること。
長安城漢唐 

張平子(張衡)《西京賦》(27)(建章宮〔二〕)#11-2 文選 賦<114―(27)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1064 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3868

張衡《西京賦》(27) この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。


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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(27)(建章宮〔二〕)112 文選 賦<114―(27)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1064 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3868

長安城漢唐






(26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

旗不扃,結駟方蘄。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

轢輻輕騖,容於一扉。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

閈庭詭異,門千萬。

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

重閨幽闥,轉相踰延。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

 (28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

城尉不弛柝,而外潛通。

 

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり

流景 照り,曜を日月に引く。

11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

11-3

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして外 潛通【せんとう】す

 漢宮 建章宮00

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (27)(建章宮(二)) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

旗不扃,結駟方蘄。

轢輻輕騖,容於一扉。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

閈庭詭異,門千萬。

重閨幽闥,轉相踰延。

 

(下し文) 11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

 

(現代語訳)

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

 

(訳注) (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

また天梁宮があり、ここに設けた高い大門は開けはなたれている。

○天梁 宮殿の名。「梁木大に至る。宮の高きを言ふなり」(『三輔黄圖』)。

○高闈 天梁宮内の門をいう。高闈は特に高大に作られていること。
 

旗不扃,結駟方蘄。

車上にたてた熊虎の旗は、旗竿の扃を脱着しなくても、四頭の馬を連ね、轡を揃えて通る。

 旗竿のかんの木。

○結駟 四頭の馬を横に連ねる。横幅が十分にあることをいう。

 くつわ。
 

轢輻輕騖,容於一扉。

だから、車の輻を笞でかきならし、スピードを落とさず、さっと駈け抜け、一気に大門の扉を出入することができる。

 かき鳴らす。車の輻(や)を笞でかきならす。

輕騖 軽はすばやく疾行する。馨は馳す。

一扉 一気に大門の扉を出入することができる

 

長廊廣廡,途閣雲蔓。

この宮殿の本殿を囲む長い廊下や広い廡があり、そして高架の閣道の廊下が連なり、空の雲のごとく連なって延々とのびる。

 堂屋の外廻りのはそどの。

 廊下のひさし。

 

閈庭詭異,門千

嵩あげた築地でぐるりめぐらす屋敷は、世の常とは大いに異なって、通過する門はその数は、門が千、戸が万とかぞえるだけある。

閈庭 垣根のある庭。垣は短牆で屋敷内にある。


重閨幽闥,轉相踰延。

その異様さは、部屋の向うに部屋があり、楼門があり、あるいは人目につかぬ門構えあり、それらはますます数をまし、互いに前後して、一門通ればまた一門と延びて、さらに延びている。

○閨  夜寝るための部屋。特に、夫婦の寝室。「―のむつ言 (ごと)」2 奥深い所にある部屋。深窓。

○踰延 は一門を過ぎて、また一門を通ること。
DCF00208 

張平子(張衡)《西京賦》(26)(建章宮〔二〕)#11-1 文選 賦<114―(26)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1063 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3863

張平子(張衡)《西京賦》(26)(建章宮〔二〕)111

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張衡《西京賦》(26) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 

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(26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 (27) #11-2

天梁之宮,寔開高闈。

旗不扃,結駟方蘄。

轢輻輕騖,容於一扉。

長廊廣廡,途閣雲蔓。

閈庭詭異,門千萬。

重閨幽闥,轉相踰延。

(28) #11-3

䆗窱以徑廷,眇不知其所返。

既乃珍臺蹇以極壯,墱道邐倚以正東。

似閬風之遐阪,橫西洫而金墉。

城尉不弛柝,而外潛通。

 

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり

流景 照り,曜を日月に引く。

11-2

天梁の宮,寔【ここ】に高闈【こうい】を

旗は扃【けい】をせず,駟を結び蘄【くつわ】を【なら】べ

轢輻【らくふく】して輕く騖【は】せ,一扉を容【い】る

長廊 廣廡あり,途閣 雲のごとく蔓【の】ぶ

閈庭【かんてい】詭異にして,門千 萬あり。

重閨【ちょうけい】幽闥【ゆうたつ】,轉た相い踰延【ゆえん】す

11-3

望んで䆗窱【きょうちょう】せば 以て徑廷し,眇として其の返る所を知らず。

既に乃ち珍臺 蹇【けんさん】として以て壯を極め,墱道【とうどう】邐倚【りい】して以て正東にあり。

閬風の遐【なが】き阪に似て,西洫【せいきょく】を橫りて金墉【きんよう】を【わた】る

城尉 柝【たく】を弛【ゆる】めずして外 潛通【せんとう】す

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (26)(建章宮(二))#11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

詣承光,睽罛庨豁。

橧桴重棼,鍔鍔列列。

反宇業業,飛檐䡾䡾

流景照,引曜日月。

 

(下し文)

11-1

馺娑【きゅうさ】駘盪【たいとう】,燾奡【とうこう】桔桀【きつけつ】たり。

詣【えいけい】承光,睽罛【けいこ】庨豁【こうかつ】たり。

橧桴【そうふ】重棼【ちょうふん】,鍔鍔【がくがく】列列たり。

反宇業業として,飛檐【ひえん】䡾䡾【げつげつ】たり。

流景 に照り,曜を日月に引く。

 

(現代語訳)

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

 

(訳注)11-1

馺娑駘盪,燾奡桔桀。

(建章宮(二)) 建章宮内には、馺娑台と駘盪台とがあり、高くいかつく、角はってそびえる。

○馺娑 台の名。「西都の賦」では殿といい、『三輔黄圖』では宮という。同書にこの名称を「馬の行くこと疾(はや)き貌(かたち)、馬行迅疾なり。一日の間宮中をくまなくめぐる(遍)。宮の大なるを言ふ。」とある。

駘盪 台の名。殿とも官ともいうは前項に同じ。また『三輔黄図』に「春時、景物駘盪として宮中に満つるなり」とある。

○燾奡 台の高峻なさま。燾は昂頭の形、奡は傲の意あれば、屋の傲然といかつい形をいう。

○桔桀 直立して均整のとれた形をいう建築の力強い表現。

 

詣承光,睽罛庨豁。

また台と承光台とがあり、その宮室は高く深く広々としている。

詣 台の名(醇綜の注)。「西都の賦」は殿、『三輔黄圖』は宮とす。同書に「木の名。宮中美木茂盛するなり」とある。

○承光 台の名。

睽罛 広く深いさま。睽は左右の目が同一物を見ることができないこと(『説文』)。罛は目の意。大きく広々している意あり。目を左右に見ひらいて、見張らねはならぬほど、屋内の広大で奥の深いこと。

庨豁 宮室のがらんとして大きいさま。庨は宮室の高く奥深いさま。

 

橧桴重棼,鍔鍔列列。

屋根の前後の簷、二層の閣の棼は、高きが上にも高く組まれている。

鍔鍔 高いさま。

○列列 列をなして高いさま。

 

反宇業業,飛檐䡾䡾

屋根は棟木から下向きに流れながら次第に上向きに反り、高大な偉容を作り、軒さきの飛檐はそり上がって空飛ぶよう。

○業業 高大なこと。櫓(ご板で鼠根を支えるさま。

䡾䡾 車に物を高く載せるさま、引いて高くそばだつさま。

 

流景照,引曜日月。

されば日月の光は射しこみやすく、五彩の色に映えて、流光は室内を明るく照らす。

○流景 流光、建物の装飾色彩の光彩が照り曜やき、また映り輝く光をさしていう。「朱画華采、日月の光曜を流引す」。

○曜 向こうからさす光。 
漢宮 建章宮00 

張平子(張衡)《西京賦》(25) (建章宮〔一〕)#10-4 文選 賦<114―(25)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1062 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3858

張衡《西京賦》(25) ここに登れば、ちょっとでも進もうとしても、半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。


2014年3月8日

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(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

 (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

ここに登れば、湾曲する虹の長い背骨を下に見おろし、雲神の宿る所を探しあてることができるという。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

さらに高層建築の上層の小門に張り出した木に上り、上空を見上げてみれば、北斗七星の瑤光と玉縄の星とを見つけ出す。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

ということではあるけれど、ちょっとでも進もうとしても、半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

累層構而遂隮01 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

(下し文) (建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

 

 

(現代語訳)

ここに登れば、湾曲する虹の長い背骨を下に見おろし、雲神の宿る所を探しあてることができるという。

さらに高層建築の上層の小門に張り出した木に上り、上空を見上げてみれば、北斗七星の瑤光と玉縄の星とを見つけ出す。

ということではあるけれど、ちょっとでも進もうとしても、半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。

南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。

漢宮 建章宮00 

 

(訳注)  (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

ここに登れば、湾曲する虹の長い背骨を下に見おろし、雲神の宿る所を探しあてることができるという。

宛虹 湾曲した虹。

鬐 魚の脊。

雲師 畢星、雲の神、豊隆ともいう。『楚辞、離騒』「豊隆雲に乗る」。雨師、雷師ではない。

 

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

さらに高層建築の上層の小門に張り出した木に上り、上空を見上げてみれば、北斗七星の瑤光と玉縄の星とを見つけ出す。

飛闥 高層建築の上層の門をいう。門上に突出した方木(四角の木)であるという。

瑤光 北斗七星第七の星。

玉縄 北斗の第五星玉衡の北天乙、太乙の星。

 

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

ということではあるけれど、ちょっとでも進もうとしても、あまりに高いので半分もたどりつかないうちに、おびえおののいて、ただその場に立ちすくむのである。

怵悼 物に引かれておそれる様子。

慄 肝をひやしふるえあがる。

慫兢 驚きおびえ、落ちそうになる恐怖心。

 

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

南嶺の向こうの都盧の人のように、身軽く高所をはしる人でなければ、誰もそこをとび超えて、高楼の最上層まで昇り尽くせるものはないという。

都盧 南嶺山脈の向う合浦(漢の郡名、広東省にあり)の南にある国名。「武帝四夷の客を享し、巴添、都盧の戯を作さしむ」(『漢書』の西城伝)。また西域伝賛に見える。その国人は身軽でよく木をつたい走るわざを得意とす。
玄武門 
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張衡《西京賦》(24) 神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

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DCF00207 

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円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

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鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

 (建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

長安城漢唐

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)  (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

 

(下し文)  (建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】疊【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり。

遊極を浮柱【ふちゅう】に跱【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

 

(現代語訳)

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

 

 累層構而遂隮01

(訳注) (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

神明台は、切り立つ絶壁のよう、ひとり抜きんでて、台上からそばだち、井幹楼は、矢倉楼を段々に重ねて、百層の高さに至る。

神明 台の名。「西都の賦」に見ゆ。建章宮の南にあり、高さ五十丈。一説五十余丈、懸閣、輦道が相属るとあり(『水経』渭水注)。

崛 切り立つさま。

特 他の力を借りず自力で。ひとり抜きんでている。

井幹 木を積み高くし樓とする。井戸の木の欄干、井幹(井げた)の形をなす。よって樓の名とす。建章宮の南にあり、高さ五十丈(「郊祀志」)という。四角あるいは八角の形をなすともいう。

 

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

高い柱の上に、飛ぶかのような梁をすえおいて、次々と斗拱を構えそれを受ける。

鈷 置く。

遊極・浮柱 遊は高く飛ぶさま。上空に梁をおくさま、浮も空中高く柱をのばしたさま。

結 構える。

斗拱00 

累層構而遂隮,望北辰而高興。

幾層も重ねた構造で一階二階と積みあげて、引き続き上へ上へとのはし、北極星の高さを目指して、高々と力を合わせてささえあげる。

興 心と力とを同じくして共に挙げる。字の原義による。

 

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

こうして下界の塵埃を払いさり、九天の清澄な世界に至る。

雰埃 塵埃。

中宸 天地の交わり会うところ。転じて宮殿、下界の意。

重陽 天。上方を陽という。陽を清ともいう。下文「清徴もここによる。陽を積むは天、天は九重ともいう。『楚辞』の遠遊篇に「重陽に集たる」とあり。
DCF00209 

張平子(張衡)《西京賦》(23)(建章宮〔一〕)#10-2 文選 賦<114―(23)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1060 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3848

張衡《西京賦》(23) その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。


2014年3月6日

の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(23)(建章宮〔一〕)#10-2 文選 賦<114―(23)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1060 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3848
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫ほ火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 (建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

(建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

漢宮 未央宮 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

閶闔之,別風嶕嶢。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

 

(下し文) (建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり。

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり。

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり。

 

(現代語訳)

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

 漢長安図02

(訳注) )10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

その甍の端に、銅材でもって作る鳳凰があり、翼を張り、頭をもたげ、どれも羽ばたきをとめ、風を迎えて今にも翔はんばかりである。

○騫翥 翔りとぶ。風にのってとぶ。

 

閶闔之,別風嶕嶢。

宮殿の正門なる閶闔門の内側に、別風という楼観が、山のように高くけわしくそびえる。

○閶闔 天門の名であるが、転用して宮門の名となる。また未央宮の宮門、ここは建章宮の正門。

○別風 「建章宮の東に折風闕あり。(三輔故事)「折風一名は別風」(『関中記』)。「西都の賦」にもこの賦と同じ表現あり。

 

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

なんと、楼観の細工は巧妙にしており、珠玉でつくられたかのように美しいのである。また、あやぎぬを張った華麗な小窓はからりとあき、透し彫りの格子窓がある。

○瑰瑋 珠玉の美しさ。

○交綺 交は結ぶ、給(あやぎぬ)を張ること。ここは小窗のすかし彫りの細工の美しいこと。「

○豁 空になるさま。

○疏寮 疏は従横に組まれた格子窓。疏は「刻し穿つ」の意。すかし彫り。寮は小窗。

 

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

高楼は雲霧をおかして空に達し、そのすがたは、高きが上にも高く、はるかなる上にもはるかに、のびていく。

〇干 雲霧に触れて入りこむ。

○亭亭 そびえ立つさま。

○苕苕 高きが上にも高いさま。五臣木造に作る。

唐長安城図00 



張平子(張衡)《西京賦》(23)(建章宮〔一〕)102 文選 賦<114―(23)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1060 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3848

張平子(張衡)《西京賦》(22)(建章宮〔一〕)#10-1 文選 賦<114―(22)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1059 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3843

張衡)《西京賦》(22) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。




張平子(張衡)《西京賦》(22)(建章宮〔一〕)101 文選 賦<114―(22)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1059 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3843

 

 

(建章宮〔一〕)10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 (建章宮〔一〕)10-2

鳳騫翥於甍標,咸溯風而欲翔。

閶闔之,別風嶕嶢。

何工巧之瑰瑋,交綺豁以疏寮。

干雲霧而上達,狀亭亭以苕苕。

(建章宮〔一〕)10-3

神明崛其特起,井幹疊而百增。

跱遊極於浮柱,結重欒以相承。

累層構而遂隮,望北辰而高興。

消雰埃於中宸,集重陽之清澂。

(建章宮〔一〕)10-4

瞰宛虹之長鬐,察雲師之所憑。

上飛闥而仰眺,正睹瑤光與玉繩。

將乍往而未半,怵悼慄而慫兢。

非都盧之輕趫,孰能超而究升?

 

 (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

(建章宮〔一〕)10-2

鳳は騫翥於甍標【ぼうひょう】に【けんしょ】し,咸【みな】 溯風に【さか】らいて翔【かけ】らんと欲す。

閶闔【しょうこう】の,別風 嶕嶢【そうぎょう】たり

何ぞ工巧の瑰瑋【かいい】ならん,交綺 豁【ほがらか】にして以て疏寮【そりょう】あり

雲霧を干【おか】して上に達し,狀亭 亭として以て苕苕【ちょうちょう】たり

(建章宮〔一〕)10-3

神明 崛とし 其れ特【ひと】り起ち,井幹【せいかん】【かさな】りて 百增【ひゃくそう】あり

遊極を浮柱【ふちゅう】に【お】き,重欒を結んで以て相い承く。

層構を累【かさ】ねて 遂に隮【のぼ】り,北辰を望んで 高く興る。

雰埃【ふんあい】 中宸に消し,重陽の清澂なるに集【いた】る。

(建章宮〔一〕)10-4

宛虹【えんこう】の長鬐【ちょうき】を瞰【み】て,雲師の憑る所を察す。

飛闥【ひたつ】に上りて 仰ぎ眺みて,正に瑤光【ようこう】と玉繩【ぎょくじょう】とを睹【み】る。

將に乍ち往かんとして 未だ半ならざるに,怵悼【じゅつとう】として慄れて 慫兢【しょうきょう】す。

都盧【とろ】の輕趫【けいきょう】なるに非らずんば,孰か能く超えて 究めて升らん?

長安城漢唐 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 10-1

柏梁既災,越巫陳方。

建章是經,用厭火祥。

營宇之制,事兼未央。

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

 

(下し文) (建章宮〔一〕)10-1

柏梁 既に災あり,越巫 方を陳ぶ。

建章を是れ經【はか】り,用て火祥【かしょう】を厭す。

營宇の制,事 未央を兼ぬ。

圜闕【えんけつ】竦えて以て天に造【いた】り,雙碣【そうけつ】の相い望むが若し。

 

(現代語訳)

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

 

(訳注) 10-1

柏梁既災,越巫陳方。

(建章官(一)) 大初元年、柏架台炎上したれば、越の巫は火魔鎮圧の秘方を言上する。

〇柏梁 武帝の元鼎二年春、柏梁台を起こし、大初元年十一月乙酉、火災あり、その時越の巫であった勇というものが、越では以前にまさる宮室を再建し、火を圧勝(まじないで圧伏)すると言上した。そこで未央宮に倍する大宮殿、千門万戸の建章宮を、未央官の西南に建てた。唐代に俗に貞女樓と呼んだ楼観(宮闘)が残っていたという(『漢書』の武帝紀注)。柏梁台の名は香柏を用いて建てたからであり、「その香は数十里に聞る」とある(『漢武故事』)。また建章宮には鴟尾(雨をふらす)が屋根にあったという。

 

建章是經,用厭火祥。

そのいうままに、建章宮といぅ大宮殿の造営をはかり、もって火の禍を折伏する。

建章 この宮殿は上林苑の中にあり、境内の周囲に十里。その正殿は未央宮より高く、東に鳳闕がある。その南に神明台、井幹樓がある。

 

營宇之制,事兼未央。

宮殿の規模は、未央宮に倍する大建築とする。

 

圜闕竦以造天,若雙碣之相望。

円形の宮門をもつ一対の楼観は、高くそびえて天にとどき、あたかも一双の碣石山が向かいあうかのよう。

圜闕 円形の宮闕。闕は門観、楼観。二つの台を作り、楼観を台上に建て、中央は通路になるようにする。これが闕(空、欠の意)。楼に登れば遠くを見るから観という。ここはそこが円形をなす。壁門ともいう、「西都の賦」に「璧門の鳳闕を設く」とある。鳳凰が甎にあるので鳳闕ともいい、高さ二十余丈。「西都の賦」では「金爵(雀)」すなわち銅鳳という。宮闕は必ず一対になるように建てられるので双闕ともいう。なお鳳凰について薛注に「鉄の鳳皇を作り、両翼を張り、頭を挙げ、尾を敷げ、以て屋上に挿し棟の中央に当らしむ。下に転枢あり。常に風に向つて、将に飛ばんとするものの如し。」とある。『三輔黄圖』では「上に銅の鳳皇あり」という。

雙碣 一双の碣石山。碣は特立する石の山。海辺の山をいい、また三山相望むさまをいう。

唐長安城図00玄武門 

2014年3月5日の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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・李商隠詩 (1)・李商隠詩 (2)●韓愈index-1 青年期・孟郊、張籍と交遊・汴州の乱に遭遇●韓愈詩index-2[800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳]●韓愈詩index-3 [805年貞元21年 38歳]陽山から江陵府参事軍 36首●韓愈詩index-4 [806年元和元年 39歳]江陵府参事軍・権知国子博士 51首(1)
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張衡《西京賦》(21) 武帝は、まずここに新しく迎風館を建て、後から露寒と儲胥との両館を建て増した。山の背の岡となる所に、建物の基礎を高く築き、まっすぐそこから高々とのばして館がすえられた。また通天台は天に押してそばだち、高さ百余丈にわたり、これだけひとり他を抜いてそびえたつ。上部は花びらのように広がり、鋼製の仙人掌や仙露盤の細工が交錯している。

