漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷五

744年年44歳-14李太白集184巻五17沐浴子  429Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-15【56首】Ⅰ李白詩1803 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

李白  沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る) 髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。

李太白集 巻五17

沐 浴 子

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555

Index-24  744年天寶三年44歳 56-15

429 <1000

 

 
  2016年4月3日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、現在、李白詩全詩 訳注  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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744年年44歳-14李太白集184巻五17沐浴子  429Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-15【56首】Ⅰ李白詩1803 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7555  
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  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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-376-161巻四36 東武吟 〔出東門后書懷留別翰林諸公 〕  (好古笑流俗,) 

Index-24-3 744年天寶三年44-1756首】

作時年:

744年天寶三年

天寶三年

44

全唐詩卷別:

165_16

文體:

樂府

李太白集 

巻五17

 

 

詩題:

沐浴子

 士贇曰樂府遺聲遊俠二十一曲有沐浴子

作地點:

及地點:

 

  

 

 

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

-377-184巻五17 沐浴子  (沐芳莫彈冠,) 

165_16 《沐浴子》李白 

沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

處世忌太潔,至人貴藏暉。 

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。 

 

沐浴子

芳に沐するも 冠を彈ずる莫れ,蘭に浴するも衣を振う莫れ。

世に處するには 太潔を忌み,至人は 暉を藏するを貴ぶ。

滄浪に釣叟有り,吾と爾とは 歸を同じゅうせん。

『沐浴子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

處世忌太潔,至人貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

(下し文)
沐浴子

芳に沐するも 冠を彈ずる莫れ,蘭に浴するも衣を振う莫れ。

世に處するには 太潔を忌み,至人は 暉を藏するを貴ぶ。

滄浪に釣叟有り,吾と爾とは 歸を同じゅうせん。

(現代語訳)
沐浴子屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る

髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。

すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。

つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。


(訳注) 

沐浴子

屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思ってこの詩を作る

1 沐浴子は、楽府の古題、樂府遺聲、遊俠二十一曲に沐浴子が有るのであるが、李白は、沐浴といふところから、屈原の漁父篇を翻案して、此の詩を作ったのである。漁父の篇には、「新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。」(新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。)の数句がある。然るに、漁父は、これを聞いて一笑し、「浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。」(浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。)と歌って立ち去ったというので、これ等をことごとく篇中に取り込んで居る。

 

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。

髪を洗うには、芳醇な香水で綺麗に塵を去れば、それで澤山なので、今まで被って居た冠を弾いて、その埃をはらい、それから再び之を頭に戴くという必要はない。湯浴みをするにしても、蘭の如き香草を蒸した湯で、椅麗に身體の汚れを去れば善いので、衣を振って、その塵を落し、それから、再びこれを着るという必要はない。

2 沐 髪を洗う。

 

處世忌太潔,至人貴藏暉。 

すべて、物事は、大抵にして置かぬと、とかく、やりすぎると、それが為に大変な事が起る。まして、世に処するには、非常に潔白なことを忌むので、道の極に達した人は、わざと光彩をつつんで、世に顕はれぬようにして居る。

3 太潔 非常に潔白なること。

4 至人 道の極みに達した人。

5 暉 光彩を放つこと。

 

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。 

つまり、「滄浪の水清む、以て吾がを濯ふべし、滄浪の水濁る、以て吾が足を濯うべし」といった通り、清んだにしても、濁ったにしても、これに應じて、おのが身を処して行くのが、至人の至人たる所以である。われは、滄浪の漁父の言ったことが、至極面白いと思うから、屈原と同じくせずして、滄浪の漁父と同じく歸著したいと思って居るところである。

6 滄浪 仙界へ続く海原。滄浪とは長江の支流漢水のことであり、楚を流れる川である。

7 釣叟 屈原の楚辞《漁父》篇に見える隠遁者。同じような内容の詩が、孟子のなかにも童謡として出てくる。あるいは楚国の民謡であったのかもしれない。『孟子・離婁上』に出ており、それについて孔子と問答をしている。『孟子』の内容は次の通り:「孟子曰:…有孺子歌曰:『滄浪之水淸兮,可以濯我纓。滄浪之水濁兮,可以濯我足。』孔子曰:『小子聽之。淸斯濯纓,濁斯濯足矣,自取之也。』…。」このことからも分かるとおり、漁父の「滄浪之水淸兮…」の部分は『孟子』成立時には既に歌われていたことが分かる。この『楚辭』・漁父の辞賦は古歌に基づいて編輯されているのだろう。

漁父

屈原既放、游於江潭、行吟沢畔。顔色憔悴、形容枯槁。

漁父見而問之曰 「子非三閭大夫与。何故至於斯。」

屈原曰 「挙世皆濁、我独清。衆人皆酔、我独醒。是以見放。」

漁父曰 「聖人不三凝滞於物、而能与世推移。世人皆濁、何不淈其泥、而揚其波。衆人皆酔、何不餔其糟、而歠其釃。何故深思高挙、自令放為。」

屈原曰 「吾聞之、『新沐者必弾冠、新浴者必振衣。』安能以身之察察、受物之汶汶者乎。寧赴湘流、葬於江魚之腹中、安能以皓皓之白、而蒙世俗之塵埃乎。」

漁父莞爾而笑、鼓枻而去。乃歌曰、

滄浪之水清兮 、可以吾纓。

滄浪之水濁兮 、可以濯吾足。

遂去、不復与言。

屈原既に放たれて、江潭に游び、行ゆく沢畔に吟ず。顔色憔悴し、形容枯槁せり。

漁父見て之に問うて曰はく、 「子は三閭大夫に非ずや。何の故に斯こに至れる」と。

屈原曰はく、 「世を挙げて皆濁れるに、我独り清めり。衆人皆酔へるに、我独り醒めたり。是を以て放たれたり」と。

漁父曰はく、 「聖人は物に凝滞せずして、能く世と推移す。世人皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して、其の波を揚げざる。衆人皆酔はば、何ぞ其の糟を餔ひて、其の釃を歠らざる。何の故に深く思ひ高く挙がりて、自ら放たしむるを為すや」と。

屈原曰はく、「吾之を聞けり。『新たに沐する者は必ず冠を弾き、新たに浴する者は必ず衣を振るふ』と。安くんぞ能く身の察察たるを以つて、物の汶汶たる者を受けんや。寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬らるとも、安くんぞ能く晧晧の白きを以つてして、世俗の塵埃を蒙らんや」と。

漁父莞爾として笑ひ、枻を鼓して去る。乃ち歌つて曰はく、

滄浪の水清まば、以つて吾が纓(えい)を濯ふべし。

滄浪の水濁らば、以つて吾が足を濯ふべしと。

 

 

 

   沐浴子

士贇曰樂府遺聲遊俠/二十一曲有沐浴子

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人貴藏暉。/

曰屈原曰、新沐者必彈冠、新浴者必振衣、安能以身之察察、受物之汶汶者乎。 

 五臣曰察察潔白也汶音問垢

/滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

士贇曰滄浪釣叟即屈原/詞所謂漁父者此詩全櫽括漁父詞之意前詩含光混世貴無名何用孤/髙比雲月亦此意也其太白涉難後之辭乎

 

 

  沐浴子

  胡震亨曰沐浴子梁陳間曲也古辭澡身/經蘭氾濯髮傃芳洲太白擬作專用楚詞漁父/

沐芳莫彈冠,浴蘭莫振衣。處世忌太潔,至人一作/貴藏暉。

滄浪有釣叟,吾與爾同歸。

楚詞漁父篇屈原既放遊/於江潭行吟澤畔顔色憔悴形容枯槁漁父見而問之曰子非三閭大夫歟何故/至於斯屈原曰舉世皆濁而我獨清衆人皆醉而我獨

醒是以見放漁父曰夫聖人者不凝滯於物而能與世/推移舉世皆濁何不淈其泥而揚其波衆人皆醉何不

餔其糟而歠其醨何故懐瑾握瑜而自令見放為屈原/曰吾聞之新沐者必彈冠新浴者必振衣安能以身之

察察受物之汶汶者乎赴湘流𦵏於江魚之腹中又/安能以皎皎之白而世俗之塵埃乎漁父莞爾而

鼓枻而去歌曰、滄浪之水清兮、可以濯吾纓、滄浪之水/濁兮、可以濯吾足。遂去不復與言、又雲中君篇浴蘭湯兮沐/

 

李白372 巻五 24-《秋思》(春陽如昨日) 372728年開元十六年28歲 <李白372> Ⅰ李白詩1717 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7133

李白  秋思  

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。坐愁群芳歇,白露凋華滋。

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

李白372 巻五 24-《秋思》(春陽如昨日) 372728年開元十六年28 <李白372> Ⅰ李白詩1717 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7133

 

 
  2015年12月28日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白372 巻五 24-《秋思》(春陽如昨日) 372728年開元十六年28歲 <李白372> Ⅰ李白詩1717 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7133  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
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韓愈125《 巻三03 上兵部李侍郎書》 #2§2-1 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1630> Ⅱ#2§2-1 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7134  
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  孟郊 張籍          
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
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春思

(春になって折楊柳に安全を祈る、そして、秦の羅敷のように貞操感高く桑を積んでいる。それでも、その思いを知ってか知らずか、羅幃の中へ春風は入ってくると詠う。)

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

燕の地は、北方の寒い處で、春のくることも遅いから、今しも漸く碧の絲のような細い芽が草に出た位、しかるに長安附近では、最早、桑の葉が茂って、緑の枝を垂れている。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

君は燕にあり、我は秦に在り、君がかえることを懐う日は、即ち妾が心腸を断つおもいがつのる時である。

春風不相識,何事入羅幃。

これほどの思いをしている我が思いを知らずして、羅幃に吹きこんでいる春風は、まことに気の知れないつれないものである。

(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

秋思

(悲愁の秋、西域にいる夫がいつ帰るかわからず、次第に顔色が変わっていく思婦を詠う。)

燕支黃葉落,妾望自登臺。

燕支山の木の葉は、黄ばんで落ちる、今年も、はや秋に成って、まさに暮れようとしている。夫は、天涯の西域に在って、音信もまったくなく、妾はひとり高台に上って、帰ってほしいと願い思って、その方を眺めている。

海上碧雲斷,單于秋色來。

青海のほとり、碧雲断え、雲だけでも連続して夫のところに至ってくれたらと思うが、それさえもかなえてくれないのである。秋色は、遠く西域の方よりきたって、秋は、しだいに心なくしてくるけれども、その人は、見えない。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

はるかに、塵沙まで凝るほど、おもうに、胡兵が沙中の城塞に合圍をしてしまうから何もできず、遠く旗幟の翻るは、おもふに、和議すでに破れて、漢家の使者が玉門關から帰ってきたのであろう。

征客無歸日,空悲蕙草摧。

この時かえれば、先ず善いのだが、もし帰らなければ、この先、歸えることもあるまい。蘭恵は香草で、人の佩びるものであるが、それさへ、秋風に遇えば、いつしか零落してしまう。それと同じく、妾の顔色も、いつまで、此のままであるべきぞ。かわり易き顔色を以て、何時歸るとも知れぬ夫を待って居る思婦の身の上は、如何にも、哀れなものである。

(秋思)

燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。

海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。

胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。

征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

 

年:       728年開元十六年28

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    秋思

 

 

191        巻五  24 

秋思 

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

192        巻五                    李白43743年天寶二年作

春思 

燕草如碧絲。 秦桑低綠枝。

 當君懷歸日。 是妾斷腸時。 

春風不相識。 何事入羅幃。 

                                          

193        巻五                    李白43743年天寶二年作

秋思 

燕支黃葉落。 ( 燕支一作閼氏 ) 妾望白登台。 ( 白一作自 ) 

海上碧云斷。 ( 海上一作月出 ) 單于秋色來。 ( 單于一作蟬聲 ) 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。 空悲蕙草摧。

 

 

 

『秋思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋思 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

 

(下し文)

(秋思) 

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

(現代語訳)

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

 

(訳注)

秋思 

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

琴操商調 秋思 樂府

春陽如昨日  碧樹鳴黃
蕪然蕙草暮  颯爾涼風
天秋木葉下  月冷莎雞
坐愁群芳歇  白露凋華

○○△●●  ●●○○○

○○●●●  ●●△△△

○○●●●  ●△○○○

●○○○●  ●●○△○

 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

25 黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘。」

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蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

26 蕪然 草木が有れ茂れるさま。

 

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

27 木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》「嫋嫋兮秋風,洞庭波兮木葉下。

28 莎雞 キリギリス。

 

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

29. 群芳歇 群芳はすでに散り果てること。

30. 白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1「春思」は、古楽府の題にはないが、李白には、「秋思」という詩が二首ある。作時期の違いはあるが、思婦につぃて詠ったものである。この「春思」詩に関連した詩は次に述べる。

 

秋思・春思

 

《巻五 24秋思》

春陽如昨日、碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮、颯爾涼風吹。

天秋木葉下、月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇、白露凋華滋。

(秋思)

春陽は昨日の如く、碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草の暮、颯爾として涼風吹く。

天は秋にして 木葉下り、月は冷やかにして莎雞悲む。

坐に愁う 群芳歇み、白露 華は凋まして滋きを。

《巻五 25-春思》

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

春風不相識,何事入羅幃。

(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

《巻五 26秋思》

燕支黃葉落,妾望自登臺。

海上碧雲斷,單于秋色來。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

征客無歸日,空悲蕙草摧。

(秋思)

燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。

海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。

胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。

征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

*季節も変わり、月日も流れた…、という時間経過を表している。

2 燕草:北国である燕国の草。夫のいるところをさす。 ・燕:〔えん〕北国の意で使われている。現・河北省北部。 ・如:…のようである。 

3 碧絲:緑色の糸。 ・碧:みどり。あお。後出「綠」との異同は、どちらも、みどり。「碧」〔へき〕は、碧玉のような青緑色。青い石の色。「綠」〔りょく〕は、みどり色の絹。

4 秦桑:(ここ)長安地方のクワ。陌上桑の羅敷 ・秦:〔しん〕、女性のいる場所の長安を指している。 ・低:低くたれる。 秦桑 秦地、即ち長安附近の桑、自己の居るところをさす。《巻五02 -陌上桑》「綠條映素手,採桑向城隅。」(綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。)陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜歌に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。

5 綠枝:緑色の枝。

6 君:(いとしい)あなた。男性側のこと。 

7 當:…あたる。 

8 懷歸日:戻ってこようと思う日。(彼女に告げていた)帰郷の予定日。

9 是:(それは)…である。 

10 妾:〔しょう〕わたし。女性の謙遜を表す自称。 

11 斷腸:腸(はらわた)が断ち切られるほどのつらさや悲しさ。

 *この聯は、いつになっても帰ってこない男性を、ひたすら待つ身のやるせなさを謂う。 

12 不相識 顔見知りの人ではない。知り合いの人ではない。

13 何事 どうしたことか。 

14 羅幃〔らゐ〕薄絹のとばり。
 *わたし(=女性)の切なく淋しい胸の内を理解して、春風は慰めてくれているのであろうか。 

15 燕支 燕支山のこと。焉支山,又稱胭脂山、刪丹山といい、河西走廊的南部,今日中國甘肅山丹縣城東南50kmの處にある。

16 黃葉落 木の葉が落ちる、気持ちが落ちる。

17 妾 女の自称。

18 望自登臺 秋、99日重陽には高いところに登って夫のことを思う。望夫台は各地にある。

19 海上 臨武、隴右を越えれば、青海があり、その向こうの西域は天竺と思っていた時代である。

20 碧雲斷 高いところに登って冬雲の変わりつつある雲に思いを告げれば伝えてくれそうに思う。

21 單于 本来匈奴の最高地位を言うが、此処ではその者たちの支配する場所。李白が朝廷の関係者の前でこの詩を作ったので、匈奴を卑下して言ったもの。

22 沙塞合 砂を固めてレンガにする、いわゆる日干し煉瓦で造った塞を、匈奴の兵士が取り囲むことを言う。

23 漢使玉關回 漢の使者が玉門関に集められた手紙や言伝を冬になる前に行き、冬になるまでに長安に持ち帰ること。

24 蕙草 この詩の女性自身、女性の心持を言う。

25 黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘。」

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26 蕪然 草木が有れ茂れるさま。

27 木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》「嫋嫋兮秋風,洞庭波兮木葉下。

28 莎雞 キリギリス。

29. 群芳歇 群芳はすでに散り果てること。

30. 白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

743年(53)李白371 巻五 26-《秋思》(燕支黃葉落,) 371Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(53) <李白371> Ⅰ李白詩1716 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7128

李白  秋思

燕支黃葉落,妾望自登臺。海上碧雲斷,單于秋色來。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。征客無歸日,空悲蕙草摧。
(悲愁の秋、西域にいる夫がいつ帰るかわからず、次第に顔色が変わっていく思婦を詠う。)

燕支山の木の葉は、黄ばんで落ちる、今年も、はや秋に成って、まさに暮れようとしている。夫は、天涯の西域に在って、音信もまったくなく、妾はひとり高台に上って、帰ってほしいと願い思って、その方を眺めている。青海のほとり、碧雲断え、雲だけでも連続して夫のところに至ってくれたらと思うが、それさえもかなえてくれないのである。秋色は、遠く西域の方よりきたって、秋は、しだいに心なくしてくるけれども、その人は、見えない。はるかに、塵沙まで凝るほど、おもうに、胡兵が沙中の城塞に合圍をしてしまうから何もできず、遠く旗幟の翻るは、おもふに、和議すでに破れて、漢家の使者が玉門關から帰ってきたのであろう。この時かえれば、先ず善いのだが、もし帰らなければ、この先、歸えることもあるまい。蘭恵は香草で、人の佩びるものであるが、それさへ、秋風に遇えば、いつしか零落してしまう。それと同じく、妾の顔色も、いつまで、此のままであるべきぞ。かわり易き顔色を以て、何時歸るとも知れぬ夫を待って居る思婦の身の上は、如何にも、哀れなものである。

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年:743年天寶二年43歳 94-53

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    秋思   李白371 巻五 26

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              刪丹山 (隴右道東部 甘州 刪丹) 別名:燕支山、焉支山             

白登臺 (河東道 雲州 白登山)          

玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門               

交遊人物/地點:  

 

 

秋思

(悲愁の秋、西域にいる夫がいつ帰るかわからず、次第に顔色が変わっていく思婦を詠う。)

燕支黃葉落,妾望自登臺。

燕支山の木の葉は、黄ばんで落ちる、今年も、はや秋に成って、まさに暮れようとしている。夫は、天涯の西域に在って、音信もまったくなく、妾はひとり高台に上って、帰ってほしいと願い思って、その方を眺めている。

海上碧雲斷,單于秋色來。

青海のほとり、碧雲断え、雲だけでも連続して夫のところに至ってくれたらと思うが、それさえもかなえてくれないのである。秋色は、遠く西域の方よりきたって、秋は、しだいに心なくしてくるけれども、その人は、見えない。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

はるかに、塵沙まで凝るほど、おもうに、胡兵が沙中の城塞に合圍をしてしまうから何もできず、遠く旗幟の翻るは、おもふに、和議すでに破れて、漢家の使者が玉門關から帰ってきたのであろう。

征客無歸日,空悲蕙草摧。

この時かえれば、先ず善いのだが、もし帰らなければ、この先、歸えることもあるまい。蘭恵は香草で、人の佩びるものであるが、それさへ、秋風に遇えば、いつしか零落してしまう。それと同じく、妾の顔色も、いつまで、此のままであるべきぞ。かわり易き顔色を以て、何時歸るとも知れぬ夫を待って居る思婦の身の上は、如何にも、哀れなものである。

 

安史の乱期 勢力図 002 

『秋思』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

秋思

燕支黃葉落,妾望自登臺。

海上碧雲斷,單于秋色來。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

征客無歸日,空悲蕙草摧。
詩文(含異文)     燕支黃葉落【閼氏黃葉落】,妾望自登臺【妾望白登臺】。海上碧雲斷【月出碧雲斷】,單于秋色來【蟬聲秋色來】。胡兵沙塞合,漢使玉關回。征客無歸日,空悲蕙草摧。


(下し文)
(秋思)

燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。

海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。

胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。

征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

(現代語訳)
秋思(悲愁の秋、西域にいる夫がいつ帰るかわからず、次第に顔色が変わっていく思婦を詠う。)

燕支山の木の葉は、黄ばんで落ちる、今年も、はや秋に成って、まさに暮れようとしている。夫は、天涯の西域に在って、音信もまったくなく、妾はひとり高台に上って、帰ってほしいと願い思って、その方を眺めている。

青海のほとり、碧雲断え、雲だけでも連続して夫のところに至ってくれたらと思うが、それさえもかなえてくれないのである。秋色は、遠く西域の方よりきたって、秋は、しだいに心なくしてくるけれども、その人は、見えない。

はるかに、塵沙まで凝るほど、おもうに、胡兵が沙中の城塞に合圍をしてしまうから何もできず、遠く旗幟の翻るは、おもふに、和議すでに破れて、漢家の使者が玉門關から帰ってきたのであろう。

この時かえれば、先ず善いのだが、もし帰らなければ、この先、歸えることもあるまい。蘭恵は香草で、人の佩びるものであるが、それさへ、秋風に遇えば、いつしか零落してしまう。それと同じく、妾の顔色も、いつまで、此のままであるべきぞ。かわり易き顔色を以て、何時歸るとも知れぬ夫を待って居る思婦の身の上は、如何にも、哀れなものである。

Ta唐 長安近郊圖  新02
(訳注)

秋思

(悲愁の秋、西域にいる夫がいつ帰るかわからず、次第に顔色が変わっていく思婦を詠う。)743年天寶二年43歳の長安での作。李白371  李太白集 巻五 26

728年開元十六年28歳の作、巻五 24-《秋思》「春陽如昨日、碧樹鳴黃鸝。 蕪然蕙草暮、颯爾涼風吹。 天秋木葉下、月冷莎雞悲。 坐愁群芳歇、白露凋華滋。」

 

燕支黃葉落,妾望自登臺。

燕支山の木の葉は、黄ばんで落ちる、今年も、はや秋に成って、まさに暮れようとしている。夫は、天涯の西域に在って、音信もまったくなく、妾はひとり高台に上って、帰ってほしいと願い思って、その方を眺めている。

1.   燕支 燕支山のこと。焉支山,又稱胭脂山、刪丹山といい、河西走廊的南部,今日中國甘肅山丹縣城東南50kmの處にある。

2.   黃葉落 木の葉が落ちる、気持ちが落ちる。

3.    女の自称。

4.   望自登臺 秋、99日重陽には高いところに登って夫のことを思う。望夫台は各地にある。

 

海上碧雲斷,單于秋色來。

青海のほとり、碧雲断え、雲だけでも連続して夫のところに至ってくれたらと思うが、それさえもかなえてくれないのである。秋色は、遠く西域の方よりきたって、秋は、しだいに心なくしてくるけれども、その人は、見えない。

5.   海上 臨武、隴右を越えれば、青海があり、その向こうの西域は天竺と思っていた時代である。

6.   碧雲斷 高いところに登って冬雲の変わりつつある雲に思いを告げれば伝えてくれそうに思う。

7.   單于 本来匈奴の最高地位を言うが、此処ではその者たちの支配する場所。李白が朝廷の関係者の前でこの詩を作ったので、匈奴を卑下して言ったもの。

 

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

はるかに、塵沙まで凝るほど、おもうに、胡兵が沙中の城塞に合圍をしてしまうから何もできず、遠く旗幟の翻るは、おもふに、和議すでに破れて、漢家の使者が玉門關から帰ってきたのであろう。

8.   沙塞合 砂を固めてレンガにする、いわゆる日干し煉瓦で造った塞を、匈奴の兵士が取り囲むことを言う。

9.   漢使玉關回 漢の使者が玉門関に集められた手紙や言伝を冬になる前に行き、冬になるまでに長安に持ち帰ること。

 

征客無歸日,空悲蕙草摧。

この時かえれば、先ず善いのだが、もし帰らなければ、この先、歸えることもあるまい。蘭恵は香草で、人の佩びるものであるが、それさへ、秋風に遇えば、いつしか零落してしまう。それと同じく、妾の顔色も、いつまで、此のままであるべきぞ。かわり易き顔色を以て、何時歸るとも知れぬ夫を待って居る思婦の身の上は、如何にも、哀れなものである。

10. 蕙草 この詩の女性自身、女性の心持を言う。

743年(52)李白 巻五 25-《春思》(燕草如碧絲,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(51) <李白> Ⅰ李白詩1710 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7098

李白  春思 

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。當君懷歸日,是妾斷腸時。春風不相識,何事入羅幃。
(春になって折楊柳に安全を祈る、そして、秦の羅敷のように貞操感高く桑を積んでいる。それでも、その思いを知ってか知らずか、羅幃の中へ春風は入ってくると詠う。)

燕の地は、北方の寒い處で、春のくることも遅いから、今しも漸く碧の絲のような細い芽が草に出た位、しかるに長安附近では、最早、桑の葉が茂って、緑の枝を垂れている。君は燕にあり、我は秦に在り、君がかえることを懐う日は、即ち妾が心腸を断つおもいがつのる時である。これほどの思いをしている我が思いを知らずして、羅幃に吹きこんでいる春風は、まことに気の知れないつれないものである。

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年:743年天寶二年43歳 94-52

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    春思

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:無

 

 

春思

(春になって折楊柳に安全を祈る、そして、秦の羅敷のように貞操感高く桑を積んでいる。それでも、その思いを知ってか知らずか、羅幃の中へ春風は入ってくると詠う。)

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

燕の地は、北方の寒い處で、春のくることも遅いから、今しも漸く碧の絲のような細い芽が草に出た位、しかるに長安附近では、最早、桑の葉が茂って、緑の枝を垂れている。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

君は燕にあり、我は秦に在り、君がかえることを懐う日は、即ち妾が心腸を断つおもいがつのる時である。

春風不相識,何事入羅幃。

これほどの思いをしている我が思いを知らずして、羅幃に吹きこんでいる春風は、まことに気の知れないつれないものである。

(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

桑摘女00 

『春思』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

春思

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

春風不相識,何事入羅幃。

(下し文)
(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

(現代語訳)
春思(春になって折楊柳に安全を祈る、そして、秦の羅敷のように貞操感高く桑を積んでいる。それでも、その思いを知ってか知らずか、羅幃の中へ春風は入ってくると詠う。)

燕の地は、北方の寒い處で、春のくることも遅いから、今しも漸く碧の絲のような細い芽が草に出た位、しかるに長安附近では、最早、桑の葉が茂って、緑の枝を垂れている。

君は燕にあり、我は秦に在り、君がかえることを懐う日は、即ち妾が心腸を断つおもいがつのる時である。

これほどの思いをしている我が思いを知らずして、羅幃に吹きこんでいる春風は、まことに気の知れないつれないものである。


(訳注)

春思

(春になって折楊柳に安全を祈る、そして、秦の羅敷のように貞操感高く桑を積んでいる。それでも、その思いを知ってか知らずか、羅幃の中へ春風は入ってくると詠う。)

【題義】「春思」は、古楽府の題にはないが、李白には、「秋思」という詩が二首ある。作時期の違いはあるが、思婦につぃて詠ったものである。この「春思」詩に関連した詩は次に述べる。

 

秋思・春思

 

《巻五 24秋思》

春陽如昨日、碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮、颯爾涼風吹。

天秋木葉下、月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇、白露凋華滋。

(秋思)

春陽は昨日の如く、碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草の暮、颯爾として涼風吹く。

天は秋にして 木葉下り、月は冷やかにして莎雞悲む。

坐に愁う 群芳歇み、白露 華は凋まして滋きを。

《巻五 25-春思》

燕草如碧絲,秦桑低綠枝。

當君懷歸日,是妾斷腸時。

春風不相識,何事入羅幃。

(春思)

燕草は 碧絲の如く,秦桑は 綠枝を 低たる。

君が 歸るを懷う日に 當り,是れ妾が腸を斷つの時。

春風 相い識らず,何事ぞ 羅幃に 入る。

《巻五 26秋思》

燕支黃葉落,妾望自登臺。

海上碧雲斷,單于秋色來。

胡兵沙塞合,漢使玉關回。

征客無歸日,空悲蕙草摧。

(秋思)

燕支 黃葉落つ,妾は望んで 自ら臺に登る。

海上 碧雲斷え,單于 秋色來る。

胡兵 沙塞に合し,漢使 玉關より回る。

征客 歸える日無し,空しく 蕙草の摧くるを悲む。

 曉鶯005

 

燕草如碧絲、秦桑低綠枝。
燕の地は、北方の寒い處で、春のくることも遅いから、今しも漸く碧の絲のような細い芽が草に出た位、しかるに長安附近では、最早、桑の葉が茂って、緑の枝を垂れている。

*季節も変わり、月日も流れた…、という時間経過を表している。

1.    燕草:北国である燕国の草。夫のいるところをさす。 ・燕:〔えん〕北国の意で使われている。現・河北省北部。 ・如:…のようである。 

2.    碧絲:緑色の糸。 ・碧:みどり。あお。後出「綠」との異同は、どちらも、みどり。「碧」〔へき〕は、碧玉のような青緑色。青い石の色。「綠」〔りょく〕は、みどり色の絹。

3.    秦桑:(ここ)長安地方のクワ。陌上桑の羅敷 ・秦:〔しん〕、女性のいる場所の長安を指している。 ・低:低くたれる。 秦桑 秦地、即ち長安附近の桑、自己の居るところをさす。《巻五02 -陌上桑》「綠條映素手,採桑向城隅。」(綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。)陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜歌に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。

4.    綠枝:緑色の枝。

 

當君懷歸日、是妾斷腸時。
君は燕にあり、我は秦に在り、君がかえることを懐う日は、即ち妾が心腸を断つおもいがつのる時である。

5.    :(いとしい)あなた。男性側のこと。 

6.    :…あたる。 

7.    懷歸日:戻ってこようと思う日。(彼女に告げていた)帰郷の予定日。

8.    是:(それは)…である。 

9.    妾:〔しょう〕わたし。女性の謙遜を表す自称。 

10.  斷腸:腸(はらわた)が断ち切られるほどのつらさや悲しさ。

 *この聯は、いつになっても帰ってこない男性を、ひたすら待つ身のやるせなさを謂う。 

 

春風不相識、何事入羅幃。
これほどの思いをしている我が思いを知らずして、羅幃に吹きこんでいる春風は、まことに気の知れないつれないものである。

11.  不相識 顔見知りの人ではない。知り合いの人ではない。

12.  何事 どうしたことか。 

13.  羅幃〔らゐ〕薄絹のとばり。
 *わたし(=女性)の切なく淋しい胸の内を理解して、春風は慰めてくれているのであろうか。 

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李白  從軍行

從軍玉門道,逐虜金微山。笛奏梅花曲,刀開明月環。

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間。願斬單于首,長驅靜鐵關。
(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。

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詩題:    從軍行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門              

金微山 ( 豐州 安北都護府) 別名:鐵關          

交遊人物/地點:  

 

 

從軍行

(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

從軍玉門道,逐虜金微山。

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。

笛奏梅花曲,刀開明月環。

軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間。

今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。

願斬單于首,長驅靜鐵關。
願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。

(從軍の行【うた】)

從軍 玉門の道,虜を逐う 金微の山。

笛は奏ず 梅花の曲,刀は開く 明月の環。

鼓は聲す 海上の鳴るに,兵は氣し 雲間を擁すを。

願わくば 單于の首を斬り,長驅して 鐵關を靜めん。

 

