漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷四

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -4 428-#4Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-14【56首】Ⅰ李白詩1804 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7560

李白  東武吟  #4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。 書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

李太白集巻36-4

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14-4

428 <1000

 

 
  2016年3月30日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#4

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。 

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

李白の足跡0000 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

賓客日疏散,玉樽亦已空。

才力猶可倚,不慚世上雄。

閑作東武吟,曲盡情未終。

書此謝知己,吾尋黃綺翁。


(下し文)
#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。

(現代語訳)
#4

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

安史の乱期 勢力図 002
(訳注) #4

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

 

一朝去金馬,飄落成飛蓬。

しかし、天命、我に與みせず、まもなく、金馬門を去ることになり、この身は飛蓬のように、処定まらない、放浪の身となったのである。

 

賓客日疏散,玉樽亦已空。 

賓客も、日日に疎くなって散じつくし、酒樽は、空に成ったままになっていった。

 

才力猶可倚,不慚世上雄。

そうであっても、我が才力には、これからもなお、たのむべく、世上の豪雄たるに愧じない積りである。

 

閑作東武吟,曲盡情未終。 

だからこうして東武吟を作って、わが経歴の一斑を歌ったのであるが、曲は既につきても、言いたい情は未だ終るものでなく、気は治まるものではないのである。

 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

今この詩を書して、知己に挨拶をおくるが、吾は、これから商山に分け入って、夏貴公、綺里李等、いわゆる商山の四皓ともいうべき人々を尋ねて、ともに遊び暮そうと思うのである。

21 黃綺翁 夏黃公、綺里季のことで、商山の四皓の二人を言う。東園公・綺里季・夏黄公・甪里【ろくり】先生の四人の隠士。みな鬚眉【しゅび】が皓白の老人であったのでいう。

 

 

 

 

 東武吟

  一作出金門後書懐留翰林諸公東樂/府詩集古今樂録曰王僧技録有 武吟行今不歌樂府觧題曰鮑照云主人且勿諠沈/約云天徳深且廣傷時移事異榮華徂謝也

  左思齊都賦註云東武太山皆齊之土風絃歌謳吟之/曲名也通典曰漢有東武郡今高諸城縣是

  元和郡縣志州諸城縣即漢東武縣也属琅邪/郡樂府章所謂東武吟者也海録碎事東武吟樂府詩人有少壮從征伐年老被棄/於東武者不敢論功但戀君

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

#2

清切紫霄迥,優游丹禁通。君王賜顔色、聲價凌烟虹。

乗輿擁翠盖、扈從金城東。寳馬麗錦衣入新豐

#3

繆本/作倚巖望松雪、對酒鳴絲桐。因學揚子雲、獻賦甘泉

天書片善、清芬播無窮。歸來入咸陽、談笑皆王公。許本誤失/去此二句

#4

一朝去金馬、飄落成飛蓬。繆本/作友日疎散、玉樽亦已。

才力猶可倚、一作/不慙世上雄。閒作東武吟、曲盡情未終。

書此謝知已、吾尋黄綺翁。一作扁舟尋釣翁達劉/峻廣絶交論斯賢

素交沈約詩便欲息微躬漢書恭承嘉惠兮顔師古註/恭敬也.

 十六國春秋石虎在臺上有詔書以五色紙著

凰 口中既銜詔侍 人放數百丈緋轆轤迴轉状/若飛翔飛下端門以木作之五色文身脚皆用金

《宋書》殷淳居黄門為清切魏書對九重之清切望八襲之/嶸。

 梁簡文帝圍城賦升紫霄之丹地排玉殿之金

《隋書》分司丹禁侍衛左右上官儀詩清切丹禁。

 静顔之/推詩楚王賜顔色出入章華裏鮑照詩輝石亂烟虹賈

誼新書 天子車曰乗輿  《淮南子》建翠盖髙誘註 翠盖以/翠鳥羽飾葢也。

 上林賦扈從横行出乎四校之中 晉灼註扈大也。

封氏聞見記 百官從駕謂之扈從葢臣下侍/從至尊各供所職猶僕御扈養以從上故謂之扈從耳

《上林賦》云扈從横行 顔監釋云謂扈從縱恣而行也。 據/顔此觧乃讀從為放縱不取行從之義所未詳也石林

燕語從駕謂之扈從始 司馬相如《上林賦》晉灼以扈為/大張揖謂跋扈縱横不安鹵簿 故顔師古因之亦以為

跋扈恣縱而行果爾從葢作去聲侍天子而言跋扈可/乎唐封演以為扈從以從猶之僕御此或近之 

張協詩 朱軒耀金城 劉良註金城長安城也。

  史記 中廐之寳馬/臣得賜之 水經註 魏武與張繡戰於宛馬名絶景為流矢所中

舊唐書 京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古/新豐城北、天寳三載、分新豐萬年置昌縣七載省豐縣改昌為昭應治

温泉之西北琦按自乗輿擁/翠葢而下 是指其侍從温泉宮而言在新豐縣之驪山下正直

唐京師之東太白入朝、在天寳二三載、是時/新豐尚未省也。顔延年詩 倚巖聴緒風、又曰庭昏見野隂山明望松雪

漢書 揚雄待、詔承明之庭正月、從上甘泉、還奏甘泉賦、以風桓譚新論、揚子雲從成帝祠甘泉

詔雄作 賦思精苦困倦小卧夢五臟出外以手收而納/之及覺病喘悸少氣王筠詩自知心所 愛獻賦甘泉

鮑照詩 片善辭革萊 漢書 公孫𢎞拜為博士待詔金馬/門 

曹植詩 玉樽盈桂酒夏黄公綺里季事見 四巻註 歘音旭又音忽

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東武吟  #3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

李太白集巻36-3

東  武  吟

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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#3

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

歸來入咸陽,談笑皆王公。 

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4

一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

秦嶺山脈終南山 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。

天書美片善,清芬播無窮。

歸來入咸陽,談笑皆王公。

(下し文)
#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。

揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。

歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。

(現代語訳)
#3

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

漢文委員会紀頌之タイトル
(訳注)  #3

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

 

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。

やがて、驪山に到着してから後は、巌によりかかって、松に降り積もる雪を眺め、酒に対して琴を掻き鳴らし、日日悠悠として、遊び暮らした。

15 依岩望松雪 楚辞に「石巌に倚りて以て涕を流す」、遵野莽以呼風兮,步從容於山廋。巡陸夷之曲衍兮,幽空虛以寂寞。倚石巖以流涕兮,憂憔悴而無樂。登巑岏以長企兮,望南郢而闚之。山脩遠其遼遼兮,塗漫漫其無時。聽玄鶴之晨鳴兮,于高岡之峨峨。獨憤積而哀兮,翔江洲而安歌。

離騒「余既茲蘭之九畹兮,又樹蕙之百畝。畦留夷與掲車兮,雑杜蘅與芳芷。冀枝葉之峻茂兮,愿竢時乎吾將刈。雖萎絶其亦何傷兮,哀衆芳之蕪穢。」

・秋冬之緒風『楚辞』「九章」の「渉江」

・緒風 秋冬の風の名残をいう。に、「乗鄂渚而反顧兮、欵秋冬之緒風。」(鄂渚に乗りて反顧すれば、ああ、秋冬の緒風なり。)とある。顏延年《和謝監靈運》「倚岩聽緒風,攀林結留荑。」(岩に倚【よ】りて 緒風【しょふう】を聽き,林を攀【ひ】きて留荑【りゅうてい】を結ぶ。また、岩によりかかって風の音に耳をすましたり、林の木を引いて香草を結び、それを君に贈ろうなどとした。