2014年3月4日

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(20) (甘泉官)#9-1

惟帝王之神麗,懼尊卑之不殊。

雖斯宇之既坦,心猶憑而未攄。

思比象於紫微,恨阿房之不可廬。

覛往昔之遺館,獲林光於秦餘。

處甘泉之爽塏,乃隆崇而弘敷。

(甘泉官) そもそも、帝王の宮殿は神々しく美麗であるとも、尊卑の別が区別できないと気づかわれる。

この宮殿は壮大に建てられているとはいうものの、天子の心は満足なされたようで晴れやかではない。

天帝の御殿の紫微官という星に象る宮殿の造営を思案されたが、恨むらくは、それにふさわしい始皇帝の宮殿である阿房官はすでになく、つかいものにならないのである。

そこで、昔の今に残る離宮をつらつら見て、秦の離宮で残存の林光宮を見つけられた。

それは、甘泉山の爽やかな乾燥した高台にあるばかりか、高くもりあがり一面に広がる壮大な宮殿である。

 (21)#9-2

既新作於迎風,增露寒與儲胥。

武帝は、まずここに新しく迎風館を建て、後から露寒と儲胥との両館を建て増した。

託喬基於山岡,直霓以高居。

山の背の岡となる所に、建物の基礎を高く築き、まっすぐそこから高々とのばして館がすえられた。

通天訬以竦峙,徑百常而莖擢。

また通天台は天に押してそばだち、高さ百余丈にわたり、これだけひとり他を抜いてそびえたつ。

華以交紛,下刻陗其若削。

上部は花びらのように広がり、鋼製の仙人掌や仙露盤の細工が交錯している。

翔鶤仰而不逮,況青鳥與黃雀。

下部は険しくきり立って、いわば刀で割いたよう。空高く翔ける大鳥の鶬鶊も、これをめがけて飛ぶもとどかない。まして小鳥の青鳥や黄雀ではもとよりむりできこえない。

伏櫺檻而頫聽,聞雷霆之相激。

しかし、台上の欄干にもたれ、うつむいて耳をすませば、激雷の相うつ響きが聞こえる。

 

惟れ帝王の神麗なる,尊卑の殊ならざるとを懼る。

斯の宇 既に坦【おおい】なりと雖も,心 猶お憑【み】ちて未だ攄【の】びず。

象を紫微に比せんことを思い,阿房の廬【お】る可からざるを恨む。

往昔【おうせき】の遺館を覛【み】て,林光を秦餘【しんよ】に獲る。

甘泉の爽塏【そうがい】に處【お】り,乃ち隆崇にして弘敷【こうふ】す。

 

既に新たに迎風を作り,露寒と儲胥【ちょしょ】とを增す。

喬基【きょうき】を山岡に託し,直ちに【てつげい】として以って高く居る。

通天訬【びょう】として以って竦峙【しょうじ】し,百常を徑【わた】りて莖【ひとり】擢【ぬき】んでる。

上は【はんか】して以て交紛し,下は刻陗【こくしょう】にして其れ削れるが若し。

翔鶤 仰げども逮【およ】ばず,況んや青鳥と黃雀とをや。

櫺檻【れいかん】に伏【よ】りて頫【ふ】して聽けば,雷霆【らいてい】の相い激するを聞く。

累層構而遂隮01 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)

 (本文) (21) (甘泉官)#9-2

既新作於迎風,增露寒與儲胥。

託喬基於山岡,直霓以高居。

通天訬以竦峙,徑百常而莖擢。

華以交紛,下刻陗其若削。

翔鶤仰而不逮,況青鳥與黃雀。

伏櫺檻而頫聽,聞雷霆之相激。

 

(下し文)

既に新たに迎風を作り,露寒と儲胥【ちょしょ】とを增す。

喬基【きょうき】を山岡に託し,直ちに霓【てつげい】として以って高く居る。

通天訬【びょう】として以って竦峙【しょうじ】し,百常を徑【わた】りて莖【ひとり】擢【ぬき】んでる。

上は華【はんか】して以て交紛し,下は刻陗【こくしょう】にして其れ削れるが若し。

翔鶤 仰げども逮【およ】ばず,況んや青鳥と黃雀とをや。

櫺檻【れいかん】に伏【よ】りて頫【ふ】して聽けば,雷霆【らいてい】の相い激するを聞く。

 

(現代語訳)

武帝は、まずここに新しく迎風館を建て、後から露寒と儲胥との両館を建て増した。

山の背の岡となる所に、建物の基礎を高く築き、まっすぐそこから高々とのばして館がすえられた。

また通天台は天に押してそばだち、高さ百余丈にわたり、これだけひとり他を抜いてそびえたつ。

上部は花びらのように広がり、鋼製の仙人掌や仙露盤の細工が交錯している。

下部は険しくきり立って、いわば刀で割いたよう。空高く翔ける大鳥の鶬鶊も、これをめがけて飛ぶもとどかない。まして小鳥の青鳥や黄雀ではもとよりむりできこえない。

しかし、台上の欄干にもたれ、うつむいて耳をすませば、激雷の相うつ響きが聞こえる。

 漢長安図02

(訳注) (21) (甘泉官)#9-2

既新作於迎風,增露寒與儲胥。

武帝は、まずここに新しく迎風館を建て、後から露寒と儲胥との両館を建て増した。

迎風 元封二年、甘泉宮、通天台の外飛廉館を作る(『漢書』の武帝紀)。この時迎風館についで露寒と儲胥の二館を建てる。

 

託喬基於山岡,直霓以高居。

山の背の岡となる所に、建物の基礎を高く築き、まっすぐそこから高々とのばして館がすえられた。

 高いさま。

 

通天訬以竦峙,徑百常而莖擢。

また通天台は天に押してそばだち、高さ百余丈にわたり、これだけひとり他を抜いてそびえたつ。

通天 台の名。元封二年に作る。「西都の賦」に「仙掌を抗げて霞を承く」とある。上部に仙人掌あり、仙露盤をささげ露をうける。

 抄と同じ。木のこずえ、転じて高いこと。

竦峙 高くそほだつ。

百常 常は一丈六尺(『礼記』鄭注)。径は度るの意。ここでは百余丈とした。漢武故事には「地を去ることじ百余丈、雲雨悉く其の下に在り。長安城を望見す」とある。

 特の意で直と同じ。ひとりまっすぐ立つこと。

 

華以交紛,下刻陗其若削。

上部は花びらのように広がり、鋼製の仙人掌や仙露盤の細工が交錯している。

 敷大すなわち一面に広がり大きいこと。台の銅柱上部に細工した仙人掌、仙露盤など大きさを形容する。

交紛 前項の形が複雑に交錯するさま。

刻胎 きりたってけわしい。

 

翔鶤仰而不逮,況青鳥與黃雀。

下部は険しくきり立って、いわば刀で割いたよう。空高く翔ける大鳥の鶬鶊も、これをめがけて飛ぶもとどかない。まして小鳥の青鳥や黄雀ではもとよりむりできこえない。

翔鶤 空高く飛ぶ大鳥。

青鳥 鶬鶊、うぐいすの二種。

黃雀 すずめの一種じ

 

伏櫺檻而頫聽,聞雷霆之相激。

しかし、台上の欄干にもたれ、うつむいて耳をすませば、激雷の相うつ響きが聞こえる。

頫 頭をたれる。

DCF00209漢宮 未央宮

張平子(張衡)《西京賦》(20)(甘泉官)#9-1 文選 賦<114―(20)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1057 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3833

張衡《西京賦》(20) (甘泉官)そもそも、帝王の宮殿は神々しく美麗であるとも、尊卑の別が区別できないと気づかわれる。この宮殿は壮大に建てられているとはいうものの、天子の心は満足なされたようで晴れやかではない。天帝の御殿の紫微官という星に象る宮殿の造営を思案されたが、恨むらくは、それにふさわしい始皇帝の宮殿である阿房官はすでになく、つかいものにならないのである。

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Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(20)(甘泉官)#9-1 文選 賦<114―(20)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1057 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3833
孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表
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《次石頭驛寄江西王十中丞閣老〔仲舒也。時為江南西道觀察使,愈自袁還朝作寄。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <970>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3834韓愈詩-263
・李商隠詩 (1)・李商隠詩 (2)●韓愈index-1 青年期・孟郊、張籍と交遊・汴州の乱に遭遇●韓愈詩index-2[800年貞元16年 33歳~804年貞元20年 37歳]●韓愈詩index-3 [805年貞元21年 38歳]陽山から江陵府参事軍 36首●韓愈詩index-4 [806年元和元年 39歳]江陵府参事軍・権知国子博士 51首(1)
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(20) (甘泉官)#9-1

惟帝王之神麗,懼尊卑之不殊。

(甘泉官) そもそも、帝王の宮殿は神々しく美麗であるとも、尊卑の別が区別できないと気づかわれる。

雖斯宇之既坦,心猶憑而未攄。

この宮殿は壮大に建てられているとはいうものの、天子の心は満足なされたようで晴れやかではない。

思比象於紫微,恨阿房之不可廬。

天帝の御殿の紫微官という星に象る宮殿の造営を思案されたが、恨むらくは、それにふさわしい始皇帝の宮殿である阿房官はすでになく、つかいものにならないのである。

覛往昔之遺館,獲林光於秦餘。

そこで、昔の今に残る離宮をつらつら見て、秦の離宮で残存の林光宮を見つけられた。

處甘泉之爽塏,乃隆崇而弘敷。

それは、甘泉山の爽やかな乾燥した高台にあるばかりか、高くもりあがり一面に広がる壮大な宮殿である。

 (21)#9-2

既新作於迎風,增露寒與儲胥。

託喬基於山岡,直霓以高居。

通天訬以竦峙,徑百常而莖擢。

華以交紛,下刻陗其若削。

翔鶤仰而不逮,況青鳥與黃雀。

伏櫺檻而頫聽,聞雷霆之相激。

 

惟れ帝王の神麗なる,尊卑の殊ならざるとを懼る。

斯の宇 既に坦【おおい】なりと雖も,心 猶お憑【み】ちて未だ攄【の】びず。

象を紫微に比せんことを思い,阿房の廬【お】る可からざるを恨む。

往昔【おうせき】の遺館を覛【み】て,林光を秦餘【しんよ】に獲る。

甘泉の爽塏【そうがい】に處【お】り,乃ち隆崇にして弘敷【こうふ】す。

 

既に新たに迎風を作り,露寒と儲胥【ちょしょ】とを增す。

喬基【きょうき】を山岡に託し,直ちに【てつげい】として以って高く居る。

通天訬【びょう】として以って竦峙【しょうじ】し,百常を徑【わた】りて莖【ひとり】擢【ぬき】んでる。

上は【はんか】して以て交紛し,下は刻陗【こくしょう】にして其れ削れるが若し。

翔鶤 仰げども逮【およ】ばず,況んや青鳥と黃雀とをや。

櫺檻【れいかん】に伏【よ】りて頫【ふ】して聽けば,雷霆【らいてい】の相い激するを聞く。

幻日環01 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)

(20) (甘泉官)#9-1

惟帝王之神麗,懼尊卑之不殊。

雖斯宇之既坦,心猶憑而未攄。

思比象於紫微,恨阿房之不可廬。

覛往昔之遺館,獲林光於秦餘。

處甘泉之爽塏,乃隆崇而弘敷。

 

(下し文)

惟れ帝王の神麗なる,尊卑の殊ならざるとを懼る。

斯の宇 既に坦【おおい】なりと雖も,心 猶お憑【み】ちて未だ攄【の】びず。

象を紫微に比せんことを思い,阿房の廬【お】る可からざるを恨む。

往昔【おうせき】の遺館を覛【み】て,林光を秦餘【しんよ】に獲る。

甘泉の爽塏【そうがい】に處【お】り,乃ち隆崇にして弘敷【こうふ】す。

 

(現代語訳)

(甘泉官) そもそも、帝王の宮殿は神々しく美麗であるとも、尊卑の別が区別できないと気づかわれる。

この宮殿は壮大に建てられているとはいうものの、天子の心は満足なされたようで晴れやかではない。

天帝の御殿の紫微官という星に象る宮殿の造営を思案されたが、恨むらくは、それにふさわしい始皇帝の宮殿である阿房官はすでになく、つかいものにならないのである。

そこで、昔の今に残る離宮をつらつら見て、秦の離宮で残存の林光宮を見つけられた。

それは、甘泉山の爽やかな乾燥した高台にあるばかりか、高くもりあがり一面に広がる壮大な宮殿である。

函谷関長安地図座標005 

(訳注) (20) (甘泉官)#9-1

惟帝王之神麗,懼尊卑之不殊。

(甘泉官) そもそも、帝王の宮殿は神々しく美麗であるとも、尊卑の別が区別できないと気づかわれる。

神麗 班固「東都賦」に「園庭神尾」とある。美麗の意。

 

雖斯宇之既坦,心猶憑而未攄。

この宮殿は壮大に建てられているとはいうものの、天子の心は満足なされたようで晴れやかではない。

憑 満つ。胸いっぱい。

攄 舒(の)ぶ、ふるいのはす。意思を外に表す。

 

思比象於紫微,恨阿房之不可廬。

天帝の御殿の紫微官という星に象る宮殿の造営を思案されたが、恨むらくは、それにふさわしい始皇帝の宮殿である阿房官はすでになく、つかいものにならないのである。

紫微 星座の名。天帝の住居。

阿房 秦の始皇帝の宮殿の名。項羽これを焼く。三か月も燃え続ける。始皇帝の三十五年、渭南の上林苑中に造り、まず前段の阿房宮を作る、東西五百歩、南北五十丈、殿上は万人が坐れ、殿下は五丈の旗が立ち、宮外は四方閣道をめぐらし、殿下より南山に至り、南山の頂上に宮闕をつくり、また複道をつくり、阿房宮より渭水を渡ることができた(『史記』による)。阿とは四方のひさし。房とはそれが広いことから家の形に名づけたといい、また阿は近い、房は旁の意あれば、咸陽陽の都の近傍ということから名づけたともいう。

廬 居る。

 

覛往昔之遺館,獲林光於秦餘。

そこで、昔の今に残る離宮をつらつら見て、秦の離宮で残存の林光宮を見つけられた。

覛 視る。

林光 秦の離宮の名。甘泉山にあり。成帝の時宮門に落雷し燃ゆ(『漢書』の郊祀志)。

秦餘 秦の残存する建物。

 

處甘泉之爽塏,乃隆崇而弘敷。

それは、甘泉山の爽やかな乾燥した高台にあるばかりか、高くもりあがり一面に広がる壮大な宮殿である。

甘泉 長安の西北にある山の名。甘泉がわく。漢の武帝の元封二年、林光宮のそばに甘泉宮を造る。

爽塏 乾燥した高いところ。

降崇 高いさま。

弘敷 延蔓、のびて続くさま。林光官は周囲十余里とある。
長安付近図00 

張平子(張衡)《西京賦》(19)(閣道)#8-2 文選 賦<114―(19)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1056 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3828

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2014年3月2日

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(18)(閣道)#8-1 

於是鉤陳之外,閣道穹隆。

屬長樂與明光,徑北通乎桂宮。

命般爾之巧匠,盡變態乎其中。

於是後宮不移,樂不徙懸。

(閣道) さて、未央宮の外には、閣道が空に長く弧を画いてできている。

長楽官と明光殿とは閣道によって連接し、まっすぐ正殿の北のかた、桂官に通ずるのである。

古の魯般・王爾のようなすぐれた名工に命じ、絶妙な工夫の限りをこらし、豪華な細工物で閣道内はつくられた。

こうして、後宮の宮人も移らず、楽器もそのつり台、支持台などを動かさずにすんだのだ。

19

門衛供帳,官以物辨。

恣意所幸,下輦成燕。

窮年忘歸,猶弗能徧。

瑰異日新,殫所未見。

各宮殿には門戸を守る衛士がかならずおり、幔幕も設けられ、担当の百官が用具を調達する。

天子はお気に召すままに行きたいところに向われ、輦をおりられると、そこが宴を張るところとなる。

一生、帰ることを忘れて御幸なされたとしても、それでもなお、残らず巡回しきれるものでないほどある。

思いもよらぬすばらしく立派で珍しいものが、日ごとに新しく日を奪い、どれも今まで見たこともないものばかりである。

漢長安図02 

是に於て鉤陳の外、閣道穹隆とす。

と明光とにき、径に北のかた桂官に通す。

般爾の巧匠に命じ、變態を其の中に盡せり。

是に於て後宮移さず、欒、懸を徙さず。

 

門衛供帳、官物を以て鮮ず。

意の幸【こいねが】う所を恣にして、輦を下りて燕を成す。

年を窮めて歸るを忘るるも、猶お徧【あまね】くする能はず。

瑰異日に新にして、殫く末だ見ざる所なり。

漢宮 未央宮 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) 19)(閣道)

門衛供帳,官以物辨。

恣意所幸,下輦成燕。

窮年忘歸,猶弗能徧。

瑰異日新,殫所未見。

 

 

(下し文)

 

 

(現代語訳)

各宮殿には門戸を守る衛士がかならずおり、幔幕も設けられ、担当の百官が用具を調達する。

天子はお気に召すままに行きたいところに向われ、輦をおりられると、そこが宴を張るところとなる。

一生、帰ることを忘れて御幸なされたとしても、それでもなお、残らず巡回しきれるものでないほどある。

思いもよらぬすばらしく立派で珍しいものが、日ごとに新しく日を奪い、どれも今まで見たこともないものばかりである。

 

(訳注) 19)(閣道)-2

門衛供帳,官以物辨。

各宮殿には門戸を守る衛士がかならずおり、幔幕も設けられ、担当の百官が用具を調達する。

門衛 門を守る宿衛の士卒。

供帳 幔幕惟帳を陳設する。

物辨 用具を調達する

 

恣意所幸,下輦成燕。

天子はお気に召すままに行きたいところに向われ、輦をおりられると、そこが宴を張るところとなる。

 

窮年忘歸,猶弗能徧。

一生、帰ることを忘れて御幸なされたとしても、それでもなお、残らず巡回しきれるものでないほどある。

 

瑰異日新,殫所未見。

思いもよらぬすばらしく立派で珍しいものが、日ごとに新しく日を奪い、どれも今まで見たこともないものばかりである。

瑰異 は傀と意同じ。すばらしく立派で珍しいもの。

日新 毎日変わること。

殫 ことごとく。
長安城漢唐 

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(18)(閣道)#8-1 

於是鉤陳之外,閣道穹隆。

(閣道) さて、未央宮の外には、閣道が空に長く弧を画いてできている。

屬長樂與明光,徑北通乎桂宮。

長楽官と明光殿とは閣道によって連接し、まっすぐ正殿の北のかた、桂官に通ずるのである。

命般爾之巧匠,盡變態乎其中。

古の魯般・王爾のようなすぐれた名工に命じ、絶妙な工夫の限りをこらし、豪華な細工物で閣道内はつくられた。

於是後宮不移,樂不徙懸

こうして、後宮の宮人も移らず、楽器もそのつり台、支持台などを動かさずにすんだのだ。

 

門衛供帳,官以物辨。

恣意所幸,下輦成燕。

窮年忘歸,猶弗能徧。

瑰異日新,殫所未見。

 

是に於て鉤陳の外、閣道穹隆とす。

と明光とにき、径に北のかた桂官に通す。

般爾の巧匠に命じ、變態を其の中に盡せり。

是に於て後宮移さず、欒、懸を徙さず。

 

門衛供帳、官物を以て鮮ず。

意の幸【こいねが】う所を恣にして、輦を下りて燕を成す。

年を窮めて歸るを忘るるも、猶お徧【あまね】くする能はず。

瑰異日に新にして、殫く末だ見ざる所なり。

上林苑01 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)

(18)(閣道)#8-1 

於是鉤陳之外,閣道穹隆。

屬長樂與明光,徑北通乎桂宮。

命般爾之巧匠,盡變態乎其中。

於是後宮不移,樂不徙懸。

 

