漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

李白詩全集 卷六

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
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744年年44歳-15李太白集230卷六25白云歌送劉十六歸山  430Index-24Ⅲ-3 744年天寶三年44歳-15【56首】Ⅰ李白詩1806 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7570

李白  白雲歌,送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。
(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)   君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

李太白集 卷六25

白雲歌,送劉十六歸山

漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7570

Index-24  744年天寶三年44歳 56-15

430 <1000

 

 

 

-378-230卷六25 云歌送劉十六歸山  (楚山秦山皆白雲,) 

作時年:

744

天寶三年

44

全唐詩卷別:

164_39

文體:

歌吟(樂府)

李太白集 

25

 

 

詩題:

白云歌,送劉十六歸山

序文

作地點:

長安(京畿道 / 京兆府 / 長安) 秦山

及地點:

楚山

湘水 

 

咸陽

交遊人物:

 

 

 

 

全唐詩

166_41 《白雲歌,送劉十六歸山》李白 

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。 

 

李太白集:230卷六25白云歌送劉十六歸山

  白雲歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲、白雲處處長隨君。

長隨君、君入楚山裏。雲亦隨君渡湘水。

齊賢曰 湘水出唐桂州興安縣海陽山西至于全州又北至于洞庭

湘水上女蘿衣白雲堪卧君早歸

士斌曰意劉十六楚/人而遊於秦送其歸山者歸/楚山也

 

李白詩校注:白雲歌送劉十六歸山(卷七(一)五二六)

  白雲歌送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

《通鑑地理通釋》湘水出全州淸湘縣陽朔山東入洞庭北至衡州衡陽縣入江楚辭被薜荔兮帶女蘿

𢎞靜曰 「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。

 

 

 

白雲歌,送劉十六歸山

(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。 

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

(白雲の歌,劉十六の山に歸るを送る。)

楚山 秦山 皆 白雲,白雲 處處 長く君に隨う。

長く君に隨って,君は楚山の裏に入り,雲 亦た 君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上り,女蘿の衣,白雲 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

 

李白の足跡0000 

『白雲歌,送劉十六歸山』現代語訳と訳註解説
(
本文)

白雲歌,送劉十六歸山

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

(下し文)
(白雲の歌,劉十六の山に歸るを送る。)

楚山 秦山 皆 白雲,白雲 處處 長く君に隨う。

長く君に隨って,君は楚山の裏に入り,雲 亦た 君に隨って 湘水を渡る。

湘水の上り,女蘿の衣,白雲 臥するに堪えたり 君 早く歸れ。

(現代語訳)
白雲歌,送劉十六歸山(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。


(訳注) 

白雲歌,送劉十六歸山

(道を究め、仙人の風貌を持った劉君が、修行を重ねた楚の山還るというので、白雲の歌としてこれを送る詩)

1 劉十六 この劉十六といふ人は、名字ともに分らぬ。しかし、李白がわざわざ、この詩を作って其旅の餞別したのを見れば、湘水、衡山に住む山水に高臥をたのしむ隠者であろうことがわかる。気配を消すほどに、高士であるから例によって人物はわからない。十六は排行で、先祖を祀るときの席の順番であったもので、唐では一族の権威的な意味でよく使われた。

2 評価 方𢎞靜曰「太白、賦新鶯百囀、與白雲歌、無咏物句。自是、天仙語。他人稍有擬象、 即屬凡辭。」(太白、新鶯百囀を賦する、白雲歌と、咏物の句無し。、天仙なり他人が稍やもして擬象有らば、即ち凡辭に屬す。𢎞靜:方弘静朝代:明. 人物簡介. 中國歷代人名大辭典. 【生卒】:1516—1611 【介紹】: 明徽州府歙縣人,字定之,號采山。嘉靖二十九年進士。授東平知州,遷南京部郎中,出為四川僉事,累官南京部侍郎

 

楚山秦山皆白雲,白雲處處長隨君。

君が故国にある楚の山々も、長安をめぐる泰の山々も、皆、白雲を帯びている。白雲は、処処に於いて、隠者の君に随って居るので、君が長安の泰山に居ても、間違いなく白雲が随って居るのである。

3 楚山 この場合、洞庭湖の付近、瀟湘八景をめぐって、衡山、桃源にかけて何処も隠遁の場所である。

4 秦山 凡そ、終南山を言うのであろう。

5 白雲 しばしば仙郷のイメージとしてつかい、隠者の散居の象徴とされる。『荘子』. 天地篇に「千歳,世を厭ひて去り,仙に上る」彼の白雲に乗じて帝郷(天帝の郷)に至る」と. ある。《莊子、外篇,天地篇》「千歳厭世,去而上倦,乗彼白雲,至於帝榔」(千歳,世を厭えば,去りて上倦し,彼の白雲乗じて,帝榔に至る。)とあるに基づいる。

 

長隨君,君入楚山裏,雲亦隨君渡湘水。

故郷の楚山に居れば、矢張白雲が君に随って湧き出のである。かくの如く、高士の君がいれば、どこでも白雲が随って居る上は、同じ境涯であるから、何も都を棄て、故郷へ帰る必要は無いようにおもわれるのであるが、故郷の白雲は、又格別であると見えて、君は、此度、故郷に歸られる。そうして、君が故郷へ歸られると、秦山の雲は、君に随って湘水を渡ることになり、やがて楚山の雲となるのである。

6 湘水 《通鑑地理通釋》「湘水、出全州淸湘縣陽朔山、東入洞庭、北至衡州衡陽縣入江。」(湘水は、全州淸湘縣 陽朔山に出でて、東して洞庭に入る、北して衡州衡陽縣に至りて江に入る。

 

湘水上,女蘿衣,白雲堪臥君早歸。

湘水の上なる楚山には、薜茘、女蘿が叢生して居るから、これを採って衣とすることができる。こう考えれば、君は薜茘、女蘿を衣となし、白雲に高臥し、優游、餘生をおくられようというのであるから、早くお歸りに成った方が宜しいということになってしまう。

7 女蘿 方𢎞靜の註によると、《楚辭補註、卷二 九歌山鬼》「若有人兮山之阿,被薜荔兮帶女羅。」(若に人有り山の阿【くま】に,薜荔【へいれい】を被て女羅を帶びとす。)に基づくとある。

743年(58)李太白集卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) 376-#2Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(58) Ⅰ李白詩1728 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7180

李白  同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。
めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

743年(58)李太白集卷六10-《同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌》(高堂粉壁圖蓬瀛,) 376-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-58) Ⅰ李白詩1728 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7180

 

 
  2016年1月14日 の紀頌之5つのBlog  
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年:743年天寶二年43歳 94-56

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌

作地點:              目前尚無資料

及地點:              金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平         

赤城山 (江南東道 台州 台州)           

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

交遊人物/地點:李叔卿      當地交遊

 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

 

(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1

高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。

洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。

光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。

#2 

迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。

了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。

君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。

卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。

 

長安城図 作図00 

『同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

(下し文)
#2 

迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。

了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。

君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。

卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。

(現代語訳)
#2

めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。

しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。

今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。

ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

大明宮の圖003
(訳注) #2

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬-茂陵の間にある〕。

 

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

めぐって走る谷川の流は、その色碧にして、水はひたひたと湛え、勿論、画であるから騒がしい瀬の音は少しもないけれど、たとえば秦人が月下に桃花源を窺って、やがて其処を自分の住居と定めたのである。

13 秦人月下窺花源 陶淵明の《桃花源詩》「瀛氏亂天紀、賢者避其世。」(瀛氏  天紀を 亂し,賢者  其の世を 避く。)秦の皇帝瀛氏は暴政を行い、世界の秩序をみだしたので、賢者たちは世をのがれて隠遁した。とあるに基づく。

14 花源 桃花源:陶淵明が「桃花源の詩」とその序でえがいた理想郷
《桃花源幷記》陶淵明(陶潜)  <#1709 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2529

《桃源行》 王維  <#1715 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2559

桃源圖 韓愈(韓退之) <145>Ⅱ中唐詩719 漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之の漢詩ブログ2579

 

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

しかし、その風光は、了然としで、心魂を清くし、重なる峰の間には、秋の猿が鳴き叫ぶような気がした。

15 疊嶂 山峰;嶂:直立像屏障的山;層、迭:重複,一層加上一層。形容山峰起伏,連綿重迭。

 

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

今や君と共にこの図にたいし、名手の技巧を見ては、嬉しくてたまらす、放歌高吟して明旦に達する位である。

16 明發 早朝、夜が明けて光が発する時。 

 

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

ここに自分は、物外に逍遥したいという願望が、いやが上にもましたから、もし海客が雲帆を揚げて、遠く去ることがあるならば、自分は、これに頼んで、はるか遠い北溟渤海に向い、海中に於で、この図に見るような仙境に出合いたいと思うのである。

