漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷七

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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744年年44歳-17李太白集277巻七45懷仙歌  431Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-17【56首】Ⅰ李白詩1807 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。
(仙人を懐って作った歌である)  

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

李太白集 卷七45

懷 仙 歌

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7575

Index-24  744年天寶三年44歳 56-17

431 <1000

 

 

 

-379-277巻七44 懷仙歌  (一鶴東飛過滄海,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

167_09

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

45

 

 

詩題:

懷仙歌

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

 

 

全唐詩 卷167_9 《懷仙歌》李白 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。 

巨鼇莫戴三山去,我欲蓬萊頂上行

 

 

李太白集 277巻七45《懷仙歌》

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

 

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

 

李白集 懷仙歌(卷八(一)五七六)

   懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

士贇曰 山海經「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」

此詩 「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」

「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。

末句、其拳拳安史之滅宗社之安、或者、用我乎。身、在江海、心、存魏闕。白有之矣。

李太白集注巻八       錢塘 王𤦺 撰

 

李太白集註 277巻七45《懷仙歌》

  懷胡本/作憶仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚、自餘囂囂直繆本/作嚚嚚/可輕。

巨鼇莫載許本/作戴三山去、我一作/欲蓬萊頂上行。

《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。

《楚辭》「望美人兮、未來臨風/怳兮浩歌、巨鼇事見四巻註

李太白集分類補註巻八    宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

一鶴東飛過滄海、放心散漫知何在。

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人浩歌望我來、應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜之事不足驚、自余囂囂直可輕。 

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

巨鰲莫戴三山去、我欲蓬萊頂上行。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

 

(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

 

『懷仙歌』現代語訳と訳註解説
(
本文)

懷仙歌

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。

(下し文)
(仙を懷うの歌)

一鶴 東に飛んで 滄海を過ぐ,放心 散漫 知る何くにか在る?

仙人 浩歌して 我が來るを望む,應に攀玉樹を長く相い待つべし。

堯舜の事 驚くに足らず,自餘 囂囂 直ちに輕んず可し。

巨鰲 三山を載いて去る莫れ,我 蓬萊の頂上に行かんと欲す。

(現代語訳)
懷仙歌(仙人を懐って作った歌である)

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

秦嶺山脈終南山
(訳注) 

懷仙歌

(仙人を懐って作った歌である)

1 歌 古題ではなく、新しい題で、詩の雰囲気は樂府に近いもの、いわば準樂府というべきものを李太白集“巻六、巻七”に集められた詩のカテゴリー『歌吟』とされたものを言う。語調になんとなく「旅情」をかんじさせるものはこの範疇に入っているようだ。

 

一鶴東飛過滄海,放心散漫知何在?

一羽の鶴は、東に飛んで、滄海を過ぎ、北海中の島にむかう、しかし、翺翔自在であるがうえに、その放心散漫としているだけに、一つところに留まることはない。

2 一鶴東飛 一鶴は自分のたとえである。長安追放で李白は東に向かったのである。蕭士贇は此の詩の解説をつぎのようにのべている。「太白、睠顧宗國、繫心君王、冀復進用之作也。」(太白、宗國を睠顧し、心は君王に繫け、復た進用されんことを冀【こいねが】うの作なり。)と。続いて、「一鶴 自、比仙人君、玉樹比爵位。時、肅宗、即位于靈武、明皇就遜位、時物議有非之者。太白豪俠曠達之士、亦曰 法堯禪舜自古有之、何足驚怪彼為是囂囂者不知古今直可輕也。」(一鶴は自ら、仙人は君に比し、玉樹は爵位に比す。時に、肅宗、靈武において即位し、明皇就いて位を遜り、時に物議 之を非とする者有り。太白は、豪俠 曠達の士なり、亦た曰く 堯の舜に禪るに法り、古えより之れ有り、何ぞ驚怪するに足らんや 彼 是れの為に囂囂たる者、古今を知らず、直ちに輕んず可きなり。

3 滄海 《十洲記》「滄海島在北海中、地方三千里、去岸二十一萬里、海四面、繞島、各廣五千里、水皆蒼色、仙人、謂之滄海也。」(滄海島は、北海中に在り、地方三千里、岸を去ること二十一萬里、海四面、島を繞る、各おの廣さ五千里、水 皆 蒼色なり、仙人、之を滄海と謂うなり。

 

仙人浩歌望我來,應攀玉樹長相待。

仙人は、浩歌して我れが来ることを望んでおり、玉樹の枝を攀じ、青天を翹望して、じっと待って居ることであろう。

4 浩歌 声高らかに歌うこと。《楚辭、九歌第二 (六)少司命》「望美人兮未來臨風怳兮浩歌。」(美人を望めどもいまだ来らず、風に臨んで怳として浩歌す。)唐杜甫《玉》「来藉草坐,浩歌泪盈把。」(憂え来って草を藉きて坐す 浩歌涙把に盈つ。) 玉華宮 ② 杜甫 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ 杜甫特集700- 206

5 玉樹 《山海經》「崑崙之墟北有珠樹及玉樹玕琪樹。」(崑崙の墟は北に珠樹、及び玉樹、玕琪樹が有る。)王嘉《拾遺記》「崑崙山第六層有五色玉樹,蔭霸五百里。」(崑崙山、第六層、五色の玉樹り有,蔭霸 五百里なり。

 

