李白 行路難三首 之三#2
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。
君不見吳中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。
李太白集巻一44 |
行路難三首 其三 |
漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7485 |
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Index-24 |
744年天寶三年44歳 |
56首-(9) |
423 <1000> |
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李太白集分類補註巻三
宋 楊齊賢 集註 元 蕭士贇 補註 (編集紀頌之)
行路難,三首之三 其三此首一/作古興 |
#1 |
有耳莫洗潁川水、有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名、何用孤髙比雲月。 |
吾觀自古賢達人、功成不退皆殞身。子胥既棄吳江上、屈原終投湘水濵。 |
・潁川水 髙士傳 許由耕於中岳、潁水之陽、箕山之下。 堯召為九州長。由不欲聞之、洗耳于潁水濵 |
・首陽蕨 史記 武王 巳平殷亂、天下宗周。而伯夷叔齊恥之、義、不食周粟、隠于首陽山 採薇而食之、索隠曰薇蕨也。 |
梁書 阮孝緒傳 周徳雖興夷齊不厭薇蕨、漢道方盛 黄綺無悶山林薇蕨 |
本二草而古人亦多混稱、太白改、以叶韻、葢有自也 |
・子胥既棄吳江上 吳/越春秋 吳王聞子胥之怨恨也、乃使人賜屬鏤之劍。子胥 伏劍而死。吳王 取子胥尸、盛以䲭夷之器投之於江/中。子胥 因隨流揚波、依潮來往、蕩激崩岸。 |
・屈原終投湘水濵 拾遺記 屈原 以忠見斥、隠於沅湘、披榛、茹草、混同禽獸、不交世、務採/栢實、以和桂膏、用養心神。被王逼逐、乃赴清泠之水。楚人思慕、謂之水仙。其神 逰于天河、精靈時降湘浦。 |
#2 |
陸機雄才豈自保、李斯税駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞、上蔡蒼鷹何足道。 |
君不見呉中張翰稱、一作/真達生秋風忽憶江東。行且樂生前一杯、酒何須身後千載名。 |
・陸機雄才豈自保 晉書 成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、宻收機。機 釋戎服、著白帢、與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。 |
世説 註 八王故事 曰 「華亭、吳由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/吳平後、陸機兄弟共逰于此十餘年。」語林曰、機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。 |
・李斯税駕苦不早 史記 「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為夀。門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、「吾聞之荀卿、曰、物禁太盛。夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位、無居臣上者、可謂富貴極矣。物極則衰、吾未知所税駕也。」 |
索隠曰 税駕猶解駕、言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。 |
太平御覽 “史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。考今本 史記 李斯傳中、無臂蒼鷹、字而太白詩中、屢用、其事 當另有所本。 |
・張翰 晉書 張翰字季鷹吳郡吳人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思吳中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」 |
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-372-74巻二15 行路難三首 其三
(有耳莫洗潁川水,)
作時年: |
744年 |
天寶三年 |
44歲 |
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全唐詩卷別: |
卷一六二 12-3 |
文體: |
樂府 |
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李太白集 |
