漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 巻一

744年年44歳-8李太白集055巻一55 古風,五十九首之五十五 422Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-8【56首】Ⅰ李白詩1788 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7480

李白  古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)  齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

李太白集巻一43

五十九首之五十五

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7480

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 
  2016年3月14日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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-370-055巻一55 古風,五十九首之五十五 (齊瑟彈東吟,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-55

文體:

五言古詩

李太白集 

01-55

 

 

詩題:

古風,五十九首之五十五

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

制作年:              744年天寶三年    44

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十五

 

 

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

 

霓裳羽衣舞002 

『古風,五十九首之五十五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

(異文)

齊瑟彈東吟【齊瑟揮東吟】,秦弦弄西音。

慷慨動顏魄【慷慨動顏色】,使人成荒淫。

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

一笑雙白璧,再歌千黃金。

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴【瑤臺鳴玉琴】。

 

(下し文)

古風,五十九首之五十五

齊瑟 東吟を彈じ,秦弦 西音を弄ぶ。

慷慨 顏魄を動かし,人をして 荒淫を成さしむ。

彼の美 佞邪【はいじゃ】の子,婉孌【えんれん】 來って相い尋ぬ。

一笑せば 雙の白璧,再歌せば 千黃金。

珍色 道を貴ばざる,詎んぞ 飛光の沈むを惜まん。

安んぞ紫霞の客を識らん,瑤臺 素琴を鳴らすを。

花蕊夫人002 

(現代語訳)

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之五十五

(この詩は、いたずらに、外面の美に眩せられ、色を珍とし、媚に甘く、道を貴ばざる世俗の愚を嘲ったものである。)

1 古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。

齊の国で出来た瑟を弾じて、つぎには、秦の国から出た弦をはらって、西国の音律を弄す。

2 齊瑟 瑟は25絃以上の大きい琴。『史記』「蘇秦伝」に臨淄(斉の首都)の豊かな生活を表現するため、臨淄の民で様々な楽器や遊戯を楽しまない者はいないとし、その中の一つに「鼓瑟(瑟を演奏する)」が出てくる。

曹植(曹子建) 《贈丁廙》 「魏詩秦箏發西氣,齊瑟揚東謳。」(秦箏【しんそう】西気を発し、斉瑟【せいしつ】東謳【とうおう】を揚ぐ。)秦の筝は西方の国のメロディーを流し西方の気分にしてくれる。斉の瑟をかなでると東方の国の歌を声を張り上げて歌うのだ。 

36曹植(曹子建) 《贈丁廙》 魏詩 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 3106

3 東吟 東国の歌。

4 秦弦 秦の国から出た弦。

5 西音 西国の音律。魏文帝詩《東舞南歌》「齊倡發東舞,秦箏奏西音。有客從南來,為我彈清琴。」(齊倡 東舞を發き,秦箏 西音を奏る。客有り南從り來り,我が為に清琴を彈く。)とあるにもとづく。唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

 

慷慨動顏魄,使人成荒淫。

聞く人にそれを聞き分けてもらおうと、様々な曲を演奏すると、これに深く感じ入って,心顏を動かし、はては、荒淫の情を催すようになる。

6 慷慨 ① 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。② 意気が盛んなこと。また、そのさま。

7 顏魄 心顏。

 

彼美佞邪子,婉孌來相尋。

彼の美人は、佞邪なものであって、巧みに媚をあらわして、人の意を迎えていて、艶やかで、飛び切り美しい顔達で風情ありげにこちらに来て尋ねている。

8 佞邪 不正な心をもちながら、人にへつらうこと。また、その人。

9 婉孌 艶やかで、飛び切り美しい顔達。妖艶な顔。班固《漢書述哀記》曰「婉孌董公、惟亮天工」顔師古註 婉孌美貌。美貌。 《詩齊風甫田》:婉兮孌兮, 總角丱兮。”

 

一笑雙白璧,再歌千黃金。

齊瑟秦弦、東吟西音と使分けて相手の心を動かして、最初に一笑すれば、白璧一雙を博し得、再び唄えば、千両の黄金を手にするという有様である。

10 一笑 一笑千金【釋義】:美女一笑,價千金。形容美人一笑很難得。 【出處】:漢·崔駰《七依》:“回顧百萬,一笑千金。”白居易《長恨歌》眸一笑百眉生( 眸を廻めぐらして一笑すれば百眉ひゃくび生ずる。)

 

珍色不貴道,詎惜飛光沈。

美人の愛嬌は、もとより言をまたざれども、これに惑わされる衆人の不束は愈々持って甚だしいものである。もちろん現代一般の風として、ただの色の美なるをめずらしがり、道の貴きを知らず、つまらぬことに打ち興じて、日月の沈みゆくのを惜しむことがあろうか。

11 飛光 1日月、飛逝的光陰。 南朝 沈約 《宿東園》「飛光忽我遒, 豈止云暮。」(飛光忽ち我に遒る, 豈に止云暮。) 張銑の註に 飛光とは日月をいう也

 

安識紫霞客,瑤臺鳴素琴。

このようにして、艶めかしく心を動かす美人の音楽などに比較すれば、霞を食するという仙人が玉で飾った美しい高殿のうえに座して、ことを断ずる、その声の方がはるかに貴く、且つ、思いを得ているのであるから、世人はこれを解さないから仕方がないというものである。

12 紫霞客 霞を食するという仙人。

13 瑤臺 玉で飾った美しい高殿。仙人の住む所。淮南子·本經:「帝有桀紂,為琁室瑤臺象廊玉床。」 仙人居住的地方。

李白《巻四30清平調三首之一》(興慶宮での宴の模様を述べる)「若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。」(雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。)雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063

14 素琴 琴の素朴にして、金玉珍宝を飾りにしていないものをいう。

嵇康《幽憤詩》「習習谷風吹我素琴。」 素琴とは琴の素樸を謂う。金玉や珍寶を用いず、以て飾を為す者なり。

744年年44歳-7李太白集043巻一43 古風,五十九首之四十三 421Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-7【56首】Ⅰ李白詩1787 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7475

李白  古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

李太白集巻一43

五十九首之四十三

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744年天寶三年44歳 

56-7

421 <1000

 

 

 

-369-043巻一43 古風,五十九首之四十三 (周穆八荒意,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-43

文體:

五言古詩

李太白集 

01-43

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 崑崙山

 

交遊人物:

 

 

 

 

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

漢長安城 00 

『古風,五十九首之四十三』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十三

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

淫樂心不極,雄豪安足論。

西海宴王母,北宮邀上元。

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

 

 

(下し文)

(古風,五十九首之四十三)

周穆 八荒の意,漢皇 萬乘の尊。

淫樂 心極らず,雄豪 安んぞ論ずるに足らん。

西海 王母を宴し,北宮 上元を邀う。

瑤水に遺歌を聞き,玉杯 竟に空しく言う。

靈跡は蔓草を成し,徒らに千載の魂を悲しまん。

 

(現代語訳)

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。

 

(訳注)

古風,五十九首之四十三

(周の穆王、漢の武帝を幷挙し、これを借りて、玄宗の崩御を悼んだのである。玄宗は豪奢を事とし、殊に神仙の道を好んだその点が、二君に酷似しているので、これに擬したものである。)

 

周穆八荒意,漢皇萬乘尊。

周の穆王は八駿の名馬に乗って、造父を馭者として、八荒の遠いところまで、巡遊せられ、漢の武帝は万乗の君位にいて、四海を経営された。

1 周穆 齊賢曰“《列子》「周穆王駕八駿至赤水之陽、升崑崙丘觀黄帝之觴王母於瑶池之上。」王母爲王謡王和之。”(《列子》に「周の穆王、八駿に駕して赤水の陽に至り、崑崙の丘に升って黄帝の、王母に瑶池の上に觴す。」王母、王の爲に謡い、王、之に和す。周の穆王は8頭たての馬車に乗り、西の彼方にある赤水の南の神々が住むとされた崑崙山に立ち寄り西王母に会い、黄帝のを觀、王母に瑶池の上に酒を飲み、ねぎらってくれた。王母は王のために謡、穆王はこれに答えて歌った。