堯舜之事不足驚,自餘囂囂直可輕。

堯舜禅譲は、後の王室の継承に良い事例となり、それは、少しも驚くに足らぬことであるが、とかく、俗人どもは、そうした、聖天子の崇高な禅譲に対しても、がやがややかましくちょっかいをだしていることなどは、直ちに輕んじて、聞き棄てにしてしまえば善い。

6 堯舜之事 『史記』に「孝子の名が高かった舜を民間から取り立て、やがて帝位を禅譲した。舜は禹以下の臣をよく用いて天下を治め、特に治水などの功績のすぐれた禹に、やはり帝位を禅譲した。」ことをいう。

7 囂囂 多くの人が口やかましく騒ぐさま。また、やかましく騒ぎ立てて収拾がつかないさま。「喧喧」「囂囂」はともに、やかましいさま。騒がしいさま。

 

巨鰲莫載三山去,我欲蓬萊頂上行。
聞けば、巨鰲は其の甲羅に三山を戴いて居るというが、そのまま、どこかへいって仕舞うとなると、ちょっと固まってしまうので、われは、今、その仙郷の蓬莱の頂上に向って飛んでゆこうと思っているのから、そこにいくまでの間、しばらく、一つところにとどまって居てほしいと思っている。

8 巨鰲 巨鰲はうみがめ。杜甫「兵氣回飛鳥,威聲沒巨鰲。」(兵気 飛鳥を回えす、威声 巨鰲を没せしむ。)安禄山が200㎏とも250㎏といわれおなかが床に付きそうなくらいに肥満であったという。それ以来、叛乱軍の魁(かしら)をたとえていう。巨鰲はよい喩えには使われない。

9 三山・蓬萊 古代において,海上にあると信じられた伝説上の3つの山。『史記』封禅書などによれば,蓬莱 (蓬莱山 ) ,方丈,瀛州 (えいしゅう) の三山をさし,山東省東北沿岸から渤海にかけて浮ぶ島と伝えられていたが,前2世紀頃になると,南に下って,現在の黄海の中にも想定されていたらしい。
大明宮の圖003 

224 《巻7-43 赤壁歌送別》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <224> Ⅰ李白詩1464 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5868

赤壁歌送別》李白(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

 

 
 2015年4月19日の紀頌之5つのBlog 
 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六七              文體:    七言律詩

詩題:    赤壁歌送別

作地點:              蒲圻(江南西道 / 鄂州 / 蒲圻)

及地點:              赤壁 (江南西道 鄂州 蒲圻)              

 

 

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。【君去滄江弄澄碧】

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。

 

(赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

 

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『赤壁歌送別』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

赤壁歌送別

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。【君去滄江弄澄碧】

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。


(下し文)
(
赤壁の歌 送別)

二龍爭戰 雌雄を決し,赤壁の樓船 地を掃うて空し。

烈火 天に張って 雲海を照し,周瑜 此に於て曹公を破る。

君は去って 滄江 澄碧を望めば,鯨鯢 唐突にし 餘跡を留む。

一一 書 來って故人に報ぜよ,我 之に因って 心魄を壯にせんと欲す。

(現代語訳)
(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。



(訳注)

赤壁歌送別

(友人が江夏付近で遊ぶというので、その血とそんなに離れていない赤壁があるというのでこの詩を作って送別の詩とした。)

赤壁の古戦場と伝えられる場所は、長江・漢水沿いに数カ所存在し、その是非については現在も議論があるが、有名なものは二箇所ある。

現在の湖北省蒲圻市(現:赤壁市)西南の長江南岸に位置する赤壁山である。ここは実際の古戦場として現在最も有力視され、「三国赤壁(別名、武赤壁)」と呼ばれている。

北宋の文人の蘇軾(蘇東坡)が名作「赤壁の賦」を書いたことで有名な偽の赤壁である。こちらは湖北省黄岡市黄州区西北の長江北岸の赤鼻山を指し、「東坡赤壁(別名、文赤壁)」と呼ばれる。この地は実際の戦場ではなかったのだが、晩唐の詩人杜牧が詩に詠んだことから赤壁の古戦場と見なされるようになり、蘇軾の作品によって、実際の古戦場以上に有名になってしまった[6]。なお、東坡赤壁は長江の流れが変遷したため、現在は長江に面していない。

 

二龍爭戰決雌雄,赤壁樓船掃地空。

呉魏戦争はさながら二龍の雌雄を決するがごとく赤壁に集まった魏の樓船は、無残にも焼打ちにあって全滅に近いまでやれてしまった。

二龍爭戰 赤壁の戦いのこと。赤壁之戰は、中国後漢末期の208年、長江の赤壁において起こった曹操軍と孫権・劉備連合軍の間の戦いである。

 

烈火張天照雲海,周瑜於此破曹公。

その時の烈火は天にみなぎり、焦がして、雲のまがう大海までも照らしたぐらいである。呉の都堵府、周瑜はこの地において、ものの見事に魏の丞相を打ち破ったのである。

 漲る。

 

君去滄江望澄碧,鯨鯢唐突留餘跡。【君去滄江弄澄碧】

君、今、ここを去って大江のほとりに到り、緑に澄みきった流水を望む時は、当日鯨鯢が互いに觸犯したその遺跡を認めるであろう。

鯨鯢 オスとメスの鯨、不義の人の小国を呑食するということを喩える。

唐突 犯觸。犯触する。侵犯する,人の感情を害する.

