漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)

 

 

2017410

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

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744年-集11字解集 漢東紫陽先生碑銘Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8454

孟浩然

李白詩

霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-52 巻八-07同宿聯句【案:韓愈、孟郊】#3 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8502

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806年-集11- ・a.短燈檠歌 ・b.春雪 ・c.春雪 ・d.春雪間早梅 ・e.早春雪中聞鶯 ・f.和歸工部送僧約 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8449

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-96 巫峽敝廬奉贈侍御四舅別之澧朗 杜詩詳注(卷一九(四)一六八一)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8515

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767年-集-9 【字解集】 ・a.送十五弟侍御使蜀・b.見螢火・c.夜雨・d.更題・e.舍弟觀歸藍田迎新婦送示二首 杜詩詳注卷一九(四)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8498

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

杜甫詩 全詩 総合案内 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 (178)回目牛嶠二十六首《巻四08感恩多二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8636 (05/02)

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155)回目薛昭蘊 十九首a.浣溪紗八首・b.喜遷鶯三首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8498 (04/10)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§1 古詩 爲焦仲卿妻作§11-#1〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8505

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

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 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

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745-003-#2巻176 27-#2 尋魯城北范居士失道落蒼耳中見范置酒摘蒼耳作(卷二十(二)一一五○)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8501

だから、是非ここを尋ねたいと思い、そこでは、茫然として逸興を起し、なんでも早く行きたいというので、しきりに道を急いだ。すると、城の渠濠の空池のほとりにおいて、行く手の道を誤り荒れた坂路において、馬首をどちらに向けようかとまごついている間に滑り落ちたのである。滑り落ちて、せっかくの翠雲裘に蒼耳の草がからみついたが、そんなことには頓着しなかった。


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744年-069-#5全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8381

全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)

 

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Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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744年-集10【字解集】 a. 贈郭將軍 b. 贈崔侍御 C.贈參寥子 d.贈盧徵君昆  e.贈薛校書  d。灞陵行送別 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8340

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

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李白全詩

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楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8382

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806年-集10-【字解集】 ・送區弘南歸 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8383

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-81 樹間 杜詩詳注(卷一九(四)一六七三)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8389

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767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 巻三-20 (136)回目韋莊二十五首《上行盃二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8384 (03/21)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

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玉-041§6 古詩 爲焦仲卿妻作§6-#5〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8385

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

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744-069-#5全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8381

季節はもう夏になっていて草木もすでにうっそうと茂っている。大江や切り立った川岸は屏風絵のようであり、これから行き先は称賛される景色に満ち溢れる。だからその自然を、屏風絵を船に坐して楽しみ遊ぶことであるし、鏡のような大江に映った景色の中を赴任先に行きつくのである。そこには朧月を見ながら千里先に行くのであり、旅の足に伴うのは、詩、文章を作ってゆくことに尽きるのである。船は空高く帆を掲げたら、夕日は地平線に迫っているだろう。旅は二つの季節にまたがるであろうから、詩文の筆を揮う事である。この自然を山水詩人となって詩を作って贈ってほしいものである。


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744年-069-#4全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8375

全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)

 

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Ⅰ李白詩

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744年-集10【字解集】 a. 贈郭將軍 b. 贈崔侍御 C.贈參寥子 d.贈盧徵君昆  e.贈薛校書  d。灞陵行送別 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8340

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

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楚辞・九歌》東君

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●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-34 全唐詩339_ 6 #6送區弘南歸 -#6 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8376

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806年-集09- 【字解集】・贈崔立之評事 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8341

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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767年-80 溪上 杜詩詳注(卷一九(四)一六七二)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8383

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杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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花間集 訳注解説 巻三-18 (134)回目韋莊二十五首《訴衷情二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8372 (03/19)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

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744-069-#4全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8375

おじさんの将軍は、過去のどんな武勇も蓋で閉じこめるくらいの雄大な計略、知略のもちぬしで、才知がすぐれて、物事の道理に明るく、それこそ神をも動かすものである。王位・皇位のたっとき宗家であり、誕生した子らを賢く教育されている。その子らは、荀爽兄弟八人が「八龍」といわれたようにつぎつぎと序列を整えており、彼らの作る詩文は、五行思想の五色に相輝いている。一堂に会して詠えば、高らかに、散楽、雅楽を奏でるようであり、金門を入った翰林院で徳を積む修業を一緒にし、朝日の射す中で、飲酒や琴をならべて、酒を酌み交わし、やわらいだ顔つきになるのである。

 

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744年-069-#3全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8369

全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序

 

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●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注

Ⅰ李白詩

(李白集校注)

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744年-集10【字解集】 a. 贈郭將軍 b. 贈崔侍御 C.贈參寥子 d.贈盧徵君昆  e.贈薛校書  d。灞陵行送別 Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8340

孟浩然

李白詩

謝霊運

司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

曹植詩65

兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

《楚辞九辯》

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首 

Ⅱ韓昌黎詩集・文集校注

806年-34 全唐詩339_ 6 #5送區弘南歸 -#5 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8370

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806年-集09- 【字解集】・贈崔立之評事 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8341

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

index-2[800年~804年]27

index-3 805年陽山から江陵36

index-4 806年 39 江陵・国子博士25

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]「平淮西碑」28

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

Ⅲ 杜詩

詳注

767年-79#4 雨#4 杜詩詳注(卷一九(四)一六七一)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8377

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767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている。花間集連載開始。

Ⅳブログ詩集

漢・唐・宋詞

花間集 訳注解説 巻三-18 (134)回目韋莊二十五首《訴衷情二首其二》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8372 (03/19)

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花間-011 字解集128)回目韋莊a.謁金門 b.江城子 c.河傳 d.天仙子五首 【字解集】》 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8336 (03/14)

 

●花間集全詩●森鴎外の小説の”魚玄機”詩、芸妓”薛濤”詩。唐から五代詩詞。花間集。玉臺新詠連載開始

.唐五代詞詩・女性

・玉臺新詠

玉-041§6 古詩 爲焦仲卿妻作§6-#3〔無名氏〕 Ⅴ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠巻一ブログ 8373

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玉集-09 定情詩一首 【字解集】漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 8241

●薛濤の全詩

●花間集(1

●花間集(2

●花間集(3

●花間集(4

●花間集(5

●魚玄機全詩

●花間集(6

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744-069-#3全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8369

自分のような不束者がかたじけなくも、このような立派な方々と席をおなじにしておる。こうして席を同じにしているいじょうは、千年も心通わせ、心を結んで行けるものという事である。清談の清酒を酌み交わすは明け方まで続けよう、そして、老荘の道の談義は美に入り、崔に行ってとことん語ろうではないか。こうやって得られるこの歓びは、なんによっても携えられるものではなく、目を背けるほどの解析や、めぐる発言しようではないか。


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744年-069-#2全唐文 卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8363

全唐文 卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)

 

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806年-34 全唐詩339_ 6 #4送區弘南歸 -#4 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8364

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806年-集09- 【字解集】・贈崔立之評事 Ⅱ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集8341

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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767年-集-7 【字解集】 ・a.甘林 ・b.暇日小園散病將種秋菜督勒 杜詩詳注 Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ8354

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

杜甫詩 (21)洩れ分(未詳分)・散文

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陶潜の作る詩は、田園の持っている景色が見事に表現されているので実際の田園風景が愧じたものであるし、謝靈運の山水を詠う詩には、山水の美が慚らったものである。彼らの詩歌のよい文句は、人々の間に、口づてにひろがり、ひとびとは美しいしぶんをひろげていったのである。前任者の宋公蘊許州司馬が晋書巻三十六 衞玠伝にいう、“議者は以って為すに「婦公冰清,女玉潤(娘の父は冰の清きよう,その夫は玉の潤うよう)」とした”物と同じようであるといわれたけれど、傅靄君も、“玉の潤う”程の徳をもっているのである。彼の妻は、水甕の氷のように清廉で、その家族、を子供ら育て、夫婦は、気高い夫婦鳥の鳳凰が相和して鏘鏘と鳴くよう誉れ高いのである。潘氏と楊氏との婚姻を重ねたこと、古くから誼しみを通じていたことと同じように、夫婦仲良く、睦まじくされているのである。

 

744-069-#2 -#1

早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序

(卷二七(二)一五七五) -#1

全唐文文/0349-5#1

李白集校注卷二七(二)一五七五#1

李太白集未掲載#1

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744年-069全唐文卷0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8357

李白 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)

 

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Ⅰ李白詩

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李白詩

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司馬相如 《子虛賦 ・上林賦》

揚雄 《甘泉賦》

諸葛亮 出師表

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兩都賦序・西都賦・東都賦

李白全詩

漁父辞(屈原

楚辞・九歌》東君

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韓愈1 ・孟郊・張籍と汴州乱41

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韓愈 哲学・儒学「五原」

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●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

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杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

(13)763年蜀中転々 96

 (14)764年 三月成都へ帰る 100

 (15)765年正月幕府を辞す 63

(16-1) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)80

(16-2) 766年雲安、暮春、夔州 168首 の(1)81

 

杜甫詩 (17-1)767年夔州・西閣・赤甲・瀼西132

杜甫詩 (17-2) 767年・瀼西・東屯 133

杜甫詩 (18)768年江陵・公安縣・岳州 78

杜甫詩 (19)769年・洞庭湖・潭州・衡州 78

杜甫詩 (20)770年・洞庭湖・潭州・衡州。27

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744-069/0349-5 早夏于將軍叔宅與諸昆季送傅八之江南序(卷二七(二)一五七五)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集8357

(夏間もないころ、将軍の叔父さんのお宅で、兄弟や友人たちが集まって、江南に行く)

易経には、「人文を観じ、もって天下を化成す。」とあって、ひとのあいだに広がってゆくことを観察すると、万物を生成する根元的な創造力こそが天下を作る、と。こうした道家の道を窮めるもの、それを思っている人は傅靄侯である。それに傅靄侯の作られた詩篇、文章は鮮新で驚愕するものであり、全国で社会的な規範に是とされるものと称されているのである。特に五言の詩の作品は、当代の絶妙のものとされているのである。


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744年-010卷163_8 于闐採花(卷四(一)二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7655

于闐採花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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806年-16 巻一 14-10-#2 秋懷詩,十一首之十Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之韓愈詩集7656

 

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韓愈  秋懐詩十一首 【字解集】

 

 

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index-4 806年 39 江陵・国子博士25

 

 

index-5 806年39歳(2)25

index-6 807~809年 20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳57

index-10[817年~818年 51歳]平淮西碑」28

 

 

index-11 819年『論佛骨表』左遷 38

index-12 820 國子祭酒18

index-13 821年~822年 22

index-14 57歳・病気のため退職。没す14

韓愈 哲学・儒学「五原」

孟郊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

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暮春題瀼溪新賃草屋五首【字解集】と住まいと夔州での農業

757年-16 卜居 杜詩詳注(卷一八(四)一六○九)Ⅲ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7657

 

 

杜甫詩(1)736~751年  53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73

杜甫詩(3)45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)757年、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年47歳 左遷 53

杜甫詩(6)759年 三吏三別 44

 

 

杜甫詩(7)759年秦州詩 66

杜甫詩(8)759年同谷紀行、成都紀行36

杜甫詩(9)760年、49歳 成都 45

杜甫詩(10)761年、50歳 成都82

杜甫詩(11)762年蜀中転々43

杜甫詩(12)762年 蜀中転々 49

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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744-010163_8 于闐採花(卷四(一)二九三)Ⅰ漢文委員会kanbuniinkai紀頌之 李白詩集7655

 

(西域異民族の于闐国の花を摘む女ということで、王昭君の事を詠じたもの)

西域異民族の于闐国の花を摘む女は、自分の顔色も、その花に似ていると思っているものである。

それは彼女たちが中国の花、美女を知らないからで、王昭君がある朝、匈奴に嫁して匈奴に入ったときに、胡中の美女たちはその美しさに多くのものが、羞死したという。

このことで中国には名姝がとても多くいるということが認知され、胡中の花では比べるものがなかったというのである。

王昭君がなぜ匈奴に入ったのかというと、後宮絵師の毛延寿に賄賂を渡さなかったために選定画を見にくく書かれたことで、不美人を選定し、胡地に送ったのであった。是と反対に、無鹽のごとき醜いものであっても多分な賄賂を贈っていれば、選定画を絶世の美女に書き上げ後宮の妃賓の列に加わり、君側に侍することになるのである。

古より言われていることわざ通り、蛾眉は後宮に入れば、妬まれるものであり、それも胡地に送られることを言うのであり、その絶世の美女は胡地の砂漠に明眸皓歯をうずめて、ついに帰らぬ人となった。人生には、凡そ、このような実に慨嘆に堪えぬこともあるのである。

 

 

 

744-010

于闐採花(卷四(一)二九三)

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7655

全唐詩卷163_8

李白集校注巻 04-008

李太白集 巻22-0010

 

 

 

 

卷別

李白集校注

全唐詩

李太白集

于闐採花(卷四(一)二九三)

163_8 《於闐采花》 

于闐採花(卷三-8) P349 

詩題

于闐採花

文體

樂府

詩序

 

 

 

作地點

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

及地點

0

0

交遊人物

 

交遊地點

 

 

 

于闐採花

(西域異民族の于闐国の花を摘む女ということで、王昭君の事を詠じたもの)

于闐採花人,自言花相似。

西域異民族の于闐国の花を摘む女は、自分の顔色も、その花に似ていると思っているものである。

明妃一朝西入胡,胡中美女多羞死。

それは彼女たちが中国の花、美女を知らないからで、王昭君がある朝、匈奴に嫁して匈奴に入ったときに、胡中の美女たちはその美しさに多くのものが、羞死したという。

乃知漢地多名姝,胡中無花可方比。

このことで中国には名姝がとても多くいるということが認知され、胡中の花では比べるものがなかったというのである。

丹青能令醜者妍,無鹽翻在深宮裡。

王昭君がなぜ匈奴に入ったのかというと、後宮絵師の毛延寿に賄賂を渡さなかったために選定画を見にくく書かれたことで、不美人を選定し、胡地に送ったのであった。是と反対に、無鹽のごとき醜いものであっても多分な賄賂を贈っていれば、選定画を絶世の美女に書き上げ後宮の妃賓の列に加わり、君側に侍することになるのである。

自古妒蛾眉,胡沙埋皓齒。

古より言われていることわざ通り、蛾眉は後宮に入れば、妬まれるものであり、それも胡地に送られることを言うのであり、その絶世の美女は胡地の砂漠に明眸皓歯をうずめて、ついに帰らぬ人となった。人生には、凡そ、このような実に慨嘆に堪えぬこともあるのである。

 

(于闐【うてん】 花を採る)

于闐 花を採る人,自ら言う 花 相い似たり と。

明妃 一朝 西に 胡に入る,胡中の美女 多く羞死す。

乃ち知る 漢地に名姝多く,胡中 花の方比す可き無きを。

丹青 能く醜者をして妍なら令む,無鹽 翻って 深宮の裡に在り。

古より 蛾眉を妒み,胡沙 皓齒を埋む。

 

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744年年44歳-19李太白集305巻八19 贈薛校書  433 Index-24 Ⅲ-3Ⅰ李白詩1809 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

李白  贈薛校書

我有趨曲、無人知此音。 姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。 舉手謝東海、虛行歸故林。
(薛校書郎に贈る)

われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、心を言っても空しいだけである。そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。

李太白集 卷八19

贈 薛 校 書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

        
 2016年11月1日の紀頌之5つの校注Blog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 
 Ⅰ李白詩(李白詩校注)744年年44歳-19李太白集305巻八19 贈薛校書  433 Index-24 Ⅲ-3Ⅰ李白詩1809 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585 
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 孟郊張籍     
        
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ 杜詩詳注   LiveDoorBlog757年-001 立春 杜詩詳注卷一八(四)一五九七漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7567 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
        
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2BlogⅠ.花間集 全500首 訳注解説(1漢文委員会kanbuniinkai紀頌之  漢詩ブログ7568 (11/01) 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・玉臺新詠・女性 LiveDoorBlog玉-001-#1 玉臺新詠集序⑴§1-1〈徐陵〉 Ⅴ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の玉臺新詠ブログ 7569 
 ●薛濤の全詩●花間集(1巻●花間集(2巻●花間集(3巻●花間集(4巻●花間集(5巻 
 ●魚玄機全詩●花間集(6巻●花間集(7巻●花間集(8巻●花間集(9巻●花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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 744年天寶三年44-1956首】

-381-305巻八19 贈薛校書  (我有越曲,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八15 

文體:

五言古詩

李太白集 

19

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九19

詩題:

贈薛校書  (我有越曲,) 

序文

作地點:

未詳

及地點:

姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺

 

交遊人物:

薛校書    書信往來

 

 

 

 

  卷168_15 《贈薛校書》李白 

我有吳趨越)曲,無人知此音。

姑蘇成蔓草,麋鹿空悲吟。 

未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。

舉手謝東海,虛行歸故林。 

 

贈薛校書(卷九19(一)六一九)

我有吳趨越)曲,無人知此音。

姑蘇成蔓草,糜鹿空悲吟。

未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。

舉手謝東海,虛行歸故林。

 

305卷八-19 贈薛校書  (中)40

我有呉曲、無人知此音。

姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。

舉手謝東海、虛行歸故林。

 

贈薛校書

我有趨曲、無人知此音。

姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。

舉手謝東海、虛行歸故林。

(薛校書郎に贈る)

われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。

むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。

枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、心を言っても空しいだけである。

そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。

(薛校書に贈る)

我に呉趨の曲あり、人の此音を知るなし。

姑蘇は蔓草となり、糜鹿空しく悲吟す。

未だ觀濤の作に誇らす、空しく釣鼇の心を鬱す。

手を擧げて東海に謝し、虚行、故林に歸る。

 

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743年年43歳 94李太白集315巻八29贈參寥子  434-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(78) Ⅰ李白詩1811 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7595

李白 贈參寥子   #2

毫墨時洒落、探玄有奇作。著論窮天人、千春秘麟閣。長揖不受官、拂衣歸林巒。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。相思在何處、桂樹青云端。

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

李太白集 卷八29

贈 參 寥 子  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

 

 744年天寶三年44-2056首】-382-315巻八29 贈參寥子  (白鶴飛天書,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八25 

文體:

五言古詩

李太白集 

29

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九29

詩題:

贈參寥子

序文

作地點:

(山南東道 襄州 襄陽)

及地點:

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣

交遊人物:

參寥子    當地交遊(山南東道 襄州 峴山)

 

 

 

贈參寥子   #1

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴飛天書、南荊訪高士。

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五云在峴山、果得參寥子。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

骯臟辭故園、昂藏入君門。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

天子分玉帛、百官接話言。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。

#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

著論窮天人、千春秘麟閣。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

長揖不受官、拂衣歸林巒。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

相思在何處、桂樹青云端。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

#2

毫墨 時に洒落、玄を探って奇作有り。

著論 天人を窮め、千春 麟閣に秘す。

長揖して 官を受けず、衣を拂って 林巒に歸える。

余 亦た金馬を去り、藤蘿 歡づる所を同じうする。

相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。

大明宮の圖003 

『贈參寥子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。

著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

(下し文)
#2

毫墨 時に洒落、玄を探って奇作有り。

著論 天人を窮め、千春 麟閣に秘す。

長揖して 官を受けず、衣を拂って 林巒に歸える。

余 亦た金馬を去り、藤蘿 歡づる所を同じうする。

相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。

(現代語訳)
#2

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。


(訳注)  #2

贈參寥子

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

1 參寥子 王琦の解に、「當時の逸士、其の姓名考える無し。蓋し、莊子のって、以て號と為せるなる。莊子に:𤣥冥、之を參寥に聞く、參寥、之を疑始に聞くとあり。崔云う:皆、古人の姓名、或は之を寓するのみ、其の人無し、と。 李云う、參、高なり、高邈 寥 曠 名づく可からざるなり。」とある。隱逸した高士であるが、名前も、生まれもわからず、しかし、存在感を消しているのに、あえば尊敬できる人物であったということであろう。

 

毫墨時洒落、探玄有奇作。

それから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

10 毫墨 筆を揮えば、字体灑落でというほどの意。

11 時洒落 ① 生意気なさま。しゃらくさいさま。② さっぱりしているさま。しゃれているさま。

12 探玄 道教の玄理を探求する。

 

著論窮天人、千春秘麟閣。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

13 著論窮天人 道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めると、道家に対する最大の惨事というものであろう。

千春 千回春を迎えること、とこしえにつづくことを言う。

麟閣 麒麟閣の略。別に畫麟閣.雲嫖姚というもとは漢の高祖の時、蒲何が建てて、図書を蔵していたが、のち漢の宜帝は功臣を紀念して表彰するため、霍光等十一人の像を閣上に画かした。宣帝は戎狄が定まって皆、賓服 し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。麒麟閣十一臣は以下の通り。・大司馬大将軍博陸侯 姓霍氏、・衛将軍富平侯 張安世、・車騎将軍龍額侯 韓増、・後将軍営平侯 趙充国、・丞相高平侯 魏相、・丞相博陽侯 邴吉、・御史大夫建平侯 杜延年、・ 宗正陽城侯 劉徳、・少府 梁邱賀、・太子太傅 蕭望之、・典属国 蘇武

李白 《塞下曲,六首之三》「駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。」

唐の玄宗皇帝の故事に由来する。 玄宗皇帝は音楽や舞踏の愛好家で、自ら舞楽を教えていた。 その場所に梨が多く植えられていたことから、音楽や舞踏を学ぶ者を「梨園の弟子」といい、転じて、その世界をさすようになった。

 

長揖不受官、拂衣歸林巒。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

 

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

14 金馬 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

金馬・金馬門・銀台()

30巻一古風五十九首其三十

但識金馬門、誰知蓬萊山。

161巻四36東武吟 ( 一作出東門后書懷留別翰林諸公 )

 談笑皆王公、一朝去金馬。

315巻八29贈參寥子

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

373卷十贈從弟南平太守之遙二首 其一

承恩初入銀台門、著書獨在金鑾殿。

644巻十九18朝下過盧郎中敘舊游

君登金華省、我入銀台門。

743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#3 Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-74-#3 Ⅰ李白詩1752 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7300

卷六05 -《玉壺吟》「世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。」(世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。 いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。

○東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。

○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可し」とあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。

743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-55#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153

金門 漢代の未央宮にあった門で、金門・金閨門の名であり、文学の士(学問をもって天子に仕える人)がここから出仕した。本来この門は、「魯般門」という名であるが、門の外に銅製の馬があることからこうよばれた。揚雄 解嘲 「與羣賢同行,歷金門,上玉堂」(羣賢と同行し,金門を歷,玉堂に上る)とある。唐における金門は、右銀臺門をいい、宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。この門の北沿いに九仙門がある。唐時代では、右銀台門より学士がことから金馬門といい、翰林學士院に出仕するものの代名詞とされた。銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。唐.李肇の《翰林志》:「今在右銀臺門之北,第一門向牓曰翰林之門,其制高大重複,號為胡門,入門直西為學士院,即開元十六年所置也。」(今右銀臺門の北にり,第一門牓に向う翰林の門を曰う,其れ高大重複を制し,胡門を為すを號し,門に入り直西は學士院を為し,即ち開元十六年(728)に所置されるなり。)唐.李白.相逢行:「朝騎五花馬,謁帝出銀臺。」(朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。)朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

 

相思在何處、桂樹青云端。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

15 桂樹 《山中雜詩三首》 山際見來煙,竹中窺落日。鳥向簷上飛,雲從窗裏出。 綠竹可充食,女蘿可代裙。山中自有宅,桂樹籠青雲。

桂樹

 

117巻三28古朗月行

仙人垂兩足、桂樹何團團。

216卷六11白毫子歌

八公攜手五云去、 空余桂樹愁殺人。

315巻八29贈參寥子

相思在何處、桂樹青云端。

419巻十二09寄淮南友人

復作淮南客、因逢桂樹留。

42112-11聞丹丘子于城北營石門・・・

方從桂樹隱、不羨桃花源。

435巻十二25禪房懷友人岑倫

歸來儻有問、桂樹山之幽。

16 青云端 高い志であるが、此処では仙郷の意。
 
 

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744年年44歳-20-#1 李太白集315巻八29贈參寥子  434Index-24Ⅲ-3Ⅰ李白詩1810 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7590

李白 贈參寥子   #1

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

李太白集 卷八29

贈 參 寥 子 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

 

 744年天寶三年44-2056首】-382-315巻八29 贈參寥子  (白鶴飛天書,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八25 

文體:

五言古詩

李太白集 

29

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九29

詩題:

贈參寥子

序文

作地點:

(山南東道 襄州 襄陽)

及地點:

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣

交遊人物:

參寥子    當地交遊(山南東道 襄州 峴山)

 

 

 

 

  卷168_25 《贈參寥子》李白 

白鶴飛天書,南荊訪高士。五雲在峴山,果得參寥子。 

骯髒辭故園,昂藏入君門。天子分玉帛,百官接話言。 

毫墨時灑落,探玄有奇作。著論窮天人,千春秘麟閣。 

長揖不受官,拂衣歸林巒。余亦去金馬,藤蘿同所歡。 

相思在何處,桂樹青雲端。 

 

 

  贈參寥子(卷九29(一)六三九)

白鶴飛天書,南荊訪高士。五雲在峴山,果得參寥子。

骯髒辭故國,昂藏入君門。天子分玉帛,百官接話言。

毫墨時灑落,探玄有奇作。著論窮天人,千春祕麟閣。

長揖不受官,拂衣歸林巒。余亦去金馬,藤蘿同所攀。

相思在何處?桂樹青雲端。

 

 

315巻八29贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

毫墨時洒落、探玄有奇作。 著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。 余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

 

 

315巻八29贈參寥子   #1

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。
#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。 著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。 余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

 

『贈參寥子』現代語訳と訳註解説
(
本文)
           #1
贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(下し文)

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。

(現代語訳)
贈參寥子  #1(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。


(訳注)   #1

贈參寥子

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

1 參寥子 王琦の解に、「當時の逸士、其の姓名考える無し。蓋し、莊子のって、以て號と為せるなる。莊子に:𤣥冥、之を參寥に聞く、參寥、之を疑始に聞くとあり。崔云う:皆、古人の姓名、或は之を寓するのみ、其の人無し、と。 李云う、參、高なり、高邈 寥 曠 名づく可からざるなり。」とある。隱逸した高士であるが、名前も、生まれもわからず、しかし、存在感を消しているのに、あえば尊敬できる人物であったということであろう。

 

白鶴飛天書、南荊訪高士。

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

2 南荊 楚血をいう。陸機 《演連珠》「南有寡和之歌。」(寡和の歌有り。)李善註に南とは楚を謂うなり。

 

五云在峴山、果得參寥子。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

3 五云 五色の雲。參某は隠遁者、仙人であるから常侍白雲が随行する。五雲は彩雲であり、朝日に光ることを言う。

4 峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。《无和郡縣志》「峴山在襄州襄陽縣東南九里、東/臨漢、水古今大路。」(峴山は襄州襄陽縣の東南九里に在り、東に漢水を/臨み、古今の大路なり。)とあり、 《水經》の註に「峴山羊祜之鎮襄陽也、與鄒潤甫嘗登之。及祜薨後、後人立碑於故處、望/者悲感、杜元凱謂之墮淚碑。」(峴山羊祜の鎮は襄陽なり、與鄒潤甫は嘗て之に登る。祜に及び薨の後、後の人は故の處に碑立した、望む者は悲感し、杜元凱は之を墮淚碑と謂う。)とある。

《卷9-03憶襄陽舊遊贈馬少府巨》

憶襄陽舊遊贈馬少府巨#1

昔為大堤客,曾上山公樓。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

此地別夫子,今來思舊遊。

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

285-#2 《卷9-03憶襄陽舊遊贈馬少府巨》#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <285-#2> Ⅰ李白詩1570 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6398

143巻四18襄陽曲四首其二

山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。

144巻四19襄陽曲四首其三

峴山臨漢江。 水綠沙如雪。上有墮淚碑。 苔久磨滅。

145巻四20襄陽曲四首其四

且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

206卷六01襄陽歌

落日欲沒峴山西。 倒著接籬花下迷。襄陽小兒齊拍手。

315巻八29卷八贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

754巻二一32 峴山懷古

訪古登峴首、憑高眺襄中。天清遠峰出、水落寒沙空。

峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。

「峴山の詩」孟浩然 与諸子登峴山 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

還至端駅前与高六別処 張説 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308

輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 350 -310

過故人莊 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -311

 

骯臟辭故園、昂藏入君門。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

5 骯臟 高亢律直の貌。

6 辭故園 それまで勤めてきた翰林院を辞したこと。

7 昂藏 意気昂然の貌。

 

天子分玉帛、百官接話言。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

8 玉帛 神前にささげる供物。幣物、賜り物 贈もの 貰い物 到来物。

9 話言 才知に優れ、徳のあるものが聖天子のもとに百官、臣下は談話を交え、頻りに優遇するということ。《詩經、大雅、抑》「其維哲人、告之話言、順德之行。」(其れ維れ哲人は、之に話言を告ぐれば、德に順いて之れ行う。)に基づく。

744年年44歳-18李太白集291巻八05贈任城盧主簿  432Index-24Ⅲ-3 Ⅰ李白詩1808 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580

李白  贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。 臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)  《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

李太白集 卷八05

贈任城盧主簿

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580

Index-24  744年天寶三年44歳 56-18

432 <1000

 

 

744年天寶三年44-1856首】

-380-291巻八05 贈任城盧主簿  (海鳥知天風,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八              05 

文體:

五言古詩

李太白集 

05

 

 

詩題:

贈任城盧主簿 (贈任城盧主簿潛)

序文

作地點:

河南道、州、任城縣、魯門東

及地點:

任城 (河南道 兗州 任城) 別名:濟寧

 

交遊人物:

盧主簿    當地交遊(河南道 兗州 任城)

交遊人物:

 

 

 

 

李太白集291巻八05贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

 

李太白集補注  贈任城盧主簿潛(卷九(一)六○○)

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思淩空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同?

