漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
◎漢文委員会のHP http://kanbunkenkyu.web.fc2.com/profile1.html
Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
ずいぶん回復してきました。(12/10)
訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
リンクはフリーです。報告、承諾は無用です。
ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷八

744年年44歳-19李太白集305巻八19 贈薛校書  433 Index-24 Ⅲ-3Ⅰ李白詩1809 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

李白  贈薛校書

我有趨曲、無人知此音。 姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。 舉手謝東海、虛行歸故林。
(薛校書郎に贈る)

われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、心を言っても空しいだけである。そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。

李太白集 卷八19

贈 薛 校 書

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

        
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 744年天寶三年44-1956首】

-381-305巻八19 贈薛校書  (我有越曲,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八15 

文體:

五言古詩

李太白集 

19

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九19

詩題:

贈薛校書  (我有越曲,) 

序文

作地點:

未詳

及地點:

姑蘇臺 (江南東道 蘇州 蘇州) 別名:蘇臺

 

交遊人物:

薛校書    書信往來

 

 

 

 

  卷168_15 《贈薛校書》李白 

我有吳趨越)曲,無人知此音。

姑蘇成蔓草,麋鹿空悲吟。 

未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。

舉手謝東海,虛行歸故林。 

 

贈薛校書(卷九19(一)六一九)

我有吳趨越)曲,無人知此音。

姑蘇成蔓草,糜鹿空悲吟。

未誇觀濤作,空鬱釣鼇心。

舉手謝東海,虛行歸故林。

 

305卷八-19 贈薛校書  (中)40

我有呉曲、無人知此音。

姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。

舉手謝東海、虛行歸故林。

 

贈薛校書

我有趨曲、無人知此音。

姑蘇成蔓草、麋鹿空悲吟。

未夸觀濤作、空郁釣鰲心。

舉手謝東海、虛行歸故林。

(薛校書郎に贈る)

われの歌う曲の中でいいと思うものの中に呉趨曲があるが、朝廷のなかでその音を知って居る人は無い。

むかし、呉王夫差が栄華を誇った姑蘇台も、その國亡びし後は、唯だ草が繁って居るばかりで、そこへ遊びにくる糜鹿は、悲しげな聲を出して啼いて居るので、徒に庭に蔓草を生ずだけで、懐古の想を起さしめる。

枚乗が《七發》で詠った廣陵の怒涛の潮は、天下の壮観であると聞いて居るが、まだ之を観ていない故、誇るに足るべき觀濤の作ができていないし、見ていないうちに六鰲を釣り上げようというような、心を言っても空しいだけである。

そこで、手を拳げ、あの東海に挨拶し、虚空を歩みして、これから、しばらく故山へ歸ろうと思うので、暇乞の代りに、この詩を君に呈するのである。

(薛校書に贈る)

我に呉趨の曲あり、人の此音を知るなし。

姑蘇は蔓草となり、糜鹿空しく悲吟す。

未だ觀濤の作に誇らす、空しく釣鼇の心を鬱す。

手を擧げて東海に謝し、虚行、故林に歸る。

 

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743年年43歳 94李太白集315巻八29贈參寥子  434-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(78) Ⅰ李白詩1811 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7595

李白 贈參寥子   #2

毫墨時洒落、探玄有奇作。著論窮天人、千春秘麟閣。長揖不受官、拂衣歸林巒。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。相思在何處、桂樹青云端。

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

李太白集 卷八29

贈 參 寥 子  #2

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

 

 744年天寶三年44-2056首】-382-315巻八29 贈參寥子  (白鶴飛天書,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八25 

文體:

五言古詩

李太白集 

29

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九29

詩題:

贈參寥子

序文

作地點:

(山南東道 襄州 襄陽)

及地點:

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣

交遊人物:

參寥子    當地交遊(山南東道 襄州 峴山)

 

 

 

贈參寥子   #1

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴飛天書、南荊訪高士。

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五云在峴山、果得參寥子。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

骯臟辭故園、昂藏入君門。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

天子分玉帛、百官接話言。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。

#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

著論窮天人、千春秘麟閣。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

長揖不受官、拂衣歸林巒。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

相思在何處、桂樹青云端。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

#2

毫墨 時に洒落、玄を探って奇作有り。

著論 天人を窮め、千春 麟閣に秘す。

長揖して 官を受けず、衣を拂って 林巒に歸える。

余 亦た金馬を去り、藤蘿 歡づる所を同じうする。

相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。

大明宮の圖003 

『贈參寥子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。

著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

(下し文)
#2

毫墨 時に洒落、玄を探って奇作有り。

著論 天人を窮め、千春 麟閣に秘す。

長揖して 官を受けず、衣を拂って 林巒に歸える。

余 亦た金馬を去り、藤蘿 歡づる所を同じうする。

相思 何れの處に在からん、桂樹 青云の端にある。

(現代語訳)
#2

れから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。


(訳注)  #2

贈參寥子

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

1 參寥子 王琦の解に、「當時の逸士、其の姓名考える無し。蓋し、莊子のって、以て號と為せるなる。莊子に:𤣥冥、之を參寥に聞く、參寥、之を疑始に聞くとあり。崔云う:皆、古人の姓名、或は之を寓するのみ、其の人無し、と。 李云う、參、高なり、高邈 寥 曠 名づく可からざるなり。」とある。隱逸した高士であるが、名前も、生まれもわからず、しかし、存在感を消しているのに、あえば尊敬できる人物であったということであろう。

 

毫墨時洒落、探玄有奇作。

それから、筆を揮えば、字体灑落で、さすがにさっぱりとして粋なものである、又、道家の玄理を探って、著述を試みていて、その議論も奇抜なものにおもえる。

10 毫墨 筆を揮えば、字体灑落でというほどの意。

11 時洒落 ① 生意気なさま。しゃらくさいさま。② さっぱりしているさま。しゃれているさま。

12 探玄 道教の玄理を探求する。

 

著論窮天人、千春秘麟閣。

道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めるというべきものとなっており、長しへに麒麟閣に藏せられて居る位というものである。

13 著論窮天人 道家に関する著作の論理の展開は、もはや、天人の際を窮めると、道家に対する最大の惨事というものであろう。

千春 千回春を迎えること、とこしえにつづくことを言う。

麟閣 麒麟閣の略。別に畫麟閣.雲嫖姚というもとは漢の高祖の時、蒲何が建てて、図書を蔵していたが、のち漢の宜帝は功臣を紀念して表彰するため、霍光等十一人の像を閣上に画かした。宣帝は戎狄が定まって皆、賓服 し、股肱の臣の美を思い、功臣を人に図画させて麒麟閣に絵諸させた。 麒麟閣は未央宮にある。麒麟閣には十一臣が描かれた。 容貌に官爵、姓名を記した。麒麟閣十一臣は以下の通り。・大司馬大将軍博陸侯 姓霍氏、・衛将軍富平侯 張安世、・車騎将軍龍額侯 韓増、・後将軍営平侯 趙充国、・丞相高平侯 魏相、・丞相博陽侯 邴吉、・御史大夫建平侯 杜延年、・ 宗正陽城侯 劉徳、・少府 梁邱賀、・太子太傅 蕭望之、・典属国 蘇武

李白 《塞下曲,六首之三》「駿馬似風飆,鳴鞭出渭橋。彎弓辭漢月,插羽破天驕。陣解星芒盡,營空海霧消。功成畫麟閣,獨有霍嫖姚。」

唐の玄宗皇帝の故事に由来する。 玄宗皇帝は音楽や舞踏の愛好家で、自ら舞楽を教えていた。 その場所に梨が多く植えられていたことから、音楽や舞踏を学ぶ者を「梨園の弟子」といい、転じて、その世界をさすようになった。

 

長揖不受官、拂衣歸林巒。

しかも、長揖して、官を承けず、衣をはらって、林巒に歸臥されたことである。

 

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

自分も亦た金馬門に待詔していたが、そこを去って、江湖に放浪し、同じく藤蘿をよじて、世外に隠遁するつもりいるのである。

14 金馬 大明宮の門の名、銀臺門の右銀臺門(金馬門)で、大明宮西壁三門の真ん中に位置し、入門して左に翰林院がある。《長安志、東内大明宮章》「西面右銀台門、侍省右藏庫、次北、翰林門翰林院學士院、又、東翰林院、北有少陽院、結鄰殿。翰林門北、曰、九仙門。」また、漢書東方朔傳に「金門に待詔して、稍や親近を得たり」とある。

金馬・金馬門・銀台()

30巻一古風五十九首其三十

但識金馬門、誰知蓬萊山。

161巻四36東武吟 ( 一作出東門后書懷留別翰林諸公 )

 談笑皆王公、一朝去金馬。

315巻八29贈參寥子

余亦去金馬、藤蘿同所歡。

373卷十贈從弟南平太守之遙二首 其一

承恩初入銀台門、著書獨在金鑾殿。

644巻十九18朝下過盧郎中敘舊游

君登金華省、我入銀台門。

743年(74)李太白集605巻十八12金門答蘇秀才  393-#3 Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-74-#3 Ⅰ李白詩1752 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7300

卷六05 -《玉壺吟》「世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。」(世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。 いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。

○東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。

○大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可し」とあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。

743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-55#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153

金門 漢代の未央宮にあった門で、金門・金閨門の名であり、文学の士(学問をもって天子に仕える人)がここから出仕した。本来この門は、「魯般門」という名であるが、門の外に銅製の馬があることからこうよばれた。揚雄 解嘲 「與羣賢同行,歷金門,上玉堂」(羣賢と同行し,金門を歷,玉堂に上る)とある。唐における金門は、右銀臺門をいい、宣政殿の北には紫宸門があり、その内側には紫宸殿がある。紫宸殿の南にある紫寢門の左側には崇明門があり、右側には光順門がある。紫宸殿の東の方角には左銀台門があり、西の方角には右銀台門がある。この門の北沿いに九仙門がある。唐時代では、右銀台門より学士がことから金馬門といい、翰林學士院に出仕するものの代名詞とされた。銀臺 雍録載するところの大典大明宮の圖に「紫宸殿側に右銀臺門、左銀臺門あり」と記してある。學士は院門を出でてより、右銀臺門に至るまで、皆歩行して直に至り、すでに宮城の銀臺門外に出でて、それから馬に乗ることに成って居る。唐.李肇の《翰林志》:「今在右銀臺門之北,第一門向牓曰翰林之門,其制高大重複,號為胡門,入門直西為學士院,即開元十六年所置也。」(今右銀臺門の北にり,第一門牓に向う翰林の門を曰う,其れ高大重複を制し,胡門を為すを號し,門に入り直西は學士院を為し,即ち開元十六年(728)に所置されるなり。)唐.李白.相逢行:「朝騎五花馬,謁帝出銀臺。」(朝に五花の馬に騎し,帝に謁して 銀臺を出ず。)朝に五花の文ある名馬に跨って参内し、天子に拝謁したる後、銀臺門を出でて歸途に就いた人がある。

 

相思在何處、桂樹青云端。

ともかく、思いは、世俗のどこかにおいているものでなく、かの桂樹叢生する靑雲仙界にあると、常に心に思っているのである。

15 桂樹 《山中雜詩三首》 山際見來煙,竹中窺落日。鳥向簷上飛,雲從窗裏出。 綠竹可充食,女蘿可代裙。山中自有宅,桂樹籠青雲。

桂樹

 

117巻三28古朗月行

仙人垂兩足、桂樹何團團。

216卷六11白毫子歌

八公攜手五云去、 空余桂樹愁殺人。

315巻八29贈參寥子

相思在何處、桂樹青云端。

419巻十二09寄淮南友人

復作淮南客、因逢桂樹留。

42112-11聞丹丘子于城北營石門・・・

方從桂樹隱、不羨桃花源。

435巻十二25禪房懷友人岑倫

歸來儻有問、桂樹山之幽。

16 青云端 高い志であるが、此処では仙郷の意。
 
 

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744年年44歳-20-#1 李太白集315巻八29贈參寥子  434Index-24Ⅲ-3Ⅰ李白詩1810 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7590

李白 贈參寥子   #1

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

李太白集 卷八29

贈 參 寥 子 #1

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7585

Index-24  744年天寶三年44歳 56-19

433 <1000

 

 

 744年天寶三年44-2056首】-382-315巻八29 贈參寥子  (白鶴飛天書,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八25 

文體:

五言古詩

李太白集 

29

 《李白集校注》 瞿蛻園

 卷九29

詩題:

贈參寥子

序文

作地點:

(山南東道 襄州 襄陽)

及地點:

峴山 (山南東道 襄州 峴山) 別名:峴首山

麒麟閣 (京畿道 京兆府 長安) 別名:麟閣

交遊人物:

參寥子    當地交遊(山南東道 襄州 峴山)

 

 

 

 

  卷168_25 《贈參寥子》李白 

白鶴飛天書,南荊訪高士。五雲在峴山,果得參寥子。 

骯髒辭故園,昂藏入君門。天子分玉帛,百官接話言。 

毫墨時灑落,探玄有奇作。著論窮天人,千春秘麟閣。 

長揖不受官,拂衣歸林巒。余亦去金馬,藤蘿同所歡。 

相思在何處,桂樹青雲端。 

 

 

  贈參寥子(卷九29(一)六三九)

白鶴飛天書,南荊訪高士。五雲在峴山,果得參寥子。

骯髒辭故國,昂藏入君門。天子分玉帛,百官接話言。

毫墨時灑落,探玄有奇作。著論窮天人,千春祕麟閣。

長揖不受官,拂衣歸林巒。余亦去金馬,藤蘿同所攀。

相思在何處?桂樹青雲端。

 

 

315巻八29贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

毫墨時洒落、探玄有奇作。 著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。 余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

 

 

315巻八29贈參寥子   #1

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。
#2

毫墨時洒落、探玄有奇作。 著論窮天人、千春秘麟閣。

長揖不受官、拂衣歸林巒。 余亦去金馬、藤蘿同所歡。

相思在何處、桂樹青云端。

 

『贈參寥子』現代語訳と訳註解説
(
本文)
           #1
贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

骯臟辭故園、昂藏入君門。 天子分玉帛、百官接話言。

(下し文)

(參寥子に贈る)  #1

白鶴 天書を飛ばし、南荊に 高士を訪う。

五云 峴山に在り、果して 參寥子を得る。

骯臟 故園を辭し、昂藏 入君の門にる。

天子 玉帛を分ち、百官 話言に接す。

(現代語訳)
贈參寥子  #1(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。


(訳注)   #1

贈參寥子

(莊子に言う、參寥のような先生にこの詩を贈る)

1 參寥子 王琦の解に、「當時の逸士、其の姓名考える無し。蓋し、莊子のって、以て號と為せるなる。莊子に:𤣥冥、之を參寥に聞く、參寥、之を疑始に聞くとあり。崔云う:皆、古人の姓名、或は之を寓するのみ、其の人無し、と。 李云う、參、高なり、高邈 寥 曠 名づく可からざるなり。」とある。隱逸した高士であるが、名前も、生まれもわからず、しかし、存在感を消しているのに、あえば尊敬できる人物であったということであろう。

 

白鶴飛天書、南荊訪高士。

白鶴が天宮から賜った書を帯びて飛んで行く、その跡を慕って、楚地に高士をたずねてきたのである。

2 南荊 楚血をいう。陸機 《演連珠》「南有寡和之歌。」(寡和の歌有り。)李善註に南とは楚を謂うなり。

 

五云在峴山、果得參寥子。

五雲たなびく峴山にいたって、參寥子といふ人に出遭った。

3 五云 五色の雲。參某は隠遁者、仙人であるから常侍白雲が随行する。五雲は彩雲であり、朝日に光ることを言う。

4 峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。《无和郡縣志》「峴山在襄州襄陽縣東南九里、東/臨漢、水古今大路。」(峴山は襄州襄陽縣の東南九里に在り、東に漢水を/臨み、古今の大路なり。)とあり、 《水經》の註に「峴山羊祜之鎮襄陽也、與鄒潤甫嘗登之。及祜薨後、後人立碑於故處、望/者悲感、杜元凱謂之墮淚碑。」(峴山羊祜の鎮は襄陽なり、與鄒潤甫は嘗て之に登る。祜に及び薨の後、後の人は故の處に碑立した、望む者は悲感し、杜元凱は之を墮淚碑と謂う。)とある。

《卷9-03憶襄陽舊遊贈馬少府巨》

憶襄陽舊遊贈馬少府巨#1

昔為大堤客,曾上山公樓。

開窗碧嶂滿,拂鏡滄江流。

高冠佩雄劍,長揖韓荊州。

此地別夫子,今來思舊遊。

(襄陽の舊遊を憶い 馬少府巨に贈る)

昔 大堤の客と為り,曾て上る 山公の樓。

窗を開けば 碧嶂滿ち,鏡を拂うて滄江流る。

高冠 雄劍を佩び,長揖す 韓荊州。

此の地 夫子に別れ,今來 舊遊を思う。

#2

朱顏君未老,白髮我先秋。

壯志恐蹉跎,功名若雲浮。

歸心結遠夢,落日懸春愁。

空思羊叔子,墮淚峴山頭。

 

朱顏 君 未だ老いず,白髮 我れ先づ秋。

壯志 蹉跎を恐る,功名 雲の浮ぶが若し。

歸心 遠夢を結び,落日 春愁を懸く。

空しく思う 羊叔子,淚を墮す峴山頭。

285-#2 《卷9-03憶襄陽舊遊贈馬少府巨》#2Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <285-#2> Ⅰ李白詩1570 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6398

143巻四18襄陽曲四首其二

山公醉酒時。 酩酊高陽下。頭上白接籬。 倒著還騎馬。

144巻四19襄陽曲四首其三

峴山臨漢江。 水綠沙如雪。上有墮淚碑。 苔久磨滅。

145巻四20襄陽曲四首其四

且醉習家池。 莫看墮淚碑。 山公欲上馬。 笑殺襄陽兒。

206卷六01襄陽歌

落日欲沒峴山西。 倒著接籬花下迷。襄陽小兒齊拍手。

315巻八29卷八贈參寥子

白鶴飛天書、南荊訪高士。 五云在峴山、果得參寥子。

754巻二一32 峴山懷古

訪古登峴首、憑高眺襄中。天清遠峰出、水落寒沙空。

峴山 襄陽県の東南にある山で、漢水にのぞむ。唐代の名勝の地。

「峴山の詩」孟浩然 与諸子登峴山 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -305

「峴山の詩」張九齢 登襄陽峴山 李白「峴山懐古」関連   Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -306

峴山の詩] 陳子昂 峴山懷古 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -307

還至端駅前与高六別処 張説 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -308

輿黄侍御北津泛舟 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -309

峴山送張去非遊巴東(峴山亭送朱大) 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 350 -310

過故人莊 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -311

 

骯臟辭故園、昂藏入君門。

われは、高亢律直をもって、世に容れられず翰林院を辞し、長安を出た。意気昂然として、君の門に入ったのである。

5 骯臟 高亢律直の貌。

6 辭故園 それまで勤めてきた翰林院を辞したこと。

7 昂藏 意気昂然の貌。

 

天子分玉帛、百官接話言。

君は当世の大人物で、天子は、玉帛を幣物として、わざわざ招致され、百官は、談話を交え、頻りに優遇してくれたのである。

8 玉帛 神前にささげる供物。幣物、賜り物 贈もの 貰い物 到来物。

9 話言 才知に優れ、徳のあるものが聖天子のもとに百官、臣下は談話を交え、頻りに優遇するということ。《詩經、大雅、抑》「其維哲人、告之話言、順德之行。」(其れ維れ哲人は、之に話言を告ぐれば、德に順いて之れ行う。)に基づく。

744年年44歳-18李太白集291巻八05贈任城盧主簿  432Index-24Ⅲ-3 Ⅰ李白詩1808 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580

李白  贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。 臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)  《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

李太白集 卷八05

贈任城盧主簿

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7580

Index-24  744年天寶三年44歳 56-18

432 <1000

 

 

744年天寶三年44-1856首】

-380-291巻八05 贈任城盧主簿  (海鳥知天風,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

卷一六八              05 

文體:

五言古詩

李太白集 

05

 

 

詩題:

贈任城盧主簿 (贈任城盧主簿潛)

序文

作地點:

河南道、州、任城縣、魯門東

及地點:

任城 (河南道 兗州 任城) 別名:濟寧

 

交遊人物:

盧主簿    當地交遊(河南道 兗州 任城)

交遊人物:

 

 

 

 

李太白集291巻八05贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

 

李太白集補注  贈任城盧主簿潛(卷九(一)六○○)

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思淩空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同?

歸來未忍去,流淚謝鴛鴻。

 

全唐詩 卷168_5 《贈任城盧主簿》李白 

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思淩空。 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。 

 

李太白集注巻九     錢塘 王𤦺 撰

  贈任城盧主簿潛

  蕭本少潛字《唐書地理志》河南道州有任城縣」 唐官制縣令之佐有主簿其位在丞之下尉之上京縣二人從八品畿縣上縣者正九品中縣下縣者從八品各一人

海鳥知天風,竄身魯門東。臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

莊子 昔者海鳥止於魯郊魯侯御而觴之於廟

詳見 《大鵬賦註揚雄解嘲矯翼厲翮 

李周翰註矯舉也南齊書孝感烟霜

 

 

李太白集分類補註巻九  宋 楊齊賢 集註   元 蕭士贇 補註

   贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

齊賢曰魯語海鳥曰爰居止于魯東門展禽曰今海有災乎夫廣川鳥獸常知避其災也

海多大風 莊子 云昔者海

鳥止於魯郊魯侯御、而觴之于廟奏九韶以為樂具太/牢以為膳鳥乃眩視憂悲不敢食一臠不敢飲一杯

 

 

 

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

 

河南道 兗州 瑕丘 徂徠山 00 

『贈任城盧主簿』現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈任城盧主簿

海鳥知天風,竄身魯門東。

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

(下し文)
(任城の盧潜主簿に贈る)

海鳥は天風を知り,身を魯門の東に竄す。

觴に臨んで 飲む能わず,翼を矯げて 空を凌がんとを思う。

鐘鼓 樂しみと為さず,煙霜 誰かと同じからん。

歸り飛んで 未だ去るに忍びず,淚を流して 鴛鴻に謝す。

(現代語訳)
贈任城盧主簿 (任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

李白図102
(訳注) 

贈任城盧主簿

(任城の主簿の盧潜というものに贈った詩で、海鳥を以て自らを此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相い憐むの意に本づいて、惜別に及んだもの)

1 この詩は、李白が任城に往った時、その縣令から、物質的には随分好過されたのであるが、その人が除りわけの分かった人物でもなかったらしく、そこで不満で堪まらず、やがて辭して去ろうとするとき、この詩を作って、主簿の盧潜といふものに贈ったのである。

この詩は、全篇が比喩であって、海鳥を以て自ら此し、鴛鴻を以て主簿に擬し、同類相憐むの意に本づいて、惜別に及んだのである。

河南道、州、任城縣、魯門東 

2 兗州 兗州は山東省西南部の魯西南平原に位置する。東には曲阜の孔子ゆかりの「三孔」を仰ぎ,西には梁山県の水滸伝ゆかりの沼沢地(梁山泊)があり、北には泰山がそびえ、南には微山湖を望むため、「東文、西武、北岱、南湖」と呼ばれる。また、「杜甫」ゆかりの地である少陵台もある。いま、全市の総面積は651平方キロメートルで農地面積は60万畝ほど。泗河が南西から北東に流れ、その西北岸に兗州の中心市街地がある。昔の県城内には府河という小さな川が流れ、九仙橋や中御橋などが架かる。

3 任城 唐時代、兗州に属した、今の山東省済寧州治。秦に対する合従連衡を説いた蘇秦が〈亢父(こうほ)の険〉と呼び,斉国防御の要地としたのもこの地である。漢代には任城県が置かれ,後漢には任城国となり,以後州郡の中心となった。《唐書地理志に「河南道州有任城縣」(河南道、州に任城縣が有ると記してある。 

杜甫《巻一07與任城許圭簿遊南池》

224_17 《與任城許主簿游南池(池在濟寧州境)》杜甫 

秋水通溝洫,城隅進小船。晚涼看洗馬,森木亂鳴蟬。 

菱熟經時雨,蒲荒八月天。晨朝降白露,遙憶舊青氈。 

(任城の許主簿と南池に遊ぶ)

秋水溝洫に通ず、城隅より小船を進む。晩涼に洗馬を看る、森木に鳴蝉乱る。

菱は熟す時を経たるの雨、蒲は荒る八月の天。晨朝白露降らん、遙に憶う舊青氈。

176_3 《魯郡東石門送杜二甫》李白 

酔別復幾日、登臨徧池臺。何言石門路、重有金樽開。

秋波落泗水、海色明徂徠。飛蓬各自遠、且尽林中盃。

 (魯郡の東 石門にて杜二甫を送る)

酔別(すいべつ)()た幾日(いくにち)ぞ、登臨(とうりん)池台(ちだい)に徧(あまね)し。

何ぞ言わん石門(せきもん)の路(みち)、重ねて金樽(きんそん)の開く有らんと。

秋波(しゅうは)泗水(しすい)に落ち、海色(かいしょく) 徂徠(そらい)に明かなり。

飛蓬(ひほう)各自(かくじ)遠し、且(しばら)く林中(りんちゅう)の盃(はい)を尽くさん。

・魯郡 いまの山東省兗州市。・石門 いまの山東省曲阜県の東北、泗水の岸にあった。

4 主簿 主簿は記録を掌る官。また、唐の官制として、縣令の佐に主簿が有って其の位は丞の下、尉の上に在り、京縣には二人、從八品、畿縣上縣には正九品、中縣下縣には從八品おのおの一人ということ。

 

海鳥知天風,竄身魯門東。

《莊子至樂》でいう、むかし、海鳥が天風の荒きに堪へ兼ねて、魯の東の城門に逃げてくると、魯の君王は非常に之を好遇したという。

5 海鳥 海鳥は、海洋に生息する鳥の総称。 沿岸部に棲息する鳥は水鳥に含める。 大洋を飛び回るアホウドリ、カツオドリ、ネッタイチョウなどが代表。 繁殖時には陸に巣を作る。いくつかの種は、孤島で集団繁殖をする。ここでは、集団から脱逃したものをいう。

竄身 竄:1 もぐる。逃げ隠れる。「竄入」2 遠隔地へ追放する。「流竄 (りゅうざん・るざん) 3 文章を書き改める。「改竄」。

魯門東 魯の東の城門。魯は、中国の王朝名・地名。地名としての魯は現在の中国山東省南部を指す。山東省全体の略称としても用いられる。 王朝としての魯は、中国大陸に周代、春秋時代、戦国時代に亘って存在した国である。代々の魯公の爵位は侯爵であり、姓は姫である。首府は曲阜。 周公旦の子伯禽が成王によって封ぜられて成立した。

特に、初句4句は《莊子、外篇、至樂)「昔者海鳥止於魯郊,魯侯御而觴之於廟,奏九韶以為樂,具太牢以為膳。鳥乃眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯,三日而死。此以己養養鳥也,非以鳥養養烏也。」(昔者、海鳥 魯の郊に止まる,魯侯 御【むか】えて 之を廟に觴し,九韶を奏して以て樂と為し,太牢を具えて 以て膳と為す。鳥 乃ち眩視憂悲す。敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず,三日にして死す。此れ己れが養を以て鳥を養うなり,鳥の養を以て烏を養うに非ざるなり。)に基づく。

 

臨觴不能飲,矯翼思凌空。

礼を尽くし、廟に觴し、九韶の樂を奏して、これを楽しませることに務めたが、海鳥は、これまで、このような事に出食わした経験もなく、眩視憂悲して、「敢えて一臠を食わず,敢えて一杯を飲まず」と、翼をあげで大空に飛びたいと思ったのである。

臨觴不能飲 海鳥に対する接し方ではないため、盃に臨みのむことしない、「眩視憂悲。不敢食一臠,不敢飲一杯。」相手のことを無視し、自分の思いで歓待した。鳥の養い方でなく、人間の歓待方法でもてなしたこと。

 

鐘鼓不為樂,煙霜誰與同。

鐘鼓の賑やかなことも、少しもたのしいことという心持はしない、野外の煙霜に其身をさらしてこそ海鳥であり、そうしたいと思って居たのである。

煙霜誰與同 同じく《莊子、外篇、至樂》「夫以鳥養養鳥者、宜栖之深林、遊之壇陸、浮之江湖、食之 隨行列而止、委蛇而處。」(夫れ鳥を養う以て鳥を養う者は、宜しく之を深林に栖せ、之を壇陸に遊せ、之を江湖に浮せ、之に 食わせ、行列に隨いて止まり、委蛇して處しむべし)と、のんびりとしたそれぞれにあった、環境の中に住まわせてやることが養うことである。

 

歸飛未忍去,流淚謝鴛鴻。

自分も、この任城の地に来り、非常に優遇はされたが、逆に少しも満足することができず、今まさに「海鳥」のように、帰り飛ばんとおもっている。唯だ、君だけは、同類の鴛鴻と思い、今まで親密にしていたのである、物とはなしに別れ兼ね、ここに覚えず涙を流して、御挨拶を申し上げるのである。

743年(59)李太白集卷八36-《贈盧徵君昆弟》#2 378-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(59) Ⅰ李白詩1731 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7195

李白  贈盧徵君昆弟 #2

滄州即此地,觀化遊無窮。水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

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年:743年天寶二年43歳 94-59

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈盧徵君昆弟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              

交遊人物/地點:盧徵君昆弟             書信往來

 

 

贈盧徵君昆弟

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

明主訪賢逸,雲泉今已空。

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

二盧竟不起,萬乘高其風。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

河上喜相得,壺中趣每同。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

#2

滄州即此地,觀化遊無窮。

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

 

(盧徵君の昆弟に贈る)

明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。

二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。

河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。

#2

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

 

『贈盧徵君昆弟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

(下し文)
#2

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

(現代語訳)
#2

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。

かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。

徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

大明宮の圖003
(訳注)