 

一一書來報故人,我欲因之壯心魄。

こうして、その史実からの感慨を一一手紙に書いて、旧交ある我がもとに報じてもらいたい。そうすれば、それを読んで、心魄を盛んにして、胸中の鬱懐を払い除けることができるであろう。
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年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

李白の足跡003 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文) -#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(下し文) -#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

(現代語訳)

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

 

(訳注) -#3

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

何にせよ、公主の別館は人の出入りがなく、食物さえ碌に調理できないから、調理場の釜戸には青煙が上ることなく、包丁もまな板も用いずしてそのまま放置したままで、その上に苔を生じているほどだ。

 

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

此れではどうにも仕方がない、端をなげうって食をやめ、身に着けている鷫鷞裘を解き、これを司馬相如のように売って酒を買い、北堂に坐して痛飲し、憂さを晴らした。

投箸 《行路難 三首 其一》「金樽清酒斗十千,玉盤珍羞直萬錢。停杯投箸不能食,拔劒四顧心茫然。」(金樽の清酒 斗十千,玉盤の珍羞【ちんしゅう】 直【あたい】 萬錢【ばんぜん】。杯を停め箸を投じて 食う能わず,劒を拔いて四顧し心 茫然。)
金の樽にたたえた聖人の酒、清酒は一斗が一万銭もする。玉のように輝く大皿に盛った珍しい御馳走は万銭の値打ちである。そうやって盃を交わしていても、杯をおき、箸をおく。食べてはいられない気持ちなのだ。気分を変えるため、剣を抜き、四方の霊に問うてみるが、心は茫然としてとりとめない。

行路難 三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

鷫鷞 西方の神鳥。「五方の神鳥なり。東方發明、南方焦明、西方鷫鷞、北方幽昌、中央鳳皇なり」とある。鷫鷞はまた雁に似た鳥や、飛鼠のこともいう。司馬相如が鷫鷞裘を作り、それを売り酒を買った。

 

丹徒布衣者,慷慨未可量。

昔、南朝宋の劉穆之は丹徒の布衣であって、初めは貧困で怒り嘆くこともあったが、自分たちも今、この通りで、胸も張り裂けんばかりの気持ちでいる。

丹徒布衣 南朝宋の劉穆之の故事で、劉穆之が丹徒(たんと・江蘇省鎮江市)に住んで無冠であった。妻の兄の家に行って飲食をし侮辱を受る。のちに宋の武帝に仕えて丹陽(江蘇省丹陽県)の長官になったとき、妻の兄弟を招いてご馳走し、最後に檳榔一斛を金の皿に盛って供し、かつての屈辱を晴らした。

慷慨 1 世間の悪しき風潮や社会の不正などを、怒り嘆くこと。2 意気が盛んなこと。

 

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

何時になったら劉穆之のようにふきになって一斛の檳榔を黄金の大盤に盛り付けて、恥をかかされた者たちを見返すことができるだろうか。

檳榔 檳榔酒のことで、檳榔の実を搾った汁液を発酵させた酒。仙郷の酒を表すことで、美味のものをそろえることをいう。

《南史.劉穆之傳》記載:「穆之少時,家貧誕節,不修拘檢。好往妻兄家乞食,多見辱, 不以為恥。其妻江嗣女,甚明識,每禁不令往江氏。後有慶會,屬令勿來。穆之猶往,食畢求檳榔。

 

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

滄洲 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。前聯の「海行」がかかる。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。
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141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

李白《玉真仙人詞》 中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

 
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141 《玉真仙人詞》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141> Ⅰ李白詩1326 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5178

 

 

李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》李白

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六七              文體:    五言古詩

詩題:    玉真仙人詞

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:玉真公主           書信往來

 

 

玉真仙人詞

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真之仙人,時往太華峰。

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

弄電不輟手,行雲本無蹤。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

幾時入少室,王母應相逢。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

 

(玉真仙人の詞)

玉真の仙人,時に太華峰に往く。

清晨 天鼓を鳴らし,飆欻【ひょうこつ】雙龍を騰【のぼ】らしむ。

電を弄して手を輟【や】めず,行雲 本と蹤無し。

幾時か少室に入って,王母 應に相い逢うべきか。

 華山道教

 

『玉真仙人詞』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真仙人詞

玉真之仙人,時往太華峰。

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

弄電不輟手,行雲本無蹤。

幾時入少室,王母應相逢。

 

 

(下し文)

(玉真仙人の詞)

玉真の仙人,時に太華峰に往く。

清晨 天鼓を鳴らし,飆欻【ひょうこつ】雙龍を騰【のぼ】らしむ。

電を弄して手を輟【や】めず,行雲 本と蹤無し。

幾時か少室に入って,王母 應に相い逢うべきか。

 

(現代語訳)

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

花蕊夫人002 

(訳注)

玉真仙人詞

(玉真公主であった仙人にこの詞を献ずる)

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

玉真之仙人,時往太華峰。

玉真の仙人は、公主であられたお方であるのに道士になられた、時々、長安を発って華山の絶頂に赴かれるという。

○太華峰 五岳の一つ華山のこと。華山は、中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。韓愈《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》「南伐旋師太華東,天書夜到冊元功。」《晉公破賊回重拜台司,以詩示幕中賓客,愈奉和》韓愈(韓退之) Ⅱ中唐詩 <847  漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3219韓愈詩-219

韓愈《華山女》(現在の陝西省華陰県にある山)に住む少女が、女道士となって、大変人気があったが、彼の女を取りまく信者たちの熱狂ぶりや、彼の女に妙な興味をいだく好き者たちの行動をえがいて、その愚かさを諷刺した。

華山女 韓退之(韓愈)詩<113-1>Ⅱ中唐詩553 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ1778

 