(下し文)

是に於て鉤陳の外、閣道穹隆とす。

長樂と明光とに屬き、径に北のかた桂官に通す。

般爾の巧匠に命じ、變態を其の中に盡せり。

是に於て後宮移さず、欒、懸を徙さず。

 

(現代語訳)

(閣道) さて、未央宮の外には、閣道が空に長く弧を画いてできている。

長楽官と明光殿とは閣道によって連接し、まっすぐ正殿の北のかた、桂官に通ずるのである。

古の魯般・王爾のようなすぐれた名工に命じ、絶妙な工夫の限りをこらし、豪華な細工物で閣道内はつくられた。

こうして、後宮の宮人も移らず、楽器もそのつり台、支持台などを動かさずにすんだのだ。

 

(訳注) (18)(閣道)#8-1 

於是鉤陳之外,閣道穹隆。

(閣道) さて、未央宮の外には、閣道が空に長く弧を画いてできている。

鉤陳 星座の名、「北極は一星、鉤陳は六星、足れ皆むらさきびかん紫微宮に在り」(『晋書』天文志)、「六星は五帝の下に在って後宮と為す」(『星経』)とあり。後宮の位置を星座のそれに対応させた。従ってここは後宮を指す。前段とこの段から推すと、後宮と宿衛とは未央宮の正殿に付属するから、正殿も含めた全体として未央宮とする。『甘泉賦』『西都賦』に勾陳の語あり、前後より推せば二つを含めている。また閣道が未央の正殿から始まるという点も「西都の賦」と同じ。

揚雄『甘泉賦』

詔招搖與泰陰兮,伏鉤陳使當兵。

屬堪輿以壁壘兮,梢夔魖而抶獝狂。

八神奔而警蹕兮,振殷轔而軍裝。

蚩尤之倫,帶干將而秉玉戚兮,飛蒙茸而走陸梁。

招搖【しょうよう】と泰陰【たいいん】とに詔し,鉤陳【こうちん】に伏せて兵を當【つかさど】ら使む。

堪輿【かんよ】に屬するに壁壘【へきるい】を以て,夔魖【ききょ】を梢【う】ちて獝狂【きつきょう】を【抶う】たしむ。

八神 奔りて 警蹕【けいひつ】し,振いて殷轔【いんりん】として軍裝す。

蚩尤【しゆう】が倫【ともがら】,干將【かんしょう】を帶【は】いて玉戚【ぎょくせき】を秉り,飛ぶは蒙茸【もうじょう】として走るは陸梁たり。

招揺星と大陰星には詔により、鉤陳の星座たちに警護にあたらせた。

堪輿神には防塁・城壁を守らせ、夔・魖・獝狂の悪鬼たちを打ち払わせた。

八方の神々、八将神は先払いに走りまわって防御し、勢いも盛んに、軍の装備を完璧にし、進んで行く。

蚩尤の仲間たちは名剣を腰につけ、玉のまさかりを手に持って、入り乱れながら飛んだり走ったりして行く。

揚雄 《甘泉賦 》 文選 賦<108-(3)#1-2>9分割26回 Ⅱ李白に影響を与えた詩856 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2828

長安城漢唐 

屬長樂與明光,徑北通乎桂宮。

長楽官と明光殿とは閣道によって連接し、まっすぐ正殿の北のかた、桂官に通ずるのである。

長楽 長安の東隅にあり。高祖の五年長安に都し、七年に宮殿完成。未央宮完成後はこれを朝会の所とし、長楽官は太后の居所となる。また公車司馬門の役所があった(『三輔黄圖』)。

明光 殿の名。「未央官の漸台の北西に桂官あり。中に明光殿あり。皆金玉珠璣もて簾箔を為り、処処明月の珠あり、金階玉階、昼夜光明あり」(『三秦記』)。「漢の武帝故事に天子明光宮、桂宮、長楽官を起し、皆輦道(行幸路)相属き、懸棟(宙づりの棟木あり)、飛閣(かけはし)もて北に度り、宮中より西のかた城に上り、神明台(未央宮の西南上林苑中の建章宮にあり)に至る」(漢唐長安位置図参照)。明光宮の宵は殿のこと。華道は右の文によると吊った置舎やかけはしがある。閣道のこと。これで閣道の大体を知ることができる。

桂宮 未央宮の北にある。「天緑、石渠、麒麟の三闇、未央宮の北は即ち桂宮なり。周り十余里。内に明光殿あり」(『水経』の渭水注)。ここも閣道(複道)より上る。

 

命般爾之巧匠,盡變態乎其中。

古の魯般・王爾のようなすぐれた名工に命じ、絶妙な工夫の限りをこらし、豪華な細工物で閣道内はつくられた。

般爾 魯般、または公輸之の子ともいう。春秋の魯の哀公の時の人という。『孟子』の離婁篇に「公輸子の巧」とあり。『墨子』に「公輸盤楚の為に雲梯の概を造る」とあり。爾は古の名匠、鄒陽の「几の賦」、中山王の「文木の賦」、楊子雲の「甘泉の賦」などに見えるが詳細は分からない。後世高名の大工はこの古人の名で呼ばれたであろう。

変態 奇態、態は手仕事さまの巧みなこと。豪華な細工物をいう。

 

於是後宮不移,樂不徙懸。

こうして、後宮の宮人も移らず、楽器もそのつり台、支持台などを動かさずにすんだのだ。

楽 伎楽の用具。
漢長安図02 

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張衡《西京賦》(17) 後宮の御殿には黄金飾りの石盤、玉の階があり、そしてその前に丹塗りの庭はすべて赤一色なのである。珊瑚や琳・碧の美石や玉、それにの玉の類は、色沢光彩、さまざまにあやをなしてかがやく。見たこともない珍宝が、それからそれへとつらなって、光りかがやくさまは、あたかも仙女の住む崑崙の庭と見まごうばかりだ。後宮のつくりは、万事天子の宮殿ほどに広くはないが、ぜいたく極まる豪華さは、至尊の天子にまさっている。

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張平子(張衡)《西京賦》(17)#7-2 文選 賦<114―(17)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1054 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3818

 

 

#7(華麗な後宮)-1

後宮則昭陽飛翔,增成合驩,

(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、

蘭林披香,鳳皇鴛鸞。

つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。

羣窈窕之華麗,嗟顧之所觀。

いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。

故其館室次舍,采飾纖縟。

だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。

裛以藻繡,文以朱綠。

木地は中に包みこむように、藻草模様でもって彫刻し、朱と縁とであざやかに彩色する。

#7-2

翡翠火齊,絡以美玉。

翡翠と火斉の玉は、美玉で幾重にもからまり、まとわりつく。

流懸黎之夜光,綴隨珠以為燭。

夜光る美玉の懸黎は流光をはなち、明月の随侯の玉は綴り合わせて燭とする。

玉階,彤庭煇煇。

後宮の御殿には黄金飾りの石盤、玉の階があり、そしてその前に丹塗りの庭はすべて赤一色なのである。

珊瑚琳碧,珉璘彬。

珊瑚や琳・碧の美石や玉、それにの玉の類は、色沢光彩、さまざまにあやをなしてかがやく。

珍物羅生,煥若崑崙。

見たこともない珍宝が、それからそれへとつらなって、光りかがやくさまは、あたかも仙女の住む崑崙の庭と見まごうばかりだ。

雖厥裁之不廣,侈靡踰乎至尊。

後宮のつくりは、万事天子の宮殿ほどに広くはないが、ぜいたく極まる豪華さは、至尊の天子にまさっている。

 

#7

後宮には則ち 昭陽 飛翔,增成 合驩【ごうかん】

蘭林 披香,鳳皇 鴛鸞あり。

窈窕の華麗を羣む,嗟 顧みて之れ觀る所なり。

故に其の館室 次舍は,采飾 纖縟【せんじょく】あり。

裛【つつ】むに藻繡【そうしゅう】以てし,文【あやな】るに朱綠を以てす。

 

翡翠 火齊【かせい】,絡【まと】うに美玉を以てす。

懸黎の夜光を流し,隨珠を綴りて以て燭と為す。

【きんい】玉階,彤庭【とうてい】煇煇たり。

珊瑚 琳碧【りんぺき】,珉【ぜんびん】璘彬【りんぴん】たり。

珍物 羅生し,煥として崑崙の若し。

厥の裁【つくり】之れ廣からずと雖も,侈靡【しび】至尊に踰ゆ。

 

漢宮 未央宮

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) #7-2

翡翠火齊,絡以美玉。

流懸黎之夜光,綴隨珠以為燭。

玉階,彤庭煇煇。

珊瑚琳碧,珉璘彬。

珍物羅生,煥若崑崙。

雖厥裁之不廣,侈靡踰乎至尊。

 

 (下し文)

翡翠 火齊【かせい】,絡【まと】うに美玉を以てす。

懸黎の夜光を流し,隨珠を綴りて以て燭と為す。

【きんい】玉階,彤庭【とうてい】煇煇たり。

珊瑚 琳碧【りんぺき】,珉【ぜんびん】璘彬【りんぴん】たり。

珍物 羅生し,煥として崑崙の若し。

厥の裁【つくり】之れ廣からずと雖も,侈靡【しび】至尊に踰ゆ。

カンナ113 

(現代語訳)

翡翠と火斉の玉は、美玉で幾重にもからまり、まとわりつく。

夜光る美玉の懸黎は流光をはなち、明月の随侯の玉は綴り合わせて燭とする。

後宮の御殿には黄金飾りの石盤、玉の階があり、そしてその前に丹塗りの庭はすべて赤一色なのである。

珊瑚や琳・碧の美石や玉、それにの玉の類は、色沢光彩、さまざまにあやをなしてかがやく。

見たこともない珍宝が、それからそれへとつらなって、光りかがやくさまは、あたかも仙女の住む崑崙の庭と見まごうばかりだ。

後宮のつくりは、万事天子の宮殿ほどに広くはないが、ぜいたく極まる豪華さは、至尊の天子にまさっている。
長安城漢唐 

(訳注) #7-2

翡翠火齊,絡以美玉。

翡翠と火斉の玉は、美玉で幾重にもからまり、まとわりつく。

火齊 玫瑰と【ばいかい】ともいう。紫色で光りかがやき、軽く雲母に似る。「西都の賦」に見える。

絡 いく重にもからませてまとうこと。

 

流懸黎之夜光,綴隨珠以為燭。

夜光る美玉の懸黎は流光をはなち、明月の随侯の玉は綴り合わせて燭とする。

懸黎 美玉の壁で夜光の壁と同じように光るから、夜光を流すとした。

随珠 随侯の玉。随侯は周の姫姓の諸侯、大蛇の傷を治療した礼に大珠を口にふくんできた。

 

玉階,彤庭煇煇。

後宮の御殿には黄金飾りの石盤、玉の階があり、そしてその前に丹塗りの庭はすべて赤一色なのである。

 

珊瑚琳碧,珉璘彬。

珊瑚や琳・碧の美石や玉、それにの玉の類は、色沢光彩、さまざまにあやをなしてかがやく。

琳碧 ともに美石、ただし琳を美玉と緑の美石。

 玉に似た美石。

 上に同じ。

璘彬 玉の光色が文(瑚)をなしいろいろ入りまじるさま(醇注)。

 

珍物羅生,煥若崑崙。

見たこともない珍宝が、それからそれへとつらなって、光りかがやくさまは、あたかも仙女の住む崑崙の庭と見まごうばかりだ。

珍物 珍は宝、宝玉。

羅生 段々にそれからそれへと列をなしてならび、玉の形と色とが現れ出ること。

崑崙「西北の美なる者に、崑崙の璆(きゅう)琳、琅、玕あり」(『爾雅』釈地)。また「崑崙に、珠樹、文玉樹、玗琪樹、琅玕樹あり」(『山海経』の海内西経)。『山海経』 は樹木の名称なるも玉や美石の名産地として崑崙山は目された。

 

雖厥裁之不廣,侈靡踰乎至尊。

後宮のつくりは、万事天子の宮殿ほどに広くはないが、ぜいたく極まる豪華さは、至尊の天子にまさっている。

裁 体制、つくり方。「其の裁制、事事至尊より狭小なりと雖も、其靡麗の好みは乃つて之に過ぐ」。
漢長安図02 

張平子(張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮)#7-1 文選 賦<114―(16)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1053 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3813

張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。


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張平子(張衡)《西京賦》(16)(華麗な後宮)#7-1 文選 賦<114―(16)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1053 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3813

 

 

#7(華麗な後宮)-1

後宮則昭陽飛翔,增成合驩,

(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、

蘭林披香,鳳皇鴛鸞。

つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。

羣窈窕之華麗,嗟顧之所觀。

いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。

故其館室次舍,采飾纖縟。

だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。

裛以藻繡,文以朱綠。

木地は中に包みこむように、藻草模様でもって彫刻し、朱と縁とであざやかに彩色する。

#7-2

翡翠火齊,絡以美玉。

流懸黎之夜光,綴隨珠以為燭。

玉階,彤庭煇煇。

珊瑚琳碧,珉璘彬。

珍物羅生,煥若崑崙。

雖厥裁之不廣,侈靡踰乎至尊。

 

#7

後宮には則ち 昭陽 飛翔,增成 合驩【ごうかん】

蘭林 披香,鳳皇 鴛鸞あり

窈窕の華麗を羣む,嗟 顧みて之れ觀る所なり。

故に其の館室 次舍は,采飾 纖縟【せんじょく】あり。

裛【つつ】むに藻繡【そうしゅう】以てし,文【あやな】るに朱綠を以てす。

 

翡翠 火齊【かせい】,絡【まと】うに美玉を以てす。

懸黎の夜光を流し,隨珠を綴りて以て燭と為す。

【きんい】玉階,彤庭【とうてい】煇煇たり。

珊瑚 琳碧【りんぺき】,珉【ぜんびん】璘彬【りんぴん】たり。

珍物 羅生し,煥として崑崙の若し。

厥の裁【tsくり】之れ廣からずと雖も,侈靡【しび】至尊に踰ゆ。

 漢宮未央宮

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)

後宮則昭陽飛翔,增成合驩,

蘭林披香,鳳皇鴛鸞。

羣窈窕之華麗,嗟顧之所觀。

故其館室次舍,采飾纖縟。

裛以藻繡,文以朱綠。

 

(下し文) #7

後宮には則ち 昭陽 飛翔,增成 合驩【ごうかん】,

蘭林 披香,鳳皇 鴛鸞あり。

窈窕の華麗を羣む,嗟 に顧みて之れ觀る所なり。

故に其の館室 次舍は,采飾 纖縟【せんじょく】あり。

裛【つつ】むに藻繡【そうしゅう】以てし,文【あやな】るに朱綠を以てす。

 

(現代語訳)

(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、

つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。

いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。

だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。

木地は中に包みこむように、藻草模様でもって彫刻し、朱と縁とであざやかに彩色する。

 

漢長安図02

(訳注)

後宮則昭陽飛翔,增成合驩,

(華麗な後宮) 後宮には、昭陽殿・飛翔殿・増成殿・合辞殿とあり、

昭陽・飛翔・增成・合驩・蘭林・披香・鳳皇・鴛鸞  後宮内の八つの御殿の名称。すべて宮城内にある。このうち鳳皇殿と駕鸞殿とは未央殿の東にある。前者は宣帝の時上林苑に鳳凰がとまったという瑞兆にちなんで建てた(『漢書』郊祀志)。その他、通光殿というのもあった(『三輔黄図』)。

 

蘭林披香,鳳皇鴛鸞。

つづいて蘭林殿・披香殿・凰皇殿・鴛鸞殿がある。

 

羣窈窕之華麗,嗟顧之所觀。

いかにも柔軟優美で華麗な女官がむらがり集まって、ここで、感嘆しては後をふりかえり、目をとめて美人たちが見るところである。

羣 あつめる。

嗟 声を出して感嘆するためいき。

 後をふりかえり見る。「車中内顧せず」(『論語』の郷党)。

観 観(み)る。物を見てその実体を確かめる意あり。

 

故其館室次舍,采飾纖縟。

だから後宮の館室、それに宿衛の官舎も休暇の宿舎も、五彩の色で飾り、織細で手がこんでいる。

次舎 休暇を過ごす屋舎。『周礼』の天官に「宮伯は八次八舎を授く」の鄭玄注に「次とは其の宿衛の在る所、舎とは其の休沐の処」とある。休沐は休暇をとり休養すること。次の建物は宮中、舎は宮中の外にある。ここは後宮について『周礼』と同様な次舎の制があったことをいう。

采飾 五彩。五色の飾り。

纖縟 細密で手がこんでいるさま。

 

裛以藻繡,文以朱綠。

木地は中に包みこむように、藻草模様でもって彫刻し、朱と縁とであざやかに彩色する。

 包む。

藻繡, 「楹桷(柱とたるき)に藻草(もぐさ)を彫り、文(かざ)るに朱縁を以てす」(傳毅の七激)。
長安城漢唐 

張平子(張衡)《西京賦》(14) #5-2 文選 賦<114―(14)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1051 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3803

張衡《西京賦》(14) 未央宮を中心にとりまく光景は、たとえば、衆星が北極星を囲み、光芒四方に輝いて光りきらめくように配置される。未央宮の正殿は、周の制度の表御殿に当たり、土地を所有する王侯、公卿、大夫、士の群臣を朝見するに用いる。屋根の簷が下向きに四方から張り出して、この壮大な建物は、どこまでも奥深く、九重、九室、九つもある各室のとびらは左右に開いたままである。


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張平子(張衡)《西京賦》(14) #5-2 文選 賦<114―(14)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1051 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3803
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謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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張平子(張衡)《西京賦》(14) #5-2 文選 賦<114―(14)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1051 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3803

 

杏の花01 

(13)#51

朝堂承東,溫調延北,

(未央宮の正殿) 朝堂は未央宮正殿の東を仰ぐ場所にあり、温調(温室)殿が北にのびる。

西に玉台があり、つづいて昆徳殿がつらなる。

西有玉臺,聯以昆德。

嵯峨嶫,罔識所則。

ひときわ高く山のごとくそそり立ち、高低さまざまに並び建ち、どの造営法を手本としたのか、認識できるものがまったくない。
若夫長年神仙,宣室玉堂,

それはあたかも未央宮を取り囲むように、長年殿・神仙殿・宣室殿・玉堂殿とあり、

麒麟朱鳥,龍興含章,

麒麟殿・朱鳥殿・龍興殿・含章殿などがまわりにある。

 (14)#52

譬衆星之環極,叛赫戲以煇煌。

未央宮を中心にとりまく光景は、たとえば、衆星が北極星を囲み、光芒四方に輝いて光りきらめくように配置される。

正殿路寢,用朝羣辟。

未央宮の正殿は、周の制度の表御殿に当たり、土地を所有する王侯、公卿、大夫、士の群臣を朝見するに用いる。

大夏耽耽,九開闢。

屋根の簷が下向きに四方から張り出して、この壮大な建物は、どこまでも奥深く、九重、九室、九つもある各室のとびらは左右に開いたままである。

嘉木樹庭,芳草如積。

珍木は正殿前の階前の庭に立ちならび、芳草はおい茂る。

高門有閌,列坐金狄。

高大な皐門は見上げるばかりにそびえ、正殿から最も遠い門で左右に金人が並び、夷狄の服装をした銅像の金人がすえられて列をつくる。

 

(13)#5―1

朝堂 東を承け,溫調 北に延ぶ,

西に玉臺有り,聯【つら】なるに昆德を以てす。

嵯峨 【しょうぎょう】として,則る所を識る罔【な】し

若し夫れ長年 神仙なり,宣室 玉堂と,

麒麟 朱鳥と,龍興【りょうこう】含章【がんしょう】とある,

(14)#5―2

衆星の極を環り,叛赫【はんかく】戲として以て煇煌【こんこう】するに譬【たと】う。

正殿 路寢【ろしん】,用て羣辟【ぐんへき】を朝せしむ。

大夏 耽耽【たんたん】として,九 開き闢【ひら】く

嘉木 庭に樹ち,芳草 積めるが如し。

高門 閌【たか】き有り,金狄【きんてき】を列坐す。

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (14)#52

譬衆星之環極,叛赫戲以煇煌。

正殿路寢,用朝羣辟。

大夏耽耽,九開闢。

嘉木樹庭,芳草如積。

高門有閌,列坐金狄。

 