和謝監靈運 顏延年 詩<61-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩457 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1188

16 絲桐 琴弦をかき鳴らす

 

因學揚子雲,獻賦甘泉宮。

やがて、甘泉宮に入御されるにも持従し、そこで自分は、古しえの揚子雲にならって、賦を献じたのである。

17 揚子雲 揚雄のことで、(前53―後18)中国、漢代の儒学者、文人。蜀郡成都(四川省)の人。字は子雲。前漢、新、後漢の三王朝に仕えた。学者として高名である。著書としては『易経』に擬した『太玄経』と、『論語』を模した『法言』が有名である。また司馬相如の影響を受けて賦をよくした。『太玄経』は『易経』の六四卦()三八四爻【こう】に倣って八一首七二九賛とし、新しい占筮書とした。その根本原理は老子の道の思想より得た玄である。その生成を説くに、一玄が分かれて三方となり、三方が九州となり、九州が二七部となり、二七部が八一家となるとする。これを人事にあてて、三方は三公、九州は九卿(けい)、二七部は大夫、八一家は元士にかたどり、一玄を君主としてこれを統べるものと説いた。『法言』は『論語』に倣い、巻1の「学行」から巻10の「孝至」に及んで、聖人を尊び、王道を説いた。漢・唐の諸儒は揚雄を高く評価したが、宋(そう)代の程伊川(ていいせん)や朱熹(朱子)が、聖人の書の模作を難じ、性善悪混説を唱え、三朝に仕えたことなどで批判したため、それ以後の儒者も多くこれに倣った。

18 甘泉宮 秦の始皇帝が前220年に首都咸陽(かんよう)の北西の甘泉山(陝西省淳化県)に築いた離宮の林光宮に始まる。漢の武帝が建元年間(140‐前135)に高光宮,迎風館,通天台などを増築し,周囲19(7.7km)12宮,11台などを甘泉宮と総称した。別に山谷に沿って雲陽に至る周囲540(219km)の甘泉苑を設け,仙人,石闕(せきけつ),封巒(ほうらん),鳷鵲(しじやく)諸観など宮殿台閣100ヵ所以上があった。

 

天書美片善,清芬播無窮。

その賦がつまらぬ業くれながら、御書を賜はって、特に清芬であると賞美せられたことから、名誉は無窮に播いたのである。

19 清芬 すがすがしく、よいかおりのするさま。きよい匂いただようさま。

 

歸來入咸陽,談笑皆王公。

それから長安に歸ってきてからは、王公輩と交際して、談笑したものである。

20 咸陽 ここでは長安のこと。秦朝の首都として大いに栄えた。風水においては山・丘・阜などの南側、河・江・川・湖などの水辺の北側を陽と言う。この都市は九嵕山の南、渭水の北に当たり「咸陽」なためにこの名前がついた。
簷間樹 

744年年44歳-14李太白集161巻四36東武吟  -2 428-#2Ⅰ李白詩1802 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7550

李白  東武吟  #2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

李太白集巻36-2

東  武  吟

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24  744年天寶三年44歳 56-14

428 <1000

 

 

 
  2016年3月28日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
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  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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17 毛熙震《巻十05木蘭花》『花間集』458全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-7554
 
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1556首】

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#2

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

寶馬麗景,錦衣入新豐。 

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

京兆地域図002 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

寶馬麗景,錦衣入新豐

(下し文)
#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。

君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。

寶馬 景麗かに,錦衣新豐に入る

(現代語訳)
#2

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。


(訳注)  #2

大明宮の圖003 

清切紫霄迥,優遊丹禁通。

清切の閒官を得て、天上の遥かなるに朝し、優游して、自在に宮禁に出入することになった。

7 紫霄迥 紫霄とは、天上、此処では、宮禁を言う。天子の詔勅を授かったものは、朝廷内を比較的自由に歩けることを意味する。鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

8 丹禁通   朱で塗った宮殿の階段、紫微宮、外朝(含元殿)、中朝(宣政殿)、内朝(紫宸殿)これらをつなぐ庭、丹陛は丹く塗られていたことで、皇城、大明宮を示す。。

 

君王賜顏色,聲價淩煙虹。

君王は、拝謁を賜はり、特に御引立下さったから、聲價は、煙虹を凌いで、天にも届く位になった。

 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。

やがて、天子が御幸になり、翠蓋を擁して、乗輿を進められる時には、自分も、供奉の列に備わって、長安の東なる驪山の温泉に御供をした。

9 乘輿 天子の輦をいう。

10 扈從 天子の御供をしてゆくこと。

11 金城東 長安城の東、驪山にある温泉離宮をさす。

 

寶馬麗景,錦衣入新豐。

その時は、古しえの義の武帝の名馬、“絶景”にも勝れる名馬に跨り、きらきらの錦衣を著て、新豊の市に入ったことがあったのである。

12 寶馬 天子の厩に飼育されている馬たちを言う。史記「中廐之寳馬臣得賜之」(中廐の寳馬、臣、之を賜り得る)

13  魏の武帝が袁紹と戦った時の馬の名前で、名馬をさす。 水經註 「魏武與張繡戰於宛。馬名絶景為流矢所中」(魏武と張繡と宛に於て戰う。馬、絶景と、流矢に中る所と為す。

14 新豐 驪山の温泉宮の離宮への登り口がある、宿場の駅のある町。舊唐書「京兆府、有昭應縣、本隋之新豐縣治古新豐城北」(京兆府、昭應縣に有り、本と隋の新豐縣であり、古えより新豐城の北を治む

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李白  東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。方希佐明主,長揖辭成功。 

白日在高天,回光燭微躬。恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)  わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

李太白集巻36-1

東  武  吟

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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

樂府

李太白集 

36 -#1

 

 

詩題:

東武吟

序文

出東門后書懷留別翰林諸公 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 金城

及地點:

新豐

甘泉宮  

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

 

164_39 《東武吟》、李太白集 巻四36 -#1 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。
方希佐明主,長揖辭成功。 

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。
白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。
恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。 

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

#2

清切紫霄迥,優遊丹禁通。君王賜顏色,聲價淩煙虹。 

乘輿擁翠蓋,扈從金城東。寶馬麗景,錦衣入新豐。 

#3

依岩望松雪,對酒鳴絲桐。因學揚子雲,獻賦甘泉宮。 

天書美片善,清芬播無窮。歸來入咸陽,談笑皆王公。 

#4

一朝去金馬,飄落成飛蓬。賓客日疏散,玉樽亦已空。 

才力猶可倚,不慚世上雄。閑作東武吟,曲盡情未終。 

書此謝知己,吾尋黃綺翁。 

 

(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。 

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。恭しく鳳凰の詔りを承け,欻ち雲蘿の中より起つ。 

#2

清切 紫霄迥かに,優遊 丹禁通ず。君王 顏色を賜わり,聲價 煙虹を淩ぐ。 

輿に乘じて翠蓋を擁し,扈從す 金城の東。寶馬 かに,錦衣新豐に入る。 

#3

岩に依って松雪を望み,酒に對して 絲桐を鳴らす。揚子雲を學ぶに因って,賦を獻ず甘泉宮。 

天書 片善を美し,清芬 無窮に播く。歸り來って 咸陽に入り,談笑 皆 王公。 

#4一朝 金馬を去り,飄落 飛蓬と成る。賓客 日に疏散,玉樽 亦た已に空し。 

 