歸來未忍去,流淚謝鴛鴻。

 

全唐詩 卷168_5 《贈任城盧主簿》李白 

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思淩空。 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。 

 

李太白集注巻九     錢塘 王𤦺 撰

  贈任城盧主簿潛

  蕭本少潛字《唐書地理志》河南道州有任城縣」 唐官制縣令之佐有主簿其位在丞之下尉之上京縣二人從八品畿縣上縣者正九品中縣下縣者從八品各一人

海鳥知天風,竄身魯門東。臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

莊子 昔者海鳥止於魯郊魯侯御而觴之於廟

詳見 《大鵬賦註揚雄解嘲矯翼厲翮 

李周翰註矯舉也南齊書孝感烟霜

 

 

李太白集分類補註巻九  宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

   贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

齊賢曰魯語海鳥曰爰居止于魯東門展禽曰今海有災乎夫廣川鳥獸常知避其災也

海多大風 莊子 云昔者海

鳥止於魯郊魯侯御、而觴之于廟奏九韶以為樂具太/牢以為膳鳥乃眩視憂悲不敢食一臠不敢飲一杯

 

 

 

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『贈任城盧主簿』現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

(下し文)
(任城の盧潜主簿に贈る)

海鳥は天風を知り,身を魯門の東に竄す。

觴に臨んで 飲む能わず,翼を矯げて 空を凌がんとを思う。

鐘鼓 樂しみと為さず,煙霜 誰かと同じからん。

歸り飛んで 未だ去るに忍びず,淚を流して 鴛鴻に謝す。

(現代語訳)
贈任城盧主簿 (任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

李白図102
(訳注) 

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

1 この詩は、李白が任城に往った時、その縣令から、物質的には随分好過されたのであるが、その人が除りわけの分かった人物でもなかったらしく、そこで不満で堪まらず、やがて辭して去ろうとするとき、この詩を作って、主簿の盧潜といふものに贈ったのである。

この詩は、全篇が比喩であって、海鳥を以て自ら此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相憐むの意に本づいて、惜別に及んだのである。

河南道、州、任城縣、魯門東 

2 兗州 兗州は山東省西南部の魯西南平原に位置する。東には曲阜の孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西には梁山県の水滸伝ゆかりの沼沢地(梁山泊)があり、北には泰山がそびえ、南には微山湖を望むため、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれる。また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もある。いま、全市の総面積は651平方キロメートルで農地面積は60万畝ほど。泗河が南西から北東に流れ、その西北岸に兗州の中心市街地がある。昔の県城内には府河という小さな川が流れ、九仙橋や中御橋などが架かる。

3 任城 唐時代、兗州に属した、今の山東省済寧州治。秦に対する合従連衡を説いた蘇秦が〈亢父(こうほ)の険〉と呼び,斉国防御の要地としたのもこの地である。漢代には任城県が置かれ,後漢には任城国となり,以後州郡の中心となった。《唐書地理志に「河南道州有任城縣」(河南道、州に任城縣が有ると記してある。 

杜甫《巻一07與任城許圭簿遊南池》

224_17 《與任城許主簿游南池(池在濟寧州境)》杜甫 

秋水通溝洫,城隅進小船。晚涼看洗馬,森木亂鳴蟬。 

菱熟經時雨,蒲荒八月天。晨朝降白露,遙憶舊青氈。 

(任城の許主簿と南池に遊ぶ)

秋水溝洫に通ず、城隅より小船を進む。晩涼に洗馬を看る、森木に鳴蝉乱る。

菱は熟す時を経たるの雨、蒲は荒る八月の天。晨朝白露降らん、遙に憶う舊青氈。

176_3 《魯郡東石門送杜二甫》李白 

酔別復幾日、登臨徧池臺。何言石門路、重有金樽開。

秋波落泗水、海色明徂徠。飛蓬各自遠、且尽林中盃。

 (魯郡の東 石門にて杜二甫を送る)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)に徧(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

・魯郡 いまの山東省兗州市。・石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

4 主簿 主簿は記録を掌る官。また、唐の官制として、縣令の佐に主簿が有って其の位は丞の下、尉の上に在り、京縣には二人、從八品、畿縣上縣には正九品、中縣下縣には從八品おのおの一人ということ。

 

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

5 海鳥 海鳥は、海洋に生息する鳥の総称。 沿岸部に棲息する鳥は水鳥に含める。 大洋を飛び回るアホウドリ、カツオドリ、ネッタイチョウなどが代表。 繁殖時には陸に巣を作る。いくつかの種は、孤島で集団繁殖をする。ここでは、集団から脱逃したものをいう。

竄身 竄:1 もぐる。逃げ隠れる。「竄入」2 遠隔地へ追放する。「流竄 (りゅうざん・るざん) 3 文章を書き改める。「改竄」。

魯門東 魯の東の城門。魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

特に、初句4句は《莊子、外篇、至樂)「昔者海鳥止於魯郊,魯侯御而觴之於廟,奏九韶以為樂,具太牢以為膳。鳥乃眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯,三日而死。此以己養養鳥也,非以鳥養養烏也。」(昔者、海鳥 魯の郊に止まる,魯侯 御【むか】えて 之を廟に觴し,九韶を奏して以て樂と為し,太牢を具えて 以て膳と為す。鳥 乃ち眩視憂悲す。敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず,三日にして死す。此れ己れが養を以て鳥を養うなり,鳥の養を以て烏を養うに非ざるなり。)に基づく。

 

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

臨觴不能飲 海鳥に対する接し方ではないため、盃に臨みのむことしない、「眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯。」相手のことを無視し、自分の思いで歓待した。鳥の養い方でなく、人間の歓待方法でもてなしたこと。

 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

煙霜誰與同 同じく《莊子、外篇、至樂》「夫以鳥養養鳥者、宜栖之深林、遊之壇陸、浮之江湖、食之 隨行列而止、委蛇而處。」(夫れ鳥を養う以て鳥を養う者は、宜しく之を深林に栖せ、之を壇陸に遊せ、之を江湖に浮せ、之に 食わせ、行列に隨いて止まり、委蛇して處しむべし)と、のんびりとしたそれぞれにあった、環境の中に住まわせてやることが養うことである。

 

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

744年年44歳-17李太白集277巻七45懷仙歌  431Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-17【56首】Ⅰ李白詩1807 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。
(仙人を懐って作った歌である)  

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

李太白集 卷七45

懷 仙 歌

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

Index-24  744年天寶三年44歳 56-17

431 <1000

 

 

 

-379-277巻七44 懷仙歌  (一鶴東飛過滄海,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

167_09

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

45

 

 

詩題:

懷仙歌

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

全唐詩 卷167_9 《懷仙歌》李白 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。 

巨鼇莫戴三山去,我欲蓬萊頂上行

 

 

李太白集 277巻七45《懷仙歌》

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

 

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

   懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

士贇曰 山海經「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」

此詩 「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」

「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。

末句、其拳拳安史之滅宗社之安、或者、用我乎。身、在江海、心、存魏闕。白有之矣。

李太白集注巻八       錢塘 王𤦺 撰

 

李太白集註 277巻七45《懷仙歌》

  懷胡本/作憶仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自餘囂囂直繆本/作嚚嚚/可輕。

巨鼇莫載許本/作戴三山去、我一作/欲蓬萊頂上行。

《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。

《楚辭》「望美人兮、未來臨風/怳兮浩歌、巨鼇事見四巻註

李太白集分類補註巻八    宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

 

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

 

『懷仙歌』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

(下し文)
(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

(現代語訳)
懷仙歌(仙人を懐って作った歌である)

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

秦嶺山脈終南山
(訳注) 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

1 歌 古題ではなく、新しい題で、詩の雰囲気は樂府に近いもの、いわば準樂府というべきものを李太白集“巻六、巻七”に集められた詩のカテゴリー『歌吟』とされたものを言う。語調になんとなく「旅情」をかんじさせるものはこの範疇に入っているようだ。

 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

2 一鶴東飛 一鶴は自分のたとえである。長安追放で李白は東に向かったのである。蕭士贇は此の詩の解説をつぎのようにのべている。「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」(太白、宗國を睠顧し、心は君王に繫け、復た進用されんことを冀【こいねが】うの作なり。)と。続いて、「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之、何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。」(一鶴は自ら、仙人は君に比し、玉樹は爵位に比す。時に、肅宗、靈武において即位し、明皇就いて位を遜り、時に物議 之を非とする者有り。太白は、豪俠 曠達の士なり、亦た曰く 堯の舜に禪るに法り、古えより之れ有り、何ぞ驚怪するに足らんや 彼 是れの為に囂囂たる者、古今を知らず、直ちに輕んず可きなり。

3 滄海 《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。」(滄海島は、北海中に在り、地方三千里、岸を去ること二十一萬里、海四面、島を繞る、各おの廣さ五千里、水 皆 蒼色なり、仙人、之を滄海と謂うなり。

 

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

4 浩歌 声高らかに歌うこと。《楚辭、九歌第二 (六)少司命》「望美人兮未來臨風怳兮浩歌。」(美人を望めどもいまだ来らず、風に臨んで怳として浩歌す。)唐杜甫《玉》「来藉草坐,浩歌泪盈把。」(憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ。) 玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206

5 玉樹 《山海經》「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」(崑崙の墟は北に珠樹、及び玉樹、玕琪樹が有る。)王嘉《拾遺記》「崑崙山第六層有五色玉樹,蔭霸五百里。」(崑崙山、第六層、五色の玉樹り有,蔭霸 五百里なり。

 

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

6 堯舜之事 『史記』に「孝子の名が高かった舜を民間から取り立て、やがて帝位を禅譲した。舜は禹以下の臣をよく用いて天下を治め、特に治水などの功績のすぐれた禹に、やはり帝位を禅譲した。」ことをいう。

7 囂囂 多くの人が口やかましく騒ぐさま。また、やかましく騒ぎ立てて収拾がつかないさま。「喧喧」「囂囂」はともに、やかましいさま。騒がしいさま。

 

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。
聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

8 巨鰲 巨鰲はうみがめ。杜甫「兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。」(兵気 飛鳥を回えす、威声 巨鰲を没せしむ。)安禄山が200㎏とも250㎏といわれおなかが床に付きそうなくらいに肥満であったという。それ以来、叛乱軍の魁(かしら)をたとえていう。巨鰲はよい喩えには使われない。

9 三山・蓬萊 古代において,海上にあると信じられた伝説上の3つの山。『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていたが,前2世紀頃になると,南に下って,現在の黄海の中にも想定されていたらしい。
大明宮の圖003 

744年年44歳-15李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山  430Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-15【56首】Ⅰ李白詩1806 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7570

李白  白雲歌,送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。
(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)   君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

李太白集 卷六25

白雲歌,送劉十六歸山

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7570

Index-24  744年天寶三年44歳 56-15

430 <1000

 

 

 

-378-230卷六25 云歌送劉十六歸山  (楚山秦山皆白雲,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

25

 

 

詩題:

白云歌,送劉十六歸山

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

全唐詩

166_41 《白雲歌,送劉十六歸山》李白 

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。 

 

李太白集:230卷六25白云歌送劉十六歸山

  白雲歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲、白雲處處長隨君。

長隨君、君入楚山裏。雲亦隨君渡湘水。

齊賢曰 湘水出唐桂州興安縣海陽山西至于全州又北至于洞庭

湘水上女蘿衣白雲堪卧君早歸

士斌曰意劉十六楚/人而遊於秦送其歸山者歸/楚山也

 

李白詩校注:白雲歌送劉十六歸山(卷七(一)五二六)

  白雲歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

《通鑑地理通釋》湘水出全州淸湘縣陽朔山東入洞庭北至衡州衡陽縣入江楚辭被薜荔兮帶女蘿

𢎞靜曰 「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。

 

 

 

白雲歌,送劉十六歸山

(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。 

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

(白雲の歌,劉十六の山に歸るを送る。)

楚山 秦山 皆 白雲,白雲 處處 長く君に隨う。

長く君に隨って,君は楚山の裏に入り,雲 亦た 君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上り,女蘿の衣,白雲 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

 

李白の足跡0000 

『白雲歌,送劉十六歸山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

白雲歌,送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

(下し文)
(白雲の歌,劉十六の山に歸るを送る。)

楚山 秦山 皆 白雲,白雲 處處 長く君に隨う。

長く君に隨って,君は楚山の裏に入り,雲 亦た 君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上り,女蘿の衣,白雲 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

(現代語訳)
白雲歌,送劉十六歸山(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。


(訳注) 

白雲歌,送劉十六歸山

(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

1 劉十六 この劉十六といふ人は、名字ともに分らぬ。しかし、李白がわざわざ、この詩を作って其旅の餞別したのを見れば、湘水、衡山に住む山水に高臥をたのしむ隠者であろうことがわかる。気配を消すほどに、高士であるから例によって人物はわからない。十六は排行で、先祖を祀るときの席の順番であったもので、唐では一族の権威的な意味でよく使われた。

2 評価 方𢎞靜曰「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。」(太白、新鶯百囀を賦する、白雲歌と、咏物の句無し。、天仙なり他人が稍やもして擬象有らば、即ち凡辭に屬す。𢎞靜:方弘静朝代:明. 人物簡介. 中國歷代人名大辭典. 【生卒】:1516—1611 【介紹】: 明徽州府歙縣人,字定之,號采山。嘉靖二十九年進士。授東平知州,遷南京部郎中,出為四川僉事,累官南京部侍郎

 

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

3 楚山 この場合、洞庭湖の付近、瀟湘八景をめぐって、衡山、桃源にかけて何処も隠遁の場所である。

4 秦山 凡そ、終南山を言うのであろう。

5 白雲 しばしば仙郷のイメージとしてつかい、隠者の散居の象徴とされる。『荘子』. 天地篇に「千歳,世を厭ひて去り,仙に上る」彼の白雲に乗じて帝郷(天帝の郷)に至る」と. ある。《莊子、外篇,天地篇》「千歳厭世,去而上倦,乗彼白雲,至於帝榔」(千歳,世を厭えば,去りて上倦し,彼の白雲乗じて,帝榔に至る。)とあるに基づいる。

 

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

6 湘水 《通鑑地理通釋》「湘水、出全州淸湘縣陽朔山、東入洞庭、北至衡州衡陽縣入江。」(湘水は、全州淸湘縣 陽朔山に出でて、東して洞庭に入る、北して衡州衡陽縣に至りて江に入る。

 

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

7 女蘿 方𢎞靜の註によると、《楚辭補註、卷二 九歌山鬼》「若有人兮山之阿,被薜荔兮帶女羅。」(若に人有り山の阿【くま】に,薜荔【へいれい】を被て女羅を帶びとす。)に基づくとある。

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李白  沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る) 髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。

李太白集 巻五17

沐 浴 子

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1756首】

作時年:

744年天寶三年

天寶三年

44

全唐詩卷別:

165_16

文體:

樂府

李太白集 

巻五17

 

 

詩題:

沐浴子

 士贇曰樂府遺聲遊俠二十一曲有沐浴子

作地點:

及地點:

 

  

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

-377-184巻五17 沐浴子  (沐芳莫彈冠,) 

165_16 《沐浴子》李白 

沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

處世忌太潔,至人貴藏暉。 

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。 

 

沐浴子

芳に沐するも 冠を彈ずる莫れ,蘭に浴するも衣を振う莫れ。

世に處するには 太潔を忌み,至人は 暉を藏するを貴ぶ。

滄浪に釣叟有り,吾と爾とは 歸を同じゅうせん。

『沐浴子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

處世忌太潔,至人貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

(下し文)
沐浴子

芳に沐するも 冠を彈ずる莫れ,蘭に浴するも衣を振う莫れ。

世に處するには 太潔を忌み,至人は 暉を藏するを貴ぶ。

滄浪に釣叟有り,吾と爾とは 歸を同じゅうせん。

(現代語訳)
沐浴子屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る

髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。

すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。

つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。


(訳注) 

沐浴子

屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る

1 沐浴子は、楽府の古題、樂府遺聲、遊俠二十一曲に沐浴子が有るのであるが、李白は、沐浴といふところから、屈原の漁父篇を翻案して、此の詩を作ったのである。漁父の篇には、「新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。」(新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。)の数句がある。然るに、漁父は、これを聞いて一笑し、「浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。」(浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。)と歌って立ち去ったというので、これ等をことごとく篇中に取り込んで居る。

 

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。

2 沐 髪を洗う。

 

處世忌太潔,至人貴藏暉。 

すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。

3 太潔 非常に潔白なること。

4 至人 道の極みに達した人。

5 暉 光彩を放つこと。

 

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。 

つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。

6 滄浪 仙界へ続く海原。滄浪とは長江の支流漢水のことであり、楚を流れる川である。

7 釣叟 屈原の楚辞《漁父》篇に見える隠遁者。同じような内容の詩が、孟子のなかにも童謡として出てくる。あるいは楚国の民謡であったのかもしれない。『孟子・離婁上』に出ており、それについて孔子と問答をしている。『孟子』の内容は次の通り:「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」このことからも分かるとおり、漁父の「滄浪之水淸兮…」の部分は『孟子』成立時には既に歌われていたことが分かる。この『楚辭』・漁父の辞賦は古歌に基づいて編輯されているのだろう。

漁父

屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴、形容枯槁。

漁父見而問之曰 「子非三閭大夫与。何故至於斯。」

屈原曰 「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」

漁父曰 「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」

屈原曰 「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』安能以身之察察、受物之汶汶者乎。寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」

漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、

滄浪之水清兮 、可以吾纓。

滄浪之水濁兮 、可以濯吾足。

遂去、不復与言。

屈原既に放たれて、江潭に游び、行ゆく沢畔に吟ず。顔色憔悴し、形容枯槁せり。

漁父見て之に問うて曰はく、 「子は三閭大夫に非ずや。何の故に斯こに至れる」と。

屈原曰はく、 「世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たれたり」と。

漁父曰はく、 「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の釃を歠らざる。何の故に深く思ひ高く挙がりて、自ら放たしむるを為すや」と。

屈原曰はく、「吾之を聞けり。『新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ』と。安くんぞ能く身の察察たるを以つて、物の汶汶たる者を受けんや。寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬らるとも、安くんぞ能く晧晧の白きを以つてして、世俗の塵埃を蒙らんや」と。

漁父莞爾として笑ひ、枻を鼓して去る。乃ち歌つて曰はく、

滄浪の水清まば、以つて吾が纓(えい)を濯ふべし。

滄浪の水濁らば、以つて吾が足を濯ふべしと。

 

 

 

   沐浴子

士贇曰樂府遺聲遊俠/二十一曲有沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人貴藏暉。/

曰屈原曰、新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。 

 五臣曰察察潔白也汶音問垢

/滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

士贇曰滄浪釣叟即屈原/詞所謂漁父者此詩全櫽括漁父詞之意前詩含光混世貴無名何用孤/髙比雲月亦此意也其太白涉難後之辭乎

 

 

  沐浴子

  胡震亨曰沐浴子梁陳間曲也古辭澡身/經蘭氾濯髮傃芳洲太白擬作專用楚詞漁父/

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人一作/貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

楚詞漁父篇屈原既放遊/於江潭行吟澤畔顔色憔悴形容枯槁漁父見而問之曰子非三閭大夫歟何故/至於斯屈原曰舉世皆濁而我獨清衆人皆醉而我獨

醒是以見放漁父曰夫聖人者不凝滯於物而能與世/推移舉世皆濁何不淈其泥而揚其波衆人皆醉何不

餔其糟而歠其醨何故懐瑾握瑜而自令見放為屈原/曰吾聞之新沐者必彈冠新浴者必振衣安能以身之

察察受物之汶汶者乎赴湘流𦵏於江魚之腹中又/安能以皎皎之白而世俗之塵埃乎漁父莞爾而

鼓枻而去歌曰、滄浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。遂去不復與言、又雲中君篇浴蘭湯兮沐/

 

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李白  東武吟  #4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。 書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

李太白集巻36-4

東  武  吟

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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#4

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。 

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

李白の足跡0000 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓客日疏散,玉樽亦已空。

才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。

書此謝知己,吾尋黃綺翁。


(下し文)
#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。

(現代語訳)
#4

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

安史の乱期 勢力図 002
(訳注) #4

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

 

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

 

賓客日疏散,玉樽亦已空。 

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

 

才力猶可倚,不慚世上雄。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

 

閑作東武吟,曲盡情未終。 

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

21 黃綺翁 夏黃公、綺里季のことで、商山の四皓の二人を言う。東園公・綺里季・夏黄公・甪里【ろくり】先生の四人の隠士。みな鬚眉【しゅび】が皓白の老人であったのでいう。

 

 

 

 

 東武吟

  一作出金門後書懐留翰林諸公東樂/府詩集古今樂録曰王僧技録有 武吟行今不歌樂府觧題曰鮑照云主人且勿諠沈/約云天徳深且廣傷時移事異榮華徂謝也

  左思齊都賦註云東武太山皆齊之土風絃歌謳吟之/曲名也通典曰漢有東武郡今高諸城縣是

  元和郡縣志州諸城縣即漢東武縣也属琅邪/郡樂府章所謂東武吟者也海録碎事東武吟樂府詩人有少壮從征伐年老被棄/於東武者不敢論功但戀君

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

#2

清切紫霄迥,優游丹禁通。君王賜顔色、聲價凌烟虹。

乗輿擁翠盖、扈從金城東。寳馬麗錦衣入新豐

#3

繆本/作倚巖望松雪、對酒鳴絲桐。因學揚子雲、獻賦甘泉

天書片善、清芬播無窮。歸來入咸陽、談笑皆王公。許本誤失/去此二句

#4

一朝去金馬、飄落成飛蓬。繆本/作友日疎散、玉樽亦已。

才力猶可倚、一作/不慙世上雄。閒作東武吟、曲盡情未終。

書此謝知已、吾尋黄綺翁。一作扁舟尋釣翁達劉/峻廣絶交論斯賢

素交沈約詩便欲息微躬漢書恭承嘉惠兮顔師古註/恭敬也.

 十六國春秋石虎在臺上有詔書以五色紙著

凰 口中既銜詔侍 人放數百丈緋轆轤迴轉状/若飛翔飛下端門以木作之五色文身脚皆用金

《宋書》殷淳居黄門為清切魏書對九重之清切望八襲之/嶸。

 梁簡文帝圍城賦升紫霄之丹地排玉殿之金

《隋書》分司丹禁侍衛左右上官儀詩清切丹禁。

 静顔之/推詩楚王賜顔色出入章華裏鮑照詩輝石亂烟虹賈

誼新書 天子車曰乗輿  《淮南子》建翠盖髙誘註 翠盖以/翠鳥羽飾葢也。

 上林賦扈從横行出乎四校之中 晉灼註扈大也。

封氏聞見記 百官從駕謂之扈從葢臣下侍/從至尊各供所職猶僕御扈養以從上故謂之扈從耳

《上林賦》云扈從横行 顔監釋云謂扈從縱恣而行也。 據/顔此觧乃讀從為放縱不取行從之義所未詳也石林

燕語從駕謂之扈從始 司馬相如《上林賦》晉灼以扈為/大張揖謂跋扈縱横不安鹵簿 故顔師古因之亦以為

跋扈恣縱而行果爾從葢作去聲侍天子而言跋扈可/乎唐封演以為扈從以從猶之僕御此或近之 

張協詩 朱軒耀金城 劉良註金城長安城也。

  史記 中廐之寳馬/臣得賜之 水經註 魏武與張繡戰於宛馬名絶景為流矢所中

舊唐書 京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古/新豐城北、天寳三載、分新豐萬年置昌縣七載省豐縣改昌為昭應治

温泉之西北琦按自乗輿擁/翠葢而下 是指其侍從温泉宮而言在新豐縣之驪山下正直

唐京師之東太白入朝、在天寳二三載、是時/新豐尚未省也。顔延年詩 倚巖聴緒風、又曰庭昏見野隂山明望松雪

漢書 揚雄待、詔承明之庭正月、從上甘泉、還奏甘泉賦、以風桓譚新論、揚子雲從成帝祠甘泉

詔雄作 賦思精苦困倦小卧夢五臟出外以手收而納/之及覺病喘悸少氣王筠詩自知心所 愛獻賦甘泉

鮑照詩 片善辭革萊 漢書 公孫𢎞拜為博士待詔金馬/門 

曹植詩 玉樽盈桂酒夏黄公綺里季事見 四巻註 歘音旭又音忽

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -3 428-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-16【56首】Ⅰ李白詩1803 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

東武吟  #3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

李太白集巻36-3

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14-3

428 <1000

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

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作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#3

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。 

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

秦嶺山脈終南山 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。

天書美片善,清芬播無窮。

歸來入咸陽,談笑皆王公。

(下し文)
#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。

揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。

歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。

(現代語訳)
#3

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

漢文委員会紀頌之タイトル
(訳注)  #3

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

 

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

15 依岩望松雪 楚辞に「石巌に倚りて以て涕を流す」、遵野莽以呼風兮,步從容於山廋。巡陸夷之曲衍兮,幽空虛以寂寞。倚石巖以流涕兮,憂憔悴而無樂。登巑岏以長企兮,望南郢而闚之。山脩遠其遼遼兮,塗漫漫其無時。聽玄鶴之晨鳴兮,于高岡之峨峨。獨憤積而哀兮,翔江洲而安歌。

離騒「余既茲蘭之九畹兮,又樹蕙之百畝。畦留夷與掲車兮,雑杜蘅與芳芷。冀枝葉之峻茂兮,愿竢時乎吾將刈。雖萎絶其亦何傷兮,哀衆芳之蕪穢。」

・秋冬之緒風『楚辞』「九章」の「渉江」

・緒風 秋冬の風の名残をいう。に、「乗鄂渚而反顧兮、欵秋冬之緒風。」(鄂渚に乗りて反顧すれば、ああ、秋冬の緒風なり。)とある。顏延年《和謝監靈運》「倚岩聽緒風,攀林結留荑。」(岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1188

16 絲桐 琴弦をかき鳴らす

 

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

17 揚子雲 揚雄のことで、(前53―後18)中国、漢代の儒学者、文人。蜀郡成都(四川省)の人。字は子雲。前漢、新、後漢の三王朝に仕えた。学者として高名である。著書としては『易経』に擬した『太玄経』と、『論語』を模した『法言』が有名である。また司馬相如の影響を受けて賦をよくした。『太玄経』は『易経』の六四卦()三八四爻【こう】に倣って八一首七二九賛とし、新しい占筮書とした。その根本原理は老子の道の思想より得た玄である。その生成を説くに、一玄が分かれて三方となり、三方が九州となり、九州が二七部となり、二七部が八一家となるとする。これを人事にあてて、三方は三公、九州は九卿(けい)、二七部は大夫、八一家は元士にかたどり、一玄を君主としてこれを統べるものと説いた。『法言』は『論語』に倣い、巻1の「学行」から巻10の「孝至」に及んで、聖人を尊び、王道を説いた。漢・唐の諸儒は揚雄を高く評価したが、宋(そう)代の程伊川(ていいせん)や朱熹(朱子)が、聖人の書の模作を難じ、性善悪混説を唱え、三朝に仕えたことなどで批判したため、それ以後の儒者も多くこれに倣った。

18 甘泉宮 秦の始皇帝が前220年に首都咸陽(かんよう)の北西の甘泉山(陝西省淳化県)に築いた離宮の林光宮に始まる。漢の武帝が建元年間(140‐前135)に高光宮,迎風館,通天台などを増築し,周囲19(7.7km)12宮,11台などを甘泉宮と総称した。別に山谷に沿って雲陽に至る周囲540(219km)の甘泉苑を設け,仙人,石闕(せきけつ),封巒(ほうらん),鳷鵲(しじやく)諸観など宮殿台閣100ヵ所以上があった。

 

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

19 清芬 すがすがしく、よいかおりのするさま。きよい匂いただようさま。

 

歸來入咸陽,談笑皆王公。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

20 咸陽 ここでは長安のこと。秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。
簷間樹 

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -2 428-#2Ⅰ李白詩1802 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7550

李白  東武吟  #2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

李太白集巻36-2

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14

428 <1000

 

 

 
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#2

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

京兆地域図002 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

寶馬麗景,錦衣入新豐

(下し文)
#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。

君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。

寶馬 景麗かに,錦衣新豐に入る

(現代語訳)
#2

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。


(訳注)  #2

大明宮の圖003 

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

7 紫霄迥 紫霄とは、天上、此処では、宮禁を言う。天子の詔勅を授かったものは、朝廷内を比較的自由に歩けることを意味する。鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

8 丹禁通   朱で塗った宮殿の階段、紫微宮、外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭、丹陛は丹く塗られていたことで、皇城、大明宮を示す。。

 

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

9 乘輿 天子の輦をいう。

10 扈從 天子の御供をしてゆくこと。

11 金城東 長安城の東、驪山にある温泉離宮をさす。

 

寶馬麗景,錦衣入新豐。

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

12 寶馬 天子の厩に飼育されている馬たちを言う。史記「中廐之寳馬臣得賜之」(中廐の寳馬、臣、之を賜り得る)

13  魏の武帝が袁紹と戦った時の馬の名前で、名馬をさす。 水經註 「魏武與張繡戰於宛。馬名絶景為流矢所中」(魏武と張繡と宛に於て戰う。馬、絶景と、流矢に中る所と為す。

14 新豐 驪山の温泉宮の離宮への登り口がある、宿場の駅のある町。舊唐書「京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古新豐城北」(京兆府、昭應縣に有り、本と隋の新豐縣であり、古えより新豐城の北を治む

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  428Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

李白  東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)  わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

李太白集巻36-1

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14

428 <1000

 

 

 
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744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  428Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#1

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。
方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。
白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。
恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

長安皇城宮城00 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。

方希佐明主,長揖辭成功。

白日在高天,回光燭微躬。

恭承鳳凰詔,起雲蘿中

(下し文)
(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。

方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。

恭しく鳳凰の詔りを承け,ち雲蘿の中より起つ

(現代語訳)
東武吟(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。


(訳注) 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

2 東部吟 蕭士贇の解に「曰《東武吟》即樂府正聲東門行也。」(曰く《東武吟》は即ち樂府正聲の東門行なり。)「晉樂奏古辭云《出東門不顧歸》言、士有貧不安其居、拔劔去、妻子牽衣留之、願共餔糜、斯足。不求富貴也。太白詩、則自述其志也。」(晉樂奏古辭に云『東門を出でて顧いて歸るをせず』言うは、士、貧にして其の居に安んぜざる有り、劔を拔いて去る、妻子 衣を牽いて之を留む、願わくば餔糜を共にすれば、斯に足らん。富貴を求めざるなり。太白の詩は、則ち自ら其の志を述ぶるなり。)とあり、切実な思いを述べている。

王琦の解には、《樂府詩集、古今樂録》「曰、王僧技録有 東武吟行今不歌。」(曰く、王僧技録に東武吟行り、今は歌わず。)。樂府觧題に曰く、「鮑照云、『主人且勿諠』、沈約云、「天徳深且廣。」、傷時移事異榮華徂謝也。」(鮑照は云う、『主人とし且つ諠する勿れ』、沈約は云う、「天徳は深く且つ廣し。」、時移り、事異に、榮華の徂謝するを傷むなり。)と。  左思の《齊都賦》の註に云う、「東武太山皆齊之土風、絃歌謳吟之曲名也。」(東武太山は皆、齊の土風であり、絃歌の謳吟の曲名なり。)と。通典に曰く、「漢有東武郡、今、高諸城縣是也。」(漢に東武郡有り、今、高 諸城縣が是なり。 《元和郡縣志》には、「州諸城縣、即漢東武縣也。属琅邪/郡。樂府章所謂東武吟者也。」(州の諸城縣、即ち漢の東武縣なり。琅邪郡にす。樂府章に所謂る東武吟なる者なり。と。《海録碎事》には、「東武吟樂府、詩人有少壮從征伐、年老被棄、於東武者不敢論功、但戀君耳。」(東武吟は樂府であり、詩人は有少壮に征伐に從い、年老いて棄て被れ、東武に於てぶ者あり、敢えて功を論ぜず、但だ君に戀うるのみ