贈盧徵君昆弟

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

1    盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。

 

滄州即此地,觀化遊無窮。

徵君は、その山をもって滄州と見做し、静かに宇宙の物化をみて、こころを無窮の大道に遊ばしめるのである。

8 滄州 実際の地名というよりは、水辺の土地をいい、隠者の住むところを象徴する。東方の海上にあると信じられた仙人の島。謝眺『之宣城、出新林浦、向版橋』『文選』巻二七に「既懽懐禄情、復協滄州趣」(禄を得たいという心情にもかない、また隠遁したいという心にもかなうのだ)とある。《巻八15玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》「功成拂衣去,搖曳滄洲傍。」(功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。こうして、この世において思う存分功業を成し遂げ、衣を払って去り、かの滄州のほとりに逍遥して仙郷を味わいたいと思っておるところで、その辺りをお含み頂、ご登用の御助力をいただきたいものである。

李白『夜泊黄山聞殷十四呉吟』「朝来果是滄州逸、酤酒提盤飯霜栗。」『春日獨酌 二首 其二』「我有紫霞想、緬懷滄洲間。」

 

水落海上清,鼇背睹方蓬。

かくて、晩秋のころ、気の葉が落ち尽くし、鼇背にある蓬萊島が目の当たりに見える時分に、わたしも徵君を訪ねた。

9. 鼇背 おおうみがめの背。想像上の動物の名。海中に住み、背に蓬莱山などの仙山を背負っているという。おおうみがめが背にのせているという、海中の仙山の峰。②翰林院のこと。

10 方蓬 東海の蓬莱山。神仙三山、蓬莱、瀛州、方丈をいう。

 

與君弄倒景,攜手凌星虹。

徵君兄弟とともに、日映中に浮べる倒影を弄し、手を携えて、天空を飛行し、あの星虹を凌いで瑤闕に朝したいと思っているのである。

11 倒景 大陽が沈んだあと、日の光が西から照り返すこと。夕日。 2.水面に逆さまに写った景色。逆さに映った影。倒影(とうえい)

12 星虹 星の虹の架け橋。《巻06-08 元丹丘歌》「躡星虹,身騎飛龍耳生風。」

 

京兆地域図002洛陽 函谷関 嵩山005 

 

 

 

贈盧徵君昆弟  【字解】

 

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

1 盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。《新唐書》卷一百九十六〈隱逸列傳盧鴻〉“盧鴻字顥然,其先幽州范陽人,徙洛陽。博學,善書籀。廬嵩山。玄宗開元初,備禮徵再,不至。五年,詔曰:「鴻有泰一之道,中庸之德,鉤深詣微,確乎自高。詔書屢下,每輒辭託,使朕虛心引領,于今數年。雖得素履幽人之介,而失考父滋恭之誼,豈朝廷之故與生殊趣邪?將縱欲山林,往而不能反乎?禮有大倫,君臣之義不可廢也。今城闕密邇,不足為勞,有司其齎束帛之具,重宣茲旨,想有以翻然易節,副朕意焉。」鴻至東都,謁見不拜,宰相遣通事舍人問狀,答曰:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝召升殿,置酒。拜諫議大夫,固辭。復下制,許還山,給米百斛、絹五十,府縣為致其家,朝廷得失,其以狀聞。將行,賜隱居服,官營草堂,恩禮殊渥。鴻到山中,廣學廬,聚徒至五百人。及卒,帝賜萬錢。鴻所居室,自號寧極云。(盧鴻は字を顥然,其の先は幽州范陽の人,洛陽に徙【うつ】る。博學,善く籀を書す。嵩山に廬す。玄宗開元の初,禮を備えて徵すこと再,至らず。五年,詔して曰く:「鴻 泰一の道有り,中庸の德,詣微を鉤深し,確乎自ら高す。詔書屢ば下し,每に輒ち託を辭し,朕 虛をして心 領を引き,今に于て數年。素履 幽人の介を得ると雖も,而て父滋恭の誼を失考し,豈に朝廷に之き故に與生殊趣邪?將に山林に縱欲し,往き能反せずや?禮 大倫に有り,君臣の義 廢す可からざるなり。今 城闕密邇し,勞を為すに足らず,司有り其の齎 帛の具を束し,重ねて茲の旨を宣し,想う有り 以て翻然易節 朕の意を,副えんや。」鴻 東都に至り,謁見して拜せず,宰相 遣通事舍人問狀,答えて曰く:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝 召して殿に升り,置酒す。諫議大夫に拜せらる,固辭す。復た制を下し,山に還えるを許し,米百斛、絹五十を給し,縣に府し 其の家に致るを為し,朝廷得失し,其れ以て狀聞す。將て行き,隱居の服を賜い,草堂を官營す,禮に恩渥をし殊にす。鴻 山中にり,廣く廬に學び,聚徒至五百人に。卒するに及び,帝 萬錢を賜う。鴻 居る所の室,自ら寧極と號すと云う。)

2 徵君征君  征士の尊稱。 《後漢書黃憲傳》「友人勸其仕, 憲亦不拒之, 暫到京師而還, 竟無所就。 年四十八終, 天下號曰徵君。」(友人 其の仕を勸む, 憲 亦た之を拒まず, 暫く京師に到りて還る, 竟に就く所無く。 年四十八にして終る, 天下に號して徵君と曰う。)

3 雲泉 雲が生じるのは、巌洞の泉湧くところであるということ。

4 二盧 征士である盧徵君兄弟のこと。

5 萬乘 万乗の天子。

6 河上 河上公。河上公とは如何なる人物であるのか。河上公注『老子』につけられた、葛玄の序という文章によると、河上公は姓名未詳。前漢の文帝の時に黄河の岸辺に隠居して、『老子』を読み解いていた。文帝は、河上公が『老子』に通じていると聞いて召し寄せようとしたが、「そんなことでは道や徳は教えられない」と河上公が上京を拒むので、しかたなく文帝みずからが出向いてその非礼を責めたところ、河上公は手を打ってふわりと虚空に浮かび上がり、自分は帝王の指図を受けぬと宣言する。そこで文帝は河上公が神人であると悟り、礼を尽くして教えを乞うたところ、河上公は『老子道徳経章句』二巻を文帝に授け、「これをよく研究すれば、『老子』は分かるだろう。余がこの経に注をつけて以来、千七百年になるが、伝授したのは、あなたを含めて四人だけだ。人には見せるな」と言った。伝授を終えると、河上公はどこかに消えた、と。葛玄の序はそのように説く。河上公もまた、謎に満ちた人物である。

神仙傳「河上公者,莫知其姓名也。漢孝文帝時,結草為庵於河之濱,常讀老子道德經。時文帝好老子之道,詔命諸王公大臣州牧在朝卿士,皆令誦之,不通老子經者,不得陛朝。帝於經中有疑義,人莫能通,侍郎裴楷奏雲:陜州河上有人誦老子。即遣詔使所疑義問之,公曰:「道尊德貴,非可遙問也。」帝即嘉幸詣之,公在庵中不出,帝使人謂之曰:「溥天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王民,域中四大,而王居其一,子雖有道,猶朕民也,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」須臾,公即拊掌坐躍,冉冉在空虛之中,去地百余尺,而止於虛空,良久,俛而答曰:「余上不至天,中不累人,下不居地,何民之有焉?君宜能令余富貴貧賤乎?」帝大驚,悟知是神人,方下輦稽首禮謝曰:「朕以不能,忝承先業,才小任大,憂於不堪,而誌奉道德,直以暗昧,多所不了,惟願道君垂湣,有以教之。」河上公即授素書老子道德章句二卷,謂帝曰:「熟研究之,所疑自解。余著此經以來,千七百余年,凡傳三人,連子四矣,勿視非人!」帝即拜跪受經,言畢,失公所在。遂於西山築臺望之,不復見矣。論者以為文帝雖耽尚大道,而心未純信,故示神變以悟帝,意欲成其道,時人因號河上公。」

神仙傳「河上公は,其の姓名を知る莫し也。漢の孝文帝の時,草を結び庵を河の濱を為る,常に老子は道德經を讀む。時に文帝 老子の道を好み,詔命して諸王公大臣州牧 朝卿士在り,皆 之を誦ぜ令む,老子經を通ぜざる者,陛朝を得ず。帝 經中に疑義有り,人は能く通ずること莫れ,侍郎裴楷 奏して雲う:陜州河上 人有り 老子を誦す。即ち遣詔使 疑義を所し 之を問う,公曰く:「道は尊く德は貴し,遙に問う可きに非ざる也。」と。帝 即ち嘉び幸にして之を詣し,公 庵中に在りて出でず,帝 人を使し 之を謂うて曰く:「溥天の下,王土非ざるは莫く,率土の濱,王民非ざるは莫し,域中四大,而して王居其一は,子 道有りと雖も,猶お朕の民なり,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」と。須臾して,公 即ち掌を拊して坐躍すれば,冉冉として空虛の中に在り,地を去ること百余尺,而して虛空に止み,良久,俛して答えて曰く:「余 上 天に至らず,中 人に累せず,下 地に居らず,何の民か之れ有らんと?君 宜く能く余 富貴貧賤か?」と。帝 大いに驚き,是れ神人を悟知し,方に輦を下りて稽首し禮謝して曰く:「朕 以て能わず,忝承して先業し,才は小 任は大,憂 堪えず,而して誌は道德を奉り,直ちに以て暗昧し,多所 了らず,惟だ願うは道君垂湣,有 以て之を教う。」河上公 即ち素書、老子道德章句二卷を授け,帝に謂うて曰く:「熟して之を研究し,所疑 自ら解す。余 此經を著して以來,千七百余年,凡そ三人に傳え,子を連ねて四と,視る勿れ人に非らず!」帝 即ち拜跪して經を受け,言畢って,公在る所を失う。遂に 西山 臺を築き 之を望み,復た見るなし。論者 以て文帝を為し 耽すと雖も 尚お大道,而して心 未だ純信せず,故に神變を示し以て帝を悟り,意 其の道を成さんと欲し,時に人に因り河上公と號す。」と。

7 壺中趣  壺中有天。 現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。自分だけの時間と世界をもてる幸せを大切にしたいもの。後漢書に「費長房が役所の二階から何気なく町中の老商人を眺めていた。仕事を終えた老商人があたりを見回し、ポンと壺に入り込んでしまった。不思議に思った彼が翌日、老商人を問い詰めた。『見られたか。じゃ仕方がない。ついておいで』と大きな壷の中に誘った。壷の中は彼が見たこともない別天地だった。」という故事による。老商人の壺中有天は、彼の現実の生活、その人生の中に開けている楽しみであって、費長房のものでないということに留意すべきであると。

《後漢書》卷八十二下《方術傳·費長房傳》“費長房者,汝南人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。……翁知長房之意其神也,……長房遂欲求道,而顧家人為憂。翁乃斷一青竹,度與長房身齊,使懸之舍後。家人見之,即長房形也,以為縊死,大小驚號,遂殯葬之。……長房辭歸,翁與一竹杖,曰:「騎此任所之,則自至矣。既至,可以杖投葛陂中也。」又為作一符,曰:「以此主地上鬼神。」長房乘杖,須臾來歸,自謂去家適經旬日,而已十餘年矣。……遂能醫療疾,鞭笞百鬼,及驅使社公。……後東海君來見葛陂君,因淫其夫人,於是長房劾繫之三年,而東海大旱。長房至海上,見其人請雨,乃謂之曰:「東海君有罪,吾前繫於葛陂,今方出之使作雨也。」於是雨立注。長房曾與人共行,見一書生黃巾被裘,無鞍騎馬,下而叩頭。長房曰:「還它馬,赦汝死罪。」人問其故,長房曰:「此狸也,盜社公馬耳。」又嘗坐客,而使至宛市鮓,須臾還,乃飯。或一日之閒,人見其在千里之外者數處焉。後失其符,為眾鬼所殺。”

(費長房は,汝南の人也。曾て市掾を為す。市中に老翁賣藥する有り,肆頭に一壺に懸り,市罷に及び,輒ち跳んで壺中に入る。……翁 長房の意、其の神を知る也,……長房 遂に道を求めんと欲す,而して家人をて憂を為す。翁 乃ち一び青竹を斷じ,度と長房とに身を齊し,之を懸け舍後とせん。家人 之を見,即ち長房の形なり,以て縊死と為す,大小 驚いて號し,遂に殯して之を葬す。……長房 辭して歸り,翁と一に竹杖す,曰く:「騎して此の任所に之く,則ちら自る至矣。既ち至って,以て葛陂の中に杖を投じすべしなり。」又 一符を作る為し,曰く:「以て此の主地は鬼神に上る。」長房 杖に乘り,須臾して來り歸えり,自謂う家を去って經旬に適く日,而して已に十餘年。……遂に能く醫療疾し,百鬼に鞭笞し,驅して社公に及ぶ。……後に東海君來り葛陂君を見る,因に其の夫人を淫し,是に於いて長房は劾繫すること之れ三年,而して東海大いに旱す。長房海上に至り,其人が雨を請うを見て,乃ち之を謂うて曰く:「東海君罪有り,吾 葛陂に前繫す,今 方に之に出づれば雨を作さしむるなり。」是に於て雨注き立つ。長房 曾て人に與え共に行き,一書を見て黃巾の被裘を生ず,騎馬するに鞍無く,下りて頭を叩く。長房曰く:「它馬還り,汝死罪を赦さる。」人問うて其れ故に,長房曰く:「此れ狸なり,社公の馬耳を盜む。」又嘗坐客し,而して宛市の鮓に至らしむ,須臾して還り,乃ち飯。或いは一日之を閒く,人は其れを見て 千里の外に在る者は數處なり。後に其の符を失い,眾鬼 殺す所と為す。)

に基づく。

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李白  《贈盧徵君昆弟》 明主訪賢逸,雲泉今已空。

二盧竟不起,萬乘高其風。 河上喜相得,壺中趣每同。

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

743年(59)李太白集卷八36-#1《贈盧徵君昆弟》(明主訪賢逸,) 378Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-59) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-59

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈盧徵君昆弟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:盧徵君昆弟             書信往來

 

 

贈盧徵君昆弟 #1

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)
明主訪賢逸,雲泉今已空。

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

二盧竟不起,萬乘高其風。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

河上喜相得,壺中趣每同。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

 

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

 

(盧徵君の昆弟に贈る)

明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。

二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。

河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。

#2

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

大明宮の圖003 

『贈盧徵君昆弟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈盧徵君昆弟

明主訪賢逸,雲泉今已空。

二盧竟不起,萬乘高其風。

河上喜相得,壺中趣每同。

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。

(下し文)
(盧徵君の昆弟に贈る)

明主 賢逸を訪い,雲泉 今 已に空し。

二盧 竟に起たず,萬乘 其の風を高し。

河上 相い得るを喜び,壺中 趣 每に同じゅうす。

滄州 即ち此の地,化を觀て 無窮に遊ぶ。

水落ちて 海上清く,鼇背に 方蓬を睹る。

君と倒景を弄し,手を攜えて星虹を凌がん。

(現代語訳)
贈盧徵君昆弟#1(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

滄州即此地,觀化遊無窮。

水落海上清,鼇背睹方蓬。

與君弄倒景,攜手凌星虹。
汜水関などの地図
(訳注)

贈盧徵君昆弟

(高操の美といえる盧徵君兄弟を尊敬しこの詩を贈る。)

1 盧徵君 盧鴻を征士の尊稱、徵君と号されたのと同じような人物として盧徵君兄弟をいう。《新唐書》卷一百九十六〈隱逸列傳盧鴻〉“盧鴻字顥然,其先幽州范陽人,徙洛陽。博學,善書籀。廬嵩山。玄宗開元初,備禮徵再,不至。五年,詔曰:「鴻有泰一之道,中庸之德,鉤深詣微,確乎自高。詔書屢下,每輒辭託,使朕虛心引領,于今數年。雖得素履幽人之介,而失考父滋恭之誼,豈朝廷之故與生殊趣邪?將縱欲山林,往而不能反乎?禮有大倫,君臣之義不可廢也。今城闕密邇,不足為勞,有司其齎束帛之具,重宣茲旨,想有以翻然易節,副朕意焉。」鴻至東都,謁見不拜,宰相遣通事舍人問狀,答曰:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝召升殿,置酒。拜諫議大夫,固辭。復下制,許還山,給米百斛、絹五十,府縣為致其家,朝廷得失,其以狀聞。將行,賜隱居服,官營草堂,恩禮殊渥。鴻到山中,廣學廬,聚徒至五百人。及卒,帝賜萬錢。鴻所居室,自號寧極云。(盧鴻は字を顥然,其の先は幽州范陽の人,洛陽に徙【うつ】る。博學,善く籀を書す。嵩山に廬す。玄宗開元の初,禮を備えて徵すこと再,至らず。五年,詔して曰く:「鴻 泰一の道有り,中庸の德,詣微を鉤深し,確乎自ら高す。詔書屢ば下し,每に輒ち託を辭し,朕 虛をして心 領を引き,今に于て數年。素履 幽人の介を得ると雖も,而て父滋恭の誼を失考し,豈に朝廷に之き故に與生殊趣邪?將に山林に縱欲し,往き能反せずや?禮 大倫に有り,君臣の義 廢す可からざるなり。今 城闕密邇し,勞を為すに足らず,司有り其の齎 帛の具を束し,重ねて茲の旨を宣し,想う有り 以て翻然易節 朕の意を,副えんや。」鴻 東都に至り,謁見して拜せず,宰相 遣通事舍人問狀,答えて曰く:「禮者,忠信所薄,臣敢以忠信見。」帝 召して殿に升り,置酒す。諫議大夫に拜せらる,固辭す。復た制を下し,山に還えるを許し,米百斛、絹五十を給し,縣に府し 其の家に致るを為し,朝廷得失し,其れ以て狀聞す。將て行き,隱居の服を賜い,草堂を官營す,禮に恩渥をし殊にす。鴻 山中にり,廣く廬に學び,聚徒至五百人に。卒するに及び,帝 萬錢を賜う。鴻 居る所の室,自ら寧極と號すと云う。)

2 徵君, 征君  征士の尊稱。 《後漢書黃憲傳》「友人勸其仕, 憲亦不拒之, 暫到京師而還, 竟無所就。 年四十八終, 天下號曰徵君。」(友人 其の仕を勸む, 憲 亦た之を拒まず, 暫く京師に到りて還る, 竟に就く所無く。 年四十八にして終る, 天下に號して徵君と曰う。)

 

明主訪賢逸,雲泉今已空。

明主は上に在って、隠逸の賢者を訪求せられているけれど、漢のころからの徵君と称されるものは、たいてい召し出され、今や、山中雲がわく巌洞までもを探してもそういう人はいないであろう。

3 雲泉 雲が生じるのは、巌洞の泉湧くところであるということ。

 

二盧竟不起,萬乘高其風。

しかし、ここに征士である盧徵君兄弟は、しばしば召されたが、ついに立たず、万乗の天子もその高風を称賞せられた。

4 二盧 征士である盧徵君兄弟のこと。

5 萬乘 万乗の天子。

 

河上喜相得,壺中趣每同。

盧徵君兄弟は、昔の河上公とあい得て、定めて喜ばしく、また仙人が壺中に別世界を幻出するその趣と常々同一なのである。

6 河上 河上公。河上公とは如何なる人物であるのか。河上公注『老子』につけられた、葛玄の序という文章によると、河上公は姓名未詳。前漢の文帝の時に黄河の岸辺に隠居して、『老子』を読み解いていた。文帝は、河上公が『老子』に通じていると聞いて召し寄せようとしたが、「そんなことでは道や徳は教えられない」と河上公が上京を拒むので、しかたなく文帝みずからが出向いてその非礼を責めたところ、河上公は手を打ってふわりと虚空に浮かび上がり、自分は帝王の指図を受けぬと宣言する。そこで文帝は河上公が神人であると悟り、礼を尽くして教えを乞うたところ、河上公は『老子道徳経章句』二巻を文帝に授け、「これをよく研究すれば、『老子』は分かるだろう。余がこの経に注をつけて以来、千七百年になるが、伝授したのは、あなたを含めて四人だけだ。人には見せるな」と言った。伝授を終えると、河上公はどこかに消えた、と。葛玄の序はそのように説く。河上公もまた、謎に満ちた人物である。

神仙傳「河上公者,莫知其姓名也。漢孝文帝時,結草為庵於河之濱,常讀老子道德經。時文帝好老子之道,詔命諸王公大臣州牧在朝卿士,皆令誦之,不通老子經者,不得陛朝。帝於經中有疑義,人莫能通,侍郎裴楷奏雲:陜州河上有人誦老子。即遣詔使所疑義問之,公曰:「道尊德貴,非可遙問也。」帝即嘉幸詣之,公在庵中不出,帝使人謂之曰:「溥天之下,莫非王土,率土之濱,莫非王民,域中四大,而王居其一,子雖有道,猶朕民也,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」須臾,公即拊掌坐躍,冉冉在空虛之中,去地百余尺,而止於虛空,良久,俛而答曰:「余上不至天,中不累人,下不居地,何民之有焉?君宜能令余富貴貧賤乎?」帝大驚,悟知是神人,方下輦稽首禮謝曰:「朕以不能,忝承先業,才小任大,憂於不堪,而誌奉道德,直以暗昧,多所不了,惟願道君垂湣,有以教之。」河上公即授素書老子道德章句二卷,謂帝曰:「熟研究之,所疑自解。余著此經以來,千七百余年,凡傳三人,連子四矣,勿視非人!」帝即拜跪受經,言畢,失公所在。遂於西山築臺望之,不復見矣。論者以為文帝雖耽尚大道,而心未純信,故示神變以悟帝,意欲成其道,時人因號河上公。」

神仙傳「河上公は,其の姓名を知る莫し也。漢の孝文帝の時,草を結び庵を河の濱を為る,常に老子は道德經を讀む。時に文帝 老子の道を好み,詔命して諸王公大臣州牧 朝卿士在り,皆 之を誦ぜ令む,老子經を通ぜざる者,陛朝を得ず。帝 經中に疑義有り,人は能く通ずること莫れ,侍郎裴楷 奏して雲う:陜州河上 人有り 老子を誦す。即ち遣詔使 疑義を所し 之を問う,公曰く:「道は尊く德は貴し,遙に問う可きに非ざる也。」と。帝 即ち嘉び幸にして之を詣し,公 庵中に在りて出でず,帝 人を使し 之を謂うて曰く:「溥天の下,王土非ざるは莫く,率土の濱,王民非ざるは莫し,域中四大,而して王居其一は,子 道有りと雖も,猶お朕の民なり,不能自屈,何乃高乎?朕能使民富貴貧賤。」と。須臾して,公 即ち掌を拊して坐躍すれば,冉冉として空虛の中に在り,地を去ること百余尺,而して虛空に止み,良久,俛して答えて曰く:「余 上 天に至らず,中 人に累せず,下 地に居らず,何の民か之れ有らんと?君 宜く能く余 富貴貧賤か?」と。帝 大いに驚き,是れ神人を悟知し,方に輦を下りて稽首し禮謝して曰く:「朕 以て能わず,忝承して先業し,才は小 任は大,憂 堪えず,而して誌は道德を奉り,直ちに以て暗昧し,多所 了らず,惟だ願うは道君垂湣,有 以て之を教う。」河上公 即ち素書、老子道德章句二卷を授け,帝に謂うて曰く:「熟して之を研究し,所疑 自ら解す。余 此經を著して以來,千七百余年,凡そ三人に傳え,子を連ねて四と,視る勿れ人に非らず!」帝 即ち拜跪して經を受け,言畢って,公在る所を失う。遂に 西山 臺を築き 之を望み,復た見るなし。論者 以て文帝を為し 耽すと雖も 尚お大道,而して心 未だ純信せず,故に神變を示し以て帝を悟り,意 其の道を成さんと欲し,時に人に因り河上公と號す。」と。

7 壺中趣  壺中有天。 現実の世俗的生活の中に自らが創っている別天地。自分だけの時間と世界をもてる幸せを大切にしたいもの。後漢書に「費長房が役所の二階から何気なく町中の老商人を眺めていた。仕事を終えた老商人があたりを見回し、ポンと壺に入り込んでしまった。不思議に思った彼が翌日、老商人を問い詰めた。『見られたか。じゃ仕方がない。ついておいで』と大きな壷の中に誘った。壷の中は彼が見たこともない別天地だった。」という故事による。老商人の壺中有天は、彼の現実の生活、その人生の中に開けている楽しみであって、費長房のものでないということに留意すべきであると。
京兆地域図002洛陽 函谷関 嵩山005

《後漢書》卷八十二下《方術傳·費長房傳》“費長房者,汝南人也。曾為市掾。市中有老翁賣藥,懸一壺於肆頭,及市罷,輒跳入壺中。……翁知長房之意其神也,……長房遂欲求道,而顧家人為憂。翁乃斷一青竹,度與長房身齊,使懸之舍後。家人見之,即長房形也,以為縊死,大小驚號,遂殯葬之。……長房辭歸,翁與一竹杖,曰:「騎此任所之,則自至矣。既至,可以杖投葛陂中也。」又為作一符,曰:「以此主地上鬼神。」長房乘杖,須臾來歸,自謂去家適經旬日,而已十餘年矣。……遂能醫療疾,鞭笞百鬼,及驅使社公。……後東海君來見葛陂君,因淫其夫人,於是長房劾繫之三年,而東海大旱。長房至海上,見其人請雨,乃謂之曰:「東海君有罪,吾前繫於葛陂,今方出之使作雨也。」於是雨立注。長房曾與人共行,見一書生黃巾被裘,無鞍騎馬,下而叩頭。長房曰:「還它馬,赦汝死罪。」人問其故,長房曰:「此狸也,盜社公馬耳。」又嘗坐客,而使至宛市鮓,須臾還,乃飯。或一日之閒,人見其在千里之外者數處焉。後失其符,為眾鬼所殺。”

(費長房は,汝南の人也。曾て市掾を為す。市中に老翁賣藥する有り,肆頭に一壺に懸り,市罷に及び,輒ち跳んで壺中に入る。……翁 長房の意、其の神を知る也,……長房 遂に道を求めんと欲す,而して家人をて憂を為す。翁 乃ち一び青竹を斷じ,度と長房とに身を齊し,之を懸け舍後とせん。家人 之を見,即ち長房の形なり,以て縊死と為す,大小 驚いて號し,遂に殯して之を葬す。……長房 辭して歸り,翁と一に竹杖す,曰く:「騎して此の任所に之く,則ちら自る至矣。既ち至って,以て葛陂の中に杖を投じすべしなり。」又 一符を作る為し,曰く:「以て此の主地は鬼神に上る。」長房 杖に乘り,須臾して來り歸えり,自謂う家を去って經旬に適く日,而して已に十餘年。……遂に能く醫療疾し,百鬼に鞭笞し,驅して社公に及ぶ。……後に東海君來り葛陂君を見る,因に其の夫人を淫し,是に於いて長房は劾繫すること之れ三年,而して東海大いに旱す。長房海上に至り,其人が雨を請うを見て,乃ち之を謂うて曰く:「東海君罪有り,吾 葛陂に前繫す,今 方に之に出づれば雨を作さしむるなり。」是に於て雨注き立つ。長房 曾て人に與え共に行き,一書を見て黃巾の被裘を生ず,騎馬するに鞍無く,下りて頭を叩く。長房曰く:「它馬還り,汝死罪を赦さる。」人問うて其れ故に,長房曰く:「此れ狸なり,社公の馬耳を盜む。」又嘗坐客し,而して宛市の鮓に至らしむ,須臾して還り,乃ち飯。或いは一日之を閒く,人は其れを見て 千里の外に在る者は數處なり。後に其の符を失い,眾鬼 殺す所と為す。)

に基づく。


743年(58)李太白集巻八22-《贈郭將軍》(將軍少年出武威,) 377Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(58) Ⅰ李白詩1729 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7185

李白  贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

(郭子儀将軍に贈る詩)

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

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  2016年1月15日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-58

卷別:    卷一六八              文體:    七言律詩

詩題:    贈郭將軍

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              涼州 (隴右道東部 涼州 涼州) 別名:武威、武威郡      

銀臺門 (京畿道 京兆府 長安)           

紫微殿 (京畿道 京兆府 長安)           

交遊人物/地點:郭將軍      書信往來

 

 

贈郭將軍

(郭子儀将軍に贈る詩)

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

(郭將軍に贈る)

將軍 少年に武威に出で,銀臺に入り掌て紫微を護す。

平明 劍を拂って天に朝して去り,薄暮 鞭を垂れて 酒に醉うて歸る。

愛子 風に臨んで玉笛を吹き,美人 月に向って羅衣を舞わしむ。

疇昔 雄豪 夢裡の如し,相逢う 且つ春暉に醉んと欲す。

大明宮の圖003 

 

『贈郭將軍』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈郭將軍

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。
詩文(含異文)     將軍少年出武威【將軍豪蕩有英威】,入掌銀臺護紫微【昔掌銀臺護紫微】。平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉【今日相逢俱失路,何年灞上弄春暉】。


(下し文)
(郭將軍に贈る)

將軍 少年に武威に出で,銀臺に入り掌て紫微を護す。

平明 劍を拂って天に朝して去り,薄暮 鞭を垂れて 酒に醉うて歸る。

愛子 風に臨んで玉笛を吹き,美人 月に向って羅衣を舞わしむ。

疇昔 雄豪 夢裡の如し,相逢う 且つ春暉に醉んと欲す。

(現代語訳)
(郭子儀将軍に贈る詩)

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

長安城図 作図00
(訳注)

贈郭將軍

(郭子儀将軍に贈る詩)