『從軍行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

從軍行

從軍玉門道,逐虜金微山。

笛奏梅花曲,刀開明月環。

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間。

願斬單于首,長驅靜鐵關。

(下し文)
(從軍の行【うた】)

從軍 玉門の道,虜を逐う 金微の山。

笛は奏ず 梅花の曲,刀は開く 明月の環。

鼓は聲す 海上の鳴るに,兵は氣し 雲間を擁すを。

願わくば 單于の首を斬り,長驅して 鐵關を靜めん。

(現代語訳)
從軍行(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。

軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。

今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。

願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。


(訳注)

從軍行

(匈奴との戦いに西域の極みまで言って戦うものの歌)

從軍行 従軍行は、軍旗辛苦の状を述べるものであるから、匈奴の事に關した此題の詩は、塞上・塞下の諸曲と極めて類似して居る。六朝までの詩は、軍人の詩であったが、唐の時には、戦場に行かない者が、想像で書いたもの、酒宴の席で歌われたものである。

巻四08-塞下曲六首之一(十五入漢宮,)、《巻四09-塞下曲六首之二》(天兵下北荒,)、《巻四10-塞下曲六首之三》、《巻四11-塞下曲六首之四》(白馬黃金塞)、《巻四12-塞下曲六首之五(塞虜乘秋下,)、《巻四13-塞下曲六首之六》(烽火動沙漠)、《巻四15-塞上曲(大漢無中策,) 《巻五10-折楊柳》(垂楊拂綠水,)《巻五12-紫騮馬》(紫騮行且嘶,)などある。

折楊柳

垂楊拂綠水,搖豔東風年。花明玉關雪,葉暖金窗煙。

美人結長想,對此心淒然。攀條折春色,遠寄龍庭前。

(折楊柳)

垂楊は綠水を拂い,搖豔 東風の年。

花は明かなり 玉關の雪,葉は暖かなり 金窗の煙。

美人 長想を結び,此に對して 心淒然。

攀條 春色を折り,遠く寄す 龍庭の前。

 

紫騮馬

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。

臨流不肯渡,似惜錦障泥。

白雪關山遠,黃雲海戍迷。

揮鞭萬里去,安得念春閨。

(紫騮馬)

紫騮 行いて且つ嘶く,雙翻す 碧玉の蹄。

流に臨んで 肯て渡らず,惜むに似たり 錦障の泥を。

白雪 關山遠く,黃雲 海戍迷う。

鞭を揮って萬里に去る,安ぞ得ん 春閨を念うを。

 

從軍玉門道,逐虜金微山。

従軍して、玉門關の道をたどり、やがて匈奴を討ち破って、金傲山の邊まで之を逐い拂ってしまった。

1.   玉門 玉門關の略、中国の甘粛(かんしゅく)省北西部、敦煌(とんこう)(トゥンホワン)市西北約100kmのゴビ砂漠の中にある、唐の時代のシルクロード交易の関所で、河西回廊の防衛拠点の遺跡。玉門関は漢の時代に、南に位置する陽関とともに初めて設けられたが、現在残っているのは唐の時代の遺跡である。玉門関はシルクロード交易の重要な中継地となり、新疆(しんきょう)の和田で算出される玉を中原へ運ぶための中継地ともなったことから、玉門関と名づけられたといわれている。

巻二28楽府胡無人

天兵照雪下玉關。 虜箭如沙射金甲。

巻三34 王昭君二首其一

漢家秦地月。 流影照明妃。一上玉關道。 天涯去不歸。

巻四12- 塞下曲六首 其五

邊月隨弓影。 胡霜拂劍花。 玉關殊未入。 少婦莫長嗟。

巻五10折楊柳

垂楊拂綠水。 搖艷東風年。 花明玉關雪。 葉暖金窗煙。

巻五 26秋思

單于秋色來。 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。

巻五 29子夜歌:秋歌

長安一片月。 萬搗衣聲。 秋風吹不盡。 總是玉關情。

巻二十登邯鄲洪波台置酒觀發兵

天狼正可射。 感激無時閑。 觀兵洪波台。 倚劍望玉關。

巻二一奔亡道中五首  其四

函谷如玉關。 几時可生還。 洛陽為易水。 嵩岳是燕山。

巻二二22清溪半夜聞笛

羌笛梅花引。 溪隴水情。 寒山秋浦月。 腸斷玉關聲。

巻二四55思邊

西山白雪暗秦云。 玉關去此三千里。 欲寄音書那可聞。

2.   金微 山名。今中蒙交界處的阿爾泰山脈で漢匈戦争を行ったところ。漢武帝時代,西漢反守為攻,主動攻擊匈奴,漢匈雙方強弱平勢であったため二百年以上続いたものである。

 

笛奏梅花曲,刀開明月環

軍中に於いては、笛中に落梅花の曲を奏すれども、北地もとより梅花あらず、刀上の環は、固くして明月の如く、環は還と音が通じているから、自分は、いつ帰るとも分らない。

3.   梅花曲 落梅花といふ笛曲を指す。李白《卷六01襄陽歌》「千金駿馬換小妾、笑坐雕鞍歌落梅。」(千金の駿馬小妾と換へ,笑ひて雕鞍に坐して『落梅』を歌う。)千金の値うちのあるスマートな足の早い馬を、おれの女と取り換えてもらい、にっこり笑い、見事な彫り物をほどこした鞍にまたがり、「落梅」の歌を口ずさむ。

4.   刀開明月環 刀の先端に囲い環の付いて居るをいう。その環といふ字が帰還につながるものであるということからその意味に使う。

 

鼓聲鳴海上,兵氣擁雲間

今しも、戦機復た方に熟し、金鼓の聲は青海の岸に轟き、兵気は雲間に充満して、まことに物凄い景色である。

5.   海上 青海の岸、青海の向こうに玉門關、金微山、鐵門關がある。

 

願斬單于首,長驅靜鐵關。

願わくば、単于の首を斬り、長躯して鐡門關に至り、すっかり邊境を静めて、匈奴の入寇を根絶したいと思っているのである。

6.   單于首 單于とは?難読語辞典。 匈奴(きようど)の最高君主の称号。李白《巻三36幽州胡馬客歌》「天驕五單于。 狼戾好凶殘。」(天驕五単于、狼戻にして兇残を好む。)匈奴の単于は自らを天の驕児と称した。 狼の如く心ねじれた道理を持っており、強暴で残忍なことを好んでいる。・天驕 匈奴の単于はみづからを天の驕児と称した。・五単于(ぜんう)漢の宣帝のとき匈奴は五単于ならび立った。・狼戻(ろうれい)狼の如く心ねぢけ道理にもとる。

7.   鐵關 唐書地理志に「焉耆より西五十里鉄門関を過ぐ」とあって、西域の極門としてある。青海から、玉門關へ、その距離の倍程度西に行った地点で黄河と西域の分水嶺のあたり。

743年(50)李白 巻五12-《紫騮馬》(紫騮行且嘶,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(49) <李白> Ⅰ李白詩1708 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7088

李白  紫騮馬

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。臨流不肯渡,似惜錦障泥。

白雪關山遠,黃雲海戍迷。揮鞭萬里去,安得念春閨。
(西域の邊塞後の守りには紫騮馬の跨ってゆくものであるが、賢い馬なので、功をなすことだろう、ただ問題は、あまりにいい馬であるために、家で待つ妻のことを思い出す暇がないということになってしまう)

わが赤毛の駒は、路を行きながら、嘶きつつ、碧玉の如き蹄を遊び翻して足なみも、極めて静かで賢いのである。途中に流水に遇ったら王濟のように馬のことがわかっているから渡らないし、当然、錦の泥よけを汚すことを恐れるからで、さすがに、名馬である。今、この馬に跨り、遠く出でて邊塞を守れば、白雪、黄雲の地であり、關山遠くして、望むものであるが、青海となれば、亦た この馬であっても迷うであろう。但し、鞭を揮って萬李の先へ馳せ行く間は、意、功名の事だけに専念して、里心を起こし、香閏を守って居る人を思う暇などどうしてあるものか。

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年:743年天寶二年43歳 94-49

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    紫騮馬

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

寫及地點:無

交遊人物/地點:  

 

 

紫騮馬

(西域の邊塞後の守りには紫騮馬の跨ってゆくものであるが、賢い馬なので、功をなすことだろう、ただ問題は、あまりにいい馬であるために、家で待つ妻のことを思い出す暇がないということになってしまう)

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。

わが赤毛の駒は、路を行きながら、嘶きつつ、碧玉の如き蹄を遊び翻して足なみも、極めて静かで賢いのである。

臨流不肯渡,似惜錦障泥。

途中に流水に遇ったら王濟のように馬のことがわかっているから渡らないし、当然、錦の泥よけを汚すことを恐れるからで、さすがに、名馬である。

白雪關山遠,黃雲海戍迷。

今、この馬に跨り、遠く出でて邊塞を守れば、白雪、黄雲の地であり、關山遠くして、望むものであるが、青海となれば、亦た この馬であっても迷うであろう。

揮鞭萬里去,安得念春閨。

但し、鞭を揮って萬李の先へ馳せ行く間は、意、功名の事だけに専念して、里心を起こし、香閏を守って居る人を思う暇などどうしてあるものか。

 

(紫騮馬)

紫騮 行いて且つ嘶く,雙翻す 碧玉の蹄。

流に臨んで 肯て渡らず,惜むに似たり 錦障の泥を。

白雪 關山遠く,黃雲 海戍迷う。

鞭を揮って萬里に去る,安ぞ得ん 春閨を念うを。

馬002

『紫騮馬』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

紫騮馬

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。

臨流不肯渡,似惜錦障泥。

白雪關山遠,黃雲海戍迷。

揮鞭萬里去,安得念春閨。
詩文(含異文)

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。臨流不肯渡,似惜錦障泥。白雪關山遠【白雪關城遠】,黃雲海戍迷【黃雲海樹迷】。揮鞭萬里去,安得念春閨【安得戀春閨】。


(下し文)
(紫騮馬)

紫騮 行いて且つ嘶く,雙翻す 碧玉の蹄。

流に臨んで 肯て渡らず,惜むに似たり 錦障の泥を。

白雪 關山遠く,黃雲 海戍迷う。

鞭を揮って萬里に去る,安ぞ得ん 春閨を念うを。

(現代語訳)
紫騮馬(西域の邊塞後の守りには紫騮馬の跨ってゆくものであるが、賢い馬なので、功をなすことだろう、ただ問題は、あまりにいい馬であるために、家で待つ妻のことを思い出す暇がないということになってしまう)

わが赤毛の駒は、路を行きながら、嘶きつつ、碧玉の如き蹄を遊び翻して足なみも、極めて静かで賢いのである。

途中に流水に遇ったら王濟のように馬のことがわかっているから渡らないし、当然、錦の泥よけを汚すことを恐れるからで、さすがに、名馬である。

今、この馬に跨り、遠く出でて邊塞を守れば、白雪、黄雲の地であり、關山遠くして、望むものであるが、青海となれば、亦た この馬であっても迷うであろう。

但し、鞭を揮って萬李の先へ馳せ行く間は、意、功名の事だけに専念して、里心を起こし、香閏を守って居る人を思う暇などどうしてあるものか。

李白の足跡0000馬003
(訳注)

紫騮馬

(西域の邊塞後の守りには紫騮馬の跨ってゆくものであるが、賢い馬なので、功をなすことだろう、ただ問題は、あまりにいい馬であるために、家で待つ妻のことを思い出す暇がないということになってしまう)

紫騮馬は、楽府題にして、横吹曲に属し、古辭に十五従軍征、八十始得帰。道逢郷里人 、家中有阿誰。遥望是君家 、松柏冢纍纍。(十五にして軍に従いて征き、八十にして始めて帰るを得たり。道に郷里の人に逢う、家中に何誰か有りや。遥かに望む是れ君が家、松柏の冢【つか】纍纍たり。)といい、梁の同題の曲に「獨柯不成樹、獨樹不成林、念郎錦禰襠、 恒長不忘心。」といい、大抵、従軍久戍、歸るを懐うという作であるが、梁の簡文帝、元帝、陳の後主、徐陵の諸作に至りては、単に馬を詠じて居る。李白の此詩は、両者を抱きませた様なもので、なお多少の古色があるというものである。

巻三20採蓮曲

若耶溪傍採蓮女,笑隔荷花共人語。

日照新妝水底明,風飄香袂空中舉。

岸上誰家遊冶郎,三三五五映垂楊。

紫騮嘶入落花去,見此踟躕空斷腸。

 

紫騮行且嘶,雙翻碧玉蹄。

わが赤毛の駒は、路を行きながら、嘶きつつ、碧玉の如き蹄を遊び翻して足なみも、極めて静かで賢いのである。

紫騮 赤毛の馬、説文に「騮は赤馬、黒毛の尾あり」とあり、爾雅の註に「赤色黒鬣」とある。紫は、つまり赤の濃いものである。鄭玄の毛詩箋に「赤身黒鬣を騮という。」とある。

《巻三20採蓮曲》「紫騮嘶入落花去。 見此踟躕空斷腸。

《巻五12紫騮馬》「紫騮行且嘶。 雙翻碧玉蹄。 臨流不肯渡。 似惜錦障泥。

《巻十七27宣城送劉副使入秦》「昔贈紫騮駒。 今傾白玉卮。 同歡萬斛酒。 未足解相思。」

碧玉蹄 馬蹄の美しさを形容していう。 亦た良馬、賢い馬をいう。沈佺期《驄馬》「西北五花驄,來時道向東。四蹄碧玉片,雙眼黃金瞳。 鞍上留明月,嘶間動朔風。借君馳沛艾,一戰取雲中。」とある。

 

臨流不肯渡,似惜錦障泥。

途中に流水に遇ったら王濟のように馬のことがわかっているから渡らないし、当然、錦の泥よけを汚すことを恐れるからで、さすがに、名馬である。

臨流不肯渡 《晉書王濟傳》“濟善解馬性, 嘗乘一馬, 著連乾鄣泥, 前有水, 終不肯渡。濟云:「此必是惜鄣泥。」使人解去,便渡。”善く馬の性を解す、かつて、一馬に乗り、連金の障泥を著く。前に水あれば、終に肯て渡らず。済云ふ、これ必ず障泥は惜しむならむと。人をして解き去らしめ、便ち渡る)とある。

王済は馬の性質をよく理解した。かつて馬に乗っていると、乾いて道を塞ぐ泥が連なっており、前方には川があった。ついに王済は、馬に川を渡らせなかった。王済は「馬が泥で汚れるとイヤだ」と言った。人に(泥の障壁を)壊させてから、渡った。ゆえに杜預は「王済には馬癖がある」と言われた。

 

白雪關山遠,黃雲海戍迷。

今、この馬に跨り、遠く出でて邊塞を守れば、白雪、黄雲の地であり、關山遠くして、望むものであるが、青海となれば、亦た この馬であっても迷うであろう。

白雪,黃雲 ともに成名。白雪に、吐蕃との閥境に常り、責書は.何虞だか分らねが、海戊といへぼ、いづれ青海近傍であらう。

 

揮鞭萬里去,安得念春閨。

但し、鞭を揮って萬李の先へ馳せ行く間は、意、功名の事だけに専念して、里心を起こし、香閏を守って居る人を思う暇などどうしてあるものか。

念春閨 里心を起こし、香閏を守って居る人を思うこと、手紙の一つを書くこと。

743年(49)李白 巻五10-《折楊柳》(垂楊拂綠水,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(49) <李白> Ⅰ李白詩1707 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7083

李白  折楊柳 

垂楊拂綠水,搖豔東風年。花明玉關雪,葉暖金窗煙。

美人結長想,對此心淒然。攀條折春色,遠寄龍庭前。
(長安には若い寡婦が多い、出征する夫と別れに楊柳を折って無事を祈ったが、何年もたっても西域から帰ってこない、今年も春になって柳がなびくそこでもう一度折楊柳して無事を願うという)

垂楊は、春に成って緑を囘し、澄める水を拂いつ、東風に向いて靡いて居る。岸辺の楊花は、白くして、玉關の雪より明かにしげり、葉は暖かに、黄金を飾れる窓に映って、靄は虹のように煙って居る。その家の空閏の美人は、池のほとりの楊花を見て、遠征の夫を思い出し、心悽然として、長き思いが解けやることはなかった。やがて、その枝を攀じってみる、春の色をこめたるを折り取って、はるかに、龍庭の彼方に居る夫に贈りたいと思っている。

743年(49)李白 巻五10-《折楊柳》(垂楊拂綠水,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-49) <李白> Ⅰ李白詩1707 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7083

 

 
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年:-743年天寶二年43歳 94-49

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    折楊柳

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關) 別名:玉關、玉門  

交遊人物/地點:  

 

 

折楊柳

(長安には若い寡婦が多い、出征する夫と別れに楊柳を折って無事を祈ったが、何年もたっても西域から帰ってこない、今年も春になって柳がなびくそこでもう一度折楊柳して無事を願うという)

垂楊拂綠水,搖豔東風年。

垂楊は、春に成って緑を囘し、澄める水を拂いつ、東風に向いて靡いて居る。

花明玉關雪,葉暖金窗煙。

岸辺の楊花は、白くして、玉關の雪より明かにしげり、葉は暖かに、黄金を飾れる窓に映って、靄は虹のように煙って居る。

美人結長想,對此心淒然。

その家の空閏の美人は、池のほとりの楊花を見て、遠征の夫を思い出し、心悽然として、長き思いが解けやることはなかった。

攀條折春色,遠寄龍庭前。

やがて、その枝を攀じってみる、春の色をこめたるを折り取って、はるかに、龍庭の彼方に居る夫に贈りたいと思っている。

 

(折楊柳)

垂楊は綠水を拂い,搖豔 東風の年。

花は明かなり 玉關の雪,葉は暖かなり 金窗の煙。

美人 長想を結び,此に對して 心淒然。

攀條 春色を折り,遠く寄す 龍庭の前。
長安城図 作図00

 

『折楊柳』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

折楊柳

垂楊拂綠水,搖豔東風年。

花明玉關雪,葉暖金窗煙。

美人結長想,對此心淒然。

攀條折春色,遠寄龍庭前。
詩文(含異文)     垂楊拂綠水,搖豔東風年【豔裔東風年】。花明玉關雪,葉暖金窗煙。美人結長想【美人結長恨】,對此心淒然【相對心淒然】。攀條折春色,遠寄龍庭前【遠寄龍沙邊】。


(下し文)
(折楊柳)

垂楊は綠水を拂い,搖豔 東風の年。

花は明かなり 玉關の雪,葉は暖かなり 金窗の煙。

美人 長想を結び,此に對して 心淒然。

攀條 春色を折り,遠く寄す 龍庭の前。

(現代語訳)
折楊柳(長安には若い寡婦が多い、出征する夫と別れに楊柳を折って無事を祈ったが、何年もたっても西域から帰ってこない、今年も春になって柳がなびくそこでもう一度折楊柳して無事を願うという)

垂楊は、春に成って緑を囘し、澄める水を拂いつ、東風に向いて靡いて居る。

岸辺の楊花は、白くして、玉關の雪より明かにしげり、葉は暖かに、黄金を飾れる窓に映って、靄は虹のように煙って居る。

その家の空閏の美人は、池のほとりの楊花を見て、遠征の夫を思い出し、心悽然として、長き思いが解けやることはなかった。

やがて、その枝を攀じってみる、春の色をこめたるを折り取って、はるかに、龍庭の彼方に居る夫に贈りたいと思っている。


(訳注)

折楊柳

(長安には若い寡婦が多い、出征する夫と別れに楊柳を折って無事を祈ったが、何年もたっても西域から帰ってこない、今年も春になって柳がなびくそこでもう一度折楊柳して無事を願うという)

折楊柳は、鼓角、横吹曲の一で、矢張、軍楽である。古今註によれば「張騫、西域に入って、その法を伝え、唯だ魔訶兜勒の十曲を得たり、李延年、因って新聾二十八曲を造る、魏晋以來、存せず、黃鵠、隴頭、折楊柳等の十曲を用ひらる」とある。

 

古今註 「横吹胡樂也張騫入西域傳其法唯得摩詞兠勒一曲李延年因造新聲二十八解。魏晉以來不存見用黄鵠隴頭折楊栁等十曲

魏晉以來,二十八解保存不全了,常用的,只有黃鵠、隴頭、出關、入關、出塞、入塞、折揚柳、黃覃子、赤之楊、望行人等十曲而已。 還有“鼓角橫吹曲”。

 

詩題の「折楊柳」は、前漢の張騫が西域から持ち帰った音楽を素にして出来たものだが、この時の辞は、魏晉時代に亡失してしまっているという。晉代には兵事の労苦が陳べられるようになり、それが南朝の梁、陳に始まり唐代ではさらにひろがった。

 

『折楊柳』の曲調。別離の曲。離愁を覚えるということ。

謝靈運 折楊柳行二首之一

鬱鬱河邊樹,青青田野草,舍我故客,將適萬里道,妻妾牽衣袂,淚沾懷抱,還拊幼童子,顧托兄與嫂,辭訣未及終,嚴駕一何早,負笮引文舟,飢渴常不飽,誰令爾貧賤,咨嗟何所道。

折楊柳行二首之二

騷屑出穴風,揮霍見日雪,颼颼無搖,皎皎幾時潔,未覺泮春冰,巳復謝秋節,空對尺素遷,獨視寸陰滅,否桑未易繫,泰茅難重拔,桑茅迭生運,語默寄前哲。

(楊柳を折るの行 二首)その一

鬱鬱【うつうつ】たる河辺の柳、青青たる野田の草。

我を舎【す】つ故郷の客、将に万里の道を適【ゆ】かんとす。

妻妾【さいしょう】は衣袂【いべい】を牽【ひ】き、涙を【おさ】めつつ懐抱【ふところ】を沾【うる】おす。

還【かえ】って幼童の子を拊で、顧みて兄と嫂とに托す。

辞訣【じけつ】未だ終わるに及ばざるに、駕【くるま】を厳【ととの】えること一【いつ】に何ぞ早き。

笮【えびら】を負い文舟【ぶんしゅう】を引き、飢渇して常に飽かず。

誰か爾【なんじ】をして貧賤【ひんせん】ならしむ、咨嗟【ああ】何の道【い】う所ぞ。

折楊柳行 その一 謝霊運(康楽) 詩<72-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩495 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1302

 

王翰 『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」

 

李白に『春夜洛城聞笛』「誰家玉笛暗飛聲,散入春風滿洛城。此夜曲中聞折柳,何人不起故園情。」とある。

206 (改訂版) 巻24-20春夜洛城聞笛 (誰家玉笛暗飛聲)Index-12 Ⅱ―7 -732年開元二十年32 12首 <206> Ⅰ李白詩1437 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5733

春夜洛城聞笛

(春の夜に洛陽の街で「折楊柳」の笛曲を奏でるのをきく。)

同様のモチーフのものに、王翰の『涼州詞』「秦中花鳥已應闌,塞外風沙猶自寒。夜聽胡笳折楊柳,敎人意氣憶長安。」や、王昌齢 『出塞』「秦時明月漢時關、萬里長征人未還。但使龍城飛將在、不敎胡馬渡陰山。」がある。

 

 

垂楊拂綠水,搖豔東風年。

垂楊は、春に成って緑を囘し、澄める水を拂いつ、東風に向いて靡いて居る。

 

花明玉關雪,葉暖金窗煙。

岸辺の楊花は、白くして、玉關の雪より明かにしげり、葉は暖かに、黄金を飾れる窓に映って、靄は虹のように煙って居る。

【一】   玉關 玉門關の略、中国の甘粛(かんしゅく)省北西部、敦煌(とんこう)(トゥンホワン)市西北約100kmのゴビ砂漠の中にある、唐の時代のシルクロード交易の関所で、河西回廊の防衛拠点の遺跡。玉門関は漢の時代に、南に位置する陽関とともに初めて設けられたが、現在残っているのは唐の時代の遺跡である。玉門関はシルクロード交易の重要な中継地となり、新疆(しんきょう)の和田で算出される玉を中原へ運ぶための中継地ともなったことから、玉門関と名づけられたといわれている。

【二】   金窓 黄金で飾った窓。

 

美人結長想,對此心淒然。

その家の空閏の美人は、池のほとりの楊花を見て、遠征の夫を思い出し、心悽然として、長き思いが解けやることはなかった。

【三】    結同心(同心を結ぶ)心変わりをしないということを表すほどけない結び空を言う。

 

攀條折春色,遠寄龍庭前。

やがて、その枝を攀じってみる、春の色をこめたるを折り取って、はるかに、龍庭の彼方に居る夫に贈りたいと思っている。

【四】 龍庭 漢記「五月大會龍城,祭其先天地鬼神」(匈奴、五月、大に龍庭に會して、その先祖天地鬼神を祭る)とある。

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李白  相逢行 #4

願因三青鳥,更報長相思。光景不待人,須臾髮成絲。

當年失行樂,老去徒傷悲。持此道密意,毋令曠佳期。

勿論面と向っては、兎角にうら恥かしく、胸の思いも、十分に述べられぬから、彼の王母の使いと称する三羽の青鳥に言づけて、長く相思うが心を知らせたいものである。

本当に、まあ、この眼前に広がる情景は人を待たず過行く、緑の髪も、見る間に絲の如く乱れてしらがとなる。

今しも、行楽の今ある機会を逃さないようにしないといけない、年が寄ってから、徒に悲むばかりで、何の甲斐もないことである。

そこで、こころに秘める思いを打ち明けて訴えるので、あなたとの佳期というものが曠しいものでないために、どうか、わが願いをかなえてもらいたいものである。

743年(48)李白366-#4 巻五05-《相逢行》(朝騎五花馬,) 366-#4Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-48) <李白366-#4> Ⅰ李白詩1711 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7103

 

 
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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年:743年天寶二年43歳 94-48

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

霸城門 (京畿道 京兆府 長安) 別名:青門    

交遊人物/地點:  

 

 

相逢行 #1

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

秀色誰家子,雲車珠箔開。

すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。

金鞭遙指點,玉勒近遲回。

そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。

(相逢行) #1

朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。

秀色 誰が家の子,雲車 珠箔 開く。

金鞭 遙かに指點,玉勒 近く遲回。
#2

夾轂相借問,疑從天上來。

かくて、娘の近くにようやく来たが、車の毅をはさんで、ちょっと尋ねる慵惰、その人は、どこから御出でに成ったか、天上からでも降ってこられたのでは無いか、どうも、只だの人とは見えないようだ、

蹙入青綺門,當歌共銜杯。

願わくは、これから、一処に青綺門より城中に入り、どこぞ然るべき酒楼に上り、歌を聞きながら、杯を銜んで、酒でも飲みましょうといい、とうとう、之を誘って酒楼に上った。

銜杯映歌扇,似月雲中見。

かくて、杯を口にみつつ、歌扇に映ずる美人の顔を倫み見ると、さながら、月が雲間から、ちらり見えたようである。

相見不得親,不如不相見。

そこで、男がいうには、すでに縁あって相見たるに、親しむことができねば、見ない方がましである。

#2

轂を夾んで 相い借問し,天上より來るを疑う。

青綺門に蹙入し,歌に當って共に杯を銜まん。

杯を銜んで歌扇に映ずれば,月を雲中に見るに似たり。

相い見て親しむを得ざれば,相い見ざるに如かず。
#3

相見情已深,未語可知心。

又、ひたすら見つめてみるに、もし御身の情が深いならば、こちら方から語るまえに、その心うちを読めそうなものである。

胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

御身は、これほどの美貌を有しながら、如何なるわけがあるのか、ひとり空閏を守って、寂しい寝牀での夢は寒いもの、錦衾の重きをかこちつつあるであろう。

錦衾與羅幃,纏綿會有時。

今はいないお方の錦衾と羅幃を垂れたままでも、御身と心置きなく語り明かす時は、必ず有るであろう。

春風正澹蕩,暮雨來何遲。

今しも、この春風を正に澹蕩として、行楽の好時節であるのに、かの巫山神女の「朝雲暮雨」が、来るのか来ないのか、何と遅い。

#3

相見て 情 已に深ければ,未だ語らざるに心を知る可し。

胡ん為れぞ 空閨を守り,孤眠 錦衾を愁う。

錦衾と羅幃と,纏綿 會らず 時有り。

春風 正に澹蕩,暮雨 來る何ぞ遲き。
#4

願因三青鳥,更報長相思。

勿論面と向っては、兎角にうら恥かしく、胸の思いも、十分に述べられぬから、彼の王母の使いと称する三羽の青鳥に言づけて、長く相思うが心を知らせたいものである。

光景不待人,須臾髮成絲。

本当に、まあ、この眼前に広がる情景は人を待たず過行く、緑の髪も、見る間に絲の如く乱れて白髪となる。

當年失行樂,老去徒傷悲。

今しも、行楽の今ある機会を逃さないようにしないといけない、年が寄ってから、徒に悲むばかりで、何の甲斐もないことである。

持此道密意,毋令曠佳期。

そこで、こころに秘める思いを打ち明けて訴えるので、あなたとの佳期というものが曠しいものでないために、どうか、わが願いをかなえてもらいたいものである。

#4

願わくば三青鳥に因って,更に長相思を報ぜん。

光景 人を待たず,須臾にして 髮 絲を成す。

當年 行樂を失い,老去 徒らに傷悲。

此を持って密意を道う,佳期を曠しうせしむる毋【な】かれ。

 

漢長安城 00 

『相逢行』 現代語訳と訳註解説

(本文)
#4

願因三青鳥,更報長相思。

光景不待人,須臾髮成絲。

當年失行樂,老去徒傷悲。

持此道密意,毋令曠佳期。
詩文(含異文)

願因三青鳥,更報長相思。光景不待人,須臾髮成絲。當年失行樂,老去徒傷悲。持此道密意,毋令曠佳期【案:一本「長相思」下,無此六句。】。


(下し文)
#4

願わくば三青鳥に因って,更に長相思を報ぜん。

光景 人を待たず,須臾にして 髮 絲を成す。

當年 行樂を失い,老去 徒らに傷悲。

此を持って密意を道う,佳期を曠しうせしむる毋【な】かれ。

(現代語訳)
#4

勿論面と向っては、兎角にうら恥かしく、胸の思いも、十分に述べられぬから、彼の王母の使いと称する三羽の青鳥に言づけて、長く相思うが心を知らせたいものである。

本当に、まあ、この眼前に広がる情景は人を待たず過行く、緑の髪も、見る間に絲の如く乱れてしらがとなる。

今しも、行楽の今ある機会を逃さないようにしないといけない、年が寄ってから、徒に悲むばかりで、何の甲斐もないことである。

そこで、こころに秘める思いを打ち明けて訴えるので、あなたとの佳期というものが曠しいものでないために、どうか、わが願いをかなえてもらいたいものである。


(訳注) #4

相逢行 #4

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

1 相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

 

願因三青鳥,更報長相思。

勿論面と向っては、兎角にうら恥かしく、胸の思いも、十分に述べられぬから、彼の王母の使いと称する三羽の青鳥に言づけて、長く相思うが心を知らせたいものである。

8 青鳥 山海経の西山経に「三危の山、三青鳥、これに居る」とあって、郭僕の註に「三青鳥に、主として、王母の為に食を取るもの、別に自ら此山に棲息するなり。竹書に日く、穆王西征、青鳥の解くところに至るなり」とある。叉大荒西経に「沃の野、三青鳥あり、赤首黒目、一名大鶖といい、一名少鶖といい、一名青とりといふ」とあって、郭璞の註に「皆西王母の使うところなり」とある。

17 長相思 久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。

李白 長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 (長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

 

光景不待人,須臾髮成絲。

本当に、まあ、この眼前に広がる情景は人を待たず過行く、緑の髪も、見る間に絲の如く乱れて白髪となる。

18 光景 1 目前に広がる景色。眺め。「白銀にかがやく峰々の―」2 ある場面の具体的なありさま。情景。「惨憺 (さんたん) たる―」3 日のひかり。

19 須臾 短い時間。しばらくの間。ほんの少しの間。

 

當年失行樂,老去徒傷悲。

今しも、行楽の今ある機会を逃さないようにしないといけない、年が寄ってから、徒に悲むばかりで、何の甲斐もないことである。

20 行樂 山野に出たりして,遊び楽しむこと。漢樂府《西門行》詩:“夫為樂,為樂當及時。”《古詩十九首·生年不滿百》:“ 為樂當及時,何能待來茲”。

「出西門、歩念之、今日不作樂、當待何時。夫爲樂、爲樂當及時。」(西門を出で、歩みて之を念う、今日 樂しみを作さずんば、當【まさ】に何れの時をか待つべき。

夫れ樂しみを爲さん、樂しみを爲すには當に時に及ぶべし。

西門行 漢の無名氏 詩<81-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1350

第十五首

生年不滿百,常懷千憂。

晝短苦夜長,何不秉燭遊!