清晨鳴天鼓,飆欻騰雙龍。

晴れ渡った清々しい夜明け時に道教の歯を鳴らして行う「天鼓の法」が行われ、やがて身を躍らして雙竜にまたがり、飄忽として天空を飛行された。

○天鼓 夜明け時に道教の経典を唱え、歯を鳴らして行う「天鼓の法」というもの。

 

弄電不輟手,行雲本無蹤。

手に電光を弄してしばらく止まれず、そうしてその行方は、雲が流れるまま行かれ、後を残すことはなかった。

 

幾時入少室,王母應相逢。

それが、中嶽である嵩山の中にある少室石闕銘の山に行かれたのであれば、仙女の女王である西王母が大歓迎で応対してくれ、早いうちに仙道を修得されることでしょう。

○少室 嵩山三闕銘(すうざんさんけつめい)の少室石闕銘のこと。中国の後漢代、元初5118)年から延光2123)年にかけて建てられた嵩山太室石闕銘・嵩山少室石闕銘・嵩山開母廟石闕銘の総称。隷書が公式書体であった漢代にあって、極めて珍しい篆書による金石文である。

○王母 中国で古くから信仰された女仙、女神。姓は楊、名は回。 九霊太妙亀山金母、太霊九光亀台金母、瑶池金母、王母娘娘などともいう。 王母は祖母の謂いであり、西王母とは、西方の崑崙山上に住する女性の尊称である。
函谷関002 

83-#4 《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 25歳 20 首 <83-#4> Ⅰ李白詩1251 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4803

今はまさに、夫が歓楽に過ごすことを一番としており同じように過ごしたいけれど、あの方が去ってから、自らをかたちづくる化粧もしなくなった、それで、いまは誰が見ても若い盛りのあでやかな容華であったものを知っている者はいない。

 
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《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 <83-#4> Ⅰ李白詩1251 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4803

 

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

 

作時年:725年開元十三年25

卷別:    卷一六七              文體:    雜言古詩

詩題:    江夏行

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)           

 

 

江夏行 #1

憶昔嬌小姿,春心亦自持。

為言嫁夫婿,得免長相思。

誰知嫁商賈,令人卻愁苦。

自從為夫妻,何曾在土。

(船商人の妻が旅に出たきり帰らない夫を思い、その情緒を詠ったもの)#1

思えば昔の事、まだ、嬌小の姿でようやく物心ついた時分には、自ら検束して、淫蕩の心などすこしも起さなかった。

娘の気持ちというのは、夫のもとに嫁いでいけば長く相思相愛、夫のことで苦労があろうなど思いもしなかったのである。

ところが、誰が知っていたというのか、江夏の船商人に嫁入りしてから、人として却って愁苦せしめられるということだったのだ。

それは何かといえば、夫婦となってから夫は、一日も郷土に落ち着いて居ることがなく,始終、旅に出ているからである。

#2

去年下揚州,相送黃鶴樓。

眼看帆去遠,心逐江水流。

只言期一載,誰謂歷三秋。

使妾腸欲斷,恨君情悠悠。

去年、夫が揚州の方へ下るというから、連れ立って黄鶴楼まで行き、送別した。

夫の舟を送ると、次第に遠く帆影が見えなくなるまでじっと佇んでいると、妻の心は長江の流れを負ってとこまでも附いてゆくような気がしたのだ。

しかし、揚州はそんなに遠く無いので、一年の内には帰って来るだろうと思っていたところが、もうすでに三年も経過したが、新妻を置いたまま、いまだに帰ってこないなど云うことをだれが言うというのか。

新妻を女として心も体もかよい合わせることなく断たれたままで、夫君の心情というのは、どうしてそんなに悠々といておられるか、恨みにさえ思うのである。

#3

東家西舍同時發,北去南來不逾月。

未知行李遊何方,作個音書能斷

適來往南浦,欲問西江船。

正見當壚女,紅妝二八年。

勿論ここのものはどちらを向いても、船商人ばかりで東側の家のもの、西側の家のものも、同時に出発し、あるいは、北に去ってゆき、あるいは南に向かって行くけれどわずか一カ月で帰ってきた。

我が夫の旅の行く先は何処に遊んでいるのか、こちらから、いくら、手紙を出しても全く返事がないのである。

このように一向に返事がないので、夫の消息を訪ねようと思い、こうして、南浦まで出かけてきて、長江を西に向かう船にことづけを恃もうとした。

その船には、紅妝十六歳のきわめて若い女が乗り込んでいて、丁度その時、壚にあたって、酒の支度をし始めたところであった。

#4

一種為人妻,獨自多悲悽。

對鏡便垂淚,逢人只欲啼。

不如輕薄兒,旦暮長相隨。

悔作商人婦,青春長別離。

如今正好同歡樂,君去容華誰得知。

思えば一つの種類と思われる人の妻になっているのに、どうして自分ひとりだけこんなにも多くの悲しみを抱くことになるのだろうか。

鏡に向かうと、すなわち涙を流し、人に逢えば、唯だ、啼こうとするのである。

こんな生活をするくらいなら、あの紅妝十六歳のきわめて若い女のように軽薄な男でも構わない、朝から晩まで伴に、一緒に長く暮らしていく方だどれだけよいのか。

船商人の妻となってあたら青春の盛りを長く別離したままでいることを後悔しているのである。

今はまさに、夫が歓楽に過ごすことを一番としており同じように過ごしたいけれど、あの方が去ってから、自らをかたちづくる化粧もしなくなった、それで、いまは誰が見ても若い盛りのあでやかな容華であったものを知っている者はいない。

