漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 巻一

744年年44歳-8李太白集055巻一55 古風,五十九首之五十五 422Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-8【56首】Ⅰ李白詩1788 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7480

李白  古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)  齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

李太白集巻一43

五十九首之五十五

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7480

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 
  2016年3月14日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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-370-055巻一55 古風,五十九首之五十五 (齊瑟彈東吟,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-55

文體:

五言古詩

李太白集 

01-55

 

 

詩題:

古風,五十九首之五十五

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

制作年:              744年天寶三年    44

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十五

 

 

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

 

霓裳羽衣舞002 

『古風,五十九首之五十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(異文)

齊瑟彈東吟【齊瑟揮東吟】,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄【慷慨動顏色】,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴【瑤臺鳴玉琴】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

花蕊夫人002 

(現代語訳)

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

1 古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

2 齊瑟 瑟は25絃以上の大きい琴。『史記』「蘇秦伝」に臨淄(斉の首都)の豊かな生活を表現するため、臨淄の民で様々な楽器や遊戯を楽しまない者はいないとし、その中の一つに「鼓瑟(瑟を演奏する)」が出てくる。

曹植(曹子建) 《贈丁廙》 「魏詩秦箏發西氣,齊瑟揚東謳。」(秦箏【しんそう】西気を発し、斉瑟【せいしつ】東謳【とうおう】を揚ぐ。)秦の筝は西方の国のメロディーを流し西方の気分にしてくれる。斉の瑟をかなでると東方の国の歌を声を張り上げて歌うのだ。 

36曹植(曹子建) 《贈丁廙》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3106

3 東吟 東国の歌。

4 秦弦 秦の国から出た弦。

5 西音 西国の音律。魏文帝詩《東舞南歌》「齊倡發東舞,秦箏奏西音。有客從南來,為我彈清琴。」(齊倡 東舞を發き,秦箏 西音を奏る。客有り南從り來り,我が為に清琴を彈く。)とあるにもとづく。唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

 

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

6 慷慨 ① 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。② 意気が盛んなこと。また、そのさま。

7 顏魄 心顏。

 

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

8 佞邪 不正な心をもちながら、人にへつらうこと。また、その人。

9 婉孌 艶やかで、飛び切り美しい顔達。妖艶な顔。班固《漢書述哀記》曰「婉孌董公、惟亮天工」顔師古註 婉孌美貌。美貌。 《詩齊風甫田》:婉兮孌兮, 總角丱兮。”

 

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

10 一笑 一笑千金【釋義】:美女一笑,價千金。形容美人一笑很難得。 【出處】:漢·崔駰《七依》:“回顧百萬,一笑千金。”白居易《長恨歌》眸一笑百眉生( 眸を廻めぐらして一笑すれば百眉ひゃくび生ずる。)

 

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

11 飛光 1日月、飛逝的光陰。 南朝 沈約 《宿東園》「飛光忽我遒, 豈止云暮。」(飛光忽ち我に遒る, 豈に止云暮。) 張銑の註に 飛光とは日月をいう也

 

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

12 紫霞客 霞を食するという仙人。

13 瑤臺 玉で飾った美しい高殿。仙人の住む所。淮南子·本經:「帝有桀紂,為琁室瑤臺象廊玉床。」 仙人居住的地方。

李白《巻四30清平調三首之一》(興慶宮での宴の模様を述べる)「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。)雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063

14 素琴 琴の素朴にして、金玉珍宝を飾りにしていないものをいう。

嵇康《幽憤詩》「習習谷風吹我素琴。」 素琴とは琴の素樸を謂う。金玉や珍寶を用いず、以て飾を為す者なり。

744年年44歳-7李太白集043巻一43 古風,五十九首之四十三 421Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-7【56首】Ⅰ李白詩1787 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7475

李白  古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

李太白集巻一43

五十九首之四十三

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744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 

 

-369-043巻一43 古風,五十九首之四十三 (周穆八荒意,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-43

文體:

五言古詩

李太白集 

01-43

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

漢長安城 00 

『古風,五十九首之四十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

(現代語訳)

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

 

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

1 周穆 齊賢曰“《列子》「周穆王駕八駿至赤水之陽、升崑崙丘觀黄帝之觴王母於瑶池之上。」王母爲王謡王和之。”(《列子》に「周の穆王、八駿に駕して赤水の陽に至り、崑崙の丘に升って黄帝の、王母に瑶池の上に觴す。」王母、王の爲に謡い、王、之に和す。周の穆王は8頭たての馬車に乗り、西の彼方にある赤水の南の神々が住むとされた崑崙山に立ち寄り西王母に会い、黄帝のを觀、王母に瑶池の上に酒を飲み、ねぎらってくれた。王母は王のために謡、穆王はこれに答えて歌った。

周穆王;在位期間:前985? - 940年。穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。また、司寇(司法官の長)である呂侯に命じて『呂刑』と呼ばれる刑法を定めて社会の安定を図ろうとしたが、その3千と言われる罪状の多さに却って諸侯や民衆の反感を買った。また彼は西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。このことは穆天子伝としてまとめられている。神話、伝説の要素を多く含む中国最古の旅行記である。

2 漢皇 この句は太平廣記に見える故事で、前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。《太平廣記》「元封元年七月七日、王母乘/紫雲輦、駕九色斑麟降漢東向坐。帝跪問寒暄。畢因呼帝坐、遣侍女、與上元夫人相聞云、「比不相見四千餘年、劉徹好道、適來觀之。夫人可暫來否。」帝問、「上元何真也。」曰「是三天真皇之母、上元之官。」俄而夫人至可。年二十餘、頭作三角髻、餘髮散垂至腰。帝拜。夫人曰「汝好道乎。汝胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者常舎于榮衛之中、雖暴長生亦自勞耳。」(元封元年七月七日、王母、/紫雲の輦に乘じ、九色の斑麟に駕して漢降る。東向して帝、跪いて寒暄を問う。畢るや、因って帝を呼んで坐せしめ、侍女を遣して、上元夫人と相聞して云う、「比れ相い見ざること四千餘年、劉徹 道を好む、適ま來って之を觀る。夫人、暫く來るべきや否や。」と。帝問う、「上元は何の真ぞや。」曰く「是れ三天真皇の母、上元の官。」と。俄にして、夫人至る可し。年二十餘ばかり、頭には三角髻を作し、餘髮は散垂して腰に至る。 夫人曰く「汝 道を好むや。汝、胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者 常に榮衛の中に舎す、長生を暴うと雖も亦た自ら勞するのみ。

漢の武帝。159BC-87BC。前漢7代目。在位141BC-87BC。若くして皇帝となり、治世は54年に及ぶ。内外にわたり思い切った施策を行なう。匈奴には対抗的な政策を取り、衛青、霍去病などを登用する。この匈奴との抗争の際、捕虜となった李陵をめぐり、正論を発した司馬遷を宮刑にするなど、狭量な面もある。張騫を西方に遣わし、シルクロードを創始する。巨視的に見れば、卓越した君主であった。

 

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

3 淫樂 みだらな楽しみ。肉欲の楽しみ。禎卿曰 淫樂二句言人君好荒淫樂佚則雖其/氣度超邁亦何足論哉。

 

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

4 西王母 中国の神話上の女神。玉山または崑崙(こんろん)山に住む,人面・虎歯・豹尾の女神。のち,神仙思想の発展とともに仙女化され,周の穆(ぼく)王が西に巡狩した時,瑶池で宴を開き,漢の武帝に降臨して仙桃を与えたという。道教の成立後は東王父と一組の神格とされた。

5 北宮 北宮 長安城内にある。桂宮と近い。未央宮の北にある。周回十里。前殿の広さ五十歩(凡そ58m) 甘泉宮 またの一名を雲陽宮という。

・上元 『漢武内伝』王母侍女ヲ遣シテ上元夫人ヲ迎フ. 王母乃ち侍女郭密香を遣はし 上元夫人 ( じょうげんふじん ) に相問して云く、九光の王母敬謝す。 但し相見ざること四千余年なり。天事我を労し、以て ( めん ) ( たが ) ふことを致す。

・六朝(りくちよう)初期の霊宝派や上清派の道教と密接な関係をもちつつ形成された仙伝『漢武内伝』。前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。七夕における女神たちとの神秘的な会合の場は,後世しばしば詩文の題材となった。

 

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

5 瑤水 西王母が 穆王を接待したのが瑤地であり、天山山脈中の地点に比す人もある。

6 玉杯 武帝が崩御されて、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話は三輔黄圖、廟記にみえる。《三輔黄圖、廟記》“曰「神明臺武帝。祭仙人處、上有承露盤、有銅仙人、舒掌、捧銅盤、玉杯、以承雲表之露。以露和玉屑、服之以求仙道。」(曰く「神明臺、武帝つくる。仙人を祭る處、上に承露盤有り、銅仙人有り、掌を舒べ、銅盤、玉杯、を捧げ、以って雲表の露を承く。露を以て玉屑に和し、之を服して、以て仙道を求む。」)とあり、別に、《太平御覽、漢武故事》には「上崩後鄠縣有一人。于市貨玉杯。吏 疑其御物、欲捕之。因忽不見。縣 送其器推問、乃茂陵中物也。霍光、自呼吏問之、説市人形貌、如先帝其事。」”「上崩ぜし後、鄠縣に一人有り。市に于て玉杯を貨す。吏 其の御物たるを疑うて、之を捕えんと欲す。因って忽ち見えず。縣 其の器を送って推問すれば、乃ち茂陵の中の物なり。霍光、自ら吏を呼んで之を問う、市人の形貌を説く、先帝の其の事の如し。」)とあることが、李白のこの詩と合致する。

 

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。
長安付近図00 

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李白  古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを白鴎をもって擬したもの。)波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。 

李太白集巻一42

五十九首之四十二

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7470

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56-6

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-368-042巻一42 古風,五十九首之四十二 (搖裔雙白鷗,)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-42

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五  #1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

 

製作年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

漢文委員会紀頌之タイトル長安付近図00 

 

『古風,五十九首之四十二  』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月【寄影宿沙月】,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。

 

 (下し文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

 

(現代語訳)

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

0 四十二【解説】 元、蕭士贇の補註の説によると、齊賢曰列子海上之人有好鷗鳥者每旦之海上從鷗鳥遊鷗鳥之至者百住而不止士。」「贇曰此太白託興之詩也雲中之鶴在位之人也海/上之鷗閒散之人也(齊賢曰く「列子海上の人、鷗鳥を好む者有り、每旦、海上に之き鷗鳥に從い鷗鳥と之を遊び至る者は百住して、士に止らず。」贇、曰く「此れ太白託興の詩なり。雲中の鶴は在位の人にうなり上の鷗は閒散の人にうなり

詩意は齊、謝朓、和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】.に倣うものである。

和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】(徐都曹の「新亭の渚に出づ」に和す。)

宛洛佳遨遊, 春色滿皇州,

宛・洛は、遨遊するに佳く,春色は皇州に滿つ。

結軫青郊路, 迴瞰蒼江流,

軫を青郊の路に結【めぐ】らし,迴【はる】かに蒼江の流れを瞰る。

日華川上動, 風光草際浮,

日華は川上に動き,風光は草際に浮ぶ。

桃李成蹊徑, 桑楡蔭道周,

桃李 蹊徑を成し,桑楡 道周を蔭う。

東都已俶載, 言歸望綠疇。

東都 已に載【こと】を俶【はじ】む,言【ここ】に歸りて 綠の疇を望まん。

また、南朝宋鮑照《擬行路難》詩之三「寧作野中之雙鳧,不願雲間之別鶴。」もこれの基づいているものとおもえる

雲中の鶴は、仙官の控御にあたる者たちであり、朝廷の者たちを示すものである。海上のカモメは、閒散の人にたとえたもので、李白の半官半隠の思いを示すものである。

 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

1 搖裔 波の上に浮きつ、沈みつする。

 

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

2 與海人狎 無心なる海上の若者と狎れて遊ぶ。

3 雲鶴 雲中の鶴。

 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

 

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。
 大明宮の圖003

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李白  古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)  鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

李太白集巻一40

五十九首之四十

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Index-24

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index-23-1 744年天寶三年44-5 古風,五十九首之二十二(鳳饑不啄粟)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-40

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。

幸遇王子晉。 結交青云端。

ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

 

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

秦嶺山脈終南山 

『古風,五十九首之四十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.

焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。

懷恩未得報,感別空長歎。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅玕【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

(現代語訳)

古風,五十九首之四十(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

西嶽華山00 

(訳注)

古風,五十九首之四十

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

 

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

2 鳳凰 姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。梧桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。

3 粟 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。

4 所食唯琅玕 楊齊賢は離騷の注に曰う「南方有鳥其名為鳳天為生樹名/曰瓊枝高百二十仞大三十圍以琳琅為實」(南方に鳥有り、其の名を鳳と為す。天 為めに樹を生じ、名づけて瓊枝と曰う。高さ百二十仞、大きさ三十圍、琳琅を以て實と為す。)にもとづく。・琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。即ち竹の実。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける俸禄を意味する。


焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
5 羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。

6 刺蹙 こせこせ。齷齪とする。


朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
7 崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。山海經「西海之南流沙之濵赤水之後黑水之前有大山名曰崑崙之丘。」(西海の南、流沙の濵、赤水の後、黑水の前、大山有り。名を崑崙の丘と曰う。)

8 砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。元和郡縣志「底柱山、俗名三門山、在陜州硤石縣東北五十里黄河中。禹貢曰“𨗳河積石至于龍門又東至于底柱註云河水分流包山而過山見水中若柱然也”」(底柱山、俗名三門、山は陜州硤石縣の東北五十里、黄河中に在り。禹貢 曰く“河に積石を𨗳いて龍門に至り、又、東 底柱に至る。註に云い河水分流、山を包んで過ぐ。山は水中に見われ、柱の若く然るなり”)とある。

9 朝鳴二句「淮南子」に「鳳凰、かって万仞の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏圃を過ぎ、砥柱の湍瀬に飲む」とあるのにもとづく。


歸飛海路遠、獨宿天霜寒。

渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
10 海路遠 仙境は東海、滄海の上はるか先に泛ぶ三山の島ということ。


幸遇王子晉、結交青雲端。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
11 王子晉 むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。《列仙傳》曰「周靈王太子名晉好吹笙作鳳鳴遊伊洛間/道士浮丘公接上嵩高山三十年後乘白鶴在緱氏山頭舉手謝時/人數日去」に見える。13の字解を参照。

12 青雲 青雲の志、立身出世。
 

 

懐恩未得報、感別空長歎。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

13 この二句 元の蕭士贇の《補註》曰「此詩似/太白自比。之作太白雖帝族非凡輩可儕、然孤寒疎知章、薦之方能致身金鑾、帝知遇可、謂「結交青雲端矣」此恩未報臨別之時安能/不感嘆哉」(士贇は曰う“此詩は太白 自ら比するに似たり。之作は太白は雖帝族にして凡輩の儕しゅうす可きに非ずとも、然れども孤寒疎知章、之を薦めて、方に能く身を金鑾に致し、帝の知遇をる、「交りて青雲の端を結ばんや」と謂う可し。此の恩、未だ報せず、別に臨んで之の時、安んぞ能く感嘆せざらんや”

744年年44歳-4李太白集022巻一22 古風,五十九首之二十二 418Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-4【56首】Ⅰ李白詩1784 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7460

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

感物動我心,緬然含歸情。昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)  長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。

李太白集巻一22

古風,五十九首之二十二

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744年天寶三年44歳 

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index-23-1 744年天寶三年44-4 古風,五十九首之二十二(世道日交喪)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-22

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之二十二

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都

 

 

 華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 

揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

  鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

  朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

  幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

 

 

 

-366-022巻一22 古風,五十九首之二十二 (秦水別隴首,) 

Index-23-1 744年天寶三年44366

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年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十二 

 

古風,五十九首之二十二

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。
感物動我心,緬然含歸情。

此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。
#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。
嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

それに、桑の葉は群がり生じて、しなやかにまとわりついているし、柳は見事に繁って、煙れる枝を垂れていることであろう。
急節謝流水,羈心搖懸旌。

時節は流れる水よりも早くながれ、わが旅人の心は旗のように揺れうごいて落ち気はしない。
揮涕且復去,惻愴何時平。 

こうして、今、涙を払ってともかくもこの地を去って、旅を続けようとするので、愴然として心を傷ましめ、この重たく暗い思いは何時になったら平静になるのであろうか。

(古風,五十九首の二十二)

秦水【しんすい】  隴首【ろうしゅ】に別れ、幽咽【ゆうえつ】して悲声多し。

胡馬【こば】  朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。

物に感じて我が心を動かし、緬然【めんぜん】として帰情を含む。

#2
昔は視る  秋蛾【しゅうが】の飛ぶを、今は見る  春蚕【しゅんさん】の生ずるを。
嫋嫋【じょうじょう】として桑は葉を結び、萋萋【せいせい】として柳は栄を垂る。
急節  流水のごとく謝【さ】り、羇心【きしん】   懸旌【けんせい】を揺るがす。
涕を揮って且【しばら】く復()た去り、惻愴【そくそう】  何【いず】れの時か平かならん。

 

馬002 

『古風,五十九首之二十二』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首之二十二

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。

揮涕且復去,惻愴何時平。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十二)

秦水【しんすい】  隴首【ろうしゅ】に別れ、幽咽【ゆうえつ】して悲声多し。

胡馬【こば】  朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。

物に感じて我が心を動かし、緬然【めんぜん】として帰情を含む。

#2

昔は視る  秋蛾【しゅうが】の飛ぶを、今は見る  春蚕【しゅんさん】の生ずるを。

嫋嫋【じょうじょう】として桑は葉を結び、萋萋【せいせい】として柳は栄を垂る。

急節  流水のごとく謝【さ】り、羇心【きしん】 懸旌【けんせい】を揺るがす。

涕を揮って且【しばら】く復()た去り、惻愴【そくそう】  何【いず】れの時か平かならん。

 

(現代語訳)

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。
此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。
#2

先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。
それに、桑の葉は群がり生じて、しなやかにまとわりついているし、柳は見事に繁って、煙れる枝を垂れていることであろう。
時節は流れる水よりも早くながれ、わが旅人の心は旗のように揺れうごいて落ち気はしない。
こうして、今、涙を払ってともかくもこの地を去って、旅を続けようとするので、愴然として心を傷ましめ、この重たく暗い思いは何時になったら平静になるのであろうか。

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之二十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

 

秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
1 秦水 渭水の上流部、隴西の流域。 《水經注卷十七》「秦水西逕降隴縣故城南,又西南自亥、松多二水出隴山,合而西南流,逕降隴城北,又西南注秦水。」(秦水の西逕は隴縣故に城南に降り,又、西南に自ら亥【とざ】す、松多く二水は隴山に出づ,合して 西南に流る,隴城の北に逕降し,又 西南に 秦水に注ぐ。

2 隴首 渭水が隴山のすそをながれるあたりは、杜甫《巻二14前出塞九首其三》「磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。欲輕腸斷聲,心緒亂已久。」(隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれてくる。「前出塞九首」其三 紀頌之の漢詩ブログ杜甫特集 42

《太平御覽、辛氏、三秦記》「隴右西關、其坂紆迴、不知髙里。欲上者、七日乃越。髙處可容百餘家。上有清水、四注流下。俗歌曰、隴頭流水、鳴聲幽咽、遥望秦川、肝腸斷絶。隴首即隴頭也。」(隴右の西關、其の坂 紆迴し、髙さ里なるを知らず。上らんと欲する者は、七日乃ち越ゆ。髙處は百餘家を容る可し。清水、四いで流下す。俗歌に曰く、隴頭の流水、鳴聲は幽咽す、秦川を遥望し、肝腸して斷絶す。隴首隴頭なり)とある

沈約詩《西征登隴首、通鑑地理通釋》「秦州隴城縣有大隴山亦曰隴首山。」(秦州の隴城縣に大隴山有り亦た隴首山と曰う。)とある。


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744年年44歳-3李太白集020巻一20 古風,五十九首之二十 417Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-3【56首】 Ⅰ李白詩1783 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7455

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。空聞紫金經,白首愁相誤。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

李太白集巻一20

古風,五十九首之二十

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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-20

文體:

五言古詩

李太白集 

01-20

 

 

詩題:

古風,五十九首之二十

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都

 

 

 華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十) #1

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

#2

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

#3

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

(現代語訳)

古風,五十九首之二十 #1(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 

#2

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

#3

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

#1

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

1 齊都 済南市は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、政治、文化の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。740年、孔巣父ら5人の道士と徂徠山(現山東省)に集まり、「竹渓六逸」と呼ばれることもあった。

2 華不注峰 中国五岳の一。陝西(せんせい)省の南,秦嶺(しんれい)山脈の東端にある名山。海抜1997メートル。双峰が突き出した険しい山が「華不注山」、頂上の丸いのが「鵲山」である。陝西省華陰県,秦嶺東部の山。黄土高原を南流してきた黄河が東方へ90度転換,渭河と合流する地域にある。東岳泰山,中岳嵩山(すうざん)などとならび中国五岳の一つで,西岳,小秦嶺ともいう。東,西,南,北,中の5峰をはじめ,花コウ岩を主とする山峰が発達した断層山地で,最高は南峰落雁峰の1997m。〈華山は天下の雄たり〉の称がある。山中には寺観が大小30余あり,道教の山となってきた。【

 

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

3 如芙蓉 華山は、北峰(云台峯)、中峰(玉女峰)、南峰(落雁峰)、西峰(蓮花峰)、東峰(朝陽峰)35つの主な峰からなり、約8千万年前の大きな地殻変動によって出来上がった華山は、火山の噴火などでできた山と違い、断崖絶壁の一枚岩のような作りになっている。この連峰は金鎖関を起点に道が伸びている。この芙蓉というのは、華山の西峰(蓮花峰)と呼ばれるやまをいう。

 

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

4 赤松 赤松子:神農のころの雨師(雨の神)水玉(水精。水晶)を服用し、それを神農にも教えた。  自焼することで火によって尸解したという。西王母の石室に宿り風雨とともに山を上り下りした。  炎帝(神農)の末娘が赤松子を追ってきて仙人になり、二人とも姿を消した。黄帝の曾孫の高辛氏の時代に再び雨師になった。“《列仙傳·赤松子》: 赤松子者,神農時雨師也。服水玉以教神農,能入火自燒。往往至崑崙山上,常止西王母石室中,隨風雨上下。炎帝少女追之,亦得仙,俱去。至高辛時,復為雨師。今之雨師本是焉。 顯示整段. 《太平御覽·昆侖山》: 赤松子者,神農時雨師也。”とある。

 

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

5 白鹿 仙人ののるもの。

6 青竜 伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。「青」の原義は緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。

道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。

杜甫『寄張十二山人彪三十韻』

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。

商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。

耕岩非穀口,結草即河濱。

時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり

世祖高廟を修む 文公従臣を賞す

商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず

想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに

巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜

四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。

道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ1484 杜甫詩 700- 459

 

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

7 倒景 司馬相如《大人賦》「貫列缺之倒景兮,涉豐隆之滂濞。」(列缺の倒景を貫き,豐隆の滂濞を涉る)服虔曰:「列缺,天閃也。人在天上,下向視日月,故景倒在下也。師古曰:「豐隆將雨,故言涉也。滂濞,雨水多也。滂音普郎反。濞音匹備反。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

 

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

8 努力 努力して養生することをつくす。

 

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

9 欺紅顏 紅顔は決して長く存せずということ。いまは紅顔であってもすぐに欺かれる、いつまでもよいときは続くものではない。

 

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

10 飄風 急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。《「老子」23章から》「故飄風不終朝 驟雨不終日」飄風は朝を終えず驟雨は日を終えず。

つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。

 

 

3

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

11 紫金經 煉丹の書。後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。・紫金:赤銅(しゃくどう)の異称。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。

 

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

 

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

 

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

12 赤玉舄 安期生が赤玉でもって飾り付けた靴をいう。『列仙伝』 の安期先生も 「赤玉の. 暮」 をのこ し、 『神仙伝』 の茄子訓も棺中にくつを一つのこ していった。 安期先生瑯邪の阜郷(山東省)の人で、秦始皇帝(BC259BC210)が巡遊したとき三日三晩共に語らい、赤玉くつ一足を返礼し、蓬莱山に愚老を捜すように書面を残して去る

13 蓬萊路 古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。

 

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

744年年44歳-2李太白集005巻一05 古風,五十九首之五 416Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-2【56首】-364-005Ⅰ李白詩1782 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7450

巻一5 古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。

李太白集巻一05

古風,五十九首之五

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Index-24

744年天寶三年44歳 

56-2

416 <1000

 

 
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744年天寶三年44巻一05 古風,五十九首之五 (太白何蒼蒼,) 

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠發翁,披雲臥松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以煉藥

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永與世人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 

揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

  鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

  朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

  幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

太白山001 

 

Index-23        -1 744年天寶三年44

巻一5 古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

去天三百里,邈爾與世

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
中有綠髮翁,披雲卧松雪。

その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
不笑亦不語,冥棲在岩穴。

そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
古風,五十九首の五

#1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

 

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
粲然玉齒,授以練葯

すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。

銘骨傳其語,竦身已電滅。

折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
仰望不可及,蒼然五情熱。

あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
吾將營丹砂,永世與人別。

たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】を以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

 

『古風,五十九首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

(下し文)

古風,五十九首の五  #1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】のを以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

(現代語訳)

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
#2

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。
折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之五

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)744年天寶三年44歳の詩。

1.  古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

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太白山00 

太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
2. 太白山 長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本のして地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。《水經注地理志》「武功縣有太一山、古文以為終南、杜預以為中南。亦曰、太白山在武功縣南、去長安二百里、不知其高何、俗云、武功太白去天三百。」(武功縣に太一山有り、古文には以て終南と為し、杜預は以て中南を為すとした。亦た曰く、太白山は武功縣の南に在り、長安を去ること二百里に、其の高さ何かを知らず、俗に云う、武功太白 天を去ること三百。

695巻二十9登太白峰》  李白 20
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。
西方登は太白峰、夕陽は山擧に窮めた。
太白星は我に語りかけ、私のために天空の門を開いた。
爽やかな風に乗り、すぐにも出たい雲のあいだを。
手を挙げれば月に近づき、前にすすめば遮るものも無いかのように。
ひとたび去る武功の地、いつまた帰ってこられるのか。

李白16 登太白峯 

3. 蒼蒼 山があおあおとしている、そのようす。

4. 星辰 星も辰も、ほし。

5. 森列 いかめしくならぶ。

 

去天三百里、邈爾與世
その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
6. 去天三百里 2.太白山の字解参照。三秦記「武功太白去天三百」(武功の太白、天を去ること三百里)とみえる。

7. 邈爾 ばくじ はるか遠くにあること。

 

中有綠髪翁、披云臥松雪。
そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
8.
  着物としてきる。 

9. 云 雲。云は古来文字。

 

不笑亦不語、冥棲在岩穴。
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
10.
 冥棲 ひっそりとしたところに棲む。一心不乱に行い澄ます

#2

我來逢真人、長跪問寶訣。
もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
11. 真人 道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだ人。仙人を言う。

12. 長跪 ちょうき 長く両ひざをついてお辞儀をする姿勢をとること。

13. 寶訣 ほうけつ、仙家の秘訣。 修行をして体得した悟りとか奥義。

 

粲然玉齒、授以煉藥
すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。
14.
 粲然 にこやかに笑う時に白い歯を見せる貌のさま。あざやかなさま。

15. 煉藥 仙薬を練ること。・丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。


銘骨傳其語、竦身已電滅。
折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
16 竦身已電滅 仙人は、上はよく身を雲霄にそばだて、下はよく形を川海にひそめる、という。

 

仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
17
 蒼然 春の草木が萌え出るさま。

18 五情 喜び・怒。・哀しみ・楽しみ・怨みの五つの感情。

‣陶潜《影答形》「身沒名亦盡、念之五情熱。」(身沒すれば 名も亦た盡き,之れを念へば 五情熱す。肉体が滅べば、名声やこの世にいたという形式上の存在のしるしである名も尽き果ててしまう。この「身沒名亦盡」のことを深く心で思っていると心が熱くなってくる。 

・身沒:肉体が滅ぶ。死ぬ。 ・名亦盡:他人の意識の中にある自分というものも尽き果ててなくなってしまう。この世にいたという形式上の存在のしるしも尽き果ててしまう。 ・名:「身」に対して使われ、他人の意識の中にある自分というもの。「身」が肉体的、実体的、個体的存在を云うのに対して、「名」は社会的存在としての自分をいう。他人の意識に反映している自分というもの。名声。・念:深く心で思う。 ・之:・これ。前出「身沒名亦盡」を指す。 ・五情:五つの感情。喜怒哀楽怨。喜怒哀楽慾。 ・熱:あつくなってくる。悶える。 

‣また、《礼記》には「七情六欲」の記載にある。喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲をいう。1. 喜、 怒、 哀、 懼、 愛、 惡、 欲七種感情。 南朝梁·劉勰·文心雕龍·明詩:人稟七情, 應物斯感, 感物吟志, 莫非自然。” 宋·蘇軾·睡記:昏然不生七情, 茫然不交萬事。” 2. 中醫上指喜、 怒、 憂、 思、 悲、 恐、 驚等七種精神狀態, 為傷病因

封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳であり、、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていったものである。

 

吾將營丹砂、永與世人別。
たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

19 丹砂 水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。

李白327 《巻一56-《古風,五十九首之五十六 (越客採明珠)》327Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(8) <李白327> Ⅰ李白詩1640 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6748

李白  古風,五十九首之五十六   

越客採明珠,提攜出南隅。清輝照海月,美價傾皇都。

獻君君按劍,懷寶空長吁。魚目復相哂,寸心增煩紆。

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

李白327 《巻一56-《古風,五十九首之五十六 (越客採明珠)327Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-8) <李白327> Ⅰ李白詩1640 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6748

 

 
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制作年:              743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)

越客採明珠,提攜出南隅。

南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。

魚目復相哂,寸心增煩紆。

これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

 

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

 

『古風,五十九首之五十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十六

越客採明珠,提攜出南隅。

清輝照海月,美價傾皇都。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

魚目復相哂,寸心增煩紆。

 

(下し文)

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

(現代語訳)

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)

南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。

その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。

そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。

これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

 李白の足跡0000

(訳注)

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)

このころ朝廷は、李林歩甫のおうぼうがまかり通り、「一芸に秀でた」ものを徴用する玄宗の施政を無視していたのでこれを批判したものである。古風,五十九首之五十(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだもの)