才力 猶お倚る可く,世上の雄たるに慚じず。閑に東武吟を作り,曲盡きて 情 未さ終らず。 

此を書して 知己に謝し,吾は 黃綺の翁を尋ねん。 

 

長安皇城宮城00 

『東武吟』現代語訳と訳註解説
(
本文)

東武吟

好古笑流俗,素聞賢達風。

方希佐明主,長揖辭成功。

白日在高天,回光燭微躬。

恭承鳳凰詔,起雲蘿中

(下し文)
(東武吟)

古を好んで、流俗を笑う,素より賢達の風を聞く。

方に明主を佐け,長揖して成功を辭せんことを希う。

白日、高天に在り,回光 微躬を燭らす。

恭しく鳳凰の詔りを承け,ち雲蘿の中より起つ

(現代語訳)
東武吟(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。


(訳注) 

東武吟

(李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。)

1 詩題 「出金門後、書懐、留翰林諸公」「金門を出し後、懐を書して、翰林諸公に留別す。」とあって、李白が山に還りたいと願い出て、許され、三月長安を出る。後にその時の思いを齊に遊びに行って、その地の土風に倣って作り、述べたものである。

2 東部吟 蕭士贇の解に「曰《東武吟》即樂府正聲東門行也。」(曰く《東武吟》は即ち樂府正聲の東門行なり。)「晉樂奏古辭云《出東門不顧歸》言、士有貧不安其居、拔劔去、妻子牽衣留之、願共餔糜、斯足。不求富貴也。太白詩、則自述其志也。」(晉樂奏古辭に云『東門を出でて顧いて歸るをせず』言うは、士、貧にして其の居に安んぜざる有り、劔を拔いて去る、妻子 衣を牽いて之を留む、願わくば餔糜を共にすれば、斯に足らん。富貴を求めざるなり。太白の詩は、則ち自ら其の志を述ぶるなり。)とあり、切実な思いを述べている。

王琦の解には、《樂府詩集、古今樂録》「曰、王僧技録有 東武吟行今不歌。」(曰く、王僧技録に東武吟行り、今は歌わず。)。樂府觧題に曰く、「鮑照云、『主人且勿諠』、沈約云、「天徳深且廣。」、傷時移事異榮華徂謝也。」(鮑照は云う、『主人とし且つ諠する勿れ』、沈約は云う、「天徳は深く且つ廣し。」、時移り、事異に、榮華の徂謝するを傷むなり。)と。  左思の《齊都賦》の註に云う、「東武太山皆齊之土風、絃歌謳吟之曲名也。」(東武太山は皆、齊の土風であり、絃歌の謳吟の曲名なり。)と。通典に曰く、「漢有東武郡、今、高諸城縣是也。」(漢に東武郡有り、今、高 諸城縣が是なり。 《元和郡縣志》には、「州諸城縣、即漢東武縣也。属琅邪/郡。樂府章所謂東武吟者也。」(州の諸城縣、即ち漢の東武縣なり。琅邪郡にす。樂府章に所謂る東武吟なる者なり。と。《海録碎事》には、「東武吟樂府、詩人有少壮從征伐、年老被棄、於東武者不敢論功、但戀君耳。」(東武吟は樂府であり、詩人は有少壮に征伐に從い、年老いて棄て被れ、東武に於てぶ者あり、敢えて功を論ぜず、但だ君に戀うるのみ

 

好古笑流俗,素聞賢達風。

わが性分は、古風を好み、滔滔たる流俗の軽薄なるものを笑い、早くより、古しえの賢達の人の風を聞いて、之を敬慕して居た。

 

方希佐明主,長揖辭成功。

自分の志ざすところは、明主を輔佐して、大功を為し、やがて、長揖して歸臥するといふことであった。

 

白日在高天,回光燭微躬。

天子は、白日の高天に在るが如く、その廻転する光が、この微躯を照らし、特に恩眷の御沙汰があった。

3 微躬 自らを謙遜して言う。

 

恭承鳳凰詔,欻起雲蘿中。

かくて、紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅を授かり、一朝、雲蘿の中より起って都に上り、皇城の正門朱雀門はひらかれ登場することになった。

4 恭承 恭しく敬いながら承る。

5 鳳凰詔 十六國春秋「石虎在臺上有詔書以五色紙著凰口中既銜詔。侍人放數百丈緋轆轤迴轉、状若飛翔飛下端門。以木作之、五色文身脚皆用金。」(石虎、臺上に在り、詔書有り五色の紙を以て凰の口中に著く。既に詔を銜む。侍人、數百丈の緋ち、轆轤迴轉、状、飛翔するが若く、飛んで端門を下る。は、木を以て之を作り、五色文身、脚、皆金を用う。紫泥で皇帝が儀式をされた鳳凰の詔勅が、初めて下された日、私は皇帝に拝謁し、酒杯を挙げて、御宴に登ったのだ。

鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

鳳銜 鳳詔と同じ。 鳳凰が口に銜える。詔勅を木製の鳳凰に銜えさせた故事。鳳詔:《鄴中記》.「石季龍與皇后在觀上為詔書,五色紙著鳳口中,鳳既銜詔,詩人放,數百丈緋繩轆盧回轉,鳳凰飛下,謂之鳳詔。鳳凰以木作之,五色漆畫,皆用金。」

韋莊《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》「鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

街鼓動,禁城開,天上探人回。

鳳銜金膀出雲來,平地一聲雷。

鶯已遷,龍已化,一夜滿城車馬。

家家樓上簇神仙,爭看鶴冲天。

(喜遷鶯二首 其の二)

街は鼓動し,禁城 開く,天上 人を探して回る。

鳳は金膀を銜へ 雲來に出づ,平地 一聲雷。

鶯は已に遷り,龍 已に化す,一夜 城の車馬に滿つ。

家家の樓上 神仙に簇【むらが】り,爭って看る 鶴の天に冲【のぼ】るを。

(喜遷鶯【きせんのう】二首 其の二:科挙の試験に合格し、天子にお目見えするさまを、そして、その後街中を無礼講で歩き回り、夜の宮中晩さん会を仙郷に喩えて詠う。)

長安の街に「引見」の太鼓の音が鳴り響き、皇城の正門朱雀門はひらかれ、宮官人たちは早くから動きにぎわい、宮中では人を探し回るほどの騒ぎである。

古来より恒例の詔勅の入った金沙の袋を木製の鳳凰が口に銜えたのが、天子につづいて、更に百官が居並んでてきて、平地には祝福の号砲のような雷が鳴り響く。

既に鶯は谷を渡ったという、進士の試験に及第した、龍が既に化身したがこれからどれだけ伸びてくれるか計り知れない前途洋洋である。その夜は長安城には及第者は無礼講で、溢れるほどの車馬でいっぱいになった。

多くの人が家家の高楼の上にあがって、仙郷である朝廷の及第者の様子を見ようと群がって見ている。そこに鶴に乗って天に上る及第者が御殿に昇っていくのをみんな爭ってみるのである。

『花間集』全詩訳注解説(改訂版)-36韋荘114《巻3-14 喜遷鶯二首 其二》三巻14-114〉漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-5772
大明宮 作図011 

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744年年44歳-13李太白集139巻四09 來日大難 -3 427-#3Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#3【56首】Ⅰ李白詩1800 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7540

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

李太白集 巻四142

來日大難 2

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Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#2