周穆王;在位期間:前985? - 940年。穆王(ぼくおう)は周朝の第5代王。昭王の子であり、昭王が楚への遠征途上で行方不明になったことより仮に王位に即位、その後に昭王の死が判明したので正式に即位した。彼は中国全土を巡るのに特別な馬(穆王八駿)を走らせていたと言われる。すなわち、土を踏まないほど速い「絶地」、鳥を追い越す「翻羽」、一夜で5,000km走る「奔霄」、自分の影を追い越す「越影」、光よりも速い「踰輝」と「超光」、雲に乗って走る「謄霧」、翼のある「挟翼」の8頭である。穆王はこの馬を駆って犬戎ら異民族を討った。また、司寇(司法官の長)である呂侯に命じて『呂刑』と呼ばれる刑法を定めて社会の安定を図ろうとしたが、その3千と言われる罪状の多さに却って諸侯や民衆の反感を買った。また彼は西の彼方にある、神々が住むとされた崑崙山にも立ち寄り西王母に会い、西王母が後に入朝したと言う。このことは穆天子伝としてまとめられている。神話、伝説の要素を多く含む中国最古の旅行記である。

2 漢皇 この句は太平廣記に見える故事で、前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。《太平廣記》「元封元年七月七日、王母乘/紫雲輦、駕九色斑麟降漢東向坐。帝跪問寒暄。畢因呼帝坐、遣侍女、與上元夫人相聞云、「比不相見四千餘年、劉徹好道、適來觀之。夫人可暫來否。」帝問、「上元何真也。」曰「是三天真皇之母、上元之官。」俄而夫人至可。年二十餘、頭作三角髻、餘髮散垂至腰。帝拜。夫人曰「汝好道乎。汝胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者常舎于榮衛之中、雖暴長生亦自勞耳。」(元封元年七月七日、王母、/紫雲の輦に乘じ、九色の斑麟に駕して漢降る。東向して帝、跪いて寒暄を問う。畢るや、因って帝を呼んで坐せしめ、侍女を遣して、上元夫人と相聞して云う、「比れ相い見ざること四千餘年、劉徹 道を好む、適ま來って之を觀る。夫人、暫く來るべきや否や。」と。帝問う、「上元は何の真ぞや。」曰く「是れ三天真皇の母、上元の官。」と。俄にして、夫人至る可し。年二十餘ばかり、頭には三角髻を作し、餘髮は散垂して腰に至る。 夫人曰く「汝 道を好むや。汝、胎性暴、胎性淫、胎性奢、胎性酷、胎性賦、五者 常に榮衛の中に舎す、長生を暴うと雖も亦た自ら勞するのみ。

漢の武帝。159BC-87BC。前漢7代目。在位141BC-87BC。若くして皇帝となり、治世は54年に及ぶ。内外にわたり思い切った施策を行なう。匈奴には対抗的な政策を取り、衛青、霍去病などを登用する。この匈奴との抗争の際、捕虜となった李陵をめぐり、正論を発した司馬遷を宮刑にするなど、狭量な面もある。張騫を西方に遣わし、シルクロードを創始する。巨視的に見れば、卓越した君主であった。

 

淫樂心不極,雄豪安足論。

穆王は淫樂の心は極まらず、果ては中原で満足せず、何か変わったところに行ってみたいという考えを起こしたからであるし、武帝は、雄豪な人であったが、その結果を見ればもとより論ずるに足らないのである。

3 淫樂 みだらな楽しみ。肉欲の楽しみ。禎卿曰 淫樂二句言人君好荒淫樂佚則雖其/氣度超邁亦何足論哉。

 

西海宴王母,北宮邀上元。

穆王は、西海の端まで行って、西王母と酒宴を催して、武帝は北宮に於いて、上元夫人を迎えられた。

4 西王母 中国の神話上の女神。玉山または崑崙(こんろん)山に住む,人面・虎歯・豹尾の女神。のち,神仙思想の発展とともに仙女化され,周の穆(ぼく)王が西に巡狩した時,瑶池で宴を開き,漢の武帝に降臨して仙桃を与えたという。道教の成立後は東王父と一組の神格とされた。

5 北宮 北宮 長安城内にある。桂宮と近い。未央宮の北にある。周回十里。前殿の広さ五十歩(凡そ58m) 甘泉宮 またの一名を雲陽宮という。

・上元 『漢武内伝』王母侍女ヲ遣シテ上元夫人ヲ迎フ. 王母乃ち侍女郭密香を遣はし 上元夫人 ( じょうげんふじん ) に相問して云く、九光の王母敬謝す。 但し相見ざること四千余年なり。天事我を労し、以て ( めん ) ( たが ) ふことを致す。

・六朝(りくちよう)初期の霊宝派や上清派の道教と密接な関係をもちつつ形成された仙伝『漢武内伝』。前漢の武帝が仙道を求め,7月7日に女仙の西王母と上元夫人とが武帝のもとに降臨して道教経典と教戒とを授けたが,武帝が行いを慎まなかったため,結局,道を得ることができなかったことを記す。七夕における女神たちとの神秘的な会合の場は,後世しばしば詩文の題材となった。

 

瑤水聞遺歌,玉杯竟空言。

二君ともに、その当時はこの上もないことだと思っておられたのだろうが、穆王が瑤池の宴が終わると、やがて西王母に別れを告げて帰ってしまい、白雲の詩のみが残っているだけで、その楽しみは決して再びすることはできない。武帝は間もなく崩御になって、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話もあって、いずれ誰かに墓を暴かれたのであろう。

5 瑤水 西王母が 穆王を接待したのが瑤地であり、天山山脈中の地点に比す人もある。

6 玉杯 武帝が崩御されて、茂陵に葬られ、その中に収められた玉杯が知らぬ間に長安の街にでたという話は三輔黄圖、廟記にみえる。《三輔黄圖、廟記》“曰「神明臺武帝。祭仙人處、上有承露盤、有銅仙人、舒掌、捧銅盤、玉杯、以承雲表之露。以露和玉屑、服之以求仙道。」(曰く「神明臺、武帝つくる。仙人を祭る處、上に承露盤有り、銅仙人有り、掌を舒べ、銅盤、玉杯、を捧げ、以って雲表の露を承く。露を以て玉屑に和し、之を服して、以て仙道を求む。」)とあり、別に、《太平御覽、漢武故事》には「上崩後鄠縣有一人。于市貨玉杯。吏 疑其御物、欲捕之。因忽不見。縣 送其器推問、乃茂陵中物也。霍光、自呼吏問之、説市人形貌、如先帝其事。」”「上崩ぜし後、鄠縣に一人有り。市に于て玉杯を貨す。吏 其の御物たるを疑うて、之を捕えんと欲す。因って忽ち見えず。縣 其の器を送って推問すれば、乃ち茂陵の中の物なり。霍光、自ら吏を呼んで之を問う、市人の形貌を説く、先帝の其の事の如し。」)とあることが、李白のこの詩と合致する。

 

靈跡成蔓草,徒悲千載魂。

そうしてみれば、これら帝王と雖も、死後には一物の存在するものはなく、折角の霊跡も、曼草となって、千歳の下、いたずらに人の魂を悲しませるのは誰しも皆同じことで、殊に淫楽をほしいままにし、雄豪をもって自ら心良しとしたとしても何にもならないことであろう。
長安付近図00 

