李白 贈從弟冽 #3
傳說降霖雨,公輸造雲梯。羌戎事未息,君子悲塗泥。
報國有長策,成功羞執圭。無由謁明主,杖策還蓬藜。
他年爾相訪,知我在磻溪。
むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。
295-#3 《卷11-14贈從弟冽》Index-21Ⅱ― 16-741年開元二十九年41歳 <295-#3> Ⅰ李白詩1591 kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ6503
年:741年開元二十九年41歳
卷別: 卷一七一 文體: 五言古詩
詩題: 贈從弟冽
作地點: 兗州(河南道 / 兗州 / 兗州)
及地點: 漆園 (河南道 曹州 漆園)
咸陽 (京畿道 京兆府 咸陽) 別名:秦、咸
磻溪 (京畿道 岐州 虢縣)
交遊人物/地點:李冽 當地交遊(河南道 兗州 兗州)
贈從弟冽
(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)
楚人不識鳳,重價求山雞。
楚人は、鳳を知っていないものであることに因り、山鶏を鳳凰だといわれると、それを本当だと思って、高い價を以て之を買うという。
獻主昔云是,今來方覺迷。
あるいは、楚王に献ぜむとしたという昔ばなしもあるけれど、自分自身のことも、その通りで、格別すぐれても居ない自分の才芸を非常に貴いものと思い込んで、天子に献せむとし、その時分は、善いことと思っていたが、つい近ごろに成って、それは心の迷に過ぎないということを自覚したのである。
自居漆園北,久別咸陽西。
かくて、西、長安を去って、北の方、漆園の地に来たのも、すでに久しきを経ている。
風飄落日去,節變流鶯啼。
風は飄って、落日、西に沈み、節序しきりに変じて、もう鶯も来て啼く春となった。
(從弟冽に贈る)
楚人 鳳を識らず,價いを重くし 山雞を求む。
主獻じて 昔 是なりと云う,今 來って方に迷を覺る。
漆園の北に居りて自り,久しく別る 咸陽の西。
風は飄って 落日去り,節變じて 流鶯啼く。
#2
桃李寒未開,幽關豈來蹊。
なんといっても北の地の事であるから、桃李は、なお寒を怕れて咲き出してはいないし、桃李の下ならず、幽関の下に、游人きたり聚まりはしないので、蹊すらもできない。
逢君發花萼,若與青雲齊。
かくて、君に遇うて、花萼の親を重ねて兄弟のようにしていると、どうやら、青雲の上に登ったような気がしてくる。
及此桑葉綠,春蠶起中閨。
兎角する内に、桑の葉が出て緑になってくるし、家家の閨中に於ては、春蠶を飼うために忙しくなってきている。
日出布穀鳴,田家擁鋤犁。
うららかな日の差し上る頃に、『皂鴔,戴鵀。』布穀の鳥が鳴けば、いよいよ野良仕事をする時がきたというので、農家においては、犂鋤や犁鋤を携えて、毎日畑へ出かけるようになる。
顧余乏尺土,東作誰相攜。
但し、自分は、尺士をすこしだに有していないので、誰と共に、田疇に耕すべきであろうか、人人がこのように農繁期の時分に、全くなすこともなくして、のらくらと遊んでいるだけである。
#2
桃李 寒 未だ開かず,幽關 豈に蹊に來らんや。
君に逢うて花萼を發し,青雲と齊しきが若し。
此の桑葉の綠なるに及び,春蠶 中閨に起る。
日出でて 布穀 鳴き,田家 鋤犁を擁す。
顧りみるに余 尺土に乏しく,東作 誰か相い攜えん。
#3
傳說降霖雨,公輸造雲梯。
むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。
羌戎事未息,君子悲塗泥。
今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。
報國有長策,成功羞執圭。
そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。
無由謁明主,杖策還蓬藜。
何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。
他年爾相訪,知我在磻溪。
しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。
#3
傳說は霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。
羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。
國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。