郭子儀(かく しぎ、697 - 781年)は、中国、唐朝に仕えた軍人・政治家。玄宗、粛宗、代宗、徳宗の4代に仕えた。客家人[要出典]。安史の乱で大功を立て、以後よく異民族の侵入を防いだ。盛唐〜中唐期を代表する名将。憲宗(在位805 - 820年)の皇后郭氏は子儀の孫である。郭子儀 史書をひともいても、出生はもちろん幼少年期から青壮年期に至るまで、その来歴はほとんど記録に残されていない。地方長官の子息であったが、早くに父を喪ったのか、「蔭官」(父祖の功によって官職に就くこと)によって政界入りを果たした形跡はなく、武挙(官僚を選ぶ科挙と同じく武官を選ぶ試験)において優秀と認められて仕官を果たすが(新書・本伝「武挙の異等なるを以て左衛長史に補さる」および徐松 /孟二冬 補正『登科記考補正』巻27)、その後、単于副都護、振遠軍使に累進していったのは、おそらく中年期以降のことであろうと推測されるだけである。

唐代のみならず中国史上の大人物であり、後世画題として珍重されるほど有名人となるが、このように典型的な晩成型の人物であった。史書によると、玄宗の天宝8年(749年)に木剌山に横塞軍と安北都護府を設置した際、横塞軍使に命じられているのが、年号の確認できる最も早い時期の経歴であり、ときに既に53歳であった。李吉甫撰『元和郡県図志』巻4・天徳軍の条によると、「天宝八年、張斉丘 又た西可敦城に横塞軍を置き、又た中受降城より横塞軍を移して理む」と見え、呉廷燮撰『唐方鎮年表』(以下「年表」という)巻1によると、翌天宝9年まで節度使であった張斉丘(あるいは「張斉邱」とも)の配下にあったようである。

李白は安史の乱では粛宗の弟の永王李璘に従ったが、永王が叛いたためにその臣下であった李白もまた囚われの身となり、罪に服すこととなったが、郭子儀は李白の無罪を説いて李白の助命を請うた。そのため、死罪から流罪に軽減された。郭子儀は若年のころに、李白に命を救われたことがあったという。

 

將軍少年出武威,入掌銀臺護紫微。

将軍は血気盛んな青年期に西域武威より来たって朝廷に出仕し、やがて銀臺門を掌って、紫微を護衛することになる。

銀臺 銀臺門, 宮門名。 唐の時、翰林院、學士院は銀台門の附近に在る,後因銀台門を以て代て翰林院を指す。 李白 《贈從弟南平太守之遙》詩之一:承恩初入 銀臺門 著書獨在金鑾殿。(恩を承()けて初めて 入る銀台門、書を著してひとり金鑾殿にあり。天子に翰林の役を仰せつかって初めて銀台門を通過でき翰林院に入れる。書をしたためるとそれを天子のいる金鑾殿に一人で持参できるのだ。

紫微 紫微垣(しびえん)のことで、古代中国天文学において天球上を3区画に分けた三垣の中垣をいう。天の北極を中心とした広い天区、あるいはその主体となった星官(星座)のことを指す場合もある。「紫微」「紫微宮(しびきゅう)」「紫宮(しきゅう)」「紫垣(しえん)」ともいい、天帝の在所とされたため、転じて皇宮、朝廷の異称ともなった。

星官としての紫微垣は、天における中央の宮殿を囲う藩垣(城壁)の形に象っており、その中枢には天の北極が位置する。

 

平明拂劍朝天去,薄暮垂鞭醉酒歸。

かくて、夜明けのころ、剣を拂い、それから、宮闕にはいってゆき、夕暮れになると、鞭を垂れ、酒に酔い、静かに馬を歩ませて帰ってゆく。

 

愛子臨風吹玉笛,美人向月舞羅衣。

家に着くと、愛子は風に臨んで、玉笛を吹き、美人は、羅衣をつけて月華に舞う、歌舞の趣と興を風流に楽しむ。

舞羅衣 霓裳羽衣の曲 唐の玄宗が楊玉環のために作ったとされる曲。霓裳羽衣の曲は玄宗が婆羅門系の音楽をアレンジした曲と言われる。玄宗は愛妾である楊玉環のお披露目の際、この曲を群臣に披露し、群臣に楊玉環が特別な存在であると意識させた。

『霓裳羽衣舞』は唐代舞踊を代表する演目で、「霓裳」とは虹のように美しいもすそ(スカート)、「羽衣」は鳥の羽のように軽い衣のこと。唐の玄宗皇帝が夢のなかで天上の月宮に遊び、仙女が舞っていた調べをもとに作った。

楽史「楊太真外伝」によると、玄宗が三郷駅に登り、女几山を望んだ時に作曲したものである説と、玄宗が、仙人の羅公遠に連れられ、月宮に行き、仙女が舞っていた曲の調べをおぼえて作らせた説双方が記されている。楊貴妃もこれに合わせて、舞うのを得意としたという。しかし、玄宗期に起こった安史の乱以降、この曲は国を傾けた不祥の曲であると忌まれ、楽譜も散逸してしまった。 白居易の「長恨歌」にも曲名が登場する。「漁陽鼙鼓動地來、驚破霓裳羽衣曲。」(漁陽の鼙鼓【へいこ】 地を動【どよ】もして来たり、驚破す 霓裳羽衣の曲。)

 

疇昔雄豪如夢裡,相逢且欲醉春暉。

そのむかしは、雄豪をもって世に名を鳴しめたものだが、それはもはやゆめとしたものであるが、いまでは閑職に居て相変わらず御奉公をなされている。そこで、何時か日を決め、春の日差しの中で一緒に酒を飲み友に酔いたいものと思って居るところである。

疇昔 過去のある日。昔。また,昨日。《文選.左思.詠史詩八首之一》:「雖非甲冑士,疇昔覽穰苴。」(甲冑の士に非ずと雖も,疇昔には穰苴を覽たり。)我は甲冑をつける武人ではないが、かねて穰苴の兵法書を読み心得ている。

雄豪 雄々しく強いこと。また、その人や、そのさま。

夢裡 夢の中。夢中。

春暉 春の太陽の光。
安史の乱期 勢力図 002 

李白308 《巻八24溫泉侍從歸逢故人》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白308> Ⅰ李白詩1611 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6603

李白  溫泉侍從歸逢故人  

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。子雲叨侍從,獻賦有光輝。

激賞搖天筆,承恩賜御衣。逢君奏明主,他日共翻飛。
(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。
李白308 《巻八24溫泉侍從歸逢故人》Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白308> Ⅰ李白詩1611 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6603

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    溫泉侍從歸逢故人

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

長楊宮 (京畿道 京兆府 )           

 

 

溫泉侍從歸逢故人

(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
子雲叨侍從,獻賦有光輝。

その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。
激賞搖天筆,承恩賜御衣。

詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。
逢君奏明主,他日共翻飛。

かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。

(溫泉に侍從して歸って故人に逢う)

漢帝の長楊苑,胡に誇って 羽獵して歸る。

子雲 叨りに侍從,賦を獻じて 光輝有り。

激賞 天筆を搖かし,恩を承けて 御衣を賜う。

君に逢うて 明主に奏し,他日 共に翻飛せん。

『溫泉侍從歸逢故人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

溫泉侍從歸逢故人

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。

子雲叨侍從,獻賦有光輝。

激賞搖天筆,承恩賜御衣。

逢君奏明主,他日共翻飛。

(下し文)
(溫泉に侍從して歸って故人に逢う)

漢帝の長楊苑,胡に誇って 羽獵して歸る。

子雲 叨りに侍從,賦を獻じて 光輝有り。

激賞 天筆を搖かし,恩を承けて 御衣を賜う。

君に逢うて 明主に奏し,他日 共に翻飛せん。

(現代語訳)
(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。
詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。
かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。

(訳注)

溫泉侍從歸逢故人

(温泉宮に侍従しその帰り際に旧知の人にあったから賦し示した)

李白307 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》と同じ時期の作である。

李白は宮廷に召され、高官からも厚遇され、絶頂を迎えている。漢の武帝の時、楊雄もかなり年を取ってから朝廷に上がり、寵愛されている。楊雄を自分に重ねていたのだろう。国政にも参画していい助言をしたいものと考えていたようだ。しかし、玄宗は、必ずしも国政に李白を参与させるという意図を最初からもってはいない。李白の優れた詩才を愛して、文人としての才能を重要視しただけなのである。華やかな宮廷生活に興趣を添える人として李白を迎えたようである。玄宗の関心は楊貴妃にあり、国政にかかる事務までも任せきる状況であった。

 

漢帝長楊苑,誇胡羽獵歸。

むかし、漢の武帝は胡人に誇るのに、禽獣が多いにいることをしめそうと、長楊苑で羽獵を催され、猛々しい獣や鳥の狩りを持ち帰った。
漢帝 漢の武帝。

長楊苑 揚雄《長楊賦序》「上將大誇胡人以多禽獸,秋,命右扶風發民入南山,西自褒斜,東至弘農,南敺漢中,張羅罔罝罘,捕熊羆豪豬虎豹狖玃狐菟麋鹿,載以檻車,輸長楊射熊館。以網為周阹,縱禽獸其中,令胡人手搏之,自取其獲,上親臨觀焉。是時,農民不得收斂。雄從至射熊館,還,上長楊賦」(上、將に大いに胡人に誇るに禽獸の多きを以ってせんとし,秋,右扶風に命じ、民を發って南山に入り,西は褒斜自り,東は弘農に至り,南は漢中を敺り,羅罔の罝罘を張り,熊羆・豪豬・虎豹・狖玃・狐菟・麋鹿を捕え,載するに檻車を以ってす,長楊 射熊館に輸す。網を以って周阹と為し,禽獸を其の中に縱ち,胡人を令て手もて之を搏ち,自ら其獲を取らしめ,上 親ら臨み觀る。是の時,農民收斂するを得ず。雄 從って射熊館に至り,還って,長楊賦を上る。)とある。

誇胡 北方異民族に対して誇ること。

羽獵 鳥類の狩猟。楊雄の賦にあるのでそれを示す。

 

子雲叨侍從,獻賦有光輝。

その時、お供をしていた楊雄は畏れ多くも、その行に陪従し、羽獵の帰後、「長楊賦」を献上し、大いに面目を施したというところであった。
子雲 漢の文人。揚雄、あざなは子雲。前漢の末期、紀元前一世紀、蜀(四川)の成都の人。学問だけが好きで、それ以外の欲望は全くなく、財産もあまりなかったが満足していた。ドモリで議論ができなかったので、よく読書し、沈思黙考した。成帝の時、承明宮に召されて、甘泉、河東、長楊、羽猟の四つの賦を奏上した。かれの著書はすべて古典の模倣で、「易」に似せて「太玄経」を作り、「論語に似せて「法言」を作った。かれは晩年、ある事件の巻き添えで、疑われて逮捕されようとしたとき、天禄閣という建物の中で書物調べに没頭していたので、驚きあわてて閣上から飛び降りて、あやうく死にかけた。

揚雄 《甘泉賦 序》 文選  詩<107>Ⅱ李白に影響を与えた詩854 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2818

 むさぼる。身分不相応。恐れ多い。 

侍從 君主のおそばに同行する。

 

激賞搖天筆,承恩賜御衣。

詩人は揚雄のように行幸に侍従したら、御自ら筆をとり、激賞されねばなるまいし、恩を受けて、御衣冠を賜れ、以後寵愛を受けるのである。
御衣 冠位。この二句は、李白《古風,五十九首之八》「意氣人所仰。 冶游方及時。 子云不曉事。 晚獻長楊辭。」(意氣 人の仰ぐ所、冶游【やゆう】方【まさ】 に時に及ぶ。子云 事を曉【さと】らず、晚に獻ず 長楊の辭。)古風其八にと同様の内容。

Index-32 #2 《古風五十九首之八》Index-32-7 753年天寶十二年53歳 梁苑にいて、秋、曹南から宜城、黄山から当塗で年越580Ⅰ李白詩1156 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4328

 

逢君奏明主,他日共翻飛。

かくて、君に出逢った上は、君のことを天子皇帝に奏上し、しかるべき地位を賜るように一肌脱いで大いにあっせんし、他日、君とともに青雲の上に翻飛するようにいたそうと思っているところである。
奏明主 秦の名君である玄宗皇帝を指す。

他日 きのうまでのこと。これから先の日。いつか。

李白307-#2 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白307-#2> Ⅰ李白詩1610 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6598

李白  駕去溫泉後贈楊山人#2   

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。
幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。 そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

李白307-#2 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#2Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白307-#2> Ⅰ李白詩1610 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6598

 

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    駕去溫泉後贈楊山人

作地點:              驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

交遊人物/地點:楊山人      書信往來(京畿道 京兆府 驪山)

 

 

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

 

 

『駕去溫泉後贈楊山人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

(下し文)
#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

(現代語訳) #2

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。


(訳注) #2

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

溫泉 温泉宮。驪山の華清宮にある。《唐書》「京兆府昭應縣木新豐有宮旗國山下天寶二年分新豐萬年置舍昌繇七載肖新豐改會圄為胎應治溫泉宮  開元十一年置溫泉宮,天寶六載改為華清宮於驪山上,益治湯井為池,臺殿環列山谷。自開元來,每 ...... 是年,改溫泉曰華清宮,治湯井為池,環山列宮室,又築羅城,置百司及十宅。」

楊山人 驪山の近傍に隠れていたものである。

309巻八23  駕去溫泉后贈楊山人

少年落魄楚漢間

506卷十五09送楊山人歸天台

客有思天台。

557卷十六60送楊山人歸嵩山

我有萬古宅。

 

 

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

幸いにも今や鴻都門學ではない私の考えを認めていただき天子のみ車にしたがってお供する栄誉を与えてもらうことになった。そして、飛竜天馬の厩に飼っている良馬を授かり、これに騎乗することになる。
鸞輦 鸞の模様で飾られた天子の輦。 

出鴻都 後漢の霊帝時代、儒学者たちの集まりを鴻都門学派といった。この学派が皇帝により庇護されていたものが、批判を受けた。儒教の考えから出でている自分を天子がお認めになっている。

天馬駒 天使より貸し与えられた馬のこと。長借馬。翰林志「唐制度、学士初めて院に入れば、中厩の馬一頭を賜い、これを長借馬という。」とある。

 

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

そうなると王公大人といわれる高位高官の人も顔を和らげて、下にも置かず、丁重に扱ってくれるし、金璋紫綬の大臣・将軍たち、貴顕のものも、小走りで面会にやってきて  こころよく会ってくれる。

○金璋紫綬 銅の印に紫の綬。《太平御覽·驃騎將軍》「驃騎將軍,漢官也,長史、司馬各一人,金璋、紫綬,五時朝服,武冠,佩山玄玉。」

 

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

これまで交わりを結んだ人は紛紛としてすこぶる多くいるが、、ただちょっとばかり話をしただけのもので、主持するところが合致するのは陽山人だけであり、「道義の交わり」を結ぶに足るものである。

○紛紛 入り乱れてまとまりのないさま。

 

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

私が忠節をつくし君に仕える務めを尽くし、ひとかどの功業を立てて後、辞して世外の閒人となり、君と会い携えて、白雲に起臥するつもりであるから、ともに語りあおうではないか、それまで待っていてくれたまえ。

 

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

 

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

李白307-#1 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42歳 18首 <李白307-#1> Ⅰ李白詩1609 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6593

駕去溫泉後贈楊山人-#1

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。
(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

李白307-#1 《巻八 23駕去溫泉後贈楊山人》#1Index-22 Ⅲ―1 742年天寶元年42 18首 <李白307-#1> Ⅰ李白詩1609 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6593

 

 

 
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年:742年天寶元年42 18

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    駕去溫泉後贈楊山人

作地點:              驪山(京畿道 / 京兆府 / 驪山)

及地點:              溫泉宮 (京畿道 京兆府 驪山) 別名:溫泉      

交遊人物/地點:楊山人      書信往來(京畿道 京兆府 驪山)

 

 

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

#2

幸陪鸞輦出鴻都,身騎飛龍天馬駒。

王公大人借顏色,金璋紫綬來相趨。

當時結交何紛紛,片言道合惟有君。

待吾盡節報明主,然後相攜臥白雲。

 

(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。

#2

幸に鸞輦【らんれん】に陪して鴻都を出で、身は騎る 飛龍 天馬の駒。

王公大人 顔色を借し、金章紫綬 来りて相い趨る。

当時 交りを結ぶ 何ぞ紛紛、片言 道合す 唯だ君有り。

吾が節を尽くして明主に報ずるを待って、然る後 相い攜えて白雲に臥せん。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『駕去溫泉後贈楊山人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

駕去溫泉後贈楊山人

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

(下し文)
(駕が温泉宮を去るの後 楊山人に贈る)

少年  落托(らくたく)す  楚漢(そかん)の間、風塵  蕭瑟として苦顔多し。

自ら言う  介蠆(かいまん)竟に誰か許さんと、長吁 莫錯(ばくさく)として還りて関を閉ず。

一朝  君王  払拭を垂れ、心を剖【さ】き丹を輸【いた】して 胸臆を雪【すす】ぐ。

忽ち白日の景光を廻らすを蒙【こうむ】り、直ちに青雲に上って羽翼を生ず。


(現代語訳)
(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。


(訳注)

駕去溫泉後贈楊山人

(驪山に隠遁しているのなら、ちょうど温泉宮があるからそこより車駕に乗って去ってゆく陽山人にこの詩を贈る。)

溫泉 温泉宮。驪山の華清宮にある。《唐書》「京兆府昭應縣木新豐有宮旗國山下天寶二年分新豐萬年置舍昌繇七載肖新豐改會圄為胎應治溫泉宮  開元十一年置溫泉宮,天寶六載改為華清宮於驪山上,益治湯井為池,臺殿環列山谷。自開元來,每 ...... 是年,改溫泉曰華清宮,治湯井為池,環山列宮室,又築羅城,置百司及十宅。」

楊山人 驪山の近傍に隠れていたものである。

309巻八23  駕去溫泉后贈楊山人

少年落魄楚漢間

506卷十五09送楊山人歸天台

客有思天台。

557卷十六60送楊山人歸嵩山

我有萬古宅。

 

 

少年落魄楚漢間,風塵蕭瑟多苦顏。

われは、少年のころ、古の酈食其が楚漢争闘の間に落魄していたと同じように、とかく不遇で、落ちぶれていたから、蕭瑟である風塵の底のほうに燻って、苦しんだ顔をしていた。

落魄【らくたく】 落拓におなじ。世に用いられないこと。

楚漢間 酈食其が落魄していたと同じように世に用いられなかった。酈食其は秦から楚漢戦争期の儒者、説客。陳留高陽の人。通称は酈生。子は酈疥、孫は酈遂。弟は酈商、甥は酈寄。酈食其は進言して斉との和平交渉に臨み、その弁舌で以って斉の七十余城を一旦帰順せしめることに成功する。しかし酈食其に功績を独り占めにされることを恐れた韓信とその腹心の蒯通は独断で斉を攻撃し、和平を反故にされて怒った斉王田広により酈食其は煮殺された。

 

自言管葛竟誰許,長吁莫錯還閉關。

自分では、管仲、諸葛亮に比すべき才幹があると思っているが、だれもそう思ってくれなかったから嘆息を禁じえず、やがて時を過たず、幽居に帰り、門を閉じて、高臥していた。

管葛 管仲と諸葛亮のこと。管仲は春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。一般には字の仲がよく知られており、以下本稿でも管 仲として記す。三国時代の管寧はその後裔という。諸葛亮は後漢末期から三国時代の蜀漢の政治家・軍人。字は孔明。 司隷校尉諸葛豊の子孫。泰山郡丞諸葛珪の子。諡は忠武侯。蜀漢の建国者である劉備の創業を助け、その子の劉禅の丞相としてよく補佐した。伏龍、臥龍とも呼ばれる。

還閉關 幽居に帰り、門を閉じて、高臥すること。

 

一朝君王垂拂拭,剖心輸丹雪胸臆。

ある朝突然に、長く匣底にしまっておいた剣を拂拭すると同じく君王から召喚されれば、赤心を開いて胸憶に蓄えてある事々を残らず開陳することである。

拂拭 剣を拂い拭うこと。

剖心輸丹 赤心をいたすこと。

 

忽蒙白日回景光,直上青雲生羽翼。

こうして、御意にかない、白日の景光を回らすがごとく、直ちに羽翼を生じて青雲に飛び上がることになる。

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李白  東魯見狄博通  

去年別我向何處,有人傳道遊江東。

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一六八              文體:    七言古詩

詩題:    東魯見狄博通

作地點:              目前尚無資料

及地點:              兗州 (河南道 兗州 兗州) 別名:魯郡、魯中、東魯、東郡         

交遊人物:狄博通                當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

東魯見狄博通

(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

去年別我向何處,有人傳道遊江東。

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。

 

 (東魯に狄博通を見る)

去年 我に別れて 何處にか向う,人有り 傳へて道う 江東に遊ぶ。

謂う言【なら】く 席を掛けて滄海を度る,卻って來る 應に是れ 長風無かるべし。

 河南道 兗州 瑕丘 徂徠山j00

 

『東魯見狄博通』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

東魯見狄博通

去年別我向何處,有人傳道遊江東。

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

(下し文)
(
東魯に狄博通を見る)

去年 我に別れて 何處にか向う,人有り 傳へて道う 江東に遊ぶ。

謂う言【なら】く 席を掛けて滄海を度る,卻って來る 應に是れ 長風無かるべし。

(現代語訳)
(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。

此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。


(訳注)

東魯見狄博通

(名門の後裔である狄博通に再びまみえた時、賦して贈ったもの)

東魯 河南道兗州、別名魯郡、魯中。

狄博通 梁公狄仁傑の曾孫、戸部郎中光濟の孫で、名門の後裔のもので、しかるべき人物であったのであろう。ある。

仁傑(てき じんけつ, 630(貞観4) - 700(久視元年))は中国唐代の政治家。高宗・中宗・睿宗・武則天に仕えた。唐代で太宗の時代に続いて安定していたといわれる武則天の治世において最も信頼され、長年に渡って宰相を務めた。

中国の主要行政官庁であった六部の一つで国家財政を管轄をしていた光濟。

 

去年別我向何處,有人傳道遊江東

貴方は、去年私と別れて旅路に向われたが、いずこに行かれたのか人のうわさを聞いたところ、江東に遊んでおられるということであった。

江東 長江がランドマークで下流域の最下留地方を言い、長江の南側をこうなんという。

 

謂言掛席度滄海,卻來應是無長風。

此れも聞いたことだが、帆をかけて、大海を渉られた事であろうし、それがために、帰って来るのが遅かったのであり、長風の便りがなかったのもうなずけるというものである。

長風 非常に遠くから吹いてくる風。また、遠くまで吹いていく強い風。勢いの盛んなことにたとえていう。

滄海 あおあおとした広い海。あおうなばら。滄海変じて桑田となる《儲光羲「献八舅東帰」から》広い海原が桑畑に変わる。世の中の移り変わりの激しいことのたとえ。桑田変じて海となる。桑田変じて滄海となる。滄海桑田。
江南東道 婺州 東陽00 

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李白  贈瑕丘王少府  #2
一見過所聞,操持難與群。毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。無由接高論,空此仰清芬。
実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

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 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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740年 李白40歳 


年:-740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

及地點:              瑕丘 (河南道 兗州 瑕丘) 別名:魯城、沙丘城、魯東門             

南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

交遊人物:王少府              書信往來(河南道 兗州 瑕丘)

 

 

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

#2

一見過所聞,操持難與群。

実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

無由接高論,空此仰清芬。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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李白の足跡0000 

『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2
一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(下し文)
#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。

(現代語訳)
実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

・瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

一見過所聞,操持難與群。

実際、この地に来て見てみると、これまで聞いていたところを過ぎているようだし、その操守を維持することは難しくそして、超然として群をぬいている。

 

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

かくて、筆を揮えば魯邑の訴訟を判決するし、そして、閑暇なるときは、瀛州の雲を望んで、出世間的の遠志を託している。

・瀛州 中国で,蓬萊・方丈とともに三神山の一。東海中にあって神仙がすむという島。東瀛。

 

我隱屠釣下,爾當玉石分。

われは今、屠釣の下にして世に隠れて居るが、君の慧眼を以て、容易に玉石を判別されるであろう。

・屠釣下 太公望が三顧の礼に迎えられるまで釣り糸を垂れて、周の文王に「我が太公(周の祖)が望んでいた賢人だ」と見いだされた故事に言うように、招聘を待っていることをいう。

 

無由接高論,空此仰清芬。

しかし、縁薄くして、未だ面晤の上、高論を拝聴することができてはいないが、ただ、君の美名の高きを仰いで、敬慕の念を寄せるのみである。

清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りがと漂う」「酒気をとさせる」 

李白  《卷8-01贈孟浩然》

吾愛孟夫子,風流天下聞。紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。高山安可仰,徒此揖清芬。

(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。

紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。

月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。

高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

253 《卷8-01贈孟浩然》Index-18 Ⅱ―12-738年開元二十六年38歳 <253>(改訂版Ver..2.1) Ⅰ李白詩1511 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6103

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363

李白  贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

284 《卷8-09贈瑕丘王少府》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <284> Ⅰ李白詩1563 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6363


 
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740年 李白40歳李白の足跡003 


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詩題:    贈瑕丘王少府

作地點:              目前尚無資料

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南昌 (嶺南道 白州 南昌)   

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贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

#2

一見過所聞,操持難與群。

毫揮魯邑訟,目送瀛洲雲。

我隱屠釣下,爾當玉石分。

無由接高論,空此仰清芬。

(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。

#2

一見 所聞くところに過ぐ,操持ともに群し難し。

毫は魯邑の訟を揮い,目は瀛洲の雲を送る。

我は屠釣の下に隱るるも,爾は當に玉石を分つべし。

高論に接するに由なく、空しく此に清芬を仰ぐ。
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『贈瑕丘王少府』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈瑕丘王少府 #1

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

梅生亦何事,來作南昌尉。

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

(下し文)
(瑕丘の王少府に贈る) #1

皎皎たる鸞鳳の姿,飄飄たる神仙の氣。

梅生亦た何事ぞ,來って作南昌の尉となる。

清風 鳴琴を佐け、寂寞として、道を貴しと為す。


(現代語訳)
(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)#1

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。


(訳注)

贈瑕丘王少府 #1

(神仙の樹を持って天晴な人物であった漢の梅福が南昌の尉になっているような河南道兗州瑕丘縣の縣令の王某に贈った詩)

瑕丘は、唐書地理志に「河南道兗州に瑕丘縣あり」と記してある。この詩は、瑕丘の縣令王某に贈ったものである。

秦のときの郡名で、兗州はその郡に属していた。兗州市(えんしゅうし)は、中華人民共和国山東省西南部の済寧市に位置する県級市。京滬線および新兗線、兗石線が交わる交通の要衝である。 兗州の名は古代の天下九州のひとつ・兗州(えんしゅう)に由来し、悠久の歴史を誇る。

 

皎皎鸞鳳姿,飄飄神仙氣。

河南道兗州瑕丘縣の縣令の王少府は、皎皎たる鸞鳳の姿であって、飄飄たる神仙の気を備え、天晴な人物である。

 

梅生亦何事,來作南昌尉。

そうであるのにかかる微官に居るのはいかなることか、丁度、漢の梅福が南昌の尉となっていたようなものである。

・梅生 梅福(生没年不詳)は、前漢後期の人物。字は子真。九江郡寿春の人。若くして長安で学び、書経、春秋穀梁伝に通じた。郡の文学となり、南昌県の尉となった。その後辞職して寿春に帰っていたが、そこから緊急の件を上書した。当時、成帝は政治を大将軍王鳳に任せており、王鳳は権力を独占していた。京兆尹王章は王鳳を排除しようとしたが反対に王鳳に殺された。梅福は漢の社稷を危うくしたのはいずれも外戚の家であるから、外戚に良い学問の師を付け、忠孝の道を教えてやるべきであると上書したが、成帝はその言を採用しなかった。先に匡衡が「孔子は殷の湯王の子孫であり、いまや嫡統が分からなくなっている宋の子孫よりも、孔子の子孫を殷の末裔として立てるべきである」と建言していた。その当時は経書に典拠が無いことを理由に取り上げられなかったが、梅福の上書の後、綏和元年(紀元前7年)になり、孔子の子孫である孔何斉が殷の末裔として殷紹嘉侯(後に侯から公となる)に封じられた。

梅福は王莽が政治を壟断するようになると妻子を捨て、九江を離れて仙人になったとされる。

・南昌 江西省の省都である。江西省の省人民政府が設置される江西省の政治・経済の中心。二千年の歴史を有し、国家歴史文化名城に指定されている。南昌市は江西省中部のやや北、贛江、撫河下流に位置し、中国最大の淡水湖である鄱陽湖に臨む。全境、平原を主とし、西北には丘陵が起伏する。全市の平均海抜は25メートルである。西部は西山山脈となり、最高点は梅嶺主峰の洗薬峰で海抜841.4メートルである。

 

清風佐鳴琴,寂寞道為貴。

それに、王少府は、堂上に坐し、清風に向かって琴を弾じ、無為寂寞の道を以て、その地を治めているという評判である。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  贈范金卿,二首之二  

范宰不買名,弦歌對前楹。為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358



 
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283 《卷8-08贈范金卿,二首之二》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <283> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
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年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之二

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。

 

 

『贈范金卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之二

范宰不買名,弦歌對前楹。

為邦默自化,日覺冰壺清。

百里犬靜,千廬機杼鳴。

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。



(下し文)
贈范金卿,二首之二

范宰 名を買わず,弦歌して前楹に對す。

邦を為【おさ】むる默して自ら化し,日に 冰壺の清きを覺ゆ。

百里 犬靜に,千廬 機杼鳴る。

浮人 蕩析少く,客を愛して逢迎多し。

遊子 嘉政を睹,之に因って 頌聲を聽く。


(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。


(訳注)

贈范金卿,二首之二

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その二)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

范宰不買名,弦歌對前楹。

兗州金縣の縣令の范某は、前面の柱に対して、心のどかに弦歌しつつ、決して名誉を天下に買うことをしない。

不買名 淮南子 「絃歌鼓舞、以買名譽于天下。」

 

