漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷四

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -4 428-#4Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1804 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7560

李白  東武吟  #4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。 書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

李太白集巻36-4

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14-4

428 <1000

 

 
  2016年3月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -4 428-#4Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1804 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7560  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈144-#2《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹》  #2 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(18)<1717> Ⅱ #2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7561  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 24 杜少陵集-巻18-56 《卜居》24 杜甫詩index-15-1183 <1633> 18-56 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7562  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十07後庭花三首其二》『花間集』460全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7564  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#4

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。 

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

李白の足跡0000 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓客日疏散,玉樽亦已空。

才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。

書此謝知己,吾尋黃綺翁。


(下し文)
#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。

(現代語訳)
#4

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

安史の乱期 勢力図 002
(訳注) #4

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

 

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

 

賓客日疏散,玉樽亦已空。 

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

 

才力猶可倚,不慚世上雄。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

 

閑作東武吟,曲盡情未終。 

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

21 黃綺翁 夏黃公、綺里季のことで、商山の四皓の二人を言う。東園公・綺里季・夏黄公・甪里【ろくり】先生の四人の隠士。みな鬚眉【しゅび】が皓白の老人であったのでいう。

 

 

 

 

 東武吟

  一作出金門後書懐留翰林諸公東樂/府詩集古今樂録曰王僧技録有 武吟行今不歌樂府觧題曰鮑照云主人且勿諠沈/約云天徳深且廣傷時移事異榮華徂謝也

  左思齊都賦註云東武太山皆齊之土風絃歌謳吟之/曲名也通典曰漢有東武郡今高諸城縣是

  元和郡縣志州諸城縣即漢東武縣也属琅邪/郡樂府章所謂東武吟者也海録碎事東武吟樂府詩人有少壮從征伐年老被棄/於東武者不敢論功但戀君

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

#2

清切紫霄迥,優游丹禁通。君王賜顔色、聲價凌烟虹。

乗輿擁翠盖、扈從金城東。寳馬麗錦衣入新豐

#3

繆本/作倚巖望松雪、對酒鳴絲桐。因學揚子雲、獻賦甘泉

天書片善、清芬播無窮。歸來入咸陽、談笑皆王公。許本誤失/去此二句

#4

一朝去金馬、飄落成飛蓬。繆本/作友日疎散、玉樽亦已。

才力猶可倚、一作/不慙世上雄。閒作東武吟、曲盡情未終。

書此謝知已、吾尋黄綺翁。一作扁舟尋釣翁達劉/峻廣絶交論斯賢

素交沈約詩便欲息微躬漢書恭承嘉惠兮顔師古註/恭敬也.

 十六國春秋石虎在臺上有詔書以五色紙著

凰 口中既銜詔侍 人放數百丈緋轆轤迴轉状/若飛翔飛下端門以木作之五色文身脚皆用金

《宋書》殷淳居黄門為清切魏書對九重之清切望八襲之/嶸。

 梁簡文帝圍城賦升紫霄之丹地排玉殿之金

《隋書》分司丹禁侍衛左右上官儀詩清切丹禁。

 静顔之/推詩楚王賜顔色出入章華裏鮑照詩輝石亂烟虹賈

誼新書 天子車曰乗輿  《淮南子》建翠盖髙誘註 翠盖以/翠鳥羽飾葢也。

 上林賦扈從横行出乎四校之中 晉灼註扈大也。

封氏聞見記 百官從駕謂之扈從葢臣下侍/從至尊各供所職猶僕御扈養以從上故謂之扈從耳

《上林賦》云扈從横行 顔監釋云謂扈從縱恣而行也。 據/顔此觧乃讀從為放縱不取行從之義所未詳也石林

燕語從駕謂之扈從始 司馬相如《上林賦》晉灼以扈為/大張揖謂跋扈縱横不安鹵簿 故顔師古因之亦以為

跋扈恣縱而行果爾從葢作去聲侍天子而言跋扈可/乎唐封演以為扈從以從猶之僕御此或近之 

張協詩 朱軒耀金城 劉良註金城長安城也。

  史記 中廐之寳馬/臣得賜之 水經註 魏武與張繡戰於宛馬名絶景為流矢所中

舊唐書 京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古/新豐城北、天寳三載、分新豐萬年置昌縣七載省豐縣改昌為昭應治

温泉之西北琦按自乗輿擁/翠葢而下 是指其侍從温泉宮而言在新豐縣之驪山下正直

唐京師之東太白入朝、在天寳二三載、是時/新豐尚未省也。顔延年詩 倚巖聴緒風、又曰庭昏見野隂山明望松雪

漢書 揚雄待、詔承明之庭正月、從上甘泉、還奏甘泉賦、以風桓譚新論、揚子雲從成帝祠甘泉

詔雄作 賦思精苦困倦小卧夢五臟出外以手收而納/之及覺病喘悸少氣王筠詩自知心所 愛獻賦甘泉

鮑照詩 片善辭革萊 漢書 公孫𢎞拜為博士待詔金馬/門 

曹植詩 玉樽盈桂酒夏黄公綺里季事見 四巻註 歘音旭又音忽

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -3 428-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-16【56首】Ⅰ李白詩1803 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

東武吟  #3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

李太白集巻36-3

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14-3

428 <1000

 

 
  2016年3月29日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -3 428-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-16【56首】Ⅰ李白詩1803 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈144-#1《 巻02-19喜侯喜至贈張籍、張徹 (昔我在南時,)》  #1 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(17)<1716> Ⅱ #1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7556  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 23 杜少陵集-巻18-55 《赤甲》23 杜甫詩index-15-1182 <1632> 18-55 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7557  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十06後庭花三首其一》『花間集』459全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7559  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#3

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。 

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

秦嶺山脈終南山 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。

天書美片善,清芬播無窮。

歸來入咸陽,談笑皆王公。

(下し文)
#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。

揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。

歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。

(現代語訳)
#3

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

漢文委員会紀頌之タイトル
(訳注)  #3

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

 

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

15 依岩望松雪 楚辞に「石巌に倚りて以て涕を流す」、遵野莽以呼風兮,步從容於山廋。巡陸夷之曲衍兮,幽空虛以寂寞。倚石巖以流涕兮,憂憔悴而無樂。登巑岏以長企兮,望南郢而闚之。山脩遠其遼遼兮,塗漫漫其無時。聽玄鶴之晨鳴兮,于高岡之峨峨。獨憤積而哀兮,翔江洲而安歌。

離騒「余既茲蘭之九畹兮,又樹蕙之百畝。畦留夷與掲車兮,雑杜蘅與芳芷。冀枝葉之峻茂兮,愿竢時乎吾將刈。雖萎絶其亦何傷兮,哀衆芳之蕪穢。」

・秋冬之緒風『楚辞』「九章」の「渉江」

・緒風 秋冬の風の名残をいう。に、「乗鄂渚而反顧兮、欵秋冬之緒風。」(鄂渚に乗りて反顧すれば、ああ、秋冬の緒風なり。)とある。顏延年《和謝監靈運》「倚岩聽緒風,攀林結留荑。」(岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1188

16 絲桐 琴弦をかき鳴らす

 

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

17 揚子雲 揚雄のことで、(前53―後18)中国、漢代の儒学者、文人。蜀郡成都(四川省)の人。字は子雲。前漢、新、後漢の三王朝に仕えた。学者として高名である。著書としては『易経』に擬した『太玄経』と、『論語』を模した『法言』が有名である。また司馬相如の影響を受けて賦をよくした。『太玄経』は『易経』の六四卦()三八四爻【こう】に倣って八一首七二九賛とし、新しい占筮書とした。その根本原理は老子の道の思想より得た玄である。その生成を説くに、一玄が分かれて三方となり、三方が九州となり、九州が二七部となり、二七部が八一家となるとする。これを人事にあてて、三方は三公、九州は九卿(けい)、二七部は大夫、八一家は元士にかたどり、一玄を君主としてこれを統べるものと説いた。『法言』は『論語』に倣い、巻1の「学行」から巻10の「孝至」に及んで、聖人を尊び、王道を説いた。漢・唐の諸儒は揚雄を高く評価したが、宋(そう)代の程伊川(ていいせん)や朱熹(朱子)が、聖人の書の模作を難じ、性善悪混説を唱え、三朝に仕えたことなどで批判したため、それ以後の儒者も多くこれに倣った。

18 甘泉宮 秦の始皇帝が前220年に首都咸陽(かんよう)の北西の甘泉山(陝西省淳化県)に築いた離宮の林光宮に始まる。漢の武帝が建元年間(140‐前135)に高光宮,迎風館,通天台などを増築し,周囲19(7.7km)12宮,11台などを甘泉宮と総称した。別に山谷に沿って雲陽に至る周囲540(219km)の甘泉苑を設け,仙人,石闕(せきけつ),封巒(ほうらん),鳷鵲(しじやく)諸観など宮殿台閣100ヵ所以上があった。

 

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

19 清芬 すがすがしく、よいかおりのするさま。きよい匂いただようさま。

 

歸來入咸陽,談笑皆王公。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

20 咸陽 ここでは長安のこと。秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。
簷間樹 

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -2 428-#2Ⅰ李白詩1802 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7550

李白  東武吟  #2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

李太白集巻36-2

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14

428 <1000

 

 

 
  2016年3月28日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-15李太白集161巻四36東武吟  -2 428-#2Ⅰ李白詩1802 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7550  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#10《 巻02-19薦士 -#10》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#10<1715> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7551  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 22 杜少陵集-巻18-54 《入宅,三首之三【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》22 杜甫詩index-15-1179 <1629>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7542  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog
17 毛熙震《巻十05木蘭花》『花間集』458全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7554
 
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#2

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

京兆地域図002 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

寶馬麗景,錦衣入新豐

(下し文)
#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。

君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。

寶馬 景麗かに,錦衣新豐に入る

(現代語訳)
#2

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。


(訳注)  #2

大明宮の圖003 

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

7 紫霄迥 紫霄とは、天上、此処では、宮禁を言う。天子の詔勅を授かったものは、朝廷内を比較的自由に歩けることを意味する。鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

8 丹禁通   朱で塗った宮殿の階段、紫微宮、外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭、丹陛は丹く塗られていたことで、皇城、大明宮を示す。。

 

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

9 乘輿 天子の輦をいう。

10 扈從 天子の御供をしてゆくこと。

11 金城東 長安城の東、驪山にある温泉離宮をさす。

 

寶馬麗景,錦衣入新豐。

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

12 寶馬 天子の厩に飼育されている馬たちを言う。史記「中廐之寳馬臣得賜之」(中廐の寳馬、臣、之を賜り得る)

13  魏の武帝が袁紹と戦った時の馬の名前で、名馬をさす。 水經註 「魏武與張繡戰於宛。馬名絶景為流矢所中」(魏武と張繡と宛に於て戰う。馬、絶景と、流矢に中る所と為す。

14 新豐 驪山の温泉宮の離宮への登り口がある、宿場の駅のある町。舊唐書「京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古新豐城北」(京兆府、昭應縣に有り、本と隋の新豐縣であり、古えより新豐城の北を治む

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  428Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

李白  東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)  わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

李太白集巻36-1

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14

428 <1000

 

 

 
 2016年3月27日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟 (出東門后書懷留別翰林諸公 )  428Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#9《 巻02-19薦士 -#9》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#9<1714> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7546 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog767年- 21 杜少陵集-巻18-53 《入宅,三首之二【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》21 杜甫詩index-15-1178 <1628> 18-53 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7537 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog17 毛熙震《巻十04定西番》『花間集』457全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7549 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

 

-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#1

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。
方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。
白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。
恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

長安皇城宮城00 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。

方希佐明主,長揖辭成功。

白日在高天,回光燭微躬。

恭承鳳凰詔,起雲蘿中

(下し文)
(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。

方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。

恭しく鳳凰の詔りを承け,ち雲蘿の中より起つ

(現代語訳)
東武吟(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。


(訳注) 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

2 東部吟 蕭士贇の解に「曰《東武吟》即樂府正聲東門行也。」(曰く《東武吟》は即ち樂府正聲の東門行なり。)「晉樂奏古辭云《出東門不顧歸》言、士有貧不安其居、拔劔去、妻子牽衣留之、願共餔糜、斯足。不求富貴也。太白詩、則自述其志也。」(晉樂奏古辭に云『東門を出でて顧いて歸るをせず』言うは、士、貧にして其の居に安んぜざる有り、劔を拔いて去る、妻子 衣を牽いて之を留む、願わくば餔糜を共にすれば、斯に足らん。富貴を求めざるなり。太白の詩は、則ち自ら其の志を述ぶるなり。)とあり、切実な思いを述べている。

王琦の解には、《樂府詩集、古今樂録》「曰、王僧技録有 東武吟行今不歌。」(曰く、王僧技録に東武吟行り、今は歌わず。)。樂府觧題に曰く、「鮑照云、『主人且勿諠』、沈約云、「天徳深且廣。」、傷時移事異榮華徂謝也。」(鮑照は云う、『主人とし且つ諠する勿れ』、沈約は云う、「天徳は深く且つ廣し。」、時移り、事異に、榮華の徂謝するを傷むなり。)と。  左思の《齊都賦》の註に云う、「東武太山皆齊之土風、絃歌謳吟之曲名也。」(東武太山は皆、齊の土風であり、絃歌の謳吟の曲名なり。)と。通典に曰く、「漢有東武郡、今、高諸城縣是也。」(漢に東武郡有り、今、高 諸城縣が是なり。 《元和郡縣志》には、「州諸城縣、即漢東武縣也。属琅邪/郡。樂府章所謂東武吟者也。」(州の諸城縣、即ち漢の東武縣なり。琅邪郡にす。樂府章に所謂る東武吟なる者なり。と。《海録碎事》には、「東武吟樂府、詩人有少壮從征伐、年老被棄、於東武者不敢論功、但戀君耳。」(東武吟は樂府であり、詩人は有少壮に征伐に從い、年老いて棄て被れ、東武に於てぶ者あり、敢えて功を論ぜず、但だ君に戀うるのみ

 

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

 

方希佐明主,長揖辭成功。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

 

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

3 微躬 自らを謙遜して言う。

 

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

4 恭承 恭しく敬いながら承る。

5 鳳凰詔 十六國春秋「石虎在臺上有詔書以五色紙著凰口中既銜詔。侍人放數百丈緋轆轤迴轉、状若飛翔飛下端門。以木作之、五色文身脚皆用金。」(石虎、臺上に在り、詔書有り五色の紙を以て凰の口中に著く。既に詔を銜む。侍人、數百丈の緋ち、轆轤迴轉、状、飛翔するが若く、飛んで端門を下る。は、木を以て之を作り、五色文身、脚、皆金を用う。紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。

鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

鳳銜 鳳詔と同じ。 鳳凰が口に銜える。詔勅を木製の鳳凰に銜えさせた故事。鳳詔:《鄴中記》.「石季龍與皇后在觀上為詔書,五色紙著鳳口中,鳳既銜詔,詩人放,數百丈緋繩轆盧回轉,鳳凰飛下,謂之鳳詔。鳳凰以木作之,五色漆畫,皆用金。」

韋莊《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》「鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

街鼓動,禁城開,天上探人回。

鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

家家樓上簇神仙,爭看鶴冲天。

(喜遷鶯二首 其の二)

街は鼓動し,禁城 開く,天上 人を探して回る。

鳳は金膀を銜へ 雲來に出づ,平地 一聲雷。

鶯は已に遷り,龍 已に化す,一夜 城の車馬に滿つ。

家家の樓上 神仙に簇【むらが】り,爭って看る 鶴の天に冲【のぼ】るを。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。)

長安の街に「引見」の太鼓の音が鳴り響き、皇城の正門朱雀門はひらかれ、宮官人たちは早くから動きにぎわい、宮中では人を探し回るほどの騒ぎである。

古来より恒例の詔勅の入った金沙の袋を木製の鳳凰が口に銜えたのが、天子につづいて、更に百官が居並んでてきて、平地には祝福の号砲のような雷が鳴り響く。

既に鶯は谷を渡ったという、進士の試験に及第した、龍が既に化身したがこれからどれだけ伸びてくれるか計り知れない前途洋洋である。その夜は長安城には及第者は無礼講で、溢れるほどの車馬でいっぱいになった。

多くの人が家家の高楼の上にあがって、仙郷である朝廷の及第者の様子を見ようと群がって見ている。そこに鶴に乗って天に上る及第者が御殿に昇っていくのをみんな爭ってみるのである。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772
大明宮 作図011 

続きを読む

744年年44歳-13李太白集139巻四09 來日大難 -3 427-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#3【56首】Ⅰ李白詩1800 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7540

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

李太白集 巻四142

來日大難 2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#2

427 <1000

 

 

 
  2016年3月26日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-13李太白集139巻四09 來日大難 -3 427-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#3【56首】Ⅰ李白詩1800 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7540  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#8《 巻02-19薦士 -#8》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#8<1713> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7541  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年- 20 杜少陵集-巻18-52 《入宅,三首之一【案:大歷二年春,甫自西閣遷赤甲。】》20 杜甫詩index-15-1177 <1627> 18-52漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7532  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十03小重山》 《花間集》456全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7544  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。
#2

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。
#3

思填東海,強銜一木。

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

道重天地,軒師廣成。 

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

蟬翼九五,以求長生。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

下士大笑,如蒼蠅聲。 

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

東海を 填めんこと思い,強いて 一木を銜む。

道は天地に重く,軒 廣成を師とす。

九五を蟬翼とし,以て長生を求む。

下士は大笑すれども,蒼蠅の聲の如し。

 

 

『來日大難』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

思填東海,強銜一木。

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。

下士大笑,如蒼蠅聲。

(下し文)
#3

東海を 填めんこと思い,強いて 一木を銜む。

道は天地に重く,軒 廣成を師とす。

九五を蟬翼とし,以て長生を求む。

下士は大笑すれども,蒼蠅の聲の如し。

(現代語訳)
#3

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。


(訳注) #3

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

1 詩題 来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

2 士贇曰詩意謂 「黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。」(士贇曰く、詩意謂えらく 黃帝、猶お以道をて重しと為すことを知り、廣成に師問し、天位を視ること猶お蟬翼の輕きなり、以て長生久視の術を求む。而して下愚の士、乃ち浮榮を戀し、聞道をいいて笑う、亦た哀しむ可し。

 

思填東海,強銜一木。

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

填東海 《述異記》「昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。」(昔、炎帝の女、東海中に溺死す。化して精衛と為す、其の名を自ら呼び、常に西山の木石を銜んで、東海を填む。)とあるに基づく。

 

道重天地,軒師廣成。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

軒師 黄帝のこと。神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)

廣成 軒轅皇帝就浩浩蕩蕩的帶了很多侍衛,欲拜訪廣成子。《抱朴子》黄帝過崆峒、從廣成子受自然之經。

 

蟬翼九五,以求長生。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

蝉翼九五 帝王の最高権威を蝉の翅のように軽く見下す。九五とは、陽數中の九は最高を為し,五居正中とし,これにより「九」と「五」でもって帝王の權威の象徵としている,之を稱して「九五之尊」と為る。

 

下士大笑,如蒼蠅聲。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

下士大笑 老子「上士聞道,勤而行之;中士聞道,若存若亡;下士聞道,大笑之。不笑,不足以爲道。」(上士は道を聞けば,勤めて之を行い;中士は道を聞けば,存するが若く亡きが若し;下士は道を聞けば,大として之を笑う。笑わざれば,以れ道を爲すに足らず。

すぐれた人物は道を聞けば、努力して実行するが、並みの人物は道のことを聞いて、半信半疑の態度で、そういう道があるかあるのだかないのだか見当もつかないもので、知恵の低いものになると、小馬鹿にして笑いとばす。しかし、彼らに笑いとばされるくらいでなければ、真の道とはいえないものである。(衆人には容易に理解できるものではない)

蒼蠅聲 《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序:「青蠅,大夫刺幽王也。」(青蠅は,大夫幽王を刺るなり。)「青蠅. 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。」(営営たる青蠅、樊 (垣根)に止る王が好んで讒言を聞くので、詩人がそれを青蠅の飛びまわって物を汚すさまにたとえて戒めた。

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

  來日大難

  來日大難、即古善哉行也。葢摘首句以命題耳。樂府古題要解善哉行、古詞來日大難口噪唇乾言、人命不可保當樂見親友且求長生術、王喬八公遊焉。按樂府詩集 王僧技録善哉行 乃相和歌、瑟調三十八曲之一。

來日一身、携糧負薪。道長蕭本作/長鳴食盡、苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。仙人相存、誘我學。

來日謂已來之日猶徃日也。《韓詩外傳》 乾喉焦唇仰天而嘆 《梁宣帝賦》 餐霞永日静坐千春。

魏武帝詩 越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 

海淩繆本/作陵三山、陸憩五岳。

乗龍天飛、目瞻兩角。繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角

謝靈運詩 越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成、《周禮》註 五岳、東曰岱宗、南曰衡山、西曰華山/、北曰恒山、中曰嵩高山。

授以神蕭本/作仙藥、金丹滿握。蟪蛄恩。深媿短促。

荘子 蟪蛄不知春秋陸德明。註 司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死、崔云蛁也。或曰、山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋。 廣雅云、蟪蛄蛁也、即楚辭 所謂寒也。

思填東海、強銜一木。道重天地、軒師廣成。

蟬翼九五。以求長生。下士大如蒼蠅聲

《述異記》昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。

偶海燕而生子生雌状如精衛、生雄如海燕。今、東海精衛、誓水處。

曾溺於此川誓不飲其水 詩意言人命

短促有如蟪蛄恩而授之神藥得使長生其徳深矣。思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳、

甚言其德之深而無以為報也。 

抱朴子黄帝過崆峒、從廣成子受自然之經

蟬翼九五、視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子「下士聞道大笑」  之詩 國風 蒼蠅之聲

744年年44歳-13李太白集139巻四14 來日大難 -2 427-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#2【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

李白  來日大難#2

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

李太白集 巻四142

來日大難 2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#2

427 <1000

 

 

 

 
  2016年3月25日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
744年年44歳-13李太白集139巻四14 來日大難 -2 427-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#2【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
韓愈143-#7《 巻02-19薦士 -#7》 韓愈(韓退之) 806年貞元22年 39歳-(15)-#7<1712> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7536  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-(19)杜少陵集 《18-87 晨雨》19 杜甫詩index-15-1176 <1626>漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7527  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 17 毛熙震《巻十02河滿子二首 其二》『花間集』455全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7539  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。
#2

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。
#3

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

 

 

 

『來日大難』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

海淩三山,陸憩五嶽。

乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

(下し文)
#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。

(現代語訳)
#2

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。


(訳注) #2

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

1 詩題 来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

2 士贇曰詩意謂 「黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。」(士贇曰く、詩意謂えらく 黃帝、猶お以道をて重しと為すことを知り、廣成に師問し、天位を視ること猶お蟬翼の輕きなり、以て長生久視の術を求む。而して下愚の士、乃ち浮榮を戀し、聞道をいいて笑う、亦た哀しむ可し。

 

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

7 三山 神仙三山、蓬萊、方丈、瀛洲をいう。それは、東方の海中には五山(方丈、蓬莱、滄州、扶桑州、瀛州のちに三山)が大亀の背に載って浮かび、そこには不老長寿の妙薬が生え、不死不老の「東王父」らの神仙が棲むということである。

8 五嶽 中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)である。神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

 

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

9 乘龍天飛 仙界を逍遥、浮遊する、道教の修行場を転々とすることを言う。

 

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

10 仙藥 ① 飲めば不老不死の仙人になるという薬。 不思議な効き目のある薬。霊薬。

11 金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。

 

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

12 蟪蛄 春生まれれば、夏に死に、夏に生まれたものは秋に死ぬ寒蝉をいう。《荘子 逍遙遊篇》「朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。」(朝菌は晦朔を知らず。蟪蛄は春秋を知らず。朝菌は朝から暮れまでのいのちで、夜と明け方を知らず、夏に生まれ夏を鳴きあかしている蝉は季節を知らないのであるから、どうして夏が夏であることを知りえようか。

 

 

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

 

 

  來日大難

  來日大難、即古善哉行也。葢摘首句以命題耳。樂府古題要解善哉行、古詞來日大難口噪唇乾言、人命不可保當樂見親友且求長生術、王喬八公遊焉。按樂府詩集 王僧技録善哉行 乃相和歌、瑟調三十八曲之一。

來日一身、携糧負薪。道長蕭本作/長鳴食盡、苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。仙人相存、誘我學。

來日謂已來之日猶徃日也。《韓詩外傳》 乾喉焦唇仰天而嘆 《梁宣帝賦》 餐霞永日静坐千春

魏武帝詩 越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 

海淩繆本/作陵三山、陸憩五岳。

乗龍天飛、目瞻兩角。繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角

謝靈運詩 越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成、《周禮》註 五岳、東曰岱宗、南曰衡山、西曰華山/、北曰恒山、中曰嵩高山。

授以神蕭本/作仙藥、金丹滿握。蟪蛄恩。深媿短促。

荘子 蟪蛄不知春秋陸德明。註 司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死、崔云蛁也。或曰、山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋。 廣雅云、蟪蛄蛁也、即楚辭 所謂寒也。

思填東海、強銜一木。道重天地、軒師廣成。

蟬翼九五。以求長生。下士大如蒼蠅聲

《述異記》昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。

偶海燕而生子生雌状如精衛生雄如海燕東海精衛誓水處曾溺於此川誓不飲其水詩意言人命

短促有如蟪蛄今恩而授之神藥得使長生其徳深/矣思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳甚言其德

之深而無以為報也抱朴子黄帝過崆峒從廣成子受/自然之經蟬翼九五視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子下士聞道大笑/之詩國風蒼蠅之聲

 

744年年44歳-13#1【56首】李太白集139巻四14 來日大難  427Index-24Ⅲ-3 Ⅰ李白詩1796 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7520

 李白  來日大難

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。 

今日醉飽,樂過千春。仙人相存,誘我遠學。 

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

李太白集 

巻四14#1

來日大難 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7520

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#1

427 <1000

 

 

 744年天寶三年44-13

-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩, 深愧短促。

 

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

 

 

 

『』現代語訳と訳註解説
(
本文)

來日大難

來日一身,攜糧負薪。

道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽,樂過千春。

仙人相存,誘我遠學。

(下し文)
(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。

(現代語訳)
來日大難(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。


(訳注) 

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

 

善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 630 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1737

善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 631 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1741

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749

善哉行 靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757

 

謝靈運《善哉行》

陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。

三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。

居德斯頤,積善嬉謔。陰灌陽叢,凋華墮蕚。

歡去易慘,悲至難鑠。擊節當歌,對酒當酌。

鄙哉愚人,戚戚懷瘼。善哉達士,滔滔處樂。

(善哉行)

陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。

景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。

三春は燠敷し,九秋は蕭索す。

涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。

德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔【きぎゃく】す。

陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。

歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。

擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。

鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。

善哉の達士,滔滔として樂に處す。

 

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

來日 未来をさすのではなく、已來した日々。往日。

負薪 ・負薪の憂 《「礼記」曲礼下》自分の病気を謙遜していう言葉。たきぎを背負った疲れが出て病むの意からとも、病気でたきぎを負うことができないの意からともいう。采薪(さいしん)の憂い。負薪の病い。

・負薪の資 《「後漢書」袁紹伝》いやしい生まれつき。劣った資質。

 

道長食盡,苦口焦唇。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

 

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

樂過千春 千歳の春の行樂を過ごすこと、これよりよいものは無い。

 

仙人相存,誘我遠學。

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

相存 しばしばおとづれていてくれることの意。

誘我遠學 遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われる。

 

 

 

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

 

 

  來日大難

  來日大難即古善哉行也葢摘首句以/命題耳樂府古題要解善哉行古詞來日大難口噪唇乾言人命不可保當樂見親友且/求長生術王喬八公遊焉按樂府詩集王僧技録善哉行乃相和歌/瑟調三十八曲之一

  

來日一身携糧負薪道長蕭本作/長鳴食盡苦口焦唇今日

醉飽樂過千春仙人相存誘我學海淩繆本/作陵三山陸

憩五岳乗龍天飛目瞻兩角繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角授以神

蕭本/作仙藥金丹滿握蟪蛄恩深媿短促思填東海強

一木道重天地軒師廣成蟬翼九五以求長生下士大

笑如蒼蠅聲

來日謂已來之日猶徃日也韓詩外傳乾/喉焦唇仰天而嘆梁宣帝賦餐霞永日静坐千春

魏武帝詩越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 謝靈運詩越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成周禮註五岳東曰岱宗南曰衡山西曰華山/北曰恒山中曰嵩高山荘子蟪蛄不知

春秋陸德明註司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死崔/云蛁也。或曰山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋廣雅云蟪蛄蛁也即楚辭所謂寒

述異記昔炎帝/女溺死東海中化為精衛其名自呼常銜西山木石填

東海偶海燕而生子生雌状如精衛生雄如海燕今東/海精衛誓水處曾溺於此川誓不飲其水詩意言人命

短促有如蟪蛄今恩而授之神藥得使長生其徳深/矣思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳甚言其德

之深而無以為報也抱朴子黄帝過崆峒從廣成子受/自然之經蟬翼九五視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子下士聞道大笑/之詩國風蒼蠅之聲

 

743年(46)李白364 巻四32-《清平調詞,三首之三》(名花傾國兩相歡,) 364Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(46) <李白364> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073

李白  清平調詞,三首之三

名花傾國兩相歡,長得君王帶笑看。

解釋春風無限恨,沈香亭北倚闌干。
(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。

743年(46)李白364 巻四32-《清平調詞,三首之三》(名花傾國兩相歡,) 364Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-46) <李白364> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073

 

 
  2015年12月16日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(46)李白364 巻四32-《清平調詞,三首之三》(名花傾國兩相歡,) 364Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(46) <李白364> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈118《 巻九15別盈上人》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1614> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7054韓愈詩-韓愈118  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-7-#5杜甫 《19-07 課伐木》#5 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#5 <1079> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7075  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八09虞美人二首其二》『花間集』361全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7077  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

清平調詞,三首之一

(興慶宮での宴の模様を述べる)

雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃。

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。

若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

 

(清平調詞 三首其の一)

雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。

若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。

 

 

年:       天寶二年

寫作時間:           743

寫作年紀:           43

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    清平調詞,三首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

清平調詞,三首之二

(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

一枝穠豔露凝香,雲雨巫山枉斷腸。

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

(清平調詞,三首の二)

一枝の穠豔 露 香を凝らし,雲雨 巫山 枉げて斷腸。

借問す 漢宮 誰が似るを得たる,可憐の飛燕 新妝に倚る。

 

743年天寶二年43歳 94-46

卷別:    卷一六四               巻四32 文體:             樂府

詩題:    清平調詞,三首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

 

清平調詞其三 

(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。

 

(清平調詞 其の三)

名花 傾国 両つながら相い歓び、長く君王の笑いを帯びて看るを得たり。

解釈す 春風無限の恨み、沈香亭北 欄干に倚る。

 


『清平調詞,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

清平調詞,三首之三

名花傾國兩相歡,長得君王帶笑看。

解釋春風無限恨,沈香亭北倚闌干。

(下し文)
(清平調詞 其の三)

名花 傾国 両つながら相い歓び、長く君王の笑いを帯びて看るを得たり。

解釈す 春風無限の恨み、沈香亭北 欄干に倚る。

(現代語訳)
清平調詞,三首之三(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。


(訳注)

清平調詞,三首之三

(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

 

名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

14. 傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、

北方有佳人,絶世而獨立。

一顧傾人城,再顧傾人國。

寧不知傾城與傾國,佳人難再得。

「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。

白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。

15. 君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。

 

解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。

16. 解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 

17. 春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。

18. 沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。

19.   身をもたせる。よりかかる。

 



親友の杜甫も、「李十二白に寄せる、二十韻」

昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。

聲名從此大,沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必倫。

龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。

乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。

劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

 

才高心不展,道屈善無鄰。處士衡俊。諸生原憲貧。

稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。

幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。蘇武元還漢,黃公豈事秦?

楚筵辭醴日,梁獄上書辰。已用當時法,誰將此議陳?

老吟秋月下,病起暮江濱。莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。声名 此 従【よ】り大に、沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。

白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』

 

才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。処士【しょし】衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。

蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』

に、「筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神か泣かしむ」といい、かの賀知章が「烏夜噂」を嘆賞して「鬼神を泣かしむ」といったことを含みつつ、李白の詩を激賞している。そして、「文采は殊寵を承け、流伝すれば必ず絶倫たり」といって、天子の「殊寵を承け」たことを歌っている。真実を歌う杜甫がいうほどだから、玄宗の特別の寵愛があったことは確かであろう

 

楊貴妃はすこぶる寵愛された。馬に乗るごとに高力士が轡を執って鞭を振るった。 貴妃院専従の織工は七百人もおり、中外は争って器服珍玩を献上した。嶺南経略使張九章や広陵長史王翼は、 献上物が精緻で美しかったので、九章には三品が加えられ、翼は朝廷にて戸部侍郎となった。 天下は、風に靡くように従った。

  民間では、歌にまで歌われた。

  「男を産んでも喜ぶな。女を産んでも悲しむな。主君は今、女を見て出世させるぞ。」

  楊貴妃が生茘支を欲しがると、嶺南から駅伝で届けるよう命じた。長安へ届いたときには、 色も味も劣化していなかった。

  そこまで愛されたので、楊貴妃は不遜になり嫉妬や悍気を発するようになった。 玄宗皇帝は怒り兄の楊銛の屋敷に送り返すよう命じた。

  その日、玄宗皇帝は不機嫌で、一日中食事も摂らず、近習が少しでも気に入らないと、容赦なく鞭でぶっ叩いた。 高力士は玄宗皇帝の想いを知り、院中の官女全員が、車百台で楊貴妃を迎えに行くよう請うた。 玄宗皇帝は喜び、自ら膳を賜った。

  夜になって、楊貴妃が院に帰ってきたと、高力史が上奏した。 ついに、禁門を開いて楊貴妃を入れた。

  この一件で、寵恩はますます隆くなり、後宮の女性は誰も相手にされなくなった。

 

杜甫 麗人行

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

繍羅衣裳照暮春,蹙金孔雀銀麒麟。頭上何所有,    翠微盎葉垂鬢唇。

背後何所見,    珠壓腰穩稱身。就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。犀箸厭飫久未下,鸞刀縷切空紛綸。

黄門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍。簫管哀吟感鬼神,賓從雜遝實要津。

後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵。楊花雪落覆白蘋,靑鳥飛去銜紅巾。

炙手可熱勢絶倫,慎莫近前丞相嗔。

 

三月三日 天氣 新たに,長安の水邊 麗人 多し。態は濃く 意は遠くして淑且かつ真に,肌理は 細膩にして 骨肉は勻し。

繍羅の衣裳は 莫春に 照はゆる,蹙金の孔雀 銀の麒麟。頭上何の有る所ぞ, 翠を盎葉と爲して鬢脣に 垂たる。背後何の見る所ぞ,珠は腰衱を壓して穩やかに身に稱ふ。』

就中【なかんづ】く 雲幕の椒房の親しん,名を賜ふ 大國 虢くと秦と。紫駝の峰を翠釜より 出だし,水精の盤に 素鱗 行くばる。犀箸 厭飫して久しく未だ下さず,鸞刀 縷切して 空しく紛綸たり。黄門 鞚を飛ばして塵を動かさず,御廚 絡繹として 八珍を送る。簫管 哀吟して 鬼神をも感ぜしめ,賓從 雜遝して 要津に實つ。』

後れ來たる鞍馬は何ぞ 逡巡する,軒に當たりて 馬より下りて 錦茵に入る。楊花 雪のごとく落ちて 白蘋を覆ひ,靑鳥 飛び去りて 紅巾を銜む。手を炙らば 熱す可べし 勢は絶倫なり,慎みて 近前する莫れ 丞相 嗔からん。』

 

 

清平調詞,三首  【字解】

 

1 云想衣裳  霓裳羽衣舞のことで、興慶宮、花萼相輝樓前で300人以上の妃嬪妓優などで舞わせた。 これはは唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと、雲の様にうかびながれる。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。・衣裳 衣装はあでやかさを示す。

 花想容 美しい花、沈香亭の

 檻 沈香亭の龍池に面した舞台の欄干。

 露華 興慶宮での夜の華やかな屋外舞台。玄宗皇帝は興慶宮、勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山、崑崙山。《山海經西山經》. 又西三百五十里曰玉山,是西王母所居也。 《穆天子傳》謂之羣玉之山,見其山河無險,四徹中繩,先王之所謂策府。

6 瑤台 五色の玉で作った高台。崑崙山の西王母の臺、神仙の住むという土地。瑤池もある。

7 雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を幷す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
8   いたずらに、甲斐もなく。
9 断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。

10 借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
11
 可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
12
 飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
13
 倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。

14. 傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、

北方有佳人,絶世而獨立。

一顧傾人城,再顧傾人國。

寧不知傾城與傾國,佳人難再得。

「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。

白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。

15. 君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。

16. 解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 

17. 春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。

18. 沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。

19.   身をもたせる。よりかかる。

743年(45)李白363 巻四31-《清平調詞,三首之二》(一枝穠豔露凝香,) 363Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(45) <李白363> Ⅰ李白詩1704 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7068

李白  清平調詞,三首之二

一枝穠豔露凝香,雲雨巫山枉斷腸。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

743年(45)李白363 巻四31-《清平調詞,三首之二》(一枝穠豔露凝香,) 363Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-45) <李白363> Ⅰ李白詩1704 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7068

 

 
  2015年12月15日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(45)李白363 巻四31-《清平調詞,三首之二》(一枝穠豔露凝香,) 363Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(45) <李白363> Ⅰ李白詩1704 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7068  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈117《 巻九13晚泊江口》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1613> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7049  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-7-#4杜甫 《19-07 課伐木》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#4 <1078> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7070  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 改訂版12孫光憲《巻八08虞美人二首其一》『花間集』360全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7072  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

清平調詞,三首之一

(興慶宮での宴の模様を述べる)

雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃。

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。

若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

 

(清平調詞 三首其の一)

雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。

若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。

 

 

年:       天寶二年

寫作時間:           743

寫作年紀:           43

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    清平調詞,三首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

清平調詞,三首之二

(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

一枝穠豔露凝香,雲雨巫山枉斷腸。

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

(清平調詞,三首の二)

一枝の穠豔 露 香を凝らし,雲雨 巫山 枉げて斷腸。

借問す 漢宮 誰が似るを得たる,可憐の飛燕 新妝に倚る。

 

『清平調詞,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

清平調詞,三首之二

一枝穠豔露凝香,雲雨巫山枉斷腸。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。
詩文(含異文)

一枝穠豔露凝香【一枝紅豔露凝香】,雲雨巫山枉斷腸。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。


(下し文)
(清平調詞,三首の二)

一枝の穠豔 露 香を凝らし,雲雨 巫山 枉げて斷腸。

借問す 漢宮 誰が似るを得たる,可憐の飛燕 新妝に倚る。

(現代語訳)
清平調詞,三首之二(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。

漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。


(訳注)

清平調詞,三首之二

(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

側近の宦官、高力士は、かつて宴席で李白の靴を脱がせられたことを恨みに思い、この第二首に前漢の成帝の皇后趨飛燕が歌われていることを理由として(第二首の語釈参照)、李白のことを貴妃に議言し、李白の登用に強く反対させたため、玄宗もついに断念することになった。(趙飛燕は漢代随一の美人とされるが、後年、王葬に弾劾されて庶民となり、自殺している。それを太真妃になぞらえたということが、彼女の怒りを買ったのである)。李白がなぜ楊貴妃とタイプが違い、何よりも権力の掌握度が圧倒的に違っていたし、姉妹で皇帝に寵愛された趙飛燕を喩えにとったかは理解できないが、残っている資料は支配者側のものでしかない。事実はあったかもしれないが宮廷を追われるほどのものかどうか疑問が残る点である。