 

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

 

方希佐明主,長揖辭成功。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

 

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

3 微躬 自らを謙遜して言う。

 

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

4 恭承 恭しく敬いながら承る。

5 鳳凰詔 十六國春秋「石虎在臺上有詔書以五色紙著凰口中既銜詔。侍人放數百丈緋轆轤迴轉、状若飛翔飛下端門。以木作之、五色文身脚皆用金。」(石虎、臺上に在り、詔書有り五色の紙を以て凰の口中に著く。既に詔を銜む。侍人、數百丈の緋ち、轆轤迴轉、状、飛翔するが若く、飛んで端門を下る。は、木を以て之を作り、五色文身、脚、皆金を用う。紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。

鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

鳳銜 鳳詔と同じ。 鳳凰が口に銜える。詔勅を木製の鳳凰に銜えさせた故事。鳳詔:《鄴中記》.「石季龍與皇后在觀上為詔書,五色紙著鳳口中,鳳既銜詔,詩人放,數百丈緋繩轆盧回轉,鳳凰飛下,謂之鳳詔。鳳凰以木作之,五色漆畫,皆用金。」

韋莊《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》「鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

街鼓動,禁城開,天上探人回。

鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

家家樓上簇神仙,爭看鶴冲天。

(喜遷鶯二首 其の二)

街は鼓動し,禁城 開く,天上 人を探して回る。

鳳は金膀を銜へ 雲來に出づ,平地 一聲雷。

鶯は已に遷り,龍 已に化す,一夜 城の車馬に滿つ。

家家の樓上 神仙に簇【むらが】り,爭って看る 鶴の天に冲【のぼ】るを。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。)

長安の街に「引見」の太鼓の音が鳴り響き、皇城の正門朱雀門はひらかれ、宮官人たちは早くから動きにぎわい、宮中では人を探し回るほどの騒ぎである。

古来より恒例の詔勅の入った金沙の袋を木製の鳳凰が口に銜えたのが、天子につづいて、更に百官が居並んでてきて、平地には祝福の号砲のような雷が鳴り響く。

既に鶯は谷を渡ったという、進士の試験に及第した、龍が既に化身したがこれからどれだけ伸びてくれるか計り知れない前途洋洋である。その夜は長安城には及第者は無礼講で、溢れるほどの車馬でいっぱいになった。

多くの人が家家の高楼の上にあがって、仙郷である朝廷の及第者の様子を見ようと群がって見ている。そこに鶴に乗って天に上る及第者が御殿に昇っていくのをみんな爭ってみるのである。

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大明宮 作図011 

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思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

李太白集 巻四142

來日大難 2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#2

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-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。
#2

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。
#3

思填東海,強銜一木。

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

道重天地,軒師廣成。 

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

蟬翼九五,以求長生。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

下士大笑,如蒼蠅聲。 

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

東海を 填めんこと思い,強いて 一木を銜む。

道は天地に重く,軒 廣成を師とす。

九五を蟬翼とし,以て長生を求む。

下士は大笑すれども,蒼蠅の聲の如し。

 

 

『來日大難』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

思填東海,強銜一木。

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。

下士大笑,如蒼蠅聲。

(下し文)
#3

東海を 填めんこと思い,強いて 一木を銜む。

道は天地に重く,軒 廣成を師とす。

九五を蟬翼とし,以て長生を求む。

下士は大笑すれども,蒼蠅の聲の如し。

(現代語訳)
#3

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。


(訳注) #3

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

1 詩題 来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

2 士贇曰詩意謂 「黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。」(士贇曰く、詩意謂えらく 黃帝、猶お以道をて重しと為すことを知り、廣成に師問し、天位を視ること猶お蟬翼の輕きなり、以て長生久視の術を求む。而して下愚の士、乃ち浮榮を戀し、聞道をいいて笑う、亦た哀しむ可し。

 

思填東海,強銜一木。

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

填東海 《述異記》「昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。」(昔、炎帝の女、東海中に溺死す。化して精衛と為す、其の名を自ら呼び、常に西山の木石を銜んで、東海を填む。)とあるに基づく。

 

道重天地,軒師廣成。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

軒師 黄帝のこと。神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)

廣成 軒轅皇帝就浩浩蕩蕩的帶了很多侍衛,欲拜訪廣成子。《抱朴子》黄帝過崆峒、從廣成子受自然之經。

 

蟬翼九五,以求長生。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

蝉翼九五 帝王の最高権威を蝉の翅のように軽く見下す。九五とは、陽數中の九は最高を為し,五居正中とし,これにより「九」と「五」でもって帝王の權威の象徵としている,之を稱して「九五之尊」と為る。

 

下士大笑,如蒼蠅聲。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

下士大笑 老子「上士聞道,勤而行之;中士聞道,若存若亡;下士聞道,大笑之。不笑,不足以爲道。」(上士は道を聞けば,勤めて之を行い;中士は道を聞けば,存するが若く亡きが若し;下士は道を聞けば,大として之を笑う。笑わざれば,以れ道を爲すに足らず。

すぐれた人物は道を聞けば、努力して実行するが、並みの人物は道のことを聞いて、半信半疑の態度で、そういう道があるかあるのだかないのだか見当もつかないもので、知恵の低いものになると、小馬鹿にして笑いとばす。しかし、彼らに笑いとばされるくらいでなければ、真の道とはいえないものである。(衆人には容易に理解できるものではない)

蒼蠅聲 《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序:「青蠅,大夫刺幽王也。」(青蠅は,大夫幽王を刺るなり。)「青蠅. 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。」(営営たる青蠅、樊 (垣根)に止る王が好んで讒言を聞くので、詩人がそれを青蠅の飛びまわって物を汚すさまにたとえて戒めた。

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

  來日大難

  來日大難、即古善哉行也。葢摘首句以命題耳。樂府古題要解善哉行、古詞來日大難口噪唇乾言、人命不可保當樂見親友且求長生術、王喬八公遊焉。按樂府詩集 王僧技録善哉行 乃相和歌、瑟調三十八曲之一。

來日一身、携糧負薪。道長蕭本作/長鳴食盡、苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。仙人相存、誘我學。

來日謂已來之日猶徃日也。《韓詩外傳》 乾喉焦唇仰天而嘆 《梁宣帝賦》 餐霞永日静坐千春。

魏武帝詩 越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 

海淩繆本/作陵三山、陸憩五岳。

乗龍天飛、目瞻兩角。繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角

謝靈運詩 越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成、《周禮》註 五岳、東曰岱宗、南曰衡山、西曰華山/、北曰恒山、中曰嵩高山。

授以神蕭本/作仙藥、金丹滿握。蟪蛄恩。深媿短促。

荘子 蟪蛄不知春秋陸德明。註 司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死、崔云蛁也。或曰、山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋。 廣雅云、蟪蛄蛁也、即楚辭 所謂寒也。

思填東海、強銜一木。道重天地、軒師廣成。

蟬翼九五。以求長生。下士大如蒼蠅聲

《述異記》昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。

偶海燕而生子生雌状如精衛、生雄如海燕。今、東海精衛、誓水處。

曾溺於此川誓不飲其水 詩意言人命

短促有如蟪蛄恩而授之神藥得使長生其徳深矣。思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳、

甚言其德之深而無以為報也。 

抱朴子黄帝過崆峒、從廣成子受自然之經

蟬翼九五、視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子「下士聞道大笑」  之詩 國風 蒼蠅之聲

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李白  來日大難#2

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

李太白集 巻四142

來日大難 2

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Index-24

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-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。
#2

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。
#3

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

 

 

 

『來日大難』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

海淩三山,陸憩五嶽。

乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

(下し文)
#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。

(現代語訳)
#2

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。


(訳注) #2

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

1 詩題 来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

2 士贇曰詩意謂 「黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。」(士贇曰く、詩意謂えらく 黃帝、猶お以道をて重しと為すことを知り、廣成に師問し、天位を視ること猶お蟬翼の輕きなり、以て長生久視の術を求む。而して下愚の士、乃ち浮榮を戀し、聞道をいいて笑う、亦た哀しむ可し。

 

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

7 三山 神仙三山、蓬萊、方丈、瀛洲をいう。それは、東方の海中には五山(方丈、蓬莱、滄州、扶桑州、瀛州のちに三山)が大亀の背に載って浮かび、そこには不老長寿の妙薬が生え、不死不老の「東王父」らの神仙が棲むということである。

8 五嶽 中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)である。神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

 

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

9 乘龍天飛 仙界を逍遥、浮遊する、道教の修行場を転々とすることを言う。

 

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

10 仙藥 ① 飲めば不老不死の仙人になるという薬。 不思議な効き目のある薬。霊薬。

11 金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。

 

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

12 蟪蛄 春生まれれば、夏に死に、夏に生まれたものは秋に死ぬ寒蝉をいう。《荘子 逍遙遊篇》「朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。」(朝菌は晦朔を知らず。蟪蛄は春秋を知らず。朝菌は朝から暮れまでのいのちで、夜と明け方を知らず、夏に生まれ夏を鳴きあかしている蝉は季節を知らないのであるから、どうして夏が夏であることを知りえようか。

 

 

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

 

 

  來日大難

  來日大難、即古善哉行也。葢摘首句以命題耳。樂府古題要解善哉行、古詞來日大難口噪唇乾言、人命不可保當樂見親友且求長生術、王喬八公遊焉。按樂府詩集 王僧技録善哉行 乃相和歌、瑟調三十八曲之一。

來日一身、携糧負薪。道長蕭本作/長鳴食盡、苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。仙人相存、誘我學。

來日謂已來之日猶徃日也。《韓詩外傳》 乾喉焦唇仰天而嘆 《梁宣帝賦》 餐霞永日静坐千春

魏武帝詩 越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 

海淩繆本/作陵三山、陸憩五岳。

乗龍天飛、目瞻兩角。繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角

謝靈運詩 越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成、《周禮》註 五岳、東曰岱宗、南曰衡山、西曰華山/、北曰恒山、中曰嵩高山。

授以神蕭本/作仙藥、金丹滿握。蟪蛄恩。深媿短促。

荘子 蟪蛄不知春秋陸德明。註 司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死、崔云蛁也。或曰、山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋。 廣雅云、蟪蛄蛁也、即楚辭 所謂寒也。

思填東海、強銜一木。道重天地、軒師廣成。

蟬翼九五。以求長生。下士大如蒼蠅聲

《述異記》昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。

偶海燕而生子生雌状如精衛生雄如海燕東海精衛誓水處曾溺於此川誓不飲其水詩意言人命

短促有如蟪蛄今恩而授之神藥得使長生其徳深/矣思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳甚言其德

之深而無以為報也抱朴子黄帝過崆峒從廣成子受/自然之經蟬翼九五視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子下士聞道大笑/之詩國風蒼蠅之聲

 

744年年44歳-13#1【56首】李太白集139巻四14 來日大難  427Index-24Ⅲ-3 Ⅰ李白詩1796 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7520

 李白  來日大難

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。 

今日醉飽,樂過千春。仙人相存,誘我遠學。 

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

李太白集 

巻四14#1

來日大難 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7520

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#1

427 <1000

 

 

 744年天寶三年44-13

-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩, 深愧短促。

 

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

 

 

 

『』現代語訳と訳註解説
(
本文)

來日大難

來日一身,攜糧負薪。

道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽,樂過千春。

仙人相存,誘我遠學。

(下し文)
(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。

(現代語訳)
來日大難(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。


(訳注) 

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

 

善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 630 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1737

善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 631 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1741

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善哉行 靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757

 

謝靈運《善哉行》

陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。

三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。

居德斯頤,積善嬉謔。陰灌陽叢,凋華墮蕚。

歡去易慘,悲至難鑠。擊節當歌,對酒當酌。

鄙哉愚人,戚戚懷瘼。善哉達士,滔滔處樂。

(善哉行)

陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。

景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。

三春は燠敷し,九秋は蕭索す。

涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。

德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔【きぎゃく】す。

陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。

歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。

擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。

鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。

善哉の達士,滔滔として樂に處す。

 

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

來日 未来をさすのではなく、已來した日々。往日。

負薪 ・負薪の憂 《「礼記」曲礼下》自分の病気を謙遜していう言葉。たきぎを背負った疲れが出て病むの意からとも、病気でたきぎを負うことができないの意からともいう。采薪(さいしん)の憂い。負薪の病い。

・負薪の資 《「後漢書」袁紹伝》いやしい生まれつき。劣った資質。

 

道長食盡,苦口焦唇。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

 

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

樂過千春 千歳の春の行樂を過ごすこと、これよりよいものは無い。

 

仙人相存,誘我遠學。

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

相存 しばしばおとづれていてくれることの意。

誘我遠學 遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われる。

 

 

 

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

 

 

  來日大難

  來日大難即古善哉行也葢摘首句以/命題耳樂府古題要解善哉行古詞來日大難口噪唇乾言人命不可保當樂見親友且/求長生術王喬八公遊焉按樂府詩集王僧技録善哉行乃相和歌/瑟調三十八曲之一

  

來日一身携糧負薪道長蕭本作/長鳴食盡苦口焦唇今日

醉飽樂過千春仙人相存誘我學海淩繆本/作陵三山陸

憩五岳乗龍天飛目瞻兩角繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角授以神

蕭本/作仙藥金丹滿握蟪蛄恩深媿短促思填東海強

一木道重天地軒師廣成蟬翼九五以求長生下士大

笑如蒼蠅聲

來日謂已來之日猶徃日也韓詩外傳乾/喉焦唇仰天而嘆梁宣帝賦餐霞永日静坐千春

魏武帝詩越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 謝靈運詩越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成周禮註五岳東曰岱宗南曰衡山西曰華山/北曰恒山中曰嵩高山荘子蟪蛄不知

春秋陸德明註司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死崔/云蛁也。或曰山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋廣雅云蟪蛄蛁也即楚辭所謂寒

述異記昔炎帝/女溺死東海中化為精衛其名自呼常銜西山木石填

東海偶海燕而生子生雌状如精衛生雄如海燕今東/海精衛誓水處曾溺於此川誓不飲其水詩意言人命

短促有如蟪蛄今恩而授之神藥得使長生其徳深/矣思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳甚言其德

之深而無以為報也抱朴子黄帝過崆峒從廣成子受/自然之經蟬翼九五視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子下士聞道大笑/之詩國風蒼蠅之聲

 

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李白  上之回 #2

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。前軍細柳北,後騎甘泉東。

豈問渭川老,寧邀襄野童。但慕瑤池宴,歸來樂未窮。

かくて、万乗の鹵簿を整えて、輦道より出たならば、旌旗は彩虹が揚がったように長くたくさんならぶ。前軍は既に細柳の北に至るというのに、後騎は、やつと甘泉の東に差しかかったほどで、その行列の賑賑しく仰山なことは、言語に絶して居る。しかし、天子は、むかし、周の文王が渭水の上に太公望を尋ねあてたという様な訪賢の志もなく、又、黄帝が襄陽城の野で童子にたまたま出遭ったという様な謙虚さも、得道の願もないのである。唯だ、周の穆王が瑤池に於て、西王母と宴を催したという様な神仙の事を慕われて居るだけなので、やがて、歸られても、その樂、歓楽、快楽というものが、とこしえに尽きることがない様にと、心に祈って居られるのである。

李太白集 巻三29#2

上之回 #2

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Index-24

744年天寶三年44歳 

56-12) #2

426 <1000

 

 
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-374-118巻三29 上之回  (三十六離宮,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六三  27

文體:

樂府

李太白集 

巻三29

 

 

詩題:

上之回

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

 

京兆地域図002 

上之回

(漢の武帝の遊幸するのを賛美したことを述べて、玄宗を諷したものである。)

三十六離宮,樓臺與天通。

長安の近郊には、三十六所の離宮があって、いずれも、楼臺高く聳えて天にも届くばかり。

閣道步行月,美人愁煙空。

その間には、閣道を以てそれぞれ通じ、美人は、更け行く月に乗じて、おもむろに歩を移し、苑中の樹の間に煙りの晴れた時にも似て、その顔には、暗愁を帯びて居る。

恩疏寵不及,桃李傷春風。

それは何故かというと、天子の恩澤、甚だ疏にして、寵幸未だ其身に及ばざるが故に、桃李の艶なるも、春風を傷んで、自らたえざるが如くである。

淫樂意何極,金輿向回中。

天子は、淫樂を旨として、飽くことを知らず、そして、始終、宮中にばかり居ては面白くないというので、はるかに、金輿を移し、中に向って行幸せられた。

(上之回【じょうしかい】お上は囘りゆく)#1

三十六離宮,樓臺 天と通ず。

閣道 行月に步し,美人 煙り空しきを愁う。

恩疏にして 寵 及ばず,桃李 春風を傷む。

淫樂 意 何ぞ極まらん,金輿 回中に向う。

#2

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。

前軍細柳北,後騎甘泉東。

豈問渭川老,寧邀襄野童。

但慕瑤池宴,歸來樂未窮。

かくて、万乗の鹵簿を整えて、輦道より出たならば、旌旗は彩虹が揚がったように長くたくさんならぶ。

前軍は既に細柳の北に至るというのに、後騎は、やつと甘泉の東に差しかかったほどで、その行列の賑賑しく仰山なことは、言語に絶して居る。

しかし、天子は、むかし、周の文王が渭水の上に太公望を尋ねあてたという様な訪賢の志もなく、又、黄帝が襄陽城の野で童子にたまたま出遭ったという様な謙虚さも、得道の願もないのである。

唯だ、周の穆王が瑤池に於て、西王母と宴を催したという様な神仙の事を慕われて居るだけなので、やがて、歸られても、その樂、歓楽、快楽というものが、とこしえに尽きることがない様にと、心に祈って居られるのである。

#2

萬乘 黃道を出で,千旗 彩虹を揚ぐ。

前軍は 細柳の北,後騎は 甘泉の東。

豈に問わんや 渭川の老,寧ろ邀えんや 襄野の童。

但だ 瑤池の宴を慕い,歸り來って 樂み 未だ窮らず。

 

『上之回』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。

前軍細柳北,後騎甘泉東。

豈問渭川老,寧邀襄野童。

但慕瑤池宴,歸來樂未窮。

(下し文)
#2

萬乘 黃道を出で,千旗 彩虹を揚ぐ。

前軍は 細柳の北,後騎は 甘泉の東。

豈に問わんや 渭川の老,寧ろ邀えんや 襄野の童。

但だ 瑤池の宴を慕い,歸り來って 樂み 未だ窮らず。

 

 (現代語訳)
#2

かくて、万乗の鹵簿を整えて、輦道より出たならば、旌旗は彩虹が揚がったように長くたくさんならぶ。

前軍は既に細柳の北に至るというのに、後騎は、やつと甘泉の東に差しかかったほどで、その行列の賑賑しく仰山なことは、言語に絶して居る。

しかし、天子は、むかし、周の文王が渭水の上に太公望を尋ねあてたという様な訪賢の志もなく、又、黄帝が襄陽城の野で童子にたまたま出遭ったという様な謙虚さも、得道の願もないのである。

唯だ、周の穆王が瑤池に於て、西王母と宴を催したという様な神仙の事を慕われて居るだけなので、やがて、歸られても、その樂、歓楽、快楽というものが、とこしえに尽きることがない様にと、心に祈って居られるのである。

扶風雍州長安003
(訳注)  #2

上之回

(漢の武帝の遊幸するのを賛美したことを述べて、玄宗を諷したものである。)

1 上之回 宋書、漢の鼓吹鐃歌十八曲中に、上之回が有る。樂府古題の要解に、「上之回は、漢武帝、元封の初め雍に至るに因って、遂に回中の道に通じ、後に數ば遊幸す。其の歌、『帝游石、望諸國、月支臣、匈奴服。』と稱し、皆、當時の事を美するなり。

魏には『充官渡』言って、曹公が袁紹を官渡に於て破りしことをいうなり。 には『烏林』言って、周瑜が魏武を烏林に於て破ったことをいうなり。 晉には『宣輔政』と言って、宣帝の業をいうものである。 梁には、『道亡』と言って、東昏が道義を失って、師、樊鄧に起りしこというのである。 北齊には、『珍隴』と言って、神武が侯莫、陳恱を遣わし、賀技岳を誅して、隴を定めしことをいうなり。 後周には、『平竇泰』と言って、太祖が竇泰を討平したことをいうものである

贇曰「此詩言/秦皇漢武之幸回中者不過消志於神仙之亊而已豈知求賢哉時明/皇亦好神仙其諷諫之作歟」

蕭士贇の註に「この詩は、秦皇漢武の囘中に幸行するは、志を神仙の事に溺らすに過ぎざるのみ、豈に賢を求むるを知らむや、明皇も、亦た神仙を好む、其れ諷諫の作なるか」といって居る。

 

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。

かくて、万乗の鹵簿を整えて、輦道より出たならば、旌旗は彩虹が揚がったように長くたくさんならぶ。

10 黃道 天子の通る道。《漢書天文志》「日有中道中道者黄道也。日君象故天子所行之道、亦曰黄道。」(日に中道有り、中道は黄道なり。日は君の象で、故に天子の行く所の道を、亦た黄道と曰う。)宋之問詩囂聲引颺聞黄道王氣周廻入紫宸。 蕭士贇曰前漢天文志 

・天球上で太陽の年周運動の行路にあたる大円。赤道と約 23°27′傾き,春分点,秋分点の 2点でそれと交わる。太陽はこの上を西から東へ 1年に 1周する。黄道上を春分点から東へ 90°動いた点を夏至点,270°つまり秋分点から 90°動いた点を冬至点といい,それぞれ赤緯+23°27′,-23°27′にあたる (→至点)

 

前軍細柳北,後騎甘泉東。

前軍は既に細柳の北に至るというのに、後騎は、やつと甘泉の東に差しかかったほどで、その行列の賑賑しく仰山なことは、言語に絶して居る。

11 細柳 漢の文帝の時、胡に備えて、三将軍が配置され、その一つ周亜夫将軍が細柳に開營下、その場所を言ってこの故事に基づいた。 《史記 ·絳侯周勃世家》。「漢文帝后元六年,匈奴大規模侵入漢朝邊境。於是,朝廷委派宗正官劉禮為將軍,駐軍霸陵;祝茲侯徐厲為將軍,駐軍在棘門;委派河郡太守周亞夫為將軍,駐軍細柳,以防備匈奴的侵略。

細柳

111巻三22司馬將軍歌 代隴上健兒陳安

紫髯若戟冠崔嵬、細柳開營揖天子。

118巻三29上之回

前軍細柳北、後騎甘泉東。

《史記 ·絳侯周勃世家》

文帝之后六年、匈奴大入邊。乃以宗正劉禮為將軍、軍霸上、祝茲侯徐厲為將軍、軍棘門、以河守亞夫為將軍、軍細柳以備胡。
(文帝の后六年、匈奴大いに邊に入る。乃ち宗正劉禮を以て將軍と為し、霸上に軍し、祝茲侯、徐厲を將軍と為し、棘門に軍し、河守、亞夫を以て將軍と為し、細柳に軍し以て胡に備う。
漢孝文帝の後六年、匈奴が大挙して辺境に入った。すなわち宗正の劉礼を以って将軍と為し、覇上に軍営を張った。祝茲侯徐万を将軍と為して、棘門に軍営を張った。河内守亞夫を以って将軍と為し、細柳に軍営を張った。以って胡(匈奴)に備えた。
上、自勞軍、至霸上及棘門軍、直馳入、將以下、騎送迎。已而之細柳軍。軍士吏被甲、兵刃彀弓弩持滿。
上、自ら軍を勞し、霸上に至り棘門軍に及び、直ちに馳せ入るや、將 以下、騎して送迎す。已に而して細柳軍ゆく。軍士吏は甲を被り、兵は刃彀弓弩で滿を持す。
上(漢孝文帝)は自ら軍を労い、覇上軍及び棘門軍に至り、直ちに馳せ入り、将軍以下騎兵が送迎した。すでに細柳軍に行き、軍の兵士、役人は鎧を被り、鋭兵刃物の武器、弓、弩(ど:おおゆみ)を引き絞り、満を持していた。
天子、先驅至、不得入軍門。先驅曰、天子且至。
天子、先驅に至るも、軍門に入るを得ず。先驅 曰く、天子 且に至らん。
天子(漢孝文帝)の先駆(さきがけ)が至ったが軍門に入ることを得られず。先駆が曰く「天子がまさに至らんとす」と。
都尉曰、將軍令曰、軍中聞將軍令、不聞天子之詔。
都尉 曰く、將軍の令に曰く、軍中には將軍の令を聞、天子の詔を聞かず。
都尉曰く、「将軍令曰く『軍営中は将軍令を聞き、天子の詔は聞かない』と。」と。
居無何、上、至又不得入、於是上乃使、使持節詔將軍、吾欲入勞軍。亞夫乃傳言開壁門。壁門士吏、謂從屬車騎曰、將軍約、軍中不得驅馳。
居無何して、上、至るも又た入るを得ず、是に於て上 乃ち使をして 節を持って將軍に詔りせしめ、吾 軍を勞するに入らんと欲す。亞夫 乃ち言を傳えて、壁門を開く。壁門の士吏、從屬の車騎に謂うて曰く、將軍約すらく、軍中には 驅馳するを得ず。
幾許(居無何:いくばく)とたたないうちに、上(漢孝文帝)が至ったが、また入ることを得られず。ここに於いて上(漢孝文帝)はすなわち節を持った使者をつかわし将軍に詔を告げた。「吾は入り軍営を労いたい」と。周亞夫はすなわち壁門を開くよう伝言した。壁門の士吏は従属の車騎に謂った、曰く「将軍の約束で、軍営中では(車騎を)駆け馳せらせることはできない」と。
於是天子、乃按轡徐行、至營。將軍亞夫持兵揖曰、介胄之士不拜、請以軍禮見。
是に於て天子、乃ち轡を按じて徐行し、營に至る。將軍 亞夫 兵を持し揖して曰く、介胄の士は拜せず、請う軍禮を以て見えん。
ここに於いて天子はすなわち轡【くつわ】をおさえて徐行した。陣屋に至り、将軍亞夫は兵器を持ちあいさつをして曰く「鎧冑の兵士は拝礼をしません。軍礼を以って見【まみ】えることを請う」と。
天子為、動改容、式車、使人稱謝、皇帝敬勞將軍。成禮而去。既出軍門、群臣皆驚。
天子 為に、動かして容を改め、車を式し、人をして稱謝せしめ、皇帝 敬んで將軍を勞う。禮を成して去る。既に軍門に出づ、群臣 皆 驚く。
天子(漢孝文帝)は感動し、改めて聞き入れ車の前方に手をかけて礼をした。人をつかわし称えわびをさせ、「皇帝は将軍(周亞夫)を敬い労う」と。礼を成して去った。すでに軍門を出て、群臣はみな驚いた。
文帝曰、嗟乎、此真將軍矣。曩者霸上棘門軍若兒戲耳。其將固可襲而虜也。至於亞夫可得而犯邪。稱善者久之。
文帝 曰く、嗟乎、此れ真の將軍! 曩の者、霸上棘門軍は兒戲の若きのみ。其れ將て固く襲とす可して虜なり。於至り亞夫に得可くして犯邪なり。善と稱する者久しく之とす。
漢孝文帝曰く「ああ、あれが真の将軍である。さきの霸上軍、棘門軍は子供が戯れているようなだけだ。その将(将軍)はきっと襲)われ虜となるだろう。周亞夫に至っては犯すことができるだろうか」と。善いと称えること久しかった。

12 甘泉東 三輔黄圗闗輔記》林光一曰甘泉秦所造在今池陽縣西故甘泉山以山為名周匝十餘里、漢武帝建元中、増廣。之周十九里。去長安三百里、望見長安城、黄帝以來圜丘祭天處。」(林光甘泉曰う秦が造る所なり、今の池陽縣の西、故の甘泉山に在る。周匝十餘里、漢武帝建元中、増廣。之周十九里。長安を去ること三百里、望見長安城を、黄帝以來の圜丘、祭天する處なり。

 

豈問渭川老,寧邀襄野童。

しかし、天子は、むかし、周の文王が渭水の上に太公望を尋ねあてたという様な訪賢の志もなく、又、黄帝が襄陽城の野で童子にたまたま出遭ったという様な謙虚さも、得道の願もないのである。

13 渭川老 太公望のこと。

14 襄野童 《荘子》黄帝将見大隗乎具茨之山至於襄城之野七聖皆迷無所問途。適遇牧馬童子問途焉。黄帝再拜稽首稱天師而退。」(黄帝 将に大隗を具茨の山に見んとし、襄城の野に至る。七聖 皆 迷い、途を問う所を無し。適ま牧馬の童子に遇うて途を問わん。黄帝 再拜 稽首して、天師と稱して退る。

 

但慕瑤池宴,歸來樂未窮。

唯だ、周の穆王が瑤池に於て、西王母と宴を催したという様な神仙の事を慕われて居るだけなので、やがて、歸られても、その樂、歓楽、快楽というものが、とこしえに尽きることがない様にと、心に祈って居られるのである。

15 瑤池宴 神仙の故事である《列子》「周穆王升崑崙之丘於西王母觴於瑶池之上。」(周穆王、崑崙之丘に升り、遂に西王母、瑶池之上に於て觴す。)とあるに基づく。
李白図102 

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李白  上之回

三十六離宮,樓臺與天通。閣道步行月,美人愁煙空。

恩疏寵不及,桃李傷春風。淫樂意何極,金輿向回中。

(漢の武帝の遊幸するのを賛美したことを述べて、玄宗を諷したものである。)  長安の近郊には、三十六所の離宮があって、いずれも、楼臺高く聳えて天にも届くばかり。その間には、閣道を以てそれぞれ通じ、美人は、更け行く月に乗じて、おもむろに歩を移し、苑中の樹の間に煙りの晴れた時にも似て、その顔には、暗愁を帯びて居る。それは何故かというと、天子の恩澤、甚だ疏にして、寵幸未だ其身に及ばざるが故に、桃李の艶なるも、春風を傷んで、自らたえざるが如くである。天子は、淫樂を旨として、飽くことを知らず、そして、始終、宮中にばかり居ては面白くないというので、はるかに、金輿を移し、中に向って行幸せられた。

李太白集 

巻三29

上之回

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7510

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-12

426 <1000

 

 
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-374-118巻三29 上之回  (三十六離宮,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六三  27

文體:

樂府

李太白集 

巻三29

 