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

越客採明珠,提攜出南隅。

南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。

越客 南越のことで、①今の広東地方、②五例山脈を越えて南方にあるところ、③今のヴェトナム、④国の南側、長江の南側にあって、南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方という意。

南隅 その南方の片隅。

 

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。

 

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。

獻君 君王に献上すること。

君按劍 あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付ける。

 

魚目復相哂,寸心增煩紆。

これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

魚目 魚の目

寸心 方寸の心の中。

煩紆 頻りに思いは乱れる。
中國歴史rihaku00

李白326 《巻一50-《古風,五十九首之五十 (宋國梧臺東)》326Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(7) <李白326> Ⅰ李白詩1639 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6743

李白  古風,五十九首之五十   

宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。

(この詩は、世俗のものは短見であり、間違った思い込みを貫き通し、すべてものの真贋、人の賢否を弁別しないことを傷んだもの)昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通にとつまらぬ燕石を拾ってきた。一途に普通にとつまらぬ燕石と思っていたのが素晴らしい璧玉であった趙王の秘蔵する「卞和の璧玉」にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だからと、これを大切にしたという話がある。かの趙の璧玉は論語「不曰堅乎?磨而不磷;不曰白乎?涅而不緇。」というように、少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるが、この燕石は、その石質といえば、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

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制作年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              梧臺 (河南道 青州 臨淄)    

 

 

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

(この詩は、世俗のものは短見であり、間違った思い込みを貫き通し、すべてものの真贋、人の賢否を弁別しないことを傷んだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通にとつまらぬ燕石を拾ってきた。

一途に普通にとつまらぬ燕石と思っていたのが素晴らしい璧玉であった趙王の秘蔵する「卞和の璧玉」にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だからと、これを大切にしたという話がある。

かの趙の璧玉は論語「不曰堅乎?磨而不磷;不曰白乎?涅而不緇。」というように、少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるが、この燕石は、その石質といえば、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

古風,五十九首之五十

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

 

 

『古風,五十九首之五十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

 

(含異文)           

宋國梧臺東,野人得燕石【宋人枉千金,去國買燕石】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

 

(現代語訳)

(この詩は、世俗のものは短見であり、間違った思い込みを貫き通し、すべてものの真贋、人の賢否を弁別しないことを傷んだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通にとつまらぬ燕石を拾ってきた。

一途に普通にとつまらぬ燕石と思っていたのが素晴らしい璧玉であった趙王の秘蔵する「卞和の璧玉」にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だからと、これを大切にしたという話がある。

かの趙の璧玉は論語「不曰堅乎?磨而不磷;不曰白乎?涅而不緇。」というように、少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるが、この燕石は、その石質といえば、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 

(訳注)

古風,五十九首之五十

(この詩は、世俗のものは短見であり、間違った思い込みを貫き通し、すべてものの真贋、人の賢否を弁別しないことを傷んだもの)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

宋國梧臺東,野人得燕石。

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通にとつまらぬ燕石を拾ってきた。

宋國梧臺東,野人得燕石 《藝文類聚》《闞子》「宋之愚人,得燕石於梧臺之東,歸而藏之以為寶,周客聞而觀焉。主人齋七日,端冕玄服以發寶,革匱十重,緹巾十襲,客見之。掩口而笑曰:此特燕石也。其與瓦甓不殊。主人大怒曰:「商賈之言,醫匠之口。」(宋之愚人、燕石を梧臺の東()に得て、西に帰ってこれを蔵し、以て大寶となす。周の客聞いてみる。主人斉すること七日、 端冕玄服、以て大寶となす。十重,巾十。客これを見て、首を傾げ、口を覆い、盧胡して笑って曰く「これ、燕石なり、瓦甓と异ならず。主人大いに怒って曰く「商買の言、醫匠のこころなり。」と。これを蔵すること、愈々固し。」とある。

燕石は 燕山所的一种似玉的石亦称"燕珉"不足珍之物とされる。

この二句は、《太平御》卷五十一子》曰:宋之愚人得燕石于梧台之西藏之以大宝。周客焉。主人端冕玄服以宝,华匮十重,巾十。客之,胡而笑曰:「此燕石也,与瓦甓不异。」主人大怒,藏之愈固。

 

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

一途に普通にとつまらぬ燕石と思っていたのが素晴らしい璧玉であった趙王の秘蔵する「卞和の璧玉」にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だからと、これを大切にしたという話がある。

趙王璧 楚の卞和の璧で、後に趙王の手に還したとされる。春秋時代の楚()の人。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

 

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

かの趙の璧玉は論語「不曰堅乎?磨而不磷;不曰白乎?涅而不緇。」というように、少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるが、この燕石は、その石質といえば、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

○緇磷 黒くなることと、薄くなること。世俗のためにその節操を誤ること。少しの傷もなく、その上光明であること。南朝 謝靈運 《過始寧墅》「緇磷謝清曠, 疲薾慚貞堅。」(緇磷【しりん】は清曠【せいこう】を謝【しゃ】し、疲薾【ひでつ】てて貞堅【ていけん】に慙【は】ず。)“本性の白い色も黒く染まり、堅い石も磨り減って薄くなるように、私の心が俗事のために汚れて磨り切れてしまったことを、清らかにむなしく広い心の人物に対して謝まり、また疲れ切って心も弱くなってしまったことを、己がみさおを正しく堅く守っている人に対して慙じるのである。

(緇磷, ) 《論語陽貨》不曰堅乎?磨而不磷;不曰白乎?涅而不緇。」(堅きを曰はずや、磨すれども磷【うすろ】がざる。白きを曰はずや、涅すれども緇【くろ】まざる。)“極めて堅いものは、どんなに磨いても薄くはならない。極めて白いものは、どんなに染めても黒くはならない。

     

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

○玉與珉 礼記に「君子、玉を貴んで、珉を賤む。珉は石、玉に似て非なり。」とある。

李白325 《巻一49-《古風,五十九首之四十九 (美人出南國)》》325Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(6) <李白325> Ⅰ李白詩1638 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6738

李白  古風,五十九首之四十九  

美人出南國,灼灼芙蓉姿。皓齒終不發,芳心空自持。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

(宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められるが、入ればもう帰ることはできないところであるという。)南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しい。選りすぐられて後宮に入る。こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ってはいけないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、「容色が衰えて寵愛が薄れる」という例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかったのでたえず、憂いている。昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が天下より選りすぐられ、集められていて、その運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っているので、それだけを考えて競い合っている、したがって嫉妬、讒言、陰謀、政争に巻き込まれやすい地位にある。この妃嬪は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

李白325 《巻一49-《古風,五十九首之四十九 (美人出南國)》》325Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-6) <李白325> Ⅰ李白詩1638 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6738

 

 

唐の後宮、后妃・妃嬪・宮女

 

  1. 唐の妃賓の規定『内職』について

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬢、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完璧で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、姪好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で一二二人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬢」 - 皇帝の妾とされ

た。

 

  1. 皇太子の東宮にも「内官」

また、皇太子の東宮にも「内官」 があり、太子妃一人、その下に良妹、良嬢、承徴、昭訓、奉儀などの晶級があった。諸親王の王妃の下にも清人等の腱妾の身分があった。

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嬢が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には睾皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、実績、孫嬢、雀嬢、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭捷好、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、過度妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高捷好、柳捷好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嬢がたしかに最も多かったようである。

 

  1. 後宮の宮女たちの選抜と出身

唐代の皇帝たちは、後宮の女性を選抜したり寵愛したりするのに、あまり尊卑貴職を気にかけなかったが、彼女たちに地位・晶級を賜る時には家柄をたいへん重視した。とりわけ皇后に立てる時には絶対に家柄が高貴でなければならず、「天下の名族を厳選」しなければならなかった(『資治通鑑』巻一九九、高宗永徴六年)。漢代に歌妓の衛子夫(武帝の皇后。もと武帝の姉の歌妓)や舞妓の超飛燕(成帝の皇后。もと身なし児で歌妓)が皇后になったようなことは、唐代には完全に跡を絶った。后妃に封ずる時は、まず「地肖清華」(家柄の高貴)、「軒冤之族」(貴顕なる名族)等々の出身であることが強調され、その次にやっと徳行が問われた。

 

唐代の記録にある二十六人の皇后の内、死後追贈された人、あるいは息子の即位によって尊ばれて太后に封ぜられた人、こうした若干の例外を除く他の大多数の皇后は、その時代の高官か名門の家柄の出であり、そのうちの八人はやはり皇族の出身であった。時に皇帝が家柄などにそう拘泥しないこともあったが、しかし大臣たちが家柄を最も有力な理由にして反対したので、皇帝でさえどうすることもできなかった。武則天の父は若い頃商人であったが、建国後に高い地位に上り、格の低い名もなき家柄とはいえなかったけれども、武則天を皇后に立てることに反対した大臣たちはやはり、彼女の「門地は、実に微賎である」と攻撃した(『資治通鑑』巻二〇三、則天后光宅元年)。一方、高宗が努めて衆議を排して彼女を皇后にしようと議した時にも、また懸命になって「家門は勲庸(勲功)著しい」とか、「地位は櫻献(冠帯と印綬)ともに華である」(『資治通鑑』巻二〇〇、永徴六年)などと強調した。武宗の王賢妃はたいへんな寵愛を受け、また武宗が即位する際に大きな功績もあったので、武宗は彼女を皇后にしようとした。しかし、大臣たちは「子が無く、また家柄も高貴ではない。恐らく天下の議を話すことになろう」といって反対したので、ついに出身が下賎ということで皇后にできなかった。皇帝でさえ名門の女性を皇后に立てるという原則に逆らえなかったことが分かる。

名門出身という、この資本がなかったならば、たとえ皇帝の寵愛をほしいままにしたり、皇子を早く生んだとしても、ただ死後に称号を追贈されるか、子が即位して始めて正式に太后になることが許されたのである。

 

  • 唐代の皇后の内、四、五人は低い家柄の出身であった。たとえば、粛宗の呉后は、罪人の家族として宮中の下婦にされた人であり、憲宗の鄭后、珍宗の斎后はともに侍女の出であり、両者とも生んだ子が即位して始めて尊ばれて太后になることができた。

  • 皇后を立てることに比べて、妃嬢を立てることはわりあい簡単であり、家柄はそれほど厳格に問題にされることはなかった。彼女たちの大半は皇子を生むか、あるいは寵愛を受けたために妃嬢の晶階を賜った者であったから、その中には身分の低い者もいくらか含まれていた。たとえば、玄宗の超麗妃は歌妓の出身であった。そうした例もあるが、しかし妃嬢でも出身、家柄はやはり大切であった。太宗の楊妃は隋の場帝の娘であったから、「地位と名望が高く、内外の人々が皆注目した」(『新唐書』太宗諸子伝)。玄宗の柳捷好は名門大族の娘であり、玄宗は「その名家を重んじて」(『新唐書』十一宗諸子伝)特別な礼遇を与えた。

  • 美人が雲のごとく集まっている後宮において、家柄は一頭地を抜くために必要な第一の跳躍台であった。

 

 

  1. 政治闘争に巻き込まれる

富貴、栄達、優閑、快適 - 彼女たちは、こうした人の世のすべての栄耀栄華を味わい尽したのであるから、唐代に生きた多くの女性たちの中では幸運な人々といわざるをえない。しかしながら、彼女たちにもまた彼女たちなりの不幸があった。彼女たちの運命は極めて不安定であり、一般の民間の女性に比べると、より自分の運命を自分で決める力がなかった。なぜなら、彼女たちの運命はきわめて政治情勢の衝撃を受けやすかったからであり、またその運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたからである。

『新・旧唐書』の「后妃伝」に記載されている三十六人の后妃のうち、意外なことに十五人は非命の最期をとげている。二人は後宮で皇帝の寵愛を争って死に、二人は動乱のなかで行方不明となり、一人は皇帝の死に殉じて自殺し、一人は皇太后として皇帝から罪を問われて死んだ。その他の九人はすべて政治闘争、宮廷政変で死に、そのうちの三人は朝廷の政治に関与して政敵に殺され、残りの六人は罪もないのに政争の犠牲となった。

 

  1. 天子の寵愛を失う

彼女たちの第二の脅威は、皇帝の寵愛を失うことに外ならない。大多数の后妃と皇帝との結婚は、事実上政略結婚であり、もともと皇帝の愛情を得たのではなかった。何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、あるいは皇帝と難難を共にしたことによっ々寵愛を受けた。しかし、いったん時が移り状況が変化したり、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。

 

王皇后と玄宗は難難を共にした夫婦であり、彼女は玄宗が行った韋后打倒の政変に参与した。しかし武恵妃が寵愛を一身に集めた後には、しだいに冷遇されるようになった。彼女は皇帝に泣いて訴え、昔難難を共にした時の情愛を想い出してほしいと願った。玄宗は一時はそれに感動したが、結局やはり彼女を廃して庶民の身分に落してしまった。境遇がちょっとマシな者だと、后妃の名が残される場合もあったが、それ以後愛情は失われ、後半生を孤独と寂実の中に耐え忍ばねばならなかった。また、彼女たちの運命は、ひどい場合は完全に皇帝の一時的な喜怒哀楽によって決められた。武宗はかつて一人の妃嬢に非常に腹を立てたことがあった。その場に学士の柳公権がいたので、皇帝は彼に「もし学士が詩を一篇作ってくれるなら、彼女を許してやろう」といった。柳公権が絶句を一首つくると、武宗はたいそう喜び、彼女はこの災難を逃れることができた(王走保『唐掟言』巻一三)。しかし、皇帝から廃されたり、冷遇されただけの者は、まだ不幸中の幸いであったように思う。最悪の場合は生命の危険さえあった。高宗の王皇后と斎淑妃の二人は、武則天と寵愛を争って一敗地に塗れた。

この二人の敗北者は新皇后の階下の囚人となり、それぞれ二百回も杖で打たれてから手足を切断され、酒瓶の中に閉じ込められた後、無惨に殺された。

 

  1. 皇帝の死去

后妃にとって、最後の脅威は皇帝の死去である。これは皇帝の付属品である后妃たちが、いっさいの地位と栄誉の拠り所を失うことを意味した。一つだけ例外がある。つまり子が皇帝に即位した場合で、「やんごとなき夫の妻」から、「やんごとなき子の母」 へと転じることができた。少なくとも子のある妃嬢はちょっとした地位を保つことができたが、子のない妃嬢たちは武則天のように仏寺に送られて尼にされるか、あるいは寂しく落ちぶれて後宮の中で生涯を終えた。たとえ太后といぅ至尊の地位に登っても、新皇帝の顔色を窺わねばならなかった。憲宗の郭皇后は郭子儀の孫娘にあたり、公主を母に持ち、また穆宗の母となり、敬宗、文宗、武宗の三皇帝の祖母にあたる女性であったから、人々は唐朝の后妃のなかで「最も高貴」な方と呼んだ。しかし、宣宗が即位(八四七年)すると、生母の鄭太后はもともと郭太后の侍女であり、かねてから怨みをもっていたため、郭太后を礼遇しなかった。それで郭太后は鬱々として楽しまず、楼に登って自殺しょうとした。宣宗はそれを聞くと非常に怒った。郭太后はその夜急に死んでしまったが、死因はいうまでもなく明らかであろう。

 

 

 

 

 

 

製作年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十九

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之四十九

(妃嬪・宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められるが、入ればもう帰ることはできないところであるという。)

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しい。選りすぐられて後宮に入る。

皓齒終不發,芳心空自持。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ってはいけないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、「容色が衰えて寵愛が薄れる」という例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかったのでたえず、憂いている。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

昔から後宮の妃賓・宮女たちは、特に優れたる美人が天下より選りすぐられ、集められていて、その運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っているので、それだけを考えて競い合っている、したがって嫉妬、讒言、陰謀、政争に巻き込まれやすい地位にある。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

この妃嬪は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

 

 

『古風,五十九首之四十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十九

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

皓齒終不發,芳心空自持。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

 

(現代語訳)

(妃嬪の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められるが、入ればもう帰ることはできないところであるという。)

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しい。選りすぐられて後宮に入る。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ってはいけないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、「容色が衰えて寵愛が薄れる」という例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかったのでたえず、憂いている。

昔から後宮の妃賓・宮女たちは、特に優れたる美人が天下より選りすぐられ、集められていて、その運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っているので、それだけを考えて競い合っている、したがって嫉妬、讒言、陰謀、政争に巻き込まれやすい地位にある。

この妃嬪は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十九

(妃嬪・宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められるが、入ればもう帰ることはできないところであるという。)

詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比した《古風,五十九首之四十四》と同じように、美人、草木を借りて、美人ゆえの妬み、能力あるが故の讒言、を詠ったものである。

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

 

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しい。選りすぐられて後宮に入る。

美人 唐の「内官」制度の規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、姪好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した宮女達の総称としていったものである。

南國 呉越をさす。江南、瀟湘、越の国に美人が多いとされる。

李白は西施、はじめ越多く取り上げている。

 

皓齒終不發,芳心空自持。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ってはいけないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、「容色が衰えて寵愛が薄れる」という例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかったのでたえず、憂いている。

皓齒 笑った時の白い歯。曹植《雜詩(其四)》「南國有佳人,容華若桃李。 朝遊江北岸,夕宿瀟湘沚 時俗薄朱顏,誰爲發皓齒 俛仰將暮,榮耀難久恃。」の語句を借用している

不發 花が開かないこと、ここでは笑わないので口が開かないことをいう。

 

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が天下より選りすぐられ、集められていて、その運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っているので、それだけを考えて競い合っている、したがって嫉妬、讒言、陰謀、政争に巻き込まれやすい地位にある。

由來 昔から後宮の宮女たちは、中国全土から、特に優れたる美人が集められていて、死ぬまで、天子の寵愛を受けることだけのために生活をさせられる。

紫宮女 天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を文字っている。宮女をいう。

共妒 嫉妬の競争、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っていることをいう。

青蛾眉 特に若くて優れたる美人、若くない年を重ねた美人は競争には勝てないからあきらめて生活する。

 

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

この妃嬪は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

瀟湘沚 瀟と湘は河川名。瀟湘八景、洞庭湖に流入する河川、舜帝の妃娥皇・女英となり、夫の舜が遠征の途中、湘江の畔で命を落とすと後を追って洞庭湖に身投げし、湘江の神となったのを連想させる。また、自矜自慨をのべる、曹植《雜詩(其四)》「南國有佳人,容華若桃李。 朝遊江北岸,夕宿瀟湘沚 時俗薄朱顏,誰爲發皓齒 俛仰將暮,榮耀難久恃。」の語句を借用している

雜詩六首其四 曹植 魏詩<21>古詩源 巻三 女性詩647 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1805

沈吟何足悲  いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

心は黄蓮の如く〔苦く〕、身は紅葉の如く〔はかなし

「三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕。」(三千の宮女 胭脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん)《白居易「後宮詞」》。

白居易 :

後宮詞其一

 

淚濕羅巾夢不成,夜深前殿按歌聲。

淚羅巾を濕し夢成ず,夜前殿に深し歌聲を按ずるに。

紅顏未老恩先斷,斜倚薰籠坐到明。

紅顏未だ老恩先ず斷ぜず,斜に倚る薰籠坐して明到る。

後宮詞其二

 

雨露由來一點恩,爭能遍布及千門。

雨露由來す 一點の恩,爭能く遍布 及び千門。

三千宮女胭脂面,幾個春來無淚痕。

三千の宮女胭脂の面、幾箇か春来りて涙の痕無からん。

古来、宮人は女性のなかで最も人間性を踏みにじられた人々であり、宦官とともに君主専制制度の直接の犠牲者であった。一方は生殖器をとられ身体を傷つけられた者、一方は人間性を踏みにじられた者である。宮人は奥深い後宮の中に幽閉されて永遠に肉親と別れ、青春と紅顔は葬り去られ、愛情と人生の楽しみは奪われ、生きている時は孤独の苦しみに、また死んだ後は訪れる人もない寂しさの中に置かれた。

 

 

宮人の解放

 

唐朝後宮の宮人の数はたいへん多かったが、それでも、宮人の採用は止むことはなかったので、後宮では恨みつらみが積もり、また民間でも不満が生れた。それで宮人問題は社会と朝廷の注目をあびることになった。どの皇帝の時代にも、この悪政を批判し、宮人たちが家族や恋人と離別させられる恨みや苦しみに同情して、彼女たちを放ち帰らせるようにと皇帝に願い出る人がいた。皇帝たちは、自分が徳政を実施し、歌舞音曲や女人を好まない振りをするために、また時には純粋に宮廷費用を節約するために、あるいはまた、後宮に怨恨が満ち溢れたせいで、災難にあって「天罰」を受けることを恐れるために、しばしば詔勅を発して宮人を解放した。唐朝では高祖より後、ほとんどの皇帝が宮人を解放したという記録がある。多い時には三千人、少ない時でも数百人であった。

 

これら宮人は宮中を出てから家のある者は家に帰り、嫁に行くことも可能だった。老いて病いのある者、身寄りのない者などは寺院や道観(道教の寺院)に送って収容し、時々少しばかりの金品を支給し生活の用とした(『全唐文』巻四二、粛宗「宮人を放つ詔」)。これは唐朝の皇帝のわずかばかりの仁政ということができる。しかし解放したといっても、宮人の数はいぜんとして相当なもので、唐末でも相変らず「六宮の貴・職の女性は一万人を減らない」という状況であった。その理由は、もともと解放された女性が多くない上に、絶えず新人が選抜されて入って来たので、根本的な問題の解決にはならなかったからである。そしてまた、解放された宮人の大多数は年を取り病弱であって役に立たず、彼女たちの青春はすでに深宮の中に葬り去られていたので、後宮を出でも寄る辺なく、晩年の境遇はじつに哀れで寂しいものであった。これと同時に青春の輝きの絶頂にある乙女たちが次々と絶えることなく後宮に送り込まれ、その紅顔が衰え、青春が空しく費やされるのを待つのであった。だからこの種の仁政の意義などというものは、本当に取るに足りないものだったのである。

 

後宮に積った女性たちの怨みを緩めるために、皇室もいくらか対策を講じた。たとえば、毎年上巳の目(三月上旬の巴の日)に宮人が肉親と会うことを許した。これは唐朝のちょっとした開明的なところといえる。「官女は毎年の上巳の日、興慶宮内の大同殿の前で親族と会って安否を尋ね、互いに贈物をやり取りすることを許された。一日の内に訪れる人の数は数千から一万にのぼった。やって来てすぐに親族と面会できる者もいれば、夕碁に及ぶまで家族の名を呼べど至らず、泣いて後宮に帰る者もあり、毎年このようであった」(尉遅促『中朝故事』)。この一幅の情景は監獄での面会とほとんど大差なく、宮人たちもまたまちがいなく高等監獄の囚人であった。

李白324 《巻一47-《古風,五十九首之四十七 (桃花開東園)》324Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(5) <李白324> Ⅰ李白詩1637 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6733

李白  古風,五十九首之四十七  桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。詎知南山松,獨立自蕭飋。

(この詩は、高士でもなく、実行力も乏しいものが、偶然に得た栄達したのを嘲ったものである。)大明宮東内園にある桃李は、爛漫の花を開いて、庭園への熟愛は盛世の遊楽の欲求をみたし、白日に向って笑いを含んで誇らしくした。桃李は、春風のおかげによって、この春の盛りの艶陽の質を生じたのである。したがって、才芸のあるものが自然に集まってくるはずである。もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないということでは、「一芸に秀でたものを集める」という天子の思いに、いかにもそぐわないことである。ただ、艶陽の質をおいもとめ、いつしか龍火が宛転として西に落ちて季節が一気に、秋にかわるのである、そのときには艶陽の質の花はすべて零落して、何も残っていないのである。これに比すれば終南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

李白324 《巻一47-《古風,五十九首之四十七 (桃花開東園)324Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-5) <李白324> Ⅰ李白詩1637 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6733

 

 
  2015年10月9日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白324 《巻一47-《古風,五十九首之四十七 (桃花開東園)》324Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(5) <李白324> Ⅰ李白詩1637 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6733  
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(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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製作年:              743年 天寶二年 43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十七

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

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42

18

 

 

 

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

(この詩は、高士でもなく、実行力も乏しいものが、偶然に得た栄達したのを嘲ったものである。)

大明宮東内園にある桃李は、爛漫の花を開いて、庭園への熟愛は盛世の遊楽の欲求をみたし、白日に向って笑いを含んで誇らしくした。

桃李は、春風のおかげによって、この春の盛りの艶陽の質を生じたのである。したがって、才芸のあるものが自然に集まってくるはずである。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないということでは、「一芸に秀でたものを集める」という天子の思いに、いかにもそぐわないことである。

ただ、艶陽の質をおいもとめ、いつしか龍火が宛転として西に落ちて季節が一気に、秋にかわるのである、そのときには艶陽の質の花はすべて零落して、何も残っていないのである。

これに比すれば終南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

古風,五十九首の四十七

桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

 

 

『古風,五十九首之四十七』現代語訳と訳註解説
(
本文)

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。
(含異文)

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質【矜此豔陽質】。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

此詩一作〈感興〉云

芙蓉嬌綠波,桃李誇白日。偶蒙春風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。宛轉龍火飛,零落互相失。

詎知凌寒松,千載長守一


(下し文)
古風,五十九首の四十七

桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

(現代語訳)
古風,五十九首之四十七(この詩は、高士でもなく、実行力も乏しいものが、偶然に得た栄達したのを嘲ったものである。)

大明宮東内園にある桃李は、爛漫の花を開いて、庭園への熟愛は盛世の遊楽の欲求をみたし、白日に向って笑いを含んで誇らしくした。

桃李は、春風のおかげによって、この春の盛りの艶陽の質を生じたのである。したがって、才芸のあるものが自然に集まってくるはずである。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないということでは、「一芸に秀でたものを集める」という天子の思いに、いかにもそぐわないことである。

ただ、艶陽の質をおいもとめ、いつしか龍火が宛転として西に落ちて季節が一気に、秋にかわるのである、そのときには艶陽の質の花はすべて零落して、何も残っていないのである。

これに比すれば終南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

長安城図 作図00
(訳注)

 

古風,五十九首之四十七

(この詩は、高士でもなく、実行力も乏しいものが、偶然に得た栄達したのを嘲ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

桃花開東園,含笑誇白日。

大明宮東内園にある桃李は、爛漫の花を開いて、庭園への熟愛は盛世の遊楽の欲求をみたし、白日に向って笑いを含んで誇らしくした。

桃花 桜梅桃李の己己の当体を改めずして無作三身と開見す」と述べた 。いずれも独自の美しい花を咲かせることから、桜は桜の、梅は梅の、桃は桃の、李は李の特徴を改めることなく、生かしていくとの意味。司馬遷の「史記」に書かれた言葉「桃李不言下自成蹊」ということを暗示させる。

開東園 大明宮東内園。唐の宮苑は三内(大明宮、大極宮、興慶宮)、三苑(東内苑、西内苑、禁苑)かあり、「三・内の多くは宮と苑からなり、大明宮の前部は宮廷区、その北部は苑林区で、中央に広い太液池があり、その前の宣徳殿、紫宸殿とともに中軸線上に並んでいる。

李白《寄遠,十一首之八》「憶昨東園桃李紅碧枝,與君此時初別離。金瓶落井無消息,令人行歎復坐思。坐思行歎成楚越,春風玉顏畏銷歇。碧窗紛紛下落花,青樓寂寂空明月。兩不見,但相思。空留錦字表心素,至今緘愁不忍窺。」

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偶蒙東風榮,生此豔陽質。

桃李は、春風のおかげによって、この春の盛りの艶陽の質を生じたのである。したがって、才芸のあるものが自然に集まってくるはずである。

豔陽質 春のことの別表現。万物が覚醒し、成長を始める。艶の心も蘇ることなどをいう。

 

豈無佳人色,但恐花不實。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないということでは、「一芸に秀でたものを集める」という天子の思いに、いかにもそぐわないことである。

 

宛轉龍火飛,零落早相失。

ただ、艶陽の質をおいもとめ、いつしか龍火が宛転として西に落ちて季節が一気に、秋にかわるのである、そのときには艶陽の質の花はすべて零落して、何も残っていないのである。

龍火飛 張協の七命に秋になることをいう。龍火西頽。《文選·張協<七命>之一》:“若乃火西頽,暄気初收。飛霜迎,高送秋。

 

詎知南山松,獨立自蕭飋。

これに比すれば終南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

南山松 終南山の松。この詩を作る時期は長安に仕えていた時である。

蕭飋 寂しげに突風が吹く。蕭瑟:風の吹く音がさびしげであること。

Ta唐 長安近郊圖  新02 

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

李白323 《巻一44-《古風,五十九首之四十四 (綠蘿紛葳蕤)》》323Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(4) <李白323> Ⅰ李白詩1636 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6728

李白  古風,五十九首之四十四   

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴し、それによって棄てられる側の思いを述べ、飽きられるだけで、男の多情で、託している女性が棄てられる棄婦怨を、託して宮使いしているものも同様に捨てられるものであると述べている。)姫葛は、生き生きとして、緑、鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れていて、しかもそれが丈夫そうな松や柏などの枝に巻き付いているものである。草木のなかで姫葛は、もとより非常のものであるが、託する所を知り、そして、松柏は、冬の極寒の中で、尚お、その色をかえることなく、勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにと希っているし、託するところに「七去、三不出」にかなうことを願っているのである。(心を一つにして、何時までも変わらぬように、長しえに変わらぬようにと希うて身を託した)その顔色は、さながら詩經に言う「桃之夭夭、灼灼其華。」たるがごとく、きわめて美しさであるにもかかわらず、わずかの間に、おなじ、詩経の詩にあるように、理由もわからず夫に棄てられてしまったという。もとより、歳を重ね顔色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉顔は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じた白髪頭というわけでもない。このように、民間でさえ、古来より、身勝手な棄婦がまかり通っている。しかるに、君子の恩が、既に終われば、棄てられるものである。したがって、「有所託」としているものは、棄てられる覚えがなくても、棄てられても、もはや、何とも致し方のないということなのである。

