漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷二

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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李白  行路難三首 之三#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

君不見中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

李太白集巻一44

行路難三首 其三

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 

 
  2016年3月17日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李太白集分類補註巻三

          宋 楊齊賢 集註  元 蕭士贇 補註 (編集紀頌之)

  行路難,三首之三   其三此首一/作古興

#1

有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。

吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄江上、屈原終投湘水濵。

・潁川水 髙士傳 許由耕於中岳、潁水之陽、箕山之下。 堯召為九州長。由不欲聞之、洗耳于潁水濵

・首陽蕨 史記 武王 巳平殷亂、天下宗周。而伯夷叔齊恥之、義、不食周粟、隠于首陽山 採薇而食之、索隠曰薇蕨也。

梁書 阮孝緒傳 周徳雖興夷齊不厭薇蕨、漢道方盛 黄綺無悶山林薇蕨

本二草而古人亦多混稱、太白改、以叶韻、葢有自也  

・子胥既棄江上 /越春秋 王聞子胥之怨恨也、乃使人賜屬鏤之劍。子胥 伏劍而死。王 取子胥尸、盛以夷之器投之於江/中。子胥 因隨流揚波、依潮來往、蕩激崩岸。

・屈原終投湘水濵 拾遺記 屈原 以忠見斥、隠於沅湘、披榛、茹草、混同禽獸、不交世、務採/栢實、以和桂膏、用養心神。被王逼逐、乃赴清泠之水。楚人思慕、謂之水仙。其神 于天河、精靈時降湘浦。

#2

陸機雄才豈自保、李斯税駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞、上蔡蒼鷹何足道。

君不見呉中張翰稱、一作/達生秋風忽憶江東。行且樂生前一杯、酒何須身後千載名。

・陸機雄才豈自保 晉書 成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、收機。機 釋戎服、著白與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。

世説 註 八王故事 曰 「華亭、由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/平後、陸機兄弟共于此十餘年。」語林曰、機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。

李斯税駕苦不早 史記 「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、「吾聞之荀卿、曰、物禁太盛。夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位、無居臣上者、可謂富貴極矣。物極則衰、吾未知所税駕也。

索隠曰 税駕猶解駕、言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。

太平御覽  “史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。考今本 史記 李斯傳中、無臂蒼鷹、字而太白詩中、屢用、其事 當另有所本。

・張翰 晉書 張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」

 

 

 

 

-372-74巻二15 行路難三首 其三  (有耳莫洗潁川水,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  12-3

文體:

樂府

李太白集 

02-15

 

 

詩題:

行路難三首 其三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

首陽山 (都畿道 河南府偃師別名:西山 

上蔡 (河南道 豫州 上蔡)   

交遊人物:

 

 

 

 

 

-372-74巻二15 行路難三首 其三  (有耳莫洗潁川水,) 

行路難,三首之三 #1

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨

才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。

老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。

呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。

あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
君不見張翰稱達生,秋風忽憶江東行。

君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

 

(行路難,三首の三)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。

子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。

 

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。

 

李白の足跡0000 

 

『行路難,三首之三』 現代語訳と訳註解説

(本文)#2

#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。

華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

君不見中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

(含異文) 有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名,何用孤高比雲月。吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。陸機雄才豈自保【陸機才多豈自保】,李斯駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。君不見中張翰稱達生【君不見中張翰真達生】,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

 

(下し文)

#2

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。

 

(現代語訳)

あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

 

汜水関などの地図 

(訳注) #2

行路難,三首之三 #2

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

1】      行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。

 

 

陸機雄才豈自保 李斯駕苦不早 
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。

【6】   陸 機 (りくき261- 303年)は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つである陸氏の出身。祖父は陸遜。父は陸抗。子は陸蔚、陸夏。本籍は呉郡呉県(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。父と共に呉に仕えて牙門将となった。天紀4年(280年)、晋との戦いで二人の兄の陸晏と陸景を失い、間もなく祖国も滅亡したため、故郷に引退する。この滅亡に憤慨して『弁亡論』を著した。やがて、説得に応じて弟と共に晋に仕官する事になった。既に陸機の文名は洛陽にも伝わっていたため、高官である張華は「呉討伐の戦果は、この二人の俊才を得たことだ」と言ったといわれている。その後、太子洗馬・著作郎を務めて、恵帝の治世下でも順調に出世を続けた。だが、次第に八王の乱の混乱に巻き込まれていく事になる。太安28月穎は洛陽で実権を握っていた長沙王司馬乂討伐を決意すると、彼は陸機の能力を評価して平原相・後将軍・河北大都督に任命、陸機は洛陽に向かって進撃したが、彼自身は祖父や父ほど将才に優れていなかった事に加え、配下達も「呉の降将」として彼を蔑んだ事もあって、十分な指揮が執れず、10月に洛陽城の建春門の攻防において大敗してしまった。謀反の疑いで処刑されてしまった。この時、陸機の二人の息子と、弟の陸雲・陸耽までもが連座して殺され、陸遜直系の子孫は断絶となった。《晉書》「成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、收機。機 釋戎服、著白、與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。」(成都王穎、兵を起して長沙王乂を討ち、陸機に後將軍河北大都督を假し、北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人を督して、鹿苑に戰う。機の軍、大いに敗る。宦人孟玖、機を穎に譖して、其の異志有るを言う。穎 怒り、秀をして、機を收めしむ。機 戎服を釋き、白著け、秀と相い見て神色自若、既に而て嘆じて曰く、華亭の鶴唳、豈に復た聞く可けんや。遂に害に軍中に遇う。)とある。《世説》の註に八王の乱の故事をひいて曰う、「華亭、由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/平後、陸機兄弟共于此十餘年。」(華亭は、由拳縣の郊外の墅なり。清泉茂林有り。 平ぐ後、陸機兄弟、共に此にぶこと十餘年。)とあり、つづいて語林曰く、「機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。」(機 河北都督と為る。警角の聲を聞き、孫丞に謂うて曰く、聞けば此れ華亭の鶴唳に如しかず、故に刑にんで此れ嘆説の文有り唳するは鶴鳴なり。)と讒言によって、一族は絶えた。

【7】   李 斯(り し? - 紀元前208年)儒家中国秦代の宰相。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。・李斯税駕苦不早 《史記》に「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為。門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、『吾聞之荀卿』、曰、『物禁太盛。』夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位、無居臣上者、可謂富貴極矣。物極則衰、吾未知所税駕也。」(李斯丞相と為り、長男は由、三川の守と為り、諸男、皆 秦の公主を尚し、女は悉く秦の諸公子に嫁す。李由、咸陽に告歸するるや、李斯 家に置酒し、百官の長、皆 前んで為す門庭車騎、以。 李斯、喟然として嘆じて曰く、『吾 之を荀卿に聞く』、曰く、『物は太はだ盛んなるを禁ず。』と。夫れ 斯 乃ち上蔡の布衣、閭巷の黔首、上、其の駑下を知らず、遂に遷た擢んで此に至る。當今、人臣の位、臣の上に居る者無し、富貴極れりと謂う可し。物極まれば則ち衰う、吾 未だ税駕する所を知らざるなり。)とあり、索隠は曰う「税駕猶解駕、言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。」(税駕、言休息なり。李斯の言は 巳、今日富貴、已に 極り未だ向後を知らず、吉凶 止泊し、何處に在らんや。)とある。太平御覽に《史記》を引いて“史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。」(史記に曰う「李斯 刑に臨み、黄犬を牽き、蒼鷹を臂し、上蔡の東門を出んと思えども得可からず。)とあり、蕭士贇の補註に「考今本史記李斯傳中無臂蒼鷹字而太白詩中屢用其事 當另有所本。」(今、この本を考えるに、《史記 李斯傳》中に、「臂蒼鷹」の字は無く、而して太白詩中、屢しば用いたのは、其の事 當に另の本づく所が有ったということである。