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李白  古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを白鴎をもって擬したもの。)波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。 

李太白集巻一42

五十九首之四十二

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7470

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56-6

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-368-042巻一42 古風,五十九首之四十二 (搖裔雙白鷗,)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-42

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五  #1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

 

製作年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十二 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

漢文委員会紀頌之タイトル長安付近図00 

 

『古風,五十九首之四十二  』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十二 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

寄形宿沙月【寄影宿沙月】,沿芳戲春洲。

吾亦洗心者,忘機從爾遊。

 

 (下し文)

古風,五十九首之四十二 

搖裔たる雙白鷗,鳴いて飛ぶ滄江の流。

宜しく 海人と狎るべし,豈に伊れ雲鶴の儔【ちゅう】ならんや。

形を寄せて 沙月に宿し,芳に沿うて春洲に戲る。

吾 亦た 心を洗う者,忘機をれて 爾に從って遊ばん。 

 

(現代語訳)

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。

 

 

(訳注)

古風,五十九首之四十二 

(滄海の上に飛ぶ白鷗を見て、仙郷に往き切れない自らを、白鴎をもって擬したもの。)

0 四十二【解説】 元、蕭士贇の補註の説によると、齊賢曰列子海上之人有好鷗鳥者每旦之海上從鷗鳥遊鷗鳥之至者百住而不止士。」「贇曰此太白託興之詩也雲中之鶴在位之人也海/上之鷗閒散之人也(齊賢曰く「列子海上の人、鷗鳥を好む者有り、每旦、海上に之き鷗鳥に從い鷗鳥と之を遊び至る者は百住して、士に止らず。」贇、曰く「此れ太白託興の詩なり。雲中の鶴は在位の人にうなり上の鷗は閒散の人にうなり

詩意は齊、謝朓、和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】.に倣うものである。

和徐勉出新林渚【和徐都曹出新亭渚】(徐都曹の「新亭の渚に出づ」に和す。)

宛洛佳遨遊, 春色滿皇州,

宛・洛は、遨遊するに佳く,春色は皇州に滿つ。

結軫青郊路, 迴瞰蒼江流,

軫を青郊の路に結【めぐ】らし,迴【はる】かに蒼江の流れを瞰る。

日華川上動, 風光草際浮,

日華は川上に動き,風光は草際に浮ぶ。

桃李成蹊徑, 桑楡蔭道周,

桃李 蹊徑を成し,桑楡 道周を蔭う。

東都已俶載, 言歸望綠疇。

東都 已に載【こと】を俶【はじ】む,言【ここ】に歸りて 綠の疇を望まん。

また、南朝宋鮑照《擬行路難》詩之三「寧作野中之雙鳧,不願雲間之別鶴。」もこれの基づいているものとおもえる

雲中の鶴は、仙官の控御にあたる者たちであり、朝廷の者たちを示すものである。海上のカモメは、閒散の人にたとえたもので、李白の半官半隠の思いを示すものである。

 

搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。

波の上に浮きつ、沈みつする番の白鴎は、滄江の上に飛鳴している。

1 搖裔 波の上に浮きつ、沈みつする。

 

宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。

この白鴎は無心なる海上の若者と狎れて遊ぶべくして、仙人を載せて飛ぶという雲中の鶴の類いではない。

2 與海人狎 無心なる海上の若者と狎れて遊ぶ。

3 雲鶴 雲中の鶴。

 

寄形宿沙月,沿芳戲春洲。

この白鴎というのは、あくまで閑散を好み、その行動はすべて自在である。かくて形骸を寄せて、砂上の月に宿し、花の下にいては春の洲渚に戯れている。

 

吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

その長閑さは、他にその類を見ないくらい、我もまた塵心を洗い去り、浮世の機を忘れ、悠々として、汝に随って遊びたいものである。
 大明宮の圖003

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李白  古風,五十九首之四十

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

幸遇王子晉。 結交青云端。懷恩未得報。 感別空長嘆。

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)  鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

李太白集巻一40

五十九首之四十

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Index-24

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index-23-1 744年天寶三年44-5 古風,五十九首之二十二(鳳饑不啄粟)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-40

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之四十

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 

 

 

 

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

#2

泣與親友別,欲語再三咽。勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕。焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

40巻一 古風,五十九首之四十    鳳飢不啄粟。

年:744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之四十 

作地點: 目前尚無資料 

及地點:  崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)     

三門 (都畿道 陜州 三門) 別名:砥柱    

 

-367-040巻一40 古風,五十九首之四十 (鳳飢不啄粟,) 

古風,五十九首之四十

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳飢不啄粟。 所食唯琅玕。

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

焉能與群雞。 刺蹙爭一餐。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。

朝鳴昆丘樹。 夕飲砥柱湍。

かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。

歸飛海路遠。 獨宿天霜寒。

渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。

幸遇王子晉。 結交青云端。

ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。

懷恩未得報。 感別空長嘆。

しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

 

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

秦嶺山脈終南山 

『古風,五十九首之四十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之四十

鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.

焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。

歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

幸遇王子晉,結交青雲端。

懷恩未得報,感別空長歎。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の四十)

鳳は飢うるも 粟【ぞく】を啄【つい】ばまず、食う所は 唯だ琅玕【ろうかん】。

焉んぞ能く 群雞と与【とも】に、刺蹙【せきしゅく】して 一餐【いっさん】を争わん。

朝には崑邱の樹に鳴き、夕には砥柱【ていちゅう】の瑞に飲む。

帰り飛んで 海路遠く、独り宿して 天霜寒し。

幸に王子晋に遇わば、交わりを青雲の端に結ぶ。

恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。

 

(現代語訳)

古風,五十九首之四十(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

西嶽華山00 

(訳注)

古風,五十九首之四十

(此の詩は君側を遠ざけられた感慨を、鳳凰鳥によせて、「懐恩未得報、感別空長歎。」(恩を懐うて 未だ報ずるを得ず、別れを感じて 空しく長嘆。)と情思纏綿たることを詠ったもの。)

 

鳳飢不啄粟、所食唯琅玕。
鳳凰は百鳥の王である、いかに空腹で飢えていても、ただの粟などの穀物を啄んだりはしない、鳳凰が食うのは、琅玕の玉に比すべき、即ち竹の実だけである。

2 鳳凰 姫を鳳、雌を凰といい、想像上の動物。聖人が天子の位にあれば、それに応じて現われるという瑞鳥である。形は、前は臍、後は鹿、くびは蛇、尾は魚、もようは竜、背は亀、あごは燕、くちばしは鶏に似、羽の色は五色、声は五音に中る。梧桐に宿り、竹の実を食い、酵泉の水を飲む、といわれる。李白自身を指す。

3 粟 穀物の総称。賄賂が平然となされていたことを示す。

4 所食唯琅玕 楊齊賢は離騷の注に曰う「南方有鳥其名為鳳天為生樹名/曰瓊枝高百二十仞大三十圍以琳琅為實」(南方に鳥有り、其の名を鳳と為す。天 為めに樹を生じ、名づけて瓊枝と曰う。高さ百二十仞、大きさ三十圍、琳琅を以て實と為す。)にもとづく。・琅玕 玉に似た一種の石の名。「山海経」には「崑崙山に琅玕の樹あり」とある。即ち竹の実。鳳がそれを食うといわれる。天子から受ける俸禄を意味する。


焉能與羣鶏、刺蹙爭一餐。
そこで、いかなるばあいでも、にわとりの群れと一緒になってとしても、齷齪として、一餐をとりあらそうような吝なまねなど、一切しない。
5 羣鶏 宮廷の官吏、宦官、宮女をさす。