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古風,五十九首之三十九 

登高望四海,天地何漫漫。  霜被群物秋,風飄大荒寒。 

榮華東流水,萬事皆波瀾。  白日掩徂輝,浮雲無定端。 

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。  且復歸去來,劍歌行路難。 

(自己の感慨を述べる。その不遇について感嘆したもの。)重陽の日に、高い山邱に登り、四方、天下に目を放って眺め遣れば、天地は、漫漫として果てしなく、人間の事の小さきを認識する。時、霜をおく秋で、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木の実がうれ、秋になり、颯颯たる西風は、寒げに吹いて、荒野には人影もない。日中の太陽でさえ、阻害されればその輝きは覆い隠され、西に傾くころには、変幻定め無き浮雲にさえ蔽われ、わずかに落日の微光を残すばかりとなる。元来、梧桐には鳳凰が棲み、枳棘には鴛鸞が棲むべきであるのに、いまや、冠履転倒して、燕雀が梧桐に巣くい、鴛鸞が枳棘に苦しんで住んでいる。かの君子が位を失い、小人が得意に跋扈するのは、このことを言うのであろう。そうであるから、自分は、今の世にいたとして、到底、高志をとげることはむつかしいかた、また「歸去來」の辞を詠おうと思うし、剣を叩いて 「行路難」を吟じて、帰隠しようと思うところである。
李白322 《巻一39-《古風,五十九首之三十九 (登高望四海)》》322Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-3) <李白322> Ⅰ李白詩1635 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6723

 

 
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年:  743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十九 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 

 

 

古風,五十九首之三十九 

登高望四海,天地何漫漫。 

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

榮華東流水,萬事皆波瀾。 

白日掩徂輝,浮雲無定端。 

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。 

且復歸去來,劍歌行路難。 

 

(古風,五十九首の三十九) 

高きに登って四海を望めば,天地 何ぞ漫漫たる。

霜は被って 群物 秋なり,風は飄って 大荒 寒し。

榮華は 東流の水,萬事は 皆 波瀾なり。

白日 徂輝を掩い,浮雲 定端 無し。

梧桐に 燕雀を巢はしめ,枳棘【ききょく】鴛鸞を棲ましむ。

且つ 復た 歸り去り來らん,劍歌す「行路難」。 

 

 

『古風,五十九首之三十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十九 

登高望四海,天地何漫漫。 

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

榮華東流水,萬事皆波瀾。 

白日掩徂輝,浮雲無定端。 

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。 

且復歸去來,劍歌行路難。 

 

(含異文)

登高望四海,天地何漫漫。

霜被群物秋,風飄大荒寒。

榮華東流水,萬事皆波瀾。

白日掩徂輝,浮雲無定端。

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。

且復歸去來,劍歌行路難【劍歌悲路難】。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十九) 

高きに登って四海を望めば,天地 何ぞ漫漫たる。

霜は被って 群物 秋なり,風は飄って 大荒 寒し。

榮華は 東流の水,萬事は 皆 波瀾なり。

白日 徂輝を掩い,浮雲 定端 無し。

梧桐に 燕雀を巢はしめ,枳棘【ききょく】鴛鸞を棲ましむ。

且つ 復た 歸り去り來らん,劍歌す「行路難」。 

 

(現代語訳)

(自己の感慨を述べる。その不遇について感嘆したもの。)

重陽の日に、高い山邱に登り、四方、天下に目を放って眺め遣れば、天地は、漫漫として果てしなく、人間の事の小さきを認識する。
時、霜をおく秋で、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木の実がうれ、秋になり、颯颯たる西風は、寒げに吹いて、荒野には人影もない。

日中の太陽でさえ、阻害されればその輝きは覆い隠され、西に傾くころには、変幻定め無き浮雲にさえ蔽われ、わずかに落日の微光を残すばかりとなる。
元来、梧桐には鳳凰が棲み、枳棘には鴛鸞が棲むべきであるのに、いまや、冠履転倒して、燕雀が梧桐に巣くい、鴛鸞が枳棘に苦しんで住んでいる。かの君子が位を失い、小人が得意に跋扈するのは、このことを言うのであろう。

そうであるから、自分は、今の世にいたとして、到底、高志をとげることはむつかしいかた、また「歸去來」の辞を詠おうと思うし、剣を叩いて 「行路難」を吟じて、帰隠しようと思うところである。

(訳注)

古風,五十九首之三十九

(自己の感慨を述べる。その不遇について感嘆したもの。)

 

登高望四海,天地何漫漫。
重陽の日に、高い山邱に登り、四方、天下に目を放って眺め遣れば、天地は、漫漫として果てしなく、人間の事の小さきを認識する。
登高 九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う風習。後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 

四海 古来から四方の地の果ては海となっているからそれの内の意》国内。世の中。天下。また、世界。 『孟子』尽心上に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるのをイメージしている。


霜被群物秋,風飄大荒寒。
時、霜をおく秋で、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木の実がうれ、秋になり、颯颯たる西風は、寒げに吹いて、荒野には人影もない。
霜被 霜が降り被い 

群物秋 霜が降り被い 

○風飄 ヒューと風が吹く 

大荒 ひろびろとした荒野 

 寒々として誰もいない。
 

榮華東流水,萬事皆波瀾。
郭のごとく、栄枯盛衰は当然の帰結であり、栄華は続くものではないし、「東流の水が復帰らず」も、万事常なく、有為転変のはなはだしきは、寄せる波のごとしである。

東流 中國の大河は東流している。水は東に流れるもの。其の位置にはとどまらない。いつかは消えていくもの。 

○萬 すべてのことがら。


白日掩徂輝,浮云無定端。
日中の太陽でさえ、阻害されればその輝きは覆い隠され、西に傾くころには、変幻定め無き浮雲にさえ蔽われ、わずかに落日の微光を残すばかりとなる。
白日 日中の太陽。天子の威光。正論。

浮云 うきぐも。李白は朝廷内の宦官のことを暗天の比喩としていうことが多い。 

無定端 定めの端がない。好き勝手なことをする。変幻定め無きこと。


梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。
元来、梧桐には鳳凰が棲み、枳棘には鴛鸞が棲むべきであるのに、いまや、冠履転倒して、燕雀が梧桐に巣くい、鴛鸞が枳棘に苦しんで住んでいる。かの君子が位を失い、小人が得意に跋扈するのは、このことを言うのであろう。

梧桐 あおぎり。玄宗と楊貴妃の生活を示したもの。元代の戯曲「梧桐雨」がある。また、『荘子』秋水篇の故事を用いる。荘子が梁の国の宰相恵子を訪れようとすると、それは宰相の地位を奪い取ろうとしているのだという重言があった。恐れる恵子に向かって荘子はたとえ話を持ち出す。南方に「鴛雛」という鳥がいて、梧桐にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、清浄な水しか飲まない。鶴が「腐鼠」を食べていたところに鴛雛が通りかかると、鶴はにらみつけて「嚇」と叫んだ。今あなたは梁の国を取られはしないか恐れて威嚇するのか、と恵子に言った。猜疑心を抱きつつの後宮生活を示す。

燕雀 小人物のこと。趙飛燕。楊貴妃の事。

枳棘 からたちととげ。人の邪魔をすること。 

棲鴛鸞 おしどりと鸞鳳。楊貴妃とその兄弟の事。
この聯は『史記』・陳渉世家に「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀いずくんぞ鴻鵠之志を知るや。:小人物は大人物、鴻鵠の志を知ることができようか)の一節に基づくもの。


且復歸去來。 劍歌行路難。
そうであるから、自分は、今の世にいたとして、到底、高志をとげることはむつかしいかた、また「歸去來」の辞を詠おうと思うし、剣を叩いて 「行路難」を吟じて、帰隠しようと思うところである。
歸去來 陶淵明が仕官80日あまりで官を辞して故郷に帰った時の辞。

劍歌 孟嘗君(もうしょうくん)に苦言を呈した馮驩(ふうかん)は剣の柄をたたき詩を吟じた。

行路難 古楽府の名。 

李白321 《巻一21-《古風,五十九首之二十一 (郢客吟白雪)》》321Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(2) <李白321> Ⅰ李白詩1634 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6718

李白  古風,五十九首之二十一   

郢客吟白雪,遺響飛青天。  徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

試為巴人唱,和者乃數千。  吞聲何足道,歎息空淒然。 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせてはいけないものである。しかし、その曲が高尚であるがために、世にこれを解する者がすくないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことであるとする。これと全く異なるものがある、試みに巴の人の曲を唱和すれば、その曲が俗卑なだけに大勢にもてはやされ、和する者はずっとふえて数千の多きに及ぶものなのである。此れは昔から流伝している琴の「白雪」と「巴人の歌の」故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑近なものの方が受け継がれ、広まるものなので、素晴らしいものでも世に受け入れられなければ、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

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Index-22

製作年:  743  天寶二年  43

卷別: 巻一  卷一六一 

文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十一 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 

 

 

古風,五十九首之二十一 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

試為巴人唱,和者乃數千。 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせてはいけないものである。

しかし、その曲が高尚であるがために、世にこれを解する者がすくないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことであるとする。

これと全く異なるものがある、試みに巴の人の曲を唱和すれば、その曲が俗卑なだけに大勢にもてはやされ、和する者はずっとふえて数千の多きに及ぶものなのである。

此れは昔から流伝している琴の「白雪」と「巴人の歌の」故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑近なものの方が受け継がれ、広まるものなので、素晴らしいものでも世に受け入れられなければ、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

 

 

『古風,五十九首之二十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十一 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

試為巴人唱,和者乃數千。 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十一

郢客【えいかく】白雪を吟ずれば,遺響 青天に飛ぶ。

徒勞 此の曲を歌う,舉世 誰が為に傳えん。

試みに巴人の唱を為せば,和する者 乃ち數千。

聲を吞む 何ぞ道うに足らん,歎息 空しく淒然。 

 

(現代語訳)

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせてはいけないものである。

しかし、その曲が高尚であるがために、世にこれを解する者がすくないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことであるとする。

これと全く異なるものがある、試みに巴の人の曲を唱和すれば、その曲が俗卑なだけに大勢にもてはやされ、和する者はずっとふえて数千の多きに及ぶものなのである。

此れは昔から流伝している琴の「白雪」と「巴人の歌の」故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑近なものの方が受け継がれ、広まるものなので、素晴らしいものでも世に受け入れられなければ、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

 

(訳注)

古風,五十九首之二十一 

(此の詩は知音の難きことを慨し、兼ねて、高才世に受け入れられないことを悲しんで作ったものである。)

 

郢客吟白雪,遺響飛青天。 

楚の都、郢の街中に来ている客人が、よく、最高の調をもって知られる「白雪」の曲を吟ずるのであるが、その歌は余韻嫋嫋として、青天に飛び上がり、とこしえにその響きを絶えさせてはいけないものである。

○郢客 宋玉の對楚王間に「客に郢に歌うもの有り。その始めを下里巴人という。その陽阿薤蕗を爲や、国中属して和する者数十人。引商刻羽、泛してもって流徴すれば国中属して和する者数人にすぎざるのみ。これその曲彌よ高くして共和彌よ寡し」とある。郢は楚の都。・對郢客(?-前174年),朝宗室,西楚王,《史》作劉郢。其父楚元王劉交是漢高祖劉邦的弟弟。前178年,其父劉交死后,劉郢継位。一共在位四年。174年,劉郢去世,謚號夷,他儿子劉戊嗣位,即七国之乱的楚王

吟白雪 古琴曲吟『白雪』曲。中國十大琵琶曲文曲中代表作品之一中国著名十大古曲之一。

○遺響 余韻。

 

徒勞歌此曲,舉世誰為傳。 

しかし、その曲が高尚であるがために、世にこれを解する者がすくないのである、だからいくら骨を折って、これを歌ったところで、誰に伝わるわけでなく、到底、無駄なことであるとする。

 

試為巴人唱,和者乃數千。 

これと全く異なるものがある、試みに巴の人の曲を唱和すれば、その曲が俗卑なだけに大勢にもてはやされ、和する者はずっとふえて数千の多きに及ぶものなのである。

巴調【ハテウ】  巴人の歌ふ調にて、いやしき調子、俗歌俗曲などの稱、轉じて自作の詩歌の謙稱。陳基詩「竹枝已聽巴人調、桂樹仍聞楚客歌」=俚調。

 

吞聲何足道,歎息空淒然。 

此れは昔から流伝している琴の「白雪」と「巴人の歌の」故事であるが、人間のことは、すべてこの通り、なんでも卑近なものの方が受け継がれ、広まるものなので、素晴らしいものでも世に受け入れられなければ、声を呑んで泣いたところで、仕方がないから、ただ凄然として、嘆息するのみである。

何足道 なんぞ言うに足るものであろうか。

淒然 1.こごえるような寒さの姿。《莊子大宗師》「淒然似秋, 煖然似春。」

2. ぞっとするほどもの寂しいさま。また、冷ややかなさま。そして、悲しんで心を痛めること。 舊題 伶玄 《<飛燕外傳>自序》「通德占袖, 顧視燭影, 以手擁髻, 淒然泣下, 不勝其悲。」

李白320 巻一12-《古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)》 320Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(1) <李白320> Ⅰ李白詩1633 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6713

李白  古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)  

松柏本孤直,難為桃李顏。昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

身將客星隱,心與浮雲閒。長揖萬乘君,還歸富春山。

清風灑六合,邈然不可攀。使我長歎息,冥棲巖石間。 

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたいと敬慕の念を詠ったもの)

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているもので、桃李の花のような一時、茜粲たるいろどりをもないのは当然のことであるそれと同じように隠遁した高士は、世の中に引き出そうとしてもおいそれと出てくることはない。昭昭として高風である厳子陵は、桐江の七里灘のあおあおとした波の間に、始終釣糸を垂れていた。元来、嚴子陵は、天上の客星に応じたもので、永遠に山に隠れ、その心は、天空の浮雲とともに、のどかでひろいものであるから、招聘されても屈することはないのである。

そればかりか、諫議大夫に挙げられたがこれを断り、万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰ってしまった。かくて、その高潔なる操守は清風の六合に灑ぐように、邈然として高く、とても手がとどきそうにないようなことである。このような人物こそ、わが常に学ばんとするところのもので、まことに、讃嘆に堪えないのであり、自分もそのあとを慕い、巌石の間に黙然として座り、桃李の顔でもって、世間に媚びるようなことは断じてするつもりはないのである。 

李白320 巻一12-《古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)》 320Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-1) <李白320> Ⅰ李白詩1633 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6713


 
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古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたいと敬慕の念を詠ったもの)

松柏本孤直,難為桃李顏。

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているもので、桃李の花のような一時、茜粲たるいろどりをもないのは当然のことである
昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

それと同じように隠遁した高士は、世の中に引き出そうとしてもおいそれと出てくることはない。昭昭として高風である厳子陵は、桐江の七里灘のあおあおとした波の間に、始終釣糸を垂れていた。
身將客星隱,心與浮雲閒。

元来、嚴子陵は、天上の客星に応じたもので、永遠に山に隠れ、その心は、天空の浮雲とともに、のどかでひろいものであるから、招聘されても屈することはないのである。
長揖萬乘君,還歸富春山。

そればかりか、諫議大夫に挙げられたがこれを断り、万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰ってしまった。
清風灑六合,邈然不可攀。

かくて、その高潔なる操守は清風の六合に灑ぐように、邈然として高く、とても手がとどきそうにないようなことである。
使我長歎息,冥棲巖石間。 

このような人物こそ、わが常に学ばんとするところのもので、まことに、讃嘆に堪えないのであり、自分もそのあとを慕い、巌石の間に黙然として座り、桃李の顔でもって、世間に媚びるようなことは断じてするつもりはないのである。 

 

 

製作年:

製作年: 743年天寶二年43歳 94-1

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 

及地點: 富春山 (江南東道 睦州 桐廬) 別名:嚴陵山    

古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたいと敬慕の念を詠ったもの)

松柏本孤直,難為桃李顏。

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているもので、桃李の花のような一時、茜粲たるいろどりをもないのは当然のことである
昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

それと同じように隠遁した高士は、世の中に引き出そうとしてもおいそれと出てくることはない。昭昭として高風である厳子陵は、桐江の七里灘のあおあおとした波の間に、始終釣糸を垂れていた。
身將客星隱,心與浮雲閒。

元来、嚴子陵は、天上の客星に応じたもので、永遠に山に隠れ、その心は、天空の浮雲とともに、のどかでひろいものであるから、招聘されても屈することはないのである。
長揖萬乘君,還歸富春山。

そればかりか、諫議大夫に挙げられたがこれを断り、万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰ってしまった。
清風灑六合,邈然不可攀。

かくて、その高潔なる操守は清風の六合に灑ぐように、邈然として高く、とても手がとどきそうにないようなことである。
使我長歎息,冥棲巖石間。 

このような人物こそ、わが常に学ばんとするところのもので、まことに、讃嘆に堪えないのであり、自分もそのあとを慕い、巌石の間に黙然として座り、桃李の顔でもって、世間に媚びるようなことは断じてするつもりはないのである。 


(古風五十九首 の十二)
松柏 本と 孤直、桃李の顔を為し難し。
昭昭たる厳子陵、釣を垂る滄波の間。
身は客星と隠れ、心は浮雲と与に閑なり。
万乗の君に長揖し、還帰す 富春の山。
清風 六合に灑ぎ、邈然として攀ずべからず。
我をして 長しえに嘆息せしむ、冥棲せん巌石の間。

 

 

『古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)  』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之十二 (松柏本孤直)

松柏本孤直,難為桃李顏。

昭昭嚴子陵,垂釣滄波間。

身將客星隱,心與浮雲閒。

長揖萬乘君,還歸富春山。

清風灑六合,邈然不可攀。

使我長歎息,冥棲巖石間。 

 

(下し文)

古風五十九首 其の十二

松柏 本 孤直、桃李の顔を為し難し。

昭昭たり 厳子陵、釣を垂る 滄波の間。

身は客星と将に隠れ、心は浮雲と与に閑なり。

万乗の君に長揖して、還帰す 富春山。

清風 六合に灑ぎ、邈然(ばくぜん)として 攀()ずべからず

我をして 長く嘆息し、巌石の間に冥棲せしむ

 

(現代語訳)

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたいと敬慕の念を詠ったもの)

松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているもので、桃李の花のような一時、茜粲たるいろどりをもないのは当然のことである
それと同じように隠遁した高士は、世の中に引き出そうとしてもおいそれと出てくることはない。昭昭として高風である厳子陵は、桐江の七里灘のあおあおとした波の間に、始終釣糸を垂れていた。
元来、嚴子陵は、天上の客星に応じたもので、永遠に山に隠れ、その心は、天空の浮雲とともに、のどかでひろいものであるから、招聘されても屈することはないのである。
そればかりか、諫議大夫に挙げられたがこれを断り、万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰ってしまった。
かくて、その高潔なる操守は清風の六合に灑ぐように、邈然として高く、とても手がとどきそうにないようなことである。
このような人物こそ、わが常に学ばんとするところのもので、まことに、讃嘆に堪えないのであり、自分もそのあとを慕い、巌石の間に黙然として座り、桃李の顔でもって、世間に媚びるようなことは断じてするつもりはないのである。 

 (訳注)

古風,五十九首之十二(松柏本孤直)

(世間からはなれて隠棲していても強い個性をもって光っている厳子陵という人のように生きたいと敬慕の念を詠ったもの)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

松柏本孤直、難為桃李顏。
松や柏の木は本来、一本ごとにまっすぐ立っているもので、桃李の花のような一時、茜粲たるいろどりをもないのは当然のことである
○松柏本孤直 《荀子》「桃李茜粲于一時,時至而後殺,至于松柏,經隆冬而不凋,蒙霜雪而不變,可謂得其真矣」(桃李は一時に茜粲たるも,時至って後に殺がる,松柏に至っては,隆冬を經て凋まず,霜雪を蒙って變せず,其の真を得たりと謂う可し。)に基づく。松柏は、御陵の東西に植えられる常緑樹。

 かお。かおいろ。かおだち。体面。いろどり、色彩。額。


昭昭嚴子陵、垂釣滄波間。
それと同じように隠遁した高士は、世の中に引き出そうとしてもおいそれと出てくることはない。昭昭として高風である厳子陵は、桐江の七里灘のあおあおとした波の間に、始終釣糸を垂れていた。
昭昭 きわめてあきらか。強い個性をもって光っている。

厳子陵 漢の厳光(紀元前39 - 41年)。「後漢書」の伝記によると次のとおりである。厳光、字は子陵、会稽の飴桃の人、すなわち今の浙江省紹興市の東方にある飴桃県の人である。年少のころから名高く、のちの光武帝とは同学で机をならべた仲だった。光武帝が即位すると、かれは姓名をかえ、身をかくした。光武帝はかれのすぐれた能力を思い、その居所をさがさせた。のち斉の国で、一人の男が羊の皮衣をきて沼で釣をしているという報告があった。帝はそれが厳光にちがいないと思った。上等の安楽車を用意させ、使を派遣してかれをまねく。かれは三遍辞退してからやっと来る。宿舎にベッドがあてがわれ、御馳走が出る。帝はすぐに会いにゆく。厳光は横になったまま起きあがらない。帝はいった、「子陵よ、わたしもついに、きみだけは家来にできないよ。」そこでかれをつれてかえり、書生時代のように議論して数日に及んだが、一緒にねそべっていると、厳光は足を帝の腹の上にのせる。翌日、天文をつかさどる役人が上奏した。「客星、御座を犯すこと甚だ急なり。」帝は笑っていった、「朕が旧友の厳子陵といっしょにねそべっていただけのことだ。」諌議大夫という位を授けたが、かれは身を屈めて受けることをしなかった。やがて富春山にこもり、田を耕した。後世の人はかれが釣をしていた場所を厳陵瀬と名づけたという。厳光が釣りをしていた場所(桐盧県の南、富春江の湖畔)は「厳陵瀬」と名づけられた。釣臺は東西に一つずつあり、高さはそれぞれ数丈、その下には羊裘軒・客星館・招隠堂があった。北宋の政治家・范仲淹は厳光の祠堂を修復し、「厳先生祠堂記」を撰写しその中で「雲山蒼蒼、江水泱泱。先生之風、山高水長」と厳光の高尚な気風を賞賛した。

○滄波  東海神仙三山の浮ぶ海のあおあおとした波のこと。隠遁の場所の形容語。
 

身將客星隱、心與浮云閑。
元来、嚴子陵は、天上の客星に応じたもので、永遠に山に隠れ、その心は、天空の浮雲とともに、のどかでひろいものであるから、招聘されても屈することはないのである。
客星 一定の所に常には見えず、一時的に現われる星。彗星・新星など。

 のどか、おおきい。静か。のんびり。さく。しきり。
 

長揖萬乘君、還歸富春山。
そればかりか、諫議大夫に挙げられたがこれを断り、万乗の天子、光武帝にたいし最敬礼をした、そして、さっさと富春山へと帰ってしまった。
長揖 ちょうゆう、敬礼の一種。組みあわせた両手を上からずっと下の方までさげる。

万乗 一万の兵事。転じて、それを統帥する天子のこと。天下。君といっしょで万乗の光武帝。

富春山 浙江省桐盧県銭塘江中流域にあり、一名を厳陵山という。「一統志」に「清麗奇絶にして、錦峰繍嶺と号す。乃ち漢の厳子陵隠釣の処。前は大江に臨み、上に東西二釣台あり」と記されている。謝霊運『富春渚詩 「宵濟漁浦潭。旦及富春郭。定山緬雲霧。赤亭無淹薄。溯流觸驚急。臨圻阻參錯。亮乏伯昏分。險過呂梁壑。」(宵に漁浦の潭【ふち】を濟【わた】り、旦に富春の郭に及【いた】る。定山は雲霧に緬【はる】かに、赤亭には淹薄【とま】ること無く。流れを遡りて驚急に触れ、圻に臨み參錯【でいり】に阻【はば】まる。亮に伯昏の分に乏しく、険は呂梁の壑に過ぎぬ。)わたしは夕方、漁浦の渡し場から船出した。夜どおし船旅をして、明け方、富春の街に着いた。分水嶺の定山はまだまだ雲霧の向こうで遙かに遠い、富陽の花街の赤亭に泊まることはしない。流れは急でそれをさかのぼる巌にせっそく接触したり、驚くような目に何度もあう、船を接岸できそうな岸へ寄せようとするのだが水流の出入りによってなかなか寄せられない。私はあきらかに物に動じないことという心構えにはとぼしいものである、嶮しいといっても黄河随一の難関、呂梁幕府のある谷ほどのものではないので経過していく。
富春渚 #1 謝霊運<14> 詩集 376

 

清風灑六合、邈然不可攀。
かくて、その高潔なる操守は清風の六合に灑ぐように、邈然として高く、とても手がとどきそうにないようなことである。
六合 上下四方、すなわち、世界、宇宙。

邈然 はるかなさま。


使我長嘆息、冥棲巌石間。
このような人物こそ、わが常に学ばんとするところのもので、まことに、讃嘆に堪えないのであり、自分もそのあとを慕い、巌石の間に黙然として座り、桃李の顔でもって、世間に媚びるようなことは断じてするつもりはないのである。 
冥棲 ひっそりしたところに黙然と修業してくらす。

 

 

 

光(げん こう、紀元前39 - 41年)は中国・後漢時代初期の隠者・逸民。字は子陵、別名は遵。会稽郡餘姚県(浙江省余姚市)の出身。若くして才名あり、のちの光武帝となる劉秀と同門に学ぶ。劉秀が皇帝となると、厳光は姓名を変えて身を隠した。光武帝はその才能を惜しみ行方を捜させたところ、後斉国で羊毛の皮衣を着て沢の中で釣りをしているところを見いだされて、長安に召し出された。宮中の作法に詳しい司徒の侯覇が厳光と親しかったが、厳光は細かい礼に従わず、光武帝はそれでも「狂奴故態を改めず」と笑っただけだった。それどころか自ら宿舎に足を運んで道を論じたという。ある夜、帝と光がともに就寝し、光が帝の腹の上に足を乗せて熟睡し、翌日大夫がその不敬を奏上して罰しようとしたが、帝は「故旧とともに臥したのみ」とこの件を取りあげなかった。諫議大夫に挙げられたがこれを断って富春山(浙江省富陽県)で農耕をして暮らし、その地で没する。光武帝はその死を悲しみ、厳光が亡くなった郡県に詔して銭百万と穀千斛を賜った。

李白 古風五十九首の全てを訳注解説 ブログ目次


古風五十九首之一》 巻一<index-29-1-537#1>
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Index-20 《古風五十九首之十一》Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳237古風,五十九首之十齊有倜儻生, <Index-20> 
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Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#1古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> 
Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#2古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> 
Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#3古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> 
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18-#3 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582<18-#3> 
18-#4 《古風五十九首之十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳582古風,五十九首之十八天津三月時, <18-#4>
19 《古風五十九首之十九》Index-35Ⅳ-10 756年至德元年年;56歳730古風,五十九首之十九西嶽蓮花山, <19> 
20 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#1> 
20-#2 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#2>
20-#3 《古風五十九首之二十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳365古風,五十九首之二十昔我遊齊都, <20-#3>
21 《古風五十九首之二十一》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳270古風,五十九首之二十一郢客吟白雪, <21>
22 《古風五十九首之二十二》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳366古風,五十九首之二十二秦水別隴首, <22> 
22-#2 《古風五十九首之二十二》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳366古風,五十九首之二十二秦水別隴首, <22-#2>
23 -#1《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23> 
23-#2 《古風五十九首之二十三》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420古風,五十九首之二十三秋露白如玉, <23-#2>
24 《古風五十九首之二十四》Index-10Ⅱ― 6-731年開元十九年31歳100古風,五十九首之十六寶劍雙蛟龍, <24>
25 《古風五十九首之二十五》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <25> 
26 《古風五十九首之二十六》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <26> 
27 《古風五十九首之二十七》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳70古風,五十九首之二十七燕趙有秀色, <27>
28 《古風五十九首之二十八》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <28> 
29 《古風五十九首之二十九》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <29> 
30-#1 《古風五十九首之三十》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <30-#1>
30-#2 《古風五十九首之三十》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <30-#2>
31 《古風五十九首之三十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <31>
32 《古風五十九首之三十二》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳588古風,五十九首之三十二蓐收肅金氣, <32>
33 《古風五十九首之三十三》Index-4Ⅰ- 4-725年開元十三年25歳20古風,五十九首之三十三北溟有巨魚, <33>
34 《古風五十九首之三十四》-#1 Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34> 
34-#2 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#2>
34-#3 《古風五十九首之三十四》Index-30Ⅳ-5 751年天寶十年51歳554古風,五十九首之三十四羽檄如流星, <34-#3>
35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1>
35ー#2 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#2> 
36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> 
37-#1 古風五十九首之三十七Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七 燕臣昔慟哭, <37> 
37-#2 古風五十九首之三十七Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳466古風,五十九首之三十七燕臣昔慟哭, <37-#2> 
38 《古風,五十九首之三十八》Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳80古風,五十九首之三十八(孤蘭生幽園) <38> 
39 《古風五十九首之三十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳271古風,五十九首之三十九登高望四海, <39>
40 《古風五十九首之四十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40>
41 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳420 <41> 
41-#2 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳421古風,五十九首之四十一朝弄紫沂海, <41-#2>
42 《古風五十九首之四十二》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳 <42> 
43 《古風五十九首之四十三》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳369 <43> Ⅰ李白詩1205 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4573
44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44>
45 《古風五十九首之四十五》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳756古風,五十九首之四十五八荒馳驚飆, <45>
46 《古風五十九首之四十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46>
47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> 
48 《古風五十九首之四十八》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> 
49 《古風五十九首之四十九》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳274古風,五十九首之四十九美人出南國, <49> 
50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50>
51 《古風五十九首之五十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳591古風,五十九首之五十一殷后亂天紀, <51>
52 《古風,五十九首之五十二》Index-7Ⅱ― 3-728年開元十六年28歳69古風,五十九首之二十六碧荷生幽泉, <52> 
53 《古風五十九首之五十三》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> 
54 《古風五十九首之五十四》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <54> 
55 《古風,五十九首之五十五》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳370古風,五十九首之五十五齊瑟彈東吟, <55> 
56 《古風,五十九首之五十六》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳276古風,五十九首之五十六越客採明珠, <56> 
57 《古風,五十九首之五十七》Index-39Ⅴ-2 760年上元元年60歳874江夏送倩公歸漢東彼美漢東國, <57> 
58 《古風,五十九首之五十八》Index-38Ⅴ-1 759年乾元二年59歳832古風,五十九首之五十八我到巫山渚, <58> 
59 -#1《古風五十九首之五十九》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳757古風,五十九首之五十九惻惻泣路岐, <59> 
59-#2 《古風五十九首之五十九》Index-36Ⅳ-11 757年至德二年57歳757古風,五十九首之五十九惻惻泣路岐, <59-#2>

李白の足跡

李白図102
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さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。

 
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Index-

4

- 4-724年開元十二年24

3首

ID

No.