427 <1000

 

 

 
  2016年3月26日 の紀頌之5つのBlog  
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-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。
#2

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。
#3

思填東海,強銜一木。

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

道重天地,軒師廣成。 

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

蟬翼九五,以求長生。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

下士大笑,如蒼蠅聲。 

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

東海を 填めんこと思い,強いて 一木を銜む。

道は天地に重く,軒 廣成を師とす。

九五を蟬翼とし,以て長生を求む。

下士は大笑すれども,蒼蠅の聲の如し。

 

 

『來日大難』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

思填東海,強銜一木。

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。

下士大笑,如蒼蠅聲。

(下し文)
#3

東海を 填めんこと思い,強いて 一木を銜む。

道は天地に重く,軒 廣成を師とす。

九五を蟬翼とし,以て長生を求む。

下士は大笑すれども,蒼蠅の聲の如し。

(現代語訳)
#3

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。


(訳注) #3

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

1 詩題 来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

2 士贇曰詩意謂 「黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。」(士贇曰く、詩意謂えらく 黃帝、猶お以道をて重しと為すことを知り、廣成に師問し、天位を視ること猶お蟬翼の輕きなり、以て長生久視の術を求む。而して下愚の士、乃ち浮榮を戀し、聞道をいいて笑う、亦た哀しむ可し。

 

思填東海,強銜一木。

だから、自分は、その有り難さに堪えかねて、何とか恩を報じたいと思ったが、どうにも成らない。しかし、心に済まぬ気持ちが残り、かの精衛が木石を銜んで東海に投げ入れたというように、強いて一木を銜んで、この恩に報いたいと思うところである。

填東海 《述異記》「昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。」(昔、炎帝の女、東海中に溺死す。化して精衛と為す、其の名を自ら呼び、常に西山の木石を銜んで、東海を填む。)とあるに基づく。

 

道重天地,軒師廣成。

抑も長生不死の道たるや、天地間に於いて、この上もなく重大なもので、むかし、軒轅皇帝は、廣成子を師として之を求められた。

軒師 黄帝のこと。神話伝説上では、三皇の治世を継ぎ、中国を統治した五帝の最初の帝であるとされる。また、三皇のうちに数えられることもある。(紀元前2510年~紀元前2448年)

廣成 軒轅皇帝就浩浩蕩蕩的帶了很多侍衛,欲拜訪廣成子。《抱朴子》黄帝過崆峒、從廣成子受自然之經。

 

蟬翼九五,以求長生。

九五の帝位でさえも蝉の翼の如き軽い物と見限り、これを棄てて長生を求められたという位だから、今自分が仙人から丹薬を授けられたのは、この上もなく有り難いことである。

蝉翼九五 帝王の最高権威を蝉の翅のように軽く見下す。九五とは、陽數中の九は最高を為し,五居正中とし,これにより「九」と「五」でもって帝王の權威の象徵としている,之を稱して「九五之尊」と為る。

 

下士大笑,如蒼蠅聲。

しかし、この理窟は到底分る筈もない世間下劣な者どもは、これを聞くと、等しく聾を揚げて大笑するが、我我が聞くと、気の毒にも、「下士大笑」の聾は、まるで蒼蝿がうなって居るようなものであるということである。

下士大笑 老子「上士聞道,勤而行之;中士聞道,若存若亡;下士聞道,大笑之。不笑,不足以爲道。」(上士は道を聞けば,勤めて之を行い;中士は道を聞けば,存するが若く亡きが若し;下士は道を聞けば,大として之を笑う。笑わざれば,以れ道を爲すに足らず。

すぐれた人物は道を聞けば、努力して実行するが、並みの人物は道のことを聞いて、半信半疑の態度で、そういう道があるかあるのだかないのだか見当もつかないもので、知恵の低いものになると、小馬鹿にして笑いとばす。しかし、彼らに笑いとばされるくらいでなければ、真の道とはいえないものである。(衆人には容易に理解できるものではない)

蒼蠅聲 《詩經小雅甫田之什青蠅》. 毛詩序:「青蠅,大夫刺幽王也。」(青蠅は,大夫幽王を刺るなり。)「青蠅. 營營青蠅,止於樊。豈弟君子,無信讒言。」(営営たる青蠅、樊 (垣根)に止る王が好んで讒言を聞くので、詩人がそれを青蠅の飛びまわって物を汚すさまにたとえて戒めた。

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

  來日大難

  來日大難、即古善哉行也。葢摘首句以命題耳。樂府古題要解善哉行、古詞來日大難口噪唇乾言、人命不可保當樂見親友且求長生術、王喬八公遊焉。按樂府詩集 王僧技録善哉行 乃相和歌、瑟調三十八曲之一。

來日一身、携糧負薪。道長蕭本作/長鳴食盡、苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。仙人相存、誘我學。

來日謂已來之日猶徃日也。《韓詩外傳》 乾喉焦唇仰天而嘆 《梁宣帝賦》 餐霞永日静坐千春。

魏武帝詩 越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 

海淩繆本/作陵三山、陸憩五岳。

乗龍天飛、目瞻兩角。繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角

謝靈運詩 越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成、《周禮》註 五岳、東曰岱宗、南曰衡山、西曰華山/、北曰恒山、中曰嵩高山。

授以神蕭本/作仙藥、金丹滿握。蟪蛄恩。深媿短促。

荘子 蟪蛄不知春秋陸德明。註 司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死、崔云蛁也。或曰、山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋。 廣雅云、蟪蛄蛁也、即楚辭 所謂寒也。

思填東海、強銜一木。道重天地、軒師廣成。

蟬翼九五。以求長生。下士大如蒼蠅聲

《述異記》昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。

偶海燕而生子生雌状如精衛、生雄如海燕。今、東海精衛、誓水處。

曾溺於此川誓不飲其水 詩意言人命

短促有如蟪蛄恩而授之神藥得使長生其徳深矣。思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳、

甚言其德之深而無以為報也。 

抱朴子黄帝過崆峒、從廣成子受自然之經

蟬翼九五、視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子「下士聞道大笑」  之詩 國風 蒼蠅之聲

744年年44歳-13李太白集139巻四14 來日大難 -2 427-#2Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-13#2【56首】Ⅰ李白詩1799 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

李白  來日大難#2

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

李太白集 巻四142

來日大難 2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7535

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#2

427 <1000

 

 

 

 
  2016年3月25日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

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744

天寶三年

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全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

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164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。
#2

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。
#3

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

 

 

 

『來日大難』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

海淩三山,陸憩五嶽。

乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

(下し文)
#2

海に 三山を淩ぐ,陸に 五嶽に憩う。

龍は 天飛に乘じ,目に 兩角を瞻る。

授くるに 仙藥を以てし,金丹は 握に滿つ。

蟪蛄 恩を蒙り,深く短促を愧ず。

(現代語訳)
#2

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。


(訳注) #2

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

1 詩題 来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

2 士贇曰詩意謂 「黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。」(士贇曰く、詩意謂えらく 黃帝、猶お以道をて重しと為すことを知り、廣成に師問し、天位を視ること猶お蟬翼の輕きなり、以て長生久視の術を求む。而して下愚の士、乃ち浮榮を戀し、聞道をいいて笑う、亦た哀しむ可し。

 

