漢文委員会kanbuniinkai 紀頌之のブログ 女性詩、漢詩・建安六朝・唐詩・李白詩 1000首:李白集校注に基づき時系列に訳注解説

李白の詩を紹介。青年期の放浪時代。朝廷に上がった時期。失意して、再び放浪。李白の安史の乱。再び長江を下る。そして臨終の歌。李白1000という意味は、目安として1000首以上掲載し、その後、系統別、時系列に整理するということ。 古詩、謝霊運、三曹の詩は既掲載済。女性詩。六朝詩。文選、玉臺新詠など、李白詩に影響を与えた六朝詩のおもなものは既掲載している2015.7月から李白を再掲載開始、(掲載約3~4年の予定)。作品の作時期との関係なく掲載漏れの作品も掲載するつもり。李白詩は、時期設定は大まかにとらえる必要があるので、従来の整理と異なる場合もある。現在400首以上、掲載した。今、李白詩全詩訳注掲載中。

▼絶句・律詩など短詩をだけ読んでいたのではその詩人の良さは分からないもの。▼長詩、シリーズを割席しては理解は深まらない。▼漢詩は、諸々の決まりで作られている。日本人が読む漢詩の良さはそういう決まり事ではない中国人の自然に対する、人に対する、生きていくことに対する、愛することに対する理想を述べているのをくみ取ることにあると思う。▼詩人の長詩の中にその詩人の性格、技量が表れる。▼李白詩からよこみちにそれているが、途中で孟浩然を45首程度(掲載済)、謝霊運を80首程度(掲載済み)。そして、女性古詩。六朝、有名な賦、その後、李白詩全詩訳注を約4~5年かけて掲載する予定で整理している。
その後ブログ掲載予定順は、王維、白居易、の順で掲載予定。▼このほか同時に、Ⅲ杜甫詩のブログ3年の予定http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-tohoshi/、唐宋詩人のブログ(Ⅱ李商隠、韓愈グループ。)も掲載中である。http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-rihakujoseishi/,Ⅴ晩唐五代宋詞・花間集・玉臺新詠http://blog.livedoor.jp/kanbuniinkai10-godaisoui/▼また漢詩理解のためにHPもいくつかサイトがある。≪ kanbuniinkai ≫[検索]で、「漢詩・唐詩」理解を深めるものになっている。
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Author:漢文委員会 紀 頌之です。
大病を患い大手術の結果、半年ぶりに復帰しました。心機一転、ブログを開始します。(11/1)
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訪問ありがとうございます。いつもありがとうございます。
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ただ、コメント頂いたても、こちらからの返礼対応ができません。というのも、
毎日、6 BLOG,20000字以上活字にしているからです。
漢詩、唐詩は、日本の詩人に大きな影響を残しました。
だからこそ、漢詩をできるだけ正確に、出来るだけ日本人の感覚で、解釈して,紹介しています。
体の続く限り、広げ、深めていきたいと思っています。掲載文について、いまのところ、すべて自由に使ってもらって結構ですが、節度あるものにして下さい。
どうぞよろしくお願いします。

李白詩全集 卷十一

295-#3 《卷11-14贈從弟冽》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <295-#3> Ⅰ李白詩1591 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6503

李白  贈從弟冽 #3  

降霖雨,公輸造雲梯。羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。
むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。

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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈從弟冽

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              漆園 (河南道 曹州 漆園)    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)   

交遊人物/地點:李冽          當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

逢君發花萼,若與青雲齊。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

#2

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。

報國有長策,成功羞執圭。

そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。

他年爾相訪,知我在磻溪。

しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。

 

#3

霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

 

李白の足跡0000 

『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。

(下し文)
#3

は霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

(現代語訳)
#3

むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。

今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。

そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。

何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。

しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。


(訳注) #3

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

 

降霖雨,公輸造雲梯。

むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。

○霖雨 《尚書》卷十〈商書命上〉命之曰:「若金,用汝作礪。若濟巨川,用汝作舟楫。若大旱,用汝作霖雨。」(若し金ならば、汝を用て礪と作さん。若し巨川を濟[わた]らば、汝を用て舟楫と作さん。若し大いに旱せば、汝を用て霖雨と作さん。)

○公輸 公輸般、公輸盤、公輸子ともいい,魯の哀公(494‐前468)の時代の人で,魯の昭公の子ともいわれるが定かでなく,また一説には魯班と公輸は別人ともいう。《墨子》に公輸の一編があり,公輸般が楚国のために〈雲梯(うんてい)〉と呼ばれる高く長い攻城の器具を作り宋を攻めようとしたことが記される。また同書の魯問篇に,竹木を削って(鵲(かささぎ),あるいは鳶(とび)ともいう)を作り,飛ばすと3日間も落ちることがなかったという。

 

羌戎事未息,君子悲塗泥。

今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。

羌戎 古代西域の異民族,羌族。 戎は古代兵器をいい、军队事:兵戎。投笔从戎。戎装。

塗泥 どろまみれになること。また、どろみち。ぬかるみ。苦しみの表現。

 