詩題

詩文初句

 

74

16

1

別匡山

曉峰如畫參差碧,

なし

75

17

2

峨眉山月歌 李白 2

峨眉山月半輪秋,

巻七

76

18

3

83 巴女詞

巴水急如箭,

巻二十四

 

 

作時年:724年開元十二年24

卷別:    卷一六七              文體:    七言

詩題:    峨眉山月歌

作地點:              峨眉山(劍南道北部 / 嘉州 / 峨眉山)

及地點:              峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

平羌 (劍南道北部 嘉州 平羌)           

渝州 (山南西道 渝州 渝州) 別名:渝             

 

 

峨眉山月歌

(峨眉山にかかる名残の月を見ての詩)

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。

はじめ、夜になって舟に乗った時に、峨眉山にかかる秋の上半輪の名残の秋月は、月のひかりは平羌の江水に反対に映ってきらきらと流れゆく。

夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。

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<!--[endif]-->

(峨眉山月の歌)

峨眉 山月  半輪の秋、影は平羌【へいきょう】の江水に入って流る。

夜  清渓【せいけい】を発して三峡に向かえば、君を思えども見えず  渝州【ゆしゅう】に下る。

 

55moon 

『峨眉山月歌』 現代語訳と訳註

(本文)

峨眉山月歌

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。

夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

 

(下し文)

(峨眉山月の歌)

峨眉 山月  半輪の秋、影は平羌【へいきょう】の江水に入って流る。

夜  清渓【せいけい】を発して三峡に向かえば、君を思えども見えず  渝州【ゆしゅう】に下る。

 

(現代語訳)

(峨眉山にかかる名残の月を見ての詩)

はじめ、夜になって舟に乗った時に、峨眉山にかかる秋の上半輪の名残の秋月は、月のひかりは平羌の江水に反対に映ってきらきらと流れゆく。
さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。
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<!--[endif]-->

(訳注)

峨眉山月歌

(峨眉山にかかる名残の月を見ての詩)

少し前まで、峨嵋山に遊んだ李白が、江南に旅に出る際、船上で詠ったものである。

 

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。

はじめ、夜になって舟に乗った時に、峨眉山にかかる秋の上半輪の名残の秋月は、月のひかりは平羌の江水に反対に映ってきらきらと流れゆく。
峨眉山 道教や中国の仏教で言うところの聖地で、中国三大霊山(五台山、天台山、峨眉山)や中国四大仏教名山(五台山、九華山、普陀山、峨眉山)の一つである。26の寺院を有し、普賢菩薩の霊場とされる。一帯は聖地となっていたために自然が護られ、約3,000種の植物と、絶滅危惧種を含む約2,000種の動物の宝庫でもある。一番高い峰が万仏頂(標高3,098メートル)で、頂まで32の名刹が続いている。後漢時代から仏教施設の建設が始まり、南宋時代に最盛期を迎えた。現代最大の寺院は、登山口にあたる報国寺で、明代1615年(万暦43年)に明光道人が創建したとされている。

月半輪秋 「秋月半輪」 八月下弦を過ぎた後半の名残月。

影入 月のひかりが江水に反対に映ってきらきらすること。

平羌江 平羌江(へいこうきょう)は、中華人民共和国四川省を流れる川の一つで、大渡河の支流。長江水系に属する。青衣江(せいいこう、拼音: Qīng yī jiāng)古くは、若水(じゃくすい)とも呼ばれた。邛崍山脈の巴朗山と夾金山の間の蜀西営に発し、四川盆地西端の雅安市を貫き、楽山市で北から大渡河に合流し、さらに同所で岷江に流入する。三川合流点には楽山大仏が建つ。青衣江は航行不可能で水運には使えないが、ダムが作られ三つの水力発電所がある。李白はその詩で、「峨眉山、月半輪の秋 影は平羌江水に入りて流る」(峨眉山月半輪秋、影入平羌江水流)とよんでいる。

水流 長江の流れが速いことをあらわす。

 

夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。
清溪 長江の駅名。

三峽 三峡水 瞿塘峡(くとうきょう、8km)、巫峡(ふきょう、45km)、西陵峡(せいりょうきょう、66km)が連続する景勝地である。

思君 峨嵋山の峨眉と峨眉で、君は女性を連想させる李白の妙味、この短い詩中、具体的地名を6か所も入れている。

渝州 現在の重慶で、重要地点である。隋朝が成立すると当初は楚州は渝州と改称され33県を管轄した。607年(大業3年)、郡制施行に伴い渝州は巴郡と改称され下部に2県を管轄した。郡治の江州県がおかれ,北周から巴県とよばれた。隋には渝水(ゆすい)すなわち嘉陵江の河畔にあることから渝州がおかれ,街は渝城ともいわれた。現在も略称は渝である。

蜀の山001 

李白は一定の学問を終えると、山を降りて地元の知識人や道士と交わり、蜀地を遊歴して見聞を広める。
 721年 李白が二十歳になったとき、礼部尚書(正三品)をしていた蘇頲(そてい)が左遷され、成都にあった益州大都督府の長史(次官)になって綿州のあたりを通りかかる。李白は自作の詩を蘇頲に披露して文才を認めてもらおうと試みますが、蘇頲は李白の才能を認めた。
 723年 二十三歳のころには、広漢(四川省梓橦県)の太守(刺史)が李白を貢挙の有道科に推薦しようとしましたが、貢挙を受けられない事情があって、李白は断っている。李白は、詩文の才能で官に就くことを目指していた。
 724年 開元十二年秋、二十四歳の李白が蜀を離れて江南に向かったのも、官途につく早道と考えたものである。


 成都の壁下を錦江が流れ、錦江が成都の西を流れる岷江(みんこう)に合流してすぐ、清渓(駅名)という渡津がある。詩はその渡し場を船出した時の作品で、峨眉山(がびさん)に半月の名残月がかかっているのを見ながら、故郷との別れの感慨を詠うものだ。
 「三峡」は有名な長江の大三峡ではなく、嘉州(四川省楽山市)にあった小三峡のようだ。「平羌江」と岷江の一部で別の川ではない。最後の句の「君」については、恋人と、月とに掛けている。
 なお、船出の地ははっきりしていない。成都の錦江、萬代橋のたもとにある渡津だ。船出してすこし落ち着いたころ清渓を通過し、詩を作る。船出して最初の旅の目的地は、渝州(重慶市)だ。

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漢の張耳と陳余は、はじめは刎頸の交わりを結んだが、その親しい交わりが、怒った陳余によって同盟は破棄され、火のきえた仲になってしまった、後漢の粛青と朱博は、非常に仲が良かったけれど、仕舞には仇敵となって、星のようにばらばらに離れた。

 
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作年:    757年至德二年57

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十九

 

 

古風,五十九首之五十九

(この詩は、交道の全うからざることを歎じたもので、自分が天子からとおざけられ、栄辱、その処を易えた後は、昔親しかった友も、態度を変え、相手をしなくなったということを慨嘆したもの。)

惻惻泣路岐,哀哀悲素絲。

むかし楊子は路のわかれめの所にくると、さめざめと泣いた。墨子は白い糸を見ると、ひどく歎き悲しんだ。

路岐有南北,素絲易變移。

それは何故かというと、路のわかれた所は、南へも北へも行けるので迷うし、白い糸はどんな色にも染まって変りやすいからである。

萬事固如此,人生無定期。

人間万事、何事も、もともとこんなもので、絶対に定まれる時期というものはなく、楊朱、墨翟が感嘆したのも尤もなことで、人生にはあてにできる事柄はないということなのだ。

田竇相傾奪,賓客互盈虧。

漢の武安侯田蚡と魏其竇嬰とはいずれも、外戚の親を以て、権柄を専らにし、はじめは賓客が竇嬰の方に集まり、次第に田蚡が勢いを強くするとそちらに多く集まったので、自然に賓客を奪い合ったというようになり、人情は月が満ち欠けするように定まらないものであるということなのだ。

#2

世途多翻覆,交道方嶮巇。

したがって、世わたりのみちには手の平をかえすようなことが多く、人の交際の道は平たんのように見えて、まことにけわしいものである。

斗酒強然諾,寸心終自疑。

一斗の酒をまえにおいて歓をまじ得るときにむりに「よろしい」とひきうけるということもあるが、方寸の心のうちでさいごには疑いをいだくということなのである。

張陳竟火滅,蕭朱亦星離。

漢の張耳と陳余は、はじめは刎頸の交わりを結んだが、その親しい交わりが、怒った陳余によって同盟は破棄され、火のきえた仲になってしまった、後漢の粛青と朱博は、非常に仲が良かったけれど、仕舞には仇敵となって、星のようにばらばらに離れた。

眾鳥集榮柯,窮魚守枯池。

たくさんの鳥は日向に花の盛んにさいた枝に集まるものであり、それとは反対に、水のかれた池には、死にぞこないとか、追いつめられた魚が、そこを守っている。

嗟嗟失權客,勤問何所規。

ああ一度寵愛を失った居候よ、せっせとごきげんをうかがっても何をしようというのか。

 

古風,五十九首之五十九

惻惻として 路岐に泣き,哀哀として 素絲を悲しむ。

路岐れては 南北有り,素き絲は 變移し易し。

萬事 固より此の如く,人生 定期無し。

田竇【でんとう】相い傾奪し,賓客 互に盈虧【えいき】す。

#2

世途 翻覆多く,交道 方に嶮巇【けんぎ】。

斗酒 強いて然諾【ぜんだく】し,寸心 終に自から疑う。

張陳 竟に火滅し,蕭朱 亦た星離す。

眾鳥は集榮柯にり,窮魚は枯池を守る。

嗟嗟 失權の客よ,勤めて問うも 何の規る所ぞ。

 

安史期のアジアssH

 

『古風,五十九首之五十九』 現代語訳と訳註

(本文) #2

世途多翻覆,交道方嶮巇。

斗酒強然諾,寸心終自疑。

張陳竟火滅,蕭朱亦星離。

眾鳥集榮柯,窮魚守枯池。

嗟嗟失權客,勤問何所規。

 

(下し文)#2

世途 翻覆多く,交道 方に嶮巇【けんぎ】。

斗酒 強いて然諾【ぜんだく】し,寸心 終に自から疑う。

張陳 竟に火滅し,蕭朱 亦た星離す。

眾鳥は集榮柯にり,窮魚は枯池を守る。

嗟嗟 失權の客よ,勤めて問うも 何の規る所ぞ。

 

(現代語訳)

したがって、世わたりのみちには手の平をかえすようなことが多く、人の交際の道は平たんのように見えて、まことにけわしいものである。

一斗の酒をまえにおいて歓をまじ得るときにむりに「よろしい」とひきうけるということもあるが、方寸の心のうちでさいごには疑いをいだくということなのである。

漢の張耳と陳余は、はじめは刎頸の交わりを結んだが、その親しい交わりが、怒った陳余によって同盟は破棄され、火のきえた仲になってしまった、後漢の粛青と朱博は、非常に仲が良かったけれど、仕舞には仇敵となって、星のようにばらばらに離れた。

たくさんの鳥は日向に花の盛んにさいた枝に集まるものであり、それとは反対に、水のかれた池には、死にぞこないとか、追いつめられた魚が、そこを守っている。

ああ一度寵愛を失った居候よ、せっせとごきげんをうかがっても何をしようというのか。

安史の乱当時の勢力図

(訳注) #2

古風,五十九首之五十九

(この詩は、交道の全うからざることを歎じたもので、自分が天子からとおざけられ、栄辱、その処を易えた後は、昔親しかった友も、態度を変え、相手をしなくなったということを慨嘆したもの。)

この詩を古風の五十九での最後に置いたということは、そうしたことが人生において大きな問題であったということである。

世途多翻覆 交道方嶮
斗酒強然諾 寸心終自
張陳竟火滅 蕭朱亦星
眾鳥集榮柯 窮魚守枯
嗟嗟失權客 勤問何所

 

 

世途多翻覆,交道方嶮巇。

したがって、世わたりのみちには手の平をかえすようなことが多く、人の交際の道は平たんのように見えて、まことにけわしいものである。

○世途 世わたりの路。

○交道 交際の道。

○嶮巇 けわしい。

 

斗酒強然諾,寸心終自疑。

一斗の酒をまえにおいて歓をまじ得るときにむりに「よろしい」とひきうけるということもあるが、方寸の心のうちでさいごには疑いをいだくということなのである。

○斗酒 一斗の酒。多量の酒。

○然諾 人の頼みを「よし」と言って引受けること。

○寸心 一寸四方の心。小さいむねの中。

 

張陳竟火滅,蕭朱亦星離。

漢の張耳と陳余は、はじめは刎頸の交わりを結んだが、その親しい交わりが、怒った陳余によって同盟は破棄され、火のきえた仲になってしまった、後漢の粛青と朱博は、非常に仲が良かったけれど、仕舞には仇敵となって、星のようにばらばらに離れた。

○張陳 秦末漢初の張耳と陳余の二人。同郷の陳余が張耳に仕えており、まるで父子のようであったが、かつての藺相如と廉頗に倣ってお互いに首を斬られても良いという刎頸の交わりを結んだ。楚漢戦争が始まり、項羽を包囲するために各国と同盟を結んだ漢王劉邦だったが、趙と同盟を結ぶには実力者の陳余の承諾が必須だった。陳余は同盟の条件に憎き張耳の首級の差し出しを要求した。そこで劉邦は張耳に似た囚人を処刑し、その首を届けさせた。陳余は納得し漢と趙は同盟することとなった。だが、紀元前205年の彭城の戦いの際、張耳が生存していることが露見し、怒った陳余によって同盟は破棄された。戦いの結果は、韓信の背水の陣の計略により漢軍が勝利。陳余は戦死し趙歇も捕虜となり処刑された。

○蕭朱 後漢の粛育と朱博の二人。粛育と朱博は若い頃からの交友関係にあっ. たが、後に二人には隙が生じ、「故に世は交を以て難しと残す」とされている。また、紅陽侯王立は、一旦は淳子長と対立していたが、その後、 粛育を媒介にして淳子長とも関係があった朱博とも「相善」の仲になったりしている。

○星離 星のようにばらばらになる。

 

眾鳥集榮柯,窮魚守枯池。

たくさんの鳥は日向に花の盛んにさいた枝に集まるものであり、それとは反対に、水のかれた池には、死にぞこないとか、追いつめられた魚が、そこを守っている。

○榮柯 花のさいた枝。

○窮魚 進退きわまった魚。

 

嗟嗟失權客,勤問何所規。

ああ一度寵愛を失った居候よ、せっせとごきげんをうかがっても何をしようというのか。

○嗟嗟 なげいて発する声。

○失權 よろこびを失う。

○勤問 勤は、せっせと。間は訪問。敬意を表わす。

○規 はかる。

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作年:    757年至德二年57

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十九

 

 

古風,五十九首之五十九

(この詩は、交道の全うからざることを歎じたもので、自分が天子からとおざけられ、栄辱、その処を易えた後は、昔親しかった友も、態度を変え、相手をしなくなったということを慨嘆したもの。)

惻惻泣路岐,哀哀悲素絲。

むかし楊子は路のわかれめの所にくると、さめざめと泣いた。墨子は白い糸を見ると、ひどく歎き悲しんだ。

路岐有南北,素絲易變移。

それは何故かというと、路のわかれた所は、南へも北へも行けるので迷うし、白い糸はどんな色にも染まって変りやすいからである。

萬事固如此,人生無定期。

人間万事、何事も、もともとこんなもので、絶対に定まれる時期というものはなく、楊朱、墨翟が感嘆したのも尤もなことで、人生にはあてにできる事柄はないということなのだ。

田竇相傾奪,賓客互盈虧。

漢の武安侯田蚡と魏其竇嬰とはいずれも、外戚の親を以て、権柄を専らにし、はじめは賓客が竇嬰の方に集まり、次第に田蚡が勢いを強くするとそちらに多く集まったので、自然に賓客を奪い合ったというようになり、人情は月が満ち欠けするように定まらないものであるということなのだ。

#2

世途多翻覆,交道方嶮巇。

斗酒強然諾,寸心終自疑。

張陳竟火滅,蕭朱亦星離。

眾鳥集榮柯,窮魚守枯池。

嗟嗟失權客,勤問何所規。

 

古風,五十九首之五十九

惻惻として 路岐に泣き,哀哀として 素絲を悲しむ。

路岐れては 南北有り,素き絲は 變移し易し。

萬事 固より此の如く,人生 定期無し。

田竇【でんとう】相い傾奪し,賓客 互に盈虧【えいき】す。

#2

世途 翻覆多く,交道 方に嶮巇【けんぎ】。

斗酒 強いて然諾【ぜんだく】し,寸心 終に自から疑う。

張陳 竟に火滅し,蕭朱 亦た星離す。

眾鳥は集榮柯にり,窮魚は枯池を守る。

嗟嗟 失權の客よ,勤めて問うも 何の規る所ぞ。

 

 

 

『古風,五十九首之五十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十九

惻惻泣路岐,哀哀悲素絲。

路岐有南北,素絲易變移。

萬事固如此,人生無定期。

田竇相傾奪,賓客互盈虧。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十九

惻惻として 路岐に泣き,哀哀として 素絲を悲しむ。

路岐れては 南北有り,素き絲は 變移し易し。

萬事 固より此の如く,人生 定期無し。

田竇【でんとう】相い傾奪し,賓客 互に盈虧【えいき】す。

 

(現代語訳)

(この詩は、交道の全うからざることを歎じたもので、自分が天子からとおざけられ、栄辱、その処を易えた後は、昔親しかった友も、態度を変え、相手をしなくなったということを慨嘆したもの。)

むかし楊子は路のわかれめの所にくると、さめざめと泣いた。墨子は白い糸を見ると、ひどく歎き悲しんだ。

それは何故かというと、路のわかれた所は、南へも北へも行けるので迷うし、白い糸はどんな色にも染まって変りやすいからである。

人間万事、何事も、もともとこんなもので、絶対に定まれる時期というものはなく、楊朱、墨翟が感嘆したのも尤もなことで、人生にはあてにできる事柄はないということなのだ。

漢の武安侯田蚡と魏其竇嬰とはいずれも、外戚の親を以て、権柄を専らにし、はじめは賓客が竇嬰の方に集まり、次第に田蚡が勢いを強くするとそちらに多く集まったので、自然に賓客を奪い合ったというようになり、人情は月が満ち欠けするように定まらないものであるということなのだ。

李白図102 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十九

(この詩は、交道の全うからざることを歎じたもので、自分が天子からとおざけられ、栄辱、その処を易えた後は、昔親しかった友も、態度を変え、相手をしなくなったということを慨嘆したもの。)

この詩を古風の五十九での最後に置いたということは、そうしたことが人生において大きな問題であったということである。

惻惻泣路  哀哀悲素
路岐有南北  素絲易變
萬事固如此  人生無定
田竇相傾奪  賓客互盈

 

惻惻泣路岐,哀哀悲素絲。

むかし楊子は路のわかれめの所にくると、さめざめと泣いた。墨子は白い糸を見ると、ひどく歎き悲しんだ。

○惻惻泣路岐,哀哀悲素絲 「准南子」に見える話にもとづく。戦国時代の哲学者、楊子(楊朱)は、都会の大通りを見て、声をあげて泣いた。その道が、南へも行けるし、北へも行けるからであった。また同時代の哲学者、墨子(墨翟)は、白い糸を見て泣いたっその糸が、黄色にも、また黒にも染められるからであった。(墨子の方の話は「呂氏春秋」にも見える。)惻惻は、かなしみいたむさま。

 

路岐有南北,素絲易變移。

それは何故かというと、路のわかれた所は、南へも北へも行けるので迷うし、白い糸はどんな色にも染まって変りやすいからである。

 

萬事固如此,人生無定期。

人間万事、何事も、もともとこんなもので、絶対に定まれる時期というものはなく、楊朱、墨翟が感嘆したのも尤もなことで、人生にはあてにできる事柄はないということなのだ。

○定期 たしかにあてになること。

 

田竇相傾奪,賓客互盈虧。

漢の武安侯田蚡と魏其竇嬰とはいずれも、外戚の親を以て、権柄を専らにし、はじめは賓客が竇嬰の方に集まり、次第に田蚡が勢いを強くするとそちらに多く集まったので、自然に賓客を奪い合ったというようになり、人情は月が満ち欠けするように定まらないものであるということなのだ。

○田竇 武安侯田蚡と魏其竇嬰。ともに、漢の武帝の時の権力者。どちらも、天子の外戚であったが、竇嬰は魏其侯に封ぜられ、田蚡は武安侯に封ぜられ、相ついで武帝の宰相となった。はじめ、竇嬰に勢力のあったころは、天下の藩士や賓客は争って竇嬰のもとに集まったが、田蚡が策略をめぐらして宰相となると、勢利にさとい役人たちや士人は、みな竇嬰のもとを去って、田蚡についた。「史記」や「漢書」に二人の伝記がある。

○賓客 客分として抱えておく家来。食客。

○盈虧 月がみちたり、欠けたりする。
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58 《古風,五十九首之五十八》Index-38Ⅴ-1 759年乾元二年59歳832古風,五十九首之五十八我到巫山渚, <58> Ⅰ李白詩1221 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4653

(この詩は、李白が夜郎に遷謫せられるとき、その道すがら、巫山の下を過ぎる際、古を弔って作ったので、遊覧懐古の詩である。)私は三峡を遡って巫山県の巫山縣の汀邊に至り、やがて陽臺に登って、古をたずねた。

 
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作年:    759年乾元二年59

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十八

作地點:              巫山(山南東道 / 夔州 / 巫山)

 

 

古風,五十九首之五十八

(この詩は、李白が夜郎に遷謫せられるとき、その道すがら、巫山の下を過ぎる際、古を弔って作ったので、遊覧懐古の詩である。)

我行巫山渚,尋古登陽臺。

私は三峡を遡って巫山県の巫山縣の汀邊に至り、やがて陽臺に登って、古をたずねた。

天空綵雲滅,地遠清風來。

陽臺は千秋の艶跡として、人口に膾炙しているが、今来て見れば天宇空濶にして、彩雲の影だに無く、地は僻遠にして、唯だ江上から清風が吹き来たるだけである。

神女去已久,襄王安在哉。

神女の薦寝のことなど、その有無、実はその詳細は分かっておらず、また、仮にそうしたことがあったとして、既に歳月を経過しており、襄王は、今、もういないのだ。

荒淫竟淪替,樵牧徒悲哀。

但し、襄王も荒淫の跡と称する巫山の祠廟臺観などは、すべて荒廃し、木こりや牧童をして、いたずらに悲哀の情を催さしむるばかりである。

 

(古風,五十九首の五十八)

我 巫山の渚に到り,古しえを尋ねて陽臺に登る。

天は空しくして 綵雲滅し,地は遠くして 清風來る。

神女 去って已に久しく,襄王 安くにか在る哉。

荒淫 竟に淪沒,樵牧 徒らに 悲哀。

kishusankyomap

『古風,五十九首之五十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十八

我行巫山渚,尋古登陽臺。

天空綵雲滅,地遠清風來。

神女去已久,襄王安在哉。

荒淫竟淪替,樵牧徒悲哀。

 

(含異文)

古風,五十九首之五十八

我行巫山渚【我到巫山渚】,尋古登陽臺。

天空綵雲滅,地遠清風來。

神女去已久,襄王安在哉。

荒淫竟淪沒【荒淫竟淪替】,樵牧徒悲哀。

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十八)

我 巫山の渚に到り,古しえを尋ねて陽臺に登る。

天は空しくして 綵雲滅し,地は遠くして 清風來る。

神女 去って已に久しく,襄王 安くにか在る哉。

荒淫 竟に淪沒,樵牧 徒らに 悲哀。

 

(現代語訳)

(この詩は、李白が夜郎に遷謫せられるとき、その道すがら、巫山の下を過ぎる際、古を弔って作ったので、遊覧懐古の詩である。)

私は三峡を遡って巫山県の巫山縣の汀邊に至り、やがて陽臺に登って、古をたずねた。

陽臺は千秋の艶跡として、人口に膾炙しているが、今来て見れば天宇空濶にして、彩雲の影だに無く、地は僻遠にして、唯だ江上から清風が吹き来たるだけである。

神女の薦寝のことなど、その有無、実はその詳細は分かっておらず、また、仮にそうしたことがあったとして、既に歳月を経過しており、襄王は、今、もういないのだ。

但し、襄王も荒淫の跡と称する巫山の祠廟臺観などは、すべて荒廃し、木こりや牧童をして、いたずらに悲哀の情を催さしむるばかりである。

 

(訳注)

古風,五十九首之五十八

(この詩は、李白が夜郎に遷謫せられるとき、その道すがら、巫山の下を過ぎる際、古を弔って作ったので、遊覧懐古の詩である。)

 

我行巫山渚,尋古登陽臺。

私は三峡を遡って巫山県の巫山縣の汀邊に至り、やがて陽臺に登って、古をたずねた。

巫山・陽臺 宋玉《高唐賦》「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問玉曰:“此何氣也?”玉對曰:“所謂朝雲者也。”王曰:“何謂朝雲?”玉曰:“昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:'妾,巫山之女也。為高唐之客。閘君遊 4 。回唐,願荐枕席。」王因幸之。去而辭曰:「妾在巫山之陽,高丘之阻。曰一為行雲,暮為行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。」旦朝視之,如言。故為立廟,號曰朝雲。」王日:「朝雲始出,狀若何也?

昔、楚の襄王と宋玉 雲夢之台に遊び,高の觀に望む,其の上、獨り雲氣有り,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問うて玉曰く:“此れ何の氣ぞや?”玉 對えて曰く:“所謂 朝雲なる者なり。”王曰く:“何謂朝雲?”玉曰く:“昔、先王 嘗て高唐に遊び,怠って晝寢し,夢に一婦人を見る 曰く:'妾,巫山の女也。高唐の客と為り。君が遊 ぶを閘く。回唐,願わくば枕席を荐めん。」王 因って之を幸す。去って辭して曰く:「妾は巫山の陽,高丘の阻に在り。曰く一たび行雲と為り,暮には行雨と為る。朝朝暮暮,陽臺之下。」と。旦朝、之を視て,言の如し。故に為に廟を立てて,號して朝雲と曰う。」王日く:「朝雲 始めて出づ,狀 若何也?