 

華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道 
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。

【8】   華亭県(かてい-けん)は中華人民共和国甘粛省平涼市に位置する県。県人民政府の所在地は東華鎮。華亭県は東は崇信県、西は庄浪県、寧夏回族自治区の涇源県、南は張家川回族自治県と陝西省隴県、北は崆峒區に隣接する。

【9】   上蔡県(じょうさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。
 

君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。

【10】 張翰 昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に先手を打ったのだと思ったという逸話。李白「秋荊門を下る」

《晉書》に「張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、『人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。』遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」(張翰、字は季鷹、郡の人なり。清才有り、善く文を屬す、而かも、縱任拘らず。齊王の冏、辟して大司馬、東曹掾と為す。冏、時に權を執る。翰、秋風の起る見るに因って、乃ち中の菰菜、蓴羮、鱸魚の膾を思うて曰く、『人生、適志を得るを貴ぶ、何ぞ能く羇宦數千里、以て名爵を要せんや。』と。遂に駕を命じ、而して歸る。俄にして 冏 敗る。人 皆 之を『機を見る』と謂う。翰は心に任せて自適し、當世に求めず。或いは之に謂ううて曰く、『卿は乃ち縱とい一時に適す可きも、獨り身後の名を為さざるか。』と。荅えて曰く、『我をして身後の名を有らしむも、即時一杯の酒に如かず。』と。時人 其の曠達を貴ぶ。とある。 

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍しても、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。

【11】   【解説】行路難ということ、第一首は、黄河の氷、大行山脈の雪、であった。第二首は、才のある明主に遭わないことであった。この第三首において、行路難の極みをいうが、それは「張翰稱達生」であり,「秋風忽憶江東行」でもって理想的行動、行路としている。行路は難であれ、「千載名」よりも、張翰のごとく「樂生前一杯酒」を大切にするということである。

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李白  行路難三首 之三

有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。

吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄江上、屈原終投湘水濵。

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三  才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。 

李太白集巻一44

行路難三首 其三 #1

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56-9

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-372-74巻二15 行路難三首 其三  (有耳莫洗潁川水,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  12-3

文體:

樂府

李太白集 

02-15

 

 

詩題:

行路難三首 其三

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

首陽山 (都畿道 河南府偃師別名:西山 

上蔡 (河南道 豫州 上蔡)   

交遊人物:

 

 

 

 

 

李太白集分類補註巻三

          宋 楊齊賢 集註  元 蕭士贇 補註 (編集紀頌之)

  行路難,三首之三   其三此首一/作古興

#1

有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。

吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄江上、屈原終投湘水濵。

・潁川水 髙士傳 許由耕於中岳、潁水之陽、箕山之下。 堯召為九州長。由不欲聞之、洗耳于潁水濵

・首陽蕨 史記 武王 巳平殷亂、天下宗周。而伯夷叔齊恥之、義、不食周粟、隠于首陽山 採薇而食之、索隠曰薇蕨也。

梁書 阮孝緒傳 周徳雖興夷齊不厭薇蕨、漢道方盛 黄綺無悶山林薇蕨

本二草而古人亦多混稱太白改以叶韻葢有自也  

・子胥既棄江上 /越春秋 王聞子胥之怨恨也、乃使人賜屬鏤之劍。子胥 伏劍而死。王 取子胥尸、盛以夷之器投之於江/中。子胥 因隨流揚波、依潮來往、蕩激崩岸。

・屈原終投湘水濵 拾遺記 屈原 以忠見斥、隠於沅湘、披榛、茹草、混同禽獸、不交世、務採/栢實、以和桂膏、用養心神。被王逼逐、乃赴清泠之水。楚人思慕、謂之水仙。其神 于天河、精靈時降湘浦。

#2

陸機雄才豈自保、李斯税駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞、上蔡蒼鷹何足道。

君不見呉中張翰稱、一作/達生秋風忽憶江東。行且樂生前一杯、酒何須身後千載名。

・陸機雄才豈自保 晉書 成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、收機。機 釋戎服、著白與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。

世説 註 八王故事 曰 「華亭、由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/平後、陸機兄弟共于此十餘年。」語林曰、機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。

李斯税駕苦不早 史記 「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、「吾聞之荀卿、曰、物禁太盛。夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位無居臣上者可謂富貴極矣物極則衰吾未知所税駕也。」

索隠曰 税駕猶解駕言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。

太平御覽  “史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。考今本 史記 李斯傳中、無臂蒼鷹、字而太白詩中、屢用、其事 當另有所本。

・張翰 晉書 張翰字季鷹人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」

 


行路難,三首之三 #1

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。

才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。

老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。

呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
#2

陸機雄才豈自保,李斯駕苦不早。

華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。

君不見中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。

且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

 

(行路難,三首の三)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。

子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。

 

陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。

華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。

君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。

且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。

 

(含異文)      有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名,何用孤高比雲月。吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。陸機雄才豈自保【陸機才多豈自保】,李斯駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。君不見中張翰稱達生【君不見中張翰真達生】,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。

 

洛陽 函谷関 嵩山005 

『行路難,三首之三』 現代語訳と訳註解説

(本文)

行路難,三首之三 #1

有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。

含光混世貴無名,何用孤高比雲月。

吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。

子胥既棄江上,屈原終投湘水濱。

 

(下し文)

(行路難,三首の三)

耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。

光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。

吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。

子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。

 

(現代語訳)

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。

自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。

呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
李白の足跡0000

(訳注)

行路難,三首之三 #1

(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三

1 行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。

 

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李白  烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 東方漸高奈樂何。

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)  呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

李太白集巻一44

烏  棲  曲

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-9

423 <1000

 

 
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-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六二  06

文體:

樂府

李太白集 

02-06

 

 

詩題:

烏棲曲

序文

 

作地點:

 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 姑蘇台

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

-371-6502-06楽府烏棲曲  (姑蘇臺上烏棲時,) 

  卷162_6 《烏棲曲》李白 

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。 

東方漸高奈樂何。 


烏棲曲 
烏棲の曲。(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。 
呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌楚舞歡未畢、青山猶銜半邊日。 

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

銀箭金壺漏水多、起看秋月墜江波。 
そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。


大明宮の圖003
『烏棲曲』現代語訳と訳註解説
(
本文)

烏棲曲

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

東方漸高奈樂何。

(下し文)
(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。

呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お銜まんと欲す、半邊の日。

銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。

東方漸く高く 楽しみを奈何。

(現代語訳)
烏棲曲(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

霓裳羽衣舞002
(訳注) 

烏棲曲

(太平御覧や述異記、豔異編にみる呉越戦争の逸話の、楽しみ極まって、悲しみ生ずる呉王のことを述べ、事実唐の玄宗の淫樂の極みを眼にしてこの詩を作った。)

1 烏棲曲 梁簡文帝、梁の元帝、蕭子顯、並びに此の題有り之を作る。《樂府詩集巻四十八》に「清商曲辞、西曲歌」の歌中に烏夜啼を列して後よりなる。男女の歓楽を詠うものが多い。また、李白詩に、これに倣った「大堤曲」「襄陽歌」「丁都護歌」「荊州歌」「採連曲」などある。