報國有長策,成功羞執圭。

そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。

長策 遠大なはかりごと。長計。

執圭 《周禮》「王執鎮圭,公執桓圭,侯執信圭,伯執躬圭,子執穀璧,男執蒲璧。」王は鎮圭を執り,公は桓圭を執り,侯は信圭を執り、伯は躬圭を執る。子は穀璧を執る,男は蒲璧を執る。圭とは古代、祭祀において玉器を用いること。それぞれの階級に応じた玉器もちいること、授かることをいう。

 

無由謁明主,杖策還蓬藜。

何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。

杖策 鞭を杖にする。左思·招隱詩二首之一「杖策招隱士,荒塗橫古今。」唐杜甫《1464常徵君》:“儿扶犹杖策,卧病一秋。”

 

他年爾相訪,知我在磻溪。

しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。

磻溪 傳姜太公垂釣磻溪,直鉤無餌,離水三尺,愿者上鉤。其實,他是藉釣魚養望等待出仕時機罷了。

溪中有泉,謂之茲泉,泉水潭積,自成淵渚,即《呂氏春秋》所謂太公釣茲泉也。今人謂之凡谷,石壁 ... 其投竿跽餌,兩膝遺跡猶存,是有磻溪之稱也。

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李白  贈從弟冽#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。逢君發花萼,若與青雲齊。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

顧余乏尺土,東作誰相攜。
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年:741年開元二十九年41

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈從弟冽

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

及地點:              漆園 (河南道 曹州 漆園)    

咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)   

交遊人物/地點:李冽          當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

逢君發花萼,若與青雲齊。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。

 

(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

#2

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。

#3

霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

 

 

『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

逢君發花萼,若與青雲齊。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

(下し文)

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。


(現代語訳)
なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。


(訳注)

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。

桃李 司馬遷《史記李將軍列傳論》「諺曰:『桃李不言,下自成蹊。』此言雖小,可以諭大也。」(諺に曰はく、「桃李言はざれど、下自ら蹊を成す。」此の言小なりと雖も、以て大をふべきなり。)

 

逢君發花萼,若與青雲齊。

かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。

花萼 花房、小さな花が集まって房のような形になったもの。ここでは、兄弟にたとう。

 

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。

 

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

うららかな日の差し上る頃に、『皂,戴。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。

布穀 《爾雅》曰:『皂,戴。』即首上勝也。頭上尾起,故曰戴勝。而農事方起,此鳥飛鳴于桑間,云五穀可布種也,故曰布穀。

鋤犁 犂鋤・犁鋤。 からすきとすき。農具。 耕作。

 

顧余乏尺土,東作誰相攜。

但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。

東作 農繁期。尚書 平秩東作:春の農事時期になれば、通常整然として東方から奮い立つようにうごきはじめること。

平は通常にする、秩は整然とする、東は東方、作は奮い立つこと。

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李白  贈從弟冽  

楚人不識鳳,重價求山雞。獻主昔云是,今來方覺迷。

自居漆園北,久別咸陽西。風飄落日去,節變流鶯啼。

(この詩は、徒弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

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年:741年開元二十九年41

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詩題:    贈從弟冽

作地點:              兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)

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咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸     

磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)   

交遊人物/地點:李冽          當地交遊(河南道 兗州 兗州)

 

 

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

#2

桃李寒未開,幽關豈來蹊。

逢君發花萼,若與青雲齊。

及此桑葉綠,春蠶起中閨。

日出布穀鳴,田家擁鋤犁。

顧余乏尺土,東作誰相攜。

#3

降霖雨,公輸造雲梯。

羌戎事未息,君子悲塗泥。

報國有長策,成功羞執圭。

無由謁明主,杖策還蓬藜。

他年爾相訪,知我在磻溪。

 

(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

#2

桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。

君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。

此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。

日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。

顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。

#3

霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。

羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。

國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。

明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。

他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。

 

 

『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

贈從弟冽

楚人不識鳳,重價求山雞。

獻主昔云是,今來方覺迷。

自居漆園北,久別咸陽西。

風飄落日去,節變流鶯啼。

(下し文)
(從弟冽に贈る)

楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。

主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。

漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。

風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。

(現代語訳)
(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。


(訳注)

贈從弟冽

(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)

 

楚人不識鳳,重價求山雞。

楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。

楚人不識鳳 太平廣記 「楚人有擔山雞者,路人問曰:“何鳥也?”擔者欺之曰:“鳳皇也。”路人曰:“我聞有鳳皇久矣,今真見之。汝賣之乎?”曰:“然。乃酬千金,弗與;請加倍,乃與之。方將獻楚王,經宿而鳥死。路人不遑惜其金,惟恨不得以獻耳。國人傳之,鹹以爲真鳳而貴,宜欲獻之,遂聞于楚王。王感其欲獻己也,召而厚賜之,過買鳳之十倍矣。」とあるに基づく。

(楚人、山雞を擔う者有り,路人 問うて曰く:“何の鳥ぞ也?”擔者 之を欺いて曰く:“鳳皇なり。”路人曰く:“我 有鳳皇を聞くこと久し矣,今 真に之を見る。汝 之を賣るか?”曰く:“然り。と。乃ち千金を酬ゆ,與えず;請う加倍せん,乃ち之を與う。方に將に楚王に獻ぜんとす,經宿にして鳥死す。路人 其の金を惜うるに遑あらず,惟だ以って獻ずるを得ざるを恨むのみ。國人之を傳へ,鹹な以爲えらく 真鳳にして貴し,宜なり之を獻ぜんと欲すするやと,遂に楚王に聞す。王 其の己に獻ぜむと欲するに感し,召して 厚く之に賜い,鳳を買うの過ぐること十倍。)