 

詩題:

上之回

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

 

全唐詩 卷163_27 《上之回》李白 

上之回

三十六離宮,樓臺與天通。閣道步行月,美人愁煙空。 

恩疏寵不及,桃李傷春風。淫樂意何極,金輿向回中。 

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。前軍細柳北,後騎甘泉東。 

豈問渭川老,寧邀襄野童。但慕瑤池宴,歸來樂未窮。 

 

李太白集分類補註巻四  宋 楊齊賢 集註 元 蕭士贇 補註

   上之回

   士贇曰 漢帝、元封初、因至雍、遂通回中道、後數遊幸。焉其歌稱『帝遊石諸國月支臣匈奴服』葢誇時事也。

魏曰 『充官渡』言、曹公破袁紹於官渡也。 曰 『烏林』言、周瑜破魏武於烏林也。 晉曰『宣輔政』言、宣帝之業也。 梁曰、『道亡』言、東昏失道義、師、起樊鄧也。 北齊曰、『珍隴』言、神武遣侯莫陳恱、誅賀技岳、定也。 後周曰、『平竇泰』言、太祖討平竇泰也。

   三十六離樓臺與天通。閤道步行月美人愁煙空

   /賢曰西都賦離/館三十六所

恩踈寵不及桃李傷春風淫樂意何極金輿向回中

士贇曰「《括地志》云、秦回中在岐州雍縣西四十里」

萬乗出黄道、千旗揚彩虹。前軍細柳北後騎甘泉東

齊賢曰天子曰萬/乗日行黄道言人君動法於日也士贇曰秦之林光漢之甘泉在雍州/雲陽西北八十里秦始皇作甘泉去長安三百里望見長安城黄帝以/來祭天屯兵處

豈問渭川老邀襄野童但慕瑶池宴歸來樂未窮

渭川老:齊賢曰渭川老望也士。

贇曰此詩言/秦皇漢武之幸回中者不過消志於神仙之亊而已豈知求賢哉時明/皇亦好神仙其諷諫之作歟

 

 

李太白集注巻四   錢塘 王𤦺 撰

  上之回

  按宋書漢鼓吹鐃歌十八曲中、有上之回。樂府古題要解、「上之回、漢武帝、元封初因至雍、遂通回中道、後數遊幸焉。其歌、稱『帝游石望諸國、月支臣、匈奴服。』、皆、美當時事也。

三十六離宮,樓臺與天通。閣道步行月,美人愁煙空。 

恩疏寵不及,桃李傷春風。淫樂意何極,金輿向回中。 

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。前軍細柳北,後騎甘泉東。 

豈問渭川老,寧邀襄野童。但慕瑤池宴,歸來樂未窮。 

三十六離宮・西都/賦離宫别館三十六所 

・章懐太子註三輔黄圖曰上林有建/章承光等一十一平樂繭觀等二十五館凡三十六所與天通極言其髙與天相近也。

閣道・《西京賦》閣道穹窿。向註 閣道飛陛也。

行月・沈約詩騰葢隠奔星低鑾避行月 

金輿・史記人體安駕乗為之金輿錯衡以繁其飾

回中・漢書元封四/年冬十月行幸雍祠五畤通回中道 應劭曰回中在安定高平有險阻蕭在其北又  ・《史記正義括地志》云秦/回中在岐州雍縣西四十里。・太平寰宇記回中翔府天興縣西。

黃道 宋之問詩囂聲引颺聞黄道王氣周廻入紫宸。 蕭士贇曰前漢天文志日有中道中道者黄道也。日君象故天子所行之道亦曰黄道。 

魏文帝詩/丹霞蔽日彩霞垂天漢書註細栁服曰在長安西北如淳曰長安倉在渭北近石

徼張揖曰在昆明/池南今有市是也。

三輔黄圗闗輔記林光一曰甘泉秦所造在今池陽縣西故甘泉山以山為名/周匝十餘里漢武帝建元中増廣之周十九里去長安三百里望見長安城黄帝以來圜丘祭天處遁甲開山/圖云雲陽先生之墟也

梁簡文帝上之回云前回中後車隅桂太白盖用其句法史記尚盖嘗窮困/年老矣以魚釣干周西伯西伯将出獵卜之曰所獲非龍非彲非虎非羆所獲霸王之輔於是周西伯獵果遇/太公於渭之陽與語大悦曰自吾先君太公曰當有聖人適周、周以興子真是耶吾太公望子久矣、故號之曰/太公望載與俱歸立為師荘子黄帝将見大隗乎具茨之山至於襄城之野七聖皆迷無所問途適遇牧馬童/子問途焉曰若知具茨之山乎曰然若知大隗之所存乎

曰然黄帝曰異哉。小童非徒知具茨之山又知大隗/之所存請問為天下小童曰予少而自游於六合之内予適有瞀病有長者教予曰若乗日之車而遊於襄城/之野今予病稍痊予又且復遊於六合之外夫為天下亦若此而已矣又奚事哉

黄帝再拜稽首稱天師而退

梁簡文帝詩聊驅式道侯無勞襄野童列子周穆王升崑崙之丘遂於西王母觴於瑶池之上

蕭士贇曰詩/言漢武幸回中不過溺志於神仙之事豈為求賢

明皇亦好神仙此/其諷諌之作歟

 

漢長安城 00 

上之回

(漢の武帝の遊幸するのを賛美したことを述べて、玄宗を諷したものである。)

三十六離宮,樓臺與天通。

長安の近郊には、三十六所の離宮があって、いずれも、楼臺高く聳えて天にも届くばかり。

閣道步行月,美人愁煙空。

その間には、閣道を以てそれぞれ通じ、美人は、更け行く月に乗じて、おもむろに歩を移し、苑中の樹の間に煙りの晴れた時にも似て、その顔には、暗愁を帯びて居る。

恩疏寵不及,桃李傷春風。

それは何故かというと、天子の恩澤、甚だ疏にして、寵幸未だ其身に及ばざるが故に、桃李の艶なるも、春風を傷んで、自らたえざるが如くである。

淫樂意何極,金輿向回中。

天子は、淫樂を旨として、飽くことを知らず、そして、始終、宮中にばかり居ては面白くないというので、はるかに、金輿を移し、中に向って行幸せられた。

(上之回【じょうしかい】お上は囘りゆく)#1

三十六離宮,樓臺 天と通ず。

閣道 行月に步し,美人 煙り空しきを愁う。

恩疏にして 寵 及ばず,桃李 春風を傷む。

淫樂 意 何ぞ極まらん,金輿 回中に向う。

#2

萬乘出黃道,千旗揚彩虹。

前軍細柳北,後騎甘泉東。

豈問渭川老,寧邀襄野童。

但慕瑤池宴,歸來樂未窮。

#2

萬乘 黃道を出で,千旗 彩虹を揚ぐ。

前軍は 細柳の北,後騎は 甘泉の東。

豈に問わんや 渭川の老,寧ろ邀えんや 襄野の童。

但だ 瑤池の宴を慕い,歸り來って 樂み 未だ窮らず。

 

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744年年44歳-11-#2李太白集96巻三7 山人勸酒  425-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-11-#2 Ⅰ李白詩1793 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7505

李白  山人勸酒#2

  各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。起佐太子,漢王乃複驚。

  顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。歸來商山下,泛若雲無情。

  舉觴酹巢由,洗耳何獨清。浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。
四皓等は、糜鹿の野性を守って、人間界に遠ざかり、秦の末から項羽の亡ぶるまで、龍寵虎の争いがたえなかったが、その中に立ち変るを愧じて、長く山中に暮らして居たのである。ところが、一朝、時運の到來するや、忽然としで起ち、再び世の中へ出てきて、漢の太子を助けた。その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈よ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家ぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向つて一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

李太白集 

巻三7

山 人 勸 酒 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-11

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-373-96巻三7 山人勸酒  (蒼蒼雲松,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六三  7

文體:

樂府

李太白集 

02-15

 

 

詩題:

山人勸酒

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

商山 (山南東道 商州 商縣、 洛南の南

嵩嶽(中嶽)  穎水   

交遊人物:

 

 

 

 

  卷163_7 《山人勸酒》李白 

山人勸酒

(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

蒼蒼雲松,落落綺皓。 

蒼蒼として雲のいる松の樹の聳え立つ、その下には、落落たる綺里季を筆頭にした商山の四皓が憩うて居る。

春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

この四皓らは、隠棲の山人であるから、その楽しみとする所も、世人とは異なって、遥かに高尚なものであろうが、春風は四皓らのためにふくわけでなく、誰のためというわけでなく、何時しか春になれば、自然に芳草は生じ、蝴蝶は其処に戯れるのである。四皓の四人もこれを見て、面白く感じるものであろう。

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。 

ただ、この四人の秀でたる眉は霜雪を積んで白く、顔は桃の花のごとく鮮やかに輝いている、そして、金丹を練って服しているから、骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しく変わることはない。

稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。 

この四皓は秦の始皇帝の末期ごろ、暴政を避けて、商山に隠れたのであり、世俗を立ったのであるが、この春景色を見れば、やはり楽しいと見え、互いに酒を進めて歓談し、おいてゆくのも認識することはなかったのである。

(山人 酒を勸む)

蒼蒼たる雲松,落落たる綺皓。

春風 爾 來って阿誰【あすい】の為にする,蝴蝶 忽然として芳草に滿つ。

秀眉は霜雪 顏は桃花,骨は青く髓は綠なり 長しえに美好なり。

是を稱して  “秦時世を避けるの人”と,酒を勸め 相い歡んで 老いを知らず。
#2

各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。

四皓等は、糜鹿の野性を守って、人間界に遠ざかり、秦の末から項羽の亡ぶるまで、龍寵虎の争いがたえなかったが、その中に立ち変るを愧じて、長く山中に暮らして居たのである。

欻起佐太子,漢王乃複驚。 

ところが、一朝、時運の到來するや、忽然としで起ち、再び世の中へ出てきて、漢の太子を助けた。

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈よ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家ぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。

歸來商山下,泛若雲無情。 

かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向つて一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。 

それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

#2

各おの麋鹿の志を守り,龍虎の爭に隨うを恥ず。

欻ち起って太子を佐け,漢王 乃ち複た驚く。

顧みて戚夫人に謂う,彼の翁羽 翼 成れり、と。

歸り來る 商山の下,泛として雲の情無きが若し。

觴を舉げて 巢由に酹す,耳を洗う 何ぞ獨り清き。

浩歌して 嵩嶽を望めば,意氣 還た相い傾く。

 

 

『山人勸酒』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。

起佐太子,漢王乃複驚。

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

歸來商山下,泛若雲無情。

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。

(下し文)
#2

各おの麋鹿の志を守り,龍虎の爭に隨うを恥ず。

欻ち起って太子を佐け,漢王 乃ち複た驚く。

顧みて戚夫人に謂う,彼の翁羽 翼 成れり、と。

歸り來る 商山の下,泛として雲の情無きが若し。

觴を舉げて 巢由に酹す,耳を洗う 何ぞ獨り清き。

浩歌して 嵩嶽を望めば,意氣 還た相い傾く。


(現代語訳)
#2

四皓等は、糜鹿の野性を守って、人間界に遠ざかり、秦の末から項羽の亡ぶるまで、龍寵虎の争いがたえなかったが、その中に立ち変るを愧じて、長く山中に暮らして居たのである。

ところが、一朝、時運の到來するや、忽然としで起ち、再び世の中へ出てきて、漢の太子を助けた。

その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈よ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家ぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。

かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。

かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向つて一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。

それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

華山蓮花峰00
(訳注)  #2

山人勸酒

(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

1 王琦の註によると、「此題、未だ始る所を詳らにせず、而して、樂府詩集、太白の是の作を編して琴曲歌辭中に入る」とあり、古い詩があって、それに基づき、倣ってつくったものであろうからこのような詩形になったと思われる。

 

各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。

四皓等は、糜鹿の野性を守って、人間界に遠ざかり、秦の末から項羽の亡ぶるまで、龍寵虎の争いがたえなかったが、その中に立ち変るを愧じて、長く山中に暮らして居たのである。

麋鹿 大鹿と鹿。獣類。「飛鳥 (ひちょう) () を遺 (のこ) し―痕を印する」〈鹿と同じ種〉シカのような角をもちながらシカでない。ウシのような蹄をもちながらウシでない。ウマのような顔をもちながらウマでない。ロバのような尾をもちながらロバでない。このように四つの動物に似た特徴をもちながら、そのいずれとも異なるために「四不像」と呼ばれる。

龍虎爭 秦未より漢初に亙れる争乱を指す。中国秦末期に陳勝と呉広が起こした、史上初の農民反乱である陳勝・呉広の乱は、秦を滅亡させたものであり楚漢戦争を経て漢が全土を平定した。秦末から朝廷権力闘争、王の継承問題が起こっていた。

 

欻起佐太子,漢王乃複驚。

ところが、一朝、時運の到來するや、忽然としで起ち、再び世の中へ出てきて、漢の太子を助けた。

【四】歘起 忽ち~が起こる。

漢王乃複驚 戚夫人の子、如意を皇太子に立てるようにたびたび懇望した。寵愛する戚夫人の懇望に加えて、皇太子に立てていた劉盈に対して父である劉邦自身がその資質にかねてから疑問と不安を抱いていたこと、さらに仁弱な盈とは対照的に如意が活発な子供であったことから、劉邦も徐々に盈を廃嫡して如意を立てることを考え始める。しかし、劉邦が皇太子の交代を重臣たちに諮ったものの、重臣たちはことごとく反対した。さらに、劉邦の信任が厚い張良の助言を受けた盈が、かつて高祖が招聘に失敗した有名な学者たちを自らの元に招いたことが決定打となり、劉邦は盈を皇太子にとどめることを決め、如意は趙王のままとされた。

②齊賢曰 《史、留侯 世家》 上 欲廢太子立戚夫人子趙王如意。 后恐。 留侯為畫 曰此難以口舌爭也。 顧 上不能致者天下有四人、逃匿山中、義不為、漢臣、然上髙此四人。 今公誠能、令太子為書、卑辭安車、固請來以為客、時時從入朝、令上見之、則一助也。

-#2 於是后令呂澤使人、奉太子書/卑辭厚禮、迎此四人。四人至客建成侯所十二年、上、從撃破布軍歸疾益甚、愈欲易太子。及燕置酒、太子侍、四人、從太子。年皆八十有餘、鬚眉皓白、衣冠甚偉。 上、怪之問曰、彼何為者!。四人前對、各言名姓曰、東園公、甪里先/生、綺里季、夏黄公。 上 大驚曰 吾求公數歳、公、逃避我。 今公何自從吾兒游乎。 四人皆曰 陛下輕士、善罵。 臣等、義不受辱。故恐而亡匿。 竊聞太子為、人仁孝恭敬、愛士、天下莫不延頸、欲為太子死者。 故臣等來。上曰、煩公、幸卒/調太子。四人為 壽已畢趨去。 

-3 上、目送之、召戚夫人、指示四人者曰、我欲易之彼四人輔之、羽翼已成、難動矣。呂后真而主矣。戚夫人泣。上、曰、「為我楚舞、吾為若楚歌。」歌曰、「鴻鵠髙飛、飛舉千里。羽翮已就、横絶四海、横絶/四海、當可奈何、雖有矰繳尚安所施。」歌數闋、戚夫人、噓唏流涕。上起去、罷酒、不易太子、留侯本招此四人之力也。

齊賢曰 《史、留侯 世家》 上 太子を廢して戚夫人の子趙王如意を立んと欲す。 后恐る。 留侯 に畫 曰く此の難 以て口舌爭うなり。 顧て 上 致す能はざる者、天下に四人有り、山中に逃れて匿れ、義として漢の臣として為らず、然れども、上、此の四人を髙しとす。今、公 誠に能く、太子をして書を為らしめ、卑辭安車、固く請われ來って以て客と為し、時時 從えて入朝し、上をして之を見せしむれば、則ち一助なり。

-#2 是に於て后 呂澤に令じ 使人をして、太子の書を奉じ、辭を卑うし、禮を厚うして、此の四人を迎えしむ。四人は客建し侯と成る所、十二年に至る、上、從て布軍を撃破すも、疾益ます甚しくして歸り、愈いよ太子を易えんと欲す。燕して置酒するに及び、太子侍し、四人、太子に從う。年、皆、八十有餘、鬚眉皓白、衣冠 甚だ偉なり。 上、之を怪しみ問うて曰く、彼 何為する者ぞ、と。四人前んで對え、各おの 名と姓を言うて曰く、東園公、甪里先生、綺里季、夏黄公、と。 上 大いに驚いて曰く 吾 公を求むること數歳、公を避け我を逃れる。 今、公 何ぞ自ら吾が兒に從って游ぶや。 四人 皆 曰く「陛下士を輕んじて、善く罵る。 臣等、義として辱めを受けず。故に恐れて亡げ匿る。 竊に聞く太子と為り、人仁孝恭敬、士を愛し、天下 頸を延し、太子の為に死せんことを欲せざる者は莫し。」と。 故に臣等 來のみ。上曰く、「公を煩わす、幸いに卒に太子を調せよ。」と。四人壽を為し已に畢って趨り去る。 

-3 上、之を目送し、戚夫人を召し、四人者に指示して曰く、我 之を易んと欲す、彼の四人之を輔く、羽翼 已に成る、動かし難しれるや。呂后は真にして主と。戚夫人は泣く。上、曰く、「為我楚舞、吾為若楚歌。」(我がに為楚舞せよ、吾が為に楚歌せん。)と。歌うて曰く、「鴻鵠は髙く飛び、飛び舉ること千里。羽翮已に就く、絶四海を横し、絶四海を横し、奈何にすべきに當り、矰繳有り雖ども尚お安じて施す所なり。」歌 數闋、戚夫人、噓唏流涕す。上 起って去り、酒を罷めて、太子を易えず、留侯 本と此の四人を招くの力なり。」

留侯 張良のこと。秦末期から前漢初期の政治家・軍師。字は子房。諡は文成。劉邦に仕えて多くの作戦の立案をし、劉邦の覇業を大きく助けた。蕭何・韓信と共に漢の三傑とされる。劉邦より留に領地を授かったので留侯とも呼ばれる。子には嗣子の張不疑と少子の張辟彊がいる。

 

顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。

その時、高祖は、太子を代えようと思って居たが、最早仕方が無いといって愈よ断念し、寵姫の戚夫人を顧み、かういふ老翁達が出てきて、太子の羽翼となって、これを輔佐するということであって見れば、汝の生んだ趙王如意を立てて太子とすることは到底出家ぬと仰せられ、ついに太子を廃することを断念せられた。

 

歸來商山下,泛若雲無情。

かくて、國本幸に動かす、漢は四百年の帝祚を保つことができた。そこで、初めて安心したというので、四皓は、元の商山に帰り、さながら、泛然たる雲の無心なるが如く、そんな事はまるで知らぬ様な顔をして居た。

商山 通典に「商州上洛願に南山あり、亦失地肺山と名づけ、亦圭楚山と名づく、四時の陰るろところ」とあり、邁鑑地理適確に「商山は商州南路慮南一里に在り」と記してみろ。

 

舉觴酹巢由,洗耳何獨清。

かくて、商山にかえりし後は、いにしえの隠者たる巣父・許由に向つて一杯を献じ、これを弔うことを禁じ得なかったので、その心では、お前さん達は、耳を洗ったらして、住いには相違ないが、毫も天下の事に干與せず、独善主義を守って居たのは、同情し兼ねると思って居たのであろう。

巢由 茶盆と許由.逸士修に「某父に義時の陰人、年老い、樹を以て某となして、その上に痕わ。故に人波して某父と馬す。勇の許由に譲るや、由、以て某父に告ぐ。某父日く.汝、何ぞ汝の形を隙し、汝の光を萩ぜざる、菅が友に非ざるなり、と。乃ち其替わ撃って之ね下す。許由、憤然として自得せず、乃ち清給の水に遇うて、そり耳を淡ひ、その日毎拭うて日く、さきに言を開く、菅が友に負けりと。蓬に去って相見えず」とある。許由は前に見岬。

 

浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。

それから又、巣父・許由の隠れたといふ嵩山を望み、君達も、我等も、ともに世を避けた人であるが、どちらが神仙としての本文であろうかと、意気相傾けて、浩歌したことであろう。

萬嶽 即ち常山、五嶽り「初登記に「嵩高山に五番の中岳なり、南に許由山あり、高大四編、その北に秦嶺山脈終南山穎水あり、勇、許由わ略す、その慶、なほ噂嘩あり」と記してある.



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李白  山人勸酒-#1 

蒼蒼雲松,落落綺皓。春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。
(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

蒼蒼として雲のいる松の樹の聳え立つ、その下には、落落たる綺里季を筆頭にした商山の四皓が憩うて居る。この四皓らは、隠棲の山人であるから、その楽しみとする所も、世人とは異なって、遥かに高尚なものであろうが、春風は四皓らのためにふくわけでなく、誰のためというわけでなく、何時しか春になれば、自然に芳草は生じ、蝴蝶は其処に戯れるのである。四皓の四人もこれを見て、面白く感じるものであろう。ただ、この四人の秀でたる眉は霜雪を積んで白く、顔は桃の花のごとく鮮やかに輝いている、そして、金丹を練って服しているから、骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しく変わることはない。この四皓は秦の始皇帝の末期ごろ、暴政を避けて、商山に隠れたのであり、世俗を立ったのであるが、この春景色を見れば、やはり楽しいと見え、互いに酒を進めて歓談し、おいてゆくのも認識することはなかったのである。

李太白集 

巻三7

山 人 勸 酒#1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-11

425 <1000

 

 
  2016年3月18日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
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  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
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-373-96巻三7 山人勸酒  (蒼蒼雲松,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六三  7

文體:

樂府

李太白集 

02-15

 

 

詩題:

山人勸酒

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

商山 (山南東道 商州 商縣、 洛南の南

嵩嶽(中嶽)  穎水   

交遊人物:

 

 

 

 

  卷163_7 《山人勸酒》李白 

山人勸酒-#1

(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

蒼蒼雲松,落落綺皓。 

蒼蒼として雲のいる松の樹の聳え立つ、その下には、落落たる綺里季を筆頭にした商山の四皓が憩うて居る。

春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

この四皓らは、隠棲の山人であるから、その楽しみとする所も、世人とは異なって、遥かに高尚なものであろうが、春風は四皓らのためにふくわけでなく、誰のためというわけでなく、何時しか春になれば、自然に芳草は生じ、蝴蝶は其処に戯れるのである。四皓の四人もこれを見て、面白く感じるものであろう。

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。 

ただ、この四人の秀でたる眉は霜雪を積んで白く、顔は桃の花のごとく鮮やかに輝いている、そして、金丹を練って服しているから、骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しく変わることはない。

稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。 

この四皓は秦の始皇帝の末期ごろ、暴政を避けて、商山に隠れたのであり、世俗を立ったのであるが、この春景色を見れば、やはり楽しいと見え、互いに酒を進めて歓談し、おいてゆくのも認識することはなかったのである。

(山人 酒を勸む)

蒼蒼たる雲松,落落たる綺皓。

春風 爾 來って阿誰【あすい】の為にする,蝴蝶 忽然として芳草に滿つ。

秀眉は霜雪 顏は桃花,骨は青く髓は綠なり 長しえに美好なり。

是を稱して  “秦時世を避けるの人”と,酒を勸め 相い歡んで 老いを知らず。
#2

  各守麋鹿志,恥隨龍虎爭。欻起佐太子,漢王乃複驚。 

  顧謂戚夫人,彼翁羽翼成。歸來商山下,泛若雲無情。 

  舉觴酹巢由,洗耳何獨清。浩歌望嵩嶽,意氣還相傾。 

 

華山001 

 

『山人勸酒』現代語訳と訳註解説
(
本文)

山人勸酒-#1

蒼蒼雲松,落落綺皓。

春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。

稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。

(下し文)
(山人 酒を勸む)

蒼蒼たる雲松,落落たる綺皓。

春風 爾 來って阿誰【あすい】の為にする,蝴蝶 忽然として芳草に滿つ。

秀眉は霜雪 顏は桃花,骨は青く髓は綠なり 長しえに美好なり。

是を稱して  “秦時世を避けるの人”と,酒を勸め 相い歡んで 老いを知らず。

(現代語訳)
山人勸酒(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

蒼蒼として雲のいる松の樹の聳え立つ、その下には、落落たる綺里季を筆頭にした商山の四皓が憩うて居る。

この四皓らは、隠棲の山人であるから、その楽しみとする所も、世人とは異なって、遥かに高尚なものであろうが、春風は四皓らのためにふくわけでなく、誰のためというわけでなく、何時しか春になれば、自然に芳草は生じ、蝴蝶は其処に戯れるのである。四皓の四人もこれを見て、面白く感じるものであろう。

ただ、この四人の秀でたる眉は霜雪を積んで白く、顔は桃の花のごとく鮮やかに輝いている、そして、金丹を練って服しているから、骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しく変わることはない。

この四皓は秦の始皇帝の末期ごろ、暴政を避けて、商山に隠れたのであり、世俗を立ったのであるが、この春景色を見れば、やはり楽しいと見え、互いに酒を進めて歓談し、おいてゆくのも認識することはなかったのである。

大明宮の圖003
(訳注) 

山人勸酒-#1

(商山の四皓を叙し、漢の太子の逸話を述べ、あわせて、唐の太子についての自分の思いを述べたもの)

1 王琦の註によると、「此題、未だ始る所を詳らにせず、而して、樂府詩集、太白の是の作を編して琴曲歌辭中に入る」とあり、古い詩があって、それに基づき、倣ってつくったものであろうからこのような詩形になったと思われる。

 

蒼蒼雲松,落落綺皓

蒼蒼として雲のいる松の樹の聳え立つ、その下には、落落たる綺里季を筆頭にした商山の四皓が憩うて居る。

2 綺皓 秦末に商山(陝西省商県)に乱を避けて隠居した4人の老人、東園公,夏黄公,甪里【ろくり】先生,綺里季の4人で,鬚眉がみな白かったのでこのように呼ばれた。綺里季,秦朝及漢朝の初年における著名な隱士であり、高士である。商山四皓の一人であり,外三人は、東園公、夏黃公、甪里齊である。四人は秦朝の暴政を經歷し目にし,先後して、山林に隱居して茅を結んだ。漢の高祖劉邦は曾て屢ば次召し他們に見ゆ,都避至ることはなかった。曾て三顧の礼で召されたとき、漢高祖劉邦に廢太子するを勸諫した。この詩の後半に詳しい。

 

春風爾來為阿誰,蝴蝶忽然滿芳草。

この四皓らは、隠棲の山人であるから、その楽しみとする所も、世人とは異なって、遥かに高尚なものであろうが、春風は四皓らのためにふくわけでなく、誰のためというわけでなく、何時しか春になれば、自然に芳草は生じ、蝴蝶は其処に戯れるのである。四皓の四人もこれを見て、面白く感じるものであろう。

3 蝴蝶忽然滿芳草 道教の始祖の1人とされる人物の荘子(荘周)による説話である。『荘子』内篇の斉物論第二にある、 「むかし、荘子は夢に胡蝶となり、自由に楽しく飛び回っていたが、目覚めると紛れもなく荘子である。しかし、荘子が夢に胡蝶となったのだろうか、胡蝶が夢に荘子となったのだろうか……」といった内容で、荘子の思想を象徴する寓話とも言われる。  この説話は、『荘子』の中でも重要とされる「斉物論篇」を締めくくる位置にある。「斉物論」とは「万物は全て斉しい(等しい)とする論」とされ、是非・善悪・彼我を始めとした区別は絶対的なものではない事を主張している。  この説話でも、夢と現実(胡蝶と荘子)の区別が絶対的ではないとされると共に、とらわれのない無為自然の境地が暗示されている。

 

秀眉霜雪顏桃花,骨青髓綠長美好。

ただ、この四人の秀でたる眉は霜雪を積んで白く、顔は桃の花のごとく鮮やかに輝いている、そして、金丹を練って服しているから、骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しく変わることはない。

4 秀眉二句 仙人の様相をいう、青年が白髯を生やしているすがたであるということ、若々しい容貌(骨は青く、髄は緑で、顔色はとこしえに美しい)であり、西王母、麻姑仙人(仙女)などの女性の仙人の存在も多く伝えられている。

 

稱是秦時避世人,勸酒相歡不知老。

この四皓は秦の始皇帝の末期ごろ、暴政を避けて、商山に隠れたのであり、世俗を立ったのであるが、この春景色を見れば、やはり楽しいと見え、互いに酒を進めて歓談し、おいてゆくのも認識することはなかったのである。

5 秦時 秦末期、万里の長城や阿房宮の建設に、主に農民を使役させ、焚書坑儒などの思想政策も断行した。だでさえ過酷な労働と極度の法治主義に儒教弾圧まで加えたことで、全国の不満を高めてしまった頃を言う。

 

 

 

李太白集分類補註巻四  宋 楊齊賢 集註  元 蕭士贇 補註

  山人勸酒 -#1

    〔王琦〕此題、未詳所始、而、樂府詩集、/編太白是作入琴曲歌辭中。   

士贇曰樂府觴酌七/曲其一曰山人勸酒

蒼蒼雲松、落落綺皓

綺皓 士贇曰、綺皓、乃商山四皓之綺里季也。  《髙士傳》「四皓見秦政虐、乃逃入藍田山」 作歌曰 漠漠髙山深谷 逶迤曄曄紫芝可以/療飢唐虞世  吾將安歸駟馬髙  葢其憂甚大富貴之留人不如貧賤而肆志  乃/共入商洛山以待天下定

春風爾來為阿誰、蝴蝶忽然滿芳草。

秀眉霜雪顔桃花、骨青髓綠長美好。

稱是秦時避世人、勸酒相歡不知老。

#2

各守麋鹿志、恥隨龍虎爭

歘起太子漢皇乃復驚。

顧謂戚夫人、彼翁羽翼成。

歘起太子漢皇乃復驚の四句 ②齊賢曰 《史、留侯 世家》 上 欲廢太子立戚夫人子趙王。 如意后恐。 留侯為畫 曰此難以口舌爭也。 顧 上不能致者天下有四人、逃匿山中、義不為、漢臣、然上髙此四人。 今公誠能、令太子為書、卑辭安車、固請來以為客、時時從入朝、令上見之、則一助也。

-#2 於是后令呂澤使人、奉太子書/卑辭厚禮、迎此四人。四人至客建成侯所十二年、上、從撃破布軍歸疾益甚、愈欲易太子、及燕置酒太子、侍四/人、從太子、年皆八十有餘、鬚眉皓白、衣冠甚偉。 上、怪之問曰、彼何為者四人前對、各言名姓曰、東園公、甪里先/生、綺里季、夏黄公。 上 大驚曰 吾求公數歳、公、逃避我。 今公何自從吾兒游乎。 四人皆曰 陛下輕士、善罵臣等、義不受辱。故恐而亡匿。 竊聞太子為人仁孝恭敬愛士、天下莫不延頸、欲為太子死者。 故臣等來。上曰、煩公、幸卒/調太子四人為。 壽已畢趨去。 