2 本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」とある。

3 蕭士贇は「この樂府は然り深く國風諷刺の體を得り、盛んに其の美を言うて、美ならざる者、自ら見わる。」という。

 

姑蘇臺上烏棲時,王宮裏醉西施。

呉王夫差は、姑蘇臺上において宴を催し、やがて、夕方、烏が塒に歸る頃となって、西施は、初めて酔を爲したという。

4 姑蘇台 春秋時代の末期、呉王の開聞と夫差が、父子二代をかけて築いた姑蘇山の宮殿。現在の江蘇省蘇州市、もしくはその西南約一五キロ、横山の北がその跡とされる。16世紀に王世貞撰よってかかれた《豔異編--第五卷》に、「越王越謀滅,畜天下奇寶、美人、異味進於。殺三牲以祈天地,殺龍蛇以祠川岳。矯以江南億萬民輸為傭保。越又有美女二人,一名夷光,二名修明(即西施、鄭旦之別名),以貢於處以椒華之房,貫細珠為簾幌,朝下以蔽景,夕卷以待月。二人當軒並坐,理鏡靚妝於珠幌之,竊窺者莫不動心驚魂,謂之神人。王妖惑忘政。」(越王 越謀し滅さんとし,天下の奇寶、美人、異味を畜えて進む。三牲を殺し 以て天地を祈り,龍蛇を殺し 以て川岳を祠る。矯って以て江南億萬民を輸して傭保為らしむ。越 又た、美女二人有り,一名は夷光,二名は修明(即ち西施、鄭旦の別名である),以て貢ぐ。處らしむるに椒華の房を以てし,細珠を貫いて簾幌と為し,朝に下し 以て景を蔽い,夕に卷き以て月を待つ。二人 軒に當って並坐し,鏡を理めて珠幌の靚妝し,竊に窺うもの動心驚魂せざるは莫し,之れ神人と謂う。王 妖惑し 政を忘る。

《述異記》に王夫差築姑蘇之臺、三年乃成。周旋詰屈横亘五里、崇飾土木、殫耗人力、妓數千人、上立春宵為長夜之飲、造千石酒鍾、夫差作天池池中造青龍舟、舟中盛陳妓樂、日與西施為水嬉。」(王夫差 姑蘇之臺、三年乃る。周旋詰屈 横に亘る五里、土木を崇飾し、人力を殫耗し、妓數千人、上に春宵立てて夜の飲をし、千石の酒鍾を造り、夫差 天池を作し 池中に青龍舟を造り、舟中盛に妓樂を陳じ、日に西施と水嬉を為す。

《述異記》は、中国の南朝梁の任昉が撰したとされる志怪小説集。2巻。 ... 隋書』や『旧唐書』の「経籍志」および『新唐書』「芸文志」で著録される『述異記』10巻は、撰者を祖沖之としている。

5 呉王 夫差をさす。

6 裏  なか。

7 西施  呉王夫差の歓心を買うために、越王勾践から夫差に献上された美女。

李白8  蘇台覧古

(2)西施ものがたり

 

  

歌楚舞歡未畢,青山欲銜半邊日。

歌雜曲の歌々や、楚の細腰舞など、交互に催されて一日を愉快に遊び暮らし、そして、今や落日が西に落ちかかり、その半邊が既に青山に銜まれる頃となるのが毎日のこととなったのである。

8 呉歌楚舞  呉(江蘇地方)の歌、楚(湖南・湖北地方)の舞い。ここでは、呉王の歓楽の象徴としての長江中流・下流地方の歌舞をいう。

・呉歌《樂府詩集》卷四十四引《晉書·樂志》にく「歌雜曲,並出江南。東晉已來,稍有增廣。其始皆徒歌,既而被之管弦。」とあり、呉歌は、南方の流行歌。

・楚舞 《史記留侯世家》:「高帝謂戚夫人曰:『為我楚舞,吾為若楚歌.』歌曰:「鴻鴈高飛,一舉千里。羽翮已就,橫四海。橫四海,當可奈何!雖有矰繳,尚安所施!」(鴻鵠高く飛んで、一挙に千里。羽翼すでに就って、四海を横絶す。四海を横絶すれば、 当に如何すべき。矰繳あれど、何処に施さん。)といった南方に行われた舞曲。

9 半邊日 青い山脈が、まだ太陽の半輪を衝えている。夕陽が半ば青山に沈み隠れた状態をいう。

銀箭金壺漏水多,起看秋月墜江波。

そして、それから又、夜宴が催され、金壷の上に立てる銀箭が次第に移って、水時計から漏れ落ちる水は、愈よ多く、いつしか夜は更け行くも宴は、まだ終らず続いた。

10 銀箭 水時計の漏水桶に泛べる銀の箭。「箭」は時刻の目盛りを指し示すハリである。江總詩「虬水銀箭莫相催」

11 金壷 金属製の水時計の壷。鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

12 漏水多 水時計の底から水が多く漏れる。長時間の経過を示す。夜は夜明けまでの五更に別れるので、上の桶の水が下の桶に流れ落ちてゆくので、時間の長さを水の量で表現したもの。

 

東方漸高奈樂何。

はては、秋の夜の月が江波に落ちて、東の空が漸く白み渡る頃となり、それは、繰り返され、かくの如く、宴游に限りなくば、その歓楽は、限りなきものである。しかし、呉王夫差のように、陳の後主もこうした頽廃歓楽をして居たために、その國を、やがて滅亡させてしまったことは、まことに、情けない次第である。

13 漸高 (空が)次第に白く明るくなる。ここでは、「高」は「塙」「呆」の音通で用いられている。

14 奈楽何 (たとえ夜空が白もうとも)歓楽を尽くすことに支障はない。


(烏棲曲)

姑蘇の臺上 烏棲む時、呉王の宮裏 西施を酔わしむ。
呉歌 楚舞 歓び未だ畢らず、青山 猶お衝んと欲す、半邊の日。
銀箭 金壷 漏水多し、起って看る 秋月の江波に墜つるを。
東方漸く高く 楽しみを奈何。

 

 

 

【字解】

   烏棲曲

士贇曰樂録烏栖曲者/鳥獸三十一曲之一也

 

姑蘇臺上烏棲時呉王裏醉西施齊賢曰賀知章見/太白烏栖曲嘆賞

曰此詩可/以泣鬼神呉歌楚舞歡未畢青山欲半邊日銀箭

壺漏水多起看秋月墜江波東方漸高柰樂何士贇曰/此詩雖

只樂府然深得國風諷刺之體盛言/其美而不美者自見觀者其毋忽諸

 

 

  烏棲曲梁簡文帝梁元帝蕭子顯並有此題之作/樂府詩集列于西曲歌中烏夜啼之後

姑蘇臺上烏棲時裏醉西施歌楚舞歡未

青山欲繆本/作猶銜半邊日銀箭金壺一作金/壺丁丁漏水多起看

秋月墜江波東方漸髙奈樂何

述異記王夫差/築姑蘇之臺三年乃成周旋詰曲横亘五里崇飾土木殫耗人力官妓千/

立春宵為長夜之飲造千石酒鍾作天池池中造青龍舟舟中盛陳妓樂日與西施為水

晉書 /歌雜曲並出江南 漢書 為我楚舞 

江總詩「虬水銀箭莫」相催 鮑照詩 「金壺夕淪劉良」 註に金壺は、貯し、漏水を刻する者銅を以て之を為し、故に金壺と曰う。

本事詩に李白初めて蜀より京師に至る。賀知章は其の烏棲曲を見て嘆賞苦吟し、曰く「此詩可以泣鬼神矣」。或は言う「是烏夜啼二篇、未だ孰是を知らん。」

 