 

一枝紅艷露凝香、云雨巫山枉斷腸。 

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。

7 雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を幷す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
8   いたずらに、甲斐もなく。
9 断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。

 

借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 

漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

10 借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
11
 可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
12
 飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
13
 倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。

 

 

清平調詞,三首  【字解】

 

1 云想衣裳  霓裳羽衣舞のことで、興慶宮、花萼相輝樓前で300人以上の妃嬪妓優などで舞わせた。 これはは唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと、雲の様にうかびながれる。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。・衣裳 衣装はあでやかさを示す。

 花想容 美しい花、沈香亭の

 檻 沈香亭の龍池に面した舞台の欄干。

 露華 興慶宮での夜の華やかな屋外舞台。玄宗皇帝は興慶宮、勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山、崑崙山。《山海經西山經》. 又西三百五十里曰玉山,是西王母所居也。 《穆天子傳》謂之羣玉之山,見其山河無險,四徹中繩,先王之所謂策府。

6 瑤台 五色の玉で作った高台。崑崙山の西王母の臺、神仙の住むという土地。瑤池もある。

7 雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を幷す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
8   いたずらに、甲斐もなく。
9 断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。

 

借問漢宮誰得似、可憐飛燕倚新妝。 

漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

10 借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
11
 可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
12
 飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
13
 倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。

743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首之一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063

李白  清平調詞,三首之一

雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃。

若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。
(興慶宮での宴の模様を述べる)

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首之一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063

 

 
  2015年12月14日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(44)李白362 巻四30-《清平調詞,三首之一》(雲想衣裳花想容,) 362Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(44) <李白362> Ⅰ李白詩1703 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7063  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈116《 巻九12題木居士,二首之二》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1616> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7064  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-7-#3杜甫 《19-07 課伐木》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#3 <1077> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7065   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八07河瀆神二首其二》『花間集』359全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7067  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-44

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    清平調詞,三首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

 

清平調詞,三首之一

(興慶宮での宴の模様を述べる)

雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃。

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。

若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

 

(清平調詞 三首其の一)

雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。

若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。

 

 

『清平調詞,三首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

清平調詞,三首之一

雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃。

若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

(下し文)
(清平調詞 三首其の一)

雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。

若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。

(現代語訳)
清平調詞,三首之一(興慶宮での宴の模様を述べる)

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。


(訳注)

清平調詞,三首之一

(興慶宮での宴の模様を述べる)

 

 宋の楽史の『李翰林集別集』序や『楊太真外伝』にも載っている。

「開元中,禁中初重木芍藥,即今牡丹也。《開元天寶》花呼木芍藥,本記云禁中為牡丹花。得四本紅、紫、淺紅、通白者,上因移植於興慶池東沉香亭前。會花方繁開,上乘月夜召太真妃以步輦從。詔特選梨園子弟中尤者,得樂十六色。」(開元中、禁中、はじめて木芍薬を重んず、即ち今の牡丹なり。四本、紅、紫、浅紅、通白なるものを得たり。上、輿慶地東の沈香亭前に移植す。たまたま、花、まさに繁開す。上、照夜白の馬に乗じ、太眞妃、歩輦を以て従う。詔して、特に梨園弟子中の尤なるものを選び、樂十六部を得たり。)

李龜年手捧檀板,押眾樂前,將欲歌。上曰:"賞名花對妃子焉用舊樂辭?"為遽命,龜年持金花箋,宣賜翰林學士李白進清平調辭三章,白欣承詔旨,猶苦宿醒未解,援筆賦: 雲想衣裳花想容, 春風拂檻露華濃。 若非群玉山頭見, 會向瑤台月下逢。   一枝紅豔露凝香, 雲雨巫山枉斷腸。 借問漢宮誰得似, 可憐飛燕倚新妝。   名花傾國兩相歡, 常得君王帶笑看。 解釋春風無限恨, 沉香亭北倚欄幹。   龜年捧詞進,上命黎園弟子約略詞調撫絲竹,遂捉龜年以歌。妃持頗黎七寶杯,酌西涼州葡萄酒,笑領歌意甚厚。

(李亀年、歌を以て一時の名をほしいままにす、手に檀板を捧げ、衆樂を押して前み、将に之を歌はむとす。上曰く、名花を賞し、妃子に対す、焉んぞ、舊樂詩を用ふるを爲さむ、と。遂に亀年に命じ、金花箋を持し、翰林供奉李白に宣賜し、立どころに、清平調辭三首を進めしむ。白、欣然として旨を承け、なお宿酲未だ解けざるに苦みつつ、因って、筆を援って之を賦す。その辭に曰く、云云と。龜年、遽に辭を以て進む。上、梨園の弟子に命じ、約略、絲竹を調撫し、遂に龜年を促し、以て歌はしむ。太眞妃、披璃七賓を持して、西涼州の蒲桃酒を酌み、笑って歌意を領する、甚だ惇し。)

開元中、天子は、牡丹(木芍薬)を重んじた。紅、紫、浅紅、裏白の四本を興慶池の東、沈香亭の前に移植した。花の真っ盛りのときに、天子は昭夜白の馬に乗り、楊貴妃は手車で従った。梨園の弟子の特に選抜された者に詔をして楽曲十六章を選んだ。李亀年は当時の歌唱の第一人者である。この李亀年に梨園の楽人を指揮して歌わせようとした。李亀年は紫檀の拍子板をもって楽人の前で指揮して歌おうとしたとき、玄宗は、「名花を質し、妃子に対す、いずくんぞ旧楽詞を用いんや」といって、そこで李亀年に命じ、金花箋を持ってこさせ、翰林供奉の李白に命じた。李白は立ちどころに「清平調詞」三章を作ってたてまつった。天子は梨園の弟子たちに命じ楽器に調子を合わさせて、李亀年に歌わせた。楊貴妃は、玻璃七宝の盃を持ち、涼州のぶどう酒を飲み、歌意をさとりにっこりし、また玄宗も、みずから玉笛を吹いて曲に和し、曲の移り変わりのときには、調子をゆるめて妃に媚びた。玄宗はこれ以後、李白を特に重視するようになった。

 

 

云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。 

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。

1 云想衣裳  霓裳羽衣舞のことで、興慶宮、花萼相輝樓前で300人以上の妃嬪妓優などで舞わせた。 これはは唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと、雲の様にうかびながれる。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。・衣裳 衣装はあでやかさを示す。

 花想容 美しい花、沈香亭の

 檻 沈香亭の龍池に面した舞台の欄干。

 露華 興慶宮での夜の華やかな屋外舞台。玄宗皇帝は興慶宮、勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 

若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

 群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山、崑崙山。《山海經西山經》. 又西三百五十里曰玉山,是西王母所居也。 《穆天子傳》謂之羣玉之山,見其山河無險,四徹中繩,先王之所謂策府。

6 瑤台 五色の玉で作った高台。崑崙山の西王母の臺、神仙の住むという土地。瑤池もある。


唐代には上は天子、公卿から、下は庶民、士人に至るまでの、すべての人々にとって欠くことのできない芸術的楽しみであった。それゆえこれらは宮廷から、あらゆる社会の階層に至るまで盛んに行われた。宮廷の中にあった教坊、宜春院、梨園、それに長安・洛陽両京にあった外教坊などには、歌舞と音栗に携わる芸妓が多数集中していた。朝廷は天下の名人を広く捜し出したので、唐代の女性芸術家の最も優れた人々をそこに集めることができたのである。彼女たちは恵まれた条件を与えられ、専門的な教育を受けた。また宮廷では常時大規模な催しが開かれたので、彼女たちは芸術的才能を充分に発揮することができ、高度な芸術的才能をもった人々が輩出することになった。

 

彼女たちの中には一声喉をころがせば長安の大通りに鳴り響いたといわれる歌手、曲を作り楽器を見事に奏でる音楽家、舞姿が美しく絶妙な芸を身につけた舞踊家、その他様々な方面に才能を発揮した芸術家がいた。

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

 

興慶宮002 

清平調詞,三首  【字解】

 

1 云想衣裳  霓裳羽衣舞のことで、興慶宮、花萼相輝樓前で300人以上の妃嬪妓優などで舞わせた。 これはは唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと、雲の様にうかびながれる。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。・衣裳 衣装はあでやかさを示す。

 花想容 美しい花、沈香亭の

 檻 沈香亭の龍池に面した舞台の欄干。

 露華 興慶宮での夜の華やかな屋外舞台。玄宗皇帝は興慶宮、勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 

若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。 

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

 群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山、崑崙山。《山海經西山經》. 又西三百五十里曰玉山,是西王母所居也。 《穆天子傳》謂之羣玉之山,見其山河無險,四徹中繩,先王之所謂策府。

6 瑤台 五色の玉で作った高台。崑崙山の西王母の臺、神仙の住むという土地。瑤池もある。
興慶宮の位置関係00
 

743年(43)李白361 巻四29-《宮中行樂詞,八首之八》(水綠南薰殿,) 361Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(43) <李白361> Ⅰ李白詩1701 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7053

李白  宮中行樂詞,八首之八

水綠南薰殿,花紅北闕樓。鶯歌聞太液,鳳吹繞瀛洲。

素女鳴珠珮,天人弄綵毬。今朝風日好,宜入未央遊。

(興慶宮南薫殿に、大明宮奥御殿北闕樓に花が咲き、興慶宮龍池から大明宮の太掖池にすい春水があふれ、鶯が鳴き、天人が散歩し、宮女の瑟琴がきこえ、蹴鞠の声が響く、春の行楽は喜ばしい限りである)

長安城東に位置する興慶宮南薰殿まえの龍池には春水の緑に透き通る水がゆたかにたたえ宮殿に花は咲きほこり、龍首渠にそって奥御殿北闕楼にいたるまで、花紅に萌えるような春景色である。大明宮の大液池上には鶯の歌ごえが聞こえてくる。神仙三山の瀛州の島をめぐって、鳳凰の笙の音がとどいて、そこらは艶なる春景色になっていて、鳥も人も行楽を歓んでいる。宮中の素女は瑟琴を弾き、天女のような宮女は身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら散歩し、また、天の乙女は、美しい鞠を蹴って戯れ遊んでいる。今朝は、琴に天気が良く、はる風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊んだなら、又、一段といいと思われる。
743年(43)李白361 巻四29-《宮中行樂詞,八首之八》(水綠南薰殿,) 361Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-43) <李白361> Ⅰ李白詩1701 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7053

 

 
  2015年12月12日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(43)李白361 巻四29-《宮中行樂詞,八首之八》(水綠南薰殿,) 361Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(43) <李白361> Ⅰ李白詩1701 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7053  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈114《 巻九10郴口又贈,二首之二》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1614> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7054  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-7-#1杜甫 《19-07 課伐木 序》#1 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-7-#1 <1075> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7055  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八05菩薩蠻五首其五 木綿》『花間集』357全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7057  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-43

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之八

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:南熏殿 (京畿道 京兆府 長安) 別名:南薰殿  

北闕樓 (京畿道 京兆府 長安)           

太液池 (京畿道 京兆府 長安)           

未央宮 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

 

宮中行樂詞,八首之八

(興慶宮南薫殿に、大明宮奥御殿北闕樓に花が咲き、興慶宮龍池から大明宮の太掖池に春水があふれ、鶯が鳴き、天人が散歩し、宮女の瑟琴がきこえ、蹴鞠の声が響く、春の行楽は喜ばしい限りである)

水綠南薰殿,花紅北闕樓。

長安城東に位置する興慶宮南薰殿まえの龍池には春水の緑に透き通る水がゆたかにたたえ宮殿に花は咲きほこり、龍首渠にそって奥御殿北闕楼にいたるまで、花紅に萌えるような春景色である。
鶯歌聞太液,鳳吹繞瀛洲。

大明宮の大液池上には鶯の歌ごえが聞こえてくる。神仙三山の瀛州の島をめぐって、鳳凰の笙の音がとどいて、そこらは艶なる春景色になっていて、鳥も人も行楽を歓んでいる。
素女鳴珠珮,天人弄綵毬。

宮中の素女は瑟琴を弾き、天女のような宮女は身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら散歩し、また、天の乙女は、美しい鞠を蹴って戯れ遊んでいる。
今朝風日好,宜入未央遊。

今朝は、琴に天気が良く、はる風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊んだなら、又、一段といいと思われる。

(宮中行楽詞 其の八)
水は綠なり 南薫殿、花は紅なり 北闕楼。
鶯歌 太液に聞こえ、鳳吹 瀛洲を繞る。
素女は 珠佩を鳴らし、天人は 彩毬を弄す。
今朝 風日好し、宜しく未央に入りて遊ぶべし。


興慶宮002興慶宮の位置関係00
『宮中行樂詞,八首之八』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之八

水綠南薰殿,花紅北闕樓。

鶯歌聞太液,鳳吹繞瀛洲。

素女鳴珠珮,天人弄綵毬。

今朝風日好,宜入未央遊。

(下し文)
(宮中行楽詞 其の八)

水は綠なり 南薫殿、花は紅なり 北闕楼。

鶯歌 太液に聞こえ、鳳吹 瀛洲を繞る。

素女は 珠佩を鳴らし、天人は 彩毬を弄す。

今朝 風日好し、宜しく未央に入りて遊ぶべし。

(現代語訳)
(興慶宮南薫殿に、大明宮奥御殿北闕樓に花が咲き、興慶宮龍池から大明宮の太掖池に春水があふれ、鶯が鳴き、天人が散歩し、宮女の瑟琴がきこえ、蹴鞠の声が響く、春の行楽は喜ばしい限りである)

長安城東に位置する興慶宮南薰殿まえの龍池には春水の緑に透き通る水がゆたかにたたえ宮殿に花は咲きほこり、龍首渠にそって奥御殿北闕楼にいたるまで、花紅に萌えるような春景色である。
大明宮の大液池上には鶯の歌ごえが聞こえてくる。神仙三山の瀛州の島をめぐって、鳳凰の笙の音がとどいて、そこらは艶なる春景色になっていて、鳥も人も行楽を歓んでいる。
宮中の素女は瑟琴を弾き、天女のような宮女は身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら散歩し、また、天の乙女は、美しい鞠を蹴って戯れ遊んでいる。
今朝は、琴に天気が良く、はる風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊んだなら、又、一段といいと思われる。

(訳注)

宮中行樂詞,八首之八

(興慶宮南薫殿に、大明宮奥御殿北闕樓に花が咲き、興慶宮龍池から大明宮の太掖池に春水があふれ、鶯が鳴き、天人が散歩し、宮女の瑟琴がきこえ、蹴鞠の声が響く、春の行楽は喜ばしい限りである)


水綠南薰殿。 花紅北闕樓。 
長安城東に位置する興慶宮南薰殿まえの龍池には春水の緑に透き通る水がゆたかにたたえ宮殿に花は咲きほこり、龍首渠にそって奥御殿北闕楼にいたるまで、花紅に萌えるような春景色である。
66. 南薫殿 興慶宮の北側中央部分にある。長安志「興慶宮興慶殿前に瀛州門あり、内に南薫殿あり」と記してある。興慶宮と大明宮は天子専用道路とする夾城によって結ばれており、唐の制度では、宮殿の下の衛兵である綵仗が玄武門まで数㎞も並んで警護していた。龍首渠によって終南山からの流れと渭水、滻水を結ぶ運河とされ、興慶宮の龍池と連結されていた。この詩の春の時期には雪解け水で満水であった。

67. 北闕樓 いずれも唐代の長安の大明宮玄武門の名。長安城北の見張り台のある楼閣。左右に石の高さ15メートル以上石壁がありその上に大きな宮殿のような楼閣が聳えるように建っていた玄武殿と玄武門をさす、いわゆる、奥御殿。


鶯歌聞太液。 鳳吹繞瀛洲。 
大明宮の大液池上には鶯の歌ごえが聞こえてくる。神仙三山の瀛州の島をめぐって、鳳凰の笙の音がとどいて、そこらは艶なる春景色になっていて、鳥も人も行楽を歓んでいる。
68. 太液 池の名。漢の太液池は漢の武帝が作った。池の南に建章宮という大宮殿を建て、池の中には高さ二十余丈の漸台というものを建て、長さ三文の石の鯨を刻んだ。また、池に三つの島をつくり、はるか東海にあって仙人が住むと信じられた瀛洲・蓬莱・方丈の象徴とした。漢の成帝はこの池に舟をうかべ、愛姫趙飛燕をのせて遊びたわむれた。唐代においても、大明宮に漢代のそれをまねて、蓬莱殿の北に太液池をつくり、池の中の三山の島を蓬莱・瀛州・方丈山。

69. 鳳吹 笙(しょうのふえ)のこと。鳳のかたちをしている。

70. 瀛洲 仙島の一つ。別に蓬莱、方丈がある。


素女鳴珠佩。 天人弄彩毬。 
宮中の素女は瑟琴を弾き、天女のような宮女は身に佩びた真珠の飾りを鳴らしながら散歩し、また、天の乙女は、美しい鞠を蹴って戯れ遊んでいる。
71. 素女 仙女の名。瑟(琴に似た楽器)をひくのが上手といわれる。

72. 珠佩 真珠のおびもの。礼服の装飾で、玉を貫いた糸を数本つないで腰から靴の先まで垂れ、歩くとき鳴るようにしたもの。宮中に入るものすべてのものがつけていた。階級によって音が違った。

73. 天人 仙女。天上にすむ美女。天の乙女。

74. 彩毬 美しい模様の鞠。


今朝風日好。 宜入未央游。 
今朝は、琴に天気が良く、はる風も、日の光もすばらしい。こんな日こそ、未央宮に入って遊んだなら、又、一段といいと思われる。
75. 未央 漢の皇居の正殿の名。中国、漢代に造られた宮殿。高祖劉邦(りゅうほう)が長安の竜首山上に造営したもの。唐代には宮廷の内に入った。

 

続きを読む

743年(42)李白360 巻四28-《宮中行樂詞,八首之七》(寒雪梅中盡,) 360Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(42) <李白360> Ⅰ李白詩1700 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7048

李白  宮中行樂詞,八首之七

寒雪梅中盡,春風柳上歸。宮鶯嬌欲醉,簷燕語還飛。

遲日明歌席,新花豔舞衣。晚來移綵仗,行樂泥光輝。

(後宮には年中花が咲く、春になれば日長宴席でけいこを始め、そのまま夜遅くまで宴席は続く、天子の御臨席で、光彩燦然とした見事なものである。

梅の花が咲きほこっているなかで、さすがに残っていたつめたい雪は完全に消えてなくなった、暖かな香しい春風が柳の木々のあいだをぬけてくる、春はまたここに、帰ってきたのである。宮樹の中を鳴き遶うぐいすは、梅の香りに酔いたいとおもっていて愛らしくなる。軒端のつばめは、たがいにかたりつつ、また、柳の木のあたりに飛んで行ってたり帰ったりしている。長閑に長い春の日には、明るいうちは、歌の稽古の席が盛んにおこなわれている、合わせて稽古する舞の衣装は、新たに咲き始めた春の花花に映じて見える。やがて日暮れになると、天子は綵仗の衛兵を移動させられ、ここに臨御され、宴を開かれ、行楽は華やかに光り輝きをほしいままにせられるが、この天上の出来事は、心も言葉にも尽くせぬ光彩燦然とした見事なものである。
743年(42)李白360 巻四28-《宮中行樂詞,八首之七》(寒雪梅中盡,) 360Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-42) <李白360> Ⅰ李白詩1700 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7048

 

 
  2015年12月11日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(42)李白360 巻四28-《宮中行樂詞,八首之七》(寒雪梅中盡,) 360Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(42) <李白360> Ⅰ李白詩1700 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7048  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈113《 巻九09郴口又贈,二首之一》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1609> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7029韓愈詩-韓愈113  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6-#6杜甫 《19-08 柴門》#6 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6-#6 <1074> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7050   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八04菩薩蠻五首其四 青巖》『花間集』356全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7052  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年 天寶二年 43

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之七

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

 

 

宮中行樂詞,八首之七

(後宮には年中花が咲く、春になれば日長宴席でけいこを始め、そのまま夜遅くまで宴席は続く、天子の御臨席で、光彩燦然とした見事なものである。

寒雪梅中盡,春風柳上歸。

梅の花が咲きほこっているなかで、さすがに残っていたつめたい雪は完全に消えてなくなった、暖かな香しい春風が柳の木々のあいだをぬけてくる、春はまたここに、帰ってきたのである。

宮鶯嬌欲醉,簷燕語還飛。

遲日明歌席,新花豔舞衣。

宮樹の中を鳴き遶うぐいすは、梅の香りに酔いたいとおもっていて愛らしくなる。軒端のつばめは、たがいにかたりつつ、また、柳の木のあたりに飛んで行ってたり帰ったりしている。
晚來移綵仗,行樂泥光輝。

長閑に長い春の日には、明るいうちは、歌の稽古の席が盛んにおこなわれている、合わせて稽古する舞の衣装は、新たに咲き始めた春の花花に映じて見える。
やがて日暮れになると、天子は綵仗の衛兵を移動させられ、ここに臨御され、宴を開かれ、行楽は華やかに光り輝きをほしいままにせられるが、この天上の出来事は、心も言葉にも尽くせぬ光彩燦然とした見事なものである。

(宮中行楽詞 其の七)
寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。
宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷燕 語って還た飛ぶ。
遲日 歌席明らかに、新花 舞衣 豔なり。
晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。

 

霓裳羽衣舞001 

『宮中行樂詞,八首之七』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之七

寒雪梅中盡,春風柳上歸。

宮鶯嬌欲醉,簷燕語還飛。

遲日明歌席,新花豔舞衣。

晚來移綵仗,行樂泥光輝。

(下し文)
(宮中行楽詞 其の七)

寒雪 梅中に尽き、春風 柳上に帰る。

宮鶯 嬌として酔わんと欲し、簷燕 語って還た飛ぶ。

遲日 歌席明らかに、新花 舞衣 豔なり。

晩来 綵仗を移し、行楽 光輝に泥かし。

(現代語訳)
(後宮には年中花が咲く、春になれば日長宴席でけいこを始め、そのまま夜遅くまで宴席は続く、天子の御臨席で、光彩燦然とした見事なものである。

梅の花が咲きほこっているなかで、さすがに残っていたつめたい雪は完全に消えてなくなった、暖かな香しい春風が柳の木々のあいだをぬけてくる、春はまたここに、帰ってきたのである。

宮樹の中を鳴き遶うぐいすは、梅の香りに酔いたいとおもっていて愛らしくなる。軒端のつばめは、たがいにかたりつつ、また、柳の木のあたりに飛んで行ってたり帰ったりしている。
長閑に長い春の日には、明るいうちは、歌の稽古の席が盛んにおこなわれている、合わせて稽古する舞の衣装は、新たに咲き始めた春の花花に映じて見える。
やがて日暮れになると、天子は綵仗の衛兵を移動させられ、ここに臨御され、宴を開かれ、行楽は華やかに光り輝きをほしいままにせられるが、この天上の出来事は、心も言葉にも尽くせぬ光彩燦然とした見事なものである。
花蕊夫人002
(訳注)

宮中行樂詞,八首之七

(後宮には年中花が咲く、春になれば日長宴席でけいこを始め、そのまま夜遅くまで宴席は続く、天子の御臨席で、光彩燦然とした見事なものである。

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。

 

寒雪梅中盡、春風柳上歸。 
梅の花が咲きほこっているなかで、さすがに残っていたつめたい雪は完全に消えてなくなった、暖かな香しい春風が柳の木々のあいだをぬけてくる、春はまたここに、帰ってきたのである。

 

宮鶯嬌欲醉、簷燕語還飛。 
宮樹の中を鳴き遶うぐいすは、梅の香りに酔いたいとおもっていて愛らしくなる。軒端のつばめは、たがいにかたりつつ、また、柳の木のあたりに飛んで行ってたり帰ったりしている。
59. 宮鶯 後宮の中であちこちの木々で鳴いている鶯。首聯上句の梅に対しての語である。

60. 簷燕 のきばのつばめ。首聯下句の柳に対しての語である。

 

遲日明歌席、新花艷舞衣。 
長閑に長い春の日には、明るいうちは、歌の稽古の席が盛んにおこなわれている、合わせて稽古する舞の衣装は、新たに咲き始めた春の花花に映じて見える。
61. 遲日 日が長くなる春。なかなか日が暮れない。「詩経」の豳風(ひんふう)に「七月ふみづき」
七月流火  九月授衣  春日載陽  有鳴倉庚  
女執深筐  遵彼微行  爰求柔桑  春日遅遅
采蘩祁祁  女心傷悲  殆及公子同歸
一緒になりたいと待っている女心を詠っている。
62.
 歌席 音楽の演奏会。

 

晚來移綵仗、行樂泥光輝。 
やがて日暮れになると、天子は綵仗の衛兵を移動させられ、ここに臨御され、宴を開かれ、行楽は華やかに光り輝きをほしいままにせられるが、この天上の出来事は、心も言葉にも尽くせぬ光彩燦然とした見事なものである。
63. 晩来 夕方。

64. 綵仗 唐の制度では、宮殿の下の衛兵を仗という。綵は、着飾ってはなやかなという形容、飾り物が華麗である場合に使用する。別のテキストでは彩としている。この場合は色のあでやかさの場合が多い。

65. 行楽泥光輝 野外において性的行為をする光景を詠っている。光と影が交錯していること。景色を泥はやわらかくする。

 

 

 

 

 




続きを読む

743年(41)李白359 巻四27-《宮中行樂詞,八首之六》(今日明光裡,) 359Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(41) <李白359> Ⅰ李白詩1699 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7043

李白  宮中行樂詞,八首之六

今日明光裡,還須結伴遊。春風開紫殿,天樂下朱樓。

豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。
743年(41)李白359 巻四27-《宮中行樂詞,八首之六》(今日明光裡,) 359Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-41) <李白359> Ⅰ李白詩1699 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7043

 

 
  2015年12月10日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(41)李白359 巻四27-《宮中行樂詞,八首之六》(今日明光裡,) 359Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(41) <李白359> Ⅰ李白詩1699 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7043  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈112《 巻九08湘中酬張十一功曹》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1608> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7024韓愈詩-韓愈112  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6-#5杜甫 《19-08 柴門》#5 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6-#5 <1073> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7045  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八03菩薩蠻五首其三 小庭》『花間集』355全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7047  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-41

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:明光殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

 

宮中行樂詞,八首之六

(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

今日明光裡,還須結伴遊。

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。
春風開紫殿,天樂下朱樓。

春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。
豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。

なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。

更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。
(宮中行楽詞 其の六)
今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。
春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。
豔舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。
更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って鉤を藏するを。

 

『宮中行樂詞,八首之六』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之六

今日明光裡,還須結伴遊。

春風開紫殿,天樂下朱樓。

豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。

更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

(下し文)
(宮中行楽詞 其の六)

今日 明光の裏、還た須らく伴を結んで遊ぶべし。

春風 紫殿を開き、天樂 珠樓に下る。

豔舞 全く巧を知る。 嬌歌 半ば羞じんと欲す。

更に憐れむ 花月の夜、 宮女 笑って鉤を藏するを。


(現代語訳)
(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。
春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。
なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。

それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。

(訳注)

宮中行樂詞,八首之六

(玄宗に寵愛されている、妃嬪、宮女、妓優たちの日常生活について)

宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

長く宮中に住む宮妓の他に、玄宗の時代から長安と洛陽の宮殿にほど近い街区に、左右二つの芸妓養成のための外教坊が設けられた。ここでも多数の芸妓が養成されたが、この芸妓は宮廷の専用に充てられ、宦官によって管理された。彼女たちが宮妓と異なるのは、宮中には住まず、必要な時に呼び出され宮中の御用に供された点にある。記録によれば、右教坊の芸妓の多くは歌がうまく、左教坊のものは舞いが上手だった。彼女たちは宮妓と同じょうに民間から選抜された技芸練達の人々であった。玄宗は彼女たちをたいへん愛したが、しかし「侠遊(民間の遊里)の盛んなるを奪うを欲せず、未だ嘗て置きて宮禁(宮中)に在らしめず」)と詩人に詠まれた名歌妓の念奴、「凌波曲」(玄宗が夢の中で龍宮の女に頼まれて作ったといわれる詩曲)をよく舞った新豊の女芸人謝阿蛮(『明皇雑録』補遺)、『教坊記』に記載されている歌舞妓の顔大娘、鹿三娘、張四娘、裳大娘、それに竿木妓の王大娘、および、杜甫の「公孫大娘が弟子の剣器を舞うを観る行」という詩に出てくる、剣舞の名手公孫大娘などは、みな長安の外教坊に所属する芸妓であったらしい。

 

今日明光裡,還須結伴遊。

明光宮に集められた妃嬪は日常これといった仕事がないので、日の明るいうちに、また、いろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きるのである。
51. 明光 漢代の宮殿の名。「三輔黄図」という宮苑のことを書いた本に「武帝、仙を求め、明光宮を起し、燕趙の美女二千人を発して之に充たす」とある。

52. 還須結伴遊 『唐六典』 の内官制度の規定によると、后妃たちにも職務が決められていた。妃嬪は皇后を補佐し、「坐して婦礼を論じ」、「内廷に在って万事を統御する」、六儀(後宮にある六つの官庁)は「九御(天子に奉侍する女官たち)に四徳(婦徳・婦言・婦容・婦功)を教え、傘下の婦人を率いて皇后の儀礼を讃え導く」、美人は「女官を率いて祭礼接客の事を修める」、才人は「宴会、寝所の世話を司り、糸枲のことを理め、その年の収穫を帝に献じる」等々。しかしながら、これらの仕事も大半は形式的なもので、なんら実際の労働ではなかった。①形式的な「公職」以外で、彼女たちの生活の最も重要なことは、言うまでもなく皇帝の側に侍り、外出の御供をすることであった。②彼女たち自身の私的な生活はと言えば、ただいろいろな娯楽、遊戯を思いついては日時をすごし、いかにして孤独と退屈をまぎらわすかということに尽きる。③「内庭の嬪妃は毎年春になると、宮中に三人、五人と集まり、戯れに金銭を投げ表裏を当てて遊んだ。これは孤独と苦悶の憂さを晴らすためであった」、④「毎年秋になると、宮中の妃妾たちは、美しい金製の小龍に蟋蟀を捉えて閉じ込め、夜枕辺に置いて、その鳴き声を聴いた」(王仁裕『開元天宝遺事』巻上)。これらが彼女たちの優閑無聊の生活と娯楽や気晴らしのちょっとした描写である。

 

春風開紫殿,天樂下朱樓。

春風が暖かに吹き渡るころ、紫殿に「内人」とか、「前頭人」とかいわれる宮女たちのかぐわしさが充満している、天上の音楽が珠楼のうえからおりてくる。
53. 紫殿 唐の大明宮にもある。「三輔黄図」にはまた「漢の武帝、紫殿を起す」とある。漢の武帝が神仙の道を信じ、道士たちにすすめられて、大規模な建造物をたくさん建てたことは、吉川幸次郎「漢の武帝」(岩波新書)にくわしい。玄宗も同じように道教のために寄進している。

54. 天樂 玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。○梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

 

豔舞全知巧,嬌歌半欲羞。

なまめかしい姿の舞姫は、すべての技巧を知りつくした誇り顔で踊るし、かわいいしぐさの歌姫は、すこしばかり恥ずかしそうにはにかんでいる。

55. 豔舞全知巧 張雲容がその代表であろう。全唐詩の楊貴妃の詩「阿那曲」で詠われる。楊貴妃の侍女。非常に寵愛を受け、華清宮で楊貴妃に命じられ、一人で霓裳羽衣の曲を舞い、金の腕輪を贈られたと伝えられる。また、『伝奇』にも説話が残っている。内容は以下の通りである。張雲容は生前に、高名な道士であった申天師に仙人になる薬を乞い、もらい受け、楊貴妃に頼んで、空気孔を開けた棺桶にいれてもらった。その百年後に生き返り、薛昭という男を夫にすることにより、地仙になったという。

56. 嬌歌半欲羞 許和子(永新)のこと。『楽府雑録』『開元天宝遺事』に見える。吉州永新県の楽家の生まれの女性で本名を許和子と言った。開元の末年ごろに後宮に入り、教坊の宜春院に属した。その本籍によって、永新と呼ばれた。美貌と聡い性質を持ち、歌に長じ、作曲を行い、韓娥・李延年の千年来の再来と称せられた。玄宗から寵愛を受け、演奏中もその歌声は枯れることがなく、玄宗から「その歌声は千金の価値がある」と評せられる。玄宗が勤政楼から顔を出した時、群衆が騒ぎだしたので、高力士の推薦で永新に歌わせたところ、皆、静まりかえったという説話が伝わっている

 

更憐花月夜,宮女笑藏鉤。

それから、月の百花を照らす秋には、北斎の憐花のような琴や踊りの上手い宮女や月のような妃嬪たちの夜が楽しい、妃嬪たちが蔵鉤の遊戯をして笑いころげているのである。
57. 憐花 北斉の後主高給が寵愛した馮淑妃の名。燐は同音の蓮とも書かれる。もとは穆皇后の侍女であったが、聡明で琵琶、歌舞に巧みなのが気に入られて穆皇后への寵愛がおとろえ、後宮に入った。開元年間の後期の、念奴のことであろう。『開元天宝遺事』に見える。容貌に優れ、歌唱に長け、官妓の中でも、玄宗の寵愛を得ていた。

58. 蔵鉤 遊戯の一種。魏の邯鄲淳の「芸経」によると、じいさん、ばあさん、こどもたちがこの遊戯をしていたという三組にわかれ、一つの鈎を手の中ににぎってかくしているのを、他の組のものが当て、たがいに当てあって勝敗をきそう。漢の武帝の鈎弋夫人は、幼少のころ、手をにぎったまま開かなかった。武帝がその拳にさわると、ふしぎと閲いたが、手の中に玉の釣をにぎっていた。蔵鈎の遊戯は鈎弋夫人の話から起ったといわれている。
これをもとに宮妓たちの間では送鉤という遊びをしていた。二組の遊びで、艶めかしい遊びに変化したようだ。

続きを読む

743年(40)李白358 巻四26-《宮中行樂詞,八首之五》(繡戶香風暖,) 358Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(40) <李白358> Ⅰ李白詩1698 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7038

李白  宮中行樂詞,八首之五

香風暖,紗窗曙色新。宮花爭笑日,池草暗生春。

綠樹聞歌鳥,青樓見舞人。昭陽桃李月,羅綺自相親。

(後宮に多く妃嬪を選ばれる、華やかな生活、祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式に劣り、歌って参加した)

繍戸には、香しき風徐に吹き入って暖かに、紗窓の外は、曙の景色が、ひとしお新しく見える。風の香しきは、宮樹に花開いて、朝日に笑うからであるし、曙色の新なるは、地草が春にうながされて、萌え出たからである。それのみか、緑樹の間には鳥の歌うのが朗かに聞こえ、名君といわれた六朝齋の武帝の様に青樓の上には宮女が舞の稽古をして居るのが見える、桃や李の花吹く弥生の頃は、昭陽殿中の女ども、いずれも羅騎を着かざって、親しげに笑いさざめいている。

743年(40)李白358 巻四26-《宮中行樂詞,八首之五》(香風暖,) 358Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-40) <李白358> Ⅰ李白詩1698 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7038

 

 
  2015年12月9日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(40)李白358 巻四26-《宮中行樂詞,八首之五》(繡戶香風暖,) 358Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(40) <李白358> Ⅰ李白詩1698 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7038  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈111《 巻九07郴州祈雨》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1607> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7019  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6-#4杜甫 《19-08 柴門》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6-#4 <1072> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7040   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八02菩薩蠻五首其二 花冠》『花間集』354全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7042  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-40

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之五

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              昭陽殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

 

宮中行樂詞,八首之五

(後宮に多く妃嬪を選ばれる、華やかな生活、祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式に劣り、歌って参加した)

香風暖,紗窗曙色新。

繍戸には、香しき風徐に吹き入って暖かに、紗窓の外は、曙の景色が、ひとしお新しく見える。

宮花爭笑日,池草暗生春。

風の香しきは、宮樹に花開いて、朝日に笑うからであるし、曙色の新なるは、地草が春にうながされて、萌え出たからである。

綠樹聞歌鳥,青樓見舞人。

それのみか、緑樹の間には鳥の歌うのが朗かに聞こえ、名君といわれた六朝齋の武帝の様に青樓の上には宮女が舞の稽古をして居るのが見える、

昭陽桃李月,羅綺自相親。

桃や李の花吹く弥生の頃は、昭陽殿中の女ども、いずれも羅騎を着かざって、親しげに笑いさざめいている。

(宮中行楽詞 其の五)

繍戸 香風暖かに、紗窓 曙色新たなり。

宮花 争って日に笑い、池草 暗に春を生ず。

綠樹には 歌鳥を聞き、青楼には 舞人を見る。

昭陽 桃李の月、羅綺 自ら相い親しむ。

 

 

『宮中行樂詞,八首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之五

香風暖,紗窗曙色新。

宮花爭笑日,池草暗生春。

綠樹聞歌鳥,青樓見舞人。

昭陽桃李月,羅綺自相親。
詩文(含異文)     香風暖,紗窗曙色新。宮花爭笑日,池草暗生春。綠樹聞歌鳥,青樓見舞人。昭陽桃李月,羅綺自相親【羅綺坐相親】。


(下し文)
(宮中行楽詞 其の五)

繍戸 香風暖かに、紗窓 曙色新たなり。

宮花 争って日に笑い、池草 暗に春を生ず。

綠樹には 歌鳥を聞き、青楼には 舞人を見る。

昭陽 桃李の月、羅綺 自ら相い親しむ。


(現代語訳)
(後宮に多く妃嬪を選ばれる、華やかな生活、祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式に劣り、歌って参加した)

繍戸には、香しき風徐に吹き入って暖かに、紗窓の外は、曙の景色が、ひとしお新しく見える。

風の香しきは、宮樹に花開いて、朝日に笑うからであるし、曙色の新なるは、地草が春にうながされて、萌え出たからである。

それのみか、緑樹の間には鳥の歌うのが朗かに聞こえ、名君といわれた六朝齋の武帝の様に青樓の上には宮女が舞の稽古をして居るのが見える、

桃や李の花吹く弥生の頃は、昭陽殿中の女ども、いずれも羅騎を着かざって、親しげに笑いさざめいている。


(訳注)

宮中行樂詞,八首之五

(後宮に多く妃嬪を選ばれる、華やかな生活、祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式に劣り、歌って参加した)

・宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

・后妃たちの生活は優閑かつ安逸なもので、終日飽食し何もしないで遊びくらした。もちろん、時には彼女たちも形ばかりの仕事をしなければならなかった。たとえば恒例となっている皇后の養蚕の儀式や六宮(皇后の宮殿)での繭を献ずる儀式を主催し参加すること〔-これは天下の婦女に率先して養蚕事業の範を示すことを意味していた〕。玄宗の時代、帝は彼女たちに自ら養蚕をするよう命じ、「女が専門にすべき仕事を知らしめようとした」 ことがあった(『資治通鑑』巻二一三、玄宗開元十五年)。しかし、この仕事も当然ながら身分の賎しい宮女たちに押し付けられたはずであり、本当に彼女たちを働かせることにはならなかったに相違ない。この他にも、また祭祀、帝陵参拝、宴会等の儀式にも参加しなければならなかった。