(下し文) (14)#5―2

衆星の極を環り,叛赫【はんかく】戲として以て煇煌【こんこう】するに譬【たと】う。

正殿 路寢【ろしん】,用て羣辟【ぐんへき】を朝せしむ。

大夏 耽耽【たんたん】として,九 開き闢【ひら】く。

嘉木 庭に樹ち,芳草 積めるが如し。

高門 閌【たか】き有り,金狄【きんてき】を列坐す。

 

(現代語訳)

未央宮を中心にとりまく光景は、たとえば、衆星が北極星を囲み、光芒四方に輝いて光りきらめくように配置される。

未央宮の正殿は、周の制度の表御殿に当たり、土地を所有する王侯、公卿、大夫、士の群臣を朝見するに用いる。

屋根の簷が下向きに四方から張り出して、この壮大な建物は、どこまでも奥深く、九重、九室、九つもある各室のとびらは左右に開いたままである。

珍木は正殿前の階前の庭に立ちならび、芳草はおい茂る。

高大な皐門は見上げるばかりにそびえ、正殿から最も遠い門で左右に金人が並び、夷狄の服装をした銅像の金人がすえられて列をつくる。

漢長安図02 

(訳注) (14)#52

譬衆星之環極,叛赫戲以煇煌。

未央宮を中心にとりまく光景は、たとえば、衆星が北極星を囲み、光芒四方に輝いて光りきらめくように配置される。

環 繞る。宮殿、台閣が未央殿を北極星に見たてて、これを取り巻く星のように建物がならんでいること。「西都の賦」にも「煥として列宿の紫宮を走れ環れるが若し」とある。

極 北極星。

叛 煥の意。火光が四方を大いに照らすさま。光芒四方に輝いて光りきらめく。

赫戯 炎の盛んなさま。

煇煌 光りかがやいて鮮明なこと。煇は輝く、煌は明らかの意あり。

 

正殿路寢,用朝羣辟。

未央宮の正殿は、周の制度の表御殿に当たり、土地を所有する王侯、公卿、大夫、士の群臣を朝見するに用いる。

路寝 表御殿、周の制度の呼び名、漢では正殿という。

朝 朝見する。朝見して政事を謀る。その場所が正殿の庭に設けられ、正殿に近い方を内朝といい、遠い方を外朝という。羣辟 王侯、公卿、大夫、士を指す。辟とは土地を所有するものの通称。

 

大夏耽耽,九開闢。

屋根の簷が下向きに四方から張り出して、この壮大な建物は、どこまでも奥深く、九重、九室、九つもある各室のとびらは左右に開いたままである。

大夏 夏は厦と書く。大屋、屋根のひさしが四方にはり出た建物。

耽耽 奥深いさま。ここは奥行きの深いさま。

九戸 明堂は九室あるから、正殿もその通りとすると九室がある。戸びらは九戸。九重、九戸は漢の制度。。

闢 開と同じ。

 

嘉木樹庭,芳草如積。

珍木は正殿前の階前の庭に立ちならび、芳草はおい茂る。

積 盛んに茂るさま、多いさま。

 

高門有閌,列坐金狄。

高大な皐門は見上げるばかりにそびえ、正殿から最も遠い門で左右に金人が並び、夷狄の服装をした銅像の金人がすえられて列をつくる。

 高大なさま。高門は皐門、皐は高の意。正殿から最も遠い門で、その門の左右に金人が並ぶ。

 夷の服装をした銅像の金人。『史記』の秦本紀に始皇帝が天下の兵器をつぶして金人十二を作る。各々重さ千斤という。漢もこの鋼人を長楽官の大夏殿前に置いた(『三輔旧事』)というが、この賦では未央官に置いたことになる。
長安城漢唐 

張平子(張衡)《西京賦》(13)(未央宮の正殿) #5-1 文選 賦<114―(13)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1050 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3798

張衡《西京賦》(13)(未央宮の正殿) 朝堂は未央宮正殿の東を仰ぐ場所にあり、温調(温室)殿が北にのびる。西に玉台があり、つづいて昆徳殿がつらなる。ひときわ高く山のごとくそそり立ち、高低さまざまに並び建ち、どの造営法を手本としたのか、認識できるものがまったくない。


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張平子(張衡)《西京賦》(13)(未央宮の正殿) #5-1 文選 賦<114―(13)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1050 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3798

 

 

(13)#51

朝堂承東,溫調延北,

(未央宮の正殿) 朝堂は未央宮正殿の東を仰ぐ場所にあり、温調(温室)殿が北にのびる。

西有玉臺,聯以昆德。

西に玉台があり、つづいて昆徳殿がつらなる。

嵯峨嶫,罔識所則。

ひときわ高く山のごとくそそり立ち、高低さまざまに並び建ち、どの造営法を手本としたのか、認識できるものがまったくない。

若夫長年神仙,宣室玉堂,

それはあたかも未央宮を取り囲むように、長年殿・神仙殿・宣室殿・玉堂殿とあり、

麒麟朱鳥,龍興含章,

麒麟殿・朱鳥殿・龍興殿・含章殿などがまわりにある。

 (14)#52

譬衆星之環極,叛赫戲以煇煌。

正殿路寢,用朝羣辟。

大夏耽耽,九開闢。

嘉木樹庭,芳草如積。

高門有閌,列坐金狄。

 

(13)#5―1

朝堂 東を承け,溫調 北に延ぶ,

西に玉臺有り,聯【つら】なるに昆德を以てす。

嵯峨 【しょうぎょう】として,則る所を識る罔【な】し

若し夫れ長年 神仙なり,宣室 玉堂と,

麒麟 朱鳥と,龍興【りょうこう】含章【がんしょう】とある,

(14)#5―2

衆星の極を環り,叛赫【はんかく】戲として以て煇煌【こんこう】するに譬【たと】う。

正殿 路寢【ろしん】,用て羣辟【ぐんへき】を朝せしむ。

大夏 耽耽【たんたん】として,九 開き闢【ひら】く

嘉木 庭に樹ち,芳草 積めるが如し。

高門 閌【たか】き有り,金狄【きんてき】を列坐す。

玄武門 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (13)#51

朝堂承東,溫調延北,

西有玉臺,聯以昆德。

嵯峨嶫,罔識所則。

若夫長年神仙,宣室玉堂,

麒麟朱鳥,龍興含章,

 

(下し文) (13)#5―1

朝堂 東を承け,溫調 北に延ぶ,

西に玉臺有り,聯【つら】なるに昆德を以てす。

嵯峨 嶫【しょうぎょう】として,則る所を識る罔【な】し。

若し夫れ長年 神仙なり,宣室 玉堂と,

麒麟 朱鳥と,龍興【りょうこう】含章【がんしょう】とある,

 

(現代語訳)

(未央宮の正殿) 朝堂は未央宮正殿の東を仰ぐ場所にあり、温調(温室)殿が北にのびる。

西に玉台があり、つづいて昆徳殿がつらなる。

ひときわ高く山のごとくそそり立ち、高低さまざまに並び建ち、どの造営法を手本としたのか、認識できるものがまったくない。

それはあたかも未央宮を取り囲むように、長年殿・神仙殿・宣室殿・玉堂殿とあり、

麒麟殿・朱鳥殿・龍興殿・含章殿などがまわりにある。

漢長安図02 

 

(訳注) (13)#51

朝堂承東,溫調延北,

(未央宮の正殿) 朝堂は未央宮正殿の東を仰ぐ場所にあり、温調(温室)殿が北にのびる。

朝堂 天子が政事を議する御殿。東に面する。日の出で朝礼。前殿、宣室、温室殿、清涼殿、麒麟殿、金華殿、承明殿、掖庭宮、椒房殿、高門殿、金馬門などのさまざま建物があった。諸侯や大臣と朝会を開く場所である前殿は龍首山の丘陵を利用して建てられており、長安の城壁より高い位置にあった。

温調 殿の名。末央殿の北にある。温室(『三輔黄図』)に当たる。

延 陳【つらな】る。

 

西有玉臺,聯以昆德。

西に玉台があり、つづいて昆徳殿がつらなる。

玉臺 未央殿の西にある。台とは四方をながめられるよう、土を方形に積む、また上に建てた建物、高殿、台閣などをいう。ここは天帝のすむ所を王台といい、玉で台をつくるといわれる(『楚辞』王逸の九思篇の注)。大玉堂、小玉堂あり(『三輔黄図』)というが、この台を指すか。

昆徳 殿の名。未央殿の西にある。漢の時の建物。

 

嵯峨嶫,罔識所則。

ひときわ高く山のごとくそそり立ち、高低さまざまに並び建ち、どの造営法を手本としたのか、認識できるものがまったくない。

嵯峨 高峻なさま。

 は山がつらなるさま、は山の高いさま。ここは建物の群を抜く高さをいう。

所則 手本とするもの。

 

若夫長年神仙,宣室玉堂,

それはあたかも未央宮を取り囲むように、長年殿・神仙殿・宣室殿・玉堂殿とあり、

長年神仙、宣室玉堂 四つとも殿の名。「西都の賦」に見える。『三輔黄図』に見えるものは、宜室(政教を布く室)、玉堂のみ。未央殿の東にあり。

 

麒麟朱鳥,龍興含章,

麒麟殿・朱鳥殿・龍興殿・含章殿などがまわりにある。

麒麟朱鳥龍興含章 四つとも殿の名。
長安城漢唐

張平子(張衡)《西京賦》(12)#4-3 文選 賦<114―(12)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1049 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3793

張衡《西京賦》(12) 楼門は幾重にも固められ、姦賊の侵入を防ぐ。宮殿を仰ぎ見れば、天帝のおいでます所と同じく、日が照ればひかりかがやき、日が曇れば姿を隠す。その宮殿には、巨大な鐘があり重さ二手万斤、大鐘につり合うよう怒った神獣の鐘かけ台の柎となる猛獣は、威勢よく力みかえっている。鐘の掛ける横木と、彫物の大板とを背負っても、なお力があまり勇みたち、両翼をふるい首をもたげて飛びあがる。


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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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張平子(張衡)《西京賦》(12)#4-3 文選 賦<114―(12)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1049 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3793
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《從潮州量移袁州,張韶州端公以詩相賀,因酬之〔時憲宗元和十四年十月。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <962>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3794韓愈詩-257
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
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登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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張平子(張衡)《西京賦》(12)#4-3 文選 賦<114―(12)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1049 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3793

 

 

(10)#4―1

乃覽秦制,跨周法,

(宮殿の造営) かくして、秦の造営法に着目し、周の古法をしのぐ計画をたてる。

狹百堵之側陋,增九筵之迫脅。

周の宣王の百堵の牆で囲まれた宮室も、狭苦しいからといって取りあげはしない、九筵を基準とする周の明堂も、狭隘だからとて拡張することとした。

正紫宮於未央,表嶢闕於閶闔。

星座紫微宮にかたどり、未央宮の位置を正しく定め、高楼の門橋を、紫徴宮の天門、閶闔にかたどって、宮殿の目標とした。

疏龍首以抗殿,狀巍峩以岌

龍首の山を切り開いて、その正殿を高々と造る。その姿は、山のごとくそびえてたくましい。

亙雄虹之長梁,結棼橑以相接。

殿内は、色鮮やかな長い虹梁が、かけわたされ、二重屋根の、棟木と榱木がかみあって、たがいに交錯する。

 (11)#4―2

蔕倒茄於藻井,披紅葩之狎獵。

水草は火をさけるという藻草模様の組天井は、蓮の茎をならべつらなり、さかさに紅の花びらがかさなり合って開いている。

飾華榱與璧璫,流景曜之韡曄。

模様を施した榱と、玉壁で飾る木頭の壁とは美しくよそおわれ、日の光はきらきら輝きわたる。

雕楹玉磶,繡栭雲楣。

彫刻した磨き丸柱には、美玉の礎石、絵ぎぬの斗拱には、雲気模様の楣【はり】がある。

三階重軒,鏤檻文

宮殿前の南面の三つの階と二重の軒は、ちりばめた欄干と、飾り模様の橋がある。 

右平左,青瑣丹墀。

階の右側は平らかにならした車道があり、左側は階段になった人道がある。これを上れば、青色の鎖模様の窓と、朱丹の漆を塗る石畳がある。

刊層平堂,設切厓

それに、層をなす山をけずり、高いところを地ならしして、縁に砌を設けてある。

(12)#4―3

坻崿鱗眴,棧巉嶮。

宮殿に通ずる階段が、歯のならんだようながけのような形でつらなっている。見上げれは、高峻で今にも崩れそうなほどです。

襄岸夷塗,脩路陖險。

その殿階は高いけれど路は平らかであって、この長い路は危険なところに向かってのぼる。

重門襲固,姦宄是防。

楼門は幾重にも固められ、姦賊の侵入を防ぐ。

仰福帝居,陽曜陰藏。

宮殿を仰ぎ見れば、天帝のおいでます所と同じく、日が照ればひかりかがやき、日が曇れば姿を隠す。

洪鐘萬鈞,猛虡趪趪

その宮殿には、巨大な鐘があり重さ二手万斤、大鐘につり合うよう怒った神獣の鐘かけ台の柎となる猛獣は、威勢よく力みかえっている。

負筍業而餘怒,乃奮翅而騰驤。

の掛ける横木と、彫物の大板とを背負っても、なお力があまり勇みたち、両翼をふるい首をもたげて飛びあがる。

 

(10)#4―1

乃ち秦制を覽,周法を跨える。

百堵の側陋【そくろう】を狹しとし,九筵の迫脅を增す。

紫宮を未央に正し,嶢闕【ぎょうけつ】を閶闔【しょうこう】に表す。

龍首を疏して以て殿を抗げ,狀【かたち】巍峩【かいが】として以て岌【きゅうぎょう】たり

雄虹の長梁を亙【わた】し,棼橑【ふんりょう】を結んで以て相い接【う】く。

(11)#4―2

倒茄【とうか】を藻井【そうせい】に蔕し,紅葩【こうは】の狎獵【こうりょう】たるを披く。

華榱【かすい】と璧璫とを飾り,景曜の韡曄【けいよう】なるを流す。

雕楹【ちょうえい】玉磶【ぎょくせき】,繡栭【しゅうじ】雲楣【うんぴ】あり。

三階 重軒,鏤檻【ろうかん】文【ぶんぴ】あり

右は平 左は【しょく】,青瑣【せいさ】丹墀【たんち】あり

層【かさな】れるを刊【けず】り 堂を平げ,切【ぜい】を厓【がいけん】に設ける

(12)#4―3

坻崿【ちがく】鱗眴【りんじゅん】として,棧【ざんげん】巉嶮【ざんけん】なり

襄岸【じょうがん】夷塗【いと】,脩路【しゅうろ】險に陖【のぼ】る。

重門 襲【かさな】り固く,姦宄【かんき】を是れ防ぐ。

仰げば帝居に福【おな】じく,陽には曜【ひか】り陰には藏【かく】る。

洪鐘【こうしょう】萬鈞【ばんきん】,猛虡【もうきょく】趪趪【こうこう】たり

筍業を負いて餘怒し,乃ち翅を奮って騰驤【とうじょう】す。

玄武門 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文)  (12)#4―3

坻崿鱗眴,棧巉嶮。

襄岸夷塗,脩路陖險。

重門襲固,姦宄是防。

仰福帝居,陽曜陰藏。

洪鐘萬鈞,猛虡趪趪

負筍業而餘怒,乃奮翅而騰驤。

 

(下し文)(12)#4―3

坻崿【ちがく】鱗眴【りんじゅん】として,棧【ざんげん】巉嶮【ざんけん】なり。

襄岸【じょうがん】夷塗【いと】,脩路【しゅうろ】險に陖【のぼ】る。

重門 襲【かさな】り固く,姦宄【かんき】を是れ防ぐ。

仰げば帝居に福【おな】じく,陽には曜【ひか】り陰には藏【かく】る。

洪鐘【こうしょう】萬鈞【ばんきん】,猛虡【もうきょく】趪趪【こうこう】たり。

筍業を負いて餘怒し,乃ち翅を奮って騰驤【とうじょう】す。

 

(現代語訳)

宮殿に通ずる階段が、歯のならんだようながけのような形でつらなっている。見上げれは、高峻で今にも崩れそうなほどです。

その殿階は高いけれど路は平らかであって、この長い路は危険なところに向かってのぼる。

楼門は幾重にも固められ、姦賊の侵入を防ぐ。

宮殿を仰ぎ見れば、天帝のおいでます所と同じく、日が照ればひかりかがやき、日が曇れば姿を隠す。

その宮殿には、巨大な鐘があり重さ二手万斤、大鐘につり合うよう怒った神獣の鐘かけ台の柎となる猛獣は、威勢よく力みかえっている。

鐘の掛ける横木と、彫物の大板とを背負っても、なお力があまり勇みたち、両翼をふるい首をもたげて飛びあがる。

漢長安図02 

 

(訳注) (12)#4―3

坻崿鱗眴,棧巉嶮。

宮殿に通ずる階段が、歯のならんだようながけのような形でつらなっている。見上げれは、高峻で今にも崩れそうなほどです。

坻崿 塩は宮殿の基礎、『広雅』に「除」(階段)の意あり。未央宮は龍首山にあれば、その宮殿に至るまで階段がある。崿は隆起するさま。

鱗眴 宮殿に至る段々が上へ高々と並んでいるさま。

 棧は高いさま。は歯の露出するさま。高々と歯をむきだしているような形をいう。

 高峻なさま。

 

襄岸夷塗,脩路陖險。

その殿階は高いけれど路は平らかであって、この長い路は危険なところに向かってのぼる。

襄岸 嚢は高の意。岸はここは殿階。

夷塗 平らかな路。

脩路陖險 慨は長い。峻は山勢が直立する。のぼる。

 

重門襲固,姦宄是防。

楼門は幾重にも固められ、姦賊の侵入を防ぐ。

重門 層をなす門。

 襲は重ねる。厳重に固める。

 二字意同じ。悪徒。分けると内に在るを姦、外に在るをという。

 

仰福帝居,陽曜陰藏。

宮殿を仰ぎ見れば、天帝のおいでます所と同じく、日が照ればひかりかがやき、日が曇れば姿を隠す。

福 同じ。

 

洪鐘萬鈞,猛虡趪趪

その宮殿には、巨大な鐘があり重さ二手万斤、大鐘につり合うよう怒った神獣の鐘かけ台の柎となる猛獣は、威勢よく力みかえっている。

洪鐘 大鐘。

 三十斤をという(『説苑』弁物篇)。

猛虞 猛は怒るさま。虞は鐘かけ台のたてはしらの柎(うてな)。神獣の猛獣をここに刻んで装飾とする。『漢書』の郊祀志には羽のある銅人もある。また『後漢書』には、鹿頭龍身の神獣の銅製がある。大鐘につり合うよう怒った神獣の鐘かけ台が作ってある。

 

負筍業而餘怒,乃奮翅而騰驤。

鐘の掛ける横木と、彫物の大板とを背負っても、なお力があまり勇みたち、両翼をふるい首をもたげて飛びあがる。

筍 鐘をかける横木。

業 板、鐘をかける横木をおおう飾り板。

長安城漢唐 函谷関長安地図座標005

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張平子(張衡)《西京賦》(11)#4-2 文選 賦<114―(11)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1048 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3788

(宮殿の造営)

 

 