17 溟渤 北溟渤海を合称す。 

 

 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 【字解】

 

1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬-茂陵の間にある〕。

2 城尉叔卿 李季卿《三墳記》「先侍郎之子叔卿、字萬天骨琅琅,德(闕一字)文蔚。識度標邁,弱冠以明(闕一字)觀國,蒞鹿邑虞二尉。巍守崔公沔洎相國晉公(闕二字)甲科第之進等舉之,・・・轉金城尉,曹無受謝,吏不敢(闕四字)卷行於世。」(先侍郎の子叔卿という、字は萬。天骨 琅琅,德光 文蔚。識度 標邁,弱冠にして明を以って國を觀て,鹿邑 虞二尉を蒞けらる。巍守 崔公沔は洎相國晉公 甲科 之を第せしめ 進等 之を舉げ,・・・金城の尉に轉ず,曹謝を受ける無し,吏 敢えて世に卷行せず。)とあって、李白の族弟だけに、一廉の人物であったと見える。

3この詩は、族弟金城の尉李叔卿を訪い、花、燭を秉って、一所に其家の山水の壁画を見たるに因って、この詩を作ったという意。この頃は、宮殿や寺観ばかりでなく、すこし大きな家では名手に壁画を作らせたものと見える。

4 粉壁 漆喰の白壁。

5 蓬瀛 蓬莱と瀛洲、方丈、東海中の神仙三山島。

6 滄州 1 青々とした水に囲まれた州浜。人里を離れた水辺。2 仙人や隠者の住んでいる所。隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。 

7 洪波 大きな波。おおなみ。洪濤(こうとう)。

8 崢嶸 ① 山が高く険しい・こと(さま)。  人生の苦難に満ちている・こと(さま)。

9 丹丘 昼夜常に明るいところを言う。《楚辞、遠遊》に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、(羽人に丹丘に仍【したが】い、不死の旧郷に留る)孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」(羽人に丹丘に仍【したが】い、尋ねば福庭に死なず)とある。

10 赤城 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣である。

天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。

盛唐詩 越中逢天臺太乙子#2 孟浩然<30> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白350 -337 

盛唐詩 尋天台山 孟浩然<31> Kanbuniinkai紀頌之の漢詩 李白特集350 -338

11 嵐氣 嵐は山気。

12 山陰 春秋時代の越(えつ)の都で、秦(しん)代に山陰県が置かれ、唐代になって会稽(かいけい)、山陰の2県が設けられた。《唐地理志》「在山陰縣、会稽山在北」

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李白詩  同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

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年:743年天寶二年43歳 94-56

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    同族弟金城尉叔卿燭照山水壁畫歌

作地點:              目前尚無資料

及地點:              金城 (京畿道 京兆府 金城) 別名:興平         

赤城山 (江南東道 台州 台州)           

山陰 (江南東道 越州 山陰)              

交遊人物/地點:李叔卿      當地交遊

 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

#2

迴溪碧流寂無喧,又如秦人月下窺花源。

了然不覺清心魂,祗將疊嶂鳴秋猿。

與君對此歡未歇,放歌行吟達明發。

卻顧海客揚雲帆,便欲因之向溟渤。

 

(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1

高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。

洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。

光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。

 

#2 

迴溪 碧流 寂として喧無く,又た 秦が月下に花源を窺が如し。

了然として覺えず 心魂を清うし,祗だ 疊嶂を將て秋猿を鳴かしむ。

君と此に對して 歡 未だ歇まず,放歌 行吟 明發に達す。

卻って顧る 海客の雲帆を揚ぐるを,便ち之に因って溟渤に向わんと欲す。

 

京兆地域図002 

 

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌』 現代語訳と訳註解説

(本文)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

(下し文)
(族弟の金城の尉 叔卿と同じく“燭して山水の壁畫を照す”の歌) #1

高堂の粉壁 蓬瀛を圖し,燭前 一見す 滄洲の清きを。

洪波 洶湧して山崢嶸,皎として 丹丘より海を隔てて赤城を望むが若し。

光中 乍ち喜ぶ 嵐氣の滅するを,謂う 山陰 晴後の雪に逢いたるかと。

(現代語訳)
同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。


(訳注)

同族弟金城尉叔卿“燭照山水壁畫”歌 #1

(李白の族弟である金城尉の叔卿を訪ね、夜、燭を秉って山水壁畫を照らしてじっくり見てこの絵の歌をつくった)

1 金城 金城は京兆府興平縣〔馬-茂陵の間にある〕。

2 城尉叔卿 李季卿《三墳記》「先侍郎之子叔卿、字萬天骨琅琅,德(闕一字)文蔚。識度標邁,弱冠以明(闕一字)觀國,蒞鹿邑虞二尉。巍守崔公沔洎相國晉公(闕二字)甲科第之進等舉之,・・・轉金城尉,曹無受謝,吏不敢(闕四字)卷行於世。」(先侍郎の子叔卿という、字は萬。天骨 琅琅,德光 文蔚。識度 標邁,弱冠にして明を以って國を觀て,鹿邑 虞二尉を蒞けらる。巍守 崔公沔は洎相國晉公 甲科 之を第せしめ 進等 之を舉げ,・・・金城の尉に轉ず,曹謝を受ける無し,吏 敢えて世に卷行せず。)とあって、李白の族弟だけに、一廉の人物であったと見える。

3この詩は、族弟金城の尉李叔卿を訪い、花、燭を秉って、一所に其家の山水の壁画を見たるに因って、この詩を作ったという意。この頃は、宮殿や寺観ばかりでなく、すこし大きな家では名手に壁画を作らせたものと見える。

 

高堂粉壁圖蓬瀛,燭前一見滄洲清。

君が高堂の白壁には、名手の手に成れる蓬莱、瀛洲の国があるというので、燭を秉って之を照らし、滄洲の遠く清らかで広がる趣を一見した。

4 粉壁 漆喰の白壁。

5 蓬瀛 蓬莱と瀛洲、方丈、東海中の神仙三山島。

6 滄州 1 青々とした水に囲まれた州浜。人里を離れた水辺。2 仙人や隠者の住んでいる所。隠者の棲む場所。東海の神仙三山の海、滄海が臨めるあたり。 

 

洪波洶湧山崢嶸,皎若丹丘隔海望赤城。

すると、大波が湧き立ち、山は崢嶸として聳え、皓然としで光り輝く有様は、丹丘で昼夜常に明るい仙境から、海を隔てて、赤城山を望むが如くである。

7 洪波 大きな波。おおなみ。洪濤(こうとう)。

8 崢嶸 ① 山が高く険しい・こと(さま)。  人生の苦難に満ちている・こと(さま)。

9 丹丘 昼夜常に明るいところを言う。《楚辞、遠遊》に「仍羽人於丹丘兮、留不死之旧郷」、(羽人に丹丘に仍【したが】い、不死の旧郷に留る)孫綽「遊天台山賦」に「仍羽人於丹丘、尋不死之福庭」(羽人に丹丘に仍【したが】い、尋ねば福庭に死なず)とある。

10 赤城 赤城は孫綽賦にある、天台山を代表する赤城山。赤城山は赤土の砂礫が層をなしており、あたかも城壁のようであるのでこの名がついた。また、その石が赤く輝いていて朝焼けのようであるということで、朝靄夕霞が漂い纏うこの山にまつわる慣である。

天台山(てんだいさん)は、中国浙江省中部の天台県の北方2kmにある霊山である。最高峰は華頂峰で標高1,138m。洞栢峰・仏隴峰・赤城峰・瀑布峰などの峰々が存在する。中国三大霊山の一つ。仏教との関係では、呉の赤烏中(238 - 251年)に仏教寺院が建立された、という伝承がある。支遁や曇光、竺曇猷らの僧が、この山中に住した。また、後漢のころから道教の聖地ともされていた。石橋の下から流れ落ちる滝がある。

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光中乍喜嵐氣滅,謂逢山陰晴後雪。

その光り輝く中には、山気は消えつくして、少しも曇った様な景色がなく、山陰への道の上に、積雪の日の晴れた時では無いかと思われた位にみえる。

11 嵐氣 嵐は山気。

12 山陰 春秋時代の越(えつ)の都で、秦(しん)代に山陰県が置かれ、唐代になって会稽(かいけい)、山陰の2県が設けられた。《唐地理志》「在山陰縣、会稽山在北」

大明宮の圖003 

743年(56)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#4Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(56) Ⅰ李白詩1726 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7170

李白  西嶽雲臺歌送丹丘子 #4

我皇手把天地丹丘談天與天語。九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。
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年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