・宮中の生活が贅沢になりすぎたので、皇帝は宮中にあった珠玉宝石、錦柄を焼き捨て、また宮中の衣服を専門に供する織錦坊を閉鎖したことがあった。しかし、いくばくもなく開元の盛世が到来すると、玄宗も初志を全く翻したので、宮中生活はまた華美に復した。玄宗は寵愛した妃嬪に大量の褒美を与えた。王鉷は、毎年百億にものぼる銭、宝貨を皇室に寄進し、専ら玄宗が妃嬪に賜る恩賞の費用とした。そして「三千の寵愛、一身に在り」と称された楊貴妃は、さらに一層贅沢の限りを尽したので、宮中にいた七百人の織物職人が専門に彼女のために刺繍をし、また他に数百人の工芸職人が彼女の調度品を専門に制作していた。また、楊貴妃は荔枝が好きだったので、玄宗は万金を費やすのを惜しまず、昼夜駅伝の馬を走らせ、荔枝を蜀(四川)より長安に運ばせた。詩人杜牧はそれを風刺し、「一騎 紅塵 妃子笑う、人の是れ荔枝来るを知る無し」(「華清宮に過る絶句」)と詠じた。

 

香風暖,紗窗曙色新。

繍戸には、香しき風徐に吹き入って暖かに、紗窓の外は、曙の景色が、ひとしお新しく見える。

45】 繍戸 きらびやかに飾りたてた扉。宮中の女の部屋をさす。

46】 紗窗 薄絹を張った窓。

47】 曙色 あけぼのの光。

 

宮花爭笑日,池草暗生春。

風の香しきは、宮樹に花開いて、朝日に笑うからであるし、曙色の新なるは、地草が春にうながされて、萌え出たからである。

48】 宮花争笑日 「劉子新論」に「春の葩は日を含みで笑うが似く、秋の葉は露に泫おいて泣くが如し」とある。宮妓たちが微笑み、花々が競って咲き誇る春の日。

49】 弛草幡生春 南宋、謝霊運の長詩《登池上楼閣》「初景革緒風、新陽改故陰。池塘春草生、園柳変鳴禽。」(初景【はつはる】は緒風を革【あらた】め、新陽は故き蔭【ふゆ】を改む。池の塘【つつみ】は春の草生じ、園の柳に鳴く禽【とり】も変りぬ。)池の堤防にびっしり春の草が生えている、庭園の柳の梢に鳴いている小鳥たちも冬のものと違って聞こえてくる。

登池上樓 #2 謝靈運<25>#2  詩集 396 kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1005

別に李白は、Kanbuniinkai紀頌之漢詩ブログ 李白「灞陵行送別」に「上有無花之古樹、下有傷心之春草。」とある。同じように使用している。

 

綠樹聞歌鳥,青樓見舞人。

それのみか、緑樹の間には鳥の歌うのが朗かに聞こえ、名君といわれた六朝齋の武帝の様に青樓の上には宮女が舞の稽古をして居るのが見える、

50】 青楼 「南史」に、斉の武帝は、「興光楼上に青い漆をぬり、世人これを青楼とよんだ」、とある。
斉の武帝(ぶてい、440 - 493年)は、斉の第2代皇帝。姓は蕭、諱は賾。高帝蕭道成の長子。 父の死で即位する。即位後は国力増強に力を注ぎ、大規模な検地を実施した。あまりに厳しい検地であったため、逆に農民の反発を招くこととなってしまったこともあったが、反乱自体は微弱なものに過ぎず、検地は結果的に大成功したという。また戸籍を整理したり、貴族の利権を削減して皇帝権力の強化に務めるなどの政治手腕を見せた。このため、武帝は南朝における名君の一人として讃えられている。

 

 



 

 

 

 

 

李白  宮中行樂詞,八首 【字解】

 

【1】    〔宮中における内職、冊封制度について〕

古来、宮中にはいわゆる「内職」という制度があった。『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。唐初の武徳年間(618626)に、唐は隋の制度を参照して完壁で精密な「内官」制度をつくった。その規定では、皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

また、皇太子の東宮にも「内官」があり、太子妃一人、その下に良娣、良媛、承徽、昭訓、奉儀などの品級があった。諸親王の王妃の下にも孺人【じゅじん】等の媵妾【ようしょう】の身分があった。

唐代三百年間に封ぜられた后妃のうち、皇后と地位が比較的高いか、あるいは男子を生んだ妃嬢だけが史書にいささかの痕跡を残した。その他の女性は消え去って名も知れない。『新・旧唐書』「后妃伝」 には、全部で二十六人の皇后、十人の妃嫁が記載されている。その他で史書に名を留めているものはおよそ五、六十人である。その内、高祖、玄宗両時代の人が最も多い。高祖には竇皇后の他に、万貴妃、ヂ徳妃、宇文昭儀、莫嬢、孫嬢、佳境、楊嬢、小楊嬢、張捷好、郭妊婦、劉捷好、楊美人、張美人、王才人、魯才人、張宝林、柳宝林などがいた。玄宗には王皇后、楊皇后、武恵妃、楊貴妃、趨麗妃、劉華妃、銭妃、皇甫徳儀、郭順儀、武賢儀、董芳儀、高娃好、柳娃好、鍾美人、慮美人、王美人、杜美人、劉才人、陳才人、鄭才人、闇才人、常才人などがいた。もちろん史書に名を残せなかった人はさらに多い。史書の記載から見ると、高祖、玄宗両時代の妃嫁がたしかに最も多かったようである。

 

【2】   宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。唐代の逸話集である孟棨の「本事詩」には、次のような話がある。

本事詩

嘗因宮人行樂,謂高力士曰:「對此良辰美景,豈可獨以聲伎為

倘時得逸才詞人吟詠之,可以誇耀於後。」遂命召白。

時寧王邀白飲酒,已醉。

既至,拜舞然。上知其薄聲律,謂非所長,命為宮中行樂五言律詩十首。

白頓首曰:「寧王賜臣酒,今已醉。倘陛下賜臣無畏,始可盡臣薄技。」

上曰:「可。」即遣二臣掖扶之,命研墨濡筆以授之。

又令二人張朱絲欄於其前。白取筆抒思,略不停綴,十篇立就,更無加點。

筆跡遒利,鳳跱龍拏。律度對屬,無不精

嘗て宮人行樂するに因り,高力士に謂って曰く:「此の良辰美景に對し,豈に獨り聲伎を以って可けんや

倘し時逸才の詞人を得て之を吟詠すれば,以て後に誇耀す可し。」と。遂に命して白を召す。

時に寧王 白を邀えて酒を飲ましめ,已に醉う。

既に至るや,拜舞して然たり。上 其の聲律を薄しとするを知り,謂えらく長ずる所に非ずと,命じて宮中行樂の五言律詩十首を為らしむ。

白 頓首して曰く:「寧王 臣に酒を賜い,今 已に醉う。倘し 陛下 臣に畏るる無きを賜わば,始めて臣の薄技を盡す可し。」と。

上 曰く:「可なり。」と。即ち遣二臣をして之を掖扶せしめ,命じて墨を研し筆を濡し以て之を授け。

又た 令二人をして 朱絲欄を其の前に張らしむ。白 筆を取って思いを抒べ,略 停綴せず,十篇 立ちどころに就る,更に點を加うる無し。

筆跡 遒利,鳳跱 龍拏。律度對屬,精ならざるなし

玄宗皇帝があるとき、宮中での行楽のおり、側近の高力士にむかって言った。「こんなに良い季節、うるわしい景色を前にしながら、単に歌手の歌をきいてたのしむだけでは物足りぬ。天才の詩人が来て、この行楽を詩にうたえば、後の世までも誇りかがやかすことであろう」と。そこで、李白が召されたのだ。李白はちょうど皇帝の兄の寧王にまねかれて酒をのみ、泥酔していたが、天子の前にまかり出ても、ぐったりとなっていた。玄宗は、この奔放な詩人に、律詩を十首つくるよう命じた。五言律詩は、対句が基本、最も定型的な詩形である。李白はあまり得意としない詩形であった。玄宗は知っていて、酔っているので命じたのである。そし二、三人の側近に命じて、李白を抱きおこさせ、墨をすらせ、筆にたっぷり警ふくませて李白に持たせ、朱の糸で罫をひいた絹幅を李白の前に張らせた。李白は筆とると、少しもためらわず、十篇の詩を、たちまち書きあげた。しかも、完璧なもので、筆跡もしっかりし、律詩の規則も整っていた。現在は八首のこっている。


続きを読む

743年(39)李白357 巻四25-《宮中行樂詞,八首之四》(玉樹春歸日,) 357Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(39) <李白357> Ⅰ李白詩1697 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7033

李白  宮中行樂詞,八首之四 

玉樹春歸日,金宮樂事多。後庭朝未入,輕輦夜相過。

笑出花間語,嬌來竹下歌。莫教明月去,留著醉嫦娥。

(春になると夕刻になると黄金の宮殿で天子は後宮の数多の妃嬪たちと酒宴が開かれ、嫦娥のような妃嬪が酒に酔い天子と過ごす。)

宮中の威厳のある立派な木々に春がもどって来て賑やかに花を咲かせる頃、漢の武帝の様に迎えるために用意した黄金の宮殿では春の行楽、年中行事が多い。天子が朝は紫宸殿に臨んで天下の政事、諸事をおこなわれるので、後宮へは入って行かれることはない。夜の訪れに伴い、手軽な輦車にのって後宮に入られ、妃嬪たちを相手に、酒宴を開かれる。その時幾多いる妃嬪たちは、ほほえんで花間より出でてきたって語り、やがて、燭下で、詩詞を竹札に書き下ろし、なまめかしい声で歌う。春の夜は短く、せっかくの行楽も十分な歓を尽くさないことがあり、あの美しい月をここにとどめて、そして、月中に奔った嫦娥のような美人を酔わせるようにしたいのである。

743年(39)李白357 巻四25-《宮中行樂詞,八首之四》(玉樹春歸日,) 357Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-39) <李白357> Ⅰ李白詩1697 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7033

 

 

 
  2015年12月8日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(39)李白357 巻四25-《宮中行樂詞,八首之四》(玉樹春歸日,) 357Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(39) <李白357> Ⅰ李白詩1697 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7033  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈110 -#5《 巻九03叉魚招張功曹》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1610> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7034  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6-#3杜甫 《19-08 柴門》#3 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6-#3 <1071> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7035  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻八01菩薩蠻五首其一 月華》『花間集』353全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7037  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

年:743年天寶二年43歳 94-39

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

 

 

宮中行樂詞,八首之四

(春になると夕刻になると黄金の宮殿で天子は後宮の数多の妃嬪たちと酒宴が開かれ、嫦娥のような妃嬪が酒に酔い天子と過ごす。)

玉樹春歸日,金宮樂事多。

宮中の威厳のある立派な木々に春がもどって来て賑やかに花を咲かせる頃、漢の武帝の様に迎えるために用意した黄金の宮殿では春の行楽、年中行事が多い。

後庭朝未入,輕輦夜相過。

天子が朝は紫宸殿に臨んで天下の政事、諸事をおこなわれるので、後宮へは入って行かれることはない。夜の訪れに伴い、手軽な輦車にのって後宮に入られ、妃嬪たちを相手に、酒宴を開かれる。
笑出花間語,嬌來竹下歌。

その時幾多いる妃嬪たちは、ほほえんで花間より出でてきたって語り、やがて、燭下で、詩詞を竹札に書き下ろし、なまめかしい声で歌う。
莫教明月去,留著醉嫦娥。

春の夜は短く、せっかくの行楽も十分な歓を尽くさないことがあり、あの美しい月をここにとどめて、そして、月中に奔った嫦娥のような美人を酔わせるようにしたいのである。

(宮中行楽詞 其の四)
玉樹 春 帰るの日、金宮 楽事 多し。
後庭 朝に未だ入らず、輕輦 夜 相過ぐ。
笑って 花間を出でて語り、嬌として 竹に下し来って歌う。
明月をして去らしむる莫れ、留著して 嫦蛾を酔わしめん。

 

『宮中行樂詞,八首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之四

玉樹春歸日,金宮樂事多。

後庭朝未入,輕輦夜相過。

笑出花間語,嬌來竹下歌。

莫教明月去,留著醉嫦娥。


詩文(含異文)

玉樹春歸日【玉殿春歸日】【玉樹春歸好】【玉殿春歸好】,金宮樂事多。

後庭朝未入,輕輦夜相過。

笑出花間語,嬌來竹下歌【嬌來燭下歌】。

莫教明月去,留著醉嫦娥。


(下し文)
(宮中行楽詞 其の四)

玉樹 春 帰るの日、金宮 楽事 多し。

後庭 朝に未だ入らず、輕輦 夜 相過ぐ。

笑って 花間を出でて語り、嬌として 竹に下し来って歌う。

明月をして去らしむる莫れ、留著して 嫦蛾を酔わしめん。

(現代語訳)
宮中行楽詞 其四(春になると夕刻になると黄金の宮殿で天子は後宮の数多の妃嬪たちと酒宴が開かれ、嫦娥のような妃嬪が酒に酔い天子と過ごす。)

宮中の威厳のある立派な木々に春がもどって来て賑やかに花を咲かせる頃、漢の武帝の様に迎えるために用意した黄金の宮殿では春の行楽、年中行事が多い。
天子が朝は紫宸殿に臨んで天下の政事、諸事をおこなわれるので、後宮へは入って行かれることはない。夜の訪れに伴い、手軽な輦車にのって後宮に入られ、妃嬪たちを相手に、酒宴を開かれる。

その時幾多いる妃嬪たちは、ほほえんで花間より出でてきたって語り、やがて、燭下で、詩詞を竹札に書き下ろし、なまめかしい声で歌う。
春の夜は短く、せっかくの行楽も十分な歓を尽くさないことがあり、あの美しい月をここにとどめて、そして、月中に奔った嫦娥のような美人を酔わせるようにしたいのである。


(訳注)

宮中行樂詞,八首之四

(春になると夕刻になると黄金の宮殿で天子は後宮の数多の妃嬪たちと酒宴が開かれ、嫦娥のような妃嬪が酒に酔い天子と過ごす。)

宮中の威厳のある立派な木々に春が、漢武帝の黄金の宮で行楽行事がある。寝殿奥の御殿、軽輦によって、夜の訪れになる。ほほえみに花を咲かせ、歓びの声、蝋燭の光、簾の下の歌のような声にあふれた。あの美しい月のような美人を帰らせてはいけない。引きとどめておいて、月の精の嫦娥を酔わせるのだ。

李白のこの詩に極似の詩を下に示す。

陳叔寶《玉樹後庭花》

麗宇芳林對高閣,新粧艶質本傾城。

映戸凝嬌乍不進,出帷含態笑相迎。

妖姫臉似花含露,玉樹流光照後庭。

麗宇 芳林  高閣に 對し,新粧 艶質  本より 傾城。

戸に映(は)ゆに 嬌を凝らして  乍(たちま)ち 進まず,帷を出で 態を含みて  笑ひて 相ひ迎ふ。

妖姫 臉(かほ)は  花の露を含むに 似て,玉樹 光を流して  後庭を照らす。

 
玉樹春歸日。金宮樂事多。 
宮中の威厳のある立派な木々に春がもどって来て賑やかに花を咲かせる頃、漢の武帝の様に迎えるために用意した黄金の宮殿では春の行楽、年中行事が多い。
33】 玉樹 (1)美しい木。 (2)すぐれて高潔な姿の人。 (3)エンジュの異名。⑷美しい樹。転じて姿の美しいさま。才能の優れた人。ここでは、後宮の美しい妃嬪を指す。

34】 金宮 こがね作りの宮殿。漢の武帝の故事。長公主はまだ幼い皇太子の劉徹と娘の阿嬌を会わせ、劉徹に「阿嬌を得たいかい?」と訊いた。劉徹は「もし阿嬌を得る事ができたら、金の建物に住まわせるよ」と答えたので、長公主は喜んで娘を彼に娶わせ、阿嬌は皇太子妃となった。

36】 樂事多 春には年中行事、行楽行事が目白押しにある。

後庭朝未入。輕輦夜相過。 
天子が朝は紫宸殿に臨んで天下の政事、諸事をおこなわれるので、後宮へは入って行かれることはない。夜の訪れに伴い、手軽な輦車にのって後宮に入られ、妃嬪たちを相手に、酒宴を開かれる。
37】 後庭 玉樹後庭花, 后庭花  1.樂府 聲歌曲名。 南朝 陳後主 作。 《陳書皇后傳後主張貴妃》:後主 每引賓客對 貴妃 等遊宴, 則使諸貴人及女學士與狎客共賦新詩, 互相贈答。後宮。宮中の奥御殿

38】 朝 朝は、紫宸殿で日の出に朝礼が行われ、列を整えて礼をする。その後、天下の政事、諸事をおこなう。

39】 輕輦 手車の呼び方を変えている。「其一」・歩輩 手車。人がひく車。人力車。「其二」・雕輦 彫刻をほどこした手くるま。宮中において天子のみが使用する車で宮中を象徴するものとしてとらえている。


笑出花間語。嬌來竹下歌。
その時幾多いる妃嬪たちは、ほほえんで花間より出でてきたって語り、やがて、燭下で、詩詞を竹札に書き下ろし、なまめかしい声で歌う。
40花間語 宮女の話し声。花は宮女。

41 美しい。艶めかしい。声や色合いが美しい。可愛がる。

42竹下歌 紙のない時代は紙の代わりに用いた。蝋燭のもとで竹に書き物をする。また、竹の簾のもと、閨を意味しそこでの男女の情交の際の声を歌で示した。


莫教明月去。留著醉嫦蛾。
春の夜は短く、せっかくの行楽も十分な歓を尽くさないことがあり、あの美しい月をここにとどめて、そして、月中に奔った嫦娥のような美人を酔わせるようにしたいのである。

43留著 とめておく。

44嫦蛾 。古代の神話中の女性。努という弓の名人の妻であったが、夫が酎欝が(仙女)からもらってきた不死の薬。宮中では、不死薬は媚薬でもあり、精力増強剤とされていた。それを、夫のるすの問にぬすんでのんだため、体が地上をはなれて月にむかってすっとび、それいらい、月の精となった。月の世界で、「女の盛りに、一人で、待っている女性」という意味でつかわれる。魯迅の「故事新編」の中の「奔月」は、この話がもとになっている。

紀頌之漢詩ブログ 李白 97 把酒問月   
白兔搗藥秋復春,嫦娥孤棲與誰鄰。

嫦娥 李商隠
雲母屏風燭影深、長河漸落暁星沈。
嫦娥應悔倫塞薬、碧海青天夜夜心。


紀頌之漢詩ブログ 李商隠 嫦娥
1. 道教の影響 2. 芸妓について 3. 李商隠 12 嫦娥

 

 

続きを読む

743年(38)李白356 巻四24-《宮中行樂詞,八首之三》(盧橘為秦樹,) 356Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(38) <李白356> Ⅰ李白詩1696 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7028

李白  宮中行樂詞,八首之三

盧橘為秦樹,葡萄出漢宮。煙花宜落日,絲管醉春風。

笛奏龍吟水,簫鳴鳳下空。君王多樂事,還與萬方同。

(玄宗期は国力が有史以来最高となり、特に芸術も多岐にわたり整備され、宮廷音楽が確立し、発展したことを理解させる詩)

皇城、後宮、禁苑(漢は上林苑)には様々な珍果名木が植えられている。枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になったし、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできるようになった。宮中には花も様々に年中咲いていて、はるには春霞と咲きほこる花につつまれ、落ちかかる日のひかりがその場所をてらすと上手い具合に花が鮮やかに見え、たいまつを回らしてそれから酒宴が開かれ、春風に酔い、絃管楽器をはじめ音楽がながれ、催しが始まるのである。絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。今しも、天下太平で、「開元の治」といわれるほど、隆盛を極めており、国家の安泰や農作物の豊穣や無病息災、神々や祖先との交流し、社会的共同性を更新する機会である天子の年中行事も欠かすことなく、天下とともに楽しまれるのである。

743年(38)李白356 巻四24-《宮中行樂詞,八首之三》(盧橘為秦樹,) 356Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-38) <李白356> Ⅰ李白詩1696 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7028

 

 
  2015年12月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(38)李白356 巻四24-《宮中行樂詞,八首之三》(盧橘為秦樹,) 356Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(38) <李白356> Ⅰ李白詩1696 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7028  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈110 -#4《 巻九03叉魚招張功曹》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1609> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7029  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6-#2杜甫 《19-08 柴門》#2 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6-#2 <1070> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7030   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  290《太白巻五 33搗衣篇》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 7031 (12/07)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七50河傳四首其四風》『花間集』352全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7032  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

宮中行樂詞,八首之一

(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)

小小生金屋,盈盈在紫微。

幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。

山花插寶髻,石竹繡羅衣。

髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。

每出深宮裡,常隨步輦歸。

常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。
只愁歌舞散,化作綵雲飛。

天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。

(宮中行楽詞、八首の一)

小小 金屋に生れ、盈盈 紫微に在り。

山花 寶髻に插しはさみ、石竹 羅衣を繡す。

每に深宮の裏より出で、常に歩輦に隨って歸る。

只だ愁う 歌舞散じ、化して綵雲と作って飛ぶを。

 

 

宮中行樂詞,八首之二

(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

柳色黃金嫩,梨花白雪香。

柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。
玉樓巢翡翠,金殿鎖鴛鴦。

絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。
選妓隨雕輦,徵歌出洞房。

そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。

宮中誰第一,飛燕在昭陽。

しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

(宮中行楽詞 其の二)

柳色黄金にして嫩【やわら】か、梨花白雪にして香し。

玉楼には翡翠巣くい、珠殿には鴛鴦を鎖す。

妓を選んで雕輦に随わしめ、歌を徴して洞房を出でしむ。

宮中 誰か第一なる、飛燕  昭陽に在り。

 

年:743年天寶二年43歳 94-38

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

 

 

宮中行樂詞,八首之三

(玄宗期は国力が有史以来最高となり、特に芸術も多岐にわたり整備され、宮廷音楽が確立し、発展したことを理解させる詩)

盧橘為秦樹,葡萄出漢宮。

皇城、後宮、禁苑(漢は上林苑)には様々な珍果名木が植えられている。枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になったし、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできるようになった。
煙花宜落日,絲管醉春風。

宮中には花も様々に年中咲いていて、はるには春霞と咲きほこる花につつまれ、落ちかかる日のひかりがその場所をてらすと上手い具合に花が鮮やかに見え、たいまつを回らしてそれから酒宴が開かれ、春風に酔い、絃管楽器をはじめ音楽がながれ、催しが始まるのである。
笛奏龍吟水,簫鳴鳳下空。

絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。

君王多樂事,還與萬方同。

絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。
今しも、天下太平で、「開元の治」といわれるほど、隆盛を極めており、国家の安泰や農作物の豊穣や無病息災、神々や祖先との交流し、社会的共同性を更新する機会である天子の年中行事も欠かすことなく、天下とともに楽しまれるのである。

(宮中行楽詞 其の三)

盧橘は 秦樹と為り、 蒲桃は漢宮より出づ。

煙花 落日に宜しく、 絲管 春風に醉う。

笛奏 龍 水に鳴き、 蕭吟 鳳 空より下る。

君王 樂事多く、 還た 萬方と同じくする。

 

『宮中行樂詞,八首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之三

盧橘為秦樹,葡萄出漢宮。

煙花宜落日,絲管醉春風。

笛奏龍吟水,簫鳴鳳下空。

君王多樂事,還與萬方同。

詩文(含異文)     盧橘為秦樹,葡萄出漢宮。煙花宜落日,絲管醉春風。笛奏龍吟水,簫鳴鳳下空。君王多樂事,還與萬方同【何必向回中】。


(下し文)
(宮中行楽詞 其の三)

盧橘は 秦樹と為り、 蒲桃は漢宮より出づ。

煙花 落日に宜しく、 絲管 春風に醉う。

笛奏 龍 水に鳴き、 蕭吟 鳳 空より下る。

君王 樂事多く、 還た 萬方と同じくする。

(現代語訳)
(玄宗期は国力が有史以来最高となり、特に芸術も多岐にわたり整備され、宮廷音楽が確立し、発展したことを理解させる詩)

皇城、後宮、禁苑(漢は上林苑)には様々な珍果名木が植えられている。枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になったし、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできるようになった。
宮中には花も様々に年中咲いていて、はるには春霞と咲きほこる花につつまれ、落ちかかる日のひかりがその場所をてらすと上手い具合に花が鮮やかに見え、たいまつを回らしてそれから酒宴が開かれ、春風に酔い、絃管楽器をはじめ音楽がながれ、催しが始まるのである。
絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。

絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。
今しも、天下太平で、「開元の治」といわれるほど、隆盛を極めており、国家の安泰や農作物の豊穣や無病息災、神々や祖先との交流し、社会的共同性を更新する機会である天子の年中行事も欠かすことなく、天下とともに楽しまれるのである。

(訳注)

宮中行樂詞,八首之三

(玄宗期は国力が有史以来最高となり、特に芸術も多岐にわたり整備され、宮廷音楽が確立し、発展したことを理解させる詩)

枇杷はもともと湘南の果物、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできる。花も年中、
花霞につつまれ、景色に調和する。音楽も、春風にのって流れ、笛をかなでると、竜が水の中で鳴きだしてくる、簫をふくと、鳳が空からまいおりてくる。国の天子には、楽しい行事があり、天下のこと、万事に楽しまれる。

宮廷舞楽のうちの雅楽を取り扱った。714年に「梨園」が設置され、300人の楽工が梨園弟子になり、後に宮女も加えられた。教坊は内教坊か初唐から置かれていた。この上、玄宗期に雅楽と区分された俗楽や胡楽、散楽を扱うことを目的とした左右教坊が増設された。胡楽は西域を中心とした外来音楽で、唐代の宮廷舞楽の中心であった十部楽のうちの大半を占めた。

唐代の皇帝の中でも、玄宗が特に音楽がすぐれており、外国の音楽を取り入れた「霓裳羽衣の曲」を作曲したとされる。この曲とともに、楊貴妃が得意とした「霓裳羽衣の舞」が行われ、宮人が数百人で舞うこともあった。

 

盧橘為秦樹、 蒲桃出漢宮。 
皇城、後宮、禁苑(漢は上林苑)には様々な珍果名木が植えられている。枇杷はもともと湘南の果物、それが今や秦の地方の木になったし、ぶどうもまた、この漢の宮殿の中でできるようになった。
24】 盧橘 果樹、枇杷の別名。もと南方の植物、で秋に花を咲かせ、夏に実を結ぶ。戴叔倫の「湘南即事」に「盧橘花開楓菓哀」とあるのもそれがもとは南方の風物であることを示したもの。

25】 秦樹 太古から長安の街を眼下に置いていた樹木。李白はこの詩のみであるが、杜甫は以下の三首、李商隠も使っている。

杜甫(卷三16)投贈哥舒開府翰二十韻「日月低秦樹,乾坤繞漢宮。」

杜甫(卷二二70)千秋節有感二首其一「湘川新涕淚,秦樹遠樓臺。」

杜甫(卷三18) 送張十二參軍赴蜀州因呈楊五侍御「兩行秦樹直,萬點蜀山尖。」

 長安の地方。李商隠「寄令狐郎中」では
嵩雲秦樹久離居、雙鯉迢迢一紙書。
休問梁園舊賓客、茂陵秋雨病相如。
秦樹は長安を長い時代見ていた樹という意味に使っている。
26】 蒲桃 葡萄。ぶどう。ペルシャ原産で、西域を通って中国に入ったのは、漢の武帝のときである。


煙花宜落日、絲管醉春風。 
宮中には花も様々に年中咲いていて、はるには春霞と咲きほこる花につつまれ、落ちかかる日のひかりがその場所をてらすと上手い具合に花が鮮やかに見え、たいまつを回らしてそれから酒宴が開かれ、春風に酔い、絃管楽器をはじめ音楽がながれ、催しが始まるのである。
27】 煙花 かすみと花とでの花霞。

28】 絲管 弦楽器と管楽器。つまり、音楽。

 
笛奏龍鳴水、蕭吟鳳下空。 
絃管楽器は、笛をかなでると、《長笛賦》にいう“龍の水底に吟ずるがごとく”、簫をふくと、蕭史のごとく“鳳の天上より下る”と、その旋律、音律は、人間の者とは思えないほどである。
29】 節奏竜鳴水 漢馬融《長笛賦》“「龍鳴水中不見已, 截竹吹之聲相似。」後則多指管首為龍形的笛。” 漢の馬融の「笛の賦」によれば、西方の異民族である羌の人が、竹を伐っていると、龍があらわれて水中で鳴いた。すぐに龍は見えなくなったが、羌人が、きり出した竹でつくった笛を吹くと、龍のなき声と似ていたという。龍は、空想の動物である。

30】 蕭吟鳳下空 簫は管楽器の一種。「列仙伝」に、蕭史という人が、上手に簫を吹いた。すると鳳凰がとんで来て、その家の屋根に止まった、とある。鳳凰もまた、空想の動物である。鳳がおす、凰がめす。

漢·劉向·《列仙傳·卷上·蕭史》「秦穆公有女弄玉,善吹簫,公以弄玉妻之。遂教弄玉作鳳鳴。居十數年,吹簫似鳳聲,鳳凰來止其屋。」

君王多樂事、還與萬方同。 
今しも、天下太平で、「開元の治」といわれるほど、隆盛を極めており、国家の安泰や農作物の豊穣や無病息災、神々や祖先との交流し、社会的共同性を更新する機会である天子の年中行事も欠かすことなく、天下とともに楽しまれるのである。
31】 万方 万国と同じ。天下、万事のこと。

32】 君王多樂事 行事は、立春から冬至までの八節(二十四節気参照)と重日が重要視された。唐代の年中行事は、国家の安泰や農作物の豊穣や無病息災、神々や祖先との交流し、社会的共同性を更新する機会であり、宗教的呪術の場でもあった。

〔宮中の代表的な行事〕

元会は、元旦に都である長安の太極宮もしくは大明宮で皇帝が行う朝賀である。元会には各国の使者や百官が集まり、式典を行った。百官は元旦と前後3日間合計7日間休み、元会の儀式が終わると、残る3日新春の訪れを家族と祝った。正月には竹を燃やし、爆竹が鳴らされ、悪霊を追い払った。また、屠蘇酒を飲み、健康を祝い、膠牙糖という水飴を舐めた。

人日節は正月7日に行われた行事である。祝宴が宮廷で行われ、百官に魔よけの人形の切り絵である「人勝」が配られる。この日、7種の野草を使う羮が作られた。

上元節は正月15日の前後3日間続く灯籠祭りであり、元宵節とも呼ばれ、仏教の影響もあって、最も盛んとなった祭りである。上元節の期間中は、夜行の禁が解かれ、都市、田舎を問わず、家ごとに灯籠を掛け連ね、着飾った大勢の見物人が夜通し活動する。大都市では、灯籠を無数に連ねた灯樹、灯輪、山棚などというものが飾られ、都市内各地で見物することができた。上元節の灯籠は、玄宗期に隆盛を迎え、その盛大さは多くの唐詩に唱われている。長安では、皇帝も元宵節を楽しみ、雑踏は非常に激しいもので、落とし物も朝には市中にあちこちに転がったと伝えられる。また、昼間は抜河(綱引き)が行われた。長安以外では、洛陽、揚州、涼州でも大規模な祭りが開かれた。玄宗期の一時期は2月に開かれていた。


続きを読む

43年(37)李白355 巻四23-《宮中行樂詞,八首之二》(柳色黃金嫩,) 355Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(37) <李白355> Ⅰ李白詩1695 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7023

李白  宮中行樂詞,八首之二

柳色黃金嫩,梨花白雪香。玉樓巢翡翠,金殿鎖鴛鴦。

選妓隨雕輦,徵歌出洞房。宮中誰第一,飛燕在昭陽。

(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

743年(37)李白355 巻四23-《宮中行樂詞,八首之二》(柳色黃金嫩,) 355Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-37) <李白355> Ⅰ李白詩1695 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7023

 

 
  2015年12月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(37)李白355 巻四23-《宮中行樂詞,八首之二》(柳色黃金嫩,) 355Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(37) <李白355> Ⅰ李白詩1695 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7023  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈110 -#3《 巻九03叉魚招張功曹》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1608> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7024  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-6#1杜甫 《19-08 柴門》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-6 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七49河傳四首其三花》『花間集』351全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7027  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

作年:743年天寶二年43歳 94-37

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              昭陽殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

 

宮中行樂詞,八首之二

(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

柳色黃金嫩,梨花白雪香。

柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。
玉樓巢翡翠,金殿鎖鴛鴦。

絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。
選妓隨雕輦,徵歌出洞房。

そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。

宮中誰第一,飛燕在昭陽。

しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

(宮中行楽詞 其の二)

柳色黄金にして嫩【やわら】か、梨花白雪にして香し。

玉楼には翡翠巣くい、珠殿には鴛鴦を鎖す。

妓を選んで雕輦に随わしめ、歌を徴して洞房を出でしむ。

宮中 誰か第一なる、飛燕  昭陽に在り。

長安皇城宮城00 

『宮中行樂詞,八首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

宮中行樂詞,八首之二

柳色黃金嫩,梨花白雪香。

玉樓巢翡翠,金殿鎖鴛鴦。

選妓隨雕輦,徵歌出洞房。

宮中誰第一,飛燕在昭陽。
詩文(含異文)     柳色黃金嫩,梨花白雪香。玉樓巢翡翠【玉樓關翡翠】,金殿鎖鴛鴦【珠殿鎖鴛鴦】。選妓隨雕輦【選妓隨朝輦】,徵歌出洞房。宮中誰第一,飛燕在昭陽。


(下し文)
(宮中行楽詞 其の二)

柳色黄金にして嫩【やわら】か、梨花白雪にして香し。

玉楼には翡翠巣くい、珠殿には鴛鴦を鎖す。

妓を選んで雕輦に随わしめ、歌を徴して洞房を出でしむ。

宮中 誰か第一なる、飛燕  昭陽に在り。

(現代語訳)
宮中行樂詞,八首之二(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。
絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。
そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。

しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

興慶宮002
(訳注)

宮中行樂詞,八首之二

(君主が言葉を発して、行楽について述べたもの)

1₎宮中行楽詞 宮中における行楽の歌。李白は数え年で四十二歳から四十四歳まで、足かけ三年の間、宮廷詩人として玄宗に仕えた。この宮中行楽詞八首と、つぎの晴平調詞三首とは、李白の生涯における最も上り詰めた時期の作品である。

 

柳色黃金嫩、梨花白雪香。 
柳が嫩い芽をふき出したばかり、柳の色は、黄金のようにかがやき、(しかも見るからにやわらかく玄宗皇帝のようである。)梨の花は、まっ白な雪のよう、しかも、よい香をはなっていて(楊太真)、春の盛りで、行楽にはこの上もない季節となる。
11】 柳色 芽をふき出したばかりの柳の色であるが、男性を示唆する柳は龍で玄宗。楊は女性、楊貴妃を示す。

12】 嫩 物がまだ新しく、若くて、弱い状態。

13】 梨花 女性を示唆する、楊太真(貴楊妃)。


玉樓巢翡翠、珠殿鎖鴛鴦。 
絶色の妓優は翡翠や鴛鴦の文彩あるものたちが、玉楼に、それから、珠殿に、居となして、妃嬪となって居並ぶ。
14】 玉楼 宝玉でかざり立てた楼閣。

15】 翡翠 かわせみ。うつくしい羽根の鳥。

16】 珠殿 真珠をちりばめた御殿。

17】 鴛鴦 おしどり。おす(鴛)と、めす(鴦)と仲むつまじい鳥。

 

選妓隨雕輦、徵歌出洞房。 
そこで、天子はすぐれた妓優の者をえらばれ、行楽に出遊の際、雕輦のあとについて歩くよう命じられ、また、酒宴に歌手をよびよせて、歌わせるため、洞房にいたものに出て来るよう命じられ、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演する。

18】  宮妓、教坊妓 宮妓は後代の娼妓を意味するものではなく、専門に宮廷に奉仕する女芸人であった。彼女たちは歌舞や楽器を習い、縄・竿・球・馬などを操る曲芸を学んだ。その職責は皇室が挙行する各種の祝祭・式典・宴会などの儀式に出演したり、また平生にあっては天子の耳目を楽しませることであった。

宮妓の大部分は直接民間から選抜された芸、容貌ともに秀でた楽戸*、侶優などの女子、それに少数の一般平民出身の女子であった。たとえば、著名な宮廷歌妓の永新は、もともと吉州(江西省吉安県)の楽戸の娘であり、歌が上手だったため選ばれて宮中に入った。辞填壇はもとは色町の妓女であったが、挙が上手だったため宮中に入って仕えることになった。平民女性で選抜されたものは、玄宗時代には特に「搊弾家」(演奏家)と称された(以上は、段安節『楽府雑録』「歌」、『古今図書集成』閏媛典閏艶部、崔令欽『教坊記』による。)。

*楽戸 楽籍という賤民身分の戸籍に属し、宮中の官妓、在野の楽人などが登録されていた。

彼女たちの中には、また別に朝臣や外国からの使節が献上した女性も、一部分であるが含まれていた。たとえば、敬宗の時代、浙東(浙江省一帯)から朝廷に飛燕、軽風という二人の舞妓が献上されている。また文宗の時代、回紇に降嫁した太和公主が馬にまたがって弓をひく七人の娘を献上したこともあった(『杜陽雜編』巻中、『旧唐書』文宗紀下)。それ以外に、少数ではあるが、元々官女であった女性の中から選ばれ、訓練を受けて宮妓になったものもいた。宮妓たちは、礼楽を司る太常寺に属したり、あるいは歌舞・伎楽・雑技・俳優を統括する教坊の管轄に属した。先人の考証によると、玄宗の時代から太常寺にはもはや女妓はいなくなり、すべて教坊の所属になったという(任半塘『教坊記箋訂』中華書局、一九六二年)。

玄宗は音楽、歌舞を特に愛好したので、彼の治世には宮妓の人数は大幅に増大し、教坊は隆盛を極めた。また玄宗は宮中に梨園、宜春院**などを設け、特に才能のある芸妓を選りすぐり、宮中に入れて養成した。当時、宜春院に選抜された妓女は、「内人」とか、「前頭人」とよばれた。玄宗は常日頃、勤政楼の前で演芸会を開き、歌舞の楽妓は一度に数百人も出演することがあり、また縄や竹竿を使う、さまざまな女軽業師の演戯もあった。この後は、もうこれほどの盛況はなかったが、しかし教坊は依然として不断に宮妓を選抜して教坊に入れていた。憲宗の時代、教坊は皇帝の勅命だと称して「良家士人の娘及び衣冠(公卿大夫)の家の別邸の妓人を選び」内延に入れると宣言したので(『旧唐書』李緯伝)、人々は大いに恐れおののいた。そこで憲宗は、これは噂であると取り消さざるを得なかった。文宗の時代、教坊は一度に「霓裳羽衣***」(開元、天宝時代に盛んに行われた楽曲)の舞いを踊る舞姫三百人を皇帝に献上したことがあった。