為樂當及時,何能待來茲?

愚者愛惜費,但為後世嗤。

卡人王子喬,難可蜿等期。

生年は百に満たず、常に千歳の憂を懐く。

晝は短くして夜の長きに苦しみ、何ぞ燭を秉って遊ばざる。

欒しみを為すは常に時に及ぶべし、何ぞ能く來茲【らいし】を待たん。

愚者は費を愛惜し、但後世の嗤【わらい】と為るのみ。

仙人王子喬は、蜿【えん】に期を等しうす可きこと難し。

人間は百歳までは生きられないのだ、なのにどうして日夜、千年後のことまで考えて憂いをいだくのである。

秋になると昼が短く、夜が長いのを苦にするようになる、だったらどうして燭を照らして、夜を日につぎ遊ばないのだ。

楽しみを求めるにはつとめて今ある機会を逃さないようにするのがよいのだ。あてにもならない来年のことなど、待ってもどうなるというものではないのである。

愚かな者は、いたずらに費用を出し惜しんで金をためるものだが、そうであればただ後の人々に笑われるだけである。

王子喬は仙人になり不老長生を得たと伝えるが、常人にはうねうね続く年寿をすべきであっても、とてもできないことなのだ。

古詩十九首之十五 漢の無名氏(15) 漢詩<102>Ⅱ李白に影響を与えた詩536 漢文委員会紀頌之の漢詩ブログ1425

 

持此道密意,毋令曠佳期。

そこで、こころに秘める思いを打ち明けて訴えるので、あなたとの佳期というものが曠しいものでないために、どうか、わが願いをかなえてもらいたいものである。

21 佳期 こころよい季節。男女の逢う約束。あいびきの時。李白『大堤曲』「漢水臨襄陽。花開大堤暖。佳期大堤下。淚向南云滿。」 謝靈運 《石門在永嘉》 #1

躋険築幽居、披雲臥石門。

苔滑誰能歩、葛弱豈可捫。

嫋嫋秋風過、萋萋春草繁。

美人遊不遠、佳期何繇敦。』

(石門は永嘉に在り)#1
険に躋【のぼ】りて幽居を築き、雲を披【ひら】きて石門に臥す。
苔は滑【なめ】らかにして誰か能く歩せん、葛は弱くして豈捫る可けんや。
嫋嫋【じょうじょう】と秋風が過ぎ、萋萋【せいせい】と春草も繁り。
美人は遊びて還らず、佳期は何に繇【よ】りてか敦【さだ】めん。
《石門新營所住四面高山回溪石瀨修竹茂林》石門在永嘉 謝霊運<30#2 詩集 405  kanbuniinkai紀 頌之漢詩ブログ1032

 

 

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李白  相逢行#3

相見情已深,未語可知心。胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

錦衾與羅幃,纏綿會有時。春風正澹蕩,暮雨來何遲。

又、ひたすら見つめてみるに、もし御身の情が深いならば、こちら方から語るまえに、その心うちを読めそうなものである。御身は、これほどの美貌を有しながら、如何なるわけがあるのか、ひとり空閏を守って、寂しい寝牀での夢は寒いもの、錦衾の重きをかこちつつあるであろう。今はいないお方の錦衾と羅幃を垂れたままでも、御身と心置きなく語り明かす時は、必ず有るであろう。今しも、この春風を正に澹蕩として、行楽の好時節であるのに、かの巫山神女の「朝雲暮雨」が、来るのか来ないのか、何と遅い。

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年:743年天寶二年43歳 94-48

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

霸城門 (京畿道 京兆府 長安) 別名:青門    

交遊人物/地點:  

 

 

相逢行 #1

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

秀色誰家子,雲車珠箔開。

すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。

金鞭遙指點,玉勒近遲回。

そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。

(相逢行) #1

朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。

秀色 誰が家の子,雲車 珠箔 開く。

金鞭 遙かに指點,玉勒 近く遲回。
#2

夾轂相借問,疑從天上來。

かくて、娘の近くにようやく来たが、車の毅をはさんで、ちょっと尋ねる慵惰、その人は、どこから御出でに成ったか、天上からでも降ってこられたのでは無いか、どうも、只だの人とは見えないようだ、

蹙入青綺門,當歌共銜杯。

願わくは、これから、一処に青綺門より城中に入り、どこぞ然るべき酒楼に上り、歌を聞きながら、杯を銜んで、酒でも飲みましょうといい、とうとう、之を誘って酒楼に上った。

銜杯映歌扇,似月雲中見。

かくて、杯を口にみつつ、歌扇に映ずる美人の顔を倫み見ると、さながら、月が雲間から、ちらり見えたようである。

相見不得親,不如不相見。

そこで、男がいうには、すでに縁あって相見たるに、親しむことができねば、見ない方がましである。

#2

轂を夾んで 相い借問し,天上より來るを疑う。

青綺門に蹙入し,歌に當って共に杯を銜まん。

杯を銜んで歌扇に映ずれば,月を雲中に見るに似たり。

相い見て親しむを得ざれば,相い見ざるに如かず。
#3

相見情已深,未語可知心。

又、ひたすら見つめてみるに、もし御身の情が深いならば、こちら方から語るまえに、その心うちを読めそうなものである。

胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

御身は、これほどの美貌を有しながら、如何なるわけがあるのか、ひとり空閏を守って、寂しい寝牀での夢は寒いもの、錦衾の重きをかこちつつあるであろう。

錦衾與羅幃,纏綿會有時。

今はいないお方の錦衾と羅幃を垂れたままでも、御身と心置きなく語り明かす時は、必ず有るであろう。

春風正澹蕩,暮雨來何遲。

今しも、この春風を正に澹蕩として、行楽の好時節であるのに、かの巫山神女の「朝雲暮雨」が、来るのか来ないのか、何と遅い。

#3

相見て 情 已に深ければ,未だ語らざるに心を知る可し。

胡ん為れぞ 空閨を守り,孤眠 錦衾を愁う。

錦衾と羅幃と,纏綿 會らず 時有り。

春風 正に澹蕩,暮雨 來る何ぞ遲き。
#4

願因三青鳥,更報長相思。

光景不待人,須臾髮成絲。

當年失行樂,老去徒傷悲。

持此道密意,毋令曠佳期。

#4

願わくば三青鳥に因って,更に長相思を報ぜん。

光景 人を待たず,須臾にして 髮 絲を成す。

當年 行樂を失い,老去 徒らに傷悲。

此を持って密意を道う,佳期を曠しうせしむる毋【な】かれ。

 

漢長安城 00 

『相逢行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

相見情已深,未語可知心。

胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

錦衾與羅幃,纏綿會有時。

春風正澹蕩,暮雨來何遲。


(下し文)
#3

相見て 情 已に深ければ,未だ語らざるに心を知る可し。

胡ん為れぞ 空閨を守り,孤眠 錦衾を愁う。

錦衾と羅幃と,纏綿 會らず 時有り。

春風 正に澹蕩,暮雨 來る何ぞ遲き。

(現代語訳)
#3

又、ひたすら見つめてみるに、もし御身の情が深いならば、こちら方から語るまえに、その心うちを読めそうなものである。

御身は、これほどの美貌を有しながら、如何なるわけがあるのか、ひとり空閏を守って、寂しい寝牀での夢は寒いもの、錦衾の重きをかこちつつあるであろう。

今はいないお方の錦衾と羅幃を垂れたままでも、御身と心置きなく語り明かす時は、必ず有るであろう。

今しも、この春風を正に澹蕩として、行楽の好時節であるのに、かの巫山神女の「朝雲暮雨」が、来るのか来ないのか、何と遅い。


(訳注) #3

相逢行 #3

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

1 相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

 

相見情已深,未語可知心。

又、ひたすら見つめてみるに、もし御身の情が深いならば、こちら方から語るまえに、その心うちを読めそうなものである。

 

胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

御身は、これほどの美貌を有しながら、如何なるわけがあるのか、ひとり空閏を守って、寂しい寝牀での夢は寒いもの、錦衾の重きをかこちつつあるであろう。

12 錦衾 にしきでつくったりっぱな夜着。《詩經.唐風.葛生》:「角枕粲兮,錦衾爛兮,予美亡此,誰與獨旦。」(角枕 粲たり,錦衾 爛たり,予が美 此に亡し,誰と與に獨り旦【あか】さん。)

 

錦衾與羅幃,纏綿會有時。

今はいないお方の錦衾と羅幃を垂れたままでも、御身と心置きなく語り明かす時は、必ず有るであろう。

13 羅幃 薄絹の帷。盧照鄰【長安古意】詩:「雙燕雙飛繞畫梁,羅幃翠被鬱金香。」(雙燕 雙飛 畫梁を繞り,羅幃 翠被 金香を鬱す。)

14 纏綿 1 からみつくこと。2 複雑に入り組んでいること。心にまつわりついて離れないさま。

 

春風正澹蕩,暮雨來何遲。

今しも、この春風を正に澹蕩として、行楽の好時節であるのに、かの巫山神女の「朝雲暮雨」が、来るのか来ないのか、何と遅い。

15 澹蕩 ゆったりしてのどかな・こと(さま)。

16 暮雨 朝雲暮雨《楚 () の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。巫山 (ふざん) の雲雨

霓裳羽衣舞001 

 

 

李白 相逢行 【字解】

【1】         相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

【2】        李白の詩は、以下の《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。

齊国の少年輩が、遊猟の歸途、互に相逢うて、馬が良いとか、乗りっ振りが善いとかいつて、褒め合ふことを述べている。

詩経 齊風 

子之還兮 遭我乎峱之閒兮。 

並驅從兩肩兮、揖我謂我儇兮。 

子の還たる 我に峱【どう】の閒に遭ふ。

竝【なら】び驅せて兩肩を從【お】ふ 我をして揖【ゆう】して我を儇【けん】と謂ふ。

 子之茂兮 遭我乎峱之道兮

竝驅從兩牡兮 揖我謂我好兮

子の茂【ばう】なる 我に峱の道に遭ふ。

竝びて驅せて兩牡【りやうぼ】を從ふ 我を揖して我を好【よし】と謂ふ。

 子之昌兮 遭我乎峱之陽兮

竝驅從兩狼兮 揖我謂我臧兮

子の昌なる 我に峱【どう】の陽に遭ふ。

竝びて驅りて兩狼を從【お】う 我を揖して我を臧【よし】と謂ふ

 

 

年:       731       開元十九年          31

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

相逢行

相逢紅塵,高揖黃金鞭。

垂楊裡,君家阿那邊。

 (相い逢うの行)

相い逢う 紅塵の,高く揖す 黃金の鞭。

 垂楊の裡,君が家は阿那の邊。

(《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。)

軽装した遊侠の少年が、馬に跨り、紅塵を蹴立てて馳せ行くとき、向うからも同じ様な少年が来て、はたっと出合った。すると、黄金の鞭を軽げに揮いながら、両手を前にたかくして会釈した、

片片が萬家の隠見する垂柳の中を指し、君の御住居は、どの辺でありますかといって尋ねた。

【3】     五花馬 美しい毛並みの馬。青白雑色の馬。《巻2-8 將進酒》「主人何為言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。」(主人 なんすれ 銭少しという、ただちにすべからく沽【か】い取り 君に対して酌むべし。五花の馬 千金の裘。児を呼びもち出でて美酒に換へ、なんじとともに銷【け】さん 万古の愁。)

235-#3李白 89(改訂版)《巻2-8  將進酒 -#3》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <235-#3> Ⅰ李白詩1480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5948

【4】 銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。

【5】 珠箔 金玉珠璣を以て簾に箔が置いてある。

【6】 玉勒 勒はくつわ。

【7】 青綺門 水経註に「長安東に出づ、第三門、本と覇城門と名づく。民、その門色の青きを見て、叉青城門と名づけ、或は青綺門といひ、亦た青門という」とある。

【8】 青鳥 山海経の西山経に「三危の山、三青鳥、これに居る」とあって、郭僕の註に「三青鳥に、主として、王母の為に食を取るもの、別に自ら此山に棲息するなり。竹書に日く、穆王西征、青鳥の解くところに至るなり」とある。叉大荒西経に「沃の野、三青鳥あり、赤首黒目、一名大鶖といい、一名少鶖といい、一名青とりといふ」とあって、郭璞の註に「皆西王母の使うところなり」とある。

9 轂 こしき車輪の軸を受ける部分。こしき。「轂下・轂撃 /輦轂」楚辭.屈原.九歌.國殤:「操戈兮被犀甲,車錯轂兮短兵接。」戈を操りて 犀甲を被り,車は轂を錯えて 短兵 接す。)

10 借問【しゃもん】ためしに問うこと。ちょっと尋ねてみること。

11 青綺門 即ち青門、漢の長安城の東、灞城門のこと。長安の古城門を邈然という場合もある。 古代常用為送別之處。《三輔黃圖‧都城十二門》「長安城 東出南頭第一門曰 霸城門 , 民見門色青, 名曰 青城門 , 或曰 青門」、《廟記》に曰く「霸城門 亦曰 青綺門 。」 李白 《送裴十八圖南歸嵩山之一》「何處可為別, 長安 青綺門 。”亦省作“ <<青綺>>。」

12 錦衾 にしきでつくったりっぱな夜着。《詩經.唐風.葛生》:「角枕粲兮,錦衾爛兮,予美亡此,誰與獨旦。」(角枕 粲たり,錦衾 爛たり,予が美 此に亡し,誰と與に獨り旦【あか】さん。)

13 羅幃 薄絹の帷。盧照鄰【長安古意】詩:「雙燕雙飛繞畫梁,羅幃翠被鬱金香。」(雙燕 雙飛 畫梁を繞り,羅幃 翠被 金香を鬱す。)

14 纏綿 1 からみつくこと。2 複雑に入り組んでいること。心にまつわりついて離れないさま。

15 澹蕩 ゆったりしてのどかな・こと(さま)。

16 暮雨 朝雲暮雨《楚 () の懐王が夢の中で契りを交わした神女が、朝には雲に、夕暮れには雨になると言ったという、宋玉「高唐賦」などにみえる故事から》男女の堅い契り。巫山 (ふざん) の雲雨

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韓愈  相逢行 #2

夾轂相借問,疑從天上來。蹙入青綺門,當歌共銜杯。

銜杯映歌扇,似月雲中見。相見不得親,不如不相見。

かくて、娘の近くにようやく来たが、車の毅をはさんで、ちょっと尋ねる慵惰、その人は、どこから御出でに成ったか、天上からでも降ってこられたのでは無いか、どうも、只だの人とは見えないようだ、

願わくは、これから、一処に青綺門より城中に入り、どこぞ然るべき酒楼に上り、歌を聞きながら、杯を銜んで、酒でも飲みましょうといい、とうとう、之を誘って酒楼に上った。

かくて、杯を口にみつつ、歌扇に映ずる美人の顔を倫み見ると、さながら、月が雲間から、ちらり見えたようである。

そこで、男がいうには、すでに縁あって相見たるに、親しむことができねば、見ない方がましである。

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年:743年天寶二年43歳 94-48

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

霸城門 (京畿道 京兆府 長安) 別名:青門    

交遊人物/地點:  

 

 

相逢行 #1

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

秀色誰家子,雲車珠箔開。

すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。

金鞭遙指點,玉勒近遲回。

そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。

(相逢行) #1

朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。

秀色 誰が家の子,雲車 珠箔 開く。

金鞭 遙かに指點,玉勒 近く遲回。
#2

夾轂相借問,疑從天上來。

かくて、娘の近くにようやく来たが、車の毅をはさんで、ちょっと尋ねる慵惰、その人は、どこから御出でに成ったか、天上からでも降ってこられたのでは無いか、どうも、只だの人とは見えないようだ、

蹙入青綺門,當歌共銜杯。

願わくは、これから、一処に青綺門より城中に入り、どこぞ然るべき酒楼に上り、歌を聞きながら、杯を銜んで、酒でも飲みましょうといい、とうとう、之を誘って酒楼に上った。

銜杯映歌扇,似月雲中見。

かくて、杯を口にみつつ、歌扇に映ずる美人の顔を倫み見ると、さながら、月が雲間から、ちらり見えたようである。

相見不得親,不如不相見。

そこで、男がいうには、すでに縁あって相見たるに、親しむことができねば、見ない方がましである。

#2

轂を夾んで 相い借問し,天上より來るを疑う。

青綺門に蹙入し,歌に當って共に杯を銜まん。

杯を銜んで歌扇に映ずれば,月を雲中に見るに似たり。

相い見て親しむを得ざれば,相い見ざるに如かず。
#3

相見情已深,未語可知心。

胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

錦衾與羅幃,纏綿會有時。

春風正澹蕩,暮雨來何遲。

#4

願因三青鳥,更報長相思。

光景不待人,須臾髮成絲。

當年失行樂,老去徒傷悲。

持此道密意,毋令曠佳期。

 

 

『相逢行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

夾轂相借問,疑從天上來。

蹙入青綺門,當歌共銜杯。

銜杯映歌扇,似月雲中見。

相見不得親,不如不相見。

(下し文)
#2

轂を夾んで 相い借問し,天上より來るを疑う。

青綺門に蹙入し,歌に當って共に杯を銜まん。

杯を銜んで歌扇に映ずれば,月を雲中に見るに似たり。

相い見て親しむを得ざれば,相い見ざるに如かず。

(現代語訳)
#2

かくて、娘の近くにようやく来たが、車の毅をはさんで、ちょっと尋ねる慵惰、その人は、どこから御出でに成ったか、天上からでも降ってこられたのでは無いか、どうも、只だの人とは見えないようだ、

願わくは、これから、一処に青綺門より城中に入り、どこぞ然るべき酒楼に上り、歌を聞きながら、杯を銜んで、酒でも飲みましょうといい、とうとう、之を誘って酒楼に上った。

かくて、杯を口にみつつ、歌扇に映ずる美人の顔を倫み見ると、さながら、月が雲間から、ちらり見えたようである。

そこで、男がいうには、すでに縁あって相見たるに、親しむことができねば、見ない方がましである。

 

 (訳注) #2

相逢行 #1

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

1 相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

 

夾轂相借問,疑從天上來。

かくて、娘の近くにようやく来たが、車の毅をはさんで、ちょっと尋ねる慵惰、その人は、どこから御出でに成ったか、天上からでも降ってこられたのでは無いか、どうも、只だの人とは見えないようだ、

9 轂 こしき車輪の軸を受ける部分。こしき。「轂下・轂撃 /輦轂」楚辭.屈原.九歌.國殤:「操戈兮被犀甲,車錯轂兮短兵接。」戈を操りて 犀甲を被り,車は轂を錯えて 短兵 接す。)

10 借問【しゃもん】ためしに問うこと。ちょっと尋ねてみること。

 

蹙入青綺門,當歌共銜杯。

願わくは、これから、一処に青綺門より城中に入り、どこぞ然るべき酒楼に上り、歌を聞きながら、杯を銜んで、酒でも飲みましょうといい、とうとう、之を誘って酒楼に上った。

11 青綺門 即ち青門、漢の長安城の東、灞城門のこと。長安の古城門を邈然という場合もある。 古代常用為送別之處。《三輔黃圖‧都城十二門》「長安城 東出南頭第一門曰 霸城門 , 民見門色青, 名曰 青城門 , 或曰 青門」、《廟記》に曰く「霸城門 亦曰 青綺門 。」 李白 《送裴十八圖南歸嵩山之一》「何處可為別, 長安 青綺門 。”亦省作“ <<青綺>>。」

 

銜杯映歌扇,似月雲中見。

かくて、杯を口にみつつ、歌扇に映ずる美人の顔を倫み見ると、さながら、月が雲間から、ちらり見えたようである。

 

相見不得親,不如不相見。
そこで、男がいうには、すでに縁あって相見たるに、親しむことができねば、見ない方がましである。

漢長安城 00 

 

 

 

李白 相逢行 【字解】

【1】         相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

【2】        李白の詩は、以下の《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。

齊国の少年輩が、遊猟の歸途、互に相逢うて、馬が良いとか、乗りっ振りが善いとかいつて、褒め合ふことを述べている。

詩経 齊風 

子之還兮 遭我乎峱之閒兮。 

並驅從兩肩兮、揖我謂我儇兮。 

子の還たる 我に峱【どう】の閒に遭ふ。

竝【なら】び驅せて兩肩を從【お】ふ 我をして揖【ゆう】して我を儇【けん】と謂ふ。

 子之茂兮 遭我乎峱之道兮

竝驅從兩牡兮 揖我謂我好兮

子の茂【ばう】なる 我に峱の道に遭ふ。

竝びて驅せて兩牡【りやうぼ】を從ふ 我を揖して我を好【よし】と謂ふ。

 子之昌兮 遭我乎峱之陽兮

竝驅從兩狼兮 揖我謂我臧兮

子の昌なる 我に峱【どう】の陽に遭ふ。

竝びて驅りて兩狼を從【お】う 我を揖して我を臧【よし】と謂ふ

 

 

年:       731       開元十九年          31

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

相逢行

相逢紅塵,高揖黃金鞭。

垂楊裡,君家阿那邊。

 (相い逢うの行)

相い逢う 紅塵の,高く揖す 黃金の鞭。

 垂楊の裡,君が家は阿那の邊。

(《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。)

軽装した遊侠の少年が、馬に跨り、紅塵を蹴立てて馳せ行くとき、向うからも同じ様な少年が来て、はたっと出合った。すると、黄金の鞭を軽げに揮いながら、両手を前にたかくして会釈した、

片片が萬家の隠見する垂柳の中を指し、君の御住居は、どの辺でありますかといって尋ねた。

【3】     五花馬 美しい毛並みの馬。青白雑色の馬。《巻2-8 將進酒》「主人何為言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。」(主人 なんすれ 銭少しという、ただちにすべからく沽【か】い取り 君に対して酌むべし。五花の馬 千金の裘。児を呼びもち出でて美酒に換へ、なんじとともに銷【け】さん 万古の愁。)

235-#3李白 89(改訂版)《巻2-8  將進酒 -#3》Index-16 Ⅱ―11-736年開元二十四年36歳 <235-#3> Ⅰ李白詩1480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5948

【4】 銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。

【5】 珠箔 金玉珠璣を以て簾に箔が置いてある。

【6】 玉勒 勒はくつわ。

【7】 青綺門 水経註に「長安東に出づ、第三門、本と覇城門と名づく。民、その門色の青きを見て、叉青城門と名づけ、或は青綺門といひ、亦た青門という」とある。

【8】 青鳥 山海経の西山経に「三危の山、三青鳥、これに居る」とあって、郭僕の註に「三青鳥に、主として、王母の為に食を取るもの、別に自ら此山に棲息するなり。竹書に日く、穆王西征、青鳥の解くところに至るなり」とある。叉大荒西経に「沃の野、三青鳥あり、赤首黒目、一名大鶖といい、一名少鶖といい、一名青とりといふ」とあって、郭璞の註に「皆西王母の使うところなり」とある。

9 轂 こしき車輪の軸を受ける部分。こしき。「轂下・轂撃 /輦轂」楚辭.屈原.九歌.國殤:「操戈兮被犀甲,車錯轂兮短兵接。」戈を操りて 犀甲を被り,車は轂を錯えて 短兵 接す。)

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長安城図 作図00 

743年(48)李白 巻五05-《相逢行》(朝騎五花馬,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(47) <李白> Ⅰ李白詩1706 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7078

李白  相逢行 #1

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。秀色誰家子,雲車珠箔開。金鞭遙指點,玉勒近遲回。

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。

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年:743年天寶二年43歳 94-48

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

霸城門 (京畿道 京兆府 長安) 別名:青門    

交遊人物/地點:  

 

 

相逢行 #1

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

秀色誰家子,雲車珠箔開。

すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。

金鞭遙指點,玉勒近遲回。

そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。

(相逢行) #1

朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。

秀色 誰が家の子,雲車 珠箔 開く。

金鞭 遙かに指點,玉勒 近く遲回。
#2

夾轂相借問,疑從天上來。

蹙入青綺門,當歌共銜杯。

銜杯映歌扇,似月雲中見。

相見不得親,不如不相見。

#3

相見情已深,未語可知心。

胡為守空閨,孤眠愁錦衾。

錦衾與羅幃,纏綿會有時。

春風正澹蕩,暮雨來何遲。

#4

願因三青鳥,更報長相思。

光景不待人,須臾髮成絲。

當年失行樂,老去徒傷悲。

持此道密意,毋令曠佳期。

 

 

 

『相逢行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

相逢行 #1

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。

秀色誰家子,雲車珠箔開。

金鞭遙指點,玉勒近遲回。
詩文(含異文)

#1

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。秀色誰家子,雲車珠箔開【雲中珠箔開】。

金鞭遙指點,玉勒近遲回。


(下し文)
(相逢行) #1

朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。

秀色 誰が家の子,雲車 珠箔 開く。

金鞭 遙かに指點,玉勒 近く遲回。

(現代語訳)
相逢行 #1(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。

そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。


(訳注)

相逢行 #1

(貴公子が美人に専ら云い寄ることを詠う。)

【一】 相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

【二】 李白の詩は、以下の《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。

齊国の少年輩が、遊猟の歸途、互に相逢うて、馬が良いとか、乗りっ振りが善いとかいつて、褒め合ふことを述べている。

詩経 齊風 

子之還兮 遭我乎峱之閒兮。 

並驅從兩肩兮、揖我謂我儇兮。 

子の還たる 我に峱【どう】の閒に遭ふ。

竝【なら】び驅せて兩肩を從【お】ふ 我をして揖【ゆう】して我を儇【けん】と謂ふ。

 子之茂兮 遭我乎峱之道兮

竝驅從兩牡兮 揖我謂我好兮

子の茂【ばう】なる 我に峱の道に遭ふ。

竝びて驅せて兩牡【りやうぼ】を從ふ 我を揖して我を好【よし】と謂ふ。

 子之昌兮 遭我乎峱之陽兮

竝驅從兩狼兮 揖我謂我臧兮

子の昌なる 我に峱【どう】の陽に遭ふ。

竝びて驅りて兩狼を從【お】う 我を揖して我を臧【よし】と謂ふ

 

年:       731       開元十九年          31

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 相逢行

相逢紅塵,高揖黃金鞭。

垂楊裡,君家阿那邊。

 (相い逢うの行)

相い逢う 紅塵の,高く揖す 黃金の鞭。

 垂楊の裡,君が家は阿那の邊。

(《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。)

軽装した遊侠の少年が、馬に跨り、紅塵を蹴立てて馳せ行くとき、向うからも同じ様な少年が来て、はたっと出合った。すると、黄金の鞭を軽げに揮いながら、両手を前にたかくして会釈した、

片片が萬家の隠見する垂柳の中を指し、君の御住居は、どの辺でありますかといって尋ねた。

 

朝騎五花馬,謁帝出銀臺。

朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

【三】 五花馬 ①美しい毛並みの馬で五色の文を爲すをいう。②青白雑色の馬。③馬の鑣の両端を金の花に、五色の飾り紐が垂れている。いずれにしても貴公子の持ち馬を言う。《巻2-8 將進酒》「主人何為言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。」(主人 なんすれ 銭少しという、ただちにすべからく沽【か】い取り 君に対して酌むべし。五花の馬 千金の裘。児を呼びもち出でて美酒に換へ、なんじとともに銷【け】さん 万古の愁。

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【四】 銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。

 

秀色誰家子,雲車珠箔開。

すると、かえり途にして秀色抜群の一美人に遇ったが、それは誰が家の娘であらうか。その女は、立派な車に乗り、金玉珠璣の箔を置いた簾を掲げて、外面を見廻わしている。

【五】 珠箔 金玉珠璣を以て簾に箔が置いてある。

 

金鞭遙指點,玉勒近遲回。

そこで前の官人は、金鞭を揮って、はるかに之を指し示し、玉の飾ある鑣を引きしめて、その方に勿体付けて静々と向って往った。

【六】 玉勒 勒はくつわ。

大明宮-座標02 

 

 

 

 

 

李白 相逢行 【字解】

【1】         相逢行 相逢行は、一に相逢狭路問行ともいい、又長安有狭斜行ともいい、漢人の作に係り、一寸長いが、その古詞の文意は、鶏鳴曲と同じである。

【2】        李白の詩は、以下の《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。

齊国の少年輩が、遊猟の歸途、互に相逢うて、馬が良いとか、乗りっ振りが善いとかいつて、褒め合ふことを述べている。

詩経 齊風 

子之還兮 遭我乎峱之閒兮。 

並驅從兩肩兮、揖我謂我儇兮。 

子の還たる 我に峱【どう】の閒に遭ふ。

竝【なら】び驅せて兩肩を從【お】ふ 我をして揖【ゆう】して我を儇【けん】と謂ふ。

 子之茂兮 遭我乎峱之道兮

竝驅從兩牡兮 揖我謂我好兮

子の茂【ばう】なる 我に峱の道に遭ふ。

竝びて驅せて兩牡【りやうぼ】を從ふ 我を揖して我を好【よし】と謂ふ。

 子之昌兮 遭我乎峱之陽兮

竝驅從兩狼兮 揖我謂我臧兮

子の昌なる 我に峱【どう】の陽に遭ふ。

竝びて驅りて兩狼を從【お】う 我を揖して我を臧【よし】と謂ふ

 

 

年:       731       開元十九年          31

卷別:    卷一六三              文體:    樂府

詩題:    相逢行

作地點:長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

相逢行

相逢紅塵,高揖黃金鞭。

垂楊裡,君家阿那邊。

 (相い逢うの行)

相い逢う 紅塵の,高く揖す 黃金の鞭。

 垂楊の裡,君が家は阿那の邊。

(《詩経 齊風、還》詩を継承して詠ったもの。)

軽装した遊侠の少年が、馬に跨り、紅塵を蹴立てて馳せ行くとき、向うからも同じ様な少年が来て、はたっと出合った。すると、黄金の鞭を軽げに揮いながら、両手を前にたかくして会釈した、