白帝の金精 元氣を運【めぐ】らし,石は蓮花を作し 雲は臺を作す。

雲臺の閣道 窈冥に連り,中に不死の丹丘生有り。

明星玉女 灑掃に備わり,“麻姑搔背” 指爪輕し。

#4

我皇手把天地丹丘談天與天語。

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。

 

我が皇 手に把る天地の,丹丘 天を談じて天と語る。

九重 出入 光輝を生ず,東 蓬萊に來り 復た西に歸る。

玉漿 儻し故人に惠んで飲ましむれば,二茅の龍に騎し天に上って飛ばん。

華山001 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#4

我皇手把天地,丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

(下し文)
#4

我が皇 手に把る天地の,丹丘 天を談じて天と語る。

九重 出入 光輝を生ず,東 蓬萊に來り 復た西に歸る。

玉漿 儻し故人に惠んで飲ましむれば,二茅の龍に騎し天に上って飛ばん。

(現代語訳)
#4

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。

京兆地域図002
(訳注) #4

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

 

我皇手把天地丹丘談天與天語。

今、天子は、四海に君臨して、天地の戸を手に握って居られるが、そこへ、丹邱先生が伺候して、天を談じ、至尊の前に於で道を講じられ、天子の前にその思想を語られるべきお方であるのである。

18 天地 六朝初期の霊宝派や上清派の道教と密接な関係をもちつつ形成された仙伝小説である《漢武帝内傳》「又命侍女安法嬰歌元靈之曲。其詞曰:“大象雖寥廓,我把天地。」(又侍女安法嬰じて 元靈わしむ。其ぼ詞に曰く“大象寥廓と雖も,我は天地把む。)とある。

19 談天與天語 道教の源流は、上帝そして天に対する信仰、儒家の祖先信仰、民間の巫法、墨家の上帝鬼神信仰などさまざまなものである。特に墨家が言う「鬼」とは、天と人の間にあって人間を監視し、天意(「義」‐道徳や倫理など)に背くと災いや事故を起こすと言う。人々は「義」を守る生活とともに天や鬼を祀り、罰を避けようとした。道教では天と鬼の間に人の世界があり、各階層で善行や悪行によって上り下りがあると考えられたのである。これらを踏まえ、元丹邱は天を談じ、天語得るということであるから、天子に迎えられるにふさわしい人物であるということを言うのである。

 

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

もとより、何等の官位も無い一道士ではあるが、道徳堅固なばかりに、天子は非常に之を尊敬し、九重に出入するのを許されたので、この上もないこうえいなことであるとしている。そして、丹邱先生の蹤跡は、凡人の企てが及ぶことができないもので、朝には、東の方、遠く蓬莱島へ行ったかと思えば、夕には、西の方、華山にかえるというように、天地の間を自由自在に翺翔して居る。この丹邱先生が、今度、いよいよ長安を辞して、雲臺峰の道観にかえられるというので、この詩を作って、送別の意を表した次第である。

 

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

かねがね願っているのは、神仙の道にあるがゆえに、せめて先生が平生服用されている、玉漿の仙液を少しでも善いから、われに恵んで飲ましては下さるまいか。そうすると、われは、直に二茅龍に乗じて、天に登って昇仙することが出来るであろう。どうかこの詩を作ってさし上げた我が好意に免じて、如上の希望を叶へて戴きたいものである。

20 玉漿 中国の古い天文思想により引用した言葉で、玉でもって不老長寿の水を作ったものを玉漿という、

21 二茅龍 漢劉向《列仙傳呼子先》“呼子先者, 漢中關下卜師也, 老壽百馀歲 臨去, 呼酒家老嫗曰: '急裝, 當與嫗共應中陵王。 '夜有仙人持二茅狗來至, 呼子先。子先持一與酒家嫗,得而騎之。乃龍也,上華陰山,常於山上大呼言:「子先、酒母在此耳」”(呼子先は,漢中關下の卜師なり,老壽 百馀歲なり去るに臨み,酒家の老嫗を呼んで曰く、「急裝して,當に嫗と共に中陵王に應ずべしと。夜 仙人有り 二茅狗を持して來り至り,子先を呼ぶ。子先 一を持して酒家の嫗に與え,得て之に騎す。乃ち龍まり,華陰山に上り,常に山上に於いて大呼して言う:「子先、酒母 此に在るのみ」)とある。

 

華山蓮花峰00

 

【字解】-----------------------------------

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首+二首である。

㈣ 崢嶸 1 山や谷のけわしさ。2 人生のけわしさ。[ト・タル][文][形動タリ]山などが、高くけわしいさま。

㈤ 盤渦轂轉 渦が盤のようにぐるぐる回って車轂の如く回転する。

6.  千年一清 晉•王嘉撰《拾遺記》「黄河千年一清,至聖之君以為大瑞。」(黄河千年に一たび清む、至聖の君、以て大瑞と爲す。)とある。

7.  巨靈 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。張衡《西京賦》「漢氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔為咸陽。左有崤函重險、桃林之塞,綴以二華,巨靈贔屓,高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。」(漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、渭水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

【8】三峰 現在の華山は東、西、南、北、中と五峰有る。主峰は南峰“落雁”、東峰“朝陽”、西峰“蓮花” と有って,三峰が鼎峙している。“勢飛白雲外影倒黃河裡”といわれ,人々は “天外三峰”と稱している。また雲台、玉女の二峰が相輔してその側に有る。華山記に「太華山削成而四方直上至頂、列爲三峯。其西爲蓮花/峯、峯之石窳隆不一。皆如蓮葉倒垂、故名是峯曰蓮花。 其南曰落雁峯、上多松檜、故亦曰松檜峯。白帝在其/間、俯眺三秦、曠莽無際黄河如一縷、水 繚繞岳下。其東峯曰朝陽峯、峯之左脇中有一峯、狀甚秀異、如爲東峯/所抱者曰玉女峯、乃東峯之支峯也。世之談三峯者、數玉女而不數朝陽非矣。」(太華山削成し、四方直上して頂きに至り、列して三峰となる。その西を蓮花峰となす、峰の石窳隆して一ならず、皆蓮葉の倒垂するが如し、故にこの峰を名づけて蓮花という。その南を落雁峰という、上に松檜多し、故に亦た松檜峰といふ。白帝宮、その間に在り、伏して三秦を眺むれば、黄河一縷の如く、水、嶽下み繚繞す。その東峰在朝陽峰といふ、峰の左脇中に一峰あり、状甚だ秀異、東峰に抱かるるものの如し、玉女峰といふ、乃ち東峰の支峰なり。世の三峰を談するもの、玉女を数えて、朝陽を数えず、非なり。)とある。

9】 高掌開 上文の続きに「山の東北は、即ち仙人掌たり、即ちいわゆる巨霊掌なり 巌壁黒色、石膏、宝中より流れ出で、凝結して痕を成し、黄白相間はる。遠く之を望めば、その大なるもの、五岐、指の如きものも見る。好奇のもの、ついに傳えて、巨霊山を劈くの掌跡となす。『掌の長さ三十丈、五指参差、中指直に峰頂きに冠す、長さ三十丈」とある、これに就いて、王涯の大華山掌辯等あれども、あまりくどいので、省略する。

10. 白帝金精 少昊【しょうこう】は、中国古代の五帝の一人。姓は己姓。氏は金天氏(鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏とも称される)。名は(質とも作る)。号は「皞」(「皓」・「顥」とも作る)、「朱宣」、「少昊」(少昊とは太昊の徳行を継承したことによる命名)。黄帝の子。窮桑(現在の山東省曲阜市)に生まれる。義和の国と称された東夷族の国の領主。暦を創り、官名を「玄鳥氏」、「伯趙氏」、「青鳥氏」、「丹鳥氏」等、鳥の名で呼んだことが、春秋左氏伝-昭公十七年の項に記載されている。蟜極の父。中国神話では、金字塔(ピラミッド)に埋葬されたとされている。なお、その遺構は中華人民共和国内に発見されていない。の氏族(嬴、桑、、秦、徐、黄、江、李、趙、 数百あり)の始祖。東晉葛洪《枕中書、五嶽大帝》「則以太昊氏為青帝,治岱宗山,祝融氏為赤帝,治衡霍山,金天氏為白帝,治華陰山,顓頊氏為黑帝,治太恆山,軒轅氏為黃帝,治嵩高山。」とあり、(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)とみえる。

11. 運 はこぶ。めぐる。めぐらす。もてあそぶ。めぐりあわせ、うん。

12. 石作蓮花 華山の西峰海拔2082米,又、因みに石葉が蓮の瓣の如く峰覆蓋している,故に又の名を蓮花峰という

13. 雲作臺 雲が臺をなす、道教においての仙境の台をいう。

14. 雲臺 雲臺峰 北峰のことで、海拔1614米,華山において主峰の一である,華山において北にあることで拝礼する方向にあるやまである。北峰四面は懸であり,上に景雲を冠しており,下には地脈に通じ,巍然として獨り秀である,雲臺の若く有り,此に因て又の名を雲臺峰という