 

獻主昔云是,今來方覺迷。

あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。

 

自居漆園北,久別咸陽西。

かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。

漆園北 太平嚢宇記 漆園故城。在曹州寃句縣北十七里。莊周為漆園吏即此。其城古屬蒙縣。

 

風飄落日去,節變流鶯啼。

風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。

244-#5 《巻11-13 陳情贈友人 -#5》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#5> Ⅰ李白詩1500 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6048

李白  陳情贈友人 #5  

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。

 

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    陳情贈友人

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

 

 

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

斯人無良朋,豈有青雲望。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

臨財不苟取,推分固辭讓。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

後世稱其賢,英風邈難尚。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。

#3

論交但若此,友道孰云喪。

人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。

多君騁逸藻,掩映當時人。

君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

舒文振波,秉德冠彝倫。

文章を作れば、頽波を振い回して、純古に復さんとし、徳を行えば、彝倫に冠として、世に類ない程である。

卜居乃此地,共井為比鄰。

君は、此地に居を卜し、同じ区割の中に居て、我と比鄰を結び、日夕追随する。

清琴弄雲月,美酒冬春。

雲月に対しては、清琴を弾じ、寒い冬から温い春にかけて、雪や花の眺めやる頃は、美酒を酌んで、ともに娯しんでいた。

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

そういうこともあって、我が薄德であるがために、中道にして捐てられ、これを見棄てること、さながら塵の如く、一向おかまい下さらないのは、如何なる故か。

英豪未豹變,自古多艱辛。

われとても、英豪の本質を備へて居るが、未だ豹変せずして、愚図愚図して居るので、この世は、むかしから艱難辛苦多く、なかなか思う様にならぬから仕方がない。

他人縱以疏,君意宜獨親。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。

奈何成離居,相去復幾許。

君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。

#5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

今しも飄風は悪気の雲霓を吹き、邪悪の佞人が充満しているから、目をつぶったまま、語ることもできない。

投珠冀相報,按劍恐相距。

夜光の珠を投じて、いささか君の従前の好意に酬いるつもりであっても、うっかりしていると剣を按じてこばまれる。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

そこで、芳蘭の花を採り、わが心の潔白をあらわして、君に贈ろうとおものだけれど、ちょうこうのながれはひろく、はるかに荊渚を隔てて、ちょっと行くこともできない。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。

願假東壁輝,餘光照貧女。

君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。

 

 

(陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

#2

鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

#3

交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

#4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

#5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

 

 

『陳情贈友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
 #5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

願假東壁輝,餘光照貧女。

(下し文) #5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

(現代語訳)
今しも飄風は悪気の雲霓を吹き、邪悪の佞人が充満しているから、目をつぶったまま、語ることもできない。

夜光の珠を投じて、いささか君の従前の好意に酬いるつもりであっても、うっかりしていると剣を按じてこばまれる。

そこで、芳蘭の花を採り、わが心の潔白をあらわして、君に贈ろうとおものだけれど、ちょうこうのながれはひろく、はるかに荊渚を隔てて、ちょっと行くこともできない。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。

君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。


(訳注)#5

陳情贈友人

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

【題義】この詩は、自己の情を陳べて友人に贈ったので、その何人なるかは分らぬ。そして、大体の趣旨は、例の如く引き立ててほしい旨を懇ろに嘱望したのである。

この詩は、はじめ、交際親密であった庭が、中ごろから疎略に成った、それは、先方が讒誣の言を信じたるに因るので、これを弁明して、自己の衷情を述べたのである。そこで、季札鮑叔に筆を起し、次に往日の親交を囘顧し、次に刻下暌の離の状況に及び、他人縦以疎以下、殊に語真に、情勢に、容易に人を感動せしめる。そして、結末には、又一の故事を援引して、援助を望んだのである。

 

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

今しも飄風は悪気の雲霓を吹き、邪悪の佞人が充満しているから、目をつぶったまま、語ることもできない。

飄風 吹き廻る風をいう。『楚辞』九歌第二 (五)大司命「令飄風兮先驅 使涷雨兮灑塵. (飄風をして 先驅せしめ、 涷雨をして 塵に 灑がしむ。)とあり、王逸註に囘風を飄となす、飄風は無常の風、以て邪悪の象を起すなり、雲霓は悪気なり、以て佞人に喩える。

 

投珠冀相報,按劍恐相距。

夜光の珠を投じて、いささか君の従前の好意に酬いるつもりであっても、うっかりしていると剣を按じてこばまれる。

投珠 夜光の珠を投じる。

 

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

そこで、芳蘭の花を採り、わが心の潔白をあらわして、君に贈ろうとおものだけれど、ちょうこうのながれはひろく、はるかに荊渚を隔てて、ちょっと行くこともできない。

荊渚 荊州の渚。楚地方の川辺。

 

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

しかし、こうして深い愁いに閉ざされた心は、さながら酔ったような心地になる。そして、恨みは積もり積もって、涙は雨のように流れ落ちる。

沈憂心 深い愁いに閉ざされた心。

 