為邦默自化,日覺冰壺清。

かくて、無爲の治を以て、邦に臨み、しかも、民は自ら化し、その心情の清きことは、さながら玉壺の氷の如くである。

自化 老子 「我無為而民自化,」

冰壺清 南朝宋鮑照《代白頭吟》「直如朱絲繩,清如玉壺冰。」とある。

 

百里犬靜,千廬機杼鳴。

かくて、百里の境内に於ては、鶏犬の聲、しづかに相和して聞こえ、家ごとに、機織る響が絶間ない位である。

機杼鳴 機織る響が絶間ない位、機は軸を転じ、杼をもって緯を持して織機である。

 

浮人少蕩析,愛客多逢迎。

浮浪人とても、ここを離れて流寓することなく、又縣令自ら客を愛し日夕逢迎することが多い。

蕩析 離散。《書經.盤庚下》:「今我民用蕩析離居,罔有定極。」

 

遊子睹嘉政,因之聽頌聲。

われは、旅人として此地に来たり、面のあたり、善政を見て、縣令の人物を感じ、歌頌の聲賑わしきも、尤も至極な事と深く心に感じて、うれしく思った。

頌聲 太平の頌歌を歌う声。

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李白  贈范金卿,二首之一》-#2時人棄此物,乃與燕珉齊。摭拭欲贈之,申眉路無梯。遼東慚白豕,楚客羞山雞。徒有獻芹心,終流泣玉啼。祗應自索漠,留舌示山妻。
だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

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 740年 李白40歳

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、その寶たることを知らないのである。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
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時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

(下し文)
時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

摭拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず。

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

(現代語訳) #2

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。


(訳注) #2

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

時人棄此物,乃與燕珉齊。

だから、この時、人は、このものを棄ててしまう、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

燕珉齊 ・燕石《燕山から出る、玉(ぎょく)に似るが玉でない石の意》まがいもの。また、価値のないものを珍重し、誇ること。小才の者が慢心するたとえ。1.燕山所的一种似玉的石。后以“燕珉”不足珍之物。2.凡庸之3.指燕然石。

・珉 白珉:玉の名《山海経・中山経》「岐山、其の陽赤金多し、其の陰、白珉多し」

李白《古風,五十九首之五十》「宋國梧臺東,野人得燕石。誇作天下珍,卻哂趙王璧。趙璧無緇磷,燕石非貞真。流俗多錯誤,豈知玉與珉。宋國 梧臺の東,野人 燕石を得たり。誇って 天下の珍と作し,卻って 趙王の璧を哂う。趙璧は 緇磷【しりん】無く,燕石は 貞真に非らず。流俗 錯誤多し,豈に玉と珉とを知らんや。

(この詩は、世俗のものは短見であり、すべてものの真贋、人の賢否を弁別せぬことをいたんだもの)

昔から、愚鈍の評判のある宋国の人が、梧台の東において、普通のつまらぬ燕石を拾ったという。

一途に趙王の秘蔵する卞和の璧玉にも勝る天下の至宝だと思い込んで、折角だから、これを大切にしたいという話がある。

かの趙の碧玉は少しの傷もなく、その上光明爛然たるものであるがこの燕石はその質、すでに、堅貞清真にあらず、もとより三文の値打もないものである。

しかし、この様な話は、一人、宋人のことだけではなく、滔々たる末世の風俗として、物事に錯誤が多く、玉とこれに似て非なる珉戸を全く判別することなく、つまらぬものを大切にし、貴きものを打ち棄てるということが、間間あるのである。まことに慨嘆に堪えぬ次第である。

50 《古風五十九首之五十》Index-22Ⅲ― 2-743年天寶二年43275古風,五十九首之五十宋國梧臺東, <50> Ⅰ李白詩1213 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4613

 

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

そこで、われは之を拾い上げ、綺麗に拭ってから、君に贈ろうと思うのであるが、眉を伸べて仰ぎ見ると、君の処に登って行く路に、梯が無いので、どうにも仕方が無い。つまり、自分には、才能があるけれども、世人に馬鹿にされて居るのが残念で、是非君の御目にかけたいと思って居る、しかし紹介する人が無いから困って居る始末である。

摭拭 ひろいはらう。

 

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

尤も自分でばかり善いと思って居ても、遼東の白豕の如く、他に、いくらも其類があったり、或は楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。

遼東・白豕 《後漢書朱浮傳》「漁陽大守彭寵發突騎、轉糧不絶。自負其功、意望甚高。不能滿。幽州牧朱浮與書曰、遼東有豕。生子、白頭。將献之。道遇羣豕。皆白。以子之功、論於朝廷、遼東豕也。」(漁陽の大守彭寵突騎を発し、糧を転じて絶たず。自らその功を負みて、意望甚だ高し。満つる能はず。幽州の牧朱浮 書を与へて曰く、「遼東に豕あり。子を生む。白頭なり。将に之を献ぜんとす。道に羣豕に遇ふ。皆白し。子の功を以て、朝廷に論ぜば、遼東の豕ならん」と。

漁陽の大守彭寵は、精鋭な騎兵を出して、兵糧を次から次へと送り届けて絶やさなかった。自分でその功績を鼻にかけ、恩賞の望みも甚だ高く、少しのことでは満足させることができなかった。それで幽州の長官、朱浮は手紙を送って次のように言った。「遼東地方のとある豚が子供を生んだが頭が白かった。それで非常に珍しいものと思い、これを朝廷に献上しようとした。ところが道すがら、途中ある地方で、豚の群れに出あうと、どの豚も皆白かった。あなたの功績を朝廷で品定めするならば、「あたかもこの遼東の“いのこ”のようなものでしょう。」そのように自負するには当たない。

楚客羞山雞 楚人が山鶏を鳳凰と誤認したようものであつては、まことに恥かしく、恐縮に堪えない。《太平御覽》三國·邯鄲淳《笑林》「楚人有擔山雞者,路人問曰:『何鳥也?』擔者欺之曰:『鳳皇也!』路人曰:『我聞有鳳皇久矣,今真見之,汝賣之乎?』曰:『然!』乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,咸以為真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」に基づく。

 

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

何は兎もあれ、野人献芹の緻志を以て、これを捧げむとし、又卞和が玉の眞價を改めて呉れる人が無いといって、血の涙を流したというように、自分も今おのが不運に泣いて居るので、其邊の処は、どうか、御推察を賜わりたい。

獻芹心 献芹【けんきん】1 《「列子」楊朱から。つまらない野草のセリを差し上げる意》物を贈ることをへりくだっていう語。「この賄 (まひな) ひ―少しとどめられよかし」〈愚管抄・七〉2 君主に忠義を尽くすこと。また、それをへりくだっていう語。

泣玉啼 春秋時代の楚()の人卞和の故事。山中で得た宝玉の原石を楚の厲王(れいおう)に献じたが信じてもらえず左足を切られ、次の武王のときにも献じたが、ただの石だとして右足を切られた。文王が位につき、これを磨かせると、はたして玉であったので、この玉を「和氏(かし)の璧(たま)」と称した。のち、趙(ちょう)の恵文王がこの玉を得たが、秦の昭王が15の城と交換したいと言ったので、「連城の璧」とも称された。

 

祗應自索漠,留舌示山妻。

かくて、今日の境涯は、索莫たる物淋しい中に居て、古しへの張儀の如く、「吾が舌なお有りや、これがあれば足れり」といいつつ、山妻に向つて、威張って居るやうなものである。

索漠 心を満たすものがなく、もの寂しく感じるさま。荒涼として気のめいるさま。

留舌示山妻 史記 張儀が妻との故事。蘇秦は自分は張儀にかなわないと思っていた。張儀が楚の宰相の食客の時、宰相自慢の器が無くなった。嫌疑は張儀に集中。一同は張儀を捕らえ拷問した。張儀はあくまで身に覚えがないとがんばり通しやっと解放された。故郷に帰った張儀に妻は、「遊説なんか勉強するからそんな目にあうんですよ。やめたらどう」張儀は口をあけて、「どうだ舌はまだついているか」妻は「もちろんです」張儀は力強く「まだやれる」といった。

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贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一) #1

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

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<!--[if !vml]-->740年 李白40歳<!--[endif]-->

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈范金卿,二首之一

作地點:              目前尚無資料

及地點:              (河南道 兗州 )    

交遊人物:范金              書信往來(河南道 兗州 )

 

 

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

#2

時人棄此物,乃與燕珉齊。

摭拭欲贈之,申眉路無梯。

遼東慚白豕,楚客羞山雞。

徒有獻芹心,終流泣玉啼。

祗應自索漠,留舌示山妻。

 

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->
<!--[endif]-->

時人 此の物を棄て,乃ち燕と珉と齊し。

拭して 之を贈らんと欲し,眉を申べて 路に梯無し。

遼東 白豕に慚じ,楚客 山雞に羞ず

徒らに獻芹の心有り,終に流す 玉に泣くの啼を。

祗だ 應に自ら索漠,舌を留めて 山妻に示すべし。

 

 

『贈范金卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈范金卿,二首之一 #1

君子枉清盼,不知東走迷。

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

桃李君不言,攀花願成蹊。

那能吐芳信,惠好相招攜。

我有結綠珍,久藏濁水泥。

(下し文)

范金卿に贈る,二首の一) #1

君子 清盼を枉げ,知らず 東に走って迷うを。

家を離れて 幾月來り,絡緯 中閨に鳴く。

桃李 君 言わず,花を攀じて 蹊を成さんと願う。

那ぞ能く芳信を吐き,惠好 相い 招攜せん。

我に結綠の珍有り,久しく 濁水の泥に藏す。

(現代語訳)
(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一) #1

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。


(訳注)

贈范金卿,二首之一 #1

(兗州金縣の縣令の范某に贈った詩、その一)

范金卿 兗州金縣の縣令の范某。

金卿 河南道兗州金縣。

 

君子枉清盼,不知東走迷。

君子は、涼しき目を動かして、四邊を見まわし、狂者を逐うで東定するものの心迷えるを知らず、あくまで純潔の心情を持って居る。

清盼 眼の白と黒がはっきりとしていて、奇麗に見え、涼しい目ということ。

東走 淮南子「狂者東走、逐者亦東走、其東走則同、其所以東走之為則異。」に基づく。

 

離家來幾月,絡緯鳴中閨。

われ家を離れて、未だ幾月も経過せざるに、春去り、夏徂き、世は既に秋に成って、かごとがましき蟲の聾が、閨中に近くすだくのが聞こえる。

絡緯 秋の虫 こおろぎ きりぎりす、くつわむしの総称。「絡緯」は促織ともいい、鳴き声が冬着を織れと促しているように聞こえることから名づけられた。

 

桃李君不言,攀花願成蹊。

君の徳化は、さながら桃李の花の如く、物言はざれども誠信の心は、自然、人を引きつけて、その下、自ら蹊を成す位、われも亦た、其花をとじて、蹊を開きたいと思う位である。

桃李 《史記-李広伝賛》「桃李不言、下自成蹊。」に基づく。「桃李言わざれども下自ずから蹊を成す」の部分を指す。意味は「桃や李(すもも)は物を言わなけれど、花は美しく実(み)はおいしいため、その木の下へは人が集まり自然と蹊(こみち[=小道])ができる」。世の中の人は、この言葉の通り徳のある人の元に集まる。

 

那能吐芳信,惠好相招攜。

君にして、わが為に、芳言を吐き、惠して之を好し、われを招いて、提携して呉れるならば、この上もない仕合せな事である。

芳信 1 他人を敬って、その手紙をいう語。2 花の咲いたという便り。花信。3. 芳言とおなじ。

惠好 《詩経北風》「北風其涼 雨雪其雱。惠而好我 攜手同行。」(北風其れ涼なり 雪雨ふること其れ雱たり 惠して我を好せば 手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同行。(手を攜へて同じく歸せん手を攜へて同行せん。)

惠而好我、攜手同歸。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて同じく歸せん。)

惠而好我、攜手同車。(手を攜へて同じく歸せん、手を攜へて車を同じうせん。)

 

我有結綠珍,久藏濁水泥。

われは、結緑の美玉を持って居るが、濁れる泥水の中に久しく蔵して置いた故に、時人は、その寶たることを知らす、これを棄てて、宋人の燕石と同様、全然價の無い詰まらぬ物と思って居る。

結綠 美玉名。 《戰國策秦策三》「臣聞周有砥厄, 宋有結綠, 梁有懸黎, 楚有和璞。」

281-#3 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#3》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#3> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

李白  早秋贈裴十七仲堪 -#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非時命若不會,歸應鍊丹砂。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

281-#3 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -3Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#3> Ⅰ李白詩1562 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6358

 

 
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78-#2 《巻0210送惠師》-#2 韓愈(韓退之) 804年貞元20年 39歳<1475> Ⅱ【11分割】-#2 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6359 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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740年 李白40歳

 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文) #3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。


雙歌入青雲,但惜白日斜。窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非。時命若不會,歸應鍊丹砂【知飛萬里道,勿使寒嗟】。


(下し文)
雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず。

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

(現代語訳) #3

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。


(訳注) #3

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

雙歌入青雲,但惜白日斜。

二人が一緒に歌う時は、すずしく匂いある声が青雲にいり、ただ白日の斜めを惜しむほどである。

青雲 高い志の比喩。道家によく使う。

 

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

昔より、深い海には寶貝を生じ、大澤には、龍蛇が饒りあるほど多く住んでいるという。裴仲堪はまさしく寶貝に擬し、龍蛇に比すべきもので、実に人中の精英である。

大澤 沛県の大沢郷。現在の安徽あんき省宿州市。漢の劉邦の出身地。母の劉媼が劉邦を出産する前、澤の側でうたた寝をしていると、夢の中で神に逢い、劉太公は劉媼の上に龍が乗っている姿を見た。その夢の後に劉邦が生まれたという。

 

明主儻見收,煙霞路非

されば、上に聖明の天子があって、この人を収用したならば、雲の上の路といっても、決して遙かなるに非ずやというところである。

明主 上に聖明の天子があるということ。収用してくれるひとであること。

 

時命若不會,歸應鍊丹砂。

やがて、追々と立身するであろうし、もし時の運命と会せざれば、意を仕進に絶ち、丹砂を練って神仙を学べばよいのである。いずれにしても、裴仲堪はまさしく、超絶的の大人物であって、顧みて、自重してもらいたいのである。

丹砂 1 鉱物の一。辰砂 (しんしゃ) 。「丹砂 (たんさ・たんしゃ) 2 赤色の顔料。赤い色。に。「丹朱・丹青・丹頂」3 丹砂を配合した不老不死の仙薬。「丹薬/仙丹・練丹術」4 練り上げた薬。

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李白  早秋贈裴十七仲堪#2  

功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

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740年 李白40歳 

 


 

 

年:740年開元二十八年40

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

復攜兩少女,豔色驚荷葩。


功業若夢裡,撫琴發長嗟。裴生信英邁,屈起多才華。

歷抵海岱豪,結交魯朱家。復攜兩少女,豔色驚荷葩【豔色驚荷花】。


(下し文)
功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。


(現代語訳)
功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。


(訳注)

#2

早秋贈裴十七仲堪 

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

功業は夢中の幻影にすぎず、想いつつ、ここに到れば、琴を撫でて長嘆を禁じ得ないのである。

功業 功績の著しい事業。また、功績。てがら。

 

裴生信英邁,屈起多才華。

ここに、我が友裴仲堪と云う人は、天資英邁にして、草莽のなかより屈起し、才華が多いということは天下にしれわたっている。

英邁 天資英邁 生まれつき、才知が非常に優れていること。

屈起 勃起。

 

歷抵海岱豪,結交魯朱家。

東海泰山の間に在る古の齊魯の地を巡り歩いて豪士の輩を訪問し、朱家のような任侠の士とも交際をしている。

海岱豪 東海泰山の間に在る古の齊魯の治を巡り歩いて豪士の輩を訪問するというほどの意。海:東海、齊魯の地。岱:泰山。

結交 腹を割った付き合いをする交際。 唐宋詩196 Ⅶ郊(孟東野)紀頌之の漢詩ブログ 孟郊の交遊の詩(3)「結交」

朱家 朱 家(しゅ か、生没年不詳)は、秦から前漢にかけての人物。魯国の人。游侠として知られ、その行状は司馬遷の『史記』に記されている。朱家は名が通り、普段は腰が低く貧しい身なりや1日の食事は一汁一菜という貧しい生活をしていた。人を匿い助けること数百を超え、また貧しき者から助けていたために人気が高く、朱家のためなら命を惜しまぬ者も多数いたという。だが朱家自身、人を助けたからと言って礼を言われることを嫌っていたため、逆に礼をする者はいなかったという。

游侠とは任侠を貫くことを生き甲斐にしていた人のことで、器量を鼻にかけたり、恩着せがましいことをせず、人を匿って命を助けるもののことであった。

 

復攜兩少女,豔色驚荷葩。

裴仲堪という人は、一面においては、風流を解するもので、旅する間、常に二人の若い妾を引き具し、その容色の美なることは蓮花ではないかとおどろくばかりである。

荷葩 蓮花。

281-#1 《卷8-06早秋贈裴十七仲堪 -#1》Index-20Ⅱ― 15-740年開元二十八年40歳 <281-#1> Ⅰ李白詩1560 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6348

李白  早秋贈裴十七仲堪  #1  

遠海動風色,吹愁落天涯。南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

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年:740年開元二十八年40

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詩題:    早秋贈裴十七仲堪

交遊人物:裴仲堪              書信往來

 

 

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

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南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

#2

功業若夢裡,撫琴發長嗟。

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#3

雙歌入青雲,但惜白日斜。

窮溟出寶貝,大澤饒龍蛇。

明主儻見收,煙霞路非

時命若不會,歸應鍊丹砂。

 

(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

#2

功業 夢裡の若く,琴を撫して長嗟を發す。

裴生 信に英邁,起 多才華屈し。

歷抵す 海岱の豪,交を結ぶ 魯の朱家。

復た兩少女を攜え,豔色 荷葩を驚かす。

#3

雙歌 青雲に入り,但だ惜む 白日の斜なるを。

窮溟には寶貝を出し,大澤には龍蛇饒し。

明主 儻し收めらるれば,煙霞 路 なるに非らず

時命 若し會せざれば,歸って應に丹砂を鍊るべし。

 

 

『早秋贈裴十七仲堪』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

早秋贈裴十七仲堪  #1

遠海動風色,吹愁落天涯。

南星變大火,熱氣餘丹霞。

光景不可迴,六龍轉天車。

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

(下し文)
(早秋 裴十七仲堪に贈る)  #1

遠海 風色を動し,愁を吹いて天涯に落つ。

南星 大火を變じ,熱氣 丹霞を餘ます。

光景 迴らす可からず,六龍 天車を轉ず。

荊人は美玉に泣き,魯叟は匏瓜を悲む。

(現代語訳)
(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである) #1

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。


(訳注)

早秋贈裴十七仲堪  #1

(早秋にさいして、裴仲堪という人に、必ずもちいられる有能な人材であり、運命の出会いがなければ神仙の道に進めばよい、だから焦って自分自身で殺すことのない様にと思うところを述べ贈ったものである)

 

遠海動風色,吹愁落天涯。

遠い海上において、風模様が変わり、我が愁いを吹いて天涯に落ち、そちらにいる人を思う情にたえぬ。

 

南星變大火,熱氣餘丹霞。

南方の星たる大火は、その位置を変じ、予は、何時しか秋になり、夏の暑熱は、ただ紅色の夕焼けに残っているだけである。

大火 さそり座α星 (固有名アンタレス ) の中国名。和名では赤星と呼び,いずれも真紅に輝くことにちなむ。

 

光景不可迴,六龍轉天車。

こうした季節の移り変わりは、人力で引き戻すことなどできるものではなく、義和は、六龍に鞭うち、日の車を駆って、しばらく止む時はない。このようにして歳月は進んでゆくというこの世は人事というものには兎角齟齬しやすく、事は志と違うのが常である。

六龍 義和神話の中に出てくる神の名で、太陽が乗る車の馭者を意味する。『淮南子』に「日は車駕に乗るに、六龍を以てし、義和これが馭となる」とある。

天車 日車

 

荊人泣美玉,魯叟悲匏瓜。

されば、楚の卞和は、美玉を献じようとしても石とあやまたれることによって、山中に慟哭したが、孔子は“「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん”と言って嘆息されたという。

○荊人泣美玉 楚の卞和は、美玉を献じたことの故事。卞和(生没年不詳)は、春秋時代前期の楚に住んでいたとされる男。和氏(かし)とも呼ばれる。韓非の著した『韓非子』の和氏篇において、法術の士の孤独を説明する為の説話で登場する。

卞和は山中で玉の原石を見つけ楚の厲王(蚡冒)に献上した。しかし厲王が職人に石を鑑定させると、ただの石ころだと言った為、卞和を足斬りの刑にして左足を切り落とした。

厲王が死に、弟の武王が即位すると、卞和は再び原石を献上した。しかし結果は同じで、武王も卞和を嘘つきとして右足を切り落とした。

武王も死に、子の文王が即位した。卞和は原石を抱きかかえて三日三晩血の涙を流し泣き悲しんだ。文王は人を遣わして、足斬りの刑を受けた者は沢山いると言うのに何故そのように悲しむのか、その訳を問い質した。卞和は、足斬りにあった事が哀しいのではなく、宝石なのに石ころと言われた事、正しい事を言ったのに嘘つきと言われた事が悲しいと答えた。

文王が原石を磨かせてみると、それは見事な宝石となった。そこで文王は、自分達の非を認めた上で卞和を賞し、この宝石を「和氏の璧」と名付け、楚の国宝とした。この和氏の璧ははるか後に、戦国時代の趙へと渡り、「完璧」の故事の由来となる。

魯叟悲匏瓜 魯叟は孔子のこと。論語に「吾豈匏瓜也哉、焉能繋而不食」(吾豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繋って食わざらん)に在るに基づく。ただぶら下がっていて、誰にも食べられない苦瓜のように、誰にも用いられないでおれようか。断固、用いられなければならないのだ。匏瓜:苦瓜。人に用いられないことのたとえ。

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李白  鄴中贈王大#4

我願執爾手,爾方達我情。相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。臨別意難盡,各希存令名。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。

 

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

寄天下,長嘯尋豪英。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

恥學琅人,龍蟠事躬耕。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

富貴吾自取,建功及春榮。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

私が願っていることは、汝の手をとって、旧情を述べるので、汝、これに答え、之を歓迎して、わが情思の届くようにして貰ひたい。

相知同一己,豈惟弟與兄。

元来、互に相い知れるのは、心が全く同一であるからで、その親密なことは、兄弟以上である。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。

臨別意難盡,各希存令名。

わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

 

李白の足跡0000 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

 

(下し文) #4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

(現代語訳)
私が願っていることは、汝の手をとって、旧情を述べるので、汝、これに答え、之を歓迎して、わが情思の届くようにして貰ひたい。

元来、互に相い知れるのは、心が全く同一であるからで、その親密なことは、兄弟以上である。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。

わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。


(訳注) #4

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。            

 

我願執爾手,爾方達我情。

私が願っていることは、汝の手をとって、旧情を述べるので、汝、これに答え、之を歓迎して、わが情思の届くようにして貰ひたい。

我情 憂国の情であり、李白の任侠でもって世に出たいと志を持っていることをいう。

 

相知同一己,豈惟弟與兄。

元来、互に相い知れるのは、心が全く同一であるからで、その親密なことは、兄弟以上である。

同一己 憂国の心が全く同一であるということ。

 

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

そこで、汝を抱いて、ともに石門山の白雲に臥し、琴に和して歌を唱へつつ、清聲を発するであろう。

 

臨別意難盡,各希存令名。

わが希望するところは、このようなものである、つまり、功成り名遂げて後、汝と共に物外の地に逍遥しようというもので、ここに別に臨んで、心に思うところのすべてを、なかなか述べ盡し難く、唯だ、お互に身を慎んで、折角の名誉を落さぬように致したいものである。

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李白  鄴中贈王大 #3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。富貴吾自取,建功及春榮。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

寄天下,長嘯尋豪英。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

恥學琅人,龍蟠事躬耕。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

富貴吾自取,建功及春榮。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

 

 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

 

(下し文) #4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。

(現代語訳) #3

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。



(訳注)  #3

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。          
 

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

わが刻下の有様は、才あるも用いられす、志あるも未だ蓬げす、たとへば、紫燕の名馬が槽暦の中に嘶き青萍の宝剣が彿拭されずして、匣中に悲吟するが如くである。

紫燕 良馬の名。古時良馬之一。南朝梁.簡文帝《九日侍皇太子樂遊宴》「紫燕躍武,赤兔越空。」

青萍 宝刀の名。青萍剣、武当剣、昆吾剣、奇門十三剣、達磨剣、三才剣、純陽剣等がある。

 

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

そこで、駆を投じて、天下を歴めぐり、長嘯して、同志の蒙英を尋ねようとするのである。

 

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

かの琅琊の人である諸葛亮が、臥龍を以て自ら居り、南陽に躬耕してその能力を評判としものだが、其の眞似をするというのでは、わが恥づるところである。

琅琊人 《後漢紀》 「琅邪陽都人諸葛亮,字孔明,躬耕隴畝,好為梁甫吟」とある。

龍蟠 竜や、とらのように抜きんでた能力をもった者がある地域にとどまって、そこでその能力を存分に発揮すること。▽「蟠」はじっと居座ること。「踞」はうずくまること。近づくのが困難な状態を指す。本来は、地勢が険しく、攻めるのに困難な意で用いられたが、転じて、竜やとらのように力強い勢力をもった者が居座って、他を威圧する地域・集団を形成する意味になった。「竜」は「りょう」とも読み、「蟠」は「盤」とも書く。また、「虎踞竜蟠【こきょりゅうばん】」ともいう。

 

富貴吾自取,建功及春榮。

やがて富貴を取り、功を建てて、陽春に萬物が生育する様な目出たき春の盛りの時節に逢うのである。 

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李白  鄴中贈王大#2

欲獻濟時策,此心誰見明。君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。飄飄不得意,昨發南都城。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

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詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
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『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

飄飄不得意,昨發南都城。

 

(下し文) #2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

(現代語訳)
それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。


(訳注) #2

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。           

 

欲獻濟時策,此心誰見明。

それで、われ之に答えていう、「済時の大策」を朝廷に献じたいと思うが、この区々の赤心を明かにしてくれる人がない。

濟時策 時代を再生する基本政策という意味である。中国では、春秋戦国時代に諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。この時代には各国が諸子百家と呼ばれる思想家たちから人材を登用し、騎馬戦術や戦車などの新兵器を導入して軍事改革を行った。また、『呉書』陸遜伝にも同様の記述がみられる。

 

君王制六合,海塞無交兵。

今しも、君王は六合を制馭し、海の邊塞には兵を交うることなく、至極太平の様に見えて居るのである。

海塞 海は国境、辺境であることで、邊塞と同じ意味。

 

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

自分のような壮士は草間に伏し、時弊、漸く盛になろうとするを見て、深き憂いは縦横に乱れる位である。

縱橫 ① たてとよこ。南北と東西。 「市街地を-につらぬく大通り」 四方八方。いたるところ。

 

飄飄不得意,昨發南都城。

かくで、不得意の境涯に居るに堪へず、飄飄然として、昨日、南陽の故城を発して、ここまで来たのである。

南都 後漢の光武帝が南陽を別都として南都と称した。

267-#1 《卷八34鄴中王大勸入高鳳石門山幽居》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <267-#1> Ⅰ李白詩1535 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6223

李白  鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】#1

一身竟無託,遠與孤蓬征。千里失所依,復將落葉并。

中途偶良朋,問我將何行。
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】

作地點:              岳州(江南西道 / 岳州 / 岳州)

及地點:              相州 (河北道南部 相州 相州) 別名:鄴城、鄴、鄴中  

石門山 (都畿道 汝州 葉縣)             

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都        

沂州 (河南道 沂州 沂州) 別名:瑯琊            

交遊人物:王昌齡              當地交遊(江南西道 岳州 岳州)

 

 

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

#2

欲獻濟時策,此心誰見明。

君王制六合,海塞無交兵。

壯士伏草間,沈憂亂縱橫。

飄飄不得意,昨發南都城。

#2

濟時の策を獻ぜんと欲するも,此の心 誰か明らかにせられん。

君王 六合を制し,海塞 兵を交うる無し。

壯士は草間に伏し,沈憂 亂れて縱橫。

飄飄として意を得ず,昨 南都城を發す。

#3

紫燕櫪下嘶,青萍匣中鳴。

投軀寄天下,長嘯尋豪英。

恥學琅琊人,龍蟠事躬耕。

富貴吾自取,建功及春榮。

#3

紫燕は櫪下に嘶き,青萍は匣中に鳴る。

軀を投じて天下に寄せ,長嘯 豪英を尋ぬ。

恥づ 琅琊の人を學んで,龍蟠 躬耕を事とするを。

富貴は 吾 自ら取る,功を建てて春榮に及ぶ。

#4

我願執爾手,爾方達我情。

相知同一己,豈惟弟與兄。

抱子弄白雲,琴歌發清聲。

臨別意難盡,各希存令名。

#4

我が願いは 爾の手を執り,爾 方に我が情を達す。

相知 同一のみ,豈に惟だ弟と兄とのみならんや。

子を抱て白雲を弄し,琴歌 清聲を發す。

別に臨んで 意 盡し難し,各の令名を存せんことを希【こいねが】う。
 

 

『鄴中贈王大【鄴中王大勸入高鳳石門山幽居】』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

一身竟無託,遠與孤蓬征。

千里失所依,復將落葉并。

中途偶良朋,問我將何行。

(下し文)
(鄴中にて、王大勸の高鳳石門山の幽居贈る)
一身 竟に託する無く,遠く孤蓬と征く。

千里、依るところを失ひ、復た落葉と幷す。

中途 良朋に偶う,我に問ふ 將に何か行かむとする。


(現代語訳)
(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。


(訳注)