15. 閣道 ①花を見るための桟道。王維《御製従蓬萊宮向興慶》「鑾輿迴出千門柳,閣道廻看上苑花。」(鑾輿 迴らし出ず千門の柳,閣道廻らし看る上苑の花)②山中のがけからがけに渡した橋。かけ橋。アーチ橋や肘木橋のような梯橋などもいう。③秦の始皇帝が渭水(いすい)の両岸に築いた長楽・咸陽両宮の間に架けられた橋は支間68,柱750本からなる木造の桁橋であり,漢代の壁画に中段を高く上げた橋の描写がある。秦・漢時代には,閣道という宮殿もあった。

16. 明星玉女 《太平廣記·卷第五十九·女仙四》「明星玉女者,居山。服玉,白日升天。山,其广数,高三仞。其有梯磴,。玉女祠前有五石臼,号曰玉女洗盆。其中水色,碧绿澄澈,雨不加溢,旱不减耗。祠内有玉石一匹焉。」(明星玉女者は,華山に居す。玉,白日升天す。山頂に石龜とし,其の広さは数畝であり,高さは三仞である。其のには梯磴有り,遠く皆見る。玉女祠の前には五石臼が有り,号して曰う玉女が頭を洗った盆である。其の中は水色,碧绿澄澈していて,雨がふっても溢れることはない,旱であっても中の水が减耗することもなく。祠内には玉石の馬が一匹有るだけである。

17. 麻姑搔背 漢の桓帝かんていのとき、蔡経さいけいという者が麻姑の長い爪を見て、あの爪で背中をかかせたら、さぞかし気持ちがよいだろうと心の中で思ったという故事「麻姑」は中国伝説上の仙女の名。鳥のような長い爪つめをもっているので、かゆいところをかくのに適しているといわれた。「掻痒」はかゆいところをかくこと。晉·葛洪《神仙傳》卷二《王遠》“麻姑手爪似鳥,經見之,心中念曰:「背大癢時,得此爪以爬背,當佳也。」遠已知經心中所言,即使人牽經鞭之,謂曰:「麻姑神人也,汝何忽謂其爪可爬背耶!」但見鞭著經背,亦莫見有人持鞭者。”(麻姑の手爪は鳥に似たり,蔡經之を見て,心中に念じて曰く:「背大に癢き時,此の爪を得て以て背を爬く,當に佳なるべきなり。」と。王遠 已に蔡經心中を言う所を知り,即ち人をして經を牽いて之を鞭たしめて,謂うて曰く:「麻姑は神人なり,汝 何ぞ忽に謂其の爪で背を爬く可し!」と。但し鞭著して蔡經の背を見れば,亦た人の鞭を持す者有る見る莫れ。)

 

華山は、秦嶺山脈の東段に属し、『水経注』には、「遠而望之若花状」、「西方為華山,少阴用事,万物生華,故曰華」という記述があるので、「華山」と呼ばれる。華山は主に南峰(落雁)、東峰(朝陽)、西峰()、中峰(玉女)、北峰(雲台)5峰からなり、その中主峰落雁、朝陽、蓮花は高く険しく、神技があるように聳え立っている。南峰は一番高い峰だけでなく、五岳の中では最高の峰です。上に登り群山を見下ろし、山々が重なり合ってそばだち、勢いがある。ここに「仰天池」と呼ばれる池があり、一年中澄みきっていて涸れない。玉女と雲台はほかの峰に比べて高くはないが、それぞれの特色がある。風光明美な華山は、中国の著名な景勝地だけではなく、道教の有名な「洞天福地」である。華山には奇妙な石がたくさんあり、岩洞が全山に分布し、《雲笈七籤》の洞天福地記によると、華山西玄洞は、三元极真洞天とも呼ばれ、十大洞天の第四洞天とされている。華山洞は、太极総仙洞天とも呼ばれ、三十六小洞天の第四洞天とされ、他に花洞、玉皇洞、太上洞、賀老洞、迎陽洞、希夷洞などがあるという。

古くから道教教徒は華山での修行に憧れていた。歴代の著名な道士、士の修行の遺跡と文物が山の至る所にあり、彼らに関する伝説と物語は、今日まで当地に伝わっている。道教が形成する前、その前身「方仙道」、「黄老道」の期に、すでにたくさんの著名な神仙家達が華山に定住して修道していたのである。とくに、唐代は国教として盛んな時期であった、唐高祖、唐太宗などが華山に登り拝礼をしているし、唐睿宗の娘金仙王女は華山で修道し、唐玄宗が王女の為に仙姑観、白雲宮を建てている。
西嶽華山00

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李白  西嶽雲臺歌送丹丘子#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

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年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

白帝の金精 元氣を運【めぐ】らし,石は蓮花を作し 雲は臺を作す。

雲臺の閣道 窈冥に連り,中に不死の丹丘生有り。

明星玉女 灑掃に備わり,“麻姑搔背” 指爪輕し。

#4

我皇手把天地丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

西嶽華山00 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

(下し文)
#3

白帝の金精 元氣を運【めぐ】らし,石は蓮花を作し 雲は臺を作す。

雲臺の閣道 窈冥に連り,中に不死の丹丘生有り。

明星玉女 灑掃に備わり,“麻姑搔背” 指爪輕し。

(現代語訳)
#3

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

汜水関などの地図
(訳注) #3

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

 

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

五嶽大帝に「金天氏為白帝,治華陰山。」(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)と白帝は金の精を集め、元気をめぐらせて、西方を平鎮して居るが、その元気を受けてできた華山の中には、他に見ることはない様な奇絶な景色があって、石は蓮花の形をなし、雲は臺となって居る。

10. 白帝金精 少昊【しょうこう】は、中国古代の五帝の一人。姓は己姓。氏は金天氏(鳳鳥氏、青陽氏、窮桑氏、雲陽氏とも称される)。名は(質とも作る)。号は「皞」(「皓」・「顥」とも作る)、「朱宣」、「少昊」(少昊とは太昊の徳行を継承したことによる命名)。黄帝の子。窮桑(現在の山東省曲阜市)に生まれる。義和の国と称された東夷族の国の領主。暦を創り、官名を「玄鳥氏」、「伯趙氏」、「青鳥氏」、「丹鳥氏」等、鳥の名で呼んだことが、春秋左氏伝-昭公十七年の項に記載されている。蟜極の父。中国神話では、金字塔(ピラミッド)に埋葬されたとされている。なお、その遺構は中華人民共和国内に発見されていない。の氏族(嬴、桑、、秦、徐、黄、江、李、趙、 数百あり)の始祖。東晉葛洪《枕中書、五嶽大帝》「則以太昊氏為青帝,治岱宗山,祝融氏為赤帝,治衡霍山,金天氏為白帝,治華陰山,顓頊氏為黑帝,治太恆山,軒轅氏為黃帝,治嵩高山。」とあり、(金天氏白帝と為り,華陰山に治す。)とみえる。

11. 運 はこぶ。めぐる。めぐらす。もてあそぶ。めぐりあわせ、うん。

12. 石作蓮花 華山の西峰海拔2082米,又、因みに石葉が蓮の瓣の如く峰覆蓋している,故に又の名を蓮花峰という

13. 雲作臺 雲が臺をなす、道教においての仙境の台をいう。

 

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

その雲臺峰には、立派な道観があって、閣道が天に通じで居る。そこに行い澄まして居る高徳の道士は、太古から今に至るまで、不死と傳えられた丹邱先生その人である。

14. 雲臺 雲臺峰 北峰のことで、海拔1614米,華山において主峰の一である,華山において北にあることで拝礼する方向にあるやまである。北峰四面は懸であり,上に景雲を冠しており,下には地脈に通じ,巍然として獨り秀である,雲臺の若く有り,此に因て又の名を雲臺峰という

15. 閣道 ①花を見るための桟道。王維《御製従蓬萊宮向興慶》「鑾輿迴出千門柳,閣道廻看上苑花。」(鑾輿 迴らし出ず千門の柳,閣道廻らし看る上苑の花)②山中のがけからがけに渡した橋。かけ橋。アーチ橋や肘木橋のような梯橋などもいう。③秦の始皇帝が渭水(いすい)の両岸に築いた長楽・咸陽両宮の間に架けられた橋は支間68,柱750本からなる木造の桁橋であり,漢代の壁画に中段を高く上げた橋の描写がある。秦・漢時代には,閣道という宮殿もあった。

 

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

かくて、丹邱先生は、明星玉女という峰の何し負う仙女などを自由に使って、自分の居る雲臺観の掃除をさせて居るし、その端坐して居る間には、麻姑といふ仙女がきて、長い爪で背中の痒い處を掻いて呉れることであらう。