片片が萬家の隠見する垂柳の中を指し、君の御住居は、どの辺でありますかといって尋ねた。

【3】     五花馬 美しい毛並みの馬。青白雑色の馬。《巻2-8 將進酒》「主人何為言少錢,徑須沽取對君酌。五花馬,千金裘。呼兒將出換美酒,與爾同銷萬古愁。」(主人 なんすれ 銭少しという、ただちにすべからく沽【か】い取り 君に対して酌むべし。五花の馬 千金の裘。児を呼びもち出でて美酒に換へ、なんじとともに銷【け】さん 万古の愁。)

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【4】 銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。

【5】 珠箔 金玉珠璣を以て簾に箔が置いてある。

【6】 玉勒 勒はくつわ。
長安城図 作図00 

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李白  陌上桑 #2

綠條映素手,採桑向城隅。使君且不顧,況復論秋胡。

寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。託心自有處,但怪傍人愚。徒令白日暮,高駕空踟躕。

今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。塞螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。

743年(47)李白365-#2 巻五02 -《陌上桑》(美女渭橋東,) 365-#2Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-47) <李白365-#2> Ⅰ李白詩1707 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7083

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-46

卷別:  卷一六五        文體:  樂府

詩題:  陌上桑

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        渭橋 (京畿道 京兆府 長安)        

交遊人物/地點:

 

 

陌上桑

(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)

美女渭橋東,春還事蠶作。

秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、

その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。

五馬如飛龍,青絲結金絡。

すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。

不知誰家子,調笑來相謔。

何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。

妾本秦羅敷,玉顏豔名都。

私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。

#2

綠條映素手,採桑向城隅。

今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。

使君且不顧,況復論秋胡。

彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。

寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。

螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。

託心自有處,但怪傍人愚。

彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。

徒令白日暮,高駕空踟躕。

かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。

 

(陌上桑)

美女 渭橋の東,春 還って 蠶作を事とす。

五馬 飛龍の如く,青絲 金絡を結ぶ。

知らず 誰が家の子か,調笑 來って相い謔むる。

妾 本と秦羅敷なり,玉顏 名都に豔なり。

 

綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。

使君 且つ顧みず,況や復た秋胡を論ずるや。

螿は碧草を愛し,鳴鳳は青梧に棲む。

心を託す 自ら處有り,但だ怪む 傍人の愚。

徒らに白日をして暮れしめ,高駕 空しく踟

長安付近図00 

『陌上桑』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

綠條映素手,採桑向城隅。

使君且不顧,況復論秋胡。

愛碧草,鳴鳳棲青梧。

託心自有處,但怪傍人愚。

徒令白日暮,高駕空踟

(下し文)
#2

綠條 素手に映じ,桑を採って城隅に向う。

使君 且つ顧みず,況や復た秋胡を論ずるや。

は碧草を愛し,鳴鳳は青梧に棲む。

心を託す 自ら處有り,但だ怪む 傍人の愚。

徒らに白日をして暮れしめ,高駕 空しく踟


(現代語訳)
#2

今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。

彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。

螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。

彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。

かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。


(訳注)#2

陌上桑

(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)

1 陌上桑 陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。

 

綠條映素手,採桑向城隅。

今しも桑を採ろうとして、城隅に来て作業を始めた、緑にしげった桑の枝は、白い手に映じて居るのは、誰しも美しいと思うものである。

9 綠條 緑にしげった桑の枝

 

使君且不顧,況復論秋胡。

彼女は、もとより夫ある身で、他人の言い寄るのをうるさく思って居る。たとえ、使君と云はれる様な貴き御方であらうとも、決して顧みることはしないし、まして、古の色好みの秋胡などは、まるで相手にしようなどとは思いもしなかったのである。

10 使君 高級官僚の尊称。

11 秋胡 〔二の列女傳〕〔魯国の秋胡子の妾なる潔婦〕新婚わずか5日で、秋胡は魯国を出発し、陳国に5年間単身赴任し、その間彼女は、姑に孝養をつくした。 5年後の帰宅途中、出会った美女が妻であることに気づかず、秋胡は彼女にしつこくいいよった。道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、そのまま帰らず、遂に河に投死した。

 

寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。

螿というものは碧草を愛し、鳳凰は碧梧桐に栖むものであり、物は各々その分に従うべきものである。

12 寒螿 昆虫名。秋蟬。蝉に似て小さい、という。ひぐらしであろう。似蝉而小, 色青赤。《文選謝惠連〈搗衣〉詩》肅肅莎雞羽, 烈烈寒螿啼。(粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。)

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

13 鳴鳳棲青梧 《詩経、大雅、巻阿》「鳳凰鳴矣、于彼高岡。梧桐生矣、于彼朝陽。」(鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に)とある。

 

託心自有處,但怪傍人愚。

彼女の心を託するところは、きちんとと定まって揺れ動いたりせずにいるのに、これを知るや、知らずや、やたらに厭らしい甘い誘惑の事ばかり、いってくる旁人の云い寄って来る愚かさは、むしろ不思議におもうところである。

 

徒令白日暮,高駕空踟躕。

かの趙王にしても、その通りで、立派な乗り物を停め、躊躇して去らなかった、いたずらに、白日をして暮れしむるは、大の男のすることとして何たる事であろうか、いやはや、しっかりしてもらいたいと思うところである。

14 踟躕-1 女性の作業をしているところをその場に立ち止まって見ていることを言う。《文選.曹植.贈白馬王彪詩》:「欲還無蹊,攬轡止踟躕。」(還えらんと欲するも絶えて蹊なく、轡【たずな】を撹りて止【ただ】ちに踟躕【ちゅうちょ】す。)

贈白馬王彪 其三 曹植(曹子建) 魏詩<42>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1948

また、躊躇-2については、 趙王の躊躇をいう。趙王とは、前漢の皇族で趙の共王、劉 恢(りゅう かい、紀元前203年? - 紀元前181年)のこと。はじめは淮陽王に封じられ、紀元前196年夏6月に、梁王・彭越(彭の遠祖)が謀反の疑いで息子とともに蜀に流罪される途中で、劉邦の妻である呂后(呂雉)に遭遇してしまったために、かえって彼女によって長安に連行されて、呂后が夫・劉邦に讒言したことで彭越父子は揃って処刑された揚句に、その肉を塩漬けにされ、淮南王・英布(黥布)ら諸侯に贈られたのである。

 

長安城漢唐 

 

李白  陌上桑 【字解】

 

【1】 陌上桑 陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のこと、李白はこの詩の後半最後に「使君且不顧,況復論秋胡。徒令白日暮,高駕空踟躕。」と述べている。

一、羅敷

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

秦地羅敷女,採桑綠水邊。

素手青條上,紅妝白日鮮。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌)

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573

陌上桑行 〔艶歌羅敷行、日出東南隅行

陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
青絲為籠係,桂枝為籠鉤。頭上倭墮髻,耳中明月珠。

#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
少年見羅敷,
帽著頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,
鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”
#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。

#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って蜘踊す。使君束をして徒かしめ、間ふ 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅数と為す」。「羅敷は年幾何ぞ」。「二十には筒は足らず、十五頗る飴り有り」 と。使君羅敦に謝す、「寧ろ共に載る可きゃ不」 と。
#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。何を用てか夫靖を識る、白馬磯駒を徒へ、青練を馬屋に繋け、黄金を番頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿底の鉱は、千萬徐に値す可し。十五に心て府の小史、二十にして朝の大夫。三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。人と為り潔自習、孝養として頗る裏有り。盈盈として公府に歩み、再再として府中に趨る。坐中の数千人、皆言ふ 『夫巧は殊なり』 と。

二、魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。

列女伝

魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是行也,行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。

秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)

(大意)

魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257

【2】  渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。①中渭橋は秦の時、始めて設置され,本らいの名称は橫橋という 。②東渭橋 は紀元前145年、漢の景帝五年に建置され,涇水が渭水に合流した下流の 東側に位置する。③西渭橋 は紀元前138年、漢の建元三年建置,長安城の便門に相對し,便橋 或は 便門橋という 。唐じだいには 咸陽橋と名づけられ,長安から 人、客を西行する場合に送別のため、多く此地に到って相い別れをした。

【3】  春還 春が帰ってくる。

【4】  蠶作 養蚕。

【5】  五馬  太守を称するもの、鄭注に謂う:『《周禮》:州長旟を建つ。』漢太守比に州長とし,故に云う。後見して龐幾先云う:『古より駟馬車に乘る,漢時に至り,太守出でて則ち一馬を增す,事 《漢官儀》見える也。』〕故に五馬と爲す。鄭注謂:『《周禮》:州長建旟。』漢太守比州長,故云。後見龐幾先云:『古乘駟馬車,至漢時,太守出則增一馬,事見《漢官儀》也。』〕

【6】  青絲結金絡 馬の後部を縛った青い紐絲が、馬の首を絡めた黄金の手綱に結び付くといふ意。《艶歌羅敷行》「靑絲繋馬尾,黃金絡馬頭,腰中鹿盧劍,可千萬餘。」

7】調笑 からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったりすること。戲謔嘲笑。文選·謝靈運·擬鄴中集詩·應瑒詩:「調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。」(調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。)

8】名都 長安。

9 綠條 緑にしげった桑の枝

10 使君 高級官僚の尊称。

11 秋胡 〔二の列女傳〕〔魯国の秋胡子の妾なる潔婦〕新婚わずか5日で、秋胡は魯国を出発し、陳国に5年間単身赴任し、その間彼女は、姑に孝養をつくした。 5年後の帰宅途中、出会った美女が妻であることに気づかず、秋胡は彼女にしつこくいいよった。道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、そのまま帰らず、遂に河に投死した。

12 寒螿 昆虫名。秋蟬。蝉に似て小さい、という。ひぐらしであろう。似蝉而小, 色青赤。《文選謝惠連〈搗衣〉詩》「肅肅莎雞羽, 烈烈寒螿啼。」(粛粛【しゅくしゅく】として莎雞【さけい】は羽【はね】ふるい、烈烈として寒螿【かんしょう】は啼く。)

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

13 鳴鳳棲青梧 《詩経、大雅、巻阿》「鳳凰鳴矣、于彼高岡。梧桐生矣、于彼朝陽。」(鳳凰鳴けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝陽に)とある。

14 踟躕-1 女性の作業をしているところをその場に立ち止まって見ていることを言う。《文選.曹植.贈白馬王彪詩》:「欲還無蹊,攬轡止踟躕。」(還えらんと欲するも絶えて蹊なく、轡【たずな】を撹りて止【ただ】ちに踟躕【ちゅうちょ】す。)

贈白馬王彪 其三 曹植(曹子建) 魏詩<42>文選 贈答二 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1948

また、躊躇-2については、 趙王の躊躇をいう。趙王とは、前漢の皇族で趙の共王、劉 恢(りゅう かい、紀元前203年? - 紀元前181年)のこと。はじめは淮陽王に封じられ、紀元前196年夏6月に、梁王・彭越(彭の遠祖)が謀反の疑いで息子とともに蜀に流罪される途中で、劉邦の妻である呂后(呂雉)に遭遇してしまったために、かえって彼女によって長安に連行されて、呂后が夫・劉邦に讒言したことで彭越父子は揃って処刑された揚句に、その肉を塩漬けにされ、淮南王・英布(黥布)ら諸侯に贈られたのである。

743年(46)李白 巻五02 -《陌上桑》(美女渭橋東,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(46) <李白> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073

李白  陌上桑

美女渭橋東,春還事蠶作。五馬如飛龍,青絲結金絡。

不知誰家子,調笑來相謔。妾本秦羅敷,玉顏豔名都。
長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)

秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、

その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。

743年(46)李白 巻五02 -《陌上桑》(美女渭橋東,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-46) <李白> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073

 

 
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743年(46)李白 巻五02 -《陌上桑》(美女渭橋東,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(46) <李白> Ⅰ李白詩1705 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7073  
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年:743年天寶二年43歳 94-46

卷別:  卷一六五        文體:  樂府

詩題:  陌上桑

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:        渭橋 (京畿道 京兆府 長安)        

交遊人物/地點:

 

 

陌上桑

(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)

美女渭橋東,春還事蠶作。

秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、

その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。

五馬如飛龍,青絲結金絡。

すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。

不知誰家子,調笑來相謔。

何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。

妾本秦羅敷,玉顏豔名都。

私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。

綠條映素手,採桑向城隅。

使君且不顧,況復論秋胡。

寒螿愛碧草,鳴鳳棲青梧。

託心自有處,但怪傍人愚。

徒令白日暮,高駕空踟躕。

 

(陌上桑)

美女 渭橋の東,春 還って 蠶作を事とす。

五馬 飛龍の如く,青絲 金絡を結ぶ。

知らず 誰が家の子か,調笑 來って相い謔むる。

妾 本と秦羅敷なり,玉顏 名都に豔なり。

綠條映素手,採桑向城隅。

使君且不顧,況復論秋胡。

愛碧草,鳴鳳棲青梧。

託心自有處,但怪傍人愚。

徒令白日暮,高駕空踟

 

 

『陌上桑』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陌上桑

美女渭橋東,春還事蠶作。

五馬如飛龍,青絲結金絡。

不知誰家子,調笑來相謔。

妾本秦羅敷,玉顏豔名都。

(下し文)
(陌上桑)

美女 渭橋の東,春 還って 蠶作を事とす。

五馬 飛龍の如く,青絲 金絡を結ぶ。

知らず 誰が家の子か,調笑 來って相い謔むる。

妾 本と秦羅敷なり,玉顏 名都に豔なり。

(現代語訳)
陌上桑(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)

秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、

その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。

すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。

何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。

私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。


(訳注)

陌上桑

(長安大通りのそばの桑を摘む貞女、秦氏の娘女、羅敷を詠う)

1.  陌上桑 陌上桑には二つある。一には、李白がこの詩、子夜に述べた羅敷「秦氏有好女,自名為羅敷。」であり、二は魯の秋胡の妻、《列女伝 秋胡子》「潔婦者,魯秋胡子妻也。」、顔延之(延年)《秋胡詩》のことである。

一、羅敷

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

秦地羅敷女,採桑綠水邊。

素手青條上,紅妝白日鮮。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌)

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573

陌上桑行 〔艶歌羅敷行、日出東南隅行

陌上桑 #1
日出東南隅,照我秦氏樓。秦氏有好女,自名為羅敷。

羅敷喜蠶桑,採桑城南隅。
青絲為籠係,桂枝為籠鉤。頭上倭墮髻,耳中明月珠。

#2
緗綺為下裙,紫綺為上襦。行者見羅敷,下擔捋髭須。
少年見羅敷,
帽著頭。耕者忘其犁,鋤者忘其鋤。
來歸相怨怒,但坐觀羅敷。
#3
使君從南來,五馬立踟躕。使君遣吏往,問是誰家姝。
“秦氏有好女,自名為羅敷。”
“羅敷年幾何?”
“二十尚不足,十五頗有餘。”
“使君謝羅敷,寧可共載不?”
#4
羅敷前置辭:“使君一何愚!使君自有婦,羅敷自有夫。”
“東方千餘騎,夫婿居上頭。何用識夫婿?白馬從驪駒;
青絲係馬尾,黃金絡馬頭;
#5
腰中鹿盧劍,可直千萬餘。十五府小吏,二十朝大夫,
三十侍中郎,四十專城居。為人潔白晰,
鬑鬑頗有須。
盈盈公府步,冉冉府中趨。坐中數千人,皆言夫婿殊。”
#1
日は東南隅に出でて、我が案氏の榎を照らす。秦氏に好女有り、自ら名つけて羅敦と為す。羅敷荒桑を善くし、桑を城の南隅に探る。青緑をは籠系と為し、桂枝をば寵鈎と為す。頭上には倭堕の磐、耳中には明月の珠。

#2
純綿を下裾と為し、紫緒を上宿と為す。行く者は羅敦を見て、標を下して髭麦を括り、少年は羅敷を見て、帽を睨して略頭を著はす、耕す者は其の梁を忘れ、鋤く者は其の鋤を忘る。来り節って相怨怒するは、但羅数を観るに坐するのみ。
#3
使君南より来り、五馬立って蜘踊す。使君束をして徒かしめ、間ふ 「是れ誰が家の妹ぞ」 と。「秦氏に好女有り、自ら名いうて羅数と為す」。「羅敷は年幾何ぞ」。「二十には筒は足らず、十五頗る飴り有り」 と。使君羅敦に謝す、「寧ろ共に載る可きゃ不」 と。
#4
羅敷前んで詞を致す、「使君一に何ぞ愚なる。使君自ら婦有り、羅敷は自ら夫有り。東方の千絵騎、夫巧は上頭に居る。何を用てか夫靖を識る、白馬磯駒を徒へ、青練を馬屋に繋け、黄金を番頭に絡ふ。
#5
腰中の鹿底の鉱は、千萬徐に値す可し。十五に心て府の小史、二十にして朝の大夫。三十にして侍中部、四十にして城を専らにして居る。人と為り潔自習、孝養として頗る裏有り。盈盈として公府に歩み、再再として府中に趨る。坐中の数千人、皆言ふ 『夫巧は殊なり』 と。

二、魯国の秋胡子の妾なる潔婦についてのべた。

列女伝

魯秋潔婦. 潔婦者,魯秋胡子妻也。既納之五日,去而宦於陳,五年乃歸。未至家,見路旁婦人採桑,秋胡子悅之,下車謂曰:若曝採桑,吾行道,願託桑蔭下,下齎休焉。婦人採桑不輟,秋胡子謂曰:力田不如逢豐年,力桑不如見國卿。吾有金,願以與夫人。婦人曰:『採桑力作,紡績織紝以供衣食,奉二親養。夫子已矣,不願人之金。秋胡遂去。歸至家,奉金遺母,使人呼其婦。婦至,乃嚮採桑者也,秋胡子慚。婦曰:子束髮脩身,辭親往仕,五年乃還,當所悅馳驟,揚塵疾至。今也乃悅路傍婦人,下子之糧,以金予之,是忘母也。忘母不孝,好色淫泆,是行也,行不義。夫事親不孝, 則事君不忠。處家不義,則治官不理。孝義並亡,必不遂矣。妾不忍見,子改娶矣,妾亦不嫁。遂去而東走,投河而死。

秋胡子は、潔婦を納れ、五日にして、去りて陳に宦す。五年にして帰る。末だ其の家に至らざるとき、路傍に美しき婦人の方に桑を採るもの有るを見る。秋胡子は車より下り、謂うげて日く、いま吾に金あり、願はくは以て夫人に与へんと。婦人日く、嘻、妾は桑を採りて二親に奉ず。人の金を願わずと。秋湖子遂に去り、帰って家に至り金を奉じて其の母に遣る。その母、人をして其の婦を呼ばしむ。婦至る、乃ち向に桑を採りしものなり。秋湖は之を見て慙(は)づ。婦人日く、髪を束ね身む修め、親を辞し往いて仕ふ。五年にして乃ち還るを得たり。まさに親戚を見るべきなるに、今や乃ち路傍の婦人を悦びて、子の装を下し、金を以て之に与へんとす。これ母を忘るるの不孝なり。妾は不孝の人を見るに忍びずと。遂に去りて走り、自ら河に投じて裾す」(列女伝 秋胡子)

(大意)

魯の潔婦は秋胡子の妻である。新婚五日、秋湖は単身陳に赴任した。五年後に帰宅の道で、桑摘む美女を見て金を贈ろうとした。美人は拒絶したので、帰って母に贈った。妻を見ると、さきの採桑の美女であった。妻は五年振りの帰省に、道端の女を悦んで、母を忘れる不孝な人にはまみえないといって、遂に河に投死した。(西京雑記もほぼ同じ)とある。

秋胡詩 (9) 顔延之(延年) 詩<11>Ⅱ李白に影響を与えた詩480 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1257

 

美女渭橋東,春還事蠶作。

秦氏の女、羅敷は、絶代の美人で、渭橋の東に居り、春の歸りくるままに、養蚕を事とし、

その為に、陌上に於で、桑の葉を摘んで居た。

2.  渭橋 横橋とも中渭橋ともいう。長安の北を流れる渭水に架けた橋で、ここを渡ると咸陽の町。唐の時代には西域に通じる要道の一。長安には、便橋、東渭橋の三本の橋があった。①中渭橋は秦の時、始めて設置され,本らいの名称は橫橋という 。②東渭橋 は紀元前145年、漢の景帝五年に建置され,涇水が渭水に合流した下流の 東側に位置する。③西渭橋 は紀元前138年、漢の建元三年建置,長安城の便門に相對し,便橋 或は 便門橋という 。唐じだいには 咸陽橋と名づけられ,長安から 人、客を西行する場合に送別のため、多く此地に到って相い別れをした。

3.  春還 春が帰ってくる。

4.  蠶作 養蚕。

 

五馬如飛龍,青絲結金絡。

すると、そこへ飛龍の如く逞しき五馬を引き従えて来た人があって、馬の尾を束ねた青い絲は、馬の頭を絡めた黄金の手綱に結び付けられて、まことに美美しく、馬さへ、かくの如く、その人の派手にみやびやかなることは、言うまでもない。

5.  五馬  太守を称するもの、鄭注に謂う:『《周禮》:州長旟を建つ。』漢太守比に州長とし,故に云う。後見して龐幾先云う:『古より駟馬車に乘る,漢時に至り,太守出でて則ち一馬を增す,事 《漢官儀》見える也。』〕故に五馬と爲す。鄭注謂:『《周禮》:州長建旟。』漢太守比州長,故云。後見龐幾先云:『古乘駟馬車,至漢時,太守出則增一馬,事見《漢官儀》也。』〕

6.  青絲結金絡 馬の後部を縛った青い紐絲が、馬の首を絡めた黄金の手綱に結び付くといふ意。《艶歌羅敷行》「靑絲繋馬尾,黃金絡馬頭,腰中鹿盧劍,可千萬餘。」

 

不知誰家子,調笑來相謔。

何処の誰であるか知らぬが、無作法にも、馴れ馴れしく笑い戯れて、私に向ってからかった。

7.  調笑 からかい笑いがあり、嘲り戯れがあったりすること。戲謔嘲笑。文選·謝靈運·擬鄴中集詩·應瑒詩:「調笑輒酬答,嘲謔無慚沮。」(調笑には輒ち酬答し,嘲謔【ちょうぎゃく】にも慚沮【ざんそ】する無し。)

 

妾本秦羅敷,玉顏豔名都。

私は、もと秦氏の娘女、名を羅敷というもので、玉の如き顔は、艶名を大都に歌われたものである。

8.  名都 長安。

李白310 《巻五 18 高句驪》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白310> Ⅰ李白詩1614 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6618

李白  高句驪   

金花折風帽,白馬小遲回。翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。

李白310 《巻五 18 高句驪》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白310> Ⅰ李白詩1614 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6618

 

 
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Index-22Ⅲ― 1-742年天寶元年42

 

歌一07

251古風,五十九首之七            (五鶴西北來,

巻五 18

252高句驪                    (金花折風帽,

巻五 27

巻五 27李白22 子夜呉歌 春と夏

巻五 28

巻五 28李白23 子夜呉歌 春と夏

巻五 29

巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

巻五 30

巻五 30李白24 子夜呉歌其三 秋 と25 冬

巻八 23

巻八 23駕去溫泉後贈楊山人

巻八24

巻八24溫泉侍從歸逢故人

巻十四31

巻十四31南陵別兒童入京

巻十五21

巻十五21魯城北郭曲腰桑下送張子還嵩陽

巻十八15

巻十八15酬張卿夜宿南陵見贈

巻十九07

巻十九07遊泰山,六首之一【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九08

巻十九08遊泰山,六首之二【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九09

巻十九09遊泰山,六首之三【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九10

巻十九10遊泰山,六首之四【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九11

巻十九11遊泰山,六首之五【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九12

巻十九12遊泰山,六首之六【案:天寶元年四月,從故御道上泰山。】

巻十九19

巻十九19侍從遊宿溫泉宮作

 

 

 

巻五 18 高句驪

年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    高句驪

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              平壤城 (河北道北部 安東都護府 平壤城) 別名:高句驪、高麗  

 

 

高句驪

(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

金花折風帽,白馬小遲回。

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。

翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。

高句驪

金花 折風の帽,白馬 小しく遲回。

翩翩として 廣袖を舞わす,鳥の海東より來るに似たり。

 

安史の乱当時の勢力図 

『高句驪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

高句驪

金花折風帽,白馬小遲回。

翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

(下し文)
高句驪

金花 折風の帽,白馬 小しく遲回。

翩翩として 廣袖を舞わす,鳥の海東より來るに似たり。

(現代語訳)
(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。

それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。


(訳注)

高句驪

(高麗の古俗を詠出したもので、また、長安に入る高麗人を見て作った。)

高句驪 高句麗という固有名詞の起源は、漢帝国が設置した玄菟郡の高句驪県に由来する。史料には高句麗王に先立って高句麗侯があらわれるが、玄菟郡の縮小移転に伴いいくつもの県が放棄された際、現地の土豪を県侯に任じたと推測されている。高句驪(紀元前37 - 668年。高句麗語:高句麗)は、いまの中国東北部南部から朝鮮半島北中部にあったツングース系民族の国家[1]であり、最盛期は満洲南部から朝鮮半島の大部分を領土とした。隋、唐を始めとする中国からの侵攻を度々撃退したが、最終的には唐・新羅の遠征軍により滅ぼされた。

 

金花折風帽,白馬小遲回。

高麗人は折風の帽子に黄金製の造花を差しはさみ、白馬にまたがってしずしずと歩ませながら、何を見ているのか馬をとどめて、しばしば躊躇している。

金花 帽子に飾る金細工の花。

折風帽 立(たて)烏帽子の頂が風に吹き折られた形の烏帽子。狩衣(かりぎぬ)着用のときにかぶる。右折りは上皇、左折りは一般が用いた。平礼烏帽子(ひれえぼし)。かざおり。《北史 高句麗傳》「人皆頭著折風,形如弁,士人加插二鳥羽。貴者,其冠曰蘇骨,多用紫羅為之,飾以金銀。」(人 皆 頭に折風を著け,形は弁の如し,士人は二鳥羽を加插す。貴き者は,其の冠を蘇骨と曰い,多く紫羅を用いて之を為り,飾るに金銀を以てす。)

 

翩翩舞廣袖,似鳥海東來。

それにその時、広い袖が、翩翩として舞い上がっていたが、それはまるで大きな鳥が翼を広げ、海を越えて東方から飛んできたようであった。

李白306 《巻五 30李白24 子夜呉歌其四 冬》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白306> Ⅰ李白詩1608 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6588

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

明朝驛使發,一夜絮征袍。  素手抽針冷,那堪把剪刀。  裁縫寄遠道,幾日到臨洮。 
(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない

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子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地羅敷女,採桑綠水邊。

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

素手青條上,紅妝白日鮮。

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

年:742年天寶元年42 18首 

卷別:   卷一六五          文體:   樂府

詩題:   子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

作地點:           長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:           鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖  

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪            

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖三百里,菡萏發荷花。

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。

五月西施採,人看隘若耶。

五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。

回舟不待月,歸去越王家。 
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)

鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。

五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。

舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

長安一片月,萬搗衣聲。 

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

秋風吹不盡,總是玉關情。 

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

何日平胡虜,良人罷遠征。 

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:秋の歌)

長安  一片の月、万戸  衣を擣つの声。
秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ、良人 遠征を罷めん。

 

 

年:742年天寶元年42 18首 

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點: 臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍別名:臨洮     

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)明朝驛使發,一夜絮征袍。 

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。
素手抽針冷,那堪把剪刀。 

冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。

裁縫寄遠道,幾日到臨洮。 
それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない。

 

子夜歌【子夜 四時の歌】四首:冬の歌

明朝 驛使發す,一夜 征袍を絮す。 

素手 針を抽くこと冷かに,那ぞ 剪刀を把るに堪えんや。 

裁縫して 遠道に寄す,幾日か 臨洮に到る。 

 李白図102長安と西域 地図01

子夜歌【子夜四時歌】四:冬歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

明朝驛使發,一夜絮征袍。 

素手抽針冷,那堪把剪刀。 

裁縫寄遠道,幾日到臨洮。 
 

(下し文)
子夜歌【子夜 四時の歌】四首:冬の歌

明朝 驛使發す,一夜 征袍を絮す。 

素手 針を抽くこと冷かに,那ぞ 剪刀を把るに堪えんや。 

裁縫して 遠道に寄す,幾日か 臨洮に到る。 

(現代語訳)

(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。
冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。

それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない。


(訳注)

子夜歌【子夜四時歌】四首:冬歌

(四時行楽の詩で、子夜冬歌、其四首は、「冬のかじかむ素手」で、西域を守る隴右道東部 鄯州 臨洮軍にいる夫へ、「擣衣」した厚手の生地の綿入れを縫製して送る。翌朝出る便に間に合わせるため夜なべをする、冬のエピソードは、寒い夜縫製する思婦である。)

 

明朝驛使發,一夜絮征袍。 

都合の良い西域方面臨洮への飛脚便が明朝、長安を立つというので、一夜なべをして、砧で柔らかくした厚い袍にたくさん綿を入れた上衣をぬった。
驛使 主要路線三十里に一か所駅を設置、駅伝制による書簡と物資輸送の制度を言うがここではその使者、飛脚を言う。

 綿を入れて縫い付ける。綿入れの服を作る。

征袍 出征している夫の着る厚手の衣。

 

素手抽針冷,那堪把剪刀。 

冬の初めとはいえ、ちぎれるほどの寒さで、針仕事は手が凍えて動かず、そのうえ重たいはさみなどは持つことさえ難儀をした。

剪刀 はさみ。

 

裁縫寄遠道,幾日到臨洮。  
それでもこれをやっとのことで縫い上げて、出立する便に頼むのであるが、夫の今いる臨洮は万里の長城の西遠く、シルクロードの分岐点の地であって、何日かかるものやら、心配でたまらない

臨洮 秦代におかれた県名で,万里の長城の西の起点。現在の甘粛省岷(びん)県。西域を守る臨洮軍 (隴右道東部 鄯州 臨洮軍) 別名:臨洮をいう。この地でシルクロードの北コース、南コースの分岐点である。

李白《巻04-05 白馬篇 》「發憤去函谷,從軍向臨洮。」

163-#2 《巻04-05 白馬篇 #2》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <163-#2> Ⅰ李白詩1372 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5408

杜甫《巻十五17近聞》「近聞犬戎遠遁逃,牧馬不敢侵臨洮。」

近頃聞いた情報では、犬戎に等しい吐蕃国が郭子儀軍に追われて遠く逃げ去ったという、臨洮にまで侵寇していたのにそこではもう牧馬はできなくなった。

766年大暦元年55-7 《近聞〔永泰元年,郭子儀與回紇約,共擊吐蕃。次年二月,吐蕃來朝,詩紀其事。〕》 杜甫index-15 杜甫<870 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5160

杜甫《巻五31喜聞官軍已臨賊寇 二十韻》「花門騰漠,拓羯渡臨洮。」
遠い沙漠に飛騰している回紇の騎兵軍団、臨桃をわたって来た安西の拓羯、彼等はいずれも援兵にやって来るのだ。

 喜聞官軍已臨賊寇 二十韻 #4 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 226

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李白305 《巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白305> Ⅰ李白詩1607 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6583

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌  

長安一片月,萬搗衣聲。  秋風吹不盡,總是玉關情。  何日平胡虜,良人罷遠征。 

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

李白305 《巻五 29李白24 子夜呉歌其三 秋》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白305> Ⅰ李白詩1607 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6583