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李白  效古,二首之一 #3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

李太白集巻二三02

效古,二首之一 #3

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Index-23

743年天寶二年43歳 

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年:天寶二年43歳 94-81

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    效古,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

快意且為樂,列筵坐群公。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

光景不可留,生世如轉蓬。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

 

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。

#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞蹀 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。
#3

清歌 古曲を弦じ,美酒 新豐を沽う。

快意 且つ樂を為し,列筵 群公を坐せしむ。

光景 留むべからず,世に生きて轉蓬の如し。

早達は 晚遇に勝る,垂釣の翁に比するを羞ず。

 

京兆地域図002 

『效古,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

(下し文)
#3

清歌 古曲を弦じ,美酒 新豐を沽う。

快意 且つ樂を為し,列筵 群公を坐せしむ。

光景 留むべからず,世に生きて轉蓬の如し。

早達は 晚遇に勝る,垂釣の翁に比するを羞ず。

(現代語訳)
#3

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。


(訳注) #3

效古,二首之一 #3

古詩の體に倣ったという詩

 

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

そこで、清歌を斉唱し、古曲を弾じしめ、新豊の美酒を買い集められる。

19 清歌弦古曲 念奴をイメージする。念奴は『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。玄宗の近くを離れたことがなく、いつも周りの人々を見つめていて、玄宗に「この女は妖麗で、眼で人を魅了する」と評された。その歌声は、あらゆる楽器の音よりもよく響き渡ったと伝えられる。唐代詩人の元稹の「連昌宮詞」に、玄宗時代の盛時をあらわす表現として、玄宗に命じられた高力士が、彼女を呼び、その歌声を披露する場面がある。清代の戯曲『長生殿』にも、永新とともに、楊貴妃に仕える侍女として登場する。

美酒沽新豐 「新豐酒」漢唐兩代の最も有名な酒である。陝西省驪山華清宮近くにある酒の名産地。長安東北郊20kmの現・臨潼になる。王維の『少年行』に「新豐美酒斗十千,咸陽遊侠多少年。相逢意氣爲君飮,繋馬高樓垂柳邊。」とある。或いは、江蘇省太倉にある地名。李白《楊叛兒》「君歌楊叛兒,妾勸新豐酒。」

8 《楊叛兒》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <98> Ⅰ李白詩1270 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4898

 

快意且為樂,列筵坐群公。

心ゆくばかりに、楽しみを縦いまにし、宴の四座には羣公を坐せしめ、もろともに打興じているのである。

20 列筵 宴席に身分役職により居並ぶ状況をいう。

謝靈運 《従遊京口北固應詔》 #1

玉璽誡誠信、黄屋示崇高。

事為名教用、道以神理超。

昔聞汾水遊、今見塵外鑣。

鳴笳發春渚、税鑾登山椒。

張組眺倒景、列筵矚歸潮。

(京口の北固【ほくこ】に従遊【じゅうゆう】す、詔に應ず)#1

玉璽【ぎょくじ】もて誠信【せいしん】を誡【いまし】め、黄屋【こうおく】もて崇高【すいこう】を示す。

事は名教【めいきょう】の為に用ひ、道は神理【しんり】を以て超ゆ。

昔は汾水【ふんすい】の遊を聞ぎ、今は塵外【じんがい】の鑣【ひょう】を見る。

茄を鳴らして春渚【しゅんしょ】を發し、鑾を税【と】いて山椒【さんしょう】に登る。

組を張りて倒景【とうえい】を眺め、筵を列ねて歸潮【きちょう】を矚【み】る。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<6>  従遊京口北固應詔 #1 詩集 362

 

光景不可留,生世如轉蓬。

しかし、この楽しみのすべての光景は、決して久しく留まることができず、この世に在る間は、轉蓬の如く、行方定めぬものである。

21 轉蓬  ヤナギヨモギが(根が大地から離れて)風に吹かれて、ひとつだけで、風に飛ばされてさすらうさま。日本のヨモギとは大きく異なり、風に吹かれて転がるように風に飛ばされる。(風に飛ばされて)転がってゆく蓬。飛蓬。「蓬」は、日本のヨモギとは異なる。蓬が枯れて、根元の土も風に飛ばされてしまい、根が大地から離れて、枯れた茎が輪のようになり、乾いた黄土高原を風に吹かれて、恰も紙くずが風に飛ばされるが如く回りながら、黄砂とともに流れ去ってゆく。飛蓬。孤蓬。
曹植「雑詩六首其二」
轉蓬離本根、飄颻隨長風。
何意迴飆舉、吹我入雲中。
高高上無極、天路安可窮。
類此遊客子、捐躯遠從戎。
毛褐不掩形、薇藿常不充。
去去莫復道、沈憂令人老。
また、曹植「吁嗟篇」に初句に使う。

雜詩六首其二 曹植 魏詩<19>古詩源 巻三 女性詩645 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1797

 

杜甫「野人送朱桜」
西蜀桜桃他自紅、野人相贈満筠籠。
数迴細写愁仍破、万顆匀円訝許同。
憶昨賜霑門下省、退朝擎出大明宮。
金盤玉筯無消息、此日嘗新任転蓬。

野人送朱櫻 蜀中転々 杜甫 <500  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2690 杜甫詩1000-500-732/1500

また、杜甫「客亭」最終句に使う。

紀頌之のブログ「李商隠8無題」最終語 参照

希望を持ってさすらうことを示すもので、詩の最初か最後に使われ、希望に向かう意思を示すものである。

 

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

顧みれば、出世早達は大器晩成に勝り、人は、是非とも、年の若い内に出身せねばならぬもので、かの磻渓に釣を垂れた太公望に比せられるを羞ずるというので、これが世俗の見解である。

22 早達 出世早達のこと。《南史列傳卷四一至五十》「纘時年二十三, 善明見而嗟服。 累遷尚書吏部郎, 俄而長兼侍中, 時人以為早達。「纘、年二十二、尚書吏部郎に累遷し、俄にして、長兼侍中たり、時人以て早達となす」とある。

23 垂釣翁 王琦注「垂釣翁謂呂尚, 年八十釣於渭濱, 始遇文王。」(呂尚を謂ふ、年八十にして渭濱に釣し、はじめて文王に遇った。)とある。

秦嶺山脈終南山 

 

 

 

 

 

 

效古,二首之一 【字解】 

 

古詩の體に倣ったという詩

1 效古は、即ち古詩の體に倣ったというのであるが、その内容は、作者自身の閲歴を叙したので、わざと、此の如く題を命じたのである。

2 起首四句は、始めて天子に謁見せしこと、「謬題金閨籍」の四句は、翰林に待詔せしこと、歸時落日晩の四句は退食の模様、入門紫鴛鳶の六句は其宅に於ける逸樂の有様、光景不可留は感慨を述べたので、無論、後日の作であるが、その昔時の事として叙述を試みたのであろう。蕭士贇は「この詩、欒府富貴の體なり」といって居る。