海淩三山,陸憩五嶽。

そして、その学ぶところを以てすれば、東海の滄海には三山が凌いであり、陸には五嶽に憩い、あそぶべく、自由自在に三山五嶽の間を飛翔して、仙術を学ぶのである。

7 三山 神仙三山、蓬萊、方丈、瀛洲をいう。それは、東方の海中には五山(方丈、蓬莱、滄州、扶桑州、瀛州のちに三山)が大亀の背に載って浮かび、そこには不老長寿の妙薬が生え、不死不老の「東王父」らの神仙が棲むということである。

8 五嶽 中国の道教の聖地である5つの山の総称。五名山とも呼ばれる。陰陽五行説に基づき、木行=東、火行=南、土行=中、金行=西、水行=北 の各方位に位置する、5つの山が聖山とされる。 東岳 泰山(山東省泰安市泰山区) 南岳 衡山(湖南省衡陽市衡山県) 中岳 嵩山(河南省鄭州市登封市) 西岳 華山(陝西省渭南市華陰市) 北岳 恒山(山西省大同市渾源県)である。神話によると万物の元となった盤古という神が死んだとき、その五体が五岳になったと言われている。

 

乘龍天飛,目瞻兩角。

さて其処へ行くには、どうするかというと、自分は、龍の背中に乗っただけで、目がくらみ、その両角を見ていただけであり、その外のところは、少しも見えなかったのである。

9 乘龍天飛 仙界を逍遥、浮遊する、道教の修行場を転々とすることを言う。

 

授以仙藥,金丹滿握。

かくて、仙人のところへ行くと、仙薬という、金丹を手にいっぱい賜った。

10 仙藥 ① 飲めば不老不死の仙人になるという薬。 不思議な効き目のある薬。霊薬。

11 金丹 道教の道士が金石を砕いて練って作ったという不老不死の薬。

 

蟪蛄蒙恩,深愧短促。

蟪蛄の如く、寿命の極めて短い人並の凡夫が、仙人の恩を蒙ったということである。

12 蟪蛄 春生まれれば、夏に死に、夏に生まれたものは秋に死ぬ寒蝉をいう。《荘子 逍遙遊篇》「朝菌不知晦朔、蟪蛄不知春秋。」(朝菌は晦朔を知らず。蟪蛄は春秋を知らず。朝菌は朝から暮れまでのいのちで、夜と明け方を知らず、夏に生まれ夏を鳴きあかしている蝉は季節を知らないのであるから、どうして夏が夏であることを知りえようか。

 

 

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

 

 

  來日大難

  來日大難、即古善哉行也。葢摘首句以命題耳。樂府古題要解善哉行、古詞來日大難口噪唇乾言、人命不可保當樂見親友且求長生術、王喬八公遊焉。按樂府詩集 王僧技録善哉行 乃相和歌、瑟調三十八曲之一。

來日一身、携糧負薪。道長蕭本作/長鳴食盡、苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。仙人相存、誘我學。

來日謂已來之日猶徃日也。《韓詩外傳》 乾喉焦唇仰天而嘆 《梁宣帝賦》 餐霞永日静坐千春

魏武帝詩 越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 

海淩繆本/作陵三山、陸憩五岳。

乗龍天飛、目瞻兩角。繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角

謝靈運詩 越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成、《周禮》註 五岳、東曰岱宗、南曰衡山、西曰華山/、北曰恒山、中曰嵩高山。

授以神蕭本/作仙藥、金丹滿握。蟪蛄恩。深媿短促。

荘子 蟪蛄不知春秋陸德明。註 司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死、崔云蛁也。或曰、山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋。 廣雅云、蟪蛄蛁也、即楚辭 所謂寒也。

思填東海、強銜一木。道重天地、軒師廣成。

蟬翼九五。以求長生。下士大如蒼蠅聲

《述異記》昔、炎帝女溺死東海中。化為精衛、其名自呼、常銜西山木石、填東海。

偶海燕而生子生雌状如精衛生雄如海燕東海精衛誓水處曾溺於此川誓不飲其水詩意言人命

短促有如蟪蛄今恩而授之神藥得使長生其徳深/矣思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳甚言其德

之深而無以為報也抱朴子黄帝過崆峒從廣成子受/自然之經蟬翼九五視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子下士聞道大笑/之詩國風蒼蠅之聲

 

744年年44歳-13#1【56首】李太白集139巻四14 來日大難  427Index-24Ⅲ-3 Ⅰ李白詩1796 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7520

 李白  來日大難

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。 

今日醉飽,樂過千春。仙人相存,誘我遠學。 

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

李太白集 

巻四14#1

來日大難 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7520

Index-24

744年天寶三年44歳 

56-13)#1

427 <1000

 

 

 744年天寶三年44-13

-375-139巻四14 來日大難  (來日一身,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

一六四  09

文體:

樂府

李太白集 

巻四14

 

 

詩題:

來日大難

序文

 

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:

 

   

交遊人物:

 

 

 

 

164_9 《來日大難》李白

 來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

道長食盡,苦口焦唇。 

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

仙人相存,誘我遠學。 

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩, 深愧短促。

 

思填東海,強銜一木。道重天地,軒師廣成。 

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。 

 

 

 

『』現代語訳と訳註解説
(
本文)

來日大難

來日一身,攜糧負薪。

道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽,樂過千春。

仙人相存,誘我遠學。

(下し文)
(來日大難)

來日 一身,糧を攜え 薪を負う。

道 長く 食 盡く,苦口をくし 唇を焦がす。

今日 醉飽す,樂み 千春を過ぐ。

仙人 相い存し,我を誘うて 遠く學ぶ。

(現代語訳)
來日大難(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。


(訳注) 

來日大難

(これまでいろいろ苦労をしてきたけれど、少し楽になり、千載の楽しみをして、神仙の道を学び、龍に乗って三山五岳に戦術を学び、仙薬を賜ることだろう。)

来日大難は、古しへ善哉行と称し、古辭の起首に來日大難、口燥唇乾とあるから、その四字を取って、来日大難と題したのである。その古辭に墟ると、人命は保つべからす、これまでは非常に苦労をしたが、今は之と反封に非常に柴に成ったから、この機骨を失はねやうに、何虞までも苦労を忘れたいといい、最後に淮南王が、八仙を従えて登仙せられたといふ其仙術を学んだら善からう。今の樂地に於ては、これ以上の望は無いといふので、李白も、矢張、これに依傍し、仙人が自分に道術を授けて呉れた、これ位、有り難いことは無いといふ意を述べたのである。

 

善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 630 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1737

善哉行 曹丕(魏文帝) 魏詩<9-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 631 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1741

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 632 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1745

善哉行 楽府歌辭 漢詩<10-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 633 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1749

善哉行 靈運 宋詩<11-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 634 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1753

善哉行 謝靈運 宋詩<11-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻五 635 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1757

 

謝靈運《善哉行》

陽谷躍升,虞淵引落。景曜東隅,晼晚西薄。

三春燠敷,九秋蕭索。涼來溫謝,寒往暑却。

居德斯頤,積善嬉謔。陰灌陽叢,凋華墮蕚。

歡去易慘,悲至難鑠。擊節當歌,對酒當酌。

鄙哉愚人,戚戚懷瘼。善哉達士,滔滔處樂。

(善哉行)