-3 上、目送之、召戚夫人、指示四人者曰、我欲易之彼四人輔之、羽翼已成、難動矣。呂后真而主矣。戚夫人泣。上、曰、「為我楚舞、吾為若楚歌。」歌曰、「鴻鵠髙飛、飛舉千里。羽翮已就、横絶四海、横絶/四海、當可奈何、雖有矰繳尚安所施。」歌數闋、戚夫人、噓唏流涕。上起去、罷酒、不易太子、留侯本招此四人之力也。

歸來商山泛若雲無情。

舉觴酹巢由、洗耳何獨清。

浩歌望嵩嶽、意氣還相傾。

巢由 齊賢曰 九域志曰 頴昌府唐之許州許昌郡有許由臺/巢父臺士贇曰逸士傳曰巢父堯時隱人年老以樹為巢而寢其上故人號為巢父堯之讓許由也由以告巢/父巢父曰汝何不隱汝形藏汝光非吾友也。  乃擊其膺而下之許由悵然不自得乃遇清泠之水洗其耳拭、其/目曰、嚮者聞言負吾友遂去終身不相見樊仲父牽牛飲之見巢父洗耳乃驅牛而還恥令其牛飲其下流也

⑤此意謂巢由之矯激、不若四皓之時行時止。一出而國本定、事成、則復歸乎商山。巻舒自在、若無心之雲也。中庸之徳、其至矣乎、何以獨清為哉。太白、葢、為明皇欲廢太子琰 有所感而作是詩也。 

⑥ 初瑛母以倡進鄂光二王/母以色選。 武惠妃寵幸後王、愛與諸子絶等而太子二王以母失寵頗怏怏。惠妃女婿楊揣妃㫖伺太子短譁為醜語。 惠妃訴于帝且泣帝大怒召宰相議廢之。

⑦ 張九齡諫得不廢。 俄而九齡。 罷李林甫、専國數稱王、美以探。 妃意妃果徳之。 二十五年洄復搆瑛瑶琚與妃之兄薛輔異謀。惠妃、使人詭召太子二王曰、宮中有賊、請戒、以兵入。太子從之。 妃白帝曰、太子二王謀、反甲而來帝使中人視之如言。

⑧  遽召宰相林甫議。 答曰陛下家事非臣所宜。 豫帝意决乃詔廢為庶人尋遇害。天下寃之號三庶人。中惠妃病、數見庶人為祟。因召/巫祈之、請改葬、且射行刑者瘞之、訖不解。妃死祟亡、明皇之時、盧鴻、王希夷、隱居嵩山、李元愷、筠之徒、皆以/隱逸稱、或召至闕庭、或遣問政事、徒爾髙議濶論、然未有能如四皓之一言而、太子得不易也。 末句曰、「浩歌望/嵩嶽。意氣還相傾「」亦深不滿於當時嵩嶽之隱者、歟其意、微而婉矣。

出を冠に宗&KR1090

 【】たたり、祟り。

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李白  行路難三首 之三#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

君不見中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

李太白集巻一44

行路難三首 其三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 

 
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李太白集分類補註巻三

          宋 楊齊賢 集註  元 蕭士贇 補註 (編集紀頌之)

  行路難,三首之三   其三此首一/作古興

#1

有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。

吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄江上、屈原終投湘水濵。

・潁川水 髙士傳 許由耕於中岳、潁水之陽、箕山之下。 堯召為九州長。由不欲聞之、洗耳于潁水濵

・首陽蕨 史記 武王 巳平殷亂、天下宗周。而伯夷叔齊恥之、義、不食周粟、隠于首陽山 採薇而食之、索隠曰薇蕨也。

梁書 阮孝緒傳 周徳雖興夷齊不厭薇蕨、漢道方盛 黄綺無悶山林薇蕨

本二草而古人亦多混稱、太白改、以叶韻、葢有自也  

・子胥既棄江上 /越春秋 王聞子胥之怨恨也、乃使人賜屬鏤之劍。子胥 伏劍而死。王 取子胥尸、盛以夷之器投之於江/中。子胥 因隨流揚波、依潮來往、蕩激崩岸。

・屈原終投湘水濵 拾遺記 屈原 以忠見斥、隠於沅湘、披榛、茹草、混同禽獸、不交世、務採/栢實、以和桂膏、用養心神。被王逼逐、乃赴清泠之水。楚人思慕、謂之水仙。其神 于天河、精靈時降湘浦。

#2

陸機雄才豈自保、李斯税駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞、上蔡蒼鷹何足道。

君不見呉中張翰稱、一作/達生秋風忽憶江東。行且樂生前一杯、酒何須身後千載名。

・陸機雄才豈自保 晉書 成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、收機。機 釋戎服、著白與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。

世説 註 八王故事 曰 「華亭、由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/平後、陸機兄弟共于此十餘年。」語林曰、機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。

李斯税駕苦不早 史記 「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、「吾聞之荀卿、曰、物禁太盛。夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位、無居臣上者、可謂富貴極矣。物極則衰、吾未知所税駕也。

索隠曰 税駕猶解駕、言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。

太平御覽  “史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。考今本 史記 李斯傳中、無臂蒼鷹、字而太白詩中、屢用、其事 當另有所本。

・張翰 晉書 張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」

 

 

 

 

-372-74巻二15 行路難三首 其三  (有耳莫洗潁川水,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  12-3

文體:

樂府

李太白集 

02-15

 

 

詩題:

行路難三首 其三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

首陽山 (都畿道 河南府偃師別名:西山 

上蔡 (河南道 豫州 上蔡)   

交遊人物:

 

 

 

 

 

-372-74巻二15 行路難三首 其三  (有耳莫洗潁川水,) 

行路難,三首之三 #1

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨

才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。

老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。

呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。

あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
君不見張翰稱達生,秋風忽憶江東行。

君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

 

(行路難,三首の三)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。

子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。

 

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。

 

李白の足跡0000 

 

『行路難,三首之三』 現代語訳と訳註解説

(本文)#2

#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。

華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

君不見中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

(含異文) 有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名,何用孤高比雲月。吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。陸機雄才豈自保【陸機才多豈自保】,李斯駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。君不見中張翰稱達生【君不見中張翰真達生】,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

 

(下し文)

#2

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。

 

(現代語訳)

あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

 

汜水関などの地図 

(訳注) #2

行路難,三首之三 #2

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

1】      行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。

 

 

陸機雄才豈自保 李斯駕苦不早 
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。

【6】   陸 機 (りくき261- 303年)は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つである陸氏の出身。祖父は陸遜。父は陸抗。子は陸蔚、陸夏。本籍は呉郡呉県(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。父と共に呉に仕えて牙門将となった。天紀4年(280年)、晋との戦いで二人の兄の陸晏と陸景を失い、間もなく祖国も滅亡したため、故郷に引退する。この滅亡に憤慨して『弁亡論』を著した。やがて、説得に応じて弟と共に晋に仕官する事になった。既に陸機の文名は洛陽にも伝わっていたため、高官である張華は「呉討伐の戦果は、この二人の俊才を得たことだ」と言ったといわれている。その後、太子洗馬・著作郎を務めて、恵帝の治世下でも順調に出世を続けた。だが、次第に八王の乱の混乱に巻き込まれていく事になる。太安28月穎は洛陽で実権を握っていた長沙王司馬乂討伐を決意すると、彼は陸機の能力を評価して平原相・後将軍・河北大都督に任命、陸機は洛陽に向かって進撃したが、彼自身は祖父や父ほど将才に優れていなかった事に加え、配下達も「呉の降将」として彼を蔑んだ事もあって、十分な指揮が執れず、10月に洛陽城の建春門の攻防において大敗してしまった。謀反の疑いで処刑されてしまった。この時、陸機の二人の息子と、弟の陸雲・陸耽までもが連座して殺され、陸遜直系の子孫は断絶となった。《晉書》「成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、收機。機 釋戎服、著白、與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。」(成都王穎、兵を起して長沙王乂を討ち、陸機に後將軍河北大都督を假し、北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人を督して、鹿苑に戰う。機の軍、大いに敗る。宦人孟玖、機を穎に譖して、其の異志有るを言う。穎 怒り、秀をして、機を收めしむ。機 戎服を釋き、白著け、秀と相い見て神色自若、既に而て嘆じて曰く、華亭の鶴唳、豈に復た聞く可けんや。遂に害に軍中に遇う。)とある。《世説》の註に八王の乱の故事をひいて曰う、「華亭、由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/平後、陸機兄弟共于此十餘年。」(華亭は、由拳縣の郊外の墅なり。清泉茂林有り。 平ぐ後、陸機兄弟、共に此にぶこと十餘年。)とあり、つづいて語林曰く、「機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。」(機 河北都督と為る。警角の聲を聞き、孫丞に謂うて曰く、聞けば此れ華亭の鶴唳に如しかず、故に刑にんで此れ嘆説の文有り唳するは鶴鳴なり。)と讒言によって、一族は絶えた。

【7】   李 斯(り し? - 紀元前208年)儒家中国秦代の宰相。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。・李斯税駕苦不早 《史記》に「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為。門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、『吾聞之荀卿』、曰、『物禁太盛。』夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位、無居臣上者、可謂富貴極矣。物極則衰、吾未知所税駕也。」(李斯丞相と為り、長男は由、三川の守と為り、諸男、皆 秦の公主を尚し、女は悉く秦の諸公子に嫁す。李由、咸陽に告歸するるや、李斯 家に置酒し、百官の長、皆 前んで為す門庭車騎、以。 李斯、喟然として嘆じて曰く、『吾 之を荀卿に聞く』、曰く、『物は太はだ盛んなるを禁ず。』と。夫れ 斯 乃ち上蔡の布衣、閭巷の黔首、上、其の駑下を知らず、遂に遷た擢んで此に至る。當今、人臣の位、臣の上に居る者無し、富貴極れりと謂う可し。物極まれば則ち衰う、吾 未だ税駕する所を知らざるなり。)とあり、索隠は曰う「税駕猶解駕、言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。」(税駕、言休息なり。李斯の言は 巳、今日富貴、已に 極り未だ向後を知らず、吉凶 止泊し、何處に在らんや。)とある。太平御覽に《史記》を引いて“史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。」(史記に曰う「李斯 刑に臨み、黄犬を牽き、蒼鷹を臂し、上蔡の東門を出んと思えども得可からず。)とあり、蕭士贇の補註に「考今本史記李斯傳中無臂蒼鷹字而太白詩中屢用其事 當另有所本。」(今、この本を考えるに、《史記 李斯傳》中に、「臂蒼鷹」の字は無く、而して太白詩中、屢しば用いたのは、其の事 當に另の本づく所が有ったということである。

 

華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道 
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。

【8】   華亭県(かてい-けん)は中華人民共和国甘粛省平涼市に位置する県。県人民政府の所在地は東華鎮。華亭県は東は崇信県、西は庄浪県、寧夏回族自治区の涇源県、南は張家川回族自治県と陝西省隴県、北は崆峒區に隣接する。

【9】   上蔡県(じょうさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。
 

君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。

【10】 張翰 昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に先手を打ったのだと思ったという逸話。李白「秋荊門を下る」

《晉書》に「張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、『人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。』遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」(張翰、字は季鷹、郡の人なり。清才有り、善く文を屬す、而かも、縱任拘らず。齊王の冏、辟して大司馬、東曹掾と為す。冏、時に權を執る。翰、秋風の起る見るに因って、乃ち中の菰菜、蓴羮、鱸魚の膾を思うて曰く、『人生、適志を得るを貴ぶ、何ぞ能く羇宦數千里、以て名爵を要せんや。』と。遂に駕を命じ、而して歸る。俄にして 冏 敗る。人 皆 之を『機を見る』と謂う。翰は心に任せて自適し、當世に求めず。或いは之に謂ううて曰く、『卿は乃ち縱とい一時に適す可きも、獨り身後の名を為さざるか。』と。荅えて曰く、『我をして身後の名を有らしむも、即時一杯の酒に如かず。』と。時人 其の曠達を貴ぶ。とある。 

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍しても、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

【11】   【解説】行路難ということ、第一首は、黄河の氷、大行山脈の雪、であった。第二首は、才のある明主に遭わないことであった。この第三首において、行路難の極みをいうが、それは「張翰稱達生」であり,「秋風忽憶江東行」でもって理想的行動、行路としている。行路は難であれ、「千載名」よりも、張翰のごとく「樂生前一杯酒」を大切にするということである。

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李白  行路難三首 之三

有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。

吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄江上、屈原終投湘水濵。

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三  才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。 

李太白集巻一44

行路難三首 其三 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

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744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 
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-372-74巻二15 行路難三首 其三  (有耳莫洗潁川水,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  12-3

文體:

樂府

李太白集 

02-15

 

 

詩題:

行路難三首 其三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

首陽山 (都畿道 河南府偃師別名:西山 

上蔡 (河南道 豫州 上蔡)   

交遊人物:

 

 

 

 

 

李太白集分類補註巻三

          宋 楊齊賢 集註  元 蕭士贇 補註 (編集紀頌之)

  行路難,三首之三   其三此首一/作古興

#1

有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。

吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄江上、屈原終投湘水濵。

・潁川水 髙士傳 許由耕於中岳、潁水之陽、箕山之下。 堯召為九州長。由不欲聞之、洗耳于潁水濵

・首陽蕨 史記 武王 巳平殷亂、天下宗周。而伯夷叔齊恥之、義、不食周粟、隠于首陽山 採薇而食之、索隠曰薇蕨也。

梁書 阮孝緒傳 周徳雖興夷齊不厭薇蕨、漢道方盛 黄綺無悶山林薇蕨

本二草而古人亦多混稱太白改以叶韻葢有自也  

・子胥既棄江上 /越春秋 王聞子胥之怨恨也、乃使人賜屬鏤之劍。子胥 伏劍而死。王 取子胥尸、盛以夷之器投之於江/中。子胥 因隨流揚波、依潮來往、蕩激崩岸。

・屈原終投湘水濵 拾遺記 屈原 以忠見斥、隠於沅湘、披榛、茹草、混同禽獸、不交世、務採/栢實、以和桂膏、用養心神。被王逼逐、乃赴清泠之水。楚人思慕、謂之水仙。其神 于天河、精靈時降湘浦。

#2

陸機雄才豈自保、李斯税駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞、上蔡蒼鷹何足道。

君不見呉中張翰稱、一作/達生秋風忽憶江東。行且樂生前一杯、酒何須身後千載名。

・陸機雄才豈自保 晉書 成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、收機。機 釋戎服、著白與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。

世説 註 八王故事 曰 「華亭、由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/平後、陸機兄弟共于此十餘年。」語林曰、機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。

李斯税駕苦不早 史記 「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、「吾聞之荀卿、曰、物禁太盛。夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位無居臣上者可謂富貴極矣物極則衰吾未知所税駕也。」

索隠曰 税駕猶解駕言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。

太平御覽  “史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。考今本 史記 李斯傳中、無臂蒼鷹、字而太白詩中、屢用、其事 當另有所本。

・張翰 晉書 張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」

 


行路難,三首之三 #1

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。

才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。

老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。

呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。

華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

君不見中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

 

(行路難,三首の三)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。

子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。

 

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。

 

(含異文)      有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名,何用孤高比雲月。吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。陸機雄才豈自保【陸機才多豈自保】,李斯駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。君不見中張翰稱達生【君不見中張翰真達生】,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『行路難,三首之三』 現代語訳と訳註解説

(本文)

行路難,三首之三 #1

有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。

含光混世貴無名,何用孤高比雲月。

吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。

子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。

 

(下し文)

(行路難,三首の三)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。

子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。

 

(現代語訳)

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
李白の足跡0000

(訳注)

行路難,三首之三 #1

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

1 行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。

 

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李白  烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 東方漸高奈樂何。

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)  呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

李太白集巻一44

烏  棲  曲

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-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  06

文體:

樂府

李太白集 

02-06

 

 

詩題:

烏棲曲

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 姑蘇台

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

  卷162_6 《烏棲曲》李白 

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 

東方漸高奈樂何。 


烏棲曲 
烏棲の曲。(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。 
呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。 

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。 
そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。


大明宮の圖003
『烏棲曲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

東方漸高奈樂何。

(下し文)
(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。

呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。

銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。

東方漸く高く 楽しみを奈何。

(現代語訳)
烏棲曲(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

霓裳羽衣舞002
(訳注) 

烏棲曲

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

1 烏棲曲 梁簡文帝、梁の元帝、蕭子顯、並びに此の題有り之を作る。《樂府詩集巻四十八》に「清商曲辞、西曲歌」の歌中に烏夜啼を列して後よりなる。男女の歓楽を詠うものが多い。また、李白詩に、これに倣った「大堤曲」「襄陽歌」「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。

2 本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」とある。

3 蕭士贇は「この樂府は然り深く國風諷刺の體を得り、盛んに其の美を言うて、美ならざる者、自ら見わる。」という。

 

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

4 姑蘇台 春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。16世紀に王世貞撰よってかかれた《豔異編--第五卷》に、「越王越謀滅,畜天下奇寶、美人、異味進於。殺三牲以祈天地,殺龍蛇以祠川岳。矯以江南億萬民輸為傭保。越又有美女二人,一名夷光,二名修明(即西施、鄭旦之別名),以貢於處以椒華之房,貫細珠為簾幌,朝下以蔽景,夕卷以待月。二人當軒並坐,理鏡靚妝於珠幌之,竊窺者莫不動心驚魂,謂之神人。王妖惑忘政。」(越王 越謀し滅さんとし,天下の奇寶、美人、異味を畜えて進む。三牲を殺し 以て天地を祈り,龍蛇を殺し 以て川岳を祠る。矯って以て江南億萬民を輸して傭保為らしむ。越 又た、美女二人有り,一名は夷光,二名は修明(即ち西施、鄭旦の別名である),以て貢ぐ。處らしむるに椒華の房を以てし,細珠を貫いて簾幌と為し,朝に下し 以て景を蔽い,夕に卷き以て月を待つ。二人 軒に當って並坐し,鏡を理めて珠幌の靚妝し,竊に窺うもの動心驚魂せざるは莫し,之れ神人と謂う。王 妖惑し 政を忘る。

《述異記》に王夫差築姑蘇之臺、三年乃成。周旋詰屈横亘五里、崇飾土木、殫耗人力、妓數千人、上立春宵為長夜之飲、造千石酒鍾、夫差作天池池中造青龍舟、舟中盛陳妓樂、日與西施為水嬉。」(王夫差 姑蘇之臺、三年乃る。周旋詰屈 横に亘る五里、土木を崇飾し、人力を殫耗し、妓數千人、上に春宵立てて夜の飲をし、千石の酒鍾を造り、夫差 天池を作し 池中に青龍舟を造り、舟中盛に妓樂を陳じ、日に西施と水嬉を為す。

《述異記》は、中国の南朝梁の任昉が撰したとされる志怪小説集。2巻。 ... 隋書』や『旧唐書』の「経籍志」および『新唐書』「芸文志」で著録される『述異記』10巻は、撰者を祖沖之としている。

5 呉王 夫差をさす。

6 裏  なか。

7 西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。

李白8  蘇台覧古

(2)西施ものがたり

 

  

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

8 呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。

・呉歌《樂府詩集》卷四十四引《晉書·樂志》にく「歌雜曲,並出江南。東晉已來,稍有增廣。其始皆徒歌,既而被之管弦。」とあり、呉歌は、南方の流行歌。

・楚舞 《史記留侯世家》:「高帝謂戚夫人曰:『為我楚舞,吾為若楚歌.』歌曰:「鴻鴈高飛,一舉千里。羽翮已就,橫四海。橫四海,當可奈何!雖有矰繳,尚安所施!」(鴻鵠高く飛んで、一挙に千里。羽翼すでに就って、四海を横絶す。四海を横絶すれば、 当に如何すべき。矰繳あれど、何処に施さん。)といった南方に行われた舞曲。

9 半邊日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

10 銀箭 水時計の漏水桶に泛べる銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリである。江總詩「虬水銀箭莫相催」

11 金壷 金属製の水時計の壷。鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

12 漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。夜は夜明けまでの五更に別れるので、上の桶の水が下の桶に流れ落ちてゆくので、時間の長さを水の量で表現したもの。

 

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

13 漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。

14 奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お衝んと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。

 

 

 

【字解】

   烏棲曲

士贇曰樂録烏栖曲者/鳥獸三十一曲之一也

 

姑蘇臺上烏棲時呉王裏醉西施齊賢曰賀知章見/太白烏栖曲嘆賞

曰此詩可/以泣鬼神呉歌楚舞歡未畢青山欲半邊日銀箭

壺漏水多起看秋月墜江波東方漸高柰樂何士贇曰/此詩雖

只樂府然深得國風諷刺之體盛言/其美而不美者自見觀者其毋忽諸

 

 

  烏棲曲梁簡文帝梁元帝蕭子顯並有此題之作/樂府詩集列于西曲歌中烏夜啼之後

姑蘇臺上烏棲時裏醉西施歌楚舞歡未

青山欲繆本/作猶銜半邊日銀箭金壺一作金/壺丁丁漏水多起看

秋月墜江波東方漸髙奈樂何

述異記王夫差/築姑蘇之臺三年乃成周旋詰曲横亘五里崇飾土木殫耗人力官妓千/

立春宵為長夜之飲造千石酒鍾作天池池中造青龍舟舟中盛陳妓樂日與西施為水

晉書 /歌雜曲並出江南 漢書 為我楚舞 

江總詩「虬水銀箭莫」相催 鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」

 

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李白  古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)  齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

李太白集巻一43

五十九首之五十五

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Index-24

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56-7

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-370-055巻一55 古風,五十九首之五十五 (齊瑟彈東吟,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-55

文體:

五言古詩

李太白集 

01-55

 

 

詩題:

古風,五十九首之五十五

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

制作年:              744年天寶三年    44

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十五

 

 

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

 

霓裳羽衣舞002 

『古風,五十九首之五十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(異文)

齊瑟彈東吟【齊瑟揮東吟】,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄【慷慨動顏色】,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴【瑤臺鳴玉琴】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

花蕊夫人002 

(現代語訳)

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

1 古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

2 齊瑟 瑟は25絃以上の大きい琴。『史記』「蘇秦伝」に臨淄(斉の首都)の豊かな生活を表現するため、臨淄の民で様々な楽器や遊戯を楽しまない者はいないとし、その中の一つに「鼓瑟(瑟を演奏する)」が出てくる。

曹植(曹子建) 《贈丁廙》 「魏詩秦箏發西氣,齊瑟揚東謳。」(秦箏【しんそう】西気を発し、斉瑟【せいしつ】東謳【とうおう】を揚ぐ。)秦の筝は西方の国のメロディーを流し西方の気分にしてくれる。斉の瑟をかなでると東方の国の歌を声を張り上げて歌うのだ。 

36曹植(曹子建) 《贈丁廙》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3106

3 東吟 東国の歌。

4 秦弦 秦の国から出た弦。

5 西音 西国の音律。魏文帝詩《東舞南歌》「齊倡發東舞,秦箏奏西音。有客從南來,為我彈清琴。」(齊倡 東舞を發き,秦箏 西音を奏る。客有り南從り來り,我が為に清琴を彈く。)とあるにもとづく。唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

 

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

6 慷慨 ① 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。② 意気が盛んなこと。また、そのさま。

7 顏魄 心顏。

 

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

8 佞邪 不正な心をもちながら、人にへつらうこと。また、その人。

9 婉孌 艶やかで、飛び切り美しい顔達。妖艶な顔。班固《漢書述哀記》曰「婉孌董公、惟亮天工」顔師古註 婉孌美貌。美貌。 《詩齊風甫田》:婉兮孌兮, 總角丱兮。”

 

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

10 一笑 一笑千金【釋義】:美女一笑,價千金。形容美人一笑很難得。 【出處】:漢·崔駰《七依》:“回顧百萬,一笑千金。”白居易《長恨歌》眸一笑百眉生( 眸を廻めぐらして一笑すれば百眉ひゃくび生ずる。)

 

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

11 飛光 1日月、飛逝的光陰。 南朝 沈約 《宿東園》「飛光忽我遒, 豈止云暮。」(飛光忽ち我に遒る, 豈に止云暮。) 張銑の註に 飛光とは日月をいう也

 

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

12 紫霞客 霞を食するという仙人。

13 瑤臺 玉で飾った美しい高殿。仙人の住む所。淮南子·本經:「帝有桀紂,為琁室瑤臺象廊玉床。」 仙人居住的地方。

李白《巻四30清平調三首之一》(興慶宮での宴の模様を述べる)「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。)雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063

14 素琴 琴の素朴にして、金玉珍宝を飾りにしていないものをいう。

嵇康《幽憤詩》「習習谷風吹我素琴。」 素琴とは琴の素樸を謂う。金玉や珍寶を用いず、以て飾を為す者なり。

744年年44歳-7李太白集043巻一43 古風,五十九首之四十三 421Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-7【56首】Ⅰ李白詩1787 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7475

李白  古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

李太白集巻一43

五十九首之四十三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7475

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 

 

-369-043巻一43 古風,五十九首之四十三 (周穆八荒意,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-43

文體:

五言古詩

李太白集 

01-43

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

漢長安城 00 

『古風,五十九首之四十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

(現代語訳)

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

 

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

1 周穆 齊賢曰“《列子》「周穆王駕八駿至赤水之陽、升崑崙丘觀黄帝之觴王母於瑶池之上。」王母爲王謡王和之。”(《列子》に「周の穆王、八駿に駕して赤水の陽に至り、崑崙の丘に升って黄帝の、王母に瑶池の上に觴す。」王母、王の爲に謡い、王、之に和す。周の穆王は8頭たての馬車に乗り、西の彼方にある赤水の南の神々が住むとされた崑崙山に立ち寄り西王母に会い、黄帝のを觀、王母に瑶池の上に酒を飲み、ねぎらってくれた。王母は王のために謡、穆王はこれに答えて歌った。

周穆王;在位期間:前985? - 940年。穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。また、司寇(司法官の長)である呂侯に命じて『呂刑』と呼ばれる刑法を定めて社会の安定を図ろうとしたが、その3千と言われる罪状の多さに却って諸侯や民衆の反感を買った。また彼は西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。このことは穆天子伝としてまとめられている。神話、伝説の要素を多く含む中国最古の旅行記である。

2 漢皇 この句は太平廣記に見える故事で、前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。《太平廣記》「元封元年七月七日、王母乘/紫雲輦、駕九色斑麟降漢東向坐。帝跪問寒暄。畢因呼帝坐、遣侍女、與上元夫人相聞云、「比不相見四千餘年、劉徹好道、適來觀之。夫人可暫來否。」帝問、「上元何真也。」曰「是三天真皇之母、上元之官。」俄而夫人至可。年二十餘、頭作三角髻、餘髮散垂至腰。帝拜。夫人曰「汝好道乎。汝胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者常舎于榮衛之中、雖暴長生亦自勞耳。」(元封元年七月七日、王母、/紫雲の輦に乘じ、九色の斑麟に駕して漢降る。東向して帝、跪いて寒暄を問う。畢るや、因って帝を呼んで坐せしめ、侍女を遣して、上元夫人と相聞して云う、「比れ相い見ざること四千餘年、劉徹 道を好む、適ま來って之を觀る。夫人、暫く來るべきや否や。」と。帝問う、「上元は何の真ぞや。」曰く「是れ三天真皇の母、上元の官。」と。俄にして、夫人至る可し。年二十餘ばかり、頭には三角髻を作し、餘髮は散垂して腰に至る。 夫人曰く「汝 道を好むや。汝、胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者 常に榮衛の中に舎す、長生を暴うと雖も亦た自ら勞するのみ。

漢の武帝。159BC-87BC。前漢7代目。在位141BC-87BC。若くして皇帝となり、治世は54年に及ぶ。内外にわたり思い切った施策を行なう。匈奴には対抗的な政策を取り、衛青、霍去病などを登用する。この匈奴との抗争の際、捕虜となった李陵をめぐり、正論を発した司馬遷を宮刑にするなど、狭量な面もある。張騫を西方に遣わし、シルクロードを創始する。巨視的に見れば、卓越した君主であった。

 

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

3 淫樂 みだらな楽しみ。肉欲の楽しみ。禎卿曰 淫樂二句言人君好荒淫樂佚則雖其/氣度超邁亦何足論哉。

 

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

4 西王母 中国の神話上の女神。玉山または崑崙(こんろん)山に住む,人面・虎歯・豹尾の女神。のち,神仙思想の発展とともに仙女化され,周の穆(ぼく)王が西に巡狩した時,瑶池で宴を開き,漢の武帝に降臨して仙桃を与えたという。道教の成立後は東王父と一組の神格とされた。

5 北宮 北宮 長安城内にある。桂宮と近い。未央宮の北にある。周回十里。前殿の広さ五十歩(凡そ58m) 甘泉宮 またの一名を雲陽宮という。

・上元 『漢武内伝』王母侍女ヲ遣シテ上元夫人ヲ迎フ. 王母乃ち侍女郭密香を遣はし 上元夫人 ( じょうげんふじん ) に相問して云く、九光の王母敬謝す。 但し相見ざること四千余年なり。天事我を労し、以て ( めん ) ( たが ) ふことを致す。

・六朝(りくちよう)初期の霊宝派や上清派の道教と密接な関係をもちつつ形成された仙伝『漢武内伝』。前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。七夕における女神たちとの神秘的な会合の場は,後世しばしば詩文の題材となった。

 

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

5 瑤水 西王母が 穆王を接待したのが瑤地であり、天山山脈中の地点に比す人もある。

6 玉杯 武帝が崩御されて、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話は三輔黄圖、廟記にみえる。《三輔黄圖、廟記》“曰「神明臺武帝。祭仙人處、上有承露盤、有銅仙人、舒掌、捧銅盤、玉杯、以承雲表之露。以露和玉屑、服之以求仙道。」(曰く「神明臺、武帝つくる。仙人を祭る處、上に承露盤有り、銅仙人有り、掌を舒べ、銅盤、玉杯、を捧げ、以って雲表の露を承く。露を以て玉屑に和し、之を服して、以て仙道を求む。」)とあり、別に、《太平御覽、漢武故事》には「上崩後鄠縣有一人。于市貨玉杯。吏 疑其御物、欲捕之。因忽不見。縣 送其器推問、乃茂陵中物也。霍光、自呼吏問之、説市人形貌、如先帝其事。」”「上崩ぜし後、鄠縣に一人有り。市に于て玉杯を貨す。吏 其の御物たるを疑うて、之を捕えんと欲す。因って忽ち見えず。縣 其の器を送って推問すれば、乃ち茂陵の中の物なり。霍光、自ら吏を呼んで之を問う、市人の形貌を説く、先帝の其の事の如し。」)とあることが、李白のこの詩と合致する。

 

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。
長安付近図00 

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李白  古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを白鴎をもって擬したもの。)波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。 

李太白集巻一42

五十九首之四十二

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744年天寶三年44歳 

56-6

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-368-042巻一42 古風,五十九首之四十二 (搖裔雙白鷗,)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-42

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五  #1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

 

製作年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

漢文委員会紀頌之タイトル長安付近図00 

 

『古風,五十九首之四十二  』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月【寄影宿沙月】,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。

 

 (下し文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

 

(現代語訳)

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

0 四十二【解説】 元、蕭士贇の補註の説によると、齊賢曰列子海上之人有好鷗鳥者每旦之海上從鷗鳥遊鷗鳥之至者百住而不止士。」「贇曰此太白託興之詩也雲中之鶴在位之人也海/上之鷗閒散之人也(齊賢曰く「列子海上の人、鷗鳥を好む者有り、每旦、海上に之き鷗鳥に從い鷗鳥と之を遊び至る者は百住して、士に止らず。」贇、曰く「此れ太白託興の詩なり。雲中の鶴は在位の人にうなり上の鷗は閒散の人にうなり

詩意は齊、謝朓、和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】.に倣うものである。

和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】(徐都曹の「新亭の渚に出づ」に和す。)

宛洛佳遨遊, 春色滿皇州,

宛・洛は、遨遊するに佳く,春色は皇州に滿つ。

結軫青郊路, 迴瞰蒼江流,

軫を青郊の路に結【めぐ】らし,迴【はる】かに蒼江の流れを瞰る。

日華川上動, 風光草際浮,

日華は川上に動き,風光は草際に浮ぶ。

桃李成蹊徑, 桑楡蔭道周,

桃李 蹊徑を成し,桑楡 道周を蔭う。

東都已俶載, 言歸望綠疇。

東都 已に載【こと】を俶【はじ】む,言【ここ】に歸りて 綠の疇を望まん。

また、南朝宋鮑照《擬行路難》詩之三「寧作野中之雙鳧,不願雲間之別鶴。」もこれの基づいているものとおもえる

雲中の鶴は、仙官の控御にあたる者たちであり、朝廷の者たちを示すものである。海上のカモメは、閒散の人にたとえたもので、李白の半官半隠の思いを示すものである。

 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

1 搖裔 波の上に浮きつ、沈みつする。

 

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

2 與海人狎 無心なる海上の若者と狎れて遊ぶ。

3 雲鶴 雲中の鶴。

 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

 

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。
 大明宮の圖003

744年年44歳-5李太白集040巻一40 古風,五十九首之四十 419Index-24Ⅲ-3 5【56首】Ⅰ李白詩1785 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7465

李白  古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)  鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

李太白集巻一40

五十九首之四十

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7465

Index-24

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56-5

419 <1000

 

 
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index-23-1 744年天寶三年44-5 古風,五十九首之二十二(鳳饑不啄粟)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-40

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。

幸遇王子晉。 結交青云端。

ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

 

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

秦嶺山脈終南山 

『古風,五十九首之四十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.

焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。

懷恩未得報,感別空長歎。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅玕【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

(現代語訳)

古風,五十九首之四十(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

西嶽華山00 

(訳注)

古風,五十九首之四十

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

 

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

2 鳳凰 姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。梧桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。

3 粟 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。

4 所食唯琅玕 楊齊賢は離騷の注に曰う「南方有鳥其名為鳳天為生樹名/曰瓊枝高百二十仞大三十圍以琳琅為實」(南方に鳥有り、其の名を鳳と為す。天 為めに樹を生じ、名づけて瓊枝と曰う。高さ百二十仞、大きさ三十圍、琳琅を以て實と為す。)にもとづく。・琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。即ち竹の実。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける俸禄を意味する。


焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
5 羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。

6 刺蹙 こせこせ。齷齪とする。


朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
7 崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。山海經「西海之南流沙之濵赤水之後黑水之前有大山名曰崑崙之丘。」(西海の南、流沙の濵、赤水の後、黑水の前、大山有り。名を崑崙の丘と曰う。)

8 砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。元和郡縣志「底柱山、俗名三門山、在陜州硤石縣東北五十里黄河中。禹貢曰“𨗳河積石至于龍門又東至于底柱註云河水分流包山而過山見水中若柱然也”」(底柱山、俗名三門、山は陜州硤石縣の東北五十里、黄河中に在り。禹貢 曰く“河に積石を𨗳いて龍門に至り、又、東 底柱に至る。註に云い河水分流、山を包んで過ぐ。山は水中に見われ、柱の若く然るなり”)とある。

9 朝鳴二句「淮南子」に「鳳凰、かって万仞の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏圃を過ぎ、砥柱の湍瀬に飲む」とあるのにもとづく。


歸飛海路遠、獨宿天霜寒。

渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
10 海路遠 仙境は東海、滄海の上はるか先に泛ぶ三山の島ということ。


幸遇王子晉、結交青雲端。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
11 王子晉 むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。《列仙傳》曰「周靈王太子名晉好吹笙作鳳鳴遊伊洛間/道士浮丘公接上嵩高山三十年後乘白鶴在緱氏山頭舉手謝時/人數日去」に見える。13の字解を参照。

12 青雲 青雲の志、立身出世。
 

 

懐恩未得報、感別空長歎。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

13 この二句 元の蕭士贇の《補註》曰「此詩似/太白自比。之作太白雖帝族非凡輩可儕、然孤寒疎知章、薦之方能致身金鑾、帝知遇可、謂「結交青雲端矣」此恩未報臨別之時安能/不感嘆哉」(士贇は曰う“此詩は太白 自ら比するに似たり。之作は太白は雖帝族にして凡輩の儕しゅうす可きに非ずとも、然れども孤寒疎知章、之を薦めて、方に能く身を金鑾に致し、帝の知遇をる、「交りて青雲の端を結ばんや」と謂う可し。此の恩、未だ報せず、別に臨んで之の時、安んぞ能く感嘆せざらんや”

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古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

感物動我心,緬然含歸情。昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)  長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。

李太白集巻一22

古風,五十九首之二十二

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Index-24

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index-23-1 744年天寶三年44-4 古風,五十九首之二十二(世道日交喪)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-22

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之二十二

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都

 

 

 華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 

揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

  鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

  朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

  幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

 

 

 

-366-022巻一22 古風,五十九首之二十二 (秦水別隴首,) 

Index-23-1 744年天寶三年44366

李白index- 23 《744年 高力士に讒言され首都追放。四方遊歴を再開する。》李白詩 全詩<李白index- 23> Ⅰ李白詩1094 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4018

年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十二 

 

古風,五十九首之二十二

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。
感物動我心,緬然含歸情。

此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。
#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。
嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

それに、桑の葉は群がり生じて、しなやかにまとわりついているし、柳は見事に繁って、煙れる枝を垂れていることであろう。
急節謝流水,羈心搖懸旌。

時節は流れる水よりも早くながれ、わが旅人の心は旗のように揺れうごいて落ち気はしない。
揮涕且復去,惻愴何時平。 

こうして、今、涙を払ってともかくもこの地を去って、旅を続けようとするので、愴然として心を傷ましめ、この重たく暗い思いは何時になったら平静になるのであろうか。

(古風,五十九首の二十二)

秦水【しんすい】  隴首【ろうしゅ】に別れ、幽咽【ゆうえつ】して悲声多し。

胡馬【こば】  朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。

物に感じて我が心を動かし、緬然【めんぜん】として帰情を含む。

#2
昔は視る  秋蛾【しゅうが】の飛ぶを、今は見る  春蚕【しゅんさん】の生ずるを。
嫋嫋【じょうじょう】として桑は葉を結び、萋萋【せいせい】として柳は栄を垂る。
急節  流水のごとく謝【さ】り、羇心【きしん】   懸旌【けんせい】を揺るがす。
涕を揮って且【しばら】く復()た去り、惻愴【そくそう】  何【いず】れの時か平かならん。

 

馬002 

『古風,五十九首之二十二』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首之二十二

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。

揮涕且復去,惻愴何時平。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十二)

秦水【しんすい】  隴首【ろうしゅ】に別れ、幽咽【ゆうえつ】して悲声多し。

胡馬【こば】  朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。

物に感じて我が心を動かし、緬然【めんぜん】として帰情を含む。

#2

昔は視る  秋蛾【しゅうが】の飛ぶを、今は見る  春蚕【しゅんさん】の生ずるを。

嫋嫋【じょうじょう】として桑は葉を結び、萋萋【せいせい】として柳は栄を垂る。

急節  流水のごとく謝【さ】り、羇心【きしん】 懸旌【けんせい】を揺るがす。

涕を揮って且【しばら】く復()た去り、惻愴【そくそう】  何【いず】れの時か平かならん。

 

(現代語訳)

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。
此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。
#2

先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。
それに、桑の葉は群がり生じて、しなやかにまとわりついているし、柳は見事に繁って、煙れる枝を垂れていることであろう。
時節は流れる水よりも早くながれ、わが旅人の心は旗のように揺れうごいて落ち気はしない。
こうして、今、涙を払ってともかくもこの地を去って、旅を続けようとするので、愴然として心を傷ましめ、この重たく暗い思いは何時になったら平静になるのであろうか。

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之二十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

 

秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
1 秦水 渭水の上流部、隴西の流域。 《水經注卷十七》「秦水西逕降隴縣故城南,又西南自亥、松多二水出隴山,合而西南流,逕降隴城北,又西南注秦水。」(秦水の西逕は隴縣故に城南に降り,又、西南に自ら亥【とざ】す、松多く二水は隴山に出づ,合して 西南に流る,隴城の北に逕降し,又 西南に 秦水に注ぐ。

2 隴首 渭水が隴山のすそをながれるあたりは、杜甫《巻二14前出塞九首其三》「磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。欲輕腸斷聲,心緒亂已久。」(隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれてくる。「前出塞九首」其三 紀頌之の漢詩ブログ杜甫特集 42

《太平御覽、辛氏、三秦記》「隴右西關、其坂紆迴、不知髙里。欲上者、七日乃越。髙處可容百餘家。上有清水、四注流下。俗歌曰、隴頭流水、鳴聲幽咽、遥望秦川、肝腸斷絶。隴首即隴頭也。」(隴右の西關、其の坂 紆迴し、髙さ里なるを知らず。上らんと欲する者は、七日乃ち越ゆ。髙處は百餘家を容る可し。清水、四いで流下す。俗歌に曰く、隴頭の流水、鳴聲は幽咽す、秦川を遥望し、肝腸して斷絶す。隴首隴頭なり)とある

沈約詩《西征登隴首、通鑑地理通釋》「秦州隴城縣有大隴山亦曰隴首山。」(秦州の隴城縣に大隴山有り亦た隴首山と曰う。)とある。


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世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。空聞紫金經,白首愁相誤。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

李太白集巻一20

古風,五十九首之二十

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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-20

文體:

五言古詩

李太白集 

01-20

 

 

詩題:

古風,五十九首之二十

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都

 

 

 華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十) #1

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

#2

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

#3

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

(現代語訳)

古風,五十九首之二十 #1(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 

#2

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

#3

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

#1

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

1 齊都 済南市は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、政治、文化の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。740年、孔巣父ら5人の道士と徂徠山(現山東省)に集まり、「竹渓六逸」と呼ばれることもあった。

2 華不注峰 中国五岳の一。陝西(せんせい)省の南,秦嶺(しんれい)山脈の東端にある名山。海抜1997メートル。双峰が突き出した険しい山が「華不注山」、頂上の丸いのが「鵲山」である。陝西省華陰県,秦嶺東部の山。黄土高原を南流してきた黄河が東方へ90度転換,渭河と合流する地域にある。東岳泰山,中岳嵩山(すうざん)などとならび中国五岳の一つで,西岳,小秦嶺ともいう。東,西,南,北,中の5峰をはじめ,花コウ岩を主とする山峰が発達した断層山地で,最高は南峰落雁峰の1997m。〈華山は天下の雄たり〉の称がある。山中には寺観が大小30余あり,道教の山となってきた。【

 

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

3 如芙蓉 華山は、北峰(云台峯)、中峰(玉女峰)、南峰(落雁峰)、西峰(蓮花峰)、東峰(朝陽峰)35つの主な峰からなり、約8千万年前の大きな地殻変動によって出来上がった華山は、火山の噴火などでできた山と違い、断崖絶壁の一枚岩のような作りになっている。この連峰は金鎖関を起点に道が伸びている。この芙蓉というのは、華山の西峰(蓮花峰)と呼ばれるやまをいう。

 

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

4 赤松 赤松子:神農のころの雨師(雨の神)水玉(水精。水晶)を服用し、それを神農にも教えた。  自焼することで火によって尸解したという。西王母の石室に宿り風雨とともに山を上り下りした。  炎帝(神農)の末娘が赤松子を追ってきて仙人になり、二人とも姿を消した。黄帝の曾孫の高辛氏の時代に再び雨師になった。“《列仙傳·赤松子》: 赤松子者,神農時雨師也。服水玉以教神農,能入火自燒。往往至崑崙山上,常止西王母石室中,隨風雨上下。炎帝少女追之,亦得仙,俱去。至高辛時,復為雨師。今之雨師本是焉。 顯示整段. 《太平御覽·昆侖山》: 赤松子者,神農時雨師也。”とある。

 

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

5 白鹿 仙人ののるもの。

6 青竜 伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。「青」の原義は緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。

道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。

杜甫『寄張十二山人彪三十韻』

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。

商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。

耕岩非穀口,結草即河濱。

時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり

世祖高廟を修む 文公従臣を賞す

商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず

想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに

巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜

四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。

道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ1484 杜甫詩 700- 459

 

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

7 倒景 司馬相如《大人賦》「貫列缺之倒景兮,涉豐隆之滂濞。」(列缺の倒景を貫き,豐隆の滂濞を涉る)服虔曰:「列缺,天閃也。人在天上,下向視日月,故景倒在下也。師古曰:「豐隆將雨,故言涉也。滂濞,雨水多也。滂音普郎反。濞音匹備反。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

 

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

8 努力 努力して養生することをつくす。

 

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

9 欺紅顏 紅顔は決して長く存せずということ。いまは紅顔であってもすぐに欺かれる、いつまでもよいときは続くものではない。

 

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

10 飄風 急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。《「老子」23章から》「故飄風不終朝 驟雨不終日」飄風は朝を終えず驟雨は日を終えず。

つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。

 

 

3

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

11 紫金經 煉丹の書。後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。・紫金:赤銅(しゃくどう)の異称。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。

 

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

 

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

 

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

12 赤玉舄 安期生が赤玉でもって飾り付けた靴をいう。『列仙伝』 の安期先生も 「赤玉の. 暮」 をのこ し、 『神仙伝』 の茄子訓も棺中にくつを一つのこ していった。 安期先生瑯邪の阜郷(山東省)の人で、秦始皇帝(BC259BC210)が巡遊したとき三日三晩共に語らい、赤玉くつ一足を返礼し、蓬莱山に愚老を捜すように書面を残して去る

13 蓬萊路 古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。

 

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

744年年44歳-2李太白集005巻一05 古風,五十九首之五 416Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-2【56首】-364-005Ⅰ李白詩1782 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7450

巻一5 古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。

李太白集巻一05

古風,五十九首之五

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Index-24

744年天寶三年44歳 

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744年天寶三年44巻一05 古風,五十九首之五 (太白何蒼蒼,) 

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠發翁,披雲臥松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以煉藥

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永與世人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 

揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

  鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

  朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

  幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

太白山001 

 

Index-23        -1 744年天寶三年44

巻一5 古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

去天三百里,邈爾與世

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
中有綠髮翁,披雲卧松雪。

その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
不笑亦不語,冥棲在岩穴。

そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
古風,五十九首の五

#1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

 

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
粲然玉齒,授以練葯

すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。

銘骨傳其語,竦身已電滅。

折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
仰望不可及,蒼然五情熱。

あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
吾將營丹砂,永世與人別。

たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】を以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

 

『古風,五十九首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

(下し文)

古風,五十九首の五  #1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】のを以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

(現代語訳)

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
#2

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。
折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之五

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)744年天寶三年44歳の詩。

1.  古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

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太白山00 

太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
2. 太白山 長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本のして地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。《水經注地理志》「武功縣有太一山、古文以為終南、杜預以為中南。亦曰、太白山在武功縣南、去長安二百里、不知其高何、俗云、武功太白去天三百。」(武功縣に太一山有り、古文には以て終南と為し、杜預は以て中南を為すとした。亦た曰く、太白山は武功縣の南に在り、長安を去ること二百里に、其の高さ何かを知らず、俗に云う、武功太白 天を去ること三百。

695巻二十9登太白峰》  李白 20
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。
西方登は太白峰、夕陽は山擧に窮めた。
太白星は我に語りかけ、私のために天空の門を開いた。
爽やかな風に乗り、すぐにも出たい雲のあいだを。
手を挙げれば月に近づき、前にすすめば遮るものも無いかのように。
ひとたび去る武功の地、いつまた帰ってこられるのか。

李白16 登太白峯 

3. 蒼蒼 山があおあおとしている、そのようす。

4. 星辰 星も辰も、ほし。

5. 森列 いかめしくならぶ。

 

去天三百里、邈爾與世
その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
6. 去天三百里 2.太白山の字解参照。三秦記「武功太白去天三百」(武功の太白、天を去ること三百里)とみえる。

7. 邈爾 ばくじ はるか遠くにあること。

 

中有綠髪翁、披云臥松雪。
そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
8.
  着物としてきる。 

9. 云 雲。云は古来文字。

 

不笑亦不語、冥棲在岩穴。
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
10.
 冥棲 ひっそりとしたところに棲む。一心不乱に行い澄ます

#2

我來逢真人、長跪問寶訣。
もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
11. 真人 道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだ人。仙人を言う。

12. 長跪 ちょうき 長く両ひざをついてお辞儀をする姿勢をとること。

13. 寶訣 ほうけつ、仙家の秘訣。 修行をして体得した悟りとか奥義。

 

粲然玉齒、授以煉藥
すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。
14.
 粲然 にこやかに笑う時に白い歯を見せる貌のさま。あざやかなさま。

15. 煉藥 仙薬を練ること。・丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。


銘骨傳其語、竦身已電滅。
折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
16 竦身已電滅 仙人は、上はよく身を雲霄にそばだて、下はよく形を川海にひそめる、という。

 

仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
17
 蒼然 春の草木が萌え出るさま。

18 五情 喜び・怒。・哀しみ・楽しみ・怨みの五つの感情。

‣陶潜《影答形》「身沒名亦盡、念之五情熱。」(身沒すれば 名も亦た盡き,之れを念へば 五情熱す。肉体が滅べば、名声やこの世にいたという形式上の存在のしるしである名も尽き果ててしまう。この「身沒名亦盡」のことを深く心で思っていると心が熱くなってくる。 

・身沒:肉体が滅ぶ。死ぬ。 ・名亦盡:他人の意識の中にある自分というものも尽き果ててなくなってしまう。この世にいたという形式上の存在のしるしも尽き果ててしまう。 ・名:「身」に対して使われ、他人の意識の中にある自分というもの。「身」が肉体的、実体的、個体的存在を云うのに対して、「名」は社会的存在としての自分をいう。他人の意識に反映している自分というもの。名声。・念:深く心で思う。 ・之:・これ。前出「身沒名亦盡」を指す。 ・五情:五つの感情。喜怒哀楽怨。喜怒哀楽慾。 ・熱:あつくなってくる。悶える。 

‣また、《礼記》には「七情六欲」の記載にある。喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲をいう。1. 喜、 怒、 哀、 懼、 愛、 惡、 欲七種感情。 南朝梁·劉勰·文心雕龍·明詩:人稟七情, 應物斯感, 感物吟志, 莫非自然。” 宋·蘇軾·睡記:昏然不生七情, 茫然不交萬事。” 2. 中醫上指喜、 怒、 憂、 思、 悲、 恐、 驚等七種精神狀態, 為傷病因

封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳であり、、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていったものである。

 

吾將營丹砂、永與世人別。
たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

19 丹砂 水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。

744年歳-1李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山 415Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-1【56首】Ⅰ李白詩1781 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7445

李白  白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。 長隨君。 君入楚山里。

云亦隨君渡湘水。湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。
(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。 白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。 

李太白集巻十九18

白云歌送劉十六歸山

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Index-24

744年天寶三年44歳 

56-1

415 <1000

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
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363-230卷六25白云歌送劉十六歸山 (楚山秦山多白雲,) 

744

天寶三年

44

56-1

卷別:

卷一八四

文體:

歌吟 樂府

李太白集230巻六25

詩題:

白云歌送劉十六歸山

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

楚山

湘水

交遊人物/地點:劉某

長安

詩文:


230卷六25

白云歌送劉十六歸山

(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)
楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

長隨君。君入楚山里。云亦隨君渡湘水。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

湘水上。女蘿衣。白云堪臥君早歸。
さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

 

(白云歌送劉十六歸山)

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

巫山十二峰002 

『白雲歌送劉十六歸山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

(下し文)
(白云歌送劉十六歸山)

楚山 秦山 皆白云、白云 處處 長く君に隨う。

長く君に隨う。 君は入る 楚山の里。 云 亦た君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上【ほと】り。 女蘿の衣。   白云 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

(現代語訳)
白云歌送劉十六歸山(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

漢文委員会紀頌之タイトル
(訳注)

白云歌送劉十六歸山

(仙郷に漂う白雲、白雲を題にして、劉十六というものの故郷に帰るを送った詩である。)1 劉十六は楚の人で、長安に遊びに来た。その彼が、山水に高臥隠遁していた故郷の山に帰るというのである。

2 白云 白雲について、

陶弘景 

 四十歳で山中に隠棲したが、梁の武帝から常に諮問をうけ、「山中宰相」と呼ばれた。斉の高帝からの詔にこたえる形で書かれた詩。

《詔問山中何所有賦詩以答》

山中何有所、嶺上多白雲

只可自怡悦、不堪持寄君。

(山中に何の有る所ぞと詔問せられ、詩を賦して以って答う)

山中 何の有る所ぞ、嶺上 白雲多し。只だ 自ら怡【たのし】み悦ぶべし、持して 君に寄するに堪えず。

「山の中に何が有るのだ」との御下問ですが、嶺の上には白雲が多くただよっています。しかし、これは私が見て楽しむだけで、残念ながら陛下にお届けする訳にはまいりません。

 

王維 

 唐代随一の田園詩人。仏教に深く帰依し、書画音楽にも優れていた。長く官僚として生活し、相当の地位にのぼりますが、元来、芸術家肌で役人生活は向いていなかったようで、藍田の麓に輞川商荘を営み、半官半隠の生活を送った。ここで「空山不見人」や「獨座幽篁裏」輞川二十首田園楽 七首などの有名な詩が詠んだ。脅迫されて安禄山にやむなく仕えたため、長安奪還後、処刑を命ぜられたが、これまでの功績により、特赦されたが、以降輞川荘にこもった。

 李白の詩と同様に、、故郷に隠棲する友人を送る詩。

「送別」

下馬飲君酒、問君何所之。

君言不得意、歸臥南山陲。

但去莫復問、白雲無盡時。 

馬より下りて君に酒を飲ましむ、君に問う 「何の之【ゆ】く所ぞ」と。

君は言う 「意を得ず、南山の陲【ほとり】に帰臥せん」と。

「但去れ。復た問うこと莫からん、白雲 尽きる時無し」と。

馬から下りて、まず一献。「これから、どうする?」「どうも世の中、思うようにはいかない。終南山の麓にでも引きこもるよ」「そうか、じゃ、行き給え。あの辺りでは、白雲が何時までも君の友達となってくれるだろう」

 

寒山

隠遁には、様々な形があった、自分の気配、存在そのものを消す、あるいは、自然と一体化するのが隠遁である。しかし、多くの詩人は半官半隱を理想とした。詩人は自己の詩を読んでもらいたいという願望があるからである。寒山は実在した証拠さえ消し去った、正真正銘の隠遁者といえるひとである。水墨画の「寒山拾得図」で知られる浙江省天台山(道教・仏教の霊地)に隠れ住んだ唐代末期ころの人だろうと云われる。

寒山の詩は他人に読ませようという意図が全くないため、三百首余り残存するが、すべて「無題」である。

登陟寒山道、寒山路不窮。

谿長石磊磊、澗濶草濛濛。

苔滑非関雨、松鳴不假風。

誰能超世累、共坐白雲中。

寒山の道を登陟れば、寒山 路 窮まらず。

谿は長くして石磊磊、澗は濶くして草濛濛。

苔の滑らかなるは雨に関わるに非ず、松の鳴るは風を仮らず。

誰か能く世累を超えて、共に白雲の中に坐せん。

寒山の路を登って行く。その道はどこまでも尽きることはない。渓谷は長く、石がごろごろと散らばっており、谷川は広く、草がぼうぼうと生えている。苔がしっとりと滑らかなのは、雨のせいではなく幽邃な山気のためであり、松が鳴っているのは、風のせいではなく、自ずからの天籟なのだ。誰か世の煩いから逃れて、私と一緒に白雲の中に坐してくれないだろうか。

 

川集 20首     もうせんしゅう

 もうせんしゅう解説

 

1孟城幼 もうじょうおう

2華子岡 かしこう

3文杏館ぶんきょうかん

4斤竹嶺 きんちくれい

5鹿柴   ろくさい 

6木蘭柴 もくらんさ

7茱萸拌 しゅゆはん

8宮塊陌 きゅうかいはく

9臨湖亭 りんこてい

10南 陀 なんだ

11欹 湖 いこ

12柳 浪 りゅうろう

13欒家瀬らんからい

14金屑泉 きんせつせん

15白石灘はくせきたん

16北 陀 ほくだ

17竹里館 ちくりかん

18辛夷塢 しんいお

19漆 園 しつえん

20椒 園 しょうえん

 

田園楽 七首

田園楽七首 1 千門

田園楽七首 2 再見

田園楽七首 3 採菱

田園楽七首 4 芳草

田園楽七首 5 山下

田園楽七首 6 桃紅

田園楽七首 7 酌酒


楚山秦山皆白云、白云處處長隨君。

君が故国とする楚山も、長安を見守ってきた秦山も、そこには皆白雲を帯びている。

楚山 杜甫《昔遊》「景晏楚山深,水鶴去低回。」(景晏れて 楚山 深し,水鶴 去って 低回す。)「唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。」(唯甫漂泊楚山,終當為龐公高隱耳。)

李白詩における楚山

16巻一16古風五十九首其十六

水深萬丈。 楚山邈千重。

230卷六25白云歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白云。 白云處處長隨君。

442巻十三07流夜郎至西塞驛寄裴隱

回巒引群峰。 橫蹙楚山斷。

841巻二十三15擬古十二首其十二

漢水既殊流。 楚山亦此分。

秦山 「楚」山に対して「秦」山といったのであり、長安をめぐる山々ということではあるが、通常は隠遁者が多く棲んだ終南山を意味するものである。

 

長隨君。 君入楚山里。 云亦隨君渡湘水。

白雲は、所所に於いて、君に随って居るので、君が長安の秦山に居ても、白雲が随って居か、故郷の楚山に居ても、矢張り白雲が随って居る。かくの如く、どこでも白雲が君に随って居る上は、同じ境涯あるから、何も都を棄てて、故郷へ帰る必要は無いように思われるが、故郷の白雲は、又格別なのであろう、だから、君は此度、故郷に帰られるのである。

湘水 湘江、あるいは湘水は、中華人民共和国を流れる大きな川の一つで、洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流。湖南省最大の川であり、湖南省の別名・「湘」(しょう)はこの川に由来する。長さは856km。桃源郷の伝説もこの一帯から生まれ、屈原の『楚辞』「九歌」や「離騒」には、伝説上の皇帝堯の二人の娘湘君・湘妃の物語が幻想的に詠われている。

渡湘水 

孟浩然《夜渡湘水》

(夜、湘水を渡る)

客行貪利捗、夜裏渡湘川。

客行 利捗を貪り、夜裏 湘川を渡る。

露氣聞香杜、歌聲識採蓮。

露気に 香杜を聞き、歌声に 採蓮を識る。

榜人投岸火、漁子宿潭煙。

榜人は 岸火に投じ、漁子は 潭煙に宿る。

行旅時相問、潯陽何處邊。

行旅 時に相い問う、潯陽は 何処の辺りかと。

 

湘水上。 女蘿衣。   白云堪臥君早歸。

さうして、君が故郷へ帰られると、泰山の雲は、君に随って湘水を渡り、やがて楚山の雲となるのである。湘水のほとりなる楚山には、女蘿が叢生して居るから、これをとって衣となすことができる。かくて、君は薜茘の衣、女蘿の帯となし、白雲に高臥し、優辞、餘生を送られようというのであるから、早く御歸りに成った方が宜しからうと思われる。

女蘿衣 薜茘の衣、女蘿の帯。山鬼の衣帯。《楚辞、九歌、山鬼篇》に「若有人兮山之阿,被薜荔兮。」(ここに人山の阿に有りし薜茘を被り女蘿を帯にす)とある。

 

杜審言 《渡湘江》

(湘江を渡る)

遲日園林悲昔遊、今春花鳥作邊愁。

遅日 園林 昔遊を悲かなしむ、今春 花鳥 辺愁を作なす。

獨憐京國人南竄、不似湘江水北流。

ひとり憐む 京国の人 南竄せられ、湘江の水の北流するに似ざるを。

743年(81)李太白集828卷23-02效古二首其一  400-#3Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(81) Ⅰ李白詩1764 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7360

李白  效古,二首之一 #3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

李太白集巻二三02

效古,二首之一 #3

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7360

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-81

400#31000

 

 
  2016年2月19日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:天寶二年43歳 94-81

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    效古,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

快意且為樂,列筵坐群公。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

光景不可留,生世如轉蓬。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

 

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。

#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞蹀 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。
#3

清歌 古曲を弦じ,美酒 新豐を沽う。

快意 且つ樂を為し,列筵 群公を坐せしむ。

光景 留むべからず,世に生きて轉蓬の如し。

早達は 晚遇に勝る,垂釣の翁に比するを羞ず。

 

京兆地域図002 

『效古,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

(下し文)
#3

清歌 古曲を弦じ,美酒 新豐を沽う。

快意 且つ樂を為し,列筵 群公を坐せしむ。

光景 留むべからず,世に生きて轉蓬の如し。

早達は 晚遇に勝る,垂釣の翁に比するを羞ず。

(現代語訳)
#3

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。


(訳注) #3

效古,二首之一 #3

古詩の體に倣ったという詩

 