 

 (江夏行)

憶う昔 嬌小の姿,春心 亦た 自ら持す。

為に言う 夫婿に嫁すれば,長相思を免るるを得んと。

誰か知らん 商賈に嫁し,人をして卻って愁苦せ令むるを。

夫妻と為ってより,何んぞ曾って土に在らん

#2

去年 揚州に下り,相い送る 黃鶴樓。

眼に看る 帆 去るは遠く,心は逐江水をうて流る。

只だ言う 一載を期す,誰か謂わん 三秋を歷んとは。

妾をして腸 斷んと欲し使む,恨む君が 情悠悠たる。

#3

東家西舍 同時に發し,北去南來 月を逾えず。

未だ知らず 行李 何れの方に遊ぶかを,個の音書を作って能く斷

適【たまた】ま來って南浦に往き,西江の船を問わんと欲す。

正に見る 當壚の女,紅妝 二八の年。

#4

一種 人妻と為り,獨り自ら悲悽多し。

鏡に對して便ち淚を垂れ,人に逢うて只だ啼かんと欲す。

如かず 輕薄の兒,旦暮 長く相い隨う。

悔るらくは商人の婦と作って,青春 長く別離なり。

今の如き正に好し同じく歡樂し,君去らば 容華 誰か知るを得ん。

三峡 巫山十二峰001 

 

『江夏行』 現代語訳と訳註

(本文) #4

一種為人妻,獨自多悲悽。

對鏡便垂淚,逢人只欲啼。

不如輕薄兒,旦暮長相隨。

悔作商人婦,青春長別離。

如今正好同歡樂,君去容華誰得知。

 

 

(下し文)

一種 人妻と為り,獨り自ら悲悽多し。

鏡に對して便ち淚を垂れ,人に逢うて只だ啼かんと欲す。

如かず 輕薄の兒,旦暮 長く相い隨う。

悔るらくは商人の婦と作って,青春 長く別離なり。

今の如き正に好し同じく歡樂し,君去らば 容華 誰か知るを得ん。

 

(現代語訳)

思えば一つの種類と思われる人の妻になっているのに、どうして自分ひとりだけこんなにも多くの悲しみを抱くことになるのだろうか。

鏡に向かうと、すなわち涙を流し、人に逢えば、唯だ、啼こうとするのである。

こんな生活をするくらいなら、あの紅妝十六歳のきわめて若い女のように軽薄な男でも構わない、朝から晩まで伴に、一緒に長く暮らしていく方だどれだけよいのか。

船商人の妻となってあたら青春の盛りを長く別離したままでいることを後悔しているのである。

今はまさに、夫が歓楽に過ごすことを一番としており同じように過ごしたいけれど、あの方が去ってから、自らをかたちづくる化粧もしなくなった、それで、いまは誰が見ても若い盛りのあでやかな容華であったものを知っている者はいない。

李白図102 

(訳注)  #4

江夏行

(船商人の妻が旅に出たきり帰らない夫を思い、その情緒を詠ったもの)

江夏 鄂州、武昌であり、江夏郡、江夏縣であり、江南西道に属す。長江の要津で、船商人が多く住んでいた。

 

一種為人妻,獨自多悲悽。

思えば一つの種類と思われる人の妻になっているのに、どうして自分ひとりだけこんなにも多くの悲しみを抱くことになるのだろうか。

 

對鏡便垂淚,逢人只欲啼。

鏡に向かうと、すなわち涙を流し、人に逢えば、唯だ、啼こうとするのである。

 

不如輕薄兒,旦暮長相隨。

こんな生活をするくらいなら、あの紅妝十六歳のきわめて若い女のように軽薄な男でも構わない、朝から晩まで伴に、一緒に長く暮らしていく方だどれだけよいのか。

輕薄兒 軽薄な男。壚にあたって、酒の支度をした、紅妝十六歳のきわめて若い女が相手をしたような軽薄な男。

旦暮 朝から晩まで。

 

悔作商人婦,青春長別離。

船商人の妻となってあたら青春の盛りを長く別離したままでいることを後悔しているのである。

 

如今正好同歡樂,君去容華誰得知。

今はまさに、夫が歓楽に過ごすことを一番としており同じように過ごしたいけれど、あの方が去ってから、自らをかたちづくる化粧もしなくなった、それで、いまは誰が見ても若い盛りのあでやかな容華であったものを知っている者はいない。

容華誰得知 夫が去って以来、自分を飾り、綺麗にすることをやめたので、綺麗だったころのことを知る者はいない。
太白山001 

83-#3 《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 25歳 20 首 <83-#3> Ⅰ李白詩1250 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4798

勿論ここのものはどちらを向いても、船商人ばかりで東側の家のもの、西側の家のものも、同時に出発し、あるいは、北に去ってゆき、あるいは南に向かって行くけれどわずか一カ月で帰ってきた。

 

 
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441-#2 《雜詩》韓愈(韓退之)ID 795年貞元11年 28歳<1163> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4799韓愈詩-441-#2 
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83-#2 《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。 25歳 20 首 <83-#2> Ⅰ李白詩1249 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4793

去年、夫が揚州の方へ下るというから、連れ立って黄鶴楼まで行き、送別した。夫の舟を送ると、次第に遠く帆影が見えなくなるまでじっと佇んでいると、妻の心は長江の流れを負ってとこまでも附いてゆくような気がしたのだ。

 
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83-#2 《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 <83-#2> Ⅰ李白詩1249 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4793

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

 