(10)#4―1

乃覽秦制,跨周法,

(宮殿の造営) かくして、秦の造営法に着目し、周の古法をしのぐ計画をたてる。

狹百堵之側陋,增九筵之迫脅。

周の宣王の百堵の牆で囲まれた宮室も、狭苦しいからといって取りあげはしない、九筵を基準とする周の明堂も、狭隘だからとて拡張することとした。

正紫宮於未央,表嶢闕於閶闔。

星座紫微宮にかたどり、未央宮の位置を正しく定め、高楼の門橋を、紫徴宮の天門、閶闔にかたどって、宮殿の目標とした。

疏龍首以抗殿,狀巍峩以岌

龍首の山を切り開いて、その正殿を高々と造る。その姿は、山のごとくそびえてたくましい。

亙雄虹之長梁,結棼橑以相接。

殿内は、色鮮やかな長い虹梁が、かけわたされ、二重屋根の、棟木と榱木がかみあって、たがいに交錯する。

 (11)#4―2

蔕倒茄於藻井,披紅葩之狎獵。

水草は火をさけるという藻草模様の組天井は、蓮の茎をならべつらなり、さかさに紅の花びらがかさなり合って開いている。

飾華榱與璧璫,流景曜之韡曄。

模様を施した榱と、玉壁で飾る木頭の壁とは美しくよそおわれ、日の光はきらきら輝きわたる。

雕楹玉磶,繡栭雲楣。

彫刻した磨き丸柱には、美玉の礎石、絵ぎぬの斗拱には、雲気模様の楣【はり】がある。

三階重軒,鏤檻文

宮殿前の南面の三つの階と二重の軒は、ちりばめた欄干と、飾り模様の橋がある。 

右平左,青瑣丹墀。

階の右側は平らかにならした車道があり、左側は階段になった人道がある。これを上れば、青色の鎖模様の窓と、朱丹の漆を塗る石畳がある。

刊層平堂,設切厓

それに、層をなす山をけずり、高いところを地ならしして、縁に砌を設けてある。

 (12)#4―3

坻崿鱗眴,棧巉嶮。

襄岸夷塗,脩路陖險。

重門襲固,姦宄是防。

仰福帝居,陽曜陰藏。

洪鐘萬鈞,猛虡趪趪

負筍業而餘怒,乃奮翅而騰驤。

 

(10)#4―1

乃ち秦制を覽,周法を跨える。

百堵の側陋【そくろう】を狹しとし,九筵の迫脅を增す。

紫宮を未央に正し,嶢闕【ぎょうけつ】を閶闔【しょうこう】に表す。

龍首を疏して以て殿を抗げ,狀【かたち】巍峩【かいが】として以て岌【きゅうぎょう】たり

雄虹の長梁を亙【わた】し,棼橑【ふんりょう】を結んで以て相い接【う】く。

(11)#4―2

倒茄【とうか】を藻井【そうせい】に蔕し,紅葩【こうは】の狎獵【こうりょう】たるを披く。

華榱【かすい】と璧璫とを飾り,景曜の韡曄【けいよう】なるを流す。

雕楹【ちょうえい】玉磶【ぎょくせき】,繡栭【しゅうじ】雲楣【うんぴ】あり。

三階 重軒,鏤檻【ろうかん】文【ぶんぴ】あり

右は平 左は【しょく】,青瑣【せいさ】丹墀【たんち】あり

層【かさな】れるを刊【けず】り 堂を平げ,切【ぜい】を厓【がいけん】に設ける

(12)#4―3

坻崿【ちがく】鱗眴【りんじゅん】として,棧【ざんげん】巉嶮【ざんけん】なり

襄岸【じょうがん】夷塗【いと】,脩路【しゅうろ】險に陖【のぼ】る。

重門 襲【かさな】り固く,姦宄【かんき】を是れ防ぐ。

仰げば帝居に福【おな】じく,陽には曜【ひか】り陰には藏【かく】る。

洪鐘【こうしょう】萬鈞【ばんきん】,猛虡【もうきょく】趪趪【こうこう】たり

筍業を負いて餘怒し,乃ち翅を奮って騰驤【とうじょう】す。

漢長安図02 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (11)#4―2

蔕倒茄於藻井,披紅葩之狎獵。

飾華榱與璧璫,流景曜之韡曄。

雕楹玉磶,繡栭雲楣。

三階重軒,鏤檻文

右平左,青瑣丹墀。

刊層平堂,設切厓

 

(下し文) (11)#4―2

倒茄【とうか】を藻井【そうせい】に蔕し,紅葩【こうは】の狎獵【こうりょう】たるを披く。

華榱【かすい】と璧璫とを飾り,景曜の韡曄【けいよう】なるを流す。

雕楹【ちょうえい】玉磶【ぎょくせき】,繡栭【しゅうじ】雲楣【うんぴ】あり。

三階 重軒,鏤檻【ろうかん】文【ぶんぴ】あり。

右は平 左は【しょく】,青瑣【せいさ】丹墀【たんち】あり。

層【かさな】れるを刊【けず】り 堂を平げ,切【ぜい】を厓【がいけん】に設ける。

 

(現代語訳)

水草は火をさけるという藻草模様の組天井は、蓮の茎をならべつらなり、さかさに紅の花びらがかさなり合って開いている。

模様を施した榱と、玉壁で飾る木頭の壁とは美しくよそおわれ、日の光はきらきら輝きわたる。

彫刻した磨き丸柱には、美玉の礎石、絵ぎぬの斗拱には、雲気模様の楣【はり】がある。

宮殿前の南面の三つの階と二重の軒は、ちりばめた欄干と、飾り模様の橋がある。 

階の右側は平らかにならした車道があり、左側は階段になった人道がある。これを上れば、青色の鎖模様の窓と、朱丹の漆を塗る石畳がある。

それに、層をなす山をけずり、高いところを地ならしして、縁に砌を設けてある。

漢宮 建章宮00 

 

(訳注) (11)#4―2

蔕倒茄於藻井,披紅葩之狎獵。

水草は火をさけるという藻草模様の組天井は、蓮の茎をならべつらなり、さかさに紅の花びらがかさなり合って開いている。

蔕 蓮の茎をならべる。

倒茄 さかさの蓮の垂。

藻井 水草模様を画く組天井。水草は火をさけるというので描く。

紅葩 紅い花びら。

狎獵 重なり接する。

 

飾華榱與璧璫,流景曜之韡曄。

模様を施した榱と、玉壁で飾る木頭の壁とは美しくよそおわれ、日の光はきらきら輝きわたる。

華榱 装飾模様の桷(方形)。

璧璫 玉壁で飾る木頭。

景曜 日の光。

韡曄 かがやくさま。

 

雕楹玉磶,繡栭雲楣。

彫刻した磨き丸柱には、美玉の礎石、絵ぎぬの斗拱には、雲気模様の楣【はり】がある。

雕楹 彫刻琢磨した柱。

 柱の下のいしずえが玉になっているもの。

繡栭 えぎぬを施した斗拱。

 雲気紋のはり。

 

三階重軒,鏤檻文

宮殿前の南面の三つの階と二重の軒は、ちりばめた欄干と、飾り模様の橋がある。 

三階 未央宮の南面に、三だんになった階がある。「西都の賦」に「重軒三階」とある。

重軒 重なった軒(てすり)。

鏤檻 彫刻した欄干。

 はたるきのほしにさしわたした横木。瓦をうける。

 

右平左,青瑣丹墀。

階の右側は平らかにならした車道があり、左側は階段になった人道がある。これを上れば、青色の鎖模様の窓と、朱丹の漆を塗る石畳がある。

右平左 平は化粧瓦などで平らかにする。乗車用。城は階段をなすきざはし。人道用。

青瑣 青色で、宮門の戸にくさり模様を画いたものをいう。『漢書』に「赤堀青墳」(元后伝)とある。顔師古の注に「刻して環文を為りて青く之を塗る」とある。

 丹の漆で塗った階前の庭。宮殿の階上の、朱で土地を赤ぬりこめた庭。

 

刊層平堂,設切厓

それに、層をなす山をけずり、高いところを地ならしして、縁に砌を設けてある。

刊層堂 刊は削る。層は重なった地層。堂は高いところ。

切 砌、敷き瓦の階段。

 山の端のがけ。二字同義。
長安城漢唐 

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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
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『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

張平子(張衡)《西京賦》(10)(宮殿の造営)#4-1 文選 賦<114―(10)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1047 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3783

玄武門 

 

(10)#4―1

乃覽秦制,跨周法,

(宮殿の造営) かくして、秦の造営法に着目し、周の古法をしのぐ計画をたてる。

狹百堵之側陋,增九筵之迫脅。

周の宣王の百堵の牆で囲まれた宮室も、狭苦しいからといって取りあげはしない、九筵を基準とする周の明堂も、狭隘だからとて拡張することとした。

正紫宮於未央,表嶢闕於閶闔。

星座紫微宮にかたどり、未央宮の位置を正しく定め、高楼の門橋を、紫徴宮の天門、閶闔にかたどって、宮殿の目標とした。

疏龍首以抗殿,狀巍峩以岌

龍首の山を切り開いて、その正殿を高々と造る。その姿は、山のごとくそびえてたくましい。

亙雄虹之長梁,結棼橑以相接。

殿内は、色鮮やかな長い虹梁が、かけわたされ、二重屋根の、棟木と榱木がかみあって、たがいに交錯する。

 (11)#4―2

蔕倒茄於藻井,披紅葩之狎獵。

飾華榱與璧璫,流景曜之韡曄。

雕楹玉磶,繡栭雲楣。

三階重軒,鏤檻文

右平左,青瑣丹墀。

刊層平堂,設切厓

(12)#4―3

坻崿鱗眴,棧巉嶮。

襄岸夷塗,脩路陖險。

重門襲固,姦宄是防。

仰福帝居,陽曜陰藏。

洪鐘萬鈞,猛虡趪趪

負筍業而餘怒,乃奮翅而騰驤。

 

(10)#4―1

乃ち秦制を覽,周法を跨える。

百堵の側陋【そくろう】を狹しとし,九筵の迫脅を增す。

紫宮を未央に正し,嶢闕【ぎょうけつ】を閶闔【しょうこう】に表す。

龍首を疏して以て殿を抗げ,狀【かたち】巍峩【かいが】として以て岌【きゅうぎょう】たり

雄虹の長梁を亙【わた】し,棼橑【ふんりょう】を結んで以て相い接【う】く。

(11)#4―2

倒茄【とうか】を藻井【そうせい】に蔕し,紅葩【こうは】の狎獵【こうりょう】たるを披く。

華榱【かすい】と璧璫とを飾り,景曜の韡曄【けいよう】なるを流す。

雕楹【ちょうえい】玉磶【ぎょくせき】,繡栭【しゅうじ】雲楣【うんぴ】あり。

三階 重軒,鏤檻【ろうかん】文【ぶんぴ】あり

右は平 左は【しょく】,青瑣【せいさ】丹墀【たんち】あり

層【かさな】れるを刊【けず】り 堂を平げ,切【ぜい】を厓【がいけん】に設ける


(12)#4―3

坻崿【ちがく】鱗眴【りんじゅん】として,棧【ざんげん】巉嶮【ざんけん】なり

襄岸【じょうがん】夷塗【いと】,脩路【しゅうろ】險に陖【のぼ】る。

重門 襲【かさな】り固く,姦宄【かんき】を是れ防ぐ。

仰げば帝居に福【おな】じく,陽には曜【ひか】り陰には藏【かく】る。

洪鐘【こうしょう】萬鈞【ばんきん】,猛虡【もうきょく】趪趪【こうこう】たり

筍業を負いて餘怒し,乃ち翅を奮って騰驤【とうじょう】す。

漢長安図02 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (10)#4―1

乃覽秦制,跨周法,

狹百堵之側陋,增九筵之迫脅。

正紫宮於未央,表嶢闕於閶闔。

疏龍首以抗殿,狀巍峩以岌

亙雄虹之長梁,結棼橑以相接。

 

(下し文)

(10)#4―1

乃ち秦制を覽,周法を跨える。

百堵の側陋【そくろう】を狹しとし,九筵の迫脅を增す。

紫宮を未央に正し,嶢闕【ぎょうけつ】を閶闔【しょうこう】に表す。

龍首を疏して以て殿を抗げ,狀【かたち】巍峩【かいが】として以て岌【きゅうぎょう】たり。

雄虹の長梁を亙【わた】し,棼橑【ふんりょう】を結んで以て相い接【う】く。

 

(現代語訳)

(宮殿の造営) かくして、秦の造営法に着目し、周の古法をしのぐ計画をたてる。

周の宣王の百堵の牆で囲まれた宮室も、狭苦しいからといって取りあげはしない、九筵を基準とする周の明堂も、狭隘だからとて拡張することとした。

星座紫微宮にかたどり、未央宮の位置を正しく定め、高楼の門橋を、紫徴宮の天門、閶闔にかたどって、宮殿の目標とした。

龍首の山を切り開いて、その正殿を高々と造る。その姿は、山のごとくそびえてたくましい。

殿内は、色鮮やかな長い虹梁が、かけわたされ、二重屋根の、棟木と榱木がかみあって、たがいに交錯する。

漢宮 建章宮00 

 

(訳注)(10)#4―1

乃覽秦制,跨周法,

(宮殿の造営) かくして、秦の造営法に着目し、周の古法をしのぐ計画をたてる。

乃 すなわち。「爾」とあるテクストもある。

覧 見てみとるの意。

跨 越える。公平にみてもまさる。

 

狹百堵之側陋,增九筵之迫脅。

周の宣王の百堵の牆で囲まれた宮室も、狭苦しいからといって取りあげはしない、九筵を基準とする周の明堂も、狭隘だからとて拡張することとした。

百堵 一丈を板、五枚を堵という。板は城壁の高さの単位。

側陋 せまい。側も陋の意。『詩経』の小雅に「室を築くこと百堵、その戸を西南にす」(斯干)と、周の宣王の宮室をうたう。ここは“それもなおせまし”とすること。

九筵 筵は竹製の敷物。周代堂の広さと長さの単位、『周礼』考工記「周人の明堂は九尺の筵を度とす。東西九筵、南北七筵、堂の崇(たかさ)一筵」とある。

追脅 土地のせまいこと。なお原文は明宝の建築を述べたもの。1956年漢の長安城の南郊に当たる所に、明堂の遺跡が発見された。『漢書』平帝紀に「安漢公(玉奔)、明堂、辟雍を立てんことを奏す」(元始三年)。武帝も明宝を泰山の麓に作る(郊祀志下)。

 

正紫宮於未央,表嶢闕於閶闔。

星座紫微宮にかたどり、未央宮の位置を正しく定め、高楼の門橋を、紫徴宮の天門、閶闔にかたどって、宮殿の目標とした。

紫宮 紫微宮、星の名、天帝の居所。これをとって未央宮の別名とす。

嶢闕 高い門観。

閶闔 天の紫宮の門。

 

疏龍首以抗殿,狀巍峩以岌

龍首の山を切り開いて、その正殿を高々と造る。その姿は、山のごとくそびえてたくましい。

龍首 山名。西京の北。これを切り開いて蕭何が未央官を建てた(『水経注』渭水注)。

巍峩以岌 巍峩は高大、高峻のさま。岌は衆山を抜いて高く高壮なこと。

 

亙雄虹之長梁,結棼橑以相接。

殿内は、色鮮やかな長い虹梁が、かけわたされ、二重屋根の、棟木と榱木がかみあって、たがいに交錯する。

亙 相去ることの遠いこと。先の見えないところまで梁がわたしてあること。

雄虹 五色で彩る朱の梁、色彩鮮明の色を雄、くろい色を雌という。

結棼橑 二重屋根の棟木と榱とがかみ合う。

長安城漢唐 

張平子(張衡)《西京賦》(9)#3-2 文選 賦<114―(9)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1046 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3778

張衡)《西京賦》(9) 天地の形にしたがい、面積を円のめんせきで計量し、また八尺の正方形を基本に面積を考量し、城の堀を作る。そうして城郭を築き、諸国の異色ある都の造営法を取り入れて、昔からの古法を基本にはするものの、これに尺度を合わせそのまま造ることはなかったのだ。
 

2014年2月20日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
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張平子(張衡)《西京賦》(9)#3-2 文選 賦<114―(9)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1046 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3778
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

張平子(張衡)《西京賦》(9)#3-2 文選 賦<114―(9)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1046 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3778

 

 

(8)#3-1

  自我高祖之始入也,五緯相汁以旅于東井。

(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

婁敬委輅,幹非其議,

天命の瑞祥が現れる。兵卒の婁敬はひいていた車をすておいて、長安に都とすることこそ正論とし、洛陽遷都には反論・反対する。

天啓其心,人惎之謀,

天もその心を啓蒙すれば、人もそのはかりごとを献策する。

及帝圖時,意亦有慮乎神祇,宜其可定以為天邑。

いよいよ帝王がその計画を実行におよばれる事とされるとき、かくもあるべしと神意にとくと天地の神に思いをはせなさる。よろしくかくあるべし、高祖が長安を可として天子の郡と定められたことである。

 

(9) #3-2

豈伊不虔思于天衢?豈伊不懷歸于枌

まさか今の洛陽天子の都を、敬虔にお考えなさらなかったわけではないでしょうか?あるいは、まさか高祖の故郷である枌の地に、帰るをお忘れになったわけではないでしょうに?

天命不滔,疇敢以渝!

天命は一定不変、絶対であり、人は誰もあえてそれを変えることはできないからである。

於是量徑輪,考廣袤,經城洫,

というわけで天地の形にしたがい、面積を円のめんせきで計量し、また八尺の正方形を基本に面積を考量し、城の堀を作る。

營郭郛,取殊裁於八都,豈啓度於往舊。

そうして城郭を築き、諸国の異色ある都の造営法を取り入れて、昔からの古法を基本にはするものの、これに尺度を合わせそのまま造ることはなかったのだ。

 

(8)#3-1

  我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。

婁敬【ろうけい】輅【かく】を委【すて】て,其の議を幹【ただ】し非【そし】る。

天 其の心を啓【ひら】いて,人 之れ謀【はかりごと】を惎【おし】う。

帝の圖る時に及び,意 亦た神祇を慮【おもんばか】る有り,宜【うべ】なり其の可とし 定めて以て天邑と為すや。

 

(9) #3-2

豈に伊れ 天衢【てんく】を虔思【けんし】せざらんや?豈に伊れ 枌【ふんゆ】に歸るを懷わざらんや

天命 滔【うたが】わず,疇【たれ】か敢て以て渝【か】えん

是に於いて徑輪を量り,廣袤【こうぼう】を考え,城洫【じょうきょく】を經【はか】る。

郭郛【かくふ】を營み,殊裁【しゅさい】を八都に取り,豈に度を往舊【いにしへ】に啓【ひら】かんや。

玄武門 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (9) #3-2

豈伊不虔思于天衢?豈伊不懷歸于枌

天命不滔,疇敢以渝!

於是量徑輪,考廣袤,經城洫,

營郭郛,取殊裁於八都,豈啓度於往舊。

 

(下し文) (9) #3-2

豈に伊れ 天衢【てんく】を虔思【けんし】せざらんや?豈に伊れ 枌【ふんゆ】に歸るを懷わざらんや?

天命 滔【うたが】わず,疇【たれ】か敢て以て渝【か】えん!

是に於いて徑輪を量り,廣袤【こうぼう】を考え,城洫【じょうきょく】を經【はか】る。

郭郛【かくふ】を營み,殊裁【しゅさい】を八都に取り,豈に度を往舊【いにしへ】に啓【ひら】かんや。

 

(現代語訳)

まさか今の洛陽天子の都を、敬虔にお考えなさらなかったわけではないでしょうか?あるいは、まさか高祖の故郷である枌の地に、帰るをお忘れになったわけではないでしょうに?

天命は一定不変、絶対であり、人は誰もあえてそれを変えることはできないからである。

というわけで天地の形にしたがい、面積を円のめんせきで計量し、また八尺の正方形を基本に面積を考量し、城の堀を作る。

そうして城郭を築き、諸国の異色ある都の造営法を取り入れて、昔からの古法を基本にはするものの、これに尺度を合わせそのまま造ることはなかったのだ。

長安城漢唐

(訳注) (9) #3-2

豈伊不虔思于天衢?豈伊不懷歸于枌

まさか今の洛陽天子の都を、敬虔にお考えなさらなかったわけではないでしょうか?あるいは、まさか高祖の故郷である枌の地に、帰るをお忘れになったわけではないでしょうに?

天衢 ここは帝都洛陽。

 高祖の故郷を豊という。その地の社。社にこのにれの木あり。豊の東北にあり。

 

天命不滔,疇敢以渝!