鄴中王大勸入高鳳石門山幽居【鄴中贈王大】

(この詩は、李白が鄴中において、王勸というものに会い、その高鳳幽居の遺跡たる石門山に入ろうとするのを聞いてこの詩を作って送ったもの)

高鳳石門山 石門山 (都畿道 汝州 葉縣)  高鳳石門山幽居は後漢書、高鳳傳にみえる遺跡であり、汝州 葉縣に隠遁するのでこういったのである。           

 

一身竟無託,遠與孤蓬征。

わが一身は、寄託するところなく、さながら、孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

孤蓬征 孤蓬が轉蓬するように、遠く飛び散っていくようなものである。

 

千里失所依,復將落葉并。

又、千里四方、依るところなく、その上、落葉とおなじようになって一般化してしまった。

 

中途偶良朋,問我將何行。

そこで、その途中において、この鄴都まで、さまよって来たのであり、この地に於で、良友に遇い、われに向って、何処へ往くかと問うてくれた。

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李白  見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

金華渡,東連五百灘。全勝若耶好,莫道此行難。

猿嘯千溪合,松風五月寒。他年一攜手,搖艇入新安。
君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

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見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

相逢問愁苦,盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。

 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻って

相い逢うて 愁苦を問えば,は盡く 日南の珠。

 

 

年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

地點:    (江南東道 / 蘇州 / )

及地點:東陽 (江南東道 婺州 東陽)              

金華 (江南東道 婺州 金華)             

五百灘 (江南東道 婺州 金華)          

若耶溪 (江南東道 越州 會稽) 別名:耶溪、若溪、浣紗溪        

新安 (都畿道 河南府 新安)             

 

 

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

金華渡,東連五百灘。

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

全勝若耶好,莫道此行難。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

猿嘯千溪合,松風五月寒。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

他年一攜手,搖艇入新安。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の二)

聞くく 金華の渡,東は五百灘に連ると。

全く 若耶の好に勝り,道う莫れ 此の行難しと。

猿嘯 千溪に合し,松風 五月に寒し。

他年 一び手を攜え,艇に搖られて 新安に入らん。

 

 

『見京兆韋參軍量移東陽,二首之二』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

金華渡,東連五百灘。

全勝若耶好,莫道此行難。

猿嘯千溪合,松風五月寒。

他年一攜手,搖艇入新安。

(下し文)
(
京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の二)

聞くく 金華の渡,東は五百灘に連ると。

全く 若耶の好に勝り,道う莫れ 此の行難しと。

猿嘯 千溪に合し,松風 五月に寒し。

他年 一び手を攜え,艇に搖られて 新安に入らん。

(現代語訳)
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

江南東道 婺州 東陽00
(訳注)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之二

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。二首の二)

○京兆 京兆府(長安)。ベトナムから長安の朝廷に、長安から南陽で李白と遭い東陽に赴いた。

○韋參軍 參軍は刺史の官属である韋某。

○量移 罪を得て、遠方に貶竄されていたものが、後に大赦に遭うて、近地に移されること、つまり、情状酌量され、いくらかよい地方へ転換されることをいう。

○東陽 江南東道 婺州、後には浙江省金華府にぞくしていた。(4

謝靈運の溫州に左遷されて赴くルートで金華から謝靈運のルートを外れて、東陽に入る。

(謝霊運のルートを現在の地名で示す)

杭州→蕭山→富陽→桐盧→建徳→壽昌→蘭渓→金華→永康→(ここまで銭塘江、支流の婺江【ぶこう】を登ってきた。<分水嶺>ここから甌江【おうこう】になる)→石柱→縉雲→麗水→青田→永嘉(温州)

七里瀬 #1 謝霊運<16> 詩集 376

 

金華渡,東連五百灘。

君の今度行かれる南東道 婺州、東陽には銭塘江上流で、名勝金華渡があり、金華山をめぐって河川が大曲していてそこには東に向かって渦巻く五百もの灘が連なっているというではないか。

金華渡 金華山は歷史上取り上げられたちであり、道教隆興の地,ここは中國道仙の搖籃和雲集地の一である。『淮南子』では特別な呼吸法によって仙人になったとされている。金華山(浙江省)には赤松子の石室があり、ここで彼は赤石脂という金丹の材料を服したという伝説もある。

東連 東に向かって渦巻く灘が目白押しにある。急流下りを遡るということ。

五百灘 

 

全勝若耶好,莫道此行難。

しかし、その風光は若耶溪に完全に優っている善い所というので、この旅は「行路難」というものではない。

行路難三首 其一 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白183

行路難三首其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184

行路難三首 其三 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白185

 

猿嘯千溪合,松風五月寒。

その金華山・金華渡あたりでは、千渓畳合して、猿の鳴き、嘯く声が響き渡るというし、松風颯颯として、五月というのに、寒さを覚えるという。

 

他年一攜手,搖艇入新安。

私も、また、他年その地に到り、君と手を携え、小舟に乗って新安江を遡りたいと思っている。

○新安 銭塘江をさかのぼること富陽から南西約五〇キロ、北西より流れ来る桐江、桐渓水との合流点に桐盧県がある。このあたりから上流を新安江(地図)という。

初往新安桐盧口 謝霊運<15>  詩集 378

265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213

李白  見京兆韋參軍量移東陽,二首之一  

潮水還歸海,流人卻到相逢問愁苦,淚盡日南珠。
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213

 
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265 《卷8-11見京兆韋參軍量移東陽,二首之一》Index-19 Ⅱー14-739年開元二十七年39歳 <265> Ⅰ李白詩1533 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6213 
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 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
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 孟郊張籍     
 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言

詩題:    見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

作地點:              (江南東道 / 蘇州 / )

及地點:              東陽 (江南東道 婺州 東陽)              

日南 (嶺南道西部 愛州 日南)          

交遊人物:韋參軍              當地交遊(江南東道 婺州 東陽)

 

 

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

相逢問愁苦,盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。 

(京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻って

相い逢うて 愁苦を問えば,は盡く 日南の珠。

 

李白の足跡0000 

『見京兆韋參軍量移東陽,二首之一』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

潮水還歸海,流人卻到

相逢問愁苦,淚盡日南珠。

(下し文)
(
京兆韋參軍が東陽に量移せらるるを見る,二首の一)

潮水 還た海に歸り,流人 卻ってに到る。

相い逢うて 愁苦を問えば,淚は盡く 日南の珠。

(現代語訳)
(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。


(訳注)

見京兆韋參軍量移東陽,二首之一

(京兆府參軍であった韋某が初め日南の驩州に流され、後に大赦を受けて、量移して東陽に遷されることになり、李白がこの人に遭ってこの詩を贈った。)

○京兆 京兆府(長安)。

○韋參軍 參軍は刺史の官属である韋某。

○量移 罪を得て、遠方に貶竄されていたものが、後に大赦に遭うて、近地に移されること、つまり、情状酌量され、いくらかよい地方へ転換されることをいう。

○東陽 江南東道 婺州、後には浙江省金華府にぞくしていた。

 

潮水還歸海,流人卻到

潮水、自ずから海に帰るものであるから、流人もまた帰朝の日があるもので、君もやっと東陽に量移されたばかりである。

 東陽は呉の東部にあるのでこういう。

○還帰海 「なおもまた、海にかえる」の意。この聯、「潮水還帰海」と「流人却到呉」とが対句で、「還」と「却」とが対になっており、共に副詞と見るべきところ。

 

相逢問愁苦,淚盡日南珠。

そこで、相遭おうとし、謫官以来の愁苦を問わんとするに、千万無量の思いは、なかなか言葉にすることが出来ず、眼を合わせて、ただ泣くばかりであった。ああこの涙は、「南海、安南の真珠」がことごとく涙に化したものであり、感慨無量、情に堪えぬことである。

○日南珠 南海・安南の真珠。神話物語の中の涙珠のこと。『洞冥記』に日南は「人長七尺,披髮至踵,乘犀象之車。乘象入海底取寶,宿於鮫人之舎,得涙珠,則鮫所泣之珠也,亦曰泣珠。」とある。韋参軍が流す涙は、流されていたところ産の真珠のようであると謂うこと。 ・日南は現・ベトナム社会主義共和国のハノイの真南150キロメートルのところ。韋参軍の流謫の地であったところ。・ たま。真珠。「蚌中の月」。鮫人の涙。南海に住み、水中で機(はた)を織り、泣くときは真珠の涙をこぼすという。また、韋参軍の流す涙。

安史期のアジアssH安史の乱当時の勢力図 

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李白  贈徐安宜#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂白水流園池。遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐安宜

作地點:              安宜(淮南道 / 楚州 / 安宜)

及地點:              安宜 (淮南道 楚州 安宜)    

白田 (淮南道 楚州 安宜)   

交遊人物:徐安宜              當地交遊(淮南道 楚州 安宜)

 

 

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

青橙拂白水流園池。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

 

(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。

#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す。

 

 

『贈徐安宜』 現代語訳と訳註解説
(
本文) 
#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂牖,白水流園池。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,晚託深期

(下し文)
#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い,白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す


(現代語訳) #2

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。


(訳注) #2

贈徐安宜 

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

徐安宜 淮南道 楚州安宜縣令の徐某のこと。

 

川光淨麥隴,日色明桑枝。

されば、野水はキラキラとして麦畑の間に浄く見えている、太陽の光は桑の葉や枝打を大きくするように鮮やかに照らしている。

 

訟息但長嘯,賓來或解頤。

徐公の庭の上には、訴訟沙汰などは興っていなく、いたって暢気であるから長嘯しているのであるし、賓客が来訪すれば話し上手でみんなを笑わせてくれるのである。

解頤 あごがはずれそうになるほど、大きな口をあけて笑うこと。《漢書·匡衡傳》:“匡《詩》,解人頤。”顏師古注引如淳曰:“使人笑不能止也。”

 

青橙拂白水流園池。

そして、徐公の住居と云えば、青橙が窓際に植えられていて、清らかな水の流れは園地に流れ込む。

 

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

私は、今、この地、安邑に旅人として来て久しく滞留していたが、徐公の治下を見て、痛く心に感じるもので、辞して去るには忍びない。

安邑 淮南道 楚州 安宜。

 

翳君樹桃李,託深期。

思えば、貴公は桃李を植えたようなもので、「夏は休息を得るべく、秋は実を得るべし」と云う通り、いずれ目に見えるような結果があるに相違ないから、これを貴公の晩年に期して、心長閑に待っておられるのがよいであろう。

 これ。思えば~。

樹桃李 《説苑》「夫樹桃李者。夏得休息。秋得食焉。樹蒺藜者。夏不得休息。秋得其刺焉。今子之所種(種作樹)者蒺藜也。非桃李也。自今已來。擇人而樹之。毋已樹而擇之也。」に基づく。

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李白  贈徐安宜  #1

白田見楚老,歌詠徐安宜。製錦不擇地,操刀良在茲。

清風動百里,惠化聞京師。浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

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年:739年開元二十七年39

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈徐安宜

作地點:              安宜(淮南道 / 楚州 / 安宜)

及地點:              安宜 (淮南道 楚州 安宜)    

白田 (淮南道 楚州 安宜)   

交遊人物:徐安宜              當地交遊(淮南道 楚州 安宜)

 

 

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

#2

川光淨麥隴,日色明桑枝。

訟息但長嘯,賓來或解頤。

青橙拂白水流園池。

遊子滯安邑,懷恩未忍辭。

翳君樹桃李,託深期。

 

(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。

#2

川光 麥隴に淨く,日色 桑枝に明かなり。

訟息んで 但だ長嘯し,賓 來って或は頤【おとがい】を解く。

青橙は牖を拂い白水は園池に流る。

遊子 安邑に滯し,恩を懷うて 未だ辭するに忍びず。

翳【これ】君 桃李を樹う,晚 深期を託す。

 

李白の足跡003 

『贈徐安宜』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈徐安宜  #1

白田見楚老,歌詠徐安宜。

製錦不擇地,操刀良在茲。

清風動百里,惠化聞京師。

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。


(下し文)
(徐安宜に贈る)  #1

白田に 楚老を見る,歌詠す 徐安宜。

錦を製して 地を擇ばず,刀を操って 良に茲に在り。

清風 百里を動かし,惠化 京師に聞こゆ。

浮人は雲の歸るが若く,耕種して 郊岐に滿つ。


(現代語訳)
淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

rihakustep足跡
(訳注)

贈徐安宜  #1

淮南道 楚州安宜縣令の徐某に贈る)

徐安宜 淮南道 楚州安宜縣令の徐某のこと。

 

白田見楚老,歌詠徐安宜。

楚州白田へ行って、楚地の父老が何をしているのかと思うと安宜縣令の徐君の徳をたたえて、しきりに歌詠をやっている。

○白田 安宜の地名。

○楚老 楚地の父老。

 

製錦不擇地,操刀良在茲。

徐君は、その才能によってその地を錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治め、刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよくした。

○製錦 錦を裁断するのも意のままに、施政よろしく治めたという意。

○操刀 刀を操ることに熟達して、軍事的にもこの地をよく治めたという意。

 

清風動百里,惠化聞京師。

そういうことで、その徳は、清風の如く四方百里の地域内に行き渡り、この地の恵化は都にまで聞こえ渡ったのである。

 

浮人若雲歸,耕種滿郊岐。

そこで、此の地を出て行っていた流民どもが、雲のように群れを成して帰って来たし、それで城郭の郊外の廣い処にいって耕作をすることができるようになったのである。

○浮人 貧困、戦争、飢饉などがあっても重税に苦しむものが逃村ということで戸籍を外し、山に入って生活をした。
楚州0015 

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李白  贈孟浩然  

吾愛孟夫子,風流天下聞。紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。高山安可仰,徒此揖清芬。

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:738年開元二十六年38

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    贈孟浩然

作地點:              襄陽(山南東道 / 襄州 / 襄陽)

交遊人物/地點:孟浩然      當地交遊(山南東道 襄州 襄陽)

 

 

贈孟浩然

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

吾愛孟夫子,風流天下聞。

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

醉月頻中聖,迷花不事君。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

高山安可仰,徒此揖清芬。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

 

(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。
紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。
月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。
高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

李白の足跡0000 

 

『贈孟浩然』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈孟浩然

吾愛孟夫子,風流天下聞。

紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

醉月頻中聖,迷花不事君。

高山安可仰,徒此揖清芬。


(下し文)
(孟浩然に贈る)

吾は愛す 孟夫子【もうふうし】、風流は 天下に聞こゆ。

紅顔  軒冕を棄て、白首  松雲に臥す。

月に酔いて頻りに聖に中【あた】り、に迷いて君に事【つか】えず。

高山  安【いずく】んぞ仰ぐ可けんや、徒らに此に清芬【せいふん】を揖【ゆう】す。

(現代語訳)
(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。


(訳注)

(贈孟浩然)

(この詩は、世にもちいられず隠者としてその心を清廉に、且つ高尚にしたその処から、孟浩然に贈ったものである。)

孟浩然(もう こうねん689 - 740年)は盛唐の代表的な詩人。襄州襄陽(現在の湖北省襄陽市)出身。字も浩然。一説には、名は浩だとも言われる。若い頃から各地を放浪し、義侠の振る舞いで人々と交流した。また後漢の龐徳公や後年の皮日休ゆかりの鹿門山(襄陽市)に隠棲したこともあった。玄宗の世となってから長安に赴き仕官しようとするが、科挙に及第していないのでかなわなかった。しかしながら、孟浩然を気に入った韓朝宗との約束をすっぽかして朝廷への推薦をだめにしたり、いざ玄宗の前に出ても不平不満を詩にして玄宗を怒らせるなど、立身出世には関心が薄かったようにもみえる。

孟浩然の詩は広く知れ渡り、王維・李白・張九齢らと親しく交際した(李白には「黄鶴樓送孟浩然之廣陵」という作品がある)。740年、背中にできものがあって調子の悪かった孟浩然は、訪ねてきた王昌齢を歓待するあまり容態を悪化させて亡くなった。

自然を題材にした詩が評価されており、詩のなかに人生の愁いと超俗とを行き来する心情を詠みこんでいる。日本では五言絶句「春暁」が特に有名である。詩の特徴から王維と孟浩然は「王孟」と並称された。『孟浩然集』がある。

孟浩然 詩ブログ index40首)

 

吾愛孟夫子,風流天下聞。

孟夫子の風流の盛名は、天下に聞こえ、その人は、わが最も愛するところである。

 

紅顏棄軒冕,白首臥松雲。

孟夫子は、紅顔の年若き頃より、軒冕を著ける役人などは、すべて棄てて仕舞って、白首に至るまで、山中に住み、青松白雲を友として、隠者の生活を送って居た。

軒冕 古代中国で、大夫(たいふ)以上の人の乗る車と、かぶる冠。 高位高官。また、その人。
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醉月頻中聖,迷花不事君。

そこで、ある時は、月に酔うて、頻りに聖人の称ある極上の酒に中てられたと称し、ある時は、花に心を楽ましめて、君に事へることなどは、全く念頭にも無い。

○中聖 聖人の称ある極上の酒に中てられたと称すこと。三国志「徐邈任尚書郎時,朝廷禁酒,但徐邈喜歡喝酒,竟然私自喝酒,更加喝醉了。校事趙達走來詢問公事,徐邈則「中聖人」。趙達於是向曹操報告,曹操大怒,幸好為徐邈解求情才得以免於處刑。」とある。

 天使に使えること。朝廷での仕事。
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高山安可仰,徒此揖清芬。

かくの如き高尚の心は、さながら高山の如くで、容易に人に仰がしめないから、その人を見ようと思っても、滅多に遇われず、唯だ芳わしき其名を聞いて、これを慕うのみである。

○高山安可仰 詩経、小雅 「高山仰止、景行行止。四牡騑騑、六轡如琴。爾新昏、以慰我心。」(高山は仰ぎ、景行は行く。四牡 騑騑たり、六轡 琴の如し。覯爾の新昏を覯て、以て我が心を慰せん。)あの高い岡にのぼって薪木取りのクヌギ(婚礼の象徴)、その葉は豊かでみずみずしい。そのように私がおまえを覯て愛することは常に新鮮で心はそれを写し豊かで水水しいものだ。 (これからもさまざまなことはあろう)高山は仰ぎ見るもの、広い道は行くべきもの。四牡(四頭立ての馬車)は止まらずに行く、私のその手綱さばきは琴の演奏のように美しく見事なものだ(安心してくれ)。お前の新昏(ぶり、というより結婚できたこと自体に)を覯て、私の心は慰められる。

清芬 盛んににおうさま。本来はよい香りにいうが、悪臭にもいう。「花の香りがと漂う」「酒気をとさせる」 
<!--[if !supportLineBreakNewLine]-->襄陽一帯地図000
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231 《巻8-33 贈郭季鷹 (河東郭有道,)》Index-15 Ⅱ―10- 735年開元二十三年35歳 <231> Ⅰ李白詩1474 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5918

贈郭季鷹  李白

河東郭有道,於世若浮雲。

盛德無我位,清光獨映君。

恥將雞並食,長與鳳為群。

一擊九千仞,相期凌紫氛。

(郭季鷹にこの詩を贈る。)河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

 

 

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年:734年開元二十二年35

卷別:    卷一六八              文體:    五言律詩

詩題:    贈郭季鷹

作地點:              太原府(河東道 / 太原府 / 太原府)

及地點:              河東節度使 (河東道 太原府 河東節度使) 別名:河東  

交遊人物:郭季鷹              當地交遊(河東道 太原府 太原府)

 

 

贈郭季鷹

(郭季鷹にこの詩を贈る。)

河東郭有道,於世若浮雲。

河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

盛德無我位,清光獨映君。

元来、盛徳にかなうような位地もないけれど、その清光は、ひとり君に映じているのである。

恥將雞並食,長與鳳為群。

されば、君は鳳凰と共に群れを為すべきであり、鶏や家鴨と餌を争うなどと言うことは、羞じるところである。

一擊九千仞,相期凌紫氛。

そもそも鳳凰は一たび羽ばたけば九千仞の高さまで飛びあがり、天上の紫氛を凌ぐというが、君が世界に超出せんとするその高志もまた、このとおりのことである。

 

(郭季鷹に贈る)

河東の郭有道,世に於いては浮雲の若し。

盛德 我が位無く,清光 獨り君に映ず。

將て雞と並びに食するを恥じ,長く鳳と群を為す。

一擊 九千仞,相い期して紫氛を凌がん。

 

 

『贈郭季鷹』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈郭季鷹

河東郭有道,於世若浮雲。

盛德無我位,清光獨映君。

恥將雞並食,長與鳳為群。

一擊九千仞,相期凌紫氛。

(下し文)
(
郭季鷹に贈る)

河東の郭有道,世に於いては浮雲の若し。

盛德 我が位無く,清光 獨り君に映ず。

將【はた】雞と並びに食するを恥じるをてす,長く鳳と群を為す。

一擊 九千仞,相い期して紫氛を凌がん。

(現代語訳)
(郭季鷹にこの詩を贈る。)

河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

元来、盛徳にかなうような位地もないけれど、その清光は、ひとり君に映じているのである。

されば、君は鳳凰と共に群れを為すべきであり、鶏や家鴨と餌を争うなどと言うことは、羞じるところである。

そもそも鳳凰は一たび羽ばたけば九千仞の高さまで飛びあがり、天上の紫氛を凌ぐというが、君が世界に超出せんとするその高志もまた、このとおりのことである。


(訳注)

贈郭季鷹

(郭季鷹にこの詩を贈る。)

郭季鷹 この人物の来歴は不明であるけれど、詩の内容から相当の人物であったようだ。

 

河東郭有道,於世若浮雲。

河東に生れた君は、いにしえの漢の儒者の同姓、郭有道のごとき人物であって、浮世の功名富貴を浮雲と同一視している。

郭有道 郭泰(128 - 169年)のことで、中国後漢代の儒者。字は林宗。太原郡界休県の人。当時の名儒を数え上げた八顧の一人。後漢書では、編者の范曄が父の諱を避けて「郭太」「郭林宗」「郭有道」と表記される。司徒の黄瓊が招聘し、太常の趙典が有道[2]に推挙したが、応じなかった。郭泰はただ人品の長所だけを褒め、欠点を論じることをしなかった。当時、宦官が政権を握って非難する事が出来なかったためであり、清談の始めとされる。党錮の禍によって名士達が多く被害を受けたが、郭泰と袁閎だけが禍を免れた。交際を絶って教授に専念し、弟子は1000人を数えた。

建寧元年(168年)、陳蕃、竇武が宦官との抗争に敗れて害されると、郭泰は、「人が亡びて国が衰亡する、臣民はいずこに帰するのか[3]。」と嘆いた。明くる建寧2(169)春、家で死去した。享年42。四方の士人、1000人以上が会葬に集った。同志者達が共に石碑を立て、蔡邕が筆を取った。その後、蔡邕は盧植に言った。「私は多くの碑銘を書いたが、(その文章は装飾が多く)みな徳に恥じるものだった。ただ郭有道(郭泰)のものだけが恥じるところがない」。《後漢書·郭符許列傳》: 同志者乃共刻石立碑,蔡邕為其文,既而謂涿郡盧植曰:「吾為碑銘多矣,皆有慚德,唯郭有道無愧色耳。」

 

盛德無我位,清光獨映君。

元来、盛徳にかなうような位地もないけれど、その清光は、ひとり君に映じているのである。

 

恥將雞並食,長與鳳為群。

されば、君は鳳凰と共に群れを為すべきであり、鶏や家鴨と餌を争うなどと言うことは、羞じるところである。

恥將雞並食 楚辞《卜居》「寧與黄鵠比翼乎。將與雞鶩爭食乎。」(むしろ黄鵠と翼を比べんか。はた雞鶩【けいぼく】と食を争わんか。)いっそ黄色の大雁と翼を並べて高く飛ぼうか、それとも鶏や家鴨と餌を争うてくらそうか。

 

一擊九千仞,相期凌紫氛。

そもそも鳳凰は一たび羽ばたけば九千仞の高さまで飛びあがり、天上の紫氛を凌ぐというが、君が世界に超出せんとするその高志もまた、このとおりのことである。

九千仞 鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さに飛びあがって行くという。

李白《古風五十九首其四》「鳳飛 九千仞,五章 備綵珍。」(鳳は九千仞を飛び,五は綵珍を備うを章す。)鳳凰は鳥の中の王で、一度羽を広げて飛べば九千仭の高さにあがって行き、衆鳥を見下ろしているという。そしてその翅は五色の燦然として輝くめずらしい彩色をそなえているというのである。

○鳳飛九千仞 “衆鳥を見下ろしている”という意味で『孟子』尽心上、「揚子法言」学行篇に、孔子が泰山に登って天下を小としたとあるがこれに基づいている。千仞之山:円石を千仞の山に転ず。《「孫子」兵勢から》勢いが盛んで抑えようがないことのたとえ。

○五章 五色の燦然として輝く(めずらしい彩色)。

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紫氛 

劉楨《贈從弟詩三首之一》「鳳凰集南嶽,徘徊孤竹根。於心有不厭,奮翅凌紫氛。」(鳳凰南嶽に集り,孤り竹根に徘徊す。心に於て厭かず有り,翅を奮って紫氛を凌ぐ。)

 

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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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年:34年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈張公洲革處士

作地點:              江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:              張公洲 (江南西道 鄂州 武昌)           

鄭圃 (都畿道 鄭州 中牟)  

交遊人物:革處士              當地交遊(江南西道 鄂州 武昌)

 

 

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

列子居鄭圃,不將庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

井無桔事,刺繡文。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

長揖二千石,遠辭百里君。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。

 

(張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

#2

時に張公洲に登り,獸に入るも 群を亂さず。

井に 桔く,門には 刺繡の文を

二千石に長揖【ちょうゆう】し,遠く 百里の君に辭す。

斯れを真の隱者と為す,吾が黨 清芬を慕う。

 

 

『贈張公洲革處士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,門刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

(下し文)
時に張公洲に登り,獸に入るも 群を亂さず。

井に 桔【きっこう】の事無く,門には 刺繡の文をつ。

二千石に長揖【ちょうゆう】し,遠く 百里の君に辭す。

斯れを真の隱者と為す,吾が黨 清芬を慕う。

(現代語訳)
それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。


(訳注) #2

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

張公洲 江南西道 鄂州 武昌の武昌城の南二十里に在り、晉の隠士張公、園に灌するところであるからこれによって名付けられた。

處士 仕官しない人。在野の人。処子。

 

時登張公洲,入獸不亂群。

それから時々、張公洲に上り、獣中に入るも、獣までが、能く狎れて、群れをみださない。

 

井無桔事,刺繡文。

その平生、機心を生じせしめるというので、井戸には、はね釣瓶を用いず、また、模様を刺繍し、金もうけをしようというので、市門に倚というようなことは、決してやらない。

 はね釣瓶。

刺繡文 《史記貨殖列傳》:夫用貧求富, 農不如工, 工不如商, 刺繡文不如倚市門。

 

長揖二千石,遠辭百里君。

かくて、二千石の太守にも、長揖し、百里君の県令にも告別して、独り洲上に住んでいる。

二千石 太守

百里君 県令

 

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

此れこそ真の隠遁者というべきで、我々が、その芳しき名誉を慕う所以である。

清芬 隠遁者の雰囲気をいう、清廉でよい香り芬:よいかおりのするさま。匂いただようさま。

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贈張公洲革處士 -#1》 李白(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

 

 
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64 《巻01-18 夜歌》  韓愈(韓退之)ID 《 802年貞元18年 36歳》   ()<1377> Ⅱ韓昌黎集 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5869 
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226 -#1 《巻8-43 贈張公洲革處士 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <226 -#1> Ⅰ李白詩1467 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5883

 

 

年:34年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈張公洲革處士

作地點:              江夏(江南西道 / 鄂州 / 江夏)

及地點:              張公洲 (江南西道 鄂州 武昌)           

鄭圃 (都畿道 鄭州 中牟)  

交遊人物:革處士              當地交遊(江南西道 鄂州 武昌)

 

 

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

列子居鄭圃,不將庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

 

(張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

#2

時登張公洲,入獸不亂群。

井無桔事,刺繡文。

長揖二千石,遠辭百里君。

斯為真隱者,吾黨慕清芬。

 

武漢03

『贈張公洲革處士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈張公洲革處士

列子居鄭圃,不將眾庶分。

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

每將瓜田叟,耕種漢水濆。


(下し文)
(
張公洲の革處士に贈る)

列子は 鄭圃に居り,將って庶と分たず。

革侯は南浦に遁れ,常に楚人の聞かんことを恐る。

甕を抱いて 秋蔬に灌し,心は閒なり 天に遊ぶ雲。

每に 將て瓜田の叟と,耕種す 漢水の濆。

(現代語訳)
(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。


武漢005
(訳注)

贈張公洲革處士

(建康城南の張公洲に住んでいる處士革某に贈ったもの)

張公洲 江南西道 鄂州 武昌の武昌城の南二十里に在り、晉の隠士張公、園に灌するところであるからこれによって名付けられた。

處士 仕官しない人。在野の人。処子。

 

列子居鄭圃,不將眾庶分。

むかし、列禦冦が鄭の圃にいた時、その徳高くして、能く俗と混同したから、まるで衆庶と区別がないようであった。

列子 列子に「子列子居鄭圃,四十年人無識者。國君卿大夫視之,猶眾庶也。」(子列子、鄭圃に居ること,四十年 人 識る者無し。國君卿大夫 之を視る,猶お眾庶のごときなり。)とある。

眾庶 もろもろの人々。庶民。漢司馬相如《上林賦》「務在獨樂, 不顧眾庶。」(務め獨樂に在りて,衆庶【しゅうしょ】を顧みず。)もっぱら自分だけ楽しむことにつとめ、民衆のことなど頚になく