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

19 清歌弦古曲 念奴をイメージする。念奴は『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

美酒沽新豐 「新豐酒」漢唐兩代の最も有名な酒である。陝西省驪山華清宮近くにある酒の名産地。長安東北郊20kmの現・臨潼になる。王維の『少年行』に「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」とある。或いは、江蘇省太倉にある地名。李白《楊叛兒》「君歌楊叛兒,妾勸新豐酒。」

8 《楊叛兒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <98> Ⅰ李白詩1270 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4898

 

快意且為樂,列筵坐群公。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

20 列筵 宴席に身分役職により居並ぶ状況をいう。

謝靈運 《従遊京口北固應詔》 #1

玉璽誡誠信、黄屋示崇高。

事為名教用、道以神理超。

昔聞汾水遊、今見塵外鑣。

鳴笳發春渚、税鑾登山椒。

張組眺倒景、列筵矚歸潮。

(京口の北固【ほくこ】に従遊【じゅうゆう】す、詔に應ず)#1

玉璽【ぎょくじ】もて誠信【せいしん】を誡【いまし】め、黄屋【こうおく】もて崇高【すいこう】を示す。

事は名教【めいきょう】の為に用ひ、道は神理【しんり】を以て超ゆ。

昔は汾水【ふんすい】の遊を聞ぎ、今は塵外【じんがい】の鑣【ひょう】を見る。

茄を鳴らして春渚【しゅんしょ】を發し、鑾を税【と】いて山椒【さんしょう】に登る。

組を張りて倒景【とうえい】を眺め、筵を列ねて歸潮【きちょう】を矚【み】る。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<6>  従遊京口北固應詔 #1 詩集 362

 

光景不可留,生世如轉蓬。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

21 轉蓬  ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。飛蓬。孤蓬。
曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。
また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797

 

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬。

野人送朱櫻 蜀中転々 杜甫 <500  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2690 杜甫詩1000-500-732/1500

また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものである。

 

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

22 早達 出世早達のこと。《南史列傳卷四一至五十》「纘時年二十三, 善明見而嗟服。 累遷尚書吏部郎, 俄而長兼侍中, 時人以為早達。「纘、年二十二、尚書吏部郎に累遷し、俄にして、長兼侍中たり、時人以て早達となす」とある。

23 垂釣翁 王琦注「垂釣翁謂呂尚, 年八十釣於渭濱, 始遇文王。」(呂尚を謂ふ、年八十にして渭濱に釣し、はじめて文王に遇った。)とある。

秦嶺山脈終南山 

 

 

 

 

 

 

效古,二首之一 【字解】 

 

古詩の體に倣ったという詩

1 效古は、即ち古詩の體に倣ったというのであるが、その内容は、作者自身の閲歴を叙したので、わざと、此の如く題を命じたのである。

2 起首四句は、始めて天子に謁見せしこと、「謬題金閨籍」の四句は、翰林に待詔せしこと、歸時落日晩の四句は退食の模様、入門紫鴛鳶の六句は其宅に於ける逸樂の有様、光景不可留は感慨を述べたので、無論、後日の作であるが、その昔時の事として叙述を試みたのであろう。蕭士贇は「この詩、欒府富貴の體なり」といって居る。

3 天苑 禁苑に同じ。

4 蓬萊宮 唐書に「大明宮に、禁苑の東南に衣。、西・宮城の東北隅に壊す、長さ千八百歩、廉さ千八十歩、束内といふ、本と永安宮、貝翫八年に置く、九年、大明宮といひ、以て太上皇の渚薯に備ふ、百官資を献じ、以て役か助く、高宗、風痔を以て西内の漱汲む厭ひ、龍朔三年、はじめて大に興著して、蓬莱宮といひ、成亨元年、含元宮といひ、長安元年、復七大的宮といふしとある。

唐書 「大明宮,乃謂之西,神龍元年曰太極宮。大明宮在禁苑東南,西接宮城之東北隅,長千八百步,廣千八十步,曰東,本永安宮,貞觀八年置,九年曰大明宮,以備太上皇清暑,百官獻貲以助役。高宗以風痹,厭西湫濕,龍朔三年始大興葺,曰蓬萊宮,咸亨元年曰含元宮,長安元年复曰大明宮。」

長安志「東大明宮在禁苑之東南南接京城之北面西接宮城之東北隅南北五里東西三里貞觀八年置為永安宮明年改曰大明宮以備太上皇清暑百官獻貲財以助役龍朔三年大加興造號曰蓬萊宮咸亨元年改曰含元宮尋複大明宮」

5 青山 長安大明宮から180度に秦嶺山脈山脈を見るが、此処では長安の右中間による都市計画から南へ子午線上の終南山とみる。

6 輦道 夾城、閣道、輦に乗じて行くべき専用の道。

7 金閨籍 金は金門、應劭の漢書註に「籍は尺二の竹牒なり、これを宮門に懸け、案省相應じ、乃ち入るを得るなり」とある。

8 銀臺 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」

9 待詔 1 天子の命令を待つこと。みことのりの下るのを待つこと。2 古代中国の官名。経学・文章の人を任命して、天子の詔に応じさせたもの。3 中国の宮廷の画院で最高位の画家。通鑑に「玄宗即位、はじめて翰林院を置いて、禁延に密邇し、文章の士を延き、下は僧道書畫琴棋數術の士に至るまで、皆之に處らしめ、之を待詔といふ」とある。

10 明主 賢明な君主。明君。

11 抽毫 筆箱から選んで筆をとりだす、出筆すること。抽笔出套。(抽筆出套);抽寶劍;抽刀.李白 588巻十七26宣州謝朓樓餞別校書叔云》「抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。」(刀を抽いて水を斷てば、水更に流れ、杯を挙げて愁を消せば、愁 更に愁。)刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。

12 頌 人の美徳をほめたたえて詩歌にする。功徳をほめる。ほめことば。「頌歌・頌辞・頌徳・頌美」。たたえて祝う。「頌春」2 「詩経」の六義 (りくぎ) の一。宗廟 (そうびょう) で、祖先の徳をたたえる詩歌。、人君の盛徳をほめて神に告げる祭りの詩。「風雅頌・周頌・商頌」

13 清風 (穆として清風の如し)その詩は清泠の風がそよそよと吹く清風のように、人の心を和らげる。天子の恩徳を知らしめる文章を作るということ。毛伝に(清微の風は万物を化養するものなり)とあり、《詩經·蕩之什・烝民》「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)とあるに基づく。

14 躞蹀 1.小步行走貌。 2.徘徊。“蹀”(1).小步行走貌。《古風五十九首之二十二》「胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。(胡馬【こば】 朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。)胡地の馬は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、いつまでも嘶きつづけるものなのだ。

15 浮雲驄 漢の文帝の駿馬、名馬の名前であり、以後名馬を言う。

この二句は、右銀臺門から翰林院まで、静かに下馬して歩行すること、歸朝の場合も現代門を出るまで下馬のままで歩行したこと、朝廷の一員であることを意識させる、自慢の出来事である。驄は青白雜毛の馬をいう。李白〈長干行〉二首之二:「行人在何處,好乘浮雲驄。」(行人 何處にか在る、好し 浮雲の驄に乘ず。 []毛色青白相雜の馬。

16 紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。

18巻一 古風五十九首其十八

七十紫鴛鴦。 雙雙戲庭幽。

282巻七 古意

上宿紫鴛鴦、若識二草心。

82823-02 效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

831巻二十三 擬古十二首 擬古十二首其二

愿逢同心者。 飛作紫鴛鴦。

936巻二十四47代別情人

風吹綠琴去、曲度紫鴛鴦。

17 金井 後宮であろうか、高貴なところにある井戸端。擣衣、砧も意識させる。

75巻二楽府 長相思

絡緯秋啼金井闌、微霜淒淒簟色寒。

214卷六9扶風豪士歌

 梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

626巻十八33答王十二寒夜獨酌有懷

 玉床金井冰崢嶸。 人生飄忽百年

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

18 梧桐 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

39巻一古風五十九首其三十九

梧桐巢燕雀、枳棘棲鴛鸞。

136巻四11 塞下曲六首 其四

摧殘梧桐葉、蕭颯沙棠枝。

214卷六9扶風豪士歌

梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

350卷九21 贈崔秋浦三首其一

門前五楊柳、井上二梧桐。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

488巻十四25將游衡岳過漢陽雙松亭留別族弟浮屠談皓

今茲大火落、秋葉黃梧桐。

515卷十五18送薛九被讒去魯

梧桐生蒺藜、綠竹乏佳實。

700巻二十14登金陵冶城西北謝安墩

梧桐識嘉樹、蕙草留芳根。

714巻二十與賈至舍人于龍興寺剪落梧桐枝望()

翦落青梧枝、浥湖坐可窺。

717巻二十秋登宣城謝()北樓

人煙寒橘柚、秋色老梧桐。

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

937巻二十四48代秋情

寒蟬聒梧桐、日夕長鳴悲。

漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。

梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。

棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)

栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)

桃の木十種:秦桃、桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。

李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。

柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)

山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。

椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。

棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。

梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。

杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)

桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。

林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。

743年(81)李太白集828卷23-02效古二首其一  400-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(81) Ⅰ李白詩1763 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7355

效古,二首之一 #2

待詔奉明主,抽毫頌清風。歸時落日晚,躞浮雲驄。

人馬本無意,飛馳自豪雄。入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。
身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

李太白集巻二三02

效古,二首之一 #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7355

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-81

400#11000

 

 

 
  2016年2月18日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(81)李太白集828卷23-02效古二首其一  400-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(81) Ⅰ李白詩1763 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7355  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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年:天寶二年43歳 94-81

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    效古,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

 

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。

#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞蹀 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。
#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

大明宮の圖003 

 

『效古,二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

歸時落日晚,躞浮雲驄。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

(下し文)
#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。


(現代語訳)
#2

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。


(訳注) #2

效古,二首之一 #2

古詩の體に倣ったという詩

 

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

9 待詔 1 天子の命令を待つこと。みことのりの下るのを待つこと。2 古代中国の官名。経学・文章の人を任命して、天子の詔に応じさせたもの。3 中国の宮廷の画院で最高位の画家。通鑑に「玄宗即位、はじめて翰林院を置いて、禁延に密邇し、文章の士を延き、下は僧道書畫琴棋數術の士に至るまで、皆之に處らしめ、之を待詔といふ」とある。

10 明主 賢明な君主。明君。

11 抽毫 筆箱から選んで筆をとりだす、出筆すること。抽笔出套。(抽筆出套);抽寶劍;抽刀.李白 588巻十七26宣州謝朓樓餞別校書叔云》「抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。(刀を抽いて水を斷てば、水更に流れ、杯を挙げて愁を消せば、愁 更に愁。)刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。

12 頌 人の美徳をほめたたえて詩歌にする。功徳をほめる。ほめことば。「頌歌・頌辞・頌徳・頌美」。たたえて祝う。「頌春」2 「詩経」の六義 (りくぎ) の一。宗廟 (そうびょう) で、祖先の徳をたたえる詩歌。、人君の盛徳をほめて神に告げる祭りの詩。「風雅頌・周頌・商頌」

13 清風 (穆として清風の如し)その詩は清泠の風がそよそよと吹く清風のように、人の心を和らげる。天子の恩徳を知らしめる文章を作るということ。毛伝に(清微の風は万物を化養するものなり)とあり、《詩經·蕩之什・烝民》「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)とあるに基づく。

 

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

14 躞蹀 1.小步行走貌。 2.徘徊。“蹀”(1).小步行走貌。《古風五十九首之二十二》「胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。」(胡馬【こば】 朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。)胡地の馬は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、いつまでも嘶きつづけるものなのだ。

15 浮雲驄 漢の文帝の駿馬、名馬の名前であり、以後名馬を言う。

この二句は、右銀臺門から翰林院まで、静かに下馬して歩行すること、歸朝の場合も現代門を出るまで下馬のままで歩行したこと、朝廷の一員であることを意識させる、自慢の出来事である。驄は青白雜毛の馬をいう。李白〈長干行〉二首之二:「行人在何處,好乘浮雲驄。」(行人 何處にか在る、好し 浮雲の驄に乘ず。 []毛色青白相雜の馬。

 

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

 

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

16 紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。

18巻一 古風五十九首其十八

七十紫鴛鴦。 雙雙戲庭幽。

282巻七 古意

上宿紫鴛鴦、若識二草心。

82823-02 效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

831巻二十三 擬古十二首 擬古十二首其二

愿逢同心者。 飛作紫鴛鴦。

936巻二十四47代別情人

風吹綠琴去、曲度紫鴛鴦。

17 金井 後宮であろうか、高貴なところにある井戸端。擣衣、砧も意識させる。

75巻二楽府 長相思

絡緯秋啼金井闌、微霜淒淒簟色寒。

214卷六9扶風豪士歌

 梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

626巻十八33答王十二寒夜獨酌有懷

 玉床金井冰崢嶸。 人生飄忽百年

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

18 梧桐 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

39巻一古風五十九首其三十九

梧桐巢燕雀、枳棘棲鴛鸞。

136巻四11 塞下曲六首 其四

摧殘梧桐葉、蕭颯沙棠枝。

214卷六9扶風豪士歌

梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

350卷九21 贈崔秋浦三首其一

門前五楊柳、井上二梧桐。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

488巻十四25將游衡岳過漢陽雙松亭留別族弟浮屠談皓

今茲大火落、秋葉黃梧桐。

515卷十五18送薛九被讒去魯

梧桐生蒺藜、綠竹乏佳實。

700巻二十14登金陵冶城西北謝安墩

梧桐識嘉樹、蕙草留芳根。

714巻二十與賈至舍人于龍興寺剪落梧桐枝望()

翦落青梧枝、浥湖坐可窺。

717巻二十秋登宣城謝()北樓

人煙寒橘柚、秋色老梧桐。

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

937巻二十四48代秋情

寒蟬聒梧桐、日夕長鳴悲。

漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。

梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。

棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)

栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)

桃の木十種:秦桃、桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。

李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。

柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)

山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。

椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。

棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。

梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。

杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)

桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。

林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。

京兆地域図002 

效古,二首之一 【字解】 

 

古詩の體に倣ったという詩

1 效古は、即ち古詩の體に倣ったというのであるが、その内容は、作者自身の閲歴を叙したので、わざと、此の如く題を命じたのである。

2 起首四句は、始めて天子に謁見せしこと、「謬題金閨籍」の四句は、翰林に待詔せしこと、歸時落日晩の四句は退食の模様、入門紫鴛鳶の六句は其宅に於ける逸樂の有様、光景不可留は感慨を述べたので、無論、後日の作であるが、その昔時の事として叙述を試みたのであろう。蕭士贇は「この詩、欒府富貴の體なり」といって居る。

3 天苑 禁苑に同じ。

4 蓬萊宮 唐書に「大明宮に、禁苑の東南に衣。、西・宮城の東北隅に壊す、長さ千八百歩、廉さ千八十歩、束内といふ、本と永安宮、貝翫八年に置く、九年、大明宮といひ、以て太上皇の渚薯に備ふ、百官資を献じ、以て役か助く、高宗、風痔を以て西内の漱汲む厭ひ、龍朔三年、はじめて大に興著して、蓬莱宮といひ、成亨元年、含元宮といひ、長安元年、復七大的宮といふしとある。

唐書 「大明宮,乃謂之西,神龍元年曰太極宮。大明宮在禁苑東南,西接宮城之東北隅,長千八百步,廣千八十步,曰東,本永安宮,貞觀八年置,九年曰大明宮,以備太上皇清暑,百官獻貲以助役。高宗以風痹,厭西湫濕,龍朔三年始大興葺,曰蓬萊宮,咸亨元年曰含元宮,長安元年复曰大明宮。」

長安志「東大明宮在禁苑之東南南接京城之北面西接宮城之東北隅南北五里東西三里貞觀八年置為永安宮明年改曰大明宮以備太上皇清暑百官獻貲財以助役龍朔三年大加興造號曰蓬萊宮咸亨元年改曰含元宮尋複大明宮」

5 青山 長安大明宮から180度に秦嶺山脈山脈を見るが、此処では長安の右中間による都市計画から南へ子午線上の終南山とみる。

6 輦道 夾城、閣道、輦に乗じて行くべき専用の道。

7 金閨籍 金は金門、應劭の漢書註に「籍は尺二の竹牒なり、これを宮門に懸け、案省相應じ、乃ち入るを得るなり」とある。

8 銀臺 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」

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李白  憶東山,二首之二

我今攜謝妓,長嘯人群。

欲報東山客,開關掃白雲。

(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二

私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。

李太白集818巻二十二40

憶東山二首 其二

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7345

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-80

399 <1000

 

 
  2016年2月16日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-79) 

卷別:    卷一八二              文體:    五言

詩題:    憶東山,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

憶東山二首 其一

(會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔って作ったものである。)

不向東山久,薔薇幾度花。

自分は、敬愛する謝安の空しく残る宅址のある會稽の東山に向わないときめて、随分久しい、薔薇洞の名をつけた庭一面の薔薇の花は、幾回の春を経ただろうか。

白雲還自散,明月落誰家。

同じように堂の名にした白雲は、そのまま自然に散じたままだろうか、明月を望むあの堂からの月は、今宵誰が家を照らすのだろうか。薔薇、白雲、明月、そのものは、依然としてあるも、宅址荒廃したまま、傍らの堂も、今は跡方の無くむなしいものである。

 

(憶東山二首 其一)

東山に向わざること久しく,薔薇 幾度か 花 さく。

白雲 また自ら散ず、明月 誰が家に落つ。

 

カンナ113 

 

年:743年天寶二年43歳 94-80

卷別:  卷一八二        文體:  五言

詩題:  憶東山,二首之二

作地點:        目前尚無資料

及地點:        東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山         

交遊人物/地點:

詩文:

 

憶東山,二首之二

我今攜謝妓,長嘯人群。

欲報東山客,開關掃白雲。

(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二

私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。
そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。

我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群をつ。 
東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。

 

 

長安城図 作図00
憶東山二首其二 現代語訳と訳註
(
本文)

其二 
我今攜謝妓。 長嘯人群。 
欲報東山客。 開關掃白云。


(下し文)
憶東山,二首の二

我 今 謝妓を攜え、 長嘯して 人群をつ。 
東山の客に報ぜんと欲っし、關を開いて 白云を掃へ。

 

(現代語訳)
憶東山,二首之二(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二

私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。
そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。

(訳注)
憶東山,二首之二

(長安に居て、過ぎし日、會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔い、思って作ったものである。)その二

李白が長安に居て、会稽、紹興滞在中のことをおもい、作ったものである。朝廷に召される前に訪れたところ。謝安をまねて遊んだことを思い出したもの。


我今攜謝妓。 長嘯人群。
私は今謝安が東山で芸妓とともに過ごしことと同じように、妓女を携えて、この宅址を訪れた、長嘯して浮世の人たちをまったく藐視していたものであった。
8 攜謝妓 晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。時期が来るまで、待っている賢者というものは、一喜一憂しない。敵を油断させる方法にも幾通りもある。ここに言う「芸妓を携えて」というのは、国外のみならず国内にも敵がおり、国を建てなおすにも相手の状況の分析を行い、時機が到来して立ち上がったのであるが、東山に白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所といわれ、妓女と酒を飲んで時期を待っていたことを言う。謝安について李白『送裴十八図南歸嵩山其二』「謝公終一起、相與済蒼生。」とあり、送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164
また、李白『梁園吟』「東山高臥時起來,欲濟蒼生未應晩。」とある。
274 《卷十六11送姪良攜二妓赴會稽戲有此贈(改訂)》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <274> Ⅰ李白詩1552 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6308
9
 長嘯 李白が長嘯という語を使うのはそれを機に行動を起こす場合の言葉としている李白42 梁園吟.
經亂後將避地剡中留贈崔宣城 安史の乱と李白(4) Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350- 216
李白『經亂後將避地剡中留贈崔宣城」(乱を経たるの後将に地を剡中に避けんとし留めて崔宣城に贈る)では、安禄山の叛乱軍を小馬鹿にして長嘯している。

雙鵝飛洛陽。五馬渡江徼。 
何意上東門。胡雛更長嘯。
(双鵝 洛陽に飛び、五馬 江徼(コウキョウ)を渡る
なんぞ意(おも)はん上東門、胡雛(コスウ)さらに長嘯せんとは。)
東門 洛陽の門。○胡雛 こすう胡雛 五胡十六国の時代、後趙の帝位に就いた羯の石勒の故事。少年の頃、物売りをしているとその声を聞いた王衍は、「さきの胡雛、吾れその声視の奇志有るを観る。恐らくは将に天下の息をなさん」と言って収監しようとしたがすでに去ったあとだった(『晋書』載記四)。「胡雛」はえびすの幼子。胡人の子供に対する蔑称。ここでは李白から見て蔑称の胡の子供並みであると安禄山のことを示す。
また、李白 『贈王大勧入高鳳石門山幽居』

贈王大勧入高鳳石門山幽居 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350- 200

投躯寄天下、長嘯尋豪英。(躯を投げて天下に寄せ、長嘯して豪英を尋ねんとす。) 天下にこの一身を寄せるという気持ちを持ち続け、、世俗など超越した「優れた人物を尋ね歩く」という詩をいつまでも詠い続けるのである。
李白『游泰山六首其一』

李白 112 游泰山六首 (一作天寶元年四月從故御道上泰山)

天門一長嘯。萬里清風來。 天門に一たび長噴すれば、万里より清風釆たる 
天への門に向かって一たび長く唄い叫んだ、すると万里の先より清々しい風が吹いて釆た
使い方としては「長嘯して~する」、ということである。

10 人群 は、藐視することであり、人群は浮世の人たちをいう。


欲報東山客。 開關掃白云。
そこで、東山の客としていたひとびとに報じたいと思っているもので、時期が来れば門を開き、白雲を拂って、神仙の場として奇麗にし、其処に参ろうとするので待っていてもらいたいものである。
11 東山客 謝安と同じ志を持っているもの、隠遁生活している人々。李白の心に思うこと。

12 開關 関は門とおなじ、門を開く、時期が来れば門を開きたいということ。
13
 白云 天上にあるもの、手に届かないものであり、温かく見守るものの象徴としている。あるいは、希望を覆い隠すもの、あるいは隠棲生活の場所を示すもの。

李白『憶東山二首 其一』憶東山二首其一 李白 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -269
不向東山久。 薔薇几度花。 
白云還自散。 明月落誰家。 
白雲は李白の希望、夢であった。白雲に対する明月は玄宗皇帝をあらわす

秋浦歌十七首 其十七 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集 261/350

祧波一步地。  了了語聲聞。 
闇與山僧別。 低頭禮白云。
暗闇に紛れてわたしは村人と別れを告げたのだ。そして、結をあらにして天子の入り法に向かって深々と頭を下げ礼を取ったのだ。

 

大明宮の圖003 

 

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李白  憶東山二首 其一

不向東山久,薔薇幾度花。白雲還自散,明月落誰家。
(會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔って作ったものである。)

自分は、敬愛する謝安の空しく残る宅址のある會稽の東山に向わないときめて、随分久しい、薔薇洞の名をつけた庭一面の薔薇の花は、幾回の春を経ただろうか。

同じように堂の名にした白雲は、そのまま自然に散じたままだろうか、明月を望むあの堂からの月は、今宵誰が家を照らすのだろうか。薔薇、白雲、明月、そのものは、依然としてあるも、宅址荒廃したまま、傍らの堂も、今は跡方の無くむなしいものである。

李太白集818巻二十二39

憶東山二首 其一

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7340

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-79

398 <1000

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-89) 

卷別:    卷一八二              文體:    五言

詩題:    憶東山,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              東山 (江南東道 越州 上虞縣) 別名:謝安山  

交遊人物/地點:  

詩文:

 

憶東山二首 其一

(會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔って作ったものである。)

不向東山久,薔薇幾度花。

自分は、敬愛する謝安の空しく残る宅址のある會稽の東山に向わないときめて、随分久しい、薔薇洞の名をつけた庭一面の薔薇の花は、幾回の春を経ただろうか。

白雲還自散,明月落誰家。

同じように堂の名にした白雲は、そのまま自然に散じたままだろうか、明月を望むあの堂からの月は、今宵誰が家を照らすのだろうか。薔薇、白雲、明月、そのものは、依然としてあるも、宅址荒廃したまま、傍らの堂も、今は跡方の無くむなしいものである。

 

(憶東山二首 其一)

東山に向わざること久しく,薔薇 幾度か 花 さく。

白雲 また自ら散ず、明月 誰が家に落つ。

四庫全書會稽志東山 

 

『憶東山二首 其一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

憶東山二首 其一

不向東山久,薔薇幾度花。

白雲還自散,明月落誰家。

(下し文)
(
憶東山二首 其一)

東山に向わざること久しく,薔薇 幾度か 花 さく。

白雲 また自ら散ず、明月 誰が家に落つ。


(現代語訳)
憶東山二首 其一(會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔って作ったものである。)

自分は、敬愛する謝安の空しく残る宅址のある會稽の東山に向わないときめて、随分久しい、薔薇洞の名をつけた庭一面の薔薇の花は、幾回の春を経ただろうか。

同じように堂の名にした白雲は、そのまま自然に散じたままだろうか、明月を望むあの堂からの月は、今宵誰が家を照らすのだろうか。薔薇、白雲、明月、そのものは、依然としてあるも、宅址荒廃したまま、傍らの堂も、今は跡方の無くむなしいものである。

呉越の地図李白の足跡0000 

 (訳注)

憶東山二首 其一

(會稽の東山を過ぎ、謝安の宅址を弔って作ったものである。)

1 東山 浙江省上虞県の西南にあり、会稽(紹興)からいうと東の山であり、名勝地。晋の太傅であった謝安がむかしここに隠居して、なかなか朝廷の招きに応じなかったので有名。山上には謝安の建てた白雲堂明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、謝安の居宅のそばにあった酒宴座敷で、かれが妓女をつれて宴をもよおした所と伝えられている。謝安(320 - 385年)は中国東晋の政治家。王義之らと同時期のひと。宋、施宿等《會稽志、巻九》「東山在縣西南四十五里、晉太傅謝安所居也。一名謝安山、巋然特立於衆峰間、拱揖蔽虧如鸞鶴飛舞。有謝公調馬路白雲明月二堂址千嶂林立、下視滄海天水相接葢絶景也下山出微徑為國慶寺乃太傅之故宅、傍有薔薇洞、俗傳、太傅携妓女宴之 所。」「又山西一里始寧園乃謝靈運墅一曰西莊按 謝安傳云寓居稽與王羲之許詢支遁出則漁獵山水入則言詠屬文後雖受朝寄然東山之志始末不渝靈運傳云父祖並𦵏始寧山中并有故宅及墅遂移籍稽故其詩云偶與張邴合久欲還東山。施宿の會稽志に「東山は、上虞縣の西南四十五里に在り、晋の太侍謝安の居るところなり、一名謝安山、巋然として衆峰の間に特出し、拱揖蔽虧、鸞鶴の飛舞するが如し。その頂に謝公の調馬路、白雲明月二堂の遺址あり、千嶂林立、下に滄海を視る、天水相接す、蓋し絶景なり、山を下って微徑を出づれば、國慶寺たり、乃ち太の故宅、旁に薔薇洞あり、俗傳う、太が妓女を携えて游宴せしところ」とある。

 李白『憶東山二首其二』「我今攜謝妓。 長嘯人群。欲報東山客。 開關掃白云。」(我 今 謝妓を攜え。 長嘯して 人群をつ。東山の客に報わんと欲っす。關を開いて 白云を掃く。)謝安。晉の時代の謝安は、あざなを安石といい、四十歳になるまで浙江省の東山という山にこもって、ゆうゆうと寝てくらし、朝廷のお召しに応じなかった。当時の人びとは寄ると彼のうわさをした。「安石が出てこないと、人民はどうなるんだ」。時期が来るまで、待っている賢者というものは、一喜一憂しない。敵を油断させる方法にも幾通りもある。ここに言う「芸妓を携えて」というのは、国外のみならず国内にも敵がおり、国を建てなおすにも相手の状況の分析を行い、時機が到来して立ち上がったのであるが、東山に白雲堂、明月堂のあとがあり、山上よりの眺めは絶景だという。薔薇洞というのは、かれが妓女をつれて宴をもよおした所といわれ、妓女と酒を飲んで時期を待っていたことを言う。謝安について李白『送裴十八図南歸嵩山其二』「謝公終一起、相與済蒼生。」とあり、送裴十八図南歸嵩山 其二 李白 :Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白164。○謝世運 時世の進展から去る。世を去る。

送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈 
攜妓東山去。 春光半道催。 
遙看若桃李。 雙入鏡中開。 
おいの良が謝安のように二人妓女と会稽に逝くのを送り出すときに、たわむれにこの詩を作って贈るもである。芸者をつれて、むかし謝安が遊んだように東山に出かけるが、春の日の光は途中で人をせきたてることだろう。きっと、二人の妓女が赤い桃花と白い李花がさいているのようだろう、そして、二人の妓女は鏡湖の中に入って、舟を浮かべ宴は、はなやかに開かれているだろう、わたしは、はるかに長江流れからこの地から見ているのだ。

(姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り)
妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。
(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

 

不向東山久,薔薇幾度花。

自分は、敬愛する謝安の空しく残る宅址のある會稽の東山に向わないときめて、随分久しい、薔薇洞の名をつけた庭一面の薔薇の花は、幾回の春を経ただろうか。

2 不向 向わないと決めたこと。起承転結、それぞれの初めが対語になっている。不向に対して、薔薇は堅い約束を示す。白雲だけがはかなく消えてゆくものである。明月は、幾年たっても、同じように宅址を照らす。
3
 薔薇 

4 (几)  数詞. 1.いくつ; 2.いくつか. 名詞. 1.(~儿)小さな机; 2.ひじかけ. 副詞. 1.〈書〉ほとんど.
 起:不向 → 承:薔薇  
→転:白云 → 結:明月


白雲還自散,明月落誰家。

同じように堂の名にした白雲は、そのまま自然に散じたままだろうか、明月を望むあの堂からの月は、今宵誰が家を照らすのだろうか。薔薇、白雲、明月、そのものは、依然としてあるも、宅址荒廃したまま、傍らの堂も、今は跡方の無くむなしいものである。

5 白雲 白雲無根 : 無心に去来して、跡をとどめない《荘子、天地篇》「乗彼白雲、至于帝郷」(彼の白雲に乗じて、帝郷に至る。)

6 明月 曇りなく澄みわたった満月。また、名月。《季 秋》

7 白雲明月 上の薔薇に対し、白雲、明月は堂名であって、これに因んで構想したのである。

743年(78)李太白集816巻二十二37秋夜獨坐懷故山  397Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(78) Ⅰ李白詩1759 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7335

李白  秋夜獨坐懷故山 #1

小隱慕安石,遠遊學屈平。天書訪江海,雲臥起咸京。入侍瑤池宴,出陪玉輦行。

(秋夜斎中に獨坐し、故郷を懐うで作った詩。)