天命は一定不変、絶対であり、人は誰もあえてそれを変えることはできないからである。

不滔 不謟と同じ。一定不変。

疇 誰と同じ。

喩易の意。かわる。

 

於是量徑輪,考廣袤,經城洫,

というわけで天地の形にしたがい、面積を円のめんせきで計量し、また八尺の正方形を基本に面積を考量し、城の堀を作る。

径輪・広袤 径は直径、輪は円周、広は東西、袤は南北。前者は地形を円形にし、後者は地形を方形にし、ともに面積をはかることである。輪は運るの意あり、袤はひろさの意。『周礼』に「九州の地、広輪の数」(大司徒)とある。

洫 広さ八尺、深さ八尺をいう(『周礼』)。

 

營郭郛,取殊裁於八都,豈啓度於往舊。

そうして城郭を築き、諸国の異色ある都の造営法を取り入れて、昔からの古法を基本にはするものの、これに尺度を合わせそのまま造ることはなかったのだ。

郭 城の外郭。

殊裁 異色ある作り方をすること。

八都 八方(邦)の都。

度 尺度。
扶風雍州長安003 

張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773

張衡《西京賦》(8)(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。天命の瑞祥が現れる。兵卒の婁敬はひいていた車をすておいて、長安に都とすることこそ正論とし、洛陽遷都には反論・反対する。天もその心を啓蒙すれば、人もそのはかりごとを献策する。


2014年2月19日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《晚次宣溪辱韶州張端公使君惠書敘別酬以絕句二章,二首之一〔晚次宣溪,二首之一〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <958>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3774韓愈詩-253
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
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李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
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張平子(張衡)《西京賦》(8)(帝都の計画)#3-1 文選 賦<114―(8)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1045 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3773

 

 

(8)#3-1

自我高祖之始入也,五緯相汁以旅于東井。

(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

婁敬委輅,幹非其議,

天命の瑞祥が現れる。兵卒の婁敬はひいていた車をすておいて、長安に都とすることこそ正論とし、洛陽遷都には反論・反対する。

天啓其心,人惎之謀,

天もその心を啓蒙すれば、人もそのはかりごとを献策する。

及帝圖時,意亦有慮乎神祇,宜其可定以為天邑。

いよいよ帝王がその計画を実行におよばれる事とされるとき、かくもあるべしと神意にとくと天地の神に思いをはせなさる。よろしくかくあるべし、高祖が長安を可として天子の郡と定められたことである。

 

(9) #3-2

豈伊不虔思于天衢?豈伊不懷歸于枌

天命不滔,疇敢以渝!

於是量徑輪,考廣袤,經城洫,

營郭郛,取殊裁於八都,豈啓度於往舊。

 

(8)#3-1

  我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。

婁敬【ろうけい】輅【かく】を委【すて】て,其の議を幹【ただ】し非【そし】る。

天 其の心を啓【ひら】いて,人 之れ謀【はかりごと】を惎【おし】う。

帝の圖る時に及び,意 亦た神祇を慮【おもんばか】る有り,宜【うべ】なり其の可とし 定めて以て天邑と為すや。

 

(9) #3-2

豈に伊れ 天衢【てんく】を虔思【けんし】せざらんや?豈に伊れ 枌【ふんゆ】に歸るを懷わざらんや

天命 滔【うたが】わず,疇【たれ】か敢て以て渝【か】えん

是に於いて徑輪を量り,廣袤【こうぼう】を考え,城洫【じょうきょく】を經【はか】る。

郭郛【かくふ】を營み,殊裁【しゅさい】を八都に取り,豈に度を往舊【いにしへ】に啓【ひら】かんや。

 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (8)#3-1

  自我高祖之始入也,五緯相汁以旅于東井。

婁敬委輅,幹非其議,

天啓其心,人惎之謀,

及帝圖時,意亦有慮乎神祇,宜其可定以為天邑。

 

(下し文) (8)#3-1

  我が高祖の始めて入りし自り,五緯【ごい】相い汁【あ】いて以て于東井【とうせい】に旅【つらな】る。

婁敬【ろうけい】輅【かく】を委【すて】て,其の議を幹【ただ】し非【そし】る。

天 其の心を啓【ひら】いて,人 之れ謀【はかりごと】を惎【おし】う。

帝の圖る時に及び,意 亦た神祇を慮【おもんばか】る有り,宜【うべ】なり其の可とし 定めて以て天邑と為すや。

 

(現代語訳)

(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

天命の瑞祥が現れる。兵卒の婁敬はひいていた車をすておいて、長安に都とすることこそ正論とし、洛陽遷都には反論・反対する。

天もその心を啓蒙すれば、人もそのはかりごとを献策する。

いよいよ帝王がその計画を実行におよばれる事とされるとき、かくもあるべしと神意にとくと天地の神に思いをはせなさる。よろしくかくあるべし、高祖が長安を可として天子の郡と定められたことである。

扶風雍州長安003 

(訳注) (8)#3-1

自我高祖之始入也,五緯相汁以旅于東井。

(帝都の計画) 我が高祖が始めて雍の地に入られると、この地を五つの星の配列に相い応じて東井の星座のようにならべる。

五緯 辰星、熒惑、太白、星、填星の五星。その星はそれぞれ木星・火星・金星・水星・土星に当たる。そして天を右にまわる。二十八宿は不動であるから経というに対し、これはまわるから緯という。

相汁 相叶(かな)う。

旅 つらなる。周が殷を討とうとした時、また斉の桓公が覇者となろうとした時、五星があっまった(『宋害』の天文志)。

東井 二十八宿の一。秦の分野にあたる。「西都の賦」参照。高祖受命の端数。

 

婁敬委輅,幹非其議,

天命の瑞祥が現れる。兵卒の婁敬はひいていた車をすておいて、長安に都とすることこそ正論とし、洛陽遷都には反論・反対する。

婁敬 戌卒の人名。

輅 車前の横木、これで車を引く。

幹 正す。非【そし】るに対す。

 

天啓其心,人惎之謀,

天もその心を啓蒙すれば、人もそのはかりごとを献策する。

啓 教える。啓蒙。ひらく、「蒙」はくらいの意》人々に正しい知識を与え、合理的な考え方をするように教え導くこと。

惎 教う。

 

及帝圖時,意亦有慮乎神祇,宜其可定以為天邑。

いよいよ帝王がその計画を実行におよばれる事とされるとき、かくもあるべしと神意にとくと天地の神に思いをはせなさる。よろしくかくあるべし、高祖が長安を可として天子の郡と定められたことである。

意 こうであろうと見込む。

神祀 天地の神。

天邑 帝都長安。 
 

張平子(張衡)《西京賦》(7)#2-4 文選 賦<114―(7)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1044 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3768

張衡《西京賦》(7) そのむかし天帝は、秦の繆公をよろこばれ、この土地を下され、そして天上の鶉首という星座の分野に当たる確の地は、のこらす秦の領土となる。当時では、泰とならび強国となるものが六つある。けれども、後に六国はひとしく西秦の傘下に住むこととなった。なんと不思議なことではないだろうか。


2014年2月18日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(7)#2-4 文選 賦<114―(7)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1044 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3768
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《題臨瀧寺》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <957>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3769韓愈詩-252
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Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 289 《遊城南十六首:嘲少年》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3771 (02/18)
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謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
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李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
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孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
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張平子(張衡)《西京賦》(7)#2-4 文選 賦<114―(7)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1044 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3768

 

 

(4)#2-1

  漢氏初都,在渭之涘,

(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。

秦里其朔,寔為咸陽。

それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。

左有崤函重險、桃林之塞

漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。

綴以二華,巨靈贔屓,

そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。

高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。

掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

 (5) #2-2

右有隴坻之隘,隔閡華戎,

西は、隴山の険があり、漢民族と西戎異民族とを遮断するものである。

岐梁汧雍,陳寶鳴雞在焉。

また岐山・梁山・洴山・蕹山があり、陳宝という神の鳴鶏はここをすみ家とするものである。

於前則終南太一,隆崛崔崒,

長安前方、南にあるのは、終南の泰嶺山脈があり、その中の一番高峰の太白山が、群峰を抜いてそびえている。

隱轔鬱律,連岡乎嶓冢,

さがしくきり立ち、屈曲し谷も深くけわしい。その尾根はのびて西の幡家山につづく。

抱杜含鄠,灃吐鎬,

その間、杜県をかかえこみ、鄂県をつつみこみ、灃水は渭水に吸いこまれるように灌ぎこみ、鎬水は山から吐き出されるように流出する。

爰有藍田珍玉,是之自出。

そこに藍田の山があり、貴重な美玉がここに出土する。

 (6) #2-3

於後則高陵平原,據渭踞涇,

後方北は、丘陵や平原が、渭水に沿って広がり、涇水によりそう。

澶漫靡迤,作鎮於近。

はてしなく広がり、高く低く起伏してのび、長安近傍の鎮めの山となる。

其遠則九嵕甘泉,涸陰沍寒,

そこから遠く離れたところには、九嵕山と甘泉山とがあり、厳冰・厳寒の山である。

日北至而含凍,此焉清暑。

太陽が北に至ってもなお山中は凍りつくところで、それでここは涼しい避暑の地にされる。

爾乃廣衍沃野,厥田上上,寔為地之奧區神皐。

ところで雍州の広大な平原は沃野であり、その田畑は上の上、まぎれもなく大地のど真ん中こそが、神々の里である。

 (7) #2-4

昔者,大帝秦繆公而覲之,饗以鈞天廣樂。

そのむかし天帝は、秦の繆公をよろこばれ、お召しになって謁見され、鈞天の大楽を演奏して、饗宴をもよおされた。

帝有醉焉,乃為金策,

天帝は心ならずも酔いがまわり、意外にも黄金の札を作り詔を記された。

錫用此土,而翦諸鶉首。

この土地を下され、そして天上の鶉首という星座の分野に当たる確の地は、のこらす秦の領土となる。

是時也,並為強國者有六,

当時では、泰とならび強国となるものが六つある。

然而四海同宅西秦,豈不詭哉?

けれども、後に六国はひとしく西秦の傘下に住むこととなった。なんと不思議なことではないだろうか。

 

(4)#2-1

漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。

秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。

左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。

綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、

掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。

(5) #2-2

右【にし】には隴坻【ろうてい】の隘有り,華戎【かじゅう】を隔て閡【かぎ】る。

岐梁【ぎりょう】汧雍【けんよう】,陳寶【ちんぽう】鳴雞【めいけい】在り。

前には則ち終南太一,隆崛【りゅうくつ】崔崒【さいしゅつ】,

隱轔【いんりん】鬱律【うつりつ】,岡を嶓冢【はちょう】に連ねる,

杜を抱き鄠を含み,灃を【す】い鎬を吐く。

【ここ】に藍田有りて珍玉,是こ自り出づ。

(6) #2-3

後ろには則ち高陵平原あり,渭に據り 涇に踞す,

澶漫【たんまん】靡迤【びい】とし,近きに鎮作る。

其の遠きは則ち九嵕【きゅうそう】甘泉あり,涸陰【こいん】沍寒【ごかん】にす

日 北に至れども凍【こおり】を,此れ焉【ここ】に暑を清【すず】しくす

【しか】して乃ち廣衍【こうえん】沃野【よくや】あり,厥の田は上の上,寔【まこと】に地の奧區【おうく】神皐【しんこう】と為す。

(7) #2-4

昔者【むかし】,大帝 秦の繆公を【よろこ】んで之を覲る,饗するに鈞天【きんてん】の廣樂を以てす。

帝 醉う有り,乃ち金策を為【つく】る。

【たま】うに此の土を用ってし,諸【これ】を鶉首【じゅんしゅ】に【つく】す

是の時や,並びに 強國為る者 六有る。

然れども 四海 同じく 西秦に宅【お】る。

豈に詭【あや】しからずや

 

玄武門 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (7) #2-4

昔者,大帝秦繆公而覲之,饗以鈞天廣樂。

帝有醉焉,乃為金策,

錫用此土,而翦諸鶉首。

是時也,並為強國者有六,

然而四海同宅西秦,豈不詭哉?

 

(下し文) (7) #2-4

昔者【むかし】,大帝 秦の繆公を【よろこ】んで之を覲る,饗するに鈞天【きんてん】の廣樂を以てす。

帝 醉う有り,乃ち金策を為【つく】る。

錫【たま】うに此の土を用ってし,諸【これ】を鶉首【じゅんしゅ】に翦【つく】す。

是の時や,並びに 強國為る者 六有る。

然れども 四海 同じく 西秦に宅【お】る。

豈に詭【あや】しからずや?

 

 

(現代語訳)

そのむかし天帝は、秦の繆公をよろこばれ、お召しになって謁見され、鈞天の大楽を演奏して、饗宴をもよおされた。

天帝は心ならずも酔いがまわり、意外にも黄金の札を作り詔を記された。

この土地を下され、そして天上の鶉首という星座の分野に当たる確の地は、のこらす秦の領土となる。

当時では、泰とならび強国となるものが六つある。

けれども、後に六国はひとしく西秦の傘下に住むこととなった。なんと不思議なことではないだろうか。

漢長安図02 

(訳注) (7) #2-4

昔者,大帝秦繆公而覲之,饗以鈞天廣樂。

そのむかし天帝は、秦の繆公をよろこばれ、お召しになって謁見され、鈞天の大楽を演奏して、饗宴をもよおされた。

大帝説秦繆公 大帝は天帝。秦の繆公(穆公)は春秋時代の五覇の一人。説は悦ぶ。『史記』の趨世家に、穆公が病にたおれ七日間眠り続け、天帝を夢み、大いに楽しんだとある。五覇は諸説あって、斉の桓公(在位紀元前685 - 紀元前643年)、秦の穆公(在位紀元前659 - 紀元前621年)、宋の襄公(在位紀元前651 - 紀元前637年)、晋の文公(在位紀元前636 - 紀元前628年)、晋の襄公(在位紀元前628 - 紀元前621年)らをいう。

鈞天廣樂 鈞は大の意。廣も同じ。天上の音楽の美称。繆公が百神とこの音楽をたのしみ感動した説話がある。

 

帝有醉焉,乃為金策,

天帝は心ならずも酔いがまわり、意外にも黄金の札を作り詔を記された。

金策 策は竹の札、天帝が金策に詔をしるしたものを下賜されたこと。

 

錫用此土,而翦諸鶉首。

この土地を下され、そして天上の鶉首という星座の分野に当たる確の地は、のこらす秦の領土となる。

翦諸鶉首 翦は尽くすこと。鶉首は秦の分野に当たる星座の名。『漢書』の地理志に「井より柳に至るを、これを鶉首の次(星座)と謂ふ。秦の分野なり。故に関中はこれを鶉居と謂ふ」。尽くすとほ井(星の名)より柳(同上)までのこらずの意。天の星座の分野と地の分野とは相応ずるとされた。古代中国天文学における天球分割法の一つで、天球を天の赤道帯にそって西から東に十二等分したもの。各次の名称は、星紀(せいき)・玄枵(げんきょう)・娵訾(しゅし)・降婁(こうろう)・大梁(たいりょう)・実沈(じっちん)・鶉首(じゅんしゅ)・鶉火(じゅんか)・鶉尾(じゅんび)・寿星(じゅせい)・大火(たいか)・析木(せきぼく)。戦国期以降に行われ、太陽・月・惑星の位置や運行を説明するための座標系として使用された。特に重要な用途が二つあり、第一は木星の十二次における位置で年を記すことであり、第二には、季節ごとの太陽の位置を十二次で示し、二十四節気の移動を説明することである。

 

是時也,並為強國者有六,

当時では、泰とならび強国となるものが六つある。

 

然而四海同宅西秦,豈不詭哉?

けれども、後に六国はひとしく西秦の傘下に住むこととなった。なんと不思議なことではないだろうか。

四海同宅西秦 始皇帝に至り六国はすべて併合さる。穆公から四百年後のことである。

 唐長安城図00

張平子(張衡)《西京賦》(6) #2-3 文選 賦<114―(6)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1043 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3763

張衡《西京賦》(6) 後方北は、丘陵や平原が、渭水に沿って広がり、涇水によりそう。はてしなく広がり、高く低く起伏してのび、長安近傍の鎮めの山となる。そこから遠く離れたところには、九嵕山と甘泉山とがあり、厳冰・厳寒の山である。太陽が北に至ってもなお山中は凍りつくところで、それでここは涼しい避暑の地にされる。


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張平子(張衡)《西京賦》(6) #2-3 文選 賦<114―(6)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1043 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3763

 

 

(4)#2-1

(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。

  漢氏初都,在渭之涘,

秦里其朔,寔為咸陽。

それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。

左有崤函重險、桃林之塞

漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。

綴以二華,巨靈贔屓,

そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。

高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。

掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

 (5) #2-2

右有隴坻之隘,隔閡華戎,

西は、隴山の険があり、漢民族と西戎異民族とを遮断するものである。

岐梁汧雍,陳寶鳴雞在焉。

また岐山・梁山・洴山・蕹山があり、陳宝という神の鳴鶏はここをすみ家とするものである。

於前則終南太一,隆崛崔崒,

長安前方、南にあるのは、終南の泰嶺山脈があり、その中の一番高峰の太白山が、群峰を抜いてそびえている。

隱轔鬱律,連岡乎嶓冢,

さがしくきり立ち、屈曲し谷も深くけわしい。その尾根はのびて西の幡家山につづく。

抱杜含鄠,灃吐鎬,

その間、杜県をかかえこみ、鄂県をつつみこみ、灃水は渭水に吸いこまれるように灌ぎこみ、鎬水は山から吐き出されるように流出する。

爰有藍田珍玉,是之自出。

そこに藍田の山があり、貴重な美玉がここに出土する。

 (6) #2-3

於後則高陵平原,據渭踞涇,

後方北は、丘陵や平原が、渭水に沿って広がり、涇水によりそう。

澶漫靡迤,作鎮於近。

はてしなく広がり、高く低く起伏してのび、長安近傍の鎮めの山となる。

其遠則九嵕甘泉,涸陰沍寒,

そこから遠く離れたところには、九嵕山と甘泉山とがあり、厳冰・厳寒の山である。

日北至而含凍,此焉清暑。

太陽が北に至ってもなお山中は凍りつくところで、それでここは涼しい避暑の地にされる。

爾乃廣衍沃野,厥田上上,寔為地之奧區神皐。

ところで雍州の広大な平原は沃野であり、その田畑は上の上、まぎれもなく大地のど真ん中こそが、神々の里である。

 (7) #2-4

昔者,大帝秦繆公而覲之,饗以鈞天廣樂。

帝有醉焉,乃為金策,

錫用此土,而翦諸鶉首。

是時也,並為強國者有六,

然而四海同宅西秦,豈不詭哉?