陽は谷より躍升し,虞淵して引き落つ。

景は曜く東隅に,晼【かたむ】きて晚れ西に薄【せま】る。

三春は燠敷し,九秋は蕭索す。

涼來たり溫謝【さ】り,寒往き暑さ却【しりぞ】く。

德に居り斯【ここ】に頤【やしな】う,善を積み嬉謔【きぎゃく】す。

陰灌【あきら】かにし陽叢まる,凋【しぼ】む華は蕚より墮つ。

歡び去り慘【いた】み易く,悲しみ至り鑠【と】け難し。

擊節し當に歌うべし,對酒して當に酌【く】むべし。

鄙なる哉 愚人,戚戚として瘼【くる】しみを懷う。

善哉の達士,滔滔として樂に處す。

 

來日一身,攜糧負薪。

これまで過ごしてきたことを顧みれば、一身、糧を携え、「負薪の資」により不遇であった。

來日 未来をさすのではなく、已來した日々。往日。

負薪 ・負薪の憂 《「礼記」曲礼下》自分の病気を謙遜していう言葉。たきぎを背負った疲れが出て病むの意からとも、病気でたきぎを負うことができないの意からともいう。采薪(さいしん)の憂い。負薪の病い。

・負薪の資 《「後漢書」袁紹伝》いやしい生まれつき。劣った資質。

 

道長食盡,苦口焦唇。

長途に辛苦し、はては、食物が尽きて、口は苦く、は焦げるような非常の難苦を経てきた。

 

今日醉飽,樂過千春。

しかし、今日は、非常に樂な時節と成ったから、酒を十分に飲み、美食にも飽きて、千歳の樂、これに過ぐるものは無いと思われる。

樂過千春 千歳の春の行樂を過ごすこと、これよりよいものは無い。

 

仙人相存,誘我遠學。

その上、仙人がしばしばおとづれて、我を誘い、遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われた。

相存 しばしばおとづれていてくれることの意。

誘我遠學 遠く懸け離れたところへ行って、神仙の道を学べと言われる。

 

 

 

   來日大難

   士贇曰、來日大難者、即古樂府善哉行、亦曰、日苦短也古辭云來日大難口燥唇乾言。 人命不可保當樂見。 親友求長生術與王喬八公遊

來日一身,攜糧負薪。道長食盡,苦口焦唇。

今日醉飽、樂過千春。齊賢曰 言始者貧苦、今幸懽樂當思圖。 仙人相存以下皆寓言。

仙人相存、誘我學。

海淩三山,陸憩五嶽。乘龍天飛,目瞻兩角。

授以仙藥,金丹滿握。蟪蛄蒙恩,深愧短促。

思填東海,強銜一木。齊賢曰 司馬曰 蟪蛄寒/蟬一名蝭蟧春生夏死

道重天地,軒師廣成。

蟬翼九五,以求長生。下士大笑,如蒼蠅聲。

士贇曰詩意謂 黃帝猶知以道為重師問廣成、視天位猶蟬翼之輕、以求長生久視之術。/而下愚之士、乃戀浮榮、聞道而笑、亦可哀矣。

 

 

 

 

  來日大難

  來日大難即古善哉行也葢摘首句以/命題耳樂府古題要解善哉行古詞來日大難口噪唇乾言人命不可保當樂見親友且/求長生術王喬八公遊焉按樂府詩集王僧技録善哉行乃相和歌/瑟調三十八曲之一

  

來日一身携糧負薪道長蕭本作/長鳴食盡苦口焦唇今日

醉飽樂過千春仙人相存誘我學海淩繆本/作陵三山陸

憩五岳乗龍天飛目瞻兩角繆本作乗龍上三/天飛目瞻兩角授以神

蕭本/作仙藥金丹滿握蟪蛄恩深媿短促思填東海強

一木道重天地軒師廣成蟬翼九五以求長生下士大

笑如蒼蠅聲

來日謂已來之日猶徃日也韓詩外傳乾/喉焦唇仰天而嘆梁宣帝賦餐霞永日静坐千春

魏武帝詩越陌度阡枉用相存説文存恤問也。 謝靈運詩越海淩三山 李周翰注三山蓬萊方丈瀛洲也

鄭康成周禮註五岳東曰岱宗南曰衡山西曰華山/北曰恒山中曰嵩高山荘子蟪蛄不知

春秋陸德明註司馬云蟪蛄寒蟬也。 一名蝭蟧春生夏死夏生秋死崔/云蛁也。或曰山蟪秋鳴者不及春、春鳴者不及秋廣雅云蟪蛄蛁也即楚辭所謂寒

述異記昔炎帝/女溺死東海中化為精衛其名自呼常銜西山木石填

東海偶海燕而生子生雌状如精衛生雄如海燕今東/海精衛誓水處曾溺於此川誓不飲其水詩意言人命

短促有如蟪蛄今恩而授之神藥得使長生其徳深/矣思欲報之却如精衛銜一木以填東海耳甚言其德

之深而無以為報也抱朴子黄帝過崆峒從廣成子受/自然之經蟬翼九五視九五天子之位如蟬翼之輕也

老子下士聞道大笑/之詩國風蒼蠅之聲

 

743年(46)李白364 巻四32-《清平調詞,三首之三》(名花傾國兩相歡,) 364Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(46) <李白364> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073

李白  清平調詞,三首之三

名花傾國兩相歡,長得君王帶笑看。

解釋春風無限恨,沈香亭北倚闌干。
(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。

743年(46)李白364 巻四32-《清平調詞,三首之三》(名花傾國兩相歡,) 364Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-46) <李白364> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073

 

 
  2015年12月16日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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743年(46)李白364 巻四32-《清平調詞,三首之三》(名花傾國兩相歡,) 364Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(46) <李白364> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073  
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清平調詞,三首之一

(興慶宮での宴の模様を述べる)

雲想衣裳花想容,春風拂檻露華濃。

雲の艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳で、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる美しさ、春風は龍池の屋外舞台の欄干を通り抜け、霓裳羽衣舞の羽衣による愛撫により、夜の華やかな露はなまめかしくつづく。

若非群玉山頭見,會向瑤臺月下逢。

ああ、これはもう、西王母の「群玉山」のほとりで見られるといわれるものであるし、崑崙山の五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるという素晴らしい美人である。

 

(清平調詞 三首其の一)

雲には、衣裳かと想い、花には、容かと想う、春風 檻を払って、露華 濃かなり。

若し 群玉山頭に見るに非ざれば、会ず 瑤臺の月下に向って逢わん。

 

 

年:       天寶二年

寫作時間:           743

寫作年紀:           43

卷別:    卷一六四              文體:    樂府

詩題:    清平調詞,三首之二

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              巫山 (山南東道 夔州 巫山)              

交遊人物/地點:  

 

清平調詞,三首之二

(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

一枝穠豔露凝香,雲雨巫山枉斷腸。

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

(清平調詞,三首の二)

一枝の穠豔 露 香を凝らし,雲雨 巫山 枉げて斷腸。

借問す 漢宮 誰が似るを得たる,可憐の飛燕 新妝に倚る。

 

743年天寶二年43歳 94-46

卷別:    卷一六四               巻四32 文體:             樂府

詩題:    清平調詞,三首之三

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:無

交遊人物/地點:  

 

 

清平調詞其三 

(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。 

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。

 

(清平調詞 其の三)

名花 傾国 両つながら相い歓び、長く君王の笑いを帯びて看るを得たり。

解釈す 春風無限の恨み、沈香亭北 欄干に倚る。

 


『清平調詞,三首之三』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

清平調詞,三首之三

名花傾國兩相歡,長得君王帶笑看。

解釋春風無限恨,沈香亭北倚闌干。

(下し文)
(清平調詞 其の三)