3 天苑 禁苑に同じ。

4 蓬萊宮 唐書に「大明宮に、禁苑の東南に衣。、西・宮城の東北隅に壊す、長さ千八百歩、廉さ千八十歩、束内といふ、本と永安宮、貝翫八年に置く、九年、大明宮といひ、以て太上皇の渚薯に備ふ、百官資を献じ、以て役か助く、高宗、風痔を以て西内の漱汲む厭ひ、龍朔三年、はじめて大に興著して、蓬莱宮といひ、成亨元年、含元宮といひ、長安元年、復七大的宮といふしとある。

唐書 「大明宮,乃謂之西,神龍元年曰太極宮。大明宮在禁苑東南,西接宮城之東北隅,長千八百步,廣千八十步,曰東,本永安宮,貞觀八年置,九年曰大明宮,以備太上皇清暑,百官獻貲以助役。高宗以風痹,厭西湫濕,龍朔三年始大興葺,曰蓬萊宮,咸亨元年曰含元宮,長安元年复曰大明宮。」

長安志「東大明宮在禁苑之東南南接京城之北面西接宮城之東北隅南北五里東西三里貞觀八年置為永安宮明年改曰大明宮以備太上皇清暑百官獻貲財以助役龍朔三年大加興造號曰蓬萊宮咸亨元年改曰含元宮尋複大明宮」

5 青山 長安大明宮から180度に秦嶺山脈山脈を見るが、此処では長安の右中間による都市計画から南へ子午線上の終南山とみる。

6 輦道 夾城、閣道、輦に乗じて行くべき専用の道。

7 金閨籍 金は金門、應劭の漢書註に「籍は尺二の竹牒なり、これを宮門に懸け、案省相應じ、乃ち入るを得るなり」とある。

8 銀臺 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」

9 待詔 1 天子の命令を待つこと。みことのりの下るのを待つこと。2 古代中国の官名。経学・文章の人を任命して、天子の詔に応じさせたもの。3 中国の宮廷の画院で最高位の画家。通鑑に「玄宗即位、はじめて翰林院を置いて、禁延に密邇し、文章の士を延き、下は僧道書畫琴棋數術の士に至るまで、皆之に處らしめ、之を待詔といふ」とある。

10 明主 賢明な君主。明君。

11 抽毫 筆箱から選んで筆をとりだす、出筆すること。抽笔出套。(抽筆出套);抽寶劍;抽刀.李白 588巻十七26宣州謝朓樓餞別校書叔云》「抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。」(刀を抽いて水を斷てば、水更に流れ、杯を挙げて愁を消せば、愁 更に愁。)刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。

12 頌 人の美徳をほめたたえて詩歌にする。功徳をほめる。ほめことば。「頌歌・頌辞・頌徳・頌美」。たたえて祝う。「頌春」2 「詩経」の六義 (りくぎ) の一。宗廟 (そうびょう) で、祖先の徳をたたえる詩歌。、人君の盛徳をほめて神に告げる祭りの詩。「風雅頌・周頌・商頌」

13 清風 (穆として清風の如し)その詩は清泠の風がそよそよと吹く清風のように、人の心を和らげる。天子の恩徳を知らしめる文章を作るということ。毛伝に(清微の風は万物を化養するものなり)とあり、《詩經·蕩之什・烝民》「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)とあるに基づく。

14 躞蹀 1.小步行走貌。 2.徘徊。“蹀”(1).小步行走貌。《古風五十九首之二十二》「胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。(胡馬【こば】 朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。)胡地の馬は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、いつまでも嘶きつづけるものなのだ。

15 浮雲驄 漢の文帝の駿馬、名馬の名前であり、以後名馬を言う。

この二句は、右銀臺門から翰林院まで、静かに下馬して歩行すること、歸朝の場合も現代門を出るまで下馬のままで歩行したこと、朝廷の一員であることを意識させる、自慢の出来事である。驄は青白雜毛の馬をいう。李白〈長干行〉二首之二:「行人在何處,好乘浮雲驄。」(行人 何處にか在る、好し 浮雲の驄に乘ず。 []毛色青白相雜の馬。

16 紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。

18巻一 古風五十九首其十八

七十紫鴛鴦。 雙雙戲庭幽。

282巻七 古意

上宿紫鴛鴦、若識二草心。

82823-02 效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

831巻二十三 擬古十二首 擬古十二首其二

愿逢同心者。 飛作紫鴛鴦。

936巻二十四47代別情人

風吹綠琴去、曲度紫鴛鴦。

17 金井 後宮であろうか、高貴なところにある井戸端。擣衣、砧も意識させる。

75巻二楽府 長相思

絡緯秋啼金井闌、微霜淒淒簟色寒。

214卷六9扶風豪士歌

 梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

626巻十八33答王十二寒夜獨酌有懷

 玉床金井冰崢嶸。 人生飄忽百年

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

18 梧桐 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

39巻一古風五十九首其三十九

梧桐巢燕雀、枳棘棲鴛鸞。

136巻四11 塞下曲六首 其四

摧殘梧桐葉、蕭颯沙棠枝。

214卷六9扶風豪士歌

梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

350卷九21 贈崔秋浦三首其一

門前五楊柳、井上二梧桐。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

488巻十四25將游衡岳過漢陽雙松亭留別族弟浮屠談皓

今茲大火落、秋葉黃梧桐。

515卷十五18送薛九被讒去魯

梧桐生蒺藜、綠竹乏佳實。

700巻二十14登金陵冶城西北謝安墩

梧桐識嘉樹、蕙草留芳根。

714巻二十與賈至舍人于龍興寺剪落梧桐枝望()

翦落青梧枝、浥湖坐可窺。

717巻二十秋登宣城謝()北樓

人煙寒橘柚、秋色老梧桐。

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

937巻二十四48代秋情

寒蟬聒梧桐、日夕長鳴悲。

漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。

梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。

棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)

栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)

桃の木十種:秦桃、桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。

李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。

柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)

山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。

椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。

棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。

梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。

杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)

桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。

林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。

743年(81)李太白集828卷23-02效古二首其一  400-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(81) Ⅰ李白詩1763 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7355

效古,二首之一 #2

待詔奉明主,抽毫頌清風。歸時落日晚,躞浮雲驄。

人馬本無意,飛馳自豪雄。入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。
身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

李太白集巻二三02

效古,二首之一 #2

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Index-23

743年天寶二年43歳 

94-81

400#11000

 

 

 
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年:天寶二年43歳 94-81

卷別:    卷一八三              文體:    五言古詩

詩題:    效古,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:大明宮 (京畿道 京兆府 長安) 別名:永安宮、蓬萊宮、含元殿、蓬萊殿  

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

新豐 (京畿道 京兆府 新豐)              

交遊人物/地點:  

詩文:

 

效古,二首之一 #1

古詩の體に倣ったという詩

朝入天苑中,謁帝蓬萊宮。

朝に禁苑の中に入り、蓬莱宮に於いて天子に謁見した。

青山映輦道,碧樹搖蒼空。

終南の山色は、御輦の通行する路に映じ、碧樹は煙れる空に揺き、まことに長閑かなものでめでたいものである有様で、さすがに、太平の気象である。

謬題金閨籍,得與銀臺通。

かくて、誤って、金馬門に籍を置くことになり、そこへ行く道は、右銀臺門と通じ、布衣の身を以て、九重の城闕に出入するを得たる有り難きものである。

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

 

(古に效う,二首の一) #1

朝に天苑の中に入り,帝に謁す 蓬萊宮。

青山 輦道に映り,碧樹 蒼空に搖く。

謬って金閨の籍に題し,銀臺と通ずるを得たり。

#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞蹀 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。
#3