 

 
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742年天寶元年42 18

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

及地點:長安 (京畿道 京兆府 長安別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都     

玉門關 (隴右道東部 瓜州 玉門關別名:玉關、玉門     

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

長安一片月,萬搗衣聲。 

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

秋風吹不盡,總是玉關情。 

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

何日平胡虜,良人罷遠征。 

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:秋の歌)

長安  一片の月、万戸  衣を擣つの声。
秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ、良人 遠征を罷めん。

 

安史の乱当時の勢力図安史期のアジアssH 

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

長安一片月,萬搗衣聲。 

秋風吹不盡,總是玉關情。 

何日平胡虜,良人罷遠征。 

 

(下し文)
(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:秋の歌)

長安  一片の月、万戸  衣を擣つの声。
秋風 吹いて尽きず、総て是れ玉関の情。
何れの日か胡虜を平らげ、良人 遠征を罷めん。


(現代語訳)
(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。


(訳注)

子夜歌【子夜四時歌】四首:秋歌

(四時行楽の詩で、子夜夏歌、其三首は、当時、玄宗は西域に兵を大量に送り込み領土拡大を重ねて、最も拡大させていた。いったん出征した兵士は帰ることがなかった。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する思婦の情を詠ったもの。秋のエピソードは、布帛を、きぬたにのせて擣つ音である。)

 

長安一片月,萬搗衣聲。 

時は今、秋の末、清らかな一片の月が昇ってくると、その月光は長安城中に満ちている、その明かりの中、どこの家でも砧をたたく音が聞こえてくる。

搗衣 擣衣 布帛を、きぬたにのせて擣つ。そして衣を仕立てて、遠く出征した夫に送ろうとする、妻の心をのべたもの。絹布を砧でうって白練り絹に詩、衣を製する。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

《巻七70 搗衣》

亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。

寧辭搗衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。

(衣を擣つ)

亦た知る戊【じゅう】の返らざるを、秋至りて清砧【せいちん】を拭【ぬぐ】う。

己に近し苦寒の月、況【いわ】んや長別の心を経たるをや。

寧【なん】ぞ辭せん擣衣【とうい】の倦【う】むを,一に塞垣【さいえん】の深きに寄す。

用い尽くす閨中【けいちゅう】の力 君聴け空外【くうがい】の音を。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

 

秋風吹不盡,總是玉關情。 

秋風が吹いて凍える寒さになり、砧の音は絶えることもない、この時期は、西戎に出ている夫に送らんがために衣を擣つので、その一つ、一つの音、西域、玉門關やその外域の人を思う深い情を込めて擣っているのである。

玉門関(ぎょくもんかん)は中華人民共和国甘粛省敦煌市の北西約90kmにある、かつて建設されたシルクロードの重要な堅固な関所の1つ。

 

何日平胡虜,良人罷遠征。 

そして、その思いは、いつの日にその地の異民族を平定して凱旋するだろうか、良人は遠征をやめて、行くことがないようになるだろうか、ということだ。

李白304 《巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白304> Ⅰ李白詩1606 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6578

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌   鏡湖三百里,菡萏發荷花。

五月西施採,人看隘若耶。回舟不待月,歸去越王家。

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。

李白304 《巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白304> Ⅰ李白詩1606 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6578

 

 

 
  2015年9月8日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白304 《巻五 28李白23 子夜呉歌 其二 夏》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白304> Ⅰ李白詩1606 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6578  
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  孟郊 張籍          
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年:742年天寶元年42 18首 

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地羅敷女,採桑綠水邊。

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

素手青條上,紅妝白日鮮。

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

年:742年天寶元年42 18首 

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              鑑湖 (江南東道 越州 會稽) 別名:鏡湖         

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪       

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖三百里,菡萏發荷花。

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。

五月西施採,人看隘若耶。

五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。

回舟不待月,歸去越王家。 
しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。

 

(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)

鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。

五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。

舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。
呉越の地図

 

子夜歌【子夜四時歌】四:夏歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:夏歌

鏡湖三百里,菡萏發荷花。

五月西施採,人看隘若耶。

回舟不待月,歸去越王家。

 

(下し文)
(子夜歌【子夜 四時の歌】四首:夏の歌)

鏡湖 三百里,菡萏 荷花を發く。

五月 西施も採る,人は看る 若耶 隘しと。

舟を回して 月を待たず,歸り去る 越王の家。

(現代語訳)
(四時行楽の詩で、子夜春歌、其二首は、「夏の素足」で、呉越戦争、越の西施の古辞を詠ったもの。夏のエピソードは、越の美女西施である。)

鏡湖は回り巡って三百里といい、広さは、九千餘頃にわたった大きな湖で、初夏からつぼみであった蓮の花がいっぱいに咲き満ちている。

五月、夏の盛りには、絶世の美女、「西施」がここに採蓮したように、越の若い娘が、採蓮の船を出している、それを見ようと若耶に人が押し寄せ、鏡湖から若耶溪の堤に人があふれるほどになる。

しかし、此処の美女たちは、そんなことには頓着せず、日が暮れかかると月が昇り始める前にはさっさと船を返して、越王宮であろう、我が家に帰ってゆくのである。


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李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573

李白  子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌    秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

素手青條上,紅妝白日鮮。  蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573

 

 
  2015年9月7日 の紀頌之5つのBlog  
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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李白303 《巻五 27李白22 子夜呉歌 其一 春》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白303> Ⅰ李白詩1605 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6573  
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  ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首   
  Ⅱ中唐詩・晩唐詩
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韓愈88-#4 (改訂)巻一26 赴江陵途中寄贈王二十補闕、李十一拾遺李二十六員外翰林三學士 韓愈(韓退之) 805年貞元21年 38歳<1518> Ⅱ#4 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6574  
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  index-5 806年39歳 50首の(2)25首 index-6[807年~809年 42歳]20首 index-7[810年~811年 44歳] 34首 index-8 [812年~814年47歳]46首 index-9[815年~816年 49歳] 57首 index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首  
  index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首 index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首 index-13 821年~822年 55歳 22首 index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首 韓愈 哲学・儒学「五原」 賦・散文・上奏文・碑文など  
  孟郊 張籍          
  ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。"  
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  杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首 杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩)  杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首 杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首 杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首 杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首  
  杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首 杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首 杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首 杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首 杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首 杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首  
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  ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集  
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年:742年天寶元年42 18首 

卷別: 卷一六五  文體: 樂府 

詩題: 子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

作地點: 長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)  

 

 

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

素手青條上,紅妝白日鮮。 

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

 

(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

 

子夜歌【子夜四時歌】四:春歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

素手青條上,紅妝白日鮮。 

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

(下し文)
(子夜歌【子夜四時の歌】四首:春の歌

秦地羅敷の女,桑を綠水の邊に採る。

素手 青條の上,紅妝 白日鮮かなり。

蠶 飢えて 妾 去らんと欲す,五馬 留連する莫れ。 

(現代語訳)

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。春のエピソードは羅敷である)

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。


(訳注)

子夜歌【子夜四時歌】四首:春歌 

(四時行楽の詩で、子夜春歌、其一首は、「春の素手」で、羅敷の古辞を詠ったもの。)

 郭茂倩の『楽府詩集』巻四十四・清商曲辞に、「子夜歌」と名づけられる一連の作品が収められている。この『子夜歌』は。『宋書』楽志の記すところによるならば、代の予夜という名の一女子によってつくられたものであることになる。その歌聲は呉調に基づく。呉調は、雑曲で、もと、江南から出たものである。また、その内容についてみれば。すべて男女の情感を詠じた、いわゆる情歌である。五言四句のものを外四十二首集めて成る現存の「予夜歌」の冒頭二首、次のように詠われている。

〔楽府詩集巻四十四清商曲辞子夜掌其一〕

落日出前,瞻瞩子度。冶容多姿鬚,芳香已盈路。

落日前門に出で、瞻瞩して子の度るを見る。

冶容姿鬚多く、芳香已に路に盈てり 。

二〕

芳是香所,冶容不敢天不人願,故使儂郎。

芳は是れ香の爲す所、冶容は敢えて當らず。

天は人の願いを奪わず、故に儂をして郎に見わしむ。

男女のやりとりであると考えられるこれら二首、なかでも第一首における「芳香已盈路」(芳りが道一杯に聞こえる」という表現には、恋人の訪れに身をふるわせる男性の心情がつよく表出されており、この詩の女性の描写において、〔一〕「芳香」〔二〕「芳是香所爲」と、が重要な意味を有していることが窺えよう.

李白は、四時行楽の詩を作り、子夜春歌、子夜秋歌など四季を詠った。其一首は、春で、羅敷を詠出した。緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた「使君從南來,五馬立踟躕。」太守が羅敷を見るため南の方からやって来て、五頭立の馬車をそこに立ちどまり、「使君謝羅敷,寧可共載不?」太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わたしの車に一緒に載って行かないか」と。これを羅敷は、陌上桑の曲を作って凛としてこれを拒んだ。この詩はこれをそのまま写したもの。

陌上桑行 古詩漢楽府<55>古詩源 巻 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩

 

秦地羅敷女,採桑綠水邊。 

秦地の羅敷という女がいて、緑水の辺に出て、桑の葉を摘んでいた。

・秦氏 邯鄲(河北省) の人なる秦氏に羅敷という娘があって邑人王仁の妻となった。王仁は後に趙王の家令となった。羅敷がある時、路で桑摘みをしていると、趙王が台の上から見て悦び、宴によびよせて奪い取ろうとした。羅敷は筝をひき、「陌上桑」の歌をうたって、自らを明らかにしたので、趙王は思いとまったとある。この詩をみると、趙王ではなくて、土地の長官大守が羅敷を見そめたことになっている。

列女伝、東家の女。秋胡詩、日出東南隅ということで、ほぼ同様な詩である。

日出東南隅行 謝霊運(康楽) 詩<68>Ⅱ李白に影響を与えた詩490 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1287

 

身を売った西家の女は傾城といわれるほどの妓女となって黄金で身を飾り、刺繍を施した肌着を身に纏えるほどの生活をしている。 しかし東家の女はただただ貧しさに苦しみながらも、その玉体を北国の人買いの手には渡さなかった。

素手青條上,紅妝白日鮮。 

その桑の枝の青々としたところへ、真っ白な手をかけて、そして、、白日の照り輝くところへ、紅妝鮮やかに見えるのは、いかにも、人目を惹くばかり、そこを通りかかった太守がたちまち羅敷を見初めたのである。

素手 きわめてほっそりした白い手。《古詩十九首 第十首》「迢迢牽牛星,皎皎河漢女。纖纖擢素手,札札弄機杼。」(迢迢【ちょうちょう】たる牽牛星、皎皎【こうこう】たる河漢の女。纖纖【せんせん】として素手【そしゅ】を擢【ぬき】んで、札札【さつさつ】として機抒【きちょ】を弄【ろう】す。)

天の川を隔ててはるかかなたには彦星がいて、こちらにはこうこうと白くかがやく天の川の織姫がいる。そのきわめてほっそりした白い手を織姫はぬき出していて、サッサッとした音で織具の杼【ひ】をいそがしく通している。

 

蠶飢妾欲去,五馬莫留連。 

直ちに連れて帰ろうとしたのも無理はないということだが、羅敷は決してみだらな心は持っていないから、この桑を摘んで家の蚕に与えないと飢えて死んでしまうから、私はすぐにでも帰ります。あなた様もいつまでここで待たれても仕方がないことですと言って、帰って行ったので、五頭立ての太守も羅敷を載せて連れ帰ることができなかった。

五馬 五馬は太守を表す。太守の馬車が5頭立てを許されたことに由来。職官爵位、太守。

 

 

相和歌辭相和曲
陌上桑. (日出東南隅行)
日出東南隅、照我秦氏樓。秦氏有好女、自名為羅敷。
羅敷善蠶桑、採桑城南隅。青絲為籠系、桂枝為籠鉤。
頭上倭墮髻、耳中明月珠。
綺為下裙、紫綺為上襦。
行者見羅敷、下擔髭須。少年見羅敷、帽著頭。

耕者忘其犁、鋤者忘其鋤。來歸相怨怒、使君從南來。
五馬立踟
、使君遣吏往。問此誰家、秦氏有好女。
自名為羅敷、羅敷年幾何。二十尚不足、十五頗有餘。
使君謝羅敷、寧可共載不。羅敷前致辭、使君一何愚。

使君自有婦、羅夫自有夫。東方千餘騎、夫婿居上頭。

何用識夫婿、白馬從驪駒。青絲系馬尾、金絡馬頭。

腰中鹿盧劍、可千萬餘。十五府小史、二十朝大夫。

三十侍中郎、四十專城居。為人潔白皙、髯髯頗有須。

盈盈公府、冉冉府中趨。坐中數千人、皆言夫婿殊。

 

東南の隅から出た朝日が、まず、わが秦氏の高殿を照らす。その秦氏の美しい娘がいて自ら羅敷と名乗っている。羅敷は養蚕が上手、城郭の南隅で桑つみをする。そのいでたちは青い糸を籠のひもにし、桂の枝を籠のさげ柄にし、頭の上に垂れ髪のまげをむすび耳には明月の珠をかざり、浅黄色のあやぎぬを裳にし、紫のあやぎぬを上衣としている。
その美しい姿に道行く男は荷物をおろして見とれ、ひげをひねって体裁ぶり、若者は彼の女を見ると帽をぬいて、髻をつつんだ頭をあらわして気どって見せる。田を耕す人は犂を忘れ、畑をすく人は鋤を休めて見とれる。家に帰ってから怨んだり怒ったり、夫婦争いをするのも、じつはただ羅敷を見たことがもとなのだ。
ある日、国の太守が南の方からやって来て羅敷を見とめ、五頭立の馬車もそこに立ちどまって進もうとしない。太守は下役をよこしてたずねる。「これはどこの娘さんか」と。人々が答えた。
「秦家の美しい娘、その名は羅敷と申します」「年はいくつか」「二十にはまだならぬが、十五は大分過ぎています」
太守はそこで羅敷にあいさつし、「どうだ、わしの車で一緒に行くことはできぬか」と。羅敷が進み出て申しあげる。「太守さまはほんとにおばかさんだ。あなたさまにはもともと奥さまがいらっしゃるし、わたしにも夫があります。東地方千余騎の軍隊、わたしの夫はその頭にいます。
夫を何で見わけるかといえば、白い馬に黒の若駒を従え、青糸の紐をしりがいにし、黄金のおもがいをかざり、自分の腰には鹿盧の剣をおびている。その価は千万金余もする名剣。十五の歳に役所の書記だった夫は、二十で朝廷の大夫、三十では侍従職、四十では一城の主となりました。生まれつきのすっきりした色白、ふさふさとしたあごひげ、堂々と役所を歩み、さっさと役所内を急ぎまわる。威風あたりをはらって同坐の人々数千人、みなわたしの夫が目立ってすぐれていると申します」 と。

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李白  搗衣篇#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。
かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

李白の足跡0000 

 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

(下し文)
#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

(現代語訳)
かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。

そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。

夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。

明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。


(訳注) #4

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

 

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

かくて、瓊筵寶幄の中に居て、連枝の模様ある錦の被を着て寐ると、燈火の光は、熒熒として輝き.濁り寝の淋しさを痛切に感ずるのである。

連枝錦 連枝の模様を織りだした錦地。

 

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

そこで、相思の種たる夫の枕を留め置き、鋏を取り出して、蘭の花を摘み取って之を佩びようと思いたつのである。

 

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

夫が此に居ない故に、佩びて見た處で何にも成らぬと思い諦めたものの、涙ぱらぱらと落ちてくる故に、幸運の真紅に染めた手巾を取って涙を拭ふと、氤氳として、活力が戻ってくるようであり、一人で過ごす夜はつらい。

紅巾 紅色に染めた手拭き。

氤氳 天地の気が盛んなさま。生気・活力が盛んなさま。古代指陰陽二氣交會和合之狀。 《白虎通嫁娶》引《易》「天地氤氳,萬物化淳。」

 

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

明年もし更に遠き邊塞の方へでも行かれるというならば、その時こそ、われは、巫山の神女、瑤姫のように、陽臺一段の雲となり、夫の地の上の雲となるのであるから、そのことを、夫に知らせたいと願うものである。

陽臺一段雲 男女の密会・情交のたとえ。「巫山の雲」「巫山の雨」「巫山の雲雨」とも。《語源》楚 (ソ)の懐王が昼寝の夢の中で巫山の神女と情交を結んだという故事。陽臺:宋玉高唐賦「朝朝暮暮,陽臺之下。」、朝は雲に、夕方は雨になると告げて姿を消 した。一段雲:宋玉『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。

宋玉『高唐賦』「昔者楚襄王與宋玉遊於雲夢之台,望高之觀,其上獨有雲氣,兮直上,忽兮改容,須臾之間,變化無窮。王問玉曰:“此何氣也?”玉對曰:“所謂朝雲者也。”王曰:“何謂朝雲?”玉曰:“昔者先王嘗遊高唐,怠而晝寢,夢見一婦人曰:‘妾,巫山之女也。爲高唐之客。聞君遊高唐,願薦枕席。’王因幸之。去而辭曰:‘妾在巫山之陽,高丘之阻,旦爲朝雲,暮爲行雨。朝朝暮暮,陽臺之下。’旦朝視之,如言。故爲立廟,號曰朝雲。」
巫山十二峰002 

292-#3 《巻五 33搗衣篇》-#3Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <292-#3> Ⅰ李白詩1584 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6468

李白  搗衣篇#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。
かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

 

李白の足跡0000 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

(下し文) #3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

(現代語訳)
かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。


(訳注) #3

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

 

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

かくて、暁には、管笛を吹いて、落花、落葉の行衛を追い日を過し、夜は、夫の着る戎衣を砧で打って、月の光を眺めるばかりしている。

○員管 管笛

 

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

秋の夜長、明月は、高く天に冲し、水時計の響き緩くなって、夜は次第に更け行くと、眞珠の箔を飾りにした廉をおろして蘭堂を掩っておちつける。

○刻漏 水時計の響き緩くなる。

○真珠簾箔 簾の上に真珠の箔を飾りに付けている。

○蘭堂 香木で作った奥座敷。

 

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

閨には「同心結」をなせる太い房の付いている戸ばりを横にしてから下に垂らす、綺麗な席を半ば打ち拂うて、蘇合という外國渡来の名香を焚き、夫が居なくも、矢張り居るときとおなじように、さっぱりと部屋の中を片づけるのも、せめてもの心やりである。

○寶幄 りっぱなとばり。

○同心結 結同心 同心結を結うこと。連環回文様式の絶対にほどけない結び方。また、同心結は、(男女の)ちぎりを結ぶことと。錢唐 蘇小(蘇小小)『西陵歌』「妾乘油壁車,郞乘靑踪馬。何處結同心、西陵松柏下。」(妾(わたくし)は 油壁の車に乘り,郞(あなた)は 靑の馬に 乘る。何處(いづこ)にか 同心を 結ばん、西陵の 松柏の下(もと)。)とみえる。蘇小小『西陵歌』ここでは、タペストリーのように寝牀の垂れ幕の中心にぶら下げ飾るということである。

○瓊筵 〔玉で飾った敷物の意〕 天子の宴席。また,宴席の美称。

○蘇合香 外国産の貴き香料。

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李白  搗衣篇#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。
交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

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『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

(下し文)
#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

(現代語訳)
交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。


(訳注) #2

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

○搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

 

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

交河は、萬里を隔てて、その水は北に流れるというが、願わくば、君と我と、この手紙を届けて呉れた其の燕のようになり、雙雙影を聯ねて、交河の中の洲の上に留まって居たい。無論、君とならば、連塞夷蠻の地でも、決して、厭いはしない。

交河 交河城は、紀元前2世紀に、この地に住んでいた車師人によって建てられた。『漢書』西域伝にも、「車師前国、王治交河城、河水分流繞城下、故号交河(車師前国の国王は交河を治めた。河の水が故城を分けていることから交河と呼ばれた)」とある。

中洲 洲中と同じ。川中の洲の中。

 

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

しかし、それも単なる願望に過ぎず、両地全く懸け離れて、君の留まるあたりは、青い絲の手綱を手にせる騎兵が羣れて居るであらうが、雲に隔られて、それとも見え分かず、わが居る処では、紅粉の粧さびしげに、楼中にひとり残り、外との来往も、絶えて居るから、上り口には苔さへ生える位。

青絲騎 馬の手綱が青い糸で編んだものを馬に付けて乗っている人。

紅粉 この詩の寡婦がお化粧をしていること。

 

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

折しも、楼上には、東風吹き入り、やがて、日も暮れなんとして居るが、誰が此時に皆って、鏡を取り上げて、乱れたる髪を照らし見ようか。とても、その様な心持になれぬので、夫の居らぬ間は、化粧もせぬ故に、鏡を見る必要もないのである。
安史の乱当時の勢力図 

292-#1 《巻五 33搗衣篇》-#1Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <292-#1> Ⅰ李白詩1582 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6458

李白  搗衣篇-#1  

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。
(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    搗衣篇

作地點:              目前尚無資料

及地點:              交河 (隴右道西部 西州 交河)           

 

 

搗衣篇

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

#2

萬里交河水北流,願為雙燕泛中洲。

君邊雲擁青絲騎,妾處苔生紅粉樓。

樓上春風日將歇,誰能攬鏡看愁髮。

#3

曉吹員管隨落花,夜搗戎衣向明月。

明月高高刻漏長,真珠簾箔掩蘭堂。

橫垂寶幄同心結,半拂瓊筵蘇合香。

#4

瓊筵寶幄連枝錦,燈燭熒熒照孤寢。

有便憑將金剪刀,為君留下相思枕。

摘盡庭蘭不見君,紅巾拭淚生氤氳。

明年若更征邊塞,願作陽臺一段雲。

 

(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

#2

萬里 交河 水 北流し,願わくば 雙燕と為って 中洲に泛ばん。

君の邊 雲は擁す 青絲の騎,妾が處 苔は生ず 紅粉樓。

樓上の春風 日 將に歇まんとす,誰か能く 鏡を攬って 愁髮を看ん。

#3

曉に員管を吹いて 落花に隨い,夜は戎衣を搗って 明月に向う。

明月 高高として刻漏長く,真珠の簾箔 蘭堂を掩う。

橫に寶幄を垂る 同心結,半ば瓊筵を拂う 蘇合香。

#4

瓊筵 寶幄 連枝の錦,燈燭 熒熒として 孤寢を照らす。

便有り 金剪刀憑り將って,君が為に 留下す 相思の枕。

庭蘭を摘み盡せども 君を見ず,紅巾 淚を拭うて 氤氳を生ず。

明年 若更に邊塞を征すれば,願わくば陽臺一段の雲と作らん。

 

李白の足跡0000 

『搗衣篇』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

搗衣篇

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

(下し文)
(搗衣篇)#1

閨裡の佳人 年十餘,蛾を顰め 影に對して離居を恨む。

忽ち逢う 江上 春歸の燕,銜み得たり 雲中尺素の書。

玉手 緘を開いて 長しえに歎息し,狂夫 猶お戍す 交河の北。

(現代語訳)
(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。


(訳注)

搗衣篇(擣衣)

(十五で嫁に来て、直ぐに夫を送り出した。はじめだけ西域の交河に駐屯して居ると手紙を寄せたがそれ以降、音信不通、秋になれは夫のために砧を擣つが、一人寝の閨で涙にくれる。戍婦の情を詠う。)

【題義】擣衣篇は、古楽府には見えない。これは、もしかすると、李白が始めて作った新題であるかも知れないといわれている。その内容に就いては、蕭士贇が「これ亦戍婦の詩なり」といった一語だけで述べている。

○搗衣(擣衣)【とうい】砧【きぬた】で衣を打つこと。「擣【う】つ砧を臼にいれ、布を杵(棒杵)でつく。砧でつくのは洗濯ではなく、冬用の厚いごわごわした布を柔軟にするため。

杜甫 《0770 擣衣》

亦知戍不返,秋至拭清砧。已近苦寒月,況經長別心。

寧辭擣衣倦,一寄塞垣深。用盡閨中力,君聽空外音。

搗衣(擣衣) 杜甫 <295> kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1352 杜甫詩 700- 415

擣衣 楽府題、雜曲歌辞。謝惠連《擣衣》

絹布を砧でうって白練り絹に詩、衣を製する。秋の風物詩として手、出征の夫に送るために作業する女性について詠うものである。

擣衣 謝惠連 詩<83-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩513 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1356

擣衣 謝惠連 詩<83-#2>Ⅱ李白に影響を与えた詩514 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1359

擣衣 謝惠連 詩<83-#3>Ⅱ李白に影響を与えた詩515 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1362

『詩経』豳風(ひんぷう)「七月」(ふみづき)

七月流火、九月授衣。

一之日觱發、二之日栗烈。

無衣無褐、何以卒

三之日于耜、四之日舉趾、同我婦子。

饁彼南畝、田畯至喜。

(七月には流る火あり、九月衣を授く。

一の日は觱發たり、二の日は栗烈たり。

衣無く褐無くんば、何を以てかを卒へん。

三の日 于(ここ)に耜(し)し、四の日 趾(あし)を舉ぐ、我が婦子とともに。

彼の南畝に饁(かれひ)す、田畯至り喜ぶ。)

に基づく句である。

<大意>七月には火星が西に流れる、九月には家族に衣を与えねばならぬ、十一月には風が寒くなり、十二月には激しく吹く、衣がなければ、どうして年を越せようか、明けて三月には鋤の手入れをし、四月には足を上げて耕さねばならぬ、我が妻子とともに、南の畑で働いていると、田んぼの役人さんがやってきて、喜びなさるだろう(流火:火は火星のこと、それが西へ流れるのを流火という、一之日:十一月をさす、田畯:田んぼを管轄する役人)

 

閨裡佳人年十餘,顰蛾對影恨離居。

閨中に一人いる佳人、年はやつと十五六、つひ近ごろ嫁ったばかりで、早くも夫と別れて、ひとり空牀を守って居る。

顰蛾 眉をひそめる。

離居 わかれている。

 

忽逢江上春歸燕,銜得雲中尺素書。

そこで、眉を顰め、おのが影を顧みつつ、夫と別れ居ることを痛く怨んでいる。その処へ、春、北地から飛んできた江上の燕が、雲中より下って口に銜えていた手紙を置いていった。

尺素 《1尺の絹布の意で、文字を書くのに用いたところから》短い手紙。尺書。短い絹、手紙に使う。

 

玉手開緘長歎息,狂夫猶戍交河北。

佳人は、その手紙を取り、繊繊たる玉手を以て、その封を開くと、それは、夫からの書信であって、今は西域の交河に駐屯して居るということが書いてあった。

狂夫 ここでは夫のことで、初めだけ手紙をよこしてその後、無しのつぶてであることから、自分の夫を故意に罵っていう。王維〈洛陽女兒行〉:「狂夫富貴在青春,意氣驕奢劇季倫。」唐.杜甫〈狂夫〉詩:「欲填溝壑唯疏放,自笑狂夫老更狂。」狂妄無知的人。《詩經.齊風.東方未明》:「折柳樊圃,狂夫瞿瞿。」

交河 交河城は、紀元前2世紀に、この地に住んでいた車師人によって建てられた。『漢書』西域伝にも、「車師前国、王治交河城、河水分流繞城下、故号交河(車師前国の国王は交河を治めた。河の水が故城を分けていることから交河と呼ばれた)」とある。

交河故城、交河古城、交河城址は中華人民共和国、新疆ウイグル自治区トルファン市の西方11キロに位置する世界最大、最古級の版築で築かれた都市遺跡。中国でただ一つ残る漢代からの都市遺跡でもある。遺跡は柳葉形の台地上に位置し周囲は約30メートルの断崖に囲まれ自然の要害をなしている。
長安と西域 地図01 安史期のアジアssH

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李白  少年行#4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。
何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。
4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

4

衣冠 半ば是れ征戰の士,窮儒 浪【みだ】りに林泉の民と作る。

遮莫【さもあらばあれ】枝根 長さ百丈,如かず 當代 還往多きには。

遮莫【さもあらばあれ】姻親 帝城を連ね,如かず 當身 自ら簪纓なるに。

看取す 富貴 眼前の者,何ぞ用いん 悠悠たる身後の名。
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『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
##4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

(下し文) 4

衣冠 半ば是れ征戰の士,窮儒 浪【みだ】りに林泉の民と作る。

遮莫【さもあらばあれ】枝根 長さ百丈,如かず 當代 還往多きには。

遮莫【さもあらばあれ】姻親 帝城を連ね,如かず 當身 自ら簪纓なるに。

看取す 富貴 眼前の者,何ぞ用いん 悠悠たる身後の名。

(現代語訳)
今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。


(訳注)

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

今日、堂々として衣冠を付けるものとしては、征戦によって功名を立てた人であって、これにあやかるのは善いのであるが、儒者などと言う輩の者は、兎角世に受け入れられないことが多く、窮苦のあまりに、林泉の小民になっているのである。

林泉 1 林や泉水を配して造った庭園。2 世を逃れて隠れ住む地。

 

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

木に喩えれば、枝根、長さ百尺に及んでも孤立するというなら、それでも仕方がないが、この世に容れられて、互いに往来する仲間の多い方が良いのである。

遮莫 1.さもあらばあれ。ままよ。それならそれで仕方がない。自然の成り行きにまかせる感じ。・下の文句を打ち消す時に用いるもの、

 

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

親戚でいえば、帝城のなかに親戚が多いというなら、それでも仕方がないが、それよりも、己自身が簪纓を着ける高貴の身分になった方がよろしいのである。

 

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

何はともあれ、同類が多く世に用いられて、勢力の強いものになるのであれば、それが頂上で、富貴は、眼前に在るものとみたうえでは、遠慮なく、これを獲得すべく、悠々たる身後の名などは、全然役に立たないものである。

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李白  少年行3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。
ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。
4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

(下し文) 3

桃李 栽え來る幾度の春,一回 花落ちて 一回 新なり。

府縣 盡く門下の客と為り,王侯 皆 是れ平交の人。

男兒 百年 且つ命を樂しむ,何ぞ須いん 書に徇【したが】って貧病を受くるを。

男兒 百年 且つ身を榮せよ,何ぞ須いん 節に徇【したが】って風塵に甘んずるを。

(現代語訳)
ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。


(訳注) 3

少年行

(少年の遊侠を詠う。)

少年行、少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。ここでは、任侠遊侠の士を強調して詠う。

 

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

ひとたび桃李を植えてから、既に幾たびかの春を過し、一度花が散って、また、新たに花が咲き、春が来るのである。

○桃李 司馬遷《史記》「桃李不言下自成蹊」(桃李 言ざれど、下 自ずから蹊を成す』桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕って人が自然と集まって来ることの喩え。

 

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

こうして、府縣の役人どもは、すべて門下の客も同様であるし、王侯の貴きも、対等に交際して、決して卑下する事は無い。

○平交人 人と対等に交際する。

 

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男子たる者、百年、この命ある限り、楽しく生きていくことが大切であり、どうして書物に耽って貧困になり、病気がちに暮らすことがあろうか。

○徇 身を以て物に随うこと。

 

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

男子たる者、百年、この命ある限り、この身に栄華をほしいままにすることが良いのであり、どうして区々たる節義を守って、甘んじて風塵の底に縮こまっていることがあろうか。

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李白  少年行#2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。
常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

263#2 《巻五 34少年行#2Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39-2 <263#2>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1528 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6188