6 刺蹙 こせこせ。齷齪とする。


朝鳴崑邱樹、夕飮砥柱湍。
かくて、朝には崑崙山の頂上の高き木の上で鳴き、夕方には、黄河の流れの中にある砥柱の早瀬の水を飲むのである。
7 崑邱樹 崑崙山の絶頂にそびえる木。「山海経」に「西海の南、流沙の浜、赤水の後、黒水の前、大山あり、名を足寄の邸という」とある。朝の朝礼、天子にあいさつする。山海經「西海之南流沙之濵赤水之後黑水之前有大山名曰崑崙之丘。」(西海の南、流沙の濵、赤水の後、黑水の前、大山有り。名を崑崙の丘と曰う。)

8 砥柱濡 湖は早瀬。砥柱は底柱とも書き、黄河の流れの中に柱のように突立っている山の名。翰林院での古書を紐解き勉学する。元和郡縣志「底柱山、俗名三門山、在陜州硤石縣東北五十里黄河中。禹貢曰“𨗳河積石至于龍門又東至于底柱註云河水分流包山而過山見水中若柱然也”」(底柱山、俗名三門、山は陜州硤石縣の東北五十里、黄河中に在り。禹貢 曰く“河に積石を𨗳いて龍門に至り、又、東 底柱に至る。註に云い河水分流、山を包んで過ぐ。山は水中に見われ、柱の若く然るなり”)とある。

9 朝鳴二句「淮南子」に「鳳凰、かって万仞の上に逝き、四海の外に翔翔し、崑崙の疏圃を過ぎ、砥柱の湍瀬に飲む」とあるのにもとづく。


歸飛海路遠、獨宿天霜寒。

渺茫たる万里の波濤を越えて飛びかえり、その住まいとするところも人里を遠く離れたところであるから、ひとりで宿る住まいは、天より霜が降りて寒いものであろうが厭いはしない。
10 海路遠 仙境は東海、滄海の上はるか先に泛ぶ三山の島ということ。


幸遇王子晉、結交青雲端。
ただ、幸いにして、さきに、笙を吹くのがうまかった仙人の王子晋に出会え、青雲の端に結んでその恩恵を受けたことがあるのである。
11 王子晉 むかしの仙人。周の霊王の王子で、名は晋。笙を吹いて鳳の鳴きまねをするのが好きで、道士の浮邱という者といっしょに伊洛(いまの河南省)のあたりに遊んでいたが、ついには白鶴に乗って登仙したといわれる。《列仙傳》曰「周靈王太子名晉好吹笙作鳳鳴遊伊洛間/道士浮丘公接上嵩高山三十年後乘白鶴在緱氏山頭舉手謝時/人數日去」に見える。13の字解を参照。

12 青雲 青雲の志、立身出世。
 

 

懐恩未得報、感別空長歎。
しかし、受けたご恩に奉ずることはいまだにできていない、そこで、この人に別れるのがつらいということで、覚えずに長歎を空しく繰り返しているのである。

13 この二句 元の蕭士贇の《補註》曰「此詩似/太白自比。之作太白雖帝族非凡輩可儕、然孤寒疎知章、薦之方能致身金鑾、帝知遇可、謂「結交青雲端矣」此恩未報臨別之時安能/不感嘆哉」(士贇は曰う“此詩は太白 自ら比するに似たり。之作は太白は雖帝族にして凡輩の儕しゅうす可きに非ずとも、然れども孤寒疎知章、之を薦めて、方に能く身を金鑾に致し、帝の知遇をる、「交りて青雲の端を結ばんや」と謂う可し。此の恩、未だ報せず、別に臨んで之の時、安んぞ能く感嘆せざらんや”

744年年44歳-4李太白集022巻一22 古風,五十九首之二十二 418Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-4【56首】Ⅰ李白詩1784 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7460

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

感物動我心,緬然含歸情。昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)  長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。

李太白集巻一22

古風,五十九首之二十二

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744年天寶三年44歳 

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index-23-1 744年天寶三年44-4 古風,五十九首之二十二(世道日交喪)

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-22

文體:

五言古詩

李太白集 

01-22

 

 

詩題:

古風,五十九首之二十二

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都

 

 

 華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 

揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

  鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

  朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

  幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

 

 

 

 

-366-022巻一22 古風,五十九首之二十二 (秦水別隴首,) 

Index-23-1 744年天寶三年44366

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年:  744  天寶三年  44

卷別: 卷一六一  文體: 五言古詩 

詩題: 古風,五十九首之二十二 

 

古風,五十九首之二十二

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。
感物動我心,緬然含歸情。

此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。
#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。
嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

それに、桑の葉は群がり生じて、しなやかにまとわりついているし、柳は見事に繁って、煙れる枝を垂れていることであろう。
急節謝流水,羈心搖懸旌。

時節は流れる水よりも早くながれ、わが旅人の心は旗のように揺れうごいて落ち気はしない。
揮涕且復去,惻愴何時平。 

こうして、今、涙を払ってともかくもこの地を去って、旅を続けようとするので、愴然として心を傷ましめ、この重たく暗い思いは何時になったら平静になるのであろうか。

(古風,五十九首の二十二)

秦水【しんすい】  隴首【ろうしゅ】に別れ、幽咽【ゆうえつ】して悲声多し。

胡馬【こば】  朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。

物に感じて我が心を動かし、緬然【めんぜん】として帰情を含む。

#2
昔は視る  秋蛾【しゅうが】の飛ぶを、今は見る  春蚕【しゅんさん】の生ずるを。
嫋嫋【じょうじょう】として桑は葉を結び、萋萋【せいせい】として柳は栄を垂る。
急節  流水のごとく謝【さ】り、羇心【きしん】   懸旌【けんせい】を揺るがす。
涕を揮って且【しばら】く復()た去り、惻愴【そくそう】  何【いず】れの時か平かならん。

 

馬002 

『古風,五十九首之二十二』 現代語訳と訳註

(本文) 古風,五十九首之二十二

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。

揮涕且復去,惻愴何時平。 

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十二)

秦水【しんすい】  隴首【ろうしゅ】に別れ、幽咽【ゆうえつ】して悲声多し。

胡馬【こば】  朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。

物に感じて我が心を動かし、緬然【めんぜん】として帰情を含む。

#2

昔は視る  秋蛾【しゅうが】の飛ぶを、今は見る  春蚕【しゅんさん】の生ずるを。

嫋嫋【じょうじょう】として桑は葉を結び、萋萋【せいせい】として柳は栄を垂る。

急節  流水のごとく謝【さ】り、羇心【きしん】 懸旌【けんせい】を揺るがす。

涕を揮って且【しばら】く復()た去り、惻愴【そくそう】  何【いず】れの時か平かならん。

 

(現代語訳)

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
胡地の馬がその地を去るときに、は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて長く嘶いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、故郷に別れを告げるのである。
此処に、外界の景色を見るにつけて、詩人としての私の心を動かした、わかれにはいろんな思いにふけるものである、これから先の旅路のはるか遠くのことを考えると長安を旅立つというのではなくはやくこの故郷に帰ってきたいと思う気持ちの方が強いものである。
#2

先に、家を出るとき、秋の蛾が飛んでいたが、何時しか冬を過ぎたが、いまはどうだろう、もう、春の蚕が生まれていることだろう。
それに、桑の葉は群がり生じて、しなやかにまとわりついているし、柳は見事に繁って、煙れる枝を垂れていることであろう。
時節は流れる水よりも早くながれ、わが旅人の心は旗のように揺れうごいて落ち気はしない。
こうして、今、涙を払ってともかくもこの地を去って、旅を続けようとするので、愴然として心を傷ましめ、この重たく暗い思いは何時になったら平静になるのであろうか。