漢宮 建章宮00 

(4)#2-1

漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。

秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。

左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。

綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、

掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。

(5) #2-2

右【にし】には隴坻【ろうてい】の隘有り,華戎【かじゅう】を隔て閡【かぎ】る。

岐梁【ぎりょう】汧雍【けんよう】,陳寶【ちんぽう】鳴雞【めいけい】在り。

前には則ち終南太一,隆崛【りゅうくつ】崔崒【さいしゅつ】,

隱轔【いんりん】鬱律【うつりつ】,岡を嶓冢【はちょう】に連ねる,

杜を抱き鄠を含み,灃を【す】い鎬を吐く。

【ここ】に藍田有りて珍玉,是こ自り出づ。

(6) #2-3

後ろには則ち高陵平原あり,渭に據り 涇に踞す,

澶漫【たんまん】靡迤【びい】とし,近きに鎮作る。

其の遠きは則ち九嵕【きゅうそう】甘泉あり,涸陰【こいん】沍寒【ごかん】にす

日 北に至れども凍【こおり】を,此れ焉【ここ】に暑を清【すず】しくす

【しか】して乃ち廣衍【こうえん】沃野【よくや】あり,厥の田は上の上,寔【まこと】に地の奧區【おうく】神皐【しんこう】と為す。

(7) #2-4

昔者【むかし】,大帝 秦の繆公を【よろこ】んで之を覲る,饗するに鈞天【きんてん】の廣樂を以てす。

帝 醉う有り,乃ち金策を為【つく】る。

【たま】うに此の土を用ってし,諸【これ】を鶉首【じゅんしゅ】に【つく】す

是の時や,並びに 強國為る者 六有る。

然れども 四海 同じく 西秦に宅【お】る。

豈に詭【あや】しからずや

長安城漢唐 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (6) #2-3

於後則高陵平原,據渭踞涇,

澶漫靡迤,作鎮於近。

其遠則九嵕甘泉,涸陰沍寒,

日北至而含凍,此焉清暑。

爾乃廣衍沃野,厥田上上,寔為地之奧區神皐。

 

(下し文) (6) #2-3

後ろには則ち高陵平原あり,渭に據り 涇に踞す,

澶漫【たんまん】靡迤【びい】とし,近きに鎮作る。

其の遠きは則ち九嵕【きゅうそう】甘泉あり,涸陰【こいん】沍寒【ごかん】にす,

日 北に至れども凍【こおり】を含み,此れ焉【ここ】に暑を清【すず】しくす。

爾【しか】して乃ち廣衍【こうえん】沃野【よくや】あり,厥の田は上の上,寔【まこと】に地の奧區【おうく】神皐【しんこう】と為す。

 

(現代語訳)

後方北は、丘陵や平原が、渭水に沿って広がり、涇水によりそう。

はてしなく広がり、高く低く起伏してのび、長安近傍の鎮めの山となる。

そこから遠く離れたところには、九嵕山と甘泉山とがあり、厳冰・厳寒の山である。

太陽が北に至ってもなお山中は凍りつくところで、それでここは涼しい避暑の地にされる。

ところで雍州の広大な平原は沃野であり、その田畑は上の上、まぎれもなく大地のど真ん中こそが、神々の里である。

 

(訳注) (6) #2-3

於後則高陵平原,據渭踞涇,

後方北は、丘陵や平原が、渭水に沿って広がり、涇水によりそう。

 後ろよりによる。拠は依と同じく、よりそう。

涇 陝西を東南に流れ高陵を通り洞水に合流する。関中随一の水利をもたらし、有名な鄭国渠あり、沃野を開き、秦の富国強兵のもととなる。陝西省中部の渭河(渭水)の支流,涇河ともいう。寧夏回族自治区と甘粛省の境界,六盤(りくばん)山系に発し,南東へ流れ,渭河盆地の中央付近で渭河と合流する。全長約450km。黄土高原をへるため土砂が多く水はにごり,〈涇渭〉として本流の澄んだ渭河と対比される。秦代に東方の洛河とを結ぶ鄭国渠(ていこくきよ)が開かれ,また,漢の武帝時代には渭河に直結する白渠も開削されるなど,早くから灌漑に利用されてきた。

 

澶漫靡迤,作鎮於近。

はてしなく広がり、高く低く起伏してのび、長安近傍の鎮めの山となる。

澶漫靡迤 澶漫は平原の広大なさま。靡迤は高陵の起伏のつらなりきたり限りないさま。

作鎮 ここは長安近傍の鎮めの山となること。鋲は山の大なるものをいう。すなわち高陵(長安の東北に展開する丘陵)のこと。漢の左端朝に属する。前代の秦県。

 

其遠則九嵕甘泉,涸陰沍寒,

そこから遠く離れたところには、九嵕山と甘泉山とがあり、厳冰・厳寒の山である。

九嘩甘泉 九は高陵の西北の山名、九峯の高い山。は山々が高くより集まるをいう。山高六百余丈といわれ甘泉山と並ぶ。「西都の賦」に「冠するに九を以てし、陪するに甘泉を以てす」とある。甘泉は高陵の西北、前者よりさらに西北にあり。甘泉がわくので山名とする。漢の武帝甘泉宮をここに作る。・九嵕 山名、『漢書』地理志に左清朝に属すとある。陳西省の西醒泉県(11の東北にそびえる。境は九峯が集まっている峯の意。(地図15)・甘泉 山名、長安の北雲陽県の西北八十里の地点にある。登りつめたところは平原となる。山中甘泉あり。長安を去る三百里、長安城を望見できる。孟堅(班固)《西都賦》(14)5-3 文選 賦<1121418分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩968 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3388

陰転寒 は凝る。は閉じる。『左伝』昭公四年の語。「上林の賦」に「盛夏凍を含み地を裂く」とある。

九峻山00 

日北至而含凍,此焉清暑。

太陽が北に至ってもなお山中は凍りつくところで、それでここは涼しい避暑の地にされる。

清暑『漢書』武五千伝に「時に上(武帝)疾(や)みて、薯を甘泉宵に遅く」。西漢の諸帝の多くはここを避暑地とす。五月に登り八月に長安に帰ったともいわれる。東漢はこの風衰う。

 

爾乃廣衍沃野,厥田上上,寔為地之奧區神皐。

ところで雍州の広大な平原は沃野であり、その田畑は上の上、まぎれもなく大地のど真ん中こそが、神々の里である。

 は地の平らかなこと。

神皐 神を迎える地域。広雅に皐は「局(界局の意)なり」とある。雍州は古来神域で、天地五帝の神の祠があり、これを祭る土地、これを畤(し)という。甘泉山はこれで有名。

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張平子(張衡)《西京賦》(5) #2-2 文選 賦<114―(5)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1042 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3758

(長安の地勢) 

 

 

(4)#2-1

  漢氏初都,在渭之涘,

(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。

秦里其朔,寔為咸陽。

それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。

左有崤函重險、桃林之塞

漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。

綴以二華,巨靈贔屓,

そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。
高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。

掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

 (5) #2-2

右有隴坻之隘,隔閡華戎,

西は、隴山の険があり、漢民族と西戎異民族とを遮断するものである。

岐梁汧雍,陳寶鳴雞在焉。

また岐山・梁山・洴山・蕹山があり、陳宝という神の鳴鶏はここをすみ家とするものである。

於前則終南太一,隆崛崔崒,

長安前方、南にあるのは、終南の泰嶺山脈があり、その中の一番高峰の太白山が、群峰を抜いてそびえている。

隱轔鬱律,連岡乎嶓冢,

さがしくきり立ち、屈曲し谷も深くけわしい。その尾根はのびて西の幡家山につづく。

抱杜含鄠,灃吐鎬,

その間、杜県をかかえこみ、鄂県をつつみこみ、灃水は渭水に吸いこまれるように灌ぎこみ、鎬水は山から吐き出されるように流出する。

爰有藍田珍玉,是之自出。

そこに藍田の山があり、貴重な美玉がここに出土する。

 (6) #2-3

於後則高陵平原,據渭踞涇,

澶漫靡迤,作鎮於近。

其遠則九嵕甘泉,涸陰沍寒,

日北至而含凍,此焉清暑。

爾乃廣衍沃野,厥田上上,寔為地之奧區神皐。

(7) #2-4

昔者,大帝秦繆公而覲之,饗以鈞天廣樂。

帝有醉焉,乃為金策,

錫用此土,而翦諸鶉首。

是時也,並為強國者有六,

然而四海同宅西秦,豈不詭哉?

 

(4)#2-1

漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。

秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。

左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。

綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、

掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。

(5) #2-2

右【にし】には隴坻【ろうてい】の隘有り,華戎【かじゅう】を隔て閡【かぎ】る。

岐梁【ぎりょう】汧雍【けんよう】,陳寶【ちんぽう】鳴雞【めいけい】在り。

前には則ち終南太一,隆崛【りゅうくつ】崔崒【さいしゅつ】,

隱轔【いんりん】鬱律【うつりつ】,岡を嶓冢【はちょう】に連ねる,

杜を抱き鄠を含み,灃を【す】い鎬を吐く。

【ここ】に藍田有りて珍玉,是こ自り出づ。

(6) #2-3

後ろには則ち高陵平原あり,渭に據り 涇に踞す,

澶漫【たんまん】靡迤【びい】とし,近きに鎮作る。

其の遠きは則ち九嵕【きゅうそう】甘泉あり,涸陰【こいん】沍寒【ごかん】にす

日 北に至れども凍【こおり】を,此れ焉【ここ】に暑を清【すず】しくす

【しか】して乃ち廣衍【こうえん】沃野【よくや】あり,厥の田は上の上,寔【まこと】に地の奧區【おうく】神皐【しんこう】と為す。

(7) #2-4

昔者【むかし】,大帝 秦の繆公を【よろこ】んで之を覲る,饗するに鈞天【きんてん】の廣樂を以てす。

帝 醉う有り,乃ち金策を為【つく】る。

【たま】うに此の土を用ってし,諸【これ】を鶉首【じゅんしゅ】に【つく】す

是の時や,並びに 強國為る者 六有る。

然れども 四海 同じく 西秦に宅【お】る。

豈に詭【あや】しからずや

函谷関長安地図座標005 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (5) #2-2

右有隴坻之隘,隔閡華戎,

岐梁汧雍,陳寶鳴雞在焉。

於前則終南太一,隆崛崔崒,

隱轔鬱律,連岡乎嶓冢,

抱杜含鄠,灃吐鎬,

爰有藍田珍玉,是之自出。

 

(下し文)

右には靴底の隈有り、華戒を隔て関り、岐梁田

葬、陳皆鳴難在り。前には則ち終南太二隆嘱崖輝、隠麟鬱律

たり。岡を濾家に連ね、杜を抱き郡を含み、浬を飲ひ鏑を吐く。

宴に藍出有りて、珍玉是より出づ。後には則ち高陵中原あ

り。潤に按り澤に据し、浪漫靡蓮として、近きに鎮作り。其の遠

きは則ち九峻甘泉有り。洞陰担寒にして、口北に至れども裸を

含む。此れ蔦に署を掃うす。爾して乃ち廣桁なる沃野あり。

豚の町は上の上、定に地の奥匠挿皐と馬す。昔老大帝秦の捲

公を悦んで之を観、饗するに釣天の廣架を以てす。帝酔ふ有

り。乃ち金策を為り、錫ふに此の土を用てし、諸を鶉首に裏

す。是の時や拉びに瞳園為る老六有り。然れども四海同じく

西秦に宅る。豊詭しからずや。

 杜甫乱前後の図001奉先

 

(現代語訳)

西は、隴山の険があり、漢民族と西戎異民族とを遮断するものである。

また岐山・梁山・洴山・蕹山があり、陳宝という神の鳴鶏はここをすみ家とするものである。

長安前方、南にあるのは、終南の泰嶺山脈があり、その中の一番高峰の太白山が、群峰を抜いてそびえている。

さがしくきり立ち、屈曲し谷も深くけわしい。その尾根はのびて西の幡家山につづく。

その間、杜県をかかえこみ、鄂県をつつみこみ、灃水は渭水に吸いこまれるように灌ぎこみ、鎬水は山から吐き出されるように流出する。

そこに藍田の山があり、貴重な美玉がここに出土する。

 

(訳注) (5) #2-2

右有隴坻之隘,隔閡華戎,

西は、隴山の険があり、漢民族と西戎異民族とを遮断するものである。

隴坻 坻は山の意。隴山、隴坂(坂は九廻すといわれる)、龍首ともいう。「論都の賦」も「隴坻之隘,隔閡華戎」という。北は沙漠、南は洴水、渭水が流れる。

隔閡 へだてふさぐ。

 

岐梁汧雍,陳寶鳴雞在焉。

また岐山・梁山・洴山・蕹山があり、陳宝という神の鳴鶏はここをすみ家とするものである。

岐 山の名、陝西の西部にあり。

染 山の名、陝西の岐山の北。

洴 山の名、陝西の西北、洴水の源。

雍 山の名、陳西の鳳翔県の西、雍水の源。

陳宝 神の名(『史記』封禅書)。

鳴鶏 陳宝の神は雄鶏の形、鳴くと野鶏も鳴く。秦の文公(東周の時、穆公以前)が陳倉山で鶏に似た石を得てこれを祭ると、その神が東南から飛来し祠にとまる。それが陳宝の神であった(同上)。陳倉山は陳西の宝鶏県の東南。

終南山03 

於前則終南太一,隆崛崔崒,

長安前方、南にあるのは、終南の泰嶺山脈があり、その中の一番高峰の太白山が、群峰を抜いてそびえている。

終南太一 終南山は南山、秦嶺ともいう。長安の正面、渭水の南にあり。太一は終南山から秦嶺山脈中の一番高峰の太白山とする。「終南山は泰嶺山脈の全体の名と見ると、太一山はその山脈中の一山、武功県の太白山なりといぅ(『読史方輿紀要』)。陝西省南部を東西によこぎる断層山脈。平均標高20003000m,最高峰の太白山(3767m)をはじめ,《詩経》にみえる終南山(2604m),玉泉山(1291m)などの山峰がある。渭河と漢水の分水嶺をなし,北側は急峻な断層崖のため,古来,渭水盆地では〈南山〉と称し〈九州の名阻,天下の険峻〉とよんだ。

隆崛 高く特起する。

崔崒 山の高く大きいさま。

 

隱轔鬱律,連岡乎嶓冢,

さがしくきり立ち、屈曲し谷も深くけわしい。その尾根はのびて西の幡家山につづく。

隠鱗 山の大いに重なり、きり立つさま。轔は嶙と音、義とも同じ。きりたつ形。

鬱律 山の深くてけわしいきま。

岡 山の育。

嶓冢 山名、快西の西境、嶓冢山脈中の山。

 

抱杜含鄠,灃吐鎬,

その間、杜県をかかえこみ、鄂県をつつみこみ、灃水は渭水に吸いこまれるように灌ぎこみ、鎬水は山から吐き出されるように流出する。

杜・鄠 県名。前者は長安の東南の杜陵の地。後者は長安の西南の地。

灃・鎬 ともに川の名。長安の西南にあり。前者は南山より発して渭水に流入し、後者は同じく発して昆明地、北の地に流入する(『三種読図』、『水経』)。「西都の賦」はは地名、川といわない。ここに川をいうのは、「沃野をうるおす」たくさんの池に流入することをいうためである(長安近郊図参照)。

 

爰有藍田珍玉,是之自出。

そこに藍田の山があり、貴重な美玉がここに出土する。

藍田 山名、長安の東南、秦嶺の北。美玉の有名な産地。
九峻山00 

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

張衡《西京賦》(4) (長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。


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張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

(長安の地勢) 

唐長安城図00 

 

(4)#2-1

(長安の地勢)
漢氏初都,在渭之涘,

漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。

秦里其朔,寔為咸陽。

それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。

左有崤函重險、桃林之塞

漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。

綴以二華,巨靈贔屓,

そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。

高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。

掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

 (5) #2-2

右有隴坻之隘,隔閡華戎,

岐梁汧雍,陳寶鳴雞在焉。

於前則終南太一,隆崛崔崒,

隱轔鬱律,連岡乎嶓冢,

抱杜含鄠,灃吐鎬,

爰有藍田珍玉,是之自出。

(6) #2-3

於後則高陵平原,據渭踞涇,

澶漫靡迤,作鎮於近。

其遠則九嵕甘泉,涸陰沍寒,

日北至而含凍,此焉清暑。

爾乃廣衍沃野,厥田上上,寔為地之奧區神皐。

(7) #2-4

昔者,大帝秦繆公而覲之,饗以鈞天廣樂。

帝有醉焉,乃為金策,

錫用此土,而翦諸鶉首。

是時也,並為強國者有六,

然而四海同宅西秦,豈不詭哉?

漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。

秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。

左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。

綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、

掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。
 

函谷関長安地図座標005

(5) #2-2

右【にし】には隴坻【ろうてい】の隘有り,華戎【かじゅう】を隔て閡【かぎ】る。

岐梁【ぎりょう】汧雍【けんよう】,陳寶【ちんぽう】鳴雞【めいけい】在り。

前には則ち終南太一,隆崛【りゅうくつ】崔崒【さいしゅつ】,

隱轔【いんりん】鬱律【うつりつ】,岡を嶓冢【はちょう】に連ねる,

杜を抱き鄠を含み,灃を【す】い鎬を吐く。

【ここ】に藍田有りて珍玉,是こ自り出づ。

(6) #2-3

後ろには則ち高陵平原あり,渭に據り 涇に踞す,

澶漫【たんまん】靡迤【びい】とし,近きに鎮作る。

其の遠きは則ち九嵕【きゅうそう】甘泉あり,涸陰【こいん】沍寒【ごかん】にす

日 北に至れども凍【こおり】を,此れ焉【ここ】に暑を清【すず】しくす

【しか】して乃ち廣衍【こうえん】沃野【よくや】あり,厥の田は上の上,寔【まこと】に地の奧區【おうく】神皐【しんこう】と為す。

(7) #2-4

昔者【むかし】,大帝 秦の繆公を【よろこ】んで之を覲る,饗するに鈞天【きんてん】の廣樂を以てす。

帝 醉う有り,乃ち金策を為【つく】る。

【たま】うに此の土を用ってし,諸【これ】を鶉首【じゅんしゅ】に【つく】す

是の時や,並びに 強國為る者 六有る。

然れども 四海 同じく 西秦に宅【お】る。

豈に詭【あや】しからずや

長安城皇城図 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (4)#2-1

漢氏初都,在渭之涘,

秦里其朔,寔為咸陽。

左有崤函重險、桃林之塞,

綴以二華,巨靈贔屓,

高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。

 

(下し文) (4)#2-1

漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。

秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。

左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。

綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、

掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。

 

(現代語訳)

(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。

それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。

漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。

そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。

掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

終南山04

 

(訳注) (4)#2-1

  漢氏初都,在渭之涘,

(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、澗水のほとりである。

渭 長安の北を流れる川の名。

 

秦里其朔,寔為咸陽。

それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。

為 謂と同じ。

咸陽 渭水の北。秦の孝公(六国時代)十二年ここに都す。繆公(穆公ともかく)死後二百六十一年のことである。

 

左有崤函重險、桃林之塞,

漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。

崤函 崤山と函谷山(関あり)。

桃林之塞 潼関より函谷関までをいう。

 

綴以二華,巨靈贔屓,

そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。

綴 潼関以西長安まで、その間を二華すなわち太華山(華陰県の南、西嶽といい、予州の山鎮)と少華山(華県、西嶽より八十里の地点)とが、つながっていること。

巨霊 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。

贔屓 全力をふりしぼるさま。

 

高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。

掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

河曲 河水の曲流。
華山000 

張平子(張衡)《西京賦》(3) 文選 賦<114―(3)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1040 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3748

張衡《西京賦》(3) この事実を確かめたものは、いったいなにか。秦は沃土の薙州によって強く、周はやせた予州の地によって弱くなった。高祖は西京長安に都して豊かに、光武は東京洛陽に都してまずしくなった。政治が活発に行われるか行われないかは、いつもその土地の良否から起こる。

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
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《元日酬蔡州馬十二尚書去年蔡州元日見寄之什》115韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <953>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3749韓愈詩-248
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 285 《遊城南十六首:題韋氏莊》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3751 (02/14)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -14 春光好二首 其一 和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-441-12-#14  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3752
 
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『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
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主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
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張平子(張衡)《西京賦》(3) 文選 賦<114―(3)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1040 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3748

 

 

西京賦 (1)#1-1

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

  有憑虛公子者,心奓體忲,

憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。

雅好博古,學乎舊史氏,是以多識前代之載。

それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。

言於安處先生曰:

その公子が安処先生に向かって口を開く。

夫人在陽時則舒,在陰時則慘,此牽乎天者也。

「そもそも、人は春や夏は日が長くのびのびするものであるが、秋や冬は昼が短くみじめである。これは天に影響されるからです。」

 (2) #1-2

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

小必有之,大亦宜然。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

化俗之本,有與推移。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

 (3) #1-3

何以覈諸?秦據雍而強,周即豫而弱,

この事実を確かめたものは、いったいなにか。秦は沃土の薙州によって強く、周はやせた予州の地によって弱くなった。

高祖都西而泰,光武處東而約,

高祖は西京長安に都して豊かに、光武は東京洛陽に都してまずしくなった。

政之興衰,恆由此作。

政治が活発に行われるか行われないかは、いつもその土地の良否から起こる。

先生獨不見西京之事歟?請為吾子陳之

先生はまさか西京のことをご存じないわけではありますまい。あなたのために西の京について申しのべてみたい。

 