願假東壁輝,餘光照貧女。

君は、今、しかるべき地位にいて、十分に手が回るから、むかし、斉国の貧女が、東壁の余光を借りて、仕事をしたいといったように、どうか力を貸してもらって、我が境涯を救ってもらいたい。

餘光 貧女 漢·劉向《列女傳》卷六《辨通傳·齊女徐吾》

齊女徐吾者,齊東海上貧婦人也。與鄰婦李吾之屬會燭,相從夜績。徐吾最貧,而燭數不屬。李吾謂其屬曰:「徐吾燭數不屬,請無與夜也。」徐吾曰:「是何言與?妾以貧燭不屬之故,起常早,息常後,灑埽陳席,以待來者。自與蔽薄,坐常處下。凡為貧燭不屬故也。夫一室之中,益一人,燭不為暗,損一人,燭不為明,何愛東壁之餘光,不使貧妾得蒙見哀之?恩長為妾役之事,使諸君常有惠施於妾,不亦可乎!」李吾莫能應,遂復與夜,終無後言。

齊女徐吾は,齊の東海上の貧婦人なり。鄰婦と李吾の屬と會燭し,相い從って夜績す。徐吾最も貧にして,燭數は屬せず。李吾 其の屬に謂うて曰く:「徐吾 燭數 屬せず,請う 夜を與にする無からん。」徐吾 曰く:「是何言與?妾以貧燭不屬之故,起常早,息常後,灑埽陳席,以待來者。自與蔽薄,坐常處下。凡為貧燭不屬故也。夫 一室の中,一人を益すも,燭 為めに暗からず,一人を損するも,燭の為に明かならず,何ぞ東壁の餘光を愛しんで,貧妾をして恩を蒙むる之を哀しまん?長く妾役の事を為すをえさしめざる,諸君をして常に妾に惠施有らしむる,亦た可ならん乎!」と。李吾 能く應うるし,遂に復た夜を與にして,終に後言無し。

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李白  陳情贈友人-#4  

薄德中見捐,忽之如遺塵。

英豪未豹變,自古多艱辛。

他人縱以疏,君意宜獨親。

奈何成離居,相去復幾許。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。

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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    陳情贈友人

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

 

 

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

斯人無良朋,豈有青雲望。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

臨財不苟取,推分固辭讓。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

後世稱其賢,英風邈難尚。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。

#3

論交但若此,友道孰云喪。

人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。

多君騁逸藻,掩映當時人。

君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

舒文振波,秉德冠彝倫。

文章を作れば、頽波を振い回して、純古に復さんとし、徳を行えば、彝倫に冠として、世に類ない程である。

卜居乃此地,共井為比鄰。

君は、此地に居を卜し、同じ区割の中に居て、我と比鄰を結び、日夕追随する。

清琴弄雲月,美酒冬春。

雲月に対しては、清琴を弾じ、寒い冬から温い春にかけて、雪や花の眺めやる頃は、美酒を酌んで、ともに娯しんでいた。

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

そういうこともあって、我が薄德であるがために、中道にして捐てられ、これを見棄てること、さながら塵の如く、一向おかまい下さらないのは、如何なる故か。

英豪未豹變,自古多艱辛。

われとても、英豪の本質を備へて居るが、未だ豹変せずして、愚図愚図して居るので、この世は、むかしから艱難辛苦多く、なかなか思う様にならぬから仕方がない。

他人縱以疏,君意宜獨親。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。

奈何成離居,相去復幾許。

君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。

#5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

願假東壁輝,餘光照貧女。

 

 

(陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

#2

鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

#3

交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

#4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

#5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

 

 

『陳情贈友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

英豪未豹變,自古多艱辛。

他人縱以疏,君意宜獨親。

奈何成離居,相去復幾許。


(下し文) #4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

(現代語訳)
そういうこともあって、我が薄德であるがために、中道にして捐てられ、これを見棄てること、さながら塵の如く、一向おかまい下さらないのは、如何なる故か。

われとても、英豪の本質を備へて居るが、未だ豹変せずして、愚図愚図して居るので、この世は、むかしから艱難辛苦多く、なかなか思う様にならぬから仕方がない。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。

君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。


(訳注) #4

陳情贈友人

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

【題義】この詩は、自己の情を陳べて友人に贈ったので、その何人なるかは分らぬ。そして、大体の趣旨は、例の如く引き立ててほしい旨を懇ろに嘱望したのである。

 

薄德中見捐,忽之如遺塵。

そういうこともあって、我が薄德であるがために、中道にして捐てられ、これを見棄てること、さながら塵の如く、一向おかまい下さらないのは、如何なる故か。

 

英豪未豹變,自古多艱辛。

われとても、英豪の本質を備へて居るが、未だ豹変せずして、愚図愚図して居るので、この世は、むかしから艱難辛苦多く、なかなか思う様にならぬから仕方がない。

豹變 君子は過ちを悟ればすぐに改め、善に移ることが非常にはっきりしている。転じて、態度や考えなどを急にかえること。豹の毛色の変化することに喩えたもの。『易経』革「上六、君子豹變、小人革面。征凶、居貞吉。」

 