**梨園、宜春院 玄宗は長安の禁苑中に在る梨園に子弟三百人を選んで江南の音曲である法楽を学はせ、また宮女数百人を宜春北院に置いて梨園の弟子とした。

***霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。

19】 雕輦 彫刻をほどこした手ぐるま。

20】 洞房 奥ぶかい部屋。


宮中誰第一、飛燕在昭陽。 
しかし、宮中において寵幸第一をほこるものは、昭陽殿にいる趙飛燕こそは、色藝雙絶のお方であり、宮中は、はなやぎ、盛んである。

21飛燕 漢の成帝の愛姫、超飛燕。もとは長安の生れで身分は低かったが、歌や舞がうまく、やせ型の美人で、その軽やかな舞はツバメが飛ぶようであったから、飛燕とよばれた。ある時、おしのびで遊びに出た成帝の目にとまり、その妹とともに宮中に召され、帝の寵愛を一身にあつめた。十余年、彼女は日夜、帝を誘惑したので、しまいに帝は精根つきはてで崩御した。晩年、彼女は不遇となり、さいごには自殺した。彼女は漢代随一の美女とされている。また、やせた美人の代表は漢の趙飛燕、ふとった美人の代表は唐の楊貴妃とされているが、唐詩において趙飛燕をうたうとき、多くの易合、玄宗の後宮における第一人者、楊貴妃そのひとを暗に指す。もっともこの時期は楊太真で、李白が都を追われた後、楊貴妃となる。

22】 昭陽 趙飛燕がすんでいた宮殿の名。

 

 

 

 

 

 

続きを読む

743年(36)李白354 巻四22-《宮中行樂詞,八首之一》(小小生金屋,) 354Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(36) <李白354> Ⅰ李白詩1694 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7018

李白  宮中行樂詞,八首之一 

小小生金屋,盈盈在紫微。山花插寶髻,石竹繡羅衣。

每出深宮裡,常隨步輦歸。只愁歌舞散,化作綵雲飛。

(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)

幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。
743年(36)李白354 巻四22-《宮中行樂詞,八首之一》(小小生金屋,) 354Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-36) <李白354> Ⅰ李白詩1694 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7018

 

 
  2015年12月5日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(36)李白354 巻四22-《宮中行樂詞,八首之一》(小小生金屋,) 354Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(36) <李白354> Ⅰ李白詩1694 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7018  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈110 -#2《 巻九03叉魚招張功曹》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1607> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7019  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#6杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#6 <1068> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7020  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七48河傳四首其二柳》『花間集』350全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7022  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-36

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    宮中行樂詞,八首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:  

 

 

宮中行樂詞,八首之一

(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)

小小生金屋,盈盈在紫微。

幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。

山花插寶髻,石竹繡羅衣。

髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。

每出深宮裡,常隨步輦歸。

常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。
只愁歌舞散,化作綵雲飛。

天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。

(宮中行楽詞、八首の一)

小小 金屋に生れ、盈盈 紫微に在り。

山花 寶髻に插しはさみ、石竹 羅衣を繡す。

每に深宮の裏より出で、常に歩輦に隨って歸る。

只だ愁う 歌舞散じ、化して綵雲と作って飛ぶを。
大明宮-座標02

長安皇城宮城00 

『宮中行樂詞,八首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)


詩文(含異文)

小小生金屋,盈盈在紫微。

山花插寶髻,石竹繡羅衣。

每出深宮裡【每上深宮裡】,常隨步輦歸。

只愁歌舞散【只愁歌舞罷】,化作綵雲飛。


(下し文)
(宮中行楽詞、八首の一)

小小 金屋に生れ、盈盈 紫微に在り。

山花 寶髻に插しはさみ、石竹 羅衣を繡す。

每に深宮の裏より出で、常に歩輦に隨って歸る。

只だ愁う 歌舞散じ、化して綵雲と作って飛ぶを

(現代語訳)
(漢の阿嬌と同じように高貴な家で育てられ、十五になって後宮に入って寵愛を得た、行楽、酒宴で、妃嬪がそろうと、それが終わってから寵愛を失うことが心配で仕方がない。)

幼い子供のときから、黄金で飾った家で育てられ、やがて後宮に入れば、容貌豊盈、六宮に冠たることはいうまでもないが、みずみずしいうつくしさで天子の御殿に住んでいる。

髪のもとどりには、山花一輪を挿しはさみ、薄絹の衣装には、なでしこの花を刺繍していてその風情は、えもいわれない。

常に天子に倍して、奥の御殿の中から出て遊び暮らし、やがて、歩輦に随って帰ってくる。
天子の寵愛を専らにして、おそばを離れられずにいるのは、この通りである。ただし、歌舞が終わり散会したとき、彩雲に化して天上に飛び去りはしないかと、ただこれを愁えているばかりである。 

続きを読む

743年(34)李白353 巻四16-《玉階怨》(李白と謝朓の) 353Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(34) <李白353> Ⅰ李白詩1693 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7013

李白  玉階怨

玉階生白露,夜久侵羅襪。卻下水晶簾,玲瓏望秋月。

(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)

秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。 御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。

743年(34)李白353 巻四16-《玉階怨》(李白と謝朓の) 353Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-34) <李白353> Ⅰ李白詩1693 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7013

 

 

 
  2015年12月4日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(34)李白353 巻四16-《玉階怨》(李白と謝朓の) 353Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(34) <李白353> Ⅰ李白詩1693 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7013  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈110 -#1《 巻九03叉魚招張功曹》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1606> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7014  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#5杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#5 <1067> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7015  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七47河傳四首其一太》『花間集』349全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7017  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

唐朝の命婦制度では宮中の妃嬢はすべて「内命婦」といい、公主、王妃以下の貴婦人を「外命婦」と称した。外命婦の制度は、次のように規定する。親王の母と妻を「妃」とし、文武の二品官と国公の母と妻を「国夫人」に封じ、三品官以上の官僚の母と妻を「郡夫人」に封じ、四品官の官僚の母と妻を「郡君」に封じ、五品官の官僚の母と妻を「県君」に封ず、と。以上の婦人はそれぞれ封号を与えられたが、母親の封号には別に「太」の字が付け加えられた。もし、夫や子の身分によって封号を授与されたものでない人は、別に封号を加えて某品夫人、某晶郡君、某晶県君等と称した(『唐会要』巻二六「命婦朝皇后」)。封号は原則的にはただ正妻だけに与えられるものであり、側室には与えられなかった。

唐朝の命婦の大半は、夫や子が高位高官であるが故に封号を授けられたか、あるいは夫や子が天子の寵愛を特に受けて授けられたかであり、「母は子を以て貴く、妻は夫を以て栄える」のであった。たとえば、宰相牛仙客の妻は邪国夫人に封ぜられ、節度使安禄山の二人の妻は共に国夫人に封ぜられた。韓愈等二十九名の官僚たちの亡き母親は、同日にそれぞれ郡太夫人・国太夫人等々の封号を追贈された。一級下のもの、たとえば刺史の李遜の母などは県太君等に封ぜられた(いずれも『全唐文』にみえる)。その他に、皇親と国威(外戚)であることによって、封号を与えられたものが少数いた。たとえば武則天の母は栄国夫人、姉は韓国夫人、姪は魂国夫人の封号を与えられた。楊貴妃の三人の姉妹は韓国夫人、我国夫人、秦国夫人の封号を与えられた。また少数ではあるが、皇帝の乳母や上級の宮人で特に皇帝から寵愛を受けたもの、たとえば高宗、中宗、容宗の乳母は、それぞれ国夫人、郡夫人に封ぜられた。それ以外に、本人が功を立てたとか、あるいは別の事情で封号の授与にあずかったものもいた。たとえば、刺史の那保英の妻実氏は契丹の侵入に抵抗して功を立て、誠節夫人に封ぜられ、県令の古玄応の妻高氏は突蕨の侵入に抵抗して功を立て、狗忠県君に封ぜられた(『旧唐書』列女伝)。また、武則天のとき故郷の八十歳以上の女性が郡君に封ぜられた、といった例である。

命婦に封ぜられたものに対しては、朝廷がおおむねその品級に応じて一定の俸料銭(給金)を支給した。『全唐文』には玄宗の「乳母の賓氏に賜る俸料は三品(官)に準ずる詔」が収録されている。これは、乳母の燕国夫人(華氏)に三品官を標準として俸給を授与せよと命じているのである。ただすべての命婦が俸給を授与されたかどうかは不明である。『容斎三筆』には、宋代の郡夫人、国夫人などの命婦には「みな月俸の銭米の支給と春と冬の絹布・生綿の支給があり、その数量はきわめて多いものだった」と記載されている。おそらく唐代にもほぼ類似の制度があったと思われる。そのほか、『太平広記』巻四九七には、顔呆卿の妻以降、湖南観察使には特別に夫人の脂粉銭(化粧料)の費目があり、柳州刺史の場合もそうだった、という。しかしこれは特定地域の現象に過ぎないだろうし、この『太平広記』 の記載が歴史的事実でない可能性もある。

 

命婦には皇后に朝見する儀式があった。武則天が皇后になった時から、この大礼が始まった。その後、各代の記念日や祝典には、いつも命婦が皇后、太后に朝見することが慣例となった。憲宗のとき詔を下して次のように命じたことがある。およそ外命婦で皇太后に朝見する儀式に休暇をとって出席しなかったものは、官がその夫や子の一カ月の官俸を罰として取り上げる、また儀式にしばしば出席しないものは皇帝に報告せよ、と(『旧唐書』意宗紀上)。どうやら欠席は罰を受けねばならなかったようである。朝廷の命婦はちょっとした公職とみなされていたことが分かる。元横の妻はかって郡君の身分で、興慶宮で命婦の班長となって太后に朝見したことがある。この際、元稹は妻に贈った詩の中で、あなたは「興慶にて千の命婦に首行し、……君はこの外に更に何をか求めん」(「初で漸東(観察使)に除せらる。妻に阻色あり、困りで四韻を以て之に暁す」)と述べている。人々の意識においでは、官僚の婦人として命婦に封ぜられ、宮中において謁見を賜ることが生涯最大の栄誉であったことが分かる。

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    玉階怨

地點:    長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

玉階怨

(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)

玉階生白露,夜久侵羅襪。

秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。 

卻下水晶簾,玲瓏望秋月。

御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。

 

(玉階の怨み)

玉階は白露を生じ,夜は久しく侵羅襪をす。

水晶簾を卻下すれば,玲瓏 秋月を望む。

 長安城図 作図00

『玉階怨』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

玉階怨

玉階生白露,夜久侵羅襪。

卻下水晶簾,玲瓏望秋月。

(下し文)
(玉階の怨み)

玉階は白露を生じ,夜は久しく侵羅襪をす。

水晶簾を卻下すれば,玲瓏 秋月を望む。

(現代語訳)
玉階怨(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)

秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。 

御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。


(訳注)

  玉階怨
(閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。)

 楽府特集『相和歌・楚調曲』。宮怨(失寵の閨怨)を歌う楽曲名。題意は、後宮の宮女が(なかなか来ない)皇帝の訪れを待ち侘びる、という意。

 

玉階生白露、夜久侵羅襪。
秋の夜、玉すだれの音もせず、白玉の階きざはしに白い露が珠のようにおり、夜は更けて羅襪につめたさが侵みてくる。 

【一】 玉階:大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。 

【二】 生白露:夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。

【三】 夜久:待つ夜は長く。 

【四】 :ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。 

【五】 羅襪:うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。


却下水精簾、玲瓏望秋月。
御殿奥の閨に水晶簾をさっとおろすと、あきらめたものの何度も振り向いてみる。水精簾の玲瓏としてあかるい隙間からは、秋の澄んだ月を望んで、思いに堪えられないことに苦しむ。

【六】 却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。 

【七】 精簾:水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。

【八】 玲瓏:玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」 

【九】 望秋月:待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。

 

 

李白 玉階怨 【字解】

 

     玉階 大理石の後宮のきざはし。外を誰かが通っていても玉階からの音で誰だかわかる。大理石に響く靴の音はそれぞれの人で違うのだ。ほかの通路とは違う意味を持っている。 

     生白露 夜もすっかり更けて、夜露が降りてきた。時間が経ったことをいう。

     夜久 待つ夜は長く。 

     侵 ここでは(夜露が足袋に)浸みてくること。 

     羅襪 うすぎぬのくつした。 ・襪:〔べつ〕くつした。足袋。 足袋だけ薄絹をつけているのではなく全身である。したがって艶めかしさの表現である。

     却下:下ろす。 ・水:うるおす。水に流す。水とか紫烟は男女の交わりを示す言葉。 

     精簾 水晶のカーテン。窓際につける外界と屋内を隔てる幕。今夜もだめか! 思いのたけはつのるだけ。

     玲瓏 玉(ぎょく)のように光り輝く。この「玲瓏」の語は、月光の形容のみではなく、「水精簾」の形容も副次的に兼ねており、「透き通った『水精簾』を通り抜けてきた月光」というかけことばとして、全体の月光のようすを形容している。「却下・水・精簾+玲瓏・望・秋月。」 

     望秋月 待ちながらただ秋の月を眺め望んでいる。 ・望:ここでの意味は、勿論、「眺める」だが、この語には「希望する、待ち望む」の意があり、そのような感じを伴った「眺める」である。

 

tsuki001 

 

 

 

謝朓①玉階怨
夕殿下珠簾,流螢飛復息。
長夜縫羅衣,思君此何極。


大理石のきざはしで区切られた中にいての満たされぬ思い。
夕方になると後宮では、玉で作ったスダレが下される。飛び交えるのはホタルで、飛んだり、とまったり繰り返している。
長い夜を一人で過ごすために、あなたに着てもらうためのうすぎぬのころもを縫っている。あなたを思い焦がれる気持ちは、いつ終わる時があるのだろうか。



(玉階の怨み)
夕殿 珠簾を下し,流螢は 飛びて 復た 息【いこ】う。
長夜 羅衣を 縫ひ,君を思ひて 此に なんぞ 極まらん。

 

 

 

 

いわゆる閏怨の詩で、寵愛を失い愛するお方の訪れの無いままに、長い秋の夜を過ごす宮女の身になって作ったものである。『玉台新詠』巻一〇。

玉階怨

夕殿下珠簾,流螢飛復息。

長夜縫羅衣,思君此何極。

(玉階の怨み)
夕殿 珠簾を下し,流螢は 飛びて 復た 息【いこ】う。
長夜 羅衣を 縫ひ,君を思ひて 此に なんぞ 極まらん。

 

玉階の怨み

夕方の殿舎には珠簾が下ろされ

流れる蛍が 飛んでは復た息んでいる

長い秋の夜 私は羅の衣を縫いながら

あなたのことを いつまでも思い続ける

 

 

1 玉階怨【字解】

  玉階 玉で作られた、きざはし (宮殿に登る階段)。その階段の上にある建物に、此の詩に出てくる妃嬪が住んでいるのであろう。

  珠簾珠を綴った簾。

  流蛍珠簾の向側を流れてゆく蛍の光。

  飛復息 スーツと動いては復た止まっている。待ちつづけて珠簾ごしに外を見つめている女の目に映る情景を描いている。

  長夜秋の夜長に。

  縫羅衣「羅衣」は、愛する男のためのものであろう。

  一針一針、時々深い溜め息をつきながら縫っている姿が目に浮かぶようである。

  思君「古詩十九首」に「思君令人老、歳月忽巳晩」(君を思へば人をして老いしむ、歳月 忽ち己に晩れぬ) のように使われている。

 

 

玉階怨
楽府相和歌辞・楚調曲。『古詩源』巻十二にも録されている。


夕殿下珠簾、流螢飛復息。
夕方になると後宮では、玉で作ったスダレが下される。飛び交えるのはホタルで、飛んだり、とまったり繰り返している。
・夕殿:夕方の宮殿で。 ・下:おろす。 ・珠簾:玉で作ったスダレ。 ・流螢:飛び交うホタル。 ・飛復息:飛んでは、また、とまる。飛んだりとまったりすることの繰り返しをいう。・息 とまる。文の終わりについて、語調を整える助詞。


長夜縫羅衣、思君此何極。
長い夜を一人で過ごすために、あなたに着てもらうためのうすぎぬのころもを縫っている。あなたを思い焦がれる気持ちは、いつ終わる時があるのだろうか。 
・長夜:夜もすがら。普通、秋の夜長や冬の長い夜をいうが、一人待つ夜は長い。ホタルのように私もあなたのもとに飛べればいいのにそれはできない。せめてあなたにまとってもらいたい肌着を作っている。 ・縫:ぬう。 ・羅衣:うすぎぬのころも。肌着。・思君:貴男を思い焦がれる。 ・此:ここ。これ。 ・何極:終わる時があろうか。

743年(34)李白352 巻四15-《塞上曲》(大漢無中策,) 352Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(34) <李白352> Ⅰ李白詩1692 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7008

李白   塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。

(太宗、即位して間もなく、突厥が長安、渭橋の北まで入寇した、太宗は僅か6騎を伴い渭水のほとりに御幸し、頡利と語り、「渭水之盟」をなし、突厥は唐から引き上げた。数年後には、西北方の遊牧諸部族をことごとく唐朝の支配とした。)

むかしから、塞外の夷狄を控制するのは、とても困難なことであり、大漢は、7266月、「玄武門の変」もあり、内乱状態で、わづかに下策を得たものと称し、中策にすらも達しなかった。そこで、太宗いまだ即位のない7月、突厥、匈奴は、長安の近郊まで押し寄せて、渭橋の北に陣を敷くことさえあった。その年、北限の領域である五原郡が、秋草、なお緑である頃というのに、胡馬は、南下して、その勢も凄じいものであった。そこで、漢の方、太宗は、李勣・李靖を登用して大将を命じて、北から西域の極地までも遠征させた、到るところ、種族、酋族、匈奴を撃破して、西は天山山脈、北は陰山山脈を越えることがないように横行し、族長たちは長安に集結し太宗に天可汗の称号を奉上したのである。かくて、燕支山がひとたび漢軍の手に落ちてから、方游牧民族の歌謠に云う「匈奴の婦女は、花の如き顔色も無くなった」と。漢兵は、頻りに轉戦して、黄河を渡って、有史以来最大の領土となったのだが、いよいよ兵を休めて凱旋することになり、その楽しみも、非常にたくさんあるのである。今しも、万里の塞外、胡塵はのこりなく、静まり、見わたすかぎり、蕭條として邊なく、澣海も寂として、立ち騒ぐ波さえもなくなるということになったのである。

743年(34)李白352 巻四15-《塞上曲》(大漢無中策,) 352Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-34) <李白352> Ⅰ李白詩1692 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7008

 

 
  2015年12月3日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(34)李白352 巻四15-《塞上曲》(大漢無中策,) 352Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(34) <李白352> Ⅰ李白詩1692 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7008  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈109《 巻九02宿龍宮灘》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1605> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7009  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#4杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》#4 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#4 <1066> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7010   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七46浣溪沙九首其九》『花間集』348全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7012  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:       天寶二年

寫作時間:           743

寫作年紀:           43

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞上曲

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              陰山 ( 豐州 陰山)    

刪丹山 (隴右道東部 甘州 刪丹) 別名:燕支山、焉支山           

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)             

五原 ( 鹽州 五原)   

交遊人物/地點:  

 

 

塞上曲

(太宗、即位して間もなく、突厥が長安、渭橋の北まで入寇した、太宗は僅か6騎を伴い渭水のほとりに御幸し、頡利と語り、「渭水之盟」をなし、突厥は唐から引き上げた。数年後には、西北方の遊牧諸部族をことごとく唐朝の支配とした。)

大漢無中策,匈奴犯渭橋。

むかしから、塞外の夷狄を控制するのは、とても困難なことであり、大漢は、7266月、「玄武門の変」もあり、内乱状態で、わづかに下策を得たものと称し、中策にすらも達しなかった。そこで、太宗いまだ即位のない7月、突厥、匈奴は、長安の近郊まで押し寄せて、渭橋の北に陣を敷くことさえあった。

五原秋草綠,胡馬一何驕。

その年、北限の領域である五原郡が、秋草、なお緑である頃というのに、胡馬は、南下して、その勢も凄じいものであった。

命將征西極,橫行陰山側。

そこで、漢の方、太宗は、李勣・李靖を登用して大将を命じて、北から西域の極地までも遠征させた、到るところ、種族、酋族、匈奴を撃破して、西は天山山脈、北は陰山山脈を越えることがないように横行し、族長たちは長安に集結し太宗に天可汗の称号を奉上したのである。

燕支落漢家,婦女無華色。

かくて、燕支山がひとたび漢軍の手に落ちてから、方游牧民族の歌謠に云う「匈奴の婦女は、花の如き顔色も無くなった」と。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。

漢兵は、頻りに轉戦して、黄河を渡って、有史以来最大の領土となったのだが、いよいよ兵を休めて凱旋することになり、その楽しみも、非常にたくさんあるのである。

蕭條清萬里,瀚海寂無波。

今しも、万里の塞外、胡塵はのこりなく、静まり、見わたすかぎり、蕭條として邊なく、澣海も寂として、立ち騒ぐ波さえもなくなるということになったのである。

 

(塞上曲)

大漢 中策無く,匈奴 渭橋を犯す。

五原 秋草綠なる,胡馬 一に何ぞ驕れる。

將に命じ 西極を征し,橫行す 陰山の側。

燕支 漢家に落ち,婦女に華色無し。

轉戰 黃河を渡り,休兵 樂事 多し。

蕭條 萬里に清み,瀚海 寂として波無し。

 

『塞上曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。

(下し文)
(塞上曲)

大漢 中策無く,匈奴 渭橋を犯す。

五原 秋草綠なる,胡馬 一に何ぞ驕れる。

將に命じ 西極を征し,橫行す 陰山の側。

燕支 漢家に落ち,婦女に華色無し。

轉戰 黃河を渡り,休兵 樂事 多し。

蕭條 萬里に清み,瀚海 寂として波無し。

(現代語訳)
塞上曲(太宗、即位して間もなく、突厥が長安、渭橋の北まで入寇した、太宗は僅か6騎を伴い渭水のほとりに御幸し、頡利と語り、「渭水之盟」をなし、突厥は唐から引き上げた。数年後には、西北方の遊牧諸部族をことごとく唐朝の支配とした。)

むかしから、塞外の夷狄を控制するのは、とても困難なことであり、大漢は、7266月、「玄武門の変」もあり、内乱状態で、わづかに下策を得たものと称し、中策にすらも達しなかった。そこで、太宗いまだ即位のない7月、突厥、匈奴は、長安の近郊まで押し寄せて、渭橋の北に陣を敷くことさえあった。

その年、北限の領域である五原郡が、秋草、なお緑である頃というのに、胡馬は、南下して、その勢も凄じいものであった。

そこで、漢の方、太宗は、李勣・李靖を登用して大将を命じて、北から西域の極地までも遠征させた、到るところ、種族、酋族、匈奴を撃破して、西は天山山脈、北は陰山山脈を越えることがないように横行し、族長たちは長安に集結し太宗に天可汗の称号を奉上したのである。

かくて、燕支山がひとたび漢軍の手に落ちてから、方游牧民族の歌謠に云う「匈奴の婦女は、花の如き顔色も無くなった」と。

漢兵は、頻りに轉戦して、黄河を渡って、有史以来最大の領土となったのだが、いよいよ兵を休めて凱旋することになり、その楽しみも、非常にたくさんあるのである。

今しも、万里の塞外、胡塵はのこりなく、静まり、見わたすかぎり、蕭條として邊なく、澣海も寂として、立ち騒ぐ波さえもなくなるということになったのである。


(訳注)

塞上曲

(太宗、即位して間もなく、突厥が長安、渭橋の北まで入寇した、太宗は僅か6騎を伴い渭水のほとりに御幸し、頡利と語り、「渭水之盟」をなし、突厥は唐から引き上げた。数年後には、西北方の遊牧諸部族をことごとく唐朝の支配とした。)

 

大漢無中策,匈奴犯渭橋。

むかしから、塞外の夷狄を控制するのは、とても困難なことであり、大漢は、7266月、「玄武門の変」もあり、内乱状態で、わづかに下策を得たものと称し、中策にすらも達しなかった。そこで、太宗いまだ即位のない7月、突厥、匈奴は、長安の近郊まで押し寄せて、渭橋の北に陣を敷くことさえあった。

64】 大漢無中策 太宗は即位直前に和議を結んでいた突厥の侵攻を受ける。『旧唐書』によれば、怒りにまかせた太宗は僅か6騎を伴い渭水に布陣した突厥軍の前に立ち突厥の協定違反を責めた。その態度に恐れをなした突厥は唐から引き上げたと記録されているが、これは太宗の勇猛さを誇張した内容であり、太宗を追った唐軍との対決を避けて撤退したとも、または突厥に対し貢物を贈り撤退を依頼したとも言われている、[渭水之盟、「便橋會盟」]

就在玄武門之變後,突厥「頡利可汗」乘唐朝亂,大舉入侵。太宗遣尉遲敬德出戰,大敗突厥。未幾,頡利又再入侵,到達渭水便橋,並遣使臣到長安示威。太宗於是親率六騎到渭水,與頡利隔河相會,數頡利背棄盟約,這時唐朝大軍亦陸續到達。頡利見唐軍軍容鼎盛,以為無隙可乘,於是於太宗議和,隨即北歸,此即為「便橋會盟」。

629年(貞観3年)、充実した国力を背景に突厥討伐を実施する。李勣・李靖を登用して出兵し、630年(貞観4年)には突厥の頡利可汗を捕虜とした。これにより突厥は崩壊し、西北方の遊牧諸部族が唐朝の支配下に入ることとなった。族長たちは長安に集結し太宗に天可汗の称号を奉上する。天可汗は北方遊牧民族の君主である可汗より更に上位の君主を意味する称号であり、唐の皇帝は、中華の天子であると同時に北方民族の首長としての地位も獲得することとなった。

(29)渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。①中渭橋は秦の時、始めて設置され,本らいの名称は橫橋という ②東渭橋 は紀元前145年、漢の景帝五年に建置され,涇水が渭水に合流した下流の 東側に位置する。③西渭橋 は紀元前138年、漢の建元三年建置,長安城の便門に相對し,便橋 或は 便門橋という 。唐じだいには 咸陽橋と名づけられ,長安から 人、客を西行する場合に送別のため、多く此地に到って相い別れをした。

 

五原秋草綠,胡馬一何驕。

その年、北限の領域である五原郡が、秋草、なお緑である頃というのに、胡馬は、南下して、その勢も凄じいものであった。

66】 五原初は郡名、後には縣名、漢め五原郡は、縣十を領して、延袤甚だ廣かった。漢代に,現在のフフホト (呼和浩特) 付近を中心に,内モンゴルの南部におかれた郡。秦代には九原郡といったが,漢初,匈奴に占領されていたのを前漢の武帝が奪い返して五原と改めた。黄河最北流地点付近。

 

命將征西極,橫行陰山側。

そこで、漢の方、太宗は、李勣・李靖を登用して大将を命じて、北から西域の極地までも遠征させた、到るところ、種族、酋族、匈奴を撃破して、西は天山山脈、北は陰山山脈を越えることがないように横行し、族長たちは長安に集結し太宗に天可汗の称号を奉上したのである。

67】 陰山 北塞外、突厥の領域南側に位置する山脈を言う。中国北部,内モンゴル (蒙古) 自治区中部,ホワン () 河大湾曲部の北にある地塊山地。東西 400kmにわたって標高 15002000mの山が連なる。主脈のターチンシャン (大青山) 山脈は南方のホータオ (河套) 平原から比高 1000mの断崖をなして屹立しているが,北斜面はモンゴル高原にゆるやかに低下する。

 

燕支落漢家,婦女無華色。

かくて、燕支山がひとたび漢軍の手に落ちてから、方游牧民族の歌謠に云う「匈奴の婦女は、花の如き顔色も無くなった」と。

68】 燕支 《記正義括地志》史に焉支山と云う、一名、丹山は甘州/縣に在る、東南五十里。 また、《西河舊事》に祈連・燕支二山は 張掖・酒泉二界の上に在り、 東西二百餘里、南北百里、松柏五木有り、水草美しく、冬は温く、夏は凉し。畜牧に宜し匈奴はこの二山を失ったとき、乃ち歌って曰く「我、祈連山を失い、我、六畜 蕃息できず使む、我燕支山を失い、我が婦女は顔色無らしむ。」と。

69】 婦女無華色 北方游牧民族の歌謠に云う:「我が燕支山を失い,我が婦女は顏色を無わせしむ,我が祈連山を失い,我が六畜は蕃息せざらしむ。」と。北方游牧民族歌謠云:「失我燕支山,使我婦女無顏色,失我祈連山,使我六畜不蕃息。」〔蕃息:盛んにふえること。繁殖すること。〕

 

轉戰渡黃河,休兵樂事多。

漢兵は、頻りに轉戦して、黄河を渡って、有史以来最大の領土となったのだが、いよいよ兵を休めて凱旋することになり、その楽しみも、非常にたくさんあるのである。

70】休兵樂事多 太宗による、「貞観の治」各地に盗賊もなく徳の政治が行われた。

 

蕭條清萬里,瀚海寂無波。

今しも、万里の塞外、胡塵はのこりなく、静まり、見わたすかぎり、蕭條として邊なく、澣海も寂として、立ち騒ぐ波さえもなくなるということになったのである。

71】 澣海 東西南北、その橋は崖があり、大海とつながるいわゆる四海、此処では、北海の名、今のバイカル湖だろうといわれている。

 

 


李白32 塞上曲  李白

大漢無中策。 匈奴犯渭橋。 五原秋草綠。胡馬一何驕。

命將征西極。 橫行陰山側。 燕支落漢家。 婦女無華色。

轉戰渡黃河。休兵樂事多。 蕭條清萬里。 瀚海寂無波。 

 

 


続きを読む

743年(33)李白351 巻四13-《塞下曲六首之六》(烽火動沙漠,) 351Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(33) <李白351> Ⅰ李白詩1691 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7003

李白  塞下曲,六首之六

烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。

兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。

(古代より、秋になれば北辺に匈奴が入寇してくると、戦鼓が山隴の下まで響き渡って聞こえてくると、のろしを上げて、朝廷に知らせが届けられ、李廣将軍のような人と従軍できるなら、縦横無尽に戦い功績を挙げたいものである)

秋になって、匈奴が北辺に入寇したというので、烽火がゴビの砂漠のほとりにあがると、つぎつぎに伝えられ、雲まで照らして甘泉宮にまでとどく。漢家の天子は赫怒され、剣に手をかけて起ち上られ、又もや李廣李将軍のような名将軍を召されて、急きょその地に赴き是を、これを防がしめる。戦争のきざしが天の上でおこったとすれば、太鼓の音が陝西と甘粛のさかいにある大きな坂、山隴の下まで響き渡って聞こえる。

従軍することになれば、平生の勇気を恃んで、匈奴の中を縦横無尽に横行し、妖氛を鎮め、必ず匈奴を追いまくりたいと思っている。

743年(33)李白351 巻四13-《塞下曲六首之六》(烽火動沙漠,) 351Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-33) <李白351> Ⅰ李白詩1691 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7003

 

 
  2015年12月2日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(33)李白351 巻四13-《塞下曲六首之六》(烽火動沙漠,) 351Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(33) <李白351> Ⅰ李白詩1691 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7003  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈108-#4《 巻七21譴瘧鬼》 #4 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1604> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7004  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#3杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#3 <1065> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7005  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七45浣溪沙九首其八》『花間集』347全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7007  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

 

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

 

(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

 

年:743年天寶二年43歳 94-30

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)             

 

 

塞下曲,六首之三

(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

陣解星芒盡,營空海霧消。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

 

(塞下曲,六首之三)

駿馬は風飆の似く,鞭を鳴らして渭橋を出づ。

弓を彎いて 漢月を辭し,羽を插んで 天驕を破る。

陣は解けて 星芒 盡き,營は空しゅうして 海霧 消ゆ。

功 成って 麟閣に畫かれるは,獨り 霍嫖姚 有るのみ。

 

塞下曲,六首之四

(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。

無時獨不見,流淚空自知。

二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。

 

塞下曲,六首之五

(なぜ出征しなければいけないのか、どうやって徴発するのか、軍中の秋景を述べ、翻って少婦の怨嗟する情をのべた)

塞虜乘秋下,天兵出漢家。

秋の季節になると、国境のえびす、匈奴は、西風に乗るかのように邊塞にきまって「下り」また「入寇」する。漢の朝廷はこれを征伐するために「天兵」といわれる天子の軍隊を差し向けられる。
將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

将軍は、天子から軍兵徴発の用の銅虎符、軍兵以外徴発の用に充てられる竹使符をいただき、兵隊は白竜堆の砂漠、ゴビの砂漠で夜営する。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。

軍中の秋景といえば国境の三日月は、弓の影のようにまるく、砂漠の霜は、剣、武具、甲冑の上に降りかかって花を咲かせる。

玉關殊未入,少婦莫長嗟。

しかし、出征してこの地に来たものは、生きて帰り、再び玉門関に入ろうなど、思いもよらぬことだから、閨中のわかい嫁は、その夫を思って長いため息をつかないわけにはいくまい。この征夫と少婦とをこのような状態にしたのは、だれなのか、しかしどうにもならないことなのである。

(塞下曲,六首の五)

塞虜 秋に乘じて下り,天兵 漢家を出づ。

將軍は虎竹を分かち,戰士は龍沙に臥す。

邊月 弓影に隨い,胡霜 劍花を拂う。
玉關 殊に未だ入らず,少婦 長嗟すること莫れ

8世紀唐と周辺国00 

年:743年天寶二年43歳 94-33

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之六

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              甘泉宮 (京畿道 京兆府 雲陽) 別名:雲陽宮  

交遊人物/地點:  

 

塞下曲,六首之六

(古代より、秋になれば北辺に匈奴が入寇してくると、戦鼓が山隴の下まで響き渡って聞こえてくると、のろしを上げて、朝廷に知らせが届けられ、李廣将軍のような人と従軍できるなら、縦横無尽に戦い功績を挙げたいものである)

烽火動沙漠,連照甘泉雲。

秋になって、匈奴が北辺に入寇したというので、烽火がゴビの砂漠のほとりにあがると、つぎつぎに伝えられ、雲まで照らして甘泉宮にまでとどく。

漢皇按劍起,還召李將軍。

漢家の天子は赫怒され、剣に手をかけて起ち上られ、又もや李廣李将軍のような名将軍を召されて、急きょその地に赴き是を、これを防がしめる。

兵氣天上合,鼓聲隴底聞。

戦争のきざしが天の上でおこったとすれば、太鼓の音が陝西と甘粛のさかいにある大きな坂、山隴の下まで響き渡って聞こえる。

橫行負勇氣,一戰淨妖氛。

従軍することになれば、平生の勇気を恃んで、匈奴の中を縦横無尽に横行し、妖氛を鎮め、必ず匈奴を追いまくりたいと思っている。

 

(塞下曲,六首の六)

蜂火 沙漠に動き、連【しき】りに照らす 甘泉の雲。

漢皇 剣を按じて起ち、還た 召す 李将軍。

兵気 天上に合し、鼓声 隴底に聞こゆ。

横行して 勇気を負い、一戦 妖氛を静めん。

塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。


○韻 雲、軍、官、氛。
安史の乱期 勢力図 002 

続きを読む

743年(32)李白350 巻四12-《塞下曲六首之五》(塞虜乘秋下,) 350Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(32) <李白350> Ⅰ李白詩1690 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6998

李白  塞下曲,六首之五

塞虜乘秋下,天兵出漢家。將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。玉關殊未入,少婦莫長嗟。

(なぜ出征しなければいけないのか、どうやって徴発するのか、軍中の秋景を述べ、翻って少婦の怨嗟する情をのべた)

秋の季節になると、国境のえびす、匈奴は、西風に乗るかのように邊塞にきまって「下り」また「入寇」する。漢の朝廷はこれを征伐するために「天兵」といわれる天子の軍隊を差し向けられる。将軍は、天子から軍兵徴発の用の銅虎符、軍兵以外徴発の用に充てられる竹使符をいただき、兵隊は白竜堆の砂漠、ゴビの砂漠で夜営する。軍中の秋景といえば国境の三日月は、弓の影のようにまるく、砂漠の霜は、剣、武具、甲冑の上に降りかかって花を咲かせる。しかし、出征してこの地に来たものは、生きて帰り、再び玉門関に入ろうなど、思いもよらぬことだから、閨中のわかい嫁は、その夫を思って長いため息をつかないわけにはいくまい。この征夫と少婦とをこのような状態にしたのは、だれなのか、しかしどうにもならないことなのである。

743年(32)李白350 巻四12-《塞下曲六首之五》(塞虜乘秋下,) 350Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-32) <李白350> Ⅰ李白詩1690 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6998

 

 
  2015年12月1日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(32)李白350 巻四12-《塞下曲六首之五》(塞虜乘秋下,) 350Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(32) <李白350> Ⅰ李白詩1690 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6998  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈108-#3《 巻七21譴瘧鬼》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1603> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6999  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#2杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#2 <1064> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7000   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七44浣溪沙九首其七》『花間集』346全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7002  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-32

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之五

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門  

 

 

塞下曲,六首之五

(なぜ出征しなければいけないのか、どうやって徴発するのか、軍中の秋景を述べ、翻って少婦の怨嗟する情をのべた)

塞虜乘秋下,天兵出漢家。

秋の季節になると、国境のえびす、匈奴は、西風に乗るかのように邊塞にきまって「下り」また「入寇」する。漢の朝廷はこれを征伐するために「天兵」といわれる天子の軍隊を差し向けられる。
將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

将軍は、天子から軍兵徴発の用の銅虎符、軍兵以外徴発の用に充てられる竹使符をいただき、兵隊は白竜堆の砂漠、ゴビの砂漠で夜営する。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。

軍中の秋景といえば国境の三日月は、弓の影のようにまるく、砂漠の霜は、剣、武具、甲冑の上に降りかかって花を咲かせる。

玉關殊未入,少婦莫長嗟。

しかし、出征してこの地に来たものは、生きて帰り、再び玉門関に入ろうなど、思いもよらぬことだから、閨中のわかい嫁は、その夫を思って長いため息をつかないわけにはいくまい。この征夫と少婦とをこのような状態にしたのは、だれなのか、しかしどうにもならないことなのである。

(塞下曲,六首の五)

塞虜 秋に乘じて下り,天兵 漢家を出づ。

將軍は虎竹を分かち,戰士は龍沙に臥す。

邊月 弓影に隨い,胡霜 劍花を拂う。
玉關 殊に未だ入らず,少婦 長嗟すること莫れ


李白の足跡0000

『塞下曲,六首之五』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之五

塞虜乘秋下,天兵出漢家。

將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。

玉關殊未入,少婦莫長嗟。

(下し文)
(塞下曲,六首の五)

塞虜 秋に乘じて下り,天兵 漢家を出づ。

將軍は虎竹を分かち,戰士は龍沙に臥す。

邊月 弓影に隨い,胡霜 劍花を拂う。
玉關 殊に未だ入らず,少婦 長嗟すること莫れ。


(現代語訳)
塞下曲,六首之五(なぜ出征しなければいけないのか、どうやって徴発するのか、軍中の秋景を述べ、翻って少婦の怨嗟する情をのべた)

秋の季節になると、国境のえびす、匈奴は、西風に乗るかのように邊塞にきまって「下り」また「入寇」する。漢の朝廷はこれを征伐するために「天兵」といわれる天子の軍隊を差し向けられる。
将軍は、天子から軍兵徴発の用の銅虎符、軍兵以外徴発の用に充てられる竹使符をいただき、兵隊は白竜堆の砂漠、ゴビの砂漠で夜営する。