太白山001 

(訳注)

古風,五十九首之二十二

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

(此の詩は別れの時の詩、長安を去るものの情思纏綿たることを詠ったもの。)

 

秦水別隴首。 幽咽多悲聲。
長安を旅立つものは東流する秦水がやがて隴山に別れを告げるために、ひとしれずむせび泣き嗚咽して悲しい声を発てて流れてゆく。
1 秦水 渭水の上流部、隴西の流域。 《水經注卷十七》「秦水西逕降隴縣故城南,又西南自亥、松多二水出隴山,合而西南流,逕降隴城北,又西南注秦水。」(秦水の西逕は隴縣故に城南に降り,又、西南に自ら亥【とざ】す、松多く二水は隴山に出づ,合して 西南に流る,隴城の北に逕降し,又 西南に 秦水に注ぐ。

2 隴首 渭水が隴山のすそをながれるあたりは、杜甫《巻二14前出塞九首其三》「磨刀嗚咽水,水赤刃傷手。欲輕腸斷聲,心緒亂已久。」(隴山までくるとむせび泣いている水が流れている、その水で刀をみがく。水の色がさっと赤くなる、刀の刃が自分の手を傷つけたのだ。自分はこんな腸はらわたを断たせるという水の音などはたいしたことはないつもりなのだが、家と国とのことを考えると以前からさまざま思っていて心がみだれてくる。「前出塞九首」其三 紀頌之の漢詩ブログ杜甫特集 42

《太平御覽、辛氏、三秦記》「隴右西關、其坂紆迴、不知髙里。欲上者、七日乃越。髙處可容百餘家。上有清水、四注流下。俗歌曰、隴頭流水、鳴聲幽咽、遥望秦川、肝腸斷絶。隴首即隴頭也。」(隴右の西關、其の坂 紆迴し、髙さ里なるを知らず。上らんと欲する者は、七日乃ち越ゆ。髙處は百餘家を容る可し。清水、四いで流下す。俗歌に曰く、隴頭の流水、鳴聲は幽咽す、秦川を遥望し、肝腸して斷絶す。隴首隴頭なり)とある

沈約詩《西征登隴首、通鑑地理通釋》「秦州隴城縣有大隴山亦曰隴首山。」(秦州の隴城縣に大隴山有り亦た隴首山と曰う。)とある。


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744年年44歳-3李太白集020巻一20 古風,五十九首之二十 417Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-3【56首】 Ⅰ李白詩1783 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7455

世路多險艱,白日欺紅顏。分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。空聞紫金經,白首愁相誤。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

李太白集巻一20

古風,五十九首之二十

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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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Index-23-1 744年天寶三年44365古風,五十九首之二十昔我遊齊都,

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六一  1-20

文體:

五言古詩

李太白集 

01-20

 

 

詩題:

古風,五十九首之二十

序文

 

作地點:

 長安

 

 

及地點:

 臨淄 (河南道 青州 臨淄) 別名:齊都

 

 

 華不注山 (河南道 齊州 華不注山) 別名:華不注峰

 

 

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

古風,五十九首之二十 #1

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

 

古風,五十九首の二十

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

 

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

 

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

 

『古風,五十九首之二十』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

(下し文)

(古風,五十九首の二十) #1

昔 我 齊都に遊び,華 不注の峰に登る。

茲の山 何ぞ峻秀,綠翠 芙蓉の如し。

蕭颯たる 古仙人,了に知る是れ赤松なるを。

予に一の白鹿を借し,自ら兩の青龍を挾む。

笑を含んで倒景を凌ぎ,欣然として相い從わんことを願う。

#2

泣いて親友と別れ,語らんと欲して再三 咽ぶ。

君が青松の心を勗め,努力して霜雪を保てよ。

世路 險艱多く,白日 紅顏を欺く。

分手をてば各の千里,去去 何れの時か還らん。

世に在り 復た幾時ぞ,倏として 飄風の度るが如し。

#3

空しく聞く 紫金經を,白首 相い誤るを愁う。

己を撫して忽ち自ら笑う,沈吟 誰が為めの故ぞ。

名利 徒らに煎熬【せんごう】,安んぞ余が步みを閒にするを得ん。

終に赤玉の舄【くつ】を留め,東 蓬萊の路に上る。

秦帝 如し我を求めなば,蒼蒼として但だ煙霧のみ。

 

(現代語訳)

古風,五十九首之二十 #1(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

 

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

 

#2

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

 

#3

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之二十 

(仙郷に遊ぶことを詠じている。はじめ赤松に遭遇して愈々仙術を修行することとなり、それから親友に別れて、遠く立ち去る時の感慨を述べたものである。)

古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集し、李白の生き方を述べたものである。

 

#1

昔我遊齊都,登華不注峰。

私が昔、斉都の濟南に遊び、城外のそんなにとおくないところにある華山の華不注峰に登った。

1 齊都 済南市は中華人民共和国山東省に位置する副省級市。山東省の西部に位置し、省都として省内の通商、政治、文化の中心としての地位を占める。市中を黄河が流れ、南には泰山が控えている。人口のほとんどは漢族であるが、満族や回族なども居住している。 言語は北京語に近いが声調がひどく訛る山東方言がある。740年、孔巣父ら5人の道士と徂徠山(現山東省)に集まり、「竹渓六逸」と呼ばれることもあった。

2 華不注峰 中国五岳の一。陝西(せんせい)省の南,秦嶺(しんれい)山脈の東端にある名山。海抜1997メートル。双峰が突き出した険しい山が「華不注山」、頂上の丸いのが「鵲山」である。陝西省華陰県,秦嶺東部の山。黄土高原を南流してきた黄河が東方へ90度転換,渭河と合流する地域にある。東岳泰山,中岳嵩山(すうざん)などとならび中国五岳の一つで,西岳,小秦嶺ともいう。東,西,南,北,中の5峰をはじめ,花コウ岩を主とする山峰が発達した断層山地で,最高は南峰落雁峰の1997m。〈華山は天下の雄たり〉の称がある。山中には寺観が大小30余あり,道教の山となってきた。【

 

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

この山は、平原の上に屈起し、山勢峻にして秀逸であり、草木がこれを蔽って、緑の色の艶々しいことは、さながら芙蓉の花の匂いにおなじである。

3 如芙蓉 華山は、北峰(云台峯)、中峰(玉女峰)、南峰(落雁峰)、西峰(蓮花峰)、東峰(朝陽峰)35つの主な峰からなり、約8千万年前の大きな地殻変動によって出来上がった華山は、火山の噴火などでできた山と違い、断崖絶壁の一枚岩のような作りになっている。この連峰は金鎖関を起点に道が伸びている。この芙蓉というのは、華山の西峰(蓮花峰)と呼ばれるやまをいう。

 

蕭颯古仙人,了知是赤松。

やがて山頂に登りついてみると道風蕭颯たる一人の老人に出会ったが問わずして名だたる赤松子であることがわかった。

4 赤松 赤松子:神農のころの雨師(雨の神)水玉(水精。水晶)を服用し、それを神農にも教えた。  自焼することで火によって尸解したという。西王母の石室に宿り風雨とともに山を上り下りした。  炎帝(神農)の末娘が赤松子を追ってきて仙人になり、二人とも姿を消した。黄帝の曾孫の高辛氏の時代に再び雨師になった。“《列仙傳·赤松子》: 赤松子者,神農時雨師也。服水玉以教神農,能入火自燒。往往至崑崙山上,常止西王母石室中,隨風雨上下。炎帝少女追之,亦得仙,俱去。至高辛時,復為雨師。今之雨師本是焉。 顯示整段. 《太平御覽·昆侖山》: 赤松子者,神農時雨師也。”とある。