 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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(1)漁父辞 屈原『楚辞・九歌』東君 屈原《楚辞 『九辯』》 宋玉  <案内> 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

驕矜自言不可有,士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである

赤心用盡為知己,金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。
3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

(下し文) 2

蕙蘭 相い隨って妓女喧しく,風光去る處 笙歌滿つ。

驕矜 自ら言う 「有る可からず」と,俠士 堂中 養い來ること久し。

好鞍 好馬 乞わるれば人に與え,十千 五千 旋って酒を沽う。

赤心 用い盡して 知己の為にし,黃金 惜まず 桃李を栽うるを。

(現代語訳) 2

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。


(訳注) 2

少年行

(少年の遊侠を詠う。)

少年行、少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。ここでは、任侠遊侠の士を強調して詠う。

 

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

それだけではなく、常々妓女を随え、蕙蘭の匂いをたがいに相随えているのである。往く先々で、風光を、風流を賞し、笙歌、音楽をほしいままにしている。

 

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

それで、自分では、決しておごり高ぶるようなまねはしないといって、禮を厚くして、人に下り、俠士といわれるものどもを堂中に養って、食客といわれる輩が、その家に溢れるくらいである。

俠士堂中養 戦国の末。天下を狙う列国の諸侯達は、競って一芸一能に秀でた 者たちを客分として招き集めた。これがすなわち食客である。わけても 斉の孟嘗君は数千、楚の春申君は三千余、趙の平原君は数千、魏の信陵 君は三千と、食客の数を誇ったものであった。

 

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

好鞍とか好馬であっても、人から求められれば、これを躊躇なく与える。万錢、五千錢でも、随時、酒屋で買って歓飲するのである。

○沽酒 量り売りの酒屋で買うこと。

 

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

赤き誠心は己を知る者のために用い盡す。どんなことがあっても、一肌脱いで始末をつけるし、そのためには、黄金を惜しんだりしないし、文字通り、人材が集まるという桃李は、家の周りに植栽し、幾度かの春、その花が新たに咲いて、春は決してたえることが無いのである。

○赤心 嘘いつわりのない、ありのままの心。丹心。まごころ。《「後漢書」光武紀》「推赤心置人腹中」(赤心を推して人の腹中に置く)心から人を信じて、まごころをもって接することのたとえ。

○桃李 司馬遷《史記》「桃李不言下自成蹊」(桃李 言ざれど、下 自ずから蹊を成す』桃や李(すもも)は何も言わないが、花の美しさに惹かれて多くの人が集まってくるから、木の下には自然と道ができる。徳望のある人のところには、自(みずか)ら求めなくても、その徳を慕って人が自然と集まって来ることの喩え。

 

俠客行

趙客縵胡纓,鉤霜雪明。銀鞍照白馬,颯沓如流星。

十步殺一人,千里不留行。事了拂衣去,深藏身與名。

閒過信陵飲,劍膝前橫。將炙啖朱亥,持觴勸侯嬴。

三杯吐然諾,五嶽倒為輕。眼花耳熱後,意氣素霓生。

救趙揮金槌,邯鄲先震驚。千秋二壯士,烜赫大梁城。

縱死俠骨香,不慚世上英。誰能書閣下,白首太玄經。

(俠客行)

趙客 縵胡の纓,鉤 霜雪明かなり。

銀鞍 白馬を照らし,颯沓として流星の如し。

十步に一人を殺し,千里 行を留めず。

事了るや 衣を拂って去り,深く藏す 身と名とを。

閒に信陵を過ぎて飲み,劍をして膝前に橫たう。

炙を 將って朱亥に啖【くら】わしめ,觴を持して侯嬴に勸む。

三杯然諾を吐き,五嶽 倒って為に輕し。

眼花し 耳熱する後,意氣 素霓【そげい】生ず。

趙を救って金槌を揮い,邯鄲 先ず震驚す。

千秋の二壯士,烜赫【けんかく】す 大梁城。

縱い死するも俠骨香しく,世上の英たるに慚じず。

誰か能く書閣の下,白首 太玄經。

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(少年の遊侠を詠う。)1淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行【案:此詩嚴粲云是偽作。】

作地點:              揚州(淮南道 / 揚州 / 揚州)

及地點:揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

 

 

 

少年行#1

(少年の遊侠を詠う。)

君不見淮南少年遊客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

少年遊好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。
2

蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。

驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。

好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。

赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。

3

桃李栽來幾度春,一回花落一回新。

府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。

男兒百年且樂命,何須徇書受貧病。

男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。

4

衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。

遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。

遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。

看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

詩文(含異文)     君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。蕙蘭相隨喧妓女,風光去處滿笙歌。驕矜自言不可有,俠士堂中養來久。好鞍好馬乞與人,十千五千旋沽酒。赤心用盡為知己,黃金不惜栽桃李。桃李栽來幾度春,一回花落一回新。府縣盡為門下客,王侯皆是平交人。男兒百年且樂命,何須徇書受貧病【何須讀書受貧病】。男兒百年且榮身,何須徇節甘風塵。衣冠半是征戰士,窮儒浪作林泉民。遮莫枝根長百丈,不如當代多還往。遮莫姻親連帝城,不如當身自簪纓。看取富貴眼前者,何用悠悠身後名。

 

 

 

『少年行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

少年行#1

君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。

(下し文)
(少年行)#1

君 見ずや 淮南の少年 遊俠の客,白日に毬獵【きゅうれん】し 夜は擁擲【ようてき】す。

呼盧 百萬  終に惜まず,讎を報ずる 千里 咫尺の如し。

少年の遊俠 經過好し,渾べて裝束を身にし 皆 綺羅。

(現代語訳)
(少年の遊侠を詠う。)1

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。


(訳注)

少年行1

(少年の遊侠を詠う。)

○少年 「少年行」というのは楽府の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っている。王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。

四首は四場面の劇構成になっている。

王維「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっている。時代は漢。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  

相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 

少年行四首 其二    

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。

孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 

少年行四首 其三    

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。

偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其四   

漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。

天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。

 

杜甫《少年行》

貴族の子弟が酒屋において倣慢に酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句である。

少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。

不通姓氏豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

少年行二首  杜甫51歳の成都での作品

少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

1

莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。

傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500

(2)

災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。

黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。

 少年行,二首之二 蜀中転々 杜甫 <499  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500

李白31歳の作品

 少年行      

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。

落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。

一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか

にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

 李白 17少年行

 

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。

165 《巻05-13 年行,二首之一》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <165> Ⅰ李白詩1361 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5353

166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

 

 

君不見淮南少年遊俠客,白日毬獵夜擁擲。

淮南の少年、貴公子は、遊侠の客を以て自らいる、昼の間は、打毬や游猟にふけり、夜は賭博をして、日夜遊び暮らしている。

○淮南 淮河以南、揚子江以北の地方。淮河以南,長江以北の地。

○遊俠客 古代中国では,遊民層のあいだで剣を帯びて徒党を結び,私交に信義をつらぬき,親族知友を辱しめるものには必ず仇を報ずる人々を俠,遊俠,俠客といい,その気風を任俠という。任とは交わりに誠実で,利害生死を顧みずに人の窮境を救い,国禁を犯しても責任をもって人をかくまう意。

俠客行

趙客縵胡纓,鉤霜雪明。銀鞍照白馬,颯沓如流星。

十步殺一人,千里不留行。事了拂衣去,深藏身與名。

閒過信陵飲,劍膝前橫。將炙啖朱亥,持觴勸侯嬴。

三杯吐然諾,五嶽倒為輕。眼花耳熱後,意氣素霓生。

救趙揮金槌,邯鄲先震驚。千秋二壯士,烜赫大梁城。

縱死俠骨香,不慚世上英。誰能書閣下,白首太玄經。

(俠客行)

趙客 縵胡の纓,鉤 霜雪明かなり。

銀鞍 白馬を照らし,颯沓として流星の如し。

十步に一人を殺し,千里 行を留めず。

事了るや 衣を拂って去り,深く藏す 身と名とを。

閒に信陵を過ぎて飲み,劍をして膝前に橫たう。

炙を 將って朱亥に啖【くら】わしめ,觴を持して侯嬴に勸む。

三杯然諾を吐き,五嶽 倒って為に輕し。

眼花し 耳熱する後,意氣 素霓【そげい】生ず。

趙を救って金槌を揮い,邯鄲 先ず震驚す。

千秋の二壯士,烜赫【けんかく】す 大梁城。

縱い死するも俠骨香しく,世上の英たるに慚じず。

誰か能く書閣の下,白首 太玄經。

159 《巻02-30 俠客行》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <159> Ⅰ李白詩1355 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5323

○毬獵 打毬よ游猟

○擁擲 賭博。樗蒲をいう。1 中国渡来の賭博(とばく)の一。1個のさいころで出る目を予測し、予測が当たれば賭け金の4倍または5倍を得る仕組みになっているもの。転じて、博奕(ばくち)のこと。2 いんちき。でたらめ。3 ばかをみること。

 

呼盧百萬終不惜,報讎千里如咫尺。

その樗蒲をふって賭博するにあたり、百万錢を一擲して、少しも惜しまず、また、人のために讎を奉ずるときは、千里の遠きをものともせず、直ちに行ってその人を殺すことをするのは、朝飯前のことである。

○呼盧 樗蒲をいう。 《珊瑚鉤詩話》「樗蒱起自老子,今謂之〔呼盧〕,取純色而勝之之義以名之耳。」(樗蒲は老子より起る、今これを呼盧という、純色にしてこれに勝の義をとって、以てこれに名づくるのみ)とある。

○百萬 賭博するにあたり、百万錢を一擲にして勝負する。

○咫尺 「咫」は中国の周の制度で8寸、「尺」は10寸》1 距離が非常に近いこと。2 貴人の前近くに出て拝謁すること。ちょっとの間でする。朝飯前ぐらいのことであるというほどの意。天下無敵をいう。荘子『荘子』〈説剣〉。 《王曰「子之剣、何能禁制。」曰「臣之剣、十歩一人、千里不留行。」王大悦之、曰「天下無敵矣。」》 (王曰く「子の剣、何をか能く禁制す」と。曰く「臣の剣、十歩にして一人、千里にしても留まらず行く」と。

 

少年遊俠好經過,渾身裝束皆綺羅。

かくてこの少年、貴公子は、遊侠活動をなすによって、平生は何時もどこかへ駆けまわっているのであり、その衣裳装束は、全身、美々綺羅づくめである。

 

《贈新平少年》「韓信在淮陰,少年相欺凌。」(韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。)韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

145-#1 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#1> Ⅰ李白詩1338 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5238

145-#2 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#2> Ⅰ李白詩1339 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5243

164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

 

 

 

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李白  長歌行#2

桃李務青春,誰能貫白日。

富貴與神仙,蹉跎成兩失。

金石猶銷鑠,風霜無久質。

畏落日月後,強歡歌與酒。

秋霜不惜人,倏忽侵蒲柳。
こうして、人というものは、日月と並んで走ってゆくわけにはゆかず、置き去りにされるのが必定であり、直ぐに死が訪れるのであるから、この世にいる間は、無理にでも歓業を尽くし、酒を飲んで歌を歌うのが良いのである。

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    長歌行

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

長歌行

(人生の儚きことを詠う)

桃李待日開,榮華照當年。【桃李得日開】

桃李は日の暖か味を受けて、はじめて花を開き、その栄華は照り輝いて見えるくらいである。

東風動百物,草木盡欲言。

春風が一度到り、万物を動かせば、草木は一斉に生き生きとして物言いたげである。

枯枝無醜葉,涸水吐清泉。

そうして、枯れ枝には醜い古い葉がなくなって、新しい葉が出て來るし、乾ききった水は清泉を掃出し滾々として勢いが良いのである。

大力運天地,羲和無停鞭。

大宇宙の元気は、非常の力を持って、天地を動かし、そして、義和は、六龍に馭して、鞭を止めざるによりて、太陽の運行は、しばらくも休止する事は無い。

功名不早著,竹帛將何宣。

このようにして、春は万物を発生させるのであるが、天地運航の結果は、夏となり、秋となって、やがて凋落を免れないということであって、それは人にしても、早く功名を世間にあらわさなければ、青史のうえにおいても、何も書いてくれずその名も空しく湮滅することを免れない。

#2

桃李務青春,誰能貫白日。

桃李は青春のために務めて,花を裂かせることを怠ることはないし、誰も白日の動いてゆくことを一貫してよく行っているのを分かっている。

富貴與神仙,蹉跎成兩失。

人間においては、富貴を極めることを望み、世俗を離れた不老長寿を神仙にもとめるものであるが,しかしその蹉跎は、とかく失敗におちいるもので、二つを得ようとしても、なにもうることができないのだ。

金石猶銷鑠,風霜無久質。

宇宙元気の運行する前には金石の堅さも銷鑠するものであり、風霜のまえには、永久という物質は存在しないものである。

畏落日月後,強歡歌與酒。

こうして、人というものは、日月と並んで走ってゆくわけにはゆかず、置き去りにされるのが必定であり、直ぐに死が訪れるのであるから、この世にいる間は、無理にでも歓業を尽くし、酒を飲んで歌を歌うのが良いのである。

秋霜不惜人,倏忽侵蒲柳。
秋霜は、人に対して遠慮会釈はなく、蒲柳を枯らし、葉を落とし、人の髪を白くさせるのは、それぞれの弱点を侵すものであるからで、まことに嘆息すべきことである。

 

(長歌行)

桃李 日を待ち開く,榮華 當年を照らす。

東風 百物を動かし,草木 盡く言わんと欲す。

枯枝に醜葉無く,涸水は清泉を吐く。

大力 天地を運らし,羲和 鞭を停る無し。

功名 早く著われずんば,竹帛 將た 何をか宣べん。

 

桃李は青春に務め,誰か能く 白日を貫かん。

富貴と神仙と,蹉跎 兩失を成す。

金石 猶お 銷鑠【しょうしゃく】,風霜 久質無し。

日月の後に落ちんことを畏れ,強いて 歡ぶ 歌と酒と。

秋霜は 人を惜まず,倏忽 蒲柳を侵す。

 

 

『長歌行』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

桃李務青春,誰能貫白日。

富貴與神仙,蹉跎成兩失。

金石猶銷鑠,風霜無久質。

畏落日月後,強歡歌與酒。【強飲歌與酒】

秋霜不惜人,倏忽侵蒲柳。

(下し文)
桃李は青春に務め,誰か能く 白日を貫かん。

富貴と神仙と,蹉跎 兩失を成す。

金石 猶お 銷鑠【しょうしゃく】,風霜 久質無し。

日月の後に落ちんことを畏れ,強いて 歡ぶ 歌と酒と。

秋霜は 人を惜まず,倏忽 蒲柳を侵す。

(現代語訳)
桃李は青春のために務めて,花を裂かせることを怠ることはないし、誰も白日の動いてゆくことを一貫してよく行っているのを分かっている。

人間においては、富貴を極めることを望み、世俗を離れた不老長寿を神仙にもとめるものであるが,しかしその蹉跎は、とかく失敗におちいるもので、二つを得ようとしても、なにもうることができないのだ。

宇宙元気の運行する前には金石の堅さも銷鑠するものであり、風霜のまえには、永久という物質は存在しないものである。

こうして、人というものは、日月と並んで走ってゆくわけにはゆかず、置き去りにされるのが必定であり、直ぐに死が訪れるのであるから、この世にいる間は、無理にでも歓業を尽くし、酒を飲んで歌を歌うのが良いのである。

秋霜は、人に対して遠慮会釈はなく、蒲柳を枯らし、葉を落とし、人の髪を白くさせるのは、それぞれの弱点を侵すものであるからで、まことに嘆息すべきことである。



(訳注) #2

(長歌行)

(人生の儚きことを詠う)

楽府歌辭 『長歌行』平調曲でその志を歌う。この古辞は、人生は無常であって英華もけっして久しく続かないゆえ、大いに努力すべきである、という内容を歌う。謝靈運《長歌行》「倐爍夕星流,昱奕朝露團。粲粲烏有停,泫泫豈暫安。徂齡速飛電,節騖驚湍。覽物起悲緒,顧已識憂端。朽貌改鮮色,悴容變柔顏。・・・・・・」

長歌行 謝霊運(康楽) 詩<69-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩491 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1290

燕歌行 謝霊運(康楽) 詩<79-#1>Ⅱ李白に影響を与えた詩508 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1341

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漢・古樂府  長歌行 

青青園中葵,朝露待日晞。陽春布德澤,萬物生光輝。

常恐秋節至,焜黄華葉衰。百川東到海,何時復西歸。

少壯不努力,老大徒傷悲。

(長歌行)

青青たる 園中の 葵,朝露 日を 待ちて 晞【かわ】く。

陽春 德澤を 布【し】き,萬物   光輝を 生ず。

常に恐る 秋節の 至りて,焜黄せる 華葉の 衰ふを。

百川 東のかた 海に 到るも,何れの時か 復た 西に 歸らん。

少壯にして 努力をせざれば,老大になりて 徒らに 傷悲せん。

魏の文帝《燕歌行》、傅玄《艶歌行》があり、皆歌聲の長短を指すものであって、人生の長さをいうものでないものもある。

魏の文帝 

楽府 燕歌行 二首

曹丕 魏文帝

《魏文帝集》《玉臺新詠》文選 古詩源

其一

秋風蕭瑟天氣涼 草木搖落露為霜

群燕辭歸雁南翔 念君客遊多思腸

慊慊思歸戀故 君何淹留寄他方

賤妾煢煢守空房 憂來思君不敢忘

不覺淚下沾衣裳 援琴鳴弦發清商

短歌微吟不能長 明月皎皎照我床

星漢西流夜未央 牽牛織女遙相望

爾獨何辜限河梁

燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 622 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1705

燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 623 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1709]

其二

別日何易會日難,山川遙遠路漫漫。

鬱陶思君未敢言,寄聲浮雲往不還。

涕零雨面毀容顏,誰能懷憂獨不嘆。

展詩清歌聊自寬,樂往哀來摧肺肝。

耿耿伏枕不能眠,披衣出步東西。

仰看星月觀雲間,飛鶬晨鳴聲可憐。

留連顧懷不能存。

燕歌行二首 其二 曹丕(魏文帝) 魏詩<5>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 女性詩624 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1713

 

桃李務青春,誰能貫白日。

桃李は青春のために務めて,花を裂かせることを怠ることはないし、誰も白日の動いてゆくことを一貫してよく行っているのを分かっている。

 

富貴與神仙,蹉跎成兩失。

人間においては、富貴を極めることを望み、世俗を離れた不老長寿を神仙にもとめるものであるが,しかしその蹉跎は、とかく失敗におちいるもので、二つを得ようとしても、なにもうることができないのだ。

 

金石猶銷鑠,風霜無久質。

宇宙元気の運行する前には金石の堅さも銷鑠するものであり、風霜のまえには、永久という物質は存在しないものである。

銷鑠 金属が溶けるという意味から、意気がなくなるということのたとえ。「銷鑠縮栗」意気がなくなり、恐れて小さくなること。「縮栗」は体をすくめて小さくなって恐れること。

 

畏落日月後,強歡歌與酒。【強飲歌與酒】

こうして、人というものは、日月と並んで走ってゆくわけにはゆかず、置き去りにされるのが必定であり、直ぐに死が訪れるのであるから、この世にいる間は、無理にでも歓業を尽くし、酒を飲んで歌を歌うのが良いのである。

 

秋霜不惜人,倏忽侵蒲柳。

秋霜は、人に対して遠慮会釈はなく、蒲柳を枯らし、葉を落とし、人の髪を白くさせるのは、それぞれの弱点を侵すものであるからで、まことに嘆息すべきことである。

蒲柳 1 カワヤナギの別名。2 《カワヤナギの葉が秋になるとすぐに落ちるところから》体質がひ弱なこと。「―の御身体時節柄殊に摂生第一に希望致し候」〈荷風・雨瀟瀟〉ほりゅうのしつ【蒲柳の質】からだが弱く病気にかかりやすい体質。

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(長歌行)

桃李待日開,榮華照當年。東風動百物,草木盡欲言。

枯枝無醜葉,涸水吐清泉。大力運天地,羲和無停鞭。

功名不早著,竹帛將何宣。

(人生の儚きことを詠う)桃李は日の暖か味を受けて、はじめて花を開き、その栄華は照り輝いて見えるくらいである。春風が一度到り、万物を動かせば、草木は一斉に生き生きとして物言いたげである。そうして、枯れ枝には醜い古い葉がなくなって、新しい葉が出て來るし、乾ききった水は清泉を掃出し滾々として勢いが良いのである。

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    長歌行

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

 

長歌行

(人生の儚きことを詠う)

桃李待日開,榮華照當年。【桃李得日開】

桃李は日の暖か味を受けて、はじめて花を開き、その栄華は照り輝いて見えるくらいである。

東風動百物,草木盡欲言。

春風が一度到り、万物を動かせば、草木は一斉に生き生きとして物言いたげである。

枯枝無醜葉,涸水吐清泉。

そうして、枯れ枝には醜い古い葉がなくなって、新しい葉が出て來るし、乾ききった水は清泉を掃出し滾々として勢いが良いのである。

大力運天地,羲和無停鞭。

大宇宙の元気は、非常の力を持って、天地を動かし、そして、義和は、六龍に馭して、鞭を止めざるによりて、太陽の運行は、しばらくも休止する事は無い。

功名不早著,竹帛將何宣。

このようにして、春は万物を発生させるのであるが、天地運航の結果は、夏となり、秋となって、やがて凋落を免れないということであって、それは人にしても、早く功名を世間にあらわさなければ、青史のうえにおいても、何も書いてくれずその名も空しく湮滅することを免れない。

#2

桃李務青春,誰能貫白日。

富貴與神仙,蹉跎成兩失。

金石猶銷鑠,風霜無久質。

畏落日月後,強歡歌與酒。【強飲歌與酒】

秋霜不惜人,倏忽侵蒲柳。

 

(長歌行)

桃李 日を待ち開く,榮華 當年を照らす。

東風 百物を動かし,草木 盡く言わんと欲す。

枯枝に醜葉無く,涸水は清泉を吐く。

大力 天地を運らし,羲和 鞭を停る無し。

功名 早く著われずんば,竹帛 將た 何をか宣べん。

 

桃李は青春に務め,誰か能く 白日を貫かん。

富貴と神仙と,蹉跎 兩失を成す。

金石 猶お 銷鑠【しょうしゃく】,風霜 久質無し。

日月の後に落ちんことを畏れ,強いて 歡ぶ 歌と酒と。

秋霜は 人を惜まず,倏忽 蒲柳を侵す。

 

 

『長歌行』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(長歌行)

桃李待日開,榮華照當年。

東風動百物,草木盡欲言。

枯枝無醜葉,涸水吐清泉。

大力運天地,羲和無停鞭。

功名不早著,竹帛將何宣。


(下し文)
(
長歌行)

桃李 日を待ち開く,榮華 當年を照らす。

東風 百物を動かし,草木 盡く言わんと欲す。

枯枝に醜葉無く,涸水は清泉を吐く。

大力 天地を運らし,羲和 鞭を停る無し。

功名 早く著われずんば,竹帛 將た 何をか宣べん。

(現代語訳)
(人生の儚きことを詠う)

桃李は日の暖か味を受けて、はじめて花を開き、その栄華は照り輝いて見えるくらいである。

春風が一度到り、万物を動かせば、草木は一斉に生き生きとして物言いたげである。

そうして、枯れ枝には醜い古い葉がなくなって、新しい葉が出て來るし、乾ききった水は清泉を掃出し滾々として勢いが良いのである。

大宇宙の元気は、非常の力を持って、天地を動かし、そして、義和は、六龍に馭して、鞭を止めざるによりて、太陽の運行は、しばらくも休止する事は無い。

このようにして、春は万物を発生させるのであるが、天地運航の結果は、夏となり、秋となって、やがて凋落を免れないということであって、それは人にしても、早く功名を世間にあらわさなければ、青史のうえにおいても、何も書いてくれずその名も空しく湮滅することを免れない。


(訳注)

(長歌行)

(人生の儚きことを詠う)

楽府歌辭 『長歌行』平調曲でその志を歌う。この古辞は、人生は無常であって英華もけっして久しく続かないゆえ、大いに努力すべきである、という内容を歌う。謝靈運《長歌行》「倐爍夕星流,昱奕朝露團。粲粲烏有停,泫泫豈暫安。徂齡速飛電,節騖驚湍。覽物起悲緒,顧已識憂端。朽貌改鮮色,悴容變柔顏。・・・・・・」

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漢・古樂府  長歌行 

青青園中葵,朝露待日晞。陽春布德澤,萬物生光輝。

常恐秋節至,焜黄華葉衰。百川東到海,何時復西歸。

少壯不努力,老大徒傷悲。

(長歌行)

青青たる 園中の 葵,朝露 日を 待ちて 晞【かわ】く。

陽春 德澤を 布【し】き,萬物   光輝を 生ず。

常に恐る 秋節の 至りて,焜黄せる 華葉の 衰ふを。

百川 東のかた 海に 到るも,何れの時か 復た 西に 歸らん。

少壯にして 努力をせざれば,老大になりて 徒らに 傷悲せん。

魏の文帝《燕歌行》、傅玄《艶歌行》があり、皆歌聲の長短を指すものであって、人生の長さをいうものでないものもある。

魏の文帝 

楽府 燕歌行 二首

曹丕 魏文帝

《魏文帝集》《玉臺新詠》文選 古詩源

其一

秋風蕭瑟天氣涼 草木搖落露為霜

群燕辭歸雁南翔 念君客遊多思腸

慊慊思歸戀故 君何淹留寄他方

賤妾煢煢守空房 憂來思君不敢忘

不覺淚下沾衣裳 援琴鳴弦發清商

短歌微吟不能長 明月皎皎照我床

星漢西流夜未央 牽牛織女遙相望

爾獨何辜限河梁

燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-#1>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 622 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1705

燕歌行二首 其一 曹丕(魏文帝) 魏詩<4-#2>玉台新詠・文選楽府 古詩源 巻三 623 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ1709]

其二

別日何易會日難,山川遙遠路漫漫。

鬱陶思君未敢言,寄聲浮雲往不還。

涕零雨面毀容顏,誰能懷憂獨不嘆。

展詩清歌聊自寬,樂往哀來摧肺肝。

耿耿伏枕不能眠,披衣出步東西。

仰看星月觀雲間,飛鶬晨鳴聲可憐。

留連顧懷不能存。

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桃李待日開,榮華照當年。

桃李は日の暖か味を受けて、はじめて花を開き、その栄華は照り輝いて見えるくらいである。

桃李 桃の木とスモモの木.「桃李不言,下自成蹊。」(桃李言わざれども,下おのずから蹊を成す)徳のある人のところへは黙っていても人が集まって来る.

2門下生,門弟.