軍中の秋景といえば国境の三日月は、弓の影のようにまるく、砂漠の霜は、剣、武具、甲冑の上に降りかかって花を咲かせる。

しかし、出征してこの地に来たものは、生きて帰り、再び玉門関に入ろうなど、思いもよらぬことだから、閨中のわかい嫁は、その夫を思って長いため息をつかないわけにはいくまい。この征夫と少婦とをこのような状態にしたのは、だれなのか、しかしどうにもならないことなのである。


(訳注)

塞下曲,六首之五

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

出塞、入塞等の曲は、漢代に李延年が造ったが、唐になると、塞上、塞下等の諸曲がついで起って、いづれも邊塞の事を歌って居る。元来、出塞、入塞等は、主として従軍中に於ける悲愴凄惨の意をうつして居るが、李白の此曲は、非常に雄壮なる調子である。開元,天寶の盛時に於で、哥舒翰、安緑山等は、吐蕃回紇と大戦を試みたことがあって、この詩の作は、恰もその時にあたって居るから、すこしも、悲哀の意を帯びず、いわば兵士を鼓舞するような精神を以てしたのである。この六首はほぼ、順序だっていて、意味が一貫している。

 

塞虜乘秋下,天兵出漢家。

秋の季節になると、国境のえびす、匈奴は、西風に乗るかのように邊塞にきまって「下り」また「入寇」する。漢の朝廷はこれを征伐するために「天兵」といわれる天子の軍隊を差し向けられる。
○この詩は唐詩選にとられている。

【1】  塞虜乘秋下 匈奴は寒くなると南下し、「入寇」する。西方からはその地が長安、中元から見て天上のように高いから「下る」という。・塞虜 国境のえびす。匈奴をののしって言った言葉。

【2】  天兵 天子の軍隊。

【3】  漢家 漢の朝廷。歴代の王朝家。ここではそうした歴代王朝の礎の下の唐王朝を言う。

 

將軍分虎竹,戰士臥龍沙。
将軍は、天子から軍兵徴発の用の銅虎符、軍兵以外徴発の用に充てられる竹使符をいただき、兵隊は白竜堆の砂漠、ゴビの砂漠で夜営する。

【4】  虎竹 兵士を徴発する時に用いる剖符。銅片又は竹片を用い、虎の形を刻み、まっぷたつに割り、半分はみやこに留め、あと半分は各地の将軍にあたえる。「牌符」或いは「符節」とは、本来、権威の表象を目的として作られた一種の「タプレット」の謂であり、古くから中國に打われた制度であるか、時代に従って、その名称と形状を異にしている。その用途としては、例えば、信任状とし乙肩車・大守に与え、或いは、使者に給して軍兵・驛馬徴発の権限を賦與する證票としたものである。漢書に「銅虎符は軍兵徴発の用に、竹使符は軍兵以外徴発の用に充てられ、この他、驛馬徴発のため公用旅行者に授けた「木傅信」、関門出入の證票として一般旅行者に與えた「繻符」の制があった。 銅虎符は、鑄銅製であり、虎形を作っている。羅振玉の「歴代符牌圖録」に収めてある「桂陽大守虎符」等の八個の拓本は、均しくこの銅虎符である。 符は素より信任状の用をなすのであるか、右牛・左半の二片に作られ京師にその右半を留め、左半を地方長官に交付した。軍兵を地方に徴する時、朝廷は右半を使臣に與え、使臣はこれを携えて地方に赳くのであるか、長官は自らの所持する左半と勘合し、始めて正常の使臣であることを承認するのである。  

【5】  竜沙 白竜堆の砂漠、つまり今の蒙古のゴビの砂漠。

 

邊月隨弓影,胡霜拂劍花
軍中の秋景といえば国境の三日月は、弓の影のようにまるく、砂漠の霜は、剣、武具、甲冑の上に降りかかって花を咲かせる。

【6】  胡霜 胡地の霜

【7】  邊月 国境の月。三日月を言う。

 

玉關殊未入,少婦莫長嗟。
しかし、出征してこの地に来たものは、生きて帰り、再び玉門関に入ろうなど、思いもよらぬことだから、閨中のわかい嫁は、その夫を思って長いため息をつかないわけにはいくまい。この征夫と少婦とをこのような状態にしたのは、だれなのか、しかしどうにもならないことなのである。

【8】  玉関 玉門関の略。中国本部からの出口に当る関所。甘粛省の西北端にあり、現在は油田開発の町。当時はここを出て戦地に行けば、ちょっと戻れない。

【9】  少婦 わかいよめ。

 長安城図 作図00

塞下曲,六首之五

塞虜乘秋下,天兵出漢家。

將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。

玉關殊未入,少婦莫長嗟。(塞下曲,六首の五)

塞虜 秋に乘じて下り,天兵 漢家を出づ。

將軍は虎竹を分かち,戰士は龍沙に臥す。

邊月 弓影に隨い,胡霜 劍花を拂う。
玉關 殊に未だ入らず,少婦 長嗟すること莫れ。

 

【字解】

  塞虜乘秋下 匈奴は寒くなると南下し、「入寇」する。西方からはその地が長安、中元から見て天上のように高いから「下る」という。・塞虜 国境のえびす。匈奴をののしって言った言葉。

  天兵 天子の軍隊。漢家 漢の朝廷。歴代の王朝家。ここではそうした歴代王朝の礎の下の唐王朝を言う。

   虎竹 兵士を徴発する時に用いる剖符。銅片又は竹片を用い、虎の形を刻み、まっぷたつに割り、半分はみやこに留め、あと半分は各地の将軍にあたえる。「牌符」或いは「符節」とは、本来、権威の表象を目的として作られた一種の「タプレット」の謂であり、古くから中國に打われた制度であるか、時代に従って、その名称と形状を異にしている。その用途としては、例えば、信任状とし乙肩車・大守に与え、或いは、使者に給して軍兵・驛馬徴発の権限を賦與する證票としたものである。漢書に「銅虎符は軍兵徴発の用に、竹使符は軍兵以外徴発の用に充てられ、この他、驛馬徴発のため公用旅行者に授けた「木傅信」、関門出入の證票として一般旅行者に與えた「繻符」の制があった。 銅虎符は、鑄銅製であり、虎形を作っている。羅振玉の「歴代符牌圖録」に収めてある「桂陽大守虎符」等の八個の拓本は、均しくこの銅虎符である。 符は素より信任状の用をなすのであるか、右牛・左半の二片に作られ京師にその右半を留め、左半を地方長官に交付した。軍兵を地方に徴する時、朝廷は右半を使臣に與え、使臣はこれを携えて地方に赳くのであるか、長官は自らの所持する左半と勘合し、始めて正常の使臣であることを承認するのである。

  竜沙 白竜堆の砂漠、つまり今の蒙古のゴビの砂漠。

  胡霜 胡地の霜。

  邊月 国境の月。三日月を言う。 

  玉関 玉門関の略。中国本部からの出口に当る関所。甘粛省の西北端にあり、現在は油田開発の町。当時はここを出て戦地に行けば、ちょっと戻れない。

  少婦 わかいよめ。

743年(31)李白349 巻四11-《塞下曲六首之四》(白馬黃金塞,) 349Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(31) <李白349> Ⅰ李白詩1689 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6993

李白  塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。

743年(31)李白349 巻四11-《塞下曲六首之四》(白馬黃金塞,) 349Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-31) <李白349> Ⅰ李白詩1689 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6993

 

 

 
  2015年11月30日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(31)李白349 巻四11-《塞下曲六首之四》(白馬黃金塞,) 349Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(31) <李白349> Ⅰ李白詩1689 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6993  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈108-#2《 巻七21譴瘧鬼》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1602> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6994  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-5-#1 杜甫 《20-98 鄭典設自施州歸》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-5-#1 <1063> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6995  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 李太白集  282《太白巻8-09贈瑕丘王少府》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6991 (11/29)  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七43浣溪沙九首其六》『花間集』345全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6997  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

年:743年天寶二年43歳 94-31

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之四

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

 

(塞下曲,六首の四)

白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。

那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。

螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。

摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。

時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。

 

塞下曲,六首之五

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

 

塞下曲,六首之六

烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。

兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。

 

塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。

 

安史の乱期 勢力図 0028世紀唐と周辺国00 

『塞下曲六首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

(下し文)
(塞下曲,六首の四)

白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。

那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。

螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。

摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。

時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。


(現代語訳)
塞下曲,六首之四(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。

涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。

二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。

どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。


(訳注)

塞下曲,六首之四

(白馬の将軍に従って西域の守りに就いた夫を思い、留守の家に残る夫との思い出のものを見て涙する嬬について述べる)

前後の各首は、主として、征人の上に就いて云ったが、この首は、打ってかわって、その征人を思ふ間中の少婦に就いて述べ、連作の上に一つの変化を添えたものである。

 

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。

吾夫は、白馬にまたがって、遥か西域の国境、黄金の塞にむかって出かけた、あの人を思うと、雲砂漠漠として夢をめぐり、それがどこだかはわからない。

【一】  白馬 白馬将軍。公孫瓚は白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。公孫瓚とは、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物。群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。

【二】  黃金塞 昔の国境の地名。今その場所はわからない。黄土の上に立つ塞。

 

那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

まして、秋になってゆくので、悲愁はましてきてくるしいじきとなる、遠く国境守備の人をおもうことの、まことに堪えることができないことである。

【三】  愁苦節 愁苦の時節。

 

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。

涼風が吹き込んでくる秋の窓辺には、秋のホタルがいっぱいに満ち、飛びかう。やがて、寂しい月は霜のふる閏中にゆっくりとした時間の経過の後、奥まで差し込んでくる。

 

摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

二人で過ごすとときには繁っていた梧桐の葉は、枯れて落ちしまい、沙棠の枝にこがらしが颯々として吹きなびいている。

【四】  梧桐葉 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

【五】  沙棠 昆崙山中にはえるといわれる珍木。沙棠―《山海經》「昆崙有沙棠木焉.   食之使人不溺。」(昆崙に沙棠あり、その実を食えば溺れず)《山海経・西山経》「有木焉,其狀如棠,黄華赤實,其味如李而無核,名曰沙棠,可以禦水,食之使人不溺。」とある。(木有り。其の状は棠の如し、華は黄で赤い実をなし、其の味は李の如くして核無し、名は沙棠と曰う、以て禦水にすべく、之を食わば使人をして溺れず。)と。漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。そのうつくしくめずらしいもののなかに棠梨の木四種があり、赤棠、白棠、青棠、沙棠であった。

【六】  摧殘 くだきやぶる。

【七】  粛颯 ものさびしい風の声。

 

無時獨不見,流淚空自知。

どんな時でも、吾が夫を幻の中、夢の中に見ないことはない、そうすると、こうして一人空しく涙を流すことしかないのである。

【八】  無時獨不見 いつまでも夫が帰らないことをいうのであろう。李白には下に示す《巻三30 獨不見》と題する楽府があり、その結びに「終然独不見、流涙空自知」という句があるほか、この詩と同じ語句が多い。無時は未詳。

年:743年天寶二年43歳 94-23

卷別:  卷一六三        文體:  樂府

詩題:  獨不見

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:黃龍城 (河北道北部 營州 柳城)    

天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山      

《巻三30 獨不見》

白馬誰家子、黃龍邊塞兒。天山三丈雪、豈是遠行時。

春蕙忽秋草、莎雞鳴曲池。風摧寒梭響、月入霜閨悲。

憶與君別年。 種桃齊蛾眉。桃今百余尺、花落成枯枝。

終然獨不見。 流淚空自知。

(獨り見えず

白馬たが家の子ぞ、 黄龍辺塞の児。
天山三丈の雪、あにこれ遠行の時ならんや。
春蕙たちまちに秋草 莎雞(さけい) 西池に鳴く。
風は寒棕(かんそう)を摧(くだ)いて響き、月は霜閨に入って悲しむ。
憶ふ君と別るるの年、桃を種ゑて蛾眉に斉し。
桃いま百余尺、花落ちて枯枝と成る。
終然としてひとり見えず、流涙むなしくみづから知る。

 

(思う人に逢えず、ひとりで空閏を守って居る意味を、女性の言葉で述べたので、李白も、亦た古辭の語意をとって、この一首を作ったのである。)

白馬に跨り、意気揚揚として、邊塞に出かけた彼の人は、今や契丹と対陣している北方の辺境地域の黄龍塞というところに駐屯して居るとのことである。

その地は、匈奴に接し、天山山脈といふ高い山々があって、その山頂には三丈の雪が常に積って居るそうで、とても行かれないというのを、無理に、険を冒して遠く従ったのである。

さて一度、良人に別れた後は、いつまで待てども、帰って来ることはなく、春、蘭恵が香をはっすると思って居る内に、忽ち変じて秋草の荒蕪となり、その秋草の間なる曲地の傍には、キリギリスの鳴き聲がする。

やがて、椶櫚の上に木枯しの風が吹きつけて、くだくような音を響かせて其皮が地上に散らばる。程なく、冬に成って、一人寝の閨の中に月が差し込む。

あなたを送り出した別離の年、桃の木を植えたのですそれは私の眉毛の大きさと同じくらいだったのです。そういうことが、年年続いて、いつまで待っても、黄龍邊塞に居る良人は、なかなか掃ってこない。

さきに、別れた其の年に、小さい桃の木を植えたが、人の背丈位で、わが眉のところまで届く位であったが、今は百余尺の高い木になって、花も咲き、実も結び、やがて、秋に成って、枯枝となった。

しかし、良人は矢張、歸ってこない。この分では、死ぬまでも歸らないかも知れないが、この悲しさを知る人もなく、唯だ自ら涙を流すのみである。

743年(24)李白343 -#2 巻三30-《獨不見》(白馬誰家子,) 343 -#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(24)Ⅰ李白詩1677 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6933

 

 

(塞下曲,六首の四)

白馬 黄金の塞、雲沙 夢思を繞る。

那んぞ堪えん 愁苦の節、遠く邊城の兒を憶うを。

螢飛んで 秋窗に滿ち、月は霜閏を度ること遲し。

摧殘す 梧桐の菓、蕭颯たり 沙棠の枝。

時として獨り見ざること無し、涙を流して 空しく自ずから知る。

 

 

【宇解】

  白馬 白馬将軍。公孫瓚は白馬に乗せた選りすぐりの精兵を率い、自身も武勇に優れていたことから「白馬長史」と呼ばれ、異民族からは恐怖の対象だった。「白馬将軍」の名でも知られる。公孫瓚とは、中国の東漢(後漢)〜三国時代初期の人物。群雄の一人として北平を中心に勢威を振るった。

  黃金塞 昔の国境の地名。今その場所はわからない。黄土の上に立つ塞。

  愁苦節 愁苦の時節。

  梧桐葉 月の宮殿のつがいの鳳凰が棲むという伝説の葉。玄宗と楊貴妃の愛の巣の表現に使われる。

  摧殘 くだきやぶる。

  粛颯 ものさびしい風の声。

  沙棠 昆崙山中にはえるといわれる珍木。沙棠―《山海經》「昆崙有沙棠木焉.   食之使人不溺。」(昆崙に沙棠あり、その実を食えば溺れず)《山海経・西山経》「有木焉,其狀如棠,黄華赤實,其味如李而無核,名曰沙棠,可以禦水,食之使人不溺。」とある。(木有り。其の状は棠の如し、華は黄で赤い実をなし、其の味は李の如くして核無し、名は沙棠と曰う、以て禦水にすべく、之を食わば使人をして溺れず。)と。漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。そのうつくしくめずらしいもののなかに棠梨の木四種があり、赤棠、白棠、青棠、沙棠であった。

  無時獨不見 いつまでも夫が帰らないことをいうのであろう。李白には「独不見」と題する楽府があり、その結びに「終然独不見、流涙空自知」という句があるほか、この詩と同じ語句が多い。無時は未詳。

 

 

漢の武帝は上林苑の建造を開始した時、群臣や遠方の諸侯の国は、各自、貴重な果実や珍しい樹木を献上し、その中には、また美しい名前の付いたものもあり、珍しくて美しいと評判であった。

 

梨の木十種:紫梨、青梨、(果実は大きい。)芳梨、(果実は小さい。)大谷梨、細葉梨、縹葉梨、金葉梨、(琅琊郡の王野家から出たもので、太守の王唐が献上した。)瀚海梨、(瀚海の北から出たもので、耐寒性で枯れない。)東王梨、(海中から出たもの。)紫條梨。

棗の木七種:弱枝棗、玉門棗、棠棗、青華棗、棗、赤心棗、西王棗。(崑崙山から出たもの。)

栗の木四種:侯栗、榛栗、瑰栗、嶧陽栗。(嶧陽都尉の曹龍が献上したもので、拳ぐらいの大きさ。)

桃の木十種:秦桃、桃、緗核桃、金城桃、綺葉桃、紫文桃、霜下桃、(霜が降りた後でも食べられる。)胡桃、(西域から出たもの。)櫻桃、含桃。

李の木十五種:紫李、緑李、朱李、黄李、青綺李、青房李、同心李、車下李、含枝李、金枝李、顏淵李、(魯の地から出たもの。)羌李、燕李、蠻李、侯李。

柰の木三種:白柰、紫柰、(花は紫色。)緑柰。(花は緑色。)

山査子の木三種:蠻査、羌査、猴査。

椑の木三種:青椑、赤葉椑、烏椑。

棠梨の木四種:赤棠、白棠、青棠、沙棠。

梅の木七種:朱梅、紫葉梅、紫花梅、同心梅、麗枝梅、燕梅、猴梅。

杏の木二種:文杏、(木には綾がある。)蓬萊杏。(東郡都尉の干吉が献上したもの。一本の杏の木の花には多くの種類の色が入り混じって、六枚の花辨があり、聞くところによれば仙人が食すると言われているそうだ。)

桐の木三種:椅桐、梧桐、荊桐。

林檎の木十本、枇杷の木十本、橙の木十本、安石榴の木十本、の木十本、白銀の木十本、黄銀の木十本、槐の木六百四十本、千年長生の木十本、万年長生の木十本、扶老の木十本、守宮槐の木十本、金明の木二十本、搖風の木十本、鳴風の木十本、琉璃の木七本、池離の木十本、離婁の木十本、楠の木四本、樅の木七本、白楡の木、杜の木、桂の木、蜀漆の木十本、桧の木十本、楔の木四本、楓の木四本。

743年(30)李白348 巻四10-《塞下曲六首之三》(駿馬似風飆,) 348Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(30) <李白348> Ⅰ李白詩1687 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6983

李白  塞下曲,六首之三

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。
(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

743年(30)李白348 巻四10-《塞下曲六首之三》(駿馬似風飆,) 348Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-30) <李白348> Ⅰ李白詩1687 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6983

 

 

 

 

20151128

の紀頌之5つのBlog

 

 

●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場

 

 

Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog

743年(30)李白348 巻四10-《塞下曲六首之三》(駿馬似風飆,) 348Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(30) <李白348> Ⅰ李白詩1687 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6983

 

 

孟浩然 詩 index

李白詩index

霊運 詩 index

司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》

揚雄 《 甘泉賦 》

●諸葛亮(孔明)出師表

 

 

曹植(曹子建)詩 65首 index

文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)

《李白 全詩》
  総合案内

(1)漁父辞 屈原

『楚辞・九歌』東君 屈原

《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>

 

 

●唐を代表する 中唐 韓愈 全500 

 

 

Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog

韓愈107 巻七19雜詩,四首之四》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1600 Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6984

 

 

・李商隠詩 (1) 136首の75

・李商隠詩 (2) 135首の61

●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41

●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27

●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36

●韓愈詩index-4 806年 39 江陵府・権知国子博士 51首(1)25

 

 

index-5 806年39歳 50首の(2)25

index-6[807年~809年 42歳]20

index-7[810年~811年 44歳] 34

index-8 [812年~814年47歳]46

index-9[815年~816年 49歳] 57

index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28

 

 

index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38

index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18

index-13 821年~822年 55歳 22

index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14

韓愈 哲学・儒学「五原

賦・散文・上奏文・碑文など

 

 

孟郊

張籍

 

 

 

 

 

 

●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"

 

 

Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog

767年-4杜甫 《20-97 寄裴施州》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56-4 <1061 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6985 

 

 

杜甫詩(1)736~751 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53

杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)

杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26

杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43

杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53

杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44

 

 

杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66

杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36

杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45

杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82

杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43

杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49

 

 

●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている

 

 

Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog

李太白集  281《太白巻8-08贈范金卿,二首之二》 李白 kanbuniinkai 紀 頌之の詩詞 fc2ブログ 6986 (11/28)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集

 

 

.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog

12孫光憲《巻七41浣溪沙九首其四》『花間集』343全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6987

 

 

薛濤の全詩

花間集(1

花間集(2

花間集(3

花間集(4

花間集(5

 

 

魚玄機全詩

花間集(6

花間集(7

花間集(8

花間集(9

花間集10

 

 

温庭66首 花間集1・2

皇甫松11首 花間集二巻

韋莊47首 花間集二巻

薛昭蘊19首 花間集三巻

31首 花間集三・四巻

張泌27首 花間集四巻

 

 

毛文錫31首 花間集5巻

牛希濟11首 花間集5巻

欧陽烱17首 花間集5・6

和凝20首 花間集6

顧夐56首 花間集6・7

孫光憲47首 花間集7・8

 

 

魏承班15首 花間集8・9

鹿虔6首 花間集9

閻選8首 花間集9

尹鶚6首 花間集9

毛熙震29首 花間集9・10

李珣39首 花間集10

 

 

 ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)

漢詩総合サイト 07ch

 

 

杜甫全詩案内

韓愈全詩案内

李白全集

文選

古詩源

花間集案内

 

 

  

塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

 

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

 

(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

 

年:743年天寶二年43歳 94-30

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣      

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)             

 

 

塞下曲,六首之三

(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

陣解星芒盡,營空海霧消。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

 

(塞下曲,六首之三)

駿馬は風飆の似く,鞭を鳴らして渭橋を出づ。

弓を彎いて 漢月を辭し,羽を插んで 天驕を破る。

陣は解けて 星芒 盡き,營は空しゅうして 海霧 消ゆ。

功 成って 麟閣に畫かれるは,獨り 霍嫖姚 有るのみ。

安史の乱期 勢力図 002 

『塞下曲,六首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之三

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。
詩文(含異文) 塞下曲,六首之三

駿馬似風飆【駿馬如風飆】,鳴鞭出渭橋。

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。


(下し文)
(塞下曲,六首之三)

駿馬は風飆の似く,鞭を鳴らして渭橋を出づ。

弓を彎いて 漢月を辭し,羽を插んで 天驕を破る。

陣は解けて 星芒 盡き,營は空しゅうして 海霧 消ゆ。

功 成って 麟閣に畫かれるは,獨り 霍嫖姚 有るのみ。

(現代語訳)
塞下曲,六首之三(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

8世紀唐と周辺国00
(訳注)

塞下曲,六首之三

(長安の西、渭橋を渡って西域の匈奴と勇敢に戦っても、皆が皆正当な評価を受けるわけではない)

 

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。

駿馬にまたがり、疾走するのは、さながら旋風をおこすが如くであり、さらに、これに鞭を鳴らし、長安の都を西に出でて渭橋を越えて、いよいよ征途に向かうことになった。

【一】  風飆 疾風。

【二】  渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。

 

彎弓辭漢月,插羽破天驕。

漢家の明月を背にし、弓を引き絞って白羽の矢を射る、さて、いよいよ戦争になり、矢をつがえて“いたずら坊主”の匈奴の単于を追いかけ、退けた。

【三】  插羽 李白の「胡無人」には「流星白羽腰間插」という句がある。白羽の矢を腰のあたりにさす。

【四】  天驕 えびすの王の単子が漢に僕をよこして「えびすは天の驕子である」と言った。驕子は我儘息子のこと。*遊牧・騎馬民族は常に牧草地を移動して生活をする。侵略も移動のうちである。略奪により、安定させる。定住しないで草原のテントで寝る、自然との一体感がきわめておおきく彼らからすると天の誇高き息子と自惚れた訳ではなかった。漢民族は、世界の中心、天の中心にあると思っているのに対して、天の息子が漢民族化するわけはない。漢書の匈奴伝に「胡は、天の驕子なり」とみえる、えびすは天の“いたずら坊や”であるといっている。

・李白《古風五十九首其十四》「借問誰凌虐、天驕毒威武。」(借問す 誰か陵虐す、天騎 威武を毒す。)

Index-28 《古風五十九首之十四》Index-28Ⅳ-3 749年天寶八年49歳526-#2古風,五十九首之十四胡關饒風沙, <Index-28> Ⅰ李白詩1163 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4363

 

・杜甫《留花門》「北門天驕子,飽肉氣勇決。」(花門は天の驕子【きょうし】、肉に飽きて気勇決【ゆうけつ】なり。)

留花門 #1 杜甫詩kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1004 杜甫特集700- 299

 

陣解星芒盡,營空海霧消。

それから、陣を引き払って凱旋となるときには、天上の星も、光芒すでに斂まって、兵気は方に散じ尽し、屯営の跡には海霧消えて、見わたすかぎり、さっぱりして、何等すさまじい景色もなくなっている。

【五】  星芒盡 星がはなつ矢のような光。中国の古代の迷信では、星のひかりが白色に変ると戦争のきざしと見た。後漢書「客星、芒気白きは兵たり」とある。

【六】  海霧 砂漠のみずうみに立ちこめた霧。 

 

功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

しかし、戦功全きに因って、麒麟閣にその像を畫かれるのは、本来、主将たる霍嫖姚、ただ一人であったのに、それすらないのである、ましてや、実際に戦った多くの勇士の功績などに及ばないのは、まことに遺憾である。

【七】  麟閣 麒麟閣の略。別に畫麟閣.雲嫖姚というもとは漢の高祖の時、蒲何が建てて、図書を蔵していたが、のち漢の宜帝は功臣を紀念して表彰するため、霍光等十一人の像を閣上に画かした。宣帝は戎狄が定まって皆、賓服 し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。麒麟閣十一臣は以下の通り。・大司馬大将軍博陸侯 姓霍氏、・衛将軍富平侯 張安世、・車騎将軍龍額侯 韓増、・後将軍営平侯 趙充国、・丞相高平侯 魏相、・丞相博陽侯 邴吉、・御史大夫建平侯 杜延年、・ 宗正陽城侯 劉徳、・少府 梁邱賀、・太子太傅 蕭望之、・典属国 蘇武

【八】  霍嫖姚 漢代の名将、霍去病。霍光の兄。漢の武帝の時に匈奴を防いで功があり、嫖姚校尉となった。麒麟閣にえがかれたのは、じつは弟の霍光であって、兄の霍去病ではない。李白の思いちがいかもしれないが、蘇武が十一番目であったりして、必ずしも功績の大きさで決められたものでない、ということを李白は言いたいのである。
長安城図 作図00 

743年(29)李白347 巻四09-《塞下曲六首之二》(天兵下北荒,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(29) <李白347> Ⅰ李白詩1686 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6978

李白  塞下曲,六首之二

天兵下北荒,胡馬欲南飲。橫戈從百戰,直為銜恩甚。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。何當破月氏,然後方高枕。

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

743年(29)李白347 巻四09-《塞下曲六首之二》(天兵下北荒,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-29) <李白347> Ⅰ李白詩1686 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6978

 

 

 
  2015年11月27日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(29)李白347 巻四09-《塞下曲六首之二》(天兵下北荒,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(29) <李白347> Ⅰ李白詩1686 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6978  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈106《 巻七18雜詩,四首之三》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1599> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6979  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-3杜甫 《20-96 自平》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-3 <1060> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6980  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七40浣溪沙九首其三》『花間集』342全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6982  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-29

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

 

(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

李白図102

『塞下曲,六首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之二

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

何當破月氏,然後方高枕。


(下し文)
(塞下曲,六首の二)

天兵 北荒を下り,胡馬 南に飲【みずか】わんと欲す。

戈を橫えて 百戰に從うは,直ちに恩を銜む甚じきが為なり。

雪を握って 海上に餐し,沙を拂うて隴頭に寢ぬ。

何ぞ當に月氏を破り,然る後 方に枕を高うすべき。

(現代語訳)
(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

三国鼎立時代の勢力図北斉
(訳注)

塞下曲,六首之二

(古代西域では、東胡と月氏が強盛であった。これらの國は、南下するのに衝突し漢の孝文帝の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺されたが、いまだに枕を高くして眠れるときは少ない。)

出塞、入塞等の曲は、漢代に李延年が造ったが、唐になると、塞上、塞下等の諸曲がついで起って、いづれも邊塞の事を歌って居る。元来、出塞、入塞等は、主として従軍中に於ける悲愴凄惨の意をうつして居るが、李白の此曲は、非常に雄壮なる調子である。開元,天寶の盛時に於で、哥舒翰、安緑山等は、吐蕃回紇と大戦を試みたことがあって、この詩の作は、恰もその時にあたって居るから、すこしも、悲哀の意を帯びず、いわば兵士を鼓舞するような精神を以てしたのである。この六首はほぼ、順序だっていて、意味が一貫している。

 

天兵下北荒,胡馬欲南飲。

天兵は、北方荒漠の地に討って出で、匈奴は之と反封に南に向って馬にみずを飲まそうとし、そこで、大衝突が起った。

【1】    飲 みづかふ。いい馬を多量に生産するために水を求めた。

 

橫戈從百戰,直為銜恩甚。

この間、式を横へて、かん百戦の役に従い、も辛苦を厭わざるは、従来國恩を銜むこと厚く、必ず之に報いむと欲するからである。

 

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。

そこで、ある時は、雪を握って、それを食しつつ、北海の邊に征戍し、ある時は、風に吹き捲きあがる砂を払いつつ、隴頭に臥し、その困難は、一通りではない。

【2】    握雪 後漢書「餘羌復與燒何大豪寇張掖,攻沒鉅鹿塢,殺屬國吏民,又招同種千餘落,并兵晨奔熲軍。熲下馬大戰,至日中,刀折矢盡,虜亦引退。熲追之,且且行,晝夜相攻,割肉食雪,四十餘日,遂至河首積石山,出塞二千餘里」(餘羌 復た燒何と大豪と張掖に寇し,攻めて鉅鹿塢を沒し,屬國の吏民を殺す,又 同種千餘の落を招じ,并びに兵は晨に熲軍を奔し。熲下馬し大戰し,日中に至り,刀折れ矢盡き,虜 亦た引き退く。熲之を追い,且つ且つ行き,晝夜相い攻め,肉を割き雪を食うこと,四十餘日,遂に河首積石山に至り,塞を出ずること二千餘里)とある。

 

何當破月氏,然後方高枕。

そして、期するところは、はるかに遠き月氏をも打破り、然る後、邊境はじめて虞なく、中國の上下を挙げ、枕を高くして安眠するようにしたいというので、その間は、如何な事にも屈せやしで、征途の苦に甘んじて居るのである。

【3】    月氏 秦の始皇帝(在位:前246 - 210年)の時代、中国の北方では東胡と月氏が強盛であった。一方、匈奴は陰山の北からオルドス地方を領する小国にすぎず、大国である東胡や月氏の間接支配を受けていた。ある時、匈奴の単于頭曼は、太子である冒頓を廃してその弟を太子にしようと、冒頓を月氏へ人質として送った。しかし、頭曼は冒頓がいるにもかかわらず月氏を急襲してきた。これに怒った月氏は冒頓を殺そうとしたが、あと少しの所で逃げられてしまう。匈奴に逃げ帰った冒頓は父の頭曼を殺して自ら単于となり、さっそく東の東胡に攻め入ってこれを滅ぼし、そのまま西へ転じて月氏を敗走させ、次いで南の楼煩、白羊河南王を併合し、漢楚内戦中の中国にも侵入し、瞬く間に大帝国を築いた。

その後も依然として敦煌付近にいた月氏であったが、漢の孝文帝(在位:前180 - 157年)の時代になって匈奴老上単于配下の右賢王の征討に遭い、月氏王が殺され、その頭蓋骨は盃(髑髏杯)にされた。王が殺された月氏は二手に分かれ、ひとつがイシク湖周辺へ逃れて大月氏となり、もうひとつが南山羌(現在の青海省)に留まって小月氏となった。

743年(28)李白347 巻四08-《塞下曲六首之一》(十五入漢宮,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(28) <李白347> Ⅰ李白詩1685 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6973

李白  塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。笛中聞折柳,春色未曾看。

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。願將腰下劍,直為斬樓蘭。

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

743年(28)李白347 巻四08-《塞下曲六首之一》(十五入漢宮,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-28) <李白347> Ⅰ李白詩1685 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6973

 

 

 
  2015年11月26日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(28)李白347 巻四08-《塞下曲六首之一》(十五入漢宮,) 347Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(28) <李白347> Ⅰ李白詩1685 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6973  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈105《 雜詩,四首之二》 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1598> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6974  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-2杜甫 《17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-2 <1059> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6975  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 12孫光憲《巻七39浣溪沙九首其二》『花間集』341全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6977  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。笛中聞折柳,春色未曾看。

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。願將腰下劍,直為斬樓蘭。

 

塞下曲,六首之二

天兵下北荒,胡馬欲南飲。橫戈從百戰,直為銜恩甚。

握雪海上餐,拂沙隴頭寢。何當破月氏,然後方高枕。

 

塞下曲,六首之三

駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。

陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。

 

塞下曲,六首之四

白馬黃金塞,雲沙繞夢思。那堪愁苦節,遠憶邊城兒。

螢飛秋窗滿,月度霜閨遲。摧殘梧桐葉,蕭颯沙棠枝。

無時獨不見,流淚空自知。

 

塞下曲,六首之五

塞虜乘秋下,天兵出漢家。將軍分虎竹,戰士臥龍沙。

邊月隨弓影,胡霜拂劍花。玉關殊未入,少婦莫長嗟。

 

塞下曲,六首之六

烽火動沙漠,連照甘泉雲。漢皇按劍起,還召李將軍。

兵氣天上合,鼓聲隴底聞。橫行負勇氣,一戰淨妖氛。

 

塞上曲

大漢無中策,匈奴犯渭橋。五原秋草綠,胡馬一何驕。

命將征西極,橫行陰山側。燕支落漢家,婦女無華色。

轉戰渡黃河,休兵樂事多。蕭條清萬里,瀚海寂無波。

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-28

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    塞下曲,六首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              天山 (隴右道西部 無第二級行政層級 天山) 別名:雪山             

 

 

塞下曲,六首之一

(西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

 

(塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。

 nat0002

 

『塞下曲,六首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。

笛中聞折柳,春色未曾看。

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

(下し文)
(
塞下曲,六首之一)

五月 天山の雪,花 無くして  祗だ 寒のみ 有り。

笛中 折柳を 聞くも,春色 未だ 曾て 看ず。

曉に戰ふに 金鼓に 隨ひ,宵に眠るに 玉鞍を 抱く。

願はくは 腰下の劍を將って,直ちに 爲に 樓蘭を斬らん。


(現代語訳)
塞下曲,六首之一 (西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

李白図102
(訳注)

塞下曲,六首之一

 (西域の辺境、天山山脈あたりには春夏という季節がない上に、夜となく昼となく戦いをする。そして太古の昔も今も闘いをしている)

出塞、入塞等の曲は、漢代に李延年が造ったが、唐になると、塞上、塞下等の諸曲がついで起って、いづれも邊塞の事を歌って居る。元来、出塞、入塞等は、主として従軍中に於ける悲愴凄惨の意をうつして居るが、李白の此曲は、非常に雄壮なる調子である。開元,天寶の盛時に於で、哥舒翰、安緑山等は、吐蕃回紇と大戦を試みたことがあって、この詩の作は、恰もその時にあたって居るから、すこしも、悲哀の意を帯びず、いわば兵士を鼓舞するような精神を以てしたのである。この六首はほぼ、順序だっていて、意味が一貫している。

 

五月天山雪,無花祗有寒。

天山山脈白山は、音に聞こえた高山で、殊に邊境にあたり、夏の真ん中の五月でさえも、その絶頂には雪が晧晧として積って居るから、その地方一帯、花の咲くことなくして、唯だ寒いばかりである。
 ・五月:陰暦五月で、夏になる。

 ・天山:〔てんざん〕新疆にある祁連山〔きれんざん〕(チーリェンシャン) 。北緯44度(稚内と旭川の中間の緯度に当たる)天山一帯。当時の中国人の世界観では、最西端になる。天山山脈のこと。新疆ウイグル(維吾爾)自治区中央部タリム盆地の北を東西に走る大山系で、パミール高原の北部に至る。雪山。ここでは「異民族との戦闘の前線」の意として、使われている。

巻三01關山月 「明月出天山、蒼茫云海間。 」

巻三30獨不見   「天山三丈雪、 豈是遠行時。」

巻四10 塞下曲 六首其一 「五月天山雪、 無花只有寒。 」

巻二十一奔亡道中五首 其一 「蘇武天山上、田橫海島邊。 萬重關塞斷、何日是歸年。」

 ・無花:花は(咲いてい)ない。 

祗有:〔しいう〕ただ…だけがある。「無花祗有寒」の句中で前出「無」との揃いで用いられる表現。「無花祗有寒」。≒只有。

 ・:寒さ。

 

 

笛中聞折柳,春色未曾看。

この邊境に征成して居る兵士が吹きすさぶ笛の曲には、折楊柳といふものがあるが、実際に於いては、柳は目に入らず、まったく春色を見たことが無い。
 ・笛中:胡笳の調べで。葦笛の音に。 ・聞:聞こえる。

 ・折柳:折楊柳の曲。

未曾:まだ…でない。…いままでに、…したことがない。

 ・:見る。

 

曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。

それから、暁に金鼓は鴫り響いて、進軍を促せば、号令に應じで、敵と聯はねばならぬし、夜は玉鞍を抱いて、馬上ながら眠るというように、すこしも警戒を怠らない。

 ・:明け方。朝。あかつき。 ・戰:戦う。 

:…にしたがって。

 ・金鼓:(軍中で用いる)鉦(かね)と太鼓。進むのに太鼓を用い、留まるのに鉦(かね)を用いたことによる。

 ・:夜。よい。

 ・:眠る。

 ・:だく。いだく。

 ・玉鞍:〔ぎょくあん〕立派なくら。玉で作ったくら。

 

 

願將腰下劍,直為斬樓蘭。

しかし、ひとたび戦場に出た上は、身命をいたして、国家のために大功を立てたいと思うので、願わくば、腰下の剣を揮って、楼蘭王を斬り、天晴、一かどの功名を立てたいと念じて居るばかりである。

:願わくは。 ・將:…を持って。・腰下:腰に下げた。

:つるぎ。元来は、諸刃(もろは)の刺突用武器を指す。

・直:ただちに。 ・爲:〔ゐ〕…のために。…に対して。…に向かって。目的や原因を表す介詞。また、なす。する。致す。動詞。

:傅介子等が楼蘭王を斬り殺した故実のように、征伐をする。 前漢の昭帝の頃、傅介子等が樓蘭王を殺したことを指す。 

樓蘭:〔ろうらん〕漢代、西域にあった国。都市名。天山南路のロブノール湖(羅布泊)の畔にあった漢代に栄えた国(都市)。ローラン。原名クロライナ。現・新疆ウイグル(維吾爾)自治区東南部にあった幻の都市。天山の東南で、新疆ウイグル自治区中央部のタリム盆地東端、善〔善+おおざと〕県東南ロブノール湖(羅布泊)の北方にあった。そこに住む人種は白人の系統でモンゴリアンではなく、漢民族との抗争の歴史があった。四世紀にロブノール湖(羅布泊)の移動により衰え、七世紀初頭には廃墟と化した。現在は、楼蘭古城(址)が砂漠の中に土煉瓦の城壁、住居址などを遺しているだけになっている。 ・終:どうしても。いつまでも。とうとう。しまいに。ついには。 