司馬相如 《上林賦 (40)#13-4  文選 賦<110-13413分割41回 Ⅱ李白に影響を与えた詩945 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3273

 

革侯遁南浦,常恐楚人聞。

今、革君は南浦に隠遁し、楚人の聞きおよばないことを懼れている。

南浦 張公洲が武昌城の南二十里に在るということで南浦という。

楚人 楚(そ)は、中国の王朝名、地名。地名としての楚は、現在の湖南省・湖北省を指す。楚 (春秋) ? - 紀元前223年) - 春秋時代の強国で、戦国七雄の1つでもある。秦末に陳勝が建てた国(紀元前209年)。張楚ともいう。

 

抱甕灌秋蔬,心閒遊天雲。

そこで甕を抱いて、秋になって、菜畑に水を灌ぎ、心静かにして天上を遊び回る雲のようにしている。

 野菜,()菜布衣蔬食木綿の衣服に野菜の食物(質素な暮らし).蔬菜 shūcài[]野菜,青物蔬菜市青物市場.嫩的蔬菜みずみずしい野

 

每將瓜田叟,耕種漢水濆。

そこで、常々瓜を売る老人と一緒になって漢水の濱に耕し、植えたのである。

 

青門の瓜売りは五色の瓜を杜陵につくっていたこと、官を辞して瓜をたくさん栽培したことをいう。泰の東陵侯に封じられていた卲平は秦が滅びると布衣(庶民)の身となり、長安の門の東で瓜を栽培し、それが美味だったので「東陵の瓜」と称された。

卲平 東陵の瓜は五色であったことは次に示す。

「曰:邵平故秦東陵侯,秦滅後,為布衣,種瓜長安城東。種瓜有五色,甚美,故世謂之東陵瓜,又云青門瓜」。魏・阮籍も卲平の東陵の瓜は五色をふまえて「詠懐詩」(『文選』巻二三)其六に「昔聞く東陵の瓜、近く青門の外に在りと。……五色 朝日に輝き、嘉賓 四面に会す」とする。李白『古風五十九首 其九』「青門種瓜人。 舊日東陵侯。」(青門に瓜を種うるの人は、旧日の東陵侯なり。)

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孟浩然《南山下與老圃期種瓜》

不種千株橘,惟資五色瓜。

邵平能就我,開徑剪蓬麻。

 (南の山の下で老圃に瓜を種える期)

樵牧 南山に近く、林閭 北郭に(とお)し。

先人 富農を留め、老圃 鄰家と作()る。

千株の橘を種えず、惟だ 五色の瓜を資()る。

邵平 能く我に就きて、径を開き 蓬麻を剪るか。

南山下與老圃期種瓜 孟浩然 李白「峴山懐古」関連 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -316
李白の足跡0000 

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225-#2 《巻8-2 贈從兄襄陽少府皓 -#2》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <225-#2> Ⅰ李白詩1466 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5878

 

 

年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈從兄襄陽少府皓

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵        

交遊人物:李皓    當地交遊(山南東道 襄州 襄州)

 

 

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

結髮未識事,所交盡豪雄。

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

小節豈足言,退耕舂陵東。

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

歸來無業,生事如轉蓬。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。

#2

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

かくて、黒い色をした裘も、いつしかやぶれてしまい、百鎰の黃金も使い尽くして、手元にはなにものこらず空っぽである。

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

剣を弾じて高歌しつつ、心気はいたずらに激昂するばかりでいる。門を出ても、路がどんづまりになって、先に行かれぬと同じような境涯でいる。

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

吾兄上は、青雲の士で、今や官途にたって羽振りもよくその上、平生侠を負い、然諾を重んじて一言、良しといえば、かならずひきうけてくれるというひょうばんが諸公の間に聞こえている。

所以陳片言,片言貴情通。

そこで今、片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、情の通ずるを尊いこととしているところで、この詩を作って、窮状を訴えるところであって、どうか一肌脱いでもらいたい。

棣華儻不接,甘與秋草同。

詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。

 

(從兄 襄陽少府皓に贈る)

結髮 未だ事を識らず,交ろ所は 盡く豪雄。

秦を卻【しりぞ】けて賞を受けず,晉を擊って寧ろ功と為さんや。

小節 豈に言うに足らんや,退いて耕す 舂陵【しょうりょう】の東。

歸り來って 業無く,生事 轉蓬の如し。

#2

一朝 烏裘 敝れ,百鎰 黃金 空し。

劍を彈じて徒らに激昂,門を出でて路窮まるを悲しむ。

吾が兄 青雲の士,然諾 諸公に聞こゆ。

片言を陳ずる所以,片言 情の通ずるを貴ぶ。

棣華【ていか】儻し 接せざれば,甘んじて 秋草と同じからん。

 

 

『贈從兄襄陽少府皓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

所以陳片言,片言貴情通。

棣華儻不接,甘與秋草同。

(下し文)
一朝 烏裘 敝れ,百鎰 黃金 空し。

劍を彈じて徒らに激昂,門を出でて路窮まるを悲しむ。

吾が兄 青雲の士,然諾 諸公に聞こゆ。

片言を陳ずる所以,片言 情の通ずるを貴ぶ。

棣華【ていか】儻し 接せざれば,甘んじて 秋草と同じからん。

(現代語訳)
かくて、黒い色をした裘も、いつしかやぶれてしまい、百鎰の黃金も使い尽くして、手元にはなにものこらず空っぽである。

剣を弾じて高歌しつつ、心気はいたずらに激昂するばかりでいる。門を出ても、路がどんづまりになって、先に行かれぬと同じような境涯でいる。

吾兄上は、青雲の士で、今や官途にたって羽振りもよくその上、平生侠を負い、然諾を重んじて一言、良しといえば、かならずひきうけてくれるというひょうばんが諸公の間に聞こえている。

そこで今、片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、情の通ずるを尊いこととしているところで、この詩を作って、窮状を訴えるところであって、どうか一肌脱いでもらいたい。
詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。


(訳注) #2

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

李白自身の窮状を訴えて、救済してほしいと懇願するもの

 

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

かくて、黒い色をした裘も、いつしかやぶれてしまい、百鎰の黃金も使い尽くして、手元にはなにものこらず空っぽである。

百鎰 二千両。鎰は二十両。蜀を出る際に持って出たお金。

 

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

剣を弾じて高歌しつつ、心気はいたずらに激昂するばかりでいる。門を出ても、路がどんづまりになって、先に行かれぬと同じような境涯でいる。

 

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

吾兄上は、青雲の士で、今や官途にたって羽振りもよくその上、平生侠を負い、然諾を重んじて一言、良しといえば、かならずひきうけてくれるというひょうばんが諸公の間に聞こえている。

青雲士 ① 学徳の高い人。また、高位・高官にのぼった人。② 俗世間から超越した、高尚な志の人。隠逸の士。

 

所以陳片言,片言貴情通。

そこで今、片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、情の通ずるを尊いこととしているところで、この詩を作って、窮状を訴えるところであって、どうか一肌脱いでもらいたい。。

陳片言,片言 片言を陳べさせてもらうと、手短ながら、と、「片言」を云い直すことで、窮状を訴えることをいう。

 

棣華儻不接,甘與秋草同。

詩経に云う「棣華兄弟」に比すべき兄弟の情誼に接するを得ざれば、それはそれで仕方のないことであるが、もしそうなるなら、秋草と同じように枯れて果てることに甘んじることになるだろう。

棣華 兄弟和睦を詠っている《詩小雅鹿鳴之什常棣》「常棣之華, 鄂不韡韡。 凡今之人, 莫如兄弟。」後因以“棣華”兄弟常棣【にわざくら】の華【はな】、鄂不【がくふ】 韡韡【ゐゐ】たり。凡そ今の人、兄弟に如くは莫し。庭桜の花びらが、鄂を同じくして美しく群がり咲いている(ように、兄弟は同じ親からでて苦楽を共にして栄える)。今の世上の人々よ、兄弟ほど頼りになる者はないのである。

228-#1 《巻8-2 贈從兄襄陽少府皓 -#1》Index-14 Ⅱ― 9-734年開元二十二年34歳 <228-#1> Ⅰ李白詩1465 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5873

贈從兄襄陽少府皓 -#1》(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

 

 
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年:734年開元二十二年34

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈從兄襄陽少府皓

及地點:              襄州 (山南東道 襄州 襄州) 別名:襄陽         

棗陽 (山南東道 隨州 棗陽) 別名:舂陵        

交遊人物:李皓    當地交遊(山南東道 襄州 襄州)

 

 

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

結髮未識事,所交盡豪雄。

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

小節豈足言,退耕舂陵東。

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

歸來無業,生事如轉蓬。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。

#2

一朝烏裘敝,百鎰黃金空。

彈劍徒激昂,出門悲路窮。

吾兄青雲士,然諾聞諸公。

所以陳片言,片言貴情通。

棣華儻不接,甘與秋草同。

 

(從兄 襄陽少府皓に贈る)

結髮 未だ事を識らず,交ろ所は 盡く豪雄。

秦を卻【しりぞ】けて賞を受けず,晉を擊って寧ろ功と為さんや。

小節 豈に言うに足らんや,退いて耕す 舂陵【しょうりょう】の東。

歸り來って 業無く,生事 轉蓬の如し。

#2

一朝 烏裘 敝れ,百鎰 黃金 空し。

劍を彈じて徒らに激昂,門を出でて路窮まるを悲しむ。

吾が兄 青雲の士,然諾 諸公に聞こゆ。

片言を陳ずる所以,片言 情の通ずるを貴ぶ。

棣華【ていか】儻し 接せざれば,甘んじて 秋草と同じからん。

 

 

『贈從兄襄陽少府皓』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈從兄襄陽少府皓

結髮未識事,所交盡豪雄。

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

小節豈足言,退耕舂陵東。

歸來無業,生事如轉蓬。


(下し文)
(
從兄 襄陽少府皓に贈る)

結髮 未だ事を識らず,交ろ所は 盡く豪雄。

秦を卻【しりぞ】けて賞を受けず,晉を擊って寧ろ功と為さんや。

小節 豈に言うに足らんや,退いて耕す 舂陵【しょうりょう】の東。

歸り來って 業無く,生事 轉蓬の如し

(現代語訳)
(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。


(訳注)

贈從兄襄陽少府皓

(李白の従兄で襄陽県の小府である李皓におくる)

李白自身の窮状を訴えて、救済してほしいと懇願するもの

 

結髮未識事,所交盡豪雄。

自分が初めて髪を結び冠を付け、人並みに男と認められはじめたころの事、まだ世間の事を知らず、豪雄の士とばかり交際していた。

結髮 ・結髮:成人となること。髪を結う。男子は二十、女子は十五になれば髪を結び、男子は冠をつけ、女子は簪をさす。束發,意即年輕時。年輕時結成的夫妻。指原配夫妻。漢·蘇武《詩四首其三》「結髮為夫妻,恩愛兩不疑。」

蘇武 《詩四首 其三》#1 古詩源  詩<102-1>Ⅱ李白に影響を与えた詩846 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2778

豪雄 なみはずれて強いこと。また、そのさまや、そういう人。

 

卻秦不受賞,擊晉寧為功。【救趙寧為功】。

かくして、魯仲連が、一言して、秦を帝とせず、そのために、秦将が群をしりぞけたというようなしても、謙虚に冷静に、褒美をもらおうとはせず、朱亥が四十斤の鉄鎚をもって、将軍晋鄙を椎殺し、信陵君は、その軍を奪って、邯鄲を囲みを説いて趙を存しさしもの難局を抜けたというような葬列のことをやっても決して手柄としなかった

一本此下有以下四句:「身白刃裡,殺人紅塵中。當朝揖高義,舉世稱英雄。」】

擊晉寧為功 「朱亥袖四十斤鐵椎,椎殺晉鄙,公子遂將晉鄙軍。」

趙への援軍

紀元前258年、長平の戦いにて趙軍を大破した秦軍が、趙の首都邯鄲を包囲した。安釐王は趙の救援要請に対して、晋鄙を将軍に任じ援軍を出すことは出したが、そこで秦から「趙の滅亡は時間の問題であり、援軍を送れば次は魏を攻める」と脅されたため、援軍を国境に留めおいて実際に戦わせようとはしなかった。信陵君の姉は平原君の妻になっていたので、信陵君に対して姉を見殺しにするのかとの詰問が何度も来た。信陵君はこれと、趙が敗れれば魏も遠からず敗れることを察していたため、安釐王に対して趙を救援するように言ったが受け入れられず、しかし見捨てることも出来ぬと信陵君は自分の食客数百名を率いて自ら救援に行こうとした。

この時、侯嬴は見送りの群衆の中に居たが、素っ気なかった。信陵君は自分が死地に向かうのに何だろうか、と態度が気になり、一人引返した。侯嬴は信陵君に手勢だけでは少数すぎて犬死となるだけであり、国軍を動かすべきだと説いた。国軍を動かすために、王の手元から軍に命令を下すための割符を魏王の寵愛する姫に盗ませ[1]、将軍の晋鄙がこれを疑ったならば、朱亥に将軍を殺させ軍の指揮権を奪うようを説いた。

信陵君は国境の城に出向き、割符を見せ、軍を率いていた晋鄙将軍に交代するよう言ったが、晋鄙はやはり確認のための伝令を出すと言ったため、やむなく朱亥が40斤の金槌で晋鄙を命令違反として撲殺し、丁重に埋葬した。なお、これに前後して侯嬴は信陵君がいる方向へ、自らの命を手向けとするべく自刎した。

信陵君はまず、兵が魏に戻れないことも考え、親子で従軍している兵は親を、兄弟で従軍している兵は兄を帰し、また一人っ子の兵も孝行させるために帰した。そうして残った兵を率いて戦った。秦軍を退けることはできたものの、勝手に軍を動かしたことで安釐王の大きな怒りを買うと解っていたので、兵は自分の命令に従っただけで罪はないとして魏に帰し、自分と食客は趙に留まった。趙は救国の士として信陵君を歓待し、5城を献上しようとした。最初は信陵君もそれに応じようとしたが、食客に諭され以後固辞した。

趙に滞在中、信陵君は博徒の間に隠れていた毛公と味噌屋に身を隠していた薛公に、会って話がしたいと使者を出したが断られた。すると自ら徒歩で彼らのもとへ趣き、両者と語り合って大いに満足した。しかし平原君はこの事を聞いて信陵君を馬鹿にした。信陵君は、毛公と薛公には以前から話をしたかっただけであるが、平原君は外面だけを気にすると考え、平原君との付き合いを止め国外へ去ろうとした。これを聞いた平原君は、信陵君が居るからこそ趙は秦に攻められていないこともあり、去られては大変と冠を脱いで謝罪した。これを聞いた平原君の食客達の半数が、身分に関係なく才を処遇する信陵君下に集まったと言う。

 

小節豈足言,退耕舂陵東。

区々たる小節は、もとより論ずるに足らず、そこでとかく、この世に容れられぬところから、舂陵の東に退居して自ら野に耕そうとした。

小節 晉書「阮渾、少にして、通達を慕い、小節を修めず」とある。

舂陵 元和郡志「舂陵の故城は、随州棘陽縣の東南三十五里にあり。」とある。この地は、、中国の新代に活動した民間武装勢力。緑林兵とも言う。後世では、「緑林」は盗賊や山賊と同意の語として用いられている。緑林軍は、新代に荊州を主要な活動地域とし、王莽が建てた新に反抗した武装勢力である。

新の統治の末期に、荊州江夏郡新市県で顔役を務めていた王匡と王鳳は、衆に推されて数百人の民衆の頭領となった。そこへ、馬武、王常、成丹などの浪人たちも加わり、離郷聚を攻撃した後、緑林山(荊州江夏郡当陽県)に立て篭もった。その軍勢は、数ヶ月の間に78千人に膨らんだという。地皇2年(21年)、荊州牧が2万の軍勢を率いて緑林軍を討伐しにきたが、王匡は雲杜(江夏郡)でこれを迎撃し、殲滅した。これをきっかけに、軍は5万人を超えたと称し、官軍も手を出せなくなった。

 

歸來無業,生事如轉蓬。

そうして其処に帰ってみると何分、産業を修める事も出来ず、生活状態は、さながら蓬の穂が風に吹かれて飛ぶようなまことに哀れな有様である。

生事 生活状態のこと。

轉蓬 風に吹かれて飛ぶよもぎ。飄蓬は転蓬と同じ。枝が四方に広がり、表面で絡み合い毬状になったころ秋風が吹いてくると根こそぎちぎれて、すさまじい勢いで転がっていく植物。人が当てもなく流浪の旅を行うことを比喩に用いられる。

 

 

李白《巻14-07 留別王司馬嵩 -1》「魯連賣談笑,豈是顧千金。」

魯仲連は談笑を売り物にして、秦から趙を救い名声を博し、平原君から領地をあたえられるというのを辞退し、笑って千金を顧みる事は無かった。

魯連賣談笑 魯仲連は、趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、談笑して秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助け秦軍をしりぞけた。

魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。李白『古風五十九首 其十』

173-#1 《巻14-07 留別王司馬嵩 -1Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <173-#1> Ⅰ李白詩1388 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5488

入東道路詩 謝霊運(康楽) 詩<44#2>「魯連謝千金.延州權去朝.」(魯連【ろれん】は千金を謝し、延州は権【かり】に朝を去る。)
魯中連は千金をもってしても高節を守って誰にも仕えず、春秋時代の呉の季札は清廉賢哲を以って知られ朝、固辞して朝立ち去った。
魯連 魯仲連(約西元前305年~西元前245年)戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。・延州 季札(きさつ、生没年不詳)は、中国春秋時代の呉で活躍した政治家。姓は姫。呉の初代王寿夢の少子。清廉賢哲を以って知られ、延陵の季子として知られる。

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謝靈運《述祖徳詩 二首 其一》「弦高犒晋師、仲連却秦軍。
弦高は晉国へ行くと称する秦の軍に出会い、牛12頭差出し、慰労するといってこれを留めて、泰の来襲を鄭に知らせた。秦が趙を囲んだ時に、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いたが、魯仲連は責めてその使いを帰らせ、これを聞いた秦の車を十五里も退かせた。
弦高 春秋の鄭の商人。道で来襲する秦兵に遭遇、詐りねぎらって、急を鄭に知らせて備えさせた(左伝逍公三十三年)。 春秋鄭國商人弦高。 秦師將侵鄭, 適高入周經商, 遇秦師於滑。 高以牛十二, 謂奉鄭君之命犒師。 秦師以為鄭國有備, 滅滑而還。 事見《左傳‧僖公三十三年。○仲連 魯仲連。戦国時代の斉の雄弁家。高節を守って誰にも仕えず、諸国を遊歴した。生没年未詳。魯連。秦が趙を囲んだ時、魏の使いが秦の昭王を尊んで帝と称するように趙に説いた。仲連時に趙にいて、使いを責めて帰し、秦軍をして恐れて十五里退かせた。田単が斉の王に申し上げて爵を賜わろうとしたが、仲連は海辺の地に逃がれた。戦国時代の斉の国の人で、義侠の士として有名である。伝記は「史記」の列伝に見える。つね日ごろ、人とはちがった大志を抱き、仕官せず職にもつかなかった。たまたま趙の国に遊んでいた時、紀元前二四七年、秦の軍隊が趙の邯鄲(いまの河北省にある)を包囲した。魯仲連は、秦に降伏することに断乎反対して、題の平原君を助けた。同時に、魏の国の王子信陵君もまた、兵を率いて秦を攻撃したので、秦は退却し、趙は救われた。郡部の包囲が解かれたのち、平原君は魯仲連に領地を与えようとした。魯仲連は辞退した。平原君はそこで千金をおくろうとした。魯仲連は笑って言った。「天下に貴ばれる士たる者は、人のために患を排し、難をとき、紛乱を解して、しかも何も受取らないものです。もしも報酬を受取るなら、それは商人です。」何も受け取らないで立去り、生涯ふたたび現われなかった。

孟浩然・王維・李白に影響を与えた山水詩人、謝霊運<8> 述祖徳詩 二首(2)其一 詩集 365

 

172-#4 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <172-#4> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483

李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。

 

 
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172-#4 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <172-#4> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●唐を代表する 中唐 韓愈 全500首  
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34 《讀巻03-09 與孟東野書》韓愈(韓退之)ID 800年貞元16年 34歳<1300> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5484 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 ●杜甫の全作品1500首を訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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172-4 《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <172-4> Ⅰ李白詩1387 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5483

 

 

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈嵩山焦鍊師

 

作地點:              嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:焦鍊師              書信往來(都畿道 河南府 嵩山)

 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)

(0)贈嵩山焦鍊師 并序

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)

(1)贈嵩山焦鍊師

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

二室凌青天,三花含紫煙。

大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

道在喧莫染,跡高想已綿。

煉師の道は儼然として存在し、浮世の塵囂も、これを汚すことなく、その足音高くして、玄想が絶えない。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

時にあっては、桂花の蕊を食らい、しばしば靑苔の様な色紙に書かれた道家の秘訣を読みふけっていた。

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

八絃に外に八極の表に遊憩をほしいままにし、九天も外にある九垓のほとりに立って長しえにのんびりとめぐりあるく。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

やがて、また空けていた東の太室山に帰り、ひとり秋霞を払って、そこに静かに眠る。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

朝、羅にかかる名残月は皓然として鏡の様であり、夜になれば、吹きすさぶ松風は瑟瑟として絃を爪弾いた琴の音のように響き渡る。

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)

 (3)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

煉師は、光をひそめて嵩山の中に隠遁し、錬魄の術を修得し、蜘蛛のとばりの中で隠棲している。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

そこでしょうの笛を吹き細く長く響きにあわせて、天女の長い布で舞い踊る「霓裳羽衣」のなんとひらひらとゆれ美しいことだろうか。

願同西王母,下顧東方朔。

こうして、煉師は、西王母と相伴って、漢の宮殿に下り、東方朔の桃を盗むところを顧みようとして許されていたように仙人として認められているのである。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。

 

 (0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

 

(1) (嵩山の焦鍊師に贈る)

二室 青天を凌ぎ,三花 紫煙を含む。

中に蓬海の客有り,宛として麻姑の仙かと疑う。

道 在り 喧 染む 莫し,跡 高く 想い 已に綿たり。

時に金鵝【きんが】の蕊を餐し,屢しば青苔の篇を讀む。

(2)

八極 遊憩を恣にし,九垓 長く周旋す。

瓢を下して潁水を酌み,鶴を舞わして伊川に來る。

還た歸る 空山の上,獨り秋霞を拂うて眠る。

蘿月 朝鏡を掛け,松風 夜弦を鳴らす。

(3)

光を潛めて 嵩嶽に隱れ,魄を鍊って 雲幄【うんあく】に棲む。

霓裳【げいしょう】何ぞ飄颻たらん,鳳吹 轉【うた】た綿邈【めんぼく】。

願わくば西王母に同じく,下に東方朔を顧りみん。

紫書 儻【も】し傳う可くんば,骨に銘じて誓って相い學ばん。

洛陽 函谷関 嵩山005 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)

『贈嵩山焦煉師 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

願同西王母,下顧東方朔。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。


(下し文) (3)

光を潛めて 嵩嶽に隱れ,魄を鍊って 雲幄【うんあく】に棲む。

霓裳【げいしょう】何ぞ飄颻たらん,鳳吹 轉【うた】た綿邈【めんぼく】。

願わくば西王母に同じく,下に東方朔を顧りみん。

紫書 儻【も】し傳う可くんば,骨に銘じて誓って相い學ばん。

(現代語訳)
煉師は、光をひそめて嵩山の中に隠遁し、錬魄の術を修得し、蜘蛛のとばりの中で隠棲している。

そこでしょうの笛を吹き細く長く響きにあわせて、天女の長い布で舞い踊る「霓裳羽衣」のなんとひらひらとゆれ美しいことだろうか。

こうして、煉師は、西王母と相伴って、漢の宮殿に下り、東方朔の桃を盗むところを顧みようとして許されていたように仙人として認められているのである。

かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。



(訳注)

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(3)

 

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

煉師は、光をひそめて嵩山の中に隠遁し、錬魄の術を修得し、蜘蛛のとばりの中で隠棲している。

鍊魄 道家修鍊魂魄之術で三洞四輔の四輔(「三洞」を補足するもので、4部に纏められたものの一つ)。「四輔」の太清部は金丹の術関連の書が纏められている。古くは「黄治」や「黄白」とも呼ばれた金丹は、不老不死の効果を持つ薬の製造と服薬により仙人になることを目指すものという。

雲幄 仙界、隠遁の様子を高めるものの表現。

 

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

そこでしょうの笛を吹き細く長く響きにあわせて、天女の長い布で舞い踊る「霓裳羽衣」のなんとひらひらとゆれ美しいことだろうか。

○霓裳羽衣 【げいしょううい】開元、天宝時代に盛んに行われた大人数の舞い踊りの楽曲。羽衣を付けて踊る。

鳳吹 笙を吹く

 

願同西王母,下顧東方朔。

こうして、煉師は、西王母と相伴って、漢の宮殿に下り、東方朔の桃を盗むところを顧みようとして許されていたように仙人として認められているのである。

西王母・東方朔 漢の武帝のために西王母が植えた三千年に一度しかならない桃の実を三つも盗んだ。西王母は盗むことを承知の上で見守っていた。《博物志》卷八. 「漢武帝好仙道,祭祀名山大澤,以求神仙之道。時西王母遣使乘白鹿告帝當來乃供帳九華殿以待之。七月七日夜漏七刻,王母乘紫雲車而至……有三青鳥,如烏大,使侍母旁。時設九微燈。帝東面西向,王母索七桃,大如彈丸,以五枚與帝母食二枚。帝食桃輒以核著膝前,母曰:「取此核將何為?」帝曰:「此桃甘美,欲種之。」母笑曰:「此桃三千年一生實。」唯帝與母對坐,其從者皆不得進,時東方朔竊從殿南廂朱鳥?中窺母,母顧之,謂帝曰:「此窺?小兒嘗三來,盜吾此桃。」帝乃大怪之。由此世人謂方朔神仙也。」

 

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

かくいう私も、また、仙家の紫書をつたえてくださるのなら、骨に銘じ、一心になって仙術を学びたいと思うのである。煉師に置かれてもどうぞ私の思いをわかっていただきたいと思うのであります。

紫書 仙書のことで、三洞四輔の書。「三洞」とは、洞真経・洞玄経・洞神経の3つであり、元々はそれぞれ上清経・霊宝経・三皇経(三皇文)ことをいい、「四輔」は「三洞」を補足するもので、4部に纏められたものをいう。
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈嵩山焦鍊師

 

作地點:              嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:焦鍊師              書信往來(都畿道 河南府 嵩山)

 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)

(0)贈嵩山焦鍊師 并序

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)

(1)贈嵩山焦鍊師

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

二室凌青天,三花含紫煙。

大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

道在喧莫染,跡高想已綿。

煉師の道は儼然として存在し、浮世の塵囂も、これを汚すことなく、その足音高くして、玄想が絶えない。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

時にあっては、桂花の蕊を食らい、しばしば靑苔の様な色紙に書かれた道家の秘訣を読みふけっていた。

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

八絃に外に八極の表に遊憩をほしいままにし、九天も外にある九垓のほとりに立って長しえにのんびりとめぐりあるく。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

やがて、また空けていた東の太室山に帰り、ひとり秋霞を払って、そこに静かに眠る。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

朝、羅にかかる名残月は皓然として鏡の様であり、夜になれば、吹きすさぶ松風は瑟瑟として絃を爪弾いた琴の音のように響き渡る。

 (3)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

願同西王母,下顧東方朔。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

 

 (0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

 

(1) (嵩山の焦鍊師に贈る)

二室 青天を凌ぎ,三花 紫煙を含む。

中に蓬海の客有り,宛として麻姑の仙かと疑う。

道 在り 喧 染む 莫し,跡 高く 想い 已に綿たり。

時に金鵝【きんが】の蕊を餐し,屢しば青苔の篇を讀む。

(2)

八極 遊憩を恣にし,九垓 長く周旋す。

瓢を下して潁水を酌み,鶴を舞わして伊川に來る。

還た歸る 空山の上,獨り秋霞を拂うて眠る。

蘿月 朝鏡を掛け,松風 夜弦を鳴らす。

(3)

光を潛めて 嵩嶽に隱れ,魄を鍊って 雲幄【うんあく】に棲む。

霓裳【げいしょう】何ぞ飄颻たらん,鳳吹 轉【うた】た綿邈【めんぼく】。

願わくば西王母に同じく,下に東方朔を顧りみん。

紫書 儻【も】し傳う可くんば,骨に銘じて誓って相い學ばん。

 洛陽 函谷関 嵩山005

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(2)

『贈嵩山焦煉師 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。


(下し文) (2)

八極 遊憩を恣にし,九垓 長く周旋す。

瓢を下して潁水を酌み,鶴を舞わして伊川に來る。

還た歸る 空山の上,獨り秋霞を拂うて眠る。

蘿月 朝鏡を掛け,松風 夜弦を鳴らす。

(現代語訳)
八絃に外に八極の表に遊憩をほしいままにし、九天も外にある九垓のほとりに立って長しえにのんびりとめぐりあるく。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

やがて、また空けていた東の太室山に帰り、ひとり秋霞を払って、そこに静かに眠る。

朝、羅にかかる名残月は皓然として鏡の様であり、夜になれば、吹きすさぶ松風は瑟瑟として絃を爪弾いた琴の音のように響き渡る。


(訳注) (2)

(2)贈嵩山焦鍊師

(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩山は、五岳の中にあるので中岳という。中国河南省登封市にある山岳群である。

同時期の詩として以下がある。内容も同一範囲にあるものである。

170(改訂版) 《巻06-08 元丹丘歌》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <170> Ⅰ李白詩1382 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5458

171 《巻08-35 贈華州王司士》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31歳 43首 <171> Ⅰ李白詩1383 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5463

 