他人縱以疏,君意宜獨親。

たとい、他心は、われを疎んじても、君だけは、ひとりしたしんでくれてもよいはずである。

 

奈何成離居,相去復幾許。

君だけは、ひとり親しんでくれても善いはずである。しかるに、以下なれば、離居を為し、「相去ることまた幾ばくぞ」といって問うてみたいくらいである。

244-#3 《巻11-13 陳情贈友人 -#3》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#3> Ⅰ李白詩1498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6038

李白 陳情贈友人-#3

論交但若此,友道孰云喪。

多君騁逸藻,掩映當時人。

舒文振波,秉德冠彝倫。

卜居乃此地,共井為比鄰。

清琴弄雲月,美酒冬春。

人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

 

244-3 《巻11-13 陳情贈友人 -#3》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-3> Ⅰ李白詩1498 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6038

 
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 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    陳情贈友人

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

 

 

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

斯人無良朋,豈有青雲望。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

臨財不苟取,推分固辭讓。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

後世稱其賢,英風邈難尚。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。

#3

論交但若此,友道孰云喪。

人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。

多君騁逸藻,掩映當時人。

君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

舒文振波,秉德冠彝倫。

文章を作れば、頽波を振い回して、純古に復さんとし、徳を行えば、彝倫に冠として、世に類ない程である。

卜居乃此地,共井為比鄰。

君は、此地に居を卜し、同じ区割の中に居て、我と比鄰を結び、日夕追随する。

清琴弄雲月,美酒冬春。

雲月に対しては、清琴を弾じ、寒い冬から温い春にかけて、雪や花の眺めやる頃は、美酒を酌んで、ともに娯しんでいた。

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

英豪未豹變,自古多艱辛。

他人縱以疏,君意宜獨親。

奈何成離居,相去復幾許。

#5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

願假東壁輝,餘光照貧女。

 

 

(陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

#2

鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

#3

交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

#4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

#5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

 

 

『陳情贈友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#3

論交但若此,友道孰云喪。

多君騁逸藻,掩映當時人。

舒文振波,秉德冠彝倫。

卜居乃此地,共井為比鄰。

清琴弄雲月,美酒冬春。


(下し文)
交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い,德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

(現代語訳)
人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。

君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

文章を作れば、頽波を振い回して、純古に復さんとし、徳を行えば、彝倫に冠として、世に類ない程である。

君は、此地に居を卜し、同じ区割の中に居て、我と比鄰を結び、日夕追随する。

雲月に対しては、清琴を弾じ、寒い冬から温い春にかけて、雪や花の眺めやる頃は、美酒を酌んで、ともに娯しんでいた。


(訳注) #3

陳情贈友人

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

【題義】この詩は、自己の情を陳べて友人に贈ったので、その何人なるかは分らぬ。そして、大体の趣旨は、例の如く引き立ててほしい旨を懇ろに嘱望したのである。

 

論交但若此,友道孰云喪。

人間の交際は、この管鮑の交わりの様にありたいもので、朋友の道を尽くすこと、かくの如き上は、まだまだ道徳はすたれたといふにも及ぶまいと思はれる。

 

多君騁逸藻,掩映當時人。

君は、すぐれたる詞の才藻を有し、現代の人に掩映して居るほどなのである。

逸藻 文学的に華麗的な才藻。 《藝文類聚》卷八九引晉傅咸《舜華賦》「朝陽照灼以舒暉, 逸藻采繁而光明。」

掩映 2つの事物が対照をなして互いに引き立てる.

 

舒文振波,秉德冠彝倫。

文章を作れば、頽波を振い回して、純古に復さんとし、徳を行えば、彝倫に冠として、世に類ない程である。

舒文 文章を作る

頽波 ①くずれ落ちてくる波。 ②物事の勢いが衰えてすたれるたとえ。

彝倫 「彝」は常(つね)、「倫」は人のふみ行うべき道の意》人が常に守るべき道。人倫。

 

卜居乃此地,共井為比鄰。

君は、此地に居を卜し、同じ区割の中に居て、我と比鄰を結び、日夕追随する。

共井 同じ区割の中に居る。

為比鄰 親戚付き合いをする。

 

清琴弄雲月,美酒冬春。

雲月に対しては、清琴を弾じ、寒い冬から温い春にかけて、雪や花の眺めやる頃は、美酒を酌んで、ともに娯しんでいた。

244-#2 《巻11-13 陳情贈友人 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#2> Ⅰ李白詩1497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6033

李白  陳情贈友人 #2  

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。斯人無良朋,豈有青雲望。

臨財不苟取,推分固辭讓。後世稱其賢,英風邈難尚。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

244-#2 《巻11-13 陳情贈友人 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#2> Ⅰ李白詩1497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6033

 

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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244-#2 《巻11-13 陳情贈友人 -#2》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#2> Ⅰ李白詩1497 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6033 
 孟浩然 詩 index李白詩index謝霊運 詩 index司馬相如 《 子虛賦 ・上林賦 》揚雄 《 甘泉賦 》 ●諸葛亮(孔明)出師表 
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67 -#5 《讀巻02-04 論今年停挙選状》 -#5 韓愈(韓退之)ID 802年貞元18年 36歳<1410> Ⅱ5章7分割 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6034韓愈詩-67 -#5 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
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 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoorBlog牛嶠《巻四02夢江南二首其二》『花間集』153全詩訳注解説(改訂版Ver.2.1)-漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ-6037 
 薛濤の全詩花間集(1巻花間集(2巻花間集(3巻花間集(4巻花間集(5巻 
 魚玄機全詩花間集(6巻花間集(7巻花間集(8巻花間集(9巻花間集10巻 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    陳情贈友人