楚雲 雲が男で女が雨で絡み合うというほどの意味だが、宋玉の「高唐の賦」宋玉『高唐賦』によると、楚の襄王と宋玉が雲夢の台に遊び、高唐の観を望んだところ、雲気(雲というよりも濃い水蒸気のガスに近いもの(か))があったので、宋玉は「朝雲」と言った。襄王がそのわけを尋ねると、宋玉は「昔者先王嘗游高唐,怠而晝寢,夢見一婦人…去而辭曰:妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨,朝朝暮暮,陽臺之下。」と答えた。「巫山之夢」。婉約の詩詞によく使われるが、千載不磨の契りといった感じのものではなく、もっと、気楽な契りをいう。

杜甫『水檻遣心二首』其の「蜀天常夜雨,江檻已朝晴。葉潤林塘密,衣幹枕席清。不堪支老病,何得尚浮名?淺把涓涓酒,深憑送此生。」楚の懐王が巫山の神女と夢のなかで交わった故事を連想させるが蜀では夜雨が降る。

水檻遣心二首其二 杜甫 成都(4部)浣花渓の草堂(4 - 13)  杜甫 <418>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2035 杜甫詩1000-418-601/1500

 李商隠『細 雨』「帷飄白玉堂、簟巻碧牙牀。楚女昔時意、蕭蕭髪彩涼。」(やわらかに風に翻るとばりは、白い玉の輝く堂を包んでいる。あるいは竹の敷物は、冷やかに碧く光る象牙の牀に拡げられている。巫山の神女はその身をささげたあの時の気持ちを秘めて今もいる、粛々と黒髪を一層色濃くし涼やかにしている。 

李商隠 7 無題(颯颯東風細雨來)

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細雨(瀟洒傍廻汀)  李商隠 紀頌之の漢詩ブログ李商隠特集-78

 

天空綵雲滅,地遠清風來。

陽臺は千秋の艶跡として、人口に膾炙しているが、今来て見れば天宇空濶にして、彩雲の影だに無く、地は僻遠にして、唯だ江上から清風が吹き来たるだけである。

 

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禽鳥の類は、宇宙の化育を受け、大は鵬より、下は斥鷃に至るまで、それ相応に、おのおの依託するところがある。ここに周周という鳥がいて、首は重く、尾が軽く、六翮をひらいてとぶことができないのはもともとに気の毒なことで、どんなに罪を犯して、このように生れついたのか。

 
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制作年:              760年上元元年60

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十七

 

古風,五十九首之五十七

(この詩は、禽鳥に託して、賢人同志で朝にあるものは、適切に野にあるものを吸引すべきものであるのに、今の朝廷でそうしている者はいない慨嘆の極みであると詠う。)

羽族稟萬化,小大各有依。

禽鳥の類は、宇宙の化育を受け、大は鵬より、下は斥鷃に至るまで、それ相応に、おのおの依託するところがある。

周周亦何辜,六翮掩不揮。

ここに周周という鳥がいて、首は重く、尾が軽く、六翮をひらいてとぶことができないのはもともとに気の毒なことで、どんなに罪を犯して、このように生れついたのか。

願銜眾禽翼,一向黃河飛。

その周周が水を飲むときには羽を銜えてもらって、それから川に臨むというので、必ず力あるものによるものと見える。しかし、この力あるものが、多くの周周共が羽を銜えてくれろと願っている間に、一向にそんなことに頓着せずして、直ちに黄河に向って飛び去ったならば、どうであろうか。

飛者莫我顧,歎息將安歸。

かくて飛び去ったものは、我が方を振り向こうともせず、そこで残ったものは嘆息の極み、どうしたらよいのかと、さまざまに思い煩っているが、どうにも仕方がない。

 

古風,五十九首之五十七   

羽族は萬化を稟【う】け,小大 各【おのお】の依る有り。

周周 亦た何の辜【つみ】,六翮【ろくかく】掩うて 揮【ふる】わず。

眾禽の翼を銜むを願いしに,一たび黃河に向って飛ぶ。

飛ぶもの 我を顧るなく,歎息 將に安にか歸らんとす。

 

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『古風,五十九首之五十七』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十七

羽族稟萬化,小大各有依。

周周亦何辜,六翮掩不揮。

願銜眾禽翼,一向黃河飛。

飛者莫我顧,歎息將安歸。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十七   

羽族は萬化を稟【う】け,小大 各【おのお】の依る有り。

周周 亦た何の辜【つみ】,六翮【ろくかく】掩うて 揮【ふる】わず。

眾禽の翼を銜むを願いしに,一たび黃河に向って飛ぶ。

飛ぶもの 我を顧るなく,歎息 將に安にか歸らんとす。

 

(現代語訳)

(この詩は、禽鳥に託して、賢人同志で朝にあるものは、適切に野にあるものを吸引すべきものであるのに、今の朝廷でそうしている者はいない慨嘆の極みであると詠う。)

禽鳥の類は、宇宙の化育を受け、大は鵬より、下は斥鷃に至るまで、それ相応に、おのおの依託するところがある。

ここに周周という鳥がいて、首は重く、尾が軽く、六翮をひらいてとぶことができないのはもともとに気の毒なことで、どんなに罪を犯して、このように生れついたのか。

その周周が水を飲むときには羽を銜えてもらって、それから川に臨むというので、必ず力あるものによるものと見える。しかし、この力あるものが、多くの周周共が羽を銜えてくれろと願っている間に、一向にそんなことに頓着せずして、直ちに黄河に向って飛び去ったならば、どうであろうか。

かくて飛び去ったものは、我が方を振り向こうともせず、そこで残ったものは嘆息の極み、どうしたらよいのかと、さまざまに思い煩っているが、どうにも仕方がない。

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

古風,五十九首之五十七

(この詩は、禽鳥に託して、賢人同志で朝にあるものは、適切に野にあるものを吸引すべきものであるのに、今の朝廷でそうしている者はいない慨嘆の極みであると詠う。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

羽族稟萬化,小大各有依。

禽鳥の類は、宇宙の化育を受け、大は鵬より、下は斥鷃に至るまで、それ相応に、おのおの依託するところがある。

羽族 禽鳥の類。

稟萬化 宇宙の化育を受け、大は鵬より、下は斥鷃に至るまで。

 

周周亦何辜,六翮掩不揮。

ここに周周という鳥がいて、首は重く、尾が軽く、六翮をひらいてとぶことができないのはもともとに気の毒なことで、どんなに罪を犯して、このように生れついたのか。

周周 首は重く、尾が軽い鳥。

六翮 力羽、翼の中に固く強く骨の役割をする六枚の羽をいう。

 

願銜眾禽翼,一向黃河飛。

その周周が水を飲むときには羽を銜えてもらって、それから川に臨むというので、必ず力あるものによるものと見える。しかし、この力あるものが、多くの周周共が羽を銜えてくれろと願っている間に、一向にそんなことに頓着せずして、直ちに黄河に向って飛び去ったならば、銅であろうか。

 

飛者莫我顧,歎息將安歸。

かくて飛び去ったものは、我が方を振り向こうともせず、そこで残ったものは嘆息の極み、どうしたらよいのかと、さまざまに思い煩っているが、どうにも仕方がない。
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56 《古風,五十九首之五十六》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳276古風,五十九首之五十六越客採明珠, <56> Ⅰ李白詩1219 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4643

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風その五十》の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

 
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制作年:              743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風その五十》の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

越客採明珠,提攜出南隅。

南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとより特別なもので、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの価値である。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越の人は、君王に献上したのであるが、あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出した。
魚目復相哂,寸心增煩紆。

魚の目は珠の形をしているが、なんの価値もないものである。しかるに、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって小人共の侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるのである。

 

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

pla0112 

『古風,五十九首之五十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十六

越客採明珠,提攜出南隅。

清輝照海月,美價傾皇都。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

魚目復相哂,寸心增煩紆。

 

(下し文)

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

(現代語訳)

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風その五十》の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

その真珠はもとより特別なもので、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの価値である。

そこで、この南越の人は、君王に献上したのであるが、あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出した。
魚の目は珠の形をしているが、なんの価値もないものである。しかるに、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって小人共の侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるのである。

 

安史期のアジアssH 

(訳注)

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、古風五十の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

 

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、古風五十の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだものと同様のものである。)

古風,五十九首之五十(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだもの)

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

越客採明珠,提攜出南隅。

南の南越の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、南隅のその国を出て都の上った。

越客 南越、今のヴェトナム。

南隅 南方のイメージをいう。

 

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとより特別なもので、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの価値である。

 

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越の人は、君王に献上したのであるが、あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出した。

獻君 君王に献上すること。

君按劍 あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付ける。

 

魚目復相哂,寸心增煩紆。

魚の目は珠の形をしているが、なんの価値もないものである。しかるに、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって小人共の侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるのである。

魚目 魚の目

寸心 方寸の心の中。

煩紆 頻りに思いは乱れる。

 安史の乱当時の勢力図

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李白  古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)  齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

李太白集巻一43

五十九首之五十五

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7480

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 
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-370-055巻一55 古風,五十九首之五十五 (齊瑟彈東吟,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-55

文體:

五言古詩

李太白集 

01-55

 

 

詩題:

古風,五十九首之五十五

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

制作年:              744年天寶三年    44

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十五

 

 

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

 

霓裳羽衣舞002 

『古風,五十九首之五十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(異文)

齊瑟彈東吟【齊瑟揮東吟】,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄【慷慨動顏色】,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴【瑤臺鳴玉琴】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

花蕊夫人002 

(現代語訳)

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

1 古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

2 齊瑟 瑟は25絃以上の大きい琴。『史記』「蘇秦伝」に臨淄(斉の首都)の豊かな生活を表現するため、臨淄の民で様々な楽器や遊戯を楽しまない者はいないとし、その中の一つに「鼓瑟(瑟を演奏する)」が出てくる。

曹植(曹子建) 《贈丁廙》 「魏詩秦箏發西氣,齊瑟揚東謳。」(秦箏【しんそう】西気を発し、斉瑟【せいしつ】東謳【とうおう】を揚ぐ。)秦の筝は西方の国のメロディーを流し西方の気分にしてくれる。斉の瑟をかなでると東方の国の歌を声を張り上げて歌うのだ。 

36曹植(曹子建) 《贈丁廙》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3106

3 東吟 東国の歌。

4 秦弦 秦の国から出た弦。

5 西音 西国の音律。魏文帝詩《東舞南歌》「齊倡發東舞,秦箏奏西音。有客從南來,為我彈清琴。」(齊倡 東舞を發き,秦箏 西音を奏る。客有り南從り來り,我が為に清琴を彈く。)とあるにもとづく。唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

 

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

6 慷慨 ① 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。② 意気が盛んなこと。また、そのさま。

7 顏魄 心顏。

 

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

8 佞邪 不正な心をもちながら、人にへつらうこと。また、その人。

9 婉孌 艶やかで、飛び切り美しい顔達。妖艶な顔。班固《漢書述哀記》曰「婉孌董公、惟亮天工」顔師古註 婉孌美貌。美貌。 《詩齊風甫田》: “婉兮孌兮, 總角丱兮。”

 

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

10 一笑 一笑千金【釋義】:美女一笑,價千金。形容美人一笑很難得。 【出處】:漢·崔駰《七依》:“回顧百萬,一笑千金。”白居易《長恨歌》眸一笑百眉生( 眸を廻めぐらして一笑すれば百眉ひゃくび生ずる。)

 

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

11 飛光 1日月、飛逝的光陰。 南朝  沈約 《宿東園》「飛光忽我遒, 豈止云暮。」(飛光忽ち我に遒る, 豈に止云暮。) 張銑の註に 飛光とは日月をいう也

 

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

12 紫霞客 霞を食するという仙人。

13 瑤臺 玉で飾った美しい高殿。仙人の住む所。淮南子·本經:「帝有桀紂,為琁室瑤臺象廊玉床。」 仙人居住的地方。

李白《巻四30清平調三首之一》(興慶宮での宴の模様を述べる)「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。)雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

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14 素琴 琴の素朴にして、金玉珍宝を飾りにしていないものをいう。

嵇康《幽憤詩》「習習谷風吹我素琴。」 素琴とは琴の素樸を謂う。金玉や珍寶を用いず、以て飾を為す者なり。

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あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。


 
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作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十四

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

倚劍登高臺,悠悠送春目。

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

晉風日已窮途方慟哭。

わたしは阮籍の悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

 

(古風,五十九首の五十四)

剣に劍って 高台に登り、悠悠として 春日を送る。

蒼榛は 層邸を蔽い、瓊草は 深谷に隠る。

鳳鳥は 西海に鳴き、集まらんと欲するも 珍木無し。

鸒斯は 居る所を得、蒿下に 万族を盈たす。

晋風 日は己にる、窮途 方に働突す。

 

安史の乱当時の勢力図

『古風,五十九首之五十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十四

倚劍登高臺,悠悠送春目。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

晉風日已窮途方慟哭。

 

倚劍登高臺,悠悠送春目。

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

晉風日已,窮途方慟哭。

【翩翩眾鳥飛,翔在珍木。群花亦便娟,榮耀非一族。歸來愴途窮,日暮還慟哭】

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十四)

剣に劍って 高台に登り、悠悠として 春日を送る。

蒼榛は 層邸を蔽い、瓊草は 深谷に隠る。

鳳鳥は 西海に鳴き、集まらんと欲するも 珍木無し。

鸒斯は 居る所を得、蒿下に 万族を盈たす。

晋風 日は己にる、窮途 方に働突す。

 

(現代語訳)

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

わたしは阮籍のの悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十四

〔この詩は、朝廷から下って随分経つが、悪風頽俗、日に甚だしく、殊に小人の跋扈しているのを謗ったものである。〕

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

倚劍登高臺,悠悠送春目。

剣をぶらさげて高台にのぼり、はるかに、はるかに、春のながめに目をあそばせる。

〇倚劍 六朝の江掩の詩に「倍剣臨八荒」とあり、李周翰の注によると、倍は佩、剣を腰にさげること。

○悠悠 遠くはるかなさま。

○送春目 謝朓の詩「遠近送春目」とあるのにもとづく。春の景色をながめわたす。

 

蒼榛蔽層丘,瓊草隱深谷。

あおあおとした雑草は、かさなった丘におおいかぶさり、うつくしい王に似た香草は、ふかい谷間にかくれている。

○蒼榛 あおあおと茂った雑草。

○瓊草 美しい玉のような香草。

 

鳳鳥鳴西海,欲集無珍木。

鳳凰は西の海に鳴いているが、とまろうと思っても、とまるべき珍しい木がない。

○鳳鳥 ほうおう。瑞鳥であり、掌にたとえる。

○珍木 珍しい木。鳳は、崑崙山上の珍木にとまるといわれている。

 

鸒斯得所居,蒿下盈萬族。

ところが、からすは、わがもの顔にのさばっており、よもぎの下に大勢のなかまがいっぱいいる。

○鸒斯 「爾雅」によると、鵯(ひよどり)ここでは小人にたとえる。

○蔦 よもぎ。

〇万族 たくさんのなかま。

 

晉風日已窮途方慟哭。

わたしは阮籍の悲しみを知ることができる。晋朝の風俗は、太陽がすでにくずれかたむいてゆくようであった。だからこそ、どんづまりの道で、大声をあげて泣いたのだ。

○晋風 晋朝の風俗。

〇日已 阮籍の詠懐詩に「灼灼西頽日、余光照我衣」とある。

○窮途 「晋書」の阮籍伝にみえる話。阮籍は、時に気が向くと、ひとりで馬軍にのって出かけたが、車が通れないところにぶっつかると、大声をあげて慟哭しながら引返したという。

○慟哭 悲しみのあまり、声をあげて泣くこと。

三国鼎立時代の勢力図


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実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 
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53 《古風五十九首之五十三》Index-32-7 753年天寶十二年53592古風,五十九首之五十三戰國何紛紛, <53> Ⅰ李白詩1216 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4628

 

 

作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十三

 

 

古風,五十九首之五十三

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

果然田成子,一旦殺齊君。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 

(古風,五十九首の五十三)

戰國 何ぞ紛紛たり,兵戈 浮雲亂る。

趙 兩虎の鬥に倚り,晉 六卿の分と為す。

姦臣 位を竊まんと欲し,黨を樹てて 自ら相い群る。

果然とす 田成子,一旦 齊君を殺す。

 春秋戦国勢力図

 

『古風,五十九首之五十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十三

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

果然田成子,一旦殺齊君。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十三)

戰國 何ぞ紛紛たり,兵戈 浮雲亂る。

趙 兩虎の鬥に倚り,晉 六卿の分と為す。

姦臣 位を竊まんと欲し,黨を樹てて 自ら相い群る。

果然とす 田成子,一旦 齊君を殺す。

 

(現代語訳)

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

 

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(訳注)

古風,五十九首之五十三

(この詩は詠史詩である。権勢であったものが下に移れば、人君の位置も危うく、ついに国家も滅亡するという意を逗露して、唐朝の失政(李林甫の横暴・玄宗の頽廃)を謗ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

戰國何紛紛,兵戈亂浮雲。

戦国はまことに紛々たる乱世であって戦争は絶え間なく、その勝敗は変化し、定まらないのは浮雲が乱れるようなものである。

 

趙倚兩虎鬥,晉為六卿分。

かくてまた、諸侯の国内において、権臣どもが互いに争っていた。趙には廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていたし、晋には事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされ、とうとう分割されてしまった。

兩虎鬥 廉頗と藺相如とは「刎頸の交わり」として固い信頼感家となったが初めは、互いに争っていた。「刎頸の交わり」(ふんけい まじわり)は中国の戦国時代に趙で活躍した藺相如と廉頗が残した故事。「刎頸の友」ともいう。『史記』原文には「刎頸(之)交」とある。「お互いに首を斬られても後悔しないような仲」という成語として用いられる。

晉為六卿分 春秋末期、晋は事実上、范氏・智氏・中行氏・趙氏・韓氏・魏氏の56家系(中行氏と智氏は、元々同じ荀氏。また、韓氏のみ公族)の当主によって動かされるようになった。この6家系は他の有力大夫を排除して、六卿を世襲するようになっていた。さらに出公のときに范氏、中行氏の領地を智、趙、韓、魏氏が分割しようとしたため、出公は怒り、斉や魯と同盟して四氏を討とうとしたが失敗し、斉へ亡命しようとしてその途中で亡くなったために(紀元前457年)、晋室は全く力を失った。

 

姦臣欲竊位,樹黨自相群。

そうすると、元来、奸臣が王位を竊()もうとするときは、党を樹立して自然に軍団としてゆくのが常であるが、そうなると国王は、孤立してやがて造反され殺害されるということになる。

 

果然田成子,一旦殺齊君。

実際に田成子は斉の田常が宰相となって徒党を組んで、斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とし、やがて、その君である簡公を弑し、曾孫の田和にいたって斉国をのっとり国王となった。これは、朝廷内の李林甫が朝廷を横暴化していることと同じで危ういことである。

田成子  〔田氏、斉をのっとる〕申午の日に、田常は、簡公を徐州で殺して、簡公の弟のゴウを立てた。これが平公である。平公が即位すると、田常が宰相となって斉の政権をもっぱらにし、斉の安平以東の地を割いて、田氏の封邑とした。

  平公の八年に、越が呉を滅ぼした。二十五年に、平公が死んだ。その子の宣公積が立った。宣公は五十一年に死んだ。その子の康公貸が立った。田会がリン丘で反乱を起こした。康公の二年に、韓・魏・趙が、はじめて諸侯に列した。十九年に、田常の曾孫の田和がはじめて諸侯となり、康公を海浜に遷した。二十六年に、康公が死んだ。かくて、呂氏はついに宗廟の祭祀を絶った。田氏が斉国をのっとり、威王(田和の孫)にいたって、天下の強国となった。

齊君 齊の簡公。


史記・齊世家「鴟夷子皮事田成子。田成子去齊,走而之燕,鴟夷子皮負傳而從。至望邑,子皮曰:“子獨不聞涸澤之蛇乎?澤涸,蛇將徙。有小蛇謂大蛇曰:'子行而我隨之,人以為蛇之行者耳,必有殺子者。子不如相銜負我以行,人必以我為神君也。
李白図102 

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(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの。人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。)

 
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作年:    728年開元十六年28

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十二

 

 

古風,五十九首之五十二

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの)

青春流驚湍,朱明驟回薄。

青春は、早瀬の波にしたがって、用意に流れ去り、朱明の夏もがぜんめぐりさってしって、やがて秋となった。

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

秋になれば西風に吹きまかれる転蓬を観ては飄颻として、いずこともなく飛んで行って、竟に託する所がないというのと似ている。

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿。

雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くはずの蘭惠も風雨が強ければ砕かれて形も香りもなくなり、白露が冷ややかに注いで、葵や豆の葉など、何時しか枯れ、万物、すべて凋落してしまうのである。

美人不我期,草木日零落。

人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。

 

古風,五十九首之五十二

青春 驚湍に流れ,朱明 驟【にわ】かに回薄。

秋蓬を看る忍びず,飄揚 竟に何くにか託する。

光風 蘭蕙を滅し,白露 葵藿【きかく】を洗う。

美人 我と期せず,草木日に 零落。

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『古風,五十九首之五十二』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,朱明驟回薄。

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿。

美人不我期,草木日零落。

(含異文)

青春流驚湍,朱明驟回薄【朱火驟回薄】。

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

光風滅蘭蕙,白露洗葵藿【白露委蕭藿】。

美人不我期,草木日零落。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十二

青春 驚湍に流れ,朱明 驟【にわ】かに回薄。

秋蓬を看る忍びず,飄揚 竟に何くにか託する。

光風 蘭蕙を滅し,白露 葵藿【きかく】を洗う。

美人 我と期せず,草木日に 零落。

 

(現代語訳)

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの)

青春は、早瀬の波にしたがって、用意に流れ去り、朱明の夏もがぜんめぐりさってしって、やがて秋となった。

秋になれば西風に吹きまかれる転蓬を観ては飄颻として、いずこともなく飛んで行って、竟に託する所がないというのと似ている。

雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くはずの蘭惠も風雨が強ければ砕かれて形も香りもなくなり、白露が冷ややかに注いで、葵や豆の葉など、何時しか枯れ、万物、すべて凋落してしまうのである。

人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。

太白山001 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十二

(この詩は、歳月人を待たず、折角優秀な芸才を持っていても、老いては、とかく、世に棄てられるもので、これを傷んだもの)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

詠史詩

 

青春流驚湍,朱明驟回薄。

青春は、早瀬の波にしたがって、用意に流れ去り、朱明の夏もがぜんめぐりさってしって、やがて秋となった。

青春 五行思想で青は東、春の盛りをいう。

驚湍 早瀬。王維、輞川集・欒家瀨(13) 颯颯秋雨中、浅浅石溜瀉。波跳自相濺、白鷺驚復下。」 颯颯(さつさつ)たる秋雨(しゅうう)の中(うち)、浅浅(せんせん)として石溜(せきりゅう)に瀉ぐ。波は跳(おど)って自(おのずか)ら相い濺(そそ)ぎ、白鷺(はくろ)は驚きて復()た下(くだ)れり。
朱明 五行思想で、南、夏のこと。

川集 20首     もうせんしゅう




1孟城幼 もうじょうおう

2華子岡 かしこう

3文杏館ぶんきょうかん

4斤竹嶺 きんちくれい

5鹿柴   ろくさい 

6木蘭柴 もくらんさい

7茱萸拌 しゅゆはん

8宮塊陌 きゅうかいはく

9臨湖亭 りんこてい

10南 陀 なんだ

11欹 湖 いこ

12柳 浪 りゅうろう

13欒家瀬らんからい

14金屑泉 きんせつせん

15白石灘はくせきたん

16 陀 ほくだ

17竹里館 ちくりかん

18辛夷塢 しんいお

19漆 園 しつえん

20椒 園 しょうえん


回薄 めぐりせますこと。

 

不忍看秋蓬,飄揚竟何託。

秋になれば西風に吹きまかれる転蓬を観ては飄颻として、いずこともなく飛んで行って、竟に託する所がないというのと似ている。

秋蓬 秋になって蓬が枯れること。秋風が吹きつけることで根が切れぬけて轉蓬となる。

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光風滅蘭蕙,白露洗葵藿。

雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くはずの蘭惠も風雨が強ければ砕かれて形も香りもなくなり、白露が冷ややかに注いで、葵や豆の葉など、何時しか枯れ、万物、すべて凋落してしまうのである。

光風 雨がやみ、日が出て、風が吹いて草木が生き生きとして光り輝くこと。

蘭蕙 ともに蘭の香草で、一茎一花を蕙といい、一茎多花を蘭という。

葵藿 薬用あおい、藿は豆の苗、葉っぱで食用にする。

 

美人不我期,草木日零落。

人もまたこの通りであり、たとえ、才徳があるといっても、明君に出会わなければ、到底登用される機会はなく、草木の日々に零落すると同じに、やがて老いさらばえて、恨んで死んでいくことになるのである。容姿端麗であっても、芸に秀でても、才徳があっても登用という機会がなければどうしようもないのである。

美人 ここでは、時の君、明君のこと。一般的には妓女をいう。
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51 《古風五十九首之五十一》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳591古風,五十九首之五十一殷后亂天紀, <51> Ⅰ李白詩1214 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4618

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

 
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51 《古風五十九首之五十一》Index-32-7 753年天寶十二年53591古風,五十九首之五十一殷后亂天紀, <51> Ⅰ李白詩1214 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4618

 

 

作年:    753年天寶十二年53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十一

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

殷后亂天紀,楚懷亦已昏。

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

夷羊滿中野,菉葹盈高門。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

比干諫而死,屈平竄湘源。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

虎口何婉孌,女空嬋媛。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

彭咸久淪沒,此意與誰論。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

 

(古風,五十九首の五十一)

殷后 天紀を亂し,楚懷 亦た已に昏し。

夷羊 中野に滿ち,菉葹【りょくし】高門に盈つ。

比干は 諫めて死し,屈平は湘源に竄す。

虎口 何ぞ婉孌【えんれん】たる,女【じょしゅ】空しく嬋媛【せんえん】

彭咸 久しく淪沒,此の意 誰れと論ぜん。

 

rihakustep足跡 

古風,五十九首之五十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十一

殷后亂天紀,楚懷亦已昏。

夷羊滿中野,菉葹盈高門。

比干諫而死,屈平竄湘源。

虎口何婉孌,女空嬋媛。

彭咸久淪沒,此意與誰論。

 

(下し文)

(古風,五十九首の五十一)

殷后 天紀を亂し,楚懷 亦た已に昏し。

夷羊 中野に滿ち,菉葹【りょくし】高門に盈つ。

比干は 諫めて死し,屈平は湘源に竄す。

虎口 何ぞ婉孌【えんれん】たる,女【じょしゅ】空しく嬋媛【せんえん】。

彭咸 久しく淪沒,此の意 誰れと論ぜん。

 

(現代語訳)

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

 

李白図102 

(訳注)

古風,五十九首之五十一

(この詩は、殷・楚の末運より、比干・屈原の事、および、忠貞の思いが、世に容れられず、空しく禍にかかったことを李白は自分の佳形に照らして時事に感じたことを詩に詠った。)

 

殷后 亂天紀,楚懷 亦已昏。

殷の紂王は天の綱紀をみだしたし、楚の懐王もまた昏愚であったために、二君ともに、どの国をうしなうこととなった。

殷后 后は君、紂をしめす。

天紀 天の綱紀。

 

夷羊 滿中野,菉葹 盈高門。

殷の紂王の末年には、夷羊という神獣が牧野に現れ、殷の紂王が、後にここに敗軍する兆を示したし、海王の時は菉葹などの悪草に比すべき、小人が朝廷に満ちて、しきりに権力を振るっていた。

夷羊 「神獣の夷羊、商のまさに亡びんとするや、商郊牧野の地にあらわる。」とある。

菉葹 部屋の中に生えてきた草、菉(かりやす)・葹(おなもみ)のような雑草、人にとって悪い草ということ。屈原《楚辞・離騒》「薋菉葹以盈室兮,判獨離而不服。」(薋菉葹を以て室を盈たすに,判獨離而不服 判として獨り離れて服せず。)(はまびし)・菉(かりやす)・葹(おなもみ)のような雑草は部屋に満ちているのにただひとり離れてそれを身につけぬとは

薋菉葹以盈室兮,判獨離而不服衆不可戸説兮,孰云察余之中情世竝舉而好朋兮,夫何煢獨而不予聽。

 

比干 諫而死,屈平 竄湘源。

こうして、比干は殷の紂王を諌め、あまりはげしくやったので、ついに胸を裂かれて死んでしまい、屈原は、折角の才芸が累をなし、同僚の上官太夫に讒言を以て、とうとう湘江のほとりに放逐されてしまったのである。

比干 殷(いん)王朝の人。紂(ちゅう)の叔父。淫乱な紂王を諫(いさ)めたため、紂王に胸を裂かれて殺された。箕子(きし)・微子とともに殷の三仁と称される。

屈平 屈原のこと。(くつげん、紀元前343121日頃 - 紀元前27855日頃)は、中国戦国時代の楚の政治家、詩人。姓は羋、氏は屈。諱は平または正則。字が原。春秋戦国時代を代表する詩人であり、政治家としては秦の張儀の謀略を見抜き踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して入水自殺した。

湘源 湘江の上流を指す。

 

虎口 何婉孌,女 空嬋媛。

比干は虎口におちいるも顧みず、ひたすらその君を顧慕し、つかの間も忘れず、そのために、覚えず極諫したのであるし、屈原は、その姉の女嬃に引き留められ、あまり正直にするのは身のためにならないから、少しは、控えめにせよと、酷く叱られた。賢者の心は、世俗の人にわからず、かえって、その諸行を否定される位である。

虎口 ①《恐ろしい虎の口の意》非常に危険な所、また、危険な状態のたとえ。危機。虎穴。②城郭における出入り口のことで、「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。「虎口(ここう)」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味する。

婉孌 顧慕。“慕う”、“従う”、美しいことの形容。

 母のことを姐(しゃ)といい、巫女(神に仕える女)の長を女(じょしゅ)という。 姉・姐・女というのは同じ系列の語で、それぞれの地位・身分をあらわすものであろう。ここでは、屈原に生き方の助言をした姉ということとされている。

嬋媛 【せんえん】あでやかで美しいさま。優美であるさま。「暮れんとする春の色の、―として、しばらくは冥邈(めいばく)の戸口をまぼろしに彩どる中に」〈漱石・草枕〉

 

彭咸 久淪沒,此意 與誰論。

顧みれば、彭咸のような賢人は、没して既に久しく、この忠義の心をだれと共に論ずればよいのか、今の世には、それができる人物が全くいないのだから仕方がないということだ。

彭咸 殷の賢明な臣下で、君主を諫めたが聞き入れられず、ために入水する。或いは、巫、みこの名。水に身を投げて入水し、水神となる。

 

《楚辭・離騷》 屈原

帝高陽之苗裔兮,  朕皇考曰伯庸。

攝提貞于孟陬兮,  惟庚寅吾以降。

 

皇覽揆余初度兮,  肇錫余以嘉名。

名余曰正則兮,    字余曰靈均 。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

           (中略)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

亂曰:

已矣哉!

國無人莫我知兮,    又何懷乎故都?

既莫足與爲美政兮,  吾將從彭咸之所居!

 

(離騷)

 

帝 高陽の苗裔にて ,朕(わ)が皇考は 伯庸と 曰(い)ふ。

攝提孟陬に貞(あた)りて,惟れ 庚寅(かのえとら)に吾れ以って降(うま)る。

皇(ちち)覽ずるに余の初めて度すを揆(はか)りて,肇(はじ)めて余に錫(たま)ふに 嘉名を以てす。

余に 名づけて正則と曰(い)ひ,余に 字(あざな)して 靈均と 曰(い)ふ 。

・・・・・・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・・・・

 亂に曰く:

 已矣哉(やんぬるかな)!

 國に人 無く 我を 知るもの莫し, 又 何ぞ 故都を 懷しまんや?