八極恣遊憩,九垓長周旋。

八絃に外に八極の表に遊憩をほしいままにし、九天も外にある九垓のほとりに立って長しえにのんびりとめぐりあるく。

八極・九垓 瑟絃の八絃の外にある仙界の音源の八極。九天も外にある仙界の九垓のほとりという意。

周旋『元丹丘歌』「元丹丘,愛神仙。朝飲潁川之清流,暮還嵩岑之紫煙。三十六峰長周旋,長周旋。」嵩山の三十六峰の間をのんびりとめぐりあるくこと。

 

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

そこには、許由と巣父の故事にいう耳を洗ったし、弾いてきた牛に飲ませなかった高潔の隠士の理想の姿をうんできた穎水があり、仙界へ載せて行ってくれる鶴が舞い踊る渭水のほとりにやってくる。

下瓢 穎水についての許由と巣父の故事を暗用するもの。許由・巣父はともに中国古代の伝説上の帝王堯(ぎょう)の時代の高士。許由は、堯が自分に帝位を譲ろうというのを聞いて汚れた耳を頴川で洗って箕山に隠れ、巣父は、そのような汚れた川の水は飲ませられないと牽いてきた牛にその川の水を飲ませなかった、という。俗世に汚れることを忌み嫌う高潔の隠士の理想の姿としているもの。

潁水 穎水の源は少室山。

伊川 洛陽の前を流れる川。

 

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

やがて、また空けていた東の太室山に帰り、ひとり秋霞を払って、そこに静かに眠る。

空山 別に東山とある。東を太室と云い、西を少室という。南は登封に跨り、北は鞏邑に跨り、西は洛陽に跨り、東は密縣に跨る。

 

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

朝、羅にかかる名残月は皓然として鏡の様であり、夜になれば、吹きすさぶ松風は瑟瑟として絃を爪弾いた琴の音のように響き渡る。
李白31歳 

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李白《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)》 大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

 

 
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年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    贈嵩山焦鍊師

 

作地點:              嵩山(都畿道 / 河南府 / 嵩山)

及地點:              嵩山 (都畿道 河南府 嵩山) 別名:嵩高山、嵩、嵩丘、嵩高      

少室山 (都畿道 河南府 少室山)       

交遊人物:焦鍊師              書信往來(都畿道 河南府 嵩山)

 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(0)

(0)贈嵩山焦鍊師 并序

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩丘有神人焦鍊師者,不知何許婦人也,又云生於齊梁時。

嵩山に神仙のひとである焦鍊師がいる、何処で生まれたのか生母が誰なのかのもわからないのであり、また、齊梁の時代に生れたともいう。

其年貌可稱五六十,常胎息穀,居少室廬,遊行若飛,倏忽萬里。

その年貌を見ると五六十歳と称すべく、平生、胎息を為し、また穀物を絶ち、少室山中の草盧におり、遊行すればその速くゆくのは飛び様であり、忽ちの間に、万里を行ってしまうという。

世或傳其入東海,登蓬萊,竟莫能測其往也。

世間では、あるいは傳えて、東海に入って、蓬莱山に登ったこともあるといい、ついにその行くところを測ることができない。

余訪道少室,盡登三十六峰,聞風有寄,灑翰遙贈。

予は、神仙の道を少室山中に尋ねようとし、ことごとく三十六峰に登った。その時、焦鍊師の道士修業の徳高く思精であることを伝聞していることにより、これに詩を寄せんとし、紙に書きつけて、遙かに贈った。

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)

(1)贈嵩山焦鍊師

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

二室凌青天,三花含紫煙。

大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

道在喧莫染,跡高想已綿。

煉師の道は儼然として存在し、浮世の塵囂も、これを汚すことなく、その足音高くして、玄想が絶えない。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

時にあっては、桂花の蕊を食らい、しばしば靑苔の様な色紙に書かれた道家の秘訣を読みふけっていた。

 (2)

八極恣遊憩,九垓長周旋。

下瓢酌潁水,舞鶴來伊川。

還歸空山上,獨拂秋霞眠。

蘿月掛朝鏡,松風鳴夜弦。

(3)

潛光隱嵩嶽,鍊魄棲雲幄。

霓裳何飄颻,鳳吹轉綿邈。

願同西王母,下顧東方朔。

紫書儻可傳,銘骨誓相學。

 

(贈嵩山焦鍊師)

(0)(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

嵩丘に神人焦鍊師という者有り,何許【いずこ】の婦人なるを知らざるなり,又た云う齊梁の時に生る、と。

其の年貌 五六十と稱すべく,常に胎息して穀をち,少室の廬に居り,遊行飛ぶが若く,倏忽【しゅくこつ】萬里。

世 或いは其の東海に入り,蓬萊に登るを傳う,竟に能く測其の往くを莫きなり。

余 道を少室に訪い,盡く三十六峰に登り,風を聞いて寄する有り,翰を灑いで遙かに贈る。

 

(1) (嵩山の焦鍊師に贈る)

二室 青天を凌ぎ,三花 紫煙を含む。

中に蓬海の客有り,宛として麻姑の仙かと疑う。

道 在り 喧 染む 莫し,跡 高く 想い 已に綿たり。

時に金鵝【きんが】の蕊を餐し,屢しば青苔の篇を讀む。

(2)

八極 遊憩を恣にし,九垓 長く周旋す。

瓢を下して潁水を酌み,鶴を舞わして伊川に來る。

還た歸る 空山の上,獨り秋霞を拂うて眠る。

蘿月 朝鏡を掛け,松風 夜弦を鳴らす。

(3)

光を潛めて 嵩嶽に隱れ,魄を鍊って 雲幄【うんあく】に棲む。

霓裳【げいしょう】何ぞ飄颻たらん,鳳吹 轉【うた】た綿邈【めんぼく】。

願わくば西王母に同じく,下に東方朔を顧りみん。

紫書 儻【も】し傳う可くんば,骨に銘じて誓って相い學ばん。

 

 

《巻08-40 贈嵩山焦煉師 并序 -(1)

『贈嵩山焦煉師 并序』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

(1)贈嵩山焦鍊師

二室凌青天,三花含紫煙。

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

道在喧莫染,跡高想已綿。

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。


(下し文)
(1) (嵩山の焦鍊師に贈る)

二室 青天を凌ぎ,三花 紫煙を含む。

中に蓬海の客有り,宛として麻姑の仙かと疑う。

道 在り 喧 染む 莫し,跡 高く 想い 已に綿たり。

時に金鵝【きんが】の蕊を餐し,屢しば青苔の篇を讀む。


(現代語訳)
大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。

この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

煉師の道は儼然として存在し、浮世の塵囂も、これを汚すことなく、その足音高くして、玄想が絶えない。

時にあっては、桂花の蕊を食らい、しばしば靑苔の様な色紙に書かれた道家の秘訣を読みふけっていた。

李白の足跡003
(訳注)

(1)贈嵩山焦鍊師

(嵩山の焦鍊師に贈る 并びに序)

(嵩山に隠遁している焦という徳の高いにこの詩 并びに序文を贈る)

嵩山は、五岳の中にあるので中岳という。中国河南省登封市にある山岳群である。

 

二室凌青天,三花含紫煙。

大室山、少室山の二山は、嶷峨として青天を凌いでいる。一年に三回花をつける貝多樹は、仙界の紫煙をふくんでいる。

二室 大室山、少室山の嵩山を代表する二山。その山の二峰、東を太室と云い、西を少室という。南は登封に跨り、北は鞏邑に跨り、西は洛陽に跨り、東は密縣に跨る。その峰を千丈にすると一百五十余里。小室山は穎水の源。。最高峰は標高1440mの太室山である。

三花 貝多樹という木で一年に三回花をさかせる。貝葉(ばいよう)とは、椰子などの植物の葉を加工して、紙の代わりに用いた筆記媒体。東南アジア、南アジアで多く利用された。貝多羅葉(ばいたらよう)の略称である。

貝多羅葉(ばいたらよう)の名称は、古代インドで植物の葉が筆記媒体として用いられていたため、サンスクリットで「木の葉」の意味を持つパットラ(pattra)と、さらに主に用いられたオウギヤシ(パルミラヤシ)である「ターラ(tala、多羅樹)の葉」を漢訳したものを起源とする。

 

中有蓬海客,宛疑麻姑仙。

この間に住む焦煉師は、蓬莱から来た客であって、宛として麻姑山にいる仙人と疑われる。

蓬海 東海蒼海の上に在る神仙蓬莱山。

麻姑仙 麻姑仙壇記 (唐代の楷書) 麻姑(まこ)は、中国神話に登場する下八洞神仙の一柱仙女である。西晋・東晋時代の葛洪の書『神仙伝』などに記述があり、その容姿は歳の頃1819の若く美しい娘で、鳥のように長い爪をしているという。また長寿の象徴でもあり、西王母の誕生祝いに麻姑が美酒を贈る「麻姑献寿」は絵画の題材にとられることも多い。麻姑の名は『神仙伝』の巻二「王遠」と巻七「麻姑」の項に見られるが、麻姑に関する部分の記述はほとんど同じである。

漢の孝桓帝の代に、神仙の王遠が平民である蔡経の家に降臨し、使者をやって麻姑を呼び寄せた。麻姑は蔡経の弟の妻が出産数日後であることを遠目から知ると、しばらく近づかぬように言いつけ、清めのために少量の米粒を持ってこさせた。このとき地面に撒いた米は、悉く丹砂(巻七では真珠)に変わったという。麻姑は修行の時に、東海では3回も桑畑に変わる異変を見せる為に「滄海桑田(そうかいそうでん)」、「桑田碧海(そうでんへきかい)」の四字熟語が有名である。

蔡経は麻姑の爪が鳥のように伸びているのを見ると、彼女が神人であるにもかかわらず、心中「この爪で背中を掻けたら気持ちが良いだろう」と考えた。この心を見抜いた王遠は蔡経を捕まえて怒った。このとき蔡経は背を鞭で打たれたが、鞭を打つ人の姿は見えなかったという。

また同様の話は三国時代の『列異伝』にも見られ、この書では、麻姑の爪で背中を掻きたいと思った蔡経は彼女の怒りを買って地に倒れ、両目から血を流したという。

 

道在喧莫染,跡高想已綿。

煉師の道は儼然として存在し、浮世の塵囂も、これを汚すことなく、その足音高くして、玄想が絶えない。

 

時餐金鵝蕊,屢讀青苔篇。

時にあっては、桂花の蕊を食らい、しばしば靑苔の様な色紙に書かれた道家の秘訣を読みふけっていた。

金鵝蕊 桂樹

青苔篇 子昂《潘尊師碑頌》「道逢真人昇玄子,授以宝青苔」とある。
李白31歳 

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李白《巻08-35 贈華州王司士》君は佩刀を為し、必ず三公に登るべき廟堂の器を負うた人であるから、晋の呂虔の王祥におけるにならい、宝刀を解いて君に贈ろうとするのだ。

 

 
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171 《巻08-35 贈華州王司士》Index-11 Ⅱ―6 -731年開元十九年31 43首 <171> Ⅰ李白詩1383 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5463

 

 

《巻08-35 贈華州王司士》Index-11 Ⅱ―6

年:731年開元十九年31

卷別:    卷一六八              文體:    七言

詩題:    贈華州王司士

作地點:              華州(京畿道 / 華州 / 華州)

及地點:              華州 (京畿道 華州 華州)    

交遊人物:王司士              當地交遊(京畿道 華州 華州)

 

 

贈華州王司士

淮水不濤瀾高,盛德未泯生英髦。

知君先負廟堂器,今日還須贈寶刀。

 

(華州の王司士に贈る)

淮水 えず 濤瀾高し,盛德 未だ泯【ほろ】びずして 英髦生ず。

知る 君が先づ 廟堂の器を負うを,今日 還た須らく寶刀を贈るべし。

 

 

『贈華州王司士』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈華州王司士

淮水不濤瀾高,盛德未泯生英髦。

知君先負廟堂器,今日還須贈寶刀。



(下し文)
(華州の王司士に贈る)

淮水 えず 濤瀾高し,盛德 未だ泯【ほろ】びずして 英髦生ず。

知る 君が先づ 廟堂の器を負うを,今日 還た須らく寶刀を贈るべし。

(現代語訳)
(華州の司士参軍事王某を誉め讃える詩を贈る)

昔、郭璞は、王導のために卜して、「淮水の流れが途絶えて絶水することが無い限り、王氏は絶滅しない」といったが、実際に淮水の流れは堪える事は無く、波瀾波濤は続いているし、王氏の先代の名だたる人々の盛徳は亡びるどころかなお、厳存し、ここに君の様な「英髦」というべき士中の俊を産出している。

君は佩刀を為し、必ず三公に登るべき廟堂の器を負うた人であるから、晋の呂虔の王祥におけるにならい、宝刀を解いて君に贈ろうとするのだ。


(訳注)

贈華州王司士

(華州の司士参軍事王某を誉め讃える詩を贈る)

唐代の華州は、華陰郡と云い、関内道に属し、上州にかかる。上州の佐には、司士参軍事一人あって、從七品下に属していた。

 

淮水不濤瀾高,盛德未泯生英髦。

昔、郭璞は、王導のために卜して、「淮水の流れが途絶えて絶水することが無い限り、王氏は絶滅しない」といったが、実際に淮水の流れは堪える事は無く、波瀾波濤は続いているし、王氏の先代の名だたる人々の盛徳は亡びるどころかなお、厳存し、ここに君の様な「英髦」というべき士中の俊を産出している。

淮水不 晉書王導傳 「初,王導渡淮,使郭璞筮之,卦成,璞曰:「吉,無不利。淮水,王氏滅。」其後子孫繁衍,竟如璞言。」(初め,王導 淮を渡り,郭璞を使て之を筮せむ,卦成る,璞曰く:「吉,利ならざる無し。淮水ゆれば,王氏滅せむ。」其の後子孫 繁衍,竟に璞の言の如し。)とある。

英髦 毛中の長毛をいう。

 

知君先負廟堂器,今日還須贈寶刀。

君は佩刀を為し、必ず三公に登るべき廟堂の器を負うた人であるから、晋の呂虔の王祥におけるにならい、宝刀を解いて君に贈ろうとするのだ。

贈寶刀 《晉書王祥傳》初,呂虔有佩刀,工相之,以為必登三公,可服此刀。虔謂祥曰:『苟非其人,刀或為害。卿有公輔之量,故以相與。』(初め,呂虔 佩刀有り,工之を相す,以為へらく必ず三公に登り,此の刀を服す可し。虔 祥に謂って曰く:『苟しくも其の人に非ざれば,刀 或は害を為さむ。卿 公輔の量有り,故に以て相い與えん。』)とある。

145-#2 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#2> Ⅰ李白詩1339 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5243

李白《贈新平少年》-#2いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

 
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145-#2 《贈新平少年》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145-#2> Ⅰ李白詩1339 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5243

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:  卷一六八            文體:  五言古詩

詩題:  贈新平少年

作地點:            邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:            邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳             

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)            

 

 

贈新平少年

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

屈體若無骨,壯心有所憑。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

長風入短袂,兩手如懷冰。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

故友不相恤,新交寧見矜。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

何時騰風雲,搏擊申所能。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

華州から秦州同谷成都00

『贈新平少年』 現代語訳と訳註解説

(本文)

而我竟何為,寒苦坐相仍。

長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 

(下し文)

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

(現代語訳)

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

 

扶風雍州長安003

(訳注)

贈新平少年

(新平の少年に贈る)

(新平の才能ある青年に贈る。)

新平 京畿道邠州、別名としては桂陽、新平、豳である。邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。
(k-20

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

韓信はそういう風で、我らもいずれそうなるであろうが、自分はそんなわけにはいかなくて、ただ寒苦のために攻められるのである。

 

長風入短袂,兩手如懷冰。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

それで、短い袖の着物を着ているだけだから、吹きさらしの長風は袖口からも自由に入り、両手を突っ込んで我慢しても氷を抱き込んでいるかのようである。

 

故友不相恤,新交寧見矜。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

旧交のある友人たちもそれを見ても一向にかまってくれず、手を出さず、付き合いが新しいものはなお更、あはれと思うこともないのである。

 

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

虎が檻に捕えられて、元気が衰えていることや、鷹が弓に掛けに縛られ、体の自由がきかないということである。

 

何時騰風雲,搏擊申所能。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

いつの日か、韓信のようによき出会いがあって、風雲を嘯吒できる日が来るのだろうか、けだものを捕獲したり、強禽を撃てるだけの本閭を発揮できることになるだろうか。

騰風雲 この詩の三聯目の韓信が劉邦に出会って「一遭龍顏君,嘯吒從此興」と能力を発揮できたことを受けて、李白も良い君主にめぐり会えて能力を発揮したいということである。

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李白《贈新平少年》韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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28-§3-1 《與衞中行書 -(5)》韓愈(韓退之)ID 799年貞元15年 32歳<1251> Ⅱ唐宋八大家文読本 巻三 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5239 
 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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 Ⅲ杜甫詩全1500首   LiveDoorブログ766年大暦元年55歲-15-1奉節-7 《貽華陽柳少府 -#1》 杜甫index-15 杜甫<878-1> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5240 
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年:730年開元十八年30

卷別:  卷一六八            文體:  五言古詩

詩題:  贈新平少年

作地點:            邠州(京畿道 / 邠州 / 邠州)

及地點:            邠州 (京畿道 邠州 邠州) 別名:桂陽、新平、豳             

淮陰 (淮南道 楚州 淮陰)            

 

 

贈新平少年

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

屈體若無骨,壯心有所憑。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

 

而我竟何為,寒苦坐相仍。

長風入短袂,兩手如懷冰。

故友不相恤,新交寧見矜。

摧殘檻中虎,羈紲韝上鷹。

何時騰風雲,搏擊申所能。

 

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

而かも 我れ竟に何ん為れぞ,寒苦 坐ろに相い仍る。

長風 短袂に入り,兩手 冰を懷くが如し。

故友 相い恤【あわれ】まず,新交 寧ろ矜【あわ】れ見【ま】れむや。

摧殘す 檻中の虎,羈紲【はせつ】す 韝上の鷹。

何れの時か 風雲を騰げ,搏擊【はぐげき】能くする所を申べん。

 

李白の足跡003 

『贈新平少年』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈新平少年

韓信在淮陰,少年相欺凌。

屈體若無骨,壯心有所憑。

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

千金答漂母,萬古共嗟稱。

 

(下し文)

(新平の少年に贈る)

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

 

(現代語訳)

(新平の才能ある青年に贈る。)

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

三峡 巫山十二峰001 

(訳注)

贈新平少年

(新平の少年に贈る)

(新平の才能ある青年に贈る。)

新平 京畿道邠州、別名としては桂陽、新平、豳である。邠() 周の先祖公劉が初めて都としたところ。邠州は、いにしえの豳国、西魏、豳州を置き、後周、隋の時も個の名称であった。唐開元十三年、邠州とし、天寶三載、新平郡とした。

()歌行上新平長史兄粲

邠谷稍稍振庭柯,涇水浩浩揚湍波。哀鴻酸嘶暮聲急,愁雲蒼慘寒氣多。

憶昨去家此為客,荷花初紅柳條碧。中宵出飲三百杯,明朝歸揖二千石。

寧知流寓變光輝,胡霜蕭颯繞客衣。寒灰寂寞憑誰暖,落葉飄揚何處歸。

吾兄行樂窮曛旭,滿堂有美顏如玉。趙女長歌入綵雲,燕醉舞嬌紅燭。

狐裘獸炭酌流霞,壯士悲吟寧見嗟。前榮後枯相翻覆,何惜餘光及棣華。

(邠【ひん】歌行、新平の長史 兄粲【けいさん】に上【たてまつ】る)

邠谷 稍稍として 庭柯を振い,涇水 浩浩として 湍波を揚ぐ。

哀鴻【あいこう】酸嘶【さんせい】暮聲 急なり,愁雲 蒼慘 寒氣多し。

憶う 昨 去家をって此に客と為り,荷花 初めて紅にして 柳條 碧なり。

中宵【ちゅうしょう】出でて 飲む 三百杯,明朝歸って 揖【ゆう】す 二千石。

寧ろ知らん 流寓 光輝を變じ,胡霜 蕭颯 客衣を繞るを。

寒灰 寂寞として 誰に憑ってか暖めん,落葉 飄揚として 何處にか歸る。

吾が兄 行樂 曛旭を窮めよ,滿堂 美有り 顏 玉の如し。

趙の女 長歌して 綵雲に入り,燕の 醉舞して 紅燭嬌なり。

狐裘 獸炭 流霞を酌み,壯士 悲吟 寧ろ 嗟せらる。

前榮後枯 相い翻覆し,何ぞ惜まん 餘光の棣華に及ぶを。

 

140-#3 《邠()歌行上新平長史兄粲》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<140-#3> Ⅰ李白詩1327 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5183

少年 青年のこと。

「少年行」というのは楽府(がふ)の雑曲の題で、盛唐の詩人の多くが同題の詩を作っていますが、王維の四首は21歳、科挙に及第し、張九齢の部下として仕事についた頃、琴の名手で、絵をかき、詩もうまい、その上美男子であった。得意満面で、詠われたものであろう。

四首は四場面の劇構成になっている。

王維「少年行四首」は四場面の劇のような構成になっている。時代は漢。

少年行四首 其一   

新豊美酒斗十千、咸陽遊侠多少年。  

相逢意気為君飲、繋馬高楼垂柳辺。 

少年行四首 其二    

出身仕漢羽林郎、初随驃騎戦漁陽。

孰知不向辺庭苦、縦死猶聞侠骨香。 

少年行四首 其三    

一身能擘両彫弧、虜騎千重只似無。

偏坐金鞍調白羽、紛紛射殺五単于。

少年行四首 其四   

漢家君臣歓宴終、高議雲台論戦功。

天子臨軒賜侯印、将軍佩出明光宮。

 

杜甫《少年行》

貴族の子弟が酒屋において倣慢ちきに酒をのむさまをうたう。(762)宝応元年、杜甫51歳の成都での作品。李白や、王維の同名の作品は楽府、音楽に合わせて歌うように詩を読むものであるが、杜甫のこの詩は七言絶句である。

少年行

馬上誰家白面郎、臨階下馬坐人牀。

不通姓氏麤豪甚、指點銀瓶索酒嘗。

少年行二首  杜甫51歳の成都での作品

1

莫笑田家老瓦盆、自從盛酒長兇孫。

傾銀注玉驚人眼、共酔終同臥竹根。

(2)

災燕養雛渾欲去、江花結子也無多。

黄衫年少來宜敷、不見堂前東慙波。

 

李白31歳の作品

 少年行      

五陵年少金市東、銀鞍白馬度春風。

落花踏尽遊何処、笑入胡姫酒肆中。

五陵の若者は 金市の東、繁華街、銀の鞍の白馬にまたがって春風の中を颯爽と行く。

一面に舞い散る花を踏み散らし  どこへ遊びに出かけるのか

にぎやかに笑いながら、碧眼の胡姫の酒場へ行こうというのか

 

年少は少年と同じ、日本でいう少年は童。金位置の東寄りに居酒屋があってイラン人の女性がお相手をしていた。長安は、このころ世界一の大都市であった、シルクロードの起点でもあるが、唐王朝はペルシャの一部まで領土を拡大していた。五陵の若者というのは、五つの陵墓を中心に陵園都市が形成され、繁華を誇った。このころは少し荒廃していたようであるが、李白は漢代のイメージで歌っている。それと、貴族の住居地区という意味も兼ねている。

李白 17少年行

 

韓信在淮陰,少年相欺凌。

韓信は淮陰に在り,少年 相い欺凌【ぎりょう】す。

韓信は淮陰にあった時は、青年の頃であったが、貧乏で品行も悪かったために職に就けず、遊侠無頼の生活に終始していた。

韓信 秦末から前漢初期にかけての武将。劉邦の元で数々の戦いに勝利し、劉邦の覇権を決定付けた。張良・蕭何と共に漢の三傑の一人。 なお、同時代に戦国時代の韓の王族出身の、同じく韓信という名の人物がおり、劉邦によって韓王に封じられているが、こちらは韓王信と呼んで区別される。

 

屈體若無骨,壯心有所憑。

體を屈して骨無きが若し,壯心 憑る所有り。

自分の体を屈して、ほとんど骨なしの弱弱しいやつに見えたが、胸中には壮心を持ち続け、「韓信の股くぐり」という屈辱にもよく耐えぬいたのである。

屈體若無骨,壯心有所憑 「韓信の股くぐり」韓信の股くぐりとは、将来に大志を抱く者は、屈辱にもよく耐えるというたとえ。

淮陰 淮陰(現:江蘇省淮安市)の出身。貧乏で品行も悪かったために職に就けず、他人の家に上がり込んでは居候するという遊侠無頼の生活に終始していた。

欺凌 貧乏で品行も悪く、遊侠無頼の生活に終始していたことをいう。

 

 

一遭龍顏君,嘯吒從此興。

一たび、龍顏の君に遭い,嘯吒 此れ從り興る。

はたせるかな、ひとたび龍顏の君である漢の高祖劉邦に出会うや、風雲を嘯吒して、これより劉邦の覇権を決定づける働きをした。

龍顏君 劉邦の容姿は鼻が高く、立派な髭をしており、いわゆる龍顔、顔が長くて鼻が突き出ている顔をしていたという。また太股に72の黒子があった、72とは1360日を五行思想の5で割った数で、当時ではかなりの吉数である。・劉邦:前漢の初代皇帝。沛県の亭長(亭とは当時一定距離ごとに置かれていた宿舎のこと)であったが、反秦連合に参加した後に秦の都咸陽を陥落させ、一時は関中を支配下に入れた。その後項羽によって西方の漢中へ左遷され漢王となる。その後に東進して垓下に項羽を討ち、前漢を興した。正式には廟号が太祖、諡号が高皇帝であるが、通常は高祖と呼ばれることが多い。

 

千金答漂母,萬古共嗟稱。

千金 漂母に答え,萬古 共に嗟稱す。

そこで、千金を以て一般の恩義のある「漂母」に報いたのであるが、それはまことに美事として、その時より、万世に嗟称されることとなった。

漂母 史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

李白《淮陰書懷寄王宗成》「暝投淮陰宿。 欣得漂母迎。」淮陰書懷寄王宗成 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350-199

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首其二》「飢從漂母食。閑綴羽陵簡。」李白32 玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二

145 《贈裴十四》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

李白《贈裴十四》それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

 

 
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145 《贈裴十四》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<145> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 雜言古詩

詩題: 贈裴十四

作地點:      目前尚無資料

交遊人物:裴光庭     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

贈裴十四

(裴十四にこの詩を贈る)

朝見裴叔則,朗如行玉山。

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

 

(裴十四に贈る)

朝に裴叔則を見て,朗として玉山を行くが如し。

黃河 天より落ちて東海に走り,萬里 寫【そそ】いで胸懷の間に入る。

身は白黿【はくげん】に騎して敢えて度らず,金は南山より高く 君の顧るを買う。

六合に徘徊して相知無し,飄として浮雲の且く西に去るが若し。

終南山06

 

『贈裴十四』 現代語訳と訳註解説

(本文)

贈裴十四

朝見裴叔則,朗如行玉山。

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

 

(下し文)

(裴十四に贈る)

朝に裴叔則を見て,朗として玉山を行くが如し。

黃河 天より落ちて東海に走り,萬里 寫【そそ】いで胸懷の間に入る。

身は白黿【はくげん】に騎して敢えて度らず,金は南山より高く 君の顧るを買う。

六合に徘徊して相知無し,飄として浮雲の且く西に去るが若し。

 

(現代語訳)

(裴十四にこの詩を贈る)

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

李白の足跡003 

(訳注)

贈裴十四

(裴十四にこの詩を贈る)

【解説】道教の友人の一人であろう。李白が師としていた司馬承禎が白雲を称していたので、白黿に乗ると表現し、隠遁するかと云えば、そうでもないとする自由人である。こうして送った詩は、道士の間で広がり、やがて、「一芸に秀でる」ものとなって朝廷に上ることにつながってゆく。

 

朝見裴叔則,朗如行玉山。

魏の「玉人」と称された裴楷という清談の人がいたが、ある朝時にその人に対すれば、仙山の玉山の上を行くようで、その日一日が、何処となく朗らかで、輝かしい光に照らされるといわれたものである。

裴叔則 裴楷(237291)河東聞喜の著姓。字は叔則。魏の尚書令裴潜の甥。冀州刺史裴徽の子。 博識で、特に『老子』・『周易』に通じ、清談では王戎と並称され、容姿と人品から“玉人”と称された。武帝のとき中書令・侍中に至り、子は楊駿の婿とされたが、畢に楊駿を認めず不和なままで、恵帝即位のとき太子少師とされた。 俸給すべてを一族に施し、梁王・趙王から毎年数百万銭を借りたという。

玉山 群玉山のこと。不老不死の仙女、西王母の住むという伝説上の仙山。

清平調詞三首 其一 「云想衣裳花想容、春風拂檻露華濃。若非群玉山頭見、會向瑤台月下逢。」(雲には衣裳を想い、春風 檻を払って花には容を想う、露華濃やかなり。若し 群玉山頭に見るに非ずんは、会ず 環台の月下に向いて逢わん。)

雲は艶めかしさを思い、ながめると美しい衣裳、牡丹の花はあでやかな豊満な容姿をおもわせる。春風のような愛撫により、後宮での夜の華やかな露はなまめかしい。

ああ、こんな素晴らしい美人には、あの西王母の「群玉山」のほとりで見られなければ、五色の玉で作られた「瑤台」に月光のさしこむなかでめぐり逢えるだろう。

 

黃河落天走東海,萬里寫入胸懷間。

裴十四という人は極めて豪放磊落のひとで、それはちょうど、黄河が西の天から東に向かって落ちてくるような勢いで、そのまま万里の長きにわたって東海に走って行くのをその胸の中の間に入れたようなものである。

 