名花 傾国 両つながら相い歓び、長く君王の笑いを帯びて看るを得たり。

解釈す 春風無限の恨み、沈香亭北 欄干に倚る。

(現代語訳)
清平調詞,三首之三(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。


(訳注)

清平調詞,三首之三

(この時代までの絶色美人は趙飛燕といわれた、李白は、漠然と楊貴妃を比したのであろう。高力氏の言う諷刺の意味で比擬したのではなかった。)

 

名花傾國兩相歡、長得君王帶笑看。

名花と名高い牡丹の花と傾国の美女とが、二つながらたがいにその美を歓びあう。もとより甲乙はつけがたく、君王は常々楽しげに眺めて、いつまでも微笑みをかえしておられるというのは当然のことである。

14. 傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、

北方有佳人,絶世而獨立。

一顧傾人城,再顧傾人國。

寧不知傾城與傾國,佳人難再得。

「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。

白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。

15. 君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。

 

解釋春風無限恨、沈香亭北倚欄干。 

この二つがあればこそ、懶い春の日、愁いをも消し去ることができるので、沈香亭の北にある欄干に倚り沿った姿は、例えるものは何もない。この庭園の牡丹の花とこの妃嬪とは、ともに愛すべくすべてのものを破除して、この興慶宮での歓業に随うことになるのである。

16. 解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 

17. 春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。

18. 沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。

19.   身をもたせる。よりかかる。

 



親友の杜甫も、「李十二白に寄せる、二十韻」

昔年有狂客,號爾謫仙人。筆落驚風雨,詩成泣鬼神。

聲名從此大,沒一朝伸。文彩承殊渥,流傳必倫。

龍舟移棹晚,獸錦奪袍新。白日來深殿,青雲滿後塵。

乞歸優詔許,遇我夙心親。未負幽棲誌,兼全寵辱身。

劇談憐野逸。嗜酒見天真,醉舞梁園夜,行歌泗水春。』

 

才高心不展,道屈善無鄰。處士衡俊。諸生原憲貧。

稻粱求未足,薏苡謗何頻?五嶺炎蒸地,三危放逐臣。

幾年遭鵩鳥,獨泣向麒麟。蘇武元還漢,黃公豈事秦?

楚筵辭醴日,梁獄上書辰。已用當時法,誰將此議陳?

老吟秋月下,病起暮江濱。莫怪恩波隔,乘槎與問津。』

昔年 狂客有り、爾を謫仙人【たくせんにん】と号す。筆落つれば風雨【ふうう】驚き、詩成れば鬼神【きしん】泣く。声名 此 従【よ】り大に、沒【こつぼつ】一朝に伸ぶ。文彩【ぶんさい】 殊渥【しゅあく】を承【う】く、流伝【るてん】するは必ず絶倫【ぜつりん】なり。竜舟【りょうしゅう】棹【さお】を移すこと晩く、獣錦【じゅうきん】奪袍【だつほう】新たなり。

白日【はくじつ】 深殿【しんでん】に来たる、青雲に後塵【こうじん】満つ。帰るを乞うて優詔【ゆうしょう】許さる、我に遇うて宿心【しゅくしん】親しむ。未だ負【そむ】かず幽棲【ゆうせい】の志に、兼ねて全うす寵辱【ちょうじょく】の身。劇談【げきだん】野透【やいつ】を憐れむ、嗜酒【ししゅ】天真【てんしん】を見る。酔舞【すいぶ】す梁園【りょえん】の夜、行歌【こうか】す泗水【しすい】の春。』

 

才高くして心展べず、道屈【くつ】して善【ぜん】隣り無し。処士【しょし】衡【でいこう】俊【しゅん】に、諸生【しょせい】原憲【げんけん】貧なり。稲梁【とうりょう】求むる未だ足らず、薏苡【よくい】謗【そしり】り何ぞ頻りなる。五嶺【ごれい】炎蒸【えんじょう】の地、三危【さんき】放逐【ほうちく】の臣。幾年か鵩鳥【ふくちょう】に遭える、独泣【どくきゅう】麟鱗【きりん】に向こう。

蘇武【そぶ】元【もと】漢に還る、黃公【こうこう】豈に秦に事【つか】えんや。楚筵【そえん】醴【れい】を辞せし日、梁獄【りょうごく】書を上りし辰【とき】。巳に当時の法を用う、誰か此の議を将で陳【ちん】せん。老いて吟ず秋月の下、病起【へいき】す暮江【ぼこう】の浜【ほとり】。怪しむ莫れ恩波【おんは】の隔たるを、槎【さ】に乗じて与【た】めに津【しん】を問わん。』

に、「筆落とせば風雨を驚かせ、詩成れば鬼神か泣かしむ」といい、かの賀知章が「烏夜噂」を嘆賞して「鬼神を泣かしむ」といったことを含みつつ、李白の詩を激賞している。そして、「文采は殊寵を承け、流伝すれば必ず絶倫たり」といって、天子の「殊寵を承け」たことを歌っている。真実を歌う杜甫がいうほどだから、玄宗の特別の寵愛があったことは確かであろう

 

楊貴妃はすこぶる寵愛された。馬に乗るごとに高力士が轡を執って鞭を振るった。 貴妃院専従の織工は七百人もおり、中外は争って器服珍玩を献上した。嶺南経略使張九章や広陵長史王翼は、 献上物が精緻で美しかったので、九章には三品が加えられ、翼は朝廷にて戸部侍郎となった。 天下は、風に靡くように従った。

  民間では、歌にまで歌われた。

  「男を産んでも喜ぶな。女を産んでも悲しむな。主君は今、女を見て出世させるぞ。」

  楊貴妃が生茘支を欲しがると、嶺南から駅伝で届けるよう命じた。長安へ届いたときには、 色も味も劣化していなかった。

  そこまで愛されたので、楊貴妃は不遜になり嫉妬や悍気を発するようになった。 玄宗皇帝は怒り兄の楊銛の屋敷に送り返すよう命じた。

  その日、玄宗皇帝は不機嫌で、一日中食事も摂らず、近習が少しでも気に入らないと、容赦なく鞭でぶっ叩いた。 高力士は玄宗皇帝の想いを知り、院中の官女全員が、車百台で楊貴妃を迎えに行くよう請うた。 玄宗皇帝は喜び、自ら膳を賜った。

  夜になって、楊貴妃が院に帰ってきたと、高力史が上奏した。 ついに、禁門を開いて楊貴妃を入れた。

  この一件で、寵恩はますます隆くなり、後宮の女性は誰も相手にされなくなった。

 

杜甫 麗人行

三月三日天氣新,長安水邊多麗人。態濃意遠淑且真,肌理細膩骨肉勻。

繍羅衣裳照暮春,蹙金孔雀銀麒麟。頭上何所有,    翠微盎葉垂鬢唇。

背後何所見,    珠壓腰穩稱身。就中雲幕椒房親,賜名大國虢與秦。

紫駝之峰出翠釜,水精之盤行素鱗。犀箸厭飫久未下,鸞刀縷切空紛綸。

黄門飛鞚不動塵,御廚絡繹送八珍。簫管哀吟感鬼神,賓從雜遝實要津。

後來鞍馬何逡巡,當軒下馬入錦茵。楊花雪落覆白蘋,靑鳥飛去銜紅巾。

炙手可熱勢絶倫,慎莫近前丞相嗔。

 