清歌弦古曲,美酒沽新豐。

快意且為樂,列筵坐群公。

光景不可留,生世如轉蓬。

早達勝晚遇,羞比垂釣翁。

大明宮の圖003 

 

『效古,二首之一』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

待詔奉明主,抽毫頌清風。

歸時落日晚,躞浮雲驄。

人馬本無意,飛馳自豪雄。

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

(下し文)
#2

待詔 明主に奉じ,毫を抽て清風を頌す。

歸時 落日晚く,躞 浮雲の驄。

人馬 本と意無く,飛馳 自ら豪雄。

門に入れば 紫鴛鴦,金井 雙梧桐。


(現代語訳)
#2

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。


(訳注) #2

效古,二首之一 #2

古詩の體に倣ったという詩

 

待詔奉明主,抽毫頌清風。

身は、翰林に待詔となって、聖明の主に供奉し、筆を抜いて、清風の風雅頌などを作るを事として居た。

9 待詔 1 天子の命令を待つこと。みことのりの下るのを待つこと。2 古代中国の官名。経学・文章の人を任命して、天子の詔に応じさせたもの。3 中国の宮廷の画院で最高位の画家。通鑑に「玄宗即位、はじめて翰林院を置いて、禁延に密邇し、文章の士を延き、下は僧道書畫琴棋數術の士に至るまで、皆之に處らしめ、之を待詔といふ」とある。

10 明主 賢明な君主。明君。

11 抽毫 筆箱から選んで筆をとりだす、出筆すること。抽笔出套。(抽筆出套);抽寶劍;抽刀.李白 588巻十七26宣州謝朓樓餞別校書叔云》「抽刀斷水水更流。舉杯消愁愁更愁。(刀を抽いて水を斷てば、水更に流れ、杯を挙げて愁を消せば、愁 更に愁。)刀を抜いて水を断ち切ってみても水はそのまま流れてゆく。杯を挙げて愁いを消そうとしても愁いは愁いを重ねていく。

12 頌 人の美徳をほめたたえて詩歌にする。功徳をほめる。ほめことば。「頌歌・頌辞・頌徳・頌美」。たたえて祝う。「頌春」2 「詩経」の六義 (りくぎ) の一。宗廟 (そうびょう) で、祖先の徳をたたえる詩歌。、人君の盛徳をほめて神に告げる祭りの詩。「風雅頌・周頌・商頌」

13 清風 (穆として清風の如し)その詩は清泠の風がそよそよと吹く清風のように、人の心を和らげる。天子の恩徳を知らしめる文章を作るということ。毛伝に(清微の風は万物を化養するものなり)とあり、《詩經·蕩之什・烝民》「吉甫作誦、穆如清風。」(吉甫誦を作る、穆として清風の如し。)とあるに基づく。

 

歸時落日晚,躞蹀浮雲驄。

それから、退朝する時は、すっかり日が落ちて晩になってからであったし、静かに名馬を歩ませたのだ。

14 躞蹀 1.小步行走貌。 2.徘徊。“蹀”(1).小步行走貌。《古風五十九首之二十二》「胡馬顧朔雪,躞蹀長嘶鳴。」(胡馬【こば】 朔雪【さくせつ】を顧み、躞蹀【しょうちょう】として長く嘶鳴【しめい】す。)胡地の馬は故郷の朔地の山に積もった雪の向こうを振り向いて、馬に付けた鈴や玉を鳴らして、いつまでも嘶きつづけるものなのだ。

15 浮雲驄 漢の文帝の駿馬、名馬の名前であり、以後名馬を言う。

この二句は、右銀臺門から翰林院まで、静かに下馬して歩行すること、歸朝の場合も現代門を出るまで下馬のままで歩行したこと、朝廷の一員であることを意識させる、自慢の出来事である。驄は青白雜毛の馬をいう。李白〈長干行〉二首之二:「行人在何處,好乘浮雲驄。」(行人 何處にか在る、好し 浮雲の驄に乘ず。 []毛色青白相雜の馬。

 

人馬本無意,飛馳自豪雄。

人馬ともに意なきものから、その飛び馳する様は、豪雄を極めて居たものである。

 

入門紫鴛鴦,金井雙梧桐。

金門から入ると、太液池中には紫鴛鴦が戯れて居るし、天子の寝殿の金井には、梧桐の木が二株植えてある。

16 紫鴛鴦 楽府古辞(漢時代の民謡)の中に、「鴛鴦が七十二羽、二羽ずつつがいになって、きれいにならんでいる」という意味の詩句が見える。鴛おしどりのオス。鴦おしどりの雌。

18巻一 古風五十九首其十八

七十紫鴛鴦。 雙雙戲庭幽。

282巻七 古意

上宿紫鴛鴦、若識二草心。

82823-02 效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

831巻二十三 擬古十二首 擬古十二首其二

愿逢同心者。 飛作紫鴛鴦。

936巻二十四47代別情人

風吹綠琴去、曲度紫鴛鴦。

17 金井 後宮であろうか、高貴なところにある井戸端。擣衣、砧も意識させる。

75巻二楽府 長相思

絡緯秋啼金井闌、微霜淒淒簟色寒。

214卷六9扶風豪士歌

 梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

626巻十八33答王十二寒夜獨酌有懷

 玉床金井冰崢嶸。 人生飄忽百年

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

18 梧桐 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

39巻一古風五十九首其三十九

梧桐巢燕雀、枳棘棲鴛鸞。

136巻四11 塞下曲六首 其四

摧殘梧桐葉、蕭颯沙棠枝。

214卷六9扶風豪士歌

梧桐楊柳拂金井、來醉扶風豪士家。

350卷九21 贈崔秋浦三首其一

門前五楊柳、井上二梧桐。

386巻十一贈別舍人弟台卿之江南

 梧桐落金井、一葉飛銀床。

488巻十四25將游衡岳過漢陽雙松亭留別族弟浮屠談皓

今茲大火落、秋葉黃梧桐。

515卷十五18送薛九被讒去魯

梧桐生蒺藜、綠竹乏佳實。

700巻二十14登金陵冶城西北謝安墩

梧桐識嘉樹、蕙草留芳根。

714巻二十與賈至舍人于龍興寺剪落梧桐枝望()

翦落青梧枝、浥湖坐可窺。

717巻二十秋登宣城謝()北樓

人煙寒橘柚、秋色老梧桐。

82823-02效古二首其一

入門紫鴛鴦、金井雙梧桐。

937巻二十四48代秋情

寒蟬聒梧桐、日夕長鳴悲。

漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。

梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。

棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)

栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)

桃の木十種:秦桃、桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。

李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。

柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)

山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。

椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。

棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。

梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。

杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)

桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。

林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。

京兆地域図002 

效古,二首之一 【字解】 

 

古詩の體に倣ったという詩

1 效古は、即ち古詩の體に倣ったというのであるが、その内容は、作者自身の閲歴を叙したので、わざと、此の如く題を命じたのである。

2 起首四句は、始めて天子に謁見せしこと、「謬題金閨籍」の四句は、翰林に待詔せしこと、歸時落日晩の四句は退食の模様、入門紫鴛鳶の六句は其宅に於ける逸樂の有様、光景不可留は感慨を述べたので、無論、後日の作であるが、その昔時の事として叙述を試みたのであろう。蕭士贇は「この詩、欒府富貴の體なり」といって居る。