 

東風動百物,草木盡欲言。

春風が一度到り、万物を動かせば、草木は一斉に生き生きとして物言いたげである。

東風 東から吹く風。ふつう、春風をいう。こちかぜ。[季語] 春。

 

枯枝無醜葉,涸水吐清泉。

そうして、枯れ枝には醜い古い葉がなくなって、新しい葉が出て來るし、乾ききった水は清泉を掃出し滾々として勢いが良いのである。

醜葉 醜い古い葉。

涸水 日本での渇水期は中国では、 涸水期であり、大陸性気候の乾期渇水期をいう。かれる からす水がかれる。ひあがる。「涸渇・涸轍(こてつ)

 

大力運天地,羲和無停鞭。

大宇宙の元気は、非常の力を持って、天地を動かし、そして、義和は、六龍に馭して、鞭を止めざるによりて、太陽の運行は、しばらくも休止する事は無い。

羲和 中国古代の神話に登場する神。羲和に関する神話には、大まかにいって二つの流れがある。その一つは『楚辞(そじ)』や『淮南子(えなんじ)』などに描き出されている、天空をわたる太陽の運行を馬車の走るさまになぞらえ、その馬車を操縦する「太陽の御者」としての羲和である。もう一つは『山海経(せんがいきょう)』にみえる、中国東南の海のはるかかなたにある羲和の国に住むという女神羲和である。女神は俊帝(しゅんてい)と結婚して10個の太陽を生み、毎朝子供であるそれらの太陽を甘淵(かんえん)というみぎわで水浴させる「太陽の母」であるとされている。この二つの系統の神話の相互関係は不明であるが、羲和が太陽そのものの神格化ではないにせよ、太陽と関係の深い神であったことは確かである。ところが儒家の経典である『書経』では、羲和は堯帝(ぎょうてい)によって中国の東西南北に派遣された羲仲(ぎちゅう)、羲叔(ぎしゅく)、和仲、和叔という4人の役人に変化してしまう。しかし彼らがともに天文に関することをつかさどり、なかでも東西に派遣された羲仲と和仲が太陽の出入りにあたって先導を務めたという点に、羲和が太陽と関係のある存在であったおもかげをとどめている。

 

功名不早著,竹帛將何宣。

このようにして、春は万物を発生させるのであるが、天地運航の結果は、夏となり、秋となって、やがて凋落を免れないということであって、それは人にしても、早く功名を世間にあらわさなければ、青史のうえにおいても、何も書いてくれずその名も空しく湮滅することを免れない。

竹帛 《中国で、紙の発明以前に、竹簡や布帛に文字を記したところから》書物、特に、歴史書。また、歴史。竹素。竹帛に著す書物に書きあらわす。また、歴史に名を残す。竹帛に垂る歴史に名を残す。名を竹帛に垂る。

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李白《巻5-8 君馬黃 (君馬黃,)》(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠うその時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。

 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
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《巻3-25 結客少年場行 -#1(紫燕黃金瞳,)》

結客少年場行

(貴公子が任侠の士を気取って、遊侠の場に出入りするものの、そこには呉越、春秋の劇孟、燕丹と荊軻の志さえもなく、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している)

紫燕黃金瞳,啾啾搖綠鬉。【稜稜搖綠鬉】

遊侠の少年のまたがる紫燕の名馬は、黄金のひとみ、きらきらしく耀き、鈴の音のリンリンたるにつれて、緑の鬣を振るい動かすさまは、まことに勇ましい。

平明相馳逐,結客洛門東。

こうして、少年は朝早くから、この馬に乗って出かけ、洛門の東に出てその客と遊び戯れる。

少年學劍術,凌轢白猿公。

それから少年は、撃剣の術を学びその技の妙なることは、白猿公を圧倒すべき程である。

珠袍曳錦帶,匕首插鴻。

それから、珠にて飾れる美しい衣裳を着下ろして、錦帯を引きずり、むかし鉤師が其子の呉鴻等を殺し、その血を塗って鍛え上げたという、天晴なわざものヒ首を懐にしのばしている。

由來萬夫勇,挾此生雄風。

この少年はただでさえ萬夫の勇あるに、まして、このヒ首を持っているから、身辺に雄風を生ずるばかりである。

  

(結客少年場行)

紫燕 黃金の瞳,啾啾として 綠鬉を搖らす。

平明 相い馳逐し,客に結んで 洛門の東。

少年 劍術を學び,凌轢す 白猿公。

珠袍 錦帶を曳き,匕首 鴻を插む

由來は萬夫の勇なり,此を挾んで雄風を生ず。

 

交を託して劇孟に從い,醉いを買うて 新豐に入る。

笑って一杯の酒を盡し,人を殺す 都市の中。

易水の寒を道【い】うを羞づ,徒【いたずら】に日をして虹を貫ぬか令む。

燕丹 事 立たず,虛しく秦帝の宮に沒す。

舞陽は 死灰の人,安んぞ與に功を成す可けんや。
 

 《巻4-34 洛陽陌 白玉誰家郎,》I 

洛陽陌

(洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子についてうたったもの。)

白玉誰家郎,回車渡天津。

誰の家だろうかこんなにも白玉に飾られた豪奢なかざったいえの貴族のむすこいる家は?その貴公子は車を回らして、天神橋を渡って歓楽街を過ぎる。

看花東陌上,驚動洛陽人。

洛陽の城門から入って東の大路へ行って悠然と花を見る。その豪華華美の姿は洛陽の人々を驚かすばかりである。

 

(洛陽陌)

白玉 誰家の郎,車を回らして天津を渡る。

花を東陌の上に看て,洛陽の人を驚動する。

**********************************************

 

《巻5-8 君馬黃 (君馬黃,)》

年:732年開元二十年32

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    君馬黃

作地點:              洛陽(都畿道 / 河南府 / 洛陽)

及地點:洛陽 (都畿道 河南府 洛陽) 別名:洛城、洛、東洛、洛邑、京洛、河洛、洛下      

 

 

君馬黃

洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠う

君馬黃,我馬白。

君の馬は黄色であるが、我が馬は、白い。

馬色雖不同,人心本無隔。

馬の毛並みは違っているが、君との意気には、少しの相違もないが、こうして、二人の意気が投合したから、隔たることはない。

共作遊冶盤,雙行洛陽陌。

だから君と二人で繁華街をのんびりと行ったり来たり酒色にふけ、二人並んで洛陽の市中を乗り回し、目抜き大路の上を並び行くのである。

長劍既照曜,高冠何赩赫。

その古詩に佩びている長剣は、白日にキラキラ輝き、高く頭に戴いているかんむりは、なんと紅く鮮やかに見る事が出来るのだろう。

各有千金裘,俱為五侯客。

それはお互いに、千金の裘を身にまとい、ともに五侯の賓客となって、今しも得意の時代である。

猛虎落陷阱,壯夫時屈厄。

英雄豪傑もただ一人で事業を成し遂げてはいなくて、提携ということを必要としている、それと幸運が続くということも無くて、不運な時もあるのであって、例えば、猛虎は、百獣の王と称せられ、一たび嘯けば狐兎の種属は、皆慴伏するくらいであるが、ときとしては、陷阱におちることもあるので、いかなる壮士と雖も、時を得なければ屈厄の悲境に沈淪していることを免れぬ。

相知在急難,獨好亦何益。【獨好知何益】

その時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。

 

 (君馬黃)

君が馬は黃,我が馬は白し。

馬色 同じからずと雖も,人心 本と隔つる無し。

共に遊冶の盤を作し,雙行す洛陽の陌。

長劍 既に照曜,高冠 何ぞ赩赫たる。

各の 千金の裘有り,俱に五侯の客と為る。

猛虎 陷阱に落ち,壯夫 時に屈厄。

相知 急難に在り,獨好 亦た何の益かあらん。

 

 

『君馬黃』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

君馬黃

君馬黃,我馬白。

馬色雖不同,人心本無隔。

共作遊冶盤,雙行洛陽陌。

長劍既照曜,高冠何赩赫。

各有千金裘,俱為五侯客。

猛虎落陷阱,壯夫時屈厄。

相知在急難,獨好亦何益。【獨好知何益】


(下し文)
(君馬黃)

君が馬は黃,我が馬は白し。

馬色 同じからずと雖も,人心 本と隔つる無し。

共に遊冶の盤を作し,雙行す洛陽の陌。

長劍 既に照曜,高冠 何ぞ赫たる。

各の 千金の裘有り,俱に五侯の客と為る。

猛虎 陷に落ち,壯夫 時に屈厄。

相知 急難に在り,獨好 亦た何の益かあらん。


(現代語訳)
洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠う

君の馬は黄色であるが、我が馬は、白い。

馬の毛並みは違っているが、君との意気には、少しの相違もないが、こうして、二人の意気が投合したから、隔たることはない。

だから君と二人で繁華街をのんびりと行ったり来たり酒色にふけ、二人並んで洛陽の市中を乗り回し、目抜き大路の上を並び行くのである。

その古詩に佩びている長剣は、白日にキラキラ輝き、高く頭に戴いているかんむりは、なんと紅く鮮やかに見る事が出来るのだろう。

それはお互いに、千金の裘を身にまとい、ともに五侯の賓客となって、今しも得意の時代である。

英雄豪傑もただ一人で事業を成し遂げてはいなくて、提携ということを必要としている、それと幸運が続くということも無くて、不運な時もあるのであって、例えば、猛虎は、百獣の王と称せられ、一たび嘯けば狐兎の種属は、皆慴伏するくらいであるが、ときとしては、陷阱におちることもあるので、いかなる壮士と雖も、時を得なければ屈厄の悲境に沈淪していることを免れぬ。

その時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。


(訳注)

君馬黃

洛陽の街を吾もの顔で走り回る任侠の志のない遊侠の貴公子とはちがって、誠に頼もしく、気持ちの良いものだと詠う

漢の鼓吹鐃歌という軍楽の曲でその古詞は「君馬黃,臣馬蒼,二馬同逐臣馬良。易之有蔡有赭,美人歸以南,駕車馳馬,美人傷我心;佳人歸以北,駕車馳馬,佳人安終極。」というものである。

 

君馬黃,我馬白。

君の馬は黄色であるが、我が馬は、白い。

 

馬色雖不同,人心本無隔。

馬の毛並みは違っているが、君との意気には、少しの相違もないが、こうして、二人の意気が投合したから、隔たることはない。

 

共作遊冶盤,雙行洛陽陌。

だから君と二人で繁華街をのんびりと行ったり来たり酒色にふけ、二人並んで洛陽の市中を乗り回し、目抜き大路の上を並び行くのである。

遊冶 遊びにふけって,容姿を飾ること。酒色にふけること。

 

長劍既照曜,高冠何赩赫。

その古詩に佩びている長剣は、白日にキラキラ輝き、高く頭に戴いているかんむりは、なんと紅く鮮やかに見る事が出来るのだろう。

 

各有千金裘,俱為五侯客。

それはお互いに、千金の裘を身にまとい、ともに五侯の賓客となって、今しも得意の時代である。

五侯 禮記王制に云う 「五國以為屬, 屬有長; 二百一十國以為州, 州有伯。」  師古曰 五侯, 五等諸侯也。 九伯, 九州之伯也。 伯, 長也。

後漢延熹2(159)、桓帝は、中常侍の単超ら宦官5人と謀り、梁冀誅滅を成し遂げた。この時の5人を五侯という。《漢書·游俠傳》: 是時王氏方盛,賓客滿門,五侯兄弟爭名,其客各有所厚,不得左右,唯護盡入其門,咸得其驩心。結士大夫,無所不傾,其交長者,尤見親而敬,眾以是服。為人短小精辯,論議常依名節,聽之者皆竦。與谷永俱為五侯上客。

 

猛虎落陷阱,壯夫時屈厄。

英雄豪傑もただ一人で事業を成し遂げてはいなくて、提携ということを必要としている、それと幸運が続くということも無くて、不運な時もあるのであって、例えば、猛虎は、百獣の王と称せられ、一たび嘯けば狐兎の種属は、皆慴伏するくらいであるが、ときとしては、陷阱におちることもあるので、いかなる壮士と雖も、時を得なければ屈厄の悲境に沈淪していることを免れぬ。

 

相知在急難,獨好亦何益。【獨好知何益】

その時己の心をよく知っているものがあれば、そういう時に厄運から救ってくれるので、一人でできると奢って他の者を眼中に置かなければ、人生もうまくゆかない。今この少年が相提携して、洛陽の市中を練り歩くのは何でもないことではあるがこういう点からいうと、君という存在は誠に頼もしく、気持ちの良いものである。

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李白《巻05-15 白鼻騧》豪貴な少年は、細雨春風花がちり落る間に、白鼻の黄馬に乗って馳せてきて、鞭を揮って、疾風の如く、ペルシャの娘がやっている酒肆にはいって酒を飲むのをほしいままにしている。

 

 
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167 《巻05-15 白鼻騧》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <167> Ⅰ李白詩1363 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5363

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    白鼻騧

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

白鼻騧

銀鞍白鼻騧,綠地障泥錦。

細雨春風花落時,揮鞭直就胡飲。

(貴族の子弟が白鼻の黄馬に跨り、酒屋において傲慢に酒を貪ったさまを詠う。)

白鼻の黄馬には銀の鞍を置き、漢の武帝のように緑地の五色の錦で造った派手な泥除けをかけている。

豪貴な少年は、細雨春風花がちり落る間に、白鼻の黄馬に乗って馳せてきて、鞭を揮って、疾風の如く、ペルシャの娘がやっている酒肆にはいって酒を飲むのをほしいままにしている。

 

(白鼻騧)

銀鞍白鼻の騧、緑地の障泥錦。

細雨 春風 花落つる時,鞭を揮って、直に胡姫に就いて飲む

 

 

白鼻』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

白鼻騧

銀鞍白鼻騧,綠地障泥錦。

細雨春風花落時,揮鞭直就胡飲。

 

(含異文)

銀鞍白鼻騧,綠地障泥錦。

細雨春風花落時【春風細雨落花時】,揮鞭直就胡飲【揮鞭且就胡飲】。


(下し文)
(白鼻

銀鞍白鼻の、緑地の障泥錦。

細雨 春風 花落つる時,鞭を揮って、直に胡姫に就いて飲む。


(現代語訳)
(貴族の子弟が白鼻の黄馬に跨り、酒屋において傲慢に酒を貪ったさまを詠う。)

白鼻の黄馬には銀の鞍を置き、漢の武帝のように緑地の五色の錦で造った派手な泥除けをかけている。

豪貴な少年は、細雨春風花がちり落る間に、白鼻の黄馬に乗って馳せてきて、鞭を揮って、疾風の如く、ペルシャの娘がやっている酒肆にはいって酒を飲むのをほしいままにしている。



(訳注)

白鼻騧

(貴族の子弟が白鼻の黄馬に跨り、酒屋において傲慢に酒を貪ったさまを詠う。)

 ①口先の黒い黄馬。②浅黄色の馬。『詩経秦風、小戎』「騧驪是驂、蔬」「今之浅黄色者爲騧馬」とある。

 

銀鞍白鼻騧,綠地障泥錦。

白鼻の黄馬には銀の鞍を置き、漢の武帝のように緑地の五色の錦で造った派手な泥除けをかけている。

綠地障泥錦 西京雜記「武帝貮師の天馬を得、玫瑰石を持って鞍と為し、鏤乜めるには金銀鍮石を以てし、緑地の五色の錦を以て蔽泥と為す」とある。緑地というところで造られたものをいう。

 

細雨春風花落時,揮鞭直就胡飲。

豪貴な少年は、細雨春風花がちり落る間に、白鼻の黄馬に乗って馳せてきて、鞭を揮って、疾風の如く、ペルシャの娘がやっている酒肆にはいって酒を飲むのをほしいままにしている。

胡姫 唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。この当時、長安は世界最大の都市であり、西門の金光門は異民族への玄関口である。この門から東の春明門は目抜き通り、都登路であり、その真ん中に朱雀門があり、国際通りであった。『少年行二首其二』「落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。五陵の貴盛の公子は白馬に銀の鞍をおいて、これにうち跨って、春風にむかって、おもむろに金市の東、繁華街の中を颯爽と行く。 
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166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

李白《巻05-14 少年行,二首之二》一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ行くのかと云えば、笑いながら異民族の経営する、碧眼の胡姫(ペルシャ)の酒場にでもいって、豪興をほしいままにして遊ぼうというのだろう。

 
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166 《巻05-14 少年行,二首之二》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <166> Ⅰ李白詩1375 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5423

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:  卷一六五        文體:  樂府

詩題:  少年行,二首之二

作地點:        長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

 

 

少年行,二首之一

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一

擊筑飲美酒,劍歌易水湄。

筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。

經過燕太子,結託并州兒。

そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。

少年負壯氣,奮烈自有時。

この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。

因聲魯句踐,爭博勿相欺。

そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。

 

(少年行,二首之一)

擊筑をって美酒を飲み,劍歌す 易水の湄【ほとり】。

燕の太子を經過して,結託す 并州の兒。

少年壯氣を負い,奮烈 自ら時有り。

因って聲【な】らす 魯句踐,博を爭うも 相い欺く勿れ。

 

 

少年行,二首之二

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の二

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
五陵の貴盛の公子は白馬に銀の鞍をおいて、これにうち跨って、春風にむかって、おもむろに金市の東、繁華街の中を颯爽と行く。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

こうして、一面に舞い散る花を踏み散らし どこへ行くのかと云えば、笑いながら異民族の経営する、碧眼の胡姫(ペルシャ)の酒場にでもいって、豪興をほしいままにして遊ぼうというのだろう。

(少年行)
五陵の年少金市【きんし】の東、銀鞍【ぎんあん】白馬、春風を度【わた】る。
落花踏み尽くして  何処【いずこ】にか遊ぶ、笑って入る 胡姫【こき】酒肆【しゅし】の中。
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『少年行二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

少年行二首之二
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。


(下し文)
(少年行)
五陵の年少金市【きんし】の東、銀鞍【ぎんあん】白馬、春風を度【わた】る。Ta唐 長安近郊圖  新02
落花踏み尽くして  何処【いずこ】にか遊ぶ、笑って入る 胡姫【こき】酒肆【しゅし】の中。


(現代語訳)
五陵の貴盛の公子は白馬に銀の鞍をおいて、これにうち跨って、春風にむかって、おもむろに金市の東、繁華街の中を颯爽と行く。
こうして、一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ行くのかと云えば、笑いながら異民族の経営する、碧眼の胡姫(ペルシャ)の酒場にでもいって、豪興をほしいままにして遊ぼうというのだろう。



(訳注)

少年行二首之二
(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の二

年少 少年と同じ、日本でいう少年は童。

 

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
五陵の貴盛の公子は白馬に銀の鞍をおいて、これにうち跨って、春風にむかって、おもむろに金市の東、繁華街の中を颯爽と行く。
金市 金市(西市)の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。というのは下の関係図に示す、西の金光門をさし、次の句の銀の鞍との対比を意図している。

五方




西


五行






五色







五陵 長安渭水の北側、長陵邑,安陵邑、陽陵邑、茂陵邑、平陵邑をいう。
五陵の関係図


choan9ryo 

落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
五陵の貴盛の公子は白馬に銀の鞍をおいて、これにうち跨って、春風にむかって、おもむろに金市の東、繁華街の中を颯爽と行く。
胡姫  唐の時代「胡姫」はペルシャ(イラン系)の紅毛金髪、碧眼、白皙の女性を示していた。この当時、長安は世界最大の都市であり、西門の金光門は異民族への玄関口である。この門から東の春明門は目抜き通り、都登路であり、その真ん中に朱雀門があり、国際通りであった。
 唐は西に伸びきった領土を有していた。建国当初は、富を得ていたが次第に負担が勝るようになる。
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○韻 東、風、中。

少年行      
五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。
落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。
(少年行)
五陵の年少金市【きんし】の東、銀鞍【ぎんあん】白馬、春風を度【わた】る。
落花踏み尽くして  何処【いずこ】にか遊ぶ、笑って入る 胡姫【こき】酒肆【しゅし】の中。
00長安城の図
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年行,二首之一

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              太原府 (河東道 太原府 太原府) 別名:太原、并州      

 

 

少年行,二首之一

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一

擊筑飲美酒,劍歌易水湄。

筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。

經過燕太子,結託并州兒。

そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。

少年負壯氣,奮烈自有時。

この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。

因聲魯句踐,爭博勿相欺。

そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。

 

(少年行,二首之一)

擊筑をって美酒を飲み,劍歌す 易水の湄【ほとり】。

燕の太子を經過して,結託す 并州の兒。

少年壯氣を負い,奮烈 自ら時有り。

因って聲【な】らす 魯句踐,博を爭うも 相い欺く勿れ。

 

三国の州 図 

『少年行,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

少年行,二首之一

擊筑飲美酒,劍歌易水湄。

經過燕太子,結託并州兒。

少年負壯氣,奮烈自有時。

因聲魯句踐,爭博勿相欺。

 

(下し文)

(少年行,二首之一)

擊筑をって美酒を飲み,劍歌す 易水の湄【ほとり】。

燕の太子を經過して,結託す 并州の兒。

少年壯氣を負い,奮烈 自ら時有り。

因って聲【な】らす 魯句踐,博を爭うも 相い欺く勿れ。

 

(現代語訳)

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一

筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。

そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。

この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。

そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。

 

(訳注)

少年行,二首之一

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)二首の一

少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。

・少年を題材にしたものは盛唐の詩人の間で流行っていたのだろう。杜甫も最初二首詠い、しばらくして、この一首詠っている。どの詩人も貴族の親に向けて、批判はできないが、その息子らの破廉恥な様子を詠うことにより、貴族社会を批判している。

・貴族の子弟が酒屋において傲慢に酒を貪ったさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句の形式の歌行である。同種の『貧孝行』がある。

王維の「少年行四首」は漢時代を借りて四場面の劇構成になっている。
王維『少年行四首』 其一   
新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  
相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。
杜甫《少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。
不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

少年行 杜甫 蜀中転々 杜甫 <501  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2695 杜甫詩1000-501-733/1500

甫『少年行』を一首と二首の三首,作っている

少年行,二首之一

莫笑田家老瓦盆,自從盛酒長兒孫。 

傾銀注瓦驚人眼,共醉終同臥竹根。 

(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)

少年行,二首之一 蜀中転々 杜甫 <498  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2680 杜甫詩1000-498-730/1500

農家の古ぼけたかわらけの盃や肴を盛り付ける大皿食器を、笑うことをしてはいけない。こんな農家だとその食器でしか富貴の者の子や孫に提供して酒宴をさかんにするだけなのだ。

銀の飾り物を盃にしたり、瓦の盆にさけをついだり、村の人々を困らせるだけである。あげく、みんな酔っぱらって、ついに同じように静寂で隠棲の場所である竹林で寝てしまうしまつである。

杜甫《少年行,二首之二》

巢燕養雛渾欲去、江花結子也無多。

黄衫年少來宜敷、不見堂前東逝波。

(富貴の青年の悪行を詠う歌,二首のその一)

巣で雛を育てる多くのツバメというものはせいちょうすれば全員去ってゆくものであるということや、濯錦江を花いっぱいにして浣花渓と名付けたのを、わたしの女子供らが見ているのです。

それなのに、片肌脱いだ貴族の息子どもはここに来て勝手に座っているし、奥座敷の前入るやつらはそれがこの国の常識であることを知ってはいないのだろうか。

杜甫《少年行》

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。

馬上で我が物顔で振る舞うのは、どこの富貴の家の御曹司のものだろうか、酒屋のきざはしの前から馬をおり、人が座っていた長椅子に、どっかと腰をかけるのだ。

不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

それから横柄な態度で、何処の誰とも名のらず、「あれをくれ」と、銀の酒瓶を指ざしして酒をもとめ、瓶の紐をもって瓶ごと直に呑んでいるのだ。

(少年行)

馬上 誰が家の白面郎ぞ、馬より下りて階に臨み、人牀に坐す。

姓氏を通ぜず麤豪【そごう】甚し、銀瓶【ぎんべい】を指点して酒を索もとめて嘗【な】む。

少年行,二首之二 蜀中転々 杜甫 <499  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2685 杜甫詩1000-499-731/1500

 

擊筑飲美酒,劍歌易水湄。

筑を弾じる声を聴きつつ、美酒を飲み、易水のほとりにおいては、易水の風が冷たく人々の肌を 刺すので剣を弾じて荊軻のように歌うものだ。

 筑(琴に似た竹製の楽器)の名手の高漸離と意気投合し、いつも 二人で酒を飲み歩き、酔うと高漸離は筑を鳴らし、荊軻はそれに和して 歌い、傍若 ... 易水の風は冷たく人々の肌を 刺し、高漸離の筑と荊軻の歌声とは悲壮に人々の心をふるわせた。

易水 易水の別れ易水送別(荊軻と燕の昭王の太子丹、高漸離たちと易水の畔での別れのことを指す。)『史記』(卷八十六・刺客列傳第二十六には、その場面を次のように記している:「太子及賓客知其事者,皆白衣冠以送之。至易水之上,既祖,取道,高漸離撃筑,荊軻和而歌,爲變徴之聲,士皆垂涙涕。又前而爲歌曰:『風蕭蕭兮易水寒,壯士一去兮不復還!』復爲羽聲慷慨,士皆瞑目,髮盡上指冠。於是荊軻就車而去,終已不顧。」悲壮な別れで有名な荊軻の易水の別れの場面に基づいている。なお、前記『易水歌』ページには、荊軻関聯の詩を集めている。この詩題は『於易水送人』ともする。同義だが、『易水送別』の方は、「易水の別れ」という風に「送別」等を名詞と取れるのに対して、『於易水送人』では場所を表し、「送人」は動詞となり、「易水に於いて人を送る」となる。この作品は、則天武后(武則天)が唐の帝位を簒奪したことについて、荊軻の義挙(暗殺)に托して詠ったという。

 

經過燕太子,結託并州兒。

そして、燕の太子丹の様な野心漫漫たる貴人を訪問したり、幷州の遊侠少年と交際して、平生もっぱら男を磨くことを務めとしている。

燕太子 燕太子丹(えん たいし たん、? - 紀元前226年)は、古代中国の戦国時代末期の燕の王族。姓は姞[1]、諱は丹。燕王喜の子。

少年時代は、趙に人質として送られ、同じく人質だった秦の王族だった政と親しくしていたことがある。後に本国に帰国して、燕の太子となった。

後年に燕の使節として、かつて昔なじみの秦の秦王政に挨拶をしたが、秦王政から冷たく対応されて、丹は衝撃を受けて秦は燕にとって災いをおよぼす国だと判断して、帰国した。

帰国して秦の強大化を危惧した丹は、重臣である鞠武へ如何にすべきか相談したところ、鞠武は「秦は三晋(趙・魏・韓)を脅かし、北に甘泉・谷口が天然の要害となり、南に涇水・渭水に沿った肥沃な大地を有する。肥沃な巴や漢中を独占し、右は隴・蜀の山脈、左は函谷関・崤山に守られている。人口は多く、また兵士も勇猛で、武器防具も満たされている。」と評して秦と争うことの愚を献策したものの、丹はそれを聞き入れなかった。

秦の軍勢の少数精鋭化により解雇された兵士たちを哀れに思って、それに反対した秦の元将軍である樊於期が、秦王政に疎まれて燕に亡命してきた。丹がこれを匿う様子を見せたのに対して、鞠武は「樊於期を庇うことは『飢えた虎(秦)の目の前に肉を置く』ようなもの。樊於期を匈奴へと追放した上で、三晋及び斉・楚、匈奴と同盟を結んで対抗すべき」と再び献策したものの、丹は政の非情な政策により命を狙われ、家族までも殺されて、行く宛てもなく秦に追われながら逃げ続けていた樊於期の窮状に哀れみを感じ、この策を退けた。

鞠武から紹介を受けた田光に、丹は秦への対応策を相談したところ、田光より荊軻を頼るように助言を受けた。丹は帰り際、田光へ「今まで話した内容は他言無用」と語ったことに対し、荊軻へ丹からの用向きを伝えた田光は「田光は自害したので、もはや漏れることはない」と荊軻に言い残して自ら命を絶った。これを荊軻より聞いた丹は深く悲しんだ。

丹は、秦王政を暗殺するため荊軻を刺客として、荊軻の説得で自殺した樊於期の首と、秦に割譲すると偽った督亢の地図を持たせ、白い衣装と冠を着て易水の畔まで見送った上で、秦へと派遣した。しかし、荊軻は暗殺に失敗してその場で殺され、一連の事件に対して秦王は紀元前226年に事件の首謀者である丹を追討するために燕へと侵攻、首都薊が陥落した。燕王喜は一時遼東に逃れ、その後に丹を殺してその首を秦に差し出すことで許された。

并州兒 古しへの襄陽歌に「拳鞭問二蔦彊、何如幷州兒幷州」幽幷といつて幷称し、古來豪侠の人を産する處である。并州(へいしゅう)は中国にかつて存在した州。 上古の中国の九州の一つに数えられている。具体的な区域については、『周礼』では「正北」すなわち中原から真北側にあたる地域であるとし、五岳の一である恒山を山鎮とするとしている。

 

少年負壯氣,奮烈自有時。

この貴公子は、若くてもっぱら壮気を恃み時としては、奮発して、随分生命をも捨てかねないというほどの勢いである。

 

因聲魯句踐,爭博勿相欺

そういうことで、逆に、魯勾践の様なものをも殴りつけ、博して道を争う時など、あまり自分だけ偉がって人を圧倒するなと言って一本決めつけるというものだ。

 ならすと蔑む外は兄い、ごなりつけろ。一本に撃とある、なぐりつける。

魯句踐 史記刺客列静にこ「魯勾撰、制御と博して、泣か等ふ。魯勾践、怒って之か叱す。剤封、猷して、逃れ去る。魯勾既、すでに

刑河の婁王和知すむ聞いて、私に日く、ああ惜いか雪その刺創り衝心講ぜざるや。甚し、菅が人を知らざるや。嚢に、菅、これも

叱す、彼、乃ち我を以て人に非すと発きむしとある。

相欺 欺は威圧する、圧倒する。後漢三国州図001

164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

李白《巻05-11 少年子》 彼等は、富貴に任かせ、かかる事をして、自ら快よして居るので、古しへの伯夷叔齊が、義、周の粟を食はずして、首陽山に餓死せし清節などというものは、全く知ろうともしないし、思いも寄らぬ位である。遊侠は、如何に勇ましく見えても、節義といふことを知らぬば、何にもならぬ話で、こういうものには、夷齊の心事を一とおり説き聞かしてやりたいものである。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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164 《巻05-11 少年子》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <164> Ⅰ李白詩1373 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5413

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    少年子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              章臺 (京畿道 京兆府 長安)              

首陽山 (都畿道 河南府 偃師) 別名:西山     

 

 

少年子

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)

青雲年少子,挾彈章臺左。

年なお若き身分の高いことだけを貴ぶという貴公子たちは、豪侠であるのを第一の事とし、章華臺の左のあたりでたむろして、礫を飛ばしている。

鞍馬四邊開,突如流星過。

そこにむらがる鞍馬は、その威風になびいて、さっと四面に開いて路を明け、その貴公子は、騎馬で乗も過ぎて、さながら流星の過ぐるが如くである。

金丸落飛鳥,夜入瓊樓臥。

かくて、昼は金丸を以て飛鳥を打ち落しなどし、夜は家にも歸らずして、娼家に泊り込む。

夷齊是何人,獨守西山餓。

彼等は、富貴に任かせ、かかる事をして、自ら快よして居るので、古しへの伯夷叔齊が、義、周の粟を食はずして、首陽山に餓死せし清節などというものは、全く知ろうともしないし、思いも寄らぬ位である。遊侠は、如何に勇ましく見えても、節義といふことを知らぬば、何にもならぬ話で、こういうものには、夷齊の心事を一とおり説き聞かしてやりたいものである。

 

 (少年子)

青雲の少年子,彈を挾む 章臺の左。

鞍馬 四邊に開き,突として 流星の過ぐるが如し。

金丸 飛鳥を落し,夜は 瓊樓【けいろう】に入って臥す。

夷齊 是れ何人ぞ,獨り 西山の餓を守る。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『少年子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

青雲年少子,挾彈章臺左。

鞍馬四邊開,突如流星過。

金丸落飛鳥,夜入瓊樓臥。

夷齊是何人,獨守西山餓。

(下し文)
(少年子)

青雲の少年子,彈を挾む 章臺の左。

鞍馬 四邊に開き,突として 流星の過ぐるが如し。

金丸 飛鳥を落し,夜は 瓊樓【けいろう】に入って臥す。

夷齊 是れ何人ぞ,獨り 西山の餓を守る。

(現代語訳)
(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)

年なお若き身分の高いことだけを貴ぶという貴公子たちは、豪侠であるのを第一の事とし、章華臺の左のあたりでたむろして、礫を飛ばしている。

そこにむらがる鞍馬は、その威風になびいて、さっと四面に開いて路を明け、その貴公子は、騎馬で乗も過ぎて、さながら流星の過ぐるが如くである。

かくて、昼は金丸を以て飛鳥を打ち落しなどし、夜は家にも歸らずして、娼家に泊り込む。

彼等は、富貴に任かせ、かかる事をして、自ら快よして居るので、古しへの伯夷叔齊が、義、周の粟を食はずして、首陽山に餓死せし清節などというものは、全く知ろうともしないし、思いも寄らぬ位である。遊侠は、如何に勇ましく見えても、節義といふことを知らぬば、何にもならぬ話で、こういうものには、夷齊の心事を一とおり説き聞かしてやりたいものである。

扶風雍州長安003
(訳注)

少年子

(貴公子たちの遊侠の心意気を詠ったもの。)

少年子も、六朝時代から始まった楽府題で、少年の貴盛豪富を写したものである。

 

青雲年少子,挾彈章臺左。

年なお若き身分の高いことだけを貴ぶという貴公子たちは、豪侠であるのを第一の事とし、章華臺の左のあたりでたむろして、礫を飛ばしている。

青雲 身分の高いことを貴ぶことをいう。

挾彈 西京雜記「弾を好み、常に金を以て丸を為し、失うところのもの、日に十余あり」とある。弾は黄金製の小丸で、之を礫として鳥などを打ち落すのである。

章臺 史記楚世家に「霊王七年、章華臺を就す。」とある。臺中に美人を蓄えしに因り、後世娼家の所在地などを称している。

 

鞍馬四邊開,突如流星過。

そこにむらがる鞍馬は、その威風になびいて、さっと四面に開いて路を明け、その貴公子は、騎馬で乗も過ぎて、さながら流星の過ぐるが如くである。

流星過 うまの疾く走ること形容していう。

 

金丸落飛鳥,夜入瓊樓臥。

かくて、昼は金丸を以て飛鳥を打ち落しなどし、夜は家にも歸らずして、娼家に泊り込む。

瓊樓 娼家をさす。

 

夷齊是何人,獨守西山餓。

彼等は、富貴に任かせ、かかる事をして、自ら快よして居るので、古しへの伯夷叔齊が、義、周の粟を食はずして、首陽山に餓死せし清節などというものは、全く知ろうともしないし、思いも寄らぬ位である。遊侠は、如何に勇ましく見えても、節義といふことを知らぬば、何にもならぬ話で、こういうものには、夷齊の心事を一とおり説き聞かしてやりたいものである。

夷齊 伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)のこと。古代中国・代末期の孤竹国(現在地不明、一説に河北省唐山市周辺)の王子の兄弟である。高名な隠者で、儒教では聖人とされる。伯夷が長男、叔斉は三男である。父親から弟の叔斉に位を譲ることを伝えられた伯夷は、遺言に従って叔斉に王位を継がせようとした。しかし、叔斉は兄を差し置いて位に就くことを良しとせず、あくまで兄に位を継がそうとした。そこで伯夷は国を捨てて他国に逃れた。叔斉も位につかずに兄を追って出国してしまった。国王不在で困った国人は次男を王に立てた。