作時年:725年開元十三年25

卷別:    卷一六七              文體:    雜言古詩

詩題:    江夏行

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)           

 

 

江夏行 #1

(船商人の妻が旅に出たきり帰らない夫を思い、その情緒を詠ったもの)#1

憶昔嬌小姿,春心亦自持。

思えば昔の事、まだ、嬌小の姿でようやく物心ついた時分には、自ら検束して、淫蕩の心などすこしも起さなかった。

為言嫁夫婿,得免長相思。

娘の気持ちというのは、夫のもとに嫁いでいけば長く相思相愛、夫のことで苦労があろうなど思いもしなかったのである。

誰知嫁商賈,令人卻愁苦。

ところが、誰が知っていたというのか、江夏の船商人に嫁入りしてから、人として却って愁苦せしめられるということだったのだ。

自從為夫妻,何曾在土。

それは何かといえば、夫婦となってから夫は、一日も郷土に落ち着いて居ることがなく,始終、旅に出ているからである。

#2

去年下揚州,相送黃鶴樓。

去年、夫が揚州の方へ下るというから、連れ立って黄鶴楼まで行き、送別した。

眼看帆去遠,心逐江水流。

夫の舟を送ると、次第に遠く帆影が見えなくなるまでじっと佇んでいると、妻の心は長江の流れを負ってとこまでも附いてゆくような気がしたのだ。

只言期一載,誰謂歷三秋。

しかし、揚州はそんなに遠く無いので、一年の内には帰って来るだろうと思っていたところが、もうすでに三年も経過したが、新妻を置いたまま、いまだに帰ってこないなど云うことをだれが言うというのか。

使妾腸欲斷,恨君情悠悠。

新妻を女として心も体もかよい合わせることなく断たれたままで、夫君の心情というのは、どうしてそんなに悠々といておられるか、恨みにさえ思うのである。

#3

東家西舍同時發,北去南來不逾月。

未知行李遊何方,作個音書能斷

適來往南浦,欲問西江船。

正見當壚女,紅妝二八年。

#4

一種為人妻,獨自多悲悽。

對鏡便垂淚,逢人只欲啼。

不如輕薄兒,旦暮長相隨。

悔作商人婦,青春長別離。

如今正好同歡樂,君去容華誰得知。

 

 (江夏行)

憶う昔 嬌小の姿,春心 亦た 自ら持す。

為に言う 夫婿に嫁すれば,長相思を免るるを得んと。

誰か知らん 商賈に嫁し,人をして卻って愁苦せ令むるを。

夫妻と為ってより,何んぞ曾って土に在らん

#2

去年 揚州に下り,相い送る 黃鶴樓。

眼に看る 帆 去るは遠く,心は逐江水をうて流る。

只だ言う 一載を期す,誰か謂わん 三秋を歷んとは。

妾をして腸 斷んと欲し使む,恨む君が 情悠悠たる。

#3

東家西舍 同時に發し,北去南來 月を逾えず。

未だ知らず 行李 何れの方に遊ぶかを,個の音書を作って能く斷

適【たまた】ま來って南浦に往き,西江の船を問わんと欲す。

正に見る 當壚の女,紅妝 二八の年。

#4

一種 人妻と為り,獨り自ら悲悽多し。

鏡に對して便ち淚を垂れ,人に逢うて只だ啼かんと欲す。

如かず 輕薄の兒,旦暮 長く相い隨う。

悔るらくは商人の婦と作って,青春 長く別離なり。

今の如き正に好し同じく歡樂し,君去らば 容華 誰か知るを得ん。

 

江夏黄鶴楼関連図 

『江夏行』 現代語訳と訳註

(本文)

#2

去年下揚州,相送黃鶴樓。

眼看帆去遠,心逐江水流。

只言期一載,誰謂歷三秋。

使妾腸欲斷,恨君情悠悠。

 

 

(下し文) #2

去年 揚州に下り,相い送る 黃鶴樓。

眼に看る 帆 去るは遠く,心は逐江水をうて流る。

只だ言う 一載を期す,誰か謂わん 三秋を歷んとは。

妾をして腸 斷んと欲し使む,恨む君が 情悠悠たる。

 

 

(現代語訳)

去年、夫が揚州の方へ下るというから、連れ立って黄鶴楼まで行き、送別した。

夫の舟を送ると、次第に遠く帆影が見えなくなるまでじっと佇んでいると、妻の心は長江の流れを負ってとこまでも附いてゆくような気がしたのだ。

しかし、揚州はそんなに遠く無いので、一年の内には帰って来るだろうと思っていたところが、もうすでに三年も経過したが、新妻を置いたまま、いまだに帰ってこないなど云うことをだれが言うというのか。

新妻を女として心も体もかよい合わせることなく断たれたままで、夫君の心情というのは、どうしてそんなに悠々といておられるか、恨みにさえ思うのである。

荊州001 

 

(訳注) #2

去年下揚州,相送黃鶴樓。

去年、夫が揚州の方へ下るというから、連れ立って黄鶴楼まで行き、送別した。

揚州 江蘇省にかつて存在した州。現在の揚州市に相当する。揚州 (江蘇省) -江蘇省に南北朝時代、陳により短期間設置された州。妓女の街としての揚州は大都市の妓女の生活も、長安により近かった。揚州は娼妓の都市としてたいへん有名なところであり、ひとたび夜になると、「妓楼の上に、常に赤い絹の被いで包んだ夜燈が無数にともされ空中に輝いた。九里三十歩の広さの街は、真珠、素翠などさまざまな飾りで満ち溢れ、はるか遠い仙境のようだった」(『太平広記』巻二七三)という。この繁華の情景は妓館の多さ、遊廓の繁栄ぶりをよく物語っている。ここは長安の平康里とひじょうによく似ており、妓女たちの生活も長安とほぼ同じだったと思われる。