不還:還(かえ)らない。戻らない。かえってこない。


○韻 寒、看、鞍、蘭。

塞下曲,六首之一

五月天山雪,無花祗有寒。
笛中聞折柳,春色未曾看。
曉戰隨金鼓,宵眠抱玉鞍。
願將腰下劍,直爲斬樓蘭。


( 塞下曲,六首之一 )       
五月  天山の雪,花 無くして  祗【た】だ 寒のみ 有り。
笛中  折柳【せつりう】を 聞くも,春色  未だ 曾【かつ】て 看ず。
曉【あかつき】に戰ふに  金鼓に 隨【したが】ひ,宵【よひ】に眠るに  玉鞍を 抱【いだ】く。
願はくは  腰下【えうか】の劍を 將【も】って,直ちに 爲【ため】に  樓蘭【ろうらん】を斬らん。

743年(26)李白346 -#2 《巻四07- 怨歌行》(十五入漢宮,) 346 -#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26) <李白346 -#2> Ⅰ李白詩1684 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6968

李白  怨歌行 #2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。

 

743年(26)李白346 -#2 《巻四07- 怨歌行(十五入漢宮,) 346 -#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-26) <李白346 -#2> Ⅰ李白詩1684 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6968

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-26

卷別:卷一六四    文體:    樂府

詩題:怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

十五入漢宮,花顏笑春紅。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

君王選玉色,侍寢金屏中。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。

一朝不得意,世事徒為空。

その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。

 

(怨歌行)

【自注:長安にて人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】

十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。

君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。

枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。

寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。
#2

沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。

一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。

鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。

寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。

腸 斷えて 弦 亦た,悲心 夜 忡忡

 

 

『怨歌行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦,悲心夜忡忡
詩文(含異文):#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍【舞衣罷雕籠】。寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦,悲心夜忡忡。


(下し文)
#2

沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。

一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。

鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。

寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。

腸 斷えて 弦 亦た,悲心 夜 忡忡

(現代語訳)
#2

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。

その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。

卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。

その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。

断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。


(訳注) #2

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

 

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

李白の怨歌行は、班捷伃の詩に、依傍したものである。なお、妃嬪が寵愛を失って、持して民間に嫁しづく例は少ない。

『古詩源』では《怨歌行》、『玉台新詠』で《怨詩》とする。相和歌辞・楚調曲。

同様の趣に 、謝玄暉 (謝朓) 《玉階怨》  「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) (とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)

『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)

李白   『怨情』    「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」(美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。但 見る 涙痕の湿を、知らず 心に誰をか恨む。 ) 

李白  《紫藤樹》「紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。密葉隠歌島、香風留美人。」

李白  《客中行》「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」

王維《班婕妤》 「怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。」(怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。)

班婕妤《怨詩》  

新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。

出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。

棄捐篋笥中,恩情中道絶。

班婕妤(倢伃) (生没年不詳)は中国前漢の成帝の愛人。班況の娘で、班固や班超の従祖母に当たる女性。成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた倢伃は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

曹植 《怨歌行》
為君既不易,為臣良獨難。忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。皇靈大動變,震雷風且寒。

拔樹偃秋稼,天威不可干。素服開金縢,感悟求其端。

公旦事既顯,成王乃哀嘆。吾欲竟此曲,此曲悲且長。

今日樂相樂,別後莫相忘。

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

溫庭筠《清平樂二首其一》「新清平思同輦,爭那長安路遠。」(新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。)

1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

かくて深き憂いに沈んだ揚句には、緑の鬢も、霜を帯びた蓬の如く乱れて、そそけて仕舞った。

沈憂 沈に深に同じ。

 

一朝不得意,世事徒為空。

その不得意の極み、一朝宮中を辭して、人に嫁することに成ったが、世事は、いたずらに 予期に反し空しいものだ。

 

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

卓文君は貧苦のあまりに、鷫鷞という馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い、夫のために、美酒に換えるほどで、龍の縫い模様のある舞衣もいまはなんの役にも立たない。

○鷫鷞 西京雑記「相加、はじめ文君と成都に遷る、貧に居て愁懣し、著くるところの鷫鷞裘を以て、市入楊昌に就いて酒な貰り、文君と歓を爲す」とある。《史記·司馬相如傳》家貧,以鷫鷞裘貰酒。一作肅爽。馬名。

相如は妻と一緒に臨卭に戻り、馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い取った。妻の文君はその飲み屋のママとなり、酒樽の横で客の接待をした。夫の相如はふんどし一つで下働きの男に混じって働き、臨きょうの繁華街で皿洗いのバイトをした。

李白  《巻三19- 白頭吟》「鷫鷞裘在錦屏上,自君一掛無由披。」

司馬相如が馬車と馬をすべて売り払って一軒の飲み屋を買い取った酒屋で卓文君と一緒に働いて築いたものはそのままにされ錦の屏風に裘は置かれたままになった、司馬相如の一度おかした他の女への心変わりは取り戻すことのできないことなのである。

743年(22)李白341-#9 巻三19-《白頭吟》 341-#9Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(22) <李白341-#9> Ⅰ李白詩1675 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6923

雕龍 舞衣の上に、雕画せる龍文を言う。刺繍による龍の模様。

 

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

その貧苦飢寒の有様は、まことにお話にならないくらいであったという、やがてこれを訴えるために、琴を弾き始めたのである。

 

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

断腸のおもいは弦をもまたやめてしまった、夜が更けてゆくままに、物悲しき心は、忡忡として、慰めるたよりもない。

743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見內人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963

李白  怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

十五入漢宮,花顏笑春紅。君王選玉色,侍寢金屏中。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963

 

 
  2015年11月24日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(26)李白346 巻四07-《怨歌行【長安見內人出嫁,友人令余代為之。】》(十五入漢宮,) 346Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26)  Ⅰ李白詩1683 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6963  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈103-#3《 巻五28 射訓狐》 #3 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1596> Ⅱ#3 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6964  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-2杜甫 《17-39 寄韓諫議》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-2 <1057> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6965  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七37更漏子舊歡娛,》『花間集』339全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6967  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-26

卷別:卷一六四    文體:    樂府

詩題:怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

十五入漢宮,花顏笑春紅。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

君王選玉色,侍寢金屏中。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

#2

沈憂能傷人,綠鬢成霜蓬。

一朝不得意,世事徒為空。

鷫鷞換美酒,舞衣罷雕龍。

寒苦不忍言,為君奏絲桐。

腸斷弦亦悲心夜忡忡。

 

(怨歌行)

【自注:長安にて人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】

十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。

君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。

枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。

寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。
#2

沈憂 能く人を傷ましめ,綠鬢 霜蓬と成る。

一朝 意を得ざれば,世事 徒らに空と為る。

鷫鷞は 美酒に換え,舞衣は 雕龍を罷む。

寒苦 言うに忍ばず,君が為に 絲桐を奏す。

腸 斷えて 弦 亦た,悲心 夜 忡忡

 

『怨歌行』 現代語訳と訳註解説
(本文)

怨歌行

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

十五入漢宮,花顏笑春紅。

君王選玉色,侍寢金屏中。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。
詩文(含異文)怨歌行#1

十五入漢宮,花顏笑春紅。君王選玉色,侍寢金屏中【侍寢錦屏中】。

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風【卷衣戀香風】。寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。


(下し文)
怨歌行

【自注:長安にて人の出でて嫁する見る,友人 余をして代って之を為らしむ。】

十五、漢宮に入り、花顔、春紅を笑う。

君王 玉色を選び,寢に侍す金屏の中。

枕を薦めて夕月よりも嬌なり,衣を卷いて春風を戀う。

寧ろ知らんや 趙飛燕,寵を奪うて 恨 窮まり無きや。

(現代語訳)
班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。


(訳注)

怨歌行

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、長信宮で貧苦飢寒の有様で、悲しく過ごした)

 

【自注:長安見人出嫁,友人令余代為之。】

李白の自註(宮人が寵を失い、それに因って、辞して出で、それが人に嫁したに就いて、その宮人に代り、その人の心持になって作ったのである。

李白の怨歌行は、班捷伃の詩に、依傍したものである。なお、妃嬪が寵愛を失って、持して民間に嫁しづく例は少ない。

『古詩源』では《怨歌行》、『玉台新詠』で《怨詩》とする。相和歌辞・楚調曲。

同様の趣に 、謝玄暉 (謝朓) 《玉階怨》  「夕殿下珠簾,流螢飛復息。長夜縫羅衣,思君此何極。」(夕殿 珠簾を下し,流螢 飛び 復(また) (とま)る。長夜 羅衣を 縫ひ,君を思うこと 此に なんぞ 極(きわ)まらん。)

『金谷聚』 「渠碗送佳人,玉杯邀上客。車馬一東西,別後思今夕。」(渠碗(きょわん) 佳人を 送り,玉杯 上客を 邀(むか)ふ。車馬 一(ひとたび) 東西にせられ,別後 今夕を 思はん。)

李白   『怨情』    「美人捲珠簾,深坐嚬蛾眉。但見涙痕濕,不知心恨誰。」(美人 珠簾を捲き、深く坐して蛾眉を顰【ひそ】む。但 見る 涙痕の湿を、知らず 心に誰をか恨む。 ) 

李白  《紫藤樹》「紫藤掛雲木、花蔓宜陽春。密葉隠歌島、香風留美人。」

李白  《客中行》「蘭陵美酒鬱金香,玉碗盛來琥珀光。但使主人能醉客,不知何處是他鄕。」

王維《班婕妤》 「怪來妝閣閉,朝下不相迎。總向春園裏,花間笑語聲。」(怪しむらくは妝閣【さうかく】の 閉づることを,朝より下りて  相ひ迎へず。總て春園の裏に 向いて,花間 笑語の聲。)

班婕妤《怨詩》  

新裂齊紈素,皎潔如霜雪。 裁爲合歡扇,團團似明月。

出入君懷袖,動搖微風發。常恐秋節至,涼風奪炎熱。

棄捐篋笥中,恩情中道絶。

班婕妤(倢伃) (生没年不詳)は中国前漢の成帝の愛人。班況の娘で、班固や班超の従祖母に当たる女性。成帝の寵愛を得たが、後に趙飛燕に愛顧を奪われ、大后を長信宮に供養することを理由に退いた。長信宮に世を避けた倢伃は、悲しんで「怨歌行」を作る。その詩は『文選』『玉台新詠』『楽府詩集』『古詩源』などに載せられる。失寵した女性の象徴として、詩の主題にあつかわれることが多い。晋の陸機や唐の王維、王昌齢「西宮春怨・長信秋詞」などがそれである

怨歌行 班婕妤(倢伃) 漢詩<111>玉台新詠集 女性詩547 漢文委員会kannuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1458

曹植 《怨歌行
為君既不易,為臣良獨難。忠信事不顯,乃有見疑患。
周公佐成王,金縢功不刋。推心輔王政,二叔反流言。
待罪居東國,泣涕常流連。皇靈大動變,震雷風且寒。

拔樹偃秋稼,天威不可干。素服開金縢,感悟求其端。

公旦事既顯,成王乃哀嘆。吾欲竟此曲,此曲悲且長。

今日樂相樂,別後莫相忘。

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

怨歌行 曹植 魏詩<53-#1>古詩源 巻五 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2033

溫庭筠《清平樂二首其一》「新清平思同輦,爭那長安路遠。」(新しい歳に変わっても、世の中が清らかに治まっていても、彼女らは、漢の班捷伃が「同輦を辞」したような思いでいる。何せ、天子の寵愛を爭おうとしても天子の入る長安までの道のりは遠いのである。)

1-62-410《清平樂二首其一》温庭筠Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-593-1-62-(410) 二巻漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4512

 

十五入漢宮,花顏笑春紅。

班家の箱入り娘であった十五の時、召されて漢宮に入り、花の如き顔は、紅なる春の花を嘲り笑うばかりの美しさであった。

○十五 十数歳に達した「良家の子女」は、後宮のある種の選抜をへて多数宮廷に入ったのであるが、彼女たちの中のほんの少しの者だけが幸運を得て妃嬢に列し、大多数の者は名もなき宮女のままで生涯を終えたのである。このように良家の子女を選抜するのが、宮廷女性の主要な来源であり、宮廷女性の中で少なからざる比率を占めていた。

○入漢宮 『礼記』「昏義」 に、「古、天子は、后に六宮、三夫人、九嬪、二十七世婦、八十一御妻を立て、以て天下の内治を聴く」とある。八十一御妻の皇后を除き、総称として「妃嬪」と呼ぶ。妃嬪選抜に漏れたものは、宮女として、二十二歳程度で解放される。

皇后一人、その下に四人の妃(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃各一人)、以下順位を追って、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛各一人)、捷好九人、美人九人、才人九人、宝林二十七人、御女二十七人、采女二十七人が配置される。上記のそれぞれの女性は官品をもち、合計で122人の多きに達した。皇后だけが正妻であり、その他は名義上はみな「妃嬪」-皇帝の妾とされた。

 

君王選玉色,侍寢金屏中。

君王は数多い妃嬪から絶色を選ばれ、やがて、御召しに成って、金房の中に於いて添い臥しをすることに成った。

○君王 班捷伃、趙飛燕の時、前漢十一代皇帝、成帝(在位期間, 33 - 7年の24年間)である。

○選玉色 君王が直接に妃嬪を選定することはないが、宮女の中のものを妃賓に抜擢することは通常のこととしてあった。

○侍寢金屏中 そうして、一度になるか長期的な寵愛を得ることになるかは、寝牀のこととなってゆく。

 

薦枕嬌夕月,卷衣戀春風。

かくて、枕を薦める其の風情は、夕月よりも媚かしく、衣を脱ぎかへる英姿は、春風よりも情ありげに見えて、君寵を得たのも、尤もとうなずかれるものであった。

薦枕 ベッドに誘うこと。

○夕月:蛾眉などと同じようにつかわれ、,三日月、蛾の触角のように細長く曲がってくっきりと目立つ,美人の眉のことをいい、美人の女性をさす。 3前後, 夕月 (ゆうづき), 夕方見える月のことで,三日月を指すことが多い。

 

寧知趙飛燕,奪寵恨無窮。

しかも、其処に魂胆があるわけでなく、趙飛燕という踊り子の女が、突然、後宮に入ってきて、我が寵を奮い、それによって無窮の恨を懐くようになろうとは思いもしなかった。

○趙飛燕 前漢末期の皇帝である成帝(在位前32~前7)の皇后。卑賤(ひせん)の生まれから身をおこして陽阿主(ようあしゆ)に仕え、そこで歌舞を習得し、偶然陽阿主の家を訪れた成帝の目に留まって妹とともに後宮入りし、ついには皇后となった。しかし前漢王朝きっての放恣(ほうし)な皇帝が、ある夜突然死去したために、成帝とその夜をともにした妹に嫌疑がかかり妹は自殺に追い込まれてしまう。やがて宮廷内で王莽(おうもう)の勢力が伸張すると、飛燕もただの庶人に格下げされて、妹の後を追う。このように卑賤の身から一転して後宮の栄華をほしいままにし、最後には凋落(ちょうらく)の道をたどる趙飛燕姉妹の波瀾(はらん)の生涯は、やがて文学作品『趙飛燕外伝』となった。この作品は、彼女の血縁者から直接聞き取りの形で書き上げられたと伝えられるが、実際には後世の偽作とされる。

趙合徳:成帝の妃で婕妤から昭儀に進んだ。姉である趙皇后(趙飛燕)の妹で、姉と共に皇帝の寵愛を欲しいままにしたと言われる。成帝とその夜をともにしていた時、突然死去したために、嫌疑がかかり自殺においこまれた。合徳に関する記述の殆どは後漢~唐代の頃に書かれたと思われる『飛燕外伝』にある。

743年(25)李白345-#3 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#3Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25)Ⅰ李白詩1682 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6958

李白  君子有所思行#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。

743年(25)李白345-#3 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#3Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-25Ⅰ李白詩1682 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6958

 

 
  2015年11月23日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(25)李白345-#3 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#3Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25)Ⅰ李白詩1682 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6958  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈103-#2《 巻五28 射訓狐》 #2 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1595> Ⅱ#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6959  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-1杜甫(改訂) 《20-84昔遊二首之一#4》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1056> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6960  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七36醉公子二首其二》『花間集』338全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6962  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-25

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    君子有所思行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

牛山 (河南道 青州 牛山)   

 

 

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

萬井驚畫出,九衢如絃直。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

馬散連山,軍容威域。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。

不散東海金,何爭西飛匿。

そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。

(君子有所思行)#1

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。

崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。

萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕赩。

馬 連山に散じ,軍容 域をす。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

#3

歌鐘 樂 未だ休まず,榮 去って 老 還た逼る。

圓光 滿を過ぐれば缺け,太陽 中を移れば昃す。

東海の金を散ぜざれば,何ぞ西飛の匿るるを爭わん。

牛山の悲しみを作,惻愴 淚 臆を沾すこと無れ。

 

 

『君子有所思行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

詩文(含異文)#3

歌鐘樂未休【歌鐘樂休明】,榮去老還逼。圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿【何爭西輝匿】。無作牛山悲,惻愴淚沾臆。


(下し文)
#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。


(現代語訳)
#3

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。

たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。

そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。

むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。


(訳注) #3

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

楽府古題要解 君子有所思行、“陸機「命賀登北山」、鮑照「西山登雀臺」、沈約「晨策終南首」,其旨言雕室麗色,不足為久歡,晏安酖毒,滿盈所宜敬忌,與《君子行》也。”(陸機「賀を命ぜられ北山に登る」、鮑照「西山雀臺に登る」、沈約「晨策 終南首」,其の旨、雕室麗色,久歡を為すに足らず,晏安酖毒,滿盈は宜しく敬忌すべき所,《君子行》となるを言う。)とあって、李白の此作も、矢張、その古意を踏襲したのである。また、謝靈運《君子有所思行》「總駕越鍾陵,還願望京畿,躑躅周名都,遊目倦忘歸,」(總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,)

陸機、鮑照、沈約は山に登ることを例えに、謝靈運は、官を辞して車馬での帰郷を例えに王朝の滿盈を戒める詩を作ったのである。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

 

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

されば、今しも、「開元の治」といわれ、太平の御世にあたり、鐘を鳴らして、「一芸に秀でたもの」を集め、歌に和する音楽はとこしえにやまないが、奈何せん、栄華は流水の如く、とかく去り易いもので、老も亦た、逼ってくるもの、誰でも始終若くているわけには行かないのである。

歌鐘樂未休 鐘を鳴らして、歌に和する音楽は、長しえにやまない。玄宗の前半の治世は「開元の治」と称され、唐の絶頂期と評価されている。玄宗が行った政策は仏教僧達の度牒(現在に例えれば宗教法人資格)の見直し、税制改革、節度使制の導入などである。これらの玄宗初期の政策を玄宗の下で行ったのは武則天に見出された姚崇・宋璟の両宰相である。玄宗が楊貴妃を寵愛していた間に朝政を運営したのは、宰相・李林甫である。李林甫は政治能力は高いが、その性格は悪辣な面があると評され、政敵を策略により次々と失脚させている。

 

圓光過滿缺,太陽移中昃。

たとえば、十五夜の月が満ちると、直にかけ始めるように、又、太陽が其地の子午線に到達すれば、やがて影が斜になると同じく、如何なる物でも、最盛絶頂は、即ち衰微の第一歩である。

圓光 十五夜の月。

中昃 その他の子午線

 

不散東海金,何爭西飛匿。

そこで、疏廣が晩年家居して、天子や東宮から頂戴した金を惜し気もなく使い果したようにせず、ケチな眞似をして金を貯へて置いたところで、日が西に走って、やがて匿くれるのを防ぎ止めることは、できはしないし、すぐに死は来るのである。

東海金 疏広と疏受とは官を辞して帰里する。《漢書》卷七十一〈雋疏于薛平彭列傳疏廣(兄子)疏受〉

 

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

むかし、齋の景公は牛山に登って、「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と欺息し、悽惻悲愴の極、涙は流れて胸間をうるおしたというが、そうしたところで、仕方がないのであり、盈満を戒めて、自ら其身を慎まねばならないということなのである。

牛山悲 齋の景公の牛山に登り、国を去りて死するを悲しむ

惻愴 悽惻悲愴の極。

臆 胸骨

 

 

《漢書》卷七十一〈雋疏于薛平彭列傳疏廣(兄子)疏受〉~3039

疏廣字仲翁,東海蘭陵人也。少好學,明春秋,家居教授,學者自遠方至。徵為博士太中大夫。地節三年,立皇太子,選丙吉為太傅,廣為少傅。數月,吉遷御史大夫,廣徙為太傅,廣兄子受字公子,亦以賢良舉為太子家令。受好禮恭謹,敏而有辭。宣帝幸太子宮,受迎謁應對,及置酒宴,奉觴上壽,辭禮閑雅,上甚讙。頃之,拜受為少傅。……子外祖父特進平恩侯許伯以為太子少,白使其弟中郎將舜監護太子家。上以問廣,廣對曰:「太子國儲副君,師友必於天下英俊,不宜獨親外家許氏。且太子自有太傅少傅,官屬已備,今復使舜護太子家,視陋,非所以廣太子德於天下也。」上善其言,以語丞相魏相,相免冠謝曰:「此非臣等所能及。」廣繇是見器重,數受賞賜。太子每朝,因進見,太傅在前,少傅在後。父子並為師傅,朝廷以為榮。在位五,皇太子年十二,通論語、孝經。廣謂受曰:「吾聞『知足不辱,知止不殆』,『功遂身退,天之道』也。今仕官至二千石,宦成名立,如此不去,懼有後悔,豈如父子相隨出關,歸老故,以壽命終,不亦善乎?」受叩頭曰:「從大人議。」即日父子俱移病。滿三月賜告,廣遂稱篤,上疏乞骸骨。上以其年篤老,皆許之,加賜黃金二十斤,皇太子贈以五十斤。公卿大夫故人邑子設祖道,供張東都門外,送者車數百兩,辭決而去。及道路觀者皆曰:「賢哉二大夫!」或歎息為之下泣。

 

疏広と疏受とは官を辞して帰里する

皇太子の太傅は疏広と言ったが、彼は蘭陵の人である。 疏広の兄の子が疏受であった。 疏受はその次官、少傅となっていた。 皇太子奭が宮中に参上するたびに疏広と疏受はつきしたがって宣帝に謁した。 疏広は皇太子の前に、疏受はその後ろにいた。共に皇太子の師であったからである。 朝廷の人たちはこのことを名誉なことだとした。 あるとき、 疏広太傅が疏受少傅に言った。

「吾聞く、『足るを知るは辱められず、止まるを知ればすなわち殆あやうからず。 この時に去らなければ必ず後悔あり。』

  今、仕官すること二千石に至り、務めを果たし、名声を得ている。名声を得れば身を引くのが天道であり、 自然の原理である。どうであろう。故郷に帰って年を重ね、生涯を終えるにこしたことはあるまい。」

すると疏受は跪いて疏広に言った。

  「願わくば私もこれに従わせてください。」

そこで二人は宣帝に上奏して言った。

  「病のため暇を乞こうたき存じ上げます。」

宣帝は疏広と疏受に休暇を三ヶ月給した。三ヶ月経つとまた疏広と疏受が上書して言った。

  「病が篤く、郷里にて骸骨を乞いたいと思っております。」

宣帝はこれを許し、黄金二十斤を加賜した。皇太子奭は これとは別に金五十斤を賜った。 疏広と疏受は拝謝してこれを受けた。

 

疏広と疏受が荷物を纏めて都を出るとき、 公・卿・大夫に友人・住民が、祖道を祭って(旅の安全を祈願して)の送別会 を開いた。 東都門の外に会場の幕を張り、見送りの車は数百輛に及んだ。 住民は禁じ得ずに疏広、疏受に言った。

  「賢きなるかなニ大夫!」

疏広と疏受が蘭陵に帰郷すると、 日々酒食を用意し、一族のほかに旧友・客人を招いて共に 一緒に楽しみ、そのつど、賜わった黄金を売って費用に当てた。 ある人が、田地と住宅を買うように勧めた。 疏広は言った。

  「私が思いますに、自分たちはもともと家付きの田地を持っています。 子孫をそこで働かせれば衣食を賄うには充分足ります。この金は帝が老臣を恵み、 慈しみ養うために賜わられたのです。 ですから、郷里の仲間や親族と共にその賜わった金を饗して散らし、 わたしの余生が終わるまで楽しむのです。」

  と。 一族は喜び、心から従った。

 一年経つ頃には下賜された黄金が尽きた。 子供達はそれを見ていて心配になり、一族の父老に節省を勧めるよう頼んだ 父老が疏広に言うと、疏広は言った。

  「私は老いたとはいえ、もちろん子のことを思わないわけがない。 顧みれば我が家には田地がある。 子孫をそこで働かせれば衣食を賄うには充分足る。 それ以上の益を増して、財を大きくすれば、子孫が怠惰になってしまう。 だから財を多く残したところで無益だ。ただその害 のみが恐ろしい。 賢にして財多ければ、則ちその志を損い、愚にして財 多ければ、すなわちその過あやまちを益ます。 (賢くても財産が多くあれば、高い志を抱きながら安楽に流れてかえってその志を失い、 愚で財産が多くあれば、放蕩に走って過ちを増す。)ついには自ら亡ぶところになりにけり。」

  それを聞いた子供達は財について口にすることがなくなった。 疏広と疏受は余金も使い果たし、家に財産を残さなかった。 二人とも天寿を全うして逝去した。

  さて、時に世は太平。民衆は各々富を手に入れていたが、足るを知らなかった。 昭帝の時代以来、民衆は美しい物、衣服、飾り、金銀宝石、玉璧に鼈甲、象牙、 美味なる物を求めていた。民衆がこれだけ奢侈に走るのは有史以来最高潮であった。 鳥においては鶏肉や鴨肉、アヒル肉、鶏卵で満足できず、 珍味を求めて野鳥の肉や卵、燕や珍しい鳥の巣や卵などがふんだんに食されるようになっていた。 そのために野鳥の数が減少している、という報告がなされた。

 

 

 

「晏子春秋」

景公登牛山悲去國而死晏子諫第十七

景公遊于牛山,北臨其國城而流涕曰:「若何滂滂去此而死乎!」艾孔、梁丘據皆從而泣.晏子獨笑于旁,公刷涕而顧晏子曰:「寡人今日游悲,孔與據皆從寡人而涕泣,子之獨笑,何也?」

晏子對曰:「使賢者常守之,則太公、桓公將常守之矣;使勇者常守之,則莊公、靈公將常守之矣.數君者將守之,則吾君安得此位而立焉?以其 處之,迭去之,至于君也,而獨為之流涕,是不仁也.不仁之君見一,諂諛之臣見二,此臣之所以獨竊笑也.」

 

景公牛山に登り、国を去りて死するを悲しむ、晏子諌む【第十七】

景公は都、臨淄(りんし)の南郊にある牛山に遊覧して、北にその国城を臨み見て、涙を流して「どうしようもないのか、この広大なすばらしい国を棄てて死んでしまうのか」と言った。 艾孔と梁丘拠はこれに従って泣いた。晏子はひとりかたわらで笑っていた。

公は涙をぬぐって晏子をかえりみて「私は今日の遊が悲しい。孔と拠は私に従って涙を流したのに、お前ひとり笑うのはどうしてか」と言った。

晏子は答えて「もし賢者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、 すなわち太公や桓公が久しくこれを守りましょう。 勇者を登用して久しくこれを守らせるとすれば、すなわち霊公、荘公が久しくこれを守りましょう。 歴代の君がこれを守ろうとすれば、いったいわが君はどの地位でそれをなされますか。(もしそうなら、わが君に出番が回ってくることも無かったでしょう。)

代わる代わる君位は継承されて、君に至ったのです。それなのに、自分ひとり『いつまでも死にたくない』と涙を流し永久に国を保有しようとなさるのは、仁(じん)とは申せません。

わたくしめは、不仁の主君とこびへつらう家来とをまのあたりにして笑ったのです」と言った。

743年(26)李白345-#2 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26) <李白345-#2> Ⅰ李白詩1681 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6953

李白  君子有所思行#2

渭水銀河清,橫天流不息。朝野盛文物,衣冠何翕赩。

馬散連山,軍容威域。伊皋運元化,衛霍輸筋力。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

743年(26)李白345-#2 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-26) <李白345-#2> Ⅰ李白詩1681 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6953

 

 

 
  2015年11月22日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(26)李白345-#2 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(26) <李白345-#2> Ⅰ李白詩1681 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6953  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈103-#1《 巻五28 射訓狐》 #1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1594> Ⅱ#1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6954韓愈詩-韓愈103-#1  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-1杜甫(改訂) 《20-84昔遊二首之一#3》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1055> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6955   
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七35醉公子二首其一》『花間集』337全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6957  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

年:743年天寶二年43歳 94-25

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    君子有所思行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

牛山 (河南道 青州 牛山)   

 

 

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

萬井驚畫出,九衢如絃直。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

馬散連山,軍容威域。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

 

(君子有所思行)#1

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。

崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。

萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕赩。

馬 連山に散じ,軍容 域をす。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

#3

歌鐘 樂 未だ休まず,榮 去って 老 還た逼る。

圓光 滿を過ぐれば缺け,太陽 中を移れば昃す。

東海の金を散ぜざれば,何ぞ西飛の匿るるを爭わん。

牛山の悲しみを作,惻愴 淚 臆を沾すこと無れ。

 

 

 

『君子有所思行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

朝野盛文物,衣冠何翕

馬散連山,軍容威域。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。
詩文(含異文):#2

渭水銀河清【渭水清銀河】,橫天流不息。朝野盛文物,衣冠何翕赩。

馬散連山,軍容威域。伊皋運元化,衛霍輸筋力。


(下し文)
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕

馬 連山に散じ,軍容 域を威す。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

(現代語訳)
#2

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。


(訳注)

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

長安の配置は宇宙観に基づき、北を西から東へ貫く渭水は、銀河が澄み渡って天上に横わるが如く、日夜流れて止まない。

渭水 《三輔黃圖》「渭水貫都以象天漢,橫橋南度以法牽牛。」とある。 現在は渭河(ウェイホウ)といい、黄河が南流から東流するあたりで合流するその支流。渭水流域は現在の陝西省の中心部にあたり、新石器時代から開け、周(西周)はこの地に起こり、東方の殷を滅ぼして全土を支配し、この地に都として鎬京を造営した。その後、秦の 咸陽、漢と隋・唐の都長安(現在の西安)が築かれ、長く中国の権力の中心地であり、その時代には関中と言われた。

○銀河 あまのがわ。銀河・経河・河漢・銀漢・雲漢・星漢・天津・漢津等はみなその異名である。《季 秋》詩経の大雅•棫樸、「倬彼雲漢、爲章于天。」小雅大東などに雲漢,銀河,天河がみえる。古詩十九首之十「迢迢牽牛星、皎皎河漢女。」、謝霊運(康楽) 『燕歌行』「誰知河漢淺且清,展轉思服悲明星。」、李商隠『燕臺詩四首 其二』 「直教銀漢堕懐中、未遣星妃鎭來去。」七夕伝説では、織女星と牽牛星を隔てて会えなくしている川が天の川である。二人は互いに恋しあっていたが、天帝に見咎められ、年に一度、七月七日の日のみ、天の川を渡って会うことになった。秦州抒情詩(7)  天河 杜甫 <292> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1343 杜甫詩 700- 412

 

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

今しも朝廷は、朝野を通じて、服章は、すっかり整い、衣冠は、まことに美美しい。

赩 光色盛貌。文選·嵇康·琴賦:「珍怪琅玕,瑤瑾翕赩。」

 

馬散連山,軍容威域。

それから、一方では武強・強兵に力を注ぎ、皇帝牧場、「閑厩」の名馬は、到るところの連山に牧養せられ、又北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化し、玄宗の政権掌握を実現させ、親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着き、遠く絶域を成服したのである。

馬 玄宗の時、殊に馬を愛養し、天寶十三載には、隴右だけでも三十二萬五千七百頭に上った。

軍容威 開元中、朔方隴右を征したことをいう。馬は、騎馬民族の交易によって購入され、回鶻とは特に大量の絹や茶と引き替えに、馬を交易で手にいれた。唐政府は馬政に力をいれ、辺境の牧場で馬を養育し、そのための機関がつくられていた。北衙が騎馬軍団であったことから、その軍事力を支えた皇帝牧場を強化した。唐の皇帝牧場は「閑厩」といい、親衛兵の拡大と歩調をあわせて発展した。閑厩運営の実権は閑厩使が掌握し、閑厩馬の迅速な出動を指揮したので、政変の成否はこの閑厩使の取り込みにかかっていたという。その閑厩への軍馬供給システム、閑厩馬の基本的な供給源は地方の官営牧場「監牧」にあり、そこから良馬が選抜されて京師に上納されたことを確認し、その選抜システムを馬印の行政方法でおこなった。特に、玄宗の政権掌握を実現させた親衛兵系統の「龍武軍」の発展は、北衙禁軍の行き着いた先が龍武軍であり、この段階での北衙は親衛兵系統が完全に勢力を逆転させて優位に立っていた。龍武軍中心の北衙の安定性こそが、玄宗の長期政権を支えたとする。ただし、辺境地域には節度使という専門兵を配備したので、龍武軍は徐々に戦闘能力を低下させ、結局は安史の乱に対抗できなかったという。唐王朝の馬政の運営を、良馬の中央上納システムの低下は、軍事力低下となったのである。それは、杜甫の馬について、閑厩のシステムの低下を詠った詩はたくさんある。

初唐では、外国と接する辺境には、都護府が統括する「鎮」や「戍」という拠点が置かれた。鎮に配置された兵は500人以下、戍には50人以下であり、鎮戍は太宗時代は千ほど置かれ、総兵力は10万人程度であった。また、「兵募」と呼ばれた臨時の徴兵が行われ、高句麗・新羅・百済との戦いに駆り出されていた。羈縻政策が破綻するにつれ、鎮戍制では対応が不可能となり、異民族の攻撃によって境界線は後退した。そのため、高宗時代頃から、軍鎮という大規模な部隊が置かれるようになり、玄宗時代には、鎮戍は半分程度に減ったが、兵募は国境に常駐し、辺境軍は一時期には60万人以上存在した。これは全て徴兵から成り、「背軍」という逃亡兵が増加した。唐政府は軍鎮を統括するために、都護府制から藩鎮制に710年から切り替え、737年には、軍鎮兵は募兵に変えることとなった。唐政府の軍では、騎馬民族など少数民族の胡人が身につけた騎射技術は威力を発揮し、少数民族出身の「蕃将」たちが太宗時代から武功を立てることが多かった。団錬兵は、団結兵とも呼ばれ、徴兵によるもので、武則天の時代にはじまり、地方の治安維持にあたった。元は騎馬民族から農村を防衛する役目であったが、在地の治安維持のために置かれ、団錬使という武官や州刺史によって率いられた。また、都市には城謗という徴兵による治安維持の兵が置かれた。

 

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

玄宗皇帝の宰臣は、さながら商代名相伊尹であり、堯帝の法官である皐陶の如くであり、造化と同じように至治を布いている、武将は、これもまた、漢武帝の衛青と霍去病に此すべく、筋力を致して、国力、領土を有史以来、最大のものにしたのである。

伊皋 ・伊尹,商代名相,中国殷(いん)王朝初期の伝説的宰相。湯王(とうおう)を助け、夏の桀(けつ)王を討って天下を平定した。  皋陶, 舜之大臣,掌刑獄之事。皋陶(皐陶). コウヨウ. 中国神話. 堯帝の法官. 堯(ぎょう)の時代に五刑を定めたとされる神で、裁判で判決を下すのに獬豸(かいち)という聖獣を用いたことで知られる。獬豸は一角の羊で、生まれながらに有罪者を見分けることができる不思議な獣である。

衛霍 漢武帝時代の衛青と霍去病。・【衛青】少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。 その一方で霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分達は豪華なテントの下で宴会を開くような事をしていた。 しかし宮廷でも兵士の間でも霍去病のほうが人気が上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったらしく、また霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていたようだ。武帝も自身の性格から積極果敢な霍去病をより好んでいた。・【霍去病】(紀元前140 - 紀元前117年)は前漢の武帝時代の武将である。父は、霍仲孺。異母弟は、大司馬大将軍になり、武帝後の政治を取り仕切った霍光。衛青の姉、衛小児の子である。同じく衛青の姉であり、霍去病の叔母にあたる衛子夫が武帝に寵愛されて戻太子を生んだことで皇后に立てられたため、親族にあたる霍去病も武帝に寵愛された 騎射にすぐれており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、紀元前121年に驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。 大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。

743年(25)李白345-#1 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#1Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25)Ⅰ李白詩1680 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6948

李白  君子有所思行

紫閣連終南,青冥天倪色。憑崖望咸陽,宮闕羅北極。萬井驚畫出,九衢如絃直。

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

743年(25)李白345-#1 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#1Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-25Ⅰ李白詩1680 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6948

 

 
  2015年11月21日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 LiveDoorBlog
743年(25)李白345-#1 巻四02-《君子有所思行》(紫閣連終南,) 345-#1Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(25)Ⅰ李白詩1680 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6948  
  孟浩然 詩 index 李白詩index 謝霊運 詩 index 司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》 揚雄 《 甘泉賦 》  ●諸葛亮(孔明)出師表  
  曹植(曹子建)詩 65首 index 文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固) 《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原 『楚辞・九歌』東君 屈原 《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内>  
  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
韓愈102-#5《 巻四01 劉生詩》 #5 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1593> Ⅱ#5 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6949  
  ・李商隠詩 (1) 136首の75首 ・李商隠詩 (2) 135首の61首 ●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首 ●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首 ●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首 ●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首  
  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
  Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog 767年-1杜甫(改訂) 《20-84昔遊二首之一#2》 杜甫詩index-15-767年大暦2年56歲-1 <1054> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6950  
  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
  ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている  
  Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog  
               
  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
  Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog 11顧夐 (改)《巻七34臨江仙三首其三》『花間集』336全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6952  
  薛濤の全詩 花間集(1巻 花間集(2巻 花間集(3巻 花間集(4巻 花間集(5巻  
  魚玄機全詩 花間集(6巻 花間集(7巻 花間集(8巻 花間集(9巻 花間集10巻  
  温庭筠66首 花間集1・2巻 皇甫松11首 花間集二巻 韋莊47首 花間集二巻 薛昭蘊19首 花間集三巻 牛嶠31首 花間集三・四巻 張泌27首 花間集四巻  
  毛文錫31首 花間集5巻 牛希濟11首 花間集5巻 欧陽烱17首 花間集5・6巻 和凝20首 花間集6巻 顧夐56首 花間集6・7巻 孫光憲47首 花間集7・8巻  
  魏承班15首 花間集8・9巻 鹿虔扆6首 花間集9巻 閻選8首 花間集9巻 尹鶚6首 花間集9巻 毛熙震29首 花間集9・10巻 李珣39首 花間集10巻  
   ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門) 漢詩総合サイト 07ch  
  杜甫全詩案内 韓愈全詩案内 李白全集 文選 古詩源 花間集案内  
 

 

年:743年天寶二年43歳 94-25

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    君子有所思行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              紫閣峰 (京畿道 無第二級行政層級 終南山)    