16. 明星玉女 《太平廣記·卷第五十九·女仙四》「明星玉女者,居山。服玉,白日升天。山,其广数,高三仞。其有梯磴,。玉女祠前有五石臼,号曰玉女洗盆。其中水色,碧绿澄澈,雨不加溢,旱不减耗。祠内有玉石一匹焉。」(明星玉女者華山に。玉,白日升天す。山頂に石龜とし,其の広さは数畝であり,高さは三仞である。其のには梯磴有り,遠く皆見る。玉女祠の前には五石臼が有り,号して曰う玉女が頭を洗った盆である。其の中は水色,碧绿澄澈していて,雨がふっても溢れることはない,旱であっても中の水が减耗することもなく。祠内には玉石の馬が一匹有るだけである。

17. 麻姑搔背 漢の桓帝かんていのとき、蔡経さいけいという者が麻姑の長い爪を見て、あの爪で背中をかかせたら、さぞかし気持ちがよいだろうと心の中で思ったという故事「麻姑」は中国伝説上の仙女の名。鳥のような長い爪つめをもっているので、かゆいところをかくのに適しているといわれた。「掻痒」はかゆいところをかくこと。晉·葛洪《神仙傳》卷二《王遠》“麻姑手爪似鳥,經見之,心中念曰:「背大癢時,得此爪以爬背,當佳也。」遠已知經心中所言,即使人牽經鞭之,謂曰:「麻姑神人也,汝何忽謂其爪可爬背耶!」但見鞭著經背,亦莫見有人持鞭者。”(麻姑の手爪は鳥に似たり,蔡經之を見て,心中に念じて曰く:「背大に癢き時,此の爪を得て以て背を爬く,當に佳なるべきなり。」と。王遠 已に蔡經心中を言う所を知り,即ち人をして經を牽いて之を鞭たしめて,謂うて曰く:「麻姑は神人なり,汝 何ぞ忽に謂其の爪で背を爬く可し!」と。但し鞭著して蔡經の背を見れば,亦た人の鞭を持す者有る見る莫れ。)

 

 

 


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李白  西嶽雲臺歌送丹丘子  -#2

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。
今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

743年(57)李太白集卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》 375-#2Index-23-2-743年天寶二年43歳 94-57) Ⅰ李白詩1724 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7161

 

 
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年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

#3

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

#4

我皇手把天地丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

 

詩文(含異文)     西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海【洪波噴流射東海】。三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。我皇手把天地,丹丘談天與天語。九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

Ta唐 長安近郊圖  新02 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

(下し文)
#2

榮光休氣 五彩に紛たり,千年一たび清んで 聖人在り。

巨靈 咆哮して 兩山を擘き,洪波 箭を噴いて東海を射る。

三峰 卻立して 摧けんと欲するが如し,翠崖 丹谷 高掌開く。

(現代語訳)
#2

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

西嶽華山00
(訳注) #2

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

 

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

今は堯舜のころのような「開元の治」といわれる聖主の御治世であるから、黄河から栄光を生じ、目出度い休気を発し、五彩紛粉として、空中に輝いて居る。黄河は、千年に唯だ一度清むというが、今しも、丁度清んで居るので、正に聖人が上に在ますということが分かる。

6.  千年一清 晉•王嘉撰《拾遺記》「黄河千年一清,至聖之君以為大瑞。」(黄河千年に一たび清む、至聖の君、以て大瑞と爲す。)とある。

 

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

むかし、華山は、首陽山と対して、黄河は其間を流れて居たのであるが、巨霊といって恐ろしい力のある神様が、この西嶽を掌でつんざき開いて、河水を切って落したというが、その巨霊が叫び狂って、南山を劈いたその跡も、歴々として今でも残って居るし、その劈いた道筋は、大きな波が、箭を射るが如き勢を以て流れ、そして、東海に馳せ向うのである。

7.】  巨靈 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。張衡《西京賦》「漢氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔為咸陽。左有崤函重險、桃林之塞,綴以二華,巨靈贔屓,高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。」(漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、渭水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響を与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

 

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

華山は、元来多くの峰が集合してできているので、中にも蓮花、落雁、朝陽の主要三峰は鼎立して、今にも崩れ掛りそうで、巨霊の掌でつんざいて開いたによって、翠崖丹谷が出来たのである。

【8】三峰 現在の華山は東、西、南、北、中と五峰有る。主峰は南峰“落雁”、東峰“朝陽”、西峰“蓮花” と有って,三峰が鼎峙している。“勢飛白雲外影倒黃河裡”といわれ,人々は “天外三峰”と稱している。また雲台、玉女の二峰が相輔してその側に有る。華山記に「太華山削成而四方直上至頂、列爲三峯。其西爲蓮花/峯、峯之石窳隆不一。皆如蓮葉倒垂、故名是峯曰蓮花。 其南曰落雁峯、上多松檜、故亦曰松檜峯。白帝在其/間、俯眺三秦、曠莽無際黄河如一縷、水 繚繞岳下。其東峯曰朝陽峯、峯之左脇中有一峯、狀甚秀異、如爲東峯/所抱者曰玉女峯、乃東峯之支峯也。世之談三峯者、數玉女而不數朝陽非矣。」(太華山削成し、四方直上して頂きに至り、列して三峰となる。その西を蓮花峰となす、峰の石窳隆して一ならず、皆蓮葉の倒垂するが如し、故にこの峰を名づけて蓮花という。その南を落雁峰という、上に松檜多し、故に亦た松檜峰といふ。白帝宮、その間に在り、伏して三秦を眺むれば、黄河一縷の如く、水、嶽下み繚繞す。その東峰在朝陽峰といふ、峰の左脇中に一峰あり、状甚だ秀異、東峰に抱かるるものの如し、玉女峰といふ、乃ち東峰の支峰なり。世の三峰を談するもの、玉女を数えて、朝陽を数えず、非なり。)とある。

9】 高掌開 上文の続きに「山の東北は、即ち仙人掌たり、即ちいわゆる巨霊掌なり 巌壁黒色、石膏、宝中より流れ出で、凝結して痕を成し、黄白相間はる。遠く之を望めば、その大なるもの、五岐、指の如きものも見る。好奇のもの、ついに傳えて、巨霊山を劈くの掌跡となす。『掌の長さ三十丈、五指参差、中指直に峰頂きに冠す、長さ三十丈」とある、これに就いて、王涯の大華山掌辯等あれども、あまりくどいので、省略する。

 

 

 

 

 

【字解】

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 以上の十三首+二首である。

㈣ 崢嶸 1 山や谷のけわしさ。2 人生のけわしさ。[ト・タル][文][形動タリ]山などが、高くけわしいさま。

㈤ 盤渦轂轉 渦が盤のようにぐるぐる回って車轂の如く回転する。

6.  千年一清 晉•王嘉撰《拾遺記》「黄河千年一清,至聖之君以為大瑞。」(黄河千年に一たび清む、至聖の君、以て大瑞と爲す。)とある。

7.  巨靈 巨神、川の神、古語に昔二つの華山が一つになっていた。黄河がそのためまっすぐ流れないので、河神が手で山をおし開き、足で麓をおし分けて河水を通した。その手足の跡がのこっているという。張衡《西京賦》「漢氏初都,在渭之涘,秦里其朔,寔為咸陽。左有崤函重險、桃林之塞,綴以二華,巨靈贔屓,高掌遠蹠,以流河曲,厥跡猶存。」(漢氏の初都は、渭の涘【ほとり】に在り。秦 其の朔【きた】に里【あ】り、寔【これ】を咸陽と為す。左に崤函【こうかん】の重険【ちょうかん】、桃林の塞有り。綴【てい】するに二華を以てし、巨靈贔屓【ひいき】し、掌を高くし蹠【あし】を遠くし、以て河曲を流せり。厥【そ】の跡 猶お存す。(長安の地勢) 漢の王室が始めて定めた都は、渭水のほとりである。それまで秦はその北に居り、そこは咸陽という。漢都長安の東は、崤山・函谷山の二重の険があり、桃林の塞がある。そこから長安まで、その間を太華と少華のなん両山をつないでおり、むかし河の巨神が全力を傾ける。掌を高くさし上げ、足を大きく踏ん張り、もと一つの山であったのを押し開き、曲流する河水をまっすぐ流した。その痕跡は今も残る。

張平子(張衡)《西京賦》(4)(長安の地勢) #2-1 文選 賦<114―(4)>31分割68回 Ⅱ李白に影響与えた詩1041 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ3753