3 天苑 禁苑に同じ。

4 蓬萊宮 唐書に「大明宮に、禁苑の東南に衣。、西・宮城の東北隅に壊す、長さ千八百歩、廉さ千八十歩、束内といふ、本と永安宮、貝翫八年に置く、九年、大明宮といひ、以て太上皇の渚薯に備ふ、百官資を献じ、以て役か助く、高宗、風痔を以て西内の漱汲む厭ひ、龍朔三年、はじめて大に興著して、蓬莱宮といひ、成亨元年、含元宮といひ、長安元年、復七大的宮といふしとある。

唐書 「大明宮,乃謂之西,神龍元年曰太極宮。大明宮在禁苑東南,西接宮城之東北隅,長千八百步,廣千八十步,曰東,本永安宮,貞觀八年置,九年曰大明宮,以備太上皇清暑,百官獻貲以助役。高宗以風痹,厭西湫濕,龍朔三年始大興葺,曰蓬萊宮,咸亨元年曰含元宮,長安元年复曰大明宮。」

長安志「東大明宮在禁苑之東南南接京城之北面西接宮城之東北隅南北五里東西三里貞觀八年置為永安宮明年改曰大明宮以備太上皇清暑百官獻貲財以助役龍朔三年大加興造號曰蓬萊宮咸亨元年改曰含元宮尋複大明宮」

5 青山 長安大明宮から180度に秦嶺山脈山脈を見るが、此処では長安の右中間による都市計画から南へ子午線上の終南山とみる。

6 輦道 夾城、閣道、輦に乗じて行くべき専用の道。

7 金閨籍 金は金門、應劭の漢書註に「籍は尺二の竹牒なり、これを宮門に懸け、案省相應じ、乃ち入るを得るなり」とある。

8 銀臺 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」

743年(77)李太白集694巻二十08杜陵絕句  396Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(77) Ⅰ李白詩1758 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7330

李白  杜陵句 

南登杜陵上,北望五陵間。

秋水明落日,流光滅遠山。
(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。

李太白集巻二十08 (694

杜陵

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7330

Index-23

743年天寶二年43歳 

94-77

396 <1000

 

 
  2016年2月13日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-77

卷別:    卷一八○              文體:    五言

詩題:    杜陵

作地點:              目前尚無資料

及地點:              杜陵 (京畿道 京兆府 萬年) 別名:杜墅、少陵             

交遊人物/地點:  

詩文:

 

杜陵

(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

南登杜陵上,北望五陵間。

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
秋水明落日,流光滅遠山。

おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。

 

(杜陵)

南、杜陵の上に登り、北に望む 五陵の間。

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す。

 

 

『杜陵』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

杜陵

南登杜陵上,北望五陵間。

秋水明落日,流光滅遠山。

(下し文)
(
杜陵)

南、杜陵の上に登り、北に望む 五陵の間。

秋水 落日明らかに、流光 遠山滅す。

(現代語訳)
杜陵(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。


(訳注)

杜陵

(長安の南には小高い少陵原があり、その北の端に杜陵がある、其処に登って北に広がる景色を絶句で述べたもの)

杜陵 杜陵とは前漢の宣帝の陵墓で長安の(城郭の右下)東南にある。小高い丘の上にあり、見晴らしが良いところだ。五陵は長安の北東から北西にかけて、渭水の横門橋わたって東から陽陵(景帝)、長陵(高祖)、安陵(恵帝)、平陵(昭帝)、茂陵(武帝)と咸陽原にある。杜陵からの距離は、30km~50km。 

  元和郡縣志 「杜陵在京兆府萬年縣東南二十里」といい、胡三省鑑註に「漢の宣帝、杜陵邑を起せしより、後漢に至りて、縣となし、京兆に属す。隋、京城幷に杜陵を遷して大興縣に入る、唐、大興を改めて萬年という」とある。

  班固《西都賦》「則南望杜㶚,北眺五陵。」(則ち南に杜㶚【とは】を望み、北に五陵を眺む。南に杜陵と㶚陵の二陵をはるかに望み見て、北に長陵・安陵・陽陵・茂陵・平陵の五陵が見わたされる。杜㶚:長安のやや東よりの杜陵(漢の第八代宜帝の陵)と㶚陵(第四代文帝の陵)。(杜陵;O-8,灞陵;Q-7

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  李白《巻十二06-夕霽杜陵登樓寄韋繇》

浮陽滅霽景,萬物生秋容。登樓送遠目,伏檻觀群峰。

原野曠超緬,關河紛雜重。清暉映竹日,翠色明雲松。

蹈海寄遐想,還山迷舊蹤。徒然迫晚暮,未果諧心胸。

結桂空佇立,折麻恨莫從。思君達永夜,長樂聞疏鐘。

(夕霽 杜陵の樓に登り韋繇に寄せる)

浮陽 滅霽景をし,萬物 秋容を生ず。

樓に登りて遠目を送り,檻に伏して群峰を觀る。

原野 曠超にして緬たり,關河 紛雜にして重る。

清暉 竹日に映じ,翠色 雲松に明かなり。

海を蹈んで遐想を寄せ,山に還らんとして舊蹤に迷う。

徒然として晚暮に迫る,未だ心胸に諧【かな】うを果さず。

桂を結び 空しく佇立し,麻を折り 恨むらくは 從う莫し。

君を思うて 永夜に達し,長樂に 疏鐘を聞く。

743年(61)李太白集巻十二06-《夕霽杜陵登樓寄韋繇》 380-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-61) Ⅰ李白詩1734 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7210

 

南登杜陵上,北望五陵間。

長安城の南にある杜陵の上に登って、そこから北のかた五陵の間を望んでみる。
長安付近図00赤枠は長安の城郭  この墓陵群は中国のピラミットといわれている。


五陵原(太字)という皇帝の陵墓区で、西から茂陵、康陵、義陵、渭陵延陵、平陵長陵、陽陵、安陵の9陵が並んでいる。このうち長陵は高祖・劉邦の陵、茂陵は武帝の陵である。ほとんどの皇帝陵に皇后陵が併設されており、有名な呂后の様に皇后の地位が高かったことの現れで、皇帝が西、皇后が東とされ以後これに倣ったと言われてる。。延陵の場合、右上(東北)にやや規模の小さな皇后陵が見える。また東端にある陽陵は周囲が発掘されて兵馬俑が出土、博物館として公開されている。

 

 

 

秋水明落日,流光滅遠山。

おりしも、秋の清らかな水は漲って、夕日はいよいよ明らかに、その川の流れに落日が反映し、流れ行くその光のなかに遠い山々が蒼茫として消えかかっている。
漢文委員会紀頌之タイトル 

李白334-#2 巻二28-《胡無人》 334-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(19) <李白334-#2> Ⅰ李白詩1657 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6833

李白  胡無人 #2 

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。胡無人,漢道昌。

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。

 

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年:743年天寶二年43歳 94-15

卷別:    卷一六二         文體:    樂府

詩題:    胡無人

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門  

 

 

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。

漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。

そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。

天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。

胡無人,漢道昌。

それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。

 

(胡無人)

嚴風 霜を吹いて 海草凋む,筋幹 精堅 胡馬驕る。

漢家の戰士 三十萬,將軍は兼ねて領す 霍 嫖姚。

流星 白羽 腰間に插み,劍花 秋蓮 光 匣を出づ。

天兵 雪を照らし 玉關を下れば,虜箭 沙の如く 金甲を射る。

 