 既に 與に 美政を爲すに 足るもの  莫し,吾れ將に彭咸に從ひて居す所に之(ゆ)かん!
 Nature1-011

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この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 
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制作年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              梧臺 (河南道 青州 臨淄)    

李白図102 

 

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 

古風,五十九首之五十

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

rika03

 

『古風,五十九首之五十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

 

(含異文)           

宋國梧臺東,野人得燕石【宋人枉千金,去國買燕石】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

 

(現代語訳)

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

 

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之五十

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだもの)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

宋國梧臺東,野人得燕石。

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

宋國梧臺東,野人得燕石 宋の愚人、燕石を梧臺の東()に得て、西に帰ってこれを蔵し、以て大寶となす。周の客聞いてみる。主人斉すること七日、 端冕玄服、以て大寶となす。十重,巾十。客これを見て、首を傾げ、口を覆い、盧胡して笑って曰く「これ、燕石なり、瓦甓と异ならず。主人大いに怒って曰く「商買の言、醫匠のこころなり。」と。これを蔵すること、愈々固し。」とある。

燕石は 燕山所的一种似玉的石亦称"燕珉"不足珍之物とされる。

この二句は、《太平御》卷五十一子》曰:宋之愚人得燕石于梧台之西藏之以大宝。周客焉。主人端冕玄服以宝,华匮十重,巾十。客之,胡而笑曰:「此燕石也,与瓦甓不异。」主人大怒,藏之愈固。

 

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

趙王璧 楚の卞和の璧で、後に趙王の手に還したとされる。

 

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

緇磷 少しの傷もなく、その上光明であること。

 

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

玉與珉 礼記に「君子、玉を貴んで、珉を賤む。珉は石、玉に似て非なり。」とある。

 春秋戦国勢力図

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唐の宮女この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。


 
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製作年:743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十九

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之四十九

(宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められることをいう。)

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しいのだ。

皓齒終不發,芳心空自持。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ったことがないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、たえず、何かを悩んでいるのだ。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が集められていて、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っている。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

 

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

 

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『古風,五十九首之四十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十九

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

皓齒終不發,芳心空自持。

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十九)

美人 南國にず,灼灼たる芙蓉の姿。

皓齒 終に發かず,芳心 空しく自ら持す。

由來 紫宮の女,共に青蛾眉を妒む。

歸り去れ 瀟湘の沚【なぎさ】,沈吟 何んぞ悲むに足らん。

 

(現代語訳)

(宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められることをいう。)

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しいのだ。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ったことがないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、たえず、何かを悩んでいるのだ。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が集められていて、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っている。

この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

大明宮-座標02 

(訳注)

古風,五十九首之四十九

宮女の生き方、寵愛を受けるために陰湿な戦いを行うが、朝廷内におけるのも同様な陰湿な陰謀、讒言により貶められることをいう。)

詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比した《古風,五十九首之四十四》と同じように、美人、草木を借りて、美人ゆえの妬み、能力あるが故の讒言、を詠ったものである。

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

 

美人出南國,灼灼芙蓉姿。

南国に生れた美人は、灼灼たる芙蓉の花が新たに水を得たようで極めて鮮やかに、且つ美しいのだ。

美人 宮女、宮妓、あるいは、妓女をいうが、ここでは、唐の「内官」制度の規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、姪好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した宮女達の総称としていったものである。

南國 江南、瀟湘、越の国に美人が多いとされる。李白は西施、はじめ越多く取り上げている

李白10  採蓮曲

淥水曲  李白 11

越女詞 五首 其一 李白12

越女詞 五首 其の二 李白13

越女詞 五首 其三 李白14-3

越女詞 五首 其四

越女詞五首 其五

2)西施ものがたり  李白がよく取り上げた題材

李白18 相逢行 19  階怨

李白20 辺塞詩 (春思、秋思)

李白22 子夜呉歌 春と夏

李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

 

皓齒終不發,芳心空自持。

こんなにも美しい女が天子の愛寵を得ているのなら、どんなにか楽しいことかと思うのであるが、白い歯を出して笑ったことがないというし、芙蓉に比べられても見劣りしない芳心を空しく持っているばかりで、たえず、何かを悩んでいるのだ。

皓齒 笑った時の白い歯。

不發 花が開かないこと、ここでは笑わないので口が開かないことをいう。

 

由來紫宮女,共妒青蛾眉。

昔から後宮の宮女たちは、特に優れたる美人が集められていて、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っている。

由來 昔から後宮の宮女たちは、中国全土から、特に優れたる美人が集められていて、死ぬまで、天子の寵愛を受けることだけのために生活をさせられる。

紫宮女 天帝の後宮で天帝の住まう紫微宮(しびきゅう)を文字っている。宮女をいう。

共妒 嫉妬の競争、天子の寵愛を受けることだけを考えて競い合っている、嫉妬、讒言、陰謀によって寵愛を維持しようと排斥し合っていることをいう。

青蛾眉 特に若くて優れたる美人、若くない年を重ねた美人は競争には勝てないからあきらめて生活する。

 

歸去瀟湘沚,沈吟何足悲。

この宮女は、召されて後宮に入ったもののとても陰湿に競い合う嫉妬が過ぎるため、この生活に堪えきれぬと、最早きっぱりと断念して故郷の瀟湘の水のほとりに帰りたいと思っているけれど、いくら沈吟して、くよくよ思い悩んだとしても今さら仕方のないことなのである。

 

 

唐の宮女

 

1.  唐の宮女の規定『内職』について

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬢、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完璧で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬢(昭儀、昭容、昭嬢、修儀、修容、修嬢、充儀、充容、充媛各一人)、姪好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で一二二人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬢」 - 皇帝の妾とされ

た。

 

2.   皇太子の東宮にも「内官」

また、皇太子の東宮にも「内官」 があり、太子妃一人、その下に良妹、良嬢、承徴、昭訓、奉儀などの晶級があった。諸親王の王妃の下にも清人等の腱妾の身分があった。

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嬢が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には睾皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、実績、孫嬢、雀嬢、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭捷好、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、過度妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高捷好、柳捷好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嬢がたしかに最も多かったようである。

 

3.   後宮の宮女たちの選抜と出身

唐代の皇帝たちは、後宮の女性を選抜したり寵愛したりするのに、あまり尊卑貴職を気にかけなかったが、彼女たちに地位・晶級を賜る時には家柄をたいへん重視した。とりわけ皇后に立てる時には絶対に家柄が高貴でなければならず、「天下の名族を厳選」しなければならなかった(『資治通鑑』巻一九九、高宗永徴六年)。漢代に歌妓の衛子夫(武帝の皇后。もと武帝の姉の歌妓)や舞妓の超飛燕(成帝の皇后。もと身なし児で歌妓)が皇后になったようなことは、唐代には完全に跡を絶った。后妃に封ずる時は、まず「地肖清華」(家柄の高貴)、「軒冤之族」(貴顕なる名族)等々の出身であることが強調され、その次にやっと徳行が問われた。

 

唐代の記録にある二十六人の皇后の内、死後追贈された人、あるいは息子の即位によって尊ばれて太后に封ぜられた人、こうした若干の例外を除く他の大多数の皇后は、その時代の高官か名門の家柄の出であり、そのうちの八人はやはり皇族の出身であった。時に皇帝が家柄などにそう拘泥しないこともあったが、しかし大臣たちが家柄を最も有力な理由にして反対したので、皇帝でさえどうすることもできなかった。武則天の父は若い頃商人であったが、建国後に高い地位に上り、格の低い名もなき家柄とはいえなかったけれども、武則天を皇后に立てることに反対した大臣たちはやはり、彼女の「門地は、実に微賎である」と攻撃した(『資治通鑑』巻二〇三、則天后光宅元年)。一方、高宗が努めて衆議を排して彼女を皇后にしようと議した時にも、また懸命になって「家門は勲庸(勲功)著しい」とか、「地位は櫻献(冠帯と印綬)ともに華である」(『資治通鑑』巻二〇〇、永徴六年)などと強調した。武宗の王賢妃はたいへんな寵愛を受け、また武宗が即位する際に大きな功績もあったので、武宗は彼女を皇后にしようとした。しかし、大臣たちは「子が無く、また家柄も高貴ではない。恐らく天下の議を話すことになろう」といって反対したので、ついに出身が下賎ということで皇后にできなかった。皇帝でさえ名門の女性を皇后に立てるという原則に逆らえなかったことが分かる。

名門出身という、この資本がなかったならば、たとえ皇帝の寵愛をほしいままにしたり、皇子を早く生んだとしても、ただ死後に称号を追贈されるか、子が即位して始めて正式に太后になることが許されたのである。

 

唐代の皇后の内、四、五人は低い家柄の出身であった。たとえば、粛宗の呉后は、罪人の家族として宮中の下婦にされた人であり、憲宗の鄭后、珍宗の斎后はともに侍女の出であり、両者とも生んだ子が即位して始めて尊ばれて太后になることができた。

  皇后を立てることに比べて、妃嬢を立てることはわりあい簡単であり、家柄はそれほど厳格に問題にされることはなかった。彼女たちの大半は皇子を生むか、あるいは寵愛を受けたために妃嬢の晶階を賜った者であったから、その中には身分の低い者もいくらか含まれていた。たとえば、玄宗の超麗妃は歌妓の出身であった。そうした例もあるが、しかし妃嬢でも出身、家柄はやはり大切であった。太宗の楊妃は隋の場帝の娘であったから、「地位と名望が高く、内外の人々が皆注目した」(『新唐書』太宗諸子伝)。玄宗の柳捷好は名門大族の娘であり、玄宗は「その名家を重んじて」(『新唐書』十一宗諸子伝)特別な礼遇を与えた。

   美人が雲のごとく集まっている後宮において、家柄は一頭地を抜くために必要な第一の跳躍台であった。

 

 

4.   政治闘争に巻き込まれる

富貴、栄達、優閑、快適 - 彼女たちは、こうした人の世のすべての栄耀栄華を味わい尽したのであるから、唐代に生きた多くの女性たちの中では幸運な人々といわざるをえない。しかしながら、彼女たちにもまた彼女たちなりの不幸があった。彼女たちの運命は極めて不安定であり、一般の民間の女性に比べると、より自分の運命を自分で決める力がなかった。なぜなら、彼女たちの運命はきわめて政治情勢の衝撃を受けやすかったからであり、またその運命は最高権力者の一時の寵愛にすべて係っていたからである。

『新・旧唐書』の「后妃伝」に記載されている三十六人の后妃のうち、意外なことに十五人は非命の最期をとげている。二人は後宮で皇帝の寵愛を争って死に、二人は動乱のなかで行方不明となり、一人は皇帝の死に殉じて自殺し、一人は皇太后として皇帝から罪を問われて死んだ。その他の九人はすべて政治闘争、宮廷政変で死に、そのうちの三人は朝廷の政治に関与して政敵に殺され、残りの六人は罪もないのに政争の犠牲となった。

 

5.   天子の寵愛を失う

彼女たちの第二の脅威は、皇帝の寵愛を失うことに外ならない。大多数の后妃と皇帝との結婚は、事実上政略結婚であり、もともと皇帝の愛情を得たのではなかった。何人かの后妃は容姿と技芸の才能によって、あるいは皇帝と難難を共にしたことによっ々寵愛を受けた。しかし、いったん時が移り状況が変化したり、また年をとってくると、容色が衰えて寵愛が薄れるという例えどおり、佳人、麗人が無数にいる宮廷で自分の地位を保持することはきわめて難しかった。

 

王皇后と玄宗は難難を共にした夫婦であり、彼女は玄宗が行った韋后打倒の政変に参与した。しかし武恵妃が寵愛を一身に集めた後には、しだいに冷遇されるようになった。彼女は皇帝に泣いて訴え、昔難難を共にした時の情愛を想い出してほしいと願った。玄宗は一時はそれに感動したが、結局やはり彼女を廃して庶民の身分に落してしまった。境遇がちょっとマシな者だと、后妃の名が残される場合もあったが、それ以後愛情は失われ、後半生を孤独と寂実の中に耐え忍ばねばならなかった。また、彼女たちの運命は、ひどい場合は完全に皇帝の一時的な喜怒哀楽によって決められた。武宗はかつて一人の妃嬢に非常に腹を立てたことがあった。その場に学士の柳公権がいたので、皇帝は彼に「もし学士が詩を一篇作ってくれるなら、彼女を許してやろう」といった。柳公権が絶句を一首つくると、武宗はたいそう喜び、彼女はこの災難を逃れることができた(王走保『唐掟言』巻一三)。しかし、皇帝から廃されたり、冷遇されただけの者は、まだ不幸中の幸いであったように思う。最悪の場合は生命の危険さえあった。高宗の王皇后と斎淑妃の二人は、武則天と寵愛を争って一敗地に塗れた。

この二人の敗北者は新皇后の階下の囚人となり、それぞれ二百回も杖で打たれてから手足を切断され、酒瓶の中に閉じ込められた後、無惨に殺された。

 

6.   皇帝の死去

后妃にとって、最後の脅威は皇帝の死去である。これは皇帝の付属品である后妃たちが、いっさいの地位と栄誉の拠り所を失うことを意味した。一つだけ例外がある。つまり子が皇帝に即位した場合で、「やんごとなき夫の妻」から、「やんごとなき子の母」 へと転じることができた。少なくとも子のある妃嬢はちょっとした地位を保つことができたが、子のない妃嬢たちは武則天のように仏寺に送られて尼にされるか、あるいは寂しく落ちぶれて後宮の中で生涯を終えた。たとえ太后といぅ至尊の地位に登っても、新皇帝の顔色を窺わねばならなかった。憲宗の郭皇后は郭子儀の孫娘にあたり、公主を母に持ち、また穆宗の母となり、敬宗、文宗、武宗の三皇帝の祖母にあたる女性であったから、人々は唐朝の后妃のなかで「最も高貴」な方と呼んだ。しかし、宣宗が即位(八四七年)すると、生母の鄭太后はもともと郭太后の侍女であり、かねてから怨みをもっていたため、郭太后を礼遇しなかった。それで郭太后は鬱々として楽しまず、楼に登って自殺しょうとした。宣宗はそれを聞くと非常に怒った。郭太后はその夜急に死んでしまったが、死因はいうまでもなく明らかであろう。

48 《古風五十九首之四十八》Index-26Ⅳ-1 747年天寶六年47歳467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> Ⅰ李白詩1211 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4603

九州から人夫を募集して、石を海中に投じ、そこに橋を造りかけるところまでうまくいかず、負傷者が多く出たのである。ただ、そこから、蓬莱山の神仙三島にあるという長生不死の仙藥をしきりにもとめて、春になって農業を奨励するなどと言うことは少しも念頭になかったのである。

 
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48 《古風五十九首之四十八》Index-26-1 747年天寶六年47467古風,五十九首之四十八秦皇按寶劍, <48> Ⅰ李白詩1211 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4603

 

 

作年:747年天寶六年47

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十八

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李白index- 26 《747年天寶六年47歳 春、揚州金陵,月当塗、丹陽横山に隠れる。後、溧陽、金陵、兗州に帰り年を越》1097kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4033 

46

17

 

 

古風,五十九首之四十八

(この詩は、古風,五十九首 其三で見た秦の始皇帝は、絶対英主であったものを詠ったものである。)

秦皇按寶劍,赫怒震威神。

秦の始皇帝は、絶対英主であって、赫怒して神威を振るい、天下ことごとく僣服した。

逐日巡海右,驅石駕滄津。

それから四方端まで巡行し、日を遂うて、次第に東海の岸を通り、日のいずるところまで橋をかけて、そこへ行ってみたいと思う。

徵卒空九宇,作橋傷萬人。

そのために、九州から人夫を募集して、石を海中に投じ、そこに橋を造りかけるところまでうまくいかず、負傷者が多く出たのである。

但求蓬島藥,豈思農雇春。

ただ、そこから、蓬莱山の神仙三島にあるという長生不死の仙藥をしきりにもとめて、春になって農業を奨励するなどと言うことは少しも念頭になかったのである。

力盡功不贍,千載為悲辛。

国の力は疲弊して、それら一つも成功せず、やがて始皇帝が崩御すると、間もなく、秦も滅亡してしまったので、それ以来千年も経過しても、不老長寿に大きな変化はなく、人をして悲辛の念に堪えられないということなのだ。

(古風,五十九首の四十八)

秦皇 寶劍を按じ,赫怒 威神を震う。

日を逐うて海右を巡り,石を驅って滄津を駕す。

卒を徵して九宇を空しうし,橋を作って萬人を傷く。

但だ 蓬島の藥を求め,豈に農雇の春を思わんや。

力盡きて 功 贍【にぎわ】はず,千載 為に悲辛。

春秋戦国勢力図 

 

『古風,五十九首之四十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十八

秦皇按寶劍,赫怒震威神。

逐日巡海右,驅石駕滄津。

徵卒空九宇,作橋傷萬人。

但求蓬島藥,豈思農雇春。

力盡功不贍,千載為悲辛。

(含異文)           

秦皇按寶劍,赫怒震威神。逐日巡海右,驅石駕滄津【驅石架滄津】。

徵卒空九宇,作橋傷萬人。但求蓬島藥,豈思農雇春。力盡功不贍,千載為悲辛。

 

(下し文)

(古風,五十九首の四十八)

秦皇 寶劍を按じ,赫怒 威神を震う。

日を逐うて海右を巡り,石を驅って滄津を駕す。

卒を徵して九宇を空しうし,橋を作って萬人を傷く。

但だ 蓬島の藥を求め,豈に農雇の春を思わんや。

力盡きて 功 贍【にぎわ】はず,千載 為に悲辛。

 

(現代語訳)

(この詩は、古風,五十九首 其三で見た秦の始皇帝は、絶対英主であったものを詠ったものである。)

秦の始皇帝は、絶対英主であって、赫怒して神威を振るい、天下ことごとく僣服した。

それから四方端まで巡行し、日を遂うて、次第に東海の岸を通り、日のいずるところまで橋をかけて、そこへ行ってみたいと思う。

そのために、九州から人夫を募集して、石を海中に投じ、そこに橋を造りかけるところまでうまくいかず、負傷者が多く出たのである。

ただ、そこから、蓬莱山の神仙三島にあるという長生不死の仙藥をしきりにもとめて、春になって農業を奨励するなどと言うことは少しも念頭になかったのである。

国の力は疲弊して、それら一つも成功せず、やがて始皇帝が崩御すると、間もなく、秦も滅亡してしまったので、それ以来千年も経過しても、不老長寿に大きな変化はなく、人をして悲辛の念に堪えられないということなのだ。

 

banri03 

(訳注)

古風,五十九首之四十八

(この詩は、古風,五十九首 其三で見た秦の始皇帝は、絶対英主であったものを詠ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

index-26-1-#1 《古風五十九首之三》Ⅳ-1 747年天寶六年47歳 464<index-26-1-#1> Ⅰ李白詩1145 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4273

 

 

秦皇按寶劍,赫怒震威神。

秦の始皇帝は、絶対英主であって、赫怒して神威を振るい、天下ことごとく僣服した。

威神 神の威光。神の威力。神威とおなじ。

 

逐日巡海右,驅石駕滄津。

それから四方端まで巡行し、日を遂うて、次第に東海の岸を通り、日のいずるところまで橋をかけて、そこへ行ってみたいと思う。

海右 海の西岸。東海に面する岸のこと。

驅石 「始皇帝、石橋を造り、海を過ぎて、日の出国をみむと欲す神ひとあり、能く石を駆て海に下す。陽城の十一山、石ことごとく起立し、巍巍東に傾いて、相従って行く状の如し。石去ること速やかなら坐れば、神輒これを鞭うち、石、皆血を流す。」

駕 架けるに同じ。

滄津 大海。滄海。

 

徵卒空九宇,作橋傷萬人。

そのために、九州から人夫を募集して、石を海中に投じ、そこに橋を造りかけるところまでうまくいかず、負傷者が多く出たのである。

九宇 九州。

 

但求蓬島藥,豈思農雇春。

ただ、そこから、蓬莱山の神仙三島にあるという長生不死の仙藥をしきりにもとめて、春になって農業を奨励するなどと言うことは少しも念頭になかったのである。

蓬島藥 蓬莱山の神仙三島にあるという長生不死の仙藥

農雇春 になって農業を奨励すること。左傳·昭十七年》「九爲九農正。以此八,幷上鴳爲九。鳸鳻鶞,夏 ,秋竊藍,冬竊黃,桑竊脂,棘竊丹,行唶唶,宵嘖嘖。」とある

 

力盡功不贍,千載為悲辛。

国の力は疲弊して、それら一つも成功せず、やがて始皇帝が崩御すると、間もなく、秦も滅亡してしまったので、それ以来千年も経過しても、不老長寿に大きな変化はなく、人をして悲辛の念に堪えられないということなのだ。

 雁門関、別名を西陘関

47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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47 《古風五十九首之四十七》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43273古風,五十九首之四十七桃花開東園, <47> Ⅰ李白詩1210 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4598

 

 

製作年:              743年 天寶二年 43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十七

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之四十七

(この詩は、士の実行の無いものが、偶然に得た栄達を嘲ったものである。)

桃花開東園,含笑誇白日。

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。

豈無佳人色,但恐花不實。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

宛轉龍火飛,零落早相失。

かくてひとたび龍火が宛転として西にくずれ、夜が秋になれば、零落して、何も残っていない。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

これに比すれば南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

 

古風,五十九首の四十七

桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

 

 

『古風,五十九首之四十七』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十七

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

 

(含異文)

桃花開東園,含笑誇白日。

偶蒙東風榮,生此豔陽質【矜此豔陽質】。

豈無佳人色,但恐花不實。

宛轉龍火飛,零落早相失。

詎知南山松,獨立自蕭飋。

【案:此詩一作〈感興〉云:芙蓉嬌綠波,桃李誇白日。偶蒙春風榮,生此豔陽質。豈無佳人色,但恐花不實。宛轉龍火飛,零落互相失。詎知凌寒松,千載長守一。】

 

(下し文)

古風,五十九首の四十七

桃花は東園に開き,含笑をんで白日に誇る。

偶ま東風の榮を蒙って,此の豔陽の質を生ず。

豈に佳人の色無からんや,但だ恐る 花の實らざるを。

宛轉として 龍火飛び,零落すれば 早に相い失う。

詎んぞ知らん 南山の松,獨立 自ら蕭飋たるを。

 

(現代語訳)

(この詩は、士の実行の無いものが、偶然に得た栄達を嘲ったものである。)

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。

桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

かくてひとたび龍火が宛転として西にくずれ、夜が秋になれば、零落して、何も残っていない。

これに比すれば南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之四十七

(この詩は、士の実行の無いものが、偶然に得た栄達を嘲ったものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

 

桃花開東園,含笑誇白日。

東園にある桃李は、爛漫の花を開いて、白日に向って笑いを含んでいる。

 

偶蒙東風榮,生此豔陽質。

桃李は、春風のおかげによって、この艶陽の質を生じたのである。

豔陽質 春のことの別表現。万物が覚醒し、成長を始める。艶の心も蘇ることなどをいう。

 

豈無佳人色,但恐花不實。

もとより、佳人に比すべき嬌麗なる色はあるが、ただ、花を咲かせるばかりで、実を結ばないのはいかにも物足らないことである。

 

宛轉龍火飛,零落早相失。

かくてひとたび龍火が宛転として西にくずれ、夜が秋になれば、零落して、何も残っていない。

龍火飛 張協の七命に秋になることをいう。龍火西頽。《文選·張協<七命>之一》:“若乃火西頽,暄気初收。飛霜迎,高送秋。

 

詎知南山松,獨立自蕭飋。

これに比すれば南山の松はさすがに偉いもので、独立して、さわさわと長風に鳴り響いているのである。

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李白index- 22 《743年天寶二年43歳 長安にあって、絶頂となり、飲中八仙の遊びをする。》李白詩 全詩<李白index- 22> Ⅰ李白詩1093 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4013

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南山松 終南山の松。この詩を作る時期は長安に仕えていた時である。

蕭飋 寂しげに突風が吹く。蕭瑟:風の吹く音がさびしげであること。
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46 《古風五十九首之四十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

 
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46 《古風五十九首之四十六》Index-32-7 753年天寶十二年53590古風,五十九首之四十六一百四十年, <46> Ⅰ李白詩1209 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4593

 

 

製作年:753年 天寶十二年 53

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              五鳳樓 (都畿道 河南府 洛陽)           

 

 

古風,五十九首之四十六

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

一百四十年,國容何赫然。

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

王侯象星月,賓客如雲煙。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。

 

鬥雞金宮裡,蹴瑤臺邊。

舉動搖白日,指揮回青天。

當塗何翕忽,失路長棄捐。

獨有揚執戟,閉關草太玄。

 

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容 何ぞ赫然たる。

隱隱たる五鳳樓,峨峨として三川に橫う。

王侯は星月に象り,賓客は雲煙の如し。

 

雞を鬥わす 金宮の裡,る 瑤臺の邊。

舉動 白日を搖す,指揮 青天を回す。

當塗 何ぞ翕忽【きゅうこつ】,失路 長く棄捐【きえん】。

獨り 揚執【ようしつ】戟有り,關を閉じて 太玄を草す。

 

長安城皇城図 

『古風,五十九首之四十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容何赫然。

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

王侯象星月,賓客如雲煙。

 

(下し文)

古風,五十九首之四十六

一百四十年,國容 何ぞ赫然たる。

隱隱たる五鳳樓,峨峨として三川に橫う。

王侯は星月に象り,賓客は雲煙の如し。

 

(現代語訳)

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。

 

 唐長安城図00

(訳注)

古風,五十九首之四十六

(この詩は、唐朝が「開元の治」と隆盛であったが、ようやく衰運に向おうとし始めた、時尚の日に非なるを吡り、併せて、自分の操守び及んだものである。)

 

一百四十年,國容何赫然。

唐建国140年になろうとしている、今しも、国力強勢の絶超に達し、国の光は赫然として、外夷にまで何と輝きわたっていることだろうか。

一百四十年 唐建国140年。

 

隱隱五鳳樓,峨峨橫三川。

都長安の宮城には五鳳樓というところが隠々として簇がっており、しかも、峨峨として高く、涇水・渭水・洛水という三川の間に横たわっているのである。

五鳳樓 開元二十三年、上、五鳳樓に御して酭宴す。

三川 涇水・渭水・洛水をいう。

 

王侯象星月,賓客如雲煙。

権勢の盛りを誇る王侯諸侯たちは、星月の天上に輝くにかたどり、その家に出入する賓客のおびただしい数は、まるで雲煙の様なものである。
大明宮-座標02 

長安付近図00 

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もし明君が自分を用いてくれるのなら、留まってやっても良いと思うのだが、そうでなければ白い馬に跨って、則世界を離れ、そして、空山に往って、「わが場藿を食わん。」という詩でも詠ってやろうとおもう。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:              至德二年

寫作時間:           757

寫作年紀:           57

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之四十五

 

 

古風,五十九首之四十五

(この詩は、李白が安史の乱に遭遇して、超然高踏の志を述べたものである。)

八荒馳驚飆,萬物盡凋落。

暴風、颯然として、一度天地の間を吹くめくれば、ありとあらゆるものが、ことごとく枯れて、凋んでしまう。

浮雲蔽陽,洪波振大壑。

仰いで望めば浮雲とび迷うて、落日を蔽い、伏してみれば、大波が東海をふるいうごかして、万象すべて惨澹、逆臣一たび起って、四海兵戈にくるしむもようも、やはり、これとおなじである。

龍鳳罔罟,飄颻將安託。

こうして、龍や鳳凰が幸いに網をのがれたところで、飄々として何処へ行ってよいかわからない。自分も幸いに難を遁れたが、如何にしようか。

去去乘白駒,空山詠場藿。

もし明君が自分を用いてくれるのなら、留まってやっても良いと思うのだが、そうでなければ白い馬に跨って、則世界を離れ、そして、空山に往って、「わが場藿を食わん。」という詩でも詠ってやろうとおもう。

 

(古風,五十九首之四十五)

八荒 驚飆を馳せ,萬物 盡く凋落す。

浮雲 陽をい,洪波 大壑を振う。

龍鳳 罔罟【もうこ】をし,飄颻として將に安にか託せんとす。

去去 白駒に乘じ,空山 場藿を詠ず。

安史の乱当時の勢力図 

 

古風,五十九首之四十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十五

八荒馳驚飆,萬物盡凋落。

浮雲蔽陽,洪波振大壑。

龍鳳罔罟,飄颻將安託。

去去乘白駒,空山詠場藿。

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十五)

八荒 驚飆を馳せ,萬物 盡く凋落す。

浮雲 陽を蔽い,洪波 大壑を振う。

龍鳳 罔罟【もうこ】をし,飄颻として將に安にか託せんとす。

去去 白駒に乘じ,空山 場藿を詠ず。 

 

(現代語訳)

(この詩は、李白が安史の乱に遭遇して、超然高踏の志を述べたものである。)

暴風、颯然として、一度天地の間を吹くめくれば、ありとあらゆるものが、ことごとく枯れて、凋んでしまう。

仰いで望めば浮雲とび迷うて、落日を蔽い、伏してみれば、大波が東海をふるいうごかして、万象すべて惨澹、逆臣一たび起って、四海兵戈にくるしむもようも、やはり、これとおなじである。

こうして、龍や鳳凰が幸いに網をのがれたところで、飄々として何処へ行ってよいかわからない。自分も幸いに難を遁れたが、如何にしようか。

もし明君が自分を用いてくれるのなら、留まってやっても良いと思うのだが、そうでなければ白い馬に跨って、則世界を離れ、そして、空山に往って、「わが場藿を食わん。」という詩でも詠ってやろうとおもう。

 

春秋戦国勢力図 

(訳注)

古風,五十九首之四十五

(この詩は、李白が安史の乱に遭遇して、超然高踏の志を述べたものである。)

 

八荒馳驚飆,萬物盡凋落。

暴風、颯然として、一度天地の間を吹くめくれば、ありとあらゆるものが、ことごとく枯れて、凋んでしまう。

驚飆 暴風、颯然とする。

 

浮雲蔽陽,洪波振大壑。

仰いで望めば浮雲とび迷うて、落日を蔽い、伏してみれば、大波が東海をふるいうごかして、万象すべて惨澹、逆臣一たび起って、四海兵戈にくるしむもようも、やはり、これとおなじである。

 落日。

大壑 東海。

 

龍鳳罔罟,飄颻將安託。

こうして、龍や鳳凰が幸いに網をのがれたところで、飄々として何処へ行ってよいかわからない。自分も幸いに難を遁れたが、如何にしようか。

罔罟 罔は鳥に用いる網、罟は魚に用いる網。

 

去去乘白駒,空山詠場藿。

もし明君が自分を用いてくれるのなら、留まってやっても良いと思うのだが、そうでなければ白い馬に跨って、則世界を離れ、そして、空山に往って、「わが場藿を食わん。」という詩でも詠ってやろうとおもう。

白駒 詩経「賢者は白駒に乗って去るもの有り。」

場藿 馬が農場の苗を食うように官禄をはむのを慙じる。『詩経、小雅、白駒篇』に「皎皎たる白馬、我が場苗を食まば、之か繋ぎ之を維【つな】ぎて、以て今朝を永うせん」と。白馬がわが畑の苗を食ってくれるならば、繋いで今朝だかでも永く止めておきたい。賢人の留まるのを願う詩。二君にまみえることを恥じてみせる。

『詩経、小雅、白駒篇』

大夫刺宣王也.