黃鶴樓 武漢市武昌区にかつて存在した楼閣。現在はほぼ同位置に再建された楼閣がある。武漢随一の名勝地であり、中国の「江南三大名楼」のひとつである。 李白の代表的な漢詩「黄鶴樓送孟浩然之廣陵》(黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る)や崔顥の「黄鶴樓」にてその名を知られている。

李白《黄鶴樓送孟浩然之廣陵》

故人西辞黄鶴楼、烟花三月下揚州。

孤帆遠影碧空尽、唯見長江天際流。

黄鶴楼送孟浩然之広陵  李白15

 

眼看帆去遠,心逐江水流。

夫の舟を送ると、次第に遠く帆影が見えなくなるまでじっと佇んでいると、妻の心は長江の流れを負ってとこまでも附いてゆくような気がしたのだ。

 

只言期一載,誰謂歷三秋。

しかし、揚州はそんなに遠く無いので、一年の内には帰って来るだろうと思っていたところが、もうすでに三年も経過したが、新妻を置いたまま、いまだに帰ってこないなど云うことをだれが言うというのか。

期一載 一年出会えるという約束。

三秋 三度の秋が過ぎてしまったという、三年である。

 

使妾腸欲斷,恨君情悠悠。

新妻を女として心も体もかよい合わせることなく断たれたままで、夫君の心情というのは、どうしてそんなに悠々といておられるか、恨みにさえ思うのである。

83 《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌と遊ぶ。 <84> Ⅰ李白詩1249 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4793

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83 《江夏行》index-5 1-5 725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。  25 20 首 <84> Ⅰ李白詩1249 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4793

 

 

Index-

5

- 5-725年開元十三年25

20

725年開元十三年25歳 蜀を離れ、襄陽・荊州・武昌・漢口・洞庭湖・金陵・揚州と遊ぶ。

ID

No.

詩題

詩文初句

李太白集

19

20

宿巫山下

昨夜巫山下,

巻二十一

20

1

古風,五十九首之三十三

北溟有巨魚,

巻一

21

2

荊州歌【荊州樂】

白帝城邊足風波,

巻三

22

3

81白紵辭其一

揚清歌,

巻三

23

4

82白紵辭其二

月寒江清夜沈沈,

巻三

24

5

白紵辭,三首之三

刀剪綵縫舞衣,

巻三

25

6

江夏行

憶昔嬌小姿,

巻七

26

7

江上寄巴東故人

漢水波浪遠,

巻十三

27

8

渡荊門送別 李白 5

渡遠荊門外,

巻十四

 

作時年:725年開元十三年25

卷別:    卷一六七              文體:    雜言古詩

詩題:    江夏行

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:              鄂州 (江南西道 鄂州 鄂州) 別名:江夏         

揚州 (淮南道 揚州 揚州) 別名:廣陵、淮南、淮海      

黃鶴樓 (江南西道 鄂州 江夏)           

 

 

江夏行 #1

憶昔嬌小姿,春心亦自持。

為言嫁夫婿,得免長相思。

誰知嫁商賈,令人卻愁苦。

自從為夫妻,何曾在土。

(船商人の妻が旅に出たきり帰らない夫を思い、その情緒を詠ったもの)#1

思えば昔の事、まだ、嬌小の姿でようやく物心ついた時分には、自ら検束して、淫蕩の心などすこしも起さなかった。

娘の気持ちというのは、夫のもとに嫁いでいけば長く相思相愛、夫のことで苦労があろうなど思いもしなかったのである。

ところが、誰が知っていたというのか、江夏の船商人に嫁入りしてから、人として却って愁苦せしめられるということだったのだ。

それは何かといえば、夫婦となってから夫は、一日も郷土に落ち着いて居ることがなく,始終、旅に出ているからである。

#2

去年下揚州,相送黃鶴樓。

眼看帆去遠,心逐江水流。

只言期一載,誰謂歷三秋。

使妾腸欲斷,恨君情悠悠。

#3

東家西舍同時發,北去南來不逾月。

未知行李遊何方,作個音書能斷

適來往南浦,欲問西江船。

正見當壚女,紅妝二八年。

#4

一種為人妻,獨自多悲悽。

對鏡便垂淚,逢人只欲啼。

不如輕薄兒,旦暮長相隨。

悔作商人婦,青春長別離。

如今正好同歡樂,君去容華誰得知。

 

 (江夏行)

憶う昔 嬌小の姿,春心 亦た 自ら持す。

為に言う 夫婿に嫁すれば,長相思を免るるを得んと。

誰か知らん 商賈に嫁し,人をして卻って愁苦せ令むるを。

夫妻と為ってより,何んぞ曾って土に在らん

#2

去年 揚州に下り,相い送る 黃鶴樓。

眼に看る 帆 去るは遠く,心は逐江水をうて流る。

只だ言う 一載を期す,誰か謂わん 三秋を歷んとは。

妾をして腸 斷んと欲し使む,恨む君が 情悠悠たる。

#3

東家西舍 同時に發し,北去南來 月を逾えず。

未だ知らず 行李 何れの方に遊ぶかを,個の音書を作って能く斷

適【たまた】ま來って南浦に往き,西江の船を問わんと欲す。

正に見る 當壚の女,紅妝 二八の年。

#4

一種 人妻と為り,獨り自ら悲悽多し。

鏡に對して便ち淚を垂れ,人に逢うて只だ啼かんと欲す。

如かず 輕薄の兒,旦暮 長く相い隨う。

悔るらくは商人の婦と作って,青春 長く別離なり。

今の如き正に好し同じく歡樂し,君去らば 容華 誰か知るを得ん。

李白図102 

 