三月三日 天氣 新たに,長安の水邊 麗人 多し。態は濃く 意は遠くして淑且かつ真に,肌理は 細膩にして 骨肉は勻し。

繍羅の衣裳は 莫春に 照はゆる,蹙金の孔雀 銀の麒麟。頭上何の有る所ぞ, 翠を盎葉と爲して鬢脣に 垂たる。背後何の見る所ぞ,珠は腰衱を壓して穩やかに身に稱ふ。』

就中【なかんづ】く 雲幕の椒房の親しん,名を賜ふ 大國 虢くと秦と。紫駝の峰を翠釜より 出だし,水精の盤に 素鱗 行くばる。犀箸 厭飫して久しく未だ下さず,鸞刀 縷切して 空しく紛綸たり。黄門 鞚を飛ばして塵を動かさず,御廚 絡繹として 八珍を送る。簫管 哀吟して 鬼神をも感ぜしめ,賓從 雜遝して 要津に實つ。』

後れ來たる鞍馬は何ぞ 逡巡する,軒に當たりて 馬より下りて 錦茵に入る。楊花 雪のごとく落ちて 白蘋を覆ひ,靑鳥 飛び去りて 紅巾を銜む。手を炙らば 熱す可べし 勢は絶倫なり,慎みて 近前する莫れ 丞相 嗔からん。』

 

 

清平調詞,三首  【字解】

 

1 云想衣裳  霓裳羽衣舞のことで、興慶宮、花萼相輝樓前で300人以上の妃嬪妓優などで舞わせた。 これはは唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと、雲の様にうかびながれる。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。云想 雲は艶情詩の世界では艶めかしい女性を示す。・衣裳 衣装はあでやかさを示す。

 花想容 美しい花、沈香亭の

 檻 沈香亭の龍池に面した舞台の欄干。

 露華 興慶宮での夜の華やかな屋外舞台。玄宗皇帝は興慶宮、勤政楼で大宴会を開き、数多くのアトラクションを催した。楼閣の下の観衆は数千数万に達し、その喧騒は凄まじかった。玄宗はいささか不機嫌になり、宴会を罷めて退席しょうとした。

この時、宦官の高力士が「永新を呼んで楼台上で一曲歌わせたら、きっと騒ぎは収まります」と提案した。そこで永新は髪をかき上げ袖をたくし上げ、楼台に出て歌った。歌声がひとたび響くと、はたして広場はしーんと静まり返り、あたかも誰一人いないかのようだった。彼女の歌は、「喜ぶ者がそれを聴くとますます元気づけられ、悲しい者がそれを聞くと断腸の思いに沈む」と評され、芸術的な影響力は絶大なものがあった(『楽府雑録』「歌」)。

 群玉山 不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山、崑崙山。《山海經西山經》. 又西三百五十里曰玉山,是西王母所居也。 《穆天子傳》謂之羣玉之山,見其山河無險,四徹中繩,先王之所謂策府。

6 瑤台 五色の玉で作った高台。崑崙山の西王母の臺、神仙の住むという土地。瑤池もある。

7 雲雨巫山 昔、楚の先王(懐王)が、楚の雲夢の沢にあった高唐の台に遊び、昼寝の夢の中で巫山の神女と契った。神女は去るに当たり、「妾は、巫山の陽、高丘の阻(険岨な場所)に在り。且には朝雲と為り、暮には行雨と為る。朝々暮々、陽台の下」と、その思いを述べた。翌朝、見てみると、その言葉どおりだったので、神女のために廟を立てて「朝雲」と名づけた。(宋玉の「高唐の拭、序を幷す」〔『文選』巻十九〕に見える話であるが、宋玉にこの賦を作らせた襄王〔懐王の子〕のこととして語られることが多い)。
8   いたずらに、甲斐もなく。
9 断腸 はらわたがちぎれる。恋慕の情の激しさ、言葉の意味の中にセックスの意味が込められた悲痛を表わす慣用語。

10 借間   ちょっとたずねたい。軽く問いかける時の慣用語。
11
 可憐  激しい感情の動きを表わす慣用語。プラスにもマイナスにも用いる。ここでは、美人の愛らしさに用いている。
12
 飛燕  前漠の成帝の皇后、趙飛燕。やせ形で身の軽い、漢代随一の美人だったとされる。(「宮中行楽詞、其の二」)。
13
 倍新粧 新たに化粧した容貌を誇らかに示す。「俺」は、悼みとして自信をもつこと。

14. 傾国 絶世の美女をいう。漢の武帝の寵臣、名歌手として知られた李延年の歌、

北方有佳人,絶世而獨立。

一顧傾人城,再顧傾人國。

寧不知傾城與傾國,佳人難再得。

「北方に佳人有り、絶世にして独立す。一たび顧みれば人の城を傾け、再び顧みれば人の国を傾く」に基づく。李延年は自分の妹を「傾国の美女」として武帝に勧めた。後にその妹は「李夫人」となる。

白居易「長恨歌」、李商隠「柳」「北斉二首其一」(小燐)にもみえる。国を傾けるほどの美人という意味にマイナスの意味を感じない中国人的表現である。美しいことへの最大限の表現であるが、結果的に国を傾けてしまうことを使うとよくないことを暗示するのが日本的であるのかもしれない。しかし、西施についても李延年の妹「李夫人」についても後世の詩で、ただ美人だけの意味では使用していない。趙飛燕について、家柄が低い家系である後に、平民に落とされたものに比較したこと、貴族社会で最大の屈辱であることは理解できる。李延年も兄弟、趙飛燕の姉妹、北斎の小燐も姉妹で寵愛された。やはり李白は、ただ、お抱え詩人の地位に不満を持ち、宮中で長くは続かないことを感じ取っていたのだろう。

15. 君王 天子とは訳せない。もう少し小さい国の王、戦国、六朝の王に使用する場合が多い。

16. 解釋 解きほぐす。解き明かす。理解する。解き放す。 

17. 春風無限恨 春風がもたらす様々な鬱屈の情。

18. 沈香亭 沈香(水に沈む堅く重い香木)で作ったのでこう名づけられた建物。興慶宮の芝池の東南に在った。現在も興慶公園の沈香亭として復元されている。

19.   身をもたせる。よりかかる。

743年(45)李白363 巻四31-《清平調詞,三首之二》(一枝穠豔露凝香,) 363Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(45) <李白363> Ⅰ李白詩1704 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7068

李白  清平調詞,三首之二

一枝穠豔露凝香,雲雨巫山枉斷腸。

借問漢宮誰得似,可憐飛燕倚新妝。

(沈香亭の牡丹が咲き誇るのを、巫山の神女、趙飛燕に比して、そしてそのどれより誰より美しい妃嬪が此処にいると述べる)

一枝濃艶の紅い牡丹の花、暁の露を含んでただよわせる濃密な香りで、またひとしおになる。花はそうであるし、人もそうである。昔、楚の襄王は、巫山の神女にあったというが、朝雲暮雨、夢寐恍惚、醒めて心をいたずらに悩ますばかりで、今日この光景には及ばないのである。漢の時代、後宮では、妃嬪に國色が多かったというが、今、そのうちの何人に架比すべき。その比すことができる妃嬪といえば、ただ一人可憐であった趙飛燕だけであり、それも新妝と比すれば誇るほどのものではない。このお方、すでにかくのごとくであり、又花も又思うべきである。

743年(45)李白363 巻四31-《清平調詞,三首之二》(一枝穠豔露凝香,) 363Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-45) <李白363> Ⅰ李白詩1704 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7068

 

 
  2015年12月15日 の紀頌之5つのBlog  
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