【8】三峰 現在の華山は東、西、南、北、中と五峰有る。主峰は南峰“落雁”、東峰“朝陽”、西峰“蓮花” と有って,三峰が鼎峙している。“勢飛白雲外影倒黃河裡”といわれ,人々は “天外三峰”と稱している。また雲台、玉女の二峰が相輔してその側に有る。華山記に「太華山削成而四方直上至頂、列爲三峯。其西爲蓮花/峯、峯之石窳隆不一。皆如蓮葉倒垂、故名是峯曰蓮花。 其南曰落雁峯、上多松檜、故亦曰松檜峯。白帝在其/間、俯眺三秦、曠莽無際黄河如一縷、水 繚繞岳下。其東峯曰朝陽峯、峯之左脇中有一峯、狀甚秀異、如爲東峯/所抱者曰玉女峯、乃東峯之支峯也。世之談三峯者、數玉女而不數朝陽非矣。」(太華山削成し、四方直上して頂きに至り、列して三峰となる。その西を蓮花峰となす、峰の石窳隆して一ならず、皆蓮葉の倒垂するが如し、故にこの峰を名づけて蓮花という。その南を落雁峰という、上に松檜多し、故に亦た松檜峰といふ。白帝宮、その間に在り、伏して三秦を眺むれば、黄河一縷の如く、水、嶽下み繚繞す。その東峰在朝陽峰といふ、峰の左脇中に一峰あり、状甚だ秀異、東峰に抱かるるものの如し、玉女峰といふ、乃ち東峰の支峰なり。世の三峰を談するもの、玉女を数えて、朝陽を数えず、非なり。)とある。

9】 高掌開 上文の続きに「山の東北は、即ち仙人掌たり、即ちいわゆる巨霊掌なり 巌壁黒色、石膏、宝中より流れ出で、凝結して痕を成し、黄白相間はる。遠く之を望めば、その大なるもの、五岐、指の如きものも見る。好奇のもの、ついに傳えて、巨霊山を劈くの掌跡となす。『掌の長さ三十丈、五指参差、中指直に峰頂きに冠す、長さ三十丈」とある、これに就いて、王涯の大華山掌辯等あれども、あまりくどいので、省略する。

743年(56)李白 卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》(西嶽崢嶸何壯哉,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94首-(56) <李白> Ⅰ李白詩1714 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7118

李白  西嶽雲臺歌送丹丘子

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

743年(56)李白 卷六07-《西嶽雲臺歌送丹丘子》(西嶽崢嶸何壯哉,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-56) <李白> Ⅰ李白詩1714 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7118

 

 
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  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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元丹丘 《李太白集 巻六 巻06-08 元丹丘歌》元丹邱は李白が30歳前後に交際していた道士のひとり。李白はこの人物の詩を12編も書いているとおり、心から信服していたようだ。頴川は河南省を流れる川、元丹邱丘はこの川のほとりに別荘をもっていた、嵩岑は嵩山のこと、五岳のひとつで神聖な山とされた。

李白はこの年、秋まで宋州に滞在したが、再び運河を西にもどって嵩山(河南省登封県の北)に行き、元丹邱の山居に滞在した。元丹邱は安陸以来の尊敬する道士で、このときは安陸から嵩山に移ってきていたようだ。

胡紫陽、その高弟子元丹邱との関係は、さらに深い。その関係を表す詩だけでも、以下の13首もある。

 

李太白集

Category 詩題

作時

-No.

西暦 年号

06-08

1.元丹丘歌 

731年開元十九年

24-02

2.題元丹丘山居 

731年開元十九年

24-03

3.題元丹丘 陽山居 并序 

731年開元十九年

18-16

4.酬岑勛見尋就元丹丘對酒相待以詩見招

736年開元二十四年

02-08

5.將進酒 

736年開元二十四年

14-12

6.潁陽別元丹丘之淮陽 

738年開元二十六年

23-55

7.觀元丹丘坐巫山屏風 

738年開元二十六年

13-13

14.江上寄元六林宗

739年開元二十七年39

09-01

15秋日鍊藥院鑷白髮贈元六兄林宗

741年開元二十九年

06-07

9. 西嶽雲臺歌送丹丘子

743年天寶二年

18-11

8. 以詩代書答元丹丘

744年天寶三年

24-08

10.題嵩山逸人元丹丘山居 并序 

750年天寶九年

22-02

11.尋高鳳石門山中元丹丘 

751年天寶十年

12-11

12.聞丹丘子于城北營石門幽居中有高鳳遺跡

751年天寶十年

22-01

13.與元丹丘方城寺談玄作 

751年天寶十年

 

 以上の十三首+二首である。

 

 

 

年:743年天寶二年43歳 94-55

卷別:    卷一六六              文體:    七言古詩

詩題:    西嶽雲臺歌送丹丘子

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:              雲臺峰 (京畿道 華州 華山)              

華山 (京畿道 華州 華山) 別名:華、太華、華岳、西岳             

仙人掌 (京畿道 華州 華山)              

渭橋 (京畿道 京兆府 長安)              

交遊人物/地點:元丹丘      當地交遊(京畿道 華州 華山)

 

 

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。

巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海。

三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。

 

白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。

雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。

明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。

 

我皇手把天地丹丘談天與天語。

九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。

玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

 

 

詩文(含異文)     西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。榮光休氣紛五彩,千年一清聖人在。巨靈咆哮擘兩山,洪波噴箭射東海【洪波噴流射東海】。三峰卻立如欲摧,翠崖丹谷高掌開。白帝金精運元氣,石作蓮花雲作臺。雲臺閣道連窈冥,中有不死丹丘生。明星玉女備灑掃,麻姑搔背指爪輕。我皇手把天地,丹丘談天與天語。九重出入生光輝,東來蓬萊復西歸。玉漿儻惠故人飲,騎二茅龍上天飛。

華山道教 

 

『西嶽雲臺歌送丹丘子』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

西嶽雲臺歌送丹丘子

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

(下し文)
(西嶽雲臺の歌で 丹丘子を送る)

西嶽 崢嶸として何ぞ壯なる哉,黃河絲の如く天際より來る。

黃河萬里 山に觸れて動き,盤渦 轂轉して秦地雷なり。

(現代語訳)
西嶽雲臺歌送丹丘子(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。


(訳注)

西嶽雲臺歌送丹丘子

(華山の雲臺峰に元丹邱先生が歸隠するのを送る詩)

1 西嶽 華山のこと。 中国陝西省華陰市にある険しい山。道教の修道院があり、中国五名山、五岳の一つで、西岳と称されている。最高峰となる南峰の標高は2,160m。花崗岩の岩場を削って、無数の石段が作られており、一部には断崖絶壁の上に作られた20cmほどしかない足場や桟道を通って行かねばならない場所があり、宗教聖地として、格段の険しい山として知られる。《癸辛雜識》 「五岳惟華岳極峻,直上四十五里,遇無路處皆挽鐵絙以上。有西岳廟在山頂,望黃河一衣帶水耳。」(五岳惟だ華岳のみ極めて峻,直上四十五里,無路き處に遇えば 皆 鐵絙を挽いて以て上る。西岳廟山頂に在り,黃河を望めば一衣帶水のみと有る。)

1.  2. 雲臺 雲臺觀,在陝西省華陰縣南華山上。

2.  3. 丹丘子 その華岳の雲臺峰に元丹邱子という道士が棲んで居た。この人は、李白と親交があつたと見えて、集中に其名が散見して居る。そして、元丹邱は神仙の術を得、天子から尊崇され、しばしば招いて道教の話を聞かれたこともあるので、それ等の事実を詠み込んで、今や丹邱子が華山の雲臺峰に歸隠するのをおくったのである。

 

西嶽崢嶸何壯哉,黃河如絲天際來。

西嶽の華山は、嶸と天に聳えて、実に壮観であって、その絶頂に登って遥かに下方を望めば黄河は、絲の如く細く、遥かにに西北の天際から流れてくるのが見える。

㈣ 崢嶸 1 山や谷のけわしさ。2 人生のけわしさ。[ト・タル][文][形動タリ]山などが、高くけわしいさま。

 

黃河萬里觸山動,盤渦轂轉秦地雷。

抑も、黄河は、万里の塞外からきて、このやま麓に触れ、これを動かすが如き勢であって、ぐるぐると廻る渦は、車轂の如く旋轉し、その聲は、古の秦地たる長安の都までも、恐ろしい雷の如く聞える。

㈤ 盤渦轂轉 渦が盤のようにぐるぐる回って車轂の如く回転する。
西嶽華山00 

743年(55)李太白集卷六05 -《玉壺吟》#2 374Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(55)#2 Ⅰ李白詩1722 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7153

李白  玉壺吟 #2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。世人不識東方朔,大隱金門是謫仙

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
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年:743年天寶二年43歳 94-54

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    玉壺吟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