雲龍 風虎 盡く交回,太白 月に入って 敵摧く可し。

敵摧く可し,旄頭 滅す,胡の腸を履み 胡血を涉る。

胡を懸く 青天の上,胡を埋む 紫塞の傍。

胡に人無く,漢道 昌んなり。

陛下の壽 三千霜,但だ歌わん「大風雲飛揚,安んぞ猛士を得て 四方を守らん。」と。

 

『胡無人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡無人,漢道昌。

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

(下し文)
雲龍 風虎 盡く交回,太白 月に入って 敵摧く可し。

敵摧く可し,旄頭 滅す,胡の腸を履み 胡血を涉る。

胡を懸く 青天の上,胡を埋む 紫塞の傍。

胡に人無く,漢道 昌んなり。

陛下の壽 三千霜,但だ歌わん「大風雲飛揚,安んぞ猛士を得て 四方を守らん。」と。

(現代語訳)
それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。

さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。

胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。

それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。

こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。


(訳注)

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

李白朝廷に迎えられる折に作ったものであろう。743年天寶二年の作。

胡無人 相和歌瑟調、樂府相和歌辭の一つ。胡中人無きにより、容易にこれを征服できたということを述べたもの。有善哉行、隴西行等三十八曲,樂器用笙、笛、簫、琴、瑟、箏、琵琶等七種。

相和歌漢時期は「街畦道謡民謡」の基礎の上で継承先秦楚声などの伝統を形成している。相和歌が漢族の代表的な漢民族舞踊の一つ。主に宦官巨宴会、娯楽などの場合にも用いる演奏、宮廷の宴会、祀神ひいて元旦朝礼と漢族民俗活動などの場合は。「相葉歌」の名が一番早い記録について「晋・楽誌」「首相も、漢の古い歌。糸竹もっと首相、執節者の歌。」その特徴は歌人は击节太鼓と伴奏管絃楽器相応するとを考えてた。相和歌でのは、主に瑟調、清調、空洞の3種類ともいう首相三調。と後世のいわゆる「清商三調」と同じ、略称「三調」。

 

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

それから、漢の兵隊は、雲龍風虎の陣形を交互に回転し、やがて、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られた。

雲龍風虎 「雲は龍に従い、風は虎に従う」ということだが、軍隊が理路整然と秩序だって戦うこと、諸所の陣形が崩れることがなくて闘う姿を現す。

太白入月 太白星とは金星の異称である。「金星」の名は中国では太白とも呼び、戦国時代 に起こった五行思想とかかわりがある。それによると「金剋木であり、金属製の斧や鋸は木を傷つけ、切り倒す。」ということで、太白星が月にいれば、いよいよ敵を打ち滅ぼす前兆と知られているのである。また、仏教伝承では、釈迦は明けの明星が輝くのを見て真理を見つけたという。また弘法大師空海も明けの明星が口中に飛び込み悟りを開いたとされるというのも、釈迦伝説、五行思想の影響ということである。

 

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

さていよいよ胡人を打ち破れば、旄頭の胡星も、いつしか消えて、なくなってしまい、戦場には、胡人の死骸が縦横に転がっていて、そこで胡人のはらわたを踏みにじり、胡人の血の川のごとく流れるところを徒渉した。

旄頭滅 ここにいう旄頭は異民族の軍隊の帽子や旗の頭に旄を載せ飾っているのを言う。

 

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡王の首を高く青天の上にさらし、胡奴の屍を始末して、長城の傍らにうずめた。

懸胡青天上 胡王、胡大将、胡人の首を高く青天の上にさらすことをいう。

紫塞傍 晉が長城を築いた時に使用された土や石が皆紫色であったことで紫塞といった。漢王朝でも、唐王朝でも長城は改築増築を行ったが、土樋氏が同種のものが使われたので、同様に紫塞といった。

 

胡無人,漢道昌。

それでも、胡にしかるべき人がいないことによって、このように、容易に、掃蕩することができたので、漢帝国はこれによってますます隆盛となったのである。

 

陛下之壽三千霜,但歌「大風雲飛揚,安得猛士兮守四方。」

こうして、陛下の壽は、三千年の久しきにわたるべく、その威の遠近に及ぶは、漢の高祖を讃える歌をそのままに、大風がひとたび怒って満点の雲を吹き飛ばすがごとく、おまけに、胡人すでに滅んで、この国境付近は全く安寧になったのである。もはや、特別に猛士を挙用して、四方を守るということではなくなったということでめでたいことであるといわねばなるまい。

三千霜 朔方の戦いは、秋が始まりの基本でそれが霜であることで、三千年ということである。

歌大風雲飛揚 漢の高祖が、彼の故郷の沛に帰ったときに作られた歌の詩句。漢高帝歸豐沛,作歌曰:「大風起兮雲飛揚,威加海兮歸故,安得猛士兮守四方。」

李白334 巻二28-《胡無人》(嚴風吹霜海草凋,) 334Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(15) <李白334> Ⅰ李白詩1647 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6783

李白  胡無人    

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

李白334 巻二28-《胡無人》(嚴風吹霜海草凋,) 334Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-15) <李白334> Ⅰ李白詩1647 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6783

 

 

 
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韓愈95《 巻三07龍移》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1569> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6829韓愈詩-韓愈95  
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  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
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年:743年天寶二年43歳 94-15

卷別:    卷一六二         文體:    樂府

詩題:    胡無人

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門  

 

 

胡無人

(開元の末から天寳の初めに異民族を征討したことについてのべたもの)

嚴風吹霜海草凋,筋幹精堅胡馬驕。

厳しい冬の風が霜を帯びて吹き荒めば、海藻が全てしおれ枯れつくした砂漠になっていて、弓矢も丈夫にできており、胡馬も、勢い盛んにして、いよいよ胡人が南下して国境周辺に入寇するときとなった。

漢家戰士三十萬,將軍兼領霍嫖姚。

この時、中国においては、三十万の戦士を繰り出し、大将軍は、霍嫖姚のごとき知勇兼備の将校をいくらも幕下に従っている。

流星白羽腰間插,劍花秋蓮光出匣。

そこで、中国の将士は、流星のごとく早く飛ぶ白羽の矢を腰に挟んでいて、焼き刃の匂い、秋の蓮の花の艶と同じような名刀を匣から取り出してこれを腰に佩びている。

天兵照雪下玉關,虜箭如沙射金甲。

こうして、中国の兵隊は、ゆきに照らされつつ、玉門關から打って出ると、胡人はこれは大変だというので、にわかに射だす防矢は、それは砂のようであり、黄金の鎧に次々にあたる。

雲龍風虎盡交回,太白入月敵可摧。

敵可摧,旄頭滅,履胡之腸涉胡血。

懸胡青天上,埋胡紫塞傍。

胡無人,漢道昌。

陛下之壽三千霜,但歌大風雲飛揚,

安得猛士兮守四方。

 

(胡無人)

嚴風 霜を吹いて 海草凋む,筋幹 精堅 胡馬驕る。

漢家の戰士 三十萬,將軍は兼ねて領す 霍 嫖姚。

流星 白羽 腰間に插み,劍花 秋蓮 光 匣を出づ。

天兵 雪を照らし 玉關を下れば,虜箭 沙の如く 金甲を射る。

 

雲龍 風虎 盡く交回,太白 月に入って 敵摧く可し。

敵摧く可し,旄頭 滅す,胡の腸を履み 胡血を涉る。

胡を懸く 青天の上,胡を埋む 紫塞の傍。

胡に人無く,漢道 昌んなり。

陛下の壽 三千霜,但だ歌