巻02-15 |
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詩題: |
行路難三首 其三 |
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序文 |
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作地點: |
長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) |
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及地點: |
首陽山 (都畿道
河南府偃師) 別名:西山 |
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上蔡 (河南道 豫州 上蔡) |
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交遊人物: |
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-372-74巻二15 行路難三首 其三
(有耳莫洗潁川水,)
行路難,三首之三 #1
(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三
有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。
才あるも、全く用いられず“行路は難し”であり、じっとしていても良い様なものだが、決してそうではない。そのことは、許由が仕官の誘いに故郷の潁川の水耳を洗って無視をしたし、伯夷、叔齊はにげて 首陽山の蕨を食べついには餓死したが、老荘思想の達成のためとはいえこういうことはしてはいけない。
含光混世貴無名,何用孤高比雲月。
老荘思想の達成の旨である光を守って包み込み、ことさら世の中に無名であることを尊いことということで世俗にまみえ、特に、孤高を衒って雲間の月に比するようなことはやることではない。
吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。
自分は 昔から賢人といわれる人たちというものを見てきたが、共通して言えることは目標を達成する、勲功を得るなど功を成しとげて引退したものでなければ、皆その意志の通りを貫くことはできない。志半ばで死んでしまう。
子胥既棄吳江上,屈原終投湘水濱。
呉の躍進に大きく貢献した子胥は呉王に疎まれ、墓は作られず、呉江に流棄され今は川の中だ。屈原は秦の張儀の謀略で、賄賂漬けになっている家臣、踊らされようとする懐王を必死で諫めたが受け入れられず、楚の将来に絶望して湘水に入水自殺し今は川の浜のすなになっている。
#2
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
君不見吳中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。
(行路難,三首の三)
耳あるも洗うなかれ潁川の水 口あるも食すこと莫かれ首陽の蕨。
光を含み世に混ざりて名なきを貴ぶ 何ぞ用いん 孤高 雲月に比するを。
吾 古しへより賢達の人を観るに 功成って退かざれば 皆身を損【おと】す。
子胥は既に棄てらる呉江の上【ほとり】 屈原は終に投ず湘水の浜。
陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。
華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。
君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。
且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。
『行路難,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(本文)#2
#2
陸機雄才豈自保,李斯稅駕苦不早。
華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。
君不見吳中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
(含異文): 有耳莫洗潁川水,有口莫食首陽蕨。含光混世貴無名,何用孤高比雲月。吾觀自古賢達人,功成不退皆殞身。子胥既棄吳江上,屈原終投湘水濱。陸機雄才豈自保【陸機才多豈自保】,李斯稅駕苦不早。華亭鶴唳詎可聞,上蔡蒼鷹何足道。君不見吳中張翰稱達生【君不見吳中張翰真達生】,秋風忽憶江東行。且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