 (1)#1-1

憑虛公子という者有り,心 奓【おご】り體 忲【おご】り,

雅【つね】に博古を好んで,舊史氏に學び,是を以て多く前代の載【こと】を識る。

安處【あんしょ】先生に言って曰く:

夫れ人 陽時に在りては則ち舒【やす】く,陰時に在りては則ち慘【うれ】い,此れ天に牽かるる者也。

(2) #1-2

沃土に處れば則ち逸【やす】く,瘠土【せきど】に處れば則ち勞【つか】り,此れ地に繫【ひ】かるる者也。

慘【うれ】うれば則ち驩に尠【すくな】く,勞【つか】るれば則ち惠に褊【すく】なし,能く之に違う者寡【すく】なし。

小なるは必ず之に有り,大なるは亦た宜しく然るべし。

故に帝者は天地に因りて以て化を致し,兆人は上教を承けて以て俗を成す。

化俗の本,與【とも】に推し移る有り。

(3) #1-3

何を以てか諸【これ】を覈【あきらか】にする?秦は雍に據りて強く,周は豫に即【つ】きて弱し。

高祖は西に都して泰【やす】く,光武は東に處りて約なり。

政【まつりごと】の興衰は,恆【つね】に此に由りて作る。

先生 獨り西京の事を見ずや?請う 吾子の為に之を陳べん。

魚玄機2長安洛陽中原地図 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (3) #1-3

何以覈諸?秦據雍而強,周即豫而弱,

高祖都西而泰,光武處東而約,

政之興衰,恆由此作。

先生獨不見西京之事歟?請為吾子陳之

 

(下し文) (3) #1-3

何を以てか諸【これ】を覈【あきらか】にする?秦は雍に據りて強く,周は豫に即【つ】きて弱し。

高祖は西に都して泰【やす】く,光武は東に處りて約なり。

政【まつりごと】の興衰は,恆【つね】に此に由りて作る。

先生 獨り西京の事を見ずや?請う 吾子の為に之を陳べん。

 

(現代語訳)

この事実を確かめたものは、いったいなにか。秦は沃土の薙州によって強く、周はやせた予州の地によって弱くなった。

高祖は西京長安に都して豊かに、光武は東京洛陽に都してまずしくなった。

政治が活発に行われるか行われないかは、いつもその土地の良否から起こる。

先生はまさか西京のことをご存じないわけではありますまい。あなたのために西の京について申しのべてみたい。

長安城漢唐 

(訳注)(3) #1-3

何以覈諸?秦據雍而強,周即豫而弱,

この事実を確かめたものは、いったいなにか。秦は沃土の薙州によって強く、周はやせた予州の地によって弱くなった。

雍 雍州で、陝西省の咸陽。地味のこえた地。

予 予州。ここは河南省を主とす。周の平王洛陽に都す。地味のやせた地(『尚書』南京)。

 

高祖都西而泰,光武處東而約,

高祖は西京長安に都して豊かに、光武は東京洛陽に都してまずしくなった。

 

政之興衰,恆由此作。

政治が活発に行われるか行われないかは、いつもその土地の良否から起こる。

 

先生獨不見西京之事歟?請為吾子陳之

先生はまさか西京のことをご存じないわけではありますまい。あなたのために西の京について申しのべてみたい。
漢魏隋唐の洛陽城 

張平子(張衡)《西京賦》(2) 文選 賦<114―(2)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1039 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3743

張衡《西京賦》(2) 肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。


2014年2月13日 の紀頌之5つのブログ
●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場
Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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張平子(張衡)《西京賦》(2) 文選 賦<114―(2)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1039 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3743
●唐を代表する中唐の韓愈の儒家としての考えのよくわかる代表作の一つ
Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
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《題楚昭王廟〔襄州宜城縣驛東北有井,傳是王井,井東北數十步,有昭王廟。〕》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <952>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3744韓愈詩-247
●杜甫の全作品1141首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"
Ⅲ杜甫詩1000詩集  LiveDoorブログ 廣徳2年764-28 《草堂 #7》 ふたたび成都 杜甫<668> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3745 杜甫詩1000-668-943/1500 762
●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている
Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 284 《遊城南十六首:贈張十八助教》 韓愈 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3746 (02/13)
●●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集
Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor 12 -13 天仙子二首 其二  和學士凝(和凝【わぎょう】)二十首ⅩⅫ唐五代詞・「花間集」 Gs-440-12-#13  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3747
 
 ■最近の人気の文・賦・詩・詞(漢詩の5ブログ各部門)
 ■主要詩人の一覧・詩目次・ブログindex
『楚辞・九歌』東君 屈原詩<78-#1>505 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1332http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67664757.html
『楚辞』九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35> 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304  http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/archives/6471825.html
安世房中歌十七首(1) 唐山夫人 漢詩 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67710265.html 
為焦仲卿妻作 序 漢詩<143>古詩源 巻三 女性詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67729401.html
於凊河見輓船士新婚別妻一首 曹丕(魏文帝) 魏詩http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67759129.html
朔風 (一章) 曹植 魏詩<25-#1>文選雑詩 上 http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67780868.html
謝靈運詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/1901_shareiun000.html 謝靈運詩六朝期の山水詩人。この人の詩は上品ですがすがしい男性的な深みのある詩である。後世に多大な影響を残している。
謝靈運が傲慢で磊落だったというが彼の詩からはそれを感じさせるということは微塵もない。謝靈運、謝朓、孟浩然は好きな詩人である。
登永嘉緑嶂山詩 #1 謝霊運 <20> 詩集 386ーhttp://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67474554.html
登池上樓 #1 謝霊運<25>#1  ー http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10/archives/67502196.html
孟浩然の詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/209mokonen01.html 孟浩然の詩盛唐初期の詩人であるが謝霊運の詩に傾倒して山水詩人としてとてもきれいな詩を書いている。特に山水画のような病者の中で細やかな部分に動態を感じさせる表現力は素晴らしい。
李商隠詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/3991_rishoin000.html 
李商隠詩 華やかな時はほんの1年余り、残りは不遇であった。それが独特な詩を生み出した。この詩人の詩は物語であり、詩を単発で見ては面白くなく、数編から十数編のシリーズになっているのでそれを尊重して読まれることを進める。
女性詩人 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/0josei00index.html 女性詩人古代から近世に至るまで女性の詩は書くことを許されない環境にあった。貴族の子女、芸妓だけである。残されている詩のほとんどは詞、楽府の優雅、雅なものへの媚の詞である。しかしその中に針のような痛みを感じさせるものがあるのである。
孟郊詩 http://www10.plala.or.jp/kanbuniinkai/328_moukou001.html 「文章得其微,物象由我裁。」詩人が作り出す文章は細やかなる描写表現を得ているものだ、万物の事象をも作り出すことさえも詩人自身の裁量でもってするのである。
李商隠詩 http://kanbuniinkai7.dousetsu.com/99_rishoinn150.html Ⅰ李商隠150首
魚玄機 詩 全首130回賦得江邊柳 魚玄機  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-65-1-#五言律詩  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1876
薛濤 詩詞全首100 井梧吟 薛濤 唐五代詞・宋詩 薛濤-136-8-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2227
主に花間集から
温庭筠 70首『菩薩蠻 一』温庭筠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-1-1-#1 花間集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1620
韋荘 50首 菩薩蠻 一 韋荘  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩花間集Gs-247-5-#1  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2617
皇甫松 10首 採蓮子二首  其一 皇甫松  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-307-5-#61  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3082
牛嶠  20首 女冠子四首 其一 牛嶠  ⅩⅫ唐五代詞・宋詩Gs-312-5-#66  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3107
『花間集』継続中 
杜甫全詩 韓愈全詩 李白全集 文選 花間集 古詩源 玉台新詠

 

張平子(張衡)《西京賦》(2) 文選 賦<114―(2)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1039 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3743


衡ちょう こう(78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。青年時代洛陽と長安に遊学し、太学で学んだ。永元十四年(102年)、張衡24歳の時,南陽郡守の幕僚(南陽郡主簿)となった。永初元年(107年)には、29歳で洛陽を描いた「東京賦」と長安を描いた「西京賦」を著した(これらを総称して「二京賦」という)。当初は南陽で下級官吏となった。永初五年(111年)、張衡34歳の時、京官の郎中として出仕した。元初三年(116年)張衡38歳の時、暦法機構の最高官職の太史令についた。建光二年(122年),公車馬令に出任した。永建三年から永和元年(128-136年)の間、再び太史令を勤めた。最後は尚書となった。

30歳くらいで、天文を学び始め、「霊憲」「霊憲図」「渾天儀図注」「算網論」を著した。彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。順帝の時代の宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。文学作品としては他に、「帰田賦」、「四愁詩」、「同声歌」がある。

 

 

西京賦 (1)#1-1

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

  有憑虛公子者,心奓體忲,

憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。

雅好博古,學乎舊史氏,是以多識前代之載。

それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。

言於安處先生曰:

その公子が安処先生に向かって口を開く。

夫人在陽時則舒,在陰時則慘,此牽乎天者也。

「そもそも、人は春や夏は日が長くのびのびするものであるが、秋や冬は昼が短くみじめである。これは天に影響されるからです。」

 (2) #1-2

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

小必有之,大亦宜然。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

化俗之本,有與推移。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

 (3) #1-3

何以覈諸?秦據雍而強,周即豫而弱,

高祖都西而泰,光武處東而約,

政之興衰,恆由此作。

先生獨不見西京之事歟?請為吾子陳之

京兆地域図00 

(1)#1-1

憑虛公子という者有り,心 奓【おご】り體 忲【おご】り,

雅【つね】に博古を好んで,舊史氏に學び,是を以て多く前代の載【こと】を識る。

安處【あんしょ】先生に言って曰く:

夫れ人 陽時に在りては則ち舒【やす】く,陰時に在りては則ち慘【うれ】い,此れ天に牽かるる者也。

(2) #1-2

沃土に處れば則ち逸【やす】く,瘠土【せきど】に處れば則ち勞【つか】り,此れ地に繫【ひ】かるる者也。

慘【うれ】うれば則ち驩に尠【すくな】く,勞【つか】るれば則ち惠に褊【すく】なし,能く之に違う者寡【すく】なし。

小なるは必ず之に有り,大なるは亦た宜しく然るべし。

故に帝者は天地に因りて以て化を致し,兆人は上教を承けて以て俗を成す。

化俗の本,與【とも】に推し移る有り。

(3) #1-3

何を以てか諸【これ】を覈【あきらか】にする?秦は雍に據りて強く,周は豫に即【つ】きて弱し。

高祖は西に都して泰【やす】く,光武は東に處りて約なり。

政【まつりごと】の興衰は,恆【つね】に此に由りて作る。

先生 獨り西京の事を見ずや?請う 吾子の為に之を陳べん。

長安城漢唐 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (2) #1-2

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

小必有之,大亦宜然。

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

化俗之本,有與推移。

 

(下し文)

沃土に處れば則ち逸【やす】く,瘠土【せきど】に處れば則ち勞【つか】り,此れ地に繫【ひ】かるる者也。

慘【うれ】うれば則ち驩に尠【すくな】く,勞【つか】るれば則ち惠に褊【すく】なし,能く之に違う者寡【すく】なし。

小なるは必ず之に有り,大なるは亦た宜しく然るべし。

故に帝者は天地に因りて以て化を致し,兆人は上教を承けて以て俗を成す。

化俗の本,與【とも】に推し移る有り。

 

(現代語訳)

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

 

(訳注) (2) #1-2

西京賦

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

張平子 (78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。三輔、京師に遊び、五経・六芸に通じ、天文・歴算・陰陽などに詳しく、安帝・順帝に仕え尚書となる。西京、東京の二篇は永元年間に作られた。でき上がるまで十年を要した(『後漢書』本伝)。本伝に「永元中、天下承平日久しく、王公より以下移【おごり】をこえざるはなし。衡乃ち班固の両都に擬して二京の賦を作り、以て諷諌す。」とある。永元は和帝の年号。十五年間続く。この末年ごろにはできあがっていたか。孫文青氏の「張衡年譜」では安帝の永初元年、三十歳のころに完成したという。

 

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

肥えた土に住めば楽であるが、やせた土に住めばつらいものだ。それはその地に影響されるからです。

逸 安らか、楽なさま。

労 苦しい、つらい。

 

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

悲しければ歓びもいくほどもなく、つらければ恵みも大したことはない。うまくここからはずれた人はめったにない。

驩 驩/歓【かん】ともに打ち解けて楽しむこと。よろこぶ。

褊 心が狭く性急な.

 

小必有之,大亦宜然。

下々には確かにこの影響があり、えらい人でもこれがあるはず。

小・大 小市民。下々のもの。えらい人。

 

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

そういうことで、帝王たるものは、天地の持っている力と利に乗じて教化を達成し、万民は王者の教えをうけて風俗を作りあげる。

天地 陰陽の季節と地の沃瘠。肥沃(沃)であるか不毛な土地(瘠)から教育が向上すると低下する。

 

化俗之本,有與推移。

教化と風俗との始まりは天の四時と地の肥瘠とともに移り変わる。

與推移 與は組になる。推移は移りかあり、転換する。
幻日環01 

張平子(張衡)《西京賦》(1) 文選 賦<114―(1)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1038 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3738

張衡《西京賦》(1) (西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。その公子が安処先生に向かって口を開く。


2014年2月12日 の紀頌之5つのブログ
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張平子(張衡)《西京賦》(1) 文選 賦<114―(1)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1038 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3738

 

 

衡ちょう こう(78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。没落した官僚の家庭に生まれた。祖父張堪は地方官吏だった。青年時代洛陽と長安に遊学し、太学で学んだ。永元十四年(102年)、張衡24歳の時,南陽郡守の幕僚(南陽郡主簿)となった。永初元年(107年)には、29歳で洛陽を描いた「東京賦」と長安を描いた「西京賦」を著した(これらを総称して「二京賦」という)。当初は南陽で下級官吏となった。永初五年(111年)、張衡34歳の時、京官の郎中として出仕した。元初三年(116年)張衡38歳の時、暦法機構の最高官職の太史令についた。建光二年(122年),公車馬令に出任した。永建三年から永和元年(128-136年)の間、再び太史令を勤めた。最後は尚書となった。

30歳くらいで、天文を学び始め、「霊憲」「霊憲図」「渾天儀図注」「算網論」を著した。彼は歴史と暦法の問題については一切妥協しなかった為、当時争議を起こした。順帝の時代の宦官政治に我慢できず、朝廷を辞し、河北に去った。南陽に戻り、138年に朝廷に招聘されたが、139年に死去した。文学作品としては他に、「帰田賦」、「四愁詩」、「同声歌」がある。

 

西京賦 (1)#1-1

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

  有憑虛公子者,心奓體忲,

憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。

雅好博古,學乎舊史氏,是以多識前代之載。

それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。

言於安處先生曰:

その公子が安処先生に向かって口を開く。

夫人在陽時則舒,在陰時則慘,此牽乎天者也。

「そもそも、人は春や夏は日が長くのびのびするものであるが、秋や冬は昼が短くみじめである。これは天に影響されるからです。」

 (2) #1-2

處沃土則逸,處瘠土則勞,此繫乎地者也。

慘則尠於驩,勞則褊於惠,能違之者寡矣。

小必有之,大亦宜然。

故帝者因天地以致化,兆人承上教以成俗,

化俗之本,有與推移。

(3) #1-3

何以覈諸?秦據雍而強,周即豫而弱,

高祖都西而泰,光武處東而約,

政之興衰,恆由此作。

先生獨不見西京之事歟?請為吾子陳之

長安付近図00 

憑虛公子という者有り,心 奓【おご】り體 忲【おご】り,

雅【つね】に博古を好んで,舊史氏に學び,是を以て多く前代の載【こと】を識る。

安處【あんしょ】先生に言って曰く:

夫れ人 陽時に在りては則ち舒【やす】く,陰時に在りては則ち慘【うれ】い,此れ天に牽かるる者也。

(2) #1-2

沃土に處れば則ち逸【やす】く,瘠土【せきど】に處れば則ち勞【つか】り,此れ地に繫【ひ】かるる者也。

慘【うれ】うれば則ち驩に尠【すくな】く,勞【つか】るれば則ち惠に褊【すく】なし,能く之に違う者寡【すく】なし。

小なるは必ず之に有り,大なるは亦た宜しく然るべし。

故に帝者は天地に因りて以て化を致し,兆人は上教を承けて以て俗を成す。

化俗の本,與【とも】に推し移る有り。

(3) #1-3

何を以てか諸【これ】を覈【あきらか】にする?秦は雍に據りて強く,周は豫に即【つ】きて弱し。

高祖は西に都して泰【やす】く,光武は東に處りて約なり。

政【まつりごと】の興衰は,恆【つね】に此に由りて作る。

先生 獨り西京の事を見ずや?請う 吾子の為に之を陳べん。

漢宮 建章宮00 

 

『西京賦』 現代語訳と訳註

(本文) (1)#1-1

西京賦

  有憑虛公子者,心奓體忲,

雅好博古,學乎舊史氏,是以多識前代之載。

言於安處先生曰:夫人在陽時則舒,

在陰時則慘,此牽乎天者也。

 

(下し文)

憑虛公子という者有り,心 奓【おご】り體 忲【おご】り,

雅【つね】に博古を好んで,舊史氏に學び,是を以て多く前代の載【こと】を識る。

安處【あんしょ】先生に言って曰く:

夫れ人 陽時に在りては則ち舒【やす】く,陰時に在りては則ち慘【うれ】い,此れ天に牽かるる者也。

 

(現代語訳)

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。

それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。

その公子が安処先生に向かって口を開く。

「そもそも、人は春や夏は日が長くのびのびするものであるが、秋や冬は昼が短くみじめである。これは天に影響されるからです。」

 

(訳注) (1)#1-1

西京賦

(西京二百有余年の豪華を王室中心に述べる。作者、張衡はこれを憑虚公子にうたわせる。)

張平子 (78 - 139年)は後漢代の政治家・天文学者・数学者・地理学者・発明家・製図家・文学者・詩人。字は平子。南陽郡西鄂県(現河南省南陽市臥竜区石橋鎮)の人。三輔、京師に遊び、五経・六芸に通じ、天文・歴算・陰陽などに詳しく、安帝・順帝に仕え尚書となる。西京、東京の二篇は永元年間に作られた。でき上がるまで十年を要した(『後漢書』本伝)。本伝に「永元中、天下承平日久しく、王公より以下移【おごり】をこえざるはなし。衡乃ち班固の両都に擬して二京の賦を作り、以て諷諌す。」とある。永元は和帝の年号。十五年間続く。この末年ごろにはできあがっていたか。孫文青氏の「張衡年譜」では安帝の永初元年、三十歳のころに完成したという。

 

有憑虛公子者,心奓體忲,

憑虚公子と称する者がいる。気ぐらいも高く態度は横柄である。

憑虚公子 薛綜の注に「憑は依託なり。虚は無なり。この公子有る無きなり」とある。無有公子と同じ。仮託の人物。なお「二京の賦」には薛綜(三国時代の呉の文人)の注がある。李善はその妥当なものを残したという。

体 行い。

 

雅好博古,學乎舊史氏,是以多識前代之載。

それに、つねに広く昔の故事を好み、太史に教えを受ける。そのため、前代の史実をたくさん心得ている。

旧史氏 太史。図典〔地凶経典)を掌り、古く三代の旧官の意。 『後漢書』の百官志によれは天時、星暦を掌るとある。図典の語は楊雄の劇秦美新の作にも見える。古記録の意。

 

言於安處先生曰:

その公子が安処先生に向かって口を開く。

安処先生 無有先生と同じ。いずこに処らんやの意。

 

夫人在陽時則舒,在陰時則慘,此牽乎天者也。

「そもそも、人は春や夏は日が長くのびのびするものであるが、秋や冬は昼が短くみじめである。これは天に影響されるからです。」

陽時 春夏、陰時の秋冬に対す。

 快適、楽しい。

惨 憂う。悲しい。
長安城漢唐 

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