 

借予一白鹿,自挾兩青龍。

赤松子は自ら二つの青竜を挟んでその上にまたがり、そして、私に一頭の白鹿を貸してこれに乗れと言った。

5 白鹿 仙人ののるもの。

6 青竜 伝説上の神獣、四神(四象)の1つ。東方青竜。蒼竜(そうりゅう)ともいう。福建省では青虎(せいこ)に置き換わっている。「青」の原義は緑色植物の色であり、本来は緑色をしているとされる。東方を守護する。長い舌を出した竜の形とされる。青は五行説では東方の色とされる。また、青竜の季節は春とされている。天文学上は、二十八宿の東方七宿に対応する。東方七宿(角宿・亢宿・氐宿・房宿・心宿・尾宿・箕宿)をつなげて竜の姿に見立てたことに由来する。

道教における人格神化した名前では、東海青龍王敖広と呼ばれる。清瀧権現の善女龍王は中国・青龍寺に飛来したという。

杜甫『寄張十二山人彪三十韻』

時來故舊少,亂後別離頻。世祖修高廟,文公賞從臣。

商山猶入楚,渭水不離秦。存想青龍秘,騎行白鹿馴。

耕岩非穀口,結草即河濱。

時来たって故旧少なく 乱後別離頻りなり

世祖高廟を修む 文公従臣を賞す

商山猶お楚にガる 洞水秦を離れず

想いを存す青竜の秘なるに 騎行す白鹿の馴るるに

巌に耕すは谷口に非ず 草を結ぶは即ち河浜

四皓の隠れた商山、太公望の釣りを垂れた渭水、みな我が唐に帰した。あなたの隠居の地は回復されている。

道家としての想いは青竜が斎室を守るという道教の秘密を知っており、君はまさに馴れたる白鹿にのってあるくのである。

あなたが漢の鄭子真のように巌石のもとに退耕しようとする場所は長安ちかくの谷口ではない、君が草を結んで庵をつくろうとする処は「神仙伝」にいう河上公の洛陽に遠からざる黄河のほとりであるであろう。

寄張十二山人彪三十韻 杜甫 <318-#4> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブロ1484 杜甫詩 700- 459

 

含笑凌倒景,欣然願相從。

それで子の白鹿に乗って、欣然として笑いを含み、日月を投影を眼底に見下ろされつつ、赤松子に随って愈々天に昇ることになった。

7 倒景 司馬相如《大人賦》「貫列缺之倒景兮,涉豐隆之滂濞。」(列缺の倒景を貫き,豐隆の滂濞を涉る)服虔曰:「列缺,天閃也。人在天上,下向視日月,故景倒在下也。師古曰:「豐隆將雨,故言涉也。滂濞,雨水多也。滂音普郎反。濞音匹備反。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

かくして一たび天にしまえばいつ帰るともわからないから、暫時 暇を盗んで、親友に暇乞いをしてから、これと語り合おうとすれば、再三涙にむせび、言葉も出ないのである。

 

勗君青松心,努力保霜雪。

そうしていうには、君はつとめて堅強なる心を保有し、かの丘に生える松が霜と雪にたゆまぬように努力して養生することがよいのである。

8 努力 努力して養生することをつくす。

 

世路多險艱,白日欺紅顏。

顧みれば、この世には険艱多く、しかも、白日は流れるように立ち去ってしまい、紅顔は決して長く存せず、やがて、白髪頭の老人になってしまうから、せいぜい衰病せぬようにすることが肝要である。

9 欺紅顏 紅顔は決して長く存せずということ。いまは紅顔であってもすぐに欺かれる、いつまでもよいときは続くものではない。

 

分手各千里,去去何時還。

ここは君と手を分かてば各々千里隔たれていて、我は一たびここをされば、いつ帰って来るかわからない、御大事にといって親友と別れたのである。

 

在世復幾時,倏如飄風度。

さて考えてみれば、人がこの世にいるのは、幾ばくの間であろうか、そのこつぜんとして去ることはあたかも旋風が吹きわたると同じである。

10 飄風 急に激しく吹く風。つむじかぜ。はやて。《「老子」23章から》「故飄風不終朝 驟雨不終日」飄風は朝を終えず驟雨は日を終えず。

つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。

 

 

3

空聞紫金經,白首愁相誤。

折角、金丹の練り方の秘訣を聞いたところで、老人になるまで、世事に妨げられて仙道の修行ができず、空しく相い間違うようなことになれば、また再び会うこともできない。

11 紫金經 煉丹の書。後漢時代に左慈という人物が神人から授かった「金丹仙経」をごく少数の集団を経て伝えられたという。・紫金:赤銅(しゃくどう)の異称。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すという点から、道教と密接に関連していた。

 

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

このように思い悩んでから、忽然として大悟し、そこで自ら大笑いして言うには、いましも沈吟して別れを惜しむは、畢竟、「誰がためにするのか、まったく人間離れをするものではない」という。

 

名利徒煎熬,安得閒余步。

このような愚痴な了見も出るので、世間におれば、名利のために煮られたり、炒られたりして終始忙しく駆け回らねばならない。どうして私が足並みを静かにしようかと、そんなことは少しも自分に役がない。

 

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

遠游に出かけて翻然高挙、かの赤松子に随って、ゆっくりと仙術の修行をなそうと思うので、かの安期生が赤玉の靴を留めて、遙かに東、蓬莱山にいったとおなじく、わたしもまた遺跡を人間に留めたまま立ち去ろうとするのである。

12 赤玉舄 安期生が赤玉でもって飾り付けた靴をいう。『列仙伝』 の安期先生も 「赤玉の. 暮」 をのこ し、 『神仙伝』 の茄子訓も棺中にくつを一つのこ していった。 安期先生瑯邪の阜郷(山東省)の人で、秦始皇帝(BC259BC210)が巡遊したとき三日三晩共に語らい、赤玉くつ一足を返礼し、蓬莱山に愚老を捜すように書面を残して去る

13 蓬萊路 古代中国で東の海上(海中)にある仙人が住むといわれていた仙境の1つ。道教の流れを汲む神仙思想のなかで説かれるものである。

 

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

安期生は、一度去った後「秦の始皇帝が使者を遣わして、いくら尋ねてもわからず、東海は蒼蒼として、ただ煙霧の立ち込めるのに任せ、何処にいるか知る由もなかった」と同じく、私としても、この世を辞せし後は、たとえ帝王が捜されたとしても見つかるはずもなく区々たる親友の交誼など特に問うまでもないことなのである。

744年年44歳-2李太白集005巻一05 古風,五十九首之五 416Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-2【56首】-364-005Ⅰ李白詩1782 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7450

巻一5 古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。

李太白集巻一05

古風,五十九首之五

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Index-24

744年天寶三年44歳 

56-2

416 <1000

 

 
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744年天寶三年44巻一05 古風,五十九首之五 (太白何蒼蒼,) 

古風,五十九首之五

太白何蒼蒼,星辰上森列。去天三百里,邈爾與世

中有綠發翁,披雲臥松雪。不笑亦不語,冥棲在岩穴。

我來逢真人,長跪問寶訣。粲然玉齒,授以煉藥

銘骨傳其語,竦身已電滅。仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永與世人別。

 

古風,五十九首之二十 #1

昔我遊齊都,登華不注峰。

茲山何峻秀,綠翠如芙蓉。

蕭颯古仙人,了知是赤松。

借予一白鹿,自挾兩青龍。

含笑凌倒景,欣然願相從。

 

#2

泣與親友別,欲語再三咽。

勗君青松心,努力保霜雪。

世路多險艱,白日欺紅顏。

分手各千里,去去何時還。

在世復幾時,倏如飄風度。

 