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

 

 

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

斯人無良朋,豈有青雲望。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

臨財不苟取,推分固辭讓。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

後世稱其賢,英風邈難尚。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。

#3

論交但若此,友道孰云喪。

多君騁逸藻,掩映當時人。

舒文振波,秉德冠彝倫。

卜居乃此地,共井為比鄰。

清琴弄雲月,美酒冬春。

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

英豪未豹變,自古多艱辛。

他人縱以疏,君意宜獨親。

奈何成離居,相去復幾許。

#5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

願假東壁輝,餘光照貧女。

 

 

(陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

#2

鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

#3

交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

#4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

#5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

 

 

『陳情贈友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)
#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

斯人無良朋,豈有青雲望。

臨財不苟取,推分固辭讓。

後世稱其賢,英風邈難尚。


(下し文)
鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

(現代語訳)
次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。


(訳注) #2

 

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

次に飽叔牙は、管仲を斉の桓公に推薦し、一挙して、富国強兵を進める斉の宰相にまでなった。

鮑生薦夷吾 鮑叔牙が管仲と変り、後にこれを斉の桓公推薦した。管仲は鮑叔との友情を、後世の人が称えて管鮑の交わりと呼んだ。鮑叔の推薦により管仲は桓公と面会し、強兵の前に国を富ませることの重要性、そしてそれには民生の安定と規律の徹底が必要だと説き、即日宰相に命じられた。鮑叔は管仲の下の立場に入り、その補佐に回った。管仲は才を存分に発揮できる場所と右腕を得て、その優れた能力を発揮した。

齊相 斉の国の宰相。

 

斯人無良朋,豈有青雲望。

管仲にしても、鮑叔牙という良朋がいなかったならば、あれだけの才能があったとしても、とても、青雲に望みをかけて立身することは出来なかった。

 

臨財不苟取,推分固辭讓。

そして、鮑叔牙は、その前、管仲とともに商賈をしていた時、財を分かつに臨んで、かりそめにも取らず、おのが分限を管仲に推し遣って、固く辞譲した。

辭讓 へりくだって他人に譲ること。辞退して他にゆずること。

 

後世稱其賢,英風邈難尚。

かくて、後世に至るも、鮑叔牙の賢を称し、その英風は、邈然としで、加へ難きものといわれている。

難尚 加へ難きもの。尚:①こいねがう。②したう。③たっとぶ。④たかい。⑤加える。《論語、里仁》「我未見好仁者惡不仁者。好仁者無以尚之。惡不仁者其爲仁矣。」(我未だ仁を好む者、不仁を悪む者を見ず。仁を好む者は、以て之れに尚【くわ】うる無し。不仁んを悪む者は、其れ仁を為なさん。)⑥ひさしい。⑦めとる。⑧なお。⑨つかさどる。

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李白  陳情贈友人#1  

延陵有寶劍,價重千黃金。觀風歷上國,暗許故人深。

歸來掛墳松,萬古知其心。懦夫感達節,壯士激青衿。
季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

 

244-#1 《巻11-13 陳情贈友人 -#1》Index-17 Ⅱ―12-737年開元二十五年37歳 <244-#1> Ⅰ李白詩1496 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6028

 
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年:737年開元二十五年37

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    陳情贈友人

作地點:              安陸(淮南道 / 安州 / 安陸)

及地點:              延陵 (江南東道 潤州 延陵)              

 

 

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

#2

鮑生薦夷吾,一舉置齊相。

斯人無良朋,豈有青雲望。

臨財不苟取,推分固辭讓。

後世稱其賢,英風邈難尚。

#3

論交但若此,友道孰云喪。

多君騁逸藻,掩映當時人。

舒文振波,秉德冠彝倫。

卜居乃此地,共井為比鄰。

清琴弄雲月,美酒冬春。

#4

薄德中見捐,忽之如遺塵。

英豪未豹變,自古多艱辛。

他人縱以疏,君意宜獨親。

奈何成離居,相去復幾許。

#5

飄風吹雲霓,蔽目不得語。

投珠冀相報,按劍恐相距。

所思採芳蘭,欲贈隔荊渚。

沈憂心若醉,積恨淚如雨。

願假東壁輝,餘光照貧女。

 

 

(陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

#2

鮑生 夷吾を薦め,一舉して 齊相に置く。

斯の人 良朋無く,豈に青雲の望有らんや。

財に臨んで 苟くも取らず,分を推して固く辭讓す。

後世 其の賢を稱し,英風 邈として尚え難し。

#3

交を論ずる 但だ此の若し,友道 孰れか喪いたりと云う。

多とす 君が逸藻を騁せ,當時の人に掩映するを。

文を舒べて 波を振い德を秉って彝倫に冠たり。

卜居 乃ち此の地,井を共にして 比鄰となる。

清琴 雲月を弄し,美酒 冬春を

#4

薄德 中ごろ 捐てらる,之を忽にして 遺塵の如し。

英豪 未だ豹變せず,古えより 艱辛多し。

他人 縱い 以て疏なるも,君が意 宜しく獨り親しむべし。

奈何か 離居を成し,相い去ること復た 幾許ぞ。

#5

飄風 雲霓を吹き,目を蔽うて 語るを得ず。

珠を投じ 冀わくば報ゆる相らん,劍を按じて 恐らくは相い距がん。

思う所は芳蘭を採り,贈らんと欲すれば 荊渚を隔つ。

沈憂 心 醉うが若し,積恨 淚 雨の如し。

願わくば 東壁の輝を假り,餘光 貧女を照らさん。

 

 

『陳情贈友人』 現代語訳と訳註解説
(
本文)

陳情贈友人#1

延陵有寶劍,價重千黃金。

觀風歷上國,暗許故人深。

歸來掛墳松,萬古知其心。

懦夫感達節,壯士激青衿。

(下し文)
(
陳情 友人に贈る)

延陵に 寶劍有り,價 千黃金より重し。

風を觀て上國を歷て,暗に故人に許すこと深し。

歸り來って 墳松に掛け,萬古 其の心を知る。

懦夫 達節に感じ,壯士 青衿を激す。

(現代語訳)
(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。


(訳注)

陳情贈友人#1

(自分の心の内を陳情し、旅立つ友人に贈る)

【題義】この詩は、自己の情を陳べて友人に贈ったので、その何人なるかは分らぬ。そして、大体の趣旨は、例の如く引き立ててほしい旨を懇ろに嘱望したのである。

 

延陵有寶劍,價重千黃金。

むかし.延陵の季子(呉王の子)は、寶剣を蔵し、價は千金より重く、まことに、世上、稀に見るところであった。

延陵有寶劍 (呉王の子)季札が始めて、使者として(晋へ)赴く途中、北の徐の国を通った。徐君(徐の君主)は季札の剣を好ましく思ったが、口に出して敢えて欲しいとは言わなかった。また李札もその意を汲みながらも、使いする上国は礼儀の国で使者としての公務に(威儀を正すために)佩刀は必須、剣を差し上げることはできなかった。公務からの帰路に(徐君に譲ろうとして)、徐の国に至った。

ところが訪ねた時、徐君は既に死んでいた。季札は其の宝剣を解いて徐君の冢(墓)の樹に懸けて去ろうとした。従者は、「徐君は已に死んでいます、いったい誰(たれ)に予(あた)えるのですか?」季子は「そうではない。始めに来たとき私は、心中ですでに差し上げようと決めていたのだ。どうして死なれたからと言って自分の信の心に背くことができるだろうか。いやできない」と返答した。その後季札は延(えん)(りよう)に封ぜられ、延陵の季子とよばれた。

(延陵劍, 延陵) 劉向 《新序節士》載, 春秋 延陵季子 ( 公子 季札 )將出訪 晉國 帶寶劍經過 徐國 徐君 觀劍不言而色欲之。 延陵季子 為有 晉國 之使, 未即獻劍, 然心已許之。 及使 返, 徐君 已死。 於是乃以劍掛 徐君 墓樹而去。 後用為不忘故舊的典實。

(延陵劍) 漢の劉向 《新序節士》載す,「春秋の時、延陵の季子 (公子 季札)將に出て晉國に訪ず ,寶劍を帶びて徐國を經過す, 徐君劍を觀て言わずしてその色之を欲す。 延陵 季子晉國に 之を使す有る為す, 未だ即ち劍を獻ぜず, 然り 心 已に之を許す。使いに及びに 晉に 返し, 而して 徐君 已に死す。是に於て 乃ち以て徐君 墓樹に劍を掛け 而して去る。徐人これを歌って日く、「延陵季子兮不忘故、脱千金之剣兮挂墳墓。」とある。

 

觀風歷上國,暗許故人深。

季子は、諸国の風俗を視んが爲に、上国に赴き、徐君が欲しそうな顔をして居たのを見て取って、歸りには、きっと差し上げるつもりで、暗に心に許して居た。

上國 かみがた王畿に近い処。

 

歸來掛墳松,萬古知其心。

それから、使を終って徐国に歸って來ると、徐君は、既に死んで居たから、その剣を徐君の墓陵の塚の上なる松の木に懸けて立ち去ったというので、万世の後までも、季子の誠心を知って語り傳えられた。

墳松 陵墓の東側に松を植え、西側に柏を植える。

 

懦夫感達節,壯士激青衿。

懦夫も、その達節に感じ、壮気は青い襟の下から起って、その心胸を激動するばかりである。

懦夫 意気地なし,臆病者,弱虫.用例只有懦夫才害怕火的生活。=意気地のないやつが火のように熱い生活を怖がるのだ.懒汉懦夫思想=ものぐさで意気地のない無気力な人間の考え方をいう。

青衿 《詩経、鄭風・子衿》。「青青子衿、悠悠我心。」(青青たる子が衿 悠悠たる我が心)とあって、学子の服するところ。

129-2 《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<129-2> Ⅰ李白詩1312 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5108