身騎白黿不敢度,金高南山買君顧。

そして、その身は、黄河の主というべき白黿にまたがって、川を渡るのかというって渡らず、何処に行くのか、それほどの地元に影響力のあるものであるから、金を終南山の高さまで積み上げて、地方の節度使など自分の幕府に引き入れようとするのである。

白黿 白い大きなスッポン亀。《楚辭九歌河伯》「乘白黿逐文魚, 與女游兮河之渚; 流澌紛兮將來下。」(白黿に乘りて文,女と兮河の渚に游べば、流澌は紛として將に來り下らんとす。)

【解説】節度使の幕僚は公式に任命されたものであるが、任命は私的な人選によるので、身分の保証はなかった。節度使が死んだ場合(転任のときも同じことであるが)、後任の節度使は、前任者の幕僚を引き継ぐ義務はない。むしろ自分の人選によって新たに幕僚を任じ、幕府を構成しようとする。もとの幕僚は失業するわけだが、文句は言えないのであって、この点が科挙を経て正式に任命された役人と違うところである。ここでいうのは、その地元に影響力のあるものを雇用するということ。

 

徘徊六合無相知,飄若浮雲且西去。

それでも、かれは山に登るかと云えば、翠微の六合目あたりを徘徊し、仙界に向かうわけでもないし、誰一人として心の内を知る者はいないし、何処へ行くのかわからないから仕方がないと思っていたら、浮雲の如く、飄として、西の方へ行こうとしている。こんな男は吾輩の気にいった人であると思っているところだ。

華山道教 

 

 

司馬承禎が白雲を称していた。司馬承禎は、天台山に住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。山肌が火のように赤く、形が城のように見える赤城山には、18の洞窟があり、仏教と道教の神がまつられ、なかでも玉京洞は、道教の神仙が住むとされている李白『送賀賓客帰越』:

 

李白と玉真公主との関係をひらいたのは、恐らく司馬承禎である。承禎は、字を子微といった。開元10年代の後半ぐらいであろうが、道教を以て玄宗に召されたひとである。その時、王屋山(山西省陽城県)にいたが、玄宗の妹、玉真公は玄宗の命によってここへ王屋山に使したことがある。この承禎(貞一先生)と李白とが江陵(荊州)で会ったことは、その「大鵬賦」の序にのべている。

 

 ただし周知の如く、秘書監であり、道士の資格者賀知章が彼の「蜀道難」に感嘆して、これを「謫仙人」と呼び、玄宗に推薦したといふのも重要なファクターである。

要するに承禎、玉真公主や呉筠等の道教関係の側と、賀知章との推薦が同時期に行われて、李白は翰林に入ることを得たのである。そして、玄宗が道教に傾倒していたこと、宮廷詩人はいないような状態であった。王維がいたが、張説、張九齢の派閥で、10年くらい涼州などに飛ばされ長安に帰ってきていたが、李林保などとの折り合いが悪く、半官半隠で、輞川荘の経営を本格化し始めたころである。

143-3 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143-3> Ⅰ李白詩1336 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5228

李白《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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143-3 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#3Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143-3> Ⅰ李白詩1336 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5228

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

------------------------------------------- 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

-------------------------------------------  

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

華州から秦州同谷成都00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文) -3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

(下し文) -3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉にい,華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

(現代語訳)

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

武漢03 

(訳注) -3

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

余亦草間人,頗懷拯物情。

では、私李白はといえば、草莽の志士である。羣物を救済しようとする志望を抱いているにもかかわらず、それを許して取り上げられることが無いままでいる。

草間人 草莽の志士。草莽:① くさむら。田舎。②民間。在野。世間。

 

晚途子玉,華髮同衰榮。

ごく最近になって、はじめて崔子玉といわれる貴殿に出会いその思い一致したのであるが、それは、共に白髪頭になるまで、栄枯盛衰を共にしようということであった。

子玉 崔子玉のこと、崔瑗,字を子玉という。東漢の書法家である,涿郡安平(今屬河北省)の人。「四殺」という座右の銘としていた。それは、人は欲を持つことで自分を殺し、財産を残すことで子孫を殺す。 政治を間違うと民を殺し、 学問教育を間違うと天下を殺す。と同じ姓であったのでこう呼んだが、書が上手かったのであろう。

 

託意在經濟,結交為弟兄。

ともに、国家の経済に託すことで意見が一致したところで、兄弟となる契りを結んだ。

 

毋令管與鮑,千載獨知名。

こうなった上では、互いに助け合って人脈に推薦し合い、古の「管鮑の交わり」をして、千年の世にその名が残り知れ渡っているようにそれより勝る付き合いをして行かねばならんと思っている。

管與鮑 管鮑の交わりのこと。管鮑の管は管仲、鮑は鮑叔を指し、この言葉は管仲と鮑叔の間の友情をうたったもの。それをよく物語っているのが、「史記」管晏列伝に記されている、宰相となった管仲が語っった言葉である。
李白図102 

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李白《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#2その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。


 
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 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。ただ親友の(崔州平 太尉・崔烈の子、崔均の弟)や徐庶だけがそれを認めていたという。また、この時期に地元の名士・黄承彦の娘を娶ったようである。これは裴松之注に引く『襄陽記』に見える話で、黄承彦は「私の娘は色が黒くて醜いが、才能は君に娶わせるに足る」と言い、諸葛亮はこれを受け入れた。周囲ではこれを笑って「孔明の嫁選びを真似てはいけない」と囃し立てたという。これ以降、不器量の娘を進んで選ぶことを「孔明の嫁選び」と呼ぶようになった。

 

舅の黄承彦の妻は襄陽の豪族蔡瑁の長姉であり、蔡瑁の次姉は劉表の妻であるため、蔡瑁・劉表は義理の叔父に当たる。また、諸葛亮の長姉は蒯祺の妻、次姉は龐徳公の息子の妻であり、龐徳公の甥の龐統も親戚である。

 

三顧の礼

この頃華北では、建安5年(200年)に曹操が袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の機会を窺っていた。劉備は袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備が諸葛亮を訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。

 

この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備は諸葛亮の見識に惚れ込み、諸葛亮は劉備に仕えることを承諾した。これを孔明の出廬と呼ぶ。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

嚢陽一帯00 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文)-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

 

(下し文)-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

 

(現代語訳)

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

 

 

(訳注) -2

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

當其南陽時,隴畝躬自耕。

その諸葛亮が南陽に引き籠っていたころは、「梁甫吟」を吟じて、隴畝の間を躬耕していたのである。

南陽・隴畝・躬自耕 これらは、以下の詩と解説に詳しく述べている。

諸葛亮《梁甫吟》梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

李白《梁甫吟》梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

 

魚水三顧合,風雲四海生。

劉備は、三度これを草盧に尋ね顧みて魚水の遇合を為し、四海の風雲はここから生まれてくるのである。

魚水 魚水之契:魚と水がきりはなせない関係にあるように親密な交際。

三顧 劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。

 

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

こうして、諸葛亮は、岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体を平定し、はじめて漢の帝基を定めて、やがて咸陽、長安を克服しようという壮志を抱いていたのである。

岷蜀 岷江を中央に広がる沃野の地である巴蜀一体。

壯志 雄大な志を立てる.勇壮な感情と偉大な志で胸をいっぱいにする.

咸京 咸陽、長安。

 

何人先見許,但有崔州平。

諸葛亮は、大人物であるが、その初めは、誰も彼の才能を許すものはなかった。ただ、崔州平だけが大人物になるだろうと思っていたのである。

崔州平 博陵の人。大尉崔烈の子、崔鈞の弟《諸葛亮伝》。諸葛亮・徐庶らとともに荊州に遊学した。諸葛亮はみずからを管仲・楽毅になぞらえていたが、崔州平はその通りだと思っていた《諸葛亮伝》。

李白図102 

この頃華北では、建安5年(200年)に曹操が袁紹を打ち破って覇権を手中にし、南進の機会を窺っていた。劉備は袁紹の陣営を離れて劉表を頼り、荊州北部・新野(河南省南陽市新野県)に居城を貰っていた。

諸葛亮は晴耕雨読の毎日を送っていたが、友人の徐庶が劉備の下に出入りして、諸葛亮のことを劉備に話した。人材を求める劉備は徐庶に諸葛亮を連れてきてくれるように頼んだが、徐庶は「諸葛亮は私が呼んだくらいで来るような人物ではない」と言ったため、劉備は3度諸葛亮の家に足を運び、やっと幕下に迎えることができた。これが有名な「三顧の礼」である。裴松之の注によると、『襄陽記』には、劉備が人物鑑定家として有名な司馬徽を訪ね、司馬徽は「時勢を識るは俊傑にあり」として「伏竜」と「鳳雛」、すなわち諸葛亮と龐統とを薦めたという話が載る。また『魏略』には、諸葛亮の方から劉備を訪ねたという話が載っていたという。その後に裴松之自身の案語として、「「出師表」には明らかに劉備が諸葛亮を訪ねたと書いてある。それなのにこんな異説を立てるとは、実にわけの分らぬ話である」とある。

この時、諸葛亮は劉備に対していわゆる「天下三分の計」を披露し、曹操・孫権と当たることを避けてまず荊州・益州を領有し、その後に天下を争うべきだと勧めた。これを聞いた劉備は諸葛亮の見識に惚れ込み、諸葛亮は劉備に仕えることを承諾した。これを孔明の出廬と呼ぶ。

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李白143-1 《讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -#1諸葛亮は荊州で弟と共に晴耕雨読の生活に入り、好んで「梁父吟」を歌っていたという。この時期には自らを管仲・楽毅に比していたが、当時の人間でこれを認める者はいなかった。

 
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後漢は2世紀以後、幼い皇帝がつづいた。覇気のない皇帝が多かった。これは前漢の末期と同じで、外戚や宦官が権力を握るようなったのも同じであった。とくに後漢は宦官が力をもって宮廷を牛耳った。官僚と宦官化共に権勢を爭った。宦官におもねって出世しようとする官僚もいたが、かれらの専権に抵抗して後漢の政治をまっとうな姿にしようとする理想家肌の官僚たちもかなりいた。こういう官僚のことを「清流」といい、清流官僚たちは宦官を批判し、世論もかれらの味方をした。

 

 

年:730年開元十八年30

卷別: 卷一六八      文體: 五言古詩

詩題: 讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

作地點:      長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:      長安 (京畿道 京兆府長安) 別名:京、京師、中京、京城、上都、京畿、西都

臥龍岡 (山南東道 鄧州 南陽)  

南陽 (山南東道 鄧州 南陽) 別名:南都       

交遊人物:崔叔封     書信往來(京畿道 京兆府長安)

 

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

-2

當其南陽時,隴畝躬自耕。

魚水三顧合,風雲四海生。

武侯立岷蜀,壯志吞咸京。

何人先見許,但有崔州平。

-3

余亦草間人,頗懷拯物情。

晚途子玉,華髮同衰榮。

託意在經濟,結交為弟兄。

毋令管與鮑,千載獨知名。

 

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季 -1

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

 

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運をし,臥龍 孔明を得たり。

-2

其の南陽の時に當って,隴畝【りょうほ】躬 自ら耕す。

魚水 三顧して合し,風雲 四海に生ず。

武侯 岷蜀に立ち,壯志 咸京を吞む。

何人を先づ許る見【さ】る,但し崔州平有るのみ。

-3

余も亦た草間の人,頗る懷く物を拯【すく】うの情。

晚途 子玉に華髮 衰榮を同じゅうす。

意を託するは經濟に在り,交を結んで弟兄と為す。

管と鮑とをして,千載 獨り名を知ら令むる毋【な】かれ。

 

 

『讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季』 現代語訳と訳註解説

(本文)-1

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

漢道昔云季,群雄方戰爭。

霸圖各未立,割據資豪英。

赤伏起運,臥龍得孔明。

 

(下し文)

(諸葛武侯傳を讀み,懷を書して長安の崔少府叔封・昆季に贈)-1

漢道 昔 云【ここ】に季【すえ】,群雄 方に戰爭。

霸圖 各の未だ立たず,割據 豪英に資す。

赤伏 運を起し,臥龍 孔明を得たり。

 

(現代語訳)

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

 

嚢陽一帯00 

(訳注)

讀諸葛武侯傳,書懷贈長安崔少府叔封昆季

(諸葛亮の伝記を読み、その感慨を写して、常侍長安縣の県令であった崔叔封・昆季兄弟に寄せたものである。)

 

漢道昔云季,群雄方戰爭。

昔、漢道、まさに衰え、その運もしだいに衰退していったときに、群雄は戦争を事として居たのである。

漢道昔云季 漢道は衰える。皇帝の権威はゆるみ。政治は徳からはずれた。衆には不満がくすぶり。民は暗き黄巾に集まった。武烈あかるく。龍の飛翔を越え。 天衡を渡り。霊威を輝かせ。

 

霸圖各未立,割據資豪英。

群雄それぞれ霸図を建てようと画策していたが、どれもうまくいかなかった、諸方に割拠して、もっぱら豪英の士によって、その勢いを張っていた。

 

赤伏起運,臥龍得孔明。

この時、劉備は『赤伏符』の祥をもって帝王道をはじめとし、後漢の天子と同じ血をひくことから、王朝の衰運を挽回しようとし、臥龍という称で荊州に隠遁していた諸葛亮を得た。

赤伏 (『後漢書』列伝12)。“その根拠は『赤伏符』中の「王梁、衛を主【つかさど】って玄武と作る」という讖文であり、劉秀はこれを「野王は衛のうつる所、玄武は水神の名、司空は水土の官」と解釈した。”とある。
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142-2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-2> Ⅰ李白詩1332 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5208

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

 
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 ・李商隠詩 (1) 136首の75首・李商隠詩 (2) 135首の61首●韓愈index-1 ・孟郊、張籍と交遊・汴州乱41首●韓愈詩index-2[800年 33歳~804年 37歳]27首●韓愈詩index-3 805年 38歳・]陽山から江陵府 36首●韓愈詩index-4 806年 39歳 江陵府・権知国子博士 51首(1)25首 
 index-5 806年39歳 50首の(2)25首index-6[807年~809年 42歳]20首index-7[810年~811年 44歳] 34首index-8 [812年~814年47歳]46首index-9[815年~816年 49歳] 57首index-10[817年~818年 51歳]・「平淮西碑」28首 
 index-11 819年 52歳 ・『論佛骨表』左遷 38首index-12 820年 53歳 ・9月國子祭酒に。18首index-13 821年~822年 55歳 22首index-14 823年~824年 57歳・病気のため退職。没す。 14首韓愈 哲学・儒学「五原」賦・散文・上奏文・碑文など 
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142-2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二 -#2Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<142-2> Ⅰ李白詩1332 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5208

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

 

函谷関長安地図座標005

 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

 

(下し文) #2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

 (現代語訳)

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

長安付近図00 

(訳注) -#2

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

 

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

雨水は道路にあふれ、ごうごうとため池から水があふれ、潀潀と水音を高くする、そして、一面水面となり、風が吹き、浩々と大波が寄せてくる。

潀潀 水があつまる、ぶつかって音が出るさま。

奔溜 ため池から水があふれでる。

 

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

それから流れ来る水は土石流となり、行く手を遮り、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位で、洪水の水は広々とたたえている。

牛馬不可辨 荘子「秋水時至、百川灌河。渓流之大、両涘渚崖之間、不弁牛馬。於是、河伯欣然自喜、以天下之美為尽在己、順流而東、行至於北海。東面而視、不見水端。」

秋の季節が来て、多くの川が(黄)河に流れ込み、水かさが増えた河幅は広がって、両川岸の水際も良く見えず、中州や対岸にいるのが牛か馬かを見わけることも出来ない位である。そこで、黄河の神である河伯(かはく)は喜びを抑えきれず、自分は天下の美観全てを集め尽していると考え、流れに従って東へ、北海までやってきた。そこで東方に視線を向けると、海はその果てが見えない程である。

 

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

私は、玉真公主の別館に逗留しているので、丁度、韓信の故事の漂泊する老婆に数十日食事をさせてくれたことと同様にお世話になっている、外がこんな様子であるから、格別用があるわけではないので、暇に任せてかの羽陵の蠧書虫に食われた本を綴りなおす

漂母 《洗濯をする老女が、貧窮の若い韓信に食事を恵み与えたという「史記」淮陰侯伝の故事から》食を恵む老女。史記、韓信の故事。淮陰にいたころ貧乏だった。人の家に居候ばかりして、嫌われていた。ある日、綿晒しに来たおばあさんが、釣りをしていた韓信を植えている様子を見て、食事をとらせた。綿晒しが終わるまで、数十日食事をさせてくれた。漂は綿をさらすこと。

羽陵 《穆天子傳》「天子東遊,次雀梁,蠹書于暴羽陵。」(天子東遊して,雀梁に次し,蠹書を羽陵に暴す。)ほんをむしが喰ってばらけている。竹簡を綴る糸を蟲が喰う。

 

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

いまは農家では秋野菜の収穫期であるのに、此処での食膳にでてくるものとして藜と豆の葉の類位で、それさえも充分ではないのだ。

藜藿 藜と豆の葉。

 

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

室中には足高蜘蛛がでてきて網をかけた上で静かにしていて、愁いをひくコオロギの声も門庭の狭さを際立たせるようなもので心が痛む。

蠨蛸 足高蜘蛛。

結思幽 網をかけた上で静かにしている。

蟋蟀 愁いをひくコオロギの声。

傷褊淺 門庭の狭さを際立たせるようなもので心を痛める。
李白図102 

143 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143> Ⅰ李白詩1328 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5188

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

 
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143 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿二首 其二》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<143> Ⅰ李白詩1328 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5188

 

 

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

丹徒 (江南東道 潤州 丹徒)              

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

-#2

潀潀奔溜聞,浩浩驚波轉。

泥沙塞中途,牛馬不可辨。

飢從漂母食,閒綴羽陵簡。

園家逢秋蔬,藜藿不滿眼。

蠨蛸結思幽,蟋蟀傷褊淺。

-#3

廚灶無青煙,刀機生綠蘚。

投箸解鷫鷞,換酒醉北堂。

丹徒布衣者,慷慨未可量。

何時黃金盤,一斛薦檳榔。

功成拂衣去,搖曳滄洲傍。

 

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

-#2

潨潨【そうそう】として奔溜【ほんりゅう】瀉【そそ】ぎ、浩浩として驚波転ず。

泥沙【でいさ】 中途を塞ぎ、牛馬  (べん)ず可からず。

飢えて漂母に従って食し、閑【かん】に  羽林【うりん】の簡【かん】を 綴る。

園家【えんか】 秋蔬【しゅうそ】に逢うに、藜藿【れいかく】 眼に満たず。

蠨蛸【しょうしょう】 思幽【しゆう】を結び、蟋蟀【しつしゅつ】 褊浅【へんせん】を傷(いた)む。

 

-#3

厨竃【ちゅうそう】青烟【せいえん】無く、刀机【とうき】 緑蘚を生ず。

筯【はし】投じて鷫霜【しゅくそう】を解き、酒に換えて北堂に酔う。

丹徒【たんと】布衣の者、慷慨  未だ量【はか】る可からず。

何【いずれ】の時か 黄金の盤、一斛【いっこく】の檳榔【びんろう】を薦めん。

功成【な】らば衣を払って去り、滄洲の傍らに揺裔【ようえい】せん。

華山道教 

 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二』 現代語訳と訳註解説

(本文)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

苦雨思白日,浮雲何由卷。

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

欲往咫尺塗,遂成山川限。

 

(下し文)

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の二)

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

稷【しょく】 契【せつ】 天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

 

(現代語訳)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

杜甫乱前後の図003鳳翔 

(訳注)

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之二

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)その二

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

 

苦雨思白日,浮雲何由卷。

苦雨【くう】 白日【はくじつ】を思う、浮雲  何に由【よ】ってか巻かん。

連日の雨で閉口している、早く好天気になればよいと思っているが、浮雲を巻き収める術もないからどうしようもない。

 

稷契和天人,陰陽乃驕蹇。

稷【しょく】 契【せつ】天人を和し、陰陽 仍【な】お驕蹇【きょうけん】たり。

農耕の神様である后稷や契の伝説の時代は天地と家臣とも、上手く馴染んでいたが、今日の世は陰陽二気は、勝手に驕り、昂って、このような天候不順、長雨を降らしている。

稷契 后稷と契の伝説。

・后稷(こうしょく)は、伝説上の周王朝の姫姓の祖先。中国の農業の神として信仰されている。姓は姫、諱は弃、または稷。不窋の父。『史記』周本紀によれば、帝嚳の元妃(正妃)であった姜原が、野に出て巨人の足跡を踏んで妊娠し、1年して子を産んだ。姜原はその赤子を道に捨てたが牛馬が踏もうとせず、林に捨てようとしたがたまたま山林に人出が多かったため捨てられず、氷の上に捨てたが飛鳥が赤子を暖めたので、不思議に思って子を育てる事にした。弃と名づけられた。弃は棄と同じ意味の字である。『山海経』大荒西経によると、帝俊(帝嚳の異名とみなす説が有力)の子とされる。弃は成長すると、農耕を好み、麻や菽を植えて喜んだ。帝の舜に仕え、農師をつとめた。また后稷の官をつとめ、邰に封ぜられて、后稷と号した。

・契(せつ、生没年不詳)は、殷王朝の始祖といわれる伝説上の人物。子契ともいう。有娀氏の娘で、帝嚳の次妃であった簡狄が水浴びをしている時、ツバメの卵を食べたために生まれた。また、帝堯の時代に生まれたともいう。契は、帝尭・帝舜・帝禹に仕えた。契は、大きくなった後に禹の黄河治水を援けた。帝舜は契の業績を評価し、契を司徒にした上、商の地に封じて、子という姓を与えた。ただし、詩経では、帝堯が商の地に封じたとも書かれている。

 

秋霖劇倒井,昏霧橫巘。

秋霖【しゅうりん】 劇【はげ】しく井を倒【さかしま】にし、昏霧 絶巘【ぜつけん】に横たわる。

秋霖の勢いは、凄まじいもので、井戸を逆さまにしたよりも激しい程で、暗い霧の中で、嶮しい峰巒まで横たわり、覆い尽くしている。

秋霖 しとしとと何時までも降り続く雨を霖雨といい、秋の長雨(秋雨)のことを「秋霖」という。秋の季語。 「霖」は三日以上降り続く雨で四日目からをいう。

 

欲往咫尺塗,遂成山川限。

咫尺【しせき】の塗【みち】を往かんと欲するも、遂に山川【さんせん】の限りを成()す。

そこで、極近いところへ行こうと思っても、幾重の山川がこれが限って遮っていて、容易に行くことができない。

141-#2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141-#2> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》-#2酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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141-#2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141-#2> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198 
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27-#14 《此日足可惜贈張籍-14》韓愈(韓退之)ID <1243> Ⅱ 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5199韓愈詩-27-#14 
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141-#2 《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》Index-10 Ⅱ―5-730年開元十八年30歳 李白<141-#2> Ⅰ李白詩1330 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5198

 

 

李白詩index- 9 730年開元十八年30歳 安陸から長安に遊ぶ。》

年:730年開元十八年30

卷別:    卷一六八              文體:    五言古詩

詩題:    玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

作地點:              終南山(京畿道 / 京兆府 / )

及地點:              金張館 (京畿道 京兆府 ) 別名:別館      

交遊人物:玉真公主           詩文提及

 

 

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

秋坐金張館,繁陰晝不開。

公主の別館は、古の金氏と張氏、二氏の邸宅に比すべきこの公主別館に逗留しているところへ、折からの秋の空が搔き曇り、昼になっても鬱陶しく、長雨となった。

空煙迷雨色,蕭颯望中來。

空には中天に煙雲がかかり、雨色を迷わしていたのであるが、果然、蕭颯として雨が降り注ぐのを眺めるのであった。

翳翳昏墊苦,沈沈憂恨催。

そこで、もやもやして、暗くて、湿気が多くなるのに閉口し、沈々とした気分は続き、憂恨の念が催してきたのである。

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

秋 金張の館に坐し,繁陰 晝 開かず。

空煙 雨色を迷い,蕭颯として 望中より來る。

翳翳【えいえい】として昏墊【こんてん】苦,沈沈として憂恨 催す。

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

吟詠思管樂,此人已成灰。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

 

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

華山道教 

『玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一』 現代語訳と訳註解説

(本文)-#2

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

吟詠思管樂,此人已成灰。

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

彈劍謝公子,無魚良可哀。

 

(下し文)

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

 

(現代語訳)

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

泰山の道観 

(訳注)#2

玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一

(玉真公主別館に苦雨に衛尉張卿に贈る,二首の一)

(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

この詩は李白が玉真公主別館に滞在する間に、長雨に遭い、申し訳なく感じていたので、この詩を賦して、張説の息子張(求職を訴えていた)に贈ったもの。

玉真公主は睿宗のむすめ、字は持盈【じえい】、大極元年、出家して道士となった人である。この詩はその玉真公主に献じたものである。魏顥の言に倚れば李白は事あるごとに公主に献じていたという。

衛尉 宮殿の門内に役所あり衛士と屯兵とを掌る。丞(輔佐)一人。属官には、国事、散召を掌る公車司馬(官車で召された人を送迎また宮中を夜間巡視する宮殿の司馬門の役所を掌る武官)、衛士(宿衛の士)、旅蕡三令丞(戎と盾とをもち王車を護衛する三人の令、長と丞、衛士三人の丞)、また諸屯の衛候(見張役)、司馬二十二人(宮殿の外門を総称して司馬門といいまた単に司馬ともいう。その近衛兵)。

張卿 張? - 至徳2載(757年))は、唐代玄宗朝に仕えた政治家。名宰相とされる張説の次子であり、玄宗の娘婿であったが、安史の乱の際、安禄山に仕えたため、処刑された。兄に張均、弟に張がいる

 

清秋何以慰,白酒盈吾杯。

清秋 何を以て慰めん,白酒 吾が杯に盈つ。

ただでさえ清秋というのは、悲愁であり、さびしい折である、そこへこの雨であるからやりきれない、何を以って、わがこころを慰められるのであろうか、それには白酒を酌むよりほかにはない。

○清秋 悲愁:宋玉『九辨』「悲哉秋之為氣也!蕭瑟兮草木搖落而變衰」、魏 武帝『苦寒行』「北上太行山,艱哉何巍巍! 羊腸阪詰屈,車輪為之摧。 樹木何蕭瑟,北風聲正悲!」とある。これ以降、蕭瑟、悲愁、惆悵がセットのように使われる。特に宋玉『九辨』は「悲秋」感情のバイブルのようなものである。

九辯 第九段―まとめ 宋玉  <00-#35>Ⅱもっとも影響を与えた詩文 664 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2304

白酒 儒者は清酒、道家は濁り酒を飲む。白眼視。阮籍 詠懐詩 、 白眼視    嵆康 幽憤詩

 

吟詠思管樂,此人已成灰。

吟詠 管樂を思い,此の人 已に灰に成る。

酔いが増すほどに、昂然として、古の管仲楽毅を思い出して、教えを乞いながら、吟詠したいと思うけれど、これらの人はみんな死後既に久しく、既に灰となっていないのである。

吟詠管樂 梁甫吟を吟詠すること。諸葛亮が自らを管仲と楽毅に比して、いた。「梁甫吟」を嘯いていた。管仲は管夷吾(かん いご)で、中国の春秋時代における斉の政治家である。桓公に仕え、覇者に押し上げた。楽毅の先祖は魏の文侯に仕えた楽羊であり、楽羊は文侯の命令により中山国(燕と斉と趙が接する所にあった小国。現在の河北省保定市の周辺。)を滅ぼし、その功により中山の首都霊寿に封じられた。

梁甫吟 #4 李白Kanbuniinkai紀頌之の漢詩李白特集350 -298

梁甫吟 諸葛亮 漢詩<96>Ⅱ李白に影響を与えた詩819 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ2643

 

獨酌聊自勉,誰貴經綸才。

獨酌 聊【いささ】か 自ら勉む,誰か貴ばん 經綸の才。

だから、一人で酌をして飲むしかなく、いささかでも自分で自分に勤めて気を取り直すのであり、今の世では、経綸の才を貴ぶものはなく、誰も自分の真価を認めてくれるものがいないのである。

○經綸 国家を治めととのえること。また,その方策。

 

彈劍謝公子,無魚良可哀。

劍を彈じて 公子に謝す,魚無きは 良【まこと】に哀しむ可し。

そうして、仕方がないので、古の馮驩を学び、劍を彈じて、張卿に謝し、食なき魚なき今の境涯、まことにつまらないから、どうか幾重にもお引き立てを賜ることをよろしく願いたいと思っている。

○彈劍 劍を彈じて馮驩を学ぶ。李白《行路難 三首 其二》「彈劍作歌奏苦聲,曳裾王門不稱情。」(剣を弾じ歌を作()して苦声(くせい)を奏(そう)し、裾(すそ)を王門に曳きて  情に称(かな)わず。)馮驩は剣を弾いて作詩した歌を唄い宰相の孟嘗君に聞かせて聞き入れられた、いくら弁舌が上手くても漢の鄒陽は王に仕えて話す真意がすぐには思うように伝わらなかった。

・馮驩 すうかん斉の宰相孟嘗君に仕えた政治家。孟嘗君の食客として迎えられ、下級宿舎に泊まらせられた。馮驩は剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、食う魚なし」という歌を歌い出した。それを聞いた孟嘗君は中級宿舎に泊まらせた。すると馮驩はまた剣を叩きながら「我が長剣よ、帰ろうか、外にも出ようも御輿がない」という歌を歌い出した。詳しくはウィキペディア「馮驩」「斉の宰相と馮驩」参照。

行路難 三首 其二 李白 Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白184
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李白《玉真公主別館苦雨贈衛尉張卿,二首之一》-#1(玉真公主の別館のサロンに長雨に振り込まれ、長逗留に気兼ねして賦した詩を衛尉である張卿に贈る)

 

 
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