玉壺吟 #1

(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。

我は、烈士の志をもつ者であると自任している、胸におさめた不平を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って詠い、今年の歳暮であるが、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように何か手柄を立てたいと思っており、だから次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。

紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。

九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。

(玉壺吟)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。

三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。

鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。

揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。

天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。

世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。

西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。

君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

 

 

『玉壺吟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。


(下し文)
#2

天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。

世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。

西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。

君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

(現代語訳)
#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

#2

朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。

(訳注)

玉壺吟 #2
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

1. 玉壺吟  「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。

 

朝天數換飛龍馬、敕賜珊瑚白玉鞭。 
朝廷への出仕には、「飛竜」の厩の駿馬をいくたび何度も取り換えことなどを勅令により、また、白い珊瑚の握りの玉で飾った美しい鞭を賜わった。
飛龍馬 駿馬。「飛龍厩」は、玄武門外重武門の厩の名。「使(軍府)内の六厩、飛龍厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛龍厩の駿馬を貸し与えられた。(元桓「折西大夫李徳裕の《述夢》に奉和す、四十韻」の自注〔『元棍集外集』巻七、続補一〕)。「使(軍府)内の六厩、飛龍厩を最も上乗の馬と為す」(『資治通鑑』「唐紀二十五」の胡三省注)。翰林院の学士や供奉は、初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元桓「折西大夫李徳裕の《述夢》に奉和す、四十韻」の自注〔『元棍集外集』巻七、続補一〕)。

(飛龍使) 官名。 696通天元年在殿中省置飛龍等六 飼養皇室馬匹, 由殿中丞主管以宦官為飛龍使。殿中省の條には武后萬歳通天元年に仗内六閑(飛龍、祥麟、鳳苑、鵷鸞、吉良、六羣〉別称六厩、として創立されたとある。また別に《通典》巻二にも見える。

唐の国営の馬政は、最盛期には、 隴西、蘭州、平涼、秦州にまたがる48の監牧に70万頭の軍馬が放牧されていた。 ところが、この48の監牧の地は皆、安史の乱に乗じた 吐蕃帝国の侵攻のために全て奪われた。唐には、国営の放牧場である監牧の他に、閑厩というものもある。 仗外閑厩・仗内閑厩(仗内六閑)のうち、仗内閑厩は皇帝の使用や宮城防衛のためのもので長安周辺にあった 。そして、安史の乱以前は、働いて疲れたり怪我をした馬は、監牧の豊かな草地に放して休養させていた。 しかし安史の乱後の監牧が失われたために、軍馬の総数が激減した。禁中にあった 飛龍厩以外の五つの閑厩は、既に名目だけの存在になった。 飛龍厩は玄武門のすぐ北に位置しており、あくまで長安の三宮(皇城、大明宮、興慶宮)を守るのが主体で、正規軍の何万頭もの軍馬を充分に放牧できる空間を確保できるほどのものではないのである。この馬の不足は、唐の駅伝制の崩壊も起こすことになる。(杜甫の詩にも、多く取り上げ、その問題点を指摘している。紀頌之の杜甫のブログ房琯関連に詳しく述べている。)

大明宮 作図011大明宮 作図011


世人不識東方朔、大隱金門是謫仙。
 

いにしえの東方朔の才能とされ、かくいう私の才能が分からないが、「大隠者」のごとく金馬門の翰林院に隠棲している、これをもって、天上よりの「謫仙人」であるが、世間の人々は、そのことを認識していないのである。
東方朔 漢の武帝に仕えた滑稽文学者をさすが、ここでは、李白、自分自身をたとえた。

大隠金門 最上級の隠者は、金馬門(翰林院)に隠棲する。東方朔が酒宴で歌った歌詞に「世を金馬門に避く。宮殿の中にも以って世を避け身を全うす可し」とあるのを踏まえた。晋の王康裾の「反招隠」詩にも、「小隈は陵薮(山沢)に隠れ、大隠は朝市(朝廷や市場)に隠る」とある。

謫仙 天上界から人間界に流されてきた仙人。李白、五言律詩「対酒憶賀監并序」(酒に対して賀監を憶う―参照)。



西施宜笑復宜顰、醜女效之徒累身。 
絶世の美人、西施は、笑い顔は言うに及ばず、胸を病んでしかめ顔をしたときでも、浅はかな醜女が真似をしたことで、帰って実を煩わしてということがあるので、自分の詩文の才芸をいかなる場合でも役立てるつもりでいるものの、つまらねものが形ばかりの真似をされて、価値をおとしめられるというのは辟易することである。
西施 - 春秋時代の越の国の美女。中国の代表的な美女、と意識されている。○醜女効之徒累身 「累」は、苦しめる、疲労させる。宋本では「集」に作るが、景宋威淳本・王本などによって改める。此の句は、上旬と合せて『荘子』(「天運」篇)の説話を踏まえる。西施が胸を病んで眉をしかめる(噺する)と、その里の醜女がそれを効ねて、胸に手をあてて眉をしかめていっそう醜くなった。李白は自分を西施にたとえ、宮中の小人たちを醜女にたとえている。ブログ西施物語、参照。(紀 頌之の漢詩ブログ)



君王雖愛蛾眉好、無奈宮中妒殺人。
また、女にして言えば、その容貌、才芸に優れているとして、君王の寵愛をうけるというのはありがたく喜ばしいことであるけれど、宮中においては、これがとかく、妬み、嫉みとなり、讒言、陰謀を構えるに至っては、どう対処してよいやら如何ともしがたいのである。
蛾眉 蛾の眉のような、三日月なりの細く美しい眉。また、その美女。李白「怨情」。。(紀 頌之の漢詩ブログ)白居易「長恨歌」では、楊貴妃を示す比喩に使っている。ここでも楊貴妃を示す。また李白自身をかけている。○妬殺  ひどく妖妬する。「殺」は動詞を強める助字。

初めて職につくと、飛竜厩の駿馬を貸し与えられた。(元槇「折西大夫李徳裕の〔述夢〕に奉和す、四十韻」の自注〔『元槇集外集』巻七、続補一〕)。


1.
 玉壺吟  「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺,壯心惜暮年。 
我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

2. 烈士擊玉壺,壯心惜暮年。  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。

曹操《歩出夏門行 神龜雖壽》 

神龜雖壽,猶有竟時。騰蛇乘霧,終爲土灰。

老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。

盈縮之期,不但在天。養怡之福,可得永年。

幸甚至哉,歌以詠志。

(歩出夏門行  神龜 壽なりと雖も。)

神龜は壽なりと雖も,猶ほ竟をはるの時 有り。騰蛇は霧に乘ぜども,終に土灰と爲る。

老驥櫪に伏せども,志は千里に在り。烈士暮年 に,壯心已まず。

盈縮の期は,但だに天のみに 在らず。養怡の福は,永年を 得べし。

甚はだ 至れる哉,歌ひて以て 志を詠えいず。

3. 三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。「遲到是要罰酒三杯的哦.酒三杯:駆け付け三杯[カケツケサンバイ]酒宴に遅れた者に対する罰として,続けて酒を3杯飲ませること

杜甫《卷二 故武衛將軍挽詞三首其二》「 舞劍過人,鳴弓射獸能。銛鋒行怯順,猛噬失蹻騰。赤羽千夫膳,黃河十月冰。橫行沙漠外,神速至今稱。」

杜甫《卷二○99 觀公孫大娘弟子舞劍器行並序》 「昔有佳人公孫氏,一舞劍器動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。」

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

4. 高詠 声高に詠う。

5. 涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

6. 鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

7. 稱觴  觴(さかずき)を挙げる。

8. 御筵 皇帝の設けた宴席。

10 九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。

11. 万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。

12. 謔浪 自由自在にふざけ戯れる。

13. 赤墀 (せきち)宮殿に登る朱塗りの階段。

14 青瑣 (せいさ)宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。 



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李白  玉壺吟 #1

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。

(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
743年(54)李白 卷六05 -《玉壺吟》(烈士擊玉壺,) Index-23Ⅲ― 2-743年天寶二年43歳 94-54) <李白> Ⅰ李白詩1713 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7113

 

 
  2016年1月7日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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年:743年天寶二年43歳 94-54

卷別:    卷一六六              文體:    雜言古詩

詩題:    玉壺吟

作地點:              長安(京畿道 / 京兆府 / 長安)

及地點:             

交遊人物/地點:  

 

玉壺吟 #1

(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。

紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
揄揚九重萬乘主,謔浪赤墀青瑣賢。

九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
#2

朝天數換飛龍馬,敕賜珊瑚白玉鞭。

世人不識東方朔,大隱金門是謫仙。

西施宜笑復宜顰,醜女效之徒累身。

君王雖愛蛾眉好,無奈宮中妒殺人。

 

(玉壺吟)