明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。
他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。
『贈從弟冽』 現代語訳と訳註解説
(本文)
#3
傳說降霖雨,公輸造雲梯。
羌戎事未息,君子悲塗泥。
報國有長策,成功羞執圭。
無由謁明主,杖策還蓬藜。
他年爾相訪,知我在磻溪。
(下し文)
#3
傳說は霖雨を降し,公輸は雲梯を造る。
羌戎 事 未だ息まず,君子 塗泥を悲しむ。
國に報ゆるに長策有り,功を成すも 執圭を羞ず。
明主に謁するに由無く,策を杖いて蓬藜に還る。
他年 爾 相い訪わば,我が磻溪に在るを知らん。
(現代語訳)
#3
むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。
今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。
そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。
何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。
しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。
(訳注) #3
贈從弟冽
(この詩は、從弟の李冽といふものに贈って、自己の境涯を述べたのである。)
傳說降霖雨,公輸造雲梯。
むかし、傳説は、武丁に用ひられ、尚書に「歳大に旱すれば汝を用いて霖雨と成さむ」といわれ、公輸は、「雲梯を造って、宋を攻めた」というので、この二人は、十分に、その才能を発揮して、国家の為につくしたので、わが理想とするところも、これにほかならぬ。
○霖雨 《尚書》卷十〈商書‧說命上〉命之曰:「若金,用汝作礪。若濟巨川,用汝作舟楫。若歲大旱,用汝作霖雨。」(若し金ならば、汝を用て礪と作さん。若し巨川を濟[わた]らば、汝を用て舟楫と作さん。若し歲大いに旱せば、汝を用て霖雨と作さん。)
○公輸 公輸般、公輸盤、公輸子ともいい,魯の哀公(前494‐前468)の時代の人で,魯の昭公の子ともいわれるが定かでなく,また一説には魯班と公輸は別人ともいう。《墨子》に公輸の一編があり,公輸般が楚国のために〈雲梯(うんてい)〉と呼ばれる高く長い攻城の器具を作り宋を攻めようとしたことが記される。また同書の魯問篇に,竹木を削って(鵲(かささぎ),あるいは鳶(とび)ともいう)を作り,飛ばすと3日間も落ちることがなかったという。
羌戎事未息,君子悲塗泥。
今しも、西域や北方の異民族どもは、叛逆を企て、その乱、未だに平定しておらず、君子は、塗泥に陥って、まだ救ひ上げられずにいる。
○羌戎 古代西域の異民族,羌族。 戎は古代兵器をいい、军队,军事:兵戎。投笔从戎。戎装。
○塗泥 どろまみれになること。また、どろみち。ぬかるみ。苦しみの表現。
報國有長策,成功羞執圭。
そこで、われは、国家に報いんがために、胸中に長策を蔵して居るし、また、たとえ成功したところで、それぞれの階級に応じた玉器を受けるを羞としでいる位である。
○長策 遠大なはかりごと。長計。
○執圭 《周禮》「王執鎮圭,公執桓圭,侯執信圭,伯執躬圭,子執穀璧,男執蒲璧。」王は鎮圭を執り,公は桓圭を執り,侯は信圭を執り、伯は躬圭を執る。子は穀璧を執る,男は蒲璧を執る。圭とは古代、祭祀において玉器を用いること。それぞれの階級に応じた玉器もちいること、授かることをいう。
無由謁明主,杖策還蓬藜。
何も褒美を貰わんがためではなく、心の底から、國家の多難を憂え、一から、やむを得ず思い切り、鞭に杖いて、むぐらの宿に還った次第である。
○杖策 鞭を杖にする。左思·招隱詩二首之一「杖策招隱士,荒塗橫古今。」唐杜甫《1464别常徵君》詩:“儿扶犹杖策,卧病一秋强。”
他年爾相訪,知我在磻溪。
しかし、このままでは、とても済まされぬから、伝説のの太公望を学んで、釣をなし、そして、聖主の夢に入ったならば、あるいは迎えられて拝謁することができるかもしれない。そこで、汝にして、他年われを訪わんとならば、磻渓の様なところにいるものと思って、尋ねてきたら善かろう。
○磻溪 傳說姜太公垂釣磻溪,直鉤無餌,離水三尺,愿者上鉤。其實,他是藉釣魚養望等待出仕時機罷了。
溪中有泉,謂之茲泉,泉水潭積,自成淵渚,即《呂氏春秋》所謂太公釣茲泉也。今人謂之凡谷,石壁 ... 其投竿跽餌,兩膝遺跡猶存,是有磻溪之稱也。