#3

空聞紫金經,白首愁相誤。

撫己忽自笑,沈吟為誰故。

名利徒煎熬,安得閒余步。

終留赤玉舄,東上蓬萊路。

秦帝如我求,蒼蒼但煙霧。

 

 

古風,五十九首之二十二

秦水別隴首,幽咽多悲聲。

胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。 

感物動我心,緬然含歸情。

#2

昔視秋蛾飛,今見春蠶生。 

嫋嫋桑柘葉,萋萋柳垂榮。

急節謝流水,羈心搖懸旌。 

揮涕且複去,惻愴何時平。 

 

古風,五十九首之四十

  鳳饑不啄粟,所食唯琅玕.焉能與群雞,刺蹙爭一餐。 

  朝鳴昆丘樹,夕飲砥柱湍。歸飛海路遠,獨宿天霜寒。 

  幸遇王子晉,結交青雲端。懷恩未得報,感別空長歎。 

 

古風,五十九首之四十二

  搖裔雙白鷗,鳴飛滄江流。宜與海人狎,豈伊雲鶴儔。 

  寄形宿沙月,沿芳戲春洲。吾亦洗心者,忘機從爾遊。 

 

古風,五十九首之四十三

  周穆八荒意,漢皇萬乘尊。淫樂心不極,雄豪安足論。 

  西海宴王母,北宮邀上元。瑤水聞遺歌,玉懷竟空言。 

  靈跡成蔓草,徒悲千載魂。 

 

古風,五十九首之五十五

  齊瑟彈東吟,秦弦弄西音。慷慨動顏魄,使人成荒淫。 

  彼美佞邪子,婉孌來相尋。一笑雙白璧,再歌千黃金。 

  珍色不貴道,詎惜飛光沉。安識紫霞客,瑤台鳴素琴。 

 

太白山001 

 

Index-23        -1 744年天寶三年44

巻一5 古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

去天三百里,邈爾與世

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
中有綠髮翁,披雲卧松雪。

その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
不笑亦不語,冥棲在岩穴。

そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
古風,五十九首の五

#1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

 

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
粲然玉齒,授以練葯

すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。

銘骨傳其語,竦身已電滅。

折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
仰望不可及,蒼然五情熱。

あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
吾將營丹砂,永世與人別。

たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】を以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

 

『古風,五十九首之五』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五

#1

太白何蒼蒼,星辰上森列。

去天三百里,邈爾與世

中有綠髮翁,披雲卧松雪。

不笑亦不語,冥棲在岩穴。

#2

我來逢真人,長跪問寶訣。

粲然玉齒,授以練葯

銘骨傳其語,竦身已電滅。

仰望不可及,蒼然五情熱。

吾將營丹砂,永世與人別。

 

(下し文)

古風,五十九首の五  #1

太白 何んぞ蒼蒼たる、星辰 上に森列す。

天を去る 三百里、邈爾【ばくじ】として世とつ。

中に綠髪の翁有り、雲をかぶりて松雪に臥す。

笑わず 亦 語らず、冥棲【めいせい】して 岩穴にあり。

#2

我來って 真人に逢い、長跪【ちょうき】して寶訣【ほうけつ】を問う。

粲然として 玉齒【ぎょくし】をき、授くるに煉藥【れんやく】のを以てす。

骨に銘じて其語を傳うるに、身を竦めて已に電の滅ゆ。

仰て 望むも及ぶべからず、蒼然として五情 熱す。

吾 將に 丹砂【たんしゃ】を營み、永く世人と別れんとす。

 

(現代語訳)

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)

太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
#2

もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。
折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

 

(訳注)

古風,五十九首之五

(翰林供奉として長安にあった時に、終南山に遊び、遊仙のことをのべた。)744年天寶三年44歳の詩。

1.  古風とは古体の詩というほどのことで、漢魏の間に完成した五言古詩の継承を目指すものである。諸篇は一時の作でなく、折にふれて作られた無題の詩を後から編集したのである。

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太白山00 

太白何蒼蒼、星辰上森列。
太白山は、蒼蒼としてみどりふかく、なんとおごそかであろう、その絶頂には、幾多の星辰がきらめき、森然として羅列している。
2. 太白山 長安の西方80kmにある3767m、陝西省武功県、の南にある山の名。標高もあり、山頂には年中積雪がある。 五嶽より圧倒的に高い。古来、五嶽を基本のして地方を9つに分けて考えられていた世界観からすれば太白山はその世界を外れた天に続く山とされていたのだろう。  陝西省関中道郿縣の南にあり、上に洞窟がある。道教でいう第十一洞天の霊場である。《水經注地理志》「武功縣有太一山、古文以為終南、杜預以為中南。亦曰、太白山在武功縣南、去長安二百里、不知其高何、俗云、武功太白去天三百。」(武功縣に太一山有り、古文には以て終南と為し、杜預は以て中南を為すとした。亦た曰く、太白山は武功縣の南に在り、長安を去ること二百里に、其の高さ何かを知らず、俗に云う、武功太白 天を去ること三百。

695巻二十9登太白峰》  李白 20
西上太白峯、夕陽窮登攀。
太白与我語、為我開天関。
願乗泠風去、直出浮雲間。
挙手可近月、前行若無山。
一別武功去、何時復更還。
西方登は太白峰、夕陽は山擧に窮めた。
太白星は我に語りかけ、私のために天空の門を開いた。
爽やかな風に乗り、すぐにも出たい雲のあいだを。
手を挙げれば月に近づき、前にすすめば遮るものも無いかのように。
ひとたび去る武功の地、いつまた帰ってこられるのか。

李白16 登太白峯 

3. 蒼蒼 山があおあおとしている、そのようす。

4. 星辰 星も辰も、ほし。

5. 森列 いかめしくならぶ。

 

去天三百里、邈爾與世
その高さについて、下からの高さは「不知其高」とわからないが、非常に高くて、「天上から山頂までが三百里」という、それを疑うことはないようで、実際にこれに登ってみれば、

邈焉として、浮世を絶縁していることに間違いないのである。
6. 去天三百里 2.太白山の字解参照。三秦記「武功太白去天三百」(武功の太白、天を去ること三百里)とみえる。

7. 邈爾 ばくじ はるか遠くにあること。

 

中有綠髪翁、披云臥松雪。
そういう名山であるから、緑髪の仙人がその山中に隠れていて雲を披いて衣と為し、松に降り積もる雪をもって褥にしている。 
8.
  着物としてきる。 

9. 云 雲。云は古来文字。

 

不笑亦不語、冥棲在岩穴。
そして、巌穴の間に黙然と座っていて、笑わず、語らず、一心不乱に行い澄ましている。
10.
 冥棲 ひっそりとしたところに棲む。一心不乱に行い澄ます

#2

我來逢真人、長跪問寶訣。
もとより、普通の人間が行ったのでは、そうやって見向きもされないだろうが、わたしは幸いにして、仙骨あるものであるから、道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだその仙人を訪い、長跪して拝をなし、長生不死の術とはいかなるものかなど、仙家の秘訣をたずねたのである。
11. 真人 道教の教義・奥義を探求し、修練を積んだ人。仙人を言う。

12. 長跪 ちょうき 長く両ひざをついてお辞儀をする姿勢をとること。

13. 寶訣 ほうけつ、仙家の秘訣。 修行をして体得した悟りとか奥義。

 

粲然玉齒、授以煉藥
すると、仙人は、粲然として笑い、玉のような歯なみをみせて、仙薬を錬るにはこのようにいたすべきであると作り方を教えてくれたのである。
14.
 粲然 にこやかに笑う時に白い歯を見せる貌のさま。あざやかなさま。