皎皎白駒.食我場苗.縶之維之.以永今朝.所謂伊人.於焉逍遙。

皎皎白駒.食我場藿.縶之維之.以永今夕.所謂伊人.於焉嘉客。

皎皎白駒.賁然來思.爾公爾侯.逸豫無期.慎爾優游.勉爾遁思。

皎皎白駒.在彼空谷.生芻一束.其人如玉.毋金玉爾音.而有遐心。

44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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44 《古風五十九首之四十四》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43272古風,五十九首之四十四綠蘿紛葳蕤, <44> Ⅰ李白詩1207 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4583

 

 

製作年:743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十四 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之四十四

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)

姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

姫葛は、もとより非常の草木であるが、託する所を知り、そして、松柏は、歳寒くして猶お、その色を改めぬという勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにとこいねがっている。女が男に嫁するのも、やはり、この通りで、心を一つにして、何時までも変わらぬようにと願うのである。かくのごとく長しえに変わらぬようにと希うて身を託したのである。

その顔色は、さながら夭桃の綽々たるがごとく、きわめて美しきにかかわらず、わずかの間に、かの詩経谷風の詩にあるように、夫に棄てられてしまった。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

 

古風,五十九首之四十四

綠蘿は葳蕤【いすい】紛たり,繚繞【りょうじょう】す松柏の枝。

草木 託する所有り,寒 尚【こいねが】わくば移らざらん。

夭桃の色を奈何せん,坐して歎ず 葑菲の詩。

玉顏 紅彩豔なり,雲髮 素絲に非ず。

君子 恩 已に畢る,賤妾 將に何をか為さんとす。 

 

太白山001 

『古風,五十九首之四十四』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十四

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

草木有所託,寒尚不移。

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

君子恩已畢,賤妾將何為。

 

 

(下し文)

古風,五十九首之四十四

綠蘿は葳蕤【いすい】紛たり,繚繞【りょうじょう】す松柏の枝。

草木 託する所有り,寒 尚【こいねが】わくば移らざらん。

夭桃の色を奈何せん,坐して歎ず 葑菲の詩。

玉顏 紅彩豔なり,雲髮 素絲に非ず。

君子 恩 已に畢る,賤妾 將に何をか為さんとす。 

 

(現代語訳)

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)

姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

姫葛は、もとより非常の草木であるが、託する所を知り、そして、松柏は、歳寒くして猶お、その色を改めぬという勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにとこいねがっている。女が男に嫁するのも、やはり、この通りで、心を一つにして、何時までも変わらぬようにと願うのである。かくのごとく長しえに変わらぬようにと希うて身を託したのである。

その顔色は、さながら夭桃の綽々たるがごとく、きわめて美しきにかかわらず、わずかの間に、かの詩経谷風の詩にあるように、夫に棄てられてしまった。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十四

(この詩は、詩経の語句を巧みに、点綴しそれによって離隔の思いを述べ、女盛りを過ぎた女性が棄てられるのを自己に比したものである。)

 

綠蘿紛葳蕤,繚繞松柏枝。

姫葛は、生き生きとして、緑鮮やかに、紛然としてふさふさと垂れ、それがジョブそうな松柏の枝に巻き付いている。

綠蘿 姫葛

葳蕤 ふさふさと垂れているさま。

 

草木有所託,寒尚不移。

姫葛は、もとより非常の草木であるが、託する所を知り、そして、松柏は、歳寒くして猶お、その色を改めぬという勁節を有しているから、姫葛は、やはり己が色も、また,何時までも変わらぬようにとこいねがっている。女が男に嫁するのも、やはり、この通りで、心を一つにして、何時までも変わらぬようにと願うのである。かくのごとく長しえに変わらぬようにと希うて身を託したのである。

 

奈何夭桃色,坐歎葑菲詩。

その顔色は、さながら夭桃の綽々たるがごとく、きわめて美しきにかかわらず、わずかの間に、かの詩経谷風の詩にあるように、夫に棄てられてしまった。

夭桃色 《詩経、国風・周南》「桃之夭夭、灼灼其華。」(桃の夭夭たる、灼灼たり其の華)

葑菲詩 《詩経、邶風》「習習谷風,以陰以雨。黽勉同心,不宜有怒。」習習たる谷風、以て陰(くも)り以て雨ふる。黽勉(びんべん)として心を同じくして、怒ること有る宜からず。

 

玉顏豔紅彩,雲髮非素絲。

もとより、色の衰えたために、愛がゆるむのならば仕方ないとして、その人はいまだに衰えず、その玉郎は、花の如く紅のつやがあるし、その髪は雲の如く長く美しく、白い糸の変じたいというわけでもない。

 

君子恩已畢,賤妾將何為。

しかるに、君子の恩は、既に終わって、全く棄てられたのである。もとより棄てられる覚えがないから、更に訳が分からぬが、もはや、何とも致し方のないしだいである。
李白図102 

43 《古風五十九首之四十三》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳369 <43> Ⅰ李白詩1205 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4573

李白  古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

李太白集巻一43

五十九首之四十三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7475

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 
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-369-043巻一43 古風,五十九首之四十三 (周穆八荒意,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-43

文體:

五言古詩

李太白集 

01-43

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

漢長安城 00 

『古風,五十九首之四十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

(現代語訳)

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

 

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

1 周穆 齊賢曰“《列子》「周穆王駕八駿至赤水之陽、升崑崙丘觀黄帝之觴王母於瑶池之上。」王母爲王謡王和之。”(《列子》に「周の穆王、八駿に駕して赤水の陽に至り、崑崙の丘に升って黄帝の、王母に瑶池の上に觴す。」王母、王の爲に謡い、王、之に和す。周の穆王は8頭たての馬車に乗り、西の彼方にある赤水の南の神々が住むとされた崑崙山に立ち寄り西王母に会い、黄帝のを觀、王母に瑶池の上に酒を飲み、ねぎらってくれた。王母は王のために謡、穆王はこれに答えて歌った。

周穆王;在位期間:前985? - 940年。穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。また、司寇(司法官の長)である呂侯に命じて『呂刑』と呼ばれる刑法を定めて社会の安定を図ろうとしたが、その3千と言われる罪状の多さに却って諸侯や民衆の反感を買った。また彼は西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。このことは穆天子伝としてまとめられている。神話、伝説の要素を多く含む中国最古の旅行記である。

2 漢皇 この句は太平廣記に見える故事で、前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。《太平廣記》「元封元年七月七日、王母乘/紫雲輦、駕九色斑麟降漢東向坐。帝跪問寒暄。畢因呼帝坐、遣侍女、與上元夫人相聞云、「比不相見四千餘年、劉徹好道、適來觀之。夫人可暫來否。」帝問、「上元何真也。」曰「是三天真皇之母、上元之官。」俄而夫人至可。年二十餘、頭作三角髻、餘髮散垂至腰。帝拜。夫人曰「汝好道乎。汝胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者常舎于榮衛之中、雖暴長生亦自勞耳。」(元封元年七月七日、王母、/紫雲の輦に乘じ、九色の斑麟に駕して漢降る。東向して帝、跪いて寒暄を問う。畢るや、因って帝を呼んで坐せしめ、侍女を遣して、上元夫人と相聞して云う、「比れ相い見ざること四千餘年、劉徹 道を好む、適ま來って之を觀る。夫人、暫く來るべきや否や。」と。帝問う、「上元は何の真ぞや。」曰く「是れ三天真皇の母、上元の官。」と。俄にして、夫人至る可し。年二十餘ばかり、頭には三角髻を作し、餘髮は散垂して腰に至る。 夫人曰く「汝 道を好むや。汝、胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者 常に榮衛の中に舎す、長生を暴うと雖も亦た自ら勞するのみ。

漢の武帝。159BC-87BC。前漢7代目。在位141BC-87BC。若くして皇帝となり、治世は54年に及ぶ。内外にわたり思い切った施策を行なう。匈奴には対抗的な政策を取り、衛青、霍去病などを登用する。この匈奴との抗争の際、捕虜となった李陵をめぐり、正論を発した司馬遷を宮刑にするなど、狭量な面もある。張騫を西方に遣わし、シルクロードを創始する。巨視的に見れば、卓越した君主であった。

 

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

3 淫樂 みだらな楽しみ。肉欲の楽しみ。禎卿曰 淫樂二句言人君好荒淫樂佚則雖其/氣度超邁亦何足論哉。

 

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

4 西王母 中国の神話上の女神。玉山または崑崙(こんろん)山に住む,人面・虎歯・豹尾の女神。のち,神仙思想の発展とともに仙女化され,周の穆(ぼく)王が西に巡狩した時,瑶池で宴を開き,漢の武帝に降臨して仙桃を与えたという。道教の成立後は東王父と一組の神格とされた。

5 北宮 北宮 長安城内にある。桂宮と近い。未央宮の北にある。周回十里。前殿の広さ五十歩(凡そ58m) 甘泉宮 またの一名を雲陽宮という。

・上元 『漢武内伝』王母侍女ヲ遣シテ上元夫人ヲ迎フ王母乃ち侍女郭密香を遣はし 上元夫人 ( じょうげんふじん ) に相問して云く、九光の王母敬謝す。 但し相見ざること四千余年なり。天事我を労し、以て  ( めん )   ( たが ) ふことを致す。

・六朝(りくちよう)初期の霊宝派や上清派の道教と密接な関係をもちつつ形成された仙伝『漢武内伝』。前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。七夕における女神たちとの神秘的な会合の場は,後世しばしば詩文の題材となった。

 

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

5 瑤水 西王母が 穆王を接待したのが瑤地であり、天山山脈中の地点に比す人もある。

6 玉杯 武帝が崩御されて、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話は三輔黄圖、廟記にみえる。《三輔黄圖、廟記》“曰「神明臺武帝。祭仙人處、上有承露盤、有銅仙人、舒掌、捧銅盤、玉杯、以承雲表之露。以露和玉屑、服之以求仙道。」(曰く「神明臺、武帝つくる。仙人を祭る處、上に承露盤有り、銅仙人有り、掌を舒べ、銅盤、玉杯、を捧げ、以って雲表の露を承く。露を以て玉屑に和し、之を服して、以て仙道を求む。」)とあり、別に、《太平御覽、漢武故事》には「上崩後鄠縣有一人。于市貨玉杯。吏 疑其御物、欲捕之。因忽不見。縣 送其器推問、乃茂陵中物也。霍光、自呼吏問之、説市人形貌、如先帝其事。」”「上崩ぜし後、鄠縣に一人有り。市に于て玉杯を貨す。吏 其の御物たるを疑うて、之を捕えんと欲す。因って忽ち見えず。縣 其の器を送って推問すれば、乃ち茂陵の中の物なり。霍光、自ら吏を呼んで之を問う、市人の形貌を説く、先帝の其の事の如し。」)とあることが、李白のこの詩と合致する。

 

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。
長安付近図00

  

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李白  古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを白鴎をもって擬したもの。)波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。 


李太白集巻一42

五十九首之四十二

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744年天寶三年44歳 

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-368-042巻一42 古風,五十九首之四十二 (搖裔雙白鷗,)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-42

文體:

五言古詩

李太白集 

巻01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五  #1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744年  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

 

製作年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

漢文委員会紀頌之タイトル長安付近図00 

 

『古風,五十九首之四十二  』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月【寄影宿沙月】,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。

 

 (下し文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

 

(現代語訳)

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

0 四十二【解説】 元、蕭士贇の補註の説によると、齊賢曰列子海上之人有好鷗鳥者每旦之海上從鷗鳥遊鷗鳥之至者百住而不止士。」「贇曰此太白託興之詩也雲中之鶴在位之人也海/上之鷗閒散之人也(齊賢曰く「列子海上の人、鷗鳥を好む者有り、每旦、海上に之き鷗鳥に從い鷗鳥と之を遊び至る者は百住して、士に止らず。」贇、曰く「此れ太白託興の詩なり。雲中の鶴は在位の人にうなり上の鷗は閒散の人にうなり

詩意は齊、謝朓、和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】.に倣うものである。

和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】(徐都曹の「新亭の渚に出づ」に和す。)

宛洛佳遨遊, 春色滿皇州,

宛・洛は、遨遊するに佳く,春色は皇州に滿つ。

結軫青郊路, 迴瞰蒼江流,

軫を青郊の路に結【めぐ】らし,迴【はる】かに蒼江の流れを瞰る。

日華川上動, 風光草際浮,

日華は川上に動き,風光は草際に浮ぶ。

桃李成蹊徑, 桑楡蔭道周,

桃李 蹊徑を成し,桑楡 道周を蔭う。

東都已俶載, 言歸望綠疇。

東都 已に載【こと】を俶【はじ】む,言【ここ】に歸りて 綠の疇を望まん。

また、南朝宋鮑照《擬行路難》詩之三「寧作野中之雙鳧,不願雲間之別鶴。」もこれの基づいているものとおもえる

雲中の鶴は、仙官の控御にあたる者たちであり、朝廷の者たちを示すものである。海上のカモメは、閒散の人にたとえたもので、李白の半官半隠の思いを示すものである。

 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

1 搖裔 波の上に浮きつ、沈みつする。

 

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

2 與海人狎 無心なる海上の若者と狎れて遊ぶ。

3 雲鶴 雲中の鶴。

 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

 

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。
 大明宮の圖003

 

41-#2 《古風五十九首之四十一》Index-24Ⅲ-2 745年天寶四年45歳421古風,五十九首之四十一朝弄紫沂海, <41-#2> Ⅰ李白詩1204 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4568

李白《古風五十九首之四十一》これをただの一度だけ飲めば、万歳の齢を得るというので、どうして、いまさら、塵界の世俗に又帰ろうというのか。願わくば、長風に随って飛び去り、飄揚とし得て、勝手気ままに、天外を駆け巡りたいものである。

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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製作年:  745  天寶四年  45

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十一 

 

 

古風,五十九首之四十一 

(遊仙郷の詩)

朝弄紫沂海,夕披丹霞裳。

既に仙術を習得し、朝には紫泥の海に行って戯れ、夕べには霞と見間違えるかと見える様に赤い衣を着て自由に天を飛び廻る。

揮手折若木,拂此西日光。

こうして、手を振って崑崙の西に生えている若木を斬り折り、これをもって一たびはらえば落ちかかった太陽を招きかえすことが出来るというので、その通力は大したものである。

雲臥遊八極,玉顏已千霜。

こうなれば、この身を雲に臥したままで精神を八極の表に遊ばせて、顔色は他のようであり、千年を経たとしても少しも変わった様子がないのである。

#2

飄飄入無倪,稽首祈上皇。

やがて、飄々としてどこまでも限りの無い大空にかけ行って、天宮に朝し、警手して上皇に拝謁していのる。

呼我遊太素,玉杯賜瓊漿。

上皇はかたじけなくも我を召して、元気の集まれる太素の境に遊ばしめ結構な玉の盃に仙液を注いで、下し賜ったのである。

一餐歷萬何用還故

これをただの一度だけ飲めば、万歳の齢を得るというので、どうして、いまさら、塵界の世俗に又帰ろうというのか。

永隨長風去,天外恣飄揚。

願わくば、長風に随って飛び去り、飄揚とし得て、勝手気ままに、天外を駆け巡りたいものである。

 

(古風,五十九首の四十一) 

朝に 紫の沂海に弄し,夕に丹霞の裳を披く。

手を揮って若木を折り,此の西日の光を拂う。

雲臥して八極に遊び,玉顏 已に千霜。

#2

飄飄として無倪に入り,稽首して上皇に祈る。

我を呼んで太素に遊び,玉杯 瓊漿を賜う。

一餐 萬何んぞ故還るを用いん

永く長風に隨って去り,天外 恣【ほしいまま】に飄揚せん。

 

閶闔門001 

『古風,五十九首之四十一』 現代語訳と訳註

(本文) #2

飄飄入無倪,稽首祈上皇。

呼我遊太素,玉杯賜瓊漿。

一餐歷萬何用還故

永隨長風去,天外恣飄揚。

 

(含異文)

朝弄紫沂海【朝駕碧鸞車】,夕披丹霞裳。

揮手折若木,拂此西日光。

雲臥遊八極【雲舉遊八極】,玉顏已千霜【玉顏如清霜】。

飄飄入無倪,稽首祈上皇。

呼我遊太素,玉杯賜瓊漿。

一餐歷萬,何用還故

永隨長風去,天外恣飄揚【一本無此二句。】。 

 

(下し文) #2

飄飄として無倪に入り,稽首して上皇に祈る。

我を呼んで太素に遊び,玉杯 瓊漿を賜う。

一餐 萬を歷て,何んぞ故に還るを用いん。

永く長風に隨って去り,天外 恣【ほしいまま】に飄揚せん。

 

(現代語訳) #2

やがて、飄々としてどこまでも限りの無い大空にかけ行って、天宮に朝し、警手して上皇に拝謁していのる。

上皇はかたじけなくも我を召して、元気の集まれる太素の境に遊ばしめ結構な玉の盃に仙液を注いで、下し賜ったのである。

これをただの一度だけ飲めば、万歳の齢を得るというので、どうして、いまさら、塵界の世俗に又帰ろうというのか。

願わくば、長風に随って飛び去り、飄揚とし得て、勝手気ままに、天外を駆け巡りたいものである。

安史の乱当時の勢力図 

 

(訳注)

古風,五十九首之四十一 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(遊仙郷の詩)      

 

飄飄入無倪,稽首祈上皇。

やがて、飄々としてどこまでも限りの無い大空にかけ行って、天宮に朝し、警手して上皇に拝謁していのる。

無倪 どこまでも限りの無い大空。

稽首 警手して上皇に拝謁する。

 

呼我遊太素,玉杯賜瓊漿。

上皇はかたじけなくも我を召して、元気の集まれる太素の境に遊ばしめ結構な玉の盃に仙液を注いで、下し賜ったのである。

太素 《黄帝外経》とともに前漢末期(1世紀末)に存在したと記録されているが,どちらも早い時期に失われてしまい,その正確な内容も内経と外経にどのような区別があったかも不明である。

瓊漿 仙人の飲み物。また美酒。

 

一餐歷萬何用還故

これをただの一度だけ飲めば、万歳の齢を得るというので、どうして、いまさら、塵界の世俗に又帰ろうというのか。

 

永隨長風去,天外恣飄揚。

願わくば、長風に随って飛び去り、飄揚とし得て、勝手気ままに、天外を駆け巡りたいものである。
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既に仙術を習得し、朝には紫泥の海に行って戯れ、夕べには霞と見間違えるかと見える様に赤い衣を着て自由に天を飛び廻る。こうして、手を振って崑崙の西に生えている若木を斬り折り、これをもって一たびはらえば落ちかかった太陽を招きかえすことが出来るというので、その通力は大したものである。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor8-421《滿宮花一首》張泌Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-604-8-(421) 四巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4567 
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製作年:  745  天寶四年  45

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十一 

 

 

古風,五十九首之四十一 

(遊仙郷の詩)
朝弄紫沂海,夕披丹霞裳。

既に仙術を習得し、朝には紫泥の海に行って戯れ、夕べには霞と見間違えるかと見える様に赤い衣を着て自由に天を飛び廻る。

揮手折若木,拂此西日光。

こうして、手を振って崑崙の西に生えている若木を斬り折り、これをもって一たびはらえば落ちかかった太陽を招きかえすことが出来るというので、その通力は大したものである。

雲臥遊八極,玉顏已千霜。

こうなれば、この身を雲に臥したままで精神を八極の表に遊ばせて、顔色は他のようであり、千年を経たとしても少しも変わった様子がないのである。

 

飄飄入無倪,稽首祈上皇。

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一餐歷萬何用還故

永隨長風去,天外恣飄揚。

 

(古風,五十九首の四十一) 

朝に 紫の沂海に弄し,夕に丹霞の裳を披く。

手を揮って若木を折り,此の西日の光を拂う。

雲臥して八極に遊び,玉顏 已に千霜。

#2

飄飄として無倪に入り,稽首して上皇に祈る。

我を呼んで太素に遊び,玉杯 瓊漿を賜う。

一餐 萬何んぞ故還るを用いん

永く長風に隨って去り,天外 恣【ほしいまま】に飄揚せん。

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『古風,五十九首之四十一』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十一 

朝弄紫沂海,夕披丹霞裳。

揮手折若木,拂此西日光。

雲臥遊八極,玉顏已千霜。

 

(下し文)

古風,五十九首之四十一 

朝弄紫沂海,夕披丹霞裳。

揮手折若木,拂此西日光。

雲臥遊八極,玉顏已千霜。

 

(現代語訳)

(遊仙郷の詩)

既に仙術を習得し、朝には紫泥の海に行って戯れ、夕べには霞と見間違えるかと見える様に赤い衣を着て自由に天を飛び廻る。

こうして、手を振って崑崙の西に生えている若木を斬り折り、これをもって一たびはらえば落ちかかった太陽を招きかえすことが出来るというので、その通力は大したものである。

こうなれば、この身を雲に臥したままで精神を八極の表に遊ばせて、顔色は他のようであり、千年を経たとしても少しも変わった様子がないのである。

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(訳注)

古風,五十九首之四十一 

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(遊仙郷の詩)      

 

朝弄紫沂海,夕披丹霞裳。

既に仙術を習得し、朝には紫泥の海に行って戯れ、夕べには霞と見間違えるかと見える様に赤い衣を着て自由に天を飛び廻る。

紫沂海 東方朔が仙郷の紫沂の海に入って何年も遊んで汚れた着物を紫水で洗濯し、帰った。浦島太郎のように年を経ていた。

丹霞裳 赤い色の衣。

 

揮手折若木,拂此西日光。

こうして、手を振って崑崙の西に生えている若木を斬り折り、これをもって一たびはらえば落ちかかった太陽を招きかえすことが出来るというので、その通力は大したものである。

若木 若木は崑崙の西に生えている。楚辞、離騒「折若木以拂日兮、聯逍遥以相羊」

 

雲臥遊八極,玉顏已千霜。

こうなれば、この身を雲に臥したままで精神を八極の表に遊ばせて、顔色は他のようであり、千年を経たとしても少しも変わった様子がないのである。

八極 八方、宇宙。

千霜 千年。
李白図102 

40 《古風五十九首之四十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40> Ⅰ李白詩1200 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4548

朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。

 
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40 《古風五十九首之四十》Index-23Ⅲ-1 744年天寶三年44歳367古風,五十九首之四十 鳳飢不啄粟, <40> Ⅰ李白詩1200 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4548 
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418ー#3 《送諸葛覺往隨州讀書》韓愈(韓退之)ID Index-12-504 Ⅱ韓昌黎集823年長慶三年<1115>  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4559韓愈詩-418ー#3 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

 

古風,五十九首之四十

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。

幸遇王子晉。 結交青云端。

さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交を暖めるのだ。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

太白山001 

『古風,五十九首之四十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

 

(下し文)

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅玕【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

(現代語訳)

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交を暖めるのだ。

受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。

 

安史の乱当時の勢力図 

(訳注)

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

高力士は、李白によって、脱靴の恥を懐き、清平楽の詞の語を摘まんで楊貴妃に譖し、法遂せられたのである。

 

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は空腹で飢えていても、穀物をつついたりはしない。食べものはただ、琅玕の玉だけである。
鳳凰ほうおう。姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。梧桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。

 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。

琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける正当な俸禄。


焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
どこにでもいるにわとりの群れに加わったとしても、こせこせと一回の食事をとりあいすることなど、どうしてできようか。
羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。

刺蹙 こせこせ。


朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
朝には崑崙山の頂上の木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲んだのだ。
崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。

砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。

朝鳴二句「港南子」に「鳳凰、合って万仰の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏国を過ぎ、砥柱の浦瀬に飲む」とあるのにもとづく。


歸飛海路遠、獨宿天霜寒。
住まいとするとこには、海上から道のりは遠いけれど、飛んで歸えったものだった。びとりで宿る住まいには、天より霜が降りて寒いものだった。
海路遠 仙境は海上はるか先の島ということ。李白の住まいは相応のもの以下だったのかもしれない。


幸遇王子晉、結交青雲端。
さいわいに、もし、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会えるなら、道士たちともきっと会えるし、出世をしたもの、青雲の志を持ったもの同士で旧交を暖めるのだ。
王子晉むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。「列仙伝」に見える。○青雲 青雲の志、立身出世。
 

懐恩未得報、感別空長歎。
受けたご恩と恵みというものは心にいだいているけれど、いまだに恩返しできないでいる。別れた時の感情は持ち続けているけれど、逢えないから、むなしくいつまでも、ため息をついているだけなのだ。
李白図102 

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過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:  743  天寶二年  43

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十九 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之三十九 

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

登高望四海,天地何漫漫。 

重陽の日には高い山に登り、四方、天下を見わたすものであり、天も地もはるかであり、ひろびろとして人の世の出来事の小さいことかを認識する。

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

凛凛たる霜が降り被い尽くすと、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木この実がうれ、秋になる。颯颯たる西風が吹いて、ひろびろとした荒野には寒々として誰もいなくなる。

榮華東流水,萬事皆波瀾。 

過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。

白日掩徂輝,浮雲無定端。 

日中の太陽、天子の威光であり、あるいは、正論というものが、李林甫、宦官共のようにつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような姦臣の宦官たちは常識の端がないように思うがままにしているのだ。

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。 

今では、燕と雀の小人物が本来鳳凰が棲むはずの青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、ただ睦まじいだけのおしどりと鸞鳳が棲んでおり、その権勢を借りて、カラタチと棘の様に人の邪魔をしている。

且復歸去來,劍歌行路難。 

ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。

<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

 

(古風,五十九首の三十九) 

高きに登って四海を望めば,天地 何ぞ漫漫たる。

霜は被って 群物 秋なり,風は飄って 大荒 寒し。

榮華は 東流の水,萬事は 皆 波瀾なり。

白日 徂輝を掩い,浮雲 定端 無し。

梧桐に 燕雀を巢はしめ,枳棘【ききょく】鴛鸞を棲ましむ。

且つ 復た 歸り去り來らん,劍歌す「行路難」。 

 

2蜀の山00 

『古風,五十九首之三十九』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十九 

登高望四海,天地何漫漫。 

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

榮華東流水,萬事皆波瀾。 

白日掩徂輝,浮雲無定端。 

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。 

且復歸去來,劍歌行路難。 

 

(含異文)

登高望四海,天地何漫漫。 

霜被群物秋,風飄大荒寒。 

殺氣落喬木,浮雲蔽層巒。 

孤鳳鳴天倪,遺聲何辛酸。 

遊人悲舊國,撫心亦盤桓。 

倚劍歌所思,曲終涕泗瀾。 

 

登高望四海,天地何漫漫。

霜被群物秋,風飄大荒寒。

榮華東流水,萬事皆波瀾。

白日掩徂輝,浮雲無定端。

梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。

且復歸去來,劍歌行路難【劍歌悲路難】。

 

【登高望四海,天地何漫漫。

霜被群物秋,風飄大荒寒。

殺氣落喬木,浮雲蔽層巒。

孤鳳鳴天倪,遺聲何辛酸。

遊人悲舊國,撫心亦盤桓。

倚劍歌所思,曲終涕泗瀾】。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十九) 

高きに登って四海を望めば,天地 何ぞ漫漫たる。

霜は被って 群物 秋なり,風は飄って 大荒 寒し。

榮華は 東流の水,萬事は 皆 波瀾なり。

白日 徂輝を掩い,浮雲 定端 無し。

梧桐に 燕雀を巢はしめ,枳棘【ききょく】鴛鸞を棲ましむ。

且つ 復た 歸り去り來らん,劍歌す「行路難」。 

 

(現代語訳)

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

重陽の日には高い山に登り、四方、天下を見わたすものであり、天も地もはるかであり、ひろびろとして人の世の出来事の小さいことかを認識する。
凛凛たる霜が降り被い尽くすと、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木この実がうれ、秋になる。颯颯たる西風が吹いて、ひろびろとした荒野には寒々として誰もいなくなる。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。
日中の太陽、天子の威光であり、あるいは、正論というものが、李林甫、宦官共のようにつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような姦臣の宦官たちは常識の端がないように思うがままにしているのだ。
今では、燕と雀の小人物が本来鳳凰が棲むはずの青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、ただ睦まじいだけのおしどりと鸞鳳が棲んでおり、その権勢を借りて、カラタチと棘の様に人の邪魔をしている。

ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->太白山001
<!--[endif]-->

(訳注)

古風,五十九首之三十九

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

高力士は、李白によって、脱靴の恥を懐き、清平楽の詞の語を摘まんで楊貴妃に譖し、法遂せられたのである。

 

登高望四海,天地何漫漫。
重陽の日には高い山に登り、四方、天下を見わたすものであり、天も地もはるかであり、ひろびろとして人の世の出来事の小さいことかを認識する。
登高 九月九日の重陽の日の風習で、高い山に登り、家族を思い、菊酒を飲んで厄災を払う習わし。後漢の桓景の故事に基づいた重陽の風習の一。魏・曹植の「茱萸自有芳,不若桂與蘭」や魏・阮籍の『詠懷詩』其十「昔年十四五,志尚好書詩。被褐懷珠玉,顏閔相與期。開軒臨四野,登高望所思。丘墓蔽山岡,萬代同一時。千秋萬歳後,榮名安所之。乃悟羨門子,今自嗤。」 

四海 古来から四方の地の果ては海となっているからそれの内の意》国内。世の中。天下。また、世界。『孟子』尽心上に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるをイメージしている。


霜被群物秋,風飄大荒寒。
凛凛たる霜が降り被い尽くすと、あらゆる草木は、黄ばんで枯れ、すべて穀物、木この実がうれ、秋になる。颯颯たる西風が吹いて、ひろびろとした荒野には寒々として誰もいなくなる。
○霜被 霜が降り被い 

○群物秋 霜が降り被い 

○風飄 ヒューと風が吹く 

○大荒 ひろびろとした荒野 

○寒 寒々として誰もいない。
 

榮華東流水,萬事皆波瀾。
過去の王朝で経験している栄華なものは東へ流れる水のようにそこに留まらない、栄枯盛衰は世の習いなのだ。又東流した水は再びその地に帰ることはなくこの朝廷でのなにもかもの出来事、総ての事柄、大波の間に漂っているのだ。
東流 中國の大河は東流している。水は東に流れるもの。其の位置にはとどまらない。いつかは消えていくもの。 

○萬 すべてのことがら。


白日掩徂輝,浮云無定端。
日中の太陽、天子の威光であり、あるいは、正論というものが、李林甫、宦官共のようにつまらぬものにその輝きは覆い隠され、浮雲のような姦臣の宦官たちは常識の端がないように思うがままにしているのだ。
白日 日中の太陽。天子の威光。正論。

浮云 うきぐも。李白は朝廷内の宦官のことを暗天の比喩としていうことが多い。 

無定端 定めの端がない。好き勝手なことをする。


梧桐巢燕雀,枳棘棲鴛鸞。
今では、燕と雀の小人物が本来鳳凰が棲むはずの青桐にかこまれたところに巣を作っており、大人物がいるかといえばそうではなく、ただ睦まじいだけのおしどりと鸞鳳が棲んでおり、その権勢を借りて、カラタチと棘の様に人の邪魔をしている。
梧桐 あおぎり。玄宗と楊貴妃の生活を示したもの。元代の戯曲「梧桐雨」がある。また、『荘子』秋水篇の故事を用いる。荘子が梁の国の宰相恵子を訪れようとすると、それは宰相の地位を奪い取ろうとしているのだという重言があった。恐れる恵子に向かって荘子はたとえ話を持ち出す。南方に「鴛雛」という鳥がいて、梧桐にしか止まらず、練実(竹の実)しか食べず、清浄な水しか飲まない。鶴が「腐鼠」を食べていたところに鴛雛が通りかかると、鶴はにらみつけて「嚇」と叫んだ。今あなたは梁の国を取られはしないか恐れて威嚇するのか、と恵子に言った。猜疑心を抱きつつの後宮生活を示す。

燕雀 小人物のこと。趙飛燕。楊貴妃の事。

枳棘 からたちととげ。人の邪魔をすること。 

棲鴛鸞 おしどりと鸞鳳。楊貴妃とその兄弟の事。
この聯は『史記』・陳渉世家に「燕雀安知鴻鵠之志哉」(燕雀いずくんぞ鴻鵠之志を知るや。:小人物は大人物、鴻鵠の志を知ることができようか)の一節に基づくもの。