われは林薮に隠れる小隠者の身ながら、古しえの謝安石を慕い、又平生、遠游を事として秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられなかった屈原【あるいは、高士である向子平】を学び、浮世と隔絶して、自ら打澄まして居た。

然るに、天子より詔書を下して、江海の間を尋ね廻られたということで、今まで白雲に臥して居た此身を起して、長安に上京し、天子の寵遇を受くることになったのである。

朝廷に入っては西王母の瑤池の宴である興慶宮の宴に侍坐し、出でては天子の玉輦の行くままに陪従し、晨夕、御側を離れなかったのである。

李太白集巻二十二37

秋夜獨坐懷故山 #1

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-78

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年:743年天寶二年43歳 94-78) 

卷別:    卷一八二              文體:    五言古詩

詩題:    秋夜獨坐懷故山

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:無

交遊人物/地點:  

詩文:

 

 

秋夜獨坐懷故山 #1

(秋夜斎中に獨坐し、故郷を懐うで作った詩。)

小隱慕安石,遠遊學屈平。

われは林薮に隠れる小隠者の身ながら、古しえの謝安石を慕い、又平生、遠游を事として秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられなかった屈原【あるいは、高士である向子平】を学び、浮世と隔絶して、自ら打澄まして居た。

天書訪江海,雲臥起咸京。

然るに、天子より詔書を下して、江海の間を尋ね廻られたということで、今まで白雲に臥して居た此身を起して、長安に上京し、天子の寵遇を受くることになったのである。

入侍瑤池宴,出陪玉輦行。

朝廷に入っては西王母の瑤池の宴である興慶宮の宴に侍坐し、出でては天子の玉輦の行くままに陪従し、晨夕、御側を離れなかったのである。

(秋夜 獨坐して 故山を懷う) #1

小隱 安石を慕い,遠遊 屈平を學ぶ。

天書 江海を訪い,雲臥 咸京より起つ。

侍っては瑤池の宴に入し,出でては 玉輦の行に陪す。
2

誇胡新賦作,諫獵短書成。

但奉紫霄顧,非邀青史名。

莊周空劍,墨翟恥論兵。

3

拙薄遂疏歸閒事耦耕。

顧無蒼生望,空愛紫芝榮。

寥落暝霞色,微茫舊壑情。

秋山綠蘿月,今夕為誰明。

 

長安付近図00 

『秋夜獨坐懷故山』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋夜獨坐懷故山 #1

小隱慕安石,遠遊學屈平。

天書訪江海,雲臥起咸京。

入侍瑤池宴,出陪玉輦行。
詩文(含異文)

小隱慕安石,遠遊學屈平【遠遊學子平】。

天書訪江海,雲臥起咸京。

入侍瑤池宴,出陪玉輦行。


(下し文)
(秋夜 獨坐して 故山を懷う) #1

小隱 安石を慕い,遠遊 屈平を學ぶ。

天書 江海を訪い,雲臥 咸京より起つ。

侍っては瑤池の宴に入し,出でては 玉輦の行に陪す。

(現代語訳)
秋夜獨坐懷故山 #1(秋夜斎中に獨坐し、故郷を懐うで作った詩。)

われは林薮に隠れる小隠者の身ながら、古しえの謝安石を慕い、又平生、遠游を事として秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられなかった屈原【あるいは、高士である向子平】を学び、浮世と隔絶して、自ら打澄まして居た。

然るに、天子より詔書を下して、江海の間を尋ね廻られたということで、今まで白雲に臥して居た此身を起して、長安に上京し、天子の寵遇を受くることになったのである。

朝廷に入っては西王母の瑤池の宴である興慶宮の宴に侍坐し、出でては天子の玉輦の行くままに陪従し、晨夕、御側を離れなかったのである。


(訳注)

秋夜獨坐懷故山 #1

(秋夜斎中に獨坐し、故郷を懐うで作った詩。)

1 秋夜獨坐懷故山詩について 

743年天寶二年43歳の時、長安においてつくる。この年 94首作ったがその78首目の作である。

・李太白集では、〈懐思〉篇に所収され、或は人を懐い、或は地を思い、延佇低徊の意を寓したのである。

・起首四句は、御召に應じて上京するまでの事、入侍瑤池宴あ四句は、翰林に供奉せしこと、但奉紫霽顧の四句は、兎角する中に、天子の眷顧を失いしこと、拙薄遂疎絶の四句は、長安より放逐されしこと、寥落暝霞色の四句は、即ち題意の正面で、懐郷の意を述べたのである。かく一身の経歴を叙し、簡単ながら、その要を得、且つ故事を運旋して、暴露せぬところは、さすがに、含蓄ありというべく、全体がが絶妙を以て許すべからざるも、なお一顧の価値はあることと思はれる。

 

小隱慕安石,遠遊學屈平。【遠遊學子平】

われは林薮に隠れる小隠者の身ながら、古しえの謝安石を慕い、又平生、遠游を事として秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられなかった屈原【あるいは、高士である向子平】を学び、浮世と隔絶して、自ら打澄まして居た。

2 小隱 大したものではない隠者のようなもの。小隠者の身。謙譲語。

3 安石 東晋の謝安(字は安石)が、朝廷からしばしば出仕を催されながら、東山に隠棲したま基易に承知しなかったこと。人々は、「安石出づる喜んぜずんは、将た蒼生(人民)を如何んせん」と言って心配した。(『世説新語』「排調、第二十五」の二六)。「高臥」は、世俗の欲望を離れて隠棲すること。

会稽東山の山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。謝安の芸妓を携えて東山始寧の別荘の南に楼があり、そこで漢の謝安の故事、朝廷の誘いに乗らず始寧の芸妓を携えて遊んだことにならい、芸妓を待っていたが来なかったときの感情を歌ったものである

『送侄良攜二妓赴會稽戲有此贈』

攜妓東山去。 春光半道催。

遙看若桃李。 雙入鏡中開。

 姪良が二姥を携えて会稽に赴くを送り、戯れに此の贈有り

妓を携えて 東山に去れば。春光 半道に催す。

(はるか)に看る 桃李(とうり)の若く、双(ふた)つながら鏡中に入って開くを。

送姪良携二妓赴会稽戯有此贈  李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -287

○漢の謝安(字は安石)が始寧(会稽紹興市の東の上虞県の西南)に隠居して朝廷のお召しに応じなかったのは「東山高臥」といって有名な講である。山上に謝安の建てた白雲・明月の二亭の跡がある。また、かれが妓女を携えて遊んだ寄薇洞の跡もある。○携 佳人=美人=芸妓を携える。謝安の故事をふまえる。府城臥竜山南にあった白樓亭のこと。『会稽志卷第九』山府城の卧龍山府に其東麓に治据されていた。隸山陰陽經雲种山、また別名として重山は越大夫の种所葬られた太平御覧种山の名とした處である。山南道で旧と傳えられる白楼亭は今の遺址は関連性からいうと不確かであるが、山頂にある城隍祠ああって、其の西南の越王台の下にある。

李白《346卷九17贈僧崖公》「手秉玉麈尾, 如登白樓亭。」

会稽記 「浙江又東北、重山を径す、西山の上に白楼亭あり。」とある。

4-⑴ 屈平 屈原(くつげん、紀元前343121日頃 - 紀元前27855日頃)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

4-⑵【子平】 向長ことで,字を子平という,河出身の朝廷歌人である。隱居して仕えることはなかった,性格は尚、中和であり,好く《老子》、《易經》に通じた。貧して資食無く,好事者は更に饋すれば,之を受け,取足して其の餘に反らう。王莽大司空王邑之連年,乃。之めんとするに,固辭む。潛かに家に隱る,《易》を讀み「損益の卦」に至る,喟然として歎して曰く:「吾 已に富を知るは貧の如からず,貴は賤のく如からず,但し未だ死を知らずは何如に生くるのみや?」建武中,男女娶嫁既に畢り,敕:「家の事を斷じ,相關する勿れ,當に我死ぬるが如き也!」是に於て遂に肆意と同好し北海の禽慶,俱に五嶽名山に遊ぶ,竟に終る所知らず。

 

天書訪江海,雲臥起咸京。

然るに、天子より詔書を下して、江海の間を尋ね廻られたということで、今まで白雲に臥して居た此身を起して、長安に上京し、天子の寵遇を受くることになったのである。

4 天書 天子より下れた詔書。

5 訪江海 江海(長江、淮河、黄河の流域、最終的には嵩山で受ける)の間を尋ね廻られた

5 雲臥 雲がわく岩場の奥深い處に隠遁すること。謝靈運《石門在永嘉》「躋険築幽居、披雲臥石門。」(険に躋【のぼ】りて幽居を築き、雲を披【ひら】きて石門に臥す。嶮しい道を登ったところに一軒家を別荘として建てた、雲におおわれたところ、石門のところに病の療養に伏せた。

《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 謝霊運<30>#1 詩集 404  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1029

杜甫 2 遊龍門奉先寺

6 咸京 秦の時の都、咸陽であるがここでは唐の都長安のことをいう。

307巻八21卷八讀諸葛武侯傳書懷贈長安崔少府叔封昆季

武侯立岷蜀、壯志吞咸京。

377卷十23流夜郎半道承恩   放還兼欣克復之美書懷示息秀才

旋收洛陽宮、回輿入咸京。

816巻二十二37秋夜獨坐懷故山

天書訪江海、云臥起咸京。

 

入侍瑤池宴,出陪玉輦行。

朝廷に入っては西王母の瑤池の宴である興慶宮の宴に侍坐し、出でては天子の玉輦の行くままに陪従し、晨夕、御側を離れなかったのである。

7 瑤池宴 西王母の瑤池の宴である興慶宮勤政楼の宴、龍池の沈香亭での宴をいう。

8 玉輦行 天子の専用道路である夾城を移動、誰にも分らず大明宮と興慶宮、曲江離宮、芙蓉園を移動できたことを言い、金銀宝飾で飾った皇帝の御車に乗って移動した。《卷六04侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》》「仗出金宮隨日轉。天回玉輦繞花行。」

(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。

743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 373-#3Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-54) Ⅰ李白詩1720 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7148
長安城図 作図00 

743年(77)李太白集694巻二十08杜陵絕句  396Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(77) Ⅰ李白詩1758 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7330

李白  杜陵句 

南登杜陵上,北望五陵間。

秋水明落日,流光滅遠山。
(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。

李太白集巻二十08 (694

杜陵

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7330

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-77

396 <1000

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-77

卷別:    卷一八○              文體:    五言

詩題:    杜陵

作地點:              目前尚無資料

及地點:              杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

杜陵

(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

南登杜陵上,北望五陵間。

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
秋水明落日,流光滅遠山。

おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。

 

(杜陵)

南、杜陵の上に登り、北に望む 五陵の間。

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す。

 

 

『杜陵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

杜陵

南登杜陵上,北望五陵間。

秋水明落日,流光滅遠山。

(下し文)
(
杜陵)

南、杜陵の上に登り、北に望む 五陵の間。

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す。

(現代語訳)
杜陵(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。


(訳注)

杜陵

(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

杜陵 杜陵とは前漢の宣帝の陵墓で長安の(城郭の右下)東南にある。小高い丘の上にあり、見晴らしが良いところだ。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。杜陵からの距離は、30km~50km。 

  元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

  班固《西都賦》「則南望杜㶚,北眺五陵。」(則ち南に杜㶚【とは】を望み、北に五陵を眺む。南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。杜㶚:長安のやや東よりの杜陵(漢の第八代宜帝の陵)と㶚陵(第四代文帝の陵)。(杜陵;O-8,灞陵;Q-7

班孟堅(班固)《西都賦》(10)4-1 文選 賦<1121018分割55回 Ⅱ李白に影響を与えた詩964 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3368

  李白《巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》

浮陽滅霽景,萬物生秋容。登樓送遠目,伏檻觀群峰。

原野曠超緬,關河紛雜重。清暉映竹日,翠色明雲松。

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。思君達永夜,長樂聞疏鐘。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。

君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

 

南登杜陵上,北望五陵間。

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
長安付近図00赤枠は長安の城郭  この墓陵群は中国のピラミットといわれている。


五陵原(太字)という皇帝の陵墓区で、西から茂陵、康陵、義陵、渭陵延陵、平陵長陵、陽陵、安陵の9陵が並んでいる。このうち長陵は高祖・劉邦の陵、茂陵は武帝の陵である。ほとんどの皇帝陵に皇后陵が併設されており、有名な呂后の様に皇后の地位が高かったことの現れで、皇帝が西、皇后が東とされ以後これに倣ったと言われてる。。延陵の場合、右上(東北)にやや規模の小さな皇后陵が見える。また東端にある陽陵は周囲が発掘されて兵馬俑が出土、博物館として公開されている。

 

 

 

秋水明落日,流光滅遠山。

おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。
漢文委員会紀頌之タイトル 

743年(76)李太白集644巻十九18朝下過盧郎中敘舊游  395Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(76) Ⅰ李白詩1757 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7325

李白  朝下過盧郎中敘舊遊

君登金華省,我入銀臺門。幸遇聖明主,俱承雲雨恩。復此休浣時,閒為疇昔言。

卻話山海事,宛然林壑存。明湖思曉月,疊嶂憶清猿。何由返初服,田野醉芳樽。

(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。幸にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。

李太白集巻十九18

朝下過盧郎中敘舊游

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ325

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-76

395 <1000

 

 
  2016年2月12日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-76

卷別:    卷一七九              文體:    五言古詩

詩題:    朝下過盧郎中敘舊遊

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:盧郎中      當地交遊(京畿道 京兆府 長安)

詩文:

 

 

朝下過盧郎中敘舊遊

(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

君登金華省,我入銀臺門。

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。

幸遇聖明主,俱承雲雨恩。

にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。

復此休浣時,閒為疇昔言。

今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。

卻話山海事,宛然林壑存。

かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。

静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。

何由返初服,田野醉芳樽。

しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。

(朝より下り盧郎中を過ぎて舊遊を敘す)

君は金華省に登り,我は銀臺門に入る。

幸いに聖明の主に遇うて,俱に雲雨の恩を承く。

復た此の休浣の時,閒に疇昔の言を為す。

卻って山海の事を話せば,宛然として 林壑存す。

明湖に 曉月を思い,疊嶂に 清猿を憶う。

何に由ってか 初服に返り,田野 芳樽に醉わんや。
大明宮の圖003

 

『朝下過盧郎中敘舊遊』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

朝下過盧郎中敘舊遊

君登金華省,我入銀臺門。

幸遇聖明主,俱承雲雨恩。

復此休浣時,閒為疇昔言。

卻話山海事,宛然林壑存。

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。

何由返初服,田野醉芳樽。
詩文(含異文)    

君登金華省,我入銀臺門。幸遇聖明主【幸逢聖明主】,俱承雲雨恩。

復此休浣時,閒為疇昔言。卻話山海事,宛然林壑存。

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。何由返初服,田野醉芳樽。


(下し文)
(朝より下り盧郎中を過ぎて舊遊を敘す)

君は金華省に登り,我は銀臺門に入る。

幸いに聖明の主に遇うて,俱に雲雨の恩を承く。

復た此の休浣の時,閒に疇昔の言を為す。

卻って山海の事を話せば,宛然として 林壑存す。

明湖に 曉月を思い,疊嶂に 清猿を憶う。

何に由ってか 初服に返り,田野 芳樽に醉わんや。

(現代語訳)
朝下過盧郎中敘舊遊(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。

にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。

今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。

かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。

静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。

しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。


(訳注)

朝下過盧郎中敘舊遊

(朝廷を退潮し盧郎中を訪ねて飲み始め、翌日まで飲み続けて酔いつくして、むかし、嵩山や、鏡湖などで遊んだことを思い出して作った詩である)

この詩は、退朝の後、盧郎中を訪ひ、因って、自己の舊遊を敘したのである。盧郎中は、詩の破題に君登金華省とあるより見れば、門下侍郎であるが、その名字等は分からない。

起四句は自他今日の境遇、以下舊遊を叙したが、結二句に於ては、舊山に帰りたいといふ遺世の念を逗出して居る。

 

君登金華省,我入銀臺門。

君は中朝の左に位置するところ門下省に参朝出仕し、吾は右銀臺門より翰林に供奉する。

金華省 御漢以降、門下省をもって金華省という。中朝の左に位置するところであり、登るという表現に遭うものである。劉孝綽《贈任中丞》詩 「步出金華省,遙望承明廬,壯哉宛洛地,佳麗實皇居」三輔黄圖「金華殿,未央宮有金華殿。《漢書》曰,「成帝初方向學,召鄭寬中,張禹,沈《尚書》《論語》於金華殿中。」」

銀臺門 右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。

 

幸遇聖明主,俱承雲雨恩。

にして、徳にすぐれて聡明・賢明な主に遇うて、そしてともに、雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳を被っているのである。

聖明主 ・聖明:天子が徳にすぐれて聡明なこと。また、そのさま。・明主: 賢明な君主。明君。

雲雨恩 雲のように包まれ、雨のように降り注ぎ潤す仁徳、恩徳。

 

復此休浣時,閒為疇昔言。

今日、また、幸に休沐の期に際し、おもむろに前日の事に就いて述べたのである。

休浣時 休沐におなじ。王琦の解に「漢律、吏、五日に一休沐を得る。休息して洗沐することをいう。」と。また、楊升菴がいう「唐制、十日に一休沐、故に韋應物の詩に、九日駆馳一日閒、白居易の詩にいう、公假日三旬、と。これなり」とある。

疇昔 「疇」は以前,先に,の意〕 過去のある日。昔。また,昨日、前日ということ。

 

卻話山海事,宛然林壑存。

かくて、海山において、その遊を語り出せば、そこに、幽山、林壑は、宛然として眼前に存するかのように表現される。

宛然 そっくりそのままであるさま。

 

明湖思曉月,疊嶂憶清猿。

静かなる夜、明月に、波明かなる湖水に就いてかたり、暁の空に沈める残月の清らかなことを思い、あらわす。隠棲のところの嵯峨たる畳嶂に就いていい、清猿の聾悲しきを思い出して、幽興、更に尽きることはない。

 

何由返初服,田野醉芳樽。

しかし、どうすれば、朝衣を脱いで、当初の布衣に著換へ、そして田野に於いて、芳樽に酔うことができようか。
李白の足跡0000 

743年(75)李太白集643巻十九17 下終南山過斛斯山人宿置酒  394-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(75) Ⅰ李白詩1756 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7320

李白  下終南山過斛斯山人宿置酒 #2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。歡言得所憩,美酒聊共揮。

長歌吟松風,曲盡河星稀。我醉君復樂,陶然共忘機。

緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。

李太白集巻十九17

下終南山過斛斯山人宿置酒#2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7320

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-75

394-2 <1000

 

 
  2016年2月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(75)李太白集643巻十九17 下終南山過斛斯山人宿置酒  394-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(75) Ⅰ李白詩1756 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7320  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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韓愈128《 巻01-13南山詩 -#22》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(1)<1669> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7321  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-21#1杜少陵集 《20-101 寫懷,二首之二 #1》 杜甫詩index-15-1135 <1585> 767年大暦2年56歲-21#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7322  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:743年天寶二年43歳 94-75

卷別:    卷一七九               李太白集643巻十九17 文體:  五言古詩

詩題:    下終南山過斛斯山人宿置酒

作地點:              目前尚無資料

及地點:              終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山  

交遊人物/地點:斛斯融      當地交遊(京畿道 無第二級行政層級 終南山)

詩文:

 

 

下終南山過斛斯山人宿置酒#1

(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
暮從碧山下,山月隨人歸。

日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。

卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。

振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。
相攜及田家,童稚開荊扉。

同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。

#2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。

緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
歡言得所憩,美酒聊共揮。

しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
長歌吟松風,曲盡河星稀。

かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
我醉君復樂,陶然共忘機。

やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
(終南山を下り 斛斯山人を過ぎて宿し 置酒す)

暮に碧山從り下れば、 山月 人隨って歸る。

卻って來る所の徑を顧みれば、蒼蒼として翠微に橫たう。

相い攜えて田家に及べば、童稚 荊扉を開く。

#2

綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。

歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。

長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。

我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。

 

京兆地域図002 

『下終南山過斛斯山人宿置酒』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#2

綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。

歡言得所憩,美酒聊共揮。

長歌吟松風,曲盡河星稀。

我醉君復樂,陶然共忘機。

(下し文)
#2

綠竹 幽徑に入り、青蘿 行衣を拂う。

歡言 憩う所を得、美酒 聊か共に揮う。

長歌 松風に吟じ、曲盡きて河星 稀なり。

我 醉うて 君も復た 樂しむ、陶然して 共に機を忘る。

(現代語訳)
#2

緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。

(訳注)

終南山過斛斯山人宿置酒 #1
(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)

綠竹入幽徑。 青蘿拂行衣。 
緑の竹が暗い寂しい小道にまで生い茂り、青いツタが旅の衣にまとわりつくという、まことに幽遂なありさまである。
13 幽徑 暗い寂しい小道。  

14 青蘿 青いツタ。

15 行衣 旅衣。


歡言得所憩。 美酒聊共揮。 
しばらくして、主人に遭い楽しみながら話をし、今夜の休むところもできたので、まず安堵し、勧められるままに、うまい酒をともに酌み交わしたのである。
16 歡言 よろこんで話をする。

17  休息。

18  ちょっと。 

19  ふるう、振り回す。さしずする。


長歌吟松風。 曲盡河星稀。 
かくて、長歌して松風を聞いてあわせて吟じる、一曲歌いきってしまうと夜も更けて、銀河の邊に星影もまばらになってくる。
20 河星 星屑の天の河。


我醉君復樂。 陶然共忘機。
やがて、我私は酔ってしまい、君もまた楽しみ、陶然としてきたので、神仙の淡泊自然の心境になったのである。
21 陶然 心持よく酒に酔う。 

22 忘機 世のからくりや人間のたくらみを忘れる。道教の主張する淡泊自然の心境を言う。


李白の足跡0000

 

 

終南山過斛斯山人宿置酒 【字解】


(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)
この詩は、李白が終南山に遊び、その帰途、斛斯氏を訪うて留宿し、御馳走に成ったから、

その席上に於で作ったのである。

1 終南山 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

1-2-⑴《元和郡縣圖志、卷一·關道一》「終南山,在縣南五十里。按經傳所,終南山一名太一,亦名中南。據張衡《西京賦》雲“終南、太一,隆崛崔崒”。潘嶽《西征賦》雲“九嶻嶭,太一巃,麵終南而背雲陽,跨平原而連嶓塚”。然則終南、太一,非一山也。

⑵《太平寰宇記卷二十六》「終南山,在郿縣南三十里。

⑶《雍録》「終南山、横亘關中南面、西起秦隴、東徹藍田、凡雍岐郿鄠長安萬年相去、且八百里、而連綿峙據其南者、皆此之一山也」

 

1-3 紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある。紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

    杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤【いい】たり、紫閣の峰陰渼陂に入る。)長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

    紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

🉁李白  《君子有所思行》(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)「紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。」(紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

1-4 終南山の道教 陝西省長安の南にある山。唐時代道教の本山があった。 

2斛斯山人 斛斯は姓、融。山人は山中に隠遁している人。 斛斯(こくし)山人とは李白の道士仲間である。その人と共に山中で道教を学び、その帰りに田家に立ち寄って、酒を飲み、泊まらせてもらった。

①《通志卷二十五(氏族略第一》「代北復姓有斛斯氏、其先居廣牧,世襲莫弗大人,號斛斯部,因氏焉。

②杜甫《》「」斛斯融 杜甫草堂の南隣の隠遁者のこと、ふたりでよく酒を呑んでいる。この酒好きの友について三首ある。襄陽の山濤のような隠遁者であった。この時の様子は杜甫456『聞斛斯六官未歸』に別に述べている。ある解釈にはこの南の隣人が二人いるような解釈をしているもの有るが南の隣人は独りである。錦裡先生という表現は、「山濤」をもじっており、朱山人は隠遁者であることを云い、斛斯六官の斛斯融が本人をあらわす名前であろうと思う。三者、同一人物である。

南鄰
錦裡先生烏角巾,園收芋栗未全貧。
慣看賓客兒童喜,得食階除鳥雀馴。
秋水纔深四五尺,野航恰受兩三人。
白沙翠竹江村暮,相送柴門月色新。 

南鄰 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -1)  <383>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1859 杜甫詩1000-383-564/1500

過南鄰朱山人水亭
相近竹参差、相通人不知。
幽花敬満樹、細水曲通池。
辟客村非違、残樽席吏移。
看君多道東、従此敷追随。

過南鄰朱山人水亭 杜甫 成都(3部)浣花渓の草堂(3 -2)  <384>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1863 杜甫詩1000-384-565/1500

聞斛斯六官未歸
故人南郡去,去索作碑錢。
本賣文為活,翻令室倒懸。
荊扉深蔓草,土銼冷寒煙。
老罷休無賴,歸來省醉眠。
聞斛斯六官未歸 成都5-(3) 杜甫 <456  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2225 杜甫詩1000-456-639/1500

江畔濁歩尋花七絶句 之一 
江上被花惱不徹,無處告訴只顛狂。
走覓南鄰愛酒伴,經旬出飲獨空床。

江畔獨步尋花七句 杜甫 <437 其一 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2130 杜甫詩1000-437-620/1500

過故斛斯校書莊,二首之一

〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕〔《英華》注:「即斛斯融。」〕

此老已雲歿,鄰人嗟亦休。竟無宣室召,徒有茂陵求。

妻子寄他食,園林非昔遊。空餘繐帷在,淅淅野風秋。

過故斛斯校書莊,二首之二

燕入非旁舍,鷗歸只故池。斷橋無複板,臥柳自生枝。

遂有山陽作,多慚鮑叔知。素交零落盡,白首淚雙垂。

《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500

廣徳2764-105 《過故斛斯校書莊,二首之二》 杜甫index-14 764年 杜甫<777 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4540 杜甫詩1500-777-1079/2500

3 山人 ①山里に住む人。山中で働く人。特に樵など。②仙人・世捨て人。③号(筆名)につける接尾辞。楊山人、王山人、(魯山人)など。④山男・山女・山姥・山童などの山に住む人型妖怪の総称。

元代の雑劇に登場する山人は例外なくみな占い師であり、かつ自称ではなく他称である。また陸遊の〈新裁道帽示帽工〉(《劍南詩稿》卷39)では、「山人手段雖難及」と帽子作りの職人を山人と呼んでおり、《東京夢華録》巻 5 〈京瓦技芸〉等にみえる張山人は都会の寄席芸人であるなど、総じて山人とは「技術之士」(《太平廣記》巻72「張山人」)であったといえる。同じ現象は唐代にも見られる。宋初の《文苑英華》巻231「隠逸二・山人」に収める唐代の山人の詩の多くには売薬についての記述が見える。そもそも山人という語の出典は、南斉の孔稚圭「北山移文」(《文選》巻43)の「山人去兮曉猿驚」にあり、本来山林で隠棲すべき隠者が世間に出て行くことを批判する意味を寓している。いわゆる「終南の捷径」によって官途を求めた李泌のような人物もまた山人であったし、李白、杜甫などもある意味では職業的詩人であって、やはり山人の部類である。

4 置酒 酒を用意してもてなしてもらうこと。

5【解説】起首の四句は、山を下ること。「相攜及田家,童稚開荊扉。綠竹入幽徑,青蘿拂行衣。」の四句は、斛斯氏に投宿して、置酒したこと。「歡言得所憩,美酒聊共揮。長歌吟松風,曲盡河星稀【曲盡星河稀】。我醉君復樂,陶然共忘機。」の六句は、酔中の感慨であるが、詩勢の逓減逓下などすこしも手落ちがない。鍾伯敬は「起、右丞に似たち、曲益河星稀、寂然景あり」といい、乾隆御批には「この篇及び春日獨酌、春日酔起言志等の作、真の陶明の遺韻に逼る」といい、いづれも、肯綮に中って居る。

6 山月 山の月。登ってきた月。登ってきた月はまだ山に近い。

7 蒼蒼 こんもりとした青い色。1 あおあおとしているさま。また、あおみを帯びているさま。「蒼蒼たる大空」2 草木があおあおと茂っているさま。 

8 翠微 1 薄緑色にみえる山のようす。また、遠方に青くかすむ山。2 山の中腹。八合目あたりのところ。

9 相攜 友と連れだって。 

10 田家 百姓家。隠者の農村での住まい。 孟浩然《卷160_104 「田家元日」》「田家占氣候,共此年豐。」(田家 気候を占い、共に説く 此の年の豊を。農家というものは気候を占う、一緒になって今年の豊作を願って主張し合うものだ。

田家元日 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316

 

ⅱ 田子方の老馬を贖うという故事に基づく。《淮南子人間訓》 田子方見老馬於道, 喟然有志焉, 以問其御曰: '此何馬也?'其御曰: '此故公家畜也。 老罷而不為用, 出而鬻之。”田子方曰:“少而貪其力,老而棄其身,仁者弗為也。”束帛以贖之。疲武聞之,知所以歸心矣。《卷十五18送薛九被讒去魯》「田家養老馬,窮士歸其門。」(田家 老馬を養い,窮士 其の門に歸す。)

297-#2 《卷十五18送薛九被讒去魯》#2 Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <297-#2> Ⅰ李白詩1594 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6518

11 童稚 こども。 

12 荊扉 柴で作った粗末な開き戸。隠者の門戸をいう。杜甫《》「遲暮少寢食,清曠喜荊扉。」(遲暮 寢食少し,清曠 荊扉を喜ぶ。)自分はもう晩年になってきている中、寝ることも食べることも少く、ただこんなすがすがしくてさつぱりとして、ひろびろとした柴門の扉の住居をよろこぶのである。

767-18 # 1 《杜少陵集 19-21 甘林 》#1 杜甫詩index-15-1124 <1574 767年大暦256-18 #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7267

743年(75)李太白集643巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒  394Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(75) Ⅰ李白詩1755 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7315

下終南山過斛斯山人宿置酒#1

暮從碧山下,山月隨人歸。卻顧所來徑,蒼蒼橫翠微。

相攜及田家,童稚開荊扉。

(終南山に遊び、下り帰途に斛斯山人を過り宿し御馳走に成って作った詩)日が暮れてきて、周南の碧山の頂より下ってくれば、山上の月も、人に随って歸ってくるようである。振り返って過ぎ来し方の路をみると、蒼蒼とした中に、ぼんやりと中腹に横たわって見える。同行の者どもと相携えて、隠者の田家に到着してみれば、童稚が荊の門を啓いて迎へて呉れた。

李太白集巻十九17

下終南山過斛斯山人宿置酒

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7315 

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-75

394-#1 <1000

 

 
  2016年2月10日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(75)李太白集643巻十九17下終南山過斛斯山人宿置酒  394Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(75) Ⅰ李白詩1755 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7315