李白 古風,五十九首之五十五
齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。
彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。
珍色不貴道,詎惜飛光沈。安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。
(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。) 齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。
彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。
李太白集巻一43 |
五十九首之五十五 |
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Index-24 |
744年天寶三年44歳 |
56首-(7) |
421 <1000> |
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-370-055巻一55 古風,五十九首之五十五 (齊瑟彈東吟,)
作時年: |
744年 |
天寶三年 |
44歲 |
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全唐詩卷別: |
卷一六一 1-55 |
文體: |
五言古詩 |
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李太白集 |
巻01-55 |
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詩題: |
古風,五十九首之五十五 |
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序文 |
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作地點: |
長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) |
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及地點: |
崑崙山 |
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交遊人物: |
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制作年: 744年天寶三年 44歲
卷別: 卷一六一 文體: 五言古詩
詩題: 古風,五十九首之五十五
古風,五十九首之五十五
(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)
齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。
齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。
慷慨動顏魄,使人成荒淫。
聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。
彼美佞邪子,婉孌來相尋。
彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。
一笑雙白璧,再歌千黃金。
齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。
珍色不貴道,詎惜飛光沈。
美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。
安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。
このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。
古風,五十九首之五十五
齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。
慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。
彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。
一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。
珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。
安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。
『古風,五十九首之五十五』 現代語訳と訳註
(本文)
古風,五十九首之五十五
齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。
慷慨動顏魄,使人成荒淫。
彼美佞邪子,婉孌來相尋。
一笑雙白璧,再歌千黃金。
珍色不貴道,詎惜飛光沈。
安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。
(異文)
齊瑟彈東吟【齊瑟揮東吟】,秦弦弄西音。
慷慨動顏魄【慷慨動顏色】,使人成荒淫。
彼美佞邪子,婉孌來相尋。
一笑雙白璧,再歌千黃金。
珍色不貴道,詎惜飛光沈。
安識紫霞客,瑤臺鳴素琴【瑤臺鳴玉琴】。
(下し文)
古風,五十九首之五十五
齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。
慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。
彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。
一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。
珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。
安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。
(現代語訳)
(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)
齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。
聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。
彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。
齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。
美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。
このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。
(訳注)
古風,五十九首之五十五
(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)
1 古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。
齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。
齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。
2 齊瑟 瑟は25絃以上の大きい琴。『史記』「蘇秦伝」に臨淄(斉の首都)の豊かな生活を表現するため、臨淄の民で様々な楽器や遊戯を楽しまない者はいないとし、その中の一つに「鼓瑟(瑟を演奏する)」が出てくる。
曹植(曹子建) 《贈丁廙》 「魏詩秦箏發西氣,齊瑟揚東謳。」(秦箏【しんそう】西気を発し、斉瑟【せいしつ】東謳【とうおう】を揚ぐ。)秦の筝は西方の国のメロディーを流し西方の気分にしてくれる。斉の瑟をかなでると東方の国の歌を声を張り上げて歌うのだ。
36曹植(曹子建) 《贈丁廙》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3106
3 東吟 東国の歌。
4 秦弦 秦の国から出た弦。
5 西音 西国の音律。魏文帝詩《東舞南歌》「齊倡發東舞,秦箏奏西音。有客從南來,為我彈清琴。」(齊倡 東舞を發き,秦箏 西音を奏る。客有り南從り來り,我が為に清琴を彈く。)とあるにもとづく。唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。
慷慨動顏魄,使人成荒淫。
聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。
6 慷慨 ① 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。② 意気が盛んなこと。また、そのさま。
7 顏魄 心顏。
彼美佞邪子,婉孌來相尋。
彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。
8 佞邪 不正な心をもちながら、人にへつらうこと。また、その人。
9 婉孌 艶やかで、飛び切り美しい顔達。妖艶な顔。班固《漢書述哀記》曰「婉孌董公、惟亮天工」顔師古註 婉孌美貌。美貌。
《詩‧齊風‧甫田》: “婉兮孌兮, 總角丱兮。”
一笑雙白璧,再歌千黃金。
齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。
10 一笑 一笑千金【釋義】:美女一笑,價值千金。形容美人一笑很難得。 【出處】:漢·崔駰《七依》:“回顧百萬,一笑千金。”白居易《長恨歌》眸一笑百眉生(
眸を廻めぐらして一笑すれば百眉ひゃくび生ずる。)
珍色不貴道,詎惜飛光沈。
美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。
11 飛光 1日月、飛逝的光陰。
南朝
梁
沈約
《宿東園》「飛光忽我遒,
豈止歲云暮。」(飛光忽ち我に遒る,
豈に止歲云暮。) 張銑の註に 飛光とは日月をいう也
安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。
このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。
12 紫霞客 霞を食するという仙人。
13 瑤臺 玉で飾った美しい高殿。仙人の住む所。淮南子·本經:「帝有桀紂,為琁室瑤臺象廊玉床。」
仙人居住的地方。
李白《巻四30清平調三首之一》(興慶宮での宴の模様を述べる)「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。)雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。
743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首之一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063
14 素琴 琴の素朴にして、金玉珍宝を飾りにしていないものをいう。
嵇康《幽憤詩》「習習谷風吹我素琴。」 素琴とは琴の素樸を謂う。金玉や珍寶を用いず、以て飾を為す者なり。