終南山 (京畿道 無第二級行政層級 終南山) 別名:南山、秦山               

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸    

牛山 (河南道 青州 牛山)   

 

 

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣連終南,青冥天倪色。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

萬井驚畫出,九衢如絃直。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

#2

渭水銀河清,橫天流不息。

朝野盛文物,衣冠何翕赩。

馬散連山,軍容威域。

伊皋運元化,衛霍輸筋力。

#3

歌鐘樂未休,榮去老還逼。

圓光過滿缺,太陽移中昃。

不散東海金,何爭西飛匿。

無作牛山悲,惻愴淚沾臆。

 

(君子有所思行)#1

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。

崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。

萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。
#2

渭水 銀河清く,天に橫って流れ息まず。

朝野 文物 盛なり,衣冠 何ず翕赩。

馬 連山に散じ,軍容 域をす。

伊皋は 元化を運し,衛 霍 筋力を輸す。

#3

歌鐘 樂 未だ休まず,榮 去って 老 還た逼る。

圓光 滿を過ぐれば缺け,太陽 中を移れば昃す。

東海の金を散ぜざれば,何ぞ西飛の匿るるを爭わん。

牛山の悲しみを作,惻愴 淚 臆を沾すこと無れ。

 

長安皇城宮城00 

 

『君子有所思行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

君子有所思行

紫閣連終南,青冥天倪色。

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

萬井驚畫出,九衢如絃直。

(下し文)
(君子有所思行)

紫閣は終南に連り,青冥 天倪の色。

崖に憑って咸陽を望めば,宮闕 北極を羅ぬ。

萬井 畫き出づるかと驚き,九衢 絃の如く直なり。

(現代語訳)
(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。


(訳注)

君子有所思行

(唐の晏安酖毒,滿盈を戒める詩。)

楽府古題要解 君子有所思行、“陸機「命賀登北山」、鮑照「西山登雀臺」、沈約「晨策終南首」,其旨言雕室麗色,不足為久歡,晏安酖毒,滿盈所宜敬忌,與《君子行》也。”(陸機「賀を命ぜられ北山に登る」、鮑照「西山雀臺に登る」、沈約「晨策 終南首」,其の旨、雕室麗色,久歡を為すに足らず,晏安酖毒,滿盈は宜しく敬忌すべき所,《君子行》となるを言う。)とあって、李白の此作も、矢張、その古意を踏襲したのである。また、謝靈運《君子有所思行》「總駕越鍾陵,還願望京畿,躑躅周名都,遊目倦忘歸,」(總駕【そうが】は鍾陵【しょうりょう】を越え,還た願って京畿を望む,躑躅【てきちょく】名都を周り,遊目し倦【う】みて歸るを忘る,)

陸機、鮑照、沈約は山に登ることを例えに、謝靈運は、官を辞して車馬での帰郷を例えに王朝の滿盈を戒める詩を作ったのである。

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1317

君子有所思行 謝霊運(康楽) 詩<75-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩501 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1320

 

紫閣連終南,青冥天倪色。

紫閣峰は、終南山に連り、東は華山、西は太白山に連なって秦嶺山脈山脈となって、長安の南境を割し、空の邊際は、青い色をして貴い気配を作っている。

紫閣連終南 紫閣峰は終南山中の一峰である。峰陰の陰は北をいう。その下に渼陂はつつみの名、長安から南西に約40㎞、卾県の西五里にあり、終南山の諸谷より出て胡公泉を合して陂となる、広さ数里、上に紫閣峰がある、杜甫 《巻1733秋興,八首之八》「昆吾御宿自逶迤,紫閣峰陰入渼陂。」(昆吾 御宿 自ら逶迤いいたり、紫閣の峰陰渼陂に入る。長安の西の方面は、昆吾だの御宿川だのというところのあたりの地形がうねりくねっておる、そこらをとおって終南山の紫閣峰の北、渼陂池へと入込むのである。

紫閣峰・渼陂については、《巻三11城西陂泛舟【案:即渼陂。】》、《巻三12 渼陂行》【陂在鄠縣西五里,周一十四里。】「半陂以南純浸山,動影裊窕沖融間。船舷暝戛雲際寺,水面月出藍田關。」《巻三13 渼陂西南臺》 「錯磨終南翠,顛倒白閣影。崒增光輝,乘陵惜俄頃。」とみえる。

終南 唐の首都長安の南にそびえる終南山。ここでは、終南山や太白山を含め、秦蹴山脈全体を称して南山といっているようである。終南山は、西岳の太白山376m、と中岳の嵩山1440mのあいだにあり、渭水の南、20002900mの山でなる。中国,陝西省南部,秦嶺のうち西安南方の一帯をさす。また秦嶺全体をいう場合もある。その名は西安すなわち長安の南にあたることに由来し,関中盆地では,渭河以北の北山に対し南山とも称する。標高20002900m。北側は大断層崖をなし,断層線にそって驪山(りざん)などの温泉が湧出する。渭河と漢水流域とを結ぶ交通の要所で,子午道などの〈桟道(さんどう)〉が開かれ,しばしば抗争の地ともなった。

青冥 太清と同じで、天上界の最高天のこと。道教三天、三清をいう。「太元」を神格化した最高神元始天尊と、「道」を神格化した霊宝天尊(太上道君)、老子を神格化した道徳天尊(太上老君)の三柱。 それぞれ道教における天上界の最高天「玉清境」「上清境」「太清境」に住し、この三天のことも「三清」と呼ぶ。

天倪 天のきわ、はし、はじめからおわりまで。謝霊運游赤石進帆海詩「溟漲無端倪,虛舟有超越。」(溟漲【みなみのうみ】は端倪【はじ】無きも,虛舟【かろきふね】は 超越する有り。) 底の暗い水のみなぎる海ははてしもない。その上を主役の乗っていない虚しい舟が自然遠くに漂い行くように、望みを捨てた私の舟路は液のまにまに、浮き世のかなたに遠く馳せて行くようである。

 

憑崖望咸陽,宮闕羅北極。

長安の都からは南に紫閣峰の懸崖によって、そびえる終南山、秦嶺山脈山脈が防護しているのを遠く望める、宮闕は巍峨として、皇城の中に太極宮を中心に各宮殿が羅列し、そして、太極宮、朱雀門、明徳門、南北線上に子午道として漢水まで通じ、宇宙観によって整備されている。

○咸陽 晉の宮句であるが、此処では、長安の都という意味に使っている。

○羅北極 秦の宮殿は、北極星を中心に各星々が羅列されていたことから長安皇城において太極宮を中心に各宮殿が羅列されていることを言う。

 

萬井驚畫出,九衢如絃直。

その城郭の中に縦横に整然と町の区画がなされ、闈繞する人民の聚落はさながら描き出せるがごとくあり、その間を通ずる三門三大道の九条の道は弦のごとくまっすぐに整然とした都市計画が施されている。

○萬井 里巷、井の字のように縦横に整然とした町の区画。広い都の町々。人民の住宅。

○九衢 主要門に対して三本の大道、城門は各方位三門設置される。南北に9筋の大道がある。縱橫交叉的大道;繁華的街市。四通八達的道路。楚辭·屈原·天問:「靡蓱九衢,枲華安居。」(靡蓱【びへい】は九衢,枲華【しか】は安にか居る。)とある。
長安城図 作図00李白の足跡0000 

291-#2 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291-#2> Ⅰ李白詩1581 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6453

李白  鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。
この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。

291-#2 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291-#2> Ⅰ李白詩1581 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6453

 

 
 2015年8月14日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
291-#2 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》-#2Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291-#2> Ⅰ李白詩1581 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6453 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
79-#10 (改訂)《巻0211送靈師》-#10 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1494> Ⅱ【11分割】-#10 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6454 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-98杜甫 《1917諸葛廟》五言古詩 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-98 <961> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6440 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8牛希濟《巻0539 謁金門一首》『花間集』237全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6457 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關            

緱氏山 (都畿道 河南府 緱氏)          

 

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人 十五 笙を吹く愛す,學び得たり 崑丘 彩鳳の鳴くを。

始めて聞く 氣を鍊って金液を餐するを,復た道う 天に朝して玉京に赴くと。

玉京 迢迢 幾千里,鳳笙 去去 窮まり已む無し。

歎ぜんと欲す 離聲の絳脣に發するを,更に嗟す 別調の流纖指。

-#2

此の時 別を惜む 詎ぞ聞くに堪えん,此の地 相い看て未だ分るるに忍びず。

重ねて真曲を吟じて 清吹に和し,卻って仙歌を奏して 綠雲に響く。

綠雲 紫氣 函關に向う,道を訪う 應に尋ぬべし 緱氏山。

學ぶ莫れ 吹笙の王子晉,一たび 浮丘に遇えば 斷じて還らず。

 

 

『鳳吹笙曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

(下し文)-#2

此の時 別を惜む 詎ぞ聞くに堪えん,此の地 相い看て未だ分るるに忍びず。

重ねて真曲を吟じて 清吹に和し,卻って仙歌を奏して 綠雲に響く。

綠雲 紫氣 函關に向う,道を訪う 應に尋ぬべし 緱氏山。

學ぶ莫れ 吹笙の王子晉,一たび 浮丘に遇えば 斷じて還らず。

(現代語訳)
この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。

しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。

その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。

何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。


(訳注) -#2

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

鳳笙篇も楽府題である。李白の此詩に就いて、蕭士贇は、「遊仙の詩」と言ったが、王琦は、

「この詩は、是れ一道流詔に応じて京に入るを送るの作、謂はゆる仙人十五愛吹笙は、正に其人を実指す、古事を泛用するに非ざるなり。謂はゆる朝天赴玉京とは、その京に入って朝見するをいう。その超昇、軽擧を謂ふに非や。舊註、遊仙の詩を以て之に擬す、その旨を矢へり」といって居るが、なる程、この方が切實であるから、今これにしたがうことにする。

 

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

この時、我我は、別を惜むが故に、折角の名曲も聞くに堪へぬようで、今度は何時逢えるかと思ふと、まことに、別るるに忍びない。

 

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

しかし、仙人は、重ねて眞曲を吟じて、鳳笙の淸聲に和し、又仙歌を唱へて、その響きが緑雲に徹するほどであった。

 

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

その緑雲は、かの老子の「紫氣東來」と同じく、飛飛として函谷関に向ひ、やがて、仙人も、その地に至り、そして、上古仙人の遺跡である緱氏山を尋ねるであろうが、かの王子晋が常に鳳笙を弄び、一たび浮邱公に出会って登仙し、再び人間に還ってこなかったといふやうことは、しばらく、まねをせずにいてもらいたい。

紫氣 紫氣東來。. 隠君子として周の図書館の司書をつとめていた。孔子は洛陽に出向いて彼の教えを受けている。あるとき周の国勢が衰えるのを感じ、牛の背に乗って西方に向かった。函谷関を過ぎるとき、関守の尹喜(いんき、中文版)の求めに応じて上下二巻の書を書き上げた。それが現在に伝わる『道徳経』である。《列仙傳》「老子西遊,關令尹喜望見有紫氣浮關,而老子果乘青牛而過也。」

函關 函谷関

緱氏山 緱氏山(こうしざん)は、河南省洛陽市偃師市にある霊山。洛陽から嵩山に至る途中にある。有名な仙人である王子晋(王子喬、昇仙太子)がいたことで知られる。魏晋南北朝時代以来,赤松子とならんで古代の仙人の代表とされ,詩文や絵画に登場することが多い。王子喬が升仙の後,白鶴に乗って出現し人々に挨拶したとされる偃師(えんし)の緱氏山(こうしざん)には彼の廟がある。王子晋を信仰した則天武后は、聖暦2年(6992月、嵩山とともに昇仙太子廟に「升仙太子碑」を建てたが、飛白書という特殊な書体で書かれたものとして有名。

嵩山の孫太沖(そんたいちゅう)は、玄宗の命令を受けて、昇仙太子廟で金丹(九転丹)を製造している。

 

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

何となれば、別離の情長くつきず、是非もう一度逢ひたいと思うからで、緱氏山を過ぎて後はとにかく、長安に入って浮丘である天子に拝謁し、それからここへ還ってほしいというのである。

王子晉 漢・劉向『列仙傳』「王子喬者。周靈王太子也。好吹笙作鳳凰鳴。遊伊洛之間。道士浮丘公。接以上嵩山。三十餘年。後求之於山。見桓良曰。告我家。七月七日、待我於緱氏山頭。果乘白鶴。駐山嶺。望之不到。舉手謝時人。數日而去。後立祠於緱氏及嵩山。」王子喬というのは、周の霊王の太子晋のことである。たくみに笙を吹いて鳳凰の鳴くような音をたてた。伊洛の地に遊歴の砌、道士浮丘公というもの、これを伴って嵩高山に登ってしまった。三十余年の後に、これを山上で捜すと、桓良というものの前にあらわれて、「七月七日に、予を緱氏山の頂上で待っているように、家人に伝えてほしい」といった。その日になると、果たして白い鶴に乗ってきて山頂にとまった。遠くからは見えても、そこまで行くことができない。手をあげて人々に別れを告げ、数日して飛び去った。後日、緱子氏の麓や嵩山の頂には、その祠が立てられた。(漢・劉向『太平廣記』《列仙傳》

浮丘 浮丘公古代族神伝説中的仙人。《文選·謝靈運》:“遇浮丘公,長絶子徽音。” 李善注引《列仙》:“ 王子晋好吹笙,道人浮丘公接以上嵩山。”

291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。
(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ―16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443

 

 
 2015年8月13日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
291 《巻四06鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <291> Ⅰ李白詩1579 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6443 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
 
 LiveDoorBlog
79-#9 (改訂)《巻0211送靈師》-#9 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 37歳<1493> Ⅱ【11分割】-#9 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6449 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年-97杜甫 《1511陪諸公上白帝城宴越公堂之作》 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-97 <960> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6435 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog8牛希濟《巻0538 中興樂一首》『花間集』236全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6452 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

作地點:              潁陽(都畿道 / 河南府 / 潁陽)

及地點:              崑崙山 (隴右道東部 肅州 崑崙山)    

故函谷關 (都畿道 陜州 故函谷關) 別名:秦關            

緱氏山 (都畿道 河南府 緱氏)          

 

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

-#2

此時惜別詎堪聞,此地相看未忍分。

重吟真曲和清吹,卻奏仙歌響綠雲。

綠雲紫氣向函關,訪道應尋緱氏山。

莫學吹笙王子晉,一遇浮丘斷不還。

 

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人 十五 笙を吹く愛す,學び得たり 崑丘 彩鳳の鳴くを。

始めて聞く 氣を鍊って金液を餐するを,復た道う 天に朝して玉京に赴くと。

玉京 迢迢 幾千里,鳳笙 去去 窮まり已む無し。

歎ぜんと欲す 離聲の絳脣に發するを,更に嗟す 別調の流纖指。

-#2

此の時 別を惜む 詎ぞ聞くに堪えん,此の地 相い看て未だ分るるに忍びず。

重ねて真曲を吟じて 清吹に和し,卻って仙歌を奏して 綠雲に響く。

綠雲 紫氣 函關に向う,道を訪う 應に尋ぬべし 緱氏山。

學ぶ莫れ 吹笙の王子晉,一たび 浮丘に遇えば 斷じて還らず。

 

 

『鳳吹笙曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#1

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已。

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

(下し文)
鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】#1

仙人 十五 笙を吹く愛す,學び得たり 崑丘 彩鳳の鳴くを。

始めて聞く 氣を鍊って金液を餐するを,復た道う 天に朝して玉京に赴くと。

玉京 迢迢 幾千里,鳳笙 去去 窮まり已む無し。

歎ぜんと欲す 離聲の絳脣に發するを,更に嗟す 別調の流纖指。

(現代語訳)
(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。


(訳注)

鳳吹笙曲【鳳笙篇送別】

(神仙を学んだあなたは王子喬のように十五にして、笙を吹いたというが、今天子に朝見するので送るにあたって王子晋のように登仙して帰ってこなかったということが無いように戻ってきてほしい。)

鳳笙篇も楽府題である。李白の此詩に就いて、蕭士贇は、「遊仙の詩」と言ったが、王琦は、

「この詩は、是れ一道流詔に応じて京に入るを送るの作、謂はゆる仙人十五愛吹笙は、正に其人を実指す、古事を泛用するに非ざるなり。謂はゆる朝天赴玉京とは、その京に入って朝見するをいう。その超昇、軽擧を謂ふに非や。舊註、遊仙の詩を以て之に擬す、その旨を矢へり」といって居るが、なる程、この方が切實であるから、今これにしたがうことにする。

 

仙人十五愛吹笙,學得崑丘彩鳳鳴。

生まれながらにして仙人の天分を備へた我が相知の一少年は、年十五にして、笙を吹くことを学び、崑崙山に棲んで居る彩鳳の鳴き聲を學び得て、極めて上手に吹き鳴らすように成った。

○崑丘 崑崙山:中国古代の伝説上の山岳。崑崙山・崑崙丘・崑崙虚ともいう。中国の西方にあり、黄河の源で、玉を産出し、仙女の西王母がいるとされた。仙界とも呼ばれ、八仙がいるとされる。 崑崙奴とは、アフリカ系黒人に対しての呼び名であるが、伎楽の崑崙〔くろん〕面の名称も、そもそもは黒人のことをさした。

 

始聞鍊氣餐金液,復道朝天赴玉京。

その間、常に仙術を稽古し、気を錬って、太乙金液をも服して居たが、近ごろは、天子の御招きに因って、俄に都に上ることになった。

○金液 太乙金液。《神仙傳/卷八》「藥之上者,唯有九轉還丹及太乙金液,服之,皆立便登天。」(薬の上なるもの、九轉還丹、及び、太乙金液あり、これを服すれば皆立どころに天に登る)とある。

○玉京 天帝の住まいするところ。長安。

 

玉京迢迢幾千里,鳳笙去去無窮已【鳳笙去去無邊已】

長安の都は、ここを隔つること幾千里で、一たび立ち去らば、鳳笙の聲も再び聞くことはできない。

○迢迢 1 はるかに遠いさま。2 他より高いさま。また、すぐれているさま。

 

欲歎離聲發絳脣,更嗟別調流纖指。

そこで、別離の一曲を吹かむが為に、紅き唇を動かし、又細い指で調子を取って、しきりに心を悩まして居る。

○絳脣 紅脣。李凊照の詞牌に《點絳唇》があり、少女期の紅唇を、実に初々しい感情が歌われている。

242-#2 《巻04-36 短歌行 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#2> Ⅰ李白詩1493 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6013

李白  短歌行-#2  

天公見玉女,大笑億千場。

吾欲攬六龍,迴車掛扶桑。

北斗酌美酒,勸龍各一觴。

富貴非所願,與人駐顏光。

我々は天公のようにならなければ年を取らないということはないわけで、そうなりたいということで、白日を追う六龍の馭者となって義和の車を廻らして東海のほとりにあるという芙蓉の木に白日を引っ掛けていつまでもその日を照らし続けるようにしたいと思うのである。

 

242-#2 《巻04-36 短歌行 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#2> Ⅰ李白詩1493 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6013

 

 
 2015年5月18日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
242-#2 《巻04-36 短歌行 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#2> Ⅰ李白詩1493 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6013 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
67 -#1 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#1 韓愈(韓退之) 802年貞元18年 36歳<1406> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6014 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#14》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#14> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6015 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog《(改訂版Ver2.1)花間集 皇甫松集十二首》『花間集』全詩訳注解説-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6017 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

年:737年開元二十五年37

卷別:  卷一六四        文體:  樂府

詩題:  短歌行

作地點:        安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

短歌行  #1

(人の寿命は幾何ぞ、長い人生を得ることは難しい、だから知友と共に行楽を楽しもう)

白日何短短,百年苦易滿。

白日というものどうしてこんなにも短いのだろう、朝は夕べを待たないのだろうか、百年というのもつかの間で、忽ちにして満ちてしまう。

蒼穹浩茫茫,萬劫太極長。

天を仰ぎ見れば、どこまでも蒼蒼茫茫として、終極する事は無く、天地が初めて形するの時、萬劫を経るも、太極は無極で、終始依然足れども、白日のみは、忽ちに過ぎてゆくのである。

麻姑垂兩鬢,一半已成霜。

仙女麻姑でさえも、両鬢がたれて、一半は霜となり、さしもの仙人も、年の寄ることはまぬがれない。

#2

天公見玉女,大笑億千場。

しかし、天公は玉女の投壷するのをみて,大いに笑われ、その笑われをときには、電光となって現れるといわれ、それは何時までも、何処にでも止まないものであり、今に至るまで電光は堪えることが無い。

吾欲攬六龍,迴車掛扶桑。

我々は天公のようにならなければ年を取らないということはないわけで、そうなりたいということで、白日を追う六龍の馭者となって義和の車を廻らして東海のほとりにあるという芙蓉の木に白日を引っ掛けていつまでもその日を照らし続けるようにしたいと思うのである。

北斗酌美酒,勸龍各一觴。

それから天上の星の中で、北斗七星は柄杓であるから、それを取って美酒を飲もう、そうして太陽を馭してゆく、かの六龍たちを呼びつけ、それに一杯ずつ酒を飲ましてやり、しばらくその場で休憩してもらい、太陽を動かぬようにする。

富貴非所願,與人駐顏光。

富貴功名というものは、だれしも希望としているが、自分は決してそう願ってはいない。ただ、長いこと人として顔色を留めて、歳をとらぬようにすればよいとするので、そのためには、太陽を馭し、暫しなりとも、六龍を留めて動かぬようにしたいと思うのである。

 

(短歌行)

白日 何ぞ短短たる,百年 滿ち易きに苦む。

蒼穹 浩して茫茫,萬劫 太極長し。

麻姑 兩鬢を垂れ,一半 已に霜と成る。

#2

天公 玉女を見,大笑洲億千場。

吾 六龍を攬し,車を迴して 扶桑に掛けんと欲す。

北斗 美酒を酌み,龍に勸む 各の一觴。

富貴 願う所に非らず,人のために顏光を駐めん。

 

安陸・南陽・嚢陽 李白00 

『短歌行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

天公見玉女,大笑億千場。

吾欲攬六龍,迴車掛扶桑。

北斗酌美酒,勸龍各一觴。

富貴非所願,與人駐顏光。


(下し文)#2

天公 玉女を見,大笑洲億千場。

吾 六龍を攬し,車を迴して 扶桑に掛けんと欲す。

北斗 美酒を酌み,龍に勸む 各の一觴。

富貴 願う所に非らず,人のために顏光を駐めん。

(現代語訳)
しかし、天公は玉女の投壷するのをみて,大いに笑われ、その笑われをときには、電光となって現れるといわれ、それは何時までも、何処にでも止まないものであり、今に至るまで電光は堪えることが無い。

我々は天公のようにならなければ年を取らないということはないわけで、そうなりたいということで、白日を追う六龍の馭者となって義和の車を廻らして東海のほとりにあるという芙蓉の木に白日を引っ掛けていつまでもその日を照らし続けるようにしたいと思うのである。

それから天上の星の中で、北斗七星は柄杓であるから、それを取って美酒を飲もう、そうして太陽を馭してゆく、かの六龍たちを呼びつけ、それに一杯ずつ酒を飲ましてやり、しばらくその場で休憩してもらい、太陽を動かぬようにする。

富貴功名というものは、だれしも希望としているが、自分は決してそう願ってはいない。ただ、長いこと人として顔色を留めて、歳をとらぬようにすればよいとするので、そのためには、太陽を馭し、暫しなりとも、六龍を留めて動かぬようにしたいと思うのである。


(訳注) #2

短歌行  

(人の寿命は幾何ぞ、長い人生を得ることは難しい、だから知友と共に行楽を楽しもう)

魏の武帝、《短歌行》「対酒当歌、人生幾何。」(酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。)あるいは、西晋、陸機《短歌行》「置酒高堂、悲歌臨觴。人寿幾何、逝如朝霜。」(高堂に置酒し 悲歌して觴(さかづき)に臨む、人の寿命幾何(いくばく)ぞ 逝くこと朝霜のごとし)とあり、長い人生を得ることは難しい、知友と共に行楽を楽しもうと思い、自ら戒飭することを述べている。李白も同じように述べるが、その地位が権力者ではない部分、道教色彩が強くでている。

 李白には、《巻五 35長歌行》もあり、魏の文帝《燕歌行》、傅玄《艶歌行》があり、皆歌聲の長短を指すものであって、人生の長さをいうものでないものもある。

 

天公見玉女,大笑億千場。

しかし、天公は玉女の投壷するのをみて,大いに笑われ、その笑われをときには、電光となって現れるといわれ、それは何時までも、何処にでも止まないものであり、今に至るまで電光は堪えることが無い。

天公 天帝。上帝。また,天。

玉女 玉女投壷。『神異經』などにみられる傳 「東王公」(東王父とも)が玉女と投壺の遊びをした。今いう電光(稻妻)というのはこの点が大いに笑ったことをいうのである。《神異經東荒經》「東荒山中有大石室, 東王公居焉……恒與一玉女投壺, 每投千二百矯, 設有入不出者……矯出而誤不接者;天為之笑。” 張華注:言笑者, 天口流火炤灼,今天上不雨而有電光, 是為天笑也。「投壺」は矢を手で投げ,少し離れたところにおいた壺に入れて競う遊び。周の時代には既にあり、四書五経の一つ「礼記(らいき)」には、紀元前500年頃に遊ばれたことが記載されている。 三国、晋の時代にも投壺の記録があり、宋代には司馬光が「投壺格」「投壺新格」「投壺儀節」を著した。

億千場 何時までも、何処にでも止まないものであり、今に至るまで。

 

吾欲攬六龍,迴車掛扶桑。

我々は天公のようにならなければ年を取らないということはないわけで、そうなりたいということで、白日を追う六龍の馭者となって義和の車を廻らして東海のほとりにあるという芙蓉の木に白日を引っ掛けていつまでもその日を照らし続けるようにしたいと思うのである。

六龍 義和神話の中に出てくる神の名で、太陽が乗る車の馭者を意味する。『淮南子』に「日は車駕に乗るに、六龍を以てし、義和これが馭となる」とある。《淮南子》:「爰止羲和,爰息六螭,是謂懸車。」

 

北斗酌美酒,勸龍各一觴。

それから天上の星の中で、北斗七星は柄杓であるから、それを取って美酒を飲もう、そうして太陽を馭してゆく、かの六龍たちを呼びつけ、それに一杯ずつ酒を飲ましてやり、しばらくその場で休憩してもらい、太陽を動かぬようにする。

北斗酌美酒 《楚辞九歌、東君》「操余弧兮反淪降,援北斗兮酌桂漿。」“自分の弓を取って立ちかえり降りて、北斗の星の柄杓を取り、肉桂の薫るこんずを酌む”に基づく。

 

富貴非所願,與人駐顏光。

【為人駐顏光】【與人駐光】【與人駐流光】【為人駐光】【為人駐流光】。

富貴功名というものは、だれしも希望としているが、自分は決してそう願ってはいない。ただ、長いこと人として顔色を留めて、歳をとらぬようにすればよいとするので、そのためには、太陽を馭し、暫しなりとも、六龍を留めて動かぬようにしたいと思うのである。

 

李白の足跡003 

 

短歌行   曹操
対酒当歌、人生幾何。
譬如朝露、去日苦多。
慨当以慷、幽思難忘。
何以解憂、唯有杜康。
青青子衿、悠悠我心。

但為君故沈吟至今
呦呦鹿鳴食野之苹
我有嘉賓鼓瑟吹笙
明明如月、何時可採。
憂従中來、不可断絶。

越陌度阡、枉用相存。
契闊談讌、心念旧恩。
月明星稀烏鵲南飛
繞樹三匝何枝可依
山不厭高海不厭深
周公吐哺天下帰心

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558

 

短歌行  陸機(陸士衡) 

置酒高堂 悲歌臨觴

人寿幾何 逝如朝霜

時無重至 華不再陽

蘋以春暉 蘭以秋芳

来日苦短 去日苦長

今我不楽 蟋蟀在房

楽以会興 悲以別章

豈曰無感 憂為子忘

我酒既旨 我肴既臧

短歌有詠 長夜無荒

高堂に置酒し 悲歌して觴(さかづき)に臨む

人の寿命幾何(いくばく)ぞ 逝くこと朝霜のごとし

時は重ねて至ること無く 華は再び陽(ひら)かず

蘋(ひん)は春を以て暉き 蘭は秋を以て芳(かんば)し

来る日の短きに苦しみ 去る日の長きに苦しむ

今 我 楽しまずんば 蟋蟀(しつしゅつ)房に在らん

楽しきは会うを以て興り 悲しきは別れを以て章(あら)はる

豈に感無しと曰はんや 憂ひは子が為に忘らるる

我が酒既に旨く 我が肴既に臧(よ)し

短歌を詠ずること有らん 長夜にして荒(すさ)むこと無けん 

242-#1 《巻04-36 短歌行 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#1> Ⅰ李白詩1492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6008

李白  短歌行  #1  

白日何短短,百年苦易滿。

蒼穹浩茫茫,萬劫太極長。

麻姑垂兩鬢,一半已成霜。
白日というものどうしてこんなにも短いのだろう、朝は夕べを待たないのだろうか、百年というのもつかの間で、忽ちにして満ちてしまう。

242-#1 《巻04-36 短歌行 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#1> Ⅰ李白詩1492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6008

 
 2015年5月17日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
242-#1 《巻04-36 短歌行 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <242-#1> Ⅰ李白詩1492 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6008 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
66-#8 《讀巻06-05 施先生墓銘》 -#8§3-3 韓愈(韓退之)802年貞元18年 36歳<1405> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6009 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog杜甫 《1514 壯遊 -#13》【14分割】 杜甫詩index-15-766年大暦元年55歲-50 <914-#13> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6010 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog《(改訂版)花間集 溫庭筠集》『花間集』162全詩訳注解説(改訂版)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6012 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

 

年:737年開元二十五年37

卷別:  卷一六四        文體:  樂府

詩題:  短歌行

作地點:安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

 

短歌行  #1

(人の寿命は幾何ぞ、長い人生を得ることは難しい、だから知友と共に行楽を楽しもう)

白日何短短,百年苦易滿。

白日というものどうしてこんなにも短いのだろう、朝は夕べを待たないのだろうか、百年というのもつかの間で、忽ちにして満ちてしまう。

蒼穹浩茫茫,萬劫太極長。

天を仰ぎ見れば、どこまでも蒼蒼茫茫として、終極する事は無く、天地が初めて形するの時、萬劫を経るも、太極は無極で、終始依然足れども、白日のみは、忽ちに過ぎてゆくのである。

麻姑垂兩鬢,一半已成霜。

仙女麻姑でさえも、両鬢がたれて、一半は霜となり、さしもの仙人も、年の寄ることはまぬがれない。

#2

天公見玉女,大笑億千場。

吾欲攬六龍,迴車掛扶桑。

北斗酌美酒,勸龍各一觴。

富貴非所願,與人駐顏光。

 

(短歌行)

白日 何ぞ短短たる,百年 滿ち易きに苦む。

蒼穹 浩して茫茫,萬劫 太極長し。

麻姑 兩鬢を垂れ,一半 已に霜と成る。

#2

天公 玉女を見,大笑洲億千場。

吾 六龍を攬し,車を迴して 扶桑に掛けんと欲す。

北斗 美酒を酌み,龍に勸む 各の一觴。

富貴 願う所に非らず,人のために顏光を駐めん。

 

 

『短歌行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

短歌行  #1

白日何短短,百年苦易滿。

蒼穹浩茫茫,萬劫太極長。

麻姑垂兩鬢,一半已成霜。

(下し文)
(
短歌行)

白日 何ぞ短短たる,百年 滿ち易きに苦む。

蒼穹 浩して茫茫,萬劫 太極長し。

麻姑 兩鬢を垂れ,一半 已に霜と成る。

(現代語訳)
(人の寿命は幾何ぞ、長い人生を得ることは難しい、だから知友と共に行楽を楽しもう)

白日というものどうしてこんなにも短いのだろう、朝は夕べを待たないのだろうか、百年というのもつかの間で、忽ちにして満ちてしまう。

天を仰ぎ見れば、どこまでも蒼蒼茫茫として、終極する事は無く、天地が初めて形するの時、萬劫を経るも、太極は無極で、終始依然足れども、白日のみは、忽ちに過ぎてゆくのである。

仙女麻姑でさえも、両鬢がたれて、一半は霜となり、さしもの仙人も、年の寄ることはまぬがれない。


(訳注)

短歌行  #1

(人の寿命は幾何ぞ、長い人生を得ることは難しい、だから知友と共に行楽を楽しもう)

魏の武帝、《短歌行》「対酒当歌、人生幾何。」(酒に對しては 當【まさ】に歌ふべし,人生 幾何【いくばく】ぞ。)あるいは、西晋、陸機《短歌行》「置酒高堂、悲歌臨觴。人寿幾何、逝如朝霜。」(高堂に置酒し 悲歌して觴(さかづき)に臨む、人の寿命幾何(いくばく)ぞ 逝くこと朝霜のごとし)とあり、長い人生を得ることは難しい、知友と共に行楽を楽しもうと思い、自ら戒飭することを述べている。李白も同じように述べるが、その地位が権力者ではない部分、道教色彩が強くでている。

 李白には、《巻五 35長歌行》もあり、魏の文帝《燕歌行》、傅玄《艶歌行》があり、皆歌聲の長短を指すものであって、人生の長さをいうものでないものもある。

 

白日何短短,百年苦易滿。

白日というものどうしてこんなにも短いのだろう、朝は夕べを待たないのだろうか、百年というのもつかの間で、忽ちにして満ちてしまう。

 

蒼穹浩茫茫,萬劫太極長。

天を仰ぎ見れば、どこまでも蒼蒼茫茫として、終極する事は無く、天地が初めて形するの時、萬劫を経るも、太極は無極で、終始依然足れども、白日のみは、忽ちに過ぎてゆくのである。

萬劫 万年と同じ。一万劫の意で,きわめて遠大な年月のこと。 「万劫」の類語:未来永劫終古 永久。

太極 太極は万物の根源であり、ここから陰陽の二元が生ずるとする。もともとは『易経』繋辞上伝にある言葉。天地が初めて形するの時という意。

 

麻姑垂兩鬢,一半已成霜。

仙女麻姑でさえも、両鬢がたれて、一半は霜となり、さしもの仙人も、年の寄ることはまぬがれない。

麻姑 麻姑(まこ)は、中国神話に登場する下八洞神仙の一柱仙女である。西晋・東晋時代の葛洪の書『神仙伝』などに記述があり、その容姿は歳の頃1819の若く美しい娘で、鳥のように長い爪をしているという。また長寿の象徴でもあり、西王母の誕生祝いに麻姑が美酒を贈る「麻姑献寿」は絵画の題材にとられることも多い。

李白《巻三17有所思》「西來青鳥東飛去,願寄一書謝麻姑。」

李白《巻四-36 短歌行》「麻姑垂兩鬢,一半已成霜。」

李白《卷六7西岳云台歌送丹丘子》「明星玉女備洒掃、 麻姑搔背指爪輕。」

李白《巻八40 贈嵩山焦煉師》「中有蓬海客,宛疑麻姑仙。」

李白《卷十15贈王漢陽》「吾曾弄海水,清淺嗟三變。果愜麻姑言,時光速流電。」

皮日休《華山李煉師所居》「麻姑古貌上仙才,謫向蓮峰管玉臺。」

麻姑仙 麻姑仙壇記 (唐代の楷書麻姑(まこ)は、中国神話に登場する下八洞神仙の一柱仙女である。西晋・東晋時代の葛洪の書『神仙伝』などに記述があり、その容姿は歳の頃1819の若く美しい娘で、鳥のように長い爪をしているという。また長寿の象徴でもあり、西王母の誕生祝いに麻姑が美酒を贈る「麻姑献寿」は絵画の題材にとられることも多い。麻姑の名は『神仙伝』の巻二「王遠」と巻七「麻姑」の項に見られるが、麻姑に関する部分の記述はほとんど同じである。

漢の孝桓帝の代に、神仙の王遠が平民である蔡経の家に降臨し、使者をやって麻姑を呼び寄せた。麻姑は蔡経の弟の妻が出産数日後であることを遠目から知ると、しばらく近づかぬように言いつけ、清めのために少量の米粒を持ってこさせた。このとき地面に撒いた米は、悉く丹砂(巻七では真珠)に変わったという。麻姑は修行の時に、東海では3回も桑畑に変わる異変を見せる為に「滄海桑田(そうかいそうでん)」、「桑田碧海(そうでんへきかい)」の四字熟語が有名である。

蔡経は麻姑の爪が鳥のように伸びているのを見ると、彼女が神人であるにもかかわらず、心中「この爪で背中を掻けたら気持ちが良いだろう」と考えた。この心を見抜いた王遠は蔡経を捕まえて怒った。このとき蔡経は背を鞭で打たれたが、鞭を打つ人の姿は見えなかったという。

また同様の話は三国時代の『列異伝』にも見られ、この書では、麻姑の爪で背中を掻きたいと思った蔡経は彼女の怒りを買って地に倒れ、両目から血を流したという。

172-2 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <172-2> Ⅰ李白詩1385 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5473

 

短歌行   曹操
対酒当歌、人生幾何。
譬如朝露、去日苦多。
慨当以慷、幽思難忘。
何以解憂、唯有杜康。
青青子衿、悠悠我心。

但為君故沈吟至今
呦呦鹿鳴食野之苹
我有嘉賓鼓瑟吹笙
明明如月何時可採
憂従中來不可断絶

越陌度阡枉用相存
契闊談讌心念旧恩
月明星稀烏鵲南飛
繞樹三匝何枝可依
山不厭高海不厭深
周公吐哺天下帰心

《短歌行》 魏武帝  魏詩<86-#1 古詩源 800 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2548

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#2 古詩源 801 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2553

《短歌行 魏武帝》 武帝 魏詩<86-#3 古詩源 802 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2558

 

短歌行  陸機(陸士衡) 

置酒高堂 悲歌臨觴

人寿幾何 逝如朝霜

時無重至 華不再陽

蘋以春暉 蘭以秋芳

来日苦短 去日苦長

今我不楽 蟋蟀在房

楽以会興 悲以別章

豈曰無感 憂為子忘

我酒既旨 我肴既臧

短歌有詠 長夜無荒

高堂に置酒し 悲歌して觴(さかづき)に臨む

人の寿命幾何(いくばく)ぞ 逝くこと朝霜のごとし

時は重ねて至ること無く 華は再び陽(ひら)かず

蘋(ひん)は春を以て暉き 蘭は秋を以て芳(かんば)し

来る日の短きに苦しみ 去る日の長きに苦しむ

今 我 楽しまずんば 蟋蟀(しつしゅつ)房に在らん

楽しきは会うを以て興り 悲しきは別れを以て章(あら)はる

豈に感無しと曰はんや 憂ひは子が為に忘らるる

我が酒既に旨く 我が肴既に臧(よ)し

短歌を詠ずること有らん 長夜にして荒(すさ)むこと無けん 

222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838

李白 (改訂版) 大堤曲  春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。

 
 2015年4月14日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
222 《(改訂版) 巻4-16 大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
60-#2 (改訂版)《巻03-02 山石 #2》  韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》   ()<1372> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5844 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#3奉節-38-#3 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -3》 杜甫index-15 杜甫<910-#3> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5845 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊129《巻三32浣溪紗八首 其三》巻三3229-〈129〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5847 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