且復歸去來。 劍歌行路難。
ともかくもまた「歸去來」の辞を詠おう、そして剣を叩いて 「行路難」を吟じよう。
歸去來 陶淵明が仕官80日あまりで官を辞して故郷に帰った時の辞。

劍歌 孟嘗君(もうしょうくん)に苦言を呈した馮驩(ふうかん)は剣の柄をたたき詩を吟じた。

行路難 古楽府の名。 

 

李白図102 

 

 

 

其三十九

登高望四海。 天地何漫漫。 霜被群物秋。 風飄大荒寒。 榮華東流水。 萬事皆波瀾。

白日掩徂輝。 浮云無定端。 梧桐巢燕雀。 枳棘棲鴛鸞。 且復歸去來。 劍歌行路難。

 

( 行一作悲 ) ( 此詩一作 登高望四海。天地何漫漫。 霜被群物秋。 風飄大荒寒。

殺氣落喬木。 浮云蔽層巒。 孤鳳鳴天倪。 遺聲何辛酸。 游人悲舊國。 撫心亦盤桓。

倚劍歌所思。 曲終涕泗瀾。)

38 《古風,五十九首之三十八》Index-9Ⅱ― 5-730年開元十八年30歳80古風,五十九首之三十八(孤蘭生幽園) <38> Ⅰ李白詩1198 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4538

一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

 
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製作年:730  開元十八年  30

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十八 

 

38巻一古風,五十九首之三十八 (孤蘭生幽園)

 

古風,五十九首之三十八

(李白は一時、玄宗の知遇を得て、君側に咫尺したが、宦官、高力士の讒言を受けて放遂されたので、この詩を作ったものだ。)

孤蘭生幽園、眾草共蕪沒。

蘭は国香とさえ称するほどの薫り高い草であるが、その生じた場所はよろしくないもので、むなしく幽園の中にあるから、誰にも賞賛されることがなくてつまらない集草と共に蕪没して枯れてしまう。

雖照陽春暉、復悲高秋月。

無論、陽春の日には、これを照らして花を咲かせるのであるが、九月の歓喜のために凋まされるのがかわいそうで仕方がないのだ。

飛霜早淅瀝、綠艷恐休歇。

既に秋となったと思う間に、霜が降ってきてせっかくもって生まれた緑艶の色は全く賞美されることなくして、休歇してしまう。

若無清風吹、香氣為誰發。

もし、そこに清風が吹いて来て、蘭の香気を四方に伝播してくれればよいのだが、吹かなかったとすれば、折角の香気も何ら効果をなさないで終るというもの、それは自分が、一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

 

古風,五十九首之三十八

孤蘭は幽園に生じ、眾草 共に蕪沒す。

陽春の暉を照らすと雖も、復た高秋の月を悲む。

飛霜 早く淅瀝【せきれき】、綠艷 恐らくは休歇せん。

若し 清風の吹く無くんば、香氣 誰が為にか發する。

 

太白山001 

『古風,五十九首之三十八』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十八

孤蘭生幽園、眾草共蕪沒。

雖照陽春暉、復悲高秋月。

飛霜早淅瀝、綠艷恐休歇。

若無清風吹、香氣為誰發。

 

(下し文)

古風,五十九首之三十八

孤蘭は幽園に生じ、眾草 共に蕪沒す。

陽春の暉を照らすと雖も、復た高秋の月を悲む。

飛霜 早く淅瀝【せきれき】、綠艷 恐らくは休歇せん。

若し 清風の吹く無くんば、香氣 誰が為にか發する。

 

(現代語訳)

(李白は一時、玄宗の知遇を得て、君側に咫尺したが、宦官、高力士の讒言を受けて放遂されたので、この詩を作ったものだ。)

蘭は国香とさえ称するほどの薫り高い草であるが、その生じた場所はよろしくないもので、むなしく幽園の中にあるから、誰にも賞賛されることがなくてつまらない集草と共に蕪没して枯れてしまう。

無論、陽春の日には、これを照らして花を咲かせるのであるが、九月の歓喜のために凋まされるのがかわいそうで仕方がないのだ。

既に秋となったと思う間に、霜が降ってきてせっかくもって生まれた緑艶の色は全く賞美されることなくして、休歇してしまう。

もし、そこに清風が吹いて来て、蘭の香気を四方に伝播してくれればよいのだが、吹かなかったとすれば、折角の香気も何ら効果をなさないで終るというもの、それは自分が、一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

rihakustep足跡 

 

(訳注)

古風,五十九首之三十八

(李白は一時、玄宗の知遇を得て、君側に咫尺したが、宦官、高力士の讒言を受けて放遂されたので、この詩を作ったものだ。)

 

孤蘭生幽園、眾草共蕪沒。

蘭は国香とさえ称するほどの薫り高い草であるが、その生じた場所はよろしくないもので、むなしく幽園の中にあるから、誰にも賞賛されることがなくてつまらない集草と共に蕪没して枯れてしまう。

 

雖照陽春暉、復悲高秋月。

無論、陽春の日には、これを照らして花を咲かせるのであるが、九月の歓喜のために凋まされるのがかわいそうで仕方がないのだ。

高秋月 九月。

 

飛霜早淅瀝、綠艷恐休歇。

既に秋となったと思う間に、霜が降ってきてせっかくもって生まれた緑艶の色は全く賞美されることなくして、休歇してしまう。

淅瀝【せきれき】哀れで寂しいさま。また、風雨や葉の落ちる音のもの寂しいさま。

 

若無清風吹、香氣為誰發。

もし、そこに清風が吹いて来て、蘭の香気を四方に伝播してくれればよいのだが、吹かなかったとすれば、折角の香気も何ら効果をなさないで終るというもの、それは自分が、一時は天子の知遇をえて、君側に咫尺したが、宦官の讒言を受けて放遂されたのだ。ただ一つ頼みとするのは、知己の人の吸引である。そういう人がいなければ、自分の持っている才能も何の役にも立たないで終ってしまうということだ。

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浮雲は、天子の居ます宮闕を蔽い、陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のようになった。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。

 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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37-#2

《古風五十九首之三十七》Index-26-1 747年天寶六年47466古風,五十九首之三十七燕臣昔慟哭, <37-#2> Ⅰ李白詩1199 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4543

 

 

37巻一  古風,五十九首之三十七

製作年:  747  天寶六年  47

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十七 

作地點: 婺州(江南東道 / 婺州 / 婺州

及地點:  金華 (江南東道 婺州 金華)     

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

 

古風,五十九首之三十七

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。

鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。

庶女號蒼天、震風擊齊堂。

また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。

精誠有所感、造化為悲傷。

つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。

#2

而我竟何辜、遠身金殿旁。

ところで、「誠実に生きている自分には何の罪があるのか、天子のおられる金殿の傍らからこの身を遠ざけられてしまうのだ」。

浮云蔽紫闥、白日難回光。

浮雲は、天子の居ます宮闕を蔽い、陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のようになった。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。

群沙穢明珠、眾草凌孤芳。

思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。

古來共嘆息、流淚空沾裳。

それは昔から毎々あることであって、嘆かわしいことであった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。

 

(古風,五十九首之三十七)

燕臣 昔 慟哭すれば、五月 秋霜を飛ばす。

庶女 蒼天に 號けべば、震風 齊堂を擊つ。

精誠 感ずる所有り、造化 為に悲傷。

 

而して我 竟に何んぞ辜【つみ】か、身を遠ざく金殿の旁。

浮云【ふうん】 紫闥【したつ】を蔽い、白日 光を回らし難し。

群沙 明珠を穢【けが】し、眾草 孤芳 凌【しの】ぐ。

古來 共に嘆息、流淚 空しく裳を沾【うるお】す。

閶闔門001

 

『古風,五十九首之三十七』 現代語訳と訳註

(本文)#2

而我竟何辜、遠身金殿旁。

浮云蔽紫闥、白日難回光。

群沙穢明珠、眾草凌孤芳。

古來共嘆息、流淚空沾裳。

 

(下し文)

(古風,五十九首之三十七)#2

而して我 竟に何んぞ辜【つみ】か、身を遠ざく金殿の旁。

浮云【ふうん】 紫闥【したつ】を蔽い、白日 光を回らし難し。

群沙 明珠を穢【けが】し、眾草 孤芳 凌【しの】ぐ。

古來 共に嘆息、流淚 空しく裳を沾【うるお】す。

 

(現代語訳)

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

ところで、「誠実に生きている自分には何の罪があるのか、天子のおられる金殿の傍らからこの身を遠ざけられてしまうのだ」。

浮雲は、天子の居ます宮闕を蔽い、陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のようになった。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。

思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
それは昔から毎々あることであって、嘆かわしいことであった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。

 

 玄武門

(訳注)

古風,五十九首之三十七

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

高力士は、李白によって、脱靴の恥を懐き、清平楽の詞の語を摘まんで楊貴妃に譖し、法遂せられたのである。

 

而我竟何辜。 遠身金殿旁。
ところで、「誠実に生きている自分には何の罪があるのか、天子のおられる金殿の傍らからこの身を遠ざけられてしまうのだ」。


浮云蔽紫闥。 白日難回光。
浮雲は、天子の居ます宮闕を蔽い、陰険な者たちにより、この朝廷は暗闇のようになった。真昼の太陽の輝きが照らすことさえ難しくなっている。それほど正当なことが天子に届かないものになっているのだ。


群沙穢明珠。 眾草凌孤芳。
思えは宮中には誠実ならざる姦物が多くけがれてしまっている。こうした何の考えのしないただの草の集まりみたいな朝廷の現状を嘆き、なさけなくなるのだ。
○群沙 ただ集まっている砂。誠実ならざる姦物が多い 

 けがれている。荒れ果てる。


古來共嘆息。 流淚空沾裳。
それは昔から毎々あることであって、嘆かわしいことであった。これを思うと、ただ涙が流れて着物をぬらせてしまう。
長安城皇城図 

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ると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。

 
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37巻一  古風,五十九首之三十七

製作年:  747  天寶六年  47

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之十七 

作地點: 婺州(江南東道 / 婺州 / 婺州

及地點:  金華 (江南東道 婺州 金華)     

崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

 

 

古風,五十九首之三十七

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。

鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。

庶女號蒼天、震風擊齊堂。

また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。

精誠有所感、造化為悲傷。

つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。

#2

而我竟何辜、遠身金殿旁。

浮云蔽紫闥、白日難回光。

群沙穢明珠、眾草凌孤芳。

古來共嘆息、流淚空沾裳。

 

(古風,五十九首之三十七)

燕臣 昔 慟哭すれば、五月 秋霜を飛ばす。

庶女 蒼天に 號けべば、震風 齊堂を擊つ。

精誠 感ずる所有り、造化 為に悲傷。

 

而して我 竟に何んぞ辜【つみ】か、身を遠ざく金殿の旁。

浮云【ふうん】 紫闥【したつ】を蔽い、白日 光を回らし難し。

群沙 明珠を穢【けが】し、眾草 孤芳 凌【しの】ぐ。

古來 共に嘆息、流淚 空しく裳を沾【うるお】す。

 

春秋戦国勢力図 

『古風,五十九首之三十七』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十七

燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。

庶女號蒼天、震風擊齊堂。

精誠有所感、造化為悲傷。

 

(下し文)

(古風,五十九首之三十七)

燕臣 昔 慟哭すれば、五月 秋霜を飛ばす。

庶女 蒼天に 號けべば、震風 齊堂を擊つ。

精誠 感ずる所有り、造化 為に悲傷。

 

(現代語訳)

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。

また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。

 

(訳注)

古風,五十九首之三十七

(この詩も、感嘆の詩で、李白が高力士らの讒言にあって、長安を追放された後作ったもの。)

高力士は、李白によって、脱靴の恥を懐き、清平楽の詞の語を摘まんで楊貴妃に譖し、法遂せられたのである。

 

燕臣昔慟哭、五月飛秋霜。

鄒衍は燕国に忠誠を尽くしたにもかかわらず獄につながれ、その時点を仰いで、慟哭すると真夏である五月というのに、秋に降りるはずの霜が飛んだという。

○燕臣 鄒衍(前305-240)天地万物は陰陽二つの性質を持ち、その消長によって変化する(日・春・南・男などが陽、月・秋・夜・女・北などが陰)とする陰陽説と、万物組成の元素を土・木・金・火・水とする五行説とをまとめ、自然現象から世の中の動き、男女の仲まであらゆることをこの陰陽五行説によって説明。彼の説は占いや呪術とも結びついて後世に多大な影響を与えた。どれほど影響があるかは「陽気」「陰気」という言葉や、曜日の名前を思い浮かべればすぐわかる。

○飛秋霜 秋に降りる霜が降り、風に飛んだ。

 

庶女號蒼天。 震風擊齊堂。
また、斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられたため、悲しみのため天に向かって号泣したところ、天が感じて雷を起こし、そのため斉の景公の高殿に雷撃があった、景公も傷ついたのだ。
庶女 斉の娘が嫁して寡婦となったが、無実の罪を着せられた。



精誠有所感。 造化為悲傷。
つまり、天を感じさせる誠さえあれば、天も悲しんでくれるものだ」。誠実に生きることがたいせつだ、自分も誠実に生きてきた。姦物どもの非難・中傷はあろうが、天も知って悲しんでくれるであろうというのがそれである。

36 《古風五十九首之三十六》Index-32Ⅳ-7 753年天寶十二年53歳583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518

魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ《過故斛斯校書莊,二首之一〔自注:老儒艱難時,病於庸蜀,歎其沒後方授一官。〕》 杜甫index-14 764年 杜甫<776> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4535 杜甫詩1500-776-1078/2500 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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36 《古風五十九首之三十六》Index-32-7 753年天寶十二年53583古風,五十九首之二十五世道日交喪, <36> Ⅰ李白詩1194 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4518

 

 

製作年:  753  天寶十二年  53

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十六 

 

 

古風,五十九首之三十六

士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

抱玉入楚國,見疑古所聞。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

良寶終見棄,徒勞三獻君。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

盈滿天所損,沈冥道為群。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

東海沈碧水,西關乘紫雲。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

魯連及柱史,可以躡清芳。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

 

(古風,五十九首の三十六)

玉をい抱て楚國に入り,見疑われしは 古しえ聞く所なり。

良寶 終に棄て見れ,徒勞 三たび君に獻ず。

直木は 先ず伐らるるを忌み,芳蘭は自ら焚くを哀む。

盈滿は 天 損する所,沈冥 道 群を為す。

東海 碧水に沈み,西關 紫雲に乘ず。

魯連及び柱史,以って清芳を躡む可し。

春秋戦国勢力図 

 『古風,五十九首之三十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十六

抱玉入楚國,見疑古所聞。

良寶終見棄,徒勞三獻君。

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

盈滿天所損,沈冥道為群。

東海沈碧水,西關乘紫雲。

魯連及柱史,可以躡清芳。

 

〔此詩一作〈感興〉云:朅來荊山客,誰為珉玉分。良寶見棄,虛持三獻君。直木忌先伐,芬蘭哀自焚。盈滿天所損,沈冥道所群。東海有碧水,西山多白雲。魯連及夷齊,可以躡清芬。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十六)

玉をい抱て楚國に入り,見疑われしは 古しえ聞く所なり。

良寶 終に棄て見れ,徒勞 三たび君に獻ず。

直木は 先ず伐らるるを忌み,芳蘭は自ら焚くを哀む。

盈滿は 天 損する所,沈冥 道 群を為す。

東海 碧水に沈み,西關 紫雲に乘ず。

魯連及び柱史,以って清芳を躡む可し。

 

(現代語訳)

士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

呉越の地図 

(訳注)

古風,五十九首之三十六

この詩は、感嘆の詩で、士のもちられぬのは、もとより不幸、またもちいられても、まごまごすると、災いに遭う。そこで、魯中連や老子のように、高挙遠踏するのが第一だという意を述べたものである。

 

抱玉入楚國,見疑古所聞。

昔、聞く所によれば、卞和という人が、玉璞を携えて、楚国に入り、わざわざ、これを楚王に献じたところが、誰もこれを見分けることが出来なかった。

抱玉入楚國 韓非子卞和の故事。楚の卞和が美しい玉を含包した石を れい 王と武王に献じたが理解されず欺く者として両足を切られた。 やがて文王の代になり、その文王がその原石を磨かせたところ本当に宝玉であったという故事。 《韓非子、和氏篇》

 

良寶終見棄,徒勞三獻君。

そんなことで、良寶も終に棄てられてしいまい、骨折り損の無駄なことをして、三度目にようやく玉だとわかって、君の手元におさまった。士が偶々もちいられたとしても、ややもすれば、その才が帰って累を為すことがあるということだ。

 

直木忌先伐,芳蘭哀自焚。

例えば、木が真っ直ぐであることで、かえって切り倒されてしまうとか、香木が臭いを含んでいるからと言って燃やされる様なものである。

直木忌先伐 《荘子 山木》直木先伐、甘井先竭(直木は先ず伐られる、甘井は先ず竭く。)才能のすぐれた人は早く使い切って衰えてしまうことのたとえ。

 

盈滿天所損,沈冥道為群。

全て物事が十分であるのは、よろしくないので、盈滿になると、天からこれを損する。また、沈冥隠晦の域に至ったとすれば、とこしえに、道と群をなして、一緒にいることが出来るのである。

 

東海沈碧水,西關乘紫雲。

そういうことで、魯中連は東海を踏んで碧水に沈みそうになり、老子が西のかた、函谷関にいれば、紫氣がこれに随ってきたという。

東海沈碧水 戦国時代に魯中連という人は 『秦がもし天下の政権を握るようなことがあったら. すぐ私は東海に身をなげて死ぬ。 私はどう しても秦の民となることはできぬ。』 と激しい. 口調で言った。 世人は魯中連の精神に感動し、 その言葉を小気味よいと思った。

西關乘紫雲 城西の門の衛兵・尹喜は、東の空に紫雲がたなびくのに気づき、4人の供を連れた老子を出迎え、知恵を書き残して欲しいと願った。《史記》「老子西入函谷關。關令尹喜見紫雲西邁。」

 

魯連及柱史,可以躡清芳。

この魯中連と老子の二人は、まことに、沈冥隠晦の所を得たもので、我もまたこれらの人を学び、その精美芳芬の徳を受け継いでいきたいと思うのである。

魯中連【ろちゅうれん】(約前305年—前245年) 戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。魯連。

柱史 老子のこと周の柱下の史であることからこう呼ぶ。老子は、古代中国の哲学者であり、道教創案の中心人物。「老子」の呼び名は「偉大な人物」を意味する尊称と考えられている。書物『老子』を書いたとされるがその履歴については不明な部分が多く、実在が疑問視されたり、生きた時代について激しい議論が行われたりする。

清芳 精美芳芬の徳を受け継いでいきたいということ。
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つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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製作年:  750  天寶九年  50

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十五 

及地點:  邯鄲 (河北道南部 邯鄲)     

 

 

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ

功成無所用,楚楚且華身。

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

安得郢中質,一揮成斧斤。 

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

 

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。 

 

太白山001 

『古風,五十九首之三十五』 現代語訳と訳註

(本文)

棘刺造沐猴,三年費精神。

功成無所用,楚楚且華身。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

安得郢中質,一揮成斧斤。 

 

(下し文)

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。 

 

(現代語訳)

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

 

(訳注)

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

実際、三年の間精根を打込んで懸命に会得しようとしたが、何の役にも立たず、ただその人が、物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょうということなのだ

・棘刺造沐猴 《韓非子、外儲説左上》宋人で燕王のために、イバラのとげの先端で猿を作ることを願った者がいた。必ず三ヶ月の間、潔斎をして、その後に始めて像を觀ることができるのだと言った。そこで燕王は兵車三台(を出せる格式)の俸給を出し宋人を養った。燕王のそばに仕える治工(かじや)は王にこう言った「私は、人の上に立つ君主が十日も宴会をせず潔斎することはないと聞いております。今、宋人は王が用もない器を観るために潔斎することなど不可能だと考えて,そこで三ヶ月を期限としたのでしょう。凡そ彫刻する者が,彫刻のために用いる道具は必ず削るものより小さい道具を使います。今、私は鍛冶屋ですが,(イバラのとげの先より小さい)そんな彫刻刀は作ることはできません。此れはありえない物であります。王よ、必ずこの事を御明察なさって下さい。」そこで王は、宋人を囚えて尋問したところ,果たして虚言だったので,この人を殺した。鍛冶屋は王にこう言った「物事を計るのに、基準と為る度量が無いならば,此のイバラのとげを彫刻するというような(荒唐無稽な)を論じる言説の士が多くなることでしょう。

・三年費精紳 是は上韓非子の故事と無関係だが、「荘子」列御寇篇に見える、朱泙が竜を屠るの術を学び、三年にして技成る、而して其の巧を用いる所無し、と云ふ寓話を結合したものらしい。

 

功成無所用,楚楚且華身。

つまらない技巧は、出来上ったものが用途が無く、製作者が王に養われて美々しい衣服で身を飾ったに過ぎないということなのだ。

・楚楚 鮮明の貌。

 

大雅思文王,頌聲久崩淪。

かの詩経の大雅は文王の孝徳を賛じたもので、それはまことに結構なことだが、今日これを誦辭てみてもただ古を懐情するということだけだし、詩経、頌の一文は、立派なものではあるが、それ自体は崩れ淪んでから久しいのである。

・思文王 「詩経」大雅の首十すだれ篇は主として周の文王に関することが詠じられてゐる。

・頌聾 「詩経」に周頌・裔頌・魯頌有り、主として其の先組を祭る歌。大雅と並んで荘重なる詩。

 

安得郢中質,一揮成斧斤。 

何とかして郢中の目標に、風を起こす斧を揮って一遍に削り落して見たいものだ。

・安得 あきらてのひら願望を表はす言葉。

・郢中質 郢の人が其の鼻の端に白土を蝿の翼ほど塗り付けて、匠石(石工)をして之を削らせてみると、斧を運らして風を成し、つちを削り取って鼻は傷かない。後に此の質になる男が死んでから、匠石の妙技も出来なくなった《荘子、徐無鬼》。

・質 もと弓の質的【まと】。ここでは運斤の目標である。

・成斧斤 宋本には「成斧斤」と有るが斤は斧である。
李白図102 

35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1> Ⅰ李白詩1195 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4523

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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35ー#1 《古風五十九首之三十五》Index-29Ⅳ-4 750年天寶九年50歳538古風,五十九首之三十五醜女來效顰, <35ー#1> Ⅰ李白詩1195 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4523 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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製作年:  750  天寶九年  50

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十五 

及地點:  邯鄲 (河北道南部 邯鄲)     

 

 

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

 

棘刺造沐猴,三年費精神。

功成無所用,楚楚且華身。

大雅思文王,頌聲久崩淪。

安得郢中質,一揮成斧斤。 

 

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

棘刺【きょくし】沐猴【もくこう】を造り,三年 精神を費す。

功 成って用うる所無く,楚楚 且つ身を華にす。

大雅 文王を思い,頌聲【しょうせい】久しく崩淪【ほうりん】。

安んぞ得ん 郢中【えいちゅう】の質,一揮 斧斤【ふうきん】を成すを。 

 

安史の乱当時の勢力図 

『古風,五十九首之三十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之三十五

醜女來效顰,還家驚四鄰。

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

 

(下し文)

(古風,五十九首の三十五)

醜女 來って顰【ひん】に效【なら】い,家に還って四鄰を驚かす。

壽陵 本步を失い,邯鄲【かんたん】の人を笑殺す。

一曲 斐然の子,雕蟲【ちょうちゅう】天真を喪う。

 

(現代語訳)

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

安史期のアジアssH 

(訳注)

古風,五十九首之三十五

(この詩は、これまで詩賦を作るものが、その本領を了解していないことを嘲ったものである。)

 

醜女來效顰,還家驚四鄰。

むかし、醜女が来て、西施の癪を煩い胸の苦しい時に胸をかかえて顔をしかめるのを見た、家に還って自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がって、隣近所を驚かした。

○敦壕 《荘子、天運篇》〔西施が胸を病み,胸をかかえて顔をしかめるのを見た醜女が,自分もそのしぐさを真似れば美しく見えると思って顔をしかめたところ,人が気味悪がったという「荘子天運」の寓話から〕むやみに人の真似をして物笑いとなること。また,人の真似をしたものであることを謙遜していう場合に使う。西施捧心(ほうしん)。単に「顰みに倣う」とも。

 

壽陵失本步,笑殺邯鄲人。

寿陵というところの二男が行儀作法を趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った、というので邯鄲の人を大笑ひさせた。

矢本歩 壽陵の若者が趙の都、邯鄲に至って其の地方の歩き方を学んだが出来ず、又其の故の歩き方も忘れ、腹ばって帰った《荘子、秋水篇》。

(寿陵 中国の皇帝が生前にあらかじめ造営する陵墓。驪山(りざん)の始皇陵が最大だが,渭水北方の前漢の帝陵,洛陽付近の後漢の帝陵,醴泉(れいせん)の唐の太宗の昭陵も有名。)

 

一曲斐然子,雕蟲喪天真。

かの斐然として文章ある子弟輩が詩歌を作るのはよいが、雕蟲の様な小技を弄し、つまらぬ修辞に凝って天真爛漫な妙趣をなくしてしまう。

・一曲一隅である。一地方。

・斐然 文章を成すの貌。

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これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

 
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製作年:  751  天寶十年  51

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之三十四 

寫及地點:  紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)     

 

古風,五十九首之三十四 #1

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

羽檄如流星,虎符合專城。

雲南征伐のための鳥の羽をつけた召集令状が流星のように飛ぶ。一城を独占している地方長官で、虎の絵の割符が各地の将軍の手もとで合わされた。

喧呼救邊急,群鳥皆夜鳴。

いずれの地方でも、国境の危急を救うのだと、やかましくわめき立てている。ねぐらに休んでいた鳥たちまで-、みんな、夜中に鳴きだした。

白日曜紫微,三公運權衡。

白日にひとしい聖天子は、紫微殿の御座所にちゃんとかがやいておられるし、三公にはりっぱな大臣が正しくよい政治をしている。

地皆得一,澹然四海清。

老子が天地各々「一:道」を得てみな純粋であるといわれた、おだやかに四海のはてまで澄みわたっているのに。

#2

借問此何為,答言楚徵兵。

こうした太平という時において、このように騒ぐというのはいったいどうしたことかと問うてみると、答えていうには、楚の地方で兵隊を徴集しているというのだ。

渡瀘及五月,將赴雲南征。

ただでさえ、亜熱帯の雲南地方であついのである、五月になれば濾水を渡ることができ、それまでに徴兵して雲南におもむき、いくさをしようというのだ。

怯卒非戰士,炎方難遠行。

これまで、中原は疲弊しつくし、勇敢な兵士は既に戦死しており、残っているのは役に立たない臆病な兵卒ばかりで、戦争の用に立つ勇士とはちがう。炎天の南方への遠い行軍はむつかしいのである。

長號別嚴親,日月慘光晶。

そうなると、徴兵されたものは、詩を覚悟して両親に別れを告げるのに、声のかぎり泣いて泣いて、泣きさけぴつつ、尊い両親に別れの声は、そのために日も月も光を失うとおもわれるほどであった。

#3

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

そうして流す涙がつきはてて血が出るまで泣き、それでも哭き続けると心もくだけて、親も子も声が出なくなるという、その悲しさは、思いやられる。

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。

千去不一回,投軀豈全生。

千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

如何舞干戚,一使有苗平。  

ああ、どうにかしてタテとマサカリの舞いでもって、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一ぺんに辺境を平和にすることはできないものか。

 

(古風,五十九首之三十四)

羽檄は流星の如く,虎符は專城に合す。

喧呼 邊の急を救わんとす,群鳥 皆 夜鳴く。

白日 紫微に曜き,三公 權衡を運す。

天地 皆 一を得,澹然として四海清し。

#2

借問す 此れ何にをか為す,答えて言く 「楚 兵を徵す」と。

瀘を渡って五月に及び,將に雲南に赴いて征せんとす。

怯卒は 戰士に非らず,炎方は 遠行に難し。

長號して 嚴親に別れ,日月 光晶慘たり。

#3

泣盡きて 繼ぐを血を以ってし,心摧けて 兩ながら聲無し。

困獸 猛虎に當り,窮魚 奔鯨に餌す。

千去して 一も回えらず,軀を投じて豈に生を全うせんや。

如何か 干戚を舞わし,一たび 有苗をして平かならしめん。 

 

安史の乱当時の勢力図 

『古風,五十九首之三十四』 現代語訳と訳註

(本文)

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

千去不一回,投軀豈全生。

如何舞干戚,一使有苗平。

 

(下し文) #3

泣盡きて 繼ぐを血を以ってし,心摧けて 兩ながら聲無し。

困獸 猛虎に當り,窮魚 奔鯨に餌す。

千去して 一も回えらず,軀を投じて豈に生を全うせんや。

如何か 干戚を舞わし,一たび 有苗をして平かならしめん。 

 

(現代語訳)

そうして流す涙がつきはてて血が出るまで泣き、それでも哭き続けると心もくだけて、親も子も声が出なくなるという、その悲しさは、思いやられる。

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。

千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

ああ、どうにかしてタテとマサカリの舞いでもって、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一ぺんに辺境を平和にすることはできないものか。

 

 

古風,五十九首之三十四 #3

(この時期天宝十年前後の時事について詠う)

7514月楊國忠の雲南戦線の戦いに敗れ、死者6万人をかぞえるも、なお徴兵し続けた。高仙芝、大食国を攻め、タラス河において大敗す。

長安と西域 地図01 

#3

泣盡繼以血,心摧兩無聲。

そうして流す涙がつきはてて血が出るまで泣き、それでも哭き続けると心もくだけて、親も子も声が出なくなるという、その悲しさは、思いやられる。

 

困獸當猛虎,窮魚餌奔鯨。

これほどの脆弱な兵卒だと、まるで草臥れはてた獣が猛虎に出あったようなものだ。おいつめられた魚がものすごい勢いの鯨の餌じきになるようなもので、ことごとくやられてしまうというものだ。

 

千去不一回,投軀豈全生。

千人出征して一人もかえってこない。身を投じたがさいご、いのちはないものと思えばよい。

 

如何舞干戚,一使有苗平。 

ああ、どうにかしてタテとマサカリの舞いでもって、むかしの聖天子の舜が有苗族を服従させたように、一ぺんに辺境を平和にすることはできないものか。