(下し文)
#2
陸機の雄才 豈に自ら保たんや 李斯の税駕 早からざるに苦しむ。
華亭の鶴唳 何ぞ聞くべけんや 上蔡の蒼鷹 何ぞ道【い】うに足らむ。
君見ずや呉中の張翰 達生と称す 秋風忽ち憶う江東へ行く。
且つ楽む生前一杯の酒 何ぞ身後千載の名を須【もちひ】るや。
(現代語訳)
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍したとして、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。
(訳注) #2
行路難,三首之三 #2
(みずからの人生行路は困難なものであるが、滄海の万里の波をのりこえていくような時期がいつかは来るということを心にとめていきると詠う。)その三
1】
行路難 もとは漢代の歌謡。のち晋の袁山松という人がその音調を改変し新らしい歌詞をつくり、一時流行した。六朝の飽照の楽府に「擬行路難」十八首がある。 「行路難」はみずからの人生行路の困難を詠う。「行路難し 行路は難し、岐路多くして、今安にか在る」と悲鳴をあげながらも、「長風浪を破る 会に時有るべし」と将来に期待を寄せたい李白は三首つくった。
陸機雄才豈自保 李斯稅駕苦不早
あれだけの節操と勇気と文才を持った陸機が自分の身を守れず、讒言にあって謀反の疑いで軍中に処刑された。李斯は度量衡の統一、税制を確立し、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、早く官をやめればよかったが、権力争いに敗れて殺害された。
【6】
陸 機 (りくき261年- 303年)は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。字は士衡。呉の四姓(朱・張・顧・陸)の一つである陸氏の出身。祖父は陸遜。父は陸抗。子は陸蔚、陸夏。本籍は呉郡呉県(今の江蘇省蘇州市)。ただし家は呉の都建業(現在の江蘇省南京市)の南や、祖父の封地であった華亭(雲間とも。現在の上海市松江区)等にあったようである。父と共に呉に仕えて牙門将となった。天紀4年(280年)、晋との戦いで二人の兄の陸晏と陸景を失い、間もなく祖国も滅亡したため、故郷に引退する。この滅亡に憤慨して『弁亡論』を著した。やがて、説得に応じて弟と共に晋に仕官する事になった。既に陸機の文名は洛陽にも伝わっていたため、高官である張華は「呉討伐の戦果は、この二人の俊才を得たことだ」と言ったといわれている。その後、太子洗馬・著作郎を務めて、恵帝の治世下でも順調に出世を続けた。だが、次第に八王の乱の混乱に巻き込まれていく事になる。太安2年8月穎は洛陽で実権を握っていた長沙王司馬乂討伐を決意すると、彼は陸機の能力を評価して平原相・後将軍・河北大都督に任命、陸機は洛陽に向かって進撃したが、彼自身は祖父や父ほど将才に優れていなかった事に加え、配下達も「呉の降将」として彼を蔑んだ事もあって、十分な指揮が執れず、10月に洛陽城の建春門の攻防において大敗してしまった。謀反の疑いで処刑されてしまった。この時、陸機の二人の息子と、弟の陸雲・陸耽までもが連座して殺され、陸遜直系の子孫は断絶となった。《晉書》「成都王穎 起兵討長沙王乂、假陸機後將軍河北大都督、督北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人、戰/於鹿苑。機軍、大敗。宦人孟玖、譖機于穎、言其有異志。穎 怒、使秀、宻收機。機 釋戎服、著白帢、與秀相見神色自若、既而嘆曰、華亭鶴唳、豈可復聞乎。遂遇害于軍中。」(成都王穎、兵を起して長沙王乂を討ち、陸機に後將軍河北大都督を假し、北中郎將王粹、冠軍牽秀等、諸軍二十餘萬人を督して、鹿苑に戰う。機の軍、大いに敗る。宦人孟玖、機を穎に譖して、其の異志有るを言う。穎 怒り、秀をして、宻に機を收めしむ。機 戎服を釋き、白帢を著け、秀と相い見て神色自若、既に而て嘆じて曰く、華亭の鶴唳、豈に復た聞く可けんや。遂に害に軍中に遇う。)とある。《世説》の註に八王の乱の故事をひいて曰う、「華亭、吳由拳縣郊外墅也。有清泉茂林。/吳平後、陸機兄弟共逰于此十餘年。」(華亭は、吳の由拳縣の郊外の墅なり。清泉茂林有り。吳 平ぐ後、陸機兄弟、共に此に逰ぶこと十餘年。)とあり、つづいて語林曰く、「機為河北都督。聞警角之聲、謂孫丞曰、聞此不如華亭鶴唳、故臨/刑而有此嘆説文唳鶴鳴也。」(機 河北都督と為る。警角の聲を聞き、孫丞に謂うて曰く、聞けば此れ華亭の鶴唳に如しかず、故に刑に臨んで此れ嘆説の文有り唳するは鶴鳴なり。)と讒言によって、一族は絶えた。
【7】