222 (改訂版) 巻4-16  大堤曲》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-16 李白53大堤曲 <222> Ⅰ李白詩1458 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5838

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    大堤曲

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:大堤 (山南東道 襄州 襄州)              

襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽        

 

(改訂版) 巻4-16  大堤曲》

大堤曲

(大堤の街の妓女の目線、心持になって構想したもの)

漢水臨襄陽,花開大堤暖。【漢水橫襄陽】

漢江の水は、襄陽城が臨み、城外を圍繞する大隄のまちの上には、花が満開、時候も暖かである。
佳期大堤下,淚向南雲滿。

春になったらと誰もが逢瀬の約束をして南の方に出かけていった、この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南雲をみあげると、涙が満ちてあふれだす。

春風無復情,吹我夢魂散。【春風復無情】

春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。

不見眼中人,天長音信斷。

恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。天は、遠くして、空のかなた、音信は断絶、さていよいよわが心は傷ましく増すばかり。

 

(大堤曲)

漢水は 嚢陽に臨み、花開いて 大堤暖かなり。
佳期 大堤の下【もと】、涙は南雲に向って満つ。
春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず
眼中の人を見えず、天 長くして 音信 断ゆ。

<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->李白の足跡0000
<!--[endif]-->

(改訂版) 巻4-16  大堤曲》

『大堤曲』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

大堤曲

漢水臨襄陽,花開大堤暖。【漢水橫襄陽】

佳期大堤下,淚向南雲滿。

春風無復情,吹我夢魂散。【春風復無情】

不見眼中人,天長音信斷。

(下し文)
(大堤曲)

漢水は 嚢陽に臨み、花開いて 大堤暖かなり。
佳期 大堤の下【もと】、涙は南雲に向って満つ。
春風 復た 情 無く、我が 夢魂を吹いて散ず
眼中の人を見えず、天 長くして 音信 断ゆ。

(現代語訳)
(大堤の街の妓女の目線、心持になって構想したもの)

漢江の水は、襄陽城が臨み、城外を圍繞する大隄のまちの上には、花が満開、時候も暖かである。
春になったらと誰もが逢瀬の約束をして南の方に出かけていった、この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南雲をみあげると、涙が満ちてあふれだす。

春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。

恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。天は、遠くして、空のかなた、音信は断絶、さていよいよわが心は傷ましく増すばかり。

嚢陽一帯00
(訳注) (改訂版) 巻4-16  大堤曲》

大堤曲(大隄曲)

(大堤の街の妓女の目線、心持になって構想したもの)

○大堤曲 『楽府詩集』#48「清商曲辞、西曲歌」。襄陽歌から派生したものとされる。 舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」隨王誕は大隄曲を作ったといわれている。

○大堤/大隄《大清一統志》「隄堰襄陽城隄在府城外」、《湖廣志》「大堤東臨漢江,西自萬山經檀溪、十門、白龍池、東津渡繞城北老龍堤,復至萬山之麓,周圍四十餘里。」

 

漢水臨襄陽,花開大堤暖。【漢水橫襄陽】

漢江の水は、襄陽城が臨み、城外を圍繞する大隄のまちの上には、花が満開、時候も暖かである。
○襄陽 湖北省、漢江にのぞむ町。 

○大堤 襄陽の南郊外にあり、行楽の土地。遊女が住んでいた。

○漢水 襄陽の街を北西から、南東に廻るように流れている。大堤からすると南は下流の方角になり、江南からの人ということになる。あるいは、李白が色町の女性と別れた時に作ったのかもしれない。 

 

佳期大堤下,淚向南雲滿。

春になったらと誰もが逢瀬の約束をして南の方に出かけていった、この大堤の下で逢うことを約束したのに来てくれない、南雲をみあげると、涙が満ちてあふれだす。
○佳期 男女の逢う約束。あいびきの時。

○南雲 晋の陸機の「親(肉親)を憶う賦」に「南雲を指して、まごころを寄せ、帰風を望みて誠をいたす」とあり、故郷の肉親を思うと解釈されることが多いが、恋人を思う気持ちを詠っている。

 

春風無復情,吹我夢魂散。【春風復無情】

春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い風も、わたしにとってはまことにつれなくなさけないもので、慕情の夢を冷ましてしまう。

○春風 春の風。宋玉 《登徒子好色賦》「寤春風兮發鮮榮。」春風は和らぎ暖かであるから、恩恵の深い喩え。春風は万物を発生するから、人を教育する。


不見眼中人,天長音信斷。

恋しいあの人の面影ばかりが目の中に残っているが、それがなかなか見えない。天は、遠くして、空のかなた、音信は断絶、さていよいよわが心は傷ましく増すばかり。

221 《(改訂版) 巻4-15 襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-15 李白と道教(7)襄陽曲四首之四<221> Ⅰ李白詩1457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5833

李白《(改訂版)  襄陽曲,四首之四  習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

 

 
 2015年4月13日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
221 《(改訂版) 巻4-15 襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-15 李白と道教(7)襄陽曲四首之四<221> Ⅰ李白詩1457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5833 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
60-#1 (改訂版)《巻03-02 山石 #1》 (山石犖確行逕微,) 韓愈(韓退之)ID 《 801年貞元17年 34歳》<1371> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5839 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#2奉節-38-#2 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -2》 杜甫index-15 杜甫<910-#2> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5840 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-4.薛昭蘊128《巻三31浣溪紗八首 其二》巻三3128-〈128〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5842 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

221 (改訂版) 巻4-15  襄陽曲,四首之四》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-15 李白と道教(7)襄陽曲四首之四<221> Ⅰ李白詩1457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5833

 

 

734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之四

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

習家池 (山南東道 襄州 峴山) 別名:習池    

 

 

襄陽曲,四首之四

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

且醉習家池,莫看墮淚碑。

習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。

 

(襄陽曲,四首之四)

且醉習家池,莫看墮淚碑。山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

 

 

 

『襄陽曲,四首之四』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲,四首之四

且醉習家池,莫看墮淚碑。

山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

(下し文)
(
襄陽曲,四首之四)

且らく酔わん 習家の池、堕涙の碑を看る莫れ。

山公 馬に上らんと欲すれば、笑殺す 嚢陽の児。

(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。


嚢陽一帯00
(訳注)

襄陽曲,四首之四

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第四首は第二首に続いて襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

 

且醉習家池,莫看墮淚碑。

習家の池上は花木の勝があって、まことに宜しい所であるから、そこを散策し酔うのが善い。峴山の上に建つ墮淚碑は羊祜の遺跡であり、これを見ると懐古の念を催すから、まず、見ることである。そして、墮淚碑をみてからは習家池で酔いつぶれよう。

○習家池 山簡がいつも酔っぱらった高陽池のこと。漢の習郁という人が、養魚のためにこの池をつくり、池のまわりの高い堤に竹などを植え、ハスやヒシで水面をおおい、以来、遊宴の名所となったと「世説」の注に見える。襄陽にある池の名で高陽池(習家池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。 杜甫《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》「習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。」

index14廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。

 

山公欲上馬,笑殺襄陽兒。

むかし、山公先生は習家の池上に酔うて、また酔うて、それでも馬に乗ろうとするときに、よほどおかしい所作をするというので、襄陽の子供たちは、これを嘲り笑い転げて歌い囃したというが、そんな真似をして飲んで酔うのが善かろう。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は『世説新語・任誕第二十三』「山季倫爲荊州,時出酣暢。人爲之歌曰:「山公時一醉,逕造高陽池,日莫倒載歸,酩酊無所知。復能乘駿馬,倒著白接,舉手問葛強,何如并州兒?」高陽池在襄陽。」とある。 

杜甫《章梓州水亭》「城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。」

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

○笑殺 穀は調子を強める字。

襄陽兒 襄陽の街の子供たち。

李白の足跡0000 

『襄陽』『山陽記』

   〔習郁池:〕〔裏判〕峴山南八百歩、西下道百歩、有大魚池、漢侍中習郁依萢叢養魚法、池邊有高陂、〔陂長六十歩、廣四十歩〕、當中築一釣臺。郁將亡、勅其長子煥日“葬我必近魚池”、煥爲起家於之北、去池四十歩。〔列植松篁于池側、郁所居也。又作石洑宅北、作小魚池。池長七十歩、廣二十歩。西枕大道、東北二邊限以高隄〕、皆種竹及長愀、芙蓉菱芡覆水、是遊宴名處也。

   〔習郁池:〕〔嚢陽の〕肩山の南のかた八百歩、西に道を下ること百歩に大魚池有り。漢の侍中の習郁は萢姦の養魚法に依る。池辺に高破有り、〔破は長さ六十歩、広さ四十歩〕、中に当たりて一釣壼を築く。郁の将に亡せんとするや、其の長子・換に勅して曰く“我を葬るに必らず魚池に近くせよ”と。喚は為に家を池の北、池を去ること四十歩に起つ。〔松篁を池側に列べ論う。郁の居りし所なり。又た石猷逗を作り、大池の水を痛風に引き、小魚池を作る。池は長さ七十歩、広さ二十歩。西は大道を枕にし、東北の二辺は限るに高論を以てし〕、皆な竹及び長椴を種え、芙蓉・菱茨は水を覆う。是れ遊宴の悪処なり。

 

   〔山簡〕山季倫鎮襄陽、毎臨此池、未嘗不大酔而還、恒日“此是我高陽池也”。襄陽城中小児歌之日“山公何所詣、往至高陽池’。日夕倒載歸。茗芋無所知。時時能騎馬、倒著白接離。擧鞭問葛彊、何如幷州児”。〔彊家在幷州、簡愛將也〕。

 

   山季倫はめんてい襄陽に鎮たりしとき、此の池に臨む毎に、未だ嘗て大いに酔いて還らざるなし。恒に曰く“此れ由れ我が高批の池なり”と。嚢陽の城中の小児は之を歌いて曰く“山公は何れの所にか詣る、往いて高峯池に至る。日夕に倒載せられて帰り、茗棄して知る所無し。時時に能く馬に騎るも、倒しまし白接離を著く。鞭を挙げて葛彊に問うらく、幷州の児に愛將”と。


220 《(改訂版) 巻4-14 襄陽曲,四首之三》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-14 李白と道教(7)襄陽曲四首之三<220> Ⅰ李白詩1456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5828

李白 襄陽曲,四首之三(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

 

 

 
 2015年4月12日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
220 《(改訂版) 巻4-14 襄陽曲,四首之三》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-14 李白と道教(7)襄陽曲四首之三<220> Ⅰ李白詩1456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5828 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
59-#3 《補遺-02 海水》 -#3 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1370> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5834 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-47-#1奉節-38-#1 《巻16-10 八哀詩八首(八)故右僕射相國張公九齡 -1》 杜甫index-15 杜甫<910-#1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5835 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説-4.薛昭蘊 (改訂版)《巻三27浣溪紗八首 其一》27-〈花間集127〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5837 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 

220 (改訂版) 巻4-14 襄陽曲,四首之三》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-14 李白と道教(7)襄陽曲四首之三<220> Ⅰ李白詩1456 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5828

 

 

襄陽曲,四首之一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽行樂處,歌舞白銅鞮。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

江城回淥水,花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。

 

 

襄陽曲四首 其二

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

山公醉酒時、酩酊高陽下。

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

頭上白接籬、倒著還騎馬。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。

 

(襄陽曲四首 其の二)

山公 酒に酔うの時、酩酊す 高陽の下。

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎す。

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之三

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山    

 

 

襄陽曲,四首之三

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)

峴山臨漢江,水綠沙如雪。【水色如霜雪】

峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

上有墮淚碑,青苔久磨滅。

むかし、晋の羊祜は、この地の太守になって、民の恩恵を施したことにより、その薧後、民はその遺徳を思い、その記念として峴山山上には「墮淚碑」を建てた、しかし、歳月はしきりに過ぎ、その碑はいまや磨滅し、 青苔におおわれたままうもれて見えない。

 

(襄陽曲,四首の三)

峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。

上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。

 

嚢陽一帯00 

『襄陽曲,四首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲,四首之三

峴山臨漢江,水綠沙如雪。【水色如霜雪】

上有墮淚碑,青苔久磨滅。


(下し文)
(襄陽曲,四首の三)

峴山 漢江に臨み、水は緑に 抄は雪の如し。

上に堕涙の碑有り、青苔に 久しく磨滅す。


(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)

峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

むかし、晋の羊祜は、この地の太守になって、民の恩恵を施したことにより、その薧後、民はその遺徳を思い、その記念として峴山山上には「墮淚碑」を建てた、しかし、歳月はしきりに過ぎ、その碑はいまや磨滅し、 青苔におおわれたままうもれて見えない。



(訳注)

襄陽曲,四首之三

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第三首は襄陽の峴山の上に立てられた晋のこの地の太守であった羊祜の記念碑「墮淚碑」について詠う)

襄陽曲 六朝の宋の隋王誕が作ったといわれる「襄陽楽」という歌謡に、「朝に襄陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。襄陽曲は、すなわち襄陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。舊唐書に次のように見える。舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野《宋略》稱:「晉安侯劉道為雍州刺史,有惠化,百姓歌之,號《襄陽楽》。」(襄陽楽は宋の隨王誕の作る所なり。誕 始めて襄陽郡と為る,元嘉二十六年,仍って雍州と為る,夜 諸女の歌謠を聞き,因って之を作る。故に歌和して云う「襄陽來夜樂。」其の歌に曰う:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野の《宋略》に稱す:「晉安侯 劉道 雍州刺史と為って,惠化有り,百姓之を歌い,《襄陽楽》と號す。)

なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。

 

峴山臨漢江,水綠沙如雪。【水色如霜雪】

峴山は漢江に臨んでそびえたつ、漢江のながれる水はいつも清く澄み、両川辺の砂は雪のような白さだ。

○峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。

「峴山の詩」孟浩然 与諸子登峴山 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

還至端駅前与高六別処 張説 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308

輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -310

過故人莊 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -311

○漢江 漢水とおなじ。長江の一番大きな支流。 

 

上有墮淚碑,青苔久磨滅。

むかし、晋の羊祜は、この地の太守になって、民の恩恵を施したことにより、その薧後、民はその遺徳を思い、その記念として峴山山上には「墮淚碑」を建てた、しかし、歳月はしきりに過ぎ、その碑はいまや磨滅し、 青苔におおわれたままうもれて見えない。

○堕涙碑 晋の羊祜は、荊州の都督(軍事長官)として襄陽のまちを治めて人望があった。かれは生前、峴に登って酒を飲み、詩を作つたが、かれが死ぬと、襄陽の人びとはその人となりを偲んで、山上に石碑を立てた。その碑をみる人は、かれを思い出して涙を堕さないではいられなかったので、堕涙碑と名づけられた。名づけ親は、羊祜の後任で荊州の都督となった杜預、(杜甫の遠い先祖にあたる)である。

 

襄陽曲,四首其三 

峴山臨漢江、水淥沙如雪。

上有墮淚碑、青苔久磨滅。
李白の足跡0000 

219 《(改訂版) 巻4-13 襄陽曲,四首之二》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-13 李白と道教(7)襄陽曲四首之二<219> Ⅰ李白詩1455 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5823

李白 《(改訂版) 襄陽曲,四首之二  (襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

 
 2015年4月11日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
219 《(改訂版) 巻4-13 襄陽曲,四首之二》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-13 李白と道教(7)襄陽曲四首之二<219> Ⅰ李白詩1455 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5823 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
59-#2 《補遺-02 海水》 -#2 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1369> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5829 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#8奉節-37-#8 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -8》 杜甫index-15 杜甫<909-#8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5830 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-48韋荘126《巻3-26 小重山一首》三巻26-〈126〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5832 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

219 (改訂版) 巻4-13  襄陽曲,四首之二》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻4-13 李白と道教(7)襄陽曲四首之二<219> Ⅰ李白詩1455 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5823

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之二

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

高陽池 (山南東道 襄州 襄州)         

 

 

襄陽曲,四首之一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽行樂處,歌舞白銅鞮。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

江城回淥水,花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。

 

 

襄陽曲四首 其二

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

山公醉酒時、酩酊高陽下。

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

頭上白接籬、倒著還騎馬。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。

 

(襄陽曲四首 其の二)

山公 酒に酔うの時、酩酊す 高陽の下。

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->嚢陽一帯00
<!--[endif]-->

 

『襄陽曲四首 其二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲四首 其二

山公醉酒時、酩酊高陽下。

頭上白接籬、倒著還騎馬。

(下し文)
(襄陽曲四首 其の二)

山公 酒に酔うの時、酩酊す 高陽の下。

頭上の 白接籬、倒しまに着けて還た馬に騎す。

(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。



(訳注)

襄陽曲四首 其二

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第二首は襄陽の高陽池に遊んだ西晋の山簡について詠う)

襄陽曲 六朝の宋の隋王誕が作ったといわれる「襄陽楽」という歌謡に、「朝に襄陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。襄陽曲は、すなわち襄陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。舊唐書に次のように見える。舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野《宋略》稱:「晉安侯劉道為雍州刺史,有惠化,百姓歌之,號《襄陽楽》。」(襄陽楽は宋の隨王誕の作る所なり。誕 始めて襄陽郡と為る,元嘉二十六年,仍って雍州と為る,夜 諸女の歌謠を聞き,因って之を作る。故に歌和して云う「襄陽來夜樂。」其の歌に曰う:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野の《宋略》に稱す:「晉安侯 劉道 雍州刺史と為って,惠化有り,百姓之を歌い,《襄陽楽》と號す。)

 

山公醉酒時、酩酊高陽下。

むかし、山簡先生はいつもお酒に酔っている、野酒酩酊して、かならず高陽池のほとりでおりていた。

○山公 山簡のこと。字は季倫。西晋時代の人。竹林の七賢の一人、山濤の子。公は一般に尊称であるが、ここでは、とくに尊敬と親しみの気特がこもっている。山簡、あざなは季倫。荊州の地方長官として嚢陽にいたとき、常に酔っぱらっては高陽の池にあそび(野酒)、酩酊したあげく、白い帽子をさかさに被り、馬にのって歩いた。それが評判となり、そのことをうたった歌までできた。話は『世説新語・任誕第二十三』「山季倫爲荊州,時出酣暢。人爲之歌曰:「山公時一醉,逕造高陽池,日莫倒載歸,酩酊無所知。復能乘駿馬,倒著白接,舉手問葛強,何如并州兒?」高陽池在襄陽。」とある。 

杜甫《章梓州水亭》「城晚通雲霧,亭深到芰荷。吏人橋外少,秋水席邊多。近屬淮王至,高門薊子過。」

701 《章梓州水亭〔自注:時漢中王兼道士席謙在會,同用荷字韻。〕》蜀中転々 杜甫<608 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3350 杜甫詩1000-608-864/1500

荊州愛山簡,吾醉亦長歌。

○高陽 嚢陽にある池の名で高陽池(習家池)のこと、刑州にある、晋の山簡は永嘉三年に襄陽に鎮したが、常に習氏の池上に飲み、これを名づけて高陽池といった。杜甫は習池を以て草堂に比している。 杜甫《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》「習池未覺風流盡,況複荊州賞更新。」

index14廣徳2764-90 《將赴成都草堂途中有作,先寄嚴鄭公,五首之二》<762 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4395

 

頭上白接籬、倒著還騎馬。

その揚げ句には、あたまの上には、白い帽子。それを前後逆さに取り違えてかぶりながら、それも知らずに馬に跨り、平気で乗り回していた。

○白接離  (はくせつり、りの草冠はあみ頭) 罷膏の山簡がかぶった白巾の帽子。接離は帽子。 杜甫《陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八》「醉把青荷葉,狂遺白接蘺。」

陪鄭広文遊何将軍山林十首 其八 杜甫 :kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 誠実な詩人杜甫特集 62
李白の足跡0000 

218 《(改訂版) 巻4-12 襄陽曲,四首之一》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻 李白と道教(7)襄陽曲四首之一<218> Ⅰ李白詩1454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5818

李白 襄陽曲,四首之一(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

 

 
 2015年4月10日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
218 《(改訂版) 巻4-12 襄陽曲,四首之一》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻 李白と道教(7)襄陽曲四首之一<218> Ⅰ李白詩1454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5818 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
59-#1 《補遺-02 海水》 -#1 韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 33歳<1368> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5824 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-46-#7奉節-37-#7 《巻16-09 八哀詩八首〔七〕故著作郎貶台州司戶滎陽鄭公虔 -7》 杜甫index-15 杜甫<909-#7> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5825 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-47韋荘125《巻3-25 木蘭花一首》三巻25-〈125〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5827 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

218 (改訂版) 巻4-12  襄陽曲,四首之一》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 巻 李白と道教(7)襄陽曲四首之一<218> Ⅰ李白詩1454 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5818

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    襄陽曲,四首之一

作地點:              襄州(山南東道 / 襄州 / 襄州)

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

襄陽曲,四首之一:(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽曲,四首之二

襄陽曲,四首之三

襄陽曲,四首之四

大堤曲

襄陽歌

 

 

襄陽曲,四首之一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽行樂處,歌舞白銅鞮。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

江城回淥水,花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

 

襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。

 

嚢陽一帯00 

『襄陽曲,四首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

襄陽曲四首其一

其一

襄陽行樂處。 歌舞白銅蹄。

江城回水。 花月使人迷。

(下し文)
襄陽曲四首其の一

襄陽 行楽の処、歌舞 白銅蹄。

江城 を回し、花月 人をして迷わせる。


(現代語訳)
(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。


(訳注)

襄陽曲四首其一

(襄陽地方の名所古蹟について述べ一首一か所を詠出し、第一首は襄陽の風景を慨叙したもの。)

襄陽曲 六朝の宋の隋王誕が作ったといわれる「襄陽楽」という歌謡に、「朝に襄陽城を発し、暮に大隄の宿に至る。大隄の諸女児、花顛郡の目を驚かす」とある。襄陽曲は、すなわち襄陽楽であり、李白のこの第一首の結句は、隋王誕の歌の結句と似ている。舊唐書に次のように見える。舊唐書《襄陽樂》「宋隨王誕之所作也。誕始為襄陽郡,元嘉二十六年,仍為雍州,夜聞諸女歌謠,因作之。故歌和云「襄陽來夜樂。」其歌曰:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野《宋略》稱:「晉安侯劉道為雍州刺史,有惠化,百姓歌之,號《襄陽楽》。」(襄陽楽は宋の隨王誕の作る所なり。誕 始めて襄陽郡と為る,元嘉二十六年,仍って雍州と為る,夜 諸女の歌謠を聞き,因って之を作る。故に歌和して云う「襄陽來夜樂。」其の歌に曰う:「朝發襄陽來,暮至大堤宿。大堤諸女兒,花艷驚郎目。」裴子野の《宋略》に稱す:「晉安侯 劉道 雍州刺史と為って,惠化有り,百姓之を歌い,《襄陽楽》と號す。)

なお、李白の、次にあげた「大隄の曲」、および 前の「嚢陽の歌」を参照されたい。○襄陽 いまの湖北省襄陽県。漢水にのぞむ町。李白はこの地から遠からぬ安陸に、三十歳前後の頃、定住していた。また、李白の敬愛する先輩の詩人、孟浩然は、裏陽の旧家の出身であり、一度は杜甫に連れられ玄宗にお目通りしたが仕えず、この地の隠者として終った。

 

襄陽行樂處。 歌舞白銅蹄。

襄陽は、風土もよく、山水も明媚であってもっともたのしい行楽の場所である。士女、庶民は、古いわらべ歌の「白銅蹄」を歌ったり踊ったり伝誦している。

白銅蹄 六朝時代に襄陽に流行した童謡の題。別に参考としては、『楽府詩集』に収められる「襄陽楽九首」、張鈷「襄陽楽」、崔国輔「襄陽曲二首」、施肩吾「襄陽曲」、李端「襄陽曲」、梁・武帝「襄陽躇銅蹄三首」、沈約「襄陽固銅蹄三首」〔以上巻四八〕、「襄陽童児歌」〔巻八五〕) 

白銅蹄は随所に以下のように見える。 《隋書》卷十三《音樂志上》「初武帝之在雍鎮,有童謠云:「襄陽白銅蹄,反縛揚州兒。」識者言,白銅蹄謂馬也。白, 金色也。 及義師之興, 實以鐵騎, 揚州之士, 皆面縛, 果如謠言。 故即位之後, 更造新聲, 帝自為之詞三曲, 又令沈約為三曲, 以被絃管。」(初め武帝の雍鎮に在るや,童謠有り 云う:「襄陽 白銅蹄は,反縛揚州兒と。」識者は言う,白銅蹄は馬を謂うなり。白は, 金色なり。義師の興るに及び, 實に鐵騎を以てす, 揚州の士, 皆 面縛すること, 果して謠言の如し。 故に即位の後, 更めて新聲を造る, 帝 自ら之が詞三曲を為り, 又 沈約をして三曲を為ら令め, 以て絃管に被らしむ。)

 

江城回淥水。 花月使人迷。

漢水の緑に澄んだ大江のながれは江城をめぐるのを峴山はのぞむ、この街のなまめかしい花と月とは、人の心をまよわせるばかりである。

淥水 清らかな水。漢水の事。 

花月 花と月と。風流なあそびをさそうもの。
李白の足跡0000 

199 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <199> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678

李白《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

 
 2015年3月12日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorBlog
199 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <199> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorBlog
44-#2 《0306 鳴雁 -#2》韓愈(韓退之)ID 雉帶箭【案:此愈佐張僕射於徐,獵而作也。】<1339> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5679 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorBlog766年大暦元年55歲-43-#1奉節-34-#1 《巻16-06 八哀詩八首〔四〕贈太子太師汝陽郡王璡 -1》 杜甫index-15 杜甫<906-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5680 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2Blog 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-18韋荘96《巻2-46 淸平樂其四其一》二巻46-〈96〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5682 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩花間集(6)花間集(7)花間集(8)花間集(9)花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 


199 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <199> Ⅰ李白詩1426 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5678

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六四               李太白集巻四 34首目 文體:  樂府

詩題:    洛陽陌

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:              洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

天津橋 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛橋    

 

 

洛陽陌

(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

白玉誰家郎,回車渡天津。

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

看花東陌上,驚動洛陽人。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

 

(洛陽陌)

白玉 誰家の郎,車を回らして天津を渡る。

花を東陌の上に看て,洛陽の人を驚動する。

 

touRAKUYOjou600 

『洛陽陌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

洛陽陌

白玉誰家郎,回車渡天津。

看花東陌上,驚動洛陽人。


(下し文)
(洛陽陌)

白玉 誰家の郎,車を回らして天津を渡る。

花を東陌の上に看て,洛陽の人を驚動する。

(現代語訳)
(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。



(訳注)

洛陽陌

(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

 

白玉誰家郎,回車渡天津。

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

・白玉 杜甫《少年行》「馬上誰家白面郎」馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。

屈原《楚辞・九歌「湘夫人」》「白玉兮為鎮、疏石蘭兮為芳。止葺兮荷屋、繚之兮杜衡。(白玉を鎮と為し、石蘭を疏【し】いて芳と為し。止【し】もて荷屋に葺き之に杜衡を繚【めぐ】らす。)

・天津橋 洛陽の都の南にあった橋。隋・煬帝が洛陽に都を遷した時、架した橋で、洛水を天の川に比して「天津」(天の川の渡し場)と名づけた。旧洛陽は洛水を挟んでおり、宮城の南に皇城があり、その正門が「端門」で、更にその真南にあるのが「天津橋」になる。この橋の道というのが、街路中央に御道(天子行幸路)が備えられた御成道であるという洛陽の代表的な道であり、この天津橋は、洛陽を代表的する橋になる。劉禹錫『公子行』「天津橋下陽春水,天津橋上繁華子。」洛陽の都の天津橋の下を流れる、暖かな季節春の水が流れている。洛陽の都の天津橋の上を行き交う、世間知らずな若さで青春を謳歌している貴公子たちがいる。

公子行  劉希夷(劉廷芝) (1) 初唐

 

看花東陌上,驚動洛陽人。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

 

漢魏隋唐の洛陽城 

 

 

 

 

少 年 行
貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は詩言絶句である。


馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

馬にうちのったどこの家のわかものかしらぬが、きざはしのそばで馬からおりてどっかと椅子に腰かけた。それから大ざっぱな様子でどこのだれとも名のらず、「あれをくれ」というて銀のさかがめを指ざしして酒をもとめてのんでいる。

○少年行 少年のことをよんだうた。  ○白面郎 かおのしろいわかもの。  ○階 さかやのきざはし。  〇人牀 他人の家のいす。○不通姓氏 だれそれと姓名をなのらぬ。  ○麤豪 細慎ならぬことをいう。人も無げな大ざっぱなふるまい。  ○指点 あれと指ざしする。○銀瓶 銀でこしらえたさかがめ。


<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

(少年行)
馬上誰が家の白面郎ぞ
階に臨み馬より下りて人の牀に坐す
姓氏を通ぜず麤豪そごう甚し
銀瓶ぎんべいを指点して酒を索もとめて嘗なむ

 

杜甫『年行』を一首と二首の三首,作っている
馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

 

 

杜甫 少年行

王維 少年行

145-#1 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#1> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

145-#2 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#2> Ⅰ李白詩1339 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5243

164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

165 《巻05-13 少年行,二首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <165> Ⅰ李白詩1361 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5353

166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

197-#1 《巻3-25 結客少年場行 -#1(紫燕黃金瞳,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <197-#1> Ⅰ李白詩1421 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5653






198 -#2 《巻4-29秦女休行 -#2 (西門秦氏女,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <198 -#2> Ⅰ李白詩1425 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5673

李白《巻4-29秦女休行 -#2 (西門秦氏女,)》その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

 

 
 2015年3月11日の紀頌之5つのブログ 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
LiveDoorブログ
198 -#2 《巻4-29秦女休行 -#2 (西門秦氏女,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32歳 12首 <198 -#2> Ⅰ李白詩1425 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5673 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
  総合案内
(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
 Ⅱ中唐詩・晩唐詩
  LiveDoorブログ
44-#1 《0306 鳴雁 -#1》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1338> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5674 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-42-#8奉節-33-#8 《巻16-05 八哀詩八首〔三〕贈左僕射鄭國公嚴公武 八分割-#8》 杜甫index-15 杜甫<905-8> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5675 
 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-17韋荘95《巻2-45 荷葉杯二首其二》二巻45-〈95〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5677 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
  ■最近Best5 賦・詩・詞(漢詩4ブログ各部門)漢詩総合サイト 07ch 
 杜甫全詩案内韓愈全詩案内李白全集文選古詩源花間集案内 
 
 

198 -#2 《巻4-29秦女休行 -#2 (西門秦氏女,)》Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <198 -#2> Ⅰ李白詩1425 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5673

 

 

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    秦女休行

【案:魏協律都尉左延年所作,今擬之。】

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

 

 

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

西門秦氏女,秀色如瓊花。

西門秦氏の女は絶世の美女で、その麗しきことは、天下稀に見るあの瓊花に比すほどのものである。

手揮白楊刀,清晝殺讎家。【手揮白楊刃】

これほどの繊弱である女がか細い手に細みの太刀、白楊刀を振るって、真昼時に讎なる者を討ち取り殺した。

羅袖灑赤血,英氣凌紫霞。【英聲凌紫霞】

その際の鮮血は紅く蘿袖を染めたが、天晴な名誉は、紫霞を凌いで天に届くほどに広がった。

直上西山去,關吏相邀遮。

それから女はその場から逃げ延びて、西山に登って隠れようと山頂4、5里までのところで、関所の役人が迎えてこれを遮り、捕縛され、囚われの身となった。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

金雞忽放赦,大辟得寬

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

(秦女休行)

西門の秦氏の女,秀色 瓊花の如し。

手に白楊の刀を揮い,清晝に讎家を殺す。

羅袖に赤血を灑ぎ,英氣は紫霞を凌ぐ。

直ちに西山に上って去れば,關吏 相い邀って遮る。

 

婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり

何ぞ 聶政の姊に慚じ,萬古 共に驚嗟す。

 Ta唐 長安近郊圖  新02

 

『秦女休行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

婿為燕國王,身被詔獄加。

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

金雞忽放赦,大辟得寬

何慚聶政姊,萬古共驚嗟。


(下し文)
婿は燕國の王為り,身は詔獄に加え被る。

刑を犯して虎を履むが若く,爪牙に落つるを畏れず。

素頸 未だ斷つに及ばず,眉を摧いて 泥沙に伏す。

金雞 忽ち放赦,大辟 寬【かんしゃ】を得たり。

何ぞ 聶政のに慚じ,萬古 共に驚嗟す

(現代語訳)
彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

00長安城の図
(訳注)

秦女休行

(美しく嫋やかな女性の身でありながら、宗族の仇を討とうとした女性をほめ讃えた詩である。)

秦氏の女として生まれ、美しい容色に恵まれながら,白刃を振るい、白昼仇討ちを決行する。燕國王の夫人から,身を落とし、山中に逃げ込んだが、やがて獄に繋がれた。頸を斷られる前に,天子は、その義烈に感じたまいて恩赦をうけた。 聶政姊に恥ずることはない。共に万古驚くべき壮烈な女である。十七句「何慚聶政姊」と対比される聶政姊も列女として有名で、史記刺客列伝によると、聶政は、暗殺を成し遂げると、自分が何者かを隠すため顔の皮を剥ぎ取って自殺した。市場に晒された死体を見て、弟の聶政だと明かして、自分も死んでしまったという女性でる。

李白の前にも、魏の左延年、西晋の傅玄が秦女休行の詩を作っている。男兄弟たちは、仇を討とうとしなかった。都市に潜み、美しい衣から短いぼろを身につけ、仇を狙った。獄につながれたなどの内容が解るが、こちらでは仇討を試みるが、民が豊かに暮らしているのを見てやめたと取れる内容も書かれている。

 

婿為燕國王,身被詔獄加。

彼女の婿は燕の国王である、殺人という大罪は、いまさら詮議すべきことではなくその身は詔獄につながれることになった。

詔獄 長安の大獄。

 

犯刑若履虎,不畏落爪牙。

そして、その景罰を受けるものは、虎の尾を踏むような恐怖心でいるし、諦めて死に就くこともあるのかと思っていたが、彼女は堂々として虎の爪や牙が落ちたものに接するかのように恐れてはいなかった。

 

素頸未及斷,摧眉伏泥沙。

それから、刑場に引き出され、白い首を切り落とされるに及び前に、身を引き据えられると、さすがに眉をくだいて、憂い顔をしつつ、泥だらけの地べたの上に押し附せられ見るも傷ましい有様になった。

 

金雞忽放赦,大辟得寬

その時、金雞の詔勅が立ち待ち下り、天子から恩赦となり、斬首を許されることになったので、まことに喜ばしいことと、見ている人々も安心した。

金雞 天皇が公務で行った意思表示をいう。広義には憲法や法律などの法規を含むが、狭義には詔書・勅書・勅語など特段の形式を定めていないものをいう。

放赦 天子から恩赦となり、斬首を許されること。

 

何慚聶政姊姉,萬古共驚嗟。

秦女休の義烈は彼の聶政の姉にも慚ことはなく、万年あとの世まで語り伝えてゆく話と感嘆したのである。

聶政姉 聶政は韓の生まれだったが、喧嘩を起こし、その相手を殺してしまった為、年老いた母と未婚の姉と共に斉に身を隠し、それ以来は、食肉の解体で生計を立てていた。

ある日、聶政の噂を耳にした韓の大臣である厳仲子[1]という人物が家を訪れ、「貴方のような義士と友好を持ちたいと思っておりました」と言い、それから1ヶ月に1度は聶政を訪ねた。

数ヵ月後、聶政の母親の長寿を祝って宴席を開いた厳仲子は、その祝いと称して2千両もの大金を贈った。聶政がこれは受け取れないというと、厳仲子は、「実は、私には恨みを晴らさねば死んでも死にきれない思いをしている人物がおります。私は手助けを頼める人物を探し求め、やっと貴方を見つけたのです。このお金は貴方の母上の生活費として私にお力をお貸し下さい」と言った。しかし聶政が「老いた母を残して他国には行けません」というと、厳仲子は「私は衛の濮陽に住んでいるので、気が変わったらお訪ね下さい」と言い残して去っていった。

それから数年後。聶政の母はこの世を去り、姉も嫁いでいった。一人身となった聶政は自分を見込んでくれた厳仲子の為に尽くすことを決め、衛の濮陽に向かった。

厳仲子は喜んで聶政を迎え入れ、聶政が手伝ってくれるというと「自身を失脚させた韓の宰相、侠累を討ちたいのです」と告げた。聶政は快諾し、厳仲子の身元を洩らさないように、自分一人で向かうといい、単身、韓に乗り込んだ。

宰相邸に向かった聶政は「宰相に訴えたいことがあります」と言ったが、門番に止められたため、剣を奪ってたちどころに斬りかかった。そして、侠累を一太刀に斬り殺し、更に13人を殺したが、もう逃げられぬと諦めると、「男の死に様をよく見ておけ」というやいなや、手に持っていた剣で顔を削り、そして目をくりぬいた。さらに腹をかき切り、はらわたをつかみ出して息絶えた。

韓はただちに身元を洗ったが、兵士のなかで知るものはなく、聶政の死体を街中にさらし、「下手人の姓名を知るものには、千金を与える」と布告した。

この話を聞いた聶政の姉は胸騒ぎを感じて、韓の都へと急いだ。

その死体にある、聶政と同じほくろを見た姉は、周りの見物人に向かって、「皆さん、この男は、聶政といって、私の弟です」と言った。すると見物人たちは「そんなことをいったら、あなたも同罪になりますよ」と諫めたが、彼女は、「私が明かさなければ、弟の名は埋もれてしまい、それでは弟がかわいそうすぎる。私が名乗ったのは覚悟の上です」といい、その場で自決した。  

この話はたちまち全国に広まり、人々は「恩義に応えた聶政も立派だが、姉さんもなんという烈女だ」と言い、涙した。

 

 

左延年《秦女休行》

始出上西,遥望秦氏廬。

秦氏有好女,自名女休。

休年十四五,爲宗行報仇。

左執白楊刃,右据宛矛。

仇家便南,仆僵秦女休。

女休西上山,上山四五里。

関吏呵問女休,女休前置辞:

燕王爲詔獄囚。

平生衣参差,当今無襦。

明知殺人当死,兄言怏怏,弟言無道憂。

女休堅詞爲仇,死不疑。”

人都市中,徼我都巷西。

丞卿向坐,女休凄凄曳梏前。

两徒我持刀,刀五尺余。

刀未下,朧撃鼓赦下。

 

 

傅玄秦女休行

氏有烈雍凉①。

父母家有重怨,仇人暴且

有男兄弟,志弱不能当。

烈女念此痛,丹心

外若无意者,内潜思无方。

白日入都市,怨家如平常。

藏白刃,一奋寻身僵。

身首之异,伏尸列肆旁。

肉与土合成泥,洒血溅飞梁。

猛气上干云霓,仇党失守披攘②。

一市称烈者收泪并慨慷:

“百男何当益,不如一女良!”

烈女直造县门,云“父不幸遭殃。

今仇身以分裂,死情益

人当伏法,不苟活隳旧章。”

令解印:“令我心不忍听!”

刑部垂塞耳:“令我吏③不能成!”

烈著希代之立无之名。

夫家同受其祚,子子孙孙咸享其荣。

今我作歌咏高,激悲且清。[1]

①雍凉:指雍州(治所在今西西安西北)、凉州(治所在今甘肃张家川)一

②披攘:震伏的子。

③吏:官


李白 32歳