15. 煉藥 仙薬を練ること。・丹砂:水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。


銘骨傳其語、竦身已電滅。
折角の口授を忘れてはいけないので、一生懸命にその語を骨に銘じて覚えようとする間に、突然、仙人は身をすくめてしまったと思うと、電光石火ように行方も知らず去っていったのである。
16 竦身已電滅 仙人は、上はよく身を雲霄にそばだて、下はよく形を川海にひそめる、という。

 

仰望不可及、蒼然五情熱。
あわてて振り仰ぎ眺めまわしたが、とても追いつかず、蒼然として、五情が熱してきたのである。
17
 蒼然 春の草木が萌え出るさま。

18 五情 喜び・怒。・哀しみ・楽しみ・怨みの五つの感情。

‣陶潜《影答形》「身沒名亦盡、念之五情熱。」(身沒すれば 名も亦た盡き,之れを念へば 五情熱す。肉体が滅べば、名声やこの世にいたという形式上の存在のしるしである名も尽き果ててしまう。この「身沒名亦盡」のことを深く心で思っていると心が熱くなってくる。 

・身沒:肉体が滅ぶ。死ぬ。 ・名亦盡:他人の意識の中にある自分というものも尽き果ててなくなってしまう。この世にいたという形式上の存在のしるしも尽き果ててしまう。 ・名:「身」に対して使われ、他人の意識の中にある自分というもの。「身」が肉体的、実体的、個体的存在を云うのに対して、「名」は社会的存在としての自分をいう。他人の意識に反映している自分というもの。名声。・念:深く心で思う。 ・之:・これ。前出「身沒名亦盡」を指す。 ・五情:五つの感情。喜怒哀楽怨。喜怒哀楽慾。 ・熱:あつくなってくる。悶える。 

‣また、《礼記》には「七情六欲」の記載にある。喜、怒、哀、催、愛、悪、欲の七情と、生、死、耳、目、口、鼻の六つから発する欲をいう。1. 喜、 怒、 哀、 懼、 愛、 惡、 欲七種感情。 南朝梁·劉勰·文心雕龍·明詩:人稟七情, 應物斯感, 感物吟志, 莫非自然。” 宋·蘇軾·睡記:昏然不生七情, 茫然不交萬事。” 2. 中醫上指喜、 怒、 憂、 思、 悲、 恐、 驚等七種精神狀態, 為傷病因

封建支配者が人々の肉体と精神を禁縛する手段としての封建道徳であり、、もともと支配者の必要に従って一歩一歩発展してきたものである。支配者というものは、いつだって世も末になればなるほど、人々の頭脳、身体、七情六欲を、女性の足とともに取り締まる必要があると感じるようになり、封建道徳もまた彼らのこうした感覚が日ましに強まるにつれ、いよいよ厳格に、かつ周到になっていったものである。

 

吾將營丹砂、永與世人別。
たとえ今日、せっかくの仙家の秘訣が十分に覚えきれないにしても、わたしは今後、仙人との縁があることは明確なので、今後、丹砂を練り、仙人が電滅したように、白日昇天して永久に世人と別離したいと思うのである。

19 丹砂 水銀と硫黄の化合した赤色の土を何回もねり上げる・金丹:黄金となり、それを飲むと仙人になれるという。覚醒状態にさせる薬。

李白327 《巻一56-《古風,五十九首之五十六 (越客採明珠)》327Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(8) <李白327> Ⅰ李白詩1640 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6748

李白  古風,五十九首之五十六   

越客採明珠,提攜出南隅。清輝照海月,美價傾皇都。

獻君君按劍,懷寶空長吁。魚目復相哂,寸心增煩紆。

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

李白327 《巻一56-《古風,五十九首之五十六 (越客採明珠)327Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-8) <李白327> Ⅰ李白詩1640 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6748

 

 
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制作年:              743年天寶二年43

卷別:    卷一六一              文體:    五言古詩

詩題:    古風,五十九首之五十六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)

越客採明珠,提攜出南隅。

南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。

魚目復相哂,寸心增煩紆。

これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

 

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

 

『古風,五十九首之五十六』 現代語訳と訳註

(本文)

古風,五十九首之五十六

越客採明珠,提攜出南隅。

清輝照海月,美價傾皇都。

獻君君按劍,懷寶空長吁。

魚目復相哂,寸心增煩紆。

 

(下し文)

(古風,五十九首之五十六)

越の客 明珠を採り,提げ攜えて 南隅を出づ。

清輝 海月を照らし,美價 皇都を傾く。

君に獻ずれば 君 劍を按じ,寶を懷いて 空しく長吁す。

魚目して 復た相い哂い,寸心 煩紆を增す。

 

(現代語訳)

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)

南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。

その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。

そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。

これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

 李白の足跡0000

(訳注)

古風,五十九首之五十六

(この詩は、世人、小人が真仮をわきまえないことを嘲ったもので、《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。」の世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬこと、ましてや、君主、それを支える高官が見抜く目を持たないことを傷んだものと同様のものである。)

このころ朝廷は、李林歩甫のおうぼうがまかり通り、「一芸に秀でた」ものを徴用する玄宗の施政を無視していたのでこれを批判したものである。古風,五十九首之五十(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことを傷んだもの)

宋國梧臺東,野人得燕石。

誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。

流俗多錯誤,豈知玉與珉。

宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。

誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。

趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。

流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

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越客採明珠,提攜出南隅。

南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方の人が海底から明真珠を採り当てた。これを手に携えて、その南方の片隅のその国を出て都に上った。

越客 南越のことで、①今の広東地方、②五例山脈を越えて南方にあるところ、③今のヴェトナム、④国の南側、長江の南側にあって、南海に臨み、中には珠池があり、明珠を産する地方という意。

南隅 その南方の片隅。

 

清輝照海月,美價傾皇都。

その真珠はもとよりなだたる特産であるだけに、その清らかな輝きは、海上の月の照り輝きのようで美しいものであり、都を傾けるほど、驚きの高い価値があるのである。

 

獻君君按劍,懷寶空長吁。

そこで、この南越人が、君王に献上すると、あまりに光り輝くのが不思議で、唯物ではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付け、気にいるばかりか、恩賞の話もないので、南越人はそれを懐に入れて、長い嘆息して退出したというのである。

獻君 君王に献上すること。

君按劍 あまりに光り輝くのが不思議で、唯のものではあるまいと、剣の柄に手をかけて、身がまえをしてこれを睨み付ける。

 

魚目復相哂,寸心增煩紆。

これが魚の目であれば、珠の形をしているが、なんの価値もないものであるが、今の世では、この方が帰って珍とされるぐらいで、魚目は、南越の明珠を笑っているというもので、何らの価値を見出さないのである。君子が君王に見いだされないで、かえって世人、小人、どもの侮蔑されるのも、丁度この事と同じことであり、これを思えば、方寸の心の中で、頻りに思いは乱れるというもののである。

魚目 魚の目

寸心 方寸の心の中。

煩紆 頻りに思いは乱れる。
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李白326 《巻一50-《古風,五十九首之五十 (宋國梧臺東)》326Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(7) <李白326> Ⅰ李白詩1639 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6743

李白  古風,五十九首之五十   

宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。

趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。

(この詩は、世俗のものは短見であり、間違った思い込みを貫き通し、すべてものの真贋、人の賢否を弁別しないことを傷んだもの)昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通にとつまらぬ燕石を拾ってきた。一途に普通にとつまらぬ燕石と思っていたのが素晴らしい璧玉であった趙王の秘蔵する「卞和の璧玉」にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だからと、これを大切にしたという話がある。かの趙の璧玉は論語「不曰堅乎?磨而不磷;不曰白乎?涅而不緇。」というように、少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるが、この燕石は、その石質といえば、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

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