李 斯(り し? - 紀元前208年)儒家中国秦代の宰相。法家にその思想的基盤を置き、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。・李斯税駕苦不早 《史記》に「李斯為丞相、長男由、為三川守、諸男、皆尚秦公主、女悉嫁秦諸公子。李由、告歸咸陽、李斯置酒於家、百官長、皆前為夀。門庭車騎、以千數。 李斯、喟然嘆曰、『吾聞之荀卿』、曰、『物禁太盛。』夫斯乃上蔡布衣、閭巷黔首、上、不知其駑下、遂遷擢至此。當今、人臣之位、無居臣上者、可謂富貴極矣。物極則衰、吾未知所税駕也。」(李斯丞相と為り、長男は由、三川の守と為り、諸男、皆 秦の公主を尚し、女は悉く秦の諸公子に嫁す。李由、咸陽に告歸するるや、李斯 家に置酒し、百官の長、皆 前んで夀を為す。門庭に車騎、以て千と數う。 李斯、喟然として嘆じて曰く、『吾 之を荀卿に聞く』、曰く、『物は太はだ盛んなるを禁ず。』と。夫れ 斯 乃ち上蔡の布衣、閭巷の黔首、上、其の駑下を知らず、遂に遷た擢んで此に至る。當今、人臣の位、臣の上に居る者無し、富貴極れりと謂う可し。物極まれば則ち衰う、吾 未だ税駕する所を知らざるなり。)とあり、索隠は曰う「税駕猶解駕、言休息也。李斯言 巳 今日富貴、已 極未知向後、吉凶止泊、在何處也。」(税駕は猶お駕を解く、言は休息なり。李斯の言は 巳、今日富貴、已に 極り未だ向後を知らず、吉凶 止泊し、何處に在らんや。)とある。太平御覽に《史記》を引いて“史記曰「李斯臨刑、思牽黄犬、臂蒼鷹、出上蔡東門不可得矣。」(史記に曰う「李斯 刑に臨み、黄犬を牽き、蒼鷹を臂し、上蔡の東門を出んと思えども得可からず。)とあり、蕭士贇の補註に「考今本史記李斯傳中無臂蒼鷹字而太白詩中屢用其事 當另有所本。」(今、この本を考えるに、《史記 李斯傳》中に、「臂蒼鷹」の字は無く、而して太白詩中、屢しば用いたのは、其の事 當に另の本づく所が有ったということである。)
華亭鶴唳何可聞 上蔡蒼鷹何足道
陸機は故郷の華亭にいるあのすばらしい鶴がどうして唳を流しているのか聞いてみたいが二度と聞けなかったし、李斯は息子らとともに、敏俊な蒼鷹を臂にし、故国の上蔡の城門を出て、狩をしたいといったのだが、できないと嘆息にしても何の役にも立たない。
【8】
華亭県(かてい-けん)は中華人民共和国甘粛省平涼市に位置する県。県人民政府の所在地は東華鎮。華亭県は東は崇信県、西は庄浪県、寧夏回族自治区の涇源県、南は張家川回族自治県と陝西省隴県、北は崆峒區に隣接する。
【9】
上蔡県(じょうさい-けん)は中華人民共和国河南省の駐馬店市に位置する県。
君不見呉中張翰稱達生,秋風忽憶江東行。
君はもう見ることはできないが、呉の国にいた張翰は達生と称したが、秋風に誘われ、世の乱れを察していた張翰が故郷の味が懐かしいと口実をつくり、江東へ帰っていったのである。
【10】 張翰 昔、晋の張翰が、秋風に故郷である呉の菰菜(こさい)、蓴羹(じゅんさいのあつもの)、鱸魚膾(すずきのなます)を思い出し、それを食べたい一念で官を辞して故郷へ帰った。この後、すぐ世が乱れた。人々は、世の乱れを察していた張翰が故郷の味を口実に先手を打ったのだと思ったという逸話。李白「秋荊門を下る」
《晉書》に「張翰字季鷹吳郡吳人也。有清才、善屬文、而、縱任不拘。齊王冏、辟為大司馬東曹掾。冏、時執權。翰、因見秋風起、乃思吳中菰菜蓴羮鱸魚膾曰、『人生、貴得適志、何能羇宦數千里、以要名爵乎。』遂命駕而歸。俄而冏敗。人皆謂之見機。翰、任心自適、不求當世。或謂之曰、卿乃可縱適一時、獨不為身後名耶。荅曰、使我有身後名、不如即時一杯酒。時人貴其曠達。」(張翰、字は季鷹、吳郡の吳人なり。清才有り、善く文を屬す、而かも、縱任拘らず。齊王の冏、辟して大司馬、東曹掾と為す。冏、時に權を執る。翰、秋風の起る見るに因って、乃ち吳中の菰菜、蓴羮、鱸魚の膾を思うて曰く、『人生、適志を得るを貴ぶ、何ぞ能く羇宦數千里、以て名爵を要せんや。』と。遂に駕を命じ、而して歸る。俄にして 冏 敗る。人 皆 之を『機を見る』と謂う。翰は心に任せて自適し、當世に求めず。或いは之に謂ううて曰く、『卿は乃ち縱とい一時に適す可きも、獨り身後の名を為さざるか。』と。荅えて曰く、『我をして身後の名を有らしむも、即時一杯の酒に如かず。』と。時人 其の曠達を貴ぶ。」とある。
且樂生前一杯酒,何須身後千載名。
先の事も、これまでのことを悩んだり悔んだりするより、今生きているこの時の一杯の酒こそが自分を楽しませ生かせてくれるものなのだ。どうして死んだ千年も後になって、名声を拍しても、何になろうか。これ、すなわち行路難のこの世に処する第一の事である。
【11】
【解説】行路難ということ、第一首は、黄河の氷、大行山脈の雪、であった。第二首は、才のある明主に遭わないことであった。この第三首において、行路難の極みをいうが、それは「張翰稱達生」であり,「秋風忽憶江東行」でもって理想的行動、行路としている。行路は難であれ、「千載名」よりも、張翰のごとく「樂生前一杯酒」を大切にするということである。