西山 首陽山、史記伯夷傳に「首陽山に陰れ、薇を採って之を食い、餓えて且に死せんとするに及びて歌を作る」とある。

139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168

李白《鳳臺曲》 聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

 

 
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139 《鳳臺曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <139> Ⅰ李白詩1324 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5168

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    鳳臺曲

作地點:              岐山(縣)(京畿道 / 岐州 / 岐山)

及地點:鳳女臺 (京畿道 岐州 岐山) 別名:鳳臺         

 

 

鳳臺曲

(弄玉のことを詠う。)

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

是日逢仙子,當時別有情。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

曲在身不返,空餘弄玉名。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。

 

鳳臺曲

嘗て聞く秦帝の女,鳳凰の聲を傳え得たり。

是の日 仙子に逢う,當時 別に情有り。

人は綵簫を吹いて去り,天は綠雲を借して迎う。

曲在れども 身返らず,空しく餘す弄玉の名。

 

 

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

青鸞不獨去,更有攜手人。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 (鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

 

李白の足跡003 

『鳳臺曲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

鳳臺曲

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

是日逢仙子,當時別有情。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

曲在身不返,空餘弄玉名。

 

(含異文)

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

是日逢仙子,當時別有情。

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

曲在身不返【心在身不返】,空餘弄玉名。

 

(下し文)

鳳臺曲

嘗て聞く秦帝の女,鳳凰の聲を傳え得たり。

是の日 仙子に逢う,當時 別に情有り。

人は綵簫を吹いて去り,天は綠雲を借して迎う。

曲在れども 身返らず,空しく餘す弄玉の名。

 

(現代語訳)

(弄玉のことを詠う。)

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。

 

巫山十二峰002 

(訳注)

鳳臺曲

(弄玉のことを詠う。)

秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

漢の劉向《列仙傳・卷上・蕭史》「蕭史善吹簫,作鳳鳴。秦穆公以女弄玉妻之,作鳳樓,教弄玉吹簫,感鳳來集,弄玉乘鳳、蕭史乘龍,夫婦同仙去。 「弄玉」是秦穆公的女兒,她長得非常漂亮,而且很喜歡音樂,是一個吹簫高手。」(蕭史 善く簫を吹き,鳳鳴く作る。秦の穆公は以て女【むすめ】弄玉を之の妻とす,鳳樓を作り,弄玉に簫を吹くを教え,感じて鳳 來り集り,弄玉 鳳に乘り、蕭史 龍に乘る,夫婦 同に仙に去る。 「弄玉」是れ秦の穆公の女兒なり,她長 非常漂亮を得て,而して且つ音樂を喜歡する很【あらそ】う,是れ一個 簫を吹く高手なり。)

○鳳臺曲 楽府詩集に梁の武帝、上雲楽七曲を製していて其一を鳳臺曲としている。李白はこれに擬した。

 

嘗聞秦帝女,傳得鳳凰聲。

聞くところによれば、かつて秦の穆公の娘の弄玉はたくみに玉簫を吹いて、鳳凰のまねたという。

秦帝女 秦帝は、秦の穆公のこと。秦帝女 穆公の娘、弄玉。

 

是日逢仙子,當時別有情。

それより前のころに、仙子である蕭史に出会ったのであるが、その時に一目ぼれしたという。

仙子 蕭史のこと。

別有情 情思纏綿たるものがあったこと。たがいに一目ぼれをした。

 

人吹綵簫去,天借綠雲迎。

こうして二人は飾って綺麗な簫玉を吹いて、仙界に上った。天は綠雲をお迎えに出してきて、これを借りて昇ったのだ。

綠雲迎 途中まで蕭史は龍に乗り、弄玉は鳳凰に乗っていき、途中から綠雲を借りて二人で乗り換えて行った。

 

曲在身不返,空餘弄玉名。

かくて、玉簫の曲は、今に至って伝わっているが、人は再び帰ることはなく、ただ、弄玉という名前だけを余しているのだ。
岳陽樓詩人0051 

138 《鳳凰曲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 <138> Ⅰ李白詩1323 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5163

李白《鳳凰曲》(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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年:730年開元十八年30

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詩題:    鳳凰曲

作地點:              岐山(縣)(京畿道 / 岐州 / 岐山)

及地點:              鳳女臺 (京畿道 岐州 岐山) 別名:鳳臺         

 

 

鳳凰曲

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

青鸞不獨去,更有攜手人。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

 (鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

bijo01 

 

『鳳凰曲』 現代語訳と訳註解説

(本文)

鳳凰曲

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

青鸞不獨去,更有攜手人。

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

 

(下し文)

(鳳凰曲)

嬴女【えいじょ】玉簫を吹き,吟弄す 天上の春。

青鸞 獨り去らず,更に手を攜える人有り。

影は滅して 彩雲斷え,遺聲 西秦に落つ。

 

(現代語訳)

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

 

(訳注)

鳳凰曲

(蕭史弄玉二人が鳳凰に乗って仙界に上ったということからこの詩を作った。)

教坊曲の基本になったもの。漢の劉向《列仙傳・卷上・蕭史》「蕭史善吹簫,作鳳鳴。秦穆公以女弄玉妻之,作鳳樓,教弄玉吹簫,感鳳來集,弄玉乘鳳、蕭史乘龍,夫婦同仙去。 「弄玉」是秦穆公的女兒,她長得非常漂亮,而且很喜歡音樂,是一個吹簫高手。」(蕭史 善く簫を吹き,鳳鳴く作る。秦の穆公は以て女【むすめ】弄玉を之の妻とす,鳳樓を作り,弄玉に簫を吹くを教え,感じて鳳 來り集り,弄玉 鳳に乘り、蕭史 龍に乘る,夫婦 同に仙に去る。 「弄玉」是れ秦の穆公の女兒なり,她長 非常漂亮を得て,而して且つ音樂を喜歡する很【あらそ】う,是れ一個 簫を吹く高手なり。)

 

嬴女吹玉簫,吟弄天上春。

秦の穆公の娘の弄玉は玉簫を吹くことを学び、だんだん上手になって、此れを吹くことによって天上に春が満ちたような思いがする。

○嬴女 嬴は秦の姓、善吹とは秦の穆公の娘の弄玉をいう。蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。

杜甫『鄭駙馬宅宴洞中』

主家陰洞細煙霧,留客夏簟青瑯玕。

春酒杯濃琥珀薄,冰漿碗碧瑪瑙寒。

悞疑茅屋過江麓,已入風磴霾雲端。

自是秦樓壓鄭穀,時聞雜佩聲珊珊。

鄭駙馬宅宴洞中 杜甫

秦の穆公に女があり弄玉といったが、弄玉は簫の名人の蕭史を愛した。穆公は之を妻わしたところ、二人は日々楼上に於て簫を吹き鳳の鳴くが如くであったが、ある日鳳がやって来てその屋に止まり、夫妻はともにその鳳に随って飛び去った。秦楼とは弄玉のすむ楼をいい、臨晋公主の居楼に比する。

 

青鸞不獨去,更有攜手人。

こうして、仕舞に鳳凰に乗じて仙界に昇ったが、ひとりで去ったのではなく、その夫、蕭史と手を携えていったのである。

○青鸞 希望を持った鳳凰。

 

影滅彩雲斷,遺聲落西秦。

それから、その影が見えなくなり、五色の彩雲も消えてしまったが、その玉簫の遺聲だけはこの西秦の地、岐山におちて鳳女臺として今に伝える。

○西秦 岐山、鳳女臺、別名を鳳臺という地点のこと。

 

 太白山00

 

 

 

 

 

 

 

 

○共乘雙飛鸞 秦の穆王の弄玉と蕭史は二人道を得、鳳凰に乗って飛び去った。

蕭史という蕭(管楽器)の名人が居た。その音色は鳳凰の鳴き声の様であった。弄玉もまた蕭を吹くので、穆公は二人を結婚させた。何年も経った後に弄玉の吹奏も鳳の声のようになり、鳳凰が来てその家に止まった。江淹「畫作秦王女乘鸞向煙霧。」とある。

『玉臺観二首其一』にものべる。

弄玉之を喜ぶ:秦の穆公の女の弄玉を妻にした。鳳樓を作り,弄玉に吹簫を教えた,鳳と感ぜられ來集す,弄玉は鳳に乘り、蕭史は龍に乘って,夫婦同じく仙に去る。

 ... 秦穆王有一女,名弄玉,善吹,一日梦一英俊青年戴羽冠、披氅、,由天而降,自称为华山之主,要娶弄玉。

 

 李白図102

 

 

玉台觀 二首 之一

中天積翠玉台遙,上帝高居絳節朝。

遂有馮夷來擊鼓,始知嬴女善吹簫。

江光隱見黿鼉窟,石勢參差烏鵲橋。

更肯紅顏生羽翼,便應黃發老漁樵。

(玉台観 二首其の一)

中天 積翠 玉台逢かなり、上帝の高居 経節朝す。

遂に馮夷【ひょうい】の来たって鼓を撃つ有り、始めて知る嬴女【えいじょ】の善く寮を吹くを。

江光 隠見す黿鼉【げんだ】の窟、石勢 参差たり烏鵲橋【うじゃくきょう】。

更に肯て 紅顔羽翼を生ぜんや、便ち 応に黄髪 漁樵に老ゆべし。

(滕王のたてた玉台観の佇まいを述べる。)

山の中腹から頂上まで木が鬱蒼と茂っていて、空の真ん中に届かんばかり高く玉台観がはるかにみえる。ここは上帝の住居せられる高地であって、もろもろの仙官が経節をたてて参朝にくる。

いろいろなやつがくるが遂には「洛神賦」にいう馮夷という河伯が来て太鼓をうつし、また弄玉のような仙女が上手に簫を吹くというのもここ玉臺観なればこそとはじめて知られるのである。

この山に立つ観の上からみわたすと江の水のてるところ黿鼉の窟が見えがくれしたりしている、石が互い違いにならんで七夕の日に烏鵲が造ったという橋にもみまがうようにみえる。

自分はすこし慾張ったことをいうが、更にもし自分が紅顔であって羽翼がからだに生えるようになることができぬものだろうか。できるというのなら、甘んじてこの黄髪の老体をもってこの山間の漁礁とまじって隠遁してゆくであろう。

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132 《長相思【寄遠】,二首之一》Index- 9Ⅱ―4-729年開元十七年29歳 <132> Ⅰ李白詩1315 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5123

 

 

729年 開元十七年 29

76

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,

730年 開元十八年 30

81

長相思

長相思,

731年 開元十九年 31

115

長相思【寄遠】,二首之二

美人在時花滿堂,

 

 

 

年:729年開元十七年29

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    長相思【寄遠】,二首之一

 

 

長相思【寄遠】,二首之一

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

今成流淚泉。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

 

(長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

花蕊原画00 

 

『長相思,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)

長相思【寄遠】,二首之一

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。【昔時橫波目】。

今成流淚泉。

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

 

(下し文)

(長相思,二首之一)

日色 已に盡きて 花は煙を含む,月明 素ならんと欲して愁て眠らず。

趙瑟 初めて停む鳳凰の柱,蜀琴 奏せんと欲す 鴛鴦の弦。

此曲 意有れども人の傳うる無し,願くば 春風に隨って燕然に寄せん。

君を憶えば迢迢として青天を隔ち,昔日 橫波の目。

今は流淚の泉と成る。

妾の腸斷つを信ぜざれば,歸り來って明鏡の前へ看取せよ。

 

(現代語訳)

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

oushokun01 

 

(訳注)

長相思【寄遠】,二首之一

(久遠の辞、行人久寿戍、書を寄せて思うところをおくる。夜着の中には「長相思」の綿をつめて、縁のかざりは「結不解」のかがり糸にして、固く結んで解けぬ意をもたせるという女の気持ちを詠う。)

漢の無名氏《古詩十九首之十八首》

客從遠方來,遺我一端綺。

相去萬餘里,故人心尚爾。

文彩雙鴛鴦,裁為合歡被。

著以長相思,緣以結不解。

以膠投漆中,誰能別離此?

客遠方より乗り、我に一端の綺を遣る。

相去ること萬餘里なるも、故人の心 尚ほ爾り。

文彩は雙鴛鴦、裁ちて合歓の被と為す。

著するに長相思を以てし、縁とるに結不解を以てす。

膠を以て漆中に投ぜば、誰か能く此を別離せん。、

 

日色已盡花含煙,月明欲素愁不眠。

夕日の影は、既に薄らぎ、花は薄靄を含んでほの暗く、一日中重い尽くしても、猶お足らないままに、夜になって、月が白くさえわたるころになってもまだ眠りにつかないのです。

月明欲素愁不眠 明月は昇りはじめは赤みを帯び、真上に来るころには城に変わり西に降りる頃は城の平坦なものに変化する。ここは月がそうして変化するのを眠らないで見ているということをいう。

 

趙瑟初停鳳凰柱,蜀琴欲奏鴛鴦弦。

この愁いを除くため、まず、趙の瑟琴を爪弾くが柱には、鳳凰の累鈿模様があり、次に蜀の琴には鴛鴦の絃でもって演奏したいと思っているのです。

趙瑟 趙の指瑟で絃の数が五十四本と多い。戰國時趙國に流行した楽器である。鳳凰柱 鳳凰の累鈿模様。あるいは、鳳凰の曲かもしれない。

蜀琴 漢 蜀郡漢 蜀郡 相如がつくった琴。卓文君のの逸話にあるように鴛鴦の様な夫婦であることを意味する。

鴛鴦弦 雌雄をあらわす絃と張り方と配色でこの名称となる。あるいは、鴛鴦の曲かもしれないが、夫唱婦随ということを北の国境に行っている夫に伝えたいということ。

 

此曲有意無人傳,願隨春風寄燕然。

この瑟の曲の意味はあなたにはわかるだけで、ほかのだれにも伝わらないのです。だから、東南風の春風にしたがって、北の守りに行っている夫のいる燕然山のほうにむかって、鳳凰の比翼となり、鴛鴦の双棲となりたいと願う気持ちを送りたいのです。

燕然 李広利弐師将軍率いる漢軍が 燕然山で塹壕を掘り、塁壁を築いて野営していたある夜、匈奴の軍は突然おし寄せたという北の匈奴と戦う最前線をいう。

 

憶君迢迢隔青天,昔日橫波目。

それなのに、あなたは、迢迢としてそこまで広がる晴天を隔てていていつ帰るかわからない。昔と、同じように瑟琴をひいて、鳳凰のように寄り添い、鴛鴦のように契を交わし、演奏しながらあなたに、流し目を送ったのが昨日のようです。

橫波目 色目を使うこと。ながしめ。

 

今成流淚泉。

その目に今は、涙がいずみのように流れ落ちてしまっています。

 

不信妾腸斷,歸來看取明鏡前。

妾が常に断腸の思いでいること信じてもらえないならば、ここに帰って来たときに明鏡の前の涙の痕を確認できるから、その時は妾の気持ちを理解して可愛がってください。

128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098

李白《秋思》(秋の寂しげな思いを述べたもの)長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

 
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128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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128 《秋思》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 春陽如昨日,<128> Ⅰ李白詩1310 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5098

 

 

Index-

8

Ⅱ― 3-728年開元十六年28

7

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

128

69

1

古風,五十九首之二十六

碧荷生幽泉,

巻一

129

70

2

古風,五十九首之二十七

燕趙有秀色,

巻一

130

71

3

古風,五十九首之五十二

青春流驚湍,

巻一

131

72

4

秋思

春陽如昨日,

巻五

132

73

5

贈僧行融

梁有湯惠休,

巻十一

133

74

6

黃鶴樓送孟浩然之廣陵

故人西辭黃鶴樓,

巻十四

134

75

7

感興,六首之五〔集本八首,二首與古風同,前已附註,不重錄。〕

西國有美女,

巻二十三

 

年:       728年開元十六年28

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    秋思

 

 

191        巻五                   

秋思

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

192        巻五                    李白43743年天寶二年作

春思

燕草如碧絲。 秦桑低綠枝。

 當君懷歸日。 是妾斷腸時。

春風不相識。 何事入羅幃。

                                         

193        巻五                    李白43743年天寶二年作

秋思

燕支黃葉落。 ( 燕支一作閼氏 ) 妾望白登台。 ( 白一作自 )

海上碧云斷。 ( 海上一作月出 ) 單于秋色來。 ( 單于一作蟬聲 ) 胡兵沙塞合。 漢使玉關回。 征客無歸日。 空悲蕙草摧。

 

 

 

『秋思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

秋思

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

 

(下し文)

(秋思)

春陽 昨日の如く,碧樹に黃鸝を鳴かしむ。

蕪然たる蕙草は暮,颯爾として涼風は吹く。

天は秋にして木葉下り,月は冷やかにして 莎雞 悲しむ。

坐ろに愁う 群芳歇み,白露 華を凋まして滋きを。

 

(現代語訳)

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

 

 

(訳注)

秋思

(秋の寂しげな思いを述べたもの)

琴操商調 秋思 樂府

春陽如昨日  碧樹鳴黃
蕪然蕙草暮  颯爾涼風
天秋木葉下  月冷莎雞
坐愁群芳歇  白露凋華

○○△●●  ●●○○○

○○●●●  ●●△△△

○○●●●  ●△○○○

●○○○●  ●●○△○

 

春陽如昨日,碧樹鳴黃鸝。

長閑な日和がつい昨日のように思われるが、同じように鶯が碧樹で春を告げてくれたこともそうである。

黃鸝 高麗鶯。杜甫『大雲寺贊公房四首其一』「黃鸝度結構,紫鴿下罘

大雲寺贊公房四首其一#2 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 165#2

 

蕪然蕙草暮,颯爾涼風吹。

しめやかに、蕙草の香りは蕪然として既に移ろい、涼風が颯颯として吹いて、香りを運んでくる。

蕪然 草木が有れ茂れるさま。

 

天秋木葉下,月冷莎雞悲。

そして、秋は天高く澄みわたり、落葉が雨の如く、はらはらと散り落ちていて、夜になって月は冷ややかに照りキリギリスの声が悲しげに聞こえる。

木葉下 岸の木の葉が頻りに散っている。《楚辞·九歌·湘夫人》嫋嫋兮秋,洞庭波兮木葉下。

莎雞 キリギリス。

 

坐愁群芳歇,白露凋華滋。

そうして秋は深まって、群芳はすでに散り果て、白露は花を凋ませて、霜露の花は滋るのである。

群芳歇 

白露凋華滋 白露は花を凋ませて、霜露の花は滋る。

122 《靜夜思(静夜思)》Index-7 Ⅱ―2 727年開元十五年27歳 6首 <122> Ⅰ李白詩1302 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5058

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安陸を中心に35歳まで約十年遊ぶ。

年:727年開元十五年27

卷別:    卷一六五              文體:    樂府
李太白集 巻五 

詩題:    靜夜思

 

 

靜夜思

床前看月光,疑是地上霜。

舉頭望山月,低頭思故

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 

(bijo04靜夜の思い)

床前に月光を看る,疑うらくは是れ 地上の霜。

頭を舉げて山月を望み,頭を低れて故思う

 

 

『靜夜思』 現代語訳と訳註解説

(本文)

靜夜思

床前看月光,疑是地上霜。

舉頭望山月,低頭思故

 

(下し文)

(靜夜の思い)

床前に月光を看る,疑うらくは是れ 地上の霜。

頭を舉げて山月を望み,頭を低れて故を思う。

 

(現代語訳)

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

 

 

(訳注)

靜夜思

(明月が昇ると静かな物思いにふける夜が始まる)

六朝からは始まった楽府で、最も簡単なものである。

漢詩の古体の一。巷間から採集し、保存した歌謡、およびそれを模して作られた詩の一体。長句・短句の交錯する自由な詩形により、祭儀から日常生活に至る広範囲な題材を扱い、多くは楽器に合わせて歌った詩の題目・形式をまねて作った、伴奏を伴わない詩。唐代に流行。

 

床前看月光,疑是地上霜。

月が昇ると寝牀にまで名月の光が射しこんでくる、庭を清く照らすのが、地上に霜を降らせたのかと見間違えてしまうほど素晴らしい月夜である。

床前 ベッド先。ベッドの前。ベッドの上。 

疑是 疑うには。疑うことには。疑はしいことには。本来は、動詞、形容詞。 ・是:名詞(句)の後に附く。それ故、「疑是地上霜」は、「『疑』ふことには『地上霜』である」になり、「疑」の部分の読みは名詞化して、伝統的に「『疑ふ』らく」としている。漢語語法に合致した正確な読みである。 

地上霜 地上に降りた霜。月光に照らされているところの表現描写である。この二句は、清らかな名月であることをいう。

 

舉頭望山月,低頭思故

庭を見て、ゆっくりと頭をあげると月が山の端の上にあるのを眺めやる。こんな月を見ると故郷の峨嵋山にかかる月を思い出すと頭をうなだれてしまうのだ。

○山月 山の端に出た月。この月が故郷を思い出す月であった。山の端のシルエットは女性の寝姿といわれる。《峨眉山月歌》を思い浮かべ、故郷を思うのである。
李白の足跡003 

峨眉山月歌

峨眉山月半輪秋,影入平羌江水流。

夜發清溪向三峽,思君不見下渝州。

(峨眉山にかかる名残の月を見ての詩)

はじめ、夜になって舟に乗った時に、峨眉山にかかる秋の上半輪の名残の秋月は、月のひかりは平羌の江水に反対に映ってきらきらと流れゆく。
さらに夜中にも両岸の絶壁の高く天を遮り、清渓駅を出発、船をすすめ、三峡にむかうけれど、あの美しい君の眉の様な月をもっと見続けていたいと思うが、船が下ると山の端に隠れてる間に船は渝州にくだり到着した。

(峨眉山月の歌)

峨眉 山月  半輪の秋、影は平羌【へいきょう】の江水に入って流る。

夜  清渓【せいけい】を発して三峡に向かえば、君を思えども見えず  渝州【ゆしゅう】に下る。

76 《峨眉山月歌》ndex-4 1-4 724年開元十二年24歳から 岷山で小鳥と暮らし、峨嵋山で遊ぶ 24歳 3 首 <76> Ⅰ李白詩1241 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4753

103 《估客行【估客樂】》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》 <103> Ⅰ李白詩1275 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4923

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

 
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103 《估客行【估客樂】》李白index- 6 726年開元十四年26歳》 <103> Ⅰ李白詩1275 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4923

 

 

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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    估客行〔估客樂〕

作地點:              揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海

 

 

估客行

(揚州でみた舟行商人のことを詠じたもの)

海客乘天風,將船遠行役。

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

譬如雲中鳥,一去無蹤跡。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のように、ひとたび飛んで行ってしまったらその蹤跡は杳として分からない。

(估客行)

海客 天風に乘り、船を將って遠く行役す。 

たと】えば 雲中の鳥の如し、 一去して 蹤跡【しょうせき】無し。

 

南池江 採蓮002 

『估客行』 現代語訳と訳註

(本文)

估客行

海客乘天風,將船遠行役。

譬如雲中鳥,一去無蹤跡。

 

(下し文)

(估客行) 

海客 天風に乘り、船を將って遠く行役す。 

たと】えば 雲中の鳥の如し、 一去して 蹤跡【しょうせき】無し。

 

(現代語訳)

(揚州でみた舟行商人のことを詠じたもの)

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のように、ひとたび飛んで行ってしまったらその蹤跡は杳として分からない。

李白図102

(訳注)

估客行 〔估客樂〕

(揚州でみた舟行商人のことを詠じたもの)

〔估客樂〕六朝期、江南地方において行われた曲名で舟行商人のことを詠じたもの

估客 旅商人。 ○行 うた。

作地點:揚州 江蘇省にかつて存在した州。現在の揚州市に相当する。揚州 (江蘇省) -江蘇省に南北朝時代、陳により短期間設置された州。妓女の街としての揚州は大都市の妓女の生活も、長安により近かった。揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っている。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。

 

海客乘天風。 將船遠行役。 

舟行商人は天風に乘って、船に帆を張り、勢いよく、喜び勇んで遠くに行商に行ってしまった。

○海客 船に乗る人。

○行役 用事で旅行すること。 

 

譬如雲中鳥。 一去無蹤跡。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のように、ひとたび飛んで行ってしまったらその蹤跡は杳として分からない。

○蹤跡 あしあと。ゆくえ。

 

a謝霊運永嘉ルート02 

 

 

 

 

 

海客乘天風。 將船遠行役。 

譬如雲中鳥。 一去無蹤跡。

 

行商人は 天風に乘って、船で遠くに行商する。

まるで雲の中へ飛んでいる鳥のようだ、 ひとたび飛んで行ってしまったらどこに行ったか分からない。

102 《淥水曲》李白index- 6 《726年開元十四年26歳》<102> Ⅰ李白詩1274 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4918

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102 《淥水曲》李白index- 6 726年開元十四年26歳》<102> Ⅰ李白詩1274 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4918

 

 

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年:726年開元十四年26

卷別:    卷一六五              文體:    樂府

詩題:    淥水曲

 

 

淥水曲

淥水明秋月,南湖採白蘋。

荷花嬌欲語,愁殺蕩舟人。

(女子が南湖の白蘋を采るにあたって荷花に媚びて語らんとするのを見て、妬ましげな心を生じたいという趣を詠ったもの)

清らかな水に 秋の日が明るく差し込み、天は晴れ、風は静かな日で、南湖に 白蘋を采りにでかけて花を摘む。

蓮の花は真っ盛りで、あでやかに嬌なまめかしく物言いたげであり、舟を漕いできた男は、女たちにこれ以上堪えられないと愁いの念を起した。

 

李白図102 

『淥水曲』 現代語訳と訳註

(本文)

淥水曲

淥水明秋月,南湖採白蘋。

荷花嬌欲語,愁殺蕩舟人。

(含異文)

淥水明秋月【淥水明秋日】,南湖採白蘋。

荷花嬌欲語,愁殺蕩舟人。

 

(下し文)

(淥水曲りょくすいきょく)

淥水秋日に明らかに、南湖  白蘋を採る。

荷花  嬌として語らんと欲す、愁殺【しゅうさつ】す 蕩舟【とうしゅう】の人。

 

(現代語訳)

(女子が南湖の白蘋を采るにあたって荷花に媚びて語らんとするのを見て、妬ましげな心を生じたいという趣を詠ったもの)

清らかな水に 秋の日が明るく差し込み、天は晴れ、風は静かな日で、南湖に 白蘋を采りにでかけて花を摘む。

蓮の花は真っ盛りで、あでやかに嬌なまめかしく物言いたげであり、舟を漕いできた男は、女たちにこれ以上堪えられないと愁いの念を起した。

 

南池江 採蓮002 

(訳注)

淥水曲          

(女子が南湖の白蘋を采るにあたって荷花に媚びて語らんとするのを見て、妬ましげな心を生じたいという趣を詠ったもの)

淥水 澄んだ川や湖。詩の趣旨は「採蓮曲」と同じ。

淥水曲 古代の琴曲。

 

淥水明秋日、南湖採白蘋。

清らかな水に 秋の日が明るく差し込み、天は晴れ、風は静かな日で、南湖に 白蘋を采りにでかけて花を摘む。

南湖 という湖は江南のどこかにあるもので特定はげきないようだ。

白蘋 水草の名。四葉菜、田字草ともいう。根は水底から生え、葉は水面に浮き、五月ごろ白い花が咲く。白蘋摘みがはじまるころには、蓮の花も咲いている。

 

 

荷花嬌欲語、愁殺蕩舟人。

蓮の花は真っ盛りで、あでやかに嬌なまめかしく物言いたげであり、舟を漕いできた男は、女たちにこれ以上堪えられないと愁いの念を起した。

愁殺 殺はこれ以上なというような助詞として用いられている。前の句に「荷花:蓮の花があでやかで艶めかしく物言いたげ」な思いに対して、「船を動かす娘たちのこれ以上耐えられない思い」を対比させている。この詩の主張はここにある。これを理解するためには西施の物語を知っておかないといけない。

a謝霊運永嘉ルート02a謝霊運永嘉ルート02 

 越王勾践(こうせん)が、呉王夫差(ふさ)に、復讐のための策謀として献上した美女たちの中に、西施や鄭旦などがいた。貧しい薪売りの娘として産まれた西施(施夷光)は谷川で洗濯をしている素足姿を見出されてたといわれている。策略は見事にはまり、夫差は彼女らに夢中になり、呉国は弱体化し、ついに越に滅ぼされることになる。

 「あでやかな物言いたげな」は西施たちを意味し、同じように白蘋を取る娘たちも白い素足を出している。娘らには、何も魂胆はないけれど見ている作者に呉の国王のように心を動かされてしまう。若い娘らの魅力を詠ったものである。(当時は肌は白くて少し太めの足がよかったようだ)

 李白に限らず、舟に乗って白蘋(浮き草)を採る娘たちを眺めるのは、とても素敵なひとときだったであろう。

李太白―(5) 《李白詩全集 卷五 (樂府三十八首) 》 Ⅰ李白詩1120 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4148

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李白詩INDEX05李太白―(5) 《李白詩全集 卷五 (樂府三十八首)  》 Ⅰ李白詩1120 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4148
李白図102

167李白詩全集 卷五 (樂府三十八首)  
167初句
168巻五 發白馬 將軍發白馬。 
169巻五 陌上桑 美女渭橋東。 
170巻五 枯魚過河泣 白龍改常服。 
171巻五 丁都護歌 ( 都一作督 ) 云陽上征去。 
172巻五 相逢行 朝騎五花馬。 
173巻五 千里思 李陵沒胡沙。 
174巻五 樹中草 鳥銜野田草。 
175巻五 君馬黃 君馬黃。 我馬
176巻五 擬古 融融白玉輝。 
177巻五 折楊柳 垂楊拂綠水。 
178巻五 少年子 青云年少子。 
179巻五 紫騮馬 紫騮行且嘶。 
180巻五 少年行二首 其一五陵年少金市東
181巻五 少年行二首 其二 銀鞍白鼻(騧)
182巻五 白鼻(騧)胡風吹代馬。 
183巻五 豫章行 沐芳莫彈冠。 
184巻五 沐浴子 金花折風帽。 
185巻五 高句驪 床前明月光。 
186巻五 靜夜思 淥水明秋日。 
187巻五 淥水曲 嬴女吹玉蕭。 
188巻五 鳳凰曲 嘗聞秦帝女。 
189巻五 鳳台曲 從軍玉門道。 
190巻五  從軍行 春陽如昨日。 
191巻五  秋思 燕草如碧絲。 
192巻五  春思 燕支黃葉落。 
193巻五  秋思 秦地羅敷女。 
194巻五 子夜歌 ( 一作子夜四時歌 ) 春歌 鏡湖三百里。 
195巻五 子夜歌 ( 一作子夜四時歌 ) 夏歌 長安一片月。 
196巻五 子夜歌 ( 一作子夜四時歌 ) 秋歌 明朝驛使發。 
197巻五 子夜歌 ( 一作子夜四時歌 ) 冬歌 松子棲金華。 
198巻五  對酒行 海客乘天風。 
199巻五  估客行 ( 行一作樂 ) 閨里佳人年十余
200巻五  搗衣篇 君不見淮南少年
201巻五  少年行 ( 此詩嚴粲云是偽作 ) 桃李待日開。 
202巻五  長歌行 愿隨春風寄燕然
203巻五  長相思 朝作猛虎行。 
204巻五  猛虎行 ( 此詩蕭士(贇)云是偽作 ) 古來有棄婦。 
205巻五  去婦詞 ( 一作顧況詩 ) 擊筑飲美酒。 
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