『江夏行』 現代語訳と訳註

(本文)

江夏行 #1

憶昔嬌小姿,春心亦自持。

為言嫁夫婿,得免長相思。

誰知嫁商賈,令人卻愁苦。

自從為夫妻,何曾在土。

 

(下し文)

(江夏行)

憶う昔 嬌小の姿,春心 亦た 自ら持す。

為に言う 夫婿に嫁すれば,長相思を免るるを得んと。

誰か知らん 商賈に嫁し,人をして卻って愁苦せ令むるを。

夫妻と為ってより,何んぞ曾って土に在らん

 

(現代語訳)

(船商人の妻が旅に出たきり帰らない夫を思い、その情緒を詠ったもの)#1

思えば昔の事、まだ、嬌小の姿でようやく物心ついた時分には、自ら検束して、淫蕩の心などすこしも起さなかった。

娘の気持ちというのは、夫のもとに嫁いでいけば長く相思相愛、夫のことで苦労があろうなど思いもしなかったのである。

ところが、誰が知っていたというのか、江夏の船商人に嫁入りしてから、人として却って愁苦せしめられるということだったのだ。

それは何かといえば、夫婦となってから夫は、一日も郷土に落ち着いて居ることがなく,始終、旅に出ているからである。

 

(訳注)

江夏行 #1

(船商人の妻が旅に出たきり帰らない夫を思い、その情緒を詠ったもの)

江夏 鄂州、武昌であり、江夏郡、江夏縣であり、江南西道に属す。長江の要津で、船商人が多く住んでいた。

toho0824004 

憶昔嬌小姿,春心亦自持。

思えば昔の事、まだ、嬌小の姿でようやく物心ついた時分には、自ら検束して、淫蕩の心などすこしも起さなかった。

 

為言嫁夫婿,得免長相思。

娘の気持ちというのは、夫のもとに嫁いでいけば長く相思相愛、夫のことで苦労があろうなど思いもしなかったのである。

 

誰知嫁商賈,令人卻愁苦。

ところが、誰が知っていたというのか、江夏の船商人に嫁入りしてから、人として却って愁苦せしめられるということだったのだ。

 

自從為夫妻,何曾在土。

それは何かといえば、夫婦となってから夫は、一日も郷土に落ち着いて居ることがなく,始終、旅に出ているからである。
魚玄機55021 

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李白詩INDEX05李太白―(7) 《李白詩全集 卷七 (古近體詩五十三首) 》李白詩 973詩Ⅰ李白詩1122 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4158

李白詩全集 卷七 (古近體詩五十三首) 
ID歌吟 初句
234巻七秋浦歌十七首 其一 秋浦長似秋。 
235巻七秋浦歌十七首 其二 秋浦猿夜愁。 
236巻七秋浦歌十七首 其三 秋浦錦駝鳥。 
237巻七秋浦歌十七首 其四 兩鬢入秋浦。 
238巻七秋浦歌十七首 其五 秋浦多白猿。 
239巻七秋浦歌十七首 其六 愁作秋浦客。 
240巻七秋浦歌十七首 其七 醉上山公馬。 
241巻七秋浦歌十七首 其八 秋浦千重嶺。 
242巻七秋浦歌十七首 其九 江祖一片石。 
243巻七秋浦歌十七首 其十 千千石楠樹。 
244巻七秋浦歌十七首 其十一 邏人橫鳥道。 
245巻七秋浦歌十七首 其十二 水如一匹練。 
246巻七秋浦歌十七首 其十三 淥水淨素月。 
247巻七秋浦歌十七首 其十四 爐火照天地。 
248巻七秋浦歌十七首 其十五 白發三千丈。 
249巻七秋浦歌十七首 其十六 秋浦田舍翁。 
250巻七秋浦歌十七首 其十七 祧波一步地。 
251巻七 當涂趙炎少府粉圖山水歌 峨眉高出西極天
252巻七永王東巡歌十一首其一 永王正月東出師
253巻七永王東巡歌十一首其二 三川北虜亂如麻
254巻七永王東巡歌十一首其三 雷鼓嘈嘈喧武昌
255巻七永王東巡歌十一首其四 龍蟠虎踞帝王州
256巻七永王東巡歌十一首其五 二帝巡游俱未回
257巻七永王東巡歌十一首其六 丹陽北固是吳關
258巻七永王東巡歌十一首其七 王出三山按五湖
259巻七永王東巡歌十一首其八 長風挂席勢難回
260巻七永王東巡歌十一首其九 ( 此首蕭士(贇)云是偽作 ) 祖龍浮海不成橋
261巻七永王東巡歌十一首其十 帝寵賢王入楚關
262巻七永王東巡歌十一首其十一 試借君王玉馬鞭
263巻七上皇西巡南京歌十首 其一 胡塵輕拂建章台
264巻七上皇西巡南京歌十首 其二 九天開出一成都
265巻七上皇西巡南京歌十首 其三 華陽春樹號新丰
266巻七上皇西巡南京歌十首 其四 誰道君王行路難
267巻七上皇西巡南京歌十首 其五