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。

三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。

鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。

揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤墀 青瑣の賢。

天に朝して數しば換う飛龍の馬、敕【みことのり】して賜う珊瑚の白玉の鞭。

世人は識らず東方朔、金門に大隱するは是れ謫仙。

西施 笑に宜しく復た顰【ひん】すること宜し、醜女は之に效【なら】いて徒【いたずら】に身を累す。

君王 蛾眉の好きを愛すと雖ども、奈いかんともする無し宮中 人を妒殺するを。

 

 

『玉壺吟』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

玉壺吟 #1

烈士擊玉壺,壯心惜暮年。

三杯拂劍舞秋月,忽然高詠涕泗漣。

鳳凰初下紫泥詔,謁帝稱觴登御筵。

揄揚九重萬乘主,謔浪赤青瑣賢

(下し文)
(玉壺吟) #1

烈士 玉壺を擊ち、壯心 暮年を惜む。

三杯 劍を拂いて 秋月に舞い、忽然として高詠して涕泗 漣たり。

鳳凰 初めて紫泥の詔を下し、帝に謁し觴【さかずき】を稱げえて御筵に登る。

揄揚す 九重 萬乘の主、謔浪す 赤 青瑣の賢

(現代語訳)
玉壺吟 #1(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。

(訳注)

玉壺吟 #1
(玉壷を傾けて酔余の時に思いついたことを詠う)

1. 玉壺吟  「玉壷を傾けて酔余の歌」。冒頭の一句に因んでつけた「歌吟・歌行」体の詩。四十三歳ごろ、長安での作。


烈士擊玉壺,壯心惜暮年。 

我は、烈士の志をもつ者であり、胸におさめた不平や、鬱憤を除去するにもっともよいのが、玉壺を撃って調子を取って歌うことであるし、今、まさに歳暮であるから、衰えぬ壮大な志を詠いつつ、魏の曹操のように「烈士暮年,壯心不已。」(烈士暮年 に,壯心已まず。)何か功を挙げ、役立てたいと思っており、次第に老いてゆく年を惜しんでいる。

2. 烈士擊玉壺,壯心惜暮年。  晋の王敦は、酒に酔うといつも、「老驥(老いた駿馬)は櫪(馬小舎)に伏すも、志は千里に在り。烈士は莫年(暮年・老年)なるも、壮心已まず」(曹操「歩出夏門行」)と詠い、如意棒で痰壷をたたいたので、壷のロがみな欠けてしまった。(『世説新語』「豪爽、第十三」の四)。壯心:いさましい気持ち、壮大な志。

曹操《歩出夏門行 神龜雖壽》        

神龜雖壽,猶有竟時。騰蛇乘霧,終爲土灰。

老驥伏櫪,志在千里。烈士暮年,壯心不已。

盈縮之期,不但在天。養怡之福,可得永年。

幸甚至哉,歌以詠志。

(歩出夏門行  神龜 壽なりと雖も。)

神龜は壽なりと雖も,猶ほ竟をはるの時 有り。騰蛇は霧に乘ぜども,終に土灰と爲る。

老驥櫪に伏せども,志は千里に在り。烈士暮年 ねんに,壯心已やまず。

盈縮の期は,但だに天のみに 在らず。養怡の福は,永年を 得べし。

甚はだ 至れる哉,歌ひて以て 志を詠えいず。


三杯拂劍舞秋月、忽然高詠涕泗漣。
かくて、酒におぼれず酒杯を重ねて秋月のもとに立って剣を抜き払い、舞う、すると思わず歌声は高まってきて、涙がとめどなく流れ落ちる。

3. 三杯 故事「一杯(いっぱい)は人酒を飲む二杯は酒酒を飲む三杯は酒人を飲む」飲酒は、少量のときは自制できるが、杯を重ねるごとに乱れ、最後には正気を失ってしまうということ。酒はほどほどに飲めという戒め。「遲到是要罰酒三杯的哦.酒三杯:駆け付け三杯[カケツケサンバイ]酒宴に遅れた者に対する罰として,続けて酒を3杯飲ませること

杜甫《卷二 故武衛將軍挽詞三首其二》「 舞劍過人,鳴弓射獸能。銛鋒行怯順,猛噬失蹻騰。赤羽千夫膳,黃河十月冰。橫行沙漠外,神速至今稱。」

杜甫《卷二○99 觀公孫大娘弟子舞劍器行並序》 「昔有佳人公孫氏,一舞劍器動四方。觀者如山色沮喪,天地為之久低昂。」

 

唐代は音楽が発達したばかりではない。舞踊もまた黄金時代を現出した。宮中では常時、大規模な歌舞の催しが開かれていた。たとえば、「上元楽」、「聖寿楽」、「孫武順聖楽」等であり、これらには常に宮妓数百人が出演し、舞台は誠に壮観であった。宮廷でも民間でも、舞妓は常に当時の人々から最も歓迎される漬物を演じた。たとえば、霓裳羽衣舞(虹色の絹と五色の羽毛で飾った衣裳を着て踊る大女の舞)、剣器舞(西域から伝来した剣の舞)、胡旋舞(西域から伝来した飛旋急転する舞)、柘枝舞(中央アジアから伝来した柘枝詞の歌に合わせて行う舞)、何満子(宮妓の何満子が作曲し、白居易が作詩し、沈阿翹が振り付けした歌舞)、凌波曲(美人がなよなよと歩く舞)、白貯舞(白絹を手にした舞)等々が白居易は「霓裳羽衣舞」を舞う妓女たちの、軽く柔かくそして優美な舞姿を描写している。

4. 高詠 声高に詠う。

5. 涕泗  なみだ。「沸」は目から、「酒」は鼻から流れるもの。

 

鳳凰初下紫泥詔、謁帝稱觴登御筵。 
紫泥で封じられた鳳凰の口にふくませた詔勅が、初めて下され、頂戴した、愈々出仕し、皇帝に拝謁し、御筵に列し、やがて酒杯を挙げたのである。
6.
 鳳凰初下紫泥詔  鳳凰(天子)が、紫泥で封をした詔勅を初めて下す。五胡十六国の一つ後題の皇帝石虎が、木製の鳳凰のロに詔勅をくわえさせ、高い楼観の上から緋色の絶で回転させ舞いおろさせた、という故事(『初学記』巻三十、所引『鄭中記』)に基づく。「紫泥」は、紫色の粘り気のある泥。ノリの代りに用いた。

7. 稱觴  觴(さかずき)を挙げる。

8. 御筵 皇帝の設けた宴席。

 

揄揚九重萬乘主、謔浪赤墀青瑣賢。 
九重の宮中深くいます万乗の天子の徳を頌し、宮廷の赤墀青瑣に出入する今を時めく賢者たちを、自由自在にふざけ戯れていた。
9. 揄揚  ほめたたえる。

10 九重 宮城、皇居。天上の宮殿には九つの門がある、世界観が九であり、天もちも九に別れているそれぞれの門という伝承に基づく。

11. 万乗  「天子」を意味する。多くの乗りもの。諸侯は千乗(台)の兵事、天子は万乗の兵事を出す土地を有する、という考えかた。

12. 謔浪 自由自在にふざけ戯れる。

13. 赤墀 (せきち)宮殿に登る朱塗りの階段。

14 青瑣 (せいさ)宮殿の窓の縁を飾る瑣形の透かし彫りの紋様。青くぬってある。「赤墀・青瑣」は、宮殿や宮廷自体をも表わす。 
大明宮 作図011 

743年(54)李太白集卷六04-《侍從宜春苑,奉詔賦龍池柳色初青,聽新鶯百囀歌》 373-#3Index-23Ⅲ-2-743年天寶二年43歳 94首-(54) Ⅰ李白詩1720 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ7148

李白  侍從宜春苑,奉詔賦“龍池柳色初青,聽新鶯百囀”歌 #3

仗出金宮隨日轉,天回玉輦繞花行。始向蓬萊看舞鶴,還過茝若聽新鶯。新鶯飛繞上林苑,願入簫韶雜鳳笙。

(ジョウ)を持つ警護の者たちは金鑾殿を出て皇帝に付き添って回ってゆく。皇帝は天子の道である夾城で移動され、宝玉の輦(レン)をころがして花々を繞って御行なされる。はじめ蓬萊殿に向っていく、謝阿蛮や、張雲容が率いる舞姫たちを看() た、また茝若(シジャク)殿を過ぎたら、楊貴妃の作曲した新しい「涼州」を歌う紅桃という歌手の歌を聴いた。新歌手は次々に宮殿にゆき上林苑のなかを繞っている、簫韶(ショウショウ) 舜の楽に入って鳳笙の合奏の中に一緒に歌おうとしている。

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  2016年1月6日 の紀頌之5つのBlog  
  ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場  
  Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
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