李白《贈僧行融》#2 近々わたしは、東越、会稽の方に行こうと思っている、謝安と同じように芸妓を携えて白雲と明月の高樓に昇って詩を賦すから、それを待っていてほしい。

 
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 ●古代中国の結婚感、女性感,不遇な生き方を詠う 三国時代の三曹の一人、三国時代の「詩神」である曹植の詩六朝謝朓・庾信 後世に多大影響を揚雄・司馬相如・潘岳・王粲.鮑照らの「賦」、その後に李白再登場 
 Ⅰ李白と李白に影響を与えた詩
 
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129-2 《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28歳 7首 故人西辭黃鶴樓,<129-2> Ⅰ李白詩1312 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5108 
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 曹植(曹子建)詩 65首 index文選 賦)兩都賦序・西都賦・東都賦 (班固)《李白 全詩》
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 ●杜甫の全作品1500首を取り上げて訳注解説 ●理想の地を求めて旅をする。" 
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 杜甫詩(1)736~751年 青年期・李白と交遊期・就活の詩 53首杜甫詩(2)752年~754年、43歳 73首(青年期・就活の詩) 杜甫詩(3)755年~756年、45歳 安史の乱に彷徨う 26首杜甫詩(4)作時757年、46歳 安史軍捕縛、脱出、左拾遺 43首杜甫詩(5)758年;乾元元年、47歳 左拾遺、朝廷疎外、左遷 53首杜甫詩 (6)759年;乾元二年、48歳 三吏三別 官を辞す 44首 
 杜甫詩(7)759年;乾元二年、48歳 秦州抒情詩 66首杜甫詩(8)作時759年、48歳 秦州発、同谷紀行、成都紀行 36首杜甫詩(9)760年;上元元年、49歳 成都浣花渓草堂 45首杜甫詩(10)761年;上元二年、50歳 成都浣花渓草堂 82首杜甫詩(11)762年寶應元年 杜甫51歳  浣花渓草堂~蜀中転々 43首杜甫詩(12)762年寶應元年 杜甫51歳 蜀中転々 49首 
 ●これまで分割して掲載した詩を一括して掲載・改訂掲載・特集  不遇であった詩人だがきめの細やかな山水詩をかいている 
 Ⅳブログ漢・唐・宋詞詩集 Fc2ブログ 
        
 ●花間集全詩●森鴎外の小説『魚玄機』、芸妓で高い評価を受けた『薛濤』の詩。唐時代にここまで率直な詩を書く女性が存在した奇跡の詩。唐から五代詩詞。花間集 
 Ⅴ.唐五代詞詩・宋詞詩・女性 LiveDoor20-530《酒泉子四首,其一》十巻 李珣Ⅻ唐五代詞・『花間集』全詩訳注解説Gs-713-20-(530) 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5112 
 薛濤の全詩花間集(1)花間集(2)花間集(3)花間集(4)花間集(5) 
 魚玄機全詩●花間集(6)●花間集(7)●花間集(8)●花間集(9)●花間集(10) 
 温庭筠66首 花間集1・2巻皇甫松11首 花間集二巻韋莊47首 花間集二巻薛昭蘊19首 花間集三巻牛嶠31首 花間集三・四巻張泌27首 花間集四巻 
 毛文錫31首 花間集5巻牛希濟11首 花間集5巻欧陽烱17首 花間集5・6巻和凝20首 花間集6巻顧夐56首 花間集6・7巻孫光憲47首 花間集7・8巻 
 魏承班15首 花間集8・9巻鹿虔扆6首 花間集9巻閻選8首 花間集9巻尹鶚6首 花間集9巻毛熙震29首 花間集9・10巻李珣39首 花間集10巻 
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129-2 《贈僧行融》Index-8 Ⅱ―3 728年開元十六年28 7首 故人西辭黃鶴樓,<129-2> Ⅰ李白詩1312 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ5108

 

 

年:728年開元十六年28

卷別:    卷一七一              文體:    五言古詩

詩題:    贈僧行融

作地點:              鄂州(江南西道 / 鄂州 / 鄂州)

及地點:             

峨眉山 (劍南道北部 嘉州 峨眉山)    

旃檀閣 (都畿道 河南府 伊闕)           

鸚鵡洲 (淮南道 沔州 漢陽)              

白樓亭 (江南東道 越州 山陰)           

 

 

贈僧行融 #1

(昔の高僧と詩人のように行融上人にこの詩を贈る)

梁有湯惠休,常從鮑照遊。

六朝南朝梁に湯惠休という僧侶で詩人がいた。常々鮑照に從って遊び、鮑照の詩集の中に贈答の詩が残っている。

峨眉史懷一,獨映陳公出。

近頃の事では、峨眉山に懷一上人という高僧詩人あいて、その人も一人、初唐の陳子昂とともに世間に知られている。

二道人,結交鳳與麟。

湯惠休と史懷一という共に、卓絶している僧侶であり、この者たちとの交際をすることは鳳凰か麒麟と交わるといわれた鮑照や陳子昂と交際する事であり、詩人と高僧というものは少なからず縁が深いということである

融亦俊發,吾知有英骨。

ここには行融という高僧がいて才知のすぐれた人でしかも発信力があるひとである。私はこの人が英骨ある人であるということも知っている。